月別:2010年06月

記事一覧
  • マニュアルレンズの散歩写真でつなぎ更新

    PENTAX K10D+smc Takumar 300mm F4 / 50mm f1.4 28mm f3.5 今日はサッカーの試合があって、落ち着いて書けそうにないから、ご近所自転車散歩写真でつなぎ更新としたい。 この日は、単焦点のマニュアルレンズを持ち出して、近所を少し回ってみた。マニュアルレンズの場合、必ず両手を使わないと撮れないから、自転車散策のお供には向かないことがはっきりした。基本的に自転車を止めるか降りるかして撮るから、さほど問題ではない...

    2010/06/29

    日常写真(Everyday life)

  • 碧南ってこんなにいいところだったんだと思い知る <名鉄の旅・第8回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 碧南市……。 その名前を頭に思い浮かべて、何が出てくるだろうとしばし考えてみる。 ……何も出てこない。ぼんやりとしたイメージさえ浮かばない。碧南、それは名前のみ知る未知の町だった。 どうして碧南へ行こうと思ったかといえば、話は単純で、名鉄三河線の終着駅のひとつだったからだ。名鉄の路線図を眺めながらどこへ行こうか考えていたとき、終着の豊橋、豊川稲荷、蒲郡、河和は、それぞ...

    2010/06/29

    観光地(Tourist spot)

  • 再現度はともかくとしてデンマークサンデー

    PENTAX K10D+smc Takumar 50mm f1.4 今日のサンデー料理は、予定通りデンマーク料理を試みてみた。ワールドカップで対戦するというのも何かの縁で、その縁をきっかけに少しでもお近づきになれたら、それはとても良いことだ。 先週のオランダもそうだったけど、デンマークなんて国はこちらから歩み寄っていかないと向こうからは近づいてきてくれない。少しでも興味を持てば、その後は自然と情報や知識も入ってくる。何事において...

    2010/06/28

    料理(Cooking)

  • 空コレ2010上半期

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 他 今年ももうすぐ半分が終わろうとしている。 折に触れて撮ってきた空の写真がだいぶたまってきた。今日は空コレ2010上半期ということで、お届けすることにしたい。 同じ空は二度とないというけれど、あなたが見たのと同じ空がここにあるだろうか。 ある日の朝焼け空。 劇的とも言える茜色。少しやりすぎの感もある。 別の日の朝。 これくらい優しい色の方が好きだ。 朝焼けの時間は短...

    2010/06/27

    空(Sky)

  • 気づいたときにはもう夏 ---海上の森の行き帰り

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8 稲がだいぶ伸びてきて、田んぼは6月の風景となった。まだ茶色が残る4月から、わずかふた月ほどで緑が完全に支配する世界となる。その激変ぶりに、あらためて驚く。 昨日は海上の森の虫編だったので、それ以外の写真が少し残った。といっても、ほとんど虫しか撮らなかったので、枚数は少ない。行き帰りに撮った写真とあわせて一回分とする。 上の風景の場所はどの...

    2010/06/26

    森/山(Forest/Mountain)

  • 虫のみなさんこんにちは ---6月の海上の森

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 本日は虫注意報発令です。 最後まで虫しか出てきません。虫が苦手な方は、速やかに避難してください。 というわけで、今日は虫の写真をお届けします。 久しぶりに海上の森へ行ってきた。前回は3月の終わりだったから、だいぶ間が空いてしまった。5月くらいに一度行きたいと思っていたのだけど、自転車だと少し遠いということで、なんとなく先延ばしになっていた。 季節は初夏から夏に入りか...

    2010/06/25

    虫/生き物(Insect)

  • 覚王山への行き帰りに昭和の面影を探す

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 / 50mm f1.4 自転車散策では行き帰りの写真が一回分のネタになる。ここのところそのスタイルが確立してきた。 今日は日泰寺へ行ったときの写真と、オマケで夜編をお送りします。 まずはお馴染みになりつつある天満センター前だ。ちょうどいいエキストラのおばあさんが通りかかったので撮らせてもらう。とても昭和っぽい一枚になった。 やられてるなぁ、天満センター。...

    2010/06/23

    街(Cityscape)

  • 鉈薬師堂から覚王山八十八ヶ所、奉安塔へ

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 日泰寺をあとにして、鉈薬師堂(なたやくしどう)へ向かった。 普段非公開のお堂が、弘法大師の縁日である21日だけ公開されるというので、一度見てみたいと思っていた。 日泰寺の左(西)の道を進んで、専修院というお寺を左折。そのまま道なりに進むと、左手に入口が見えてくる。 専修院がどんなお寺かは知らない。門も閉ざされていた。 古い建物が残っている。この細い道を抜けると、今度...

    2010/06/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 遅刻して縁日の終わった日泰寺参道風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 ふとカレンダーを見て、今日は21日か、と思う。ん? そういえば、21日って、何かなかったっけ? あ、そうだ、日泰寺の縁日だ。 思い出したまではよかったものの、思い出した時間が遅すぎた。夕方ではもう終わってみんな帰ってるんじゃないかとあきらめようとして、でもやっぱり行くだけ行ってみようと思い直し、出向いていった。夜店も出るという話もどこかで読んだ覚...

    2010/06/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • オランダ料理について学ぶサンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 先週、来週は梅雨にちなんだ料理を作ろうと書いた。けど、よりタイムリーなネタがあったので、そちらを優先させることにした。今日はオランダ料理サンデーだ。 昨日の試合で、日本はいい負け方をした。はっきり言って今の実力でオランダに勝つのは失礼だ。ワールドカップの権威が下がる。楽しみは20年くらい先に取っておいて、とりあえず今のところはオランダに敬意を表してオランダ料理を作っ...

    2010/06/21

    料理(Cooking)

  • 三河の法蔵寺に近藤勇の首塚がある <名鉄の旅・第7回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 本宿駅から歩いて15分ほどのところに法蔵寺というお寺がある。ここへどうしても行きたかったのは、近藤勇の首塚があるというのを知ったからだった。何故三河あたりに近藤勇の首塚があるのかという疑問を抱きつつ、行ってみれば何か分かることもあるだろうし、行かなければ何も分からないと思ったのだった。 小山を背にして、雰囲気のある寺が見えてきた。どうやらここがそうらしい。 創建は70...

    2010/06/20

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 本宿駅から法蔵寺に向かう道すがら <名鉄の旅・第6回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 少し中断していた名鉄の旅を再開することにしよう。国府駅から御油宿、赤坂宿を歩いて、名電赤坂駅へとやって来た。ここから電車で2つ、名古屋方面に戻って、本宿駅へ行く。本宿には必ず寄りたい理由があった。 名電赤坂駅は、普通列車しか止まらない無人駅となっている。隣の御油駅もそうだ。もともとは宿場で人が集まる拠点だったのに、普通列車しか止まらないことで、急行が止まる本宿駅と...

    2010/06/19

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 小幡緑地東園周辺で出会った夏景色

    Canon EOS 20D+EF80-200mm f2.8L 梅雨の貴重な晴れ間ではあったのだけど、遠出するほどの体力も時間もなく、夕方近くの小幡緑地東園へ出向いた。 今日の名古屋は最高気温が33度近くまで上がって、暑かった。冬場の自転車もつらかったけど、真夏の自転車もなかなか厳しいものがありそうだ。漕いでるときは風が当たるからそれなりに涼しいけど、止まると汗がどっと出てくる。 東園は行ってもあまり収穫がないからめったに行かない...

    2010/06/17

    施設/公園(Park)

  • 自転車で平和公園へ

    Canon EOS 20D+TAMRON 28-75mm f2.8 / EF75-300mm f4-5.6/ SIGMA 55-200mm 自転車は歩きよりは速く、車よりはずっと遅い。歩きのときほどきめ細かく見ることはできなくても、自転車の行動範囲の広さはそれを補って余りある。 車を運転しながら流れる景色を見ていたとき、自転車ならもっとたくさん写真が撮れるんじゃないかと思っていた。実際、自転車に乗ってあちこち巡ってみると、スピード感の問題だけではなく、車とは違う視...

    2010/06/16

    日常写真(Everyday life)

  • 6月の牧野ヶ池風景

    Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS / SIGMA 50-200mm f4-5.6 今日は牧野ヶ池風景をお届けします。名鉄の旅はちょっと中断ということで。 まずはトンボ3部作から。 モノトーン調で、サイレントなトンボの世界。 虚と実の境界線が溶け合う水風景。 ハスの葉の茎にとまる二連のトンボ。 鏡面になって4匹いるみたいに見えるけど、実際は2匹がつながっているだけ。 浮き草にとまりながら卵を産み付けていたようだ。 モノクロ...

    2010/06/15

    施設/公園(Park)

  • ソフトレンズで写すノスタルジック河原風景

    Canon EOS 20D+EF135mm f2.8 soft ソフトレンズで写す河原の光景は、記憶の中の在りし日の風景のよう。確かにそこにあるのに、夢のように儚げで、手を伸ばしても触れられないみたいに感じる。懐かしいような、切ないような、自分の体までもがぼんやりしてしまいそうだ。 ありふれた日常の光景が幻想的に見えるのがソフトレンズの効果で、あまり頼りすぎるのもよくないけど、たまにはこんな表現もしたくなる。 今日はソフトレン...

    2010/06/14

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 夏を迎えるための準備サンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 東海地方も今日から梅雨入りしたようだ。今年はここまで涼しい初夏で、梅雨入りも遅れていた。春は雨が多かったし、ここ最近の気候は、地球温暖化を実感しづらいものとなっている。何年か前のように、暑くてたまらんといた天候が続くと、いよいよ温暖化も切実なものとなってきたかと思うのだろうけど。 とはいうものの、そろそろ6月も半ばで、本格的な夏が近づいた。夏は黙っていても暑くなるも...

    2010/06/14

    料理(Cooking)

  • 何はなくとも赤坂宿には大橋屋がある <名鉄の旅・第5回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 旧赤坂宿の町並みも、御油宿とよく似ている。古い建物が点在しているだけで、宿場町だった頃の面影はあまり残っていない。それでも、昭和の名残が感じられて、写真を撮りながら歩くのは楽しかった。 ここでの一番の見所は、旅籠の大橋屋だ。御油宿方面から行くと、一番最後に待っている。 上の写真は、大きな商家風の家屋だ。かなり立派なもので、かつての外観をそのままに近い形で残している...

    2010/06/13

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 御油の松並木から赤坂宿はすぐそこ <名鉄の旅・第4回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 今日は御油宿の3回目。こんなに引っ張るつもりはなかったのに、やけにゆっくりなペースになっている。今回と次回で、赤坂宿まで終わらせることにしたい。 イチビキの工場を過ぎてしばらく行くと、いよいよ御油宿のクライマックスである松並木が見えてくる。クライマックスといっても所詮松並木なので、わぁー、きれいとかいう感動はなく、おお、なるほど、そういうことかといった感じでしかな...

    2010/06/12

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • ところどころに残るかつての面影を探す御油宿歩き <名鉄・第3回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 昨日は御油宿の手前の追分まで行ったところで終わった。今日は音羽川に架かる御油橋(今は五井橋?)から再開することにしたい。 御油宿(ごゆしゅく)は、江戸の品川宿から数えて35番目の宿場町だ。 ここで少し東海道を復習しておきたい。愛知県の一番江戸寄りの宿場は、少し前に紹介した二川宿だ。それが豊橋市で、同じく豊橋の吉田宿があり、その次が豊川に入った御油宿となる。 そのあと...

    2010/06/11

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 国府から始まる御油宿プロローグ <名鉄の旅・第2回>

    PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 名鉄電車の旅は、国府駅から始まった。 名鉄電車は私にとって、一番近くて、一番遠い電車だ。名古屋生活が長く、最も身近に走っているにもかかわらず、これまでほとんど乗ったことがない。利用するのはもっぱらJRか近鉄で、名鉄というのは本当に乗らない。最近でいうと、日間賀島へ行ったときに乗ったくらいだ。 それではちょっと寂しいということで、乗り放題の券を手に入れて、一日乗れるだ...

    2010/06/10

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 5年後のモリコロパーク、初夏の風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 モリコロパークの観覧車も、リニモも、今や長久手の田園風景にすっかり馴染んだ。5年も経てば、それはそうかもしれない。両方とも、いつ見ても乗ってる人が少ないのが少し気がかりではある。 2005年より以前、この場所がどんな風景だったのか、思い出すことはできない。グリーンロードはもう通っていたから、青少年公園がモリコロパークに変わって、リニモが追加されただけだろうか。振り...

    2010/06/08

    施設/公園(Park)

  • 近くへ行きたい ~6月の長久手田んぼ風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 先週のご近所ネイチャーフォトの姉妹編で、長久手田んぼ風景をお届けします。 前回も書いたように、この日の一番の目的は、アマサギを撮ることだったのだけど、その前後で周辺の田んぼもぐるりと巡ってみた。 上の写真は、東小学校の裏手で、お気に入りの風景の一つだ。なだらかな丘に田畑が広がり、丘の上に小学校がある。遠くには低い山並みがつらなり、空が広い。季節ごとの花が風景...

    2010/06/07

    自然(Natural)

  • ちょっと投げやりサンデー料理は結果オーライ

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日のサンデー料理は、とにかく考えるのが面倒で、半ば投げやりな気持ちでメニューを考えて、手を抜いて作った。刻んだりこねたり揚げたりするのを避けて、焼くか煮るかシンプルにできるということを最優先にした。暑くなってきて、少し食欲が落ち気味というのもあったかもしれない。 結果としてはそれなりのものができたから、普段からあまり考えない方がいいのかもしれないと思ったりもした...

    2010/06/06

    料理(Cooking)

  • ご近所ネイチャーフォト ~初夏から夏への風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 名鉄の旅シリーズはぼちぼちやっていくとして、今日は近所で撮ったネイチャーフォトをお届けします。 田植えが終わる頃、長久手の田んぼにアマサギを撮りに行くというのが、ここ数年の恒例になっている。今年もいつものように出向いていったのだけど、残念なことに1羽も見つけることができなかった。毎年必ずこの時期はいるのに、今年はどうしたのだろう。たまたまよそへ行っている時間帯...

    2010/06/06

    自然(Natural)

  • 中切町と下条町と二つ八幡神社あり

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 近所の神社巡りシリーズは長らく中断したまま進んでいなかった。一時期、どういうわけか神社へ寄りつきたくない気分になって、まったく行かなくなってしまったことがあった。ここのところそういった拒否反応みたいなものはすっかり消えて、またぼちぼち巡り歩くようになった。 休んでいた間に、どこまで進んだか分からなくなってしまった。尾張旭は全部回って、守山区と名東区、千種区の...

    2010/06/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • セントレアの空は焼けず

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / 16-45mm f4 名鉄電車フリーパスの旅で最後に訪れたのが、セントレアこと中部国際空港だった。 この日は乗り放題の券を手に、朝から夕方まで名鉄電車に乗ってあちこちを巡ってきた。そのときの様子は近いうちに紹介するとして、今日はセントレア編をお送りしたいと思う。 旅のクライマックスとしてセントレアを考えていた。夕焼け時間に合わせて夕方6時過ぎに到着するというのは予定通...

    2010/06/04

    飛行機(Airplane)

  • 古墳や神社は過去とつながるきっかけに

    FUJIFILM S2pro+NIKKOR 50mm f1.8 / NIKKOR 55-200mm 鶴舞公園へ行ったとき、八幡山古墳と物部神社にも寄ってきた。今日はそのあたりのことについて書いてみたい。 古墳なんてものは元来、眺めて楽しいものではない。たいていは木々で覆われていて原形も分からないし、形も上から見ないと確認できない。何か面白いものは見えないかとぐるりと一周回ってみたところで、特にこれといったものが見つかるわけでもない。一般の人はあ...

    2010/06/03

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 覚王山日泰寺の参道はなかなかいいところ

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 覚王山の日泰寺(にったいじ)には何度か行ったことがある。けれど、参道を歩いたことはなかった。車で行くと境内にとめられるから、参道を歩くという発想が浮かばなかったのだ。参道の雰囲気がいいという話は前から聞いて気になってはいた。 今回、自転車でゆっくり走りながら写真を撮ってきた。なるほど、なかなか悪くない。ここ10年くらいで古い建物が減ったり、新しい店ができたりと...

    2010/06/02

    名古屋(Nagoya)

  • 自転車で見つけた半径5キロの風景

    PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 自転車の行き帰りに撮った写真がちょっとたまってきた。ここらで一度まとめて出してしまうことにした。 今日はちょっとダメージが深くて、余力が残っていないから、簡単更新としたい。 一枚目の写真はけっこうお気に入りのものだ。瀬戸電のホームとレールを写した日常風景に過ぎないのだけど、小雨が降っていたということもあって、なんとなく情緒のある写真になった。 電車が写ってな...

    2010/06/01

    日常写真(Everyday life)

マニュアルレンズの散歩写真でつなぎ更新

日常写真(Everyday life)
M42散歩写真-1

PENTAX K10D+smc Takumar 300mm F4 / 50mm f1.4 28mm f3.5



 今日はサッカーの試合があって、落ち着いて書けそうにないから、ご近所自転車散歩写真でつなぎ更新としたい。
 この日は、単焦点のマニュアルレンズを持ち出して、近所を少し回ってみた。マニュアルレンズの場合、必ず両手を使わないと撮れないから、自転車散策のお供には向かないことがはっきりした。基本的に自転車を止めるか降りるかして撮るから、さほど問題ではないものの、運転中に何か撮りたいものを見つけたとき、とっさに対応ができない。マニュアルレンズでの撮影自体は楽しいのだけど。
 一枚目は、明徳公園にある明徳池の風景だ。なんだか夏休みのワンシーンみたいだった。

M42散歩写真-2

 池の周囲にすみついていると思われるノラ。
 歩いて行く途中、一瞬立ち止まってカメラ目線をくれた。
 ここらは近所に民家もあるし、釣り人も多いから、誰かにメシをもらっているのだろう。
 ノラ暮らしをする環境としてはとても良いと思われる。

M42散歩写真-3

 明徳池もすっかり緑が深くなって、夏の風景になった。

M42散歩写真-4

 ちびっこたちに人気の公園らしい。入口に自転車がたくさんとまっていた。

M42散歩写真-5

 少し藤ヶ丘に行ってみたけど、収穫はなし。撮りたいシーンに出会えなかった。

M42散歩写真-6

 裏手に回ってみる。
 学校帰りの自転車高校生二人組。
 ピントを無限遠にして、片手撮り。

M42散歩写真-7

 藤ヶ丘は地下鉄東山線の発着駅で、車両の車庫や工場がある。
 なんとかここの写真を撮りたいと前々から思っているのだけど、どこから撮ってもフェンスの網が邪魔をする。
 一周回ってみたけど、撮りポイントは見つからなかった。近くのマンションのベランダとかからしか撮れない。

M42散歩写真-8

 一番見通しがいいところでこんな感じ。
 撮りきれないもどかしさ。

M42散歩写真-9

 廃屋の木製扉。
 かすれたブルーの色合いに惹かれるものがあった。

M42散歩写真-10

 コンクリートの壁の模様が面白かった。
 露出を大失敗したら、それが味わいになったので、そのまま修正しなかった。マニュアルレンズの怪我の功名だ。

 とりあえず今日はここまでとして、あとはサッカーを観ることにしよう。

碧南ってこんなにいいところだったんだと思い知る <名鉄の旅・第8回>

観光地(Tourist spot)
碧南駅前の風景

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 碧南市……。
 その名前を頭に思い浮かべて、何が出てくるだろうとしばし考えてみる。
 ……何も出てこない。ぼんやりとしたイメージさえ浮かばない。碧南、それは名前のみ知る未知の町だった。
 どうして碧南へ行こうと思ったかといえば、話は単純で、名鉄三河線の終着駅のひとつだったからだ。名鉄の路線図を眺めながらどこへ行こうか考えていたとき、終着の豊橋、豊川稲荷、蒲郡、河和は、それぞれ一度は行ったことがある町で、行ったことがないのは中部国際空港と碧南だった。今回の名鉄乗り放題の旅(まる乗り1DAYフリーきっぷ)は、南エリアだけを考えていたから、北は最初から行く気がなかった。
 碧南は車で通ったことさえないまったく知らない町だったから、この機会に行ってみようということになったのだった。
 そして、碧南へ行ってきた今の私は、碧南はすごくいいところだと力を込めてオススメしまくりたいくらいの碧南好きとなった。碧南なんて何もないところだから行っても仕方ないよね、などという会話を耳にした日には、いやいや、君たち、碧南はいいところだから是非行った方がいいですよと、会話に割り込んででも碧南を推したい気持ちになっているのである。
 いやしかし、期待を込めて向かうとよくないかもしれない。私の場合は、期待値がほとんどゼロに近かったから、思いがけずよくて過大評価につながっている部分がある。期待していなかったやつが突然結果を出すと手のひらを返したように褒めるというのに似ている。
 今日から何回かに分けて紹介していく中で、少しでも碧南の魅力を知ってもらえたら、私の碧南行きも無駄ではなかったことになる。これを見た人が興味を持って碧南に行ってくれると嬉しい。
 碧南というところは、まったく観光地ではなく、愛知県の観光案内で紹介されることもほとんどない。愛知県民でも知らない人が多いかもしれない。今後も観光地として脚光を浴びることはおそらくないだろうけど、私のようにふらりと訪れた人に意外な喜びを与えてくれる町ではあり続けるんじゃないかと思う。古い町並みがいつまでも残るわけではないだろうから、チャンスがあれば一度訪れてみて欲しい。



ツタの張った古びたビル

 碧南の町は、なんというか、とてもマイペースでリラックスしているように思えた。
 近代化に乗り遅れまいと必死なわけでもなく、歴史に縛り付けられてしがみついているわけでもない。古いものは自然に残り、淘汰されながら、新しくするところは新しくするといった風で、良くも悪くもあまり頑張っていない。頑張ってはいけないけど、ひなびていじけているような感じがないのがいい。



古い家屋

 私の視点が古いものを追いかけているから、写真を見るととても古い町並みのように思えてしまうかもしれない。実際は大部分が今どきの住宅地といった顔をしている。
 そんな中で、歴史を感じさせる建物が点在していて、そのバランスがいい。適度に古いものが残っている方が、発見する喜びがある。歴史景観保存地区というのも、やや作り物めいていて不自然に感じられることがある。



昔ながらの喫茶店と乳母車を押すおばあさん

 田舎の方では、おばあちゃんはベビーカーを押しているスタイルが、やはりスタンダードだ。
 都会へ行くほどこういう姿は見られなくなって、ひとつのバロメーターとなっている。



西方寺の鐘楼

 西方寺の鐘楼。碧南のシンボルのひとつと言っていいだろう。
 西方寺についてはあらためて紹介したい。



九重味淋の黒塀通

 九重味淋の黒塀通り。
 とても雰囲気があって素敵だ。ガイドブックに載らないのが不思議なくらいだ。



木造の建物

 木造の日本家屋が生み出す光と影の光景。
 私たちが忘れかけている日本の美。



生活感のある路地風景

 暮らしの体温が感じられる路地を歩く。



 朱塗りのトタン板

 ガス管の跡か何かか。
 後ろの赤く塗られたトタンの色が鮮やかだった。



大浜漁港の風景

 大浜漁港に出た。
 ここで橋を渡って南の築山町へ行くか、北に進んで碧南市臨海公園へ行くかで迷った。迷って臨海公園を選んだのだけど、これが失敗だった。公園にはこれといった見所がなく、当たりは築山町の方だったことを帰ってから知ることになる。港町特有の古い町並みがあるらしい。
 おかげでもう一度碧南へ行かなくてはいけないという思いを残すことになった。再訪できたとしたら、今回の失敗を取り戻せるのだけど。



九重味淋の蔵

 九重味淋の大きな蔵。行きには発見できず、帰り道で見つけることができた。



味わいのある路地風景

 なんだか離島の路地風景みたいだった。ちょっと不思議な感覚に陥る。



住宅地の風景

 下校途中の中学生。彼女の日常と、私の非日常がすれ違う。



名鉄の赤い車両

 終着駅のホームには、発車時間を待つ列車がとまっている。

 今回は碧南紹介のプロローグということで、ざっと駆け足で紹介することになった。
 次回からは歩いた順番に寺社などを絡めつつ、もう少し詳しい紹介をしていこうと思っている。
 つづく。
 

再現度はともかくとしてデンマークサンデー

料理(Cooking)
デンマークサンデー

PENTAX K10D+smc Takumar 50mm f1.4



 今日のサンデー料理は、予定通りデンマーク料理を試みてみた。ワールドカップで対戦するというのも何かの縁で、その縁をきっかけに少しでもお近づきになれたら、それはとても良いことだ。
 先週のオランダもそうだったけど、デンマークなんて国はこちらから歩み寄っていかないと向こうからは近づいてきてくれない。少しでも興味を持てば、その後は自然と情報や知識も入ってくる。何事においても、まずは興味を持つことから始めなければ何も始まらない。
 というわけで、デンマーク料理なのだけど、これまたなかなかに手強い相手だった。ヨーロッパの料理というのは、どうも特徴が掴みづらい。はっきり自分たちのスタイルを持っているイタリア、フランス、スペインなどはむしろ例外で、ドイツやイギリスでさえ特徴はあるようでない。
 デンマーク料理を一言で言うとどういう料理かといえば、一言では説明できないというのが実際のところではないだろうか。言葉を費やせば分かってもらえるかといえばそうでもなく、ヨーロッパの北の方の国らしいといえばそうかもしれない。
 主食はやはりジャガイモだそうだ。といってもオランダほどジャガイモづくしというわけではなく、若い世代はジャガイモよりもパンをよく食べているらしい。老デンマーク人は、最近の若いもんはパンばっかり食いよって、ジャガイモを食え、ジャガイモを、と言ってるんだとか。
 オープンサンドイッチのスタイルが主流で、パンの上に肉やら野菜やらエビやらを乗せたものがよく食べられているそうだ。
 肉は豚肉をよく食べるらしい。フリカデッラという豚のミートボールもデンマークを代表する料理の一つなんだとか。
 あとは海に面しているということで、魚介類もあり、ヨーロッパ特有のニシンの酢漬けとか、酪農も盛んなのでチーズとか、そのあたりがデンマーク料理の特色ということになりそうだ。
 そんな予備知識を得たところで作ったのが今日の3品だった。

 まずは左手前の肉団子風のものから。
 肉団子に見えるけど、豚肉ではなくマグロを使っている。豚肉はスープに使ったから、ここはマグロにしておいた。ちょうどマグロが余っていたということもあって。
 マグロを刻んで、刻みタマネギ、卵、小麦粉、パン粉と混ぜ合わせてよくこねる。
 塩、コショウ、ダシの素で下味をつける。
 丸めてオリーブオイルで焼いたのだけど、柔らかくて丸くはならなかった。
 味付けはデンマークから離れて、甘酢あんかけにした。デンマークではホワイトソース系のゆるいソースをかけて食べるのが主流らしい。
 白ワイン、しょう油、みりん、ダシの素、塩、コショウ、ワインビネガー、砂糖で味付けをして、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。
 寒い国で野菜の種類はそれほど多くないようだ。デンマーク料理を調べているときアスパラはよく登場していたから、向こうでもアスパラはよく食べられているのかもしれない。

 右はエビとキャベツのカクテルソースがけサラダみたいなものだ。
 ブロッコリーを塩をコンソメのスープで軽くゆがいて取り出す。そのスープでキャベツの刻みも茹でる。キャベツを取り出したら、更にエビも茹でる。
 それらをフライパンに移し、オリーブオイル、白ワイン、塩、コショウで炒める。
 ソースは、白ワイン、みりん、しょう油、マヨネーズ、ケチャップ、からし、コンソメの素、カレー粉、塩、黒コショウ、砂糖、チーズをひと煮立ちさせて作る。
 濃厚なソースで、エビも野菜も美味しく食べられた。

 奥はシチューみたいなホワイトスープだ。
 なんでもかんでもホワイトソースをかけて食べるらしいから、ホワイトスープも飲まれているだろうと考えて作った。
 結果的にシチューみたいになったのだけど、ホワイトスープとシチューの違いがよく分からない。
 バター、小麦粉、牛乳を炒めながらホワイトソースを作る。
 ジャガイモ、ニンジンを下茹でする。
 豚肉とタマネギを炒め、鍋に移す。白ワイン、水、ジャガイモ、ニンジンを入れ、ホワイトソースも加える。
 このまましばらく煮込んだら完成だ。

 デンマーク料理を作ってやったぞ、という手応えはまったくなかったけど、結果的に美味しい夕食になったことは確かだった。どこか途中でデンマークを置き去りにしたかもしれない。
 ご飯の代わりにオープンサンドイッチにしていれば、もう少しデンマークらしくなっていただろうけど、どうも夕飯にパンというのは気が進まない。パスタなどの麺類も夕飯としては食べたくない。一日一回、夜だけは米を食べないと落ち着かない。
 そんなわけで、今回もデンマークの再現度は低いものとなってしまったものの、多少なりともデンマーク料理について知ることができたのは収穫だった。いつの日かデンマークを旅することがあったとき、出された料理を見て、へぇー、これがデンマーク料理か、というのではなく、なるほど、これがデンマーク料理なんだ、と納得することになるだろう。もはや私にとってデンマーク料理もオランダ料理も、まったく未知のものではなくなった。そのことが大きい。
 この流れでいくと、来週はパラグアイ料理ということになるだろうか。ヨーロッパ勢以上に苦戦が予想される。今のところ、まったく知識がなく、食べられるようなパラグアイ料理を作れるような気がしない。なんとか挑戦だけはしたいと思っているけど、サッカーも私もパラグアイには歯が立たなかったなんてことになるかもしれない。

空コレ2010上半期

空(Sky)
空コレ2010-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 他



 今年ももうすぐ半分が終わろうとしている。
 折に触れて撮ってきた空の写真がだいぶたまってきた。今日は空コレ2010上半期ということで、お届けすることにしたい。
 同じ空は二度とないというけれど、あなたが見たのと同じ空がここにあるだろうか。

空コレ2010-2

 ある日の朝焼け空。
 劇的とも言える茜色。少しやりすぎの感もある。

空コレ2010-3

 別の日の朝。
 これくらい優しい色の方が好きだ。

空コレ2010-4

 朝焼けの時間は短く、刻々と色と表情を変えてゆく。

空コレ2010-5

 ピンクはブルーに譲る。
 朝の青。

空コレ2010-6

 青空を飾る薄い雲。
 綿菓子ができる前みたい。

空コレ2010-7

 綿菓子雲の完成型。

空コレ2010-8

 鰯雲の出来損ないみたいな雲が空を覆う。
 空を撮ることは、雲を撮ることでもある。

空コレ2010-9

 不穏な黒い雲が青空を覆い隠す。

空コレ2010-10

 太陽と雲が作り出すドラマチックな空の表情。

空コレ2010-11

 祝福にも似た光芒。
 撮り手にとっては恵みの光に違いない。

空コレ2010-12

 太陽のチラリズム。
 まともに見えている太陽は眩しくて直視できない。ちらちら垣間見えるくらいがいいのは、片思いと同じだ。

空コレ2010-13

 ときどき、天には空を描く担当者がいるんじゃないかと思うことがある。
 向こうには名だたる画家がうようよいるから、毎日交代で描いても描き手には事欠かない。

 2010空コレ上半期はここまで。
 残り半年も、印象的な空を撮って、年末には空コレ下半期をやりたい。

気づいたときにはもう夏 ---海上の森の行き帰り

森/山(Forest/Mountain)
海上の森行き帰り-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / TAMRON SP 90mm f2.8



 稲がだいぶ伸びてきて、田んぼは6月の風景となった。まだ茶色が残る4月から、わずかふた月ほどで緑が完全に支配する世界となる。その激変ぶりに、あらためて驚く。
 昨日は海上の森の虫編だったので、それ以外の写真が少し残った。といっても、ほとんど虫しか撮らなかったので、枚数は少ない。行き帰りに撮った写真とあわせて一回分とする。
 上の風景の場所はどのあたりと言うべきなんだろう。本地から晴丘を過ぎて瀬戸街道と合流するまでの間をなんと呼べばいいのか分からない。町名以前に何市なのかも分かっていない。
 地図を見てみたら、瀬戸市の南西のはずれだった。尾張旭市だと思っていたので、ちょっと驚いた。このあたりは尾張旭と瀬戸と長久手が寄り集まったようなところで、どこにそれぞれの境界線があるのか、把握していない。
 町名でいうと、瀬戸市西本地町のようだけど、本地というと守山区に組み込まれている本地荘のあたりを思うから、ここが本地といわれると少し戸惑う。

海上の森行き帰り-2

 この前、長久手の田んぼで見ることができなかったアマサギを、瀬戸の田んぼで見ることができた。
 田植えが終わった田んぼにはアマサギがよく似合う。
 ダイサギやアオサギなんかよりも見られる確率が低いから嬉しいというのもあるけど、アマサギの色はやっぱりきれいだと思う。

海上の森行き帰り-3

 4羽の群れで、連れないやつらだった。私を警戒して、少し近づくだけで飛んで逃げてしまう。追いかけ回したくなかったのに、結果的に追いかけるような恰好になってしまった。
 もっと近くで飛んでいる姿を撮りたかったけれど。

海上の森行き帰り-4

 キラキラの木漏れ日。光と影の力強さに夏を思う。

海上の森行き帰り-5

 トカゲもたくさんいた。歩くと足元でガサゴソ音がして、慌てて走っていく後ろ姿を見る。
 こいつは撮影に協力的で、かなり近づいても逃げなかった。

海上の森行き帰り-6

 昨日のクモ写真の別バージョン。
 レタッチで、補助光の効果をどんどん上げていったら、色鉛筆画みたいになった。面白いので載せてみた。

海上の森行き帰り-7

 手ブレ、ピンぼけ、被写体ブレという三重の失敗写真だけど、絵的に成立していると思う。カマキリが風に揺れて揺らいでいる感じが出た。

海上の森行き帰り-8

 これもピンぼけの失敗写真。失敗写真でも救えるものはある。撮りたい写真のイメージに近ければ、ボケボケ写真は必ずしも失敗ではない。

海上の森行き帰り-9

 ツバメシジミだと思う。
 蝶の目というのも、なんとも神秘的で惹かれるものがある。

海上の森行き帰り-10

 夏の吉田池。
 以前は赤池もこんな感じだったのに、今年はまったく浮き草がなく、茶色に濁っていた。
 スイレンやハスというのも、毎年安定して生えるものではないようで、何らかの理由で消滅してしまうこともある。

海上の森行き帰り-11

 モウセンゴケも、甘い汁を出して虫を捕まえる気満々といった感じだ。
 けど、実際に虫が捕まっているところはほとんど見ない。騙される虫はそれほど多くないのかもしれない。

海上の森行き帰り-12

 花の蕾がピンク色だから、トウカイコモウセンゴケだろう。
 晴れた日の午前中しか咲かない花だから、いまだに咲いているところを一度も見たことがない。

 風景も足元も、すっかり夏模様となった。季節は滞ることなく確実に巡り、気づいたときには季節はもうすでにやって来ている。
 梅雨の雨で足止めを食っている間にも、季節は着実に進んでいく。雨を言い訳にしていると逃してしまう被写体も多い。
 今年はアジサイをほとんど撮れないうちに旬を過ぎてしまった。まだ咲いている花はあるから、どこかで一度くらいはまとめて撮りたいと思っている。
 海上の森は、夏の間にもう一回は行っておきたい。7月中には行くようにしよう。

虫のみなさんこんにちは ---6月の海上の森

虫/生き物(Insect)
海上の森虫-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 本日は虫注意報発令です。
 最後まで虫しか出てきません。虫が苦手な方は、速やかに避難してください。

 というわけで、今日は虫の写真をお届けします。
 久しぶりに海上の森へ行ってきた。前回は3月の終わりだったから、だいぶ間が空いてしまった。5月くらいに一度行きたいと思っていたのだけど、自転車だと少し遠いということで、なんとなく先延ばしになっていた。
 季節は初夏から夏に入りかけていた。虫撮りにしても、少し出遅れた感があった。6月も半ばを過ぎると、蝶が少なくなる。その代わり、トンボは増える。なので、この時期の虫撮りはトンボがメインということになる。
 一枚目は、モノサシトンボのオスだと思う。体の節が目盛りみたいに白くなっているのを物差しに見立てて名づけられた。
 青色系統のイトトンボは、似ているものが何種類かあるから見分けがちょっと難しい。ニシカワトンボとか、ホソミイトトンボとか、アオイトトンボとか、アオモンイトトンボとか、いろいろいる。

海上の森虫-2

 モノサシトンボのメスだと思うけど、あまり確信は持っていない。
 トンボは、オスが青系統でメスが黄色系統というのが多い。シオカラトンボなんかもそうだ。
 イトトンボは、くりくりの丸い目玉がかわいい。

海上の森虫-3

 現地で見たときは、サナエトンボ系統の何かだと思ったのだけど、写真で見るとちょっと違う気がする。
 そっと近づいて、この距離で一枚撮ったところで逃げられてしまった。
 オニヤンマほど大きくなかったから、コヤマトンボだろうか。

海上の森虫-4

 カメラ目線のハラビロトンボ。トンボの目はどこを見ているのかよく分からないけど、首をくいくい動かしてこっちを見ていたから、レンズに気づいていないはずはない。
 黄色いからメスと決めつけるのは早くて、未成熟なうちはオスも黄色っぽい体をしている。

海上の森虫-5

 わっ、黒いトンボがいる、と驚いた。
 ハラビロトンボのオスは、成熟するにつれて黄色から黒になり、その後、シオカラトンボみたいな色になるんだそうだ。これは成熟途中のオスということだろう。
 翅も傷一つなくてきれいなものだ。

海上の森虫-6

 お馴染みのキイトトンボ。これは他に似てるやつがいないから分かりやすい。
 とまりやすそうな場所を見つけて、ここはもうオイラのものだから譲らないぜとしがみついているみたいに見える。

海上の森虫-7

 今日は蝶をあまり見なかった。アゲハチョウなど1匹もいなかった。
 これはツバメシジミかな。

海上の森虫-8

 ジャノメチョウなど撮ってもあまり楽しくはないのだけど、シーズンの最初に一度くらいは撮ってみる。
 ジャノメの数が少ないからヒメジャノメか、ヒカゲチョウか。

海上の森虫-9

 イチモンジチョウだと思うけど、気の毒なくらい翅がボロボロになっている。だいぶ長生きしたのだろうか。
 近づいたら元気に飛んで逃げていったので、少しホッとした。

海上の森虫-10

 クモの巣もあちこちにできていた。森歩きでクモの巣が顔にかかるのは大嫌いだけど、きれいなクモの巣を撮るのは好きだ。いいクモの巣に出会いたい。

海上の森虫-11

 クモの姿はグロテスクでもあり、美しくもある。
 こいつは体が細長いスイカみたいだ。

海上の森虫-12

 なんだか見たことがない虫。跳ねるのか、飛ぶのか、どっちなんだ。体も固いのか柔らかいのか、どっちだろう。

海上の森虫-13

 バッタかイナゴか、撮ろうと近寄ったら、サササッと草の向こうに回り込んで、こちらの様子をうがっていた。そのまましばらくにらみ合いが続いた。
 向こうにしたら、私の方が望まないちん入者だから、早くあっち行けと思っていただろう。

海上の森虫-14

 湿地の水たまりに落ちた小さなバッタ。まだ子供だ。
 バッタは水の上でもけっこう平気で、水面から高く跳ねることができる。

海上の森虫-15

 カマキリの子供ともしばらく遊んでもらった。
 やっぱり虫撮りはなかなか楽しいものだ。動かない花よりも難しいから、撮れたときの喜びが大きい。
 のんびり構えていると、虫のシーズンもすぐに終わってしまう。これから3ヶ月間、機会を見つけてまたどこかへ撮りに行こう。そろそろハッチョウトンボも飛び始めたようだ。

覚王山への行き帰りに昭和の面影を探す

街(Cityscape)
覚王山行き帰り-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4 / 50mm f1.4



 自転車散策では行き帰りの写真が一回分のネタになる。ここのところそのスタイルが確立してきた。
 今日は日泰寺へ行ったときの写真と、オマケで夜編をお送りします。
 まずはお馴染みになりつつある天満センター前だ。ちょうどいいエキストラのおばあさんが通りかかったので撮らせてもらう。とても昭和っぽい一枚になった。

覚王山行き帰り-2

 やられてるなぁ、天満センター。ビニールシートがズタボロになって、かろうじて骨組みに引っかかっている。
 街の景観としてはよくないという意見もあるだろうけど、過去の遺産として残しておいて欲しい気もする。
 町の風景というのは、なんでもかんでも小綺麗で新しければいいというものでもない。

覚王山行き帰り-3

 なるべくこれまで通ったことがない細い道を探して走る。新しい道では、住宅街でも小さな発見や出会いがある。
 昭和の面影を残す家もどんどん少なくなっていく。今撮っておかないと、来年はもうなくなっているかもしれない。

覚王山行き帰り-4

 少し写真が前後する。これは千代田橋の野球グラウンド。
 少年たちがサッカーをしているのを見ると今どきに思えて、野球をしていると昭和を思う。少年の野球人口、サッカー人口というのはどういうふうに推移しているのだろう。Jリーグができてしばらくは一斉にサッカーに流れたけど、それからしばらくしてまた野球人気も盛り返してきたように思う。
 サッカーは下手だとほとんど何もできないけど、野球なら下手でも打順は回ってくるし守備で球も飛んでくる。私は野球の方がずっと楽しかった。

覚王山行き帰り-5

 非常に魅力的な風景だった。面白いデザインの三連窓と、庭に生える雑草の中にヒルザキモモイロツキミソウが咲いている。
 人が来て、人が去って、いったん排除された野生がまた戻ってくる。ここにも自然のサイクルを見ることができる。
 私が廃屋風景に惹かれるのは、人がいなくなった地球の姿を見るような気がするからだ。人間がいなくなったあとの街はこんなふうになるんだろうなと想像すると、切なさと愛おしさが感じられるのだ。

覚王山行き帰り-6

 この日はいろんな角度から東山給水塔を見た。覚王山周辺からはよく見えるポイントがいくつかあった。
 年に二度の一般公開のうち、春分の日は終わったから、次は8月8日だ。チャンスがあれば一度入ってみたい。

覚王山行き帰り-7

 なかなかのビルだった。これは、なかなかだね、と心の中でつぶやく。

覚王山行き帰り-8

 亜熱帯スタイルBAR。熱帯ではなく亜熱帯というのがポイントなのだと思う。暑いけど暑すぎないのか。

覚王山行き帰り-9

 少し川沿いを走って帰った。この日は雲が多くて、空はきれいに焼けなかった。それでも広い空を見るのは気持ちがいい。

覚王山行き帰り-10

 夜の街を撮りたいという思いは前からあって、けど何をどう撮るかというイメージが湧かなかった。撮りに出ればそれなりのものは撮れるのだとしても、何を撮りたいかをまず決めた方がいい。
 自転車で行ける範囲にきれいな夜景があるわけではなく、繁華街といったようなものもない。
 このときは用事があったついでに少しだけ撮ったのだけど、具体的に撮りたいものは見いだせなかった。ただ、少しだけヒントはあった。

覚王山行き帰り-11

 夜撮影の定番というと、車のヘッドライトやテールランプの軌跡がある。撮るなら当然、三脚は必須だ。このときは手持ち撮影で、感度を上げて撮った。
 夜は多少ノイズが増えてもかえって雰囲気が出るから、積極的に感度を上げてもいい。ノイズを活かした写真というのもありだ。

覚王山行き帰り-12

 この写真に夜撮りのヒントがあった。
 パチンコ屋のネオンライトが高速道路の裏に反射していた。
 夜にしか撮れない光や色があることを再認識する。夜の光と色を求めて撮るというのは、一つの方向性だろう。

覚王山行き帰り-13

 人工の光と、植物のシルエット。シルエットを探すというのも考えられる。

 これで今回の覚王山日泰寺行きシリーズはおしまいとなる。ふいの思いつきだったわりには、なかなか収穫はあった。
 もう一度21日の縁日に行きたいという思いはある。吐く息が白い冬の風景が似合うような気もする。

鉈薬師堂から覚王山八十八ヶ所、奉安塔へ

神社仏閣(Shrines and temples)
覚王山21日-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 日泰寺をあとにして、鉈薬師堂(なたやくしどう)へ向かった。
 普段非公開のお堂が、弘法大師の縁日である21日だけ公開されるというので、一度見てみたいと思っていた。
 日泰寺の左(西)の道を進んで、専修院というお寺を左折。そのまま道なりに進むと、左手に入口が見えてくる。
 専修院がどんなお寺かは知らない。門も閉ざされていた。

覚王山21日-2

 古い建物が残っている。この細い道を抜けると、今度は高級そうな住宅地になり、新しいマンションも建っている。
 覚王山一帯は、基本的には高級住宅地ということになるのだろう。
 道はかなり入り組んでいて、アップダウンも多い。

覚王山21日-3

 日泰寺へ行く場合、どの方角からアプローチしても上り坂があるから、自転車で行くのはきつい。
 見晴らしのいい場所に出ると、かなり高いところに位置していることが分かる。
 ここは名古屋東部丘陵地帯の西の端で、月見坂町などの地名が残っている。

覚王山21日-4

 ところどころに観光ルート案内のプレートが道に埋められている。鉈薬師堂の前には鉈の文字がある。
 案内図にしても地図にしても、地面と平行になっている方が絶対に分かりやすい。垂直に立てられていると、一度頭の中で平行に戻す作業が必要になって、方向感覚が掴みづらい。人の頭の中は東西南北になっているわけではなく、前後左右になっている。観光地の案内地図も、地面と平行にするべきだと思う。

覚王山21日-5

 鉈薬師堂に到着した。それらしい門があるからすぐに分かる。

覚王山21日-6

 門の前に中国人風の石像が建っている。
 中国(明国)からやって来た医師の張振甫(ちょうしんぽ)は、帰化して尾張徳川家の藩医となった。ここはその張振甫の持仏堂だったとされる薬師堂だ。
 堂の中には、円空が彫ったとされる十二神像をはじめ、17体の仏像が収められているという。仏像好きにはよく知られた存在だそうだ。
 鉈薬師堂の名は、円空が仏像を鉈で彫ったところから来ている。

覚王山21日-7

 それにしても人っ子一人いない。ここは人気がないところなのかと思いつつ、薬師堂の前まで進む。
 むむむっ。閉まってる? もしかして、今日って21日じゃなかったの? とさえ思った。
 近づいて案内を見てみると、毎月21日公開、午後二時までとある。なんてこった。
 5時くらいには閉まるだろうとは思っていたけど、2時とは予想しなかった。どうりで人がいないはずだ。
 せっかく21日に訪れたというのに、日泰寺の縁日も、鉈薬師堂の円空仏も見ることができなかった。これでは21日に行ったことにはならない。

覚王山21日-8

 お堂の近くから写真を撮ってみる。医王堂という額が架かっていた。

覚王山21日-9

 帰り道、日泰寺の北にある仏像エリアの前を通りかかると、いつも閉まっている門が開いていた。
 入ってみると、何やら不思議な空間が広がっている。四国八十八ヶ所の文字も見える。
 なるほど、これが覚王山四国霊場というやつか。どこかでその存在についてちらっと読んだ覚えがある。
 これも21日だから開いていたようだ。ようやく21日に来たかいがあったと思えた。中を歩いてみることにする。

覚王山21日-10

 なんだかすごいことになっている。野趣溢れるというか、なんというか、ガタガタのお堂に汚れた造花、ぼろぼろの前掛けに野ざらしの石仏。それらが無造作に点在している。
 ある意味では五色園を越えているかもしれない。とてもシュールだ。

覚王山21日-11

 明治時代の終わりに、日泰寺の境内に四国八十八ヶ所を再現しようではないかという話が持ち上がり、作られたのがこのミニチュア八十八ヶ所だったようだ。
 歳月を経て、いろいろ手直しや建て直しなども行われたようだけど、現状はかなり老朽化が進んでいる。
 この日は21日だったから、お参りの人やお世話をする人も訪れていただろうに、きれいになっている形跡はあまり見られなかった。
 一番札所から八十八番まで順番に並んでいるわけではなく、かなり飛びとびになっている。88のお堂があるのかどうかもよく分からない。

覚王山21日-12

 プレハブ小屋がお堂になっている。すごいと感心する。合理的でもあるし、サイズもぴったりだ。
 なんだか不思議な見せ物を見たあとのようなぼんやりした感覚を抱きつつ、ここをあとにした。

覚王山21日-13

 仏舎利を収めた奉安塔をまだ一度も見たことがないのを思い出した。そちらも寄っていくことにする。
 日泰寺本堂とは道を隔てた飛び地にある。もともとは一つの大きな境内だったのかもしれない。

覚王山21日-14

 こちらもまったく人の姿はない。
 奥に進むにつれて静けさを漂わせた空気感が濃くなる。本堂のある境内とは雰囲気がだいぶ違う。

覚王山21日-15

 門の前まで進んだところに柵があり、それ以上進めない。奥にもうひとつ門があって、塔はまだその先だ。下の方がちらっと見えているだけで、全体像は見えない。横に回ってみても見ることはできなかった。
 大正7年(1917年)に、東大教授の伊東忠太が設計した塔で、ここに仏舎利が収められている。たぶん、扉はなくて、仏舎利を取り出すには塔を破壊するしかないはずだ。

覚王山21日-16

 たぶん釈迦の涅槃像だと思う。遠くてはっきりは見えない。
 門の前をうろうろしたり、中をのぞき込んだり、横に回ったり、写真を撮ったり、まるでスターの邸宅をのぞき見しているファンみたいだなと思ったら、自分でもおかしくなった。
 それ以上粘っても何も見られそうにないので、あきらめて帰ることにする。

 21日らしさの半分くらいは味わえたかなと思う。見られなかった半分は、今度の楽しみに取っておこう。機会があれば、また21日に訪れてみたい。次はちゃんと昼までには行かないといけない。

遅刻して縁日の終わった日泰寺参道風景

神社仏閣(Shrines and temples)
日泰寺21日1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / DA 16-45mm f4



 ふとカレンダーを見て、今日は21日か、と思う。ん? そういえば、21日って、何かなかったっけ? あ、そうだ、日泰寺の縁日だ。
 思い出したまではよかったものの、思い出した時間が遅すぎた。夕方ではもう終わってみんな帰ってるんじゃないかとあきらめようとして、でもやっぱり行くだけ行ってみようと思い直し、出向いていった。夜店も出るという話もどこかで読んだ覚えがある。それなら夕方でもまだ賑わっているかもしれないという期待を抱きつつ。
 しかしながら、行ってみると完全に遅刻だったことを思い知る。参道にはわずかに出店が数軒、後片づけをしているところで、あとはもう姿形もなく、人通りも普段と変わらないくらいまばらだった。しまった。やっぱり、遅すぎた。
 写真で見る参道を埋め尽くす人々の光景は、今は昔の今昔物語なのか、あるいは午前中はそんな活況を呈しているのか。
 まあそれでもせっかく訪れたことだし、21日ならではの部分もあるだろうということで、参道から日泰寺とその周辺を自転車と歩きで巡ってきた。写真もたくさん撮ったから、3回くらいに分けて、そのときの様子を紹介したいと思う。

日泰寺21日1-2

 旅館みのや。ビジネス旅館・酒井屋も近くにある。
 みのやはもう営業していないのだろうか。楽天トラベルで調べたら宿泊プランが出てこなかった。少し古い情報によると、素泊まりは5,000円からという料金だったようだ。

日泰寺21日1-3

 昭和の名残を見つけて写真に撮って喜ぶ。
 たくさん残っているとありがたみがないし、あまりにも少ないと面白くない。あと10年か15年早く、レトロ趣味が開花していたら、もっとたくさんの昭和を見つけられただろうに。

日泰寺21日1-4

 覚王山名物、お釈迦煎餅というのがあるらしい。
 この店も早い時間に行っていたら開いていたんだろうか。

日泰寺21日1-5

 古くからの店に混じって洒落た新しい店舗も間に挟まっている。
 古いばかりでも発展性がないから、若い人も呼べる新しい店が増えていくことはいいことだ。新旧の混在こそが、健全な商店街の姿だから。
 覚王山アパートはこの裏手になる。通りとしては一本西の細い道で、この建物の脇からも行けるようになっている。

日泰寺21日1-6

 前回見つけられなかった覚王山アパート。
 古いアパートを改築して、雑貨店やギャラリーをやっている。
 中まではちょっと入りづらい雰囲気だったので、外から写真を撮るだけにした。

日泰寺21日1-7

 なんだかすごいお屋敷だなと眺めていると、入口に松楓閣とあった。どうやら高級料亭のようだ。建物は、国の有形文化財に登録されているとあった。
 コース料理で2万円くらい、ウェディングもできるところらしい。

日泰寺21日1-8

 古い家屋を改築して喫茶店をやっているところのようだ。
 黒門と白いアジサイとのコントラストがよかった。

日泰寺21日1-9

 日泰寺の境内にも出店のたぐいはなかった。すっかり撤収したあとだった。
 住職が自転車で境内を行く日常風景が戻っていた。

日泰寺21日1-10

 三門の横ではおばあちゃんと孫娘がバドミントンをやっている。これもいつもの日泰寺の光景だ。

日泰寺21日1-11

 若い女の人も21日だから参拝に来たのかと思いきや、境内を斜めに横切っていった。
 日泰寺は開放的で自由な雰囲気のお寺だから、みんな気軽に出入りしている。境内の空気感が軽い。初めて訪れたときは、お寺らしさがなくて物足りないような気がしたけど、こういう軽い感じは逆に貴重だと思うようになった。

日泰寺21日1-12

 参拝者の数は、普段より少し多かったかもしれない。いつもに比べて年齢層が幅広かった。

日泰寺21日1-13

 花をたくさん並べている人がいて、花を売っているのかと思ったら、どうもそうではなさそうだ。21日は弘法さんの縁日だから、お寺で使う花かもしれない。

日泰寺21日1-14

 大勢の参拝客で賑わう様子は撮れなかったけど、印象的なシーンにいくつか出会うことができた。
 人が多すぎるととりとめのない写真になってしまうから、むしろ人は少ない方が人入りの写真は撮りやすい。

日泰寺21日1-15

 お参りといっても、私の場合は挨拶をするだけ。特に日泰寺でするような願い事は思いつかない。写真を撮らせてくださいなというくらいだ。

日泰寺21日1-16

 線香の煙が流れているところを撮ったら、ちょっといい感じの写真になった。

日泰寺21日1-17

 石仏もきれいにしてもらったのだろう。赤い帽子もまぶしいくらいだ。供えたての花も生きいきしていて、気持ちいい。

日泰寺21日1-18

 広い境内の空は広い。

日泰寺21日1-19

 五重塔のデザインは優れている。この形を美しいと感じる気持ちが1000年以上変わっていないというのが素敵なことだ。

日泰寺21日1-20

 挨拶を済ませたところで、日泰寺をあとにする。このあと向かった鉈薬師堂のことがあったから21日に訪れたというのもあった。
 そこでガビーン(古い)となるのだけど、それはまた次回ということにしたい。
 つづく。

オランダ料理について学ぶサンデー

料理(Cooking)
オランダサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 先週、来週は梅雨にちなんだ料理を作ろうと書いた。けど、よりタイムリーなネタがあったので、そちらを優先させることにした。今日はオランダ料理サンデーだ。
 昨日の試合で、日本はいい負け方をした。はっきり言って今の実力でオランダに勝つのは失礼だ。ワールドカップの権威が下がる。楽しみは20年くらい先に取っておいて、とりあえず今のところはオランダに敬意を表してオランダ料理を作ってみた。
 それにしてもオランダ料理って何だろう? その前にオランダについて私が知っていることは、意外と少ないことに気づく。チューリップと風車とゴッホくらいではないか。江戸時代に長崎の出島でオランダと盛んに貿易していたことを考えると、もっとオランダというものが日本に浸透していてもよさそうなものなのに、現状はそうでもない。
 道を歩いていてオランダ人を見る確率はものすごく低いし、オランダ料理の店というのもあまりなさそうだ。国同士として日本とオランダはどんなつき合い方をしているのだろう。そもそも、ネーデルラントのことを何故オランダというのか。
 ワールドカップといういいきっかけがあった今、せめてオランダ料理について多少なりとも勉強して、少しでもオランダとお近づきになりたいというのが、今日のサンデー料理の趣旨だった。オランダ料理を完全再現してみせるなどという野望のもとに作られた料理ではないということだけ、最初にお断りしておきたい。

 オランダを代表する料理は何か、という問いかけに対して、10人が10人答える料理というのは存在しないようだ。ヒュッツポットだったり、スタンポットとかハッシェとかエルテンスープだったり、そのあたりなのだろうか。ニシンもよく食べているらしい。
 オランダは、北を北海に面するヨーロッパでも北の国で、冬はかなり寒いようだ。
 農業の国のようなイメージがあるけど、チューリップや乳製品などすべてあわせても国内総生産の数パーセントでしかない。では工業の国かといばそうでもなく、ハイネケンやユニリーバ、フィリップスなど、世界的に知られた企業がいくつかあるものの、輸出に特化した国ではない。
 国内総生産の3分の2を、金融と流通が占めている。金を動かしたり、物を運んだりということで国が成り立っているようだ。あと、天然ガスがたくさん採れるから、それで潤っているというのもある。
 ヨーロッパにおける一般的なオランダのイメージは、ケチだそうだ。良く言えば堅実で質素という言い方もできる。
 もともとのオランダは、それほど豊かではない農業の国だった。そして、国民はプロテスタントを選んだ。プロテスタントの教えは、質素と禁欲だ。国民は質素であることを誇りとして、美食などというのもをよしとしなかった(現在は半数が宗派に属さず、プロテスタントよりカトリックの方が多い)。
 そうなるともう、料理というのは発展しない。食事に必要以上のお金をかけないから、レストランも流行らないし、みんな家で食事をする。必然的にオランダらしい料理というのは、家庭料理ということになった。
 オランダ料理を見ると、やたらジャガイモを使うのと、なにかというと潰して、最後は煮込むものが多い。なんだか、私の料理みたいで共感を覚えるところも多々ある。ジャガイモのようにたくさん食べられて腹持ちがよく、寒いから煮込んだ料理が多くなる。
 オランダでは、朝も昼も簡単に済ませる人が多いらしく、会社の昼休みも30分しかなかったりするらしい。サンドイッチなんかを食べて済ませてしまうのだとか。やたら長い時間をかけて食べてるのかしゃべってるのか分からないようなイタリア人や、昼間からビールを飲んでほろ酔いのドイツ人などと比べても、ずいぶん国民性が違うようだ。
 もちろん、どこの国にも多くの例外というのもはあるのだけど。

 いろいろ調べてはみた結局、これさえ作っておけばオランダ料理っぽいものというのは見いだせなかった。少しでもそれらしいものを作ろうとして出来上がったのが今日の3品なのだけど、たぶんこれはオランダ料理としては通用しない。途中からあきらめて、自分好みの味に仕上げていったから、味付けに関してもオランダからは離れてしまったと思う。
 左手前は、サーモンのマッシュポテト添えだ。
 一応、スタンポットというのを意識して作っている。
 ジャガイモと野菜を一緒に茹でて、柔らかくなったところで潰したものをそう呼ぶらしい。
 普通はソーセージにつけて食べるようだけど、ここではアレンジしてサーモンと一緒に食べた。ヨーロッパだから、サーモンは食べていると思う。
 サーモンは、塩、コショウ、白ワイン、オリーブオイルを振りかけてしばらく置いたあと、フライパンで蒸し焼きにする。
 ジャガイモは小さめにカットして、タマネギと一緒に茹でる。最初にレンジで加熱して柔らかくしておくと茹で時間を短縮できる。今回はレンジを使わなかったから、だいぶ形が残ってしまった。まあ、これはこれでいい。
 スタンポットは塩、コショウというシンプルな味付けだけど、それでは味気ないということでいろいろ加えている。コンソメの素、塩、黒コショウ、砂糖、とろけるチーズ、牛乳、バター、マヨネーズで味付けをした。
 オランダ人はフライドポテトにマヨネーズをつけて食べるらしいから、ここでも多めにマヨネーズを入れている。
 美味しいスタンポットもどきができた。サーモンとの組み合わせもよかった。

 右はオランダからやや離れて、トマトスープ野菜煮込みとなっている。
 トマトを使ったスープも、オランダの家庭で作られているんじゃないかとは思う。
 具材としては、鶏肉、エビ、ニンジン、タマネギ、キャベツ、エンドウ豆を使った。
 オランダではエンドウ豆を使って、どろどろになるまで煮込むエルテンスープというのがよく食べられているそうだ。しかし、日本では乾燥させたエンドウ豆などはなかなか売ってないので、再現するのは難しい。普通にさやつきのエンドウ豆を入れてトマトスープを作った。なるべく時間をかけて煮込んで、少しだけオランダ料理に近づけようとはした。
 エンドウ豆が効いたのか、美味しいスープに仕上がった。これまで作った中でもベストスリーに入るトマトスープだった。

 奥はまったくオランダっぽくないと思いきや、オランダ煮という名前の料理だ。
 いったん揚げたものを煮込む料理をオランダ煮と呼ぶらしい。
 長崎に来ていたオランダ人がやっていた調理法が伝わって、そう呼ばれるようになったんだとか。もっと広い意味で、西洋の調味料を使った西洋風の調理を、当時の日本人がオランダ煮と呼び習わしたのだろう。何しろ鎖国時代の日本において、唯一オランダだけが直接接することができた外国人だったのだ。
 ナスを輪切りにして、水に浸ける。
 コンニャクは大きめのサイコロ切りにして、隠し包丁を入れる。
 それぞれ小麦粉をまぶして、ごま油で揚げる。
 鍋で、酒、みりん、しょう油、ダシの素、水、塩、コショウ、唐辛子を煮立て、揚げたナスとコンニャクを入れる。
 そのまましばらく煮込んで、刻みネギを乗せたら完成だ。
 これは西洋の料理からかけ離れてしまっているけど、それを度外視すれば美味しい料理になっている。ごま油で揚げることで、普通の煮物とは違う味わいになる。薄くついた衣がダシを吸うのがポイントだ。

 オランダ料理の再現度はともかくとして、オランダに多少なりとも近づくという当初の目的は果たした。少し勉強したことで、これまでほとんど知らなかったオランダについてちょっとだけ知ることができた。
 この流れに乗って、来週はデンマーク料理に挑戦してみようか。デンマークというのも知っているようで何も知らない国だ。
 勝っても負けても恨みっこなしということで、来週はデンマーク料理で決まりだ。

三河の法蔵寺に近藤勇の首塚がある <名鉄の旅・第7回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
法蔵寺1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 本宿駅から歩いて15分ほどのところに法蔵寺というお寺がある。ここへどうしても行きたかったのは、近藤勇の首塚があるというのを知ったからだった。何故三河あたりに近藤勇の首塚があるのかという疑問を抱きつつ、行ってみれば何か分かることもあるだろうし、行かなければ何も分からないと思ったのだった。
 小山を背にして、雰囲気のある寺が見えてきた。どうやらここがそうらしい。

 創建は701年というから、飛鳥時代と奈良時代の間だ。開山は行基と伝わっている。
 行基が諸国を行脚している途中、法蔵寺裏山の二村山の麓に一本の大杉を見つけた。近づいてみるとひとりの童子が出てきて、この地はヤマトタケルも戦勝祈願をしていった霊験あらたかなる場所なのだよと教えてくれたらしい。更には、この杉の木で観音様を彫るといいことあると言う。それならばと行基は早速観音像を彫り上げた。
 それからほどなくして、都で淳仁天皇の后がお産で悩んでいるという噂を耳にした。行基が観音像に祈ったところ、無事に男子が産まれたという。その話を伝え聞いた淳仁天皇は喜び、行基に使いを出して、二村山にお堂を建てるようにと命じた。そのときの名を、出生寺という。これが法蔵寺のはじまりとされている。

法蔵寺1-2

 三河を本拠にしていた松平家初代の親氏(松平郷の銅像になっているあのオヤジ)が、このお寺をとても大事にして、お堂などをいろいろ建てたそうだ。
 もともとは法相宗だった出生寺を、浄土宗に改宗して法蔵寺と名を改めたのもこの頃だったようだ(1385年から87年あたり?)。
 伯父の教翁上人がこの寺にいたこともあって、ちびっこだった家康もここを何度も訪れて、手習いなどさせられたらしい。遺品もあれこれ残っているという。
 上の写真は、御草紙掛松と名づけられた松だ。家康が勉強のときに草紙(そうし)をかけたというエピソードがあるのだとか。本を松にかけるというのがどういう状況なのかよく分からないのだけど。
 当時のものは1983年に枯れてしまって、今のは二代目の松とのことだ。
 桶狭間の合戦ののちに三河で独立した家康も、このお寺を大事にして優遇したそうだ。

法蔵寺1-3

 朱塗りの橋を渡ると三門がある。さほど大きなものではないものの、そこそこ古いもののようだ。

法蔵寺1-4

 石段を登ったところに、鐘門がある。これも規模は小さく、質素とも言えるものだ。
 本堂はなかなか立派なものだった。親氏が建てたものを明治に改築したのだそうだ。
 石段の途中に祠があった。あれはヤマトタケルを祀ったものだったようだ。軽く横目で見て素通りしてしまった。
 ヤマトタケルが二村山に武運を祈願したとき、鉾で岩石を突いたら水が湧き出してきたので、それを賀勝水と名づけた。そういえば、そんな名札も見たような。
 東海道を行き来する武将たちもヤマトタケルにあやかろうと、みんなここの賀勝水を飲んでいったのだとか。
 江戸時代、東海道を旅する旅人たちもこの水で喉を潤していったはずだ。
 法蔵寺には他にも、法蔵寺団子と法蔵寺草履という名物があった。ここで団子を食べながら一休みして、水を飲んで、新しい草履に履き替えて、また旅を再開したのだろう。

法蔵寺1-5

 外観は渋くても、中はきらびやかだ。

法蔵寺1-6

 木造の渡り廊下の下をくぐって奥へ進む。
 近藤勇の首塚がどこにあるのか、まだ分かっていない。

法蔵寺1-7

 石段の上に社殿の屋根が見えている。奥へ行くと唐突に神社になるのでちょっと戸惑う。
 いろいろ分からないことがありつつも、とりあえず進んでみるしかない。

法蔵寺1-8

 近くで社殿を見てなるほどと納得した。東照宮だ。
 家康ゆかりの地ということで、東照宮があるのは当然と言えば当然だ。お寺と神社の混在ぶりは日光でも見ている。
 日光ほどド派手ではないものの、東照宮のエッセンスは充分に感じられる社殿だ。
 建てられた時代は意外に遅く、江戸時代の後期らしい。

法蔵寺1-9

 古い敷石と新しい敷石の隙間に、小さな黄色い花が咲いていた。ふと立ち止まったときに見つけた、なんとなく心惹かれる光景だった。

法蔵寺1-10

 大きな木。法蔵寺のイヌマキといえば、ちょっと知られた存在なんだとか。

法蔵寺1-11

 六角堂。これも親氏の時代に建てられたもののようだ。

法蔵寺1-12

 踏切の音が聞こえて、線路方向を見てみると、下の方で列車が行き違うところだった。
 だいぶ高台に来ていることが分かる。

法蔵寺1-13

 最後にようやく近藤勇の首塚に辿り着くことができた。

 近藤勇、土方歳三、沖田総司らが浪士隊に参加して、江戸を出発して京都に着いたのが1863年2月。最初は浪士組と呼ばれていた。
 江戸に戻った一派と、京都に残留した一派と分かれ、京都組は壬生浪士組となった。そこで、近藤勇一派と水戸派の芹沢鴨と二つの派閥ができる。
 京都守護職だった会津の松平容保は、京都の倒幕派の取り締まりを壬生浪士組に任せることにする。このとき、容保から新撰組という名をもらったとされている(別の説もあり)。
 同年8月、八月十八日の政変で活躍。
 同年9月、近藤勇一派は芹沢一派を襲撃して粛清。
 1864年6月、池田屋事件。
 名を上げて、伊東甲子太郎、藤堂平助、斎藤一などの隊士も増えていく。所帯が大きくなるにつれ、いろいろ問題も起こり、隊士の暗殺や切腹などが続く。
 1866年12月、一橋慶喜が15代将軍に就任。
 1867年10月、大政奉還。この年、新撰組は幕臣に取り立てられる。近藤たちは憧れていた武士になることができた。
 同年11月、坂本龍馬暗殺。
 同年12月18日、近藤勇は伏見街道で御陵衛士の残党に銃で狙撃されて負傷。翌年始まる鳥羽伏見の戦いに参加できず、大坂城で療養。
 1868年(9月に明治元年と改元)1月、鳥羽伏見の戦い始まる。
 薩長を中心とする新政府軍の銃器による猛攻を受け、新撰組が参加する幕府軍は敗走を重ねる。
 3月、鳥羽伏見の戦いに敗れた新撰組は、幕府の軍艦で江戸に戻る。
 甲府奪還の幕府命令を受けた近藤勇(大久保剛と改名)は、甲陽鎮撫隊として甲府へ出陣。甲州勝沼の戦いで板垣退助率いる新政府軍に大敗。
 永倉新八、原田左之助らは意見の相違により、靖兵隊を結成して新撰組を離隊。 
 4月2日、近藤勇率いる本隊は、流山に入り、陣を構える。
 3日、勝ち目がないことを悟り、土方歳三などを逃がした上で、大久保大和と改名していた近藤勇は、新政府軍に投降。
 4日、越谷宿に連行される。伊藤甲子太郎一派の生き残りが面通しをして、近藤勇と見破られた。
 板橋の新政府軍の本営に移される。
 土方歳三は、残った新撰組本隊を会津に向かわせ、自分は近藤の助命嘆願のため、江戸に走った。大久保一翁、勝海舟と会う。
 翌5日、助命の願いは聞き入れられなかったものの、近藤宛の書簡をもらい、それを相馬主計に託して、板橋の近藤の元に届けさせた。しかし、その相馬主計も板橋で捕まってしまう。
 11日、江戸城無血開城。
 12日、土方は旧幕府群に加わり、戦を続ける。
 13日、板橋の平尾宿に移された近藤は、ここで処遇を待つ。京都へ移して正式な裁きを受けさせるべきという薩摩に対して、坂本龍馬を暗殺されたと思い込んで恨んでいる土佐と意見が対立する。
 しかし、考えてみれば、近藤勇を罪人とするのは、薩長の新政府軍から見た一方的な決めつけで、新撰組は幕府公認で京都の警護をしていただけだ。倒幕派の人間をたくさん斬ったからといって、幕府から見ればそれは罪にならない。
 罪状としては、官軍である新政府軍に抵抗したのは朝敵ということである、というものだった。要するに、旧勢力に対する見せしめとして殺されたということになる。
 19日、土方ら、宇都宮城の戦い。
 24日、近藤、滝野川村三軒家の石山亀吉方に移送。結局、土佐のごり押しという形で斬首刑に決まる。
 25日、見物人が集まる中、板橋の刑場にて近藤勇、斬首。
 武士の身分を与えられても、武士として切腹することは許されず、罪人として首を切られた。
 享年35歳。満でいえば33歳だった。
 5月30日 沖田総司、肺結核により死亡。
 1869年5月11日、函館五稜郭の戦いで土方歳三、戦死。

 板橋で斬首された近藤の首が、果たしてどこへいったのかというのが、今日のテーマだ。ここまでは長い前置きだった。
 板橋で晒された近藤の首は、塩漬けにされて京都へ運ばれた。京都の前に大坂の千日前に晒されたという話もあるけど、はっきりしない。
 京都の三条河原で晒し首になった近藤の首は、三晩目に何者かが盗み出して、その後の行方は知れないということになっている。
 体の方はわりとはっきりしている。28日に遺族が人夫に頼んで掘り起こして、近藤家の菩提寺である龍源寺(東京都三鷹市)で弔ったとされている。
 どうして、近藤とは縁もゆかりもない三河の寺に近藤の首塚があるかといえば、話はこうだ。
 近藤が晩年に親しくしていた人物に、京都誓願寺の住職、称空義天大(弥空義天大?)という和尚がいた。この人物がキーパーソンとなっている。
 近藤の首を奪還するように命じたのが誰で、誰が実行したのか、詳しいことは分からない。会津藩主の松平容保かもしれないし、土方歳三かもしれない。あるいは同志の独断かもしれない。
 近藤の戒名、貫天院殿純忠誠義大居士は松平容保によるものだ。近藤が晒し首になっていることに何も感じなかったということはないだろう。
 土方歳三が山口二郎(斎藤一)に命じたという話もあるけど、この頃山口二郎は新撰組本隊の隊長として会津で転戦している頃だ。直接自分が京都まで走って首を取り返したということはないはずだ。命を受けた山口二郎が誰かに命じたというなら可能性はあるか。
 実行したのが誰だったかは置いておくとして、とにかくその人物は誓願寺の称空義天大に弔ってもらうように命じられていたらしい。それで誓願寺へ首を持っていったところ、称空義天大は半年前に三河の法蔵寺(誓願寺の末寺)に移ったという。
 そのことを知らなかったというのもおかしな話だとは思うけど、それじゃあというので、わざわざ三河まで行って、首を弔ってもらったというのだ。誓願寺が断ったからとも言われている。
 和尚は世間をはばかって、当初は石碑を土で覆って、ひっそり弔っていたらしい。それがいつしか忘れられて、時が流れることになる。
 昭和33年、誓願寺で埋葬の由来が書かれた記録が見つかり、法蔵寺でそれらしい場所を掘り返してみたところ、土方歳三たちの名が刻まれた台座が出てきて、これはどうやら本当らしいということになった。近藤勇の遺品も見つかったという。
 しかしながら、これで近藤の首がここに埋まっていることが決定したかといえばそうではない。あくまでそういう伝承があって、土方歳三の名が刻まれた台座が見つかったというだけだ。
 その台座に刻まれた名前にも謎があった。新撰組隊士のものではなく、伝習隊や回天隊数名の名前なのだ。これらは、宇都宮で土方歳三とともに戦った旧幕府軍の生き残りだ。何故、それらの名が台座に刻まれていたのか。
 年数も慶応三年と刻まれていたという。近藤が斬首されたのは慶応四年だ。
 だったら近藤とは関係ない人物の墓なのではないかというと、必ずしもそうではない可能性がある。首をここに持ってきて埋めたかどうかはともかくとして、土方が人に頼んで法蔵寺の称空義天大に近藤勇の供養をして欲しいと頼んだのかもしれない。手ぶらでというわけにはいかないから、いくらかは包んだだろう。それが宇都宮で戦っているときで、一緒に戦っていた伝習隊の隊士たちが、じゃあ自分もと少しずつ出し合ったということもあり得る。そこで署名された書状が法蔵寺に届き、石碑を造るときに名前を刻んだのではないか。
 結局、近藤勇の首はどうなってしまったのか、それは分からない。法蔵寺が何か決定的な証拠を持っているのなら、それを公表すれば話は早い。けど、そういうたぐいのものはないのだろう。
 あるいは、石碑の下を掘り返して出てきた頭蓋骨のアゴが、ゲンコツが入るくらいよく開いたら、それは近藤さんのものと言っていい。
 京都の山中に埋められたという説もありそうな話ではある。
 とても個人的な感覚を言うなら、この場所に立ってみて、足元に近藤勇の頭蓋骨が埋まっているような感じはしなかった。私が鈍いだけだろうか。
 それでも、近藤勇ゆかりの場所が愛知県にあるというのは、嬉しいことだ。首があってもなくても、これからもこの地を訪れる人が絶えることはないだろう。供えられている花も新鮮なものだった。
 しばしここに佇み、手を合わせて、この場をあとにした。

本宿駅から法蔵寺に向かう道すがら <名鉄の旅・第6回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
本宿1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 少し中断していた名鉄の旅を再開することにしよう。国府駅から御油宿、赤坂宿を歩いて、名電赤坂駅へとやって来た。ここから電車で2つ、名古屋方面に戻って、本宿駅へ行く。本宿には必ず寄りたい理由があった。
 名電赤坂駅は、普通列車しか止まらない無人駅となっている。隣の御油駅もそうだ。もともとは宿場で人が集まる拠点だったのに、普通列車しか止まらないことで、急行が止まる本宿駅と、特急も止まる国府駅に拠点を奪われることになった。名鉄があとから線路を敷いた場所に、最初から国鉄が鉄道を作っていたのなら、御油や赤坂の歴史は今とは違ったものになっていただろう。特急や急行が止まらず通過してしまう悲哀というのが確かにある。上の写真も、通過していく列車を撮ったものだ。

本宿1-2

 これは名電赤坂駅の地下連絡路だったか。はっきり覚えていない。たぶん、本宿駅ではなかった気がする。
 この地方にはあまり関係なさそうなトナカイとサンタクロースなどの絵が描かれている。通路は薄暗いけど、絵はポップだ。

本宿1-3

 本宿駅はなかなか大きな駅だった。
 駅前に旧駅舎の模型がある。昔はこんな姿だったらしい。
 昔の駅舎は味わいがあったのに、今のものは味気ないものが多い。日本人は昭和になって建物デザインのセンスが貧相になってしまったように感じる。

本宿1-4

 本宿駅前に額田王(ぬかたのおおきみ)のレリーフが飾られていた。見たときは何故こんなところに額田王が関係しているのか分からなかった。
 かつてこのあたりは額田郡だったから、その関係なのだろうと気づいたのは、帰ってきてからだった。額田郡は、古代の額田部(ぬかたのべ)氏が支配していた土地だったとされている。
 額田王は、大海人皇子(のちの天武天皇)の妃で、壬申の乱では尾張や三河の豪族も手を貸しているし、そのあたりでも関係がないとは言えない土地だ。

本宿1-5

 本宿駅のすぐ前に国道1号線が走っていて、駅を出て信号まで距離がある。交通量も多くて危ないというのもあるのか、地下通路が作られている。
 地下通路に入ると何故か写真を撮りたくなる。遠近法の感じに惹かれるらしい。光と影のコントラストもいい。
 壁面には宿場の歴史や地図などが架かっている。

本宿1-6

 本宿(もとしゅく)は、赤坂宿と藤川宿の間にあった間の宿(あいのしゅく)だった。主に旅人の休憩場所として栄えたところだ。名古屋の有松などもそうだ。
 本宿には法蔵寺という大きな寺もあって、門前町としても賑わった。私のここでの目的も、その法蔵寺だった。
 現在の本宿に、間の宿としての面影はほとんど残っていない。古い家屋が少しあるくらいだった。

本宿1-7

 この道が旧東海道なのかどうか、よく分からなかった。
 派手に工事をしていて、インド人らしき人とすれ違った。バングラデシュ人か、ネパール人かもしれない。

本宿1-8

 なかなか歴史のありそうな立派な建物があった。日本レトルトフーズ株式会社というところのものらしい。
 もともとは、神谷合名会社という味噌醤油醸造元の建物だったようだ。

本宿1-9

 古めかしい建物の一階で、お店を営業していた。
 ファミリーショップ杉田屋。
 ファミリーショップとは何だろう。何を売っているのか。やはり、ファミリーで買い物に来るところなのだろう。

本宿1-11

 表に回ってみたものの、実際に何が売られているかまでは判明しなかった。スーパーのような、そうでないような。
 そもそも、もう営業はしていないのか。

本宿1-10

 陣屋跡と代官屋敷という案内板があったので、ついでに見ていくことにした。
 現在冨田病院になっているところに、かつて旗本・柴田出雲守勝門の陣屋があったそうだ。
 柴田勝門というのは、柴田勝家の子孫とのことだ。北ノ庄でお市の方とともに命を落とした勝家だったけど、その子孫は旗本になっていたのか。
 陣屋の代官職は冨田家が世襲して、冨田病院を作ったようだ。
 屋敷は1827年に建てられたものらしい。

本宿1-12

 歩いていたら名鉄の電車が通っていった。特急の車両だろう。

本宿1-13

 このあたりがかつての名残だ。
 ここまで来ると、法蔵寺はもうすぐそこだ。法蔵寺については、あらためてということにしたい。
 つづく。

小幡緑地東園周辺で出会った夏景色

施設/公園(Park)
小幡緑地東園-1

Canon EOS 20D+EF80-200mm f2.8L



 梅雨の貴重な晴れ間ではあったのだけど、遠出するほどの体力も時間もなく、夕方近くの小幡緑地東園へ出向いた。
 今日の名古屋は最高気温が33度近くまで上がって、暑かった。冬場の自転車もつらかったけど、真夏の自転車もなかなか厳しいものがありそうだ。漕いでるときは風が当たるからそれなりに涼しいけど、止まると汗がどっと出てくる。
 東園は行ってもあまり収穫がないからめったに行かない。行くときは秋とか冬が多い。夏場に行った記憶はないから初めてかもしれない。今回もやっぱりこんなものだよねという感じで、あまり撮るものはなかった。
 林ノ池は、ヒツジグサなのかハスなのか、葉っぱが水面をほぼ完全に覆っていた。撮りどころが見いだせずに、芝生広場に移動する。
 ここはけっこう好きなポイントで、よく写真も撮る。秋の紅葉のイメージが強くて、夏の風景は新鮮に映った。草が伸びて、なんだかサバンナみたいな光景が広がっている。野生動物が寝そべっていても違和感がない。
 木の上の方に蝶が2匹飛んでいるのだけど、このサイズの写真でははっきり見えない。飛んでいる蝶を肉眼で見るのと同じように写すのは難しい。

小幡緑地東園-2

 そこそこ近くで捉えて、やったと思ったのに、写真を見たらやってなかった。止まっているところを撮ったみたいに写っている。飛んでたんだけどなぁ。
 キチョウやシロチョウでも飛翔シーンは最高難度に近く、アゲハ系になると超絶難しい。スピードが速すぎて、ピント合わせ以前にフレームに入らない。偶然でもいいから飛んでいるところを至近距離で撮ってみたい。

小幡緑地東園-3

 林の中に腰掛けて一服。健康的なのか不健康なのか、よく分からない。

小幡緑地東園-4

 公園アニマルズ。そんなにいらんだろうというくらいたくさんいる。

小幡緑地東園-5

 小幡緑地東園での収穫が少なかったので、場所を変えることにした。本園に向かっている途中、印場駅の裏あたり。このへんは初めて通る道だ。
 見慣れない花を見た。白いツツジっぽいけど、何の花か分からない。

小幡緑地東園-6

 これも知らない花。逆光に花びらが透けてきれいだった。

小幡緑地東園-7

 瀬戸電を撮る。シルバー車体がずいぶん増えた。

小幡緑地東園-8

 線路沿いの風景は、そこはかとない情緒があって好きだ。

小幡緑地東園-9

 タチアオイと羽虫の群れ。
 そろそろ蚊の活動も活発になってきて、早速刺された。夏を実感する。

小幡緑地東園-10

 自転車に乗りながら紫陽花を流し撮り。なんのことだか分からないけど、面白いからいいや。
 動いているものと併走しながら撮れば、自然に流し撮りになるのではないかと思いついた。今度やってみよう。

小幡緑地東園-11

 本園に向かう途中、まだ行ったことがない池があるのを思い出した。車では行けないところで、これまでずっと気になっていた。
 二つ池という名の通り、南北に二つの小さな池があった。トンボもたくさん飛んでいたし、撮れなかったけどカワセミも見た。
 ちょっといい池だったから、今後も折に触れて寄ってみることにしよう。冬場に渡りのカモが来るのかどうかも気になる。

小幡緑地東園-12

 アオサギ飛翔。ポーズが決まってる。

小幡緑地東園-13

 茶色に染まる池と、カイツブリ。

小幡緑地東園-14

 夏らしい池の風景。夏の色。

 そこそこ写真も撮ったし、体調も万全ではなかったので、もう帰ることにした。小幡緑地本園は、またの機会ということにしよう。

自転車で平和公園へ

日常写真(Everyday life)
平和公園へ-1

Canon EOS 20D+TAMRON 28-75mm f2.8 / EF75-300mm f4-5.6/ SIGMA 55-200mm



 自転車は歩きよりは速く、車よりはずっと遅い。歩きのときほどきめ細かく見ることはできなくても、自転車の行動範囲の広さはそれを補って余りある。
 車を運転しながら流れる景色を見ていたとき、自転車ならもっとたくさん写真が撮れるんじゃないかと思っていた。実際、自転車に乗ってあちこち巡ってみると、スピード感の問題だけではなく、車とは違う視点で風景が見えることが分かった。道路脇の空き地に咲く野草も、車からは見えなかったものだ。
 この先ずっと車に乗らないというわけではない。ただ、今は自転車のスピード感と視点が気に入っている。自転車だからこそ見える風景をもっとたくさん撮りたいと思う。
 この日の自転車散策コースは、牧野ヶ池、平和公園と回り、矢田川の河原を通って帰るというものだった。順序が前後したけど、今日は平和公園編をお届けします。その行き帰りの道端風景もあわせて。

平和公園へ-2

 道にはいろんなものが落ちているものだけど、ベビーカーが転がっているのは初めて見た。
 ここまで押してきて急に不要になって置いていったとは考えにくい。しかし、こんな目立つところに捨てていくものだろうか。

平和公園へ-3

 川沿いの帰り道。幼い姉妹に、記憶の原風景としてこの道が刻まれるだろうか。
 子供の頃歩いた道というのは、断片的に思い出として残るものだ。大人になったとき、その道がもうなかったり、大きく変わっていることが多い。

平和公園へ-4

 あまりきれいとは言えない町の川に、たくさんのコイが泳いでいた。
 最初、金色のコイに目がいって、次に水紋に気持ちが移った。水の造形は面白い。

平和公園へ-5

 平和公園の周囲は坂が多いから、自転車は大変だ。自転車にとって坂道と向かい風がいかに強敵かということを、最近思い知る。どちらも車に乗っていたときはほとんど関係がなかった。
 上の写真は、平和堂が建っている高台から見る名古屋駅方面だ。少し遠いものの、障害物がないから全体がよく見える。夜に墓地を訪れるのは気が進まないけど、夜景を撮るにもいいポイントかもしれない。

平和公園へ-6

 虹の塔。訪れるたびになんとなく撮っていく。

平和公園へ-7

 ここまで来たら、やはり内部も撮っておこうということになる。
 名前の通り、塔の中から上を見上げると、七色の虹の光が見えるようになっている。
 赤、オレンジ、黄色、緑、青。ん? 5色しかないような。あと2色はなんだっけ?
 と調べたら、青の次は藍色、紫となっているようだ。言われてみれば、一番外は紫だ。藍色は微妙な気がする。
 国によって虹の色の定義はそれぞれで、虹を5色とする国もあるそうだ。

平和公園へ-8

 外で塔を撮っている人がいた。その映り込みを撮る。

平和公園へ-9

 北西側から見る猫ヶ洞池。こちらから見るのは初めてかもしれない。歩いて一周するにはけっこうな距離があるけど、自転車なら楽々だ。未舗装部分があるから一周はできなくても、3分の2週くらいはできる。
 釣り人がたくさんいた。何が釣れるのだろう。

平和公園へ-10

 光のシャワーが真っ直ぐ下に降りているのは、ちょっと珍しい。

平和公園へ-11

 帰り道、矢田川と香流川の合流地点。
 ここでは放射線状の光シャワー。

平和公園へ-12

 一時、川が汚れていたときは人の姿がなくなっていた。最近ではだいぶ水がきれいになって、また人が戻ってきた。子供の頃は、生活排水を流していたから、川に白い泡が浮いていた。今は子供たちが中に入って遊べるくらいにまでなった。カップルも川辺でまったりしている。

平和公園へ-13

 河原の子供用野球グラウンド。このときは人影がなかった。

平和公園へ-14

 最後に夕焼け空を撮って、この日はこれでおしまいとなった。

 晴れたらまた自転車に乗って出かけよう。雨には勝てないから、雨の日は名鉄の旅シリーズをやることにしよう。

6月の牧野ヶ池風景

施設/公園(Park)
牧野ヶ池-1

Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS / SIGMA 50-200mm f4-5.6



 今日は牧野ヶ池風景をお届けします。名鉄の旅はちょっと中断ということで。
 まずはトンボ3部作から。
 モノトーン調で、サイレントなトンボの世界。
 虚と実の境界線が溶け合う水風景。

牧野ヶ池-2

 ハスの葉の茎にとまる二連のトンボ。
 鏡面になって4匹いるみたいに見えるけど、実際は2匹がつながっているだけ。

牧野ヶ池-3

 浮き草にとまりながら卵を産み付けていたようだ。
 モノクロームで、サイレント。風の音も聞こえない写真。

牧野ヶ池-6

 いちゃつく2匹のカメと、後ろから見てるだけのカメ。
 うらやましいー、と思って見てるのだろうか。

牧野ヶ池-4

 ふいに世界に色が戻る。同時に音も戻った。
 コシアキトンボは、腹に真っ白な包帯を巻いているみたいだ。

牧野ヶ池-5

 飛ぶトンボをなんとか捉える。
 飛んでいるトンボを正面から撮るというのがこの夏の課題の一つだ。

牧野ヶ池-7

 スイレンか、ヒツジグサか、まだ蕾。

牧野ヶ池-8

 これはハスだと思うけど、違うのだろうか。ハスならもう青い葉をつけて花を咲かせる準備をしていないといけない。この時期にこんな枯れたままでは夏に間に合わない。
 もう枯れてしまったのか、そもそもハスじゃないのか。

牧野ヶ池-9

 シルエットになってよく見えなかったけど、カワラヒワじゃないかと思う。

牧野ヶ池-10

 コブハクチョウと人。いつも誰かしらが触れ合っている場所。エサをあげている人も一人、二人じゃない。コブハクチョウも人に慣れている。

牧野ヶ池-11

 木漏れ日の中をノラが行く。
 緑地ではあまりメシにありつけないだろうけど、車が走る住宅地よりは安全だ。

牧野ヶ池-12

 犬の散歩の人たちも多い。

牧野ヶ池-13

 母子が池の周りでザリガニ釣りかな。

牧野ヶ池-14

 平和な午後のひととき。おじさんたちはベンチで語らう。
 こんな6月の牧野ヶ池の風景。

ソフトレンズで写すノスタルジック河原風景

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
河原ソフト-1

Canon EOS 20D+EF135mm f2.8 soft



 ソフトレンズで写す河原の光景は、記憶の中の在りし日の風景のよう。確かにそこにあるのに、夢のように儚げで、手を伸ばしても触れられないみたいに感じる。懐かしいような、切ないような、自分の体までもがぼんやりしてしまいそうだ。
 ありふれた日常の光景が幻想的に見えるのがソフトレンズの効果で、あまり頼りすぎるのもよくないけど、たまにはこんな表現もしたくなる。
 今日はソフトレンズで写した河原の風景をお届けします。

河原ソフト-2

 犬のご主人と、犬同士が出会って、河原で立ち話。

河原ソフト-3

 河原に点在する人たち。集まってくる目的はみんなそれぞれ。

河原ソフト-4

 ソフトレンズの描写は、なんとなく夏っぽい。
 川で遊ぶ子供たちを写すと、暑い盛りの夏休みの午後みたいに見える。

河原ソフト-5

 ヒメジョオンだと思うけど、ハルジオンかもしれない。
 ありふれた花も、ソフトレンズで写せば、優しくて柔らかい印象になる。

河原ソフト-6

 芝生の中、ムクドリのささやき。

河原ソフト-15

 ヤナギハナガサかな。

河原ソフト-9

 空飛ぶ鳥もソフトな世界。

河原ソフト-7

 父と息子の静かな語らい。

河原ソフト-8

 川で魚取りのちびっことお母さん。
 大人になっても覚えている思い出のワンシーン。

河原ソフト-10

 ふんばってカメラ目線のワン。微動だにしない。人の言葉を話せたら、薩摩弁をしゃべりそう。オイを撮るでごわすか、とか。

河原ソフト-14

 お母さんと一緒の楽しい散歩。毎日の楽しみ。

河原ソフト-12

 娘は覚えてなくても、お父さんはきっと忘れない幸福な日々。

河原ソフト-11

 川辺に咲く名も知らぬ雑草。ソフトレンズではフォトジェニックに。

河原ソフト-13

 夕焼け色に染まり、揺らぎながら流れる川の水。
 じっと見つめていると酔いそうな画だ。

河原ソフト-16

 夕暮れ前の河原を走るランナー。この道の先は明日へと続いている。走り続けなければ辿り着けない場所がある。

河原ソフト-17

 もこもこの白い綿毛。
 ソフト向きの被写体がだんだん分かってきた。

河原ソフト-18

 雲の間を突き抜けて飛ぶ飛行機。

河原ソフト-19

 少年時代が蘇る光景。そんな時代もあったねと。
 ソフトレンズが写すノルタルジックな世界。
 ありふれた日常の風景が、意味ありげに感じられる。
 懐古的な気分のときによく合う。前向きな気持ちのときには合わない。
 実はこのレンズを手放す前に撮ったのが今回の写真だった(Canonシステムから一時全面撤退して、PENTAXに統一するため)。だから、しばらくソフトレンズとはお別れになる。また再会する日が来るだろうか。

夏を迎えるための準備サンデー料理

料理(Cooking)
夏準備サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 東海地方も今日から梅雨入りしたようだ。今年はここまで涼しい初夏で、梅雨入りも遅れていた。春は雨が多かったし、ここ最近の気候は、地球温暖化を実感しづらいものとなっている。何年か前のように、暑くてたまらんといた天候が続くと、いよいよ温暖化も切実なものとなってきたかと思うのだろうけど。
 とはいうものの、そろそろ6月も半ばで、本格的な夏が近づいた。夏は黙っていても暑くなるもので、暑くなるとどうしても食べたいものと食べたくないものがはっきりしてくる。夏バテとか食欲不振ということは例年ないのだけど、夏には夏にふさわしい料理というものもある。
 梅雨をテーマにした料理というのは思いつかなかったから、今回は夏対策をテーマにした料理を考えてみた。
 夏にはどんな料理がいいかといえば、やはり基本的にはスタミナのつく料理ということになるだろう。調味料としては、ショウガ、ニンニク、味噌がいいというので、それらを使って調理することにした。

 左手前は、マグロの味噌ソースがけだ。
 酒、みりん、しょう油、ダシの素、塩、コショウ、砂糖、ショウガ、ニンニク、唐辛子、からし、白ごま、ごま油を混ぜ、ひと煮立ちさせてタレを作る。
 そこにマグロをしばらく浸けておく。
 刻んだ大葉とともに、マグロをごま油で炒める。
 キャベツは刻んで、塩と白だしを振りかけて、タッパーに入れてレンジで3分加熱する。
 盛りつけたら、タレに卵黄を混ぜたものをソースとしてかける。これで味噌ソースがまろやかになる。
 マグロに味噌ソースというのがけっこういける。このソースでキャベツも美味しく食べられるし、これはオススメできる。

 右は、肉なしの麻婆豆腐のようなものだ。
 麻婆豆腐の定義がどんなものか知らないけど、肉が入っていなくても麻婆豆腐風の料理として成立する。
 フライパンでごま油を熱して、ショウガとニンニクを炒める。そこへ豆板醤を加えて、基本のタレを作る。
 刻んだナスとしめじを入れて、強火で炒める。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、コショウ、砂糖、唐辛子、ラー油で味付けをして、水を加えて辛さを調整する。
 終盤で切った絹ごし豆腐と、刻み長ネギを加えて、しばらく煮込めば完成だ。
 暑いときは、あえて辛いものを食べて汗をかくというのもいいものだ。休みかけていた食欲を呼び覚ます効果もある。
 ひき肉を使った方が美味しくなるけど、ヘルシー指向の場合は野菜やキノコ類でも充分いける。

 奥は蒸した温野菜だ。
 旬の野菜を食べることが一番体にいいというけど、今回は夏野菜にこだわらず、食べたいものを選択した。
 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ブロッコリー、カボチャ、エビ、鶏肉を、蒸し器で蒸す。
 水にダシの素を加え、全体に塩を振りかける。
 酒、みりん、コンソメの素、塩、黒コショウ、水をひと煮立ちさせて、ソースにする。
 蒸し上がった野菜にコンソメソースをかければ出来上がりだ。
 生野菜をたくさん食べるのは大変だけど、温野菜にすると楽にたくさん食べられる。茹でたり焼いたりすることで栄養素が減ってしまう野菜も、蒸すことで栄養を逃さない。

 今日は作る方も食べる方も、程よい感じだった。それなりに手間をかけて作って、食べるのも美味しく食べられたから満足だ。あまり簡単すぎると詰まらないし、手間をかけた割に美味しくないとがっかりしてしまう。
 梅雨をテーマにした料理が思いつかなかったといったけど、今思いついた。梅と雨という言葉を手がかりにすれば、春雨や梅干しなどが思い浮かぶ。探せば他にもありそうだ。来週はそれでいってみようか。

何はなくとも赤坂宿には大橋屋がある <名鉄の旅・第5回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
赤坂宿2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 旧赤坂宿の町並みも、御油宿とよく似ている。古い建物が点在しているだけで、宿場町だった頃の面影はあまり残っていない。それでも、昭和の名残が感じられて、写真を撮りながら歩くのは楽しかった。
 ここでの一番の見所は、旅籠の大橋屋だ。御油宿方面から行くと、一番最後に待っている。
 上の写真は、大きな商家風の家屋だ。かなり立派なもので、かつての外観をそのままに近い形で残している。今は一般家庭のようで、説明板などはなかった。
 何を撮っているんだと、自転車で前を横切った兄さんは、家の方を見上げながら過ぎていった。旅行者にとっては珍しい建物でも、ここで暮らしている人にしたら見慣れたものに違いない。

赤坂宿2-2

 清正や菊鶴など、どこかで聞いたことがあるような名前だ。
 江戸後期の1841年創業の白井醸造というところの酒らしい。残念なことに、醸造元は2006年に廃業してしまったようだ。
 この酒店も、残っているのは看板だけで、店は閉まって久しいようだった。

赤坂宿2-3

 現在の赤坂宿の町の様子。道路脇には普通の家が並んでいる。元は宿場町だったと言われなければ、気づかないくらいかもしれない。

赤坂宿2-4

 本陣跡も、説明板が立っているだけで、これといったものは何も残っていない。
 こだけでは昔の宿場町を頭に思い描くことも難しい。

赤坂宿2-5

 御油宿と比べると、赤坂宿の方が多少なりとも宿場町だった歴史を大事にしようという姿勢がうかがわれる。
 高札場を復元したりもしている。ちょっと背が低すぎるような気もするけどどうだろう。

赤坂宿2-6

 1612年に江戸幕府は直轄領にキリスト教禁止令を出した。赤坂も直轄地だったので、キリシタンを取り締まるためのお達しがあったようだ。高札場は復元でも、文章はそのままのはずだ。
 キリストの司教や信者を見つけて密告すれば賞金を与えるという内容だ。本当にその金額をもらえたのかどうかはともかくとして、銀500枚は庶民にとっては宝くじに当たるような大金だから、それくらいキリシタンを厳しく取り締まっているのだぞということだったのだろう。

赤坂宿2-7

 昔ながらの商店があった。ここはまだ営業しているようだった。

赤坂宿2-8

 感冒のユイツとは聞いたことがない。ムヒ本舗は、虫さされのムヒとはたぶん関係がない。

赤坂宿2-9

 これが大橋屋だ。東海道筋では江戸時代から現在に至るまで営業を続けているただ一軒の旅籠になった。
 創業は江戸時代前期の1649年。この建物は1716年頃に建てられたものといわれている。
 創業時の屋号は伊右エ門 鯉屋だった。
 現役の旅館だから、予約すれば泊まることができる、一泊1万円からだそうだ。
 御油宿が松並木なら、赤坂宿は大橋屋で、これを見るだけでも訪れる価値はある。

赤坂宿2-10

 丸ポストがあった。古い町並みには丸ポストがよく似合う。
 奥にある正法寺は、なんとなく寄らなかった。
 ただ、手前にあった浄泉寺は寄っておくべきだったと、帰ってきてから悔やんだ。

赤坂宿2-11

「よらまいかん」とかいう名前の休憩所があった。この日は定休日で閉まっていた。
 広重の赤坂宿の図が看板になっている。ここに描かれている蘇鉄が、浄泉寺に植え替えられて残っているようだ。
 御油宿ほど露骨ではないものの、やはり旅籠と飯盛女が主役になっている。風呂上がりの客や食事をしている男、寝転んでいる人がいて、別の部屋では飯盛女たちが化粧をしている。

赤坂宿2-12

 久しぶりにこの言葉を見た。子供の頃よく見た文句だ。

赤坂宿2-13

 大橋屋も見たことだし、赤坂宿はここまでとした。本当はもう少しだけ足を伸ばして、杉森八幡社まで行った方がよかったかもしれないけど、まあよしとする。
 御油宿と赤坂宿はすぐ近くとはいえ、国府駅から歩いてきているから、ここまでもう4キロくらい歩いたことになる。まだまだ旅は始まったばかりで、前半から深追いは禁物だ。
 それに宿場歩きはまだ残っている。ここから電車で2つ戻った本宿へ行かなければいけなかった。次回はそのときのお話となる。
 つづく。

御油の松並木から赤坂宿はすぐそこ <名鉄の旅・第4回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
御油宿3-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 今日は御油宿の3回目。こんなに引っ張るつもりはなかったのに、やけにゆっくりなペースになっている。今回と次回で、赤坂宿まで終わらせることにしたい。
 イチビキの工場を過ぎてしばらく行くと、いよいよ御油宿のクライマックスである松並木が見えてくる。クライマックスといっても所詮松並木なので、わぁー、きれいとかいう感動はなく、おお、なるほど、そういうことかといった感じでしかないわけだけど、それでも東海道に現存する松並木というのは貴重なもので、とりあえずの目的地にはなる。

御油宿3-2

 これが御油の松並木だ。なかなか立派な松が立ち並んでいて、見応えがある。とても地味ではあるけれど。
 信長の家臣だった篠岡八右衛門が松を植樹したのが始まりで、東海道を整備するときに家康が大久保長安に命じてそれを引き継いだ。
 風雪を防いだり、暑さよけのためという面と、一種の観光名所にしようという意図もあったのではないかと思う。 
 当初は650本ほど植えられたとされている。幕府管理で大事に保護されたものの、枯れたり倒れたりして本数を減らし、江戸中期には500本、後期には300本足らずにまでなってしまったそうだ。
 昭和に入っても本数は減り続け、このままではないけないと、戦争中の昭和19年に天然記念物に指定して保護することになった。そうしなければ伐採されて燃料にされてしまう恐れがあったからだ。
 その後、保護活動が実って少しずつ本数を戻し、現在では300本以上が600メートルの並木を作っている。江戸時代に植えられたものも20本ちょっと残っているという。
 松は病気になりやすい弱い木だから、守っていくのは大変だ。この道は地元の人の抜け道になっているようで、車がひっきりなしに通る。松にとってはそれもダメージになりそうだ。
 2009年に歩道ができて、車道の幅を狭くしたことで、以前より安心して歩けるようになっている。

御油宿3-4

 これだけ太い松の木の切り株というのはあまり見ない。江戸時代に植えられたものじゃないだろうか。

御油宿3-3

 弥次喜多茶屋というのがあった。このときは営業していなかったようだけど、今でもやっているのかどうかは微妙なところだ。
『東海道中膝栗毛』の中で、悪いキツネが出て人をだますという話を聞いた弥次さんは、先へ行って待っていた喜多さんを見て、キツネが化けて自分をだましていると思い込んで縛り上げてしまう。その舞台になったのが、ここ御油の松並木だ。

御油宿3-5

 松並木の途中に家具センターがあった。このロケーションで家具はどうなんだろうと疑問に思った。閉鎖している姿を見て、そりゃそうだろうなと納得した。この道沿いで商売をするのは、どんな商売でも難しい。ましてや家具となると尚更だ。

御油宿3-6

 木とトタンの組み合わせが昭和っぽい。
 今は欠陥住宅だなんだとうるさいけど、昔の安普請などは、どこも欠陥だらけだった。それでもみんな文句も言わずに暮らしていたものだ。多少隙間風が吹き込んだり、傾いたりなんて、大した問題じゃない。

御油宿3-7

 黒板の高い家と細い路地。好きな感じ。

御油宿3-8

 松並木を過ぎて、天王川に架かる一ノ橋を越えると、もうそこは赤坂宿だ。驚くほど近い。
 御油宿と赤坂宿は、わずか1.7キロしか離れていない。東海道の宿場町は、だいたい9キロくらい離れているのが普通で、この近さは他にはない。
 当初は、ふたつの宿をひとつの宿として、それぞれが上りと下りの人馬の引き継ぎ業務を行っていたようだ。のちにそれぞれが独立してふたつの宿場町になった。
 赤坂宿も御油宿同様、遊興に特化した宿場で、最盛期には80軒以上の旅籠があり、ほとんどに飯盛女を置いていたそうだ。
 宿場としての成立は古く、中世の頃から遊女や旅芸人などが集まっていたという。
 赤坂は東海道が整備されるとすぐに幕府直轄地となった。ということは、そういう場所として公認していたのだろう。地理的にも江戸と京都の間というのもあっただろうか。
 俗謡に、「御油に赤坂、吉田がなくば、何のよしみで江戸通い」と謡われたという。

御油宿3-9

 赤坂宿を訪れたなら、関川神社にも寄っておきたい。
 樹齢800年の天然記念物の大楠と、芭蕉の句碑があることで知られている。

御油宿3-10

 見上げる大楠は、大きく手を広げて葉を生い茂らせている。楠にとって800年というのはまだ若いようだ。元気いっぱいといった感じだ。
 この木が神社の御神体なのだろう。1001年に赤坂のお金持ち、宮道弥太次郎長富という人が、この楠の脇に社を建てて市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)を祀ったのが始まりとされている。
 どうして宗像三女神の中のイチキシマヒメだったのかは、よく分からない。基本的には海(水)の神様だと思うけど、楠とも何か関係があるのだろうか。

御油宿3-11

 境内はなかなかの荒れっぷりで、鳥居もぽっきり折れて足しか残っていない。この様子を見て、かなりのけぞる。
 鳥居の脇には芭蕉の句碑がある。
「夏の月 御油より出でて 赤坂や」
 芭蕉の中ではあまり優れた句とは思えないけど、御油と赤坂の近さを歌ったものだろう。

御油宿3-12

 今の赤坂宿の日常風景。
 格子の古い家がわずかに残り、庭先の松の木に東海道の面影を残す。

御油宿3-13

 昔の病院か、役場か、そんなような建物だ。当時はモダンな建築だったのだろう。

 今回、やっと赤坂宿に入ったものの、最後まで行くことはできなかった。この続きは、また次回ということにしたい。
 つづく。

ところどころに残るかつての面影を探す御油宿歩き <名鉄・第3回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
御油宿2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 昨日は御油宿の手前の追分まで行ったところで終わった。今日は音羽川に架かる御油橋(今は五井橋?)から再開することにしたい。
 御油宿(ごゆしゅく)は、江戸の品川宿から数えて35番目の宿場町だ。
 ここで少し東海道を復習しておきたい。愛知県の一番江戸寄りの宿場は、少し前に紹介した二川宿だ。それが豊橋市で、同じく豊橋の吉田宿があり、その次が豊川に入った御油宿となる。
 そのあとは、豊川の赤坂宿、岡崎の藤川宿、岡崎宿と続き、知立の池鯉鮒宿で三河国を抜け、尾張に入り緑区の鳴海宿、熱田の宮宿となり、ここから海路で三重県の桑名宿へと至る。
 愛知県内にこれだけの宿場があったことを、愛知県民もあまり意識していないのではないか。宿場町として観光地になっているところがほとんどないということもある。私も愛知県内くらいは全部歩いておきたいと思いつつ、まだ半分も行っていない。その街には行っても、宿場町を歩くという意識では行っていない。今回、御油宿と赤坂宿を歩いて、おぼろげに全体像が見えてきた。あとは間を埋めて、自分の中の東海道を完成させたい。

御油宿2-2

 小さな若宮八幡社があった。鳥居もなく、お社だけがある。狛犬もミニサイズだ。
 若宮八幡は全国あちこちにある。名古屋にもある。八幡宮の若宮ということで、八幡神の応神天皇の子供である仁徳天皇を祀っている。

御油宿2-3

 御油橋を渡ってしばらく進むと、イチビキの工場に行く手を阻まれて行き止まりになる。道は大きく右に曲がって少し大きな通りの374号線に合流する。旧東海道はどうなっていたのか、このあたりについてはよく分からない。
 南の道を進んだので、御油の松並木資料館というのを発見できなかった。入る気はなかったけど、建物くらいは見るつもりでいた。

御油宿2-4

 道を歩いていた猫を撮る。こちらを見もせず、家の庭に入っていった。愛想がないやつだった。
 尾っぽの短い猫を、昔は御油猫と呼んでいたそうだけど、この猫はそうじゃない。昔ながらの尾が短い日本猫というのは最近見なくなった。

御油宿2-5

 アジサイが色づき始めていた。
 江戸時代に日本に咲いていたアジサイは、今でいうヤマアジサイだ。それを長崎で見たドイツ人医師で博物学者のシーボルトがヨーロッパに紹介したことで広まり、ヨーロッパで改良されて逆輸入されたのが西洋アジサイだ。
 だから、江戸時代の人たちはこんなアジサイは見たことがなかった。それでも、6月になれば街道沿いにヤマアジサイは咲いていたかもしれない。

御油宿2-6

 高札場跡に案内板だけが立っている。
 とすると、やはりこの細い道が旧東海道ということだ。

御油宿2-7

 豊川のマンホールその2。雨バージョン。傘と人がたくさん描かれている。豊川が特別雨の多い地域というわけではない。

御油宿2-8

 古い看板だけが残っている。みそとしょうゆの店だったのか、醸造所だったのか。

御油宿2-9

 374号線と合流してすぐのところに、本陣跡の碑と説明板がある。旧東海道は昔からこんなふうに道が大きく曲がっていたのだろうか。
 御油宿は最盛期で本陣が4軒もあったというから、かなり大きな宿場だったといえる(最小時でも2軒)。
 隣の吉田宿や岡崎宿が城下町としての顔を持っていたのに対して、御油宿は純然たる宿場町だった。
 特色としては、飯盛女が多かったことが挙げられる。旅籠にいる遊女で、旅人だけではなく近隣の若者も集まってきたという。
 本坂道との追分でもあったから、追分の宿としても賑わった。
 飯盛女たちの客引きはかなり強引だったようで、広重の絵でも女が旅人の腕を引っ張って宿に引きずり込もうとしている姿が描かれている。
 そんな賑わいを見せた御油宿だったが、明治に入って急速に寂れていくことになる。東海道線を通すとなったとき、初めは東海道の各宿場に駅を作るという計画だったのが、住人の反対にあって、ずっと南を通ることになったのが大きかった。
 あるいは、国鉄側の事情で海に近い方を通したという話もあるようだけど、いずれにしても時代に乗れなかったのは確かだ。
 昭和になって名鉄が御油に駅を作ったときは時すでに遅しで、かつての繁栄を取り戻すことなく、現在に至っている。
 宿場町を観光地にしようにも、古い建物がほとんど残っていない現状では、それも難しそうだ。名物の松並木だけでは弱い。

御油宿2-10

 イチビキの大きな工場があった。蔵造り風の建物は、古いものなのか、それ風なのか、よく分からない。
 イチビキは1772年創業の老舗で、本社は名古屋市熱田区にある。地元ではよく知られた醸造所で、このあたりでしょう油といえばイチビキだ。

御油宿2-11

 築100年以上といった古い屋敷などはなく、そこそこ古い家が点在しているといったところだ。そんな面影でも見つけると嬉しい。

御油宿2-12

 宿場とは全然関係はない、こんなところを見つけて喜ぶ。うわぁ、いいなぁ、と思う。何がどういいのか、自分でもよく分かっていないけど、心惹かれるものがある。積み重ねた生活の年輪みたいなものを思う。

御油宿2-13

 思った以上にスローペースになっている。2回目で、まだ御油宿を抜けられずにいる。写真の枚数が意外に多かった。
 こうなったらあまり焦らず、のんびりいくことにしよう。次回は赤坂宿に入る予定だ。
 つづく。

国府から始まる御油宿プロローグ <名鉄の旅・第2回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
御油宿1-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 名鉄電車の旅は、国府駅から始まった。
 名鉄電車は私にとって、一番近くて、一番遠い電車だ。名古屋生活が長く、最も身近に走っているにもかかわらず、これまでほとんど乗ったことがない。利用するのはもっぱらJRか近鉄で、名鉄というのは本当に乗らない。最近でいうと、日間賀島へ行ったときに乗ったくらいだ。
 それではちょっと寂しいということで、乗り放題の券を手に入れて、一日乗れるだけ乗ってみようというのがこの日の目的だった。最初に国府から赤坂まで歩いて、最後にセントレアへ行くというのだけは決めていた。途中は状況に応じて臨機応変に乗り降りしていこうと考えていた。名鉄は昼間でも20分おきくらいに走っているから、行き当たりばったりの旅ができる。行けたところもあり、行けなかったところもあったけど、収穫のある楽しい旅になった。
 そんなわけで、今日から名鉄の旅シリーズを始めることにしたい。途中で他のネタも挟みつつ、のんびり進めていくことにしよう。まだ写真の整理も途中だから、何回くらいになるか分からない。最後のセントレア編を最初にやってしまったので、この先も旅した順にはならないかもしれない。

御油宿1-2

 最初の目的地は、東海道の宿場町、御油宿(ごゆしゅく)だった。御油駅ではなく国府駅で降りたのは、駅前から旧東海道が通っていて、そこから歩いて御油宿に入った方が気分が出ると思ったからだ。御油駅で降りると、少し戻らないといけない。
 国府は、普通、「こくふ」と読むところがほとんどなのに、ここは「こう」と読ませる。発音は「こー」に近い。
 読み方を知らないまま電車に乗ってしまうと、電車のアナウンスで「次はこー」と言うのが聞こえても、何のことか分からず乗り過ごす可能性がある。どうして「こう」と読ませるのかは、よく知らない。
 駅名の由来は、三河の国府(こくふ)から来ている。
 国府というのは、奈良時代から平安時代にかけて国の省庁が置かれた場所で、中心には国衙(こくが)という役所があり、国司が政務を行った国庁などがあった。今でいう県庁街のようなもので、そういう場所を国府と呼んでいた。
 741年に、仏教に救いを求めた聖武天皇(奈良東大寺の大仏を建てた天皇)が、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるようにという命令を出した。現在でも国分寺や国府などという地名が残っているのは、その頃の名残だ。
 平安時代になると総社も建てなさいということになる。三河では、国分寺と国分尼寺の跡地が見つかっており、復元されたりもしている。三河総社などとまとめてまわりたかったのだけど、駅からは少し距離があって、今回は見送った。三河国の一宮である砥鹿神社(とがじんじゃ)もまだ行ったことがない。いずれ再訪の機会もあるだろう。
 国府駅は、豊橋へ向かう名鉄名古屋本線と、JRの豊橋駅へ向かう豊川線への分岐駅として、重要な駅となっている。大晦日から元日にかけては豊川稲荷への参拝客で大賑わいになるそうだ。平日の朝っぱらに降りる人はごく少ない。

御油宿1-3

 駅前は何の変哲もない地方の町の顔をしているけど、一歩旧東海道に入ると、古い町並みの面影を垣間見せてくれる。
 宿場町らしい風情は残していないものの、格子造りの家などがポツポツ点在している。
 町並保存地区には指定されておらず、観光客を呼ぼうといった姿勢もあまり見受けられない。古くて傷んだ家はそのまま古びるに任せているし、空き家は手つかずのまま放置されている。
 わずかに残るかつての面影を見つけて喜ぶといった姿勢で臨むと、楽しい散策になる。

御油宿1-4

 八平次記念館「八の蔵」。
 八平次さんの記念館らしい。ホール兼ギャラリーとかなんとか。

御油宿1-5

 細く曲がった道の様子が、いかにも旧東海道という感じがする。昔の道というのはたいてい真っ直ぐではなくて、宿場町も特有のうねり方をしている。あちこち歩いてきて、だいぶそんな感じが分かってきた。
 道の両脇に建つ家は、どこも新しい今どきの家屋がほとんどだ。古い日本家屋は少ない。ここ10年くらいでもどんどん建て替えられているのだろう。
 向こうに白塀の神社が見えてきた。この日はあまり予習をしなかったから、予備知識も少なかった。この神社の存在も知らなかった。寄らなくてもよかったのだけど、なんとなく気になったので参拝しておいた。向こうが呼んだのか、こちらが引き寄せられたのか、帰ってきてから三河国府の総鎮守と知って、寄っておいてよかったと思う。

御油宿1-6

 神社を取り囲む白塀は、1794年に、近くにあった田沼意次の所領・田沼陣屋の石垣を移築したものだそうだ。

御油宿1-7

 知識がなくても、この神社はなかなかいいと思った。しっとりとした落ち着いた雰囲気を持っている。
 創建は平安時代の980年前後、当時の国司・大江定基が、出雲大社からオオクニヌシを勧請して建てたとされている。それ以前から地元の神社があったという話もある。
 江戸時代末期、徳川14代将軍の家茂が長州征伐へ赴く際に、ここで戦勝祈願をしたそうだ。
 これからの季節は、夏祭りや手筒花火も行われるようで、そのときにはまた賑わいを見せることだろう。

御油宿1-8

 オオクニヌシの出雲大社ということで、やはりご利益は縁結びということになるだろうか。
 ほどよい数の絵馬が、部屋のインテリアみたいに飾られている。

御油宿1-9

 お稲荷さんなども撮りつつ、大社神社をあとにする。
 どこから御油宿に入るのか、よく分からない。このあたりはまだ入ってなくて、追分を過ぎたところからだろうか。

御油宿1-10

 格子に激しく反応する。でも、だんだん飽きてきて、後半では写真に撮ることもなくなる。

御油宿1-11

 豊川のマンホール蓋。いくつか種類があるようで、これは御油の松並木とキツネが描かれている。豊川といえば豊川稲荷は外せないということで、他のパターンでもキツネは登場している。

御油宿1-12

 御油一里塚跡があった。江戸日本橋より七十六里とある。
 一里塚というのは、旅人のための目安として、一里ごとに盛り土をした塚を作ったものだ。平安末期に始まり、江戸時代に東海道の整備とともに本格的に設けられた。
 一里は4キロ弱で、東海道126里の間に124基の一里塚が作られた。
 自分がいくつ一里塚を通ったかで、どれくらい歩いてきたかが分かるという仕組みだ。
 一里塚建設を任されたのが大久保長安だった。猿楽師(能楽師)の家に生まれた長安は、初め武田信玄にその才を見いだされ、武田家滅亡ののちは家康に仕えることになる。
 武官ではなく文官として才能を発揮した長安は、交通網の整備から金山、銀山まで一手に任されるようになり、勘定奉行、さらには老中にまで登りつめることになる。
 しかし、派手好き、女好き、浪費癖に加え、不正に金銀財宝を蓄えたという疑いをかけられ、晩年に失脚。卒中で死んで埋葬されたあと、家康の命で遺体を掘り返され、駿府城下の安倍川の川原で、斬首されて晒し首にされた。
 一里塚をせっせと作っていた頃が一番よかったのかもしれない。

御油宿1-13

 旧東海道と本坂道(姫街道)が交わる御油の追分に出た。たぶん、このあたりから先が御油宿になるのだと思う。
 秋葉常夜灯や秋葉三尺坊道標、砥鹿神社・鳳来寺道標が建っている。
 東海道は関での取り調べが女性に厳しかったことから、それを嫌った女性たちが気賀関へ抜ける本坂道を行くことが多かったことから、通称・姫街道と呼ばれるようになったそうだ。

御油宿1-14

 昭和の面影が残るたばこ屋の写真で、今日は終わりとなる。この続きはまた明日ということにしよう。
 次回が御油宿の本編となる。
 つづく。

5年後のモリコロパーク、初夏の風景

施設/公園(Park)
モリコロパーク編-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 モリコロパークの観覧車も、リニモも、今や長久手の田園風景にすっかり馴染んだ。5年も経てば、それはそうかもしれない。両方とも、いつ見ても乗ってる人が少ないのが少し気がかりではある。
 2005年より以前、この場所がどんな風景だったのか、思い出すことはできない。グリーンロードはもう通っていたから、青少年公園がモリコロパークに変わって、リニモが追加されただけだろうか。振り返れば、瀬戸のデジタルタワーが建っている。
 モリコロパーク周辺は、愛地球博のときの面影をほとんど残していない。広大な駐車場も、万博が終わったらいつの間にかまた元の姿に戻っていた。わずか半年間の万博というのは、案外儚いものだ。やはりオリンピックとは規模が違う。
 そんなことをぼんやり思いつつ、長久手の田んぼをあとにして、モリコロパークに向かった。
 前回訪れたのが4月の半ばで、あのときはギフチョウを探しにいったのだった。ついこの前のような気がしたけど、ひと月半も経っていた。月日は駆け足で過ぎていく。

モリコロパーク編-2

 モリコロパークを物足りないと感じている人も多いだろうけど、たまに行くにはのんびりできていいところだ。撮るものもそれなりにある。
 入園は無料で、駐車場代だけ一回500円かかる。自転車で行けば全面的にタダだ。
 欲を言えば、もう少し万博の名残を残して欲しかったというのはある。遊ぶところが少ないことを不満に思っている人も多いはずだ。観覧車も一度乗れば充分だろう。
 万博で登場した一人乗りの電気自動車に乗れるとか、そういう楽しみがあればよかった。ゴンドラも部分的にでも残しておいてくれていたら乗りたかった。

モリコロパーク編-3

 花畑のポピーはもう終わりかけだった。
 ここは夏に何か咲くんだったか。キバナコスモスくらいは咲いたような気もする。

モリコロパーク編-4

 広い芝生広場をふたり占めの仲良しさんたち。

モリコロパーク編-5

 ツバメと観覧車と6月の空。

モリコロパーク編-6

 渡り鳥たちが北へ渡ってしまった今、池もすっかり寂しくなった。いるのはカイツブリくらいだ。
 新緑の緑が写り込んでいい色をしていた。

モリコロパーク編-7

 春に行ったときはまだ未完成だったつづら折りの遊歩道が完成していた。これもバリアフリーの一環だろうか。
 その途中には鐘があって、登った人はみんな鳴らしていく。そこに鐘があればとりあえず鳴らしてみるというのが人情だ。

モリコロパーク編-8

 何の鐘かは知らない。恋人の聖地に認定されている場所へ行くと、こんな鐘がある。モリコロもそれにあやかろうとしたのだろうか。

モリコロパーク編-9

 夕焼けの観覧車。この観覧車はいつも印象的な姿を見せてくれるフォトジェニックなやつだ。
 最近はライトアップするのはやめたのか。

モリコロパーク編-10

 帰り道、公園西駅。
 珍しくリニモ待ちの乗客がたくさんいた。朝夕は沿線の人たちでそれなりに混み合うのだろう。

モリコロパーク編-11

 雲が多い割によく染まった夕空。
 アマサギはどこか他でも見られるチャンスがあると思う。シーズンに一度は見ておきたい。
 モリコロパークは、また夏になったら行ってみることにしよう。

近くへ行きたい ~6月の長久手田んぼ風景

自然(Natural)
長久手田んぼ-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 先週のご近所ネイチャーフォトの姉妹編で、長久手田んぼ風景をお届けします。
 前回も書いたように、この日の一番の目的は、アマサギを撮ることだったのだけど、その前後で周辺の田んぼもぐるりと巡ってみた。
 上の写真は、東小学校の裏手で、お気に入りの風景の一つだ。なだらかな丘に田畑が広がり、丘の上に小学校がある。遠くには低い山並みがつらなり、空が広い。季節ごとの花が風景に彩りを添える。なんだかとてものどかな光景で、懐かしさのようなものを感じる。

長久手田んぼ-2

 小学生の女の子たちの楽しそうな笑い声が、牧歌的な風景の中に響く。
 田舎を旅している旅人のような気分になる。

長久手田んぼ-3

 今は田植えのシーズン真っ盛りで、あちこちの田んぼで田植えの作業が行われている。
 もう2週間くらい経ったような田んぼから、まだ水が入っていない田んぼまで、けっこう差がある。刈り入れの都合なのか、他にも理由があるのだろうか。

長久手田んぼ-4

 空き地の片隅で風景と同化しつつある廃車の姿。
 動かなくなった車は、ただの邪魔な鉄屑でしかない。
 車が自然に同化するまでにはどれくらいの歳月を必要とするだろう。

長久手田んぼ-5

 ここの田んぼはちょっと早い。
 お母さんが草取りをしていた。米作りというのは本当に手間暇がかかって大変だ。種を蒔いて、育ったら刈り入れるだけというならよかったのに。

長久手田んぼ-6

 ケリの子育ては、もうそろそろ終わりだろうか。それでも、まだまだ子供は小さいから、親たちは外敵から子供を守らないといけない。大きな声を出しながら飛び回っている。

長久手田んぼ-7

 雉も鳴かずば打たれまいとはよく言ったもので、こちらは全然気づいていないのに独特の大きな鳴き声を上げるから、すぐにいることが分かってしまう。
 今どき、キジなんて近所にはいないと思っていたけど、ここのところ立て続けに目撃している。思った以上にキジは身近な野鳥だったのだ。
 とはいえ、普通に暮らしている分にはまず見かけないし、キジが日本の国鳥だということも普段はすっかり忘れている。

長久手田んぼ-8

 キジのペアは始めて見た。けっこう貴重なツーショットだ。
 アマサギは見られなかったけど、これが撮れたから、ちょっと嬉しかった。

長久手田んぼ-9

 地上にいるケリは、足の長いキジバトみたいに地味で面白みがない。空を飛ぶと、白と黒のツートンカラーの羽が美しい。

長久手田んぼ-10

 コチドリも田んぼの中を歩いていた。
 この季節の田んぼは、鳥たちにとっては楽園のようなものなのだろう。肉食も雑食性も、食べるものがたくさんありそうだ。

長久手田んぼ-11

 犬の散歩。夏草の匂いに、犬も季節を感じているだろうか。

 モリコロパーク編につづく。

ちょっと投げやりサンデー料理は結果オーライ

料理(Cooking)
思考停止サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日のサンデー料理は、とにかく考えるのが面倒で、半ば投げやりな気持ちでメニューを考えて、手を抜いて作った。刻んだりこねたり揚げたりするのを避けて、焼くか煮るかシンプルにできるということを最優先にした。暑くなってきて、少し食欲が落ち気味というのもあったかもしれない。
 結果としてはそれなりのものができたから、普段からあまり考えない方がいいのかもしれないと思ったりもした。下手な考え休むに似たりという言葉もある。
 方向性としては一応和食方面だったのだけど、例によって和食とは呼べないような仕上がりになった。特に左手前のものは何だと思った人も少なくないだろう。
 何の説明もなく、こいつを見ただけで同じものを再現することは、たぶん不可能だと思う。何を食材に使っているかまでは分かるだろうか。答えは、カボチャだ。それがどうしてこんなことになってしまったかといえば、その原因は私にもよく分からない。

 まずはカボチャを薄切りにして、レンジで3分加熱する。
 ごま油で、カボチャ、しめじ、オクラ、アスパラ、ツナ缶を炒める。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、豆板醤、砂糖、塩、コショウ、唐辛子で味付けをする。
 炒めていたら、カボチャが崩れてきて、だんだん変に丸まっていった。本当はカボチャ炒めを作るつもりだったのに、おかしな方へいってしまった。
 オクラというのを一度使ってみたくて、ここに放り込んでみた。ねばねば感がどんなふうに作用しているのかは分からない。オクラ抜きで作っていたら、こんなにも固まらなかったのだろうか。
 カボチャとツナに埋もれたオクラは、本来の存在感を打ち消されて、入っているかどうかさえ気づかないようなことになっていた。逆に言えば、オクラが苦手でもこうしてしまえば食べられるということだ。
 味は、カボチャの甘みと豆板醤の辛みがマッチして、けっこう美味しかった。見た目をもう少しなんとかすれば、もっといい料理になる可能性を感じた。

 右は、鶏肉のあっさり肉じゃがだ。
 肉じゃがというと、最初に野菜を炒めるのが定番となっているけど、炒めない方が味が染み込んで美味しくなるという人もいる。今回はそのやり方でやってみた。
 鶏肉だけは軽く炒めて、それ以外のジャガイモ、ニンジン、タマネギは、水の中に入れて、そこから煮ていった。
 味付けは、酒、みりん、しょう油、白だし、塩、コショウ、砂糖、ショウガ、カレー粉で。
 最初は中強火で煮て、煮立ってきたらアクを取って、中火にして、アルミホイルの落としぶたを乗せてしばらく煮込む。
 ある程度柔らかくなったら落としぶたを外して、中弱火で煮る。いったん冷まして味を染み込ませ、再度温めて完成となる。
 なるほど、油分が少ない分、あっさり優しい仕上がりになる。味もよく染みている。これからは炒めない肉じゃがが基本となりそうだ。

 奥は、マグロのめんつゆサイコロステーキだ。
 酒、みりん、しょう油、白だし、めんつゆ、ショウガ、塩、コショウ、唐辛子でたれを作り、サイコロ状に切ったマグロを浸けておく。
 オリーブオイルでタマネギを炒め、柔らかくなったらマグロを追加する。たれを絡めながら炒めて、刻んだ長ネギを振りかければ出来上がりだ。
 めんつゆベースのたれにすることで味がまろやかになる。しょう油ベースよりも甘いこちらの方が好みだ。

 やっつけ仕事のように作った割には美味しくなって、全体のバランスもよかった。たまにはそういう気分で作ることもある。
 とはいえ、毎週そんな気持ちで作っていてはいつまでたっても上達はしないわけで、ちゃんとテーマを決めて、課題を持って取り組むことが、趣味としてのサンデー料理の在り方だ。
 来週はしっかり作ろう。

ご近所ネイチャーフォト ~初夏から夏への風景

自然(Natural)
ご近所ネイチャー1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 名鉄の旅シリーズはぼちぼちやっていくとして、今日は近所で撮ったネイチャーフォトをお届けします。
 田植えが終わる頃、長久手の田んぼにアマサギを撮りに行くというのが、ここ数年の恒例になっている。今年もいつものように出向いていったのだけど、残念なことに1羽も見つけることができなかった。毎年必ずこの時期はいるのに、今年はどうしたのだろう。たまたまよそへ行っている時間帯だったのだろうか。1時間ほど辺り一帯をうろついて探したものの、とうとう出会えなかった。
 それでも、自転車の自由度の高さを利用して、車では行きづらいようなところも巡ることができたのは収穫だった。そんな中で撮ったネイチャーフォトを集めて紹介することにしたい。
 一枚目は、街を流れる川の風景だ。初夏になって藻が繁茂して、面白い造形を作っている。裸足で入るにはものすごく抵抗がある川だけど。

ご近所ネイチャー2

 農地の中のカルガモ。
 これは何かの作物なのか、それとも雑草なのか。

ご近所ネイチャー3

 水が張られた田んぼ。無数の水紋が絶え間なくできては消え、消えてはできる。まるで雨が降っているように。
 オタマジャクシかカエルが呼吸しているところだろうか。

ご近所ネイチャー4

 麦っぽいものが風に吹かれて揺れている。

ご近所ネイチャー5

 赤黒ツートンのカメムシが、花の上を忙しげに這い回っていた。花粉でも食べているのか。

ご近所ネイチャー6

 田植えの終わった田んぼ。水草のような藻のようなものが水面を覆っている。こういう光景をたまに見る。いいことなのかよくないことなのか。

ご近所ネイチャー7

 逆光でシルエットになったカイツブリ。
 向こう側はハスの葉。

ご近所ネイチャー10

 ハスの花のつぼみがあちこちに出ていた。もう咲く準備は整いつつある。

ご近所ネイチャー8

 金色に光る浮き草。夏の水風景。

ご近所ネイチャー9

 せわしく飛び回るモンシロチョウ。その速さにカメラがついていけない。

ご近所ネイチャー12

 クモの巣に捕まる羽虫。短い夏の終わり。

ご近所ネイチャー13

 咲き残るカキツバタと、咲き終わったカキツバタ。夕陽を浴びて、水辺に佇む。

ご近所ネイチャー14

 虹ではないこの光をなんというんだったか。
 飛行機雲が貫いた。

ご近所ネイチャー15

 家々の向こうに沈みゆく大きな夕陽。上空を1羽のカラスが行く。

 長久手田んぼ編につづく。

中切町と下条町と二つ八幡神社あり

神社仏閣(Shrines and temples)
八幡神社-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 近所の神社巡りシリーズは長らく中断したまま進んでいなかった。一時期、どういうわけか神社へ寄りつきたくない気分になって、まったく行かなくなってしまったことがあった。ここのところそういった拒否反応みたいなものはすっかり消えて、またぼちぼち巡り歩くようになった。
 休んでいた間に、どこまで進んだか分からなくなってしまった。尾張旭は全部回って、守山区と名東区、千種区の途中だったはずだ。名東区もほぼ終わったんだったか。春日井も平行して始めていた。一つずつ順番に回っていって思い出していくことにしよう。
 今回行ってきたのは、春日井にある二つの八幡神社だ。王子バラ園へ行く途中にあったので、二つまとめて行ってきた。
 同じ道沿いで、直線距離にして400メートルほどしか離れてない場所に、二つの八幡神社があるのが不思議だった。どちらも村社とあるから、その地区の代表の神社だったということだ。片方は中切町、もう一方は下条町にある。二つは昔から別の地区だったのだろうか。それにしてもこんなに近くに二つの八幡神社が必要だったのかという疑問が残る。まったく無関係だったということはないだろうけれど。
 上の写真は、中切町の八幡神社だ。区別するためか、地図上ではこちらは八幡神社となっていて、下条町は八幡宮となっている。ただ、下条町の方は、石柱に八幡社と刻まれている。どれが正式名なのか知らないけど、なんにしても紛らわしいことだ。

八幡神社-3

 道に面した鳥居をくぐると、すぐ正面が行き止まりになっている。右に曲がってもう一基の鳥居があり、少し向こうに拝殿が見える。
 区画整理のときに無理矢理狭い場所に閉じ込めたことでこんなことになってしまったのだろう。本殿は西南向きになっている。元々こんな方角を向いていたのではないと思う。
 社殿は全体的に新しい。戦後に建て直されたものだろう。白い鉄筋コンクリート造りはちょっといただけないと思うけど、いろいろ事情もある。
 入口の狛犬は昭和9年のものということで、いい感じに古びて、説得力があった。

八幡神社-2

 祭神はどういうわけか、玉依姫命(タマヨリビメ)となっている。タマヨリビメは、初代天皇・神武天皇のお母さんで、京都の下鴨、上賀茂神社などで祭られている神だ。八幡神社とは関係がない。八幡神社の中心となる祭神は誉田別命(応神天皇)と相場が決まっている。
 八幡社の総本社は大分の宇佐神宮で、祭神は誉田別命(応神天皇)、比大神(ひめのおおかみ・卑弥呼という説も)、神功皇后となっている。これが基本のトリオで、全国の八幡神社もこの顔ぶれが多い。
 中切町の八幡神社でも誉田別命は祀られているようだけど、中心人物ではなさそうな感じだ。アマテラスやヤマトタケルも祀られている。
 ここは根っからの八幡神社ではなかったのかもしれない。詳しいことは調べがつかなかったのだけど、他の神社と合祀される中で、最終的に八幡社として落ち着いたということだろうか。だとすれば、もう一つの八幡宮とはあまり関係がなかった可能性もある。

八幡神社-5

 下条町の八幡宮は、少し奥まったところにあって、見つけるのにちょっと時間がかかった。
 道沿いに短い階段があって、その向こうに蕃塀が建っている。なんだこれはと思う。神社では絶対にあるはずの鳥居がない。鳥居がない神社など見たことはない。信じられない思いで周囲を一周回ってみても、やっぱりない。
 帰ってきたから知ったのだけど、道を挟んで南側に桜並木があって、それが本来の参道で、その南に鳥居があるようだ。
 だとすると、神社の境内を一般道が横切っているということになる。そんな馬鹿な。鳥居の先は神域で、生活道が横断していいはずがない。
 それにしたって、もう一基は鳥居が必要ではないのか。写真のこの場所に建っていないといけない。鳥居をくぐらずに参拝するなんて初めてのことだっただけに、最後まで戸惑いが消えなかった。
 けれど、この神社、実はとてもいいのだ。元々はかなり格のある神社だったはずで、それが手入れされてなくて、荒れてしまっている。もう少しちゃんと手入れさえすれば、必ずいい神社に戻せる。このまま放置しておくのは惜しいところだ。

八幡神社-6

 拝殿なのか、舞台のようなものなのか、けっこう立派なのに、放置されたまま傷んでいる。
 拝殿にしても賽銭箱もないから、とにかく先に進むしかない。

八幡神社-7

 進んだ先がやはり拝殿のようだ。見上げると龍などの彫刻が彫られている。
 この彫り物は見覚えがある。同じ春日井にある内々神社のものと似ている。同じ彫り師集団の仕事かもしれない。
 これだけ見ても、この神社が昔は立派なものだったことが分かる。

八幡神社-8

 内々神社の彫刻と比べるとやや落ちるようだけど、姿はよく似ている。向こうは有名な立川一門の作だそうだけど、こちらはどうなのだろう。もう少し時代は新しいものだろうか。

八幡神社-9

 境内社も無造作に積まれた石の上に乗っけられている。強い風が吹いたら転げ落ちそうだ。
 全般的に何もかもが行き届いていない。なんというか、奥さんに先立たれてしまったやもめ暮らしの立派な邸宅みたいな感じとでもいおうか。

八幡神社-10

 拝殿まで進んでも賽銭箱がない。お世話をする人がいなくなって、放置されたままなのだろう。
 投げられた一円玉が向こうに届かず、こちら側に落ちている姿も悲しみを誘う。私の二十円も、最初は一枚しか入らず、投げ直してやっと放り込むことができた。大晦日くらいは回収に来るのだろうか。

八幡神社-11

 横から見る拝殿も格好いい。木々に囲まれた様子もいい雰囲気だ。なんとかこの神社が再生することを願いたい。いい素質を持っているだけにこのままにしておくのはもったいない。

 結局、二つの八幡神社のつながりは分からずじまいだった。1670年頃に藩撰された「寛文村々覚書」には、下条村に二つの八幡社があると記されているそうだ。一つは下条町のものだろう。もう一つは中切町のものなのか、それとは別にあって今はなくなってしまったものなのか。
 今回は下条町の八幡社を知ることができたのは収穫だった。
 今後もぼちぼち近所の神社巡りシリーズを続けていこうと思っている。

セントレアの空は焼けず

飛行機(Airplane)
セントレア-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8 / 16-45mm f4



 名鉄電車フリーパスの旅で最後に訪れたのが、セントレアこと中部国際空港だった。
 この日は乗り放題の券を手に、朝から夕方まで名鉄電車に乗ってあちこちを巡ってきた。そのときの様子は近いうちに紹介するとして、今日はセントレア編をお送りしたいと思う。
 旅のクライマックスとしてセントレアを考えていた。夕焼け時間に合わせて夕方6時過ぎに到着するというのは予定通りだったものの、残念ながら天気は予定通りとはいかず、空は焼けないまま日没を迎えてしまった。そのせいで撮れなかった写真もあり、逆に撮れた写真もあるから、晴れていることが必ずしも天気に恵まれるということではない。上の一枚も、太陽が出ていたらたぶん撮れなかった写真だ。少なくともこういう雰囲気にはなっていない。

 セントレアの開港は2005年、愛・地球博と同じ年の2月17日だった。5年目にしてようやく初めて訪れたといのは、さすがに出遅れの感は否めない。
 当初は愛知の新しい観光スポットとして大人気を博して、一時は万博よりも混んでいるという話だった。押すなおすなの大盛況は、その大部分が観光客で、搭乗客が飛行機に乗り遅れそうになるなんてこともあったとか。愛知らしいエピソードだ。
 あれから5年が過ぎて、今やブームが去った観光地になり果てた。新しいものにはワッと飛びつくけど、そのあと潮が引くように人がいなくなってしまうというのが愛知の県民性というものだ。セントレア関係者がそれをどこまで読んでいたのかどうか。去年あたりからぐっと収益も減って、かなり困っているという話も伝わってくる。利益の半分を飛行機以外の観光収入でまかなおうというつもりらしいけど、それはちょっと愛知県民を読み違えているのではないか。そもそも、空港が観光地になるというあたりが田舎を表しているとも言える。
 少し前までは展望デッキに人が溢れていて、写真を撮るのも大変だったそうだけど、今はもうゆっくり撮ることができる。5年も寝かせればこういうことになるだろうという私の読みは当たった。平日の夕方とはいえ、人が少なすぎて寂しいくらいだった。
 セントレアは、知多半島の真ん中あたり、常滑沖の人工島にある。
 まったく何もないところに作った島なので、基本的には空港しかない。半島とは有料道路と鉄道でつながっている。一般の橋は架かっていないから歩いては渡ることはできない。
 電車は直通の名鉄電車が名古屋駅から出ていて、35分ほどかかる。小牧の名古屋空港と比べて不便になった人もたくさんいることだろう。
 距離よりも問題は、最終電車が23時13分という点だ。交通は鉄道か車しかなく、船便もそんなに遅くまではない。空港自体は24時間営業なのに、23時くらいで電車がなくなってしまうのはまずい。飛行機なんて遅れることはよくあることで、そんなときはあきらめて空港内のホテルに泊まるか、高いお金を払ってタクシーで帰るしかない。空港で働く人たちも困っているという。
 愛称のセントレアは、一般公募で選ばれた。中部を意味するセントラル(central)と、空港のエアポート(airport)を組み合わせた造語だ。地元の人間はけっこう気に入っているのか、セントレアと呼ぶ人が多い。関空みたいに中空なんて言ってる人間はいない。
 美浜町と南知多町が合併して南セントレア市になる一歩寸前までいって、結局は実現しなかったというエピソードを覚えている人もいるだろう。名前に抵抗がある住人が多かったのか、合併自体がなくなってしまったのだった。南セントレア市なんて、あかすか、と怒っていたお年寄りも多かったのだろう。
 空港内の施設はなかなか充実している。地元有名店など100店舗以上が入っていて、名古屋の味を楽しんだり、買い物をしたりするのに不自由はない。免税店も国内最大規模となっている。
 日本初の空港内展望風呂というのもあって、風呂に浸かりながら飛行機の離発着が見られるというのが売りだ。
 結婚式もできるようになっていて、空港内で式を挙げて、レストランで披露宴をして、そのまま泊まって、翌日に新婚旅行に旅立つなんてこともできる。
 観光バスツアーも組まれていて、県外の人だけでなく、名古屋人も訪れる。空港で観光なんて貧乏くさいと思ってる人もいるだろうけど、行ってみると充分観光地として成り立っていることが分かる。電車に乗ってミュースカイなどを撮りつつ、空港で飛行機を撮って、食事をして、お土産を買って帰るというメニューで半日は持つ。常滑の町歩きや知多の海とあわせれば一日観光コースだ。

セントレア-2

 飛行機を撮るためには、スカイデッキに出る必要がある。飛行場に慣れていない私は、まずそこまでの行き方が分からず、半ば迷子状態になった。
 さんざんキョロキョロ見回してスカイデッキと書かれた案内を探すも、まったく見つからない。あまりにもうろうろしすぎて、このままでは不審者に間違われると思ったほどだ。いったんトイレに行って気を鎮めつつ、もう一度探したけどやっぱり発見できない。あきらめて、警備員さんに訊くことにした。
 電車が到着するホームは2階で、スカイデッキは4階にあった。あちらですと指を差された方を見ると、確かにスカイデッキの案内が出ている。けど、分かりづらいっ。電車を降りてすぐのところから案内で誘導して欲しい。
 完全に田舎者のお上りさんと思われたなと落ち込みながらスカイデッキを目指した。

セントレア-3

 日没20分前の空はこんな感じ。わずかに焼けている程度で、夕焼け空には遠く、空も暗い。太陽もとうとう顔を出さなかった。
 スカイデッキから見て滑走路は西向きにある。夕陽や夕焼け空を絡めつつ離発着する飛行機を撮るという計画は崩れ去った。これだけ暗いと撮影の難易度は一気に上がってしまう。
 フェンスは伸びるワイヤー製で、いいような悪いような微妙なところだ。極太の超望遠レンズは入らないかもしれないけど、普通の望遠程度ならワイヤーの間に差し込むようにすれば、ワイヤーは写らない。ただ、その状態で動く飛行機を追いかけるのは難しく、あまり振り回すとレンズに傷がつきそうだ。
 当初はフェンスなしということだったのに、国土交通省がそれでは駄目だと言い出して、ワイヤーのフェンスがつけられることになったようだ。このワイヤーフェンスさえなければ、飛行機撮りには申し分なかったのに。つけるにしても、もう少し飛行機撮りの人の意見を聞くべきだった。もっと手前にして、垂直にすればよかったのだ。そうすれば楽な姿勢でレンズを出して撮影できた。

セントレア-4

 一人で空港を訪れている女の人にはドラマ性がある。何か物語めいたものを想像する。
 同じ一人でも、カメラをぶら下げた男にドラマはない。ただの飛行機好きだ。自分はそうじゃないんだという言い訳は通用しない。

セントレア-5

 なんか見覚えのある乗り物に乗っている人がいた。これは愛・地球博で見たやつではないか。どうやら空港の警備員さんがこれに乗ってぐるぐる周りながら巡回をしているようだ。ちょっと近未来的な光景に映った。
 帰ってから調べたところ、愛地球博に出品されたのはi-unitというやつで、これは4代目に当たるi-REALというマシンだ。
 基本のi-REALをセントレア用に改造したもので、2009年の6月から導入されたとのことだ。
 空港内での最高時速は6キロということで、早足くらいのスピードでゆっくり流していた。
 性能としては時速30キロまで出せるということで、一般向けに実用化される日もそう遠くないかもしれない。

セントレア-6

 見慣れない飛行機がいた。エティハド航空のA330というやつで、アラブ首長国連邦の飛行機会社のものらしい。
 今年の2月に日本で初めてセントレアに来て、3月からは成田とも結んでいる。
 中東の路線では、それまであったエミレーツがなくなってしまって、セントレアでは一年ぶりの中東路線となった。
 週4便、UAEの首都アブダビと結んでいる。
 オイルマネーがギンギンの航空会社で、なかなか評判もいいようだ。

セントレア-7

 近くにとまっている飛行機は、望遠を使えばコックピットの中まで写せる。

セントレア-8

 スカイデッキと滑走路との距離は、近いといえば近いし、遠いといえば遠い。
 300mmの望遠ズームでも届くけど、できれば500mmの望遠ズームが欲しい。単焦点は使いづらいと思う。
 空港での撮影は羽田に続いて二回目なのだけど、今ひとつ勝手が分からず、戸惑うことが多い。ワイヤーも、ええい、邪魔くさい。

セントレア-9

 飛行機撮りの醍醐味といえば、やはり離陸と着陸の瞬間だ。
 暗すぎて普通に撮るのは不可能になったため、流し撮りをする。けれど、流し撮りで止めるのは難しい。連写して、その中の一枚でも当たればいい方だ。

セントレア-10

 これは着陸の流し撮り。着陸のシーンは一度しかチャンスがなくて、その中ではまずまず成功した方だ。
 飛行機撮り初心者としては、このときの条件は難しすぎた。もう少し明るい条件のときに撮りたい。

セントレア-11

 空が焼けないまま日没時間を過ぎて、もうこれ以上粘っても撮れないと判断して帰ることにした。
 初夏とはいえ、海上の吹きさらしなので、寒いっ。

セントレア-12

 猫の目視点で見るスカイデッキ。手持ちでは撮れないので、下に置いて撮ってみる。もちろん、空港内に猫はないけど、猫が見る世界はこんな風に見えているんじゃないだろうか。

セントレア-13

 夕暮れの空港内。こういう雰囲気もなかなかいい。

セントレア-14

 ターミナルの中を撮ったら不思議な写りになった。光の加減だろう。何か特殊な光を使っているのかもしれない。
 スカイタウンと名づけられたエリアにはたくさんの店が並んでいる。商業ビルの中のような雰囲気だ。
 左に写っている赤いのが、セントレアのマスコットキャラクター「フー」だ。謎の旅人という設定らしい。一般認知度がどれくらいあるのか知らないけど、いろいろとキャラクターグッズなどが売られている。

 去年の夏に、普段は立ち入ることができない特別撮影会が行われたらしい。今年はやらないのだろうか。もしやったら行ってみたい。
 一つ思ったのは、船に乗って海上から撮るというアイディアだ。しかし、名古屋港と結ぶ船を運航していたセラヴィ観光汽船が、親会社のセラヴィホールディングスの自己破産によって、イタリア村とともにつぶれ去ってしまい、船便が運休中のままになっている。名鉄は後を引き継ぐ気がないようだ。
 どうしても船から撮りたければ、三重県の津や松阪から出ている船便に乗るしかない。向こうに遊びに行った帰りに、船で帰って来つつ海上から飛行機を撮るというのはアリかもしれない。夕焼け時間に合わせて乗り込めば、空港や知多の海岸からは撮れない写真が撮れそうだ。
 なんにしても、もう一度行って、再挑戦したい。だいぶ勝手は分かったし、今度は警備員さんに訪ねなくても自力でスカイデッキに行ける。

古墳や神社は過去とつながるきっかけに

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
八幡山古墳-1

FUJIFILM S2pro+NIKKOR 50mm f1.8 / NIKKOR 55-200mm



 鶴舞公園へ行ったとき、八幡山古墳と物部神社にも寄ってきた。今日はそのあたりのことについて書いてみたい。
 古墳なんてものは元来、眺めて楽しいものではない。たいていは木々で覆われていて原形も分からないし、形も上から見ないと確認できない。何か面白いものは見えないかとぐるりと一周回ってみたところで、特にこれといったものが見つかるわけでもない。一般の人はあまり好きこのんで古墳見物に行ったりはしないと思う。
 じゃあ、古墳はまったく面白みのないものかといえばそうじゃない。古代に思いを馳せるための装置としての役割を持っている。
 現代を生きる私たちは、これまでのすべての歴史が積み重なった地面の上に暮らしている。けれど、普段そんなことを意識することはない。史跡跡の石碑や案内板程度ではそのまま素通りしてしまう。けど古墳があれば話は違ってくる。それは歴史に触れることができる確固たる実在物であり、立ち止まって思いを巡らせるきっかけになる。そこに古墳の価値があると思うのだ。
 愛知県周辺には当然ながら天皇の古墳といったものは存在しない。その代わり、古くから有力な豪族が支配していた土地だけに、たくさんの古墳が残っている。多くは壊されたり忘れ去られたりで失われてしまったものの、現存している数は少なくない。主だったものでも数十、小さいものもあわせると100を超えているはずだ。
 これまでこのブログでもいくつか紹介してきた。
 東海地方で一番大きなものは、熱田の断夫山古墳(だんぷさん)で、全長150メートルを超える前方後円墳だ。
 少し前に春日井の二子山古墳が登場した。あのあたりは味美古墳群(あじよし)といって、大小たくさんの古墳が集まっている地域だ。
 守山区には東谷山の古墳群があり、犬山には4世紀後半とされる古い前方後円墳の青塚古墳がある。
 どの古墳についてもあまり詳しい調査がされていないため、分かっていないことも多い。ただ、見つかった副葬品などからある程度の推測はされている。私たちが知らないところで日々研究も進んでいることと思う。

 今回紹介する八幡山古墳は、直径約82メートルの円墳で、5世紀中頃に造られたものと考えられている。円墳としては東海地方最大とされている。
 円墳は古墳時代を通じてたくさん造られた形で、比較的小さいものが多い。80メートルを超えるような大きなものはあまりなく、それだけ強大な力を持っていた人物が埋葬されていると想像される。被葬者ははっきりしていない。
 熱田の断夫山古墳や、春日井の二子山古墳は、5世紀末のもので、継体天皇との関係が指摘されている。前方後円墳がもうすたれた時期の5世紀末という遅い時期に、突然この地方に出現したのは、越前の継体天皇を擁立するために尾張氏が力を貸して、天皇家に近いところに入り込んだことで、死後に大きな前方後円墳が造ることを許されたのではないかという説が有力のようだ。
 それに対して、八幡山古墳の方は時期が早い。熱田と昭和区とは直線で約3キロという微妙な距離感がある。古代においてこの距離が近かったのか遠かったのかはよく分からない。尾張氏のものなのか、そうじゃなかったのか、別だったのなら平和的共存だったのか、敵対関係だったのかも分からない。
 昭和6年という早い時期に国の史跡に指定されて、発掘調査が行われたものの、戦中戦後のどさくさで出土品は失われてしまって、詳しいことは分からずじまいなってしまった。古墳自体も、軍部が高射砲陣地を設営するために木を切り倒して、山も削ってしまったので、原形をとどめていない。
 分かっているのは、5世紀の前半にこのあたりの土地を支配していた豪族の王の墓だろうということくらいだ。尾張氏なのか、たとえば物部氏なのか、予想しようにも手がかりが少なすぎる。
 名前の由来は、古墳の頭頂に八幡神社の祠があったことから来ている。今はそれもない。

八幡山古墳-2

 周壕(堀)の幅は約10メートルで、これはよく残っている。
 頭頂部分は戦後に盛り土をして形を整えたものということで、ややありがたみは薄い。
 古墳というのは、きれいに土を盛って形を整え、周りをぐるりと埴輪で取り囲むというのが一般的な姿だったようだ。航空写真で見るように周囲の堀に水が張られて、鬱蒼とした森になっているというのは後世の姿で、元々の古墳はああではなかった。今でも木は植えない方がいいんじゃないかと思うけど、そのあたりは自然に任せているのかもしれない。
 戦前は松の老木が生える森だったようだけど、今その面影はない。昭和57年以降、緑化保全地区に指定されて、再び昔の姿を取り戻すための取り組みがなされたようで、だいぶ森っぽくなってきている。桜の木が植えられていて、春には隠れた桜の名所になるんだとか。古墳に桜の組み合わせも、非常に現代的な光景だ。昔では考えられない。

八幡山古墳-3

 雑草に覆われた古墳を見て、流れた時を思う。1500年以上もよくぞ残ったというべきだろう。
 1500年という時間を想像するのはなかなか難しいことだけど、その時間の果てに今の私たちが生きているということを意識することは無駄じゃない。
 遠い昔を生きた人たちのことを思って古墳に立ち寄ってみるのも悪くない。心の中で、こんにちはとさようならをつぶやくだけでも、少しは昔の時間とつながれたような気がする。

八幡山古墳-4

 東区の車道に、物部神社がある。前からここの存在は気になっていた。
 尾張地方を尾張氏より前から支配していたのは、物部氏だったかもしれない。
 物部氏は非常に古くからの有力豪族で、天皇家(大王)の近いところに常にあった。古くからの側近家ということでは、大伴氏と物部氏の二大勢力だった。どちらも天皇家の軍事や祭祀を司っていたと考えられている。
 尾張氏は、安曇などの海人族から来ているという説が有力のようで、物部氏より新しく、天皇家に近づいたのは大和政権が確立して以降のことだろう。
 物部氏と尾張氏の関係が近かったのか遠かったのか、よく分からない。敵対関係ではなかったとすれば、同盟関係だったのだろうか。
 古くは尾張にも物部氏の支配は広く行き渡っていたようで、物部神社もたくさんあったといわれている。いつからか物部氏の勢力は弱まり、愛知県で物部神社という社名を持つのはここだけになってしまった。
 南へ500メートルほどいった千種駅の近くに、高牟神社(たかむじんじゃ)がある。ここは物部氏の武器庫があったところではないかとされている。こちらの物部神社との関係も当然あったと推測される。
 物部氏は、蘇我氏との政争に敗れて権力の中枢から蹴落とされてしまう。まずは大伴氏が外交政策の失敗で失脚し、新興勢力の蘇我氏が一気に勢いを増して台頭してきた。一般的には仏教擁護派の蘇我氏と、仏教反対で神道派の物部氏が対立して、結果的に蘇我氏が勝ったということになっている。実際は、宗教戦争といったものではなく単なる権力争いだったのだろう。
 ここから蘇我氏全盛の時代が始まり、推古天皇や聖徳太子が出てきて、日本に仏教が広まっていくことになる。そんな中で、負けた物部氏はだんだん影が薄くなっていった。
 ただ、壬申の乱のときに大海人側について活躍したことでやや勢いを取り戻し、その後、物部氏は石上を名乗るようになり、奈良県の石上神宮などに名を残すことになる。
 物部神社の本拠は島根県太田市にあり、石見国一宮となっている。その他、新潟や富山などに多く残っているところを見ると、大和では力を失ったものの地方ではその後も勢力を保っていたようだ。

八幡山古墳-5

 祭神は物部氏の祖とされる宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)。
 ウマシマジは、ニギハヤヒ(饒速日命)の子供で、弟は尾張氏の祖とされるアメノカグヤマ(天香山命)だ。
 神武天皇がこの地を平定したときに大きな石を見つけて、それを国の鎮めとし、その上に神社を建てたという伝説がある。もちろん、それをそのまま信じるわけにはいかないけど、かなり古い創建ということは確かなようで、平安時代の「延喜式」にも載っている。かつては物部天神とも称していたようだ。
 垂仁天皇のとき(29-99年)に社殿が造営されたという話もそのまま受け取るわけにはいかないだろう。尾張三代藩主・徳川綱誠(1652-1699年)のときに修理が行われたというのは確かだろうけど。
 現在は、街中にこそっと肩をすぼめるようにして建っている。かつてはもっと広い境内だったはずだ。
 社殿が東南を向いているのは何か意味があるのだろうか。元々そうだったのか、改修したときにそうなってしまったのか、詳しいことは分からないけど、ちょっと珍しい向きだ。

八幡山古墳-6

 物部氏に関しては、今後も他のところで関わりが出てきそうな気がしている。自分の中で、尾張氏との関係性をもう少しはっきりさせたいというのもある。まだよく理解できていない部分が多々ある。
 古墳も折に触れて訪ねてみたいと思っている。

覚王山日泰寺の参道はなかなかいいところ

名古屋(Nagoya)
覚王山-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 覚王山の日泰寺(にったいじ)には何度か行ったことがある。けれど、参道を歩いたことはなかった。車で行くと境内にとめられるから、参道を歩くという発想が浮かばなかったのだ。参道の雰囲気がいいという話は前から聞いて気になってはいた。
 今回、自転車でゆっくり走りながら写真を撮ってきた。なるほど、なかなか悪くない。ここ10年くらいで古い建物が減ったり、新しい店ができたりと変貌していっているようだけど、参道らしい雰囲気は残している。いくつかの心惹かれる風景にも出会うことができた。
 覚王山(かくおうざん)の地名は、日泰寺に由来している。
 日泰寺は、タイから送られた仏舎利(釈迦の骨)を安置するために建てられた寺で、日本で唯一、どの宗派にも属さない超宗派のお寺だ。京都などと激しい誘致合戦を繰り広げられた末に名古屋に寺が建てられるようになった経緯などは、以前日泰寺を紹介したときに書いた。
 覚王というのは、悟りを開いた釈迦を敬って呼ぶ呼び方だ。このあたりは丘陵地帯で、月見坂町や観月町という地名も残っている。そこから覚王山と名づけられた。
 日泰はそのまま、日本とタイ国を表している。初めはシャム国だから日暹寺(にっせんじ)だったのが、シャムがタイと名前を変えたときに、ここも日泰寺と改名した。
 どうしてタイなのだろうと思った人もいるかもしれない。釈迦はゴータマ・シッダールタとしてネパールに生まれ、インドで死んでいる(入滅)。なのにどうして釈迦の骨がタイ国から送られたかというと、1898年にイギリス人のペッペがインドで古墳を発掘したところ、そこから釈迦の骨と刻まれた壷が見つかり、ペッペは英国王室に献上し、英国から仏教国のシャム国へ贈られた。それを希望の国に分けることになり、一部を日本が譲り受けたという経緯があったためだ。
 日本とタイは山田長政以来の友好国で、今でも仲がよい。王室を持つタイと皇室の日本という似た部分もある。どちらかというと日本人よりもタイ人の方が親しみを抱いているようだ。現在タイがもめている現状を見ても、日本人はあまり積極的に助けようとしていないように思える。
 それはともかくとして、名古屋には釈迦の骨があるということをもう少し宣伝してもいい。今ひとつ、全国的な知名度が低すぎる。
 ついでに書くと、仏舎利というのは昔からたくさんあって、どれが本物かどうかなどということは知りようがない。
 何しろ釈迦が生まれたのは、紀元前5世紀という大昔で、日本でいうと弥生時代の中期に当たる。一時はその存在さえ疑問視されたほどだ。仏教の本場であるはずのネパールやインドではヒンドゥー教に押されて仏教が主流ではなくなってしまったため、大事なものが散逸して残らなかったという事情もある。
 仏舎利は、釈迦が入滅したあと、8つに分けられ、それぞれが寺院に納められた。当時は激しい争奪戦が繰り広げられたという。のちにそれを掘り返して、粉々に砕いて再配布を行ったため、途中で偽物が紛れ込んだりして、どれが本物か分からなくなってしまった。最終的には8万以上の寺院に仏舎利は納められたという。ほとんど砂状態だ。
 日本においても、古くは仏教が入ってきた飛鳥時代に贈られて、各寺院に奉納されたという記録が残っている。奈良の法興寺や法隆寺、大阪の四天王寺などがそうだ。
 いったん仏舎利信仰はすたれたものの、空海たちが帰国したときにたくさん持ち帰って、再び仏舎利ブームが起きたりもした。
 現在でも仏舎利が収められている寺院や仏舎利塔がいくつかある。にもかかわらず、日本人は意外と仏舎利には無関心のようで、仏舎利巡りをしているという人の話はあまり聞かない。日本では最初から釈迦そのものよりも仏像信仰の比重が高かった。

覚王山-2

 日泰寺の参道は、地下鉄覚王山駅を出て信号を渡ってすぐに始まる。わずか500メートルほどの通りで、思ったよりも短かった。
 昔からの店と新しい店が混在して雑然としているのだけど、騒がしくない空気感が優しく感じられる。
 普段は至って静かなこの通りも、毎月21日の縁日にはたくさんの店が出て、大賑わいになるという。写真でしか見たことがないその光景だけど、普段の様子を知っていると、ここにこんなにも人が集まるのかと驚くほどだ。
 何故21日なのかといえば、それは釈迦には関係がなかった。空海こと弘法大師の命日が21日だからだ(3月21日、61歳)。日泰寺と弘法大師の関係性はよく分からないのだけど、とにかくそういうことらしい。
 上の写真の手前は、雑貨屋さんで、奥は「えいこく屋」というティーハウスだ。
 駄菓子屋や製氷問屋もあるらしいのだけど、どうやら見逃したようで写真を撮っていない。昔は料亭があって、芸者さんもいたそうだ。
 一本入った路地に覚王山アパートという古い建物があって、現在はギャラリーになっている。そこも知っていれば見にいっていた。ちょっと予習不足だったから、再訪しなければいけない。
 梅花堂の鬼まんじゅうというのが覚王山名物だそうだ。午前中に売り切れることもあるというから、買うなら電話予約した方がいい。

覚王山-3

 履き物屋さんがまだ頑張って続けている。
 草履などが充実しているようだから、需要はありそうだ。草履や下駄を売っている店は貴重だ。

覚王山-4

 ビジネス旅館、酒井屋。
 ここもまだ現役で商売を続けている。素泊まりなら一人5,000円、二人なら4,200円という価格帯だ。
 ビジネス以外でも泊まっていいのだと思うけど、覚王山あたりに泊まる用事があるのだろうかと思ってしまう。
 地下鉄の駅がすぐ近くで、名古屋駅まで15分という距離だから、静かで安いところに泊まって、翌日移動するというのも手かもしれない。

覚王山-5

 全然コインランドリーに見えない店構えだけど、ガラス入りの木の扉をガラガラっと開けると、そこには業務用の洗濯機が並んでいたりするのだろうか。

覚王山-6

 昭和の古い感じだ。たぶん、もうやっていないようだけど。

覚王山-7

 扉には閉店のお知らせの貼り紙があった。
 古くからの町も、どんどん移り変わってゆく。いつまでも変わらないで欲しいというのは、甘い感傷に過ぎないのだろう。

覚王山-8

 名古屋市内ではほとんど見かけない丸ポストがあった。
 市内では、有松の2つと、名鉄百貨店の簡易郵便局にあるものと、全部で4つしか残ってないそうだ。

覚王山-9

 門前の様子。左には新しいマンションも建っている。

覚王山-10

 無宗派ということもあって、日泰寺の雰囲気は無味無臭な感じがする。良くも悪くも寺臭さがないというか、いかめしさがない。威張ってないから気軽に入っていける。そういう気安さから、ここを訪れる人も多い。境内の駐車場で休んでいるタクシー運転手やセールスマンなんかがいたりもする。
 建物に関してはあまり見所がない。本堂も三門も立派だし、五重塔もあるのだけど、すべて戦後に再建されたものだ。空襲で焼かれなければ、100年以上が経過して、そろそろ味わい深いものになっていただろうに。

覚王山-11

 寺や神社で子供たちが遊んでいる姿を見ると、ちょっと安心する。寺社というのは願い事をするために訪れるだけの場所ではなく、昔から社交の場でもあった。子供が境内を遊び場にしているのは、伝統的な光景で、ちっとも罰当たりなことなんかじゃない。神様や仏様だって、誰も来なくて静かよりも子供の歓声が響いている方が寂しくなくていいだろう。

覚王山-12

 せっかくここまで来て、参道だけ見て帰るというわけにもいかない。一応、挨拶だけしていくことにした。

覚王山-13

 太鼓を叩きながら経を読んでいた。
 無宗派なので、各宗派から選ばれた代表が三年ごとに交代しながら住職を勤めている。

覚王山-14

 日泰寺の北に、仏像などがたくさんありそうなところがあった。扉が閉まっていて中には入れなかった。ここも日泰寺の境内だろうか。
 21日の縁日の日には、普段非公開の鉈薬師堂が公開される。そこも見てみたい。
 今月の21日に行けるようなら行ってみよう。

自転車で見つけた半径5キロの風景

日常写真(Everyday life)
自転車行き帰り-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 自転車の行き帰りに撮った写真がちょっとたまってきた。ここらで一度まとめて出してしまうことにした。
 今日はちょっとダメージが深くて、余力が残っていないから、簡単更新としたい。
 一枚目の写真はけっこうお気に入りのものだ。瀬戸電のホームとレールを写した日常風景に過ぎないのだけど、小雨が降っていたということもあって、なんとなく情緒のある写真になった。
 電車が写ってなくても、鉄道写真は成立する。鉄っちゃんというとみんな電車の車両好きのような思い込みがあるけど、鉄道写真にはもっといろいろな可能性があることを感じている。個人的には、鉄道にまつわる人々のドラマを表現できたらいいなと思っている。

自転車行き帰り-2

 道行くノラの背中には哀愁が漂う。
 ちぇっ、毎日いいことないし、ハラも減ったし、みたいな感じが後ろ姿にも出ている。
 元気出していこうぜ、長生きしろよ、と心の中で応援してみる。

自転車行き帰り-3

 車で通るとき、いつもこの存在が気になっていた。展望台みたいだけど、誰も登っているのを見たことがない。
 自転車で近くまで行って謎が解けた。国有地と書かれた空き地にあって、何事だろうと思ったら、自衛隊の施設内にあるものだった。
 横の壁にはフリークライミングのぼっちが張りつけてある。自衛隊員用のフリークライミング練習台のようだ。
 それにしても、誰かがこの施設を使っているのを一度も見たことがない。

自転車行き帰り-4

 庄内川は川幅も広いけど、河原も広い。鬱蒼と木や草が生い茂り、ちょっとした密林状態になっている。タヌキくらい棲んでいても驚かない。

自転車行き帰り-5

 遠目で見たときはヤマフジの名残だと思ったけど、写真で見ると違うような気がする。何だろう。

自転車行き帰り-6

 王子製紙の煙突風景。
 電線を避けて写せるポイントを探しているけど、まだ見つけられていない。

自転車行き帰り-7

 矢田川に佇む人あり。
 京都の鴨川のカップル風景というのは、すっかり市民権を得ているようだけど、あれは特殊な光景だ。全国的に見ても、あんなに等間隔でカップルが川沿いにしゃがんでいる風景は他にはないんじゃないか。

自転車行き帰り-8

 上社駅の裏手で見つけたインド料理専門店。名古屋の郊外も国際色豊かになったものだ。

自転車行き帰り-9

 こちらは本郷駅近くにあるスペイン料理のダリ。
 愛地球博へ行った名古屋人なら覚えているかもしれない。スペイン館の解体で出た外壁のブロックを移設した店だ。
 今は上海万博が行われている。あれからもう5年かと感慨深くもあり、まだ5年かとも思う。

自転車行き帰り-10

 コーポなでしこ。おしとやかな大和撫子が暮らしていたらいいな。実際は、なでしこジャパンの沢さんみたいな感じの人が住んでいそう。

自転車行き帰り-11

 なかなかのもじゃハウスっぷりだ。森の中で目だけ出してこちらを伺っているみたいだ。

自転車行き帰り-12

 夕暮れ時の大衆食堂風景。

自転車行き帰り-13

 荒れ加減がいい感じ。ノスタルジーを抱かせる。

自転車行き帰り-14

 バンドボーイ風と制服の高校生。

自転車行き帰り-15

 ふりそそぐ光のシャワー。天が地上を祝福しているみたいに見える。それはきっと気のせいだろうけど。

 今日はここまで。