
PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 他
久しぶりに「デジタルカメラマガジン」のフォトコンで選ばれた。上の写真がそれで、佳作だった。
選者は今月から中井精也さんに代わって、選ばれる写真の傾向も去年の野町和嘉氏とはかなり変わったように思う。去年は一度、紙面添削コーナーに取り上げられただけで、結局一度も通らなかった。
フォトコンに選ばれるために写真を撮っているわけではない、というのは言い訳でしかない。もっといい写真を撮れるようになりたいと向上心を持っているのなら、フォトコンに選ばれないと話が始まらない。選ばれた上で、こんなものはたいしたことじゃないと言うことはできる。
応募総数は4,000枚弱あったようで、今月から少しシステムが変わって、予選通過作品が発表されるようになった。予選通過作品は443枚で、一割強ということになる。ひとり10枚までと決まっていて、今回は4枚が予選通過だった。
選ばれたといっても佳作なので、大きなことは言えない。佳作はこれまでに何度かあるけど、入選と佳作との間には高い壁があることを感じている。入選が合格とするならば、佳作は補欠合格のようなものだ。
とはいえ、4,000点から選ばれた23点の中に入ったことは素直に喜んでいいと思う。予選通過の400点以上の作品を見ると、どれを選んでも間違いではなく、上手い人は多い。あの中から自分が23点選ばなくてはならないと考えると、気が遠くなりそうだ。いくらプロの写真家とはいえ、最終的には自分の好みということになるのは仕方がない。同じ雑誌でも、毎年傾向が変わる。
それにしても、予選通過4枚の中で、一枚目の写真が通ったのは、ちょっと意外だった。確かにここぞという一瞬を捉えてはいるけど、内容としてはさほど意味のある写真とは思っていない。少なくとも、自分が目指している方向の写真とは違う。

選評の中で色かぶりうんぬんという話があって、私もそれは気になっていた。ホワイトバランスをオートで撮ったらああいう色かぶりになって、RAW現像のときにいろいろいじって変えてみたのだけど、イエロー系が合っているような気がしてああいう仕上げになった。
実はその後、別の仕上げにして外国の写真にサイトに投稿していた(フォトコンの結果が出る前)。そこでは落ちたのだけど、上の写真がそれだ。かなり思い切ったスタイリッシュ仕上げにしている。これはこれでいいと思うけど、2枚目の写真でフォトコンに応募していたら選ばれていたかどうか分からない。
外国のサイトというのは、1x.comというところで、ここの壁の高さは、国内雑誌のフォトコンどころではない。フォトコンで選ばれた作品も、あっけなく落とされる。落ちるのが当たり前なので、逆に励みになる。

予選通過した作品としなかった作品も紹介しておくことにする。
これはお気に入りの一枚で、予選通過の4枚の中では一番可能性があると思っていた。
ただ、他人の作品を写真に撮っても自分の作品にはならないわけで、この写真は作品以前のものと言えるかもしれない。

これも自分では好きな一枚で、撮りたい写真の方向性としては自分の気持ちにぴったりくる作品だ。
中井精也さんが選者ということで、これを選んでくれたらすごく嬉しかったのだけど、ドラマ性という点ではもう一歩足りないことを自覚している。写真だけでは二人の関係性や状況が分かりづらい。
登場人物が制服姿の女子高生と男子高校生で、女の子が小さく手を振っている、みたいな場面なら最高だ。斉藤由貴の「卒業」の世界になる。
「反対のホームに立つ二人 時の電車がいま 引き裂いた」

予選通過はここまで。
これもパッと見て印象的な作品ではあるけど、じっくり見ると面白みがない。なんのドラマもないし、主張もテーマもない。しかるべき人物が、しかるべき位置に配置されていたら、もう少しいい作品になっただろうか。
他の作品の選評の中で、中井精也さんは何度か、粘ることと完璧に仕上げることという点をアドバイスしている。
ここぞと決めた場面では、人物なり被写体なりがパーフェクトな状況になるまで待つ。風景なら雲の形と位置まで完璧になるまで待つ。
それは最近、つくづく感じていることで、土門拳も同じようなことを言っている。
「器用に、冴えた感覚で、鮮やかにスナップすることを考える必要はない。鈍重に、粘り強く被写体をカメラで追いかけなければいけない。」と。
スナップというのは確かに一瞬を捉えるものではあるけど、最高の一瞬のためには粘って待つことや、通い詰めることが必要になる。自分にはそういう部分が決定的に欠けていると感じている。

ここからは予選通過しなかった作品。
建物のライトと人々のぼんやりしたシルエットが、なんとなく面白くていいかなと思った一枚。
でも、なんとなく面白いだけでは作品とは呼べない。

冬の川の中でバドミントンをする女子高生というシーンは、最高にシュールで面白い。せっかくこんな千載一遇ともいえる場面に行き当たったのに、それを活かしきれなかったことが惜しまれる。
思いがけないシーンに出会ったとき、瞬間的にイメージを固めて、撮りきるためには経験に裏打ちされた技術が必要だ。
写真のいいところは、持って生まれた才能がすべてじゃないというところだ。絵を描くことや、楽器を演奏するのとは違う。誰でもシャッターを押せば写真は撮れる。歳を取っても、経験を積むことで上手くなれる。自分も、今年よりも来年の方がずっと上手くなっている自信がある。

去年撮った一枚で、ずっと心の隅に引っかかっていた。
モノクロのノイジー仕上げで、カラーよりも良くなった。
なんとか日の目を見させてあげたい写真で、これからも自分の中で引っかかる一枚なんじゃないかと思う。
過去に撮った自分の写真を掘り返してみると、思いがけず力のある写真が眠っていることがある。写真のセレクト力というのも、大切なものの一つだ。

撮ったときは、すごい、カッコイイ、やったと思った一枚なのに、時間が経つと急速に自分の中で力をなくしてしまった。そういうことはけっこうある。逆に、撮ったときはなんでもなかったのに、時間が経ってから良さに気づくという場合もある。

平凡な一枚だけど、ちょっといい気がした。でも、やっぱり普通すぎた。
被写体の選び方や、周辺の入れ方など、全体的に雑すぎる。

水の映り込みは、自分の中のテーマの一つとして持っている。
秋色を写したこの一枚は、個人的には思い入れがあっても、客観的に見たら何が言いたいのかよく分からない。
少し前、ようやくちょっと撮れるようになってきたと思った。今はまた撮れない感じになってきている。撮るべき写真はこうでなくてはという思いが、自身を縛り付けてしまっていて自由に撮れない。もう少しで撮れそうな感じなのに撮れなくてもどかしい。のど元まで言葉が出かかっていて出てこないときに似ている。ここを抜ければもう一段ステップアップできそうな予感があるのだけど。
自分が撮りたい写真を撮ることが一番大事。それはそうだ。ただ、人に見てもらうことを前提に撮っている以上、見てくれる人にとって何らかのプラスになる写真である必要はあると思う。
フォトコンもそうで、虚栄心を満たすためみたいなことではなく、自分の撮った写真に力があるのかないのかを問うためにやるようにしたい。自分の写真をプロの写真家が見てくれるのだ、失礼のないものを、自信を持って提出しなければならない。
選ばれなければ、もっといい写真が撮れるように勉強、努力すればいい。やる以上は本気で全力を尽くすことが、自分自身に対する誠意でもある。
写真を撮っているみなさん、これからももっといい写真が撮れるよう、一緒に頑張りましょう。