
FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6
藤岡神社の1キロほど北に、八柱神社がある。たぶん、「やはしらじんじゃ」と読むのだと思う。
どういうわけか、藤岡地区には八柱神社がたくさんある。この地区だけで10社もあるというのはちょっと驚く。豊田市全体では15ほどだから、藤岡に密集していることになる。どうしてそういうことになったのかは、よく分からない。どこが一番最初だったのかなど、詳しいことも調べがついていない。藤岡の郷土史を調べたら分かるのかどうか。
今回訪れたのは、折平町(おりだいらちょう)にある折平八柱神社だ。昨日も書いたように、帰り道の途中にあったから寄っていくことにしたのだった。ただ、途中といってもやや奥まったところにあって、細い道を入っていかないといけないので、少し見つけづらかった。通りから鳥居なども見えない。
どうにか見つけて鳥居前に着いて、ここもかと思う。手入れの行き届いていない感じは藤岡神社と同等で、訪れる人もあまりないことを伺わせる。鳥居前の錆びてちぎれたブランコも哀愁を漂わせていた。
藤岡神社もここも、かつては村社という村の鎮守様だったのに、時代が進んでお世話をする人もだんだんいなくなったのだろう。もう少し大事にしてもバチは当たらないだろうに。というか、もう少し大事にしないとバチが当たりそうで、部外者の私がひやひやしてしまう。

鳥居、社殿はほぼ南向きで、特に変わったところはない。本殿は少し高い場所に建っている。
榊は枯れ果て、古くなった注連縄も申し訳程度にぶら下がっているだけで、入り口からして行き届いていない様子が見て取れる。
まだ3月だし、年末年始に新しくしたなら、3ヶ月でこんなふうになることはない。初詣のための準備はしなかったのだろうか。
山奥の神社ならともかく、町にある神社でこういう状態になっているところは珍しい。たくさん神社は回っているけど、こんなのは他ではあまり見た記憶がない。
2000年の国勢調査で、藤岡地区は平均年齢が34.1歳で日本一若い町だったそうだけど、そういうところも関係しているのだろうか。年配の氏子さんたちがいなくなってしまったのかもしれない。

当然のごとく、手水舎は枯れて久しい感じだ。
手水舎にちゃんと水が出ているところは人の出入りがあるところと判断していい。めったに人が来ないところには水の無駄と思うかもしれないけど、神社においてはそういうことではない。清める水がないと、参拝するにしても神様に失礼だ。

拝殿前も、全体的になんだかバシャバシャな感じになっている。
家でいえば、これは空き家の状態だ。これでは神様と参拝者の関係性がまともに機能しているとは思えない。大丈夫だろうかと心配になる。
祀られている神様は、藤岡神社とよく似ているというか、ほとんど同じだ。
正哉吾勝勝建日天忍穂耳命をはじめとして、天穂日命、天津彦根命、活津日命など八神となっている。これは八柱神社や八王子神社の定番の顔ぶれだ。
八王子神社というのは、神仏習合の両部神道の神社で、華厳菩薩妙行が東京八王子の深沢山で修行していたところに、牛頭天王と八人の王子が現れて、八王子権現を祀ったのが始まりとされている。
のちに明治の神仏分離令の際、それをスサノオとアマテラスの契約で生まれた五男三女神に替えられたという経緯がある。
折平八柱神社も、創建当時は八王子宮といっていたようだ。
創建は1570年か、1686年か、そのあたりらしい。室町末期か、江戸の初期か。どちらにしても、藤岡神社の方が先にあったようだ。名前も同じ八王子宮だから、関係があったのは間違いなさそうだ。

境内社は、店じまいみたいに扉が閉まってしまっている。これもちょっと驚いた。
シャッター通りのように、どこも閉まって神様が出て行ったあとみたいになっていた。
山神社とか、琴平社だったと思う。
やや複雑な気分を抱きつつ、神社をあとにすることになった。

境内に立っていた古木は、ムクノキか何かだろうか。違うかもしれない。
中は空洞になりながら、それでも立って、枝を伸ばし、葉を茂らせている。これは感動的な姿だった。

ツブラジイ(円椎)という木で、樹齢は200年以上だそうだ。豊田市の銘木指定になっている。
すごく迫力のある木で、生命力の強さを感じさせた。いいものを見た。
人が手入れをしなくても、こういう木々が森を作って、境内を外界と隔てる神域としているというのはあるかもしれない。

八柱神社と藤岡神社周辺で撮った写真をオマケとして何枚か載せておこう。
空き地のヒメオドリコソウ。錆びたドラム缶との組み合わせが、20世紀的な風景に思えた。

ここもソメイヨシノは、ようやく咲き始めといったところだった。この調子では、満開は4月にずれ込むのは間違いない。開花から満開まで2週間以上かかる可能性も出てきた。

田んぼの脇には、たくさんツクシが生えていた。これは昔ながらの光景と懐かしくなった。子供の頃は、町中の川でもこれくらいは普通に生えていたものだ。

ワイルドにショウジョウバカマがこんなに咲いているのを見たのは初めてだった。
松平郷にも、足助の飯盛山にもたくさん咲いていたけど、誰にも見向きもされないようなところで、まったく自然にこれほど咲いているのは珍しい。
日本の里山は、本来こういうのが当たり前だったのだろう。

スノーフレークはさすがに自然には咲かない。お寺の入り口近くで咲いていたから、誰かが植えたのか、民家の庭から種が飛んできたのかしたのだろう。

これがちょっと分からなかった。花の姿は、ダンコウバイとかサンシュユに似ているけど、どちらも黄色だ。赤い花でこういうのを見たことがあるようなないような。
とりあえず保留にしよう。
藤岡神社と八柱神社へ行ったのは偶然だったわけだけど、深読みするなら、金剛寺のしだれ桜をエサに呼ばれたような気がしないでもない。現状を紹介して知らせて欲しいと。
私は通りすがりの部外者だから、どうすることもできないけど、何かのきっかけで関係者の方がこれを見て、もう少しお世話をしてもらえると私としても安心する。
21世紀でも神社というのは、きちんと関係性を築けば現実的な部分でも機能するものだと私は思っている。人間以上の存在を敬うということは大切なことだ。とても単純な話として。神社というのは、そのための分かりやすい装置でもある。
多くの人が当たり前のように初詣をしたり、お宮参りをしたり、合格祈願をしたりする。具体的なご利益というのは二の次で、参拝をするという行為そのものに意味がある。
人と神社も縁で、互いに持ちつ持たれつというところがある。その縁が互いにとって利益になればいいと私は願っている。