月別:2011年02月

記事一覧
  • 明治という時代を思う明治村 <第4回>

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 今日は明治村シリーズの4回目。残った写真を並べて最終回としたい。 鉄道寮新橋工場には、明治に使われたたくさんの機械類が集められている。大型機械は外国から輸入したもので、のちに国産もされるようになっていった。 この頃の機械は、とても機械らしい機械で、仕組みはそれほど複雑なものではないのだけど、見ているだけでワクワクさせるものがある。空想のロボットを見るような感覚に少し...

    2011/02/28

    美術館・博物館(Museum)

  • ひな祭りにちなまないサンデー料理

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 今日のサンデー料理は、上の3品。特にこれといったテーマはなく、ヘルシー指向というのを少し考えながら作った。 もうすぐひな祭りということで、ひな祭りにちなんだ料理も考えたのだけど、やっぱりやめておいた。ピンク色の料理というと、甘いピンクの粉しか思いつかず、あれはちらし寿司のときだけでいい。桃というのも料理の主題にはならない。 そんなわけで、普通に作って食べた。 鯛蒸し...

    2011/02/27

    料理(Cooking)

  • 明治村と人 <第3回>

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 明治村といえば、映画やドラマのセットでもよく使われるように、人と建物との相性がいいところだ。写真でも、いいところにいい人が配置されれば、絵になる光景を撮ることができる。いつもそのあたりも狙いつつの撮影になるのだけど、この日の主役もやっぱり小学生軍団だった。前回ほどの賑わいではなかったものの、あらゆる建物に小学生達が群がっている。明治村とはそういうものだと思えば、それ...

    2011/02/26

    美術館・博物館(Museum)

  • 5年目のセリバオウレン

    PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 セリバオウレンを撮りにいくのは、今年で5回目となった。流れた歳月を思うと、ちょっと愕然とした思いに囚われる。自分が同じ所をぐるぐる回っているような気分だ。 今年は少し出遅れた。毎年、2月の半ばくらいに訪れている。去年は2月の前半だった。 やはり咲きすぎてしまっていて、撮るにはやや遅すぎた。見頃といえば見頃で、もうほぼ満開といったところだった。 場所はいつもと同じ、瀬戸の岩...

    2011/02/25

    花/植物(Flower/plant)

  • 二つの季節がすれ違う2月の東山植物園

    PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 雨上がりの東山動物園で、冬の終わりと春の始まりを探す。いつでも季節は混在しているものだけど、2月は特にそれを強く感じる。春の歓びは冬の悲しみで、春を待つ楽しみと同時に冬が去ることの寂しさも感じる。春は良いに決まっていて、かえってつまらない。冬の中に隠れた良さを見つけたい。そんなちょっとひねた感情にとらわれるのも、2月という季節だ。 ボトボトと音を立てるように落ちたツバキ...

    2011/02/24

    施設/公園(Park)

  • 明治村で光を写す <第2回>

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 昨日は暗い写真ばかりだったから、今日は明るい写真にした。主役は光だ。影も脇役として光を引き立てている。 少し標高が高いところにあるわりには、梅がよく咲いていた。まだ冬色に支配されている園内で、この一角だけが華やいでいた。 そういえば、梅が咲く時期に訪れたのは初めてだった。自分でも意外なことに、桜の時期に一度も行っていない。ここはカタクリの花が咲く場所でもあるから、4...

    2011/02/23

    美術館・博物館(Museum)

  • 明治村で影を探す <第1回>

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 前回の明治村行きが12月の前半で、あれからまだ2ヶ月しか経っていないのに、また行ってきた。これほど短期間に続けて行くのは初めてだ。たいていは1年以上間が開いていたのだけど、ちょっと思うところがあって撮りにいってきた。 今回のテーマは、歳月と時間の経過と決めていたのに、そういった写真はほとんど撮れなかった。テーマに沿うような被写体を見つけられず、終始不調を感じていた。 合...

    2011/02/22

    美術館・博物館(Museum)

  • フォトコンのこと ---もっといい写真が撮れるように

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 他 久しぶりに「デジタルカメラマガジン」のフォトコンで選ばれた。上の写真がそれで、佳作だった。 選者は今月から中井精也さんに代わって、選ばれる写真の傾向も去年の野町和嘉氏とはかなり変わったように思う。去年は一度、紙面添削コーナーに取り上げられただけで、結局一度も通らなかった。 フォトコンに選ばれるために写真を撮っているわけではない、というのは言い訳でしかない。もっと...

    2011/02/21

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 上出来サンデー料理

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 今日のサンデー料理は、和食をベースとしながら他の要素を取り入れつつ、バランスに気を遣って作った。概ね成功したと言えそうだ。味付けの加減も上手くいった。 各料理に緑色を使うことも忘れなかった。油断したら完全に茶色に支配されるところだった。 エビと豆腐の甘辛トマトソース。 エビは背わた、はらわたを取って、塩、コショウ、酒でもんで、一度洗う。ペーパーで水気を拭いて、もう一...

    2011/02/20

    料理(Cooking)

  • 雪の奈良井宿は静かだった <木曽旅・第5回>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 奈良井宿の南の入り口に、村の鎮守である鎮神社(しずめじんじゃ)が建っている。この先には難所、鳥居峠だ。 平安時代末期の12世紀後期、奈良井に疫病が流行った際、木曽の地を治めていた豪族・中原兼造が下総の国から香取神社の祭神・経津主神(ふつぬしのかみ)を勧請して祀ったのが始まりとされている。もともとは鳥居峠にあったようだ。 香取神社といえば、下総国一宮の香取神宮の分社だ...

    2011/02/19

    観光地(Tourist spot)

  • 宿場の名残が色濃い奈良井宿<木曽旅・第4回>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 木曽平沢をあとにして次に訪れたのは、一つ隣駅の奈良井だった。駅を出ると、ほどなくして宿場町の面影を色濃く残す通りが始まる。どんな感じなんだろうとワクワク、ドキドキする間も与えず、唐突に。ちょっとイントロが短すぎ。 そんな軽い不意打ちを食らいつつ、奈良井宿の入り口に立って、やっと来られたかと、しばし感慨にふけった。馬篭宿と妻籠宿を訪れたのは2005年の初夏だった。そのす...

    2011/02/18

    観光地(Tourist spot)

  • 平和公園は生と死のコントラスト

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8 墓に供えられた花が枯れ、風に吹かれて地面に落ちた。終焉。今ここに役割を終えた。 木曽路シリーズがしばらく続きそうなので、一区切りついたところで、季節の小ネタを挟んでみることにした。 今日は2月の平和公園の風景をお届けします。 人は死んで、死に続ける。死は連続性のある永遠だ。生がある限り、相対としての死も在り続ける。 この世界は生と死が同居している。...

    2011/02/18

    施設/公園(Park)

  • 雪景色の木曽平沢は一期一会 <木曽旅・第3回>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 木曽平沢の町の南の外れ、うるし橋へとやって来た。誰の家の前でもない橋の上は、雪かきされておらず、ちょっと凍りかけていて怖かった。歩道の方はたんまり雪が積もっていて、足がずぼっと20セントくらい入った。雪って、何かとままらないと思う。 当初の予定としては、このまま2キロほど離れた奈良井宿まで歩いていくつもりだったのだけど、雪道で時間がかかりそうだったので、一駅分、列車で...

    2011/02/16

    観光地(Tourist spot)

  • 雪の木曽平沢を歩く <木曽旅・第2回>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 今日は木曽平沢の2回目。引き続き漆器の町を歩いてみる。 店の前に置かれた大きな石仏が面白かったので撮ってみる。漆器とは関係がなさそうだし、古いものでもないと思う。店の目印としては、なかなか目立つ。 店の名前が夏目漆器店ということで、「夏目友人帳」を連想した。これも名前を取り返しに来た妖怪かもしれない。 漆器店が集まった平沢の町は、奈良井川とJR中央線に挟まれた東西200...

    2011/02/15

    観光地(Tourist spot)

  • 木曽路はすべて雪の中 <木曽旅・第1回>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 今年初の鉄道旅は、木曽路行きだった。 もう何年も前から奈良井宿へ行きたいという思いがありながら、なかなか実現できずにいた。この冬最後にもう一度雪景色を撮りたいと考えたとき、雪の木曽路の風景が頭に浮かんだ。 そうとなれば話は早い。せっかくなら近場の宿場も絡めて行ってしまえということで、今回もまた少しタイトなスケジュールになった。慣れない雪道を5時間歩くというのもなかな...

    2011/02/15

    観光地(Tourist spot)

  • ベランダから撮る1200mmの世界

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 / SIGMA 400mm f5.6 旅帰りで余力が残ってないので、ベランダ写真で簡単更新としたい。 一枚目は、雪の日。白い世界が広がった。他人事なら雪はきれいでいい。当事者になるとそうも言っていられない。 夕焼けの日の鎌ヶ岳(かまがたけ)。 400mm+テレプラス2倍。35mm換算で1200mm。 このときは手持ち撮影でかなり無理があった。 別の日、三脚を立てて、レリーズで撮影。 ライブビューの拡大...

    2011/02/14

    日常写真(Everyday life)

  • 前倒しのサタデー料理

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 今週の料理は一日前倒しでサタデー料理になった。 今回もまた和食系に戻った。練り物中心の和風味付けというのが一番自分らしい料理かもしれない。少しだけ洋のエッセンスも入っている。 自分にとって自分の料理が一番というわけではないけれど、作りたい料理と食べたい料理で歩み寄れるのが手料理の良いところだ。大きくは裏切らない。 白身魚と豆腐のつくね。 見た目は和風ハンバーグに見え...

    2011/02/12

    料理(Cooking)

  • 山田天満宮にお礼参り

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 徳川園の帰りに、少し回り道をして山田天満宮に寄っていった。初詣をここでして、そのときしたお願い事が叶ったので、お礼参りをしなければならなかった。 あれからひと月以上が経ち、梅もだいぶ咲いてきていた。他に比べると、ここは少し早いように思う。 本格的な受験シーズンはこれからで、受験生たちが試験を受けている頃には満開になるだろう。道真さんとしては一番忙しい時期だから、のん...

    2011/02/11

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 徳川園の春はまだこれから

    PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 / PENTAX 16-45mm / 55-300mm 毎年恒例となっている徳川園の冬牡丹。これまで2回くらい撮りにいったことがあったと思う。去年は行かず、おととし行ったのを覚えている。今年はできれば行こうと思っていたら、終了日が近づいていた。2月13日までということで、出遅れを覚悟しつつ出向いていった。 やはり、花は開ききっているものが多く、状態の良いものは少なかった。花は何でも、遅すぎるよりは早...

    2011/02/11

    施設/公園(Park)

  • 季節は冬から早春へ ~東山植物園の2月

    PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 今年の1月はとびきり寒かった。と思ったら、2月は妙に暖かい。いつもの年なら、暦の上では立春ですがまだまだ寒さが続いていますみたいなやりとりが交わされるのに、今年は立春を過ぎたら本当に春めいてきた。このあとまた寒さが戻るのだろうか。 東山植物園でも、季節の交代が行われようとしていた。早春の花が咲き始め、冬はその場所を春に譲ろうとしている。 そんな中、夏の意外な名残を見つけ...

    2011/02/09

    花/植物(Flower/plant)

  • 早春の花開花情報 ~東山植物園編

    PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 うっかりしていたら、ロウバイやマンサクがそろそろ見頃だという。ちょっと焦りつつ、東山植物園に向かった。 まずはシナマンサクから。思ったほど咲いてなくて、まだまだこれからといったところだった。それほど焦ることはなかった。 とはいえ、マンサクもロウバイも、暖かくなってしまうとすぐに終焉してしまうので油断はできない。春に先駆けて咲く花は、早熟の天才のようにパッと咲いてあっけ...

    2011/02/09

    花/植物(Flower/plant)

  • 小幡緑地の冬枯れ水風景

    PENTAX K-7+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 空気がだいぶ暖かくなって、春が近づいてきたことを感じる。しかし、まだ2月の初め。風景は依然として冬景色のままだ。相変わらず茶色が支配している。 冬は去りゆくときに名残惜しさを感じる。居座っているときは、早く行ってくれないかと思っているのに、情がわくというのか、最後の方になると、なんならもうちょっとだけいてもいいよと言いたいような気持ちになる。心の準備が整わない...

    2011/02/07

    施設/公園(Park)

  • ポップを目指したサンデー料理

    PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 今年に入ってから和食が続いていて、先週は彩りを忘れた茶黄色料理になってしまった。なので、今週はカラフルでポップな料理を目指してみた。赤、黄色、緑を取りそろえて、けっこう賑やかな感じになった。更に緑色を増やせればもっとよかった。 方向性としては、一応洋食系のつもりだった。でも出来上がったら洋食とも言えない無国籍な料理になった。どこの国の人に見せても、これはうちの国の料...

    2011/02/07

    料理(Cooking)

  • 無性に熱田さんへ行きたくなったので

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 今年になって熱田神宮へ行きたいとずっと思っていた。初詣で行こうと思ったのだけど行けず、そうこうしていたら2月になってしまった。大須の節分会に行った日、熱田神宮にも少し足を伸ばして行くことにした。 前回行ったのは、2009年の6月ということで、一年半以上のご無沙汰となった。あのときは社殿を建て替える大がかりな工事をしていて、境内がバタバタした雰囲気だった。今回行ってみると...

    2011/02/06

    名古屋(Nagoya)

  • 城山八幡宮の節分会でひろった豆は3粒

     大須観音の豆ひろい争いに敗れた私が次に訪れたのは、千種区の城山八幡宮だった。 到着したときはすでに拝殿の前には大勢の人が待ち構えていた。ここでも出遅れたらしい。行く先々で、豆まきに臨む姿勢の違いを見せつけられた。たとえそれほどメジャーではない神社の豆まきだったとしても、散歩気分でフラッと訪れて、何気なく参加してそれなりの豆を持ち帰れるほど節分会は甘いものではなかった。どうやら私は節分会というのも...

    2011/02/05

    イベント(Event)

  • 大須観音の節分会に行って拾えた豆は一粒

     今日2月3日は節分。節分といえば豆まき。豆まきといえば……、どこでやってるんだろう? 調べたら、けっこうあちこちでやっている。どこにしようか考えて、大須観音にした。 愛知の尾張四観音と呼ばれる、笠寺観音、荒子観音、甚目寺観音、龍泉寺でも毎年行われているようだ。豆まきイベントというのは参加したことがなくて、これまであまり興味もなかったので、よく知らなかった。テレビのニュースで力士や芸能人が豆をまいてい...

    2011/02/04

    イベント(Event)

  • 北名古屋市の行き帰り

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 北名古屋市へ行ったとき、行き帰りにけっこう撮ったので、番外編として一回追加することにした。 庄内川とザ・シーン城北。 庄内川は大きな川で、満々と水をたたえて流れている。矢田川なんかとはまるで規模が違う。 岐阜県恵那市の夕立山から、岐阜の土岐や多治見を通って愛知県に入り、瀬戸、春日井、名古屋市を流れ、最後は伊勢湾にそそいでいる。岐阜には長良川という代表的な川があるか...

    2011/02/02

    日常写真(Everyday life)

  • 北名古屋市の高田寺と牟都志神社

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 北名古屋市へ行ったなら、高田寺を訪れないわけにはいかなかった。ここの存在はだいぶ前から知っていて、一度見てみたいと思っていたお寺だった。 地名にもなっているように、かつては広大な寺域を持つ寺だったようだ。町名は「たかだじ」なのに、寺の名前が「こうでんじ」となっている理由はよく知らない。先に寺があってこの地名ができたのだろうけど、同じ呼び名では紛らわしいということで...

    2011/02/02

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 旧加藤家へいらっしゃい

     加藤家と聞くと、ドラマ「加藤家へいらっしゃい」を思い出す名古屋人もいるかもしれない。名古屋出身の堤幸彦が監督した名古屋人のための名古屋人パロディドラマで、あれはとても面白かった。名古屋人にしか分からないような小ネタが満載で、さすが堤幸彦と思わせるものだった。 現在の北名古屋市、かつての師勝町にも有名な加藤家があった。江戸時代は六ッ師村の庄屋を務めた旧家で、近隣では大加藤(おおかとう)と呼ばれてい...

    2011/02/01

    施設/公園(Park)

明治という時代を思う明治村 <第4回>

美術館・博物館(Museum)
明治村4-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 今日は明治村シリーズの4回目。残った写真を並べて最終回としたい。
 鉄道寮新橋工場には、明治に使われたたくさんの機械類が集められている。大型機械は外国から輸入したもので、のちに国産もされるようになっていった。
 この頃の機械は、とても機械らしい機械で、仕組みはそれほど複雑なものではないのだけど、見ているだけでワクワクさせるものがある。空想のロボットを見るような感覚に少し近いかもしれない。
 江戸時代の人が大型機械を見たときは、すごいカルチャーショックだっただろう。

明治村4-2

 何をする機械なのかは分からない。外側の大きな車輪が回転し、上の二つの球がゆっくり回る。それに連動して下の部分が前後に動く。
 見ていると面白い。

明治村4-3

 黒光りというのか油光りというのか、メカニカルな鉄製品に軽いときめきを覚える。

明治村4-4

 これまたスイッチボタンらしいボタンだ。タッチパネルなどという軟弱なものではない。思わずぐいっと押し込みたくなる。

明治村4-5

 当時のプレートはカッコイイ。
 機械館は思うよりも被写体があって楽しめる。

明治村4-6

 金庫につけられた製造会社の商標。このエンブレムだけでもかなり力が入っている。作り手の誇りまで感じられる。
 セコムのステッカーも、これくらいのものだともっと説得力を持つんじゃないか。

明治村4-7

 縁がないという意味では、江戸時代の人たちも私もあまり変わりない、シャンデリア。たぶん、シャンデリアのある部屋に住むことなど、一生ないと思う。

明治村4-8

 灯台のライト。何度見ても、仮面の怪人に見える。

明治村4-9

 ザビエル天主堂にある灯り。土台は陶製で、凝った意匠が施されている。彫られているのがマリア様かどうかは分からない。神話の女神とかかもしれない。

明治村4-10

 ステンドグラスと光が作り出す光景。キリスト教徒でなくても、神々しさを感じる。

明治村4-11

 聖ヨハネ教会堂のステンドグラス。ややおとなしめだ。

明治村4-12

 ヨットの帆を連想させる大明寺聖パウロ教会堂の天井。弧を描く木の骨組みが美しい。

明治村4-13

 先週放送された、明治最後の敵討ちを描いたドラマ「遺恨あり」で、明治村がかなりロケ地として使われていた。
 なるほど、そう撮るかというシーンがいくつかあって、やられたと思った。行く前に観ていれば、少し違った視点から撮れただろう。
 この金沢監獄は外から扉越しに中を撮っていた。それは思いつかなかった。次に行ったときはやってみよう。

明治村4-14

 影の写真が残っていた。

明治村4-15

 使い込まれて歳月を経た黒板の傷。
 新緑の季節に訪れると、黒板にきれいな緑色が映り込む。

明治村4-16

 明治村で一番好きな場所が、三重県尋常師範学校・蔵持小学校だ。この日は最後に訪れて、ここを撮って納得したところで終わりにした。
 次は桜の季節に行けるだろうか。桜ももう、ひと月後だ。

ひな祭りにちなまないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 今日のサンデー料理は、上の3品。特にこれといったテーマはなく、ヘルシー指向というのを少し考えながら作った。
 もうすぐひな祭りということで、ひな祭りにちなんだ料理も考えたのだけど、やっぱりやめておいた。ピンク色の料理というと、甘いピンクの粉しか思いつかず、あれはちらし寿司のときだけでいい。桃というのも料理の主題にはならない。
 そんなわけで、普通に作って食べた。

サンデー料理-2

 鯛蒸しの卵黄ソースがけ。
 鯛に塩、コショウ、ショウガをまぶし、酒を振ってしばらく置く。
 水、酒、ダシの素を沸騰させ、蒸し器で5分ほど加熱する。終盤でアスパラを入れる。
 ソースは、卵黄、オリーブオイル、マヨネーズ、しょう油、砂糖、ダシの素、塩、コショウ、からしを混ぜて作る。
 白身魚も、焼くより蒸す方が食感もいいし、味も凝縮される。

サンデー料理-3

 長芋団子の甘酢がけ。
 卵白をかき混ぜてメレンゲを作る。
 長芋をすり下ろす。
 刻んだタマネギ、白はんぺん、ダシの素、小麦粉、塩、コショウを混ぜ、よくかき回す。
 このままでは柔らかすぎて団子にできないので、いったん炒める。
 ある程度固まったところで火を止めて、冷ます。
 冷めたら団子状に丸めて、フライパンで転がしながら炒める。
 たれは、酒、みりん、しょう油、白だし、酢、砂糖、塩、コショウ、唐辛子をひと煮立ちさせ、水溶きカタクリ粉を加えてとろみをつける。
 千切りにしたレタスを敷いて、たれと共に食べる。
 ふわふわ食感がなかなか面白い。美味しいのでオススメ。

サンデー料理-4

 野菜の圧力鍋煮。
 圧力鍋に、酒、みりん、しょう油、水、ダシの素と、ジャガイモ、ニンジン、鶏肉を入れて、煮る。
 ある程度柔らかくなったところで残りの野菜、タマネギ、ブロッコリー、長ネギ、キャベツ、トマト、しめじを加え、もう少し煮る。
 圧力鍋はすぐに火が通って柔らかくなるから、注意が必要だ。ちょっと煮る時間が長かった。全体で10分でも長すぎるかもしれない。
 野菜類の旨みが全体に染み渡っていて、温野菜の美味しさを再認識する。これならたくさん野菜が食べられる。

 今日は無難な料理で、面白みには欠けた。普通の夕飯ならこれでいいけど、趣味の料理としてはちょっと物足りない。いつでも少しだけ冒険心が必要だ。

明治村と人 <第3回>

美術館・博物館(Museum)
明治村3-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 明治村といえば、映画やドラマのセットでもよく使われるように、人と建物との相性がいいところだ。写真でも、いいところにいい人が配置されれば、絵になる光景を撮ることができる。いつもそのあたりも狙いつつの撮影になるのだけど、この日の主役もやっぱり小学生軍団だった。前回ほどの賑わいではなかったものの、あらゆる建物に小学生達が群がっている。明治村とはそういうものだと思えば、それが自然な姿に思えてきた。夕方になっていなくなると、かえって寂しいくらいだ。
 一枚目は、引率の先生視点で撮ったものだ。おい、次、サビエル、行こうぜ、ザビエル、と大きな声で話しながら坂を駆け上がっていった。ザビエルとは、聖ザビエル天主堂のことだ。

明治村3-2

 その聖ザビエル天主堂の中では、小学生達が合唱を披露していた。そんなイベントがあったわけではなく、明治村見学に来ていた小学生達が勝手にここで歌っていただけだ。歌っていけないという決まりはない。個人で聖歌を歌ってもかまわない。
 音楽の授業でやっているのか、合唱コンクールに向けて練習しているのか、なかなか上手だった。充分コンクールに出られるレベルだ。終わったあと、自然と拍手が起きていた。私もいいところに居合わせることができてよかった。

明治村3-3

 何年か前、この階段で「春の雪」を撮りに来ていた行定勲監督とすれ違った。ちょうどこのあたりだ。
 そのときはまだ撮影が始まる前で、スタッフがセットを組んでいた。映画の撮影シーンも見てみたい。

明治村3-4

 小学生の年代は、女の子の方が断然しっかりしていて、順番を決めてきちんと回ったり、熱心にメモを取ったりして、真面目に明治村見学をしている。
 男子はというと、やたら騒いで駆け回っているだけで、女子に叱られてばかりだ。こいつら、ダメだなと思う。自分の小学生時代を思い出してもそうだ。こんなもの、どこが面白いんだと思っていた。
 明治村は大人になってから訪れると楽しい場所だから、小中学校で行って以来行ってないという人にこそ、オススメしたい。

明治村3-5

 茶屋前の家族。
 このあたりの時代考証は甘く、完璧とは言い難い。もう一つ徹底されていないゆるさが明治村だ。
 人件費の問題はあるだろうけど、明治村は明治の扮装をした人たちを各所に配置すべきだと思う。過去にそういう試みがなされたことがあったのだろうか。
 明治の衣装を着た人たちがあちこちに立っていたらぐっと雰囲気が出る。写真を撮りに来ている人からすればいいモデルになるし、一緒に記念撮影をしたら思い出にもなる。古い建物を見るだけでは、明治を満喫したとは言えない。
 土日だけでもやってくれると、何度も行きたいと思うに違いないのだけど。

明治村3-6

 帝国ホテルのラウンジでくつろぐ人。

明治村3-7

 漱石の家の猫を、座敷の側から撮る。
 庭のボケはまだ咲いていなかった。蕾が二つ、三つついているだけだった。

明治村3-8

 明治村の入り口近くですれ違ったおばさまたち。明治村から出てきたのか、山歩きでもしていたのか。

明治村3-9

 こういうのを着た人が歩いていたら、明治村ももっと盛り上がる。和装なら訪れた外国人も喜ぶだろう。
 ミス明治村コンテストとかもやって、村長も有名人ではなくちゃんと毎日来られる地元の人を選んだ方がいんじゃないか。

明治村3-10

 ドラマ「坂の上の雲」のロケ地としても使われたことで、それにまつわる展示や映像紹介などをしている。
 これは、秋山真之に扮する本木雅弘が着ていた軍服らしい。
 村内は、エンドレスでスピーカーから坂の上の雲のテーマ曲が流れ続けていて、耳について離れなかった。毎日、一日中聞かされているスタッフたちはいい加減嫌になってるんじゃないだろうか。

 そんななこんなの明治村シリーズは、あと一回続きます。

5年目のセリバオウレン

花/植物(Flower/plant)
セリバオウレン-1

PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8



 セリバオウレンを撮りにいくのは、今年で5回目となった。流れた歳月を思うと、ちょっと愕然とした思いに囚われる。自分が同じ所をぐるぐる回っているような気分だ。
 今年は少し出遅れた。毎年、2月の半ばくらいに訪れている。去年は2月の前半だった。
 やはり咲きすぎてしまっていて、撮るにはやや遅すぎた。見頃といえば見頃で、もうほぼ満開といったところだった。
 場所はいつもと同じ、瀬戸の岩屋堂だ。

セリバオウレン-2

 これまで見たことがないほどたくさん咲いていた。いつもは少し早いくらいで、2月の後半に最盛期を迎えることがよく分かった。
 この花の場合、たくさん咲いていればいい写真が撮れるわけではなく、咲きすぎていてかえって撮りづらいくらいだった。花も開きすぎてしまっている。撮りどきとしては、2月の半ばがいい。

セリバオウレン-3

 セリバオウレンは可憐という言葉がよく使われる。でも、元気にはじけている姿を見ると、小さなお転婆娘みたいだと思う。おてんばだなぁ、なんて言い回しは近頃めっきり聞かなくなったけれど。

セリバオウレン-4

 雄花と雌花と両性花があることを思い出しても、どうやって見分けるんだったか、毎年忘れている。めしべとおしべがどうとかこうとかだったことは覚えている。

セリバオウレン-5

 背の低い花だから、どうしても上から見下ろす形になり、背景が地面になってしまう。背景に空間があるところを探して、やっと見つけた。ほとんど地面すれすれで、横からライブビュー画面をのぞき込んでの撮影だ。腹ばいになれるならなりたいくらいだ。

セリバオウレン-6

 真上から見ると、踊るバレリーナのよう。

セリバオウレン-7

 春の妖精という形容詞もよく似合う。
 暖かくなる頃には、いつの間にか姿を消してしまう。

セリバオウレン-8

 今年も再会することができてよかった。毎年決まった時期に咲くのが当たり前のように思っているけど、本当はそんなに当たり前のことじゃないかもしれない。私もあの場所へ行かなければ再会することはできないわけで、5年続けて出会えていることは、とても幸運なことに違いない。
 また来年、会いに行こう。

セリバオウレン-9

 オマケのクモさん。
 ガサゴソと這い出してきて、歩き回っていた。
 いよいよ春は近い。

二つの季節がすれ違う2月の東山植物園

施設/公園(Park)
東山植物園-1

PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8



 雨上がりの東山動物園で、冬の終わりと春の始まりを探す。いつでも季節は混在しているものだけど、2月は特にそれを強く感じる。春の歓びは冬の悲しみで、春を待つ楽しみと同時に冬が去ることの寂しさも感じる。春は良いに決まっていて、かえってつまらない。冬の中に隠れた良さを見つけたい。そんなちょっとひねた感情にとらわれるのも、2月という季節だ。
 ボトボトと音を立てるように落ちたツバキが、地面で雨に濡れていた。まだ花はこんなにもきれいなのに。桜が散る潔さとは少し違っている。無念のようなものを想像するのは、人間の勝手な思いでしかないのだろうか。
 いずれにしても、季節は巡る。時の歩みは人を待ってくれない。

東山植物園-2

 雨上がりは水滴を撮るには最適だ。水滴ばかり探し歩いていた。

東山植物園-4

 こぼれ落ちそうで落ちない大粒の水滴。
 良い条件の水滴を見つけるのは意外と難しかった。ついている場所と背景の条件が揃っているところはめったになく、水滴の中の風景も狙うとなると、更に難度が増す。

東山植物園-14

 結局、この日は良い水滴を見つけることができなかった。次の機会があれば、そのときはもっと時間をかけて探そう。水滴の中に風景を閉じ込めたい。

東山植物園-3

 梅の開花は、かなりばらつきがあって、見頃を過ぎた木もあれば、まだ蕾のままの木もある。桜のように一斉に咲いて一気に散るというわけではないから、撮るタイミングが分かりづらい。
 農業センターのしだれ梅は、まだまだ時間がかかりそうで、今年は特に遅い。来週末くらいになるだろうか。

東山植物園-6

 桜の花びらほどドラマチックではないけれど、散った梅の花びらも可憐だ。濡れた石畳の上で、しっとりした雰囲気だった。

東山植物園-5

 福寿草が見頃を迎えている。一気に咲き揃った。
 この花は雪から数輪、顔を出しているくらいがいい。たくさん集まって元気に咲いていると、なんだかありがたみがない。花も想像しているより大きい。

東山植物園-7

 きれいなモミジの赤い葉が落ちていた。今の時期にこの鮮やかさはあるだろうか。秋に拾って保存しておいたものを誰かが蒔いたか。

東山植物園-8

 寒い時期に咲くアヤメのようだ。カンザキアヤメというプレートがあった。そんな名前の女の人がいそうだ。

東山植物園-9

 ハナアブが活動を再開している。忙しそうに椿の花粉を集めていた。
 その他にも小さな羽虫が飛び始めている。

東山植物園-10

 ハナアブのホバリング。
 本格的な虫撮りはまだもう少し先になるけど、動くものが撮れるようになるのは嬉しい。春は楽しみが多い。

東山植物園-11

 白川郷の雪も少しずつ溶け始めている頃だろうか。まだ深い雪に覆われたままなのか。
 いつか行きたいと思いつつ、今シーズンも雪の白川郷に行けなかった。

東山植物園-12

 木々の装いは冬装束のまま。春が来ても、完全に緑色を取り戻すには時間がかかる。

東山植物園-13

 紅白の鯉。

東山植物園-15

 雨はもうあがっていたけど、傘の花が一つ。

 季節は進み、行く季節と、来る季節がすれ違う。耳を澄ませてじっくり観察していると、季節同士がタッチをする音が聞こえるかもしれない。

明治村で光を写す <第2回>

美術館・博物館(Museum)
明治村2-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 昨日は暗い写真ばかりだったから、今日は明るい写真にした。主役は光だ。影も脇役として光を引き立てている。
 少し標高が高いところにあるわりには、梅がよく咲いていた。まだ冬色に支配されている園内で、この一角だけが華やいでいた。
 そういえば、梅が咲く時期に訪れたのは初めてだった。自分でも意外なことに、桜の時期に一度も行っていない。ここはカタクリの花が咲く場所でもあるから、4月にもう一度行こうかと考えている。

明治村2-2

 美人の梅を見つけた。白梅なのに真ん中がほんのりピンク色で、まわりの梅とは違っていた。
 花も同じに見えてそれぞれちょっとした違いがある。一番いい花を見つけたい。

明治村2-3

 窓の外に咲いていたのは、ツバキかサザンカか。
 暖かさを増した陽光にキラキラしていた。

明治村2-4

 木造の洋館に映った枯れ木の影。まだ冬の姿をしている。
 でももう、寒々しくはない。

明治村2-5

 白いカーテンが光に当たって、純白の輝きを放つ。ウェディングドレスのように。

明治村2-6

 レースのカーテンを通った光は優しい。床に柔らかな光の模様を描く。

明治村2-7

 写真館の窓が作る光と影。そこにはモノクロの絵ができている。

明治村2-8

 波を打つ古いガラス窓は、映る景色を揺らめかせる。この揺らいだ感じがいいと思う。

明治村2-9

 障子の明かり取り窓と、木の扉。和の家屋が作る風景。

明治村2-10

 たくさんの窓から渡り廊下にたっぷりの光が注ぎ込む。

明治村2-11

 窓から振る光のシャワー。龍馬伝みたいだ。

明治村2-12

 縁側では漱石の猫がひなたぼっこをしている。

 つづく。

明治村で影を探す <第1回>

美術館・博物館(Museum)
明治村1-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 前回の明治村行きが12月の前半で、あれからまだ2ヶ月しか経っていないのに、また行ってきた。これほど短期間に続けて行くのは初めてだ。たいていは1年以上間が開いていたのだけど、ちょっと思うところがあって撮りにいってきた。
 今回のテーマは、歳月と時間の経過と決めていたのに、そういった写真はほとんど撮れなかった。テーマに沿うような被写体を見つけられず、終始不調を感じていた。
 合間が短すぎて新鮮味がほとんどなかったのと、時期的に季節を感じさせる風景がなかったことも一因ではある。
 結果的にはなんだか知らないけど、いつもの自分らしくない写真が撮れていた。影ばかりが前面に出た、暗いくらい写真たち。別に気分的に沈んでいたとかそういうことはないのだけど。
 これまで何度も明治村に行っていて、今まで撮ったものと違うものを撮ろうとすると、すごく範囲が狭まってしまって、撮るものを見つけるのに苦労した。次はやはり、少なくとも半年は間を置いて、いい季節に訪れようと思った。今はSLと市電も休みに入っていて、それも寂しかった。
 第一弾は、影が主役ともいうべき写真を集めてみた。

明治村1-2

 帝国ホテルの喫茶ルーム。
 いつも撮りたいと思いつつも、人がお茶を飲んでいるところなので遠慮して撮れなかった。この日は何故か営業が休みだったので撮ることができた。
 フランク・ロイド・ライトは、外から入る光さえも計算してデザインしているのが分かる。ただ単に内装に装飾を施しているだけではない。

明治村1-3

 監獄の暗さ。わずかに扉の窓から明かりが入る。

明治村1-4

 影の形にずっと気を取られていた。影ばかり探していたような気もする。

明治村1-5

 ステンドグラスが作り出す色とりどりの光。
 影が暗ければ暗いほど、光は存在感を増す。影がなければ、光は光たり得ない。

明治村1-6

 木の机に彫るといえば、自分の名前か、相合い傘。
 教室を使っていた当時の学生が彫ったのか、明治村を訪れた誰かがいたずらでやったのか。
 机の傷は、歳月を重ねて、今ここにある。

明治村1-7

 教室に漏れ入る光が木の椅子を優しく照らす。
 小学生の椅子の小ささに胸を打たれる。

明治村1-8

 鍵盤が壊れてまともに音が鳴らなくなったオルガン。
 過去の記憶を刻んだまま、無音で余生を過ごしている。

明治村1-9

 祈りの場としての教会。
 日本におけるキリスト教の歴史は決して明るいものではなかった。暗さの中に光がある写真が似合う。

明治村1-11

 石階段の影と光。ここでも主役は光ではなく影だ。

明治村1-10

 歳月の光を放つ剣道場の床。
 静けさと喧噪が同居した空間。

明治村1-12

 こちらは静寂だけが支配する弓道場。

 暗い写真が多くて、ちょっと息苦しかったかもしれない。撮ってきたのはこんな写真ばかりではないから、次回はもう少し明るい写真をお見せしたい。

フォトコンのこと ---もっといい写真が撮れるように

フォトコン・写真(Photo Contest)
フォトコン-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 他



 久しぶりに「デジタルカメラマガジン」のフォトコンで選ばれた。上の写真がそれで、佳作だった。
 選者は今月から中井精也さんに代わって、選ばれる写真の傾向も去年の野町和嘉氏とはかなり変わったように思う。去年は一度、紙面添削コーナーに取り上げられただけで、結局一度も通らなかった。
 フォトコンに選ばれるために写真を撮っているわけではない、というのは言い訳でしかない。もっといい写真を撮れるようになりたいと向上心を持っているのなら、フォトコンに選ばれないと話が始まらない。選ばれた上で、こんなものはたいしたことじゃないと言うことはできる。
 応募総数は4,000枚弱あったようで、今月から少しシステムが変わって、予選通過作品が発表されるようになった。予選通過作品は443枚で、一割強ということになる。ひとり10枚までと決まっていて、今回は4枚が予選通過だった。
 選ばれたといっても佳作なので、大きなことは言えない。佳作はこれまでに何度かあるけど、入選と佳作との間には高い壁があることを感じている。入選が合格とするならば、佳作は補欠合格のようなものだ。
 とはいえ、4,000点から選ばれた23点の中に入ったことは素直に喜んでいいと思う。予選通過の400点以上の作品を見ると、どれを選んでも間違いではなく、上手い人は多い。あの中から自分が23点選ばなくてはならないと考えると、気が遠くなりそうだ。いくらプロの写真家とはいえ、最終的には自分の好みということになるのは仕方がない。同じ雑誌でも、毎年傾向が変わる。
 それにしても、予選通過4枚の中で、一枚目の写真が通ったのは、ちょっと意外だった。確かにここぞという一瞬を捉えてはいるけど、内容としてはさほど意味のある写真とは思っていない。少なくとも、自分が目指している方向の写真とは違う。

フォトコン-2

 選評の中で色かぶりうんぬんという話があって、私もそれは気になっていた。ホワイトバランスをオートで撮ったらああいう色かぶりになって、RAW現像のときにいろいろいじって変えてみたのだけど、イエロー系が合っているような気がしてああいう仕上げになった。
 実はその後、別の仕上げにして外国の写真にサイトに投稿していた(フォトコンの結果が出る前)。そこでは落ちたのだけど、上の写真がそれだ。かなり思い切ったスタイリッシュ仕上げにしている。これはこれでいいと思うけど、2枚目の写真でフォトコンに応募していたら選ばれていたかどうか分からない。
 外国のサイトというのは、1x.comというところで、ここの壁の高さは、国内雑誌のフォトコンどころではない。フォトコンで選ばれた作品も、あっけなく落とされる。落ちるのが当たり前なので、逆に励みになる。

フォトコン-3

 予選通過した作品としなかった作品も紹介しておくことにする。
 これはお気に入りの一枚で、予選通過の4枚の中では一番可能性があると思っていた。
 ただ、他人の作品を写真に撮っても自分の作品にはならないわけで、この写真は作品以前のものと言えるかもしれない。

フォトコン-4

 これも自分では好きな一枚で、撮りたい写真の方向性としては自分の気持ちにぴったりくる作品だ。
 中井精也さんが選者ということで、これを選んでくれたらすごく嬉しかったのだけど、ドラマ性という点ではもう一歩足りないことを自覚している。写真だけでは二人の関係性や状況が分かりづらい。
 登場人物が制服姿の女子高生と男子高校生で、女の子が小さく手を振っている、みたいな場面なら最高だ。斉藤由貴の「卒業」の世界になる。
「反対のホームに立つ二人 時の電車がいま 引き裂いた」

フォトコン-5

 予選通過はここまで。
 これもパッと見て印象的な作品ではあるけど、じっくり見ると面白みがない。なんのドラマもないし、主張もテーマもない。しかるべき人物が、しかるべき位置に配置されていたら、もう少しいい作品になっただろうか。
 他の作品の選評の中で、中井精也さんは何度か、粘ることと完璧に仕上げることという点をアドバイスしている。
 ここぞと決めた場面では、人物なり被写体なりがパーフェクトな状況になるまで待つ。風景なら雲の形と位置まで完璧になるまで待つ。
 それは最近、つくづく感じていることで、土門拳も同じようなことを言っている。
「器用に、冴えた感覚で、鮮やかにスナップすることを考える必要はない。鈍重に、粘り強く被写体をカメラで追いかけなければいけない。」と。
 スナップというのは確かに一瞬を捉えるものではあるけど、最高の一瞬のためには粘って待つことや、通い詰めることが必要になる。自分にはそういう部分が決定的に欠けていると感じている。

フォトコン-6

 ここからは予選通過しなかった作品。
 建物のライトと人々のぼんやりしたシルエットが、なんとなく面白くていいかなと思った一枚。
 でも、なんとなく面白いだけでは作品とは呼べない。

フォトコン-7

 冬の川の中でバドミントンをする女子高生というシーンは、最高にシュールで面白い。せっかくこんな千載一遇ともいえる場面に行き当たったのに、それを活かしきれなかったことが惜しまれる。
 思いがけないシーンに出会ったとき、瞬間的にイメージを固めて、撮りきるためには経験に裏打ちされた技術が必要だ。
 写真のいいところは、持って生まれた才能がすべてじゃないというところだ。絵を描くことや、楽器を演奏するのとは違う。誰でもシャッターを押せば写真は撮れる。歳を取っても、経験を積むことで上手くなれる。自分も、今年よりも来年の方がずっと上手くなっている自信がある。

フォトコン-8

 去年撮った一枚で、ずっと心の隅に引っかかっていた。
 モノクロのノイジー仕上げで、カラーよりも良くなった。
 なんとか日の目を見させてあげたい写真で、これからも自分の中で引っかかる一枚なんじゃないかと思う。
 過去に撮った自分の写真を掘り返してみると、思いがけず力のある写真が眠っていることがある。写真のセレクト力というのも、大切なものの一つだ。

フォトコン-9

 撮ったときは、すごい、カッコイイ、やったと思った一枚なのに、時間が経つと急速に自分の中で力をなくしてしまった。そういうことはけっこうある。逆に、撮ったときはなんでもなかったのに、時間が経ってから良さに気づくという場合もある。

フォトコン-10

 平凡な一枚だけど、ちょっといい気がした。でも、やっぱり普通すぎた。
 被写体の選び方や、周辺の入れ方など、全体的に雑すぎる。

フォトコン-11

 水の映り込みは、自分の中のテーマの一つとして持っている。
 秋色を写したこの一枚は、個人的には思い入れがあっても、客観的に見たら何が言いたいのかよく分からない。

 少し前、ようやくちょっと撮れるようになってきたと思った。今はまた撮れない感じになってきている。撮るべき写真はこうでなくてはという思いが、自身を縛り付けてしまっていて自由に撮れない。もう少しで撮れそうな感じなのに撮れなくてもどかしい。のど元まで言葉が出かかっていて出てこないときに似ている。ここを抜ければもう一段ステップアップできそうな予感があるのだけど。
 自分が撮りたい写真を撮ることが一番大事。それはそうだ。ただ、人に見てもらうことを前提に撮っている以上、見てくれる人にとって何らかのプラスになる写真である必要はあると思う。
 フォトコンもそうで、虚栄心を満たすためみたいなことではなく、自分の撮った写真に力があるのかないのかを問うためにやるようにしたい。自分の写真をプロの写真家が見てくれるのだ、失礼のないものを、自信を持って提出しなければならない。
 選ばれなければ、もっといい写真が撮れるように勉強、努力すればいい。やる以上は本気で全力を尽くすことが、自分自身に対する誠意でもある。
 写真を撮っているみなさん、これからももっといい写真が撮れるよう、一緒に頑張りましょう。

上出来サンデー料理

料理(Cooking)
サンデー1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 今日のサンデー料理は、和食をベースとしながら他の要素を取り入れつつ、バランスに気を遣って作った。概ね成功したと言えそうだ。味付けの加減も上手くいった。
 各料理に緑色を使うことも忘れなかった。油断したら完全に茶色に支配されるところだった。

サンデー2

 エビと豆腐の甘辛トマトソース。
 エビは背わた、はらわたを取って、塩、コショウ、酒でもんで、一度洗う。ペーパーで水気を拭いて、もう一度塩、コショウ、酒を振る。
 フライパンでごま油を熱し、酒、みりん、しょう油、ショウガ、豆板醤、オイスターソース、砂糖、ケチャップ、中華の素を炒める。
 適当に切ったトマトと刻んだタマネギを加え、炒めていく。
 スープ状になってきたところでエビを入れ、火が通ったらサイコロ切りした絹ごし豆腐を追加して、全体に絡める。終盤で刻んだ白ネギを入れる。
 水と塩、コショウ、中華の素で味を調えたら出来上がりだ。
 レタスの千切りの上に乗せて、一緒に食べる。この料理はキャベツよりもレタスの方が合うと思う。

サンデー3

 蒸し野菜のごまだれづけ。
 ジャガイモ、大根、ニンジン、タマネギ、白菜、ブロッコリーを、水、ダシの素、塩、酒で蒸す。強火で20分くらいやってみて、あとは火をゆるめて様子を見ながら時間を調整する。
 たれは、ごま油、酒、みりん、しょう油、白だし、砂糖、塩、コショウ、からし、酢、マヨネーズ、白ごま、水を煮詰めて作る。
 野菜は茹でるよりも蒸す方が味が凝縮して素材の旨みが感じられる。調理法としても茹でるより簡単だ。
 ごまだれがとても美味しかった。生野菜でもいけるはずだ。

サンデー4

 煮マグロのとろろがけ。
 酒、みりん、しょう油、水、ダシの素、めんつゆをひと煮立ちさせる。
 マグロに塩、コショウ、酒を振ってしばらく置く。
 たれと共にマグロを弱火でじっくり煮込んでいく。汁気がなくなるまで煮詰める。
 長芋をすり下ろして、白だし、しょう油、塩、唐辛子を加えて混ぜる。
 煮詰めたマグロととろろの相性がとてもいい。オススメしたい。

 今日は良いサンデー料理だった。

雪の奈良井宿は静かだった <木曽旅・第5回>

観光地(Tourist spot)
奈良井宿2-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 奈良井宿の南の入り口に、村の鎮守である鎮神社(しずめじんじゃ)が建っている。この先には難所、鳥居峠だ。
 平安時代末期の12世紀後期、奈良井に疫病が流行った際、木曽の地を治めていた豪族・中原兼造が下総の国から香取神社の祭神・経津主神(ふつぬしのかみ)を勧請して祀ったのが始まりとされている。もともとは鳥居峠にあったようだ。
 香取神社といえば、下総国一宮の香取神宮の分社だ。ここは本家からの勧請なのか、分社からなのか、そのあたりの詳しい事情は調べがつかなかった。
 香取神社は関東地方から東北地方に多い神社で、中部から西ではあまり馴染みがない。どうして香取神社の経津主神を木曽に呼んできたのだろう。
 経津主神を農耕神として祀ったのが香取神宮の起源とされている。『日本書紀』では、イザナギがカグツチを斬り殺したときに、剣からしたたった血が固まって経津主神が生まれたということになっている。フツという音は、剣でものをプッツリ断ち切る様子を表したものという説もあり、刀剣関係の神とも言える。
 鎮神社の名前の由来は、疫病を鎮めるということから来ているという。

奈良井宿2-2

 境内はちょっと変わった作りになっている。鳥居をくぐるとすぐ正面に、でんと神木の一本杉が立っている。杉がもともとここにあって、あえてこの場所に社殿を持ってきたのか、その逆なのか。
 朱塗りの社は拝殿のようではあるけど、それにしては賽銭箱がないので戸惑う。
 参拝するには更に奥に進む必要がある。この日は雪がかなり積もっていて、道なき道になっていた。雪の中をずぼずぼ入って参拝したのは初めてだ。

奈良井宿2-3

 どうやらこれが本殿のようだ。参拝もここでするらしい。
 背後に杉並木を背負ったロケーションと相まって、なかなかカッコイイ神社だ。
 本殿はわりと古いものという印象を受けた。ただ、狛犬は新しいものだった。

奈良井宿2-4

 やたら千社札が貼られている。宿場町の神社だから、旅人が訪れた記念に貼りたくなる気持ちは分からないではない。

奈良井宿2-5

 境内社の寄り合い所帯。

奈良井宿2-6

 鳥居峠の入り口。日陰ということもあって、雪が深く積もっていた。ただでさえ険しい峠を、こんな雪の日に越える気にはなれない。
 奈良井宿の宿場町もここが外れとなる。引き返すことにする。

奈良井宿2-7

 宿の目印。
 京都側から鳥居峠を越えてきた人たちにしたら、宿場の入り口が見えたときはさぞかしホッとしたことだろう。

奈良井宿2-8

 奈良井の町並み。旧中山道とJRの鉄道、19号線が平行して走っていて、その合間に家々がギュッと身を寄せるように建ち並んでいる。

奈良井宿2-9

 雪をまぶした山並み。低い山は町よりも雪解けが早く、午後にはかなり雪が消えてしまった。

奈良井宿2-10

 街道から少し奥まったところに、いくつかのお寺がある。
 大宝寺にはマリア地蔵というのがあるようだけど、場所がよく分からなかった。北の外れにある二百地蔵は、時間切れで見にいくことができなかった。

奈良井宿2-11

 他では枡形と呼ばれるクランク状に曲げられた道を、奈良井では鍵の手と呼んでいる。
 その角に地蔵堂のようなものが建っていて、地元のお母さんがお世話をしていた。

奈良井宿2-12

 木曽の大橋。
 歴史的建造物かと思いきやそうではなく、平成3年にできた新しい橋だ。
 木曽檜で作られた美しい橋で、全長は33メートル。橋脚を持たない太鼓橋としては日本有数の大きさなんだとか。

奈良井宿2-13

 冬場は通行止めとなっていて渡れない。足跡がついていたから入った人がいたようだけど、雪が深かったので許可されても入りたくなかった。

奈良井宿2-14

 最後にもう少しだけ町並みを撮った。

奈良井宿2-15

 細い路地とか。

奈良井宿2-16

 雪が舞うところとか。

奈良井宿2-17

 列車の時間が近づいてきたので駅に戻ることにした。
 この日最後の目的地、木曽福島へ向かった。
 つづく。

塩尻市

宿場の名残が色濃い奈良井宿<木曽旅・第4回>

観光地(Tourist spot)
奈良井宿1-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 木曽平沢をあとにして次に訪れたのは、一つ隣駅の奈良井だった。駅を出ると、ほどなくして宿場町の面影を色濃く残す通りが始まる。どんな感じなんだろうとワクワク、ドキドキする間も与えず、唐突に。ちょっとイントロが短すぎ。
 そんな軽い不意打ちを食らいつつ、奈良井宿の入り口に立って、やっと来られたかと、しばし感慨にふけった。馬篭宿と妻籠宿を訪れたのは2005年の初夏だった。そのすぐあとに奈良井宿の存在を知って、ここも行かなければと思ってから早5年以上の歳月が流れていた。
 前回、個人的な感想でいうと、妻籠宿がとても気に入って、馬篭宿は少し観光地化されすぎている印象を受けた。今回の奈良井宿はどうだったかといえば、その中間くらいの感じだった。妻籠宿の印象が強すぎて、超えられなかった。今妻籠を再訪したらあのときほどの感銘を受けることはないのだろうし、訪れる順番が逆だったらどう感じていたか分からない。場所と自分の相性と言ってしまえばそうかもしれない。
 それにしても、奈良井宿は立派だった。あんなに大規模に残っているとは思っていなかった。最盛期は奈良井千軒といわれるほど賑わった宿場町だった。幕末の記録では、家は400軒を超え、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、住人も2,000人以上いたという。現在も約1キロに渡って古い家並みが続いている。往復すると2キロ。イントロは短く、本編は長い。
 中山道六十九次のうち、江戸から34番目でちょうど中間に当たり、中山道最大の難所といわれた鳥居峠を控えることから、ここでしっかり休んでいく旅人が多かったそうだ。
 さかのぼれば、戦国時代に武田氏がこの集落を宿駅(人馬を集めた宿場町)と定めたという歴史もある。
 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは、昭和53年のことだ。今でも家々には住人たちが普通に暮らしている。

奈良井宿1-2

 午後になっても前日に降った雪が道路を覆っていた。雪かきをしているおばさまなんかもいた。

奈良井宿1-3

 木曽路の名物といえば、そばと五平餅だ。これにおやきを加えると信州名物ということになる。
 地場産業としては、隣町の平沢同様、漆器が江戸時代から名産品として知られていた。他には櫛や曲げ物(木製の容器)など、木曽檜を使った木工製品などもよく作られていた。
 家は中二階建てが多く、二階部分の梁が通りの方に突き出しているという特徴を持っている(出し梁造り)。豪雪地帯ではないので、屋根の傾斜は緩いものの、突き出した梁は雪対策だろう。夏の日差しを遮るためというのもあるかもしれない。
 かつては石置き屋根だったそうだけど、現在は鉄板葺きのところが多い。猿頭(さるがしら)のついた鎧庇(よろいひさし)なども特徴としてあげられる。

奈良井宿1-4

 杉の森酒造は創業寛政5年(1793年)という老舗の造り酒屋だ。立派な杉玉が吊ってある。

奈良井宿1-5

 雪でスキー遊びをしていた地元のちびっこ。
 観光客はぼちぼちといったところで、賑わいからは遠かった。雪が降ってすぐの2月だからだろう。いい季節はわんさか人が訪れて、通りは人で一杯になる。冬の旅行はどこへ行っても空いているからいい。

奈良井宿1-6

 観光客歓迎用なのか、もともとこういうものを作る風習があるのか。水につけた花を凍らしてオブジェにしている。だいぶ溶けてしまっていたけど、これは面白いアイディアだと思った。氷点下になるような日に自宅でも作れる。

奈良井宿1-7

 つららもすごいことになっている。完全犯罪の凶器に使えそうだ。

奈良井宿1-8

 溶け出した雪が風に舞う様子が気に入った。逆光で見ると、ダイヤモンドダストのようにキラキラしている。

奈良井宿1-9

 カッコイイと思った路地。表から少し入ったところの風景に惹かれる。少し油断した普段着の顔が垣間見える。

奈良井宿1-10

 丸ポストに古いたばこの看板。昭和のエッセンスが点在する。

奈良井宿1-11

 防火用や生活用水として、6つの水場が作られている。
 奈良井宿は下町、中町、上町の3つに分けられていて、それぞれが2つずつ水場を持っている。どこかの川から引いてきたものなのか、ひしゃくが用意されているから飲めるのかもしれない。飲んではいけないのかもしれない。

奈良井宿1-12

 どういうものなのかよく分からない。ひな祭りのつるし飾りの一種だろうか。

奈良井宿1-13

 消火用の水を入れたものか。ポップなデザインだ。

奈良井宿1-14

 枯れて編み目になったほおずきの実に、豆電球が仕込んであり、ランプツリーになっている。
 2月3日に、アイスキャンドル祭りというイベントが行われたそうだから、そのときのものだろうか。

奈良井宿1-15

 もちろん現役の宿屋もある。
 宿場町は夕暮れどきの明かりが灯り始めた時間帯が一番魅力的だから、ゆっくり一泊で行くというのもいい。早朝のしんとした空気に包まれた町並みも素敵だろう。

奈良井宿1-16

 町全体で宿場町の面影を残していこうと協力している姿勢がよく伝わってくる。足並みを乱しているところは少ない。電柱の地中化もすっかり済んでいる。

奈良井宿1-17

 理髪店もこの通り。飛び込みで床屋に入るような土地柄ではないにしても、どんな髪型になるのだろうという興味はある。入るのはちょっと勇気がいりそうだ。

 後編につづく。

塩尻市

平和公園は生と死のコントラスト

施設/公園(Park)
平和公園-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8



 墓に供えられた花が枯れ、風に吹かれて地面に落ちた。終焉。今ここに役割を終えた。

 木曽路シリーズがしばらく続きそうなので、一区切りついたところで、季節の小ネタを挟んでみることにした。
 今日は2月の平和公園の風景をお届けします。

平和公園-2

 人は死んで、死に続ける。死は連続性のある永遠だ。生がある限り、相対としての死も在り続ける。
 この世界は生と死が同居している。決して生だけの世界ではない。死は非在ではなく存在だ。死人もまた、この世界を成立させる不可欠な要素の一つに違いない。
 平和公園は、無数の墓石が林立する大規模な墓地でありながら、市民の憩いの公園ともなっている。墓地が見える芝生広場では、週末ともなると家族がお弁当を広げ、平日は墓地の中の池で大勢が釣りをし、犬の散歩やジョギングの人々が行き交い、部活の高校生たちの練習場でもある。
 墓地というのはあまり積極的に近づきたい場所ではないはずなのに、ここは生と死が違和感なく混在する不思議な場所となっている。

平和公園-3

 2月の雪に、咲き出したタンポポも縮こまっていた。

平和公園-4

 ちょっとした梅園があって、梅も少し咲き始めていた。ここは毎年咲くのが遅い。今年も見頃はまだ先になりそうだ。あの階段はきつかったなと。

平和公園-5

 月と紅梅。

平和公園-6

 近くの高校の野球部は、いつもここで階段登りをやっている。
 あまり生産的な練習とも思えないけど、こういうのはあとになって懐かしい思い出になるものだ。

平和公園-7

 コサギさんが食事中。
 南エリアには雑木林が広がっていて、わりと野鳥がいるところなのだけど、日中は人が多いから鳥たちもあまり姿を現さない。やはりよく見られるのは朝だろう。

平和公園-8

 ボール遊びをする子供たちが逆光を浴びてキラキラしていた。

平和公園-9

 残された雪だるまとランニング中の野球部員。

平和公園-10

 貫禄充分のノラ。ボスと呼びたくなるほどの風格だ。

平和公園-11

 だいぶ春めいてきたとはいえ、枯れ葉風景はまだ当分続く。

平和公園-12

 虚実。
 実物よりも映り込んだ姿の方が存在感を示すこともある。
 虚を見て実を知る。
 他人は自分の姿が映った鏡だ。

 生と死、冬と春のコントラストを見た平和公園散策だった。

雪景色の木曽平沢は一期一会 <木曽旅・第3回>

観光地(Tourist spot)
木曽平沢3-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 木曽平沢の町の南の外れ、うるし橋へとやって来た。誰の家の前でもない橋の上は、雪かきされておらず、ちょっと凍りかけていて怖かった。歩道の方はたんまり雪が積もっていて、足がずぼっと20セントくらい入った。雪って、何かとままらないと思う。
 当初の予定としては、このまま2キロほど離れた奈良井宿まで歩いていくつもりだったのだけど、雪道で時間がかかりそうだったので、一駅分、列車で戻ることにした。その前にしばらく橋の周りで写真を撮る。橋を渡った北には木曽漆器館というのがあったのだけど、そこはパスした。

木曽平沢3-2

 コサギが2羽飛んでいるのが分かるだろうか。シラサギは雪の中ではほぼ完全な保護色となる。

木曽平沢3-3

 雪慣れしていないから、雪が積もっているというだけで風景が新鮮に映る。白と黒のコントラストが美しい。

木曽平沢3-5

 雪の川景色が絵になるということを再認識した。チャンスがあれば、どこか渓谷の雪風景を撮ってみたい。

木曽平沢3-4

 雪に塗り込められた木曽平沢の町。
 山に囲まれた川沿いに、寄り添うように家が集まっている様子がよく分かる。

木曽平沢3-6

 麻生が。

木曽平沢3-7

 こんな大がかりな除雪車も持っているんだ。この日の午前中に活躍したらしい跡が残っていた。

木曽平沢3-8

 町の入り口に立っているご神木らしい木と、小さな社。このあたりにも旧街道の名残を見ることができる。

木曽平沢3-9

 再び町に戻ってきた。再訪することがあるとしても、雪の季節に訪れることはもうないだろう。町並みをもう一度よく見ておいた。

木曽平沢3-10

 木曽路ではたくさんの丸ポストを見た。これもその一つ。

木曽平沢3-11

 昭和っぽい理容店を見たところで、そろそろ平沢をあとにすることにした。

木曽平沢3-12

 雪の影響もあったのか、この日はほとんどの列車が何分か遅れていた。
 上の写真は、特急しなの。当然のように木曽平沢は通過だ。雪をまき散らしながら通り過ぎていった。

木曽平沢3-13

 7分遅れで到着した中津川行き普通列車に乗って、奈良井を目指した。
 木曽路シリーズはつづく。

雪の木曽平沢を歩く <木曽旅・第2回>

観光地(Tourist spot)
木曽平沢2-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 今日は木曽平沢の2回目。引き続き漆器の町を歩いてみる。
 店の前に置かれた大きな石仏が面白かったので撮ってみる。漆器とは関係がなさそうだし、古いものでもないと思う。店の目印としては、なかなか目立つ。
 店の名前が夏目漆器店ということで、「夏目友人帳」を連想した。これも名前を取り返しに来た妖怪かもしれない。

木曽平沢2-2

 漆器店が集まった平沢の町は、奈良井川とJR中央線に挟まれた東西200メートル、南北800メートルほどのエリアで、ざっと歩いて回るだけなら30分くらいだろうか。私は外れの方まで歩いたこともあって、1時間半ほどの滞在となった。
 漆器店は開いているのかどうかよく分からない。道を歩いている人もいないし、店の中にも人は見えない。日曜日なのにと思ったけど、日曜日だからだったのかもしれない。

木曽平沢2-3

 このあたりの曲がった道などは宿場町のようでもあり城下町みたいでもある。枡形のような道はあえてそうしたのだろうか。
 それにしても看板のほとんどが漆器関係で、他の店がほとんど見あたらない。この町だけでは日常生活が成り立たない気がするけど、みなさんどこまで買い物に出ているのだろうか。駅前も何もなかった。

木曽平沢2-4

 ときどき路地も歩いてみる。

木曽平沢2-5

 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのが平成18年と最近のことなので、観光地としてはまだまだ整備は進んでいない。他の中山道の宿場町とは違って、あまり観光に力を入れようという気はないようだ。観光案内所もなく、駅には散策マップのようなものも置いていない。
 古い家並みを見学しに訪れる人はそれなりにいるだろうけど、それだけでは観光資源にはなりにくい。食事ができるところも少なく、漆器なんてものはお土産として気軽に買えるほと安いものじゃない。町としても今後の方向性は難しいところだろうか。

木曽平沢2-6

 町の北外れに諏訪神社がある。
 入り口に何の木か知らないけどご神木があった。かなり老木のようだ。

木曽平沢2-7

 手水舎は雪に覆われ、水は凍り付いていた。寒い地域ではこういうところも水を流しっぱなしにはできないのだろう。水道の蛇口がついている。しかし、これも寒い日は凍ってしまうはずだ。

木曽平沢2-8

 拝殿の前に4本の柱が立っている。本家の諏訪大社同様、この平沢諏訪神社でも7年に一度、御柱祭が行われているそうだ。100メートルの坂を御柱とともに滑り降りる木落としもあるという。

木曽平沢2-9

 本殿が格好良い。漆の町らしく本殿が漆塗りになっている。こんなのは初めて見た。
 古い社殿は、1582年に武田勝頼と木曽義康が戦った際に焼けてしまい、現在の本殿は江戸時代の1732年に再建されたものらしい。
 祭神は諏訪の神ということで建御名方命(タケミナカタ)と、火の神である軻遇突智命(カグツチ)となっている。諏訪大社からそのまま勧請したのであれば、タケミナカタと妃である八坂刀売神(ヤサカトメ)となるはずだ。カグツチが祀られている経緯はよく分からない。戦火に遭ったことが関係あるのかないのか。

木曽平沢2-10

 雪の木曽路といった風景だ。

木曽平沢2-11

 風に吹かれた林の雪が舞う。撮りながらもヒャーっと逃げ惑う。前日の雪が降っているときに訪れていたら、さぞかし大変だっただろうと思った。

木曽平沢2-12

 日の当たらない裏手は、雪国のようになっている。

木曽平沢2-13

 郵便ポストか新聞受けか。景観を壊さない配慮が優しい。

木曽平沢2-14

 木曽平沢ではそれほど撮った感じはなかったのに、意外と撮っていた。2回に収まらなかったので、もう一回つづく。

木曽路はすべて雪の中 <木曽旅・第1回>

観光地(Tourist spot)
木曽平沢1-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 今年初の鉄道旅は、木曽路行きだった。
 もう何年も前から奈良井宿へ行きたいという思いがありながら、なかなか実現できずにいた。この冬最後にもう一度雪景色を撮りたいと考えたとき、雪の木曽路の風景が頭に浮かんだ。
 そうとなれば話は早い。せっかくなら近場の宿場も絡めて行ってしまえということで、今回もまた少しタイトなスケジュールになった。慣れない雪道を5時間歩くというのもなかなかにハードだった。

木曽平沢1-2

 名古屋駅ホーム、朝の風景。
 日曜ということで、駅ものんびりした空気感が支配していた。冬の観光オフシーズンだから、列車内もさほど混んでいない。

木曽平沢1-3

 中央本線も、中津川から先はローカル線のような風情になる。岐阜を抜けて長野県に入ったあたりから残雪がちらちら見られるようになり、木曽路に入ると雪景色が始まった。

木曽平沢1-4

 最初に降り立ったのは、奈良井の一つ先の木曽平沢駅だった。ホームまですっかり雪に覆われていた。
 実は前日の土曜日に行ってもよかったのだけど、かなり雪が降るようだったので、恐れをなして一日延期した。あまりにも雪が厳しいと撮影も歩きも大変すぎるので自信が持てなかったのだ。
 翌日はよく晴れていたのに昼前でこの雪だから、やはり前日はかなり降ったようだ。

木曽平沢1-5

 木曽平沢駅で降りたのは、私と地元のおばさまの二人だけだった。もともと観光地としてはローカルなところだし、この雪では訪れる人も多くはないだろうとは思っていたけど、現地でも観光客らしき人は見かけなかった。いい時期はもう少し賑わっていると思う。

木曽平沢1-6

 駅前には古い校舎のような造りの建物が建っていた。しかし、ここでの目的はそういうことではなかった。先を急ごう。
 といっても、雪と氷で急いだら危ないので、ゆっくりおっかなびっくり歩く。レインシューズを履いていってよかった。

木曽平沢1-7

 のれんに「うるし」と染め抜かれている。ここは木曽漆器(しっき)の職人町として栄えたところだ。
 海抜900メートルの高地にあり、夏は涼しく冬は寒いという気候が漆を塗る作業に適しいた。木曽の森林で良質な木材が採れ、交通の便もよかったことから、江戸時代に漆器の一大産地として発展を遂げた。
 2キロほど離れた奈良井宿の枝郷としての性格も持ち合わせていたことで、やや宿場町のような風情も残っている。

木曽平沢1-8

 町並みのどこを見ても漆器やうるしの看板が目に入る。漆器の店と一般の家屋が交互に建ち並んでいるくらいだ。
 作業場である土蔵(ヌリグラ)は現在でも100棟以上現存しており、町の200世帯の半分以上が漆器作りに関わっているそうだ。
 江戸時代中期の1749年の大火でかなり町は燃えてしまったようで、防火対策として家と家との間を少し開けて建てられている。現在の町並みは、そのとき以降に形成されたものが基本となっているという。
 家屋の多くは2階建てで、間口は3間、奥行きのある町屋造り(出桁造)で、奥まったところに作業場がある。
 漆器に特化した町というのは全国でも珍しく、古い家屋や蔵もたくさん残っていることから、平成18年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

木曽平沢1-9

 最低気温は-6度、最高気温が2度ということで相当な寒さを覚悟していったのに、現地ではまったく寒さを感じなかった。名古屋で自転車に乗っているときの方がよほど寒い。雪が積もっていて風がないと、体感としてはさほど寒さを感じないものだ。
 とはいえ、軒先からはつららが下がっているし、車は見たこともないような凍り付き方をしている。寒いには寒いに違いない。

木曽平沢1-10

 立派なお宅。
 竹ぼうきが逆さに立てられているけど、私に早く帰ってくれといっているわけではないと思いたい。

木曽平沢1-11

 寒い土地とはいえ、木曽は豪雪地帯とかではないので、大雪が積もることはあまりないんじゃないかと思う。地元の人たちが昨日はよく降ったねぇと言い合っているのが聞こえた。
 無責任な旅人としては、やっぱり雪がある風景はいいなと思うのだった。

木曽平沢1-12

 屋根の雪が溶け始めて、ときおり吹く強い風にあおられてパッと舞う。その光景がとても印象に残った。

木曽平沢1-13

 住人の人たちは雪かきをしたり、凍り付いた道路の氷をかち割ったりしていた。雪が降るところに暮らすのは大変だ。

木曽平沢1-14

 北海道の人がママさんダンプと言っているのを初めて聞いたときは、一体何のことを言っているのかまるで見当がつかなかった。ママさんダンプ?
 一般的にはスノーダンプと呼ぶそうだけど、ママさんダンプというのはどこかのメーカーの商品名らしい。雪国では一家にひとつ、もしくは一人にひとつ、マイ・スノーダンプを所持していることが常識なんだとか。

 第2回につづく。

ベランダから撮る1200mmの世界

日常写真(Everyday life)
ベランダより-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4 / SIGMA 400mm f5.6



 旅帰りで余力が残ってないので、ベランダ写真で簡単更新としたい。
 一枚目は、雪の日。白い世界が広がった。他人事なら雪はきれいでいい。当事者になるとそうも言っていられない。

ベランダより-2

 夕焼けの日の鎌ヶ岳(かまがたけ)。
 400mm+テレプラス2倍。35mm換算で1200mm。
 このときは手持ち撮影でかなり無理があった。

ベランダより-3

 別の日、三脚を立てて、レリーズで撮影。
 ライブビューの拡大でピント合わせをしているからピントは合ってるはずだけど、テレプラスで解像感がかなり落ちている。デジタル対応になる前の古いタイプなので、このあたりが限界かもしれない。
 それでも1200mmの世界に新たな可能性を感じた。

ベランダより-4

 御在所方面だと思うのだけど、詳しくは分からない。鈴鹿山脈かもしれない。
 こちらは西向きの撮影だから、朝日が当たったときがきれいだろう。

ベランダより-5

 自宅のベランダから山岳写真。面白いからまた撮ってみよう。

ベランダより-6

 雪を被った家並み。
 今シーズンの雪はもうこれで終わりだろうか。

 雪のあるところを旅してきたので、来週は雪の写真が多くなる。

前倒しのサタデー料理

料理(Cooking)
サタデー料理-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 今週の料理は一日前倒しでサタデー料理になった。
 今回もまた和食系に戻った。練り物中心の和風味付けというのが一番自分らしい料理かもしれない。少しだけ洋のエッセンスも入っている。
 自分にとって自分の料理が一番というわけではないけれど、作りたい料理と食べたい料理で歩み寄れるのが手料理の良いところだ。大きくは裏切らない。

サタデー料理-2

 白身魚と豆腐のつくね。
 見た目は和風ハンバーグに見えて、実はつくねだ。もっと小さくして、串にさせばそれらしく見えただろう。
 絹ごし豆腐をレンジで加熱して水切りする。
 白身魚を細かく刻んで叩く。
 卵、カタクリ粉、長ネギ、ショウガ、ダシの素、塩、コショウを混ぜて、よくこねる。
 オリーブオイルでじっくり焼く。
 酒、みりん、しょう油、めんつゆ、塩、コショウ、カタクリを混ぜたたれを塗りつつ焼いて、両面に照りをつけたら出来上がりだ。
 肉を使わなくても美味しいつくねはできる。

サタデー料理-3

 鶏肉と野菜の圧力煮。
 酒、みりん、しょう油、白だし、塩、コショウ、ショウガ、砂糖、唐辛子、水を混ぜ、具材に絡ませる。
 具材は、ニンジン、白菜、鶏肉、ブロッコリー、コーンで、圧力鍋で加熱する。
 素材の旨みを逃がさずぎゅっと凝縮させて、ほくほくに柔らかくなる。時間もかからない。
 味付けは和風でも、コーンの甘みが全体に広がって、少し洋風でもある。

サタデー料理-4

 山芋のグラタン風。
 すり下ろした山芋、卵、ダシの素、タマネギの刻み、エビ、塩、コショウ、しょう油、マヨネーズ、砂糖をあわせてよくかき混ぜる。
 容器に移し、オーブントースターで15分ほど加熱する。表面が固まって、軽く焼き色がついたら完成だ。
 これはヒットだった。山芋の新たな食べ方を知った。具をもっと増やして豪華版にしてもいいし、コンソメ味の洋風にしてもよさそうだ。

 今週はこんな感じの料理だった。

山田天満宮にお礼参り

神社仏閣(Shrines and temples)
山田天満宮-1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 徳川園の帰りに、少し回り道をして山田天満宮に寄っていった。初詣をここでして、そのときしたお願い事が叶ったので、お礼参りをしなければならなかった。
 あれからひと月以上が経ち、梅もだいぶ咲いてきていた。他に比べると、ここは少し早いように思う。
 本格的な受験シーズンはこれからで、受験生たちが試験を受けている頃には満開になるだろう。道真さんとしては一番忙しい時期だから、のんびり梅を愛でている暇はないだろうか。

山田天満宮-2

 菅原道真の飛梅は、私の中ではなんとなくピンクに近い紅梅のイメージがある。太宰府天満宮にある飛梅は白梅だ。実際にどうだったかは分からない。
 かつて日本人が花といえばそれは梅を指した。花が桜になったのは平安時代からといわれている。平城京から平安京に遷都したとき、平安京の人々は平城京の桜を懐かしんで盛んに桜の歌を歌い、桜の木を植えたという。
 菅原道真が生まれたのは、平安遷都から50年ほど経った時代のこと。新しい風潮に流されず、流行遅れの花になりつつあった梅を愚直に愛したあたりにも、道真の性格が表れているように思う。

山田天満宮-3

 2月も半ば近くともなれば、いっぱいに結ばれたおみくじも、そろそろ外す頃合いだ。いつまでも新年の気分ではいられない。

山田天満宮-4

 黄金洗いのところには、宝くじやら馬券やら当たりました報告やら、その手のものがたくさん貼り付けられている。お礼参りといった意味合いのようだ。

山田天満宮-5

 白い牛にまたがった道真さん人形。

山田天満宮-6

 参拝客は途切れることなく、2人、3人、またひとりといった感じで訪れていた。お金や商売関係の神社でもあるから、年間を通じて人気の高いところだ。

山田天満宮-7

 すぐ横の高架を、ひっきりなしに瀬戸電が通っていく。瀬戸電の車窓からも神社は見えているはずだ。

山田天満宮-8

 帰り道、民家の庭で桜がワッと咲いていた。冬場にこんなに景気よく咲いている桜はあまり見ない。フユザクラやジュウガツザクラは、もっとパラパラっとした咲き方だ。どういう品種だろう。

山田天満宮-9

 花を見ると、フユザクラっぽいのだけど。

 2月もそろそろ半分で、この雪が過ぎたら、暖かくなって春めいてくることだろう。
 焦ることはないとはいえ、のんびりもしていられない。季節の歩みに遅れないように、こちらも怠けず進んで行かなくては。

徳川園の春はまだこれから

施設/公園(Park)
徳川園-1

PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8 / PENTAX 16-45mm / 55-300mm



 毎年恒例となっている徳川園の冬牡丹。これまで2回くらい撮りにいったことがあったと思う。去年は行かず、おととし行ったのを覚えている。今年はできれば行こうと思っていたら、終了日が近づいていた。2月13日までということで、出遅れを覚悟しつつ出向いていった。
 やはり、花は開ききっているものが多く、状態の良いものは少なかった。花は何でも、遅すぎるよりは早すぎた方がいい。撮影目的の場合は特にそうだ。
 おかげで人も少なく、ゆっくりできたのはよかった。

徳川園-2

 徳川園でこの時期に咲いているは、冬牡丹だ。寒牡丹とはまた違うものらしい。
 春に咲く牡丹に藁囲いをして冬に咲かせている。寒牡丹は葉をつけず、冬牡丹は緑色の葉をつけていることで区別ができる。
 これは島大臣という品種だ。牡丹の品種名は日本名で、なんとなく面白いものが多い。島大臣なんてのも実際にいそうだし、麒麟司や白幡竜などという関取の名前みたいなやつもある。太陽、花王、初日の出、金星など、王道的な名前も多い。
 元々は中国の花で、あちらでは花の王と呼ばれているそうだ。日本には奈良時代に入ってきたとされている。

徳川園-3

 確か八千代椿という品種名だったと思う。牡丹なのに椿とは。姿は確かに椿に似ているけれど。

徳川園-4

 梅はほとんど咲いていなかった。今年は梅の開花が少し遅いように思う。以前、同じ時期に行ったときは、もっと咲いていた。
 黄梅もまったく咲いていない。

徳川園-5

 子福桜(コブクザクラ)も、この時期の徳川園の楽しみの一つだ。
 ソメイヨシノのような華やかさはないものの、寒風に揺れながら可憐に咲く姿がいい。

徳川園-6

 花は咲いたらもう枯れるしかない。咲いたまま落ちる花もある。
 梅も桜も、咲くのが楽しみだけど、終わってしまうのが寂しい。

徳川園-7

 冬のドウダンツツジ。赤いのは新芽だろうか。

徳川園-8

 何の木か知らないけど、藁でぐるぐる巻きにされて縛られていた。冬の間こうして守られていたのだろう。
 でも、木というには枝もないし、高さも低い。木じゃないのかもしれない。

徳川園-9

 今頃、秋の名残を見つける。

徳川園-10

 冬でも青々した苔を見つけて喜ぶ。
 春になればまた苔も撮れる。苔好きとしては、春にそんな楽しみもある。

徳川園-11

 流れが作るうねうね模様。

徳川園-13

 来客があることを知らせる縛った石だと思うのだけど、なんと呼ぶのか忘れてしまった。この前、ドラマ「フェイク」で出てきたやつ。

徳川園-14

 徳川園でカワセミを見たのは初めてだ。中央の池の周りにすみついているようだから、行けば見られる確率は高い。

徳川園-15

 カワセミの飛び姿。

 徳川園の春はまだ少し遠いようだ。

季節は冬から早春へ ~東山植物園の2月

花/植物(Flower/plant)
東山植物園2-1

PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8



 今年の1月はとびきり寒かった。と思ったら、2月は妙に暖かい。いつもの年なら、暦の上では立春ですがまだまだ寒さが続いていますみたいなやりとりが交わされるのに、今年は立春を過ぎたら本当に春めいてきた。このあとまた寒さが戻るのだろうか。
 東山植物園でも、季節の交代が行われようとしていた。早春の花が咲き始め、冬はその場所を春に譲ろうとしている。
 そんな中、夏の意外な名残を見つけた。アジサイのガクだ。アーティステックに枯れて、作品のようになっている。被写体としても魅力的だった。
 生命というのは、見える部分がすべてではなく、地中や見えないところでそれぞれの季節を生きている。夏の草花も、冬を耐えて春のあとに控えている。冬の植物は、終わったときから次の冬に向けての準備が始まる。季節は巡り、命はつながっていく。

東山植物園2-2

 冬枯れの木の枝にスズメが鈴なり、だったのだけど、飛行機が近づいてきたら、ほとんどが飛び立ってしまった。
 警戒心の強さは生き延びるための知恵だ。鈍感では生き延びられない。

東山植物園2-3

 自然のドライフラワー。
 生きていないといえば生きていないし、根っこでは生きているといえば生きている。
 散る花があり、枯れる花もあり、最後まで姿をとどめる花もある。

東山植物園2-4

 足元の水辺では、新しい芽吹きがあった。
 自然は季節を間違えない。

東山植物園2-5

 小さな虫も少しずつ出てきた。
 服にとまったので、モデルになってもらった。

東山植物園2-6

 遠くに目をやると、冬景色は変わらない。

東山植物園2-7

 東山のスカイタワーを手前に、名古屋駅のビルやテレビ塔が見えている。東山は高台にあるから、遠くまでよく見渡せる。

東山植物園2-8

 竹林の早春風景。
 そろそろ竹の子の季節も近づいてきている。新竹の子が楽しみだ。

東山植物園2-9

 合掌造りの家を初めて反対側から撮った。この角度で見えるのは知らなかった。紅葉シーズンにここから撮りたい。

東山植物園2-10

 アオジをこんな近くで撮れるのは珍しい。マクロレンズで撮ってるから、1メートルくらいの距離だ。しかもカメラ目線。
 欲張ってもっと近くからと寄ったら、さすがに飛んで逃げてしまった。

東山植物園2-11

 水車小屋とコサギとコイ。

東山植物園2-12

 コサギの急降下を流し撮る。

 これが2月前半の東山植物園だった。ここからは一週間ごとに変化していくから、ぼんやりしていると季節に置いてけぼりを食ってしまう。できれば2月中にもう一度行って、春の花を撮っておきたい。2月はすぐに終わってしまうから、油断は禁物だ。

早春の花開花情報 ~東山植物園編

花/植物(Flower/plant)
東山植物園1-1

PENTAX K-7+TAMRON 90mm f2.8



 うっかりしていたら、ロウバイやマンサクがそろそろ見頃だという。ちょっと焦りつつ、東山植物園に向かった。
 まずはシナマンサクから。思ったほど咲いてなくて、まだまだこれからといったところだった。それほど焦ることはなかった。
 とはいえ、マンサクもロウバイも、暖かくなってしまうとすぐに終焉してしまうので油断はできない。春に先駆けて咲く花は、早熟の天才のようにパッと咲いてあっけなく枯れてしまう。それが春の先頭で咲く花の役目でもある。

東山植物園1-2

 こちらはマンサク。
 シナマンサク(支那満作)は中国原産のマンサクで、マンサクは日本原産だ。
 見分け方はいくつかあるのだけど、花が咲いているときに枯れ葉がたくさん枝についていたらシナマンサクで間違いない。マンサクは枯れ葉はほとんどついていない。あと、シナマンサクの方が枝先に固まって咲くのに対して、マンサクは枝の途中でバラバラっと咲いている。
 華やかさでいえばシナマンサクの方が見栄えがいいけど、マンサクの渋さも味わいがある。

東山植物園1-3

 マンサクは、春にま(ん)ず咲くところから名付けられたと言われているけど、早春を代表する花としてはこちら、ロウバイだろう。透明感のある黄色い花と、優しく甘い香りが春の到来を告げる。
 上の写真は、ソシンロウバイ(素心蝋梅)で、中国原産のロウバイの園芸品種だ。もともとのロウバイよりも今はこちらの方がポピュラーになっている。

東山植物園1-4

 これがロウバイで、中心が茶褐色になっていることで見分けがつく。
 二つを見比べると、やはりソシンロウバイの方が清楚で可憐だろうか。

東山植物園1-5

 梅林にはいろいろな種類の梅が植えられていて、早咲きのものがポツポツ咲き始めていた。見頃はまだだいぶ先になりそうだ。

東山植物園1-6

 梅の後ろ姿もけっこうかわいい。

東山植物園1-7

 ボケの花も少し咲きだしていた。
 ボケを見ると、この花が好きだった夏目漱石のことを思い出す。その連想で、明治村に移築されている漱石が住んでいた家の庭に咲くボケを思って、また明治村に行きたくなるのだった。

東山植物園1-8

 ミツマタはまだつぼみだった。
 この頃は雪をまぶしたような姿をしている。

東山植物園1-9

 福寿草はもうちょっとで開きそうだ。あと一週間くらいだろうか。

東山植物園1-10

 何かのつぼみ。椿あたりだろうか。
 みんな春を待ちかねている様子だ。

東山植物園1-11

 椿園の花も、ちょこちょこ咲いていた。
 中にはバラに負けないくらいの花もある。

東山植物園1-12

 菜の花も早咲きのものがあるから2月に咲いていても驚かないけど、本来は春に咲くものだ。

 現状、東山動物園で咲いているのはこんなところだ。花を撮るといっても、まだ焦ることはない。また少し気温も下がるようだし、早春の花の見頃は、今月の半ば過ぎくらいじゃないだろうか。
 東山植物園後編につづく。

小幡緑地の冬枯れ水風景

施設/公園(Park)
小幡緑地-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 空気がだいぶ暖かくなって、春が近づいてきたことを感じる。しかし、まだ2月の初め。風景は依然として冬景色のままだ。相変わらず茶色が支配している。
 冬は去りゆくときに名残惜しさを感じる。居座っているときは、早く行ってくれないかと思っているのに、情がわくというのか、最後の方になると、なんならもうちょっとだけいてもいいよと言いたいような気持ちになる。心の準備が整わないまま春がわっと来ても困るという気持ちも少しあるかもしれない。
 自分の中で、この冬の撮影は完結していない。まだ全然冬を撮れていないような気もする。もう一度雪が撮りたい。名古屋はもう今シーズンは降らないだろうか。
 冬の風景を求める気持ちもあって、小幡緑地本園に行ってきた。その水風景の中に、春の気配はなかった。まだ冬の続いていて、ホッとした。

小幡緑地-2

 水面に映る枯れ枝の姿。
 淡い紫ピンクの夕焼け色に染まる。

小幡緑地-3

 空をゆくのはダイサギかアオサギか。

小幡緑地-4

 風にさざめく水面。木々の影が揺れる。

小幡緑地-5

 ピカピカの銅を流し込んだような水の色。

小幡緑地-6

 雑木林の向こうに夕陽が沈む。
 冬枯れの風景。木々が葉に覆われるまでには、まだ2ヶ月か3ヶ月かそれくらいはかかる。

小幡緑地-7

 夕焼け色のオレンジ。水面はますます赤色を濃くする。

小幡緑地-8

 最後に見た夕陽は、鈍い赤銅色だった。

小幡緑地-9

 静かに浮かぶホシハジロ。

小幡緑地-10

 羽をばたつかせて暴れるホシハジロ。

小幡緑地-11

 この池でミコアイサを見たのは初めてだ。水を抜かれた雨池に飛来していたやつがこちらに流れてきたのだろうか。だとしたら安心なのだけど。

小幡緑地-12

 浅瀬で何かがバシャバシャしている。蛇でもいるのかと思ったら、鯉だった。
 このあと空は焼けず、すぐに群青色に変わった。日が長くなってきたのはいいけど、春は空が鈍い。秋のような冴えがない。
 冬が行く前に、もう少し冬を撮っておきたい。

ポップを目指したサンデー料理

料理(Cooking)
ポップなサンデー1

PENTAX K-7+PENTAX FA 50mm f1.4



 今年に入ってから和食が続いていて、先週は彩りを忘れた茶黄色料理になってしまった。なので、今週はカラフルでポップな料理を目指してみた。赤、黄色、緑を取りそろえて、けっこう賑やかな感じになった。更に緑色を増やせればもっとよかった。
 方向性としては、一応洋食系のつもりだった。でも出来上がったら洋食とも言えない無国籍な料理になった。どこの国の人に見せても、これはうちの国の料理じゃないと言うだろう。とすれば、日本料理として日本で引き受けるしかない。
 日本の家庭料理というのは、多種多様な広がりを見せて、もはやどこの国にも似ていないオリジナルな料理になた。それが日本らしさと言えば言えるだろうか。

ポップなサンデー2

 エビとホタテのボイルほうれん草ソース。
 ほうれん草ソースは、ミキサーのたぐいを持っていないので、きちんとしたピューレが作れない。色合いももっと鮮やかな緑色にしたかったのだけど、海草のような色になってしまった。
 ほうれん草を軽く塩ゆでする。
 タマネギを刻み、オリーブオイルとバターで炒める。
 ほうれん草を細かく刻み、タマネギに加える。ショウガ、白ワイン、牛乳、コンソメの素、みりん、しょう油、砂糖、塩、コショウ、水で炒めながら煮込んでいく。
 エビとホタテに塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いたあと、だし汁でボイルする。
 アスパラも軽く茹でる。
 トマトは形が崩れないように、タッパーに入れてレンジで1、2分加熱する。
 味の決め手はほうれん草ソースで、ソースが美味しければたいてい何でも美味しい。

ポップなサンデー3

 カボチャあんの卵ロール。
 メインの料理ではないけど、今日の主役はこれだった。
 全卵に砂糖を少し入れて、よく泡立てる。塩、コショウで下味もつける。
 小麦粉、牛乳を加えてよく混ぜ、薄焼き卵を作る。小麦粉を入れすぎると固くなるので、入れすぎないようにする。
 カボチャは、適当な大きさに切って、タッパーに入れてレンジで5、6分加熱する。充分柔らかくなったら、つぶしてなめらかにする。
 塩、コショウ、コンソメの素、牛乳を混ぜて、適度な固さにする。
 薄焼き卵に、カボチャあんを伸ばして乗せて、ロールケーキのように巻いていき、輪切りにする。
 卵黄、マヨネーズ、オリーブオイル、からし、砂糖、塩、コショウ、コンソメの素で卵ソースを作る。
 ちょっとデザートっぽいのだけど、料理用の味付けをすれば、食事のおかずとして食べられる。なかなか美味しいし、見た目も面白いのでオススメだ。

ポップなサンデー4

 ジャガイモとニンジンの中華炒め。
 ジャガイモ、ニンジン、キャベツを細切りにして、塩を振って、タッパーに入れてレンジで加熱する。5分くらいやってみて、固さを見る。足りないようならもう少し。もしくは最初から茹でる。
 取り出したら、ごま油で炒め、酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、黒コショウ、バジル粉、カレー粉で味付けをする。
 別に作ったスクランブルエッグを加え、全体に混ぜて馴染ませたら完成だ。
 一品足りないときに便利な料理と言えるかもしれない。
 私はピーマンが好きではないので使わなかったけど、ピーマンやパプリカを入れると、もっと華やかになる。

 今日はまずまず手間暇をかけて作ったので満足した。味もよかった。
 そろそろ春が近づいてきて、寒いときに食べたい料理よりも春らしい料理を食べたいような気持ちになってきた。来週は気候によっても作る料理が違ってきそうだ。寒さが続くようなら、最後に冬らしい料理にしてもいいと思っている。

無性に熱田さんへ行きたくなったので

名古屋(Nagoya)
熱田-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 今年になって熱田神宮へ行きたいとずっと思っていた。初詣で行こうと思ったのだけど行けず、そうこうしていたら2月になってしまった。大須の節分会に行った日、熱田神宮にも少し足を伸ばして行くことにした。
 前回行ったのは、2009年の6月ということで、一年半以上のご無沙汰となった。あのときは社殿を建て替える大がかりな工事をしていて、境内がバタバタした雰囲気だった。今回行ってみると、工事は終わって社殿は新しくなり、本来の落ち着きを取り戻していた。前よりも境内の空気が軽くなったように感じられた。
 熱田の杜に囲まれた新しい社殿と真っ白な袴姿の神職の姿が美しかった。神社が持っている日本古来の美というものを再認識することとなった。

熱田-2

 境内にある大楠の木。この木が好きで、行くと必ず撮っている。凛とした姿がカッコイイ。

熱田-3

 人は巨木に何か神聖なものを見るようで、樹齢何百年という大木に対して畏敬の念を覚えるのは、日本人として普遍的な感覚らしい。
 できることなら近づいて直接触れたいところだ。残念ながら柵で囲われていて触れることはできない。

熱田-4

 一般的に残虐で神をも恐れなかったというイメージのある信長ではあるけれど、晩年はともかくとして若い頃は信仰心もあり、神頼みもした。桶狭間の戦いの前、熱田神宮で戦勝祈願をして、勝利のあと、お礼として寄進したのが、この信長塀といわれている。
 信長が建てたものはことごとく失われてしまったから、信長塀は貴重なものと言えるだろう。

熱田-5

 高床式の神明造の社を見ると、弥生時代の高床式倉庫を連想する。そもそも高床式倉庫の建築様式はどこから来たのだろう。現代でも東南アジアやアフリカなどで見られる建築様式ということでいえば、人の頭で考えつく一番自然な形ということになるのだろうか。
 日本ではこの建築様式が何千年も受け継がれていて、いまだに古くささを感じさせない。人の感覚は、変わっていない部分は変わっていないものだ。

熱田-6

 授与所も神楽殿も、ピカピカになっていた。新品のまっさらだ。昔、最初に神社が建てられたときは、どこも白木の新築だったわけで、その当時に思いを馳せることができた。
 仏像も神社も古びていた方がありがたい気がするけど、こういう新築の社殿を見ると、思いを改めることになる。

熱田-7

 鰹木(かつおぎ)も金ピカに塗られ、青空の下でピカピカに光っていた。

熱田-8

 拝殿脇から本殿を見る。
 熱田神宮の本殿は、もともと尾張造という様式だった。本殿、祭文殿、拝殿を回廊でつないだ左右対称の建築様式で、名前の通り尾張地方独特のものだ。現在でも、真清田神社、津島神社、国府宮神社、高座結御子神社、氷上姉子神社など、この地方の主だった神社はこの様式になっている。
 熱田神宮は明治の建て替えの際に、神明造にしてしまった。天皇の時代に再び戻すということで、伊勢神宮にならってのことだったのだろうか。三種の神器の一つ、草薙剣を祀っているということで、天皇家とは大変ゆかりのある神社となっている。
 熱田神宮の歴史については前に書いた。

熱田-9

 熱田さんにお参りも済んで、気分もすっきりした。
 この日、熱田へ行ったのは、もう一つ目的があった。

熱田-10

 だいぶ暖かくなってきて、ノラも気持ちよさそうにお昼寝中だった。

熱田-11

 目指したのは名鉄の神宮前駅だった。JRの東海道本線も併走しているけど、駅は別だ。

熱田-12

 熱田の開かずの踏切。
 8本の線路が並んでいて、列車は1分弱くらいの間隔で通るから、通常の踏切ではどうにもならない。こちら側と向こう側、途中の3ヶ所に小屋があって、駅員が手動で踏切を上げ下げしている。見ていたら、人の流れを見つつ、大きなハンドルをぐるぐる回していた。一気に渡れないので、途中で少し待ち、列車が通過したら残りを渡るというような感じだ。モタモタしているといつまで経っても向こうまで行けない。特に朝夕のラッシュ時は大変だ。
 少し離れたところに跨線橋もあるのだけど、階段しかないから自転車では渡れない。何年かしたら、なんとかするらしい。

熱田-13

 駅と熱田神宮との間にある表の商店街。目的はここではなかったのだけど、こちらも充分すぎるくらい昭和の香りが漂っていた。シャッターが降りている店が多い。

熱田-14

 目的地はここ、神宮小路だった。
 しかし、あまりのディープな雰囲気に飲まれて、早々に逃げ去ることになった。軽い気持ちで立ち寄って、ちょちょっと写真を撮るような場所ではなかった。もう一度気持ちを作り直して再訪することにした。かなり気合いを入れないと、ここは撮れない。
 K-5で初めて採用されたカスタムイメージの「銀残し」が、Digital Camera Utility 4のファームアップデートでK-7でも使えるようになっていた。被写体を選べば使えそうだ。
 そんなこんなの熱田行きだった。

城山八幡宮の節分会でひろった豆は3粒

イベント(Event)
城山八幡宮節分会





 大須観音の豆ひろい争いに敗れた私が次に訪れたのは、千種区の城山八幡宮だった。
 到着したときはすでに拝殿の前には大勢の人が待ち構えていた。ここでも出遅れたらしい。行く先々で、豆まきに臨む姿勢の違いを見せつけられた。たとえそれほどメジャーではない神社の豆まきだったとしても、散歩気分でフラッと訪れて、何気なく参加してそれなりの豆を持ち帰れるほど節分会は甘いものではなかった。どうやら私は節分会というのもを侮っていたようだ。
 これはまた取れる可能性は低そうだなと思いつつ、集団の後方にとりあえず陣取ってみた。



城山八幡宮節分会が始まる頃

 拝殿の横が豆まき会場になっているようで、こちらに人が待っていた。
 拝殿内では豆をまく人に対するお祓いみたいなものが行われていたようで、開始予定時刻となっていた時間から30分ほど待つことになった。早くから待っていた人は、1時間以上待ったのではないだろうか。
 城山八幡宮を訪れるのは、わりと久しぶりだった。2007年の初詣以来だから、4年ぶりだ。ついでに寄るような場所にないのと、急坂の上に位置しているので、何か用事がないと行くことはない。
 かつてここは末森城があった場所で、現在は譽田別命(ほんだわけのみこと/応神天皇)などを祀っている。



城山八幡宮豆まきの人たち

 お祓いが済んで、豆まきの人たちが登場した。一見するところ、どういう人たちなのかよく分からない。氏子なのか、自ら希望して選ばれた人たちなのか。豆まきの人は15人ほどで、豆もそれほど多くはなく、10分足らずで終わった。



城山八幡宮豆まきの様子

 むきだし状態の豆だけでなく、小袋入りの豆も投げられた。みなさん狙いはそちらで、激しい空中戦や地上戦が繰り広げられた。
 私はというと、ここでも完全に気合い負けして、靴を踏まれただけで終わった。豆を受け止める以前にカメラを守らないと危険なほどだった。たとえカメラを持っていなかったとしてもみなさんの熱気に勝てる気がしない。
 結局、地面に落ちた豆を3粒ひろった。ここにもしハトが参加していたら、ハトにも負けただろう。性格的に豆ひろいには向いていないことを思い知った。
 ひろった豆をティッシュにくるんで、城山八幡宮をあとにした。3ヶ所も豆まきに参加して、成果が豆4粒って、と思いながら。



上野天満宮拝殿前

 帰りに上野天満宮にも寄っていった。
 こちらは学問の神様ということで、節分は特に関係なかったようだ。普段と変わらず静かだった。受験祈願ももう終わりだろうか。



上野天満宮おみくじ

 初詣と受験祈願のあとということで、牛さんの周りはものすごく賑やかになっていた。人形の中におみくじが入っていて、人形は置いていく人が多いようだ。去年の12月に来たときはこんなではなかった。
 結ばれたおみくじもびっしりだ。この神社の人気が伺える。



上野天満宮牛とおみくじ

 牛の周囲もおみくじ人形が埋め尽くしている。何かの供養みたいなことになっている。



中華店の裏

 中華屋の裏手風景。



茶屋ヶ坂公園歩道橋から見る夕景

 茶屋ヶ坂公園の歩道橋から見る夕景。

 そんな私の節分会の一日。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「本山駅」から徒歩約8分。
 ・無料駐車場 あり

 城山八幡宮webサイト
 

大須観音の節分会に行って拾えた豆は一粒

イベント(Event)
大須節分会


 今日2月3日は節分。節分といえば豆まき。豆まきといえば……、どこでやってるんだろう?
 調べたら、けっこうあちこちでやっている。どこにしようか考えて、大須観音にした。
 愛知の尾張四観音と呼ばれる、笠寺観音荒子観音甚目寺観音龍泉寺でも毎年行われているようだ。豆まきイベントというのは参加したことがなくて、これまであまり興味もなかったので、よく知らなかった。テレビのニュースで力士や芸能人が豆をまいている姿を見るくらいだった。
 かつて名古屋城の守り神として東西南北4つの観音寺を建てたのが尾張四観音で、今年の恵方は南南東ということで、甚目寺が恵方観音だった。
 大須観音を加えて五観音としないのは、大須観音は自らを中心恵方としたからのようだ。うちは真ん中でちょっと別格といいたかったのかもしれない。
 今年になって突然行こうと思い立ったのは、ちょっとした個人的な理由もあり、一度豆まき風景の写真を撮りたいというのもあった。
 大須観音の境内に着いてみると、えらいことになっている。なんだこのお祭り騒ぎは。いや、お祭りには違いないのだけど、平日だし、まさかあんなに賑わっているとは思ってなかった。みなさん、すごい熱気だ。豆まきって、そんなに盛り上がるイベントだったのか。知らなかった。



大須観音豆まき

 特設壇上から豆をまいているのは、一般の人たちだ。特に資格が必要だとか選ばれた人々というわけではない。3,000円で豆を買うと、壇上から豆まきができるようになっている。
 上から殿様気分で豆をまく人と、まかれた豆に群がり争い奪い合う庶民たち。わずか3,000円でこの差はなんだ。掛川花鳥園でエサを買って鳥にあげて喜んでいたけど、このとき初めて花鳥園の鳥の気持ちが分かった気がした。鳥たちも、なんでもいいから早くエサよこせとか思ってるんだろうなきっと。
 金を払わずで豆をひろう側に甘んじるか、3,000円払って楽しむか、決めるのは自分だ。どうせなら、3,000円を10円玉に両替してばらまいた方が気分がよさそうだけど、豆まきはそういうことではない。



大須観音豆拾いの人々

 せっかくここまで来たからには豆の一粒でもひろって帰ろうと、もう少し前に出たものの、カメラ片手に飛んでくる豆をもう片方の手でキャッチするなんてのは至難の業で、結局一つも掴むことができずに退散することになった。そもそも最初から周りの迫力に負けてしまっていた。
 帽子とか紙袋とか、みなさんいろいろ持参していたけど、小さめの段ボールが一番よさそうに見えた。口が広いから入りやすいし安定感がある。行き帰りはたためばいい。本気で臨むなら、結婚式の引き出物が入っていた大きな紙袋とかを頭に縛り付けておくという手もある。



大須節分宝船行列

 大須観音節分会は、豆まきの他に節分宝船行列というのも行われる。七福神などが乗った宝船が商店街を練り歩く。
 ここでもまたすごい人だかりになっていた。



万松寺節分会

 違うところでも人が集まっていたので、とりあえずのぞいてみる。
 こちらでも七福神に扮した人たちが祈祷を受けていた。
 万松寺の裏手あたりだったと思うのだけど、これが万松寺だったのかどうか、よく分からなかった。



万松寺豆まき

 祈祷を終えた七福神たちが突然こちらを振り返り豆をまきはじめた。なんなんだこれはと戸惑いつつ、成り行き上参加する形になったてしまった。しかし、やっぱり素手で捕まえるのは無理だった。撮影と豆拾いは両立しないことを思い知る。
 豆まきが終わって人々が去ったあと、室内に落ちていた豆をひろってみた。これも福のかけらといえるだろうか。



大須宝船行列

 宝船行列も撮ってみる。ここでも人の波にもみくちゃになる。



大須宝船行列神輿

 先回りして宝船行列を待ち構えて撮った。七福神は乗っていなかったような気がする。
 還暦の会、古希の会、ミス観音、寺社総奉行が乗っているとあったから、時間帯によって顔ぶれが違っていたのかもしれない。



大須ミス観音

 ミス観音……じゃないと思う。



大須節分会

 このあと宝船行列は大須観音に入っていった。そこで行われる福の神による鬼追いの儀式というのが、節分会のクライマックスになるようだ。
 それを見ていくか、別のところへ移動するか迷って、移動する方を選んだ。豆がまだ一粒しか拾えていない状態で帰るわけにはいかなかった。
 夕方から城山八幡宮でも豆まきが行われるということで、そちらに参加することにした。お寺は私にとってちょっとアウェイ感がある。ホームはやはり神社だ。



成田山萬福院

 途中に成田山萬福院があった。ここでも豆まきがあることは知っていた。けど、時間がなかったので通過する。

 城山八幡宮編につづく。

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線大須観音駅から徒歩約2分。
 ・駐車場 なし(有料あり)
 ・拝観時間 終日

 大須観音webサイト
 大須観音 節分会
 

北名古屋市の行き帰り

日常写真(Everyday life)
行き帰り-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 北名古屋市へ行ったとき、行き帰りにけっこう撮ったので、番外編として一回追加することにした。
 庄内川とザ・シーン城北。
 庄内川は大きな川で、満々と水をたたえて流れている。矢田川なんかとはまるで規模が違う。
 岐阜県恵那市の夕立山から、岐阜の土岐や多治見を通って愛知県に入り、瀬戸、春日井、名古屋市を流れ、最後は伊勢湾にそそいでいる。岐阜には長良川という代表的な川があるから、庄内川は愛知県がもらって、愛知を代表する川ということにしたい。

行き帰り-2

 小幡あたりに白醤油を醸造している工場があるとは知らなかった。太田屋の白醤油というのは見たことがないけど、近所のスーパーにも卸しているのだろうか。
 調べたら、創業が天保2年(1831年)というから驚いた。天保といえば江戸時代の後期だ。その頃はまだ白醤油なんてものはなかったと思うけど。

行き帰り-3

 名古屋空港近くの国道19号線。飛行機が低い。

行き帰り-4

 クリーニングか何かのビルだったと思うけど、なかなか斬新なカラーリングだ。
 日本もこんな色のビルがもっと増えると、賑やかになっていいかもしれない。

行き帰り-5

 北名古屋市の高田寺あたりから名古屋駅方面を見る。ちょうど真南くらいに駅のビルが見えている。
 それにしても、北名古屋市という名前はどうだったのだろう。かつては西春日井郡や西春町のように、春日井基準で名付けられていたから、それなら名古屋基準で北名古屋市の方がいいんじゃないかという話になったのだろうか。
 幹線道路沿いにはそれなりに店が並ぶものの、まだまだ田畑が広がる風景が残っている。

行き帰り-6

 田おこしをもう始める時期なのだろうか。トラクターのあとをコサギたちがついて回っていた。地中にいた虫たちを狙っていたのだろう。
 少しずつ春が近づいてきているのを実感する。

行き帰り-7

 古びた物置小屋らしき建物。近づいてみると、彫刻作品展の案内が窓に貼られていて、中には道具だとか彫刻のかけらだとかが乱雑に置かれていた。物置であるには違いないようだった。

行き帰り-8

 帰り道、西日を浴びる家屋。同じ形で、すべて色違いの屋根の家が、田んぼの中に並んでいる。かつての建て売り住宅だったのだろうか。

行き帰り-9

 夕暮れどき、学校帰りの中学生たち。
 だいぶ日が長くなってきた。

行き帰り-10

 通り道だったので、名古屋空港にも寄ってきた。ちょっとの間待ってみたけど、離発着する飛行機はなかった。
 2月からスカイマークが就航して飛行機が増える。一方で、3月いっぱいで全日空が全面撤退してしまう。それまでにもう一度ちゃんと飛行機を撮りにいかねばと思っている。

行き帰り-11

 帰りの庄内川。

行き帰り-12

 夜の瀬戸電を流し撮りするも、失敗。もっと練習を積まないといけない。

北名古屋市の高田寺と牟都志神社

神社仏閣(Shrines and temples)
高田寺-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 北名古屋市へ行ったなら、高田寺を訪れないわけにはいかなかった。ここの存在はだいぶ前から知っていて、一度見てみたいと思っていたお寺だった。
 地名にもなっているように、かつては広大な寺域を持つ寺だったようだ。町名は「たかだじ」なのに、寺の名前が「こうでんじ」となっている理由はよく知らない。先に寺があってこの地名ができたのだろうけど、同じ呼び名では紛らわしいということで変えたということかもしれない。
 寺伝によると、奈良時代初期の720年、行基がこの地で薬師如来を祀ったことに始まるという。
 密教の天台宗の寺は、愛知県にはあまりないと思う。同じ山号を持つ医王山薬師寺・密蔵院が春日井にあるけど、あちらとの関係はどうなっているのだろう。

高田寺-2

 北から行ったので東から横入りする形になってしまったけど、南の入り口が正面になるのだろう。真っ直ぐ北の本堂に向かって参道が延びている。
 寺の南に小学校や幼稚園があって、境内は近所の人たちの抜け道になっているようだ。なんだかひっきりなしに人が通っていく。ちびっこは境内で駆け回っている。
 それだけ近所の人に親しまれているということだから、決して悪いことじゃない。密閉感のようなものもなく、開放的で風通しが良い雰囲気の寺だ。

高田寺-3

 これは何だ。狛犬か? 寺にこんなのいたかな。
 本堂前には御柱のようなものも建っている。
 どことなく神社っぽい感じがあるなと思ったら、本堂の隣に白山社があった。神仏習合の名残が色濃いところだ。

高田寺-4

 高田寺の見所はなんといってもこの本堂だ。
 鎌倉時代後期に建立されたとされる檜皮葺きの薬師堂本堂は、国の重要文化財に指定されている。
 昭和29年に解体修理されているものの、建築様式は当時のままで、大変立派なものだ。
 本尊は行基が祀ったとされる薬師如来像で、こちらも重文指定となっている。50年に一度開帳される秘仏だそうだ。
 その他、厨子や護摩札などの重文も所蔵している。

高田寺-5

 平安時代三蹟の一人、小野道風もこの寺を訪れ、薬師如来に眼病平癒と書道上達を祈願したといわれている。
 そのお礼として医王山の扁額を奉納したそうだけど、現在の本堂に架かっているのがそれだろうか。平安時代のものというほど古さを感じなかったから、文字を写したものかもしれない。

高田寺-6

 ちょうど西日が当たる時間で、本堂は格好良く美しかった。

高田寺-7

 境内には土俵があった。名古屋場所のときの宿舎として使われているのか、それとも奉納相撲などが行われているのか。

高田寺-8

 地蔵堂か。こちらはそれほど古いものではなさそうだ。

高田寺-9

 隣接する白山社。
 室町時代の1545年に創建された神社だそうだ。
 中でちびっこたちが遊んでいたので、鳥居の外から挨拶しただけだった。

牟都志神社-10

 旧加藤家住宅の近くに牟都志神社というのがあった。石柱に式内とあったので、寄っていくことにした。

牟都志神社-11

 創建は飛鳥時代中期の651年とされている。本当ならかなりの歴史だ。平安時代初期の「延喜式神名帳」に載っているということは、古い神社には違いない。
 このあたりの地名を、六ツ師という。牟都志神社も「むつし」で、呼び名は同じだ。どちらが先にあったのかは、よく分からない。
 祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)となっている。白山神社の祭神だ。江戸時代には白山神社と呼ばれていたという。
 高田寺にある白山社との関係はどうなっていたのか。このあたりは山らしい山もないのに、どういうわけか山岳信仰の色合いが強い土地だったようだ。高田寺も密教の天台宗ということで、関係があったに違いない。

牟都志神社-12

 尾張の古い神社らしく、蕃塀もしっかりある。
 何故、尾張地方一帯にだけ蕃塀があるのかは謎だ。伊勢神宮の蕃塀がルーツだとするなら、全国に広まって定着していないとおかしい。

牟都志神社-13

 神楽殿のような拝殿から参拝する形になる。
 でも、本殿近くまでもう少し近寄れる。

牟都志神社-14

 小さいながらもなかなか端正な本殿だ。

牟都志神社-15

 千木(ちぎ)。バンザイしてるみたいなやつ。
 出雲大社が始まりだったのかはどうかは定かではないけれど、祭神が男神の場合、千木は地面に対して垂直に削り(外削ぎ)、女神の場合は水平に削る(内削ぎ)のが基本的なスタイルとされている。
 ここは女神の菊理姫だから、水平になっている。

 気づけば1月も終わっていた。少し暖かくなってきそうだから、そろそろ本格的に撮影散策を再開したい。

旧加藤家へいらっしゃい

施設/公園(Park)
旧加藤家-1



 加藤家と聞くと、ドラマ「加藤家へいらっしゃい」を思い出す名古屋人もいるかもしれない。名古屋出身の堤幸彦が監督した名古屋人のための名古屋人パロディドラマで、あれはとても面白かった。名古屋人にしか分からないような小ネタが満載で、さすが堤幸彦と思わせるものだった。
 現在の北名古屋市、かつての師勝町にも有名な加藤家があった。江戸時代は六ッ師村の庄屋を務めた旧家で、近隣では大加藤(おおかとう)と呼ばれていたそうだ。なんだか、横溝正史の作品に出てきそうな話だ。
 40メートル四方を塀で囲み、敷地には主屋や離れ、蔵など、たくさんの建物が密集して建っていたという。
 平成10年(1998)年)に師勝町へ寄贈されて、現在無料で一般公開されている。
 北名古屋市の昭和日常博物館へ行った帰りに寄ってきたのだけど、奥まったところにあって場所が少し分かりづらい。博物館の北の道を東へ進み、宮西交差点を左に曲がって北上して、二本目の道を右へ入って少し進むと右手に見えてくる。そのまま道沿いを右に曲がった先が入り口だ。
 旧加藤家住宅マップ
 私は自転車なのに道に迷ってなかなかたどり着けず、やっと見つけたのは午後4時の閉館時間の20分前だった。せわしない見学と撮影になってしまたのが、惜しまれた。



旧加藤家-2

 入り口から入ってすぐのところで猫と会った。すごく丸まるした猫だ。駆け足で隣の家の庭に入っていったところを見ると、そのあたりでメシをもらっているのだろう。
 旧加藤家住宅の建物は、国の登録有形文化財に指定されている。
 一部が取り壊されてはいるものの、主屋や離れ、茶室、蔵や門などはそのまま残っている。
 昭和日常博物館と連動した活動をしているらしい回想法センターというのが併設されている。見学するときは、そこの窓口で一言挨拶していくようになっているようだった。



旧加藤家-3

 いきなり城門のような立派な門が出迎えてくれる。門は外部の人間をこばんでいるようにも思える。私が江戸時代の小作人だったら、うかつには近づけないような威圧感だ。
 明治期には当時の主が村長を務め、酒造業も営んでいたそうだ。



旧加藤家-4

 古い邸の広い玄関には下駄がよく似合う。
 演出として置かれているというよりも、けっこう履き込んだ感じだから、昔使っていたものかもしれない。



旧加藤家-5

 玄関に置かれたススキの穂の一輪挿し。
 渋枯れの風情が家の雰囲気に合っていた。



旧加藤家-6

 土間にある釜。タイル張りというのが、当時としてはモダンでハイカラだったんじゃないだろうか。



旧加藤家-7

 障子に映る光と影。日本美の一つだ。



旧加藤家-8

 昔の日本家屋は、光が届かない暗い場所があった。夜はとても怖いのだ。
 隙間から漏れ入る光も、昔ながらの光景だと思う。



旧加藤家-9

 小さい屏風絵みたいなもの。何を描いた場面なのかは分からない。
 周囲に入っている三つ葉葵の紋は何か意味があるのだろうか。



旧加藤家-10

 ガラス越しに庭を眺める。
 一部が曇りガラスになっているあたりは、古い旅館を思わせる。これも風流な演出としてやっていたのだろう。
 この日は時間がなくて、庭や中門、長屋門あたりをじっくり見ることができなかった。



旧加藤家-11

 きれいな着物が掛けられている。
 金粉を振った襖とあわせて骨董の美術品のようだ。



旧加藤家-12

 冬でも花を生けてある心遣いが嬉しい。
 一般公開される古い邸宅は、人が住んでいるわけではないから、どうしてもがらんとしてしまって人の温もりが感じられない。花だけでも少し彩りが添えられる。



旧加藤家-13

 奥の離れに茶室もある。ここは昭和に入ってからの建物ということで、主屋と比べるとやや新しい。



旧加藤家-14

 日本家屋特有の静けさが支配している。光と影の和の世界。



旧加藤家-15

 欄間などはそれほど凝ったものではなく、成金趣味とは一線を画す。
 それでも、こんなちょっとした意匠が施されているところにお金持ちの余裕のようなものを感じさせる。



旧加藤家-16

 残った爪痕に生活の名残を見る。



旧加藤家-17

 古びた水道の蛇口と、ガムテープの補修跡。
 最後の方は建物も古くなってきて、いろいろ不便もあったことだろう。



旧加藤家-18

 裏庭の瓶に沈んだ落ち葉。
 いつかチャンスがあれば、また違う季節に訪れたい。