月別:2009年02月

記事一覧
  • 雨の神を祀る二つの貴船社は白い矢が始まり

     名東区の神社巡りシリーズ。今回は二つの貴船社編をお送りします。 名東区内に二つの神明社と、二つの貴船社がある。区別をつけるために、片方を貴船社、もう一方を貴船神社と呼んでいる。貴船社は貴船2丁目にあり、貴船神社は一社3丁目にある。 どちらが先に建てられたのか調べがつかなかった。どちらかが分祀されたものなのか、両方同じ時期に建ったのか、時代が違うのか、どうもはっきりしない。この神社のもとになった伝説...

    2009/02/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • カメラを持って歩けば何かは撮れる

    Canon EOS 20D+Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS 行く予定ではなかった牧野ヶ池に立ち寄って、池の周囲を少し歩きながら写真を撮った。 何を撮るという当てがあったわけではなく、目についたものにカメラを向けてスナップ撮りをした。特にこれといった収穫はなかったものの、カメラを持って歩きさえすれば何らかの写真は撮れる。普段は車での移動がほとんどだから、歩くことの必要性を再認識する。 犬とカメラは似ているところがあ...

    2009/02/27

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 4度目の農業センターしだれ梅は雨の中で傘を差しての片手撮り

    PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 雨は夕方前にはやむでしょうという天気予報を信じて天白の農業センターへ向かうも、途中から雨脚は強くなり、着いたときには本降りとなっていた。昨日24日のことだ。 こうなったら傘を差して撮るしかないということで、TAMRON 90mmマクロ一本で、しだれ梅を撮ってきた。気づけばここも、4年連続4回目となる。 近所の梅の開花は遅いような気がしていたけど、農業センターのしだれ梅は早かった。...

    2009/02/26

    施設/公園(Park)

  • 庄内緑地後編は2月の花と夕方風景

    PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 SP / DA 16-45mm f4 / SIGMA 400mm f5.6 庄内緑地後編は、今咲いている花を中心とした写真となる。 2月なのに終わりかけの桜の写真なんか出してどうしたと思ったかもしれないけど、これは冬桜で、1月と4月に二度咲く桜だ。1月の終わりから2月の始めくらいが見頃で、私が行ったときはもう終盤できれいな花があまり残っていなかった。 冬桜といっても何種類かあるようで、尾張旭で咲いているものと...

    2009/02/25

    施設/公園(Park)

  • 自力ではトラフズクを発見できずその辺の鳥を撮る 庄内緑地前編

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / SIGMA 400mm f5.6 2月になるといつも思い出すのが、庄内緑地のトラフズクのことだ。毎年この時期になると庄内緑地にやって来て、春が来るまで滞在していく。 初めての出会いは2006年。きっかけは中日新聞に載ったことだった。それ以前にも毎年訪れていたそうだけど、その頃はまだ鳥にそれほど興味もなく、トラフズクという存在そのものを知らなかった。 2007年も続けて見て、去年は出会えず、代わ...

    2009/02/24

    施設/公園(Park)

  • はんぺん料理の前にはんぺんを作ることから始めるサンデー

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II 今日のサンデー料理のメインテーマは、はんぺん作りだった。そんなものどこにあるんだとあなたは言うかもしれない。ほら、目の前にあるじゃないですか。ふりかけが乗ってる茶色いやつ。 ……。 どうしてこういうことになったのか、順を追って説明しよう。 まず、はんぺんを家庭で作れるかというと、これは簡単に作れる。いや、簡単というか手間暇はかかるけど、複雑なものではないと言い直す...

    2009/02/23

    料理(Cooking)

  • 余った写真を集めて花鳥風月

    FUJIFILM S3pro / Canon EOS 30D / PENTAX K10D 最近神社ネタが多くなっていたから、今日はちょっと息抜きで日常写真をお届けします。訪問して、一枚目の写真が神社の鳥居じゃなくてホッとしたという人もいたかもしれない。あるいは、また神社かよ! と、突っ込めなくて残念に思った方もいただろうか。 残りかすというわけではないけれど、使い切れなかった写真というのが少しずつ溜まっていく。一回の写真枚数は、なるべく10枚...

    2009/02/22

    自然(Natural)

  • 日吉神社と比叡山と日枝神社と秀吉がつながった <名東区神社めぐり>

     名東区の神社巡り。今回は日吉神社(ひよしじんじゃ)を紹介します。 ここの場所を説明するのが難しい。上社2丁目の名東区役所の西といって分かるのは地元の人くらいで、地下鉄東山線の上社駅と本郷駅の間の北側といえば名古屋の人ならある程度場所のイメージが掴めるだろうか。けっこう奥まったところにあるから、名東区民でなければこんなところまで入ってくることはほとんどなさそうだ。一方通行の細い道が多くて、ゴタゴタ...

    2009/02/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 名東区に二つの神明社あり

     今日は名東区の神社巡りシリーズ第3回、二つの神明社編をお送りします。 同じ区内に同じ名前の神社が二つあると紛らわしい。守山区には二つの八剱神社があるように、名東区には二つの神明社がある。片方を猪子石神明社、もう一方を藤森神明社と呼んで区別している。 これは、神明社が伊勢神宮の神社であることと無関係ではない。伊勢神宮の正式名称はただの「神宮」だ。もともと神宮は伊勢のものがあっただけで、のちにあちこ...

    2009/02/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 今日は会うことができたミコアイサだけど相変わらず遠くて小さい

    PENTAX K10D+SIGMA 400mm f5.6 去年の暮れから雨池のミコアイサのことがずっと気になっていた。二度見に行って二度ともいなかったから、今年は来なかったのだろうかと思っていて、今日もう一度行ってみたら今度はちゃんといた。しかし、相変わらず遠いな。 警戒心が強いのと、エサ場が池の真ん中あたりということもあって、なかなか岸近くまで寄ってきてくれないのが残念だ。向こう岸近くにいるからと反対側に回り込むと、さりげ...

    2009/02/19

    野鳥(Wild bird)

  • よく晴れた風の強い日、御嶽山を撮りにスカイワードあさひに登る

    FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / SIGMA 55-200mm f4-5.6 よく晴れて風の強い一日だった。家を出て北東の方角を見ると、久しぶりに御嶽山が見えた。予定を変更して、尾張旭のスカイワードあさひに登ることにした。この冬晴れを逃すと、次はいつ見られるか分からない。 今年初めてうちから雪をかぶった御嶽山が見えることを発見したということを、1月のはじめのブログに書いた。あれから毎日のように観察を続けたとこ...

    2009/02/18

    施設/公園(Park)

  • 猪子石の地名の元となった二つの石を訪ねる 名東区神社第2回

    Canon EOS 30D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 来年は亥年だから、猪子石も少しは脚光を浴びるかもしれない、そんなことをぼんやり考えていたのは、2006年の暮れだった。それがいつの間にか2007年が過ぎ、2008年も終わって、今はもう2009年となっている。今年の干支って何だっけ? すでに忘れてしまった。ああ、そうか、丑年だ。今年は天満宮の年だ。2006年は戌年で伊奴神社(いぬじんじゃ)へ行ったんだった。2008年の子年は、ネ...

    2009/02/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 手抜きのつもりじゃないけどやっぱり手抜きの牛丼サンデー

    Canon EOS 30D+Canon EF50mm f1.8 II 写真を見て、あ、今日のサンデーは手抜きしやがったなと、あなたは思ったかもしれない。半分正解で、半分不正解だ。人にはいろいろ事情というものがある。人は見かけによらないとも言う。 といってもたいした事情ではない。1月に親戚が送ってくれた松坂牛をそろそろ食べきらないといけないだろうということになって、さてどうしようと考えたとき、ふいに牛丼が頭に浮かんで、作って食べるこ...

    2009/02/16

    料理(Cooking)

  • 冬にしか咲かない花を求めて徳川園へ <後編>

    FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8 わらぼっちをかぶせてもらって寒風の中で咲く冬牡丹たち。少し見頃は過ぎてしまっていたけど、まだ元気に咲いていた。展示会は2月22日まで続く。 わらぼっちというのは、刈り取った稲の茎を束ねて干したものをいう。冬の田んぼなどで見たことがある人も多いだろう。 園芸用のわらぼっちは、傘のようにして花にかぶせて、寒さから守る。一般的にはわら囲いと呼ぶ...

    2009/02/15

    施設/公園(Park)

  • 故き大曽根屋敷を温ねて新しき徳川園を知る <前編>

    FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8 名古屋には白鳥庭園と徳川園という二つの大きな日本庭園がある。名古屋城二之丸庭園も入れれば三つか。江戸があった東京には十近くも残っているからそれと比べると少なくて物足りなくは感じるけど、この二つもわりと最近できたことを考えれば、ないよりはあってよかったというべきか。 白鳥庭園は以前に紹介したので覚えている方もいるかもしれない。徳川園は2005...

    2009/02/14

    名古屋(Nagoya)

  • 平和公園に梅を撮りに行くも一分咲きで夕焼け撮りになる

    FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8 そういえば梅はどうなったか気になって、夕方平和公園に少し寄ってみた。ここの梅は本数も少ないし木もまだ若くて名所というわけではないのだけど、近場で咲き具合を確認するには便利なので、ほぼ毎年のように行っている。 現状は写真の通り、まだようやく咲き始めといったところで、見頃には遠かった。全体としたら1分咲きにもなっていない。東谷山フルーツパー...

    2009/02/13

    施設/公園(Park)

  • 建国記念の日の成り立ちくらいは知っておいてもいい

    PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 今年は2669年ですねと言っても何の話ですかという人が多いだろう。年配の人なら、そうだ今年は2669年だとすぐに気づく。 一般的に皇紀(こうき)と呼ばれるこの紀年法は、明治から戦前まではよく使われていた。神武天皇が即位した年を紀元としていて、他に神武暦(じんむれき)や皇暦(こうれき)などとも言われる。 2月11日の建国記念の日は、時期的にも中途半端で、これといった行事も話題もな...

    2009/02/12

    風物詩/行事(Event)

  • 名東区の神社巡りはちょっとややこしい和示良神社から <第1回>

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 尾張旭の神社巡りを終えてしまった今、次はどこにしようかと考えたとき、普通なら住んでいる守山区ということになる。けれど、うちは名東区との境にあって、どちらかというと守山区よりも名東区の方が馴染みが深い。守山区は行ったことがないエリアがけっこうあるのに対して、名東区はほとんどの場所に足を踏み入れている。ということで、神社巡り第二弾は名東区編ということになった。 名東区にいく...

    2009/02/11

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 小幡緑地東園30分ショートコース写真

    Canon EOS 30D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS/ EF 75-300mm f4-5.6 IS 少し空いた時間に近場で写真を撮ろうと思ったとき、候補はたくさんあるようで実はそんなにない。あることはあっても、どこも決め手に欠いてあそこへ行きたいという強い気持ちが起きないことが多い。すぐに思いつくところといえば、川か池か公園か緑地か、たいたいそんなものだ。名古屋の郊外に住んでいれば、そういう場所には事欠かないから恵まれているとい...

    2009/02/10

    施設/公園(Park)

  • 完成した3品は青写真とはまったく別の美味しいサンデーだった

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II 今日は一週遅れの節分料理か、一足お先のバレンタイン料理なんてのをちょっと考えたものの、いいアイディアも浮かばず、どっちにしても中途半端になるということで、結局普通の料理になった。普通といっても世間一般の普通ではなく、私にとっての普通という意味だけど。 今回もまた、着陸予定地と実際の着地点は大きくズレることとなった。左中間を破るツーベースを打つつもりが、あっち向い...

    2009/02/09

    料理(Cooking)

  • 冬枯れの茶色風景を撮りながら春を待つ <第4回>

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8 東山植物園シリーズ最終回は、2月らしい枯れ風景をお届けします。 冬に春の写真を求めるのはないものねだりで、冬は冬らしい写真を撮ればいい。冬にしか出会えない風景もある。 とはいえ、これがなかなか難しい。寒風が伝わるような写真は撮れなかった。雨の表現とともに冬の空気感を写真で伝えるのは、春や夏ほど簡単じゃない。頭の中にぼんやりとしたイメージはあるものの...

    2009/02/08

    施設/公園(Park)

  • 一度は行きたい白川郷の予習を東山植物園でする <第3回>

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II 花写真が続いたから、ちょっと趣向を変えて、今日は東山植物園の中にある合掌造りの写真を紹介しようと思う。 どういう理由で合掌造りの家がこの場所に移転されることになったのかはよく知らない。岐阜県白川村の大牧集落が鳩ヶ谷ダムで水没することになり、昭和31年(1956年)にこの場所に移築された。ここに来てからすでに50年以上の歳月が流れているにもかかわらず、いまだにがっしりと揺...

    2009/02/07

    建物(Architecture)

  • 花まだ少ない2月の植物園で色コレクション <第2回>

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8 東山植物園シリーズ第2回は、色を意識した写真を集めてみた。初春ということで園内をざっと見渡してみてもまだ咲いている花は少なく、彩りも乏しいように見える。けれど、花の一つひとつに近づいていってみれば、そこには総天然色の世界がある。この世は色に満ちていると、あらためて知る。 ということで、今日は色写真を中心にお送りします。まずはジャノメエリカから。 漢...

    2009/02/06

    花/植物(Flower/plant)

  • 植物園を巡れば立春は確かに春だと思う <第1回>

    Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8 今日は立春。季節を分ける節分が終わり、冬から春へと移り変わった。 いつもの年なら暦の上では春といってもまだまだ寒いですねという会話が交わされるところだけど、今年の名古屋はとても暖かい一日だった。最高気温は13度まで上がって、歩いていると上着が邪魔なくらいだった。 春分だから春っぽい話題をお届けしようということで、今日は東山植物園の花写真にした。まだま...

    2009/02/05

    施設/公園(Park)

  • 花鳥園の鳥たちとはまた会う日までしばしの別れ <第6回>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / smc Takumar 135mm f2.5 今日は花鳥園シリーズの最終回。残った写真を集めて並べて終わりにしよう。 まずは水辺の鳥たちから。 上の写真は、レンカクの子供だ。チビだった頃は生まれたスイレンプールにいたのだけど、親にいじめられたとかで、水辺の鳥たちのプールに移されてきていた。たくさんの鳥たちがる中に混じってたくましく生きていたので安心した。 けど、このままここで大き...

    2009/02/04

    動物園(Zoo)

  • 飛びものを上手く撮れないのはK10ではなく自分のせい <第5回>

    PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / smc Takumar 135mm f2.5 少し間が空いた花鳥園シリーズを再開したい。5回目の今日は、屋外の飛行ショーの写真を中心にお届けします。 毎回同じような写真になってしまって、自分自身あまり進歩が感じられないのがもどかしい。行くたびに一日3回のショーすべてでチャレンジしているのに、何回撮っても難しい。何しろフクロウやタカは速いのだ。ピント以前にファインダーの中に姿をきっち...

    2009/02/03

    動物園(Zoo)

  • 気になっていた試みをしてすっきりしたサンデー

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 28-75mm f2.8 今日のサンデー料理は、小さな試みの結果出来た3品だった。 テレビで見て一度作ってみたかったものとか、前から気になっていた組み合わせとか、ふとした思いつきとかをまとめて試みてしまおうというのが今回のテーマとなった。 順番に紹介していこう。 まず手前左側だけど、一見してどういう料理か分かりづらいと思う。これを一目見てどんな料理か当てられたとしたら、よほど私のサンデ...

    2009/02/02

    料理(Cooking)

  • 光と色と影と夜の写真

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 28-75mm f2.8 他 光があるところに色が生まれ、影ができる。光が強ければ強いほど、闇は暗い。人の目もカメラのレンズも、強いコントラストの両方を同時に捉えることはできない。だから私たちは、どちらか片方に心を奪われがちだ。 光の住人と闇の住人がいる。それは相容れない存在かもしれない。昼間に生きる人間と、夜に生きる人間と、両方がいなければこの世界は成り立たず、互いに交わりきれない部...

    2009/02/01

    日常写真(Everyday life)

雨の神を祀る二つの貴船社は白い矢が始まり

神社仏閣(Shrines and temples)
貴船社外観



 名東区の神社巡りシリーズ。今回は二つの貴船社編をお送りします。
 名東区内に二つの神明社と、二つの貴船社がある。区別をつけるために、片方を貴船社、もう一方を貴船神社と呼んでいる。貴船社は貴船2丁目にあり、貴船神社は一社3丁目にある。
 どちらが先に建てられたのか調べがつかなかった。どちらかが分祀されたものなのか、両方同じ時期に建ったのか、時代が違うのか、どうもはっきりしない。この神社のもとになった伝説があり、それがどちらを指しているのかもよく分からない。その伝説というのはこうだ。

 ヤマトタケルがまだ登場する前、タケルの父親である景行天皇の時代(100年頃)、伝説の名参謀・武内宿禰(たけうちのすくね)が全国各地を視察している途中、この地に立ち寄った。
 そのとき、この地域は水不足に悩んでいて、住民は作物が収穫できずに困り果てていた。その様子を見た武内宿禰は、白鷹の羽で作った矢を与え、水の神である罔象女神(みつはのめのかみ)を祀るようにと言った。そこで住人がこの白い矢を御神体として祠を建てて祈ったところ、水不足は解消され、作物も穫れるようになったというお話だ。
 その神社はいつしか白い矢の神、矢白神社(やしろじんじゃ)と呼ばれるようになり、この地区も「やしろ」となり、現在の上社(かみやしろ)、下社(しもやしろ)、一社(いっしゃ)などの地名はここから来ているという。
 その矢白神社が今の貴船神社の前身というわけなのだけど、いつどういうきっかけで貴船社となったのかがよく分からない。そもそもこの伝説もあとから付け加えられたお話という可能性もある。
 貴船社といえば、京都にある貴船神社が総本宮で、江戸時代あたりに勧請して建てられたとも考えられる。貴船社の方は、1662年創建というのが一応公式の見解ということになっているようだ。貴船神社の方が古いのだろうか。
 ここでも武内宿禰が登場しているというのは興味深い。名東区神社巡り第一回目に紹介した和示良神社の祭神が武内宿禰だ。あちらは武内宿禰の子孫が秀吉の時代に建てたという伝承が残っている。
 となると、貴船社も江戸時代より以前まで遡ることができるのかもしれない。京都の貴船神社も古くて格式のある神社だから、室町時代あたりに勧請したというのもあり得ることだ。
 ただし、京都貴船神社の祭神は、高淤加美神(たかおかみのかみ)で、水の二大神のもう一方なので、少し流れが違うようにも思う。
 罔象女神はイザナミが産んだ神で、高淤加美神はイザナギが迦具土神(かぐつちのかみ)を斬り殺した際に生まれた神とされている。
 いずれにしても、貴船社は水の神ということでよさそうだ。五穀豊穣祈願を主な目的として建てられ、村人たちに大事にされて現在に至っている。



貴船社境内

 貴船社も名東区の神社らしく高台に建っている。
 なかなかの空気感を持った神社だと感じた。



手水舎

 西日に照らされる手水舎。



朱塗りの鳥居

 朱塗りの両部鳥居。
 厳島神社の鳥居を小型化したような鳥居だけど細部は違っている。京都の貴船神社は両部鳥居ではないはずだけど、どうしてこの鳥居が採用されたのだろう。



拝殿

 社殿はいつのものかよく分からない。それなりに古そうではあるけど、戦後に再建されたものだろうか。



稲荷社の鳥居

 隣にはお稲荷さんもあった。
 朱塗りの鳥居は塗り直して間もないという感じだ。



境内からの眺め

 境内の上から見下ろしたところ。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「本郷駅」または「上社駅」下車。徒歩約30分。
 ・駐車場 あったようななかったような


貴船神社外観

 一社の貴船神社。訪れたのは別の日だ。
 こちらも坂道の途中の高台に建っている。



鳥居前と拝殿

 名前や祭神は同じでも、場所が変われば空気感も変わる。境内に足を踏み入れたときの感じがずいぶん違った。
 最初に訪れた貴船社の方が古い空気感に満ちているように感じた。



蕃塀

 貴船社にはなかった蕃塀(ばんぺい)がこちらにはある。ただ、けっこう新しいものに見える。
 社殿もコンクリート造りで、全体的に最近のものだ。



社務所

 こちらには授与所がある。



おみくじ結び

 おみくじが3つしか結んでない。まだ2月だから初詣のものが残っていてもよさそうだけど、いったん片付けてしまったのだろうか。



境内社

 摂社、末社も、アパートの中みたいな感じになっている。秋葉社とか津島社とか山ノ神社とかだったか。
 こちらの神社は近代化、合理化が進んでいる。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「一社駅」から徒歩約12分。
 ・駐車場 あったようななかったような

 名東区の神社巡りはちょっとややこしい和示良神社から <第1回>
 猪子石の地名の元となった二つの石を訪ねる 名東区神社第2回
 名東区に二つの神明社あり
 日吉と比叡と日枝と秀吉がつながった ~名東区神社巡り<第4回>
 竜神といっても水の神だったり大蛇だったり色々 <第6回>
 高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結
 高帝龍王神は陽の気を持った面白い小神社だった
 

カメラを持って歩けば何かは撮れる

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
牧野が池-1

Canon EOS 20D+Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS



 行く予定ではなかった牧野ヶ池に立ち寄って、池の周囲を少し歩きながら写真を撮った。
 何を撮るという当てがあったわけではなく、目についたものにカメラを向けてスナップ撮りをした。特にこれといった収穫はなかったものの、カメラを持って歩きさえすれば何らかの写真は撮れる。普段は車での移動がほとんどだから、歩くことの必要性を再認識する。
 犬とカメラは似ているところがある。どちらも散歩のお供にいい。歩く理由になる。
 このときは75-300mmの望遠レンズを持っての散歩になったのだけど、デジタルでは120-480mmだから、望遠側はいいとして広角側が足りない。80-200mm F2.8Lは、お散歩レンズとしては大きくて重すぎる。50-200mm f2.8とかで軽いレンズをTAMRONあたりが出してくれないだろうか。

牧野が池-2

 池の奥の方にカモたちが溜まっている場所がある。この日もたくさん集まっていた。
 ヒドリガモやホシハジロ、オナガガモが多い。キンクロハジロも見える。
 牧野ヶ池は、ヨシガモもいるそうだけど、一度も見たことがない。たぶん、池の真ん中の方にいるのだろう。こんな岸辺で他のカモたちと混ざってはいないはずだ。
 ここに集まっているには理由がある。

牧野が池-3

 どこにでも、何にでも、エサやりを趣味としている人はいるものだ。渡りのカモも例外ではない。
 コブハクチョウなども、完全に馴染んでいる。

牧野が池-4

 かなり遠くに見慣れないやつが一羽、ポツンと浮かんでいた。
 撮ったときは何者かよく分からず、帰ってきて写真を見たところ、カンムリカイツブリじゃないかと思う。あまり自信はないから、もしかしたら違っているかもしれない。

牧野が池-5

 ミコアイサを発見。手前の白いのがオスで、向こうのがメスだ。通称パンダガモというのはオスのことで、メスは白くないから人気薄だ。
 雨池では何度か見てるけど、牧野ヶ池で見るのは初めてだった。ここにはけっこういるという話だけは聞いていた。

牧野が池-6

 別の方向に目を向けると、集団でいた。オスが2羽、メスが6羽もいる。こんなにたくさんいるとありがたみがなくなる。
 みんな寝てて、頭がよく見えていない。
 それにしても遠い。この池は広すぎて普通の望遠レンズでは届かない。デジスコが圧倒的に有利だ。

牧野が池-7

 一眼が力を発揮するのは、こういう飛びもので、カワウの飛翔くらいなら楽に追いつける。
 デジスコで飛びものを撮ろうとすると、かなり練習しないと撮れない。難易度はマニュアル望遠レンズの比ではない。

牧野が池-8

 池のカモまでは遠すぎて面白くないから、下校中の中学生でも撮ってみる。
 中学生ってあんなに小さいんだと、最近つくづく思う。自分が中学生の頃は、もうほとんど大人と変わらないくらいだと思っていたのに。

牧野が池-9

 最近よく会うシロハラさん。去年まで2、3度しか見たことがなかったのに、最近はどこへ行ってもいる。
 昔は地面で跳ねてる鳥はスズメか、その仲間だろうくらいにしか思ってなかった。身の回りにこんなにもたくさんの種類の鳥がいるとは知らなかった。

牧野が池-10

 小さくて落ち着きのないエナガさん。ちょこまか、ちょこまか、休むことなく動き回って、なかなか撮らせてくれない。動きに翻弄されて、失敗写真を大量生産することになる。
 冬の時期はカラ類で混成チームを作っていることがよくある。このときは、エナガとシジュウカラが一緒にいた。メジロが加わっていることも多い。
 小さな群れを作って木から木へと移動して飛び回っている。夏はそういうことはほとんどなくて、冬場だけというのはどんな利点があるんだろう。エサの少なさと関係があるようだけど、実際どういうつもりなのかはカラたちに訊いてみないと分からない。

牧野が池-11

 道行く先にノラがいて、私に気づいて茂みに駆け込んだ。猫撮りも楽しみにしていたのに、結局この一回しか接触はなかった。
 もう3年くらい前になるか、すごく貫禄のある猫と出会って、もう一度あいつに会いたいと思っていて、会えずにいる。すごく顔が大きなノラで、ふてぶてしい面構えのいい猫だった。

牧野が池-12

 波打ち際は夕焼け模様。そろそろ帰る時間が近づいた。

牧野が池-13

 夕焼けキラキラの水面をバックに、シルエットのハクチョウを撮る。
 このあと、白美龍神社を再訪するために、ぬかるみの道を歩いてどろんこになって大変な目にあったのだけど、それはまた別の話。いずれそのことも紹介することになるだろう。
 今日のところはこれでおしまい。

4度目の農業センターしだれ梅は雨の中で傘を差しての片手撮り

施設/公園(Park)
農業センター1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8



 雨は夕方前にはやむでしょうという天気予報を信じて天白の農業センターへ向かうも、途中から雨脚は強くなり、着いたときには本降りとなっていた。昨日24日のことだ。
 こうなったら傘を差して撮るしかないということで、TAMRON 90mmマクロ一本で、しだれ梅を撮ってきた。気づけばここも、4年連続4回目となる。
 近所の梅の開花は遅いような気がしていたけど、農業センターのしだれ梅は早かった。しだれ梅まつりは28日(土)からなのに、それを前にしてすでに満開間近となっていた。
 去年はすごく遅くて、待ちきれずに3月10日に行ったらまだ6、7分咲きだった。今年は2週間以上も見頃が早まったことになる。しだれ桜まつりの最後まで梅が持たないかもしれない。
 毎年お馴染みの見慣れた光景だから、特に目新しい写真は撮れないだろうと思っていた。けど、雨が逆に幸いして、これまでとは少し違う視線で撮れたのは収穫だった。デジもレンズもなるべく濡らしたくはないけど、雨中の撮影にもいいことはある。

農業センター2

 せっかくの雨なのだから、雨降りらしい写真を撮りたいと思っていろいろ試してみたのだけど、これがなかなか難しい。歯が痛いのを人に言っても伝わらないもどかしさのようなものがある。雨の撮影は大変なんだよと力説しても、ふーん、と言われて終わりみたいな。
 自分は雨写真初心者だということを思い知る。どう撮ったら雨の写真になるのか、イメージができない。

農業センター3

 雨ニモマケズ、風ニモマケズの人がいる。私なんかとは気合いと根性が違う。カッパを着て撮っている人もいた。
 そういう気合いというのは、撮れた写真にもにじみ出るものなのかもしれない。逆に言えば、私の写真は軽くて甘い。
 いつか私も、梅の前で1時間も2時間もじっと梅を見つめたままシャッターを切らず、シヅカニワラッテヰル人になれるだろうか。

農業センター4

 雨そのものが写らないのになら、水滴を撮るというのはどうだろう。
 ちょっと雨らしい雰囲気は出た。ただ、雨が降っているという状況はこれでは伝わらない。

農業センター5

 バックに暗い竹林を持ってきて雨の筋を写そうと試みてみた。大きな写真で見ると確かに雨は写っているものの、縮小するとよく見えない。
 こういうときこそ、三脚を立ててスローシャッターで雨を写し込むという手法が有効なのだろう。歌川広重の「大はしあたけの夕立」がお手本となる。

農業センター6

 しだれ梅の繊細さは、藤の趣に通じるところがあって、日本人好みだ。もっと全国的に数が増えてもよさそうなのに、意外と数は少ない。育てるのが難しいのだろうか。
 あまり強い光が当たると情緒がなくなるし、雨だと少しくすんでしまう。うっすら日差しがある曇りの日がきれいな色が出て一番いいんじゃないかと思う。

農業センター7

 竹林との組み合わせもここの定番スポットの一つで、毎年挑戦していて、なかなか上手くいかない。竹林越しに梅林を撮るというのも、どうも雑然としてしまってよくない。
 だいたい毎年自分が撮りたいと思うポイントは一緒で、いつもここで撮るよなと思う。
 毎年同じ時期に同じ場所で同じ被写体を撮るというのは、自分の成長を確かめるには有効だ。去年の自分の写真を見返してみて、こんなに下手だったんだと思えれば、まずは成長してるということだろう。

農業センター8

 これは梅の木に止まるメジロを撮った一枚なのだけど、肝心のメジロがはっきり写っていない。中央あたりでおなかを見せているのがそうだ。
 その代わり、梅の木の枝がよかった。うねった枝に力強さがあって、この部分に惹かれた。偶然撮れた写真に、次へのヒントを見た。
 尾形光琳の「紅白梅図屏風」なども、花よりも幹や枝ぶりで梅を表現しているところがある。梅の美というのは、そういうところにもあるのだろう。花にばかり気を取られすぎていた。

農業センター9

 90mmレンズ一本ということで、一番寄れてここまでだった。メジロも雨に濡れて緑色というより灰色になっていた。
 たくさんのメジロが群れになって、枝から枝へと飛び移りながら、花の蜜を吸い回っていた。
 晴れた日にメジロ狙いでいっても、メジロのいい写真が撮れそうだ。
 梅に鶯(ウグイス)というのはまず現実的にはないことだろうけど、梅にメジロだってそれなりに絵になる。
 山の方ではそろそろウグイスが鳴き始めている時期だ。

農業センター10

 まだ枯れずに残っていたロウバイも、雨に濡れて更につややかになっていた。
 こういうのを撮ると、やっぱり雨でももっといろんな写真を撮らなくちゃなと思う。雨の情感というものも確かにある。

農業センター11

 マンサクも撮っておく。早春にいち早く咲き出した花たちも、そろそろ終わりが近づいた。2月の花も、これで最後くらいかなと思う。
 あと、福寿草だけはまだ心残りとして引っかかっているのだけど。

農業センター12

 たぶん、ハクモクレンのつぼみだと思う。コブシならつぼみの段階でも葉っぱはついているだろうから。
 ハクモクレンが純白の花を咲かせるまでには、もう少し時間がかかる。早くても3月の半ばくらいだろう。けど、しだれ梅を見に行ったときにもう咲いていたこともあった気がするから、もうそろそろ咲いてくるのかもしれない。
 シデコブシのことも忘れないようにしよう。

農業センター13

 唐突にヒヨコ登場。
 農業センターはその名の通り、農業に関するセンターだ。畜産関係の施設もある。いろんな種類のニワトリが飼育されていたり、名古屋コーチンのヒヨコが卵の状態から段階的に見られるようになっていたりする。
 昔は縁日でカラーヒヨコが売られていたり、学校でニワトリを飼っていたりして、ヒヨコを目にする機会がそれなりにあったものだけど、今はヒヨコを見たいと思ってもどこへ行けば見られるか思いつかない。そういう意味では農業センターは貴重な場所と言える。
 ヒヨコもなかなかにかわいくて、ついつい見入ってしまう。ぼぉーっとしてるかと思ったら突然走り出し、エサをつつきながら目をショボショボさせて寝てしまったり、チビ同士でつつき合いをしたりと、いかにも子供らしいしぐさがキュートだ。
 こいつは一番生意気そうな顔つきで笑えた。ヒヨコは正面から撮ると面白い顔になる。

農業センター14

 映り込みセルフポートレートでしめくくり。2月だというのに梅は満開だし、私はセーター一枚だし、ちょっと季節感が狂っている。
 帰る頃になってようやく雨があがった。せめてあと30分早くやんでくれたらよかったのにと思いつつ、雨中撮影を勉強できたからよしとしよう。
 梅撮りも、これで今シーズンは終わりだろうか。結城神社は来年のお楽しみということで取っておこう。梅自体はもう少し咲き続けるから、どこかへ行ったときに咲いていたら、そこではまた撮ることになるだろう。
 来週はもう3月だ。季節の目盛りがまた一つ動く。花撮りはここから5月までが一年で一番忙しい時期になる。今年はここまで先行できているから、季節の変化を見失うことなく、4月いっぱいは息切れせずについていきたい。

庄内緑地後編は2月の花と夕方風景

施設/公園(Park)
庄内緑地2-1

PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8 SP / DA 16-45mm f4 / SIGMA 400mm f5.6



 庄内緑地後編は、今咲いている花を中心とした写真となる。
 2月なのに終わりかけの桜の写真なんか出してどうしたと思ったかもしれないけど、これは冬桜で、1月と4月に二度咲く桜だ。1月の終わりから2月の始めくらいが見頃で、私が行ったときはもう終盤できれいな花があまり残っていなかった。
 冬桜といっても何種類かあるようで、尾張旭で咲いているものと比べるとピンク色が強い。尾張旭のはもっと白かった。
 場所は、第一駐車場の土手の上で、20本かそこら植えられている。まだ木が若いから、育つともっときれいになるだろう。

庄内緑地2-2

 冬桜らしく、遠目で見ると花が小振りで地味な印象を受けるものの、近づいてみると華やかだ。
 もっと状態がいいときに写したらフォトジェニックな桜に違いない。

庄内緑地2-3

 ポツリと一本だけ植えられていた、しだれ梅。近くには普通の白梅もあって、そちらも満開だった。
 ここのところの暖かさで開花が進んで、雨降り続きでずいぶん花びらを落としてしまっていた。

庄内緑地2-4

 雑木林の中で咲いていた紅梅。
 近くの梅園の梅はまだ咲き揃っていなくて、これからという感じだった。同じ場所でも環境によってか、木の種類によってか、開花の時期に差がある。
 今年の梅は早いんだか遅いんだかよく分からない。

庄内緑地2-5

 マンサクはもう終わりだ。花は咲いた姿を保っているけど、もうツヤがなくなっている。最初はもっと新鮮な黄色をしている。
 枯れ葉がついていないから、日本産のマンサクだ。枯れ葉がついていればシナマンサクだと分かる。

庄内緑地2-6

 アイスランドポピーというから、アイスランドの花かと思ったら違った。原産はユーラシア大陸の北部らしい。もしかしたら、アイスランドでも咲いているのかもしれないけど。
 普通のポピー(ひなげし)よりも大柄で、寒風に吹かれてユサユサ揺れながら元気に咲いていた。寒さは得意のようだ。その分、厚さには弱く、暖かくなってくるともう咲いていられない。
 ポピーはバラの季節に咲く。バラを見に行くと、ポピー畑をよく見る。

庄内緑地2-7

 見覚えのあるようなないような花。名前は知らない。
 この日咲いていたのはこんなところだった。
 グリーンプラザという小さな温室があって、そこには他にもいろいろ咲いていたのだと思う。月曜日は定休で入ることができなかった。

庄内緑地2-8

 だいぶ日も傾いてきたところで、少し人入り写真を撮って帰ることにする。

庄内緑地2-9

 年齢を重ねるほど、みなさん歩くのが好きになるようで、公園でも緑地でも池でも川でも、散歩しているのは年配の人ばかりだ。若者は散歩していない。
 その中間にいる私は、両方の気持ちが分かる。若いときは無駄に歩こうとは思わないし、歳を取ると健康のために歩かなくてはいけないと思い込んでしまいがちだ。
 歩くのは健康にいいというのもあるけど、歩いてみせることが健康の証明になっているようなところもあるんじゃないかと思う。一度歩き始めると、やめたら負けと思うのかもしれない。

庄内緑地2-10

 逆光の噴水広場で、最後にもう一枚撮って終わりにした。
 明るいうちに名古屋城裏に寄って撮りたいというのもあって、日没前に庄内緑地をあとにする。

庄内緑地2-11

 前回訪れたときよりも堀の水は増えていた。ただ、カモたちの姿は今回も少なかった。夕方でねぐらに帰っていったというのがあるにしても、以前はもっとたくさんいた。
 ちょっと気がかりだ。

庄内緑地2-12

 コブハクチョウは2羽いた。
 さりげなく近づいてきたけど、私は猫のカリカリしか持っていない。あげるものはなかった。
 猫は見かけなかった。みんなどこかへすっこんでいたのだろう。

庄内緑地2-14

 思ったほど空が焼けず、このあとすぐに暗くなってしまった。
 空を飛ぶのはカワウかカモか。

 トラフズクは残念だったけど、またチャンスもあるだろう。行かないまま季節が過ぎて気になるより、行って見つからなかった方が気持ちはすっきりする。
 今回の庄内緑地編はこれにて終了となる。近々行くことがあったら、私の代わりにトラフズクを見つけてください。ポイントとしては、休日とか午前中とか、鳥の人がいそうな時間帯に行くことです。訊ねればきっと教えてくれるはず。

自力ではトラフズクを発見できずその辺の鳥を撮る 庄内緑地前編

施設/公園(Park)
庄内緑地1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / SIGMA 400mm f5.6



 2月になるといつも思い出すのが、庄内緑地のトラフズクのことだ。毎年この時期になると庄内緑地にやって来て、春が来るまで滞在していく。
 初めての出会いは2006年。きっかけは中日新聞に載ったことだった。それ以前にも毎年訪れていたそうだけど、その頃はまだ鳥にそれほど興味もなく、トラフズクという存在そのものを知らなかった。
 2007年も続けて見て、去年は出会えず、代わりにフクロウと出会った。
 そして2009年の今年、もう一度会いにいったのだった。
 しかしながら今回は行く前から期待薄だった。単独というのもあったし、平日では鳥の人もいないだろうから、教えてもらうこともできない。自力で見つけるのはほとんど不可能に近いことは分かっていた。この木の上にいると教えてもらっても、なかなか見つけられないくらいなのだから。
 結果は、案の定見つけることができなかった。上を見ながら歩いていても、見つかる予感はまるでなかった。今日は風が強い日で、木の枝がバサバサ揺れていたのも見つけづらい要因だった。トラフズクは常緑樹の木の葉っぱの中で寝てることが多い。枯れ枝に止まっていればもう少し見つけやすいのだろうけど。
 そんなわけで、今日はトラフズク抜きの2月の庄内緑地風景をお届けします。枚数が多くなったので、前後編に分けることにした。
 前半はまず、風景と鳥ということで。

庄内緑地1-2

 噴水は暖かいときだけだろうか。周囲に水が流れているだけで、水の噴き出しはなかった。冬場に噴水を見せられても、かえって寒々しいだけか。
 でも、ここは夕方に行くと真逆光になる角度で、写真に撮るにはいいポイントだから、私としてはけっこう楽しみにしてるのだ。子供とかが噴水の中に入って遊んでいる姿は絵になる。

庄内緑地1-3

 池の中州ではマガモのペアがひなたぼっこをしていた。いや、特にひなたぼっこをしているという自覚はなかったかもしれないけど。
 マガモのグリーンも、光を浴びると見事なきらめきを見せる。マガモなんて全然ありがたがられない渡りのカモだけど、よくよく見ると自然の造形美をそこに見いだすことができる。マガモもどきのアオクビアヒルとはグリーンの輝きが違う。

庄内緑地1-4

 こちらはアヒルの仲間たち。カモも入り交じっていたかもしれない。
 一角に集まってバシャバシャ騒いでいて何事かと思ったら、なるほど、そういうことか。

庄内緑地1-5

 たくさんの鳥たちを手なずけている人と、手なずけられる鳩やスズメや、アヒルやカモさんたち。
 そういえば、ユリカモメの姿がなかった。冬の庄内緑地というと、ユリカモメの一派が強い勢力を持っているのに、今日はまったくいなかった。今年はどこへ行ってもユリカモメに会わない。帰りに寄った名古屋城裏の堀にもいなかった。

庄内緑地1-6

 逃げるヒドリガモ。逃げないでーという心の叫びも届かない。
 彼らはエサもらいに参加せず、岸近くでエサを探していた。私が近づいていったら離れていった。
 郊外の鳥ほど警戒心が強く、街中の鳥ほど人を恐れない。

庄内緑地1-7

 庄内緑地は、名古屋城の北西にあり、名古屋駅からも直線距離で5キロくらいだから、タワー群が大きく見える。
 夜の庄内緑地を訪れたことはないけど、名駅方面の夜景を撮っても面白い場所なんじゃないか。
 庄内緑地手前の庄内川橋からは、御嶽山が大きくくっきり見える。高い位置にあるようで、うちからは見えない裾野近くまで姿を現している。あそこからも一度撮ってみたい。

庄内緑地1-8

 最近よく会うシロハラだと思う。ちょっとピントが甘い。
 ツグミもよく見かけた。

庄内緑地1-9

 お、私にとってこれはファーストコンタクトだ。シメじゃないかと思うけど、どうだろう。
 シメとかツミとかイカルとか、そのあたりは図鑑や写真でしか見たことがないので、自分の中で区別がついていない。太くて短いクチバシの鳥は、全般的に馴染みが薄くて分からない。
 もう少し近づいて大きく撮りたかった。600mm換算の望遠レンズでも、ここまでしか寄れなかった。

庄内緑地1-10

 スズメも撮ったりしつつ。
 スズメの数が減ったという話を聞いて以来、スズメをもっと撮っていこうという気持ちが強くなった。被写体としての可能性はある。

庄内緑地1-11

 トラフズクはいないなぁと思いつつ、小物でも撮ってみる。枝が邪魔してよく見えないけど、ヒヨドリか。
 トラフズクもこんな感じで止まっていたら分かりやすい。でも、昼間は睡眠の時間だから、こんな無防備なところには止まらない。

庄内緑地1-12

 帰るときにもう一度小さい方の池を見ていくことにしたら、これが正解だった。運良くカワセミと出会うことができた。
 トラフズクの代わりにはならないまでも、一応の収穫を持ち帰ることができたので、これでよしとした。
 去年も庄内緑地でカワセミは見た。あれと同じやつかもしれない。

庄内緑地1-13

 今日も懲りずに単焦点400mmのマニュアルレンズを持っていったのが、最後の最後でアダとなった。
 せっかくカワセミの捕食シーンを撮るチャンスが訪れたのに、K10Dとマニュアル400mmでは、とてもじゃないけどスピードについていけなかった。連写もピントも間に合わず、露出も合わせる余裕がなかった。もったいないことをした。こういう機会はなかなかないのに。
 まあでも、雰囲気だけでもお伝えしようと、この写真も出しておく。カワセミの補食シーンは今後の課題として残った。

 庄内緑地後編は、花を中心に、名古屋城裏の夕焼けをあわせてお届けします。
 明日に続く。

はんぺん料理の前にはんぺんを作ることから始めるサンデー

料理(Cooking)
はんぺん作りサンデー

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理のメインテーマは、はんぺん作りだった。そんなものどこにあるんだとあなたは言うかもしれない。ほら、目の前にあるじゃないですか。ふりかけが乗ってる茶色いやつ。
 ……。
 どうしてこういうことになったのか、順を追って説明しよう。
 まず、はんぺんを家庭で作れるかというと、これは簡単に作れる。いや、簡単というか手間暇はかかるけど、複雑なものではないと言い直すべきか。
 基本は魚のすり身と山芋のすり下ろしをよく混ぜて、ダシと塩で味付けをして、形を整えて10分ほど茹でれば出来上がりとなる。言葉で書くと、とても易しそうに思える。実際、この通りにすればすり下ろしの手間以外は簡単にできる。
 ただし、私の場合、レシピ通りにやらず、勝手にアレンジを加えて尚かつオレ流に作ろうとするからおかしくなる。
 まず、もっとふわふわにしたいということで、卵白を加えてみた。更に白身だけでは味が物足りないだろうと、エビも入れることにした。下味もしっかり付けるべしと、しょう油、酒、みりん、砂糖、塩、コショウ、ダシの素を入れてみたところ、思いのほかしゃびしゃびになってしまった。練り物というよりも、スポンジケーキを焼く前よりももっとしゃびしゃびな感じで、とてもではないけど茹でられそうな感じがなかった。
 考えて、ケースに入れて、レンジで加熱することにした。この段階でもはやはんぺんではなくなっている。
 5分ほど加熱したらいい感じに固まったので、仕上げとして魚焼きグリルで焼いてみることにする。両面をじっくり焼いて、焼き色を付け、表面に、しょう油、カラシ、酒、みりんを混ぜたものを塗ってみた。
 で、最終的に茶色い焼きはんぺんが完成したというわけだ。はんぺんもどきと言わないと紀文からクレームが来るか。
 これがはんぺんの範ちゅうに入るかどうかは別にして、なんだか非常に美味しかったのをお知らせしておきたい。狙い通り、普通のはんぺんよりもふわふわ食感で、エビの味も効いていた。実際、これは美味しいと思う。
 機会があれば、もう一度作って、自分のレパートリーに加えたい。

 右の団子は、サトイモと豆腐の団子だ。団子料理もサンデーの中ではたびたび登場している。これまでたくさんの団子を作ってきた。どんな料理が得意ですかと訊かれたら、団子料理と答えよう。
 何かもう一品足りないというときは、ついつい団子料理にしてしまいがちだ。素材の形そのままで食べられるものも、団子にして食べた方が好きだから。
 サトイモを乱切りしてレンジで加熱してつぶし、豆腐は水抜きをして砕く。それをよく混ぜ合わせて、団子状にして、塩、コショウ、しょう油で下味をつける。表面にカタクリ粉をまぶして、揚げ焼きにする。
 たれは、塩、コショウ、しょう油、ダシの素、酒、みりん、カラシで、フライパンに入れて焼く。
 最後に卵を回し入れて、表面に絡めて完成となる。

 一番奥は、本格インド風スープカレーだ。
 インドのカレースパイスというのをもらったので、どんなものかと一度使ってみた。相当スパイシーで辛い。でも、美味しい。インドカレーってこんな感じかもと思わせる味だった。
 ジャガイモ、ニンジンはレンジで加熱してある程度火を通して、タマネギと鶏肉をオリーブオイルで炒める。
 ジャガイモ、ニンジンもフライパンに加え、小麦粉と白ワインを振り入れながら炒める。その後、水とカレースパイスを加えて、煮込んでいく。味付けとして、しょう油、唐辛子、塩、コショウ、砂糖、ショウガ、ニンニク、コンソメの素も入れる。
 あとから、キャベツ、ほうれん草、ブロッコリー、エリンギも加えた。このへんは適当にあるものを何でも入れてしまえばいい。

 今日のサンデーは、作り手としても食べる側としても、満足度の高いものとなった。両方のバランスがよかった。本格インドカレーも美味しかったし、自己流はんぺんもどき作りも面白かった。
 団子の課題としては、どうすればもっとまん丸に仕上がるかというのがある。どうしても不格好になってしまうのがちょっと気に入らない。もっと美しく球体にしたい。何か小道具が必要なのだろうか。
 はんぺん作りは、自分で作ってみようシリーズの一つで、今後もこのシリーズには可能性を感じた。完成したものを店で買うのが当たり前と思っているものも、家で作ろうと思えば作れるものは多い。たとえばソーセージなんかも、詰める袋のパーツさえ手に入れば好きなものが作れる。あれは何かの腸だと思うけど、他のものでも代用できるんじゃないか。
 ちくわだとか、こんにゃくだとか、作れそうなものがいくつかイメージとしてある。豆腐だって作ろうと思えば作れるはずだ。
 料理以前に食材を作るというのは趣味の料理らしくていい。もどき料理シリーズとともに、これもシリーズ化していくことにしよう。
 料理は下手だけど、いろんな食材を作れる男というのも、ある意味格好いいではないか。昨日、はんぺん作ったんだけど、ちょっと作りすぎたから、よかったら食べて、とみんなに配ったら喜ばれるかもしれない。

余った写真を集めて花鳥風月

自然(Natural)
日常写真-1

FUJIFILM S3pro / Canon EOS 30D / PENTAX K10D



 最近神社ネタが多くなっていたから、今日はちょっと息抜きで日常写真をお届けします。訪問して、一枚目の写真が神社の鳥居じゃなくてホッとしたという人もいたかもしれない。あるいは、また神社かよ! と、突っ込めなくて残念に思った方もいただろうか。
 残りかすというわけではないけれど、使い切れなかった写真というのが少しずつ溜まっていく。一回の写真枚数は、なるべく10枚くらいに抑えようと思いつつ、捨てがたくてつい多くなってしまいがちだ。最近は12枚とか13枚くらいの日が多い。
 それでも使い切れずに余っていくから、どこからそういう写真たちに日の目を見せたいといつも思っている。自分のために撮っている写真でも、自分一人で見るだけでは楽しめない。人に見てもらって初めて捕った貝が……って、私はいつ貝を捕ったんだ。そうじゃなくて、撮った甲斐があったと思える。
 今日の一応のテーマは、花鳥風月ということにして、一枚目には風を持ってきた。風表現も、いつもしてみたいと思っていることの一つではあるのだけど、なかなか難しい。どこかに風に吹かれている姿が似合う人はいないだろうか。

日常写真-2

 尾張旭の長池のほとりに咲く冬桜。毎年この場所で、冬から春にかけて小振りの花を咲かせている。
 冬に咲く桜の花は、春ほど華やかではなく、儚げで、でも寒風に晒されながら凛としている。
 あとひと月もしたらソメイヨシノも咲いてくる。その頃には、冬桜は役目を終えて、ひっそりと花を散らせている。

日常写真-3

 梅も景気よく咲いているところでは咲いている。咲いていないところでは意外なほど咲いていない。
 梅というのは、場所によって開花時期がかなり違うことを、今年あらためて知った。季節の先頭で花を追いかけていると、花の咲く速度が分かる。
 今年は先行逃げ切りタイプで花を追いかけていきたい。ビワハヤヒデ・オオタと呼んでください。

日常写真-4

 椿もそろそろ終わってしまっただろうか。これは東山植物園で撮った一枚だ。
 椿とサザンカと寒椿の区別も、つくようになったようなならないような、まだ確信を持って言い当てられるところまではいっていない。
 椿姫彩菜さんも、自己申告してもらわないと見破ることはできない。

日常写真-5

 シジュウカラは留鳥なのだけど、冬場によく見るから冬鳥のイメージがある。一説では国内で大がかりな移動をしているという話もあるから、夏にあまり見かけないというのは実際にいないのかもしれない。冬場は公園などにもよく姿を現す。
 漢字で書くと四十雀となる。雀40羽分の価値があるからとか、始終動き回っている雀に似た鳥というところから来ているなどと言われる。

日常写真-6

 久しぶりに大物と接近遭遇。東山の森にいた。
 最初はトンビかとも思ったのだけど、市街地に近いこんな雑木林の中でトンビは見ない。大物の予感を感じながらゆっくり近づいていったら、すぐに気づいて飛んで逃げてしまった。
 ノスリじゃないかと思うのだけどどうだろう。
 もう少し障害物がない近いところから撮りたかった。せめて目が分かるくらいの距離で。

日常写真-7

 どこかの神社にいた黒猫さん。うちのアイより貫禄があって、毛並みも黒々している。
 近づいても逃げなかったから、近くの人にご飯をもらってるんじゃないだろうか。このときはカリカリの持ち合わせがなかった。

日常写真-8

 晴れの日があれば曇りの日もあり、曇りのち晴れの日もある。
 厚い雲の切れ間から降りそそぐ光のシャワーは、この世界に対する天の祝福のように感じる。

日常写真-9

 雨の日もある。
 今年はここまでまだ雪の写真を撮れていない。何しろちょろっと降っただけで、一度も積もっていないから撮りたくても撮れない。このまま積雪なしで冬が終わってしまうのだろうか。一日くらいは積もった景色を見てみたい。そうじゃないと、しっかり冬を感じられない。

日常写真-10

 突然思い立ってホットケーキを焼いて食べてみたり。
 マヨネーズを入れるとふっくら仕上がるというので試してみたら、ぺたんこになった。
 何が悪かったんだろう。
 陥没したホットケーキ、それもまた人生だ。

日常写真-11

 オレンジロードはきまぐれか否か。

日常写真-12

 花鳥風月の最後は月で締めくくりとなる。
 余った写真でつなぎ更新みたいになったけど、これはこれで悪くない。今後とも、こういう日も作っていこうと思う。そのためにあえて写真を余らせておいてもいい。
 明日はサンデー料理で、来週からはまた神社ネタが続くことになりそうだ。ジンジャーの方はお楽しみに。

日吉神社と比叡山と日枝神社と秀吉がつながった <名東区神社めぐり>

神社仏閣(Shrines and temples)
日吉神社鳥居前




 名東区の神社巡り。今回は日吉神社(ひよしじんじゃ)を紹介します。
 ここの場所を説明するのが難しい。上社2丁目の名東区役所の西といって分かるのは地元の人くらいで、地下鉄東山線の上社駅と本郷駅の間の北側といえば名古屋の人ならある程度場所のイメージが掴めるだろうか。けっこう奥まったところにあるから、名東区民でなければこんなところまで入ってくることはほとんどなさそうだ。一方通行の細い道が多くて、ゴタゴタしている。
 駐車場はなさそうだったから、路上にとめておくことになる。そうなると、ゆっくり参拝できないのが残念なところだ。



日吉神社鳥居

 名東区の神社の特徴として、ほとんどが高台に建っているというのがある。起伏のある土地柄というのもあるのだろうけど、坂道の途中にあって、北に向かって階段を登っていくというパターンが多い。
 鳥居や拝殿は南向きが一般的で、たまに東向きとかあって、ちょっと違和感を感じたりもする。特別な理由がなければ、たいていの神社は南向きに建っている。北向きや西向きはほとんどない。



日吉神社参道

 前半は階段ではなく坂道だ。
 途中にある二の鳥居は朱塗りになっている。
 このあたりから、しんとした空気が満ちていて、なかなかいい感じだなと思った。



日吉神社狛犬

 狛犬を撮ったりしつつ拝殿を目指す。



日吉神社蕃塀

 ここにもあった、蕃塀(ばんぺい)。
 尾張地方特有のもので、けっこうあちこちで見かける。階段を登り切ったところで立ちふさがるように建っている。悪いものが入ってこないための結界の役割をしているというのが一般的な説のようだ。
 蕃塀マニアさんによると、古くは伊勢の神宮に建てられたものが始まりで、それとは別に尾張の真清田神社から発生して、国府宮神社熱田神宮津島神社などがそれに続き、次第に尾張地方全域に広がっていったという経緯らしい。
 社殿を囲む透垣の一種という見方もあるようだ。



日吉神社拝殿

 拝殿前に到着。
 昭和40年に社殿を改築したとあったから、拝殿もそのときのものだろう。古くはないけど、社殿はやはり木造の方が好感が持てる。耐久性や防火を考えるとコンクリートなのだろうけど。
 創建年数が不明というのも名東区の神社の特徴となっていて、ここも江戸時代初期ということだ。
 上社一帯の土地開拓守護神として、滋賀県大津市の日吉大社から勧請して建てたのが始まりという。
 元禄7年(1694年)にはすでにあったというのが分かっている。
 ちなみに元禄7年というと、高田馬場の決闘があった年だ。

 ここで少し、日吉神社について勉強しておこう。
 日吉神社では、大山咋神(オオヤマクイノカミ)と、大巳貴神(オオナムチノカミ)を祀っている。
 大巳貴神は、大国主(オオクニヌシ)と言った方が通りがいいかもしれない。アマテラスの前に地上を支配していた王で、アマテラスに国譲りをして、のちに出雲大社の神となった。
 大山咋神は、もともと近江(滋賀)の日枝山(ひえのやま、のちの比叡山)一帯をおさめる山の神だった。
 滋賀の日吉大社では、東本宮に大山咋神を祀り、西本宮に大己貴神(大国主神)を祀っている。最初にあったのは、それとは別の牛尾山山頂の奥宮で、東本宮は里宮として創建されたらしい。ただし、その年代は崇神天皇7年というから紀元前90年ということになる。どこまで本当なのかよく分からない。
 その後時は流れて、688年、大津京を守る神として大神神社の大己貴神を勧請して、それが大山咋神よりも格上だというので、そちらを大宮と称するようになる。
 平安京遷都によって、日吉大社は都の鬼門に当たることから、鬼門除けの神社として出世することになった。
 日吉神社の神が全国区になったのは、最澄のおかげだ。比叡山に延暦寺を建立した際(806年)、古くからこの山の神だった大山咋神を寺の守護神とした。
 比叡山の王ということで山王と呼ばれ、また、天台宗の本山に祀られていた山王元弼真君にちなんで山王権現、日吉山王や日吉権現などとも呼ばれるようになった。天台宗が興した神道の一派を山王神道という。
 天台宗の布教活動の中で、山王権現(日吉権現)も全国に広まり、日吉神社も増えていった。
 太田道灌も、江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して日枝神社を建てた。
 日枝神社は、江戸時代には徳川家の氏神となり、明治以降は皇居の鎮守ともなり、ますます権威は高まっていった。もともとは一地方の山の神だったのが、大出世をしたのだった。
 現在、全国にある日吉大社系列の神社は、2,000社とも3,000社とも言われている。



日吉神社授与所

 社務所は2004年(平成16年)に建てられたものだそうだ。



日吉神社社殿

 なかなかにカッコイイ神社だ。男前な感じがする。



日吉神社境内社

 摂社、末社も並んでいる。
 近いうちに紹介する貴船社とも関係があるようで、明治44年に合祀したという説明書きがあった。



日吉神社と西日

 西日に照られる社殿。



日吉神社社殿を上から見る

 社殿の全体。



日吉神社-12

 いろいろと石碑が並んでいる。神仏習合の頃の名残だろうか。



日吉神社-13

 名東区の日吉神社については、あまりはっきりしたことが分からず、多少モヤモヤが残ったものの、日吉大社や比叡山、日枝神社が自分の中でつながったというのは意味がある。なるほど、そういうことだったのかと、話の流れが理解できた。
 比叡山は信長の焼き討ちにあって、日吉大社も一度は消失している。それを復興したのは秀吉だった。日吉大社の神の使いは猿で、自身が猿と呼ばれ、幼名が日吉丸だった秀吉にとって、日吉大社には特別な思いがあったのだろう。どうして延暦寺をそんなにムキになって建て直したかったんだろうと疑問に思っていたけど、延暦寺の僧たちを救うというよりも、日吉大社を再興させたかったのだと考えれば納得がいく。
 ただ、日吉丸という幼名はのちの創作という話もあるから、そうなると、秀吉と日吉大社とのつながりはやや怪しくなるか。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「上社駅」または「本郷駅」から徒歩約7分。
 ・駐車場 なし
 ・拝観時間 終日
 

名東区に二つの神明社あり

神社仏閣(Shrines and temples)
猪子石神明社入り口




 今日は名東区の神社巡りシリーズ第3回、二つの神明社編をお送りします。
 同じ区内に同じ名前の神社が二つあると紛らわしい。守山区には二つの八剱神社があるように、名東区には二つの神明社がある。片方を猪子石神明社、もう一方を藤森神明社と呼んで区別している。
 これは、神明社が伊勢神宮の神社であることと無関係ではない。伊勢神宮の正式名称はただの「神宮」だ。もともと神宮は伊勢のものがあっただけで、のちにあちこちに神宮が建てられるようになったので、区別するために伊勢神宮と呼んでいるに過ぎない。
 神明社(しんめいしゃ)も同じで、多くはその土地の名前が頭につけられている。神明神社(しんめいじんじゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)も同じグループの神社だ。
 伊勢神宮を総本社とする神明社系の神社は、全国に5千とも1万5千以上あるとも言われている。
 神明社の神明は、基本的に天照大神(アマテラスオオミカミ)を指す。場合によっては神そのものを指すこともある。
 神明神社は、太陽の神であり、農耕の神でもあるアマテラスを祀るため、江戸時代に入って全国で大増殖した。本来は天皇家の祖神であるアマテラスを一般庶民が祀ることは許されなかった。
 猪子石神明社や藤森神明社も例外ではなく、江戸時代以降に建てられたものだ。全国の神明社も、江戸時代以前に創建されたものは少ない。
 そんな予備知識を仕入れつつ、まずは猪子石神明社から見ていくことにしよう。



猪子石神明社鳥居と拝殿

 鳥居は大きく分けると、神明鳥居(しんめいとりい)と明神鳥居(みょうじんとりい)とに分けられる。その中で細かい分類があるわけだけど、名前の通り神明鳥居は神明社にあるタイプをいう。
 地面に対して垂直の足と、平行の笠木と貫を持つのが特徴だ。笠木というのは上の平行棒で、貫は下のものをいう。
 直線的で飾り気のない神明鳥居に対して、明神鳥居はカーブを描いた笠木や、ややハの字になった柱など、装飾的な特徴を持っている。笠木の下に島木がある二重構造になっているというのもある。
 猪子石神明社の鳥居を見ると、両方の特徴が混じった鳥居になっている。ちゃんと知った上であえてこの形にしたのか、それとも自分の好みにアレンジしてしまったのか。
 この神社自体は古いものの、建物全般は新しいから、昔の様式を守っていない可能性はある。
 拝殿や本殿も、正式の神明造(しんめいづくり)になっていないように思うけどどうだろう。神明造の正確な定義を私がよく分かっていないだけかもしれない。



拝殿横から

 874年に香流川沿いに創建されたのが猪子石神明社の始まりだという説があるようだけど、それはどうだろう。平安時代、こんなへんぴなところにアマテラスと豊受大神(伊勢神宮外宮の神様)を祭神とする神社を建てただろうか。アマテラスが一般開放されたのは、朝廷の力が弱くなった中世以降のことだ。お許しが出ないと勝手に建ててはいけなかったはずだ。
 江戸時代初期の1620年前後に、洪水を避けるために今の場所に移したというから、それが実質的な創建なんじゃないだろうか。もしそれ以前に香流川沿いに神社があったとしたら、それは神明社ではなく土地神を祀ったものだっただろう。
 1773年に村人が集まって、今の場所に移したという話もあって、それが一番確実性が高そうではある。そのとき神明社にした可能性は考えられる。
 いずれにしても、江戸時代から猪子石の氏神様であったことは間違いなさそうだ。
 現在の社殿は、昭和39年に改築されたものだ。



境内社

 本殿脇に、龍耳社(りゅうじしゃ)というのがある。耳がある龍を祀っているらしく、全国的にも珍しいそうだ。言われてみると一般的に描かれている龍には耳がない。
 説明板によると、明治の初めに碧南の畑市左衛門が弁天池で耳のある蛇を生け捕りにして、それを神として祀ったのが始まりだという。
 ヘビか。龍じゃないんだ。
 なんでも耳に御利益があるそうで、耳問題で困っている人は一度お参りしてみるといいかもしれない。
 他には、八剱社、須原社、津島社、山神社、御鍬社などの末社がある。



神明社資料館

 向かって右手には神明社資料館というものが建っている。この地方に古くから伝わる馬具や棒の手の武具などを所蔵していて、毎月第一日曜日の午後3時から午後4時まで、正月三が日、秋祭りの日などに一般公開されているそうだ。
 すぐ西には月心寺があって、猪子石神明社とあわせて、室町時代にここに猪子石城があったと伝わっている。
 天白の植田城城主だった横地秀綱の子孫、横地秀次が築城したとされる城で、小牧長久手の戦いに池田勢として参戦して戦に負けて、城を捨てて美濃の方に逃げていってしまったらしい。城は徳川勢に焼かれて廃城になったという。
 遺構は何も残っておらず、当時の面影を偲ばせるものもない。



石碑

 寄進者の八百政は、友人のうちで、少し前までスーパーマーケットをしていた。昭和39年の改築のときに、神明社の石柱を寄進したらしい。年代からすると彼の祖父だろう。

【アクセス】
 ・名鉄バス「引山バス停」から徒歩約5分。
 ・名鉄瀬戸線「喜多山駅」から徒歩約45分。地下鉄「上社駅」から徒歩約50分。
 ・無料駐車場 あり(神社裏手)
 ・拝観時間 終日



藤森神明社入り口

 所変わって、こちらは藤森の神明社。
 町名でいうと、藤森より東の本郷1丁目となる。本郷公園のすぐ北側だ。
 一の鳥居からずいぶん奥へ進んだ高台にある。以前はここより西の低いところにあったそうで、そのときに藤森神明社と呼ばれているのだろう。
 鳥居は素朴な神明鳥居の様式だ。
 ここも創建年ははっきりしていない。境内には「和尓良以神旧墟」という石碑があるから、前に紹介した和示良神社と関係があるようだ。



境内を進む

 民家の脇の抜け道を通るようにして社殿のある方に進む。映画館で映画が始まったと思ったら、まだ予告編だったときみたいな感じがした。まだここは神明社が始まっているようで始まっていない。
 このあたりの区画整理もよく分からない。道は東西南北に伸びていなくて、曲がったりくねったりしていて、きちんと整理されていない。こんなところまで入って来たことがなかったから、方向感覚がよく分からなかった。



拝殿前

 ようやく拝殿前に到着した。二の鳥居をくぐったところから本番で、すぐにクライマックスとなる。それ以上はない。社殿のある境内は広くない。
 拝殿は一応神明造といえばそうか。ここの社殿は昭和45年に新造されたものということで、新しい。
 藤森の神明社については、猪子石以上に情報が少なくて、ほとんど調べがつかなかった。本格的に知りたければ、名東図書館へ行って調べる必要がある。それでもどれだけ資料があるかどうか。
 本郷、藤ヶ丘、豊ヶ丘あたりの氏神様ということだ。創建は江戸時代だろう。



英霊社

 神明社に英霊社はつきものなのだろうか。猪子石神明社にもあった。
 第二次大戦の英霊を祀るのは、天皇家のアマテラスだから、ということか。



高台からの眺め

 高台にあるから、東山方面を見渡すことができる。
 このあたりは曲がりくねった道に加えて、坂が多いところだ。



藤森城跡

 南の本郷公園から神明社にかけての場所に、藤森城があったらしい。正確な場所は定かではなく、城主とされる小関三五郎は、少し西の石ヶ根に居を構えたというから、城はそっちにあったのかもしれない。
 小関三五郎も池田方についた武将で、猪子石城の横地秀次とは逆に、戦に敗れてこの地に落ちのびてきて土着した。
 ここで再起を果たそうとしたものの、戦の傷もあり、家臣も去り、やがて命を落とし、藤森城も廃城となったとされる。

【アクセス】
 ・地下鉄「本郷駅」から徒歩約10分。
 ・駐車場 たぶん無し
 ・拝観時間 終日

 名東区の神社巡りシリーズも、次回からは後半に入る。日吉神社二つの貴船社高牟神社などを残すのみとなった。
 貴船社などは、織田信長の家臣だった柴田勝家ゆかりの場所ということで、そちらと絡めて紹介しようと思っている。
 

今日は会うことができたミコアイサだけど相変わらず遠くて小さい

野鳥(Wild bird)
雨池鳥撮り-1

PENTAX K10D+SIGMA 400mm f5.6



 去年の暮れから雨池のミコアイサのことがずっと気になっていた。二度見に行って二度ともいなかったから、今年は来なかったのだろうかと思っていて、今日もう一度行ってみたら今度はちゃんといた。しかし、相変わらず遠いな。
 警戒心が強いのと、エサ場が池の真ん中あたりということもあって、なかなか岸近くまで寄ってきてくれないのが残念だ。向こう岸近くにいるからと反対側に回り込むと、さりげなくすすーっと離れていく。人と仲良くなろうという気はないらしい。
 今日は池の周囲の工事をしていて、半分近く封鎖されていたので、余計に近づくことができなかった。おかげでミコたちは向こう岸でのんびり浮かんだり、エサをとりに潜ったりしていた。
 でも、ようやく会えたのは嬉しかったし、ホッとした。今年もまた雨池のことを忘れずに飛んできてくれた。なかなか律儀なやつらだ。

雨池鳥撮り-2

 この日一番近づいてこの距離だった。400mmレンズの600mm換算でこの大きさだから、距離は200メートルくらいあっただろうか。もっと遠かったかもしれない。
 せめて池を一周できると、もう少し近づけるチャンスがある。工事が終わった頃にもう一度行ってもいい。
 ミコアイサについては、過去に2回くらい書いている。あれから増えた知識は特にない。
 通称パンダガモと呼ばれる白黒の渡りのカモで、秋に日本に渡ってきて春に戻っていく。渡ってくる数が少ないこともあって、鳥の人の間では冬の人気者となっている。一般的な知名度は低い。池の周りを散歩している人も、誰一人見向きもしない。

雨池鳥撮り-3

 ミコアイサが遠すぎるから、他の鳥を撮ることにする。いろいろ飛び回っていたから、翻弄されながら飛びものに挑戦してみた。
 がしかし、マニュアルフォーカス、マニュアル露出のレンズで飛びものを撮るのはとても苦しい。ピントを合わせて、間髪入れずにグリーンボタンを押して露出を決めて、同時に飛んでいる鳥を追いかけるなんてのは、忙しすぎる。というか間に合わない。しょうがないから露出はソフトのレタッチで調整することにして、とりえずシャッター速度を1/100とか1/160秒くらいに固定して撮った。これでも手ぶれは厳しく、ピントもなかなか合わず、大量のボツ写真を生産することになった。
 遠い方が合わせやすいけど小さくなるし、近いと難易度が上がりすぎてまともに撮れない。素直に300mmのオートフォーカスを使った方がまともな写真が撮れる。

雨池鳥撮り-4

 アオサギくらい大きくてゆったり飛んでくれると間に合う。
 ただ、この日は曇り空の夕方ということで、鳥撮りには厳しい光条件だった。
 風があって水面も波立っていたから、映り込みも期待できなかった。

雨池鳥撮り-5

 かなり近くから飛んでいるカルガモを撮れたと思ったら、ピントが甘かった。構図もむちゃくちゃだ。画面のこんなところ被写体を入れちゃいけない。
 でも、こういう角度からカルガモの飛翔を撮ったことがなかったから、記念にこれも載せてしまおう。

雨池鳥撮り-6

 カワウだと思うけど、ちょっと自信がない。案外カルガモだったりするかもしれない。逆光でシルエットになってよく見えなかった。
 飛ぶ鳥撮りの一つの目標は、正面下からのアップだ。一度至近距離から撮ってみたい。

雨池鳥撮り-7

 小ガモの着水前。これもピントが甘い。
 着水の瞬間も撮れたらよかったけど、手前の草が邪魔して見えなかった。
 飛ぶ鳥撮りは面白いけど難しい。K10Dとマニュアル望遠の組み合わせに限界を感じた。自分自身の練習も足りない。

雨池鳥撮り-8

 近いところにいる水鳥も撮っておく。
 おなじみのバンだ。バンはよく岸辺にいて、陸に上がったりもするけど、人の姿を見るとすぐに逃げていく。足に水かきがないから、必死の前傾姿勢で逃げていく様子を見ると申し訳なく思う。そんなに逃げなくても危害は加えないのに。
 でも、バンにしてみれば、筒みたいなものを自分の方に向けられたら危険と感じて逃げるのは当然のことだろう。

雨池鳥撮り-9

 クチバシの赤いのがバンで、白いのがオオバンだ。名前の通りオオバンの方が少し大きい。
 こいつらは渡らない留鳥で、一年中見ることができる。
 地面で草の種などを拾い食いしたり、水中に潜って甲殻類などを食べる。

雨池鳥撮り-10

 少し前、スズメの数が激減しているというニュースがあった。なんでもこの50年で10分の1になってしまったんだとか。
 どこまでその統計が信用できるのかは分からないけど、相当減っていることは確かなのだろう。普通に見かけるけど、昔に比べて減ったと言われればそういえばそうだなと思う。
 今はスズメを見ても、ああスズメかで終わってしまうけど、あと100年もしたらスズメは貴重種になっていて、鳥の人たちは一所懸命スズメの写真を撮っているのかもしれない。写真に撮ってよく見てみると、けっこうかわいい。

雨池鳥撮り-11

 遠くの暗いところではっきり見えなかったけど、たぶんシロハラだ。ピントも少し合ってない。
 シロハラも渡り鳥で、春になると北の中国やロシアに渡っていく。こんな小さな鳥も渡りをするのは驚く。日本の夏は暑くて耐えられないのだろうか。

雨池鳥撮り-12

 こっちはアカハラで大丈夫だろうか。腹が白ければシロハラで、赤ければアカハラというのは単純すぎるように思えても、鳥や花の名前なんてそんなふうにつけられているものが多い。
 これも渡り鳥で、冬になると日本に南下して越冬する。夏は千島列島などに渡って子育てをする。
 あらためてよく見てみると、こいつもシロハラのような気がしてきた。

雨池鳥撮り-13

 ツグミも冬を代表する鳥の一つだ。寒くなって最初にツグミが地面にいるのを見ると、冬がやって来たんだと思う。
 春になると集団で北へ帰って行く。入れ替わるように北からは違う鳥たちが日本に渡ってくる。上手くできているものだ。それぞれ心地がいい気候が違う。
 久々に鳥撮りをして楽しかったし、また課題も見つかった。2月も終わりになってくると気持ちは半分春で、野草に心が向かいがちではあるけど、冬の間にもう少し鳥撮りもしておきたい。カモ撮りもまだ充分じゃない。
 今日も寒の戻りで寒い一日だった。まだもう少し冬は続く。

よく晴れた風の強い日、御嶽山を撮りにスカイワードあさひに登る

施設/公園(Park)
スカイワードあさひ-1

FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / SIGMA 55-200mm f4-5.6



 よく晴れて風の強い一日だった。家を出て北東の方角を見ると、久しぶりに御嶽山が見えた。予定を変更して、尾張旭のスカイワードあさひに登ることにした。この冬晴れを逃すと、次はいつ見られるか分からない。
 今年初めてうちから雪をかぶった御嶽山が見えることを発見したということを、1月のはじめのブログに書いた。あれから毎日のように観察を続けたところ、かなり条件がいい日じゃないと見えないことが分かった。よく晴れた寒い日で、風が強いというのも条件の一つのようだ。見えないときは消失マジックのようにまったく見えなくなる。
 うちから見てその御嶽山の少し右にスカイワードあさひがある。うちより高くて、尚かつ御嶽山により近いから、あそこに登ればもっとはっきりくっきり見えるのではないかと思っていて、いつか見に行こうと機会をうかがっていた。
 今日は雲も少なく、冷たい強風が吹き荒れるという御嶽山観察にはもってこいの条件だった。どんなふうに見えるか、楽しみに登っていった。

スカイワードあさひ-2

 レストランスカイワードは、去年の3月31日で営業終了となりましたというお知らせが書かれていた。結局一度も入ることはなかった。
 こんなに人が訪れないところでこれまで営業を続けてこられた方が不思議といえば不思議だった。尾張旭から補助が出ていたのだろうか。
 3階は歴史民俗フロアで、「俗」のところにステッカーを貼って直してある。最初は民族となっていたのではないかと予想できる。民族と民俗は、よく似ているようで違うといえば全然違う。民族というのは、ある種の共通項を持った人間の集まりのことだ。少数民族とか、民族音楽とかといったときに使う。民俗というのは、柳田国男の民俗学を思い浮かべれば分かりやすい。地域ごとの風俗や習慣を指す。だから当然、この場合は歴史民俗フロアというのが正解となる。最初は尾張旭市の職員が気づかず、このパネルが完成してから誰かに指摘されたんじゃないだろうか。
 8階の天体観測室も一度行きたいと思いながら行けずにいる。一回連れを伴って行ったことがあったのだけど、その日はあいにくの曇り空で中止になってしまったのだった。確か毎週日曜日の日没後1時間くらいに開催していたと思う。無料で申し込みも不要というから、定期観察会というよりも、その時間だけ係員が待機していて、行くと望遠鏡をのぞかせてくれるということなんじゃないだろうか。

スカイワードあさひ-3

 東方向。右端に瀬戸のデジタルタワーが見えている。
 正面の山は瀬戸方面だろうか。左手前の森は森林公園なのだろう。
 一応説明パネルがあるのだけど、見た目の風景とパネルの絵が今ひとつ合致しない。
 写真を撮るには映り込みが激しいというのもここの欠点だ。最初からそんなことを想定して設計されていない。

スカイワードあさひ-4

 南方面。田んぼは私のいつものたたずみスポットだ。瀬戸電も見えている。右側に城レストランの頭ものぞいている。
 南のずっと先は三河湾だから、こちらに高い山はない。

スカイワードあさひ-5

 西方面は名古屋駅がある方向だ。遠くに小さく名駅のビル群が見えている。ここまで離れてしまうと、高層ビルもごく小さくなる。
 ただ、それにしても名古屋の街の低さがあらためて分かる。東京の風景とは全然違う。
 こちら方面は夜景がきれいだから、一番の見所ということになる。夕方は西日がまともで写真は厳しい。

スカイワードあさひ-6

 西の下には長池がある。その向こうの小さめの池は、大森池だ。
 どうもこの池は人気がなくて、冬だというのに渡りのカモもいないし、釣り人の姿もめったに見ない。いるのは犬の散歩の人くらいだ。
 これは溜め池だろうか。昔はもっと自然の風景が残っていたような気がする。

スカイワードあさひ-7

 北向き。こちらが一番見所の少ない方向で、いつもは素通りになる。ただ、冬になると遠くに雪山が見えるから、冬に限ってはこちらも面白い。
 手前にあるのは城山小学校だ。今は生徒も少なくなっていることだろう。

スカイワードあさひ-8

 お目当ての御嶽山は、北東の方角になる。
 ああ、あれかと見つけて、やられたと思う。手前の山に視界をふさがれて、頭の上しか見えない。まさか、こんなことになっているとは、想像してなかった。
 うちからは手前の山と左の山の間から見る格好になって、たまたま視界が開けているのだ。
 一番手前が東谷山なのだろうけど、その向こうは何だろう。春日井へ行くとき、山肌が削られたこの山を見るような気がする。道樹山が左で、この山の名前はパネルに書かれていない。
 いずれにしても、スカイワードあさひは御嶽山見物に向かない場所だということが判明した。これならうちから見る方がよほどよく見える。残念だ。またどこか他にいいところを探そう。

スカイワードあさひ-9

 御嶽山よりもはっきり見える雪山があった。これはうちからは見えない。
 飛騨高地か、木曽山脈か。
 200mmレンズでは足りなかった。400mmを持っていくべきだった。
 ここはデジスコを持っていっても楽しめそうだ。

スカイワードあさひ-10

 こっちが飛騨高地かもしれない。写っていないけど、左手にも上の方だけ見える白い山脈があって、それが白山方面だったんじゃないか。
 雪山というのは私にとって完全に非日常のものだから、とても物珍しくて見ると嬉しい。雪山ウォッチは面白い。

スカイワードあさひ-11

 もう一つうっすら雪をかぶっている山があった。あれは恵那山じゃないかと思うけど、どうだろう。
 一度山に詳しい人と一緒に行って、いろいろ教えてもらわないといけない。山に詳しい人を誰も知らないのだけど。

スカイワードあさひ-12

 日も傾いて黄色い光の時間になった。
 最後は名駅方面を撮って締めくくりとした。
 セントラルタワーズも、ミッドランドスクエアも、スパイラルも、NTTも、ルーセントも、テレビ塔も見える。手前にある尖塔は、金城学院だろう。
 ナゴヤドームや名古屋城は見えないか。
 チャンスがあれば、この冬の間にもう一度400mmを持って行きたいと思う。
 スカイワードあさひがちょっと嫌だなと思うところは、狭い空間に人が2人、3人といると、なんとなく気まずいという点だ。あまり人が登ってこないところだけに、他人がいるとお互いにちょっと戸惑うような空気が流れる。しゃべりかけた方がいいのかやめた方がいいのか迷って、結局人を避けるように反対側に回り込んだりしてしまいがちだ。カップルがいたりすると、あまり近くでバシャバシャ写真も撮れない。独り占めできるときもあるのだけど。
 もし、望遠レンズで写真を撮っている人を見かけても、声をかけずに優しく無視してください。あの空間では逃げ場がないから。

猪子石の地名の元となった二つの石を訪ねる 名東区神社第2回

神社仏閣(Shrines and temples)
猪子石の神社-1

Canon EOS 30D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 来年は亥年だから、猪子石も少しは脚光を浴びるかもしれない、そんなことをぼんやり考えていたのは、2006年の暮れだった。それがいつの間にか2007年が過ぎ、2008年も終わって、今はもう2009年となっている。今年の干支って何だっけ? すでに忘れてしまった。ああ、そうか、丑年だ。今年は天満宮の年だ。2006年は戌年で伊奴神社(いぬじんじゃ)へ行ったんだった。2008年の子年は、ネズミ関係のところへは行っていない。
 猪子石には地名の元となった猪の石があるという話は前から聞いて知っていた。ただ、それがどこにあってどんなものなのかはほとんど知らずにいた。
 今回、二つセットで回ってきたから、名東区の神社巡りシリーズ第2弾ということで紹介しよう。
 まず最初に行ったのは、牡石(おいし)のある猪子石神社だった。
 しかし、これがなかなか見つけられずに苦労した。神社というから、いくら小さいものでも近くに行けば分かるだろうと軽く考えていたら、地図に載っているはずの場所に行っても見つからない。奥まった住宅地の狭い一方通行に手こずりながら何周も回ってしまった。もう一周同じところを回ったら不審車両として通報されていたかもしれない。
 上の写真のように、神社と名前はついてはいるけど、鳥居もなく、一般的な神社をイメージしていくと見つけられない。民家と民家の間にちょっとした高台があって、その上に石が祀られている。こんなふうになっているとは思ってなかった。
 場所は地元の人にも説明するのは難しい。猪子石西原の交差点を南へ進んで、三本目の一方通行を左折してしばらく進んだ左側にある。駐車場はないから、前の路上に少しとめさせてもらうしかない。

猪子石の神社-2

 いつからこの石がここにあったのかは、よく分かっていない。地名の元になったくらいだから、それほど最近のことではない。少なくとも江戸時代よりは前だろうし、もしかするともっとずっと昔なのかもしれない。室町時代には猪子石城というのもあったというから、その頃には地名として定着していたのだろう。
 江戸時代に書かれた『尾張名所図会』にも猪子石は載っているから、地元ではちょっと知られた存在だったようだ。
 名東区に花崗岩はないということで、どこか他から運ばれてきたものではないかと言われている。ただ置かれているだけではなく半分以上が土に埋まっている。元々そうだったのか、いつの間にかそうなってしまったのかも分からない。一説によると、古墳の石として運び込まれたものではないという。
 猪に似た石があると評判になり、農村の亥の子信仰と結びついて地名となったという。村人たちがそれを大事にして、そのうち神社となっていったというのが経緯のようだ。いつ猪子石神社となったのかは、調べがつかなかった。昭和に入ってからだろか。

猪子石の神社-3

 猪に似ているかどうかは各自の判断となる。むしろ、水に浮いているコビトカバの背中のようだ。
 出ている部分で1.5メートルくらいだろうか。実際の大きさはこの倍なのか、3倍なのか、なんとも予測はつかない。
 触るだけでタタリがあるという話もあるから、掘り返すなどもってのほかだ。
 ときどき、うなり声を発するというので、別名うなり石ともいう。
 日本人は古来から、善玉も悪玉も神様として祀ってしまって、力を抑えたり借りたりしてきた。怨霊となった霊をしずめるために神田明神や天満宮を建てられた。天皇や日本神話の登場人物たちもそうだ。
 この石も、もしかしたら恐れられて祀られたのかもしれない。猪というのは悪いイメージの生き物ではないけど。

猪子石の神社-4

 次に大石神社へとやって来た。ここもまた見つけづらいところだった。
 一回目で紹介した和示良神社と、猪子石神社と、大石神社は、南北ほぼ直線上に並んでいる。偶然なのか故意なのか、エネルギーの流れとしてはよさそうだ。
 このあたりも一方通行ばかりで行きたい方向に進めず、なかなか辿り着けなかった。猪子石公園の西なのだけど、公園の中にあると思い違いをしていて見つけられなかったというのもあった。
 ちょうど新聞配達をしている人がいたので訊ねたところ、最初は分からないと言われて戸惑った。そんなに知られていない存在なのかと。けど、猪子石の石があるところと言ったらすぐに分かった。ああ、あそこですよと指を指した先が写真の場所だった。大石神社という名前では知られていないようだ。
 ただ、先客が一人いて、ちょっと驚いた。それは私のような観光気分ではなく、ちゃんとお参りに来ている人だったから、それなりに神社として認知されてはいるようだ。

猪子石の神社-5

 隣の猪子石公園。大石神社も神社らしいたたずまいのところではなく、車も公園の周囲にとめることとなる。駐禁パトロールの自転車の人たちがいたので、ぐるぐる回ってやりすごす。
 ここも場所の説明が難しい。京命の交差点を左方向に進んで、山の手1交差点を左折して、すぐの一方通行を左に入ると、道路の右側に車をとめることになってしまう。京命の一本手前の道(北)を左に入って、二本目を右折した方がいい。それだと公園の西側にとめておける。そちらから行くと、大石神社は右手ということになる。

猪子石の神社-6

 ここも高台になっている。けど、昔は更に10メートルも高いところにあったというから、このあたりの小山をごっそり削ってしまったということのようだ。周囲はすっかり住宅地になっている。
 大石神社も、猪子石神社と同じような経緯を辿って成立したらしい。当時から二つ対として考えられていたのだろう。

猪子石の神社-7

 石の感じは全然違う。こちらは礫岩(れきがん)だ。
 これも唐突にここに転がっているというのも不自然だから、誰かが運んできたものなのではないか。
 こちらの方がゴツゴツして男っぽいけど、牝石(めいし)ということになっている。表面にたくさんついている小石を子供に見立てて、お母さん岩としたようだ。
 ある日、出産間近の女性がやって来て、この石にお願いしたところ無事に出産ができたというのが評判となり、猪は多産ということもあって、やがて安産祈願の石として祀られるようになったのだという。昔は石の前に鳥居もあったようだ。
 猪子石神社の牡石は触れてはいけなくて、こちらの牝石は安産祈願で触れてもいいということになっている。

猪子石の神社-8

 脇にはいろいろな石碑が建っている。このへんの経緯やいわれも、よく分からずじまいだった。
 ところで、猪子石の読みなのだけど、これは名古屋の難読地名のひとつとされているもので、読めそうで読めない。どう読むかは、名古屋人の間でも分かれる。
 公的には「いのこいし」となっているものの、このあたりの人はたいてい「いのこし」と言う。固有名詞も、いのこしだったり、いのこいしだったりする。隣町の猪子石西原は、はっきり「いのこしにしはら」だ。別に大した問題ではないけど、気になるといえば気になるところだ。「いのこし」で変換しても猪子石は出てこない。
 江戸時代の猪子石村はどっちで呼んでいたのだろう。
 明治になると、藤森村と猪子石原村と合併して猪子石村となり、高社村と合併して猪高村となった。猪高も、「いたか」なのか「いだか」なのかはっきりしない地名だ。
 戦後、猪高村は千種区に編入され、昭和50年に千種区から独立したのは、猪高村地区だった。

 名東区の神社や地名の元となった石を見てきて、だいぶ名東区の成り立ちが分かってきた。あれから調べてみると、名東区には主だった神社が7つほどしかないことが判明した。もう少しあると思ったから意外だ。案外すぐに終わってしまいそうだ。
 次回は、二つの神明社編を予定している。

手抜きのつもりじゃないけどやっぱり手抜きの牛丼サンデー

料理(Cooking)
牛丼サンデー

Canon EOS 30D+Canon EF50mm f1.8 II



 写真を見て、あ、今日のサンデーは手抜きしやがったなと、あなたは思ったかもしれない。半分正解で、半分不正解だ。人にはいろいろ事情というものがある。人は見かけによらないとも言う。
 といってもたいした事情ではない。1月に親戚が送ってくれた松坂牛をそろそろ食べきらないといけないだろうということになって、さてどうしようと考えたとき、ふいに牛丼が頭に浮かんで、作って食べることにしたというだけだ。その前にすき焼きをして、焼き肉をしたから、最後は贅沢な牛丼で食べきってしまうことにした。
 吉野家とは使っている材料が違うから、美味しくなるのは当たり前だ。これで勝ったからといって威張れるものではない。この肉を使って吉野家が作ったら、さぞかし美味しい牛丼が作れることだろう。贈答用の松阪牛を150グラムくらい使っているから、店で食べたら1,500円か2,000円くらいはするかもしれない。

 普通の牛丼では面白くないということで、卵とじ牛丼にしてみた。作り方も少し手を加えている。
 まずはみりんを強火で煮立たせて、それに火をつけてアルコールを飛ばす。しょう油とダシの素、砂糖を加えて、しばらく煮込み、カラメルのようにする。
 あとは、ニンニク、ショウガ、酒、塩、コショウ、だし汁、めんつゆ、唐辛子を入れて、基本のタレが完成だ。卵を加えるので、このときはかなり濃いめの味になっている。
 タマネギと牛肉は、フライパンで軽く炒める。それをタレに入れてしばらく煮たら、最後に溶き卵を回し入れて、フタをして半熟まで固めたら完成だ。青ネギも乗せる。
 洋風にアレンジするなら、白ワインとコンソメの素を使ってもいい。
 美味しい牛肉が手に入ったときは、ぜひ一度作ってみることをおすすめしたい。いろんな丼ものがあるけど、牛丼ってやっぱり美味しいものだなと再認識する。

 牛丼だけでは味気ないし、あまりにも手抜きっぽいから、味噌汁も作った。
 ジャガイモと、大根と、油揚げと、豆腐が入った具だくさん味噌汁だ。
 ちょっとした工夫として、具をレンジで加熱すると手早く簡単にできるというのがある。だし汁を温めている間に具はレンジに任せて、柔らかくなったところでだし汁に入れて、味噌で味付けすれば無駄がない。時間の余裕があれば、いったん冷まして、具に味を染み込ませて再加熱する方が美味しくなる。
 もうひとアレンジ加えたければ、エビの殻や頭を使うというのがある。頭つきのエビを買ったら、頭と殻は捨てずに取っておいて、それでダシを取ると深みのある味の味噌汁になる。

 こうして今日のサンデー料理について書いてみると、やっぱり手抜き感は否めないなとあらためて思う。これ以上特に書くこともなくなってしまった。食べ手としては、食べたいと思った牛丼が美味しかったら満足だったのだけど、作り手としては物足りなかった。来週はしっかり作ろう。
 建国記念の日も、バレンタインデーも終わって、これでしばらく行事もない。次はひと月後のホワイトデーか。そのときはホワイト料理を作ってもいい。
 季節はそろそろ冬から春へ移り変わりつつある。来週はもう2月最後の日曜日だし、そろそろ春の食べ物も出てくる。旬の食材に思いを馳せつつ、2月のラストサンデーは、冬らしい料理で締めくくるというのもよさそうだ。

冬にしか咲かない花を求めて徳川園へ <後編>

施設/公園(Park)
徳川園花編-1

FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8



 わらぼっちをかぶせてもらって寒風の中で咲く冬牡丹たち。少し見頃は過ぎてしまっていたけど、まだ元気に咲いていた。展示会は2月22日まで続く。
 わらぼっちというのは、刈り取った稲の茎を束ねて干したものをいう。冬の田んぼなどで見たことがある人も多いだろう。
 園芸用のわらぼっちは、傘のようにして花にかぶせて、寒さから守る。一般的にはわら囲いと呼ぶことが多い。かわいい演出をしているというわけではない。ただ、こういうあたりにも日本人の美意識がある。
 牡丹(ボタン)はそもそも春の花だ。4月から5月にかけて大輪の花を咲かせる。
 冬牡丹は、温室で育てて冬に咲かせたものだ。寒さに耐えられるように調整もしているのだろう。
 春の牡丹に比べると、やや小振りな印象を受ける。春咲きのものは、人の顔くらいある。
 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。昔から美しい女性をたとえるときに牡丹は使われた。でも、こんな大きな顔をしてどんと座っていたら、ちょっと驚く。美人は美人でも大作りすぎるだろうと思う。
 今日は徳川園の後半「花編」をお届けします。

徳川園花編-3

 牡丹は何ヶ所かに分けて展示されている。上の写真は、メインの牡丹園の様子だ。ここが一番数が多い。
 他には、観仙楼の横や、奥の四睡庵にも少しある。

徳川園花編-2

 八千代椿という名の牡丹。八千代牡丹じゃ駄目だったのか。
 当然のことながら、牡丹にもたくさんの品種があって、それぞれに名前がつけられている。牡丹愛好家という人たちが品種改良して楽しんでいるのだろう。
 徳川園の冬牡丹は、約20品種70株が展示されているとのことだ。春の牡丹とは別なのか、同じ品種なのか、くわしいことまでは分からない。春になったら、もう少し牡丹についても勉強しよう。
 背後の梅は、まだまだほとんど咲いてない状態だった。22日までとなると、梅との競演は少し難しいか。

徳川園花編-4

 どの花も状態がいい。冬にきれいに咲かせるのは簡単じゃないだろうに、花だけではなく、葉っぱのみずみずしい緑色も冬とは思えない。
 最盛期は1月の初旬から半ばにかけてのようだ。その時期にはもっとたくさん花も咲いていたことだろう。

徳川園花編-5

 牡丹というのもまた難しくて、どう撮っていいものやら、よく分からなかった。普通に撮ると図鑑的だし、寄って撮るとどこまで寄ればいいのか迷う。とにかく大きさを持て余しがちだ。
 これも春までの課題としよう。

徳川園花編-6

 少し咲き始めていた梅は、加賀梅という梅らしい。
 加賀梅と検索すると、梅酒のページにたくさんヒットする。梅酒用の梅を採る木としても栽培されているようだ。
 品種による梅の花の違いというのは、これまでほとんど意識したことがない。白か赤かピンクか、色で区別しているだけだ。近くからじっくり観察して見比べると、それぞれに大きな違いがあるのだろうか。

徳川園花編-7

 梅は遠くから見るとやっぱり地味だ。水墨画や屏風画のように味わい深く撮るのは難しい。
 梅の花は、つぼみがかわいいということを再認識した。全部花が開いているときよりも、花を数輪に絞って、つぼみをたくさん入れた方が華やかな印象になる。
 ちょっと撮り方が見えた気がした。

徳川園花編-8

 コブクロザクラかと思ったら、コブクザクラだった。漢字では子福桜と書く。
 でもこれ、本当に子福桜だろうか。プレートがかかっていたから間違いないのだろうけど、イメージとはずいぶん違う。
 子福桜は春と秋の二回咲く桜で、秋は地味だけど春はもっと華やかに咲く印象がある。緑の葉と共に薄ピンクの花を咲かせるはずだ。八重咲きもある。
 ということは、これは秋から咲いていたものの残りということだろうか。2月になっても咲き続けるものなのか。写真ではポツリ、ポツリという写りになっているけど、実際はもう少しワッと咲いていた。
 同じく春と秋の二度咲く十月桜(ジュウガツザクラ)と支那実桜(シナミザクラ)との雑種で、一つの花から二つ以上の実をつけるところから子福桜と名づけられた。

徳川園花編-9

 これが黄梅(オウバイ)か。初めて見た。最初はもうレンギョウが咲いているのかと思った。
 黄色い梅という名前がついているけど梅ではない。ジャスミンの仲間だ。なるほど、言われてみれば花は梅よりもジャスミンに似ている。花弁も5枚だったり6枚だったりする。ただし、匂いはしない。
 咲き方は、枝を伸ばして垂れ下がるようにして咲く。
 江戸時代初期に中国から渡ってきたもので、中国では別名・迎春花(げいしゅんか)と呼んでいるそうだ。

徳川園花編-10

 木瓜(ボケ)を見ると夏目漱石を思い出す。漱石は木瓜が好きだった。桜でも梅でもないところが漱石らしい。
 太宰治は中原中也に何の花が好きだと訊かれて、桃の花と答えたら、だからおめえは駄目なんだとぶん殴られた。その中也を叩きのめしたのが檀一雄だった。
 明治村の夏目漱石邸の庭には木瓜が植えられている。春になったら、また会いにいこう。

徳川園花編-11

 三椏は、まだまだここでも固いつぼみだった。花を咲かせるのはもう少し先になる。

徳川園花編-12

 沈丁花(ジンチョウゲ)もまだこの通り。
 外側が濃いピンクでこの色の花が咲いてくるかと思わせて実際は白い花を咲かせる。この花も中国から来た。
 3月に沈丁花の香りが漂ってきたら、もう本格的な春の始まりだ。

徳川園花編-13

 淡侘助(ウスワビスケ)という名の椿(ツバキ)。
 椿のシーズンはそろそろ終盤戦ながら、まだけっこう咲いている。
 椿も、開ききった花よりつぼみの方が可憐だと気づく。

 まだ他にもいくつか花が咲いていたようだけど、見つけられないものもあった。真弓(マユミ)も見たことがなかったから、見られるものなら見ておきたかった。
 梅の見頃はまだもう少し先だ。暖かい日が続いているにしても、そんなに焦ることはない。冬牡丹を見るなら22日までで、それが目当てじゃなければ3月に入ってからの方が見所が多くなる。
 以上で私の徳川園レポートは終わりとなった。また季節を変えて行ってみるのもいいし、徳川美術館も一度は入っておきたい。内部が撮影禁止なのが残念なのだけど、今やっている尾張徳川家の雛まつり特別展はちょっと見てみたい。
 そんなわけで、機会があれば一度徳川園も行ってみてください。名古屋の観光ルートバス・メーグルも徳川美術館は止まります。

故き大曽根屋敷を温ねて新しき徳川園を知る <前編>

名古屋(Nagoya)
徳川園風景-1

FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8



 名古屋には白鳥庭園と徳川園という二つの大きな日本庭園がある。名古屋城二之丸庭園も入れれば三つか。江戸があった東京には十近くも残っているからそれと比べると少なくて物足りなくは感じるけど、この二つもわりと最近できたことを考えれば、ないよりはあってよかったというべきか。
 白鳥庭園は以前に紹介したので覚えている方もいるかもしれない。徳川園は2005年に一度行っているのだけど、ブログではまだ紹介していなかったから、一度行かなくてはいけないと思いつつ延びのびになっていた。本当は去年の紅葉の時期に行くつもりでいた。
 あいにくの曇天ということで、庭園日和とはいかなかったのだけど、こんな日も趣があってかえっていいんじゃないかと思い直して出向いてみた。
 駐車場(30分120円)がある北の大曽根口から300円を払って門を入ってすぐ、上の写真の光景が眼前に広がる。庭園の中心となる龍仙湖(りゅうせんこ)と、観仙楼(かんせんろう)だ。
 庭園に隣接して、徳川美術館と名古屋市蓬左文庫が建っている。美術館は昭和10年にできた古いもので、国宝の「源氏物語絵巻」をはじめとして徳川家代々のお宝を多数所蔵展示している(1,300円)。蓬左文庫も、河内本『源氏物語』など、見所は多い。
 私立美術館としては最初期のもので、尾張家19代当主の徳川義親が財団法人尾張徳川黎明会を設立して、そこが運営している。この本部は東京の目白にあって、近くまで行って外から見たことがある。ブログで写真も載せたかもしれない。
 庭園は、2004年(平成16年)に開園したばかりで新しい。それ以前は中途半端に整備された公園のようになっていて、かなり荒れていたという。その当時は行ったことがなかったからどうなっていたのか私は知らないのだけど、雑木林の中にグラウンドやテニスコートなどがあったそうだ。そのときを知っている人は、逆に今の姿に驚くようだ。
 庭園としての歴史はごく浅いものの、もともとは江戸時代初期の1694年に、尾張藩二代目藩主の徳川光友が建てた大曽根別邸が元になっているから、そういう意味では歴史のある場所だ。現在の庭園も、そのときの様子を元に再現されている。
 光友といえば、江戸の下屋敷に戸山山荘を建てたお殿様だ。現在新宿の戸山公園となっているあの場所に、ミニ東海道を再現して殿様遊びをしていた。
 そんな殿様の隠居屋敷ということで、徳川園も趣味的な庭園だったようだ。敷地13万坪の庭園に作った池に16挺立の舟を浮かべて遊んでいたという。現在の徳川園は、それよりぐっと規模は縮小されたものとなっている。
 光友は尾張徳川の菩提寺となる建中寺を建てたり、各地の寺社を再建したり、こんな庭園を造ったり、偉い藩主であると同時に金もたくさん使った。おかげで尾張藩の財政は一気に傾くことになった。江戸の戸山山荘も、しだいに荒れ果てて、再建するお金がないまま放置されるがままになり、今はもうそのときの面影は残っていない。
 光友没後は、尾張藩家老の成瀬、石河、渡邊三家に譲られ、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。
 昭和6年(1931年)に19代当主の義親が名古屋市に寄贈し、市が整備して徳川園として公開するも、昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で焼けてしまった。
 それから平成16年(2004年)まで再建されないままだったというのだから、ずいぶん長らく放置されていたものだ。
 庭園は、江戸時代の典型的な様式である池泉回遊式の日本庭園で、山、川、滝、湖、牡丹園は、それぞれ木曽山脈、木曽三川、伊勢湾、濃尾平野に見立てられている。大きなスケールの自然を凝縮して再現するのがこの形式の特徴だ。
 とまあ、勉強はこれくらいにして、そろそろ庭園の散策を始めよう。

徳川園風景-2

 池泉回遊式だから、ぐるりと一周するようにはなっているのだけど、右回りなのか左回りなのか、決まりはあるのかないのかと考えて、ふと立ち止まった。感覚的に右回りする方が多いようにも思うけど、正しい作法というのはあるのだろうか。
 今回は右回りでいってみた。
 この最初の木橋には特に名前はついていないようだ。

徳川園風景-3

 西湖堤(せいこてい)と呼ばれるもので、日本の庭園にもよく取り入れられた。白楽天が憧れた中国杭州にある景勝地西湖の堤防風景を模したものだ。
 旧芝離宮恩賜庭園で見たし、小石川後楽園にもあるそうだ。

徳川園風景-4

 日本庭園の背景にビルが建ち並んでいるというのは現代的な風景だ。旧芝離宮恩賜庭園もこんな感じだった。
 雰囲気を壊すというよりも、今見る風景としての面白さがある。

徳川園風景-5

 かつての船遊びを連想させる演出だろう。この池は浅いから、船をこぎ出したら底をすってしまう。
 錦鯉がたくさん泳いでいた。カップでコイのエサを売っているらしく、親子連れがあげていた。
 カモやユリカモメの姿はなかった。カルガモくらいはいてもいいはずだけど、このときはたまたまいなかったのか。

徳川園風景-6

 観仙楼(かんせんろう)。お高いフレンチレストラン「ガーデンレストラン徳川園」などが入っている。
 昼は5,000円から、夜は1万円からのコースとなっている。
 隣接する蘇山荘(そざんそう)はティーラウンジ&バーで、こちらは少し安い。3,500円くらい。ランチは1,000円くらい。

徳川園風景-7

 二つある滝のうちの一つ、龍門の瀧。
 鯉が滝を登って龍になったという登竜門の形式を再現したものだ。
 滝の石は、戸山山荘で使っていたものを運んできて流用したらしい。

徳川園風景-8

 虎仙橋(こせんきょう)と名づけられた檜造りの木橋。
 龍と虎の名前がよく出てくるのには理由があって、光友の諡號(死後のおくりな)を瑞龍院といい、ここを寄贈した19代の義親はマレーで虎狩りをしたことから虎狩り侯爵などと呼ばれていたことから来ている。

徳川園風景-9

 虎仙橋の下には川が流れていて、この場所は虎の尾と呼ばれている。流れる姿を虎の尾に見立てたのだろうか。
 秋はこのあたりが紅葉スポットになる。

徳川園風景-10

 庭園の一番奥まったあたりにある大曽根の瀧が、この庭園のクライマックスと言えるだろうか。
 大曽根というのは古くからこのあたりの地名で、今でも徳川園の北に残っている。
 落差は6メートルあって、街中とは思えないほどの水量だ。これだけの水はどこから来て、どこへ流れているのだろう。ぐるぐる回遊させているのだろうか。

徳川園風景-11

 水琴窟(すいきんくつ)は、わりとあちこちで見るから、そんなに珍しいものという気はしなくなった。水を流すと、キンキンキンという金属的な音が響いてくる。
 ただ、見てるといっても近年作られたもので、昔のものはまだ見たことがないというか、音を聞いたことがない。古いものを一度どこかで見てみたい。

徳川園風景-12

 四睡庵(しすいあん)と名づけられた花の休憩所があるあたりの風景。
 ボタンや梅などが植わっている。

徳川園風景-13

 和装の女性たちがいて、枯れた冬の庭園に彩りを添えてくれていた。
 訪れている人もぼちぼちいて、賑やかすぎず、寂しすぎず、落ち着いたいい時間を過ごすことができた。

徳川園風景-14

 奥に見えているのが茶室「瑞龍亭」。
 紹介すべき施設や風景は、ざっとこんなところだ。一周ゆっくり歩いて30分ほどだから、それほど広くはない。写真を撮りながらでも1時間弱だった。
 徳川園前編は風景編ということで、後半は花編をお送りします。
 明日につづく。

平和公園に梅を撮りに行くも一分咲きで夕焼け撮りになる

施設/公園(Park)
平和公園-1

FUJIFILM S3pro+NIKKOR 18-70mm f3.5-4.5 ED / TAMRON 90mm f2.8



 そういえば梅はどうなったか気になって、夕方平和公園に少し寄ってみた。ここの梅は本数も少ないし木もまだ若くて名所というわけではないのだけど、近場で咲き具合を確認するには便利なので、ほぼ毎年のように行っている。
 現状は写真の通り、まだようやく咲き始めといったところで、見頃には遠かった。全体としたら1分咲きにもなっていない。東谷山フルーツパークが早々に咲いていたから焦ってしまったけど、名古屋の梅はまだこれからのようだ。咲き揃うのは2月の下旬くらいだろうか。梅は桜と違って、咲き始めたら一気に散ってしまうというわけではないにしても、全部が揃って咲くわけでもないから、撮り時を見極めるのが難しい。
 気になっている津の結城神社も、まだ2分咲き程度とのことだ。なんだかんだいって、梅の季節は3月か。

平和公園-2

 何本か早咲きの木がありつつも、まったく咲いてない木が大部分で、咲き始めがちらほらといったところだ。それにしても、ここは遅い。特別寒い地域でもないし、ある程度陽も当たる場所なのに、どうしてだろう。土壌があまりよくないというのもあるのだろうか。
 思った以上に咲いていないので、早々に梅撮りはあきらめた。せっかくだから、猫ヶ洞池の方までぐるっと一回りしていくことにする。
 最近はだいぶ日が長くなって、5時半を回っても明るさが残るのはありがたい。

平和公園-3

 墓石の数は増える一方で、減ることはほとんどない。相変わらずのものすごい数だ。墓地という場所は、自分の死というのを思い出すためにもときどき行った方がいい。生きている実感も湧く。ここは人の歴史を物語る場所でもある。
 向こうに見えているのがアクアタワーで、まだ一度も登ったことがない。土日だけで午後4時までとなると、なかなか行く機会がない。春分の日に行くと、何かイベントをしていて、名古屋市の水がもらえたはずだ。次は8月8日がイベントデーとなる。

平和公園-4

 虹の塔や平和堂近辺は東邦の部活に占領されていたので避けて、猫ヶ洞池の方へとやって来た。いつもここは犬の散歩で賑わっている。普通に散歩している人や走っている人が少ない。
 あとは芝生広場の親子連れとか、釣り人がぼちぼちいるくらいで、異人種というのもあまりいない。カメラを持ってうろついている人は、自分の他に見たことがない。鳥撮りの人もいるはずだけど、そういう人たちの行動時間は早朝から午前中なのだろう。人が増えてくると、鳥も奥の方にすっこんでしまう。
 平和公園の南エリアは、完全な雑木林になっているから、あちらには鳥撮りの人もいるのかもしれない。

平和公園-5

 昔、平和公園の上空は、小牧空港発着の飛行機がひっきりなしに通過していた。セントレアができてからは、めっきり減ってしまった。たまに通ってもローカルな飛行機や自衛隊機ばかりだ。
 けど、ここらの住人にしてみたら、飛行場が移転してくれて喜んでいることだろう。飛行機の騒音というのは、思っている以上に大きくて生活の邪魔になる。

平和公園-6

 落下する飛行機雲。長く尾を引いて、しばらく消えずに残っていた。明日は天気が崩れるらしい。
 宇宙ゴミが落ちてきて頭に直撃しないように気をつけよう(それはたぶんない)。

平和公園-7

 2月は、冬と春とがまだら模様を描く。すごく春を感じたり、まだまだ冬だと思ったり、場所によって極端だ。
 明日は東海地方でも春一番が吹くかもしれないというし、九州では黄砂が飛んできたというから、やはり春はもうすぐそこまで来ているのは間違いない。名古屋の明日の最高気温は15度を超えるそうだ。
 今年の2月はなんだか2月らしくない。結局、雪は一度も積もらないまま冬が終わってしまうのだろうか。

平和公園-8

 印象的な水風景はあったのに、今日は上手く捉えられなかった。

平和公園-9

 あ、猫、と思ったら、あっちにもこっちにもいた。ここにもお世話係の人がいるのだろう。
 ノラにとっては厳しい季節ももうすぐ終わる。もう一回か二回くらいは寒の戻りもあるだろうから、そこを乗り切れば暖かい春に辿り着ける。がんばれ。

平和公園-10

 猫ヶ洞池は、渡りのカモにはあまり人気がない池で、いつ行っても数が少ない。ただ、今日はわりとたくさんいた。池の中程で浮かんでいたり、葦原で休んでいたりした。コガモやマガモ、オナガガモあたりだっただろうか。
 写真に写ってるのはカイツブリだ。私を見てそそくさと逃げていった。

平和公園-

 カモが三羽、どこかへ向かって飛んでいった。彼らが一日どういう生活を送っているのか、よく知らない。日がな一日ぼぉーっと池に浮かんでいるわけではないだろう。どこかへ何度も移動してるのか、寝床は別にあるのか、毎日違う場所へ移るのか、そのあたりはどうなっているんだろう。海を越えて渡れるくらいだから、日本でも思った以上に移動しているのかもしれない。

平和公園-12

 午後はずっと曇りがちで、夕方の日没前になって太陽が戻って、最後に夕焼けをプレゼントしてくれた。ありがとう。

平和公園-12

 日没になって、写真はこれで終わり。

 梅はまだまだこれからとはいえ、油断していると季節は進んでいってしまう。こちらも足取りを緩めないようにしよう。

建国記念の日の成り立ちくらいは知っておいてもいい

風物詩/行事(Event)
建国記念の日

PENTAX K10D+TAMRON 90mm f2.8



 今年は2669年ですねと言っても何の話ですかという人が多いだろう。年配の人なら、そうだ今年は2669年だとすぐに気づく。
 一般的に皇紀(こうき)と呼ばれるこの紀年法は、明治から戦前まではよく使われていた。神武天皇が即位した年を紀元としていて、他に神武暦(じんむれき)や皇暦(こうれき)などとも言われる。
 2月11日の建国記念の日は、時期的にも中途半端で、これといった行事も話題もないから、特に何も考えることなくサラッと過ぎてしまいがちだ。ほとんどの人はこの日に神武天皇のことを思い出すことはないだろう。建国記念の日が神武天皇が即位した日ということを知らない人も多いかもしれない。学校で習った記憶もない。
 神武天皇というのは、実在性が高いとされる初代の天皇(大王)だ。それ以前にも十数代の初期天皇がいたとされているが、実在性は疑われている。
 建国記念の日は、明治5年(1872年)に、明治政府が決めた紀元節というのが元になっている。『日本書紀』にある神武天皇が辛酉(かのととり)年春正月の一日に橿原宮で即位したという記述を元に、文部省天文局が太陽暦に換算して、紀元前660年1月29日という日付をはじき出した(翌年から2月11日に変更された)。どういう計算でその数字を出したのは公表されていない。何らかの根拠はあったのだろうけど、けっこういい加減という話もある。
 そもそも紀元前660年の日本といえば、まだ縄文時代だ。天皇(大王)が統治する国家体制が確立していたとは思えない。精一杯遡っても、国家の成立は弥生時代の紀元後2世紀頃だろうとされている。
 少し話は脱線するけど、神武東征のとき、熊野の山奥で苦戦していた神武を心配した天照大御神は、タカミムスビに八咫烏(やたがらす)を飛ばさせて、その道案内で神武は無事大和に辿り着くことができたというエピソードがある。この三本足の烏は、サッカー日本代表のシンボルマークになっているのを知っている人は多いだろう。だから、今日のオーストラリア戦は八咫烏の導きで勝つんじゃないかと私は密かに思っていた。結果は引き分けで、下手したら岡ちゃんクビか? 非公開練習をする前に熊野の神社へ必勝祈願に行くべきだったかもしれない。
 戦後はアメリカ占領軍によって、こういう天皇中心の皇国史観(こうこくしかん)は否定され、紀元節も廃止とされた。日本人も手のひらを返したように、戦前の教育を全否定してしまった。それまでは、小学校で神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭……と、124代天皇まで暗記させていたのに、今の時代は3代さえ知らない人がほとんどになってしまった。日本人の極端から極端へ走る気質は一体どこから来ているのだろう。
 私は特に偏った思想は持っていないつもりだけど、昔の日本のよかった部分を捨て去ってしまうのはとても惜しいように感じている。皇国史観という考え方そのものに間違いがあったわけではなく、軍部がそれを国民を戦争に駆り立てるために利用したことに間違いがあっただけだ。歴史的に見ても、日本が天皇を中心とした国家であったことは事実なのだし。
 遡れば、神風が吹いてモンゴル軍を追い払ったあたりから勘違いが始まったとも言える。あれは単に騎馬民族のモンゴル軍が海に慣れていなくて自滅しただけで、神風が吹いて勝ったわけじゃない。

 だいぶ脱線してしまったから話を戻そう。
 紀元節は戦後に廃止されたあと、いつ建国記念の日として復活したかというと、昭和42年(1967年)、佐藤栄作内閣のときだ。それまで何度も法案としては提出されたものの、アメリカに反対されたり、時代を逆行するなどの理由で却下されたという経緯もあった。共産党などはいまだに文句を言っている。
 皇紀に関しては、現在も廃止されたわけではなく、非公式ながら存続している。法令上も生きているし、閏年(うるうどし)は皇紀を元にして作られているくらいだ。
 ちなみに、零戦というのも皇紀から来ている。正式名称・零式艦上戦闘機が製造されたのが1944年で、その年は皇紀2600年に当たり、当時の軍用機は下2桁を名称にするのが決まりとなっていた。なので、零式となったわけだ。ただし、陸軍では同じ年の兵器を一〇〇式と命名している。
 皇紀は年によって変動することはないので、西暦に660を足せば分かる。神道でも使われているから、神社へ行くと皇紀何年という表記をよく見かけると思う。
 こういうことは思想ではなく知識だから、今の学校でも教えていいと私は思う。歴代天皇の名前を覚える必要はないけど、現存する日本最古の歴史書である『古事記』や『日本書紀』についてくらいは、ある程度授業で教えてもいい。成立した年代や誰が編さんしたかなんてことではなくて、しっかり内容まで踏み込むべきだ。伝説や神話の世界だとしても、そこには元になった歴史的事実があるわけで、日本の国家の成り立ちというものを知るには避けて通れないものなのだから。それは皇国史観とか、軍国主義とかとはまったく別のものだ。
「ギリシャ神話」や「ローマ神話」より自分の国の「日本神話」を知らないというのも、考えてみたらおかしな話だ。
 日本人は初詣やお宮参りや七五三や受験祈願などでさんざん神社へ行っているのに、そこの神様がどういう神様か知らなすぎる。それは教育されていないから仕方がないことだ。一般教養でさえない。
 私もつい数年前までは何も知らなかったから人のことは言えなくて、やっぱり教育に問題があると思わざるを得ない。学校の授業で邪馬台国論争なんてのをしてもいいし、卑弥呼の墓だって、国家プロジェクトとして探してもいいくらいだ。
 話にとりとめがなくなってきた。今日はこれくらいにしておこう。
 とにかくそんなわけで、建国記念の日というのは、そういう日なのだということを知らないよりは知っておいた方がいい。祝日は一日でも多い方がいいから、否定する理由はない。

名東区の神社巡りはちょっとややこしい和示良神社から <第1回>

神社仏閣(Shrines and temples)
和良示神社-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 尾張旭の神社巡りを終えてしまった今、次はどこにしようかと考えたとき、普通なら住んでいる守山区ということになる。けれど、うちは名東区との境にあって、どちらかというと守山区よりも名東区の方が馴染みが深い。守山区は行ったことがないエリアがけっこうあるのに対して、名東区はほとんどの場所に足を踏み入れている。ということで、神社巡り第二弾は名東区編ということになった。
 名東区にいくつ神社があるのか、今のところ正確には把握していない。あまりたくさんあるという印象はなくて、10ということはなくても20はないなんじゃないかと思う。もっと多いんだろうか。
 第一回目に選んだのは、和示良神社だった。特に深い理由はなくて、たまたま地図を見ていて近所に行ったことがない神社を見つけたから行ってみたというだけだ。けど、これはいい選択だったかもしれないとあとから思うようになった。ここから名東区全体へと話がつながっていくことになりそうだからだ。
 市制施行で名古屋市が誕生したのが1889年(明治22年)で、区政を実施したのが1908年(明治41年)のことだった。当時は、中区、東区、西区、南区の4つしか区はなかった。
 その後、周辺の町や村を併合して区は増えていき、戦後は分裂して増え、現在は16区で落ち着いている。全部言えるか試してみたら、15区しか出てこなかった。中川区を忘れていた。
 名東区は天白区とともに最も新しい区で、1975年(昭和50年)にできたところだ。名東区は千種区から、天白区は昭和区からそれぞれ分離独立した。その当時、物心ついていたはずの私は、そんなことをまったく覚えていない。けっこうな話題になったことだったんだろうか。
 名東区の名前は、名古屋の東に位置していて、東名高速の名古屋インター近くで名古屋の東の玄関口という意味も込めて名づけられたそうだ。
 そんな区としては新しい名東区ではあるけど、縄文、弥生の時代からこの地には人が住んでいたことが分かっている。やじりや石器類などがたくさん発見されている。庄内川水系と天白川水系に挟まれた尾張丘陵で、暮らすのに適していたのだろう。
 古墳時代から鎌倉時代にかけては、窯業生産地だったという。今はまったくそんな面影は残っていないから、ちょっと意外な歴史の一面だ。
 鎌倉から室町時代にかけては、尾張国山田郡と愛知郡との境目あたりになっていたと考えられている。
 その後は、尾張守護の土岐氏、斯波氏と支配が移り、信長が生まれたことは守護代の織田氏の支配下にあったようだ。
 定かではないものの、一説によると、和示良神社の創建は秀吉の時代の1592年と伝えられている。秀吉の朝鮮出兵などでこのあたりが交通の要所として人の往来が多くなっていたとき、武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫が、安全祈願のために建てたのだという。武内宿禰については、このあと少し書いておきたい。
 江戸時代になると、いくつか村ができ、農村地帯としてそれなりに人が住むようになっていたらしい。矢田川水系と天白川水系と、南北はそれぞれ別の地域という認識が強かったようだ。東西の幹線道路はあっても、南北をつなぐ道は整備されていなかった。考えたら、302号線ができたのも最近のことだし、まだそれも大高までつながっていない。
 明治になっても田園地帯であることに変わりはなく、養蚕が盛んだったという。明治期には高針地域で亜炭がたくさん採掘されたのだとか。それも昭和20年代に終焉してしまったというから覚えているはずもない。
 昭和30年代まではのどかな田園風景で、住んでいる人も少なかった。昭和40年代もまだまだ田舎だったという記憶が残っている。
 ようやく発展し始めたのは、地下鉄東山線が開通したり、名古屋駅へ向かう出来町通が整備された以降のことだ。バスレーンはもっとあとで、1985年(昭和60年)のことだった。これはよく覚えている。道に色を塗って何をする気だと思ったものだった。
 気がついたら名古屋の住宅地としての地位を確立していて、名古屋の住みたい街上位にランキングされるまでになっていた。確かに駅からもほどよい距離感で、街中と郊外の両方を併せ持っているから、住むにはいいところだ。
 とまあ、名東区の歴史をざっと勉強したところで、そろそろ本題に入ることにしよう。

和良示神社-2

 略字で和示良神社と表記されるこの神社だけど、読み方が難しい。素直に「わじら」だと思っていたら、「かにら」と読むらしい。
 しかし、正式名称は上の写真にもあるように和爾良と表記して、これは「わにら」と読ませるのだという。
 やっかいなことに、春日井に和爾良神社(かにらじんじゃ)というのがあって、こちらは延喜式にも載っている由緒のある神社だ。そちらは和尓良という字も使われている。2005年に和爾良神社に迷い込んだことがあった。そのときからすでに縁はあったということになる。
 春日井の和爾良神社と、名東区の和示良神社との関係は、はっきり分かっていない。祀られている神様も違う。春日井のものも、はっきり延喜式の神社だと分かっているわけではなく、一応そうだろうということになっているだけらしいので、話はややこしい。
 はっきりしているのは、和示良神社は昔から猪子石原の氏神様として大事にされていて、明治41年に、西ノ切にあった木花開耶姫命を祭る浅間神社と、欠下にあった大山祗命を祭る山ノ神社を合祀して村社にしたということだ。当時は原の天神様と呼ばれていたという。神社の北側に天神下という地名が残っている。

和良示神社-3

 境内に建っているものはほとんどが新しいもので、どれも平成に入ってから再建されたもののようだ。近代的といえば聞こえはいいけど、最近の簡略化されたものばかりで、歴史の趣という点では見所はない。
 神様にしてみれば、古っちくてぼろくなった家より新しい家の方が居心地はいいのかもしれないけど。
 子供の頃、このあたりも何度か遊びに来た記憶はあるものの、神社に関してはまったく覚えがない。隣の猪子石原中央公園は何度か入ったことがあったけど、ここは学区外で、小中学生のときといえどもよその縄張りであまり踏み込みたくないという気持ちが強かったように思う。
 神社は幹線道路から奥まったところにあるから、用事がなければここまで入って来たりはしない。近所にもそういう場所はたくさんある。

和示良神社-4

 拝殿の中をのぞき見たら、草履が脱ぎっぱなしになっていた。神社の生活感を垣間見た。
 ガラスにぼんやり映り込んでいるのは亡霊ではなく私の姿だ。

和示良神社-5

 左が本殿で、右が摂社か末社だ。他から移ってきた山ノ神や浅間神社だと思う。
 祭神の武内宿禰(たけうちのすくね・たけのうちのすくね)については、これまで書いたことがない。私もよく分かっておらず、まだ消化し切れていないということがあって、書けないというのが実際のところだ。
 記紀によれば360年以上も生きて、景行天皇から成務、仲哀、応神、仁徳まで五代の天皇に244年間も仕えたという伝説の人物だ。
 しかし、もちろんそんなはずもなく、何代にも渡って活躍した人物をつなぎあわせたものだとか、ヤマトタケルの伝説と重なる部分が多いとか、様々な説があって、よく分からない。
 まったく想像上の人物かといえばそうとも言い切れず、奈良県にある宮山古墳は武内宿禰の墓という言い伝えがあったりするから、伝説の元になった人物は存在したのだろう。
 鳥取の宇倍神社や福井の気比神宮などが武内宿禰を祀る神社としては有名なところだ。
 いつも天皇近くに仕え、景行天皇のときの蝦夷討伐や、神功皇后の朝鮮出兵などの功績が伝えられている。
 明治から戦前にかけては、忠臣の代表のように考えられていて、5度もお札の肖像画になっている。どう考えても想像図だけど、誰が考えたのか。
 蘇我氏、巨勢氏、波多氏、葛城氏などは、武内宿禰を祖としている。
 興味深いと思った説としては、武内の宿禰ではなく、武の内宿禰で、この武は建やタケルに通じることからヤマトタケルと同一の存在だというものだ。日本武尊はもともとは小碓命(オウスノミコト)で、「古事記」では倭建命となっている。これは、ヤマト(倭国)の武勇に優れた人物といった意味で、そう考えると、武内宿禰も、宿禰さんちの武人ということではないか。宿禰というのは大和朝廷における名字のようなもので(姓・かばね)、真人(まひと)や朝臣(あそん)と同じものだ。
 となれば、武内宿禰は、宿禰家の武勇伝を集めた総称ということだったとしてもおかしくはない。歌舞伎界の市川團十郎のように襲名していったとも考えられる。おそらく、代々天皇の側近だった一族ではないか。ヤマトタケルと同一人物というのは違うかもしれない。
 今後別の場所で出会うことになったら、またそのときにもう少し勉強して書きたいと思う。

和示良神社-6

 反対側では、木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)が祀られている。浅間神社が移されたものだろうけど、由緒書きにはカッコして天照大神と書かれてる。同一神のはずはないから、一緒に祀られているということだろうか。
 武内宿禰のところにはカッコして誉田別尊(ホムタワケノミコト)とあって、これもよく分からない。応神天皇(おうじんてんのう)の別名だけど、どの時点で応神天皇が入って来たのか。創建当初からそういうことになっていたのだろうか。

和示良神社-7

 境内は意外と広い。右手のこのスペースも神社の領域だろうか。右の建物は神社の関係なのか、町内の集会所のようなものか。
 何にしても、ちょっとしたお祭りなどをするにはいいスペースだ。

和示良神社-8

 隣の猪子石原中央公園には、一段低くなったグラウンドがある。
 なんでこんな低くする必要があるのか不思議に思っていたら、矢田川が氾濫したときにここへ水を逃がして、一時貯水池にする空間なんだそうだ。なるほどそういうことかと納得はしたけど、この程度の小手先の対応で実際役に立つのかという疑問は残る。

和示良神社-9

 境内の梅はまだつぼみのままで、一輪も咲いてきてはいなかった。
 入り口に植えられていたのは桜の木だろう。

和示良神社-10

 境内から鳥居越しに南を見たら、いつも通っている出来町通が見えた。こんなところに神社があるとは今までまったく意識していなかったから、こちらを見ることもなかった。この神社へ行って以来、あちらからこちらを見るようになった。すると、はっきり鳥居が見えることに気づいた。見るという行為は興味を持って初めて成立するものなのだとあらためて思った。
 これもまた一つの縁で、縁は縁を呼び、横へ、縦へと広がっていく。
 名東区の神社巡りは、このあと猪子石の地名となった猪子石神社や、柴田勝家の史跡巡りへとつながっていく。東山通りから南の高針エリアは馴染みがないところが多いから、そちらとも縁がつながるのを楽しみにしている。

小幡緑地東園30分ショートコース写真

施設/公園(Park)
小幡緑地東園-1

Canon EOS 30D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS/ EF 75-300mm f4-5.6 IS



 少し空いた時間に近場で写真を撮ろうと思ったとき、候補はたくさんあるようで実はそんなにない。あることはあっても、どこも決め手に欠いてあそこへ行きたいという強い気持ちが起きないことが多い。すぐに思いつくところといえば、川か池か公園か緑地か、たいたいそんなものだ。名古屋の郊外に住んでいれば、そういう場所には事欠かないから恵まれているといえばそうかもしれない。ただ、すごく魅力的なところというわけではないから、何度も行くと飽きてしまうというのはある。
 1時間コースとなるとそれなりに候補地は出てくるのだけど、30分のショートコースとなると行ける場所は限られてくる。香流川とか矢田川とか雨池とか、そのあたりになりがちだ。
 ここのところ何度か続けて小幡緑地の本園に行ってるから、今回は東園に行くことにした。それは今日の話ではなく、先週のことだ。
 東園も何度かこのブログで登場しているし、小幡緑地について知っていることはだいたい書いたはずだから、今日は特に書き加えることもない。ただ、気になっていることとして、小幡緑地の東園と本園は本当につながるのだろうかということだ。
 上の写真のように東園は東名高速道路が緑地内を思い切り縦断している。どちらが先にできたのかは知らない。東園は、小幡緑地といいながら尾張旭市の桜が丘町にあって、正確に言えば小幡緑地ではない。
 ここから直線距離で800メートルほど離れた場所に本園があり、そちらが小幡だ。更に東名阪自動車道を挟んで西に飛び地の西園がある。そちらは地名としては牛牧となる。
 問題は東園と本園の間で、小幡緑地はここを中央園(整備中)と称している。そこには野鳥観察の森というのがあるものの、緑地してはきちんとした形になっていない。もう何年も前から整備中ということになっているのに、いっこうに整備が進んだ様子はない。もうあきらめてしまったんだろうか。
 このゾーンはほとんど行ったことがないから私はよく知らないのだけど、山の中の住宅地のようになっているんじゃないかと思う。八竜湿地や雨池公園も飲み込んでしまうような壮大な計画なんだろうか。
 そんなことを考えつつ、30分ほどフラッと散策しながら写真を撮ってきた。今日はそのときの様子を紹介します。

小幡緑地東園-2

 小幡緑地は、名古屋市ではなく愛知県の管轄になっているんだろうか。市をまたいでいるから、そうなんじゃないかと思うけど、本園に比べて東園は荒れている印象が強い。尾張旭市はこういう施設は大事にするから、尾張旭が管理しているのではなさそうだ。
 西園は一度しか行ったことがないからよく知らない。あちらは野球場やテニスコートや児童公園くらいしかないから、写真を撮りに行くところじゃない。

小幡緑地東園-3

 東園の芝生広場は、見ているだけでも気持ちのいいところで、写真に撮っても絵になる。白とエンジ色の建物が建ち並び、その前に並んでいる木の様子がちょっと外国っぽくもある。
 子供が走り回っていたり、犬を散歩させている人が多い。

小幡緑地東園-4

 ベンチではおばさまたちがのんびりひなたぼっこをしながらおしゃべりをしている。
 今年の名古屋は2月とは思えないような暖かい日が続いている。寒風が吹き荒れていたら、のんきにこんなところに座っていられない。
 2月が暖かいというのもなんだかちょっと変というか物足りない。暖かくなるのは3月からでいい。

小幡緑地東園-5

 林の池という名前の池があって、東屋風の休憩所も用意されている。いつ行っても、あまりひとけはない。小さな池で、釣りもできないし、見ていて楽しい風景でもなく、一周歩くのに10分もかからない。
 入り口からここまでも10分弱で、いつも池まで来て、やっぱりここは撮るものがないなと思う。これ以上奥へ進んでも何があるというわけではなく、だいたいこの池を一周して引き返すというのがお決まりのコースとなっている。なので、30分で終わってしまう。

小幡緑地東園-6

 葦やら雑草やらが盛大に生い茂っていて、近頃あまり見ることができなくなった野生の池の風情が残っている。私が子供の頃の池は、どこもこんな風だった。そういう意味では貴重な風景と言えなくもない。

小幡緑地東園-7

 ススキのなれの果てだろうか。よく似た仲間の植物かもしれない。
 ススキは萱(かや)ともいい、名古屋にも萱場町ということがあるけど、萱がつく地名は、昔はススキの原っぱが広がっていたところだったはずだ。北海道のススキノなんかもそうだ。
 今はすすき野なんてのもなくなってしまった。

小幡緑地東園-8

 コサギの飛翔。
 この池はいつ行ってもサギがいる。ダイサギだったり、アオサギだったり。
 池には小魚がそれなりにいるようだ。このときも、茂みに降り立ったコサギがエサ探しをしていた。
 カモには人気のない池だ。

小幡緑地東園-9

 今日は満月だったのに月を見ていない。名古屋は夕方から空が雲に覆われて、月は姿を現さなかった。
 これは先週の写真なので、月はまだだいぶ欠けている。
 月の裏側には異星人の基地や都市があって、異星人たちがたくさん住んでいるという話は昔からあった。それが、人類が月に行けない理由だというのは説得力がある説だと私も思う。1969年に行けたものが2009年に行けないはずがない。人類は月に行っていないということはたぶんない。何度も有人宇宙船が行っているのにそれ以上行けなくなったとしたら、そこには何らかの理由があるということになる。
 日本人は何故月を目指さないのか。技術力がないというだけの問題なのか。中国は月着陸をかなり本気で考えているようだから、それ次第でいろんなことが明らかになるかもしれない。
 本当のことを知らせるとパニックになるからというけど、事実を知ってる人がパニックになってないなら、みんなが知っても大丈夫なんじゃないか。隠し事ばかりされていたのでは人類はいつまで経っても大人になれない。おまえはまだ小さいから知らなくてもいいのと言われているようなものだ。

小幡緑地東園-10

 池の周りの散策路は、まだ枯れ葉模様で冬景色だ。
 今シーズンは海上の森へ行ってないから、春になる前に一度冬の森も見ておいた方がいい。
 ガサゴソ、シャカシャカと音を立てながら枯れ葉を踏み歩くのも、冬の楽しみの一つだ。

小幡緑地東園-11

 冬場はよく見られるメジロさんたち。せわしなくあっちの枝からこちらの枝へと飛び移って、鳴き交わしていた。その動きに翻弄されて、背景も光も狙って撮ってるような余裕はない。小鳥って、本当に落ち着きがない。
 メジロは梅や桜と一緒に撮ってみたい。今年こそチャンスが訪れて欲しい。

小幡緑地東園-12

 かつての休憩所らしきところも、ものすごい朽ち果てようだ。
 それ以前に、こんな道の真ん中にこんなものが必要だったとも思えない。おざなりなベンチも低すぎるし、どうせならテーブル代わりになるものも欲しい。

小幡緑地東園-13

 秋から咲き始めて年を越したサザンカも、そろそろ終わりが近づいた。一面にピンクの絨毯を作っている。
 ここは花も少ないところで、そういう部分でも魅力に欠けてしまっているのが惜しいところだ。
 公園と緑地の違いは、どれだけ手をかけるかによって決まるのかもしれない。公園は訪れる人を受け入れるために作られた施設で、緑地は必要最小限の整備をした場所を提供してるだけというような感じがある。厳密な定義分けはあるのだろうか。
 小幡緑地東園の魅力をあまりお伝えできたとも思えないけど、この日撮れた写真はこんなところだった。もう少し季節が進めば、撮るものも増えてくるだろう。また春になったら行ってみよう。

完成した3品は青写真とはまったく別の美味しいサンデーだった

料理(Cooking)
非イベントサンデー

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II



 今日は一週遅れの節分料理か、一足お先のバレンタイン料理なんてのをちょっと考えたものの、いいアイディアも浮かばず、どっちにしても中途半端になるということで、結局普通の料理になった。普通といっても世間一般の普通ではなく、私にとっての普通という意味だけど。
 今回もまた、着陸予定地と実際の着地点は大きくズレることとなった。左中間を破るツーベースを打つつもりが、あっち向いてホイ打法で一塁線を破ったような感じだ。結果オーライながら、二塁ベースの上でガッツポーズを取る私がいた。
 それにしても、こんな料理を作るつもりではなかった。頭の中のイメージは全然違った。私の思い描いた料理の青写真を見て注文した人がいたとして、出てきた料理がこんなだったら完全に苦情を言っている。おいおい、私が注文したのはこんなものじゃないぞ。写真とまったく違うじゃないか、と。私自身、出来上がったものを見て驚いたくらいだ。
 でも、こうなってしまったのだから仕方がない。出てきたものを食べるのが、食べ手としての私の義務だ。
 私が喫茶店のマスターになったら、日替わりランチではなく、お楽しみランチというメニューにする。何ができるか私にも読めない楽しみがある。

 今回の中で最も斬新だったのが左手前の一品だ。一見するとホワイトシチューの上に目玉焼きと何か得体の知れない物体が浮かんでいる料理に見えるだろう。でも、そうじゃない。これは、一応、オニオンスープから出発した料理だ。
 まずはタマネギをたっぷり刻んで、オリーブオイルでじっくり炒めるところから始まる。
 そこに白ワインを入れ、バターと小麦粉を混ぜ、少しずつお湯を加えて伸ばしていく。牛乳も入れる。その後、コンソメの素と塩、コショウで味付けをして、チーズも投入する。
 更にワンタンの皮を細切りにしたものが入っている。それでしばらく煮込んだらベースは完成だ。
 目玉焼きは、タマネギのリングをオリーブオイルで焼いて、その中に卵を落として丸い形にする。目玉焼きというか、半熟にするために目玉蒸しにしてある。白身が固まってきたところで水を加え入れて、フライパンにフタをして蒸し焼きにする。こうすると、白身も黄身も固くならない。オニオンリングを外しても丸い目玉焼きの形を保っているから、見た目もきれいだ。
 周りに浮かんでいる茶色のはトーストだ。カリカリに焼いたトーストとオニオンスープはよく合う。ただし、もっと小さく切るべきだった。
 青いのはパセリだ。
 結果的にシチューに近い味になったのだけど、とても美味しいから、オススメしたい。ネギの甘みもよく出ているし、ワンタンのぷにゅぷにゅと、トーストのカリカリと、タマネギのシャキシャキと、いろんな食感が楽しめるのもこの料理の特徴だ。目玉焼きを崩して黄身を混ぜることで味変わりにもなる。

 右側のものは、魚肉ソーセージを作るつもりが、結果的に白身魚の団子フライになった。これもずいぶん思惑からは外れていった一品で、でも結果としては美味しくなったから、怪我の功名だった。
 白身魚の切り身(タラ)を刻んで、塩、コショウ、酒、しょう油、ダシの素、カタクリ粉を入れてよく混ぜこねる。
 それに、小麦粉、卵、パン粉と順番につけて揚げれば出来上がりだ。
 たれは、めんつゆにしょう油、酒、唐辛子、水を加えて、ひと煮立ちさせて作る。
 最後にたっぷり青のりを振りかける。
 白身魚だけなのに、ふわふわ食感で不思議に美味しい。白身をそのままフライや天ぷらにするのとは全然違う料理だ。
 これもオススメできる。魚嫌いの子供でも喜んで食べるはずだ。

 一番奥のものは、最初から自分自身どういうものができるのか見当がつかないまま手探りで作っていくことになった。イメージがひどく曖昧なまま作り始めて、食べてみるまでどんな味なのか、予想がつかなかった。
 基本的に何がしたかったかというと、ほうれん草のソースを作りたかったのだ。ただ、ミキサーもジューサーもなく、包丁で刻んだだけではペースト状にならず、ソースという形になりきらなかった。
 適当に残った野菜を湯がいていって、最後にほうれん草ソースをかけようと思っていたら、温野菜とほうれん草ソースもどきが同居するような格好になった。でも、これがまずかったかといえばそうでもなく、ショート、レフト、センターの間に落ちるテキサスヒット的な一品となった。今日はいろんな面においてツイていた。
 キャベツ、鶏肉、ブロッコリー、エビ、アスパラを塩とダシの素を入れたスープで湯がく。
 ほうれん草は下茹でして、水気を絞って細かく刻み、オリーブオイル、白ワイン、しょう油、からし、塩、コショウ、コンソメの素、スープを入れて加熱する。
 ソース状にはならなかったものの、温野菜を絡めて食べたら美味しかった。もっと上手く作ればもっとよくなるという可能性を感じた。ほうれん草をディップとして、温野菜をそれにつけて食べるという方がよかったかもしれない。
 野菜は加熱すると栄養素が溶け出してしまうことがあるけど、生に比べていろんな種類をたくさん食べられるというメリットもある。私も生野菜はちょっと苦手だけど、温野菜を美味しい味付けにしたものは好きだ。嫌いな食べ物も、調理次第で食べられるようになる。

 今日はラッキーなヒットが続いて、三打数三安打だった。たまにはこういうこともある。ただ、これが実力だと勘違いしてはいけない。料理が止まって見えるというほど料理の神様に近づいたわけではない。幸運はそんなに続くものではない。基本の反復練習に裏打ちされた自信と実力が必要だ。
 来週はバレンタインデー翌日ということで、料理とは別に自分でチョコレート関連の何かを作りたいと思っている。もらえぬなら作ってしまえチョコレート。
 レンガチョコは何度か作っているから、何か別のものを作ろう。義理チョコを溶かして固めて招き猫チョコを作ったのは、もう3年前になるだろうか。あれを超える傑作を生み出すのはなかなか難しいけど、あと一週間あるから考えてみよう。
 みなさんも、よいバレンタインを。

冬枯れの茶色風景を撮りながら春を待つ <第4回>

施設/公園(Park)
東山植物園冬-1

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8



 東山植物園シリーズ最終回は、2月らしい枯れ風景をお届けします。
 冬に春の写真を求めるのはないものねだりで、冬は冬らしい写真を撮ればいい。冬にしか出会えない風景もある。
 とはいえ、これがなかなか難しい。寒風が伝わるような写真は撮れなかった。雨の表現とともに冬の空気感を写真で伝えるのは、春や夏ほど簡単じゃない。頭の中にぼんやりとしたイメージはあるものの、まだそれを形にできないでいる。

東山植物園冬-2

 枯れ草を撮るというのは安易ではあるけれど、冬を表現するには手っ取り早い。
 夏の草が枯れて秋に向かっていくのとは違う寂しさがある。冬の草花が春の訪れとともに暖かさに負けて枯れていく姿は、なんとなく申し訳ないような、今まで大事に思わなくてすまなかったような気持ちになる。陽の当たらない地味な役所をきっちり演じて、静かに去ってゆく脇役俳優みたいだ。冬の間の元気な姿をもっと撮ってあげればよかったとも思う。
 ススキは特に撮らなかった。月にススキなんてのも絵になる風景なのに。

東山植物園冬-3

 花の名残を残しつつ立ち枯れているのを見ると、立ち往生という言葉を思い出す。スタンディングノックダウン。
 花は使命を果たして短い命を終えていくものだけど、人はその姿を見て季節に負けたみたいに感じる。冬を越せない虫たちのように。あるいは、毎年新人が入ってきて、その分退団に追い込まれるプロスポーツ界のベテランを思う。
 生と死は重なりながらつながっていく。死は生のために、生は死のために。
 それは私たちも同じだ。

東山植物園冬-4

 春から秋まで長く咲いているゼラニュームも、2月にはこんな姿になっている。明るい緑色をした葉が紅葉しながら枯れていくのを初めて知った。
 老いて尚美しくあろうとするぎりぎりの抵抗を見るようだ。

東山植物園冬-5

 こんな花を見た覚えがある。何だろう。アキノタムラソウとかに似ている気もしたけど、たぶん違う。中国植物を集めた一角にあったから、中国の野草かもしれない。
 考えたら私の野草の知識は、咲いている状態の花姿に限られている。花の前の様子も、そのあとも、追いかけて見ていない。それでは本当に知っていることにはならない。もう少し花の前後についても興味を持つ必要がありそうだ。

東山植物園冬-6

 水面に映った冬枯れの木と空。
 葉を落とした木の枝は、毛細血管を連想させる。
 こんな姿になった木も、ただ寒さに耐えてじっとしているわけではない。葉を落としたときから次の春の準備が始まっているのだろう。あと2ヶ月か3ヶ月もすれば、また青々と生い茂る。5月の森に入ると、木々の生命力の強さに圧倒される。こいつらはすごいと思う。

東山植物園冬-7

 入り口入ってすぐの風景も、まだまだ冬景色だ。ほぼ茶色が世界を支配している。
 中原中也は戦争を茶色と表現したけど、私の中では冬のイメージが茶色だ。春は緑で、夏は青空の青、秋は紅葉の赤というのは、だいたい共通したイメージカラーだろうか。

東山植物園冬-8

 屋久島の縄文杉レプリカと、母子連れさん。
 この時期の植物園は見所が少ないということで、入園者もまばらだ。園内は閑散としている。私も2月の植物園は初めてだった。
 梅が咲き揃う頃にはもう少し賑やかになるだろう。あとひと月ちょっとで桜も咲いてくる。そう思うと、のんびり構えてはいられない。

東山植物園冬-9

 そういえば竹は一年中変わらず青々としている。冬場は少し黄色がかるのだろうか。
 竹林の美というのも写し取りたくてなかなか思い通りにいかない被写体だ。何度も挑戦しているけど上手くいかない。まだイメージがちゃんと固まっていないのだろう。
 左側に写ってる車は、愛・地球博で使われていたもののようだ。モリゾーとキッコロのステッカーが貼られていた。環境に優しいミニ電気自動車か。
 植物園の中はけっこう広いから、何か移動手段があってもいいんじゃないか。レンタサイクルでもいいし、カートみたいなものがあれば年配の人も助かる。

東山植物園冬-10

 植物園は植物を見るためだけにあるのではない。のんびりまったり過ごすにもいいところだ。まだ今は少し寒いけど、暖かくなれば一日いても500円だから安上がりなものだ。朝から夕方まで粘っても誰にとがめられるわけでもない。
 外国人が座って本を読んだり、昼寝をしたりなんて光景も見られる。
 私は貧乏性だから、そんなことはしてられない。時間いっぱい使って少しでも写真をたくさん撮りたいと思ってしまう。

東山植物園冬-11

 高台のお花畑にある展望台からの眺め。名古屋駅の高層ビル群や、テレビ塔などが見える。左手には中京テレビのタワーが近くに見えた。目の前には天使の像と、その向こうに東山のスカイタワーが建っている。
 できればあと5メートルか10メートルくらい高いところから眺めたい。そうすれば、ナゴヤドームや名古屋城も見られるんじゃないだろうか。
 植物園は5時で閉まってしまうから、一番日が日没が早いときでも夜景は難しいか。4時40分にこの場所にいたら、5時までに門まで行けない。
 夜景を見たければ、素直に東山スカイタワーに登れということだ。

 2月にしては、まずまず収穫があった。次は3月か、4月か。4月になってしまうと間の季節が一つ飛んでしまうから、できれば3月にもう一度行っておいた方がいい。3月に入れば、一週ごとに大きく変化していく。
 これからの花予定としては、もう少し梅を撮って、できれば福寿草も近くから撮りたい。セツブンソウは今年も見られずじまいで終わりそうだ。
 足元の身近な野草も撮りつつ、スミレを待つ。そろそろ早咲きの菜の花が満開になったという便りも届き始めた。
 緑色の季節になるまであともうちょっと。冬の名残を感じながら、春を楽しみに待ちたい。

一度は行きたい白川郷の予習を東山植物園でする <第3回>

建物(Architecture)
合掌造り-1

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II



 花写真が続いたから、ちょっと趣向を変えて、今日は東山植物園の中にある合掌造りの写真を紹介しようと思う。
 どういう理由で合掌造りの家がこの場所に移転されることになったのかはよく知らない。岐阜県白川村の大牧集落が鳩ヶ谷ダムで水没することになり、昭和31年(1956年)にこの場所に移築された。ここに来てからすでに50年以上の歳月が流れているにもかかわらず、いまだにがっしりと揺るぎなく建っている。
 もともとこの家は、江戸時代の1842年に建てられたものだそうで、高さは10メートル、広さは264平方メートルと、白川村でも最大級だったという。
 平成19年に開園70周年を迎えるということもあって、平成18年から一年近くをかけて茅葺き屋根の葺き替えが行われた。テレビのニュースでは見たのだけど、実際の作業は見ていない。前回が昭和60年だったことを思うと、次はまた20年くらい先になりそうだ。
 白川村では集落の人間が大勢お手伝いをして葺き替え作業を行う。費用は数千万円かかるというから、軽い気持ちではできない。現地では毎年大雪が積もるから、頻繁に修復が必要となる。維持はとんでもなく大変だ。世界遺産に指定されると補助金とか出るんだろうか。
 合掌造りというのは、とんがった屋根の形が合唱した手の形に似ているところからそう呼ばれるようになった。昔はさほど特別な建築様式ではなく、特に雪国などではよく見られた民家のスタイルだった。
 茅葺き屋根は雨が染み込むとよくないから、急斜面にする必要があった。それは同時に、屋根に積もった雪が落ちやすいという利点もあった。
 現在はほとんどが姿を消し、昔の姿そのままで残っているところが少なくなったということで、残された白川郷や五箇山が世界遺産に登録されることとなったのだった。
 白川郷の合掌造りを広く世界に知らしめたのは、ドイツの建築学者ブルーノ・タウトだ。昭和10年(1935年)に白川郷を訪れたタウトは、極めて論理的な庶民建築と著書に書き、世界だけでなく日本人にも知られることとなった。
 それまで交通が不便だった白川郷は、雪が降ると陸の孤島となって、外部の人間は近づくことさえできないようなところとなり、日本からも忘れられていたという。
 平成7年に世界遺産に登録されて以来、年間の観光客はそれまでの60万人から150万人を超えるようになった。去年高速道路も開通したから、更に観光客は増えることだろう。そうなると、古き良き時代の風景を守るのもだんだん難しくなっていきそうだ。
 私も一度行って見てみたいと思いつつ、なかなか行けずにいる。名古屋から車で3時間くらいだろうか。思うほどは遠くはない。けど、直通のバスで行った方が楽そうだ。

合掌造り-2

 祖父母の家も田舎の木造家屋だったけど、こんな立派な建物ではなかった。圧倒的な存在感にたじろぎそうだ。田舎の権威みたいなものを感じる。
 こんな大きな家では、隠居した家長くらいしか縁側でのんびりくつろいでいることを許されないんじゃないかと思わせる。
 この家の前に立つと、自分は家族の一員ではなく、使用人の気分になる。これは前世の記憶だろうか。腰をかがめて、旦那様、何がご用はございませんかなどと言ってしまいそうだ。

合掌造り-3

 この合掌造りは何度も見ていて、外から写真を撮ったのも二度や三度ではない。なのに、実は家の中に入るのは今回が初めてだった。ちょうど人の切れ目で、中にも外にも誰もいなかったので、これはいい機会だとお邪魔することにした。
 といってもこっそり忍び込んだというのではなく、誰でも入っていいのだけど。
 がらんと広い部屋の中に囲炉裏が二つ。しかし、こんなもの二つでは、昔はさぞかし寒かったろう。戸の間からすきま風も入ってきただろうに。
 昔の暮らしは素朴でよかったなんて言う人がいるけど、とんでもない。昔の生活の厳しさを私たちは忘れてしまってるだけだ。必要以上に暑かったり寒かったり不便だったりする生活は、もう嫌だ。

合掌造り-4

 ああ、いいなと思う。縁側から入り込む光の具合や、日本家屋が作り出す影に心安らぐ。優しさと温もりがある。
 こういうところに美しさを感じるのも、日本人特有の感覚なのだろう。

合掌造り-5

 表から見ていると居丈高に見えたこの家も、中に入ってしまうと、こちら側の住人になったようで安心感が生まれる。すぐにこの室内の空気感に馴染んだ。居心地がいい。
 演出で作られた干し柿にも生活の匂いみたいなものを感じた。フッと感覚がトリップする。

合掌造り-6

 板床のひんやりした感じは、遠いものではない。懐かしささえある。
 フローリングなんてものはちっとも新しいものではなくて、日本には昔から当たり前にあったものだ。室町時代の城もフローリングといえばフローリングだ。
 日本家屋の光と影という主題でもっと写真が撮りたくなった。いい光のときに、また明治村へ行こう。

合掌造り-7

 台所や物置、作業所なども、そのまま再現されている。こちらは暗くて寒々しい。
 家の中でもこういう部分は実際に人が生活していないと、温もりはまったく感じられない。使用人だった頃のつらい記憶が蘇りそうだ(本当に使用人だったんだろうか、私)。
 白川郷にもこういう見学できる家が用意されているそうだけど、こんなにゆっくり見て回ることはできないだろうから、そういう意味でも東山植物園のこの建物は価値がある。
 集落の合掌造りはみなさん住んでいるから、当然室内は見られないはずだ。

合掌造り-8

 合掌造りと関係あるのかないのか、鶴などの折り紙が吊されていた。冬は雪で外に出られないから、みんなして折り紙でもしてたというのか。
 裸電球というのもいかにもという感じだけど、移築された年代を考えると当時はまだそうだったのかもしれない。

合掌造り-9

 奥には仏間があり、その更に奥には神棚もある。ここでも当時の神仏習合の名残が見受けられる。
 下に並んでいるのは燭台だ。
 ここは奥座敷で、家長の寝室だったようだ。デイと呼ばれていたらしい。
 仏間はナイジンというそうだ。
 その他、居間のことをオエなど、いろいろ地方特有の呼び名がついていたようだ。もしかすると、今でも受け継がれて使っているのかもしれない。

合掌造り-10

 わらじでもなく、かんじきでもなく、こんなふうにワラで編んだ靴を何というんだろう。
 雪国の人が履いているというイメージの靴だ。聞けば思い出すのか、全然聞いたことがない名前なのか。
 生活の知恵というのは大したもので、ないものは自分で作ってしまおうという発想が昔の日本人にはあった。そこから偉大な発明も生まれた。今は既製品を買うことしか考えないから、脳は退化している部分もある。
 これを履いて電車に乗っていたらかなり斬新だろう。上はスーツなら、尚いい。

合掌造り-11

 合掌造りにすると屋根裏に広い空間ができる。ここを遊ばせておくのはもったいないということで、養蚕(ようさん)が始まった。3層、4層に区切って、たくさんの蚕(カイコ)を飼っていたという。もちろん、趣味で飼っていたわけではない。繭から生糸をとるためだ。
 今どきの人はカイコなんて見たことがないかもしれないけど、私たちの子供の頃はまだ身近にカイコがいた。どういうきっかけで誰にもらったのかは忘れててしまったけど、一時カイコを飼っていたことがある。近所にエサとなる桑の葉もとりに行った。繭も持っていたはずだ。最後は羽化して蛾になって飛んでいったんだったか、どうだったか。
 現在でもわずかに養蚕農家が存続しているそうだ。当然ながら、そこでとれる生糸は超高級品となる。それでも、わずかしか残ってないということは、労力に見合うほど儲からないということだろう。

 合掌造りについての予習が済んだところで、あとは実際に現地に行ってのフィールドワークだ。東山植物園の建物は、あくまでも展示品だ。言葉は悪いけど、死んだ建物だ。実際に使われている建物を見れば、また全然違った感想を抱くに違いない。それになにより、合掌造りの家は、山間の風景に建っていてこそだ。山里の風景を撮りたい。家屋そのものが見たいわけではない。
 雪の集落風景が最高だろうけど、それを見に行く根性が私にあるかどうか。冬場は自分の車では行けないから、行くならバスということになる。遅い春というのもよさそうだ。

花まだ少ない2月の植物園で色コレクション <第2回>

花/植物(Flower/plant)
東山植物園2-1

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8



 東山植物園シリーズ第2回は、色を意識した写真を集めてみた。初春ということで園内をざっと見渡してみてもまだ咲いている花は少なく、彩りも乏しいように見える。けれど、花の一つひとつに近づいていってみれば、そこには総天然色の世界がある。この世は色に満ちていると、あらためて知る。
 ということで、今日は色写真を中心にお送りします。まずはジャノメエリカから。
 漢字で書くと蛇の目エリカとなる。この字を見ると、エリカ様を連想しがちだ。ヘビのような目でにらんで、別に、と言いそう。
 黒い部分を蛇の目に見立ててつけたのだろう。
 最近は蛇の目傘という言葉も使わなくなった。そもそも、蛇の目傘なんてそこらの店では売ってない。いくら雨が降っても、母さんは蛇の目傘を持って迎えに来てはくれない。あの童謡を聞いて、子供たちは蛇の目の意味が分かるのだろうか。
 南アフリカ原産の花にもかかわらず、冬に咲き始めて、越冬して春まで咲いている。南アフリカは高地だから、思うよりも冬は気温が下がるのかもしれない。
 エリカは他にも何種類かあるそうだ。

東山植物園2-2

 これは温室に咲いていた花で、名前は分からない。
 時間切れで温室は入り口でちらっと撮っただけで終わった。色を求めるなら温室ほど適した場所はないのだけど、人工着色料のようでなんとなく邪道のような気もする。

東山植物園2-3

 温室は年中色が溢れかえっている。温室の花を撮るなら、こちらだけに特化させたい。野草と並べると印象が拡散してしまって、とりとめがなくなる。
 機会があれば温室で何色集められるかという試みもしてみたい。

東山植物園2-12

 外では寒さに負けずパンジーが様々な色で咲いている。もともとは地味なスミレから始まっているとは思えない。
 園芸種は1800年代に北欧で栽培が始まったことから、寒さに強い品種となった。
 日本でも冬場の花壇を彩る花として重宝されているけど、欧米人の方がパンジーに対しては思い入れが強いようだ。

東山植物園2-4

 不思議な形をした花だ。日本にはこんな花は咲かない。色や形で国産の花か外国産か分かるのは、日本人としての感覚が悟らせるからか、経験から予測するのか、どちらだろう。
 日本産と思っている花がもともとは外国産だったりすることもあるから、外国から日本に来た人と同じように、長くいて馴染んでいれば日本産と同じとも言えるだろうか。コスモスなんかも、今ではメキシコ出身と思って接している人はほとんどいないだろうし。
 マホニア ロマリーフォリアという名前のこの花は、台湾やミャンマーが原産地だ。中国西部の一部にも咲いているらしい。やはり南国の花という印象を受ける。
 中国に咲くヒイラギナンテンの仲間で、ヒイラギナンテンと掛け合わせたマホニアチャリティーという品種も一般に出回っているようだ。
 中国は広いから、ときどき妙にバタ臭いような花がある。中国でも季節の野草を追いかけて写真に撮っている人たちは多いんだろうか。

東山植物園2-5

 中国のシナマンサクと、日本のマンサクの区別は分かりやすい。花が咲いているときに枯れ葉がついているのがシナマンサクだ。咲く時期はシナマンサクの方が早く、マンサクは遅れて咲いてくる。
 けれど、最近はどこへ行ってもシナマンサクばかりで、国産のマンサクは少ない。私もはっきりあそこに咲いているという場所を把握していない。今年はちゃんとマンサクが咲く場所を覚えなくてはいけない。
 花の違いとしては、マンサクの方が花びらが細くて量が多いように思う。色味もマンサクの方が明るい。

東山植物園2-6

 黄色つながりで黄水仙も仲間に入れてみた。
 けど、黄水仙って今頃咲いてるものだろうか。白い水仙は冬に咲くものだけど、黄水仙は春に咲く花だ。こいつは季節を先取りして早々に咲いてきてしまったのだろうか。ここでだけ、ポツリと咲いていた。
 黄水仙の原産地は地中海西部の沿岸だ。これも聞くと意外に思うんじゃないだろうか。

東山植物園2-7

 フキノトウは初めて見た。できれば野生のものを見たかったのだけど、これは室内で栽培されていたものだ。
 花茎がここまで顔を出してしまうと、やや食べ頃を過ぎてしまっている。いわゆる「とうがたつ(薹が立つ)」というやつだ。フキに限らず、花などが出てしまって食べ頃を過ぎてしまうことを薹が立つといい、転じて旬を過ぎた人という意味で使われるようになった。最近はあまり聞かなくなったか。

東山植物園2-8

 南天の葉っぱの裏側がこんなに鮮やかな赤色をしてるとは知らなかった。表から見ると葉っぱは緑色をしている。
 南天は、名前が難を転じるに通じるということで縁起のいい木とされている。福寿草と一緒に植えるなんて洒落も昔の人はしていたようだ。
 南天といえばのど飴だろうということで、実をダイレクトにかじってしまうのはよくない。軽い毒を持っているらしいから。

東山植物園2-9

 強い色が続いたから、最後は淡い色で締めくくることにしよう。
 展示室にたくさんの雪割草が集められていた。
 雪割草は以前から一度見てみたいと思っていたから嬉しかったのだけど、やっぱり自然の中で文字通り雪を割って顔を出してきた花を見てみたい。
 もう10年以上前になるだろうか、PSのやるドラシリーズで「雪割りの花」というのがあった。妙に重くて暗いゲームだったけど、その中の重要なモチーフとなっていた雪割草の印象が強く残っている。

東山植物園2-10

 様々な色や形のものがあって、アジサイの世界にちょっと近いものを感じた。雪割草愛好家という人たちもたくさんいるようで、じっくりと眺めていた。
 閉園時間ぎりぎりでゆっくり見られなかったのが残念だった。もっといろんな品種の写真も撮っておきたかった。

東山植物園2-11

 バイカオウレンも前から一度見たいと思っていて念願が叶ったのに、ブレブレ写真になってしまった。室内で暗かったのに、ISO感度を上げるのを忘れていた。急いで撮ったから焦ったというのもあった。失敗した。
 バイカオウレンは、山の上の方でひっそり咲いているというイメージが強い。岩屋堂の浄源寺裏にもあるという話だけど、私には見つけられなかった。探す場所が違っているのかもしれない。撮りきれなかったセリバオウレンや福寿草のこともあるし、もう一度岩屋堂へ行くべきか、来年のお楽しみにするべきか。

 並べた写真を見返してみたら、青色がないことに気づいた。春の青といえばすぐに思い浮かぶのがオオイヌノフグリの青だ。このときは一輪も見つけることができなかった。私が春の青で最も好きなハルリンドウは、3月まで待たなければならない。スミレがぼちぼち咲いてくる頃だろうか。
 花色コレクションはこれからも意識して続けていきたいと思っている。花の姿を撮るというだけでなく、色を撮るという視点で見ると、また違ったものが見えてくる。
 この世界に色が戻ってくるまであともう少しだ。

植物園を巡れば立春は確かに春だと思う <第1回>

施設/公園(Park)
東山植物園1-1

Canon EOS 10D+Canon EF50mm f1.8 II/ EF100mm f2.8



 今日は立春。季節を分ける節分が終わり、冬から春へと移り変わった。
 いつもの年なら暦の上では春といってもまだまだ寒いですねという会話が交わされるところだけど、今年の名古屋はとても暖かい一日だった。最高気温は13度まで上がって、歩いていると上着が邪魔なくらいだった。
 春分だから春っぽい話題をお届けしようということで、今日は東山植物園の花写真にした。まだまだ春のメンバー総出演とはいかないまでも、だいぶ顔ぶれは揃ってきた。春先の花は案外あっけなく終わってしまうものもあるから、油断していると見逃してしまう。今年はわりと先行できているから、この調子をできるだけ保っていきたい。
 この時期の花を探して、ぐるりと園内を一週してきた。その中から今日はまず第一弾を紹介しよう。

東山植物園1-2

 今日一番のお目当ては福寿草だった。東谷山フルーツパークで見つけることができなかったから、ぜひ一度撮ってみたかった。
 がしかし、咲いている花の数が少ない上に距離が遠くて、思ったように撮れずに不完全燃焼に終わった。もっと近くから大写ししたかった。
 咲いている場所は、武家屋敷門の前と、也有園の奥だ。
 なんでこんな白い砂を入れてるんだろうと不思議に思ったのだけど、もしかしたら雪の演出だったのかとあとから気づいた。福寿草は雪を割って咲いてくるような花だから、そういう狙いだとしたら間違ってはいない。
 それにしても、もう少し近くから撮らせて欲しい。

東山植物園1-3

 初春の野草では、ようやくヒメオドリコソウを一輪見つけただけだった。オオイヌノフグリも、ホトケノザも見あたらなかった。東谷山フルーツパークが特別早かっただけで、一般的はまだこれからなんだろう。もう少ししたら嫌というほど見ることになる。

東山植物園1-4

 シナマンサクも撮ることができて、これでまた一つクリアした。花は基本的に順番に咲いてくるもので、それを順序よく見られると気分的にすっきりする。何か見落としたまま先へ進んでしまうと、心の中で引っかかりとなる。
 春先の黄色い花といえば、ロウバイとマンサクで、この二つを見ると、ああ、2月なんだなと思う。

東山植物園1-5

 これは中心が赤いからロウバイだと思う。ソシンロウバイと両方あった。ソシンロウバイは東谷山で撮ったから、ロウバイもクリアとなった。
 もう一つの黄色い花であるサンシュユはまだ先だ。

東山植物園1-7

 咲くと黄色いミツマタは、まだつぼみの状態だった。花を咲かせるのは3月だ。足助の飯盛山へカタクリの花を撮りに行ったとき、よく咲いているのを見る。
 それでももう、2月からしっかり準備を始めている。今年は暖かいから早めに咲いてくるかもしれない。

東山植物園1-6

 このつぼみはコブシだろうか。よく似た姿のものが他にもあったような気がする。ハクモクレンのつぼみはもっと大きいはずだ。
 いろんな木がつぼみを膨らませているのを見るだけでも春を感じる。ついこの前まで正月だと思ったら、もう春がすぐそこまで来ている。そう考えると気持ちが焦る。

東山植物園1-8

 梅といっても品種や木によって咲く時期にはだいぶ差があって、ようやく咲き始めた木もあれば、もう満開に近いようなものもある。
 梅の木にもたくさんの品種があって、お花畑近くの梅林にはいろいろな木が植えられている。見分けがつくようになろうとか、品種名を覚えようなどという気はまったくないけど、こんなにもいろんな品種があるものなんだと驚いた。桜の木はそれなりに品種を意識するけど、梅の品種というのは今まで気にかけたことがなかった。なんでも300種類以上あるそうだ。

東山植物園1-9

 これはちょうどいい感じに咲いていた。梅も満開よりその手前の方が被写体としては向いている。咲き切ってしまうと枯れかけの花が入ってきてしまって、かえって難しくなる。梅も桜と同様、つぼみがあった方が変化が出て絵になりやすい。見頃は8分、9分咲きとしても、撮り頃は5分、6分くらいじゃないだろうか。
 梅をどう撮るのがいいかは、今回もまたよく分からないままだったのだけど。

東山植物園1-10

 ツバキとサザンカは花の姿がよく似ているから、イメージがごっちゃになっているところがある。ツバキもなんとなく冬の花のような気がしているけど、実際は初春の花だ。サザンカは秋から冬にかけて咲く。カンツバキもあるから、ややこしいことになる。
 よく言われる見分け方としては、花ごとぼとりと落ちるのがツバキ、花びらが散るのがサザンカだ。
 ただ、両方とも咲いている時期だとその見分け方では分からず、園芸種となるとますます混乱する。

東山植物園1-11

 かつては冬の風物詩として当たり前にあった干し柿も、最近ではすっかり珍しいものとなった。昔はうちの田舎でもよく作っていてお裾分けしてくれたものだ。私は好きじゃなかったからほとんど食べなかったけど、なくなってみるとちょっと寂しい。たまに店で売っているのを見ると、びっくりするくらい高い。こんなもの、普通じゃまずくて食べられないような柿を干しただけじゃないかと思う。

東山植物園1-12

 これはたぶん、ハンカチノキの実じゃないかと思う。
 初夏に、白い花が実となる部分を覆うように咲く。その様子がハンカチみたいだというのでこの名がつけられた。
 実は初めて見た。

 2月なんて花はまだまだと思っているかもしれないけど、こうして集めてみると、けっこうな種類が咲いているのだ。まだこれは撮った中の半分でもない。
 日本は四季の花が途切れることがないことをあらためて知る。すべての花が暖かい季節が好きというわけではない。寒い冬にしか咲けない花もある。
 やっぱり年間を通じて植物園は通わないといけないと思った。そろそろ年間パスポートを買うか。動物園と共通で2,000円なら安い。買えばもっと行くことになるだろうし。
 初春の東山植物園シリーズは、全部で3回か4回になりそうだ。季節ものだから、早めにまとめて紹介してしまいたい。

花鳥園の鳥たちとはまた会う日までしばしの別れ <第6回>

動物園(Zoo)
花鳥園6-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / smc Takumar 135mm f2.5



 今日は花鳥園シリーズの最終回。残った写真を集めて並べて終わりにしよう。
 まずは水辺の鳥たちから。
 上の写真は、レンカクの子供だ。チビだった頃は生まれたスイレンプールにいたのだけど、親にいじめられたとかで、水辺の鳥たちのプールに移されてきていた。たくさんの鳥たちがる中に混じってたくましく生きていたので安心した。
 けど、このままここで大きくなっていくのだろうか。レンカクというと、水に浮かぶ葉っぱの上を走り回っているイメージが強い。ここにいると、その特技を発揮できないまま能力が衰えてしまうのではないかと心配になる。今更出戻っても親と上手くいかないだろうし、なかなか難しいところだ。
 レンカクがこれほど繁殖するというのも珍しいだろうから、いずれはよそへもらわれていくのかもしれない。

花鳥園6-2

 セイタカシギの大群は、例によって例の如く、ワラワラといた。ときどき急に走り出したり、飛んだりして騒いでいる。止まろうとして滑る水底に足を取られてツルッとなっている姿がかわいい。
 どんどん生まれてこんなに増えてしまったのかと思いきや、ここでの繁殖例はないそうだ。ということは、これだけ一度に全部買ってきたのだろうか。加茂さん、ちょっと買いすぎた。混雑しすぎて繁殖できないというのはないのだろうか。
 ただ、この状況でもショウジョウトキなどは子供が生まれているから、セイタカシギは飼育下での繁殖は難しいのだろう。

花鳥園6-3

 ヘラサギだと思うけど、クロツラヘラサギだろうか。あまり自信がない。
 ヘラサギは東海地方までにはやって来ないから、野生のものを見る機会はない。九州に少数が冬鳥として飛来するそうだ。
 こういうヘラ状のクチバシをした鳥がときどきいる。どういうメリットがあるんだろう。この形状の方がコケなどを食べるときに効率がいいのか。
 生物はそれぞれが必要に応じて進化していったのだろうけど、どれをとっても不思議なものだ。

花鳥園6-5

 クチバシが広いつながりでハシビロガモを……って、キミは誰ですか?
 顔つきとクチバシはハシビロガモだけど、全体的に偽物感が強い。羽の色がおかしいし、本来なら頭はもっと鮮やかな緑色をしているはずだ。何かとの混血だろうか。
 ハシビロガモは留鳥ではないから、この冬に渡ってきたものに違いないのだけど、1月まで羽が生えかわってないはずもなく、なんだかよく分からなかった。
 今回初めて池の奥まで行けるようになっていて、ずんずん歩いていったら裏山に出た。あの池が奥まであんなに大きいとは思わなかった。
 渡り鳥たちの数はさほど多くない。マガモなどが元々園内にいるアオクビアヒルたちと混ざって泳いでいた。そばにいるのを比較すると、やはり野生には野生なりの輝きみたいなものがあることが分かる。

花鳥園6-

 コクチョウは入り口近くのプールにいたと思うけど、今回は奥の池に移ってきていた。こちらの方が広々としていいだろう。狭いプールでは大きな体を持て余しているようだったから。
 オーストラリアの池には、こいつが当たり前のような顔をしてたくさん浮かんでいる。
 ハクチョウが先なのか、コクチョウが先なのか、同時発生だったのか、同じような姿で白と黒がいるというのも面白い。
 豪州は南半球だから日焼けした、ということではない。

花鳥園6-6

 お気に入りのエミューさんたちとのふれ合いは、寒さに負けて少し足りなかった。寒風吹き付けて、長時間屋外にいられなかった。エミューさんたちは寒さも平気なんだろうか。もっとエサをたくさんあげたかった。
 エミューのエサやりは何度やっても楽しいものだ。一度、もうおなかいっぱいでこれ以上食べられませんっていうくらい、エミューの大好物をあげてみたい。雑食とはいえ、やっぱり昆虫とかの生き餌の方が好きなんだろうか。故郷の豪州では何を食べているんだろう。豪州の特派員に調査をお願いしてみるか。でも、街中ではさすがに歩いていないか。

花鳥園6-7

 クリハシオオハシさん。オオハシもきれいだけど、クリハシさんも負けてない。野生のものは目の周りがもっと鮮やかな緑色をしている。
 コスタリカでは民家の近くでも普通にいるそうだ。日本でこいつが電線にとまっていたりしたら相当驚く。
 南へ行くほど生物は大きく、鮮やかになっていくのは何故だろう。食べ物だけの問題ではないような気がする。
 これは、きすけくんだろうかと思ったら違ったようだ。花鳥園のサイトに載っている写真を見ると、足リングの色が違う。

花鳥園6-8

 これはタイハクオウムのタイちゃんだろうか。この日はカゴの中にいて、ふれ合うことはできなかった。
 たまたまこのときはカゴにいたんだろうけど、あらためて花鳥園の放し飼いが鳥にとってだけではなく訪れる人間にとってもストレスにならないということを実感した。
 籠の鳥という言葉もある。鳥はなんといっても飛び回ってこそだ。

花鳥園6-9

 ここを訪れると鳥にばかり気を取られてしまって、花を撮ることをすっかり忘れてしまいがちだ。花鳥園という名前の通り、花と鳥の園なのに。
 被写体として動きのあるものを見てしまうと、止まっている花は面白くないと思ってしまうのは仕方がないところだ。でも、きれいな花や珍しいものもいろいろあるから、少しだけそちらに気持ちを振ると、花の姿も見えてくる。目にしていても意識をして見なければ物は見えない。

花鳥園6-10

 今回はスイレンも少しは撮りたいと思っていたのに、結局不発に終わってしまった。いい写真が撮れなかった。
 スイレンだけ撮ってもなかなか絵になりにくいから、何かもう一つ、二つ要素を絡めて撮りたかった。レンカクと組み合わせるのが基本といえば基本か。
 そのあたりも次回の課題として持ち越しとなった。

花鳥園6-11

 もう一度アンソニーの写真を出しておこう。とぼけた目が点なのがいつ見ても面白くて笑える。
 頭巾をかぶったくのいちを連想する。
 もう何度も行ったから、そろそろ私たちのことを覚えてくれただろうか。だいぶ肩や腕に乗ってきてくれるようになった。

花鳥園6-12

 ミコトも眠たそうな顔でお見送り。また来るから元気でな。
 この日も朝一から入って、ほとんど最後の客となった。
 次はもう少し暖かくなった頃だ。夏は暑いから、それまでには行きたい。スタンプカードも作ったし、それを貯めて無料入園も果たしたい。車で一時間くらいの距離ならもっと頻繁に行ってるのだけど。
 今回の花鳥園シリーズはこれでおしまいです。また会いましょう。

飛びものを上手く撮れないのはK10ではなく自分のせい <第5回>

動物園(Zoo)
花鳥園5-1

PENTAX K10D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di / smc Takumar 135mm f2.5



 少し間が空いた花鳥園シリーズを再開したい。5回目の今日は、屋外の飛行ショーの写真を中心にお届けします。
 毎回同じような写真になってしまって、自分自身あまり進歩が感じられないのがもどかしい。行くたびに一日3回のショーすべてでチャレンジしているのに、何回撮っても難しい。何しろフクロウやタカは速いのだ。ピント以前にファインダーの中に姿をきっちり捉えることさえままならない。
 加えて今回は動きものに弱いK10Dと暗い望遠レンズという組み合わせで厳しかった。後半はマニュアルレンズでチャレンジしてみたら、これが散々だった。タカたちが飛んでいる数秒間にピントと絞りを両方手動で合わせるのなんては無理がある。そんなのんきなことをしてる場合じゃないということが分かったことが収穫といえばいえるかもしれない。
 この日は風が強いという悪条件で、鳥たちもなかなか苦労していたようだった。そのせいもあって、楽しみにしていたシロフクロウやハヤブサは登場しなかった。

花鳥園5-2

 強風に強いのがワシミミズクで、この日の主役は彼らだった。何ワシミミズクだったか、また忘れてしまった。アスカだったらベンガルワシミミズクだと思うけど、これがそうかは分からない。数羽がショーを担当していて、交代で出てくる。
 いつも名前を覚えておこうと思いつつ、ショーが始まると撮ることにばかり気を取られてすっかり忘れてしまう。メモを取ってる暇もない。

花鳥園5-4

 これはハリスホーク。こいつがまた速い。この写真もちょっとピントが甘い。
 もう少し背景も選べるといいんだけど、そんな余裕があるはずもなく、後ろに何が写っているかは全面的に運任せとなる。
 登場しなかったといえば、この日は鷹匠のギャリーさんもショーに一度も出てこなかった。姿は見えたけど、ショーを休む日もあるようだ。お馴染みの口上が聞けずにちょっと寂しかった。半袖じゃなかったから、体調が万全ではなかったのか。

花鳥園5-5

 最大のチャンスを捉えきれなかった一枚。正面に向かって飛んできたところで、このあと頭の上スレスレを通過するのだけど、瞬間的に捉えたと思ったらピントが合ってなかった。手前でビデオを撮ってる人にピントが合ってしまってる。惜しいことをした。これをビシッと撮っていたら、これまでの花鳥園の飛びものでは最高の一枚になったはずだ。

花鳥園5-6

 ワシミミズクやタカたちは自分の飛行を人々に見せたくて飛んでいるわけではない。エサが食べたいから呼ばれた方に飛んでいくだけだ。ショーの時間は彼らの食事時間でもある。普段エサをあげてしまうと、ショーの時に飛ばなくなってしまう。
 前回は池を泳いでいるカモに襲いかかるというハプニングシーンが見られたのだけど、今回はそういうことはなかった。
 上空を飛んでいるカラスが気になるのは相変わらずで、上を見て警戒していた。昼間に戦うとカラスの方が強いらしい。

花鳥園5-7

 コンゴウインコの飛行シーンはほとんど撮れなかった。インコといえども速くて、K10Dではついていけない。前回の20Dではそれなりに撮れたのに。
 普段の撮影ではピントやシャッターのスピードはそんなに重要ではないけど、飛びものとなるとカメラのスピード性能が大きく影響してくる。

花鳥園5-8

 かろうじて撮れた一枚。もう少し引きつけて近いところで撮りたかった。

花鳥園5-9

 コガネメキシコインコの数が増えて、迫力が倍増した。鳴き声のけたたましさは数倍かもしれない。奇声を発しながら、ハウスの中を猛スピードで飛び回っている。そんなに全速力で飛ばなくてもいいだろうと思うほどムキになって飛んでいる感じだ。
 数が増えた分、シャッターチャンスは増えた。飛び立つ回数もだいぶ多くなったという印象があった。
 ただし、バッチリ撮るのはやはり難しい。ここでもオートフォーカスでは追い切れないから、置きピンで連写した方が確率は高そうだ。

花鳥園5-10

 横から撮るのが比較的簡単だ。ハウスの上を背景にすれば明るくなるからシャッタースピードも稼げる。でもそうなると背景がうるさい感じになってあまりよくない。
 一番撮りたかったのは、正面からこちらに向かって飛んでくるシーンだ。その中に人の姿も入っていれば言うことはない。

花鳥園5-11

 名付け親となったミコトとのご対面も叶い、室内の飛行訓練も見ることができた。
 ただし、室内の飛行シーンは全滅だった。マニュアルレンズを選択したのが失敗で、全部ピンぼけか、手ぶれか、失敗露出かだった。
 ずっと上空を気にしていたけど、何を感じ取っていたのだろう。

 今回もまたいろいろと課題が残った。次回は飛びものに適したセットを持ち込んで、しっかり撮りたい。課題が残ることはいいことだ。それがまた次回への原動力となる。
 花鳥園シリーズも残すところあと一回となった。これまで使えなかった写真を集めて、番外編としてお送りする予定です。

気になっていた試みをしてすっきりしたサンデー

料理(Cooking)
試みサンデー

Canon EOS 10D+TAMRON SP 28-75mm f2.8



 今日のサンデー料理は、小さな試みの結果出来た3品だった。
 テレビで見て一度作ってみたかったものとか、前から気になっていた組み合わせとか、ふとした思いつきとかをまとめて試みてしまおうというのが今回のテーマとなった。
 順番に紹介していこう。
 まず手前左側だけど、一見してどういう料理か分かりづらいと思う。これを一目見てどんな料理か当てられたとしたら、よほど私のサンデー料理に精通している人だ。
 実はこれ、がんもどきを意識して作ったもので、結果的にはずいぶん遠ざかってしまった。がんもどきもどきにさえなっていないかもしれない。
 そもそもがんもどきとは何かといえば、水気を抜いた豆腐に、山芋とかゴボウとかシイタケなどを混ぜて油で揚げたものをいう。煮付けにしたり、おでんの具に入れるのが一般的だろう。
 私のがんもどきもどきは、豆腐と白身魚(タラ)で作った。豆腐を水抜きしたあと裏ごしをして、白身魚を細かく刻んで、大葉と共に混ぜ合わせる。塩、コショウ、カタクリ粉、卵白、ダシの素で味付けをして、丸めて焼いた。本来揚げるところを焼いたのは、単に面倒だったからだ。他の料理に時間と手間を取られて、こちらまで手が回らず妥協してしまった。
 揚げるのと焼くのとではずいぶ食感も違ってくるのだけど、まあ、美味しかったからよしとする。
 たれは、タルタルソースを作ってかけた。
 しかし、考えてみるとがんもどきはその名の通りもどき料理で、精進料理でなければならない。魚を使った時点ですでにもどき料理を逸脱してしまっていたのだ。これは豆腐と白身魚の団子だ。がんもどきもどきでもない。
 がんもどきの名前の由来は、雁の肉に似せたとか、鳥の肉で作った料理である丸(がん)に似てるからなど、諸説あるようだ。江戸時代はコンニャクを油で炒めたものをがんもどきと呼んでいたそうだから、雁の肉というのはちょっと違う気がする。

 右手の料理は、ポーチ・ド・エッグを作ってみたいというのがあって、周りの野菜はあとから付け足したものだ。けど、これは料理としての完成度が高かったから、オススメもしたいし、自分のレパートリーにも加えたいと思った。
 ポーチ・ド・エッグは卵料理の中ではマイナーだろうけど、これが思った以上に簡単で美味しいことを知った。作り方はこうだ。
 まずは鍋にたっぷりのお湯を沸かし、塩を入れ、沸騰する手前でお酢を大さじ一杯ほど入れる。お酢を入れることで卵が固まりやすくなって崩れないという効果があるんだそうだ。
 卵は直接割り入れるよりもいったん小鉢などに割ってからそっと投入する。フォークで白身の形を整えながら、中火で2分ほど茹でて、お湯を注ぐかお湯に入れるかして酢を洗い流す。そのあと、キッチンペーパーで水気を拭けば完成だ。
 白身を割ると、中からとろっと半生の黄身が流れ出てくる。ゆで卵でもなく、目玉焼きでもない、これも一つの卵料理の形だ。
 温野菜は圧力鍋で加熱すると早い。オリーブオイルで軽く炒めて、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、しょう油、カラシ、水少々を加え入れて蒸し焼きにする。
 レンジで加熱してもいい。

 奥の赤いのは、エビチリワンタンのトマトスープだ。これは自分でもなかなか斬新なアイディアと思ったのだけどどうだろう。ありそうでなさそうな組み合わせじゃないだろうか。
 ワンタンの具は、エビとキャベツ、長ネギの刻みを、ごま油で炒め、塩、コショウ、しょう油、豆板醤で味付けたしたものを入れている。
 スープは、トマトをベースに、鶏肉、タマネギ、トマトピューレ、ケチャップ、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、ウスターソース、しょう油、砂糖、水を煮込んで作った。
 ほどよくピリ辛で、トマトスープとワンタンの相性もよかった。これはまた作って食べたい。今思い出しても美味しい。

 今日はおおむね上手くいって、作り手としても食べる側としても満足度が高かった。気になっていた試みもできて、気分的にもすっきりした。
 がんもどきに関しては、次はちゃんと揚げて作りたい。天ぷらにしたらどうなるのかも興味がある。
 ところで今更気づいたのだけど、今週は節分料理をすべき週だったんじゃないか。すっかり忘れていた。確か去年は料理で鬼の顔を描いた覚えがある。今日が2月だということさえ意識しないまま一日が過ぎてしまった。
 遅ればせながら来週節分を意識したサンデー料理を作ろうかと思ったら、バレンタインデー前の日曜日だ。バレンタインとサンデー料理は関係ないにしても、イベントに乗っかっていくのもサンデー料理の趣旨の一つだから、次週はそのあたりを頭に入れて、何か特別な料理を作ることにしよう。料理にチョコレートは持ち込めないものかという実験をしても面白い。チョコレートの天ぷらとか。
 来週がちょっと楽しみになってきた。

光と色と影と夜の写真

日常写真(Everyday life)
光と色と夜-1

Canon EOS 10D+TAMRON SP 28-75mm f2.8 他



 光があるところに色が生まれ、影ができる。光が強ければ強いほど、闇は暗い。人の目もカメラのレンズも、強いコントラストの両方を同時に捉えることはできない。だから私たちは、どちらか片方に心を奪われがちだ。
 光の住人と闇の住人がいる。それは相容れない存在かもしれない。昼間に生きる人間と、夜に生きる人間と、両方がいなければこの世界は成り立たず、互いに交わりきれない部分がある。
 写真を撮っていると、いつも光が気になる。光は平凡な被写体を非凡なものに変えてくれるから。けど、光を成立させているのは影なのだということを忘れてはいけない。影を正しく捉えることが、光を捉えることにつながる。
 ライティングというのは、どこに影を作るかの仕掛けで、影の存在が画面を決めていると言ってもいい。人間の個性を決めるのが見えない奥の部分であるように。
 たぶん、モノクロ写真を撮ると、光と影についてもっと強く意識するようになるのだろう。個人的に写真はカラーじゃないと面白くないと思ってるからモノクロは撮らないけど、勉強のためにモノクロフィルムで写真を撮るのもいいかもしれない。

光と色と夜-2

 私が一番好きな空の色。淡いピンクとブルーが優しく溶け合った色。幸福色と私が呼んでいる色。
 夕方にこの色と出会うと、不思議な幸福感に包まれる。

光と色と夜-3

 笑顔ばかりの人生じゃつまらない。涙も大切なエッセンスだ。
 泣き終わった笑顔を見たくて私たちは生きているのかもしれない。
 これからも私たちはたくさんの涙を流すことになるだろう。それでも、悪い涙ばかりじゃない。

光と色と夜-4

 滲んだ光の風景。裸眼で見る私の世界。
 視力が悪いということは、生きていく上で少なからぬ影響があるように思う。もし視力が1.5だったら、私は別の道に進んでいたんじゃないだろうかと思ったりもする。
 でも、目が悪いということは、嫌な部分が見えないということでもある。見えすぎないことの幸せもある。
 私の目に映る世界はとてもきれいに見える。

光と色と夜-5

 夜を照らす小さな明かり。私たち日本人が明かりを手に入れたのはそれほど遠い昔ではない。130年ほど前のことだ。それまで夜は暗いものだった。不夜城のように深夜から朝まで煌々と明るくなったのは、ここ数十年のことに過ぎない。
 夜が明るくなって以来、人々の暮らしは変わり、心も変わっていった。それが幸福なことなのかどうか、判断するのは難しい。
 月の出ていない夜に、田舎か山へ行ってみるといい。真の闇というものがいかに恐怖心をもたらすものかというのが分かる。目の前の自分の手が見えない暗闇というのは、前にも後ろにも進めず、立ち尽くすしかない。

光と色と夜-6

 明るくなったのは街だけではない。室内もまた昼と変わらない明るさを手に入れた。
 けど、部屋の明かりというのは暖かくていいものだ。夜家に帰ったとき明るいと嬉しい。暗い家に帰るのは寂しい。
 一人寂しげに夜道を歩いている人を見ると、あの人が帰る家は明かりがついているのだろうかと思う。

光と色と夜-7

 Sunday Mamaを走り撮り。
 Sunday Mamaといっても何のことか分からない人が大部分だと思うけど、そういう名前の雑貨屋さんだ。名東区の地アミにあって、好きな人は好きだろうなと思わせる生活雑貨が揃っている。無印良品よりも温かみがあって、値段も高めといった感じだった。
 自分の好きな物に囲まれた暮らしというのは、確かな喜びをもたらす。値段で選ばず、少し高くても本当に気に入ったものだけを買った方が幸せになれる。

光と色と夜-8

 サイトアドレスがデザイン的に店の看板になる時代が来るとは想像してなかった。インターネットを始めて10年くらいになるけど、当時はwwwが何の略かさえ知らず、自分のサイトを持つなんてことも遠い世界の話だった。PCそのものが今ほど一般的なものではなかった。
 いろんな部分で知らない間に時代が進んでいっていることを、ある日ふいに何かのきっかけで気づかされる。気づいたときにはもう時代は先にいってしまっている。

光と色と夜-9

 この寒空に店の外に座って何を話してるんだと思ったら、マネキンだった。どういう演出だ、それ。
 夏に見たら、もっと違った感想を抱いただろうか。

光と色と夜-10

 昔に比べたらこのあたりもずいぶん街灯りが増えた。以前はもっと暗かったように思う。とはいえ、まだまだ郊外の夜景だ。高いビルも少ない。
 30年後、50年後、100年後、ここからの風景はどれくらい変わっているのだろう。変化の速度が速すぎて、10年後さえ想像するのが難しくなっている。名古屋初の超高層ビルJRセントラルタワーズが建ったのが10年前だ。
 未来を自分の目で確かめたければ、長生きするしかない。幸せであろうと不幸であろうと、生き延びさえすれば世界の未来図を見ることができる。それは生きるに値する理由となる。
 日が暮れて夜となり、また夜が明けて昼が始まる。光と闇は明滅し、あるいは生まれ、あるいは死に絶え、街の風景はとどまることなく移り変わっていく。
 しかし、すべては一瞬の連続だ。写真はどの一瞬も切り取ることができる。そこに写真の価値がある。動画の時代になっても写真が時代遅れになることはない。写真でしか表現できないドラマもある。
 人の心の暗い部分に小さな明かりを灯すことができるような写真が撮れたらいいと思う。