月別:2010年07月

記事一覧
  • 甲子園出場校と戦ったという思い出 <後編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 ピッチャーはマウンドで孤独だというけれど、外野手の孤独というものもある。ピッチャーは大勢に注目され、見守られもする。キャッチャーも内野も、声をかけてくれる。それに比べて外野手は、球が飛んできたときしかかえりみられることがない。話し相手もいない。バンザイでもしたら恥ずかしくて仕方がないし、ピッチャーがフォアボールを連発していると退屈で嫌になる。ベンチとの往復も...

    2010/07/31

    スポーツ(Sport)

  • 長くて短い夏は終わった <前編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 しかし、また、派手にやられたもんだな。スコアボードを見て、思う。 去年の甲子園優勝校では、いかにも相手が悪すぎた。 一度高校野球を撮ってみたいという思いは去年からあった。ただ、今年になってもなかなか足が向かず、どうしたものかと思っていたところ、出身校が珍しく4回戦まで進み、ちょうどいい時期にいい場所で試合をすることになった。一宮の七夕まつりを見...

    2010/07/30

    スポーツ(Sport)

  • 夏動物園の後編はとりあえず写真だけ

    NIKON D80+TOKINA 60-300mm f4-5.6 / TAMRON 90mm f2.8 今日は疲れと、自分の間抜けな失敗で、力尽きた。もう余力が残っていないので、写真だけ並べて終わりにする。明日までに復帰できたら、文章もつけたい。 今日はここまでとする。 また明日。...

    2010/07/29

    動物園(Zoo)

  • 夏の動物園風景 <前編>

    NIKON D80+TOKINA 60-300mm f4-5.6 ちょっと故あって、NIKONのD80を手に入れた。 NIKONとはあまり相性がよくなくて、D70は少し使っただけで手放してしまったし、D100はけっこう好きだったのにあまり活躍の場がなかった。その後、NIKONからはたくさんのデジが発売されたけど、縁がないままだった。 せっかく買ったからには使いたい。とはいえ、S2proで使っていたNIKONのFマウントレンズもほとんど手元には残っておらず、唯一あっ...

    2010/07/27

    動物園(Zoo)

  • 一宮の七夕まつりは織物感謝祭が始まり <第2回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8 一宮でどうして七夕まつりが行われるようになったかというと、尾張国一宮である真清田神社(ますみだじんじゃ)を抜きには語れない。 真清田神社の創建ははっきりしていない。延喜式には眞墨田神社とあり、少なくとも平安時代にはすでにあったことが分かる。 古くから尾張国の一宮とされていて、一宮市の名前もそこから来ている。一宮の街は、真清田神社の門前町として栄え...

    2010/07/27

    風物詩/行事(Event)

  • イメージで作る田舎料理サンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 自分の料理が油断すると茶色くなることは、前から自覚していた。彩りを考えずに作ると、自然と茶色い料理になる。みんなそうなのか、自分だけが特別なのか、よく分からないけど、私にその傾向が強いのは間違いなさそうだ。 茶色い料理はおばあちゃんの田舎料理というイメージがある。実際はどうなのだろう。田舎に住むおばあちゃんでもハイカラでカラフルな料理を作る人はたくさんいるだろう。...

    2010/07/26

    料理(Cooking)

  • 一宮の七夕まつりに行ってきました報告写真 <1回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8 ふと思い立って、一宮の七夕まつりに行ってきた。 今年はどこか七夕まつりに行こうと考えていて、日程や場所がちょうどよかったのが一宮だった。日本三大七夕まつりのひとつとされていることだし、まだ一度も行ったことがなかったから、一度見ておきたいという気持ちは前から持っていた。 その前に瑞穂へ高校野球を撮りに行ったのだけど、その話はまた近いうちにするとして...

    2010/07/25

    風物詩/行事(Event)

  • 松阪の町を歩きながらあらためて松阪のことを知る <後編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 今日は松阪散策の後編、旧伊勢街道の続きから。 しっとりと落ち着いた格子の家もある。古いものが必ずしも良いとは限らないけど、歴史のある町の良さというのは残していく方向でいいんじゃないかと思う。今の時代にこんな格子の家を建てても、本物感は出ない。時代を経たからこその説得力というものがある。 松阪の町は、蒲生氏郷が築いた松阪城の城下町として整備され、江戸時代にはお伊勢参...

    2010/07/23

    観光地(Tourist spot)

  • 松阪は生まれた町なのにストレンジャー<前編>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 もう一度、松阪の町を歩き直さなくてはいけないと、ずっと前から思っていた。 松阪は、私が生まれた町だ。もう少し正確に言うと、父親の生家が松阪の奥の多気郡勢和村に、母親の生家が三瀬谷にあって、私は松阪の病院で生まれている。 しばらく三瀬谷で過ごしたあと、一家で名古屋に引っ越したので、松阪で育ったわけではないのだけど、小さい頃から、毎年夏と冬は勢和村の祖父母の家に行って...

    2010/07/23

    観光地(Tourist spot)

  • のれんがかかる夏の奥津を歩く

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 伊勢奥津駅を南へ少し下ると、道標の立つ伊勢本街道にぶつかる。 名松線の行き止まりということで、山奥の行き止まりを想像していたら、ずいぶん趣が違った。かつてこの場所は、伊勢本街道の宿場町として大いに賑わったところだという。 この道は、大和と伊勢を結ぶメインルートだった。垂仁天皇の時代、天皇の皇女・倭姫命(ヤマトヒメ)が、天照大神の鎮座する場所を探して伊勢に向かうとき...

    2010/07/22

    観光地(Tourist spot)

  • 伸ばすつもりが縮んでまた縮んだ名松線の旅

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 人は行き止まりの先に何もないと分かっていても、そこへ行きたがるようにできているらしい。何もないことを自分の目で確かめたいからなのか、行き止まりだからこそ心惹かれてしまうのか。アントニオ猪木が言うように、行けば分かるさ、ということだろうか。 名松線(めいしょうせん)のことを意識するようになったのは、確かおととしだった。一度終点まで乗ってみなければいけないだろうなとぼ...

    2010/07/21

    観光地(Tourist spot)

  • 四日市コンビナート風景セカンドラブ

     恋も二度目なら少しは上手に愛のメッセージ伝えたい。中森明菜も、そう歌っていた。 四日市コンビナートも二度目なら少しは上手に魅力を伝えたい。私のその思いは伝わるだろうか。 初めて四日市コンビナートの夜景を撮りに行ったのは、去年の9月のことだった。その官能的なまでの工場美に魅せられて感動した一方で、もっと上手く撮れたはずなのにというもどかしい思いが残った。次こそはという思いを抱きつつ、あれから10ヶ月...

    2010/07/19

    観光地(Tourist spot)

  • 考えずに作るお手抜きサンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 昨日の旅もあり、明日が祝日ということもあって、今週は変則的な週末になった。サンデー料理を作る時間はあったものの、メニューを決める時間がなかった。冷蔵庫にある食材を使って、思いつくままに作ったのが、今日の3品だった。 これはもう、お手抜きとしか言いようがなくて、面倒なことは極力省いた。切る野菜も少なくして、調理方法は、炒めるか温めるかどちらかに絞った。今週はちょっと仕...

    2010/07/19

    料理(Cooking)

  • 日常の中、私の目に映る風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / Takumar 135mm f2.5 今日は電車の旅へ行ってきた。またよく歩いた。 余力が残っていないので、日常写真を寄せ集めて、つなぎ更新としたい。 住宅地の田んぼ風景。 住宅が田んぼをどんどん浸食していく中、残る田んぼもある。あまりいい環境とは言えないけど、こういうところで作られている米は貴重だ。 青々と順調に伸びている。 子ツバメの巣立ちは近い。 10月には南へ渡っていか...

    2010/07/18

    日常写真(Everyday life)

  • 満を持して行ったつもりの名古屋空港でまたも空振り

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 4月に名古屋空港へ行ったときは、南側のエアフロントオアシスで飛行機を待ち、まったく来なくて、消化不良に終わった。次はちゃんと時刻表を調べて行こうということで、もう一度行ってきた。 このときは、北西にある神明公園へ初めて行ってみた。公園内にある航空館boonというのも一度入ってみたいと思っていた。 神明公園は、飛行機を見る人のことを考えて作ったのだろ...

    2010/07/16

    施設/公園(Park)

  • 矢田川沿いから庄内緑地へ向かう

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / Takumar 135mm f2.5 矢田川の河川敷を庄内緑地に向かって自転車で走っていたら、途中からゴルフコースになった。そんなことってあるだろうか。 このまま進んでいいのかどうか迷って、いったん立ち止まる。けど、この風景、美しい。普通のゴルフコースは、周囲を森林に囲まれているものだけど、コースの向こうに建物が見えるというのが新鮮に映った。ちょっとセント・アンドリュースみた...

    2010/07/16

    街(Cityscape)

  • 愛知縣護國神社とその周辺の写真

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / DA 55-300mm 以前に一度、目の前まで行きながら中に入らなかった愛知縣護國神社。伏見のキヤノンギャラリーへ行った日の帰りに行くことができた。ずっと行けずにいたことがなんとなく心に引っかかっていて、今回入ることができて心のつっかえが取れた。 場所は丸の内の官庁街で、すぐ西には移転した家庭裁判所と地方裁判所がある。どうしてこんな官庁街のまっただ中にあるのか不思議に思うけ...

    2010/07/15

    名古屋(Nagoya)

  • 一見の価値がある名古屋市市政資料館

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 一度行かなくてはいけないと思いつつ、なんとなくきっかけがないまま先送りになっていた名古屋市市政資料館。この前、キヤノンギャラリーへ行ったとき、方向がついでだったので、ようやく行くことができた。 見てきた感想としては、やはりここは一度見ておかなくてはいけないところだったな、というものだった。名古屋の人も、そうじゃない人も、一見の価値がある。 今日は、その名古屋市市政...

    2010/07/14

    名古屋(Nagoya)

  • 雨の合間のち土砂降りのハス下見撮り

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 雨がやんだ隙を突いて、長久手のハスを撮りに出かけた。時間があれば午前中に行こうと思っていたのだけど、まずは下見ということで出向いてみた。はっきりした場所が分からなかったので、それを確認する意味もあった。 長久手温泉「ござらっせ」の近くという、やや曖昧な情報を頼りに現地に到着した。このあたりは毎年、田植えが終わる5月にアマサギを撮りに行って...

    2010/07/13

    花/植物(Flower/plant)

  • ウルグアイ敗退で普通のサンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 先週の予定では、今日はウルグアイ料理に挑戦する予定だった。けれど、ウルグアイは準決勝で負け、3位決定戦にも敗れてしまい、私の中でもウルグアイは勢いを失ってしまった。 少し調べたところ、ウルグアイ料理は難しいというか、作りたいと思える料理がなかった。 やはり牛肉がメインで、メニューがどれも肉々しい。肉とご飯と桃とレーズンを煮込んだものとか、肉と野菜をコッペパンに挟んだ...

    2010/07/12

    料理(Cooking)

  • 小幡緑地と行き帰り

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 矢田川の河原風景。 昔は雑草が生い茂っているだけで何もない河原だったけど、緑地として整備されてからは、だんだん人が集まってくるようになった。街中にこれほど広い公園はないから、散歩するにしても、スポーツをするにしても、貴重な場所となっている。特に大人にとって、矢田川の河原はありがたいところだ。街の公園よりも気軽に行けて、のんびり過ごすこと...

    2010/07/11

    施設/公園(Park)

  • 7月の小幡緑地の人と虫の風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 近所にあるいくつかの公園や緑地の中で、一番相性がいいのが小幡緑地の本園だ。行けば何かしかの収穫があるから、他に行くところが思いつかないときはここへ行くことが多い。自転車でも気軽に行ける距離というのも大きい。 小幡緑地本園には大小3つの池があり、川の流れがあり、湿地もある。多様な水の風景があるのが、相性の良さにつながっているのだろう。春夏秋...

    2010/07/10

    施設/公園(Park)

  • 名古屋城経由の帰り道風景

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 伏見へ行った日の帰り道は、名古屋城の方を回って帰った。植物園編と前後してしまったけど、今日はそのときの写真を紹介したいと思う。行き名古屋市政資料館も寄っていったから、そのときの写真もいずれ近いうちに。 名古屋城と名城公園は、名古屋の桜名所の一つとなっている。けど、なんとなく桜の時期には縁がなくて、名古屋城の桜はほとんど見たことがない。遠くからちらっと見たことがある...

    2010/07/09

    街(Cityscape)

  • 植物園の7月は日本の夏 <東山植物園・後編>

    Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8 MACRO 7月の東山植物園の後編は、合掌造りの家からの再開となる。 どうして白川郷の合掌造りの家が植物園に移築されたのか、とても唐突な感じがして最初は違和感があった。けど、植物園に通っているうちに、ここのありがたみが分かってきた。季節によって小さな変化などもあって、花の少ない時期でも楽しませてくれる。 岐阜の山奥の白川郷は遠すぎて簡単にはいけない。こうやって身近で本物の...

    2010/07/07

    動物園(Zoo)

  • 夏が来たからハッチョウさんに会いに行こう <東山植物園・前編>

    Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8 MACRO 季節は進み、一年の後半に入った。梅雨はまだもう少し続くようだけど、ときどき晴れる日もあって、だいぶ暑くなってきた。30度を超える日が増え、本格的な夏を実感する。 夏の風物詩はあれこれある。花であったり、食べ物であったり、空であったり。私の中で一つ大切なものとして、ハッチョウトンボがある。あの赤くて小さなトンボとの再会を果たすと、いよいよ今年もまた夏が来たかと思う...

    2010/07/07

    動物園(Zoo)

  • 色々な不思議があった名鉄・東名古屋港駅

     碧南をあとにした頃には、もうだいぶ日も傾き始めていた。名鉄の旅も終盤で、あとはセントレアへ行って飛行機を撮るだけだった。 とその前に、少し気になる駅があった。神宮前と中部国際空港とをつなぐ常滑線の途中、大江駅からちょろりと一駅だけ伸びている線がある。築港線という名前の路線で、駅は終点の東名古屋港駅のみ。 日没まではまだ少し時間があったので、試しに行ってみることにした。予備知識はほとんどなかったけ...

    2010/07/06

    旅/散策(Stroll)

  • パラグアイ料理を作ってパラグアイを少し知ったサンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 ワールドカップ日本対パラグアイ戦が終わってまだ一週間も経たないのに、なんだか遠い出来事のように感じる。そのパラグアイも、PKを外してスペインに負けて、姿を消した。 今更パラグアイ料理というのも、なんだか間が抜けているような気がしないでもないけど、せっかくパラグアイについて少し勉強をして、料理のことも調べたので、一度は作ってみることにした。ここで作っておかなければ、こ...

    2010/07/05

    料理(Cooking)

  • 碧南へ行ったら油ヶ淵も見ておきたい <名鉄の旅・第11回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8 碧南散策の後半は、油ヶ淵行きだった。 碧南駅から3つ戻って新北川駅で降りる。ここから油ヶ淵までは2キロちょっと。普段なら大したことはない距離も、ここまでに御油宿、赤坂宿、本宿、碧南の町と歩いてきて、だいぶダメージが蓄積されていて、きつかった。足取りも重く、ここでの往復5キロ、2時間近くはけっこうこたえた。 駅から市内無料循環バスのくるくるバスとい...

    2010/07/04

    観光地(Tourist spot)

  • 碧南の海エリアに向かう <名鉄の旅・第10回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 碧南編の続きは、西方寺からの再開となる。 室町時代後期の1496年、隣村にあった光照寺をこの地に移して、西方寺と名を改めた。その際、天台宗から浄土真宗に改宗している。 碧南編の一回目で紹介した楼閣は、この西方寺のものだ。 明治の宗教哲学者、清澤満之(きよざわ まんし)は西方寺の清澤やすと結婚して(旧姓・徳永)、最後は肺結核を患い、西方寺で没している(39歳)。 門の向か...

    2010/07/03

    観光地(Tourist spot)

  • 好きになるのに理由はいらないのは人も町も同じ<名鉄の旅・第9回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 碧南(へきなん)という名前は、僻地の南を意味する、のではない。名古屋から見るとなんとなくそんな気がしないでもないけど、そうではない。碧海郡の南部にあったことから、碧南市と名づけられた。 西には衣浦港、南は三河湾、北には油ヶ淵があり、東は矢作川で西尾市と隔てられている。愛知県でもこれほど多彩な水に囲まれた地域というのは他にないだろう。市の大半が埋め立て地だから、必然...

    2010/07/01

    観光地(Tourist spot)

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甲子園出場校と戦ったという思い出 <後編>

スポーツ(Sport)
高校野球2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 ピッチャーはマウンドで孤独だというけれど、外野手の孤独というものもある。ピッチャーは大勢に注目され、見守られもする。キャッチャーも内野も、声をかけてくれる。それに比べて外野手は、球が飛んできたときしかかえりみられることがない。話し相手もいない。バンザイでもしたら恥ずかしくて仕方がないし、ピッチャーがフォアボールを連発していると退屈で嫌になる。ベンチとの往復も遠くて疲れる。
 だから、外野手はしたくないと思っていた。いつもピッチャーか、ショートくらいしかしなかった。サードは打球が強烈で怖いので避けた。セカンドも楽でいい。
 この試合、長久手の外野手たちは試合を長く感じただろうか。それとも、短く思えただろうか。15失点の多くは外野に球が飛んだし、時間にすると試合は1時間ちょっとで終わった。
 外野の守備がザルでは試合にならない。けれど、外野の守備が試合の勝敗を分けることはあまり多くない。それでも、外野手が好きな人もいる。好き嫌いや、何に喜びを見いだすかは人それぞれだ。
 外野手としての生き様といったものもある。たとえば、イチローのように。

高校野球2-2

 長久手のバッターも、ときどきいい打球を飛ばしていた。三振ばかりできりきり舞いしていたというわけではない。惜しい外野フライもあった。
 だから、終わったとき、ノーヒットだったという印象はまったくなかった。四死球で塁も賑わしていたから、あと一本出れば点が取れたシーンも何度かあった。

高校野球2-3

 2塁にいったときもあった。ユニフォームも汚れているし、ヘッドスライディングをしたということだ。

高校野球2-4

 やや盛り上がっている応援席。
 けど、やっぱり点が入っていないので、大いに盛り上がるということはなかった。
 向こうの点が重なっていくごとに元気はなくなっていった。三塁側のスタンドもだんだん空気が重くなった。

高校野球2-5

 エースで四番の中鶴も、この日は音なしだった。何しろ、全員、二打席しか回ってこなかったのだ。もう一打席くらい打ちたかっただろう。

高校野球2-6

 三塁ベースコーチの背番号16。
 昔、甲子園のベンチ入りは15人までだった。最近は増えて18人になった。地方大会は県によって違うようだけど、20人のところが多い。
 中京くらいになると、部員数も100人を超えてるんじゃないだろうか。ベンチ入りするだけでも大変だ。
 長久手はスタンドにユニフォームを着ている部員が何人かいたから、30人くらいはいるのだろう。
 前の試合で東邦に善戦した南山は部員数が17人だという。
 高校野球における背番号というのは、ある意味、残酷なものでもある。

高校野球2-7

 中京打線は止まらない。大きいのは狙わず、コンパクトに振り抜いてくるから、簡単にヒットが出る。そして、それがつながる。

高校野球2-8

 点差が開いても容赦はなく、盗塁を絡めながら、ランナーは次々に帰ってくる。

高校野球2-9

 さすがにピッチャーの中鶴もがっくりといった様子が見て取れた。自分の球がこうもあっけなく打ち返されるとは思わなかっただろう。
 それでも、最後まで我慢強く投げていた。

高校野球2-10

 代わった二番手のピッチャーもコントロールが悪く、フォアボールを出していたから、なんとか1点と思ったけど、やはり打つことはできなかった。序盤でヒットが出ていれば、もう少し楽に打てたかもしれない。

高校野球2-11

 5回の表、長久手は点を取らないとコールド負けになってしまう。ツーアウトで、バッターは三番。ネクストで待つのは四番の中鶴。
 なんとか自分まで回してくれと願っていただろう。

高校野球2-12

 最後は自然と一塁へのヘッドスライディングになってしまうらしい。そうしようと決めていたわけではなくても、体が勝手にしてまうんじゃないだろうか。

高校野球2-13

 整列が解けて、ベンチに戻る長久手の選手たちに涙はなかった。あまりにもきっちりやられてしまって、ちょっと恥ずかしいくらいの感じだったかもしれない。4回戦まで進んだことで、満足してしまったところもあっただろうか。

高校野球2-14

 中京の校歌斉唱。
 このあとも中京は危なげなく勝ち進み、今日の決勝も完勝して、甲子園行きを決めた。
 長久手の選手たちは、よかったと思ったんじゃないか。やっぱり強かったんだと、あらためて納得もしただろう。
 中京が負ける姿というのはあまり想像ができないのだけど、甲子園に行けば上には上がいるに違いない。少し不安要素がある投手陣が打ち込まれて、打線でカバーしきれずに負けるというパターンはありそうだ。

高校野球2-15

 応援ありがとうございましたの挨拶。
 学校ぐるみで応援にいきましょうという話は出なかったようで、スタンドに学生の姿は少なかった。

高校野球2-16

 野球部のマネージャーか、自主的に応援に来た学生か。
 ベンチ側の観客席にいると、自分たちのベンチの中を撮れないのが残念だ。途中で反対側に回ってもよかったかもしれない。

高校野球2-17

 試合後の球場前。
 関係者や観客の多さに、やっぱり野球部というのは部活動の中でも特別なものだとあらためて思う。他の部活に比べて、注目度がまったく違う。

高校野球2-18

 高校野球を撮るというのは、思ったよりも楽しくて、難しくもあった。一度経験すれば分かることもたくさんあったから、次回はもう少し撮れそうな気がしている。甲子園となると、広すぎるし、人も多いから、なかなか難しいものがあるだろうけど、チャンスがあれば一度観に行きたいと思う。
 2010年の夏の思い出として、高校野球というものがくっきりと記憶に刻まれた。ありがとうとお礼を言いたい。
 また来年、会おう。

長くて短い夏は終わった <前編>

スポーツ(Sport)
高校野球1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 しかし、また、派手にやられたもんだな。スコアボードを見て、思う。
 去年の甲子園優勝校では、いかにも相手が悪すぎた。
 一度高校野球を撮ってみたいという思いは去年からあった。ただ、今年になってもなかなか足が向かず、どうしたものかと思っていたところ、出身校が珍しく4回戦まで進み、ちょうどいい時期にいい場所で試合をすることになった。一宮の七夕まつりを見に行く日で、試合も午後12時半から、場所は瑞穂球場ということで、これ以上ないほどのお膳立てを整えてくれた。せっかく行くならまったく関係のない高校同士の試合よりも、出身校の方が観戦する楽しみもあるし、撮るにしても思い入れを持って撮りやすい。ここはもう、行くしかないと、瑞穂球場へ出向いていった。
 結果は5回コールド負けで、こちらはノーヒットと、やられ放題ではあったのだけど、それでも観に行くことができてよかったと思った。球場の雰囲気も味わえたし、写真を撮るのも楽しかった。
 毎年、1回戦や2回戦で負けている高校だから、3回勝って4回戦までいけたのは上出来と言っていいんじゃないか。中京とやって散ることができたのも、選手たちにとってはいい思い出になったことだろう。同じレベルの公立高校に負けるより、甲子園レベルに完敗する方が納得がいくはずだ。その中京は、その後も相手を圧倒して、決勝に進んでいる。おそらく決勝も勝つだろうし、甲子園でもけっこういいところまでいくんじゃないだろうか。
 写真に関しては、なにぶん初めてということで勝手が分からず、やや通り一遍のものとなってしまった感がある。高校野球が持つドラマチックな部分を切り取れたらいいと思っていたけど、そういったシーンはあまりなく、スタンド観戦レベルでの限界も知った。それでも、多少撮れた部分もあったと思う。

高校野球1-2

 練習を見たときから、負けは覚悟した。
 中京の選手は、キャッチボールの球からしてえげつない。各選手の球がものすごく速いし、遠投も強烈だ。ランニングをしている姿は軍隊みたいに乱れがない。
 私もテニスをしていたとき、試合前の相手選手とラリーをしただけで、これは勝てねぇなと悟ったことが何度かあったけど、あの感じを思い出した。フリーバッティングこそなかったものの、ノックの姿を比べても実力差は明らかだった。
 試合になるかどうかは、ピッチャーの踏ん張りにかかっているなと考えた。高校野球におけるピッチャーの役割は大きい。特に実力が劣っているチームの場合、エースが抑えれば試合になるけど、打たれたらもう試合にならない。

高校野球1-3

 高校野球というと、応援団やチアガールを思い浮かべる。しかし、地方予選にそういったものはないようだ。長久手は応援団といったようなものはあっただろうか。あまり覚えていない。チアリーディング部といったようなものもなかった気がする。
 中京の方もそれらしきものはいなかった。予選だから来ていなかっただけかもしれない。応援は控えの野球部員や生徒たちがメガホンを持ってやっていた。太鼓だけは一人いた。

高校野球1-4

 よろしくお願いします、ということで試合が始まった。
 向こうの方が人数が多いように見えるけど、一人ひとりのガタイが違うから、横に詰めて並んでも20人になると一人分の差になる。

高校野球1-5

 さあ、プレイボールだ。
 三塁側のベンチ上あたり、一番上段の席に着いて、そこから撮影することにした。途中で立ち上がっても後ろに迷惑をかけない場所ということで選んだのだけど、300mmズームでちょうど収まりがいい距離感だった。これでまだいっぱいではなく、もう少し寄れる。
 あと5メートルくらい前でもよかっただろうか。そのあたりに撮影慣れしているらしき人が二人いた。仕事っぽい様子だったから、そのあたりがベストポジションということなのだろう。それ以上前に行くと、手前のネットが邪魔になる。

高校野球1-6

 なんだよ、エース温存か。背番号19が先発だった。2番手でもなかったようで、途中から背番号11が出てきた。次の試合のニュースを見たら、また違うピッチャーが先発していたから、中京はピッチャーが4人いるらしい。そりゃあ、勝てない。

高校野球1-7

 背番号19は、荒っぽいピッチャーで、初回からフォアボールを出し、のけぞるような球を連発し、しまいにはデッドボールを2回も当ててきた。それで長久手はすっかり恐れをなして打てなくなったというのもあったかもしれない。
 ただ、四死球で毎回塁を賑わすものの、ヒットが出ないようでは点は入らない。
 荒れ球が持ち味のピッチャーなのか、たまたま制球が定まらなかっただけなのか。
 せっかくだから1イニングでもエースの投げる球を見てみたかった。背番号1は一塁を守っていて、途中から引っ込んでしまった。

高校野球1-8

 デッドボールが当たったところを、スプレーでシューシュー冷やしてもらっているところ。球は速かったから、けっこう痛かったはずだ。

高校野球1-9

 試合は一方的なペースで進むも、ピッチャーがピリッとしない。中京は中京でもどかしい思いをしていたのだろう。何度もマウンドに集まっていた。そのあたりも、きっちりした野球をやっている印象を受けた。

高校野球1-10

 長久手は、エースで4番の中鶴が頼みの綱だった。4回戦まで勝ち上がったのも、彼の存在あってこそだったに違いない。
 なんとか抑えて欲しいというのがチームや関係者の願いだったのだろうけど、それまで戦ってきたチームとは格が一段も二段も違った。

高校野球1-11

 少し慎重になりすぎてストライクが入らず、フォアボールを連発して、ポテンヒットや犠牲フライで点を取られたことでペースが狂ってしまったようだ。
 それにしても、中京のバッターはみんなよく打つ。振りが鋭いし、大振りしないからヒットが続く。相当高いレベルのピッチャーじゃないと一試合抑え込むのは難しそうだ。
 長久手の守りは悪くなかった。内野のエラーもなかったし、ライトが一度目測を誤ってフライを捕れなかったことはあったけど、それ以外はポロポロするようなことなく、守備は鍛えられいる印象を持った。

高校野球1-12

 中京の主力バッターは、足と肘にプロテクターをつけている。昔は誰もそんなものをつけていなかったけど、最近は当たり前になりつつあるのだろう。身を守ることは大切だ。
 長久手ではピッチャーの中鶴がしていた。他に代わりがいないだろうから、怪我をしたら大変だ。

高校野球1-13

 打って出たランナーがヒットでどんどん帰ってくる。
 あっけないほど簡単に点が入っていく。

高校野球1-14

 マウンドで話し合うバッテリー。
 中鶴としても、長久手としても、なすすべがないといった感じだった。
 控えピッチャーはいるのだろうけど、エースで4番の中鶴が打たれたらしょうがない。結局、最後まで投手交代はなく、一人で15点を取られることになった。

高校野球1-15

 スタンド風景。けっこう観客も入っていた。
 上半身裸のおじさんがいたりするのも、高校野球の観戦風景だ。

高校野球1-16

 この日も灼けるように暑い一日だった。選手たちは、この日の暑さを覚えているだろうか。私はずっとあとまで、見上げた空の青さと白い雲を忘れないような気がする。

 後編につづく。

夏動物園の後編はとりあえず写真だけ

動物園(Zoo)
東山動物園夏2-1

NIKON D80+TOKINA 60-300mm f4-5.6 / TAMRON 90mm f2.8



 今日は疲れと、自分の間抜けな失敗で、力尽きた。もう余力が残っていないので、写真だけ並べて終わりにする。明日までに復帰できたら、文章もつけたい。

東山動物園夏2-2


東山動物園夏2-3


東山動物園夏2-4


東山動物園夏2-5


東山動物園夏2-6


東山動物園夏2-7


東山動物園夏2-8


東山動物園夏2-9


東山動物園夏2-10


東山動物園夏2-11


東山動物園夏2-12


東山動物園夏2-13


東山動物園夏2-14


東山動物園夏2-15


東山動物園夏2-16

 今日はここまでとする。
 また明日。

夏の動物園風景 <前編>

動物園(Zoo)
東山動物園夏1-1

NIKON D80+TOKINA 60-300mm f4-5.6



 ちょっと故あって、NIKONのD80を手に入れた。
 NIKONとはあまり相性がよくなくて、D70は少し使っただけで手放してしまったし、D100はけっこう好きだったのにあまり活躍の場がなかった。その後、NIKONからはたくさんのデジが発売されたけど、縁がないままだった。
 せっかく買ったからには使いたい。とはいえ、S2proで使っていたNIKONのFマウントレンズもほとんど手元には残っておらず、唯一あったのがTAMRONの90mmマクロだけだった。それだけではどうにもならないので、安い望遠ズームを買ってみた。TOKINAのレンズは初めてだ。
 望遠とマクロしかないとなると、撮りに行ける場所は限られる。一番手近で試し撮りに向いているのは、やはり動物園だ。少し前のことになるけど、暑い日に東山動植物園を回ってきた。
 夏場の動物園は、基本的にあまり楽しくない。何しろほとんどの動物が暑さにやられて、動きが鈍くなっている。寝ているだけの動物は面白くない。ただ、夏にしかとれないような姿もあるわけで、上の写真の熊などがそうだった。
 水に首まで浸かって、暑くてたまらん、なんとかしてくれと、訴えるような目で私の方を見ていた。水の温度も風呂くらい熱くなっていたんじゃないだろうか。
 気の毒だけど、暑さが和らぐまでなんとか辛抱してもらうしかない。今年の夏は、梅雨が明けたとたん、急に気温が上がった。人間も大変だけど、動物園の動物たちにとってもこの暑さはこたえているに違いない。

東山動物園夏1-2

 表のプールにいないと思ったら、コビトカバさんも室内でお昼寝中だった。

東山動物園夏1-3

 サイはシャワーを浴びていた。このあと、頭から体、お尻まで、体全体を水で濡らしていた。こういう水の設備がある動物はまだいい。

東山動物園夏1-4

 暑いのは人間も同じで、お父さんは日陰でお休み中だった。
 動物園はいつになく人が少なく、静かだった。こんな暑い日に動物園を訪れようという人はそう多くない。

東山動物園夏1-5

 子供は少々の暑さくらいは平気だ。夏休みに入ったばかりなのにもうすっかり日焼けした女の子たちは、水筒をぶら下げて動物を見て回っていた。

東山動物園夏1-6

 飼育員さんたちにとっても夏は大変な季節だ。自分も暑いし、暑さにやられている動物たちも心配だろう。

東山動物園夏1-7

 バテた犬みたいな顔をしたライオンさん。猫科の動物も暑さには弱い。うちのアイも、連日ぐったりしている。

東山動物園夏1-8

 外の暑さなどどこ吹く風と、涼しい室内で半分寝ぼけながらユーカリを食べるコアラたち。ここは一年中、室温が快適に保たれているから、コアラに季節はあまり関係ない。
 東山で一番お金がかかっているのが、たぶんコアラだろう。

東山動物園夏1-9

 いつもヌーボーとした表情をしていて、何を考えているのか分からないカピバラさん。
 暑い夏でも、寒い冬でも、まったく変わった様子はない。いつもマイペースで、まったりしている。

東山動物園夏1-10

 水の中を泳ぐゴマフアザラシは涼しげだ。実際は暑くてたまらんと思っているのかもしれないけど。
 冬のオホーツク海にいるくらいだから、寒さには相当強いはずなのに、日本全国の動物園や水族館にいるところをみると、暑さにもかなりの耐性があるようだ。

東山動物園夏1-11

 日陰で落ち込み中。悩みは深そうな感じだ。

東山動物園夏1-12

 ゾウは暑さに強そうだけど、どうなんだろう。

東山動物園夏1-13

 お客待ちの遊園地係員。暑いし、人は来ないし、暇と暑さを持て余す。

東山動物園夏1-14

 動物園で夏休みの思い出は作れたかな。

 D80の感想などは後編で。
 つづく。

一宮の七夕まつりは織物感謝祭が始まり <第2回>

風物詩/行事(Event)
一宮七夕2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8



 一宮でどうして七夕まつりが行われるようになったかというと、尾張国一宮である真清田神社(ますみだじんじゃ)を抜きには語れない。
 真清田神社の創建ははっきりしていない。延喜式には眞墨田神社とあり、少なくとも平安時代にはすでにあったことが分かる。
 古くから尾張国の一宮とされていて、一宮市の名前もそこから来ている。一宮の街は、真清田神社の門前町として栄えたところで、地図を見ると真清田神社を中心として道路が放射状に延びていることが見て取れる。
 祭神は、天火明命(アメノホアカリ)で、尾張氏の祖神とされる神様だ。その天火明命の子供が天香山命(アメノカグヤマ)で、この地を尾張と名付けたとされている。尾張氏はその子孫という。
 神社の摂社に 服織神社(はとりじんじゃ)があり、天火明命の母である萬幡豊秋津師比賣命(ヨロズハタトヨアキツリヒメ)が祀られている。機織りの守護神とされる神で、ここに一宮の七夕まつりの起源がある。
 一宮は昔から繊維が地場産業で、街の発展は萬幡豊秋津師比賣命のおかげに違いないということで、感謝祭を始めたのが昭和31年だった。七夕まつりというよりも本来は「おりもの感謝祭」だった。今でも祭りの名前にそれは残っている。
 七夕まつりになったのは、牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)は機織りに縁が深いことだし、いっそのこと七夕まつりに引っかけてしまおうという思いつきからだった。織物まつりが七夕に乗っかった形だ。
 7月の最終日曜日を最終日として木曜日から4日間という日程に違和感を感じていた人もいただろう。元々七夕まつりが主目的ではないから、旧暦の七夕に合わせる必要もなく、だいたいこれくらいの時期ということでよかったのだ。
 それでも、今年で55回目を迎える大きな七夕まつりに成長したのだから、きっかけはどうあれ大成功だったといえる。一宮の夏祭りということで、今ではすっかり定着している。

一宮七夕2-2

 JR一宮駅の東出口の様子。
 駅前からすでに賑わいは始まっていて、真清田神社へと続く参道を兼ねたアーケード商店街も、露天がずらりと並んでいた。
 駅周辺の特設会場でもいろいろなイベントが行われていた。25日には小比類巻かほるライブがあったらしい。見てみたかった。久しぶりに名前を見たけど、まだ活動していたのか。「I'm Here」と「オーロラの瞳」は、今でも好きな曲だ。

一宮七夕2-3

 いろんな有名キャラクターが描かれた飾りもあった。昔からお馴染みのものもあり、流行ものもあるといった感じだ。
 円頓寺の祭りのキャラクターは、著作権問題がちょっと怪しそうだったけど、一宮のはしっかり描かれているし、これだけ大きな祭りだから、そのあたりはクリアしていそうだ。

一宮七夕2-4

 パレードのお姉さんたちは、前回、ミス七夕じゃなさそうだと書いたのだけど、やっぱりミス関係の人たちだったようだ。ミス七夕とか、ミス織物とか、何人かいる。

一宮七夕2-5

 よさこいパレードのヒトコマ。
 動きの激しい踊りのシーンは、ブレブレで全滅だった。アーケードの中は暗めなので、シャッタースピードを稼ぐためにISO感度を上げないといけなかった。

一宮七夕2-6

 吊り下げ飾りは1,400本もあるんだとか。250メートルのアーケードの端から端まで続いている。
 この飾りは仙台に運ばれて、向こうでも使われてるという話を聞いた。又聞きなので実際のところはよく知らない。以前に一度、夜中に燃やされたことがあって、それ以来、商店街の人たちが交代で深夜も見張っているのだとか。

一宮七夕2-7

 祭りの様子も撮りつつ、目についた光景も撮っていく。
 祭りの喧噪とはあまり関係のなさそうな鞄屋さん。昔ながらの佇まいだ。

一宮七夕2-8

 唐突にヨーロッパ風の一角。アーケードの中では異彩を放っている。スペインあたりの教会みたいだ。

一宮七夕2-9

 古そうなビル。一階はうなぎ屋さんのようだ。小窓からすごい煙が吹き出していた。

一宮七夕2-10

 アーケードから少し外れた通り。昔ながらの自転車屋さんがあったりして、昭和の面影を残す。

一宮七夕2-11

 祭りがあっても、地元の人にとっては日常もある。
 右は個人でやっている古くて小さな町の本屋さん。こういう店が生き残っているのが一宮のいいところだ。

一宮七夕2-12

 この日はあまり歩けなかったのだけど、歩いてみれば魅力的な通りや光景にたくさん出会えそうな予感があった。機会があれば、普通の日に再訪したい。

一宮七夕2-13

 真清田神社については回を改めることにしたい。もう少し写真も残っているので、真清田神社についてはそのとき書くことにしよう。

イメージで作る田舎料理サンデー

料理(Cooking)
田舎サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 自分の料理が油断すると茶色くなることは、前から自覚していた。彩りを考えずに作ると、自然と茶色い料理になる。みんなそうなのか、自分だけが特別なのか、よく分からないけど、私にその傾向が強いのは間違いなさそうだ。
 茶色い料理はおばあちゃんの田舎料理というイメージがある。実際はどうなのだろう。田舎に住むおばあちゃんでもハイカラでカラフルな料理を作る人はたくさんいるだろう。一般的な傾向として、どの程度そうなのかは、知りようがない。
 私は果たして田舎料理というのもを作れるのだろうかという疑問を抱いた。結果的に茶色くなる料理と田舎料理は別物ではないのか。狙って作れなければ作れるうちには入らない。
 その問いに答えるべく作ったのが今日の料理だった。
 全体的な茶色さは申し分ない。どう見ても都会派の料理ではない。ただ、これを田舎料理と呼べるのかどうかは、自分では判断がつかない。私のイメージする田舎料理はこんな感じで、その意味ではなかなか再現度は高い。田舎に憧れる街の人間が真似て作ったまがいものという気がしないでもない。

 左手前は、マグロ料理だ。
 マグロの切り身に酒、塩、コショウを振ってしばらく置く。
 長ネギをオリーブオイルでで炒める。オリーブオイルを使っている時点で田舎料理ではないと言えるだろうか。
 マグロを追加して、ショウガ、酒、みりん、しょう油、めんつゆ、塩、コショウで味付けをする。
 最後に卵を回しかけて出来上がりだ。
 簡単に作れて美味しい。

 右は豆腐とタマネギの豆板醤味で、これは少し異質の料理になった。田舎料理に豆板醤はあまり使われないと思う。
 これも簡単にできて美味しいのでオススメしたい。
 タマネギを刻んで、オリーブオイルで炒め、ショウガ、酒、みりん、しょう油、豆板醤、オイスターソースで炒めて、サイコロ切りした絹ごし豆腐を入れて、絡めながら温める。
 タマネギの食感と絹ごし豆腐の舌触りの組み合わせがいい感じ。

 左奥は、野菜の煮物だ。これが一番田舎料理っぽい仕上がりになった。
 ゴボウ、里芋を剥いて、水にさらして下茹でする。コンニャク、ニンジンも下茹でする。
 鶏肉を炒め、野菜類とともに水を加える。ひたひたくらい。
 ダシの素を入れて、アルミホイルで落としぶたをする。
 ある程度煮たたところでアルミを取り出して、アク取りもする。その後、弱火にする。
 酒、みりん、しょう油、砂糖、塩、コショウ、唐辛子で味を調え、しばらくしたらいったん火を止めて冷ます。
 もう一度温め直して完成となる。

 右奥は具が大きい味噌汁だ。
 田舎味噌汁を意識して、上品には仕上げなかった。
 具はダイコン、ナス、油揚げ。味噌は白と赤の合わせ味噌にした。
 だし汁で大根をしっかり煮て、ナスと油揚げは後から入れる。
 火を止めて味噌を溶かし入れたら、弱火で温める。
 味噌汁も作り方は簡単だけど、味の加減がなかなか難しい。目分量でやっていると、どれくらいの濃さが適当なのか、よく分からなくなる。

 もっと若い頃は、こんな料理はご馳走じゃないと思ったものだけど、今はこういう和食の方が安心して食べられて美味しく感じられる。洋食は作るのは楽しいけど、毎日食べたいものではない。週に一度でも、たまには和食が食べたいと思うくらいだ。
 田舎料理がどうこうというよりも、きちんと基本の和食を作れるようになりたいと思っている。味噌汁もそうだし、魚の塩焼きとか、卵焼きとか、完璧に作ろうとすると難しいものだ。作るほどに和食の奥深さを知る。

一宮の七夕まつりに行ってきました報告写真 <1回>

風物詩/行事(Event)
一宮七夕1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8



 ふと思い立って、一宮の七夕まつりに行ってきた。
 今年はどこか七夕まつりに行こうと考えていて、日程や場所がちょうどよかったのが一宮だった。日本三大七夕まつりのひとつとされていることだし、まだ一度も行ったことがなかったから、一度見ておきたいという気持ちは前から持っていた。
 その前に瑞穂へ高校野球を撮りに行ったのだけど、その話はまた近いうちにするとして、今日は七夕の方を優先させたい。
 というのも、木曜日から始まった一宮の七夕まつりは、明日日曜日(25日)が最終日で、今日のうちに紹介しておけば、これを見て自分も行こうと思う人がいるかもしれないから。
 一枚の写真で、人の多さに怖じ気づいて、やっぱりやめておこうという人もいるかもしれないけど。
 なにしろ4日間で130万人が訪れるというから、日曜日などは特にそれなりの覚悟をして行かなくてはいけない。
 主だった写真の現像をやっと済ませたところで、下調べまでする時間はなかった。今日のところはとりあえず写真だけ並べて、機会をあらためて、残った写真とともに一宮の七夕まつりについて書きたいと思っている。

一宮七夕1-2

 七夕ということで、浴衣の女の子も多かった。
 7月7日を過ぎると一気に七夕気分というのは冷めるもので、最初は気分的に乗れなかったのだけど、七夕ムードに染まったアーケードを歩いているうちに気分が盛り返してきた。考えてみれば、旧暦の七夕は8月だから、8月に七夕まつりをするところもけっこうある。

一宮七夕1-3

 出店の数もものすごい。数百という単位で、まだこんなにもたくさんの出店が残っていたのかと驚いた。一宮近辺だけではまかなえないだろうだから、日本各地からやって来ているのだろう。

一宮七夕1-4

 アーケードにはたくさんの吊し飾りがかかっている。
 この飾りが仙台と行ったり来たりしているという話を聞いたけど、本当だろうか。

一宮七夕1-5

 風船パフォーマーのお姉さん。

一宮七夕1-6

 イベントはやはり土日に集中している。土曜日のメインは、この御衣奉献大行列というものだった。
 由来その他についてはあらためてということにしたい。

一宮七夕1-7

 パレードを見る女の子たち。

一宮七夕1-8

 ミス七夕か、と思ったけど、ちょっと違ったようだ。
 ミス七夕・ミス織物の撮影会は、もう終わっていた。
 日曜はミス七夕たちのオープンカー・パレードがある。

一宮七夕1-9

 続いてよさこい踊りパレードが始まった。
 これは撮影の位置取りが大事。初めてのことで勝手が分からなかった。

一宮七夕1-10

 一宮の七夕まつりは、真清田神社が深く関わっている。
 真清田神社は、尾張国の一宮で、まだ訪れたことがなかったのが、ずっと気になっていた。こんなごたついたときではあったけど、とにもかくも挨拶できたことでホッとした。
 真清田神社についても、あらためてということにする。

一宮七夕1-11

 神社にあったこれも七夕の飾りだろうか。とてもきれいなものだった。

一宮七夕1-12

 お父さんたちは端っこの方で休憩中。お疲れ様です。

一宮七夕1-13

 親子さんか。
 人が多すぎて、ポイントを絞って人入りの写真を撮るのは難しい。

一宮七夕1-14

 なんとなく一宮の七夕まつりの様子が伝わっただろうか。行けない方も多いだろうから、雰囲気だけでもお裾分けできたとしたらいいのだけど。
 近場の方は、チャンスがあれば行ってみてください。

松阪の町を歩きながらあらためて松阪のことを知る <後編>

観光地(Tourist spot)
松阪散策2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 今日は松阪散策の後編、旧伊勢街道の続きから。
 しっとりと落ち着いた格子の家もある。古いものが必ずしも良いとは限らないけど、歴史のある町の良さというのは残していく方向でいいんじゃないかと思う。今の時代にこんな格子の家を建てても、本物感は出ない。時代を経たからこその説得力というものがある。
 松阪の町は、蒲生氏郷が築いた松阪城の城下町として整備され、江戸時代にはお伊勢参りの人々のための宿場町として賑わった。それに加えて、古代からの紡織が発展し、多くの豪商を生み出した。
 古い町並みは、その頃の名残だ。

松阪散策2-2

 うだつのあがる家が「松阪商人の館」として一般公開されている。200円で室内を見学することもできる。
 私は時間がなくて入らなかった。町並みを散策して、松阪城跡を巡って、駅まで戻るというコースは、2時間ぎりぎりだった。ここで入っていたら、予定の電車に間に合わなかった。

松阪散策2-3

 AEDは今どきのものでいいとして、のれんの文字は右書きにした方が雰囲気は出る。松阪の文字も元々の松坂にして欲しいところだ。松阪に変わったのは明治22年で、江戸期は松坂と表記していた。細かいところのこだわりがあるともっとよかったように思う。
 江戸時代における松坂商人の代表的な家だった小津清左衛門の邸宅を資料館として公開しているものだ。江戸で紙やもめんの商売をして、大いに繁盛した。
 小津家は、伊勢国司・北畠家の一族・木造家(こつくりけ)に仕えた三好隼人佐長年を祖としている。
 3代目長弘が紙屋「小津屋」を開業したのが始まりだった。
 その後、紀州藩の御為替御用を勤めたり、手広く商売をして成功した。明治から大正、昭和と生き抜き、現在も小津グループは続いている。
 このあたりは小津につらなる人が多く、本居宣長も豪商の家の息子だった。
 映画監督の小津安二郎も、父親が松坂の豪商の家の出で、安二郎は9歳から20歳までを松阪で過ごしている。駅の東に小津安二郎青春館というのがある。今回はコースから大きく外れて行けなかったのが残念だった。

松阪散策2-4

 町屋造りの家などでよく見られる竹の垣根みたいなこれ。ずっと飾りだと思っていたら、犬の小便よけなんだとか。
 犬矢来(いぬやらい)という名前で、犬や猫の小便から壁を守ったり、昔は馬がはねる泥よけだったそうだ。

松阪散策2-5

 格子風の飾りを多用した建物。
 昔はここも古い商家建築だったのかもしれない。周囲の景観に気遣ったデザインに好感が持てる。

松阪散策2-6

 金物店の前には丸ポスト。隣には蔵も建っている。
 この通りは丸ポストがまだ生きている。普通の四角いやつは見なかった。

松阪散策2-7

 一本西の魚町の通りへとやって来た。
 こちらの方が昔ながらの面影を残している。
 道路の感じも、町並みの雰囲気と合っている。

松阪散策2-8

 駐禁の標識まで木でできている。
 この通りは、電柱を地中化しているので、風景がすっきりしていて気持ちがいい。

松阪散策2-9

 本居宣長の旧宅があった場所は、そのまま跡地として残されている。
 松阪が生んだ最も誇れる偉人と言えるだろう。
 他に松阪出身というと、探検家で北海道の名付け親である松浦武四郎がいる。有名人でいうと、古くはあべ静江、最近は西野カナといったところか。

松阪散策2-10

 手前の礎石があるところに、本居宣長の旧宅が建っていた。
 明治42年に、保存と公開のために松阪城跡の松阪公園に移築されて、現在もそちらで公開されている。
 奥の建物は、長男・春庭の邸宅と土蔵で、そちらはまだここに残されている。
 本居宣長の家系をさかのぼると、伊勢国司・北畠氏の家臣本居武秀が初代となる。
 その子供の七右衛門が名を小津と改め、松阪に移り住んだ。
 宣長は5代定利の次男になる。もともと商売を継ぐことにはなっていなかったようだけど、父親が早くに死んで、小津家は店を閉じることになった。
 その翌年、12歳の宣長は母親とともにこの家に移り住んで、72歳で死ぬまでここに住み続けることになる。
 本居宣長というと、日本を代表する国学者の一人だけど、本業は医師だった。医院を開業しながら、当時すでに解読不能となっていた『古事記』を読み解いて、『古事記伝』などを書き上げ、江戸期の国文学を確立させた。

松阪散策2-11

 斜め向かいに「まどゐのやかた 見庵」というのがある。おじさんたちが集まっていた。
 小泉見庵という医者の邸宅を改築したものだそうで、地域のコミュニティーセンターのようになっているみたいだ。観光客でも入っていくと、いろいろ話を聞かせてくれるらしい。

松阪散策2-12

 牛銀本店は、こんなところにあったのかと、初めて知る。
 松阪牛を食べさせる店としては、和田金と牛銀が老舗としてライバル関係にある。創業は和田金が明治11年で、牛銀が明治35年と、やや開きがある。和田金はトップのプライドを譲らず、牛銀はなんとか追いつこうと追いかけた。
 最も高級店といえば、やはり和田金ということになる。昔は、テレビなんてお断りで、もっぱら牛銀がテレビの仕事を受けていた。けれど、時代の流れでそんなに頑なではいられないと思ったようで、近頃は和田金もテレビが入るようになった。
 味のランクは値段にもよるけど、牛銀の方が幅広く設定されている。私は高校の入学祝いで和田金に連れていってもらって以来、行っていない。

松阪散策2-13

 郵便配達の人が普段着だったので、少し驚く。田舎の方はそんなものかもしれない。

松阪散策2-14

 ここでも丸ポストを見つけた。
 おばあちゃんのスタイルが松阪風だ。

松阪散策2-15

 今風のおしゃれ乳母車ではなく、昔ながらのカゴの乳母車を押していたおばあちゃん。
 恰好からして、お寺の住職さんだろうか。

松阪散策2-16

 松阪城へ向かう途中の裏通り。
 昔の洋風建築といった趣だ。

松阪散策2-17

 シルバーゾーンって、何だろう。シルバーの人のためのゾーンなのだろうけど、具体的にどういうものなのかは思いつかない。この通り全部がそうなのか、このマークの上だけがゾーンなのか。

 このあと、松阪城跡編へと続く。

松阪は生まれた町なのにストレンジャー<前編>

観光地(Tourist spot)
松阪散策-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 もう一度、松阪の町を歩き直さなくてはいけないと、ずっと前から思っていた。
 松阪は、私が生まれた町だ。もう少し正確に言うと、父親の生家が松阪の奥の多気郡勢和村に、母親の生家が三瀬谷にあって、私は松阪の病院で生まれている。
 しばらく三瀬谷で過ごしたあと、一家で名古屋に引っ越したので、松阪で育ったわけではないのだけど、小さい頃から、毎年夏と冬は勢和村の祖父母の家に行っていたから、自分の故郷は松阪だという思いが強い。
 小学校に入る前から、一人で近鉄電車に乗って、松阪まで来て、三交百貨店を少し見て回ってから三重交通のバスで勢和村へ行っていた。松阪駅前は、心の原風景といったものに近い。あれから長い年月が経ったけど、駅前はあまり変わっていないように見えた。
 鈴もそのままだ。鈴の上にある提灯は見慣れないもので、見ると三社まつりや祇園まつりの文字が書かれている。この日はちょうど、祭りの日で、そのことは知らなかった。あとになって知ることになる。
 大学に入ってからは、車で勢和村まで行くようになったから、駅前は長い間訪れることがなかった。
 松阪の町を歩いたのはいつ以来なのか、ちょっと思い出せないほどだ。子供の頃、両親に連れられて、松阪城跡まで歩いたことがあった。かなり小さいときだったので、ぼんやりとした記憶しかない。今回の松阪町歩きは、実にそれ以来のことだった。自分の中の距離感が近すぎて、あらためて歩いてみようという発想自体がなかった。
 伊勢奥津行きのバスの時間に合わせると、松阪での待ち時間が30分になってしまう。それならいっそのこと、もっと早く松阪に行って、名松線の時間まで町を歩こうと思いついた。いい具合に2時間確保できたので、町歩きにはちょうどいい時間だった。
 そろそろ歩いておいた方がいいという、巡り合わせだったのだろう。物事にはタイミングというのがあって、実現しないときはしないし、するときはあっさりするものだ。

松阪散策-2

 駅前の屋根付き商店街。
 私が知っている頃も、華やかだった頃は終わっていて、ややさびれた感はあったけど、あれから時代が進んで、だいぶシャッターの店も増えていた。
 しかし、この日ばかりは昼前から様相が一変した。松阪祇園まつりで、商店街にずらりと出店が並び、大勢の人が訪れていた。祭りは午後からで、見ることができなかったのだけど、帰りに準備をしているところに行き会って、賑わいの一端を見ることができた。

松阪散策-3

 好きな雰囲気の路地。
 あまり寄り道をしている暇はなかったので、とりあえず先を急ぐ。

松阪散策-4

 駅前の大きな交差点。雰囲気は変わらないものの、店の顔ぶれはだいぶ変わっているような気がする。
 もう少し進んだところにあった本屋は、まだ営業しているだろうか。何度か入って、本を買った。

松阪散策-5

 少し裏に入ると、こんな蔵も残っている。松阪は商人の町で、かつては大いに繁栄した歴史を持っている。

松阪散策-6

 塗料屋さんというのは、他ではあまり見ない。ここはけっこう古そうだ。
 このあたりはホームセンターがなさそうだから、それでこういう商売も成り立っているのだろう。

松阪散策-7

 すごく松阪らしさを感じさせたワンシーンだった。どこがどう、よその土地と違うのかは分からないのだけど、うちの田舎っぽいと思った。
 松阪のおじいちゃんは、だいたいこんな感じと言えなくもない。

松阪散策-8

 駅から離れると、まったく土地勘がないので、自分がどこへ向かってどこを歩いているのか分からなくて、迷ってしまった。
 この町の生まれなのに、地図を見ながら、しばし立ち尽くす。完全なストレンジャーだ。
 松阪の町は、東西南北の軸が傾いていて、方向感覚を掴みづらい。今更ながら、そのことを知る。

松阪散策-9

 シャッターが降りたさびれた通り。
 昔の姿を知らないので、比較しようがない。

松阪散策-10

 目指していたのは、旧伊勢街道と、魚町の通りだった。そのエリアに古い家並みが残っているという。
 近づくと、だんだんそれっぽい雰囲気になった。ここは昔ながらの食品店で、今も営業を続けていた。

松阪散策-11

 昭和の佇まいを残す古い家。アパートのようでもあり、下宿屋の二階といった感じもある。

松阪散策-12

 三井財閥の基礎を作った三井高利が生まれ育った家が残されている。残念ながら、一般公開はされておらず、鉄の柵でがっちりガードしてある。
 松阪で生まれた三井高利は、江戸へ出て呉服屋を出店した。三越の前身、越後屋だ。その後、京都でも両替商をやり、財を築く。
 高利の死後、遺産は長男の高平らが継ぎ、三井十一家へとつながっていく。

松阪散策-13

 丸ポストのある風景。古い町並みによく似合っている。

松阪散策-14

 昔は何かのお店だったのだろう。駄菓子屋さんだったとしたら、ぴったりだ。

松阪散策-15

 オーミヤの文字はあるものの、それだけでどんな店かは想像できない。
 肉屋さんとか、魚屋さんとかという感じはする。

松阪散策-16

 古い看板が残る、油寅商店。荒物、雑貨とある。

松阪散策-17

 参宮道と書かれている。旧伊勢街道は、伊勢神宮へ向かう道で、各地に参宮道というのがあった。この道は、今でも参宮道という呼び名が残っているのかもしれない。

 松阪町歩きは、まだ続く。
 後編へ。

のれんがかかる夏の奥津を歩く

観光地(Tourist spot)
奥津宿-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 伊勢奥津駅を南へ少し下ると、道標の立つ伊勢本街道にぶつかる。
 名松線の行き止まりということで、山奥の行き止まりを想像していたら、ずいぶん趣が違った。かつてこの場所は、伊勢本街道の宿場町として大いに賑わったところだという。
 この道は、大和と伊勢を結ぶメインルートだった。垂仁天皇の時代、天皇の皇女・倭姫命(ヤマトヒメ)が、天照大神の鎮座する場所を探して伊勢に向かうときに整備されたという伝承も残っている。
 大和の東の玄関口だった榛原(はいばら)や長谷寺のある長谷などと伊勢神宮を結ぶ街道は、多くの人々が行き来した。
 奈良時代には、東大寺の大仏を建造するとき、この道を通って丹生の水銀が運ばれた。丹生は私の故郷だから、感慨深いものがあった。
 東へ5キロほど行ったところに、伊勢国司・北畠氏の本拠があった。室町時代には大変な勢力を持っていた北畠氏も、織田信長によって攻め滅ぼされてしまう。
 館があった場所は、庭園や神社のある国の史跡になっている。歩いて行くには少し遠すぎる。
 江戸時代には庶民のお伊勢参りが流行して、西国から大挙して人が押し寄せ、奥津宿も人がごった返すほどだったそうだ。
 松阪出身の国学者・本居宣長もこの道を歩いている。
 今の奥津を見て、かつての繁栄を思い描くのは難しい。けど、わずかに往時の名残を見ることができる。短い時間ながら、伊勢本街道の旧奥津宿を歩いてきた。

奥津宿-2

 いきなり、やるな、というお出迎えで、喜ぶ。
 人の暮らしと歳月の年輪を見るようだ。

奥津宿-3

 道のコーナーに合わせて設計された家。五角形みたいになっている。
 七夕の笹が枯れかれになっているのも、渋い。

奥津宿-4

 火の見櫓だろうか。
 青い空と火の見櫓。昭和の夏みたいだ。

奥津宿-5

 20軒ほどの民家の玄関先に、のれんがかかっている。
 それぞれ屋号が入っていて、かつての面影を偲ばせる。
 町おこしの一環として、それぞれの家庭が手作りのれんをかけているそうだ(土日だけという話も)。
 訪れる人は多くないだろうけど、こういう心遣いは嬉しい。

奥津宿-6

 この大きな店は印象に残る。雑貨の「ぬしや」という店だったようだ。
 大正時代の帳簿などもショーウィンドウに飾られている。雑貨屋といっても、日用雑貨だけではなく手広く商売をしていたところなのだろう。

奥津宿-7

 ここは旅籠の跡だろうか。
 奥津宿は多くの旅籠があったようで、それらしい建物がいくつか残されている。
 宿場としては明治の末まで栄えていたそうで、数軒は戦後まで営業を続けていたようだ。
 母親の同級生が奥津の旅館に嫁いだらしい。それがどこかまでは分からなかった。

奥津宿-8

 味噌やしょう油の店のようで、ここは営業している感じだった。

奥津宿-9

 畳屋さん。のれんがなければ、普通の民家だ。

奥津宿-10

 まねきやののれんが気に入った。色合いも好みだ。
 窓に招き猫が並んでいる。

奥津宿-11

 ここもまだやっていそうな稲森酒造。

奥津宿-12

 煙突は何の煙突だったのだろう。

奥津宿-13

 夏らしい光と影。
 足元をたくさんのトカゲがガサガサと葉音を立てながら逃げていく。懐かしい光景と音だった。

奥津宿-14

 橋を渡って、もう少し進む。

奥津宿-15

 北海道牛乳の移動販売車が走っていた。
 それにしても、お店のたぐいは一切見かけなかった。バスの車窓からも、スーパーらしい店はなかったように思う。みなさん、日々の買い物をどこでしているのだろう。
 コンビニなんてもちろんないし、とにかくお店というものがない。国道沿いに少し行けば、何かはあるのだろうけど。

奥津宿-16

 きれいな格子の家。
 玄関先に餅花を飾っている家が多かった。この地方の風習なのだろう。うちの田舎ではそういったものはなかった。
 餅花は、寒い地方のものというイメージがある。

奥津宿-17

 蔵も残っている。

奥津宿-18

 昭和の飾り窓。割れたらもう二度と手に入らないんじゃないか。今となっては貴重なものだ。

奥津宿-19

 何屋さんか分からない、かすけののれん。

奥津宿-20

 ほどほどに歩いたところで引き返すことにする。深追いは禁物だ。帰りのバスを逃したら、とんでもないことになる。

 伊勢奥津は、JR乗りつぶしのためだけに行くのはもったいないところだ。折り返しまでの時間を、町の散策に当てることをオススメしたい。
 古い町並みに興味がなければ、きれいな川が流れているから、河原で和むのもいいかもしれない。
 季節としては、桜が咲く時期がいいんじゃないかと思う。駅からバスで西へ行ったところに、三多気の桜(みたけのさくら)という桜の名所がある。この地方では有名なところのようで、シーズンにはけっこうな賑わいを見せるそうだ。
 私は夏の奥津を記憶に刻んだ。

伸ばすつもりが縮んでまた縮んだ名松線の旅

観光地(Tourist spot)
伊勢奥津-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 人は行き止まりの先に何もないと分かっていても、そこへ行きたがるようにできているらしい。何もないことを自分の目で確かめたいからなのか、行き止まりだからこそ心惹かれてしまうのか。アントニオ猪木が言うように、行けば分かるさ、ということだろうか。
 名松線(めいしょうせん)のことを意識するようになったのは、確かおととしだった。一度終点まで乗ってみなければいけないだろうなとぼんやり考えていたところ、思いがけないニュースが入った。2009年の去年、台風による風水害で、名松線は全線運休になったという。
 すぐに復旧するだろうと軽く考えていたら、被害は甚大で、松阪から家城(いえき)までは一週間で運行再開したものの、家城から伊勢奥津(いせおきつ)までは復旧しなかった。当面、家城から先は代替バスを走らせるということだった。
 あれから一年近く経ち、いまだ家城以降は復旧していない。というよりも、JRは投げ出した。腹づもりとしては、このままなし崩し的にバス運行に切り替えてしまうつもりらしい。
 完全復旧には相当のお金がかかり、お金をかけるだけでの収益はまったくもって見込めないのだから、JRの気持ちも分かる。この路線はずっと昔から赤字続きで、よく廃線にならないとむしろ不思議に思われていたくらいだった。
 かつて廃線にするという話が持ち上がったときは、住民の反対だけでなく、道路の整備が不充分で、代替のバスを走らせるにもすれ違えないという理由で廃線が先送りになったという経緯がある。
 現在は道路もある程度広げられて、バスも通れるようになった。この路線は、大雨が降るたびに土砂崩れなどがあり、たびたび列車は止まったりしていたので、いっそのことバスに切り替えた方が利用者にとっても都合がよいだろうというのがJR側の説明だ。
 伊勢奥津から乗る乗客の平均が一日50人足らずでは、JRも高いお金をかけて復旧したいとは思えないのも理解できる。乗客数的には充分バスでまかなえそうだ。
 2006年に、名松線の列車が深夜に無人のまま走ったというニュースを覚えている人もいるかもしれない。運転士が車止めを忘れたからだったのだけど、夜中の1時にライトもつけない電車がコトコト走っていく様は、なんだか幻想的でもあり、オレはまだまだ走りたいんだという列車の強い思いが自走させたと思わないでもない。
 しかも、同じことが2009年にも起きている。このときは22時台という早い時間帯で8.5キロも無人のまま走っていった。

 名松線が開通したのは、昭和4年(1929年)で、松阪ー権現前間だった。伊勢奥津まで伸びたのは、昭和10年(1935年)のことだ。
 計画自体は昔からあって、住人も待ち望んでいたのだろう。明治25年に、松阪から榛原を経て桜井へと至る「桜松線」として計画されたのが始まりだ。
 しかし、それは実現せず、妥協案として松阪から名張を結ぶ路線が決定された。名松線の名前は、それぞれの頭文字を取ってつけられた。
 結果的に名張まで伸びず、伊勢奥津で止まってしまったのは、参宮急行電鉄(のちの近鉄大阪線)に先を越されてしまったからだった。遅れること5年、昭和10年にようやく伊勢奥津までが開通し、そこから先は計画打ち切りとなってしまう。
 現在、伊勢奥津駅前から名張までバスが出ているものの、平日1本、週末2本では、かろうじてつながっているだけだ。行き先がライバルの近鉄大阪線名張駅というのも、皮肉と言えるかもしれない。

 このまま待っていても、伊勢奥津まで復旧する見込みはなさそうなので、行けるチャンスのときに行っておくことにした。考えてみると、伊勢奥津へ行ってみることが目的なのであって、私はJRの乗りつぶしをしているとかではない。名松線も家城までは行ってるし、ローカル線の風情は充分に味わえる。
 バスは鉄道と同じダイヤで走っているから、乗り継ぎも、折り返しも、問題ない。
 それじゃあ、一度行ってみるかということで、今回の旅は決まった。松阪乗り換えのときに松阪の町を散策して、帰りに四日市へ行くというのが、この日のコース設定だった。
 松阪から一両編成のディーゼル列車で、ゴトゴト三重県の奥へ向かって進む。

伊勢奥津-2

 初めて見る車窓風景は新鮮だ。
 稲の伸びた田んぼが広がり、空が広い。梅雨が明けて、空も夏の表情になった。
 非電化の路線は風景がすっきりしていていい。

伊勢奥津-3

 家城駅前では、代替バスが待っていた。
 乗り換え時間は5分。列車の到着に合わせるから、乗り遅れることはないはずだ。列車も到着しないのに定刻通りに出発しても誰も乗らない。
 代替バスは三重交通が代行しているようだ。そこにJRの職員らしき人が乗り込んで、乗客数のチェックなどをしていた。代替バスでも大丈夫というデータを取っているのではないだろうか。
 乗客は5人だったか、6人だったか。折り返しのバスで同じメンバーが3人だったから、残りは地元の人だったのだろうか。

伊勢奥津-4

 5分では駅前の散策もできない。
 古びて味わいのある家屋があったので、一枚だけ写真を撮った。

伊勢奥津-5

 もっと山奥のへんぴな土地を想像していたけど、思った以上に民家が多かった。田舎の方の住宅地といった風景が続く。

伊勢奥津-6

 三交バスの停留場に、JR代行のシールが上から貼られている。
 新しかったから、三交バスのものを借りて代用しているのだろう。
 その向こうの家もまた、すごいことになっていた。崩壊寸前だ。

伊勢奥津-8

 奥の方に進んでも、あまり風景は変わらない。
 とはいえ、トンビが空を滑るように飛んでいたのは、町中では見られないものだ。

伊勢奥津-7

 油断していたら、唐突にこの光景が現れて驚いた。
 周囲の山村風景とはおよそ似つかわしくないリゾート地が突如現出する。
 朽ちたメリーゴーランドにウォータースライダー。ホテルらしき建物と時計塔。人の姿はない。
 帰ってきてから調べたところ、美杉リゾート火の谷温泉雲出湯館というところのようだ。
 かつてはおおいに賑わっていた頃もあったようだけど、今はもう営業しているのかどうか、よく分からない。プールはもうやっていないみたいだった。

伊勢奥津-9

 ときどき線路と併走する。
 ところどころで草が伸び始めて、だんだん廃線風景に近づきつつある。使わないレールは錆びて、赤茶色に変色していく。

伊勢奥津-10

 もはや列車が走ることはないであろう橋梁。
 バスの車窓から見える範囲に、大きく崩れているようなところは見えなかった。被害は何ヶ所もあったようだけど。

伊勢奥津-11

 車窓の緑。
 走り抜けていくのは真っ赤なポルシェではなく、三重交通のバスだ。対向車とすれ違うときは、バックミラーやらサイドどころではなくボディを木々の葉っぱにガンガンこすっていく。そっちのせいでもこっちのせいでもないので、怒鳴っても仕方がないことだ。
 道はけっこう狭く、都会のバス運転手では務まらない。田舎道に慣れた地元の運転手だから行ける道だ。

伊勢奥津-12

 美杉村は、名前の通り、杉の産地として知られている。
 それにしても、美杉村が津市といわれても、ピンと来ない。津市も松阪市も、合併吸収して範囲がすごく広くなった。美杉村は、むしろ松阪の方が感覚的には近いんじゃないだろうか。伊勢奥津までいくと、もう奈良県の県境に近い。

伊勢奥津-13

 伊勢奥津駅に到着した。バスの乗車時間は30分ほど。松阪からは1時間ちょっとということになる。
 1時間程度だから、それほど奥地まで来たという感慨はない。風景も、うちの田舎の勢和村とそんなに違わない。

伊勢奥津-14

 立派な新しい駅舎が建っている。
 開業当時からあった古い駅舎は、2004年に取り壊されて、2005年に新駅舎が完成した。
 昔の駅舎は風情があってよかったらしい。こんなことになるなら、古いまま残しておいて欲しかった。
 自治体の八幡地域住民センターと一体化しているから、今後も利用されることはあるのだろうけど、それにしてももったいないくらいの造りだ。杉材もふんだんに使われている。

伊勢奥津-15

 駅舎の中。早期復旧は住民の願いだろう。ただ、よほどのことがない限り、実現は難しそうだ。
 それでも、鉄の人たちはこれからもこの場所を訪れることになるだろう。青春18きっぷでどこか行こうとなったとき、名松線は恰好のターゲットになる。
 ここを訪れた人たちが書き記したノートが何冊にもなっていた。

伊勢奥津-16

 行き止まり。デッドエンド。
 線路の終わりは、物事には終わりがあることを実感させる。

伊勢奥津-17

 SL時代に使われていた給水塔が残されていて、伊勢奥津駅のシンボルとなっている。
 ツタに覆われながら、夏の空を背景に、しっかり踏ん張って立っている。

 バスの折り返し時間まで50分ほどあるので、この間に伊勢奥津を散策することに決めていた。ここはかつて、伊勢本街道の奥津宿があったところで、わずかにその頃の名残もある。次回はそのあたりを紹介することにしたい。

四日市コンビナート風景セカンドラブ

観光地(Tourist spot)
四日市コンビナート-1




 恋も二度目なら少しは上手に愛のメッセージ伝えたい。中森明菜も、そう歌っていた。
 四日市コンビナートも二度目なら少しは上手に魅力を伝えたい。私のその思いは伝わるだろうか。
 初めて四日市コンビナートの夜景を撮りに行ったのは、去年の9月のことだった。その官能的なまでの工場美に魅せられて感動した一方で、もっと上手く撮れたはずなのにというもどかしい思いが残った。次こそはという思いを抱きつつ、あれから10ヶ月の月日が流れた。その間に、ちょっとは写真も上達しているだろうということで、今回の再訪となった。
 この日は、松阪から伊勢奥津へ行き、富田から四日市というコースだった。最後に訪れたのが、四日市港ポートビルだった。そのために土曜日を選んだというのもある。
 ポートビル14階の展望室「うみてらす14」は、土、日、祝日は延長営業で21時までやっている(それ以外は夕方の17時まで)。前回訪れたのは平日で、地上からしか撮れなかったから、今回は展望台から撮ると決めていた。そのために歩き回る旅でも三脚を持っていったのだった。



四日市コンビナート-2

 時間は少し戻る。ポートビルを目指して歩いていたときに見た風景。
 JR富田駅から高松海岸まで歩き、高松海岸からポートタワーまで更に歩いた。その距離約10キロ。普通、こんな距離を歩いて移動しない。



四日市コンビナート-3

 一度見ている風景だから、すでにお馴染み感があった。ただ、あのときは車で、今回は歩きだったから見える風景も少し違っていた。
 日没が近づいてきて気持ちが焦るも、疲労で足が前に進まない。できれば展望台から夕焼け風景も撮りたいと思っていた。



四日市コンビナート-4

 すでに夕陽は山の向こうに沈もうとしている。これは間に合わないと、あきらめた。



四日市コンビナート-5

 夕陽を浴びて鈍く輝く工場の煙突やパイプもまた、絵になる被写体だ。



四日市コンビナート-6

 工場がカッコイイものだなんて、ちょっと前まで思ったこともなかった。



四日市コンビナート-7

 港の夕暮れ風景。



四日市コンビナート-8

 うみてらす14に登って、最初に撮ったのが西の空のこの一枚だった。
 やっぱり日没には間に合わなかった。けど、黄金色の空と、鈴鹿山脈のシルエットが撮れたから、まあよしとしたい。
 方角的に、西側はあまり見所がないから、日没に間に合っていても同じような写真しか撮れなかった。



四日市コンビナート-9

 狙いはなんといっても南西のコンビナートエリアだ。
 この構図は定番中の定番で、写真では何度も見ているけど、自分の目で見て、自分で撮ってみると、あらためてそのすさまじさがよく分かる。
 これは尋常な世界じゃない。この風景に写っているパーツのすべてが、必要不可欠で無駄なものがないなどということは信じられない。マッドサイエンティストが偏執狂的に作り上げた都市のようだ。
 機械の機能美というのがあるけど、この風景はその極みと言える。



四日市コンビナート-10

 この日は望遠ズームで、自分なりの部分を見つけて切り出すというのをテーマに考えていた。
 けれど、やっぱり美味しいところは決まっているわけで、定番ポイントを超えるような部分は見つけられなかった。
 500mmくらいの超望遠で切り取ると、また違った世界が見えてくるかもしれない。



四日市コンビナート-11

 この時期の日没は遅く、ゆっくり暗くなる。太陽が沈んでも、空には明るさが残り、なかなか暗くならない。腰を落ち着けて待つことにする。



四日市コンビナート-12

 少し暗くなって、灯りが入り始めた。ここからがコンビナート夜景の見所だ。
 完全に暗くなる前の夕暮れ時も、なかなかいい。



四日市コンビナート-13

 だいぶ暗くなってきた。このあたりから見た目と写真が明らかに違ったものとなってくる。コンビナートの夜景は、肉眼で見るよりも写真に撮ってこそ、その魅力を知ることができる。
 非現実的な写真を見て、実際に見にいくと、想像していたよりも地味な風景が広がっている。なんだ、この程度なんだとがっかりしつつ、写真に撮ると、やっぱりすごいということになる。



四日市コンビナート-14

 暗めに撮るとこんな感じ。もはや現実の風景を超えたファンタジーの世界だ。CGのようでもある。



四日市コンビナート-15

 オーバー露出で撮ると、近未来の都市みたいに見える。別の惑星のようでもある。



四日市コンビナート-16

 四日市ドームがある方向。前回はあちらの霞ヶ浦緑地から撮った。
 川みたいに見えているのは海だ。ポートビルやコンビナートがあるのは埋め立てられた島なので、その間が運河みたいに見える。



四日市コンビナート-17

 うみてらす14展望台は、こんな感じになっている。
 4方向ある中で、コンビナートが撮れるのは2方向だけなので、夕方から行って場所取りをした方がいいかもしれない。撮影組は夜景カップルのようにしばらく眺めて帰っていくわけではないので、場所取りに負けたら終わりだ。
 万全を期すなら、映り込み防止のための黒い布を持参することをオススメする(カウンターで頼めば貸してくれるらしい)。今回はC-PLを使ってみたけど、やはり完全には光の反射を抑えきれなかった。黒い布か厚手の上着で、レンズ周りをすっぽり覆うと、光の映り込みを防ぐことができる。
 私としては、もう一度、行きたい。だいたい全容が分かって、コツが掴めた。レンズの選択肢も見えたから、次回はもっと撮れるような気がする。
 展望台からに限ると広角レンズは使えない感じだった。望遠ズームなら400mmか500mmが欲しい。
 さて、三度目のチャンスがあるかどうか。
 

考えずに作るお手抜きサンデー

料理(Cooking)
お手抜きサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 昨日の旅もあり、明日が祝日ということもあって、今週は変則的な週末になった。サンデー料理を作る時間はあったものの、メニューを決める時間がなかった。冷蔵庫にある食材を使って、思いつくままに作ったのが、今日の3品だった。
 これはもう、お手抜きとしか言いようがなくて、面倒なことは極力省いた。切る野菜も少なくして、調理方法は、炒めるか温めるかどちらかに絞った。今週はちょっと仕方なかった。

 手前は、賑やか炒めと名づけた。
 適当に作った割には、見た目が華やかで美味しそうな料理になった。
 エビの下ごしらえをして、ナスとニンジンを切る。ナスはあく抜きのため、塩水に浸ける。
 オリーブオイルと白ワインでエビを炒め、ニンジンとナス、トマトを追加する。
 コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、みりん、しょう油、カレー粉で味付けをして、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。パセリ粉を振って完成となる。
 組み合わせがよかったようで、これはかなり美味しかった。また食べたい。

 右はちょっと変わった一品。さしみコンニャクの山芋がけだ。
 山芋をすり下ろして、酒、みりん、しょう油、塩、砂糖、唐辛子、ダシの素、めんゆつ、長ネギの刻み、大葉の刻みを混ぜ、加熱する。
 味付け山芋と共に食べるさしみコンニャクというのもなかなかいける。

 奥はダイコンと鶏肉のカリカリ炒めとなっている。
 ダイコンを米のとぎ汁で茹でる。
 鶏肉をごま油で炒め、ダイコンとツナ缶を加える。
 酒、みりん、しょう油、塩、コショウ、唐辛子、白ごま、中華の素で味付けをしつつ、しっかり炒める。

 とまあ、手は抜いたけど美味しく食べられたから、夕飯としては合格点だった。趣味の料理というレベルではなかったけど。
 梅雨が明けて、7月の後半は何かと慌ただしい。それでも、来週はもう少しちゃんと料理したいと思っている。

日常の中、私の目に映る風景

日常写真(Everyday life)
日常写真-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / Takumar 135mm f2.5



 今日は電車の旅へ行ってきた。またよく歩いた。
 余力が残っていないので、日常写真を寄せ集めて、つなぎ更新としたい。

日常写真-2

 住宅地の田んぼ風景。
 住宅が田んぼをどんどん浸食していく中、残る田んぼもある。あまりいい環境とは言えないけど、こういうところで作られている米は貴重だ。
 青々と順調に伸びている。

日常写真-3

 子ツバメの巣立ちは近い。
 10月には南へ渡っていかなくてはいけないから、その前にたっぷり食べて、しっかり体作りをする必要がある。
 ツバメは、夏の虫をたくさん食べてくれるありがたい鳥だ。もし、日本にツバメが渡ってこなければ、日本の夏はもっと虫だらけになっている。

日常写真-4

 ヤナギハナガサの蜜を吸うモンシロチョウ。
 もう少しいいポジションで撮りたかった。

日常写真-5

 田んぼを飛び回るツバメ。
 かなり粘って、なんとかまともに写っていた一枚。ツバメはやっぱり速い。

日常写真-6

 伸びた稲の間からひょっこり顔を出したキジさん。
 緑に赤い顔はよく目立つ。けど、もう少し稲が伸びたら、頭まですっぽり隠れて、なかなか見つけられなくなる。

日常写真-7

 電線に並ぶ鳩。
 みんな気になる何かがあったらしい。

日常写真-8

 リヤカーを久しぶりに見た。傷み具合からして、もう使われていないもののようだ。そうなると、場所を取って邪魔になる。折りたたみなんていう気の利いた部分はない。

日常写真-9

 民家の玄関先で鳴いていたチビサビ。
 この春生まれたやつだろう。なかなかかわいい顔をしている。

日常写真-10

 雨上がり。雨雲と青空の間。

日常写真-11

 夕方の色に染まる線路とホーム。
 この時間帯の駅風景が好きだ。

日常写真-12

 雨のち夕焼け。サーモンピンクの空に、薄い虹が架かった。

日常写真-13

 虹がかかっていたときの西の空。雲の多い夕焼け空も、ドラマチックだ。

 来週からは、また旅シリーズを始めたい。

満を持して行ったつもりの名古屋空港でまたも空振り

施設/公園(Park)
名古屋空港-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 4月に名古屋空港へ行ったときは、南側のエアフロントオアシスで飛行機を待ち、まったく来なくて、消化不良に終わった。次はちゃんと時刻表を調べて行こうということで、もう一度行ってきた。
 このときは、北西にある神明公園へ初めて行ってみた。公園内にある航空館boonというのも一度入ってみたいと思っていた。
 神明公園は、飛行機を見る人のことを考えて作ったのだろう。公園内に小山が作られていて、その上に登ると滑走路を見下ろすことができる。遠くには小牧城の模擬天守も見える。
 しばらく待ったものの、時刻表通りに飛行機は飛んでこない。来るのは自衛隊の飛行機ばかりだ。自衛隊機はひっきりなしに来ては去ってゆくけど、それを撮っても楽しくはない。国内線の小型機でも、やっぱり普通の飛行機が撮りたい。
 航空館boonの閉館時間が近づいたので、とりあえずそちらを先に見ておくことにした。

名古屋空港-2

 かつて名古屋空港国内線ターミナルビル3階にあった「名古屋空港航空宇宙館」が閉鎖することになり、その中の展示品の一部を移したのが、この航空館boonだ。
 残念ながら宇宙館の目玉だった零戦はなく、規模も縮小されてしまったようだ。
 とくに航空関係に興味がない人にしたら、一周見て回るのに3分もかからない。私は少し粘って6分くらいだった。
 入場料は無料だし、中は涼しいから、飛行機を待つ間ここで休んでいるのに使えそうだ。と思ったら、飲食禁止ということで、ジュースも飲めないのはちょっと厳しい。

名古屋空港-3

 三菱重工業MU-2Aと、中日新聞が所有していたヘリコプターのあさづるが展示されている。
 中に入ることはできないものの、コックピットなども近くから見ることができる。
 その他、飛行機のエンジンや部品なども展示されていて、興味がある人にしたら楽しいのだろうと思う。

名古屋空港-4

 フライトシミュレーターで遊ぶことができる。
 やらなかったけど、やってみたらゲーム感覚で楽しそうだ。

名古屋空港-5

 自衛隊機やヘリコプターやセスナなどは飛んでくるものの、肝心のJALが来ない。
 国内線の時刻表を全部書いていったのだけど、もしかしたらすべての線が毎日は就航しているわけではないのかもしれない。4時台、5時台はけっこう離発着する便があるはずなのに、ちっとも来ない。

名古屋空港-6

 自衛隊機が次々とタッチ・アンド・ゴーしてゆく。着陸の練習をしているのだろうか。
 あんなにたくさんの飛行機をじゃんじゃん飛ばしていたら、燃料代だけでも大変だ。

名古屋空港-7

 30分以上待って、ようやくJALの飛行機がやって来た。
 スピードが遅くて、ある程度の距離があるから、撮ること自体は難しくない。着陸の瞬間も撮ったのだけど、背景がよくないので、手前のこのカットにした。
 明るいと流し撮りもできないし、距離的にも近いようで遠い。300mmの望遠では物足りなくて、楽しさはもう一つだ。
 北と南の離発着は、どうやって調べればいいのだろう。神明公園で待っている間にも、南の滑走路から離発着していたのかもしれない。

名古屋空港-8

 神明公園での様子は掴んだので、次にエアポートウォークへ移動することにした。
 2005年にセントレアができて、名古屋空港の国際線はすべてあちらに移った。そこで、空いた国際線のターミナルビルを利用して作ったのが、大型ショッピングセンターのエアポートウォークだ。
 オープンは2008年で、できた当初は大賑わいで、周辺や駐車場の渋滞がとんでもないことになっていた。2年近く経って、さすがに落ち着いたとはいえ、週末はいまだに渋滞している。駐車場が飛行場のものだから、それほど大量の車の出入りを想定して作っていない。

名古屋空港-9

 駐車場はこんな感じ。平日の夕方でも、けっこう車がとまっている。
 駐車場のすぐ外が滑走路だから、駐車場からも離発着する飛行機を近くで見ることができる。

名古屋空港-10

 出発フロアの案内ボードは、そのまま残している。他にも空港ターミナルの名残を消さずにいて、面白い演出だと思った。
 こういった空港の施設をショッピングセンターとして再利用したのは、ここが初めてだそうだ。
 ユニーが中心となっているので、1階、2階はすべてアピタとなっていて、他の階も雰囲気はそのままアピタっぽい。
 しっかりスガキヤも入っている。
 屋外にはシネコンのミッドランドシネマも併設されている。

名古屋空港-11

 かつての展望デッキが、スカイビューデッキという名でそのまま残された。
 ここからは南滑走路を正面に見ることになる。
 半分は屋外で金網張り、半分は室内でガラス張りとなっている。

名古屋空港-12

 時刻表を完全に読み間違えたようで、スカイデッキで45分くらい待って、結局、一機もJALの飛行機を見ることができなかった。ひとあし先に名古屋空港から撤退したのかと思ったほどだ。
 迷彩カラーの自衛隊機は初めて見たので、これは撮る。

名古屋空港-13

 JALが来ないから、駐機しているセスナでも撮ってみる。
 ただ待っているだけなのは退屈だ。

名古屋空港-14

 こういうシーンで、飛行機入りの写真を狙っていた。この場面で上空に離陸していく飛行機が写っていれば、狙い通りだった。

名古屋空港-15

 親子連れとか、おじさんとか、小学生の二人組とか、老夫婦とか、わりといろんな人が飛行機を見るために訪れていることを知る。みんな飛行機がそんなに好きなのか。
 2005年以前に飛行機撮りの楽しさを知っていれば、もっとちょくちょく名古屋空港を訪れたのにと、少し悔やまれる。近い将来、JALは名古屋空港から完全撤退するといっているし、そうなるとここを訪れる楽しみはなくなってしまう。
 もう一度時刻表をよく調べて、離発着の時間と場所を把握してから再訪することにしたい。次は待ち時間を過ごすための本でも持っていった方がよさそうだ。

矢田川沿いから庄内緑地へ向かう

街(Cityscape)
矢田川庄内緑地-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / Takumar 135mm f2.5



 矢田川の河川敷を庄内緑地に向かって自転車で走っていたら、途中からゴルフコースになった。そんなことってあるだろうか。
 このまま進んでいいのかどうか迷って、いったん立ち止まる。けど、この風景、美しい。普通のゴルフコースは、周囲を森林に囲まれているものだけど、コースの向こうに建物が見えるというのが新鮮に映った。ちょっとセント・アンドリュースみたいだと思う。
 けど、やっぱりこれは明らかにゴルフコースであって、サイクリングコースではない。どこかに河川敷とゴルフコースとの境界線があるのに気づかず、進入してしまったらしい。
 この日は、庄内緑地へ行って、そのあと小牧の名古屋空港へ行くというコースだった。行き帰りで合計40キロというのは新記録だった。かなりダメージはあったものの、これで片道20キロ圏内なら自転車で行けることが分かった。20キロというと、名古屋市内をほぼ網羅できる。

矢田川庄内緑地-2

 矢田川鉄橋を渡るJR中央線の列車。
 この風景も見た慣れたものとなりつつある。

矢田川庄内緑地-3

 公園アニマルは、河川敷にもいた。公園よりも意味がないと思うけど、ちょっと心が和む。周りは草がぼうぼうで、ペイントもだいぶはがれかけている。役に立っていなくても、こういう遊びの部分は必要だ。

矢田川庄内緑地-4

 河原の超高層マンション、ザ・シーン城北。何故この場所だったのだろうと、いつも思う。
 ピサの斜塔のように少し傾いているように見えたのは、気のせいだ。

矢田川庄内緑地-5

 ここだけ戦場となったみたいな家。人が住まなくなって久しいようだけど、それにしても痛みが激しい。
 個人的には心惹かれる外観だ。

矢田川庄内緑地-6

 民家の裏庭。すごく物がたくさんある。これもコレクター体質というやつだろうか。

矢田川庄内緑地-7

 矢田川と庄内川が合流する地点に、流れを弱めるための堰が作られていて、取って付けたように魚道が設けられている。こんな道を本当に魚は通るものなのだろうかと疑問に思うけど、その脇でカワウが待ち構えているところをみると、実際に魚はこの道を通って上流へ行くこともあるようだ。
 けど、この道を見つけて泳いでいける魚はよほど頭がいい。自分が魚だったら、この道に気づく自信がない。

矢田川庄内緑地-8

 特に何か撮りたいものがあったとかではないのだけど、ときどきなんとなく行きたくなるのが庄内緑地だ。
 今回は季節が半端ということもあって、これといったものは何もなかった。ハスが少しだけあったものの、天気のいい午後ではどれも花は閉じている。距離も遠いし、ここはハス撮りには向かない。
 一瞬、カワセミが飛んでいったのを見たけど、撮ることはできなかった。

矢田川庄内緑地-9

 夏を思わせる花の一つ、ノウゼンカズラ。光を浴びたオレンジの花は、南国風情だ。

矢田川庄内緑地-10

 気の早いヒマワリが咲き出していた。
 梅雨の雨でじっと我慢している間に7月も半ばとなった。ヒマワリというと8月というイメージが強いけど、7月に満開になるところも多い。種を蒔く時期や、品種によっても違うのだろう。
 今年は大垣のヒマワリ畑に行きたいと思っている。大垣は少し遅めで、8月の中旬くらいが見頃のようだ。

矢田川庄内緑地-11

 庄内緑地といえば、この噴水は外せない。ここで子供が遊んでいる姿は絵になる。
 バラ園のバラはもうきれいではなく、花菖蒲はすっかり終わっていた。池には鳥もいない。それ以上粘っても撮るものはなさそうだったので、庄内緑地をあとにすることにした。

矢田川庄内緑地-12

 クロネコヤマトのお姉さんが自転車でリヤカーを引いて配達をしていた。これは初めて見る。
 近頃は景気も悪いし、路上駐車の取り締まりも厳しくなったから、街中の近場なら自転車の方が経済的で効率もいいということか。
 それにしてもこの配達は大変だ。これからはますます暑くなるし。

矢田川庄内緑地-13

 看板屋さんなのか、絵画関係なのか、肖像画を描きますという看板を前面に出している店は、あまり見たことがない。
 ふと自分の肖像画を描いて欲しいと思いついたとき、どこに電話して誰に頼んでいいのか思いつかない。都合よく知り合いに画家がいるわけでもない。
 だから、こういう店というのは意外と需要があるのかもしれない。

矢田川庄内緑地-14

 前もこの道、通ったなと思い出したのは、この神社を見たときだった。神社の名前は忘れてしまった。このときも寄らなかったのだけど、表から見たら蕃塀(ばんべい)があるのが見えた。
 次に通ったら寄ろう。

矢田川庄内緑地-15

 ファミコンハウスという響きも懐かしいものとなった。ファミコンが登場してから、すでに25年以上の歳月が流れた。

 このあと、名古屋空港へ行って、初めて元国際線のターミナルに入った。そのときの話は、またいずれ機会を改めてということにしよう。

愛知縣護國神社とその周辺の写真

名古屋(Nagoya)
伏見栄-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / DA 55-300mm



 以前に一度、目の前まで行きながら中に入らなかった愛知縣護國神社。伏見のキヤノンギャラリーへ行った日の帰りに行くことができた。ずっと行けずにいたことがなんとなく心に引っかかっていて、今回入ることができて心のつっかえが取れた。
 場所は丸の内の官庁街で、すぐ西には移転した家庭裁判所と地方裁判所がある。どうしてこんな官庁街のまっただ中にあるのか不思議に思うけど、この場所に移ったのが昭和10年のことだったようだ。
 明治2年に、尾張藩主・徳川慶勝が戊辰戦争で戦死した藩士25人を祀ったのが始まりだった。そのときは昭和区川名山で、名前も旌忠社だった。
 それから第二次大戦までの戦いで命を落とした人たちも祀りつつ、名前も明治8年に招魂社、明治34年に官祭招魂社と名を変え、大正7年に名城公園に移り、昭和10年に現在地に移ってきた。愛知縣護國神社と改称したのは、昭和14年で、戦中は一時、愛知神社とも称していたそうだ。
 ここは日本神話の神様や歴史上の有名人を祀った神社ではない。戦没者を神として祀ったところだ。日本各地に同じような護國神社がいくつもある。
 そういう性格の神社だから、何か願い事をしにいくようなところではない。個人的には、一言挨拶しておいてもいいかなという気持ちで鳥居をくぐった。
 鳥居の前に大きな輪っかがある。何のことか分からず、よけて通った。
 帰りに説明書きを読んだところ、8の字にくぐると厄払いになると書いてある。茅の輪(ちのわ)というんだそうだ。けど、帰りにくぐってもどうだろうということで、そのままぐぐらずに帰ってきた。
 鳥居の外にはアジサイがまだ少し残っていた。

伏見栄-2

 境内には桜の木が植えられていて、ちょっとした桜並木になっている。夏の木漏れ日がきれいで、心地よかった。
 春には桜に彩られて華やかな境内になるのだろう。

伏見栄-3

 神職の人たちが何か相談しながら作業をしていたり、巫女の恰好をした女の人が忙しそうに行き来していた。神事の準備か、結婚式も行うようだからその下準備でもしていたのだろうか。
 拝殿の前に立っている丸太の木は、太玉柱(ふとたまばしら)と呼ばれるものだ。
 神様の数え方は、一柱、二柱というように、柱を御神体のように考えている神社もある。諏訪神社の御柱(おんばしら)は有名だ。

伏見栄-4

 社殿は昭和20年の名古屋空襲で焼け落ちてしまったので、現在のものは戦後に再建されたものだ。
 本殿と拝殿は昭和33年に建てられた。
 神門、舞殿、廻廊が再建されたのは平成10年というから、まだ最近のことだ。

伏見栄-5

 これはある種の迷信めいたものなのだけど、柏手の音が高く響く神社は良い神社という考え方がある。誰かがどこかで言ったのを聞いたのか、自分が勝手にそう思い込んでいるのか、よく分からないのだけど。
 霊感の強い人は、ホテルなどの部屋に入ったとき、まず手を打って響きを確かめることがあるらしい。響かない部屋はよくないから、交換してもらうこともあるんだとか。
 そんなこともあって、柏手の音の響きというのはけっこう気になるものなのだけど、この愛知縣護國神社はちょっとないほど良い響きだった。あんなに響くことはめったになくて、自分で驚いた。それがとても印象に残った。

伏見栄-6

 愛知縣護國神社だけではひとネタにならなかったので、この日の前後の写真をあわせて一回分のネタとしたい。
 ちょっと目を引く洋館があった。愛知県議員会館とある。
 名古屋市長を務めたこともある弁護士の大喜多寅之助が住宅兼事務所として大正9年に建てた邸宅だそうだ。
 昭和27年に、愛知県に所有が移り、議員の宿泊や会合に使われているらしい。
 外観だけでもなかなか魅力的で見学したいところではあるのだけど、一般公開はしていない。

伏見栄-7

 白壁にある豊田佐助邸。
 かつてこのあたりには豊田一族の邸宅が集まっていた。豊田喜一郎邸や豊田佐吉邸は現存せず、佐吉の弟である佐助の邸宅だけが残っている。
 大正12年に建てられたもので、現在は名古屋市が借り受けて資料室として使っている。
 ここは公開されていて、無料で内部を見学することができる。一度入ってみようと思っている。

伏見栄-8

 白壁地区は、かつて中級武士の武家屋敷が建ち並んでいた場所で、その流れを汲んだ家並みが今でも残っている。
 これまでにも断片的に写真を載せてきたけど、まとめて紹介はしていない。いずれしっかり写真を撮ってきて、紹介しなければと思っている。

伏見栄-9

 名古屋最古の教会であるカトリック主税町教会を裏手から。
 ここは前に中にも入ったことがある。そのときの様子はブログでも紹介した。

伏見栄-10

 名古屋城の外堀に架かる本町橋。
 最初は明治44年に架けられたようだ。
 昭和12年にコンクリートで改築されてはいるけど、市内に残る唯一の煉瓦造アーチ橋だそうだ。

伏見栄-11

 都会の中に突如現れた森林のような風景。公園なのだろうけど、なんだかちょっと不思議な景観だった。

伏見栄-12

 古い和菓子屋さん。
 この距離感から見るともうやっていないように見えるけど、実はひっそり営業していたりするかもしれない。

伏見栄-13

 少し古めかしいビルがあった。
 坂文種報徳会(ばんぶんたねほうとくかい)という病院関係のところが所有する貸しビルらしい。
 昭和6年建築ということで、なかなか雰囲気が出ている。

 ちょっと寄せ集めで雑多な感じになったけど、今日はこんなところ。
 雨降りが続いて、写真を撮りに行けない。この週末には梅雨も明けそうだ。

一見の価値がある名古屋市市政資料館

名古屋(Nagoya)
名古屋市市政資料館-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 一度行かなくてはいけないと思いつつ、なんとなくきっかけがないまま先送りになっていた名古屋市市政資料館。この前、キヤノンギャラリーへ行ったとき、方向がついでだったので、ようやく行くことができた。
 見てきた感想としては、やはりここは一度見ておかなくてはいけないところだったな、というものだった。名古屋の人も、そうじゃない人も、一見の価値がある。
 今日は、その名古屋市市政資料館について紹介することにしたい。

名古屋市市政資料館-2

 
 赤レンガと白い花崗岩の洋風建築は、レトロモダンでハイカラ、重厚さと軽やかさを併せ持っている。
 札幌の人は、これ、うちにも似たようなやつがあるぞと思ったかもしれない。全国に8つ建てられた控訴院庁舎で、現在は名古屋と札幌のみ現存している。
 建てられたのは大正11年(1922年)と、大規模なレンガ造りの建物としては最末期のものだ。1984年には国の重要文化財に指定された。
 工事の主任を務めたのは、ジャズピアニスト山下洋輔氏のおじいちゃんである山下啓次郎だった。
 大正から昭和にかけて、名古屋高等裁判所、地方裁判所が置かれ、長らく名古屋の司法の中心としてこの建物が使われていた。
 昭和54年(1979年)に、裁判所が中区の三の丸に移り、取り壊しの話も出たようだけど、これだけ立派な建物を壊すのはもったいないということになり、保存が決まった。
 文化庁や県の支援を受けて、名古屋市が外観と内部の復元・修繕工事を行い、平成元年(1989年)に、名古屋市市政資料館として一般公開された。名古屋市の公文書館としても使われている。
 場所は、県庁や市庁舎の東の裏手で、名古屋城から見ると南東に当たる。少し奥まったところにあって、やや見つけづらいかもしれない。一応、名城公園の飛び地という扱いになっている。
 東区の白壁地区を中止とした「文化のみち」の起点でもある。名古屋の観光バス・メーグルもちゃんと止まる。
 平成19年に、入館者が100万人を突破したそうだけど、その数字が多いのか少ないのか、よく分からない。近所の学校の社会見学などにも使われているようで、団体の見学も多いのかもしれない。
 個人的には司法関係の建物だから、そんなに面白いことはないだろうと思っていた。それは確かにそうなのだけど、無料で見学できて、内部の写真も撮れるというのはありがたい。
 月曜と第三木曜が定休となっている。

名古屋市市政資料館-3

 入口はあまりにも無防備というか、開放的で、本当に勝手に入っていっていいのかどうか、少し戸惑う。入口に受付の人くらいいるかと思っていたけど、そういった人もいない。ガードマンのような人もいない。
 中ではまだ働いている人たちがけっこういるようで、半分役所のような雰囲気もある。
 完全な観光気分で、カメラをぶらさげて入っていて、パチパチ写真を撮っている自分が、ひどく場違いなような気がした。見学自由には違いないのだけれど。

名古屋市市政資料館-4

 一番の見所は、入ってすぐの中央階段室だ。
 見覚えがあると思った人がいたとしたら、それは勘違いではないと思う。ドラマ「華麗なる一族」や「花より男子2」など、いろいろなロケに使われているからだ。
 この場所をメイン会場として、結婚式も行われている。
 ネオ・バロック様式の内装で、階段の手すりがマーブル塗りになっていたり、ステンドグラスがはめられたりと、非常に豪華で洒落た造りになっている。

名古屋市市政資料館-5

 中央のステンドグラスも見所の一つだ。
 裁判所ということで、デザインは天秤がモチーフとなっている。

名古屋市市政資料館-6

 天井にもステンドグラスが入っている。
 教会以外でこれだけ大きなステンドグラスがあるところはあまりない。その点でもここは貴重な存在といえる。

名古屋市市政資料館-7

 この部屋も重文指定されている会議室で、当時の様子を忠実に再現しているそうだ。
 大きな絨毯やシャンデリアなど、調度品にお金がかかっている。

名古屋市市政資料館-8

 廊下も雰囲気がある。
 蛍光灯で白々と照らすのではなく、窓からの採光というものがちゃんと計算されている。

名古屋市市政資料館-9

 明治憲法での法廷を復元した部屋。
 基本的なスタイルは、今もあまり変わっていないように思う。
 別の部屋では昭和の法廷部屋も復元されている。
 展示室の中は撮影が禁止されていた。資料などを写されては困るということだろうか。
 名古屋の街の古い写真なども展示されていて、見ていくとなかなか楽しめる。
 明治の古い新聞などもあるようで、調べ物をしている人には役に立つ場所なのだろうと思う。

名古屋市市政資料館-10

 愛地球博にあった大地の塔の資料を展示している部屋もある。
 といっても、あのでっかい太陽の塔がここに移されているはずもなく、写真とか万華鏡の動画などを見せている。
 万博のときは並ぶ気力がなくて見られなかったという人も多かっただろうから、映像で見て、あのときを懐かしむというのもいい。

名古屋市市政資料館-11

 昔の建物は、こういうスイッチ一つにしてもデザインに手を抜いていない。日々の暮らしで使うものでも、実用的でありさえすればいいというわけではない。昔は外観にも内装にも、遊び心があった。

名古屋市市政資料館-12

 雑居房や留置場もあって、中に入ることができる。

名古屋市市政資料館-13

 留置場エリアは、1階でありながら地下のように暗い。

名古屋市市政資料館-14

 市政資料館と道一本隔てた向かいに、大きな長屋があり、司法書士の事務所などが並んでいる。今となっては懐かしい寄り合い所帯だ。
 裁判所の向かいということで、地の利があったのだろうけど、裁判所が移転した今も、そのままここで事務所を続けている。

名古屋市市政資料館-15

 この一角だけ唐突に昭和の下町みたいで面白い。

 司法に興味はなくても、建物の外観と内部だけでも見て損はない。
 まだ現役で使われている建物ということで、息づかいが感じられるのもいい。眠りについた明治村の建物とはその点に違いがある。
 名古屋にもちょこちょこ古い建物は残っているけど、これだけ大きな規模のもので、内部を自由に見学できるところは少ない。
 名古屋の人も、名古屋に遊びに来た人も、チャンスがあれば一度訪れてみることをオススメしたい。

雨の合間のち土砂降りのハス下見撮り

花/植物(Flower/plant)
長久手ハス-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 雨がやんだ隙を突いて、長久手のハスを撮りに出かけた。時間があれば午前中に行こうと思っていたのだけど、まずは下見ということで出向いてみた。はっきりした場所が分からなかったので、それを確認する意味もあった。
 長久手温泉「ござらっせ」の近くという、やや曖昧な情報を頼りに現地に到着した。このあたりは毎年、田植えが終わる5月にアマサギを撮りに行っているところだ。かなり馴染みのあるところではあるのだけど、ハスが植わっているのは気づかなかった。
 場所は、「ござらっせ」の北250メートルほどの「大草」交差点の北西だ。大草交差点にさえ辿り着ければ、すぐに見つかる。
 愛地球博を機に、長久手を花で飾ろうと、農家さんが自宅前の休耕田に大賀ハスの種を植えたのが始まりという。年を追うごとに花も増えて、今では田んぼの一角が賑やかなピンクに彩られている。
 範囲としては広くない。上の写真が全体の半分から3分の2くらいだ。
 観賞用に植えているわけではないから、写真を撮るのはやや厳しいものがある。近づけるところが限られていて、マクロレンズで撮れる花は少ない。どうしても望遠レンズがメインとなる。午前中は順光で、午後は逆光になる。あぜ道は雨でぬかるんでいるから、汚れてもいい靴を履いてった方がいい。
 ままにならない部分はあるにしても、これだけきれいに手入れされたハスを好意で見せてくれているのだから、文句はない。

長久手ハス-2

 ハスの花は、朝日と共に花を開いて、午後から夕方にかけて花を閉じる。それを4、5日繰り返して、花びらを落とす。
 夕方まで開いている花は、たぶん、最後の一日なんじゃないかと思う。
 ミツバチなどによって受粉して実をつけ、そこから種が落ち、芽を出し、また花を咲かせる。

長久手ハス-3

 雨降りの合間の夕方にあえて行ったのは、水玉を撮りたいというのもあった。
 けど、すぐにのんびり撮っている場合ではなくなった。

長久手ハス-5

 雨が土砂降ってきた。いかん、なんてこった。
 念のため傘を持っていったのは正解だったけど、夕立のような大雨で、ハス撮りはままらなくなった。
 せっかくの雨だから雨を撮ろうと思っても、雨というのはなかなか写真に写ってくれない。それで、雨も撮れずじまいだった。

長久手ハス-4

 とりあえずカエルでも撮ってみる。
 こいつはトノサマガエルか。
 ハスの花の中に入って顔を出しているアマガエルの図を撮りたいと、前から思っている。今日も探したけど、そうそう都合よくはいかない。

長久手ハス-6

 しばらく待っていたら、雨が小降りになったので、撮影を再開した。
 ハスは雨をあまり身にまとわない。アジサイのような雨風情はない。雨上がり直後に撮ったのに、ついている雨粒が少ない。ハスの花びらは雨を弾き流す性質のようだ。

長久手ハス-7

 ハスの台座(花托)の黄緑色がきれいだ。花びらのピンクとのパステルコントラストがいい。
 台座はやがて茶色になって、種が落ち、穴ぼこができる。そのとき、顔みたいに見えることがあるから、そのあたりも狙い目だ。

長久手ハス-8

 落ちた花びらを受け止めるハスの大きな葉。

長久手ハス-9

 花托だけになったハスにとまるイチモンジセセリ。
 一見すると地味で蛾みたいな蝶だけど、よく見ると黒くてつぶらな目がかわいい。

長久手ハス-10

 ハスの花撮りには早々に飽きて、虫撮りに切り替わった。雨があがったら、いろんな虫が出てきた。
 これはアブっぽい。アブについてはほとんど知らない。

長久手ハス-11

 シオカラトンボ。しばらくこいつと遊んでもらった。

長久手ハス-12

 ハスのつぼみにとまってこちら向き。

長久手ハス-13

 今度は花托に。

 いっとき晴れたと思ったら、また雲って、小雨から土砂降りになった。それ以上続けるのは難しくなったので、帰ることにする。下見としてはこれで充分だ。
 ハス撮りはもう一度午前中の花が咲いている時間帯にしたいと思っている。ただ、この場所を再訪するかどうかは迷いどころだ。撮影という点では自由度が低くて難しいものがある。他の人も撮りに来ていたら尚更だ。もう少し近づいて、逆光で撮りたい。
 他に候補地が見つからなければもう一度行くことになるかもしれない。

ウルグアイ敗退で普通のサンデー料理

料理(Cooking)
普通のサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 先週の予定では、今日はウルグアイ料理に挑戦する予定だった。けれど、ウルグアイは準決勝で負け、3位決定戦にも敗れてしまい、私の中でもウルグアイは勢いを失ってしまった。
 少し調べたところ、ウルグアイ料理は難しいというか、作りたいと思える料理がなかった。
 やはり牛肉がメインで、メニューがどれも肉々しい。肉とご飯と桃とレーズンを煮込んだものとか、肉と野菜をコッペパンに挟んだハンバーガーとか、牛の胃袋の煮込みとか、厳しいものが多い。
 それで、ウルグアイ料理は、きっぱりあきらめることにした。日本と対戦した国じゃないから、頑張れなかったというのもある。
 スペインやドイツ料理も考えたのだけど、どうも気が乗らず、結局、普通のサンデー料理を作ることになった。ここのところ、洋食系が続いたから、今日はもう少し和寄りのものを食べたい気持ちもあった。
 ウルグアイ料理が駄目となったら、急に考えるのが面倒になった。それで、なるべく簡単にできることを優先して、3品作った。3品で1時間ちょっとというのは、私にしてはかなり短時間の料理だ。

 左手前は、マグロのたたき料理で、名前は分からない。
 たたいたマグロを買ってきて、それに刻み長ネギと、刻んだトマトを混ぜて、オリーブオイルで炒めていく。
 白ワイン、みりん、ダシの素、砂糖、しょう油、豆板醤、塩、コショウ、唐辛子で、やや濃いめに味付けをする。
 これをレタスで食べるのが美味しい。
 普通のマグロを刻めばできるし、簡単にできる一品料理で、メインにも昇格させられる。オススメしたい。

 右はナスのパン粉揚げ焼きだ。
 ナスを輪切りにして、水にさらし、水気を切る。
 パン粉に、粉チーズ、パセリ粉、塩、黒コショウ、ダシの素、カレー粉を混ぜる。
 小麦粉、溶き卵の順につけて、パン粉をたっぷりまぶす。
 その状態でレンジで3分加熱する。普通に焼いたり揚げたりすると焦げやすいので、あらかじめレンジで中に火を通しておく。これはとんかつなどにも使える手だ。
 多めのオリーブオイルで、じっくり揚げ焼きにする。
 パン粉に味をつけてあるので、落ちたパン粉も振りかけて食べる。
 今回の中でこれが一番美味しかった。

 奥は豆腐の卵とじみたいなやつだ。
 タマネギ、鶏肉をオリーブオイルで炒める。
 そこへ、ツナ缶、絹ごし豆腐を入れ、白ワインを振って、更に炒める。
 みりん、しょう油、ダシの素、砂糖、塩、コショウ、めんつゆ、唐辛子で味を調えれば出来上がりとなる。
 これも簡単で間違いのない一品だ。

 今回は今日食べたいものを、なるべく簡単に作って食べるというのがテーマで、その点では上手くいった。見た目はあまり気にしなかったので、仕上がりはそれなりでしかない。もう少し彩りを加えた方が見栄えはよくなっただろう。
 まあでも、今日は途中から主役は作り手から食べ手へと移ったから、食べる側として満足だったから、それでよしとする。あれこれごちゃごちゃせずに、シンプルに作った方が美味しいものができる。
 来週からまたしばらくノンテーマになりそうだ。これといったイベントや行事も思いつかない。気が向いたら、スペイン料理でも作ってみるかもしれない。そのときは、タコ料理も一品加えることにしよう。

小幡緑地と行き帰り

施設/公園(Park)
小幡緑地2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 矢田川の河原風景。
 昔は雑草が生い茂っているだけで何もない河原だったけど、緑地として整備されてからは、だんだん人が集まってくるようになった。街中にこれほど広い公園はないから、散歩するにしても、スポーツをするにしても、貴重な場所となっている。特に大人にとって、矢田川の河原はありがたいところだ。街の公園よりも気軽に行けて、のんびり過ごすことができる。
 今日は昨日の小幡緑地本園の続きで、余った写真と行き帰りの写真をあわせて紹介することにしたい。

小幡緑地2-2

 空き地に生えていた夏草。名もないような雑草でも、逆光に輝いていると、命のきらめきを感じる。

小幡緑地2-3

 おなじみの瀬戸電風景。
 西野カナの存在を最近知ったのだけど(遅い)、あの学校に在学中らしい。同じ松阪生まれで、近所の大学に通っていると知ったら、親近感を覚えた。ひょっとしたら見かけることもあるかもしれない。

小幡緑地2-4

 ここからは小幡緑地の残り写真。
 空を映す鏡のような池。
 端っこに飛んでいるトンボがかろうじて写っている。目の前を撮った瞬間にシャッターを切ったつもりが、かなり遅れている。飛んでいるトンボを撮る場合は、反射神経では間に合わない。

小幡緑地2-5

 ルドベキアだろうか。
 オオハンゴンソウを品種改良したもので、ルドベキアといってもいろいろ種類がある。これはその中の一つだと思うけどどうだろう。

小幡緑地2-6

 水風景は、映り込みが作り出す風景。水は空や周囲の木々などによって様々に様子を変える。

小幡緑地2-7

 前回訪れたとき、取り残されるように居残っていた渡りガモの姿は、もうなくて安心した。遅れて無事に渡っていけただろうか。
 夏場は静かになる池で、我が物顔で泳いでいるのは、アオクビアヒルだ。グエッ、グエッと鳴きながら、泳いでいた。

小幡緑地2-8

 久しぶりに大きなカタツムリを見た。
 抜け殻かと思って拾い上げて見てみたら、ちゃんと中に入っていた。
 紫陽花とカタツムリの組み合わせを撮ったことがないから、一度撮ってみたい。やっぱり雨の日じゃないと駄目だろうか。

小幡緑地2-9

 水辺で毛繕いをするノラ。
 ここもノラが多いところで、お世話をしている人もまた多い。

小幡緑地2-10

 期待したほど空が焼けず、夕焼けに染まる空と池を撮ることはできそうになかったので、もう帰ることにした。

小幡緑地2-11

 まだらの雲と部分焼け。
 梅雨は明けそうでまだ明けない。来週も雨の日が多くなりそうだ。夏の青空が戻ったら、行きたいところがたくさんある。

7月の小幡緑地の人と虫の風景

施設/公園(Park)
小幡緑地1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 近所にあるいくつかの公園や緑地の中で、一番相性がいいのが小幡緑地の本園だ。行けば何かしかの収穫があるから、他に行くところが思いつかないときはここへ行くことが多い。自転車でも気軽に行ける距離というのも大きい。
 小幡緑地本園には大小3つの池があり、川の流れがあり、湿地もある。多様な水の風景があるのが、相性の良さにつながっているのだろう。春夏秋冬、それぞれの表情があり、変化が楽しめる。夏には夏らしい水風景を見せてくれる。
 花が少ないのが残念なところではあるのだけど、虫は多いから、夏場も撮るものには困らない。鳥は冬のカモ以外あまり多くない。6月の夜に行けばゲンジボタルも見ることができる。

小幡緑地1-2

 カラスの口の中が赤いというのは、今まで意識したことがなかった。
 緑が映り込んだ池の水と、赤い口を開けたカラスのコントラストがよかった。

小幡緑地1-3

 飛んでいるトンボを至近距離で撮るというのも今年の課題の一つとしているわけだけど、これはもう相当に難易度が高い。飛んでる鳥どころじゃない。
 置きピンにして待つにしても、望遠にするとファインダーの中を横切るのは一瞬のことだから、その瞬間にシャッターを切らなければ間に合わない。無駄打ち覚悟で連写しまくるしかないのだろうか。
 しかし、この距離でさえピントを合わせられないのだから、成功確率はかなり低そうだ。
 トンボの目玉がくっきり写ってるくらいの距離で捉えてみたい。

小幡緑地1-4

 芝生を小動物がピョンピョン跳ねながら走っていく姿を見て、びっくりした。まさか、緑地に野生の小動物がいるのか、と。
 あ、野ウサギだ、と本気で驚いた次の瞬間、飼い主らしき人が、「待て~」といいながら後を追いかけてきた。飼いウサギだった。
 現地では分からなかったのだけど、写真を見たら首輪をしている。部屋で飼っているウサギの運動不足解消のために外で走らせていたのだろう。
 それにしても、なかなか斬新というか新鮮な光景ではあった。

小幡緑地1-5

 川遊びをするちびっこと、見守るお母さん。
 夏らしい光景。

小幡緑地1-6

 魚取りの子供たち。
 平成になってもこういう風景が残っているのは嬉しい。

小幡緑地1-7

 この日はいくつもの夏休みのような光景を見た。

小幡緑地1-8

 何か咲いてないかと、湿地帯へ行ってみた。
 これといった花はなかったものの、虫たちが相手をしてくれた。
 カマキリも街中ではほとんど見かけなくなったから、見つけると喜ぶ。
 被写体としてもフォトジェニックだ。

小幡緑地1-9

 草の中の蜘蛛。足の毛がすね毛っぽい。

小幡緑地1-10

 実用本位の蜘蛛の巣の模様が、人間の感覚からすると美しく見える。
 人が作る機械でもそうだけど、機能的に優れているものは必然的に美しくなるのかもしれない。

小幡緑地1-11

 トンボの正面顔。
 何トンボか確認しなかった。
 飛んでいるトンボをこの距離、この角度で捉えることができたら大喜びするけど、奇跡に近い偶然でしか可能性はない。

小幡緑地1-12

 夕陽に向かうトンボの後ろ姿。
 この夏の間しか生きられない彼らの儚さを思う。

 つづく。

名古屋城経由の帰り道風景

街(Cityscape)
名古屋城帰り道-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 伏見へ行った日の帰り道は、名古屋城の方を回って帰った。植物園編と前後してしまったけど、今日はそのときの写真を紹介したいと思う。行き名古屋市政資料館も寄っていったから、そのときの写真もいずれ近いうちに。
 名古屋城と名城公園は、名古屋の桜名所の一つとなっている。けど、なんとなく桜の時期には縁がなくて、名古屋城の桜はほとんど見たことがない。遠くからちらっと見たことがあるくらいだ。
 6月の桜並木は、強い光と影のコントラスト。濃い緑に生い茂った葉が作る木陰が、太陽の日差しから守ってくれる。
 これもまた、桜並木の風景。

名古屋城帰り道-2b

 愛知県体育館の入口にもなっている二之丸大手二之門は、初めてくぐったような気がする。名古屋城内はすべて有料のような気がしていたけど、二ノ丸庭園の外までは自由に入っていけたのだ。
 これは二ノ丸大手門の外門で、大手一之門(現存せず)とあわせて西鉄門と呼ばれていたそうだ。
 国の重要文化財に指定されている。ということは、空襲で焼けずに残ったということだ。

名古屋城帰り道-3

 今話題になっている大相撲名古屋場所が行われるのが、この愛知県体育館だ。
 どんな様子か見てみたくて、こちから回っていったのだった。行ったのは6月の終わりで、ようやく名古屋場所が開催されることが決まって、工事を始めたところだった。もう外回りの工事は終わったんじゃないかと思う。
 前代未聞のNHKが中継せずという場所になってしまったけど、取り組みは盛り上がるのだろうか。今回ばかりは特別な場所ということで、一度見に行ってみたい気もある。

名古屋城帰り道-4

 愛知県体育館の奥で水泳教室が行われているようだった。おかあさんやおばあちゃんに付き添われて、ちびっこたちがぞろぞろ入っていった。

名古屋城帰り道-5

 名城公園の藤棚の下を通ったら、まだ咲き残っている藤の花があって、びっくりした。6月終わりでもまだ咲いている花があるんだ。

名古屋城帰り道-6

 名城公園は相変わらずのノラ天国で、私がカリカリをあげるまでもなく、たくさんの人がメシをあげている。

名古屋城帰り道-7

 名城公園の北を堀川が流れている。黒川から上飯田あたりまでは、黒川と呼んでいる。ちょっとした桜の名所になっていて、今年の春にも見にいっている。
 堀川のどこから黒川に変わるのかはよく分からないけど、名城公園の北あたりは、水がかなり汚い。どぶ川の匂いがする。熱田あたりの堀川はだいぶきれいになって匂いもしなくなったけど、黒川はあまり浄化が進んでいない。
 川の水が黒っぽく濁っていて、空や木々を鏡のように映している。

名古屋城帰り道-8

 川なのに池くらい映り込みがすごい。桜並木があったから、来年の春、見にいってみよう。桜が映り込んで写真に撮るときれいに見えるはずだ。

名古屋城帰り道-9

 昭和の名残の通り。昔、こんなふうに飲食店が何軒か並んでいるところを、何々銀座とよく言っていた。

名古屋城帰り道-10

 どこの通りだったか覚えていない。閉店した古い店の前で、自転車の女子高生が佇んでいる姿が印象に残った。

名古屋城帰り道-11

 木ヶ崎公園。どこかで聞いたことがある公園だと思ったら、長母寺の裏にある公園だ。こちらに回ったのは初めてだったから、同じ公園とは気づかなかった。

名古屋城帰り道-12

 どこかの工場跡か何かだろうか。古めかしい味わいに惹かれるものがあった。

名古屋城帰り道-13

 河原なんかでよく見かける花。名前は知らない。

名古屋城帰り道-14

 最後は矢田川から香流川を通って帰った。いつもの見慣れた川風景。

 今日のところはこんなもの。しばらく小ネタが続きそうだ。

植物園の7月は日本の夏 <東山植物園・後編>

動物園(Zoo)
7月の植物園2-1

Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8 MACRO



 7月の東山植物園の後編は、合掌造りの家からの再開となる。
 どうして白川郷の合掌造りの家が植物園に移築されたのか、とても唐突な感じがして最初は違和感があった。けど、植物園に通っているうちに、ここのありがたみが分かってきた。季節によって小さな変化などもあって、花の少ない時期でも楽しませてくれる。
 岐阜の山奥の白川郷は遠すぎて簡単にはいけない。こうやって身近で本物の合掌造りを見ることができるのはいいことだ。
 抜け殻になっているのは明治村の建物と同じで、暮らしの温もりまでは期待できないのが、ちょっと残念ではある。もう少し小道具なんかを増やして、生活空間としての演出があってもいいように思う。

7月の植物園2-2

 板の壁から漏れ入る光。夏の緑の映り込みもある。
 こんな板一枚では豪雪地帯の冬は乗り切れそうにない。実際に白川郷で使われていたときはどうしていたのか。囲炉裏で火をがんがんに炊いても、寒さはこたえただろう。

7月の植物園2-3

 板の間を踏む感覚は、日常の暮らしの中にはない。たまに味わうことができるのは、こんな古い木造の家を見学するときや、天守閣に登るときくらいだ。
 それでも、板間の感覚は足裏が覚えている。どかどか踏むと床が抜けそうで、なんとなくそっと歩いてしまう。

7月の植物園2-4

 軒に風鈴がたくさん吊り下げられていた。
 このときは風がなくてチリンとも鳴らなかったけど、風が強い日はこんなに吊してはうるさくて仕方がない。

7月の植物園2-5

 アジサイのシーズンはもう最終盤で、花が咲いているように見えて、もう咲いていない。花びらのように見えるのはガクだ。

7月の植物園2-6

 植物園での静かな語らい。
 隣の動物園は騒がしいけど、植物園はいつ行っても静かだ。

7月の植物園2-7

 晴れても太陽は雲に隠れがちで、ときどき前触れもなくざっと雨が降る。まだもう少し梅雨は明けそうにない。

7月の植物園2-8

 花畑はいつでも何かの花が咲いているけど、季節感が分からない。花の名前も分からない。

7月の植物園2-9

 これも名前は知らない。ただ、この花を見て、ラベンダーを思い出した。
 富良野のラベンダー畑は、いつか見たいと思いつつ、見ないまま頭の中のイメージだけでいいのかもしれないと思ったりもする。

植物園2-10

 一見するとよく咲いているように見えるアジサイも、近づいてみるともう花はほとんど咲いていない。
 今年はとうとう、一度もまともにアジサイを撮りにいけなかった。

植物園2-11

 キキョウというとなんとなく秋のイメージがあるのだけど、花が咲くのは7月、8月だから、夏の花だ。
 個人的な好みとしては、花が大きすぎて、やや品を欠く。

植物園2-12

 そろそろヒマワリも咲き始めていた。
 この夏は、大垣のヒマワリ畑を見にいきたいと考えている。上手くタイミングが合うといいけど。

 植物園は、一番近くで花と虫を撮れる場所だから、もっとちょくちょく行ってもいい。せっかく年間パスポートもあることだし、月に一度は行きたいところだ。7月も半ばを過ぎると、また季節が一歩進むから、近いうちに行くことにしよう。

夏が来たからハッチョウさんに会いに行こう <東山植物園・前編>

動物園(Zoo)
7月の植物園1-1

Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8 MACRO



 季節は進み、一年の後半に入った。梅雨はまだもう少し続くようだけど、ときどき晴れる日もあって、だいぶ暑くなってきた。30度を超える日が増え、本格的な夏を実感する。
 夏の風物詩はあれこれある。花であったり、食べ物であったり、空であったり。私の中で一つ大切なものとして、ハッチョウトンボがある。あの赤くて小さなトンボとの再会を果たすと、いよいよ今年もまた夏が来たかと思うのだ。
 先月、海上の森へ行ったときは湿地エリアへ行けずに会うことができなかった。もっと近場で確実に見られるポイントとして、東山植物園がある。海上の森ほどたくさんいないものの、手頃に見られるところとしてここは確実だ。
 やはりいた。小さいから立っている視点では見つけづらい。しゃがんで探してみると、葉っぱの先につかまっているのを見つけることができる。今年もようこそ日本の夏へ。
 ハッチョウトンボは、トンボ類の中で最も警戒心が弱く、一番写真に撮るのが簡単なやつだ。かなり近づいても逃げないし、指を出したら乗ってくるんじゃないかと思うほどだ。もちろん、指乗りトンボとまではいかないまでも、これくらい接近させても大丈夫だ。
 人差し指の第一関節よりも小さく、体長は2センチほどだから、1円玉と同じくらいだ。
 行動範囲はごく狭く、一生を生まれた場所の数メートル範囲の中で過ごす。だから、飛び立ってもしばらくすると元の場所に戻ってくる。飛んでいる時間よりとまっている時間の方が圧倒的に長い。
 体の小ささだけでなく、いろんな部分で特殊なトンボが、このハッチョウトンボだ。

7月の植物園1-2

 マクロレンズの限界まで接近して撮らせてくれる。ここまで近づいてしまうと、その小ささが伝わらない。けど、見つけさえすれば確実に撮ることができるのはありがたい。
 湿地帯などの限られた場所にしか生息しないハッチョウトンボだけど、ものすごく珍しいトンボというわけではない。意外と身近にもいるものだ。
 愛知県内で私が知っているところとしては、東山植物園の他には、海上の森、尾張旭の森林公園、春日井の築水池、豊田の松平郷、トヨタフォレスタヒルズなどがある。

7月の植物園1-3

 メスはオスに比べると地味で目立たない存在だ。ついつい赤いオスにばかり気を取られて、メスを撮らずじまいになってしまったりする。
 メスかと思ったら、オスの未成熟なやつだったりする。

7月の植物園1-4

 夏になると蝶の姿は少なくなる。今年はあまり蝶を撮れなかったのが、心残りとしてある。
 久しぶりにナミアゲハを撮ることができたけど、ちょっと距離が遠かった。青空をバックに飛んでいるところを撮りたい。

7月の植物園1-5

 蝶と蛾の違いは案外曖昧だったりするのだけど、これは明らかに蝶じゃない。
 たぶん、カノコガだ。
 蝶と蛾の最大の違いは、かわいいか、かわいくないかだ。多分に感覚的なものだけど、その感覚はけっこう正しい。

7月の植物園1-6

 蜘蛛もたくさんいた。本格的な蜘蛛シーズン到来といってもいい。あちらこちらに無数の蜘蛛の巣が張られている。すべての蜘蛛の巣にかからないで一生を終えることができる小さな羽虫は、相当運がいいんじゃないかと思う。
 蜘蛛の種類を判別したり覚えたりする気は起こらない。だから、蜘蛛を撮っても、いつまで経っても蜘蛛については知らないままだ。

7月の植物園1-7

 見たことがない虫がいた。甲虫類だろうということしか分からない。コガネムシとかの仲間だろうか。
 人間に人気のない虫は、虫からするとラッキーだ。人気者になってしまうと、子供たちにしつこくつけねらわれて、見つかると捕まってしまう。人気がない昆虫は人気がないことを自覚してはいないだろうけど、見つかっても写真を撮られるくらいで済む。こいつが一生のうちで写真に撮られる機会は、これが最初で最後だろう。

7月の植物園1-8

 トケイソウの原産は、ブラジルなどの南米だから、日本では夏に咲く。夏を思わせる花の一つだ。

7月の植物園1-9

 ミツバチ激減の理由はまだ解明されていないようで、飼っていたミツバチが集団脱走したなどというニュースを耳にする。ちょっと不吉な兆候で、心配になる。
 以前はいても当たり前の存在で、特に気にすることもなかったけど、最近は姿を見るとちょっとホッとする。忙しそうに蜜を集めている様子を見ると、ガンバレと応援したい気持ちにもなる。

7月の植物園1-10

 ユキノシタは、春の終わりから初夏にかけてが最盛期の花だ。夏にもまだ咲き残っているのがあったとしても、夏の花という印象はない。
 ずっと見たいと思っている野生のダイモンジソウを、今年は見られるだろうか。秋になったら岩屋堂に探しにいこう。

7月の植物園1-11

 今年はユリとはすれ違う年になりそうだ。ササユリは一度も見ないうちにシーズンを過ぎてしまった。ヤマユリが咲く場所は、遠すぎて自転車では行けない。近場でオニユリくらいは見られるかもしれない。

 一回で収めるには写真の枚数が少し多くなったので、前半はここまでとして、後半につづく。

色々な不思議があった名鉄・東名古屋港駅

旅/散策(Stroll)
名鉄大江駅




 碧南をあとにした頃には、もうだいぶ日も傾き始めていた。名鉄の旅も終盤で、あとはセントレアへ行って飛行機を撮るだけだった。
 とその前に、少し気になる駅があった。神宮前と中部国際空港とをつなぐ常滑線の途中、大江駅からちょろりと一駅だけ伸びている線がある。築港線という名前の路線で、駅は終点の東名古屋港駅のみ。
 日没まではまだ少し時間があったので、試しに行ってみることにした。予備知識はほとんどなかったけど、行ってみれば何か分かることもあるだろうと思いつつ。
 大江駅で降りて、隣のホームに移る途中、改札口があって戸惑う。何故、名鉄から名鉄への乗り換えなのに、改札を通らなければならないのか、このときはまだその理由が分からなかった。
 帰ってきてからよくやく理解できたのだけど、東名古屋駅には改札がなく、この線に乗る人は必ず東名古屋港駅で降りることになるから、先に運賃を払ってもらうという先払い方式になっているのだった。逆に東名古屋港駅から大江駅に来たときは、この改札で後払いすることになる。なるほど、そういうことかと納得した。



名鉄列車内

 夕方、大江駅から東名古屋港駅へ向かう人は少ない。ほとんどいないと言ってもいい。
 この路線の時刻表を見たとき、一瞬、見間違いかと思って二度見してしまった。
 一日20本のうち、朝の7時台、8時台に8本あり、その次の列車は16時44分となっている。9時台から15時台はまったく列車が走っていない。17時台、18時台が4本ずつで、最終は19時44分と早い。

築港線時刻表

 単線ひと駅の折り返し運転だから、東名古屋港の時刻表も同じようなものだ。
 土曜になると12往復に減り、休日は7往復になってしまう。
 この時刻表もどういうことなのかさっぱり分からなくて、あとになって納得することになる。
 とにかく、ガラガラの列車に乗って3分ほど揺られていると、あっけなく東名古屋港駅に到着する。



東名古屋港駅ホーム

 東名古屋港駅の風景。
 駅員さんが、タブレットとかいうやつをぶら下げて運転席の方に歩いていった。
 運転士の交代があるのか、あれを持って席を移動するのか、よく見ていなかったから分からない。



東名古屋港駅出入り口家路に就く人たち

 色々と驚くことが多かった築港線だったけど、一番驚いたのが夕方の東名古屋港駅の光景だった。
 行きの列車がほとんど無人に近かったから、利用客はごく少ないんだろうと予想していたら、私が降りるのと入れ替わりに、どこからともなく人がワラワラと湧きだしてきて、みんな一斉にホームへ早足で歩いていく。なんだこれはと、心の中でつぶやく私。
 異様な光景というのは言い過ぎにしても、すごく不思議な光景ではあった。
 見ているうちにも人は更に増えていく。サラリーマン風のスーツ姿の人から、労働者風の人、普段着のような人までいて、統一感がない。年齢層も広く、女性も多い。一体、この集団は何なんだ。そして、どこからやって来たのか。



線路と列車と乗客

 ホームらしきものはあるものの、ホームが終わってすぐに普通の道路になる。少し離れて見てみると、路面電車のようにも見える。
 駅としては東名古屋港駅が終点なのだけど、線路は終わらずに西の海の方に向かって続いている。
 駅前の交差点に横断歩道はなく、車の交通量はかなり多い。列車に乗りたい人は道路を横断できないから、歩道橋から行くしかない。みなさん、慌てて走っていた。毎日のこととなると、なかなかきついし、歩道橋を走っている途中で電車が行ってしまうと虚しい。
 終点の寂しい港風景を想像していたら、良くも悪くも大きく裏切られることになった。



企業ビル

 東名古屋港駅周辺から名古屋港にかけて、工場や事業所がたくさん建ち並んでいる。
 東レの大きな工場があり、三菱関係の会社が多いようだった。写真の時計台がある建物も、三菱自動車の関連会社らしい。
 なるほど、ここらで働いている人たちのための路線だったのかとこのときようやく合点がいった。
 朝夕しかないダイヤも、その時間しか利用者がいないということを意味している。
 けど、遅刻したり早退したいときはどうするのだという疑問も起きる。昼間訪れる業者の人も困るだろうに。
 と思ったら、ちゃんとバスが出ていた。朝夕は人が多くてバスでは運びきれないから、その時間帯だけ列車を走らせているということだったのだ。
 やはり、現地に行ってみないと分からないことは色々あるものだ。



続く線路

 築港線の線路は、東名古屋港駅で終わらず、港の方に向かって伸びている。
 しかし、雑草が生えて、使われている感じではなかった。
 昔は、貨物線として大活躍していたこの路線も、名古屋臨海鉄道が敷かれてからはほとんど使われなくなったということだ。
 名古屋臨海鉄道は東名古屋港のあちこちに伸びていて、JR東海道本線の笠寺駅とつながっている。
 名鉄と交差するところはダイヤモンドクロッシングという90度の交差になっていて、全国でも珍しいんだとか。
 何年か前まで、築港線に沿ってリニアモーターカーの実験線が敷かれていたそうだけど、今は撤去されて跡形もない。
 線路の先がどうなっているか気になったので、線路沿いに歩いてみることにした。



名古屋港行き止まり

 線路は道路を横切り、港の方へと続いている。その手前で、鉄の扉が閉まっていて、そこから先は分からない。

※コメント欄で教えていただきました。よければ参照されてください。



名古屋港埠頭

 遠くに名港トリトンが見える。左の青いのが名港東大橋で、右の白いのが名港中央大橋だ。更に右に赤色の名港西大橋がある。
 角度からすると、手前にブルーボネットがあるんじゃないだろうか。



ポートビルとイタリア村

 右に目を移すと、今はなきイタリア村の残骸が見える。あの建物群はどうなってしまうのだろう。このまま放置されて廃墟のようになってしまうのだろうか(2015年に解体)。
 名古屋港ポートビルもよく見える。
 夕焼け時間なら、なかなか素敵な光景が見られそうだ。
 名古屋港の花火も、ここからよく見えそうだ。けっこう知られているポイントなんだろうか。



名古屋港夕景

 日没時間が近づいてきた。こんなところでのんびりしているわけにいかない。夕焼け時間の前までにはセントレアに行かないといけない。
 セントレアについては、第一回目でお送りした。名鉄電車の旅はそこで終わりとなったのだけど、この名鉄シリーズは、ここで完結ということになる。なかなか楽しくもあり、収穫の多い旅となった。身近な鉄道の旅でも知らないところはたくさんある。名鉄の旅第二弾は、秋に予定している。

パラグアイ料理を作ってパラグアイを少し知ったサンデー

料理(Cooking)
パラグアイサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 ワールドカップ日本対パラグアイ戦が終わってまだ一週間も経たないのに、なんだか遠い出来事のように感じる。そのパラグアイも、PKを外してスペインに負けて、姿を消した。
 今更パラグアイ料理というのも、なんだか間が抜けているような気がしないでもないけど、せっかくパラグアイについて少し勉強をして、料理のことも調べたので、一度は作ってみることにした。ここで作っておかなければ、この先一生パラグアイ料理とは無縁のまま終わってしまう可能性が高い。
 例によって再現度は度外視して欲しい。そもそも本物を食べたことも見たこともないので、自分の作ったものがどの程度その国の料理に近いものなのか、まったく見当がつかない。作り終えて食べてみても、手応えもない。なんとなくパラグアイ風といえばいえるといった程度なのだと思う。多少なりともパラグアイ料理に近ければ、私としては満足だ。

 パラグアイについて、それなりの知識を持っている日本人はあまり多くないんじゃないかと思う。私はまったく何も思いつかない。知っているパラグアイ人といえば、超攻撃的キーパーのチラベルトくらいだ。
 パラグアイは、南米大陸の中央、やや南寄りに位置しており、周囲を高い山に囲まれた盆地のような土地だ。なんとなく山岳地帯のようなイメージがあったけど、それは間違いだった。
 海からは東西南北どこからも遠く、食生活も完全に内陸部のものとなっている。
 かつては、グアラニー族という民族が大部分を占めていた。外部からの流入や干渉も少なく、日本における大和民族のようなほぼ単一民族だったようだ。内陸奥深くということで、インカ帝国もここまではやって来なかった。
 16世紀に入ると、少しずつヨーロッパ人が入ってくるようになり、その代表がスペイン人だった。スペインの冒険家がやって来て、なんとなくなし崩し的にスペイン領になってしまった。アメリカのように無理矢理奪ったのとは違って、わりと平和的な支配だったようだ。
 その後、スペイン人の男とグアラニー族の女との混血が進み、現在のパラグアイ人の96パーセントは、スペインとグアラニー族との混血だといわれている。サッカーが強いのは、スペイン人の血というのもあるかもしれない。
 公用語もスペイン語とグアラニー語で、多くの人は二つの言語を話すという。
 19世紀初めに、南米でいち早く独立を勝ち取るも、その後、悲惨な戦争(三国同盟戦争)で、国はがたがたになってしまう。52万人いた人口は21万人になり、成人男子の3分の2は死んでしまったという。それからも戦争や内戦は続き、国はますます疲弊していった。
 現在でもパラグアイは決して裕福な国ではない。貧富の差が激しく、半分は貧民層だといわれている。
 グアラニー族のチラベルトは、貧しい人たちを救うための活動にも熱心で、本気で大統領になろうとしているらしい。あの熱い男なら、必ず実現させそうな気がする。
 男子は徴兵制で、驚くことに15歳から49歳までが対象となっている。相当幅広い。私もパラグアイに移住したら、兵隊さんにならないといけないのだろうか。
 日系人が8,000人ほどいて、パラグアイ国内での評判はいいそうだ。親日家も多いという。ワールドカップで対戦する前のインタビューでも、好意的な意見の人が多かったように思う。試合後も、いい試合だった、日本は次もガンバレといっていたおじさんの言葉が印象に残った。

 さて、そんなパラグアイの料理なのだけど、これまた特徴があまりなくて、サンデー料理で再現しようとすると難しかった。
 フランス料理やイタリア料理というような意味でのパラグアイ料理というのは存在しない。国内でパラグアイ料理のレストランというのもないらしい。伝統的によく作られている料理というのはあっても、多くは家庭料理だ。
 内陸ということで、海産類はほとんど食べないようだ。肉とマンディオカというイモの一種が主食となる。野菜もあまり食べないみたいだ。
 あとはトウモロコシの粉とか、豆類とか、魚は川魚を少し食べる程度で、味付けは、油と塩で、辛いものはまるで苦手なんだそうだ。エスニック系の料理はまったくなくて、韓国料理店なども現地の人は寄りつかないらしい。
 ごちそうというと、休みの日にみんなで集まって食べるバーベキューということになる。とにかく肉ばかり食べている彼らなのだ。
 ちょっと意外な豆知識として、日本で出回っている胡麻の6割がパラグアイ産なんだとか。にもかかわらず、パラグアイ人はまったく胡麻を食べないんだそうだ。
 なんだかパラグアイの人はわがままで偏食の子供みたいな食生活を送っているように思える。デザートは悶絶するほど甘いらしい。
 スペイン料理も食べられているのだろうけど、パラグアイ料理としては大きな影響を受けなかったようだ。

 そんな基礎勉強をしたところで作ったのが今日の3品だ。
 左手前は、エンパナーダを意識して作ったものだ。
 エンパナーダというのは、南米全域でよく食べられている揚げギョーザのようなものといえば、だいたいイメージが湧くと思う。パラグアイでもポピュラーなもののようで、具材としてはひき肉がよく使われる。
 具はチーズとコーンという思い切ったアレンジを加えてみた。
 チーズとコーンを刻んで、卵、マヨネーズ、塩、コショウ、コンソメの素を加えてよく混ぜる。パラグアイ料理にコンソメなんてものはたぶん使わないのだろうけど、そこまで義理立てすることはない。せっかくだから美味しいものを作りたいので、ソースも日本のものを使っている。
 向こうは丸く包むのが一般的のようだから、真似てやってみた。
 ソースは、白ワイン、しょう油、みりん、コンソメの素、塩、コショウ、マヨネーズ、唐辛子を混ぜてひと煮立ちさせる。
 子供のおやつか、酒のつまみかという一品に仕上がったけど、けっこう記憶に残る料理で、また作って食べたいと思った。パラグアイの人にはあまり受けないような気もする。

 右は向こう風のオムレツみたいなものだ。
 最初は、トルティーリャ・デ・パパとかいう、パラグアイ風のお好み焼きを作ろうと思っていて、やっていくうちにオムレツ風になってしまった。
 トウモロコシの粉で生地を作って焼いて、スライスしたジャガイモなどを乗せて食べるものらしい。
 トウモロコシの粉の代わりに小麦を使い、卵の量を多くしたら、オムレツになるのは必然だった。
 卵、とろけるチーズ、タマネギの刻み、エビの刻み、しめじの刻み、小麦粉、牛乳、塩、コショウ、コンソメ、砂糖を混ぜて、フライパンで焼く。
 これはパラグアイからだいぶ離れてしまった感じだ。美味しかったのは普通に美味しかったけど。

 左奥は、トマトと魚の煮込みスープ、チュッピンというのが元になっている。
 肉や豆やトマトなどを煮込んで、米を入れたり、パスタを入れたりして食べるのがパラグアイ風なんだとか。
 今回は、ジャガイモ、大豆、トマト、鶏肉、タマネギ、鯛の煮込みスープを作った。
 それぞれをオリーブオイルと白ワインで炒めて、水を加えて煮込む。
 コンソメ、塩、コショウ、ケチャップ、砂糖で味付けをする。
 これならパラグアイ人も食べてくれる料理になっているんじゃないかと思うけどどうだろう。

 そんなこんなで、パラグアイ料理もなんとか作った。パラグアイについて少しでも知ることができたのはよかった。名前は知っていてもほとんど何も知らない国というのは、他にもたくさんある。名前さえ知らないような国もある。料理でも何でも、何かをきっかけにして、その国について興味を持つことはいいことだ。
 この流れでいくと、来週はやはりワールドカップ絡みということになるだろうか。
 ドイツとスペイン、オランダはそれぞれ作ったことがある。作ったことがないのは、ウルグアイということになるのだけど、今回のパラグアイとの違いがどれくらいあるのだろう。
 来週までにちょっと調べてみることにしよう。

碧南へ行ったら油ヶ淵も見ておきたい <名鉄の旅・第11回>

観光地(Tourist spot)
油ヶ淵-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 碧南散策の後半は、油ヶ淵行きだった。
 碧南駅から3つ戻って新北川駅で降りる。ここから油ヶ淵までは2キロちょっと。普段なら大したことはない距離も、ここまでに御油宿、赤坂宿、本宿、碧南の町と歩いてきて、だいぶダメージが蓄積されていて、きつかった。足取りも重く、ここでの往復5キロ、2時間近くはけっこうこたえた。
 駅から市内無料循環バスのくるくるバスというのが出ていることは出ているのだけど、一日5本しかなくて、行きも帰りもまったく時間が合わなかった。市内をくるくる循環しているから、遠回りで一周にやたら時間もかかる。これは使えない。路線バスもないから、あとはタクシーに乗るか、歩くしかない。
 そんなわけで、とにかく油ヶ淵方面へ向かって歩き出した。このときはちょうどハナショウブの季節で、油渕遊園地というところがハナショウブの名所だというので、そこを目的地とした。

油ヶ淵-2

 北新川駅から油ヶ淵までの道のりは、あまり見所がなかった。一般的な地方の住宅地といった風景が続く。それが実際の距離以上に遠く感じさせた要因にもなった。写真に撮るものがあれば、歩いていても気が紛れる。
 味わいのある木造の家と窓を撮る。これはなかなかよかった。

油ヶ淵-3

 空き地に生えていたこの白いのは何だったか。河原などでも見かけるやつだ。
 光を浴びながら風に揺らされている様は、心惹かれるものがあった。

油ヶ淵-4

 屋根が重厚な感じの家。二階建てなんだろうけど、ちょっと複雑な造りになっている。

油ヶ淵-5

 高浜川沿いは田んぼ風景が広がる。
 このときはまだ田植えが終わったばかりだった。名鉄の旅からもうひと月も経っている。

油ヶ淵-6

 高浜川。
 油ヶ淵の水を排出するために、昭和10年(1935年)に掘られた人工の川だから、運河みたいだ。

油ヶ淵-7

 明治橋を渡った先に、麦畑が広がっていた。これはとても新鮮な風景だった。この一角だけ秋みたいだった。

油ヶ淵-8

 油ヶ淵に到着した。どこから川で、どこから湖なのか、その境はよく分からない。丸い形ではなく、広い川がうねったような形をしている。
 もともと油ヶ淵は海の入り江だった。1605年に家康が矢作川の流れを変えさせたことがきっかけで、のちに堤防が築かれて内水面化して湖となった。
 その後、土砂の流出問題や排水問題が起こり、新川や高浜川が掘られ、現在の姿になった。
 油が淵は、愛知県で唯一の天然湖沼であり、ただ一つの汽水湖となっている。
 周囲は約6キロ、平均水深は3メートルと、ごく浅い。
 水質はかなり悪く、全国の湖沼の中でも最下位に近いそうで、見た目にも濁っている。近年少しずつ浄化が進んでいるらしいのだけど。
 魚は獲れるようで、漁をしていると思わせるようなものや、養殖の施設などがある。釣り人もちらほら見かけた。

油ヶ淵-9

 飛び回るコアジサシ。
 飛翔の姿が凛々しい。

油ヶ淵-10

 川辺のポピー畑。

油ヶ淵-11

 油渕遊園地になんとか辿り着いた。
 花しょうぶ祭が行われていて、ハナショウブが咲いていた。このときは5月の終わりで、時期的にはまだ少し早かったものの、それなりに見物客で賑わっていた。見頃は6月の5日頃だったようだ。

油ヶ淵-12

 110品種、3万株が植えられているということで、けっこう見応えがある。
 碧南周辺では、ハナショウブ名所としてよく知られているところのようだ。

油ヶ淵-13

 例によって私の興味の対象は、花より人なのだった。

油ヶ淵-14

 屋台も出ていて、お祭りムードを盛り上げていた。夜間のライトアップもあったみたいだ。

油ヶ淵-15

 蓮如上人ゆかりの応仁寺というのがあったので、寄っていくことにした。
 1468年(応仁2年)、比叡山僧兵に狙われた蓮如は、身の危険を感じて京都を脱し、碧南のここ西端へ流れ着いて、身を潜めていた。
 京都から偉い坊さんが来ていると近所で評判となり、蓮如がいる庵にはたくさんの人が説教を聞きに訪れたという。
 蓮如が去ったあと、いつ戻ってきてもいいようにと、庵があった場所にお寺を建てた。それが応仁寺の始まりとされる(蓮如が寺を建てたという話もあるようだ)。

油ヶ淵-16

 1945年の三河大地震で本堂が倒壊して、1957年に再建された。
 なかなか立派なお堂が建っている。
 寺の裏手に、哲学たいけん村・無我苑というのがあると案内板に出ていて、ちょっと興味を惹かれたものの、時間のこともあって寄らずに帰ることにした。バス停の時刻表を念のため確認してみたけど、次のバスが来るのは明日の朝だった。
 来た道を引き返して駅へ向かう。

油ヶ淵-17

 帰り道で撮った唯一の写真がこの一枚。学校帰りの自転車高校生と田園風景。

 これで碧南編は終わりとなる。碧南はいいところだった。
 チャンスがあれば、大浜の町散策のためにもう一度訪れたい。
 名鉄の旅も次回が最終回。知られざる東名古屋港編をお届けしたい。

碧南の海エリアに向かう <名鉄の旅・第10回>

観光地(Tourist spot)
碧南3-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 碧南編の続きは、西方寺からの再開となる。
 室町時代後期の1496年、隣村にあった光照寺をこの地に移して、西方寺と名を改めた。その際、天台宗から浄土真宗に改宗している。
 碧南編の一回目で紹介した楼閣は、この西方寺のものだ。
 明治の宗教哲学者、清澤満之(きよざわ まんし)は西方寺の清澤やすと結婚して(旧姓・徳永)、最後は肺結核を患い、西方寺で没している(39歳)。
 門の向かって左手にある多宝塔は、清澤満之の子弟たち建立したものだそうだ。
 西方寺の裏手には、清澤満之記念館がある。

碧南3-2

 現在の本堂は、江戸時代の1800年から20年がかりで建てられたものだという。
 鐘楼や太鼓堂なども江戸時代後期のものということで、全体的に堂々とした風格のあるお寺だ。
 太鼓堂は明治初期の校舎で、碧南の学校教育発祥の地とされている。

碧南3-3

 立派な松の木が、完全に枯れている。ここまで枯れてしまったら元には戻らないのではないかと思った。
 帰ってきてからほどなくして、この松が切られたというニュースを見た。
 高さ10メートル、広がりは25メートル。仏の姿に見えるところがあるとかで弥陀の松(みだのまつ)と名づけられ、樹齢は500年といわれていた。
 樹医の手当も実らず、ついに枯れてしまい、このたび切られることになった。6月8日には法要も営まれたそうだ。私が見たのは最後の姿だった。
 この話には意外なオチがあった。西方寺がこの地に移されたとき、おそらくこの松も植えられたのだろうということで、寺では推定樹齢500年としていたのだけど、切り倒した木を科学的に調べたところ、樹齢は200年程度と判明したのだった。どうやら、本堂を建て直した際、記念に植樹されたものだったようだ。
 この手の木は多少大げさに樹齢をいったりするものだけど、300年の誤差はさすがに大きすぎた。碧南市の天然記念物にも指定されていた木だけに、その話を聞いたお寺の関係者も困っていたという。
 とはいうものの、実物は枯れて尚、大迫力の立派な松の木だった。

碧南3-4

 こちらもすごい木だった。幹のうねりと模様がただ者ではない。

碧南3-5

 お寺エリアを抜けて、南の大浜漁港へ向かった。
 途中、いい感じのアパートなどを撮りつつ。

碧南3-6

 エサを捕るコサギを撮ったり。

碧南3-7

 港の手前に稲荷神社があったので寄っていくことにする。
 村社 稲荷社とある。稲荷神社で村社というのはあまりない気がするけどどうだろう。
 このあたりは港で栄えた町だから、住吉神社あたりの方がしっくりくる。漁だけでなく交易全般が上手くいきますようにということで、商売繁盛のお稲荷さんにしたのだろうか。

碧南3-8

 朱塗りの色がことごとくはげ落ちて、全体的にやや荒れた感じになっていた。
 秋葉神社が隣接している。
 境内には山車庫もあったから、お祭りでは山車がひかれるのだろう。

碧南3-9

 ここまでくると、もう海はすぐそこだ。
 建物は、潮風に晒されて、思い切り錆びている。こんなことなら、最初から茶色い家にしておいた方が早い。

碧南3-10

 この路地は外から撮っただけ。歩いてみたくなる道だ。

碧南3-11

 かつての繁栄の名残の蔵か。それほど古いものではないかもしれない。

碧南3-12

 大浜漁港の風景。
 この向こう側に魅力的な町並みが広がっているという。
 古そうな屋根と黒板の家に、予感しなければいけなかった。

碧南3-13

 帰りに川向こうも行ってみようという気はあったのだけど、時間のこともあって、ついそのまま帰ってしまった。その後のスケジュールを考えると、向こうまで行っていたら、最後のセントレアに間に合わなかった可能性もある。あの判断は必ずしも間違いではなかった。

碧南3-14

 やたらに広い碧南市臨海公園。古い町並みと港と工業地帯の間に、唐突に現れる緑の公園。
 かつてここには衣浦マンモスプールなるものがあったそうだ。2003年に閉鎖され、跡地に公園が作られたということらしい。
 近隣では人気のスポットのようで、たくさんの人たちがのんびり思いおもいに過ごしていた。
 テニスコートや体育館、海浜水族館も隣接している。

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 駅に向かう帰り道も、ちょこちょこ写真を撮りながら歩く。

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 これは和菓子屋さんだったか。

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 駅前に戻ってきた。
 廃品回収の軽トラとすれ違う。

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 碧南から知立方面へ向かう電車は空いている。
 碧南はこれで終わりではなく、まだ続きがある。次に向かったのは、油ヶ淵だった。そこでもまた、やたら歩くことになるのだけど、その話はまた次回ということにしよう。

好きになるのに理由はいらないのは人も町も同じ<名鉄の旅・第9回>

観光地(Tourist spot)
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PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 碧南(へきなん)という名前は、僻地の南を意味する、のではない。名古屋から見るとなんとなくそんな気がしないでもないけど、そうではない。碧海郡の南部にあったことから、碧南市と名づけられた。
 西には衣浦港、南は三河湾、北には油ヶ淵があり、東は矢作川で西尾市と隔てられている。愛知県でもこれほど多彩な水に囲まれた地域というのは他にないだろう。市の大半が埋め立て地だから、必然的にそうなるといえばそうなのだけど、これ以上ないほど水には恵まれている。
 かつてここは、遠浅のきれいな海岸線が広がっていたそうだ。兵庫の須磨海岸に匹敵するといわれたというから、なかなか風光明媚なところだったようだ。矢作川の流れも今とは違っていて、油ヶ淵が入り江になっていたらしい。今とはまるで地形が違う。
 大浜湊は流通の拠点として古くから栄え、織田信長もこの湊を奪って大事に守っていた。江戸時代に入っても発展を続け、湊は大いに賑わったという。
 しかし、明治以降は流通の流れが変わり、大浜湊も衰退していくこととなる。ただ、その代わりとして早くから鉄道が敷かれて、碧南はそれなりの賑わいを保っていた。
 高度経済成長期に入ると、盛んに埋め立てが行われ、臨海工業地帯へと変わってゆく。平成に入ってからは巨大な火力発電所を誘致することに成功して、碧南市は愛知県でも有数のお金持ちとなっている。財政力指数が全国1位になったりもした。
 けれど、街を歩くとまるでそんな感じはなく、古い家並みが残る地方都市としか思えない。人気があるわけでもなく、注目度も低い。碧南というのは、なんとなくつかみ所がない町でもある。
 地図を見ると、なんでこんな中途半端なところで行き止まりになっているのだろうと不思議に思う。そのまま海岸線を南から東に進んで吉良吉田までつなげてしまえばもっと便利になるだろうに、と。
 実は2004年までその路線は存在していた。かなりの赤字路線で、苦肉の策として碧南から吉良吉田まではレールバスを運行させていたのだけど、それでも赤字が膨らむ一方なので、名鉄は廃止にしてしまった。おかげで、碧南の人たちは、東の蒲郡や豊橋へ行こうとすると、ずっと北の刈谷か知立まで行って、乗り換えなくてはならなくなった。
 廃線になった頃はまだ鉄道にも鉄道の旅にも興味がなかったから、廃線になるということさえ知らなかった。海沿いをいく列車も一度乗っておきたかったけど、そうしていたら碧南で降りて町を散策することはなかったかもしれない。
 鉄道も行き止まりになってしまった今、碧南は急激に変わるようなこともなく、ゆっくり衰退しながら変わっていくことになるのだろう。

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 ホームを降りたところに、鉄道員の詰め所みたいな小屋がある。
 線路はこの先もまだ続いている。吉良までの線路はまだ残っているのか、それとももう大部分は撤去されたのか。

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 碧南市の花はハナショウブだから、マンホールの蓋にもハナショウブが描かれている。横のやつは何か分からない。飛んでいる鳥のようにも見える。

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 古い建物などを撮りつつ、のんびり散策する。

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 古くからの湊町で今もそのまま賑やかさを保っているところはあまりない。どこも似たようなさびれ方をしている。碧南の町並みは、福井の三国湊に少し似ていた。

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 この日の目的は神社仏閣巡りではなかったから、目についた寺社に軽く寄っていくだけだった。
 これはどこのお寺さんだったか。よく覚えていない。

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 隣に地蔵堂があったので、ちょっと寄って挨拶だけしていった。

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 これがお寺の本堂。
 気になったのは本堂前の植木。絶壁の角刈りみたいになっているけど、これが正解の形なんだろうか。

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 常行院というのもあったので、寄るだけ寄っていくことにする。

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 狭い地域にたくさんの寺が集まっているというのは、かつてそれだけ賑わって人が多かったということだ。廃寺になったものもあるだろうけど、残っている寺も少なくない。

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 ノミか何かのディスプレイ。

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 H&Mがこんなところにある! と、一瞬驚いた。名古屋にもないのに、なんで碧南に!?
 よく見たら、藤井達吉現代美術館とあった。お洒落なほっともっとでもなかった。
 藤井達吉というのは、大正時代に活躍した美術工芸作家だそうだ。

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 九重味淋の黒塀通り。ここは情緒があっていい通りだ。

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 九重味淋は、江戸中期1772年創業の老舗で、現存する日本最古の醸造元となっている。
 同じ愛知県の半田のミツカン酢は有名なのに、碧南の九重味淋はあまり知られていない。観光資源になり得るのに、少しもったいない気がした。最近は工場見学がちょっとしたブームになっていることだし、碧南は魅力的なところがあるのだから、もっと宣伝して人を呼んでもいいと思う。

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 体裁を整えきれない裏通りにこそ、その町の本当の姿がある。
 歳月で風化した部分に惹かれる。

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 西方寺の石垣と高い白塀。
 あえて細い道、細い道へと入り込んでいって歩く。

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 崩れかけて半分もじゃっている蔵のような建物。

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 なんとなく撮ったシーン。
 これは桜の木だろうか。

 こうして写真で振り返ってみると、何か特別なものがあるわけではないのに、何故かとても印象がよかった。町と人の間にも相性というのがあって、碧南が持っている空気感が私に合ったのだろう。
 碧南歩きはまだこの先も続く。
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