月別:2016年03月

記事一覧
  • 2016桜前哨戦 ---近所周り

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他 今日、3月31日、名古屋ではソメイヨシノの満開宣言が発表された。ただ、うちの近所周りではまだ満開ではなく、見頃まであと一歩にとどまっている。今週一週間は桜週間のつもりでいたのに肩すかしを食った。 先週末から今日にかけて、そろそろかなと思って近くをめぐってみるも、まだかぁという日々が続いている。私としては散り始めてからが本番なので、来週が桜週間ということにな...

    2016/03/31

    桜(Cherry Blossoms)

  • 道ばた落ちもの

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道ばた落ちものシリーズをお送りします。 相変わらず道に落ちているものを拾い集めるように撮っている。そこに思想のようなものがあるわけではない。ただ落ちているものに反応して、おもしろがって撮っているだけだ。けれど何かしらのドラマがあるように思えることもあって、そこに意味らしきものを見出している。 道に落ちているものは、小さな物語の結末のようなものだ。それ...

    2016/03/30

    日常写真(Everyday life)

  • 長久手の岩作御嶽神社へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 長久手市の岩作(やざこ)にある岩作御嶽神社。 長久手の神社めぐりをしようと地図を見ているときに見つけた神社で、まったく何の予備知識もなく出向いていった。 香流川上流に架かる高根橋が参道入り口となっており、案内の石柱も建っている。橋を渡って細い山道をしばらく進むと神社の入り口にたどり着く。石段下からすでにただならぬ雰囲気が漂っていたのだけど、途中の脇にたくさ...

    2016/03/29

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 道行き人のいる風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き人のいる風景をお送りします。 ...

    2016/03/28

    日常写真(Everyday life)

  • 少し春めくサンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は、少しだけ春を感じさせるものになった。 今シーズン初タケノコに、新ジャガ、新タマネギ。 そして、春色っぽいライトグリーンのソース。 完成した図を見ると、皿は白にした方がよかったかもと思った。 いずれにしても、ようやくサンデー料理にも春が来たといえそうだ。「鯛のグリーンソースがけ」 鯛の切り身に塩、コショウ、酒を振って、小麦粉をまぶしてオリ...

    2016/03/27

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<13> ---距離と瞬間

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 大事なのは、何を撮るかよりもむしろ、いつ撮るかということだ。 撮るべきは、状況ではなく瞬間だ。連続する時間のどの部分でシャッターを押すか、それにすべてがかかっている。 常にベストのタイミングでジャストミートできるわけはない。ただ、どのタイミングで押せばいいかを分かっているのといないのとでは大違いで、写真は結果がすべてであっても、結果論で語られるべきものでは...

    2016/03/26

    写真ノート(Photo note)

  • 森林公園の春風景

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 3月後半の森林公園。 去年と比べると面積は半分くらいになってしまったけど、今年も菜の花がよく咲いた。シロチョウやキチョウも飛び始めて、いよいよ春本番を実感している。 ソメイヨシノも開花したものの、ここ数日の寒の戻りで見頃まではまだ少しかかりそうだ。 今日は森林公園の春風景をお届けします。 ...

    2016/03/25

    植物園(Botanical garden)

  • 京都の高台寺のWebサイトのこと

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 京都にある鷲峰山高台寺(じゅぶさんこうだいじ)。 Webサイトをリニューアルするときに使う写真を撮ってほしいという依頼を受けて撮影を担当させていただいたのが去年のこと。 このたびサイトが完成したのでお知らせします。 高台寺のWebサイト 高台寺は、秀吉の正室ねねさん(北の政所)が、秀吉を弔うために建てたお寺だ。清水寺や八坂神社、祇園などがある東山区にある。 秀吉...

    2016/03/24

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ナビィのパン/めぐみの森

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊の食パンをめぐる旅、今回は守山区にある2つのパン屋さんを紹介したい。 まず最初は、JR中央本線の新守山駅にほど近いところにある「ナビィのパン」さんから。 昔からここのパン屋を知っている人にとっては「ラ・パント」といった方が馴染みがあるのだと思う。2012年に閉店したあと、3年後の2015年に名前を変えて復活したのが「ナビィのパン」だ。 元の母体は株式会社フ...

    2016/03/24

    パン屋(bakery)

  • 下志段味の八幡神社へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ。今回紹介するのは、守山区下志段味にある八幡神社だ。 交差点でいうと、中志段味の南の雨池交差点の一本南の通りを西へ入った右手に神社はある。志段味中学の東といった方が分かりやすいだろうか。 かつてはもっと庄内川に近い字真光寺にあったようで、庄内川の氾濫で被害にあって、明治5年に現在の地に移されたそうだ。 創建年は不明ながら1684年に再建...

    2016/03/23

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 池下界隈散策

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今池と覚王山に挟まれた池下は、やや影が薄い。ような気がする。個人的にもほとんど馴染みのない街だ。 おととしの春に蝮ヶ池八幡宮を訪ねて、少しだけ縁ができた。そのときにも書いたけど、愛知厚生年金会館がいつの間にかなくなっていて驚いた。 蝮ヶ池八幡宮へ出向く 池下の地名は、かつてこの地にあった蝮ヶ池から来ている。今の地下鉄池下駅があるあたりは蝮ヶ池の底だった。江...

    2016/03/22

    名古屋(Nagoya)

  • 道行き風景 ~冬の名残

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 そろそろ春本番で、桜も咲き出した。この冬もどうにかネタ切れにならずに乗り越えることができた。神社ネタなどの在庫がまだ残っているから、もうしばらくは季節ものと在庫とを織り交ぜての更新になりそうだ。 ...

    2016/03/21

    日常写真(Everyday life)

  • 普段着サンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は基本に立ち返ったというか、単なるアイディア不足でいつものメニューに戻った。マグロとジャガイモとエビと鶏肉。黄金のカルテットと呼びたい。 緑色の野菜がなくて、彩りに欠けた。キャベツは緑色というより白色に属する。かろうじて長ネギの青い部分があっただけだった。 そろそろ春らしさも出していきたいと思いつつ、春野菜って何だろうと考えてしまう。つくし...

    2016/03/20

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<12> ---大切なのは被写体の心

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 大切なのは撮り手の心ではなく被写体の心。写すべきものは自分の心情などではなく写される側の気持ちだ。 写真はある場面のある瞬間を切り取ることで成立するものだから撮り手の意図というのは必ず表れる。主観から逃れることはできない。けど、たとえそうだとしても、できる限り自分は黒子に徹したいと思っている。写真の主役は撮り手である自分ではなく、あくまでも被写体だというの...

    2016/03/19

    写真ノート(Photo note)

  • 飛行機のある風景

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F5.8-6.7 今日は飛行機のある風景をお送りします。 そういえば、この前の日曜日、名古屋空港で航空際が行われた。今年もブルーインパルスが飛んだようだけど、あの日は曇り空で、住人の反対もあって上空高いところの飛行ということで見にいかなかった。 またそろそろ名古屋空港にも撮りにいかなければと思っている。 ...

    2016/03/18

    飛行機(Airplane)

  • 名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---スーリープー

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋と近郊の食パンをめぐる旅。今回紹介するのは、中区鶴舞にある「スーリープー(SURIPU)」さん。名古屋のパン好きにはよく知られている店だ。 多数の高評価を得ていながら、ちらほら辛口の意見も見られ、そのあたりがどうなのだろうと行く前から気になっていた。 鶴舞公園の西250メートルほどのところにその店はある。ただ、鶴舞駅を起点にすると道路が複雑に交差していてどち...

    2016/03/17

    パン屋(bakery)

  • 守山区の吉根八幡神社へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は守山区吉根(きっこ)にある八幡神社を訪れた。 通りから少し入った住宅地の高台にあるのは、何度か遷座しているせいもある。 創建年は不明ながら中世以前からあったという話もある。もともとは八幡ヶ嶺という山の上にあったそうだ。八幡ヶ嶺は現在イオンがあるあたりにあった山で、現在は崩されてしまって跡形もない。 中世に入って山の上は参拝す...

    2016/03/16

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 東山植物園便り ---春へ向かう

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 先週、東山植物園へ行ってきた。 季節はいよいよ春。一斉に花も咲き始め、とはいかず、少し足踏み状態だった。それでも、一番手のロウバイやフクジュソウなどは終わり、梅も終盤で早咲きの河津桜が見頃を迎え、トサミズキなども咲き出してきていた。季節は着実に春本番へと向かっている。 そんな3月前半の植物園風景をお送りします。 ...

    2016/03/15

    植物園(Botanical garden)

  • 高岳桜2016<後>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8 高岳の桜の後編をお送りします。 今日の名古屋は冷たい雨が降った。明日は強い風が吹くという。早咲きの桜たちも散り始めることだろう。 この日、高岳の前に近くにある名古屋市市政資料館にも寄ってみた。あそこは早咲きの桜から遅咲きの桜まで、2ヶ月くらいにわたっていろいろな桜が咲く。今は一番早く咲いた桜は散りかけで、その次はまだ咲き出してきていなか...

    2016/03/14

    桜(Cherry Blossoms)

  • スイス料理もどきサンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今日のサンデー料理は、久々の海外シリーズ。スイス料理もどきに挑戦してみた。 あくまでも、もどきであって、スイス料理ではない。スイス風とさえ言えないかもしれないくらいだ。 きっかけは、テレビのクイズ番組でスイスに関する問題が出題されたことだった。そういえばスイスの首都ってどこだっけと考えて思い出せなかったことから始まった。スイスといえばジュネーブは思い浮かぶけ...

    2016/03/13

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<11> ---写真の中に流れる時間

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 私は時間を撮りたい。いつからかそんなことを考えるようになった。 写真は一瞬の芸術などという言葉があるけど、私はそうは思わない。写真には現在だけでなく、過去も写っているし、未来さえも写るものだと信じている。 現在しか写っていないような薄っぺらな写真では駄目なのだ。 そこに至るまでの経緯と、この先どうなっていくのかを想像させる写真が好きだ。 今日は昨日から見た...

    2016/03/12

    写真ノート(Photo note)

  • 高岳の桜2016<前>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8 今年もまた桜の季節がやってきた。 いつものように高岳の早咲き桜でシーズンは開幕した。 季節はぐるりとひとめぐりして、もう一度この季節に戻ってこられたことを喜びたい。 暖冬の影響で、今年はいつもの年よりも一週間ほど早く見頃を迎えた。この週末はちょうどいいタイミングだ。 桜は上手く撮ろうとかいいのを撮ってやろうなどと考えると空回りする。感じ...

    2016/03/11

    桜(Cherry Blossoms)

  • 春は道ばた

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道ばた写真をお送りします。 道ばた写真にシーズンオフもオンもないのだけど、春は思いがけない出会いが多いように思う。それは季節の変わり目というだけでなく、生活が切り替わることも関係している。春の別れは、人と人だけのものではない。人と物も春に別れが待っている。 持ち主の手から離れたものを見送るような気持ちで撮っている。代わりにさよならを言うみたいに。 誰...

    2016/03/10

    日常写真(Everyday life)

  • 春日井の大日社と諏訪神社

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は春日井市南部にある二つの神社を紹介します。 最初に訪れたのは、上条町にある小さな神社、大日社だった。 春日井王子町郵便局のすぐ北、小さな公園の中にそれはある。垣などに囲われていないので、公園の中に社があるといった風情となっている。 王子製紙の王子バラ園の近くなので、その存在を以前から知ってはいた。ちゃんと訪れたのは今回が初め...

    2016/03/09

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 瀬戸街歩き<後>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm 今日は昨日の続き、瀬戸の街歩き、後編をお送りします。 商店街を出て、少し離れた窯垣の小径を目指した。 この日初めて、登り窯があるところまで歩いた。常滑でも見たことがあるけど、現役で使われている登り窯は見たことがなかった。 今もなお、瀬戸は焼き物の町には違いないけれど、本当に賑わっていた頃の姿がどんなだったかは、もはや想像がつかない。写真や...

    2016/03/08

    旅/散策(Stroll)

  • 瀬戸街歩き<前>

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 瀬戸市のお雛めぐりへ行った日、瀬戸の街も少しだけ歩いた。 途中から降り出した雨はほどなくやんだ。 瀬戸の街は雨も似合うと思う。 後編につづく。 ...

    2016/03/07

    旅/散策(Stroll)

  • 油断は敵サンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 慢心は油断を生み、油断は失敗を生む。 ここのところしばらく安定飛行が続いていたけど、今回はいくつか失敗をやらかした。10年選手とはいえ、まだまだだとあらためて思い知る。 卵焼きを失敗し、皿選びを間違えた。そもそもでいえば、卵焼きではなくナスとエビの炒め物を作るつもりが、料理している最中ふいに卵焼きが食べたくなって路線変更したのが失敗の元だった。皿間違いもそこに...

    2016/03/06

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<10> ---写真と音楽の関係について

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 私の写真はJ-POPでできている。 などというと、単なるレトリックに過ぎないだろうか。けど、気分的にはそうだと自分では思っている。 もう少し広い範囲で、日本の歌謡曲といった方がいいだろうか。 自分以外の人が写真と音楽をどれくらい結びつけて考えているかは知らない。少なからず音楽を意識しているということはあるのように思うのだけどどうだろう。 自分の写真はロックだと...

    2016/03/05

    写真ノート(Photo note)

  • 道行き風景 ---冬の終わりに

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 春は別れの季節。 古いものが終わり、新しい時間へとつながってゆく。 行春や 鳥啼魚の 目は泪 芭蕉 ...

    2016/03/04

    日常写真(Everyday life)

  • 守山区の二つの神明社

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は守山区にある二つの神明社を紹介します。 最初は村合町にある神明社から。 ゆとりーとラインの川宮の南東、山下公園の東、ピアゴの北にその神社はある。 社殿自体は一般的な南向きながら、入り口は西側のみで、一の鳥居はない。区画整理でなんとか残ったといった風情のたたずまいとなっている。 村社とあるから、かつてはもっと広い境内を持ってい...

    2016/03/03

    神社仏閣(Shrines and temples)

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2016桜前哨戦 ---近所周り

桜(Cherry Blossoms)
覚成寺開花前

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他



 今日、3月31日、名古屋ではソメイヨシノの満開宣言が発表された。ただ、うちの近所周りではまだ満開ではなく、見頃まであと一歩にとどまっている。今週一週間は桜週間のつもりでいたのに肩すかしを食った。
 先週末から今日にかけて、そろそろかなと思って近くをめぐってみるも、まだかぁという日々が続いている。私としては散り始めてからが本番なので、来週が桜週間ということになりそうだ。
 そんなわけで、今日は前哨戦としての桜風景をお送りします。




覚成寺開花





エドヒガン





松河戸の一本桜





尾張旭のエドヒガン





雨池公園桜並木





春日井すいどう道桜並木





藤が丘方面桜並木





藤が丘駅付近桜並木





長久手古戦場跡の桜





森孝の桜並木

 

道ばた落ちもの

日常写真(Everyday life)
耳当て

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道ばた落ちものシリーズをお送りします。
 相変わらず道に落ちているものを拾い集めるように撮っている。そこに思想のようなものがあるわけではない。ただ落ちているものに反応して、おもしろがって撮っているだけだ。けれど何かしらのドラマがあるように思えることもあって、そこに意味らしきものを見出している。
 道に落ちているものは、小さな物語の結末のようなものだ。それが持ち主の元に戻ることはおそらくない。その最後の姿を私が見送っているようなつもりになっている。




クッション





サメ手袋





腕時計





バッグ





濡れハンカチ





ハンディモップ





ぬいぐるみ





シャトル





銀座のいちごケーキ





きりんのぬいぐるみ

 

長久手の岩作御嶽神社へ

神社仏閣(Shrines and temples)
岩作御嶽神社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 長久手市の岩作(やざこ)にある岩作御嶽神社。
 長久手の神社めぐりをしようと地図を見ているときに見つけた神社で、まったく何の予備知識もなく出向いていった。
 香流川上流に架かる高根橋が参道入り口となっており、案内の石柱も建っている。橋を渡って細い山道をしばらく進むと神社の入り口にたどり着く。石段下からすでにただならぬ雰囲気が漂っていたのだけど、途中の脇にたくさんの石碑のようなものがあって、これはちょっとと思った。以前行ったことがある日進市の岩崎御嶽山に通じるものがある。
 岩崎御嶽山に行ってみる
 すべての御嶽神社がそうではないのだけど、ここはなかなかに強烈だった。明治の神仏分離令など素通りしたかのごとく、21世紀の現在、ここまで神と仏が混在した姿を保っている神社はそうはない。江戸期の神社の多くがこんな感じだったのかもしれないと思わせる。
 創建は江戸時代後期の1830年だそうだ。岩崎御嶽神社が1860年というから、こちらの方が30年先にできている。
 周囲に集落や民家はあるものの、通りからはけっこう入った場所なので、一般の参拝客はごく少ないと思われる。偶然前を通りかかってここの存在を知るということもなさそうだ。境内に心願講という講の教会があって、その関係者たちが訪れるのだろうか。
 そのようにやや隔絶されているがゆえに、山岳信仰の霊場としての空気感を色濃くとどめることができたに違いない。ある意味、よそ者お断りという神社といえるかもしれない。




参道入り口





石碑





鳥居前





拝殿方向





拝殿から本殿





仏と狛犬





壁の影





古い狛犬





境内社





紙垂





鳥居からの眺め

 正直、怖かった。
 神社というのは一般的に清浄さをよしとする空間で、死を穢れとして嫌う。この神社は、なんというか、霊的なエネルギーが充満しすぎているように感じた。このまま家には帰れないと思って、別の神社に寄ってから帰った。
 かなり強い印象を残す神社なのは間違いない。また行きたいかといえばちょっと遠慮したい。
 まあでも、勉強になったというか、神仏習合の姿をとどめている神社としては貴重な存在だろうと思う。一見の価値ありとしておく。
 

道行き人のいる風景

日常写真(Everyday life)
銀髪の男

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き人のいる風景をお送りします。




トレーニング高校生





事故現場





小学生とランドセル





杖のおばあさん





桜と空き缶集め





夕どきの下校中





河原とベンチのふたり





夕焼けの瀬戸電沿い





猫と散歩男性





土手と部活中

 

少し春めくサンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は、少しだけ春を感じさせるものになった。
 今シーズン初タケノコに、新ジャガ、新タマネギ。
 そして、春色っぽいライトグリーンのソース。
 完成した図を見ると、皿は白にした方がよかったかもと思った。
 いずれにしても、ようやくサンデー料理にも春が来たといえそうだ。




サンデ

「鯛のグリーンソースがけ」
 鯛の切り身に塩、コショウ、酒を振って、小麦粉をまぶしてオリーブオイルで焼く。
 グリーンソースはブロッコリーを使った。ミル付きのミキサーを買ったので、一度試してみたいというのもあった。
 ゆでたブロッコリー、マヨネーズ、オリーブオイル、塩、水で作る。牛乳やバターなどを入れてもよかっただろうか。




ジャガイモ焼き

「ジャガイモのお好み焼き風」
 なんと呼んでいいのか分からないジャガイモ料理。先々週作ったスイス料理の流れをくんでいる。
 千切りにしたジャガイモとニンジンを軽く茹でて、炒めたタマネギ、シーチキン缶、卵、チーズ、コンソメの素、塩、コショウを混ぜ合わせてオリーブオイルで両面を焼く。
 ソースは、オリーブオイル、酒、みりん、しょう油、からし、マヨネーズ、ケチャップを混ぜてひと煮立ちさせる。
 これは気に入ったからまた作ることになると思う。次はもっと表面がパリパリになるまで焼いてみよう。




タケノコのあんかけ

「タケノコのあんかけ中華味」
 タマネギ、茹でたタケノコ、ぶなしめじをごま油で炒める。
 酒、みりん、しょう油、鶏ガラだし、塩、コショウで味付けする。
 最後に水溶きカタクリ粉でとろみをつける。
 

写真ノート<13> ---距離と瞬間

写真ノート(Photo note)
川辺のしだれ桜

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 大事なのは、何を撮るかよりもむしろ、いつ撮るかということだ。
 撮るべきは、状況ではなく瞬間だ。連続する時間のどの部分でシャッターを押すか、それにすべてがかかっている。
 常にベストのタイミングでジャストミートできるわけはない。ただ、どのタイミングで押せばいいかを分かっているのといないのとでは大違いで、写真は結果がすべてであっても、結果論で語られるべきものではない。
 どんなにいいチャンスも、間違ったタイミングでシャッターを押せばすべてが台無しになってしまう。

 想像しうる最高の一瞬を帰結点として、逆算して最初の一歩を決めるというアプローチ方法がある。
 分かりやすい例で言えば、ダイヤモンド富士などがそうだ。ある季節の、ある時間帯の、ある条件のもとでしか最高の一瞬は訪れない。そのとき、その場に立ち、その瞬間にシャッターを押せるかどうかにかかっている。
 別の例で言えば人を撮る場合。どの瞬間を選択するかによって写真の出来不出来は大きく違ってくる。闇雲に連写しても、本当にいい瞬間を捉えることなどできない。
 いい写真を撮る人間というのはつまり、どの瞬間にシャッターを押せばどう写るかが分かっている人間だ。それはもうはっきりしている。たった一秒の差が決定的な差として表れる。
 同じカメラ、同じレンズで、同じ被写体を隣で撮っても、上手い人間とそうでない人間とでは違う写真になる。条件が同じなのに写真の違いが出るのは、要するに瞬間を掴まえられるかどうかということだ。それ以前に見極められるかどうかに他ならない。
 それは動いている動物や乗り物でも、止まっている風景や草花でも同じだ。止まっているものに決定的瞬間がないと思っているようでは決定的瞬間など撮れるはずもない。

 もうひとつ、距離の問題がある。
 写真を撮っている人の様子を見れば、いい写真を撮っているかそうじゃないかはだいたい分かる。よくない人の共通点は、立ち止まったままファインダーをのぞいてズームレンズのリングをぐるぐる回しながら撮っている。それでは被写体との呼吸を合わせられない。被写体との距離感をないがしろにしていては、被写体がこちらの思いに応えてくれるとは思えない。
 完璧な瞬間が一瞬しかないように、完璧な距離感というのも一点しかない。それは撮る以前に、もっといえばファインダーをのぞく以前に決まっている。自分と被写体との距離やレンズの画角によってあらかじめ決まっていて、動かしようがない。
 写真を撮るということは見るということであり、決めるということだ。カメラを構える前に頭の中で完成していなければならない。
 シャッターを押すという行為は、100パーセントのうちの最後の仕上げの1パーセントのようなもので、カメラを構えてファインダーをのぞいてシャッターを切るのは1秒か2秒もあれば事足りる。そこに時間がかかるとしたら、それは距離と瞬間が見極められていないということだ。
 撮り手が確信を持ってシャッターを押していない写真は弱い。上手く撮れていたとしても、どこか説得力に欠ける。

 もちろん、撮る写真のすべてにおいて常に距離と瞬間があらかじめ分かるものではない。ふいに訪れたチャンスに反応してラフに撮ることも少なくない。ただ、日頃からそのことを意識しておくことはとても大事なことだ。
 いつでも、距離と瞬間を探り当てようとしなければいけない。そのためにはやはり、日常的に単焦点レンズを使うのがいいと思う。画角さえ把握できていれば、あとは距離と瞬間を合わせるだけだ。
 被写体と自分との位置関係で50mmならこの範囲が入ると頭に入っていれば、余計なことを考えずに目の前のシャッターチャンスに集中できる。ズームレンズで画角を考えるとどうしてもワンテンポ反応が遅れる。三脚に立ててじっくり風景を狙うときなどは別としても。
 
「いいのが撮れないとしたらそれは近づいていないからさ」とは、ロバートキャパの有名な言葉だ。けど、それは本質を突いていると同時にキャパ特有のユーモアとはぐらかしでもある。距離の問題はそんなに単純なものではない。
 土門拳は舞台下でかぶりつくように被写体に迫りながら撮り、木村伊兵衛は透明人間のように舞台に上がって舞台の上から舞台を撮った。そのどちかが正解というわけではない。
 遠すぎるのは論外としても、近づけば近づくほどいいというわけではない。状況によって最適な距離というものがある。
 距離感というのは本当に大切なことなのだ。頭の中で構図を整えることよりも、自分と被写体との距離が構図を決めると思っておいた方がいい。距離感が被写体との関係を表し、それは写真を見る人間に伝わる。距離感によって被写体を生かしも殺しもする。
 どの距離でどの瞬間に撮るのが正しいのかは一概には言えない。写真は常に一期一会で同じ場面は二度訪れないから、再現性という点での難しさがある。
 それでも、そのとき、その場における正解の距離と瞬間というのは必ずある。それはもう、経験で培っていくしかない。誰かに教えてもらえるものではないし、教えられるものでもない。

 撮るべき瞬間は一瞬しかない。写真は反射神経勝負でもある。スポーツ選手のように、反射神経や動体視力を鍛えるトレーニングをしてもいいのかもしれない。
 

森林公園の春風景

植物園(Botanical garden)
菜の花

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 3月後半の森林公園。
 去年と比べると面積は半分くらいになってしまったけど、今年も菜の花がよく咲いた。シロチョウやキチョウも飛び始めて、いよいよ春本番を実感している。
 ソメイヨシノも開花したものの、ここ数日の寒の戻りで見頃まではまだ少しかかりそうだ。
 今日は森林公園の春風景をお届けします。




ハルリンドウ





ルリタテハ





コブシ





メジロ





水と枯れ草





クモの巣





レンギョウ





レンゲ





水滴





タンポポの綿毛

 

京都の高台寺のWebサイトのこと

フォトコン・写真(Photo Contest)
高台寺ブック表紙

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 京都にある鷲峰山高台寺(じゅぶさんこうだいじ)。
 Webサイトをリニューアルするときに使う写真を撮ってほしいという依頼を受けて撮影を担当させていただいたのが去年のこと。
 このたびサイトが完成したのでお知らせします。
 高台寺のWebサイト

 高台寺は、秀吉の正室ねねさん(北の政所)が、秀吉を弔うために建てたお寺だ。清水寺や八坂神社、祇園などがある東山区にある。
 秀吉は名古屋市中村区の生まれで、ねねさんは清洲の朝日村で生まれたとするのが一般的な説のようだ。
 京都のお寺の写真を名古屋の私が撮ることになったのは、そんな縁もあったのかもしれない。ねねさんの遺骨は高台寺の霊屋にある木像の下に安置されている。ねねさんが私を呼んでくれたのだろうか。
 執事長の後藤住職をはじめ、お寺の全面協力を得て、一般は立ち入れない霊屋の内部なども撮らせていただくことができた。

 京都へ行った際にはぜひ高台寺さんもお立ち寄りください。




ブック

 撮った写真はすべて渡してデザイナーさんにお任せだったので、自分ではブックを作った。その中の一部を紹介します。




ブック2





ブック3

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---ナビィのパン/めぐみの森

パン屋(bakery)
ナビィのパン

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊の食パンをめぐる旅、今回は守山区にある2つのパン屋さんを紹介したい。
 まず最初は、JR中央本線の新守山駅にほど近いところにある「ナビィのパン」さんから。
 昔からここのパン屋を知っている人にとっては「ラ・パント」といった方が馴染みがあるのだと思う。2012年に閉店したあと、3年後の2015年に名前を変えて復活したのが「ナビィのパン」だ。
 元の母体は株式会社フランスパンというパン製造会社で、ホテルやコメダ珈琲にパンを卸しつつ町のパン屋もやっていたのだそうだ。コメダのモーニングのトーストやシロノワールのパンなんかもそこで焼いていたという。
 その株式会社フランスパンがコメダに買収されたことに伴い、パン屋は閉店になったという経緯があったようだ。
 その後、3年の月日を経て復活したのが去年のこと。スタッフの思いや近所の要望などもあり、あらたな体制で再出発ということになった。ただし、以前のように卸しをやる母体で儲けるということができないため、昔に比べると値段は少々高くなっているようだ。味に関しても昔通りとはいかないだろう。
 そんなこんながあっての現在なので、「ラ・パント」を知っている人と知らない人とでは思い入れがだいぶ違うと思う。私は後者なので、フラットな判断しかできないのだけど、第一印象としては悪くないけど特別美味しいとは言えないというのが率直な感想だった。お店の雰囲気は温かみがあって好印象だった。
 ちなみに、コメダのシロノワールは好きだ。




山食パン

 山食と四角を買って食べてみた。
 どちらもシンプルで、良くも悪くもとがったところがない。普通に美味しい。それだけに印象としての引っかかりがない。毎日のように食べる食パンとしては飽きがこなくてよさそうだ。
「ラ・パント」時代に一度行っておきたかった。

 ナビィのパンのWebサイト
 お店の地図
 7時~18時
 定休日 日曜日




めぐみの森

 つづいて紹介するのは、「パン工房 めぐみの森」さんだ。
 名鉄瀬戸線の瓢箪山駅の北、瀬戸街道沿いにある。少し奥に引っ込んでいるのであまり目立たず、通り過ぎそうになった。
 とても素朴な町のパン屋さんという雰囲気が店からもパンからも伝わってくる。有名店ではないし、口コミで上位にランクされたりすることもないけど、こういう個人でやっている小さなお店は応援したくなる。夕方行ったらパンが20パーセント引き(だったかな)で、そんなところにも店主の良心が感じられる。




めぐみの森店内





四角パン

 行ったときは切れているパンしかなかったので選択の余地はなかった。普段はたいてい一本とか半分とかで買う。食パンをまっすぐ切るのは案外難しいのだけど、その都度切り分けてトーストする方が好きだ。気分によって厚く切ったり薄く切ったりもできる。
 食感は軽めで、素直ないい食パンだ。すごく美味しいというと褒めすぎだけど、平均点以上はあると思う。個人的な好みとしては、もう少し風味があって、口どけがいいともっとよかった。
 丸にめの焼き印がちょっとかわいい。

 パン工房 めぐみの森のWebサイト
 お店の地図
 9時~18時
 定休日 水曜日

 食パンだけでその店の実力を測ることはできないことは分かっているけど、今は食パンをめぐる旅なので、一通りの店を回り終えるまではこのまま食パンだけでいきたいと考えている。早く二周目になって美味しい菓子パンを食べたい。
 

下志段味の八幡神社へ

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
下志段味八幡入り口鳥居

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ。今回紹介するのは、守山区下志段味にある八幡神社だ。
 交差点でいうと、中志段味の南の雨池交差点の一本南の通りを西へ入った右手に神社はある。志段味中学の東といった方が分かりやすいだろうか。
 かつてはもっと庄内川に近い字真光寺にあったようで、庄内川の氾濫で被害にあって、明治5年に現在の地に移されたそうだ。
 創建年は不明ながら1684年に再建されたという棟札が見つかっていることから、おそらく江戸時代初期あたりと考えてよさそうだ。
 八幡神社に関しては書くことが少ない。祭神はホムタワケ(品陀和 気/応神天皇)とオキナガタラシ(息長帯比賣命/神功皇后)とたいてい決まっているし、創建もほとんどが江戸時代で、歴史的に見てあまり面白みがない。それはアマテラスを祀る神明神社にも同じことが言える。
 もう一柱の祭神、カグツチ(火之迦具土神)については、大正6年に近くの秋葉神社を合祀したと説明書きにあった。
 特別印象に残る神社ではなかったのだけど、訪れたのが夕方でオレンジの西日が当たってきれいだったのが記憶に残った。




番塀と拝殿





拝殿と本殿





板間





本殿





境内社





天王社





神仏習合の名残





西日と社殿

 

池下界隈散策

名古屋(Nagoya)
蝮ヶ池跡地

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今池と覚王山に挟まれた池下は、やや影が薄い。ような気がする。個人的にもほとんど馴染みのない街だ。
 おととしの春に蝮ヶ池八幡宮を訪ねて、少しだけ縁ができた。そのときにも書いたけど、愛知厚生年金会館がいつの間にかなくなっていて驚いた。
 蝮ヶ池八幡宮へ出向く
 池下の地名は、かつてこの地にあった蝮ヶ池から来ている。今の地下鉄池下駅があるあたりは蝮ヶ池の底だった。江戸時代前期の新田開発に伴って作られた溜め池で、古い地図を見るとかなり大きな池だったことが分かる。
 大正10年に宅地造成のために埋められて、現在は跡形もない。いや、その名残が池下駅の北にあるというのをどこかで見た記憶があって、今回はそれを探すために出向いてみたのだった。
 池下北交差点を北へ進み、一本目の細い一方通行を右手(東)に入ってしばらく進むと三叉路に出る。その角に小さな神社があり、そこが蝮ヶ池の名残のようだ。
 埋め立て工事を行っていると事故が相次いだため、池の龍神様を祀るために龍神社を建てたという。そのとき、近くにあった弁天社も合祀したようだ。
 ここから北へ行ったところにある蝮ヶ池八幡宮とこの場所は、直接の関係はないようだ。あちらは江戸時代前期に創建されたと伝わっている。

 近くにある「メゾンカイザー」でパンを買ったりしつつ、池下界隈をぷらっと自転車でめぐってみた。今日はそんな写真をお届けします。




蝮ヶ池





幟





蝮ヶ池八幡宮





三喜神社





池下駅





スクランブル交差点





セントラルガーデン





駅前風景





古川美術館





東山通

 

道行き風景 ~冬の名残

日常写真(Everyday life)
古い物干し

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 そろそろ春本番で、桜も咲き出した。この冬もどうにかネタ切れにならずに乗り越えることができた。神社ネタなどの在庫がまだ残っているから、もうしばらくは季節ものと在庫とを織り交ぜての更新になりそうだ。




ベンチと吸い殻と空き缶





外の郵便受け





空き家と梅





錆のトラック





古い薬局看板





更地





空き家とキズイセン





破れたフェンス





古い住宅と屋上のアンテナ





アパートと洗濯物

 

普段着サンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は基本に立ち返ったというか、単なるアイディア不足でいつものメニューに戻った。マグロとジャガイモとエビと鶏肉。黄金のカルテットと呼びたい。
 緑色の野菜がなくて、彩りに欠けた。キャベツは緑色というより白色に属する。かろうじて長ネギの青い部分があっただけだった。
 そろそろ春らしさも出していきたいと思いつつ、春野菜って何だろうと考えてしまう。つくしとか、ぜんまいとか、菜の花なんかはたぶんサンデー料理には登場しない。タケノコはまだだろうか。




マグロのしょう油だれ

「マグロのグリル焼きしょう油だれ」
 今回も魚焼きグリルで焼いた。長ネギの白い部分は塩を振ってレンジで加熱。




新タマネギ炒め

「新タマネギのコンソメ炒め」
 少し華やかな春らしい炒め物といえるかもしれない。
 具材は、新タマネギ、キャベツ、ニンジン、シーチキン缶。最後にスクランブルエッグを混ぜ合わせる。




ジャガイモ炒め

「ジャガイモ炒め」
 ジャガイモはレンジでの加熱時間が意外と難しい。加熱しすぎると柔らかくなってしまうし、足りないと芯が残る。茹ですぎるとぐずぐずになる。
 素揚げにするという手もあるのだけど。
 とろけるチーズを絡め、粗挽きコショウを振りかける。
 

写真ノート<12> ---大切なのは被写体の心

写真ノート(Photo note)
夕どき散歩

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 大切なのは撮り手の心ではなく被写体の心。写すべきものは自分の心情などではなく写される側の気持ちだ。
 写真はある場面のある瞬間を切り取ることで成立するものだから撮り手の意図というのは必ず表れる。主観から逃れることはできない。けど、たとえそうだとしても、できる限り自分は黒子に徹したいと思っている。写真の主役は撮り手である自分ではなく、あくまでも被写体だというのが私の考え方だ。
 自分は被写体と鑑賞者の間に立って橋渡しをするのが役目だと思っている。そのためには、自分というフィルターは無色透明であることが望ましい。色つきフィルターを通すことで目の前の風景を自分勝手に作りかえたくない。
 撮られた瞬間の視点は自分のものでも、できるだけ自分の気配を消し、できることならば自分不在であることが理想だ。鑑賞者が被写体と直接つながれるように。
 作家性などというものはどうでもいいのだ。

 被写体と向き合わないことを心がけている。被写体の心を写すには、被写体と対峙してはいけない。被写体に近づき、寄り添い、叶うならば同化し、被写体が見ている光景を被写体と一緒に写し取りたい。
 いつも自分自身に問いかけている。被写体の声なき声に耳を傾けているか。被写体の声がちゃんと聞こえているのかと。それは風景であっても植物であっても人間が作った人工のものでも同じだ。被写体が発しているメッセージを受け取らなければ被写体の心など写せるはずもない。チューニングを合わせて、心を通わせなければならない。
 被写体は自分自身の映し鏡だ。撮り手が自ら語らなくても被写体が語ってくれる。被写体が語ろうとする以上のことを語ろうとすれば、鑑賞者は自ら耳を傾けることをやめてしまうだろう。
 写真を撮るという行為は本来的に自己表現といったものではない。言うなれば他者表現といったようなものだ。自分がいて被写体があるのではない。被写体があって自分がいるのだ。
 写真を撮る対象は、自分の持ち駒や小道具といったものなどでは決してない。心を持った存在であり、その心を写すことだけが必要なのだということを忘れてはいけない。

 被写体の声を拾い集めた先に何があるのか。
 自己表現ではない表現とは何なのか。
 それは、私自身この先ずっと自問自答していく問題で、答えは出ないのかもしれない。
 私は写真を始めたときから今に至るまで、写真的に優れた作品を撮ることを必ずしも目標としてこなかった。かつてこんな表現をしたことがある。
 何故写真を撮るのかという問いに対する答えとして、この世界を肯定するための証拠を拾い集めるためだと。今の私には、世界を肯定するために言葉と写真の両方が必要だと感じている。言い方を変えるなら、言葉と写真さえあれば世界を肯定できるのではないかと。
 写真行為が主観的なものである以上、自分の感情が写真の中に漏れ出してしまうことは避けられない。もしそうであるならば、それはこの世界を愛おしいと思う感情でありたい。
 片思いと分かっている愛の告白のような。
 

飛行機のある風景

飛行機(Airplane)
飛行機雲

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F5.8-6.7



 今日は飛行機のある風景をお送りします。
 そういえば、この前の日曜日、名古屋空港で航空際が行われた。今年もブルーインパルスが飛んだようだけど、あの日は曇り空で、住人の反対もあって上空高いところの飛行ということで見にいかなかった。
 またそろそろ名古屋空港にも撮りにいかなければと思っている。




三日月と飛行機





ライトブルーFDA





雲とヒコーキ





ピンクのFDA





夕日と飛行機





庄内川橋梁と自衛隊機





黄色のFDA





自衛隊輸送機





戦闘機





電線とフジドリームエアラインズ

 

名古屋と近郊で食パンをめぐる旅 ---スーリープー

パン屋(bakery)
スーリープー店舗外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋と近郊の食パンをめぐる旅。今回紹介するのは、中区鶴舞にある「スーリープー(SURIPU)」さん。名古屋のパン好きにはよく知られている店だ。
 多数の高評価を得ていながら、ちらほら辛口の意見も見られ、そのあたりがどうなのだろうと行く前から気になっていた。
 鶴舞公園の西250メートルほどのところにその店はある。ただ、鶴舞駅を起点にすると道路が複雑に交差していてどちらへ向かったらいいのか少し混乱するかもしれない。地下鉄鶴舞線が通っている大須通で、地名としては千代田2丁目になる。目印としては鶴舞郵便局で、細い道を隔てた西隣に位置している。駐車場はない。
 店の外観は一見するとパン屋には見えないというのは誰もが指摘するところだ。ただし、前を通ればパンの香りが通りまで漂っているのですぐにそれと分かる。
 店内はかなり狭い。最近リニューアルされて、テイクアウト用のコーヒースタンドがあらたにできた。
 外観をおしゃれと見るか見ないかは人によって分かれる。もともとは事務所か何かだったのを改築したのだろうか。

 それにしても、この店はなんだろう。少し不思議な感じがする。パンの味以前にお店としてのコンセプトがよく分からない。
 若い3人くらいの店員さんが私服で店を切り盛りしている。学生のバイトのようにも見える。まずその地点で戸惑う。別に接客態度に問題があるとかそういうことではない。なんというか、売っているパンと店員さんとの間のギャップがある。
 店頭がそうなので、パンを焼いている職人さんの顔が見えづらい。年配の職人さんなのか、男性なのか女性なのか、上手くイメージできない。webサイトも一応はあるものの、必要最小限のことしか書かれておらず、店のメッセージや方向性のようなものが見えてこない。
 外観にしても店内にしてもシンプルではあるものの、計算されたシンプルさには思えず、やっぱりそっけないと感じてしまう。
 値段設定に関してはいい素材を使っているせいもあるのだろう、やや割高だ。かといってテーラテールのような高級志向というのとも違う。
 それでいてパンは一級品というのだからますます混乱する。
 名古屋を代表するパン屋のひとつには違いないのだろうけど、県外の人にも自信を持ってすすめられるかというと少しためらう。味はいいんだけどねと。
 なんだかもったいないような気がする。せっかく美味しいパンを提供してるのだから、もっとちゃんとコンセプトを決めて、パンと店と人をパッケージにして売り出せばもっといい店になるのにと、余計なおせっかいをしたくなる。
 もしかするとオーナーは職人気質の人で、美味しいパンを作ること以外はどうでもいいといったような考えの持ち主なのかもしれないと思ったりもする。むしろ気取ったパン屋が嫌いなのだろうか。
 あるいは、あえてそっけないふうを装って、実は全部計算尽くという可能性もあるのか。深読みするならば。
 そもそも、SURIPUとはどんな意味なのだろう。店名に込められた思いを知ることができれば、オーナーの意図や店の指向性なども分かってくるようにも思うのだけど。




スーリープー

 なるほど、食パンを一枚食べただけでも高評価の理由が分かる気がした。申し分なく美味しく、レベルが高い。
 外はカリカリで中はじゅわっと、口どけもいい。個人的にはもう少し小麦の香りや甘みが強い方が好みではあるけど、日常的に食べるならこれくらい控えめの方が飽きがこないと言えそうだ。
 例によって他のパンは食べていない。それでも、どれを食べても美味しいだろうというのは想像がつく。他にはあまりないような珍しいパンもあるようだ。

 とにかくもう二、三度は行ってみないと個人的な評価は定まらない。
 まだ行ったことがない人は一度行ってもらうと、私が言わんとしていることがなんとなく分かってもらえると思うけどどうだろう。

 スーリープーのサイト
 お店の地図
 8時~19時
 定休日 月・火曜日
 

守山区の吉根八幡神社へ

神社仏閣(Shrines and temples)
吉根八幡神社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は守山区吉根(きっこ)にある八幡神社を訪れた。
 通りから少し入った住宅地の高台にあるのは、何度か遷座しているせいもある。
 創建年は不明ながら中世以前からあったという話もある。もともとは八幡ヶ嶺という山の上にあったそうだ。八幡ヶ嶺は現在イオンがあるあたりにあった山で、現在は崩されてしまって跡形もない。
 中世に入って山の上は参拝するのに不便だということで山沖(500メートルほど西)に移されるも、たびたび庄内川の氾濫で被害にあったことから、江戸時代前期の1655年に現在地に再度移されてきた。
 山沖の地にあった本宮の石碑は、土地整備のため、現在の本殿裏手に移築されている。
 とまあ、そんな歴史は帰ってきてから知ったことで、出向いたときはほとんど何の予備知識もなかった。神社は先入観なしにふらっと行く方がいいのかもしれない。この神社好きだなと思ったなら、その感覚が大切だ。歴史の長さや由緒などに惑わされてはいけない。




拝殿と本殿

 社殿はコンクリート製で新しい。
 八幡社ということで祭神は当然ながら誉田別尊(ホンダワケ)になる。
 境内社として、一之御前社、内津社、富士浅間社、奥山社、護国社、御嶽社がある。




手水舎の龍





拝殿前





社殿の光と影





古い石碑





新しい狛犬





御嶽社





護国社





拝殿と西日





境内の様子

 参道は桜のトンネルになっている。桜咲く季節に訪れたらまた違った風景が見られるだろう。
 

東山植物園便り ---春へ向かう

植物園(Botanical garden)
東山植物園

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 先週、東山植物園へ行ってきた。
 季節はいよいよ春。一斉に花も咲き始め、とはいかず、少し足踏み状態だった。それでも、一番手のロウバイやフクジュソウなどは終わり、梅も終盤で早咲きの河津桜が見頃を迎え、トサミズキなども咲き出してきていた。季節は着実に春本番へと向かっている。
 そんな3月前半の植物園風景をお送りします。




トサミズキ





つくし





梅林





カタクリの蕾





ヒメオドリコソウ





毛虫みたい





ボケ





ユキヤナギ





オカメザクラ





河津桜とメジロ

 

高岳桜2016<後>

桜(Cherry Blossoms)
高岳桜並木

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8



 高岳の桜の後編をお送りします。
 今日の名古屋は冷たい雨が降った。明日は強い風が吹くという。早咲きの桜たちも散り始めることだろう。
 この日、高岳の前に近くにある名古屋市市政資料館にも寄ってみた。あそこは早咲きの桜から遅咲きの桜まで、2ヶ月くらいにわたっていろいろな桜が咲く。今は一番早く咲いた桜は散りかけで、その次はまだ咲き出してきていなかったから、行くならもう少しあとにした方がいい。3月の後半になれば何種類かの桜が見頃になるんじゃないかと思う。




名古屋市市政資料館の桜





桜と逆光





メキシコ料理と自転車の学生





床屋の窓と寒緋桜





オフィスの窓に映る桜





桜と影





マンションと桜と郵便配達人





古木桜と洗濯物





桜並木と車の列





桜並木と親子

 

スイス料理もどきサンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今日のサンデー料理は、久々の海外シリーズ。スイス料理もどきに挑戦してみた。
 あくまでも、もどきであって、スイス料理ではない。スイス風とさえ言えないかもしれないくらいだ。
 きっかけは、テレビのクイズ番組でスイスに関する問題が出題されたことだった。そういえばスイスの首都ってどこだっけと考えて思い出せなかったことから始まった。スイスといえばジュネーブは思い浮かぶけど、首都がベルンというのは忘れがちだ(スイスは連邦国家であり、ベルンは連邦都市で正式な首都ではないらしいのだけど)。
 そこでふと思ったのが、スイス料理ってどんなだろうということだった。精一杯思い出しても、チーズフォンデュくらいしか思い浮かばない。東京あたりにはスイス料理レストランなんかもあるのだろうけど、名古屋ではどうなんだろう。もし近所にあったとしても、まず行くことはない。
 軽く調べてみたところ、西はフランス、北はドイツ、南はイタリア、東はオーストリアに囲まれているということもあって、それぞれの地方で隣接する国の影響を受けた料理がよく食べられているようだ。基本的には田舎料理のようだけど、けっこう美食の国なんだとか。
 主食はパスタだったりジャガイモだったりするのは、なるほどと納得するところだ。あとはなんといってもチーズが欠かせない。
 海はないので魚介類の料理はあまり豊富ではないようだ。淡水の白身魚はわりと食べられているらしい。
 そんなにわか仕込みの浅い知識で作ったスイス料理もどきが今日の3品だ。これを食べたスイス人がスイスを思うかどうかは分からない。当たらずといえども遠からずではないかと、作った本人は思っているのだけど、さてどうだろう。




鯛のソテー

「鯛のソテー」
 スイスではレマン湖で獲れた白身魚をムニエルにして食べるフィレ・ド・ペルシュという料理がよく知られているようだ。マヨネーズやレモンなどをかけて食べるという。




ジャガイモ焼きのトマトソース

「ジャガイモ焼きのトマトソース」
 細く刻んだジャガイモ、タマネギ、キャベツに、卵、チーズ、カタクリ粉、塩、コショウを混ぜ合わせて、フライパンで焼いた。
 刻みジャガイモのカリカリ焼きはレシュティという名前の料理で、スイスでは国民食というほどポピュラーなものらしい。
 アレンジして洋風オムレツのトマトケチャップソースがけにしたら美味しかった。スイスの人たちにはむしろこの料理をオススメしたい。




マカロニとソーセージのホワイトソース

 ドイツ語圏ではソーセージを焼いたブラートヴルストという料理がよくあるというので、それをヒントに自分なりに作ってみた。
 マカロニとマッシュルームとホワイトソースの組み合わせがなんとなくヨーロッパっぽい気がしたのだけど、向こうの人がこんな料理を食べているのかどうかは知らない。

 スイス料理を作ろうと思いつくまでほとんどスイス料理に無関心だったことを思えば、初めてでここまで近づけたのは上出来かもしれない。実際とは大きくかけ離れていたとしても、気分だけでも近づけたのはよかった。少しだけスイスに関する知識も増えた。
 ときどき思い出したようにやる海外料理シリーズ。またどこかの国が心に引っかかったときやることにしよう。
 

写真ノート<11> ---写真の中に流れる時間

写真ノート(Photo note)
道ばたに花

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 私は時間を撮りたい。いつからかそんなことを考えるようになった。
 写真は一瞬の芸術などという言葉があるけど、私はそうは思わない。写真には現在だけでなく、過去も写っているし、未来さえも写るものだと信じている。
 現在しか写っていないような薄っぺらな写真では駄目なのだ。
 そこに至るまでの経緯と、この先どうなっていくのかを想像させる写真が好きだ。

 今日は昨日から見た明日であり、明日から見た昨日だ。
 現在は未来であり、同時に過去でもある。
 現在は時間の集積であり、未来への運動だ。時間はとどまることなく未来方向へと流れている。
 シャッターを押そうと決めた瞬間から実際に押されるまでには数瞬の時間があり、シャッターが切られ始めてから記録されるまでにも時間は流れている。つまり、我々は現在を撮っているつもりが、写真には意図した瞬間よりも未来の姿が写っているということになる。
 写真に写っているのは、現在から未来へと向かう波動といったようなものだ。厳密に言えば写真の中の時間は止まっていない、動き出そうとしている。その刹那のゆらぎこそが写真というものなのだ。

 映像は時間を一方向に記録する。
 文章は現在、過去、未来を行き来できるけど同時には表現できない。
 写真は、現在、過去、未来を同時に捉えることができる手段だ。
 写真は常に過去とつながっている。同時に未来への予見もはらんでいる。
 すべての存在は移ろい、やがては消えてゆくことを私たちは知っている。
 写真はかりそめに止まっているように見えるがゆえに悲しい予感を内包するのだろう。

 時間を撮るということがどういうことなのか、自分でも分かっているようで分かっていないところがある。
 自分が写しているすべての写真を総体として考えるとき、そこには空間だけではなく、確かに時間といったものが存在する。空間に時間という縦糸を通して数珠つなぎにしているような図を想像してみる。
 空間的な広がりだけなく、時間軸の奥行きを意識する必要があるように感じている。
 それは単なるノスタルジーや未来に対する予感といったものではない。大げさに言えば、人類と世界の歴史をどうやって丸ごと写真に封じ込めるかということだ。

 写真は未来に向けて撮られている。もしかすると一枚の例外もなくそうなのかもしれない。
 旅先で写真を撮るのは帰宅してから見返すためだし、子供の写真を撮るのは時間が経ってから懐かしがるためだろう。今日の記録は未来で役立てるためだし、誰かのために撮られた写真もまた、未来方向へ向かって手渡されるものだ。
 私が言う時間が撮りたいというのは、写真の中に流れる時間を意識するということなのだと思う。

 明日世界が終わるとして、私は今日写真を撮るだろうか。
 きっと撮らないだろう。終わりゆく世界に写真は必要ないからだ。
 私は明日の自分のために今日写真を撮っている。
 あなたが今日撮る写真は、未来のあなたに向けた贈り物なのだ。
 

高岳の桜2016<前>

桜(Cherry Blossoms)
プレートに映る桜

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 60mm F2.8



 今年もまた桜の季節がやってきた。
 いつものように高岳の早咲き桜でシーズンは開幕した。
 季節はぐるりとひとめぐりして、もう一度この季節に戻ってこられたことを喜びたい。
 暖冬の影響で、今年はいつもの年よりも一週間ほど早く見頃を迎えた。この週末はちょうどいいタイミングだ。

 桜は上手く撮ろうとかいいのを撮ってやろうなどと考えると空回りする。感じるままに、ただ反応することだけを考えればそれでいい。
 桜は特別なものだけど、普通に撮るしかないものなのだと、あきらめ半分、悟り半分思うようになった。
 よりありきたりな桜風景を撮る、というのが私の今年のテーマになりそうだ。




桜と逆光






寒緋桜と白い壁





高岳の桜並木風景





マンションと桜





散り桜と自転車





大寒桜とヒヨドリ





桜を見上げる





下校中の高校生と桜





ベランダ風景と桜の季節





学校帰りの親子と桜並木

 後編につづく。
 

春は道ばた

日常写真(Everyday life)
あとかた

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道ばた写真をお送りします。
 道ばた写真にシーズンオフもオンもないのだけど、春は思いがけない出会いが多いように思う。それは季節の変わり目というだけでなく、生活が切り替わることも関係している。春の別れは、人と人だけのものではない。人と物も春に別れが待っている。
 持ち主の手から離れたものを見送るような気持ちで撮っている。代わりにさよならを言うみたいに。
 誰かとの別れは、私との出会いだったりする。




傘とヒマワリ





ライトグリーンのライター





ハンドタオル





ズボン脱皮





キーホルダー





飾り付け





壁から草





割り箸の袋文字





土手に散乱する雑誌





カラオケマシン

 

春日井の大日社と諏訪神社

神社仏閣(Shrines and temples)
大日社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は春日井市南部にある二つの神社を紹介します。
 最初に訪れたのは、上条町にある小さな神社、大日社だった。
 春日井王子町郵便局のすぐ北、小さな公園の中にそれはある。垣などに囲われていないので、公園の中に社があるといった風情となっている。
 王子製紙の王子バラ園の近くなので、その存在を以前から知ってはいた。ちゃんと訪れたのは今回が初めてだった。
 大日社というのは、独立したところは知らないのだけど、境内社で見かけることがある。
 南東500メートルほどのところにある和爾良神社(かにらじんじゃ)の飛地末社(御旅所)という位置づけの神社らしい。
 祀られている神様は、大日霎命(オオヒルメ)で、これは一般的にアマテラスの別名とされている。
 和爾良神社は平安時代にはすでに建てられていた式内社のようで、その関係となれば大日社も歴史はありそうだ。
 どうしてこの地に離れて祀られているのかなど、詳しいことは調べがつかなかった。




大日社本殿





小野道風石碑

 小野道風の石碑が建っている。
 小野道風生誕地と伝わる場所にある道風記念館は、ここから2.5キロほど南西にある。
 この神社の場所も生誕地の伝承があるところなんだろうか。




社殿と太陽





和爾良神社

 和爾良神社も鳥居の前まで行ってみた。ここは以前に一度訪れていて、この日は中までは入らなかった。
「子供たちの遊び場と化している式内社の和爾良神社」




諏訪神社外観

 続いて訪れたのは、和爾良神社から見て700メートルほど南西にある諏訪神社だった。
 村社だった熱田神社と無格社の諏訪神社を合祀した神社のようだけど、名前は諏訪神社となった。入り口には諏訪神社と熱田神社の両方の表記がある。
 祭神はアマテラスの他、ヤマトタケル、イザナミ、タケミナカタが祀られているようだ。
 神明社と称していた時期もあったらしい。
 ここも詳しいことは分からない。




諏訪神社拝殿





本殿





狛犬





境内社





奉納額





屋根と鬼瓦と西日

 小さい神社も見つけたら出向いていく。

 つづく。
 

瀬戸街歩き<後>

旅/散策(Stroll)
窯垣の小径

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 今日は昨日の続き、瀬戸の街歩き、後編をお送りします。
 商店街を出て、少し離れた窯垣の小径を目指した。
 この日初めて、登り窯があるところまで歩いた。常滑でも見たことがあるけど、現役で使われている登り窯は見たことがなかった。
 今もなお、瀬戸は焼き物の町には違いないけれど、本当に賑わっていた頃の姿がどんなだったかは、もはや想像がつかない。写真や映像で見る煙突だらけの風景も、遠い日のこととなって久しい。
 陶器の代名詞として定着している「せともの(瀬戸物)」が瀬戸の陶器から来ていることさえあまり意識されなくなってきているのかもしれない。




窯垣風景





陶器の壁





焼き物の町風景





登り窯





登り窯のレンガ積み





登り窯の室





屋根の上の焼き物シーサー





ギャラリーのディスプレイ





道ばたのお稲荷さん





民家の庭のしだれ梅





近所の猫

 

瀬戸街歩き<前>

旅/散策(Stroll)
雨滴

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 瀬戸市のお雛めぐりへ行った日、瀬戸の街も少しだけ歩いた。
 途中から降り出した雨はほどなくやんだ。
 瀬戸の街は雨も似合うと思う。




アーケード街と和装の人





お手玉





乳母車





格子戸の家と雨





古い鍵





写真館跡





井戸





町並みと街灯





精肉店





路地裏の風景





深川神社より

 後編につづく。
 

油断は敵サンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 慢心は油断を生み、油断は失敗を生む。
 ここのところしばらく安定飛行が続いていたけど、今回はいくつか失敗をやらかした。10年選手とはいえ、まだまだだとあらためて思い知る。
 卵焼きを失敗し、皿選びを間違えた。そもそもでいえば、卵焼きではなくナスとエビの炒め物を作るつもりが、料理している最中ふいに卵焼きが食べたくなって路線変更したのが失敗の元だった。皿間違いもそこに要因がある。
 まあ、食べられないような失敗というのはもう考えられないのだけれど。




いつものサーモン

「いつものサーモン」
 たれは、ショウガしょう油味。
 サーモンの炙りをやりたいと思ってバーナーを調べてみたら意外と高いのでやめた。ガスコンロで上手いことやれないか、方法を考えよう。




卵焼き

「エビ入り卵焼き」
 だし巻き卵に続いて普通の卵焼きを作ってみたら想像以上に難しかった。厚みがあると中身まで上手く火が通らないまま表面が焦げてしまう。
 蒸し焼きにするとか何かやり方があるのだろう。適当にやればできるだろうという考え方は甘かったようだ。
 もう一度勉強しなおしてまた挑戦したい。




レンコン入りきんぴら炒め

「鶏肉とレンコン入りのきんぴら炒め」
 今日の中ではこれが一番まともな料理だった。
 

写真ノート<10> ---写真と音楽の関係について

写真ノート(Photo note)
歩道橋と空

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 私の写真はJ-POPでできている。
 などというと、単なるレトリックに過ぎないだろうか。けど、気分的にはそうだと自分では思っている。
 もう少し広い範囲で、日本の歌謡曲といった方がいいだろうか。
 自分以外の人が写真と音楽をどれくらい結びつけて考えているかは知らない。少なからず音楽を意識しているということはあるのように思うのだけどどうだろう。
 自分の写真はロックだという人もいるだろうし、自分の写真の底にはジャズが流れているという人もいるだろう。フォークソングだったり、演歌だったり、クラシックだったりというのもありそうだ。
 私の世代は歌謡曲全盛時代と密接にリンクしているということもあって、子供の頃から日本の歌謡曲をずっと聴いてきて今に至っている。
 中学生時代のさだまさしに始まり、高校時代は尾崎豊。大学生の頃は佐野元春やハマショーなどを好んで聴いていた。
 その系譜は、ミスチル、コブクロへと続いていく。王道といえばこの上なく王道だ。

 自分は写真にJ-POPの世界観を求めているということに気づいたのは、わりと最近のことだ。10年も昔のことではない。
 自覚するようになったのは、新海誠監督のアニメ作品『秒速5センチメートル』を観てからのことだ。
 その映像世界と、主題歌である山崎まさよしの「One more time, One more chance」で、自分が撮りたい写真というのは、こういうことだったのだとはっきり分かったのだった。
『言の葉の庭』では、大江千里がかつて歌った「rain」を秦基博が歌った。
 私にとってJ-POPは、ライバルであり、お手本であり、目標でもある。ほとんど唯一の先生といってもいい。
 他のどんな写真家の写真も目標とは思わないし、映画のように撮りたいとも思わない。ただ、ただ、J-POPのように撮りたいのだ。
 客観的に見た場合、私の写真がJ-POP的だと感じる人は少ないかもしれないけど、とにかく気持ちと方向性だけはそちらにあることだけは間違いない。
 どういう写真がJ-POP的なのかは実はよく分かっていないのだけれど。

 いい曲を流しながら写真を見ると魅力が3割増しや5割増しくらいになる。明治安田生命フォトコンのCMなどは典型的な例だ。小田和正の歌声に乗せればたいていの写真はよく見える。
 自分の写真をスライドショーにしたとき、お気に入りの音楽をバックに流すとすごくいい写真に思えたりするのもそうだ。
 音楽の好みが合う人同士は写真の趣味も合うということがいえるかもしれない。
 言い方を変えれば、音楽を意識して写真を撮るという方法論があってもいいということになる。
 写真と俳句を組み合わせた写真俳句というジャンルが確立されているけど、写真と音楽を組み合わせたジャンルはあるようでない。映像と音楽は切り離せない関係性にあるのに、どうして写真と音楽という組み合わせがないのか不思議だ。
 スライドショーのように写真に合った曲を選ぶのではなく、曲に合わせて写真を撮って組んでいくというのも面白いと思う。
(著作権の関係でネットにはアップできないだろうけど)

 私の写真のテーマは、センチメンタル・アンド・リリカルだと、かつてどこかで書いたことがある。
 言葉を換えれば、J-POPのバラードのように撮りたい、ということだ。
 ときどきこんなふうに考えることがある。尾崎豊の「Forget-me-not」を写真にするには、何をどんなふうに撮ればいいんだろうかと。
 あるいは、東京の街をさまよいながら撮ればコブクロの「蕾」のように撮れるだろうかなどと。
 これまでにたくさんのいい曲と出会えたことは幸福なことだ。日本人としての幸せのひとつといえる。だから、何らかの形で還元して恩返ししたいという気持ちがある。それが写真ではないかと。
 また春がめぐり来る。ここ5年くらいずっと思っているのは、『秒速5センチメートル』に対するオマージュはいまだなされていないということだ。
 今年こそ、人の心に静かに降りつもるような桜の写真を撮りたいと思っているのだけど、さてどうだろう。
 

道行き風景 ---冬の終わりに

日常写真(Everyday life)
カフェレストランのぞみ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 春は別れの季節。
 古いものが終わり、新しい時間へとつながってゆく。

 行春や 鳥啼魚の 目は泪
 芭蕉





文京堂書店





西日のアパート





梅と菜の花とバス停





竜泉寺プール跡





教会と十字架





枯れもじゃと歩道橋





伸びるビルと冬の空





ハス畑の冬





夕方のアパートと洗濯物





空きビルに差し込む光

 

守山区の二つの神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
村合町神明社入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ。今回は守山区にある二つの神明社を紹介します。
 最初は村合町にある神明社から。
 ゆとりーとラインの川宮の南東、山下公園の東、ピアゴの北にその神社はある。
 社殿自体は一般的な南向きながら、入り口は西側のみで、一の鳥居はない。区画整理でなんとか残ったといった風情のたたずまいとなっている。
 村社とあるから、かつてはもっと広い境内を持っていたのだろう。
 社伝によると、創建は延享元年。1744年だから、江戸中期だ。
 八龍社、天神社の他、明治に入って近隣の厳島神社 山神社 津島神社 秋葉社を合祀して現在に至っている。
 通りから入ったところにこそっとはまり込むように建っているので、見つけるのにちょっと時間がかかった。訪れる人はあまり多くないと思われる。




鳥居と紙垂





社伝の様子





拝殿より





境内社





本殿





天王社





山神社





二廿軒屋神明社

 もうひとつの神明社は、廿軒家にあるので廿軒家神明社と呼ばれている。
 名鉄瀬戸線の守山自衛隊前駅から南へ少し下ったところにある。
 最初、裏手に当たる東側から入ってしまって、もう一度南鳥居から入り直した。

 裏手には立派な屋敷跡がある。
 江戸時代初期、このあたりは犬山城の城主でもあった尾張徳川家附家老、成瀬隼人正成が家康の命を受けて赴任することになる。それが1615年だか1617年だかのことで、配下の同心たちが屋敷に住んでいたという。屋敷跡はその流れをくむものと思われる。
 神明社を創建したのは、その成瀬隼人正成とされている。




二廿軒屋神明社南側から

 南側入り口は、廿軒家会館と交番に挟まれている。
 南の通りから見ると、神社は小高い丘の上に建っているのが分かる。鉄製の斧などが見つかっていることから、古墳の上に建っているのではないかとも考えられている。
 大正時代まではここに川が流れていて、南の石段はなかったそうだ。
 もう少し南へ行くと矢田川がある。




拝殿と本殿

 かつては白山社とも合祀されていたようで、その頃は馬で駆けるおまんとの行事が盛んに行われていたという。
 平成に入ってから守山龍神社が創建されたり、秋葉社や津島社が合祀されたりしている。
 社殿はコンクリート造の拝殿と新築木造の本殿が合体するという、ちょっと不思議なスタイルになっている。




拝殿と奉納者





守山龍神社

 守山龍神社は、平成12年(2000年)に清須市の日吉神社から勧請して建てたんだそうだ。

 伊勢の神宮が一般庶民に開放されたのは江戸時代に入ってからのことで、神明社が日本各地に創建されるのはその後だ。
 現在残っている神明社は全国で5,000ほどで、そのうち愛知県に500社ほどあるようだ。10分の1ということは愛知県は神明社が多い土地柄ということになるだろう。

 守山区の神社はまだ残っている。
 つづく。
 
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