月別:2016年04月

記事一覧
  • 写真ノート<18> ---写真断想(2)

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 写真を撮る行為は、現地へ行けない人の代わりに行って、おみやげを買って帰ってくるようなものだ。こちらが買いたいおみやげと、渡された相手が喜ぶおみやげは必ずしも一致しない。どちらを優先させるべきかといえば、やはり渡される側であるべきだろう。納得できなくても仕方がない。 それが嫌なら相手が欲しがる以上のものを持って帰ってくればいい。言い換えるなら、期待を裏切らな...

    2016/04/30

    写真ノート(Photo note)

  • 八事山興正寺で表彰式に出る 2016年

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm ゴールデンウィーク初日は八事の興正寺へ行くというのがここ数年続いている。フォトコンの表彰式があるからだ。 初めて応募して入選したのが2011年で、興正寺フォトコンテストとしてはそのときが第二回だった。2012年、2013年と入って、2014年は落選した。去年の2015年も入って、また今年もということで今回で5回目ということになる。 ローカル・フォトコンというこ...

    2016/04/29

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 海上の森、4月終わりの新緑の頃

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 新緑を求めて4月終わりの海上の森を歩いてきた。 今回は南エリアの池コースにした。海上の森センターのある入り口から入って赤池まで行って引き返し、湿地に回るというコースだ。夏場の虫を撮るときはこの道を行くことが多い。 今の時期、写真としては撮りどころがあまりないのだけど、新緑に包まれた森の新鮮な空気をたっぷり味わってきた。森歩きは4月の終わりから5月いっぱいくらい...

    2016/04/28

    森/山(Forest/Mountain)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ぱんやさんkiki/ララ・セサミ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅。今回は名古屋のお隣、尾張旭市の2軒のパン屋さんを紹介したい。 尾張旭といえば以前紹介したポルカが一番のお気に入りなのだけど、他にもちょっといいパン屋があるのだ。 まずは「ぱんやさんkiki」さんから。 名鉄瀬戸線の尾張旭駅や市役所があるところから少し南へ下った瀬戸街道沿いにその店はある。 店の外観はあまりパン屋らしくない。目立つ...

    2016/04/27

    パン屋(bakery)

  • 守山区下志段味にいいレンゲ畑がある

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm / 60mm F2.8 守山区下志段味にレンゲ畑がある。 2015年の去年、初めてその存在を知って二度撮りにいった。今年は全体的に花の開花が早いから少し早めの4月12日に出向いていったらいかにも早すぎて全然咲いていなかった。少し間を空けて今日26日にもう一度行ってみたところ、今度は少し遅かった。一番よかったのは20日から23日くらいだっただろうか。 レンゲ畑の地図...

    2016/04/26

    花/植物(Flower/plant)

  • 長久手熊野社と大草城跡

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4冬の間にめぐった神社の写真が在庫になっている。その中から今日は長久手市にある熊野社を紹介したい。 以前書いた長久手の岩作御嶽神社から見て1キロほど東北の大草杁ノ洞(いりのほら)にその神社はある。かつて大草城があった場所の跡地で、現在は大草地区の中心部に位置している。西から入っていこうとしたら道を間違えてしばらくさまようことになった。大草交差点から東へ進んで、...

    2016/04/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 写真の殿堂、終了(と思わせて)

     アサヒカメラ.netの写真の殿堂が2016年4月をもって終了した。 その最終回に「砕ける」が入選した。 写真の殿堂が始まったのが2009年の11月。 審査員は、今は亡き大山高さんだった。 それから一年余り経った2010年の12月、大山さんは49歳で急逝することになる。 2009年、2010年当時の私はといえば、まだまだ全然へたくそで、たまにカメラ雑誌のフォトコンに入選するくらいで、写真の殿堂は遠い目標でしかなかった。初めての...

    2016/04/24

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 3品+卵焼きサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は久々の4品だった。単に卵焼きをまた作りたかったからその分が追加されただけなのだけど。 そろそろゴールデンウィークも近いというのにまったく予定が立っていない。今年くらい予定のない年はないくらいで、今のところほぼ平常通りに過ごすことになりそうな気がしている。イベントへの参加もない。毎年、年のはじめはもたついても桜あたりからだんだん加速していく...

    2016/04/24

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<17> ---写真表現は機会である

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 どうしたら写真が上手くなりますか? という素朴な問いかけに対する決定的な回答はまだ誰も見つけられていない。今後も見つかることはないだろう。 それは、いい写真の価値基準が人それぞれで、出発点も目的地もみんなバラバラだからだ。我々はひとりの船頭が舵を取るひとつの船に全員が乗り合わせているわけではない。写真の役割も一種類ではない。 それでもなお、いい写真ってなん...

    2016/04/23

    写真ノート(Photo note)

  • プレイバック東山植物園 ---まだ冬の頃

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 季節が春から初夏へと向かう中、冬の在庫写真がまだけっこう残っている。すでに季節外れとなってしまったけれど、このまま置いておいてもますます古びてしまうだけだから、折を見て少しずつでも出していくことにしたい。 というわけで今日は、プレイバック東山植物園をお送りします。季節はぐっと戻って冬。ようやく春先の花が咲き出した1月のこと。 ...

    2016/04/22

    植物園(Botanical garden)

  • 道行き季節の風景 ~桜のあと

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 桜が終わると街も一気に新緑が進んで明るくなる。まだ汗ばむほどではないけれど、初夏ももう近い。そうこうしてると来週末はゴールデンウィークだ。早くも藤が見頃を迎えたというニュースも届いている。 今日は道行き季節の風景をお送りします。 ...

    2016/04/21

    日常写真(Everyday life)

  • 売木村の桜風景に出会う<後>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm / 60mm F2.8 昨日の続き、売木村桜風景をお送りします。 ここ数日、けっこう風が強いし、明日は雨というから、売木の桜もそろそろ終盤だろうか。今週末まではいい状態が持たないかもしれない。 名前のついた桜の木の下にはたいてい石塔があった。名前の由来となっているものもあって、これは三太夫の桜という。明治に三太夫という人が行き倒れてここに埋葬されたと...

    2016/04/20

    桜(Cherry Blossoms)

  • 売木村の桜風景に出会う<前>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 長野県下伊那郡売木村(うるぎむら)。長野県の南端、愛知県の北東にある茶臼山を超えてすぐのところにその村はある。標高900メートル前後。人口約600人の集落だ。 売木村の地図 訪れるまでその村の存在自体知らなかった。しだれ桜が名物で、一部ではよく知られているという。 今年は桜をあまり撮れないまま終わってしまったと嘆いていたら、思いがけずもう一度桜...

    2016/04/19

    桜(Cherry Blossoms)

  • 道ばた落ちもの風景 ~冬から春へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道ばた落ちもの風景をお送りします。 冬の終わりから春にかけて、冬物の落ちものが多くなる。特に手袋は多い。私も毎年のようにどこかで片方を落としていたのだけど、今年はなくさずに済んだ。道に落ちた片方の手袋も、手元に残った片方の手袋も、両方もの悲しい。いっそのこと、両方落としてなくしてしまった方がすっきりするくらいだ。 春が進むにつれて冬の落とし物は少なく...

    2016/04/18

    日常写真(Everyday life)

  • 卵焼きサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理のメインは卵焼きだった。 卵焼きなんて誰でも簡単に作れると思っていたら実はすごく難しいことを知って考えを改めることになった。前回作ってみてあまりにもできが悪かったので、今回はYouTubeの動画を見てしっかり勉強してから再挑戦してみた。 がしかし、理想の卵焼きにはまだ全然遠かった。やっぱり卵焼きは難しい。それなりのものは作れても、ふんわりぷるぷる...

    2016/04/17

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<16> ---好きな写真集(1)

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 川内倫子のファースト写真集『うたたね』は一番好きな写真集ではないけれど、一番影響を受けた写真集といえばこれになる。 写真集というと、ひとつのテーマを決めてそれに沿った内容の写真を撮って一冊にまとめたものという固定観念を打ち砕いてくれた。写真ってこんなに自由でいいんだと目が覚めるような思いがした。私のブック「名もなき風景の声を聞け」は、この写真集との出会いが...

    2016/04/16

    写真ノート(Photo note)

  • 東山植物園便り ---春も半ばを過ぎて

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 季節は進んで春も中盤から後半へ。 前回の東山植物園行きは3月前半だったから、一ヶ月ほど間が空いてしまった。季節は大きく移り変わっていた。 あのときは早咲きの河津桜が見頃だった。ソメイヨシノを通り過ぎてサトザクラになっていた。今シーズンは春の一番いい季節を逃した。 4月の半ばは、春と初夏の中間で、意外と見頃の花は少ない。シロチョウやキチョウなどは飛んでいるものの...

    2016/04/15

    植物園(Botanical garden)

  • 冬の道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 4月半ばというのに早くも夏日の名古屋。桜はすっかり散って葉桜になった。 この春は何もかもあまり撮れないまま月日が過ぎ去った。季節は晩春から初夏へと向かう。 冬場はちょこちょこ出歩いていたので、写真の在庫がけっこうたまっている。今日は冬の写真をまとめて出してしまうことにする。 冬の道行き風景をお送りします。 ...

    2016/04/14

    日常写真(Everyday life)

  • 守山城跡をたずねる

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋市守山区市場にかつてあった守山城。矢田川に架かる瀬戸街道の矢田川橋の少し北あたりだ。 以前紹介した市場白山神社から見て200メートルほど西のあたり。 現在、アパートの裏手にちょっとした高台があり、城跡の石碑が建っている。堀の跡などの遺構もわずかに見られる。 好きこのんでこんな場所を訪れるのはよほどの歴史好きくらいだろう。しかし、ここは戦国の歴史の中で小...

    2016/04/13

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 ...

    2016/04/12

    日常写真(Everyday life)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---バゲット ラビット/テトラコンタ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊の食パンめぐり、今回は名古屋でけっこう評判がいい2軒のお店を紹介します。 まずは「バゲット ラビット(baguette rabbit)」さんから。 初めて訪れたのは今年の1月で、貼り紙に2月に店が移転するとあったので、新店舗ができたらもう一度行こうと思っていたらけっこう時間が経ってしまった。 上の写真は千種区千代が丘にあった旧店舗の様子だ。市バスの猪高車庫の近...

    2016/04/11

    パン屋(bakery)

  • ちょっと明るめ春サンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は、けっこう明るい感じの仕上がりになった。黄色はやや茶色に近くなっているものの、赤と緑がある分、華やかな印象になっている。シズル感もある。見た目がいいと食欲も増す。 名古屋の桜はほぼ終わった。まだ残っている花はあっても、撮るにはもう手遅れだ。 各地で様々な祭りやイベントが行われているけど、今週末も撮りに出ることはなかった。4月はほとんど何も...

    2016/04/10

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<15> ---フォトブック「a life」のこと

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他 フォトブック「a life」は、富士フイルムのフォトコンに応募するために作ったもので、個人的な作品集としては3冊目に当たる。フジコンには落選して(選考テラウチマサト)、「フォトテクニックデジタル」の私的写真集選手権で入選した。2014年から2015年にかけてのことだ。 選者のひとり「フォトテクニックデジタル」の編集長・藤井貴城氏は「ナイーブな視点」と評した。私はガーデ...

    2016/04/09

    写真ノート(Photo note)

  • 名残の雨桜 ~香流川

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 雨の日の桜もいい。水たまりに映る桜風景も好きだ。 今年最後になりそうな桜撮りは、雨の香流川だった。 ...

    2016/04/08

    桜(Cherry Blossoms)

  • 桜終盤のモリコロパーク行き

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 PLYMPUS 60mm / 9-18mm モリコロパークへ。 ギフチョウ目的だったのだけど、ついでに桜も撮れたらいいなと考えていた。 しかし、どちらもタイミングがよくなかった。ギフチョウには少し早すぎで、桜にはやや遅すぎた。ギフチョウは一度も姿を見せてくれなかった。好物のコバノミツバツツジはよく咲いていたのだけど。 どうせならもう一週間待ってから行けばよかった。その頃にはギフ...

    2016/04/07

    桜(Cherry Blossoms)

  • 桜行き ~尾張旭から瀬戸へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今回は尾張旭から瀬戸方面にかけての桜風景をお送りします。 今年はあらたな桜ポイントを発見しようと思っていたのに、結局、いつもの年と同じ場所をめぐるだけになってしまった。それはそれでいいのかもしれないけれど。 ...

    2016/04/06

    桜(Cherry Blossoms)

  • ご近所桜めぐり

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 カメラを始めて今年くらい桜を撮らなかった年はない。忙しかったわけでも、時間がなかったわけでもなく、個人的な事情がいくつか重なって、気持ちが桜へ向かわなかった。 そうこうしているうちに見頃を迎え、満開を過ぎ、名古屋の桜はかなり散り始めた。 これではいけないと気を取り直して、少しだけ近所をめぐってきた。晴れるのは明日までで、あさっては春の嵐になると予想されてい...

    2016/04/05

    桜(Cherry Blossoms)

  • 街の風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き街の風景をお送りします。 ...

    2016/04/04

    日常写真(Everyday life)

  • 元に戻ったサンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 先週は少し春らしさがあったサンデー料理。たった一週で春らしさはなくなり、元に戻ってしまった。いつもの顔ぶれ、いつもの味付け。 このまま春は終わってしまうのか。今週末は桜も行けず。「マグロのグリル焼き」 マグロは今回もグリル焼きにした。これが定番として定着した。少し火を入れすぎたか。 甘辛しょう油だれにとろみをつけたら、カタクリ粉の量が多すぎた。水溶きカタクリ...

    2016/04/03

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<14> ---写真断想

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他 雰囲気のない写真は好きじゃない。 雰囲気だけの写真は嫌いだ。 小さな悲しみを拾い集めて、悲しみではないものに変換する作業。 徒労でも撮ろう。それが合い言葉。 本当と嘘の境目で、見る人の感情をゆさぶっていくのが写真の役割。 大事なのはリアルであることではなく、リアリティだ。 その時、その場に、カメラを持って居るということ。 しごくあたり前なのだけど、写真...

    2016/04/02

    写真ノート(Photo note)

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写真ノート<18> ---写真断想(2)

写真ノート(Photo note)
名古屋城と藤棚

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真を撮る行為は、現地へ行けない人の代わりに行って、おみやげを買って帰ってくるようなものだ。こちらが買いたいおみやげと、渡された相手が喜ぶおみやげは必ずしも一致しない。どちらを優先させるべきかといえば、やはり渡される側であるべきだろう。納得できなくても仕方がない。
 それが嫌なら相手が欲しがる以上のものを持って帰ってくればいい。言い換えるなら、期待を裏切らないか、期待を上回るかの二択ということになる。





傘とビール

 写真はある程度、見る側の人にゆだねるしかない部分がある。一枚の写真ですべては説明できない。
 丸投げは無責任過ぎて駄目にしても、撮り手と受け手の共同作業の部分はある。
 作品と呼ばれるものの多くはそうなのだけど、写真は受け手が補完しなければいけない部分が多い表現形態だと思う。




雑誌と車

 考えて撮れというけど、考えるのは前日の晩までに済ませておかなければいけないことだ。当日に現場で考えながら撮っているようでは間に合わない。
 現地では、何も考えず、感じて、反応して撮るだけだ。野球のバッティングやサッカーのシュートと同じように。
 考えながら撮るのが一番いけない。




草むらとブラウン管

 写真は思考や感情を内包できる。
 言葉で説明しなくて済むのがいいところだ。
 ときに文章より雄弁に語ることがある。
 けど、だからといって理解してもらおうとする努力を怠っていい訳ではない。言葉で説明できない分、きちんと写真で説明する必要がある。
 撮り手の意志を受け手に伝えることは、そんなに簡単なことじゃない。
 曲解されることは結果であって、最初からどんなふうに取られてもいいと考えるのは表現の放棄に等しい。




アイ最後の一枚

 自分にとって切実なものを撮らないと、本当のことは写らないような気がする。
 被写体への共感が本物か偽物かは見る人に伝わるものだ。
 ささやかで取るに足りないような小さな写真だとしても、まずは切実でなければならない。




集合住宅の今昔

 私がどんな思いを込めて、どんなつもりで写真を撮っているかなどということは大して重要なことではない。
 見た人が何を感じたかがすべてだ。
 写真表現において、こちらの思いを押しつけてはいけない。




スリッパと光

 ドキュメンタリーと作りごとの境界線上にこそ、写真の真実や意義がある。
 現実そのものでも、空想に走りすぎても、つまらない写真になってしまう。
 現実をそのまま描きたければ映像でいいし、空想を描くなら絵画でいい。写真には写真にしかできないことがある。




水たまりと赤いバイク

 写真は偶然の要素があるから好きだ。
 自分の計算や思惑を超えたものがときに写る。
 そこが写真の面白であり、難しさであり、一番の喜びでもある。




スズメの死

 対峙しすぎると、被写体と撮影者とが一対一の関係に陥って鑑賞者の入り込む余地がなくなってしまう。その関係が濃密になればなるほど息苦しい写真になる。
 撮り手と被写体と受け手がきれいな三角形を描く写真が好きだし、そういうのを撮りたいと普段から思っている。




牡丹

 内面と外見の両方を磨かなければ本当の輝きを得られないのは、人も写真も同じ。
 

八事山興正寺で表彰式に出る 2016年

フォトコン・写真(Photo Contest)
五重塔と大仏

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 ゴールデンウィーク初日は八事の興正寺へ行くというのがここ数年続いている。フォトコンの表彰式があるからだ。
 初めて応募して入選したのが2011年で、興正寺フォトコンテストとしてはそのときが第二回だった。2012年2013年と入って、2014年は落選した。去年の2015年も入って、また今年もということで今回で5回目ということになる。
 ローカル・フォトコンということで応募数はそれほど多くないだろうから入るのは難しくないのかもしれないけど、馴染みのある場所の小さなフォトコンは大事にしたいと思っている。森林公園とか、愛知の公園フォトコンとか。
 興正寺は四季折々の風景があって、季節を変えて行くと撮るものがいろいろあるから楽しい。今回入選したのは、初夏のアジサイを撮りに行ったとき、川で子供たちが遊んでいる風景を撮ったものだ。この小川にゲンジボタルの幼虫を放していて、夏には蛍が飛ぶ風景も見られるようだ。それはまだ撮ったことがないので、一度撮りたいと思っている。
 興正寺は千燈供養のポスターに使う写真を提供させていただいていることもあって、そこそこ長いつきあいになってきた。いいご縁をいただいたので、今後も大事にしていきたい。秋に行われる千燈供養会は今年も必ず行くつもりでいる。




表書状授与

 写真の展示は5月8日(日)まで行われているので、お立ち寄りの際は見てやってください。




春まつり

 例によってこの日は境内で八事の森の春まつりが開催されていた。フリマや屋台などが出て、いつものように賑わっていた。




本堂の屋根と飛行機雲





五重塔と新緑





お堂へ続く階段





牟尼殿と祈り





女子高生たち

 

海上の森、4月終わりの新緑の頃

森/山(Forest/Mountain)
新緑の木々

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 新緑を求めて4月終わりの海上の森を歩いてきた。
 今回は南エリアの池コースにした。海上の森センターのある入り口から入って赤池まで行って引き返し、湿地に回るというコースだ。夏場の虫を撮るときはこの道を行くことが多い。
 今の時期、写真としては撮りどころがあまりないのだけど、新緑に包まれた森の新鮮な空気をたっぷり味わってきた。森歩きは4月の終わりから5月いっぱいくらいが一番気持ちがいい。虫撮りなら6月7月だ。
 今日はそんな4月終わりの海上の森風景をお届けします。




第一赤池





ミツバツツジ





ハルリンドウ





カナヘビ





ヘビイチゴとハナアブ





モミジ青葉





小川の流れ





野田藤





池の新緑





森の道

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ぱんやさんkiki/ララ・セサミ

パン屋(bakery)
kiki外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅。今回は名古屋のお隣、尾張旭市の2軒のパン屋さんを紹介したい。
 尾張旭といえば以前紹介したポルカが一番のお気に入りなのだけど、他にもちょっといいパン屋があるのだ。
 まずは「ぱんやさんkiki」さんから。
 名鉄瀬戸線の尾張旭駅や市役所があるところから少し南へ下った瀬戸街道沿いにその店はある。
 店の外観はあまりパン屋らしくない。目立つ黄色い看板がなければ美容院か何かと思って素通りしてしまいそうだ。
 駐車場は店の東側に5台分あるようだ。
 食べログなどの評価もなかなか高いので、前から気になっていたのだけど、月曜、火曜定休というのは私にとっては一番やっかいなパターンで、なかなか行けずにいた。それにしても、最近は週休二日のパン屋さんが多くなった。




kiki

 何種類か食パンがあって少し迷いつつ、お店オススメの「まほうの食パン」というのを買ってみた。kiki印の焼き印がかわいい。
 サクサク食感でちょっと独特だ。あまり他に似ている食パンを知らない。またしばらくしたら食べたくなりそうだ。
 次はスタンダードな食パンを買ってみたい。それを食べないとまだ判断ができない気がする。

 ぱんやさんkikiのFacebook
 お店の地図
 10時~19時
 定休日 月曜・火曜




ララ・セサミ

 つづいて紹介するのは「ララ・セサミ」さん。
 kikiから少し北へ行った旭中学のそば、やや道から引っ込んだところにあるので見つけづらいかもしれない。
 いかにも町のパン屋さんという風情で、家庭的なぬくもりが感じられて、この店は好きだ。尾張旭にはいいパン屋が3軒ある。




山食パン

 今回選んだのは山食パンだった。四角と山とあって、どちらか一方しか選べないときは山を選ぶことが多い。これは好みの問題だ。
 突出したところはないけど、全体のバランスがよくて好印象だった。食感はやや軽め。
 高い値段をつけているところは美味しくて当たり前と思ってしまう。手頃な値段で普通に美味しいパンを提供することはそう簡単なことではないはずだ。美味しい食パンのチャンピオンを決めるためにパン屋めぐりをしているわけではないし、美味しい食パンならいくら払っても惜しくないといった意気込みも持ち合わせていない。もちろん、前提として美味しい食パンを見つけたいというのはあるにしても、それ以上にいいパン屋さんに巡り会いたいという気持ちの方が強い。パン屋さんはパンの味がすべてだとは思っていない。

 お店の地図
 8時~19時
 定休日 日曜




モンタナ・ベーカリー外観

 モンタナ・ベーカリー再び。
 以前訪れたときはまだ冬で、店の前の木々は冬枯れの光景だった。春の終わりに訪れてみると、すっかり緑を取り戻し、華やいだ雰囲気になっていた。店の外観と庭がよく合っている。




モンタナ・ベーカリー食パン

 前回買ったのは山食だったのだけど、今回買ったのは何だっただろう。すっかり忘れてしまった。前回とは違うものを選んだはずだ。
 いずれにしても安定の美味しさだった。ここは外さない安心感がある。
 海上の森へ行った帰りにしか寄ることはないだろうけど、チャンスがあればまた買いにいきたい。
 

守山区下志段味にいいレンゲ畑がある

花/植物(Flower/plant)
レンゲアップ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm / 60mm F2.8



 守山区下志段味にレンゲ畑がある。
 2015年の去年、初めてその存在を知って二度撮りにいった。今年は全体的に花の開花が早いから少し早めの4月12日に出向いていったらいかにも早すぎて全然咲いていなかった。少し間を空けて今日26日にもう一度行ってみたところ、今度は少し遅かった。一番よかったのは20日から23日くらいだっただろうか。
 レンゲ畑の地図
 今年も29日(金・祝)にイベントが開催されるようだ。私は行ったことがないのだけど、レンゲ摘みやハチミツの試食会などがあるそうだ。駐車場がないのでご注意を。
 今年は全体的に花の量が少なかったような気がする。去年地元の人と立ち話をしたら今年はいつもの年より少ないと言っていたのに、更に少なくなったということは年々減少傾向にあるのかもしれない。気候の問題も関係しているのだろうか。
 鯉のぼりの吹き流しがなかったのは少し寂しかった(追記:27日に設置されたようだ)。
 昔はどこの田んぼでもよくレンゲが見られたものだけど、それもだんだん少なくなった。こんな時代だから下志段味のレンゲ畑はなかなか貴重な存在だ。
 29日のイベントが終わると田んぼに機械が入ってレンゲは土に混ぜられてしまうので、見にいくならそれまでに。




れんげ畑





ゲンゲ





レンゲの花とトンボ





レンゲ絨毯





れんげ草





レンゲと土手と青空と飛行機雲





レンゲ畑と山並み

 

長久手熊野社と大草城跡

神社仏閣(Shrines and temples)
長久手熊野社社殿

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



冬の間にめぐった神社の写真が在庫になっている。その中から今日は長久手市にある熊野社を紹介したい。
 以前書いた長久手の岩作御嶽神社から見て1キロほど東北の大草杁ノ洞(いりのほら)にその神社はある。かつて大草城があった場所の跡地で、現在は大草地区の中心部に位置している。西から入っていこうとしたら道を間違えてしばらくさまようことになった。大草交差点から東へ進んで、南から入っていった方が分かりやすい。ただし、どちらから行くにしても道は狭い。
 ようやく見つけた西の入り口から入っていったら、やっぱり横入りになってしまった。最初に見えたのは神楽殿だろうか。本殿も含めて少し変わった様式の神社だ。社殿自体はさほど古そうではないものの、新しいというほどでもない。




熊野社南入り口

 いったん鳥居から出て、南入口から入り直した。
 それにしても、ここは偶然発見できるようなところではない。かなり奥まったところにあり、地図を見てここを目指していくか、呼ばれるかしないと見つけられない神社だろう。




永見寺

 すぐ右手に永見寺という曹洞宗のお寺がある。位置から考えても無関係とは思えない。江戸時代には神仏習合で合体していたのではないだろうか。
 熊野社はもともと八幡社だったという。創建年はよく分かっていないようだけど、寛文年間(1661~1672年)の覚書に記録があるそうだから、江戸時代の前期にはすでにあったことになる。
 明治新政府によって神仏分離令(神仏判然令)が出たのが1868年で、八幡社から熊野社に改称されたのが1887年(明治10年)。どういういきさつで八幡社から熊野社に変えたのか、そのあたりの詳しい事情は調べがつかなかった。





大草城跡

 神社の隣に、大草城跡の石碑がある。
 戦国期の大草城は東西約250メートルというけっこう大きな城だったようで、小牧長久手の戦いの舞台にもなっている。
 城の原型が作られたのは鎌倉時代初期というから古い。山田郡の地頭だった山田氏が居城を作ったのが始まりとされる。
 その後、うち捨てられていたものを戦国期に入って福岡新助が縄張りを広げて作り直したものを一般的に大草城と呼んでいる。
 一時、織田信長の家臣だった森長可(森可成の次男)がこのあたりの支配を任され、改修したという話もある。
 小牧長久手の戦いでは、秀吉軍の池田恒興・森長可が家康軍に敗れて討ち死にし、残った兵は大草城まで退却して城に立てこもった。その数は千名ほどだったという。そこへ家康軍が押し寄せ攻めかかっているときに秀吉軍の大軍がやってくるという話が伝わり、家康軍は撤退したといういきさつがあった。簡単には落ちない守りの堅い城郭だったようだ。
 大草城はその戦いのあと、廃城となっている。
 現在、神社の周辺や少し離れた公園近くに土塁や曲輪の遺構が少し残っている。




南の二の鳥居





紙垂の影





階段下より





社殿と本殿

 そういえば、同じ長久手にある神門前雨堤の神明社に社殿の造りが似ている。
 熊野社というから熊野三山のどこかから祭神を勧請したのだろうけど、そのあたりの詳しいこともよく分からない。
 どうして八幡社をやめて熊野社にしたのだろう。




狛犬と西日





名前板





熊野社

 長久手の神社めぐりにはまだ続きがある。
 

写真の殿堂、終了(と思わせて)

フォトコン・写真(Photo Contest)
写真の殿堂



 アサヒカメラ.net写真の殿堂が2016年4月をもって終了した。
 その最終回に「砕ける」が入選した。

写真の殿堂入選


 写真の殿堂が始まったのが2009年の11月。
 審査員は、今は亡き大山高さんだった。
 それから一年余り経った2010年の12月、大山さんは49歳で急逝することになる。
 2009年、2010年当時の私はといえば、まだまだ全然へたくそで、たまにカメラ雑誌のフォトコンに入選するくらいで、写真の殿堂は遠い目標でしかなかった。初めての入選は、後を受けた小林紀晴氏が審査を担当するようになった2011年の7月のことだ。その後は、年に1回入るのがやっとという状況が続いていた。
 小林紀晴氏も自身立派な仕事をしつつ誠実に審査に当たってはいたけれど、大山さんの審査は普通の写真家より二歩も三歩も踏み込んだものだった。応募者のプロフィールを確認し、応募作以外の投稿写真に目を通し、ブログやWebサイトのアドレスを辿って、それらを見た上で審査を行っていた。ときに褒め、アドバイスを与えて応援し、ときには厳しい口調で叱咤激励をした。写真の殿堂は単なるフォトコンテストではなく写真道場だと考えていると何度か書いている。アマチュアのフォトコンテストの審査に対してあれほど誠実に熱意を持って取り組んだ写真家を私は他に知らない。
 大山さんの言葉に励まされ、奮い立ち、写真行為のあり方を考え直すきっかけになったという人も少なくないはずだ。まさかたった一年で大山さんがいなくなってしまうなんて誰も思わなかったんじゃないだろうか。
 あれから5年とちょっと、生きていたらまだ54歳だ。写真家としてまだまだ仕事ができた年齢だし、写真の殿堂はライフワークのひとつとして続けていたかもしれない。大山さんが生きている間に一度でも入選して、私の写真に対する大山さんの言葉を聞いてみたかった。優しい言葉ではなく、厳しい言葉を。
 私が今書いている「写真ノート」の原点は、写真の殿堂の大山高さんの講評にあるといっていい。あの中で毎月熱く語られたいくつかの言葉を今でもはっきり覚えている。写真の殿堂に参加していた多くの人たちもきっとそうだろう。
 これまでの写真の殿堂はアーカイブ化されて保存されることになっていて読むことができる。あの当時は、そんな難しいこと言われても困りますという私だったけど、今なら大山さんが言わんとしていたことをそれなりに理解できるようになったと思う。大山さんの教えは、私を含めて多くの人の中で生き続けることになるはずだ。

 写真の殿堂は今回で終わってしまったけど、アサヒカメラ.netでは新しい形のフォトコンテストが始まるという。どんな形式になって、誰が審査を担当するのかはまだ発表されていない。誰がやるにしても私が望むのは、単に作品を選んで褒めるだけのフォトコンであってほしくないということだ。嫌われたり憎まれたりすることを厭わないことがフォトコン審査員の第一の資質だと私は思う。選ぶ写真にも、落とす写真にも責任を持ってほしい。応募者が聞きたいのは、選ばれた写真のどこがよかったかではなく、落とされた写真のどこがいけないか、なのだ。
「それでもF1は続いてゆくわけです」という今宮純さんの言葉を思い出した。アイルトン・セナが死んだのは1994年5月1日。明日4月25日は尾崎豊の命日だ。うちのアイは4月8日に逝ってしまった。
 春は死や別れにまつわる記憶が増えていく。サヨナラだけが人生、きっとそうなのかもしれない。
 
 追記
「写真の殿堂」は終わったと思ったら終わっていなかった。アサヒカメラ.netのフォーラムが終了しただけで、写真の殿堂そのものは続いていくようだ。審査も変わらず小林紀晴氏が担当する。
 なんとなく嬉しいようなそうでもないような、ちょっと複雑な気分だったりする。
 

3品+卵焼きサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は久々の4品だった。単に卵焼きをまた作りたかったからその分が追加されただけなのだけど。
 そろそろゴールデンウィークも近いというのにまったく予定が立っていない。今年くらい予定のない年はないくらいで、今のところほぼ平常通りに過ごすことになりそうな気がしている。イベントへの参加もない。毎年、年のはじめはもたついても桜あたりからだんだん加速していくものなのに、今年はローギアのままスピードが上がらない。なんかパッとしない変な年だ。
 でもまあ、調子がよかろうが悪かろうが時間はどんどん流れていくわけで、日々やれることをやっていくしかない。何も起きない日常のありがたみを思いつつ。




鯛の酢醤油がけ

「鯛の切り身の酢じょう油味」
 鯛の切り身を酒蒸し焼きにして、味ぽんやしょう油などを混ぜ合わせたソースをかける単純な料理。
 青い葉っぱなどがなかったので刻み長ネギをたくさん振りかけて彩りにしてみた。




タマネギとチーズ

「新タマネギの輪切り炒めチーズ和え」
 新タマネギを輪切りにして、オリーブオイルで焼いてタマネギステーキ風にしようと思っていたのだけど、焼いていたら形が崩れてしまったので炒めることにした。見た目は悪いけど味は変わらない。
 とろけるチーズを加えて混ぜ合わせ、粗挽きコショウを振る。ソースは、オリーブオイル、酒、みりん、しょう油、からし、マヨネーズをひと煮立ちさせて作った。




ジャガイモメインのサラダ

「ジャガイモがメインのサラダ風」
 ジャガイモ、ニンジン、アスパラ、カニかまをそれぞれレンジで加熱する。
 ごま油で和え、ごまドレッシングをかける。
 温野菜のサラダ風もけっこういける。




卵焼き

「卵焼き」
 懲りずに今週も卵焼きに挑戦した。しかし、今回もまた失敗に終わった。中身がぎゅっと詰まりすぎて、固くなってしまった。目指すふわふわの卵焼きには遠い。敗因は混ぜ方にあったのか、焼き方が悪かったのか、その両方か。
 まだまだ卵焼きの修行は続く。
 

写真ノート<17> ---写真表現は機会である

写真ノート(Photo note)
後ろ姿

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 どうしたら写真が上手くなりますか? という素朴な問いかけに対する決定的な回答はまだ誰も見つけられていない。今後も見つかることはないだろう。
 それは、いい写真の価値基準が人それぞれで、出発点も目的地もみんなバラバラだからだ。我々はひとりの船頭が舵を取るひとつの船に全員が乗り合わせているわけではない。写真の役割も一種類ではない。
 それでもなお、いい写真ってなんだろうと、誰にともなく問いかけずにはいられないのが写真をやっている人間の性というものだろう。あるいは、問いかけ続けることこそが唯一の正しい姿勢なのかもしれない。

 写真にゴールはない。奇跡的な瞬間を捉えて歴史に残る名作を一枚でも撮れたらそれ以上撮らなくてもいいなんてことはないし、写真集を何冊も出せば上がりというわけでもない。何枚撮ったら終わりというわけではないし、究極の写真などというものは存在しない。
 あえて言うなら、撮るものがなくなったらそれがゴールだろうか。
 具体的で現実的な目標を設定するということは悪いことではない。たとえばフォトコンテストに入選するとか、写真展を開くとか、写真集を出すとか、プロの写真家になるとか、そういったことがひとつの方向性を作ってくれるというのはある。
 趣味で写真を撮ってるだけで、今よりもう少し上手くなりたいといった人が大半なのかもしれないけど、そうだとしても、どうせやるからには本気で取り組まなければ面白くないし、自分の力の限界を知って、限界を超えてこそ、その先で見える世界というものがある。私たちは前へ進まなくてはならない。好むと好まざるとに関わらず。選択の余地はない。
 まだ見たことがない自分の写真が見たいと思えば、今日も撮り、明日も撮り、明後日も一年後も、十年後も撮り続けるしかない。
 今日本気を出せない人間が明日急に本気を出せるはずもない。まずは自分の本気度を自分自身に対して確かめる必要がある。これが本当に自分の限界なのかと。

 写真を撮るという行為は、自分の人生観にも関わってくる問題で、生きる姿勢や撮り手の人間力が試されているという自覚が必要だ。半端な写真しか撮れなければ、この世界を半端にしか見ていないことの証明になってしまう。何十年も生きてきて、その結果がこの程度の認識でしかないのかと問い詰められても言い訳はできない。
 自分はプロにないたいわけじゃないし、そんなに熱くなりたくもないと思うのは分かる。けど、写真というのは考えている以上に特別なものであり、表現という意味合いにおいてチャンスでもある。
 自分の感情なり思想なり価値観なり美意識なりを表現し、世界に向けて問いかけることができる人間は本来限られていた。小説家とか、歌手とか、画家とか、スポーツ選手とかそういった人たちだ。
 でも、私たちには写真という手段がある。絵は描けなくても、楽器は弾けなくても、詩は作れなくても、写真は撮れる。私たちに与えられた唯一の表現手段といっても大げさではない。もっとも簡単な方法ではあるけれど、安易に考えてはいけない。
 写真を手がかりに他者に向けて自分をぶつけていくことは決して無駄なことではないし、生やさしいことでもない。ここで本気を見せなくてどこで本気を出すというのか。
 きれいでかわいい写真でもそれはそれでかまわない。需要も供給もあり、幸福な関係性の中で完結する。でも、それだけで本当にいいのだろうか。
 私たちが撮る写真で世界が変わることはおそらくない。それでも、ひとりのささやかな表現者として何ができるだろうと考えることはできる。

 この時代に生きる私たちにとって写真は機会だ。誰もがカメラを持ち、インターネットを通じて世界に向けて発信できるチャンスがある。そのことの意味をもう一度よく考えたい。楽しいから写真をやっているというだけではもったいない。
 どうしたら上手くなるだろうとか、いい写真ってなんだろうという自問自答はあまり意味がないようにも思う。考えるべきことは、自分が本当に撮りたいものは何なのかということと、自分は写真表現で何ができるかということだ。それがきっと、出発点であり、目的地だ。
 もし私が先生であなたが生徒だとしたら、私はあなたにこう言うだろう。頼むから本気を出してくれ、と。それは、私が自分自身にかける言葉でもある。
 

プレイバック東山植物園 ---まだ冬の頃

植物園(Botanical garden)
散りサザンカ

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 季節が春から初夏へと向かう中、冬の在庫写真がまだけっこう残っている。すでに季節外れとなってしまったけれど、このまま置いておいてもますます古びてしまうだけだから、折を見て少しずつでも出していくことにしたい。
 というわけで今日は、プレイバック東山植物園をお送りします。季節はぐっと戻って冬。ようやく春先の花が咲き出した1月のこと。




水仙とスカイタワー





ドライフラワー





マンリョウ





椿





苔





パンジー





枯れ葉





梅一輪





ボケ





新芽

 

道行き季節の風景 ~桜のあと

日常写真(Everyday life)
平和公園の新緑

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 桜が終わると街も一気に新緑が進んで明るくなる。まだ汗ばむほどではないけれど、初夏ももう近い。そうこうしてると来週末はゴールデンウィークだ。早くも藤が見頃を迎えたというニュースも届いている。
 今日は道行き季節の風景をお送りします。




東山スカイタワー





新緑の桜並木と高校生





少年たちの自転車





ランニングの高校生





飛び上がる猫





寿司屋と藤





つつじが丘





西日と香流川





川の流れとコガモ





志段味のレンゲ畑

 

売木村の桜風景に出会う<後>

桜(Cherry Blossoms)
村の人

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm / 60mm F2.8



 昨日の続き、売木村桜風景をお送りします。
 ここ数日、けっこう風が強いし、明日は雨というから、売木の桜もそろそろ終盤だろうか。今週末まではいい状態が持たないかもしれない。




三太夫の桜

 名前のついた桜の木の下にはたいてい石塔があった。名前の由来となっているものもあって、これは三太夫の桜という。明治に三太夫という人が行き倒れてここに埋葬されたという話が伝わっているそうだ。「桜の木の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎だったけど、実際そういう桜の木も少なくないのかもしれない。死ぬならせめて桜の下でと願った西行のように。




三太夫桜





水仙と桜





大入りの桜

 大入りのシダレ桜。




ヒメオドリコソウ





川の風景





名もなき桜

 道ばたや民家の庭にも魅力的な桜がたくさんあった。




桜アップ





与助の桜

 与助の桜。
 与助というのは人の名前ではなく地区の名前だそうだ。




売木村風景

 田んぼに水が張られる頃もきっと素敵な風景だろうなと思った。
 さよなら売木村、またいつか。 
 

売木村の桜風景に出会う<前>

桜(Cherry Blossoms)
売木村風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 長野県下伊那郡売木村(うるぎむら)。長野県の南端、愛知県の北東にある茶臼山を超えてすぐのところにその村はある。標高900メートル前後。人口約600人の集落だ。
 売木村の地図
 訪れるまでその村の存在自体知らなかった。しだれ桜が名物で、一部ではよく知られているという。
 今年は桜をあまり撮れないまま終わってしまったと嘆いていたら、思いがけずもう一度桜を撮るチャンスに恵まれた。2016年の桜シーズンは延長戦の売木村行きの年として記憶に残ることになるだろう。
 小雨模様で空は白く、桜撮りにはあまり向かない条件ではあったのだけど、桜の花のタイミングとしては悪くなかった。満開を少し過ぎて散りかけているものもあった。
 前後編の2回に分けて売木村の桜風景をお届けします。




売木村

 最初に訪れたのは、宝蔵寺というお寺にある桜だった。
 少し離れた観音堂の桜とあわせて、売木村を代表する桜ということになる。
 村内には多くの桜が点在しており、しだれ桜が多い。ほとんどが住人によって植えられたもので、ヒガンザクラ系が大部分のようだ。代表的なものには名前がつけられており、もっとも古い観音堂の桜は樹齢140年といわれている。
 小さな村ではあるけれど、半日くらいかけてゆっくり歩いて回ってもいい。いい意味で観光地化されていないので、訪れる人もさほど多くないようだ。




太田稲荷

 太田稲荷神社の春の祭典でお練り祭りというのが行われるという。
 それにしても、神社の参道脇にお墓が並んでいるのは珍しい。




観音堂の桜

 観音堂の桜。




宝蔵寺境内





春の花々





観音堂桜





下から仰ぎ見る





宝蔵寺桜

 後編につづく。
 

道ばた落ちもの風景 ~冬から春へ

日常写真(Everyday life)
手袋

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道ばた落ちもの風景をお送りします。
 冬の終わりから春にかけて、冬物の落ちものが多くなる。特に手袋は多い。私も毎年のようにどこかで片方を落としていたのだけど、今年はなくさずに済んだ。道に落ちた片方の手袋も、手元に残った片方の手袋も、両方もの悲しい。いっそのこと、両方落としてなくしてしまった方がすっきりするくらいだ。
 春が進むにつれて冬の落とし物は少なくなる。自転車に乗っているとそんなところにも季節の移ろいを感じるのだ。




長靴





子供靴





耳当て





空き箱





飾り人形





漫画雑誌





手袋片方





片方の靴





水筒





靴下

 

卵焼きサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理のメインは卵焼きだった。
 卵焼きなんて誰でも簡単に作れると思っていたら実はすごく難しいことを知って考えを改めることになった。前回作ってみてあまりにもできが悪かったので、今回はYouTubeの動画を見てしっかり勉強してから再挑戦してみた。
 がしかし、理想の卵焼きにはまだ全然遠かった。やっぱり卵焼きは難しい。それなりのものは作れても、ふんわりぷるぷるの美味しい卵焼きは簡単じゃない。細かいルールというかコツがいくつかあって、プロがやるように真似してやってるつもりでもなかなかその通りにはいかない。
 でも、卵焼き作りは面白い。簡単じゃないのもいい。しばらくは卵焼きの訓練のために毎週でも作ることにしよう。1年くらい練習すれば、まあまあの卵焼きが作れるようになるんじゃないかと思うけどどうだろう。




グリル焼きマグロ

「いつものグリル焼きマグロ」
 マグロの手抜き料理。卵焼きに気持ちがいっていたので、これはもう簡単に。長ネギを刻むことも省略してしまった。




イカとジャガイモの炒め物

「イカとジャガイモの炒め物」
 ジャガイモ、スルメイカ、アスパラ、タマネギをオリーブオイルで炒めて、酒、みりん、しょう油、鶏ガラだし、マヨネーズ、塩、コショウ、チーズで味付けをした。
 スルメイカの皮むきにやや苦戦しつつも、これも手抜きといえば手抜きだ。




卵焼きのとろみソース

「卵焼きのあんかけ」
 卵焼きだけでは味気ないので、カニかまとシーチキン入りのあんかけスープを作った。
 卵焼きは見た目はそこそこだったのだけど、ふんわり感が足りなかった。
 築地の職人さんが焼いて売ってるような卵焼きを作れるようになるのが最終的な目標だ。道のりは遠い。
 

写真ノート<16> ---好きな写真集(1)

写真ノート(Photo note)
川村倫子うたたね

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 川内倫子のファースト写真集『うたたね』は一番好きな写真集ではないけれど、一番影響を受けた写真集といえばこれになる。
 写真集というと、ひとつのテーマを決めてそれに沿った内容の写真を撮って一冊にまとめたものという固定観念を打ち砕いてくれた。写真ってこんなに自由でいいんだと目が覚めるような思いがした。私のブック「名もなき風景の声を聞け」は、この写真集との出会いがなければ違うものとなっていただろう。
 一見するととりとめのないバラバラな写真が無造作に並べられているように見える。しかし、実際は生と死という重たいテーマを緻密な計算で構築している。多分に感覚的なものかもしれないけれど。
 古い二眼レフのローライフレックスで撮られたハイキーな写真の表面的な軽やかさにだまされてはいけない。誰でも撮れそうで誰も撮れないのが川内倫子の写真だ。彼女の写真に触発されてローライフレックスを手に入れたなんて人もけっこういたんじゃないだろうか。当然ながら二眼レフで撮れば誰でもあのような写真が撮れるわけではない。
 難しいことはともかくとして、ぱらぱらと眺めているだけでも心がふわっとする写真集でもある。ときどき、どきっとしたり、しんとなる。
 川内倫子の写真集はその後も全部見ているけど、どれもファースト写真集を超えてられていないように思う。太宰治は「作家は処女作に向かって成熟していくしかないのだ」と語ったけど、写真家にも同じことが言えるのかもしれない。

 
 

うたたね [ 川内倫子 ]
価格:3240円(税込、送料無料)








 

青い光 [ 小野啓 ]
価格:2160円(税込、送料無料)



 制服を着た男女の高校生たちを正面から撮影したものを一冊にまとめた小野啓の『青い光』。
 なんのてらいも作為もなく撮っているように見えるけど、もちろんそんなことはない。小野啓がいつも高校生たちに指示しているのは、笑わないでということだそうだ。笑ってもない、はしゃいでもいない、おしゃべりもしていない、嬉しそうでも、悲しそうでもない、ただ普通に立っているただの高校生たち。そんなものを撮って並べて一冊にして面白いものができるのかと思うけど、これがとても素敵な写真集に仕上がっているのだ。
 記念写真と作品の違いとは何なのかと、あらためて考える。
 一番好きな写真集は何ですかと訊かれたら、たぶんこれを挙げる。自分が撮りたい写真ではないし、決して撮れない写真でもあるのに、この写真集は好きだ。ほとんど例外的に。
 何故この写真集が好きなのかと問われると、ちょっと考え込んでしまう。写っている高校生たちが特別輝いているとか魅力的だとかではない。写真的に優れているのかというとそれほどでもない。ひとつは、デジタルではなくフィルムのよさというのもある。撮り手である小野啓の映し鏡のようでもあり、そうではないようでもある。
 高校生特有のあやうさや若さから来るゆらぎのようなものが写し込められているからということになるだろうか。それは被写体の魅力というよりも小野啓の手柄に他ならない。
 その後も小野啓は同じ路線、同じ手法で写真を撮り続けている。ただ、続編的な位置づけの『NEW TEXT』はもう一歩だった。『青い光』で帯びていた淡い燐光のようなものが消えてしまっていた。
 写真集は音楽でいうところのアルバムに似ている。ヒット曲を集めたベスト盤が必ずしもよくないように、写真集には写真集ならではの写真の並べ方というものがある。撮った写真の中からできのいいものを50枚なり100枚なり並べてもいい写真集はできない。量の問題もあるし、流れやテンポ、リズムといったものが重要となる。

 




 

 高橋ジュンコという写真家は、一般的にはあまり知られていないかもしれない。写真集『スクールデイズ』をどういうきっかけで知ったのだったか、私自身忘れてしまった。何かのきっかけで買って見てみたら好みに合ったとだけ覚えている。写真集はたいてい図書館で借りるか、買ってもほとんど売ってしまうのだけど、手元に残しておきたいと思える数少ない中の一冊だ。手に入れたのは、確か小野啓の『青い光』のすぐあとくらいだったと思う。
 同じように高校生を撮った2つの写真集ではあるけれど、内容も受ける印象もまったく違っている。『青い光』は部外者が校外で撮ったものに対して、『スクールデイズ』は当事者が校内で撮っている。高橋ジュンコは教師として高校生たちとともに過ごしながら彼らの日常を切り取っていった。高校生活が遠い日の出来事となった私でも、あの頃の感覚がよみがえる。必ずしも甘いだけの記憶ではない。ほろ苦さや甘酸っぱさのようなものがこみ上げてくる。
 写真が上手いわけではない。ちょっとアマチュアっぽくもある。でも、この写真集に関してはそれがかえって功を奏している。あまり上手にきっちり撮ってしまうと、かえって作り物くさくなる。
 高橋ジュンコがその後どういった写真活動をしているのかはよく知らない。これ以外の写真集も見てみたいと思うのだけど、見つからないところを見ると出していないのかもしれない。小野啓の『青い光』とあわせて見てみるといろいろ感じることがあると思う。




 

うめめ [ 梅佳代 ]
価格:1944円(税込、送料無料)



 ちょっと有名になりすぎてしまった感のある梅佳代の写真集を今更紹介するのもなんだけど、一応はひとこと触れておきたい。
 梅佳代の写真は面白い。たぶん、誰も梅佳代のようには撮れない。それは梅佳代が悪魔的だからだ。彼女自身、どこかのインタビューで答えていた。自分は撮る瞬間、鬼になる、と。
 梅佳代は被写体の気持ちなど考えない。普通の人は何か決定的なシャッターチャンスに遭遇したとき、これは撮っていい場面か撮るとまずいのか一瞬でも迷う。あ、面白いシーン、と思っても、人に向けてカメラを向けてシャッターを押すことは難しいものだ。梅佳代にはそういう迷いというものが一切ない。ほとんど動物的な本能で反応してちゅうちょなく撮る。
 雑誌の記者が梅佳代の撮影に同行しているとき、あきらかにその筋と分かる人に向けて梅佳代は正面からシャッターを切った。すれ違ってから記者が、今の大丈夫でしたかと訊ねると、「撮るのが当たり前という態度でいればなんてことない」と梅佳代は答えた。大部分の人はそんなふうには撮れない。彼女はどこか回路が壊れている。だからこそ、ああいった写真が撮れるのだ。もちろん、梅佳代は確信犯だ。川内倫子との対談で、川内倫子が「あんた、自分が撮ってる写真がどれだけ怖いか分かってる?」と訪ねると、「はい、分かってますよ」とあっけらかんと返していた。やはり、底が抜けている。
 被写体の気持ちを無視したような写真を私は撮りたくないし、撮ることもできない。梅佳代の写真は好きでもあり、嫌いでもある。身内を撮った『じいちゃんさま』や『のと』なんかは好きだ。
 梅佳代もまた、ファースト写真集『うめめ』を超えることは難しいだろう。でも、そんなことはおかまいなしにどんどん突っ走っていってしまうのが梅佳代というキャラクターのように思う。自分は写真家として立派な仕事を残さなくてはいけないなどといった使命感とは縁がなさそうだ。面白ければそれでいいじゃんといったところだろうか。
 梅佳代的な写真は昔からあったし、梅佳代以降も亜流はたくさん出ているけど、誰も本家は超えられない。人はあれこれいうけど、オリジナルというのは強いのだ。

 

 写真ノートの中で、これからも好きな写真集やおすすめの写真集について紹介していきたいと思っている。今回はその中のほんの一部だ。
 写真集は高いので、欲しいものを全部買っていては大変だ。古本を買うか、図書館で借りることをおすすめしたい。最近の図書館はネット予約できるところも増えて便利になっている。
 写真集をたくさん見ることが写真上達の一番の早道だと私は思っている。優れた写真をたくさん見ることで目が肥えるというだけでなく、一冊にまとめられた写真集であることが重要で、見ていくうちに写真の呼吸というか勘所みたいなものを会得できるからだ。
 教わるのではなく、見て盗むことだ。古くさい方法論だとしても、写真に関してはそれしかないような気がする。
 

 

東山植物園便り ---春も半ばを過ぎて

植物園(Botanical garden)
モミジの花

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 季節は進んで春も中盤から後半へ。
 前回の東山植物園行きは3月前半だったから、一ヶ月ほど間が空いてしまった。季節は大きく移り変わっていた。
 あのときは早咲きの河津桜が見頃だった。ソメイヨシノを通り過ぎてサトザクラになっていた。今シーズンは春の一番いい季節を逃した。
 4月の半ばは、春と初夏の中間で、意外と見頃の花は少ない。シロチョウやキチョウなどは飛んでいるものの、虫シーズンはまだしばらく先だ。
 今日はそんな東山植物園の風景をお送りします。




水の流れ





シャクナゲ





イモムシ





カラシナ





イカリソウ





ツツジ





カナヘビ





散ったソメイヨシノ





桜吹雪舞う





散り桜

 

冬の道行き風景

日常写真(Everyday life)
庄内川河原風景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 4月半ばというのに早くも夏日の名古屋。桜はすっかり散って葉桜になった。
 この春は何もかもあまり撮れないまま月日が過ぎ去った。季節は晩春から初夏へと向かう。
 冬場はちょこちょこ出歩いていたので、写真の在庫がけっこうたまっている。今日は冬の写真をまとめて出してしまうことにする。
 冬の道行き風景をお送りします。




東山給水塔ともじゃハウス





古い屋敷





矢田川夕景





庄内川合流地点





冬枯れの木





タンク





坂の上から長久手





庄内川夕暮れ





沈む夕日





消防学校夕暮れ

 

守山城跡をたずねる

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
守山城跡

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋市守山区市場にかつてあった守山城。矢田川に架かる瀬戸街道の矢田川橋の少し北あたりだ。
 以前紹介した市場白山神社から見て200メートルほど西のあたり。
 現在、アパートの裏手にちょっとした高台があり、城跡の石碑が建っている。堀の跡などの遺構もわずかに見られる。
 好きこのんでこんな場所を訪れるのはよほどの歴史好きくらいだろう。しかし、ここは戦国の歴史の中で小さからぬ事件が起きた現場なのである。




守山城跡入り口

 白山神社の裏手を回るか、宝勝寺の東から行くか、いずれにしても道は狭い。
 目印は二階建てのアパートと、白い説明板だ。
 人様の家の庭に入っていく感じだけど、たぶん進入しても大丈夫なのだと思う。




守山城跡外観

 アパートの裏手に登っていく階段が作ってあり、その上に石碑がある。




守山城石碑

 作られたのは1521年頃、今川氏豊が那古野城を築城したとき、小幡城・川村城に対抗して松平信定が築城したとされている(もしくは、築城者は不明)。
 平山城で、東西に約58メートル、南北に約51メートル、四方には堀がめぐらせてあったというから、この時期のものとしてはそれなりの規模の城といえるだろう。
 この時代の尾張、三河は、様々な勢力が入り乱れていて、かなりの混乱状態にあった。
 室町時代に力のあった尾張守護職の斯波氏が没落して、尾張守護代の織田家が勢力を伸ばす一方で、駿河・遠江の今川家が尾張侵攻をもくろんでいた。織田家は信長の父・信秀の時代だ。
 三河はというと、家康の祖父にあたる松平清康が優れた武将で、若くして家督を譲られ、10代後半にして三河を統一しようとしていた。
 ちなみに、以前、豊田市の奥地にある松平郷のことを紹介した。松平清康は徳川家のルーツとなった松平親氏から数えて七代目に当たる。家康も元をたどれば、群馬あたりから流れてきた素性のよく知れない地方の小豪族の出ということになる。

 1529年、岡崎城を本拠とする松平清康が三河を統一。
 翌1530年には尾張へと勢力を拡大すべく、岩崎、品野を強奪。尾張攻略の足がかりを作った。
 1535年、1万余りの大軍を引き連れて尾張に侵攻した清康軍は、織田信秀の弟・信光が守る守山城(当時は森山と表記したようだ)を攻撃すべく進軍した。
 このとき、信光とすでに通じていて戦わずして守山城に入城したという説もある。
 その夜(翌朝とも)、事件が起きる。馬が突然暴れ出したのをきっかけに、松平清康は配下の武将に後ろから斬りつけられ、あっさり命を落としてしまう。大将を失った松平軍はなすすべもなく、三河へと兵を引き上げることになる。これが世に言う、森山崩れというやつで、まさにその現場がここ、守山城跡というわけだ。
 桶狭間の戦いが1560年。信長は前年の1534年に生まれているものの、1543年生まれの家康はまだこの世にない。
 松平清康を斬りつけたのは阿部正豊(弥七郎)という男で、父親の阿部定吉が以前より織田と通じて謀反を企てているという疑いを持たれており、馬の騒ぎのときに父親が討たれたと早とちりして、大将の清康を斬ってしまったのだった。弥七郎はその場で成敗されている。
 ただし、噂の元となった阿部定吉はおとがめなしとなり(自殺を企てて失敗して許されたという説も)、その後松平家で活躍することになる。
 そもそも、謀反云々というのは、清康の叔父で、敵対していた松平信定の企てだったという話もある。
 清康はこのとき24歳。その息子・広忠(家康の父)はまだ9歳だった。
 これを機に、松平家は急速に力を失い、三河は今川家が支配することとなっていく。尾張では信秀に代わって信長の時代へと移る。
 織田家と今川家との板挟みになった松平家は、生き残るために幼い家康を今川家の人質に送り、それが織田家に渡ってというのはよく知られた話だ。

 森山崩れから20年後の1555年。
 信長・信光により清洲織田家(本家)の織田信友が滅ぼされる(信長の家系は、織田家の中では分家になる)。
 信長は那古野城から清洲城へと移り、信光は那古野城へ。空いた守山城は信光の弟・信次が城主として入った。
 しかし、着任早々、家臣の洲賀才蔵が信長の弟・秀孝を間違って殺してしまうという事件が起こり、慌てた信次はそのまま逃走。守山城には信次の重臣・角田新五たちが立てこもった。
 怒った信行(信長の弟で秀孝の兄)は守山城下を焼き払い、守山城にせまった。
 ただ、信長はおとがめなしとし、佐久間信盛の取りなしもあって、信長の異母弟・信時を城主とすることで決着を見た。
 けれどこれで話は終わらず、家臣をとりまとめられなかった信時が角田新五によって切腹させられてしまう。再び立てこもった角田新五だったのだけど、逃亡していた信次が許されて城主に戻ることでようやく落ち着いたのだった。
 守山城が廃城になったのは、1560年の桶狭間の戦いのあととも、1574年に信次が長島一向一揆で戦死したあととも言われている。
 1573年、信長と戦って敗れた浅井長政の妻・お市とその娘の三姉妹(茶々、初、江)が、信次に預けられて一時守山城に滞在したという話があるとかないとか。そのエピソードはちょっとロマンチックにすぎるような気がするけど、どうだろう。




守山城跡からの眺め

 守山城があった場所は台地の端に当たり、現在でもけっこう視界が開けていて眺めがいい。
 王子製紙の煙突越しに御嶽山を見ることができる。




宝勝寺入り口

 城跡の南に宝勝寺というお寺がある。
 江戸時代に入った1637年、松平清康の菩提を弔うために建立された。
 現在でも清康のための法要が行われているとのことだ。




南入り口





宝勝寺三門





宝勝寺本堂





本堂屋根





お堂

 ご近所に歴史あり。
 

道行き風景

日常写真(Everyday life)
空き地の浴槽

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。




床屋の人形





鈴木じゅんじ





ねこまうす





庭先の野菜売り





落書き





3月はお休み





飲食店並び





駐禁





道ばた灯籠





閉店と椰子の木





山尾しおり

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---バゲット ラビット/テトラコンタ

パン屋(bakery)
バゲットラビット旧店舗

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊の食パンめぐり、今回は名古屋でけっこう評判がいい2軒のお店を紹介します。
 まずは「バゲット ラビット(baguette rabbit)」さんから。
 初めて訪れたのは今年の1月で、貼り紙に2月に店が移転するとあったので、新店舗ができたらもう一度行こうと思っていたらけっこう時間が経ってしまった。
 上の写真は千種区千代が丘にあった旧店舗の様子だ。市バスの猪高車庫の近くにあった。
 前の通りは何十回と通っていたのに、パンに興味がない頃はこの場所にパン屋があることすら気づいていなかった。名古屋のパン好きにはけっこう知られた有名店のようだ。




バゲットラビット並びの店

 ちなみに、当時、バゲットラビットの隣には、ねこのじてんしゃ屋さんとパンダらーめんがあった。偶然とは思えないけど偶然だったら面白い。




食パン

 最初の印象は、独特のパサパサ感だなというものだった。耳が美味しいのが印象的だった。
 風味はわりと豊かではあるけど、甘みや香りがやや弱いかなという感想だったと思う。
 評判のよさからすると少し物足りなさも感じた。食パンに限ってだけれど。




新店舗

 新店舗は名東区の上菅1丁目交差点角にできた。地名でいうと社口1丁目になる。以前コンビニがあった場所の跡地だ。
 今度の場所は駐車場が広くなってとめやすくなったと好評のようだ。
 新装開店と駐車場の広さも手伝って人気も上昇中といったところだろうか。前を通るといつもたくさん車が止まっている。
 出向いたのは土曜日の夕方ということで、パンはスカスカだった。一番揃うのは昼前くらいだそうで、夕方にはもうかなり少なくなっていると思われる。それだけよく売れているということだろうし、残るほど焼かないのは良心的という言い方もできる。
 予約は前日までで、予約できるパンは限られているとのことなのでご注意を。




食パン一本

 前回買った食パンと今回買った食パンは違う種類だったのかもしれない。この日はこの一種類しかなかった。
 一本840円は高いと感じる。けど、大きさを考えると実質的にはそれほど高くないかもしれない。この3分の2くらいで600円くらいのところも多い。もちろん、ハーフサイズや切り分けてある食パンも売っている。
 間が3ヶ月も空いたから前回との比較が難しいのだけど、今回はとてももっちりした食感だった。かなり独特で、他に似た食パンを知らない。
 使っている小麦が一般的なものではないような気もする。色がけっこう黒っぽい。製法や挽きの違いということもあるだろうか。
 生で食べても食感は独特だ。重ためだけど口どけは悪くない。
 特徴がある分、毎日食べたいとは思わなくても、ときどき思い出して食べたくなるような食パンだ。

 バゲット ラビットのWebサイト
 お店の地図
 9時~19時
 定休日 火曜・水曜日




テトラコンタ外観

 続いて紹介するのは、東区白壁にある「テトラコンタ」さん。
 白壁交差点を北へ入って左手、金城学院中学の並びにある。裏通りにある小さなパン屋さんで、近所の人以外がたまたま通りかかって見つけるという可能性は低そうだ。
 ここもなかなか評判いい。




テトラコンタ食パン

 どこにでもある街の小さなパン屋さんと思わせて実はなかなかの実力を秘めている。
 パンは全体的に小振りで上品だ。大量生産という感じではなく、職人さんの手作り感がよく出ている。
 今回はミルク入り食パンを買ってみた。これは当たりだった。中身がしっとりしていて、ほんのり甘い。風味も口どけもいい。
 全体的にほどよさがあって、好感が持てるパン屋さんだ。高級志向やブランド志向とは違う個人のパン屋の方が個人的には好きで応援したくなる。

 テトラコンタのブログ
 お店の地図
 10時~18時30分
 定休日 日曜・月曜日
 

ちょっと明るめ春サンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は、けっこう明るい感じの仕上がりになった。黄色はやや茶色に近くなっているものの、赤と緑がある分、華やかな印象になっている。シズル感もある。見た目がいいと食欲も増す。
 名古屋の桜はほぼ終わった。まだ残っている花はあっても、撮るにはもう手遅れだ。
 各地で様々な祭りやイベントが行われているけど、今週末も撮りに出ることはなかった。4月はほとんど何もできないまま静かに過ごすしかない。
 そんなサンデー。




サーモンのしょう油ソースがけ

「いつものサーモン」
 ここのところマグロ確率が高くなっていたので、今日はサーモンにした。相変わらず安定感がある。調理したとも言えないような料理ではあるけれど。




タケノコの甘酢

「タケノコと鶏肉の甘酢ケチャップ炒め」
 ケチャップ味のタケノコ炒めも、毎年この時期の定番のひとつとなっている。




おからハンバーグ

「おからハンバーグ」
 肉は使わず、おからと木綿豆腐とシーチキン缶で作るハンバーグ風。
 卵黄と酒、みりん、しょう油などで照り焼きにした。
 挽肉のハンバーグとはまったく別物だけど、ヘルシー料理として成立している。
 

写真ノート<15> ---フォトブック「a life」のこと

写真ノート(Photo note)

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他



 フォトブック「a life」は、富士フイルムのフォトコンに応募するために作ったもので、個人的な作品集としては3冊目に当たる。フジコンには落選して(選考テラウチマサト)、「フォトテクニックデジタル」の私的写真集選手権で入選した。2014年から2015年にかけてのことだ。
 選者のひとり「フォトテクニックデジタル」の編集長・藤井貴城氏は「ナイーブな視点」と評した。私はガーディアンエンジェルの視点と呼んでいる。
 人がいる風景を撮りたいというのは写真を始めた当初から思っていたことで、それがようやく形になってきたのが3、4年前。「a life」はその頃撮った写真を中心に編んでいる。このジャンルの写真の集大成という位置づけだった。
「a life」を作っているとき、自分の視点の特徴というか、距離感の共通点が見えてきた。それまで半ば無意識に撮っていたものが、自分が撮るべき距離を自覚するようになる。遠すぎず、近づきすぎず、こちらの存在を気取られないこと。これって、守護霊とか背後霊の視点だよなと思ったのだった。自分はこの世に存在していながら存在を気づかれていない存在。それが、守護天使、ガーディアンエンジェルだ。
 決して対峙せず、寄り添い、そっと見守り、共感し、励まし、応援するように撮る。がんばってと、心の中で声をかけるように。
 けど、私は必ずしも人間が好きというわけではない。どちらかというと嫌い寄りとさえ言える。ただ、人の営みが好きなのだ。この世界にあって、泣いたり笑ったり怒ったりあがいたりしている人間というものを愛おしいと思う。その感情は、もはや人としてこの世界に生きている人間のものではないのかもしれない。生きながらにして守護天使のような気持ちになっている。変な言い方だけど、私は自分の人生にあまり興味がない。
 私が人のいる風景を撮っているのはそういう意味だ。人そのものを撮りたいというのとは違っている。
「a life」にはサブタイトルがある。「そうであったかもしれない人生と失った時間に関する物語」というものだ。
 私が撮る老若男女は私自身の別の姿であり、可能性に他ならない。すでに失った姿であり、これから失うであろう姿でもある。道行く人を見て、反応して、そちらにカメラを向けて撮るということは、ある種の共鳴が起こったということだ。そうでなければ撮ったりはしないし、撮っても意味はない。
 自分で自分を撮らなくても自分が撮った人たちが私自身について語ってくれる。写真というのはそういうものなのだと思っている。

「a life」は自分でも気に入っている一冊だ。たぶん、「a life 2」はない。どういうわけか、あれからこんなふうに撮れなくなってしまった。視点は変わっていないはずだし、腕が落ちたというわけでもないのだろうけど、上手くチューニングを合わせられなくなったような感覚がある。そうなると、チャンスそのものに当たらなくなる。「a life」の世界観はあれ一冊で完結ということになるだろうか。
 その後、「名もなき風景の声を聞け」の路線で「道ばたのうた」、「サヨナラノオト」、「凪いでいる」と3冊作った。いずれ機会があればそれらもスライドショーにして紹介したいと思っている。
 

名残の雨桜 ~香流川

桜(Cherry Blossoms)
水たまりに映る桜

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 雨の日の桜もいい。水たまりに映る桜風景も好きだ。
 今年最後になりそうな桜撮りは、雨の香流川だった。




桜の花びら絨毯





水たまりと映り込み





花びら





階段と花びら





桜まみれの車





桜の根っこと花びら





雨の中の蓑虫





がくと水滴





花びらと雨靴





香流川緑道と花絨毯

 

桜終盤のモリコロパーク行き

桜(Cherry Blossoms)
香流川桜

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 PLYMPUS 60mm / 9-18mm



 モリコロパークへ。
 ギフチョウ目的だったのだけど、ついでに桜も撮れたらいいなと考えていた。
 しかし、どちらもタイミングがよくなかった。ギフチョウには少し早すぎで、桜にはやや遅すぎた。ギフチョウは一度も姿を見せてくれなかった。好物のコバノミツバツツジはよく咲いていたのだけど。
 どうせならもう一週間待ってから行けばよかった。その頃にはギフチョウに会える確率も上がるはずだ。
 そんな空振り気味のモリコロパーク行きだった。今日はそのときの様子をお届けします。




ヌートリア





桜と観覧車とリニモ





池と映り込み





高台から見る名古屋方面





桜と鐘





モリゾーとキッコロ





花桃とリニモ





池とプールとスケートリンク





ソメイヨシノ逆光





香流川桜と西日

 

桜行き ~尾張旭から瀬戸へ

桜(Cherry Blossoms)
城山公園桜

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今回は尾張旭から瀬戸方面にかけての桜風景をお送りします。
 今年はあらたな桜ポイントを発見しようと思っていたのに、結局、いつもの年と同じ場所をめぐるだけになってしまった。それはそれでいいのかもしれないけれど。




平池土手の桜





瀬戸市役所前駅の桜





陶祖公園の遊具と桜





桜と読む人





高台から桜越しに瀬戸の街並み





芝生広場と桜





瀬戸川沿い





瀬戸川と桜





丸ポストと小学校の桜





住宅と桜

 

ご近所桜めぐり

桜(Cherry Blossoms)
雨池公園へ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 カメラを始めて今年くらい桜を撮らなかった年はない。忙しかったわけでも、時間がなかったわけでもなく、個人的な事情がいくつか重なって、気持ちが桜へ向かわなかった。
 そうこうしているうちに見頃を迎え、満開を過ぎ、名古屋の桜はかなり散り始めた。
 これではいけないと気を取り直して、少しだけ近所をめぐってきた。晴れるのは明日までで、あさっては春の嵐になると予想されている。今年の桜を撮れるのは今日、明日までのようだ。




牧野が池公園と桜





団地と桜





高架と桜並木





東山スカイタワーと桜





香流川遊歩道と桜並木





水たまりと桜





平和公園のお墓と桜





雨池公園の桜トンネル





森孝の桜並木夕景





香流川の桜

 

街の風景

日常写真(Everyday life)
住宅と工事

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き街の風景をお送りします。




マラソン準備





通信ビル





ビルとアーケード





コンビニと煙突





教会





マンション





郵便局と西日





子供たちの自転車





西日の交差点





坂のある街並み

 

元に戻ったサンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 先週は少し春らしさがあったサンデー料理。たった一週で春らしさはなくなり、元に戻ってしまった。いつもの顔ぶれ、いつもの味付け。
 このまま春は終わってしまうのか。今週末は桜も行けず。




マグロのグリル焼き

「マグロのグリル焼き」
 マグロは今回もグリル焼きにした。これが定番として定着した。少し火を入れすぎたか。
 甘辛しょう油だれにとろみをつけたら、カタクリ粉の量が多すぎた。水溶きカタクリ粉の分量は意外と難しい。




ジャガイモのチーズ和え

「ジャガイモとニンジンとブロッコリーのチーズ和え」
 具材を茹でて、オリーブオイルで炒めて、コンソメの素などで味付けをしつつ、とろけるチーズで和える。




ナスと豆腐

「ナスと豆腐の中華風」
 豆板醤で辛みをつけて、鶏ガラだしなどで味付けをした。
 いったん作ってから時間を置いて冷めてしまったので温め直したら火が入りすぎて豆腐が原型を失った。
 3品同時に完成させるのではなく、1品ずつ作ればもう少し上手くできるのだけど、といつも思う。
 

写真ノート<14> ---写真断想

写真ノート(Photo note)
アパート

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他



 雰囲気のない写真は好きじゃない。
 雰囲気だけの写真は嫌いだ。




売ビル

 小さな悲しみを拾い集めて、悲しみではないものに変換する作業。




落ち椿

 徒労でも撮ろう。それが合い言葉。




顔出し看板

 本当と嘘の境目で、見る人の感情をゆさぶっていくのが写真の役割。
 大事なのはリアルであることではなく、リアリティだ。




みかんと車

 その時、その場に、カメラを持って居るということ。
 しごくあたり前なのだけど、写真は現場でしか撮れない。
 いつ何が撮れるかを完全にコントロールすることはできない。




河原の自転車おじいさん

 いい写真を撮って褒められることが目的じゃない。
 写真で何ができるかを考えることが必要だ。




雑誌

 唯一無二であること。
 それだけが頭ひとつ出す方法かもしれない。




水紋と羽

 見た目を超えることが写真の使命のひとつだと思う。




外壁作業中

 カメラを構えた横や後ろは写らないけど、写真の外側にも世界が広がっている。
 そのことを撮り手が意識し、鑑賞者に気づかせなければならない。




街と夕日

 今日もまた、撮れそうで撮りきれなかった。その悔しさが明日の原動力となる。
 
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