
PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4
今回のトリエンナーレでは、現代アートを勉強するというよりも、とにかく知識のないまま触れてみて、感じることを優先させようという気持ちで臨んだ。だから、事前の下調べはほとんどしなかったし、アーティストを覚えるために作者のプレートをじっくり読んだりということもしなかった。印象に残るものが残ればいいという考えだった。
この作品もかなりインパクトがあって好印象だったのだけど、作者は知らないままだ。公式サイトが分かりづらいから、帰ってきてから調べようと思っても調べようがなかったりする。
現代アートは古典美術とは違ってお勉強ではないし、その場限りで消えてしまう作品もけっこう多い。何かしら感じるものがあって、面白いと思えばそれでいいのだと理解した。
今回、いろいろな作品に触れる中で、いくつかの作者の名前も覚えた。それだけでも充分収穫があったと思う。
訳の分からないものも多いけど、考えていたほど取っつきにくいものではなかった。単純に面白いものや惹かれるものもあったし、少しだけ現代アートに近づけた気がする。

洒落た街中ではなく、古い繊維街の長者町を会場に選んだのは正解だった。空きビルが多かったとか、借り賃が安かったなどの現実的な理由もあっただろうけど、最先端のアートと古い町が合体することで、プラスアルファの魅力が生まれた。
展示品に関しては愛知芸術文化センターのものがよかったけど、作品めぐりをしていて一番楽しかったのが長者町だった。

天井も壁もガラスも、すべてが作品のためのキャンバスになる。畳の上まで直接描かれている。
残せるものは残して、このまま長者町をアートの町にしてしまえれば面白い。

3つのモニターにそれぞれ別の空が映されている。雲が流れている。ただそれだけ。
今回、インスタレーションという言葉を初めて知った。作品を、展示する環境と一体化させて、そこを芸術空間にするといった意味らしい。
この作品などは、もっと徹底すればいいのにと思った。壁一面と天井、床まで空を映せば、自分が空の中にいるような気分になれる。

突っ込みや追求は不要。落書きした本のページをびりびりに破いて、壁に貼り付けている。
こんなもの芸術じゃないと腹を立てるのは間違っているのだろう。

大きな両手の写真を裁断して編み直してあるそうなのだけど、どう見ればそう見えるのか分からなかった。見えたとしても何が面白いんだと思ってしまう。

オーロラカーテンの部屋。
不思議な感じがする。

ゑびす祭りのとき外に出ていたビニールのウサギが室内にいた。モデルは宮迫の奥さんかもしれない。
黒い方はよく分からなかった。

メルヴェ・ベルクマンというトルコの女性カメラマンの作品らしい。大きなプリント写真。
特に何がどういう感じもしなかった。

帽子屋さんがトリエンナーレ会場の一つとしてマップに載っている。
どこにそんなものがあるのだろうと店内を伺う3人(私を含めて)。
トリエンナーレ絡みの帽子が販売されているとか何とかだったようだ。

純喫茶クラウン。
純喫茶という響きも懐かしい。看板をガムテープで補修しているあたりが微笑ましい。
作家の絵が壁に描かれているそうだけど、見るには当然お客にならなければならない。

ATカフェもトリエンナーレ絡みのようだ。この界隈では珍しいおしゃれスポットなので、休憩するにはいい。

モリリンビルに半格納中のトリエンナーレ山車。
自転車を漕いだら前に進むのかと思ったら、からくりが動く仕掛けになっているだけだった。

この程度では中学生が夏休みの自由工作で学校に持っていっても褒められることはないだろう。

黄色が気になったので、もう一度撮ってみた。前回よりこちらの方がいい。

昔の日本映画の宣伝看板のような絵。
描いたのは日本人ではなくナウィン・ラワンチャイクンというタイ人というのが意外で面白いと思った。
あいちトリエンナーレ2010も、いよいよ明日10月31日が最終日となった。
私としては見逃したものが少しあって、やや心残りはあるものの、まずは充分見て楽しんだから満足した。
ブログのトリエンナーレシリーズは、もう少し続く。