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    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 必ず見にいくと決めていた「写真家たちの日本紀行写真展」に、ようやく行くことができた。 場所は伏見のキヤノンギャラリー名古屋。銀座を皮切りに、梅田、仙台と回って、やっと名古屋にやって来た。前から楽しみに待っていた。6月24日から7月7日までと期間が短いから、なるべく早く行ってやっていることをブログでお伝えしようと思っていたのだけど、なんだかんだで少し出遅れてしまった。 番...

    2010/07/01

    名古屋(Nagoya)

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写真家たちの生写真を見に伏見へ行く

名古屋(Nagoya)
伏見ぶらぶら-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 必ず見にいくと決めていた「写真家たちの日本紀行写真展」に、ようやく行くことができた。
 場所は伏見のキヤノンギャラリー名古屋。銀座を皮切りに、梅田、仙台と回って、やっと名古屋にやって来た。前から楽しみに待っていた。6月24日から7月7日までと期間が短いから、なるべく早く行ってやっていることをブログでお伝えしようと思っていたのだけど、なんだかんだで少し出遅れてしまった。
 番組を観ている人もそうじゃない人も、チャンスがあったらぜひ見にいって欲しいと思う。名古屋のあとは札幌、福岡と回ることになっている。
 テレビの画面で見るのとプリントされたパネルで見るのとでは、やはりだいぶ印象が違ってくる。だいたいはプリントした方がよいのだけど、意外とそうじゃないことがあることを知る。高感度で撮ったものは思った以上にノイジーで、へんなところで安心したりもした。
 残念ながらギャラリー内は撮影禁止なので、中の写真はない。
 プロの写真とアマチュアの写真の違いは、何を撮るのかと、どう撮るのかという姿勢の違いなんじゃないかと思う。
 もう少し厳密に言えば、カメラマンと写真家は別の種類で、それは小説家と作家の違いと同じと言っていい。アマチュアよりも上手に撮れるのがプロのカメラマンで、写真家は自分が表現したいものを写真という手段を使って伝える人のことだ。だから、はっきり言って、ハイアマチュアよりも下手な写真家もいる。上手さだけならフォトコンの入選作の方が上のこともある。
 けど、それでも写真家が写真家としてやっていけるのは、自分の撮りたいものや撮るべきものが明確だからだ。被写体があってそれを写真に写すのではなく、撮りたいものが頭の中にあって、それを求めて写真として表現しているのが彼らだ。だからこそ、決定的に説得力が生まれる。
 写真家がカメラマンよりも絶対的に偉いとか正しいとかではない。ただ、人種が違うのだ。
 写真展の写真を生で見ると、びっくりするほど上手いわけじゃないという感想を持つ。けれど、驚くほど写真が素直なのだ。奇をてらっていない。上手に撮ってやろうなどという邪心がないから、撮られている被写体が直接見るものに迫ってくる。
 ハイアマチュアの写真を見てどうも好きになれないという感想を持っている人もたくさんいると思う。その感覚は間違いじゃない。写真家の写真を見れば、写真ってのはやっぱりそういうことだよねと、素直に感動して納得できるはずだ。
 もちろん、自分が伝えたいものを効果的に伝えるためには技術や知識は必要だ。それはレタッチの部分でもそうだし、プリントの技術ということもある。ただ、上手く撮ることを目的と考えている写真家はおそらくいない。むしろ、上手さはプロカメラマンに求められるものかもしれない。プロのカメラマンがアマチュアより下手では話にならない。
 写真展の写真を見て、いろいろ感じるところがあった。一番思ったのは、もっと素直な心で撮らなくてはいけないなということだった。
 好きな写真は、テレビで観たときと変わらなかった。心の師である米津光さんと、尊敬する桃井和馬さん。人として好きなのは、なおちゃんなのだけど。

伏見ぶらぶら-2

 場所は、地下鉄伏見駅10番出口を出てすぐの名古屋インターシティ1階で、キヤノンのサービスセンターがメインだ。キヤノンユーザーなら、ここでセンサーのクリーニングをしてもらって、その間にギャラリーで写真を見るというのもいい。
 東の入口から入ってしまうとサービスセンターを通ることになるから、写真展だけ見るなら南側のギャラリー入り口から入るのをおすすめする。

伏見ぶらぶら-3

 西隣に都会のオアシスでもありホームレスのホームでもある下園公園がある。木々がたくさんあって、涼しげな木陰を作っているので、ひとときまったりするのにいい。
 アフリカハマユウが咲いていた。昔から馴染みのあるインドハマユウという呼び方の方がしっくりくる。この花を見ると、日間賀島の小学校前に咲いていたのを思い出す。見たのは2年前のちょうど今の時期だ。

伏見ぶらぶら-4

 伏見というのは、ほとんど馴染みのないところで、どういう街なのか、よく分かっていない。やはりビジネス街ということになるのだろう。
 北は丸の内、南は大須の中間で、通ることはあっても、伏見を目的に訪れることはまったくない。
 今回、自転車で回ってみて、少しだけ土地勘ができた。今まで曖昧だった位置関係も、だいたい掴んだ。

伏見ぶらぶら-5

 存在だけはよく知っていて一度も見たことがないところというのが、けっこうある。私にとって御園座(みそのざ)もその一つだった。
 中に入らなくても、一度くらい前まで行ってどんな感じなのか見てみなくてはいけないと、ずっと思っていた。伏見といえば御園座というくらいのものだ。キヤノンギャラリーから南へ200メートルほど行ったところにある。

伏見ぶらぶら-7

 これが御園座か。あまりにもイメージと違って、がっかりというか少し唖然としてしまった。
 御園座といえば名古屋では老舗の芝居小屋で、東京の歌舞伎座や明治座、大阪の新歌舞伎座のような存在だ。外観もそれらしいものを想像していた。
 しかし、実際は普通のビルで、うっかりすると前を通っても見落としてしまうくらい地味だった。芝居がかかっている時期ならもっと賑やかだったのだろうけど、それにしても外観がそっけない。名古屋なんだから名古屋らしくお城の姿にしてもよかったくらいだ。
 完成は明治28年(1895年)。名古屋大空襲で全焼してしまったのが痛かった。1947年に再建するも、1961年に再び焼けてしまう。昔の外観はどんなふうだったのだろう。

伏見ぶらぶら-8

 7月2日から3日間、紫吹淳主演の戦国スペクタクルロマン「愛、時を越えて 遥かなる時空の運命(さだめ)」が上演されるらしい。
 看板の絵からすると時代物のようだけど、時を越えるのだから普通の時代劇ではなさそうだ。タイムトリップものかと思ったりもするけど、油断はできない。
 特別席、1万3,000円か。

伏見ぶらぶら-6

 一角だけ大須のアーケードみたいな光景が広がっていた。
 お芝居を見に来た年配者をターゲットに絞り込んでいるようだ。品定めをしている人たちのファッションセンスと見事に合致している。

伏見ぶらぶら-9

 御園通はよさそうな予感がしたのだけど、これといった見所は見いだせなかった。このあたりはあまり古い建物などは残っていないようだ。

伏見ぶらぶら-10

 御園座からそのまま南下すると白川公園がある。
 西は伏見通り、南は若宮大通に面していて、伏見エリアかと思いきや、住所は栄になる。若宮大通を隔てた南は、もう大須だ。
 街の中心部にありながら広い公園で、名古屋市科学館や名古屋市美術館などが一角に建っている。
 空襲で焼け野原になったこの場所に、戦後在日アメリカ軍の家族が住むために住宅を建てた。公園になったのは、昭和33年のことだ。アメリカ軍は、戦後10年以上も幅を利かせていた。
 男の人が何かを放り投げて受け取る練習をしていた。大道芸でもやってるのかと思ってよく見てみたら、どうもシェイカーか、それに見立てたもののようだ。日本バーテンダー選手権とかに出るのかもしれない。

伏見ぶらぶら-11

 公園東側の通り。木々と葉が作り出す木漏れ日模様が素晴らしい。夏を感じさせる風景だ。

伏見ぶらぶら-12

 古い日本家屋があった。マンションに負けずに、でんと構えていて欲しい。
 考えてみると土地の無駄遣いではあるのだけど、今の時代だからこそ、こういう古い家屋は贅沢なものとなっている。

伏見ぶらぶら-13

 写真が前後する。これは行きの写真だ。自分がどこを走っているのか見失っているときに撮ったものだから、場所がよく分からない。
 北がおしろということは、名古屋城の南ということだ。丸の内あたりだったか。
 善光寺街道は、面影が少し残る中小田井を歩いたことがある。あの道がここへつながっていたのか。

伏見ぶらぶら-14

 これも近くの小公園。
 昼下がりのベンチに勤め人がポツンと座っていた。

伏見ぶらぶら-15

 思いがけずレトロな建物に遭遇して、驚き喜ぶ。
 伊勢久株式会社。聞かない名前だ。なんとなく陶器の会社かと思ったのだけど、帰ってきてから調べたら薬問屋だった。
 創業は江戸時代の1758年というからかなりの歴史だ。
 建物は昭和5年のものだそうだ。今見ると非常に重厚な印象を受けるけど、当時は大変モダンなものだったのだろう。
 倉庫では業者の人が出入りして、社員ともども忙しそうにしていた。まだしっかり現役の建物として使われている。

伏見ぶらぶら-16

 隣の建物もまた渋い。この一角だけ明治村みたいだ。
 愛知県庁大津橋分室という看板がかかっている。
 昭和8年(1933年)に、愛知県信用組合連合会の事務所棟として建てられたもので、戦後は農林会館として使用された、昭和32年に愛知県に寄贈された。今も愛知県名古屋労政事務所と使用されている。
 名古屋城一帯は空襲で大部分が焼けたのに、ここは焼けずに残ったのだ。それだけでも価値があるし、できるだけ残す方向でいって欲しい。

 行き帰りにもう少しあちこち寄っていたので、近いうちにそのときの写真も紹介したいと思っている。
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