月別:2010年01月

記事一覧
  • 京都でロジコレ <京都歩き 第2回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 京都がいくら路地の魅力的な街だといっても、観光客として訪れて路地ばかり喜んで撮っている人はあまりいないと思う。でも、たまにはそんな人もいるんじゃないか。世の中には考えている以上に、様々な分野での物好きが存在している。 私もちょっとした路地好きとして、普段から歩きながら路地の写真を撮ることが多い。京都も例外ではなかった。いい路地を見つけると反射神経のように撮りまくっ...

    2010/01/31

    京都(Kyoto)

  • 私の目に映った2010年冬の京都 <京都歩き 第1回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 その街のことをよく知るには歩くのが一番というのを経験的に知った。住んでいても歩かなければ気づかないことがたくさんある。土地勘はなくても、一日歩けば感覚的にかなり分かる。情報としてだけでなく、街の空気感とか、人の様子とか。 京都行きの思いはここ数年来ずっとあった。なかなか実現しなかったのは、機が熟していなかったからだと自分では思っていて、今回行くことができたのは、よ...

    2010/01/30

    京都(Kyoto)

  • 名古屋城裏の風景 <後編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 体調の回復度はいまだ40パーセント程度。非常にしつこいやつで手を焼いている。日常生活にも復帰できていない。 というわけで、今日は昨日の続き、名古屋城裏から名城公園の写真を並べておしまいとしたい。 名城公園にはたくさんの猫がいるから、行けば必ず何匹にも会える。みんないかにもノラという顔つきだけど、人に慣れていてなかなかかわいい。 中には警戒心が強いや...

    2010/01/28

    名古屋(Nagoya)

  • 堀川を北上して名古屋城裏を歩く <前編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 風邪菌だかインフルエンザウイルスだか知らないけど、猛烈なやつに打ちのめされて、ほぼ3日間、寝込むことになった。3日の睡眠時間は合計で60時間を超えたんじゃないかというほどのやられようで、一時はもう復活できないのではないかと思ったほどだった。今回の敵は凶悪だった。 今日になってなんとか回復したものの、回復度はまだ30パーセント程度で、日常生活もままらない...

    2010/01/27

    名古屋(Nagoya)

  • 春は足元からやって来る

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 丸二日寝込んで、どうにか回復傾向になったものの、まだ本調子には遠い感じで、今日も簡単つなぎ更新となる。 先週、免許の書き換えで平針へ行った帰り、農業センターへちょっと寄ってきた。2月終わりのしだれ梅の下見を兼ねて。 当然ながら、しだれ梅はまだ咲き始めてはいない。それでも、足元には花が咲き始め、春が確実に近づいていることを感じさせた。また花の季節がやって来る。 ...

    2010/01/26

    花/植物(Flower/plant)

  • 上麻生の写真を出し切って飛騨高山方面シリーズは完結

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 風邪で完全にやられてしまって、ほぼ丸一日寝て過ごした。熱はそれほどでもないからインフルエンザではないと思う。 夜になって多少復活したものの、まだまだ駄目な感じなので、また寝ることにする。 その前に上麻生の残り写真だけ並べておくことにしたい。写真の在庫がだぶついてるから、なるべく出していきたい。 ヒマワリが枯れた姿だと思うけどどうだろう。 枯れ葉の...

    2010/01/25

    観光地(Tourist spot)

  • 豆腐失敗で思惑が崩れ去ったサンデー料理

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日のサンデー料理は失敗だった。何が失敗だったといって、目玉だった手作り豆腐が完全なる失敗に終わってしまったのだった。並んだ2品に豆腐の姿はない。 先週スープ用に買った無調整の豆乳が残っていたから、にがりを入れて手作り豆腐を作ろうと思ったのに、上手くできなかった。最初、レンジで加熱して固まらないので、蒸し器で蒸したのに、それでもいっこうに固まる気配を見せない。どうも...

    2010/01/24

    料理(Cooking)

  • 観光地ではなくても地方の町に被写体はある <上麻生・前編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 飛水峡への最寄り駅は、JR高山本線の上麻生駅(かみあそう)だ。あまり人気のない駅のようで、降りたときは私の他に学生が一人、乗ったときは私一人だった。当然のように無人駅だ。まあ、のんびりしていていい。 飛水峡までは歩いて10分ほどで、あちこち寄り道して写真を撮りながら行った。今日はそのときの写真を紹介したい。 駅のホームはこんな感じ。出て行く列車を、歩...

    2010/01/24

    観光地(Tourist spot)

  • 飛水峡で列車を撮ってオシドリを見て甌穴を見つけられず

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 飛水峡(ひすいきょう)という名所の存在を知ったのは、飛水峡へ行く2日前のことだった。 高山再訪で飛騨一ノ宮へ行くと決めたとき、そこだけではもったいないからもう一ヶ所どこか写真を撮れそうなところはないかと探していてここを見つけた。高山本線沿いの鉄道撮影ポイントを探していて発見したという方が正確だ。 飛水峡の甌穴群として国の天然記念物に指定されているというし、高山...

    2010/01/23

    観光地(Tourist spot)

  • 初めての訪問は再訪への足がかり <高山・後編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 高山のことをよく飛騨高山という。この言い方をとてもややこしいと感じている人は少なくないんじゃないかと思う。 飛騨というのは、現在の高山市を中心とした地域の旧国名だ。と同時に、飛騨市というのもある。耳で「ひだたかやま」へ行くと聞くと、飛騨と高山とまとめて行くというように聞こえがちで、実際にそうである場合もあるし、そうじゃないこともある。そうじゃない方が多い。 ではどうして...

    2010/01/22

    観光地(Tourist spot)

  • 香流川の日常的風景

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は時間と気力切れにつき、高山の後編はちょっと無理。ということで、近所の香流川夕景写真でつなぐことにする。京都とか飛水峡とか中田島砂丘とかの写真がたくさんあるから、本当は小ネタでつないでいる場合ではないのだけど。 葉を落とした桜たちは、春を待ちながら水面に冬枯れの姿を映す。 冬の寒さを越えるからソメイヨシノは春に花を咲かせることができる。一年中暖かいところ...

    2010/01/21

    日常写真(Everyday life)

  • 雪の風情の高山を1時間歩いて撮った写真 <前編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 下呂に続いて行った高山。本来の目的地はここだったのだけど、列車の本数が少なくて、現地での時間が1時間ちょっとしかなかったのは厳しかった。見たいと思っていた古い町並みまで駅から歩いて10分ちょっとかかるから、実質的には40分くらいという短い撮影時間しか取れなかった。なので撮った枚数は少なく、通り一遍の写真に終始してしまい、物足りない気持ちを抱えての帰宅となったのだった。 ただ、...

    2010/01/19

    観光地(Tourist spot)

  • 温泉街で見た光と影の風景 <下呂3>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 ここのところよく出かけていて、写真の後がつかえてきたので、下呂シリーズは今回で終わりにしたい。残った写真を並べておこう。 一枚目は、温泉寺のお堂の昼下がり。和室が作る光と影の世界。こういう光景を見ると、感覚的な時代が一瞬昔に戻る感じがする。遠い日の記憶がよみがえるのだろうか。 温泉寺裏山のお地蔵さん。 かわいい衣装を着させてもらって、顔もかわいいような、凛々しいような。...

    2010/01/19

    観光地(Tourist spot)

  • 赤白黄色で目玉は白色サンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日の気分は洋食寄り。狙ったわけではなく、結果的に赤白黄色サンデーになった。これぞ洋食の基本三原色だ。和食だとどうしても茶色くなりがちで、カラフルにするのは難しい。 今回の目玉というか一番冒険的な料理は、右の白いやつだ。一見するとホワイトシチューのように見えるけど、実際は違う。餅入りの豆乳スープだ。あまり一般的な料理ではないから、味を想像するのは難しいかもしれない...

    2010/01/18

    料理(Cooking)

  • 今日下呂があるのはシラサギと林羅山のおかげ <下呂-2>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 下呂、高山への旅は、急ぐならワイドビューひだで、のんびり行くなら高山本線の普通列車でということになる。 下呂まではそれなりに本数があるものの、その先が厳しい。1時間に1本どころか、朝夕以外は3時間に1本くらいになるから、1本逃すと致命的なことになる。それでも、どうにかこうにか名古屋から下呂、高山への日帰り旅行は可能だ。現地での時間的な余裕はほとんどないけれど。 この日の旅の目...

    2010/01/17

    観光地(Tourist spot)

  • 下呂温泉街でスケッチ撮影 <下呂-1>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 飛騨一ノ宮の3日前に下呂と高山へ行ったと、ちらっと書いた。前後逆になってしまったけど、今日から下呂・高山編を始めたい。 このところ鉄道の旅が続いていて、京都も行ってきた。それも早く紹介したい気持ちがありつつ、まずは下呂の1回目をお送りします。 温泉街といえば、ひと昔前は年配の夫婦か家族連れというイメージが強かったけど、最近はカップルや若い女性二人組なども増えている。男の二...

    2010/01/16

    観光地(Tourist spot)

  • 出会えてよかった雪の飛騨一ノ宮

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 飛騨一ノ宮編も今回が最終回。残った写真を並べて締めくくりたい。 写真のこの山の姿が気に入った。弥陀ヶ洞山(みだがほらやま)というのはこれだろうか。あまり自信はない。 さほど高くもなく、尖ってもいないけど、形がいい。麓の家並みと真っ白な田んぼとの組み合わせが絵になる。 山の麓の山梨地区は、昔から月見里として知られていたというから、この風景の上空に浮かぶ月がきれいなのだろう...

    2010/01/14

    観光地(Tourist spot)

  • 草薙剣を一時預かりした飛騨一ノ宮の水無神社

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 飛騨一ノ宮駅は、その名が示すとおり飛騨の一宮である水無神社(みなし)がある。 一宮というのは、その地域の中で最も社格が高いとされた神社のことだ。ただし、いつ誰が定めたのかははっきりしていない。一つの国に二つ以上の一宮があるところも多く、明確に定められているわけではない。有名どころが一宮というわけでもなく、尾張の場合、熱田神宮ではなく真清田神社と大神神社がそうだし、伊勢の...

    2010/01/14

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 雪景色を見て素直に感動する <飛騨一ノ宮 1回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 8日に下呂と高山へ行ってきた。その行き帰りの列車の中から見た雪景色が印象的で忘れがたくて、どうしても撮りたくなった。それで、11日にもう一度行き直した。 降りたのは、高山の一つ手前、飛騨一ノ宮駅だ。 桜や紅葉などがどれほど見事で美しくても、雪にはかなわない。私にとって雪は完全な非日常だから、珍しさの度合いがまったく違う。 雪が降らない地域で暮らしている人の多くがそうであるよ...

    2010/01/13

    雨/雪/天候(Weather)

  • 明治はくろがねの時代でもある

    PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4 明治という時代は、あまりにも多くの新しいものが一斉に流れ込んできて、何もかもが一新したために、どういう時代だったかを一言で言い表すのが難しい。文明開化といってもその内容は多様で、生活習慣から文化、移動手段、服装、学問、技術、芸術、社会、都市など、あらゆるものが変化して、変わらなかったものの方が少ないくらいだ。 今の私たちがあの時代を振り返るとき、そこに古さと新しさの...

    2010/01/12

    施設/公園(Park)

  • 普通の和食は美味しくて詰まらないサンデー

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日のサンデーは、あまり手間暇をかけず普通の和食を作ろうと思った。出来上がったものを見て、これを普通の和食と言っていいのかどうか、ちょっと戸惑う。 口頭でこういうものを作って欲しいとリクエストして、出てきたものが思い描いたイメージをは違っていたときのような感じだ。自分の中での連絡なのに、上手く伝わっていない。そういうことがよくあるのは、完成図が頭の中に出来上がって...

    2010/01/10

    料理(Cooking)

  • この世は細分化されたものの集合体 <明道町・後編>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日は明道町の後編ということで、補足として写真を追加しつつ、もう少し明道町の歴史などについても書いておきたい。 現在、明道町という地名はない。1994年の町名変更でなくなってしまった。ただ、バス停やジャンクションなどに明道町の名前は残り、問屋街も明道町の方が今でも通りはいい。 問屋街が集まっているのは、新道2丁目と、幅下2丁目で、幅下の方がよりディープな世界が広がってい...

    2010/01/10

    名古屋(Nagoya)

  • 明道町で少年時代よりも前にタイムトリップする <前編>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 なんというトリップ感。明道町の深い場所は、昭和のまま時が止まっている。 昭和60年代にこの風景を目にしたとしても、相当に古い町だと思っただろう。そのままゆっくり静かに時を重ねて、もはや時代に追いつこうという意志がない。しかもこれが終わった町ではなく、現在進行形で生きているところがすごい。古びたまま当たり前のように日々の暮らしがある。 円頓寺や四間道など、古い町並みが...

    2010/01/09

    名古屋(Nagoya)

  • ノリタケの森から明道町入口までの歩き撮り

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日は昨日のルーセントタワーからの続き。ノリタケの森へとやって来た。 名古屋駅からは1キロも離れていないから、歩いても10分ほどだ。この日は寒風が吹き付ける寒さだったけど、季候のいいときなら駅から散歩してきて、ここでのんびりくつろぐのをオススメしたい。駅近くでは貴重なお弁当ポイントでもある。 しかし、このノリタケの森がなくなるかもしれないという話が出てきた。ノリタケが...

    2010/01/07

    名古屋(Nagoya)

  • 若冲を見たくて「日本の美と出会う」展に出向く

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 名古屋駅の高島屋で「日本の美と出会う 淋派・若冲・数寄の心」展を観てきた。 京都にある細見美術館所蔵の約60点を展示する特別展で、大阪、東京に続いて名古屋へとやって来た。 最近、少しずつ日本の古い美術品にも興味を持ち始めているのだけど、この展示会に行こうと思った一番の理由は、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)だった。なんでも鑑定団で存在を初めて知って、一度実物を見てみた...

    2010/01/07

    名古屋(Nagoya)

  • 冬には冬枯れの美しさがある <牧野ヶ池後編>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 牧野ヶ池の写真がまだ残っていたから、今日は後編ということで。 ハス風景の冬景色。これはこれで美しいと思う。咲いている花だけが自然の美ではない。冬には冬の魅力があることに気づけば、被写体は増える。 枯れハス風景その2。 このあたりの光景に心惹かれて、何枚も撮った。面白いと思った。 映り込みの色によって雰囲気は違ってくる。 前後左右にずらして何枚も撮って、その中で...

    2010/01/05

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 火事騒動

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 外が騒がしいので見てみると、あたり一面に煙が立ちこめている。どうやら近くで火が出たらしい。遠くからサイレンの音も鳴ってきて、にわかに騒然としてきた。 火は見えなかったけど、火の出所はあのあたりだったらしい。黒煙も混じった煙はしばらく消えなかった。 消防車が何台もやって来て、見物人も増えていった。 火事は本当に怖い。明日は我が身でもあるし、あまり大ごとになって...

    2010/01/05

    街(Cityscape)

  • 冬の池風景の中にいる鳥たち <牧野ヶ池・前編>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 正月明け第一弾は、ちょっと距離があるけどお手軽な牧野ヶ池散策となった。冬場の牧野ヶ池にはカモたちがたくさんいるし、水風景もある。歩く距離も池の3分の1周往復で1時間半ほどと、ちょうどいい。 今日まで休みの人も多いようで、たくさんの親子連れなどが訪れていた。普段の平日とは歩いている顔ぶれが少し違う。白レンズとデジスコの人もいた。 今週の日曜(1月10日)には探鳥会が...

    2010/01/05

    野鳥(Wild bird)

  • 新年最初のサンデー料理は普通の洋食

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 新年一回目は、おせち料理とまではいかないまでも正月らしい料理を作ろうというのがここ2年くらいだったのだけど、今年は正月気分も盛り上がっていないから、普通の料理にした。おせち料理が2日続いて、そろそろ普段の料理が食べたくなってきた頃でもある。 多少お正月らしいといえば、タイやエビやカニを使ったところだろうか。めでたいのタイ、腰の曲がるまで長寿を願うエビ、カニは何もない...

    2010/01/03

    料理(Cooking)

  • 雨池で撮る冬風景

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 新年2日目も在庫写真の整理は続く。今年の写真始動は来週からになりそうだ。 雨池で撮った写真をまだ使い切っていなかったから、今日で全部出してしまうことにする。行ったのは10日前だから、季節感のズレはまだない。 冬がだいぶ深まって、ここから茶色い世界が3ヶ月近く続く。寂しくはあるけど、冬枯れのよさもある。もしかしたら冬景色の魅力に気づいたのはこの冬が初めてかもしれな...

    2010/01/03

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

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京都でロジコレ <京都歩き 第2回>

京都(Kyoto)
ロジコレ-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 京都がいくら路地の魅力的な街だといっても、観光客として訪れて路地ばかり喜んで撮っている人はあまりいないと思う。でも、たまにはそんな人もいるんじゃないか。世の中には考えている以上に、様々な分野での物好きが存在している。
 私もちょっとした路地好きとして、普段から歩きながら路地の写真を撮ることが多い。京都も例外ではなかった。いい路地を見つけると反射神経のように撮りまくった。
 いい路地の定義というのは特になくて、なんとなく雰囲気が好きというだけのことだ。路地へ深く踏み入れて何か面白いものはないかと探検したりというようなことはあまりしない。ただ、風景としての路地を撮るのが好きなだけで。
 撮ってきた写真を見返してみたら、やっぱりたくさんの路地写真があった。せっかくなので、使えるものは全部出しておきたい。それならいっそ、まとめて紹介してしまうのがいいんじゃないかということで、京都シリーズ第2回は路地写真編ということにした。
 題して、ロジコレ2010イン京都、だ。
 路地だけに観光エリアは少なく、地元の人しか分からないような場所が多くなっている。京都の人からしたら、きみは20年ぶりに京都を訪れてこんなところを歩いていたのかとあきれるかもしれない。

ロジコレ-2

 まわりには一人の観光客も歩いていないようなところ。道行く人はみんな地元の人のようだった。
 けど、こういう部分の京都を撮りたいというのも今回の目的の一つとしてあった。観光地ではない京都の一面を、わずかながらも撮れたように思う。
 軽トラで野菜を売りにきている人や、自転車のカゴに仏壇用の花束を入れて走る人。新旧入り交じった家並みや、「ゆ」の看板。
 地方のどこにでもありそうで実際はありふれているわけではない、京都らしさを感じる生活空間。

ロジコレ-3

 町内会の周辺の人しか行き来しないような路地。私などは完全に場違いな観光客で、写真を撮ってなかったら道に迷ったかわいそうな人にしか見えなかっただろう。
 もっと時間があれば、こういう観光地ではないところもいろいろ歩いてみたかった。観光エリアとはまた違った魅力がある。
 京都へ行ったからといって京都らしさを撮らなければいけないわけではない。京都を撮るのではなく、京都で撮ると思えば、写真はもっと自由になって、可能性も広がる。結果として、撮れた写真はその場所へ行かなければ撮れなかったものなのだから、それが正解となる。

ロジコレ-4

 こういう路地を見つけると嬉しくなって頬が緩む。なんとも言えずいい感じだ。
 ずっと昔の前世で、路地のノラ猫をやっていたのかもしれない。こういうところに入ると気持ちがなごむというか、気分が落ち着く。

ロジコレ-5

 公と私の境目が曖昧なのも路地の特徴であり、魅力ともなっている。路地は公道でもあり、半分私有地でもある。隣近所の人たちで共有しているという感覚だろうか。
 生活感の強い路地を垣間見せてもらうのが好きだ。これ以上入っていきたいというふうには思わない。

ロジコレ-6

 観光エリアに近いところは、店の看板などもよそゆきな感じがある。少し身構えているようで、雰囲気は固い。よそ者が入ってこない路地は、気安い雰囲気で空気が柔らかい。
 人力車はもちろん、観光客向けのものだ。

ロジコレ-7

 路地でもある程度の広さがあるところは車が通る。これくらい広い道は、もう表通りに近くて、路地とは呼べないか。
 路地の定義としては、建物と建物の間の細い道、というのが一般的だと思う。路地と路地裏の違いが今ひとつよく分からないのだけど、そのあたりはあまり厳密には考えていない。

ロジコレ-8

 路地写真の魅力の一つは、人が入ることだ。いいタイミングでいい人が入ると嬉しい。あー、おじさん、ちょっと邪魔でした。

ロジコレ-9

 和装のおばさまがいい雰囲気に彩りを添えてくれた。
 車が雰囲気を壊しているのは、まあしょうがない。
 そういえば、京都というのはこれだけ歴史のある観光都市のわりに電線、電柱の地中化が進んでいない。日本の中で率先して取り組んでいかなければいけない街だと思うけど。
 ここ数年でようやく東山区の地中化が終わったところのようだ。そういえば産寧坂あたりはすっきりしていい景観になっていた。
 民主党は公共事業削減で、電線地中化の金を出さないようなことを京都に言ってるらしいけど、やるべきことと無駄なこととをちゃんと区別しなくてはいけない。お金にならないことがなんでもかんでも無駄というわけではない。

ロジコレ-10

 路地にも反応するし、人にも反応する。人に反応したらそこに路地があったという場合もある。路地と人と私との幸せな出会い。

ロジコレ-11

 古い家並みの敵、エアコンの室外機。着物を着た侍が腕時計をしているようなもので、これが時代考証を一気に吹き飛ばしてしまう。
 家電製品のデザインも最近はだいぶ洗練されてきたのだから、エアコンの室外機もなんとかして欲しい。木造家屋用の木目調なんかが選べてもいいではないか。

ロジコレ-12

 観光ゾーンに近いところだから、整然としている。ここまで整備されてしまうと、かえって面白くないと思ってしまうのは贅沢な話か。

ロジコレ-13

 京都には打ち水の文化がまだしっかり生きているようだけど、冬場でも水を撒いたりするのだろうか。雨でもないのに路地の地面が濡れているところがあちこちにあった。
 打ち水は暑さを和らげるためだけでなく、ホコリが舞い上がらないようにする効果もあるから、そういう意味で冬でも水を撒いているのかもしれない。
 見た目にも風情が増していい。

ロジコレ-14

 これまたすごいのを見つけた。ここまで細く曲がりくねっているのは、離島くらいじゃないとなかなか見られない。
 自転車ですれ違うのも、片方は降りないといけないくらいだ。

ロジコレ-15

 ロジコレ、楽しんでいただけただろうか。個人的にはとても楽しかった。収穫も多かったと感じている。
 またどこか別の街の路地で会いましょう。

私の目に映った2010年冬の京都 <京都歩き 第1回>

京都(Kyoto)
京都歩き1-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 その街のことをよく知るには歩くのが一番というのを経験的に知った。住んでいても歩かなければ気づかないことがたくさんある。土地勘はなくても、一日歩けば感覚的にかなり分かる。情報としてだけでなく、街の空気感とか、人の様子とか。
 京都行きの思いはここ数年来ずっとあった。なかなか実現しなかったのは、機が熟していなかったからだと自分では思っていて、今回行くことができたのは、ようやく気持ちの中で準備ができたからだった。京都を撮りたい気持ちが高まったからと言った方がいいかもしれない。
 10年くらい前に、ふと思い立って車で行ったことがあった。あのときは京都へ行くことそのものが目的で、ほとんど車から降りることもなく、街中を流して終わった。その前というと、更に10年近く遡ることになる。実に久しぶりの京都ということになった。
 今回の京都行きの目的は、歩くことと撮ることだった。観光や歴史巡りではなく。なので、寺社の拝観は極力抑えて、とにかく歩くことを優先した。京都の街の風景やスケール感を実感するために。
 京都駅を降りて、東西の本願寺を横に見つつ、五条から清水寺へ行き、建仁寺、祇園、八坂神社、平安神宮と北上し、哲学の道、下鴨神社と回り、京都御所を突き抜け、二条城というコースを巡り歩いた。ほぼ立ち止まることなく7時間半。時間が短い割にくたびれた。
 一般の観光客がこんな無茶な歩きコースを設定することはまずないだろうし、京都に住む人はもっとしないであろうコース取りだ。私ももう一度歩けと言われても断る。
 京都はまだまだ他にも東西南北に観光名所があって、二度や三度では回りきれない街なのだけど、中心部の地理やスケール感はだいぶ把握できた。街が碁盤の目状になっているから、感覚的に分かりやすいというのもある。
 写真は、なるべく観光案内的にも説明的にもならないように心掛けて撮った。帰ってから京都の歴史の勉強をするつもりはなかったから。
 京都らしいところもあり、京都らしくないところもあり、なんだかんだで自分らしい写真になったのではないかと思う。京都まで行っても、相変わらず人入り写真と路地ばかり撮っていた。
 一回目の今回は、撮ってきた写真の中で、気に入った写真を集めて並べてみることにした。これが今の私の目に映った京都の風景だ。

京都歩き1-2

 京都は祈りの街だ。日々の暮らしの中に祈りがある。神仏と近いところに生活があると言い換えてもいい。
 街中の都会化ぶりはのけぞるものがあったけど、それでもやはり京都は京都らしさを失っていない。そこに宿命といったようなものを見る。ここに生まれた以上、歴史を守り伝えていくことを使命として受け入れているというのか。
 京都人の精神構造は京都に生まれなければ分からないにしても、神仏への優しさはよそ者から見ても感じられる。同じように歴史のある奈良や鎌倉とも違っている。
 普通の京都人がどこまでそれを自覚しているのかは分からないけれど。

京都歩き1-3

 自分の中の勝手なイメージだけど、昔の京都はもっと街全体が観光地のような雰囲気だったのに、今の京都は一般の街ゾーンと観光地ゾーンがはっきり分断されてしまっているように感じた。駅周辺をしばらく歩いていたとき、あまりにも観光地でなくて戸惑った。これじゃあ普通の街と同じではないかと。
 ただ、観光地ゾーンに入るといきなり観光地の空気に一変して、それはそれで少し困惑した。たぶん私の感覚的な部分だけではなく、実際にそうなのだ。観光地のスピードがゆっくりなのに対して、観光地の外の変化スピードが速いから、その差が昔より大きくなったのだろう。
 子供の頃は、京都の駅前はずいぶん静かなものだった。電車を降りたってすぐに、ああ、京都へ来たと思ったものだけど、今はもう清水寺あたりまで行かないと京都らしさが始まらない。
 二寧坂などは、いかにもといった光景で、セットのような違和感がある。

京都歩き1-4

 京都は路地の宝庫で、いい路地がやたらある。それらをいちいち撮っていたら、路地写真ばかりになりそうだった。どんだけ路地撮ってるんだよと、自分にツッコミが入った。
 ロジコレだけで一回分になる枚数がある。

京都歩き1-5

 舞妓はんが前からやって来た。ぎりぎりまで引きつけたい気持ちはありつつ、あまり至近距離で撮るのも失礼かと、遠慮がちな距離でシャッターを押してしまう。
 ある程度は撮られ慣れているにしても、舞妓さんも思いはいろいろだろうし、観光客と道行く舞妓さんの関係性は微妙だ。外国人のようにアグレッシブに撮るのははばかられる。
 それにしても、ものすごい派手な出で立ちで、京都の街以外では成立しないのではないかと思わせる。うちの近所でこの恰好をして歩いていたら、まず悪い噂が立つ。

京都歩き1-6

 観光メインゾーンから少し外れるだけで、ふいに静かになる。これが冬の京都のいいところだ。
 年中人で溢れる京都の街も、1月半ば以降から2月は観光客が極端に少なくなる。寒いということもあるし、時期的な見物も少なく、何より修学旅行生がいない。もちろん、桜や紅葉の時期もいいのだけど、冬の京都は狙い目だ。普段着に近い京都の一面を見ることができる。

京都歩き1-7

 八坂神社の和装仲良しおばさま三人組。
 さすがに着物の人が多い。観光客もいるのかもしれないけど、多くは京都の人じゃないだろうか。和服を着ていても違和感がなく溶け込むのは、京都ならではだ。

京都歩き1-8

 これが一力の朱色だ。東山魁夷も京都シリーズの中で描いた。
 雅な柿色と言った方がいいだろうか。京都らしい色の一つだ。

京都歩き1-9

 観光客向けでもあり、地元御用達でもあり、生活空間でもあるといった、そんな混在感に惹かれる。

京都歩き1-10

 拝観料を取っているところは全部パスした。高いというのもあるのだけど、有料のところだと入ったからには全部見たいと思って時間がかかってしまうから、今回は最初から行かないと決めていた。
 京都も無料で入れる寺社はけっこうあって、建仁寺などもそうだ。せっかくなので、少しだけ寄ってきた。本堂などは見ず、表だけざっと。

京都歩き1-11

 祇園で花壇の手入れをする腰が曲がったおばあちゃま。
 こういう日常の感じが撮りたくて冬の京都へ行ったというのもある。桜の季節など、このあたりは人波が途切れることはないだろう。

京都歩き1-12

 地方にも格子の町屋造りの家屋が残っているけど、本家である京都のものは風格の違いを見せる。本物ゆえの説得力とでも言おうか。歴史と伝統の違いか。

京都歩き1-13

 平安神宮は明治に創建されたものだから、歴史的なありがたみはあまりない。しかしながら、社殿は立派だし、境内の雰囲気もいい。ここも参拝しておいた。
 雲間から降りそそいだ光が、屋根と鴟尾(しび)を照らす。

京都歩き1-14

 哲学の道で出会った猫。
 目の前を駆け抜けていく途中、一瞬立ち止まってカメラ目線をくれた。ありがとう。この日、この写真を撮れたときが一番嬉しかった。

 たくさん写真を撮ってきたから、しばらく京都シリーズが続くことになりそうだ。

名古屋城裏の風景 <後編>

名古屋(Nagoya)
名城2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6



 体調の回復度はいまだ40パーセント程度。非常にしつこいやつで手を焼いている。日常生活にも復帰できていない。
 というわけで、今日は昨日の続き、名古屋城裏から名城公園の写真を並べておしまいとしたい。

名城2-2

 名城公園にはたくさんの猫がいるから、行けば必ず何匹にも会える。みんないかにもノラという顔つきだけど、人に慣れていてなかなかかわいい。

名城2-3

 中には警戒心が強いやつもいて、人を見ると逃げていく。それくらい用心深い方がサバイバル向きの性格と言えるだろう。

名城2-4

 どうやるのか知らないけど、ノラは丸まるとした体型をしている。それほど食生活は豊かではないだろうに、生存本能からか、ノラは体を大きくする。そうやって脂肪で身をまとって寒さをしのぐ。運動不足の飼い猫が太っているのとは違う。

名城2-5

 なでたくなる後頭部と背中。でもノラはあまり触らない方がいい。特にうちは家猫がいるから。

名城2-6

 好奇心の強い子猫。足元でひっくり返って転がったり、ひとりで枝にじゃれたりして暴れていた。

名城2-7

 公園も枯れ木風景。桜見物の人たちで賑わうのは、まだもう少し先だ。

名城2-8

 風車のある芝生広場。
 犬を連れて集う飼い主の人々。

名城2-9

 木の上にあっという間に駆け上っていったノラ。さすが半野生と思わせる身のこなしだった。枝の上の鳥を狙っていたようだけど、高いところから自力で降りられるのかちょっと心配になった。

名城2-10

 何かの綿毛。ツワブキか何かだろうか。

名城2-11

 藤棚の下。
 その向こうに広がる冬枯れの落ち葉風景がいい感じ。

名城2-12

 夕焼け色に染まる堀に浮かぶコブハクチョウ。

名城2-13

 遠くに名古屋城をもう一度見て、もう帰ることにする。

名城2-14

 市庁と県庁、向こうにテレビ塔。ここからの眺めも、名古屋らしい風景の一つ。

堀川を北上して名古屋城裏を歩く <前編>

名古屋(Nagoya)
堀川から名城へ-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6



 風邪菌だかインフルエンザウイルスだか知らないけど、猛烈なやつに打ちのめされて、ほぼ3日間、寝込むことになった。3日の睡眠時間は合計で60時間を超えたんじゃないかというほどのやられようで、一時はもう復活できないのではないかと思ったほどだった。今回の敵は凶悪だった。
 今日になってなんとか回復したものの、回復度はまだ30パーセント程度で、日常生活もままらない。あまりのんびりもしてられないので焦っている。
 とにかく早く元気になりたい。寝てるのもいい加減飽きたし、寝てるだけで疲れる。
 そんなわけで、今日も京都シリーズは始められず、つなぎネタでつなぐことになった。
 明道町の駄菓子屋街へ行ったのはいつのことだったか。年明け早々だったような気がするけどよく覚えていない。その続きで、堀川沿いから名古屋城裏を歩きながら撮ったのが今日の写真だ。

堀川から名城へ-2

 さざ波模様の川面がきれいだった。堀川がこんなに美しい川だなどと思ったら大間違いで、写真は嘘つきだ。でも、いい嘘だと思う。

堀川から名城へ-3

 那古野神社の例祭を知らせる案内のようだけど、読もうとして読み切れなかった。
 元旦神火授與は、がんたんしんかじゅよ、とかだろうか。かみび?
 求火祭執行は、きゅうかさい? ぐかさい? きゅうかまつり、とかもあり得るか。
 とにかく火に関する祭りらしいというのは分かる。

堀川から名城へ-4

 地下へ続く階段と扉。アパート風なんだけど、地階に部屋を造ったりするだろうか。表の出入り口に扉らしいものはない。不思議な構造の建造物。

堀川から名城へ-5

 ぷらぷら歩いているうちに名古屋城が見えてきた。
 銅像は、名古屋城築城の責任者だった加藤清正像だ。
 左奥に見えているのは、名古屋能楽堂で、1997年(平成9年)に建てられた新しい建物だ。
 公演がないときは無料で中を見られるというのを今回初めて知った。せっかくなので見せてもらった。写真は撮っていいのかどうか判断がつかず、やめておいた。

堀川から名城へ-6

 名古屋城の石垣はなかなかに立派なものだ。天守はアメリカ軍の空爆で燃えてしまったけど、石垣は残った。

堀川から名城へ-7

 カラスの陣取り合戦。ポールの先にとまりたいらしく、常に争いが起こっていた。あそこの先にとまった者勝ちみたいなところがあるようだ。

堀川から名城へ-8

 堀に浮かんでる渡りガモは、キンクロハジロが優勢多数だった。ホシハジロなども少し混じっている。オナガガモは別のグループを作っていて、マガモやコガモはほとんどいない。

堀川から名城へ-9

 西日を浴びて光る金シャチ。
 銅瓦葺の屋根は、日中に見ると水色でなんとなく安っぽい感じがするのだけど、夕方に見る深い色はなかなか悪くない。
 築城当初は土瓦だったものを、江戸時代中頃に銅瓦にしたようだ。最初に銅瓦を使ったのは、家康が隠居した駿府城だったとされている。一時、大阪城もそうだったらしいけど、昔のものが現存しているのは少ない。弘前城くらいだろうか。

堀川から名城へ-10

 カラスの群れが舞う空。

堀川から名城へ-11

 こちらはユリカモメの群れ。

堀川から名城へ-12

 夕陽でシルエットになる西北隅櫓。通称、清洲櫓。
 清洲城の小天守を移築したもので、これは空襲で焼けなかった。

堀川から名城へ-13

 一部大がかりな工事中。石垣を直しているのだろうか。
 どこの城も、こちらを直した頃にはあちらが駄目になり、あちらを直すとまた別のところが傷んでくるといった感じで、常に補修工事が行われている。

堀川から名城へ-14

 石垣の表情も場所によって違うので、見比べてみると面白い。
 名古屋城裏写真がまだ残ったので、続きはまた明日。

春は足元からやって来る

花/植物(Flower/plant)
農業センター1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 丸二日寝込んで、どうにか回復傾向になったものの、まだ本調子には遠い感じで、今日も簡単つなぎ更新となる。
 先週、免許の書き換えで平針へ行った帰り、農業センターへちょっと寄ってきた。2月終わりのしだれ梅の下見を兼ねて。
 当然ながら、しだれ梅はまだ咲き始めてはいない。それでも、足元には花が咲き始め、春が確実に近づいていることを感じさせた。また花の季節がやって来る。

農業センター2

 気の早い梅は、つぼみをピンク色に膨らませて、もう待ちきれないといった様子だ。

農業センター3

 梅のピンク色を背景に竹林を撮るというのもここの定番ポイントの一つなのだけど、毎年なかなかイメージ通りにいかない。

農業センター4

 ロウバイはもうだいぶ咲いてきている。甘い香りをあたりに漂わせていた。
 この花とマンサクを見ると、もう春は近いと思う。

農業センター5

 ハクモクレンか、コブシか。こちらもそろそろ咲く準備はできている。

農業センター6

 スイセンの花期は長いから、いつが旬なのか分かりづらい。12月くらいから咲き始めて、4月まで咲いている。

農業センター7

 春野草のトップバッター、ホトケノザもそろそろ咲き始めてきた。街中などではまだ見かけることはないけど、土に栄養分が多いところでは早くから咲いてくる。

農業センター8

 タンポポは最近、年中咲いていて、見たからといって春を感じる花ではなくなった。12月でも1月でも咲いている。
 そんなこんなで、花シーズンはすでに開幕してるのだった。こちらもそのつもりでそろそろ心の準備を始めていかないといけない。

上麻生の写真を出し切って飛騨高山方面シリーズは完結

観光地(Tourist spot)
上麻生2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6



 風邪で完全にやられてしまって、ほぼ丸一日寝て過ごした。熱はそれほどでもないからインフルエンザではないと思う。
 夜になって多少復活したものの、まだまだ駄目な感じなので、また寝ることにする。
 その前に上麻生の残り写真だけ並べておくことにしたい。写真の在庫がだぶついてるから、なるべく出していきたい。

上麻生2-2

 ヒマワリが枯れた姿だと思うけどどうだろう。

上麻生2-3

 枯れ葉の模様。なんとなく気になって。

上麻生2-4

 何の花か、どんな木かしらない。姿が面白かった。

上麻生2-5

 飛水峡にかかる橋。ひだ号が通ったから、あわてて反応した。
 列車撮影は、反射神経も必要だ。音にも敏感じゃないといけない。

上麻生2-6

 岩肌がむき出した小山と、その下にはトンネルが通っている。固い岩盤にトンネルを掘るのは大変だったんじゃないだろう。

上麻生2-7

 トンネルの中を歩くことはめったにないから、新鮮だった。空気は悪いし、音もうるさいけど、写真として面白い。

上麻生2-8

 猿に注意してねという標識。
 注意はしたいけど、それより写真に撮りたい。出てきてくれると嬉しかったのだけど。

上麻生2-9

 メジロさん。他にはジョウビタキなんかも見た。

上麻生2-10

 分かりづらいけど、中央やや右寄りの地面に白い鳥が写っている。ハクセキレイのアルビノだ。けっこう珍しい。ほぼ真っ白だった。

上麻生2-11

 これで2回にわたって行った飛騨高山方面シリーズは終わった。
 体調が回復したら、次回からは京都シリーズを始めたいと思っている。

豆腐失敗で思惑が崩れ去ったサンデー料理

料理(Cooking)
豆腐失敗サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日のサンデー料理は失敗だった。何が失敗だったといって、目玉だった手作り豆腐が完全なる失敗に終わってしまったのだった。並んだ2品に豆腐の姿はない。
 先週スープ用に買った無調整の豆乳が残っていたから、にがりを入れて手作り豆腐を作ろうと思ったのに、上手くできなかった。最初、レンジで加熱して固まらないので、蒸し器で蒸したのに、それでもいっこうに固まる気配を見せない。どうも、にがりが少なすぎたようだ。mlの分量が感覚的によく分からず、適当にたらしたのが失敗の元だった。
 結局、最後まで固まらないのであきらめて、豆乳スープになった。最初からそのつもりで作っていないから、なんとなく奇妙なものが出来上がった。見た目とは裏腹に、和風味の豆乳スープとなった。
 具材は、蒸し器で蒸した温野菜をそのまま流用した。野菜は野菜で食べるつもりだったから、いつもより1品少ない2品になった。豆乳が固まらず、焦って他に1品考える余裕がなかった。
 左は、鯛のフライだ。白身魚のフライはよくあるけど、鯛はあまりフライにしないかもしれない。やってみたら、味が淡泊すぎて、フライにすると持ち味が出ないように思った。タルタルソースとの相性ももう一つだ。これならしょう油をかけて食べた方が合うかもしれない。

 実は風邪を引いてしまって、今日はこれでおしまいとなる。料理のときからちょっと厳しくなっていて、夜になって悪化してきた。とりあえず早寝して、早めに復活したい。写真の在庫はまだたくさんあるから、今日は二本立てにしたかったのだけど、それもやめておいた方がよさそうだ。

観光地ではなくても地方の町に被写体はある <上麻生・前編>

観光地(Tourist spot)
上麻生1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6



 飛水峡への最寄り駅は、JR高山本線の上麻生駅(かみあそう)だ。あまり人気のない駅のようで、降りたときは私の他に学生が一人、乗ったときは私一人だった。当然のように無人駅だ。まあ、のんびりしていていい。
 飛水峡までは歩いて10分ほどで、あちこち寄り道して写真を撮りながら行った。今日はそのときの写真を紹介したい。
 駅のホームはこんな感じ。出て行く列車を、歩道橋(?)の2階へ駆け上がって急いで撮る。行動は完全に鉄の人だ。地元の人は、あいつはきっと飛水峡で列車を撮りに行くに違いないと思ったことだろう。実際その通りではあるのだけど、それだけが目的ではないです、と心の中で誰にともなく言い訳をしていた。

上麻生1-3

 駅前は贅沢な広さを持っている。駅舎はこぢんまりして新しい。何年か前までは大正時代の古い駅舎だったようで、それを見たかった。
 この空間も駅前ロータリーというのだろうか。バスと書かれた駐車スペースがあるということは、シーズン中には飛水峡を見るためにバスツアーでやって来る人々がいるということだろうか。私が見た上麻生駅はシーズンオフ限定のもので、もしかするとオンシーズンはそれなりに観光客で賑わっているのかもしれない。

上麻生1-2

 駅前広場の一角に、蒸気機関車を格納している小屋がある。C12形蒸気機関車(C12 163)というやつらしい。普通の蒸気機関車よりも小振りのタイプだ。
 ガラス越しに中をのぞき見ることはできるものの、入ることはできない。試しにドアを開けようとしたら鍵がかかっていた。帰ってきてから知ったのだけど、役場に頼めば開けてもらえるそうだ。いや、そこまではしたくない。

上麻生1-4

 歩き出してほどなく、いきなりいい感じの廃屋が出迎えてくれる。
 こういうのを見てすごいなと思う自分の心理を自分でもよく分からなかったりするのだけど、私にとっては魅力的な被写体には違いない。たぶん、同じように感じる人もいると思う。

上麻生1-5

 これまた渋い。タイルの感じが昭和そのものだし、壁の汚れ具合もいい。嵌め殺しのような窓は、実用よりもデザイン優先だったのか。
 まあしかし、上麻生駅周辺をうろついてこんなのを撮って喜んでる人はあまりいないような気はする。

上麻生1-6

 これが上麻生のメインストリートだ。歩いている人の姿はほとんどなく、でも車通りは意外と多い。
 完全な田舎ではなく、街中と呼ぶのは無理がある。母方の田舎の三瀬谷の裏通りに少し似ている。
 左側に建っているのは非常に立派な日本家屋だ。旅館の造りのようにも見えるから、昔は宿屋だったのかもしれない。

上麻生1-7

 近づいて見ると、昔ながらの木造日本家屋のよさをあらためて感じる。
 入口の感じからすると、元は商売屋さんだろうか。米屋とか酒屋とか、そんな感じもした。

上麻生1-8

 精肉と釣り具を一緒に売ってしまっている。そのコラボレーションにやられた。魚屋と釣り具ならまだしも、肉と釣り具では客層が違いすぎるのではないか。釣り具を買いに来た人がついでに肉を買っていくのか、肉を買いに来た人が釣り具も買っていくのか。
 支店とあるから、どこか別のところに本店もあるらしい。

上麻生1-9

 お屋敷風の家で、松の形がすごいことになっている。松好きにはたまらないのかもしれない。
 食べ物屋さんか何かだろうか。看板の字が読めない。

上麻生1-10

 せいべいやという名前の店。せんべい専門店かといえばそうではなさそうだ。近所の子供御用達の駄菓子屋さんか。

上麻生1-11

 お茶屋さんもある。このようにちょこちょこ店もあるにはあるものの、この通りで日常生活のすべてをまかなうのは無理そうだ。2キロほど南にサークルKがあるようだけど、全般的に不便そうに思える。その割りには人家がけっこうある。

上麻生1-14

 お茶畑をいくワイドビューひだ。

上麻生1-15

 キンチョーかとりせんこうの看板と、トタンの上で寝る猫。

 写真が多くて、一回に収まらなかった。続きは後編ということで次回お送りします。

飛水峡で列車を撮ってオシドリを見て甌穴を見つけられず

観光地(Tourist spot)
飛水峡-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 飛水峡(ひすいきょう)という名所の存在を知ったのは、飛水峡へ行く2日前のことだった。
 高山再訪で飛騨一ノ宮へ行くと決めたとき、そこだけではもったいないからもう一ヶ所どこか写真を撮れそうなところはないかと探していてここを見つけた。高山本線沿いの鉄道撮影ポイントを探していて発見したという方が正確だ。
 飛水峡の甌穴群として国の天然記念物に指定されているというし、高山本線の定番撮影ポイントでもあるとうから、それはよさそうだと思ったのだった。
 上麻生駅(かみあそう)で降りて、10分ほど歩く。道々、歩いている人はいない。案内板も駅前にあるだけで、方向を示す標識などもなく、やや不安になる。名所であっても、こんなシーズンオフに賑わうような観光地ではないらしい。
 飛水峡というのは、岐阜県加茂郡白川町から七宗町の間の飛騨川の渓谷約12キロを指す。なので、白川口駅で降りると飛水峡の北側で、上麻生は南ということになる。甌穴群は上麻生側なので、こちらで降りるのがおすすめだ。端から端まで12キロ歩くつもりならどちらでもいいけど。
 ところで、甌穴(おうけつ)って何、という人が多いと思うけど、私に訊かれても困る。行く前も今ひとつイメージできなくて、見てきた後もどれが本当にそうだったのか、よく分かっていない。あれがそうなのかなぁとぼんやり思うだけで、まるで確信が持てない。
 英語ではポットホール(pot hole)といい、要するに岩盤上にできた穴らしい。岩の割れ目などが水流によって浸食されて、そこに小石がはまるとぐるぐる回って丸い穴ができる。それがそうなんだとか。なるほどそういうこともあるだろうとは思うけど、それがどれくらい珍しいものなのか、ありがたみがよく分からない。
 飛水峡には1,000個も甌穴があって、中には数メートルのものもあるという。世界的に珍しいんだとか。で、それはどこにあったのだろう。川岸に丸いくぼみがあって、氷が張っていたところがあった。あれがそうだったんだろうか。
 他には寝覚ノ床や長瀞渓谷がそうらしい。愛媛県八釜の甌穴群は特別天然記念物に指定されているから、何か特別なものがあるのだろう。
 そんなわけで、飛水峡は見たけど、私が撮った写真の中に甌穴が出てきているのかどうか、はっきりしたことは言えない。甌穴をよく知る人なら一目見てこれがそうだと指をさせるのかもしれない。

飛水峡-2

 両岸の岩場に穴らしきものがあるといえばある。1,000個もあるというなら、こういう小さな穴もそうなのだろうか。
 弾痕の大きなやつがボコボコボコっと空いてる光景を想像していたら全然違っていた。現地には簡単な説明を載せた案内板があるだけで、予備知識なしにそれと認識するのは難しいんじゃないだろうか。写真の看板でもあると分かりやすい。

飛水峡-3

 そうこうしているうちに列車が通過する時刻になった。さすがにこのときばかりは通過する時刻を調べてきていた。ワイドビューひだだ。
 ここが定番ポイントになるのはよく分かる。季節的には春夏の新緑がよさそうだ。あわよくば雪景色と絡めて撮りたいと思っていたけど、下呂よりもだいぶ南ということで、雪はまったく積もっていなかった。
 ワイドビューひだでは案内放送で飛水峡のアナウンスがあるらしい。ただ、スピードを落とすこともなく、そのままの速度で駆け抜けていったから、見たとしてもほとんど一瞬の出来事に近いんじゃないか。
 もしかしたら、このとき列車内から飛水峡を撮った人の写真の中に、カメラを構える私が写っていたかもしれない。

飛水峡-4

 望遠だと、列車内の人の様子がけっこう写る。このあたりの切れ目で、上手く流し撮りが決まると面白い写真になりそうだ。
 高山本線は通過する列車の本数が少ないから、長時間粘るのは厳しい。飛水峡を撮るといっても、そんなに間は持たない。

飛水峡-5

 穴探しはあきらめて、奇岩風景を撮ることに気持ちを切り替える。甌穴はなくても、この渓谷風景は魅力的だ。あまり他では見られない。
 岩と川の流れのせめぎ合いが作り出した自然の景観は、地球の営みの一端を垣間見るようだ。

飛水峡-6

 流れに削られてできた岩肌の模様は、自然の彫刻のようで美しい。
 5月から6月にかけて、岩肌にたくさんの岩ツツジが咲くらしい。時期的にはその頃がベストシーズンだろうか。

飛水峡-7

 ひょっとするとこの写真の中に甌穴が潜んでいるかもしれない。潜んでいるというか、私が気づいていないだけという可能性が高い。
 ただのくぼみではなく、丸くないと甌穴とは呼ばないと思うのだけど。

飛水峡-8

 あ、すごい、オシドリの群れだ。
 名古屋でも何度かオシドリは見ているけれど、こういう山の渓谷の中で見る野生のオシドリはひと味違う。かなり嬉しい。こんなに群れでいるのは初めて見た。甌穴は見つからなくても、オシドリを見られただけで満足した。

飛水峡-9

 そろそろ帰ろうかと思っているところに、川岸に降りられる階段を発見した。せっかくなので、近くで甌穴を探してみることにする。
 岩場はかなりワイルドで、コースらしいコースもないので、降りていくときは注意が必要だ。看板には、はきなれた靴で歩こうと書かれていたけど、はきなれた靴なら安全かといえばそうではない。観光客は訪れそうになく、転んで動けなくなったらいつ助けが来るか分からない。

飛水峡-10

 奇岩風景は近くから見ても迫力がある。
 歩くコースはこんな感じで、道といったものはない。岩から岩に飛び移って移動する。身の危険を感じてあまり進めず、早々に引き返した。

飛水峡-11

 これも水の浸食でできたものだろうか。
 水の力というのはすごいもので、それに歳月が加わるととんでもない威力を発揮する。もし、水が自らの意志を持ったら、人間などあっという間に滅ぼされてしまう。文明も全部飲み込まれて終わりだ。

飛水峡-12

 見つけた中で一番穴っぽかったやつ。とりあえずこれで納得して帰ることにした。

 昭和45年、この近くで日本最古の石が発見されている。20億年以上前の片麻岩礫で、もう少し南のロックガーデンになっているところで見つかったらしい。
 近くには「日本最古の石博物館」というマニアックな博物館もある。そこには40億年前の地球最古の石(カナダ産のアキャスタ片麻岩)というのも展示されているとか。少し見てみたい気もしたけど、このときは時間がなかった。

 上麻生駅周辺も少しぶらついて写真を撮ったので、次回はそのあたりの紹介をしたい。

初めての訪問は再訪への足がかり <高山・後編>

観光地(Tourist spot)
高山2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 高山のことをよく飛騨高山という。この言い方をとてもややこしいと感じている人は少なくないんじゃないかと思う。
 飛騨というのは、現在の高山市を中心とした地域の旧国名だ。と同時に、飛騨市というのもある。耳で「ひだたかやま」へ行くと聞くと、飛騨と高山とまとめて行くというように聞こえがちで、実際にそうである場合もあるし、そうじゃないこともある。そうじゃない方が多い。
 ではどうしてわざわざ飛騨高山というかといえば、高山の意地のようなものも少しある。もともと飛騨高山という呼び名は昔から一般的であったのだけど、2004年に古川町や宮村が合併して飛騨市が誕生するというとき、高山の人々は反対した。飛騨というのは昔から高山を中心とした土地のことで、古川市などはその一部だったにしても飛騨市を名乗られてしまってはそちらが飛騨の本家のように思われてしまうではないかというのがその主な理由だった。飛騨古川といったりもするから、かえってややこしいことになる。
 高山と古川は、隣り合ってはいるものの、歩いて行けるようなお隣さんではない。よそ者からすると一緒のようなものだろうと思うと、本人たち同士は一緒にしてくれるなという気持ちらしい。文化が違うともいうし、静岡県の東西の関係に近いものがあるのだろうか。高山本線が開通する1934年までは行き来は盛んでなかったようだし、距離ほどお互いの心は近くなかったのかもしれない。
 飛騨市ではなく古川市にしておけば混乱も少なくてよかっただろうにと思うのだけど、いろいろ事情もあったのだろう。
 そんなわけなので、飛騨高山というのはたいていは高山市のことを指し、飛騨市も行くなら飛騨と古川へ行くと言った方が混乱が少なくてよさそうだ。

 ついでなので、高山の歴史について少し触れておくことにする。
 飛騨の歴史は古く、縄文時代にはかなりの人が住んでいたことが分かっている。こんな山奥の不便なところで、寒かっただろうに、何を好きこのんでここに暮らしていたのかは知らない。
 地理的には日本列島の中心あたりで、山を越えると盆地があって、きれいな川が流れていたことで、四方から人が集まってきたのではないかと考えられている。海はなくても、動物を狩ったり木の実を採ったりしていたのだろう。山に囲まれているという安心感もあったかもしれない。
 律令時代の7世紀には国として成立していたようだ。当時は斐太や斐陀と表記していたという。
 大化の改新で日本国の基礎ができると、地方の国は米などで税を納めなくていけなくなった。しかし、飛騨は山国で米などがあまり穫れない。その代わりとして差し出しのが労働力だった。大和で寺社などを建てるとき、山国育ちの彼らは木を扱う大工としてかり出されることになる。飛騨の匠の技がいきるなどと今でも使われているけど、それはここから来ている。
 室町時代になると、飛騨は京極氏が守護をつとめた。戦国時代は、守護代の三木氏が力をつけるようになる。のちの姉小路氏だ。この三木氏は、天下統一間近の秀吉にも従わなかった。
 そこで、秀吉は配下の金森長近に飛騨攻略を命じる。これはちょっと相手が悪かった。あっさり攻め落とされてしまい、翌年には金森長近が飛騨の国主となってやって来ることになる。現在の高山の歴史を作ったのは、この長近だから、高山にとってはよかったと言えるだろう。
 長近は高山城という立派な城を築き、城下町を整備した。今の城山と呼ばれているところに城はあった。現在は石垣や堀の跡くらいしか残っていない。
 城と城下町の配置は少し変わっていて、普通は城を北に、南に向かって城下町が広がるものだけど、高山の場合、城山を中心として武家屋敷、寺社、町がぐるりと取り囲むようになっている。地理的な理由もあったのだろうけど、現在の高山駅から歩いていくと、地理の感覚を掴むのに苦労する。
 金森氏6代が100年以上支配したのち、飛騨は幕府直轄領となり、1695年には高山城は取りつぶしということになった。
 高山の町を現在は年間200万人も訪れるという。春と秋の高山祭りは特に賑わう。京都の祇園祭、秩父の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の一つとされ、京都の祇園祭、長浜の長浜曳山祭と並んで日本三大山車祭ともされる。
 くりだされる屋台は大変立派なもので、ここにも飛騨の匠の技が発揮されている。

高山2-2

 高山駅前。
 いかにも地方都市の駅といった感じで、思うほど街中でもなく、山奥でもない。祭りのときは、この規模では収容しきれないんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。年に2回のことだから、そのときだけは我慢してもらおうということか。

高山2-3

 駅の東が観光地で、西は住宅地といった区分けになっているのだろうか。
 最初は、国分寺通りの国分寺商店街を歩いた。地方のシャッター通りほどさびれてはいない。開いている店も多いし、それなりに活気はある。

高山2-4

 通りを少し歩くと、飛騨国分寺がある。
 聖武天皇が全国に命じて建てさせた国分寺の一つで、757年、行基が開基とされている。
 室町時代の本堂や、江戸時代に再建された三重塔など、見所はいろいろあるのだけど、時間がなくて表からサッと見るだけしかできなかった。もう少しゆっくり見たかった。

高山2-5

 鐘楼門は、高山城から移築されたものらしい。

高山2-6

 宮川朝市と陣屋前朝市の二つあって、年中無休で午前中に開かれている。
 宮川朝市は江戸時代前期から始まったもので、陣屋前朝市は大正時代の昼市、夜市が朝一になったものだそうだ。

高山2-7

 路地コレクション。通称ロジコレ。
 いい路地を見つけて、撮って喜ぶ。
 個人的には、こういう路地とはほとんど無縁なんだけど、なんとなく惹かれるものがある。

高山2-8

 古い町並みは、通称「さんまち」と呼ばれている。上町、下町の三筋の町並みを合わせてそう呼んでいて、三町というのがあるわけではない。
 高山屋台会館や高山陣屋は、町並みから少し外れたところにある。しっかり高山散策をしようと思えば、正味2時間は欲しいところだ。城山まで行くと、もっと時間はかかる。

高山2-9

 勇猛な武将であり、茶人、趣味人であった金森長近の美意識が、高山の城下には反映されたと言われている。長近は京都の町並みを意識してまちづくりをしたという。

高山2-10

 家屋の屋根にはこんな守り神みたいなのが乗っかっている。狛犬やシーサーみたいなものなのだろう。

高山2-11

 ファミリーマートも、景観を邪魔しないようにそれっぽい雰囲気の外観になっている。色は茶色にして、格子風のもので目隠しまでしている。これはいいことだと思う。

高山2-12

 雪国に住むと、自転車も雪かきしなくてはいけないのだ。外に出しておくとこんなことになってしまう。
 雪は他人事として見てる分にはきれいだけど、自分の身に降りかかってくるとなるとやっかいだ。のんきにきれいでいいなんて言ってられない。

高山2-13

 古そうな店舗。雑貨屋さんか、化粧品店だろうか。

高山2-14

 夕方で気温は1度。けど、意外と寒くない。名古屋なんかでも雪が降ると寒く感じないものだけど、高山もそうだった。相当寒いのを覚悟していったら拍子抜けで、その前の下呂の方が寒いくらいだった。風がない分、寒くないのだろう。

 高山は機会を作ってもう一度行きたい。1時間やそこらでは充分見て回った気になれない。
 古川の町もよさそうだから、次はそちらとセットで行くことにしよう。

香流川の日常的風景

日常写真(Everyday life)
香流川夕景-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は時間と気力切れにつき、高山の後編はちょっと無理。ということで、近所の香流川夕景写真でつなぐことにする。京都とか飛水峡とか中田島砂丘とかの写真がたくさんあるから、本当は小ネタでつないでいる場合ではないのだけど。

香流川夕景-2

 葉を落とした桜たちは、春を待ちながら水面に冬枯れの姿を映す。
 冬の寒さを越えるからソメイヨシノは春に花を咲かせることができる。一年中暖かいところでは生きられない。今の南限は種子島だけど、地球温暖化が進めばソメイヨシノは東北や北海道へ行かないと見られなくなってしまうかもしれない。

香流川夕景-3

 寒そうに首をすぼめながら水中に立つアオサギ。
 こんな流れの速いところに立ってると疲れるんじゃないかと思うけど、足の力は相当強いらしい。

香流川夕景-4

 飛行機の腹撮り。低空を飛ぶ自衛隊機だからこそ、この大きさで撮れる。ジェット機ではなかなかこうはいかない。
 また小牧に飛行機撮りに行こう。

香流川夕景-5

 橋の上の母子。
 子供に夕焼け空を見せてあげようとしたように見えた。

香流川夕景-6

 工場萌えや廃墟萌え、団地萌えなど、世の中にはいろんな萌え人種がいて、その中の一つとして給水塔萌えというのもある。正しくは屋上高架水槽萌えと呼ぶべきか。
 なんとなく、うっすらと、その気持ちは理解できるような気がしないでもない。

香流川夕景-7

 変哲のない街の川も、夕焼け色に染まれば、それはドラマチックな光景になる。

香流川夕景-8

 長らく工事をしていた中島橋がようやく完成した。立派できれいな橋になった。

香流川夕景-9

 オレンジ色に染まる空を背景に、無機質で乱雑な街のシルエットが浮かび上がる。雑然としてまとまりのないラインとフォルムが、20世紀後半から続く日本の街の風景だ。これはこれで仕方がないとあきらめるべきではない。日本人は街に対する美意識をもう一度取り戻さなくてはいけない。

香流川夕景-10

 暗い川面に街灯の光が揺れる。
 日常の風景の中にある隠れた美を写すのも写真の役目だ。

香流川夕景-11

 桜並木に近づいて見れば、固くて小さいけれど、枝にはもう蕾がついている。春に咲くためには冬の間に準備を進めなくてはいけない。
 まだ2ヶ月。でももう2ヶ月。

香流川夕景-12

 月は昔も今も地球を見下ろしている。地上の風景がどんなに変わっても、月は変わらない。
 それでも、もしかしたら、月はある日突然、どこかへ飛んでいってなくなってしまうかもしれない。変わらないものなど、地にも天にもない。

雪の風情の高山を1時間歩いて撮った写真 <前編>

観光地(Tourist spot)
高山1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 下呂に続いて行った高山。本来の目的地はここだったのだけど、列車の本数が少なくて、現地での時間が1時間ちょっとしかなかったのは厳しかった。見たいと思っていた古い町並みまで駅から歩いて10分ちょっとかかるから、実質的には40分くらいという短い撮影時間しか取れなかった。なので撮った枚数は少なく、通り一遍の写真に終始してしまい、物足りない気持ちを抱えての帰宅となったのだった。
 ただ、その物足りなさが3日後の飛騨一ノ宮再訪につながったのだから、まあよしとしたい。高山はまたいずれ訪れる機会もあるような気がする。
 写真が少ないから、高山編は2回に収まる。ネタ2回分のために高山まで行ったと考えると、なかなか贅沢な話だ。その分内容が濃いかといえばそうとも言えない。撮ってきた写真を見返してみると、もう少し撮れたんじゃないかと思う。せめて2時間は欲しかった。
 前編はとりあえず印象的だった光景の写真を並べる。後編で高山の町の歴史などにも少し触れつつ、説明的な内容にしたいと思っている。

高山1-2

 高山の町が一番賑わうのは、やはり春と秋だ。桜と紅葉が楽しめて、年に二度の大きな祭りがある。夏も涼しくていいのかもしれない。冬はシーズンオフということになるのだろうけど、寒いところだから雪の風情も魅力的だ。町並みに雪がよく似合う。
 ただ、このあたりは街中に近いところだから、思うよりも少ない。一つ手前の飛騨一ノ宮の方がずっと雪は多かった。
 この時期は観光客も少なく、ゆっくり散策できるのもいい。住人が暮らす普段着の高山を見ることができる。

高山1-3

 高山の町紹介で必ずといっていいほど出てくるのが、この朱塗りの中橋だ。東海地方の人なら、テレビの天気予報などでこの場所の俯瞰図をよく見るはずだ。実際に自分が立ってみて、ああ、ここだ、ここだと思った。
 撮影のロケなどでもよく使われているそうだ。

高山1-4

 雪景色の宮川沿いとカルガモ。
 一年中日本に居残るカルガモだから、こんな寒いところで暮らさなくてもいいだろうと思うのだけど、ここで生まれたらこの町の気候が当たり前になるのだろう。それとも、うう、寒いぜコンニャロウとか思いながら震えて暮らしているのだろうか。

高山1-5

 つららも雪と同じくらい物珍しいもので、最初は喜んで撮っていた。そのあと、飛騨一ノ宮でも見て、今はもう少し見慣れた感がある。
 雪は年に3回くらい見るのがちょうどいい。それ以上だと見飽きるし、ありがたみが薄れる。

高山1-6

 さんまちと呼ばれる古い町並み。このあたりが高山観光の中心ということになる。
 古い家並みがきれいに残っていて素晴らしいのだけど、やや観光地化されすぎているようにも感じた。個人的にはもう少し崩れかけた風情の方が好きだ。ちょっときれいにまとまりすぎている。

高山1-7

 駅から東に進んで、宮川を越えた向こう側に古い町並みが集まっている。
 見えている橋は、柳橋、筏橋、中橋だと思う。

高山1-8

 このあたりは、駅から東に延びる新しい商店街の一角だ。新しいといっても昭和の風情がところどころに残っていて、こちらはこちらで魅力的だ。

高山1-9

 どの町へ行っても、路地を好んで撮る。観光地の生活空間である路地裏は特にいい。そこだけ空気感が違っている。

高山1-10

 町並保存地域に指定されたところは勝手な改築も許されなくなって、昔の外観がそのまま残されている。それはときに、残させられているような気の毒な感じを受けることもある。
 それとは別に、昔の面影が残ってしまった家並みというのもある。二階部分だけ古くて、一階は改築されているような家がそうだ。その方がかえって時代感覚が色濃くて好ましい場合もある。

高山1-11

 自主的に古い町並みに同調しようという店舗もある。こういうのも好感が持てる。町ぐるみで観光地に協力しようという姿勢が見える。

高山1-12

 飛騨の小京都と呼ばれる高山。

高山1-13

 家屋や店先の歩道に雪がないのは、その家の人が雪かきをしているからだ。このときもあちこちで雪かきの光景を見かけた。
 他人の家の道路までする義理はないということで、日陰などは雪がしっかり残っている。こういうところの雪は凍っているから、滑りやすくて危ない。何度かズルッといった。おっかなびっくり歩いていたから時間が足りなかったというのもある。

 後編につづく。

温泉街で見た光と影の風景 <下呂3>

観光地(Tourist spot)
下呂3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 ここのところよく出かけていて、写真の後がつかえてきたので、下呂シリーズは今回で終わりにしたい。残った写真を並べておこう。
 一枚目は、温泉寺のお堂の昼下がり。和室が作る光と影の世界。こういう光景を見ると、感覚的な時代が一瞬昔に戻る感じがする。遠い日の記憶がよみがえるのだろうか。

下呂3-2

 温泉寺裏山のお地蔵さん。
 かわいい衣装を着させてもらって、顔もかわいいような、凛々しいような。光と影の加減で眉が太い。鹿児島弁とかしゃべりそうな雰囲気だ。今日はいい天気でごわすなとか。

下呂3-3

 温泉寺を裏手から。日陰はまだ雪が残っていた。
 何かの行事があったようで、堂の中に人が集まっていた。読経の声が聞こえていた。

下呂3-4

 石柱には水無八幡神社とあり、のぼりには森八幡神社と書かれている。どちらが正式名なのだろう。水無ということは、飛騨一ノ宮の水無神社からの勧請だろうかと思ったら、どうも違うようだ。
 正確には森水無八幡神社(もりみなしはちまんじんじゃ)というらしい。
 元々は下呂の別の場所で、サルタヒコ(猿田彦命)を祀っていたのがこの地に移ってきて、戦国時代に三木良頼によって八幡神社が合祀されたことで八幡色が濃くなっていったのだという。のちに村の神社をたくさん統一したので、祀られている神様も多い。
 中心的な存在の祭神にスサノオがいて、これはいつそうなったのかよく分からない。調べがつかなかった。水無になっているのはどうしてだろう。やはり飛騨一ノ宮の水無と関係があるのか。
 少し話を脱線させると、日本の神様は天界チーム(天津神)と地上チーム(国津神)に分かれている。天界チームの代表はアマテラスで、地上チームはオオクニヌシ(大国主命)だ。元から地上に神様はいて、そこへ天からやって来たのがいわゆる天孫降臨というやつだ。オオクニヌシが地上の統治権をアマテラスに譲り渡したのを国譲りと呼んでいる。オオクニヌシは自らすすんでそうしたことになっていて、出雲にすっこんで出雲大社に祀られるようになった。
 スサノオはアマテラスの弟で天界チームだったけど、暴れん坊で追い出されたので地上組になってしまった。スサノオの子供たちも地上チームだ。
 サルタヒコは、ニニギノミコト(アマテラスの孫)が天孫降臨したとき、頼まれもしないのに地上で先導をした地上チームの神様だ。故郷は伊勢だから、伊勢神宮そばの猿田彦神社や鈴鹿の椿大神社がよく知られている。
 下呂の森水無八幡神社がどういう経緯でサルタヒコを祀るようになったのか、今となってはよく分からない。

下呂3-5

 額も八幡神社になっている。地元では八幡さんとして認知されているんじゃないかと思う。

下呂3-6

 鳥居の向こうの参道がちょっといい感じ。

下呂3-7

 温泉街風景を何枚か。

下呂3-8

 廃墟萌えではないけど、半分朽ちかけた無人の空き家を見ると必ずといっていいほど撮りたくなる。廃墟マニアの手前まで来てしまっているのだろうか。

下呂3-9

 石畳とまではいかないまでも、こんな道は雰囲気があっていい。実用重視ならアスファルトなんだろうけど、観光飲泉街は風情も大事にしてほしい。

下呂3-10

 やや昔風の温泉宿。
 下呂の宿のすべてに温泉があるのかどうか知らない。温泉を引っ張ってくる権利や使用料はどうなっているのだろう。源泉はたくさんあるのか、限られた箇所のものをみんなで分け合っているのか。
 温泉街の宿に泊まって温泉がないのも寂しいし、高ければ末端の宿屋まで行き渡らない。格安で個人宅にもみんな引っ張っているのろうか。

下呂3-11

 酒屋や食料品店が並ぶ。温泉街といっても一般家庭の建物もたくさんあって、当然のことながら生活一般を支えるためのお店も必要となる。
 温泉街の日常は思ってる以上に普通と違っているのか、意外同じなのか。温泉に関わっていなければ普通の暮らしぶりなんだろう。

下呂3-12

 河原に降りて、下呂大橋を下から撮る。

下呂3-13

 線路下の連絡通路。外から差し込む自然光と、トンネル内を照らす青い光。

 下呂編はこれでおしまい。
 思った以上に楽しめて、よかった。

赤白黄色で目玉は白色サンデー

料理(Cooking)
赤白黄色サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日の気分は洋食寄り。狙ったわけではなく、結果的に赤白黄色サンデーになった。これぞ洋食の基本三原色だ。和食だとどうしても茶色くなりがちで、カラフルにするのは難しい。
 今回の目玉というか一番冒険的な料理は、右の白いやつだ。一見するとホワイトシチューのように見えるけど、実際は違う。餅入りの豆乳スープだ。あまり一般的な料理ではないから、味を想像するのは難しいかもしれない。
 大根をぬかで湯がいてあく抜きをする。白菜とベーコン、洗った大根をオリーブオイルと白ワインで炒める。
 バター、小麦粉、牛乳でホワイトソースを作り、それを加える。
 豆乳を少しずつ入れながらかき混ぜ、少し煮る。更に豆乳を追加していく。
 白味噌、コンソメの素、砂糖、塩、コショウ、しょう油で味付けをする。
 そこへ、オーブンで焼いた餅と、とろけるチーズを入れ、しばらく煮込んだら完成だ。
 シチューとは違った味わいで、これはこれで美味しい。牛乳ではなく豆乳で作るのがポイントで、豆乳の風味が効いている。なかなかオススメだ。
 左は、いつもの簡易トマトソースを作って、ソテーしたサケを入れて煮たものだ。
 サケの塩焼きがあまり好きではない私も、こうして食べるとサケも美味しいと思える。トマトソースとの相性もいい。
 奥はスクランブルオムレツみたいなものだ。
 小さくサイコロ切りしたジャガイモを水にさらして、ニンジンもサイコロ切りにする。水を切ったジャガイモとニンジンをレンジで2分ほど加熱する。
 刻んだタマネギ、ハム、エビ、アスパラと、ジャガイモ、ニンジンをオリーブオイルで炒める。
 白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、マスタードで味付けして、とじた卵とチーズを加えて半熟にしたら出来上がりだ。パセリと粉チーズも振る。
 どこか外国の料理でこんなオムライスもどきがあったと思う。

 今日も豆乳スープ以外は安定志向のサンデー料理となった。レパートリーを増やすのもなかなか難しいものだ。
 今回はこんなところだろう。

今日下呂があるのはシラサギと林羅山のおかげ <下呂-2>

観光地(Tourist spot)
下呂2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 下呂、高山への旅は、急ぐならワイドビューひだで、のんびり行くなら高山本線の普通列車でということになる。
 下呂まではそれなりに本数があるものの、その先が厳しい。1時間に1本どころか、朝夕以外は3時間に1本くらいになるから、1本逃すと致命的なことになる。それでも、どうにかこうにか名古屋から下呂、高山への日帰り旅行は可能だ。現地での時間的な余裕はほとんどないけれど。
 この日の旅の目的は、高山へ行くことだった。ただ、直接行っても着くのは午後になるし、その前の列車が下呂止まりだったので、先に下呂へ行ってあとから来る高山行きを待つことにした。下呂では2時間半くらいあったから、ぶらぶら歩いて写真を撮るには充分だった。
 下呂といえば完全に温泉に特化した町で、風光明媚な観光地ではない。なので、ここへ写真を撮りに行く人はあまりいないと思う。実際、これといった観光資源はない。下呂温泉合掌村くらいだ。にもかからわず、かなり写真を撮ったということは、意外にも写真向きの町なのかもしれない。昭和の風情を残す温泉地風景が、私には魅力的に映った。次に行った高山の方が撮った枚数は少なかった。
 2回目の今回は、温泉の歴史なども絡めつつ下呂温泉を紹介しくことにしよう。

下呂2-2

 駅前の風景。
 温泉街は駅裏の川を渡った向こう側に集まっているので、実質的にはこちらが裏と言った方がいいかもしれない。少し歩いてみたけど、みやげ物屋があるくらいで他にはこれといったものはなかった。
 下呂温泉は日本三大温泉の一つを自認し、堂々と公言している。よくある自称三大何々というやつだろうと思っていたら、そこには確かな根拠があった。
 江戸時代初期の儒学者・林羅山が、有馬温泉、草津温泉と並んで下呂温泉を日本三名泉の一つとしたことに由来している。有馬や草津は有名でみんな知っていても、下呂はお湯の効能がすごいのをみんな知らないだろうと書いた(今ふと11PMのうさぎちゃんを思い出した)。
 というのが一般的な説となっているのだけど、実はそれ以前に元ネタがあった。室町時代の五山僧・万里集九(ばんりしゅうく)が「梅花無尽蔵」の中で、天下三名泉は草津、有馬、下呂と歌っているのだ。羅山がそれを知らなかったはずはない。悪く言うとパクった。有馬には行ったようだけど、湯島には行ってないらしいし、下呂もたぶん訪れてはいない。
 林羅山というのは家康から将軍4代に仕えた学者で、政治的にも幕府に対して影響力を持っていた人物だった。のんきに全国温泉めぐりなんてしてる暇はない。
 それでも、三つの温泉にしてみれば、国のお墨付きをもらったようなもので、下呂は特にラッキーだった。下呂温泉が三大温泉を名乗ってはばからないのも無理はない。
 それに納得のいかない全国の有名温泉地は多いはずだ。人気ランキングで下呂がベスト3に入るとは思えない。
 温泉としての歴史は古く、平安時代にはすでに源泉が見つかって知られる存在となっていたようだ。現在の川沿いではなく、湯が峰の山頂近くだったという。
 それが鎌倉時代になって突然枯れてしまう。どうしたものかと困っていとき、傷ついたシラサギが河原に舞い降りてきて水に浸かって傷を癒していたところを村人が見た。しばらくするとサギは元気に飛び立っていき、あとには薬師如来像が残った。そこをよく見てみると、温泉が湧き出していたというのが、下呂では有名な白鷺伝説だ。
 下呂は元々、湯之島(湯島)といっていた。下呂に名前が変わったのは昭和に入ってからのことで、どういうきっかけでそういうことになったのかはよく知らない。律令時代に宿駅の下留駅(しものとまり)がこの地にあって、それがげりゅう、げろ、というふうに転じていったとかなんとか。

下呂2-4

 飛騨川と温泉街の風景。
 河原に低い衝立で囲まれているところがある。噴泉池という露天風呂だ。
 かつては仕切りもなかったようだけど、少し気を遣って軽く囲んでみたらしい。といっても、脱衣所はなく、橋の上からも丸見えには違いない。男女混浴で、無料なので誰でも入れる。入れる人は限られているだろうけど。
 今年からは男女ともに水着着用が義務づけられるようだ。下呂温泉活性化のためには、サクラを雇って入っていてもらった方がいいんじゃないかと思ったりもする。 

下呂2-3

 道端に足湯がある。勝手に入っていいものかどうか、判断がつかない。
 私は温泉に浸かりに行ったわけじゃないので、入る気はなかった。そういえば、手で触ってもいない。触れるところは他にあったから、少しくらいは記念に触っておいてもよかった。
 日帰り温泉でも、湯めぐり手形というのがある。加盟30数軒の旅館の中から好きなところを3つ選んで入れるというものだ。1,200円(6ヶ月有効)だから、泊まらなくても充分楽しめる。高級なホテルや旅館の温泉気分が味わえるというものだ。

下呂2-5

 下呂には温泉神社と温泉寺がある。とにかく温泉に賭けているというのが伝わってくる。温泉が湧き出していなかったから、ここはただのひなびた町だっただろう。
 新しいと思ったら、1988年にできたばかりだった。これまでの繁栄とこれからの発展を願って、出羽三山の湯殿山神社から勧請して建てたそうだ。

下呂2-6

 神社にも温泉が湧き出していて、触ることができる。
 学校帰りの小学生たちは、手水舎の水をひしゃくですくってがぶ飲みしていた。その光景に、ちょっとのけぞったけど、最近できた神社だし、形式どうこうより地元民に親しまれていることはよいことだ。
 ここらの人は、家庭の風呂でも温泉のお湯に浸かっているのだろうか。

下呂2-7

 どういう状況かよく分からない林羅山像。まわりに猿がまとわりついていて、本人は手に何か持って踊っているようにも、猿回しをしているように見える。
 あまり古くない像だと思ったら、1992年製造だった。恩人の林羅山をつい最近まで忘れていたのかと疑ってしまった。
 それにしても、林羅山は本当にこんなお調子者みたいな人だったのだろうか。

下呂2-8

 白鷺橋の羅山像の反対側にはしゃがんだチャップリン像がある。これも現地では謎だった。下呂はチャップリンとは縁もゆかりもないはずだ。
 帰ってから調べてみると、2001年に下呂でチャップリン映画祭があって、そのときの記念として造ったんだそうだ。ハリウッドの造形アーティストに依頼したというから、かなり力が入っている。
 そのあたりの事情を説明に書いておいてくれないと、下呂を訪れた人はぽかんとしてしまう。

下呂2-9

 下呂温泉合掌村は少し距離があって、行ってると他の場所を散策できないからやめておいた。
 温泉寺はそう遠くないので、ここは寄っておいた。
 173段の石段を登った小高い場所にあり、眼下に下呂の町並みを一望できる。

下呂2-10

 温泉寺などいう名前に反してここの歴史は古い。
 例の傷ついたシラサギが残していった薬師如来像が温泉寺の起源とされている。シラサギが薬師如来の化身だったという話もある。
 創建はよく分かっていないらしい。一番古い記録が1507年というから、室町時代のどこかだろうか。その頃は湯島薬師堂といわれていたようだ。
 温泉寺としての創建が、江戸時代の1671年ということは分かっている。羅山の紹介で知名度が上がって、遠くからも湯治客が訪れるようになり、それに合わせて温泉寺としたのだろう。通称ではなく、正式名を醫王霊山温泉寺という。臨済宗妙心寺派。
 湯治客が温泉で病気や怪我を癒しつつ、温泉寺を詣でて願掛けをしていった。病気平癒ならず、この地で果てた人たちの供養などもしたようだ。

下呂2-11

 サギの額もかかっている。さほど古いものではなさそうだ。
 橋のところや、その他いろいろなところにサギは登場している。何の予備知識もないまま下呂を訪れると、サギはやたらいるし、踊ってるような林羅山像や、唐突にチャップリン像があったりして、戸惑うことが多い。

下呂2-12

 そういえばカエルもよく見かけた。なんでだろうと思って、はたと気づいた。下呂だけにゲロ、ゲロゲーロのカエルというわけだ。青空球児・好児を名誉町民にしてあげたい。

下呂2-13

 消火栓の蓋も、サギとカエルが描かれている。

下呂2-14

 これが噂の温泉スタンドか。初めて実物を見た。セルフのガソリンスタンドのようにお金を入れて自分で給油ならぬ給湯するスタイルだ。
 200リットル150円、300リットル200円は安い。
 残念ながら電車で行って、200リットルもおみやげに持って帰ることはできない。2リットルのペットボトルでも持ち歩くのは大変だ。

 下呂編はまだ続きます。

下呂温泉街でスケッチ撮影 <下呂-1>

観光地(Tourist spot)
下呂温泉

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 飛騨一ノ宮の3日前に下呂と高山へ行ったと、ちらっと書いた。前後逆になってしまったけど、今日から下呂・高山編を始めたい。
 このところ鉄道の旅が続いていて、京都も行ってきた。それも早く紹介したい気持ちがありつつ、まずは下呂の1回目をお送りします。




温泉街の風景

 温泉街といえば、ひと昔前は年配の夫婦か家族連れというイメージが強かったけど、最近はカップルや若い女性二人組なども増えている。男の二人連れ、というのはあまりいないか。




街並み風景

 下呂大橋を渡った先から温泉街が始まる。
 ここはその玄関口の四つ角。左も右も真っ直ぐも、温泉街となっている。




足湯

 気軽に入れる足湯も人気だ。近頃は温泉街ではないところでも見かけるようになったけど、温泉街でももちろん増えている。
 私は温泉に入りに行ったのではなく、写真を撮りに行っただけなので、のんきにつかっている場合ではなかった。




塀の木の影





入り口





店舗跡

 温泉街といえば古い家並みがつきもので、下呂も昭和枯れしている。
 こんな元店舗に目についた。




地下飲食街

 地下飲食街への入口。どんな店が入っているのか。まだ営業してるのだろうか。




オリオン会館

 温泉街といえば夜の歓楽施設も必要、というのは昭和の発想か。
 ヌードテアトル・オリオン会館は閉鎖してしまったようだ。あるいは、夜になると息を吹き返して明かりがともるのか。




カサブランカ

 細い路地の坂道。奥からカサブランカがいざなっている。




下呂1-11

 温泉街にもそこで働く人々の暮らしがあり、家族がいて、学校がある。当たり前だけど、ああ、ここにも子供たちはいるんだと思った。

 つづく。

出会えてよかった雪の飛騨一ノ宮

観光地(Tourist spot)
飛騨一ノ宮3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 飛騨一ノ宮編も今回が最終回。残った写真を並べて締めくくりたい。
 写真のこの山の姿が気に入った。弥陀ヶ洞山(みだがほらやま)というのはこれだろうか。あまり自信はない。
 さほど高くもなく、尖ってもいないけど、形がいい。麓の家並みと真っ白な田んぼとの組み合わせが絵になる。
 山の麓の山梨地区は、昔から月見里として知られていたというから、この風景の上空に浮かぶ月がきれいなのだろう。田植えの季節には水の張られた田んぼに映る月を眺めて楽しんだそうだ。
 ここ数日高山は大雪が降ったようだから、今頃はこの風景は更に真っ白になっていることだろう。写真は一週間前の風景ということになる。

飛騨一ノ宮3-2

 昨日午前中、名古屋でも少し雪が降ったのだけど、こんな雪景色を見た後だから魅力的に思えなかった。いつもならもっと大喜びしていただろうに。
 雪の魅力を再認識したから、この冬もう少しどこかで雪を撮りたいと思う。近場で確実に雪があるところといえば、御在所あたりだろうか。氷瀑というのも見てみたい。

飛騨一ノ宮3-3

 スノーホワイトという名前があるように、雪は独特の白色をしている。真っ白ではなく、真っ白よりも存在感がある。
 白というのは無色などではなく、とても自己主張の強い色だ。

飛騨一ノ宮3-4

 何の特徴もない小枝さえ絵になる雪の力。

飛騨一ノ宮3-5

 雲の向こうにうっすら見えた太陽。日食のときを思い出した。

飛騨一ノ宮3-6

 雪国の少年は、雪などないかのように自転車で疾走していった。
 まさか、自転車もスノータイヤなんだろうかと考えた。雪国仕様の自転車があるのかどうか知らない。
 私はこんな道を自転車で走る勇気はない。歩くのさえやっとだったのに。

飛騨一ノ宮3-7

 マンホールコレクション。
 山と桜と川のようだ。山は山里ということか、水無神社御神体の位山なのか。川は宮川だろう。桜は名物の臥竜桜だろうか。この桜は駅の反対側にあって、時間がなくて見にいけなかった。

飛騨一ノ宮3-8

 宿場町でも観光地でもないから、宿屋はあまりない。泊まりがけで訪れる人は少なそうだ。
 泊まるところは、次の高山駅まで行けばたくさんある。

飛騨一ノ宮3-9

 昔の酒屋さん。もうやってないような感じだ。
 酒屋さんというのはどこへ行っても、雰囲気のある店構えが多い。最近は酒も安売りのところが増えて、昔ながらの酒屋さんには厳しい時代なのだろう。

飛騨一ノ宮3-10

 家並みの間を列車がいく。ワイドビューひだだ。
 これもチラ電のうちに入るだろうか。かなり鉄っちゃんに近づいてきている気がする。

飛騨一ノ宮3-11

 キツネでも走ってそうな風景だけど、もちろんそんなものはいない。北海道じゃない。
 冬の北海道も撮ってみたい。

飛騨一ノ宮3-12

 帰る時間になって太陽が出てきた。名残惜しいけど、もう帰らないと。次の列車は2時間半後しかない。

飛騨一ノ宮3-13

 駅前の駐輪場と大きな桜の木。
 地方の駅前らしい風景。
 もう二度と来られないかもしれない場所だから、もう一度振り向いてありがとうと、さようならを。

草薙剣を一時預かりした飛騨一ノ宮の水無神社

神社仏閣(Shrines and temples)
水無神社-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 飛騨一ノ宮駅は、その名が示すとおり飛騨の一宮である水無神社(みなし)がある。
 一宮というのは、その地域の中で最も社格が高いとされた神社のことだ。ただし、いつ誰が定めたのかははっきりしていない。一つの国に二つ以上の一宮があるところも多く、明確に定められているわけではない。有名どころが一宮というわけでもなく、尾張の場合、熱田神宮ではなく真清田神社と大神神社がそうだし、伊勢の神宮は別格だから伊勢の一宮は椿大神社と都波岐神社になる。
 飛騨の一宮は水無神社で文句なしだったようで、飛騨で一番古い神社と言われている。
 今回は雪景色を撮ることが目的だったわけだけど、ここまで行って一宮に寄らないわけにはいかないということで、挨拶だけはしにいってきた。
 境内は真っ白の雪に覆われ、歩くのもおっかなびっくりで、神社の空気感を味わっている余裕などなかった。時間もあまりなく、写真だけ撮ってそそくさと帰るような恰好になってしまったから、一宮に対する参拝としてはやや失礼だったかもしれない。それでも行くと行かないとでは大違いで、行っておいてよかったのは間違いない。二度行けるチャンスは巡ってこないだろう。

水無神社-2

 普段はこの神門のところから参拝をするようだけど、新年早々ということで、門の脇の扉が開いていて中に入ることができるようになっていた。
 もう11日ながら、まだ正月の雰囲気が少し残っていた。参拝客もちょこちょこ途切れなくやって来ていた。

水無神社-3

 これが拝殿で、その背後に本殿がある。
 この神社の成立はよく分かっていない。延喜式に載っている式内社だから平安時代以前であることは間違いなく、地元密着型の神社ということで更に時代を遡る可能性が高そうだ。奈良時代あたりか、原形はもっと古いかもしれない。
 祀られている神様が多くて、本命もはっきりしない。御歳大神を主祭神としつつ16神もいる。
 しかも、御神体は位山(くらいやま)というから、ますます分からなくなる。というのも、普通、山を御神体とする場合、山上に奥宮があって、麓に里宮があり、社殿は山を背に建ち、人々は拝殿越しに山に向かって拝む形になるのに対して、ここは御神体の位山が南西約7キロも離れた場所にある。方角的には社殿はそちら向きに建っているようだけど、参拝者は御神体に尻を向けて拝む恰好になる。これでいいのだろうか。
 そのあたりの事情や歴史的な変遷がどうだったのか、調べがつかずよく分からない。本来は山に向かって拝んでいたのが、後世になっていろいろな神様を招いて社殿の場所や向きが変わったのか。
 位山は、宮川と飛騨川の分水嶺で、古代から水を生み出す聖なる山とされてきたそうだ。名前の水無(みなし)は、もともと水主と表記したようで、水が無いのではなく水の主という意味でつけられたという。
 山上には古代の遺跡もあるらしい。
 祭神の御歳大神、天火明命、大己貴命、応神天皇、神武天皇などをあわせて水無大神(みなしのおおかみ)とされる。
 長野県木曽福島や岐阜県関市にも水無神社があり、そちらは「すいむじんじゃ」と読ませている。
 鎌倉時代には水無大菩薩と呼ばれたり、その後、水無大明神や水無八幡宮となったりと定まらない。神仏習合や戦国時代の荒廃を経て、江戸時代に立て直した。そういう歴史の変遷の中で、いろいろな神様を取り込んでいったと思われる。
 熱田神宮のときに書いたけど、戦後の一時期、熱田の御神体である草薙剣がこの水無神社に移されている。戦争末期、いよいよ危ないということで草薙剣だけでも安全なところへ移しておこうと考えた。熱田神宮の御神体というだけではなく、三種の神器の一つだ。戦争が終結してその計画は中止となるも、戦後アメリカ軍に撤収されてしまうのではないかと恐れ、やっぱり移すことにした。8月21日に移し、その後、どうやら大丈夫ということで9月19日に再び熱田に戻ることになった。帰り道は熱田の神職が抱えて高山本線で運んだのだった。草薙剣は私たちと同じ路線で列車の旅をしたことがあるのだ。

水無神社-4

 新年の祝日ということもあり、お札売り場も空いていて、お守りなどを買っていく人もいた。
 明治7年から10年にかけて、島崎藤村のお父さんがこの神社で宮司をしていたという歴史もある。『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった人物だ。
 作中の青山半蔵がそうであったように、島崎正樹も失意のどん底の中、ここで暮らしていたのだろうか。東京から遠く離れた高山の冬の雪景色を見て、何を考えていただろう。

水無神社-5

 人気神社ということで、おみくじも満載だ。
 ところで大吉などの良いおみくじを引いても結んでいってしまう人はいないだろうか。神社におみくじを結ぶのは、凶などの悪いのが出たときで、神社に代わってもらってお祓いをするといったような意味がある。せっかく大吉が出たのに置いていってしまうのはもったいない。財布にでも入れておいて、次の年に行ったとき結んでくればいい。
 おみくじもいろいろ解釈があるようだけど、結ぶという行為はわりと神聖なものだから、あまり軽々しい気持ちでしない方がいいかもしれない。

水無神社-6

 これだけ神様を取りそろえているところだから、当然お稲荷さんもいる。
 雪の階段は登りより下りが怖い。遠くから頭を下げるだけで勘弁してもらった。

水無神社-7

 片方の目が薄くなって、丹下左膳のようになった狛犬。なかなかいい顔をしていた。
 左甚五郎が子供の頃に彫ったとされる黒い神馬の写真を撮るのを忘れた。左甚五郎伝説は全国各地にありすぎて、どれも信用できない。そもそも実在したのかどうかさえ分からない。

水無神社-8

 日差しに溶けた雪が、ときどきザザッと降ってきて、それが光にきらめいてなんともきれいだった。写真に写しきれなかったのが残念だった。

水無神社-9

 神社の前を流れる宮川の支流。
 影で記念写真。

水無神社-10

 川の中で梅花藻が揺れていた。こんな冬にも青々としているのか。立て札があったから、地元ではちょっとした名所になっているのだろう。
 夏には白い可憐な水中花を咲かせる。

 飛騨一ノ宮編はあと一回続きます。

雪景色を見て素直に感動する <飛騨一ノ宮 1回>

雨/雪/天候(Weather)
飛騨一ノ宮1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 8日に下呂と高山へ行ってきた。その行き帰りの列車の中から見た雪景色が印象的で忘れがたくて、どうしても撮りたくなった。それで、11日にもう一度行き直した。
 降りたのは、高山の一つ手前、飛騨一ノ宮駅だ。
 桜や紅葉などがどれほど見事で美しくても、雪にはかなわない。私にとって雪は完全な非日常だから、珍しさの度合いがまったく違う。
 雪が降らない地域で暮らしている人の多くがそうであるように、雪を見ると興奮する。雪国に暮らす人にとって雪は見慣れた日常なのだろうし、自分自身雪国で暮らすことになれば3日で飽きるだろうけど。
 何しろ雪景色は新鮮だ。平凡な風景もドラマチックに塗り替える。ああ、きれいだなぁと心から思えることが少なくなった今、被写体としての雪景色はとても貴重なものだ。
 そんなわけで、今日は、雪景色初心者が無邪気な気持ちで撮った雪景色をお届けします。見た人が自分も雪を撮りに行きたいと思ってくれると嬉しい。行けない人は、ちょっとだけでも雪景色を見た気分になってください。

飛騨一ノ宮1-2

 この駅で降りたのは、私ともう一人だけだった。
 この日は全国的に成人式の日で、運がよければ晴れ着の成人とかも撮れるんじゃないかと期待したのだけど、高山は正月や日曜にやるらしく、成人の影も形もなかった。そもそも人が歩いていない。

飛騨一ノ宮1-3

 このシーンはこんな表現で。イメージ映像風。

飛騨一ノ宮1-4

 車窓から見て撮りたいと思ったのは、こんな風景だった。
 最初に見たときよりも雪が減っていたのが少し残念だったけど、それでも撮れて満足した。前回は山の木々がもっと真っ白だった。

飛騨一ノ宮1-5

 鉄道風景撮影のポイントになりそうな場所。
 時間的な余裕がなくて移動してしまったら、すぐあとから列車がやって来た。もう少し待てばいいタイミングで撮れたのに、惜しいことをした。

飛騨一ノ宮1-6

 やって来た列車を少し走って追いかけて撮った。
 列車の中からその姿を見たら、きっと鉄ちゃんに見えただろう。

飛騨一ノ宮1-7

 つららなどもめったに見ることはないから、嬉しくなって撮る。

飛騨一ノ宮1-8

 雪紋は被写体になることが分かっていた。時間をかけて探すと、面白いものがいろいろ見つかりそうだ。

飛騨一ノ宮1-9

 人の暮らしはどこにでもある。厳しい自然環境と共存するのは大変ではあるけど、そこでしか得られない喜びもあるのだろう。
 たとえ見慣れた風景でも、雪景色を見ればやっぱりきれいだと思うんじゃないだろうか。

飛騨一ノ宮1-12

 雪の中を行く自転車のおじさん。

飛騨一ノ宮1-10

 夕方、帰り際になって日差しが戻ってきた。ずっと曇り空で、最後に祝福が待っていた。
 雪と光の両方があれば言うことはない。

飛騨一ノ宮1-11

 雪が積もった河原を誰が歩いたのか。こんなところを好きこのんで散歩するとは思えないし、川に用事があったのか。

 第一弾はこれくらいにしておこう。写真はたくさん撮ってきたから、もう少し続けて紹介したいと思う。
 つづく。

明治はくろがねの時代でもある

施設/公園(Park)
明治くろがね-1

PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4



 明治という時代は、あまりにも多くの新しいものが一斉に流れ込んできて、何もかもが一新したために、どういう時代だったかを一言で言い表すのが難しい。文明開化といってもその内容は多様で、生活習慣から文化、移動手段、服装、学問、技術、芸術、社会、都市など、あらゆるものが変化して、変わらなかったものの方が少ないくらいだ。
 今の私たちがあの時代を振り返るとき、そこに古さと新しさの混在を見る。レトロであり、モダンでもある。過去の遺物になってしまったものも多いけど、現在に通じる基礎の部分も少なくない。
 明治は「くろがね」の時代でもあった。鉄が人々の生活を大きく様変わりさせた。同時に、産業革命による技術の導入によって、生産と消費の形態が一変した。ついこの前までちょんまげを結って刀を差していたのが、鉄の機械による大量生産が始まる。猛スピードの激変をリアルタイムに体験した明治の人々の驚愕を想像するのは難しい。私たちはそれほど大きな変化を経験していないから、明治の人をうらやましくも感じる。戸惑いは大きかったにしても、未知のものに対するワクワク感の方が上回ったに違いない。
 明治村には、くろがねエリアがあって、当時の機械類が年代順に展示されている。木製の機械から始まり、単純なマシンだったものが、年代を追うごとに大きく複雑になっていったのが分かる。
 それらの機械は、今見ても斬新だ。鉄のマシンは職人のような頼もしさを感じさせ、単純にカッコイイとも思う。
 今日は、そんな明治村のくろがねマシンの写真を集めてみた。在庫整理のつなぎネタだけど、ネタ切れではなく、新しいネタ写真の整理がまだ済んでいないので。

明治くろがね-2

 何をする機械なのかにはあまり興味がなくて、そのスタイルと動きに心を奪われる。
 上の丸い玉がゆっくり回転して、それにつられて下の部分がのっそりスライドする。機械なのに有機的というか生き物めいたところがある。コンピューター制御ではなく、パーツを組み合わせたメカが連動して動いている機械仕掛けだからだろう。
 現在のバッシャン、バッシャンと速くて騒々しい機械とは雰囲気がまるで違う。

明治くろがね-3

 デザイン性の高いものは新しいものから古くなる。それは人の感覚が進歩という変化をしていくからだ。10年前最先端だったものを今見ると、格好悪くて恥ずかしい。
 なのに、50年、100年前のものが新しく格好良く見えることもあるから、人の感覚は不思議だ。
 洗練されているわけではない無骨な刻印が妙にカッコイイ。

明治くろがね-4

 最初は輸入していた機械も、やがて日本人が作るようになった。TOKYOの刻印があるから、これは国産だろう。
 日本は猿真似の国と外国人は思っているようだけど、猿真似で終わらないのが日本人だ。良いものを取り込んで、アレンジを加えて自分たちのものにしてしまう。単なるコピーではない。その国民性がどこから来ているのか、よく分からない。欧米にもアジアにもないメンタリティだ。

明治くろがね-5

 明治の機械は実用一点張りではない。遊び心とまではいかないまでも、作り手の美意識がある。実用本位であることが結果的に美しくなったとしたら、それは職人の誇りのようなものが関係しているかもしれない。
 昔の神社や日本家屋が今でも素晴らしいものであるように、昔の機械は今見ても魅力的に映る。

明治くろがね-6

 説明書きはあるけど読んでないから、何の機械なのか分からない。どうやって動くのかも想像できない。

明治くろがね-7

 上のと少し似ているから同じ種類のものだろうか。

明治くろがね-8

 何かの機械の下の方に取り付けられていたもの。ガスマスクをかぶった人のよう。蚊とかトンボも連想させる。

明治くろがね-9

 機関車は明治を象徴するくろがねの一つだ。
 黒い鉄のカタマリが煙を吐きながら日本中を疾走する姿は、明治の時代そのものを表しているようだ。

明治くろがね-10

 鉄の油光り。
 鉄は錆びる。それもまた明治らしさだろうか。
 錆びることを嫌ったのが昭和という時代とも言えそうだ。

明治くろがね-11

 復活SLブームがいつ始まったのか知らないけど、日本全国のあちこちで復活したSLが走っている。区間はごく限られているものの、走っている姿を見るのはそれほど難しくない。
 大井川鐵道や秩父鉄道などは比較的行きやすいし、イベントで単発的に走ることもある。静態保存はかなり多い。

 明治村写真はまだけっこう残っているから、隙間を見つけて出していきたいと思う。

普通の和食は美味しくて詰まらないサンデー

料理(Cooking)
普通和食サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日のサンデーは、あまり手間暇をかけず普通の和食を作ろうと思った。出来上がったものを見て、これを普通の和食と言っていいのかどうか、ちょっと戸惑う。
 口頭でこういうものを作って欲しいとリクエストして、出てきたものが思い描いたイメージをは違っていたときのような感じだ。自分の中での連絡なのに、上手く伝わっていない。そういうことがよくあるのは、完成図が頭の中に出来上がっていないまま見切り発車で作るからだ。作り手の私も、もっとはっきり伝えてくれないと困るよと思う。
 まあしかし、一応は和食寄りの料理として成立している。味付けも特別変わったことをしていないから、味に関しての驚きはなかった。普通の夕飯として美味しく食べた。

 手前左側のものはやや実験的な料理だ。
 ナスを水にさらしてあく抜きをして、ペーパーで水分を取る。
 塩入り天ぷら粉を作って浸して、油で揚げる。
 豆腐は絹ごし豆腐を使い、麻婆豆腐風にする。
 ごま油、酒、みりん、しょう油で煮込み、ショウガ、ニンニク、中華の素、砂糖、塩、コショウ、豆板醤で味付けをして、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。長ネギの刻みも加える。
 二つを合体させれば出来上がりで、両方一緒に食べると美味しい。天ぷらのサクサクと、絹ごし豆腐のフワフワがよく合う。

 右は、マグロのステーキだ。これもちょくちょく作る。マグロはこの食べ方が一番好きだ。
 長ネギの白い部分をオリーブオイルでよく炒める。
 マグロは塩、コショウ、酒を振ってしばらく置き、カタクリ粉をまぶしてオリーブオイルで焼く。
 ソースは、酒、みりん、しょう油、塩、コショウ、砂糖、マスタード、マヨネーズをよく混ぜてひと煮立ちさせる。
 安定感のある味で、間違いない。

 奥は大根メインの煮物のようなものだ。
 米のとぎ汁で大根を下茹でして、水でよく洗う。
 それをだし汁で煮込んでいく。
 それとは別に、タマネギ、鶏肉、ニンジン、白菜、ツナ缶をオリーブオイルで炒める。
 具材を大根のところに入れたら、酒、みりん、しょう油、塩、コショウ、砂糖、白だしで味を調えて、弱火で煮込む。

 面白みはないけど、普通に美味しく食べられる和食を作るとこういうことになる。食べているときは、やっぱりノーマルな料理はいいなと思うけど、こうしてブログを書いていると詰まらないからもっと冒険すればよかったと反省する。
 作って楽しく、食べて美味しい、という二つを両立させるのはなかなか難しい。今年の課題の一つだ。
 ネタとしても、もっと話題性のある料理を作っていくべきだろう。郷土料理や世界料理シリーズも、また挑戦していきたい。

この世は細分化されたものの集合体 <明道町・後編>

名古屋(Nagoya)
明道町3-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日は明道町の後編ということで、補足として写真を追加しつつ、もう少し明道町の歴史などについても書いておきたい。
 現在、明道町という地名はない。1994年の町名変更でなくなってしまった。ただ、バス停やジャンクションなどに明道町の名前は残り、問屋街も明道町の方が今でも通りはいい。
 問屋街が集まっているのは、新道2丁目と、幅下2丁目で、幅下の方がよりディープな世界が広がっている。
 名古屋駅から見ると北東、名古屋城からは南西で、2点を結んだちょうど中間あたりに位置する。
 すぐ南には以前紹介した円頓寺商店街や四間道がある。ちょっとひねった名古屋観光をするなら、一気にまとめて回るというのもいい。名古屋に対する印象がかなり変わると思う。名古屋人でもこのあたりは知らない人が多いと思うから、地元の人にもオススメしたい。
 この地区が菓子や玩具の問屋街として発展したのは昭和に入ってからで、戦後の復興とともにピークを迎えることになる。最盛期は600もの店があって、大変賑わっていたという。日本一の菓子、玩具の問屋街が名古屋にあったことを、名古屋人も案外知らないのではないか。
 時は流れ、現在ざっと見たところ数十軒といったところだろうか。それでもこれほど菓子の問屋が集まっているところは全国でも珍しく、今でも日本一と言っていいのかもしれない。
 駄菓袋の裏に名古屋市西区とあれば、それはこのあたりで製造、出荷されたものだ。
 あと、名古屋でこれほど菓子問屋が集まったのは、名古屋の結婚文化も関係している。「嫁入り菓子」といって、結婚するとき近所の人たちを集めて菓子を撒くという風習があった。今でも古い文化を大切にしている地域では菓子を配るそうで、そういう場合はここに嫁入り菓子を買いにくることになる。そんなものはコンビニやスーパーには売ってない。
 中京菓子玩具卸市場というのが2000年に閉鎖されて、以前の活気が失われてしまったそうだ。それ以前に一度は行っておきたかったと悔やまれる。現在の状況もいつまで続くか分からない。

明道町3-2

 このあたりは比較的入りやすそうな店だ。ビニールボールも1ダース単位とかではなく単品で売ってくれそうな気配がある。
 古くてプレミアがつくようなプラモデルなんかがあれば入ってみたいけど、そういう店ではない。
 観光客として訪れたらここはレトロ以外の何ものでもないゾーンだけど、商売をしている人たちにとってはリアルタイムの現実でしかない。だから、店側としてはレトロを売り物にしているわけではない。結果的にレトロなだけだ。
 そのあたりの温度差を感じるから、私としてはもう一歩踏み込みきれなかった。興味本位で冷やかすのは失礼な気がして。

明道町3-3

 版権を持ってるんだろうかというビニールキャラクターたちが店先に並んでいる。正式な問屋だから正式な商品なんだろうけど、アジアチックなものも感じる。
 花火を売りにしている店が多いようで、夏場はけっこう賑わうんじゃないかと思われる。

明道町3-4

 松原ピーナツという名前の店。ピーナツ専門店かと驚いたら、そうでもないようだ。
 それにしても、世の中には自分とは関係のないところで実に様々な需要と供給があるものだと、あらためて思い知る。需要は狭くても、特殊な専門店ならではの強みもある。

明道町3-5

 建物と建物の狭い間の奥に、神社の石柱が見えた。なんかすごいところに注連縄もかかっている。
 これは入ってみるしかないと、奥に進んでみた。

明道町3-6

 とりあえず反対側に突き抜けてみた。こちらに鳥居がある。ここにつながっていたのか。
 段ボールが神社の前まで転がってきているけど、誰も気にする様子はない。

明道町3-7

 一本の参道がそのまま境内の歩ける範囲で、拝殿、本殿は入口に対して横向きになっている。
 いくらなんでも最初からこんなに狭かったはずはない。かつてはもっと広かったに違いない。
 隅田神社という名前で、創建は江戸時代初期の1688年というからそこそこ古い。
 当時このあたりはまだ江川沿いの農村で、熱病と火事をしずめるためにスサノオとカグツチを祀ったのが始まりだそうだ。
 スサノオといえばアマテラスの暴れん坊の弟で、カグツチはイザナギとイザナギの子供で火の神だ。村人の気持ちは理解できる。スサノオに熱病と戦ってもらって、カグツチには火事が起きないようにと願ったのだろう。
 私の今年の初詣は、期せずしてここになった。スサノオのように攻撃的な一年になるのかどうか。

明道町3-8

 店から子供が出てきた。このあたりに住んでいる子にとっては、問屋も普通の菓子屋やおもちゃ屋のような感覚かもしれない。

明道町3-9

 頭の上を高速が走るようになっても、昔からここに住んでいる人たちの暮らしはあまり変わらないように見える。
 それでも、大きく様変わりしてしまった風景を見て、ときどきは昔を懐かしんで感慨にふけるだろうか。

明道町3-10

 果糖、ぶどう糖、砂糖、澱粉。
 ずいぶんマニアックなものを作ってるなと思ったら、菓子の原料なんだと納得した。
 なるほど、お菓子を作っている会社も、原料は他から買い付けていて、その原料を専門に作っている会社もあるのか。
 看板の文字の間に空間があって、ほとんど消えかけている赤い字がある。ここには何が書かれていたのだろう。隣の緑色の部分とともに気になるところだ。

明道町3-11

 特殊紙業という業種も初めて知った。
 グラビア印刷とある。グラビアアイドルの写真集の紙は、こんな町工場で作られているのか。
 一つの製品はたくさんの専門職の人たちによって成り立っているものなんだと感心する。

明道町3-12

 サンゲツは聞いたことがある。インテリアなんかの会社だ。
 名古屋ローカルなのか全国区なのか、よく知らなかった。調べたら、東証1部上場というから全国区なのだろう。本社が名古屋のこんなところにあったとは。

明道町3-13

 このあたりにいる人たちがどういう人なのか、たまに分からない。問屋のおじさんやおばさんだったり、スーツを着たサラリーマンだったり、一般客だったり、近所の人だったり。一見ホームレス風の人が普通に家の中に入ったりして、ちょっと驚いたりもした。
 なんとも不思議な感覚になる町だった。
 面白いので、お近くの方はぜひ一度足を運んでみてください。日曜、祝日はほとんどが休みなので、ご注意を。
 このあと、名古屋城まで歩いていった。そのときの話はいずれまた。

明道町で少年時代よりも前にタイムトリップする <前編>

名古屋(Nagoya)
明道町2-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 なんというトリップ感。明道町の深い場所は、昭和のまま時が止まっている。
 昭和60年代にこの風景を目にしたとしても、相当に古い町だと思っただろう。そのままゆっくり静かに時を重ねて、もはや時代に追いつこうという意志がない。しかもこれが終わった町ではなく、現在進行形で生きているところがすごい。古びたまま当たり前のように日々の暮らしがある。
 円頓寺や四間道など、古い町並みが残っているところはあるけど、それらとはまったく異質のものだ。高層ビルが建ち並ぶ名古屋駅から徒歩15分のところにこんな町が残っているとは、名古屋もまだ捨てたもんじゃない。懐の深さを感じさせる。
 そんな明道町の風景をお届けしたい。

明道町2-2

 基本は駄菓子の問屋街なのだけど、何を売っているかよく分からない店もある。
 どこまで一般人が立ち入っていいのかも、よく分からない。店構えや店主の風貌からして、気軽に声を掛けられるような雰囲気ではない。
 一般人向けの小売りもしていて、昔懐かしい駄菓子を買うことができる。ただし、すべてケース買いだ。1個とかでは売ってくれない。問屋価格なので安いからというのでまとめ買いしていく人や、子供会や町内のイベントなどで買いに来る人も多いんだとか。
 子供の頃にここのことを知っていたら、ビックリマンチョコを箱買いしにきただろう。

明道町2-3

 すぐ外には名古屋高速が走っている。高速ができる前と後ではずいぶん風景も変わってしまったようだ。その前に一度見ておきたかった。

明道町2-4

 物干し台というかベランダといっていいのか、足場が錆びてすごいことになっている。乗ると危険だ。
 明道町を一言で表現するなら、老朽化、ということになる。どこもかしこも古びるままに任せている。明道町のすべてがそうではないのだけれど。

明道町2-5

 駄菓子の問屋街を撮るというより、途中から廃墟撮りになっていった。
 神社仏閣や歴史的建造物が好きというのと、廃屋に惹かれるというのは、共通の部分も多い。時間の経過に思いを馳せ、ドラマを想像する。

明道町2-6

 トタンは錆びて味が出る。
 昭和の一時期、トタンはもてはやされて流行った。今はもうあまり使われなくなった。もしくは、品質が向上して錆びにくくなっている。だから錆びたトタンは昭和の味として残ることになった。

明道町2-7

 すごいなと、感嘆しきりの私。何度も心の中ですごいとつぶやく。
 荒れっぷりが豪快で、ところどころで度を超している。歳月というのはそういうものだという諦観さえ感じる。

明道町2-8

 歩道が小綺麗なところ以外に21世紀を思わせるところはない。

明道町2-9

 中央菓子卸市場の看板も錆び放題となっている。これがまだ現役で使われている市場の看板なのだから、まいったと言うしかない。もう金輪際新しくしようという意志はないのかもしれない。
 窓もところどころ割れたり抜け落ちたりしている。

明道町2-10

 市場の前にはたくさんの段ボールが無造作に積まれていて、入口はごく狭い。
 この中に問屋が何軒か集まっているのだけど、入口に関係者がいて、フラッと入っていく勇気はなかった。何かを箱買いするつもりで行くか、ちびっ子でも連れていかないと入りづらい。
 けど、やはりここは明道町のクライマックスとして入っておくべきところだった。今後の課題として残してしまった。次の機会があれば、なんとか勇気を持って突入したいと思う。
 しかし、几帳面できれい好きの人は、明道町を歩いてたらイライラしてしょうがないんじゃないだろうか。それほどでもない私でさえ、頼まれもしなくても勝手に補修したり整理整頓したくなってくる。

明道町2-11

 戦後のバラックかというような作りになっている。建物の構造がよく分からない。継ぎ足したり、手直ししたりで、なんとかやりくりしてきた様子がうかがえる。
 ここにはクラッシュ・アンド・ビルドの思想はない。

明道町2-12

 新しい希望という名の古い喫茶店。
 駄菓子屋はコンビニエンスストアによって絶滅寸前まで追い込まれ、近年、昭和レトロブームの到来で、わずかに息を吹き返した。郊外や地方へ行くと、駄菓子屋のような店がそれなりに存在している。
 昭和ブームは明道町にとって新しい希望となり得るだろうか。

明道町2-13

 こんな町は子供の頃でさえ見たことがなかった。だから、歩きながら写真を撮っていて、懐かしいというのとは違う感情を抱いた。自分が知っているよりもっと前の時代を見ているような気がした。
 もう少し写真を並べながら、私自身もこの町についてもう一度振り返ってみることにしたい。
 後編に続く。

ノリタケの森から明道町入口までの歩き撮り

名古屋(Nagoya)
ノリタケ-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日は昨日のルーセントタワーからの続き。ノリタケの森へとやって来た。
 名古屋駅からは1キロも離れていないから、歩いても10分ほどだ。この日は寒風が吹き付ける寒さだったけど、季候のいいときなら駅から散歩してきて、ここでのんびりくつろぐのをオススメしたい。駅近くでは貴重なお弁当ポイントでもある。
 しかし、このノリタケの森がなくなるかもしれないという話が出てきた。ノリタケが名古屋工場を閉鎖して海外に移すため、ノリタケの森ももうやめてしまおうかということになっているらしい。今後の話し合いということになるようだけど、これまで通りの存続というのは難しいかもしれない。
 名古屋も新しいビルが建つ一方で、ラーメン横丁がなくなったり、イタリア村が閉鎖したりと、消えていくものも少なくない。一番の話題としては、JR東海が満を持して金城ふ頭に鉄道博物館を作るというのがある。2011年完成予定で、できたら全国から電車の人たちがやって来ることになる。私も楽しみに待ちたい。あと、名古屋城の本丸御殿も再建が進んでいる。
 そんなわけで、明道町へ向かう途中に寄って行った。訪れるのは久しぶりだ。中は特に変わった様子はなかった。
 なくなって困るわけではなくても、思い出の場所でもあるし、残せるものなら残して欲しいと思う。

ノリタケ-2

 ノリタケの森やノリタケに関する歴史などは、以前にまとめて書いた。付け足すことは特に思いつかない。
 入っていない施設もいろいろあるけど、外観だけは何度か訪れてお馴染みになった。

ノリタケ-3

 赤煉瓦といえば横浜が有名だけど、ノリタケの赤煉瓦も本物で、名古屋ももっと宣伝して人を呼ぶことを考えてもいい。今見ても赤煉瓦造りの建物はいいものだ。
 少し北西へ行ったところに産業技術記念館というのもあって、そこはまだ行ったことがない。機会を見つけて一度訪れなければいけない。
 なごや観光ルートバス「メ~グル」は両方止まる。名古屋人だけど、一回はメ~グルにも乗ってみたい。

ノリタケ-4

 かつての煙突は、ノリタケの象徴的な光景として、モニュメント的に短くして並べてある。
 クリスマスシーズンはサンタがとりついていたりクリスマスデコレーションになっていたはずだ。

ノリタケ-5

 ヘリコプターが3機、上空を飛んでいった。ヘリコプターはたいてい単独飛行で、街中で編隊を組んでいるのを見るのは珍しい。

ノリタケ-6

 ベンチに腰掛けて一休み。
 写真では冬晴れのひなたぼっこのように見えるけど、実際は冷たい風が吹いてとくにかく寒かった。
 歩き続けないと寒いので、立ち止まらずそのままノリタケの森を突っ切って、外に出た。

ノリタケ-7

 方角的には北東だろうと、適当に歩いていたら道に迷った。
 ノリタケの森から明道町へ行くには、少し南下しつつ東へ向かう必要があった。このときは北へ行きすぎていた。

ノリタケ-8

 駅から徒歩15分というのに、町屋風の建物が残っていたりする。このあたりは観光客が訪れるようなところではなく、私も初めて歩いた場所だった。
 名古屋駅が世界一高い駅ビルになっても、駅周辺の風景はあまり大きな変化を見せていないようだ。ビル群は、駅の東側に集中している。

ノリタケ-9

 洋毛雑、品糸貨、ってなんだろうと思ったら、右から横に読むのだった。用品、毛糸、雑貨、だ。
 古い店舗の名残。
 このあたりから少しずつ昭和へのタイムトリップ感が強くなっていく。

ノリタケ-10

 方向を間違えていることに気づいて、南下した。駄菓子の問屋街がなかなか見つからなかったのだけど、近づくにつれてそれらしい店が現れてきた。
 メトロ科学模型株式会社。メトロ科学模型というのはどんなものだろう。想像がつかない。きっと、その筋では有名なのだと思う。

ノリタケ-11

 西松玩具の隣に小さな神社があった。天王社とあるから、牛頭天王の津島神社の系統だろう。
 朱塗りの鳥居はお稲荷さんだ。商売繁盛の神様だから、この地区にぴったりだ。
 このあたりから問屋街の雰囲気が一気に濃くなる。住所としては、新町2丁目になる。

ノリタケ-12

 表の外堀通りがどうなっているのか確かめたくて、いったん出てみた。
 広い通り沿いにも問屋はある。ここは花火などを扱っているところのようだ。

ノリタケ-13

 もう一度中に入り直して、この辺り一帯を歩いてみることにした。
 ここなどは小綺麗な方で、店先での小売りもやっていこうという姿勢が見える。まだディープな世界の入口だ。
 この先、トリップ感はますます強くなっていくのだけど、それはまた次回ということにしよう。
 続く。

若冲を見たくて「日本の美と出会う」展に出向く

名古屋(Nagoya)
日本の美と出会う-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 名古屋駅の高島屋で「日本の美と出会う 淋派・若冲・数寄の心」展を観てきた。
 京都にある細見美術館所蔵の約60点を展示する特別展で、大阪、東京に続いて名古屋へとやって来た。
 最近、少しずつ日本の古い美術品にも興味を持ち始めているのだけど、この展示会に行こうと思った一番の理由は、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)だった。なんでも鑑定団で存在を初めて知って、一度実物を見てみたいと思っていた。
 展示品は、俵屋宗達・本阿弥光悦、尾形光琳、中村芳中、神坂雪佳などの京琳派から始まり、酒井抱一、鈴木其一、鈴木守一などの江戸琳派が続き、その後、伊藤若冲が登場する。このあたりの絵に興味がある人にはなかなか楽しめる内容になっている。
 一般的な人気も高いようで、平日の午後早い時間にもかかわらず、かなりの盛況だった。ゆっくり見られそうな時間帯を狙ったつもりが裏目に出た。年齢層高めの夫婦連れの人などが多かったから、夕方から夜にかけての方が空いているのかもしれない。

 若冲は、明治以降、忘れられた存在になっていた画家で、再発見されて人気が出たのは1990年以降のことだった。
 昭和の実業家・細見良は若冲のよさに早くから気づいていたのだろう。今回の展示では、「糸瓜群虫図」、「虻に双鶏図」、「海老図」、「鼠婚礼図」、「群鶏図」、「伏見人形図」、「踏歌図」、「花鳥図押絵貼屏風」の8点を見ることができる。「伝 伊藤若冲「鶏図押絵貼屏風」」は、たぶん本物じゃない。安河内さんに鑑定をお願いしたい。
 もっと目利きだったのが、アメリカ人のジョー・プライスだった。相当数がアメリカに渡ってしまっている。日本に貸し出してもらって何度か展示会が開かれたことはあるけど、「紫陽花双鶏図」などを見るためにはアメリカまで行かなくてはならない。代表作の「動植綵絵」は宮内庁管理になっている。以前に皇居んどで部分的に公開されたことがあるようだけど、これはなかなか見る機会がなさそうだ。
 今回展示の中では、「花鳥図押絵貼屏風」が一番の見所と言えるだろうか。墨絵屏風で、筆の勢いがすごいことになっている。
 墨絵を見ると、書と絵がごく近い関係のものだということが分かる。点と線が書になり絵になる。名人と凡人では、同じ字や絵を描いても何かが決定的に違う。
 個人的には、濃彩の花鳥画をもっと見たかった。緻密に描かれた写生的でありながら幻想的な花鳥図にこそ若冲の真骨頂がある。
 初期の作品とされる「糸瓜群虫図」も面白かった。糸瓜にたくさんの虫たちがとまっている。それぞれの虫は写実的でありながら、現実にはあり得ない光景だ。

 若冲もよかったけど、酒井抱一(さかいほういつ)のよさを再認識した。
 江戸琳派の創始者である抱一の画風は、京琳派の模倣から始まって、模倣で終わらなかった。
 描く線に気品があり、端正で、江戸っ子らしく気取りがない。キリッとしているのは武家の生まれというのも関係があるかもしれない。姫路藩主・酒井忠以の弟として生まれ、芸術、文学に親しみ、そのあたりが絵にも表れている。江戸時代後期という時代性もあったのだろう。
 尾形光琳、葛飾北斎などの有名どころも数点あり、なるほどと思う。有名だからすごいというのではなく、これだけすごかったら当然有名になるよねというなるほどだ。
 名古屋での展示は、1月11日までなので、興味がある方はぜひ。

名駅周辺-2

 夕方まで時間があったので、名駅から名古屋城まで歩くことにした。その途中にある、明道町の駄菓子屋問屋街へ行くことも目的の一つだった。
 昼間のタワーズライツは、むき出しの配線とワイヤーの光景。夢の舞台裏はあまり見ない方がいい。
 タワーズライツは今日までということで、明日には撤去されているかもしれない。去年も見られてよかった。今年のクリスマスも楽しみにしておこう。

名駅周辺-3

 名古屋駅前の象徴の一つ大名古屋ビルヂングも、建て替えられることが決まって、今の姿を見られるのはあと少しとなった。38階建ての高層ビルになるらしい。
 中央郵便局分室も高層ビルになるという計画がある。駅の風景もだんだん変わっていく。今の風景は今のうちに撮っておかないといけない。

名駅周辺-4

 駅からルーセントタワーへと続く地下道・ルーセントアベニューも前から一度歩いてみないといけないと思っていた。壁画と光の演出が特徴で、できたときはちょっとした話題になった。
 今更こんなところで写真を撮ってる人も少ないだろうけど、せっかく行ったので歩きながら何枚か撮った。

名駅周辺-5

 なかなか幻想的だ。人目を気にしなければ面白い写真が撮れそうだ。歩いている人をきちんと選んで配置したいところだ。

名駅周辺-6

 光の色や当たる場所を変えている。壁画もテーマ別になっているようで、そのあたりも注目していくとよさそうだ。
 ただ明るいだけの通路では楽しくない。こういうのはいい試みだと思う。

名駅周辺-7

 名古屋を訪れたときは、時間があればこの地下街を歩いてみることをオススメしたい。自分は観光客なんだと居直れば、人目があるところで写真を撮っても恥ずかしくないはず。

名駅周辺-8

 ルーセントタワーは、一度も入ったことがない。展望台もなく、用事もない。地下から2階に飲食店が入っているけど、どこも苦戦しているようで、去年半分くらい閉店になってしまった。一度くらいはどこかの店に入っておきたい。

名駅周辺-9

 名古屋駅から少し離れると、一気にひなびた感じになって、古い建物などもポツポツ残っている。駅の北は特にそうだ。
 駅北にある、ノリタケの森へ向かう。

名駅周辺-10

 銭湯の桜湯。もう営業していないようだ。
 名古屋もここ数年でまた銭湯が減った。頑張って続けていた昔ながらのところも、燃料高騰のあおりを受けてこらえられなくなった。

 このあと、ノリタケの森から明道町へと続く。
 今日はここまでとしたい。

冬には冬枯れの美しさがある <牧野ヶ池後編>

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
牧野ヶ池2-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 牧野ヶ池の写真がまだ残っていたから、今日は後編ということで。
 ハス風景の冬景色。これはこれで美しいと思う。咲いている花だけが自然の美ではない。冬には冬の魅力があることに気づけば、被写体は増える。

牧野ヶ池2-2

 枯れハス風景その2。
 このあたりの光景に心惹かれて、何枚も撮った。面白いと思った。

牧野ヶ池2-3

 映り込みの色によって雰囲気は違ってくる。
 前後左右にずらして何枚も撮って、その中でいいと思うものとそうじゃないものがある。正解はないようである。最初から正解が見えれば、撮るのは一枚でいい。

牧野ヶ池2-4

 水面の映り込みの色と波紋がよかった。
 ここまでの四枚で、組写真ということにしたい。

牧野ヶ池2-5

 茶色い枯れ風景も悪くないと思える一枚。
 枯れ風景というと紅葉もそうなのだけど、もっと渋い風景の中にも美しさがある。侘び寂びのような、とても日本的で、情緒的な美が。

牧野ヶ池2-6

 水面は自然のキャンバスだ。こちらが描きたいと思う風景を、自然はすでに描いてくれている。あとは選ぶだけ。

牧野ヶ池2-7

 泳ぐコブハクチョウと、飛ぶカモ、泳ぐカモ。
 ヨーロッパや中央アジアに生息するコブハクチョウは、本来日本の鳥ではない。でも、お城の堀などでお馴染みになって、自然の池にいてもさほど違和感はない。

牧野ヶ池2-8

 飛んでいる姿はあまり優雅とは言えないカモさんたち。体も重そうだ。にもかかわらず、何百キロ、何千キロと旅をして年に二度の渡りをする。
 陸上の鳥と違って、疲れたら海で休めばいいからというのはあるか。

牧野ヶ池2-9

 飛ぶカモたちの後ろ姿。
 なかなかいいバランスで、いい位置に収まった。飛ぶ鳥撮りは楽しい。

牧野ヶ池2-10

 カラ類が混在する雑木林の中で、エナガが一番姿を見つけやすい。群れで近くにいるから。ただ、ちょこまか動き回るから撮るにはやっかいだ。いい構図を狙ってなんてのんびりしたことはいってられない。画面に収まって、ピントがあってたら上出来だ。

牧野ヶ池2-11

 冬といえば赤い実。赤い実といえばたくさん種類があって、区別はつかない。これもよく分からない。

 今回の牧野ヶ池はここまで。春までにもう一度くらい行っておきたい。

火事騒動

街(Cityscape)
火事騒動-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 外が騒がしいので見てみると、あたり一面に煙が立ちこめている。どうやら近くで火が出たらしい。遠くからサイレンの音も鳴ってきて、にわかに騒然としてきた。

火事騒動-2

 火は見えなかったけど、火の出所はあのあたりだったらしい。黒煙も混じった煙はしばらく消えなかった。
 消防車が何台もやって来て、見物人も増えていった。
 火事は本当に怖い。明日は我が身でもあるし、あまり大ごとになってなければいいのだけど。

火事騒動-3

 赤いヘリコプターが飛んできた。消防関係なのか、別のところのものか。

火事騒動-4

 雲に太陽が隠れて、ちょっとドラマチックな感じに。

火事騒動-5

 別のヘリコプターもやって来た。新聞社の取材用とかかもしれない。それか、救助隊とかだろうか。

火事騒動-6

 夕方には平静を取り戻して、何事もなかったかのように、暮らしは西日に照らされていた。
 そんなちょっとした騒動があった午後の日。

冬の池風景の中にいる鳥たち <牧野ヶ池・前編>

野鳥(Wild bird)
牧野ヶ池1-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 正月明け第一弾は、ちょっと距離があるけどお手軽な牧野ヶ池散策となった。冬場の牧野ヶ池にはカモたちがたくさんいるし、水風景もある。歩く距離も池の3分の1周往復で1時間半ほどと、ちょうどいい。
 今日まで休みの人も多いようで、たくさんの親子連れなどが訪れていた。普段の平日とは歩いている顔ぶれが少し違う。白レンズとデジスコの人もいた。
 今週の日曜(1月10日)には探鳥会があるようだから、お近くの方で興味がある方は参加してみるといいかもしれない。自由参加だから、集まっている人たちにくっついていけば鳥を見つけてくれるし、スコープものぞかせてもらえると思う。

牧野ヶ池1-2

 牧野ヶ池にもミコアイサが訪れる。遠くの方にいた白いやつがそうだと思うのだけど、遠すぎてはっきりは確認できなかった。ミコアイサは他のカモたちと違って警戒心が強くて、なかなか近づくことができない。雨池のような小さな池でさえそうなのだから、大きな牧野ヶ池では尚更だ。
 ミコアイサを撮るなら雨池の方がいい。

牧野ヶ池1-3

 ユリカモメが最近近くまでやって来る。名古屋城のお堀には毎年たくさん来るのだけど、あそこは海から近い。名東区、守山区はだいぶ内陸で、昔はこのあたりではたまにしか見かけなかった。最近はまとまって飛んでくる。
 エサは雑食性で、人があげるエサも鳩のように喜んで食べる。牧野ヶ池でもおじさんがカモに投げていたパンを横取りしていた。

牧野ヶ池1-4

 ここはオナガガモやヒドリガモなどが多いところだ。マガモやコガモは少ない。
 たまに珍しいカモも飛来するそうだけど、私にはそんな細かい区別はつかない。ヒドリガモによく似たアメリカヒドリがいたとしても気づかない。

牧野ヶ池1-5

 オオバンもバン同様泳ぎが苦手で、一所懸命水を掻いている割にはスピードが遅い。
 バンより見かけることは少ないけど、ここにはたくさんいてよく見る。

牧野ヶ池1-6

 水面から顔を出した枝が作る風景が好きで、よく撮る。今回は雑然としてまとまりに欠けた。
 後ろに泳いでいるカモの群れがアクセント。

牧野ヶ池1-7

 白目に黒い点目のカイツブリ。目が点だからいつもびっくりしたような顔をしている。本人にそういうつもりはまったくないだろうけど。

牧野ヶ池1-8

 枯れ蓮の名残。ここに蓮の花が咲いているとは知らなかった。いつも行かない奥まで行って発見した。
 今年の夏は蓮花撮りに行こう。

牧野ヶ池1-9

 これも水面枝模様を撮った一枚。
 よく見えないけど、中央左寄りにセキレイが写っている。セグロかハクセイキレイか。

牧野ヶ池1-10

 白枯れの枝にとまるカワウ。
 カワウのフンで真っ白になっている木があるけど、これは違うか。

牧野ヶ池1-11

 葦か何かの草むらにいたダイサギ。
 冬らしい池風景。

牧野ヶ池1-12

 西日を受けて飛び去る2羽のアオサギ。

 冬景色の中にいる鳥たちを、まずまず撮れて楽しかった。
 写真がまだあるから、後編に続く。

新年最初のサンデー料理は普通の洋食

料理(Cooking)
新年サンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 新年一回目は、おせち料理とまではいかないまでも正月らしい料理を作ろうというのがここ2年くらいだったのだけど、今年は正月気分も盛り上がっていないから、普通の料理にした。おせち料理が2日続いて、そろそろ普段の料理が食べたくなってきた頃でもある。
 多少お正月らしいといえば、タイやエビやカニを使ったところだろうか。めでたいのタイ、腰の曲がるまで長寿を願うエビ、カニは何もないか。そういえばおせち料理にカニは入っていない。こじつけが思いつかなかったのか、昔の日本人にとってカニはあまり身近な食べ物ではなかったのか。
 今日のメニューは、食べたいもの優先で決まった。特にテーマはない。多少イメージからズレた部分もある。

 タイは白ワインのホイル蒸し焼きトマトソースがけになっている。
 白ワイン、塩、コショウを振ってホイルにゆるく包み、魚焼きグリルで焼く。
 トマトソースは、シンプルにトマトとタマネギで作った。ケチャップ、コンソメ、塩、コショウ、砂糖などで味付けをする。
 右の卵焼きは、当初伊達巻きを作る予定だった。けど、途中で面倒になって普通の卵焼きになってしまった。中に刻んだエビをたっぷり入れたから、少し贅沢な卵焼きではある。
 中華の素と長ネギでソースを作り、水溶きカタクリ粉でとろみをつけてある。
 奥はカニクリームコロッケだ。
 ジャガイモをレンジで加熱してつぶし、ホワイトソースもレンジで作る。刻んだマッシュルームを入れて混ぜ合わせ、衣をつけて揚げる。塩、コショウ、コンソメの素で下味をつけてある。
 タルタルソースも作ってかける。

 今日は普通の料理だから、普通に美味しく食べた。
 正月におせち料理を作るのは、新年に迎えた歳神様が家でゆっくり過ごせるように正月三が日は台所でバタバタしないようにするためだ。お母さんも正月くらいは料理を休みたいからとかそういう理由じゃない。私が3日に台所でドタバタしてしまったから、歳神様は早めに帰ってしまったかもしれない。古い神様だけに、ワシは洋食は合わんとか言いそうだし。
 今年はまだ初詣にも行っていない。今年くらい正月らしくない三が日もかつてなかった。明日からは切り替えて通常に戻していきたい。写真も撮りに行こう。
 サンデー料理は、今年も上達を目指して作っていきたいと思っている。

雨池で撮る冬風景

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
雨池3-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 新年2日目も在庫写真の整理は続く。今年の写真始動は来週からになりそうだ。
 雨池で撮った写真をまだ使い切っていなかったから、今日で全部出してしまうことにする。行ったのは10日前だから、季節感のズレはまだない。
 冬がだいぶ深まって、ここから茶色い世界が3ヶ月近く続く。寂しくはあるけど、冬枯れのよさもある。もしかしたら冬景色の魅力に気づいたのはこの冬が初めてかもしれない。これからは毎年、冬も楽しみになる。

雨池3-2

 冬の太陽を浴びてきらめく水路。小さな水たまりでも、そこに水と太陽があればキラキラは生まれる。この世界の美しさは、ディテールにも宿る。気づくことができれば、幸せも増える。

雨池3-3

 枯れ葉と冬の緑。
 季節に合わせて自分の姿を変えるのも一つの在り方だし、頑なに自分を変えない生き方もある。

雨池3-4

 雨池周回コースは人気で、いつ行っても人がたくさん歩いている。犬の散歩コースとしても、人の散歩コースとしても歩きやすいのだろう。
 なので、ここはあまり落ち着いて写真を撮れない場所でもある。
 子供の頃の雨池は、池の周りが草ぼうぼうで、たまに釣り人がいるくらいの寂しい池だった。あまりにも激変してしまって、昔の姿を思い出すのは難しい。

雨池3-5

 こんな鯉が野生にいるわけないから、誰かが放したのだろう。飼い鯉も自然に繁殖していくものなんだろうか。

雨池3-6

 冬の雨池というと、ミコアイサが一番の楽しみとなる。ここ3年くらい毎年見ているから、今年もそのうちやって来るだろう。2月に見ることが一番多い。この日はいなかった。

雨池3-7

 顔を埋めて寝るアオサギ。こんな恰好をしているのはあまり見ない。胸の中に顔を入れてるのか、後ろを向いて羽の中に顔を入れているのか。

雨池3-8

 枝に隠れてよく見えない。エナガだったか。
 鳥よりも枯れ枝の複雑な模様に惹かれるものがあった。

雨池3-9

 シルエットになっているのは、たぶんヒヨドリだと思う。
 これも枝の様子が気に入って撮った写真だ。

雨池3-10

 バンだったと思う。
 水の色と水紋と光と影。

雨池3-11

 これも遠すぎて正体がよく分からなかった。
 細かい水面の模様が好き。
 池の鳥撮りは風が一番の大敵だけど、写真としては風があった方が面白いのが撮れる。

雨池3-12

 地上を歩くバン。歩くことを優先させた大きくて細い足の指を持っている。水かきはついてないから、泳ぐのは苦手だ。漕いでもこいでも速く進めなくて、もどかしさから急ぐと前傾姿勢になる。泳ぎが下手な水鳥もいる。

雨池3-13

 ミコアイサに会えなかったから、また近いうちに見に行くことにしよう。
 雨池は今年もちょくちょく登場することになると思う。
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