月別:2016年01月

記事一覧
  • 名前のあるサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今週のサンデー料理は、ハンバーグを作った。豆腐ハンバーグだけど。 名前のない料理がほとんどなので、たまには名前のある料理を作ろうと思った。それで思いついたのが豆腐ハンバーグだった。 それに気を取られて、残りの2品はややおざなりになった。手持ちの食材を焼くだけ、炒めるだけといった感じだ。 名前のある料理っていいなと、ちょっと思った。何より人に説明しやすい。マグ...

    2016/01/31

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<5> ---通うことと粘ること

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 セバスチャン・サルガドは言った。「待つのが嫌なら、写真家にはなれない」 いい写真を撮るための方法論があるとすれば、それは、通うことと粘ることしかないのではないか。「ひたすら待ち続けると、神がつくる造形に出会える瞬間がある」「無心で通い詰めれば、自然は、いつか奇跡の一瞬を与えてくれる」 横山宏。 あるいは、スナップ写真となると、少し事情は違ってくるかもしれな...

    2016/01/30

    写真ノート(Photo note)

  • ぷらっと明徳公園

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 75-300mm 久しぶりに明徳公園をぶらっと歩いてきた。 家から近い緑地なのだけど、牧野が池や小幡緑地と違って、どのシーズンに行ってもあまり撮るものがないので、めったに行くことがない。冬場は明徳池にカモがいるからという理由でたまに出向いていく。 花が少ないから虫も少なくて、夏に行ってもあまり楽しくない。明徳公園、なんとかならないものかなと、行くたびに思...

    2016/01/29

    施設/公園(Park)

  • 遠望シーズ ~冬

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F4.8-6.7 他 今日は遠望シリーズをお送りします。 ...

    2016/01/28

    風景(Landscape)

  • 渋川神社へ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 尾張旭市にある渋川神社は、好きな神社のひとつだ。 2007年に尾張旭の神社めぐりをしたときに初めて訪れて以来、ちょくちょく挨拶に立ち寄っている。ブログにも何度が載せているつもりでいたら、3回くらいしか登場していない。前回は2011年の棒の手のときだから、けっこう月日が流れていた。「急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社」「超復活した渋川神社再...

    2016/01/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • モノクロ道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他 今日はモノクロ・シリーズをお送りします。 ...

    2016/01/26

    モノクロ(Monochrome)

  • 残雪の海上の森

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO Panasonic LEICA 25mm F1.4 名古屋に雪が降った翌々日、海上の森へ行ってきた。 街中ではほぼ雪は消えていたにもかかわらず、森の中はまだしっかりと雪が残っていた。海上の森の雪景色は、2012年に一度撮ったことがある。あのときの気分はモノクロだった。「雪の海上の森モノクローム」 雪はあったのだけど、それ以外に撮るものはあまりなかった。この日は時間がなくて、篠田池の方まで...

    2016/01/25

    森/山(Forest/Mountain)

  • 題名のないサンデー料理

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO サンデー料理は新年早くも4回目となった。 来週は31日だから、今月は月に5回サンデーとなる。 というか、年明け早くも1ヶ月近くが過ぎようとしていることに驚く。今月はまだたいしたことは何もしていないのに。 今週のサンデー料理のテーマは特にない。いつものことといえばそうだ。 どちらかというと洋食寄りかなと思っていたのだけど、できあがってみれば洋食とは呼びがたい3品が並...

    2016/01/24

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<4> ---トリミングのススメ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今回はトリミングについて書いてみたい。 デジタル写真となった今の時代、トリミングは悪と決めつけるストイックさは必要ないと考えている。むしろ、積極的にすべきだと思う。 なぜなら、トリミングして良くなることはあっても悪くなることはないから。 問題なのは、どうトリミングすればその写真が良くなるかが判断ができるかどうかとうかということであって、トリミング行為そのも...

    2016/01/23

    写真ノート(Photo note)

  • 東谷山フルーツパークで早春の花を撮る

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 昨日のフルーツパークの梅編に続いて今日は早春の花編をお送りします。 ...

    2016/01/22

    花/植物(Flower/plant)

  • 東谷山フルーツパークで梅を撮る

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 年が明けてしばらくすると、東谷山フルーツパークのことを思い出す。 東谷山フルーツパークというと4月のしだれ桜で有名なのだけど、個人的には早春の野草が早く見られる場所としてのイメージもある。 この冬は暖冬だったからいつもの年より早く咲き出したんじゃないかと期待して行ってみた。梅が咲いてきているというのは少し前にニュースで見て知っていた。 予想に反して野草はまだ...

    2016/01/21

    花/植物(Flower/plant)

  • 東山植物園便り ---新年一回目<3>

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 東山植物園便りの3回目。 最終回の今日は、春へ向かう花たちを集めてみた。 ...

    2016/01/20

    植物園(Botanical garden)

  • 東山植物園便り ---新年一回目<2>

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 昨日の続き、東山植物園便りをお送りします。 暖冬もついに終わりのときが来たか。名古屋も猛烈に寒くなって、明日は雪が降ると予想されている。その後もずっと低温が続くとか。 早く咲きすぎた花たちはしばらく凍えることになるだろう。 春が待ち遠しいとはいえ、あまり早く来すぎても調子が狂う。なんだかんだいって平年並みが一番いい。 身にしみる寒さも少しは味わっておかないと...

    2016/01/19

    植物園(Botanical garden)

  • 東山植物園便り ---新年一回目<1>

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 2016年最初の東山植物園行き。 去年の暮れに訪れてから2週間以上経っていたから、季節がけっこう進んでいた。早春の花も少しずつ咲きだして、茶色一色だった園内も色を取り戻しつつある。 これから3月、4月くらいまでは冬と春の混在風景が続く。茶色が新緑に打ち消されるのは5月に入ってからだ。 まだしばらくの間は冬景色だから、冬を撮っておきたい。冬には冬の喜びや楽しみがある。...

    2016/01/18

    植物園(Botanical garden)

  • 薄茶色いサンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今日は薄茶色サンデーだった。 濃い茶色ではなく薄い茶色。和食を作るとどうしてもそうなる。回避する方法は分かっていない。 作る前からこれは茶色くなるなという予感はあった。案の定そうだった。確信犯的茶色料理。 幾時代かがありまして、茶色い料理がありました ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん てな感じ。「マグロとネギのごま油焼き」 マグロを少し薄めに切り分け、塩、コシ...

    2016/01/17

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<3> ---写真は心で撮るもの?

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F4.8-6.7 写真は心で撮れなどと言う写真家がたまにいるけど、その教えはとても無責任だ。そんな適当なことを言っちゃいけない。 人並み外れた歌唱力を持つプロの歌手が、歌うことが好きな素人に向かって、歌は心で歌うものだというのと同じだ。 いや、歌は技術だろう。 音痴な人間がいくら心を込めて歌っても、聴いている人間は迷惑なだけだ。 気持ちを込めて撮りましたと下手な写真を見せ...

    2016/01/16

    写真ノート(Photo note)

  • 1月の森林公園風景

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO / 75-300mm フォトコン入選の賞状を取りに1月の森林公園へ行くというのがここ数年の恒例になってきた。 そのついでに散策をしながら写真を撮っていく。 この冬は暖かいからいつもの年よりも早く梅が咲き出していた。 ...

    2016/01/15

    施設/公園(Park)

  • 道行き風景 ~1月の夕方

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日はまた道行き風景を。 ...

    2016/01/14

    日常写真(Everyday life)

  • 川嶋神社に初参拝

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今回訪れた神社は、名古屋市守山区の川嶋神社だった。 守山区の式内社はとっくに回り尽くしたと思っていたら、こんなところに見落としがあった。ただ、この神社が本当に「延喜式」にある「尾張国山田郡川嶋神社」かどうかは意見が分かれているようだ。 場所があちこち移っていて定かではないのだけど、庄内川のこのあたりが山田郡なのかどうか、やや疑問に感じるところもある。 まあ...

    2016/01/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き風景をお送りします。 今年に入って道行き写真と神社ネタしかやっていないような気もするけど、冬場はどうしてもそうなりがちだ。春はまだ遠い。 ...

    2016/01/12

    日常写真(Everyday life)

  • 小幡白山神社へ行く

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 しばらく中断していたご近所神社めぐりを再開しようと思う。 どこまでやったのか忘れてしまったので、とりあえず守山区のまだ行ったことがないところからやることにした。 この日出向いたのは、小幡にある白山神社(はくさんじんじゃ)だった。 このあたりにはいくつかの白山神社があるので、区別するために小幡白山神社と呼んでいるようだ。 白山神社というと、東区の矢田にある白...

    2016/01/11

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 今年も変わらないサンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO サンデー料理は新年2回目にして早くもネタ切れというかいつものパターンに戻ってしまった。これでいいのだろうかという自問が沸かないでもないでもないけど、これしか作りようがないから仕方がない。 今年もサンデー料理はきっと変わらないだろう。それでいいのだと思うことにしよう。「サーモンのからしマヨネーズしょう油」 サーモンは単純にしょう油でも美味しいのだけど、それでは...

    2016/01/10

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<2> ---平面ではなく立体ということ

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 写真は平面ではなく立体だ。 ハサミで切り取るようにではなく、スケッチブックに写し取るようにではなく、スコップで掘り返して持ち帰るように撮らなければならない。 立体化する理由は、その方が物語が生まれやすく、鑑賞者の想像が入り込む余地が生まれるから。 絵と写真は似ているようで違うし、違うようでいて似ている。 三次元の空間を二次元に封じ込めるという意味では同じと...

    2016/01/09

    写真ノート(Photo note)

  • モノクロ道行き風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 カラーで埋もれている在庫写真をモノクロで救い出す。 カラーでは面白くない写真がモノクロで生き返ることがある。それは撮った本人ならではの主観的な問題かもしれないけど、確かにそういうことがある。 もちろん、逆もある。カラーで魅力的な写真がモノクロで魅力を失ってしまうことの方が多い。 カラーの魅力は色で、モノクロは影だ。光はどちらも重要だから決め手にはならない。...

    2016/01/08

    モノクロ(Monochrome)

  • 冬の牧野が池風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 75-300mm 冬景色を撮りに牧野が池へ行ってきた。 そろそろミコアイサも来ているかと期待したのだけど、この日は姿が見えなかった。ここに来るのは、1月の終わりから2月にかけてくらいなのかもしれない。冬の早い時期に訪れても見かけることは少ない。 いつものように池の周りをぐるりと自転車で回ってきた。カモなどはいるにしても、やはり冬は撮るものが少なくて寂しい...

    2016/01/07

    施設/公園(Park)

  • 道行き街の風景

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 今日は道行き街の風景をお送りします。 ...

    2016/01/06

    日常写真(Everyday life)

  • 大森八剱神社で続・初詣

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 森孝八剱神社で初詣には続きがあった。 続・初詣として同じ守山区内にある同じ名前の神社、大森八剱神社(おおもりやつるぎじんじゃ)も行っておいたのだった。大森の八剱神社も2009年以来久々の参拝だった。 松の内が終わる前に大森八剱神社へ滑り込み初詣 大森八剱神社についても前回書いたので繰り返さない。読み返してみると自分でも忘れていることが多くて、へえそうだったんだ...

    2016/01/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 森孝八剱神社で初詣

    OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 三が日も明けて、そろそろ神社も空いた頃だろうから初詣に行こうと考えて、どこへ行くか迷った。気持ち的には熱田さんがいいかなと思いつつ、よくよく考えると熱田神宮はそんなに縁があるわけではない。好きな神社には違いないのだけれど。 かといって行ったことのない神社というのも違う気がして、結局、家から一番近い森孝八剱神社(もりたかやつるぎじんじゃ)にしておいた。ここが...

    2016/01/04

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 明けまして2016年サンデー

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今年最初の日曜日は1月3日。なので、普通にサンデー料理を作って食べた。1日や2日なら休んでいただろうけど。 新年らしく、おせちっぽい料理でも作ろうかと考えて、やっぱりやめた。サンデー料理は、イベントに左右されないところがいいのだと思う。 などといいつつ、少しくらいはと思って、白と黄色の卵料理を作ってみた。錦卵という名前らしい。でも、お約束通りには作っていないから...

    2016/01/03

    料理(Cooking)

  • 写真ノート<1> ---ピントについて

    OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO 今回からあらたに、「写真ノート」というシリーズを始めることにした。 写真について語れば語るほど、その本人が撮っている写真の説得力が失われるというジレンマに陥りがちだけど---偉そうに言うほどたいした写真撮ってないじゃんと思われがちだし自分も思いがち---前々からずっと考えてきたことを、ここらで一度まとめてみたいと思うようになった。 写真とはこういうものだ、などと上...

    2016/01/02

    写真ノート(Photo note)

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名前のあるサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今週のサンデー料理は、ハンバーグを作った。豆腐ハンバーグだけど。
 名前のない料理がほとんどなので、たまには名前のある料理を作ろうと思った。それで思いついたのが豆腐ハンバーグだった。
 それに気を取られて、残りの2品はややおざなりになった。手持ちの食材を焼くだけ、炒めるだけといった感じだ。
 名前のある料理っていいなと、ちょっと思った。何より人に説明しやすい。マグロを切り分けて、塩コショウと酒を振って、酒、みりん、しょう油を混ぜたたれにつけて焼き煮にした料理、などという説明はまどろっこしい。
 今後も名前のある料理のレパートリーを増やしていきたいと思う。作ったことがないものとしては、春巻きとかどうだろう。オムレツとか。




マグロの焼き煮

「いつものマグロ」
 大将、いつものマグロのやつお願いねというとこれが出てくるといったところだ。
 名前は分からないけど、とにかくいつものマグロのやつだ。
 いつものサーモンのやつというパターンもある。




豆腐ハンバーグ

「豆腐ハンバーグ」
 サンデー料理の定番のひとつになりそうな料理が見つかった。ちょっと手間はかかるけど、けっこう美味しかった。
 木綿豆腐を水切りして、刻みタマネギ、シーチキン缶、カタクリ粉、卵、塩、コショウを混ぜて、よくこねてから形を整え、オリーブオイルで両面を焼く。
 たれは、酒、みりん、しょう油、めんつゆをひと煮立ちさせて、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。




エビと鶏肉と野菜の炒め物

「エビと鶏肉と野菜のコンソメ炒め」
 エビと鶏肉は別々に炒めて、アスパラとブロッコリーを下茹でする。
 キャベツを炒め、具材を入れて、酒、しょう油、コンソメの素、塩、コショウで味付けをする。
 

写真ノート<5> ---通うことと粘ること

写真ノート(Photo note)
道行く後ろ姿

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 セバスチャン・サルガドは言った。
「待つのが嫌なら、写真家にはなれない」

 いい写真を撮るための方法論があるとすれば、それは、通うことと粘ることしかないのではないか。

「ひたすら待ち続けると、神がつくる造形に出会える瞬間がある」
「無心で通い詰めれば、自然は、いつか奇跡の一瞬を与えてくれる」 横山宏。

 あるいは、スナップ写真となると、少し事情は違ってくるかもしれない。
 木村伊兵衛は、自分より後ろのものを決して撮らなかったという。
 撮るべき場面に遭遇したら、おもむろに近づき、気づかれないくらいの早業でパチリと撮って、あとは後ろを振り返らずに歩き去る。
 森山大道の場合、通りを必ず往復するんだそうだ。目に付くものを手当たり次第、絨毯爆撃のように撮り尽くしていく。
「質は絶対量からしか生まれない」というのが森山大道の信念だからだ。
 また、こうも言っている。
「自身の欲望が発する必然の投網を打って、偶然という獲物を絡め取ること」
 森山大道らしい気の利いた言い回しだ。

 もうひとつ。距離の問題がある。
「もし、いいのが撮れないとしたら、それは近づいていないからさ」 ロバート・キャパ。

 近づくというのは、単に一歩、二歩前へ出るとかそんな話ではない。
 物理的にも精神的にも対象に踏み込むということだ。
 たとえば人物なら、これ以上他人に近づかれたくない距離感をパーソナルエリア(パーソナルスペース)と呼んでいるけど、その線を越えて内側に入っていくことでしか撮れないものがある。
 風景でも、花でも、生きものでも、踏み込んでいかないと、本当のところは写らないような気がしている。
 被写体について学び、理解を深め、共感し、好きになること。それがつまりは近づくということだ。

 土門拳の信条は、粘ることだった。
 被写体に食らいついたら離さない執念があった。

 プロとアマの大きな違いは、ものにすると決めた一枚を撮るためにかける時間の長さだ。絶対的な時間量と言ってもいい。
 アマチュアは、現地に着いてから状況に反応して撮るのに対して、プロは準備段階で時間をかけ、構想を練り、頭の中にあるイメージを見つけるために現地に赴く。撮れなければ粘り、撮れるまで何度も通う。時には一枚のために何年もかける。
 言い方を変えれば、アマチュアがプロと同等のものを撮るには、プロと同じだけの時間をかければいいということになる。
 撮るものが決まって、いいロケーションを見つければ、あとは通って撮るだけだ。もし、一年365日、24時間その場所に立ち続けることができれば、必ずいいのが撮れる。現実的に不可能だとしても、理屈でいえばそうだ。
 大事なのは枚数ではなく回数だ。一度にたくさん撮ることが大切なのではなくて、何度も何度も通い詰めて撮ることが重要なのだ。
 写真は必ずしも才能やセンスがすべてではないというのはそういう部分があるためだ。絵画の才能がなければ100枚描いても1万枚描いても傑作は描けないけど、写真は100回、1000回通えば、必ず傑作が撮れる。あきらめずにどこまで追求できるかどうかにかかっている。

 趣味として楽しく写真を撮ることが間違っているとかそういうことを言いたいわけではない。
 もし、本気でいい写真が撮りたいと思うなら、そう簡単な話ではないということだ。
 写真は練習すれば上手くなるというものではないから、とにかく実践を積み重ねるしかない。時間をかけなければいいのは撮れないけど、持ち時間は限られている。
 今日は気分が乗らないから撮りに出たくないと思うとき、おまえの本気はその程度なのかと自分に問いかけてみる。撮りに出られなければ負けを認めたことになる。
 撮れる撮れない以前に、フィールドに立ち続けるという必要最低限の誠意も見せられない撮り手に、写真の神が微笑んでくれるとは思えない。
 いい撮り手であるための一番の条件は、勤勉であることだ。ごくありきたりでつまらない結論だけど、それが真理だから仕方がない。
 必死に撮っても誰も褒めてくれないとしても、自分で自分を褒められるくらいには頑張りたい。
 費やした時間は裏切らないと信じて。
 

ぷらっと明徳公園

施設/公園(Park)
竹林と太陽

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 75-300mm



 久しぶりに明徳公園をぶらっと歩いてきた。
 家から近い緑地なのだけど、牧野が池や小幡緑地と違って、どのシーズンに行ってもあまり撮るものがないので、めったに行くことがない。冬場は明徳池にカモがいるからという理由でたまに出向いていく。
 花が少ないから虫も少なくて、夏に行ってもあまり楽しくない。明徳公園、なんとかならないものかなと、行くたびに思う。
 今回ぐるっと一周歩いてみて、北側エリアに桜の木があることを再発見した。そういえば桜咲く季節は一度も訪れたことがない。今年は忘れずに来ようと思った。うまくいけば、桜と御嶽山を絡めて撮れるかもしれない。




散策路





雑木林





公園遊具





明徳池と釣り人





コサギ





マガモとカイツブリ





桜と月





黒猫





散歩する人





ピッチャープレート

 

遠望シーズ ~冬

風景(Landscape)
雪の街並み

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F4.8-6.7 他



 今日は遠望シリーズをお送りします。




雪の出来町通





名古屋駅前ビル風景





東谷山山頂より





アクアタワー





雪のアルプス





平和公園平和堂より





夕暮れ山並み





夕暮れの東山方面





夕焼け東山方面





日の入り山並み

 

渋川神社へ

神社仏閣(Shrines and temples)
渋川神社拝殿

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 尾張旭市にある渋川神社は、好きな神社のひとつだ。
 2007年に尾張旭の神社めぐりをしたときに初めて訪れて以来、ちょくちょく挨拶に立ち寄っている。ブログにも何度が載せているつもりでいたら、3回くらいしか登場していない。前回は2011年の棒の手のときだから、けっこう月日が流れていた。
急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社
超復活した渋川神社再訪で尾張旭神社シリーズは完結<第7弾>
渋川神社で棒の手奉納
 去年の秋に一度、年が明けてからもう一度訪ねていった。
 再建された2008年当時はピカピカだった社殿も、7年以上の歳月が経って、だいぶ落ち着いた風合いになってきた。貫禄がつくにはまだ50年くらいかかるだろうか。




式内社





鳥居





拝殿





本殿裏側





おみくじ





境内社





斎田跡石碑





秋の稲穂





狐





榊と紙垂

 

モノクロ道行き風景

モノクロ(Monochrome)
鉄塔

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 他



 今日はモノクロ・シリーズをお送りします。




横切る黒猫





電線と飛行機





ススキと瀬戸デジタルタワー





道に散らばっている何か





水たまりに映る冬枯れの桜





日本バプテスト名古屋キリスト教会





電線とカラス





フィルムケースの蓋





映る影の自画像





四阿の上のカラス

 

残雪の海上の森

森/山(Forest/Mountain)
海上池雪景色

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO Panasonic LEICA 25mm F1.4



 名古屋に雪が降った翌々日、海上の森へ行ってきた。
 街中ではほぼ雪は消えていたにもかかわらず、森の中はまだしっかりと雪が残っていた。海上の森の雪景色は、2012年に一度撮ったことがある。あのときの気分はモノクロだった。
「雪の海上の森モノクローム」
 雪はあったのだけど、それ以外に撮るものはあまりなかった。この日は時間がなくて、篠田池の方まで行けず、四つ沢から海上池まで往復しただけだった。
 期待していた氷の世界は、雪に覆われて撮ることができなかったのは残念だった。
 花はまだ全然で、スミレも姿は見かけなかった。
 次に海上の森を訪れるのは、たぶん春になるだろう。




矢田川上流冬風景





残雪の林道





雪の残る田園





雪の上の椿





うろつく犬





溶け出した雪





多度神社





手水の氷と映り込み





海上池の立ち枯れ冬風景





氷の風景





冬枯れの木とエナガ

 

題名のないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 サンデー料理は新年早くも4回目となった。
 来週は31日だから、今月は月に5回サンデーとなる。
 というか、年明け早くも1ヶ月近くが過ぎようとしていることに驚く。今月はまだたいしたことは何もしていないのに。
 今週のサンデー料理のテーマは特にない。いつものことといえばそうだ。
 どちらかというと洋食寄りかなと思っていたのだけど、できあがってみれば洋食とは呼びがたい3品が並んだ。題名のない料理たち。
 今年はもう少し料理名のある料理を作ってみたいと思っているのだけど、さて実現するかどうか。考えてみると、ものすごくポピュラーなハンバーグでさえ、この10年間、一度も登場していない。




鯛のピリ辛だれ

「鯛しゃぶのごま風味ピリ辛だれ」
 鯛しゃぶをごまだれで食べようと考えていたら、ごまがなかった。
 ごま油に豆板醤、ショウガ、酒、みりん、しょう油、塩を混ぜてひと煮立ちさせた。




ジャガイモその他炒め

「ジャガイモその他野菜炒めのコンソメ味」
 具材を煮てからオリーブオイルで炒めて、コンソメなどで味付けをした。
 チーズを加えようか、マヨネーズを入れようかなど迷いつつやめておいた。
 最近、ガリガリ削りながら振りかける粗挽きコショウを買って、それをかけて食べるのがちょっとした楽しみになっている。




豆腐とほうれん草の卵とじ

「豆腐とほうれん草の卵とじ」
 豆腐は茹でてから炒めているのだけど、冷めるのが早い。盛りつけて他の料理を食べているうちに冷めてしまう。温かさを保つにはどうしたらいいのだろう。水溶きカタクリ粉で封じ込めるとかだろうか。
 

写真ノート<4> ---トリミングのススメ

写真ノート(Photo note)
大須観音雪の日

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今回はトリミングについて書いてみたい。
 デジタル写真となった今の時代、トリミングは悪と決めつけるストイックさは必要ないと考えている。むしろ、積極的にすべきだと思う。
 なぜなら、トリミングして良くなることはあっても悪くなることはないから。
 問題なのは、どうトリミングすればその写真が良くなるかが判断ができるかどうかとうかということであって、トリミング行為そのものの善し悪しということではない。
 トリミングをしないというこだわりは本人の問題でしかなく、鑑賞者の側からしてそんなことは何の意味もない。これはトリミングしてないんだなどと自慢されてもどうとも思わない。トリミングに限らず、撮り手の苦労話など、見る側にとってはまったく興味がないことだからだ。

 トリミングすることがなぜ必要なのか?
 それは、最終的にはトリミングしなくてもよくなるためだ。
 矛盾しているように聞こえるかもしれないけどそうではない。
 トリミングしないで済むようにトリミングすることがまずは必要だという話だ。
 トリミングは習字の添削のようなものと思えば理解しやすいかもしれない。添削が必要なければすることはないけど、駄目な部分があれば添削してもらった方がより良い字が書けるようになる。
 難しいのは、自分で自分の写真を添削しなければならないということだ。
 他人の写真を見て、ここをもう少しトリミングすればもっとよくなるのにと思うことはよくあるんじゃないだろうか。
 でも、自分の写真を同じように判断することは簡単なことではない。写真は主観で撮ったものだから、客観視するのが難しい。




最大トリミング

 ひとつの方法として、どこまでトリミングできるか、限界まで試してみることだ。
 これ以上トリミングしてしまうと、自分が表現したかったことができなくなるというところまで削ってしまう。
 その上で、もう一度範囲を広げていく。
 撮ったままの写真と、最大限トリミングした写真の間に最適な地点があるはずだ。そこを探り当てなければならない。
 主観的にちょうどよいと感じる時点は、たいていの場合、客観的に見ると甘い。自分の写真にはどうしても情がうつってしまうから。
 ポイントは、自分の撮ったものに対してどこまで非情になれるかだ。ちょっと削り過ぎと感じるくらいでいい。



 
縦位置トリミング

 もうひとつ、縦位置でトリミングできないか考えてみるのも有効な手段だ。
 2枚目の写真を経て、3枚目の縦位置トリミングでこの写真は完成ということになる。1枚目の写真と比べると、より主題が明確になったのが分かると思う。
 現場ではとっさに縦位置で撮ることが思いつかないことがあるから、撮った写真を見直したときに、縦位置の可能性を探ってみることは無駄じゃない。
 縦位置で成立する写真は、余計なものが多く写り込んでいることを意味する。

 自分の写真を客観視するには、時間を置くのが一番効果的な方法だ。
 だから、過去に撮った自分の写真を見返すということは絶対に必要だ。撮った当時は今ひとつに感じられてお蔵入りした写真が、進んだ感覚で見直してトリミングすることで生まれ変わったように良くなることがある。
 トリミング行為を重ねていくことで、だんだん撮る段階でトリミングしたあとの完成図が見えるようになってくる。余分なものは最初から写さない方が話は早いに決まっている。
 どうせあとでトリミングするから広めに撮っておけばいいやという安易な撮り方はいけない。そういう写真は緊張感に欠ける。
 繰り返しになるけど、レタッチ段階でのトリミングは、トリミングしないで済むための訓練という位置づけで考えたい。いわばトリミングを極めるといったことだ。

 目標は、撮った写真のすべてを撮りっぱなしでそのまま表に出したり、人に渡したりできるようになるところにある。
 まずは過去に撮った自分の写真を片っ端からトリミングすることをオススメします。
 

東谷山フルーツパークで早春の花を撮る

花/植物(Flower/plant)
クローバーと滴

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 昨日のフルーツパークの梅編に続いて今日は早春の花編をお送りします。




早咲き桜





ソシンロウバイ





マユミ





オオイヌノフグリ





レンギョウ





ミツバツツジ





八重スイセン





ホトケノザ





ナンテン





ツバキ

 

東谷山フルーツパークで梅を撮る

花/植物(Flower/plant)
東谷山梅

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 年が明けてしばらくすると、東谷山フルーツパークのことを思い出す。
 東谷山フルーツパークというと4月のしだれ桜で有名なのだけど、個人的には早春の野草が早く見られる場所としてのイメージもある。
 この冬は暖冬だったからいつもの年より早く咲き出したんじゃないかと期待して行ってみた。梅が咲いてきているというのは少し前にニュースで見て知っていた。
 予想に反して野草はまだほとんど見られなかった。普段の年よりむしろ遅いくらいだ。オオイヌノフグリのつぼみとホトケノザをひとつ見つけたくらいだった。暖冬ならすべての花が足並みを揃えて早く咲くというわけでもないようだ。
 梅は早咲きのものが少し咲いていた。全体にはまだまだで、見頃は例年通り2月に入ってからとなりそうだ。
 そんなけで、今回はフルーツパークの梅編をお送りします。




梅の花





梅の花3





梅の花4





梅の花5





梅の花6





梅の花7





梅の花8





梅の花9





梅の花10





梅の花11

 

東山植物園便り ---新年一回目<3>

植物園(Botanical garden)
クローバー

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 東山植物園便りの3回目。
 最終回の今日は、春へ向かう花たちを集めてみた。




ムラサキカタバミ





スイセン





八重椿





赤い実





ミツバツツジ





ソシンロウバイ





白椿





パンジー





侘助





シロツメクサ

 

東山植物園便り ---新年一回目<2>

植物園(Botanical garden)
八重ツバキ

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 昨日の続き、東山植物園便りをお送りします。
 暖冬もついに終わりのときが来たか。名古屋も猛烈に寒くなって、明日は雪が降ると予想されている。その後もずっと低温が続くとか。
 早く咲きすぎた花たちはしばらく凍えることになるだろう。
 春が待ち遠しいとはいえ、あまり早く来すぎても調子が狂う。なんだかんだいって平年並みが一番いい。
 身にしみる寒さも少しは味わっておかないと、春の喜びも小さくなってしまうというものだ。




枯れ葉と綿毛





ボケの花





葉に光





石に苔





落ちたツバキ





湿地の枯れモミジ





カンザキアヤメ





水面と冬枯れの木





枯れ葉に綿毛





梅のつぼみ

 つづく。
 

東山植物園便り ---新年一回目<1>

植物園(Botanical garden)
冬の新芽

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 2016年最初の東山植物園行き。
 去年の暮れに訪れてから2週間以上経っていたから、季節がけっこう進んでいた。早春の花も少しずつ咲きだして、茶色一色だった園内も色を取り戻しつつある。
 これから3月、4月くらいまでは冬と春の混在風景が続く。茶色が新緑に打ち消されるのは5月に入ってからだ。
 まだしばらくの間は冬景色だから、冬を撮っておきたい。冬には冬の喜びや楽しみがある。
 そんな1月前半の東山植物園便りをお届けします。




赤残りのモミジの葉





フクジュソウの蕾





枯れ花の冬姿





タンポポの綿毛の旅立ち





椿の花





水没するモミジの枯れ葉





マンサクの一種咲き始め





南天の葉





ソシンロウバイの花





スイセンの風景

 つづく。
 

薄茶色いサンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今日は薄茶色サンデーだった。
 濃い茶色ではなく薄い茶色。和食を作るとどうしてもそうなる。回避する方法は分かっていない。
 作る前からこれは茶色くなるなという予感はあった。案の定そうだった。確信犯的茶色料理。
 幾時代かがありまして、茶色い料理がありました
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 てな感じ。




マグロのごま油焼き

「マグロとネギのごま油焼き」
 マグロを少し薄めに切り分け、塩、コショウ、酒を振りかけてしばらく置く。
 ごま油で長ネギを炒め、マグロを追加して、半生までさっと加熱する。
 たれは、酒、みりん、しょう油をひと煮立ちさせて作る。
 粗挽きコショウを振りかけるのを忘れてた。




豆腐とキノコ炒め

「豆腐とキノコの炒め煮」
 豆腐は切り分けて下茹でする。
 オリーブオイルでタマネギを炒め、エリンギ、えのきを追加する。
 豆腐を入れて、酒、みりん、しょう油で味付けをして、しばらく煮込む。




味噌おでん風

「味噌煮込みおでん風」
 味噌煮込みのおでん風はふと思い出すと食べたくなる。
 それにしても、ゆで卵は毎回失敗する。裏技的なことをやってもいつも上手くむけない。ゆで卵は一番苦手な卵料理だ。
 

写真ノート<3> ---写真は心で撮るもの?

写真ノート(Photo note)
庄内川と王子製紙

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 75-300mm F4.8-6.7



 写真は心で撮れなどと言う写真家がたまにいるけど、その教えはとても無責任だ。そんな適当なことを言っちゃいけない。
 人並み外れた歌唱力を持つプロの歌手が、歌うことが好きな素人に向かって、歌は心で歌うものだというのと同じだ。
 いや、歌は技術だろう。
 音痴な人間がいくら心を込めて歌っても、聴いている人間は迷惑なだけだ。
 気持ちを込めて撮りましたと下手な写真を見せられても、なんとも困ってしまう。
 心は技術の上に載せなければ意味がない。

 写真における技術とはなにか。
 それは、ピントの確かさだとか、的確な絞りやシャッタースピードだとか、構図の安定感だとか、そういった部分でもあるけど、それだけではない。
 たとえるなら、技術的に優れた文章に似ているかもしれない。
 写真はカメラのシャッターボタンを押せば撮れてしまうからこその簡単さと難しさがある。
 誰でも字は書ける。でも、上手く書ける人はそれほど多くないし、字で人の心を動かせる人は更に少ない。
 楽器なら練習曲があって、だんだん難しい曲を練習していくことで上達する。
 絵画ならデッサンの訓練が不可欠だ。
 写真においてはそれらに当てはまるものがない。だから、何をどうすれば上手くなるのか分からず途方に暮れてしまう人も少ないないだろう。

 写真上達の一番の近道は、プロの写真家の写真集をたくさん見ることだと私は思う。
 デッサンの練習や基礎訓練がないなら、お手本を真似るより他に方法がない。
 自己流には限界がある。
 有名な画家も、自分の好きな画家が描いた絵を模写する。
 書ならそれを臨書という。
 それは、お手本を上からなぞるといったことではなく、描いた人間---写真なら撮った人間---と一心同体となり、描くという行為を追体験するといったようなことだ。
 呼吸、間、空間、心理、感情、思考といったものを読み解く試みでもある。
 写真は、再現するのが難しい表現方法ではあるのだけど、ひとりの写真家、もしくは一枚の写真を同じように撮ってみることで気づくことが必ずある。
 何故その場所でなければならなかったのか、どうしてこの一瞬を選んだのか。
 季節はいつで、時間帯は何時頃なのか。どんな光がどちらから当たっているか。
 カメラは、レンズは、絞りは。
 雑誌に掲載されている単独の写真ではなく、一冊にまとめた写真集から学ぶべきことが多い。
 そこには撮り手の呼吸のようなものがあり、思想がある。リズム、テンポ、緩急、流れ。そういったものを取り込んで自分のものにしていくこと。
 写真集をたくさん見ることで写真の核の部分が見えてくる。
 いずれおすすめの写真集を紹介する機会もあると思う。

 写真を始めて何年といった人間が、写真に心を込めるなんて10年早い。
 まずは普通にちゃんと撮れるところまでいかないと話が始まらない。
 フィルム時代と違って、今は技術的な部分はほとんどカメラ任せにして飛ばせるから、昔に比べてずいぶん有利なのは間違いない。
 ただ、道具が進歩したからといっていい写真が撮れるわけではなく、連写スピード上がれば誰もが決定的瞬間をものにできるというわけでもない。
 写真は基礎的な技術や反復練習といった初歩的な部分があまりにもないがしろにされすぎている。

 技術に関してひとつ言えることは、構図だけは一応勉強しておいた方がいい。
 三分割とか対角線とかS字とか額縁とか黄金分割とか、そいったものは、写真に始まったことではなく、絵画などが数百年、数千年という単位で培ってきたもので、あえて逆らってみせる必要はない。
 1対1.168の黄金比が美しく感じられるのは本当かとか、どうして三分割に安定感を感じるのかとか、そんなことはこの際どうでもいい。実際そうなんだから仕方がないと納得するしかない。
 日の丸構図が駄目なときといいときの区別などは、経験的に覚えていくしかない。
 構図を意識しないまま撮った写真は、見る者に不安定感を与えて、内容まで気持ちがいかないことがある。
 そういう意味では、正しい構図はプラス要素ではなくマイナス要素を持ち込まないための必要最低限の条件といった言い方ができる。

 写真は多分に感覚的なものではあるけれど、感覚だけに頼ってはいけない。
 技術が大事だからといって、技術に走ると写真はつまらなくなってしまう。
 スポーツにおいて心技体という言葉あるように、写真も技術と感覚と心が高い次元が融合したとき、初めていいものが撮れるようになる。
 その道のりは遠い。
 写真は簡単だけど難しく、難しいけど簡単だ。技術力があれば、好きなものを好きなように撮ればいいだけになる。
 難しいから面白いと思えるようになれば一人前と言えるかもしれない。
 

1月の森林公園風景

施設/公園(Park)
枯れ葉の散策路

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO / 75-300mm



 フォトコン入選の賞状を取りに1月の森林公園へ行くというのがここ数年の恒例になってきた。
 そのついでに散策をしながら写真を撮っていく。
 この冬は暖かいからいつもの年よりも早く梅が咲き出していた。




森林公園四季のフォトコンテスト





竹林の中の青空





池の枯れ葉





アジサイの新芽





散策の親子





キンクロハジロのペア





飛ぶカワウ





梅一輪





逆光の梅シルエット





芝生広場をランニングする一家

 

道行き風景 ~1月の夕方

日常写真(Everyday life)
道ばたコスモス

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日はまた道行き風景を。




梅と畑とネコ





菜の花とバス停





道に花





空き団地





河原で凧揚げ





西日の下校





サイクリングロードと自転車高校生





橋と自転車女子高生





防音フェンスと夕日





城土公園の夕暮れ

 

川嶋神社に初参拝

神社仏閣(Shrines and temples)
川嶋神社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今回訪れた神社は、名古屋市守山区の川嶋神社だった。
 守山区の式内社はとっくに回り尽くしたと思っていたら、こんなところに見落としがあった。ただ、この神社が本当に「延喜式」にある「尾張国山田郡川嶋神社」かどうかは意見が分かれているようだ。
 場所があちこち移っていて定かではないのだけど、庄内川のこのあたりが山田郡なのかどうか、やや疑問に感じるところもある。
 まあ、なにはともあれ、今まで訪れていなかったのが不思議なほど馴染みのある場所でもあり、なかなか立派な神社でもあった。
 ゆとりーとラインの川宮と川村のちょうど中間あたり、ゆとりーとラインの高架がある道のすぐ南にその神社はある。

 社伝によると、平安時代初期の807年、尾張国連沖津世襲(おきつよそ)が創建とある。
 連(むらじ)というのは、ヤマト王権時代の姓(かばね)のひとつで、朝廷と近い関係にあった氏族に与えられた姓のことだ。有名なところでは、物部氏や中臣、大伴などがある。
 勧請したというのだけど、どこの神社からのものなのか、調べがつなかった。
 祭神は、大苫辺命(オオトマベ)という馴染みのない神だ。
「日本書紀」でいうところの11柱7代の神(神世七代)のひとりで、5代目に当たり、大戸之道尊(オオトノジ)とペアになっている女の神様だ。
 オオトマベを主祭神として祀っている神社は全国でもかなり珍しいようで、徳島県徳島市の宅宮神社くらいしかないという。
 どうしてこんな古い神様を持ち出してきて尾張の片隅で祀ることになったのか、そのあたりの経緯はまったく分からない。平安時代創建というから、それほど古い神社でもない。
 場所についていうと、元宮とされる場所がここから西1キロほどのところにあり、もともとはここから東の白沢川新堀割の落口近くにあったという。白沢川というと、今の白沢渓谷(城土公園)が思い浮かぶ。旧地はもっと東の小幡緑地があるあたりだろうか。
 このあたり一帯は古墳がたくさんあったところなので、早くから人が住み始めた土地だったことが分かる。

 その他の祭神として、伊耶那美命(イザナミ)と誉田別天皇(ホムタワケ)が祀られている。
 江戸時代から明治前期までは熊野神社や熊野大権現、熊野十二所権現などと呼ばれていたそうだ。
 イザナミは熊野でも祀られている女神で、イザナミが行くことになった黄泉の国の入り口が熊野にあって、葬られた場所に建っているとされるのが花の巌神社(はなのいわやじんじゃ)だ。
 どうしてイザナミを追加で勧請することになったのか、そのあたりのいきさつも分からない。境内には御嶽社らしきものもあり、神仏習合の痕跡も見られるから、オオトマベとの女神つながりということもあったのだろうか。
 ホムタワケは応神天皇と同一視される八幡神社の神だ。これはおそらく江戸時代の勧請ではないだろうか。

 どうしてあちこち場所を移ったのかとか、どうしてオオトマベだったのかとか、本当に「延喜式」の山田郡川嶋神社なのかとか、いろいろ分からないことが多い神社ではある。




拝殿

 社殿は戦後のコンクリート造。




本殿

 もともとの社殿は戦中も残っていたのかどうか。
 新しく再建したものは本来の姿を踏襲したものなのかどうか、そのあたりも調べる手段がない。




もうひとつの拝殿





瓦屋根





屋根の形





境内社

 境内社として、神明社、秋葉社、金刀比羅社、津島社、山神社、御嶽社がある。




杜





御嶽社





拝殿と西日





干支の羊

 なんとなく釈然としないもやもや感が残ったのだけど、訪れておいてよかったと思った。この神社はけっこういい。
 今はまだはっきりしないことも、いつかどこかで別の何かにつながっていくことがある。
 

道行き風景

日常写真(Everyday life)
ペンキぬりたて

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き風景をお送りします。
 今年に入って道行き写真と神社ネタしかやっていないような気もするけど、冬場はどうしてもそうなりがちだ。春はまだ遠い。




ビルの上のペンギン





墓石作り





給水塔





まれ





アルパチーノ





駐輪所のネコ





ソフトバンクぬいぐるみ





維新の党





一品料理よしみ





日の丸

 

小幡白山神社へ行く

神社仏閣(Shrines and temples)
白山神社境内

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 しばらく中断していたご近所神社めぐりを再開しようと思う。
 どこまでやったのか忘れてしまったので、とりあえず守山区のまだ行ったことがないところからやることにした。
 この日出向いたのは、小幡にある白山神社(はくさんじんじゃ)だった。
 このあたりにはいくつかの白山神社があるので、区別するために小幡白山神社と呼んでいるようだ。
 白山神社というと、東区の矢田にある白山神社や春日井にある二子山古墳の白山神社に行ったことがある。尾張旭にもあったし、小さいところは他にもあった気がする。
 名前の通り白山信仰が元になった神社で、加賀国(石川県)白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)が総本社となっている。
 北陸から中部地方を中心に、全国で2,700社ほどあるそうだ。
 古代から白山は信仰の対象だったようで、奈良時代に泰澄が登頂して開山して以来、山岳信仰の対象となっていった。
 その後、修験道と結びついて白山神社は神仏習合の神社となり、明治(1868年)の神仏判然令(神仏分離)を経て、現在に至っている。




鳥居

 銅板を貼り付けたような鳥居はちょっと珍しい。
 本体の素材は外からでは分からない。
 現在地に移ってきたのは明治34年(1901年)だそうだけど、社殿などは戦後のものと思われる。




三の鳥居

 周りを囲まれていないのでさらされ感が強い。
 隣は保育園になっている。
 場所は、名鉄瀬戸線の小幡駅から西へ400メートルほど行ったところで、瀬戸街道から北へ少し入ったところにある。
 南西にある小幡宮前交差点の名前は、この神社から来ているのだろう。
 ここからほぼ真北、600メートルほどのところにある生玉稲荷神社は去年訪れた。




鳥居の光と影

 社殿は一段高いこんもりとした小山の上に建っている。
 小山に見えたのは、小幡南島古墳という円墳だそうだ。
 このあたりで小さい古墳がいくつも見つかっていて、小幡古墳群と称されている。
 昭和の発掘調査では埴輪や須恵器の破片が見つかった他、周濠らしき遺構も発見されたという。




狛犬





拝殿

 創建について詳しいことは分かっていない。
 平安時代の815年、嵯峨天皇の命で編さんされた古代氏族名鑑「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」によると、500年代後半から600年代頃、欽明天皇の皇子である小墾田王(おはるだおう)という人物がこの地に住んでいて、神社を建てたのが始まりという。
 ただ、その頃はまだ白山神社だったはずはない。白山比咩神社の元になったのが716年創建で、白山を開いた泰澄が白山に登ったのが717年から718年にかけてだから。
 そもそもこの地にあったのは、愛宕神社(あたごじんじゃ)だったという。周辺にあった白山神社や神明社、諏訪社を合祀して白山神社と名を改めたのが明治43年のことだった。
 小墾田王云々というのは字東城にあった旧白山神社の話で、移される前は村社だったというから、それなりに格式のある神社だったのは間違いなさそうだ。
 ついでに書くと、愛宕神社の総本社は京都にあって、京都市の愛宕山における愛宕信仰から来ている。
 ここでも泰澄が絡んでいて、修験道の祖とされる役小角とともに朝日峰に神廟を建立したのが始まりとされている。
 愛宕神社は全国に1,000社ほどあるそうで、東北地方に多いのだとか。
 火防の神であり、戦いの神でもあった。
 直江兼続の有名な愛の兜は、愛宕信仰の愛だったのではないかという説がある。

 古墳の上にいつ誰が愛宕神社を建てたのか、今となっては分からない。
 欽明天皇の皇子がどうして尾張の田舎にいたという伝承が残ったのか、そのあたりも謎だ。
 祭神としてイザナミ(伊邪那美命)、カグツチ(火具土命)、ククリヒメ(菊理比売命)、アマテラス(天照大皇神)、タケミナカタ(建御名方命)が祀られている。
 白山神社の定番は、ククリヒメ、イザナギ、イザナミの三柱なのだけど、どういうわけかイザナギが抜け落ちている。
 死んだ妻のイザナミを追いかけて黄泉の国へ行ったイザナギ、しかし変わり果てた姿に驚き逃げるイザナギ、追いかけるイザナミ。その間を取りなしたのがククリヒメだったという関係がこの三者だ。
 白山の神である白山比咩神がどういう経緯でククリヒメと同一視されるようになったのかはよく分かっていない。




おみくじ





御嶽社





小さな祠





瓦





弁天宮

 近場はだいたい回ったような気でいたけど、よくよく調べてみるとまだ知らない小さな神社がいくつも見つかった。地道にちまちまめぐっていくことにしよう。
 

今年も変わらないサンデー

料理(Cooking)
サンデー料理

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 サンデー料理は新年2回目にして早くもネタ切れというかいつものパターンに戻ってしまった。これでいいのだろうかという自問が沸かないでもないでもないけど、これしか作りようがないから仕方がない。
 今年もサンデー料理はきっと変わらないだろう。それでいいのだと思うことにしよう。




トラウトサーモン

「サーモンのからしマヨネーズしょう油」
 サーモンは単純にしょう油でも美味しいのだけど、それでは料理したうちに入らないので、ソースだけは作りたい。
 酒、みりん、しょう油、オリーブオイル、からし、マヨネーズを混ぜてひと煮立ちさせる。
 サーモンにはタマネギが定番だと思うけど、長ネギでも合う。




里芋焼き

「里芋焼き」
 里芋を茹でて柔らかくして、つぶす。
 シーチキン缶、塩、カタクリ粉と一緒に混ぜ合わせて形を整え、ごま油で焼く。
 里芋は粘りけがあるからジャガイモよりも成形しやすい。
 めんつゆで軽く味付けをして、粗挽きコショウを振りかける。
 多少手間はかかるけど煮物とは違う食感の料理に仕上がる。




エビとほうれん草の卵閉じ

「エビ入りほうれん草の卵閉じ」
 料理名そのままの料理。
 全部別々に作ってから最後に混ぜ合わせた方がきれいな仕上がるになる。とき卵に汁を吸わせると茶色料理になりがちだから。
 

写真ノート<2> ---平面ではなく立体ということ

写真ノート(Photo note)
立体と背景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真は平面ではなく立体だ。
 ハサミで切り取るようにではなく、スケッチブックに写し取るようにではなく、スコップで掘り返して持ち帰るように撮らなければならない。
 立体化する理由は、その方が物語が生まれやすく、鑑賞者の想像が入り込む余地が生まれるから。

 絵と写真は似ているようで違うし、違うようでいて似ている。
 三次元の空間を二次元に封じ込めるという意味では同じといっていい。
 描かれているもの、写っているものは三次元に違いない。

 三次元的空間とはつまり、奥行きだ。
 奥行きを意識して撮ると空間的な広がりを持った写真になる。
 キーは前景にある。

 多くの写真の場合---それは必然的ではあるのだけれど---前景を省略している。
 被写体と背景、その奥行き2層で成立している写真が大部分といっていいかもしれない。だから、平面的な感じになってしまう。
 被写体を中景とした場合、前景と背景の3層構造にすると写真は立体的になり、奥行きを持つようになる。
 前景を脇役にする場合もあるし、前ボケを使ったり、あるいは前景を主役にしてもいい。
 歌川広重の名所江戸百景などはいいお手本になる。
 いい写真には前景がある。
 何も写っていなくても、撮り手の意識がそこある。

 大事といえば、背景も非常に重要だ。
 たとえるなら背景は舞台だ。被写体は登場人物で、光は照明ということになる。
 その3つが揃ったとき初めて人の心に響く物語が生まれる。写真も同じことだ。

 背景によって受ける印象は大きく違ってくる。
 色であったり、光であったり、写っているものであったり。
 写真を撮るときは被写体に対するのと同等かそれ以上に背景に心を配る必要がある。
 順番でいうと、まず背景を探すことから始めた方が早い。いい背景さえ見つかればいい写真の条件は整ったようなものだ。
 いくらいい被写体を見つけても悪い背景が写真を台無しにしてしまうことがある。
 もちろん、いくらいい舞台があっても、そこに主役が不在で何も起きていなければ無人の舞台を撮ったようなつまらない写真になってしまうのだけれど。

 写真を整理することは大切だ。
 でも、よく言われるように写真は引き算だという教えには共感しない。
 写真は省略しすぎてもいけないし、多くの要素を詰め込みすぎてもよくない。
 大事なのは、過不足なく入れるべき要素を、しかるべき位置に配置することだ。

 自分が撮りたい写真を絵に描くと想像してみる。
 空はどんな色で、雲はどれくらい浮かび、太陽はどの場所にあるのか。
 主役にどこにいて、何をしているのか。
 背景はどこか。何が写っているのか。
 写真は絵を描くようにはいかないし、現実はこちらの都合良くはいかない。
 それは確かにそうなのだけど、撮りたい絵が頭の中にはっきりないことの言い訳でしかない場合が多い。
 現実に対して妥協してしまったら負けなのだ。

 絵を作るということは、レタッチソフトで画像をいじくって好みの写真に仕上げるといったようなことではない。
 言うなれば自分の撮りたい写真を一度絵に描いて、それを撮りきってみせるといったようなことだ。
 現実に対して反応しているうちは撮っているのではなく撮らされているだけだ。

 現実を写すということから自分の中にある絵を写すという段階に移ったとき、写真を撮るという行為が自分本位のものになる。
 現実より先回りして撮らなければ、写真は絵を越えられない。
 さあ、イメージを撮りにいこう。現実に自分を合わせるのではなく。
 

モノクロ道行き風景

モノクロ(Monochrome)
電線と街の鳥

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 カラーで埋もれている在庫写真をモノクロで救い出す。
 カラーでは面白くない写真がモノクロで生き返ることがある。それは撮った本人ならではの主観的な問題かもしれないけど、確かにそういうことがある。
 もちろん、逆もある。カラーで魅力的な写真がモノクロで魅力を失ってしまうことの方が多い。
 カラーの魅力は色で、モノクロは影だ。光はどちらも重要だから決め手にはならない。
 最初からモノクロで撮ると決めているときは、何よりもまず影を見なければならない。いい影を見つければいいモノクロ写真は撮れたも同然だ。
 今日はモノクロ道行き風景をお送りします。




冬の田んぼ風景





坂の街





古い講堂





茂みのノラたち





街中の小さな神社





雲と東山スカイタワー





冬枯れの木





半田赤レンガ





枯れススキと西日





住宅と月

 

冬の牧野が池風景

施設/公園(Park)
枯れハスとカワウ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 75-300mm



 冬景色を撮りに牧野が池へ行ってきた。
 そろそろミコアイサも来ているかと期待したのだけど、この日は姿が見えなかった。ここに来るのは、1月の終わりから2月にかけてくらいなのかもしれない。冬の早い時期に訪れても見かけることは少ない。
 いつものように池の周りをぐるりと自転車で回ってきた。カモなどはいるにしても、やはり冬は撮るものが少なくて寂しい。トンボ飛ぶ夏はまだまだ遠い。




ヒドリガモ





水面に映る枯れ葉





オオバン





牧野が池夕景





枯れたハス





バクテリア





トビ





黄金色の水面





飛ぶカワウ





カモたちのシルエット





黄金色の空と雲

 

道行き街の風景

日常写真(Everyday life)
工事中住宅

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 今日は道行き街の風景をお送りします。




工事中クレーン





アパートの窓風景





台湾料理味仙





団地の風景





古い建物





牛乳屋





お店とクリスマスツリー





王子製紙煙突





夕暮れどきの街並み





団地の明かり

 

大森八剱神社で続・初詣

神社仏閣(Shrines and temples)
拝殿前参拝の一家

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 森孝八剱神社で初詣には続きがあった。
 続・初詣として同じ守山区内にある同じ名前の神社、大森八剱神社(おおもりやつるぎじんじゃ)も行っておいたのだった。大森の八剱神社も2009年以来久々の参拝だった。
 松の内が終わる前に大森八剱神社へ滑り込み初詣
 大森八剱神社についても前回書いたので繰り返さない。読み返してみると自分でも忘れていることが多くて、へえそうだったんだと思ったりした。なかなか由緒のある神社だったのだとあらためて知る。
 物心つく前に三重県の松阪から名古屋へ越してきて、そのとき住んだのが大森だった。小学校に上がるときに引っ越したので大森の記憶は断片的なものでしかないのだけど、縁のある街であり神社であることは間違いない。
 あの頃の大森八剱神社はどんな姿をしていたのだろう。今の社殿はけっこう新しそうだから、わりと最近建て替えられたものかもしれない。




参道の長い上り階段





拝殿





蕃塀

 尾張地方の神社によく見られる蕃塀(ばんぺい)がここにもある。
 この神社の創建は平安時代に入る前年の793年とされている。
 現在の地に移ってきたのは昭和2年のことだ。
 古い絵図でも残っていてそれを参考に再建したのか、それとも想像で建てたのか。
 スサノオを祀っていることは間違いないようだけど、詳しいことは不明。
 山車も出る大森天王祭はこの神社の祭礼だ。
 大森天王祭は想像していた以上に本格派





多度神社





お札の片づけ中





大森天神社





天神さんの牛





天王社と秋葉神社





御嶽信仰





神仏習合の名残





天王社の社

 結果的に近所の八剱神社2社で初詣をしたことは正解だったような気がする。遠くの大きな神社よりも近くの小さな神社の方が初詣には向いているようにも思う。
 年末年始らしくない毎日を過ごしていた中で、初詣を済ませてようやく新年が始まった気分になれた。
 去年は未年ということで、羊神社に出向いていった。
 羊神社に参拝する
 今年は申年だから猿神社に行こう、と思っても猿神社や申神社はない。でも、猿田彦がある。愛知県内でいうと、一宮市に尾張猿田彦神社というのがあるらしい。まだ行ったことがないので、今年中に一度参拝に行きたいと考えている。
 猿関係でいえば、日吉神社系列は猿が神の使いとしているから、そちら方面へ行くという手もある。
 今年もなんだかんで神社ネタが多くなるんじゃないだろうか。
 

森孝八剱神社で初詣

神社仏閣(Shrines and temples)
新しい注連縄

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 三が日も明けて、そろそろ神社も空いた頃だろうから初詣に行こうと考えて、どこへ行くか迷った。気持ち的には熱田さんがいいかなと思いつつ、よくよく考えると熱田神宮はそんなに縁があるわけではない。好きな神社には違いないのだけれど。
 かといって行ったことのない神社というのも違う気がして、結局、家から一番近い森孝八剱神社(もりたかやつるぎじんじゃ)にしておいた。ここが今の自分の氏神といえばそういうことになるのだろう。
 前回訪れたのは2008年だった。あのときも相当久々だったけど、あれからもう7年も月日が流れていた。そんなに経っているとは思ってなかった。しょっちゅう前の道は通るのだから、もう少しちょくちょく挨拶しておいた方がよさそうだ。
 長らくご無沙汰していた氏神の八剣神社へ挨拶に行ってきた
 調べがつくことに関しては前回書いたので、もう付け加えることはない。
 拝殿が真新しいコンクリート造りになっていてちょっと驚いた。そういえば前のものは木造でかなり古びていた。
 神社の裏手も以前とは少し風景が変わっていた気がする。変わらないようでも少しずついろんなことが変わっていく。自分が変わっていくことも止めようがない。




森孝八剱神社外観





鳥居と狛犬





新しい拝殿





本殿





古い狛犬





どんど焼きの跡





松飾りの残骸





榊

 ようやく初詣も済んで、新年の気分になってきた。
 撮影もまたそろそろちゃんとしないといけないし、ご近所神社めぐりも再開したい。
 

明けまして2016年サンデー

料理(Cooking)
新年サンデー

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今年最初の日曜日は1月3日。なので、普通にサンデー料理を作って食べた。1日や2日なら休んでいただろうけど。
 新年らしく、おせちっぽい料理でも作ろうかと考えて、やっぱりやめた。サンデー料理は、イベントに左右されないところがいいのだと思う。
 などといいつつ、少しくらいはと思って、白と黄色の卵料理を作ってみた。錦卵という名前らしい。でも、お約束通りには作っていないから、もどきと言った方がよさそうだ。
 そんなわけで、2016年のサンデー料理も、さらっと何気なく始まった。今年も去年と同様、大きな目標はない。とにかく最後まで続けることが目標といえばそうなる。




マグロの甘酢がけ

「マグロの甘酢ソースがけ」
 新年早々、やっぱりマグロだった。
 サーモンにしようかと思ったら、去年買って冷凍しておいたマグロがあった。
 メインの魚は、今年も、マグロ、鯛、サーモンで回っていくことになる。




豆腐の中華風あんかけ

「湯豆腐の野菜たっぷりあんかけ」
 豆腐のあんかけを作るのは予定通りだったのだけど、イメージよりも具が多くなりすぎて、豆腐のあんかけという見た目ではなくなってしまった。
 これならいっそのこと、豆腐も小さく切り分けて一緒に炒めてしまった方が早かった。




錦卵のグリーンソース

「錦卵のグリーンソース」
 ゆで卵を白身と黄身に分けて、それぞれつぶして裏ごししたあと蒸すというのが正しい作り方なのだと思う。
 そこまで手間をかけるのは面倒だったので、フォークとスプーンでつぶしたあと、塩と砂糖で味付けして、二段重ねてタッパーに入れてレンジで加熱した。
 目が粗い分、完成度は低いものの、味としては問題ない。
 ソースは、炒めたほうれん草を切り分けて、オリーブオイル、マヨネーズ、水、チーズ、塩を加えてミキサーでペースト状にして作った。
 

写真ノート<1> ---ピントについて

写真ノート(Photo note)
瞳に映る世界

OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO



 今回からあらたに、「写真ノート」というシリーズを始めることにした。
 写真について語れば語るほど、その本人が撮っている写真の説得力が失われるというジレンマに陥りがちだけど---偉そうに言うほどたいした写真撮ってないじゃんと思われがちだし自分も思いがち---前々からずっと考えてきたことを、ここらで一度まとめてみたいと思うようになった。
 写真とはこういうものだ、などと上から語るつもりはないのだけど、自分のための覚え書きも兼ねつつ、写真を撮っている人たちのための何かヒントになればいいと願っている。
 きちんとした写真論にはならないだろうし、断片的なメモ書き程度になるかもしれない。ただ、撮影の教則本やカメラ雑誌などにはあまり書かれていないようなことを少しでも書けたらいいなと思っている。

 第一回目の今回は、ピントについて書いてみたい。
 オートフォーカスのカメラが当たり前になって以来、ピントを合わせることはカメラの仕事と思っている人が多いかもしれない。それは半分正解で、半分正しくない。
 ピントというのは、自分の意志を表す行為だということを日頃から意識してい撮っている人がどれくらいいるだろう。
 写真においてピントが大事というのはよく言われることだ。それは単にピントが合っているとか外れているとかそういうことではない。自分の意志を写真に中に示すことがすなわちピントを合わせるということだ。
 それは、告白とでもいうべき行為であり、告白ははっきり伝えなければならない。

 ピントの問題は、ボケとも関わってくる。
 レンズの絞りとボケについて、よく理解しないまま曖昧に絞り値を決めている人がけっこう多いような気がする。何故、絞りを変えるのか、どうしてその絞りでなければならないのかを正しく理解して撮影をしているだろうか。
 絞りはシャッタースピードや解像感を左右するものではあるけど、それだけではない。
 ピントが合っている範囲とボケ量は、レンズの画角、被写体との距離、絞り値によって決まる。一般的なことをいえば、広角であるほど焦点範囲は広くなり、望遠側ほど焦点範囲は狭くなる。
 絞りを開けるほどボケ量は大きくなるけど、被写体との距離によっても変わってくる。近づくほどボケは大きくなり、遠ざかるほどピントの合う範囲は広くなる。
 マクロ撮影ならF2.8、風景ならF8、スナップならF5.6で撮ればいいといったような単純な話ではない。
 絞り値を決めるということは、どこからどこまでピントを合わせて、どこからぼかすのか決めるためになされるべきものであって、それはピントを合わせるのと同様、明確な意志を持って決定する必要がある。

 たとえば教室の中に30人の生徒がいて、好きな子がひとりいるとする。
 そういうときは、好きな子しか目に入らない。意識の中でその子にピントを合わせていて、他はぼかしている。
 写真も同じことだ。30人全員に向かってなんとなくピントを合わせて撮ってしまえば、誰を写したかったのが写真を見る人間には伝わない。

 ピントとボケは、構図にも関わってくる。
 ピントを合わせた被写体をどこに持ってくるかを決定することが構図を決めるということだ。
 極端に言えば、構図というのはある状況において一点にしか正解がない。それ以上動かしようのない構図といったものが存在する。
 正しい構図が先にあるのではない。意志が必然的に構図を決定するのだ。

 ぼんやりした意識で撮られた写真は、鑑賞者の視線がさまよってしまう。それは散漫で印象の弱い写真として捉えられてしまう。
 写真は自分が伝えたいことの半分も伝わらないものだから、少々明確すぎるくらいでちょうどいい。
 個人的にビュー・キャッチポイントと名付けているのだけど、撮られているものに対する予備知識がない状態の鑑賞者がパッと写真を見たとき、最初に目がいくポイントをどこかに作っておかなければならない。視点の着地点と言ってもいい。
 それがすなわち、ピントの位置だ。
 何が撮りたかったのか、何を表現したいのか、何を伝えたいのか、それはピントしか手段がない。ピントが決める構図が写真のすべてだ。だからこそ、ピントは大事なのだ。

 技術的な部分で少し補足すると、ピントは点ではなく面だということを意識しておいた方がいい。
 写真は平面ではなく立方体であるということはいずれ書きたいと思っているけど、ピントを面として捉えていると、様々な場面で有利に活用することができる。
 1メートルの距離にピントを置いた場合、それは正面に限らない。左でも、右でも、上でも、下でも、斜めでも、1メートルの距離のどこにでもピントは合う。あるいは自分の真後ろでも。
 オートフォーカスに頼り切っているとその感覚を持てないから、ときどきはマニュアルフォーカスを使った方がいい。
 置きピンというのは単にテクニックだけの話ではなくて、ピントを正しく認識するための方法論でもある。

 感覚的に写真を撮っていると、上手く撮れたときの再現性が低くなる。理屈が分かった上で正しく撮れれば、理論上は何度でも再現できるということになる。もちろん、実際に同じ条件というのはほぼないから、いつも上手くいくわけではないのだけれど。
 ピントや絞りについて曖昧なまま撮っているような人が多いような気がして、今回はこんな話をしてみた。作例やデータを交えながら説明するともっと分かりやすくなるはずだから、機会があればもう少しこの続きもしてみたいと思っている。
 もともと美的センスがあって感覚的にいい写真が撮れてしまう人もけっこういる。ただ、それでもピントの重要性と意味だけは知っておいた方がいい。
 ピントはカメラが決めるんじゃない、自分の意志が決めるのだということを。
 
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