月別:2009年12月

記事一覧
  • ご近所風景写真で今年もおしまい

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今年最後の更新は、気に入った写真を集めて一年を振り返ろうと思ったのだけど、在庫写真がけっこう残ってしまっているから、少しでも消化するために小ネタでいくことにした。ご近所風景写真を並べて今年の締めくくりとしたい。 まず最初は、尾張旭方面の山並み写真だ。うちからは北東の鬼門に当たる。 真冬でもここまではっきりと遠くの山並みが見えることはめったにない。少し左手に御...

    2009/12/31

    日常写真(Everyday life)

  • 変わりゆく自分と写真、変わらない岩屋堂

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 写真を撮るために岩屋堂へ初めて行ったのは、2004年10月の終わり。あれは岩巣山に登るのが目的だった。あれから5年の間に何度となく訪れているけど、私の中で岩屋堂のイメージは冬枯れの風景だ。夏でも秋でも春でもなく、シーズンオフの静かでひなびた感じが今の岩屋堂には合っている。子供の頃、親に連れられていったときは、もっと賑やかで現在ほどさびれてはいなかった。 シーズンオフ...

    2009/12/31

    施設/公園(Park)

  • 年末の岩屋堂で水風景の撮り納め

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 紅葉の一時的な賑わいからひと月が経過して、年末の岩屋堂はいつも通りの静けさを取り戻していた。夕方の日没前ということもあって、だたの一人とも出会わなかった。自分のホームに戻ったような安心感があった。 岩屋堂も今年はよく行った。最後に撮り納めとして、もう一度だけ行ってきた。 紅葉が終われば、ここも撮るものは少なくなる。ただ、海上の森より水風景をよく撮れるから、冬...

    2009/12/29

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 冬景色を求めて12月末の海上の森を歩く

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro 冬になれば花もなくなり、虫もいなくなって、森は撮るものがなくなると思っていた。たまに出会う野鳥くらいで。でも、冬には冬景色を撮ればいいことに気がついた。そうしたら、撮るものは意外とたくさんあった。ないものねだりを言い訳にせず、今そこにあるものを撮ればいい。 冬らしい写真を求めて、冬の海上の森を歩く。枯れ木もいい被写体になってくれる。 ...

    2009/12/28

    森/山(Forest/Mountain)

  • 合格点には一歩届かず2009年サンデー料理が終了

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 2009年最後のサンデー料理は、今年一年の締めくくりということで、卒業検定のようなつもりで臨んだ。のだけど、思いがけない失敗もあり、留年決定となった。トマトスープを作るのにトマトを買い忘れたのは致命的だった。海水浴場に着いて海パンを忘れたことに気づいてトランクスで泳ぐようなものだ。 今回のテーマは、自分が食べたくて、なおかつおもてなし料理として出せるもの、というものだ...

    2009/12/28

    料理(Cooking)

  • 海上で氷と雪のスケッチ

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro 水の写真をテーマの一つとして撮っているけど、氷の面白さというのも今回知った。多様な姿を見せてくれるから、撮っていて楽しかった。あらたな冬の楽しみを見つけて喜ぶ。 今日は、氷と雪のスケッチ写真を。 海上の森は市内と比べて特別寒いところではないのに、土と水と木々によって氷を午後まで保っていた。近頃の冬は暖かくて氷も張らないと思っているけど...

    2009/12/27

    雨/雪/天候(Weather)

  • 12月終わりの海上の森で私が見た風景

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro 12月終わりの森を歩く。 冬の色と肌触りを求めて。 静かで冴えた空気が伝わるだろうか。 冬にしか撮れない写真は、冬だから撮れる写真。 これが12月終わりの森で私が見た風景。...

    2009/12/26

    森/山(Forest/Mountain)

  • 雨のち晴れのご近所散歩写真

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / SIGMA 50mm f2.8 Macro 他 雨空から音もなく降る雨が地上を濡らす。葉の落ちた枝を光らせ、公園に子供たちの声はない。 私は空に向けてカメラを向ける。雨が写ってくれないかなと思いながら。けれど、そこに雨の軌跡はない。ただぼんやり曇った空があるばかり。 雨の路地。細くうねっている感じがいい。 相合い傘二組。たぶん、前の組と後ろの組は無関係だ。 フロントガラスの水滴。写真で...

    2009/12/25

    日常写真(Everyday life)

  • 昔の記憶が全然戻らなかった懐かしの大森散策

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日は昨日の続きで大森散策編をお送りします。 大森といってもローカルすぎて近所の人しか知らないと思うけど、このブログでもちょくちょく登場している。雨池とか、金城学院とか、大森寺なんかが出てきた。八剱神社を紹介したこともある。 子供の頃、名古屋に引っ越してきて最初に住んだのが大森だった。その頃の記憶はかすかにしか残ってなくて、車で通っても今の風景と比べてどこがどう変...

    2009/12/24

    街(Cityscape)

  • 鉄道沿線風景に日常生活の情緒を見る

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 電車に対して熱い思いを抱いてはいけないけど、電車のある風景は好きだ。電車は私にとって非日常的な存在で、旅行と結びついているものだから、電車を撮ることは少しだけ旅の気分を味わうことになる。 線路沿いの風景というのは特に情緒的なもので、沿線に暮らす人たちを絡めて撮ると、その風景は私にとって平凡な日常ではなく、特別なものに感じられる。 これも一種の鉄っちゃん症状といえば...

    2009/12/23

    飛行機(Airplane)

  • 動物園の美しき生き物たちに野生の片鱗を見る

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di トラは地球上で最も美しい生物の一つだと思う。毛並みや体のラインだけでなく、存在の気高さがある。 トラを見ると、多くの人がそんな思いを抱くんじゃないだろうか。もし、トラが人間に飼い慣らされていたら、人はトラを飼っただろう。けど、トラの気位がそれを許さなかった。だから、人はその代わりとして猫を飼うようになったのかもしれない。 美しき獣、トラを見るとその言葉が頭に...

    2009/12/22

    動物園(Zoo)

  • サンタとツリーを作って喜ぶクリスマスサンデー料理

     今年のサンデー料理も残すところあと2回となり、ふと気づけばクリスマスが近い。最後は今年の集大成と決めているから、クリスマスサンデーをやるなら今日しかない。写真を見てすでに気づいていると思うけど、ご覧の通りクリスマス料理だ。決してふざけているわけではない。サンタとツリーを作るのに、どんだけ時間がかかったか。 クックパッドのサイトで、かわいいサンタを作っている人がいたので、真似して作ってみた。ただ、...

    2009/12/21

    料理(Cooking)

  • 動くコアラと退屈なゴリラ

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di あ、コアラが起きている。 それがどうしたなどと思ってはいけない。東山のコアラは寝ている状態が普通だからだ。コアラは基本的に夜行性なので、昼間はほぼ寝て過ごす。一日20時間くらい寝ているそうだ。なので、昼間の動物園で起きているコアラを見るのは非常に難しい。起きているコアラを見て驚いたのも無理はないのだ。 コアラのエサやり時間が昼の1時で、それから1時間くらいは起き...

    2009/12/19

    動物園(Zoo)

  • 凍えるほど寒かった冬の東山動物園

     冬の動物たちは、夏よりも活発でよく動く。暑い日はどうにもやる気が出ませんという感じで寝そべっているやつらが多いけど、一部を除いて寒いのはわりと平気なようだ。特に水辺の動物たちは元気だった。 上の写真は、カリフォルニアアシカが、クシャミか何かをしてプシューっと水しぶきが飛んだところだ。この日は猛烈に寒くて、それが水蒸気のようになった。 それにしても、この日は寒い日で凍えそうだった。手はかじかみ、体...

    2009/12/18

    動物園(Zoo)

  • 毎年のことだから今年も撮りに行ったタワーズライツ

    PENTAX K10D+SIGMA 30mm f1.4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 2001年から始まった名古屋駅JRセントラルタワーズのタワーズライツも、今年で9回目となり、名古屋の冬の風物詩としてすっかり定着した感がある。 最初の頃はあまり興味がなくて、写真を撮らなかったことが惜しまれる。ここ3年くらいは毎年行っている。今年もクリスマスには少し早かったけど、撮りに行ってきた。11月13日から始まっているから、もうかなり出遅れている...

    2009/12/18

    イルミネーション(Illumination)

  • 桜橋から納屋橋まで堀川風景を撮り歩く

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 栄から名駅へ歩く途中、堀川にも少し立ち寄った。 堀川は、名古屋城の北を流れる庄内川から名古屋港へと注いでいる川で、もともとは名古屋城築城の際に物資を運ぶために福島正則が掘ったのが始まりとされている。 昭和の初めまでは、生活用水や工場排水が流れ込んで、ひどい匂いを放つどぶ川となっていた。近年はだいぶ浄化が進んだとはいえ、まだまだ清らかな流れとは言い難い。近づく...

    2009/12/17

    名古屋(Nagoya)

  • 流れ星を二つ見たけど撮ることも願い事をすることもできず

    PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4 / SIGMA 400mm f5.6 昨日12月14日、ふたご座流星群がピークというニュースを見た方も多いと思う。実際に流星を見ようとした人は少ないかもしれない。そんなものをのんきに見てるほどこちとら暇じゃないという人に代わって私がなんとか写真に撮ろうと試みたのだけど、残念ながら流星撮りに成功しなかった。面目ない。肉眼では2つ、流れ星を見たには見た。ただ、それを偶然撮るにはかなりの知識か強...

    2009/12/15

    星(Star)

  • セロリとお近づきになるためのサンデー料理

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8 II マンデーだけど、昨日できなかったサンデー料理のネタを。 今回の主役はセロリだった。セロリというとSMAPの曲を思い出す。思い出すのは曲名だけで、歌そのものはまったく知らない。私にとってのセロリは、完全に食わず嫌いの食材で、生まれてこのかた積極的に口にしたことは一度もなかった。食べる前から嫌いな食べ物に違いないという思い込みだけがあって、食べるまでもないと思っていた。 大人...

    2009/12/15

    料理(Cooking)

  • サンデーだけど時間切れで明治村写真で簡単更新

    PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4 今日は日曜日だから、通常ならサンデー料理の話になるのだけど、時間切れとなったため、明治村の写真を並べるだけの簡単更新となった。料理は土曜日に作ったから、明日にでもサンデー料理はお送りしたい。 明治村も季節ものではないとはいえ、あまりにも寝かせすぎると、自分の中で賞味期限が切れてしまう。まだ写真は残っているし、今後はネタとネタの間でなるべく早めに出していくことにする。...

    2009/12/14

    施設/公園(Park)

  • セントラルパークから桜通を歩く

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di オアシス21をあとにして、セントラルパークにやって来た。 セントラルパークというのもまた、どこからどこまでをそう呼ぶのか、名古屋人にもよく分からないところだ。テレビ塔を中心として、南北2キロの公園部分がそうなのかと思うとそうじゃない。全体は久屋大通公園が正式名称だ。その中の、桜通大津から広小路通までのエリアがセントラルパークなんだそうだ。北にはロサンゼルス広場や...

    2009/12/13

    名古屋(Nagoya)

  • 愛知県芸術文化センターからオアシス21あたりにて

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di「日本の自画像」展は、愛知県美術館で開催されていて、愛知県美術館は愛知県芸術文化センターの中にある。最初、この関係がよく分からなかった。写真展などの企画展や所蔵展はこの10階でやるらしく、愛知県美術館の屋外展示スペースが12階にあって、ギャラリーは8階にある。ギャラリーなどは別料金なのか、無料なのか、そのあたりも把握できていない。 愛知県芸術文化センターは建物の名前...

    2009/12/12

    名古屋(Nagoya)

  • 立ち止まらせる力 ---写真展「日本の自画像」を見て思ったこと

    PENTAX K10D+SIGMA 30mm f1.4 少し前に土門拳の特集番組を観て感銘を受けて、機会があれば一度見てみたいと思っていたら、思いがけずすぐに叶うことになった。 愛知県美術館で開催されている「日本の自画像 写真が描く戦後 1945-1964」の中で、土門拳の写真も数点展示されていることを知って、早速チケットを手に入れて見に行ってきた。 流れというか、こういう連鎖というのはあるもので、それまで縁がなかったものに一点足が...

    2009/12/11

    施設/公園(Park)

  • 日常的に見ているのに見ていなかった風景

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 日頃見慣れた風景も、望遠レンズを望遠鏡のように使って部分を探していくと、今まで見逃していたものが見えてくる。 上の写真は、猪高変電所で、これまで気づかずにいた。少し角度を変えて見てみたら、こんな面白い風景が隠れていた。もっと高いところから更に寄って撮りたいところだけど、それは難しい。 夜はどんなふうになっているのか。時間帯や光によっても違った風景になりそうだ...

    2009/12/10

    街(Cityscape)

  • 初冬の海上の森で秋色の名残を探す

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / DA 16-45mm F4 ここのところ少し気温が下がって、季節が晩秋から初冬へ移ったことを実感する。名古屋は今日、遅い初霜が観測されたそうだ。 紅葉シーズンが終了して、やや目標を見失いつつある中、海上の森へ行ってきた。秋色の名残を探すのが主な目的だった。 コースは最近定番になっている、篠田池から大正池へ回る北エリアを選んだ。南エリアや湿地は、虫がいない季節は撮るものが...

    2009/12/09

    森/山(Forest/Mountain)

  • 気になっていた野鳥観察の森に初めて入った <小幡緑地・後編>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は小幡緑地の後編を。 小幡緑地は、本園と東園、西園があって、それぞれが飛び地になっている。全部つなげて広大な緑地にする計画があるらしいのだけど、工事が進んでいる様子はない。立ち消えにはなっていないとしても、計画は長期中断中のようだ。 本園から少し離れた東側に、野鳥観察の森と名づけられた一角がある。その存在だけはずっと以前から知っていたものの、これまで一度...

    2009/12/08

    施設/公園(Park)

  • 普通の夕食プラス洋風焼きそばサンデー料理

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 先週はチェコスロバキア料理だったから、今週は普通の料理を作った。一般的な基準では普通ではないのかもしれないけど、私にとってはお馴染みの料理という意味で。毎週、世界料理に挑戦するのは大変だ。 今日は食材が最初にあって、それを使って何を作るか考えて決めるというアプローチだった。マグロとエビがあって、使ってしまわないといけないトマトがあって、野菜が少しずつ残っていた。そうい...

    2009/12/07

    料理(Cooking)

  • 小幡緑地で撮る水風景 <前編>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di どういう状況で何を撮ってこんな写真になったのか、自分でもよく思い出せない。不思議な魅力のある水写真が撮れていた。たぶん、流し撮りの失敗写真ではなかったかと思う。 今日の小ネタは、近所の小幡緑地で撮ってきた写真だ。ちょっと水増しして2回分になったから、前後編に分けてお届けしすることにした。 前編の今回は、水にまつわるものを集めてみた。小幡緑地本園は水の多いところ...

    2009/12/06

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 鳥と夕焼けを絡めて近所の河原で小ネタを撮る

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di + C-PL 12月に入って、季節は晩秋から初冬へ移り変わろうとしている。しばらく続いた紅葉ネタも終わって、小ネタでつなぐ日々が始まる。何かいい冬ネタはないものか。 冬といえば渡りのカモが季節の風物詩で、私にとっての大事なネタ元でもある。これからの季節は、カモを撮るために近所の池や川を巡ることが多くなる。夕焼けや水風景などを絡めつつ、何か撮れればいいと思っている。 今...

    2009/12/05

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 浄源寺最後の一枚で今年の紅葉は終わりにしてもいいと思った

    PENTAX K10D+DA 16-45mm F4 + C-PL 瀬戸岩屋堂にある浄源寺で最後に撮った一枚。 日没であたりが暗くなり、光がなさすぎてファインダーをのぞいてもよく見えない中、赤色さえ出ればこれはいい写真になるかもしれないという予感で撮った一枚だった。 浄源寺は、ここ数年、毎年続けて撮りにいっている。門をくぐった先がモミジとイチョウの落ち葉で埋まる光景を撮りたくて。 2007年にほぼ最高の状態に出会えて、去年、今年と、そ...

    2009/12/04

    紅葉(Autumn leaves)

  • 香嵐渓のよさを伝えきれない香嵐渓写真

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di + C-PL 写真は誰のために撮るものだろう? もちろん、自分のためではあるのだけど、同時に誰かに見てもらうためでもある。共有するためと言い換えてもいい。そういう意味では、携帯カメラというのは写真の本質を突いていると言える。撮るという行為と見せるという目的が直結している。 おばあちゃまは紅葉のきれいな写真を撮って、孫にでも送ったのだろうか。その行為をどう思っているだ...

    2009/12/03

    紅葉(Autumn leaves)

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ご近所風景写真で今年もおしまい

日常写真(Everyday life)
ご近所風景-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今年最後の更新は、気に入った写真を集めて一年を振り返ろうと思ったのだけど、在庫写真がけっこう残ってしまっているから、少しでも消化するために小ネタでいくことにした。ご近所風景写真を並べて今年の締めくくりとしたい。
 まず最初は、尾張旭方面の山並み写真だ。うちからは北東の鬼門に当たる。
 真冬でもここまではっきりと遠くの山並みが見えることはめったにない。少し左手に御嶽山があって、それはわりと見えることがある。そのやや右手となると、北アルプスではなく南アルプスになるんじゃないかと思う。
 写真に写っているスカイワードあさひの展望台に行けば、風景と対比させた説明パネルがあるから今度確認しに行こう。

ご近所風景-2

 冬は空気が澄んで、名駅のタワーもくっきり見える。午前中は順光になるから、セントラルタワーズの白さが際立つ。これは午後早い時間だったか。

ご近所風景-3

 山の稜線を見てどの山かを知ることを山座同定(さんざどうてい)というらしい。地図とコンパスを使って自分の位置や方向を知るためにやるらしいのだけど、そもそも山の基礎知識がない私に山の名前を言い当てる術はない。
 名駅より西南方向ということで、御在所や鈴鹿山脈のある方だろうか。山頂に少し雪がある程度で真っ白ではないから、それほど高い山ではないのか。
 左の山は尖った特徴的な稜線だから、知っている人が見れば一目稜線なのだろう。

ご近所風景-4

 煙がモクモクわき上がって何事かと思ったら、春日井の王子製紙だ。赤白煙突の頭が少しのぞいている。
 冬場は空気が冷えているから、煙突から噴き出す煙が雲のようになる。

ご近所風景-5

 車で東に向かっているところ。遠く低い空に、夏の入道雲のような雲があった。かなり巨大。
 この写真だけ見ると、夏のようだ。

ご近所風景-6

 飛行機雲。機体は下からの夕陽を浴びている。
 空気が乾いているから、飛行機雲はすぐに消えてしまう。

ご近所風景-7

 いつもの矢田川風景。
 芝生は茶色に近づき、ススキが冬の風に吹かれて寒々しい。冬の河原は、吹き来る風が冷たく、寒い。

ご近所風景-8

 ここでも厚い雲が低い空にかかる。雲海のよう。

ご近所風景-9

 矢田川北岸より。
 タワーズとテレビ塔が一画面に収まる。

ご近所風景-10

 黄色に近い黄金色の夕焼け色はちょっと貴重だ。オレンジや赤やピンクよりも珍しい。

ご近所風景-11

 いつの間にこの街がこんなに成長していたのか、気づかなかった。気づいたときにはこうなっていて、その後はあまり大きな成長は見られない。だから、クレーンの存在は珍しくて、よく目立つ。

ご近所風景-12

 西日を受ける建物。
 向こうに見えている山並みはどこだろう。名駅よりも北方向だから、養老方面だろうか。

ご近所風景-13

 再びこの場所に戻ってきた。オレンジ色に照らされ、縁取られた稜線が美しい。

 明日の初日の出はどうだろう。雪はやんだようだけど、まだ雲は出ている。朝方にかけてまた雪になるかもしれない。そうなると初日の出を見るのは難しい。
 私はのんびり家で過ごすことになる。初詣もゆっくり行こう。
 今年の総括は特に必要を感じない。今日は明日につながり、明日があさってへと続いていくだけだ。日々思いを新たにしていけばそれでいい。
 ということで、何気なく今年を終えて、さりげなく来年を始めることにしよう。

変わりゆく自分と写真、変わらない岩屋堂

施設/公園(Park)
岩屋堂2-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 写真を撮るために岩屋堂へ初めて行ったのは、2004年10月の終わり。あれは岩巣山に登るのが目的だった。あれから5年の間に何度となく訪れているけど、私の中で岩屋堂のイメージは冬枯れの風景だ。夏でも秋でも春でもなく、シーズンオフの静かでひなびた感じが今の岩屋堂には合っている。子供の頃、親に連れられていったときは、もっと賑やかで現在ほどさびれてはいなかった。
 シーズンオフの岩屋堂にどんな魅力があるのかと訊かれると答えに困る。何もないけどなんとなく好きとしか言いようがない。
 最初の頃は、いい季節に行ってもあまり撮るものがなくて魅力的なところとは思わなかった。通っているうちにいいところが見えてきて、2ヶ月も行かないと用事がなくても行きたくなるようになった。特に美味しくはないけど通い慣れた馴染みの店のようなものと言えるかもしれない。
 5年の間に撮る写真もずいぶん変わった。興味の対象が変わったというよりも、写真に対する考え方が変わったせいだ。自分が見た状況を説明する必要はなくて、写真はもっと自由で、自分の感覚に正直であっていいのだと思うようになった。たぶん、5年前の私が今の写真を見ると、なんでこんなつまらないものを撮ってるんだという感想を抱くのではないだろうか。
 自分が変わってゆくことで写真も変わっていく。それが正しい方向性だと思う。岩屋堂はこの5年であまり変化はないように思う。

岩屋堂2-2

 錆びたトタン屋根の上も、冬景色。
 岩屋堂には茶色や鈍色が似合う。

岩屋堂2-3

 毘沙門天と彫られた石柱があるお堂。どういういわれのものかよく知らない。
 ここの石段の雰囲気が好きでよく写真を撮る。このときは、後ろの竹林に西日が当たってきれいだったので、そちらを撮った。

岩屋堂2-4

 冬桜はまだ咲いていた。ポツリ、ポツリと順番に冬の終わりまで長く咲く。

岩屋堂2-5

 花も背景が大事。色が違うと雰囲気ががらりと変わる。アイドルのグラビア撮影のために海外ロケへ行くのも背景のためだ。花や水着ギャルがきれいならそれでだけでいいというわけにはいかない。

岩屋堂2-6

 水中に沈んだ枝の水面から出ているところだけに苔が生えている。自然のバランスというか偶然の面白さを見る。

岩屋堂2-7

 窓ガラスに反射した光の模様がよかった。

岩屋堂2-8

 アジサイが枯れ姿をとどめたまま冬空の下にある。
 来年の初夏、同じ場所できれいに咲いているアジサイを撮ろう。

岩屋堂2-9

 フォトジェニックな枝振り。冬枯れの姿が美しい木というのもある。

岩屋堂2-10

 つばめ屋の窓も何度か撮っている。昔の情緒を残したお気に入りの窓だ。
 ツバメは人の暮らしのあるところに巣を作る。外敵から卵や子供を守るためだ。空き家となって久しいつばめ屋に、ツバメが巣を作ることはもうないだろう。

岩屋堂2-11

 一軒ポツリとある酒屋さん。外観は民家のようで看板だけが出ている。まだ営業しているのかどうか。
 すっかり暗くなった岩屋堂で、ここだけが明るく光っている。

 また来年も岩屋堂へはちょくちょく行くことになるだろう。暖冬なら1月の終わりにはセリバオウレンも咲き始めるはずだ。

年末の岩屋堂で水風景の撮り納め

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
岩屋堂1-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 紅葉の一時的な賑わいからひと月が経過して、年末の岩屋堂はいつも通りの静けさを取り戻していた。夕方の日没前ということもあって、だたの一人とも出会わなかった。自分のホームに戻ったような安心感があった。
 岩屋堂も今年はよく行った。最後に撮り納めとして、もう一度だけ行ってきた。
 紅葉が終われば、ここも撮るものは少なくなる。ただ、海上の森より水風景をよく撮れるから、冬場でも楽しみはある。今回も、暁明ヶ滝と瀬戸大滝と、二ヶ所回ってきた。すっかりお馴染みのコースとなっている。
 今日は前編ということで、水風景をお届けします。

岩屋堂1-2

 かなり暗くなっていて、滝撮りのバリエーションはなかった。ISO感度を上げても高速シャッターは切れず。

岩屋堂1-3

 鳥原川の浅瀬にさざ波が立って、そこに西日が当たってキラキラしていた。引き潮のときの磯辺のよう。

岩屋堂1-4

 水の流れを見るときはいつも、水紋を探す。よさそうなのを見つけると嬉しい。やっぱり光が当たってこその面白さだ。

岩屋堂1-5

 やや上流の一番渓流っぽいところ。くれない橋の上からの眺め。
 流れが銅色に染まった。

岩屋堂1-6

 瀬戸大滝近くの流れ。この日はあまり面白いシーンを見つけられなかった。
 台風で荒れた場所は、まだ完全には直っていない。

岩屋堂1-7

 瀬戸大滝も印象的な一部を切り取る。
 同じ場所を何度も訪れると、それまでとは違う写真を撮ろうとするから、同じシーンでも別の写真が撮れる。

岩屋堂1-8

 滝の下の流れ。
 岩場に貼り付いた落ち葉が少し彩りを添える。

岩屋堂1-9

 小さな滝壺。
 このあたりで紅葉の落ち葉と絡めて撮りたかった。

岩屋堂1-10

 岩床の変化によってできた流れの模様。

岩屋堂1-11

 雨上がりの水たまりが水鏡になって、冬の枯れ木を映す。

岩屋堂1-12

 日没。あたりは暗くなり、月光が川の流れを照らす。
 暗くならなければ撮れない写真もある。

 水風景は来年も大事なテーマの一つとしたい。季節感も意識して、四季を通じて撮っていくことにしよう。今年はこれで満足した。

 次回の岩屋堂後編に続く。

冬景色を求めて12月末の海上の森を歩く

森/山(Forest/Mountain)
海上の冬-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro



 冬になれば花もなくなり、虫もいなくなって、森は撮るものがなくなると思っていた。たまに出会う野鳥くらいで。でも、冬には冬景色を撮ればいいことに気がついた。そうしたら、撮るものは意外とたくさんあった。ないものねだりを言い訳にせず、今そこにあるものを撮ればいい。
 冬らしい写真を求めて、冬の海上の森を歩く。枯れ木もいい被写体になってくれる。
 そんなわけで、今日は海上の森で撮った冬らしい写真を集めて並べてみる。

海上の冬-2

 丸裸になった木々と冬の青空。

海上の冬-3

 あんなに茂っていた葉は全部どこへいってしまったのだろう。
 一枚残らずふるい落としてしまう姿に潔さを感じる。冬を生きるために迫られた選択だろうか。

海上の冬-4

 地面の日だまりには若芽が伸びてきている。
 冬来たりなば春遠からじ。すでに来年の春に向けての準備は始まっている。

海上の冬-10

 ここにも小さな緑があった。
 冬だからといって、すべての植物が枯れてしまうわけではない。

海上の冬-5

 落ち葉の道。歩くとカサカサ乾いた音がする。
 冬でも陽の当たる場所は暖かい。

海上の冬-6

 3週間ほど前に訪れたときはまだ秋色の名残があった。今は色を失い、茶色い風景となった。わずかに常緑樹の緑が残る。

海上の冬-7

 青々としていた緑の草も、今や白髪色となって立ち枯れている。
 夏はここの前をオニヤンマが盛んに飛んでいたのを思い出す。

海上の冬-8

 水中も枯れ葉模様。

海上の冬-9

 小川も凍っているのかと思ったら、泡の模様だった。でも、氷が張っているように見える。
 水の中に魚の姿は見えなかった。岩陰でじっとしているのだろうか。

海上の冬-11

 どこかからしみ出した油。不健康そうな色に光っている。
 自然界にもこういう油っぽいものがあるのか、人間が出したものが流れ込んできているのか。

海上の冬-12

 杉林か檜林か、相変わらず区別はつかないまま、今回もまた木立風景を撮る。
 まばらに差し込む光がアクセント。

海上の冬-13

 枯れ木と筋雲。

海上の冬-14

 冬場の大正池は、水が抜かれて、こんなチョロチョロ流れになってしまう。夏とは風景が一変するから、初めて見たときは驚いた。

海上の冬-15

 一日中日陰というわけではないだろうに、まだ雪がけっこう残っていた。雪が降った日に訪れていたら、雪景色が撮れた。次のチャンスを待ちたい。

 あらためて写真を見返してみると、圧倒的に茶色が支配していることにあらめて気づく。豊かな色に満ちた森だけに、冬の寂しさが際立つ。
 今年はよく海上の森へ行った。四季を通じていろいろな風景を撮ることができたし、楽しかった。来年も引き続き通って、自分のホームグラウンドと言えるくらいになれたらいい。
 次に大きな変化が表れるのは2月だ。スミレをはじめとした早春の野草が出てくる。その前に1月の海上も撮っておきたい。12月とはまた違った風景があるのではないかと思う。
 今年の海上の森はこれでおしまいとなる。

合格点には一歩届かず2009年サンデー料理が終了

料理(Cooking)
今年ラストサンデー

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 2009年最後のサンデー料理は、今年一年の締めくくりということで、卒業検定のようなつもりで臨んだ。のだけど、思いがけない失敗もあり、留年決定となった。トマトスープを作るのにトマトを買い忘れたのは致命的だった。海水浴場に着いて海パンを忘れたことに気づいてトランクスで泳ぐようなものだ。
 今回のテーマは、自分が食べたくて、なおかつおもてなし料理として出せるもの、というものだった。お客を招いて夕飯をご馳走することを想定して作ったのが上の料理だ。
 マグロのサイコロ和洋ソースがけ、豆腐とエビ団子の甘辛あんかけ、シチュー風トマトスープ崩れ、という3品となった。
 家族、友達、恋人くらいまでならセーフ。お店をやっている人に出すにはアウトで、あまり親しくないご近所さんにはアウトかセーフかギリギリ、といったところか。個人的な満足度としては85点くらい。あともうひとひねりと、少し上乗せが必要と感じた。盛りつけとか、バランスの点で合格点に届かない。
 週に一度の趣味として長く作ってきて、手慣れた部分や上達したところもあるものの、彩りと盛りつけに対しての苦手意識が相変わらず消えない。味に関しては、自分の好みがはっきり分かったというか、自分が作る料理に好みが合うようになったというか、自分が美味しいと思うものを作るのは簡単になった。
 何をもって合格とするかは、実はよく分かっていない。たぶん、それが分かるようになれば合格は近いのだろうと思う。自分の料理というのも、自分の写真や字のように客観的に判断するのが難しいのだけど、ちゃんと一定のラインを超えたら、超えたと分かるはずだ。
 卒業できなかった以上、サンデー料理はまだ来年も続いていくことになる。

 メニューを簡単に説明しておこう。
 マグロの短冊に塩、コショウ、酒を振ってしばらく置き、サイコロ状に切り分けて、カタクリ粉を入れたビニール袋で降って粉をまぶす。
 長ネギの白い部分を先に、オリーブオイル、白ワイン、塩、コショウで炒め、あとからマグロを加える。
 ソースは、オリーブオイル、白ワイン、バルサミコ酢、しょう油、みりん、砂糖、塩、コショウ、コンソメの素、マヨネーズ、マスタード、唐辛子をひと煮立ちさせて作る。
 団子は、エビの下処理をして刻み、豆腐は崩してクッキングペーパーに包んで絞って水気を切る。
 卵、カタクリ粉、中華の素、塩、コショウ、しょう油、砂糖、唐辛子を加えてよく混ぜる。
 スプーンですくって、低めの温度でじっくり揚げる。
 取り出して油を切ったらフライパンに移し、酒、みりん、しょう油、酢、砂糖、塩、コショウ、唐辛子で味付けをして、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。
 煮るのでもなく焼くのでもなく、揚げるのがポイントで、こうするとふわふわプリプリ食感の美味しい団子になる。今回の中ではこれが一番美味しくて、自信を持ってオススメできる。
 スープは、トマトを忘れてトマトスープが作れず、急きょシチューもどきになった。
 切ったジャガイモを水にさらし、ニンジン、タマネギ、鶏肉と一緒にオリーブオイルと白ワインで炒める。
 鍋に移し、水をひたひたにして煮ていく。アルミホイルで落としぶたをして、アク取りも同時にやる。
 その間にフライパンでクリームソースを作る。バター、小麦粉、牛乳、塩、コショウを炒めて固めに仕上げる。それを鍋の中に入れてシチューにする。
 コンソメの素、塩、コショウ、しょう油、ケチャップ、砂糖、とろけるチーズで味を調えて、弱火で煮る。いったん冷まして味を染み込ませて、再度煮て完成となる。
 色味を見てもシチューとは違うことが分かる。味もシチューに似てるけどシチューじゃない。これはこれでアリの味だ。

 一年の最後は集大成として完成度の高い料理を作ろうと思っていたのに、結果的に通常と変わらない料理になってしまった。なかなか自分の殻を破るのは難しい。
 基本に立ち返るのと、新しいことに挑戦するということと、二つは矛盾するようでいてそうでもない。基本を大事にしてこそ新たなことを試せるし、新しいことをしようとすれば基本がしっかりしていないといけない。
 来年のサンデー料理は1月3日で、タイミングとしてはいい。普通のおせち料理にも飽きた頃だし、正月三が日だし、何かお正月らしい料理を作りたい。
 とりあえず来年もサンデー料理は続く予定なので、おつき合いください。

海上で氷と雪のスケッチ

雨/雪/天候(Weather)
氷スケッチ-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro



 水の写真をテーマの一つとして撮っているけど、氷の面白さというのも今回知った。多様な姿を見せてくれるから、撮っていて楽しかった。あらたな冬の楽しみを見つけて喜ぶ。
 今日は、氷と雪のスケッチ写真を。

氷スケッチ-2


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氷スケッチ-9


氷スケッチ-10

 海上の森は市内と比べて特別寒いところではないのに、土と水と木々によって氷を午後まで保っていた。近頃の冬は暖かくて氷も張らないと思っているけど、街中では氷になる要素がないだけかもしれない。小学生のとき、登校中に霜柱を踏みながら歩いた足の感覚を今でも覚えている。
 残っていた雪は何日か前に名古屋でも降ったあの雪だろうか。
 氷と雪の面白さを知って、もっと撮りたいと欲が出た。海上の森もまた行きたいし、瀬戸の冷蔵庫・岩屋堂も狙い目だ。あそこは市内に雪の影もないときでも積もっていたりする。
 また氷を撮りに行こう。

12月終わりの海上の森で私が見た風景

森/山(Forest/Mountain)
海上1-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / SIGMA 50mm f2.8 Macro



 12月終わりの森を歩く。
 冬の色と肌触りを求めて。
 静かで冴えた空気が伝わるだろうか。

海上1-2


海上1-3


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海上1-13

 冬にしか撮れない写真は、冬だから撮れる写真。
 これが12月終わりの森で私が見た風景。

雨のち晴れのご近所散歩写真

日常写真(Everyday life)
雨のち晴れ-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / SIGMA 50mm f2.8 Macro 他



 雨空から音もなく降る雨が地上を濡らす。葉の落ちた枝を光らせ、公園に子供たちの声はない。
 私は空に向けてカメラを向ける。雨が写ってくれないかなと思いながら。けれど、そこに雨の軌跡はない。ただぼんやり曇った空があるばかり。

雨のち晴れ-2

 雨の路地。細くうねっている感じがいい。

雨のち晴れ-3

 相合い傘二組。たぶん、前の組と後ろの組は無関係だ。

雨のち晴れ-4

 フロントガラスの水滴。写真で雨を写そうとすると、どうしても間接的な描写になってしまう。
 森の中で見上げる空から降ってくる雨を写したい。

雨のち晴れ-5

 テッセンだと思う。夏から秋にかけての花なのに、冬の雨に打たれながらまだ咲いていた。

雨のち晴れ-6

 夏にここで咲いていたのはアサガオだったか。
 来年の夏、もう一度確かめにいこう。

雨のち晴れ-7

 雨の日の自転車といえばカッパだ。高校生のときの自転車通学を思い出す。
 さすべえは、このあたりでは流行っていない。

雨のち晴れ-8

 雨上がりの水たまり。
 イチョウの黄色と、サザンカのピンクと、青葉が少しだけ。
 水たまりにも季節感はある。

雨のち晴れ-9

 柵の水滴一滴。
 向こうの空が少し明るい。

雨のち晴れ-10

 自分が惹かれるシーンは決まっている。
 それは、かつての夢の残像だろうか。

雨のち晴れ-11

 拡散途中の飛行機雲。
 自然の雲と似てるけど違う。

雨のち晴れ-12

 河原の冬枯れ風景。
 寒々しさに夕陽の柔らかい光が優しい。

雨のち晴れ-13

 夕焼けの帰り道。
 気をつけてと、心の中で声をかける。

雨のち晴れ-14

 雲を縁取る黄金の光。そこに神々しさを感じるのは間違いじゃない。

 雨の日があれば晴れの日もあって、曇りの日や雪の日もある。何が正しいわけじゃない。
 晴れの日には晴れの写真を、雨の日には雨の写真を。

昔の記憶が全然戻らなかった懐かしの大森散策

街(Cityscape)
大森-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日は昨日の続きで大森散策編をお送りします。
 大森といってもローカルすぎて近所の人しか知らないと思うけど、このブログでもちょくちょく登場している。雨池とか、金城学院とか、大森寺なんかが出てきた。八剱神社を紹介したこともある。
 子供の頃、名古屋に引っ越してきて最初に住んだのが大森だった。その頃の記憶はかすかにしか残ってなくて、車で通っても今の風景と比べてどこがどう変わっているのか、はっきりは思い出せない。断片的な記憶があるのみだ。
 歩いてみれば思い出すこともあるかもしれないと、久しぶりに裏通りまで入って歩いてみた。けれど、思い出すことは少なかった。私が昔のことをあまり覚えていないということもある。

大森-2

 雨池公園で出会ったノラ。私が好きな茶トラは、もう少し濃い茶色でシマシマ模様がはっきりしたやつだ。
 でっぷり太った体型に、きれいなブルーの瞳をしていた。外国猫の血が混じっているようだ。

大森-3

 法輪寺というお寺さんの境内にある大きな木。何の木かは知らない。立派なので撮ってみた。
 こんなところに寺があったのも知らなかった。

大森-4

 今回、一番確認したいと思っていたのがこのスーパーだった。
 昔はかなり古びたスーパーだった記憶があるけど、今は小綺麗になっている。もっと奥まった突き当たりにある印象だったのに、通り沿いという感じだ。前に公園があって、これも全然覚えていない。子供の頃、母親によく連れてこられたはずなのに、自分の記憶力のなさに驚く。
 こんなふうになったんだという感慨深さはあった。

大森-5

 歩道橋の上から見下ろしてみる。
 こんな風景じゃなかった。もっと道も狭かった気がするし、向こう側は藪のようになってなかっただろうか。もっと横に長くて、薄暗かった印象もある。歩道橋のすぐ下あたりじゃなかっただろうか。
 自分のイメージとのギャップに、釈然としないものを感じた。あまりにも思い出せなくて自分自身あきれた。

大森-6

 瀬戸街道の西方向を眺める。
 右手のマンションは当然ながら当時はない。ごく最近建ったものだ。
 左手のコンビニがあるところがアパートの大家さんの家があったところだと思う。その裏手に住んでいたアパートがあった。今はそれも取り壊されて家が建っている。
 アパートと中庭の風景はぼんやり覚えている。二階から下に落ちて死にかけたことは覚えていない。そのとき頭を打って記憶をなくしたのかもしれない。

大森-7

 和菓子の大泉堂だけは変わらない。店は建て替えられて、代替わりもしてるのだろうけど、店構えなどは当時とあまり変わってないんじゃないだろうか。ここまで続けば、もう老舗といっていい。

大森-8

 裏手にちょっと変わった喫茶店があった。
 伊太利亜ではなく伊太利古。なんと読ませるんだろう。
 しかし、大森でこのセンスは受け入れられなかったのか、閉店して久しい感じだった。

大森-9

 ぐるりと一周歩いて戻ってきた。30分くらいだっただろうか。もう少し足を伸ばそうと思っていたけど、日没で暗くなったのであきらめた。
 永遠に変わらないと思っていた赤い瀬戸電も、今やシルバーの新型に変わりつつある。変わらないものは何もなくて、それでいいのだろう。昔を懐かしむことができるのも、時代と共に変わり続けていくからだ。変わらなければ懐かしいという気持ちは起こらない。
 今回こうしてあらためて歩いてみたことはよかった。気になっていたところも見られてすっきりした。また何年かして歩いてみたら、そのときは違った感想を持つことになるだろう。

鉄道沿線風景に日常生活の情緒を見る

飛行機(Airplane)
大森瀬戸電-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 電車に対して熱い思いを抱いてはいけないけど、電車のある風景は好きだ。電車は私にとって非日常的な存在で、旅行と結びついているものだから、電車を撮ることは少しだけ旅の気分を味わうことになる。
 線路沿いの風景というのは特に情緒的なもので、沿線に暮らす人たちを絡めて撮ると、その風景は私にとって平凡な日常ではなく、特別なものに感じられる。
 これも一種の鉄っちゃん症状といえばそうなのかもしれない。定義はよく知らないけど、ゆる鉄という言葉もある。
 日没前に、瀬戸電の大森駅周辺を歩いて写真を撮った。その前に雨池や昔住んでいたあたりも撮ってきたのだけど、今日は瀬戸電編ということで、夕方の沿線風景写真をお届けしたい。

大森瀬戸電-2

 自転車の高校生下校カップルが好きで、いつも探している。たいていは背景を選べないシチュエーションで残念な気持ちになる。今回もそうだった。被写体はよかったのに。
 春、桜並木を行く自転車高校生カップルを撮りたいと、前からずっと思っている。地上レベルなら桜並木を行く後ろ姿がいいし、土手の下から見上げる感じで撮るなら斜め前からだ。
 私の中にあるイメージは、古い日活映画とかのものかもしれない。吉永小百合と高橋英樹の青い山脈とか。あの中でそんなシーンは出てきていないと思うけど。

大森瀬戸電-3

 踏切待ちでこんな写真を撮っていると、一緒に待っている人たちからは完全に鉄の人と思われる。でももうしょうがない。この日は割り切ったというか、あきらめて人目を気にせず電車の写真を撮った。いい写真を撮ろうとすればあきらめなくてはならない何かがあるような気がする。

大森瀬戸電-4

 電車と線路はカーブが命というと大げさかもしれないけど、コーナーの風景に明らかに惹かれる自分を発見する。前からそんな気はしていた。電車風景は、コーナーが美しい。
 あと、電車の上の電線みたいなやつ(何て呼ぶんだろう)が、いいなとも思う。ワイヤーちっくなものも好きだ。

大森瀬戸電-5

 時間帯と空の色や暗さによっても、電車写真はずいぶん違ってくる。
 夕暮れどきの電車は、一日の終わりを思わせる。

大森瀬戸電-6

 電車が行ったあと、沈みゆく大きな夕陽が見えた。いいタイミングで電車と絡めたかったけど、このあとすぐに沈んで見えなくなった。もったいないことをした。

大森瀬戸電-7

 普段ほとんど意識することもない小さな川。昔近くに住んでいたのに、名前も知らない。
 地図を調べたら、隅除川(すみよけがわ)とあった。これからはもう少し注目していくことにしよう。

大森瀬戸電-8

 シルバーの電車もだいぶ増えてきた。最終的には全部この車両に交換するようだ。今の内に赤い電車に乗って、古い電車をしっかり覚えておいた方がよさそうだ。

大森瀬戸電-9

 線路も撮りたい被写体の一つだ。
 夜の線路とか操車場も撮ってみたい。

大森瀬戸電-10

 昔は大森駅だったのに、いつからか大森・金城学院前駅になった。夕方は、金城学院の女子大生でホームは満載になる。意外と、尾張旭方面に乗る人が多い。

大森瀬戸電-11

 線路の沿線風景というのはなかなかいいものだとあらためて思った。小さな物語があり、叙情がある。一般の道路沿いとは違う。
 身近にもいい撮影ポイントがあるものだ。瀬戸電沿線は今後も撮っていくことにしよう。駅周辺に古い町並みが残っているところもある。瓢箪山や守山自衛隊前あたりはもうずいぶん行ってないから、どんなふうに変わっているのか見てみたい。名鉄の一日乗車券で乗って撮るという手もある。
 そろそろ私もきちんと撮り鉄を目指すべき時期に来ているのだろうか。

動物園の美しき生き物たちに野生の片鱗を見る

動物園(Zoo)
東山冬2-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 トラは地球上で最も美しい生物の一つだと思う。毛並みや体のラインだけでなく、存在の気高さがある。
 トラを見ると、多くの人がそんな思いを抱くんじゃないだろうか。もし、トラが人間に飼い慣らされていたら、人はトラを飼っただろう。けど、トラの気位がそれを許さなかった。だから、人はその代わりとして猫を飼うようになったのかもしれない。
 美しき獣、トラを見るとその言葉が頭に浮かぶ。
 今日は美しき動物たちというテーマで写真を並べることにする。

東山冬2-2

 百獣の王ライオンも、動物園の中ではしょぼくれていてその面影はない。けど、動いているときは片鱗を垣間見せる。野生の輝きは失っても、王としての誇りはなくしていない。
 もし、自然界でトラとばったり出会ったら美しさに見とれるだろうけど、ライオンは恐怖で立ちすくむに違いない。戦って勝てる気はしない。イメージの中のライオンよりも実際に近くで見るライオンはずっと大きくて迫力がある。

東山冬2-3

 シマウマの模様も、自然界の奇跡と言える。サバンナなどでは白黒の縞模様がカモフラージュになるというけど、それは人間が勝手に考えた理屈で、本当はそうじゃないかもしれない。理由なき美しさがあってもいい。
 シマウマは馬のように人間の家畜にならなかった。本気で走ったらサラブレッドよりも速く走る。穏やかさの裏に激しさを秘めている。野生の厳しさの中で生きることを選択したことと、体にまとった白黒模様は無関係ではないようにも思う。

東山冬2-4

 キリンというのも、やっぱりきれいな生き物で、いつの時代も変わらない動物園の花形だ。
 歩く姿は優雅で、網目模様の体はセクシーでさえある。
 美人女子アナのように、認めざるを得ない説得力がある。

東山冬2-5

 私が好きな密林の貴公子ボンゴ。2006年に東山で初めて目が合って以来、ボンゴ好きになった。
 19世紀に入ってからアフリカのジャングルで発見されたことから、世界四大珍獣の一つと言われている。
 日本国内の動物園で見られるのは、東山と横浜の金沢動物園くらいだから、かなり貴重だ(富士サファリパークにもいるらしい?)。東山も一頭死んでしまって、残り一頭になった。

東山冬2-6

 アクシスジカは、よくカメラ目線をしてくれる。撮られていることを意識しているのか、じっとこちらを見て動かない。たぶん、警戒心が強いのだろう。
 面構えからすると気の強い一面もありそうだ。奈良公園の鹿とはだいぶ違う。やつらもけっこう凶暴だけど。

東山冬2-7

 ドールシープは立派な角と悲しげな瞳が印象的な生き物だ。口元は笑っているようでもあり、泣き出しそうでもある。
 カナダやアラスカの山岳地帯の岩場にいる野生のヒツジなので、東山も岩山みたいなのを作ってある。よくその一番てっぺんで遠くを見ている。
 国内でドールシープはこの一頭だけとなった。遠い故郷の仲間を思っているのだろうか。

東山冬2-8

 ブラジルバク。目の下に砂か何かついていて、なんだか涙を流しているように見えた。
 かなり貧弱な姿恰好をしていて美しさとは遠い気もするのだけど、2000万年前からほとんど姿を変えていないと聞くと、時代に迎合しない格好良さのようなものを感じる。

東山冬2-9

 シンリンオオカミの瞳は死んでいない。野生の輝きは犬とは違う。
 日本のどこかで、まだ野生のオオカミはひそかに生きていると信じたい。

東山冬2-10

 キンシコウが来年の3月で中国に帰ることが決まった。一度くらいは屋外で遊んでいるところを撮りたいと思っているのだけど、この日も室内だった。屋外は午前中だけとかなんだろうか。
 太陽の光の下でこそ、毛並みの美しさが際立つはずだ。ぜひそれを撮りたい。

東山冬2-11

 その目には弱い。狭い檻に閉じ込めているのは心が痛む。サル舎の環境改善を求めたい。犬山のモンキーパークといういいお手本もある。

 動物園の美しい動物たちを見ていると、自分たち人間が彼らの仲間だと思えなくなってくる。体毛はないに等しく肌はむき出しで、爪も牙も持たない人類は、強くもなく美しくもない。脳が発達している以外は劣勢動物だ。ただ頭がいいというだけで今の地位を独占している恥知らずのようにも思う。
 遠い未来で、人類よりも上の生き物が地球上に君臨したとき、人類は動物園で人気者になれるかどうか。なにもかもあきらめたような悲しい目をするのだろう。
 あるいは、人類がもっと進化して、真の知恵を身につけ、他の生き物たちと共存共栄できるようになったなら、動物園などというものは地上から消えてなくなるのかもしれない。

サンタとツリーを作って喜ぶクリスマスサンデー料理

料理(Cooking)
クリスマス前サンデー

 今年のサンデー料理も残すところあと2回となり、ふと気づけばクリスマスが近い。最後は今年の集大成と決めているから、クリスマスサンデーをやるなら今日しかない。写真を見てすでに気づいていると思うけど、ご覧の通りクリスマス料理だ。決してふざけているわけではない。サンタとツリーを作るのに、どんだけ時間がかかったか。
 クックパッドのサイトで、かわいいサンタを作っている人がいたので、真似して作ってみた。ただ、食べることを重視する余り、かわいさが半減した。というか、サンタかどうか、やや怪しい。
 顔はまずハムだ。赤い帽子と服はカニかまを使い、ヒゲはかまぼこ、目はノリで、眉毛はハムの脂身を流用した。帽子と服の飾り、鼻はスライスチーズにして、サラダとしてのバランスを取った。
 かわいさはともかく、おかずとしてきちんと成立していたので満足した。マヨネーズをかけて美味しく食べた。
 ツリーがまた面倒だった。塩ゆでしたブロッコリーが、そのままではツリーとしての形が整わないから、ポテトサラダを土台にして、そこに張り付けるというか突き刺す感じでツリー状にしてみた。ブロッコリーが1個足りず、ツリーらしくならなかったのはちょっと失敗だった。もう一つ上に乗せたらもうちょっとツリーらしく見えたんじゃないか。星はスライスチーズで作る。
 ポテトサラダもどうせなら美味しいものにしようと、アレンジを加えた。
 ジャガイモにラップをしてレンジで4分加熱する。皮をむいて、適当な大きさに切り分け、オリーブオイルで炒めながら潰す。牛乳、とろけるチーズ、マヨネーズ、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、マスタードで味付けをして、なめらかになったら完成だ。
 キャラ弁風のおかずを作ったのは久しぶりな気がする。前に節分で鬼の顔を作ったのは覚えている。おせち料理でも飾りものを作った。

 あとの2品は、普通のおかずでクリスマスとは関係ない。
 右は、タイのピカタ、トマトソースがけだ。
 タイの切り身を刻んで、卵、小麦粉、タマネギ、とろけるチーズ、マヨネーズを加えてよく混ぜ、弱火でじっくり焼いていく。
 トマトソースは簡易版だけど、通常のものとさほど変わらない。トマトを適当な大きさに切り、オリーブオイル、白ワイン、白しょう油、ウスターソース、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖で味付けをして煮込む。
 白身魚とトマトソースの料理は安定感があって、はずさない。
 左奥はワンタンスープのようなものだ。
 ワンタンの中身は、エビとキャベツ、長ネギの刻みになっている。味付けは、中華の素、塩、コショウ、ショウガ、ニンニク、ごま油で。
 白菜と鶏肉を中華スープで煮込み、ワンタンは別のお湯でゆがく。それをスープに入れて、塩、コショウ、中華の素で味を調える。

 クリスマス料理というと、昔はチキンのもも肉とかを食べたものだけど、最近は特に何を食べるというのでもない。クリスマス料理ってなんだろうと考えても思い浮かばないというのもある。そもそも、私たちはクリスマスに何を祝おうとしているのだろう。キリストのファンというわけでもない。
 まあそれでも、日本的なクリスマス騒ぎは嫌いじゃない。年末にみんなでなんとなく浮かれることができるのはいいことだ。寂しく過ごすのも、クリスマスらしさだ。今年は24日が木曜だから、みんなはどうするのだろう。木曜ということを言い訳にできて喜んでいる人も多いかもしれない。土曜日とかだと明暗がくっきり分かれすぎる。
 今年もクリスマスサンデーなんていうのんきなことをしている私は、平和と言えば平和だ。よかったということにしておこう。
 来週は、この一年で上達したことを実感できるような3品を作りたいと思っている。

動くコアラと退屈なゴリラ

動物園(Zoo)
コアラとゴリラ-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 あ、コアラが起きている。
 それがどうしたなどと思ってはいけない。東山のコアラは寝ている状態が普通だからだ。コアラは基本的に夜行性なので、昼間はほぼ寝て過ごす。一日20時間くらい寝ているそうだ。なので、昼間の動物園で起きているコアラを見るのは非常に難しい。起きているコアラを見て驚いたのも無理はないのだ。
 コアラのエサやり時間が昼の1時で、それから1時間くらいは起きてエサを食べるらしい。たまたまこのときはタイミング良く見ることができた。
 動物はなんでも寝顔はかわいいものだけど、寝っぱなしでまったく動かないと楽しくない。写真を撮る場合は特にそうだ。いつ行っても寝てる姿しか撮れなくて、今回初めてちゃんと起きている姿を撮ることができた。

コアラとゴリラ-2

 おお、動く、動く。意外と軽やかな足取りで木の上を駆けていく。その気になればけっこう機敏に動けることを知る。
 コアラのいる室内はガラス張りになっていて、かなり暗い。動かないやつを撮るのも手ぶれで大変なのに、動くとなると更に厳しくなる。何枚撮っても手ぶれと被写体ブレが激しいから、仕方なくコアラを流し撮りした。まさか、コアラを流し撮りすることになるとは思わなかった。動いていた姿を見られたことは嬉しかったのだけど。

コアラとゴリラ-3

 ユーカリをむしゃむしゃ食べていた。毎日同じ葉っぱで美味しいと思って食べてるんだろうか。
 東山ではどうか分からないけど、コアラは確かにユーカリが主食ではあるものの、野生ではもう少し他の植物も食べているという。アカシアとかの葉とか芽なんかを。
 ユーカリの好みにはうるさく、自分が気に入った木の葉しか食べないそうだ。それに飽きるとまた別の木のユーカリを探すことになる。そのために、東山では大量のユーカリの木を育てている。コアラを飼うのは大変なのだ。

コアラとゴリラ-4

 なんか、腹減ったな。草でも噛んでおくか。

コアラとゴリラ-5

 ああ、退屈だ。やることねえなぁ。背中もかゆいし。

コアラとゴリラ-6

 あ、チキショー、さっきの草が歯に引っかかった。

コアラとゴリラ-7

 なんか眠くなってきた。

コアラとゴリラ-8

 ふわあ~。

コアラとゴリラ-9

 ああああ~。

コアラとゴリラ-10

 ううー、暇だな、コンチキショー。

コアラとゴリラ-11

 ああ、たまらん、退屈だ。ここで転がってやる。
(ゴロゴロ転がる)

コアラとゴリラ-12

 こうなったら、ヒモにでもぶら下がってやるぞ。これでもか。
(腹立ち紛れにヒモに掴まって揺さぶる)

コアラとゴリラ-13

 なにやってんだか、あのバカ。
(冷ややかな視線で)

 活発なコアラと、休日のおっさんみたいなコアラのショートストーリーでした。

凍えるほど寒かった冬の東山動物園

動物園(Zoo)
アシカのしぶき




 冬の動物たちは、夏よりも活発でよく動く。暑い日はどうにもやる気が出ませんという感じで寝そべっているやつらが多いけど、一部を除いて寒いのはわりと平気なようだ。特に水辺の動物たちは元気だった。
 上の写真は、カリフォルニアアシカが、クシャミか何かをしてプシューっと水しぶきが飛んだところだ。この日は猛烈に寒くて、それが水蒸気のようになった。
 それにしても、この日は寒い日で凍えそうだった。手はかじかみ、体は震えが止まらず、歯がガチガチなるほど。季節感を間違えて薄着で行きすぎた。動物園は水が多いから、街中よりも寒い。冬場に動物園へ行くときは暖かい恰好をしていかないといけないことを知った。



昭和の売店風景

 寒風でのれんは大揺れに揺れ、落ち葉が舞い散る。人影もまばらで、お店も閑散としていた。
 口の中はソフトクリームが食べたいと訴えたけど、体が拒絶した。こんな寒空でソフトなんか食べたら死にそうだ。
 代わりにホットコーヒーにしておいた。



動物園のカップル

 園内は一気に寒々しい冬の光景となっていた。ほんの2週間くらい前まではまだ秋の彩りだったのに。
 午後の北園は陽が当たらないから特に寒かった。



アメリカオシ

 オシドリのアメリカ版、アメリカオシ。
 これは渡り鳥ではなく、ここで飼われているものだ。いつもこの小さな池にいる。
 渡らなくても、羽は生えかわるのだろうか。



ゴマフアザラシ

 ゴマフアザラシは、夏場も活発に泳ぎ回っているからあまり季節感はないのだけど、やっぱり寒い方が好きなんじゃないだろうか。オホーツク海に比べたら名古屋の冬など寒い内に入らない。



ホッキョクグマ

 ホッキョクグマは寒くなるのを待ちわびていたことだろう。
 水温は相当低いはずだけど、平気な顔で泳いでいた。これくらいでもまだ寒くないと感じているのか、もしかすると、日本の気候に慣れて案外寒がっているのかもしれない。



インコたち

 寒さに弱い南国の鳥舎にはヒーターが入れられていた。
 これでどの程度暖まるのかは知らないけど、なければ屋外では生きていけないくらいなのかもしれない。
 考えてみると、世界中のいろんな種類の生き物を日本で屋外飼育するのは相当に無理がある。



コビトカバ

 宿舎の出入り口でウロウロしていたコビトカバ。
 アフリカの熱帯雨林に生息しているやつだから、寒さには強くないだろう。
 しばらく出たり入ったりして考えたあと、小走りで外に駆けていった。水にでも入るのかと思ったら、水を飲んでいた。水は冷たくて入る気になれなかったのか。



クリスマスツリー

 北入口から入ってすぐのところにクリスマスツリーが立っていた。動物園は5時前で終わりだから、イルミネーションのようなものはないだろう。
 週末にはクリスマスにちなんだイベントなども行われるようだ。
 東山にはトナカイがいるけど、トナカイとアルパカの広場は工事をしていて姿を見かけなかった。どこか他に移されていたようだ。トナカイは当然のことながらクリスマスイベントに借り出されることになる。



店じまいの食べ物屋

 3時半を回ると、動物たちの多くが宿舎に戻されてしまうから、見るものが少なくなる。4時を過ぎる頃には人もぐっと減り、売店も店じまいを始める。
 園内は急に寂しくなるのだけど、平日夕方4時以降の動物園の雰囲気は嫌いじゃない。園内に漂う倦怠感のようなものが心地よくさえある。



園内の池風景

 枯れ葉色になった木立に西日が当たり、池の水をオレンジ色に染めていた。



夕日と木々のシルエット

 そんな冬の日の動物園の風景。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「東山公園駅」から徒歩約3分。
 ・駐車場 有料(1回800円) 少し離れた場所に無料駐車場あり
 ・営業時間 9時-16時50分 月曜日定休
 ・入園料 500円(中学生以下 無料)

 東山動植物園webサイト
 

毎年のことだから今年も撮りに行ったタワーズライツ

イルミネーション(Illumination)
タワーズライツ-1

PENTAX K10D+SIGMA 30mm f1.4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 2001年から始まった名古屋駅JRセントラルタワーズのタワーズライツも、今年で9回目となり、名古屋の冬の風物詩としてすっかり定着した感がある。
 最初の頃はあまり興味がなくて、写真を撮らなかったことが惜しまれる。ここ3年くらいは毎年行っている。今年もクリスマスには少し早かったけど、撮りに行ってきた。11月13日から始まっているから、もうかなり出遅れているくらいだ。
 期間は来年1月6日までで、時間は夕方5時から10時半までとなっている。
 5時になるとスクリーンに光の物語が始まり、駅前に歓声が上がる。待ち構えた人たちがカメラの準備を始め、たまたま通りかかった人は何事かと振り向く。
 今年のタイトルは、「夢の散歩道 ~四季の語らいをゆかいな仲間とともに~」。去年に引き続き、絵本調で、四季の移り変わりが表現される。
 毎年見てる人の多くは思っただろうけど、今年はなんだかちょっとしょんぼりな感じになっている。去年の派手な絵本ストーリーよりも地味で、何か物足りないと思ったら、毎年恒例の大きなツリーがない。景気悪化による経費削減がこんなところにも波及していた。
 テラスの真っ白なLEDはきれいだったけど、ガーデンなどは完全な手抜きになっていて、何事かと目を疑ったほどだ。おととしくらいと比べると半分くらいに経費を抑えたといった感じだ。思えば愛知万博があった2005年から2006年くらいまでが名古屋好調のピークで、あとは下がる一方になっている。タワーズライツくらいはなんとか頑張って欲しかったのだけど。

タワーズライツ-7

 駅前の道を挟んだ側の光景はこんな感じ。撮影組と通行人とに分かれる。
 本格的に撮りに来ている人は少なく、三脚を使っている人は2、3人しか見なかった。コンパクトデジよりも携帯のカメラが多い。
 撮ることが目的なら、道を隔てた側で望遠を使った方が撮りやすい。スクリーンは明るいから、そこそこシャッタースピードも稼げる。
 近くまで行くと、かなり混雑している。

タワーズライツ-2

 幼い姉弟らしき二人が登場して、季節は春から始まる。この前に少し前置きもある。
 全体を通じて5分くらいの物語となっている。

タワーズライツ-3

 木々が緑に変化して、入道雲が湧き、鳥が空を飛ぶ。
 春のピンク色は何を表しているのだろう。外国風の景色だから桜ではおかしい。

タワーズライツ-4

 秋は紅葉で、落ち葉が舞う。
 外国風景と日本の季節が入り交じっている。
 アニメーション処理も去年よりだいぶ増えて、技術的にも高いものを実現しているのだろうけど、見た目の印象としてはやや地味だ。去年のお城はこれほど変化はなかったけど、華やかできれいだった。

タワーズライツ-5

 冬、雪が降り積もり、景色は真っ白となる。何故か、家の屋根だけ赤い。

タワーズライツ-6

 木々はイルミネーションで飾られ、空飛ぶトナカイが引くソリに乗ったサンタクロースが登場する。サンタバージョンは12月に入ってからだそうだ。12月25日までというから、見るならこのバージョンがよさそうだ。
 これで一通り見たことになる。また季節は春になって、繰り返される。2回くらい見たらもう満足だ。
 テラスも歩いてみたけど、いい写真が撮れなかった。

タワーズライツ-8

 ディオールの店の前を行くホームレスのおじさん。
 ああ、なんというか、この感じ。この世界の無常というか、儚さのようなものが一瞬目の前を横切った気がした。

タワーズライツ-9

 ビルの壁面が奇妙できれいだったので。

タワーズライツ-10

 ナナちゃん人形もキラキラのイルミネーション風になっている。
 クリスマス前にはサンタクロースの恰好になるはずだ。

 今年もタワーズライツを撮りに行けたのはよかった。実は毎年あまり気が進まないのだけど、行かないと気になる。今回は栄に行く用事があったから、すんなり行く気になれた。
 栄から名駅歩きシリーズはこれでおしまい。

桜橋から納屋橋まで堀川風景を撮り歩く

名古屋(Nagoya)
堀川-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 栄から名駅へ歩く途中、堀川にも少し立ち寄った。
 堀川は、名古屋城の北を流れる庄内川から名古屋港へと注いでいる川で、もともとは名古屋城築城の際に物資を運ぶために福島正則が掘ったのが始まりとされている。
 昭和の初めまでは、生活用水や工場排水が流れ込んで、ひどい匂いを放つどぶ川となっていた。近年はだいぶ浄化が進んだとはいえ、まだまだ清らかな流れとは言い難い。近づくと昭和の香りがして、ちょっと懐かしいような気持ちにもなる。
 庄内川の他、地下水なども取り込んで水をきれいにする試みがなされているそうだ。ただ、あまりやりすぎると底に溜まったヘドロが名古屋港に流れ込んでしまうため、これ以上の浄化は難しいようだ。
 名古屋城の堀とつないで、熱田神宮や七里の渡し跡を経由して名古屋港までの船旅ができるようにすれば、面白い観光スポットになる。単発的に船のイベントをしているようだけど、東京の隅田川のようにはいかない。
 この日は桜通の桜橋から納屋橋まで歩いた。

堀川-7

 堀川が多少なりともきれいになったことを機に、川沿いの整備も進められている。大がかりな再開発計画があり、2013年には42階建ての高層ビルが川沿いに建つという話もある。
 雰囲気のある遊歩道なども作られていて、なかなか情緒的な風景になっている。しかし、人っ子一人歩いていない。
 名古屋というのは、ウォーターフロント文化が根付かないところだ。

堀川-2

 古いビルが立ち並んぶ中に、挟まれるように民家らしき建物がぽつりぽつりある。戦後の風景がそのまま古びた感じだ。
 名古屋駅と栄に挟まれたこの地域は、近代化の波に乗り遅れて、昭和の面影をとどめている。古き良き街並みとは違うのだけど、写真に撮るには面白い。

堀川-3

 ビルの間にひときわ古い日本家屋が建っている。「かしわ料理 鳥久」とある。
 建物は明治17年に建てられたものだそうだ。熱田も空襲でひどくやられた地域だけど、この建物は焼け残ったらしい。
 川の中にコサギがいると思ったら、人形だった。誰がこんなところにそんなものを置いたのか。せめてサギくらいは戻ってきて欲しいという願いの表れだろうか。

堀川-9

 表に回るとこんな感じ。
 何故か、唐突な感じでネオンサインの看板が立っている。高級料亭風でもあり、昭和の宿屋みたいな雰囲気でもある。飛び込みで入るには少し勇気がいる。
 鳥料理ではなく、かしわ料理というのもこだわりなのか。

堀川-4

 ちょっと笑えた光景。
 エアコンの室外機というのも進歩のないものだ。もっと小型化して、デザインも洗練させないと、21世紀の風景には馴染まない。

堀川-5

 少し入ったところに神社があるのが見えたから、寄っていくことにした。
 広井神明社という名前らしい。
 山車の蔵も隣にあった。秋の祭りには、このあたりを山車が練り歩くそうだ。

堀川-6

 街の片隅の紅葉。
 生物は、可能性のある小さな隙間も見逃さない。

堀川-8

 納屋橋(なやばし)というと、納屋橋まんじゅうを思い浮かべる名古屋人は多いと思う。全国的な知名度がどの程度なのかはよく知らない。
 かつてはこのあたりも賑やかな繁華街だったところだけど、名古屋駅の再開発以降はさびれて、以前の活気はなくなった。昔はこの橋の上を市電が走っていた。 
 現在の橋は1981年に架け替えられた三代目ながら、外観は1921年の二代目のデザインを採用しているので、外観は趣がある。名前の文字も右書きで「しはやな」となっている。

堀川-10

 川沿いの遊歩道には、四季桜が何本か植えられていて、花を咲かせていた。こういうのは良い試みだと思う。なんでもいいから名物を作って人を呼びたい。
 向こうに見えているのは、再開発で建てられたお洒落なカフェレストランだ。万博のとき一時的に賑わって、その後静かになってしまったらしい。このときもお客はあまり入っていなかった。立地条件に厳しいものがある。栄でも名駅でもなく、あえてこの場所を訪れる理由が乏しい。
 東に400メートルくらいのところに地下鉄の伏見駅があって、そのすぐそばに歴史のある劇場・御園座がある。伏見駅近くにはビジネスホテルなどもたくさんあるし、そのあたりを絡めてなんとか上手に再開発を進められないものだろうか。
 2006年に完成した高層マンションのアクアタウン納屋橋は反対の右岸に建てられた。名古屋駅に近いからそちらを選んだのか、左岸には適当な土地がなかったのか。

 桜通や広小路通は普段車で通るだけで、歩くことがまったくないから、今回の散策はいろいろ感じるところもあってよかった。やはり街を知るには歩くのが一番で、旅先で歩くように地元も歩かないといけない。
 名古屋もまだまだ歩いていない場所がたくさんある。伏見周辺も、私の中では白地図に近い。伏見駅など、降りたことさえない。堀川沿いももっと歩いてみたい。
 納屋橋で引き返して、あとは名古屋駅まで歩いた。次回は最終回で、タワーズライツ編をお送りします。

流れ星を二つ見たけど撮ることも願い事をすることもできず

星(Star)
星空-1

PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4 / SIGMA 400mm f5.6



 昨日12月14日、ふたご座流星群がピークというニュースを見た方も多いと思う。実際に流星を見ようとした人は少ないかもしれない。そんなものをのんきに見てるほどこちとら暇じゃないという人に代わって私がなんとか写真に撮ろうと試みたのだけど、残念ながら流星撮りに成功しなかった。面目ない。肉眼では2つ、流れ星を見たには見た。ただ、それを偶然撮るにはかなりの知識か強運が必要で、私はそのどちらも持ち合わせていなかった。

星空-2

 流星の代わりにUFOが写ったわけではなく、ただの旅客機だ。方向からして、小牧空港に向かう国内線だろう。スローシャッターで夜に飛行機を撮るとこんな光線になる。
 流星を撮ろうとしたのは、実はこんなロケーションだった。自宅のベランダからという、なんとも軟弱な姿勢で、ここから撮ろうというのは最初から無理があったと言わなければならない。
 写真では明るい星が一つ写っているのが見える。空が暗くなって間もなくは、肉眼でもこの程度の星しか見えない。名古屋の郊外とはいえ、星を撮るには街灯りが明るすぎる。深夜になっても、マンションの廊下の光や街灯などが消えることはない。
 方角的には、正面が西南になる。ふたご座は、左後方から左前方に向かって移動するのではないかと思う。流れ星は2つとも南の上空から下に向かって落ちるように流れた。
 ふたご座流星群というのは、ふたご座方向に見えることが多いことからそう呼ばれているだけで、ふたご座と直接の関係はない。どの方向からどちらへ向かって流れるかは決まっていないので、どちらかにカメラを向けていたら必ず撮れるというものでもない。流星は全天のどこから来るか分からない。だから、撮れるかどうかは運次第であり、どれだけ粘れるかにかかっている。
 このシチュエーションで、断続的に2時間ほど観測と撮影をして、2つ見たというのは運が良かったのか悪かったのか、私には判断がつかない。とりあえず見られたことで満足してしまって、撮影は力尽きたと言った方がいいかもしれない。

星空-3

 基本的に50mmの単焦点レンズで撮って、途中で少しだけ400mm単焦点を使った。
 せっかくなので名古屋駅のタワーズも撮っておく。ミッドランドスクエアのクリスマスツリー・イルミネーションがよく見えた。タワーズライツはビルの影になって見えない。

星空-4

 400mmレンズで上空高い方に向けて30秒露光をすると、星の軌跡がこんなふうに写る。
 最初、ブレてるのかと思ったらそうではない。全部こんなふうに写る。星は30秒でこんなにも動くものなのか。というか、地球が猛スピードで自転しているということなのだけど。

星空-5

 中央上部に星の集まりが写っている。何かは分からないけど、わ、星団っぽい、と喜んだ。完全に素人丸出し。星座の知識は皆無に等しく、夜空の星座で見分けられるのは北斗七星くらいだ。この写真の中にも有名な星座が写っているのかもしれない。
 今回は、いつもより少し大きめの写真を載せている。いつものサイズだと星が小さな粒になりすぎてよく見えないから。

星空-6

 日没から夜にかけては厚い雲が流れ、薄い雲に覆われていた空も、深夜になってくっきり晴れた。
 肉眼では明るい星が数えるほどしか見えないので、適当なところへ向けてシャッターを切ることになる。露光時間は15秒から30秒くらい。ISO感度は400。K10DのISO800はノイズが多いからあまり使いたくない。F値は1.8から5.6くらいまで適当に。
 街中の明るい空でも、長時間露光するとここまで星が写る。田舎で降るような星空は見慣れているけど、街にも同じ空があるのだと思うと、新鮮な感動がある。
 星座は知らなくても、星空撮りは単純に楽しい。星が相当早い速度で移動していくのも初めて知ったことだった。夜空を滑るように、みるみる動いていく。

星空-7

 明るい星の近くに三連星があって、南西の空に目立っていた。もしかしたら、これがオリオン座だろうか。
 星空撮影の楽しさを少し知って、これを機に星座の勉強をしようと思った。星座が分かれば星空撮りはもっと楽しくなるはずだ。
 前から天の川とアンドロメダが撮りたいという思いはあった。位置さえ分かれば、望遠レンズで直接狙うこともできる。
 流星は撮れなかったけど、収穫はあった。今度流星群がたくさん見られるときは、また挑戦したい。
 できればもう少し暖かいときが希望だ。あまり動かず上をずっと見てるのは寒いし首が痛い。星空撮りが根性勝負だということを初めて知った12月のベランダ。

セロリとお近づきになるためのサンデー料理

料理(Cooking)
セロリサンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8 II



 マンデーだけど、昨日できなかったサンデー料理のネタを。
 今回の主役はセロリだった。セロリというとSMAPの曲を思い出す。思い出すのは曲名だけで、歌そのものはまったく知らない。私にとってのセロリは、完全に食わず嫌いの食材で、生まれてこのかた積極的に口にしたことは一度もなかった。食べる前から嫌いな食べ物に違いないという思い込みだけがあって、食べるまでもないと思っていた。
 大人になると、食べ物の好き嫌いに対してだんだん無頓着になる。子供の頃は嫌いなものは頑なに食べたくないと思ったものだけど、今は嫌いでも食べられるものなら飲み込んでしまえば終わりといったいい加減な気持ちになっている。大の苦手だったキュウリも、サラダに入っている程度なら食べてしまう。丸ごと一本食べろと言われたら泣くけど。
 今回、どうしてセロリを食べてみようと思ったかといえば、深い理由はまったくなくて、スーパーでこれまで使ったことがない食材を探しているとき目に入って、一度使ってみることにしたのだった。何に使うかはまったくのノープランだった。
 作った4品の内、3品はセロリが入っている。一番手前のエビの岩石揚げは、保険として作った。セロリが食べられないとき何も食べるものがないと困るから。
 一本というのか、一株というのか、すべての部位を使ってみた。その結果、セロリと私との関係はかなり改善されることとなった。一気に近しい関係になったとまではいかないまでも、少しよそよそしいながらも顔見知りにはなった。今後スーパーで見かけたら、心の中で挨拶くらいはしたい。

 左奥は、茎の下の広くて白い部分を使って作った炒め物だ。
 セロリを薄切りにして、タマネギ、ハム、ダイコン、アスパラと一緒にごま油で炒める。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、コショウで味を調えたら出来上がりだ。
 セロリの風味というのか、強い香りはやはりクセがある。長ネギや白菜よりもクセが強く、ピーマンほど自己主張は強くない。これが毎日出てきたら気が滅入る。もしくは、毎日食べていたら慣れるだろうか。
 セロリに興味がなかったから、どこの野菜か知らなかった。どうやらヨーロッパから中近東が原産のようだ。和食との相性は悪いから、昔の日本では浸透しなかった。市民権を得たのは、戦後日本人の食生活が洋食になってからだ。

 右奥はセロリの浅漬けで、これが案外美味しかった。一番駄目だと思っていたから意外だった。
 生のまま浸けるとえぐいから、一度さっと湯がいた方が食べやすくなる。中間の白い茎の部分を使った。
 写真くらいの分量なら、酢、砂糖を大さじ1弱、塩ふたつまみくらい、ダシ小1、ごま油少々と一緒にビニール袋に入れて、モミモミする。その後、冷蔵庫に30分から1時間くらい寝かせば完成だ。
 甘酸っぱいフキみたいで、けっこういける。

 右手前は、セロリの葉入りの野菜スープだ。
 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ベーコンと一緒に煮込んで、コンソメ味に仕立てる。
 ここではセロリの葉は全然邪魔じゃなかった。普通の青菜と大して違わない。スープにもよく馴染んで、味も染みて美味しかった。セロリの葉とは仲良くできそうだ。

 何事も食わず嫌いというのはよくないことで、人も食べ物もつき合ってみないと分からないことも多い。食べてみてはっきり苦手だと分かれば、嫌いなものとしてのつき合い方を考えればいい。
 セロリはもはや食わず嫌いではない。特別好きじゃないけど、そんなに嫌いでもないというところまでいった。どう調理すればどういう味や香りになるのかも、だいたい分かった。
 なんなら、もっと刻んで砕いて混ぜて味付けをすれば、自分の好きな料理にまで加工することも可能だ。原形をとどめないまで調理すれば苦手な食材というのはほとんどなくなる。それでも一応食べたことにはなる。前に一度、キュウリでそれをやったことがある。
 気づけば苦手なものはあっても食べられないものはほとんどなくなったようにも思う。ピーマンも食べられなくはない。子供の頃と比べたら大きな進歩だ。サンデー料理が思いがけないところで役に立った。
 今後も食材テーマは面白いからやっていきたいと思っている。

サンデーだけど時間切れで明治村写真で簡単更新

施設/公園(Park)
明治村-1

PENTAX K10D+PENTAX-M 50mm f1.4



 今日は日曜日だから、通常ならサンデー料理の話になるのだけど、時間切れとなったため、明治村の写真を並べるだけの簡単更新となった。料理は土曜日に作ったから、明日にでもサンデー料理はお送りしたい。
 明治村も季節ものではないとはいえ、あまりにも寝かせすぎると、自分の中で賞味期限が切れてしまう。まだ写真は残っているし、今後はネタとネタの間でなるべく早めに出していくことにする。
 今日の明治村写真にくくりは特にない。いつでも光と影は追い求めたいテーマで、その中で少しセンチメンタルでリリカルな感じが出ているといいなと思う。
 止まった時間の中に、記憶の残響が聞こえるだろうか。

明治村-2


明治村-3


明治村-4


明治村-5


明治村-6


明治村-7


明治村-8


明治村-9


明治村-10


明治村-11


明治村-12



 今日はここまでとしたい。
 また明日。

セントラルパークから桜通を歩く

名古屋(Nagoya)
セントラルパーク-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 オアシス21をあとにして、セントラルパークにやって来た。
 セントラルパークというのもまた、どこからどこまでをそう呼ぶのか、名古屋人にもよく分からないところだ。テレビ塔を中心として、南北2キロの公園部分がそうなのかと思うとそうじゃない。全体は久屋大通公園が正式名称だ。その中の、桜通大津から広小路通までのエリアがセントラルパークなんだそうだ。北にはロサンゼルス広場や リバーパークがある。オアシス21から南は、もう久屋大通公園ではなく、バスターミナルがあり、その南はエンゼルパークとなっている。若宮大通りを挟んで南には、ランの館がある。
 こういう厳密な区分分けは、名古屋人でも把握している人は少ないんじゃないだろうか。みんな漠然とあのあたりのことをセントラルパークと言っている。
 上の写真は名チャリのステーションだ。名古屋では去年あたりから期間限定で、自転車の無料貸し出しをやっている。名古屋大学と名古屋市が共同で行っている社会実験で、放置自転車の再利用とエコのために、栄から名駅エリアに30ヶ所のステーションを設けて、市民や観光客に自転車の利用をしてもらおうというものだ。用意された自転車は300台で、期間は10月20日から12月18日までとなっている。
 会員登録すれば、どのステーションからも借りられて、どこへ返してもいいようになっている。上手く使えば便利なシステムだ。なかなかの人気で、ときには自転車が足りなくなることもあるとか。認知度が上がって浸透していけば、けっこう定着していくんじゃないか。放置されたり、人手のことなど、いろいろ課題はありそうだけど、1回100円くらいなら利用したい。

セントラルパーク-2

 昔からセントラルパークの雰囲気はあまり好きじゃなかった。開放的ではなく、狭くて、なんとなく暗い。市民の憩いの場というにはややふさわしくないようにも思う。
 私の個人的なイメージとしては、ここはおじさんが似合う。ベンチに座って鳩にエサをあげていたりすると、いかにもという感じがする。

セントラルパーク-3

 名古屋のホームレス事情の変遷は、あまりよく知らない。昔は、名古屋駅の裏に多かったけど、再開発で一掃された。今多いのは、名城公園や、若宮大通りのガード下とかだろうか。セントラルパークもけっこうそんな雰囲気だった。

セントラルパーク-4

 桜通に架かるセントラルブリッジ。
 車で下を通ることはよくあっても、この橋を歩くことはめったにない。
 名古屋名物の一つと名古屋人は思っている100メーター道路は、久屋大通のことをいう。久屋大通公園を挟んだ両側の道路は、実際幅は100メートルくらいだある。ただし、公園が半分以上なので道路自体はそんなに広くない。
 実質的には桜通の方が広く、片側4車線で50メートルくらいはある。

セントラルパーク-5

 セントラルブリッジの上から桜通を見る。この道を真っ直ぐいくと、名古屋駅前の正面に出る。
 栄の中心はもっと南の広小路通で、その間には錦通という幹線道路もある。もし、栄と名古屋駅が直線上に結ばれていたら、名古屋の街はもっと違っていたはずだ。今の位置関係は、中心地が分散してしまってよくない。観光客にも分かりづらいものとなっている。
 名古屋城も栄の北ではなく、北西となっていて、歩くには遠い。もっと上手に都市設計をしていれば、今以上に発展していただろうに。

セントラルパーク-6

 歩道橋の上から人の写真を撮るのは面白いかもしれない。長い時間粘っていたら、いろんな人が撮れそうだ。ちょっと怪しまれそうだけど。

セントラルパーク-7

 セントラルブリッジの北のロサンゼルス広場にも寄っておいた。ここはめったに来ないところで、こんな噴水池も覚えがない。昔からあっただろうか。
 セントラルパークという名前自体もニューヨークのモノマネなのだけど、ロサンゼルス広場にはチャイニーズ・シアターを真似て、マリリン・モンローなどの手形プレートがある。名古屋人として少し恥ずかしい。そんなにアメリカに憧れなくてもいいだろうと思う。ロサンゼルスは名古屋の姉妹都市だから敬意を払ったのかもしれないけど、方向性が間違っている気がする。

セントラルパーク-8

 桜通を歩いて、名駅へ向かった。
 途中で見つけたタツノオトシゴ。逆光でシルエットになった重機がそう見えた。

セントラルパーク-9

 桜通の名前は、通り沿いにある桜天神社から来ている。
 ビルとビルとの間にこそっと入り込むようにして建っている。気の毒なくらいのロケーションだ。
 信長の父である織田信秀が北野天満宮から勧請して那古野城の祠に祀ったのが始まりで、その後、万松寺に移されて、鎮守とされた。
 万松寺が名古屋城の築城にともなって大須に移ったとき、桜天神はそのままこの地に残り、現在に至っている。
 名古屋城築城のとき、加藤清正がこの場所に本陣を置いていたと伝わっている。
 かつてはここが桜の名所だったことから、桜天神と呼ばれるようになったそうだ。今は桜など影も形もない。その代わり、桜通はイチョウ並木の名所となっている。

セントラルパーク-10

 伏見通と交わる日銀前交差点。ここの歩道橋からセントラルタワーズ方面のイチョウ並木を撮るのが定番ポイントとなっている。ただ、歩道橋の上から撮ってみると、どうもしっくりこないというか面白みが感じられなかった。

セントラルパーク-11

 四角形になっている歩道橋をぐるりと一周歩いて撮影場所を探してみたけど、ここというのが見つからない。もう一度下に降りて撮ってみる。
 早朝の車がいない時間帯に、道路の上から撮ったらどんなものが撮れるのだろう。

セントラルパーク-12

 今年はイチョウも早かったようで、だいぶ葉が散っていた。ここは撮影ポイントとしては有名なところで、見頃の時期は歩道橋の上に三脚が並ぶらしい。この日は一人もいなかったところを見ると、もう時機を逸していたようだ。
 セントラルブリッジから日銀前で、名駅まではまだ半分くらいだ。
 次回は堀川沿いの風景をお届けします。

愛知県芸術文化センターからオアシス21あたりにて

名古屋(Nagoya)
栄周辺-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



「日本の自画像」展は、愛知県美術館で開催されていて、愛知県美術館は愛知県芸術文化センターの中にある。最初、この関係がよく分からなかった。写真展などの企画展や所蔵展はこの10階でやるらしく、愛知県美術館の屋外展示スペースが12階にあって、ギャラリーは8階にある。ギャラリーなどは別料金なのか、無料なのか、そのあたりも把握できていない。
 愛知県芸術文化センターは建物の名前で、ビルの中には愛知県芸術劇場や愛知県文化情報センターなども入っている。この日も葉加瀬太郎のコンサートなどが開催されていた。
 県美術館の展示物が撮影不可なのか、美術館のフロア自体が禁止なのか。フロアの隅から望遠で展示物を撮ったら盗撮なのだろうかなどと考えつつ、エスカレーターで下って違う階で写真を撮ってみる。このへんなら大丈夫だろう。そのままエスカレーターで1階まで行くことにした。

栄周辺-2

 吹き抜けになっているエントランスの天井部分。
 複雑な直線模様やまがりくねった曲線、幾何学模様など、最近、そういったものに惹かれる自分を発見する。工場を撮りにいってから目覚めたようにも思う。夜の操車場とかも無性に撮りたい。
 このシーンでは、光の入り方もよかった。

栄周辺-3

 県芸術文化センターの外観。
 直線と曲線の組み合わせと、表面の質感や、窓の青さがいいと思った。
 テレビ塔も映り込んでいる。映り込みが好きなのも確かだ。

栄周辺-4

 テレビ塔を近くからアップで撮ると、そのワイヤーチックぶりというか、鉄筋の細密さのすごさが分かる。
 当時は高い建物を赤白に塗ることが義務づけられていなかったから、テレビ塔は銀色塗装のままとなっている。
 いかにも一昔前の電波塔といった風貌で、地デジは荷が重いというような感じもする。この無機質な感じがかえって新鮮で格好良くもある。もっと格好良くするには、プラチナシルバーとかで塗ったらどうだろう。名古屋といえば金シャチだから、金メッキでもいい。
 ガラス張りになっているところが展望室で、その上の屋外にも出ることができる。吹きさらしだから、冬場は猛烈に寒い。

栄周辺-5

 オアシス21もちょっと寄っていった。
 これもどこからどこまでがオアシス21なのか、よく分からない。水の宇宙船と名づけられたものがそうかと思ったら、公園全体を指してそう呼ぶらしい。
 地下の青い床のところにスケートリンクができている。噂には聞いていたけど、知らずに見たら驚くだろう。氷ではなく樹脂素材にワックスを吹いて滑るようにしてるんだとか。なかなか面白い試みだと思う。
 スケートなんて、もうずいぶんやってないけど、体は覚えているものだろうか。昔は大須のスケート場に通ってよくやったものだ。

栄周辺-

 水の宇宙船の床は半透明になっている。下から見ると、靴影がぺたぺた移動していくので面白い。

栄周辺-7

 噴水池はどういう仕組みになっているのだろう。かなりの水量があって、水は循環している。

栄周辺-8

 青いガラス張りのビルに空が映って、違う青を見せてくれる。
 最近の建物は無粋なものが多いと思い込んでいるけど、よくよく見ていくと洗練されいるものや面白いものもけっこうある。
 街歩きをして、ビルばかり撮っても、面白いコレクションができそうだ。

栄周辺-9

 ビルコレその2。レトロモダンな感じ。
 太陽の反射が生む光と影の陰影。

栄周辺-10

 サンシャイン栄のビルに貼り付いている観覧車。
 話のタネに一度乗ってみるのは面白い。街の中心部にあるから、普通の観覧車とは見える風景が違う。特に夜がオススメだ。

栄周辺-11

 現存する日本で一番古い屋上観覧車が三越の屋上にある(日本最古の観覧車は函館公園こどものくにのもので1950年製造)。
 昔はオリエンタル中村だったことを覚えている人もいるだろう。
 残念ながら2005年で営業は終わってしまって、今は止まったまま保存されている。

栄周辺-12

 交差するラインと光の反射。
 どのラインが実像でどれが虚像なのかを把握しようとすると混乱する。

栄周辺-13

 栄の街並み。この通りは裏通りになる。店舗などが並んでいるけど、まったく馴染みがない。
 このあと、名古屋人はまずやらない栄から名駅まで歩くというのをやった。2キロちょっとだから、ゆっくり歩いても1時間はかからない。急げば30分くらいのものだけど、名古屋人の常識の中に栄と名駅の間を歩いて移動するという概念は存在しない。東京の人はこれくらいの距離はけっこう歩いて移動すると思う。
 この日の予定は、桜通でイチョウ並木を撮って、堀川を見つつ、最後は名駅でタワーズライツを撮る、というものだった。その様子は、また次回以降に紹介することにしたい。

立ち止まらせる力 ---写真展「日本の自画像」を見て思ったこと

施設/公園(Park)
栄-1

PENTAX K10D+SIGMA 30mm f1.4



 少し前に土門拳の特集番組を観て感銘を受けて、機会があれば一度見てみたいと思っていたら、思いがけずすぐに叶うことになった。
 愛知県美術館で開催されている「日本の自画像 写真が描く戦後 1945-1964」の中で、土門拳の写真も数点展示されていることを知って、早速チケットを手に入れて見に行ってきた。
 流れというか、こういう連鎖というのはあるもので、それまで縁がなかったものに一点足がかりができると、そこから横も縦にも縁が広がっていく。何事にも時期というものがある。
 サルガドの写真展が東京都写真美術館でやっていてこれもぜひ見たいところではあるのだけど、13日までということで今回はちょっと実現しそうにない。もう一週間早く知っていれば行けなくはなかったのに。
 写真展「日本の自画像」は、2009年4月に世田谷美術館で始まって、愛知県美術館は13日までで、2年間で日本国内を回り、その後欧米にいくそうだ。
 土門拳、林忠彦、石元泰博、川田喜久治、木村伊兵衛、田沼武能、東松照明、長野重一、奈良原一高、濱谷浩、細江英公と、戦後を代表する写真家の作品168点が展示されている。テーマは、戦後の日本。
 終戦直後の復員兵や戦争孤児、焼け野原の情景から復興してゆく日本の姿を捉えた作品群は、見る世代によっていろいろと感じるものも違うだろうと思う。
 私は写真の内容よりも、どういうふうに撮られているかに興味があった。優れた写真というのはどういうものかを知りたいと思ったのだ。
 端から順番に見ていったわけだけど、やはり土門拳の作品には立ち止まらせる力がある。土門拳の写真が他の写真とは違うことが分かる。ただ、どこがどう違うのかは分かりそうで分からない。
 問題は、撮り手と被写体との関係性ということなのだとは思う。土門拳自身はそれを、「カメラとモチーフの直結」、「絶対非演出の絶対スナップ」と呼んでいた。
 たとえば戦争孤児のような子供を撮った写真で、撮られた子供は異様な力強い瞳でカメラをにらみつけている。あんな写真はスナップやポートレート感覚では絶対に撮れない。ある意味では遠慮というのがない。普通は入り込めない個人の領域にまでずかずかと土足で踏み込んでいるような写真だ。それゆえに、撮り手と被写体との緊張感が尋常ではないことになっている。
 かと思うと、大勢が集まってどんちゃん騒ぎをしている人々を写した写真では、土門拳はまるでそこにないかのように存在感を消している。人々はカメラを意識するでもなく、わざと無視しているわけでもなく、気づいていないわけでもないのに、カメラがその場の空気感と同化して撮られている。
 雰囲気を捉えるといった生半可なものではなく、空気まで丸ごと捉えるというのはこういうことなのかと思った。
 どうやったらそういう写真が撮れるのかはよく分からないし、土門拳も人に教えることはできないだろう。構図やレンズだけ真似ても同じ写真は撮れない。
 土門拳の写真が嫌いという人もいるけど、その理由もちょっと分かったような気がした。私は単純にすごいと感心した。あんな写真が撮りたいというのではなく。
 奈良原一高という写真家を知ることができたのも収穫となった。そのまま現代に通じる感覚で撮られた写真は、当時としては斬新に映ったんじゃないだろうか。ユニークな視点と構図は、勉強にもなり、お手本にもなる。まだ健在なので、最近の作品も見てみたい。

 写真展のチケットで、絵画の展示も見ることができたので、ついでに見ていくことにした。
 しかし、ついでというには失礼な展示品の数々で、見ておいてよかった。
 いきなりピカソの「青い肩掛けの女」があって、本物か? と、疑ってしまった。なんでも鑑定団の悪い影響だ。
 のちのキュビスムの時代のピカソは分からないけど、初期の作品や青の時代のものは分かりやすくて好きだ。
 この作品も、非常に力がある。本物が持つ吸引力は、一度その前で立ち止まったら魅入られたように動けなくなる。暗く沈んだ青で描かれた女の絵は、これといった特徴はないのに、じっと見つめずにはいられない。
 本物ってこういうことなんだと、腑に落ちる思いがした。
 アンディ・ウォーホルの「レディース・アンド・ジェントルメン」や、クリムトの「黄金の騎士」なんかもあって、強い感銘を受ける。
 クリムトの主題は愛と女と死の官能で、黒い馬に乗った甲冑の騎士というのは非常に珍しいモチーフなのだけど、これはこれでものすごく力のある作品だった。写真で見ているよりずっと大きな絵で、近くで見ると繊細で、離れて見ると力強い。
 当時としてはスキャンダラスな絵でたくさんの人々に攻撃されたクリムトだったけど、今見ると正統派の堂々とした立派な作品だと思う。金色の使い方などは琳派を連想させるし、王道をゆく巨人がなした仕事といったようなもので、凡百がいくら努力してもとうてい追いつけない領域に思える。
 もう一人、今回見ておいてよかったと思ったのは、長谷川利行だった(としゆき、では雰囲気が出ないから、やはり、りこう、と呼びたい)。
「酒売場」のイメージは黒い絵の具で、色調も暗いのに、暗さを感じない。重たいけど重厚とは違う。
 近寄って見るとタッチが乱暴で、いい加減に書き殴られたように見えるのに、ある一定の距離から見ると、暴れていると見えたタッチは収まるところに収まり、絵は整然としている。
 不思議な魅力を持った作品だ。ちょっと日本人離れしたところもある。
 生き様は破天荒で、アウトサイダーではなくアウトローだった。友人にも見放され、最後はのたれ死んだ。
「ノアノアの少女」もあって、こちらはもっと明るい作品になっている。
 展示はなかったけど、他にも「 伊豆大島」、「霊岸島の倉庫」、「パンジー」を愛知県美術館は所蔵している。好んで集めたのか、たまたま集まったのか、機会があれば見てみたい。

 ありきたりな感想を言えば、生で実物を見ることで得られるものは大きい、ということになる。
 ただ、良い作品を見たからといって明日から自分も急に腕が上がるわけではないし、突然芸術家になれるわけでもない。見ることは刺激にはなるとしても、本物現物至上主義に偏重したくないという気持ちもある。
 とはいえ、また何かの機会があれば写真展や美術展は行ってみようという気にはなった。しかし、何故展示物は撮影禁止なのだろう。海外の美術館では撮影可能なところが多いそうなのに。撮影を許可してしまうと色々と問題が出てくるから、面倒を避けるためにいっそのこと禁止にしておいた方が無難ということなのだろうけど、これだけ写真というものが人々の生活に浸透してきている時代なのだから、写真撮影を可能とするためにはどういう展示にしたらいいのかという方向性で考えていってもいいのではないか。
 写真撮影可能となれば、もっと多くの人が美術館や博物館へ行くようになるはずだし、そうなれば様々な面で美術界に活気も出てくる。私もブログのネタが増えて助かるし。
 著作権やら肖像権やらがうるさくなったこのご時世に、第二の土門拳はもう出てこないかもしれないな、なんてことを思いつつ、美術館をあとにしたのだった。

日常的に見ているのに見ていなかった風景

街(Cityscape)
遠望-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 日頃見慣れた風景も、望遠レンズを望遠鏡のように使って部分を探していくと、今まで見逃していたものが見えてくる。
 上の写真は、猪高変電所で、これまで気づかずにいた。少し角度を変えて見てみたら、こんな面白い風景が隠れていた。もっと高いところから更に寄って撮りたいところだけど、それは難しい。
 夜はどんなふうになっているのか。時間帯や光によっても違った風景になりそうだし、次は三脚を立ててちゃんと撮ってみよう。

 今日はまた小ネタでつなぐ。
 少し時間ができて、栄から名駅まで歩いて写真を撮ってきたのだけど、まだ整理ができていないから、明日以降にする。

日常遠望-2

 青い空。青い雲。青い光。
 こういう青もある。
 中央のタワーは、中京テレビの東山タワー。
 地デジに切り替わったあとは、FMラジオ専用の電波塔になるようだ。けっこう贅沢。

日常遠望-3

 こちら側は普段ほとんど撮らない。何があるのかもよく知らない。
 夕陽を浴びてオレンジに光っていたので撮ってみた。
 上空の黒い粒は、飛んでいくカラス。

日常遠望-4

 この日はもやがかかっていて、名駅のタワーがまったく見えなかった。こんなに光があるのに見えないのは珍しい。
 小松左京の首都消失みたい。

日常遠望-5

 東山動植物園にある東山スカイタワー。
 その横にあるマンションがいつも気になる。東山の高台に一つだけ、ポツンと唐突に建っている。
 あそこの上の階は、かなり見晴らしがいいんじゃないか。名駅方面はどんなふうに見えているのだろう。

日常遠望-6

 ピカリとオレンジ色に反射する建物。

日常遠望-7

 夕陽が思いがけないところへ沈んでいく。こんな左の方に沈むこともあるのか。これが冬の定位置なのかどうか、よく分かっていない。

日常遠望-8

 入道雲になりきれなかった雲。
 冬にも積乱雲は発生する。特に日本海側は頻繁にできて、冬場の方が雷も多いそうだ。

 10年前、写真の場所がどんな姿をしていたのか、思い出すことはできない。
 10年後は、これらの写真を見れば思い出すことができる。
 写真は、何に関心を持ち、どこを見ていたかという告白でもある。10年後の自分に、おまえはどこを見ていたんだよ、と思われないように、きちんと見るべきところを見ておかなくてはいけない。
 当然のことながら、人は見ていないものを写真に撮ることはできない。大切なのは、どこを見るかということだ。それが記録であっても、記憶であっても、表現であっても。

初冬の海上の森で秋色の名残を探す

森/山(Forest/Mountain)
海上初冬-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / DA 16-45mm F4



 ここのところ少し気温が下がって、季節が晩秋から初冬へ移ったことを実感する。名古屋は今日、遅い初霜が観測されたそうだ。
 紅葉シーズンが終了して、やや目標を見失いつつある中、海上の森へ行ってきた。秋色の名残を探すのが主な目的だった。
 コースは最近定番になっている、篠田池から大正池へ回る北エリアを選んだ。南エリアや湿地は、虫がいない季節は撮るものがあまりなくて面白くない。
 季節柄なのか、やけに賑わっていて驚く。ガイドツアーみたいなものに巻き込まれそうになったりもした。万博の前までは忘れられた森で、めったに人に会うこともなかったのに、万博を機に整備されてから認知度も上がって人が増えた。みんながここの存在を思い出したことは悪いことじゃない。
 上の写真は、篠田池で撮ったものだ。いつもは池の南側から撮るのだけど、この日は風が強くて水面が波立っていていいのが撮れなかった。あきらめて帰ろうとしていたらグループがやって来て、それを避けようと初めて北側へ行ったら、怪我の功名でいいのが撮れた。
 これは個人的に大きな発見で、北側に回ると午後は背後から光が来て、水際の紅葉に陽が当たってきれいに映り込む。時間帯や光の当たり具合によっても変化がありそうだし、今後はこちら側が狙い目となる。

海上初冬-2

 通常、水面の映り込みは風による波があるとよくないのだけど、このときはそれが良い方に作用した。細かい波が絵筆のタッチのような変化をつけて、面白い描写になった。
 写真の天地をひっくり返したら、もっと絵画的になりそうだ。

海上初冬-3

 さすがに紅葉はほぼ終わっていて、枝についているモミジの葉はわずかだった。地面に落ちた葉も、枯れて色褪せている。
 紅葉名所に気を取られて、森の素朴な紅葉風景を忘れてしまっていた。森にも秋らしい風景というのはある。

海上初冬-4

 今年も落ち葉と水風景の組み合わせでいい写真が撮れなかった。葉が渦巻きでぐるぐる回っているところとかも撮りたかった。
 2009年紅葉シーズンでは、いろいろ見つけた部分もあり、課題も残った。今年で紅葉に対する苦手意識が弱くなったから、来年も楽しみにしたい。

海上初冬-5

 これは苔が主題ではなく、中央左寄りに写っている虫が撮りたくて撮った一枚だ。
 小さなアブなのか何なのか、まだ生きている羽虫を発見して嬉しかった。夏場なら相手にもしなかっただろうけど、12月になるとどんな虫でも貴重でありがたい存在となる。
 これ以外にほとんど虫らしい虫は見かけなかった。あんなにいた虫がきれいさっぱりいなくなってしまうことに、あらためて愕然とするような思いがした。あの森の中だけでも、この夏どれくらいの虫が生まれて死んでいったのだろう。

海上初冬-6

 木々もすっかり冬景色になっている。
 季節は間違えないし、怠けない。当たり前といえば当たり前なのだろうけど、時期が来ればきっちりと季節は入れ替わる。忘れて飛んでしまうなんてことはない。自然のサイクルは実に律儀だ。
 季節の移り変わりもまた、驚異であり、奇跡に類するものだ。太陽と地球の位置関係がわずかに違っただけで、地球ではこんなにも大きな変化がある。
 気候の変化がなければ、これほど多くの生き物や花を私たちは見ることがなかった。

海上初冬-7

 森を歩く人。
 普段はこれくらい奥まで入ると、人に会うというのが頭の中からなくなってしまうのだけど、この日のようにちょくちょく出会うとけっこうびくっとする。前の方でガサガサ音がしたりすると、人よりもまず動物の可能性を考える。
 この日も入口近くで小動物を見た。一瞬、テンかなと思ったけど、海上の森にテンなんて生息してるだろうか。イタチだったかもしれない。
 突然のことで写真に撮れなかったのが残念だった。

海上初冬-8

 スギ林なのかヒノキ林なのか、ここを上手く撮りたいというのがあって、行くと場所や角度を変えて何枚も撮るのだけど、いまだにイメージ通りのものが撮れなくて、もどかしい思いが募っている。見た目は非常に印象的な風景で感動的だから、ぜひその様子を写真で伝えたいのだけど。
 あの風景の美しさを見たら、花粉症くらい許そうという気にもなる。

海上初冬-9

 青空の青も、秋と冬とでは色が違う。よく晴れて風の強い冬の青は、独特の深い色をしている。
 上空高くを白い飛行機が飛んでいく。
 この空は地球のどこにもつながっているのに、自分はどこへも行けないでいる。お金持ちになって贅沢な暮らしがしたいとは思わないけど、自由に使えるお金がたくさんあれば世界中を旅してみたいと思う。

海上初冬-10

 残照を浴びて山の渋いオレンジ色が輝きを放つ。
 今が秋色の最後の名残で、もう少しすると、森は茶色が支配する世界になる。総天然色だった映画がモノクロ映画になるように、自然界は色を失う。
 足を踏み出すごとに足元の落ち葉がカサコソと乾いた音を発する。その音を聞くと、もう冬を覚悟しなくてはならない季節になったのだと思う。

海上初冬-11

 大正池は水が抜かれ、またこの光景が戻ってきた。立ち枯れの木が立ち並ぶ死の世界。
 長く地面に埋まっていた白骨が現出したような光景だ。

海上初冬-12

 この前まで水底だったところも乾いてひび割れている。アフリカの乾燥地帯のようだ。

海上初冬-13

 森を出た頃は日も暮れて暗くなりかけていた。これは星空を撮るチャンスということで、暗くなるまでしばらく待って星を撮った。このサイズになってしまうとあまり星が見えないけど、大きなサイズで見るとけっこうたくさん写っている。
 撮りたいのは星空ではなく風景を絡めた星景写真と呼ばれるものだ。今回練習も兼ねていろいろ試してみたけど、まだコツが掴めない。絞りとかISO感度とかシャッタースピードとか、考えられる組み合わせがたくさんあって要領が分からない。もう少し勉強と練習が必要だ。
 基本を身につけてイメージを固めたら、どこかに撮りにいきたい。光が少なくて暗いところといえば山だし、海もよさそうだ。
 ふたご座流星群が14日に今年最後のピークを迎えるそうだから、チャンスがあれば流星撮りにも挑戦してみたい。

 海上の森行きは、これが今年最後になると思う。何度も行ったけど、できれば月に一度くらいのきめ細かさで通いたいとも思う。季節の微妙な変化を感じるには最適の場所なのだから。
 1月になったら、冬風景を撮りに行こう。

気になっていた野鳥観察の森に初めて入った <小幡緑地・後編>

施設/公園(Park)
小幡緑地2-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は小幡緑地の後編を。
 小幡緑地は、本園と東園、西園があって、それぞれが飛び地になっている。全部つなげて広大な緑地にする計画があるらしいのだけど、工事が進んでいる様子はない。立ち消えにはなっていないとしても、計画は長期中断中のようだ。
 本園から少し離れた東側に、野鳥観察の森と名づけられた一角がある。その存在だけはずっと以前から知っていたものの、これまで一度も行ったことがなかった。夕方4時に閉まってしまうということで、行きたくても行けなかったのだ。
 今回、時間があったので初めて中に入ることができた。ここは本当なら中央園となるべき場所で、小幡緑地の一部でもある。名前からして野鳥観察に特化した場所かと思いきや、小幡緑地の他の場所と違いはない。
 隣接している水生園には貴重な湿地植物があるということで、フェンスに囲まれた非公開ゾーンになっている。水生園の周囲の区域を野鳥観察の森と名づけている。
 ここだけを時間制にして開けたり閉めたりしているのは、たぶん水生園があるからだろうと思う。それ以外に夕方で閉めてしまう理由は見あたらなかった。中は特に貴重なものとかがあるわけではない。管理人とかがいて出入りする人をチェックするとか、そういうこともない。
 何もなくて拍子抜けだったものの、これまでずっと気になっていた中の様子が分かったのは収穫だった。すっきりしてよかった。

小幡緑地2-2

 少しモミジがあって、赤色を保っていた。
 特別に紅葉がきれいな場所だとかそういうことはない。

小幡緑地2-3

 紅葉のアウトフォーカス。
 イルミネーションのアウトフォーカスは定番で、紅葉でもそれができることに気づいた。気づくのがちょっと遅かった。赤、黄色、オレンジ、緑などの色が混在している場面でやると、面白い写真になりそうだ。逆光で光の玉を入れられると尚いい。

小幡緑地2-4

 野鳥観察の森なんだから、せめて一羽でも野鳥を撮らないといけないと思った。
 ロケーションはまるでよくないけど、なんとかメジロを捉えた。
 他にもシジュウカラやエナガなどがいた。季節と時間帯によっては、何か珍しいやつもいるのかもしれない。
 一番奥まったところに、大がかりな野鳥観察用のフェンスが作られている。のぞき穴が空いてるやつ。

小幡緑地2-5

 中はしっかりと散策路が整備されていて、荒れている様子はない。一人だけ見かけたけど、私が思っている以上に訪れる人は多いのかもしれない。
 森というか雑木林の深さはなかなかのもので、いくら守山区とはいえ名古屋市内とは思えないような光景が広がっている。
 一番奥まで歩いて往復15分か20分くらいの広さだ。思ったよりも広かった。

小幡緑地2-6

 粘っているクモ。自分はまだ寒さに耐えられたとしても、エサになる虫が飛んでいない。
 クモは他の虫を食べる凶暴なやつだけど、愚直とも言える。器用にクモの巣は作れても、生き方は不器用だ。

小幡緑地2-7

 ここからは本園の写真。
 西日を浴びるススキ類。
 この前まできれいな穂だったのに、冬を迎えてぼさぼさになっていた。
 その年最初にススキを見ると秋を感じ、ぼさぼさの穂を見ると冬を覚悟する。

小幡緑地2-8

 秋色をバックに佇むノラ。
 見事にモデルをつとめてくれた。お礼にカリカリをあげたら、他のもたくさん寄ってきた。

小幡緑地2-9

 若猫。今年の春に生まれたやつだろうか。
 人なつこくて、ヒザに乗ってきた。と思ったら、すぐに逃げていった。

小幡緑地2-10

 この日は満月で、写真を撮っていたら林の影から顔を出した。そのスピードは思いがけず早く、するすると昇っていった。

 なかなか収穫の多い小幡緑地だった。今年中にもう一度くらいは行けるだろうか。

普通の夕食プラス洋風焼きそばサンデー料理

料理(Cooking)
普通サンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 先週はチェコスロバキア料理だったから、今週は普通の料理を作った。一般的な基準では普通ではないのかもしれないけど、私にとってはお馴染みの料理という意味で。毎週、世界料理に挑戦するのは大変だ。
 今日は食材が最初にあって、それを使って何を作るか考えて決めるというアプローチだった。マグロとエビがあって、使ってしまわないといけないトマトがあって、野菜が少しずつ残っていた。そういう状況でできたのが上の3品だ。

 マグロはマヨしょう油味にすると、すぐに決まった。今日の気分はそれだった。
 塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いたあと、カタクリ粉をまぶして、ごま油で炒める。
 刻んだしめじも入れて、酒、みりん、白しょう油、塩、黒コショウ、パセリ粉、マヨネーズ、マスタードを絡めながら焼いていく。半生に仕上げてもいい。
 これは美味しいから、オススメできる。簡単にできるし、子供も喜ぶと思う。

 エビとトマトは相性がいい。いつもならトマトスープにするところだけど、今日は他にも野菜スープがあったから、違う調理を試みた。
 オリーブオイルでタマネギを炒め、皮むきしてざく切りにしたトマトを加える。白ワイン、みりん、白しょう油、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖で味付けをする。
 後半に下ごしらえをしたエビと、刻んだ青ネギを追加して、しばらく煮込む。
 終盤に溶き卵ととろけるチーズを入れ、卵が半熟になったら完成だ。
 トマトの酸味と甘みがいい感じだった。スープとはまた違った味わいで、トマトの新しい使い道を発見した。絹ごし豆腐を加えてもよさそうだ。

 奥の野菜スープは、雑煮みたいなものになった。
 余っている野菜を全部入れたら、ちょっと複雑な味だった。
 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ダイコン、鶏肉、白菜、キャベツ、ほうれん草。それぞれの旨みがスープの中でぶつかって、ややもめた感じだ。なんでも入れればいいというものじゃない。
 味付けは、コンソメの素、白ワイン、塩、コショウ、白しょう油、みりん、とやや洋食寄りになっている。

 今日は普通の料理だったから、満足度も普通だった。悪く言えば面白みがない。
 今年のサンデー料理も残り3回となった。最後は今年の集大成として自信の3品を作りたいと思っている。その前の2回も、何かテーマを持って取り組みたい。漠然と作っているだけでは詰まらない。

洋風焼きそば

 今日のオマケとして、洋風焼きそばを紹介したい。
 といっても、特別なものではなく、いつも料理でやっているような洋食風の味付けで焼きそばを作ったらどうなるだろうと思って作ってみただけだ。
 キャベツ、タマネギ、ニンジン、豚肉をオリーブオイルで炒め、焼きそばを入れて白ワインでほぐし、コンソメの素、白しょう油、みりん、塩、黒コショウで味付けをする。
 普通の焼きそばとはもちろん違っていて、でもパスタとも違う一風変わった味わいになった。これはこれで私は嫌いじゃない。
 毎回食べたい味ではないにしても、変わり焼きそばとして単発で食べてみるなら美味しい。普通の焼きそばに飽きたら、また作って食べてみよう。

小幡緑地で撮る水風景 <前編>

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
小幡緑地1-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 どういう状況で何を撮ってこんな写真になったのか、自分でもよく思い出せない。不思議な魅力のある水写真が撮れていた。たぶん、流し撮りの失敗写真ではなかったかと思う。
 今日の小ネタは、近所の小幡緑地で撮ってきた写真だ。ちょっと水増しして2回分になったから、前後編に分けてお届けしすることにした。
 前編の今回は、水にまつわるものを集めてみた。小幡緑地本園は水の多いところで、いろいろな水写真が撮れる可能性がある。この日も短時間の中で、それなりに収穫があった。

小幡緑地1-3

 カモ撮りも目的の一つだったのだけど、予想以上に秋色があって、そのあたりも撮れて満足した。
 渋枯れ色の紅葉が、西日を浴びてきれいなオレンジ色になった。水面の映り込みもよかった。

小幡緑地1-4

 オナガガモのグループ。
 カモの泳ぎが作り出す水紋がきれいで、よく狙って撮る。

小幡緑地1-5

 ここのカモたちは人にエサをもらっているから、人間の姿を見ると寄ってくる。こいつらも手ぶらの私をめがけて大急ぎでやって来た。

小幡緑地1-6

 何も持っていないことが分かると、チェッという感じで離れていく。
 きみらは野生なんだから、池にあるものを食べておきな。猫なんかとは違って、自然にあるもので生きていけるようになっているんだから。

小幡緑地1-7

 いい色が出ているところで待っていたら、ちょうど通りかかってくれた。
 これは何ガモか、ちょっと分からなかった。カイツブリではないと思うけど。目の周りが白いカモっていただろうか。

小幡緑地1-8

 日没前の夕陽を浴びて、いっそう赤みが増した。

小幡緑地1-9

 小さい方の池の映り込み。夕焼け色と木立のシルエット。

小幡緑地1-10

 前回、水面から飛び出た枯れ草が自然の落書きのような面白い風景を作っているのを撮って、今回も再びと思ったのだけど、あのときとは条件がまったく違っていた。あれはたまたま出現した風景だったようだ。
 同じようなところを探して撮ってはみたけど、面白さ不足。

小幡緑地1-11

 小さい池の水量がかなり増えていて、池の周辺の道が水没していた。更にごうごうと水が流れ込んでいた。状況がよく分からない。
 向こう側に回り込むことができず、あきらめて引き返す。日没も迫っていた。

小幡緑地1-12

 いつもの夕焼け水鏡風景。
 この日は少し風があって、水面がさざ波立っていた。それで、鏡面が不完全になった。雲の表情もよくない。

 後編に続く。

鳥と夕焼けを絡めて近所の河原で小ネタを撮る

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
香流矢田川-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di + C-PL



 12月に入って、季節は晩秋から初冬へ移り変わろうとしている。しばらく続いた紅葉ネタも終わって、小ネタでつなぐ日々が始まる。何かいい冬ネタはないものか。
 冬といえば渡りのカモが季節の風物詩で、私にとっての大事なネタ元でもある。これからの季節は、カモを撮るために近所の池や川を巡ることが多くなる。夕焼けや水風景などを絡めつつ、何か撮れればいいと思っている。
 今日は小ネタの中の小ネタとも言うべき近所の川風景をお送りしたい。ネタに困って時間がないときは、とりあえず川へ行けばなんとかなる。夕焼けがあれば申し分ない。

香流矢田川-2

 香流川と矢田川との合流点。両方の川に自分のポイントを何ヶ所か持っていて、気分と目的で撮る場所を決める。夕焼けがいいときは、合流点へ来ることが多い。二つの川はそれぞれ違った特徴があって、ここならどちらも撮れる。
 今後はもっとポイントを新規開拓していきたい。

香流矢田川-3

 渡ってきてひと月かふた月は経った頃だろう。この時期になると、カモたちも少し人間に慣れてくる。渡ってきたばかりの頃は警戒心が強くて近づくとすぐに逃げていくけど、もうあまり逃げない。カモにエサをあげている人がいることもあるだろう。
 何ガモか、暗くてよく分からなかった。まだ羽が生えかわっていなくて、判別しづらいというのもある。

香流矢田川-4

 香流川で初めてカワセミを見た。街中の川や池にもいる鳥ではあるけど、ここにもいるとは思わなかった。
 近づいたら矢田川の方に飛んでいったから、こちらとあちらを行き来しているのかもしれない。今後の楽しみが増えた。

香流矢田川-5

 コチドリらしき鳥もいた。コチドリなら前にも矢田川で見たことがある。夏場は見たことがなくて、前に見たのも冬だったから、冬場になるとこのあたりにやって来るようだ。

香流矢田川-6

 ダイサギの着水寸前。
 サギはふわりと飛び立ち、ふわりと優雅に降り立つ。腹打ちして着水するカモなんかとは違う。

香流矢田川-7

 犬を通じた会話があちこちで交わされる。
 これも河原でよく見られる光景だ。

香流矢田川-8

 橋が三本。
 何も考えず、当たり前に橋を渡っているけど、橋がなければ車は川に対してまったくの無力となる。こんな小さな川でも、橋が架かっていなければ車ではこちらからあちらへ行くことはできない。

香流矢田川-9

 川面に映るマンション。夜明かりがついたときに撮ると面白くなりそうな予感がある。

香流矢田川-10

 流れの中で小魚を狙うコサギ。
 暗くなってきて、そろそろ撮影は限界となる。

香流矢田川-11

 飛翔コサギの流し撮り。

香流矢田川-12

 満月一日前。
 2日が満月で、また少しずつ欠け始めている。
 河原の草も枯れ模様で、寒々しい。

香流矢田川-13

 オマケは、サンテラス千代田橋の立体駐車場からの夕焼け風景。
 ここからはタワー群とテレビ塔をセットで撮れる。

香流矢田川-14

 これくらい暗くなると、手持ちでは厳しくなる。できれば三脚を使って夜景を撮りたいところだけど、それはちょっと無理か。

 30分ほどの撮影で一回分のネタになれば上出来だ。またネタに困ったら行くことにしよう。

浄源寺最後の一枚で今年の紅葉は終わりにしてもいいと思った

紅葉(Autumn leaves)
浄源寺-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm F4 + C-PL



 瀬戸岩屋堂にある浄源寺で最後に撮った一枚。
 日没であたりが暗くなり、光がなさすぎてファインダーをのぞいてもよく見えない中、赤色さえ出ればこれはいい写真になるかもしれないという予感で撮った一枚だった。
 浄源寺は、ここ数年、毎年続けて撮りにいっている。門をくぐった先がモミジとイチョウの落ち葉で埋まる光景を撮りたくて。
 2007年にほぼ最高の状態に出会えて、去年、今年と、それを上回る状態を期待して行ったのだけど、超えることはできなかった。今年は10月の終わりにも二度行っているし、その前もセリバオウレンなどで行ったから、すっかり自分のフィールドのようになっている。今年はこの一枚が撮れたから、満足してよしとしたい。

浄源寺-2

 この写真を撮ったのは、神越渓谷へ行った帰りだから、11月27日のことだ。
 あれから一週間経ったから、だいぶ状況も変わっていると思う。いいタイミングで訪れると、手前のイチョウの黄色と、奥のモミジの赤とでグラデーションの絨毯になる。このときはまだアスファルトが出ていたけど、落ち葉の最盛期はそれも見えなくなるまで埋め尽くされる。
 ただ、お寺の人がこまめに掃き掃除をしてしまうから、タイミングの難しさがある。ちょうど落ち葉が最高潮に達したところで、尚かつ掃除の前となると、ジャストタイミングは限られる。今年はどうだったのだろう。もう一度行きたい気持ちはあるのだけど。

浄源寺-3

 見上げるモミジの色づき。
 どういうわけか、同じ岩屋堂でも、奥は早くて、手前の浄源寺は遅い。いつも一週間くらいのズレがある。このとき、奥はすっかり終わっていたのに、浄源寺はまだピークの手前だった。さすがに今日あたりでは、もう見頃も過ぎているだろうけど。

浄源寺-4

 だいぶ暗くなってきたとき。
 しゃがんだポジションで見上げて撮ると、また雰囲気も違ってくる。
 露出は8秒とか10秒とかだから、当然三脚がないと撮れない。
 光があるときでもここは暗めだから手持ちはやや厳しい。朝は行ったことがないから分からない。方角的にはこの角度は東北向きだから逆光になる。

浄源寺-5

 モミジの絨毯はすっかり完成していた。
 これだけの落ち葉となると、掃いても掃いてもキリがないくらいだろう。
 撮ってる最中にも間断なくパラパラと葉が落ちてくる。それが上手く写るといいのにと思ったけど、写らなかった。

雲興寺-6

 浄源寺へ行く前に、雲興寺にも寄ってきた。
 ここも前回訪れたときは、まだ紅葉には早かったから、チャンスがあれば再訪しようと思っていた。

雲興寺-7

 こちらもすっかり色づいていた。それほどモミジの本数があるわけではなくて、雰囲気がいいのは参道のこのあたりだ。
 すでに日没直前で、着いた頃には太陽が山の陰に隠れて光が差していなかった。光があればもっときれいに色が映えていたはずだ。
 この方向だと、左手から斜めに光が入っていい色が出る。

雲興寺-8

 前回挨拶は済ませておいたから、今回はここから少し進んだところで手を合わせるだけで引き返した。このあと明るさが残る内に岩屋堂に行きたかったから。
 ここも光がある時間帯に、もう少し落ち着いて撮りたいから、来年また訪れることにしよう。

雲興寺-9

 焚き火とモミジが、日本の秋の風情を思わせる。

雲興寺-10

 川沿いに咲く桜と紅葉。ミニ小原村といった風景だった。

 今年の紅葉はここまでということになりそうだ。浄源寺がどうなっているか気になるところではあるけど、心残りは少しくらいあった方が来年につながるだろう。今年はたくさん回ったし、もうこれでいい。
 紅葉が終わって、冬がやって来ると、またネタ枯れの季節となる。鳥撮りだけでは持たないから、神社仏閣巡りを再開することになるだろうか。新ジャンルにも挑戦したい気持ちがあるから、そのあたりも模索していきたい。根性を出すなら星景写真とかもある。早朝に出かけて、氷や霜を撮るとか。
 冬には冬の楽しみを見つけていけるといい。

香嵐渓のよさを伝えきれない香嵐渓写真

紅葉(Autumn leaves)
香嵐渓-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di + C-PL



 写真は誰のために撮るものだろう?
 もちろん、自分のためではあるのだけど、同時に誰かに見てもらうためでもある。共有するためと言い換えてもいい。そういう意味では、携帯カメラというのは写真の本質を突いていると言える。撮るという行為と見せるという目的が直結している。
 おばあちゃまは紅葉のきれいな写真を撮って、孫にでも送ったのだろうか。その行為をどう思っているだろう。この世代なら、戦争と戦後の物のない時代を体験して、戦後復興から高度経済成長を経て、バブルが弾け、誰もが携帯電話を持ち、ネットワークで世界中とつながった今の現状を、60年前には想像もしなかったはずだ。小型の電話機で写真を撮って瞬時に送信するなんて、当時の人たちに話したら夢物語でさえない笑い話だ。
 この先、世界がどうに変わろうと、人は時代を受け入れる。50年後の未来で、人と写真の関係はどんなふうになっているのだろうか。
 香嵐渓で出会ったワンシーンに、いろいろと思うところがあった。

香嵐渓-2

 香嵐渓はこれまで何度となく行っているのだけど、紅葉シーズンは2007年の一度しか行ったことがない。とにかく大渋滞で悪名高い場所なので、紅葉の時期は近づかないようにしていた。おととしは意を決して初めて行って、なるほどこれはなかなかのものだと感じ入ったのだった。
 このときにしっかり写真を撮って満足したので、もうしばらくは行かなくてもいいと思っていた。去年は行こうとも思わず、今年も行く予定はなかったのになんとなく行ってしまったのは、前回ライトアップを少ししか撮れなくて、そのことが気になっていたからだった。
 現地に着いて、周りを見渡したとき、なんだこりゃ、と思わず小さくつぶやいた。紅葉が壊滅的なことになっている。いくらピークを過ぎたとはいえ、この汚さはない。現地に行かなくても、毎年ネットやテレビで香嵐渓の紅葉は見ている。今年行ってきた人がこんなに悪い年は見たことがないと言っていたけど、実際に自分の目で見て実感した。ここまでとは思わなかった。
 今年は紅葉にとって気象条件がよくなかったのだろう。たくさん回ったのに、いいところがどこもなかった。帰ってきてから、おととし自分が撮った香嵐渓の写真を見たら、やっぱり全然違っている。はるばる関東や関西からバスツアーなんかで訪れた人たちには申し訳ないような気持ちになった。本当の姿はこんなもんじゃないから、またいい年に来て欲しいと思う。

香嵐渓-3

 架け替えられた橋はどうも風情がない。前の古い橋はよかった。
 きれいな紅葉がかろうじて残っていたのは、橋のたもとあたりで、みんなこのあたりを狙って撮っていた。

香嵐渓-4

 夕方着ということで渋滞はほとんどなかった。ただ、人出はものすごいことになっていた。少し離れた場所は平穏で静かな日常なのに、この一角だけはお祭り騒ぎの賑やかさ。完全に観光地と化している。お店もおととしより増えていたような気がする。

香嵐渓-5

 今回は最初から紅葉そのものを主題に撮る気はなかった。紅葉風景は前回撮り切ったから、同じように撮っても面白くない。紅葉にこだわらず、心惹かれる風景を切り取ることを心掛けた。
 とはいえ、一枚くらいはきれいに色づいているモミジも撮っておきたい。背後の日本家屋の二階がいいアクセントになってくれた。

香嵐渓-6

 紅葉の赤を映してほのかに色づく川の流れ。
 PLを半分効かせて川の中が見えるようにした。

香嵐渓-7

 みんなが紅葉を撮ったり、記念撮影をしている中、私だけはへんなところでへんな写真を撮っていた。
 ちょっとした小さな滝があったので、滝の流し撮りをする。上下にカメラを振って何をしてるんだろうと思ったことだろう。
 もっと水量のある滝でやると、面白い水表現になる。

香嵐渓-8

 カタクリが咲く飯盛山の麓の石像と紅葉。渋い紅葉風景。

香嵐渓-9

 こちら側の香積寺あたりまでが紅葉トンネルとなって、一番の見所となる。紅葉の下に入ると、わりときれいに感じる。昼間の光が当たっている時間はもっとよかっただろう。
 人もぞろぞろ歩いていて、人入り写真も撮り放題だったけど、すぐに日が落ちて暗くなってしまったから、動く人を入れるのが難しかったのでやめた。

香嵐渓-10

 鮮やかな紅葉風景よりも、こんな渋枯の方に惹かれる。
 あんまり渋い写真ばかり並べていると、香嵐渓の宣伝にならないかもしれない。

香嵐渓-11

 香積寺の三門。
 ここも紅葉の狙い目で、お気に入りの場所だ。
 手前にもやもやっとしてるのは人影で、亡霊ではない。長時間露光なので、歩いている人の軌跡が半透明になる。

香嵐渓-12

 一の谷手前の吊り橋まで歩いていったものの、これという収穫はなし。ほどなく日没となって、ライトアップが始まった。さあ、本番はこれからだ。

香嵐渓-13

 ライトアップの写真を3、4枚撮ったところでバッテリー切れになった。スペアを持ってるから大丈夫、と思ったらスペアも電池切れで電源が入らない。しまった。前回の撮影で電池交換をしたまま充電するのを忘れていた。
 自分でもびっくりするほどのお馬鹿さんぶりで、何度もバッテリーを換えたり、スイッチを切ったり入れたりし直して、どうにかあと3枚くらい撮ることができた。しかし、それっきり沈黙して、ついに電源は入らなくなってしまったのだった。

香嵐渓-14

 この位置から写真を撮るカップルを狙う予定だったのに、不完全燃焼のまま唐突に終わりが来た。まだまだ物足りなかったけど、どうしようもなかった。もっと腕を上げて来年出直してこいということか。
 今年はもう遅いし、状態もよくないから、行かない方がいいと思う。来年は今年より悪いことはないだろう。
 ブログはもう少し紅葉ネタの延長戦が続きます。
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