月別:2010年09月

記事一覧
  • どまつりの日の余りもの街並み写真

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 まだ二本立ては続く。 今日の一本目は、名古屋の街並み風景だ。これもどまつりの日、途中や帰りに撮ったものだった。まとまりを欠いた小ネタ写真ではあるけど、お蔵入りにするのはもったいなかったので、出してしまう。早いところ在庫写真を整理して、二本立てを終わらせたい。 それはそうと、FC2ブログの容量がそろそろいっぱいになってきた。2005年に始めた頃は、一日...

    2010/09/30

    名古屋(Nagoya)

  • 夏の終わりの長久手風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 二本立ての二本目は、長久手の風景とモリコロパーク編をお届けします。 9月の半ば、今から2週間ほど前に、長久手にあるトヨタ博物館へ行ってきた。そのときの写真は旬のネタではないから後回しにしていいのだけど、その行き帰りで撮った長久手風景の写真は季節ものなので、先に出しておくことにした。2週間前は、まだ夏の延長戦をやっていた。ここ数日、一気に秋めいてき...

    2010/09/30

    風景(Landscape)

  • 瀬戸のレトロ風景

    PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8 今日も二本立てでいってみよう。 まず一本目は、瀬戸風景の続きから。 来る福招き猫まつりのときに撮った写真だ。 瀬戸の町並みは、表も裏も、撮るものがたくさんある。何度も撮っているけど、発見が多い。 今回も、レトロ風景が中心となる。 生き残りの丸ポスト。塗装の傷みはあるものの、まだまだ現役だ。 黒板張りの家が好きだ。住みたいわけではないけれど。 床屋さんの建物と、隣の居...

    2010/09/30

    街(Cityscape)

  • 意味はないけど意味のある写真

    PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8 二本立ての二本目は、意味はないけど意味がある写真を集めて並べてみる。 心惹かれた部分や、面白いと感じたものを切り取った写真だ。人から見たら意味はないかもしれないけど、自分にとっては意味のある写真で、こういうわがままとも言える写真もいいのかなと、最近は思うようになった。 今回はすべて、招き猫まつりのときに瀬戸で撮ったものだ。行き帰りの写真も何枚かある。 窯垣の小径にて...

    2010/09/28

    未分類

  • 名古屋駅北東エリアのレトロ風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 ここのところ写真を撮りに頻繁に出歩いていて、写真の在庫が増える一方になっている。メインのネタに付随する小ネタなどもたくさんあって、出し切れないまま次のネタに移っていくから、たまった小ネタがだんだん古びていっている。季節も秋へと移り変わり、夏の光の写真は季節外れになってきて、気持ちが焦り始めた。こうなったら、メインのネタが軽めのときは二本立てにするしかない。 そんな...

    2010/09/28

    名古屋(Nagoya)

  • 行けば分かるさ航空祭 <後編>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 今日はサンデー料理との二本立てで、二本目は昨日の小牧基地航空祭の後編となる。 残りの写真を並べて、簡単更新としたい。 地上展示は、わりといろんな飛行機やヘリコプターが並んでいた。どこかよそから借りてきたもののようだ。 以前は米軍機の展示もあったそうだけど、今回はなかったようだ。米兵がいたら、いい被写体になっただろうに。 昔の飛行機だと思うけど、...

    2010/09/27

    イベント(Event)

  • 月曜にやってもサンデー料理

    PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8 昨日は小牧基地の航空祭ネタが入って、サンデー料理をすることができなかったので、今日にずれ込んだ。日曜大工は日曜以外にやっても日曜大工というのなら、私の料理は何曜日にやってもサンデー料理ということになるかもしれない。サンデードライバーだって、土曜日や祝日にも運転するものだ。 今回は時間もアイディアも不足していたので、ありあわせの食材で、いつものような料理を作った。並ん...

    2010/09/27

    食べ物(Food)

  • 小牧基地航空祭でも撮るのは飛行機よりも人 <前編>

    PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 今日、小牧基地の航空祭に行ってきた。 前から航空祭とはなんぞやと、多少興味を持っていて、でもそれはブルーインパルスの曲芸飛行というイメージで、実際の航空祭がどんなものかはよく知らなかった。よく分からないけど、とりあえず行ってみれば分かるだろうということで、今回初めて行ってきたのだった。 思った以上に賑わっていて驚いた。毎年、3万人からの入場者が...

    2010/09/27

    イベント(Event)

  • 来る福招き猫まつりに関係ある人ない人 <第一回>

    PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8 / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 瀬戸でこの週末(25日、26日)に行われている、「来る福招き猫まつり」に行ってきた。 写真を今やっと整理し終わったところで、明日も早く出かけるので、今日は取り急ぎ写真を並べるだけの更新となる。せっかくリアルタイムのものなので、とりあえず明日もやっているということをお知らせしておきたかった。これを見た人が行く気になるかもしれないと思って。 とい...

    2010/09/26

    イベント(Event)

  • 観月会の行き帰りで目にした心惹かれる光景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 今日は昨日の八事興正寺の観月会の続きで、その行き帰りに撮った写真をお届けします。 一枚目の写真は、この日最も印象的な光景だった、山手通から見える南山大学の建物だ。曇天の空からわずかにのぞいた晴れ間が、十字架の塔をシルエットで浮かび上がらせた。バックが青空だったら、普通の面白くない写真になっていただろう。 場面は少し戻って、猫洞通。平和公園から...

    2010/09/25

    名古屋(Nagoya)

  • 観月会の八事興正寺は夕焼けのちどしゃ降り

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 昨日、9月22日は中秋の名月だった。全国各地で観月会(かんげつえ)が開かれたようだ。私は八事(やごと)の興正寺(こうしょうじ)へ行ってきた。 まずはここで五重塔と月を撮って、それから、徳川園の観月会に移動するつもりだった。しかし、このあとのどしゃ降りの雨によって、予定は大きく変わることになる。 夕方は上の写真のように夕焼け空で、いい月が見られると思っていた。天気予報...

    2010/09/24

    イベント(Event)

  • 夏の静岡遠征は三保海岸の記憶 <第三回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 暑い、暑い、といっていた夏も終わり、秋風が吹き始めると、早くも夏の記憶が薄れてゆく。あの日見た風景も、撮った写真も、なんだか夢か幻のように思えてくる。確かにあの日、あの場所に私はいた。月日が流れて、写真を見返したとき、そのときの感覚が蘇るだろう。断片的なシーンの記憶と共に。 今年の夏はもう戻らない。次の季節を迎えるしかない。夏が恋しければ、来...

    2010/09/23

    観光地(Tourist spot)

  • 駿河湾の海岸を撮り歩きながら海の大きさを思う <第二回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 三保の松原については昨日だいたい書いたから、今日はもう書くことが残っていない。あとは写真を紹介して終わりということになる。 羽衣の松を見たあと、とりあえず行けるところまで三保半島を北上してみることにした。目標物としては、三保灯台と三保飛行場があった。まずはそこを目指して歩き出した。 とその前に、三保海岸で、駿河湾を長時間露光で撮ってみる。波の...

    2010/09/21

    観光地(Tourist spot)

  • ピンクの御穂神社と富士山のない三保の松原<第一回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 過去の旅で、いくつか置き去りになっているネタがある。調べ物が多くて先送りにしたり、長いシリーズになりそうなので後回しにしたもので、三保の松原の話もその一つだ。旬のネタではないから、放置したまま安心していたら、夏が終わりそうになっていた。海の風景もたくさん出てくる旅で、そろそろ出しておかないと季節外れになってしまう。ということで、今日から3回シリーズでお届けすること...

    2010/09/21

    観光地(Tourist spot)

  • ある日の矢田川の夕景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 写真の在庫がたまってしまっているので、今日は二本立てにしてみた。一本目のサンデー料理の次は、矢田川夕景をお届けします。 特別何かがある河原というわけではないけど、ここへ行くと何か撮るものがある。相性がいいということなのだろうと思う。 光のシャワーを見ると、やはり撮ってしまう。 空コレ下半期の写真も、少しずつたまってきている。 河原で遊ぶ少年のシルエットは、絵...

    2010/09/20

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 酒は飲まないのに酒の肴風サンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 自分の作った料理を見て、なんだか酒の肴みたいだなと思うことがよくある。小料理屋の一品料理みたいでもある。 私は酒類を一切飲まないから酒を飲むような店も行かないので、そういうところの影響を受けているわけではない。普通に作ると、何故かそんな料理になってしまう。自分が食べたいものを作っているのだから、その手の料理が好きなのだろう。 母親が作ってくれた料理ともまったく似て...

    2010/09/20

    料理(Cooking)

  • 中秋の名月には少し早かった小牧のお月見まつり

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / PENTAX-M 50mm f1.4 今日(18日)、「小牧山お月見まつり」というのにちょっと行ってきた。ちょっとといっても自転車で片道16キロ、1時間半かかったので、体力的にはちょっととは言えない遠距離だったのだけど。 お月見まつりというからには中秋の名月を観賞しようという祭りなのだろうけど、写真のように今日はまだ満月ではない。これは十夜の月(月齢9.7)で、満月は来週の水曜日(22...

    2010/09/19

    イベント(Event)

  • 初秋を撮りに行った森林公園はまだ夏の続きだった

    PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 Macro / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 初秋の風物詩である、シラタマホシクサと、ヒガンバナと、アサギマダラを、一気にまとめ撮りしてしまおうと、尾張旭の森林公園へ向かった。 しかし、そんな都合良くはいかないもので、3つの内、撮れたのは1つだけだった。考えが甘かった。 今年の夏は異常気象だったから、生き物たちも普段通りとはいかないようで、明らかに秋の訪れが遅れていることを知る。空...

    2010/09/17

    施設/公園(Park)

  • 風も空も風景も夏から秋へ

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 今日は海上の行き帰りで撮った風景をお届けします。 街の風景も、少しずつ秋めいてきたのを感じる。田んぼも刈り入れの時期になり、一部は稲刈りが終わっていた。新米の美味しい季節だ。 吹く風もカラリとして、真夏のまとわりつくような湿っぽさはない。これからしばらくの間、自転車にはいい季節となる。 夏の終わりを思うシーンは色々ある。枯れたヒマワリもその一つだ。 夏の太陽...

    2010/09/16

    日常写真(Everyday life)

  • 夏の延長戦の海上の森を撮りに行く

    PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 Macro / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 先週、海上の森へ行ってきた。 今年の夏は祭りを追いかけるのに夢中で、花も虫もあまり撮れないまま夏が去ろうとしている。海上の森も、6月の終わりに行ったきりで、丸々2ヶ月以上間が空いてしまった。夏の終わりにもう一度、森へ行きたくなった。 やはり2ヶ月のブランクは長かった。季節は大きく移り変わり、夏が終わろうとしていることを実感することになっ...

    2010/09/16

    森/山(Forest/Mountain)

  • 人があふれるせともの祭の瀬戸の町を歩く <第三回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 せともの祭の最後に、普段の自分のスタイルに戻って、町並みや人がいる風景を撮った。瀬戸の町やアーケードはこれまでも何度か撮っている。けど、この日は多くの人が歩いていて、普段とはまったく違う顔だった。だから、同じ場所を撮っても、いつとは別の写真になった。それがとても新鮮だった。 アーケードの中に、動物をかたどった瀬戸焼の置物が飾られている。これまで気づかなかった。間隔...

    2010/09/15

    イベント(Event)

  • 弓道大会やダンスなどのイベントを追いかける <第二回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON 28-75mm f2.8 せともの祭の関連イベントの中で、子供相撲とともに撮りたいと思ったのが、弓道大会だった。 普段の大会では、部外者がカメラを持って入っていって勝手に撮るというのは、なかなかできない気がする。特に弓道なんてものは、しんと静まりかえっている中で行われるものだから、写真を撮るのは気を遣いそうだ。けど、せともの祭協賛と銘打っていたから、それならせと...

    2010/09/13

    イベント(Event)

  • せともの祭に行ったのは買い物ではなく写真が目的 <第一回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON 28-75mm f2.8 昨日、今日と愛知県瀬戸市で、せともの祭が行われた。私は土曜日の初日に行ってきた。 最近は、9月の第2土日になっていて、第79回の今年は、9月11日(土)、12日(日)だった。 この時期ということもあって、多くの年が2日のうち1日は雨が降るというジンクスがある。今年は2日ともよく晴れた。加藤民吉が九州に残してきた奥さんが恨んで雨を降らせるのだと、この...

    2010/09/13

    イベント(Event)

  • 虫とか猫とか少年とかのご近所小ネタ写真

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / NIKON D80+18-55mm f3.5-5.6 旅やイベントの在庫写真はたくさんあるのだけど、今日は一日出歩いていて余力が残らなかったから、小ネタでつなぎ更新となった。 前半は明徳公園で撮った写真、後半は二つ池から小幡緑地に移動しながら撮ったものだ。 明徳公園で久しぶりに自然の中にいる野生のクワガタを見た。子供の頃、夏休みに早起きして探しに行って以来じゃないか。田舎にいると、家の明か...

    2010/09/12

    日常写真(Everyday life)

  • 二見の旅館・土産物屋通りを歩く

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 JR二見浦駅は、夫婦岩をイメージしたデザインになっている。それまでの古い大きな木造の駅舎が好きだった人も多かったんじゃないだろうか。1993年に現在の駅舎に建て替えられた。 駅前の正面にすぐに鳥居があり、ここから夫婦岩までは歩いて15分くらいかかる。この道は神社の参道になっていて、お土産物屋や旅館などが建ち並んでいる。昭和の面影が濃い昔ながらの参道風景だ。けど、思ったほど...

    2010/09/10

    観光地(Tourist spot)

  • 初めてじゃないけど初めてのような二見浦の夫婦岩

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 答志島をあとにした私は、二見浦(ふたみがうら)へとやって来た。 二見浦へ行く目的は、ほとんどの場合、夫婦岩(めおといわ)を見るためだ。けど、夫婦岩を見に行くとは言わず、二見浦へ行くと言う。夫婦岩以外に二見浦に何かあるかといえば、特に何もない。観光地だから、お土産屋やホテルなどがあるとはいえ、泊まりがけで行くようなところでもない。行くとすれば、水族館の二見シーワール...

    2010/09/10

    観光地(Tourist spot)

  • 私の目に映った刈谷の風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 / 50mm f1.4 愛知県における刈谷市というのは、決してマイナーな市ではない。けれど、刈谷市に何があるか知っているかと問われると、答えに詰まる。刈谷? 観覧車があるパーキングエリアのハイウェイオアシスって刈谷だよね? といったくらいのものだ。 刈谷城跡の亀城公園には行ったことがある。あと、刈谷と意識せずに行っていたのが、天然記念物のカキツバタが群生...

    2010/09/09

    街(Cityscape)

  • サンバダンサーに群がるカメラマンの熱気 <刈谷市民総踊り・後編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / PENTAX-M 50mm f1.4 男性陣お待ちかねのサンバチームが登場すると、あたりはにわかに騒然とし始めた。カメラマンたちは歩道を飛び出し、サンバチームに群がり、不祥事を起こした芸能人を取り囲む報道カメラマンのごとくシャッターを切りまくるのであった。警備員の制止も聞きはしないぞ、お父さんたち。その熱意は、サンバチームのダンスに賭ける情熱をも超えたかもしれない。 私は彼ら...

    2010/09/08

    イベント(Event)

  • 刈谷市民総踊りはローカル縮小版どまつり風 <前編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 先週の土曜日(9月4日)、刈谷市民総踊りへ行ってきた。 マイナーな祭りだから、愛知県民の間でも知る人はあまり多くないと思う。地元ローカルの踊りのお祭りだ。 どまつりで今ひとつ写真が撮れずにもやもやした気持ちが残っていて、刈谷でも踊りの祭りをやるというのを知って、撮りに行きたくなった。 どまつりは全国レベルで、刈谷は市民祭りだから、比較するのは違...

    2010/09/07

    イベント(Event)

  • 個別撮りサンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日のサンデー料理のテーマは、料理そのものではなく、写真の撮り方だった。 これまでずっと、サンデー料理の日は、基本的に一枚の写真で済ませていた。全体が写っていれば充分だろうということで、そうしていた。 ただ、後ろの皿の料理がはっきり写ってないことも多く、それが気にはなってはいた。料理サイトを見たとき、作ってみたいと思うのはレシピの文章よりも写真の第一印象が決め手に...

    2010/09/06

    料理(Cooking)

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どまつりの日の余りもの街並み写真

名古屋(Nagoya)
名古屋風景-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 まだ二本立ては続く。
 今日の一本目は、名古屋の街並み風景だ。これもどまつりの日、途中や帰りに撮ったものだった。まとまりを欠いた小ネタ写真ではあるけど、お蔵入りにするのはもったいなかったので、出してしまう。早いところ在庫写真を整理して、二本立てを終わらせたい。
 それはそうと、FC2ブログの容量がそろそろいっぱいになってきた。2005年に始めた頃は、一日に写真1枚だったから、1GBなんて使い切ることはないだろうと思っていたけど、だんだん枚数が増えて、最近のように15枚とか載せていれば、そりゃあ1GBくらいすぐにいってしまうというものだ。
 とりあえずFC2に不満はないから、もう一つ作って、そちらで続きをやる予定でいる。引っ越しをしたら、またお知らせします。

名古屋風景-2

 パルコ裏あたりにある、もじゃハウス。レストランか、カフェみたいだった。
 相当なもじゃり方だ。でも、手入れが行き届いていて、荒れた印象は与えない。おしゃれなもじゃだ。

名古屋風景-3

 五条橋の近くにある美濃忠。こんなところにあったのか。以前一度、百貨店の通販でここの菓子を買って、親戚に送ったことがある。名古屋の老舗和菓子屋ということで送ったのだけど、自分では一度も食べたことがないから、美味しいのかどうか知らない。
 フラッと入っていって、饅頭を一つ、二つ買って、そのままかじりながら出てくるという雰囲気の店ではなかった。ちょっと食べてみたかったけど。

名古屋風景-4

 肩身が狭そうな細いビル。

名古屋風景-5

 名古屋でもあまり盛り上がっていないけど、現在、あいちトリエンナーレという美術イベントが開催されている。一部では盛り上がっているのかもしれない。
 現代美術の祭典で、芸術文化センターや、美術館などで分散開催されている。長者町繊維街もその一つだ。散らばっているというのがよくない。どういうものなのか、分かりづらい。行ってきた人の写真などを見て、やっとちょっとだけ分かってきた。
 10月いっぱいまでなので、なんとか都合をつけて行きたいと思っている。

名古屋風景-6

 パチンコ発祥の地、名古屋だから、街にはパチンコ屋が多い。ちょっと歩けば、すぐにパチンコ屋と喫茶店があるのが名古屋だ。
 こういうレトロなパチンコ屋も、それなりに残っている。

名古屋風景-7

 錦三丁目は、通称「きんさん」といって、名古屋一の歓楽街となっている。
 ビルに観覧車が張り付いているのもこのあたりだ。
 このビルはパチンコの京楽産業のもので、ここの社長がこの前、伊東美咲と結婚したパチンコ王子だ。

名古屋風景-8

 栄はあまり高い建物がないから、テレビ塔もそれなりに存在感を保っている。

名古屋風景-9

 オアシス21も、いい被写体のような、そうでもないようなだ。
 上のプールには、トリエンナーレ関連のピンク色のやつが浮いている。正体はよく知らない。

名古屋風景-10

 テレビ塔のシルエットは、わりとカッコいいと思う。
 地デジ時代の21世紀だから、かえってそう感じるのかもしれない。

名古屋風景-11

 前も一度撮ったことがあるスナック十五夜。この店の並びは、レトロ感たっぷりでいい雰囲気を持っている。

名古屋風景-12

 夕闇迫る歩道橋。飛び跳ねて遊ぶ少年が一人。

名古屋風景-13

 堀川と名古屋高速。

名古屋風景-14

 大曽根駅前。
 すっかり暗くなって、この日の撮影はここまでとなった。

 二本目に続く。

夏の終わりの長久手風景

風景(Landscape)
長久手-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 二本立ての二本目は、長久手の風景とモリコロパーク編をお届けします。
 9月の半ば、今から2週間ほど前に、長久手にあるトヨタ博物館へ行ってきた。そのときの写真は旬のネタではないから後回しにしていいのだけど、その行き帰りで撮った長久手風景の写真は季節ものなので、先に出しておくことにした。2週間前は、まだ夏の延長戦をやっていた。ここ数日、一気に秋めいてきて、夏の風景が急速に季節外れになりつつある。気づくと、虫もずいぶん少なくなった。
 この頃はまだアゲハも元気に飛び回っていた。今年の夏は、特別に暑くて長かった。

長久手-2

 右はイチモンジセセリで、左はヒメアカタテハだろうか。
 花はオトコエシかと思ったけど、ちょっと違う。見覚えはあるのだけど。

長久手-3

 稲刈りが済んでいるところと、まだのところがある。長久手や尾張旭は、比較的遅い方だ。特に、尾張旭は遅い。
 稲刈りが終わった田んぼ風景は寂しい。

長久手-4

 田んぼの上を飛んでいたのは、ウスバキトンボだったろうか。
 飛んでいるトンボを至近距離で撮るという目標は、今年も達成できなかった。また来年だ。

長久手-5

 モリコロパークの大観覧車。この日も乗客は少なそうだ。と思って見上げていたら、大きな黄色い背中が見えた。よく見ると、ぬいぐるみのようだ。くまのプーさんか。
 あんまり人が少ないから、プーさんをサクラとして乗せているのか。

長久手-6

 再現されたグローバルループ。
 万博の面影があまり残っていないモリコロパークで、最も愛・地球博のことを思い出すのがここだ。
 9月25日で、閉幕5周年を迎えた。私が行ったのは、閉幕直前のちょうどこの時期だった。あの日もものすごく暑い日で、グローバルループをぐるぐる歩き回りながら大汗をかいて、やたらアクエリアスを飲んでいたのを覚えている。
 あれからもう5年かとも思うし、まだ5年かという気もする。

長久手-7

 グローバルループでぐるぐる回っているこいつは、もしかしたら風力発電かもしれない。
 上空には月が浮かんでいた。

長久手-8

 高速シャッターで水滴撮り。一度これをやってみたかった。

長久手-9

 今回も、サツキとメイの家は、遠くから眺めただけだった。
 最近は、見学するにはどうすればいいようになったのだろう。
 一度くらい近くから見たいとは思うけど、内部の撮影禁止というのがつまらない。

長久手-10

 緑の映り込みがきれいな時期も、あと少しだ。次は紅葉の映り込みの季節になる。

長久手-11

 夕日に照らされる池では、カルガモがのんびり浮かんでいた。
 この池も、もう少ししたら渡りのカモで賑やかになる。

長久手-12

 水面をバタバタ叩きながら騒いでいたのは、カイツブリだったか。

長久手-13

 芝生広場とリニモ。
 花畑に花は咲いていなかった。今頃はそろそろコスモスが咲き始めているだろう。

長久手-14

 これがこの夏の最後に見た入道雲となった。

長久手-15

 夕焼け空と、時計塔のシルエット。

長久手-16

 入道雲が夕焼け色に染まった。
 そろそろ帰ることにする。

長久手-17

 帰り道の田園風景。家々のあちこちから煙が上がっている。何か燃やして煙が立ち上っている光景も、昔ながらの日本の農村風景だ。

 まだ夏の写真は残っている。明日からも二本立てで、どんどん出していかないと。

瀬戸のレトロ風景

街(Cityscape)
瀬戸風景-1

PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日も二本立てでいってみよう。
 まず一本目は、瀬戸風景の続きから。
 来る福招き猫まつりのときに撮った写真だ。
 瀬戸の町並みは、表も裏も、撮るものがたくさんある。何度も撮っているけど、発見が多い。
 今回も、レトロ風景が中心となる。

瀬戸風景-2

 生き残りの丸ポスト。塗装の傷みはあるものの、まだまだ現役だ。

瀬戸風景-3

 黒板張りの家が好きだ。住みたいわけではないけれど。

瀬戸風景-4

 床屋さんの建物と、隣の居住家屋を強引につないでいるようだ。
 玄関先に干された洗濯物に生活感がある。

瀬戸風景-5

 路地裏のコントラスト。風景にどこか温もりがある。

瀬戸風景-6

 カーブミラーに映った青空がきれいだった。

瀬戸風景-7

 もじゃハウスと洗濯物。日が傾いて、日陰になってしまっている。

瀬戸風景-8

 歳月を経て、建物が傾いたり、波を打ったり、しなったりしているのを見ると、撮りたくなる。面白がるところじゃないけど、面白いと思ってしまう。

瀬戸風景-9

 こんな雑貨屋さんが今の時代に生き延びているのは、奇跡に近い。
 瀬戸はアーケードの商店街もさびれてはいるけど、大型店やチェーン店があまり進出してないから、個人商店が生きていける余地が少しだけ残されている。

瀬戸風景-10

 古いアパートのような外観の家。

瀬戸風景-11

 加藤運動具という言い回しも古めかしいけど、次の「占」の文字が気になった。運動具を扱いながら占いもするのか? と思ったら、部首のまだれの部分が落ちていたのだった。

瀬戸風景-12

 店の名前がバザールだから、とても安い。Tシャツは190円とかだった。

瀬戸風景-13

 以前疑問だった、「レストラン クラブ」は、やはり、クラブという名前のレストランだったようだ。夜になるとナイトクラブになる店ではなかった。

瀬戸風景-14

 今でもクレープ屋はたくさんあるのだろうけど、かつて大流行した頃の勢いはとっくにない。流行に飛びついて商売を始めると、あまりいい結果にはならない。

瀬戸風景-15

 オマケ写真は、窯垣の小径のヒガンバナとアゲハチョウ。

瀬戸風景-16

 民家の庭で鳴いていた三毛。いい毛並みと体格をしていた。

瀬戸風景-17

 野良らしい野良。立派な体つきをしていたから、メシをしっかりもらっているのだろう。

 招き猫まつりの写真が少なかったけど、これで招き猫まつりシリーズは終わりとなった。どんな祭りか気になっていたから、行くことができてよかった。
 本編に入れきれなかった写真がまだ残ったので、追記(More)に載せておくことにする。

意味はないけど意味のある写真

未分類
瀬戸3-1

PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8



 二本立ての二本目は、意味はないけど意味がある写真を集めて並べてみる。
 心惹かれた部分や、面白いと感じたものを切り取った写真だ。人から見たら意味はないかもしれないけど、自分にとっては意味のある写真で、こういうわがままとも言える写真もいいのかなと、最近は思うようになった。
 今回はすべて、招き猫まつりのときに瀬戸で撮ったものだ。行き帰りの写真も何枚かある。

瀬戸3-2

 窯垣の小径にて。

瀬戸3-3

 板張りの穴。

瀬戸3-4

 昔はこんな金属製のプレートが多かった。

瀬戸3-5

 建物の壁が油絵のようだった。じっと見ていると、絵が浮かび上がってきそうな気もする。

瀬戸3-6

 黒トタンと電柱の影。

瀬戸3-7

 明るい色調の廃屋。
 隙間から進入するツタ。

瀬戸3-8

 積まれたプラスチックのケース。色彩感覚が豊かだ。

瀬戸3-9

 こちらは木のケース。

瀬戸3-10

 木目を模様として使った板張り。

瀬戸3-11

 猫の目が並んでいるように見えたのは、招き猫まつりへ行ったときだったからか。
 実際は、階段の汚れが模様みたいになっていた。

瀬戸3-12

 今はもう、こんな古いタイプのすりガラスはガラス屋にも置いてないんじゃないだろうか。割らないように気をつけないといけない。

瀬戸3-13

 古いガラス窓というのは、なんとなく惹かれるものがある。

瀬戸3-14

 HI-Cの錆びた看板と、もじゃハウス。

瀬戸3-15

 イギリス国旗と、ラーレーの文字、自転車の絵。自転車通には有名なメーカーなのかもしれない。
 このあたりに自転車屋の影はない。

瀬戸3-16

 この一角だけ、アーリーアメリカンな感じ。

 一枚では意味のない写真も、こうして集めて並べてみると、なんとなく意味ありげに感じられる。
 シリーズ化してもいい。

名古屋駅北東エリアのレトロ風景

名古屋(Nagoya)
名古屋レトロ-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 ここのところ写真を撮りに頻繁に出歩いていて、写真の在庫が増える一方になっている。メインのネタに付随する小ネタなどもたくさんあって、出し切れないまま次のネタに移っていくから、たまった小ネタがだんだん古びていっている。季節も秋へと移り変わり、夏の光の写真は季節外れになってきて、気持ちが焦り始めた。こうなったら、メインのネタが軽めのときは二本立てにするしかない。
 そんなわけで、今日の一本目は、どまつりに行ったとき、会場を移動しながら撮った町並み風景の紹介となる。
 どこで撮ったのだか、すでに記憶が曖昧になっていて、はっきり覚えていない。エリアとしては、丸の内から駅北、名古屋城西あたりだったと思う。写真は場所も順番も飛んでいるかもしれない。
 一枚目のこの銭湯も、どこで撮ったか思い出せない。円頓寺へ向かっている途中で見つけたような気がする。昭和の雰囲気たっぷりな銭湯だった。しかも、いい具合におばあさんがやって来た。

名古屋レトロ-2

 円頓寺商店街。どまつりが終わって間もない時間だったのに、すでにいつもの様子に戻っていた。週末の午後とは思えないほど閑散としている。

名古屋レトロ-5

 円頓寺商店街を抜けて少し行ったところにあった格子の家。
 説明版に書かれていた内容は、さっぱり覚えてない。

名古屋レトロ-3

 木と磨りガラスのドアが懐かしい。

名古屋レトロ-4

 裏通りに入ると、まだ古い建物がけっこう残っている。

名古屋レトロ-6

 車で生活していたときには知らなかった裏通りの顔。
 レトロ好きと自転車は相性がいい。

名古屋レトロ-7

 これもある種のもじゃハウス。玄関先が半ばジャングル状態になっている。

名古屋レトロ-8

 どまつりの踊りを撮りにいった日、違う時間、違う場所でこんなのを撮ってる自分ってどうなんだろうと、ちょっと思った。
 どれでも100円自販機で、ペットボトルのコーヒーを買った。

名古屋レトロ-9

 かつてのモダンも今レトロ。
 一番新しいものから古びるという言葉通りなら、今最先端の街並みも、30年後にはレトロになっているかもしれない。

名古屋レトロ-10

 板張りの塀というのも、今どきはめったに見ない。

名古屋レトロ-11

 細い家。倶楽部というのは読める。最初の文字は鞄で、次は馬だろうか。よく見えない。
 なんにしても、古そうな建物だ。

名古屋レトロ-12

 そこそこ古そうな建物。
 コンクリート打ちっ放しの外装や内装が、斬新で新しいと感じられたのは、バブルの時代だっただろうか。人の感覚というのも、時代と共に変化してゆく。

 名古屋駅西のレトロ建物写真がまだ残っているので、近いうちに紹介したいと思う。
 二本立ての二本目につづく。

行けば分かるさ航空祭 <後編>

イベント(Event)
小牧航空祭2-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 今日はサンデー料理との二本立てで、二本目は昨日の小牧基地航空祭の後編となる。
 残りの写真を並べて、簡単更新としたい。

小牧航空祭2-2

 地上展示は、わりといろんな飛行機やヘリコプターが並んでいた。どこかよそから借りてきたもののようだ。
 以前は米軍機の展示もあったそうだけど、今回はなかったようだ。米兵がいたら、いい被写体になっただろうに。

小牧航空祭2-3

 昔の飛行機だと思うけど、手作り感が強い。叩きだしのアルミを継ぎ接ぎしているみたいだ。

小牧航空祭2-4

 名古屋駅のビルが見えているものの、ちょっと遠すぎる。あれだけ小さいと、飛んでいる飛行機と絡めて撮ることは難しい。

小牧航空祭2-5

 倉庫の中では、飛行機の他、武器の展示などもあったようだ。それは、ますます興味がないので見なかった。
 子供用にビニールの滑り台なども用意されている。
 グッズ売り場もあって、いろんなものが売られていた。買う人はたくさん買っていくのだろう。

小牧航空祭2-6

 女性自衛官を撮ったり。

小牧航空祭2-7

 警官を撮ってみたり。

小牧航空祭2-8

 青帽子の人を撮ったりした。
 小牧からPKO部隊が派遣されたとき、隊員が青い帽子をかぶっていたような気がするけど、あれとは別だろうか。青帽子はどんな部隊なのだろう。

小牧航空祭2-9

 いまどきの若いお母さんとかもけっこう来ていた。
 若手のカップルは、どちらが行こうと言い出すのだろう。この祭りについてくる彼女は偉い。彼女の方からぜひ行きたいというカップルもいるのだろうけど。

小牧航空祭2-10

 航空自衛隊と書かれたTシャツを着ていたけど、この人はたぶん、航空自衛隊員ではないと思う。それとも、現役を引退した元航空自衛隊員だろうか。
 このTシャツは売っているのか。

小牧航空祭2-11

 ヘリコプターの方が飛んでいる感じが出やすい。もっとシャッタースピードを遅くして、羽のブレを大きくして写した方がよさそうだ。

小牧航空祭2-12

 戦闘機のシルエットがカッコいい。

小牧航空祭2-13

 これは小牧基地に向かっている途中に、上空を通った飛行機を撮ったものだ。昼前まではこんなに青空だった。午後まで持って欲しかった。

小牧航空祭2-14

 飛行機好き、自衛隊好き、写真好き、祭り好き、いろんな人たちが集まっていたのだろうけど、あの盛況ぶりを見て、自衛隊は安泰なんだと、変な感心の仕方をした。自衛隊に反感を持っている人が大多数なら、そもそもこんな祭りは成立しない。開催の賛否はあるにしても、一日でも内部を公開することは悪いことではないと思った。自分の目で見ておけば、思うところも出てくる。

小牧航空祭2-15

 航空祭とはどんなものか、行けば分かると思って行ってみた。行ってよかった。正直、すごく楽しいとか面白いとかは思わなかったけど、行かなければ分からないものだった。
 今年はいろんな初めてを経験して、写真を撮っている。一見さんではなかなか本質に迫る写真は撮れないにしても、経験値として身につくことはある。それが別の被写体を撮るときにもいきてくる。
 どこへ行って何を撮っても、人のいる風景や、自然と人工の共栄を撮りたいという基本は変わらない。これからも、できるだけあちこちへ積極的に出向いていきたいと思う。

月曜にやってもサンデー料理

食べ物(Food)
マンデー料理-1

PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8



 昨日は小牧基地の航空祭ネタが入って、サンデー料理をすることができなかったので、今日にずれ込んだ。日曜大工は日曜以外にやっても日曜大工というのなら、私の料理は何曜日にやってもサンデー料理ということになるかもしれない。サンデードライバーだって、土曜日や祝日にも運転するものだ。
 今回は時間もアイディアも不足していたので、ありあわせの食材で、いつものような料理を作った。並んだ3品を見ると、いかにも自分のスタイルの料理という気がする。こういう料理を作るのが好きというより、食べたい料理を作るとこうなるといった方がいい。
 最近、ちょっと冒険心が足りないという自覚はある。

マンデー料理-2

 ナスは天ぷらが一番好きなのだけど、作るのも後片付けも大変だから、どうしても炒め料理に逃げてしまう。
 これは中華風のナス炒めとでもいおうか。
 ナスは水にさらして、レンジで1分加熱する。
 ごま油で鶏肉とエビを炒める。そこへナスも加えて、酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、コショウ、ラー油、唐辛子で味付けをする。
 後半で、トマトと刻んだ長ネギ、白ごまを入れて、ざっと炒めて完成となる。
 特にひねりもなく、当たり前の味だから、安心して食べられる。

マンデー料理-3

 大根などの野菜コンソメスープだ。
 大根は苦みを取るために、米粒を入れて下茹でする。ニンジンも下茹でしておく。
 オリーブオイルでハム、タマネギ、キャベツを炒め、大根、ニンジンも入れる。そこへ白ワインを投入して、強火にしてアルコールを飛ばす。
 水を加え、みりん、コンソメの素、塩、黒コショウ、砂糖で味付けをして、少し煮込む。
 後半でアスパラを追加する。
 素材の旨みが出たシンプルなスープで、これも失敗のしようがない。

マンデー料理-4

 3種のサイコロ炒めで、マグロ、絹ごし豆腐、ジャガイモを使っている。
 ジャガイモはタッパーに入れて2分レンジで加熱する。
 オリーブオイルでジャガイモ、マグロ、豆腐を炒める。
 酒、みりん、しょう油、白だし、塩、コショウ、砂糖、唐辛子で味付けしたら出来上がり。ごく簡単な料理だ。

 こうして振り返ってみると、必要以上に手を抜いた感じがある。そんなつもりはなかったけど、楽をしようとしすぎたかもしれない。食べる側としては不満のない出来ではあったのだけど。
 夏前から週末はたいてい写真を撮りに出かけていて、なかなか料理に本腰を入れることができなくなっている。10月も秋祭りで忙しいから、まだその流れは続きそうだ。
 それでも、サンデー料理はまだ続けていきたいと思っている。続けていくことで見えてくることもあるはずだ。
 そろそろ涼しくなってきて、本格的な秋が近づいているのを実感する。もう少ししたら秋の食材もいろいろ出てくるだろう。サンデー料理も、多少なりとも季節感を出していきたい。

小牧基地航空祭でも撮るのは飛行機よりも人 <前編>

イベント(Event)
小牧航空際1-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 今日、小牧基地の航空祭に行ってきた。
 前から航空祭とはなんぞやと、多少興味を持っていて、でもそれはブルーインパルスの曲芸飛行というイメージで、実際の航空祭がどんなものかはよく知らなかった。よく分からないけど、とりあえず行ってみれば分かるだろうということで、今回初めて行ってきたのだった。
 思った以上に賑わっていて驚いた。毎年、3万人からの入場者があるそうだ。しかし、小牧はまだ少ない方で、ブルーインパルスがあると一気に10万を超えるというから、更に驚く。みんな、そんなに自衛隊が好きだったのか。
 というよりも、見学者の多くは家族連れであり、マニアックな人の少なさも意外だった。人々の顔ぶれだけ見ると、そこらで行われる夏祭りと何ら変わりはない。違いがあるとすれば、バズーカのようなレンズをつけた人の数が普通ではないことだろう。300mmの並レンズでは恥ずかしいくらいだ。
 とまあ、完全な航空祭初心者の私なので、何を撮ればいいのかよく分からず、しばらくは戸惑うことになった。とりあえず展示してある飛行機を撮って回るも、今ひとつ手応えがない。飛行機好きでもなんでもないから、そこに沸き上がる歓喜といったものはない。
 予定より出遅れて、午前中には間に合わず、到着したのが昼過ぎだった。午後の飛行展示は1時半からで、その間に基地のあちこちを歩いてみることにした。普段は入ることができない航空自衛隊の基地にいるということだけでもそれなりに価値はある。

小牧航空際1-2

 この日の天気予報は、晴れのち夕方から曇り、夜には小雨模様というものだった。その天気予報は前倒しで当たることになる。せめてあと2時間、曇るのがあとだったらよかった。残念ながら午後の早い時間から空は雲に覆われて、飛行展示は白バックの写真になってしまった。飛行機はやっぱり青空バックでないと。

小牧航空際1-3

 普通の飛行機にさえ興味が薄い私にとって、自衛隊機など知ろうはずもない。説明書きも読んでないから、この飛行機も知らない。カッコよさげなのを選んで、何枚か撮った。
 けど、被写体に愛情を持たない写真がいい写真になるはずもなく、カッコよくても、カッコだけの写真で終わった。

小牧航空際1-4

 飛行機そのものに思い入れができないので、造形的に撮ってみるのはどうかと考えた。丸い鼻と、窓の感じが面白かった。
 これはたぶん、C-130Hハーキュリーズという輸送機だ。小牧空港は輸送とか救援とかが主な任務らしく、この手の輸送機がたくさんある。普段から訓練飛行しているのをよく見かけるけど、たぶんこいつじゃないかと思う。

小牧航空際1-5

 戦闘機のコックピットはカッコいい。マクロスみたいだと、ちょっとだけ気持ちが盛り上がる。

小牧航空際1-6

 飛行機になかなか萌え要素を見いだせず、だんだん人を探すようになる。
 これは給油機KC-767の機内公開だ。長蛇の列を見て、並ぶ気がなくなった。

小牧航空際1-7

 花電車で滑走路を走ることができるのも、人気のアトラクションだった。ここでも長い列ができていた。

小牧航空際1-8

 こんな機会でもないと、自衛隊員を撮ることはない。
 たくさん隊員が歩いていたけど、みんな普通の兄ちゃんやおじさんだ。兵士という雰囲気は感じられない。みんな年の一度のお祭り気分でもあっただろう。
 陸上自衛隊と比べると、華やかで、爽やかな印象を受けた。
 家族で参加している隊員もいて、奥さんと小さな子供を連れていたりもした。飛行機よりも、そういう光景がよかった。これまでより自衛隊に対して親しみを持てるようになったと思う。

小牧航空際1-9

 紅白の垂れ幕に、若い隊員。これから出征でもしようかというふうに見えなくもなかった。
 途中から完全に人撮りモードにシフトしていた。そこから普段の調子が出てきた。

小牧航空際1-10

 行く前から、こういうのを撮りたいと思っていた。

小牧航空際1-11

 若い女性隊員もけっこういるようだ。
 見学者の質問に優しく丁寧に答える様子は、デパガとかと変わらない。

小牧航空際1-12

 賑わいから離れた場所で、ポツンと警備をしている人がいて、その様子に惹かれた。
 世の中にはいろんな役割がある。

小牧航空際1-13

 飛行展示が始まる時間が近づくと、滑走路近くに人が集まりだした。
 脚立と白レンズのカップルも、準備万端だ。かなり物慣れている。
 来場者3万人といっても、みんながみんな飛ぶ飛行機に興味があるわけではなく、見学も撮影も、場所取りとかでピリピリしたムードはない。わりと全体的にのんびりムードだった。

小牧航空際1-14

 肩車される少年は狙っていた。絶対絵になると思っていた。
 イメージとしては、肩車される少年越しにブルーパンパルスが青空に白い煙を吐きながら飛んでいるというシーンを撮りたいというのがある。少年が手を伸ばしていたりすると、尚いい。

小牧航空際1-15

 飛行展示は、給油機や輸送機が、なんとなく地味な感じで飛ぶといったものだった。
 曇り空で、真逆光というのも、撮影条件としてはよくなかった。

小牧航空際1-16

 ヘリコプターによる救助活動デモンストレーションもあった。
 私の目的としては、人を絡めて撮ることなので、人の頭がいい感じに並んでいるところを探して、その後ろから撮っていた。飛行機が撮りたい人のやることではない。

小牧航空際1-17

 小牧空港は、一般の名古屋空港でもある。滑走路は違うものの、飛行場は共有しているから、たまに国内線のJALが離発着する。私はどちらかというと、あっちの一般の飛行機の方が撮りたい。
 2005年にセントレアができるまでは、名古屋空港は国際線だったから、頻繁に一般の飛行機が離発着していた。航空祭の飛行も大変だっただろう。今なら空も空いていて、ブルーインパルスもできそうだけど、地元の反対が強いそうだ。

小牧航空際1-18

 編隊飛行が一応目玉ということになるだろうか。
 スピードは300キロとか400キロとか出てるらしいけど、迫力のある写真にはならない。ブラすというわけにもいかず、バックが空だから流し撮りも効果がない。こういう飛行ショーで面白い写真を撮るにはどうしたらいいのか、思いつかなかった。
 レンズは、300mmでも足りるといえば足りるし、足りないといえば足りない。望遠の単焦点は使いづらいから、80-400mmとか、170-500mmあたりがいいんだろうか。
 レンズ交換したいシーンがけっこうあるから、カメラ2台で、広角ズームと望遠ズームをつけておくというのがベストと見た。そういう人も見かけた。

小牧航空際1-19

 初めての航空祭は、私なりに楽しんだつもりだけど、結局、どこへ行っても人探しの人撮りになってしまうのは、いいんだか悪いんだか。
 来年もう一度行きたいかというと、ちょっと考えてしまう。10月には各務原と浜松でも航空祭が開催される。どちらもブルーインパルスが来るそうだから、それは一度撮ってみたい気持ちはある。訪れる人の多さに怖じ気づきそうだけど、都合がつけば行くかもしれない。
 今回撮った写真がまだだいぶ残っているので、後編につづく。

来る福招き猫まつりに関係ある人ない人 <第一回>

イベント(Event)
招き猫まつり1-1

PENTAX K-7+TAMRON 28-75mm f2.8 / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 瀬戸でこの週末(25日、26日)に行われている、「来る福招き猫まつり」に行ってきた。
 写真を今やっと整理し終わったところで、明日も早く出かけるので、今日は取り急ぎ写真を並べるだけの更新となる。せっかくリアルタイムのものなので、とりあえず明日もやっているということをお知らせしておきたかった。これを見た人が行く気になるかもしれないと思って。
 といっても、肝心の招き猫まつりのイベントにはほとんど参加していないので、途中からはただの瀬戸の町風景写真になってしまっている。いっそのこと、今回は人のいる風景写真だけを集めてみた。
 祭りについては、次回であらためて書きたいと思う。
 祭りに関係ある人ない人、いろいろだけど、これが私の目に映った招き猫まつりの風景だった。

招き猫まつり1-2

 この日の瀬戸は、猫一色といっていいほど、猫だらけだった。
 瀬戸蔵も、猫の絵の飾りがぶら下げられていた。
 招き猫の作品展や、猫の写真展、招き猫作りや絵付けの体験などのイベントが行われている。見るよりも参加して楽しむ祭りだ。

招き猫まつり1-3

 バルーンアートの作品を作ってもらっているちびっこたち。
 招き猫まつりといえば猫メイクで、子供も大人も猫のメイクをしてもらって祭りを楽しんでいる。

招き猫まつり1-4

 アーケードは、せともの祭りのときほどの賑わいはなく、日常とお祭りが混在していた。
 その中の日常的な風景に惹かれた。

招き猫まつり1-5

 銀座通商店街はこんな感じ。
 普段からこれくらい活気があるといいのにと思わせるくらいの適度な人出だ。

招き猫まつり1-6

 祭りを楽しむ親子連れ。

招き猫まつり1-7

 どんな御利益があるのか、猫神社。

招き猫まつり1-8

 深川神社前の参道に露店は出ていなかった。
 いつもの焼きそば屋や、うなぎ屋はやっていた。
 このあたりは祭りの雰囲気があまりなくて、普段の週末とさほど変わらない様子だ。

招き猫まつり1-9

 駐車場係のおじさんたち。
 満車で、やることがなくて、手持ちぶさたな様子だった。
 白い鳩がひょこひょこ歩いて通り過ぎていった。

招き猫まつり1-10

 パチンコ屋さん。祭りに来てついでにパチンコをしていく人は少ないだろうから、普段通りだったのだろう。

招き猫まつり1-11

 床屋のおやじさんも退屈そうにしていた。
 それにしても、ここは昭和感たっぷりの床屋さんだ。

招き猫まつり1-12

 招き猫に似顔絵を描く職人さん。
 招き猫が自分の似顔絵って、嬉しいより照れくさい。

招き猫まつり1-13

 アーケードから外れると、もう祭りの空気感はない。日常の光景だ。

招き猫まつり1-14

 久しぶりに窯垣の小径を歩いてみた。
 いいシーンに出会えた。

招き猫まつり1-15

 窯垣の小径へ向かう女の子。宮前商店街を抜けて、500メートルほど行ったところにある。往復1キロちょっとだから、少し遠い。

招き猫まつり1-16

 犬の散歩のおじさんは、招き猫とはあまり関係がなさそうだ。

招き猫まつり1-17

 祭りが終わり、家路につく人たち。太陽も西に大きく傾いた。

 こうして写真を並べてみると、祭りムードがまるで伝わってこない。来る福招き猫まつりの魅力を伝えることに失敗した。
 実際のところ、写真を撮る祭りではなく、参加してこそ楽しめる祭りなので、親子とかカップルで行くと楽しいと思う。招き猫もたくさん売られているし、興味がある人なら作家展も面白いはずだ。私は、深川神社前のギャラリー太陽の隣と、古民家久米邸でやっていた猫写真展を見てきた。
 そんなわけで、明日の日曜日、お近くの方は行ってみてください。私は小牧で飛行機を撮ってきます。

観月会の行き帰りで目にした心惹かれる光景

名古屋(Nagoya)
本山から栄-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 今日は昨日の八事興正寺の観月会の続きで、その行き帰りに撮った写真をお届けします。
 一枚目の写真は、この日最も印象的な光景だった、山手通から見える南山大学の建物だ。曇天の空からわずかにのぞいた晴れ間が、十字架の塔をシルエットで浮かび上がらせた。バックが青空だったら、普通の面白くない写真になっていただろう。

本山から栄-2

 場面は少し戻って、猫洞通。平和公園から東山公園のあたりは、とても起伏が激しい土地で、坂道が多い。中でもこの坂の風景は際立っていた。パワーのない原付では、途中まで登ったところで止まって、そのまま下まで戻ってしまいそうだ。自転車ではまず上がれない。雪が積もったり、道路が凍結したら、もうお手上げだ。
 上の方に見えている球体は、給水塔だろうか。もしかしたら、タージマハルを意識しているかもしれない。

<追記>
 あの白い建物は、名古屋地方気象台と教えていただいた。
 あんなところにあったのか。初めて外観を見た。あんな高台にあるとは知らなかった。

本山から栄-3

 こういうのを撮るときは、周りに人がいないことを確認してから撮るようにしている。人が歩いていたら、遠ざかるまで待つ。誰かに見られたら、何を撮っているんだと思われてしまいそうだから。
 内心では、こういうシーンを見つけたとき、やった、すごいの見つけたと大喜びなのだけど、もちろん、それを露骨に表したりはしない。さりげない風を装って撮る。
 それにしても、これはすごくよかった。

本山から栄-4

 こういう部分のどこがいいのかと問われると答えに困る。感覚的に好きとしか言いようがない。人に共感を抱いてもらえるのかどうかも、よく分からない。
 風化とか、歳月とか、風合いとか、説明しようと言葉を探してみるものの、それは後付の理由でしかない。

本山から栄-5

 萌えポイントは古さにだけあるわけではない。近代的なものや人工的なものにもツボはある。
 それもまた感覚的なものだけど、映り込みが好きなのは間違いない。

本山から栄-6

 古びた灰色に惹かれるというのはありそうだ。黒っぽくなってヒビが入ったコンクリートなんかは、たまらない。
 そのうち立ち入り禁止の廃墟の写真を撮りにいってしまいそうな自分を、どこかで食い止めなければいけない。

本山から栄-7

 本山交差点から、南の八事交差点までは、名古屋大学を中心に大学が集まっている。
 ここは中京大学のあるあたりなのだけど、ひょっとしてこれも中京の校舎なんだろうか。ホテルか何かかもしれない。
 安藤美姫や浅田真央も在学中のはずだけど、学校に来ることはあるんだろうか。

本山から栄-8

 ここからは、八事興正寺から栄にかけての写真になる。時刻も夜になっている。
 これは確か、八事教会だったと思う。グリーンのライトアップがちょっとよかった。

本山から栄-9

 今池は久しぶりに通った。いつ行っても渋滞しているから、車のときはなるべくこの通りは避けていた。自転車なら渋滞は関係ない。
 昼間でもゴタゴタして猥雑な感じの街で、苦手意識がある。夜になるとそれがいっそう増す。奥に入りすぎると、怖いイメージがある。最近はどうなっているのだろう。

本山から栄-10

 千種駅前の近代的な建物。若い学生風の男女が次々と階段を上ってゆく様子が外からも見える。
 これはなんだろうとビルの上を見上げたら、河合塾とあった。名古屋に本拠を置く、大手の予備校だ。
 こんなビルになっていたとは知らなかった。高校3年の夏休み、自分が受験生だということを思い出すために、1週間くらい夏期講習に通った。ほとんど涼みに行っていたようなものだったけど、その頃はどんな建物だったか、記憶には残っていない。
 千種駅も、ここ最近は寄りつかなかったから、移り変わりを見ていない。

本山から栄-11

 帰宅中の勤め人の皆さん。信号待ちで、一人フライング気味。1秒でも早く家に帰りたかったのか、どこかに飲みに行きたかったのか。

本山から栄-12

 栄セントラルパークの噴水と、テレビ塔。
 稲光がピカピカしていたから、それも写るといいなと思ったけど、まったく写っていなかった。光の速度に反射神経が追いつけるはずもなく、光った瞬間にシャッターを押していては遅すぎる。
 そういう場合は、絞って長時間露光をすればいいのか、それとも無駄打ち覚悟で連写しまくるのがいいのか、どちらなんだろう。これから雷シーズンだから、一度は落雷の決定的瞬間も撮ってみたい。

本山から栄-13

 セントラルブリッジから久屋大通の車の流れを撮る。名古屋らしい片道4車線の道路だ。
 向こうには名古屋駅のツインタワーの片方が写っている。道が少しカーブしていて、正面にタワーが見えないのが惜しい。
 少し気が早いけど、今年のイルミネーションシーズンは、自転車でこのへん一帯を巡ろう。車よりも自由に動けるから、撮れるものがたくさんあるはずだ。

本山から栄-14

 セントラルブリッジの明かり。何色もの明かりがある中で、この青が一番気に入った。深くて透明感のあるエメラルドグリーンの海中を連想した。

本山から栄-15

 ビル明かりの感じがよかった。

本山から栄-16

 名古屋城の外堀へやって来た。これは清洲櫓だ。
 着いてみて、時間が遅かったことを思い知る。月が昇りすぎてしまっていた。

本山から栄-17

 中秋の名月と名古屋城。
 なんだか月が太陽みたいに写った。
 もっと早い時間に訪れていたら、天守閣と絡めて大きな月が撮れていたはずだ。まあでも、どうにか雲間から満月も見られて満足した。これで帰ることにする。
 このあとの帰り道で、またどしゃ降りになって、大変な目にあったのだけど、そのときの写真は残っていない。雨からデジとレンズを守るのに必死で、写真を撮っている余裕はなかった。
 これが中秋の名月の日に私が見た光景だ。

 本編に入りきらなかった写真があるので、追記(More)に載せておくことにする。

観月会の八事興正寺は夕焼けのちどしゃ降り

イベント(Event)
興正寺観月会-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 昨日、9月22日は中秋の名月だった。全国各地で観月会(かんげつえ)が開かれたようだ。私は八事(やごと)の興正寺(こうしょうじ)へ行ってきた。
 まずはここで五重塔と月を撮って、それから、徳川園の観月会に移動するつもりだった。しかし、このあとのどしゃ降りの雨によって、予定は大きく変わることになる。
 夕方は上の写真のように夕焼け空で、いい月が見られると思っていた。天気予報では6時くらいから小雨が降るかもしれないようなことは言っていたけど、まさか雷を伴う豪雨になるとは思いもよらない。
 八事興正寺は、江戸時代前期の1686年に建てられたお寺だ。東海地区唯一の木造五重塔があることでよく知られている。名古屋では京都の寺に最も近い雰囲気を持ったところと言っていいだろう。興正寺については、以前詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。
 観月会といっても、特に何かイベントがあるわけではない。愛知芸術大学の学生による弦楽合奏が目玉イベントで、それは撮りたいと思っていた。あとは野点とか、屋台が少し出ていたくらいだ。にもかかわらず、けっこうな人が訪れていた。みなさん、お月見をするなら風流な場所でしたいと思ったのだろうか。

興正寺観月会-2

 中門も雰囲気があっていいのだけど、この日は行事の垂れ幕がかかっていたり、看板が立てかけられたり、コーンが置いてあったりだった。
 門から正面に見える五重塔もいいのに、境内の中まで車を入れてしまうのはちょっとよくない。
 今、いろいろ工事をしていて、全体的に落ち着かない感じだった。門前に並んでいるはずの灯籠も撤去されてしまっていた。工事が早く終わって、いつもの静けさを取り戻すのを待ちたい。

興正寺観月会-3

 思いがけない収穫として、五重塔の扉が開けられて仏像が見られたことだ。普段は閉まっていて見ることはできないから、初めて見た。

興正寺観月会-4

 仏像は四体見えていて、それぞれ四方を守っている。それから、中心にも一体安置されている。
 仏像はどれも如来なのだけど、メジャーどころではなく、宝生如来など、ややマイナーな如来となっている。
 これは、五智如来(ごちにょらい)といって、密教の5つの知恵を表しているのだそうだ。
 中心に大日如来がいて、東を阿●如来(あしゅくにょらい)、南を宝生如来、西が阿弥陀如来で、北が不空成就如来となっている。五重塔はどこもそうなのかどうか、詳しいことは知らない。

興正寺観月会-5

 学生服の生徒なんかが通ると、とっても修学旅行っぽい絵柄になる。
 高さは30メートルと、五重塔としては小振りではあるものの、姿は美しく、品格と風格と備えている。
 江戸時代後期の1808年に建立された。国の重要文化財に指定されている。
 五重塔は、国宝と重要文化財とあわせて26が現存している。意外と多い。
 昔は七重塔も全国にあったけど、現存しているものは一つもない。焼けるか倒れるかして、その後再建されなかった。

興正寺観月会-6

 本堂は五重塔よりも古く、1750年に建てられた。もとは阿弥陀堂だった。
 名古屋らしく、屋根にはシャチホコが乗っている。手前にも守り神がいるけど、これは何だろう。

興正寺観月会-7

 本堂前には特設ステージが設けられ、弦楽合奏の始まりをみなさん待っていた。これを楽しみに訪れた人も多かったようだ。
 まさか、このあと大雨が降ってくるとは、このときは思っていない。

興正寺観月会-8

 お茶をいただくスペース。
 お菓子つきの抹茶が500円というのが、こういうのの相場だ。

興正寺観月会-9

 少しだけ屋台が出ていた。誘惑に負けるといけないので、見ないようにしている。

興正寺観月会-10

 弦楽合奏が始まるのが6時で、15分前くらいになって、空がにわかに曇ってきた。本当に雨が降るかもしれないと思っていたら、すぐにポツポツと雨粒が落ち始め、ほどなくして底が抜けたようにどしゃ降りになった。こりゃ、まいったなと思う。

興正寺観月会-11

 通り雨なのかどうなのか、主催者の側も少し迷っていたようだけど、結局、合奏は室内のホールに場所を移して行われることになった。観客は傘をさして見ていていいにしても、楽器演奏を雨降りの中でやるわけにもいかない。
 雨は7時前になっていったんやむことになるのだけど、合奏は予定時間を大幅に遅れ、6時半を回っても始まる様子がなく、私はあきらめることになった。徳川園の入園は8時までで、ここからは自転車で45分くらいかかる。のんびり待つわけにはいかなかった。

興正寺観月会-12

 雨が降る中、お堂の下で写真を撮る。雨はなかなか写ってはくれない。

興正寺観月会-13

 灯籠の明かり。電球なんだろうけど、優しい色をしている。

 このあと、雨がやんでいるすきに興正寺をあとにして、徳川園へ向かったのだけど、途中で気が変わった。月は雲に隠れたり出たりを繰り返していて、徳川園に行っても撮るものがあるかどうか分からなかった。行き先を栄に変更して、テレビ塔と名古屋城を撮りにいくことにした。それならたとえ月が出ていなくても撮るものはある。
 次回はそのときの写真を紹介することにしたい。

夏の静岡遠征は三保海岸の記憶 <第三回>

観光地(Tourist spot)
三保の松原3-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 暑い、暑い、といっていた夏も終わり、秋風が吹き始めると、早くも夏の記憶が薄れてゆく。あの日見た風景も、撮った写真も、なんだか夢か幻のように思えてくる。確かにあの日、あの場所に私はいた。月日が流れて、写真を見返したとき、そのときの感覚が蘇るだろう。断片的なシーンの記憶と共に。
 今年の夏はもう戻らない。次の季節を迎えるしかない。夏が恋しければ、来年まで行かなくてはならない。それだけでも生きる理由になる。生きる意味なんて、単純なものだ。
 まだ行ったことがないところへ行き、見たことがないものを見る。それもまた、もっと生きたいという原動力になる。
 私たちが未来を目指すのは、大切な思い出があるからだ。思い出をたくさん抱えて、未来へ向かう。そこにはきっと、あらたな思い出となる出来事が待っている。
 さようなら、今年の夏。また来年、会おう。はじめまして、今年の秋。今年もよろしく。

三保の松原3-2

 それぞれの夏、それぞれの海、それぞれの記憶。
 写真にできることって、なんだろう、と考える。
 ひとつは記録、そして、キーワードは共有だ。

三保の松原3-3

 最後にもう一度、三保海岸から見る駿河湾の海を眺めて、まぶたの裏に焼き付けた。
 海をあとにして、駅へ戻る。
 バス停までの1キロちょっとが、微妙に遠かった。

三保の松原3-4

 今年はユリに縁がなかった。ヤマユリも、ササユリも、見ることができなかった。ちょっと寂しい。
 道ばたに咲いたタカサゴユリでは、彼女たちの代わりにはならない。ヤマユリが女王様とすれば、ササユリは王女様。タカサゴユリは道を歩いている庶民だ。品格が違う。
 オニユリになると、夜の女王様といった風格みたいなものがあるのだけど。

三保の松原3-5

 自家焙煎カフェの看板花。
 ものすごくごちゃごちゃに詰め込んだ花束みたいだけど、とっても賑やかで、見ていると元気をもらえるような花看板だった。

三保の松原3-6

 今年はあまりセミを撮らなかったなと思って撮った一枚。
 アブラゼミはありふれすぎていて、見つけても撮らないことがほとんどだ。年に一枚くらいは撮っておいてもいい。

三保の松原3-7

 清水市のマンホール蓋は、やっぱり三保の松原と駿河湾と富士山だ。
 ただ、清水市は2003年に合併して静岡市になったから、もう清水市というのはない。そのうちこの蓋も交換されることになるだろう。

三保の松原3-8

 神社のような、そうでもないような。
 鳥居があって、建物に注連縄が張られているから、神社のたぐいだろうとは思う。

三保の松原3-9

 三保半島の歴史というのはよく知らない。意外と古い家は少ない印象だった。港町でもないから、そういった風情もない。
 清水港は、半島の付け根の方の本島にある。清水次郎長の生家というのもあったのだけど、時間がなくて寄ることができなかった。

三保の松原3-10

 すずめ、という看板の建物。
 シャッターが狭いっ。体格のいい人は出入りできない。人だけでなく、幅のあるものも通らない。

三保の松原3-11

 御穂鶴とあるから酒蔵かと思ったら、酒蔵を流用した居酒屋だった。

三保の松原3-12

 人が住まなくなった家の周りには、いろんな草や花が生えている。雑草は隙あらばと、常に狙っている。こういう光景を見ると、この世界は自然と人とのせめぎ合いなのだと、あらためて思う。
 地球から人間がいなくなれば、わずか数百年で元の自然の姿に戻るという。自然の生命力は強いとも言えるし、その自然を抑え込んでいる人間の知恵もたいしたものだ。

三保の松原3-13

 そうだよね、そうくるよね、と思うネーミング。
 なんでもいける。喫茶はごろも、ホテルはごろも、はごろも食堂。はごろも幼稚園なんてのもいい。

三保の松原3-14

 清水駅に戻ってきた。アーケードの中も見てみたかったけど、電車の時間があった。
 このあとガンダムを見て、夜はこうた祭りで手筒花火を撮った。それらはすでに紹介した。これが夏の静岡遠征だった。
 静岡もだいぶ巡った。次は沼津から先だ。伊豆まで行くと、見るところがたくさんあるのだろう。

駿河湾の海岸を撮り歩きながら海の大きさを思う <第二回>

観光地(Tourist spot)
三保の松原2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 三保の松原については昨日だいたい書いたから、今日はもう書くことが残っていない。あとは写真を紹介して終わりということになる。
 羽衣の松を見たあと、とりあえず行けるところまで三保半島を北上してみることにした。目標物としては、三保灯台と三保飛行場があった。まずはそこを目指して歩き出した。
 とその前に、三保海岸で、駿河湾を長時間露光で撮ってみる。波の様子や、色味の変わった海が面白い。
 60秒という時間は、長くもあり、短くもある。波は不規則に、寄せては返し、止まることがない。時間は動いている。というよりも、地球が猛スピードで自転しながら太陽の周りを超高速で回っている。その地球の周りを月が回って、遠心力と重力と引力が奇跡的なバランスを保ちながらこの星は存在している。地上に立っていると、時速1,300キロ以上で回転しているという実感はないけれど。

三保の松原2-2

 テトラポッドと水平線。

三保の松原2-3

 錆びた輪っかと鎖。
 どういう用途に使われるものなのか、まったく見当がつかない。海には未知のものがたくさんある。

三保の松原2-4

 遠くに見えているのは、伊豆半島の付け根あたりだろう。かすんでよく見えなかった。
 伊豆半島でさえこの程度しか見えないのだから、富士山が見えないのも当然か。

三保の松原2-5

 海辺を歩く。
 駿河湾は外海のようなスケール感がある。三河湾のようにこぢんまりしていない。海の色も深い青色をしている。

三保の松原2-6

 ここでもトンビがたくさん飛んでいた。
 トンビを見るたびに、あ、油揚げ、忘れた、と思う。一度、本当にトンビは油揚げをさらっていくのか実験したいと思っていて、実現していない。手持ちで試みるのはさすがに身の危険を感じるから、近くの地面に置いてみたい。もし急降下してさらっていったら、近距離から激写できる可能性もある。次こそ、海へ行くときは油揚げを買って持っていこう。

三保の松原2-7

 どういう作用なのか、ここだけ海の色が違っていたので、長時間露光をしてみる。
 こんな写真を見ると、早くも夏の海が恋しくなってくる。今行ってみると、もう海の色も違っているはずだ。光が違うから、写真に撮ったときに、空気感が違ってくる。

三保の松原2-8

 大きな船が、浜辺の近くを通っていった。右下にいる人と比較するとその大きさが分かると思う。ちょっと近くないかい。

三保の松原2-9

 海は広くて大きいと、あらためて思う。
 街で暮らしていると、地上はほぼ人間が席巻しているような気になるけど、人の支配下にあるのは地球のほんの一部でしかない。全人類が束になってかかっても、海にさえ勝てない。

三保の松原2-10

 ずいぶん歩いて、ようやく三保灯台にたどり着いた。半分は浜辺を歩いたから、実際の距離よりもずっと遠く感じられた。
 正式名称は、清水灯台、日本で最初の鉄筋コンクリート造りの灯台だ。明治45年(19152年)に造られた。
 八角形の姿は珍しく、当時としてはモダンなデザインだったのだろう。
 すでに役割は終えて、平成6年(1994年)からは無人となり、現在はそのまま保存されている。
 灯台の中に入って登れないのは当然としても、周りを塀で囲んで近づくことさえできないのは残念だ。海をバックに写真を撮ることもできない。

三保の松原2-11

 三保飛行場はこんな飛行場だった。かなり荒れた感じで、もう使われていないのかもしれないと思った。
 使っているにしても、小型飛行機用だろう。

三保の松原2-12

 遠くに見えた工場地帯。キリンみたいな姿をしたこれは、たまに見かける。

三保の松原2-13

 三保灯台と家族。

三保の松原2-14

 上半身裸で写真を撮っていた人。
 夏の海辺で半裸というのはある意味自然な姿だけど、その格好のままカメラを構えると、とたんにおかしなことになる。何故、半裸で写真を撮っているのだ、と思う。

 結局、ここで力尽きて、もう戻ることにした。半島の先はまだまだ遠い。
 次回は、海辺の写真の残りと、町並み写真で、シリーズ最終回となる。
 つづく。

ピンクの御穂神社と富士山のない三保の松原<第一回>

観光地(Tourist spot)
三保の松原1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 過去の旅で、いくつか置き去りになっているネタがある。調べ物が多くて先送りにしたり、長いシリーズになりそうなので後回しにしたもので、三保の松原の話もその一つだ。旬のネタではないから、放置したまま安心していたら、夏が終わりそうになっていた。海の風景もたくさん出てくる旅で、そろそろ出しておかないと季節外れになってしまう。ということで、今日から3回シリーズでお届けすることにしたい。
 三保の松原といえば、日本三大松原の一つであり、羽衣伝説でもよく知られている。大正5年には、日本新三景の一つとして選ばれたこともある。
 ちなみに、三大松原の残り二つは、去年行ってこのブログでも紹介した気比の松原(福井県敦賀)と、虹の松原(九州唐津)で、日本新三景は、北海道大沼公園と九州耶馬溪となっている。どこも渋いラインナップで、すべて制覇したという人は少なそうだ。
 どうして私がここを選んだかといえば、特に深い理由はない。1/1ガンダムを見るために静岡へ行こうと決めたとき、適当な距離感にあるところでどこかないかと探していて見つけたのが三保の松原だった。清水港も見てみたかったし、三保の松原といえば富士山が見られるというのも決め手になった。
 清水駅からはバスに乗って行くことになる。羽衣の松入り口というバス停で降りて歩いていくと、御穂神社(みほじんじゃ)の裏口前に出た。まずはここで挨拶をしてから行くのがいいだろうということで、参拝することにした。裏口から入ることになったのが、ちょっとどうかと思ったのだけど。

三保の松原1-2

 神社入り口の向かいに、昔ながらのたばこ屋兼雑貨屋さんがあった。うちの田舎の神社前にもよく似た店があって、懐かしく感じられた。こういう店がまだ営業しているのを見ると嬉しくなる。
 この日は夏休みで子供たちの姿はなかったけど、近くに小学校があるから、平日の夕方は小学生たちで賑わっているんじゃないだろうか。

三保の松原1-3

 参道の日だまりとコケなどを撮りつつ、奥へ進む。

三保の松原1-4

 ここが境内の入り口だ。北西から入る格好になったから、少し方向感覚がおかしくなったのだけど、社殿は南を向いているから、南から入っていれば不自然なことは何もない。ほぼ南向き、やや東寄りの羽衣の松がある方向を向いている。
 以前は、ここから200メートルほど離れた天神森というところにあって、1522年に戦で焼けて、現在の地に移されたそうだ。
 三保の松原がある三保半島は、駿河湾から細長く突き出した砂嘴(さし)と呼ばれる地形をしている。ずっと昔は、ここは離島だったという話もある。半島の先が3つに分かれていることから、三保という名がつけられたといわれている。
 御穂神社の表記が元々そうだったのか、途中で変わったのか、詳しいことは調べがつなかった。神社に祀られている三穂津姫(みほつひめ)から来ていると考えるのが自然だろうか。
 御廬神社と記されている記録もあるようで、廬(いおり)は仮の小屋といった意味だから、神社の本体とは離れた仮の宮だったのかもしれない。山車や御輿などを運んで神様に休んでもらうところを仮宮(かりみや)とか、御旅所(おたびしょ)などというけど、ああいう感じに近かった可能性もある。かつて離れ小島だったとすれば、なおさらだ。
 創建はかなり古いようで、ヤマトタケルが東征したときに参ったという話もあり、平安時代の延喜式にも載っている。

三保の松原1-5

 拝殿を見て、のけぞった。なんで、ピンクに塗っちゃったんだろう。
 天女をイメージしたのだろうか、鉄製の階段がピンク色のペンキで塗られている。反対意見は出なかったのだろうか。いろんな神社を見てきたけど、ピンクがイメージカラーの神社は初めて見た。
 社殿は江戸中期に再建されたのものということで、なかなかに風格がある。だからこそ、ピンクの階段とのギャップが激しい。
 現在の祭神は、大己貴命(オホナムチ・オオクニヌシの別名)と、三穂津姫命となっている。もともとは土地の神や海の神を祀る素朴な信仰から始まったと考えられる。
 祭神がオオクニヌシになった経緯はこうだ。
 アマテラスの孫であるニニギが天孫降臨したとき、地上を支配するオオクニヌシは、ニニギに国を譲れと迫られて、すったもんだのあげく、結果的に話を飲むことになり、地上の支配は天孫系のニニギ一族に移ることになった。
 一般的には、その後、オオクニヌシは出雲大社に祀られることになるのだけど、いろんな別バージョンの話がある。たくさんの別名があることが示すように、オオクニヌシというのは地上を支配していた神の総合的なイメージのようなもので、そういう意味ではヤマトタケルに近いものがある。御穂神社に伝わる話もその中の一つだ。
 すんなり国を譲ったオオクニヌシに対して、アマテラスは素直な良いヤツだと褒め、高皇産霊神(タカミムスビ)の娘の中から一番の美人である三穂津姫を嫁として与えた。アマテラスの息子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)と、タカミムスビの娘の間にできた子供がニニギなので、このへんはみんな親戚関係だ。
 喜んだオオクニヌシは、三穂津姫と手に手を取って、羽車に乗って新婚旅行に出かけ、風光明媚な三保に降り立ち、ここで国を守ると決めたという美談仕上げとなっている。
 別の話として、内心では国譲りに納得していなかったオオクニヌシに対して、タカミムスビが、おまえが本心から国を譲って反抗する気がないなら、うちの娘をもらえるだろう。三穂津姫と結婚して、永久に国を守るがいいと、無理矢理押しつけたというバージョンもある。
 アマテラスとオオクニヌシの国譲りの話は、アメリカ建国を思い起こさせる。新大陸発見って、もうそこには先住民がいたではないか。オオクニヌシも、無抵抗に譲ったわけではなかったはずだ。アマテラスの天孫系は、祟りを恐れたからこそ、当時の日本で一番巨大な神社となる出雲大社を建てて、オオクニヌシを祀ったのだともいわれている。

三保の松原1-6

 呉服之神社や胡夫大夫神社、磯前神社などの境内社があり、その中で子安神社の柄杓(ひしゃく)が印象に残った。
 安産祈願に、穴の空いた柄杓を奉納するのがならわしらしい。どうして穴が空いているのかと思ったら、水がつかえないような楽なお産ができますようにという願掛けだそうだ。
 祭神として、オオクニヌシの両親である、スサノオと稲田姫命が祀られている。

三保の松原1-7

 こちらが表の入り口である南の鳥居だ。
 ここから羽衣の松まで、長い参道がずっと続いている。

三保の松原1-8

 両側に松が並ぶ参道は、神の道と呼ばれている。
 少し前に、何億円だかをかけて木道を造った。
 松は大変立派なもので、龍のようにうねうねに曲がっているものもある。
 樹齢は200年とか300年とかのものが多いそうだ。

三保の松原1-9

 三保の松原は、海岸沿い約7kmに渡って、5万4千本の松が立ち並んでいる。
 富士山が見えるということもあって、古くからよく知られた景勝地だったようだ。万葉の歌人たちも、この地のことを詠んでいる。
 入り口は昭和の観光地風情だった。古くからの観光地は、どこも似たような雰囲気を持っている。ここは控えめな方といえるだろう。

三保の松原1-10

 ここまで来れば、海はもうすぐだ。私はどちらかというと、松を見にいったのではなく、富士山を見にいったのだ。気比の松原も行っているけど、松原が好きとかそういうことではない。

三保の松原1-11

 あ、海が見えた。駿河湾の青い海だ。

三保の松原1-12

 海岸にはそれなりの人がいた。わりと流行っているらしい。

三保の松原1-13

 さあ、いよいよ、お待ちかねの富士山が目の前に、どーんと、って、あれ? 富士山はどこですか? 白っぽいのがそうかと思ったけど、あれは雲だ。第一、真夏に富士山が白いはずがない。夏の富士は青黒い色をしている。
 左右を見渡し、目をこらしてみるも、まったく富士山は見えない。富士山、消えちゃった?
 このときの私は、目をぐっと細めて、苦笑いのような半笑いの表情をしていたと思う。人が見たら、堺雅人のモノマネでもしてるのかと思ったかもしれない。
 しかし、どれだけ頑張っても、富士山の輪郭さえ見えなかった。望遠レンズでも見えない。空は晴れているのに、ここまできれいに消えているとは思わなかった。
 夏場は地元の人でもなかなか見えないというから、むしろ見えた方がラッキーと思った方がいいようだ。前に河口湖でも目の前の富士山を見ることができなかった。日本平では絵に描いたような富士山を見たけど、1勝2敗となると、富士山運はあまり良い方ではなさそうだ。今回は残念だった。それもまた富士山ということだろう。
 冬場なら晴れていればここからくっきり見られるはずだけど、冬枯れの景色は少し寂しい。春先あたりが三保の松原のベストシーズンということになりそうだ。

三保の松原1-14

 これが羽衣伝説の松だ。
 近くの村に住んでいた漁師の伯梁は、夜、浜に出てみると、松の木に見たこともないような美しい衣がかかっているのを発見した。あたりを見渡しても誰もいない。誰かの忘れ物だろうかと思いつつ、手に取ってみる。そのあまりの美しさに思わず持って帰ろうとしたとき、どこからともなく天女が現れた。
 それは私のものです、返してくださいな。
 いや、これはオレが拾ったお宝だから返すわけにはいかない。返してほしければ一割よこせ。
 その言葉を聞いて、嘆き悲しみ、途方に暮れる天女。その衣がないと天に帰れないのですのと、泣いて訴えた。
 よし、分かった。それじゃあ、これを着て天の舞を踊って見せてくれたら返してもいいと、伯梁。
 ありがとうございます、それではごらんにいれましょうと、羽衣を身にまとい、月世界の舞を見せる天女。
 その舞に見入っていると、天女はみるみる空高く舞い上がり、空の彼方に消え去ったのであった。
 十五夜の美しい宵であったという。
 あとには羽衣の一部が残り、それが現在まで御穂神社に伝わっている。
 天女は宇宙人で、羽衣は宇宙服、UFOに乗って月に帰ったというエピソードだとすれば、かぐや姫にも通じる話だ。
 羽衣の松は、樹齢650年の老松で、つっかえ棒に支えられて、痛々しいような姿で立っている。それでも、この老木の姿には心動かされるものがある。

三保の松原1-15

 海の方から羽衣の松を見る。
 砂浜は白砂というより黒砂で、波打ち際は小石が多い。
 年々浸食が進み、解決策が見いだせないまま、どうしたものかと手をこまねいている状況のようだ。
 松も病気が進行しているそうで、美しい三保の松原も、永遠のものではない。

 このあと、半島の先を目指してずっと歩いていったのだけど、三保半島は思いの外、大きく、途中で断念することになる。その話は、また次回ということにしたい。
 つづく。

ある日の矢田川の夕景

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
矢田川夕景-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 写真の在庫がたまってしまっているので、今日は二本立てにしてみた。一本目のサンデー料理の次は、矢田川夕景をお届けします。
 特別何かがある河原というわけではないけど、ここへ行くと何か撮るものがある。相性がいいということなのだろうと思う。

矢田川夕景-2

 光のシャワーを見ると、やはり撮ってしまう。
 空コレ下半期の写真も、少しずつたまってきている。

矢田川夕景-3

 河原で遊ぶ少年のシルエットは、絵になる。
 いつか、決定的なシーンに出会えそうで、まだ出会えない。

矢田川夕景-4

 春から夏にかけてはちりぢりになっていたカルガモたちも、秋を前にしてまた群れるようになった。
 10月になれば、渡りのカモたちも戻ってくる。

矢田川夕景-5

 コチドリか何かだと思う。流し撮りが決まった。

矢田川夕景-6

 低い空を飛ぶ飛行機。
 自転車で行けば1時間ちょっとかかる距離も、空を飛べば数分だ。

矢田川夕景-7

 羽を広げて着地するコサギ。逆光で羽が透けてきれいだった。

矢田川夕景-8

 飛び去るコサギの群れ。寝床のコロニーに帰って行くのだろう。

酒は飲まないのに酒の肴風サンデー

料理(Cooking)
つまみ風サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 自分の作った料理を見て、なんだか酒の肴みたいだなと思うことがよくある。小料理屋の一品料理みたいでもある。
 私は酒類を一切飲まないから酒を飲むような店も行かないので、そういうところの影響を受けているわけではない。普通に作ると、何故かそんな料理になってしまう。自分が食べたいものを作っているのだから、その手の料理が好きなのだろう。
 母親が作ってくれた料理ともまったく似ていない。自然とこういうスタイルになってしまった。いいのか悪いのか、自分でもよく分からない。本当はもっと小洒落たカフェのメニューみたいな料理が作りたいと思っているのだけど。
 今回もノンジャンル、ノンテーマで、食べたいもの優先で作った。わりとすんなりメニューも決まって、作る手間暇も程よく、食べてもけっこう美味しく、全体的にバランスの良いサンデー料理となった。上手くはまった例だ。

つまみ風サンデー2

 これはジャガバターの変形だ。私がジャガバターをアレンジして作るとこんなことになる。
 ジャガイモとニンジンを短冊切りにして、タッパーに入れてレンジで3分加熱する。
 オリーブオイルとバターで鶏肉をざっと炒め、ジャガイモとニンジンを追加する。
 白ワイン、みりん、しょう油、砂糖、塩、コショウ、カレー粉で味付けをして、終盤にアスパラと、とろけるチーズを追加して、全体に絡めればできあがりだ。最後に青のりを振りかける。
 まずくなる要素はない料理だから、普通に美味しい。ジャガバターっぽいような、そうでもないようなだった。

つまみ風サンデー3

 見た目は麻婆豆腐のように見えるけど、トマトソース豆腐だ。
 ショウガ、ニンニク、オリーブオイル、刻みタマネギを炒め、皮むきしたトマトを刻んで入れて、しばらく炒める。
 白ワイン、みりん、しょう油、砂糖、コンソメの素、ケチャップ、塩、コショウで味付けをして、トマトソースを作る。
 エビと豆腐をオリーブオイルで炒め、トマトソースを入れて、混ぜ合わせながら少し煮込む。刻み長ネギを乗せる。
 トマトソースはたいていのものに合うから、当然豆腐やエビとの相性もいい。

つまみ風サンデー4

 これが今回、一番のヒットだった。
 マグロとゆで卵のマヨネーズ・チリソース和えだ。
 タマネギの刻みと、刻んだマグロを、オリーブオイルと白ワインで炒める。
 ゆで卵を適当に刻んで、投入する。
 マヨネーズ、しょう油、スイートチリソース、マスタード、塩、黒コショウ、砂糖で味付けをして、炒めていく。
 甘くて、ピリ辛で、ゆで卵の黄身が全体に馴染んで、いい感じに仕上がった。作る前はどうなるかイメージが掴めなかったのだけど、予想以上に上手くいった。これは自分らしい料理の一品としてレパートリーに加えたい。また作って食べたいと思った。美味しいのでオススメしたい。

 写真の撮り方は、当面こんな感じでいってみることにする。全体と個別の4枚構成が一番分かりやすい。
 個別写真の撮り方をもう少し工夫した方がいいかもしれない。

中秋の名月には少し早かった小牧のお月見まつり

イベント(Event)
小牧お月見-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / PENTAX-M 50mm f1.4



 今日(18日)、「小牧山お月見まつり」というのにちょっと行ってきた。ちょっとといっても自転車で片道16キロ、1時間半かかったので、体力的にはちょっととは言えない遠距離だったのだけど。
 お月見まつりというからには中秋の名月を観賞しようという祭りなのだろうけど、写真のように今日はまだ満月ではない。これは十夜の月(月齢9.7)で、満月は来週の水曜日(22日)だ。たぶん、中秋の名月に近い土曜日に毎年開催しているのだろうと思う。平成9年に始まったこのお祭りは、今年で14回目となった。
 特に撮りたいものがあったわけでもなかったのだけど、野外舞台で薪能(たきぎのう)が見られるというので、それを楽しみにしていた。舞台は撮影禁止というのは行く前から知っていて、それがなんとも残念ではあった。

小牧お月見-2

 祭りは4時半から始まり、着いたのは6時少し前だった。薪能が始まるのが6時からだったので、ちょうどよかった。
 舞台で能などを見にいくとかなり高い。タダで見られるなら一度どんなもんか見てみようじゃないかと集まった人が多かったことだろう。中にはここで魅力を知って、毎年楽しみに訪れいているという人もいるだろうか。
 観客も集まり、火も入って、始まるのを待つばかりとなっていた。

小牧お月見-3

 薪能以外には、月見団子汁を無料で配ったり、模擬天守にタダで登れたり、望遠鏡で月を見たりとか、そんなところだった。何を目当てに行けばいいのかが、ややはっきりしない。近所の人が夜の明かりにつられて自転車でやって来るお祭りといったふうでもあった。
 目玉としては薪能くらいなので、もう一つくらい何か魅力的なイベントが欲しいところだ。去年は武将隊が来て演舞などをしたようだけど、今年はそういうのはなかった。名古屋城のおもてなし武将隊は他のイベントに参加していて呼べなかったのだろうか。
 小牧山城といえば、信長が居城にしていた城で、家康と秀吉が小牧で戦ったときは、家康が本拠にしたところでもある。そのあたりの歴史をダシにしてもっと観光地にしたいところだ。犬山のように城下町の風情が残っていないのが厳しい。

小牧お月見-4

 3つほど露店が出ていたけど、ちょっと寂しかった。

小牧お月見-5

 名古屋コーチンを使った月見団子汁は、やはり人気が高く、長蛇の列ができていた。1,000食では並んでも食べられなかった人も多かったことだろう。

小牧お月見-6

 街中と小山がセットになっている小牧山だから、カラスのねぐらとしては最適なのだろう。いつ行っても、たくさんのカラスがいる。この日も夕暮れ空にカラスの大群が飛んでいた。

小牧お月見-7

 山頂の模擬天守まで、道の両脇に新型灯篭ドリームロケッ灯が並んでいる。
 地元の子供たちが絵を描いて並べたもので、子供たちは自分の灯籠を探しながら登っていた。

小牧お月見-8

 この提灯の明かりをたどっていくと、あちらの世界へ行ってしまいそうなほどもの悲しい感じだ。

小牧お月見-9

 山道は暗く、ちびっこたちの灯籠はありがたい。これで足元を照らしてもらわないと、暗すぎて歩けない。幻想的というより実用的だ。

小牧お月見-10

 模擬天守から見る夜景。こちらは名古屋方面。遠くに名古屋駅のビルが見えている。

小牧お月見-11

 能舞台は撮影禁止だけど、会場全体を俯瞰で撮るのはいいだろうということで、かなり遠く離れた高台から撮る。
 屋内で行われる舞台が撮影禁止なのは理解できるけど、屋外の薪能はいいんじゃないかと思う。撮影可能にすると三脚を立てたりフラッシュを使ったりする人がいるというので禁止にしてるのだろうか。
 マナーの問題で禁止になっているのだとしたら、それはお互いにとって幸せなことじゃない。能や狂言などというものはいくら伝統や格式のあるものといっても、今の時代ではすっかりマイナーな芸能だ。少しでも客を増やし、ファンを育てていくには、露出を増やしていくしかない。閉鎖した状況の中で、いくら演じ手の側が伝統を守ったところで、客が来なければ衰退してしまう。客が少ないから舞台は高い金額に設定せざるを得ず、ますますコアなファン層しかいなくなる。売れない伝統工芸の職人がいなくなるのと同じだ。
 無料の屋外舞台でやれば、地方のマイナーな祭りでもこれだけの人が興味を持って見に来る。時代に合わせて演じる側の妥協や迎合も必要だと思う。マナーの問題はあるにしても、写真をネットで見れば、自分も撮ってみたいと思う人は少なくないはずだ。こんな時代だからこそ、小さな波紋は、やがて大きな波になる可能性を秘めている。
 美術品だとか、国宝の仏像だとかにも言えることだけど、日本は特にもったいぶりすぎるところがある。もっと積極的に露出していけばあらたなファン層は開拓していけるはずなのだ。
 ところで、能や狂言はどうだったかといえば、まあ、見ていて楽しいものではない。すごくテンポが遅いし、何を言っているのか、よく分からない。雰囲気を楽しむものだと理解した方がいいかもしれない。そのためには、舞台の近くで見る必要がある。

小牧お月見-12

 鱗雲がかかって、秋月の風情になった。

小牧お月見-13

 少し離れたラピオ会場では、鳴子踊りや和太鼓の演奏が行われた。
 帰りに寄って、少しだけ写真を撮った。かなり暗くて、狭いスペースで踊っているので、撮影は厳しかった。

小牧お月見-14

 祭りは夜の9時まで続いた。
 私は一通り雰囲気も味わったし、見たいと思っていたものも見たので、早めに切り上げた。帰り道も、自転車を1時間半漕がなくてはいけなかった。
 多少なりとも興味を持ったものは見ておくべきで、一度見ればそれで気が済む。行かないと気になってモヤモヤが残る。買い物は迷ったときはしないようにしているけど、写真に関しては迷っても行くべきだということを経験的に学んだ。行けば何か撮るものはある。行って損はしない。
 祭りは夏祭りから秋祭りへと移っていく。

初秋を撮りに行った森林公園はまだ夏の続きだった

施設/公園(Park)
森林公園-1

PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 Macro / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 初秋の風物詩である、シラタマホシクサと、ヒガンバナと、アサギマダラを、一気にまとめ撮りしてしまおうと、尾張旭の森林公園へ向かった。
 しかし、そんな都合良くはいかないもので、3つの内、撮れたのは1つだけだった。考えが甘かった。
 今年の夏は異常気象だったから、生き物たちも普段通りとはいかないようで、明らかに秋の訪れが遅れていることを知る。空気は少しひんやりしてきたものの、森林公園もいまだ夏の延長戦が続いていた。秋めいてくるのは今月の終わりくらいからだろうか。
 まだ気温が高い分、蝶たちも元気に飛び回っている。この日もたくさんのアゲハチョウを見た。彼らにとっては、今年の暑さはよかったのかもしれない。

森林公園-2

 軍手にとまるシオカラトンボ。
 バックは秋の青空。空の色も、雲の表情も、夏とは違う柔らかい感じになってきた。

森林公園-3

 たくさん張られた蜘蛛の巣は、どこも開店休業といった様子で、蜘蛛たちは手持ちぶさたのようだった。夏が終わる頃の海の家みたいだ。

森林公園-5

 森の中はツクツクボウシの声だけが響き渡っている。他の蝉の鳴き声はもう聞かない。
 今年はヒグラシの声をほとんど聞かなかった気がする。

森林公園-4

 ニホントカゲの子供。幼いうちは、くっきりとした縞模様と、ブルーの尾をしている。大人になるともっと茶色が強くなる。
 なんか、テカテカというか、テラテラな感じで、不気味なので笑える。

森林公園-6

 サワシロギクとハナアブ。蜜を吸っているのか、花粉を食べているのか。

森林公園-7

 体が黒っぽいのは、コカマキリだ。久しぶりに見た。
 体が小さいこともあるけど、オオカマキリやチョウセンカマキリほどまがまがしい感じはしない。挑戦的でもない気がする。

森林公園-8

 マユタテアカネだろうか。
 秋を前にして翅がだいぶ傷んできている。

森林公園-9

 ミドリヒョウモンだと思う。ヒョウモンチョウも種類が多くて、見分けるのが難しい。ツマグロヒョウモンのメスだけはすぐに分かるのだけど。

森林公園-10

 シラタマホシクサに乗っているのは、アブだろうか。
 目がすごい。どんなふうに世界が見えているのだろう。

森林公園-11

 シラタマホシクサはちょうど見頃だった。
 何年も続けて見ているから、新鮮さはなくなったけど、今年も再会できてよかった。
 湿地の花シーズンは、これで今年も終わりだ。もう少しするとホソバリンドウが咲き始めるのだろうけど、今年はそれも遅れているようだ。

森林公園-12

 森林公園のシラタマホシクサは、地元ローカルのニュースになるので、見に訪れる人も多い。これだけまとまった量を見られるところは少ないから、貴重だ。

森林公園-13

 ススキは咲くというのだろうか。単に生えているだけなのだろうか。
 ススキも今年は遅いように思う。5日後には中秋の名月なのに、まだ生えそろっていない。

森林公園-14

 足下を見ると、枯れかけながらナンバンギセルが咲いていた。
 葉緑素を持っていないので自分で光合成ができず、他の植物の根に寄生して、そこから栄養をもらって生きている寄生植物だ。ススキなどによく寄生する。
 南蛮という名がついているけど、日本にもともとあった花で、南蛮船が持ち込んだキセルに形が似てることからそう呼ばれるようになったという。

森林公園-15

 初秋の課題を一日で一気に終わらせてしまおうという目論見は外れた。楽をしようとしてはいけないということだ。
 アサギマダラにはまだ少し時期が早かったようだ。森林公園は10月に入ってから増えてくるらしい。
 ヒガンバナはどこかへ見に行くかどうか、まだ決めていない。今年は開花が大幅に遅れていて、矢勝川でもやっと咲き始めたところのようだ。ヒガンバナは、名所へ行かなくてもどこかそのへんで見られるチャンスはある。
 時間があれば、来月、もう一度森林公園へ行くことにしたい。

風も空も風景も夏から秋へ

日常写真(Everyday life)
海上行き帰り-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 今日は海上の行き帰りで撮った風景をお届けします。
 街の風景も、少しずつ秋めいてきたのを感じる。田んぼも刈り入れの時期になり、一部は稲刈りが終わっていた。新米の美味しい季節だ。
 吹く風もカラリとして、真夏のまとわりつくような湿っぽさはない。これからしばらくの間、自転車にはいい季節となる。

海上行き帰り-2

 夏の終わりを思うシーンは色々ある。枯れたヒマワリもその一つだ。
 夏の太陽を浴びて元気いっぱいに咲いていた姿が印象的なだけに、力尽きたようにうなだれて茶色く枯れているのを見ると、季節の残酷さのようなものを思う。この姿は、他人事ではない。
 今年の夏は特別暑かったから、ヒマワリもしんどかったんじゃないだろうか。

海上行き帰り-3

 川端でモミジアオイが咲いていた。日本の川の風景に、南国のようなこの赤は似合わない。でもこいつ、実は北アメリカ原産だ。アメリカのどんな風景に似合うのだろう。

海上行き帰り-4

 ダイサギとカワウが、互いにそっぽを向いている。生息域はけっこう近いし、エサでも競合しそうなのに、見知らぬ隣人同士のように振る舞っていることが多い。ケンカもしない代わりに仲良しでもない。

海上行き帰り-5

 いいタイミングで撮れた。車のときも運転しながら片手撮りをよくしていたけど、自転車でもやっている。

海上行き帰り-6

 あれ? と思った。愛知環状鉄道の線路に、JR中央線の車両が走ってる。一瞬、こんなところに中央線の線路が走ってたっけと混乱してしまった。そんなはずはない。
 愛知環状鉄道は、JR中央線の高蔵寺駅と、JR東海道本線の岡崎駅を結んでいるから、その関係で愛知環状鉄道に乗り入れているのだろう。それでも初めて見たので、ちょっと驚いた。

海上行き帰り-7

 車置き場といえばそうだ。町中にあって、草に埋もれているのはちょっと珍しい光景だ。

海上行き帰り-8

 何かのタンクと錆びたハンドル。廃墟に通じるような、なんとなく心惹かれる風景だった。

海上行き帰り-9

 時間帯は急に飛んで、ここからは帰り道の風景となる。
 西日を浴びるこの花は何だろう。ヒマワリの小型版みたいな、よく見かける花だ。

海上行き帰り-10

 海上の森の最寄り駅、山口駅。一番近いといっても、森の入り口まで歩いて30分くらいかかる。駅前に行ったのは初めてだった。

海上行き帰り-11

 夕暮れ時の線路風景は、どことなくセンチメンタルな感じがする。

海上行き帰り-12

 瀬戸デジタルタワーを見るたびに、もったいないなぁと思う。なんでもっと人が集まるような観光スポットにしなかったんだろうと。
 東京スカイツリーのようにとはいかないまでも、もう少し魅力的な施設にできなかったのだろうか。姿もカッコよくない。

海上行き帰り-13

 オレンジに染まった小さな空。
 これだけ写真を撮っているのに、いまだにUFOも、UMAも、カッパも、ツチノコも撮れない。残念だ。

海上行き帰り-14

 夕闇迫る田んぼ風景。これからはますます日が短くなって、帰り道は夜になることが多くなる。そうなると、あまり写真を撮れない。
 夏が過ぎれば、すぐにまた夏が恋しくなる。

 そろそろ気持ちを秋に向けて切り替えていく必要がありそうだ。ヒガンバナやアサギマダラなどの時期も近づいている。
 海上の森は、今年中にもう一回は行っておきたい。次は秋が深まった頃になるだろうか。

夏の延長戦の海上の森を撮りに行く

森/山(Forest/Mountain)
海上9月1-1

PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 Macro / PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 先週、海上の森へ行ってきた。
 今年の夏は祭りを追いかけるのに夢中で、花も虫もあまり撮れないまま夏が去ろうとしている。海上の森も、6月の終わりに行ったきりで、丸々2ヶ月以上間が空いてしまった。夏の終わりにもう一度、森へ行きたくなった。
 やはり2ヶ月のブランクは長かった。季節は大きく移り変わり、夏が終わろうとしていることを実感することになった。暑さに惑わされて、まだ夏が変わらず続いているような気になっていた。けれど、季節は確実に移り変わり、秋がもうすぐそこまでやって来ていることを知る。
 それでも、夏の延長戦として、9月に森へ行けたのはよかった。あと一週間遅くなっていたら、もう完全に夏は去っていた。
 この日はまず湿地へ行って、そのあと、大正池に回った。篠田池も行くつもりでいたのだけど、日没までに間に合いそうになかったのであきらめた。ずいぶん日も短くなってきた。
 大正池の風景は、去年の夏とは違っていた。水の量が少なかったのか、立ち枯れの木の様子が変わっていたのか、なんとなく印象が違った。去年と同じ場所から撮った写真も、一年前とは別の風景だった。去年の方がよかったように思う。

海上9月1-2

 森トンネル。
 緑のトンネルも、初夏の頃と比べると、色あせた。道に落ちている枯れ葉も増え、秋の予感が色濃い。
 秋には紅葉があるけど、夏にあった多くのものがなくなる。秋の到来の前に、早くも寂しさを感じた。

海上9月1-3

 森の木漏れ日。
 今年の夏はあれほど元気だった太陽も、少しずつ力を失いつつある。

海上9月1-4

 身近から姿を消したハグロトンボも、海上の森へ行けば、いるのが当たり前のようにたくさん舞っている。ひらひらと優雅に飛ぶイメージがあるけど、実際にはけっこう素早い。飛んでいるところを撮るのは難しかった。

海上9月1-5

 トンボの顔をアップで撮ると、なんとなくオジサンっぽい。手足も毛むくじゃらだし。
 こいつはアカネトンボの何かだと思うけど、どうだろう。リスアカネとか。ノシメトンボかもしれない。

海上9月1-6

 9月ともなれば、ハッチョウトンボも、残るのはわずかとなった。このときは、オスメス、1匹ずつしか見つけられなかった。
 また来年の再会を楽しみにしたい。

海上9月1-7

 飛んでいるトンボを至近距離で撮るというのも、毎年夏のテーマなのだけど、今年もそれは実現できなかった。相当に難しい。10分やそこらではなく、1時間でも2時間でも、腰を据えて取り組まないと成功しそうにない。
 やっとピントを合わせたギンヤンマも、これでは遠すぎて成功とは言えない。

海上9月1-8

 とても小さいテントウムシ。ヒメカメノコテントウか。
 もぞもぞして今にも飛び立ちそうで、飛ぶ瞬間を狙っていたけど、一瞬過ぎて反応できなかった。

海上9月1-9

 一般的な蝶が少なくなっても、セセリ蝶は秋が深まっても飛んでいる。夏が終わる頃に増えてきて、最後は11月くらいまでいる。
 蛾みたいできれいじゃないけど、近くで見るとつぶらで大きな目をしていて、かわいくないこともない。

海上9月1-10

 蜘蛛はまだたくさんいたけど、これからはだんだん羽虫も少なくなっていく。巣を張って獲物がかかるのをひたすら待つというのも、効率がいいんだか悪いんだか。

海上9月1-11

 湿地に咲く、ホザキノミミカキグサ。紫色の可憐な花。
 見た目は弱々しいけど、これは食虫植物だ。根に小さな罠袋を持っていて、そこに入ってきた動物プランクトンを消化吸収する。

海上9月1-12

 湿地の池。何の草かは知らないけど、面白い光景だったので撮る。

海上9月1-13

 カエルくんたちも、あっちでピヨンピヨン、こっちでピヨンピヨンと、飛び跳ねまくっていた。
 こいつはたぶん、トノサマガエルだ。トノサマガエルは模様に変化が大きい。

海上9月1-14

 海上の里の晩夏風景。草刈りをしていた。そろそろ稲の刈り入れだろう。

海上9月1-15

 センニンソウだと思うけど、もう一つ確信は持てない。

海上9月1-16

 歩いていたら、少し離れた茂みからグエグエッと鳴き声がして、バタバタバタっと、何かが飛んだ大きな音がして、驚いた。
 望遠でのぞいてみると、見慣れない大きな鳥がいた。コジュケイか。東山植物園のリス園で見たことがある、あいつに似ている。コジュケイって、こんな森の中にいるものなんだろうか。
 もともとは中国や台湾に生息する鳥で、日本に持ち込まれたものが野生化したらしい。
 それにしても、海上の森とコジュケイの取り合わせは意外な気がした。

 これらが、夏の終わりの海上の森で私が見たものだった。
 写真は他にもあって、普通なら2回に分けるところなのだけど、在庫写真がたくさんあるので、先を急がないといけない。
 残りは追記に載せておくことにする。

人があふれるせともの祭の瀬戸の町を歩く <第三回>

イベント(Event)
せともの祭3-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 せともの祭の最後に、普段の自分のスタイルに戻って、町並みや人がいる風景を撮った。瀬戸の町やアーケードはこれまでも何度か撮っている。けど、この日は多くの人が歩いていて、普段とはまったく違う顔だった。だから、同じ場所を撮っても、いつとは別の写真になった。それがとても新鮮だった。
 アーケードの中に、動物をかたどった瀬戸焼の置物が飾られている。これまで気づかなかった。間隔を開けながら何体も並んでいた。昔からいたのだろうか。

せともの祭3-2

 アーケードの中も、いつもの姿を知っていると信じられないくらい大勢の人が歩いていた。
 昔は日常的にこんな風景だったのだろうけど、その頃の様子は見ていないから知らない。私が子供の頃は、今よりもう少し活気があったはずだけど、それにしてもすでに古びた商店街という印象だった。
 祭りの数日間で、どれくらいお金を使ってくれるのだろうか。私は自販機のジュースでしか貢献していない。
 瀬戸物の安売りといっても、ちょっといいものは数千円するし、全体的に見てもそんなに安いとは思えない。飲食店の関係者がまとめ買いしていくというパターンが多いそうだ。

せともの祭3-3

 屋根神様と、歓談中の地元のおじさんたち。
 お祭りのヒトコマらしい光景だ。

せともの祭3-4

 とても昭和っぽいパチンコ屋さん。現在も営業を続けている。
 満員御礼というのは、ちょっと怪しい。

せともの祭3-5

 やっているのかやっていないのか。たぶん、もう閉店しているのだろう。
 レストランクラブとあるから、昼間はレストランで、夜はクラブになっていたのだろうか。
 それとも、クラブという名前のレストランなのか。

せともの祭3-6

 ロマン中央劇場は、すでに閉鎖されてしまった。
 昔は瀬戸にもたくさんの映画館があった。特に多かったのは、昭和30年代だろう。映画の黄金時代だ。
 私が子供の頃も、まだ何軒か残っていた気がする。

せともの祭3-7

 アーケードを出たところ。
 理髪店の前で、陶器とは関係のない品々がシートの上に並べられていた。ここだけフリマが行われていたらしい。理髪店の人がやっていたのか、場所を提供していただけなのか。
 たぶん、出店するには規制があって、誰でも彼でも店を出せるわけではないと思うのだけど。

せともの祭3-8

 宮前地下街のあたりも、人がたくさんいた。

せともの祭3-9

 歩道橋の上から下を撮る。
 銀座通商店街の入り口のすぐ横は、深川神社参道の入り口になっている。

せともの祭3-10

 いつもは静かな深川神社参道も、両脇に露天が並び、人の数もすごいことになっていた。
 道沿いの店は、あまり恩恵を受けていないようだった。ここも普段はシャッター通りになっている。

せともの祭3-11

 せっかくだから深川神社にも寄って、挨拶だけしておくことにした。
 おかげでいいシーンに出会えた。

せともの祭3-12

 せともの祭は、外国人にはあまり知られていないようで、ちらほら見かけるくらいだった。アジア系の人も少ない。
 上の写真のピンクの着物は外国の人だった。たぶん、アメリカ人だ。

せともの祭3-13

 人混みに少し疲れて、人がいない方へとやって来た。

せともの祭3-14

 すごい店を見つけた。昭和50年代の釣り道具屋さんそのもので、子供の頃行っていたのとほとんど何も変わっていないような店だ。そっくり昭和50年代に移しても、何の違和感もない。
 ここは初めて知った。できれば店の中も撮らせてほしい。

せともの祭3-15

 この日は、思いがけないところでも観光客を見た。こっちまでは入ってこないだろうというところも人が歩いていた。
 若い女の子二人組は、窯垣の小径でも歩いてきたのだろうか。

せともの祭3-16

 末広商店街のアーケードを抜けたところ。ここから先はまだ歩いたことがない。この日もここで引き返した。住宅街になっていくのだろうけど、機会があれば歩いてみたい。

せともの祭3-17

 煙突があると、それだけで風景は昭和っぽくなる。

 私のせともの祭は、これで終わりとなった。たくさん写真も撮ったし、たっぷり堪能した。
 また来年となるかどうかは、今のところ分からない。2週間後に、来る福招き猫まつりというのがある。まだ新しい祭りと思っていたら、今年で15回目になった。一度見てみたいとは思っているけど、行こうかどうしようか。猫のメイクをした人が町中をたくさん歩いているらしいから、それを撮るだけでも楽しそうではある。
 瀬戸再訪は意外と近そうだ。

弓道大会やダンスなどのイベントを追いかける <第二回>

イベント(Event)
せともの祭2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON 28-75mm f2.8



 せともの祭の関連イベントの中で、子供相撲とともに撮りたいと思ったのが、弓道大会だった。
 普段の大会では、部外者がカメラを持って入っていって勝手に撮るというのは、なかなかできない気がする。特に弓道なんてものは、しんと静まりかえっている中で行われるものだから、写真を撮るのは気を遣いそうだ。けど、せともの祭協賛と銘打っていたから、それならせともの祭のお客として写真を撮っても許されるんじゃないかと考えたのだ。
 会場は少し離れた瀬戸市民公園の弓道場だった。おそるおそるという感じで入っていくと、案の定というか、部外者の姿はなく、競技者と関係者がいるだけで、写真を撮っている人など誰もいなかった。まずいなと思いつつも、せっかく行ったからには少しは撮りたい。静かに近づき、競技者の視界に入らない程度まで前に回って、写真を撮らせてもらった。
 どういう大会なのかはよく分からなかったのだけど、お年寄りから高校生くらいまでの幅広い選手たちがいて、ルールも理解できないまま、競技は粛々と、淡々と進んでいくのであった。的に当たっても外れても、誰も何も反応しないから、どういう状況なのか、まるで掴めない。おーっという歓声が上がったり、拍手がわき起こったりということは一切起きない。けど、間違いなく本番で、練習ではない。弓道大会とはそういうものらしい。

せともの祭2-2

 せともの祭協賛というくらいだから、高校生とかの大会で、多少なりともお祭りムードがあると想像していた。
 実際は、おじいちゃんの競技者が、せともの祭とはまるで無関係な様子で、矢を放つ弓道そのものだった。たくさん矢を当てた人が勝ちなんだろうけど、写真を撮っている場所からは的が見えず、当たったのかどうかさも分からない。放った人もノーリアクションなので、表情から成功したのか失敗したのか、読み取れない。弓道においてはガッツポーズなどというのはしてはいけないものなのだろう。センパイ! ナイスですぅ~! といった後輩からの声援も飛ばない。

せともの祭2-3

 おじいちゃん選手がしばらく続いたあと、女子高生らしき女の子たちが登場した。そうそう、こういう感じを思い描いていたのだ。
 しかし、ちょっと距離がある。ピンと張り詰めた空気感を写し取るには、もっと近づく必要があった。
 それでも、一応思っていたのが撮れたということで、これくらいにしておいた。あまりお邪魔しても申し訳ないような気もしたし、ミスせとものパレードの時間も迫ってきていた。
 せともの祭も、イベントを追いかけていると、けっこう忙しいのだった。

せともの祭2-4

 瀬戸川沿いの風景。瀬戸物廉売のテントや露天が両岸にずらりと並び、人波が途切れることがない。

せともの祭2-5

 瀬戸蔵の上の階から、下のホールを見下ろす。

せともの祭2-6

 パレードは、ボーイスカウトたちのブラスバンドが先を行き、あとからミスせとものを乗せた人力車(だったかな)が続く。

せともの祭2-7

 窯神橋を封鎖した、にぎワイワイステージでは、ダンスなどのイベントが行われていた。
 このちびっこたちは、ヒップホップのチームだった。

せともの祭2-8

 次に名古屋学院大学のダンスチームが登場した。これはいい被写体になると、すぐに感じた。
 ここ最近、パレード型のダンスはよく撮っているけど、ステージものは初めてだった。パレードが基本的に前進の動きに対して、ステージでは前後左右に大きく動くので、こちらの方がずっと難しい。飛びまわる蝶に翻弄されているときのようだ。狙いを定めたダンサーをファインダーの中におさめるのも大変なくらいだった。

せともの祭2-9

 ダンスシーンを撮る上で大事なのは、表情と、手の動きだということが最近分かった。どうしても顔に目がいってしまいがちで、手の動きまではなかなか追い切れない。

せともの祭2-10

 ダンスでも、人を撮るなら逆光か斜光がいい。逆光に照らされる髪の毛がきれいに見えるから。

せともの祭2-11

 少し前まで、ダンスを撮るというのことがどういうことかよく分からなかった。撮っているうちにちょっと分かるようになってきた。この夏は、祭りでたくさんの踊り子さんたちを撮った。

せともの祭2-12

 彼女がこのチームのエースのようだった。
 どのチームにも、目立つかわいい子はいるもので、ある意味ではそれは残酷なことだと思うのだった。この世界は公平じゃない。

せともの祭2-13

 続いてチアダンスが始まった。ちびっこたちのチームが入れ替わり登場して、チアダンスを踊る。
 このときは子供たちの親パワーが強力になって、私は押され気味で、端に追いやられ、あまり写真が撮れなかった。人の輪をかき分けてでも前へ出て自分の子供を撮ろうとする親の勢いには勝てっこない。

せともの祭2-14

 小学生チームの中で、ここが群を抜いた実力だった。華やかで、力強くて、お金を取って見せられるくらいだ。大会とかも出てるのだろう。

せともの祭2-15

 チアダンスも、見てるとけっこう面白い。

せともの祭2-16

 こちらはプロのチアダンサーたち。ナゴヤドームとかで踊っている人たちだ。さすがに大人の演技を見せてくれる。

せともの祭2-17

 最後はちびっこがたくさん出てきて、踊っていた。親御さんたちで大盛り上がりだった。

 私が見たイベント関係はここまでだった。次の大道芸には興味がなかったので、会場をあとにした。
 夜7時すぎから打ち上げ花火大会もあったのだけど、そこまでは間が持たないので最初から見る予定はなかった。
 最後にアーケードや深川神社の方も少し歩いて写真を撮ったので、次回のせともの祭最終回で、そのときの様子を紹介したい。

せともの祭に行ったのは買い物ではなく写真が目的 <第一回>

イベント(Event)
せともの祭1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON 28-75mm f2.8



 昨日、今日と愛知県瀬戸市で、せともの祭が行われた。私は土曜日の初日に行ってきた。
 最近は、9月の第2土日になっていて、第79回の今年は、9月11日(土)、12日(日)だった。
 この時期ということもあって、多くの年が2日のうち1日は雨が降るというジンクスがある。今年は2日ともよく晴れた。加藤民吉が九州に残してきた奥さんが恨んで雨を降らせるのだと、この地方ではまことしやかに語れている。今年は晴れ男の私が勝ったけど、その分、来年は2日連続で雨が降るかもしれない。
 瀬戸は二人の恩人がいる。一人は、瀬戸焼の開祖となった加藤景正で、もう一人は中興の祖である加藤民吉だ。
 加藤民吉は、磁器の技術を九州で会得して持ち帰り、衰退しかけていた瀬戸焼を復活させた。
 だから、瀬戸には大きなお祭りが年に2回ある。4月の陶祖まつりと、9月のせともの祭と。せともの祭は、磁祖である加藤民吉に感謝して行われる祭りで、昭和7年に始まった。さかのぼれば更に歴史は古く、民吉が生きていた江戸時代後期の1800年前後から始まっている。
 旧暦の8月20日に、民吉の家で行われていた祭事が起源で、民吉の死後、二代目が初代を窯神社に祭り、窯神祭として行うようになった。
 第二次大戦中の昭和19年と、翌20年は中止されたものの、それ以外は今までずっと続いてきている。
 現在は、陶磁器の廉売市という位置づけが色濃い祭りになっている。各種イベントも行われて、瀬戸はこの2日間、大変な人出となる。今年の初日は21万人だったそうだ。毎年、2日間で40~50万人の人が訪れる。
 上の写真は、ミスせともののクイーンだ。かなりかわいい。
 毎年、クイーン一人と、ミスせともの二人の三人が選ばれて、せともの祭を盛り上げる。
 案の定というかなんというか、ミスせとものが行くところ、男性カメラマンたちが取り巻きとなってシャッターを切りまくるという光景になる。私もその中の一人ではあったのだけど、ミスコンクイーンの威力はたいしたものだと、あらためて思い知らされた。無料のモデル撮影会と思えば、このチャンスを逃す手はないという心理は理解できる。

せともの祭1-2

 今年の三人はレベルが高かったんじゃないだろうか。追いかけてでも撮るに値するモデルさんたちだった。
 瀬戸市民限定というわけではなく、愛知県民で瀬戸に来られれば資格はあるらしい。
 お仕事としては、せともの祭のPR活動と、せともの祭本番で花を添えることだ。
 あと、年明け5日の七福神と、4月の陶祖まつりでも活躍する。
 昔は、岩屋堂とかで着物を着てのモデル撮影会も開かれたそうだ。それはぜひ復活させてくれないだろうか。あったら行きたい。

せともの祭1-3

 せともの祭に行くのは、ずいぶん久しぶりだった。今年はイベント関係の写真を撮るのが目的だった。
 予定としては、10時から窯神神社で行われる養生館武道奉納演武を撮ることから始めるつもりだったのだけど、遅刻して到着したのが10時20分頃で、30分程度行われるとあったから、最後少しだけでも見られるかと思ったら、すでに影も形もなかった。早々に終わってしまったのだろうか。
 そうこうするうちに、10時30分から窯神神社祭典が始まった。民吉を祀る窯神神社の祭礼で、これも撮ると決めていた。

せともの祭1-4

 祭典というから、巫女さんが舞い踊ったりするのかと思ったらそういうものではなく、神職が祝詞を唱えたり、集まった関係者が参拝をしたりというものだった。一般的なお礼参りのようなものだ。
 神職の装束は変わっていた。祭礼用なのだろう。

せともの祭1-5

 何人か写真を撮っている人もいた。関係者だろうか。
 せともの祭に行って、こんなところまで写真を撮りに訪れる一般人は少ない。

せともの祭1-6

 窯神神社はかなり高台にあって、自転車を押しながら歩いて登るのは大変だった。前に一度、車で来たことがあった。
 この裏手には、瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれる場所がある。ガラスの原料となる珪砂を採掘している場所で、採掘されて何もない広大な土地が広がり、たまった水がなんとも美しいブルーをしているのだ。
 残念ながらこの場所からは一部しか見られず、夏場は草木が生い茂っていて視界が悪い。冬場の方がよく見える。
 危ない現場だから当然立ち入り禁止なのは分かるけど、これは観光資源になるから、どこか見渡せる場所に展望台を作って欲しい。珍しい風景だから、見に訪れる人がたくさんいるはずだ。

せともの祭1-7

 次に行ったのが、熊野神社だった。
 ここで子供相撲大会が開かれていて、なんとなく面白い被写体になりそうだという予感があった。
 この神社を訪れるのは初めてだった。まずは挨拶をする。

せともの祭1-8

 子供相撲はとても面白かった。想像以上だ。
 動きが意外と速く、勝負はあっけなくついてしまうから、シャッターチャンスはわずかしかない。相撲そのものよりも表情を捉えるのが楽しかった。

せともの祭1-9

 最初は照れくさそうにしていた子供たちも、だんだん力が入って、勝負は白熱してきた。
 長い戦いになると、見てる方も力が入ってきて、思わずガンバレ! という声援があちこちから飛ぶ。そこだ、いけ-! 負けるな! と叫ぶお母さんも熱くなっていた。

せともの祭1-10

 子供相撲があんなに楽しいとは思わなかった。写真を撮ってる私まで声援を送りたくなるほどだった。

せともの祭1-11

 負けて号泣する女の子。見てたら、私も泣きそうになった。危なかった。子供相撲を撮りながら泣いてる人はけっこう変だ。子供の親でもないのに。
 でも、なんだか、自分の昔の純粋だった頃の感情がふいに蘇ってきたのは確かだった。一瞬、小学生の頃に戻ったみたいだった。

せともの祭1-12

 我が子を応援するお母さんとお父さん。
 勝てば嬉しいし、負けるとやはりちょっぴり悔しい。

せともの祭1-13

 ときには投げの大技も出る。
 私の予定の都合で、低学年の3年生までしか見られなかったのが、少し心残りだった。高学年になれば、もっと迫力の相撲が見られただろう。

せともの祭1-14

 負けて泣いているお姉ちゃんと、慰めるお父さん。
 泣いているお姉ちゃんを写真に撮る妹。家族らしくて、いいシーンだった。

せともの祭1-15

 少年も泣いていた。今どきの子供といっても、子供は子供だと、安心した。
 子供相撲は予想以上にドラマチックなものなのだった。

 今日は日曜日ということで、サンデー料理を作ったのだけど、不注意で撮った写真を消してしまった。料理はすでにおなかの中で、写真は残っていない。なので、サンデー料理ネタができなかった。代わりに前倒しで、せともの祭の話にした。
 せともの祭の写真には、まだ続きがある。それはまた次回ということにしたい。

虫とか猫とか少年とかのご近所小ネタ写真

日常写真(Everyday life)
明徳池-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / NIKON D80+18-55mm f3.5-5.6



 旅やイベントの在庫写真はたくさんあるのだけど、今日は一日出歩いていて余力が残らなかったから、小ネタでつなぎ更新となった。
 前半は明徳公園で撮った写真、後半は二つ池から小幡緑地に移動しながら撮ったものだ。
 明徳公園で久しぶりに自然の中にいる野生のクワガタを見た。子供の頃、夏休みに早起きして探しに行って以来じゃないか。田舎にいると、家の明かりに惹かれて飛んでくることがたまにあった。ガラス窓にぶつかると、けっこう大きな音がする。それもいつしかなくなり、野生のカブトムシやクワガタは遠いものとなっていた。こんなに身近にまだ生息していることを知って、嬉しく思う。探せばけっこういるのかもしれない。
 久々すぎてクワガタの種類がよく分からない。最初、ヒラタクワガタかと思ったのだけど、それにしては小さい。コクワガタだろうか。
 ツノが交差しているのは、穴の中に先住民がいるのに、あとから無理矢理入ろうとするクワガタと入り口で押し問答をしていたからだ。どうしても入りたいクワガタと、絶対入れたくないクワガタの争いがしばらく続いていた。おかげで写真を撮る時間がたっぷりあったのはありがたかった。

明徳池-2

 キチョウのレモンイエローの翅が、とても鮮やかで透明感があった。キチョウって、こんなきれいだったっけ、と思った。

明徳池-3

 ナミアゲハの流し撮りにギリギリ成功、と言いたいところだけど、やっぱりこれでは失敗だ。でも、捨てがたい写真だから、採用してしまう。
 蝶をスローシャッターで流し撮りするのは、最高難度の技だ。

明徳池-4

 白マスク、白ソックスの猫。
 顔の一部と手足が白いだけで、黒猫とは全然違った印象になる。こういう柄もかわいい。

明徳池-5

 夏休みの延長戦の少年たち。

二つ池-6

 瀬戸電が来るのを待ち構え、通り過ぎるのをじっと見つめて、去りゆく電車に向かって手を振っていたボーイ。
 将来、鉄っちゃんになるのは間違いない。いや、すでになっているとも言える。

二つ池-7

 まだまだ暑いけど、空にはたくさんのウスバキトンボが飛び始めている。
 北へ向かって旅をするウスバキトンボは、寒さにやられて死滅すると言われている。今年はいつもの年に比べて、少しだけ長く生きられるかもしれない。

二つ池-8

 シオカラトンボかと思って無視しようとして、よく見たら確信が持てなくなった。シオカラのメスか、違う種類か。

二つ池-9

 カルガモとコイが群れて騒いでいた。近くにいたおじさんがエサでもあげたのだろう。
 この時期、カルガモがこんなに群れているのは、ちょっと珍しい気がする。

二つ池-10

 沈みゆく太陽と、長く伸びる影。だいぶ日が短くなった。
 日没まで間に合うかどうか微妙な時間だったけど、小幡緑地に向かうことにした。

小幡緑地-11

 サビ猫。前はこの柄はあまり好きではなかったのだけど、最近見直して好きになった。よく見ると悪くない。

小幡緑地-12

 なんとか太陽が沈む前に到着できた。

小幡緑地-13

 もっときれいに焼けそうな予感があったのに、思ったほど焼けなかった。
 このときは三脚もNDフィルターも持っていなかったので、ここまでとした。

 小ネタ写真も大事に思っているから、こうしてときどき挟んでいきたい。

二見の旅館・土産物屋通りを歩く

観光地(Tourist spot)
二見土産物町-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 JR二見浦駅は、夫婦岩をイメージしたデザインになっている。それまでの古い大きな木造の駅舎が好きだった人も多かったんじゃないだろうか。1993年に現在の駅舎に建て替えられた。
 駅前の正面にすぐに鳥居があり、ここから夫婦岩までは歩いて15分くらいかかる。この道は神社の参道になっていて、お土産物屋や旅館などが建ち並んでいる。昭和の面影が濃い昔ながらの参道風景だ。けど、思ったほどさびれてはいなかった。夫婦岩ブランドはいまだ健在らしい。
 今日は参道風景の写真をお届けします。

二見土産物町-2

 参道についても、まったく記憶がなくて、初めて見る風景と同じだった。
 歩道がきれいに整備されていたりするし、昔のままということではなさそうだ。
 どこからどこまでかは分からないのだけど、国のHOPE計画(地域住宅計画)というものに指定されているそうだ。この通りだけでも観光資源になり得ると思う。

二見土産物町-3

 完全な町並み保存地区ではないから、新旧の建物がまだらに建っている。
 新しい建物の間で、古い家屋もポツリ、ポツリと残っている。

二見土産物町-4

 御福餅(おふくもち)の本家があった。本店が二見というのは知らなかった。なんとなく伊勢だと思っていた。
 御福餅というと赤福そっくりで、偽物めいたイメージがあるのだけど、こちらも江戸時代創業で270年の歴史を持つ老舗だ。
 二見興玉神社にある天の岩屋に祀られているアマノウズメノミコトが御福さんと呼ばれていたことから、その名がつけられたそうだ。
 赤福の波模様が五十鈴川の流れを表しているのに対して、御福餅は二見浦の波の形を表現しているんだとか。
 赤福と御福餅は、食べ比べると違いが分かる。好みはそれぞれだ。
 知名度でいえば、圧倒的に赤福の方が勝っている。

二見土産物町-5

 同じ通りの少し離れたところに、赤福の店もある。御福餅のホームなのに、遠慮がない。
 赤福の本店は、伊勢神宮内宮のおかげ横町にある。テレビなどにもよく登場する。
 偽装問題発覚以来、かなりおとなしくなった。売り上げのダメージも相当なものだろうし、再び以前の状態に回復するのは難しいかもしれない。
 でもやっぱり、赤福はたまに食べると美味しいと思う。

二見土産物町-6

 創業280年の老舗旅館、朝日館。こちらは旧館で、今は近代的な新しい建物が建っている。
 ここからは旅館がずっと並んでいる。

二見土産物町-7

 ここはもう営業していないようだ。
 木造三階建てのカッコイイ建物。

二見土産物町-8

 独特の外観を持つこの木造建築も旅館だ。二階からは人の声も聞こえていたから、泊まり客もいたようだ。

二見土産物町-9

 格子と、室内の和の灯り。
 この通りは、しっとりとした風情がある。

二見土産物町-10

 時代の流れに迎合しない土産物屋。
 取り扱っている商品は少しずつ変わってきているのだろうけど、雰囲気は昭和のままだ。
 かつて二見は、修学旅行のメッカとして流行った時代があった。その頃は、この通りも大勢の学生たちで賑やかだったことだろう。今でも少しは修学旅行生が訪れるのだろうか。

二見土産物町-11

 旅館やお土産物屋が並ぶこの通りは、全体的に好印象だった。前時代的な古さはあるけど、伝統の良さとなっている。正統派の観光地お土産物屋通りだ。俗っぽくないのがいい。

二見土産物町-12

 ひとけのないお土産物屋通りは、なんとなくもの悲しくもあり、微笑ましくもある。なんだか切ない気持ちにもなる。がんばっていきましょうと応援したい。

二見土産物町-13

 どんな町にも路地はある。

二見土産物町-14

 とても手作り感溢れる住宅だ。これなら材料さえ集めれば、一人でも建てられるんじゃないかとさえ思った。とてもコンパクトにまとまっている。
 こういう建物を見ると、現代人は家というのを難しく考えすぎているのかもしれないと思えてくる。建築士に設計を頼んで、大工に建ててもらわなければ家は建たないというのは間違った思い込みだ。その気になれば、家は自力でも建つ。

二見土産物町-15

 観光地の日常。一本通りを中に入れば、普通の町と変わらない人々の暮らしがある。

 夫婦岩もしっかり見たし、参道も歩いた。二見に思い残すことはない。これからは、二見に行ったことがあると、はっきり言うことができる。
 ここ数年、三重県再発見の旅をしている。生まれた県でありながら知らないところが多すぎた。南は尾鷲、熊野、東は鳥羽、志摩、伊勢、二見、西は伊勢奥津、名張、伊賀、中央は津、松阪、亀山、関、北は四日市、桑名と、主だったところはだいぶ回った。これからは隙間を埋める旅になる。三重県もまだ行っていないところが残っている。

初めてじゃないけど初めてのような二見浦の夫婦岩

観光地(Tourist spot)
二見浦-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 答志島をあとにした私は、二見浦(ふたみがうら)へとやって来た。
 二見浦へ行く目的は、ほとんどの場合、夫婦岩(めおといわ)を見るためだ。けど、夫婦岩を見に行くとは言わず、二見浦へ行くと言う。夫婦岩以外に二見浦に何かあるかといえば、特に何もない。観光地だから、お土産屋やホテルなどがあるとはいえ、泊まりがけで行くようなところでもない。行くとすれば、水族館の二見シーワールドか、ちょんまげワールドくらいのものだ。
 東隣が鳥羽で、西へ行けば伊勢神宮がある。そのあたりとセットで訪れる人も多いのだろう。私のように答志島と組み合わせるという手もある。
 二見浦に着いたときは、もう日没が近い時刻だった。太陽は雲に隠れて姿を見せず、空は期待したほど焼けなかった。それでも、穏やかな二見浦らしい海を撮ることができたから、これはこれでよかった。
 正面遠くに見えているのは、知多半島だ。もう少し右を見れば、渥美半島が見える。

二見浦-2

 夫婦岩の存在はかなり古くから知られていたようだ。
 二見は伊勢神宮の海の入り口ということで、古来から神聖な場所とされてきた。
 二つの岩の間から昇る太陽を日の神(天照大神)に見立て、それを拝むための遥拝所を作ったのが神社の起源とされている。
 それと、夫婦岩から700メートルほど沖合の海中に、猿田彦ゆかりの興玉神石というのがあって、それをご神体とした。夫婦岩は鳥居の役目をしていた。
 のちに奈良時代の僧・行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建して、境内に鎮守社として興玉社(おきたましゃ)を建てた。祀られたのは、猿田彦だ。
 それとは別に、天の岩屋の中に三宮神社(さんぐうじんじゃ)というのがあって、そこでは宇迦御魂大神(ウカノミタマ)が祀られていた。
 ウカノミタマは、いわゆるお稲荷さんだ。京都伏見稲荷大社など祭神として知られている。けど、ここでは伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神の別名とされている。
 現在の二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)という名称になったのは、明治43年(1910年)のことで、興玉社と三宮神社を合祀した。
 古い記録では、三狐神社(さんぐじんじゃ)という名称も見られるというから、やはりお稲荷さんの関係があったようだ。
 昔は、夫婦岩という呼び名ではなく、大きい方を立石、小さい方を根尻岩と呼んでいた。注連縄を張って夫婦岩と呼ぶようになったのは、江戸時代以降のことのようだ。
 古来、伊勢神宮に参拝するに際して、この二見浦で禊をして身を清めていくのが習わしだった。
 現在でも、式年遷宮などの行事では、二見浦で参拝してから行く。
 二見の名前の由来は、伊勢神宮から流れてくる五十鈴川(いすずがわ)が、二手に分かれて伊勢湾に流れ込んでいることから、二水(ふたみ)と呼ばれ、のちに二見に転じたといわれている。
 二見は、五十鈴川の河口にできた三角州だ。

二見浦-3

 電車で一緒だったドイツ人カップル。夫婦岩は外国のガイドブックにも載っているらしい。

二見浦-4

 神社の境内は、カエルづくしとなっている。
 サルタヒコの使いがカエルで、ここをお参りした人が願いが成就するとカエルの置物を奉納したことから、神社はカエルだらけになってしまったらしい。
 サルタヒコは、ニニギノミコトたちが天孫降臨するときに、頼まれもしないのに道案内を買って出た地上の神だ。
 天孫系の神々がオオクニヌシたち地の神の国を乗っ取ったとするなら、サルタヒコは天チームに寝返った神と言えるかもしれない。これからの時代は、やっぱ、天孫系でしょ、ってな感じで時代を先読みできたとも言える。
 カエルは、無事カエルとか、なくしたものがカエルなどと語呂合わせができる縁起のいい生き物でもある。そういうこともあって、この神社ではカエル様として人気を博している。

二見浦-5

 夫婦岩を訪れたのは実に久しぶりのことだった。子供の頃、親に連れられてきて以来で、当時の記憶はほとんどない。
 何年か前に、直前まで来て、訪れることなく帰ったので、ずっと気にはなっていた。
 だから、きんと訪れるのは初めてのようなものだった。
 意外と雑然としているという印象を持った。もっと沖合に、夫婦岩だけがポツンとたたずんでいるようなイメージを持っていたけど、実際は海岸近くに突き出ているいくつかの岩の内の二つに過ぎない。注連縄が張られていなければ、ただの岩だ。
 それと、夫婦というには、奥さんの方の岩が小さすぎる。これじゃあ、親子岩だ。夫婦というには無理がある。

二見浦-6

 拝殿は、なんとも今どきの姿をしていて拍子抜けした。近代的というか、まるで歴史を感じさせない。昭和の再建だろうか。
 伊勢神宮と深い関わりがあるところだし、式年遷宮のときの古材をもらえなかったのか。木造の神明造で建て直して欲しい。

二見浦-7

 ここにもカエルがいる。頭の上に小さいカエルも乗っている。

二見浦-8

 遥拝所。昔はこんな感じだったんじゃないだろうか。
 とりあえず鳥居があれば充分な気がした。
 夏至の前後4ヶ月は、夫婦岩の間から昇る朝日を見ることができる。夏至の前後2週間は富士山頂付近から登るというので、この時期を狙って写真を撮りに訪れる人も多いという。
 冬至の頃は、月が昇るのを撮りに来るカメラマンが多いそうだ。

二見浦-9

 この角度からはあまり見ない。
 実は小さい方の岩は、大正7年の台風で、根元からポッキリ折れてしまった。大正10年にくっつける修理をしたそうだけど、その間の3年間はどうなっていたのだろう。折れたまま転がっていたんだろうか。
 くっつけたはいいけど、もともとの角度から変わってしまったというのはどういうことか。
 夫婦岩の奥さんは、あるとき心が折れてしまって、家出をして、3年後にちょっと違う姿になって戻ってきた。夫婦にはいろんなことがあるという教訓か。
 絆というのは、互いを縛る鎖のようなものでもある。注連縄もそんなふうに見えてきた。

二見浦-11

 神社の境内はこのあたり一帯で、海にある夫婦岩も境内というから、少し離れた場所にある龍宮社も境内社ということになるのだろう。
 ここもやけに新しい。昔の記憶がないのが残念だけど、いつこんなふうになったんだろう。
 祭神は、海の神である綿津見大神(ワタツミ)。


 夕暮れ時の静かな二見浦でまったりしているところへ、ワラワラワラとどこからともなく中国人がわいてきた。
 なんだ、なんだ、と思っていると、夫婦岩周辺は50人近い中国人によって占領状態になった。大声で飛び交う中国語に、夫婦岩はたちまち異空間になってしまったのだった。
 恐るべき、中国人パワー。バブルの頃の日本人を見るようだった。

二見浦-12

 中国人から逃れるように、少し離れた場所へとやって来た。
 近くで三脚を立てて夫婦岩を撮ろうと思っていたのだけど、状況がそれを許さなかった。帰りの電車の時間も迫っていた。
 長時間露光で二見浦の海と夫婦岩を撮る。

二見浦-13

 海で遊ぶ家族。
 だいぶ暗くなってきた。

二見浦-14

 二見浦に別れを告げる。
 また10年後とか、20年後とかに再訪できたらいい。

私の目に映った刈谷の風景

街(Cityscape)
刈谷の町並み-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 / 50mm f1.4



 愛知県における刈谷市というのは、決してマイナーな市ではない。けれど、刈谷市に何があるか知っているかと問われると、答えに詰まる。刈谷? 観覧車があるパーキングエリアのハイウェイオアシスって刈谷だよね? といったくらいのものだ。
 刈谷城跡の亀城公園には行ったことがある。あと、刈谷と意識せずに行っていたのが、天然記念物のカキツバタが群生している小堤西池だ。南北に細長い刈谷市の北端にある。
 他に刈谷に何があるのかはよく知らない。逆に言えば、特に有名なものがないわりに刈谷はなんでメジャーな市になっているんだろうと、ちょっと疑問に思った。隣接している豊明市や高浜市を知らない人はいても、刈谷市を知らない愛知県民は少ないはずだ。
 刈谷は尾張と三河の境、西三河の西端に当たる。知多半島の東の付け根で、市の西を流れる境川が、尾張国と三河国との国境だった。
 境川は衣浦湾に流れ込み、逢妻川や猿渡川などが市を東西に流れている。それらの川の周辺には縄文時代から人が住んでいたようだ。貝塚なども多く見つかっている。昔はもっと海に近い土地だった。
 人が増えたのは、戦国時代の前期(1533年)に、刈谷城が建てられてからだ。
 尾張の緒川城(東浦町)を本拠にしていた水野忠政が、三河に進出して刈谷城を築城した。入り江や湿地に囲まれていて、遠くから見ると水に浮かんでいるように見えたことから、亀城とも呼ばれていた。
 この刈谷城で生まれたのが、のちに家康を産むことになる於大の方だった。水野忠政が支配を拡大するために、当時今川傘下にあった岡崎城主の松平広忠に嫁がせ、家康が生まれた。形原城主の松平家広とも娘を結婚させている。
 三河と尾張の国境という重要な位置にあったこともあり、刈谷の城下は発展してゆくことになる。
 ただ、家康の母親が生まれたところにしては、江戸時代はあまり恵まれなかったようで、3万石から5万石程度の小藩にとどまり、明治を迎えることになった。
 基本的には商業の町として発展してきた刈谷だけど、ちょっと意外なことに豊富な地下水を利用した酒造業も盛んだった。明治村にある巨大な酒蔵の菊の世広瀬酒造のあの建物は、もともと刈谷にあったものだ。
 明治の東海道本線開通によって刈谷の町は更なる発展を遂げ、戦中は空襲にやられず、戦後の豊田自動織機の誘致以降は、工業都市としての色合いを強めていった。

 そんな刈谷なわけだけど、刈谷駅で降りたのは初めてだった。街の中心地もまったく知らなくて、風景は新鮮だった。
 刈谷市民総踊りの前後と合間で、少し駅周辺を歩いてみた。今日はそのときに撮った写真を紹介することにしたい。
 これらが刈谷を代表する風景というわけではない。むしろ、刈谷を知っている人にとっては意外に映るかもしれない。私が惹かれた部分だけを切り取って集めているから、とても偏った姿になっている。けど、これもまた、現在の刈谷の姿の一部には違いない。
 一枚目は、空を映すビルの壁面だ。空ビルと名付けた。普段は無機質であろうビルが、このときはメルヘンチックな姿になった。

刈谷の町並み-2

 駅を少し離れたところから見た様子。
 かなり小綺麗で、近代的な町並みになっている。ここ10年以内に再開発されたような姿だ。昔の刈谷駅をまったく知らないから、どんなふうに変わったのかは分からないけど、想像していた以上に都会だった。
 手前の蓋(マンホールではないのか)には、市の花であるカキツバタが描かれている。カキツバタというと、知立にある無量寿寺のイメージが強いけど、刈谷には小堤西池があるから、譲れないところだろう。知立市も市の花はやっぱりカキツバタだ。

刈谷の町並み-3

 市民総踊りが行われた東陽町から新栄町にかけての商店街は、昭和の名残が色濃く、さびれている。近くにできたアピタの影響も大きかったのだろう。
 ここは男子専科の洋品店だ。まだがんばっている。中学の頃に流行った薄手のハイネックとかも売っていそうだ。

刈谷の町並み-4

 喫茶カラオケのNAHA。
 店の前で立っているのは、店主だろうか。
 カラオケというと若者の文化と思いがちだけど、この手の店は違う。昼間からおじいちゃんやおばあちゃんたちが集う店だ。カラオケボックスではなく、昔のカラオケスナックに近い感じなのだろう。

刈谷の町並み-5

 二階の窓から睨みつけるように祭りを眺める中華屋の親父さん。
 古い店の佇まいや風貌が渋い。手の位置がちょっとかわいい。

刈谷の町並み-6

 継ぎ接ぎとはまさにこのことで、手作り感溢れる家だ。
 平行な部分はまだよかったのだけど、屋根の斜めのラインをどう処理していいのか迷って、最後はなし崩し的に板を打ち付けてしまった。とりあえず全面を覆うことには成功している。下からではなく、屋根の方から始めていれば、もう少しきれいに仕上がったかもしれない。

刈谷の町並み-7

 アパートの入り口と、突き抜けた先にあるのは小さな中庭だろうか。
 歴史を感じさせるアパートにも心惹かれるものがある。

刈谷の町並み-8

 商店街のアーケード。
 新旧入り交じって、味わいになっている。
 メモリカードエラー! というのが何を意味しているのか分からなかった。エラーを直してくれるのか、エラーに注意しろということか。

刈谷の町並み-9

 刈谷の町並みには、なんとなく味がある。特にこれといった特徴があるわけではないのに、ところどころに魅力が見え隠れする。
 空襲で焼けずに、歴史がそのまま積み重なっているというのもあるかもしれない。

刈谷の町並み-10

 祭り会場の一本裏手に、こんないい路地があった。最近、たくさん路地を歩いているから、路地を見つけるのが上手くなってきている。
 愛知製銅の工場と住宅地の間にできた細い道が、生活路として残ったようだ。

刈谷の町並み-11

 住人以外がこの道を通る必然性はまったくない。近道でもなく、迂回路のような道で、住人が表で出るためだけの道だ。
 だから、すっかり油断がある。そこがまたいい。この路地は、いい路地だ。

刈谷の町並み-12

 夜に撮ったビル。住宅かもしれない。
 夜になると、また一段と雰囲気が増す。

刈谷の町並み-13

 喫茶カラオケNAHAの夜の顔。
 夜もコーヒーというわけにはいかないから、お酒を出すスナックになっていると思われる。
 NAHAは、那覇から来ているのだろうか。そう思うと、なんとなく沖縄風のような気がしないでもない。

刈谷の町並み-14

 夜の刈谷駅前。近代的だ。
 正面が駅で、右の建物は、みなくる刈谷という複合商業ビルだ。
 この駅前の様子を見ると、刈谷はけっこう潤っているらしいという話が信じられる。

 私が撮った写真が刈谷の本当の姿を伝えているとは思わない。ただ、刈谷の町を撮るのが楽しかったのは間違いない。短時間ではあったけど、収穫も多かった。また機会があれば、再訪したい。
 今回も写真がまだ残っているから、追記に載せておく。写真の在庫が多すぎるから、先を急ぎたい。

サンバダンサーに群がるカメラマンの熱気 <刈谷市民総踊り・後編>

イベント(Event)
刈谷市民総踊り2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / PENTAX-M 50mm f1.4



 男性陣お待ちかねのサンバチームが登場すると、あたりはにわかに騒然とし始めた。カメラマンたちは歩道を飛び出し、サンバチームに群がり、不祥事を起こした芸能人を取り囲む報道カメラマンのごとくシャッターを切りまくるのであった。警備員の制止も聞きはしないぞ、お父さんたち。その熱意は、サンバチームのダンスに賭ける情熱をも超えたかもしれない。
 私は彼らの熱気に押され、カメラマンの隙間をつくように、なんとか歩道でダンサーを撮った。ちょっと照れつつ。
 このダンスチーム目当てに訪れた人も多かったようで、サンバチームの演技が終わると、潮が引くようにカメラマンたちはいなくなってしまった。嵐が来て、一瞬で去ったみたいで、ちょっと驚いたのだった。

刈谷市民総踊り2-2

 ダンスチームのメンバーは、ブラジルの人や日系ブラジル人たちのようで、普段からサンバを踊っている人たちだそうだ。
 若手から小さな女の子まで踊っていた。

刈谷市民総踊り2-3

 衣装はド派手ながら、セクシーさは抑え気味になっている。本場の人たちはほとんど半裸状態だったりするけど、市民祭りだからこれくらいだ。

刈谷市民総踊り2-4

 第二部は日没後30分以上経った7時前からで、夜の部は暗くて撮るのが困難だった。
 三脚も持ってはいたけど、手ブレよりも被写体ブレで三脚の出番はなかった。K10DはISO400までしか実用にならないので、余計に厳しかった。高感度ノイズが少ないデジなら、ISO1600以上で撮りたいところだ。

刈谷市民総踊り2-5

 横笛の人たち。

刈谷市民総踊り2-6

 日が暮れてからは少し涼しくなって、おばさまたちも元気を取り戻した。
 写真を別にすれば、祭りの踊りは夜になってからが本番だ。暗い方が気分が出る。

刈谷市民総踊り2-7

 5色くらいのライトで照らしているのだけど、これはあまりありがたくなかった。踊り子さんが赤や青や黄色に染まってしまって、写真を撮るには向かない。
 ところどこに白色の電灯を設置しているものの、ちょうど都合良く狙っている人をそこで撮れるわけではない。

刈谷市民総踊り2-8

 これはまだ上手く撮れた方だ。マニュアルフォーカスのレンズでは、暗くてピントが合っているのかどうかファインダーで確認できず、ピンぼけ写真を大量生産してしまった。50mmレンズもAFにしなければいけないか。

刈谷市民総踊り2-9

 絞り優先ではシャッタースピードが遅くなりすぎて写真にならないので、シャッタースピード優先の1/60や1/50で撮った。
 暗いところで撮るとこんなことになってしまう。これはこれで写真としては面白いのだけど。

刈谷市民総踊り2-10

 白色ライトを探し歩きながら、ちょうどいいタイミングでチームが通りかかるのを待つ。
 少しピンずれがあるものの、これくらいが精一杯だった。

刈谷市民総踊り2-11

 撮りたいチームが撮れないもどかしさ。もはや踊り子さんの表情を捉えるとか、そういうことではなくなった。

刈谷市民総踊り2-12

 どうせブレるなら、これくらいブラした方がいい。この写真は嫌いじゃない。

刈谷市民総踊り2-13

 昼間も撮った青年会議所のアイドルだ。夜でも目立つとは、さすがだ。

刈谷市民総踊り2-14

 なんだかんだで第二部も無事に終了して、最後はコンテストの結果発表となった。
 私はここまでで、会場をあとにした。
 刈谷市民総踊りを撮りに行って思ったのは、やはり、どまつりの借りはどまつりでしか返せないということだった。それがはっきり分かっただけでも、刈谷に行ったかいはあった。
 けっこう撮れたし、刈谷は刈谷で良かった部分もある。来年へ向けてのいい練習になった。サンバチームも見られたし、写真を撮るのも楽しかった。

 本編で使い切れなかった写真が少しあるので、今回も追記(More)に載せておくことにする。

刈谷市民総踊りはローカル縮小版どまつり風 <前編>

イベント(Event)
刈谷市民総踊り1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 先週の土曜日(9月4日)、刈谷市民総踊りへ行ってきた。
 マイナーな祭りだから、愛知県民の間でも知る人はあまり多くないと思う。地元ローカルの踊りのお祭りだ。
 どまつりで今ひとつ写真が撮れずにもやもやした気持ちが残っていて、刈谷でも踊りの祭りをやるというのを知って、撮りに行きたくなった。
 どまつりは全国レベルで、刈谷は市民祭りだから、比較するのは違っているかもしれないけど、どまつりを愛・地球博とすると、刈谷市民総踊りはリトルワールドだった。似てるんだけどねぇ、違うよなぁ、やっぱり、といった感じだった。
 それでも、観客が少ない分、撮りやすさは比較にならないほどだった。自由に移動しながら撮れるから、ここで撮れなければ自分のせいだ。状況を言い訳にはできない。背景があまりよくないのがマイナス要素ではあった。
 で、今回こそ思い通りに撮れたかといえば、ちょっと微妙なところだ。もう一回、どまつり撮らせてくれないかなと言い訳がましい気持ちを抱きつつ、撮ってきた写真を提出するしかない。あまり、自信はない。
 この日のテーマとして、踊り子さんの表情を撮るというのを考えていた。ただ、人は常に動いていて、表情も変化するから、狙い通りの一瞬を的確に捉えるというのは難しい。狙った人物を中心に据えるのさえ、簡単じゃない。ピントずれもあるし、手ブレも起きる。沿道からでは300mmでも足りないことが多々ある。ある程度連射して、偶然頼みになってしまう。
 やはりダンスパレードを撮るのは難しいことなのだ。どまつりで上手く撮れなかったのは当たり前だ。あと1、2回撮れば、もう少し撮れるようになるとは思う。だいたい分かりましたよ、といったところだ。
 欲を言えば、チームの関係者になって、前や横から撮りたい。近くから広角で撮ると、また違った写真になるはずだ。

刈谷市民総踊り1-2

 キュートな女の子は、集団の中でもよく目立つ。
 刈谷青年会議所のはっぴを着て踊っていたから、青年会議所のアイドルと見た。

刈谷市民総踊り1-3

 踊りにはまったく詳しくないので、みんな何踊りをしているのかよく分からない。
 よさこいと、ソーランの区別もつかないし、それぞれがどんな踊りなのかも知らない。
 刈谷市民総踊りに決まった踊りの型とかはあったのだろうか。
 どまつりほどのクオリティはなかった。

刈谷市民総踊り1-4

 キッズ総踊りというのもあって、地元小学生たちが学年ごとに分かれてチームとして踊っていた。一緒に踊っているのは、お母さんたちだ。
 この日の名古屋の最高気温は38度だった。刈谷はそこまで暑くなかったけど、それにしても9月とは思えない暑さだった。

刈谷市民総踊り1-5

 通りは東西の筋で、順光でも逆光でも好きな方から撮れた。人物は、逆光の方が印象的な写真になる。

刈谷市民総踊り1-6

 これも逆光。やっぱり逆光はいい。

刈谷市民総踊り1-7

 このチームは、どまつりのときにも見たと思う。写真も撮ったあのチームのメンバーじゃないだろうか。チーム名はよく知らない。

刈谷市民総踊り1-8

 基本的に女の子狙いで男は最初から探していないのだけど、男子も撮ってみればなかなか絵になるものだ。祭りの男は何割増しかで格好良く見える。

刈谷市民総踊り1-9

 ちょっと亀梨くん風。

刈谷市民総踊り1-10

 どまつりよりも年齢層は幅広く、おばさまたちの割合もぐっと多い。
 名前の通り、市民総踊りの祭りだ。
 もともとは刈谷わんさか祭りの初日に行われていた刈谷総踊りを独立させたものだそうだ。このスタイルになったのは、2007年からだろうか。
 今年は2,500人の踊り子が参加したという。
 チャレンジ部門と、エンジョイ部門に分かれてエントリーしていて、パレードしながらのコンテスト形式になっている。
 優勝は、刈谷 魁というチームだったようだ。どまつりにも出ていたはずだ。ネットの動画を見たら、赤い旗を振る白い衣装のチームだ。見たような気もするけど、写真には残っていない。

刈谷市民総踊り1-11

 休憩中の踊り子さんたち。
 この装束は見覚えがある。伝統的な踊りの衣装ではないか。阿波踊りはこんなではなかったか。あれは笠が違うか。とすると、よさこいとかだろうか。
 もう少し、踊りの勉強もする必要がありそうだ。

刈谷市民総踊り1-12

 第一部が終わって、ブレイク中。こういうブレイクのシーンも撮りたい被写体だ。
 少し間があったので、その間に周辺を散策して町並みの写真を撮った。

刈谷市民総踊り1-13

 第二部が始まる前。
 先頭は阿波踊りだろうか。それに続くのが分からない。おわら風の盆がこんな感じのような気もする。

 このあと第二部が始まり、夕刻から夜になり、写真を撮るのが困難になっていった。
 そのときの様子は、また次回ということにしたい。
 昼の部の写真がまだ残っているので、追記(More)に載せておく。

個別撮りサンデー料理

料理(Cooking)
個別撮りサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日のサンデー料理のテーマは、料理そのものではなく、写真の撮り方だった。
 これまでずっと、サンデー料理の日は、基本的に一枚の写真で済ませていた。全体が写っていれば充分だろうということで、そうしていた。
 ただ、後ろの皿の料理がはっきり写ってないことも多く、それが気にはなってはいた。料理サイトを見たとき、作ってみたいと思うのはレシピの文章よりも写真の第一印象が決め手になるもので、そう考えると3品それぞれ個別に撮った方がいいのかもしれないと思い始めた。だいぶ前からその気持ちはあったのだけど、これまでの習慣もあって、そのままのスタイルを続けていた。
 今回、実験的に1品ずつ撮るスタイルを試みることにした。この方がよさそうなら、今後は単独撮りにしてもいい。写真の枚数が多くなってしまうけど、分かりやすいに越したことはない。
 料理の内容に関しては、今週もノーマルなサンデーだった。特にこれとったテーマはなく、食べたいものを作って食べた。

 1品目は、マグロと豆腐の甘辛炒め煮だ。
 オリーブオイルでニンニク、ショウガを炒め、長ネギの白い部分を焼く。
 マグロは塩、コショウ、白ワインを振りかけ、少し置く。
 マグロとサイコロ切りした絹ごし豆腐を加え、白ワイン、みりん、しょう油、白だし、塩、コショウ、砂糖、唐辛子で味付けをしながら炒める。
 シンプルだけど安心感のある美味しさだ。
 ビタミンB群も意識した料理になっている。

個別撮りサンデー2

 これは失敗したナス料理だ。でも、失敗したからまずくなるかといえばそうと決まったわけではなく、形は崩れても美味しいことはある。これもそうだった。
 ナスのシーチキン挟み揚げの予定が、ぐずぐずになって、なし崩し的に揚げ焼きになった。
 ナスはしばらく水にさらす。
 シーチキンにとろけるチーズと刻みタマネギを混ぜ、塩、コショウ、中華の素で軽く下味をつける。
 それをナスの間に挟んで、天ぷら粉をつけて揚げたのだけど、途中で中身が出てきて収集がつかなくなった。爪楊枝を差すだけでは駄目だった。天ぷら粉がゆるすぎたかもしれない。
 油からナスを救い出して、油切りをして、フライパンで炒め直した。
 ナスは油を吸うと旨みを増すから、結果的には美味しくなった。

個別撮りサンデー3

 もう1品は、中華風の野菜炒めみたいなものだ。
 ごま油で、ニンジン、タマネギ、鶏肉、キャベツ、カボチャを炒める。
 ニンジンとカボチャは炒めるだけだと柔らかくならないので、下茹でしておく。
 後半に切ったトマトを加える。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、黒コショウ、砂糖、カレー粉、うこんで味付けをする。
 最後に溶き卵を入れて、半熟で止めたらできあがりだ。

 料理の写真は、やはりアップにした方が美味しそうに見える。
 ただ、すべてをアップにしてしまうと、量が分かりづらいのと、全体のバランスが見えなくなる。
 撮り方にももう一工夫必要だし、全体の写真もあった方がよさそうだ。となると、4枚構成ということになるだろうか。やや煩雑になる気もするけど。
 とりあえずしばらくは個別撮りをしてみようと思っている。またそのうち元に戻すかもしれない。
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