
Canon EOS 10D+Canon EF100mm f2.8 / EF75-300mm f4-5.6 IS
1月の岩屋堂は、完全なシーズンオフだ。平日の夕方ともなると、歩いているのは住人くらいのもので、他に人影はない。鳥撮りの人は冬でも訪れるのだろうけど、そういう人たちの行動時間はもっと早い。夕方までうろうろしてはいない。
私は去年の紅葉シーズンに二度訪れたので、ますますお馴染み感が強かった。いつ行っても変わり映えがしないのは、必ずしも悪いことではない。風景がいつも通りだから、安心感がある。
紅葉の時期は思った以上の賑わいを見せていて逆に戸惑ってしまったけど、シーズンオフの岩屋堂は私が知っている岩屋堂で、あれが本来の姿に思える。
今日はそんな1月の岩屋堂風景の写真を紹介したい。セリバオウレンが咲き始めていたとはいえ、まだまだ冬景色で、春は遠いと感じさせた。ここは瀬戸の冷蔵庫。名古屋は15度近い陽気だったのに、岩屋堂を歩いていたら寒くて体が冷え切ってしまった。瀬戸市内から車で10分ほどの距離なのに、気温は5度以上違うんじゃないだろうか。そういえば、去年は雪が積もっていたっけ。

私の定点観測ポイント。ここの風景が今の岩屋堂を最も象徴するものだと思う。
最盛期を知らないのが残念だ。観光地として活気があった頃のことを知っていれば、もっと感慨深いものがあっただろう。
ここはいつの時代に一番流行っていたんだろう。昭和30年代から50年代にかけてだろうか。

奥の瀬戸大滝まではちょっと距離があるので、手前の暁明ヶ滝を撮るだけにしておいた。
かなりの暗さで、手ぶれ補正でも止めきれずにブレている。三脚を立てて撮るような大げさなものではない。一脚くらいは持ち歩いてもいいといつも思いつつ、車のトランクに眠りっぱなしだ。

最近ちょっと凝っている水紋写真。水のうねりがメタリックのような質感になるのが面白い。
紅葉のときにもっと撮りたかったのに、撮りきれなかった。次は新緑の季節が狙い目だ。

水底に沈む枯れ葉というのも被写体としての可能性を感じた。ただ、気づくのが遅かった。これも紅葉の終わりの時期に気づいていれば、もっといろいろ探して撮ったのに。
空の反射と上手く絡めて撮ると面白い写真になりそうだ。

冬枯れの散策路。
2ヶ月くらい前までは紅葉で色とりどりに染まっていたのに、今はすっかり葉も落ちて、枯れ木立の道となった。
時期を変えて同じ場所を訪れると、四季のダイナミックな変化を実感する。また初夏に訪れたら、緑の葉が生い茂って、生き生きとした風景になっている。

くれない橋から上流を見たところ。ここもよく撮る場所の一つだ。石がごろごろしている様子が、自然な上流の風景で心惹かれる。街中ではもう、こういう川の姿を見ることができなくなった。

色が乏しい中、わずかに彩りを添えているのが、こういう赤い実だ。南天とか、万両とか、ピラカンサとか、そんなようなもののどれかだ。
今のところ、赤い実を見分けられる人になりたいという気持ちはない。

赤い葉だから紅葉といえば紅葉か。どんな樹木の葉っぱかは知らない。
冬桜もまだ咲いていた。花といえば、それくらいだった。ここは春、夏でも花は多くないところだ。

陶器製の小さな犬っぽいものが転がっていた。瀬戸だけに瀬戸焼だろうか。
こんなものを撮ってしまうほど、被写体は少ない。この日はほとんど鳥にも出会えなかった。わずかにセグロセキレイと、シロハラを見ただけで、どちらも撮ったもののブレブレ写真で没となった。

セリバオウレンが咲いている寺の裏庭に、こんなやつがいた。最初、鹿と思ったのだけど、犬かもしれない。目をむいている。
古い感じだから前からあったんだろうけど、今回初めて気がついた。
そういえば少し前に海上の森でニホンカモシカが目撃されたというニュースがあった。東谷山や瀬戸にも生息しているらしいから、もしかしたらどこかで出会えるかもしれない。ぜひ野生のニホンカモシカを撮ってみたい。

帰り道ではこれもお馴染みとなったパルティせとを撮る。これを撮らないと瀬戸行きは完結しない。
次に岩屋堂へ行くのは、桜の季節だろうか。桜の木は少ししかないし、名所というほどでもないのだけど、またふた月くらいしたら行きたくなることだろう。
前のテンプレートは、クリスマスバージョンっぽかったので、模様替えをした。結局、茶色基調のものに戻ってしまった。この色合いが一番落ち着く。
まだ完成ではないので、もう少しカスタマイズしていきたい。