
PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8
関宿4回目は、残った写真を紹介して、最終回としたい。
関宿は、中央のエリアが中町、東が木崎(こさき)、西が新所(しんじょ)となっている。詳しいことは知らないけど、それぞれ区分が違っていたのだろうと思う。現在、古い家並みがまんべんなく並んでいるものの、端へ行くほど人けもなくなり、静かな佇まいとなる。と同時に、外れになるほど景観への徹底さが弱まっていく。
江戸時代後期の記録によると、本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠42軒、飲食店が99軒もあったというから、大きな宿場であったことが分かる。各地への旅人が集まる場所であり、参勤交代の一行が泊まるところでもあったから、かなりの賑わいだったことが想像できる。狭い道を人や馬や籠がせわしなく行き交っていたのだろう。

景観保存地区に指定された昭和59年以前に一度訪れてみたかった。その頃は今よりももった荒れた印象だっただろうけど、かえって魅力的に映ったんじゃないかと思う。今は小綺麗に化粧が施されて、全体的に平板な感じになってしまっている。どの程度整備すればいいのかというのも、難しい問題ではある。

懐かしい牛乳受け箱。今でも朝配達されてくるのだろうか。最近は牛乳配達の姿はあまり見ないようになった。全国でどれくらい稼働しているのだろう。
何故か箱には山口県酪とある。

民家のガレージというか、屋根付きの庭というか。
道沿いの家は、さほど間口が広くないから、どの家も奥行きがけっこうありそうだ。二階建ての家も少なく、平屋が多い。

東のだいぶ外れの方の家。古い家屋と普通の住居の中間くらいな感じ。

電気店でさえ周囲に気遣ってこんな店構えになっている。地元の人間はどこに何の店があるか分かっているから困ることはないのだろうけど、それにしても営業的にはプラスにはならないのではないか。何しろ、どの店も目立たない。目立ったらダメみたいな雰囲気がある。

ここは確か、パン屋さんか食料品屋さんだったと思う。
ヤマザキパンの看板が出てるけど、三重県は長栄軒じゃないのか? あれは松阪ローカルなのか。松阪と亀山では文化圏が違うから、いろいろな違いがありそうだ。
三重の田舎では必ず長栄軒のパンで、あれがけっこう美味しかった記憶がある。いまどきのモチモチふわふわした食感ではなく、ややパサついた感じが好きだった。

古い町並みにはツバメがよく似合う。4月に渡ってきたツバメは、民家の軒先に巣を作って、5月には子供も生まれる。この日もたくさんのツバメが町並みの上を飛び交っていた。

守り神のようなものなのか、二階に鳥の彫刻がつけられている。他にもいろいろな種類があるようだけど、見つけられなかった。

ようやくちょっとした水の流れを見つけた。
関宿は地形的には南北に鈴鹿川と小野川という二本の川が流れているけど、町並みの中に水気がなさすぎるように感じた。歩いていて心地いい場所には必ず水がある。自然の川だったり、水路だったり、井戸だったり、人は水に惹かれ、水は人に安らぎを与える。
側溝に水を流すことは無理なのかもしれないけど、各家庭で打ち水をするとか、軒先に水に関するものを置くとか、何かした方がいいと思う。そうすれば、もっと人が集まってくるんじゃないだろうか。

民家の庭に置かれた謎のオブジェ。クマにまたがっているのは金太郎だろうか。
白い衣装で手におむすびを持っているのは誰だ。周りを動物が取り巻いているようにも見える。

延命寺の三門は、川北本陣の門を移築したものだそうだ。

福蔵寺。このあたりも中までは入らなかった。
会津屋(山田屋)生まれの小萬の墓があるらしい。

関宿というのは面白みに欠ける優等生のようなところだ。これだけの町並みを残しながらメジャーな観光地になっていないのは、何かが足りないということで、その物足りなさは実際に訪れてみるとなんとなく感じるものだと思う。すごく可能性があるのに活かしてきれていない。もう少しいい意味で俗っぽくてもいいんじゃないか。
馬籠のように観光地としての洗練さがなく、妻籠のようなタイムトリップ感がない。外観は古いのに、空気感が日常的なのだ。だから、高山のような情緒がない。
一時期寂れていて徹底した町作りによって再生した長浜の黒壁スクエアのような例もある。観光地になることが必ずしもいいことではないにしても、これほど歴史的な価値も高いものが残っている町だから、もっと大勢の人に訪れてもらいたいと思う。町の人たちの協力態勢も整っているようだし、もう一工夫すれば、更なる賑わいを見せる日がやってくるような気がする。NHKドラマの舞台になったりすると効果覿面なのだけど。
有名人の生家があるとか、そういった幸運に恵まれなかったというのはある。何か一つでも売りになるような決定打が欲しい。そういえば、花や緑も少なかった。
町の住人にしてみれば、今でもうるさいくらいだから、このまま静かに過ごさせて欲しいといったところなのかもしれないけれど。