月別:2009年03月

記事一覧
  • 平和公園は5分咲きまで進んでいるからここから先は駆け足に

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 17-50mm f2.8 遠出の予定が都合で行けなくなってしまい、代わりに近場の平和公園の桜を見に行ってきた。 ここもまだそんなに咲いてないだろうと期待してなかったのに、行ってみたら思った以上に咲いていた。全体としては3分から5分咲きといったところで、木によっては満開近いものもあった。 平和公園はよく行くのに、桜の季節は初めてかもしれない。見慣れた風景も新鮮に映った。 南にある小公園もよ...

    2009/03/31

    桜(Cherry Blossoms)

  • 3月終わりの近所周りの桜開花情報

    Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L 桜の開花が進まないうちに、3月も終わろうとしている。今年は春先から暖かくて、名古屋も史上3番目の早さで開花宣言が出されたというのに、10日以上経過してまだ3分咲きにもならない。なかなかじらせてくれる。 今日は久々に暖かい一日だったから、これで一気に進んだんじゃないかと期待して、近所をぐるりと回ってみた。そのときの様子をお届けするのだけど、見てもらえば分かるように、...

    2009/03/30

    桜(Cherry Blossoms)

  • 白醤油を使って脱・茶色料理サンデー

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II 今日のサンデー料理のテーマは、白醤油だった。 見た目を少しでも上品にするための必須アイテムとして、白醤油は前から使いたいと思っていた。ダイエーに買いにいったら1種類しかなかった。ヤマシン株式会社というのは聞いたことがないけど、有名なのだろうか。 愛知県碧南(へきなん)地方の特産というから、全国的な知名度は低いのかもしれない。ダイエーでも1種類しか置いてないところを...

    2009/03/29

    料理(Cooking)

  • 開店休業中のような折平八柱神社が私を呼んだのか

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 藤岡神社の1キロほど北に、八柱神社がある。たぶん、「やはしらじんじゃ」と読むのだと思う。 どういうわけか、藤岡地区には八柱神社がたくさんある。この地区だけで10社もあるというのはちょっと驚く。豊田市全体では15ほどだから、藤岡に密集していることになる。どうしてそういうことになったのかは、よく分からない。どこが一番最初だったのかなど、詳しいことも調べがついてい...

    2009/03/29

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • いろいろとのけぞることが多かった藤岡神社参拝

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 金剛寺のしだれ桜を見たあと、ついでといっては失礼なのだけど、近くにあった藤岡神社にも寄っていくことにした。どんな神社かはまったく知らず、地図を見ていて見つけたというだけだった。 金剛寺の入り口をから振り返ると、田んぼの向こう側に鳥居が見えている。歩いて5分くらいの距離だ。 神社仏閣も一期一会で、チャンスがあるときに行っておかないと二度と行けずに終わること...

    2009/03/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 300歳の藤岡金剛寺のしだれ桜を見に行ってやって欲しい

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 / TAMRON SP 90mm f2.8 日本全国各地に、有名無名の一本桜がたくさんある。全国的に名が知られたものはむしろ少なくて、知る人ぞ知るといったような木も多い。 この前紹介した春日井覚成寺のエドヒガンもそうだし、岡崎の奥山田しだれ桜なんかもそれほど広くは知られていない。 名古屋市内にはこれといった大きな一本桜はなさそうだけど、愛知県内となると30本以上あるようだ。た...

    2009/03/27

    桜(Cherry Blossoms)

  • 高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結

     名東区の神社巡りシリーズ最後は、高牟神社(たかむじんじゃ)となった。 他にも平和ヶ丘神社や、この近くの高帝龍王神もあるのだけど、主だったところということでは高牟神社を最終回としていいと思う。他の神社は番外編として紹介することにしたい。 さて、高牟神社なのだけど、名古屋には3つの高牟神社がある。一番有名なのは千種区にあるもので、かつて一度行ったことがある。もう一つは守山区の瀬古にあって、それは以前...

    2009/03/26

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 4度目の覚成寺エドヒガンは遅刻ぎりぎり西日の中

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 夕方、ふいに思い立って、覚成寺の桜を見に行ってきた。 春日井の朝宮公園近くにあるこのお寺の桜を知っている人はあまり多くないのではないかと思う。 私は今回で4度目になった。初めて見たのが2005年で、あれから4年の歳月が流れた。カメラもレンズも変わり、私も4つ歳を取った。覚成寺の桜もしっかり成長している。見た目では分からないものの、2005年に撮った写真と見比べてみ...

    2009/03/25

    桜(Cherry Blossoms)

  • 桜の開花が進まずご近所日常写真でつなぐ

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 他 名古屋の桜の開花は3月19日だった。あれから4日経って、そろそろ開花が進んでいるかと近所を回ってみたところ、まだ全然咲いてきていない。一分咲きでさえなく、ごく一部咲きにとどまっている。ここ数日気温が下がったことで、桜自身が待ったをかけた格好になっているようだ。 開花してから一週間で満開になるという基本法則は、今年に関しては当てはまりそうにない。今週の中頃...

    2009/03/24

    日常写真(Everyday life)

  • 食べたい調理法優先で和洋仏料理になったサンデー

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II 先週の茶色料理に懲りた私は、今週こそ彩りのある華やかな料理を作りたいと思った。しかし、志半ば、途中から半茶色料理にまたしても成り下がった感がある。手持ちの食材と、食べたい料理ということを優先した結果、そうなってしまったのだった。 基本的には洋食から出発した。洋食なら茶色料理になる可能性は低い。1品目は変わりオムレツにしようというのはすぐに決まって、そこまでは上手...

    2009/03/23

    料理(Cooking)

  • 片山八幡神社は表と裏の顔があって光友で穴八幡ともつながる

     ごく近い場所にありながら、片山神社と片山八幡神社の成り立ちと歴史は、大きく異なっている。ほとんど共通項はないと言ってもいい。行く前は同じ系列だと思っていたら全然無関係だった。直線距離でいえば800メートルほどしか離れていない。 場所は名古屋市東区徳川。徳川園から見て北西300メートルくらいのところだ。 この神社も創建について正確なところは伝わっていない。 社伝によると継体天皇の時代(511年)に建てられ...

    2009/03/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 不思議な空気を持った片山神社は忘れがたい印象を残した

     とても個人的な、多分に感覚的なものなのだけど、一歩足を踏み入れたとたん、この神社は何か違うなと感じるところがある。明らかに他とは空気が違っているというか、雰囲気が異質というか。 名古屋市東区にある片山神社がそうだった。おお、こいつはすごい、と思った。何がどうすごいのかを言葉で説明するのは難しい。私が何か特別な能力を持っているというわけではなく、たとえば、古い洋館に入ったとき、多くの人が感じるであ...

    2009/03/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 松平郷よ、また会う日まで

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他 松平郷シリーズ最終回は、寺社や風景編ということになった。 一つの里に、一つの神社と一つのお寺があるというのは、とても分かりやすくて平和でいい。寺が二つあったりするとややこしいし、分裂の元にもなる。 ところで、松平郷というのはどこからどこまでを指しているのだろう。私はよく分かっていない。 松平郷園地となっているのは、室町塀や天下池を中心とした一角で、見所としてはこ...

    2009/03/20

    施設/公園(Park)

  • 人の暮らしは水と共にあることを松平郷は思い出させてくれる

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他 心地よい空間には水がある。マイナスイオンなどという言葉を知らなかった昔から、人はそれを感覚的に知っていた。日本人は特にその傾向が強い。 海や川の近くに住み、里に水の流れを作り、水田で稲作をした。身近にはいつも水があった。水には人の心を穏やかにする作用がある。都会人の心が殺伐としてしまうのは、身近にきれいな水の流れがないからというのもありそうだ。 松平郷は水の流れ...

    2009/03/19

    施設/公園(Park)

  • 早春と春の間に咲く松平郷の花たちを撮る

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他 子供の頃はつくしをとってきてよく食べた。そんなに美味しいものではないけれど、春の訪れを感じるために、毎年春になると一度か二度は食べたものだ。とりすぎて近所の人にお裾分けをしたり、逆にもらったりすることも多かった。今はどこに行けばつくしが生えているのか分からないくらいになってしまった。とって食べている人も少なくなったのだろう。 昔は川の土手というのが定番だった。矢...

    2009/03/18

    花/植物(Flower/plant)

  • 年に一度か二度の松平郷行きは故郷に帰ったときと似た気持ち

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他 縁もゆかりもないはずなのに、何故かとても懐かしい。見た目の風景というよりも、里が持っている空気感がそう感じさせる。私にとっての松平郷は、第二の故郷ともいうべき大切な場所だ。だからこそ、いつでも行きたいと思いながらなかなか行けない。車で1時間半の距離だけど、近くて遠い。遠いけどいつも心の中にある。 約1年ぶりの訪問となった。調べたら去年は3月24日に行っている。ただ、...

    2009/03/17

    施設/公園(Park)

  • 茶色料理を極めたいわけじゃないサンデー

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II 幾時代かがありまして 茶色いサンデーありました  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 自分の作った茶色い料理を並べてみたとき、中原中也のサーカスが頭に浮かんだ。 落下傘奴のノスタルヂアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 自分がイメージしていたものより当社比200パーセントくらい茶色くなってしまった。まさかこんな仕上がりになるとは思わなかった。決して写真にセピアフィルター...

    2009/03/16

    料理(Cooking)

  • 古写真を作って遊ぶ

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他「幕末古写真ジェネレーター」でいろいろ変換して遊んでみた。 デジタルデータの写真を、江戸から明治期に撮られた写真のように変換してくれるもので、ソフトをインストールしたりすることなく、サイトにデータをアップデートすればいいだけなので簡単だ。 http://labs.wanokoto.jp/olds あれこれ試してみて、面白かったものを何枚か紹介したいと思う。はまるものもあればはまら...

    2009/03/15

    未分類

  • フラッと渓谷に立ち寄れる守山区民

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 75-300mm f4-5.6 IS 何か撮るものはないかいなと、プラッと立ち寄った白沢渓谷。そんなに気軽に立ち寄れる場所に渓谷があるのかと驚くかもしれないけど、さすがに名古屋市内ということで人工的に作られた小さな渓谷だ。いくら守山区が名古屋のチベットと呼ばれているとはいっても、自然の渓谷があるほど秘境ではない。 地図上では城土公園となっているから、名古屋市民でもここ...

    2009/03/14

    施設/公園(Park)

  • 花シーズン開幕に向けてお裾分けの生花で花撮りオープン戦

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 葬儀に使った生花を帰りに持っていけというのでお裾分けでもらってきた。花瓶に入れて飾っておいても数日でしなびてしまう。その前にせっかくだから写真を撮っておくことにした。花の季節を前に練習の意味合いも兼ねて。 室内の花撮りはあまりしないから勝手が分からず難しく感じる。屋外の場合、必ずしも自分の思い通りの条件にならないことが多くて、それを言い訳にしているところがある。花...

    2009/03/13

    花/植物(Flower/plant)

  • 撮りたかったけど撮れなかった2日間

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 母方の田舎に行って、花粉症にやられた。 大杉谷の入り口にある盆地で、周りを取り囲む山が杉の木だらけなのだ。赤茶色く紅葉しているように見えるのが杉の雄しべで、風に揺られてワサワサ揺れている様は、見ているだけで目がかゆくなってくる。 名古屋では軽症の私も、ここでは重症だった。あそこには住めないと思う。 花粉症は都会病の一種と思っていたけど、田舎の方がすごいことを思い知る。花...

    2009/03/12

    未分類

  • 老いて尚

     無事帰宅したものの、通常の更新をするには気力不足。 昨日は猫だったから今日は犬ってことで、親戚のうちの15歳。人間でいえば80歳近い。 だいぶ弱っていたけど、できるだけ長生きするんだよ。...

    2009/03/11

    動物(Animal)

  • 留守番アイ

     一晩留守するので、今日は更新休みます。 留守番するアイの写真を置いていきます。...

    2009/03/09

    猫(Cat)

  • 手抜きじゃないのに手抜きに見えるカレーサンデー

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II 今日は手抜きカレーサンデー。たまにはこんな日があってもいい。手抜きするにはそれなりの理由もある。お母さんはけっこう忙しいのだ。私はお母さんじゃないけど。 カレーなんてちょちょいのちょいですぐに作れるだろうと思いきや、カレー粉から作り始めるとこれがけっこう手間がかかる。 タマネギのみじんとニンニク、ショウガをオリーブオイルとバターでよく炒めて、カレー粉、小麦粉、白...

    2009/03/08

    料理(Cooking)

  • 小幡緑地と矢田川のご近所写真のつなぎネタ

    FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 / SIGMA 55-200mm f4-4.6 他 瀬戸のお雛めぐりとレトロ風景シリーズが終わって、ちょっと一休みということで、今日は近所の小幡緑地と矢田川の風景写真をお届けします。例によって時刻は夕方、日没前ということになる。 3月といっても春が訪れているのは一部のことで、雑木林の風景はまだ冬とほとんど変わっていない。足元の花もさほど咲いてはいない。あるところにはありふれてい...

    2009/03/07

    風景(Landscape)

  • 変わりゆく町並、失われゆくレトロ風景 <瀬戸レトロ-3>

    Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8 瀬戸蔵の二階テラスから見る瀬戸駅周辺の風景はこんなふうになっている。 瀬戸川は大がかりな護岸工事をしている。少し前までは多少なりとも自然の風景が残っていたのに、人間の手が入ってどんどん情緒がなくなっていく。毎年3月になると川岸には菜の花が咲いていい雰囲気だったのに、今年からはそれも見られなくなってしまうのだろうか。 このあたりの風景は一昔前とは激変している。尾...

    2009/03/07

    街(Cityscape)

  • 今日あるレトロ風景が明日も変わらずあるとは限らない <瀬戸レトロ-2>

    Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8 今日は昨日の続きで、瀬戸のレトロ風景第2回です。 末広町の南に小さな川が流れていて、こちらにもレトロな風景が点在している。この流れは瀬戸川の支流なのか、違う水系なのか、よく分からない。愛知用水かもしれない。 川沿いの風景というのは、趣があるところが多い。幹線道路沿いは新しい建物が多く、道路が整備される前は川沿いに家が建ち並ぶのが自然だったからだろうか。 写真は...

    2009/03/06

    街(Cityscape)

  • 路地に心惹かれるのは猫だったときの記憶の名残か <瀬戸レトロ-1>

    Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8 これまで名古屋市内や周辺のレトロ風景をいくつか紹介してきた。四間道や中小田井、津島などを覚えている人もいるかもしれない。瀬戸もその中の一つで、アーケード編のとき、断片的に写真を載せた。今回はその続きで、路地編というテーマでお届けしようと思う。 大通りより裏道に心惹かれ、広い部屋より狭い部屋を好み、高い場所に登って下を見下ろしたがる私は、前世のどこかで猫だったの...

    2009/03/05

    街(Cityscape)

  • 瀬戸のお雛めぐり紹介で3人くらいは現地に送り込みたい <後編>

    Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8 今日は昨日の続きで、瀬戸のお雛めぐり後編をお届けします。 二つあるアーケードのうち、どちらかというと末広商店街の方が力を入れている印象だった。ひな人形を飾っている店が多い。 上の写真の松千代館もその一つで、ここは建物の雰囲気といい、飾っているひな人形といい、心惹かれるものがあった。元は旅館だったところで、屋根神様がいるのがこの家だ。 何年か前まで営業していたと...

    2009/03/04

    風物詩/行事(Event)

  • 地元の人ならまだ間に合う瀬戸のお雛めぐり <前編>

    Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8 瀬戸市でおひな祭りのイベントをやっているのを知ったのは、今年になってからだった。「陶のまち 瀬戸のお雛めぐり」は今年で8回目になるという。 去年は足助へひな人形を見に行った。「中馬のおひなさん」が今年で11回目というから、瀬戸市のものも歴史としてはそれほど変わらない。やっていることもよく似ている。商店街や各家庭で自前のひな人形を飾って、訪れた人たちに見てもらおう...

    2009/03/03

    風物詩/行事(Event)

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平和公園は5分咲きまで進んでいるからここから先は駆け足に

桜(Cherry Blossoms)
平和公園桜-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 17-50mm f2.8



 遠出の予定が都合で行けなくなってしまい、代わりに近場の平和公園の桜を見に行ってきた。
 ここもまだそんなに咲いてないだろうと期待してなかったのに、行ってみたら思った以上に咲いていた。全体としては3分から5分咲きといったところで、木によっては満開近いものもあった。
 平和公園はよく行くのに、桜の季節は初めてかもしれない。見慣れた風景も新鮮に映った。

平和公園桜-2

 南にある小公園もよく咲いていた。
 しかし、ひと気はなし。お墓エリアよりもこちらの方が落ち着くだろうに。

平和公園桜-3

 公園から平和堂を遠くに見る。
 階段沿いはまだ咲き揃っていない。こんなに近い場所でも開花にずいぶん差がある。日当たりの問題なのか、土の違いか。

平和公園桜-4

 道路沿いも少し桜の木が植わっている。
 ここは桜よりも紅葉の印象が強い。

平和公園桜-5

 お墓とは道を隔てた反対側に、桜の園と名づけられたエリアがある。
 平和公園の桜はここが中心となる。
 公園全体では約2,300本ほどの桜があるらしい。
 なかなか咲いているとはいえ、まだ満開までは数日かかりそうだ。ちょうど週末に見頃を迎えるんじゃないだろうか。

平和公園桜-6

 石畳のこの場所がけっこう好きだ。紅葉のときもいい雰囲気で、もう4、5年前になるか、初めて一眼のD30を買ったとき、ここに撮りに来たのを覚えている。

平和公園桜-7

 若い親子連れやカップルなど、ポツリ、ポツリと花見客も訪れていた。
 ここは車をとめるところはいくらでもあるし、座れる広場もあるから、花見には最適だ。ただ、お墓公園だけにライトアップはないと思う。あったとしても、夜のお墓はちょっと怖い。

平和公園桜-8

 屋台も何軒か並んでいた。どれくらいの人出があるのか知らないけど、思ったよりも桜スポットとして有名なようだ。

平和公園桜-9

 今週末はこのあたりも花見の人でびっちり埋まるんだろうか。
 普段は犬の散歩の人たちがたくさん歩いている。

平和公園桜-10

 何本か、しだれ桜も植えられている。
 こちらはやっと咲き始めたといったところだ。
 アップで撮るなら、しだれの方が可憐で華やかで写真写りがいい。

平和公園桜-11

 ヒメオドリコソウもわさっと咲いていた。その他の野草も多数。
 まだチョウを見ない。そろそろ飛び始めているはずだ。

平和公園桜-12

 ドウダンツツジもつぼみをつけ始めていた。春の花が咲き始めれば、初夏の花も準備にかかる。
 明日からもう4月だ。

平和公園桜-13

 猫ヶ洞池の手間の小さな池。
 早朝はこのあたりに野鳥がたくさん出るらしいけど、早朝など行ったことがないから、ここらで鳥を見ることはない。

 今日も時間がなくて、写真を並べるだけの簡単更新となった。
 私がそうやってバタバタしたりぼやぼやしたりしてるうちにも季節は駆け足で進んでいく。桜もここからは早い。2日くらい怠けていると見頃を逃してしまいかねない。ここからは毎日注意深く季節の推移を見守る必要がある。出遅れないようにしたい。

3月終わりの近所周りの桜開花情報

桜(Cherry Blossoms)
近所桜3月-1

Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L



 桜の開花が進まないうちに、3月も終わろうとしている。今年は春先から暖かくて、名古屋も史上3番目の早さで開花宣言が出されたというのに、10日以上経過してまだ3分咲きにもならない。なかなかじらせてくれる。
 今日は久々に暖かい一日だったから、これで一気に進んだんじゃないかと期待して、近所をぐるりと回ってみた。そのときの様子をお届けするのだけど、見てもらえば分かるように、いまだ足踏みは続いている。この調子では、満開になるまであと一週間くらいかかるんじゃないか。
 一枚目は藤が丘前の並木道だ。
 ここは去年だったかおととしだったか、駅前の古くて大きな木をほとんど切ってしまったから、見所は四軒家交差点近くの前半部分に限られる。駅に近づくほどに桜がなくなっていく。いい具合に大きく成長していたのに、本当に全部切らなければいけなかったのだろうか。これでまた見応えがある桜並木になるまで20年はかかる。

近所桜3月-2

 東名のガード下に一本のしだれ桜がある。前からずっと気になっていて、今回初めて撮った。
 しだれはソメイヨシノより早いから、もう満開になっていた。

近所桜3月-3

 尾張旭はまだ全然。1分咲きにもなってないくらいだった。
 ここは近所周りでは毎年一番遅い。最後に訪れてもいいところだ。

近所桜3月-4

 桜祭りが4月1日から始まるようで、もう屋台も準備ができていた。でもまだちょっと気が早い。宴会の人たちにしたら、桜の開花具合などあまり関係ないのかもしれないけど。

近所桜3月-5

 池の近くにシデコブシが咲いていた。というか、もうほとんど枯れていた。油断している間にシデコブシの季節が終わってしまっていた。今年も海上の森に見に行けなかった。
 東海地方の湿地に自生する珍しい木で、ここに植えられているのは知らなかった。来年はもっと早い時期に撮りにいかないといけない。

近所桜3月-6

 マルス裏は毎年一番早い。藤が丘とも香流川ともそんなに離れていないのに、どういうわけかここの桜は早い。どんな条件が関係しているのだろう。
 ここは特に祭りが行われるというわけでもなく、ライトアップもない。ただ、提灯が飾られるだけだ。
 4分から5分咲きくらいになっていたから、見頃は近い。

近所桜3月-7

 同じくマルス裏。
 逆方向を向いて、順光で撮る。
 まだ木は若いから、これからの成長が楽しみだ。
 近所では最もマイナー桜スポットと言える。

近所桜3月-8

 香流川も思ったほど進んでいない。気の早いやつだけが先走っていて、他はまだ咲き始めというのがほとんどだ。
 今年は最後まで足並みが揃わないかもしれない。桜も暖かくなったり寒くなったりで、咲いていいのか待った方がいいのか、戸惑っているようだ。

近所桜3月-9

 ここは両側の桜が離れているから、撮るのが難しいところだ。絵になりづらい。もう少し川幅が狭いと、桜トンネルになってきれいなのだけど。

近所桜3月-10

 川面に映る桜並木と、夕焼けの中にたたずむダイサギ。

近所桜3月-11

 まだ咲き始めなのに、こんなに花が落ちるのはおかしい。鳥たちの仕業か。

近所桜3月-12

 上から見下ろす桜並木も、まだピンクに染まってはいない。つぼみでピンクがかってはいるものの、遠目に見るとまだまだ咲いてきていないのがよく分かる。

 とまあ、これが3月終わりの名古屋の桜開花情報だ。ここから一気に進むのか、まだゆっくりいくのか。
 待っていてもなかなか咲いてこないなら咲いているところへ行けばいい。というわけで、明日は桜が咲いているところに遠征の予定。
 早寝しないといけないから、今日は駆け足の更新となった。
 明日は咲いている桜の写真をお届けします。

白醤油を使って脱・茶色料理サンデー

料理(Cooking)
白醤油サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理のテーマは、白醤油だった。
 見た目を少しでも上品にするための必須アイテムとして、白醤油は前から使いたいと思っていた。ダイエーに買いにいったら1種類しかなかった。ヤマシン株式会社というのは聞いたことがないけど、有名なのだろうか。
 愛知県碧南(へきなん)地方の特産というから、全国的な知名度は低いのかもしれない。ダイエーでも1種類しか置いてないところを見ると、愛知県内でも需要は低そうだ。そもそも作っているところも少ないのだろう。
 薄口しょう油よりも更に薄い色で、お酢をやや濃くしたくらいのあめ色をしている。料理に使うと、本来茶色になるはずの料理に色がつかないという私によって救世主のような醤油だ。
 普通の醤油は、原料の50-90パーセントが大豆なのに対して、白醤油は90パーセントが小麦からできている。大豆は10パーセントしか使っていなくて、食塩水で薄めているから色が黒くならない。
 実際に使ってみたところ、風味がかなり違う。まろやかで甘い感じが強い。匂いからして違いが分かる。
 そんなわけで、今日は白醤油を使った和食3品を作ってみた。
 いつもなら茶色料理になっているものも、小麦色程度にまで抑えられている。より白さを目指すなら、白だしというのを使うのがよさそうだ。
 白醤油をベースに鰹や昆布などの旨みを加えた万能だしで、それはダイエーにもたくさんの種類が置いてあった。あれならおでんも白く上品にできそうだ。

 左手前は、卵豆腐のカニ缶あんかけだ。
 高級カニ缶をもらったので、思い切って贅沢に使ってみた。
 絹ごし豆腐を軽く水切りして、卵、だし、塩、白醤油、みりん、酒、カタクリ粉、長ネギを混ぜ合わせて、茶碗に入れてラップをしてレンジで3、4分加熱して固める。
 あんは、酒、白醤油、みりん、塩、唐辛子を煮立たせ、カニ缶を加えて、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。
 右側は、少し茶色くなってしまったのが惜しまれる。これは素材の色が茶色系だったのに加えて、焼いてしまったからこうなった。煮ればよかったかもしれない。
 鯛は塩、コショウ、酒を振って、魚焼きグリルで半生まで焼く。
 野菜乗せは、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、しめじを炒めて、白醤油と酒、みりん、塩、コショウで味付けをした。
 左奥は、大根とエビ、鶏肉の煮付けだ。
 これが一番白醤油を使った効果が出た料理だった。
 大根は水通しをしたあと、タッパーに入れてレンジで8分加熱して、煮込み時間を短縮する。
 白醤油などでだし汁を作って煮立たせ、鶏肉、エビ、ショウガ、からしを加えてしばらく煮たあと、大根を入れて、落としぶたをして20分ほど煮る。

 全体的に上品な味付けになって、私の料理らしくなかった。でもかえってこの方が一般受けはしそうな気がする。白醤油は思っていたのとは違った風味だったけど、違うながらも美味しかった。これは今後も使っていきたいと思わせた。
 今回は和食という縛りをしたために、やや彩りに欠けたところがあった。もう少し赤や緑があればもっと華やかになって、見た目も美味しそうになったんじゃないか。
 次回からはもっと自由に、洋食にも白醤油を使っていきたいと思っている。醤油を変えるだけで料理の味がこれほど変わるものなのだという発見もあった。
 白醤油や白だしが全国的にどれくらい手に入るか分からないのだけど、もし見つけたら一度使ってみて欲しい。なかなか面白い存在だと思う。
 私もこれで脱・茶色料理野郎となれただろうか。

開店休業中のような折平八柱神社が私を呼んだのか

神社仏閣(Shrines and temples)
八柱神社-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6



 藤岡神社の1キロほど北に、八柱神社がある。たぶん、「やはしらじんじゃ」と読むのだと思う。
 どういうわけか、藤岡地区には八柱神社がたくさんある。この地区だけで10社もあるというのはちょっと驚く。豊田市全体では15ほどだから、藤岡に密集していることになる。どうしてそういうことになったのかは、よく分からない。どこが一番最初だったのかなど、詳しいことも調べがついていない。藤岡の郷土史を調べたら分かるのかどうか。
 今回訪れたのは、折平町(おりだいらちょう)にある折平八柱神社だ。昨日も書いたように、帰り道の途中にあったから寄っていくことにしたのだった。ただ、途中といってもやや奥まったところにあって、細い道を入っていかないといけないので、少し見つけづらかった。通りから鳥居なども見えない。
 どうにか見つけて鳥居前に着いて、ここもかと思う。手入れの行き届いていない感じは藤岡神社と同等で、訪れる人もあまりないことを伺わせる。鳥居前の錆びてちぎれたブランコも哀愁を漂わせていた。
 藤岡神社もここも、かつては村社という村の鎮守様だったのに、時代が進んでお世話をする人もだんだんいなくなったのだろう。もう少し大事にしてもバチは当たらないだろうに。というか、もう少し大事にしないとバチが当たりそうで、部外者の私がひやひやしてしまう。

八柱神社-2

 鳥居、社殿はほぼ南向きで、特に変わったところはない。本殿は少し高い場所に建っている。
 榊は枯れ果て、古くなった注連縄も申し訳程度にぶら下がっているだけで、入り口からして行き届いていない様子が見て取れる。
 まだ3月だし、年末年始に新しくしたなら、3ヶ月でこんなふうになることはない。初詣のための準備はしなかったのだろうか。
 山奥の神社ならともかく、町にある神社でこういう状態になっているところは珍しい。たくさん神社は回っているけど、こんなのは他ではあまり見た記憶がない。
 2000年の国勢調査で、藤岡地区は平均年齢が34.1歳で日本一若い町だったそうだけど、そういうところも関係しているのだろうか。年配の氏子さんたちがいなくなってしまったのかもしれない。

八柱神社-3

 当然のごとく、手水舎は枯れて久しい感じだ。
 手水舎にちゃんと水が出ているところは人の出入りがあるところと判断していい。めったに人が来ないところには水の無駄と思うかもしれないけど、神社においてはそういうことではない。清める水がないと、参拝するにしても神様に失礼だ。

八柱神社-4

 拝殿前も、全体的になんだかバシャバシャな感じになっている。
 家でいえば、これは空き家の状態だ。これでは神様と参拝者の関係性がまともに機能しているとは思えない。大丈夫だろうかと心配になる。
 祀られている神様は、藤岡神社とよく似ているというか、ほとんど同じだ。
 正哉吾勝勝建日天忍穂耳命をはじめとして、天穂日命、天津彦根命、活津日命など八神となっている。これは八柱神社や八王子神社の定番の顔ぶれだ。
 八王子神社というのは、神仏習合の両部神道の神社で、華厳菩薩妙行が東京八王子の深沢山で修行していたところに、牛頭天王と八人の王子が現れて、八王子権現を祀ったのが始まりとされている。
 のちに明治の神仏分離令の際、それをスサノオとアマテラスの契約で生まれた五男三女神に替えられたという経緯がある。
 折平八柱神社も、創建当時は八王子宮といっていたようだ。
 創建は1570年か、1686年か、そのあたりらしい。室町末期か、江戸の初期か。どちらにしても、藤岡神社の方が先にあったようだ。名前も同じ八王子宮だから、関係があったのは間違いなさそうだ。

八柱神社-5

 境内社は、店じまいみたいに扉が閉まってしまっている。これもちょっと驚いた。
 シャッター通りのように、どこも閉まって神様が出て行ったあとみたいになっていた。
 山神社とか、琴平社だったと思う。
 やや複雑な気分を抱きつつ、神社をあとにすることになった。

八柱神社-6

 境内に立っていた古木は、ムクノキか何かだろうか。違うかもしれない。
 中は空洞になりながら、それでも立って、枝を伸ばし、葉を茂らせている。これは感動的な姿だった。

八柱神社-7

 ツブラジイ(円椎)という木で、樹齢は200年以上だそうだ。豊田市の銘木指定になっている。
 すごく迫力のある木で、生命力の強さを感じさせた。いいものを見た。
 人が手入れをしなくても、こういう木々が森を作って、境内を外界と隔てる神域としているというのはあるかもしれない。

八柱神社-8

 八柱神社と藤岡神社周辺で撮った写真をオマケとして何枚か載せておこう。
 空き地のヒメオドリコソウ。錆びたドラム缶との組み合わせが、20世紀的な風景に思えた。

八柱神社-9

 ここもソメイヨシノは、ようやく咲き始めといったところだった。この調子では、満開は4月にずれ込むのは間違いない。開花から満開まで2週間以上かかる可能性も出てきた。

八柱神社-10

 田んぼの脇には、たくさんツクシが生えていた。これは昔ながらの光景と懐かしくなった。子供の頃は、町中の川でもこれくらいは普通に生えていたものだ。

八柱神社-11

 ワイルドにショウジョウバカマがこんなに咲いているのを見たのは初めてだった。
 松平郷にも、足助の飯盛山にもたくさん咲いていたけど、誰にも見向きもされないようなところで、まったく自然にこれほど咲いているのは珍しい。
 日本の里山は、本来こういうのが当たり前だったのだろう。

八柱神社-12

 スノーフレークはさすがに自然には咲かない。お寺の入り口近くで咲いていたから、誰かが植えたのか、民家の庭から種が飛んできたのかしたのだろう。

八柱神社-13

 これがちょっと分からなかった。花の姿は、ダンコウバイとかサンシュユに似ているけど、どちらも黄色だ。赤い花でこういうのを見たことがあるようなないような。
 とりあえず保留にしよう。

 藤岡神社と八柱神社へ行ったのは偶然だったわけだけど、深読みするなら、金剛寺のしだれ桜をエサに呼ばれたような気がしないでもない。現状を紹介して知らせて欲しいと。
 私は通りすがりの部外者だから、どうすることもできないけど、何かのきっかけで関係者の方がこれを見て、もう少しお世話をしてもらえると私としても安心する。
 21世紀でも神社というのは、きちんと関係性を築けば現実的な部分でも機能するものだと私は思っている。人間以上の存在を敬うということは大切なことだ。とても単純な話として。神社というのは、そのための分かりやすい装置でもある。
 多くの人が当たり前のように初詣をしたり、お宮参りをしたり、合格祈願をしたりする。具体的なご利益というのは二の次で、参拝をするという行為そのものに意味がある。
 人と神社も縁で、互いに持ちつ持たれつというところがある。その縁が互いにとって利益になればいいと私は願っている。

いろいろとのけぞることが多かった藤岡神社参拝

神社仏閣(Shrines and temples)
藤岡神社-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6



 金剛寺のしだれ桜を見たあと、ついでといっては失礼なのだけど、近くにあった藤岡神社にも寄っていくことにした。どんな神社かはまったく知らず、地図を見ていて見つけたというだけだった。
 金剛寺の入り口をから振り返ると、田んぼの向こう側に鳥居が見えている。歩いて5分くらいの距離だ。
 神社仏閣も一期一会で、チャンスがあるときに行っておかないと二度と行けずに終わることが多い。こういうのも縁だから、ついで参りもありということにさせてもらいたい。
 逆に言えば、縁のないところには行こうと思っても行けないものだ。

藤岡神社-2

 鳥居は木かと思ったら違った。
 注連縄は傷み、榊は枯れ枯れになっている。おおお、こ、これは、といきなりひるむ。
 そしてこのあと、いくつもののけぞりポイントに遭遇することになる。

藤岡神社-3

 鳥居の先に小さな橋が架かっていて、小川が流れている。少し人工的すぎるけど、水はきれいだし、こういうのは気持ちがいい。
 川の流れがある神社というのは、気が淀まない。

藤岡神社-4

 石段の下。ここまではまだなんとか大丈夫そうだったけど、このあとがちょっといけなかった。

藤岡神社-5

 手すりが赤いペンキで塗られているのはいいとして、その下にボトボトと血がしたたり落ちているみたいになっている。なんじゃこりゃ。
 数ヶ所とかではなく、上から下まで全面的にそうなっているのだ。石段も、葉っぱも赤いペンキに染まっている。どうしてこんなことになってしまったんだろう。シートを敷いてから塗るべきだった。

藤岡神社-6

 石段を登り切ったところに建っている建物がまたすごいことになっている。
 半木造、半トタン造りというのか、相当老朽化が激しい。
 下から見たときは門になっているのかと思ったら違った。真ん中だけくり抜いて社殿が見えるようにはなっているものの、中を通っては進めない。
 どういう建物なんだろう。舞台か何かだろうか。

藤岡神社-7

 積み上げられている薪は、何かを燃やすときのものか。
 建物はかなり古そうだ。といっても歴史的建築物とかいう古さではない。

藤岡神社-8

 境内から見るとこんなふうになっている。長い丸太が転がっていたり、半分物置のような感じになっている。
 正体はよく分からなかった。

藤岡神社-9

 社殿はわりと普通で、特に変わったところはない。
 案内書きによると、室町時代初期の1393年(南北朝時代が終わった翌年)に、猿投神社東宮の摂社・御子の宮をこの地に移してきたのが始まりだそうだ。
 当初は八王子宮という名前で、猿投山東方の総鎮守の役割を担っていたという。
 明治5年に八柱神社と名前を変え村社となり、大正12年に藤岡神社と再び名前を変えて現在に至っている。

藤岡神社-10

 祭神は、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)や天穂日命(アメノホヒノミコト)など七命らしいのだけど、あまり見覚えのない名前だ。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命(スサノオノミコト)との誓約で生まれた五皇子の長男で、またの名を正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)ともいう。天穂日命は、その弟になる。
 アマテラスの長男であり、尾張氏の始祖である天火明命(アメノホアカリ)や、天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父にもなる由緒正しい神だ。この系統はのちに神武天皇へとつながっていく。けど、そのわりに知名度が低い。
 どうも戦に消極的な神だったようで、アマテラスに国の平定を二度命じられて、二度とも断っている。その理由は、下界は物騒だから、というものだった。天孫降臨のときも、最初は天忍穂耳命が行けと言われたのに、息子のニニギノミコトを代わりに送っている。争いごとが嫌いだったのかもしれない。
 別名の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、勝った、勝ったとはしゃぐところから付けられたとも言うから、口は達者だけど腕っ節は弱いというイメージが湧く。
 名前からして稲穂の神であることは想像がつくのだけど、どういう経緯でこの神が選ばれたのかは、よく分からない。猿投神社本殿の神は、大碓命(オウウスノミコト)だ。ヤマトタケルの兄さんで、父の言いつけを守らず猿投山に逃げてきたという話を、猿投神社のときに書いた。
 神社を最初に建てるとき、どの神様をどんな理由で呼んだのかは、今となっては分からないことが多い。こういう地方の小さな神社の場合は特にそうだ。

藤岡神社-11

 境内社はお馴染みのところだった。津島社とか、秋葉社とか、山の神社とか、そのあたりだったと思う。
 イザナギを祀っていた社もあった気がする。
 それにしても、まったくお世話されていない。榊は枯れ果てて茶色くなってしまってる。毎日とは言わないけど、一週間に一度くらいはお世話に来た方がいいんじゃないかと思う。建物の古さはしょうがないとしても、手入れはできる。

藤岡神社-12

 周囲は田園風景が広がる。私にとっては懐かしい光景だ。藤岡あたりはこんな風景が多い。

藤岡神社-13

 おばあさんがとぼとぼといった感じで歩いていた。なんだかちょっといいなと思う。

 このあとついでのついでということで、帰り道の途中にある八柱神社にも寄っていった。そのときの話は、また次回ということにしよう。

300歳の藤岡金剛寺のしだれ桜を見に行ってやって欲しい

桜(Cherry Blossoms)
金剛寺のしだれ桜-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 / TAMRON SP 90mm f2.8



 日本全国各地に、有名無名の一本桜がたくさんある。全国的に名が知られたものはむしろ少なくて、知る人ぞ知るといったような木も多い。
 この前紹介した春日井覚成寺のエドヒガンもそうだし、岡崎の奥山田しだれ桜なんかもそれほど広くは知られていない。
 名古屋市内にはこれといった大きな一本桜はなさそうだけど、愛知県内となると30本以上あるようだ。ただし、どこも遠い。へんぴな場所だったりもする。それで毎年行きたいと思いつつ行けずにいる。
 今年はどこかで一本くらいは見てみたいと思っていて、比較的近い豊田市に目を付けた。しかしながら、豊田市は合併を重ねて巨大化したため、とにかく広い。名古屋市の2倍以上ある。とても豊田市とは思えないようなところが豊田市だったりして驚くくらいだ。
 今回行った金剛寺というお寺も、北一色町と言われて最初はピンと来なかった。旧藤岡町と言われて初めてどこか分かった。藤岡は、藤の御作やツツジのつどいの丘など、何度か行っていて馴染みのある地域だ。近くには昭和の森や緑化センターなどもある。
 ネットの少ない情報を集めたところ、どうやら今が満開らしいということで、ちょっと行ってきた。たぶん、ここのことを知ってる人は多くないんじゃないかと思う。実際、滞在30分弱の間に見物客は私ともう一人だけだった。相当な穴場らしい。

金剛寺のしだれ桜-2

 そのしだれ桜は、本堂の前の一番いい場所にどんと立っている。あえてここに植えたかというポジショニングだ。完全に寺の主役を任された格好になっている。
 金剛寺という寺に関する情報もほとんどなくて、よく分からなかった。
 この桜に関しては、寺の法地開山(寺を法地という格にした住職)の霊源陽澤が植えたらしいという説明書きがあった。
 この和尚は、瀬戸の雲興寺の人で、1743年にこの寺の住職となったそうだ。
 桜はヒガンザクラのしだれで、樹齢は約300年だという。

金剛寺のしだれ桜-4

 さほど広くない境内に、桜の巨木が中央に立っていて、回りを柵で囲んでいるから、写真を撮るには厳しいところだ。離れて撮れるところは限られていて、後ろに下がりたくても下がれないのがもどかしい。狭い部屋にキングサイズのダブルベッドを入れてしまったようなもので、身動きがままならない。
 自由に全体像を撮りたければ、24mm以上の超広角レンズが必要となる。27mm換算では苦しかった。
 それから、光も難しい。一番いいポジションは完全に逆光になるから、桜の色と空の青を両立させられない。順光で撮りたければ午前中に行く必要がありそうだ。

金剛寺のしだれ桜-5

 順光の裏側に回ってみると、こちらは狭くて障害物も多いから、まともに撮れない。この角度は姿もあまりよくない。

金剛寺のしだれ桜-6

 毘沙門天とあるから、このお堂の中にいたのが毘沙門天だったのだろう。
 空模様は晴れたり曇ったり小雨がぱらついたりと、変化の激しい日だった。
 桜もやっぱり光があった方がいい。曇りの方が色が出て優しい雰囲気になるとはいえ、日差しがあった方がドラマチックだ。

金剛寺のしだれ桜-7

 ガラスへの映り込みがちょっと面白かった。これも狙い目の一つということが分かった。
 五条川で水面の映り込みの面白さに気づいて、今回もまた発見があった。
 雨上がりの水たまりの映り込みも絵になりそうだ。

金剛寺のしだれ桜-8

 ソメイヨシノに比べると花が少なくて華やかさには欠けるものの、しだれには風情がある。近くで見ると更にその繊細な魅力に気づく。
 咲き具合としては今が満開といっていいのか、やや満開を過ぎたといったあたりだろう。ここへきてまた寒くなってきたから、来週いっぱいくらいは楽しめるんじゃないかと思う。

金剛寺のしだれ桜-9

 幹を見ると、樹齢300年の風格を感じさせる。
 一番勢いがあった時期は過ぎて、老齢に入ってきている。1994年(平成6年)には樹木医によって手当を受けて、元気を取り戻したのだという。
 つっかえ棒は痛々しくもあり、写真を撮るにはありがたくないものだけど、長生きしてもらうには必要なものなのだろう。
 1974年(昭和49年)に、藤岡の天然記念物に指定された。

金剛寺のしだれ桜-10

 あとからやって来たおばさま。
 しだれ桜の下に来てくれたらいい被写体になってもらえると思ったのだけど、遠巻きに写真を撮って帰って行ってしまった。残念。
 大きな桜は、人が入っていないとそのスケール感が伝わりにくいというのがあるから、できれば入って欲しかった。

金剛寺のしだれ桜-11

 4月4日は夜桜コンサートが開かれるらしい。
「琵琶 ティンティン 笛 劉一」と書かれていたから、琵琶ティンティンという人と笛劉一という中国人がやって来るのかと思ったら違った。ティンティンという琵琶奏者と、笛奏者のリュー・イーという人がコンサートをするということのようだ。その筋では有名な人たちなのだろうか。
 前売りチケットが1,000円で、当日券が1,500円だそうだ。
 桜が咲いている時期は、夜間のライトアップもしてるそうだから、近所の人は夜桜見物というのもいい。ただし、夜のお寺で、裏は墓地だから、一人で行くのはちょっとためらわれるかもしれない。

金剛寺のしだれ桜-12

 お寺の入り口。正面遠くに本堂の屋根と桜が見えている。
 駐車場は、この左の細い坂道を登っていって、途中の空き地っぽいところがそうなっている。もしくは、下に何か使われていないような建物があって、そこの前もとめられるようにはなっていた。
 場所は説明しづらい。グリーンロードの中山インターを降りて北上するか、瀬戸方面の赤津から東に進んで峠越えをするか。

金剛寺のしだれ桜-13

 金剛寺を遠巻きに眺めたところ。
 寺の外にも何本かの桜が無造作な感じに植えられている。ソメイヨシノもあったから、もう少ししたら更に賑やかになるだろう。
 背後に見えているのは猿投山だ。

 いや、なかなかよかった。いいもんを見られたと満足した。あらたに一本桜との縁ができたことを喜びたい。
 ソメイヨシノの桜並木と、一本桜は、同じ桜でも意味が違う。それぞれのよさがある。
 豊田の小原地区にも何本かあるようで、そちらは開花がソメイヨシノより遅いから、チャンスがあれば4月の中旬くらいにまとめて回りたいと思っている。
 そんなわけで、藤岡金剛寺のしだれ桜をよろしくお願いします。お近くの方は一度見に行ってやってください。

高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結

神社仏閣(Shrines and temples)
高牟神社入り口前




 名東区の神社巡りシリーズ最後は、高牟神社(たかむじんじゃ)となった。
 他にも平和ヶ丘神社や、この近くの高帝龍王神もあるのだけど、主だったところということでは高牟神社を最終回としていいと思う。他の神社は番外編として紹介することにしたい。
 さて、高牟神社なのだけど、名古屋には3つの高牟神社がある。一番有名なのは千種区にあるもので、かつて一度行ったことがある。もう一つは守山区の瀬古にあって、それは以前にこのブログで書いた。
 千種区にあるものは物部氏(もののべうじ)との関連が指摘されている。近くには物部神社もある。
 高牟の「牟」は古代の武器である鉾(ほこ)のことで、高は修飾語といたような意味とか。
 物部氏は、古代天皇家と同じくらい古い一族で、武器の製造、管理を担当する有力軍事氏族だったといわれている。尾張にいた物部一族の武器庫だったところに建てた神社が高牟神社という説がある。
 ついでだから、物部氏について少し書いておこう。
 日本史の教科書でお馴染みなのは、物部守屋(もののべのもりや)だ。主に戦関連担当の有力氏族だった物部氏と、それに次ぐ地位で主に政治を担当した大臣(おおおみ)の蘇我氏(そがのうじ)と対立して、物部守屋と蘇我馬子が争ったというのを習ったのを覚えている人もいると思う。
 同じく大連だった大伴氏が力をなくしたあと、政治は二極体制となる。
 伝来した仏教を認めたくない物部氏と、仏教を広めたい蘇我氏とで争いとなり、最終的には蘇我氏が勝利をおさめて、物部氏は没落していくことになる(仏教はただの名目で、単なる勢力争いだったという話もある)。蘇我氏一派には若き日の聖徳太子(厩戸皇子)もいた。この戦いに勝ったら建立すると約束して建てたのが難波の四天王寺だ。
 この後、政治は蘇我氏の独占状態となり、馬子、蝦夷、入鹿三代に渡ってやりたい放題となり、それに我慢できなくなった中大兄皇子や中臣鎌足たちが起こしたクーデターが大化の改新だった。というのが表向きの話で、裏側はもっと複雑だったに違いない。
 話を物部氏に戻すと、天皇家よりも前に天降ったとされる饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を始祖とする氏族で、天皇家ともごく近いところにいたとされている。初期においては、天皇家に取って代わってもおかしくないほど勢力を持っていたらしい。そのあたりは、『日本書紀』などでも曖昧にされている部分で、よく分かっていない。
 6世紀前半には大連としての地位を確立していたようだ。
 蘇我氏との争いに敗れて、いったんは散りぢりになったものの、672年の壬申の乱のとき、物部雄君(もののべのおきみ)が天武天皇側で活躍したことで復活を遂げることになる。
 朝臣の姓をもらい、やがて名を改めて石上朝臣となった。
 こののち物部氏を名乗る一族がたくさん現れるようになり、全国に足跡を残すことになった。尾張の物部氏もその一族ということになるのだろうか。この地方には有力豪族の尾張氏もいたわけで、そのあたりでも対立はあったと考えられる。



高牟神社境内

 鳥居から一歩足を踏み入れたときの感じとしては、気が張り詰めているというほどでもなく、でもそれなりに静けさもあって、落ち着きがあるといったものだった。何か過剰な雰囲気は感じられない。もう少し深閑とした空気感を想像していたら、それほどでもなかった。



高牟神社鳥居と拝殿

 二の鳥居から見た拝殿。
 参道は斜めになって途中で折れているものの、社殿は普通に南向きだ。



高牟神社授与所

 右側は普段閉まっている授与所。
 境内は広くもなく、狭くもない。江戸時代には250メートル×150メートルほどあったという。
 社殿は平成8年(1996年)に再建されたものだそうだ。



高牟神社西日を浴びる拝殿

 創建年はよく分かっていないようだ。
 他の二つは式内社ということで平安時代にはすでにあったもので、ここはもともと八幡神宮だったということなので、二つとは別系統の神社かもしれない。物部氏とは関係ない可能性もある。
 祭神は八幡神宮だから誉田別尊(ホムタワケノミコト・応神天皇)だ。これがもし物部氏が建てた神社というなら、始であるウマシマジか、ニギハヤヒあたりを祀るのが筋じゃないだろうか。
 拝祀として高皇産霊神(タカミムスビ)を祀っている。これは天孫降臨のニニギノミコトから見て外祖父に当たる神だ。他の二社ではこのタカミムスビを主祭神としている。
 どうして八幡神社が高牟神社となったのか、そのあたりの経緯は調べがつかなかった。改名したのは昭和25年とのことだ。境内の案内書きには延喜式にも載っていると書かれているけど、実際のところはどうなのか。
 守山区の高牟神社はもともと天神様と呼ばれていたようだし、あちらも物部氏との関連もよく分からない。
 もう一度千種区の高牟神社へ行って、三社の関係を調べ直す必要がありそうだ。



高牟神社本殿

 ちらりと見える本殿の屋根。



高牟神社高針護国社

 隣には高針護国社が建っている。
 明治以降の戦没者などを祀っている。



高牟神社境内社

 境内社としては、白山社と神明社と、もう一つは何だっただろう。山神社とかだったか。
 かつてこのあたりに加藤勘三郎の居城だった高針城があったというのだけど、遺構は何も残っていないため、正確な位置は分からない。



高牟神社一の鳥居

 とりあえずこれで名東区の神社巡りは完結ということになった。最後に少しもたついたものの、なかなかいいペースで回れた。
 このあとは守山区と東区を中心に巡っていこうと考えている。少なさでいくと千種区の10というのが早いかもしれない。そのうちの3つくらいはもう行っている。
 守山区が17で、東区が16というのが主だったところのようだ。守山区は半分くらいはもう回っているから、こちらから終わらせてしまおうか。
 名古屋市周辺では、春日井が途中になっているし、長久手なんかは少なそうだ。
 しかし、このペースでいくと、名古屋市内だけで10年くらいかかりそうな気がする。まだ先は長い。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「星ヶ丘駅」からバスに乗って高針口停留所下車。徒歩約7分。
 ・駐車場 不明
 ・参拝時間 終日

 高針高牟神社に再訪
 

4度目の覚成寺エドヒガンは遅刻ぎりぎり西日の中

桜(Cherry Blossoms)
覚成寺の桜-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6



 夕方、ふいに思い立って、覚成寺の桜を見に行ってきた。
 春日井の朝宮公園近くにあるこのお寺の桜を知っている人はあまり多くないのではないかと思う。
 私は今回で4度目になった。初めて見たのが2005年で、あれから4年の歳月が流れた。カメラもレンズも変わり、私も4つ歳を取った。覚成寺の桜もしっかり成長している。見た目では分からないものの、2005年に撮った写真と見比べてみると明らかに枝は太くなっているし、背も高くなっている。4年といえば、中3だった子も大学生だ。短い年月ではない。
 樹齢は100年くらいではないかとのことだ。種類はエドヒガンで、この種類は長生きする桜として知られている。100年ではまだ若木で、今後更なる成長が期待できる。こちらがヨボヨボになってもまだまだ元気に違いない。

覚成寺の桜-2

 ここを訪れるときは、決まって夕方の日没前だ。その時間帯を狙っているというわけではなく、どういうわけかたまたまそうなってしまう。
 今日は風が強くて澄んだ青空が広がっていたから、もう少し早い時間に行けば明るい桜が撮れただろう。
 着いたときには日没15分前というぎりぎりの状況で、電池切れになったりバタバタしてたら、実質的な撮影時間は10分くらいしかなかった。守山から春日井に抜ける道はどこも混んでいて、距離以上に時間がかかるから嫌になる。
 それはそうと、いつもあった木の板がなくなっている。この角度でいうと桜の左側に、寄付をした人一覧みたいな大きな板が立っていた。それが消えた分、ずいぶんすっきりして写真も撮りやすくなった。それ以外にも、全体的に今年は障害物が少ない印象だった。

覚成寺の桜-3

 もう少し近づいて撮ってみる。
 斜光というか、反逆光気味。
 空の色を残すか、白飛びしてでも桜の色を出すか、判断に迷うところだ。
 S3proの400パーセントダイナミックレンジモードをもってしても、空の青と桜のピンクの両立は難しい。
 S3proの色味は、S2proより素直で自然だ。S2proはホワイトバランスがころころ変わってやっかいだった。
 フィルムシミュレーションモードとかはまだ使いこなせていない。

覚成寺の桜-4

 肝心の咲き具合だけど、早くも満開を過ぎていて、やや出遅れの感があった。
 エドヒガンはソメイヨシノよりもだいたい一週間くらい早くて、今年は春先が暖かかったから早々に咲いてしまったようだ。ここのところの寒さで、ソメイヨシノは足踏みをしている。
 去年は27日に行ったらちょうど満開のいいときで、その前は4月の頭が見頃だった。今年は24日で散り始めていたから、満開は20日くらいだったんじゃないだろうか。
 エドヒガンはソメイヨシノよりも長く咲いているから、まだあと一週間くらいは楽しめるだろう。

覚成寺の桜-5

 少し変わった三門と、外から見るエドヒガン。
 三門は古いような新しいような、よく分からないタイプのものだ。
 これだけ大きな桜だから離れたとこからでもよく見えそうだけど、実際はそうでもない。周囲を高い家に囲まれているせいか、寺に入らないと分からない。それもマイナーな存在とさせている理由の一つではないか。
 朝宮公園南のセブンイレブンを目指していくと見つかると思う。その左の道を北へ進んですぐ右側が覚成寺だ。駐車場もある。

覚成寺の桜-7

 ここを訪れる目的は桜を撮ることだから、本堂への参拝はついでになってしまう。今日は特に時間がなくて焦っていたから、お参りは最後になってしまった。
 覚成寺がどんなお寺なのかも、いまだによく知らない。ネットで検索してもほとんど情報はない。
 桜がなければ訪れることはなかったであろうお寺だけど、桜がつなぐ縁というのもある。この前ドラマでやった「さくら道」でも、そのことを思い知る。荘川桜も一度は見てみたい。

覚成寺の桜-6

 日没間際、最後にもう一枚。
 短い滞在時間ではあったけど、今年も会いにいくことができてよかった。生き延びていないと会うことはできない。
 帰りに幹にそっと触れて、来年の再会を約束してきた。桜には人を生きさせようとする力がある。来年も会うためにもう一年しっかり生きなければと思う。
 桜もまた、人の称賛や感動をエネルギーに替えて成長しているというところがあるかもしれない。植物も人の心が分かるというし、100年以上も生きた木に人の意志が通じないはずがないと私は信じている。
 覚成寺のエドヒガンがもっと大きく成長するように、近くの方はぜひ見に行ってやってください。

 唐突ではあったけど、覚成寺から2009桜シーズンは開幕した。
 今年はできるだけこれまで行ったことがないところへ行きたいと思っている。去年の目玉は岡崎城だった。今年もどこか一ヶ所は少し遠出をしたい。まだ見ぬ一本桜も見てみたい。

桜の開花が進まずご近所日常写真でつなぐ

日常写真(Everyday life)
3月の近所写真-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 他



 名古屋の桜の開花は3月19日だった。あれから4日経って、そろそろ開花が進んでいるかと近所を回ってみたところ、まだ全然咲いてきていない。一分咲きでさえなく、ごく一部咲きにとどまっている。ここ数日気温が下がったことで、桜自身が待ったをかけた格好になっているようだ。
 開花してから一週間で満開になるという基本法則は、今年に関しては当てはまりそうにない。今週の中頃はまた寒の戻りで最低気温は3日連続で0度まで下がると予想されている。今週末にはまだ満開にならないだろう。その分、長く楽しめるのなら、それはそれでいい。
 神社ネタが続いたのと、ややネタ切れということもあって、今日は桜プロローグと近所写真でつなぐことにする。少しずつたまっていった日常写真を、ここらでまとめて出してしまいたいというのもあった。あまり長く持っていると、季節感がずれてしまう。
 3月から5月にかけては、風景が一年で一番劇的に変化していく季節だ。写真も旬を過ぎると間が抜けた感じになる。

3月の近所写真-2

 香流川沿いも、気の早いやつが2分咲き程度まで進んでいるだけで、まったく咲いていないような木も多い。全体としては、ようやく咲き始めといったところだ。
 ここも最近はちょっと有名になって、見学に訪れる人も増えてきた。サイクリングロードは車が入ってこないし、安全にゆっくり見られていい。

3月の近所写真-3

 街のあちこちでハクモクレンが満開を迎えている。
 白くて大きな花は、遠くからでもよく目立つ。
 コブシもよく似ているけど、ハクモクレンと比べると花が小さい。
 紫色がかっているのがモクレンで、ハクモクレンとの雑種のサクラモクレンというのもある。

3月の近所写真-4

 空と雲がだいぶ力強さを増してきた。遠くに夏を予感させる。
 少し前に黄砂も降って、空の透明度は低くなってきた。よく晴れた日でも、最近は御嶽山がかすんで見えるようになった。
 去りゆく冬に何か忘れ物をしたような気がする。

3月の近所写真-5

 東区の白壁あたりに、気になる大きな木がある。昔から何の木だろうとずっと思いつつ、その正体や由来を知らずにいる。
 直線の道路なのに、あえてその木をよけるようにここだけ道をカーブさせてある。よほど大切な木なのだろう。御神木とかなのか。
 今後もどういう木なのか分からないまま、この前を何度となく通ることになるのだろう。

3月の近所写真-6

 西日を浴びた金網と駐車場。特に意味はない光景だけど、なんとなくセンチメンタルな風景と感じた。
 西日マジックといったようなものが確かにある。

3月の近所写真-7

 東名阪を下から見上げる。見えているのは、松河戸インターだろう。
 東名阪は田舎へ行くときに走る道だから、この道を見ると松阪につながっているんだと、ちょっと安心するようなところがある。

3月の近所写真-8

 写真は脈絡もなくあちこちに飛ぶ。これは、小幡交差点近くだ。
 小幡駅周辺も、少し前に大きく様変わりした。変わってからは前を通るだけになっているから、駅の中などは全然知らない。小幡あたりも、今は全然用事がないからめったに行かない。昔はこのあたりの古本屋によく行っていたのだけど。

3月の近所写真-9

 四軒家交差点。
 通い慣れた道。見慣れた風景。昔からあまり変わり映えがしない。

3月の近所写真-10

 何日か前のマルス裏。
 ホームセンターマルスも、夢屋も、とっくになくなっているのに、いまだにマルス裏と呼んでいる。今はスシロー裏と言った方がいいかもしれない。
 とてもマイナーな桜スポットだけど、毎年ここの桜トンネルも楽しみにしている。

3月の近所写真-11

 矢田川の広い空。
 電線も建物もない空間は、やはり開放感がある。ここに立つと、街中の息苦しさをあらためて思い知る。

3月の近所写真-12

 引山交差点。帰り道。
 今日のご近所写真はこれでおしまい。

 今週は桜週間にしようと考えていたのに、どうやらそうはならないようだ。まとめて回るにはまだ早い。彼岸桜などはもう咲いているところがあるだろうか。
 今年は足助のカタクリは休むことにした。桜以外としては、そろそろスミレやハルリンドウなども気になりだしている。ギフチョウはまだか。
 今週は桜撮りの計画を立てつつ、何か小ネタでつなぐことになる。遠出は4月に入ってからになりそうだ。

食べたい調理法優先で和洋仏料理になったサンデー

料理(Cooking)
洋仏和サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II



 先週の茶色料理に懲りた私は、今週こそ彩りのある華やかな料理を作りたいと思った。しかし、志半ば、途中から半茶色料理にまたしても成り下がった感がある。手持ちの食材と、食べたい料理ということを優先した結果、そうなってしまったのだった。
 基本的には洋食から出発した。洋食なら茶色料理になる可能性は低い。1品目は変わりオムレツにしようというのはすぐに決まって、そこまでは上手くいった。左手前の料理がそれだ。
 春らしい黄色に緑が彩りを添え、赤いソースが食欲をそそる。
 普通のオムレツに見えるけど、けっこう手間をかけている。
 具材は、タマネギ、ジャガイモ、ニンジンを細切りにして、オリーブオイルとバター、白ワインで炒めたあと、コンソメの素、塩、コショウ、カレー粉でしっかり味を付けている。
 卵には、牛乳、長ネギ、パセリ、チーズを加え、半熟まで焼いたあと、具材を乗せて包んだ。
 ソースは、トマトソースを手作りしている。これまでによく作ったやつで、今回はエビの刻みも入ったちょっと豪華版だ。
 この1品に関しては自信作として人にも出せる。美味しくできた。
 他の2品も、美味しさに関しては問題なかったのだけど、統一感という点ではやや問題があったかもしれない。
 オムレツが洋食で、白身魚のパン粉焼きはフレンチ寄りになっている。
 白身に塩、コショウ、白ワインを振りかけてしばらく置いたあと、ラップにくるんでレンジで2分加熱する。
 それにパン粉をまぶし、魚焼きグリルで焼く。
 ソースはきのこソースで、しめじ、タマネギ、オリーブオイル、白ワイン、コンソメの素、塩、黒コショウ、からし、しょう油で作った。
 最後に粉チーズとバジル粉を振りかける。
 もう1品はナスで、これも洋食にしようと思えばできるのだけど、気持ち的にどうしても天ぷらにしたかった。
 ナスというのはちょっと不思議な食材で、料理方法によって好き嫌いが別れる。私は焼いたり煮たりするのは好きじゃなくて、天ぷらにすると好物になる。ナスは天ぷらが一番美味しいと信じて疑わない。
 厚さ1センチくらいにスライスして、2ヶ所切り込みを入れて、天ぷら粉をつけて揚げる。
 たれは素直にめんつゆで食べた。これがシンプルで一番美味しい。
 彩りも兼ねて大葉の天ぷらもしたのだけど、実は大葉の天ぷらも大好物だ。葉っぱでさえ美味しくしてしまう天ぷらというのは偉大な発明だと思う。

 とまあ、ややバランス的にどうなんだという3品が出来上がったわけだけど、食べてみたら意外と違和感のない組み合わせだった。
 まず天ぷらを食べて、あっさり目の白身魚を食べたあと、最後に味の強いトマトソースオムレツを食べたらよかったのだろう。私は小学生以来三角食べが染み込んでしまってるから、三角形でぐるぐる回りながら食べてしまうのだけど。
 彩りとか盛りつけとかの課題はそのまま残ったものの、思ったよりも美味しくできたので今日のところはよしとする。来週以降、課題に取り組んでいくことにしよう。

片山八幡神社は表と裏の顔があって光友で穴八幡ともつながる

神社仏閣(Shrines and temples)
片山八幡神社入り口




 ごく近い場所にありながら、片山神社片山八幡神社の成り立ちと歴史は、大きく異なっている。ほとんど共通項はないと言ってもいい。行く前は同じ系列だと思っていたら全然無関係だった。直線距離でいえば800メートルほどしか離れていない。
 場所は名古屋市東区徳川。徳川園から見て北西300メートルくらいのところだ。
 この神社も創建について正確なところは伝わっていない。
 社伝によると継体天皇の時代(511年)に建てられたというのだけど、本当のことはよく分からない。
「延喜式」に載っている春日部郡の片山神社という説もあるようだけど、片山八幡神社自体が式内社を名乗っていないようだから違うのだろう。小牧市にも片山八幡社があるから、そちらがそうなのかもしれない。
 しかしながら、かなり古い神社であることは間違いないようで(1171年という説もある)、昔は大曽根八幡社と称していたようだ。これが現在の大曽根の地名の元になっている。片山八幡神社の名前の由来はかつての尾張国山田郡片山郷から来ている。
 室町から戦国時代にかけて荒廃し、小牧長久手の戦いでも大きな被害にあったという。
 再興したのは、尾張徳川家二代藩主の光友で、たまたまこの前を通ったとき、あまりの荒れっぷりを見かねて、名古屋東照宮の神主だった吉見民部大輔に命じて、社殿を大々的に再建したのだった。
 名古屋市中の北東に当たるということで鬼門除けの神社として、以降は尾張徳川藩によって大事に保護されることになる。



片山八幡神社境内と拝殿

 神社の雰囲気はごく普通のものだった。神社らしい落ち着いた空気で、馴染みの感じだ。片山神社と両方続けて行ってみるとその違いがはっきり分かる。
 明治には村社となり、昭和に入って県社に格上げされているから、郷社だった片山神社よりもこちらの八幡神社の方が格上ということになる。
 昭和8年に本殿などを新築したものの、昭和20年の空襲でほぼ全滅してしまう。
 帰ってきてから知ったのだけど、そのときの焼夷弾の跡が鳥居などに残っているそうだ。入り口の狛犬が黒かったのはそのせいもあったのか。
 戦後復興がようやくなったのが昭和32年のことで、そのとき隣接していた神明社や末社の若宮八幡社、稲荷社を合祀している。
 昭和34年に本殿など主要な社殿が完成し、以降少しずつ建物を再建していって、昭和49年に一応の完成を見たのだった。
 現在の社殿は、平成8年から10年にかけて改修工事がなされたもので、古い様式を保ちつつ、見た目は新しい。



片山八幡拝殿正面

 光友の時代の社殿をどこまで再現しているのかは分からないのだけど、穴八幡宮を参考に建てられたそうだ。なるほど、どこかで見たことがあると思った。
 写真を比べてみると、確かによく似ている。あちらほど豪華ではないものの、屋根の造りなどはそっくりだ。
 片山八幡神社と穴八幡宮がこんなところでつながるとは思ってもみなかった。光友というキーワードによっていろんなことがつながってくる。
 早稲田近くにある戸山公園は、光友の江戸屋敷「戸山山荘」があったところで、当然穴八幡宮は馴染みだったはずだ。
 そして、片山八幡神社は徳川園のごく近くにあって、徳川園は光友が隠居所として移り住んだ大曽根屋敷が元になっている。
 私が穴八幡宮へ行ったのは偶然のことだったのだけど、こんなふうに意外なところでつながってくるのが面白い。



片山八幡の神輿

 神輿殿には二基の立派な神輿が格納展示されている。
 瑞龍みこしという名前は、光友が死後に瑞龍院と呼ばれたところから来ている。
 10月19日の例大祭も、瑞龍祭という。
 大きい方が男みこし、小さい方が女みこしで、男みこしは高さ2.3メートル、重さ600キロもあるそうだ。祭りのときにこれを担いで練り歩くのだけど、重すぎて途中で何度も担ぎ手が交代しなくてはならないという。神社で担ぎ手を募集しているから、応募すれば担げるかもしれない。



片山八幡境内の奥

 拝殿の横を通って奥へ進むと、少し空気が変わる。こちらはぐっと古い感じがする。この雰囲気が本来の片山八幡神社のものだろう。



境内社

 石組みの土台といい、境内社の感じといい、裏手は様相が一変する。さほど広くない神社で、これほど途中で変調するところは珍しい。表の顔と裏の顔が別の神社のようだ。
 祭神の主神は八幡神社ということで定番の誉田別尊(ほんだわけのみこと/応神天皇)だ。
 右神が菊理姫命(くくりひめのみこと)で、左神は天照大神(あまてらすおおかみ)となっている。
 境内社に、宗像社、秋葉社、津島社、青麻社、金刀比羅社、愛宕社がある。
 青麻神社というのは中風を治す神様らしい。



片山八幡透塀

 拝殿は透塀によって囲まれている。これも昭和に作られたものだろうけど、雰囲気は出ている。
 根津神社のように江戸時代のものが残っていたら、片山八幡神社の評価も知名度も、もっと上がったことだろう。
 名古屋も空襲で名古屋城をはじめ多くの歴史遺産が失われてしまった。



片山八幡-9

 奥に谷龍神社というのがある。
 奈良吉野の丹生川上神社から勧請したもので、尾張徳川別邸にあった姫子龍神社を、大正12年にこの場所に移してきた。
 祭神は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)という水の神様だ。名東区の竜神社のところで少し書いた。
 龍つながりということで、毎年5月に、中日ドラゴンズの優勝祈願がここで行われる。

 このように、近くにある同じ片山神社といっても全然違う歴史を辿った二社なのであった。前を通るだけでは分からなかったことも、実際に参拝してみて、あとから調べてみるといろんなことを知ることになる。神社に参るのは、ご利益を願ってばかりじゃない。思いがけないつながりを知るのも楽しいことだ。
 近くまで行った際は、両方訪問してみることをオススメしたい。

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「森下駅」から徒歩約5分。
 ・無料駐車場 あり(境内に2台分?)
 ・拝観時間 終日

 片山八幡神社webサイト
 

不思議な空気を持った片山神社は忘れがたい印象を残した

神社仏閣(Shrines and temples)
片山神社外観




 とても個人的な、多分に感覚的なものなのだけど、一歩足を踏み入れたとたん、この神社は何か違うなと感じるところがある。明らかに他とは空気が違っているというか、雰囲気が異質というか。
 名古屋市東区にある片山神社がそうだった。おお、こいつはすごい、と思った。何がどうすごいのかを言葉で説明するのは難しい。私が何か特別な能力を持っているというわけではなく、たとえば、古い洋館に入ったとき、多くの人が感じるであろう、わー、すごいという感覚と似たようなものだ。すべての神社がそういう空気感をたたえているわけではない。

 東区には主な神社が16ほどある。名古屋市の中では多くもなく少ないもない数だ。名古屋は南エリアほど神社密度が高い。一番多いのが中川区で、80社以上もある。港区や南区も多い。どうして海に近い南ほど多く、北の山には少ないのか、そのあたりの事情については今後調べを進める必要がありそうだ。名古屋市内だけでも神社を制覇するのは大変だ。
 東区の第一弾は、片山神社にした。まだ4つくらいしか回ってないけど、個人的にはここが最も印象深い神社になるであろう予感はある。オススメ神社として推薦したい。



片山神社拝殿

 大通りから少し入っただけにも関わらず、山奥の神社のような静けさが満ちている。神聖な空気感というのは違う。ある種妖気のようなものを感じさせる。単純に神の空間というのではなく、霊的というか、もののけというのか、不思議な生命感に取り囲まれている。
 でも、恐ろしいとか、不気味だとかというわけではない。別の結界に踏み込んでしまった感じがありつつ、居心地は悪くない。
 かなり独特なものを感じたのは間違いない。他に似ているところを私は知らない。



片山神社拝殿と本殿

 創建ははっきりしない。「延喜式神名帳」に載っていることから、平安時代にはすでにあったことは分かっている。片山天神とも称されていたようだ。
 一説によると、飛鳥時代後期の684年に、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)によって創建されたという。
 天武天皇の命を受けて、三河(岡崎)に滝山寺(たきさんじ)を開山する途中、この地に立ち寄って片山神社を建てたらしい。
 役小角は伝説の修験者で、全国各地に伝承が残っていて、どこまでが本当のことなのかよく分からない。こののちの690年には、奈良の室生寺を創建したとされている。そのあたりのことは室生寺紹介のときに少し書いたと思う。
 役小角といえば、吉野の金峯山で修行したことでも知られている。このとき金剛蔵王大権現が現れて、以降、吉野山の神となった。
 片山神社もその流れを汲むもので、祭神は蔵王大権現(ざおうだいごんげん・主神)、国狭槌尊(くにさちのみこと・右神)、安閑天皇(あんかんてんのう・左神)ということになっている。
 蔵王大権現というのは日本オリジナルの仏で、釈迦如来、千手観世音菩薩、弥勒菩薩が三身一体となった変化神なのだという。
 つまりは、片山神社というのは、仏を祀った神社ということになる。これも珍しいといえば珍しい。昔は神仏習合が当たり前だったから特に違和感はなかったのだろうけど、現在の感覚からすると少し不思議だ。
 安閑天皇というのは少し分かりづらい天皇なのだけど、どういう経緯を辿ったのか、いつしか蔵王権現と同一視されることになったらしい。なので、明治の神仏分離令の際に、蔵王権現を祀っていた神社が安閑天皇を祀るようになったところも多いようだ。
 継体天皇の子供で、母親が尾張目子媛(おわりのめのこひめ)ということもあって、片山神社がここに建てられたというのもあるようだ。天武天皇が即位する前、大海人皇子だったとき、壬申の乱で尾張氏が大いに助けたという縁もある。
 安閑天皇が謎めいているのは、天皇在位期間が2年と短く、「日本書紀」と「古事記」では記述にいろいろ矛盾があるからだ。継体天皇の第一子の安閑天皇が跡を継いだのは問題ないとして、子供がいなかったため、次に弟の宣化(せんか)が天皇となった。しかし、安閑天皇の前に欽明天皇(きんめいてんのう)が挟まっているという説がある。というか、時期がかぶっている。
 どうやら皇位継承でもめたらしく、欽明天皇の即位を認めない一派が安閑、宣化を擁立して二朝体制だった期間があったのではないかというのだ。のちに南北朝時代というのがあったから、前の時代であったとしてもおかしくはない。
 系図を見ると、欽明天皇の方が本流のようで、こののちの流れとしてはそちらにつながっていっている。推古天皇も欽明天皇の娘だし、聖徳太子は孫に当たる。



片山神社境内の様子

 拝殿を横から見たところ。奥に本殿が少し見えている。
 その手前に途中で切られたスギの木が写っている。昔、天狗が腰掛けていたという伝説の木だ。
 枯れて切られてしまったようだ。
 社殿の左右には、稲荷社、玉津嶋社、金刀比羅社、香良須社、秋葉社、白山社、龍神大神、観音大神、浅間社の境内社が並んでいる。



神楽殿

 左手に何やら立派な社殿が建っている。
 それほど古びていはないものの、最近の建物ではない。
 神楽殿とか祭文殿とかだろうか。
 絵馬は車の形をしている。御利益は交通安全とかなのか。



片山神社神札授与所

 社務所というか、神札授与所のようなところもある。普段は開いてないのかもしれない。



片山神社入り口の門

 閉じた門もあった。これなどは神社らしくない。やはりどこかお寺っぽさも残っている。
 柵で囲まれていて、表から近づくことはできないようになっていた。

 いろんな意味で異質な神社だと思う。社殿はどういうわけか、南東を向いている。何かの狙いがあってあえてそうしたのだろうか。
 とにかく不思議な空気感を持った神社だった。近所の方はぜひ一度行ってみていただきたい。市立工芸高校の裏手で、名鉄瀬戸線尼ヶ坂駅が最寄り駅だ。
 ここから少し東へ行ったところに、片山八幡神社というのがある。同じような名前だから一緒の系列かと思ったら、まったく違う系統の神社だった。次回はそちらを紹介することにしたい。

 片山八幡神社は表と裏の顔があって光友で穴八幡ともつながる

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「尼ヶ坂駅」から徒歩約3分。
 ・拝観時間 終日
 ・駐車場 たぶんなし
 

松平郷よ、また会う日まで

施設/公園(Park)
松平郷寺社編-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他



 松平郷シリーズ最終回は、寺社や風景編ということになった。
 一つの里に、一つの神社と一つのお寺があるというのは、とても分かりやすくて平和でいい。寺が二つあったりするとややこしいし、分裂の元にもなる。
 ところで、松平郷というのはどこからどこまでを指しているのだろう。私はよく分かっていない。
 松平郷園地となっているのは、室町塀や天下池を中心とした一角で、見所としてはここに集中している。道沿いには家が数軒並んでいる。
 今回奥まで歩いていったら、上の方にかなり民家があった。幹線道路に近い入り口付近にも家はある。世帯数や住人はどれくらいなんだろう。
 親氏生誕600年を記念して、里を園地をして整備したのが1993年のことだった。
 このあとテレビ番組の取材で松平郷を再訪した司馬遼太郎は、昔の面影がなくなってしまったと大いに嘆いたという。
 それ以前の姿を知っていたら、私も現在の様子に失望しただろうか。

松平郷寺社編-2

 松平東照宮はもともと八幡神社だった。初代の親氏が氏神として若宮八幡から勧請したのが始まりとされている。
 家康の死後、1619年に久能山東照宮から家康の分霊を勧請し、松平郷にあった他の神社と合祀した。
 1965年には松平親氏も祭神となり、その際に松平神社と名称変更される。
 現在の松平東照宮となったのは、1983年というからわりと最近のことだ。
 社殿は昭和初期のもので、今は奥宮になっているのが本来のものだ。
 境内には家康が生まれたときに使った産湯の井戸などもある。

松平郷寺社編-3

 社務所が開いているのを初めて見た。訪れるときはいつも夕方で、この日はそれより少し早かったから開いていたのだろう。
 松平家関連の資料などを保存展示している松平郷館は午後3時までなので、ここはなかなか見る機会がなさそうだ。

松平郷寺社編-4

 白塀が印象的な高月院。
 三門と本堂は、三代将軍家光の命で建てられたと伝わっている。
 足助重政によって創建されたのが1367年で、当時は寂静寺という名前だったらしい。
 1377年に親氏が堂などを寄進して以来、高月院となり、以降は松平家の菩提寺となった。

松平郷寺社編-5

 本堂の入り口に、「あがって木魚を叩いて読経してください」と書かれていたけど、お経は読めないので外から写真を撮らせてもらうだけにした。簡単な祝詞ならあげられるのだけど。
 高月院も静かな雰囲気のいいお寺だ。

松平郷寺社編-6

 右に見えているしだれ桜は、家康手植えの桜とされている。
 松平郷を家康が訪れたという記録は残っているのだろうか。やや疑問だ。松平郷のルーツそのものがねつ造されたものだという説もある。
 家康が子供の頃に植えたというのだけど、その頃は人質になっていた時代だから、のんきに祖先の里である松平郷に遊びに来て桜を植えてる暇があったとも思えない。
 ここでも家康影武者説というのが出てくるわけだけど、話すと長くなるのでまた別の機会にしたい。
 桜はまだ全然咲いてくる様子もなく、いまだに一度も咲いている姿を見られずにいる。一度くらいは見てみたい。

松平郷寺社編-7

 略地図を頼りに、高月院の裏から北東の方にどんどん登っていくと、古い鳥居がポツンと建っていた。
 神明社入り口を示す鳥居らしいのだけど、本体の神明社があたりに見あたらない。鳥居をくぐって進むと、すぐに道路に出てしまう。左には進めない。神明社は一体どこにあるのだろう。

松平郷寺社編-8

 親氏公行場跡というのを目指す。きつい坂道ということもあって、けっこう遠かった。高月院裏から20分くらいかかっただろうか。
 最後はワイルドな山道になった。

松平郷寺社編-9

 伝承によると、親氏という人は、もともと新田氏の関係の世良田家の武士で、南北朝時代の戦いで南朝について敗れ、関東から三河に流れてきたのだという。
 追っ手から逃れるために坊主になり、松平郷へとやって来た。そこで領主だった松平信重に人物を認められ、婿養子となって松平姓を名乗るようになる。以来、戦国武将松平家が始まったというわけだ。
 行場跡というのが何をしていた跡なのかよく分からなかったのだけど、祠とお堂が建てられている。
 大きな岩が屋根になっていて、その下が空洞になっているのは、岩屋堂に似ている。ということは、ここで修行や瞑想でもしていたのだろうか。
 この一角だけ、ちょっと空気感が違う。寺社に近いような雰囲気があるから、何らかの歴史的な場所であろうとは思った。

松平郷寺社編-10

 地図に載っている観音堂というのがこれだろうか。奥の祠の前に建っている。
 その前には何か燃やしたような跡がある。どんど焼きでもしてるのかもしれない。

松平郷寺社編-11

 ここからは少しオマケ写真。
 ほぼ自然に取り込まれた廃屋。
 海の底に沈んだ船が魚のすみかになるように、里では放置された家は自然に飲み込まれ、やがては一体化する。木造家屋は大した害にはならない。

松平郷寺社編-12

 捨てられた車が自然と同化するには、50年かそこらはかかりそうだ。

松平郷寺社編-13

 高月院裏は、切り立った崖と細い道で、鎌倉の切通しを思わせる。
 剥き出しの崖と木の根が描く自然の姿は、なかなかの迫力だ。

松平郷寺社編-14

 最後は室町塀で締めくくり。
 もう少し季節が進めば、屏沿いはたくさんの花が咲いて賑やかになる。4月になればヒトリシズカも咲き始めるだろう。カワラナデシコを初めて見たのもここだった。

 松平郷とはこれでしばしの別れとなる。また会う日まで少しさようなら。

人の暮らしは水と共にあることを松平郷は思い出させてくれる

施設/公園(Park)
松平郷水風景-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他



 心地よい空間には水がある。マイナスイオンなどという言葉を知らなかった昔から、人はそれを感覚的に知っていた。日本人は特にその傾向が強い。
 海や川の近くに住み、里に水の流れを作り、水田で稲作をした。身近にはいつも水があった。水には人の心を穏やかにする作用がある。都会人の心が殺伐としてしまうのは、身近にきれいな水の流れがないからというのもありそうだ。
 松平郷は水の流れ沿いにある山里で、その他にも小さな水路があちこちに流れている。池や湿地もある。そういう部分に心惹かれ、何枚も写真を撮った。
 松平郷シリーズ第三回は、水風景編ということでお届けします。

松平郷水風景-2

 水路はある程度人の手が加わっているのだろうけど、それでも街中の川のように人工的ではない。だから風景としての優しさがある。
 街を流れる川は、人間の都合であまりにも加工されすぎていて痛々しい。昭和に護岸工事されたところは景観などまるで考えられていない。
 これからの時代は、もう少し心に余裕を持って美観と実用の両立というテーマで工事をして欲しい。お金の問題より気持ちの問題だから、やろうと思えばできるはずだ。

松平郷水風景-3

 現在の松平東照宮が建っている場所は、かつては松平家の館があったところで、当時の石垣や堀の一部が残っている。
 規模は小さいながらも昔の面影が偲ばれる。
 城を建てて、周りを堀で囲むという発想は、日本特有のものなんじゃないだろうか。外国は高い屏で囲む。
 考えてみると、とても合理的で賢い。攻める側からすると、屏なら乗り越えるか壊せば突入できるけど、堀は泳ぐしかなくて、石垣はよじ登るしかない。これはとても危険な行為だ。
 大坂城の堀を埋め戻すという家康の発想もまたすごい。

松平郷水風景-4

 堀の周囲に植えられていたのは桜の木だったか。桜の季節には水面に映り込んで風情があるだろう。落花が堀を埋め尽くす風景も見てみたい。

松平郷水風景-5

 水は身も心も清める作用を持つ。
 寺社で参拝する前に手と口をすすぐという習慣は今も残っている。これも外国にはあまりないことのように思う。日本人は水との関わりが深い民族と言えそうだ。

松平郷水風景-6

 これは高月院の手水舎。
 昔は、寺社の参拝の前には、川や海に入って身を清める禊(みそぎ)というのをいちいち行っていた。伊勢神宮では、横を流れる五十鈴川にそれを行う場所が残っていて、今でも大事な神事の前には行われている。
 手水舎で手と口をすすぐのは、禊を簡略化した行為ということになる。家を出る前にシャワーを浴びたり手を洗ったりしたからいいというようなことではない。

松平郷水風景-7

 水のあるところには草や苔がある。モスグリーン好きの私としては、こういうのを見ると嬉しくなって写真を撮らずにはいられない。
 欧米人の芝生好きと、日本人の苔好きは、どこかで相通じるものがあるのかもしれない。
 中国人なんかは苔好きなんだろうか。

松平郷水風景-8

 石段にも苔がよく似合う。
 雨に濡れるとますます風情が出る。

松平郷水風景-9

 室町塀の上の瓦に苔が生えていた。長い歳月の間に少しずつ砂が溜まり、厚みが増して、そこに苔が根付いたのだろう。
 アスファルトを突き破る雑草も力強いけど、静かな苔の忍耐力にも感心する。

松平郷水風景-10

 ハスの枯れた葉が水中に沈んでいるのを見ていたら、土に描かれた不思議な幾何学模様に気がついた。これは誰がつけたのだろう。
 何かが這ってできたのか、それとも何らかの作用でできたのか。
 ちょっと不気味だけど面白い。

松平郷水風景-11

 雨の残りなのか、水を入れたのか、田んぼが西日を浴びて黄金色に光っていた。
 こういう色の贈りものというのも、里に暮らしていればこそだ。住んでいると見慣れた風景は当たり前のもので、いつしかありがたみも感じなくなってしまうものかもしれないけれど。

松平郷水風景-12

 そろそろ田起こしの季節だろうか。ここらの田植えは早いのか遅いのか。
 田んぼに水が張られて稲が植えられると、風景はまた一変する。それが青空を映したり、夕焼け色に染まったりするとまたきれいなのだ。その風景を想像すると、また5月あたりに訪れたくなる。

 松平郷シリーズは、次回が最終回になります。

早春と春の間に咲く松平郷の花たちを撮る

花/植物(Flower/plant)
松平郷の花-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他



 子供の頃はつくしをとってきてよく食べた。そんなに美味しいものではないけれど、春の訪れを感じるために、毎年春になると一度か二度は食べたものだ。とりすぎて近所の人にお裾分けをしたり、逆にもらったりすることも多かった。今はどこに行けばつくしが生えているのか分からないくらいになってしまった。とって食べている人も少なくなったのだろう。
 昔は川の土手というのが定番だった。矢田川あたりでもたくさん生えていた。今は護岸工事などをしてしまったから、つくしが生える環境ではなくなった。田んぼのあぜ道にも生えていたけど、田んぼ自体が身近に少なくなった。春につくしを食べる習慣がなくなって久しい。
 去年の3月、松平郷へ行ったときに見つけて、あそこには確実にあることが分かっていた。今回松平郷へ行こうと思った理由の一つがそれだった。けど、今年はどういうわけかとても少なかった。ここに1本、あちらに2本、そこに1本という感じで、ワッとまとまって生えているところは見つからなかった。まさか、里の人があらかたとってしまったということもあるまいに。時期的にずれていたのだろうか。
 それでもなんとか見つけて、写真にも撮れたからよかった。こんな貴重なものはとれないから、そのままにしておいた。そしたら、たまたま今日、知り合いがつくしをくれたので、お吸い物に入れて食べた。3本では卵とじにして食べるまでもない。
 そういえば、たくさん取りすぎると袴を取らないといけないのが面倒だったのを思い出した。

松平郷の花-2

 ショウジョウバカマはありがたみのない雑草くらいあちこちに咲いている。この野草はないところにはまったくないのに、あるところにはありすぎるくらいある。最初はちょっと嬉しいけど、すぐに飽きて見向きもしなくなる。カタクリのように群生していればもっときれいでありがたみもあったのだろうけど。
 カタクリといえば、足助のカタクリは早くも7分咲きくらいになっているそうだ。今年は早すぎる。いつもは3月の終わりくらいが見頃なのに、10日くらい早い。行きたい気持ちはあるけど、どうしようか。ここのところ毎年行ってるから今年は休んでもいいかと思っている。

松平郷の花-3

 さすがにこの手の野草はわんさか咲いている。あぜ道にも、道ばたにも。
 たぶん松平郷も2週間くらい前まではまだ冬で、ここのところの暖かさで一気に春めいてきたのだろう。
 冬の茶色風景から野草の季節になると、とたんに風景に色が戻る。
 オオイヌノフグリの青と、ホトケノザのピンクと、ハコベの白と、それぞれの若草色が集まって、春の賑やかな歌い声が聞こえてくるようだ。

松平郷の花-4

 これもすっかりお馴染みのタネツケバナだ。みんなでバンザイしてるようでおかしい。
 花のない2月に早々に咲いてきて当初だけありがたがられるけど、すぐに忘れ去られてしまう。
 ナズナも同じだ。

松平郷の花-6

 キミのことは見たことがあるぞ。実物ではなく、野草図鑑で。なんだっただろう。思い出せない。
 これはまだ咲き切っていない状態だろうか。
 ハルトラノオかとも思ったけど、違う気もする。
 そのうちひょんなことで判明するかもしれない。とりあえず保留。

松平郷の花-5

 あ-、またやっかいなやつがやってきた。
 カキドオシか、ムラサキサギゴケか、トキワハゼか、キランソウか、毎年区別がつかなくなって、そのたびに覚え直している。一年経って、また判別の仕方を思い出せない。
 これはカキドオシでいいと思うけど、どうだろう。

松平郷の花-7

 ややこしいやつ第二弾。
 こういう黄色いやつも多いから苦手だ。すぐにジシバリだと思って、いや、待てよと思い直す。ニガナにしては花びらが多いから違うにしても、他に可能性はないだろうか。葉っぱがちょっと細長いからオオジシバリも考えられる。
 以前はこういうのもタンポポの仲間で片付けていたけど、今は分からないとモヤモヤが残る。

松平郷の花-8

 木の花では、しだれ梅はもう終わりかけていた。地面にたくさんピンクの花びらが落ちていて、それはそれで風情があっていい。

松平郷の花-9

 普通の梅も、後半から終盤というのが多かった。去年同じ場所で撮った写真と比べてみると、今年の方明らかに季節の歩みが早いことが分かる。この冬は本当に暖冬だった。名古屋はとうとう一度も雪が積もらずじまいだった。

松平郷の花-10

 マンサクの花も残りわずかとなっていた。
 シナマンサクよりも国産マンサクの方が和風味で、個人的にはこちらの方が好きだ。黄色の色味も濁りがない。
 春の訪れは、早春が去ることを意味していて、終わってゆく早春の花たちを見ると、少し寂しいような気持ちになる。寒いのはつらいから早く暖かくなって欲しいと思いつつ、3月になるといつも2月が懐かしく思い出される。

松平郷の花-11

 トサミズキでいいと思う。よく似たヒュウガミズキは、もっと花が小さくて丸っこい。花がついている枝も細い。
 名前の通り土佐の一部で自生している木だけど、全国で植えられていて、あちこちで見ることができる。
 ヒュウガミズキは、宮崎の日向から来ているという説と、 明智日向守光秀の領地だった丹波にたくさん植えられていたからという説があるらしい。
 シナミズキ(支那水木)というのもあって、それはもっと鮮やかな黄色で、たくさん花が集まってぶら下がっている。

松平郷の花-12

 食べると馬も悪酔いするというアセビ(馬酔木)。
 草や木が大好物の鹿もアセビは食べない。
 白花のイメージが強いけど、こういうピンクも多い。 

松平郷の花-13

 民家の庭先で沈丁花(ジンチョウゲ)が全開になって、いい香りを放っていた。
 花芽は12月とか1月に出していて、3月になると待ちわびたようにパカッと開く。
 ジンチョウゲの香りをかぐと春が来たと思い、キンモクセイの匂いがすると秋を感じるという人も多いんじゃないだろうか。

松平郷の花-14

 ミズバショウも咲き始めていた。夏が来てから思い出していては遅いミズバショウは、3月、4月に咲く春の花だ。

 花目的という点では、少し遅すぎたとも言えるし、早すぎたとも言える。早春の花を撮り逃して、春の花にはちょっと早かった。
 まあでも、いろいろな花を撮って、里の春を感じられたからよかった。
 5月、6月あたりの松平郷はまだ見たことがないから、その時期にまた行けたら行きたい。花菖蒲や紫陽花なんかもたくさん植えられている。
 松平郷シリーズは、まだもう少し続きます。

年に一度か二度の松平郷行きは故郷に帰ったときと似た気持ち

施設/公園(Park)
松平郷1-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他



 縁もゆかりもないはずなのに、何故かとても懐かしい。見た目の風景というよりも、里が持っている空気感がそう感じさせる。私にとっての松平郷は、第二の故郷ともいうべき大切な場所だ。だからこそ、いつでも行きたいと思いながらなかなか行けない。車で1時間半の距離だけど、近くて遠い。遠いけどいつも心の中にある。
 約1年ぶりの訪問となった。調べたら去年は3月24日に行っている。ただ、ずいぶん季節感が違っていた。早い部分は早く、遅い部分は遅く、季節の歩みが早いのか遅れているのか、掴みきれなかった。去年はまだ椿がたくさん残りつつすでに一本の桜が咲いていたのに、今年はまだ桜が全然で椿はすっかり散っていた。梅はだいぶ終わりかけていて、去年より進行が早い。
 そんな戸惑いを感じつつ、2時間半ほどかけて散策をした。写真もたくさん撮ってきたから、何回かに分けて紹介したい。
 秘密にしておきたいような大事な場所でもあり、一人でも多くの人に訪れてもらいところでもある。ここで紹介することが出向くきっかけになってくれたら嬉しい。

松平郷1-2

 まずは松平東照宮に挨拶するところから始まる。ものの順序としてこれは決まり事にしている。
 先客がいたので少し待つ。たぶん里の人だろう。参拝を日課にしている人も多いんじゃないだろうか。

松平郷1-3

 親氏のオヤジに挨拶するのも忘れてはいけない。ここに立つと、無沙汰をわびる放蕩息子の気分になる。こんにちはよりも、ただいまと言いたい。
 像がきれいになっていたような気がするけど、気のせいだろうか。塗り直したかもしれない。

松平郷1-4

 さして観光客が訪れるわけでもない山里に、天下茶屋というお茶屋さんがある。平日のお客は少なそうだ。休日といっても大挙して押し寄せるとも思えない。
 私が着いた4時頃にはもう店じまいをするところだった。まだ一度も入ったことがない。

松平郷1-5

 郵便屋さんが手紙を配達してきた。民営化以降も、郵便サービスの質が落ちるようなことはないから、今のところ安心だ。でも、採算を考えると山奥や離島などはどう考えても割に合わない。

松平郷1-6

 のれんをしまうお店の人と梅。春の茶屋風景。

松平郷1-7

 小川沿いの散策路。時期的に中途半端で、花は少なかった。早春の花が一段落したところで、春の花はまだ咲いてきていない。ユキヤナギでさえまだ花は数輪程度だった。
 野草もショウジョウバカマくらいで、他にめぼしいものは見かけなかった。

松平郷1-8

 小川の流れ。これも里の風景だ。暖かくなってくると、水の流れがすずやかに感じられて心地いい。
 ただ、里はやっぱり空気が違う。名古屋を出るときは暑いくらいだった陽気も、ここは少しひんやりしていた。
 小さな虫は飛び交い始めているものの、チョウなどはまだ見ない。

松平郷1-9

 松平郷名物といえば、この室町塀だ。
 もう何度も見てるし撮っているから物珍しさはなくなった。でもいいもんだ。
 相変わらず人は歩いていない。観光客風の中高年の夫婦さんを3組くらい見かけただけで、里の人はほとんど歩いていない。

松平郷1-10

 今回初めて北の奥まで歩いてみた。けっこう坂を登ったから、視界が開けて遠くの山並みが見えた。松平郷自体、そこそこの標高がある。
 奥に進んだところに、親氏公行場跡というのがあった。またあらためて紹介することにしよう。

松平郷1-11

 日差しはあるのに、空がかすんでいて、おかしな天気だった。どうやら黄砂が飛んでいたようだ。
 日没前の太陽が、月のようにおぼろな姿で西の空に浮かんだ。

 今回の目的の一つに、つくしを見たいというのがあった。なんとか見つけることができたから、明日は花などを中心とした写真紹介になる。
 つづく。

茶色料理を極めたいわけじゃないサンデー

料理(Cooking)
茶色サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II



 幾時代かがありまして 茶色いサンデーありました  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 自分の作った茶色い料理を並べてみたとき、中原中也のサーカスが頭に浮かんだ。
 落下傘奴のノスタルヂアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 自分がイメージしていたものより当社比200パーセントくらい茶色くなってしまった。まさかこんな仕上がりになるとは思わなかった。決して写真にセピアフィルターをかけたとかではない。
 うっかりするとつい茶色い料理を作ってしまうという自覚はあったけど、今回は期せずして真骨頂を発揮してしまった。ある意味茶色料理を極めたと言ってもいいかもしれない。
 しかも、全部味付けが濃いときた。入院食が束になってかかってきてもしっぽを巻いて逃げ出すほどの濃厚さで、学食でさえでこの料理を出していたら営業停止を食らってしまう恐れがある。かき揚げを作っているとき、粉に少し味を付けようと味塩コショウを振りかけていたら、フタが取れて中身がドバッと入ってしまうというコントのようなハプニングもあった。もったいないからその粉を使って揚げたら、えらく塩辛いかき揚げになった。他の二つはしょう油攻撃で、口の休まる暇がないのだった。
 いや、びっくりした。久々に、やっちまったな、という感じだった。

 まあしかし、味の濃さと茶色さえ乗り越えれば、料理としては大きな失敗ではなかった。美味しく食べられたから、よしとする。
 茶色料理一番手は、豆腐ハンバーグだ。ハンバーグ自体は基本的に茶色いものだから、ここは間違っていない。むしろ3品の中では一番白かった。
 豆腐は柔らかさ重視で絹ごし豆腐にした。肉は使わず、白身魚を刻んだものを入れている。
 水切りした豆腐と、炒めたタマネギ、白身魚の刻み、卵、カタクリ粉、パン粉、塩、コショウ、ダシの素、しょう油を混ぜてよくこねて、フライパンで両面を焼く。
 たれは和風あんかけで、しょう油、酒、みりん、ダシの素、塩、コショウ、水、カタクリ粉を煮立てて作った。
 白菜も煮て、あんかけにからめている。

 二番手は、エビ玉あんかけで、こちらは中華風になっている。
 エビは刻んで、卵黄、塩、コショウ、しょう油、中華だしと混ぜ、卵白をよく泡立てて、最後は全部混ぜてごま油で焼く。そうすると、ふんわりケーキ風の卵焼きになる。
 あんは、しょう油、酒、みりん、砂糖、酢、中華の素、唐辛子、カタクリ粉を煮立たせた。
 少しは彩りを添えようとパセリ粉を振りかけたものの、焼け石に水だった。茶色料理を華やかに彩るほどの力はなかった。

 かき揚げは、ジャガイモ、ニンジン、タマネギで作った。
 それぞれスティックスライスにして、天ぷら粉を水で溶いた衣をつけて揚げる。
 めんつゆをつけて食べるつもりだったのだけど、コショウ事件によってそれは必要なくなった。
 最後に青のりと粉チーズを振りかけてある。

 あらためて写真を見てみると、こりゃあやっぱりおかしいなと思う。単品としてみるとおかしくはないのだけど、3つ揃うといかにもくどい。茶色いスーツに茶色いシャツを着て、茶色いネクタイをしめたようなものだ。
 完成品をイメージできないまま作り始めることの弊害が顕著に出た。この完成図が頭の中にできていたら、少なくとも1品は違うものに変えたはずだ。もしくは、作り始める前の段階で彩りになる食材を揃えていた。
 彩りと盛りつけという課題をいまだ克服できずにいる。
 このままでは茶色料理の達人への道を進んでしまう。軌道修正が必要だ。
 初めに彩りありきで作り始めるべきだろうか。それと、白しょう油を使うという手もある。愛知県は白しょう油の生産地だし、見た目が上品になるなら使ってみたい。
 私はもっと品のある料理が作りたいのだ。田舎のおばあちゃんをライバル視しているわけではない。
 目指せ、脱茶色料理。これもまた、今後の大きなテーマの一つとなる。

古写真を作って遊ぶ

未分類
古写真-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他



「幕末古写真ジェネレーター」でいろいろ変換して遊んでみた。
 デジタルデータの写真を、江戸から明治期に撮られた写真のように変換してくれるもので、ソフトをインストールしたりすることなく、サイトにデータをアップデートすればいいだけなので簡単だ。
 http://labs.wanokoto.jp/olds
 あれこれ試してみて、面白かったものを何枚か紹介したいと思う。はまるものもあればはまらないものもある。当然ながら古いものを写したものほどそれっぽくなる。
 一枚目は丹生大師の仁王門で、見事にはまった。明治時代に写した写真と紹介されても一瞬信じてしまいそうだ。よく見ると、電線やカーブミラーが写っているからおかしいことが分かる。

古写真-2

 うちの田舎の前の通りを写した写真。
 電柱と電線がなんともうらめしい。それでも昭和初期の写真っぽい味は出た。ただ、そうなると道がアスファルトというのは間違っている。
 明暗差が強い写真は、ディテールが飛んでしまいがちで、もっとそれっぽい写真にしようと思えば、ジェネレーターで変換したあと、レタッチソフトでコントラストや明るさなどを調整する必要がある。
 暗い写真よりも明るい写真の方が向いている。

古写真-3

 今回試した中で一番はまった一枚がこれだった。
 江戸時代に撮られた姫路城の写真と言われたら、これなら信じてしまいそうだ。時代的な問題があるものは一切写り込んでないだけに説得力がある。

古写真-4

 名古屋城も変換してみる。
 天守閣は戦後に再建されたものだから、昔の姿そのままとは言えない。なかなかそれっぽくはあるけど。

古写真-45

 これも面白い一枚になった。
 奈良東大寺の大仏殿を写した昔の絵はがきみたいだ。
 古いものを被写体にしたものはどれもいい味になることが分かった。城とか神社仏閣とか古い町並みとか。

古写真-5

 それじゃあ思い切って新しい街の写真ならどうなるのかといえば、なんだかおかしなことになった。ネオンライトと古写真の相性は悪かった。
 ものすごく古い写真機で現代の街を写すとどんな風になるんだろう。
 考えてみると、劣化や風化しないデジタルデータというのも味気ないものだ。100年後も変化がない。
 それとも、100年もしたらデジタル写真は飛躍的に進歩していて、21世紀初頭のデジタル写真も古写真となっているのだろうか。

古写真-6

 人のいる風景写真やスナップなんかも、ものによってはいい雰囲気になりそうな予感がある。ただ、意外と写真を選ぶようで、昔風にするのは難しかった。服装が違うというのも大きい。
 和装の人の写真なんかがあれば古写真風になるかもしれない。

古写真-7

 うちからの眺めも古写真風にして残しておくことにした。
 古写真としては成立してないのだけど、なんとなく懐かしいような写真になった。今の風景なのに、子供の頃見た景色のように感じる。

古写真-8

 別角度の写真もやってみる。
 このあたりは昔、長屋が並ぶ一角だった。低い町並で、遠くまで見渡せたのを覚えている。

古写真-9

 古びた昭和風景を更に古く変換してみるとこんなふうになる。違和感がないようでなくはない。古い写真に写っている被写体が古びているというのもちょっと変だから。

古写真-10

 王子製紙の工場を写したこの写真もどうなるか興味があった。普通の写真のときも、前時代的にも近未来的にも見える不思議な光景だったけど、古写真風にすると古いのか新しいのか、また分からなくなる。

古写真-11

 お寺と桜の組み合わせというのもジェネレーター向きの写真だった。昔撮られた写真といっても違和感がない。

 なかなかできのいいソフトで楽しませてもらった。面白い。
 時間があれば更にあれこれやってみると、もっといいのができるかもしれない。
 今日はこんなことをして遊んでいる平和な土曜日だった。

フラッと渓谷に立ち寄れる守山区民

施設/公園(Park)
白沢渓谷-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 75-300mm f4-5.6 IS



 何か撮るものはないかいなと、プラッと立ち寄った白沢渓谷。そんなに気軽に立ち寄れる場所に渓谷があるのかと驚くかもしれないけど、さすがに名古屋市内ということで人工的に作られた小さな渓谷だ。いくら守山区が名古屋のチベットと呼ばれているとはいっても、自然の渓谷があるほど秘境ではない。
 地図上では城土公園となっているから、名古屋市民でもここの存在を知らない人は多いかもしれない。周りは住宅地だし、すぐそばを東名阪が通っている。普通こんなところに渓谷もどきがあるとは思わない。
 これまで4、5回訪れている。前回は去年の冬くらいだったか。いや、春の桜の時期に行っているか。
 特に何があるというわけでもないのだけど、しばらく間が空くとまたそろそろ行ってみるかという気になる。行ってみて、やっぱりたいして何もないなと思う。

白沢渓谷-2

 これが名古屋市内で唯一の吊り橋だ。長さは6、7メートルくらいだろうか。けっこう本格派で、歩くと吊り橋特有の嫌な揺れ方をする。その感覚は渡り終わっても残って、普通の道を歩いていても地面が揺れているような感じだ。
 気持ちいいような悪いような、どっちか判断したくて意味もなく2往復くらいしてしまう。

白沢渓谷-3

 ボトリと落ちて転がる椿の花。背景に見えているのはソメイヨシノで、桜の季節になるとちょっとした桜並木になる。
 超ローアングルで写真を撮って、猫視線写真というのを思いついた。風景をすべて猫の視線で撮って、その写真を並べてみると面白いんじゃないか。
 猫の目は、どれくらいの画角で見えているんだろう。
 問題は、人目のあるところで撮るのが恥ずかしいという点だ。近くに女子高生なんかが歩いていたら完全に盗撮の人と思われてしまう。道ばたで腹ばいになって写真を撮っていたらどう考えてもおかしいし。
 超ローアングル写真はなるべく人のいないところで撮るのがよさそうだ。

白沢渓谷-4

 水紋写真は、いい条件が揃わないと絵にならない。模様と光と色とが上手く組み合わさったとき、おっ、いいねと思う写真になる。
 本格的に撮るなら三脚を立ててスローシャッターで撮るべきだ。

白沢渓谷-5

 ユキヤナギがポツリポツリと咲き始めていた。そういうえばもうそんな季節か。
 桜との組み合わせで撮ることもあるから、3月から4月にかけてだ。
 ユキヤナギのピークは意外と短くて、油断してると撮り頃を過ぎてしまう。近所にレンギョウの黄色とコントラストで咲くところがあって、毎年撮りたいと思いつつ一度も撮れないでいる。今年は撮りにいこう。

白沢渓谷-6

 公園の脇で少し咲いていたボケの花。
 こんなものが自然に生えているわけはないから、誰かが植えたのだろう。
 結局、この日咲いていた花はこれくらいのものだった。今は早春の花と桜との間で、一時的に木の花は少なくなっている時期だ。桜以降は堰を切ったように一斉にいろんなのが咲いてくる。

白沢渓谷-7

 タンポポもそろそろ普通に咲いている時期になった。
 こうなると次はモンシロチョウだ。まだ今年は見ていない。そろそろなんじゃないか。

白沢渓谷-8

 鳥も少し期待したのだけど、おなじみさんばかりだった。これはムクドリ。一年中どこにでもいる。
 カモも渡りのカモはいなくて、いつもいるカルガモが4羽ほどいただけだった。

白沢渓谷-9

 たぶんハクセキレイ。
 飛んでいるところを撮れるのは珍しい。ただ、こいつはちょっと飛び方がぎこちなかったから、羽を痛めていたのかもしれない。

白沢渓谷-10

 こちらはセグロセキレイ。
 5年前の私には珍しい鳥も、今はもう撮るまでもない鳥となった。このときは他に撮るものがなくて撮っただけだ。
 キセキレイくらいならまだちょっと珍しさはある。

白沢渓谷-11

 守山には陸上自衛隊の駐屯地がある。ここらを飛んでいる自衛隊機は、航空自衛隊小牧基地所属のものだろうか。
 近所に自衛隊がありながら、昔からほとんど馴染みはなかった。上空を飛んでいる飛行機をたまに撮るくらいだ。

 今回は白沢渓谷の魅力をあまり伝えることができなかった気がする。思ったよりも撮るものがなかった。桜の時期にもう一度行って、写真を撮るべきか。
 今年は名古屋も桜が早くなりそうだ。3月中に満開を迎えてしまう可能性がある。そろそろ桜撮りの計画を立てよう。ここ数年はわりとあちこち巡っているから、今年はまだ行ったことがないところに絞り込むつもりでいる。見たい一本桜も何本かあるから、その中の一本は見に行きたいと思う。

花シーズン開幕に向けてお裾分けの生花で花撮りオープン戦

花/植物(Flower/plant)
生花-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 葬儀に使った生花を帰りに持っていけというのでお裾分けでもらってきた。花瓶に入れて飾っておいても数日でしなびてしまう。その前にせっかくだから写真を撮っておくことにした。花の季節を前に練習の意味合いも兼ねて。
 室内の花撮りはあまりしないから勝手が分からず難しく感じる。屋外の場合、必ずしも自分の思い通りの条件にならないことが多くて、それを言い訳にしているところがある。花の位置が悪いとか、背景が雑然としているから上手く撮れないのは私のせいだけじゃないと。
 室内の場合は、ある程度自由度が高くなる分、言い訳がきかない。下手な切り取り方をすれば、それは自分のせいということになる。だからこそ、花撮りの練習は室内でやった方がいいと言えるかもしれない。
 今日のところはとりあえずもらってきた全種類を一通り撮ってみた。やはり難しいと感じる。狙い通りに撮れたという手応えはない。もう少し基本的なデッサンを勉強すべきだと感じた。写真よりも静物画の基礎を学んだ方が早い。

生花-2

 たぶん蘭(ラン)の一種なんだろうけど、品種名までは分からない。胡蝶蘭とかなんとかジュームとか、ランの品種は膨大だ。
 ランとベゴニアの区別さえはっきりついてはいない。
 もしかしたらカトレアって可能性もあり?
 日本にも野生のランが咲く。湿地に咲くシュンランとかキンランは撮ったことがあるから知っている。

生花-3

 この花を見て、ああ、また今年もよく似た花の区別に頭を悩ます季節がやって来たんだなと思った。
 コデマリとかガマズミとかシモツケとか、毎年記憶が曖昧になって覚え直してまた忘れての繰り返しだ。そこに園芸種が加わってくると手に負えなくなる。
 今年も少しずつ思い出して、調べて、ちまちま進んでいくしかない。

生花-4

 たぶんカーネーションだと思うけど、確信が持てないのでアップ写真で誤魔化す。
 カーネーションといえば4月から5月くらいの花だ。夏の終わりに咲くタイプもある。これは温室で育てたやつだろう。
 それにしても、葬儀用の生花は季節感が無茶苦茶だ。いろんな季節の花が入り交じっている。

生花-5

 花盛りもいいけど、蕾の魅力も捨てがたい。梅を撮っていて気づいた。蕾撮りも今後意識していきたいものの一つだ。

生花-6

 ユリの一種だろう。かなり強烈な芳香を放っている。狭い部屋に置いておくと、息苦しくなるくらいだ。
 花粉がまたすごい。服についたらなかなか取れない。

生花-7

 ユリも園芸種がけっこうある。
 写真のものはカノコユリに似ているけど、たぶん違う。園芸種なら、ベルガモとかだろうか。
 今年もササユリとヤマユリは楽しみにしている。

生花-8

 名前は分からないけど、いい色だ。生ハムみたいで美味しそう。

生花-9

 これは前に何度か見たことがある。たぶん有名な花だ。名前を聞けば、ああ、そうそうと思い出すかもしれない。
 これもランの仲間だろうか。

生花-10

 撮りづらい形の花だ。どれくらい近づいて撮ればいいのか分からない。離れてしまうと面白くないし、近づきすぎるとどんなふうに咲いているのか伝わらない。
 マクロ写真は小さな野草の方が撮りやすいし、絵になる。

生花-11

 またややこしい菊系の花だ。似たような花が多すぎて、基本のマーガレットもマーガレットと分からなくなっている。
 これはマーガレットなのか違うのか。葉っぱとの組み合わせで覚えるクセをつける必要がありそうだ。花だけで見分けようとするからかえって難しくなってしまう。

生花-12

 何かの蕾だろうと思う。形が面白かったので撮っておいた。

 花撮りを楽しいと思えるのはもっとずっと先のような気がする。今は難しさばかり感じて単純に楽しめない。いつも思い通りにならないもどかしさが残る。
 でも、ウォーミングアップにはなった。これからは花ラッシュが始まるから、難しいとかどうとか言ってられない。木の花も、地面の花も、続々と咲いてくる。野草撮りにも行かないといけないし、湿地もぼちぼちシーズンインだろう。そうこうしてると桜も咲いてくる。
 はやる気持ちを抑えつつ、季節感と優先順位を見失わないようにしたい。

撮りたかったけど撮れなかった2日間

未分類
三瀬谷-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 母方の田舎に行って、花粉症にやられた。
 大杉谷の入り口にある盆地で、周りを取り囲む山が杉の木だらけなのだ。赤茶色く紅葉しているように見えるのが杉の雄しべで、風に揺られてワサワサ揺れている様は、見ているだけで目がかゆくなってくる。
 名古屋では軽症の私も、ここでは重症だった。あそこには住めないと思う。
 花粉症は都会病の一種と思っていたけど、田舎の方がすごいことを思い知る。花粉を直接吸い込みすぎて、名古屋に戻ってきてからも悪化したままになってしまった。
 それはともかくとして、今日も通常の更新はできそうにない。一日では立て直せなかった。
 葬儀のために行ったから、写真も少ししか撮れなかった。待ち時間はたくさんあって時間を持て余してはいたものの、親戚が集まっている中で、自分一人カメラを持って散歩に出かけるわけにもいかず、家の中と近所周りをちらっと撮っただけだった。
 今日はそのときの写真でつなぎ更新となる。

三瀬谷-2

 家の前の風景は、私が物心ついた頃の記憶と大きく違わない。家は改築してだいぶ変わっているものの、道路の感じとか、周囲の風景に激しい変化はない。
 大学生以降はあまり訪れることもなくなり、当時の写真も残っていない。若い頃は10年後、20年後のために見慣れた風景を写真に残しておこうという発想がなかった。
 だから、今回はできれば周囲をぐるりと歩いてしっかり写真を撮りたいと思っていたのだけど、残念ながらチャンスがなかった。もう一度訪れて写真を撮っておくべきだろう。

三瀬谷-3

 紀勢線の駅が近い。何度か電車の音を遠くに聞いたけど、電車は見なかった。本数が少ないから、運が良くないと電車も撮れない。

三瀬谷-4

 猫屋敷と言っていいほど猫がたくさんいる家で、こいつはその中の一匹だ。
 すごく行儀のいい猫座りをしていた。体の前で丸めた手がかわいい。みんな丸まるとしたいい猫ばかりで、6キロオーバーというのもいた。

三瀬谷-5

 ハウスの中で居眠り中。
 窓際の日当たりのいいところで、ぬくぬくと眠りこけていた。
 やっぱり茶トラはいい。

 2日間もいて、これだけしか写真を残せなかったのはやっぱりもったいないことをしたと今更ながら思う。
 でも、今日はこれでおしまい。
 明日からは平常に戻す予定です。

老いて尚

動物(Animal)
15歳

 無事帰宅したものの、通常の更新をするには気力不足。
 昨日は猫だったから今日は犬ってことで、親戚のうちの15歳。人間でいえば80歳近い。
 だいぶ弱っていたけど、できるだけ長生きするんだよ。

留守番アイ

猫(Cat)
留守番アイ

 一晩留守するので、今日は更新休みます。
 留守番するアイの写真を置いていきます。

手抜きじゃないのに手抜きに見えるカレーサンデー

料理(Cooking)
コロッケチキンカレー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8 II



 今日は手抜きカレーサンデー。たまにはこんな日があってもいい。手抜きするにはそれなりの理由もある。お母さんはけっこう忙しいのだ。私はお母さんじゃないけど。
 カレーなんてちょちょいのちょいですぐに作れるだろうと思いきや、カレー粉から作り始めるとこれがけっこう手間がかかる。
 タマネギのみじんとニンニク、ショウガをオリーブオイルとバターでよく炒めて、カレー粉、小麦粉、白ワイン、トマトピューレ、水、鶏肉、ジャガイモ、ニンジンを加えてよく煮込んでいく。
 更にコンソメの素、塩、コショウ、しょう油、ソース、ケチャップ、マヨネーズ、はちみつなども入れて、味を調えていく。
 味とカレーのとろみの調整が完全に手探りなため、水を足したら味が薄くなり、カレー粉を加え、小麦粉を追加し、やっぱり味が足りないとコンソメを追加したり、また水を増してなどとしていたら、カレーだけで1時間以上かかってしまった。手抜きをするはずが全然手抜きになってない。
 コロッケは、ジャガイモをレンジで加熱してつぶして、タマネギのみじん、塩、コショウ、バター、チーズ、しょう油、コンソメの素、牛乳、小麦粉、ヨーグルトを混ぜ合わせて、フライパンで炒める。
 これをいったん冷やし、小麦粉、溶き卵、パン粉をつけて揚げる。
 サラダを切って、ドレッシングも作った。
 オリーブオイル、白ワイン、酢、しょう油、マヨネーズ、塩、コショウ、マスタード、砂糖、みりん、はちみつを混ぜてひと煮立ちさせる。

 結局、なんだかんだでいつもと変わらない2時間コースとなった。出来上がりは手抜きに見えても実際手間はかかっている。逆にいえば、手間暇かけているわりには頑張りが伝わらない料理とも言える。粉から作るカレーライスは思った以上に面倒な料理だった。
 味は市販のルーから作るものとだいぶ違う。スパイシーインド風カレーは、旨みのあとに辛さが遅れてガツンと来る。味の記憶が後を引く。ボンカレーとは違うのだ。
 今回は鶏肉を使ったチキンカレーだったから、ややあっさり味だった。インドでは基本的に牛肉や豚肉を食べないから、カレーに使うのは鶏肉か羊肉ということになる。
 インドカレーを作るならそうなるけど、日本ではそんなタブーはないから、豚や牛を使った方が美味しいカレーができる。旨みがかなり違ってくるはずだ。

 明日は早起きして出かけないといけないから、今日はのんびりしていられない。さっさと寝なくては。
 ということで、短く終わる。

小幡緑地と矢田川のご近所写真のつなぎネタ

風景(Landscape)
小幡緑地-1

FUJIFILM S3pro + NIKKOR VR 18-55mm f3.5-5.6 / SIGMA 55-200mm f4-4.6 他



 瀬戸のお雛めぐりとレトロ風景シリーズが終わって、ちょっと一休みということで、今日は近所の小幡緑地と矢田川の風景写真をお届けします。例によって時刻は夕方、日没前ということになる。
 3月といっても春が訪れているのは一部のことで、雑木林の風景はまだ冬とほとんど変わっていない。足元の花もさほど咲いてはいない。あるところにはありふれているオオイヌノフグリやホトケノザなども、ないところにはまったくない。こういう緑地というのは緑が溢れているようなイメージがあるけど、実際のところ、植生はあまり豊かとは言えない。

小幡緑地-2

 枝先に一つ、何かの実がぶら下がっている。見覚えがある気がするけど、木の名前は分からない。

小幡緑地-3

 根を張るというのはこういうことをいうのだという見本のような根の張り方を見せている。大地をがっちり掴まえて放さない。土中から水分や養分を吸い取っている。
 地表に剥き出しになっている根も、人間に踏まれると弱るそうだから、あまり踏まないようにしたい。桜名所などでもよく問題になっている。

小幡緑地-4

 緑ヶ池に流れ込む小川。どこが水源なのかよく分からない。地図で辿ると、森林公園あたりから先が消えていて見えない。
 流出もしていて、その流れは吊り橋がある白沢渓谷へと続き、庄内川へと流れ込む。
 けっこうきれいそうな水で何か泳いでいないか探したけど見つからなかった。

小幡緑地-5

 枯れススキは冬景色でもあり、春景色でもある。風景が緑一色の春景色になるまでにはまだひと月以上かかるだろう。

小幡緑地-6

 金色に染まる水面。金銀財宝ではないけど、これも地球の宝の一つだ。夕焼け色というのも、宇宙では当たり前のものではない。

小幡緑地-7

 めぼしい鳥は見つからず、いつものおなじみさんを撮る。
 地面を跳ねながらエサを探していることが多いツグミだけど、当然木の上にとまっていることもある。
 春が深まる頃、どこからともなく集まってきたツグミたちは、集団となって北へ渡ってゆく。今年の渡りは早いかもしれない。今シーズンに会えるのもあと少しとなった。

小幡緑地-8

 エナガは留鳥だけど、冬場の方が見かけることが多い。木々の葉が落ちるからというのもあるし、冬の方が人の生活圏に近いところまで出てくる印象がある。
 すごく落ち着きなく動き回っているから、撮るのが大変だ。

小幡緑地-9

 帰りに矢田川に寄って夕焼けを見た。
 久しぶりに大森橋の上から撮った。いつもの川風景も、少し新鮮に映る。

小幡緑地-10

 河原まで降りていって、コサギを発見。この場所はコサギのお気に入りで、いつもたいていいる。1羽の縄張りなのか、数羽のコサギが共有しているのか、見た目だけでは判断がつかない。
 夕方の食事時だったようで、私の方を気にしつつもエサ探しをしていた。
 最近、香流川にサギが集団でいるらしい。近いうちに見に行こう。

小幡緑地-11

 渡りのカモたちの姿はなく、いたのはカルガモだけだった。もっと西の方にそれらしい影がたくさん浮かんでいるのが見えたから、場所を変えていたようだ。
 雨続きで水かさが増していたことも影響があったのかもしれない。

小幡緑地-12

 大森橋の上からタワー群が全部見えることに今更気づいた。
 左からテレビ塔、スパイラルタワーズ、ミッドランドスクエア、JRセントラルタワーズ、ルーセントタワーと並ぶ。ミッドランドの手前にはナゴヤドームの屋根も見えている。
 少し高さが足りず、障害物が多いのは残念だけど、全部が一画面に入るのは貴重だ。

小幡緑地-13

 土手の下から沈みゆく夕陽を撮る。
 小牧空港へ着陸する飛行機が飛んでいった。

 こんなつなぎネタも挟みつつ、ブログ現身日和は続いていくのであった。

変わりゆく町並、失われゆくレトロ風景 <瀬戸レトロ-3>

街(Cityscape)
瀬戸レトロ3-1

Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 瀬戸蔵の二階テラスから見る瀬戸駅周辺の風景はこんなふうになっている。
 瀬戸川は大がかりな護岸工事をしている。少し前までは多少なりとも自然の風景が残っていたのに、人間の手が入ってどんどん情緒がなくなっていく。毎年3月になると川岸には菜の花が咲いていい雰囲気だったのに、今年からはそれも見られなくなってしまうのだろうか。
 このあたりの風景は一昔前とは激変している。尾張瀬戸駅の古い駅舎から新しい駅舎に建て替えられたのが2001年で、愛・地球博に合わせてパルティせとや瀬戸蔵が建ち、大きく様変わりしたのが2005年だった。瀬戸朝香もびっくりしてるんじゃないだろうか。
 旧駅舎は瀬戸蔵ミュージアムの中に移され、保存されている。ここも一度行かないといけないと思いつつ行けずにいる。
 瀬戸のレトロ風景第三弾は、昔と今の混在風景編ということになる。

瀬戸レトロ3-2

 末広商店街の横の通り。こちらにも少し店があって、シャッターが降りているところもある。
 通りに面しているから有利かといえば必ずしもそうではないようで、あまり人は歩いていない。

瀬戸レトロ3-3

 アーケードの中は暗いといえばやっぱり暗い。屋根から日は差すものの、表通りの店とは違う。日光に当たらないとビタミンD不足になってしまわないか。
 雨の日にも傘を差さずに買い物できるのは嬉しいことだけど、車で直接乗り付けられない不便さもある。
 いくら商売が厳しくても、なくなってしまったらそれはそれで日頃利用している住人が困ってしまうし、かといって赤字続きではやっていけない。アーケードの未来は決して明るいものではない。
 定額給付金なんてのを配るなら、地域の商店街で使える商品券でも配った方がよほど人助けになる。

瀬戸レトロ3-4

 すでに閉鎖しているらしいメンズショップ。招き猫の絵はここの主人自ら描いたのだろうか。
 瀬戸はせともの祭りが有名で、このときばかりは各地から大勢の人が集まってきて賑わいを見せる。それと、近年は来る福招き猫まつりというのも知名度が上がってきて、けっこうなお祭り騒ぎになっているようだ。毎年10月に行われていて、去年は行けなかったから、今年は行けたら行きたいと思っている。

瀬戸レトロ3-8

 完全にさびれきっていた時期は脱して、アーケードも少しだけ活気を取り戻しつつある。それは、古い家屋や店舗を再利用して、若い人たちが店やギャラリーをやるようになったからだ。
 これはいいことだと思う。思い切って家賃を安くして、シャッターの店を少しでも少なくした方が、アーケード全体の利益にもつながるんじゃないだろうか。
 2階も住めるようにして、学生の下宿にしてもいい。瀬戸のこのあたりには大学がないのがよくない。どこかの分校でも誘致できないものか。最近は学生数も減ってるからそれも難しいか。

瀬戸レトロ3-5

 深川神社前の宮前通り。
 ここの名物は、焼きそば屋とうなぎ屋で、テレビの取材でよく登場する。最近焼きそば屋が開いてるのを見ない。営業時間が短いのかもしれない。
 神社は前回行ったので今回は寄らなかった。

瀬戸レトロ3-6

 地上にあるのに名前は宮前地下街。公園から見て下にあるから地下街という名前のいわれは以前書いた。

瀬戸レトロ3-7

 歩道橋の上から銀座通り商店街方面を見る。

瀬戸レトロ3-9

 展望台へ登る途中の眺め。東の深川町方面になる。
 こう見ると、高い建物は少ないものの、瀬戸市内も家屋は多い。

瀬戸レトロ3-10

 これは南方面。右手にパルティせとが見えている。その左には老舗の陶器屋「丸一国府商店」が建っている。木造4階建てだから、昔はそこだけぴょこんと頭を出していたのかもしれない。

瀬戸レトロ3-11

 ちょっと京都もどきの雰囲気を持った陶器屋さん、森本陶苑。
 最近建て替えられてきれいに生まれ変わった。
 道ばたに無造作に陶器が並べられているけど大丈夫かと思わせる。
 こういうふうに並べられている陶器も、激安かといえばそうでもなく、そこそこの値段はする。
 食器なども凝り出すと次々といろんなものが欲しくなるから、今は手を出さないようにしている。一つ買うと、それに合わせて他の食器や茶碗や湯飲みなんかを買い揃えたくなってしまうから危険だ。

瀬戸レトロ3-12

 陶器で作られた神棚があって、ちょっと驚く。なるほど、こういうものも作れるのか。
 瀬戸には陶器で作った便器などもある。

瀬戸レトロ3-13

 パルティせとシルエットの夕焼け空。飛行機雲が長く伸びて、なかなか消えずに残った。

瀬戸レトロ3-14

 たまたま瀬戸を扱ったテレビ番組があって、昔の風景の写真が紹介されたので、それを写真に撮った。
 これはいつの時代だろう。明治か大正か。もしかすると戦後もまだこんなふうだったのかもしれない。
 アメリカ空軍の瀬戸空爆が8月下旬から9月にかけて予定されていて、その前に終戦を迎えたため、瀬戸の町は焼けなかった。それでも、日本人の手で風景は壊され、残された古いものは少ない。
 しかし、すごい煙突の数と黒煙だ。町全体が完全に陶器一色という感じだ。

 瀬戸の町を何回か歩いて、だいぶ様子が分かってきた。レトロな魅力も知ることができたし、その一端だけど、こうして紹介できてよかった。
 観光地というほど観光資源があるわけではないけど、フラッと散策するにはいいところだ。機会があれば一度訪れてみてください。私もまた行きたいと思う。

今日あるレトロ風景が明日も変わらずあるとは限らない <瀬戸レトロ-2>

街(Cityscape)
瀬戸レトロ2-1

Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 今日は昨日の続きで、瀬戸のレトロ風景第2回です。
 末広町の南に小さな川が流れていて、こちらにもレトロな風景が点在している。この流れは瀬戸川の支流なのか、違う水系なのか、よく分からない。愛知用水かもしれない。
 川沿いの風景というのは、趣があるところが多い。幹線道路沿いは新しい建物が多く、道路が整備される前は川沿いに家が建ち並ぶのが自然だったからだろうか。
 写真は歩いた順序とは少し前後するけど、早速レトロ散策に出発することにしよう。

瀬戸レトロ2-2

 少し変わった雰囲気の門構えだなと見ていると、扉に男と女と書かれている。ああ、そうか、ここが例の銭湯跡か。ネットでここの写真だけ見たことがあって、どこにあるのか場所が分からなかった。
 末広町アーケードを抜けて、右(南)に折れて道なりに歩いて左側だったと思う。

瀬戸レトロ2-3

 少し離れてみると、とても趣のある建物だということが分かる。木造三階建てになるのだろうか。でも、銭湯っぽい建物ではない。
「ゆ」という看板の下に蛭子湯とある。
 2006年くらいまでは営業していたそうだ。
 レトロな風景というのも、年々変化していっている。建物も突然眠りにつくわけではなく、少しずつうとうとするように眠ってゆく。昨日まであった古いものが今日も変わらずそこにあるとは限らない。

瀬戸レトロ2-4

 昔ながらの理容店にも惹かれたのだけど、表に神社の祠があって、そこに目がとまった。赤い格子のところがそれだ。
 屋根神様といい、こういう小さな祠といい、瀬戸と神様との親密な関係が垣間見えて好感が持てる。
 近くに石神社というのもあって、その写真も撮ってきたので、そのうち紹介したい。

瀬戸レトロ2-5

 ほんの数百メートルしか離れてないところに別の理容店がある。こういうレトロな町並のところは、やけに理容店が多い。人口密度に対してカット屋さんが多すぎるように思うのだけど、上手く棲み分けができているのだろうか。足助の町にもたくさんあったのが印象的だった。
 ヘレンカーチスの店ってなんだろうと、家に帰ってから調べたらシャンプーとかのブランド名らしい。昔のハリウッド女優の名前かと思った。

瀬戸レトロ2-6

 名前は罪はないけど、具志堅というとどうしても具志堅用高が頭に浮かんでちょっと笑えてしまう。カンムリワシは強かった。
 でも、具志堅家は旧琉球王国の士族の家系らしいから、世が世ならお坊ちゃんだ。
 アーケードにも沖縄料理店があったし、瀬戸には沖縄の人がたくさん住んでいるのだろうか。

瀬戸レトロ2-7

 一軒の家なのかアパートなのか、もう住んでいないのかまだ住んでいるのか、微妙な古めかしさに味を感じた。
 さすがに住んでないかなと思わせつつ、エアコンの室外機やプロパンのボンベがあるのでもしやとも思う。
 波を打った屋根だとか、つぎはぎのトタンだとか、昭和の名残が色濃い。

瀬戸レトロ2-8

 唐突に場所は飛んで、銀座通り商店街の北へとやって来た。
 これは昔の米屋さんだろうか。もう営業はしていないようだ。
 このエリアもとても入り組んでいて、進むほど坂道になっている。古くからの家と、新しい家が混在している。
 ここからずっと北西に上っていくと窯神神社があって、そこはまだ行ったことがない。次の機会があれば行くことにしよう。今回は無風庵のある高台の方に行った。

瀬戸レトロ2-9

 ここにも神棚を発見した。屋根神様といっていいのかどうか。下の建物は倉庫か何かだろうか。

瀬戸レトロ2-10

 展望台へと続く道にも何気なく窯垣があった。石で作るから石垣で、窯道具で作るから窯垣となる。
 瀬戸の新名所として窯垣の小径というのがあって、以前にそのときのことは紹介した。末広町の東の陶生町にある。仲切町にもあるとは知らなかった。

瀬戸レトロ2-11

 民家の屏も窯垣になっていた。こちらのものはやや新しいように見えた。
 材料には事欠かないだろうから、知恵とも言えるし、見た目もいい。瀬戸の町全体で陶器を前面に出していくと観光地としての魅力が増していくんじゃないかと思う。

瀬戸レトロ2-12

 ここでも廃屋と雑草が戦いを繰り広げていた。
 私は廃墟マニアというところまではいっていなくて、古めかしいものは好きでも廃墟となってしまうとやや興味が薄れる。無残な感じがあって痛々しく思ってしまう。

瀬戸レトロ2-13

 また場所が飛んで、瀬戸川沿いの川村屋賀栄前に出てきた。この建物は現役で使われている観光資源としてもっと有効利用してもいいんじゃないか。外から建物の写真は撮れても、ふらっと入って行きづらい雰囲気があって損をしている。

 瀬戸のレトロ風景第二弾はここまでだ。
 次回はレトロと現在の風景編ということで最終回となる。

路地に心惹かれるのは猫だったときの記憶の名残か <瀬戸レトロ-1>

街(Cityscape)
瀬戸のレトロ風景1-1

Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 これまで名古屋市内や周辺のレトロ風景をいくつか紹介してきた。四間道や中小田井、津島などを覚えている人もいるかもしれない。瀬戸もその中の一つで、アーケード編のとき、断片的に写真を載せた。今回はその続きで、路地編というテーマでお届けしようと思う。
 大通りより裏道に心惹かれ、広い部屋より狭い部屋を好み、高い場所に登って下を見下ろしたがる私は、前世のどこかで猫だったのかもしれない。路地を歩いていると、なんだかとても懐かしい感じがして落ち着く。
 篠島や日賀間島の路地はよかった。うちの田舎でも路地はお馴染みだし、東京にも神楽坂みたいなところが残っている。世の中には私の知らない素敵な路地がたくさんあるに違いない。尾道にも行ってみたい。
 頭の中でいろんな路地を思い出したり思いを馳せたりすると、そこには必ず猫がいる。ノラが歩いていそうなところを思い浮かべると、それは路地であることが多い。日本だけではない。ミコノス島にも路地があり、猫がいる。きっとあなたの街にも路地はある。
 さあ、路地の小さな旅に出かけよう。

瀬戸のレトロ風景1-2

 路地というのは基本的に狭ければ狭いほどよい。明るいよりも暗い方が雰囲気が出る。
 しかし、そこにも人々の暮らしはあり、こんな狭い路地にも車は入り、あまり陽の当たらないような二階の窓に洗濯物が干してあったりする。
 部外者の無責任な感傷など、住んでいる人にとっては関係ない。ああ、まったくもって不便だな、コンニャロウと思っているかもしれない。

瀬戸のレトロ風景1-3

 狭い路地に建つ家にとって、隣近所との関係は普通より近くならざるを得ない。玄関から出て、飛んで二歩で行ける向かいの家との近所づきあいをしないわけにはいかない。隣との関係もごく近い。二階の窓から窓に飛び移れるくらいだ。

瀬戸のレトロ風景1-4

 路地は無秩序に曲がりくねり、折れたり、行き止まりになったりして、方向感覚を見失いがちだ。初めての路地に迷い込んだとき、太陽が出ていないと東西南北が分からなくなる。
 向こうに煙突が見えている。あれは窯のものだろうか。
 昔は銭湯がたくさんあって、路地に煙突というのはつきものだった。最近は銭湯が本当に少なくなった。煙突だけ残っていて営業していないところも多い。

瀬戸のレトロ風景1-5

 手書きの「めし のらくろ」もいい味だけど、錆びたファンタの看板がまたいい。
 ファンタ自体は今でも普通に売られているものだけど、個人的には飲まなくなって久しいから、ファンタというと自動販売機で売られていたビンのファンタを思い出す。当時はファンタオレンジとファンタグレープくらいしかなかったんじゃないか。
 子供の頃さんざん飲んだから、今でもあの時代のシュワーっという炭酸の味が口の中に蘇る。今はもっと上品な飲み物になっているんだろう。

瀬戸のレトロ風景1-6

 この路地は部外者は踏み込んではいけないだろうと思わせる路地もある。公道でありながら私道のような雰囲気を持つ路地だ。
 思い切って入っていくと、往々にして見知らぬ民家の庭に入ってしまったりする。
 道って誰のものだろうと思うことがある。

瀬戸のレトロ風景1-7

「お子様」の店って、どんな店だろう。駄菓子屋みたいなものだろうか。様が旧字体だから、けっこう昔のもののようだ。
 店自体はもう残っていないようだ。名残も見られなかった。
 私がもっと早く路地写真に目覚めていたら、今となっては懐かしい風景の写真をたくさん撮れていただろう。そんな変な高校生じゃなかったことが悔やまれる。昭和の間にもっと近所の写真を撮っておくんだった。

瀬戸のレトロ風景1-8

 こういう光景も久々に見た。
 昔はどこの町にも金魚屋さんというのがあって、一般家庭でよく金魚を飼っていた。うちの近くにも金魚と小鳥の店があった。
 今は金魚を飼おうと思ったとき、どこに買いにいけばいいのか思いつかない。熱帯魚屋はあっても、純粋な金魚屋というのはなくなった。縁日で金魚すくいをして持ち帰るくらいしかない。

瀬戸のレトロ風景1-9

 大通りでは人間の文明が圧倒的な勝利を収めている雑草との戦いも、一歩路地に踏み込むと、そこではいい勝負を繰り広げている。廃屋になったときから草は勢いを取り戻し、ときに勝利する。
 100年も放置したら人間の文明など雑草に完敗してしまう。草は数万年、数億年単位で生きているのだ。人間が勝っているのはほんのここ数千年のことに過ぎない。

瀬戸のレトロ風景1-11

 こういう細い水路も路地とセットになっていることが多い。うちの田舎風景に似ている。ただ、さすがに沢ガニはいないだろう。
 昔はこういう水路を生活の下水のように利用していて、かなり無造作にいろんな汚水なども流していた。食器を洗った水とか。
 今はそういうことにうるさくなったから、以前に比べてきれいになっているんじゃないだろうか。
 田舎では勝手に庭でいろんなものを燃やすし、割れた食器を捨てたりだとか、今考えるとかなり無茶なこともしていた。そういうことはまずいということに気づいたというのも、人間の進歩の一つだと思う。

瀬戸のレトロ風景1-12

 初めて人入りの写真が登場して、そういえば人のいる路地写真を撮っていないということに気づく。何しろ人が歩いていないのだ。下校途中の小学生だとか、おばあちゃんだとかが入ってくれるともっと雰囲気が出たのだけど。
 観光地になるほどではないにしても、昭和の面影はまだところどころに残されている。瀬戸も表玄関はずいぶん垢抜けたけど、裏に入るとまだ古さがある。初めての訪問ならアーケードとあわせて歩いてみると、けっこう楽しめると思う。
 路地写真はこれくらいだけど、レトロ感のある写真がもう少しある。続きはまた明日以降にしよう。

瀬戸のお雛めぐり紹介で3人くらいは現地に送り込みたい <後編>

風物詩/行事(Event)
瀬戸お雛2-1

Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 今日は昨日の続きで、瀬戸のお雛めぐり後編をお届けします。
 二つあるアーケードのうち、どちらかというと末広商店街の方が力を入れている印象だった。ひな人形を飾っている店が多い。
 上の写真の松千代館もその一つで、ここは建物の雰囲気といい、飾っているひな人形といい、心惹かれるものがあった。元は旅館だったところで、屋根神様がいるのがこの家だ。
 何年か前まで営業していたというけど、商店街のアーケード内で旅館というのはちょっと珍しいんじゃないだろうか。どういう人たちが利用していたのだろう。やはりよそから来た陶器関係の人たちだろうか。
 そういえば、瀬戸駅の周辺はホテルのたぐいはほとんどないような気がする。深川神社の境内にホテルがあってちょっと驚いたけど、それ以外に知らない。泊まりがけで観光をするようなところではないにしても、愛・地球博でもう少しそういう施設が増えるかと思ったら増えなかった。

瀬戸お雛2-2

 中はこんな感じ。座敷に上がっていいのかどうか迷ってやめておいた。実はよかったらしい。
 向かって右にある二組はけっこう古いもので、右端のは明治中期の古今雛(こきんびな)だそうだ。もう少し近くで見てみたかった。
 ここでも吊し雛が飾られている。瀬戸には昔からこのスタイルがあったのかもしれない。

瀬戸お雛2-3

 玄関近くに飾られていた明治の親王飾り。こういうふうにお内裏様とお雛様だけで飾るものを親王飾りというらしい。ひな人形にもいろいろ専門用語があって知らないことがほとんどだ。「ひなまつり」の歌詞が4番まであるというのもさっき知った。
 左に飾られている花餅は中馬でも見た。飛騨高山の名物として有名だけど、このへんの地方でもよく作られている。

瀬戸お雛2-4

 昨日登場した御殿とよく似ている。ど派手な屋敷の造りに共通点が多い。同じシリーズだろうか。
 時代はよく分からない。古いといえば古そうだし、新しいといえばそうとも見える。

瀬戸お雛2-5

 クスッと笑えた。
 バックのレトロ感がまたいい。あえてここに設置したセンスが素敵だ。

瀬戸お雛2-6

 こちらは銀座通り商店街の中にあるギャラリーカフェ「もやい処」の前だ。
 末広商店街と比べると、銀座通り商店街の方がやや明るくて、少し新しい印象を受ける。
 ここは沖縄料理の店らしい。沖縄ソーキそば550円、サータアンダギー300円、ゴーヤジュース380円。魅惑のラインナップだ。ゴーヤジュースは飲まずに済めば一生味を知らないまま終わりたい。
 うさぎの部屋というのも併設していて、そこでは作家の陶器などを販売しているようだ。
 ここの二階にもひな人形が飾られているらしいので、お店で何かを食べると見せてもらえるんじゃないかと思う。

瀬戸お雛2-7

 ピンクののぼりをたくさん立てて、なんとか盛り上がっていこうという気持ちは出ているものの、アーケードの人通りはいつもの感じだった。八百屋の商品が道の半分くらいをふさいでいても、たいして邪魔にはならない。

瀬戸お雛2-8

 前回訪れたときは古民家久米邸の場所が分からず気になっていたので、今回は探して見つけた。これは分かりづらい。銀座通り商店街を西から出て、細い坂道を右に折れて登っていくと、左手に案内が出ている。こんな奥まったところだったのか。
 明治41年(1908年)に、地元の資産家が別宅として建てた家で、現在はいろいろな作家や店舗が部屋を間借りしてギャラリーをしたり、喫茶店を営業したりしている。その前は久米眼科だったらしい。

瀬戸お雛2-9

 どこまで勝手に入っていっていいのか戸惑い、へっぴり腰でおそるおそる進入して、写真を撮る。商業施設だから、そんなにひるむことはない。
 西日に照らされていい感じ。

瀬戸お雛2-10

 古いお屋敷のひな飾りということで、明治、大正のおひな様などが飾られていた。
 御殿飾りは、やっぱり古いものなのかもしれない。
 これ以上入っていくとお店に寄らないといけなくなりそうで、ここでおいとました。

瀬戸お雛2-11

 更に坂道を登っていき、高台に建っている無風庵に辿り着いた。
 が、残念ながらすでに閉まっていた。午後3時までとは早い。
 瀬戸の陶芸に功績を残した藤井達吉が住んだ家を移築して、茶室兼ギャラリーとして活用している。
 茅葺き入母屋造りというのは貴重だ。もともと四季桜で有名な小原村に建っていたものだそうだ。
 ここでは江戸中期の享保雛(1750-1760年)などが飾られている。写真で見ると相当昔のものという感じがする。これは見ておくべきだった。来年はもう少し早い時間に行こう。

瀬戸お雛2-12

 違う坂道を下っていったら、久米邸の裏に出た。なるほど、そういう道のつながりなんだと理解できた。
 久米邸も機会があれば一度奥まで入ってみたい。

瀬戸お雛2-13

 表通りの時計屋さんのひな人形。こちらはぐっと新しそうだ。
 小さなひな人形でも、こんなふうに飾ればずいぶん華やかになる。

瀬戸お雛2-14

 瀬戸蔵の駐車場に戻ってきて、最後にもう一枚、ひなミッドを撮ってみる。
 瀬戸のお雛めぐり写真はこれでおしまい。
 今日でひな祭りも終わってしまったけど、イベントは今週いっぱいやっているから、お近くの方は一度見に行ってみてください。なかなか楽しいものです。
 明日からは、この続きというか、瀬戸のレトロ風景シリーズが始まる。裏道なども歩いて、たくさん写真を撮ってきた。瀬戸のレトロ感はなかなかに侮りがたいものがあると、あらためて思ったのだった。

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「尾張瀬戸駅」から徒歩約5分。
 ・駐車場 あり(最初の1時間無料 以降1時間100円)
 ・見物時間 展示場所による

 陶のまち瀬戸のお雛めぐりwebサイト
 

地元の人ならまだ間に合う瀬戸のお雛めぐり <前編>

風物詩/行事(Event)
瀬戸お雛1-1

Canon EOS D60+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 瀬戸市でおひな祭りのイベントをやっているのを知ったのは、今年になってからだった。「陶のまち 瀬戸のお雛めぐり」は今年で8回目になるという。
 去年は足助へひな人形を見に行った。「中馬のおひなさん」が今年で11回目というから、瀬戸市のものも歴史としてはそれほど変わらない。やっていることもよく似ている。商店街や各家庭で自前のひな人形を飾って、訪れた人たちに見てもらおうという企画だ。
 ただし、規模と浸透度にはかなり差があるようだ。中馬のおひなさんは去年初めて行って驚いたのだけど、たいそうな賑わいを見せていた。期間中7万人もの人が訪れるというから、静かな町はちょっとした大騒動だ。一方の瀬戸はというと、普段とさほど変わらない様子だった。休日にはもっと人が増えるのだろうけど、それにしても大賑わいという感じからは遠そうだ。
 近くに住んでいる人も意外と知らないかもしれない。ここはひとつ、私も微力ながら瀬戸のお雛めぐりを紹介して、一人でも二人でも瀬戸に送り込もうということで、今日と明日の2回に渡って瀬戸のひな祭りについてのレポートをお届けすることにした。
 1月30日から始まって、3月8日までやっているから、明日行けない人も週末なら行けるかもしれない。というか、私が行ったのが2月26日だったから、その日か次の日にブログに載せていたら先週末に行けた人もいただろうにと、今気づいた。しまった。気づくのが遅かった。こういうイベントものは当日を過ぎると急速に興味をなくしてしまうものだから、今週末ではもう出遅れになってしまうか。来年、行ってください。

瀬戸お雛1-2

 このへんのひな人形は、瀬戸蔵の外に飾られているものだ。柱の中のウィンドウといえば、行ったことがある人なら分かるだろうか。
 せとものの町らしく陶器や磁器のひな人形が多い。
 ひな人形自体に興味がある人にしたらひとつずつじっくり見ていっても楽しいのだろう。そうでもない私としては、ざっと見て、通り一遍の写真を撮るだけで終わってしまった。もう少し時間をかけて撮ればよかったかもしれない。レンズもお散歩レンズの28-70mm一本しか持っていかなかった。

瀬戸お雛1-3

 こんな感じになっている。後ろに写っているのは、瀬戸川まんじゅうで知られる「川村屋 賀栄」だ。
 メイン会場は瀬戸蔵ということで、まずはそこから見ていくことにする。
 駐車場は1時間まで無料で、次の1時間から100円という良心価格なので、安心して見て回れる。

瀬戸お雛1-4

 瀬戸蔵一階のホールに飾られた「ひなミッド」が出迎えてくれる。
 ピラミッドとひな人形をかけたというのは分かる。でも、ネーミングとしてはちょっと気恥ずかしい。
 毎年スケールアップしていって、今年のものは高さ4メートル、14段の雛段に700体以上のひな人形が飾られている。これはなかなかのものだ。

瀬戸お雛1-5

 らせん階段で上まで登れるから、見下ろすこともできる。いろんな角度から見られて面白い。
 ひな人形は作家さんのものから高校生が作ったものまでバラエティに富んでいる。ガラスのひな人形などもある。
 いいタイミングで親子連れとかが来てくれないかしばらく待ったのだけど、このときは運がなかった。小さな女の子とお母さんが見てる姿が入ってくれたら絵になったのに。

瀬戸お雛1-6

 ここでも撮る人を撮る。
 この雛段を見たら、やっぱりみんな撮りたくなるだろう。
 中馬のおひなさんにはこんな大きなものはなかった。瀬戸ならではの呼び物としては申し分ない。中日新聞にも載ったから、地元の人はけっこう知ったんじゃないか。

瀬戸お雛1-7

 瀬戸蔵2階のテラスから瀬戸川沿いの町並を撮る。
 昔はもっとたくさん窯の煙突が立ち並んでいたことだろう。

瀬戸お雛1-8

 次に末広商店街へとやって来た。
 ここは去年の10月にレトロアーケードをフィルム写真で撮るというので訪れている。あの日は雨だった。
 あらためてフィルムの写真を見返してみると、ここの風景はやっぱりフィルムがよく似合う。今回デジタルで撮ってみたけど、あまり雰囲気が出なかった。そのあたりの写真は、あさって以降に紹介しようと思っている。

瀬戸お雛1-9

 これは吊り雛というんだろうか。雛段を置く場所がない家庭向きで、これも一つの知恵だ。
 昔からある伝統的なスタイルなのか、最近考え出されたものなのか、よく知らない。
 気になってちょっと調べたところ、江戸時代あたりからあるもののようだ。昔は地方色が強かったらしい。

瀬戸お雛1-10

 なかなか立派な七段飾りのおひな様だ。
 時代はいつくらいのものだろう。最近のものではないけど、すごく古いというわけでもなさそうだ。昭和40年代とかそれくらいだろうか。
 足助でけっこう数を見たとはいえ、ひな人形に詳しい人とはほど遠い。明らかに古いものは一目で分かるのだけど。

瀬戸お雛1-11

 こんなふうに商店のケースなどにも展示されている。ちょっと変わったひな人形は陶器だろうか。
 それよりも横の時計の方が気になった。今はこういう中途半端な時計が一番売れないんじゃないかと思うけどどうなんだろう。でも、下の方に抜けているところだあるから、誰か買っていったのか。

瀬戸お雛1-12

 呉服屋のひな人形は、なかなか高そうなものだった。渋くて品がある。くれるというなら欲しい。
 ここでは着物の下に飾られたサイン色紙が気になった。
 レトロな商店街ということで、地元テレビのロケや取材がけっこうあるのだろう。瀬戸蔵にもたくさん有名人のサイン色紙が飾られている。

瀬戸お雛1-13

 どこのお店のものだったか忘れてしまった。これも呉服店の一角だったろうか。
 一番上の御殿がとても立派だ。日本の建物ではないような絢爛な家の中にいる。
 ひな人形にもいろいろな個性があることをあらためて知る。時代の変遷や流行もある。

 前編はこれくらいにしておこう。瀬戸のお雛めぐりの魅力をどこまで伝えられたか自信がないけど、とりあえずこういうものをしてますよとお伝えできたことでまずはよしとしたい。近くの人は、明日にでも行ってみてください。
 後編はこの続きで、銀座通り商店街のひな人形を中心に紹介します。

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「尾張瀬戸駅」から徒歩約5分。
 ・駐車場 あり(最初の1時間無料 以降1時間100円)
 ・見物時間 展示場所による

 陶のまち瀬戸のお雛めぐりwebサイト
 
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