月別:2016年05月

記事一覧
  • 下街道を行くシリーズ <1> ---篠木町から鳥居松へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 春日井の神社めぐりをしているとき、ちょっと雰囲気のある旧街道っぽい通りがあって気になった。帰ってから地図を見ると下街道(したかいどう)とある。どこかで聞き覚えはあったものの、くわしいことは知らなかった。 中山道の大井宿(岐阜県恵那市)と大湫宿(瑞浪市)の間にある槙ヶ根追分から名古屋城下伝馬町札の辻までの約57キロ(14里20丁)を結ぶ脇街道で、中山道から行くより...

    2016/05/31

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 東山植物園便り ---5月の終わりに

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 5月終わりの東山植物園。季節は初夏。春の花は終わり、夏の花が少しずつ咲き始めてきた。 湿地のハッチョウトンボはまだだったものの、トンボ池のトンボも数を増やしている。季節は確実に前へと進んでいる。 今日はそんな5月終盤の東山植物園風景をお届けします。 園内に一輪だけササユリの花が咲く。今年はいつもの年より早かった。 アジサイはようやく咲き出したところで、見頃はま...

    2016/05/30

    植物園(Botanical garden)

  • 白い皿のサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO ここのところ白い皿のサンデー料理が続いている気がする。皿を決めるのは調理が終わったときで、料理に合いそうな皿を選ぶわけだけど、白い皿が続くということは似たような系統の料理が続いているということだろうか。選ぶといっても、色皿か和皿かの三択でしかないのだけど。 今日は少し華やいだ見た目になった。緑があり、黄色があり、少し赤もある。こうして並んでいる料理を見ると色...

    2016/05/29

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<22> ---セレクト力が鍵

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 写真はセレクトに始まりセレクトに終わる。セレクトこそが写真行為の本質であり、意識的であろうと無意識であろうとセレクトの連続で写真は成立している。 写真は無から有を生み出すことはできない。選ぶことしかできない悲しさと、選ぶことの楽しさがあり、選択の限界がある。写真をやる人間は徹頭徹尾、セレクトから逃れることができない。 まずは何をどこで撮るかを考え、使うカメ...

    2016/05/28

    写真ノート(Photo note)

  • 「デジキャパ」電子雑誌化とフォトコンのこと

    デジキャパ! 2016年6月号【電子書籍】価格:700円OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO「デジキャパ 2016年6月号」で、「星空は戻った」が佳作。 四日市コンビナートを見下ろす垂坂公園の展望スペースから撮った一枚だ。 正面やや左手にオリオン座が写っている。特別な設定もしないで単純に30秒露光ではっきりオリオンが写ったのはちょっと驚いた。四日市の空もここまできれいになったのかと感慨深いものがあった。コンビナ...

    2016/05/27

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 高針高牟神社に再訪

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名東区高針にある高牟神社を再訪したのは、去年の11月のことだった。写真を出すタイミングを失ったまま月日が流れていた。かなり季節外れだけど、やっと出せるときが来てよかった。 名古屋には3社の高牟神社があるということは以前書いた。あれからタカミムスビにまつわる神社をいくつか巡り、高牟神社に関しても少しは知ることになった。ただ、高針の高牟神社については前回から上積...

    2016/05/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---パンジェンヌ/はやしぱん/グスマンヴィタル

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は名東区の藤が丘エリアにある3つのパン屋さんを紹介します。 まず最初は、地下鉄東山線の藤が丘駅から西へ少しいったところにある「ブランジェリー・パンジェンヌ」さんから。 緑を基調とした外観のお店は、おしゃれでありながら温かみも感じられてひょいとドアを開けやすい。男ひとりでパン屋に入っていくのは、多少の心理的抵抗感が...

    2016/05/26

    パン屋(bakery)

  • 大手八幡神社に参拝する

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 春日井市の伊多波刀神社へ行くとき、大手町の八幡神社にも行くことをあらかじめ決めていた。 交差点でいうと大手町交差点のすぐ北ということになるのだけど、どのあたりかを説明するのは難しい。目標物としては春日井西高校ということになるだろうか。その少し東に位置している。 地形的にもちょっと複雑なことになっていて、南の鳥居から北へ向かう参道の左右には民家が並んでいて、...

    2016/05/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 稲口町の津島神社に立ち寄る

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 春日井の伊多波刀神社へ向かっていたとき、少し道に迷ってたまたま津島神社を見つけて立ち寄った。地理的にいえば、名古屋空港の少し東、稲口町にその神社はある。 さほど古い神社ではないようで、江戸時代あたりだろうとのことだ。津島市の津島神社から勧請したであろうことはまず疑いがない。祭神は当然スサノオだ。 名古屋やその近郊で津島神社として独立しているところはさほど多...

    2016/05/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 出しそびれていた道行き風景写真

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 なんとなく出しそびれたまま時間が過ぎてしまった道行き写真たち。せっかく撮ったのに眠られておいたのでは何の役にも立たないから、時季外れでも出してしまいたい。 時間を巻き戻して、季節がまだ冬だった頃。少しずつ春へと向かっている途中。光は弱々しく、風景は枯れ茶色だった。過ぎた時間はもう戻らないけど、写真で振り返ることはできる。写真の中の冬風景は嫌いじゃない。現実...

    2016/05/24

    日常写真(Everyday life)

  • 長久手田んぼ風景の5月

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 田植えの季節になるとぷらっと長久手を訪れる。モリコロパークの北西、前熊あたりにちょっと広い田園風景が広がっていて、そこが好きなのだ。特に何が撮れるというわけでもないのだけど、この季節はだいたい毎年訪れている。 長久手近辺の田植えは5月の半ばから下旬にかけて行われる。全国的に見ればそれほど早いわけでも遅いわけでもないと思う。隣の尾張旭市は遅くて、6月になってや...

    2016/05/23

    日常写真(Everyday life)

  • いつもの無国籍サンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 毎度おなじみサンデー料理。 気がつけばいつの間にやら5月も後半。いい気候というよりそろそろ暑くなってきた。暑い盛りでも食欲は落ちない方とはいえ、料理内容は多少違ってくる。あまり暑いと作る気がしない料理もある。まあ、人から見れば一年中代わり映えしないように見えるだろうけど。 今週も特に変わった点はなかった。季節感がないのと、緑不足は相変わらず解消されていない。...

    2016/05/22

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<21> ---仕事としての写真を考える

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 誤解を恐れずに言えば、写真の基本はルポルタージュだと思っている。 世の中で起きている出来事を、現地に赴いていって取材し、客観的に報告すること、それがルポルタージュだ。 いつからだろう。1990年代の中頃以降だろうか。写真が自己表現の手段として使われるようになり、広がりや深みを失ってしまった。写真家のみならずそれが一般にまで広がっているのが現状だ。 もともと写真...

    2016/05/21

    写真ノート(Photo note)

  • 道行き季節の風景 ~初夏進む

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 道ばたの風景も初夏の色合いを濃くしている。 毎年同じ場所に咲く名前を知らない黄色い花。一年に一度だけ華やぐ場所。 過ぎゆく季節。変わらない風景と変わる風景。 時は止まらない。 ...

    2016/05/20

    日常写真(Everyday life)

  • 王子バラ園でバラ撮り 2016年

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO よく晴れた5月前半のある日、春日井市にある王子バラ園へ春バラを撮りにいってきた。今年はバラも早い。少し出遅れ気味だった。 ここのバラを撮るようになってもう10年以上になる。一度も欠かさず毎年訪れているはずで、秋バラを撮りにいった回数を合わせると20回くらいになるだろうか。バラの種類がけっこうあって、花壇に近づけるから撮りやすいのが気に入っている。 10年前はマイナ...

    2016/05/19

    花/植物(Flower/plant)

  • 春日井の伊多波刀神社を訪れる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は少し遠出をして春日井市へ。市の北西部、上田楽町( かみたらがちょう)にある伊多波刀神社(いたはとじんじゃ)へ出向いていった。小牧空港から見て4キロほど北東に位置している。 通りから少し入ったところにあって、たどり着くまでに少し迷った。町屋町交差点を北へ進んだところにある鷹来小学校が目印となる。 参道入り口の南鳥居前から自転車を...

    2016/05/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 八事山興正寺の新緑風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 八事山興正寺へ再び。 表彰式に出たのがゴールデンウィーク初日の4月26日だったから、2週間くらいしか経っていなかったのだけど、新緑の緑が少し濃くなっていたように感じられた。あの日は八事のお祭りで境内が大賑わいだった。この日はいつもの静かな興正寺だった。静かといっても普段から訪れる人がけっこういるので、まったく無人の興正寺というのはこれまで見た...

    2016/05/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 東山植物園便り ---緑に染まる

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 先週、リスを撮った日、植物園もぐるっと歩いてきた。今年は植物園行きが飛びとびになっているから、行くと前回からがらりと様子が変わっていて、少し戸惑う。モミジのトンネルはすっかり緑色に染まり、気の早いギンヤンマが飛び始めていた。春の花はもう、どこにも残っていなかった。 季節は進んで初夏へ。新緑の季節というのは梅雨入りまでだそうだから、もうひと月も残っていない。緑...

    2016/05/16

    植物園(Botanical garden)

  • 顔なじみのサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO ゴールデンウィークが終わって寂しく思っている人が世間にはたくさんいるのだろうけど、個人的には日常が戻ってホッとしている。気づけば5月も半ばだ。6月は祝日が一日もない。それでも私としては困らない。 当たり前のように日曜日がやってきて、普通に料理を作って食べる。それはきっととてもありがたいことだ。おなじみの食材を使ったいつもの料理しか作れなかったとしても。 顔なじ...

    2016/05/15

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<20> ---好きな写真集(2)

    日本 [ マイケル・ケンナ ]価格:10584円(税込、送料無料) マイケル・ケンナの写真を初めて見たのがいつで、どういうきっかけだったのかは覚えていない。5、6年くらい前だろうか。 初めて長時間露光で撮られた写真の魅力を知ったのは、BSのテレビ番組「写真家たちの日本紀行」で米津光(よねづあきら)さんが出た回だった。あれは確か2009年だったはずで、マイケル・ケンナのことを知ったのはそのあとのことだ。 米津光さんに...

    2016/05/14

    写真ノート(Photo note)

  • 小鳥とリスの森 ---東山動物園

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 東山動物園の小鳥とリスの森に久々に入ってみた。前回入ったのは7、8年前とかかもしれない。 あらたにリス用の頭上スロープ(リスのアニマルパスウェイ)ができていた。つい最近、この3月に初めて導入されたもののようだ。中日新聞に出ていたので知っている方もいるかもしれない。 エサを食べ、走り回り、足の上に乗ってきたりするリスに遊んでもらってきたので、今日はそのときの写真...

    2016/05/13

    動物園(Zoo)

  • 長久手の御旗山富士社を訪れる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ、今回は長久手市の富士社(富士浅間神社)を紹介します。 前回紹介した景行天皇社からごく近い場所にある。あちらから見て東北約400メートルほどしか離れていない。ただ、両者に関係はなく、成り立ちも全然違っている。富士山に関係あるといえばあるしないといえばない。 神社の建つ小高い丘を御旗山(みはたやま)と呼ぶ。小牧長久手の戦いのとき、家康が...

    2016/05/12

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 小堤西池のカキツバタ群落 2016年

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 昨日、5月11日に刈谷市の小堤西池へ行ってきた。 今年は例年よりも早く花が咲き始めたということで、いつもの年よりも少し早めに出向くことになった。昨日の時点で、6、7分咲きといったところだった。 ただ、カキツバタはどのタイミングを見頃とするかが難しく、見頃と撮り頃が違う花なので、単純には決められない。たいていのカキツバタは三度花を咲かせると言われている。一番花、二...

    2016/05/11

    花/植物(Flower/plant)

  • 道ばたの風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道ばた風景をお送りします。 日々の自転車の行き来の中で、道ばたの風景を拾い撮っていると、いつの間にか写真が溜まっていく。そんなものをコレクションして何がどうなるわけではないと分かってはいるのだけど、目に留まってしまえば撮らざるを得ない。無視して通り過ぎるとあとから気になって心に引っかかるから仕方がない。道ばた風景は一期一会で、同じ場所に同じものが落ち...

    2016/05/10

    日常写真(Everyday life)

  • プレイバック春の花

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今年の春はけっこう涼しい。5月の連休というと汗をかくくらいの年もあるのに、今年はそれほどでもなかった。夏は好きだけど、あまり長いと飽きる。本当に暑いのは7月、8月だけでいい。 連休の終わりは一つの区切りには違いない。個人的なことを言うと、毎年だいたいこの時期にようやく花粉症の症状が治まる。スギ花粉だけでなくヒノキ花粉のアレルギーもあるので5月まで長引く。そういえ...

    2016/05/09

    植物園(Botanical garden)

  • 連休最終日の普通のサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 連休最終日で母の日の今日、名古屋は青空の広がる穏やかな一日だった。 個人的には特別なことはほとんどない平常通りの日々だった。日曜日の今日も。 料理もいつもの通り。おなじみの顔ぶれが並ぶサンデー料理となった。 平穏無事が一番といいつつどこかで物足りなさを感じてしまう。人はいつだって無い物ねだりだ。 あまり好きではないゴールデンウィークがようやく終わってやれやれ...

    2016/05/08

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<19> ---発信者としての責任

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 写真は好きなものを好きなように撮ればいい。下手でもなんでも、本人が満足できればそれでいいではないか。写真を楽しむことの自由について誰も制限したり非難したりすることはできない。 ただしそれは、家族や友人など身内に限ってなら、という話だ。不特定多数に向けて公に写真を発信するのなら、そうそう無責任ではいられないことを自覚しておく必要がある。友だち同士で集まってカ...

    2016/05/07

    写真ノート(Photo note)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ル・シュプレーム/メゾン・カイザー

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋を代表するパン屋のひとつ、ル・シュプレーム(Le Supreme)。早く行かなくてはいけないと思いつつ、栄生(さこう)という場所柄、なかなか行けずにいた。自転車で行くには遠いし、わざわざバスと鉄道を乗り継いで行く気にはなれず、ついでに寄るようなところもでない。それでも一度は行かなくてはいけないのだからということで、思い切って自転車で向かうことにした。やはり遠か...

    2016/05/06

    パン屋(bakery)

  • 道行き風景 ~季節が移ろう

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 ゴールデンウィークも後半から終盤へ。今日はこどもの日だったけど、特に何もなく通常通り。連休はとりあえず無事にやり過ごしたい。 藤はほとんど撮れないままあっけなく終わった。街路樹のツツジもだいぶ花を落とした。今年はバラも早そうだから、そろそろ様子を見にいった方がいいかもしれない。 季節はあっけなく過ぎていくものだと毎年思う。...

    2016/05/05

    日常写真(Everyday life)

  • 長久手の景行天皇社に参拝する

     今回は愛知県長久手市にある景行天皇社を紹介します。 リニモのはなみずき通駅の東300メートルほどのところにその神社はある。 応神天皇を祀る八幡神社を除くと天皇を祀る神社は意外と少ない。更に天皇の名前のついた神社となるともっと数は少なくなる。景行天皇はヤマトタケル(日本武尊)の父親に当たる第12代の天皇だ。 伝わっている話によると、ヤマトタケルの東征ののち、父・景行天皇がその跡地をめぐる旅に出てこの地...

    2016/05/04

    神社仏閣(Shrines and temples)

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下街道を行くシリーズ <1> ---篠木町から鳥居松へ

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
篠木町の下街道

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 春日井の神社めぐりをしているとき、ちょっと雰囲気のある旧街道っぽい通りがあって気になった。帰ってから地図を見ると下街道(したかいどう)とある。どこかで聞き覚えはあったものの、くわしいことは知らなかった。
 中山道の大井宿(岐阜県恵那市)と大湫宿(瑞浪市)の間にある槙ヶ根追分から名古屋城下伝馬町札の辻までの約57キロ(14里20丁)を結ぶ脇街道で、中山道から行くより近道になるため、庶民などが好んで通ったという。伊勢参りや善光寺参りへ行く道だったため、別名善光寺道や伊勢道とも呼ばれた。
 公式な道は上街道と呼ばれ、公人や荷物などは中山道を通って小牧宿経由で行くことが義務づけられていた。幕府が整備した五街道を行かないと宿場の関係やあれこれがあったからだ。
 下街道はおおむね現在の国道19号線に当たる。恵那から瑞浪、土岐、多治見と通り、春日井から勝川、大曽根を経由して名古屋城方面へと向かう。
 19号線として整備されてしまった道はかつての面影を残さないものの、脇道として残された道は往事の名残をわずかにとどめている。私がたまたま通ったのもそういう通りだった。
 地図を見て、細い道のところを行ってみようと思い立ち、とりあえず篠木町へと向かった。坂下町やその先の内津峠あたりも行ってみたいけど、自転車で行くにはちょっと遠い。篠木町から南西へ進み、勝川駅を越えて19号線にぶつかって南下して、庄内川を渡るところまでが今回設定したルートだった。
 というわけで、今日は下街道を行くシリーズ第一回をお送りします。



辻の地蔵さん




下街道と下校の高校生




豆腐屋さん




鳥居松観音

 鳥居松観音。江戸時代後期の1810年に西国三十三観音が祀られたのが始まりとされる。1924年(大正13年)には馬頭観音が置かれた。



春日井市立郷土館

 江戸時代末期の1856年に、酒造家の飯田重蔵が離れ座敷として建てた建物が残されている(もとは下原新田にあった)。
 一時、商工会議所や銀行として使われたあと、現在は春日井市立郷土資料館となっている。普段は門が閉ざされ入ることができない。毎月第3土曜日の午前9時から昼12時まで開けるらしい。見たい場合はピンポイントで行かないといけない。ただし、その日でも建物内部には入れないようだ。



明治天皇の碑

 明治天皇の碑が建っている。
 明治13年(1880年)に明治天皇が京都への巡幸の途中、下街道を通り、ここの家で休憩したのだとか。
 ついでに書くと、ヤマトタケルが東征した帰りにこの道を通って熱田で待つミヤズヒメ(宮簀媛)の元に向かったという伝説も残っている。



小野道風の絵




プラモデル屋さん

 懐かしい雰囲気のプラモデル屋さん。ガンプラ専門店。
 ガンプラが初めて発売されたのが1980年だから、かなりのロングランだ。



古い日本家屋




歩道橋と小学生

 つづく。
 

東山植物園便り ---5月の終わりに

植物園(Botanical garden)
梅の実

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 5月終わりの東山植物園。季節は初夏。春の花は終わり、夏の花が少しずつ咲き始めてきた。
 湿地のハッチョウトンボはまだだったものの、トンボ池のトンボも数を増やしている。季節は確実に前へと進んでいる。
 今日はそんな5月終盤の東山植物園風景をお届けします。



水面に映り込む緑




ササユリ

 園内に一輪だけササユリの花が咲く。今年はいつもの年より早かった。



青のアジサイ

 アジサイはようやく咲き出したところで、見頃はまだ先になりそうだ。6月前半から半ばにかけてだろう。



何かの甲虫




ホタルブクロ




トケイソウ




ハナショウブ




ヤゴの抜け殻




スモークツリー




ハルジオン

 夏に向かう喜びと、春が終わる悲しみが交錯する5月という季節。
 

白い皿のサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 ここのところ白い皿のサンデー料理が続いている気がする。皿を決めるのは調理が終わったときで、料理に合いそうな皿を選ぶわけだけど、白い皿が続くということは似たような系統の料理が続いているということだろうか。選ぶといっても、色皿か和皿かの三択でしかないのだけど。
 今日は少し華やいだ見た目になった。緑があり、黄色があり、少し赤もある。こうして並んでいる料理を見ると色皿でもよかったと思った。白皿は好きだけど無難すぎて面白みがない。
 料理の中身に関しては今週も特に代わり映えはしない。安定飛行とスムーズな着地。そこに冒険心はない。



鯛のタマネギソース

「鯛のタマネギトマトソースがけ」
 鯛はたいていのソースが合う。和食でも洋食でもいいし、中華にもなる。
 今回のソースは、オリーブオイル、酒、みりん、しょう油に、刻んだタマネギを加えて煮込んで作った。刻んだトマトは加熱しすぎないように最後に入れる。
 最近、料理用の白ワインを買ってないから久しく使っていない。ワインがあればそちらの方がよかったかもしれない。



エビと豆腐のピリ辛

「小エビと木綿豆腐のピリ辛」
 むいた小エビと木綿豆腐をごま油で炒めて、少し煮て、鶏ガラの素などで味付けをしたシンプルなもの。
 豆板醤などを使ってピリ辛に仕上げている。



ジャガイモの卵とじ

「ジャガイモとニンジンの卵チーズ和え」
 ジャガイモとニンジンとブロッコリーをレンジで加熱して火を通す。
 オリーブオイルで炒め、卵、チーズ、マヨネーズ、コンソメの素、塩、コショウなどで味付けをする。
 

写真ノート<22> ---セレクト力が鍵

写真ノート(Photo note)
捨てられたぬいぐるみ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真はセレクトに始まりセレクトに終わる。セレクトこそが写真行為の本質であり、意識的であろうと無意識であろうとセレクトの連続で写真は成立している。
 写真は無から有を生み出すことはできない。選ぶことしかできない悲しさと、選ぶことの楽しさがあり、選択の限界がある。写真をやる人間は徹頭徹尾、セレクトから逃れることができない。
 まずは何をどこで撮るかを考え、使うカメラやレンズを決め、どの季節のどの時間帯のどんな光で撮るかに思いを巡らせ、どの瞬間にシャッターを押すかを決断する。撮った写真のどれを選び、過不足ないレタッチで仕上げ、どんな紙でどんなふうにプリントするかを考え、最終的に何を自分の写真として表に出すかを決定しなければならない。あるいは、何を捨てるかを。
 要するに写真のよしあしや上手い下手はセレクト能力にかかっているということだ。写真は真っ白なキャンバスに絵の具を塗って頭の中のイメージを形にする絵画とは根本的に違う。目の前にある現実を選んで撮るだけだ。イメージ写真でさえ、現実の変形にすぎない。
 セレクトとはつまりセンスや才能ではないのかといってしまうと身も蓋もない。写真に関しては必ずしもそうではないところに救いがある。勉強と実践の積み重ねでどうにかなるのが写真のいいところだ。
 何を選ぶかは何を選ばないかでもある。何を選び取り、何を捨てるか。たいていの場合、撮った写真の一部しか使わない。デジタル時代になってからは特にそうだ。数百枚撮って使うのは一枚か二枚なんてこともある。フィルム時代以上にセレクト力が重要になってきているのは間違いない。

 初心者とベテランの一番の違いは、選ぶ力にあるといっていい。
 たとえば、初心者とベテランが同じ場所、同じカメラでそれぞれ100枚撮ってその写真を互いに交換して、いいと思う写真を3枚選んでフォトコンに応募したとする。たぶん、初心者が撮った写真をベテランが選んだものが入選して、その逆は入選しないのではないか。誰でもいいのは撮れる。問題はいいのを的確に選び取れるかどうかなのだ。
 初心者のうちは何がいい写真なのか本当のところが分からない。中堅、ベテランになってくるとそれが分かるようになる。何故その写真がいいのか、この写真のどこが駄目なのか、それが分かれば最初からいいのが撮れるようになるし、分からなければ撮ることはできない。
 セレクト力を高めるにはどうすればいいかといえば、それはもう撮影を重ねるしかないわけだけど、プロの写真家の写真集をたくさん見ることが一番の早道だと私は思う。ハイアマチュアの写真はあまり見ない方がいいというのが私の持論だ。上手いアマチュアの写真に変に影響を受けてしまうと自分の写真を見失いがちになるから。それも通過しなければいけないことといえばそうなのかもしれないけれど。

 セレクト力を上げるためのもうひとつの方法論として、フォトコンの応募がある。下手だから自分には早いなどと思わず、下手だからフォトコンをやると考えた方がいい。
 自分でセレクトできないならセレクト能力の高い人に選んでもらえばいいという発想だ。それは答えを教えてもらうようでずるいと思うかもしれないけれど、大丈夫、最初のうちは答えを教えてもらってもその意味が分からないから。自分ではいいと思うものが入らず、たいしたことがないと思うものが入ったりするから戸惑うけど、その境界線を読み解く力をつけるためにこそフォトコン応募の意義があるといっていい。選ばれた他人の写真の中にではなく、落とされた自分の写真の中にこそヒントがある。
 何故選ばれるのか、あるいはどうして選ばれないのか、それが分かるようになればセレクト力がついたということだ。プロの目も当てにならないなどと侮ってはいけない。彼らは何十年にもわたっていい写真と駄目な写真を山ほど見ているのだ。個人の好みがあるにしても、基本的な部分での選択眼に狂いはない。
 フォトコンの最終的な目的は、年度賞をとることでも、賞金稼ぎをすることでもなく、フォトコンから卒業することだ。選ばれる写真があらかじめ分かっていればそれを人に教えてもらう必要はない。

 フォトコンに関してもう少し補足しておくと、単写真で入選するようになったらぜひ組写真にも挑戦すべきということだ。
 たいてい三枚組か四枚組でひとつの作品とするのが組写真なのだけど、三枚と四枚では組み方が違ってくるから、できれば両方やった方がいいと思う。三枚の場合は遊びの余裕がないから、一枚目の導入、二枚目で転換させて、三枚目で落ちをつけるといった方向性になるし、四枚組なら起承転結のような形が一般的なものとなる。
 私自身まだ手探りなので偉そうなことはいえないのだけど、同じ主題を繰り返すなというのはよく言われることだ。私も何度かそれを指摘されたことがある。並列的に並べるのではなく、複合的に組み合わせることで主題が膨らんでいくのが組写真というものだということを頭では分かっている。実際に組み合わせるのは難しい。
 組写真の先にあるのが写真集だ。前にも書いたけど私個人は写真集を帰着点と考えているので、とにかく写真集へ向かって写真を撮っているというのがあるし、写真集作りは絶対やった方がいいと人にもすすめたい。写真行為のセレクトの集大成が写真集だから。

 写真に無限の可能性があるとは思っていない。ただ、無限に近いくらいの組み合わせはあるかもしれない。
 写真は小さな差が結果的に大きな差となって表れてくるものだ。だからこそディテールが大事になってくる。少しでもポイントを外すとすべてが台無しになってしまう。0コンマ何秒かの遅れが決定的瞬間を逃すこともあるし、最後のプリントの段階で用紙の選択を誤って傑作写真が駄目になってしまうことだってある。
 的確なセレクトを積み上げていくことでいい写真が生まれる。ひとつの選択もおろそかにしてはいけないのだ。
 

「デジキャパ」電子雑誌化とフォトコンのこと

フォトコン・写真(Photo Contest)


OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO


デジキャパ 2016年6月号」で、「星空は戻った」が佳作。

星空は戻った


 四日市コンビナートを見下ろす垂坂公園の展望スペースから撮った一枚だ。
 正面やや左手にオリオン座が写っている。特別な設定もしないで単純に30秒露光ではっきりオリオンが写ったのはちょっと驚いた。四日市の空もここまできれいになったのかと感慨深いものがあった。コンビナートの明かりは思うほど明るくないというのもある。名古屋の郊外よりもよほどたくさんの星が見える。
 ただ単に美しいだけの工場夜景写真に満足できなくなっていたから、そういう意味でもこの写真は手応えがあった。社会性というと大げさだけど、カッコイイだけの工場夜景写真から一歩踏み込めたように思う。さらなる工場夜景写真の可能性を私自身が感じられるきっかけとなった一枚でもある。

 ところで「デジキャパ」だけど、知らない間に電子雑誌になっていた。以前から雑誌と電子雑誌の二本立てになっていたのだけど、まさかこれほど早い段階で電子雑誌一本になるとは考えていなかった。今年2016年の1月(2月号)からそうなっていたらしい。ここ数ヶ月、本屋へ行っても「デジキャパ」が置いてないからおかしいなとは思っていた。発売日に行っているからまさか売り切れではあるまいし、行っている本屋が「デジキャパ」の取り扱いをやめてしまったのだと思い込んでいた。
 時代の流れで仕方がないといえばそうなのだろうけど、個人的にはちょっと困ったなと思っている。というのも、電子雑誌ではフォトコンの入選落選を立ち読み確認できないからだ。入選していればあとから郵便で通知が来るから分かるのだけど、下手すると落選したと早合点して二重応募をしてしまう可能性がある。あと、電子雑誌では古本で買うことができないというのもある。
 さらにいえば、やはり自分の入選作品が紙の雑誌に載ってこそ喜びがあるわけで、PC画面で見るだけではいかにも味気ない。みんな同じようなことを思っているんじゃないだろうか。
 今更紙の雑誌に戻ることはないだろうから、とりあえず「デジキャパ」が存続することを願いたい。ここのフォトコンはレベルは高くないのだけど、みんなが楽しんで参加している感じが伝わってくるから好感が持てる。「デジタルカメラマガジン」ほどコテコテのデジタル画像じゃなく、素直な写真が多いのもホッとする。
 カメラ雑誌も今後は電子化が進んでいくのだろうか。そうだとしたらちょっと寂しい。



高針高牟神社に再訪

神社仏閣(Shrines and temples)
高針高牟神社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名東区高針にある高牟神社を再訪したのは、去年の11月のことだった。写真を出すタイミングを失ったまま月日が流れていた。かなり季節外れだけど、やっと出せるときが来てよかった。
 名古屋には3社の高牟神社があるということは以前書いた。あれからタカミムスビにまつわる神社をいくつか巡り、高牟神社に関しても少しは知ることになった。ただ、高針の高牟神社については前回から上積みした知識はない。興味のある方は以前のページをご覧ください。
 高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結
 2009年と比べても特に変わった様子はなかった。ある程度年数の経った神社は、10年やそこらでは大きな変化はないものだ。
 というわけで、今回は少なめの写真を並べるだけとなる。



参道




西鳥居と手水舎




拝殿と本殿の全景




拝殿のガラスの映り込み




社殿を少し離れた場所から見る




二本のご神木

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---パンジェンヌ/はやしぱん/グスマンヴィタル

パン屋(bakery)
パンジェンヌお店外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅シリーズ。今回は名東区の藤が丘エリアにある3つのパン屋さんを紹介します。

 まず最初は、地下鉄東山線の藤が丘駅から西へ少しいったところにある「ブランジェリー・パンジェンヌ」さんから。
 緑を基調とした外観のお店は、おしゃれでありながら温かみも感じられてひょいとドアを開けやすい。男ひとりでパン屋に入っていくのは、多少の心理的抵抗感があるもので、入りやすいか入りづらいかはけっこう重要だったりする。
 駐車場はないものの、短時間なら店の前に路上駐車しておいても大丈夫そうだ。昔、この通りに古本屋があってちょくちょく訪れていた。その店もなくなって久しく、通りの風景も少しずつ変わっていった。
 このパン屋はわりと最近できた気がしていたのだけど、聞けばもう3年という。藤が丘も愛・地球博をきっかけに大きく様変わりした。



パンジェンヌ食パン

 選んだのは山食パンだった。
 食パンの命は、風味と食感に違いないのだけど、外観もけっこう大事だと思うのだ。見た目からして美味しいのが分かる食パンはそれだけで嬉しくなる。
 ここの食パンは品があっていい。過剰な主張はないけど、とても清楚できれいだ。味も外見と合っている。
 普通に美味しいというのは褒め言葉だ。平凡とは違う。当たり前に美味しく食べられる食パンを作るのは、そんなに簡単なことじゃないはずだ。
 トーストすると外はザクッとした歯ごたえで、中身は口どけがいい。もう少し味と香りが強くてもいいのかなと思うけど、見た目同様奥ゆかしさがここの食パンの特徴といえる。外連味がないというのはこういうことをいうのかもしれない。

 パンジェンヌのHP 
 お店の地図
 8時~19時半
 定休日 月曜・火曜日



はやしぱん外観

 藤が丘駅の南、藤見が丘公園近くにある「はやしぱん」さん。このあたりは住宅街なので、駅前の賑わいからするとはずれに位置していると感じる。ちょっと見つけづらくて探し当てるまで時間がかかった。
 白い店の外観は、なるほど、こういうのもいいよねを思わせる。



はやしぱん食パン

 実はこの店、食パンめぐりを始めてすぐに訪れたところで、それは去年のことだった。なかなか紹介できなかったのは、第一印象がもうひとつよくなくて、はっきりさせるためにもう一度食べてみなくてはと思いつつ、その二度目の機会がなかなか訪れなかったからだった。つい最近、ようやくその機会があったのだけど、残念ながら食パンが売り切れで買うことができなかった。まあそういうこともあるさと、あきらめて今回紹介することにした。
 パン教室をメインにやられているオーナーで、営業日が火曜、水曜、金曜のみということで、なかなかその日に行けないというのがある。営業日が飛んでいるので、覚えていられないというのは店のせいというより私の記憶力の問題なのだけど。
 というわけなので、お店の紹介だけはして、味の感想はいずれ別の機会にということにしたい。フルーツからとった自家製天然酵母で発酵させているそうで、そのあたりであまり相性が良くないということもあるだろうか。
 お店の雰囲気は好きなので、また行きたい気持ちは十二分に持っている。

 はやしぱんのHP
 お店の地図
 11時~17時
 定休日 月曜・木曜・土曜・日曜日



グスマンヴィタル外観

 藤が丘駅から1キロほど北にサンプラザシーズンズがあり、その中に「グルマン ヴィタル(GURUMAN VITAL)藤が丘店」が入っている。
 本店は岐阜県垂井町にあるそうだ。一宮や長者町にも支店があるらしい。
 外観も店内も、チェーン店らしさが感じられる。そのへんは好みが分かれそうだ。私としては個人でやっているパン屋さんが好きだけど、チェーン店というだけで敬遠することはない。
 サンプラザの中なので駐車場には困らない。サンプラザシーズンズというのは、レストランやらホテルやら結婚式場やらが一体になった施設だ。奥まで入っていったことはないので詳しいことは知らない。



グスマンヴィタル食パン

 この日、たまたま全粒粉の食パンしか残っていなくて、買うのはやめようかと思ったのだけど、考え直して買ってみることにした。漠然と全粒粉は美味しくない気がして今まで避けてきた。ただ、こんなときでもないとこの先も買うことがないだろうと思ったから。
 小麦粉は表面の皮をむいて中身だけをすりつぶしたもので、全粒粉は皮ごとすりつぶしたものをいう。ざっくりいうとそういうことだと思う。白米と玄米の関係に似ているといっていいだろうか。
 全粒粉の悪いところは、味がやっぱり落ちるということと、見た目が茶色になることがある。良い点としては食物繊維が多く含まれるから血糖値の上昇を抑える働きがあったり、栄養価が高かったりすることがある。最近の健康志向によってあえて全粒粉を選んで食べている人もいるのだとか。
 で、食べてみてどうだったかといえば、独特の香ばしさは悪くないと思った。嫌いではないし、思ったほどまずくもない。歯ごたえも口どけもそこそこよかった。
 じゃあ、これからも積極的に全粒粉の食パンを買うかといえば、たぶん買わない。あえてこれを選ぶ必然がないというのが理由だ。食パン自体、それほど不健康な食べ物ではないし、血糖値に問題も抱えていない。どうせなら美味しい食パンを食べたい。
 グスマンヴィタルについては今度普通の食パンも買って食べてみよう。

 グスマンヴィタルのHP
 お店の地図
 9時~18時半
 定休日 日曜・第2第4月曜日
 

大手八幡神社に参拝する

神社仏閣(Shrines and temples)
大手八幡神社を少し離れたところから見る

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 春日井市の伊多波刀神社へ行くとき、大手町の八幡神社にも行くことをあらかじめ決めていた。
 交差点でいうと大手町交差点のすぐ北ということになるのだけど、どのあたりかを説明するのは難しい。目標物としては春日井西高校ということになるだろうか。その少し東に位置している。
 地形的にもちょっと複雑なことになっていて、南の鳥居から北へ向かう参道の左右には民家が並んでいて、境内入り口の手前には生活道路が横切っている。神社はやや高台にあり、木々が取り囲んでいる。



南の鳥居前




境内と社殿を望む




拝殿を見る

 創建や由緒について詳しいことは伝わっていないようだ。
 祭神は応神天皇ではなく、応神天皇の父親である足仲彦尊(タラシヒコ)=14代・仲哀天皇のようだ。仲哀天皇はヤマトタケルの子供で、皇后は神功皇后。
 創建年はかなり古そうではある。平安時代かひょっとすると更にさかのぼるかもしれない。559年創建という話もあるようだけど、どこまで信用していいかは分からない。
 そもそもでいうと、仲哀天皇は実在を疑われている。応神天皇も実在したかどうかはっきりしていないから、神社の祭神についてそのあたりのことを言い出すと話がややこしくなる。
 大手八幡神社から北の伊多波刀神社までは700メートルほどしか離れていない。伊多波刀神社も一時期は八幡社と称していたように八幡信仰とは関わりが深い。この大手八幡神社と伊多波刀神社との歴史的な関わりはどうだったのだろう。まったく無関係ではないと思う。



狛犬




本殿




稲荷社




境内社

 すぐ隣に長昌寺というお寺がある。八幡神社と神仏習合で一体化していた時代もあったかもしれない。



津島社

 

稲口町の津島神社に立ち寄る

神社仏閣(Shrines and temples)
津島神社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 春日井の伊多波刀神社へ向かっていたとき、少し道に迷ってたまたま津島神社を見つけて立ち寄った。地理的にいえば、名古屋空港の少し東、稲口町にその神社はある。
 さほど古い神社ではないようで、江戸時代あたりだろうとのことだ。津島市の津島神社から勧請したであろうことはまず疑いがない。祭神は当然スサノオだ。
 名古屋やその近郊で津島神社として独立しているところはさほど多くないものの、摂社や末社の境内社としての津島神社は多い。この地方特有の屋根神様でも津島神社は祀られている。
 稲口町の津島神社に関する情報はほとんど得られなかった。大きな神社ではないけれど、番塀があったりして、なかなか悪くない神社だと思った。



コンクリート製の番塀




拝殿





社殿の木漏れ日




本殿を横から見る




社殿の額と彫り物




境内社の御嶽社




持ち込まれた神棚など




結ばれたおみくじ

 

出しそびれていた道行き風景写真

日常写真(Everyday life)
庄内川土手夕陽

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 なんとなく出しそびれたまま時間が過ぎてしまった道行き写真たち。せっかく撮ったのに眠られておいたのでは何の役にも立たないから、時季外れでも出してしまいたい。
 時間を巻き戻して、季節がまだ冬だった頃。少しずつ春へと向かっている途中。光は弱々しく、風景は枯れ茶色だった。過ぎた時間はもう戻らないけど、写真で振り返ることはできる。写真の中の冬風景は嫌いじゃない。現実的な寒さが嫌いなだけだ。



矢田川河川敷沿いの住宅風景




重機で取り壊し中




製紙会社の倉庫




旧街道沿いに並ぶ飲食店




建物に落ちる冬の木漏れ日




図書館の自転車置き場




上条水防倉庫を西日が照らす




矢田川の土手夕景




夕方の公園ベンチのふたり




矢田川土手夕暮れ風景

 

長久手田んぼ風景の5月

日常写真(Everyday life)
あぜ道の草刈り風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 田植えの季節になるとぷらっと長久手を訪れる。モリコロパークの北西、前熊あたりにちょっと広い田園風景が広がっていて、そこが好きなのだ。特に何が撮れるというわけでもないのだけど、この季節はだいたい毎年訪れている。
 長久手近辺の田植えは5月の半ばから下旬にかけて行われる。全国的に見ればそれほど早いわけでも遅いわけでもないと思う。隣の尾張旭市は遅くて、6月になってやっと始めるくらいだ。
 どういう品種の米を作っているのかは知らない。やはりコシヒカリあたりが主流なのだろうか。どういうところに流通しているのかも分からない。一般消費者向けなのかそうではないのか。近くにある地元の食材を販売しているあぐりん村へ行けば買えるのかもしれない。私はここ最近ずっとミルキークィーンばかりなのだけど。
 そんなわけで今日は、5月後半の長久手田んぼ風景をお送りします。



香流川カルガモの親子





香流川上流カワウ




田んぼ風景と瀬戸デジタルタワー




首塚

 長久手の戦いの首塚
 岩作村(やざこむら)の安昌寺の和尚・雲山(うんざん)が、合戦で死んだ兵たちを集めて葬った場所とされる。
 長久手の戦いが起きたのは1584年(天正12年)の4月9日未明のことだった。これは新暦に直すと5月18日に当たる。ちょうど今くらいの季節だ。



火の見櫓




石作神社参道

 首塚のそばに石作神社(いしつくりじんじゃ)入り口の石柱があるのを見つけた。遠くに見えているこんもりした緑のところに神社はあるのだけど、ここからは400メートル以上離れている。昔はこのあたりから参道が始まっていたということだろうか。
 石作神社については以前訪れたときに少し書いた。

 石作神社と色金山



神明社入り口とモリコロの観覧車




東小学校と田んぼ風景

 東小学校の南に広がる田んぼ風景もお気に入りの場所のひとつだ。ここ数年で稲を作っている田んぼが激減して風景が変わってしまった。好きだった場所がなくなったような寂しさを感じる。



田んぼとツバメ




石作神社全景

 季節が進んで稲がもう少し伸びた頃、田んぼにアマサギがやってくる。今日は遠くにキジの鳴き声が聞こえていた。
 用事はなくても、また訪れることになる。
 

いつもの無国籍サンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 毎度おなじみサンデー料理。
 気がつけばいつの間にやら5月も後半。いい気候というよりそろそろ暑くなってきた。暑い盛りでも食欲は落ちない方とはいえ、料理内容は多少違ってくる。あまり暑いと作る気がしない料理もある。まあ、人から見れば一年中代わり映えしないように見えるだろうけど。
 今週も特に変わった点はなかった。季節感がないのと、緑不足は相変わらず解消されていない。和食でも洋食でもないのもいつもの通りだ。



マグロのたれ煮

「マグロのたれ煮」
 いつものマグロ。酒、みりん、しょう油、白だし、水、塩、ショウガ、からしを混ぜたたれに浸けて、弱火で煮る。
 粗挽きコショウを振りかけ、長ネギの刻みを乗せる。



ジャガイモと卵焼き

「ジャガイモ入りの卵焼き」
 ジャガイモ入りの卵焼きをなんと呼ぶんだろう。たしかこんなような料理がどこかの国にあったはずだ。ジャガイモも卵もポピュラーなものだから、世界中でこんな料理が作られて食べられているのかもしれない。
 ジャガイモを切り分けてレンジで2分加熱。卵、とろけるチーズ、刻んだタマネギ、マヨネーズ、塩を混ぜ合わせ、オリーブオイルで焼く。フタをしてひっくり返して両面焼く。
 トマトソースを作ろうと思ったけど面倒だったのでケチャップにしておいた。



レンコン、ニンジン、鶏肉

「レンコンと鶏肉とニンジンの甘酢炒め」
 タイトル通りの料理。甘酢味の炒め物。唐辛子もやや多めに入れてピリ辛にしている。
 

写真ノート<21> ---仕事としての写真を考える

写真ノート(Photo note)
勤め人と小学生

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 誤解を恐れずに言えば、写真の基本はルポルタージュだと思っている。
 世の中で起きている出来事を、現地に赴いていって取材し、客観的に報告すること、それがルポルタージュだ。
 いつからだろう。1990年代の中頃以降だろうか。写真が自己表現の手段として使われるようになり、広がりや深みを失ってしまった。写真家のみならずそれが一般にまで広がっているのが現状だ。
 もともと写真は目的よりも手段としての意味合いが強かった。写真が一般的な趣味となり、カメラがフィルムからデジタルになったとき、手段と目的は逆転した。何を撮るかよりもどう撮るかが重視されるようになり、写真は明らかに弱くなってしまった。もちろん、今でも報道やスポーツといった分野において写真は手段に違いない。ノンフィクションの写真もたくさんあるし、そういう写真家もいる。ただ、最近の若手写真家の作品などを見ると、単につまらないというだけでなく、なんでこんな自己表現ばかりの写真を撮ってるんだろうと思うことが少なくない。社会のためでなく、人の幸せにもつながらない写真の群れ。
 アマチュア写真に目を向けると、フォトコンの入選作でも、コテコテに厚化粧を施した表現過多な写真が多すぎる。特にデジタルカメラ関係の雑誌は、センスの良さを競い合う大会みたいになっている。写真はいつからこんなことになってしまったのだろう。

 加工ありきの写真表現や、写真と現代美術が融合してあらたな表現を求めていくのは時代の方向性として仕方がないというか必然なのだろう。ただ、鑑賞者をあまりにも置き去りにしているのではないか。写真家はアーティストと呼ばれるようになり、それまでとは別の表現を求め、業界は独自性といったものを必要以上に賛美してもてはやす。結果的に今の写真は写真をやらない一般人にとってつまらないものになってしまった。
 発信する側と受け取る側とで、いい写真の定義が今ほどかけ離れてしまったことはかつてなかった。というよりも、プロの写真界とアマチュアの写真界が二極化しているといった方がいいかもしれない。写真界は関係者同士で互いに褒め合う小さな村のように閉ざされ、アマチュア界は趣味としてみんなで集まってワイワイやっている。そのどちらにも属せず、くすぶっている人もいる。
 いい写真家が社会的に立派な仕事をして、写真集が社会現象になり、写真家が文化人として一般社会に認知されるといったことは今後ますますなくなっていくのだろうか。
 写真界は一見活況を呈しているように見えながら、内情では衰退していっているのではないか。次々と新しい写真家は誕生し、カメラをやる人間は増え、ネットに写真はあふれかえっていても、肝心のいい写真家が育っていない。一部、人気写真家はいるけど、雑誌や講習などの忙しさに追われて腰を据えた作品作りに取り組めていない現状が作品の質を下げている。今は写真集が売れないから、作品だけを撮っていたら食べていけないというのはある。

 写真が自己表現などというものに堕してしまえば写真が本来持っているはずの力を失うのは必定だ。自分を探している暇があったら被写体を探せと言いたい。独自の表現を模索するより仕事をした方がいい。
 撮り手は足であり、手であり、目だ。写真は頭で撮るものではない。当たり前だけど、写真は部屋でじっとしては撮れないし、机に向かってやるものでもない。とにかく自分から外に出て、足で撮るしかない。大事なのは頭の中にあるイメージなどではなく、目の前にある被写体だ。
 どう撮ればいいかなどということは二の次で、何を撮るかが一番重要なことは言うまでもない。
 鑑賞者は撮り手の才能やセンスを見たいわけじゃない。いい被写体が写った写真を見たいのだ。才能は武器ではないし、才能のなさは言い訳にはならない。

 アマチュアの特権は、なんでも好きなものを好きなように撮れることだ。何をどう撮ればいいかなど私がとやかく言うことではないのだけど、ひとつの提案として、写真行為を仕事と捉えたらどうだろうというのがある。それはビジネスという意味ではなく、ワークといった意味での仕事だ。ライフワークとして何を撮るのかを決めてそれに取り組むことで、写真は深みを増すはずだし、何かひとつの成果としてまとまるような気がする。仕事としての依頼があるとかないとか、ギャラが発生するとかしないとかの問題ではない。
 まずは軸足を決めて動かさないことだ。もう一方の足はどこでも好きな場所に動かすことができる。そこに制約はない。
 自己表現を捨てることで見えてくる被写体があり、かえって自由になれるはずだ。上手く撮ろうなどと考える必要はない。表現の主役はあくまでも被写体であって、頭を使って工夫する部分は被写体をいかに魅力的に見せるかということだ。いいのが撮れたとしても、それは自分の手柄ではない。自分は被写体と鑑賞者をつなぐ黒子の役割を果たせばそれでいい。

 いいのを撮って人に褒められようなどと邪念を抱くから写真が難しく感じられるのだ。いい被写体のいい場面に当たりさえすれば、あとはレンズを向けて素直にシャッターを押すだけだ。撮影はカメラが勝手にやってくれる。
 とにかく出歩くしかない。一発必中や百発百中は写真ではあり得ない。長い期間を考えて、仕事として取り組むことが肝心だ。
 今日見栄えのいい写真10枚撮ることよりも、10年かけてひとつの仕事を成し遂げる方が尊いと私は思う。それを自己満足と言われてしまえばそうかもしれない。けど、本気で取り組めば自己満足を超えられると信じている。

 以上は趣味として写真を撮っていない人に向けた言葉です。
 

道行き季節の風景 ~初夏進む

日常写真(Everyday life)
遊具と花

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 道ばたの風景も初夏の色合いを濃くしている。



黄色い花がたくさん

 毎年同じ場所に咲く名前を知らない黄色い花。一年に一度だけ華やぐ場所。



黄色と黒のネクタイ




飲み残し




散乱するゴミ




ミッキーのキーホルダー




砕けたカメ




黒猫と白猫




街中のレースラベンダー




ちぎられた雑誌の1ページ




街に花5月

 過ぎゆく季節。変わらない風景と変わる風景。
 時は止まらない。
 

王子バラ園でバラ撮り 2016年

花/植物(Flower/plant)
レッドウォール

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 よく晴れた5月前半のある日、春日井市にある王子バラ園へ春バラを撮りにいってきた。今年はバラも早い。少し出遅れ気味だった。
 ここのバラを撮るようになってもう10年以上になる。一度も欠かさず毎年訪れているはずで、秋バラを撮りにいった回数を合わせると20回くらいになるだろうか。バラの種類がけっこうあって、花壇に近づけるから撮りやすいのが気に入っている。
 10年前はマイナー・スポットで、最盛期にいっても訪れているのは数人程度だったのに、今やすっかり知られるようになって大勢が訪れる。平日の午後に行くと、施設の団体さんに占領されている。
 ここ数年、花びらのフォルムとエッジにこだわって撮ってきたけど、今年は原点回帰を試みた。バラの美しい姿をあるがままに撮るというのがこの日のテーマだった。普通にきれいに撮ること。それは簡単そうに見えて奥が深い。きっちり画面を構成するのは案外難しいことを再認識した。
 少し日差しが強すぎた。バラを撮るには、明るい曇り空くらいがちょうどいい。光が強すぎると色が飛んでしまう。
 そんなわけで今日は、普通に撮ったバラ写真をお送りします。



ミニバラ




コンスタンス・スプライ




マダム・ヴィオレ




レディ・オブ・シャーロット




ウィンダー・メア




セント・パトリック




ロブロイ




エマニュエル




ピース




クロッカス・ローズ

 シーズン中にもう一度、曇りの日を選んで撮りにいくつもりでいる。雨なら雨でもいい。
 

春日井の伊多波刀神社を訪れる

神社仏閣(Shrines and temples)
伊多波刀神社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は少し遠出をして春日井市へ。市の北西部、上田楽町( かみたらがちょう)にある伊多波刀神社(いたはとじんじゃ)へ出向いていった。小牧空港から見て4キロほど北東に位置している。
 通りから少し入ったところにあって、たどり着くまでに少し迷った。町屋町交差点を北へ進んだところにある鷹来小学校が目印となる。
 参道入り口の南鳥居前から自転車を降りて歩いて向かったら参道がすごく長いので途中で引き返して、奥の二の鳥居まで自転車で行った。ここの参道だけで300メートル近くある。
 参道の両脇には桜の木が植えられている。ここの桜トンネルは春日井市の桜名所のひとつだそうだ。このときは2月下旬で、まだ桜には遠かった。



紋越しに拝殿を見る

 境内の空気がピリッとしている。とても男前な神社だなと思った。すごくいい感じだ。



拝殿




神楽殿から幣殿




狛犬




神楽殿と参拝者

 社伝によると、景行天皇の時代の112年創建とされているようだけど、そこまで古くはないにしても平安時代にはすでにあったことは間違いなく、『延喜式神名帳』に載っている式内社だ。
 主祭神は、高牟神社で祀られることが多いタカミムスビ(高皇産霊尊)とされる。となると、ここらあたりは尾張物部氏の支配地だったということだろうか。
 この伊多波刀神社はその後、八幡社としての性格を濃くしていく。ホムタワケ(誉田別尊/応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、玉依姫命(タマヨリビメ)を祀るようになったのは中世以前だろうか、以降だろうか。
 源頼朝が武運を願って朱印地と甲冑を寄進したり、信長が社領を寄進したりしている。
 平安時代末期に編さんされた尾張国の『国内神名帳』には、板鳩天神とある。板に鳩の絵を描いて奉納したことからそう呼ばれるようになったという説があり、鳩といえば八幡神の使いだ。ということは、早い段階から八幡神信仰があったということになるのかもしれない。室町時代以降は八幡宮とされていたと考えられる。
 神宮寺の常念寺は明治になって廃寺となったようで、名称も伊多波刀神社に戻されて現在に至っている。



奥の本殿

 現在の社殿がいつ再建されたものかはちょっと調べがつかなかった。明治といえば明治のようにも思えるし、昭和といえば昭和かもしれない。門などはかなり古そうだ。



境内社

 参道入り口にある天照大神社、豊受神社の他、津島社、熊野社、秋葉社、白山社、熱田社、愛宕社、多度社、山王社など、全部で14の境内社があるようだ。
 それぞれ、明治以降に近くの神社から集められて合祀された。



大きい灯籠




奉納額




弓の台

 江戸時代に刊行された『尾張名所図会』に流鏑馬のことが出ている。明治になるまで盛んに流鏑馬が行われていたという。
 現在は簡略化されて、武者に扮した前厄の男が射的などを行う他、獅子舞や神輿なども出るそうだ。祭りは、10月に開催されている。



神馬の像

 

八事山興正寺の新緑風景

神社仏閣(Shrines and temples)
興正寺五重塔

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 八事山興正寺へ再び。
 表彰式に出たのがゴールデンウィーク初日の4月26日だったから、2週間くらいしか経っていなかったのだけど、新緑の緑が少し濃くなっていたように感じられた。あの日は八事のお祭りで境内が大賑わいだった。この日はいつもの静かな興正寺だった。静かといっても普段から訪れる人がけっこういるので、まったく無人の興正寺というのはこれまで見たことがない。夜や早朝などはさすがに人はいないのだろうけど。
 せっかく寄ったのでまた少し写真を撮った。すっかり撮り慣れた場所であらたな発見というのはほとんどないにしても、毎回まったく同じというわけでもない。上の写真の定番カットは、何度撮ってもやっぱりこの角度しかないよなと思う。春夏秋冬、いつ撮っても絵になる。チャンスがあれば、星空と興正寺も撮ってみたい。



本堂の屋根

 毎回撮ってしまうといえば、この本堂の屋根もそうだ。自分の写真を見返していると、屋根を撮っていることが多くて、どうやら自分は屋根が好きらしいと自覚する。好きな屋根はどこかと訊かれたら、パッと思い浮かぶのは興正寺本堂と瀬戸にある雲興寺の屋根あたりだ。
 屋根に関していえば、神社ではなく寺だから、今後もいい屋根を探していくことにしよう。



桜の木の青葉




大仏と五重塔




青葉モミジ




連なる石塔




竹翠亭




わすれな草




奥の院へ続く参道

 

東山植物園便り ---緑に染まる

植物園(Botanical garden)
緑のトンネル

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 先週、リスを撮った日、植物園もぐるっと歩いてきた。今年は植物園行きが飛びとびになっているから、行くと前回からがらりと様子が変わっていて、少し戸惑う。モミジのトンネルはすっかり緑色に染まり、気の早いギンヤンマが飛び始めていた。春の花はもう、どこにも残っていなかった。
 季節は進んで初夏へ。新緑の季節というのは梅雨入りまでだそうだから、もうひと月も残っていない。緑はこれから少しずつ深まっていく。それがちょっとだけ寂しいような気持ちもするのだった。いずれにしても春は終わった。沖縄では梅雨入りしたらしい。
 新緑は確かに美しい。でも、桜への未練が勝る。いっそのこと早く夏が来て欲しいとも思う。5月はなんとなくどっちつかずの中途半端な感じがする。森林の下を歩くには一番いい季節だとしても、撮るものは案外少なくて物足りない。カキツバタを撮って、バラを撮ったら、さて次は何を撮ろうかと途方に暮れてしまうようなところがある。
 この日、植物園を訪れている人は多かった。天気もよくて暑すぎなかったから、陽気に誘われてということだっただろうか。私としてはひとけのない寂しい植物園が好きなのだけど、賑やかなのもそれはそれで悪くない。
 そんな5月半ばの植物園風景をお届けします。



バラのある風景





ゴールドバニー




一部赤のモミジ葉




滝と緑の葉




緑に染まる苔と木漏れ日




エゴノキの白い花




シャガの花




レンゲとテントウムシ




ギンヤンマ飛翔




シロツメクサの花と光と影

 

顔なじみのサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 ゴールデンウィークが終わって寂しく思っている人が世間にはたくさんいるのだろうけど、個人的には日常が戻ってホッとしている。気づけば5月も半ばだ。6月は祝日が一日もない。それでも私としては困らない。
 当たり前のように日曜日がやってきて、普通に料理を作って食べる。それはきっととてもありがたいことだ。おなじみの食材を使ったいつもの料理しか作れなかったとしても。
 顔なじみのサンデー料理。マスター、いつものお任せで、と注文が入ればだいたいこんな感じの料理が自動的に出てくる。10年かけて築き上げたスタイルだ。この先もそう大きくは変わらないだろう。



鯛の卵黄ソース

「鯛の卵黄ソースがけ」
 少し違うソースをということで、今回は卵黄ソースにしてみた。卵黄にオリーブオイル、マヨネーズ、しょう油、からし、塩を混ぜて作った。
 ソース自体は悪くなかったけど、鯛との相性はもうひとつだった。何かこのソースに合う料理がありそうな気がするから、今後探していきたい。



温サラダのごまドレッシング

「温野菜サラダのごまドレッシングがけ」
 アスパラの他、野菜は火を通して、最後にスクランブルエッグとカニかまを混ぜ合わせ、ごまドレッシングをかける。
 温野菜にした方が美味しいし、たくさん食べられる。
 プチトマトがあったのに入れ忘れた分、彩りに欠けた。



三色素揚げ

「野菜の三色素揚げ」
 ジャガイモ、レンコン、ニンジンをそれぞれ薄くスライスして、素揚げにした。
 たれは、味ぽんや唐辛子などを混ぜ合わせてひと煮立ちさせて作った。
 素揚げにすると野菜の甘みや旨みが出る。焼いたり煮たりするのとはまた違う。これはけっこういけることが分かったから、また違う野菜でやってみよう。
 

写真ノート<20> ---好きな写真集(2)

写真ノート(Photo note)

日本 [ マイケル・ケンナ ]
価格:10584円(税込、送料無料)




 マイケル・ケンナの写真を初めて見たのがいつで、どういうきっかけだったのかは覚えていない。5、6年くらい前だろうか。
 初めて長時間露光で撮られた写真の魅力を知ったのは、BSのテレビ番組「写真家たちの日本紀行」で米津光(よねづあきら)さんが出た回だった。あれは確か2009年だったはずで、マイケル・ケンナのことを知ったのはそのあとのことだ。
 米津光さんについてはいつか書くこともあると思うので、今回はマイケル・ケンナを紹介したいと思う。

 マイケル・ケンナの写真はほとんどがモノクロのフィルムで撮られている。使っているカメラは6×6cmの中判カメラ・ハッセルブラッドだ。昔から現在に至るまで一貫して変わらない。
 一分、二分といった露光時間ではなく、ときに数時間もの長時間露光で撮られているという。
 どうしてケンナの写真だけが特別な静寂感を持っているのか。その理由は分からない。真似して撮ってみても、遠く及ばない。おそらく、同じカメラ、同じフィルム、同じ場所で撮ってもあのようには撮れないだろう。たとえ隣で一緒に撮ってもだ。
 イギリス生まれ(1953年)のアメリカ在住で、世界各地で風景を撮っている。日本も好きでたびたび訪れて撮影しており、その集大成として出したのが今日紹介する『日本 JAPAN』という写真集だ。
 雪の北海道や琵琶湖など、私たちにもおなじみの場所で撮られているにもかかわらず、日本人の誰も見たことがないような風景がそこにある。得も言われぬ静寂感、ケンナの写真をひとことで説明するとそういうことになるのだろう。初めて見たときの衝撃は忘れがたいものがある。なんだ、これはと思った。
 長時間露光をやりたいがために私が琵琶湖へ行くのも、ケンナの写真を知ったからだ。個人的にマイケル・ケンナごっこと呼んでいる。たとえごっこと分かっていても真似せずにはいられない魅力がある。

 写真集は非常に大きくて重たくて立派なものだ。定価が1万円超えなので欲しいけど簡単には買えない。現在は品切れになっていて古本は高値がついている。とりあえず図書館で借りることをおすすめします。
 これを見ればあなたも明日から長時間露光を始めたくなるはず。









 
 セバスチャン・サルガドは世界的に圧倒的な支持を得ている成功した写真家でありながら、一方で批判を浴びがちな写真家でもある。あれは純粋な写真家ではないと言う人もいる。そうした賛否両論を踏まえた上でもなお、やはりサルガドの写真には見る者を圧倒する力があることは間違いないと思うのだ。好き嫌いは別にして。

 ブラジルで生まれ、サンパウロ大学を出たあと、エコノミストとしてキャリアをスタートさせたサルガドは、仕事の関係でアフリカを訪れ、そこで見た光景に感化され写真家に転身する。当初の分類としては報道写真家だった。
 1947年にロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンなどが結成し、のちに世界的な写真家集団に成長したマグナム・フォトにもしばらく参加していた。
 1986年に、ラテンアメリカを取材した『もう一つのアメリカ』を出版。同時期にアフリカをテーマにした『サヘル』を出す。その後、1993年に肉体労働者にスポットを当てた『人間の大地 労働』を刊行して国際的な名声を得ることになる。
 サルガドの撮影は、徹底した密着スタイルによってなされている。それは長いときで数年間にも及ぶ。労働者を撮るときも、原住民を撮るときも、寝起きを共にし、被写体に寄り添って撮る。外側からではなく、できる限り内側から。
 ときに完璧すぎる構図や、あり得ないほど神々しい光に包まれた写真は、現実離れしすぎていて作り物めいているという批判を受けることがある。しかし、サルガドはその一枚を撮るために膨大な時間と労力を惜しまない。彼は単なる撮影とは呼ばない、プロジェクトと呼んでいる。そういう意味でいうと、やはりサルガドは純粋な写真家ではないといえるかもしれない。ジャーナリストといえばそうだし、気質的には研究者に近いかもしれない。

 サルガドが撮るような写真を生涯で一枚でも撮れる写真家がどれくらいいるだろう。サルガド批判はそんな一枚が撮れてからでいい。見果てぬ夢と知りつつ、私もそんなのが撮ってみたい。








 好きな写真家や影響を受けた写真家を訊かれてエルスケンの名前を挙げる写真家は多い。写真家や写真家を目指す人間があこがれる写真家がエルスケンだ。
 エド・ヴァン・デル・エルスケン。オランダ、アムステルダム生まれ。
 第二次大戦後、フリーカメラマンとして活動を始め、二眼レフのローライ・フレックスを首から提げ、少しの衣類を入れたリュックを背負い、モノクロフィルムと小銭だけをポケットに入れて、ヒッチハイクで単身パリに降り立ち、そのまま移り住んだ。ときにエルスケン24歳。将来への展望がどれくらいあっただろうか。
 パリの貧民街をうろつき、カフェに入り浸り、知り合いになった若者たちなどを撮った。
『セーヌ左岸の恋』
 エルスケンの処女作であり、最高傑作であり、1950年代を代表する一冊でもある。
 現在の私たちから見ると、ある意味では見慣れたような写真と感じるかもしれない。けれど、それはエルスケンが始めたスタイルを、あとに続いた写真家たちが模倣したからに他ならない。当時の人たちにとってエルスケンの写真はとても斬新で新鮮に映ったに違いない。作っていない自然な表情の人々をスナップしてストーリー仕立てにするという感覚は当時はまだなかったのではないかと思う。それはエルスケンが異邦人であり、正式な写真教育を受けていなかったということもあるだろう。非演出であるながらとても映画的という、一見すると矛盾する絵が不思議なほど奇跡的に成立している。何故、エルスケンだけがあんなふうに撮れたのか、誰にも分からないのではないか。撮った本人でさえも。時代やパリという場所だけのことではない。

 エルスケンは何度か日本を訪れており、エルスケンと会ったエピソードを持つ人も少なくない。
 世界をめぐり、何冊も写真集を出し、映画も撮りはしたものの、エルスケンは『セーヌ左岸の恋』の写真家だった。もう一度あんなのを撮って見せてくれと願った人も多かっただろうけど、私たちはあの一冊だけでも見ることができたことを幸せに思うべきだろう。









 アンリ・カルティエ=ブレッソンといえば、古典であり、写真の教科書であり、写真における決定的瞬間という概念を広め定着させた写真家として確固とした地位を築いている。写真学校では必ず勉強するであろう写真家ゆえに、かえって避けているという人もいるかもしれない。世代的にいうと、木村伊兵衛や土門拳などと同じ年代だ。
 スナップ写真を得意として、レンジファインダーの小型カメラを手持ちで撮るというスタイルだった。ブレッソンといえばライカ、ライカといえばブレッソンというイメージが強い。
 パリ生まれで、若い頃は画家志望だった。第二次大戦に従軍して捕虜になり、脱走してレジスタンスに加わり、終戦を迎える。戦後はキャパなどとともにマグナムフォトで報道写真家として活動していた。
 ブレッソンの名を知らしめたのは、1952年に出版された『決定的瞬間』だった。ブレッソンの名前は知らなくても、「サン=ラザール駅裏」というタイトルの水たまりを飛んで着地する寸前の男の写真を見たことがあるという人は多いんじゃないだろうか。
 古典ということで食わず嫌いせずに一度通過しておいた方がいい写真家だ。今見ても参考になることが多いと思う。

 ブレッソンは獲物を追いかけるハンターではなかった。とにかく待つことが信条の気の長い釣り人のような写真家だった。決定的瞬間を捉えた写真というのは意外と少ない。むしろ、決定的瞬間の前後というか、それを予感させるような写真が多い。ブレッソンの写真は、そんな撮り手のわくわく感が写し込まれているからこそ多くの人に愛されたんじゃないだろうか。


 

小鳥とリスの森 ---東山動物園

動物園(Zoo)
木の上のニホンリス

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 東山動物園の小鳥とリスの森に久々に入ってみた。前回入ったのは7、8年前とかかもしれない。
 あらたにリス用の頭上スロープ(リスのアニマルパスウェイ)ができていた。つい最近、この3月に初めて導入されたもののようだ。中日新聞に出ていたので知っている方もいるかもしれない。
 エサを食べ、走り回り、足の上に乗ってきたりするリスに遊んでもらってきたので、今日はそのときの写真を紹介します。
 名前の通りいろいろな小鳥---ルリビタキとかヤマガラとかジョウビタキとか---もいるのだけど、今回はリスだけに絞ってみた。リス撮りの楽しさを思い出した。見た目にもかわいいし、被写体としても魅力的だ。動かなすぎず、動きすぎず、簡単すぎず、難しすぎない加減がいい。



地面を駆けるリス





クルミを食べる




2匹で小競り合い




木の穴から顔を出すリス




足の上に乗って移動




拝みのポーズ




毛繕い中




ちょっと一休み




食事中のニホンリス正面から

 楽しかったのでまた行こう。
 メインの動物がいるところから少し離れているのだけど、おすすめなので動物園へ行った際には立ち寄ってみてください。
 

長久手の御旗山富士社を訪れる

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
富士社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ、今回は長久手市の富士社(富士浅間神社)を紹介します。
 前回紹介した景行天皇社からごく近い場所にある。あちらから見て東北約400メートルほどしか離れていない。ただ、両者に関係はなく、成り立ちも全然違っている。富士山に関係あるといえばあるしないといえばない。
 神社の建つ小高い丘を御旗山(みはたやま)と呼ぶ。小牧長久手の戦いのとき、家康がこの小山に陣取り、金扇の馬標を山頂に立てたことから後年そう呼ばれるようになった。
 関ヶ原の戦いのあと、江戸時代に入った1617年、青山重太夫という人物が富士浅間神社から勧請して建てたのが、この御旗山富士社だ。どうして浅間神社だったのかはよく分からない。いつも疑問に思うのだけど、当時、神社を建てようと思いついて神様を選ぶとき、みんなどんな基準で神様を決めていたのだろう。戦いの神、農耕の神、水の神、アマテラス、土地の神、山の神、いろいろいて、分かりやすいパターンもあるけど、不思議に思うこともある。わりと適当に決めていたのか、それとも譲れない確かな理由があったのか、そのあたりの事情は今となっては知るすべもない。
 小牧長久手の戦いについては以前書いたので、興味のある方はそちらをお読みください。

 マイナー城シリーズ ~岩崎城編
 何もない長久手古戦場を歩きながら平和のありがたみを思う



富士社二の鳥居




拝殿

 浅間神社ということで祭神は木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)。
 小山の上はさほど広いわけではなく、神社の社殿もこぢんまりしている。
 家康軍が陣を敷いたといっても、そんなに大人数が陣取れたとは思えない。通りかかった秀吉軍からも山頂の旗が見えたというから、当時は木が生い茂っておらず、見晴らしもきいたのだろう。



手水舎の手ぬぐい




拝殿と参拝者




御旗山跡石碑




長久手の街を見下ろす




参道の石段




学校帰りの小学生たち

 長久手の神社めぐりシリーズはこれで終わりかなと思う。とりこぼしや再訪があったら、また紹介することにしろう。
 

小堤西池のカキツバタ群落 2016年

花/植物(Flower/plant)
カキツバタ一輪

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 昨日、5月11日に刈谷市の小堤西池へ行ってきた。
 今年は例年よりも早く花が咲き始めたということで、いつもの年よりも少し早めに出向くことになった。昨日の時点で、6、7分咲きといったところだった。
 ただ、カキツバタはどのタイミングを見頃とするかが難しく、見頃と撮り頃が違う花なので、単純には決められない。たいていのカキツバタは三度花を咲かせると言われている。一番花、二番花、三番花と呼ばれ、三番花まで咲いたところで見頃とするのだろうけど、撮り頃はもっと早い段階に訪れる。二番花、三番花が咲いてしまうと先に咲いた花の茶色く枯れた部分が横に垂れ下がってしまうので、見栄えが悪くなる。なので一番花が咲きそろったときが一番の撮り頃となるのだけど、その頃はまだ全体の3分か4分しか咲いていないため、広く見渡したときに寂しく感じられてしまう。
 そんなわけなので、かれこれ7、8回は行っている私だけど、今回はジャストタイミングだったなと思ったことは一度もない。今年は一番花がまだけっこう残りつつ二番花もだいぶ咲きだしてきたところだったので、時期としてはよかった方だと思う。探せばきれいな一番花もあったし、全体を撮ってもまずまずの賑わいがあった。今年は花付きがよかったようにも思う。去年は早々に台風が接近して早く咲いた花が傷んでしまったということがあった。
 今回は60mmマクロレンズ1本しか使わなかった。久しぶりにきちんとカキツバタの花を撮りたいという気持ちだった。

 カキツバタの開花情報はこちら



カキツバタの開花状況はこんな感じ




花の開きかけ




雨に濡れるカキツバタ




小堤西池のほとりに咲く杜若




蕾




ぽつりとはぐれて咲く




見学に来ていた刈谷の中学生たち




何かの虫




雨滴と花




花びらの脈

 今年もカキツバタと再会できたことを喜んだ。季節がまた一歩進んだのを感じた。
 

道ばたの風景

日常写真(Everyday life)
道ばたにスコップ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道ばた風景をお送りします。
 日々の自転車の行き来の中で、道ばたの風景を拾い撮っていると、いつの間にか写真が溜まっていく。そんなものをコレクションして何がどうなるわけではないと分かってはいるのだけど、目に留まってしまえば撮らざるを得ない。無視して通り過ぎるとあとから気になって心に引っかかるから仕方がない。道ばた風景は一期一会で、同じ場所に同じものが落ちていることは決してない。だから、見つけたら引き返してでも撮るようにしている。捨てる神あれば拾う神あり。道ばたの神様を気取っているわけではないけれど。
 それにしても道には様々なものが落ちている。なんでこんなものがこんなところにと疑問に思うことが多々ある。結局の所、意味がどうこうよりも意外性の発見が面白くて撮っているだけなのだ。自分以外の人にとっては何の価値もないといえばそうかもしれない。
 ただ、大量にコレクションしていくとそれはそれである種の意味が生まれてくるような気もしている。50個、100個ならたいした意味がなくても、千個、一万個となればちょっとしたコレクションだ。ライフワークというと大げさだけど、これからも道ばたの風景を撮り続けていきたいと思っている。いつかふいに電池が切れたように興味を失ってしまう日が来るかもしれないのだけれど。



植え込みにお守り




道に落ちているバレーボール




バーバーリー風のマフラー




春の枯れヒマワリ




紙袋と緑茶ペットボトル




何かの鍵




新しいスニーカーの片方




布袋さんにサングラス




砕けたガラス瓶




植え込みに造花

 

プレイバック春の花

植物園(Botanical garden)
ふきのとう

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今年の春はけっこう涼しい。5月の連休というと汗をかくくらいの年もあるのに、今年はそれほどでもなかった。夏は好きだけど、あまり長いと飽きる。本当に暑いのは7月、8月だけでいい。
 連休の終わりは一つの区切りには違いない。個人的なことを言うと、毎年だいたいこの時期にようやく花粉症の症状が治まる。スギ花粉だけでなくヒノキ花粉のアレルギーもあるので5月まで長引く。そういえばいつの間にかニュースの天気予報で明日の花粉予想を言わなくなっていた。あれは4月いっぱいのことなのだろうか。
 5月は花の入れ替わり時期でもある。春の花から初夏の花へ。藤は春の花で、バラは初夏の花だ。カキツバタもどちらかというと初夏のイメージが強い。どの花も自分が咲くべき時期を忘れない。決まった季節に咲き、決まった季節に枯れて姿を消していく。
 地球上に花が誕生したのは1億4千万年ほど前だと考えられている。多くの花が誕生し、ある種は進化して生き残り、ある種は環境の変化に対応できずに絶滅していった。変わらず繰り返されているようでも、変わらないものは一つもない。今年も去年と同じ花が咲くことは当たり前のことなどではなく、ほとんど奇跡のようなものと言える。
 心して花を迎え、撮り、送らなければならないと思いをあらたにするのだった。

 今日はプレイバック春の花と題して、3月、4月に東山植物園や森林公園、海上の森で撮った花を紹介します。
 春の花々の写真を見て、あらためて季節が過ぎ去ったことを実感した。



サクラソウ




ピンクの梅




苔




桜




ホトケノザ




河津桜




チューリップ




モミジの花




モウセンゴケ




カエデの葉




散る桜の花びら

 

連休最終日の普通のサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 連休最終日で母の日の今日、名古屋は青空の広がる穏やかな一日だった。
 個人的には特別なことはほとんどない平常通りの日々だった。日曜日の今日も。
 料理もいつもの通り。おなじみの顔ぶれが並ぶサンデー料理となった。
 平穏無事が一番といいつつどこかで物足りなさを感じてしまう。人はいつだって無い物ねだりだ。
 あまり好きではないゴールデンウィークがようやく終わってやれやれと思っている。そろそろ写真を撮りにいかなくてはと思ったら、明日から雨が続くようだ。来月には梅雨が始まるからせめて5月は晴れて欲しいのだけど。



マグロのグリル焼き

「マグロのグリル焼きタマネギソースがけ」
 マグロは塩、コショウ、酒を振り、カタクリ粉をまぶして魚焼きグリルで加熱する。
 ソースは刻んだタマネギと酒、みりん、しょう油などで作る。
 パン粉焼きにしようと思ったらパン粉がなかった。食パンで作ればよかった。



ジャガイモの煮っ転がし

「ジャガイモの煮っ転がしアレンジ」
 基本は新ジャガの煮っ転がしなのだけど、なんとなく別の料理に仕上がった。
 ゆで卵と鶏肉、ニンジンを加え、酒、みりん、しょう油、白だし、唐辛子をたれに煮詰めた。



豆腐としめじ

「木綿豆腐としめじの麻婆豆腐風」
 私が麻婆豆腐を作るとこんな風になってしまう。挽肉を使わないというのもあるのだけど、見た目は麻婆豆腐っぽくない。
 肉の代わりにシーチキン缶を使う。

 今日は汁気不足だった。3品の中で1品はある程度の汁気が欲しい。
 全体に地味な茶色い色合いになったのは、赤や黄色が不足しているせいだ。緑も。
 和食でも洋食でも中華でもない、相変わらずの無国籍料理だ。
 

写真ノート<19> ---発信者としての責任

写真ノート(Photo note)
田植えが終わった田んぼ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真は好きなものを好きなように撮ればいい。下手でもなんでも、本人が満足できればそれでいいではないか。写真を楽しむことの自由について誰も制限したり非難したりすることはできない。
 ただしそれは、家族や友人など身内に限ってなら、という話だ。不特定多数に向けて公に写真を発信するのなら、そうそう無責任ではいられないことを自覚しておく必要がある。友だち同士で集まってカラオケボックスで好きな歌を歌うのとは違う。あるいは写真サークルなどに入って仲間内だけでわいわい楽しく撮るというのはひとつのあり方だ。公に向けて発信しなければ罪はない。
 たとえば、ネットに写真をアップして世界に向けて写真を発信するとき、PC画面の向こう側に誰がいて、どんなことを考え、何を求め、自分の写真がどう受け止められているのかを想像することはけっこう難しい。実際のところよく分からない。だからこそ、私たちは少し無責任になりすぎているのかもしれない。どう受け止められようが知ったこっちゃないという気分がどこかにあるのを否定できないのではないだろうか。
 ネットに向けて何かを発信することが一定の責任を伴っているということをどれくらいの人が自覚しているだろう。お金を取っていないからといって何を出しても書いても自由というわけではない。オンラインであろうとオフラインであろうと、私たちは世界を形成する一員に違いない。何気なく投げた小石が誰かの頭に当たることもあるかもしれないし、それは自分にも跳ね返ってくる。世界に損失を与えれば何らかの代償を支払うことになる。

 カメラがフィルムからデジタルに移り変わって15年以上が経った。主にプロ向けのデジタル一眼としてNIKON D1が登場したのが1999年。当時の定価は65万円だった。遅れてCanonがEOS D30を発売したのが翌2000年。定価は35万円で、どうにかアマチュアが趣味の範囲でも買えるようになった。2001年発売のEOS 1Dは定価が65万円。ようやく10万円台になったのが2003年のEOS Kiss デジタルで、発売価格は12万円ほどだった。
 それでもデジタル一眼レフカメラで写真を撮ることはまだ一部の人間の趣味の範囲を超えず、デジカメ自体が一般に広く普及するようになるまでにはもう数年を要することになる。
 私が初めてデジタル一眼を買ったのは2005年の愛・地球博の年だった。中古のEOS D30がいくらだったかよく覚えていない。5万円はしなかったような気がする。
 その頃はどこへ行ってもまだまだデジタル一眼で写真を撮っている人は少なかった。本当に普及してきたなと感じたは2010年前後くらいだっただろうか。有名撮影地や観光地などでおばさま軍団が大きな一眼を抱えて撮っている姿は当初かなり新鮮に映った。カメラ女子などという言葉が一般的になり、ミラレース一眼を含めて老若男女誰もが当たり前のようにデジカメを持ち、写真を撮るようになったのは、まだここ数年のことだ。
 その間、インターネットの高速化が進み、多くの人がネットの住人となり、ホームページやブログを持ち、SNSなどで自ら情報を発信するようになる。デジカメの進化、普及とネットの一般化の同時進行が現在の写真文化を形作ったことは間違いない。ネットの普及がなければカメラがフィルムであろうとデジタルであろうと、もっと閉ざされたものでしかなかったはずだ。
 この間にどういう写真家がデビューして、アマチュア写真はどんな影響を受けて、写真はどのように変遷していったのかといったことについては、いずれ回を改めて書いてみたいと思う。今回は触れないでおく。

 現在、私たち一般人は、情報なり、知識なり、物語なり、作品なりをただ一方的に受け取るだけの側ではなくなった。受け手であり同時に発信者にもなった。無名という安全地帯に身を置きながら。それは悪いことではない。いや、ある意味では悪いことでもある。
 送り手、与え手になりたいという強烈な意志といったものが希薄になってしまったことが結果として全体的な作品の質を落とすことになっているからだ。かつては有名人、もしくはプロにならなければ自分の作品を世の中に出すことが難しかった。だからこそよい作品を生み出すために努力もしたし、必死にあがきもした。それが質の高い作品につながったということがある。言い方を換えると、かつては質の高い写真しか表に出ることを許されなかった。今は可能性や裾野は広がったけど、頂点は低くなってしまった。多様にはなったけど、写真の本質から遠ざかっているように感じる。
 求める側も、本当に良いものに対する飢えや渇きが弱くなったことで、需要と供給のバランスが崩れてしまった部分がある。簡単に自ら発信できることでそれなりの満足感が得られてしまい、同時に求める作品の質も低いものになってしまったのではないだろうか。食べ物が溢れる飽食の時代といったものが、写真界にも起きている。

 少し話がとりとめもなくなった。最初に戻すと、私たちは今一度、写真を発信するということについて内省する必要があるのではないかということが言いたかったのだ。日常の報告といったようなものではなく、もっと高品質の写真作品を提供する義務があるのではないかと。
 誰でも発信できるから自分ひとりの責任は軽いように感じているけど、本当はそうじゃない。プロであるとアマチュアであるとに関わらず、写真家のひとりとして発信する写真の質を更に高めていく努力をすべきだと私は思う。自戒を込めて。
 誰でも写真を撮れる今だからこそ、自分にしか撮れない写真を持っていることに価値が生まれる。独りよがりではなく、自分勝手でもない、共有、共感を目指し、写真によって今より少しだけでも豊かで、幸せな関係性を築くことができると信じたい。
 良い意味でも悪い意味でも、もはや写真を個人的な趣味として楽しんでいられる季節は終わった。デジタル写真、ネット時代のキーワードは共有だ。写真は送り手が受け手に向けて与える一方通行のものではなくなった。
 日々無数の写真がネットの海にあふれかえるようになった今、もう一度写真のあり方について真剣に考える時期にきているのではないか。次の10年、20年に向けて。
 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ル・シュプレーム/メゾン・カイザー

パン屋(bakery)
ル・シュプレーム店舗

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋を代表するパン屋のひとつ、ル・シュプレーム(Le Supreme)。早く行かなくてはいけないと思いつつ、栄生(さこう)という場所柄、なかなか行けずにいた。自転車で行くには遠いし、わざわざバスと鉄道を乗り継いで行く気にはなれず、ついでに寄るようなところもでない。それでも一度は行かなくてはいけないのだからということで、思い切って自転車で向かうことにした。やはり遠かった。
 名鉄栄生駅の南口を出てすぐ目の前に店はある。評判が抜群にいいパン屋ということでどんな店だろうとあれこれ思いをめぐらせていたのだけど、思いがけず地味な店でちょっと驚いた。店の外観も中も小さく、いたって普通の町のパン屋さんという風情だ。この飾らない感じがかえって好印象だったりもしたのだけれど、評判を知らずにたまたま見つけて入った人がいたとしたら、この店が高い実力を持ったパン屋だと気づく人は少ないかもしれない。
 名古屋のパン好きの人にアンケートをとったらおそらくベスト3には入ってくるだろうと思われる。食べログの名古屋版では、スーリープーに続いて2位となっている(3位はテーラテール)。お店のオープンは2007年の春というから今年で10年目ということになる。
 栄生の本店の他、名古屋駅ビルのJR高島屋の地下2階にも支店がある。鉄道を利用している人や県外の人などはそちらの方が買いやすいだろう。パンは本店から日に何度も運び込んでいるそうだから、名駅店でも大きく味が落ちるということはなさそうだ。駅でいうと栄生駅は名鉄名古屋駅のひとつ隣だ。



山食とパン・ド・ミ

 次にいつ行けるか分からないので、山食パンとパン・ド・ミを半分ずつ買った。値段は安くはないけど高くもない。標準的なものだ。
 袋に入れて肩から提げて持ってきたのだけど、家に着いたら形が崩れていた。それだけパンが柔らかいということだ。
 美味しいパンは見た目からして美味しいのが分かる。持った感じや香りからも。
 個人的な好みとしては、山食の方が断然美味しかった。パン・ド・ミはさほど印象的ではなかったのだけど、山食はとても気に入った。
 2口、3口と食べ進みながら、これ旨いなと、思わずパンをしげしげ眺めてしまったくらいだ。美味しい食パンはいろいろあるけれど、ここの山食は半分を過ぎて最後まで旨さが続く。それは他にはちょっとない。マイ・ベストワンのポルカと同等かそれ以上かもしれない。さくっとした食感と口どけの良さ。風味豊かでほのかな甘さと旨みが口に広がる。
 どうして美味しいのかと考えてみると、たぶん全体のバランスが絶妙なのだと思う。物足りなさがなく、過剰でもない。ちょうどいいところでまとまっている。もし自分がパン職人だったとしたら、この食パンを前にして、どうしたらこんなのが作れるんだろうと考え込んでしまうんじゃないだろうか。
 それに対してパン・ド・ミはわりと平凡というか普通の美味しさにとどまっているように感じられた。山食が好きという個人的な好みが大きいのかもしれないけれど。
 口コミの評判が自分にとっても絶対というわけではないにしても、大勢に指示されるには確かな根拠がある。ル・シュプレームの評判の高さには大いに納得した。私としても安心してル・シュプレームはおすすめできる。
 次の機会があれば、食パン以外のパンも買って食べてみたい。問題は家から遠いことだ。

 お店の地図
 8時~19時
 定休日 月曜



メゾンカイザー

 地下鉄東山線の池下駅近くのおしゃれタウン、ナゴヤセントラルガーデンの中にあるパン屋さん「メゾン・カイザー」。
 ある意味ではル・シュプレームと対極にあるパン屋といっていいかもしれない。
 ル・シュプレームが個人商店とすれば、メゾン・カイザーは世界的な大手チェーンだ。皇帝という名前からして威圧してくる。
 本店をパリに持つ有名店で、日本では高輪や神楽坂、東京ミッドタウン、たまプラーザ、あべのハルカスなど、全国のおしゃれな街に支店を展開している(パリのエリック・カイザー氏が直接関わっているわけではなく、ライセンスみたいな形)。名古屋では池下と名古屋駅の高島屋にある。池下の名古屋店のように地上に独立した店舗を持っているところは少ないようだ。
 ナゴヤセントラルガーデンというのがどういう性質の街なのかはよく知らないのだけど、集まっている店の顔ぶれがラ・ベットラ・ダ・オチアイやらフォルテシモアッシュやら賛否両論やら成城石井やらとくれば、名古屋のセレブタウンというコンセプトで作られたものなのだろうと想像がつく。かつてこの場所はJRの社宅が並んでいたそうだ。
 池下はそれほどおしゃれな街という印象がなかったのだけど、近年ずいぶん様変わりした。



メゾンカイザーの食パン

 見よ、この高級感漂う食パンの姿を。見た目だけでまいりましたと降参しそうになる。
 お値段はさすがにそこそこ高い。でも、食パンなのでそれほど高いわけでもない。けっこう大きいので、かえって割安といえなくもない。
 ハードの山食ということで、ざくっとした歯ごたえがある。持つと重量がある。ただ、中は柔らかさとしっとりしている。
 最初、少し物足りないかなという感じがするのだけど、食べ進むうちにあとから旨みが追いかけてくる。これはかなり美味しいかも。かもじゃなくて確かに美味しい。そのあたりは当然ながら計算済みなのだろう。
 王者の貫禄というか、圧倒的なブランド力というか、美味しさにねじ伏せられてしまうような感覚がある。
 表面にまぶしてある白い粉の正体はよく分からない。見た目は粉砂糖っぽいけどもちろん違う。見た目の美味しさという点ではこれも一役買っている。

 メゾン・カイザー名古屋のWebサイト
 メゾン・カイザーのHP 
 お店の地図
 9時~20時
 定休日 不定休


 店構えも、コンセプトも、パンの見た目や思想もまったく違うふたつの食パンだけど、それぞれに美味しさがあって、単純に優劣がつけられるわけではない。どの店にもそれぞれの個性があって面白い。食パンだけでもそうなのだから、他の菓子パンや総菜パンも食べ比べようとすればとりとめがない。
 なにはともあれ、ようやくル・シュプレームに行けてほっとしている。名古屋のパン屋を語る上では絶対に外せない店だから。
 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅はまだまだ続く。
 

道行き風景 ~季節が移ろう

日常写真(Everyday life)
民家と鯉のぼり

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 ゴールデンウィークも後半から終盤へ。今日はこどもの日だったけど、特に何もなく通常通り。連休はとりあえず無事にやり過ごしたい。
 藤はほとんど撮れないままあっけなく終わった。街路樹のツツジもだいぶ花を落とした。今年はバラも早そうだから、そろそろ様子を見にいった方がいいかもしれない。
 季節はあっけなく過ぎていくものだと毎年思う。毎年のことだから驚くことはないのだけど、やっぱり毎年驚いてしまうのだ。



道ばたの車輪とタンポポ




川遊びの子供たち




ショベルカーと解体中の家




氷ののれんと菜の花




東山動物園の観覧車と桜




星ヶ丘交差点のイチョウの青葉




ショベルカーと菜の花




自転車の選挙カー




押した布団と成った実




アパートからトラ猫

 

長久手の景行天皇社に参拝する

神社仏閣(Shrines and temples)
景行天皇社西鳥居




 今回は愛知県長久手市にある景行天皇社を紹介します。
 リニモのはなみずき通駅の東300メートルほどのところにその神社はある。
 応神天皇を祀る八幡神社を除くと天皇を祀る神社は意外と少ない。更に天皇の名前のついた神社となるともっと数は少なくなる。景行天皇はヤマトタケル(日本武尊)の父親に当たる第12代の天皇だ。
 伝わっている話によると、ヤマトタケルの東征ののち、父・景行天皇がその跡地をめぐる旅に出てこの地に立ち寄った際、有力豪族の石作大連が斎殿を建てて天皇を迎えたことに始まる。
 平安時代前期の837年、斉藤氏がその跡地の長湫根ノ神に神社を創建したという。
 その後、大久手、枯乎良岐と移る中で造営が進み、小牧長久手の戦いの舞台となったり、家康が戦勝祈願で太刀を奉納したりといったことがあったようだ。
 現在地に移されたのは江戸時代に入ってからの1609年とのことだ。
 この神社は、「延喜式神名帳」に載っている尾張国山田郡の和爾良神社の候補のひとつとされている。
 平安時代当時の春日部郡と山田郡の境界がはっきりしていないこともあって、どこが山田郡の和爾良神社かは特定されていない。春日井市の和爾良神社春日井市の朝宮神社名東区の和爾良神社名東区の神明社、景行天皇社、春日井市の両社宮神社、天神社あたりが候補社といわれている。もし現在の春日井市全域が春日部郡だとすると、春日井市のものは違うということになる。



正面南鳥居




拝殿下の広場と階段




神馬




奉納者名簿




拝殿




拝殿と参拝者

 祭神は、大帯日子淤呂和氣命(オオタラシヒコオシロワケノミコト)こと景行天皇。
 古くは三社明神と称して、景行天皇社の左右に神明社と白山社を祀っていたという。
 社殿はさほど古いものではないものの、銅板葺でなかなか立派だ。
 入り口から見るとなんとなく軽そうな感じなのだけど、奥へ進むほど雰囲気が出てくる。



お供えの酒




拝殿に当たる光と影




境内社

 境内社に神明社、白山社、津島社がある。



おみくじ結び

 秋の10月15日は警護祭りが行われる。鉄砲隊が出たり、棒の手が奉納されたりするようだ。
 
【アクセス】
 ・リニモ「はなみずき通駅」下車。徒歩約8分。
 ・無料駐車場 あり
 
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