月別:2009年09月

記事一覧
  • 森林公園にシラタマホシクサの定番スポットを見つけた <前編>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 / smc Takumar 135mm f2.5 豊橋の葦毛湿原へ行ったのが9月1日で、あのときはまだシラタマホシクサの咲き始めだった。ひと月近くが経過して、そろそろ機も熟しただろうということで、尾張旭の森林公園へ行ってきた。といっても、これまた過去の話で、9月25日のことだから、現在は少し状況が変わっているかもしれない。 とにかくこの日の目的はシラタマホシクサだった。もう一度ちゃんと撮りたい...

    2009/09/30

    施設/公園(Park)

  • 白髭の乙女に会うため明智の森を訪ねる

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 明智の森に咲いているというシラヒゲソウを一度見てみたいとずっと思っていた。 明智といえば、岐阜県の恵那市で、大正村があるところの近くだ。うちからはなかなかに遠く、気軽にちょっと行きたくなるような距離ではない。いつかついでがあればと考えていて、この間、そのついでの機会が巡ってきた。恵那の農村景観日本一と坂折の棚田を見に行った日だ。あれは9月14日だから、もう2週間近く前...

    2009/09/30

    森/山(Forest/Mountain)

  • さよなら、ありがとう敦賀、また行こう北陸 <第九回・最終回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は気比の松原と海岸の後編で、北陸遠征シリーズの最終回となる。 全九回のわりには、やや間延びした印象がある。出かけたのは9月10日だから、もう3週間近く前のことになる。あのときはまだ夏の名残が色濃くて、敦賀の街を歩いていたときも暑かった。今頃はもう、海岸も秋風が吹いてるんじゃないだろうか。日本海の水も冷たくなっていることだろう。 今回は海岸につ...

    2009/09/29

    観光地(Tourist spot)

  • 緑色の料理を作るつもりがグリーン足りずサンデー

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今日は緑色の野菜をたくさん使って、グリーンカラーの料理を作るつもりだった。出来上がってみたらグリーンはまったく自己主張をしていない。緑たち、きみらはどこへいったんだい? ブロッコリーも、アスパラも、大葉も、料理の中に埋もれてしまった。ほうれん草ソースは、緑というより黒っぽくなった。結果的に緑色の少ない料理になった。こんなはずではなかった。 そうえば、以前に緑料理を作っ...

    2009/09/27

    料理(Cooking)

  • 気比の松原と浜辺を見て敦賀散策は完結 <第八回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 北陸遠征の最後に、敦賀湾の気比の松原へとやって来た。 西に傾いた日の光が、松原に斜めに差し込み、美しいコントラストを描いた。これが気比の松原か。なかなか、悪くない。 日本三大なんとかというのを、わりと素直にありがたがる私なので、松林には特に興味も関心もないのだけど、三大松原と言われれば、それはちょっとありがたいものを見たと思う。残りの二つ、三...

    2009/09/27

    観光地(Tourist spot)

  • 敦賀の港で倉庫街や古い町並みを見ながら歩く <第七回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 敦賀編の第3回は、敦賀港沿いを気比の松原へ向けて歩く道のりだ。 この道を歩いていく観光客はあまりいないと思うけど、2キロ弱で30分ほどだから、その気になれば普通に歩ける距離だ。 私はどこへ行くときも一期一会だと思っているから、歩けるところはなるべく歩くようにしている。もちろんくたびれるし、時間を消費することになるのだけど、その街の空気感を自分の中に刻むには、歩くことが一番だ...

    2009/09/26

    観光地(Tourist spot)

  • 金ヶ崎の歴史に思いを馳せながら鉄道や港を見て歩く <第六回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 金ヶ崎(かねがさき)地区へとやって来た。特に何か目的があったわけでもなく、なんとなく金ヶ崎宮あたりがどうなっているのか気になったので、見にいってみることにしたのだった。 地図に敦賀駅から金ヶ崎まで鉄道の線路があるのを見て、これに乗ればいいやと思っていたら、貨物専用の路線だった。しかも、今年の4月で貨物列車も廃止になっていた。今は線路だけが残されている。 普通の電車にも特別...

    2009/09/25

    観光地(Tourist spot)

  • 敦賀について少し勉強をして、今日から敦賀編を始める <第五回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 美浜をあとにして、この日最後の目的地である敦賀(つるが)へとやって来た。 駅前に古代人の像が建っている。こういうのを見ると、ヤマトタケルだろうと思うけど、これは違った。ツヌガアラシト?(都奴賀阿羅斯等) おたくはどちらさん? 若狭湾の最奥であり、日本海側の玄関口として栄えた敦賀の港は、古くから外国に知られる存在だった。朝鮮半島や中国大陸だけでなく、ロシアとも人や物の行き...

    2009/09/24

    観光地(Tourist spot)

  • 美浜の町並みを撮りながら久々子湖まで歩く <第四回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 今日も昨日の続きで、美浜町を歩く。このあたりは左が久々子湖、右が海という水に挟まれた細長い土地で、道路沿いには民家や旅館などが並んでいる。 前方に見えている小高い山は岳山で、標高193メートルある。地図を見ると登山道もあるようだから、登れば眼下に湖と海を見渡せるのかもしれない。 美浜駅からこんなところまで好きこのんで歩いてくる人はそう多くないと思うけど、浜辺を歩いたり写真を...

    2009/09/23

    観光地(Tourist spot)

  • 美浜の浜辺をぷらぷら歩いて海にまつわる風景を撮る <第三回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 若狭の海は青かった。それも単色の青ではなく、グラデーションの青だ。遠くへ行くほど青が深くなる。この色を見るためだけでも日本海までやってきた甲斐があったと思った。 今日は美浜編の第二回で、前回の続きになる。 松原海水浴場から西へ歩いていくと、途中から久々子海水浴場になる。実際は地図上のことだけで、浜辺はつながっている。 砂浜をぷらぷらと西へ向か...

    2009/09/22

    観光地(Tourist spot)

  • サンマを刻んで叩いてすって丸めて煮て絡めて食べるサンデー

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今日のサンデー料理の主役は、サンマだった。サンマなんてどこにあるんだよと、あなたは思ったかもしれない。よく探してみて欲しい。ほらそこ、目の前にあるじゃないですか。 気づいただろうか。サンマはダンゴになって、トマトソースの中に埋没している。もはや原形はとどめていない。 秋の食材もいろいろあるけど、サンマも秋を代表するものの一つだ。個人的には好きな魚じゃないから、普段でも...

    2009/09/21

    料理(Cooking)

  • 美浜町で日本海の海と空を堪能する <第二回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 三方駅から二つ引き返して、美浜駅で降りた。この駅からは海水浴場も近く、三方五湖巡りの遊覧船が出るレークセンターの最寄り駅ということで、三方五湖の実質的な玄関口ということになる。 湖巡りのジェットクルーズに乗るかどうか迷ってやめたのは、とにかくそれに乗ろうとするとスケジュールがすごくタイトになるからだった。まず交通の便が致命的に悪い。普通の路線バスはなく、地域のコミュニテ...

    2009/09/20

    観光地(Tourist spot)

  • 夏の終わりの北陸シリーズ敦賀編は三方から始まった <第一回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 9月10日、夏の終わりの日本海を見るために、福井県敦賀(つるが)方面へ行ってきた。 10年くらい前に2度、福井県にはドライブで行っている。そのとき、スピード違反で捕まって、私はゴールド免許を失うことになった。福井県警め。あれから一度免許更新があってブルー免許になり、更に5年経って来年免許の書き換えがある。このまま無違反でいけばまたゴールドに戻ることができる。あれ以来捕まるのが嫌...

    2009/09/19

    観光地(Tourist spot)

  • 萌えろ、四日市コンビナート夜景撮影

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / smc Takumar 135mm f2.5 / SIGMA 30mm f1.4 人が撮った四日市コンビナートの夜景写真を見て、自分も撮ってみたい、と強く思った。 なんという異形の美しさ。前時代的のようでもあり、近未来的でもある。文明の果てのようでもあり、退廃的。一切装飾的ではないのに、機能美の極みに達してさえいる。夜の四日市コンビナートが織りなす形と色と煙と音は、官能的でさえあった。 四日市は今まで何度とな...

    2009/09/18

    夜景(Night view)

  • 浜名湖に沈む夕陽を見るため弁天島へ向かう

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は浜名湖弁天島の夕景をお届けします。 ここのところ内容があっちこっちに飛んで、時系列もバラバラになっている。ネタの在庫がありすぎて、私自身しっかり把握できていない。尾鷲の熊野古道は終わったものの、そのあと行った東三河の旅は途中になっているし、最新の恵那を先にやってしまって、もっとに前に行っている犬山城下町も忘れたままになっている。のんほい...

    2009/09/17

    観光地(Tourist spot)

  • 黄金色に色づいた坂折棚田はため息ものの美しさ

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 この風景を目にしたとき、ああ、これは美しい、と思った。 坂折(さかおり)の棚田は、岐阜県恵那市の北西部、中野方町坂折地区にある。 標高400メートルから600メートルの斜面に、石積みの田んぼが400枚以上作られている。 その歴史は古く、江戸時代の初期から始まり、明治のはじめには完成をみたという。名古屋城の石垣作りにもたずさわった黒鍬と呼ばれる石工集団が石積みをしたとも言われている...

    2009/09/16

    風景(Landscape)

  • 日本一の農村風景は、かつてありふれていた日本の田園風景

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di ブログのお仲間の間でちょっとしたブームになっている岐阜県恵那市の農村景観日本一を、私も見に行ってきた。本当のブームは何年も前に起きていたようなのだけど、その頃はまったく知らなかった。同じ恵那市の坂折にある棚田を見たいと思って、その周辺を調べていたら、ここの存在を知ったのだった。お仲間のブログを見たら、なんだかみんなもう行っているではないか。出...

    2009/09/15

    風景(Landscape)

  • 結果的にイエロー・サブマリン・サンデー料理

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今回もノンテーマ、ノンジャンルで作ったサンデー料理。完成品を見たら、思いのほか黄色かったので、イエロー・サンデーと名づけることにした。意味もなく語呂がいいからというだけの理由で、イエロー・サブマリン・サンデーとするか。もしくは、サンデー居酒屋兆治でもいい。 名前はともかくとして、覚え書きも兼ねて一つずつ紹介していくことにしよう。 まず手前は、ニンジンを使ったユニークな...

    2009/09/14

    料理(Cooking)

  • 入って20分、のんほいパークは楽しいかも、と思った <第1回>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 いきなりお尻写真からで失礼しました。 今日から何回かに分けて、「のんほいパークで」撮ってきた写真を紹介します。 のんほいパークというのは、豊橋にある動物園で、正式名称を、豊橋総合動植物公園という。動物園、植物園、自然史博物館、遊園地という4つの施設が集まった総合公園で、最寄り駅は豊橋の隣の二川駅になる。 旭山動物園が行動展示のお手本としたというのでも話題になった...

    2009/09/13

    動物園(Zoo)

  • シラタマホシクサには早くサギソウには遅かった葦毛湿原

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 90mm f2.8 SP / 70-300mm f4-5.6 Di 東三河の旅シリーズを再開したい。 蒲郡に続いてやってきたのは、豊橋駅だった。 豊橋は以前、市電やハリストス教会をブログで紹介した。今回出向いたのは、葦毛湿地(いもうしっち)へ行くためだった。前から一度訪れたいとずっと思っていて、今回ようやく実現することになった。 豊橋駅からは直線でも8キロ離れているので、さすがに歩いてはいけない...

    2009/09/12

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 平和公園でドラマチックな空に出会った

    FUJIFILM S2pro+NIKKOR 55-200mm f4-5.6 VR 旅行帰りで余力が残らなかったから、今日も小ネタでつなぐ。夏の終わりの平和公園風景ということで、撮ってきた写真を並べることにした。文章は短く。 一枚目は、桜の園と名づけられた一角だ。桜シーズンではないこの場所が好きで、ちょくちょく訪れる。 桜の木もだいぶ葉を落とし始めた。桜の紅葉も、それほど遠くはない。 石畳の桜並木。 ここも、もっと季節が進んで落ち葉が増え...

    2009/09/11

    施設/公園(Park)

  • 時間がないから尾張旭写真で簡単更新

    FUJIFILM S2pro+NIKKOR 55-200mm f4-5.6 VR 今日は時間がないので、近場の尾張旭写真でつなぎ更新。 明日はこの夏最後の遠出で、日本海を撮りに行く。日本海の海岸で写真を撮っている男を見かけたら、それは私かもしれないので声をかけてみてください(情報がすごく漠然としている)。 自転車通学の女子高生。 近場なら旭野だけど、瀬戸電の駅まで自転車で、そこから電車通学かもしれない。 ジョガーとコスモス。 休耕田で少...

    2009/09/09

    日常写真(Everyday life)

  • 蒲郡観光が竹島見物だけでは物足りない <後編>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 昨日は蒲郡駅から竹島に架かる竹島橋の途中までで終わった。今日の後編はその続きで、竹島上陸編となる。 昨日も書いたように、竹島は陸から400メートル足らずしか離れていない。橋を歩いて数分で上陸してしまうから、離島という感じはしない。 しかし、この離島は非常に特殊な環境にある。こんなに陸から近いのに、植物などの環境が海岸とはまったく違うのだ。対岸にはクロマツなどが多いのに対して...

    2009/09/08

    観光地(Tourist spot)

  • 蒲郡といえば竹島 <前編>

     名古屋から豊橋までは快速列車で1時間弱と、近いようで遠い微妙な距離感で、いつでも行ける気がしているけど、よし行こうと思い定めないとなかなか行けないところだ。東京でいえば鎌倉、大阪なら姫路といった距離感といえば伝わるだろうか。 今回は東海道本線沿線ということで、あまり時間割に縛られずに済んだ。行きたいと思っていたところは全部行けて、時間内に収まった。 今日は、最初に行った蒲郡から書くけど、回ったと...

    2009/09/08

    観光地(Tourist spot)

  • 落下傘料理人が作る料理の着地点は運任せ

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今日のサンデーは、特にテーマもなく、思いついたものを思いついたまま作ることになった。こういうときはたいてい思惑とは違うものが出来上がるものだけど、今日も例外ではなかった。完成したものを見て、こういうことではなかったんだよなぁと思う。注文とは違うものが出てきても、作ったのが自分だから文句のつけようがない。 何か名前をつけるとすれば、やわらかサンデーとでもするか。狙ったわ...

    2009/09/07

    料理(Cooking)

  • 尾鷲の町は思ったよりも大きくてイメージの修正が必要だった

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 熊野古道をあとにして、尾鷲の市街地に向かった。熊野古道を歩くと決めたとき、せっかくなら尾鷲の町も見てみたいと思って、町散策も楽しみにしていた。 特に何を見たいというわけでもなかったのだけど、どんな町も自分の足で歩いてみれば感じるものがあり、馴染みにもなる。尾鷲というのは、三重県松阪生まれの私にとっても遠い未知の土地という感覚が強かったから、一度見てみたかったのだ。 疲れ...

    2009/09/06

    街(Cityscape)

  • 馬越峠越えだけにするか天狗倉山まで登るか <第四回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 馬越峠から天狗倉山への道のりは、ちょっとやりすぎだと思う。ワイルドさが度を超している。最後は手をついて登らないといけないような道になっていて、かなり怖かった。足を踏み外したらまず助からないなと思った。 山頂付近には巨大な岩がそそり立っていて、えらい迫力になっている。なんでこんな山の上に巨大な石があるのか、不思議だ。 山登りの締めくくりは、岩にかけられた梯子登りとなる。こ...

    2009/09/05

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 石路だけじゃない熊野古道は美しくて険しい <第三回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 馬越峠のコースにはこれといった見所といったようなものはあまりなく、あるとすれば二つの地蔵と、茶屋跡といったあたりになるだろうか。そのうちの一つが上の写真の夜泣き地蔵だ。入口から20分ほど登ったところにある。 もともとは旅人の無事を祈って建てられたお地蔵さんだったのが、いつからか子供の夜泣きに効くという話になって、夜泣き地蔵と呼ばれるようになったんだとか。地蔵さんの前にはほ...

    2009/09/04

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 尾鷲までは遠く、熊野古道の入口までも一苦労 <第二回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 熊野古道がある尾鷲へは、紀勢本線での旅となった。 亀山から出発するこの電車は、途中の新宮でJR東海からJR西日本へと管轄を変え、紀伊半島の海岸線をぐるりと回って、和歌山まで行っている。総延長384キロ、始発から終点までは3時間半ほどかかる。 乗った感じ、ものすごくローカル線というほどでもなく、尾鷲高校の学生が乗っていたり、海へ行くちびっこがいたりと賑やかで、よくある地方路線の雰...

    2009/09/03

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 行くのが5年遅かった熊野古道 <第一回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 8月の終わりに、熊野古道を歩いてきた。 世界遺産に登録されたのが2004年で、いつか一度行きたいと思いながらなかなか行けずにいたのは、熊野古道というのは熊野にあるもので、すごく遠いと思っていたからだ。 実は熊野古道というのはいくつかのルートがあって、基本的には熊野本宮大社に通じる道を指す。主なものとしては、紀伊半島西岸の紀伊路、南の大辺路、東の伊勢路ががあり、そこから本宮を目...

    2009/09/02

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

森林公園にシラタマホシクサの定番スポットを見つけた <前編>

施設/公園(Park)
森林公園1-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 / smc Takumar 135mm f2.5



 豊橋の葦毛湿原へ行ったのが9月1日で、あのときはまだシラタマホシクサの咲き始めだった。ひと月近くが経過して、そろそろ機も熟しただろうということで、尾張旭の森林公園へ行ってきた。といっても、これまた過去の話で、9月25日のことだから、現在は少し状況が変わっているかもしれない。
 とにかくこの日の目的はシラタマホシクサだった。もう一度ちゃんと撮りたいと思って行って、ほぼ目的は達した。時期的にはぴったりで、これ以上ないというくらい咲いていた。ただ、曇天で光がなかったのが残念ではあった。その分、柔らかい写りになったから、シラタマホシクサを撮るにはこれくらいがちょうどよかったのかもしれない。
 観察湿地Fが公開されたのは、わりと最近のことだ。今年に入ってからだったか、去年だったか。去年のこの時期はまだだったんじゃないだろうか。だいたいいつも、観察湿地AとCで撮っていた。あちらに比べるとFの方が断然広くて、花も多い。とてもいいポイントができたものだ。葦毛湿地にも負けてないかもしれない。もうあんなに遠い葦毛湿地まで行く必要はないと思った。それくらい、シラタマホシクサ・スポットの決定版となったと言っていい。

森林公園1-2

 ホソバリンドウも初めて見た。シラタマホシクサに囲まれた、いい場所に咲いていて、いい被写体になってくれた。
 私はハルリンドウのブルーがとても好きで、毎年春を楽しみにしているのだけど、これからは秋にももう一つ楽しみができた。
 湿地の青は、ハルリンドウに始まり、ホソバリンドウで終わる。この花を見たら、今年の湿地も終わったなと思うことになるだろう。

森林公園1-3

 この日は珍しく持ち時間が3時間くらいあって、ゆっくり回ることができた。
 シラタマホシクサで30分以上使ったものの、まだ残り2時間あった。いつもは1時間半くらいで急いで回っているから、3時間あるとじっくり撮れていい。
 フジバカマの蜜を吸っているのは、たぶんヤマトシジミだろう。
 と思ったけど、黒い点が小さいから、これはツバメシジミだ。
 翅の表面が青紫色だとオスで、黒色だとメスだ。これはオスだったような気がする。

森林公園1-4

 なんとなく見覚えがあるような気がするものの、名前は分からない。
 ちょっと保留。

森林公園1-5

 メタリックなライトグリーンのきれいなクモだった。
 巣を張らないタイプの方がきれいなクモが多い。
 手足といい、体の光沢といい、繊細で美しい造りをしている。

森林公園1-6

 捨てがたい失敗写真。
 暗がりでシャッタースピードが上がらず、スローシャッターで撮ったヒョウモンチョウ。
 被写体ブレはともかく、手ブレがよくなかった。花の部分だけ止まっていたら、いい写真になったかもしれない。

森林公園1-7

 マイコアカネか、ヒメアカネか。
 どちらかだと思うけど、逆光で目玉がよく見えず、見分けられない。

森林公園1-8

 黄一点。
 黄色い花は、ヤクシソウか。

森林公園1-9

 芝生に生えたキノコ。
 そこにだけ光が当たって、主役のようだった。

森林公園1-10

 ススキの群生が日本画のようだった。
 地味だけど好きな写真。

森林公園1-11

 ヒガンバナをどうやって撮ったらいいのかイメージが浮かばないまま、花期が終わろうとしている。もうピークは過ぎた。
 もう少しだけ猶予期間があるから、その間にどこかで撮りたいと思っている。そのときはぜひとも光の支援が欲しい。

森林公園1-12

 これはたぶん、センニチコウ(千日紅)だろう。
 ワレモコウを見てみたいと、何年も前から思っていて、いまだに実現できていない。そんなに珍しい花でもないし、森林公園にも咲いていたはずなのに、この日も見つけられなかった。

森林公園1-13

 奥の方へ行くと、あまり人が歩いていない薄暗い道があって、苔に覆われていていい感じになっている。
 苔を踏むのはちょっとかわいそうにも思うけど、ふかふかのクッションが効いて、いい気持ちだ。

森林公園1-14

 池の水面から顔を出す枯れ枝のシルエットと映り込みに惹かれて撮ったら、周りにアメンボウがたくさんいて、狙った以上に面白い写真になった。
 パッと見は、雨が水面を叩いている様子のように見える。実際は、全部アメンボウだ。

 夏が終わって、そろそろ秋の野草も出揃ってきた。10月は野草第二のピークで、森歩きも楽しくなる。
 9月の森林公園編は、もう一回、後編がある。
 次回に続く。

白髭の乙女に会うため明智の森を訪ねる

森/山(Forest/Mountain)
明智の森-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 明智の森に咲いているというシラヒゲソウを一度見てみたいとずっと思っていた。
 明智といえば、岐阜県の恵那市で、大正村があるところの近くだ。うちからはなかなかに遠く、気軽にちょっと行きたくなるような距離ではない。いつかついでがあればと考えていて、この間、そのついでの機会が巡ってきた。恵那の農村景観日本一と坂折の棚田を見に行った日だ。あれは9月14日だから、もう2週間近く前のことになる。
 ややタイムリー性を欠いた野草情報になってしまったけど、北陸シリーズが終わったところで、ようやく紹介できる日が来た。
 明智の森は、明智鉄道の明智駅の北西約1キロほどのところにある。yahoo!地図などには載っていないようなところだから、場所が少し分かりづらいかもしれない。
 名古屋方面から行った場合、363号線を東に向かい、明智の手前の大栗という交差点を左に入り、道なりにしばらく進むと右手に案内が出ている。大正村の方から行こうとすると、かえって分かりづらい。

明智の森-2

 シラヒゲソウは漢字で書くと白髭草で、文字通り白い髭のような姿から名づけられている。
 しかし、名前に似合わず、繊細で可憐な白い妖精のような花だ。
 一度見たら忘れがたい印象を残すと多くの人が言うのも納得できる。
 大きさは2センチくらいだろうか。バラ目ユキノシタ科に属していて、特別珍しい種類の植物でもない。
 ただ、シラヒゲソウが咲いている場所はかなり限られている。基本的には山に近い湿地帯に咲いている。数はあまり多くない。
 海上の森にはたぶん咲いていないと思う。他の場所でも、私は今まで一度も見たことがない。明智の森で見たのが初めてだ。
 明智の森では確実に咲いていることが分かっているから、明智の森といえばシラヒゲソウというように、明智の森の代名詞のようにもなっている。

明智の森-3

 明智の森では、なんだかありふれた野草のようにどさっと咲いている。あまりにも咲いているからありがたみが薄れるくらいだ。
 どうしてここだけこんなに咲いているのかは知らない。よほどシラヒゲソウの生育に適していたのだろうか。
 森の南側の川沿いや、池の周囲が群生ポイントだ。
 8月から9月にかけての花だから、今はもうシーズン終盤だろうと思う。今年見るなら急いだ方がよさそうだ。

明智の森-4

 サワギキョウは何度も見ているから特に嬉しいということもないのだけど、これも日常の中で出会うような花ではないから、一般的な基準では珍しい花に入るだろう。
 あるいは、今はもう、秋の七草のキキョウの方が珍しい花となってしまったかもしれない。キキョウを撮ろうとなったとき、どこへ行けば見られるだろうと考えて、確実に見られる場所が思い浮かばない。

明智の森-5

 ウメバチソウかと思って、何の気なしに撮っておいた一枚だったのだけど、帰ってきて写真を見たらゲンノショウコだった。間違えた。ウメバチソウも咲いていたはずだから、ちゃんと確認して撮ればよかった。
 花の隣のとんがり帽子で気づかないといけない。これはゲンノショウコの実の部分だ。
 ウメバチソウもユキノシタ科の花で、シラヒゲソウのヒゲがないやつと言えなくもない。

明智の森-6

 ツルリンドウも初めて見た。
 鮮やかなブルーのハルリンドウなんかに比べると、ぐっと地味だ。ツルで伸びて巻き付いているから、湿地のリンドウとは違う種類の花に見える。花の形自体は確かにリンドウだ。

明智の森-7

 見たことがあるようなないような。
 木に咲く花は、知らないものが多い。

明智の森-8

 何かの実。かじっても美味しそうじゃない。
 木の実は木の花以上に分からない。

明智の森-9

 あちこちでススキの穂が目につくようになってきた。
 これを見ると秋を思うけど、まだモワモワの綿が出てきていないから、秋本番じゃない。

明智の森-10

 自然界というのは不思議なものを作り出すもので、これは一体何なんだと思わせた。
 コケではなくシダ類だろうか。海草にも似ている。

明智の森-11

 派手なピンクの葉っぱから、オンブバッタが顔を出す。
 居心地のいい部屋を見つけたようだ。

明智の森-12

 至近距離でカマキリと目が合った。
 私がトンボとかだったら、捕まって食べられているところだ。
 人間やレンズを相手にしても、まるでひるむ様子を見せず、挑戦的な態度だった。

明智の森-13

 たいして広くもない森の中で道に迷った。シラヒゲソウを見るだけなら、こんな高台に出たりはしない。
 道を一本間違えて、南側へ行きすぎていたようだ。このあと森から出てしまい、そこにはお寺や民家があった。

明智の森-14

 森から出たところで、森とはまるで関係のない写真を撮る。
 コケの道と歴史を感じさせる石像が渋くて惹かれた。
 けど、こんなところをうろついている場合ではなかった。元来た道を引き返して、なんとか正しい道に復帰した。
 明智の森をあとにして、農村景観日本一と坂折の棚田風景を見に行った話は以前にもうした。
 ということで、恵那シリーズはこれで完結ということになる。
 時間があれば、恵那峡とか、岩村城とか、大正村も行きたかったのだけど、一日でそこまで回るのは無理がある。恵那方面は他にもいろいろ見所があるから、機会があればまた行ってみたいと思う。

さよなら、ありがとう敦賀、また行こう北陸 <第九回・最終回>

観光地(Tourist spot)
気比の松原2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は気比の松原と海岸の後編で、北陸遠征シリーズの最終回となる。
 全九回のわりには、やや間延びした印象がある。出かけたのは9月10日だから、もう3週間近く前のことになる。あのときはまだ夏の名残が色濃くて、敦賀の街を歩いていたときも暑かった。今頃はもう、海岸も秋風が吹いてるんじゃないだろうか。日本海の水も冷たくなっていることだろう。
 今回は海岸につどう人風景ということでお届けします。最後が一番私らしい写真になったと思う。

気比の松原2-2

 時間が経つにつれて、海岸の人が増えていった。夕方の海岸は人を惹きつける魅力がある。
 海がない街に暮らしている私が何かというと河原へ行くように、海がある街で暮らしている人たちは特に用事がなくても夕方の海辺へ行くのだろう。それが海の近くに暮らす人の特権でもある。

気比の松原2-3

 ちびっこ野球少年たちが、砂浜を右から左、左から右へと、延々と走っていた。走らされていたというべきかもしれない。
 なんだか、スポ根マンガのワンシーンを見ているようだった。80年代なら、ヒモをくくりつけたタイヤを腰で引っ張りながら走らされているところだ。
 ここの砂地は足を取られる重たい砂だから、硬いグランドを走るよりもよほど足腰を鍛えられる。
 このあたりの中高生は、砂浜マラソン大会とかあるのだろうか。それは嫌だ。

気比の松原2-4

 波打ち際は、若い女の子がよく似合う。おっさんは似合わない。
 老夫婦なんかも、とても絵になる。

気比の松原2-5

 ん? なんだ? 秋葉原や大須で見かけるようなファッションの人が登場した。
 リュックを背負って、紙袋を手に下げ、ムービーらしきものを撮りながら歩いていた。
 海はいろんな人を惹きつけてやまない。

気比の松原2-6

 カップルは定番ゆえの安心感がある。
 女性のポーズが決まっている。片方の手は腰に、もう一方は額に水平に当てて、遠くを見ていた。古いタイプの水兵さんみたいだ。

気比の松原2-7

 犬の散歩の人も多かった。
 ここの砂浜を毎日歩いていれば運動不足になることはない。
 そういえば猫は見かけなかった。あれだけ広い公園だから、いても不思議ではない。

気比の松原2-8

 日が傾いて、海が夕焼け色に染まり始めた頃。
 風がやんで波も静かになった。

気比の松原2-9

 砂浜についた無数の足跡。
 情緒的でもロマンチックでもなく、雑然としている。
 これを見るだけでも歩きづらそうなのが分かると思う。

気比の松原2-10

 そろそろ帰りの時間が近づいてきた。
 午後からは雲が増えて、夕焼けは期待できないと思っていたのに、最後はいい色に焼けてくれた。これを見て満足して、もう帰ることにする。

気比の松原2-11

 公園の二人。
 この距離感は友達の距離かな。

気比の松原2-12

 太陽は山の陰に隠れて見えなくなり、松原は黒い森になった。
 帰りはさすがにバスで帰ることにした。もう歩きたくなかった。3分ほど遅れてやって来たコミュニティバスに乗って、敦賀駅まで戻った。
 こうしては、三方から始まり、美浜、敦賀と巡った北陸の旅は終わった。何か特別なことがあったわけではないけれど、全体的にいい印象を残す旅となった。
 北陸遠征ということでは、もう一度越前の方に行きたいし、その先の金沢にも一度行ってみたいと思っている。秋に実現するといいけど、どうだろう。

緑色の料理を作るつもりがグリーン足りずサンデー

料理(Cooking)
グリーン足らずサンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今日は緑色の野菜をたくさん使って、グリーンカラーの料理を作るつもりだった。出来上がってみたらグリーンはまったく自己主張をしていない。緑たち、きみらはどこへいったんだい?
 ブロッコリーも、アスパラも、大葉も、料理の中に埋もれてしまった。ほうれん草ソースは、緑というより黒っぽくなった。結果的に緑色の少ない料理になった。こんなはずではなかった。
 そうえば、以前に緑料理を作って、そのときも成功しなかったのを思い出した。緑色の料理というのは、どうやら難易度が高いようだ。緑の野菜の動員が足りなかったというのもある。ピーマンとか、枝豆とか、えんどうとかに応援を頼めばよかったのだ。ピーマンは大の苦手だけど。

 結果的に普通の料理になってしまった3品は、こんな感じだ。
 まず左手前だけど、これは白身魚のほうれん草ソースがけとなっている。
 ほうれん草をさっと茹でて、水気を絞り、細かく刻んだあと、すり鉢でする。ミキサーがあれば早いけど、ないので手動でやるしかない。
 そこへ、オリーブオイル、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、白しょう油、みりん、砂糖、水少々を加え、更にすっていく。
 それを火にかけて、加熱して、アルコールを飛ばす。
 白身魚は、塩、コショウ、白ワインを振って少し置いたあと、カタクリ粉をまぶしてオリーブオイルで炒める。
 刻んだ大葉も入れる。
 ほうれん草ソースは、一風変わっていてそれなりに美味しい。しょっちゅう食べたいような味ではないけど、たまにならいい。

 右は見た目の品がない料理になってしまった。基本的には野菜炒めのようなものだ。
 ニンジンを細切り、キャベツをぶつ切りにして、湯がく。
 それをフライパンに移し、ブロッコリー、ごま油、ツナ缶、トマト、塩、コショウ、白しょう油、バルサミコ酢、酒、みりん、砂糖、中華の素を入れて、よく炒める。
 最後に溶き卵を入れて、半熟になったら完成だ。
 もう少し品よくできればよかったけど、味としては成功だ。ツナ缶が効いている。

 一番奥は、なんといったらいいのか、ジャガイモその他のチーズ焼きといった感じだ。
 ジャガイモはスライスして水にさらす。水気を切って、オリーブオイルで焼く。
 タマネギ、鶏肉、エビ、アスパラを炒め、塩、コショウ、白しょう油、白ワイン、コンソメの素で味付けをする。
 ジャガイモとあわせて、マヨネーズを絡め、パン粉、チーズを加えて、更に焼いていく。それらが全体的に馴染んだら出来上がりとなる。
 これも完成図が頭の中にないまま見切り発車で作り始めたため、盛りつけ方がよく分からなかった。ジャガイモを別の形にした方がよかったかもしれない。
 味は3品の中で一番美味しかった。改良の余地があるけど、おすすめしたい。バター炒めにしてもいいんじゃないか。

 そんなわけで、今回もまたイメージとは違った料理となって、私の目の前に並ぶことになった。作る本人がどういう料理が出てくるか分からないというのも問題だけど、何ができるか分からない面白さもある。イメージ通りのものを作るようになるまでには、まだしばらくかかりそうだ。
 グリーンサンデーに関しても大いに課題が残った。またいつか再挑戦したいと思っている。
 基本は、赤、黄色、緑だから、そのバランスが取れた料理というのを、ちゃんと作れるようになりたい。

気比の松原と浜辺を見て敦賀散策は完結 <第八回>

観光地(Tourist spot)
気比の松原1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 北陸遠征の最後に、敦賀湾の気比の松原へとやって来た。
 西に傾いた日の光が、松原に斜めに差し込み、美しいコントラストを描いた。これが気比の松原か。なかなか、悪くない。
 日本三大なんとかというのを、わりと素直にありがたがる私なので、松林には特に興味も関心もないのだけど、三大松原と言われれば、それはちょっとありがたいものを見たと思う。残りの二つ、三保の松原(静岡県)と虹の松原(佐賀県)も、いつか見てみたい。
 気比の松原がいつ頃形成されたのか、よく分からない。古来より気比神宮の神苑として管理されてきたというから、相当昔からあったことは間違いなさそうだ。奈良時代か、もっと前かもしれない。
 広さ40万平方メートル、長さ1.5キロに渡って、アカマツ、クロマツなどが1万7,000本ほど並んでいる。
 ただし、その壮観な光景を鑑賞するのは、空からが一番で、空撮写真を見るとすごいと思うのだけど、地面レベルで見ると今ひとつすごさが伝わらない。広い松林があるなというくらいのものだ。せめて高さ10メートルくらいの展望台でもあるとよかったのだけど。

気比の松原1-2

 あたり一帯は、松原公園という名の公園になっている。遊歩道も整備されていて、ジョギングや犬の散歩をしてる人が多い。市民の憩いの場として親しまれているようだ。
 敦賀市内は大きな公園が少ないから、のんびり過ごすならここということになるのだろう。雰囲気としては、お城がある公園に近い感じがした。
 公園すぐ南に気比高校がある。甲子園で名が通っている敦賀気比は、もっと南西の奥まったところだ。名前からして、気比の松原の近くにあるかと思ったらそうでもなかった。敦賀気比からは、内海や東出が出ている。

気比の松原1-3

 南国のような白砂をイメージしていくとちょっとがっかりしてしまう。一応、白っぽい砂ではあるけど、サラサラの感じではない。歩くと足が沈んで、歩きづらい。砂浜でのトレーニングにはもってこいの砂質だ。
 それでも、広々としていて気持ちがいい。ゴミもあまり落ちていなくて、清潔だ。空も高くて、広い。
 9月に入っていたから、さすがに泳いでいる人はいなかったものの、浜辺を散歩したり、寝転んだり、遊んだりと、みんな思いおもいに過ごしていた。
 私は帰りのバスまでの1時間ちょっと、浜を歩いて、写真を撮った。

気比の松原1-4

 日没が近い時間帯になり、影も長く伸びた。

気比の松原1-5

 波消ブロックはなくても、波は穏やかだった。湾内の奥まったところだから、高波も出ないのだろう。
 海水浴場としてもよく知られていて、夏場は大勢の海水浴客が訪れるそうだ。花火大会や、とうろう流しも大変な賑わいなんだとか。

気比の松原1-6

 波打ち際の盛り砂は、わざとそうしているのだろうか。それとも、波にさらわれた砂が自然に堆積してこうなっているのか。
 西日に照られた波が、黄金色に染まってきれいだった。

気比の松原1-7

 弁天崎だろうか。違うかもしれない。
 当初の計画では、敦賀半島の突端にある立石岬へ行ってみたいと思っていたのだけど、どうやってもバスの便がなさすぎた。1日3往復しかなく、行ったらもう帰ってこられない。それであきらめるしかなかった。
 立石岬の南には、敦賀原子力発電所や、高速増殖炉もんじゅ発電所がある。
 原子力発電所も、普段は他人事に感じているけど、こうやって近くまで行ってみると、地元民の気持ちが少しだけ分かる気がする。

気比の松原1-8

 何かの工場。
 四日市のコンビナート夜景を撮りに行く前に、すでに工場好きの芽はあったらしい。工場地帯には被写体としての可能性を感じる。

気比の松原1-9

 行き交うタンカーや船。
 北陸でこういう船を見ると、日頃意識していないロシアという国のことを少し思ったりする。
 日本海側に暮らす人と、太平洋側の人間とでは、外国に対する感覚が多少違っているんじゃないだろうか。太平洋側で暮らしていると、ロシアのことなど普段はほとんど思い出すこともない。
 日本海のもっと西へ行くと、朝鮮半島が感覚的に近いものとなるのだろう。

気比の松原1-10

 トンビが低い空をたくさん舞っていた。
 自分の分の食料も確保してないのに、トンビにあげられるようなものは何もない。
 そういえば、そろそろタカの渡りの季節だなと思う。

気比の松原1-11

 海を見つめるウミネコ一羽。
 冬になれば、ユリカモメたちが渡ってきて、この海岸も賑やかになるのだろうか。
 この海は、カムチャツカと直接つながっているのだ。

気比の松原1-12

 夕焼け空に飛ぶウミネコ。

 次回の松原海岸後編が北陸遠征シリーズの最終回となる。
 つづく。

敦賀の港で倉庫街や古い町並みを見ながら歩く <第七回>

観光地(Tourist spot)
敦賀3-2

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 敦賀編の第3回は、敦賀港沿いを気比の松原へ向けて歩く道のりだ。
 この道を歩いていく観光客はあまりいないと思うけど、2キロ弱で30分ほどだから、その気になれば普通に歩ける距離だ。
 私はどこへ行くときも一期一会だと思っているから、歩けるところはなるべく歩くようにしている。もちろんくたびれるし、時間を消費することになるのだけど、その街の空気感を自分の中に刻むには、歩くことが一番だからだ。バスや電車の中から見た景色はすぐに忘れてしまっても、歩きながら見た風景はよく覚えている。歩けば写真も撮れる。
 敦賀の港周辺の風景は、時間が経った今でもはっきり思い出せる。せっかく旅をしたなら、記憶がたくさん残った方が嬉しい。

敦賀3-3

 何かの鐘が吊ってあるのが見えて、なんの鐘だろうとプレートを見ると、敦賀港100周年イメージソング「萩の花郷」とあった。作曲が五木ひろしというのでちょっと驚いた。
 調べたら、五木ひろしは他にもたくさんの作曲をしている作曲家だった。知らなかった。そういえば最近見ていない。

敦賀3-4

 わ、この倉庫街、カッコイイ、と思った。
 蓬莱町にずらりと倉庫が並んでいて、それがコンクリート剥きだしの古い倉庫でカッコイイのだ。しかも、現役で使われている。中ではフォークリフトが行き交い、働くおじさんたちが忙しそうに動き回っている。

敦賀3-5

 レトロモダンというのか、当時としてはハイカラな建物だったんじゃないだろうか。今見ると、歴史的建造物に見える。
 敦賀の街は、古い資産を大事に守っている印象を受けた。単に観光用に流用するというだけでなく、実用的に使用しているのも好感が持てる。

敦賀3-6

 あ、いいね。
 こんなのを見たら撮らずにはいられない。
 集会所のようだけど、昔の事務所とかだろうか。

敦賀3-7

 古いたたずまいの家屋で、魚問屋をやっている。魚問屋というのは、街中ではなかなか見かけない。
 看板の上に株式会社という張り紙がしてある。最初は有限会社で始めたものが途中で株式会社になったのだろう。とりあえずこれを貼っておいて、そのうち看板を新しくしようという話が、そのまま時が流れたといったところかもしれない。まあ、これでいいか、と。

敦賀3-8

 海辺へ行くと、カルチャーショックを受けることが多い。うちの近所では、密漁監視中というステッカーを貼った車は走っていない。
 ああ、なるほど、そういうことも日常生活の中にあるんだと、感じ入った。
 私は山寄りの人間だから、海とはいろんなところで文化の違いを思い知る。

敦賀3-9

 遠くに見えている橋は、港大橋というものだ。
 あそこを徒歩で行けるのかどうか分からなかったので、一本内に入った。
 このあたりは運河の入口というか、船着き場だろうか。

敦賀3-10

 ここからは町に入っていく。川崎町、松栄町には、古い町並みが残っていた。細い路地のような道ではあるけど、気比の松原に続く道だし、ここが昔の街道筋だったのかもしれない。
 角に建っているのは、カネボウ化粧品の大黒屋だ。化粧品と店名にややギャップを感じる。閉店して久しいようだ。

敦賀3-11

 月星シューズは私が子供時代の靴というイメージだけど、今でも第一線のシューズメーカーなんだろうか。ナイキとかアディダスよりも、子供は月星シューズを履いて欲しい。
 地下タビや雨合羽も売っているようだ。洋傘の文字も見える。

敦賀3-12

 古い町並みには必ず理容店がある。それも必要以上の数があるように思える。需要と供給のバランスが取れているのが不思議だ。
 こういう古い理容店の店内を撮ってみたいのだけど、お願いする勇気はない。カットをお願いするとアイパーとか当てられそう。

敦賀3-13

 古い家屋を一部現代風に改築して住んでいるところが多いようだ。一階部分に昔のたたずまいが残っている。
 町並保存地区に指定されてしまうと、勝手に建て替えたりできなくなるからやっかいらしい。

敦賀3-14

 ブリキ店というのもあった。
 ブリキというと、昔のブリキのおもちゃを思い浮かべるけど、どういう需要に応える商売なのだろう。ブリキというのが今何に使われているのか、イメージできない。ブリキのバケツとかだろうか。

敦賀3-15

 和菓子という古めかしい看板の下に左近菓舗とあった。まさか、島左近から来ているとか。
 町の和菓子屋さんというのは、代替わりして続いているところが多い。ケーキ屋やパン屋は一代持たずにあっけなく終わってしまいがちだけど、和菓子屋は強い。お得意さんがいるからなのか。

敦賀3-16

 昔ながらの雑貨兼文房具屋さんのような店だ。わー、すごいと思う。今でもこういう店が続いているのは、このあたりの住人が支えているということだ。
 うちの田舎にもこういう店があったけど、もうずいぶん前になくなってしまった。

敦賀3-17

 懐かしさの極めつけは、このゲーム台だった。久々に見た。
 コインを入れてレバーで弾きながら、穴に落ちないようにゴールまで持っていくと景品がもらえるというやつだ。子供の頃、よくやった。加減が難しくて、ほとんど成功した記憶がない。
 下の方にガムテープが貼ってあるし、老朽化も激しいけど、現役で稼働しているのか。
 上に貼られたコカコーラのポスターも古そうだ。

 こんな感じで、思いがけず古い町並み散策を楽しみながら、気比の松原を目指したのだった。
 次回は気比の松原と海編で、そろそろこの旅の終わりが近づいてきた。
 つづく。

金ヶ崎の歴史に思いを馳せながら鉄道や港を見て歩く <第六回>

観光地(Tourist spot)
敦賀2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 金ヶ崎(かねがさき)地区へとやって来た。特に何か目的があったわけでもなく、なんとなく金ヶ崎宮あたりがどうなっているのか気になったので、見にいってみることにしたのだった。
 地図に敦賀駅から金ヶ崎まで鉄道の線路があるのを見て、これに乗ればいいやと思っていたら、貨物専用の路線だった。しかも、今年の4月で貨物列車も廃止になっていた。今は線路だけが残されている。
 普通の電車にも特別な興味がない私だから、貨物列車への思い入れは当然それ以下ということになる。こういう風景を眺めても、うーむ、とうなるばかりで感想らしい感想は浮かばない。最後の貨物列車が走った日は、各地から電車の人たちが集まったそうだ。
 かつては敦賀駅から敦賀港へ、人や物をたくさん運び、たいそうな賑わいを見せていたそうだけど、今はひっそりして往時の面影はない。欧亜国際連絡列車と呼ばれる人用の列車が走っていたのも、今は昔の今昔物語だ。

敦賀2-2

 金ヶ崎の退き口(のきぐち)の旗を見て、ああ、ここがあの場所なんだと初めて気づく。行く前はまったく意識していなかった。
 戦国野郎や戦国お嬢ならよく知っている有名な戦いの舞台だ。
 織田信長・徳川家康軍が、越前の浅倉義景を攻めたとき、信長義弟の浅井長政の裏切りに遭い、近江と挟み撃ちされることを知らせるためにお市の方が両方の口を結んだ小豆を送ったというあのエピソードだ。
 このとき、撤退する信長軍を守るために秀吉がしんがりを名乗り出たという話が伝わっている。実際のところは定かではないけど、無事に逃げ延びた信長が秀吉に恩賞を与えたのは事実のようだから、戦いでの活躍はあったのだろうと思う。このとき、明智光秀や前田利家も一緒に戦っている。
 思えばこの地は、織田軍団のフルメンバーが勢揃いした唯一の場所だったかもしれない。その金ヶ崎がここなんだと思ったら、ちょっと感慨深いものがあった。

敦賀2-3

 ここ金ヶ崎は、戦国時代の前にも一度、重要な戦いの舞台になっている。
 上の写真に写っている山は金ヶ崎山で、かつてこの上には金ヶ崎城が建っていた。今は跡地だけになっている。
 後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の呼びかけに応じた新田義貞は、鎌倉で北条氏を打ち破って幕府打倒を果たす。
 しかし、その後、いろんないざこざがあり、足利尊氏との争いに敗れて北陸に逃れることになった。後醍醐天皇の皇子である尊良親王や恒良親王などとともに金ヶ崎城に籠城するも、半年後に持ちこたえられなくなり、城に火を放って尊良親王は自害。恒良親王は捕まって京都に連れて行かれた。
 新田義貞もその後の戦で敗れ、福井市で戦死した。
 金ヶ崎宮は、建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)の一つで、南朝側の皇族や武将を祀るために、明治になってから建てられた神社だ(明治25年)。城跡の麓あたりにある。 
 ちょっと遠そうだったので、入口だけ見て終わった。城跡も、山道を登っていかないといけないようだ。
 関ヶ原の戦いにおいて、石田三成の盟友だった大谷吉継がいた敦賀城は、ここより西、現在の敦賀西小学校裏手の真願寺あたりにあったとされている。今はもう跡もほとんど残っていない。

敦賀2-4

 近くに赤煉瓦造りのランプ小屋と呼ばれる建物が残っている。
 欧亜国際連絡列車が発着していたとき、燃料を保管していた小屋らしい。
 内部を一般公開しているようだけど、入口が見つからなかった。たぶん、この裏手だったのだと思う。

敦賀2-5

 敦賀の赤煉瓦といえば、赤レンガ倉庫が有名だ。
 金ヶ崎宮から敦賀港へ向かう途中に建っている。これは最初から見に行くつもりだった。

敦賀2-6

 かなり保存状態がいい。赤煉瓦の壁は、崩れたり傷んだりしてるところも少なく、きれいな状態を保っている。
 明治32年に敦賀港が外国貿易港に指定され、紐育(ニューヨーク)スタンダード石油会社が石油の貯蔵庫として建てたのがこの赤レンガ倉庫だ。
 戦争中は軍の倉庫として使われ、戦後は海産物の貯蔵庫として使用されていたという。
 敦賀市に寄贈されたのが平成15年というから、最近まで現役として使われていたのだ。だから、整備されてきれいな状態なのだろう。
 地面に照明灯が設置されているから、夜間はライトアップされるようだ。

敦賀2-7

 明治という時代を考えると、とてもハイカラなデザインだ。電灯は昔のデザインだろうか。

敦賀2-8

 使われなくなった建物はゆっくり朽ちていき、少しずつ自然と同化していく。

敦賀2-9
 赤煉瓦から少し歩いたところに、かつての敦賀港駅の駅舎が再現されている。
 当時のものを移築したものではなく、大正2年に建造されたものを資料を基にして建て直したものだそうだ(1999年築)。
 中は鉄道資料館になっている。

敦賀2-10

 せっかく前を通ったことだし、無料でもあったので、少しだけ中を見ていくことにした。
 これはかつての敦賀港駅を再現したものだろうか。
 かつての欧亜国際連絡列車は、東京の新橋と金ヶ崎を直通で結び、ここで船に乗り換えてウラジオストックへ行き、そこからシベリア鉄道でヨーロッパまでつながっていた。それまでは海路で40日かかっていた東京ーパリ間を17日で行けるようになったというので、大変な賑わいだったそうだ。一週間に3往復の便があったらしい。
 新橋からパリ行きの列車の切符が買えたというのも、なんだかロマンチックな話だ。

敦賀2-11

 当時の機関車の模型や、職員の制服なども展示してある。
 二階にもいろんな展示物があるようだけど、あまり深入りしてもなんだというので、早々においとました。

敦賀2-12

 敦賀港は観光の港ではないので、立ち入り禁止のところが多く、中までは入っていけなかった。
 尾鷲港のように、一般人が勝手気ままに釣りを楽しむといった雰囲気ではない。
 日本海は外界と直接向き合っているから、ガードが堅いというか、緊張感がある。その点、太平洋側の湾港などはのんびりしたものだ。

敦賀2-13

 夕方が近づいて、残り時間が少なくなってきた。
 ここから気比の松原がある松原公園までは2キロ近くあったのだけど、バスのルートも乗り場も分からないので、ぷらぷら歩いていくことにした。その話はまた次回としたい。
 つづく。

敦賀について少し勉強をして、今日から敦賀編を始める <第五回>

観光地(Tourist spot)
敦賀1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 美浜をあとにして、この日最後の目的地である敦賀(つるが)へとやって来た。
 駅前に古代人の像が建っている。こういうのを見ると、ヤマトタケルだろうと思うけど、これは違った。ツヌガアラシト?(都奴賀阿羅斯等) おたくはどちらさん?
 若狭湾の最奥であり、日本海側の玄関口として栄えた敦賀の港は、古くから外国に知られる存在だった。朝鮮半島や中国大陸だけでなく、ロシアとも人や物の行き来が盛んだったという。
 昔は笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていたらしい。
 新羅(しらぎ)の王子であるアメノヒボコは、逃げた奥さんを追いかけて日本にやってきて、そのときは奥さんに会うことが叶わず、但馬国に上陸したと『古事記』にある。
『日本書紀』では、その前に加羅国の王子だったツヌガアラシトが敦賀(笥飯浦)にやって来たことになっている。
 一説では、アメノヒボコとツヌガアラシトは同一人物だというが、よく分からない。
 その王子の額に角が生えていたというので、人々は角額の人だと言い、そこから角鹿(つのが)という地名ができ、転じて敦賀になったという話だ。
 そんなわけで、駅前にはツヌガアラシトの像が建っているわけだけど、一般の人には分かりづらい。
 敦賀は、福井県の西部に位置していて、北東部の福井市や越前とは気候や風土がかなり違っている。小浜県の一部だったり、敦賀県というのがあったりした歴史もあり、三方を険しい山に囲まれていることもあって、越前方面とは断絶していた。なので、精神的にも西の滋賀などに近いものがあるのではないかと思われる。琵琶湖からも20キロほどしか離れていない。
 名古屋から敦賀まではわりと近い感覚があって、だけどそこから更に福井まで行こうと思うとかなり遠く感じる。車で海岸線の道を東尋坊まで行ったときは、途中で泣きそうになるくらい遠かった。
 敦賀の観光といえば、一番はやはり気比の松原ということになるだろう。最後はそこへ行くとして、まずは駅から近い気比神宮を目指して歩くことにした。

敦賀1-2

 駅前のゆめさき通り商店街。
 昔から物流の拠点として栄えたという歴史があるため、駅前の商店は多い。ただし、現状、あまり活況を呈しているという風ではない。やや閑散としたアーケードに、昭和の名残を感じる。
 商店街の西には、国道8号線が敦賀の町を縦断している。京都と新潟を結ぶ道で、かつの北陸道が元になっている。

敦賀1-3

 駅前の通りには、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのモニュメントがたくさん置かれている。
 敦賀は松本零士と関係があるのかと思いきや、縁もゆかりもない。敦賀港100周年を記念するとなったとき、敦賀は港でも鉄道でも栄えた町だから、999とヤマトを呼んでしまおうということになったらしい。
 それぞれのキャラクターや名物シーンを再現してあり、全部で28あるそうだ。
 私はすぐに通りを逸れてしまったので、一つしか見ることができなかった。この存在は知っていたから、メーテルだけは見たいと思っていたのだけど。

敦賀1-4

 丸ポストを見つけたら、撮ることにしている。
 少し向こうに小学校の門があって、おじいちゃんが孫の迎えに来ていた。

敦賀1-5

 カトリック敦賀教会。
 教会も私の中では神社仏閣と同列なので、見るとだいたい撮ってしまう。ここは特に印象的な建物でもなかった。

敦賀1-6

 いくら神社仏閣離れを起こしている今の私でも、敦賀に行って越前国一宮である気比神宮(けひじんぐう)に立ち寄らないような罰当たりなことはできなかった。挨拶だけはしていくことにする。
 入口では、日本三大鳥居の一つとされる大鳥居が出迎えてくれる(残りの二つは、春日大社と厳島神社)。
 江戸時代初期の1645年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。

敦賀1-7

 境内は妙に人が多くて、活気があった。出店が並んでいて、特別な祭りでもしてるのかと思ったけど、そうでもないらしい。一言で言うと、ここは人気がある神社だ。流行っていると言ってもいい。
 ざわついている分、重厚さやおごそかな空気感が支配しているわけではなく、陽気な感じがする。その雰囲気がとても意外に感じられた。良く言えば、威張っていないというか、気取っていないというか、人々に親しまれている。こういう感じは、他ではあまり経験したことがない。

敦賀1-8

 拝殿前。
 祭神は、伊奢沙別命(イザサワケノミコト)というのだけど、この神様についてはよく分からない。元々は食事関係の神様として祀られていたらしい。
 気比神宮の創建についても詳しいことは分かっていない。延喜式に載っている式内社で、かなり古くからあったことは間違いないようだ。
 以前ならこのネタで一回分、びっしり書くこところだけど、今回はサラッと流す。境内社の写真なども撮るだけ撮ってきたから、いつか気が向いたら詳しく書くことがあるかもしれない。

敦賀1-9

 これだけ屋台が出ているということは、普段からそれだけの参拝客が来て商売になるということだ。私が思っていた以上に、気比神宮は人気スポットだった。

敦賀1-10

 敦賀のマンホールの蓋は、なんといっても気比の松原の松だ。若狭の海も描かれている。
 こういうふうに名物がはっきりしているところは、作る方も訪れる方も分かりやすくていい。
 気比神宮を出て、港方面に向かって北上することにした。とりあえず金ヶ崎方面に向かってみる。

敦賀1-11

 途中、天満神社というのがあった。名前からして菅原道真の天神様だろう。郷社とあるから、このあたりの氏神だ。
 ここも表から写真だけ撮って、頭を下げて通る。

敦賀1-12

 たばこ屋兼雑貨屋らしき店の前の丸ポスト。

 敦賀編の一回目は、これくらいにしておこう。全部で何回になるかは、今のところ未定。
 次回につづく。

美浜の町並みを撮りながら久々子湖まで歩く <第四回>

観光地(Tourist spot)
美浜3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 今日も昨日の続きで、美浜町を歩く。このあたりは左が久々子湖、右が海という水に挟まれた細長い土地で、道路沿いには民家や旅館などが並んでいる。
 前方に見えている小高い山は岳山で、標高193メートルある。地図を見ると登山道もあるようだから、登れば眼下に湖と海を見渡せるのかもしれない。
 美浜駅からこんなところまで好きこのんで歩いてくる人はそう多くないと思うけど、浜辺を歩いたり写真を撮ったりしていたら、かれこれ2時間経っていた。遊覧船乗り場の三方五湖レークセンターは、もう近い。もう船に乗る時間はなかったけど、とりあえずそこまで歩いていってみることにする。
 バス停を見つけて時刻表を見ると、美浜町行きのコミュニティバスの時間まで30分ほどだったので、帰りはレークセンター前からバスに乗っていくことにした。本数が少ない中、このタイミングは運がよかった。

美浜3-2

 畳屋さんがあって、ちょっと中をのぞいてみたら、向こうの窓から青い海が見えた。
 畳と海という組み合わせはやや違和感があるけど、毎日海を見ながら仕事をするというのはどんな気持ちなんだろうと考えた。
 潮風というのは、畳にとってもあまりいい環境とは言えないだろうけど。

美浜3-3

 けっこう古そうな蔵が建っている。さほど傷んでいるようでもないし、今でも使われているものなのだろう。
 このあたりの建築様式の特徴として、細い板を縦に貼り合わせた家が多い。昔からの伝統なのか、潮風に対抗するためのものなんだろうか。

美浜3-4

 下水道の蓋が、カエルの絵。

美浜3-5

 水無月神社というのがあった。
 海と湖の町だから、水に関係した神様なんだろうけど、中に入っていないので詳しいことは分からない。
 水無月といえば6月で、今の7月前後に当たる。水無月の由来はいろいろな説があって、定説はない。雨とか田んぼとかに関係がありそうだけど、そもそも水無月神社という名前の神社を初めて見た。わりと珍しいんじゃないかと思うけどどうだろう。

美浜3-6

 海と久々子湖は水路でつながっていて、ちょっとしたボートくらいなら楽に行き来できる。
 ちょうど海からボートがやって来た。水辺に大きな松があって、手こぎの舟なら風情のある光景になるところだ。

美浜3-7

 ボートは久々子湖の向こうに進んでいった。
 湖の様子は、こんな感じだ。すごく広いわけでもなく、小さな湖でもない。

美浜3-9

 三方五湖は、富士五湖に比べると圧倒的に知名度が低い。5つの湖を全部言えるのは、福井県民くらいのものだろう。私も、行ってみるまで三方湖しか知らなかった。
 残りの4つは、水月湖(すいげつこ)、菅湖(すがこ)、日向湖(ひるがこ)と、写真の久々子湖(くぐしこ)だ。
 湖はすべてつながっているから、実際には五湖とは言い難い。人口水路でつなげた久々子湖と日向湖はともかく、水月湖、菅湖、三方湖は、最初からつながっている。実質的には三方三湖だ。
 ただし、それぞれの湖は海水の流入量などで塩分濃度が違っていて、水質や環境にも特徴があるから、やっぱり五湖だといえばそうなのだろう。
 私は結局、ちゃんと見たのは久々子湖だけだった。三方五湖を見たとは言えない。
 ここは車で行かないとどうしようもないところだというのを思い知った。

美浜3-10

 崖に穴を開けて、小さな祠にお地蔵さんを祀っている。
 生活に密着した素朴な信仰が今も受け継がれている。

美浜3-11

 昭和っぽさを感じた一角。
 飾りの入ったすりガラスがアルミサッシに組み込まれている。ブロック塀も昔ながらのものだ。

美浜3-12

 どういう名前のものかは知らないけど、船を水に入れたり水から陸にあげるときに使う仕掛けだろう。
 ワイヤーを結んで引っ張るとあがってくる仕組みらしい。

美浜3-13

 三方五湖レークセンターに到着した。遠かった。
 途中、観光客らしき人には一切出会わなかったのに、車はそこそことまっていて、中にも人がいた。やはりみなさん車で遊びに来ているようだった。
 レークセンターは遊覧船乗り場やおみやげ物屋になっている。

美浜3-14

 つながれている赤いのがジェットクルーズのようだ。
 もう少し大きな遊覧船を想像していたら、意外と小さかった。隅田川の水上バスよりも小さい。
 日向湖の水路は狭すぎるので、4つの湖を40分かけて小回りする。久々子湖を縦断したあと、水月湖をぐるりと回って、三方湖と菅湖は入口からちょこっと入るだけだ。乗船料は1,210円。
 ここまで来て満足したので、もう引き返すことにする。午後の2時半を回って、まだこのあと敦賀を巡らなければならなかった。
 時間通りにやって来たコミュニティバスに乗ると、乗客は私の他は地元民のおばあちゃん一人だった。地域バスだけに、駅まで一直線には行かず、集落の奥や役場、病院などを巡りつつ、えらく遠回りして駅まで行くことになった。20分ちょっとかかっただろうか。どんどん奥地に入っていったときは、乗るバスを間違えたかと焦った。

美浜3-15

 美浜駅の駅舎二階からの眺め。
 一面に広がる田んぼの稲刈りはほぼ終わり、遠くに若狭湾の海が見える。
 美浜編でこれで終わりで、次回からは敦賀編となる。
 つづく。

美浜の浜辺をぷらぷら歩いて海にまつわる風景を撮る <第三回>

観光地(Tourist spot)
美浜2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 若狭の海は青かった。それも単色の青ではなく、グラデーションの青だ。遠くへ行くほど青が深くなる。この色を見るためだけでも日本海までやってきた甲斐があったと思った。
 今日は美浜編の第二回で、前回の続きになる。
 松原海水浴場から西へ歩いていくと、途中から久々子海水浴場になる。実際は地図上のことだけで、浜辺はつながっている。
 砂浜をぷらぷらと西へ向かって歩いていった。そのまま進むと、三方五湖の一つ、久々子湖(くぐしこ)に辿り着く。

美浜2-2

 海岸沿いに飯切山という標高80メートルほどの小山がある。
 その突端の海には大小の岩が頭を出している。このへんは日本海岸らしい風景と言えそうだ。
 山や岩は黒雲母花崗岩でできているらしい。浜辺も波の浸食でできたものだから、白砂にはならない。

美浜2-6

 山の麓に鳥居が見えた。
 帰ってきて調べたら、宗像神社だった。宗像三女神を祀る海の神社だ。
 行きたい気持ちはあったけど、ちょっと遠かった。

美浜2-3

 テトラポッドというのはフランスの会社の登録商標で、一般的には波消ブロックというそうだ。ホッチキスみたいなことだ。
 テトラポッド(tetrapod)は4本足を意味するギリシャ語を語源としていて、波消ブロックは必ずしも4本足ではない。3本だったり、6本だったりもする。
 波消ブロックは海岸が浸食されるのを防ぐ目的で置かれているというのを、今回初めて知った。波を打ち消して、海岸線を安全にすることが主な目的だと思っていた。
 写真は小さくてちょっと分かりづらいけど、カモメたちが上に乗ってうずくまっている。そういう役にも立っている。

美浜2-4

 飛んでいるカモメを見ると反射的に、♪ハ~バ~ライトが~朝日~に~かわ~る~♪という曲が頭の中で流れ出してしまう世代。
 人はどうして哀しくなると海を見つめに来るのでしょうか? と私に訊かれても困る。
 これはカモメというよりウミネコだろうか。

美浜2-5

 一人で海を見つめに来ている人、発見。こんなところを歩いていたら、私の恰好のターゲットになってしまう。協力ありがとうございます。
 絵になる光景だけど、浜辺の汚さがいただけない。

美浜2-7

 西の早瀬海水浴場の方に赤い小さな灯台が建っている。
 ここは久々子湖と海が水路でつながっているところだから、小さな船の出入りが多いのだろう。
 海岸には小さな集落もある。

美浜2-8

 海沿いにかろうじて建っている家屋の名残。
 笑い事じゃない悲劇に見舞われたのかもしれないけど、これにはちょっとのけぞった。どうしてしまったのか。台風の高波と強風にでもやられてしまったのだろうか。

美浜2-9

 浜辺から一本中に入って、普通の道を歩くことにした。久々子海水浴場の西まで歩けば、久々子湖はもう近い。
 道沿いにはけっこう民家があって、それなりに人が住んでいるようだ。民宿や旅館なども何軒かあるところを見ると、夏は思っている以上に賑わうのかもしれない。
 家は新しいものと古いものが混在している。昭和の家屋も少し残っている。

美浜2-10

 池田屋。
 なかなかの歴史的建造物で、もう営業はしていないように見えるけど、実はしていたりするのか。

美浜2-11

 コミュニティバスの通り道ということもあって、このあたりは住人の生活圏でもあり、海や湖の観光客用の旅館街にもなっている。看板が新しい旅館は営業しているようだった。泊まりの海水浴客もいるということだろう。

美浜2-12

 真っ直ぐ進むと久々子湖で、右手に飯切山の登山口と、宗像神社の参道がある。岩屋弘法大師堂というのもあるようだ。

美浜2-13

 右に少し入って、早瀬海水浴場を見てみる。こちらは海水浴場というより漁港のようだ。

 美浜の海はこれくらいにしておこう。次回は久々子湖を紹介して、それが美浜編の最終回となる。
 つづく。

サンマを刻んで叩いてすって丸めて煮て絡めて食べるサンデー

料理(Cooking)
サンマサンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今日のサンデー料理の主役は、サンマだった。サンマなんてどこにあるんだよと、あなたは思ったかもしれない。よく探してみて欲しい。ほらそこ、目の前にあるじゃないですか。
 気づいただろうか。サンマはダンゴになって、トマトソースの中に埋没している。もはや原形はとどめていない。
 秋の食材もいろいろあるけど、サンマも秋を代表するものの一つだ。個人的には好きな魚じゃないから、普段でもめったに食べないし、サンデー料理に使うこともなかった。独特の臭みが苦手で、どうも好きになれない。
 そんな私がサンマをどうにかして食べようとすると、こういうことになる。一つのチャレンジとして、サンマを洋食仕立てにしてみた。

 まずはサンマのつみれを作る。
 魚屋さんに三枚おろしにしてもらったサンマの切り身を、細かく刻んで、更にすり鉢ですりつぶす。
 臭みを消すために、ショウガ、ニンニク、牛乳を入れ、酒、みりん、白しょう油、塩、コショウ、ダシの素で味付けをする。
 刻んだ長ネギと小麦粉を少し加えて団子状にして、お湯でゆがく。これでもうサンマのつみれとしては完成しているから、この状態で食べることもできる。
 一方でトマトソースも作っていく。刻んだタマネギをオリーブオイルで炒め、皮をむいたトマトをぶつ切りにして投入する。そこにナスも入れる。
 ケチャップ、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、白ワイン、白しょう油、唐辛子を加えて、煮込んでいく。ナスが柔らかくなるまでけっこう時間がかかる。
 終盤、サンマのつみれを投入して、ソースを絡めながら少し煮たら完成だ。
 ここまですればサンマの臭みはだいぶ消える。ただ、サンマらしさは思った以上に残っていて、サンマの自己主張の強さをあらためて思い知った。
 サンマ好きの人なら普通以上に美味しく感じられるのかもしれないけど、私の場合はメカジキとかの白身魚で作った方が美味しく食べられたと思う。あえてサンマを使うことに意味があるといえばある。

 右側は、豆腐の崩し炒めといったようなものだ。
 木綿豆腐を手で崩して、キッチンペーパーの上に置いて水気を取る。
 ごま油でニンジン、キャベツ、シイタケ、エビを炒め、崩し豆腐を入れる。
 酒、みりん、白しょう油、中華の素、塩、コショウ、砂糖、唐辛子、白ごまで味付けをする。
 お手軽に一品加えたいときに便利な料理だ。簡単で美味しい。

 奥は、洋風のサトイモの煮っ転がしだ。
 サトイモは皮をむいてよく水洗いをして、下茹でをする。
 大根は米のとぎ汁で煮て、えぐみを取る。ニンジンも茹でる。
 鶏肉をオリーブオイルとバターで炒め、下茹でしたサトイモ、大根、ニンジンも入れて、白ワイン、ショウガで更に炒める。
 炒めた具材を銅鍋に移し、水を加えて煮込む。
 味付けは、コンソメの素、塩、コショウ、白しょう油、砂糖、カレー粉でする。
 サトイモは洋風にも使えて美味しい食材だ。和食の煮物にしか使わないのはもったいないない。

 今回はサンマを使って料理をしたことが一つ収穫だった。少しだけサンマに近づけた気がする。
 身近な食材でも使っていないものは他にもいろいろある。青魚全般や川魚なども苦手意識が強い。野菜ではセロリとか、カブなども使っていない。松茸とか伊勢エビなどは使いたくても使えないだけで、それはまたちょっと事情が違う。ウニとかイクラとかも、使えるものなら使ってみたい。フォアグラとか、キャビアとか。
 そんな未知なものや未体験のものを克服していくというのも、サンデー料理のテーマの一つとしてある。もやしとか、かいわれとか、使う気になれば使えるものもたくさんあるはずだ。もっとバリエーションを増やしていきたいと思う。

美浜町で日本海の海と空を堪能する <第二回>

観光地(Tourist spot)
美浜1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 三方駅から二つ引き返して、美浜駅で降りた。この駅からは海水浴場も近く、三方五湖巡りの遊覧船が出るレークセンターの最寄り駅ということで、三方五湖の実質的な玄関口ということになる。
 湖巡りのジェットクルーズに乗るかどうか迷ってやめたのは、とにかくそれに乗ろうとするとスケジュールがすごくタイトになるからだった。まず交通の便が致命的に悪い。普通の路線バスはなく、地域のコミュニティーバスに乗らなくてはいけなくて、それは観光客用ではないから電車の時間と船の時間との連絡はまるで考えられていない。そうなるとレークセンターまでは歩いていくしかなく、距離が4キロくらいある。船は1時間に1本で、電車を降りてから次の船が出るまでに1時間しかなかった。チケットを買う時間を考えると、ぎりぎり間に合うかどうか。
 結局、やめる決め手となったのは、実際に乗った人の声だった。船から見る湖は変化に乏しく、たいして楽しくなかったという感想を読んで、それなら無理して乗ることはないかということになった。
 三方五湖は、それぞれがつながっていて、海に近いところほど汽水が強く、湖によって色が違って見えるそうなのだけど、それは上から見下ろしたときの話で、水上レベルではあまり分からないらしい。湖の周囲に風光明媚な場所があるわけでもなく、乗船時間の40分の間、あまり撮りどころもなさそうだった。
 一度しか行かないところだろうから、時間の連絡さえ上手くいけば乗りたい気持ちはあったのだけど。
 というわけで、とりあえずは海を見るために海岸まで出て、そのあと湖方面に歩いていってみることにした。
 海水浴シーズンが終わった9月の始め、美浜駅に降り立つ人は少なく、見渡す限り観光気分の人は私以外にいなかった。

美浜1-2

 JR小浜線の美浜駅風景。ローカル線の風情が感じられる。
 福井県というのは、イントネーションのなまりがほとんどなくて、地元の人が話している言葉は標準語に近く、そういう意味での旅情緒はやや物足りなさを感じた。三重県へ行けば関西訛りだし、岐阜県は名古屋弁に近い言葉を話すから、そういうのを聞くと旅をしている気分になる。福井は東北訛りもない。
 ただ、子供がお母さんに、「ねえ、この千円、こわして」と言うのを耳にしたときは、クスッときた。壊す? どうやら札を小銭にすることを、こわすと表現するらしい。そういう独特の言葉使いは他にもいろいろあるのだろうと思う。

美浜1-3

 美浜駅の駅舎も、近代的できれいなものだった。最近建て直したものだろうか。
 小浜線は電車の車両も新しいし、駅もきれいだから、昔ながらのローカル線という感じじゃない。
 敦賀と東舞鶴を結ぶ小浜線が全通したのは、1922年だから、昔からこんなにきれいだったはずはない。2003年に電化されたというから、それを機にいろいろと一新したのかもしれない。

美浜1-4

 駅前は観光客を歓迎するような店は一切見あたらない。おみやげ物屋はもちろん、食べ物屋のたぐいもない。スーパーもコンビニもない。ここはどういった性格付けの駅なんだろうと不思議に思う。町の中心は駅前ではないのか。
 一日の乗車数は250人足らずというから、住宅街ではなさそうだ。といって、観光地でもない。近くに名所旧跡のようなものはなさそうだ。もう少し賑わっているかと思っていたから、戸惑った。

美浜1-5

 一番近い浜辺までは、1.5キロくらいある。直線の道がなく、ぐるりと回り込まないといけない。
 遊覧船はあきらめたので、のんびり歩いていくことにする。横からは麦わら帽子をかぶったおばあさんが自転車で追い抜いていった。線路脇には、コスモスや百日草が咲いている。

美浜1-6

 ちょうど稲刈りの時期で、このときも作業をしているところだった。もうかなり進んでいた。
 米にとって潮風はどうなのか分からないけど、けっこう大規模な田んぼ風景が広がる米どころのようだ。

美浜1-7

 海に近づくと、細く入り組んだ路地に古い家が集まっている。白壁の蔵なども残っていて、町の古さが垣間見える。

美浜1-8

 美浜町でもマンホールの蓋を見つけて撮る。
 これも説明してもらわないとちょっと分かりづらい。
 下にはボートを漕ぐ人のような絵が描かれている。久々子湖で行われる市民レガッタ大会というのがあるそうだから、そのことなのだろう。
 上の周囲が松というのは分かる。敦賀には気比の松原があるし、それに近い御浜町にも松はたくさんあるのか。
 もう一つの花は、ツツジらしい。言われなければ気づかない。御浜町の花がツツジなんだそうだ。

美浜1-9

 なんだこれ、という建物が建っている。二階の屋根がやけに小さい。どういう建物なんだろう。
 ここだけ切り取ってみると、不思議な感覚に陥る。昔の時代の風景のようというか、時代劇のセットみたいにも思えた。

美浜1-10

 ようやく遠くに海が見えてきた。とても青い。
 海を前にしたこのときのワクワク感が楽しい。わー、海だ、という芸のない反応をしてしまう。

美浜1-11

 松原海水浴場に到着。おお、日本海。白砂の海岸とはいかなかったけど、海の青さに日本海を感じた。
 それにしても、この砂質は歩きづらい。水気を含んだ小砂利に足が取られる。走って足腰を鍛えるにはいいけど、散歩やデートにはあまり向かない。この海岸を長く歩いたことが、のちのちダメージの蓄積につながった。
 写真を見ても、誰かが歩いた足跡が深くくっくり残っているのが分かる。
 打ち上げられたゴミや、海水浴客が残していった残骸などもあり、浜辺としてはあまりきれいではないのが残念なところだ。半島の方のダイヤモンドビーチとかはもっときれいらしい。あと、夏場だけ渡し船が出ている沖の無人島、水島はすごくきれいなようだ。

美浜1-12

 福井県の日本海といえば、東尋坊に代表される越前海岸の荒っぽいイメージが浮かぶ。車で行ったときはそちらを巡って、これぞ日本海だと思ったのを覚えている。
 敦賀や美浜がある若狭湾は、波も穏やかで荒々しさはない。太平洋の内海とさほど変わらない。
 ただ、青色の深みが違う。じっと見ていると、少し恐ろしいような気もしてくる。

美浜1-13

 日本海の空。
 雲が多いながらも、青空の青は気持ちのいいものだった。心なしか、空が高い。

 美浜編はこのあと海の後編があって、湖編へとつながっていく、全3回を予定している。
 つづく。

夏の終わりの北陸シリーズ敦賀編は三方から始まった <第一回>

観光地(Tourist spot)
三方-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 9月10日、夏の終わりの日本海を見るために、福井県敦賀(つるが)方面へ行ってきた。
 10年くらい前に2度、福井県にはドライブで行っている。そのとき、スピード違反で捕まって、私はゴールド免許を失うことになった。福井県警め。あれから一度免許更新があってブルー免許になり、更に5年経って来年免許の書き換えがある。このまま無違反でいけばまたゴールドに戻ることができる。あれ以来捕まるのが嫌でスピードを出せないようになってしまったから、福井県警には感謝すべきかもしれない。
 今回は初めて電車で行った。東海道本線の快速で米原まで行き、そこからはJR小浜線の普通列車に乗り換えてののんきな旅になる。それでも名古屋から3時間かからないのだから、福井は遠いようで案外近いのだ。隣の岐阜県の山奥や三重の奥へ行くよりずっと短時間で日本海まで抜けられる。
 敦賀の旅から帰って間もなく、恵那と四日市へ撮影に行って、そちらを先にやったから、敦賀は後回しになってしまった。本当は東三河の旅を終わらせてすっきりさせたいところなのだけど、敦賀は海がメインであまり時間が経つと季節はずれになりそうだから、まずはこちらを先にすることにした。

三方-2

 小浜線に乗ってやって来たのは、三方駅だった。福井県三方といえば、三方五湖があるところだ。しかし、それ以外に何があるのかといえば、まるでイメージが湧かない。行ってきて、どういうところだったか訊かれても答えに困る。とりあえず三方湖はあった。それ以外には町並みがけっこう古かったという印象を残した。他には? と畳みかけて訊ねるのはやめて欲しい。観光目的で三方駅に降り立つという人はそう多くないと思う。
 何はともあれ、歩いてみることだ。そうすれば町の姿が多少なりとも見えてくるし、感じるところもある。何かしら撮るものもある。
 三方から敦賀方面に向かって引き返すことになるのだけど、戻りの電車が1時間20分後という中途半端なダイヤになっている。ゆっくり散策するには時間が足りないし、駅周辺をぶらつくだけでは時間を持て余す。とりあえず一番近い湖の三方湖を目指すことにした。

三方-3

 地方の小さな駅にしては洒落ているし、新しい。駅構内にはみやげ物屋や何かのセンターみたいなものもあって、駅員の他数人の話し声が聞こえていた。乗り降りする人は少なくても、駅にはそれなりの活気があった。

三方-4

 町並みなどはまったく期待していなかったのだけど、昔の面影が残る家屋がちょこちょこあって、楽しませてもらった。
 何街道かは知らないけど、昔から人通りがあったところなのだろう。旧街道の雰囲気がある。昔から営業しているような小さな旅館もあった。三方五湖へ観光に訪れる人用だろうか。
 上の写真は、百貨店だ。たばこや日用品、化粧品などを扱っているらしい。

三方-5

 古びた窓に、色褪せたコカコーラのステッカーが貼られている。
 窓は北陸の青空を映す。

三方-6

 今度は金物店があった。店のラインナップを見ても、典型的な田舎の町で、うちの田舎とも通じるところがあった。
 駅から少し離れた幹線道路沿いには、いろいろ新しめの大型店が何軒か集まっていた。スーパーなどもあったようだから、すごく不便な場所というわけではなさそうだ。

三方-7

 恒例となったマンホール撮り。
 何がデザインされているのか、よく分からなかった。帰ってきてから調べたところ、三方五湖と、ナシと梅が描かれているらしい。

三方-8

 臥龍院というお寺の前。
 近頃は神社仏閣離れをおこしている私なので、このときも寄らなかった。

三方-9

 地図も地形も分かりづらくて、自分がどっちの方向に向かって歩いているのか分からなくなり、半分迷子になった。気づいたら、田んぼの中を歩いていた。三方湖はどっちだろう。
 この日は青空は見えていたものの、雲が多くて太陽がちょくちょく隠れるといった天気だった。
 稲刈りの最中で、半分以上は刈り入れを終えていた。

三方-10

 方向は間違っていないはずなのに、いっこうに湖が見えてこない。田んぼ道を抜けて、やや広い道に出たところで、それ以上先に進む道がなかった。向こうでは堤防工事をしているような様子が見える。あの向こうが湖なのだろうけど、まだけっこう距離がありそうだ。ここまでに30分かかってしまい、電車の時間まで1時間を切った。このまま進むと時間までに戻れないので、湖はあきらめることにする。三方まで行って三方湖を見ずに帰ることになるとは思わなかった。
 ぐるりと回りながら駅方面に引き返す。

三方-11

 三方湖に注ぎ込んでいる蓮川。浮き草が大量発生している中をおじさんが乗った舟が突き進んでいった。水の町ということで、個人の舟を持っている家が多いのだろうか。
 これは街中の風景ではない。
 この橋を渡って三方湖方面に向かったところに、三方縄文ロマンパークというのがある。
 このあたりは縄文人の遺跡などが多数見つかっており、そんな関係で、縄文テーマパークみたいなものが作られているようだ。時間がなくて行けなかったけど、もしかしたらそれが三方で最大の観光スポットだったのかもしれない。
 いずれにしても、このあたりは電車で訪れるには向かないところだ。車なら、三方五湖レインボーラインや岬のドライブなどが楽しめる。

三方-12

 思いがけないところに赤煉瓦の煙突を発見して喜ぶ。これは立派な本格派だ。外観もきれいだし、現役でも使えそうだ。
 この家は酒屋さんのようだったけど、どうして赤煉瓦煙突があったのだろう。
 最後に一ついいものを見たということで満足して、三方町をあとにすることにした。少し迷って駅に帰り着く。

三方-13

 座席に読み込んだJR時刻表を置いて、疲れ切ったように眠る乗り鉄らしき人。心の中で思わず、お疲れ様ですと声をかけた。この日は、青春18きっぷの最終日だった。
 三方から次は美浜へ向かう。そこでようやく三方五湖の一つ、久々子湖を見ることができたのだけど、それはまた別の話。
 つづく。

萌えろ、四日市コンビナート夜景撮影

夜景(Night view)
四日市コンビナート-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / smc Takumar 135mm f2.5 / SIGMA 30mm f1.4



 人が撮った四日市コンビナートの夜景写真を見て、自分も撮ってみたい、と強く思った。
 なんという異形の美しさ。前時代的のようでもあり、近未来的でもある。文明の果てのようでもあり、退廃的。一切装飾的ではないのに、機能美の極みに達してさえいる。夜の四日市コンビナートが織りなす形と色と煙と音は、官能的でさえあった。

四日市コンビナート-2

 四日市は今まで何度となく通ってはいるけど、車にしても電車にしてもただ通過しているだけで、四日市そのものに行ったことはなかった。何があるというわけでもなく、興味を惹かれる場所もなかった。
 コンビナートなどというものは、一昔前までは公害の象徴のような存在で、好きこのんで行くようなところでもなかった。最近は公害問題もずいぶん下火になって、四日市の空気も以前に比べてきれいになったというけど、今日行ってみたところ、肺がちょっといがらっぽいような感じがしてセキも出たから、普通の街と同じとまでは言えないようだ。

四日市コンビナート-3

 コンビナート撮りの定番スポットの一つ、四日市港ポートビルへとやって来た。といっても、今日は展望台に登る予定はなかった。夕方5時までなので、着いたときにはもう閉まっていた。
 ここは土曜の夜だけ夜の9時まで延長するため、コンビナート撮りの人々が全国から集まってくるというコアな場所だ。夜景を見にやって来たカップルと、三脚と望遠で武装した人々が毎週土曜の夜に無言のせめぎ合いを繰り広げているらしい。ちょっと見てみたい気もするけど、一人で登るにはそれなりの覚悟も必要だ。
 月曜定休で300円。せっかく行くなら土曜日を狙った方がよさそうだ。

四日市コンビナート-4

 ポートビルの手前はちょっとした公園になっているので、下見を兼ねて少し撮ってみることにする。
 けれど、この低さからではいい写真は撮れそうにない。手前の障害物が多すぎる。

四日市コンビナート-5

 歩道橋があったので、その上から近づいて撮ってみた。
 ここはちょっとよさげだ。ただ、電柱と電線が邪魔すぎる。こいつの存在にはいつも悩まされる。
 いろいろな場所からいろんな写真を撮ろうと思っていたけど、障害物の多さや、関係者以外立ち入り禁止の場所などで、撮れるロケーションは限られるようだ。

四日市コンビナート-6

 四日市の海沿いにはたくさんのコンビナートがあるから、どこかいい場所があるんじゃないかと車でさまよった。そうこうしているうちに陽が沈んでしまい、焦る。夕焼けの工場も撮りたかったのに、結局撮ることができなかった。

四日市コンビナート-7

 かなり南下して、塩浜の方まで行ってみたものの、車をとめる場所がない。もっと閑散とした工場地帯を想像していたのだけど、幹線道路沿いということで交通量がものすごく多い。道は慢性的に渋滞しているし、ちょっと脇に路上駐車して車を降りて撮るなんてのは無理だった。
 歩きで回るには範囲が広すぎるし、ポイント探しをするならスクーターか自転車だ。
 上の写真は、小倉橋の上からだっただろうか。見えているのはたぶん、昭和四日市石油だろう。
 鈴鹿川の河口にも撮影ポイントはあるようだ。

四日市コンビナート-8

 とうとう撮影ポイントを発見できないまま夜になってしまい、最後は一番無難な霞ヶ浦緑地公園にやって来た。四日市コンビナート写真は、ここで撮られたものが多い。夜もずっと車を駐車場にとめておけるし、公園なので明るさもあって安心感がある。公園内にはトイレとかグラウンドなどもあり、それなりにひとけもある。
 とりあえず初心者らしく、定番ポイントで定番の写真を撮るのに専念することにした。

四日市コンビナート-9

 すべてが手探りなので、レンズを換え、シャッタースピードや絞りを変えてあれこれ撮る。
 画角としては、あまり広角でも面白くないし、望遠までは必要ない。135mmレンズが一番しっくり来たから、35mm換算なら200mm程度がよさそうだ。赤帯や白レンズの人たちが70-200mm f2.8なんかをよく使っている理由が分かった。
 私の今回の設定は、ISO100固定で、絞りはF11前後。シャッタースピードは、明るい部分なら15秒から20秒くらい。暗いところなら30秒くらいで撮った。
 30秒以上が必要なところは少なかったから、リモートケーブルは持ってなければ必要ない。ただし、ブレ防止のため、必ずタイマーで撮るようにした方がいい。
 あと、吹きさらしで風がけっこうあるから、三脚はある程度しっかりしたものが必要だと思う。やわい三脚だとブレるだけでなく、倒れそう。

四日市コンビナート-10

 コンビナートの明かりは夜通し消えることがない。工場は24時間休むことなく稼働しているから。まさに不夜城だ。眠らない街は六本木だけではないのだ。
 夕刻から夜、そして夜明けまで、シャッターチャンスは長くある。ただ、煙は最初出ていたのに、途中から止まってしまったから、時間帯によって変化がありそうだ。長時間露光になるから、煙が出てた方がドラマチックな写真になる。

四日市コンビナート-11

 印象的な部分を切り取りたいという意気込みはあったのだけど、初めてで勝手が分からず、暗くもあって、思いは空回りした。
 通うことで見えてくるところが多々ありそうだけど、四日市は通うには遠すぎる。高速代もかかる。

四日市コンビナート-12

 このあたりのキラキラも素敵だ。工場萌えの人の気持ちが初めて理解できた。
 この感覚をどう表現したらいいのか、言葉を探しても見つからないもどかしさを感じる。普通の夜景とは受ける印象がまったく違う。もっとミクロ的で、繊細な世界だ。パイプのうねうね感とか、縦横に走るラインとか、その組み合わせが生み出す光景は現代アートのようでもある。
 美しさを狙って作られていないところに美を発見する喜びみたいなものもあるのかもしれない。
 これまで知らなかったこの世界の美しさを、今日あらたに知ることとなった。

四日市コンビナート-13

 最後に四日市港ポートビルを遠くから撮って、終わりとした。
 工場フリークになるための第一歩としては、まずはこんなものだろう。まだ撮り足りない気持ちがあって不満は残ったけど、それはまた次回のお楽しみということにしよう。
 次はやはり、ポートビルの展望台から撮ってみたい。
 あと、他の撮影ポイントも見つけたいし、次は電車で行こうかとも考えている。ロケーションはやはり歩いて稼がないとどうしようもない部分があって、歩けば見つかるものも多い。今回でだいたい現地の雰囲気は掴んだ。少なくとも、もう一回は行きたい。
 冬になって日没が早くなってからの方がいい。明かりが早くついて、工場が昼のシフトなら、今回とはまた違った写真が撮れるんじゃないか。冬の方が空気も澄んでいるし。
 お近くの方は、ぜひ一度行ってみることをオススメしたい。こんな世界があったのかと、きっと感銘を受けるはず。すぐにでも行きそうな人が一人、二人と、頭に浮かぶ。

浜名湖に沈む夕陽を見るため弁天島へ向かう

観光地(Tourist spot)
弁天島-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は浜名湖弁天島の夕景をお届けします。
 ここのところ内容があっちこっちに飛んで、時系列もバラバラになっている。ネタの在庫がありすぎて、私自身しっかり把握できていない。尾鷲の熊野古道は終わったものの、そのあと行った東三河の旅は途中になっているし、最新の恵那を先にやってしまって、もっとに前に行っている犬山城下町も忘れたままになっている。のんほいパークも一回やっただけになってるし、やや混乱気味だ。そうこうしてるうちに次の小旅行も迫っている。とりあえず一つずつ終わらせていくしかない。
 というわけで、今日は東三河の旅の締めくくりとして出向いた弁天島編をお送りしたい。
 ちょうどいい時間帯に行けたと思ったら、二川で電車が10分遅れて、焦ることになった。弁天島駅に降りてからは、日没との競争になった。
 左に見えているのは新幹線の線路で、すぐ南に東海道本線と国道一号線も平行して走っている。
 弁天島は、浜名湖に浮かぶ離島で、いくつかの橋で陸と結ばれている。南側の今切口で遠州灘の海とつながっていて、湖の南は汽水となっている。昔からいろいろな魚がとれたこともあって、漁業や養殖も盛んで、縄文時代にはすでに人が住んでいたことが分かっている。
 私が弁天島を訪れたのは、ただ単に浜名湖に沈む夕陽を見たいという理由だった。豊橋から一番近くで夕陽が見られそうなところが弁天島だったからで、弁天島そのものに興味があったわけではない。ただ、この思いつきは正解だった。最後に大きな収穫があって、東三河の旅は印象深いものとなった。
 駅を降りて、島の西を目指すことにした。地図で見ると大した距離はないように見たのに、歩いたら意外と遠かった。1.2キロくらいあっただろうか。だいぶくたびれていて歩くペースが上がらず、結局30分ほどかかってしまった。

弁天島-2

 島の風景は、思ったよりも近代的で、古い建物などは少ない。港町の情緒というのもあまり感じなかった。家並みも、普通の住宅地そのもので、島を歩いているという感覚はあまりない。
 上の写真は例外的な光景で、こういう部分もあるということで撮った一枚だ。崩れ具合がいい感じ。

弁天島-3

 川港のような風情を見せる。ここは湖だから湖港というのだろうか。
 夕方の船の上では、漁師が漁の後片づけか準備をしている。住人にとってはありふれた日常のヒトコマなのだろうけど、私にとっては完全なアウェーで、非日常的な光景だ。こういうところを見ると、ああ旅をしているなぁという実感が湧いてくる。

弁天島-4

 船が一艘、湖に出て行った。
 暗くなってからする漁もあるんだろうか。

弁天島-5

 大きな湖だから、感じとしては海に近い。
 波がうねり、夕焼け色の光と影を作り出す。

弁天島-6

 金網にバッタ系の何かがとまっていた。

弁天島-7

 ようやく西の視界が開けた場所に出たとき、太陽はすでにこの位置だった。これはまずい、間に合わないと、最後は走った。

弁天島-8

 急いでレンズを望遠に換えて、沈みゆく夕陽を撮る。かなり大きい夕陽だった。
 できれば湖面に沈む夕焼けを撮りたかったのだけど、西には山並みがあって、その希望は叶わなかった。愛知県東部は石巻山とか、山が多い地形だから、どこから見ても浜名湖に沈む夕陽というのは見られないのかもしれない。季節によっては海の方に沈むこともあるのだろうか。
 このあと太陽は音もなくみるみる沈んでいき、やがてすっかり姿を隠してしまった。その間は10分もないあっけないものだった。それでも、なんとか間に合ってよかった。いいものを見られた。

弁天島-9

 しばらくは余韻が残り、浜名湖の湖面を赤く染める。この時間もいい時間だ。

弁天島-11

 湖は少しずつ暗くなり、沖のボートも見えなくなってきた。釣り人はまだ釣りを続けていたけど、私はもう帰ることにする。
 帰りもまた駅まで30分以上歩くことになった。

弁天島-12

 船着き場も夕暮れ風景で、人影もなく、波が船に当たる音だけが聞こえる。空には月が浮かんでいる。

弁天島-13

 最後に弁天島海水浴場に出て、シンボル鳥居を撮る。ベンチにデジを置いて、長時間露光したら、夜になる前の濃紺色が上手く出た。
 駆け足の弁天島散策となってしまったけど、夕陽と夕焼けも見られて、満足だった。こういして蒲郡から始まった東三河の旅も無事に終わったのだけど、ブログとしてはまだ途中になっている。のんほいパークの続きと、二川宿についてはいずれ機会を見つけて紹介するつもりでいる。

黄金色に色づいた坂折棚田はため息ものの美しさ

風景(Landscape)
坂折棚田-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 この風景を目にしたとき、ああ、これは美しい、と思った。
 坂折(さかおり)の棚田は、岐阜県恵那市の北西部、中野方町坂折地区にある。
 標高400メートルから600メートルの斜面に、石積みの田んぼが400枚以上作られている。
 その歴史は古く、江戸時代の初期から始まり、明治のはじめには完成をみたという。名古屋城の石垣作りにもたずさわった黒鍬と呼ばれる石工集団が石積みをしたとも言われている。
 恵那インターを降りたら、68号を西北に進み、402号線を入ってほどなくしたところに坂折の棚田はある。車で30分ほどで、途中案内標識も出ている。駐車場も用意されていて、観光資源として活用しようという姿勢が伝わる。日本棚田百選にも選ばれ、平成15年には全国棚田サミットも開かれた。
 稲が実って刈り入れ前のこの時期、できれば夕焼けの中で見てみたいと、あえて夕方遅く行ってみたのだけど、残念ながら太陽は戻らず、空も焼けることはなかった。それでも、とても強い印象を残すことになった。この風景を忘れることはないだろうと思う。

坂折棚田-2

 一部はもう刈り入れが終わっていたようだけど、ここの稲刈りはだいたい9月下旬とのことだ。
 こういう場所の宿命として、農業の担い手が年々減ってきており、棚田を維持するのが難しくなっているそうだ。それで、一部の田んぼをオーナー制にして募集したり、学校の子供たちの体験稲作をしたりして維持に努めている。
 稲刈り風景も絡めて撮れれば一番よかったのだけど、そんなにタイミング良くはいかない。そういう時期には写真を撮りに訪れる人たちも多いだろうし、この日のように一人でのんびり撮れたのはよかったのだろう。

坂折棚田-3

 田園風景にはコスモスがよく似合う。
 もしくは、ヒガンバナだ。コスモスがある田んぼと、ヒガンバナが咲いている田んぼでは、けっこう印象が違ってくる。どちらにもそれぞれのよさがあるけれど。
 後ろに見えているのは復元された水車小屋だ。

坂折棚田-4

 今は水車を実用として使っているわけではく、かつての風景を知ってもらうために水車小屋を復元したという経緯のようだ。
 水の力でぐるぐる回ってはいた。

坂折棚田-5

 石積みは、なるほど、城の石垣に通じるものがある。
 当然ながらひとつひとつ手積みだし、これだけの石をよそから運び込んでくるだけでも相当な苦労があったに違いない。標高も600メートルある山間で、石の量は山城を築くとき以上に必要だったはずだ。

坂折棚田-6

 田んぼの中を少し歩いてみる。下まで行くにはかなり距離があったので、途中で引き返して上から写真を撮ることにする。

坂折棚田-7

 上から見下ろした風景はこんな感じだ。
 棚田は、鳳来寺の四谷で見たことがあるけど、あれは下からだった。上から見るのは初めてのことだった。
 懐かしいような、どこかで見覚えのある風景のような気がして、あとになって思いついた。段々の感じがマチュピチュにちょっと似ているのだと。

坂折棚田-8

 斜面に点在する田んぼと民家を見て、こういうところにも普通に生活があるのだと、あらためて思った。
 不便に不満を言い出したらキリがない。ここでの暮らしの中で、満足や喜びを見いだしていくしかない。都会暮らしは便利だけど、ここより幸せかといえば、必ずしもそうとは言えない。
 田舎暮らしの人間は田舎のことを悪く言うけど、都会人が変に田舎暮らしに憧れているようなことを言うのはカチンと来るものだ。田舎の不便さは単にコンビニがないとかそういうことではなくて、医者がいなくていざとなったら大変とか困ることが実に多いのだ。

坂折棚田-9

 ここでもやっぱり、あちこちから煙が上がっていて、ちょっと笑えた。何らかのものを燃やしている。煙突の煙とかではない。

坂折棚田-10

 周囲を山に囲まれているため、日没時間よりかなり前に暗くなり始めた。まったく夕焼けの気配もなく、光もなくなっていった。
 家々の明かりがつくまで粘ろうかとも考えたのだけど、それには1時間くらいはありそうだったので、ここで切り上げることにした。もう少し光と影のコントラストがあるような写真が撮りたかった。

 棚田の枚数では鳳来寺四谷の方が多くて風景としても圧巻なのだけど、坂折もなかなかに魅力的な光景だった。特に実りの黄金色は美しかった。
 今度は田んぼに水が張られて田植えが終わったばかりの風景を見てみたい。夕焼け色に染まる田んぼ風景というのもまた素晴らしくきれいだから。
 三重県尾鷲市の紀和町に、丸山千枚田というのがあって、これも写真を見るとすごい。かなり遠いけど、できることなら来年の5月に行ってみたい。そこは熊野古道絡みでもある。
 坂折の棚田の稲刈りはもうすぐで、実りの秋風景を見るなら今はちょうどいい時期だ。近くの方はぜひ一度行って、自分の目で見て欲しい。思ってる以上に感動するはずだ。

日本一の農村風景は、かつてありふれていた日本の田園風景

風景(Landscape)
農村景観-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 ブログのお仲間の間でちょっとしたブームになっている岐阜県恵那市の農村景観日本一を、私も見に行ってきた。本当のブームは何年も前に起きていたようなのだけど、その頃はまったく知らなかった。同じ恵那市の坂折にある棚田を見たいと思って、その周辺を調べていたら、ここの存在を知ったのだった。お仲間のブログを見たら、なんだかみんなもう行っているではないか。出遅れつつも、私も見たくなった。
 時期もちょうどよかった。9月半ばといえば稲刈り間近で、田が実りで黄金色になっているときだ。出遅れると、刈り入れが終わってしまって、やや間の抜けた風景になってしまう。上手くいけば稲刈りをしている風景も見られるのではないかと期待したけど、それには少しだけ早かったようだ。でも、周辺の田んぼでは一斉に稲刈りが始まっていたから、富田地区も今週か来週あたりではないだろうか。

農村景観-2

 農村景観日本一というのは、何らかの投票や選定があったわけではなく、地元民が勝手に言い出したわけでもない。京都教育大学の故・木村春彦名誉教授が一方的に送った称号だ。その話が地元に伝わり、そういうことなら自分たちでも盛り上げようということになり、富田地区はにわかに農村景観日本一となった。
 何がどう日本一かというと、日本一優れているわけでも、日本一美しいわけでもなく、日本一ありふれているというのがその理由だそうだ。褒められているんだか、揶揄されているんだか、分かりづらい。なんでも、昔ながらの農村風景がそのまま残った見本としての日本一とのことだ。農村と呼ばれるほど田舎でもないから、その点で地元民はちょっとカチンと来ていたかもしれない。村でも町でもなく恵那市内だし。
 一番見晴らしがいい場所に、展望台が建てられている。元から高台があり、そこから田園風景を一望できたのだけど、手前の木が育って視界が悪くなってしまい、その上に展望台を作ったということらしい。
 確かにここからだとよく見える。ただ、ここを訪れた人の写真が全部同じになってしまうという罪作りな展望台でもある。それと、できることならあともう3メートルか5メートルくらい高くして欲しかった。全域を写すと、どうしても手前の木が障害物になってしまう。
 展望台には鐘が吊ってあって、その下には小銭が落ちている。鐘を鳴らして田園の方を向いて願い事をすると金持ちになれるとかどうとか。説明書きをよく読まなかったので、詳しいことは分からない。

農村景観-3

 広角レンズで全域を写すとこんな感じ。けっこう距離があって、手前の木が視界をふさいでいる。
 すぐ下には363号線が走っている。南の岩村方面からでも、北の恵那インターからでも、どちらにも案内標識が出ているので、迷うことなく辿り着けると思う。展望台の下にも看板が出ていて、ちょっとした駐車スペースもある。
 位置的には、岩村城の北、阿木川湖の南で、恵那インターから車で30分弱くらい。田んぼがあるのは、富田地区のあたりだ。

農村景観-4

 レンズを望遠に交換して、左から右、手前から奥へと、撮りまくる。
 残念ながらこの日は曇り空で、光が弱かった。もう少し日差しがあれば、稲の色ももっと出たのだろうけど。
 ここを訪れるときは、是非望遠レンズを持っていくことをオススメする。広角では届かない。望遠ズームが一番使いやすい。
 展望台が一人、二人なら三脚も使えるけど、スペースは狭く、あまり自由は利かない。

農村景観-5

 このへんの感じも好きだ。家がやや無造作に寄り集まっていて、その間を埋めるように田んぼがある。実際は、先に田んぼがあって、あとから家が建てられたのだろうけど、無計画で無秩序な感じが風景としての自然さにつながっている。建て売り住宅や区画整理された町の風景は、どこか不自然な印象を受ける。
 農村風景日本一の決め手となった要素として、山に囲まれた盆地で、白壁で瓦葺きの家や土蔵、溜め池などがバランスよく配置されていて、カマドから煙が出ている、などというものがあったそうだ。
 教授のイメージの中にあったのは、戦前、戦後とかではなく、昭和30年から40年代の田園風景だったのかもしれない。

農村景観-6

 田舎というのは、どこかから何らかの煙が立ち上っている。
 都会で煙を見たら火事かと思って慌てるけど、田舎はそうじゃない。誰も煙を見ても驚かない。日常的な光景だからだ。
 うちの田舎でも何かというと庭でゴミとかを燃やしていた。今はダイオキシンがどうとかこうとかで気ままにものを燃やせなくなったけど、それでもやっぱり田舎では煙が上がっているのだ。

農村景観-7

 せっかく写真をたくさん撮ってきたので、同じような風景でも、もう何枚か載せておきたい。

農村景観-8

 一部稲刈りが終わったところもありそうだ。帰ってきて写真を見るまで気づかなかった。

農村景観-9

 やっぱりこの風景はなかなかいいもんだと思う。素朴な美しさがある。
 私は田舎の風景をよく知っているから新鮮味はないけど、街育ちの人なら強い印象を受けるのではないだろうか。

農村景観-10

 これは富田地区ではなく、車を走らせている途中で見た田んぼ風景。
 稲がたわわに実って、あとは刈り入れを待つばかりとなっている。
 この夏は前半が天候不良で米不足も心配されたけど、後半は持ち直して米の出来もさほど悪くないようだ。

農村景観-11

 富田をあとにして、この日一番の目的地である坂折に向かった。
 富田は恵那インターから南へ30分で、坂折は北へ30分なので、移動には1時間かかる。道が細くて曲がりくねっていることもあって、距離以上に遠く感じた。
 上の写真は、途中の木曽川。水を滔々とたたえて、なかなか雰囲気のある風景だった。
 恵那インターから東へ行くと観光名所の恵那峡がある。ここは笠置峡という看板が立っていた。

農村景観-12

 遠くに坂折の棚田が見えてきた。
 太陽よ出てくれと願いながら走っていたけど、とうとう最後まで日差しが戻ることはなかった。
 明日はこの続きで、坂折棚田編をお送りします。

結果的にイエロー・サブマリン・サンデー料理

料理(Cooking)
黄色サンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今回もノンテーマ、ノンジャンルで作ったサンデー料理。完成品を見たら、思いのほか黄色かったので、イエロー・サンデーと名づけることにした。意味もなく語呂がいいからというだけの理由で、イエロー・サブマリン・サンデーとするか。もしくは、サンデー居酒屋兆治でもいい。
 名前はともかくとして、覚え書きも兼ねて一つずつ紹介していくことにしよう。

 まず手前は、ニンジンを使ったユニークな一品だ。どんなものになるか分からないまま見切り発車で作ったら、不思議な食感を持つ変わった料理になった。今まで食べたことはないし、ほとんどの人もそうだと思う。
 まずニンジンをすりおろす。そこにバター、小麦粉、パン粉、牛乳を入れて、よく混ぜる。塩、コショウ、砂糖、コンソメ、白しょう油、白ワイン、パセリ、マヨネーズで味付けをして、更に混ぜ、少し休ませる。
 それを丸めて、180度に予熱しておいたオーブンで15分ほど焼けば完成だ。ニンジンはニンジンなんだけど、妙にモチモチで面白い。
 ソースも少し変わっている。バター、小麦粉、牛乳をベースに、タマネギ、トマト、トマトジュース、白ワイン、コンソメ、塩、コショウ、砂糖、白しょう油、マヨネーズ、マスタードを混ぜて、鍋で加熱する。
 ホワイトソースのトマト味みたいな感じで、ニンジン団子との相性もよかった。

 左奥は、マグロのサイコロだ。
 ごま油で長ネギの白い部分をよく焼いて、塩、コショウ、酒を振ったマグロにカタクリ粉をまぶしたものを追加して焼く。後半でアスパラも投入する。
 塩、コショウ、ダシの素、みりん、白しょう油で味付けをして、まず卵の白身を混ぜ入れてかき混ぜる。
 次に、卵黄、マヨネーズ、マスタード、塩、コショウ、砂糖を混ぜたものをかけ入れて、少し加熱したら火を止める。
 マグロステーキは普通に作るとどうしても茶色料理になってしまうけど、こうすれば明るいイメージのマグロステーキになる。味付けをオリーブオイルとコンソメベースの洋風にしてもいい。

 右奥はダイコン煮付けのもろもろがけだ。
 ダイコンを米のとぎ汁で下茹でする。こうすると苦みが取れる。
 その間に、タマネギ、エビ、鶏肉、しめじを炒める。塩、コショウ、ショウガ、みりん、酒、白しょう油、唐辛子で味付けをする。
 ダシの素で作っただし汁に、ダイコンと炒めたもろもろを移して、煮込んでいく。
 海と山の味がダイコンに染み込んで美味しくなる。

 ダイコン料理の黄色味が足りなかったところでやや統一感を欠くことになったものの、全体的に黄色くて明るいトーンに仕上がったのはよかった。赤色を添えたら、もっと彩りが華やかになっただろう。緑色ももう少し欲しかった。
 味に関しては特に問題なく、普通に美味しく食べられた。どれもご飯とセットにしてちょうどいいものばかりだ。新米のシーズンになって、これからはご飯のお供という点をもっと意識してもいいだろう。
 そろそろ秋の味覚も出てくる頃だ。サンデー料理ではサンマが一度も登場していない。好きじゃないからほとんど食べたことがないのだけど、一度くらいは使ってみてもいいかもしれない。塩焼きなんて食べたくないから、サンマをオレ流に料理してみるのも面白そうだ。来週はそれでいってみるか。

入って20分、のんほいパークは楽しいかも、と思った <第1回>

動物園(Zoo)
のんほいパーク-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6



 いきなりお尻写真からで失礼しました。
 今日から何回かに分けて、「のんほいパークで」撮ってきた写真を紹介します。
 のんほいパークというのは、豊橋にある動物園で、正式名称を、豊橋総合動植物公園という。動物園、植物園、自然史博物館、遊園地という4つの施設が集まった総合公園で、最寄り駅は豊橋の隣の二川駅になる。
 旭山動物園が行動展示のお手本としたというのでも話題になった動物園で、前からずっと行きたいと思っていた。今回の東三河の旅は、そもそもここへ行くことから始まっている。
 園内は思った以上に広くて、3時間という制限時間の中では回りきれない部分を残すことになった。動物の展示数でいえば東山動物園の方がずっと多いけど、ゆったりとした敷地の中に余裕を持って飼育スペースが作られているから、歩く距離が長い。動物たちの快適さ優先という点ではとても好感が持てる一方で、お年寄りやちびっこはけっこう大変かもと思った。デートの女の子からもクレームが来そう。
 写真はまだ全部整理ができていないので、とりあえず回った順番の先頭から出していくことにする。もう少し分野ごとにまとめたかったのだけど、まあ仕方がない。

のんほいパーク-2

 上の写真のお尻は、このカバさんだ。広めのプールに、2匹仲良く泳いでいた。
 こちらを見つめながらずんずん近づいてくるのは迫力がある。野生のカバはすごく凶暴で強いので、自然界でこの距離まで接近されたら慌てて逃げる必要がある。逃げ遅れるとやられる。

のんほいパーク-3

 非常に広い芝生運動場に、アフリカ関係の動物が集められている。これだけ広いと、ほぼ放し飼いのようなものだ。動物たちが遠すぎて、望遠レンズでもこんな小さくしか写らない。デジスコが必要な動物園なんてのは、サファリパークくらいかと思っていたけど、ここではデジスコが活躍する余地がある。
 遠すぎるということで物足りなさを感じたりするものの、狭いところに閉じ込められているよりも見ていて気持ちがいい。動物たちも人間から離れている安心感から、本来に近い姿を見せているようだ。のんきに過ごしている。
 このあたりから、のんほいパーク、楽しいかも、と思い始めた。東山動物園とはまた違った楽しさがある。

のんほいパーク-4

 チンパンジーまでも遠かった。おまけにここは黒いネットが全面に張ってあって、写真を撮るのは厳しい。
 のんほいパークが動物たちの快適さを優先させたのは正しい方向性だと思うけど、もう少し写真を撮るという視点からの気遣いも欲しかった。撮りやすいポイントをどこかに作るとか、背景に人工物がなるべく見えないようにするなど、できることはいろいろある。設計の段階で、写真の専門家などを招いてアドバイスを受ければ、もっといい動物園になったはずだ。それは必ずしもお金をかけないとできないことばかりではない。改築をするときなどはぜひやって欲しいと思う。

のんほいパーク-6

 初めて見る動物だ。エランドというらしい。
 鹿の仲間かと思ったら、牛の仲間のようだ。
 目をそらさずこちらをじっと見つめながら、口をもぐもぐしていた。草でも食べながら私を観察していたようだ。口元がほころんで、ちょっと笑っているようにも見える。
 なかなか美しい生き物だと思った。

のんほいパーク-7

 定番のキリンではあるけど、東山動物園で見るキリンよりも模様が黒い。アミメキリンには違いないが。
 こちらはオスのジョウの方だろうか。もう一頭、メスのユウというがいたはずだ。

のんほいパーク-8

 セーブルアンテロープというやつだろうか。立派な角を持っている。
 せっかくいい雰囲気なのに、背景の柵がよくない。街の電線のように邪魔だ。こういう部分が改善されていくと、ここは写真を撮るにもとても魅力的な動物園になる。行動展示という方向性は、半分は成功していると思う。もう半分は、見て楽しめるという部分だろう。エサやりなどに参加できたりすると、もっと楽しくなる。

のんほいパーク-9

 この見せ方は上手い。水族館の手法だ。水族館は館内が暗くて、泳いでいるペンギンを撮るのが難しくなるけど、屋外なら撮りやすい。水槽がもっと広くて、猛スピードで泳ぐペンギンが見られると更によかった。

のんほいパーク-10

 フンボルトペンギンを近くから。
 背中の質感が面白い。水を弾く競泳用の水着みたいだ。硬いのか柔らかいのか、どんな感触なんだろう。

のんほいパーク-11

 シロクマが水槽の中に飛び込んで、目の前に迫ってくる迫力を楽しむといのが旭山動物園でよく知られているけど、それはここのものを参考にしたと言われている。
 しかし、本家ともいうべきのんほいパークのシロクマさんは、サービス精神を忘れたようで、やる気もなく寝ていた。しばらく待っても動く様子はなく、水に飛び込むなんて芸当はエサでも投げない限りしそうにない。
 愛知の夏はシロクマには過酷すぎる。北海道ならそれなりに快適に過ごしていることだろう。

のんほいパーク-12

 もう一頭は、半身浴をしながら、寝ぼけ眼で水を飲んでいた。こちらも激しく動くような気配はまったくなかった。しばらく待ってあきらめた。

のんほいパーク-13

 水中の足。かわいいけど、フック1発で顔を持っていかれそうなくらいの太さだ。近くで見るとちょっと怖い。

 のんほいパーク1回目は、とりあえずこんなところにしておこう。
 2回目以降に続く。

シラタマホシクサには早くサギソウには遅かった葦毛湿原

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
葦毛湿原-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 90mm f2.8 SP / 70-300mm f4-5.6 Di



 東三河の旅シリーズを再開したい。
 蒲郡に続いてやってきたのは、豊橋駅だった。
 豊橋は以前、市電やハリストス教会をブログで紹介した。今回出向いたのは、葦毛湿地(いもうしっち)へ行くためだった。前から一度訪れたいとずっと思っていて、今回ようやく実現することになった。
 豊橋駅からは直線でも8キロ離れているので、さすがに歩いてはいけない。バスに乗っても26分かかる。
 不案内な土地でバスに乗るのはいつもけっこう怖さを感じる。電車ならたとえ間違えたとしても途中で降りて引き返せばいいけど、バスはあらぬ方へ行ってしまうと取り返しがつかなくなる可能性がある。特に田舎の方の1時間に1本というようなところは怖い。
 ポツンと一人、田舎のバス停で待っていると、本当にバスは来るんだろうかと不安になる。何度もバス停の時刻表を確認して、確かに5本あるうちの1本がこの時間に来るはずだと自分に言い聞かせる。幸い、今のところ致命的な間違いをしたことはないけど、できれば知らない土地でバスには乗りたくないものだ。
 このときは、ネットの情報では4番乗り口とあったのに、実際は5番乗り口だったので焦った。行き先を見ると確かに5番だから、こちらに乗っていったのだけど、途中けっこう不安だった。風景がどんどん田舎になっていくのも心配になる。
 岩崎というバス停で降りると、そこは田んぼが広がるのどかな場所だった。やや途方に暮れる。
 こんなところで降りるのは地元民か葦毛湿原へ行く人のどちらかなので、目の前に大きな案内標識が出ていたのは助かった。湿地の入口までは更に1キロほど歩かないといけない。分岐点では案内が出ているので迷うことはない。

葦毛湿原-2

 田んぼではダイサギがお出迎え。向こうからちょこんと頭を出して、こちらを伺っていた。
 今回は鳥撮りじゃないので、ちょっと撮っておしまい。あまり時間がないので先を急ぐ。

葦毛湿原-3

 田んぼの脇に咲いていた白い花。
 花の形はセンブリっぽいけど、もちろん違う。民家から種が飛んできて野草化した園芸種だろうか。

葦毛湿原-4

 入口近くの小さな池にたくさんのトンボが飛んでいた。シオカラやヤンマ、赤トンボ系やチョウトンボなど。
 それらを撮ろうとかなり頑張ったのだけど、結局飛んでいるのを撮ることはできなかった。ここで時間をかなりロスしてしまい、最後で焦ることになる。

葦毛湿原-5

 とまっているのなら撮れるけど、それじゃあ面白くない。
 ナツアカネあたりだろうか。
 飛んでいるトンボの動きは直線的であっても、スピードが速くてついていけない。散々追いかけて翻弄されて、くたびれて終わった。

葦毛湿原-6

 チョウトンボはフワフワとした飛び方であまり速くないから撮れそうなんだけど、やっぱり撮れない。動きが不規則で、ピントを合わせる以前にファインダーの中に収まらない。これは捉えたかもと思ったら、デジとレンズのピントがついていっていなかった。惜しい。残念だ。

葦毛湿原-7

 こんな感じの遊歩道になったら、入口はそろそろ近い。バス停からは15分くらいかかる。私はトンボ撮りをしていて30分以上かかってしまった。
 帰りのバスはだいたい30分間隔くらいであるので、あまり心配しないでもいい。ただ私の場合は、ここからまだ、豊橋ののんほいパークへ行って、二川宿を歩いて、浜名湖の弁天島まで行くという予定なので、ここでそんなにゆっくりしている場合ではなかった。

葦毛湿原-8

 暗い林の中で光る葉っぱ。
 ただそれだけだけど、惹かれたので撮ってみる。

葦毛湿原-9

 これも、影が作る光がきれいだったので撮る。

葦毛湿原-10

 訪れたのは9月1日で、お目当てはこのシラタマホシクサだった。
 一面にシラタマホシクサが咲き誇る風景は、葦毛湿原の代名詞ともなっていて、規模としては愛知県一だろうし、シラタマホシクサ自体が東海地方の限られた場所にしか咲かない花だから、全国一と言ってもいいかもしれない。
 シラタマホシクサ自体は、森林公園などでこれまで何度も見ているし、撮ってもいる。今回期待していたのは、サギソウとシラタマホシクサとの競演だった。8月の中頃までのサギソウと、9月に咲き始めるシラタマホシクサと、上手くいけば両方が同時に咲いているのを見られるのではないかと思ったのだ。
 しかし、残念ながらサギソウは一つも咲いていなかった。一週間前に訪れていたらチャンスはあったかもしれない。
 シラタマホシクサの見頃はまだこれからで、1日はぼちぼち咲き始めといった感じだった。あれから10日経ったから、今頃は見頃が近づいているんじゃないだろうか。
 写真としても、あまり満足のいくものが撮れなかったから、どこかで再チャレンジしたい。

葦毛湿原-11

 引いてみると、こんなふうに咲いている。
 白くて小さなつぶつぶがごちゃごちゃっとなっていて、普通に撮るときれいでもなんでもない。
 この花は、90mmマクロよりも180mmマクロがいい。私は持っていないから、この花のためだけに買ってもいいと思うくらいだ。もしくは、明るい200mmの中望遠か。
 周りの草も障害物になるから、いいポイントを見つけ当てるのはなかなか難しい。たくさん咲いている最盛期に行けば、可能性は大きくなる。

葦毛湿原-12

 この時期、シラタマホシクサ以外に咲いている花は少ない。せいぜい、このサワシロギクくらいのものだ。
 湿地の広さは、約5ヘクタールで、年間を通じて250種類くらいの植物が自生しているという。
 歩けるのは限られた木道の上だけなので、ざっと歩くだけなら15分もかからない。思っていたよりも狭かった。
 結局、私の滞在時間は1時間弱くらいだった。もう少しシラタマホシクサのいい写真が撮りたかった。

葦毛湿原-13

 カエルさん。たぶん、トノサマガエル。
 木道の上で私とバッタリであって、あわてて跳んで逃げていった。

葦毛湿原-14

 出口近くで2匹の蝶が頭上を旋回するように飛んでいた。こんなチャンスはめったにないということで、急いで写真を撮った。
 青空バックに飛んでいるチョウを撮るという目標をようやくクリアできた。アゲハチョウとはいかなかったけど、それは今後の課題として、とりあえずでも撮れたのは嬉しかった。
 撮っているときはコミスジのつもりだったけど、写真で見るとちょっと模様が違う気もする。

 前々からずっと気になっていた葦毛湿原行きが実現したのはよかった。車で行くにも遠いし、今回ねじ込んだのは大正解だった。
 シラタマホシクサにはまだ早く、サギソウとの競演も見られなかったのは少し残念ではあったものの、行くことができたことだけでも満足した。
 今年の湿地シーズンも、シラタマホシクサが枯れる頃には終わりとなる。最後にもう一度森林公園か、東山植物園に行けたらいいと思っている。
 旅の続き、次回はのんほいパークの予定です。もしかしたら、弁天島の方が先かも。

平和公園でドラマチックな空に出会った

施設/公園(Park)
平和公園-1

FUJIFILM S2pro+NIKKOR 55-200mm f4-5.6 VR



 旅行帰りで余力が残らなかったから、今日も小ネタでつなぐ。夏の終わりの平和公園風景ということで、撮ってきた写真を並べることにした。文章は短く。
 一枚目は、桜の園と名づけられた一角だ。桜シーズンではないこの場所が好きで、ちょくちょく訪れる。
 桜の木もだいぶ葉を落とし始めた。桜の紅葉も、それほど遠くはない。

平和公園-2

 石畳の桜並木。
 ここも、もっと季節が進んで落ち葉が増えると、いい感じになる。

平和公園-3

 桜の園の隣にある小さな池。
 夕陽が水面に反射して、光と影を作った。

平和公園-4

 まったりする二人と、自転車で駆け抜けた少年。

平和公園-5

 ノラ2匹が水辺に降りてきて、水を飲もうとしていた。
 まだ小さかったから、今年の春に生まれたやつらだろうか。

平和公園-6

 夕焼け空と虹の塔。
 ゲスト出演、数名。

平和公園-7

 団地群と、森と、墓地。背後には山の連なり。
 生と死と暮らしが混在している風景。

平和公園-8

 木の間から東山スカイタワーが見えた。

平和公園-9

 平和堂の周辺はいろんな人が集まってくる。平和公園の中で、一番落ち着く空間かもしれない。

平和公園-10

 印象的な筋雲と、平和堂のシルエット。

平和公園-11

 黄金色の空の中、翼をきらめかせて飛行機が飛び去った。

平和公園-12

 この日は期待以上に劇的な夕焼け空が広がった。
 刻々と変化していく様は、見ていて飽きない。
 夕空はもう秋の気配が色濃かった。

平和公園-13

 東の空は雲がピンクに染まり、白い月が浮いていた。

平和公園-14

 虹の塔も、夕焼けオレンジの中、シルエットとなった。
 短い滞在時間に収穫があった。

 今日はここまで。
 明日からは平常パターンに戻る予定。東三河の旅シリーズを再開したいと考えている。

時間がないから尾張旭写真で簡単更新

日常写真(Everyday life)
尾張旭-1

FUJIFILM S2pro+NIKKOR 55-200mm f4-5.6 VR



 今日は時間がないので、近場の尾張旭写真でつなぎ更新。
 明日はこの夏最後の遠出で、日本海を撮りに行く。日本海の海岸で写真を撮っている男を見かけたら、それは私かもしれないので声をかけてみてください(情報がすごく漠然としている)。

尾張旭-2

 自転車通学の女子高生。
 近場なら旭野だけど、瀬戸電の駅まで自転車で、そこから電車通学かもしれない。

尾張旭-3

 ジョガーとコスモス。
 休耕田で少しだけコスモスを咲かせている。

尾張旭-4

 コスモスはまばらな感じ。
 これから秋にかけてもう少し花は増えてくるとはいえ、そんなに期待するほどじゃない。

尾張旭-5

 今年はコスモスをどう撮ろうか、まだ具体的なイメージができていない。
 アイボクのコスモス畑もたいしたことはないから、もう少し本格的なコスモス畑も見てみたい。

尾張旭-6

 田んぼの脇を歩くと、たくさんのカエルが跳ねて田んぼの水に逃げていく。
 こいつは何ガエルだったか。

尾張旭-7

 エノコログサと色づきつつある稲穂。
 尾張旭は田植えも収穫も遅い。稲刈りは9月の終わりか、10月に入ってからだ。

尾張旭-8

 最近、瀬戸電のシルバーの車体が増えた。どんどん切り替えていって、最後は赤い電車はなくなってしまうのだろうか。

尾張旭-9

 帰り道、赤い大きな夕陽が見えたから、矢田川に寄っていくことにした。
 ロケーションが今ひとつなので、急いで移動する。

尾張旭-10

 どんどん太陽が沈んでいって、場所を選んでいる余裕がなくなった。
 この位置から全部沈んで見えなくなるまで10分もなかった。
 印象的な夕陽や夕焼けを見られるということは、季節がもう秋に入りつつあるということだ。行く夏をまだしばらく惜しんでいたい。
 明日の日本海は、もう秋風が吹いているだろうか。

蒲郡観光が竹島見物だけでは物足りない <後編>

観光地(Tourist spot)
蒲郡2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 昨日は蒲郡駅から竹島に架かる竹島橋の途中までで終わった。今日の後編はその続きで、竹島上陸編となる。
 昨日も書いたように、竹島は陸から400メートル足らずしか離れていない。橋を歩いて数分で上陸してしまうから、離島という感じはしない。
 しかし、この離島は非常に特殊な環境にある。こんなに陸から近いのに、植物などの環境が海岸とはまったく違うのだ。対岸にはクロマツなどが多いのに対して、島は温帯特有の照葉広葉樹に覆われている。陸にはない植物も200種類以上自生しているという。このように珍しい環境にあるということで、島全体が国の天然記念物に指定されている。
 島の大きさは周囲が620メートルほどで、周回コースを歩いても30分もかからない。
 標高は22メートル。主に花崗岩からなっている。
 予習が終わったところで上陸することにしよう。

蒲郡2-2

 島を散策するといっても、島全域が神社の境内なので、何か面白いものがあるわけではない。神社の次には神社があって、また神社があるだけだ。
 階段を登って最初にあるのが、宇賀神社だ。
 食べ物関係の神様らしい。
 家康の母の於大の方は、家康がおなかにいるときにこの神社に参ったそうだ。のちに家康も竹島を訪れて、神社に寄進している。

蒲郡2-3

 奥に進むと、本命というか本体の八百富神社がある。
 社務所には神職が3人ほどいて、思った以上に本格的な神社だった。
 別名を竹島弁天というように、弁財天を祀っている。江ノ島、竹生島、厳島などと共に日本七弁天を自称しているけど、こういう自称は全国にたくさんある。
 その他、大国主命を祀った大黒神社や、竹島の父とも言うべき藤原俊成を祀った千歳神社、八大龍神社がある。

蒲郡2-4

 神社のお参りをさらっと済ませたあと、島を一周歩くことにした。
 西岸はとても険しい地形になっていて、散策コースとは言い難い。火山の噴火でできたような風景で、この感じは昔から変わってないんじゃないだろうかと思わせた。
 変わったとしたら、江戸時代だ。島の裏手の岩場から、名古屋城の石垣を作るための石が切り出されて、運ばれていったという。よく見ると、火薬を詰めて爆発させたときの穴が空いているのが見えるそうだ。知ったのは帰ってきてからだから、そんなところまでは見ていない。
 それにしても、ここから海路を運んだということは、知多半島をぐるりと回り込んで、名古屋港から堀川を使って運んだということだろうか。石垣の石の確保だけでも大変だったのだ。

蒲郡2-5

 島の裏側に近づくと、大きな岩は少なくなり、海岸にはびっしり貝殻が敷き詰められたようになっている。
 左手に見えている島は、無人島の三河大島だ。左手にちょこんとあるのが小島だと思う。
 大島には海水浴場があって、7月と8月は船が出ている。
 周囲4キロだから、竹島よりずっと大きい。

蒲郡2-6

 裏手に回り込んだところ。
 飛んでいるのはカワウの群れだ。カワウは海にもいる。鵜飼いで使われるのは、カワウより一回り大きなウミウなのだけど、ウミウは海にもあまりいないんじゃないかと思う。私は見たことがない。
 琵琶湖の竹島はカワウのフンで木々が枯れてるそうだけど、竹島はそこまでカワウは大量にはいなかった。

蒲郡2-8

 わりとあっけなく島一周は終わってしまった。珍しい植物や虫類などを見ることもなく。
 右手遠くに見えているのが、蒲郡プリンスホテルだ。昭和9年開業の日本最古のホテルと言われる老舗で(当時は蒲郡観光ホテル)、昔から多くの有名人も訪れた。少し前にドラマ「華麗なる一族」にも使われて話題になった。
 しかし、高級観光ホテルだった蒲郡観光ホテルも、時代の波に取り残されて1980年にいったん閉鎖した。その後、プリンスホテルが買い取って、蒲郡プリンスホテルとして復活している。
 橋のたもとには、かつて常磐館という料理旅館があって、菊池寛、志賀直哉、川端康成なども訪れ、作品の中に登場させている。
 ここも昭和57年に廃業となり、今は海辺の文学記念館となっている。

蒲郡2-9

 この日の目的地が蒲郡だけだったとしたら、竹島観光がすぐに終わって途方に暮れていた。けど、私はまだまだ予定があったので、先を急ぐ。
 蒲郡中心の観光を考えるなら、蒲郡水族館とセットにするか(すごくこぢんまりとした水族館だけど)、少し東にあるラグーナ蒲郡と絡めるしかなさそうだ。西の形原温泉や西浦温泉へ行くという手もなくはない。
 帰りも結局駅まで歩いていった。途中、ギンナンがなっているのを見つけて写真に撮る。秋の訪れをこんなところにも感じる。
 ただ、のんきにこんな写真を撮っている場合ではなかった。真っ直ぐ行くところを反対方向に曲がってしまって、歩いても歩いても駅が見えてこない。道を間違えたかもと、ふと遠くを見ると竹島が見えた。まるで見当違いの方に向かって歩いていた。ここで30分余分に歩くことになり、無駄に疲れた。

蒲郡2-10

 蒲郡ファンタジー館という魅惑的な案内がある。それは、秘宝館みたいなものだろうか。
 近くには、蒲郡ファンタジー館前というバス停があって驚く。蒲郡では相当メジャなー存在らしい。
 気になって帰ってきてから調べたところ、貝殻をテーマにした真面目なテーマパークで、珍スポットではないようだ。入場料は700円もする。

蒲郡2-11

 蒲郡の町並みとしては、あまり魅力的な風景に出会えなかった。
 旧東海道は、海岸よりずっと北の内陸部を通っていたこともあって、海沿いには歴史的な建造物もなさそうだった。
 ということで、私の蒲郡紹介はここまでとなる。
 明日以降の予定はまだちょっと決まっていない。新たな旅にも出ることになる。

蒲郡といえば竹島 <前編>

観光地(Tourist spot)
蒲郡駅前風景

 名古屋から豊橋までは快速列車で1時間弱と、近いようで遠い微妙な距離感で、いつでも行ける気がしているけど、よし行こうと思い定めないとなかなか行けないところだ。東京でいえば鎌倉、大阪なら姫路といった距離感といえば伝わるだろうか。
 今回は東海道本線沿線ということで、あまり時間割に縛られずに済んだ。行きたいと思っていたところは全部行けて、時間内に収まった。
 今日は、最初に行った蒲郡から書くけど、回ったところはどこも2、3回で完結するところが多そうだから、順番にこだわらずに紹介していくつもりでいる。とりあえずは、蒲郡駅から出発することにしよう。
 蒲郡といえばヨットと相場が決まっているのかどうか知らないけど、駅前にはどーんと大きなヨットが展示されている。
 手作りのエリカ号で、家族とともに世界一周を目指した長江さんは、常滑を出港して、4年9ヶ月かけて蒲郡に帰ってきた。そういうこともあって、蒲郡といえばヨットなのかもしれない。エリカ号は竹島水族館(Web)に展示してあるそうだ。



蒲郡マンホール蓋

 蒲郡へ行って何をするかといえば、たいていの場合、やることは二つしかない。一つは竹島へ行くことと、もう一つは潮干狩りをすることだ。潮干狩りはもうシーズンオフだから、やることは一つしか残っていなかった。
 竹島は幼い頃に両親に連れられて一度行ったことがあるようなのだけど、まったく記憶にない。歩いて行ける離島だし、蒲郡のシンボルでもあるから、もう一度ちゃんと行っておこうと思った。
 マンホールも、やっぱり竹島の絵が描かれている。カラー版も一つ見た。
 駅から竹島までは、1.5キロくらいある。それくらい歩いていけばいいやと安易に考えて向かったのだけど、これが思ったよりも遠い。素直にバスで行けばよかったかなと思いつつ、歩けばそれなりに写真の収穫もある。



ビジネスホテル王将

 個人的にウケた、ビジネスホテル王将。何故、王将だったのか。オーナーが将棋好きだったのか、ギョーザの王将と関係があるのかないのか。ビジネスホテルと王将とのつながりは、見いだせない。
 各部屋に将棋盤が備え付けてあるのだろうか。



蒲郡の青空

 この日は快晴で、雲一つないとはこういうことをいうのだという見本のような青空だった。
 油断していたらずいぶん日焼けした。歩いていて日を遮るところがほとんどない。



蒲郡とトンボ

 竹島に向かう途中、これといった見所は何もなく、飛んでいるトンボでも撮ってみる。



蒲郡とトビ

 あー、惜しい。電線さえなければいい写真になったのに。
 海沿いということで、トンビがたくさん飛んでいた。
 道沿いには食事処や観光地めいた雰囲気があまりなく、そもそも歩いている人がいない。竹島というのは、観光地としてはすでに枯れているのか。



竹島と橋

 竹島水族館とホテル竹島の横を通って、海岸線に出た。
 遠くに竹島が見えてきた。陸から島に架かっているのが竹島橋だ。
 陸から島までは400メートル足らずで、潮が引くと半分くらいまで海底が見える。
 初めて橋が架けられたのは昭和7年で、名古屋の繊維問屋の滝信四郎という人が自費で架けたらしい。それまでは舟で行き来をしていたという。
 初代の橋は、昭和34年の伊勢湾台風で壊れてしまい、その後昭和61年に今の橋に架け替えられた。



八百富神社

 竹島の名前の由来は、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)と深い関わりがある。
 平安後期から鎌倉初期にかけての歌人、藤原俊成(ふじわらのとしなり)が三河守としてこの地にやってきたとき、竹生島から市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を歓請してこの島に祀ったことが始まりといわれている。
 なので、今でも竹島は全域が八百富神社(竹島弁天)の境内ということになっている。
 橋の手前には、かつて八百富神社の拝殿だった社殿が建っている。橋がなかった頃は、ここから島に向かって遙拝をした。



竹島橋

 弁天様の島ということで、ここもカップル別離伝説を持っている。井の頭公園や、江ノ島と同じやつだ。



竹島とカモメ

 カモメっぽい白い鳥が飛んでいた。冬場はカモメ類がたくさん飛び交うようだけど、夏場は何が飛んでいるのだろう。
 向こうに見えている陸地は、渥美半島だろうか。と思ったけど、それにしては近すぎるから、形原とか西浦とか、そっち方面か。



海の水

 橋の上から、波模様を撮る。海はきれいなんだかそうでもないのだか。
 昔は海水浴ができるほどきれいで、戦後は入れないくらい汚れていたそうだ。今はだいぶきれいさが戻ってきたのかもしれない。



竹島と海

 かなり遠くに陸地と、風力発電の風車が見えた。渥美半島の付け根の豊橋港あたりだろうか。

 蒲郡前編はここまでとしたい。次回は竹島上陸編をお送りします。
 
 蒲郡観光が竹島見物だけでは物足りない <後編>
 
 

落下傘料理人が作る料理の着地点は運任せ

料理(Cooking)
やわらかサンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今日のサンデーは、特にテーマもなく、思いついたものを思いついたまま作ることになった。こういうときはたいてい思惑とは違うものが出来上がるものだけど、今日も例外ではなかった。完成したものを見て、こういうことではなかったんだよなぁと思う。注文とは違うものが出てきても、作ったのが自分だから文句のつけようがない。
 何か名前をつけるとすれば、やわらかサンデーとでもするか。狙ったわけではなく、歯ごたえのない料理になった。食材の姿そのままではなく、なんらかの形で刻んだり砕いたりしてしまいがちで、そうなると結果的にやわらかい料理になる。その方が好きだから、無意識にそうなってしまうのかもしれない。食後はガムを噛んでアゴを鍛えねばなるまい。

 一番イメージと違ったのは、手前のものだ。
 白身魚の麻婆豆腐がけみたいなことになっているけど、もともとはエビチリの白身魚版のようなものを作るつもりだった。着地点がずいぶん予定とは違ってしまった。
 白身魚に塩、コショウ、白ワインを振ったあと、フライパンで軽く焼く。
 刻みタマネギ、長ネギ、刻みエビをオリーブオイルで炒め、ケチャップ、コンソメの素、白ワイン、バルサミコ酢、塩、コショウ、白しょう油、豆板醤、砂糖、ショウガ、ラー油で味付けをする。
 豆腐は絹ごし豆腐を使った。最初はサイコロ状の形を残そうとしたのだけど、炒めている間に形が崩れてしまったので、いっそのことぐちゃぐちゃにしてしまった。
 味としては美味しかったものの、見た目の品を欠いた。色も茶色寄りであまりよくない。もう少し美味しそうな仕上げにしたかった。

 右奥は、どういう料理か、写真からは分かりづらい。
 野菜炒めのトマトソースあんかけ、みたいな料理だ。
 野菜は全部こま切りにする。小さく切った方がいろんな種類をたくさん食べられる。
 アスパラ、ブロッコリー、ニンジン、キャベツ、大葉、タマネギを切り、鶏肉、枝豆、トウモロコシも加え、塩、コショウ、しょう油、中華の素で下味をつけ、カタクリ粉も入れてよく混ぜる。これをフライパンで炒める。
 トマトソースあんは、刻んだトマトとタマネギをオリーブオイルで炒め、白ワイン、塩、コショウ、コンソメの素、しょう油、砂糖、唐辛子で味付けをして煮込む。
 こんな野菜炒めもありだ。これは見た目も味も、成功の部類に入ると思う。

 左奥は、卵オン卵という、一風変わった卵料理になっている。
 まずは溶き卵に牛乳、塩、コショウ、白しょう油、ダシの素、チーズ、マヨネーズを入れて、スクランブルエッグを作る。
 その上にポーチドエッグを乗せる。
 沸騰したお湯に塩と酢を入れ、火をゆるめてぐつぐつしないようにしたところに、別容器に割り入れておいた卵を静かに流し込む。広がる白身をフォークで集めて形を整え、しばらく待つ。
 長く茹でていると黄身が固まるし、短ければ黄身は生の状態になる。
 ポーチドエッグは、いろんな料理の添え物として応用も利くから、卵料理の一つのバリエーションとして覚えておいて損はない。白身を割ると、とろっと黄身が流れ出す。目玉焼きの半熟よりももっとやわらかくて上品な舌触りだ。

 思っていたところに着地はできかったものの、まずは許容範囲で、美味しい食事になったからよしとしよう。
 相変わらず彩りと盛りつけという課題は克服できていないから、今後ともそのあたりは引き続きやっていかないといけない。まずは着地点にきちんと降り立てるようになりたいものだ。今のままでは落下傘料理人でしかない。料理の出来は風任せの運任せでは困る。
 今年も夏バテで食欲がなくなるなんてこともなく、無事に夏を乗り切れそうで、その点はよかった。一度くらいは手抜きで、流しそうめんサンデーとかでもよかったかもしれないけど。

尾鷲の町は思ったよりも大きくてイメージの修正が必要だった

街(Cityscape)
尾鷲散策-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 熊野古道をあとにして、尾鷲の市街地に向かった。熊野古道を歩くと決めたとき、せっかくなら尾鷲の町も見てみたいと思って、町散策も楽しみにしていた。
 特に何を見たいというわけでもなかったのだけど、どんな町も自分の足で歩いてみれば感じるものがあり、馴染みにもなる。尾鷲というのは、三重県松阪生まれの私にとっても遠い未知の土地という感覚が強かったから、一度見てみたかったのだ。
 疲れていて足取りが重かったということもあり、1時間半ほどの散策になった。まずは港の方に向かい、その後、朝日町と中央町あたりを歩いた。今日はそのときの写真を紹介したいと思う。
 上の写真はまだ市街地のはずれで、北浦町の風景だ。ノラらしき猫が前を横切って、民家の方に駆け込んでいった。ノラに会う町というのは、それだけで相性の良さを感じさせる。

尾鷲散策-2

 町は思ったよりも新しくて、古い家屋などはあまり残っていなかった。都市部と同じように、人の出入りがあって、家がどんどん建て替えられていっているということだ。
 それでも、ところどころに心惹かれる田舎の風景が残されていて、撮りたくなるシーンがちょくちょくあった。狭い水路が流れ、家同士がくっつくように建っている様子などは、うちの田舎と似ている。

尾鷲散策-3

 尾鷲を侮ってはいけないと思わせたのは、ミススカートのお姉さんがツカツカと早足で歩き去ったシーンに出会ったときだ。ここは私が想像していたよりも都会寄りの町らしい。地図を見ると、主婦の家とかしか載っていないから、もっとひなびた田舎町を思い描いてた。
 駅東に大きな商業施設などはないようだけど、駅北と西にはボウリング場やジャスコ、ダイソーなどがある。

尾鷲散策-4

 北川に架かる橋。北川橋だったか。
 ここを越えると尾鷲の市街地に入っていく。
 右手100メートルほどのところに尾鷲神社が見えている。普通なら当然寄って挨拶をしていくところだけど、今の私は神社仏閣離れを起こしていて、どうにも行く気になれなかった。

尾鷲散策-5

 おっとびっくり。いきなり銭湯が現れた。しっかり営業中のようだ。
 そうそう、こういう風景が見たかったのだと嬉しくなる。

尾鷲散策-6

 人が住まなくなって久しい古い家屋も、少しあった。見ると撮らずにはいられない。

尾鷲散策-7

 尾鷲港へとやって来た。
 なかなか本格的というか立派な港で、いわゆる漁村の風情はない。港は港、住宅地は住宅地で分離しているようで、港と住居が渾然一体となっている港町ではなくて、これもまた意外だった。
 私の尾鷲に対するイメージは、スケール感がずいぶん間違っていた。尾鷲は確かに海と山に囲まれてはいるけれど、数千人といった小さな町ではない。歩きながらイメージの修正をすることになった。
 これも実際に行ってみて初めて実感として分かったことだから、そういう意味では収穫があったと言える。

尾鷲散策-8

 港へは誰でも出入り自由で、許可も何もいらないのか、釣り人がたくさんいた。
 正面遠くに見えているのが、登った天狗倉山だと思う。あの山頂に立ったと思うと、あらためて感慨深かった。
 麓に見えている集落は、天満地区だろうか。あちらまで行くともう少し港町の風情が味わえたのかもしれないけど、そこまでの余力と時間は残っていなかった。

尾鷲散策-9

 尾鷲湾は、名古屋港がある三河湾あたりと比べるとずっと水がきれいで、海の色も青い。

尾鷲散策-10

 港を見たあとは、町の中を歩くことにした。細い道を入っていくと、そこには求めていたような風景がある。それは日本全国、どこの地方都市に行っても言えることで、観光名所ではなくても古い家並みは多少なりとも残っている。
 こういうところをぷらぷら歩きながら写真を撮るのが好きだ。

尾鷲散策-11

 惹かれる細い路地。昭和の面影。

尾鷲散策-12

 尾鷲市役所の前に出た。
「津波は、逃げるが勝ち!」というのは、生まれて初めて聞く標語だ。思わずクスッと笑ってしまった。住人してみれば切実な危機で笑い事ではないだろうけど、街で暮らしていると津波から逃げなくてはいけないなんてことは考えたこともないから、こういう言葉はとても新鮮に感じる。

尾鷲散策-13

 尾鷲駅が見えてきた。電車の時間も迫ってきて、駅西の散策はあきらめることにした。西に熊野街道が通っているから、そちらの沿線の方が発展しているのかもしれない。

尾鷲散策-14

 駅前のメインストリート。賑わっているとは言えないまでも、学生たちの姿などもあって、それなりに活気はある。正面にはサークルKの看板も見えている。

尾鷲散策-15

 尾鷲駅に到着。
 どうにか無事に熊野古道歩きと熊野散策を終えることができてホッとした。
 馬越峠で早々にへたばり、天狗倉山登りでは身の危険を感じながら限界を超えて歩き、尾鷲ではイメージとの違いに戸惑ったりと、いろんな意味で思惑を越える旅となった。でも、終わってみれば全部いい思い出だ。写真の収穫もそれなりにあったし、まずはよしとしたい。
 次回からはまた新しいシリーズを始めたい。別の旅にはもう行ってきた。

馬越峠越えだけにするか天狗倉山まで登るか <第四回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
熊野古道4-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 馬越峠から天狗倉山への道のりは、ちょっとやりすぎだと思う。ワイルドさが度を超している。最後は手をついて登らないといけないような道になっていて、かなり怖かった。足を踏み外したらまず助からないなと思った。
 山頂付近には巨大な岩がそそり立っていて、えらい迫力になっている。なんでこんな山の上に巨大な石があるのか、不思議だ。

熊野古道4-2

 山登りの締めくくりは、岩にかけられた梯子登りとなる。これがまた怖い。高所恐怖症の人はまず無理だと思う。
 山頂は学生の集団やらカップルやらで賑わっていた。女の子やおじいさんもいてちょっと驚く。みんなけっこうなんでもないように楽々登ってきたように見えた。一番へばっていたのは、間違いなく私だった。
 でも、なんとか辿り着いてよかった。あきらめていたら、きっと心残りになっていただろう。すごく無理をしてまで行く必要はないけど、少し無理をして行くだけの価値はある。もどってきてからはそう思った。歩いている最中は、尋常ではないしんどさに後悔したけど。

熊野古道4-3

 大岩の上が休息スペースになっていて、ここに座って休んだり、弁当を食べたりできる。
 こちら側の視界はよくない。開けているのは左側で、大岩を降りて、断崖から見る景色が素晴らしい。ただし、そちらがまた断崖絶壁になっていて、すごく恐ろしい。

熊野古道4-4

 遠くの山並みはかすんでいた。冬場はもっと見晴らしがいいのだろう。

熊野古道4-5

 尾鷲湾と尾鷲の町が一望できる。ここからだと視界を遮るものがなくて、全体がよく見える。
 海に突き出ているのは、三田火力発電所のようだ。たぶん、埋め立てだろう。
 その奥には、石油工場などもある。
 それにしても、尾鷲の町が想像以上に発展していて驚く。海と山に囲まれた平地に、びっしり家が建っている。立派な地方都市だ。合併もあって、今では人口も2万人を超えている。

熊野古道4-6

 小さな島がいくつか点在していて、養殖のいかだなどもある風景は、瀬戸内っぽくて風情がある。
 こちらは東向きだから、朝焼けに染まったらさぞかしきれいだろう。初日の出のスポットとしても知られているようだ。大晦日の深夜にあんな山道を歩きたいとは思わないけど。

熊野古道4-7

 天狗倉山をあとにして、再び熊野古道に戻った。
 馬越峠から、今度は尾鷲方面に向かう。こちらは下りだから、ずっと楽になる。ただ、石敷きの路は相賀側に比べると荒れている。雰囲気も、行きの方がよかった。

熊野古道4-8

 終盤になって太陽が出てきて、いい感じになった。この光が前半のときに欲しかった。

熊野古道4-9

 尾鷲側から登ってくる人とはほとんどすれ違わなかった。やはり、相賀方面から登るのが一般的なようだ。
 下りは体力的には楽だけど、ヒザへの負担は大きくなる。ヒザががくがくしてきて、皇潤を飲みたくなる。

熊野古道4-10

 こちら側にも一つ祠がある。どういういわれのものか知らないけど、桜地蔵と呼ばれるものだ。
 馬越公園あたりはちょっとした桜の名所になっているそうだから、そのあたりの関係かもしれない。
 ここまで来たらゴールは近いと思うのは錯覚で、古道の出口は近くても、尾鷲駅まではまだ1時間は歩くことになる。

熊野古道4-11

 引率の先生と一緒に訪れた大学生だろうか。ゼミの一環とかかもしれない。特に何かを研究したりというふうでもなかった。

熊野古道4-12

 この石橋で熊野古道としては出口ということになるのだろう。いやはや、疲れた。
 少し脇に入ったところに、馬越不動尊と滝があったはずだけど、うっかり忘れていた。

熊野古道4-13

 展望台の案内があったので、ついでに寄ってみることにする。
 低いけど、ここからでも尾鷲の町は一望できる。

 こうして私の初めての熊野古道歩きはなんとか無事に終わった。終わってみればつらさも忘れて、いい思い出だ。また別の熊野古道も歩きたいと思っている。
 馬越峠コースは、険しさ5段階評価の3段階らしい。本当に? あれで3段階ってことは、5段階ってどんなだろう。
 日頃あまり歩いてなくて体力不足の人にとっては、峠越えだけでもけっこうしんどいと思う。特に天狗倉山は厳しい。それでも、美しい石畳と山頂からの景色は一見の価値がある。
 機会があればぜひ一度行ってみて欲しい。そして、私と同じ苦しみを味わってください。あいつ、大げさすぎるぜこんなの楽勝だぜと思うか、確かにこれはきついと思うか、それは行ってみてのお楽しみ。

石路だけじゃない熊野古道は美しくて険しい <第三回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
熊野古道3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 馬越峠のコースにはこれといった見所といったようなものはあまりなく、あるとすれば二つの地蔵と、茶屋跡といったあたりになるだろうか。そのうちの一つが上の写真の夜泣き地蔵だ。入口から20分ほど登ったところにある。
 もともとは旅人の無事を祈って建てられたお地蔵さんだったのが、いつからか子供の夜泣きに効くという話になって、夜泣き地蔵と呼ばれるようになったんだとか。地蔵さんの前にはほ乳瓶が置かれている。石組みの祠の上に積み重ねられた石は、祈願で置かれたものだろう。
 もうこの時点で相当やられてしまっている私だったけど、少し休んでまた歩き始める。まだ先は長い。

熊野古道3-2

 石敷きの路は、ときに荒々しく、ときに美しい。仕事ぶりの違いは、工事をした人の違いなのか、時期的な違いなのか。とにかくなんでもいいから石を敷いてしまおうというような感じで作られているところと、せっかく作るなら美しく仕上げようとしたのが感じられるところがある。そのあたりの思想は、城の石垣に通じるところがある。
 上の写真は、美しいところの一つだった。登り勾配であるけど、安易に石段にせず、傾斜に合わせて石を選んで敷いてある。見た目もきれいだし、とても歩きやすい。
 それにしても、これだけの石をどこからから運んできて、一つずつ敷いていったのは、大変な苦労だったろう。江戸時代、紀州藩が街道整備の一環として作ったといわれている。

熊野古道3-

 路のそばには水の流れもある。それが心地よくもあり、目も楽しませてくれる。
 昔の旅人はこの水を飲んだはずだ。今でも飲めそうなくらいきれいに見えた。

熊野古道3-4

 木が大きな石をまたいで根を張っている。なんだかすごいことになっている。
 木と石が互いに支え合っているようでもあり、お互いが邪魔に思っているようでもある。
 どうしてもここじゃなきゃいけなかったのか。

熊野古道3-5

 気になった植物の枯れ姿。らせんを描きながら垂れ下がっている。シダの葉か、別のものか。

熊野古道3-6

 私はスギとヒノキの区別がついていない。分かっているのは、スギ花粉にもヒノキ花粉にも反応してしまうということくらいだ。たぶん、葉っぱとかを比べたら全然違うのだろうけど。
 このあたりには美杉村とか、大杉谷とかいう名前のところがあるから、スギがたくさんある地域に違いない。ただ、馬越峠に生えているのは、ヒノキ林ではないかと思うけどどうだろう。

熊野古道3-7

 登りはますます険しさを増す。
 疲労に加えて、おなかの調子があやういことになってきた。登り始めたら、途中にトイレなどないので焦る。

熊野古道3-8

 石の路が途切れて、平坦になる。これでもうあとは下るだけだろうと喜んだら、甘かった。一瞬喜ばせただけで、このあともまた登りの石路が続く。

熊野古道3-9

 地中から浮き上がってきた根が、うねうねと恐ろしげな模様を描く。すごい迫力だ。

熊野古道3-10

 ようやく馬越峠の頂上に到着した。疲労はピークを越えて、少し楽になっていた。
 かつてここに旅人のための茶屋があったというのだけど、そんなに人通りがあったのだろうか。
 今の時代こそ、この場所に茶屋か何か必要だと思う。ただ、店の人は毎日の行き来が大変だ。

熊野古道3-11

 この場所からは尾鷲の町並みと海が一望できる。
 標高は325メートル。まずまずの高さだ。
 一般的にはここから尾鷲方面に下っていくことになる。私もそうしておけば、まずまずしんどかったけど、まああんなものだろうと軽く振り返ることができただろう。
 しかし、ここでプラスアルファを求めると、疲労度は倍以上になる。横道から天狗倉山(てんぐらさん)の頂上へと道が続いていて、山頂からの眺めが抜群だという。
 迷った末に結局行くことになるのだけど、人にオススメできるかというと、少しちゅうちょする。かなり大変だから、体力に余裕がある人向けだと思う。この山登りの往復だけでプラス1時間。勾配は峠道の倍くらいある。確かに、山頂の眺めは苦労してでも行く価値はあるのだけど。

熊野古道3-12

 この写真を見て、これくらいなら楽勝と思える人は、ぜひ登ってみて欲しい。こんな道が30分続く。
 私は途中でよほどあきらめて引き返そうかと思った。もうこれ以上登りたくないと心底思った。どうしようか考えて立ち尽くしていたとき、1匹のモンキアゲハが私を誘うように、上に向かってヒラヒラと飛んでいった。それを見て、なんとなく励まされているようで、どうにかこうにか辿り着くことができたのだった。
 そのときの様子はまた次回ということにしたい。次が熊野古道シリーズの最終回ということになる。

尾鷲までは遠く、熊野古道の入口までも一苦労 <第二回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
熊野古道2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 熊野古道がある尾鷲へは、紀勢本線での旅となった。
 亀山から出発するこの電車は、途中の新宮でJR東海からJR西日本へと管轄を変え、紀伊半島の海岸線をぐるりと回って、和歌山まで行っている。総延長384キロ、始発から終点までは3時間半ほどかかる。
 乗った感じ、ものすごくローカル線というほどでもなく、尾鷲高校の学生が乗っていたり、海へ行くちびっこがいたりと賑やかで、よくある地方路線の雰囲気だった。電車も飯田線のように手動ドアではなく、自動ドアだ。
 紀伊長島駅で25分くらい停車した。特急の追い越し待ちなどで、よくあることらしい。多気から新宮までは一日10本程度しか走っていない。乗り遅れると致命的だけど、20分以上もただ座って待っているのも退屈だから、外に出て写真を撮ってみた。
 キハ11形100番台というやつのようだ。新宮駅まで行くと、JR西日本の車両と並んでいるところが撮れるんだとか。いや、別に撮りたくないけど。

熊野古道2-2

 列車内は、バス風になっている。地方に行くとよく見かけるシステムだ。整理券を取って乗り、降りるときに運転士の前で運賃箱に整理券と乗車賃を入れる。改札のない駅が多いので、扉は運転士がいる前の扉しか開かない。ワンマン運転として理にかなっているようでもあり、もう少し効率のいい方法はないものかと思ったりもする。

熊野古道2-3

 尾鷲駅の一つ手前の相賀駅で降りた。ここから馬越峠を越えて、尾鷲駅へ行くというのが今回のコースだった。逆でももちろんいいのだけど、私は尾鷲の港と町を散策するという目的もあったので、尾鷲を最後に持ってきた。
 上の写真は相賀町の町並みだ。駅の東に白石湖があり、そこではカキの養殖をしているようだから、そちらへ行くと港町の風情があったのかもしれない。駅の西は普通の小さな町だった。
 相賀駅には熊野古道に関する案内がなく、しばし途方に暮れて立ち尽くすことになった。駅を出て、どちらへ向かって歩き出せばいいのか、まったく分からない。左か真っ直ぐかという選択肢しかないにしても、あちら方面というくらいの案内標識があってもよさそうなものだ。
 とりあえずは真っ直ぐ行った方が分かりやすい。300メートルほど歩くと、国道42号線の広い道に出るから、そこを左折して、1.8キロくらい歩くと、馬越峠の入口に着く。この2キロの道のりが意外と遠く感じた。これだけでけっこう疲れてしまい、更に道の駅でいきなりアイスを食べたことでおなかの具合が悪くなったのも、その後の峠越えを苦しいものとした原因だった。

熊野古道2-4

 出発してしばらくは、車通りの激しい国道42号線の歩道を歩くことになるから、散策でも散歩でもなく、ただ目的地に向かって歩いているだけで、気分はさっぱり盛り上がらない。
 橋を渡る銚子川も、これといった特徴のない普通の川だ。
 向こうには鉄橋が見えている。尾鷲に向かう紀勢線だ。電車なら8分で行く距離も、峠越えをして歩いていくと4時間以上かかる。あらためて文明の偉大さを思い知る。

熊野古道2-5

 道の駅の近くに咲いていた花。よく見かける気はするけど、名前は知らない。
 道の駅の存在はありがたかった。トイレに行って、ジュースを仕入れて、アイスを食べた。準備が整ったところで出発だ。ここから500メートルくらい行ったところに、熊野古道の入口がある。

熊野古道2-6

 連なる山並みと、谷間の集落。
 ここ海山は、種まき権兵衛の故郷らしいのだけど、種まき権兵衛を知らないので、感心のしようがない。誰だそれって感じで。
 山の雰囲気はよかった。

熊野古道2-7

 ようやく入口まで辿り着いた。
 この横に、無料駐車スペースがある。車で行けば楽だけど、車の場合は、行って戻ってこなければいけない。峠を越えて向こうまで行ってしまうと、往復になってかえってきつくなる。峠の上まで行って引き返すと後半を見ずに終わる。なかなか悩ましいところだ。

熊野古道2-8

 最初はこんな花を撮ったりする余裕もあった。その後すぐにへたばって、ヨレヨレになる。
 きついとは聞いていたからそれなりに覚悟していったつもりだけど、そんな覚悟は歩き始めて10分で砕け散った。たった10分でと思うかもしれないけど、ビルの階段を10分間登り続けることを想像してもらうと、そのつらさが分かってもらえるはずだ。

熊野古道2-9

 石敷きはけっこう雑然としていて、下を見て足を置くところを選びながら歩かないといけないから、余計に疲れる。ところどころ石がぐらついたりもする。
 きつー、と思う。

熊野古道2-10

 尾鷲地方は、年間を通じて雨が多いところで知られている。面積の90パーセントが山林で、海に面しているという地形が雨を呼ぶ。年間の降水量は4,000mm以上で、1,500mmの名古屋の倍以上になる。一日に800mm降ったという日本2位の記録も持っている。
 尾鷲の熊野古道が石敷きなのは、この雨から路を守るためだった。雨でぬかるんだり、土砂が流れたりするのを防ぐために、当時の舗装を施したのが石敷きだったというわけだ。
 現在も約2キロに渡って石敷きの路が残っていて、伊勢路熊野古道の人気のコースとなっている。

熊野古道2-11

 私が汗だくでヘロヘロになっていたのに、すれ違った下りの若いカップルは軽い足取りで歩いていった。若さに負けた。
 小さな子連れのお母さんも歩いていたくらいだから、みなさん意外と余裕だったのかもしれない。私は平地ならどこまでも歩き続ける自信があるのだけど、アップダウンになるととたんに弱くなって、人並み以下になるようだ。

熊野古道2-12

 登り勾配がだんだんきつくなり、ヒザもおかしなことになってきた。息も上がる。まだまだ道のりは長い。
 似たような写真が多くなったのは、少しでも立ち止まって休みたかったというのもある。路写真もまだたくさん残っている。
 今日のところはこれくらいにして、明日に続くということにしよう。

行くのが5年遅かった熊野古道 <第一回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
熊野古道1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 8月の終わりに、熊野古道を歩いてきた。
 世界遺産に登録されたのが2004年で、いつか一度行きたいと思いながらなかなか行けずにいたのは、熊野古道というのは熊野にあるもので、すごく遠いと思っていたからだ。
 実は熊野古道というのはいくつかのルートがあって、基本的には熊野本宮大社に通じる道を指す。主なものとしては、紀伊半島西岸の紀伊路、南の大辺路、東の伊勢路ががあり、そこから本宮を目指して小辺路、中辺路、更にもう一本、大峯奥駈道というのがある。
 紀伊路はさすがに遠いけど、伊勢路なら行けなくはない。伊勢神宮から始まる160キロの道のりだ。
 最初は紀伊長島出発のツヅラト峠に行こうと考えていて、その後、尾鷲の馬越峠(まごせとうげ)に変更した。ここは伊勢路の中でも石積みの路が最も美しいと言われているところで、尾鷲の町を見てみたいというのもあった。
 ということで、今日から何回に分けて熊野古道シリーズを始めることにする。ただ、今日は疲労と時間不足でしっかり書いている余裕がない。まずはプロローグとして石敷の路写真を何枚か並べるだけにとどめる。詳しいことはまた明日以降ということで。
 写真はやたらたくさん撮ったけど、石の路写真ばかりで同じようなものが多かった。全編を通じて繰り返しになってしまいそうだ。ずっと続くこういう石路を歩いているような気分になってもらえるといいのだけど。

熊野古道1-2

 写真は暗めのトーンに仕上げている。雰囲気重視ということで。
 この日は曇りときどき晴れで、あまり日差しが差し込まなかったこともあるのだけど、実際はここまで暗くない。写真で見るより明るい路で拍子抜けしたという人も多い。
 一つには、世界遺産登録以降、大勢の観光客が訪れて、路がツルツルになってしまったというのもある。昔撮られた写真を見ると、石がいい感じに苔むしていて、素晴らしく雰囲気がある。この先、あの情緒が戻ることはもうないのだろう。5年前に訪れたかった。

熊野古道1-3

 路は想像以上に険しかった。峠越えだから当然といえば当然だ。
 峠越えだけなら、早い人で2時間くらいだろうか。私は相賀駅から歩いて、途中山登りもして、尾鷲の町散策もして、尾鷲駅まで歩いたから、6時間コースだった。途中で、めまいがして倒れそうだった。

熊野古道1-4

 かつての名残をとどめる一部分。
 石の間に苔が生えて、古道らしい風情を見せる。以前は全域がこんな感じだったんじゃないだろうか。

熊野古道1-5

 終盤になって、日差しが戻った。
 暗い古道の中にまばらに差し込む光というのを撮りたいと思っていた。イメージ通りというにはもう一歩。
 雨に濡れた石路もいいに違いない。

 とりあえず今日はここまで。
 次回に続く。