月別:2009年07月

記事一覧
  • タイヨウのうたは力弱くヒマワリたちはうなだれる <アイボク-1>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 日本の夏を代表する花、ヒマワリ。しかし、今年は長引く梅雨でヒマワリも調子が狂っているようだ。元気に空を向いて咲いているやつは少なく、みんなぐでんぐでんな感じでシャキッとしていない。どいつもこいつもへばって調子が悪そうだ。これだけ日が差さないと、こうなってしまうのも無理はない。人間以上にヒマワリは太陽の光を欲していることだろう。 アイボク...

    2009/07/31

    花/植物(Flower/plant)

  • 雨降りの日でも普通に撮れば雨は写らない <定光寺公園-前編>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 今日は定光寺公園の続きを。余りもの写真でもう一回つなごう。 池を見つめるアオサギ。首を伸ばして何を見ていたのだろう。 水が濁ってエサの魚も獲りづらくなっているかもしれない。 その奥にはアオクビアヒルがいる。一家でこの池にすみついているらしい。オスメスあわせて3羽ほどいた。 今年もカルガモのチビを撮ることができなかった。 散策路の木々も、雨に濡れて緑色が深い。 植物た...

    2009/07/30

    施設/公園(Park)

  • 傘を差しながらの雨中撮影で少し収穫あり <定光寺公園-前編>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 私の晴れ男パワーに最近かげりが見える。やまない雨を窓から眺めては、こりゃ駄目だなと思う。現地に行って雨があがることを期待するものの、逆に降りが激しくなったりする。もはや私は晴れ男ではないのか。 今日も少しの間降りやんだかと思ったら、また降り始めるという繰り返しだった。7月の青空と太陽は雨雲に隠れたまましばらく見ていない。 雨なら雨にしか撮れないものを撮ればいいと言う...

    2009/07/29

    施設/公園(Park)

  • ネタ不足につき暮らしの写真でつなぐ

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 他 最近雨ばかりで、写真を撮りに行きたくても行けない日が続いている。今日も降ったりやんだりの一日で、途中で一時豪雨になった。 あそこも行きたい、ここも撮りたいというところはたくさんあるのに、雨降りではどうにも厳しい。雨の中、傘を差して10時間も歩きたくない。 とりあえず、雨用にシャワーキャップだけは買おうと思っている。もちろん、私が頭にかぶるためじゃなく、カメラが濡れない...

    2009/07/28

    日常写真(Everyday life)

  • 最高のシチューができたのは銅鍋のおかげサンデー

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今回のサンデー料理の目玉は、銅鍋だった。 銅鍋は熱伝導効率に優れていて、煮物や汁物が美味しくというのをテレビで見て、欲しくなって買ってしまった。 それで、最初に作ったのがシチューだった。右奥がそうだ。 食べてみてすぐ、銅鍋は相当やるかもしれないと思った。今まで食べたシチューの中で一番美味しかったのだ。こんなに出来上がりの違いがはっきり分かるほどだとは思ってなかったから...

    2009/07/27

    料理(Cooking)

  • 余りもの写真というには枚数があったので追加で最終回 <常滑散策-4>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 常滑の写真をあらためて見てみたら、使い切れていない写真がけっこう残っていた。ネタ不足ということもあり、もう一回常滑シリーズを延長して、すっきりした形で終わらせることにする。前回のままでは中途半端で少しもやもやがあった。 最後は歩いた順番で、残りもの写真を並べていくことにしよう。まずは出発点となった陶磁器会館前からだ。 ポストの上に、郵便配達バイクにまたがる猫ラ...

    2009/07/26

    観光地(Tourist spot)

  • 茶屋ヶ坂公園の雑木林ゾーンが気になって散策してきた

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 平和公園南の雑木林を歩いたら、茶屋ヶ坂公園のことを思い出した。公園は2、3度行ったことがあるけど、南の雑木林は入ったことがなくて、ずっと気になっていた。一度でも歩いてみれば様子は分かるし、気も済む。一度も行ったことがないと心に引っかかったままになる。そんなに遠いところでもないし、気になっているなら行っておこうということで行ってきた。 茶屋が坂公園を分断する道路に歩道...

    2009/07/25

    施設/公園(Park)

  • 平和公園南エリアは千種区一のワイルド森林地帯

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 名古屋はまだしばらく梅雨が明けそうになくて、ここのところずっと曇りや雨の日が続いている。 かと思うと、急に青空が広がったりして、天気が読みづらい。今日もそんな一日だった。 夕方少し時間があって、雨もあがったということで、近場の平和公園に行ってきた。といっても、広場や猫ヶ洞池がある方ではなく、南エリアだ。 この場所は一般的な認知度は低いと思うけどどうだろう。犬を連れ...

    2009/07/24

    施設/公園(Park)

  • お祭り騒ぎに乗っかって私も部分日食を撮ってみた

    Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS+C-PL 今日見られるものは今日見ておけということで、私もブームに乗って日食を撮ってみた。悪石島ツアーへ行くほど優雅なお金持ちではないので、おとなしく名古屋にいた。悪石島は大雨だったようで、あれはちょっと気の毒だった。テント泊で34万円って、どこからそんな金額が出てくるのか。 全国的にも、よく見えたところとあまり見えなかったところがあったようだ。名古屋は曇り空ながら、...

    2009/07/23

    星(Star)

  • やきもの散歩道の路地と坂と煙突コレクション <常滑散策-3>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 常滑散策シリーズも今回が3回目。 上の写真は、やきもの散歩道で必ずといっていいほど紹介される場所だ。常滑の町の象徴的な風景の一つといえる。 左は土管で、右は焼酎瓶だそうだ。道には陶器が埋め込まれている。 瀬戸もそうだけど、余った陶器類などを利用して道や垣根を作るのは生活の知恵で、おしゃれ感覚や遊び心とは違うのだと思う。いや、そういう気持ちもいくらかはあったのだ...

    2009/07/22

    観光地(Tourist spot)

  • 見た目にやや品を欠くものの美味しく食べたマンデー料理

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 昨日の日曜日は土用の丑で、うなぎを食べた。連休ということもあり、料理は一日ずらして、今日マンデー料理となった。 今回もアイディア不足というか、イメージの欠如で、お馴染みの料理のアレンジにとどまった。 料理は音楽に似ているところがあるかもしれない。音楽が決められた音符で無数のメロディーを生み出すように、料理もだいたい決まった食材をあれこれ組み合わせて作る。 違うところは...

    2009/07/21

    料理(Cooking)

  • 焼き物の町は観光地化する必要はないのかもしれない<常滑散策-2>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 今日は常滑散策の第2回目をお送りします。 土管というのも、気がついたら見なくなっていたものの一つだ。子供の頃は、空き地などによく放置されていた。 忘れてしまった多くの風景がある。昔の不便さや乱雑さや未整理な状態に戻りたいわけじゃないけど、今になってみると懐かしい。  登り窯を上から見たところ。 正確には連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)といい、いくつかのタイ...

    2009/07/20

    観光地(Tourist spot)

  • 過去と現在が混じり合わずに同居する町 <常滑散策-1>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 愛知県には、瀬戸と常滑(とこなめ)という二つの陶器の町がある。 瀬戸はうちから近いから、何度も行っているし、このブログにもたびたび登場している。窯垣の小径なども紹介した。 常滑は、知多半島の北西部に位置していて、東隣に半田市がある。半田も古い町並みが残る魅力的な町で、散策したときの様子をブログに書いた。常滑も一度行きたいとずっと思っていて、今回ようやく実現した...

    2009/07/19

    観光地(Tourist spot)

  • 海は非日常的な場所でイメージ不足 <南知多の海-2>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF75-300mm f4-5.6 IS 今日は知多の海の第2回で、最終回となる。全3回の予定だったけど、同じような写真が多いから、2回で終わりにする。海へ行ってもあまりネタが集まらないことに気づいた。海に対するイメージ不足というのもあった。 この日は、晴れたり曇ったりと忙しい空模様で、青空が見えていた時間は短くて、一面真っ青の空と海という写真は撮れなかった。 夏の海というと、ハマ...

    2009/07/17

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 海を撮りに行って撮りきれず <南知多の海-1>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF75-300mm f4-5.6 IS 久しぶりに海へ行きたいと思った。煮詰まった気持ちを解放するためでも、夕陽に向かってバカヤローと叫ぶためでもなく、海を撮りたいと思ったのだ。カメラを持って海へ行けば当然海を撮ることになるわけだけど、海を撮るために海へ行こうと思ったのは、たぶん初めてだ。そしてその思いは、なんとなく空回りすることになる。 南知多の海は、私が頭の中で美化してい...

    2009/07/16

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 撮った写真が色褪せて見えたらまた行くべし <7月の海上の森-3>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 海上の森写真が2回に収まりきらなかったので、はみ出したものを集めてもう1回追加した。 撮って帰ってきて、現像して、その場ではけっこうよく撮れたかもと思うのだけど、何日か経つとそれらの写真が色褪せて見えて、ごく詰まらないものに思えてしまう。飽きるということなのか、自分の中の感覚が前進してるということなのか。 もう一回行けば、今度はもっといいのが撮れる気がして、それが続...

    2009/07/16

    森/山(Forest/Mountain)

  • 虫たちに接近遭遇 <7月の海上の森-2>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 7月の海上の森写真第2回は、虫と花編です。 一枚目は、新種発見ではなく、イトトンボを上から撮った写真だ。羽と胴体が透けて、メタリックな目玉と毛むくじゃらの手足を持つ貧相な虫みたいになった。レントゲン写真のような、モザイクがかかったような、ちょっと笑える姿だ。こんな虫が地面をヒョコヒョコ歩いていたら笑える。甲高い声で何かしゃべりそうだし。 普通に撮るとこうなる。 よく...

    2009/07/15

    森/山(Forest/Mountain)

  • 静かな森の息づかいを写す <7月の海上の森-1>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 今の気分が森を求めている。森の写真を撮りたいという気持ちが強まっていて、また海上の森へ行ってきた。これだけ続けて行くことは今までなかった。 前回、前々回は、湿地や赤池などの南エリアを回った。今回は篠田池から大正池、海上の里と、北から中央エリアを歩いてきた。一部ワイルドな部分があるものの、アップダウンは少なくて、こちらの方が森らしい雰囲気が色濃い。 南エリアがややド...

    2009/07/13

    森/山(Forest/Mountain)

  • 見た目不問で茶色いけど普通に美味しいサンデー

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 今日のサンデー料理は、難しいことをあれこれ考えずに、冷蔵庫にある食材を今日食べたいおかずにして食べようということで作った。見た目は問わず、茶色くなっても気にしないようにした結果、やはり茶色系統になってしまったけど、これはもう仕方がないことだ。味と食べたさ重視でそうなった。白しょう油も使い切ってなくなってしまった。 左手前は、鯛のホイル焼きだ。 鯛に塩、コショウ、酒を振...

    2009/07/13

    料理(Cooking)

  • 動物園で撮りたいのは動物だけじゃない <雨上がりの東山動物園3>

    PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 雨上がりの東山動物園シリーズは、3回目にして早くも最終回となった。しかも、動物が出てこない番外編だ。 使える写真は全部使ってしまおうといういつものコンセプトで、今回も残った写真を並べておく。 特に意味のない写真も混じっている。一枚目などがそうだ。単にハートに見えただけ。でも、なんとなく写真として惹かれるものがあった。 最近、こういう写真を撮りたい傾向が強くな...

    2009/07/12

    動物園(Zoo)

  • 夕方の動物たちはまどろんだり考え事をしたり<雨上がりの東山動物園2>

    PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 雨上がりの動物園シリーズ第二回は、居眠り・まったり編ということでお送りします。 寝てるといえば、その代表がコアラだ。起きて元気に動き回っているコアラなど、一度たりとも見たことがない。いくら夜行性といっても、これじゃあ面白くない。 来園当初は大行列ができる人気者だったのに、今ではみんな素通りするように見て去っていく。 寝てる姿がかわいいといっても、5分も見てれ...

    2009/07/11

    動物園(Zoo)

  • その表情は何かを言いたげなのだけど <雨上がりの東山動物園1>

    PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 動物園の動物たちの表情に、諦観や達観を見てしまうのは、人間の側の勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。 動物たちの幸せそうな様子や、かわいいしぐさを写真に撮りたいと思うけど、それは難しい。あるいは撮っている私の感情と呼応するのだろうか。彼らは往々にして悲しげな表情を浮かべる。私が少し微笑んでみるけど、彼らの表情を和らげることはできない。 どこかにいい表情の瞬...

    2009/07/10

    動物園(Zoo)

  • いたかの森は名古屋で一番ワイルドな緑地で侮り難い <猪高緑地後編>

     今日は昨日の続きで、猪高緑地の後編をお送りします。 名東区には大きな緑地が3つある。この前紹介した明徳公園と、今日紹介する猪高緑地、牧野ヶ池緑地で、このブログでも何度か登場している。 個人的にどこが好きかといえば、特にどこも好きじゃない。それぞれいいところもあるけど、よくないところもある。猪高緑地は、最初に行ったとき本気で迷子になって懲りた。市内の緑地といえども、日没後に奥の方をうろついてると本...

    2009/07/09

    森/山(Forest/Mountain)

  • 雨上がりの森でしゃがんで何かを探し撮る男 <猪高緑地前編>

     先日、雨上がりの猪高緑地で撮ってきた写真の中から、今日は生き物・花編をお届けします。 最初はコオロギから。たぶん、コオロギだと思うのだけど、違ったら申し訳ない。 まだ羽が生えてない感じだから、エンマコオロギの幼虫かもしれない。 なんか、ちょっとグロテスクな気もする。コオロギも、きれいな音色で鳴かなければ、ちっともかわいくない虫だし、ホタルだって光らなければ冴えない黒い虫に過ぎない。 ショウリョウ...

    2009/07/08

    森/山(Forest/Mountain)

  • 番外編風景写真で桑名シリーズは完結 <桑名16回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 桑名シリーズは今回が最終回になる。前回、大福田寺まで紹介したから、その続きからということになる。 まず目指したのが西桑名神社だった。北桑名神社へ行ったら西桑名神社も行っておくべきだろうと思い、無理して行った。ここがまた遠かった。 東桑名神社と南桑名神社はない。 この神社については、調べてもよく分からなかった。 神社の由緒書きが「当地の古老の伝説によれば」から始まっている...

    2009/07/07

    観光地(Tourist spot)

  • レストランでは出てこない変格カレーサンデー

    Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 私はカレーライスとラーメンがそれほど好きではない。どちらも月に一度食べるか食べないかで、それも積極的に食べたいから食べるのではなく、そういえば最近食べてないなとその存在を思い出して、それじゃあ久々に食べてみるかという消極的な姿勢で食べるに過ぎない。そのとき心の中で思うのは、カレーでも食べるか、というものだ。この「でも」というあたりに自分でもやる気のなさを感じる。 その...

    2009/07/06

    料理(Cooking)

  • 観光スポットはなくても寺社がある桑名駅西散策 <桑名15回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 桑名の観光スポットは駅東に集まっていて、駅西にはあまり見所がない。初めて桑名を訪れた一般の観光客で、駅西まで散策する人はあまりいないんじゃないかと思う。 しかし、私は歩く。時間の許す限り、気力の続く限り、そこに神社仏閣があるならば。 この頃は相当足が痛くなっていて、普通には歩けなくなっていたのだけど、それでも駅西だけで3時間くらいは歩いた。その半分くらいが無駄足に終わった...

    2009/07/05

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 空コレ第二弾 ---空を忘れている人たちへ

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 他 空コレ第一弾を今年の1月にやった。あれから半年経って、空写真の在庫がたまってきたから、そろそろまとめて出しておくことにした。 現代社会において、空ばかり見てるような人間はよほどの暇人だ。空ばかり撮っている人間は更にその上をいく。忙しい人たちに代わって、暇人の私が空の写真をお届けしたい。 まずは流氷雲から。これは昨日の夕方の空だ。空を覆っていた雲が割れて、海に浮かぶ流氷...

    2009/07/04

    空(Sky)

  • 明徳公園は小ネタ拾いに役立つといえば役立つ <後編>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 今日は明徳公園後編で、生き物、花編をお送りします。 まずはイナゴから。たぶんイナゴの子供だと思うけどどうだろう。跳ねる虫が全部バッタだと思ったら間違いで、世界にはたくさんの跳ねる虫がいる。そのあたりの勉強はあまり進んでいない。そもそもバッタ類を見かけることも少なくなって、なかなか写真に撮る機会もない。 トノサマバッタやショウリョウバッタ、オンブバッタにヒシバッタな...

    2009/07/03

    施設/公園(Park)

  • お手軽森林気分の明徳公園はグリーン、グリーン、グリーン <前編>

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 雨が降ったりやんだりの中、少しでも写真を撮ろうと近所の明徳公園に出向く。 名古屋市のはずれとはいえ、市内でこれだけ森の雰囲気を残しているところは貴重だ。お手軽に森林気分を味わえる。 ただし、花や生き物は少ない。海上の森のような珍しい山野草は咲いていないから、そういう期待を抱いていくとがっかりする。もう少し花を植えるとか何とかできないものだろうかと、訪れるたびに思う...

    2009/07/02

    施設/公園(Park)

  • ホーム
  • 次 ›

タイヨウのうたは力弱くヒマワリたちはうなだれる <アイボク-1>

花/植物(Flower/plant)
アイボクヒマワリ-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 日本の夏を代表する花、ヒマワリ。しかし、今年は長引く梅雨でヒマワリも調子が狂っているようだ。元気に空を向いて咲いているやつは少なく、みんなぐでんぐでんな感じでシャキッとしていない。どいつもこいつもへばって調子が悪そうだ。これだけ日が差さないと、こうなってしまうのも無理はない。人間以上にヒマワリは太陽の光を欲していることだろう。
 アイボクこと愛知牧場のヒマワリが咲くのを待っていた。早咲きのものは7月半ばから咲くやつもあり、ヒマワリは8月よりもむしろ7月の花だ。アイボクは7月25日にヒマワリ迷路がオープンした。少し遅かったような気がするけど、毎年こんなもんだったか。長く楽しめるように、時期をずらして種を蒔いているはずだから、おそらく8月いっぱいくらいは持つんじゃないかと思う。
 ヒマワリといえば青空が似合うのは間違いない。ただ、今年の場合は曇天で撮ってみようと思った。今年は本当に変な夏で、7月はずっと雨ばかりで梅雨がいつまでも終わらない。曇天のヒマワリを撮っておけば、何年か経って写真を見返したとき、そういえばあの年は長梅雨だったなと思い出すんじゃないかと考えたからだ。
 ちょうど雨もあがったところで、夕方出向いてみた。昨日のことだ。

アイボクヒマワリ-4

 この写真が今年2009年のヒマワリを象徴する一枚になったんじゃないかと思う。
 タイトルは、「もっと光を」。
 曇天をバックにうなだれ気味のヒマワリたち。まだやっと咲き揃ったばかりなのに、隊列も乱れに乱れて、みんなで肩を寄せ合っているように見える。
 太陽の光が足りないと、ヒマワリはこんなふうになってしまうということをあらためて知った。

アイボクヒマワリ-2

 比較的元気に咲いているところを選んで、明るめの露出で撮ると、それなりに問題なく咲いているように見える。写真というのは、本当でもあり、嘘でもある。嘘じゃないけど本当でもないと言うべきかもしれない。
 ほとんどのヒマワリは東を向いている。太陽の方を向いて咲くというのは必ずしも正しくない。
 アイボクの場合、撮影は西向きになるなら、午後はまともな逆光で条件としてはよくない。天気のいい日でも青空が白く飛んでしまいがちだ。だから、ここを撮るなら午前中の方がよさそうだ。
 あと、望遠レンズを持っていくこともおすすめする。離れた丘の上から望遠で狙うと、圧縮効果でヒマワリがぎっしり咲いている様子を撮ることができる。
 上の写真が望遠で撮ったもので、ヒマワリが咲いている近くから撮ると下のような写真になる。

アイボクヒマワリ-3

 アイボクの定番カット。たいていはみんなここから撮ることになると思う。
 背景の休憩所と並んだ木がアクセントになる。
 ここから外れると、電柱などの余計なものが入ってしまうから、狙える位置は限られる。

アイボクヒマワリ-5

 何か面白いヒマワリはないかと、ぐるりと一周歩いてみたものの、これといった被写体は見つからなかった。
 うーん、面白くないなと思いつつ、曇天バックに並んだ2本を撮る。
 またつまらぬものを撮ってしまった、と思う。
 ヒマワリに罪はない。面白いところを見つけられなかった私のせいだ。

アイボクヒマワリ-6

 思い切りうなだれるヒマワリ。
 まあ、いいから、頭を上げてくださいと言いたくなるような。

アイボクヒマワリ-7

 うなだれ軍団。
 これじゃあ、夏の終わりのヒマワリ風景だ。最後は枯れてこうなるのだけど、7月からこれは早すぎる。
 日照時間不足が各地の作物にも影響を及ぼし始めている。今年は米も不作になりそうだ。またタイ米とかを食べることにならないといいけど。

アイボクヒマワリ-8

 ミツバチが消えたというのも、その後どうなったのだろう。アイボクでもほとんど見なかったし、事態は思っているよりも深刻なのかもしれない。
 たかがミツバチと思うけど、ミツバチが受粉している作物はかなりの割合を占めていて、もしミツバチがいなくなったら、世界の食糧事情は壊滅的になると言われている。別にハチミツが舐められなくてもいいやとかそういう問題ではない。

アイボクヒマワリ-9

 最後くらいは元気にしっかり咲いているヒマワリで締めくくろう。

 ヒマワリ撮りはやっぱり難しくて、撮りながらイメージが湧かずに困った。広大なヒマワリ畑ならそのまま広く撮ればいいけど、アイボクはそれほどの規模ではない。ヒマワリの花を個別に撮っても面白くない。並び方とか配置のいい部分を見つけるのがポイントなんだろうけど、それにしても定番カットというのも頭の中にないから、どう撮れば正解なのかも今ひとつ分からない。ヒマワリは手強いというのが今回の感想でもあり、結論でもあった。
 今年はおそらくもう撮る機会はないだろうから、来年までの宿題ということになる。いいヒマワリ写真をもっと見て、イメージトレーニングをしないといけない。

雨降りの日でも普通に撮れば雨は写らない <定光寺公園-前編>

施設/公園(Park)
定光寺公園2-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今日は定光寺公園の続きを。余りもの写真でもう一回つなごう。

定光寺公園2-2

 池を見つめるアオサギ。首を伸ばして何を見ていたのだろう。
 水が濁ってエサの魚も獲りづらくなっているかもしれない。
 その奥にはアオクビアヒルがいる。一家でこの池にすみついているらしい。オスメスあわせて3羽ほどいた。
 今年もカルガモのチビを撮ることができなかった。

定光寺公園2-3

 散策路の木々も、雨に濡れて緑色が深い。
 植物たちにとっては長梅雨は歓迎すべきものなのだろうか。空梅雨よりはいいのだろうけど、あまり雨が降っても調子が狂ってしまうんじゃないのか。

定光寺公園2-4

 池の水源はどこなのだろう。東の方に流れの上流があるようだけど、地図では途切れていて分からない。別のところからも流れ込んでいる。
 池でいったんせき止められた水は、西から定光寺川となって流れ出し、中央線沿いに流れる玉野川へと注ぎ込む。玉野川はその先で庄内川に名前を変える。
 地理的にはもっと水がきれいでもよさそうなのに、公園の池はきれいとは言い難い。訪れる渡りガモの数もあまり多くない。

定光寺公園2-5

 水路は人工的で、自然の情緒は感じられない。
 昔はこのあたりでもホタルが普通に飛んでいただろうけど、今はどうなんだろう。少し離れた定光寺ホタルの里というところで、期間限定の一般公開をしている。

定光寺公園2-6

 遠くから撮ったから、花の正体は不明。

定光寺公園2-7

 コケの中から赤いニョキニョキが生えていたので撮ってみる。全然意味はない。

定光寺公園2-8

 キノコを撮りだすのは、いよいよ撮るものがなくなったときだ。
 雨のせいだけではなく、季節的にも今は撮るものが少ない。

定光寺公園2-9

 ハスは蕾も絵になる。
 しかし、みんなハスが好きなようで、ハス名所では朝の5時、6時からハスを撮りにたくさんの人が訪れているという。
 私の写真に足りないのは、技術ではなく情熱なんだろうと思う。朝っぱらの5時からハスを撮りには行けない。ハスに対してそんなに思い入れもないし。

定光寺公園2-10

 咲いているハスの花は撮れないから、蕾を撮る。
 これなんかはリズミカルで、みんなで何かを歌っているようだ。
 私が朝5時に撮りにこられるように、情熱熱風セレナーデをリクエストしたい。

定光寺公園2-11

 目玉を抱える手のオブジェ。
 何年も前から何度も訪れているけど、こんなところにこんなものがあることに初めて気づいた。昔からあったんだろうか。
 なんだか知らないけど、シュールというか、笑っていいものかどうか迷う。

定光寺公園2-12

 駅方面へ向かう道が真っ白になっていて驚く。花びら絨毯みたいだ。この時期、こんなに落花する花が咲いているだろうかと見上げてみるけど、そんなものはどこにもない。どうやら、すべり止めのたぐいのようだ。スピードが出る急勾配のカーブということで、その手の何かを塗ったのだろう。

定光寺公園2-13

 玉野川沿いの崖の高いところに定光寺駅はある。ここでは降りたことがないのだけど、写真を見るとかなり高くて怖そうだ。高所恐怖症の人はこの駅を利用するのは嫌なんじゃないだろうか。
 一度駅のホームや周辺を撮りたいと思いつつ、その機会がない。乗車人数は一日100人ちょっとの無人駅だ。
 かつては名古屋の奥座敷と呼ばれ、風光明媚な観光地として駅前にはホテルや旅館が数軒あったのだけど、今はすっかりさびれてしまった。

 雨の日写真に少し収穫があった。できることとできないことも分かった。雨の日にしか撮れないものも確かにある。雨の日撮影を好きになったとまではいかないけど、苦手意識はちょっとだけ弱まった。もっと雨の日に対する慣れが必要だとも感じた。
 今週から来週にかけても晴れ間は期待できそうにない。遠出も延びのびになっている。8月になれば梅雨も明けて青空は戻るだろうから、それまでなんとか小ネタでつないでいくとしよう。晴れたらすぐに飛び出せるように準備を整えておかなくては。

傘を差しながらの雨中撮影で少し収穫あり <定光寺公園-前編>

施設/公園(Park)
定光寺公園1-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 私の晴れ男パワーに最近かげりが見える。やまない雨を窓から眺めては、こりゃ駄目だなと思う。現地に行って雨があがることを期待するものの、逆に降りが激しくなったりする。もはや私は晴れ男ではないのか。
 今日も少しの間降りやんだかと思ったら、また降り始めるという繰り返しだった。7月の青空と太陽は雨雲に隠れたまましばらく見ていない。
 雨なら雨にしか撮れないものを撮ればいいと言うけど、カメラとレンズを濡らしたくない気持ちが先に立って、どうにも二の足を踏んでしまう。
 K10Dの防塵・防滴機能というのはどの程度信頼できるのだろう。隙間にシーリングをして水が入り込まない仕組みのようだから、ある程度は大丈夫なんだろうけど、雨に濡れたまま撮影を続けてもいいほどではないと思う。
 それはともかくとして、ネタ不足は深刻で、今日中にどこかで何らかの写真を撮ってこないとブログが一回お休みになりかねない状況だった。しょうがいないということで、傘を持って定光寺公園に出向いたのだった。
 レンズ一式と三脚も持っていったのだけど、雨の中で傘を差しながらではレンズ交換もままらない。三脚も交換レンズも車に置いて、TAMRON90mmマクロをつけて傘を差しての歩き撮りとなった。そうなると、もうほとんどお散歩写真しか撮れない。傘を持った左手でカメラを支えながら右手でシャッターを押すという、かなり苦しいものとならざるを得ない。自分はいくら濡れてもかまわないから、デジを死守することを第一とした。
 頭からすっぽりかぶってレンズを出す穴だけ開いているカッパが売ってるのだけど、そんなものを着ながら街中の公園で撮影している人を見たことがない。世の中は広いからそんなツワモノもいるのだろう。

定光寺公園1-2

 降っている雨は、なかなか写真には写らない。雨粒が作る水紋は雨表現として定番だ。
 ハスの葉が皿になって集めた水滴というのもありがちだけど、雨撮りに慣れてない私としては、他に思いつくものがなかった。

定光寺公園1-3

 雨が似合う花といえばアジサイが思い浮かぶ。
 街中ではもうすっかり終わったアジサイも、定光寺公園あたりは季節の進みが遅いから、まだ少し残っていた。
 カタツムリでもいるといいなと思って探したけど見つからず。

定光寺公園1-4

 石段も雨に濡れて光っていい感じ。
 今日は定光寺には用がなかったので寄らなかった。神社仏閣離れが進んでいる。

定光寺公園1-5

 老竹と竹の葉。
 竹の成長は早いから、竹自体それほど長生きすることはないのだろう。この木は極太で茶色に変色して迫力があった。竹の古木というのがあることを今更ながら知る。

定光寺公園1-6

 しずくの中に小さな世界を閉じ込めたかったけど、成功せず。
 この中に花とかを入れたかった。

定光寺公園1-7

 雨に濡れる花でも撮ってみる。特に工夫もなく。

定光寺公園1-8

 見たこともない変わった花に、きれいな緑色の小さなクモがいた。
 花の蜜を吸うわけでもないだろうから、花に来た小さな虫でも食べるんだろうか。

定光寺公園1-9

 水路の水が落ちている部分を滝に見立てて撮ってみる。
 シャッタースピードを変えて何枚か撮った中で、これが一番面白い表情になった。

定光寺公園1-10

 池の周りの芝生も、半ば水浸しになっていて、うっかり足を踏み入れたら靴がずくずくになってしまった。あきらめてバシャバシャ歩く。
 池も川も増水して、濁っていた。

定光寺公園1-11

 水滴を付けて鮮やかな色になったオニユリ。
 こういうのは雨でしか撮れない色だ。雨の日の撮影も悪いことばかりじゃないと思わせてくれた。

定光寺公園1-12

 今年はあまりノウゼンカズラを撮っていない。一番よく咲いていた時期に、青空をバックに撮ろうと考えていたら、タイミングを逃してしまった。
 ノウゼンカズラも雨色をしていた。

定光寺公園1-13

 雨の日の夕方では、咲いているハスがあるはずもない。
 ほとんどが固く花びらを閉ざしていた中、これだけが少し開きかけていた。そしてひとひら、花びらを落としていた。
 ハスも青空と太陽が恋しいと思ってるんじゃないだろうか。

 写真はもう一回分確保した。明日もこの続きになる。
 今日はさらっとこれくらいで。
 つづく。

ネタ不足につき暮らしの写真でつなぐ

日常写真(Everyday life)
暮らし写真-1

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II 他



 最近雨ばかりで、写真を撮りに行きたくても行けない日が続いている。今日も降ったりやんだりの一日で、途中で一時豪雨になった。 あそこも行きたい、ここも撮りたいというところはたくさんあるのに、雨降りではどうにも厳しい。雨の中、傘を差して10時間も歩きたくない。
 とりあえず、雨用にシャワーキャップだけは買おうと思っている。もちろん、私が頭にかぶるためじゃなく、カメラが濡れないようにかぶせるためだ。雨降りの中、シャワーキャップをかぶって写真を撮っている人は嫌だ。
 そんなわけで、完全なネタ不足に陥った。前に撮った神社写真の在庫はあるのだけど、今は神社仏閣に関わりたくない気持ちが強い。
 その他に何か写真はないかと探したら、日々の暮らしの中で撮った写真が何枚かあった。今日のところは、それらの写真を並べてつなぐことにする。
 こういう写真は普段ネタとしては使えないものだから、たまにこうしてまとめて載せることも悪くないかもしれない。ネタになるとなれば、日々の中で写真を撮る動機にもなる。

暮らし写真-2

 バナナフック。
 とても単純なアイディアだけど、最初に思いついた人は賢い。

暮らし写真-3

 切子グラスには被写体としての可能性を感じる。
 グラスの中をのぞいてみると、万華鏡的な魅力があることに気づく。

暮らし写真-4

 ある日、私もミルククラウンを撮ってみたいと、ふいに思った。
 あれこれ実験してみたけど、これが想像以上に難しい。
 ミルククラウンを撮る以前に、ミルククラウンを作ることさえできなかった。条件が揃わないとできないらしい。できたのは、鼻先にボールを乗せる曲芸をするオットセイみたいなものだった。
 30分ほど試行錯誤を繰り返して、あきらめた。調べ直して出直そう。

暮らし写真-5

 いつも買っているテレビ情報誌の「TV Taro」を買いにいったら売り切れだった。他の店に買いにいくのが面倒で、つい別のものを買ってしまった。
「TV navi」は、ジャンル別に色分けされていて分かりやすそうだったのだけど、これが駄目だった。BSデジタルが別ページにあるから、ちょくちょく忘れて番組を見逃すし、映画についての解説がほとんどなくて、タイトルだけでは内容が分からない。
 なんとか1ヶ月我慢して、来月から「TV Taro」に戻る。Taro自体に何の不満もないから、今後もTaro一本でいきたい。

暮らし写真-6

 無駄なもののたとえにトイレの100ワットというのがある。言い得て妙だ。
 トイレの電球は10ワットで充分だ。たまに間違えて20ワットを買ってしまって、わっ、明るすぎる、と思う。トイレで何かを読んだりする習慣もない。便座の位置とペーパーさえ見えればいい。

暮らし写真-7

 PC関連やPC周りは黒が一番落ち着く。白いとなんだか落ち着かない。
 マウスもプリンターも黒にして、一通り揃った。

暮らし写真-8

 転がるアイ。
 昼間の明るいところで、目が細くなっている。
 最近、首輪を黄色に変えた。前の赤より似合ってる。

 今日のところはこんなところか。
 明日はどこでもいいから出向いて、少しでも写真を撮りたいと思っている。雨次第。1時間でもやんでくれると歩けるのだけど。

最高のシチューができたのは銅鍋のおかげサンデー

料理(Cooking)
銅鍋サンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今回のサンデー料理の目玉は、銅鍋だった。
 銅鍋は熱伝導効率に優れていて、煮物や汁物が美味しくというのをテレビで見て、欲しくなって買ってしまった。
 それで、最初に作ったのがシチューだった。右奥がそうだ。
 食べてみてすぐ、銅鍋は相当やるかもしれないと思った。今まで食べたシチューの中で一番美味しかったのだ。こんなに出来上がりの違いがはっきり分かるほどだとは思ってなかったから驚いた。私の料理の腕が急に上がったわけではない。
 作り方に特に工夫はないものの、シチューを一から作るのはけっこう手間暇がかかる。
 バターをフライパンで溶かし、同量の小麦を入れて、ペースト状になるまで混ぜるところから始まる。
 そこへ牛乳を少しずつ足していって、ホワイトソースを作る。これが面倒だ。だまだまが消えるまで、根気よくかき混ぜていかないといけない。
 別の鍋では、ジャガイモとニンジン、鶏肉、タマネギをオリーブオイルと白ワインで炒める。ジャガイモは水に浸けてあく抜きをする。
 銅鍋ではまず水を温める。そこへ、炒めたジャガイモやニンジンなどを入れて、下茹でする。アクが出るからアク取りもする。アルミホイルでやると早い。
 ある程度煮たところで、コンソメの素、塩、コショウ、しょう油と砂糖を入れ、ホワイトソースを投入する。ここでほぼ味付けを整えて、ある程度具材が柔らかくなるまで煮ていく。
 その後、いったん火を止めて冷ます。冷める過程で具材に味が染み込んで美味しくなる。
 再び火を入れて、ブロッコリーとスライスチーズを追加して、しばらく煮たら出来上がりだ。
 銅鍋のすごいところは、ジャガイモなどの具材がほかほかに柔らかくなっているのにほとんど煮崩れしないところだ。普通の鍋で煮込むと、ジャガイモなどは崩れてしまって、スープがゴテゴテになりがちなのだけど、銅鍋はそうならない。
 このシチューなら人にごちそうしたいと思った。ただ、作るのが面倒なので、しばらくは作る気がしない。

 もう一つ、新しい試みがあった。前から言っていたバルサミコ酢を買って使ったことだ。
 右手前のマグロのバルサミコ酢煮を作った。
 直接舐めてみたら、相当酸味がきつかったから、直接サラダなんかにかけるとかなり酸っぱいと感じそうだ。ただ、バルサミコ酢は、煮込むと酸味がまろやかになるという特徴がある。しょう油との相性もいいということで、まずはそこからやってみることにした。
 オリーブオイル、白ワイン、バルサミコ酢を鍋で煮詰める。かなりぐつぐつくるのでちょっとびっくりした。
 そこへ、刻んだタマネギを入れて炒め、更に刻んだトマトを入れる。
 塩、コショウ、砂糖、しょう油、マスタード、コンソメの素を加え、マグロのサイコロもそこへ入れてしまって煮ていく。
 マグロだけ別に調理して、バルサミコ酢ソースを上からかけた方が見た目は上品な料理になっただろうけど。
 普通のお酢よりもフルーティーというか、洋風テイストになる。ほのかな酸味がなかなかいい。これは使えると分かった。今後も活用していこう。

 左奥は、あり合わせの食材で作った第三の料理だ。
 いつも二品まではすぐにメニューが決まるのに、三品目がなかなか決まらずに苦労する。そんなときは、手持ちの食材で適当に作って帳尻を合わせることが多い。今日もそうだった。特に銅鍋とバルサミコ酢という二つの新戦力に気持ちがいっていたというのがあって、三品目はついで感は強かった。
 ナスと大根を塩水に浸けたあと、タッパーに入れてレンジで3分ほど加熱する。
 フライパンにオリーブオイルを入れ、ナスと大根を投入する。エビと絹ごし豆腐も入れて炒める。
 白ワイン、塩、コショウ、コンソメの素、白しょう油、砂糖少々で味付けをして、最後に刻んだ長ネギと溶き卵を加えて、卵とじにして完成となる。
 これも普通に美味しく食べた。

銅鍋

 しばらく銅鍋ブームが続きそうな予感がしている。カレーも作りたいところだけど、この前作ったばかりだし、何か煮物でもしようかと思っている。もちろん、和食にも使える。
 肉じゃががどんなふうにできるのか、一度試してみたい。煮崩れせずに柔らかく仕上がったら、銅鍋はやっぱりすごいということになる。来週はそれでいこうか。
 腹ばいになって写真を撮る私が銅鍋に映り込んでいるけど、気にしてはいけない。

余りもの写真というには枚数があったので追加で最終回 <常滑散策-4>

観光地(Tourist spot)
常滑4-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 常滑の写真をあらためて見てみたら、使い切れていない写真がけっこう残っていた。ネタ不足ということもあり、もう一回常滑シリーズを延長して、すっきりした形で終わらせることにする。前回のままでは中途半端で少しもやもやがあった。
 最後は歩いた順番で、残りもの写真を並べていくことにしよう。まずは出発点となった陶磁器会館前からだ。
 ポストの上に、郵便配達バイクにまたがる猫ライダーの陶器が飾られている。ポストの上に何かが乗っているのを初めて見た。全国各地にはご当地ものの名物などが乗っかっていたりするのだろうか。

常滑4-2

 生活風景の中に雑然と陶器類があって、回りの風景と一体化して歳月を経ている。背後には、黒板の古い家屋と、使われなくなった赤煉瓦の煙突がある。
 これが常滑を象徴する風景だということは分かるのだけど、他の町とは違う印象を受ける理由を説明しようとすると難しい。感覚的には掴んでいるつもりでも、上手く言葉で説明できない。同じ陶器の町でも、瀬戸とは町の性格が違う感じがする。

常滑4-3

 崩壊しかけた窯の跡。
 周囲には雑草やら百日草やらが雑然と生えている。この感じが常滑なんだという気がする。

常滑4-4

 古い煙突と新しい煙突。
 新しい方は家庭用のものだろう。お風呂とかだろうか。
 機能性だけを考えたら、当時でも赤煉瓦煙突の必要はなかったのかもしれない。見た目にもこだわってそうしたんじゃないか。
 明治の日本人の建物に対する美意識というのは、今よりも優れていたと思う。

常滑4-5

 斜め三連の窓がポップで面白いと思った。
 これは何階建ての建物なんだろう。窓だけを見たら四階建てのようにも見えるけど、高さからすると三階建てだろうか。
 だとすると、窓と部屋の関係はどうなっているのか。
 家の横には赤煉瓦煙突が張りついている。

常滑4-6

 黒板の家と煙突。細い路地と軽自動車。
 道は狭くて坂もあるのに、車が多い。車がないと不便で困ってしまうだろうけど、大きな車では身を持て余す。

常滑4-7

 廃屋。住居兼作業場という感じだろうか。
 崩れ落ちてきそうでちょっと怖い。
 でも、なんとなく惹かれるものがある。

常滑4-8

 窓を葉が覆っている。
 外で生やしていたものが内側に進入したのか、窓辺にあった葉が外に向かって繁殖したのか、どちらだろう。
 どちらにしても、これではもはや窓の役割は果たせない。

常滑4-9

 少し毛色の違う建物。白壁と朱塗りの格子というのは、滋賀あたりの旧東海道沿いを思わせる。
 蔵っぽい雰囲気もある。普通の家にしては窓が小さいし少なすぎる。

常滑4-10

 常滑では古い屋根瓦の美しさを再認識することになった。
 甍(いらか)の波と雲の波という鯉のぼり歌詞を思い出す。均一に並んだ低い家並みを美しいと感じた感覚を失いつつある。

常滑4-11

 保存用の赤煉瓦煙突だろうか。赤煉瓦の並びがきれいだし、補強も入っている。
 赤煉瓦にはツタがよく似合う。

常滑4-12

 コースの途中に、神社もお寺もあったのに、寄る気がしなくて素通りした。
 どうも桑名へ行って以来、神社仏閣熱がピタリと冷めてしまったようなのだ。消極的にさえ行く気がしない。
 このまま神社仏閣から離れてしまうことになるのかどうか、自分でもよく分からない。
 歴史に対する興味が急速に薄れているのも気になる。

常滑4-13

 コースの終盤近く。
 窯元が少しあったりするものの、住宅街の色合いが強くなる。
 コースの前半と後半では違う町のように感じた。

常滑4-14

 通りに面した猫ストリート。壁にたくさんの猫作品が張り付けられている。車で走りながらでも楽しめる。

 最後まで常滑の町の特質を捉えられそうで捉えきれずに終わった。回り残したところはあまりないのに、もどかしい感じが残ったのは心残りではある。
 何年後かに再訪する機会は訪れるだろうか。
 やきもの散歩道は特色のあるところで、お気軽散策が楽しめるから、オススメできる。写真に撮りたくなるところも多い。
 一日コースとしては、セントレアと知多の海と絡めると、盛りだくさんで楽しめると思う。

茶屋ヶ坂公園の雑木林ゾーンが気になって散策してきた

施設/公園(Park)
茶屋が坂公園-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 平和公園南の雑木林を歩いたら、茶屋ヶ坂公園のことを思い出した。公園は2、3度行ったことがあるけど、南の雑木林は入ったことがなくて、ずっと気になっていた。一度でも歩いてみれば様子は分かるし、気も済む。一度も行ったことがないと心に引っかかったままになる。そんなに遠いところでもないし、気になっているなら行っておこうということで行ってきた。
 茶屋が坂公園を分断する道路に歩道橋が架かっている。以前訪れたときは、ここから名古屋駅方面を撮るのが目的だった。
 それにしても、電柱と電線がうらめしい。これさえなければ、夜景撮りにも最適の場所となるのに。
 スパイラルタワーズ、テレビ塔、ミッドランドスクエア、JRセントラルタワーズ、NTTの電波塔、ルーセントタワーと、一画面にすべて入る場所は貴重だ。右手にはザ・シーン城北やナゴヤドームの屋根も見える。
 名古屋城まで全部見えるポイントを探しているのだけど、公共の場所でそんなところは存在するのだろうか。

茶屋が坂公園-2

 公園内にある茶屋ヶ坂池。アオクビアヒルが一羽、のんきに浮かんでいた。
 地名の由来はそのままで、かつて坂の途中にお茶屋さんがあったことから名づけられたとのことだ。
 茶屋ヶ坂と茶屋が坂の表記が混在していて、どちらが正式なのかよく分からない。地下鉄の駅や公園名などは茶屋ヶ坂になっている。

茶屋が坂公園-3

 初めて入る雑木林ゾーン。高級住宅地の部類に入る茶屋が坂で、この森林ぶりはなかなかのものだ。
 散策路はしっかり整備されていてワイルドさには欠けるものの、森林そのものは本物だから、ちょっとした森林浴気分を味わえる。
 また両腕を蚊にボコボコにされた。毎回侮ってはいけないと言ってるのに、ここは大丈夫だろうと油断したら全然大丈夫じゃなかった。
 まだ梅雨も明けてないのに、すでに50ヶ所くらい蚊に刺されてしまっている私は、自分でも駄目だろうと思う。虫除けを買わないと。

茶屋が坂公園-4

 その気になれば雑木林に踏み込んでいくことも可能だ。内部はけっこうなジャングル状態になっている。
 ただ、野草などはほとんどなく、森としての魅力には欠ける。これといって撮るものもない。
 セミはよく鳴いていて、セミ取りの親子がいたり、犬の散歩をさせている人がちょくちょく通る。街中に住みながら犬の散歩をさせることに事欠かないというのは、いい環境だ。車で5分も走れば平和公園もある。

茶屋が坂公園-5

 散策路の様子は掴んだ。なるほどこういうことかと分かった。撮るものはない。エノコログサがかわいかったので、これでも撮っておく。
 今日は曇天で光もなかった。

茶屋が坂公園-6

 コシアキトンボのメスが私のまわりをぐるぐる旋回して、撮れるものなら撮ってみろと挑発的な態度を示し、私はさんざん翻弄されて、なんとか画面の端に収めることに成功した。これも偶然入っただけだ。
 飛ぶトンボ撮りも難しい。

茶屋が坂公園-7

 千種区の花がアジサイで、区はアジサイタウン事業というのを行っているらしい。茶屋ヶ坂公園やその周辺にたくさんアジサイが植えられていた。
 7月の終わりでは完全に出遅れだ。ほとんど枯れきっていた。枯れアジサイも味わいがなくもないということで、一枚は撮った。
 5月の雨に行くところがないときに訪れればよかった。来年まで覚えていられるだろうか。

茶屋が坂公園-8

 三つ葉のクローバーから出ていた花だからシロツメクサだろうと思ったのだけど、花をアップで撮ったら自信がなくなった。うすピンク色をしているし、花の形もこんなふうではない気がする。

茶屋が坂公園-9

 撮るものを探して、いったん公園から外に出た。
 住宅の花壇に花が植えられていたから、その中からオシロイバナを撮る。黄色地に赤い絞りが入ったタイプで、雄しべだか雌しべだかの赤色に惹かれた。

茶屋が坂公園-10

 ちょくちょく見かけるのに名前を覚えられないやつ。
 調べ直して、アブチロンと分かったものの、またすぐに忘れてしまいそう。

茶屋が坂公園-11

 東からもう一度公園に入った。
 こんな水の流れがあるのも知らなかった。池にそそいでいるのだろうけど、近くに川はない。どこから流れてきている水なんだろう。
 底が赤いのは、地盤が赤土なんだろうか。
 この流れで、ここはますます良いところだという印象を持った。シオヤトンボやオニヤンマなどのトンボもたくさん飛び交っていたし、このエリアは植えられた花も多い。近所の人たちの憩いの場としては充分合格点だと思った。

茶屋が坂公園-12

 サルスベリも夏の花で、ピンク色のものは南国を思わせる。
 ここでも元気に咲き始めていた。百日紅の名の通り、秋のはじめ頃まで長く咲く。

茶屋が坂公園-13

 少し小さめのヒマワリも咲いていた。
 愛知牧場のヒマワリ畑がそろそろ咲き揃い始めたようだ。行きたい気持ちはある。

茶屋が坂公園-14

 すぐ近くにいくらでも自然の木があるのに、なんで好きこのんでフェンスなんかで羽化したのだろう。
 錆びたネジが掴まるのにちょうどよかったんだろうか。

 あまり撮るものがない時期だったこともあって、茶屋ヶ坂公園は単発で終わってしまった。ネタ貧乏はしばらく続く。来週の電車の旅までなんとか小ネタでつかがないといけない。
 早く梅雨が明けて青空が戻って欲しい。

平和公園南エリアは千種区一のワイルド森林地帯

施設/公園(Park)
平和公園南-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 名古屋はまだしばらく梅雨が明けそうになくて、ここのところずっと曇りや雨の日が続いている。
 かと思うと、急に青空が広がったりして、天気が読みづらい。今日もそんな一日だった。
 夕方少し時間があって、雨もあがったということで、近場の平和公園に行ってきた。といっても、広場や猫ヶ洞池がある方ではなく、南エリアだ。
 この場所は一般的な認知度は低いと思うけどどうだろう。犬を連れて周囲の舗装路を歩いている人はそれなりにいるものの、内部の雑木林にひと気はない。たまにすれ違うと驚く。
 ただ、足跡はついてるから、午前中などに鳥の人たちが歩いているのだろうか。
 訪れたのは今回で4、5回目だと思う。けっこう久しぶりだった。特にこれといった目的があったわけではなく、なんとなくセミでも撮ろうかと行ってみたのだった。
 アブラゼミしかいなくて面白くなかったのだけど、今シーズンの初撮りということで一応撮っておいた。ツクツクボウシやニイニイゼミなどは、なかなか撮らせてくれない。まだ時期的に鳴いてなかったというのもあるし、このあたりにはたぶんいないだろう。

平和公園南-2

 少年には夏がよく似合う。自転車のボーイが疾走していった。
 あんなときもあったよなと懐かしく思う。

平和公園南-3

 私が思っているよりも雑木林の散策路を歩く人は多いのか、道はよく踏みならされている。雑草が道を覆っているようなところは少なく、全般的に歩きやすい。
 雰囲気としては、明徳公園や猪高緑地に似ている。ということは、ワイルドさもかなりのもので、千種区で最もワイルドな緑地帯と言っていいんじゃないか。
 蚊もものすごくいて、短時間の間に10ヶ所ほど刺された。写真を撮るために止まると確実にやられる。
 また安易な考えで半袖を着ていったのが失敗だった。こういうところに入るときは暑くても長袖を着ないといけない。

平和公園南-4

 溜め池なのかどうなのか、小さな池がある。近づいたら黒い影があわてて泳ぎ去った。きれいとは言い難い水だけど、それなりに生き物はいるようだ。
 以前にここでタカらしき鳥とばったり出会って、撮ろうとしたら逃げられたことがあった。あの感激をもう一度と、いつも期待して行くのだけど、二度と出会うことはない。
 今日もこれといった鳥は見なかった。スズメとかヒヨドリとかそんなのだけで。

平和公園南-5

 雑木林は、ほぼ森と呼べる域にまで達している。
 平和公園の森は、東山の森につながっている。かつては広大な森だったのだろう。東山動植物園ができたり、地下鉄や幹線道路が通ったことで今は分断しているけど、お墓がある北エリアも含めて、まだ広大な森林地帯が残っている。
 1988年に名古屋オリンピックが開催されていたら、この平和公園一帯はオリンピックのメイン会場になるはずだった。オリンピックがこなかったのは残念だけど、これだけの森が残ったのはよかった。

平和公園南-6

 ここは花や虫が少ないところで、あまり出会わない。やっと見つけたトンボも貴重な被写体となる。
 シオカラトンボのメスかなと思うけどどうだろう。

平和公園南-7

 白いのはキノコ類だろうか。
 撮るものがあまりないときは、とりあえずコケを撮る。
 コケ好きの私なのだから、そろそろコケの種類を勉強するべきだ。
 ヒカリゴケも見てみたい。

平和公園南-8

 光る葉。
 森に差す光は、なんでもない風景に意味を持たせる。
 人知れず、光と影のドラマがある。

平和公園南-9

 ぐるりと回り込んで、南の湿地に出た。
 土壌から鉛やら何やらが出たとかで、湿地は立ち入り禁止になっていた。少しだけ入ってミソハギを撮る。
 ここは草がぼうぼうになっていて、奥までは入っていけなかった。

平和公園南-10

 なんでこんなところにという場所にヒマワリ畑ができていた。周囲をぐるりと紐の柵で囲んで近づけないようになっていたから、人に見せるためのものではないらしい。ヒマワリ油や種でも採るのだろうか。
 わずかに咲き始めていた花を遠くから撮った。
 この写真を見て、ふいに小学生の恋を思い出した。そう言ったら共感してくれるだろうか。
 好きな子を遠くからこっそり眺めている感じ。他の子は目に入らず、その子だけを目で追ってしまう。

平和公園南-11

 ムクゲの中。
 緑色の部分がきれいで、風に揺れる花を背伸びしながら撮ったら、こんな写真になった。手ぶれとピンぼけがかえって味になって、これはこれで写真として成立している。

平和公園南-12

 別色のムクゲを逆光で撮る。
 光を透かしたムクゲの葉っぱは、薄い木綿のようで、なんとなく懐かしい感じがした。おばあちゃんが着ていた夏服の布地を思い出したからかもしれない。

平和公園南-13

 逆光の笹の葉もいい色になった。

 短い時間でも、歩きさえすれば撮るものは何かしらあるものだ。こうして一回分のネタになった。しかし、一回分にしかならなかった。明日にでもまたネタ探しに行かないといけない。
 明日も雨模様のようだ。なんとか雨を撮りたいと思っているけど、どこで何を撮ればいいのやら。

お祭り騒ぎに乗っかって私も部分日食を撮ってみた

星(Star)
日食-1

Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS+C-PL



 今日見られるものは今日見ておけということで、私もブームに乗って日食を撮ってみた。悪石島ツアーへ行くほど優雅なお金持ちではないので、おとなしく名古屋にいた。悪石島は大雨だったようで、あれはちょっと気の毒だった。テント泊で34万円って、どこからそんな金額が出てくるのか。
 全国的にも、よく見えたところとあまり見えなかったところがあったようだ。名古屋は曇り空ながら、ときどき雲の間から太陽が出ては隠れるというというのを繰り返した。最大80パーセント近く欠けたときはちょうど雲がかかって見られなかったものの、その少し前に雲の間から撮ることができた。
 雲が出たというのは、撮影には有利に働いた。NDフィルターを持っていない私は、C-PLフィルターでなんとか誤魔化して撮るしかなく、もし晴天だったら明るすぎて撮れなかったと思う。曇りでもちょくちょく太陽を見ていたら、目が少しおかしくなった。
 雲のおかげで、幻想的な写真になったこともあって、個人的には満足のいく日食観測となった。見たし、撮れたと思えたから、納得した。
 せっかくたくさん撮ったから、何枚か載せておきたい。同じような写真だから、あまり意味はないのだけど。

日食-2

 欠け始めて間もない頃。
 欠けるというよりも、太陽の前を月が横切っていくという感じだった。
 このときは太陽の面積が大きくて、明るすぎてまとも撮れていない。シャッタースピードの最速が1/8000秒の20Dでも、シャッタースピードが遅すぎる。1/8000秒なんて使う機会はないと思っていたけど、それでも足りないなんて考えたことがなかった。

日食-3

 これくらい月が割り込んでくると、太陽が隠れてしまうことが感覚的に分かる。
 ただ、大きさ的に月の大きさが少し足りない気もした。単にずれるというだけではなく、見る場所によって見かけ上の月の大きさが違って、皆既日食になったり部分日食になったりするのだろうか。詳しい仕組みが今ひとつよく分かっていない。
 右斜め上から進入した月は、そのまま直進せずに、少し曲がって太陽の右側を通って抜けた。だから、上を向いていた三日月型の太陽は、次第に右向きになっていく。
 このあたりの軌道も、場所によって違いがあったのだと思う。

日食-4

 日本における日食の最も古い記録は、推古天皇の時代の628年だ。『日本書紀』に出てくる。
 聖徳太子は622年に死んでいるから、日食は見ていない。
 卑弥呼の時代の247年と248年の二度、日食があったという説がある。
 太陽を崇拝するシャーマンの卑弥呼は、このことで神通力を失い、女王の座から追い落とされたと考えている人たちもいる。
 卑弥呼とアマテラスを同一とする説もあり、太陽神であるアマテラスが隠れたため世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説を、皆既日食と結びつけると話はつながる。
 ただ、私たちは古代人を無知な人々と考えがちだけど、当時からすでに天体や太陽に関する知識はかなりあったんじゃないかと思う。日食についてもある程度は分かっていたのではないか。
 それに、皆既日食といっても数分から数十分のもので、世界の破滅と騒ぐには時間が短すぎる。そのことだけで卑弥呼が殺されたとするのはちょっと納得できない。
 ただし、本当に2年連続で皆既日食かそれに近い日食が起こったとすれば、二度目のときにいよいよ卑弥呼では駄目らしいと考えたというのはあるかもしれない。
 安倍晴明が生きていた平安時代の975年にも皆既日食はあり、源平合戦のさなかの1183年には金環日食があったと記録に残っている。
 平安時代にはすでに知識としてあったようだから、それ以前の記録から研究がなされていたということだろう。昔も今も、部分日食はわりと頻繁に起こる。

日食-5

 最大に欠ける少し前はこんな感じだった。
 その後は雲が覆ってほとんど見えなくなり、私も興味をなくして見なくなってしまったので、後半の進行状況は掴んでいない。一応撮れただろうということで満足してしまった。
 次回の皆既日食は、2035年だ。
 ただ、完全な皆既日食となるところは海上のごくかぎれた地域で、日本列島上では金沢あたりの0.994が最大となる。東京でも0.992とほぼ隠れるから、このときも大きな話題になることは間違いない。問題は、自分が生きていられるかどうかだ。
 部分日食は今後もちょくちょく起きる。中でも2012年5月の金環食は、太平洋岸の広い地域で見られるから、現実的にはこれを楽しみとすることになる。
 北海道から九州、沖縄まで、全国的に9割以上の日食になるから、ツアー旅行に行く必要もない。
 東京も0.969のほぼ完全な金環食が見られるし、名古屋もそれに近い。
 時間帯が6時から7時にかけてということで、家の周りに高い建物が多いと見られなかったりするかもしれない。5月の7時というと、太陽はどれくらいの高さにあるだろう。
 一生に一度きりと大騒ぎしていたけど、近いものがちょくちょく見られると思うと、ややありがたみが薄れるか。
 76年周期のハレー彗星の方が貴重だった。1986年に見逃したから、次の2061年は相当遠い。
 まあしかし、こんなちょっとしたお祭り騒ぎもたまにはいい。大雨でそれどころではなかったところもあることを思えば、浮かれていられるのも平和な証ということになる。
 あとから振り返ったとき覚えているのは、ワールドカップで有名になった中津江村や、オウムで知られるようになった上九一色村のように、悪石島のことかもしれない。

やきもの散歩道の路地と坂と煙突コレクション <常滑散策-3>

観光地(Tourist spot)
常滑3-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 常滑散策シリーズも今回が3回目。
 上の写真は、やきもの散歩道で必ずといっていいほど紹介される場所だ。常滑の町の象徴的な風景の一つといえる。
 左は土管で、右は焼酎瓶だそうだ。道には陶器が埋め込まれている。
 瀬戸もそうだけど、余った陶器類などを利用して道や垣根を作るのは生活の知恵で、おしゃれ感覚や遊び心とは違うのだと思う。いや、そういう気持ちもいくらかはあったのだろうか。
 それが今や観光資源となっている。時代を経ることで価値が上がるものと下がるものがあり、何が幸いするか分からない。
 30年後、50年後に、現代風景のどの部分の価値が上がるのか、今を生きる私たちには予測がつかない。

常滑3-2

 右は古い陶器の垣根が残り、左は近代的な家屋が建つ。
 観光地であり、住宅地でもあるという微妙なところだ。細い路地は私的な生活空間という意味合いが強いだろうから、有名になって訪れる人が増えれば住人は嫌がるはずだ。
 ここはどこまで町並保存指定になっているのだろう。保存地区に指定されてしまうと、勝手に建てたり壊したりできなくなって、いろいろやっかいな問題も出てくる。
 なんとなくうやむやのまま、なあなあでいくしかないのかもしれない。

常滑3-3

 この日は天気がよくて、夏らしい強い光と影が印象的だった。
 でも、ここは雨の日が似合う場所だと思った。雨に濡れると更に情緒的な風景になるんじゃないだろうか。

常滑3-4

 初めて訪れるのに懐かしい感じがした。
 細く曲がった路地や、建て込んだ家並み。
 家の周辺には細い水路が流れている。昔はこういうところに生活のあれこれを流したりしていたことだろう。うちの田舎でもそうだった。

常滑3-6

 黒板の家。
 ある時期、日本人は黒い家を好んだ。木の板に漆を塗った城の影響もあったのだろうか。
 黒い家屋と白壁の蔵が、一時期の日本を代表する風景だった。
 時代が流れて、日本人の家に関する美意識は大きく変わった。西洋の影響が大きすぎた。
 今見ても黒い家は格好いいと思うけど、新築の黒い家などはほとんど見かけない。
 昭和の古い家並みが残るのはあと何年くらいだろう。

常滑3-5

 マンホールコレクション。
 旅先では必ず撮る。
 常滑の絵柄は何をデザインしたものか分からなかった。帰ってきてからサザンカだと知った。常滑市の花がサザンカだからのようだ。
 市の木は黒松で、黒松デザインのマンホールもあるようだけど、それは見かけなかった。

常滑3-7

 少し高いところから見下ろす常滑の風景。
 昔ながらの屋根瓦がどこまでも建ち並ぶ風景を見てみたかった。訪れるのが少し遅かったようだ。
 もっといいビューポジションもありそうで、もう一度訪れたいところではあるけど、次はあるかないか。

常滑3-8

 最後に少し赤煉瓦煙突コレクションを。
 煙突があるということはそこが窯元だったのだろうけど、今は民家に張りつくように建っているものもある。陶器をやめてしまった家も多いのだろう。

常滑3-9

 かなり背の高い煙突。
 最大のものは24メートルあったらしい。たぶん、これではない。
 24メートルというと、ビルの8階に相当する。

常滑3-10

 うなだれるヒマワリと赤煉瓦煙突。
 水不足でもないし、照りつけるほど暑いというわけでもないのに、今ひとつ元気のないヒマワリ。もう枯れる前だったか。

常滑3-11

 ツタの這った煙突。引退してからの時間の経過を思わせる。

常滑3-12

 散歩道の終盤。
 もう少し高台だったらもっとよかった。
 方向が南東向きというのも惜しい。これが西向きなら、いい夕焼け風景になるだろうに。

 まだ使い切れずに残った写真が何枚かあるけど、常滑シリーズはこれで終わりにしてもいいと思っている。
 ただ、ネタ不足につき、明日もう一回、知多の海写真とあわせて番外編をやるかもしれない。
 日食が撮れたらそっちがネタになる可能性もある。
 いずれにしても、近々また写真を撮りに行かないといけないのは確かだ。

見た目にやや品を欠くものの美味しく食べたマンデー料理

料理(Cooking)
やや品不足サンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 昨日の日曜日は土用の丑で、うなぎを食べた。連休ということもあり、料理は一日ずらして、今日マンデー料理となった。
 今回もアイディア不足というか、イメージの欠如で、お馴染みの料理のアレンジにとどまった。
 料理は音楽に似ているところがあるかもしれない。音楽が決められた音符で無数のメロディーを生み出すように、料理もだいたい決まった食材をあれこれ組み合わせて作る。
 違うところは、音楽は誰でも作れるわけじゃないけど、料理は誰でも作れるという点だ。食材と調味料を適当に組み合わせれば、なんらかの料理になる。
 そういう意味では、料理と似ているのは絵画の方かもしれない。無秩序でも絵の具を塗りたくれば絵にはなる。
 今回もあり合わせの食材で、今日食べたいものを作った。テーマはない。
 なるべく今まで作ったことがあるのと同じものは作らないようにと考えているし、多少は工夫も加えようとは思っているけど、今まで作ったものを全部覚えているわけではないから、自分でも気づかないうちに同じものを作っている可能性はある。料理歴もかれこれ4年くらいになるだろうか。

 左手前は、マグロとナスの甘辛炒めだ。
 茶色料理になってしまったのには訳がある。レタスを敷くつもりで、切って水にさらしたのを冷蔵庫に入れていたのを忘れてしまったのだ。ちょっと失敗した。
 ごま油でタマネギとナスを炒め、塩、コショウ、酒、みりん、しょう油、ニンニク、ショウガ、砂糖、トマトジュース、ケチャップ、オイスターソース、豆板醤、唐辛子で味付けをする。
 最後に、塩、コショウ、ごま油をまぶしたマグロを投入して、ソースに絡めながら色がつくまで炒めて完成となる。
 チリソース風といえばそうかもしれない。刺身用のマグロも、こうやって料理すると肉の代わりになる。

 右は、ジャガイモとニンジンのカレー味煮込みだ。
 オリーブオイルで、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、鶏肉を炒め、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、みりん、しょう油で味付けをしたあと、水を足して煮込んでいく。圧力鍋で急いだから、ちょっと煮崩れしてしまった。
 終盤にカレー粉を入れて、粉チーズとパセリを振る。
 和洋折衷でいい味になった。今回の中で一番美味しかった。

 奥は、エビと豆腐の中華スープとなっている。
 中華だしで中華スープを作り、絹ごし豆腐、エビ、長ネギの刻みを入れて茹でる。
 塩、コショウ、唐辛子、ラー油で味を調えて、出来上がりとなる。
 卵とじにしようかとも思ったけど、やめておいた。

 今回はこんなところだ。
 見た目にやや品を欠いたのが難点だけど、味は申し分なかった。3品とも美味しく食べたし、バランスも悪くなかった。
 そろそろ新しい皿を買いたい。皿が変われば気分が変わるだけでなく、料理も変わってくるはずだ。そこにあらたな可能性を見いだしたい。
 和食器を買いたいというのもあるし、洋食器も欲しい。欲しくなるときりがないから今まで我慢していたけど、和洋もう1パターンずつくらいは買ってもいい。
 いざ買うとなると、どういうものを揃えていいか迷うところなのだけど。

焼き物の町は観光地化する必要はないのかもしれない<常滑散策-2>

観光地(Tourist spot)
常滑2-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 今日は常滑散策の第2回目をお送りします。
 土管というのも、気がついたら見なくなっていたものの一つだ。子供の頃は、空き地などによく放置されていた。
 忘れてしまった多くの風景がある。昔の不便さや乱雑さや未整理な状態に戻りたいわけじゃないけど、今になってみると懐かしい。
 
常滑2-2

 登り窯を上から見たところ。
 正確には連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)といい、いくつかのタイプがある。
 日本に最初に伝わったのは佐賀県の唐津で、1500年代に朝鮮半島から技術が持ち込まれたといわれている。
 坂道などを利用して、段々に仕切って小部屋を作り、燃焼ガスの対流を利用して各室均一に熱が伝わるようにすることで大量生産を可能にした。
 常滑に登り窯が作られるようになったのは江戸時代の終わり頃で、明治にかけて数を増やしていき、最盛期には60基ほどあったという。
 現存しているのはわずか1基となっている。石炭と薪の両方を使う折衷式(せっちゅうしき)で、明治20年に作られたものだ。
 昭和49年まで使われていたというから、長く活躍した。
 全長22メートル、焼成室は八つあり、煙突10本もそのまま残っている。

常滑2-3

 下から見ても、坂の段々になっていることが分かると思う。
 ここを仮納屋と呼び、向かって右側のレンガが焼成室となる。

常滑2-4

 出入り口と内部。
 見学用にライトがつけられているけど、当時はどうやって明かりを採っていたのだろう。自然光だけでは暗すぎる。

常滑2-5

 ここが焚き口になる。
 当時は1000度を超える温度を測る温度計があったとは思えないから、温度管理や焼け具合についてはすべて職人の経験と勘が頼りだったのだろう。
 登り窯のシステムは画期的だったにしても、土をこねて火で焼き固めるという発想自体は、数千年の昔からあったものだ。磁器にしても原理に大きな違いはないから、今でも陶器はあまり変わっていないと言える。

常滑2-12

 登り窯広場。展示工房館もあり、散策の中間点で休憩するのにちょうどいい。
 丸ポストはやや演出くさくもあるのだけど、知多というのは丸ポストがけっこう残っているところだから、これは演出とも言い切れない。他でも丸ポストを見たし、常滑市内に6つあるようだ。

常滑2-6

 これは演出なのかどうか微妙な感じだ。でも、ホーロー看板が演出じゃないかもしれないと思わせるあたりが常滑という町だ。

常滑2-8

 学校帰りの小学生。
 散策路の中には民家もたくさんあって、普通に生活がある。子供の頃からここで暮らしていれば、この町並みも特別なものじゃない。

常滑2-7

 お仲間を発見。
 他にも中高年のグループなどを見かけた。
 週末などはけっこう多くの人たちが訪れるのかもしれない。

常滑2-9

 屋根瓦も昔ながらのしっとりと落ち着いた佇まいを見せる。近年のテラテラ光った軽薄な感じのものじゃない。
 向こうに陶芸道場の文字が見える。地元では、ちょっと道場に行ってくるといえば空手や柔道とかじゃなくて、陶芸のことをいうのだろうか。

常滑2-10

 観光客目当ての店は少ない。陶器のギャラリー兼店舗のようなところはいくつかあるものの、食べ物屋のたぐいはあまり見かけなかった。
 散策に訪れる人間がお金を使うところがなければ、常滑にとっての実入りは期待できない。あまり観光地化してしまうと、うるさくなって嫌だという住人心理もあるだろうけど。
 町としてさびれるに任せるか、観光地にして人を呼ぶか、なかなか難しい問題ではある。

常滑2-11

 窯元や工房などがあるあたり。
 右に行くと登り窯で、散策Aコースはここを左に曲がる。少し迷った。

常滑2-13

 廻船問屋として栄えた瀧田家の住居跡を保存展示している。
 外回りは無料で見て回れる。家の中に入るには300円かかる。ちょっと迷って素通りした。

常滑2-14

 笑福猫舎。招福招喜猫神社は2008年にできたごく新しいものだ。
 ここはおみやげ屋さんのようなところで、招き猫なんかが売られている。
 常滑もあの手この手で町おこしを考えているのだろう。
 招き猫といえば、毎年招き猫まつりをやっている瀬戸市にお株を奪われたような恰好になっている。もっと招き猫生産日本一を前面に出していくと、人も集まってくるんじゃないか。
 常滑焼きまつりが今年も8月22、23日に行われる。このときはかなり盛り上がるのだろう。

 常滑散策シリーズは、あと1回か2回続く予定。

過去と現在が混じり合わずに同居する町 <常滑散策-1>

観光地(Tourist spot)
常滑1-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 愛知県には、瀬戸と常滑(とこなめ)という二つの陶器の町がある。
 瀬戸はうちから近いから、何度も行っているし、このブログにもたびたび登場している。窯垣の小径なども紹介した。
 常滑は、知多半島の北西部に位置していて、東隣に半田市がある。半田も古い町並みが残る魅力的な町で、散策したときの様子をブログに書いた。常滑も一度行きたいとずっと思っていて、今回ようやく実現した。知多の海へ行く前に寄って、散策路を歩いてきた。
 知多半島というのは、鉄道が途中で終わっているから、車以外で行こうとすると不便なところだ。名鉄に任せたのがいけなかった。西は常滑で途切れ、東経由で河和と内海までは伸ばしたものの、ここでもうやめたとなってしまった。環状線にしなくても、せめて師崎までは行くべきだったんじゃないか。
 JRは採算が取れないと早々に見切ったようで、半田の南の武豊までしかいっていない。
 なので、知多半島の南に住んでいる人にとってはずいぶん不便を感じてるだろうし、こちらから行く場合も行きづらいところになっている。豊橋鉄道が田原までしかいってない渥美半島よりましといえばましだけど。
 1995年に開港した中部国際空港は、常滑沖の埋め立て地にある。人工の離島ながら、住所としては常滑市になる。
 鉄道は、名鉄の常滑線を延長して、名鉄空港線とした。
 これで常滑も大きく様変わりしたかといえばそうでもないようだ。大がかりな再開発されることもなく、古い町並みが残った。
 線路は常滑の町の手前でぐぐっとカーブして、空港に向かう。空港の利用客が常滑で途中下車して、ここに立ち寄るということはあまりないんじゃないか。常滑への行き来に関しても、特に便利になったわけでもない。電車の本数が増えたことくらいだ。
 空港ができたらもっと発展するだろうと期待してがっかりした住人もいただろうし、町並みが壊されずに残って喜んでいる人もいるだろう。いずれにしても、上空がすごくうるさくなったことは確かだと思う。それだけは想像以上だったんじゃないか。小牧の人たちは静かになって喜んでいる。
 常滑焼きといえば、赤い急須を思い浮かべる人が多いかもしれない。常滑焼きの歴史は古く、平安時代後期にまでさかのぼる。
 知多半島のこのあたりは粘土が豊富にあったため、早くから陶器が作られるようになった。
 瀬戸、越前、信楽、丹波、備前と並んで日本六古窯の一つとされ、その中でも最も歴史がある。常滑焼きは日本全国で出土されていることから、鎌倉、室町までに日本中に広まっていたことが分かっている。
 ただ、茶の湯の流行に乗り遅れ、戦国から江戸時代初期にかけていったんすたれた。
 再興したのは江戸時代後期のことだ。窯元を一ヶ所に集め、中国から導入した連房式登り窯で大量生産をするようになったことで復活を遂げた。
 現在の常滑の町は明治初期にかけて作られた町並みが元になっている。
 あまり知られていないけど、招き猫の生産量が日本一で、日本の招き猫の8割は常滑で作られている。
 タイルメーカーとして世界的に有名なINAXの本社も常滑にある。
 予習はこれくらいにして、そろそろ常滑散策を始めよう。

常滑1-2

 散策の出発点は、陶磁器会館が便利だ。名鉄常滑駅から歩いて10分弱で、車も無料で駐車させてくれる。散策マップももらえる。
 散策路はA、B二つのコースが用意されていて、途中にプレートなども設置されている。マップも案内もやや分かりづらくて少し迷ったけど、路地が入り組んでいるからしょうがない。
 Aコースは約1.5キロで1時間コースとあるけど、それはスタコラ歩いたときの所要時間だ。写真を撮ったり、横道に逸れたりしながらのんびり散策していたら、たっぷり2時間はかかる。
 Bコースは大回りの4キロだから、倍以上かかる。今回私はAコースプラスアルファを歩いてきた。

常滑1-3

 ここは作られた景観地区ではなく生活空間で、仕事場としての窯元と、居住空間としての家屋が混在している。散策路はほどよく整備されていて歩きやすい。ただ、観光地のようでいて観光地ではないという微妙な感じだから、歩いているとよそ者が他人の町にお邪魔しているという感覚がある。
 この感覚は一種独特のものだと思った。瀬戸とは町の空気感がずいぶん違っている。

常滑1-4

 混在といえば、動と静の混在といったようなものもある。過去と現代が混じり合うことなく同居していて、古い部分を放置したまま新しい営みがあるというのか、この感じは写真と言葉では伝わりづらいかもしれない。
 常滑の町を象徴する赤煉瓦煙突にしても、現役で使われているものはもうなくて、多くが上半分を切られたまま放り出されている。傷んだものは崩れてくると危ないから半分にしてるのだろうけど、町の景観を守るという意味では撤去できず、観光資源としてきっちり整備するところまではいっていない。これらをどうやって保存していくか難しい問題だと関係者がテレビで語っていた。
 町として完全にさびれているわけでもなく、古い家屋を再利用して現代的な再生を目指すという意志はあまり強くなさそうだ。古民家を再利用して店舗にしているところもあることはあるけど、瀬戸のように町ぐるみで積極的に取り組んでいるというふうでもない。
 良くも悪くも、あがいていない感じとでもいおうか。そこまで切羽詰まって困っていないということかもしれない。
 陶器以外にも製造業としての一面も持ち合わせてきた町で、商業の町でなかったことが今の雰囲気を作り出しているというのはありそうだ。商業都市が衰退した姿は、アーケードのシャッター通りのように、もののあわれみたいなものを感じるけど、製造業が駄目になってしまったあとの町というのは、なんというか静かな諦観のようなものがある。商業ならなんとか盛り返そうと頑張る余地はあるけど、製造業は時代が違ってしまうともはやどうしようもない。
 常滑は現在でも陶器の町として生き延びている。工場などはたくさん閉鎖されたようだけど、散策路にも陶器の小さな店やギャラリーなどが点在していた。
 それにしても、とらえどころのない不思議な感覚は、最後までつきまとうことになる。

常滑1-5

 細く入り組んだ路地が方向感覚を失わせる。
 路地を挟んで建物と建物を繋ぐ渡り廊下を何ヶ所かで見た。
 使われていない家と、人が住んでいる家とが混じっていて、どこからどこまでが公道で、どこから私道が始まっているのか、その境目も分からない。
 昭和の名残というか、昭和そのものと言えるようなところもある。

常滑1-6

 このへんの建物は眠りについている。使われなくなってから久しい。かと思うと、奥から人の声が聞こえてきたり、路地から急に車が出てきたりして驚く。
 夕暮れどきに訪れたら、どこか異空間に紛れ込んでしまいそうな感じさえする。
 ここは死んだ町なのか、生きている町なのかと、何度も思った。

常滑1-7

 さほど起伏に富んでいるわけではないものの、短い坂がいくつもあって、坂の多い町という印象が残った。
 日間賀島の雰囲気に似ているところがある。港町というわけではないけど、そんな感じもある。

常滑1-8

 どこを指して土管坂というのかよく分からない。道や屏に陶器類が埋め込まれているところがたくさんある。土管坂というのは特定の場所ではなくて、これら一帯を指しているのだろうか。
 景観を重視したわけではなく、実用本位でこういう光景になっただけだ。壊れた陶器や余ったものなどで道や屏を作った。
 それが今では常滑を象徴する景観になっている。

常滑1-9

 古い家並みと木漏れ日。
 散策路周辺は、古い家屋がよく残っている。このあたりは空襲であまり焼かれなかったのだろうか。
 名古屋港からも離れていたため、海岸線も埋め立てられることがなかった。大きな再開発もなかったから、古い町並みが残った。
 景観保存地区といっても、よく紹介される一角だけしか残っていないところが多いけど、常滑のこの一帯はぽっかり時代に取り残されたようになっている。下手に整備してないだけに印象がいい。
 もちろん、駅前や通りに面したところは、ごく普通の地方都市の表情をしている。

常滑1-10

 唯一残された登り窯の煙突。
 内部も見ることができるようになっている。そのあたりの様子はまた次回。

常滑1-11

 なんだかすごいと思った光景。
 大きな木造日本家屋が奇妙な恰好で連結されていて、トタンで継ぎ接ぎだらけになっている。つっかえ棒もしてある。
 廃屋になっているのかどうか。かなり頑張って延命措置を施した様子が見て取れる。
 連結部分の一部がトンネルになっている。そして、その向こうには車が見える。ひょっとして、この狭いトンネルを出入りしているのだろうか。
 なんだかすごい。

常滑1-12

 煙突が建ち並ぶ風景。昭和30年代までは400本ほどの煙突が林立していたそうだ。
 これらの煙突も、どんどん数を減らして、今では完全な形で残っているのが50本ほどあり、全部で90本ほどとなっている。
 10年前、20年前に訪れていたら、今とどれくらい違った風景が見られただろう。
 写真はリアルタイムを写すものであり、同時に記録でもある。10年後に訪れて、今回の写真を見返したとき、どんな感慨を抱くことになるだろうか。

常滑1-13

 少し高台から見下ろした町並み。
 赤煉瓦の煙突と、昔ながらの瓦屋根の組み合わせが美しい。
 忘れかけていた日本の風景がまだ少し残っている。

常滑1-14

 古くなって歪んだカーブミラーに、古い家並みを入れつつ、記念写真を撮った。
 10年後にはこの風景もなくなっているかもしれないと思いながら。

 行って、歩いて、写真を撮って、帰ってきて、写真を整理して、ブログを書いた。でもまだ常滑に対する印象は固まっていない。写真も残っている。もう少し回数を重ねていくことで見えてくるものがあると思う。
 ということで、次回に続く。

海は非日常的な場所でイメージ不足 <南知多の海-2>

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
知多の海2-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF75-300mm f4-5.6 IS



 今日は知多の海の第2回で、最終回となる。全3回の予定だったけど、同じような写真が多いから、2回で終わりにする。海へ行ってもあまりネタが集まらないことに気づいた。海に対するイメージ不足というのもあった。
 この日は、晴れたり曇ったりと忙しい空模様で、青空が見えていた時間は短くて、一面真っ青の空と海という写真は撮れなかった。
 夏の海というと、ハマショーの「二人の夏」を思い出す。あれは月夜の海辺を歌った曲だったけど。

知多の海2-2

 内海は穏やかで、白波がわずかに立つ程度だった。
 撮るものないなぁと思いながら、ぼんやり海を眺める。

知多の海2-3

 車で少し場所を移動して、その途中に見た人影を撮る。
 逆光でシルエットになったのはいいけど、じっくり待って撮るほどの余裕がなかったのは残念だった。
 待てばいい瞬間というのが来るはずだ。

知多の海2-4

 海水浴場の中心エリアがこのあたりなのだろう。
 左手にはシャワールームや休憩室のようなところがある。このときはまだオープンしていないようだった。
 海の日はもともと7月20日で、今年はたまたま20日になったけど、ハッピーマンデーで動かされた祝日の一つだ。海の家の本格的な営業も、明日あたりからなのかもしれない。明日は18日土曜日で、学校も夏休みに入る。

知多の海2-5

 海の前の奇岩。絵になりそうでなりきらない。
 いろんな角度からあれこれ撮ってはみたものの、面白い写真にはならなかった。
 岩の隙間にちょうど夕陽が沈んでいけばよかったけど、その時間帯には太陽が雲に隠れてしまった。

知多の海2-6

 海岸に生える草と影がリズミカルで、少し心惹かれた。
 こんなところでしか生きられない草花もある。

知多の海2-7

 風紋というか、水紋というか。
 砂浜の風紋も狙い目だと思っていたけど、ここの砂質はそんなものができるところではなかった。
 それに、この時期は訪れる人が多くて、砂浜は足跡だらけで荒れている。
 海を撮る一番いい季節は、冬かもしれない。

知多の海2-8

 岩場で遊ぶ二人。もう一つドラマ不足。もうひとひねり欲しい。

知多の海2-9

 大きな鳥の羽が落ちていた。模様からしてトンビのものだろうか。
 何羽か、上空で舞っていた。
 今回もトンビのエサになるようなものを持っていくのを忘れた。いつも持っていってさらう瞬間を撮りたいと思っていて、忘れている。
 本当に油揚げが好物なのか、確かめてみたい気持ちもある。

知多の海2-10

 あまり格好良く撮れなかった。一回だけ低いところまで降りてきて、近くで撮るチャンスがあったのだけど、スピードに翻弄されてついていけなかった。

知多の海2-11

 海の家が夕陽に照らされて黄金色になった。
 台風が直撃したら飛ばされてしまいそうな造りだ。

知多の海2-12

 日没の時間になって、急に風が強くなった。それで、上空の雲がきれに払われた。
 夕陽は雲に隠れて沈み、これ以上粘っても焼けそうになかったから、切り上げて帰ることにする。

知多の海2-13

 わりとあっけなく知多の海シリーズは終わってしまった。
 次回からは、常滑の町散策シリーズを始めよう。
 

海を撮りに行って撮りきれず <南知多の海-1>

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
知多の海1-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF75-300mm f4-5.6 IS



 久しぶりに海へ行きたいと思った。煮詰まった気持ちを解放するためでも、夕陽に向かってバカヤローと叫ぶためでもなく、海を撮りたいと思ったのだ。カメラを持って海へ行けば当然海を撮ることになるわけだけど、海を撮るために海へ行こうと思ったのは、たぶん初めてだ。そしてその思いは、なんとなく空回りすることになる。
 南知多の海は、私が頭の中で美化しているほど美しい海ではなかった。知多の海をドラマチックに切り取るほどのテクニックを自分は持ち合わせてないことに気づかされて終わった。技術不足を補うためには、沖縄の海くらいが必要だったかもしれない。
 うーん、どうもいけないなぁと思いつつも、枚数だけはけっこう撮ってきた。今日から3回くらいに分けて紹介したいと思っている。
 まあでも、来週には夏休みに入って、海岸も海水浴客に占領されてしまうから、このタイミングで夏の海を撮れたのはよかった。水着だらけの海岸に、服を着てカメラを持った男がうろついて写真を撮っていたら、ただの盗撮男になってしまいかねない。いや、水着のお姉さんを撮りに来たわけじゃないんですと、心の中で言い訳をしながら撮るのもきつい。
 気の早い海水浴客がもっといると思ったけど、夕方ということもあって海に入っている人はわずかだった。気候的には充分泳げる暑さではあった。

知多の海1-2

 知多半島の西側にはいくつかの海水浴場が点在している。一番有名なのは、内海海水浴場で、知多の海といえば内海(うつみ)を指すことが多い。
 今回はそこより少し北の小野浦海水浴場から野間灯台あたりで写真を撮った。無料で車をとめておける駐車場が近くにあるからというのがその理由で、メジャーな海水浴場近くでは、すでにシーズン限定の有料駐車場が開いているようだった。
 小野浦海岸の人気度がどれくらいなのかは知らないけど、砂質はあまりよくない。運動場の砂場のような砂で、足がめり込んで歩きづらい。体育会系のトレーニングには適している。
 海辺も、緑色の海草がたくさん打ち上げられていて、頭から飛び込みたい感じはしなかった。
 内海海岸はもう少しきれいだと思うけど、実際どうなんだろう。

知多の海1-3

 きれいなところを選んで波打ち際を撮った。
 ここだけ見るときれいな海に見える。ただ、これはイメージ画像で、実際の現場とは違いがあるのでご注意を。
 波は穏やかで安全そうだ。どの程度の遠浅なのかは、入ってないから分からない。

知多の海1-4

 大人3人がかりくらじゃないと持ち上げられないくらいの大きな流木が浜に転がっている。こんなもの、どこから運ばれてきたのか。
 知多半島の西側は、伊勢湾に面しているから、外国から何かが流されてくるということはほとんどないんじゃないか。東側も知多湾と三河湾だ。
 渥美半島の南は、太平洋に面しているから、椰子の実が流れ着いたりする。
 愛知県できれいな海を撮りたければ、渥美半島へ行くことになる。ただ、高速が途中までしかないから、所要時間を考えれば、福井の若狭湾に行った方が早いくらいだ。
 離島の日間賀島や篠島の海岸は、さすがにきれいだった。

知多の海1-5

 野間灯台と恋人たち。
 二人で訪れて、ここに錠前をかけていくのが定番となっている。
 私にとっても、ここは思い出の地だ。

知多の海1-6

 何か面白いものはないかと探しつつ、砕ける波でも撮ってみる。あまり面白くない。
 海の切り取り方のイメージが湧かない。

知多の海1-7

 カップルがいれば撮る。ほとんど条件反射のように。
 海で撮るものといえば、海と空と波と人くらいしかない。あとは、鳥とか飛行機とか。
 海は思ったよりも被写体が少ない。

知多の海1-8

 波で浸食された岩の模様を撮ってみる。
 岩の形のユニークさといい、これは可能性を感じさせる被写体だった。
 這い回る大量のフナムシは撮らないでおいた。あれは撮る方も、見せられる方も、気分のいいもんじゃない。

知多の海1-9

 海といえばやはり夕焼けだろうということで、日没まで待つことにした。
 海と空が金色に染まれば、ドラマチックな世界が展開される。

知多の海1-10

 行き交う大小の船。大型タンカーもいる。
 遠くに見えている陸影は、三重県方面だ。方角的に見ると鈴鹿や四日市の方だから、山並みは鈴鹿山脈だろうか。
 もう少し南へ行くと、伊勢や鳥羽方面を見ることができる。
 知多半島先端の師崎からは、ごく近くに日間賀島と篠島の島影が見える。それぞれ高速船で15分くらいの距離にある。去年初めて行った。
 佐久島までの船便がないのが残念だ。

知多の海1-11

 ここから北へ10キロちょっといったあたりの人工の離島に、セントレア中部国際空港はある。
 だから、上空を旅客機がひっきりなしに通る。ただ、着陸まではまだ少しあるということで、高度が高い。300mmの望遠では全然届かない。
 飛行機を大きく撮りたければ、もっと北で狙わなくてはいけない。
 今回、時間の余裕があればセントレアも一度行ってみようか思っていたけど、そんな余力は残っていなかった。海へ行く前に常滑の町散策をして、だいぶへばっていたというのもあって。

知多の海1-12

 日没が近づいて、空が焼け始めた頃、三脚を持った人がぽつり、ぽつりと集まってきた。夕焼け撮りスポットになっているとは知らなかった。他にも手持ちの人もいたし、みなさんけっこう撮りに来ているようだ。
 残念ながらこの日はきれいに焼けず、水平線近くの雲に太陽が隠れて、そのまま日没となった。

知多の海1-13

 三脚は使わず、最後まで手持ちだった。最後くらいは使えばよかったと思う。

 一回目はとりあえずこれくらいにしておこう。
 次回に続く。

撮った写真が色褪せて見えたらまた行くべし <7月の海上の森-3>

森/山(Forest/Mountain)
海上7月3-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 海上の森写真が2回に収まりきらなかったので、はみ出したものを集めてもう1回追加した。
 撮って帰ってきて、現像して、その場ではけっこうよく撮れたかもと思うのだけど、何日か経つとそれらの写真が色褪せて見えて、ごく詰まらないものに思えてしまう。飽きるということなのか、自分の中の感覚が前進してるということなのか。
 もう一回行けば、今度はもっといいのが撮れる気がして、それが続ける原動力になっている。
 技術的な部分よりも、目の付け所とか、自分が撮りたいものだとか、そのあたりのことをステップアップさせていきたい。

海上7月3-2

 草を撮りたかったわけではなくて、この場所をオニヤンマがさかんに飛び交っていて、通過した瞬間に捉えたと思ってシャッターを切ったのだけど、実際は写っていなかった。
 ただ、草の模様と映り込みがちょっとよかったので、写真は採用した。

海上7月3-3

 小さな水の流れが木々の間で光っているのも、森らしい風景の一つだと思う。
 森には名もなき流れがたくさんある。

海上7月3-4

 これくらいの水量になると、小川と呼んでいい。落差のある流れを滝と呼ぶのは大げさだけど。

海上7月3-5

 鮮やかな苔の色は、蛍光色に近い。自ら光っているようにさえ見える。

海上7月3-6

 クモの糸が捕らえたのは、黄色い枯れ葉一枚。
 風に吹かれても落ちずに揺れていた。

海上7月3-7

 心惹かれる葉っぱの形がある。誰もがそんなものを持っているのだろうか。

海上7月3-8

 彩りの乏しい夏の森の中で、小さな赤とオレンジの実がなっていた。
 何の木かは知らない。

海上7月3-9

 紅葉の葉がわずかに色づき始めていた。
 夏が来れば、秋はもうそう遠くない。

海上7月3-10

 目玉のようなキノコが、辺り一面に散らばり生えていた。
 あまり健康そうな感じはしない。
 無数の目玉がこちらを見上げて胞子とか飛ばしていそうな気がして、息を止めて駆け足で逃げた。

 今回の海上の森写真はこれでおしまい。
 次回の海上の森行きはいつになるだろう。知っているコースは3回でほぼ歩いた。物見山の方は山歩きだけで、面白い被写体はあまりない。
 8月にもう一度行けたらいいと思っている。その頃には、森もまた違う一面を見せてくれるはずだ。

虫たちに接近遭遇 <7月の海上の森-2>

森/山(Forest/Mountain)
海上7月2-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 7月の海上の森写真第2回は、虫と花編です。
 一枚目は、新種発見ではなく、イトトンボを上から撮った写真だ。羽と胴体が透けて、メタリックな目玉と毛むくじゃらの手足を持つ貧相な虫みたいになった。レントゲン写真のような、モザイクがかかったような、ちょっと笑える姿だ。こんな虫が地面をヒョコヒョコ歩いていたら笑える。甲高い声で何かしゃべりそうだし。

海上7月2-2

 普通に撮るとこうなる。
 よく見ると、口いっぱいに虫を頬ばっているのが分かる。怖い。
 連写した写真を見たら、虫の姿がどんどん小さくなって、とうとう消えてしまっていた。
 小さな虫にとって、トンボというのはすごく凶暴なやつだ。
 人間からすると、トンボというのは意外と鈍感というか恐いもの知らずで、目の前10センチくらいのところまでレンズが近づいても逃げない。だから、被写体になりやすい。

海上7月2-3

 コガネムシのメタリックな光沢は、なかなかに侮り難い美しさがある。
 クワガタやカブトムシと比べたら雑魚キャラだから、子供の頃は捕まえてもあまり嬉しくなかった。カミキリムシ以下だったし。
 そういえば、カミキリムシを近頃めっきり見なくなった。昔は、街路樹を蹴飛ばすと、ボトボト落ちてきたものだけど。

海上7月2-4

 正体不明の小さな虫。何の仲間かも分からない。
 飛ぶのか、跳ねるのか、歩くだけなのか、それさえ見当がつかない。

海上7月2-5

 蝶の飛翔撮影になんとか成功。
 背景を選んでいるような余裕はなかった。
 青空をバックに飛んでいる蝶を撮るという課題は、なかなかクリアできずにいる。飛ぶ鳥撮りよりずっと難しい。

海上7月2-6

 蝶の目を近くで見ると、面白い模様をしている。
 どこを見ているのかはまったく分からない。
 蝶が見る世界はどんなふうなんだろう。

海上7月2-7

 ありふれた雑草のようなミゾソバも、近づいて撮ってみると、繊細な砂糖菓子のよう。
 美味しそう。

海上7月2-8

 たぶんウツボグサだと思う。ハエみたいなのはオマケ。
 せっかくならもう少しきれいな虫がとまっていてくれたらよかったのに。

海上7月2-9

 よく見かけるけど、いつもうやむやのうちにやり過ごしてしまうやつ。
 ヤマハッカのような、アキノタムラソウのような、でもどちらとも違う気がする。そんなに珍しい野草ではない。分かりそうで分からなくて、もどかしい。

海上7月2-10

 オカトラノオのはずだけど、花姿が礼儀正しくて、別の花に見える。普通は、もっと尾っぽのように長く伸びて垂れ下がり、だらんとして咲いている。

海上7月2-11

 ハートの葉っぱ。

海上7月2-12

 花なのか、そうじゃないのか。
 オレンジの部分がつぼみで、白い部分が花なんだろうか。
 正体は不明。
 白とオレンジの花火のようだ。

 これから真夏に向けて野草は更に少なくなるものの、虫の楽しみは増える。ぼちぼちセミも鳴き出したし、梅雨が明ければ本格的な夏が始まる。
 森歩きには厳しい季節になるけど、また写真を撮りに行きたい。
 海上の森の7月は、もう一回続きます。

静かな森の息づかいを写す <7月の海上の森-1>

森/山(Forest/Mountain)
海上7月1-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今の気分が森を求めている。森の写真を撮りたいという気持ちが強まっていて、また海上の森へ行ってきた。これだけ続けて行くことは今までなかった。
 前回、前々回は、湿地や赤池などの南エリアを回った。今回は篠田池から大正池、海上の里と、北から中央エリアを歩いてきた。一部ワイルドな部分があるものの、アップダウンは少なくて、こちらの方が森らしい雰囲気が色濃い。
 南エリアがややドライなのに対して、北エリアはウェットな印象がある。北の方が空気が湿っている感じがするのは気のせいだろうか。
 こちらは蚊もクモの糸も少ない分、歩きやすくて、北エリアのよさを再認識した。
 篠田池まではけっこう遠い。海上の里まで回って四ツ沢まで帰ってくると、ゆっくり歩いて3時間コースになる。
 今回はちょっと真面目に撮ろうと三脚を持っていった。三脚がなければ撮れなかった写真もあって、あらためて三脚の必要性を思い知る。いい加減、ちゃんとした三脚を買わないといけない。今のやつは、軽くて足がふにゃふにゃで、一眼をつけると重みで雲台が斜めに傾いてしまうのだ。さすがにこれじゃいけないと思う。
 写真の枚数はあまり多くなくて、全2回に収まりそうだ。
 1回目のテーマは、森の静かな息づかいといったようなものにした。森の静けさと、暗さと、湿った空気感が伝わるといいのだけど。

海上7月1-2

 今の時期の森は、全面的に緑色が支配している。7月には7月の色があって、それは6月とも8月とも違っている。
 グリーン・オン・グリーンのグラデーションは、季節が進むにつれて少しずつ色を変えていく。

海上7月1-3

 篠田池は微風が吹いて静かだった。
 ここは森の中でもけっこう奥に位置していて、いつ行っても人がいなくて独占できる。ここに先客がいたり、あとから人が来たりすると、かなりドキッとしそうだ。
 いい池ではあるけど、これといった生き物の姿もなく、見所がないといえばない。カワセミくらいいればいいのにと思うけど、それはないものねだりだ。ヤマセミがいるほど山奥でもない。

海上7月1-4

 この日も雨のち曇りで、日差しはほとんど差さなかった。

海上7月1-5

 雨の名残。

海上7月1-6

 虫に食い散らかされても、まだ鮮やかな緑色を保っている。
 早回しの映像で、きれいだった葉っぱが虫によって猛スピードで食われていく様を想像した。

海上7月1-7

 葉陰で羽を休めるハグロトンボ。
 鮮やかなグリーンメタリックなボディーと、喪服ような黒い羽のコントラストが面白い。黒色というのは、地味でもあり、強い色でもある。

海上7月1-8

 イトトンボだろうけど、詳しい種類までは分からない。
 オオイトトンボのメスという見立てはどうだろう。間違ってるかな。

海上7月1-9

 小さな池の映り込み。
 北エリアの池の方が水がきれいで、気持ちがいい。南の赤池はホントの溜め池という感じで、なんかいろんなものが浮いてたり濁ったりしてる。
 この小池は特に鏡面度が高かった。

海上7月1-10

 静寂の木立がどこまでも続く。
 近くを流れる水の音が聞こえるだけで、このあたりは鳥も鳴いていない。

海上7月1-11

 木の根元には小さなキノコが生えている。
 苔も生きた森の住人だ。きっと何かの役に立っているのだろう。
 森では様々な生き物が連鎖しながら共存している。

海上7月1-12

 大正池も、今の時期は水を満々とたたえて、いい雰囲気を出している。

海上7月1-13

 日没が近づいたところで、雲の切れ目から少しだけ日差しが降りそそいだ。

 少しは森らしい写真が撮れたかなとも思うけど、まだまだ物足りない。もっと森を撮りたい気持ちが高まった。
 明日もこの続きの森写真が続く。

見た目不問で茶色いけど普通に美味しいサンデー

料理(Cooking)
見た目不問サンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 今日のサンデー料理は、難しいことをあれこれ考えずに、冷蔵庫にある食材を今日食べたいおかずにして食べようということで作った。見た目は問わず、茶色くなっても気にしないようにした結果、やはり茶色系統になってしまったけど、これはもう仕方がないことだ。味と食べたさ重視でそうなった。白しょう油も使い切ってなくなってしまった。

 左手前は、鯛のホイル焼きだ。
 鯛に塩、コショウ、酒を振ってしばらく置き、刻んだ長ネギと大葉を乗せて、オリーブオイルを塗ったアルミホイルでゆるくくるむ。
 ホイルを半開きくらいにして、魚焼きグリルで焼く。こうすると、魚が固くならず、ふんわり柔らかくジューシーに仕上がる。
 タレは別に作る。タマネギのスライスを炒め、酒、みりん、しょう油、豆板醤、マスタード、唐辛子、塩、コショウ、ニンニク、ショウガ、水を混ぜてひと煮立ちさせる。
 白身魚は塩焼きなどでは淡白すぎて物足りないけど、しっかり味付けをしたタレを絡めるとご馳走になる。

 右は、ナスの炒め物が基本になっている。
 ニンジンはスライスして先に下茹でしておく。
 ナスもスライスして塩水に浸けてあく抜きをする。
 ごま油で、鶏肉、ベーコンを炒め、水切りしたナスとニンジンを加え、酒、しょう油、みりん、塩、コショウ、味噌で味付けしながら炒めていく。終盤にトマトのスライスを入れて、少し蒸し焼きにする。
 ひき肉を入れると更に美味しくなると思う。

 奥は、オムレツのような、お好み焼きのようなものに仕上がった。
 木綿豆腐をレンジで水切りしてつぶし、大根のすり下ろしとエビの刻みを加える。卵、カタクリ粉、塩、コショウ、ダシの素を入れて、よく混ぜる。
 フタのできるフライパンに流し入れて、弱火でじっくり蒸し焼きにする。途中でめんつゆを表面に塗り、一度ひっくり返す。
 フワフワ食感のお好み焼きみたいで美味しい。大根おろしがどんな作用をするのか分からなかったのだけど、かすかに感じるくらいであまり影響はなかったかもしれない。ただ、大根おろしの水分をかなり含んでいるから、それがふわふわ感につながった可能性は高い。
 最後に青のりとかつお節を振りかける。

 今回は気合いもてらいもなく、サラッと作ってみた。計画性が最初からあまりなかったとも言える。
 無難といえば無難な仕上がりで、普通に美味しく食べた。驚きはないけど、問題もない。趣味の料理としては合格とは言えないものの、家庭料理としては合格点と言っていい。
 来週はもう少しテーマ性のある料理を作るようにしたいと思う。

動物園で撮りたいのは動物だけじゃない <雨上がりの東山動物園3>

動物園(Zoo)
東山動物園雨3-1

PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 雨上がりの東山動物園シリーズは、3回目にして早くも最終回となった。しかも、動物が出てこない番外編だ。
 使える写真は全部使ってしまおうといういつものコンセプトで、今回も残った写真を並べておく。
 特に意味のない写真も混じっている。一枚目などがそうだ。単にハートに見えただけ。でも、なんとなく写真として惹かれるものがあった。
 最近、こういう写真を撮りたい傾向が強くなっている。

東山動物園雨3-2

 水滴写真は前からずっと撮りたいと思っていて、なかなか実現していない。雨の日に写真を撮りに行くことがほとんどないし、夕方都合よく雨があがるなんてこともめったにないから。
 まだ水滴写真のイメージが頭の中にできていない。水滴の中に映る小さな世界を撮ってみたいというのはある。
 定番だけど、クモの巣についた水滴とか。

東山動物園雨3-

 赤トンボ系。今日は調べるのが面倒で調べてない。保留とする。
 アキアカネのメスあたりかなと思うけど、自信はない。

東山動物園雨3-4

 アオサギとダイサギの縄張り争い。少し小競り合いがあったあと、微妙な距離感を保って平和に共存していた。
 野鳥にとって動物園というのはとても過ごしやすい場所かもしれない。なにがしかのエサはあるし、外より危険が少ない。
 ここのことを知った渡りのカモたちは、次もきっとここに来ようと思うんじゃないだろうか。

東山動物園雨3-5

 お客が少なくて、店もやってるんだかやってないんだかという感じのところが多かった。4時くらいになると、早々に見切りをつけて店じまいを始めていた。
 最近、河村たかし市長が動物園のビール販売を解禁にした。ビール好きにとってはありがたいことかもしれないけど、私には関係ない。
 ビールを売っている動物園は限られているというのを、今回のニュースで初めて知った。
 右下にアオクビアヒルが移っている。映り込みで分かりづらくなった。

東山動物園雨3-6

 普段ならたくさんのちびっこや親子連れなどで賑わっている園内も、ほとんど人が歩いていない。あんなに空いている動物園を見るのは、最初で最後だろう。ちょっと不思議な感覚だった。

東山動物園雨3-7

 動物よりも人が珍しくて、人を見ると反応していた。あ、人だと思って写真を撮ったことが何度かあった。
 キリン運動場の前にも人はおらず、おじさんがその前を歩いていった。

東山動物園雨3-8

 お客よりも飼育員の人をよく見た。2時間の間に見かけた人は20人以下だった。
 この日は動物たちのエサ代で大赤字だった。

東山動物園雨3-9

 少ししてキリンの前を通ったら、キリンたちは宿舎に入ってしまって、見ることも撮ることもできなかった。飼育員さんが掃除をしているだけで、仕方がないのでそれを撮る。
 動物園の職員は基本的に公務員だから、5時までに仕事を終わらせたいのだろう。動物園の閉園は4時50分だけど、4時になるとほとんどの動物はしまわれて、飼育員の人たちが掃除を始める。
 他のところはどうか知らないけど、東山に関しては、4時以降は動物園としての魅力は急激に下がる。

東山動物園雨3-10

 園内に恐竜の石像が何体かあって、恐竜広場みたいなのがあるのだけど、その恐竜が苔むしている。キミは神社仏閣か、とツッコミを入れたくなる。どんだけ歴史があるんだと、と思う。つっかえ棒もされているし。
 東山はいろんな部分で昭和の名残が色濃い。そこがいいところでもあるのだけど。

東山動物園雨3-11

 水たまりが雨上がりの曇天を映す。
 映り込みで動物を映せないかと考えていたけど、そんなシーンはなかった。

東山動物園雨3-12

 東山のスタイタワーとカラス。
 最後は青空も見えてきた。
 アオバズクがいるらしくて、それも探してはみたものの、手がかりが少なくてどこにいるのか分からなかった。人がいるときなら、人だかりができてたりするらしいのだけど。

 今回の東山動物園シリーズはこれで終わり。消化不良で近いうちにもう一度行きたいところではあるけど、行くなら豊橋のんほいパークに行きたい。場所が変われば同じ動物でも新鮮味があるだろう。
 梅雨が明けたらあそこもここも行きたいと頭の中で計画ばかりが膨らむけど、実際に梅雨が明けると暑いし子供たちは夏休みだしで、むしろ消極的になったりもする。
 電車の旅もしたいし、海も撮りたい。さて、次はどこへ行こうか。

夕方の動物たちはまどろんだり考え事をしたり<雨上がりの東山動物園2>

動物園(Zoo)
東山動物園雨2-1

PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 雨上がりの動物園シリーズ第二回は、居眠り・まったり編ということでお送りします。
 寝てるといえば、その代表がコアラだ。起きて元気に動き回っているコアラなど、一度たりとも見たことがない。いくら夜行性といっても、これじゃあ面白くない。
 来園当初は大行列ができる人気者だったのに、今ではみんな素通りするように見て去っていく。
 寝てる姿がかわいいといっても、5分も見てれば飽きる。もうちょっと動こうぜと声をかけたくなる。オーストラリアのコアラは、観光客相手に昼間でも起きてるのに。
 夜動き回っている様子をビデオに録画してるだろうから、それを映すモニターを置いたらどうだろう。
 以前と比べたら、コアラの木の位置がだいぶ近くなったのはいいことだ。

東山動物園雨2-2

 アメリカバイソンは、どうしたことか、草まみれで寝ていた。毛にも泥がついて固まっている。そのへんで転がっていたのだろうか。
 バッファローと言った方が通りがいいかもしれない。今はもうない近鉄バッファローズのバッファローはこいつだ。アメリカヤギュウともいう。
 北米の草原などに群れで暮らしている。北アメリカでは一番大きな動物だ。巨体を揺らして集団で駆けていく様子は、大迫力だろう。

東山動物園雨2-3

 チンパンジーの毛繕い中。
 うっとりの表情なのか、退屈の顔なのか、どちらでもないのか。

東山動物園雨2-4

 オランウータンの写真はたくさん撮ったから、違うのも一枚。
 やや落ち込んだ感じ。
 髪型が家田荘子みたい。

東山動物園雨2-5

 お気に入りのマレーバクを撮れなかった代わりに、今回はブラジルバクを撮った。
 子供が生まれたというニュースがあったけど、もう大きくなっただろうか。これはたぶん親だと思う。
 ブラジルバクもマレーバクの子供と同じようにチビの頃はうり坊だ。大人になると模様が消える。

東山動物園雨2-6

 カピバラさんも再登場。
 昨日は意地悪そうな顔をしていたから、今日はおとぼけ顔で。これがカピバラさんらしい表情だ。どう見てもたいしたことを考えているような顔には見えない。

東山動物園雨2-7

 まったり中のシンリンオオカミ。
 犬っぽいといえば犬っぽいし、でもやっぱり違うといえば違う。
 走っているオオカミのカッコイイ姿を撮りたいのだけど、中は障害物だらけで撮るのが難しい。距離も遠い。

東山動物園雨2-8

 コビトカバの泳いでいるところ。
 水面の模様が面白かったので。

東山動物園雨2-9

 ゾウのおしり。
 皮膚の表面が荒野のように荒れ果てている感じ。
 見た目はすごく固そうだけど、実際はどうなんだろう。

東山動物園雨2-10

 おサルさんコーナーは、檻の網目が細かすぎて、写真に撮りづらい。
 キンシコウの赤ちゃんも撮れなかった。

東山動物園雨2-11

 シマウマは食事中。ワラか何かだろうか。
 足の縞模様が消しゴムで消したように消えかけている。シマウマの基本色は白なのか、黒なのか。黒地に白い縞模様が入ってるのだと思っていたけど、逆なのかもしれない。

東山動物園雨2-12

 ベニイロフラミンゴの場所が変わっていた。
 ここは冬になると渡りのカモたちがいる池だ。一時的な引っ越し措置なのか、本格的に移動となったのか。秋にカモたちが渡ってきたら驚くことだろう。今でも渡らないカモたちがいるから、上手く同居できているのか。

 第二回にして早くもネタ切れ寸前になった。三回目は番外編で、動物たちは出てこない。今回は撮れた動物の写真が少なかった。午後4時を回ると、動物たちは小屋に収容されてしまうから、撮れない動物が多かった。もっと早い時間に行かないといけない。
 とりあえず今日はここまで。

その表情は何かを言いたげなのだけど <雨上がりの東山動物園1>

動物園(Zoo)
雨の動物園1-1

PENTAX K10D + TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 動物園の動物たちの表情に、諦観や達観を見てしまうのは、人間の側の勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。
 動物たちの幸せそうな様子や、かわいいしぐさを写真に撮りたいと思うけど、それは難しい。あるいは撮っている私の感情と呼応するのだろうか。彼らは往々にして悲しげな表情を浮かべる。私が少し微笑んでみるけど、彼らの表情を和らげることはできない。
 どこかにいい表情の瞬間はないかと、私はシャッターを押すだけだ。
 攻撃的でもいいから、もっと生命の輝きを見せて欲しいと思うけど、それを引き出すこともできない。
 オランウータンは、私を見ながら何を思っていただろう。

 雨降りの日、動物園の動物たちはどんなふうに過ごしているんだろう。そんなことを思いながら、傘を持って動物園に向かった。
 良かったのか悪かったのか、動物園に着くまでに雨がやんでしまった。
 自分が晴れ男だということを忘れていた。
 結局、雨上がりの動物園となり、見た感じ、特に普通と変わっている部分はなかった。変わっているところといえば、訪れている人がものすごく少なかったことだ。さすがに雨の動物園に行くような人はそう多くないらしい。
 行った時間が遅かくて、動物をあまり撮れなかった。昔はネタに困ったら動物園に行って、一週間は持ったのに、最近はマンネリもあって、あまりネタを稼げなくなった。今回も全3回シリーズになりそうだ。
 1回目の今日は、表情編ということで、動物たちの表情や視線が印象的な写真を集めてみた。

雨の動物園1-2

 どこか遠くを見るチンパンジー。
 毎日変わらない風景と、繰り返される日常。
 動物園生まれで森を知らずに育ったとしても、遺伝子の中の森の記憶は色濃いはずだ。ジャングルの木から木に飛び移っている夢でも見てるだろうか。

雨の動物園1-3

 こんもりした小山の一番てっぺんで、うたた寝中のドールシープさん。
 アラスカあたりの山岳地帯にいる羊で、オスはカールした大きな角を持っている。
 日本の動物園では東山にしかいないらしい。
 特に悲壮感というのはなく、ぬーぼーとしていた。

雨の動物園1-4

 鹿は独特の静けさのようなものを持っている。
 警戒心が緊張感となり、目が合うと一瞬、空気が止まるような感じがする。
 狩られる側の草食動物全般に同じようなことが言えるかもしれない。

雨の動物園1-5

 これは何だったか、忘れてしまった。メモ撮りしたものとしてないものがあって、これはしてなかった。
 外国の羊か山羊だったか、違ったか。
 何かに気を取られて、ハッと同じ方向を見たしぐさがよかった。

雨の動物園1-6

 ラクダのハマコさんは、いつもと変わらずまったり過ごしていた。
 1頭で寂しそうだけど、通りかかる人を気にかけて、さりげなく見ているようだ。
 ラクダはいつも静かに微笑んでいるように見えるけど、たぶん、本人にそんなつもりはない。

雨の動物園1-7

 サイの表情は読み取りづらい。何を考えているのかよく分からない。運動場を休むことなく、あっちへうろうろ、こっちへうろうろしている。
 久々にじっくり観察してみたら、皮膚のゴワゴワ感がすごいことに気づいた。細かいシワ模様が美しい。
 サイはゾウによく似ている。手足とか。

雨の動物園1-8

 コビトカバさん。
 珍獣呼ばわりされているとも知らず、ゆったりのんびりプールの中をぐるぐる泳いでいる。
 コビトといっても体はそれなりに大きい。もっと大きなプールな欲しいよねと、思った。

雨の動物園1-9

 アメリカビーバーが投げてもらった野菜を片手でひょいと掴んで、むしゃむしゃ食べていた。たいして美味しそうな顔もせず、片手で食べる様子がちょっとこしゃくな感じだ。
 ビーバーもネズミの仲間だから、顔はヌートリアやカピバラに似たところがある。
 しかし、泳ぎは抜群に上手くて速い。ヌートリアなんかと一緒にしてくれるなと言うだろう。ダムだって作れるし。

雨の動物園1-10

 カピバラさんが横目でじろりとこちらを見たような気がしたのは気のせいだったろうか。
 いつもぼんやりと優しい顔をしてるのに、このときはなんだか意地悪そうな顔だった。
 カピバラさんが特に難しいことを考えているとも思えないけど。

雨の動物園1-11

 シンリンオオカミも、安全な檻暮らしで野生の輝きを失い、ちょっと冴えない野良犬のようだ。
 けど、うっかり近づいたらやっぱり襲ってくるのだろうか。一頭ならなんとかなっても、群れで襲われたらやられてしまう。

 動物園にカメラを持っていけば子供でも写真は撮れる。けど、動物園で動物のいい写真の撮るのは難しい。今回、そのことを再認識した。少なくとも、ざっと歩いて回りながらちょちょいのちょいではいい写真にはならない。もう少し一ヶ所でじっくり腰を据えて、長い時間観察する中で撮る必要がある。ある程度同じ場所に居座ることで、動物との交歓も得られて、いい表情やしぐさを狙えるということにもなるのだろう。
 明日も動物園写真は続く。

いたかの森は名古屋で一番ワイルドな緑地で侮り難い <猪高緑地後編>

森/山(Forest/Mountain)
猪高緑地塚ノ杁池




 今日は昨日の続きで、猪高緑地の後編をお送りします。
 名東区には大きな緑地が3つある。この前紹介した明徳公園と、今日紹介する猪高緑地、牧野ヶ池緑地で、このブログでも何度か登場している。
 個人的にどこが好きかといえば、特にどこも好きじゃない。それぞれいいところもあるけど、よくないところもある。猪高緑地は、最初に行ったとき本気で迷子になって懲りた。市内の緑地といえども、日没後に奥の方をうろついてると本当に自分がどこを歩いているか分からなくなる。あのときは怖かった。猪高緑地はそれくらいワイルド度が高いとも言える。
 最近は、北エリアしか歩いていない。南の方が公園として整備されていて、北は雑木林の散策路なので、森気分を味わうなら北がいい。
 車は名東プール前の駐車スペースにとめて、塚ノ杁池を見つつ、井堀池から棚田、井堀入口まで行って引き返すというコースが最近の決まりのようになっている。写真を撮りながらだから、これでだいたい1時間半から2時間くらいになる。
 ただ、今回は井堀入口から出て、外を回って帰った。雨上がりで道がぬかるんでいて靴がドロドロになってしまったのと、蚊に20ヶ所くらい刺されて、とにかく森の中を歩くのが嫌になったのだった。油断して半袖の軽装で行ったのが間違いだった。夏場に行くなら長袖を着ていくことをオススメする。



散策路

 散策路のワイルドさは市内随一といっていい。このあたりの雰囲気は、海上の森とそんなに変わらない。
 その気さえあれば、散策路を外れて、道なき道を進んでいくことも可能だ。
 小動物も生息しているというから、タヌキやイノシシくらいには出会えるかもしれない。



雨に濡れた散策路

 雨に濡れた道は写真で見るとちょっといい雰囲気だけど、実際に歩くとなると嫌なものだ。
 ここは粘土質の地層のところもけっこうあって、下りなどはすべってずっこける危険性も高い。
 それなりの靴を履いていった方が身のためだ。



夏草に覆われた池

 池は無数の水草が浮いて、夏の様相を呈していた。
 スイレンくらいは咲くかもしれない。
 大小あわせて5つほどの池があって、それらはたぶん溜め池だ。農業用なのか、防火用なのか、詳しいことは知らない。
 このあたりは昔、里山で、わずかな人々が森とととも暮らす場所だった。
 時代が進んで、里山は見捨てられ、一時は荒れ放題の雑木林になっていたという。それをある程度整備して緑地にしたのが今の猪高緑地だ。
 棚田などは私有地ではなく、おそらく名古屋市が管理して、体験稲作のようなことをやっているのだと思う。田んぼがあるあたりは一部私有地になっているようだ。



池を撮るコシアキトンボ

 空を映す池。
 飛び交うコシアキトンボ。



わんこ

 唐突に犬がいて驚いた。緑地で人が連れている犬以外の犬に出会うことは想像していない。
 たぶん、このあたりが私有地で、この犬はその人の飼い犬なのだろうと思う。特にこちらを警戒する風でもなく、泥棒除けに役立つのか少し心配になった。
 当たり前だけど、森にノラ猫はいない。自由気ままに暮らしているように見えるノラだけど、人の暮らしの近くでしか生きられない。森で狩りをしながら生きている猫というのは、ほとんどいないはずだ。



井堀下池

 井堀下池だったか、井堀上池だったか。
 魚がいるんだかいないんだか、生き物の気配があまり感じられない。



小川の流れとシダ

 シダ植物が生えている時点で、市内の公園とは一線を画している。普通、公園にシダはない。
 シダ植物というのは生態系の中で重要な役割を果たしているものだから、残っているところでは大事にしないといけない。シダがあるところは、豊かな森の証拠と言える。
 シダ類は日本だけでも1,200種類くらいあるそうだけど、それらを見分けられる人は日本でもそんなにはいないだろう。



苔むす

 苔の緑色には反応する。心惹かれるものがある。



オカトラノオ

 ようやく夏の野草らしい野草に出会った。
 オカトラノオ。
 湿地に行けばヌマトラノオをよく見かけるけど、かえってオカトラノオの方が珍しい。



ガマの実

 ガマも、見るところではよく見る。
 これは普通のガマだと思う。コガマとか、ヒメガマなんてのもある。



田んぼのあぜ道

 田んぼエリアへとやって来た。稲もだいぶ育っている。
 ここは開けたところで、蚊もいないから安心して写真が撮れる。



水田の浮き草

 田んぼのこの浮き草の感じが懐かしい。小学生の頃、こういう田んぼに入って、よくザリガニを捕まえていたのを思い出す。
 今考えると、よくこんなところに平気で入っていたもんだと思う。



ヒメジョオンと一輪車

 ヒメジョオンと錆びて朽ちた一輪車。手押し車と言った方がいいか。



猪高緑地2-15

 高速の向こうに入道雲が見えた。真夏は近い。

 猪高緑地はいつ行ってもなかなかに手強くて、行くたびに侮り難いなと思わせる。そして一回行くと、もうしばらく行きたくなくなる。
 とはいえ、ブログでは南エリアを一度も紹介していない。北だけでは半分だから、やはり南にももう一度行って写真を撮ってくるべきだろう。秋になったら行くことにしようか。
 

雨上がりの森でしゃがんで何かを探し撮る男 <猪高緑地前編>

森/山(Forest/Mountain)
コオロギ




 先日、雨上がりの猪高緑地で撮ってきた写真の中から、今日は生き物・花編をお届けします。
 最初はコオロギから。たぶん、コオロギだと思うのだけど、違ったら申し訳ない。
 まだ羽が生えてない感じだから、エンマコオロギの幼虫かもしれない。
 なんか、ちょっとグロテスクな気もする。コオロギも、きれいな音色で鳴かなければ、ちっともかわいくない虫だし、ホタルだって光らなければ冴えない黒い虫に過ぎない。



ショウリョウバッタ

 ショウリョウバッタの子供だと思うけど、オンブバッタという可能性もあるのか。
 草むらの中、地面スレスレで何かを探して必死な様子で写真を撮っている姿は、客観的に見たらけっこうおかしいけど、撮ってる本人としてはわりと楽しい。人目のないところで楽しむようにしている。



ヒシバッタ

 たぶんヒシバッタだと思う。ヒシバッタは体の色や模様の個体差が大きくて、別の種類に見えることも多い。
 目玉の小ささや、菱形に近い体型からしてヒシバッタと予想する。自信はあまりない。



ルリシジミ

 シジミチョウはちょくちょく見かけるわりにちゃんと撮ろうという気が起きなくて、撮ることは少ない。いざ撮ろうとすると、動きがすばしっこくて難しい。散々翻弄されて、飛び疲れて止まったところでようやく接近して撮ることができた。
 シジミチョウといえば、たいていはヤマトシジミか、ベニシジミと相場が決まっている。これはどうだろう。普通にヤマトシジミのつもりで撮ったけど、写真を見たら違う。
 ヤマトシジミの目玉は灰色で、ルリシジミの目は黒色というから、きっとこれはルリシジミだ。



ヒラタホソアブ

 小さなアブの仲間だと思う。体長は1センチあるかないか。ヒラタホソアブの子供だろうか。
 飛び方がふわっとゆったりしていて、ハチ・アブ系ではなかったから、ひょっとすると別の種類の虫なのか。



新緑の新芽

 新緑の季節からいよいよ緑が深まってきた。
 湿度の高い森の中は、木々や草が生き生きとしている。
 人間にとっては、蒸し暑くて嫌な季節だ。森歩きも、爽快とは言えない。



ガマズミ

 ガマズミとか、そういうやつ。似てるやつがあって、あまり区別がついていない。
 この手の花を見ると、梅雨時だなと思う。コアジサイとか。



インドハマユウ

 インドハマユウ(アフリカハマユウ)。一見、ユリに見せかけてそうじゃない。
 咲いた花がすぐにしおれてしまうから、いつ見ても新鮮な花と枯れた花が同居している。
 昭和になってから入ってきた新参者で、もちろん、緑地に自生するような花じゃない。森の中に小さな畑があって、その脇で咲いていたから、畑の持ち主の人が植えたのだろう。



ノアザミ

 雑草然として咲くアザミ。
 60種類もあるというアザミの見分けは、最初からほとんどあきらめている。ノアザミではなければ、お手上げだ。



名前不明の薄紫の野草

 見たときはタチイヌノフグリかと思ったけど、春の野草が7月まで咲いているとは考えづらいし、葉っぱの感じも違う。花が閉じかけていたのも分かりづらい要因だった。
 とりあえず保留。ひょんなことから判明することもあるし、忘れてそのままになることもある。



紅葉の葉っぱ

 今の時期の森は、緑以外の色彩が乏しいから、こんな赤い葉っぱでもよく目立って貴重だ。
 野草は秋まで小休止期間に入った。



竹の若葉

 竹林の竹も新緑の季節で、若葉のライトグリーンが心地よい。



キノコ

 いちいち撮らなかったけど、足元にはたくさんのキノコが生えていた。



ツバメ

 田んぼにはたくさんのツバメが飛び交っていた。
 なんとか撮ろうと頑張ってはみたものの、ほとんど撮れず。やっぱりツバメは速い。動きも予測しづらい。
 春に渡ってきた頃と比べてだいぶ体が大きくなった。秋に渡っていくために、これから更にたくさん虫を食べて体力作りに励むことになる。
 海を渡っていくツバメの群れというのも、一度見てみたい。

 今日のところはここまでとして、次回の後編につづく。

 いたかの森は名古屋で一番ワイルドな緑地で侮り難い <猪高緑地後編>
 

番外編風景写真で桑名シリーズは完結 <桑名16回>

観光地(Tourist spot)
桑名最終回-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名シリーズは今回が最終回になる。前回、大福田寺まで紹介したから、その続きからということになる。
 まず目指したのが西桑名神社だった。北桑名神社へ行ったら西桑名神社も行っておくべきだろうと思い、無理して行った。ここがまた遠かった。
 東桑名神社と南桑名神社はない。

桑名最終回-2

 この神社については、調べてもよく分からなかった。
 神社の由緒書きが「当地の古老の伝説によれば」から始まっているところからして、神社自身よく分かっていないらしい。古老の話で、しかも伝説ときてはどこまで信じていいものかどうなのか。
 西に100メートルほどいったところに、西方城の跡があって、その城主だった加藤勘助が祈願所として八幡宮を勧請したのが始まりとのことだ。それが本当だとすれば、室町時代の後期ということになるだろうか。
 大海人皇子が壬申の乱の前に立ち寄ったのがこのあたりだという伝説もある。ここから伊勢神宮を遙拝したらしいのだけど、当時この辺は海岸線近くの高台で、伊勢はちょうど真南になるから、そちらを向いて拝んだというのはまんざらでたらめでもないように思う。
 桑名市街地に残る天武・持統天皇の伝説はちょっと信用できないから、案外このあたりが実際に訪れた場所だったんじゃないだろうか。
 伊勢に関係するという点では、行こうとして見つけられなかった伊勢大神楽講社益田宮(増田神社)というのが南100メートルほどのところにあって、そこでは伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事が今も伝わっている。

桑名最終回-3

 場所としては、桑名駅からもだいぶ離れた奥まったところにあって、ここを訪れる観光客はほとんどいないと思われる。近所の人が犬の散歩に来ていたくらいだ。
 祭神は八幡宮ということでホンダワケ(応神天皇)だ。宇迦之御霊神(ウガノミタマ)、火産霊神(ホムスビ)、大山祇神(オオヤマツミ)、天照大神(アマテラス)が合祀されている。
 西桑名神社となったのは昭和9年で、それ以前は南大山田神社という名だったらしい。それもどこから出てきた名前なのかよく分からない。
 増田神社はすぐ前まで行っていたのに、一本奥に入ったところにあったようで気づかなかった。
 それにしても、もういい加減歩き疲れて駅に向かうことにする。

桑名最終回-4

 道路の反対側に桑名神明社というのがあった。けど、道を渡る気力さえも残ってなくて、こちら側から写真を撮ることしかできなかった。
 地図にも載ってないような小さな神社だし、神明社というのは他にもいくつかあって、回っていないところもある。
 寺っぽい雰囲気もあるから、もとは寺の中の神社だったのかもしれない。

桑名最終回-5

 少し暗くなり始めた夕方の雰囲気。
 上は鉄道をまたぐ道路で、歩行者は横断歩道を渡っていく。駅はもう近いぞと、自分に言い聞かせて気力で歩く。

桑名最終回-6

 最後の駅の写真の前に、本編で入りきらなかった写真を番外編として、ここでねじ込んでしまうことにする。
 ここは桑名高校の屏沿い。
 下校途中の女子高生と、部活でランニングをする生徒。
 校門の前や帰り道の学生たちの様子が、いかにも男女共学の公立高校らしい空気感で、とても懐かしかった。自分が行っていた高校と近いものを感じた。あの頃に戻りたいかといえば、決して戻りたくはないけれど。

桑名最終回-7

 自転車通学だったこともあって、ロマンチックな下校なんてのはなかった。二人乗りの帰り道なんてのは甘い幻想だ。
 高校の頃、学校から帰ってから何をして過ごしていたのか、今となっては思い出せない。時間はたくさんあったはずなのに。

桑名最終回-8

 わりとちょくちょく猫と出会った。ふれ合うほど近づくことはなくても、道を歩いている猫を見つけると嬉しい。

桑名最終回-9

 カトリック桑名教会。立坂神社の南にあった。

桑名最終回-10

 お寺かと思ったら民家だった。
 容積の大きな二階建ての日本家屋で、緑色の屋根が異彩を放っていた。

桑名最終回-11

 道端のお地蔵さん。
 べべを着せてもらって大事にされている。こういうのを見ると、服を着せられた犬を思い出す。一緒にしたらいけないのだろうけど。

桑名最終回-12

 貝塚公園というから、古墳でもあるのかと行ってみたら、それらしいものは何もない。説明板もなく、貝塚を探したけど見つからなかった。
 帰ってきてから調べたところ、貝塚が見つかったところではなく、初代桑名市長の貝塚栄之助の別荘があった場所だということを知って、ガクッときた。そりゃあ、貝塚をいくら探しても見つかりっこない。
 この家に養子として入った貝塚茂樹の弟が湯川秀樹だというのを知って、へぇーと思う。

桑名最終回-13

 桑名市役所跡の京町公園。
 江戸時代は京町見附があったところで、その後桑名の町役場が出来て、一時桑名病院としても利用されていたらしい。

桑名最終回-14

 この水路は揖斐川から引っ張ってきてるものと思うけど、それにしては浅いし、どういう用途のものかよく分からない。
 西にはアーケードがあって、桑名別院もある。
 家の裏手で、生活感があって、ちょっといい雰囲気だった。

桑名最終回-15

 桑名らしいハマグリマンホール。

桑名最終回-16

 駅に辿り着いたところで、この散策も終わりとなった。
 ホームに、中原中也の「桑名の驛」の詩碑がある。行きに降りたとき見つけて、写真を撮ろうと思ったのだけど、周りに人がたくさんいて、帰りでいいやと思って撮らなかった。帰りに乗るホームは別だということに、そのときは思い至らなかった。失敗した。
桑名の夜は暗かつた
 蛙がコロコロ鳴いていた
 夜更の駅には駅長が
 綺麗な砂利を敷き詰めた
 プラットホームに只独り
 ランプを持つて立つていた

 昭和10年、妻子を連れた中也は、故郷の山口から上京する際に、深夜の桑名駅に長時間足止めを食った。電車が不通になったらしい。
焼蛤貝の桑名とは
 此処のことかと思つたから
 駅長さんに訊ねたら
 さうだと云つて笑つてた
 桑名の夜は暗かつた
 蛙がコロコロ鳴いてゐた
 大雨の、あがつたばかりのその夜は
 風もなければ暗かつた

 現在の桑名駅は、それほど暗いというわけではなく、かといって都会の明るさはない。
 帰りの普通列車は空いていた。普通でも名古屋までは30分。近いんだからまた行けばいいかといえば、もう行かなくてもいいかなと今は思っている。予定していたところはだいたい回って、心残りはない。
 また次の旅に出よう。

レストランでは出てこない変格カレーサンデー

料理(Cooking)
カレーサンデー

Canon EOS 20D+EF50mm f1.8II



 私はカレーライスとラーメンがそれほど好きではない。どちらも月に一度食べるか食べないかで、それも積極的に食べたいから食べるのではなく、そういえば最近食べてないなとその存在を思い出して、それじゃあ久々に食べてみるかという消極的な姿勢で食べるに過ぎない。そのとき心の中で思うのは、カレーでも食べるか、というものだ。この「でも」というあたりに自分でもやる気のなさを感じる。
 その久しぶりの一日が昨日だった。よし、それじゃあサンデーはカレーにしようということになり、せっかく作るなら本格的に気合いを入れて作ってみようと思って作ったのが今回のカレーだ。
 結果、その気合いは空転して、本格ではなく変格カレーとなった。イメージとはかけ離れたものが出来上がってしまって、こんなはずではなかったと認めたくなかったけど、しょうがない、もう後戻りは出来なかった。
 私が思っていたのは、レストランなんかで出てくるカレーライスだ。ライスとカレーが別々になっていて、あの舟のような形の銀色の器に入って出てくるようなカレーを思い描いていた。
 出来上がったのは、偽物のインド人が作ったような、インチキカリーっぽいものだった。スプーンなんて使うんじゃない、右手で食え、みたいな。
 なめらかさとは縁遠く、やけにコテコテというかゴテゴテのカレーになってしまった。失敗の原因は分かっている。単純に言って私の勘違いだった。
 私の発想としては、具材というのは時間をかけて煮込んでいけば型くずれして、それも通り越すと、やがてはドロドロのトロトロになるんじゃないかと考えたわけだけど、そんなことにはならないことを知った。煮込むほどに水分が失われ、固形物っぽくなるから、水を足して柔らかくして、またカレー粉を足して味付けを加えてということを繰り返していたら、やたらカレーの量が多くなってしまったのだった。しかも、全然なめらかにならない。中途半端に溶けた具材が残ってゴテゴテのままだった。そのまま続けると10人前くらいのカレーができてしまいそうだったので、あきらめた。それでも3日は好きでもないカレーを食べることになる。
 あれからもう一度調べてみると、なめらかカレーにするには二通りのやり方があることが分かった。野菜を全部ミキサーにかけて細かく砕いてから煮込む方法と、カレースープと野菜を煮込むのを別にして、スープを漉すやり方があるようだ。
 私の場合も、野菜をある程度煮込んだところでいったん漉して、そのエキスにカレー粉や調味料を加えてカレースープを作れば、イメージに近いものが出来たのかもしれない。もう一度試してみたいところではあるけど、作ったら食べなくてはいけないことを考えると、次回は早くても8月以降になるだろう。

 参考までに今回のカレー作りの方法と材料を書いておこう。
 まずは刻んだタマネギをオリーブオイルで炒めて、鶏肉、キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、長ネギ、しめじ、ニンニク、ショウガを炒めていく。
 白ワインでざっと香りづけをして、水を足して煮る。このときアク取りをする。
 ここからはあるものを手当たり次第に入れていく。トマトピューレ、鶏ガラスープの素、コンソメの素、和風だし、白だし,しょう油、塩、コショウ、砂糖、ケチャップ、唐辛子、豆板醤、ハチミツ、オイスターソース、カレー粉など。
 で、煮込みに煮込んでいって完成したのが上の写真のカレーだった。
 まあ、味は悪くない。本場インド風のカレー粉を使っているから、けっこう本格派だ。最初に旨みと甘みを感じて、あとから辛さが追いかけてくる。
 カレールーで作るカレーとはひと味違う。ボンカレーとはもっと違う。

 カレーとサラダだけでは料理した気になれないから、ドレッシングも作ってみた。
 マヨネーズとオリーブオイルをベースに、塩、黒コショウ、マスタード、粉チーズ、コンソメの素、しょう油、砂糖、バジル、パセリ、酢、白ごまを混ぜた。
 このドレッシングは美味しかったらオススメしたい。

 私をカレーライス好きにするようなカレーライスが世の中にはあるのかもしれない。たまに店でカレーを食べることもあるし、美味しいなと思うこともあるにはあるけど、劇的にカレー好きに変えるようなものとはまだ出会っていない。
 そもそもカレー好きになりたいという気持ちが希薄だというのはある。日本人は誰でもカレー好きと決めつける風潮にも賛同できない。世の中にはカレーが嫌いな人だってたくさんいるはずなのに。
 自分の好みに合うカレーを自分で作り出してみたいというのはある。そのためにはまず、なめらかなカレーを作るというところからマスターする必要がありそうだ。気長に頑張ろうと思う。

観光スポットはなくても寺社がある桑名駅西散策 <桑名15回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
桑名駅西-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名の観光スポットは駅東に集まっていて、駅西にはあまり見所がない。初めて桑名を訪れた一般の観光客で、駅西まで散策する人はあまりいないんじゃないかと思う。
 しかし、私は歩く。時間の許す限り、気力の続く限り、そこに神社仏閣があるならば。
 この頃は相当足が痛くなっていて、普通には歩けなくなっていたのだけど、それでも駅西だけで3時間くらいは歩いた。その半分くらいが無駄足に終わったこともあって、最後は精根尽き果てそうだった。
 JR関西本線と、近鉄名古屋線が平行に走っていて、三岐鉄道北勢線はここより少し北で西に大きく曲がっている。遠くに見えているのが桑名駅だ。
 益生駅の北で線路を渡って、とりあえず北勢線の馬道駅を目指した。その少し西にあるお菊稲荷神社を目指したのだけど、これがまた見つかりにくいところにあって迷った。地図にも道が載ってなくて、どうなってるんだろうと思ったら、小高い山の上にあった。そりゃあ、分かりづらい。

桑名駅西-2

 人が通るための狭いトンネルがあったので、ここをくぐっていく。路地とかトンネルとか高架とか、そんなものを目にするとつい撮りたくなる。猫的な感覚なのか。

桑名駅西-3

 お菊稲荷を見つける前に、寺を発見した。ここは予定に入ってなかった。
 あとから分かったことなのだけど、走井山(はしりいざん)という小山の上が公園として整備されていて、そこにお菊稲荷と勧学寺が建っている。
 もともとここには矢田城という城があったところで、だから小高くなっている。
 このあたりは伊勢北畠氏の領地で、矢田半右衛門俊元という城主がいたという。そこに織田信長の軍勢が攻め込んで城を落とし、滝川一益勢の前線基地になったという歴史がある。
 その跡地に、お菊稲荷や勧学寺が建てられたというわけだ。
 ソメイヨシノが100本以上植えられていて、ちょっとした桜の名所として知られているそうだ。
 勧学寺の開基は行基という話だけど、本当かどうかは分からない。聖武天皇の時代というから、奈良時代だ。
 はじめは走井山の北のふもとに建っていたらしく、江戸時代の1620年前後に、桑名城2代藩主・本多忠政の家臣が今の山の上に移したという。
 本尊は千手観音立像で、これは廃寺となった海善寺から移されたものだそうだ。
 7代桑名藩主・松平定重が再建した本堂は、桑名に現存する寺院建築としては一番古いものらしい。

桑名駅西-4

 勧学寺の向かって左手奥に、お菊稲荷神社があった。
 特にここに思い入れがあったとか、どうしても行きたいと思ったわけではなかったから、それほどむきになって探すこともなかった。
 いつどういう経緯で建てられたお稲荷さんかも、よく分からない。調べても分からずじまいだった。
 隣には白龍龍神がある。
 少し西に離れたところに、玉三稲荷神社というのもあるようだったけど、もう深追いはやめた。

桑名駅西-5

 祠もなく、自然石が御神体になっているようだ。
 江戸時代に作られたものなのか、もっと古いのか。自然石が御神体として祀られたのが始まりとすると、起源はかなり古そうだ。
 お菊稲荷のお菊は何を指しているんだろう。

桑名駅西-6

 場所はだいぶ北に飛んで、照源寺へとやって来た。
 その前に、尾畑城跡というのを探して歩き回ったのだけど、結局見つけることができなかった。周囲をぐるっと半周くらいしても入口が見つからず、高い屏で囲まれていて中に入ることができない。
 帰ってきてから調べたところ、土地が個人所有になっていて、どこからも入れないようになっていることを知った。行く前に調べて行こうぜ、私。ここで30分ほど無駄歩きをすることになった。
 照源寺は最初から予定に入っていた。ここはいいお寺で、行っておいてよかった。

桑名駅西-7

 1624年、松平家の桑名藩初代藩主・松平定勝(家康の異父弟)が亡くなったとき、徳川2代将軍・秀忠は、定勝嫡子の松平定行に、父親の菩提を弔うための寺を建てることを命じた。
 寺の名前は、定勝の法号(戒名)・崇源院殿から崇源寺と名づけられた。
 しかし、のちに秀忠の夫人の法号が同じく崇源院殿となってしまい、松平家が遠慮して照源寺と改名した。
 以降、松平家の菩提寺として続き、墓地には藩主ら二十八基の墓が建っている。
 大きな本堂は、明治23年(1890年)に改築したものだそうだ。ここらは空襲にあっていないから、境内も昔の雰囲気をとどめている。

桑名駅西-8

 いい姿の鐘楼があった。外観の飾り気はないものの、日光東照宮などにあるのとよく似ている。
 明治10年に建てられたものだそうだけど、この地方には珍しい形というから、東照宮を意識したものじゃないだろうか。
 戦時中に鐘を軍隊に持っていかれて、平成12年にようやく新しいものを吊ったんだそうだ。ずいぶん長い間、鐘不在だったのだ。

桑名駅西-9

 寺の境内なのに、墓石の前に鳥居があったり、お稲荷さんがあったりして、少し戸惑う。
 神仏習合の名残が色濃い。

桑名駅西-10

 小さな地蔵さんがたくさん集まっていて、それぞれ色とりどりの前掛けを掛けている。
 仏教というのは本来、外国から入って来た新しい文化だったのだから、もっとポップな感じがあってもいいと思う。仏像は金ピカだったり、カラフルだったりするのが元々の姿だ。大仏のパンチパーマ(螺髪)も、本来は鮮やかな群青色をしていた。
 寺はいつしか、仰々しくて、重くて、暗いところになってしまった。極楽浄土を約束するのが仏教だから、お寺ももっと華やかで楽しい場所であっていい。

桑名駅西-11

 尾野神社まではまだ500メートルくらいあったから、あきらめて引き返した。そろそろ時間切れが近づいていた。
 桑名高校のすぐ東にある大福田寺へとやって来た。
 聖徳太子が創建したとされる古い寺で、聖天(歓喜天)を祀っており、日本三大聖天の一つを名乗っている。
 一般的に、東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)にあと一つ加えて三大聖天とする。自称は他にも、埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)、静岡県小山町の足柄聖天(足柄山聖天堂)、兵庫県豊岡市の豊岡聖天(東楽寺)などがある。
 真言宗のお寺で、密教色や修験道の色合いが濃い。
 4月の桑名聖天大祭という法要でも、山伏姿をして、柴燈大護摩火渡神事(さいとうおおごまひわたりしんじ)というのが行われている。焚いた護摩の上を歩くやつだ。
 古くは伊勢山田にあって、天武・持統天皇や聖武天皇も訪れ、伊勢神宮の神宮寺として大神宮寺を名乗っていたという。
 空海がこの寺で密教の修行をしたことで、真言道場となっていったようだ。
 淳和天皇のときに勅願寺となり、宇多天皇、後冷泉天皇なども訪れ、明治までは天皇、皇室の祈願所で、菊の紋章を使うことを許されている。
 1280年頃に火災で伽藍が焼け、再興されたときに福田寺となり、のちに足利尊氏がこの寺を大事にして、大福田寺と名を改めた。
 現在地に移ったのは、1662年、松平定重による。

桑名駅西-12

 ここもまた鳥居だ。
 右奥にも朱色の鳥居が見えている。
 神仏習合が当たり前だったという知識はあっても、今の感覚からするとやっぱり戸惑いはある。不思議な感じがする。

桑名駅西-13

 たぶん正面が本堂だと思うけど、建物がちょっと変わった配置になっていて、よく分からなかった。

 このあと進路を西に変えて、西桑名神社と益田宮を目指すことになる。そこでもまた大いなる無駄歩きをすることになるのだけど、その話はまた次回ということにしたい。
 次で桑名シリーズは最終回になりそうだ。

空コレ第二弾 ---空を忘れている人たちへ

空(Sky)
空コレ2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 他



 空コレ第一弾を今年の1月にやった。あれから半年経って、空写真の在庫がたまってきたから、そろそろまとめて出しておくことにした。
 現代社会において、空ばかり見てるような人間はよほどの暇人だ。空ばかり撮っている人間は更にその上をいく。忙しい人たちに代わって、暇人の私が空の写真をお届けしたい。
 まずは流氷雲から。これは昨日の夕方の空だ。空を覆っていた雲が割れて、海に浮かぶ流氷のようになった。ほんの短い時間の光景だったけど、同じ空を見ていた人がどれくらいいただろう。
 近くにいた小さな子連れのお母さんが、きれいだねぇと子供に話しかけていた。たぶん、子供はちゃんと見ちゃいなかったし、大人になって覚えていることもないだろう。私も、子供の頃に見た空なんて、まるで思い出せない。
 一番最初の空の記憶は、せいぜい中学生くらいのものだ。それも具体的なものじゃない。

空コレ2-2

 空の破れ目から、光が差す。そこに特別な意味はなくても、神々しさのようなものを思う。天使の梯子は典型的なものだ。
 暗い世界に注ぐ祝福の光というのはこういうものかもしれないと思うからだろうか。

空コレ2-3

 夕焼けになり損ねた夕空も、ちょっと惜しいなという意味で惹かれるものがある。もう少しだったのにと思って、そこに可能性を感じる。
 今日を生き延びて明日に辿り着けば、明日こそいい一日かもしれないと希望を持つ。

空コレ2-4

 昔の人は、障子によって切り取られた風景を見て、それを絵画に見立てて楽しんだ。
 今を生きる私たちは、ビルや高架道路によって切り取られた空に絵画的なものを見いだす。
 子供の頃思い描いていた21世紀の風景とはだいぶ違うけど、これこそが21世紀初頭を象徴する空風景に違いない。

空コレ2-5

 小さな空も、狭い空も、空は空。
 井の中の蛙も、空の広さは知っていた。
 私たちも、この空が世界中とつながっていることを知っている。

空コレ2-6

 固い空というのはないのだけど、柔らかい空というのはある。
 今日の夕空は柔らかいと思うことがある。たおやかというか、しなやかというか、物腰の柔らかい空はいい。

空コレ2-8

 夕焼けのイメージは人によってずいぶん差があるのだろうか。
 一般的には赤だと思うけど、オレンジもまた紛れもなく夕焼け色で、みかん色という言い方も情緒的だ。
 完全なる夕焼け空というのは、年間でもそう何日もない。だからやっぱりそういう空は貴重なのだ。

空コレ2-9

 燃えるような空という表現がある。これなどはそういう空だ。
 何故人は燃える夕焼け空を見て怖いと思うのだろう。もし地獄というのがあったとして、空は案外こんなきれいな夕焼け色をしているのかもしれない。
 美しさがある種の恐怖感を呼ぶこともある。

空コレ2-10

 ピンクブルーの夕焼け空が一番好きで、私はこれを幸せ色と呼んでいる。どうしてこの色を見ると幸せな気持ちになるのか、自分でもよく分からない。幸せの記憶と直接結びついているわけではないから、色そのものから受ける印象なのだろう。

 空の写真をよく撮っているつもりでいるけど、それほどでもないことに気づく。特に空だけを撮る機会というのはそれほど多くない。空を撮りたくなるのは、広い場所に立ったときと、超広角レンズをつけているときだ。
 夏は朝焼け空がいい。朝焼け色に染まる空は、夕焼け以上に感動的で、見ている人が少ないと思うから、余計に得した気分になる。
 このところ梅雨空が続いて、すっきり晴れた青空を見ていない。でも、この空も、あと2週間くらいのものだろう。梅雨が明ければ嫌というほど青空を見ることができる。入道雲も楽しみだ。
 今年中に空コレ第三弾をやりたい。いい空があれば積極的に撮っていくことにしよう。
 日々の忙しい暮らしの中で、空を忘れている人たちに、空コレをお送りします。

明徳公園は小ネタ拾いに役立つといえば役立つ <後編>

施設/公園(Park)
明徳公園2-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今日は明徳公園後編で、生き物、花編をお送りします。
 まずはイナゴから。たぶんイナゴの子供だと思うけどどうだろう。跳ねる虫が全部バッタだと思ったら間違いで、世界にはたくさんの跳ねる虫がいる。そのあたりの勉強はあまり進んでいない。そもそもバッタ類を見かけることも少なくなって、なかなか写真に撮る機会もない。
 トノサマバッタやショウリョウバッタ、オンブバッタにヒシバッタなど、昔は当たり前のように見たバッタたちも、最近は気づいたら見かけない。一度そのあたりのバッタ類を探して、きちんと写真に撮っておく必要がありそうだ。

明徳公園2-2

 ミツバチが集団で消えたというニュースの続報を聞かないけど、あれからどうなったのだろう。そういう話を聞いたせいか、言われてみるとミツバチの数が少なくなったようにも思う。
 セイヨウミツバチは黄色と黒のツートンで、ニホンミツバチは黒と白のツートンに近い。
 後翅の翅脈模様で区別するのが確実というけど、そんなに近くまで接近できない。
 私はこれまでに二回ミツバチに刺されたことがあって、けっこう痛いからもう刺されたくない。

明徳公園2-3

 足に小さなコガネムシみたいなのが止まった。5ミリもないようなやつで、マクロレンズでもここまでしか近づけなかった。
 正体は分からない。光沢があるから、ゾウムシとは違うと思う。

明徳公園2-4

 アジサイの撮り方がいまだによく分からない。今年もここまで、まだ手応えがない。アジサイを前にしたとき、どう撮ったらいいのか、まるでイメージが湧かず、途方に暮れる。
 シーズンが終わるまでにもう少し撮っておきたい。

明徳公園2-5

 アジサイのバックに竹林があって、肉眼では面白いと思ったのに、写真に撮ったらそうでもなかった。そういうことはよくある。逆のこともたまにある。

明徳公園2-6

 ヤブカンゾウは中国が原産で、もともとは栽培されていたものが野生化して民家近くで咲いている。土手や田んぼの近くなどでよく見る。
 緑地に自生するような花ではないから、近くの民家から種が飛んできたのだろうか。

明徳公園2-7

 草むらに黒いカタマリがあって、なんだろうとのぞき込んでみたら、モゴモゴっと動いてちょっと驚いた。
 そして、眠そうにノラが薄目を開けてこちらを見た。
 ほぼクロネコだけど、口の周りと手足の先が白いだけでずいぶん印象が違ってくる。
 2年くらい前にもこれとよく似た模様の猫を撮っている。同じやつかもしれない。

明徳公園2-8

 明徳池は雨上がりで水が濁り、風が強くて水面も波立っていた。
 渡りのカモの姿は当然なく、カルガモもいない。
 向こう岸にアオサギがいた。ここはいつ行ってもたいていサギ類がいる。

明徳公園2-9

 ふいにぽっかり水面に浮かんできたやつがいた。カイツブリだろう。
 珍しく釣り人の姿はなかった。

明徳公園2-11

 目の前をトコトコと鳥が歩いていく。たぶん、シロハラだ。
 一定の距離を保ちながら小さく逃げるから、私が追いかけ回しているみたいになった。実際、写真を撮るために距離を詰めようとしていたから、シロハラにしたら追いかけられている気分だったかもしれない。

明徳公園2-12

 最後に少しだけ太陽が顔を出しかけて、またすぐに雲に隠れた。
 それなりに撮ったし、これ以上追求してもあまり撮るものはなさそうだったから、今回はこれくらいにしておく。
 相変わらず、そんなに撮るものはないけど、まったくないわけではない。ネタに困ったとき、一回か二回分の小ネタを拾いに行くにはいい。
 次は渡りのカモが渡ってきた頃になるだろうか。

お手軽森林気分の明徳公園はグリーン、グリーン、グリーン <前編>

施設/公園(Park)
明徳公園1-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 雨が降ったりやんだりの中、少しでも写真を撮ろうと近所の明徳公園に出向く。
 名古屋市のはずれとはいえ、市内でこれだけ森の雰囲気を残しているところは貴重だ。お手軽に森林気分を味わえる。
 ただし、花や生き物は少ない。海上の森のような珍しい山野草は咲いていないから、そういう期待を抱いていくとがっかりする。もう少し花を植えるとか何とかできないものだろうかと、訪れるたびに思う。手つかずの自然に近いといえば聞こえはいいけど、現状ではどうにも魅力不足だ。もう少し整備すれば、もっと人が集まってくる場所になるだろうに。
 そんなわけで、写真は大部分を緑色が支配することになる。気の効いた色は少ない。こうなったら様々なパターンの緑色を撮るしかないと居直った。

明徳公園1-2

 撮るものはないかと地面をキョロキョロしながら歩くも、これといったものがない。ふと見上げると、若葉が光に透けてきれいだったので撮ってみる。
 特に意味はないけどきらいな写真じゃない。

明徳公園1-3

 木肌も、森色に染まって緑のグラデーションを見せる。
 月日、年月、歳月という三段階の時間経過を思う。

明徳公園1-4

 散策路。
 公園と名前がついている以上、一通りの整備はされている。歩きづらいような道はなく、サンダル履きでもなんとか大丈夫だ。
 もっとワイルドコースを歩きたければ、猪高緑地がある。あそこの奥はほとんど森に近い。

明徳公園1-6

 文字通り草むら。風に吹かれてザワザワ揺れていたけど、写真で風を表現するのは難しい。やるなら、三脚を立てて、スローシャッターで撮るしかない。

明徳公園1-5

 面白いけど詰まらない。こんなところにキノコって、わざとらしい感じがして。

明徳公園1-7

 キノコ・コレクションその2。
 キノコというと秋のイメージがあるけど、実際は夏によく見る。湿った今の時期がキノコが生長するのに適しているのだろう。
 キノコについてはくわしくなりたいという気持ちがない。キノコ狩りをして食べるわけでもないし、写真に撮ってもあまり楽しくない。
 キノコ図鑑を買って勉強すれば、もっとキノコに興味が持てるようになるだろうか。

明徳公園1-8

 このキノコはきれいだった。きれいゆえに、絶対食べてはいけないと思わせる。
 しかし、食べられるキノコと食べてはいけないキノコを判別した昔の人は偉かった。身をもって実験するしかないから、たくさんの犠牲者が出たことだろう。
 その遺伝子を私たちも受け継いでいて、危なそうなキノコを見ると危険を感じることができるのかもしれない。
 今でもチャレンジャーは後を絶たず、毎年やられてしまう人が出るのだけど。

明徳公園1-9

 こんな小さな赤色でも、今の時期の緑地では貴重な彩りだ。
 ミズヒキなんて、普段なら見ても撮らない。

明徳公園1-10

 ハンゲショウ。
 葉っぱが半分白くなっているから、半化粧という漢字を思い浮かべるけど、実際は半夏生と書く。
 暦の七十二候の一つ半夏生から来ている。ただし、半化粧という字を当てることもある。
 昔から明徳公園で見てるから特に珍しいものとも思ってなかったけど、他ではあまり見かけないから意外と珍しいのかもしれない。近年は減少傾向にあるそうだ。

明徳公園1-11

 一見すると萩っぽい。たぶん、コマツナギだと思うけど、自信がない。よく似た花があったようにも思う。
 ヤマハギやニシキハギという可能性がなきにしもあらず。

明徳公園1-12

 ドクダミはありふれた花でありながら、薄暗い森の中で白い花が点々と散っている様子は、ときどきハッとさせる。
 明るい太陽の下で見ると、なんてことのない花なのに。

明徳公園1-13

 竹林グリーンというのも独特のもので、心惹かれる。ただ、肉眼で見た感じを写真で再現するのは難しくて、何回撮ってもしっくりこない。竹林をイメージ通りに撮りたいというのも、昔からずっとある。

 今回は森を意識して、ほぼ全面的に緑色の写真になった。
 明徳公園後半は、花や生き物の写真で、もう少し賑やかになる。
 次回に続く。
  • ホーム
  • 次 ›