
PENTAX K10D+DA 16-45mm f4
リトルワールドが開園したのは1983年の3月だったということを知って驚いた。そんなに新しいとは思ってなかった。明治村のオープンが1965年で、それと同じくらいだろうと漠然と考えていた。ということは、学校で連れて行かれたときは、開園して間もなくのことだったのだ。そんな話を聞かされた覚えがまったくないのだけど、そもそも興味がなくて私が話を聞いていなかっただけかもしれない。学校で行ったときは、お遊びの遠足ではなく、勉強としての社会見学という意味合いが強かった。いきなり最初にビデオで割礼のシーンを見せられてどん引きしてしまい、自由時間は広場で友達と野球をしていた覚えがある。
野外民族学博物館リトルワールドは、当初、大阪万博の受け皿として名鉄が名乗りを挙げたことに始まる。1970年に開催された大阪万博は、世界各地から民族の伝統的な建物を集めるというコンセプトで、万博終了後、それらの建物を譲り受けて野外展示することを名鉄が思いついたのは、日本の貴重な建造物を野外展示した明治村が好評だったからだ。同じく犬山の観光スポットとして、明治村とセットにして客を呼ぼうと考えた。それは間違いではなかった。
しかしながら、大阪万博が最初の構想から大きく変わってしまったのは誤算だった。そのあたりの詳しい経緯はよく知らないのだけど、大阪万博は世界の建造物を集めるのをやめて、独自のパビリオンを建てるという方向に転換してしまった。
それでも、名鉄としてはあきらめきれなかったのだろう。だったら自分たちで世界各地から伝統的な建築物を集めればいいではないかということになった。ただし、そこには思った以上の困難があり、構想から開園まで15年の歳月を要することになる。
それにしても、建物がマニアックすぎる。アジアからヨーロッパ、アメリカ大陸と、国自体はメジャーなのに、集めてきた建築物が相当マイナーなのだ。日本人観光客がめったに行かないような山奥のものや、現地にももう残っていないような古いものなど、誰がどんな基準でこれらをその国の代表に決めたんだというものが多い。
そのため、貴重さでは他に類をみないものとなっているのだけど、いかんせん子供には面白くない。ここを訪れて、建物群に興味津々で楽しかったという子供がいたら、相当な変わり者だ。将来大物になるかもしれないけど、、何らかのマニアになる可能性の方が高そうだ。学校で連れて行かれて、ちっとも面白くなかったという方が子供としては普通の感覚だと思う。
ここは、大人になって、友達やカップルで行った方が楽しいい場所だ。見て回るだけではなく、参加したり体験したりすることで初めて本当の楽しさに気づく場所でもある。
写真を撮るという点に関して言えば、それなりに撮るものはあるものの、明治村と比べたらあちらの方がずっと楽しいのは間違いない。そもそも、ここは一人で行っても楽しくない。明治村では一人で訪れている人がけっこういるのに、リトルワールドは一人客がほとんどいないことを見てもそれは明らかだ。今回も、家族連れとカップルばかりだった。
リトルワールドについて、私自身、いろいろと思うところはある。前回行ったときもそのあたりについて書いた(ニューリトルワールドについて考えるというタイトルで書いたので、興味があればブログ内検索してください)。今回行ってきた感想も、最後にまとめて書きたいと思っている。
前置きが長くなった。そろそろ本編に入っていきたいと思うのだけど、今回は建物を撮ることが目的ではなかったので、普通に撮った写真は少ない。行く前の一つ決めごととして、説明的に撮るのはやめようというのがあった。パンフレット写真を撮っても面白くないから、部分を切り取ることを考えた。意味はなくても、自分が興味を覚えたところだけを撮ろうと。
結果的に成功だったかどうか、自分でもよく分からない。リトルワールドの魅力を伝えられるかどうかも自信がない。これを見た人が、自分も撮りに行きたいと思ってくれれば成功だ。ただし、一人リトルワールドはかなり上級者向けだということは言っておくべきだろう。数々の一人シリーズをこなしてきた私でも、一人水族館と同じくらいきつかった。一人動物園くらいなら楽にクリアできる人向けだ。カップルで行くなら、見学デートというより民族衣装を着て写真を撮るなどといった方向で楽しめる二人の方がよさそうだ。

コースは周回コースになっていて、一周2.5キロある。見学しながらゆっくり歩いて2時間前後といったところか。
22ヶ国、33の施設が、ゆったりしたスペースで建ち並んでいる。建築の関係もあったのだろうけど、この「間」は悪くない。狭いところにびっしり詰め込んでしまうと、印象が散漫になってしまいそうだから、ある程度の移動距離を作ったのは成功だった。
左回りのコースでいくと、最初は日本の南国、沖縄から始まり、最後は山形月山で締めくくりとなる。日本を代表する家屋が石垣島の士族の家と、山形の農家というのも、偏っているといえば偏っている。日本人でも両方の実物を目にしたことがあるという人はあまりいないだろう。
私の前を歩いていた家族連れの男の子が、「石垣は見たことがあるから、見なくていいサ~」と、沖縄なまりでしゃべっているのを耳にして驚いた。キミは、どっから来てるんだ、と心の中で突っ込んだ。まさか、沖縄からわざわざリトルワールドを見に愛知県まで来たわけではあるまい。
この建物は、120年前に石垣島に建てられた琉球王国時代の士族の家だ。赤い瓦を白い漆喰で固めた典型的な沖縄の建物だ。何しろ毎年台風が直撃するところだから、屋根が飛ばないように備えなくてはいけない。家の前の石垣も、風よけのために建てられている。
ちなみに、具志堅用高は石垣島の出身で、琉球王国の士族の家系という、名門出のお坊ちゃんだ。だから、こんな家に住んでいたのかもしれない。

この日のテーマとして、現地っぽく見えるように撮ろうというのがあって、私としては珍しくなるべく人を入れずに撮った。大勢人がいたから、人入り写真は撮り放題だったのだけど、状況によって人入りと人なしを区別した。
上の写真も、説明せずにポンとこれだけ出したら、沖縄に行ってきたと言えなくもないかもしれない。
左に少し写っているのは、沖永良部島(おきのえらぶじま)の高床式穀物庫だ。これもチョイスがマニアックすぎる。どうして、あえてこの建造物だったのだろうという疑問を抱かずにはいられない。珍しいものには違いないだろうけど、珍しすぎてありがたいのかどうかの判断もつかない。

屋根の上にはおなじみのシーサーがいる。
以前にも書いたことがあるけど、シーサーと狛犬は基本的に同じものの変形だ。獅子を沖縄風に言ったもので、スフィンクスなども同じものと言える。
この日は、空が夏色の強い青色で、沖縄っぽく写った。

沖縄本島の祭場の屋根。
どうしてこれを撮りたかったのか、自分でもよく分からない。
藁葺き(わらぶき)かと思ったらそうではなく、琉球竹で葺かれた屋根だそうで、そのあたりが珍しくて撮っておこうという気持ちになったのだろう。
国頭村にあるアサギという村共同の祭場で、旧暦7月の祭りに、神衣装を身につけた女の人が、この中で豊作、豊漁の祈願をするらしい。現在でもその伝統は受け継がれているのだと思う。
沖縄はいまだに日本の本州とは違う独特の文化や風習を持っている。
沖縄は乗り物に乗るときは手を挙げて合図しないと止まってくれないそうで、ガレッジセールの川ちゃんは初めて東京に行ったとき、山手線のホームで手を挙げて電車を止めたというエピソードが私は好きだ。

沖縄地方の次にあるのが、北海道アイヌの家だ。
アイヌという選択はなるほどと納得した。これは目の付け所がよかったと思う。日本人も、アイヌの伝統や生活など、ほとんど知らない。
段葺き屋根の質素とも言えるこういう家屋に、19世紀の末頃まで暮らしていたという。
明治に入って農作を始めたものの、それまではずっと川で鮭を獲ったり、山で鹿や熊を獲って暮らしていたそうだ。
建造物の周囲に咲いている花などは、現地のものなんだろうか。そのあたりも徹底してもらえると、こちらとしても更に興味深くなるのだけど。
いつものクセで、うっかり人がいるときに撮ってしまって失敗。ここは人がいないときに撮った方がよかった。

台湾の農家では、何故か世界の昆虫大集合という催し物をやっていた。台湾とは全然関係ないと思う。
ちょっと笑ったのが、昆虫触り放題、30分300円というやつだ。時間制というのが風俗っぽい。子供だから、いつまでも触らせていたら昆虫が弱ってしまうからということで考えられたシステムだろう。延長料金の制度とかもあるのだろうか。

中国から移住した福建系の漢族が住む伝統的な農家建築とのことだ。
面白いと思ったのは、屋根の特徴が沖縄と似たところがあって、壁がレンガ造りという点だ。文化、風俗の交流がありつつ、それぞれ独自の発展を遂げている。
凹型をした家屋の真ん中に中庭があるという発想は、日本にはなかったんじゃないか。日本人の感覚でいくと、L字型が自然な気がする。

レンガ塀の外には小さな池がある。これも台湾式なのだろう。
浮かんでいたのはスイレンのようだ。台湾も南の島だから、亜熱帯性のスイレンなどが咲くのだろうか。
台湾は沖縄本島よりも南にあって、北の台北が宮古島と同じくらいだから、南は熱帯性気候になる。

アブラゼミが木に止まって鳴いていた。台湾にもタイワンアブラゼミというのがいるようだけど、日本のものとは多少違っているのだろう。クマゼミやツクツクボウシ、ニイニイゼミなどもいるらしい。
気候が熱帯だから、日本でいえば南の島のものと近そうだ。その他の昆虫や鳥、魚など、どんなものがいるんだろう。

園内バスが走っていて、要所に止まるから、これに乗ると少しは楽できる。
左手は台湾の食べ物屋などで、世界各地の食べ物を食べられるというのも、リトルワールドの売りの一つとなっている。マニアックなところではワニラーメンなんてのもある。

北アメリカのインディアンのテント。三つ編みをした女の子がちょっとインディアンっぽかったので急いで撮ったけど間に合わなかった。ちょうどテントから出てきたところだったのに、惜しいことをした。
平原を移動しながら暮らしていたインディアンだから、テントも移動式となっている。ティピという名前らしい。
ヨーロッパから大勢の移民が入ってくると、インディアンたちの生活も一変した。今ではこんなテントで移動しながら暮らしているインディアンはいない。
インディアンは蔑称で、ネイティブアメリカンと呼ぶべきだと言っているのはアメリカ人の側で、先住民族の人たちは自分たちをアメリカ・インディアンと言ってその呼び名に誇りを持っているという。
テントの中は意外と広いといえば広いし、やっぱり狭いといえば狭い。プライベートなどない濃密な空間で、それは親密さをもたらすものでもあり、息苦しさを感じさせるものでもある。
家族という単位で考えても、狭い空間で一緒に暮らすのがいいのかどうか、難しいところではある。日本でいえば、三世帯が一軒の家で生活することは良いこともあり悪いこともあった。
個人的な無理なお願いとしては、各建物に現地の人がいて欲しいというのがある。テントの中に本物のインディアンがいたら怖いけど、そこでのふれ合いというのは他では経験できない貴重なものとなる。愛・地球博ではそういうことができたから、ドキドキとワクワクがあった。あんなにたくさんの異国の人を見る経験というのは国内ではめったにできるものではない。リトルワールドにはその可能性があるだけに、残念なところではある。お店などでは外国の人たちも働いているようだけど。
今回はここまでとしたい。
次回に続く。