
SONY α55 + SONY 35mm f1.8/ TAMRON 10-24mm f3.5-4.5
千種区の高牟神社(たかむじんじゃ)を訪れるのは久しぶりだった。調べたら前回は2005年だった。
名古屋恋の三社めぐりのうち、初詣に城山八幡宮と晴明神社へ行って、高牟神社が残っていた。この日はここと桜天神を巡るコースだった。
しばらくの間、高牟神社と物部神社がごっちゃになっていた。何度か行ったことがあると思っていたのは物部神社の方で、高牟神社のことは忘れていた。境内に足を踏み入れてやっと思い出した。以前、外国人が本を読んでいた光景がよみがえったのだった。

けっこう人気のある神社で、途切れることなく、ぽつり、ぽつりと参拝者がやってくる。
その理由のひとつとして、ここの湧き水の存在がある。
手水舎に使われているのは湧き水で、元古井の地名はここから来ているという。昔からよく水が湧く土地だったらしい。
手を洗ったら思いがけず水がぬるくて、一瞬、お湯かと思った。井戸水は冬温かくて夏冷たい。田舎の井戸のことを思い出した。
近所の人たちはここの水をよく汲みに来ているそうだ。

名古屋には3つの高牟神社がある。
ここ千種と、名東区高針、守山区で、それぞれが式内社を名乗っている。
延喜式神名帳には、春日部郡と愛智郡と2つの高牟神社が載っている。どこがそれに当たるのかは、はっきりしていない。3つのうち1つは違っていそうだし、まったく別の神社のことかもしれない。
祭神として高皇産霊神、神皇産霊神、応神天皇が祀られている。
尾張物部氏との関係が深いのは確かなようで、物部氏の武器庫があった場所に建てられたという説もある。
いずれにしても創建はかなり古いようだ。
江戸時代は八幡宮と改名されていたらしい。

社殿はすべて空襲で焼けてしまったとのことで、古いものは残っていない。



高牟神社のほぼ真北、500メートルほどの場所に物部神社がある。
街中の交差点の角に、強引に居座ったかのような残り方をしている。
こちらも式内社で、「尾張名所図会」には高牟神社と一緒に描かれているところをみても、2つの神社の関係は深そうだ。


祭神は物部氏の祖である宇摩志麻遅命(ウマシマジ)を祀っている。
尾張地区は、尾張氏という有力豪族がいて、結果的には大和朝廷と深く縁を結んだ尾張氏がこの地を支配することになったわけだけど、それ以前は物部氏の勢力もかなり強かったと考えられる。
北区の味鋺神社もウマシマジを祀った神社で、近くで味鋺古墳群が見つかっている。

境内は四角形ではなく、社殿の配置も不思議なことになっている。拝殿と本殿は南東向きで、鳥居は南に二つ。奥に抜けると直接小さな公園に出る。周りは広い道路と高い建物に囲まれている。
ここも本殿は戦後に建てられたものということで、神社全体が以前の姿とは大きく違っているのだろう。


このあとは、桜天神へと向かった。