
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
私の写真はJ-POPでできている。
などというと、単なるレトリックに過ぎないだろうか。けど、気分的にはそうだと自分では思っている。
もう少し広い範囲で、日本の歌謡曲といった方がいいだろうか。
自分以外の人が写真と音楽をどれくらい結びつけて考えているかは知らない。少なからず音楽を意識しているということはあるのように思うのだけどどうだろう。
自分の写真はロックだという人もいるだろうし、自分の写真の底にはジャズが流れているという人もいるだろう。フォークソングだったり、演歌だったり、クラシックだったりというのもありそうだ。
私の世代は歌謡曲全盛時代と密接にリンクしているということもあって、子供の頃から日本の歌謡曲をずっと聴いてきて今に至っている。
中学生時代のさだまさしに始まり、高校時代は尾崎豊。大学生の頃は佐野元春やハマショーなどを好んで聴いていた。
その系譜は、ミスチル、コブクロへと続いていく。王道といえばこの上なく王道だ。
自分は写真にJ-POPの世界観を求めているということに気づいたのは、わりと最近のことだ。10年も昔のことではない。
自覚するようになったのは、新海誠監督のアニメ作品『秒速5センチメートル』を観てからのことだ。
その映像世界と、主題歌である山崎まさよしの「One more time, One more chance」で、自分が撮りたい写真というのは、こういうことだったのだとはっきり分かったのだった。
『言の葉の庭』では、大江千里がかつて歌った「rain」を秦基博が歌った。
私にとってJ-POPは、ライバルであり、お手本であり、目標でもある。ほとんど唯一の先生といってもいい。
他のどんな写真家の写真も目標とは思わないし、映画のように撮りたいとも思わない。ただ、ただ、J-POPのように撮りたいのだ。
客観的に見た場合、私の写真がJ-POP的だと感じる人は少ないかもしれないけど、とにかく気持ちと方向性だけはそちらにあることだけは間違いない。
どういう写真がJ-POP的なのかは実はよく分かっていないのだけれど。
いい曲を流しながら写真を見ると魅力が3割増しや5割増しくらいになる。明治安田生命フォトコンのCMなどは典型的な例だ。小田和正の歌声に乗せればたいていの写真はよく見える。
自分の写真をスライドショーにしたとき、お気に入りの音楽をバックに流すとすごくいい写真に思えたりするのもそうだ。
音楽の好みが合う人同士は写真の趣味も合うということがいえるかもしれない。
言い方を変えれば、音楽を意識して写真を撮るという方法論があってもいいということになる。
写真と俳句を組み合わせた写真俳句というジャンルが確立されているけど、写真と音楽を組み合わせたジャンルはあるようでない。映像と音楽は切り離せない関係性にあるのに、どうして写真と音楽という組み合わせがないのか不思議だ。
スライドショーのように写真に合った曲を選ぶのではなく、曲に合わせて写真を撮って組んでいくというのも面白いと思う。
(著作権の関係でネットにはアップできないだろうけど)
私の写真のテーマは、センチメンタル・アンド・リリカルだと、かつてどこかで書いたことがある。
言葉を換えれば、J-POPのバラードのように撮りたい、ということだ。
ときどきこんなふうに考えることがある。尾崎豊の「Forget-me-not」を写真にするには、何をどんなふうに撮ればいいんだろうかと。
あるいは、東京の街をさまよいながら撮ればコブクロの「蕾」のように撮れるだろうかなどと。
これまでにたくさんのいい曲と出会えたことは幸福なことだ。日本人としての幸せのひとつといえる。だから、何らかの形で還元して恩返ししたいという気持ちがある。それが写真ではないかと。
また春がめぐり来る。ここ5年くらいずっと思っているのは、『秒速5センチメートル』に対するオマージュはいまだなされていないということだ。
今年こそ、人の心に静かに降りつもるような桜の写真を撮りたいと思っているのだけど、さてどうだろう。