月別:2016年06月

記事一覧
  • 道行き道ばた写真 ~空き地とか

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 最近、空き地が気になってけっこうよく撮っている。空き地というのは建物が建っていなくて使われていない土地を言うのだろうけど、それは人間側から見た概念に過ぎなくて、その土地なり土なり植物なり生きものたちにとってはこれが本来の姿ということになるだろうか。人の手が入らない土は瞬く間に自然に還っていく。 街中のどの場所も、アスファルトやコンクリートで塗り固められてむ...

    2016/06/30

    日常写真(Everyday life)

  • 中志段味の諏訪神社を訪ねる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 守山区中志段味にある諏訪神社を訪れるのは、このときが二度目だった。最初は桜の季節に神社前の桜に惹かれて立ち寄った。あれはもう3、4年前になるだろうか。神社の前の通りは何度となく通っていたものの、中まで入っていくことはなかった。参拝ということでいうと、この日が初めてだった。 神社があるあたりは少し前から道路の大がかりな工事をしている。この前通ったら、いつもの道...

    2016/06/29

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ル・プレジール・デュ・パン/ぱんのいえ/ブランパン

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は東山エリアにある3軒のパン屋さんを紹介します。 まず最初は、地下鉄東山線の東山公園駅から西へ少し行ったところにある「ル・プレジール・デュ・パン」さんから。 フランス人シェフが作るパン屋さんが以前東山にあった気がするのだけど、ここがそうだったのか、別の店だったのか、記憶が定かではない。シェフが変わって店の名前も変...

    2016/06/28

    パン屋(bakery)

  • 「散策地一覧表」ができましたのお知らせ

     何年も前からずっとやらなければいけないと思いつつ、果てしなく時間と手間がかかるに違いないという理由で先送りにしてきたことがある。それは、このブログの散策地一覧表作りだ。 10年間、ほぼ毎日更新し続けて、記事数も4,500を超えた。その中から散策地をカテゴリーと地域ごとに分けて一覧表を作る。考えただけでもぞっとする作業だ。 でも、一覧があるのとないのとでは訪問者にとって利便性がまったく違うことも分かって...

    2016/06/27

    その他

  • 布池カトリック教会を撮りにいく

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 天気のいい日に布池教会をもう一度ちゃんと撮っておきたいという気持ちがあって、やっと実現した。白い教会は、青空と太陽の光がよく似合う。 布池教会を初めて訪れたのは、2006年のクリスマスイブの日だった。あれからもう10年近く経ったかと思うと、ちょっと恐ろしいような気持ちもする。 あのときは内部の写真を撮っていてもとがめられることはなかった。今は中...

    2016/06/27

    教会(Church)

  • 停滞もしくは後退するサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO いつもと変わらない日曜日。いつもと変わらないサンデー料理。来週も再来週もずっとそうだとは限らないけど、とりあえず今週はそうだった。先週や先々週と同じように。 ルーティーンというのはよいことでもあるけど悪いことでもある。変わらないことは変われないことでもあり、向上心の欠如がもたらすものは停滞ではなく後退だ。常に新しいことにチャレンジする気持ちを失えば、それはも...

    2016/06/26

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<26> ---切り取ることの矜持と責任

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 優れた彫刻家は、ノミで像の形を作り上げていくのではなく、木なり石なりの塊の中にあらかじめ存在する像を彫りだしてあげるという感覚なのだそうだ。自分がやっているのは余分な部分を削るだけなのだと。 怖じ気づいてしまえば像は甘くなるし、大胆にいきすぎると本体を損なうことになる。ぎりぎりのところまで思い切ってノミを入れていくことができる彫刻家が一流と呼ばれる。 その...

    2016/06/25

    写真ノート(Photo note)

  • 私的写真集選手権とかフォトコンのこととか

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8「フォトテクニックデジタル」主催の第5回私的写真集選手権で、「サヨナラノオト」が入選(photogeni賞)。 スライドショーにしてYouTubeにアップしたので、よかったら見てやってください。 https://youtu.be/nDO21mGX4Rs「フォトテクニックデジタル 2016年7月号」で発表された。フォトテクニックデジタル 2016年 07月号 [雑誌]価格:1080円(税込、送料無料) 結...

    2016/06/24

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 道行き風景 ~何でもない風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 今日は道行き風景をお送りします。 何でもない近所の風景を今撮っておくと、あとになって貴重になるかもしれない。誰もがカメラで写真を撮る時代だけど、何でもない風景はそれほど撮られていないような気がする。日常的に目にする風景は、意識が鈍化してしまって撮ることが案外難しい。長年一緒に暮らしている家族を撮ることが難しいように。 だからこそ、少しでも...

    2016/06/23

    日常写真(Everyday life)

  • 八竜湿地を久々に訪ねてみた

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 八龍湿地を訪れるのはずいぶん久しぶりだった。ブログを調べてみると一度も登場していないから、少なくとも前回訪れたのは10年以上前ということになる。それまで二度か三度は行っているはずだ。あまり撮るものはないし、湿地エリアは普段閉鎖されているしで、いつの間にか寄りつかなくなっていた。 場所は雨池公園の北、金城学院大学の東北で、もともとは金城の敷地...

    2016/06/22

    施設/公園(Park)

  • 勝手塚古墳の上に建つ勝手社に参拝

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ、今回は守山区上志段味(かみしだみ)にある勝手社(かってしゃ)を紹介します。 場所は、三洋堂やバローのある通りの上志段味交差点から南へ少し行ったところだ。こんもりした森になっているからある程度離れた場所からでも分かると思う。 勘のいい人ならピンと来るかもしれない。これって古墳じゃないのと。まさにその通り。上志段味古墳群の中のひとつ、...

    2016/06/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 出しそびれていた写真

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 さすがに去年の在庫写真はほぼなくなったものの、月日が流れる中で出しそびれて在庫になる写真がいつの間にかたまっていた。ときどきクリアランスで出していかないとデッドストックになってしまうので、今日はまとめて出すことにする。 写真は冬の終わりから春先に撮ったものが多い。あらためてこの時期の写真をまとめて見ると、季節がだいぶ逆戻りしたように感じられる。いや、今や季...

    2016/06/20

    日常写真(Everyday life)

  • ノーマルなサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 梅雨どきの週末。今週末は何もない週末だった。今年の梅雨は雨不足になるかもしれない。日曜日の今日は午前中から雨だったけど、全体的にみると雨が少ないように思う。それでもまだあとひと月も梅雨が続くと思うと先は長い。 サンデー料理はいつもの通り。取り立てて変わったこともない、平凡でノーマルな料理だった。私の作る料理がノーマルと定義できるならだけど。 これといったイメ...

    2016/06/19

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<25> ---構図、構図、構図

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 構図を軽んじている写真が多い一方で、構図に関する誤解が蔓延しているように思えてならない。構図はスタイルではあるけれど、写真の体裁を整えるためだけのものではない。 写真において構図はとても大事なことだけど、もっとも大事なことではない。構図について無自覚すぎる写真と、構図に縛られすぎている写真と、どちらもある。構図、構図と言い過ぎるのは好きじゃないのだけど、今...

    2016/06/18

    写真ノート(Photo note)

  • 長久手の杁ヶ池公園に久しぶりに再訪してみた

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 何年か前に一度か二度訪れたことがある杁ヶ池公園(いりがいけこうえん)。メタセコイアの林が印象に残った。季節を変えて再訪しようと思いつつ月日が流れた。 場所はリニモの杁ヶ池公園駅から南へ300メートルほどのところにある。 杁ヶ池というのは地名でもあり、池の名前でもある。池はかつて農業用の溜め池だったそうだ。区画整理の際に公園として整備された。現...

    2016/06/17

    施設/公園(Park)

  • 柴田勝家が生まれた下社城址を訪ねる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 名古屋市名東区陸前町にある明徳寺(みょうとくじ)は、下社城(しもやしろじょう)があった地とされ、柴田勝家生誕の場所と伝えられる。かつては尾張国愛知郡上社村と呼ばれていた。 当時、尾張国の中心地は清洲城のある清洲だった。直線距離にして両者は16キロほど離れている。 柴田勝家の出生に関してはあまりはっきりしたことが伝わっていない。尾張国守護の斯...

    2016/06/16

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 茶屋ヶ坂公園のアジサイ風景を撮る

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8 千種区にある茶屋ヶ坂公園は、隠れたアジサイの名所だ。名古屋市民の間でも知名度は低いと思われる。アジサイの量に関していえば、名古屋市内屈指と言える。もっと有名になってもよさそうだけど、茶屋ヶ坂公園自体がマイナーな公園で、駐車場がないという難点がある。 6月半ばといえばもう見頃になってよさそうだけど、まだもう一歩咲きそろっていなかった。今週...

    2016/06/15

    花/植物(Flower/plant)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---櫻蔵/バーゼル/エス.カッツェ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は春日井編ということで、春日井市にある3つのパン屋さんを紹介します。 まず最初は、勝川駅近くにある「櫻蔵(さくら)」さんから。 JR中央線の勝川駅よりも城北線の勝川駅のすぐ近くで、交差点としては勝川町5丁目を見つければそのすぐ北西に店はある。ローソンの向かい側で、駐車場が通りに面しているから車で行っても入りやすい。 ...

    2016/06/14

    パン屋(bakery)

  • 道行き風景 ~行く人

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 ...

    2016/06/13

    日常写真(Everyday life)

  • たいてい名前のないサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 6月は祭りもイベントもないせいもあって、週末に遠出することが少ない。夏まつりが始まるのは来月からだ。梅雨入りしたといっても毎日雨ばかりというわけでもないから、出かけようと思えば出かけられるのだけど、今年の上半期はかなり出不精になっている。鉄道の旅もしばらくしていない。 先月からちまちまやっている作業があって(このブログの散策スポット一覧リンク作り)、それがそ...

    2016/06/12

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<24> ---伊藤若冲に学ぶこと

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 上手さは必要最低限の条件でしかない。それ自体に意味や価値はない。大切なのは表現すべきものであり、伝えるべきことであり、共有すべき物語だ。技術はそのために使ってこそ意義がある。 テクニックというのは、これ見よがしに見せびらかして人を感心させるためのものではない。人を感動させるためにさりげなく使うものだ。いい作品を撮ることだけを目的とした写真は、人の心の深い部...

    2016/06/11

    写真ノート(Photo note)

  • 初夏の道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 季節は初夏。日差しが強くなってきて、日焼け止めを塗らないと無駄に日焼けしてしまう。自転車でうろつき回っていると日陰という逃げ場がないから、直射日光を浴び続けることになる。手の甲だけ黒こげになってしまったりするから油断できない。 そんな5月、6月の風景。 ...

    2016/06/10

    日常写真(Everyday life)

  • 緑深まる6月の森林公園

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 6月はじめの森林公園。緑は深まり、極まった。色も光も、もう春のものじゃない。 咲いている花の顔ぶれも初夏のもので、トンボをはじめとした虫たちもだいぶ増えてきた。ツバメもたくさん飛び交っていた。 季節は容赦なく進んでいく。夏はもう近い。ただ、今年はまだ気温があまり上がっていないせいもあるだろう、蚊が少ないのが助かる。夏は大好きだけど、蚊だけは大嫌いだ。 今日は6...

    2016/06/09

    植物園(Botanical garden)

  • 丸山神明社を訪ねる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 覚王山の中心部から南西に進んだ住宅街の中にある丸山神明社。訪れるのは今回が初めてだった。 それなりに境内も広くて立派だ。こんな住宅地の中まで入ってくることがないから、これまで存在すら知らなかった。地図を見ているときに見つけて、じゃあ行ってみようということになった。 神明社に関してはいつも書くことがあまりない。祭神はアマテラスに決まっているし、創建にまつわる...

    2016/06/08

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 6月の猪高緑地風景 <後>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 里山の田んぼエリアはすでに田植えが終わっていた。かつてこのあたりにたくさんあった田んぼ風景を再現したもので、近くの小学生たちもお手伝いをしているはずだ。そういえば実りの時期に訪れたことがない。今年は秋に訪れてみようと思った。 今日は猪高緑地の後編をお送りします。...

    2016/06/07

    施設/公園(Park)

  • 緑一色の猪高緑地 <前>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 6月はじめ。新緑の猪高緑地。 新緑の季節というのは梅雨入り前までそうだから、厳密に言えばもう新緑ではないのかもしれないけど、見た目は紛れもなく新緑の風景だ。名古屋市内にいくつかある緑地の中で、もっともワイルドなのが猪高緑地だ。市内とは思えないほどのジャングル状態になっている。その分、新緑の風景を撮るには一番向いている。バリエーションの豊かさ...

    2016/06/06

    施設/公園(Park)

  • 少し食材不足のサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は少ない食材で作るというのがテーマだった。決定的に足りないというほどではないけど少し足りない感じ。あとひとつかふたつ。そんなときがたまにある。できあがってみればいつもと変わりはないのだけれど。 6月というのは衣替えの季節で、多少なりとも気分が変わるもの。季節も暦の上で夏ということになる。ただ、今年はまだあまり暑くなくて、早々に梅雨入りしてし...

    2016/06/05

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<23> ---写真集を目指す

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 アマチュアの写真活動の集大成として写真集作りを目標にしている人がどれくらいいるのかは分からないのだけど、もし私が人に写真を教える立場だとしたら、必ず写真集を作るようにと言うだろう。有無を言わさず絶対に。 とにかく写真集を作れ。そのための写真を撮れ。日々の写真行為を明確にするために。写真集という着地点さえはっきりしていれば、あとはそこへ向かって進むだけだ。何...

    2016/06/04

    写真ノート(Photo note)

  • 道行き風景 ~遠くから見守るように

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き写真をお送りします。 まだ春先だった頃の写真も何枚か。季節はあっという間に過ぎていってしまうものだと、自分が撮った写真からも思うのだった。 ...

    2016/06/03

    日常写真(Everyday life)

  • 下街道を行くシリーズ <3> ---勝川から瀬古へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 下街道シリーズの三回目は、19号線沿いの勝川愛宕社からの再開となる。 庄内川に近い勝川のあたりは弥生時代から人が住んでいたようで、古墳も多く見つかっている。愛宕社も、古墳の上に建てられたとされる。このあたりでもっとも巨大な古墳である二子山古墳は愛宕社から見て西1キロほどのところにある。 愛宕社の創建年ははっきりしない。一説には鎌倉時代後期の13...

    2016/06/02

    旅/散策(Stroll)

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道行き道ばた写真 ~空き地とか

日常写真(Everyday life)
フェンスとハルジオン

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 最近、空き地が気になってけっこうよく撮っている。空き地というのは建物が建っていなくて使われていない土地を言うのだろうけど、それは人間側から見た概念に過ぎなくて、その土地なり土なり植物なり生きものたちにとってはこれが本来の姿ということになるだろうか。人の手が入らない土は瞬く間に自然に還っていく。
 街中のどの場所も、アスファルトやコンクリートで塗り固められてむき出しの土の部分は少ない。私などは人と比べたら森や緑地などを歩いている方だけど、それでも土に触れる機会というのは月に数回といったところだ。
 そういうこともあって、空き地の土の部分に心惹かれているような気もするのだけど、空き地を撮りたいという心理はそれだけでもないように思う。街中のわずかなオアシスというと言い過ぎだろうか。
 何もない空間に向かってカメラを構えて写真を撮っていると、ときどき奇異の目で見られたり、何を撮ってるんですかと訊ねられることがある。いや、特に、と歯切れ悪く答えるしかないわけだけど、人は普通何もないところを撮ったりはしない。もちろん、何もないところに何か見えてはいけないものが見えているわけではない。空き地を撮る心理を人に説明するのは難しい。
 まあ、単純に言ってしまえば、道ばた写真を撮るのが面白いからで、本人はわりと楽しんで撮っているのは間違いない。絶景よりも道ばた写真の方が好きなどというと人に変に思われるから口には出さないけど。



雨上がり飛ばされた傘




捨てられた一輪車




家と家との間の空き地




木蓮と空き団地




錆びたトタン壁




道ばたの洗濯機




アパートの二階に落ちる影




フェンスと吸い殻入れ




トラックの荷台に積まれた自転車




さよならアラン・ドロン

 

中志段味の諏訪神社を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
諏訪神社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 守山区中志段味にある諏訪神社を訪れるのは、このときが二度目だった。最初は桜の季節に神社前の桜に惹かれて立ち寄った。あれはもう3、4年前になるだろうか。神社の前の通りは何度となく通っていたものの、中まで入っていくことはなかった。参拝ということでいうと、この日が初めてだった。
 神社があるあたりは少し前から道路の大がかりな工事をしている。この前通ったら、いつもの道がなくなっていて焦った。神社前もこの先変わっていくことになるのかもしれない。神社は少し奥まったところにあるから、神社そのものに影響はなさそうだ。



灯籠の並ぶ参道




拝殿

 取り立てて特徴のない神社だけど、境内はそこそこ広い。
 ここの諏訪神社に関して詳しいことは分からない。ネットにもほとんど情報がない。創建がいつの時代だったのかも、ちょっと予測が難しい。江戸時代の新しいものなのか、もう少し時代が遡るのか。諏訪大社からタケミナカタを勧請したのはおそらく間違いないものと思われる。
 諏訪湖は15年くらい前に一度行ったことがある。あまり強い印象を残す湖ではなかった。当時は神社にもまったく興味がなかったから、諏訪大社も訪れていない。一度4社とも巡ってみたいと思うけど、鉄道で行くとちょっと大変だ。歩いて全部回るには半日で足りるかどうか。
 諏訪神社の祭神であるタケミナカタについて、以前どこかで書いた覚えがあるのだけど、何のときに書いたのか忘れてしまった。詳しく書くと長くなるので、いつか諏訪大社を訪ねたらそのときしっかり書くことにしたい。



境内社




山岳信仰




絵馬と折り鶴




石




境内と参道の風景




南原の諏訪神社

 同じく中志段味の南原という地区にも小さな諏訪神社がある。
 ちょっとした空き地に3つの神社を無理矢理詰め込んでしまったようなユニークなことになっている。
 一番左が諏訪神社で、参拾番神社と吉嶽稲荷神社が並んでいる。
 もともと諏訪神社があったところに他の2社を合祀したのかとも思うけど、実際は違うのかもしれない。ここも詳しいことは分からない。



諏訪神社の額




新しい鳥居

 鳥居がピカピカで新しいから、最近建て替えたのだろう。何年か前に一度ここを訪れたことがある。そのときはどうだったか、もう覚えていない。

 ご近所神社めぐりは続く。
 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ル・プレジール・デュ・パン/ぱんのいえ/ブランパン

パン屋(bakery)
ル・プレジール・デュ・パン

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は東山エリアにある3軒のパン屋さんを紹介します。
 まず最初は、地下鉄東山線の東山公園駅から西へ少し行ったところにある「ル・プレジール・デュ・パン」さんから。
 フランス人シェフが作るパン屋さんが以前東山にあった気がするのだけど、ここがそうだったのか、別の店だったのか、記憶が定かではない。シェフが変わって店の名前も変わったような気がするのは勘違いだろうか。いずれにしても、フランス人がやっているブーランジェリーであることは間違いなさそうだ。
 ケーキも売っていて、カフェスペースもある。
 大通りに面しているものの、店構えは小さいので、見落としてしまうかもしれない。おしゃれで控えめなお店だ。
 駐車場はないので、パンを買うだけなら店の前に路上駐車ということになるだろうか。


ル・プレジール・デュ・パンの食パン

 食パンは小さくて高い。ひと言で言うと、リッチな食パンだ。これがフランス人シェフらしいセンスというものなのかどうか、フランスへ行ったことがないのでよく分からない。タイプとしては、「テーラテール」のグループだ。忙しい朝に牛乳で流し込んでしまうような食パンではない。
 ひとつの基準とまではいかないけど、この食パンはおみやげになるなと思うやつがある。普通、食パンをおみやげにもらっても嬉しくないものだけど、充分おみやげになる食パンというものがあって、これはそのうちのひとつと言える。誰かに食べさせてあげたいという気持ちになったなら、それは美味しい食パンに違いない。
 言い方を換えれば、この量でこの値段は毎日の食パンとしてはちょっと高いなというのが正直なところだ。
 深い香りと味わい、サクッと軽い食感と口どけのよさ。文句なしの食パンだ。

 ル・プレジール・デュ・パンのHP 
 お店の地図
 9時~18時30分
 定休日 火曜日



ぱんのいえ

 同じく東山通りに面したところにある「Boulangerie ぱんのいえ」さん。星ヶ丘駅が最寄り駅になる。
 高級志向の「ル・プレジール・デュ・パン」に対して庶民寄りなのがこちらの店だ。安い、そして旨い。みなさん安くて美味しい店をよく知っている。狭い店内はいつもお客で埋まっているような感じだ。
 かつては「マ・メゾン 元町ベーカリー」という店名だったようだけど、どういう経緯で今の店になったのか、そのあたりの事情は知らない。



ぱんのいえ食パン

 今回選んだのは、生クリーム入りの食パンだった。これが期待以上の美味しさで、ちょっと驚いた。安くて美味しい店だとは聞いていたけど、これは美味しくて安い店と言い直した方がいい。
 非常に軽い歯ごたえと抜群の口どけ。しっかり甘さが感じられるけどしつこくない。何より気取っていない感じに好感が持てる。
 一度きりで判断するのは早いだろうけど、個人的には好きな食パンの上位に来る。もう一度食べて評価を決めたい。

 ぱんのいえのHP 
 お店の地図
 8時~20時
 定休日 月曜・第2・4火曜日



ブランパン

「ブランパン(Blanc Pain)」さんは、住所でいうと天白区植田山になるのだけど、東山動植物園のすぐ裏手なので、東山エリアに入れてしまおう。動植物園の帰りにひょいと寄っていくのもいい。
 ここはレストランでもあるので、そちら目当てのお客さんも多い。駐車場も完備している。
 自転車で行くには坂がきつい。きつすぎる。私は一度で懲りた。どうしてもここでしか食べられないパンがあるというなら別だけど、好きこのんで自転車で行きたい場所じゃない。足腰を鍛えている人には違う意味でおすすめできるけど。




ブランパン食パン

 見た目色白系の食パンだ。選んだのはパン・ド・ミで、中身がぎゅっとつまっている。
 食感はやや特徴的で、ふわふわではなく、サクサクでもない、もちっとしてるというよりもやや重い。香りは悪くないのだけど、ちょっとしょっぱく感じだ。
 一種類の食パンが今ひとつに思えても、違う種類の食パンは好きということもあるから、チャンスがあれば次は別のものを買ってみたい。東西南北、どの方向から攻めても坂は逃れられないのだろうか。

 ブランパンのHP 
 お店の地図
 9時~19時
 定休日 月曜日
 

「散策地一覧表」ができましたのお知らせ

その他
庄内川風景

 何年も前からずっとやらなければいけないと思いつつ、果てしなく時間と手間がかかるに違いないという理由で先送りにしてきたことがある。それは、このブログの散策地一覧表作りだ。
 10年間、ほぼ毎日更新し続けて、記事数も4,500を超えた。その中から散策地をカテゴリーと地域ごとに分けて一覧表を作る。考えただけでもぞっとする作業だ。
 でも、一覧があるのとないのとでは訪問者にとって利便性がまったく違うことも分かっていた。自分自身、行った場所を確認するのに都合がいいというのもある。ブログの中のカテゴリー分けだけでは目的地を探し当てるのは難しいし手間だ。一覧表があれば、たとえば愛知県内でアジサイを撮りたいときはどこへ行けばいいのか調べやすいし、区内でまだ行っていない神社がどこかないか探す場合なども便利だ。
 まあ、気長にやるかと始めたのが4月のことだった。毎日のようにちまちま作業をしていたのだけど、なんだかんだで3ヶ月くらいかかってしまった。いや、むしろ3ヶ月しかかからなかったというべきか。その場所の市町村を調べるのと、すべての場所に地図をつける作業が手間だった。とにかく完成して、今はやれやれと思っている。もし、このページが失われてしまってもう一度最初から作り直さなければいけなくなったとしたら、それはもう断固拒否したい。二度とやれない気がする。

 散策地一覧

 あらためて一覧表を眺めてみると、ずいぶんいろいろなところへ行ったものだなとも思うし、まだまだ行けてないところや、行ったはいいけど写真をしっかり撮れていないところがたくさんあるなとも思う。名古屋市内や近場だけでも補完すべき場所をけっこう残している。
 シリーズものは最初の一回目の記事にリンクしているものが多い。続きは記事下の「関連記事ページ」から見てください。
 まだもう少し手直しが必要な部分もあるし、リンク切れや地図の間違いなどあれば指摘していただけると助かります。
 散策地探しや散策のお供としてて役立てていただければ何より。
 なお、散策地一覧は、ページのタイトル下にあるグローバルナビ(黒いリンクの帯でマウスのカーソルを乗せると赤くなるところ)にあるので、いつでも見ることができます。スマホ用はどうしたらいいのか考え中。

 明日からちまちま進める作業がなくなってしまって、ちょっと寂しい。
 

布池カトリック教会を撮りにいく

教会(Church)
布池教会

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 天気のいい日に布池教会をもう一度ちゃんと撮っておきたいという気持ちがあって、やっと実現した。白い教会は、青空と太陽の光がよく似合う。
 布池教会を初めて訪れたのは、2006年のクリスマスイブの日だった。あれからもう10年近く経ったかと思うと、ちょっと恐ろしいような気持ちもする。
 あのときは内部の写真を撮っていてもとがめられることはなかった。今は中は撮影禁止になっているんじゃないかと思う。内部ももう一回撮りたい気持ちはあるのだけど、その機会はもう二度とないのかもしれない。
 この大聖堂が建てられたのは昭和37年のことだから、歴史的建造物というほど古いものではない。それでもこれはやっぱり美しい建物だと思う。名古屋にある建物の中でも好きなもののうちのひとつだ。
 いつか星空をバックに撮ってみたいと思っている。このあたりは明るい街中だから、星はどれくらい写るだろう。北向きだから、長時間露光でコンポジットをすれば星の軌跡は確実に写るだろうけど、一枚写真でどうにか星が写らないだろうか。
 撮ってみたいといえば、この教会で行われる結婚式も撮ってみたい。そんなチャンスがあるといいのだけど。



二本の尖塔




布池カトリック教会を見上げる




少し離れて見る布池教会




縦位置と自転車のお母さん




マリア様と布池カトリック教会

 

停滞もしくは後退するサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 いつもと変わらない日曜日。いつもと変わらないサンデー料理。来週も再来週もずっとそうだとは限らないけど、とりあえず今週はそうだった。先週や先々週と同じように。
 ルーティーンというのはよいことでもあるけど悪いことでもある。変わらないことは変われないことでもあり、向上心の欠如がもたらすものは停滞ではなく後退だ。常に新しいことにチャレンジする気持ちを失えば、それはもはや惰性でしかない。
 サンデー料理に未来はあるのか。それは自分次第に違いない。サンデー料理の夜明けは遠いか。



マグロのグリル焼き

「マグロのグリル焼き」
 いつもと同じグリル焼き。付け合わせにするものがなかったので、刻み長ネギのみ。彩りが寂しい。



ポテトチーズ卵

「ポテトチーズ卵」
 ジャガイモ、鶏肉、ブロッコリーを茹でて、オリーブオイルとマーガリンで炒め、とろけるチーズとマヨネーズと卵を絡める。
 味付けは、しょう油少々、塩、コショウで。



ナスとタコのトマトソース

「ナスとタコのトマトソース」
 ナスとタコとトマトソースの組み合わせはあまりやったことがない。悪くない取り合わせだった。
 

写真ノート<26> ---切り取ることの矜持と責任

写真ノート(Photo note)
食事処

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 優れた彫刻家は、ノミで像の形を作り上げていくのではなく、木なり石なりの塊の中にあらかじめ存在する像を彫りだしてあげるという感覚なのだそうだ。自分がやっているのは余分な部分を削るだけなのだと。
 怖じ気づいてしまえば像は甘くなるし、大胆にいきすぎると本体を損なうことになる。ぎりぎりのところまで思い切ってノミを入れていくことができる彫刻家が一流と呼ばれる。
 その感覚は写真にも通じるものがあるように思う。写真は切り取ることで成り立つ。ある特定の部分、ある特定の瞬間に向かってシャッターを押す。シャッターを切るという表現が使われるのも、そういう感覚を反映してのものだ。ときには斬るという字がぴったりくることもある。

 いい写真を撮るためにはもう一歩近づけという教えがある。それは足を一歩前へ出すとかいった単純なものではなく、被写体との間合いを詰めろということだ。近づかなければ見えないものもあるし、感じられないこともある。触れるように撮るということも必要だ。
 ただ、近づけば近づくほどいいのが撮れるわけではなく、アップがいいのか、ロングいいのかはそのときの状況によって変わってくる。甘すぎる切り取りは撮り手の主張が曖昧になり、受け手の心に届かない。これ以上でもこれ以下でもないぎりぎりのところで切り取れるかどうかに成功の鍵がある。

 前回ちらっと、切ることの矜持ということを書きかけて途中でやめた。切るというのは、部分的にカットするということもある。
 被写体全体を入れてしまえば大きな成功もない代わりに大きな失敗もない。無難に丸ごと撮って安心してしまうことを潔しとしないことが、つまり矜持ということだ。特にプロはそれを強く意識しているはずで、切ってなんぼと思わないプロの写真家はほとんどいないんじゃないか。それは多分に感覚的なことだから、言葉で説明するのは難しいのだけど。
 最初に切り取ることで写真は成り立つと書いた。同じ条件で写真を撮っても上手い人と下手な人で違いが出るのは、切り方が上手いか下手かということに他ならない。切り方といっても様々な要素があって簡単には言えないのだけど、ごくごく単純に言ってしまえば、距離と範囲と瞬間ということになる。どの距離で、どれだけの範囲を、どの瞬間に切り取るか、それで写真は決まる。ほんの微妙な違いで写真のよしあしが大きく違ってくることもある。
 写真はこの世界の断面図だ。同じ断面はふたつとなく、切り口が鮮やかであればあるほど印象が強くなるのは言うまでもない。

 無難に全体を収めた写真は記録でしかない。作品とは作者の明確な意図を持って切り取られた写真をいう。
 被写体の方にカメラを向けてシャッターを押せば写真は撮れる。しかし、作品を撮るという行為はそれとはまったく別のものだ。
 切り取ることは、周りを全部ばっさりと捨てることをも意味している。自信を持って切り取ることができるかどうか。切り取った部分に対して責任を持つことができるかどうか。作品を撮っていると思うなら、最低限そこまでの意識は必要だ。
 どこをどう切り取ればいいのか正解はない。撮り手として自分の感覚だけを信じるしかない。確信を持って切り取ったなら、それはたぶん間違いじゃない。

 切り取ることのもうひとつの意味は、切り取った部分の外側にも世界が広がっていることを鑑賞者に想像させるためでもある。いい写真には奥行きと広がりがある。全部は写っていない。
 だからこそ、正確に、きれいに切り抜かなければいけないのだ。
 切り取った外側の部分を撮り手が認識していなければ鑑賞者の意識がそこへ向かうことはない。写真は写っている部分だけでなく、写っていない部分も同じように大切なのだということを知っておかなければならない。

 今回は感覚的な話だったこともあって、あまり説明が上手くいっていない。私自身がやや未消化なまま語ろうとしているせいもある。あるいは、当たり前のことしか書いていないかもしれない。
 ここはひとつ、クロード・モネに登場してもらって、鮮やかな切り口の言葉でしめくくることにしよう。

「影によって存在を、断片によって全体を暗示する。
 その美学は私の心に叶うものであった」 
 

私的写真集選手権とかフォトコンのこととか

フォトコン・写真(Photo Contest)

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8



フォトテクニックデジタル」主催の第5回私的写真集選手権で、「サヨナラノオト」が入選(photogeni賞)。

 スライドショーにしてYouTubeにアップしたので、よかったら見てやってください。
 https://youtu.be/nDO21mGX4Rs

「フォトテクニックデジタル 2016年7月号」で発表された。








フォトテク 私的写真集

 結果発表を見て、とにかくホッとした。去年の「a life」もそうだったけど、これだけは落とすわけにはいかなかった。
 軸足を道ばた写真に置いて、写真集を帰結点としている以上、写真集形式のコンテストで結果を出さないわけにはいかない。これで落ちてしまうと、写真ノートの言葉も説得力を欠いてしまうだろうし、何より自分自身が自分の写真を信じられなくなってしまうのが怖い。軸足が揺らいでしまえば、写真活動そのものの健全性といったものが失われかねない。写真集形式のフォトコンは、通常の一枚写真のフォトコンとは全然意味合いが違っている。少なくとも私にとっては。
「サヨナラノオト」は去年作ったものなので、今の自分の感覚で見ると駄目な部分や直した方がいいところがいろいろあるのだけど、これはこれであの時点で完結したものだ。今更どうにもならないので、これでよしとする。
 タイトルは二通りの読み方ができるようになっている。さよならノートか、さよならの音か、それは見る人が決めてくれればいい。「音のない音」というサブタイトルを思いついたのだけど、それは蛇足になると思ってやめておいた。

 次の写真集のタイトルも内容もほぼ決まっている。去年、一度作って内容が中途半端に終わった「凪いでいる」を、もう一度最初からやり直す。まずはそれを完成させて、10月締め切りの富士フイルム・フォトコンのフォトブック部門に出したい。
 次回の私的写真集選手権もまた参加したいと思っている。入選、落選を抜きにしても、三人の写真家とカメラ紙の編集長にじっくり自作の写真集を見てもらう機会というのは貴重だ。フジコンは審査員が一人だから、あの結果は今ひとつ納得できないところがある。



フォトテク 投稿ギャラリー

 同じく「フォトテクニックデジタル 7月号」の読者投稿ギャラリー・ネイチャー部門で「時は流れる」が佳作入選。
 琵琶湖の白髭神社の水中鳥居を長時間露光で撮った一枚だ。
 私がマイケル・ケンナごっこと呼んでいるシリーズのもので、これも嬉しかった。
 琵琶湖とは本当に相性がよくて、一年に一回くらいしか行かないのに、行くたびに入選作が撮れる。それだけ琵琶湖がフォトジェニックということで、撮っているというよりも撮らせてもらっているといった方がいいのだろう。
 琵琶湖がもう少し近いといいのだけど、また機会を作って撮りにいくことにしたい。
 

道行き風景 ~何でもない風景

日常写真(Everyday life)
リニモと道路の高架

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 今日は道行き風景をお送りします。
 何でもない近所の風景を今撮っておくと、あとになって貴重になるかもしれない。誰もがカメラで写真を撮る時代だけど、何でもない風景はそれほど撮られていないような気がする。日常的に目にする風景は、意識が鈍化してしまって撮ることが案外難しい。長年一緒に暮らしている家族を撮ることが難しいように。
 だからこそ、少しでも何か引っかかりがあったときはできるだけ撮るようにしている。きっかけはちょっとしたことでいい。たまたま光がきれいだったとか、道路を走っている車の配置がよかったとか、そんなことだ。
 たとえ無駄に終わったとしても、撮らないよりはましと思うようにしている。



道路の向こうの高い建物




坂道の上とナゴヤドーム




横並びの長屋店舗




上り坂と瀬戸デジタルタワー




上社ジャンクション




旧街道と自転車屋さん




名古屋インター近くの道路




階段のある町




高針インター近く




夕暮れの道

 

八竜湿地を久々に訪ねてみた

施設/公園(Park)
新池風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 八龍湿地を訪れるのはずいぶん久しぶりだった。ブログを調べてみると一度も登場していないから、少なくとも前回訪れたのは10年以上前ということになる。それまで二度か三度は行っているはずだ。あまり撮るものはないし、湿地エリアは普段閉鎖されているしで、いつの間にか寄りつかなくなっていた。
 場所は雨池公園の北、金城学院大学の東北で、もともとは金城の敷地だったようだ。雑木林を整備し、新池や湿地の周囲に散策路を作るなどして一般に公開されるようになった。地図を見ると八竜市民緑地とある。



新池

 入り口はすぐに思い出したものの、なにしろ10年以上ぶりということで、歩くべき道がよく分からなかった。最初の分かれ道で道を間違えたらしく、このあと藪の中をしばらくさまようことになる。



小川の流れ




草ぼうぼうの踏み跡

 訪れる人が少なくて散策路が荒れたのかと思った。かろうじて踏み跡があるくらいの獣道のようなところを進んだ。



光と影の水風景




藪道は続く

 こんなワイルドだったかなぁと、思う。激しいクモの巣攻撃にさらされる。



正規の散策路

 なんとか正しい道に出た。いくらなんでも散策路があんなに荒れてるはずがない。正規のルートはとても歩きやすい道だった。



ミミズとアリ




湿地エリア

 湿地エリアはフェンスで囲まれていて普段は入ることができない。花が咲く季節の休日などに一般開放される。
 春にはシデコブシやマメナシ、ハルリンドウなどが、夏にはモウセンゴケやミミカキグサが、秋にはシラタマホシクサなどが咲く。ハッチョウトンボも生息しているとのことだ。
 どれも絶滅が危惧される希少種ではあるけれど、ここでしか見られないわけではない。森林公園や海上の森へ行けば見ることができる。



フェンスとハルジオン




落ちたクサギ




水没した朽ち木とコシアキトンボ

 10年ぶりのわりには緑地の風景はあまり変わっていなかったように思う。以前よりも木道などの整備が進んだくらいだろうか。
 一度ちゃんと写真を撮っておかないといけないと思っていたので、それができたのはよかった。
 

勝手塚古墳の上に建つ勝手社に参拝

神社仏閣(Shrines and temples)
勝手社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ、今回は守山区上志段味(かみしだみ)にある勝手社(かってしゃ)を紹介します。
 場所は、三洋堂やバローのある通りの上志段味交差点から南へ少し行ったところだ。こんもりした森になっているからある程度離れた場所からでも分かると思う。
 勘のいい人ならピンと来るかもしれない。これって古墳じゃないのと。まさにその通り。上志段味古墳群の中のひとつ、勝手塚古墳の上に神社は鎮座している。
 古墳が作られた時代としては、5世紀後半もしくは6世紀前半と考えられている。 
 前方の部分が短い前方後円墳で、帆立貝式前方後円墳に分類される。ホタテ貝の格好を想像すると分かりやすいだろう。
 前方後円墳は名前の通り、四角い方が前で、円い部分が後ろとされている。なんとなく円い方が頭と思っている人が多いんじゃないだろうか。前方後円墳という名前が使われるようになったのは江戸時代からなので、昔の人がどう呼んでいたのかは分からない。現代の専門家が考えているような役割に関しても実は全然見当違いだったりするのかもしれない。
 全長は53メートルで、中くらいの規模といえる。6世紀に入ると前方後円墳はだんだん規模が小さくなっていって、7世紀前半には作られなくなる。
 最近、ちょっとした古墳ブームが起きていることをご存じだろうか。古墳女子なる言葉も生まれ、古墳にコーフンする女子が続出しているとかなんとか。
 古墳にコーフン協会会長で日本で唯一の古墳シンガーでもあるまりこふんさんも、勝手塚古墳を訪れているようだ。さすが、活動がきめ細かい。
 志段味地区でもブームに乗ろうともくろんだのかどうか、古墳パークのようなものの建設計画が進行している。ここ数年以内にできるようなので、完成したら一度行ってみたいと思っている。志段味地区にはたくさんの古墳が点在しているので、興味がある方はぜひめぐってみてください。
 志段味古墳群マップ



勝手社入り口石段




勝手社拝殿前




勝手社本殿

 神社は後円部の頂上部分に鎮座している。
 神社の創建については、南北朝時代の戦争に敗れた武将がこの地に流れてきて芳野神社から勝手明神を勧請したという説と、志段味を本拠地にしていた水野又太郎良春が吉野山の勝手明神を勧請したという説の二つがあるようだ。いずれにしても、1300年代後半の南北朝時代ということになるのだろう。
 瀬戸には水野という地名が残っているけど、あれは水野氏の一族がおさめていた土地だった。水野氏は平氏の流れをくむ一族で、承久の乱、平治の乱を経て、良春の時代には志段味を本拠としていた。後醍醐天皇の南朝について戦っていたけど、どうも情勢がよくないということで志段味に戻って志段味城を築城し、のちに尾張旭に南下して新居城(あらいじょう)に移り住んだ。現在の城山公園があるあたりだ。
 瀬戸電の尾張旭駅前にある馬に乗った武将が水野良春なのだけど、尾張旭市民は水野良春についてどの程度知っているのだろう。尾張旭を開いた恩人のわりにあまり大事にされているように思えない。退養寺にあるお墓もけっこう荒れていた。
 水野良春については以前書いたことがあるので、興味のある方はそちらを参照してください。

 浅野祥雲コンクリ像は尾張旭の山の上に人知れずどんと立つ



勝手塚古墳

 本殿が建っている後円部はけっこう残っている。その周りの内濠の一部もある。
 注意深く地面を探すと、埴輪の破片などが見つかることもあるそうだ。



濠部分




境内社

 明治時代にアマテラスやヤマトタケル、大山祇神を合祀している。



境内の社




巨木




何かの輪




板貼りの光と影

 

出しそびれていた写真

日常写真(Everyday life)
町の畑風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 さすがに去年の在庫写真はほぼなくなったものの、月日が流れる中で出しそびれて在庫になる写真がいつの間にかたまっていた。ときどきクリアランスで出していかないとデッドストックになってしまうので、今日はまとめて出すことにする。
 写真は冬の終わりから春先に撮ったものが多い。あらためてこの時期の写真をまとめて見ると、季節がだいぶ逆戻りしたように感じられる。いや、今や季節がぐっと進んだというべきだろう。
 春先の光が少しなつかしくさえある。



古びた家屋と冬枯れの空き地




駐車スペースの白猫




西日と住宅




坂道と瀬戸デジタルタワー




住宅と配水塔




家屋と光と影




古い薬局




ベンチとノラたち




赤レンガの塀




住宅前のソメイヨシノの木

 

ノーマルなサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 梅雨どきの週末。今週末は何もない週末だった。今年の梅雨は雨不足になるかもしれない。日曜日の今日は午前中から雨だったけど、全体的にみると雨が少ないように思う。それでもまだあとひと月も梅雨が続くと思うと先は長い。
 サンデー料理はいつもの通り。取り立てて変わったこともない、平凡でノーマルな料理だった。私の作る料理がノーマルと定義できるならだけど。
 これといったイメージもなかったので、冷蔵庫にある食材で作って食べた。献立を考えることに苦戦することは多いけど、食材さえあれば料理すること自体に苦労はしない。料理に対しては、苦手意識も得意意識もない。10年やってきたけど、いまだに自分の料理が正解なのかどうか分からない。



鯛の卵とじ焼き

「鯛の卵とじ焼き」
 ピカタといえばそうかもしれない。鯛に塩、コショウ、酒を振って、カタクリ粉をまぶして、溶き卵につけて、オリーブオイルで焼いた。



野菜の和風スープ

「野菜の和風スープ」
 最近、スープをあまり作っていなかったかもしれない。白だし味の和風スープにしてみた。
 こんなふうにジャガイモなんかを使った野菜スープは世界の多くの場所で食べられているのだろう。それぞれ呼び名は違っていても。



豆腐とシーチキンのピリ辛

「豆腐とシーチキンのピリ辛」
 豆腐と長ネギだけでは味気ないけど肉は使いたくない場合、シーチキン缶で代用する。それでも充分美味しい。
 

写真ノート<25> ---構図、構図、構図

写真ノート(Photo note)
河原の土手夕景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 構図を軽んじている写真が多い一方で、構図に関する誤解が蔓延しているように思えてならない。構図はスタイルではあるけれど、写真の体裁を整えるためだけのものではない。
 写真において構図はとても大事なことだけど、もっとも大事なことではない。構図について無自覚すぎる写真と、構図に縛られすぎている写真と、どちらもある。構図、構図と言い過ぎるのは好きじゃないのだけど、今回は構図について少しおさらいをしておこうと思う。

 写真は絵画におけるデッサンのようなものがないから、遠近法や消失点などの知識がなくてもとりあえず破綻のないものが撮れてしまう。そこにある種の落とし穴がある。特にデザインセンスがある人が撮った写真は、構図など知らなくてもそれらしく収まってしまうから、かえってたちが悪かったりもする。
 構図は建物における設計図のようなものだ。適当に線を引いてもとりあえず成立するとはいえ、家は建ってさえいればいいというわけにはいかないように、いい加減な構図で撮られた写真は見る者にどこか不安定な感じを与える。水平が傾いていても気にならないとしたら、それは構図の基本的な部分で間違っている。
 いわゆる正しい構図というものがある。それは、人が長年かけて築き上げてきたスタイルだ。写真以前に絵画でも長年研究され、議論され、淘汰され、洗練されてきた。人の感覚がよしとしたものだから、今更そこに勝負を挑んでいってもほぼ勝ち目はない。新しい構図の発見などというものは、現代の写真家がやるべき課題だとは思えない。
 問題は基本的な構図を正しく理解できているかどうかだ。そして、その場その場で的確な構図を選べるかどうか大切なのだ。常に正しい構図で撮ることがいいわけではない。最適な構図を選ぶ能力こそが必要とされる。基本通りがいいのか、あえて外すことが正解なのか、それは本人の意志で決めればいい。ただ、構図について無自覚なのはいけない。自分の撮った写真がどの構図に当てはまるのか答えられなければならないし、基本を外すならその効果を説明できなければならない。
 構図は外観の美的感覚といったものではなく、写真を構成する基礎的な骨子だ。なんとなくな感覚で決めるべきことではない。

 具体的に構図とは一体何なのか、何をどうすれば構図を理解し、正しい構図で撮れるようになるのか、私なりの考えをいえば、寄せること、切ること、余白を作ることの3点だと思っている。
 構図にはいくつかの基本パターンがある。被写体を中央に持ってくる日の丸構図から、斜めの線やS字、対角線などの線を意識したもの、三角形や逆三角形のように図形を意識したもの、トンネルや額縁といったものなど、だいたい10数種類に分類される。
 その中で、これだけマスターしておけば大丈夫というものがある。それは、三分割構図と交点というものだ。画面に上下左右の線を二本引いて、それぞれ交わった4点のどこかに被写体を持ってくるという方法だ。そうすることで、自然と寄せて、空白を作ることができる。何故それがいいのかという理屈はこの際問題ではない。人の感覚がそうだというのだから仕方がない。そうすることによって画面に安定感が生まれる。
 もうひとつの切るということに関しては短い言葉で説明するのは難しい。ひと言で言ってしまえば写真家の矜持ということなのだけど、このことに関しては回を改めた方がよさそうだ。もう少し付け加えるなら、全体を入れて逃げないということだ。切り取るということに対して自覚と責任を持たなければならない。
 話を戻すと、交わった点のどこかに被写体なり画面の主題を持っていくことで、鑑賞者の最初の視点の置き所を作る効果もある。写真を撮った人間はそのときの状況を分かっているけど、第三者は何の予備知識もなく写真を眺めることになる。そのとき瞬間的にパッと目が行くポイントがあるのとないのとでは大違いで、私はアイキャッチポイントと呼んでいるのだけど、その一点を作ることも構図を作る上でとても重要なことだと考えている。
 視点の置き所がない写真は鑑賞者の意識がさまようから散漫な印象を与えてしまう。そういう写真は緊張感に欠ける。この緊張感というのも重要なキーワードで、構図によって緊張感を生み出すこともできれば失うこともある。構図は、ただ単に間違っていなければいいというわけではない。鑑賞者の視点や意識をコントロールするために正確に制御すべきものだ。
 厳しい構図によって生み出された緊張感は、余白によって緩和される。余白のない写真は迫力はあっても疲れる。ほどよい緊張と緩和が調和してこそ心地よさが感じられ、鑑賞に堪えうる写真となる。余白は背景であって、必ずしも背景そのものとは限らない。
 余白は鑑賞者が想像を広げるための助けともなり、そうすることで物語性を生み出すこともできる。一から十まで説明した写真はつまらない。
 余白の場所や量もまた、撮影者が意図して制御すべき要素のひとつだ。
 構図は、いい写真を撮るためのテクニックなどではないということを理解していなければならない。

 構図に関しての書籍はたくさん出ているし、毎月発売されるカメラ雑誌でも飽きることなく繰り返し構図について書かれている。あまりにも言われすぎているので、中級者や上級者は不感症になっていて読み飛ばしているかもしれない。でも、分かったつもりにならず、もう一度勉強し直してみていい。
 あえて繰り返すけど、構図の基本を身につけることは絶対に必要だ。その上で、いつも言うようにプロの写真家が撮る写真をたくさん見ることが大切になる。プロの構図を真似しておけば間違いない。そのとき、感覚に頼らず、構図を読み解く目や意識が大切になる。
 受けを狙って奇をてらったり、冒険したりしなくてもいい。勝負所は言うまでもなく被写体であり、写真の内容だ。構図だけ正しくても意味がない。けど、正しい構図で撮られていないがゆえに評価を下げるのはもったいない。
 基本構図を会得して応用を考えるようになったときは、日本絵画に学ぶのがいいと思う。江戸時代の浮世絵などは参考になる。歌川広重や葛飾北斎の浮世絵は斬新な構図でありながらきちんと成立していて面白い。真似していい部分も多々ある。

 いい写真は必ずいい構図で撮られている。言い方を換えるなら、正しい構図で撮られているからこそ、鑑賞者はその写真の構図について意識することがなく、構図について論じられることがないのだ。人が写真を見たとき、この構図ってどうなんだろうと思わせてしまったらその時点で負けだ。その構図はおそらく正しくない。
 絶対的に正しい写真といったものは存在しない。けれど、そのとき撮られるべき一番いい構図というものは存在する。それを一瞬で判断しないといけないのだから、考えようによっては写真はけっこう難しい。じっくり腰を据えて構図を練っている暇などないことが圧倒的に多い。
 構図を極めることが目的なのではない。構図を意識せずに写真を撮れるようになることが目標だ。自分の感覚が正しいと判断して撮ったんだから、その構図は間違っていないと確信できれば構図はマスターしたと言えるだろう。
 構図に関してあれこれ考える必要がなくなるように、一日でも早く構図をやっつけなければいけない。
 

長久手の杁ヶ池公園に久しぶりに再訪してみた

施設/公園(Park)
メタセコイアの林

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 何年か前に一度か二度訪れたことがある杁ヶ池公園(いりがいけこうえん)。メタセコイアの林が印象に残った。季節を変えて再訪しようと思いつつ月日が流れた。
 場所はリニモの杁ヶ池公園駅から南へ300メートルほどのところにある。
 杁ヶ池というのは地名でもあり、池の名前でもある。池はかつて農業用の溜め池だったそうだ。区画整理の際に公園として整備された。現在は池の周りの散策路の他、遊具やテニスコートなどを備えた公園として地域の憩いの場となっている。
 久々に訪れた杁ヶ池公園は、以前と特に変わったところはなかった。メタセコイアの葉の緑がきれいだった。



杁ヶ池の風景

 冬場には渡りのカモたちがやってくる。今はツバメが飛び交っていた。



散策路




水路




閉鎖された木道




ロング滑り台




ピエール プレシュウズ

 公園のすぐ北には、ケーキの有名店、ピエール プレシュウズがある。
 かなり評判のいい店で一度食べたいと思いながら実現できずにいる。
 カフェも併設されている。



桜並木の散策路

 桜の木がかなりたくさん植えられているから、桜の季節にも訪れみたいと思った。
 メタセコイアは紅葉も見所から、次は秋が深まった頃に行ってみることにしよう。
 

柴田勝家が生まれた下社城址を訪ねる

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
明徳寺外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 名古屋市名東区陸前町にある明徳寺(みょうとくじ)は、下社城(しもやしろじょう)があった地とされ、柴田勝家生誕の場所と伝えられる。かつては尾張国愛知郡上社村と呼ばれていた。
 当時、尾張国の中心地は清洲城のある清洲だった。直線距離にして両者は16キロほど離れている。
 柴田勝家の出生に関してはあまりはっきりしたことが伝わっていない。尾張国守護の斯波氏の一族だったという話があり、一族の義勝が越後国の新発田の城主だったとき柴田を名乗るようになったという説が有力のようだけど、定かではない。勝家が生まれた年も1530年や1522年、1526年、1527年などいくつも説がある。信長の生まれが1534年だから、信長より年上だったことは確かだ。
 ちなみに、尾張国の守護職は斯波氏で、織田家は守護代だった。更に言うと、信長の家系は主流の清洲織田家ではなく、庶流の織田家に過ぎなかった。そこから尾張を統一して、天下統一の一歩手前までいったのだから、かなりの成り上がりといえる。
 勝家が下社城で生まれたという説も実はそれほどはっきり分かっているわけではない。父親が柴田勝義ということさえ資料に残っていないので、実際はここの生まれではなかった可能性もある。ただ、ここに下社城があって、廃城になったあと明徳寺が建てられたのは間違いなさそうだ。遺構は何も残っていないものの、地形などを見るといかにもこの場所に城があったであろうと思わせる。
 お寺の周りの民家は柴田の表札だらけなので、一族の末裔の人たちかもしれない。



明徳

 若い頃から武勇で鳴らし、信長の父・信秀の家臣として仕えていた勝家は、最初、信長の弟・信行(信勝とも)に味方して、信長に敵対していた。品行方正だった信行に対して、うつけと呼ばれる暴れん坊の信長を嫌っていたらしい。
 信秀の死後(1551年)、家督争いになったとき、勝家は信行に付いて、林通勝らとともに信行を跡取りにしようと画策するも失敗。
 1556年には信長に対して戦を起こすも(稲生の戦)敗北。
 それ以降は信長を認め、信長の家臣となる。
 桶狭間の戦いが起きるのは、その4年後、1560年のことだ。
 信長体制の織田家では、重臣として重用され、数多くの戦に参戦して多くの武功を上げた。織田家の武人の中ではもっとも強かったうちのひとりと言って間違いないだろう。
 何年か前、勝家最期の地となった福井県の北ノ庄址を訪ねた。そのときに勝家の後半生については書いた。
 北ノ庄で散った勝家の名残はわずか
 最期は悲劇的なストーリーとして語られることが多い勝家ではあるけれど、戦国時代の武人として見たとき、けっこう幸せな一生だったんじゃないかと思うのだ。本当のところどんな人だったのかは知りようがないけれど、平和な江戸時代にはあまり似合わない気がする。
 勝家坂を登って明徳寺を訪ねる人が今でもいる。それはなかなかたいしたことではないか。



明徳寺を少し離れて下社城を思う





下社城址の碑




階段下から本堂を見上げる




本堂




十王堂




本堂の屋根と初夏の青空




境内から街並みを見下ろす




本堂前のアジサイ




石畳の光と影

 近所に歴史あり。小さな歴史の痕跡を拾い集めていく。
 

茶屋ヶ坂公園のアジサイ風景を撮る

花/植物(Flower/plant)
茶屋ヶ坂公園アジサイ風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8



 千種区にある茶屋ヶ坂公園は、隠れたアジサイの名所だ。名古屋市民の間でも知名度は低いと思われる。アジサイの量に関していえば、名古屋市内屈指と言える。もっと有名になってもよさそうだけど、茶屋ヶ坂公園自体がマイナーな公園で、駐車場がないという難点がある。
 6月半ばといえばもう見頃になってよさそうだけど、まだもう一歩咲きそろっていなかった。今週末くらいがちょうど見頃になるんじゃないかと思う。
 アジサイの種類はさほど多くないし、わりと雑然と咲いているから撮影という点ではやや不満もあるものの、一見の価値はある。町中のどこでも見られるアジサイではあるけれど、いざ撮ろうと思うと意外と撮り場所がないのがアジサイだ。



アジサイとブランコ




濡れた淡いブルーのアジサイ




カタツムリの子供




アジサイの通路




赤紫のアジサイ




蜘蛛と蜘蛛の糸と滴




薄紫のアジサイのハイキー




アジサイの葉と水滴




紫のアジサイと甲虫




紫陽花の群生

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---櫻蔵/バーゼル/エス.カッツェ

パン屋(bakery)
櫻蔵店舗外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は春日井編ということで、春日井市にある3つのパン屋さんを紹介します。

 まず最初は、勝川駅近くにある「櫻蔵(さくら)」さんから。
 JR中央線の勝川駅よりも城北線の勝川駅のすぐ近くで、交差点としては勝川町5丁目を見つければそのすぐ北西に店はある。ローソンの向かい側で、駐車場が通りに面しているから車で行っても入りやすい。



店の入り口

 店の入り口は南側にある。アプローチの感じとか、なかなかおしゃれだ。
 営業時間が朝の6時からというのがかなり驚きだ。



櫻蔵の食パン

 買ったのは山食パン。サイズはけっこう大きめで、値段は高くもなく安くもない。
 山食パンのわりに食感はやや重ためかなという印象だった。
 特徴としては味が強さがあると感じた。はっきりした味で、少し塩気が強い気がした。
 これ一種類で判断するのは早いだろうけど、私の好みとはやや方向性が違うかもしれない。
 評判のいい店だし、平均点以上の美味しさはある。

 お店の地図
 6時~19時
 定休日 火曜日



Basel外観

 続いて紹介するのは、「手作りパン工房 バーゼル」さん。こちらも春日井ではよく知られたパン屋さんだ。
 場所の説明が少し難しい。最寄り駅はJR中央本線の春日井駅になるのだろうけど、2キロ以上あるから歩くには遠い。落合公園の西にある東野小学校西交差点を南下して、東野町3と東野町2の中間あたりにある。通り沿いだから道を間違えなければ見落とすことはないだろうけど、私は道を間違えてかなりうろうろしてしまった。19号線から行くと、六軒屋町を北へ進んで三叉路の東野町2を右方向へ進んだ左手ということになる。
 緑の看板と山小屋風の建物が目印だ。



バーゼルの食パン

 選んだのは、ハード食パン。値段は標準的。
 見た目からしても外側のバシバシ感が出ていて、実際、食感もそうだった。ザクザクっとした歯ごたえは好みだった。
 味に関しては、あまり主張がなくて印象に残っていない。普通に美味しかった。

 お店の地図
 7時~19時
 定休日 火曜日



エス.カッツェ 店舗外観

 3軒目は、「エス.カッツェ (S.KatZe)」さん。
 以前、JR中央本線の神領駅の近くにあったそうなのだけど、今年2016年の2月に引っ越して場所が変わった。神領駅と高蔵寺駅の間、大留町の住宅地の中に自宅兼店舗がある。新居を建てて、一緒にパン屋部分も合体させたといった感じだろうか。
 場所の説明を文章だけでするのはとても困難なところに店はある。近くに目印となるようなものがない。とにかく205号線の大留町3丁目という交差点を見つけられるかどうかにかかっている。それさえ発見できれば、そこを北上するだけだ。ただ、普通の民家っぽいので、そのまま通り過ぎてしまうかもしれない。鉄道の踏切が見えたら、右手にある。



エス.カッツェ食パン

 山食パンとイギリスパンを半分ずつ買ってみた。サイズは小さめで250円と280円(税別)。個人的には大きくて高いよりも、小さくて安い方がありがたい。小さくて高いのはイヤだ。
 山食パンは、食感軽めで、口どけはまずまず。香りや甘さは控えめで、雑味がない感じ。丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。
 イギリスパンの方が香り、旨みとも強めで、食感としてはしっとり系だ。
 どちらも、何も考えずに美味しく食べられる食パンだ。全体のバランスがよくて、上手くまとまっている。

 お店の地図
 8時~18時
 定休日 日曜日

 春日井エリアは他にも何軒かパン屋さんがあって、すでに買って食べた店とまだ行っていない店がある。そのうち紹介したい。
 

道行き風景 ~行く人

日常写真(Everyday life)
緑道散歩

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。



赤い日傘のひと




土手の道を行く勤め人




パトカーに手を振る小学生




自転車で下校中の高校生




テニスラケットを背負った自転車小学生




河原でひとり高校生




自転車で行くともだちふたり




川沿いの道を行く母子




歩き読みの人




川の飛び石を渡る人

 

たいてい名前のないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 6月は祭りもイベントもないせいもあって、週末に遠出することが少ない。夏まつりが始まるのは来月からだ。梅雨入りしたといっても毎日雨ばかりというわけでもないから、出かけようと思えば出かけられるのだけど、今年の上半期はかなり出不精になっている。鉄道の旅もしばらくしていない。
 先月からちまちまやっている作業があって(このブログの散策スポット一覧リンク作り)、それがそろそろ終わりそうだから、完成したらどこか撮りに出かけようかと考えている。本格的な夏が来る前に一度海も撮っておきたい。
 そんなわけで、今日もいつもの日曜、いつものサンデー料理だった。



マグロの半生グリル焼き

「マグロの半生グリル焼き」
 いつも買っているマグロは、キハダマグロの短冊が多いのだけど、本マグロとは全然違うのだろうなと思う。まあ、これでも味は充分なのだけど。
 ところで、キハダマグロは関東ではあまり食べられていないというのは本当だろうか。主に関西でよく食べられているそうなのだけど、名古屋のスーパーでも普通に売っている。関東で安いマグロは何マグロなんだろう。



ナスのチーズ和えトマトソース

「ナスのチーズ和えトマトソースがけ」
 ナスとトマトとチーズの組み合わせは間違いがない。ナスは天ぷらで食べるのが一番好きで、二番目がトマトソースだ。ナスの煮物や焼いたのはそんなに美味しいとは思わない。



豆腐炒めの卵とじ

「豆腐炒めの卵とじ」
 名前のない料理の典型的なやつ。木綿豆腐を水切りして、ニンジン、シーチキン缶と一緒にごま油で炒め、スイートコーンと絹さやを加えて、酒、みりん、鶏ガラだし、塩、コショウで味付けをして、最後に溶き卵を入れて半熟まで固まったら完成。
 さて、この料理をなんと呼んだらいいだろう。
 

写真ノート<24> ---伊藤若冲に学ぶこと

写真ノート(Photo note)
緑とコゲラ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 上手さは必要最低限の条件でしかない。それ自体に意味や価値はない。大切なのは表現すべきものであり、伝えるべきことであり、共有すべき物語だ。技術はそのために使ってこそ意義がある。
 テクニックというのは、これ見よがしに見せびらかして人を感心させるためのものではない。人を感動させるためにさりげなく使うものだ。いい作品を撮ることだけを目的とした写真は、人の心の深い部分に届くことはない。

 写真と絵画は別物だ。けど、表現することの姿勢としては共通するものがある。写真をやる人間も、画家の心意気といったものに学ぶべき点は多い。
 江戸時代中期、京都に生きた伊藤若冲という画家がいる。近年、若冲ブームといえるほど人気が高まっているから、一般の知名度も上がっているだろう。5月に東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」が開催されて、待ち時間が320分になったというニュースで知ったという人もいるかもしれない。
 京都の青物問屋の長男として生まれた若冲は、父の死によって23歳で家業を継ぐことになるのだけど、商売よりも絵を描くことが好きで、40歳になると早々に隠居して弟に家督を譲り、絵の世界に没頭していくことになる。
 本格的に絵を学び始めたのは30歳を過ぎてからといわれている。最初、狩野派に学ぶも飽きたらず、お寺に通い詰めて古い中国画を1000枚ほど模写したところでこれも違うと思い知る。かくなる上は実物を見てそれを捉えるしかないと思い至り、とにもかくにも観察することを始めた。自然の草花や生きものをひたすら見続け、庭に数十羽のニワトリを放し飼いにして、朝から晩まで観察し続けていたという。
 そんな毎日を続けて一年、「ついに神気が見えた」のだと若冲は言う。すべての生きものに宿る生命力の核心といったものが若冲には見えるようになったらしい。その後の若冲は夢中で描きまくった。堰を切ったようにとはこのこととばかり、筆が勝手に動くとさえ感じたという。
 そんな写生生活を続けること二年。若冲43歳のときに描き始めたのがのちの代表作のひとつとなる「動植綵絵(どうしょくさいえ)」のシリーズだった。ありとあらゆる植物や生きものたちを描いた30福の絵の完成に要した時間は10年。それを長いとするか、短いとするか。
 同時代に京都で活躍した絵師に円山応挙がいる。応挙は弟子が千人もいたといわれるほど名の知れた絵師であり、いわば完全なるプロフェッショナルだ。それに対して若冲は師匠もいない、弟子もいない、正式に絵を学んでもない一匹狼のアマチュアだった。有力者のパトロンがいたわけでもなく(経済的支援は弟や親族だった)、誰かの注文で絵を描いていたわけでもない。描いた絵を相国寺などに寄進したといっても、頼まれたからというわけではない。言ってしまえば、アマチュアのおじいさん画家だ(江戸時代の感覚では40歳で初老で人生50年とされていた)。
 しかし、若冲のすごいところは、それでも世間一般に知られ、評価されていたという点だ。当時の文化人録である『平安人物志』の中では、円山応挙に次いで二番目とされるほど評価が高かった。明治時代に入っていったん忘れられたような存在になるものの、大正、昭和と時代が進む中で見直され、再発見される形で評価が更に高まっている。アメリカ人収集家ジョー・プライス氏によるところも大きい。
 「動稙綵絵」30幅は、明治に入って相国寺から皇室に渡り、現在も皇室所蔵となっている。東京都美術館では、相国寺所蔵の「釈迦三尊像」と「動稙綵絵」30幅が東京で初めて一斉に展示されるということであれほどの人が集まったのだった。
 若冲は最後まで絵に没頭し、江戸時代としては異例ともいえる85歳まで生きた。晩年は天明の大火で家を焼かれて大坂に落ち延び、弟も死んでしまい、生活のために絵を描いて売っていたとされる。それでも、ついに本当の意味でプロの絵師にはならなかったように思う。偉大なるアマチュアリズム。それが若冲という人の本質だ。

 ただ、アマチュアリズムというものを間違ってはいけない。素人芸と真のアマチュアリズムは違うものだ。徹頭徹尾、自らの欲するままに全力で何かを為すことがアマチュアリズムであって、それは単に金銭が絡まないとかいったことだけではなく、他人の評価や損得勘定を抜きにして、やむにやまれぬ思いから必然的にそうなってしまうということだ。自分で好き勝手にやりたいことをやるだけならただのお遊びでしかない。
 若冲の場合は、寺や有力者からの依頼で絵を描くのでは自分が本当に描きたいものが描けないからプロにならなかったということだろう。アマとかプロとかを超越していたといった方がいいかもしれない。
 流派にとらわれていないから、誰もやったことがない手法をいくつも生み出し、駆使することができた。若冲の絵に約束事はない。神気を絵として再現するためにどうやって描けばいいかを考え、工夫し、技術の限りを尽くしたことが、結果的に超絶技巧といわれる絵画として結実した。テクニックをひけらかすような気持ちはみじんもなかったはずだ。生命の本質を捉えることがすべてだった。
 若冲の絵はぜひ実物を間近で見て欲しいと思う。高画質テレビでいくらクローズアップしても、そこから本当のことは伝わってこない。本物を直に見ると、これはやっぱりすごいものだと思わずにはいられない。絵画の知識など必要ない。自分の目で見れば分かることだから。
 若冲は、当時としては最高級の画絹や絵具を惜しみなく使って描いた。それ故、200年以上経った現在でも、驚くほど鮮やかな色彩をとどめている。自分が描く絵に誇りと自信があったからだろうし、妥協することとは無縁の性格と、未来永劫自分の絵が変わらず存在し続けることを願ったからだろう。
 商売には実が入らなかった若冲ではあったけど、遊びもせず、酒も飲まず、生涯妻もめとらなかったとされる。

 写真をやる人間として若冲に学ぶべきところはたくさんある。見ることの大切さであり、取り組む姿勢であり、妥協せず最後までやり続けることといったことだけではなく、自分の仕事を後世に残すことを強く願う、その気持ちだ。
「千載具眼の徒を竢」(せんざいぐがんのとをまつ)という言葉を若冲は残した。自分の絵を理解してくれる人間を千年待つという意味だ。
 誰も彼もが言える言葉ではない。それに値する仕事をした人間しか発してはいけない言葉だ。安易に言えばかえって自分が安っぽくなる。
 100年後にも残る仕事なら、それなりに多くの人が思うことだろう。100年というのは、それほど非現実的な歳月ではない。けど、1000年となると話は別だ。私たちは1000年前に生きたの人のことを何人知っているだろう。1000年後の世界や、そこに生きる人たちのことをどれくらい想像できるか。
 10年後のことも分からないけど、生きていれば10年なんてけっこうあっという間だ。このブログも10年以上続いている。ネットの世界が存続する限り、自分の写真も存続することになる。さて、自分の写真はこの先、何年生き続けることができるだろう。1000年後とまでは言わないまでも、せめて100年後の誰かの心に届けることができるだろうか。そんなことを思える一枚を撮らなければなと思うのだった。
 

初夏の道行き風景

日常写真(Everyday life)
英語表記の標識

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 季節は初夏。日差しが強くなってきて、日焼け止めを塗らないと無駄に日焼けしてしまう。自転車でうろつき回っていると日陰という逃げ場がないから、直射日光を浴び続けることになる。手の甲だけ黒こげになってしまったりするから油断できない。
 そんな5月、6月の風景。



岸谷香





街中の田んぼ風景




床屋さんと初夏の花




ゴミ捨て場にアジサイ




街路樹も新緑




鳥居の絵




河原のオオキンケイギク




川の流れと壁のもじゃ




桜並木の新緑




橋の下ホームレスは去った

 

緑深まる6月の森林公園

植物園(Botanical garden)
森林公園緑の散策路

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 6月はじめの森林公園。緑は深まり、極まった。色も光も、もう春のものじゃない。
 咲いている花の顔ぶれも初夏のもので、トンボをはじめとした虫たちもだいぶ増えてきた。ツバメもたくさん飛び交っていた。
 季節は容赦なく進んでいく。夏はもう近い。ただ、今年はまだ気温があまり上がっていないせいもあるだろう、蚊が少ないのが助かる。夏は大好きだけど、蚊だけは大嫌いだ。
 今日は6月前半の森林公園風景をお届けします。




飛ぶツバメ





芝生広場とランナーたち




ヤマアジサイは光の中




ハナショウブ




カエルさん




光影の水面




モンキアゲハ




飛ぶトンボ




ピンクのユリの花




水面に映る緑のモミジ

 

丸山神明社を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
丸山神明社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 覚王山の中心部から南西に進んだ住宅街の中にある丸山神明社。訪れるのは今回が初めてだった。
 それなりに境内も広くて立派だ。こんな住宅地の中まで入ってくることがないから、これまで存在すら知らなかった。地図を見ているときに見つけて、じゃあ行ってみようということになった。
 神明社に関してはいつも書くことがあまりない。祭神はアマテラスに決まっているし、創建にまつわる謎もこれといってないことが多い。鎌倉最古の神社とされる 甘縄神明神社の創建は710年と飛び抜けて古いけど、たいていの神明神社は江戸時代の創建だ。お伊勢参りのブームに乗って日本各地で神明神社が建てられた。
 伊勢の神宮はもともとは天皇家の氏神で、一般庶民や武士なども参拝することは禁止されていた。平安時代の末期あたりから少しずつ一般にも開かれるようになり、室町時代に入って南北朝時代の混乱で神宮がお金に困って一般の信者を集める必要に応じたことからだんだんなし崩し的に開放されていったという経緯がある。
 そういう事情を考えたとき、丸山神明社の元亀・天正年間(1570年~1593年)創建というのは、わりと古い方と言える。時代でいうと、室町時代が事実上終了して、信長秀吉の安土桃山時代に入ったあたりだ。戦国時代のまっただ中、誰がどういう理由でこの地にアマテラスを祀ることを思いついたのか、そのあたりが気になるといえばなる。
 ネットの情報で、近くにあった末盛城の守護神とされ、信長の父であり末盛城城主だった織田信秀もよく参拝に訪れたという話が出てくる。ただ、もし創建が本当に1570年以降だとするなら、その話は年代が合わない。信秀が末盛城を築城したのは1548年で、信秀は1551年に死んでいる。
 それに、末盛城は近いといっても直線距離で1.5キロ近く離れている。城の守りとするにはやや遠すぎるように思える。そもそも、当時の武将にお城をアマテラスに守ってもらおうという発想はなかったはずだ。
 いずれにしてもこの神社はたぶん庶民の神社だ。有力者が建てたようなお宮ではないと思う。



拝殿社殿




斜め横から




天神さん




木霊社

 木霊社というのは他ではあまり見ない。文字通りなら木の霊を祀っているということだろうか。社の後ろのクスノキが特別なご神木なのかどうか。
 木霊神社というと奈良県吉野の丹生川上神社などを思い浮かべる人もいるかもしれない。



奉納額




稲荷社の鳥居




西日と境内社




末社




木の神宮鳥居

 毎月1と6がつく日に野菜などを売る朝市が開かれるそうだ。神社というのは、参拝のための場というだけでなく、人々が集まる社交場としての役割も果たしていた。だから、市が開かれたりするのは本来の姿といってもいい。子供たちが遊び場にするのももちろん大丈夫だ。いろいろな神社を巡っているけど、人が訪れない神社ほど寂しいものはない。
 

6月の猪高緑地風景 <後>

施設/公園(Park)
里山の田んぼ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 里山の田んぼエリアはすでに田植えが終わっていた。かつてこのあたりにたくさんあった田んぼ風景を再現したもので、近くの小学生たちもお手伝いをしているはずだ。そういえば実りの時期に訪れたことがない。今年は秋に訪れてみようと思った。

 今日は猪高緑地の後編をお送りします。



<散策路の林道




<道ばたに咲くノアザミ




<竹林の風景




<シダの葉




<光溢れる散策路




<ドクダミの花




<コゲラ




<栗の木の花




<緑の新緑葉っぱ




<ヘビと少年

 

緑一色の猪高緑地 <前>

施設/公園(Park)
猪高緑地緑の風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 6月はじめ。新緑の猪高緑地
 新緑の季節というのは梅雨入り前までそうだから、厳密に言えばもう新緑ではないのかもしれないけど、見た目は紛れもなく新緑の風景だ。名古屋市内にいくつかある緑地の中で、もっともワイルドなのが猪高緑地だ。市内とは思えないほどのジャングル状態になっている。その分、新緑の風景を撮るには一番向いている。バリエーションの豊かさでいうと、瀬戸市の海上の森以上とさえ言える。
 普段は撮るものが少なくてあまり行かない猪高緑地なのだけど、夏場はけっこう出向いている。初夏の新緑と、夏のトンボは魅力的だ。新緑を撮るなら、塚ノ杁池のある西エリアではなく、東名高速に近い北エリアがオススメだ。北入口には駐車場がないから、車の人はなかなかこちらまで来ないかもしれない。
 そんなわけで今日は6月はじめの猪高緑地、緑の風景をお送りします。



木道と緑の風景





見上げる緑の葉




池の周りも緑一色




緑の風




大楠の木の新緑




杉林と差し込む光




上も下も緑




塚ノ杁池と初夏の空




アジサイと玉ボケ




朽ち木と新緑

 後編につづく。
 

少し食材不足のサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は少ない食材で作るというのがテーマだった。決定的に足りないというほどではないけど少し足りない感じ。あとひとつかふたつ。そんなときがたまにある。できあがってみればいつもと変わりはないのだけれど。
 6月というのは衣替えの季節で、多少なりとも気分が変わるもの。季節も暦の上で夏ということになる。ただ、今年はまだあまり暑くなくて、早々に梅雨入りしてしまったから、いまだ夏という気がしない。
 6月は毎年あまり何もない月という印象で、今年もそうなりそうな気がしている。祝日もないし、これといったイベントもない。さらっと過ぎていく月になるのだろうか。そういうときこそ落とし穴があったりして危険なのだけど。



いつものサーモン

「サーモンのマリネ風」
 サーモンといってもいつも食べてるのはトラウトサーモンだから、鮭とは別物だ。養殖したニジマスのことという話だ。天然の鮭などは食べる機会はめったにないだろうけど、たまにはキングサーモンでも買ってみてもいいかもしれない。というか、近所のスーパーに売ってるんだろうか。



ジャガイモとニンジン

「ジャガイモとニンジンのマヨネーズチーズ和え」
 コーンの缶詰があったので使ってみた。
 コンソメ、マヨネーズ、チーズの組み合わせは間違いがない。



豆腐の卵とじ

「豆腐の卵とじ」
 きぬさやひとつで彩りが増す。
 汁気が多いやつの卵とじが苦手だ。どれくらい加熱したらいいのかがいつも分からない。加熱が足りなかったり、加熱しすぎたりする。ちょうどいい加減に仕上げられない。店で食べる玉子丼のようにするにはどうしたらいいのだろう。
 

写真ノート<23> ---写真集を目指す

写真ノート(Photo note)
空と鴉

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 アマチュアの写真活動の集大成として写真集作りを目標にしている人がどれくらいいるのかは分からないのだけど、もし私が人に写真を教える立場だとしたら、必ず写真集を作るようにと言うだろう。有無を言わさず絶対に。
 とにかく写真集を作れ。そのための写真を撮れ。日々の写真行為を明確にするために。写真集という着地点さえはっきりしていれば、あとはそこへ向かって進むだけだ。何を撮らなければいけないのかが明確になるし、自分のテーマというものも見えてくるはずだ。一番分かりやすい目標設定が写真集作りという言い方もできる。

 テーマ。そう、写真集にはテーマが必要不可欠だ。あるいは、ストーリーと言い換えてもいい。
「イメージは物語を紡ぎ出すための手段でしかない」というのはオウライという人の言葉で私の信条にもなっているのだけど、大切なのは自分の物語を物語ることだ。いい写真を撮ることが目的ではない。写真の向こう側にある物語こそが表現すべきものなのだ。
 自分にとって出来のいい写真を50枚なり100枚なり集めて並べてもいい写真集にはならない。音楽でいえばヒットソングを集めたベストアルバムが意外とつまらないのと同じだ。
 いい写真集にとって必要なのは、リズムであり、テンポであり、起伏であり、うねりであり、流れだ。潮の満ち引きのように、ときにジェットコースターのように、鑑賞者の心を揺さぶらなければならない。感動といった単純なものではなく、ましてや感心などといったものでもない。心を浮き立たせたり、しんとした気持ちにさせたりといった緩急といったものが必要となる。
 個人的には泣ける写真集を目指しているのだけど、写真で泣かせるということは本当に難しい。ラブソングのように簡単にはいかない。

 具体的なことを言えば、まずは使う写真のセレクトがもっとも重要なことは言うまでもない。どの写真を選び、どの写真を選ばないか。いい写真を詰め込みすぎるとかえって主題が曖昧になってしまうこともある。捨てるべき写真は捨てる思い切りが大切だ。
 大切といえば、表紙とタイトルも非常に重要な要素だ。タイトルと表紙、最初と最後の写真が決まれば、その写真集は8割方完成したといっても言い過ぎではない。まずはタイトルを決めることでタイトルにふさわしい写真が集まってくる。逆に言うと、タイトルが決まらないと選ぶ写真が全然決まってこない。最後の一枚が見えれば、あとは作業の段階に入ることができる。
 写真集のひとつの特徴として、見開きページということがある。基本は左右に一枚ずつ写真を並べるスタイルになるわけだけど、左の写真と右の写真の関係性を考えることも重要だ。左からめくるか右からめくるかによっても違ってくるのだけど、意外性のある組み合わせと相乗効果といったものを考えなければならない。似たような写真が続くと見る人は飽きる。適度な緊張感を保たなければならない。
 物語ということを考えると写真の順番ももちろん大切だ。文章とは違って起承転結とはいかないことが多いにしても、前半に入れるべき写真と後半に持ってくる写真は明らかに違う。そこを間違えると、ページをめくる人の意識が変につまづくことになる。鑑賞者の意識をどこまでコントロールできかも鍵となる。
 あともうひとつ忘れてはならないのは、つなぎカットの写真の存在だ。写真集というのは、映像でいうところのカット割りに近いものがある。フラッシュバックのようにパン、パン、パンと写真が続く中で、流れとは無関係のカットを挿入することが効果的になってくる。というよりも、そういうカットの写真がないと見ている方は疲れる。意識の集中はそんなに長く続かない。だからこそ、一見無関係に思えるような写真---たとえば何も写ってない空の写真とか---を挟むことで、意識の転換を図ることをやらないといけない。
 村上春樹は文章のストップ・アンド・ゴーという表現をしたけど、写真集にも同じようなことが言えると思う。高揚感、浮揚感を最初から最後まで保てる写真集はない。

 写真集作りのよいところは、自分がそれまで撮った写真をもう一度見直すきっかけになるところだ。撮ったら撮りっぱなしという人が多いと思うけど、過去の自分の写真の中にいろいろ気づくことがあるし、拾い直すことになる写真も出てくる。年に一度くらい、自分の写真をすべて見返すと何かと収穫が得られるはずだ。
 自分はこれまで何を撮ってきたのか、どう撮れるようになってどう撮れなくなったのかが分かる。自分の成長にも気づくし、何年経っても変わらない部分も見つかる。今、何が足りないのかも見えてくる。
 写真集を前提にすると、普段の撮影から意識が変わってくる。この写真は写真集に使えそうだと思ったり、つなぎカットを撮っておこうと考えたりといったことが出てくる。いったん意識がそちらへ向かうと、撮影姿勢も撮る写真も明確になる。上手く撮ろうとか、いいのを撮りたいとかが二の次になってくれば、それはいい方向に進んでいると言っていいと思う。

 写真活動を仕事=ワークにしたらどうだろうと以前書いた。それは、写真集作りを念頭に置いた言葉でもあった。
 たとえば風景の写真集を作ろうと決めた場合、劇的な風景を求めて日本各地を巡らなければならないといったことはない。そんな写真集はたくさんあるし、わざわざ自分が取り組むべきテーマでもない。もっと身近でいいから、自分が深く関わっていくことで撮れる写真集を目指すべきだ。同じ場所に四季を通じて通い詰めるとか、何年にも渡る変化を記録するとかの方がいい写真集になる。桜でも同じだ。花咲く姿だけが桜の木のすべてではない。
 ストリートスナップなら、ある特定の人物に絞るとか、ひとつの街に決めるとかした方がテーマとして伝わりやすいものができるし、写真集としての深みも増す。
 テーマというのは撮っている途中で変わってきたりもするから、撮りながらテーマを模索していくというアプローチでもいいと思う。ただ、繰り返すけど、重要なのはテーマではなく、物語であるということを忘れてはいけない。

 写真集のフォトコンテストは少なくて、私の知る限り大きなものとしては、富士フイルムのフォトブック部門と、「フォトテクニックデジタル」の私的写真集選手権くらいしかない。キヤノンの写真新世紀も写真集での応募も可能ではあるけど、あれは趣味で参加するようなものではない。
 写真集を完成させたなら、富士フイルムのフォトブック部門はぜひ挑戦して欲しいと思う。年に一度、フジコンに応募することを目標にすることは悪くない。

 さあ、自分だけの物語を見つける写真の旅に出よう。遠くへ、近くへ。日常の外へ、あるいは日々の内側へ。
 

道行き風景 ~遠くから見守るように

日常写真(Everyday life)
自転車少年たち

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き写真をお送りします。
 まだ春先だった頃の写真も何枚か。季節はあっという間に過ぎていってしまうものだと、自分が撮った写真からも思うのだった。



鍬を背負ったお母さん




歩道橋を自転車で登る少年たち




自転車の少年




和装のひと




郵便配達人と道行く人




鍼灸接骨院のピンクとピンクの人




ランドセルを背負った小学生男子




井戸端会議の奥さまたちと仕事帰りのおやじさん




自転車高校生と夕陽




西日の道路と自転車と影

 

下街道を行くシリーズ <3> ---勝川から瀬古へ

旅/散策(Stroll)
愛宕社

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 下街道シリーズの三回目は、19号線沿いの勝川愛宕社からの再開となる。
 庄内川に近い勝川のあたりは弥生時代から人が住んでいたようで、古墳も多く見つかっている。愛宕社も、古墳の上に建てられたとされる。このあたりでもっとも巨大な古墳である二子山古墳は愛宕社から見て西1キロほどのところにある。
 愛宕社の創建年ははっきりしない。一説には鎌倉時代後期の1313年に創建されたとしている。
 広くて交通量の多い19号線沿いによくぞ残ったといった風情でたたずむ小さな神社だ。



愛宕社全景





愛宕社拝殿から本殿を見る




住吉屋の塀

 住吉屋の屋号で旅籠を営んでいた長谷川邸が今も残っている。愛宕社から少し南へ行ったところだ。
 江戸時代の中頃には、勝川のこのあたりの下街道沿いに十数軒の旅籠や茶屋などがあったそうだ。往来は人で賑わっていたことだろう。
 長谷川邸は現在、立派なお屋敷となっている。



長谷川邸門構え




長谷川邸屋敷




津嶋神社

 地蔵川、庄内川と渡って、少し西の細い道へ入っていく。その先にこの日最後の目的地があった。
 辻に小さな社があった。津島神社のようだ。



津嶋神社案内




水屋のある路地




水屋の蔵

 地酒を作っている東龍の蔵式水屋と呼ばれる建物。
 瀬古のあたりは水害対策として石垣を積んで高くしたところに家や蔵を建てる水屋と呼ばれる建物がいくつか残っている。
 江戸時代も終わろうとしていた1864年、東龍創業者の佐藤東兵衛が、名古屋城の櫓(やぐら)で使う予定だった木材をもらってきて建てたのがこの酒蔵だ。

 今回の下街道を行くシリーズは、いったんここで終わりとなる。機会があれば、春日井のもっと北の方や名古屋城近辺も巡ってみたい。
 
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