
PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8
京都がいくら路地の魅力的な街だといっても、観光客として訪れて路地ばかり喜んで撮っている人はあまりいないと思う。でも、たまにはそんな人もいるんじゃないか。世の中には考えている以上に、様々な分野での物好きが存在している。
私もちょっとした路地好きとして、普段から歩きながら路地の写真を撮ることが多い。京都も例外ではなかった。いい路地を見つけると反射神経のように撮りまくった。
いい路地の定義というのは特になくて、なんとなく雰囲気が好きというだけのことだ。路地へ深く踏み入れて何か面白いものはないかと探検したりというようなことはあまりしない。ただ、風景としての路地を撮るのが好きなだけで。
撮ってきた写真を見返してみたら、やっぱりたくさんの路地写真があった。せっかくなので、使えるものは全部出しておきたい。それならいっそ、まとめて紹介してしまうのがいいんじゃないかということで、京都シリーズ第2回は路地写真編ということにした。
題して、ロジコレ2010イン京都、だ。
路地だけに観光エリアは少なく、地元の人しか分からないような場所が多くなっている。京都の人からしたら、きみは20年ぶりに京都を訪れてこんなところを歩いていたのかとあきれるかもしれない。

まわりには一人の観光客も歩いていないようなところ。道行く人はみんな地元の人のようだった。
けど、こういう部分の京都を撮りたいというのも今回の目的の一つとしてあった。観光地ではない京都の一面を、わずかながらも撮れたように思う。
軽トラで野菜を売りにきている人や、自転車のカゴに仏壇用の花束を入れて走る人。新旧入り交じった家並みや、「ゆ」の看板。
地方のどこにでもありそうで実際はありふれているわけではない、京都らしさを感じる生活空間。

町内会の周辺の人しか行き来しないような路地。私などは完全に場違いな観光客で、写真を撮ってなかったら道に迷ったかわいそうな人にしか見えなかっただろう。
もっと時間があれば、こういう観光地ではないところもいろいろ歩いてみたかった。観光エリアとはまた違った魅力がある。
京都へ行ったからといって京都らしさを撮らなければいけないわけではない。京都を撮るのではなく、京都で撮ると思えば、写真はもっと自由になって、可能性も広がる。結果として、撮れた写真はその場所へ行かなければ撮れなかったものなのだから、それが正解となる。

こういう路地を見つけると嬉しくなって頬が緩む。なんとも言えずいい感じだ。
ずっと昔の前世で、路地のノラ猫をやっていたのかもしれない。こういうところに入ると気持ちがなごむというか、気分が落ち着く。

公と私の境目が曖昧なのも路地の特徴であり、魅力ともなっている。路地は公道でもあり、半分私有地でもある。隣近所の人たちで共有しているという感覚だろうか。
生活感の強い路地を垣間見せてもらうのが好きだ。これ以上入っていきたいというふうには思わない。

観光エリアに近いところは、店の看板などもよそゆきな感じがある。少し身構えているようで、雰囲気は固い。よそ者が入ってこない路地は、気安い雰囲気で空気が柔らかい。
人力車はもちろん、観光客向けのものだ。

路地でもある程度の広さがあるところは車が通る。これくらい広い道は、もう表通りに近くて、路地とは呼べないか。
路地の定義としては、建物と建物の間の細い道、というのが一般的だと思う。路地と路地裏の違いが今ひとつよく分からないのだけど、そのあたりはあまり厳密には考えていない。

路地写真の魅力の一つは、人が入ることだ。いいタイミングでいい人が入ると嬉しい。あー、おじさん、ちょっと邪魔でした。

和装のおばさまがいい雰囲気に彩りを添えてくれた。
車が雰囲気を壊しているのは、まあしょうがない。
そういえば、京都というのはこれだけ歴史のある観光都市のわりに電線、電柱の地中化が進んでいない。日本の中で率先して取り組んでいかなければいけない街だと思うけど。
ここ数年でようやく東山区の地中化が終わったところのようだ。そういえば産寧坂あたりはすっきりしていい景観になっていた。
民主党は公共事業削減で、電線地中化の金を出さないようなことを京都に言ってるらしいけど、やるべきことと無駄なこととをちゃんと区別しなくてはいけない。お金にならないことがなんでもかんでも無駄というわけではない。

路地にも反応するし、人にも反応する。人に反応したらそこに路地があったという場合もある。路地と人と私との幸せな出会い。

古い家並みの敵、エアコンの室外機。着物を着た侍が腕時計をしているようなもので、これが時代考証を一気に吹き飛ばしてしまう。
家電製品のデザインも最近はだいぶ洗練されてきたのだから、エアコンの室外機もなんとかして欲しい。木造家屋用の木目調なんかが選べてもいいではないか。

観光ゾーンに近いところだから、整然としている。ここまで整備されてしまうと、かえって面白くないと思ってしまうのは贅沢な話か。

京都には打ち水の文化がまだしっかり生きているようだけど、冬場でも水を撒いたりするのだろうか。雨でもないのに路地の地面が濡れているところがあちこちにあった。
打ち水は暑さを和らげるためだけでなく、ホコリが舞い上がらないようにする効果もあるから、そういう意味で冬でも水を撒いているのかもしれない。
見た目にも風情が増していい。

これまたすごいのを見つけた。ここまで細く曲がりくねっているのは、離島くらいじゃないとなかなか見られない。
自転車ですれ違うのも、片方は降りないといけないくらいだ。

ロジコレ、楽しんでいただけただろうか。個人的にはとても楽しかった。収穫も多かったと感じている。
またどこか別の街の路地で会いましょう。