月別:2008年11月

記事一覧
  • 名古屋城裏をプラプラ歩いてスナップ写真を撮る土曜の夕方<前編>

    PENTAX K100D+PENTAX DA 16-45mm f4 ED この秋はどうも紅葉との関係が上手くいかず、すれ違っている。そろそろ終盤戦というのに、紅葉スポットとは違う方へ行ってしまう。紅葉が私を呼んでくれない。神社なんて真冬の何も撮るものがないときに行けばいいのに、どういうわけかここのところ続いている。今日もフラッと名古屋城近くの那古野神社に出向いてしまった。そしてまた、紅葉らしい紅葉とも出会えないまま一日が終わった。帰...

    2008/11/30

    施設/公園(Park)

  • 猿投神社に関して今の私が書けることのすべてを書いてみた

    OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5 ちょっと唐突だけど、猿投神社について書く前に、日本の歴史と神話について軽く復習しておきたいと思う。私自身、古い時代に関してはまだ興味を持ち始めて日が浅いということで理解がまだ充分じゃないところがある。なので、書きながら理解を深めていこうという意図もある。難しくてよく分からない部分もあるから、なるべく簡単に書いていきたいと思う。 まずざっと日本の歴史を振り返ってみ...

    2008/11/29

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 猿投神社について書くには気力と時間が足りずに予告編のみ

    OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5 内々神社(うつつじんじゃ)の次は猿投神社(さなげじんじゃ)と続けると流れがいい。なのだけど、今日はもう余力が残っていない。大碓命(オオウスノミコト)とヤマトタケルについてしっかり書くには気力が足りない。他の小ネタでつなごうかとも考えたのだけど、写真を現像してみたら一回分に収まりきらないくらいの枚数があった。なので、本編を後回しにして、予告編として本編から漏れた写...

    2008/11/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 夢かうつつか内々神社とヤマトタケルとタケイナダネの話

     春日井市の奥、もうちょっと行くと岐阜県多治見市というところに内々神社(うつつじんじゃ)はある。ブログを始める2005年以前に一度行ったことがあって、もう一度行きたいと思いつつ行けず、ずっと気になっていた。出向いたのは紅葉の時期だった。 旧国道19号線は、新国道19号線ができるまで、尾張と美濃を結ぶ重要な道だった。内津峠の手前ということもあって、当時はこのあたりにちょっとした宿場町もできていたようだ。今は...

    2008/11/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 岩屋堂延長につき写真を絞り出す <岩屋堂紅葉3>

    OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5 今日、明日と、ちょっと慌ただしくて、ゆっくりブログを書いている時間がない。今日も近場の紅葉を撮りに行こうと考えていたけど、そんな余裕はなかった。気づけば在庫写真が残り少なくなっている。 なので今日は、終わったはずの岩屋堂シリーズを延長して、一回追加することにした。残った写真の中から、どうにか更新一回分の写真を絞り出した。昔は一日1枚だったから、10枚もあれば10日分の...

    2008/11/26

    紅葉(Autumn leaves)

  • 一度くらい良い時期に来いと岩屋堂が私を呼んだのか <岩屋堂紅葉2>

    OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5 浄源寺三蔵門のこの角度と初めて出会ったのはおととしだった。その光景に胸を打たれて翌年再訪し、それが同じ12月5日だった。今年は2週間早い11月21日で、いかにも先走りすぎた。イチョウの落ち葉絨毯もまだまだ不充分だし、カエデも紅葉しきっていない状態では満足できない。2年とも12月5日は3日遅れといったところだったから、例年通りの進行なら12月2日前後が最高となる。ここを撮るだけで...

    2008/11/25

    紅葉(Autumn leaves)

  • イメージ通りに作れなくても美味しくなることがあるサンデー

    PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4 今日のサンデー料理の出発点は、中華料理を和風の味付けで作るとどうなるかというものだった。しかし、構想の段階でそれは早々に崩れることとなる。ワンタンを和風にするところまでは思いついたものの、そのあとが続かなかった。中華料理は中華料理としての味付けをするから中華になっているわけで、それを和風の味付けにしたらただの日本料理、もしくは家庭料理になってしまう。前回は和食を中...

    2008/11/24

    料理(Cooking)

  • 紅葉は味付けのソースで、撮りたいものは同じ <岩屋堂紅葉1>

    OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5 ようやく紅葉写真が間に合って、今日は岩屋堂の秋風景をお届けするのだけど、ついさっきまで写真のRAW現像と加工をしていて、書くための準備が整っていない。岩屋堂はこれまで何度もブログに登場していて今更書くことはほとんどないとはいえ、他の人の岩屋堂紅葉写真も見てないし、少し調べ物もあるから、やっぱり準備が間に合わなかった。 ということで、今日は写真を並べるだけしかできない...

    2008/11/23

    紅葉(Autumn leaves)

  • 紅葉写真の用意が間に合わず動物園写真でつなぐ <東山動物園3>

    Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L 紅葉シーズン真っ盛りの中、今日ものんきに動物園ネタを続けてしまう。そんな場合じゃないのだけど、写真の現像と調べ物が追いつかないから仕方がない。昨日、今日と近場の紅葉狩りに出かけて、写真もたくさん撮ってきた。在庫もたまってひと安心と思ってはいけなくて、こればっかりは旬のものだから早く出さないと季節はずれで使えなくなってしまう。紅葉は状況が刻々と変化していくから、...

    2008/11/22

    動物園(Zoo)

  • ペンギンとアオサギの縄張り争いショートストーリー <東山動物園2>

    Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L フンボルト「うーん、今日も日が暮れたか。ボクもう眠くなってきちゃったよ」 フンボルト「ん? なんか飛んできたぞ。誰だ、アイツ」 キング「おいおい、勝手に入ってくるなよ、おまえ。どこに居座ってるんだよ」 小さな羽をバタバタさせて不満を表すキング。 キング「お、なんだ。今度はそっちに飛んだか。早く出て行きやがれ、コンチキショー。ここはオレたちの家だぞ」 キング「あ...

    2008/11/21

    動物園(Zoo)

  • 人のいる秋の動物園風景 <東山動物園1>

    Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L 初めてのLレンズは重かった。そして、大きくて恥ずかしかった。手で持つと指がしびれてくるし、肩に担ぐと重くて肩こりになりそうだし、すれ違う人の視線が気になる。赤ハチマキの重圧とはこういうことかと思い知る。 EF80-200mm f2.8LというのはEFレンズ最初期のもので、発売からすでに20年近くが経過しているオールドレンズだ。おそらく中古で買える最も安いLレンズの一つだろう。IS付き...

    2008/11/20

    動物園(Zoo)

  • 引き続き休み

    Canon EOS 20D+Canon EF 80-200mm f2.8L 今日まで引き続き休みます。 明日は通常更新に戻る予定です。...

    2008/11/19

    動物園(Zoo)

  • お休み

     急な帰郷で、今日は更新を休みます。 明日には戻ってくる予定です。...

    2008/11/17

    猫(Cat)

  • おかずもひとりぼっちでは寂しそうに見えることに気づいたサンデー

    PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4 今日のサンデー料理のテーマは、おかずを孤独にしない、というものだった。一つの皿に一つのおかずを乗せるから彩りが足りなくなるのであって、そこに無理矢理にでも何かもう一種類加えることで見た目の華やかさも違ってくる。結果的に野菜なども摂ることができるので、体にもいい。 ただし、それをやると調理の手間は1.5倍となり、台所の散乱ぶりも激しくなるというマイナス点もある。鍋やらフ...

    2008/11/17

    料理(Cooking)

  • 西日差す愛知牧場のけだるい夕方風景 <後編>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF 今日は昨日の愛知牧場の続き。日没時のけだるい牧場の様子と、後半は牧場のあとに行った三好ヶ丘緑地での夕暮れ風景写真へと移っていく。 上の写真の場所で、以前にも馬をひいた女性の印象的な写真を撮ったことがあって、ここは行く前から期待していた。ちょうど正面から西日が差してきて、いい光が生まれる。今回はいい被写体に恵まれなくて残念だった。 さすが...

    2008/11/16

    施設/公園(Park)

  • コスモス畑の名残の見納めにと愛知牧場に行っておく <前編>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF この秋はモリコロパークと愛知牧場のコスモス畑がずっと気になっていて、ヒザ痛やら風邪引きやらで時期を逃してしまったのだけど、体調が戻ったところで遅いとは分かりつつもやっぱり行っておくことにした。行けば遅刻でも納得するし、行きさえすれば何かしら収穫はあるものだ。 初めて愛知牧場に行ったのは、2006年の8月だった。ヒマワリ畑があるというので見に...

    2008/11/15

    施設/公園(Park)

  • 秋のモリコロパーク夕景から夜景へ <後編>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF28mm f2.8 今日はモリコロ秋探しの続きで、時間帯は日暮れから夕暮れへと移っていく。 日本庭園をあとにして、再びこいの池前に戻ってきた。見えている建物は、やはりグローバルハウスのようだ。外観が変わっているのかいないのか、当時の記憶がないからなんとも言えない。ネットで万博のときの写真を見る限り、大きくは変わってないようだけど、まったくそのままというわけでも...

    2008/11/14

    施設/公園(Park)

  • 秋を探しにモリコロパーク <前編>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF 秋を探しにモリコロパークへ行ってきた。どこだよそれという人も多いと思うけど、愛・地球博会場跡地公園のことで、愛知県民にとってはモリコロといえば通じる。県外の人にとってはすでにモリゾー・キッコロは過去のものとなっているに違いないけど、愛知県民にはすっかり定着したキャラクターになっている。モリゾーとキッコロの住民票が海上の森2005番地にあると...

    2008/11/13

    施設/公園(Park)

  • こんなところにあったのか本地ヶ原神社---尾張旭神社巡り5弾

     尾張旭の神社巡りシリーズはずいぶん長くかかっていて、まだ終わっていなかった。始めたのが2007年の4月の渋川神社編だから、1年半もかかっている。9つしかないのに、かかりすぎだ。残りは3つだったから、今日一気に回って完結させてしまうことにした。 その中で最初に行ったのが、本地ヶ原神社だった。本地ヶ原というと、市営本地荘が守山区に組み込まれているから守山区のような気がしているけど、大部分は尾張旭市に属してい...

    2008/11/12

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • サンデー料理で悪化した風邪をマンデー料理で治す

    PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4 今日はサンデー料理ならぬマンデー料理。前回のサンデーで悪化した風邪を振り払う意味も込めて料理を作った。料理が作れるくらいになれば、心身共に復活したと見ていいだろう。果たして結果はどうだったかといえば、まあまあ大丈夫だった。まだちょっと完全復活とは言い切れない感覚が残った。疲れ具合とか、食欲の点で。ただ、作ろうという気持ちになったのは前進だ。昨日の時点ではまだ作れる...

    2008/11/11

    料理(Cooking)

  • 一週間の風邪期間は今日で終わりとして明日からは通常更新

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他 風邪でダウンしてから今日で一週間になる。調子が悪いという自覚の中でサンデー料理を作って、その後完全にやられた。一発K.O.で一週間立ち上がれないことになるとは思わなかった。 それでも、風邪だ不調だというのはもう今日までとする。回復度はまだ70パーセント程度で、今日もサンデー料理を作れなかったけど、風邪にもいい加減飽きた。調子が悪くても何でも、明日からは平常...

    2008/11/10

    街(Cityscape)

  • 気持ちが戻らず空写真でインターミッション的更新

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他 風邪の具合はどうにもよくない。寝込むほどではないけど、起きて普通に動き回るには気力、体力とも決定的に不足している。具体的にどこがどう悪いというのでもないのに、全体的にどんよりしている。 今日も更新は写真を並べるだけで精一杯だ。ネタもなくなって、在庫からかき集めてきた。 空写真でインターミッションということにさせてもらおう。 明日は今日より回復している...

    2008/11/09

    空(Sky)

  • 意を決して病院へ行くも薬をおみやげにあっさり送り返された

    OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6 薬も医者も苦手な私は、風邪との勝負に負けたとき、どうしても後手に回ってしまう。ゴホンといえば龍角散だとか、風邪かなと思ったらすぐにパブロンとか、そういう基本姿勢がなっていない。風邪になるのが2、3年に1度くらいという頻度だから油断しているというのもある。 今回はけっこう長引いている。いつもとは違ったやられ方をしているのが気がかりだ。がぁっと悪くなって、山を越して、あ...

    2008/11/08

    街(Cityscape)

  • 風邪悪化につき日常的つなぎ写真で簡単手抜き更新

    OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6 今日になって風邪の回復を願ったのだけど、むしろ悪化してしまった。ドク・ホリデイのように咳が止まらず、眠れない夜を過ごすこととなった。一日休んでやや回復したものの、完治からは遠ざかった。これでは散策に行けるはずもない。ネタ写真の在庫も底を突いた。 今日のところは近所で日常的に撮った写真を4枚だけ並べて簡単更新とする。一日も早く回復したいところだ。 こんなところでくた...

    2008/11/06

    空(Sky)

  • 名駅ビル群撮影スポットとしての茶屋ヶ坂公園評価はB-

    OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6 / Super Takumar 300mm f4 風邪からの回復度はまだ70パーセント弱といったところで、通常の生活に戻り切れていない。喉をやられて、まだちゃんとしゃべれない。今電話が来ても取りません。取っても声を出せなくて、受けた私がイタズラ電話をしてるような状態になってしまうから。 なので、今日もつなぎの小ネタで失礼します。そろそろ写真を撮りたい気持ちがムクムクと涌き起こってきたから、...

    2008/11/06

    施設/公園(Park)

  • 風邪の回復待ちの間に牧野ヶ池のカモ下見写真でつなぎ更新

    OLYMPUS E-510+SMC Takumar 50mm f1.4 / Super Takumar 300mm f4 風邪の具合は今日になっても一進一退。一日の中で悪化したり回復したりを繰り返している。一番悪かったときは脱したようだけど、まだ体の中でウィルスと細胞が戦っている感じがある。熱っぽくてだるい。ノドをやられて、まともに声が出ない。森進一のモノマネさえできないほど声がかすれている。 そんなわけで、今日もつなぎネタの写真を並べて、早々に寝ることに...

    2008/11/04

    施設/公園(Park)

  • 名古屋名物をモチーフにしたサンデー料理で風邪が悪化のち回復

    PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4 風邪が悪化しそうな予感がある中で作ったサンデー料理は、名古屋名物をモチーフとした3品だった。 赤味噌の豆腐、あんかけスパの野菜煮込み、エビフライと。ただ、エビフライを名古屋名物だと思っている名古屋人が少ないことだけは言っておかねばならない。あれは昔、タモリが名古屋人はエビフライのことをエビフリャーと言うとテレビで言ったことから、エビフライが名古屋名物のような勘違いを...

    2008/11/02

    料理(Cooking)

  • 秋になると明徳公園のことを思い出して行ってみるのだけど

    PENTAX K100D+SMC Takumar 135mm f2.5 / Super Takumar 300mm f4 久しぶりに明徳公園へ行ってきた。毎年秋になると、そういえばずいぶん明徳公園にも行ってないなと思いだして行くというのがここ数年続いている。去年行ったのは12月で、ほぼ一年ぶりとなった。 車で10分もかからない近場だから、季節ごとに行ってもよさそうなものだけど、あそこは花も虫も少なくて、撮るものがあまりないから、そうそう行く気にならないというの...

    2008/11/02

    施設/公園(Park)

  • 森林公園の秋風景を撮って、木の勉強をしようと思った <後編>

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm F2.8 / Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF28mm f2.8 森林公園の南門近くに、田んぼができていた。畑は以前からあったような気もするけど、田んぼまではなかったんじゃないだろうか。小屋なども建っていて、里山風景を再現したようになっている。数人の人たちが農作業をしていた。 公園の植物園内は尾張旭市の管轄で、個人の土地というわけではないから、市によってこういう試みがなされているのだ...

    2008/11/01

    自然(Natural)

名古屋城裏をプラプラ歩いてスナップ写真を撮る土曜の夕方<前編>

施設/公園(Park)
名古屋城裏1-1

PENTAX K100D+PENTAX DA 16-45mm f4 ED



 この秋はどうも紅葉との関係が上手くいかず、すれ違っている。そろそろ終盤戦というのに、紅葉スポットとは違う方へ行ってしまう。紅葉が私を呼んでくれない。神社なんて真冬の何も撮るものがないときに行けばいいのに、どういうわけかここのところ続いている。今日もフラッと名古屋城近くの那古野神社に出向いてしまった。そしてまた、紅葉らしい紅葉とも出会えないまま一日が終わった。帰りに余力があれば徳川園のライトアップを見ていこうかとも考えていたのだけど、そこまでの気力は残っていなかった。
 神社ネタは準備に時間がかかるから後回しにして、今日は名城公園周辺の写真を並べることにする。馴染み深い名古屋城裏をフラフラ歩きながら写真を撮ってきた。時間帯はいつものごとく日没前で、最後は夜になった。
 一回に収めるには枚数が多かったので、前後編に分けることにした。まずは市役所の写真からいってみよう。
 名古屋らしい建物で、県外の人が見たら笑うのだけど、私はこの建物けっこう好きだ。戦前の昭和8年(1933年)に建てられたもので、空襲でも焼けずに残った。隣には天守閣風の屋根が載った愛知県庁もある。

名古屋城裏1-2

 週末は名古屋城周辺と官庁街の道路が駐車可となるので、このようにどこもかしこもびっちり車がとまっている。二の丸の南の三の丸エリアはまったくとめる場所がなくて、愛知縣護國神社に行けずじまいだった。名古屋の路上駐車恐るべしとあらためて思い知った。
 参拝客は神社の中まで乗り入れても大丈夫だったんだろうか。だとすれば、今度は平日に行こう。
 名古屋城北のいつもの道路に車をとめて歩くことにした。

名古屋城裏1-3

 堀の北にあるスペースは、市民の森という名前がついていたことをさっき初めて知った。
 歩いていたらノラが駆け寄ってきた。丸まるとした体つきをしている。なんだかんだでいろんな人にメシをもらっているのだろう。
 このあと名城公園でも10匹以上のノラと出会うこととなる。そういえばここはノラ天国だったことを忘れていた。こんなことなら猫エサをたくさん持参していけばよかった。
 エサといえば、名古屋城の堀の鹿はどこにいるんだろう。空堀のどこかにいるはずだけど、場所が分からない。名古屋城に入場しないと見られないところなのだろうか。名古屋城の外なら手製の鹿せんべいを持っていってあげたい。勝手に餌付けしていいものかどうか確信は持てないけど。

名古屋城裏1-4

 堀の北からの名古屋城天守閣は、あまりフォトジェニックではない。角度がよくないし、障害物が多すぎる。木々の配置やバランスもよくない。そこまで計算して設計しなかったのだろうか。
 名古屋城も撮っているようでそれほど撮ってない。いつかいろんな場所から撮って、一番絵になる角度を見つけたい。

名古屋城裏1-5

 紅葉っぽいところといえばこのあたりくらいだった。これは何の木だろう。落ち葉の絨毯はきれいだ。

名古屋城裏1-6

 私が好きな写真。この一枚が撮れただけでも今日ここに来たかいがあったと思った。

名古屋城裏1-7

 どういうわけか、堀の水がかなり少なくなっていた。こんなに水が少ないのは初めて見た。冬でも普段はもっと水量がある。わざと抜いたのか、雨が降らずに減ってしまっただけなのか。
 そのせいか、渡りのカモたちも少なかった。いつもならこの時期はうじゃうじゃいるのに、今日はまばらで寂しかった。どうしてしまったんだろう。

名古屋城裏1-8

 手前側は足がつくくらい浅くなっている。去年などは至近距離でもハクチョウが泳いでいた。今日はオナガでも泳げない水深だった。
 これはあまりいいこととは思えない。どうしてこうなってしまったのか気になるところだ。

名古屋城裏1-9

 北西側には多少オナガなどもいて、2羽のコブハクチョウも泳いでいた。でも数は全然少ない。
 寂しかったのは、ユリカモメがいなかったせいもある。この時期はいつも集団でやって来てギャーギャー大騒ぎしている。オナガの鳴き声だけが響いていた。

名古屋城裏1-10

 後半は名城公園の写真になる。公園内はあまり踏み込んだことがなくて、全体の様子がよく分かっていない。今日も御深井池沿いと南側を歩いたところで暗くなって終わった。

 前半は軽くここで終わりとしよう。後半へと続く。

猿投神社に関して今の私が書けることのすべてを書いてみた

神社仏閣(Shrines and temples)
猿投神社-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5



 ちょっと唐突だけど、猿投神社について書く前に、日本の歴史と神話について軽く復習しておきたいと思う。私自身、古い時代に関してはまだ興味を持ち始めて日が浅いということで理解がまだ充分じゃないところがある。なので、書きながら理解を深めていこうという意図もある。難しくてよく分からない部分もあるから、なるべく簡単に書いていきたいと思う。
 まずざっと日本の歴史を振り返ってみると、今から10万年くらい前には日本列島に人が暮らしていたといわれている。縄文時代というのはものすごく長くて、1万6,500年くらい前から3,000年ほど前(紀元前10世紀)くらいまで続いたということになっている。しかし、1万3,000年も半裸裸足で食べるために野生の生き物を追いかけ回していたというのはちょっと信じられない。私たちは昔の人を侮りすぎているところがある。実は思っている以上に文化的で人間らしい暮らしをしていたんじゃないかと思うけどどうだろう。縄文時代後期にはすでに稲作を始めていたという話もある。
 次に来るのが弥生時代だ。これは紀元前8世紀から紀元後3世紀あたりとなっている。しかし、この時代に生きていた人に時代という概念はない。弥生時代というのは、1884年(明治17年)に東京市本郷の弥生町(現在の文京区弥生)の貝塚で見つかった土器を、地名にちなんで弥生式土器と呼んだことからそういう時代区分になっただけだ。縄文人が、おい、明日から弥生時代が始まるんだってよ、なんて会話は交わしていない。
 卑弥呼が生きていたのがこの弥生時代で、2世紀後半から3世紀のはじめにかけてだ。この頃には連合国家のようなものもできていて、中国との交流も盛んだった。この時代の日本について多少なりとも知ることができるのは、中国の記録に残っているからだ。
 ヤマト王権誕生が次の古墳時代で、3世紀の中頃から7世紀まで続き、あとはお馴染みの飛鳥時代、奈良時代、平安時代と続いていく。
 今回、どうしてこんな古い歴史を持ちだしたかというと、『古事記』と『日本書紀』について少し書きたかったからだ。ものすごく古い書物と思っている人も多いと思うけど、実はこの2冊は意外と新しくて、奈良時代初期に作られたものだ。『古事記』が712年で、『日本書紀』が720年完成とされている。
 この2冊は日本最古の書物ではない。その前に皇室系図の『帝紀(ていき)』と、歴史書の『旧辞(きゅうじ)』というのがあったことが分かっている。500年代の中頃に作られたものらしい。ただし、現存していないため、現存する最古の書物が『古事記』や『日本書紀』ということになる。
 これらを作らせたのは、壬申の乱(672年)に勝利して即位した天武天皇だった。日本もちゃんとした国家としての体裁を整えるべく、日本の歴史をきちんとまとめておこうと考えたのだろう。しかしながら、卑弥呼の時代からでさえすでに500年からの歳月が流れているわけで、古い時代のことは口伝えだから、事実を正確に記録するというのは難しかったろう。適当に想像で補ったり、話を面白くしたり、天皇家にとって都合のいいように書き換えたりなどということがあったとしても仕方のないことだ。
『古事記』と『日本書紀』の違いは、簡単に言うと、『古事記』が天皇家のための私的なものであるのに対して、『日本書紀』は国家として作った公式なものということだ。そういうこともあって、ほぼ同時期に作られた歴史書でありながら、内容はあちこちで違っている。
 天武天皇の命令で『帝紀』と『旧辞』を暗記した稗田阿礼(ひえだのあれ)の話を聞いた女帝の元明天皇が、私もあれを読みたいと言いだして、太安万侶(おおのやすまろ)に命じて編集させたのが『古事記』だ。女帝の天皇に分かりやすいように仮名交じりで書かれている。
 一方の『日本書紀』は、天武天皇が多くの貴族たちに命じて『古事記』をベースにしながら中国の書物などを参考して作らせた公式の歴史書という性格のものだった。こちらは当時の公式文章である漢文で書かれている。
 といったような話を踏まえた上で、今日の猿投神社本編は始まる。出だしから日本史の勉強になって、頭が痛くなってすでに逃げ出してしまった人もいるかもしれないけど、ここまで残った人は最後までおつき合いください。

猿投神社-2

 グリーンロード猿投インターを降りて、349号線を5、6分北上したところに猿投神社はある。左手の黄色い鳥居が目印だ。これがどうして黄色く塗られているのかは調べがつかなかった。意味があるのかないのか。

猿投神社-3

 いい神社か、それほどでもない神社かは、門をくぐる前に分かる。いい神社は門の前まで行くと、すでに空気が違う。単に門の造りが立派だとか、歴史があるとか、そういうことでもない。
 実は猿投神社に参拝するのは今回が初めてだった。2004年に猿投山に登ったときは東宮には行ったけど、本社には立ち寄らなかった。2005年の冬に猿投七滝へ行ったときも、前を通っただけだった。あいつ、二度も素通りしやがってと、猿投の神様は怒っていたかもしれない。

猿投神社-4

 参道に入って総門を振り返ったところ。紅葉はここと、その他数ヶ所あるだけだった。神社だから紅葉があるだろうと期待していくと肩すかしを食う。もう少し彩りとしてもみじなどを植えればいいのにと思うけど、神社の植樹というのは神職の勝手な判断でやってはいけないものなのだろうか。

猿投神社-5

 門から長い参道が本殿の方に向かって続く。かなり奥行きがある。さすが、三河国の三宮の格式を誇る神社だ(一宮は砥鹿神社、二宮は知立神社)。
 創建年は不詳。社伝によれば仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が即位した192年、勅願によって建てられたとある。にわかには信じられないけど、日本最古の神社とされる奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)は、紀元前91年というから、まるっきりのでたらめな年代ではないのか。
 仲哀天皇というのは、記紀(『古事記』と『日本書紀』を略してこう呼ぶ)によると第14第天皇で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の2番目の子供ということになる。神功皇后の夫でもあり、応神天皇の父ともいう。ただし、実在性は疑われている。
 猿投の語源には諸説あって、定説はない。面白い説としては、文字通り猿を投げたからだというのがあり、それはこんな話だ。
 ヤマトタケルの父である景行天皇は猿が大好きで、いつもそばにはべらせていた。伊勢に行ったとき、その猿が不吉なことをしたので天皇は怒って、猿を海に投げ込んだ。しかし猿は死なず、海を泳いで陸に上がり、尾張方面に向かって逃走。鷲取山へ逃げ込んで隠れてしまった。
 それからしばらくして、ヤマトタケルが東征に向かう途中、一人の兵士が現れて自分も連れて行ってくれという。その戦で活躍した兵士は戻ってくると猿に姿を変えて、山に帰っていった。天皇にお詫びがしたかったのだと言い残して。以来、鷲取山は猿投山と呼ばれるようになったのだという。
 面白おかしい話だけど、どう考えても事実とは思えない。昔の表記では狹投神社とも称していたようなので、猿とは直接の関係はなさそうだ。

猿投神社-6

 一番最初に現れるこの建物が拝殿ということになるのだろうか。後ろの社殿とは少し離れていて、賽銭箱もないので、ちょっと確信が持てない。舞台のような造りにもなっている。
 社殿の多くは、江戸末期1853年の大火で焼けてしまい、その後再建されたもののようだ。室町時代末期のものも残っているというけど、どれがそうなのかはよく分からなかった。伊勢湾台風のあとに再建された建物もあるそうだ。
 この右手には太鼓が乗った太鼓殿というのがあって、これはちょっと珍しい。

猿投神社-7

 拝殿と思われる社殿は途中でいったん切れて、また短い建物が続く。このへんの造りは変わっていて見慣れないものだ。

猿投神社-8

 通常拝殿があるところにあるのは拝殿ではないようだ。手前のが四方殿なのか、違うのか。
 回廊、祈祷所、中門、祝詞殿、本殿と続くというのだけど、どれがどれやらよく分からない。本殿は屋根がちらりと見えるだけだ。
 祭神の大碓命(オオウスノミコト)は、内々神社のときもちらっと書いたように、ヤマトタケル(小碓命)の双子の兄とされる人物だ。
 ヤマトタケルの実在については、記紀の記述そのものと思っている人はほとんどいなくて、大勢の英雄伝を一つにまとめて作られたヒーローというのが一般的な見方となっている。その中心というか、元となったのがおそらく小碓命(オウスノミコト)で、この実在というのは充分あり得ると思う。そうじゃないと、オオウスの実在性まで疑わしいことになってしまって、話がかえってややこしいことになる。
 オオウスの評判は記紀ともによくない。父である景行天皇に美濃の美人姉妹を都に呼んでくるようにと命じて使者として出向いていったのだけど、その二人が気に入って結婚してしまい、替え玉を都に送ったところバレてしまって父はカンカン。これがケチのつき始めだった。
 この後の展開は記紀それぞれが違っている。『古事記』では、父親と顔を合わせづらくなったオオウスは朝夕の食事の席にも出てこず、大事な行事も不参加ということでますます父親を怒らせてしまう。父が弟のオウスに、ちゃんと出てくるように兄貴に言ってこいと差し向けたところ、言うことを聞かない兄貴に腹を立てたオウスは、オオウスが便所に入ったところをいきなり襲って、手足をちぎって投げ捨ててしまった。
 その報告を聞いた景行天皇は、オウスを恐れるようになり、西へ東へと征伐の旅に追いやることとなる。
 ただ、これだとオオウスと猿投神社とがつながらないので、『日本書紀』の方の説を採ることにしたい。『日本書紀』では、罪滅ぼしとしてオオウスに蝦夷征伐の命を与えたとある。しかし、オオウスは怖くて嫌だとこれを辞退してしまう。なんだかどちらにしてもひどい書かれようのオオウスで、ちょっと気の毒になる。そこでもうしょうがないということになって、天皇はオオウスを美濃に封じることにした。おまえはもうそこでじっとしてろと。逃げるんじゃないぞと。
 美濃ではわりと真面目にやっていたようで、開拓などをしたという話もある。ただ、美濃でおとなしくしてることに飽きたのか、三河の猿投山へとやって来た。何をしに来たのか、詳しいことまでは分からない。とにかく猿投山を歩いているときに毒蛇に噛まれて死んでしまった。42歳だったという。
 なんだかとても唐突な話のようにも思えるけど、そうじゃないと猿投山とオオウスとがつながらない。猿投神社には本社の他に西宮と東宮があって、西宮の裏にオオウスのお墓とされる大碓命陵というのがある。
 実はこの話には後日談があって、明治16年に教部省のお役人が訪れて、公式にここが大碓命の陵ということを認定したというのだ。何を根拠にオオウスの墓と断定したのかは知らないけど、なにがしかの証拠みたいなものがあったのだろう。
 ということは、大碓命は実在したということになり、その双子の弟である日本武尊こと小碓命も存在したということになる。小碓命がヤマトタケルのすべてではないにしても、東征や伊吹山あたりの話は、小碓命の物語と見ていいのかもしれない。
 そんなこんなで猿投神社は、大碓命を祭神としている。小碓命の子供である仲哀天皇が大碓命を祀るために猿投神社を建てたというのも、話の流れとしては納得がいく。ただ、記紀の物語が作り話だったり、間違いだったりした場合は、どこからどこまでを信じればいいのか分からなくなる。
 祭神が大碓命となったのは近世以降で、それ以前は猿投の神様を祀っていたともいう。本来は猿投山を御神体として祀った神社だったと考えた方が現実的だろうか。でも、それでは話が面白くない。
 現在は大碓命の他に、父の景行天皇と、祖父の垂仁天皇も一緒に祀っている。祭神になっても父親と一緒では、オオウスも肩身の狭い思いをしてるんじゃないだろうか。オオウスは悪いやつじゃない。根はいい奴だと思う。争いごとが嫌いで、女が好きで、ちょっと怠け者のおぼっちゃんというイメージだ。

猿投神社-9

 猿投神社では古くから左鎌を奉納して祈願するという、不思議なならわしがある。
 双子は片方、もしくは両方が左利きだとされていたようで、そこから来ているのではないかとのことだ。この地方を開いたオオウスが左利きで、開拓の象徴して鎌になったのではないかともいう。
 個人の祈願よりも会社ぐるみのものが多いようだった。
 大碓命は大田君(おほたのきみ)の始祖だから、ひょっとしたら私と細い糸でつながっているのかもしれない。

猿投神社-10

 社殿向かって右手に境内社が並んでいる。熱田社、塞神社、八柱社、大国社で、左手には厳島社、境外社には広沢天神社や建速神社などもある。
 天武天皇の時代、勅願によって白鳳寺を建立したとも伝えられている。中世の最盛期には16坊を持ち、正1位猿投大明神の地位まで上り詰めたという。
 1853年の火事で本地堂や三重塔などが焼け、明治の神仏分離令によってすべて壊されてしまった。現在は跡地がわずかに残っているだけだ。

猿投神社-11

 お宝が眠る宝物庫もある。
 現存する日本最古の鎧とされる平安時代の鎧「樫鳥糸威鎧大袖付(かしどりいとおどしよろいおおそでつき)」をはじめ、太刀や書籍などを所有しているそうだ。

猿投神社-12

 クスッと笑えた。
「人形 ぬいぐるみ 置物
 お受けいたしません」
 神社に持っていけば何とかなると思って持ち込む人も少なくないのだろう。ここにフィギュアという言葉が入ると、とても現代的だ。

猿投神社-13

 日はとっくに沈んで、境内はすっかり薄暗くなった。しゃがみ撮りでさえ手ぶれを抑え込めなくなったら限界だ。この日は手ぶれのボツ写真を大量生産してしまった。もう少し明るいうちにゆっくり行きたかった。
 東宮は一度行ってるからいいとしても、西宮はまだ行ったことがないから、一度は行かないといけないだろう。オオウスのお墓があるところだし。
 今回もだいぶ長くなったけど、書こうと思っていたことはほぼ書ききることができた。取りこぼしとしては、秀吉、家康もこの神社を大事に保護したということと、伝統の棒の手行事が行われているということあたりだろうか。少し離れたところに天然ラドン温泉の猿投温泉というのがあって、それにも触れようと思っていたけど、まあこれくらいでいいだろう。
 以上が私にできる猿投神社と記紀の話のすべてだ。今日書いたことがきっとまたどこか別のところにつながっていく。それを私自身も楽しみにしておこう。

猿投神社について書くには気力と時間が足りずに予告編のみ

神社仏閣(Shrines and temples)
猿投神社予告編-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5



 内々神社(うつつじんじゃ)の次は猿投神社(さなげじんじゃ)と続けると流れがいい。なのだけど、今日はもう余力が残っていない。大碓命(オオウスノミコト)とヤマトタケルについてしっかり書くには気力が足りない。他の小ネタでつなごうかとも考えたのだけど、写真を現像してみたら一回分に収まりきらないくらいの枚数があった。なので、本編を後回しにして、予告編として本編から漏れた写真を並べることにした。猿投神社を紹介するにはかえってその方がいいかもしれない。
 ここはとても雰囲気のいい神社で、ところどころに昭和風景の名残があったりする変わったところでもあった。そのあたりの空気感がちょっとは伝わるだろうか。

猿投神社予告編-2

 神社の基本はどこも木造には違いないのだけど、猿投神社は特に木の質感が強く出ている神社だ。木の柱や床や壁や彫り物など、再建から150年の歳月がいい感じに古びさせている。

猿投神社予告編-3

 こういう木造の建造物がいくつか点在しているのも木の印象を強める要因となっている。
 神社の建物とは思えないけど、これはなんだろう。電気なんて裸電球で、昭和の雰囲気をそのまま残している。

猿投神社予告編-4

 参道の脇にはこんな古い家屋も建っている。ここはまだ神社の境内なのか、それともすでに外で、これは民家なのか。

猿投神社予告編-5

 これも昔の蔵だ。子供の頃、田舎で見かけたけど、最近はもうあまり残っていない。
 保存指定されているわけでもないだろう。普通に残って建っている。
 この神社は歴史も古いけど、昭和ムード満点というのが魅力的だ。

猿投神社予告編-8

 このあたりの風情も、どこか懐かしい風景だ。
 妙に生活感と隣接した神社でもある。

猿投神社予告編-6

 馬を神の使いとしている神社は多く、馬の像が建っているところもけっこうある。
 猿投神社と馬の直接的な関係は調べがつかなかった。像はそんなに古そうなものでもない。

猿投神社予告編-7

 紅葉は少しだけ。実は半分は紅葉を目的に行ったのだけど、猿投神社は紅葉の神社ではなかった。紅葉は近くの東昌寺大悲殿だったようだ。記憶違いをしていた。

猿投神社予告編-9

 神社なのにお地蔵さんがいて、菊っぽい花も供えられている。
 昔はここも神仏習合の神宮寺で、白鳳寺という大寺院だったという。そのあたりに関しても本編でちゃんと書きたいと思っている。

猿投神社予告編-10

 外から見た猿投神社。黄色の鳥居は珍しい。この由来は知らない。コンクリートっぽいから新しいものだろう。

猿投神社予告編-11

 帰り際に参道を撮った一枚。しゃがんで膝に肘をついて撮っているから視線が低くなっている。これが子供の視点なのだけど、小さかった頃は世界がこんなふうに見えていたという記憶はない。
 考えてみると、150センチの人と180センチの人とでは世界の見え方が違うから、写真も微妙に違ってくるのかもしれない。

 今日の予告編はここまで。明日は他のことを飛ばしてでもブログ優先にして、猿投神社についてしっかり書きたい。

夢かうつつか内々神社とヤマトタケルとタケイナダネの話

神社仏閣(Shrines and temples)
内々神社入り口




 春日井市の奥、もうちょっと行くと岐阜県多治見市というところに内々神社(うつつじんじゃ)はある。ブログを始める2005年以前に一度行ったことがあって、もう一度行きたいと思いつつ行けず、ずっと気になっていた。出向いたのは紅葉の時期だった。

 旧国道19号線は、新国道19号線ができるまで、尾張と美濃を結ぶ重要な道だった。内津峠の手前ということもあって、当時はこのあたりにちょっとした宿場町もできていたようだ。今はもう、面影も残っていない。19号線の裏道と知っている地元の車が飛ばしていく。
 少し前の地図には、少し行ったところに内津温泉という記載がある。しかし、温泉は枯渇して宿も廃業したようだ。秘湯を求めてさまよっても見つからない。



朱塗りの鳥居

 創建年は不明ながら、平安時代の「延喜式」に載る式内社ということで、歴史は古い。その後は県社となっていた。
 ちょっと変わった名前の由来はこうだ。
 東国の平定を終えたヤマトタケルが内津峠にさしかかったとき、配下の者が早馬でやって来て、副将軍である建稲種命(タケイナダネノミコト)が駿河湾で水死したという報告を告げる。それを受けたヤマトタケルは、「あの元気なタケイナダネが……」と絶句したあと、「ああ現哉々々(うつつなりうつつなり」とつぶやいたという。そこにタケイナダネを祀る社を建てたのが内々神社の始まりなのだという。
 前にも少し書いたかもしれないけど、このあたりの経緯をもう少し詳しく順を追って説明した方がいいかもしれない。
 ヤマトタケルはまたの名を小碓命(オウスノミコト)といい、双子の兄の大碓命(オオウスノミコト)がいた。ヤマトタケルは兄のオオウスをひねり殺してしまったことで父である景行天皇の怒りを買い、西へ東へと討伐の旅に追いやられることになる。
 兄のオオウスが殺されたのが豊田市にある猿投神社とされていて、この神社についても近いうちに書く予定をしている。オオウスに関してはそのときまとめて書こう。
猿投神社に関して今の私が書けることのすべてを書いてみた

 九州の熊襲建(クマソタケル)兄弟討伐を終えたヤマトタケルは、休む間を与えられず今度は東方の討伐を命じられることになる。再び伊勢神宮にいる叔母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を訪ね、ここで受け取ったのがのちに神剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)となる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だった。
 ヤマトタケルは熱田に立ち寄り、ここでタケイナダネに出会い、東征の副将軍とし、その妹の宮簀姫命(ミヤズヒメノミコト)と婚約をする。そして、東方に向けて出発していった。
 東国ではややピンチに陥りながらも天叢雲剣で難を逃れ、故郷の大和へ向けて帰る途中に内津峠を超えたところで話は最初に戻る。
 一方のタケイナダネは、尾張に戻るために海沿いの道を行っていた。そして命を落とすことになり、遺体は愛知県幡豆郡吉良(現・西尾市)あたりの海岸に流れ着いたとされ、そこには幡頭神社が建てられた。
 この後のヤマトタケルについては、醒ヶ井のときに書いた。草薙剣を置いて伊吹山へ行って、戦に負け、ついに故郷へ帰り着けないまま終わってしまう。
醒ヶ井最終回は梅花藻とヤマトタケルの話など
 そんなこんなを思いつつ内々神社を訪ねてみれば、また違った感慨も湧いてくる。



紅葉のモミジ

 境内には少しモミジなどが植えられていて、ところどころ赤く染まって彩りを添えていた。
 時刻は日没間近。写真を撮りながら参拝しているうちに日が暮れてしまった。



境内の様子

 境内はさほど広くない。紅葉の季節とはいえ普段と変わらない静けさだった。私の他に若手のカップルがひと組いたから、庭園などで一応知られた存在ではあるようだ。
 創建は熱田神宮よりも早いという。ヤマトタケルの神話がどこまで事実に基づいたものかは分からないけど、内々神社がタケイナダネを祀るためだとすれば、ヤマトタケル亡き後、草薙剣を祀るために建てた熱田神宮よりも早い時期だというのは話の辻褄が合う。
 現在は、ヤマトタケルとミヤズヒメもあわせて祭神となっている。
 勇猛だったタケイナダネにあやかろうと、古くから武将に信仰された神社だったという。秀吉も朝鮮出兵の前に、ここで戦勝祈願を行ったという話が伝わっている。神社の木を切り出して軍船用の帆柱にしたのだとか。秀吉本人がこんな春日井の奥地まで自らやってきたかどうかは分からないけど。



拝殿前狛犬

 拝殿前には、素朴な木彫りの狛犬がいる。けっこう古そうだから江戸時代あたりのものかもしれない。



彫り物

 ここの見所の一つに、社殿の彫り物がある。かなり凝った見事なものだ。
 現在の社殿は江戸時代後期の1818年に建てられたもので、善光寺表御門や京都御所御門などを造った信州の名工・立川一門が手がけたとされている。この地方では、瀬戸の深川神社や、豊川の豊川稲荷も立川一門が建てている。どちらも以前にこのブログで登場した。
瀬戸は大昔から陶器とともに歩んできた土地
豊川稲荷で閉じこめられそうになったのはキツネさんではなく自分のせい
 今でこそ歳月で黒ずんでしまっているけど、元は白木の彫刻だったから、できた当時は今見るよりももっと素晴らしいものだったろう。
 龍をはじめ、鳳凰や獅子などが彫られていて、これは一見の価値がある。



社殿の姿

 建築様式としては、本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造となっている。
 長らく檜皮葺きだったものを、1981年にその上から銅板を被せて、今のスタイルになった。



裏の庭園

 本殿裏の庭園は夢窓国師が造ったとされるものだ。こぢんまりしているものの、なかなか風情がある。やはりここは紅葉の季節がいい。
 夢窓国師は南北朝時代の名僧で、この近くの多治見の永保寺の庭も手がけている。永保寺の紅葉を撮りに行ったのも去年だったか。そのとき夢窓国師についても書いた。
近場で修学旅行気分が味わえる第2弾は永保寺
 丸池の周りをぐるりと一周できるのだけど、道は悪く、アップダウンも激しい。もともとこんな野手溢れる趣向だったのか、年月とともに荒れたのか。
 池には鯉が泳いでいた。昔は亀もたくさんいたらしい。なんでもタケイナダネの霊が亀に乗って駿河の海からからやって来たという話で、以来亀は神の使いということで大事にされたそうだ。近くで亀を捕まえたときは、酒を飲ませてこの池に奉納したとか。



横手散りモミジ

 池を回って、中ノ島にも立って、社殿を反対側から回って、帰ることにした。
 ずっと奥にいったところに奥の院があるというのだけど、相当険しい道のようだから、時間があるときに覚悟を決めて向かった方がよさそうだ。日没間際なんかに行ったら遭難してしまう。
 最初にタケイナダネを祀ったのは、奥の院だったという話だ。



妙見寺前

 隣には北辰妙見寺がある。もともとは神仏習合で、同じ境内の中で一体化していたようだ。明治の神仏分離令で一応は切り離されたものの、現在も隣接して建っていて、中で自由に行き来できる。
 開創は密蔵院を開山した慈妙上人で、室町時代の初期とされている。同じ春日井市内にある密蔵院についても、このブログで何度か紹介した。多宝塔があるあのお寺だ。全盛期は尾張地方の天台宗の中心として大いに栄え、戦国時代以降は衰退して今に至っている。
密蔵院には多宝塔があるというべきか多宝塔しかないというべきか
 妙見寺に関してはあまりよく分からなかったのだけど、北辰というのは北極星のことだし、北斗七星を描いた幕がかかっていたことから、星信仰に関係がある寺のようだ。



境内の様子

 ここは時期と時間がはまれば素晴らしい景観になる可能性を持っている。夜に雨が降った日の早朝にイチョウ絨毯が撮れたら絵になることだろう。

【アクセス】
 ・JR中央本線「高蔵寺駅」から「内々神社行き」の名鉄バスで30分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日
 

岩屋堂延長につき写真を絞り出す <岩屋堂紅葉3>

紅葉(Autumn leaves)
岩屋堂紅葉3-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5



 今日、明日と、ちょっと慌ただしくて、ゆっくりブログを書いている時間がない。今日も近場の紅葉を撮りに行こうと考えていたけど、そんな余裕はなかった。気づけば在庫写真が残り少なくなっている。
 なので今日は、終わったはずの岩屋堂シリーズを延長して、一回追加することにした。残った写真の中から、どうにか更新一回分の写真を絞り出した。昔は一日1枚だったから、10枚もあれば10日分のネタになったのに、今はそうはいかない。いつから一日10枚以上になってしまったんだろう。最近は15枚ということもよくある。もう少しそぎ落として枚数を減らした方がいいかもしれない。
 今日の写真は、いつもなら面白くないという理由で捨てているものが多い。たとえば紅葉の写真でも、紅葉だけを撮った写真はつまらない。人入りでなくても、何かもう一つプラスアルファの要素が入ってないと物足りないと感じる。この日は光の支援が受けられなかった分、プラスアルファを追加するのが難しかった。単品で撮るべき被写体というのはそれほど多くないようにも思う。
 とは言いつつ、今回のところは岩屋堂追加編ということでつなぐしかない。私には面白くなくても、誰かにとって面白いものであれば無価値じゃないと信じて。

岩屋堂紅葉3-2

 まだ染まりきらず、まだらの浄源寺モミジ。このあたりもあと一週間くらいで真っ赤になるのだろうか。
 タイミングを見計らってもう一度浄源寺三蔵門前に行きたいと思っているけど、実現するかどうか。岩屋堂が呼んでくれたら行けるだろうし、呼んでくれなければ行けない。

岩屋堂紅葉3-3

 駐車場近くの鳥原川風景。このあたりは紅葉よりも桜の季節の方がいい。
 静かな季節は、川沿いでカワセミなどを見かける。カワガラスもいるそうだけど、見たことはない。

岩屋堂紅葉3-4

 枯れたおみやげ屋通りを人がいないときに撮るとこんな感じになった。でもまだ遠くに人が入っている。なかなか途切れることがなかった。

岩屋堂紅葉3-5

 正面から人が近づいてくるシーンでは、まともにそちらにカメラを向けるのはためらわれる。そんなときは、ノールックファインダーで腰撮りをする。傾いたりするけど、それも味わいということにしよう。視線を少し下げることで見える風景が少し違ってきたりもする。
 E-510は液晶がライブビューではあるけど、可動式ではないのでローアングルでは使えない。以前発売されたE-330は可動式で評判がよかったのに、どうしてE-510では採用しなかったのだろう。

岩屋堂紅葉3-6

 他の人がこのあたりから撮ったライトアップ写真を見て、しまったと思った。水面に紅葉の赤がきれいに映り込んでいて、とてもいい感じだった。あと30分粘るべきだったか。
 ライトアップは24日で終わってしまったから、チャンスはもう来年以降しかない。
 ただ、このあと雨が降ってきたから、早めに切り上げたのは正解だった。

岩屋堂紅葉3-7

 噴水のある小さな池のあたり。この意味がよく分からない。広場の一角に設けられた憩いの場のつもりなのか、何か他に意味があるのか。チェーンで囲まれてていて、一応入ってはいけないことになっている。

岩屋堂紅葉3-8

 このへんも定番撮影ポイントと言えるだろうか。少し先には三脚組の人もいた。

岩屋堂紅葉3-9

 滝の別角度写真。前回は全景で、今回のは上に向けて撮っている。どちらが正解なのか、判断がつかない。自分が撮った別角度の写真のどちらが正しいのか分からないことがよくあって、たぶんそのあたりに一つの壁があるのだろうと自覚している。結果オーライではなく、撮りたいイメージが頭の中にあって、それを写真に仕上げるというアプローチが正解のはずだ。

岩屋堂紅葉3-10

 そろそろ帰るところ。空も暗くなってきていた。
 車に戻ったときにポツポツと雨が落ちてきて、瀬戸を出る頃には本降りになった。

岩屋堂紅葉3-11

 帰り道の車の中。不思議な天気で、自分がいるところは雨降りなのに、遠く西の空は夕焼け空だった。

 サンデーをはさんで紅葉ネタが3回続いて、早くもおなかいっぱいになってきた。少し別のネタも入れて中和した方がいいと思いつつも、紅葉は今しかないわけで、行ってきたらタイムリーな写真を紹介したいと思う。
 木曜、金曜は雨模様のようだから、行くとすれば明日ということになる。今年は本命不在で終わってしまう可能性が高くなってきた。どこか一ヶ所はまだ行ったことがないところへ行ってみたいと思っているけどどうなるか。

一度くらい良い時期に来いと岩屋堂が私を呼んだのか <岩屋堂紅葉2>

紅葉(Autumn leaves)
岩屋堂紅葉2-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5



 浄源寺三蔵門のこの角度と初めて出会ったのはおととしだった。その光景に胸を打たれて翌年再訪し、それが同じ12月5日だった。今年は2週間早い11月21日で、いかにも先走りすぎた。イチョウの落ち葉絨毯もまだまだ不充分だし、カエデも紅葉しきっていない状態では満足できない。2年とも12月5日は3日遅れといったところだったから、例年通りの進行なら12月2日前後が最高となる。ここを撮るだけでも岩屋堂へ行く価値があると私は思っている。
 そもそもこんな早い時期に岩屋堂へ行く予定はなかった。紅葉まつりが11月いっぱいで終わって、駐車場も無料になる12月1日くらいに行こうと考えていた。それが前回もちらっと書いたようにナビの間違った誘導によってはからずも行くこととなってしまった。なんとなく作為じみたものを感じてあえて乗ってみたというのもある。この日に岩屋堂へ行っておけという天啓に従ったと解釈しておいた。ナビの間違いがなければ、オンシーズンの岩屋堂を見ることはなかっただろう。
 残りの写真を整理したら、あと一回分におさまってしまった。全3回を予定していたのに、思ったよりあっさり終わってしまう。けっこう撮ったつもりだったのに、同じような写真が多かったり、手ぶれ写真があったりで、意外と枚数はなかった。
 そんなわけで、今日は紅葉の岩屋堂後編ということでお届けします。
 今日は午後から雨だったから、ピークは昨日から今日の午前中までだっただろう。行ってきた人はそうそうこんな感じだったと思うだろうし、行けなかった人はこんな感じなんだと気分だけでも味わってください。

岩屋堂紅葉2-2

 ここの石仏を見ると、どこかで見たような懐かしいような気分になる。どこだろうなと思ったら、京都の化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)だ。数は全然少ないのだけど、ちょっと雰囲気が似ている。イチョウ絨毯の風情ではこちらの方が雰囲気がある。車止めが無粋だから、撮影のときだけでも横にずらさせてもらうべきだった。

岩屋堂紅葉2-3

 浄源寺前の駐車ペースにいっぱい車がとまっている時点でかなり驚いたのだけど、岩屋堂の中に大勢の人がいるのを見て更にびっくりした。あんなに賑わっている岩屋堂を見るのは初めてだった。
 名古屋近郊の紅葉スポットとしては、香嵐渓と岩屋堂が有名なのだけど、両者はランクがまったく違う。ハワイのワイキキビーチと吉良ワイキキビーチくらいの差がある。それでもここがそれなりに賑わうのは、香嵐渓は大渋滞で悪名高いからだ。あそこはアプローチする道が一本しかないから、紅葉の時期は絶望的に渋滞して車が動かなくなってしまう。それが嫌で岩屋堂でお茶を濁してしまう人も多い。すべり止め的な人気紅葉スポットという言い方ができる。

岩屋堂紅葉2-4

 観光地として枯れきっている今の岩屋堂を象徴する一角がこの場所だ。旅館だったのか、おみやげ屋だったのか、食堂だったのか、並びの家屋はどこも閉鎖されて久しい。
 この場所にも人がぞろぞろ行き交っているというは面白くはあったのだけど、個人的には紅葉の時期でも人が訪れない岩屋堂というのを見てみたかった。誰も見る人がいなくても真っ赤に染まる木々の風景に無情を感じたかった。

岩屋堂紅葉2-5

 ええー、っと驚いてのけぞった。開いてる店があったんだと。こんなところが開いてるのを見るのはもちろん初めてだし、開くような予感はまったくなかった。でも、これだけ人が訪れたらそれなりに商売にはなる。食堂兼おみやげ屋のような感じだった。
 いつも岩屋堂へ行くと他に人がいなくて独り占めしてるような気分になるのに、この日ばかりは私の方が疎外感を感じることとなった。いつもは静かな馴染みの喫茶店が賑やかな団体さんに占拠されてしまったような気持ちだった。

岩屋堂紅葉2-6

 この赤い橋は、紅橋(くれいないばし)だ。思い出した。
 ここは岩屋堂の中でいいアクセントになっていて、定番撮影スポットとしてみんな写真を撮っていく。
 橋そのものはコンクリートの安っぽい朱塗りで情緒はない。木橋にしろとは言わないけど、もう少しなんとかならなかったのか。瀬戸市はあまりお金がないのか、観光地に金をかけない。けっこういい資産を持っているのに、有効活用できていない。
 岩屋堂は瀬戸を代表する紅葉スポットなのだから、もう少し全般的に整備が必要だ。昭和の観光ブームは二度と来なくても、できることはいろいろある。もっと宣伝をして、この時期だけでも屋台を並べて、瀬戸駅から臨時バスを走らせれば、人も来るし、お金も落としていってくれる。

岩屋堂紅葉2-7

 橋の上ではおじいちゃんが携帯で孫の写真を撮っていた。こんな光景は5年前には見かけなかった。まだ写メールなどそれほど普及してなかったし、年配の人が携帯で写真を撮るということもあまりなかった。時代と共に人々の光景も少しずつ変化していく。ここ数年でデジタル一眼を持っている人も激増した。

岩屋堂紅葉2-8

 旅館もこのあたりで終わりになる。泊まりで訪れる人はどれくらいいるんだろう。旅館は営業をしてるようだから、それなりに人が来るようだ。
 右端の自動販売機は、おでん缶の自販機だ。少し前に秋葉原で有名になったおでん缶は、名古屋の金山に本社がある天狗缶詰株式会社という会社が作っている。こてんぐのおでん缶は東京で先に有名になってしまって、名古屋人も地元発信のものだと知らない人が多いかもしれない。
 市内でも自販機はあまり見かけないから、岩屋堂のものはなかなか貴重だ。瀬戸電の印場駅にもある。

岩屋堂紅葉2-9

 小原村の四季桜の代わりにはならないけど、岩屋堂でもポツリ、ポツリと桜が咲いていた。一重咲きだから冬桜だ。この時期に咲く桜としては、八重咲きの十月桜もある。
 島原川沿いを更に上流に向かって歩いていくと、瀬戸大滝の手前に大きな冬桜の木がある。あれはたくさんの花を咲かせる立派な木だから一見の価値がある。余裕がある人はぜひ見に行って欲しい。

岩屋堂紅葉2-10

 引き返してきて、再びサカエ食堂の前。このあたりもきれいに紅葉していた。
 シーズンオフの岩屋堂といえば、鳥撮りの人くらいしか訪れないけど、この時期は逆に鳥撮りの人は寄りつかない。鳥たちも人の多さに驚いていたのか、鳴き声さえあげていなかった。ここの鳥は人慣れしてないから、この騒動が過ぎるのを息を潜めて待っているのだろう。

岩屋堂紅葉2-11

 プールの水はシーズンオフになるとすごく汚い。水を抜けばいいのにと思うけど、一年中入っている。
 夏は川の水をせき止めて天然のプールもできる。夏休みも水遊びの親子でなかなかの賑わいを見せるようだ。その時期も見たことがないから、来年は一度見に行ってみようかと思っている。

岩屋堂紅葉2-12

 看板だけが残った、つばめ屋。昔は軒先にツバメが巣を作ったりしていてこの名がついたのだろうか。
 鈍く反射する二階の窓の様子が、懐かしの昭和を思い出させる。

岩屋堂紅葉2-13

 これが岩屋山薬師堂だ。正面右寄りに巨石と穴があって、中に仏像が安置されている。
 僧の行基がこの穴の中で、聖武天皇の病気平穏祈願のために三体の仏像を彫ったとされる。
 岩屋堂の歴史に関しては以前にまとめて書いたので、ここでは繰り返さない。

岩屋堂紅葉2-14

 最後にもう一度プールの横を通って帰る。
 プール前には少し屋台が出ている。向かって左隣は、比較的新しい料理屋だ。うなぎ屋だっただろうか。

 あらためて撮ってきた写真を見てみても、香嵐渓とは比ぶべくもない。岩屋堂は別に向こうに対抗しようとは思ってないのに、周囲が勝手に同等に扱おうとしているだけだ。岩屋堂には岩屋堂のよさがある。
 今回はナビの間違いで行くことができてよかったということにしておこう。この日じゃないと撮れない写真もあった。
 心残りとしては、浄源寺の参道風景だ。やっぱりもう一度行こうか。今回の状態では物足りない。行くなら本当は早朝のまだ葉っぱが踏み荒らされていない時間帯がいいんだけど、そんな時間に行く根性が私にはない。行けばいい写真が撮れるのだろうとは思いつつ。
 今年の紅葉シーズンも残すところ一週となった。来週は天気も不安定なようだし、行ける日も限られる。その中であと2ヶ所くらいはどこかへ行きたい。あっちにもこっちにもは行けないから、一番行きたいところから行こう。

イメージ通りに作れなくても美味しくなることがあるサンデー

料理(Cooking)
これも和食サンデー

PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4



 今日のサンデー料理の出発点は、中華料理を和風の味付けで作るとどうなるかというものだった。しかし、構想の段階でそれは早々に崩れることとなる。ワンタンを和風にするところまでは思いついたものの、そのあとが続かなかった。中華料理は中華料理としての味付けをするから中華になっているわけで、それを和風の味付けにしたらただの日本料理、もしくは家庭料理になってしまう。前回は和食を中華風の味付けにして成功したけど、その逆は上手くいかなかった。
 そんなわけで途中から軌道修正を余儀なくされ、結果的に無国籍の不思議な料理となった。けど、これが偶然美味しくなってしまったから料理というのは分からない。思い通りに作ることが必ずしも成功とは限らない。運も実力の内ということにしておこう。
 基本的に味付けはすべて和風を目指した。純粋な和食とは言えないだろうけど、どこかに分類するとしたら3品とも和食ということになる。現在の日本の家庭料理は、多かれ少なかれそういう傾向にある。イタリア人が見ても、フランス人が見ても、中国人が見ても、どこの国の料理か分からない変わった料理に見えるんじゃないだろうか。

 一番手前は、鯛のしゃぶしゃぶ甘酢がけだ。
 右の野菜スープの素となった下地のだし汁に10秒ほどしゃぶしゃぶと浸して、半生にとどめる。その前に塩、コショウと酒を振って寝かしておく。
 たれは、しょう油、みりん、酒、酢、砂糖、塩、コショウ、ダシの素、かつお節、白ごまを混ぜて、ひと煮立ちさせる。色合いと風味付けのために青のりも振る。
 鯛の刺身は普通にたまり醤油で食べても美味しいけど、こうすることで更に美味しくなる。刺身が嫌いな人でも食べられるはずだ。

 右のはありそうでない野菜スープになっている。名前をつけるなら、ジャガイモ団子のくたくた野菜スープといったところだろうか。
 ベースのスープは、水、ダシの素、しょう油、酒、塩、コショウ、唐辛子で、これに野菜の旨みがしっかり加わってくる。正月の雑煮をもっと濃厚にした感じだ。
 野菜はとにかくあるものを手当たり次第に入れていく。ポイントはすべて細かく切ることだ。今回は大根、ナス、ブロッコリー、ほうれん草、白菜、アスパラ、長ネギ、豆腐を参加させた。肉はあえて使わなかった。
 最後に水溶きカタクリ粉を入れてとろみをつける。
 ジャガイモ団子は別に作る。ジャガイモ丸ごとをラップに包んでレンジで5分加熱して、皮をむいたら熱いうちに潰す。そこに塩、コショウ、ちぎりチーズ、牛乳、ダシの素、しょう油、小麦粉を加えてよくこねる。しばらく置いた後、団子状にしてフライパンで転がしながら加熱していく。表面に軽く焦げ目がついたら完成だ。
 野菜はとろとろになるまで煮込んであるし、ジャガイモ団子もふわふわなので、歯の生えそろわない乳児から入れ歯のおじいちゃんおばあちゃんまで食べられる。柔らか料理好きの私も嬉しい。

 一番奥は、和風ワンタンだ。
 ワンタンをめんつゆで食べたら美味しいんだろうかと思ったのが作るきっかけだった。結論は美味しい。間違いない。
 タネは、エビ、キャベツ、しいたけ、タマネギをそれぞれみじん切りにして、塩、コショウで味付けして混ぜ、ワンタンの皮で包む。それを茹でたら出来上がりだ。
 たれはシンプルに、めんつゆに唐辛子を入れたものをひと煮立ちさせたもので食べる。
 具のほどよいコリコリ食感と、ワンタンの皮のツルツル感がマッチして、めんつゆ味もよく合う。

 今日は自画自賛で、3品ともとても美味しかった。組み合わせとしてもそれぞれぶつかることなく、味にも変化があって、最後まで飽きずに食べることができた。ぜひ参考にして、一度作ってみて欲しいと思う。私もこのメニューはまた作って食べたいと思う。
 味としては90点以上、趣味の料理としてはそこまでいかない。工夫はあったにしても、冒険心が足りなかった。味付けも無難なところに終始した。作り手の満足と食べる側の満足が一致することは、なかなか難しい。
 盛りつけと彩りに関しては、今回はまたちょっと怠けてしまったところがある。野菜スープは仕方がないとしても、鯛しゃぶとワンタンはもう一歩何かできた。そのあたりの課題は相変わらず残っている。
 今年も残り少なくなってきたから、そろそろ2008年の集大成メニューを考え始めてもいい頃だ。最後は見た目と味の自信作を3品並べたい。まだあとひと月あるから、上達の余地は残っている。イメージの中では、もっと上手くなれると思っている。自分の中では料理に対してはまだ自信が持てないでいる。

紅葉は味付けのソースで、撮りたいものは同じ <岩屋堂紅葉1>

紅葉(Autumn leaves)
岩屋堂紅葉1-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-54mm f2.8-3.5



 ようやく紅葉写真が間に合って、今日は岩屋堂の秋風景をお届けするのだけど、ついさっきまで写真のRAW現像と加工をしていて、書くための準備が整っていない。岩屋堂はこれまで何度もブログに登場していて今更書くことはほとんどないとはいえ、他の人の岩屋堂紅葉写真も見てないし、少し調べ物もあるから、やっぱり準備が間に合わなかった。
 ということで、今日は写真を並べるだけしかできない。見て回った順番に並べながらコメントを書いていこうと思っていたけどやめて、いいやつから順番に出してしまうことにした。状況説明的な写真は後回しにして、撮ってきた中で自分が気に入ったものを選んだ。なので、回を追うごとに写真の質は落ちていくことになると思う。全部で3回シリーズくらいを予定している。
 実はこの日、四季桜を撮りに小原村に向かっていた。それなのに気づいたら岩屋堂にいた。詳しくはまた次回書くとして、一言で言うとナビが道を間違えたのだ。
 デジはE-510で、レンズは広角ズームの14-54mm一本という軽装だった。小原村を想定したものだったということもあるのだけど、E-510に慣れるためという考えもあった。そのあたりについても、最後のまとめで書こうと思っている。
 前置きはこれくらいにして、ぼちぼち岩屋堂の紅葉写真をいってみよう。これから出かける人のヒントになるといいのだけど。

岩屋堂紅葉1-2

 浄源寺の紅葉は、まだ色づき半分以下といった感じで、ここに関しては早すぎた。岩屋堂自体はすでに見頃から見頃過ぎといった感じなのに、ここだけ遅いのは不思議だ。それでも色づいているところだけを切り取ってみると、見事に赤く染まっている。
 お墓と桜というのはよくある組み合わせだけど、お墓と紅葉というのも相性はいい。桜も紅葉も人生と相通じるところがある。

岩屋堂紅葉1-3

 シーズンオフの仮死状態のような岩屋堂しか見たことがなかった私にとって、紅葉シーズンの賑わいはとても新鮮に映った。普段の岩屋堂で若い女の子など見たことがない。
 これだけたくさん人が訪れていると、人入り写真を撮るのに困らない。

岩屋堂紅葉1-4

 記念写真を撮る人を撮る人を撮るという三重構造的写真を撮れたのは初めてかもしれない。このシーンに遭遇したとき、うわっ、やったと喜んだ。
 その私を後ろから撮っている人がいたとしたら、それはすごい。
 この写真が個人的には今回一番の収穫だった。

岩屋堂紅葉1-5

 紅葉スポットにはつきものの赤い橋が岩屋堂にもある。橋の名前を忘れてしまったから、次までに調べておこう。
 ここは橋風景としても撮影ポイントだし、橋の上で記念撮影する人たちも多い。記念写真を撮る人たちを撮るにもいい場所だ。54mmの2倍換算108mmでは届かなかったから、橋の上の人狙いなら中望遠が必要だ。

岩屋堂紅葉1-6

 鳥原川は変化に富んでいて、何ヶ所か撮影ポイントがある。ここは赤い橋から上流方面を見た風景だ。もっと枯れ葉が落ちた時期の方が風情があるかもしれない。
 更に上流へ行くと、瀬戸大滝というのがある。名前ほどたいそうな滝ではない。今回はそちらまで行かず、赤い橋で引き返した。4時を回ったところで早くも暗くなり始めて、それから雨が降り出した。5時からのライトアップも待ちきれずに帰ってきた。

岩屋堂紅葉1-7

 もう少し光があれば川面に映る紅葉というのも撮れたんじゃないかと思う。この日は曇天で光が足りなかった。
 PLフィルタも使った方がいいと思いつつ使えず、三脚の必要性を感じながらも人がいるところで三脚を使う気になれない。結果的に撮れたはずの写真を撮れずに終わるということも少なくない。三脚でしか撮れない写真も確かにあるということを、この頃思い知った。

岩屋堂紅葉1-8

 何故ここに提灯なんだ。これが岩屋堂のセンスだ。
 ライトアップのサービスはいいけど、配線があちこちに走っていて写真に写り込んでしまうのはいただけない。もう少しなんとかできないものか。

岩屋堂紅葉1-9

 小屋のような、物置のような、これを通して見る紅葉風景になんとなく心惹かれた。
 枠の部分で切り取って絵のようにするというのも一つの撮り方だろう。

岩屋堂紅葉1-10

 岩屋堂の名の元になった大きな岩の祠の岩屋山薬師堂の奥に、暁明ヶ滝という小さな滝がある。この日は水量がかなり少なかった。最近雨が降ってないからか。前に見たときは、横の岩からもザブザブ流れ落ちていた。
 余裕があれば、このあたりも見ていくことをおすすめしたい。
 滝の周辺はかなり暗いから、手持ち撮影はかなり厳しかった。しゃがみ撮りと手ぶれ補正でなんとか手ぶれをおさえこんだけど、やっぱり三脚は必要だ。

岩屋堂紅葉1-11

 薄暗い林の中で一ヶ所、紅葉の赤と黄色を映しているところがあって、ここはどうしても撮りたかった。こういうところを見つけると嬉しい。
 手持ちだからかなりブレている。三脚を使えばもっといい写真が撮れたのに。

岩屋堂紅葉1-12

 毘沙門天を祀った小さな堂がある。ここのことは以前にも調べたけど、よく分からなかった。石柱には大和信貴山分霊と彫られている。
 いわれはともかくとして、ここの風景は好きだ。

岩屋堂紅葉1-13

 枯れ木も山の賑わいどころではない賑わい方をしている。紅葉は赤一色では面白くなくて、黄色や緑や赤茶色など、いろいろな色が組み合わさるのがいい。
 花の春ではなく枯れ木の秋が一番山が華やかになるというのも、考えてみると愉快な話だ。人生の逆転劇を連想させる。

 写真というのは結局のところ、どこに惹かれてシャッターを切ったかという告白のようなものだ。人は個人的な日記に、自分の興味のあることを書き、興味のないことを書かない。そういいった取捨選択を写真においてもしている。
 最大公約数的な写真があり、個人的な写真がある。いい写真というのは、主観的な写真だと思う。個性の表れてない写真はつまらない。
 少し前に気づいたことだけど、たとえば岩屋堂へ行って紅葉の写真を撮る場合、岩屋堂「を」撮るのではなく、岩屋堂「で」撮るという発想で臨んだ方が面白い写真が撮れる確率が高い。あるがままの岩屋堂を写し取るのではなく、岩屋堂の紅葉はあくまでも素材で、それを自分なりに調理する必要があるということだ。素材を利用すると言った方が分かりやすいかもしれない。
 人物写真を撮る場合でも、正面からすました顔を撮るだけがスナップではない。横顔や後ろ姿、全身や上半身、シルエットや様々な表情など、可能性は無数にある。目や唇などに惹かれれば、その部分だけを切り取ってもいい。それも人物写真の一種であり、素材を自分なりにいかすということだ。風景や場所にも同じようなことが言える。
 偉そうなことが言えるほど私は写真が上手ではないのだけど、最近やっと少しずつ写真のことが分かってきたような気がする。上手さを求めると自分が撮りたい写真を見失う。大事なのは、自分が何を撮りたいのかをはっきり自覚することだ。それが分からないままもっと上手くなりたいと思ってしまうと、深い迷いの中に入り込んでしまう。
 構図とかライティングとかレンズ特性とかを勉強することも必要だけど、まずは感受性を磨くことの方が先だ。目の付けどころによって写真の良し悪しは決まる。よく観察して、探して、発見することだ。
 撮りたいイメージと撮れた写真がピタリと一致したとき、いい写真となる。自分が撮りたい写真を撮ればいいと言うけど、それはとても奥が深くて難しいことだ。
 撮りたい写真の絵を描いてみろと言われて描ければ撮りたい写真は必ず撮れる。そういう意味では、絵を描く勉強をした方が写真の上達には早道かもしれない。
 写真は撮れば撮るほど上手くなるもので、下手になることはないから、自分の上達を気長に待とうと思っている。続けていれば、どこかで進化ジャンプのようなことも起こる。紅葉も去年よりは上手に撮りたい。まだ進歩の余地がたくさんあるということは、まだ読んでない本がたくさんあるとか、観てない映画がたくさんあるとかと同じようなものだ。私自身も、これから撮る自分の写真を楽しみにしている。

紅葉写真の用意が間に合わず動物園写真でつなぐ <東山動物園3>

動物園(Zoo)
動物園の基本-1

Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L



 紅葉シーズン真っ盛りの中、今日ものんきに動物園ネタを続けてしまう。そんな場合じゃないのだけど、写真の現像と調べ物が追いつかないから仕方がない。昨日、今日と近場の紅葉狩りに出かけて、写真もたくさん撮ってきた。在庫もたまってひと安心と思ってはいけなくて、こればっかりは旬のものだから早く出さないと季節はずれで使えなくなってしまう。紅葉は状況が刻々と変化していくから、できれば行ってきた当日に写真を紹介したい。そうしないと、生きた情報とはならないから。明日以降は紅葉優先でいきたいと思っている。
 とりあえず今日のところは動物園ネタでつなぐとしよう。今回は動物園の基本動物シリーズということで、お馴染みのやつらを集めてみた。
 前にも書いたように、大物は軒並み個室に戻っていってしまっていてかなり取りこぼしてしまったのは残念だった。ゾウもゴリラもカバも今回は撮れずじまいに終わった。新しくできたチンパンジータワーも見たかったのだけど。

動物園の基本-2

 ワ~オチューブができてから、ガラス越しとはいえ、ライオンをかなり近くから見られるようになった。
 そばで見ると、ライオンの立派さにあらためて感心する。百獣の王と呼ばれるだけの風格を備えている。猫とはやっぱり全然違うのだった。
 今回発見したのは、目が猫とは違っているということだ。顔の大きさの割には目が小さく、黒目も縦ではなく点になっている。とぼけた感じがちょっと笑える。瞳の大きさは猫のように光の強さで変わったりするのだろうか。
 そもそもライオンは夜行性なのか昼行性なのか。もし夜行性なら、夜でも目が見えないといけないから、瞳を大きくして少ない光を集める必要がある。夜に狩りをしているというイメージはあまりないか。

動物園の基本-3

 動物園のライオンはほとんど動かないというイメージが強いけど、この日はわりと動き回っていた。動くとけっこう機敏だ。本気を出すとどれくらい速いんだろう。
 こうして横から全身を見ると、オスのライオンは頭が大きすぎると思う。割合が間違っている。

動物園の基本-4

 こちらはメスライオン。顔がちょっとトラっぽい。こっちはこっちでバランス的に顔が小さすぎるようにも思う。
 うっかり近づくとあっけなく食い殺されるのだろうけど、見てると頭を撫でたくなる。手足のムクムク加減とかも触って確かめてみたい。
 もし松島トモ子に会うようなことがあれば、噛まれたらどんな感じか聞いてみたい。

動物園の基本-5

 腰を下ろしてまったり中。ライオンの後ろ姿は、猫というより犬を思わせる。
 それにしても、どうしてライオン科ではなくネコ科(ネコ目)なんだろう。そのへんの事情は、猫の進化過程にもあるのかもしれない。
 今から5,000万年から4,000万年ほど前、ヨーロッパや北米に生息していたミアキスという小型の生き物が猫や犬の祖先ということになっている。恐竜絶滅が6,500万年前と言われているから、そのあとのことだ。
 ミアキスがいつ、どんなきっかけで多様な生物に分岐していったのか、詳しいことは知らない。たぶん、大部分はよく分かってないのではないかと思う。生き物の進化というのは不思議なことが多い。
 私たちが知っている、いわゆるイエネコの祖先は、リビアヤマネコとされている。今から90万年から80万年くらい前に誕生した。
 ネコ科についてももう少し勉強して、いずれどこかで詳しく書きたいと思っている。

動物園の基本-6

 肉球は犬っぽくもあり、猫っぽくもある。手首をくいっと内側に曲げる様子は間違いなく猫の手だ。犬はパンチしないけど、ライオンは猫パンチをする。

動物園の基本-7

 キリンの口が変なことになっている。何か不満を訴えているのだろうか。
 キリンは鳴かないと思っている人が多いと思うけど、ごく稀に鳴くことがあるそうだ。牛のようにモーッと鳴くらしい。聞くことができたらかなり運がいい。子供の頃はヤギのようにメーッと鳴くなんだとか。

動物園の基本-8

 シマウマの後ろ姿。シマシマ模様のタイトパンツを履いたセクシーなお尻みたい?
 シマウマも体と顔のバランスが悪い動物で、体の大きさに対して顔が大きすぎる。体は馬の半分くらいなのに、顔だけ馬並みに大きい。

動物園の基本-9

 目を閉じて草を食べるラクダさん。じっくり味わっているのか。
 動物の味覚というのも知ることができない世界だ。それぞれの動物によって食べるものが違って、同じ種類でも個々に好みがある。当たり前だけど不思議な気もする。
 コアラとかパンダとかは一種類しか食べないから味音痴なのだろうと思うかもしれないけど、あいつらこそ好みがうるさい。東山のコアラも、気に入った木のユーカリしか食べない。しかも、飽きるから、別の好みの木を探さないといけなくなる。東山から少し離れた平和公園には、コアラのためのユーカリが大量に栽培されている。
 動物園の動物も、金がかかるやつと安上がりなやつと、相当な格差がある。

動物園の基本-10

 ラクダの横顔は見慣れていても、真正面からの顔は新鮮だ。それにしても、なんて顔をしてるんだ、きみ。
 どこが鼻でどこが口なのか、よく分からない。鼻と口の間の部分は何という名前なんだ。
 砂漠の砂に耐えられるように、目に長い睫毛が覆い、鼻の穴は閉じられる仕組みになっている。
 コブには脂肪がため込まれていて、数日間は飲まず食わずでも生きられる。塩分の高い水も飲めるというから、地球環境が相当劣悪になっても生き延びられそうだ。動物園の中でも最後まで生き残るかもしれない。

動物園の基本-11

 マレーバクのチビはうり坊から大人のツートンカラーになっただろうか。楽しみにしていたけど、マレーバクも小屋の中に入ってしまって、チビは見ることができなかった。
 見られなかったといえば、私の好きなボンゴを見られなかったのがすごく残念だった。世界四大珍獣で、森の貴公子と呼ばれるボンゴは高貴で美しい。

動物園の基本-12

 アクシスジカのオスとメス。じっとこちらを見ながら草をむしゃむしゃ食べていた。
 ドラマ「鹿男」を観て以来、鹿と目が合うと話しかけてきそうな気がする。話しかけてこなくても、こっちのことを見透かしていそうだ。
 去年の今頃、奈良公園の鹿たちに追いかけ回されたことを思い出す。持参した手作り鹿せんべいが大好評で、鹿に囲まれて恐ろしい目にあった。やつらの好みは分かったから、今度行くときは更に大量生産してマイ鹿せんべいを持っていこう。

 動物園で動物たちを撮っていると、野生動物を撮ってみたいと思うようになる。岐阜の山道でニホンザルを見たときは嬉しかったし、奈良の室生寺近くで野生の鹿と遭遇したときは感動した。できるものなら熊を撮りたいけど、それは危険すぎる。念願として一つあるのは、大台ヶ原でカモシカを撮るというものだ。これはいつか実現したいと思っている。屋久島なんかも行ってみたい。
 動物園も東山動物園以外のところへ行けば新鮮さがあるだろう。県内では、豊橋ののんほいパークがある。ここは前から一度行こうと思いつつ、行けずにいる。ちょっと遠い。
 東山動物園の写真がまだ少し残っている。困ったときのつなぎネタとして在庫に残しておこう。紅葉シーズンが終わった頃に再開することになると思う。

ペンギンとアオサギの縄張り争いショートストーリー <東山動物園2>

動物園(Zoo)
ペンギンストーリー1

Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L



 フンボルト「うーん、今日も日が暮れたか。ボクもう眠くなってきちゃったよ」

ペンギンストーリー2

 フンボルト「ん? なんか飛んできたぞ。誰だ、アイツ」

ペンギンストーリー3

 キング「おいおい、勝手に入ってくるなよ、おまえ。どこに居座ってるんだよ」
 小さな羽をバタバタさせて不満を表すキング。

ペンギンストーリー4

 キング「お、なんだ。今度はそっちに飛んだか。早く出て行きやがれ、コンチキショー。ここはオレたちの家だぞ」

ペンギンストーリー5

 キング「あ、またこっち来たか。ええーい、コンニャロー。タダじゃ済まないぞ。オレが直接行って追い払ってやる」
 アオサギ「何かまずいことしたかな、私?」

ペンギンストーリー6

 キング「すぐに行くからちょっと待ってろ、おまえ」
 アオサギ「え? 私ですか? ココ入っちゃまずかったですか? もしかして、怒ってます?」

ペンギンストーリー7

 キング「アオサギの野郎め、ひとの家ででかい顔してくつろぎやがって。それにしても、なんだ、この坂道は、まどろっこしい」
 本人は急ぎ足のつもりでも、おぼつかない足取りでヨタヨタ歩きになっている。

ペンギンストーリー8

 キング「よし、追い詰めたぞ。そこにじっとしてろ、アオサギ」
 イワトビ「ご苦労なこった」

ペンギンストーリー9

 キング「おい、おまえ。何勝手に入ってきてるんだよ。ここはペンギンハウスだぞ。今すぐ出て行きやがれ」
 アオサギ「わー、すみません。入っていけないものとは知らず」

ペンギンストーリー10

 アオサギ「失礼しましたー」
 そそくさと逃げていくアオサギと、勝利の雄叫びを上げるキング。
 キング「かっかっか。見たか、オレ様の強さを。アオサギの野郎、恐れをなして逃げていきやがったぞ」

ペンギンストーリー11

 イワトビ「……。」
 遠くを見たまま泰然自若のイワトビは、我関せず。

 以上のような無言劇が繰り広げられた夕暮れ時の動物園のヒトコマでした。
 たまにはこんなのもいいかなと思ったり思わなかったり。

人のいる秋の動物園風景 <東山動物園1>

動物園(Zoo)
東山人風景-1

Canon EOS 20D+Canon EF80-200mm f2.8L



 初めてのLレンズは重かった。そして、大きくて恥ずかしかった。手で持つと指がしびれてくるし、肩に担ぐと重くて肩こりになりそうだし、すれ違う人の視線が気になる。赤ハチマキの重圧とはこういうことかと思い知る。
 EF80-200mm f2.8LというのはEFレンズ最初期のもので、発売からすでに20年近くが経過しているオールドレンズだ。おそらく中古で買える最も安いLレンズの一つだろう。IS付きのノーマル望遠レンズより中古相場は安い。いつか買ってしまうとは思っていたけど、ついにLまでいってしまったとなると、もはやレンズ沼の最深部に近い。値段を見れば上はキリがないにしても、一般的に買えるレンズの中ではもうこの上はあまり残っていない。今回は相場よりかなり安く買えるチャンスだったので思い切って買ってしまった。
 まだ手探りの段階なので、写りに関してはまだなんとも言えない。200mmの明るいズームということで、テストの場所は動物園とすぐに決まった。今回最初のテストということで試したのは、なるべくISO感度を100に保って、開放一段か二段絞りのf3.2かf3.5で撮ったらどんな写りになるかを知るというものだった。解像感重視ならf5.6以上絞るべきなのだろうけど、せっかく明るいレンズなんだからできれば開放付近で使いたいという思惑があった。
 その結果、撮った写真を見たときの第一印象としては、思ったほどじゃないというものだった。悪くはないけど、異次元というほどでもない。古いレンズということもあるし、ズームだし、そもそもこのレンズの評価もLレンズの中では並レベルといったところなので、まあこんなものかなとも思う。もう少し絞って撮れば少し印象が違ってくる可能性はある。
 レンズの話はとりあえずこれくらいにしておいて、今日の写真は東山動物園で撮ってきたものだ。200mmということで望遠よりもポートレートで使いたいという思いがあったので、動物よりも人をたくさん撮ってきた。今日の写真は特に人入り写真を中心に集めてみた。人がいる動物園の風景というのが私は好きで、人は多いよりも少ない方がいい。閑散とした雰囲気の動物園は、なんだかセンチメンタルで心惹かれるのだ。
 時間は例によって夕方で、日も傾いて条件はあまりよくなかった。4時を過ぎると多くの動物たちが小屋の中に帰ってしまうため、撮れる動物が少なかったのは残念だった。平日の閉園間際の動物園の空気感が伝わるといいのだけど。

東山人風景-2

 東山動物園は古い動物園で、昭和の風情が色濃く残っている。けど時代遅れには時代遅れのよさもあるわけで、すべての動物園が洗練された新しい動物園である必要はない。東山動物園も大がかりな改装を計画しているようだけど、古い部分のよさは残してもらいたいと思う。むしろこのまま変えずに残していけば、30年、50年経ったときにもっと味が出て、古さが売りになるんじゃないか。どこもかしこも旭山動物園の真似をしなくてもいい。
 左上のメニューを見て欲しい。だんご、フランク、ドック、ポテトと、今どきの若者並みの略し方がいかしている。フランクフルトをフランク、ホットドッグをドックとは、他では見たことがないような新しい略語だ。
 森永アイスクリームのケースも懐かしい。

東山人風景-3

 動物園くらい老若男女という言葉がふさわしい場所は他にない。若いカップルから、子連れの若夫婦、孫を連れたおじいちゃん、おばあちゃん、ちびっ子軍団に中年のおばさま、カメラのおやじ、単独の若い男子、女子というのも意外に多い。ヤンキーカップルとかもけっこういたりする。
 動物園を訪れている人は基本的に善良な人たちなので、ピリピリしたところがなくて穏やかなのがいい。特に平日はそうで、この中でのんびりした時間を過ごしていると、世界は何事もなく平和だと錯覚してしまう。

東山人風景-4

 キリンの広場は広くて、ベンチが並んでいるので、ここでまったりと座って過ごしている人たちも多い。
 小さな赤ちゃんを背負ったお母さん二人連れもいた。幼すぎて動物のこともあまりはっきりは分からないだろうけど、何らかの印象や記憶を刻むのだろう。それよりも、お母さんたちが動物園に来たかっただけかもしれない。

東山人風景-5

 一人で訪れいてる女の人も少なくない。ひとり動物園というのは、思っているよりもありがちなことで、難易度も低い。私も自分でやってみるまでちょっと厳しいんじゃないかと思っていたけど、やってみたら全然平気だった。一人で喫茶店に入れない私でも一人で動物園は大丈夫だ。

東山人風景-6

 紅葉風景は植物園の方で、動物園は冬の枯れ葉風情だった。冷たい風が吹いて落ち葉が舞っていた。
 カップルなら寒くないかといえばそんなこともなく、一人で寒いものは二人でも寒い。

東山人風景-7

 私が入った4時過ぎは、もうみんなが帰る時間だ。動物たちも小屋に戻り、みんなは出口へと向かって歩いていく。4時半を回れば、園内は一気に寂しくなる。

東山人風景-9

 さっきまで人が集まっていたキリンの前も、いつの間にか人がいなくなっていた。
 階段を登るカップルの後ろ姿だけがあって、閑散とした園内の様子を物語る。

東山人風景-8

 外国人一家も動物を見に来ていた。この日は見なかったけど、韓国や中国の人なんかも多い。

東山人風景-10

 一頭だけいるラクダさんがいつも寂しげで気にかかる。決まってこのポジションにいて、通りかかる人の顔を見て何かを無言で訴える。はしゃいだ陽気なラクダというのは見たことがないけど、東山のラクダは特別寂しげだ。せめてもう一頭でもお仲間を増やしてあげて欲しい。

東山人風景-11

 キリンのところにいた女の人が今度はペンギンのところでフレームイン。このあとあちこちで見かけることになる。いい被写体だったので入ってもらった。
 ペンギンは、右のがキングペンギンで、上にいるのがイワトビペンギンだ。イワトビは初めて見たようにも思う。名古屋港水族館で見ただろうか。

東山人風景-12

 カリフォルニアアシカが雄叫びを上げているところ。その向こうには先ほどの外国人一家がゴマフアザラシを見ながらビデオを撮っていた。
 秋の動物園らしい一枚に仕上げるなら、もう少し絞らないといけなかった。

東山人風景-13

 ごはんをあげる飼育員さんとごはんをもらうシマウマさん。夕方がエサタイムになっている動物も多いのだけど、たいていは小屋の中での食事になるので写真には向かない。シマウマは外での食事だった。
 動物園の飼育員になるには、地方公務員試験を受けて市の職員になって派遣されるか、動物園ごとの採用試験に受かるかするか、どちらかが一般的だ。動物学などを専門に勉強した人が有利になるところもあるらしい。
 全国の主な動物園は95で、飼育係として働いている人は約1,800人だそうだ。異動は少ないから、新規採用されるのは難しいという。
 私にその気はないのだけど、ちょっと気になったので調べてみた。

東山人風景-14

 東山動物園の営業時間は4時50分までで、4時半くらいから後片づけを始める店が多い。中には早々に店じまいしてしまうところもある。
 写真の店は、古い吊り下げ式モノレールを展示してある真下で、間違ってモノレールが落ちてきたら完全にペシャンといってしまう。頭の上が気になる。

東山人風景-15

 閉園時間となって帰るところ。ベビーカーのお母さんたちはおしゃべりしていてなかなか帰りそうな気配を見せない。
 第58回東山公園秋まつりと書かれていて、その下がステージのようになっている。週末は何かイベントでもしてるのだろう。

 今日のところはこれくらいで終わりにしよう。東山の写真は、あと2回か3回分くらいある。続けてになるか、飛び飛びになるか分からないけど、続きは明日以降ということで。

引き続き休み

動物園(Zoo)
コアラの背中

Canon EOS 20D+Canon EF 80-200mm f2.8L



 今日まで引き続き休みます。
 明日は通常更新に戻る予定です。

お休み

猫(Cat)
アイ後頭部

 急な帰郷で、今日は更新を休みます。
 明日には戻ってくる予定です。

おかずもひとりぼっちでは寂しそうに見えることに気づいたサンデー

料理(Cooking)
同居サンデー

PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4



 今日のサンデー料理のテーマは、おかずを孤独にしない、というものだった。一つの皿に一つのおかずを乗せるから彩りが足りなくなるのであって、そこに無理矢理にでも何かもう一種類加えることで見た目の華やかさも違ってくる。結果的に野菜なども摂ることができるので、体にもいい。
 ただし、それをやると調理の手間は1.5倍となり、台所の散乱ぶりも激しくなるというマイナス点もある。鍋やらフライパンがすごいことになる。一品ずつ作ればそうもならないのだけど、すべてを同時に完成させようとすると大変だ。そのあたりを効率よくできないところが自分でもまだまだだと思う。自分で料理をするようになるまで、世の中のお母さんの偉さが分からなかった。
 今回味付けはすべて中華風に統一してある。見た目は中華っぽくないのだけど。

 左手前は、豆腐とエビの団子揚げ中華あんかけだ。
 水切りした木綿豆腐を崩し、刻んだエビ、小麦粉、長ネギ、塩、コショウを混ぜ合わせてこねて団子にして、小麦粉、溶き卵、パン粉とつけて揚げる。
 あんは、水、酒、塩、コショウ、中華の素を煮立たせて、カタクリ粉でとろみをつける。
 白菜は別に煮て、あんの中に浸けて味を染み込ませた。
 揚げ豆腐というのもあっさりしていて健康的でいい。中身に混ぜるものを変えることでバリエーションも増える。

 右奥は、マグロのサイコロ卵とじの中華風になっている。
 マグロは塩、コショウ、酒、しょう油を振りかけてしばらく置く。
 フライパンにごま油を敷いて、タマネギを炒め、しょう油、酒、みりん、砂糖、めんつゆ、中華の素、ラー油で濃いめの味付けをしたところに、マグロのサイコロを入れて、最後に溶き卵を混ぜ入れて、しばらくフタをして蒸らしたら出来上がりだ。
 湯通しした白髪ネギを最後に乗せた。味付け海苔の刻みも乗せるつもりだったのに忘れていた。
 マグロステーキの卵とじは意外にも盲点というか、今回が初めてだった。親子丼の鶏肉の代わりにマグロを使っているようなものだから、美味しいのも当然か。

 一番奥は、スライスナスの中華風トマトソースがけといったようなものだ。
 いつものようにトマトソースを作り、味付けは中華の素と豆板醤でピリ辛にしてある。少しまろやかさを出すためにチーズも入れた。
 ナスは薄くスライスしてしばらく水に浸けた後、熱湯でさっと茹でる。あとはトマトソースの中でしばらく煮込めば完成だ。
 付け合わせは、キャベツとニンジンの千切りを中華の素と塩コショウで味付けした炒めたもので、これ単品でもけっこういける。トマトソースとの相性もよかった。

 今回は3つとも自己主張が強めの料理だったけど、全体のバランスはよかった。あっさり味がなかったのがかえってよかったかもしれない。中華風に統一したのも正解だった。
 盛りつけの課題はまだまだ残るものの、彩りというの点に関しては、先週、今週で少し見えた部分もある。単純に言って、何でもいいから付け足せばいいという話だ。店のようにわざわざそれだけを買うというのはもったいないから、冷蔵庫にあるものを総動員させればいいのだ。メインメニューに使わない食材を使えば、それだけ食べる食材の種類も増えるし、冷蔵庫も片付く。最初から彩りの組み合わせまで考えてから逆算するというのは高度すぎるにしても、家庭料理として工夫できる余地もまだたくさん残っている。当面の課題として、そのへんを追求していきたいと思っている。
 今日分かったこと。人もおかずもひとりぼっちじゃ寂しい。

西日差す愛知牧場のけだるい夕方風景 <後編>

施設/公園(Park)
愛知牧場2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF



 今日は昨日の愛知牧場の続き。日没時のけだるい牧場の様子と、後半は牧場のあとに行った三好ヶ丘緑地での夕暮れ風景写真へと移っていく。
 上の写真の場所で、以前にも馬をひいた女性の印象的な写真を撮ったことがあって、ここは行く前から期待していた。ちょうど正面から西日が差してきて、いい光が生まれる。今回はいい被写体に恵まれなくて残念だった。
 さすが牧場、馬道と人道が分けられている。子供もたくさん来るところだから、分けないと危ないというのもある。

愛知牧場2-2

 牛小屋の前。何かの作業で砂埃が舞って、そこに西日が当たっていい感じのオレンジの光になった。
 右側にあるのはどんな装置か知らないけど、牧場にあるっぽいものだ。牧場についての専門知識はないに等しい。

愛知牧場2-3

 特にふれ合いコーナーとなっているわけではないものの、ここで牛とお近づきになれる。けっこう寄ってきて、牛タンでこちらをなめようと攻撃してくる。ものすごいよだれなので注意が必要だ。
 触ってみると皮も毛もゴワゴワで、とても固い。犬猫のようなしなやかさはない。

愛知牧場2-5

 牛と目が合った。レンズを向けているのが気になったのか、こちらをじっと見つめていた。
 牛にも個性があって、それぞれ性格が違うのだろう。

愛知牧場2-6

 小さい馬は全部ポニーで片付けてしまいがちだけど、ポニーというのは品種名ではなく、小さい馬の総称だ。ポニーと名の付くものでも、シェトランドポニーやウェルシュマウンテンポニー、ハクニーポニーなど、いろいろな種類がある。アメリカのミニチュアホースや日本の木曽馬もポニーだ。
 肩までの高さが147センチ以下という決まりがあるらしい。
 愛知牧場のポニーも小さかった。子供を乗せるためのものだろうか。このときは、広場から小屋に戻っていくところだった。

愛知牧場2-7

 のんびりする山羊たち。
 ふれいあ広場は何時で終わるのだろう。4時なのか、4時半なのか、私が行ったときにはもう閉まっていて入ることができなかった。
 このゾーンは昔は無料開放だったのに、今は土日有料となった。牧場経営も楽じゃないのだろう。

愛知牧場2-8

 馬も小屋の中で休み中で、ほとんど顔を出してくれなかった。夕方のこの時間は夕飯時だったかもしれない。動物たちを撮るには時間帯が悪かった。
 馬は遠くから見るときれいだけど、近くから見ると血管やら筋やらが浮いていて、けっこう生々しい。鼻息とか鼻汁とかもすごい。近くから見て初めて知る馬の凶暴さ。歯もしっかりしてるから、噛まれたら痛いだけじゃ済まない。

愛知牧場2-9

 敷地の中で放し飼いにされているウサギたち。気ままに草を食べたり、跳ねたりしていた。
 ウサギは寂しくても別に死にはしない。むしろストレスに弱いから、あまりかまいすぎるとかえって寿命を縮めることになる。こんなところでちびっこたちに触りまくられて大丈夫なんだろうか。
 雨とか夏の暑さにも弱いはずだし、これから寒くなるから、ウサギたちにとっても大変だろう。
 ウサギといえば、愛知県幡豆郡にうさぎ島というウサギだらけの無人島があった。あれは今どうなってしまったのだろう。観光船が1977年に廃止されたあと、もう自由に行き来することができなくなってしまったんだろうか。
 近くには猿を放し飼いにした猿ヶ島もあった。今でも行けるものなら行ってみたい。

愛知牧場2-10

 ここからは三好ヶ丘緑地関連の写真になる。正面に大きな満月が出ていたので、一枚。
 愛知牧場へ行く前に地図を見ていたら、近くに三好ヶ丘緑地というのがあるのを見つけて、行ってみようということになった。ネットで調べると、浮き雲の桟橋という展望台があって、ここがちょっとした夜景の名所となっているという。夕暮れから日没時間ということでちょうどいいではないかという計算があった。

愛知牧場2-11

 駐車場に車をとめて、緑地の中を歩き出したところ、暗い、暗すぎる。外周は街灯があってまだ状況が把握できたものの、初めて訪れる緑地が日没後というのは厳しすぎた。途中まで進んで、前が真っ暗で何も見えなくなったところで引き返した。懐中電灯も持たずに暗闇の中を突っ込んでいくのは危険すぎる。
 ここに夜景を見に行くなら、明かりは絶対に必須だ。もしくは、彼氏か彼女のどちらかが忍者並みに夜目が利く人である必要がある。

愛知牧場2-12

 近未来的なスタイルの団地で、格好良かったので撮ってみた。
 中央のアンテナところがすごいことになっていて、目が釘付けになる。

愛知牧場2-13

 月並みなたとえをするなら、ヒッチコックの『鳥』のようになっていた。鈴なりとはこのこと。びっちりとアンテナにもとまり、団地の屋上にもずらりとカラスが並んで、とまりきれないやつらが不満げな声を上げて上空を飛び交っている。
 カラスにとっては自然環境と人間の生活環境が同時にあるここが暮らしやすい場所なのだろう。
 何にしても、三好ヶ丘緑地に関してはまったくもってよく分からずじまいだった。暗がりの中を5分ほど歩いただけで、全容も何も知るよしがない。隣接するように三好ヶ丘公園というのもある。そちらは団地の公園だろうか。
 もう一度行く機会があれば、次はもう少し明るい時間帯に着きたい。

 愛知牧場は、名古屋に近い観光牧場ということで、意義のある牧場だと思う。大人が行って特に何か楽しいものがあるというわけではないけど、動物に触れたり、エサをあげたりするという楽しみはある。動物園よりもずっと近い距離で動物たちを見られるというのは、子供にとっても意味のあることだ。
 春になったまた行こう。牧場ソフトももう一度食べたい。

コスモス畑の名残の見納めにと愛知牧場に行っておく <前編>

施設/公園(Park)
愛知牧場1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF



 この秋はモリコロパークと愛知牧場のコスモス畑がずっと気になっていて、ヒザ痛やら風邪引きやらで時期を逃してしまったのだけど、体調が戻ったところで遅いとは分かりつつもやっぱり行っておくことにした。行けば遅刻でも納得するし、行きさえすれば何かしら収穫はあるものだ。
 初めて愛知牧場に行ったのは、2006年の8月だった。ヒマワリ畑があるというので見に行ったのが最初だ。あれから5、6回行っただろうか。去年は10月のはじめにコスモスを見に行って、まだ少し早かった。今年はコスモスの満開が少し遅れたようだけど、11月の半ばではさすがに遅すぎる。
 それでもなんだかんだで写真を撮って、一回には収まりきらなかった。今日と明日の二回に分けて秋の愛知牧場編をお届けします。

愛知牧場1-2

 この日は時期だけでなく時間も遅れて、到着したのが4時過ぎだった。牧場の営業時間は一応5時までということになっている。日没時間ももう5時前ということで、実質的な持ち時間は30分ほどしかなかった。それほど広いところではないとはいえ、急ぎ足での撮影となった。

愛知牧場1-3

 西日に染まるパターゴルフ場と休憩ハウス。
 ここは完全な観光牧場というのではなく、基本的な部分では牧場として経営が成り立っているのだと思う。その中で、動物たちとのふれ合いエサやり体験や、乗馬体験、乳搾り体験などをやっている。入場も駐車場も無料なのは良心的だ。
 新鮮な牛乳から作ったソフトクリームや乳製品も名物で、ヒマワリやコスモスなどの季節の花畑も呼び物となっている。
 名古屋市近郊の牧場として貴重な存在だ。

愛知牧場1-4

 夏から咲いているキバナコスモスは、すっかり季節を過ぎて、とてもワイルドな感じになっていた。
 メキシコで自生しているキバナコスモスはこんなふうに咲いているのかもしれないと思った。

愛知牧場1-5

 コスモスは思ったよりも残っていたものの、さすがに旬を過ぎてきれいとは言えない状態になっていた。コスモスで作った迷路も、もはや迷路として成立していなかった。
 それでも、コスモス畑を見ることができて気が済んだというのはある。やっぱり行っておいてよかった。遅ればせながら季節のメニューを一つこなすことができたし、これで心おきなく紅葉に気持ちを切り替えられる。

愛知牧場1-6

 今年は青空をバックに見上げるようにコスモスを撮るというのをイメージしていたのに、それは果たすことができなかった。また来年の課題となる。
 課題といえば、今年もチョコレートコスモスを見ることができなかった。それも来年に持ち越しだ。

愛知牧場1-7

 連作障害を避けるためなのだろう、毎年花畑の位置が変わる。上の写真は最初にヒマワリ畑があったところで、今は何か別の作物を作っている。ヒマワリも場所が変わったし、コスモスも移動した。コスモスはこの下の斜面に咲いているときが一番きれいだった。
 愛知牧場の次の花畑は、来年春の菜の花畑だろう。ここで菜の花は見たことがない。一度くらい見に行ってもいい。

愛知牧場1-9

 どことなく情緒的なシルエットになるこの場所。牧場らしいワンシーンとも言えるかもしれない。

愛知牧場1-8

 東名高速を挟んで向こう側には愛知池がある。巨大な溜め池で、前に一度周囲を歩いたことがあるけど、思った以上の広さで大変だった。一周歩くと7キロ以上になる。
 正面に見えているのは名鉄豊田線の高架だ。ちょうど電車が通りかかったときに撮ればよかったのだけど、このときはのんきに電車を待っている時間がなかった。

愛知牧場1-10

 作業用の軽トラにも西日が当たって、ちょっとドラマチック。

愛知牧場1-11

 観光客の時間は5時で終わりでも、牧場の仕事はまだ続く。訪問者から見るほど牧場の仕事はロマンチックなものじゃないだろう。

愛知牧場1-12

 乗馬クラブか何かの子供たち。乗馬体験だけでなく、本格的な乗馬もできるようだ。

 今日のところは内容軽めでこれで終わりとなる。続きはまた明日ということで。

秋のモリコロパーク夕景から夜景へ <後編>

施設/公園(Park)
モリコロ2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF28mm f2.8



 今日はモリコロ秋探しの続きで、時間帯は日暮れから夕暮れへと移っていく。
 日本庭園をあとにして、再びこいの池前に戻ってきた。見えている建物は、やはりグローバルハウスのようだ。外観が変わっているのかいないのか、当時の記憶がないからなんとも言えない。ネットで万博のときの写真を見る限り、大きくは変わってないようだけど、まったくそのままというわけでもなさそうだ。
 この日は満月の一日前で、夕方からきれいな月が浮かんだ。

モリコロ2-2

 西エントランスに建っているオブジェ。日本の塔「月」というらしい。
 万博のときからあったようだけど、その存在は知らなかった。藤井フミヤプロデュースの「大地の塔」は知っていたし、外観の写真も撮った。あれは巨大だったから嫌でも目に入った。世界一の万華鏡ということで見てみたかったのだけど、列が出来ていてあきらめた。
 あれは大きすぎて残せなかったようで、代わりにこちらの塔を残したようだ。大阪万博の太陽の塔のようにはなれなかった。

モリコロ2-3

「こどものひろば」と名づけられたゾーンにはいろいろな施設が集まっている。写真は自然体感遊具というやつの一部だ。このときもちびっこが走り回っていた。
 万博のときはこちら側に来ていないので、当時どうなっていたのか知らない。おそらくこういうのは期間中からあったのだろうと思う。
 現在のモリコロパークは、子供連れの親子にはいろいろ遊ぶところがあるものの、大人が遊ぶものが少ない。景色を楽しんだり散歩したりするにはいいとしても、もう少し何か欲しい。デートで訪れても観覧車以外に何があるというわけでもない。

モリコロ2-4

 モリコロパークの開園時間は、冬場でも夕方6時半までとなっていて、これはありがたい。春夏は7時まで開いている。
 ただし、観覧車や施設、お店などは5時で終わってしまうので注意が必要だ。夏場はともかく、冬場は暗くなって店も開いてないようでは何もすることがない。観覧車も5時くらいから段階を経てライトアップしていったと思ったら、5時半にはパッと電気が落ちて真っ暗になってしまった。

モリコロ2-5

 遠くに名駅の高層ビル群が見えている。その向こうは山並みだ。
 この観覧車からの眺めは抜群だから、ここだけでも閉園時間までやればいいのにと思う。冬は5時を過ぎたら暗くなるから、夜景を楽しめる。週末だけ長時間営業してるとかあるんだろうか。

モリコロ2-6

 観覧車を撮っているとき、ふと横を見たら、左にも右にも観覧車を撮っている人がいて、ちょっと照れくさかった。みんな考えることは同じだ。
 三脚のおじさんもいた。ちゃんと撮るなら三脚は必須だ。長時間露光すればライトアップの緑色の光がしっかり写る。

モリコロ2-7

 愛知県児童総合センターと月。
 少し離れたところには、愛知国際児童記念館というのもある。どちらも入ったことがないので、中の様子は知らない。
 児童総合センターの上は展望台のようになっていて、上から公園を眺めることができるようだ。
 児童記念館の方に案内ロボットお姉さんがいるはずだ。
 次はもっと早い時間に行って、愛・地球博記念館とかも一度入ってみよう。

モリコロ2-8

 謎の建物。実際は謎でも何でもなくて、私が知らないだけだ。
 観覧車も撮ったし、あたりも暗くなってきたので、駐車場に戻ることにする。

モリコロ2-9

 こどものひろばの水エリア。水の流れを表現していたり、水の中に入って遊べるところなどがある。夏場に来たら涼しくて楽しそうだ。今はもう寒々しい。元気なちびっこも入りたがらないだろう。
 この時間帯では人っ子一人いなかった。

モリコロ2-10

 水エリアを別角度から観覧車を入れて。
 このときはライトアップが最大になっているときで、きれいな緑色に光っていた。

モリコロ2-11

 駐車場に戻ってきたところ。すっかり日も暮れてしまった。
 今回、復活したというグローバルループを歩きたいというのがあったのだけど、とうとう入り口が分からず行くことができなかった。周りが工事中だったり、通路が関係者以外立ち入り禁止だったりで。
 グローバルループというのは、パビリオンがあったエリアの木製通路で、万博へ行った人なら思い出深いものの一つだと思う。あの上を歩けば当時の記憶が蘇ったはずだ。私も暑い中、2周も歩いてしまった。そして最後は、大芝生広場でへたり込んだ。くたびれはてて芝生で寝込んでいたお父さんもたくさんいた。とにかく万博は暑かったという印象が強く残っている。

モリコロ2-12

 暗くなってもしつこく撮る。ここは点在する明かりがいい雰囲気だったのに、写真に撮るとそれが伝わらない。やっぱり三脚持っていけばよかった。

モリコロ2-13

 最後にもう一度、旧グローバルハウスとこいの池を撮る。手すりにカメラを乗せて、なんとかぶらさずに撮った。
 暗い中でカモたちの鳴き声が響いていた。この池にもカモが渡ってきているようだ。
 暗くなって、これ以上撮るものもなくなったので、帰ることにした。まずまず写真の収穫があって、満足した。

 モリコロパークでは年間を通じていろいろなイベントが行われている。この前も気球イベントがあって、私も行こうと思っていたのだけど、当日は雨だったので行かなかった。それでも雨天決行したようだった。
 次回の工期がいつ完成で、何ができるのかはよく知らないのだけど、私もちょくちょくモリコロパークのサイトはのぞいておく必要がありそうだ。何かあれば、また行ってみたい。何もなくても、今度は春になったら行ってみようと思っている。自然環境が豊富だから、野草や昆虫など、思いがけないものがあったりいたりするようだ。少し前はアサギマダラも飛んでいたらしい。もしかしたら春の女神ギフチョウもいるかもしれない。
 とりあえず今回のモリコロパーク秋編はこれにて完結だ。紅葉の本番はこれからなので、機会があれば一度出かけてみてください。

秋を探しにモリコロパーク <前編>

施設/公園(Park)
モリコロ1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF



 秋を探しにモリコロパークへ行ってきた。どこだよそれという人も多いと思うけど、愛・地球博会場跡地公園のことで、愛知県民にとってはモリコロといえば通じる。県外の人にとってはすでにモリゾー・キッコロは過去のものとなっているに違いないけど、愛知県民にはすっかり定着したキャラクターになっている。モリゾーとキッコロの住民票が海上の森2005番地にあるというのも常識だ。
 万博が終わってから3年の月日が流れ、モリコロパークもだいぶ整備されてきた。現在は第何弾の工事をしているのか知らないけど、すべてが完成するのは2010年だそうだ。今日も何ヶ所かでまだ工事が続いていた。
 私がここを訪れるのは、万博のときを除いて3回目となる。前回が2007年の1月だったから、あれからいろいろな施設が増えていた。温水プールやスケート場も、以前はまだできていなかった。
 今回の目的は、一足早い秋探しだった。ネットでたまたま見かけたモリコロパークの紅葉写真を見て、これは行かねばと思ったのが直接のきっかけとなった。それ以前にコスモスを見に行こうと予定を立てていたのだけど、それは風邪引きですっかり出遅れて没になっていた。そのとき行けていた方がよかったのか、今日の方がよかったのかは分からない。今日は今日なりに収穫はあったし、先週行っていれば、また違った写真になっていたことだろう。
 初めて西駐車場に車をとめて、そこから散策を始めた。北よりもこちらの方が日本庭園に近かったから。どちらにしてもモリコロパークは広いから、けっこう歩くことになる。

モリコロ1-2

 温水プールやスケート場が入った建物が、西日に照らされてピカピカに光っていた。新しい10円玉の平等院鳳凰堂みたいだ。
 これはなかなかフォトジェニックな建物で、このあと時間帯を変えて何度も撮ることになる。
 この池はなんという名前の池だったか、忘れてしまった。もともとこの場所は青少年公園という大きな公園があった場所で、万博のときも地形をそのまま利用した形で会場になっていた。今歩いてみると、当時の面影を残すものは多くない。パビリオンなどはどこにあったんだろうと分からないくらいだ。
 この建物があるあたりは、マンモスがいたところじゃなかっただろうか。だとすれば、元のグローバルハウスかもしれない。愛・地球博のガイドブックも1冊保存しておいた方がよさそうだ。

モリコロ1-3

 日本庭園の方にも二つの池がある。大きい方がかえで池で、小さい方がめだか池だったと思う。
 そういえば、スケート場がある池は、こいの池という名前だったような気がしてきた。

モリコロ1-4

 私が行こうと思ったのは、ここから撮った写真を見たからだった。残念ながら逆光で、イメージ通りに撮れなかった。夕方だと右斜め前から光が差すことになるから、色が出なかったり飛んだりする。ここを撮るなら午前中から昼過ぎくらいにした方がよさそうだ。レンズは中望遠くらいがいいと思う。
 それでも、紅葉はだいぶ進んでいた。今週末くらいが見頃じゃないだろうか。

モリコロ1-5

 園内は無料バスが走っている。ただし、休日でも30分に1本、平日は1時間に1本なので、タイミングを外すと待たされる。
 万博のときも登場していた、セグウェイという自走式の二輪車は一般貸し出しはしてないんだろうか。少し前に無料走行会があって、そのときは大勢参加したという話だった。あれがいつでも乗れるとなれば、かなりの人気になるはずだ。環境に優しい万博というテーマだったのだから、終わってからもその精神を引き継いでもらいたいところだ。

モリコロ1-6

 庭園奥の橋のところ。このあたりまで来ると、つながりがちょっと分からない。前も一度歩いているけど、途中で行き止まりのところもあったりする。
 サツキとメイの家は相変わらず抽選制で、飛び込みでは見ることはできない(休日に早く行けば当日受付があるらしい)。万博のときも行ったけど、今回も展望台に登って見ていくことにする。
 展望台はこの橋を渡らず、手前を左に折れて、めだか池の方に出なくてはいけない。橋を渡っても行けるのかもしれないけど。

モリコロ1-7

 めだか池の紅葉は、赤ではなく黄色だった。木の種類は知らない。西日で実際以上に黄色が強調されている。

モリコロ1-8

 イチョウ並木はもう終盤で、多くの葉が落ちていた。まだまだ木が小さいから、ここはこれからだ。何十年かしたら、立派なイチョウ並木になるだろう。

モリコロ1-9

 遠くから眺めるサツキとメイの家。万博のときは入れずにうらめしい目でここから写真を撮ったけど、今となってみるとそんなに見たいものでもない。中に入れても、室内の撮影は禁止だそうだから、写真だけなら展望台からでもいい。
 いつかそのうち自由見学できるようになったら見に行こう。

モリコロ1-10

 わずかに残っていたコスモス。今年はとうとうコスモス畑を撮れずじまいだった。コスモス自体も、これが撮り納めとなりそうだ。
 ここからは135mmのソフトフォーカスレンズに交換して、しばらく撮った。

モリコロ1-11

 思った以上に多くの人が訪れていた。若手のカップルや親子連れが多かった。
 駐車場代が500円で、入場は無料だから、一日のんびり過ごすには安上がりなところだ。万博に行った人なら思い出に浸ることもできる。

モリコロ1-12

 やっぱりソフトフォーカスは、人物のポートレートに向いている。これ一本だけ持って街歩きをしてもいい。駅の人間模様とかを撮ると面白い写真になりそうだ。

モリコロ1-13

 そろそろ日没が近づいてきた。最後は北西にある大観覧車に向かうことにした。

モリコロ1-14

 帰りにソフトフォーカスで橋のあたりの紅葉を撮る。やはりもう少し光が欲しい。日が当たっていれば、もっと幻想的な風景になるはずだ。

モリコロ1-15

 前半はこれで終わり。後半はこの続きで、大観覧車を中心とした夕景、夜景写真となる。
 次回に続く。

こんなところにあったのか本地ヶ原神社---尾張旭神社巡り5弾

神社仏閣(Shrines and temples)
本地ヶ原神社入り口




 尾張旭の神社巡りシリーズはずいぶん長くかかっていて、まだ終わっていなかった。始めたのが2007年の4月の渋川神社編だから、1年半もかかっている。9つしかないのに、かかりすぎだ。残りは3つだったから、今日一気に回って完結させてしまうことにした。
 その中で最初に行ったのが、本地ヶ原神社だった。本地ヶ原というと、市営本地荘が守山区に組み込まれているから守山区のような気がしているけど、大部分は尾張旭市に属している。どういうわけか市営本地荘だけが飛び地のように守山区に取り込まれている。そのあたりの事情はよく分からない。地理的にも守山区と尾張旭が入り組んでいて、住人でさえその境界線を完全には把握していないという話だ。バスは名古屋の市バスが走っている。
 近くの尾張旭市内にも本地ヶ原住宅というのがあって、そちらの子供は尾張旭の本地原小学校に通い、本地荘の子供は守山区民なので本地丘小学校へ通っている。中学は当然、森孝中学ということになる。新人の郵便配達人などは間違えそうだ。
 それはともかくとして、本地ヶ原神社を私は今まで知らなかった。前の大通りは何百回と走っているし、裏道も何十回かは通っているはずなのに、神社の存在を今まで一度も意識したことがなかった。不覚というか盲点というか、一度の挨拶もなかったことをお詫びする意味でも参拝する必要があった。
 地図を見てだいたいの場所の見当を付けて出向いていったのだけど、なかなか見つけることができず周囲を無駄にぐるぐる走ってしまった。見つけたときは、なんでここにあるのに今まで気づかなかったのだろうと、自分自身不思議に思ったのだった。



元白山神社石碑

 元白山神社という石碑と、白山林の戦いの説明板が立っている。戦国通の人なら、ここがあの白山林かとすぐにピンと来るだろうか。私はピンとも何とも来ず、家に帰ってきて本地ヶ原神社のことを調べていてようやく、ああ、あの白山林かと気づいた。前の通りは白山通りという名前で、そこにかつての名残を残している。
 昔このあたりは白山林(はくさんばやし)と呼ばれる山で、現在は一部雑木林が残るのみとなっている。江戸時代に新田開発が行われ、戦後は住宅地となっていった。
 本地荘のあたりはこの辺で一番高台になるから、大洪水になったとき逃げるのに適している。本地荘が水に浸かったら、もう日本沈没だ。
 小牧長久手の戦いについても、いつかまとめて書こうと思っているのだけど、ここでは簡単に白山林の戦いについてだけにしておきたい。
 本能寺の変から2年後の1584年、後継者争いをする秀吉と信長の次男・信雄の間で行われたのが小牧長久手の戦いだ。信雄は単独では勝てないということで家康に援軍を頼んだため、実質的には秀吉と家康の戦いとなっていく。
 膠着状態を打破するために両軍が動いたのが4月8日。家康の本拠地・岡崎城を襲うために秀吉方の池田信輝・森長可隊、堀秀政隊、三好秀次隊が南下を開始。その動きを察知した家康方もあとを追う。徳川家康・織田信雄隊は池田信輝・森長可隊を追い、榊原康政・本多忠重隊、水野忠重・丹羽氏次隊などは三好秀次隊を追走して矢田川(小幡あたり)を渡った。
 翌9日、午前5時。白山林で休んでいた三好秀次隊に向かって突然林の中から一斉射撃をしてきた隊があった。大須賀康高・岡部長盛隊がそれだ。同時に背後から水野忠重・丹羽氏次隊も襲いかかってきたからたまらない。三好秀次隊は大混乱を来して、大あわてにあわててちりぢりに逃げまどう。側面からは榊原康政・本多忠重隊も攻めかかってきて反撃するどころではなかった。
 大将の三好秀次はこのとき17歳。秀吉の甥は、8000人の大部隊をいかすこともできず、しまいには自分が乗っていた馬さえどこかへ見失ってしまった。
 このままでは逃げ延びることもできないというんで、たまたま横を通りかかった可児才蔵に馬をよこせと命じたところ、あっさり断れてしまう。「雨の日の傘に候」と言ったとか言わなかったとか。
 続いて通りかかったのが、木下勘解由(きのしたかげゆ)だった。木下は秀吉の身内ということで、この命は断れない。馬を差し出して、兄弟の木下祐久とともに、追ってきた徳川軍と戦って戦死した。木下祐久は秀吉の正室ねねの父親と言われる人物で、その他木下一族は秀次が逃げる時間稼ぎのために多くが討ち死にしたと伝えられている。
 馬を貸さなかった可児才蔵は、浪人となったあと福島政則に召し抱えられて、関ヶ原の戦いでは東軍として大活躍することになる。
 どうにかこうにか戦場を脱した秀次は、香流川を渡って、長久手方面に逃げ延びていった。その後、両軍が長久手に集結する格好となり、長久手の戦いへとなだれ込んでいく。そのあたりのことは、いずれ機会があれば書いてみたいと思っている。



境内と社殿

 神社は全般的にものすごく新しくなっていた。どこもかしこもピカピカの新築だ。平成15年だか16年だかに全面建て替えをしたそうだ。これだけ新しいとありがたみも何もあったもんじゃなくて、なんだか妙に戸惑ってしまう。火事で焼けたとかではなさそうだから、老朽化で思い切って新築したということなのだろう。以前の姿をまったく知らないというのが惜しまれる。もっと早くここの存在に気づくべきだった。
 新築の影響もあってか、神社特有の濃密な空気は抜けていた。



拝殿と参拝者

 創建はよく分かってないようだ。700年代という話もあるらしいけど、本当だろうか。寛文5年(1665年)に尾張徳川家によって再興されたという記録は残っている。
 祭神は、イザナミ(伊邪那美)というから、やはりもともとの白山神社の関係だろう。愛知県も白山神社は少なくない。ただ、どうして菊理媛神やイザナギは抜け落ちてしまっているのか、そのあたりの詳しいところはよく分からない。
 実はこのあと回ったのも白山神社で、そちらとの関係はどうだったのだろう。二つあると紛らわしいからというので、こっちは本地ヶ原神社に改名したということだろうか。



本殿の一部

 拝殿裏の本殿は、塀に囲まれて屋根の部分しか見えない。拝殿、本殿とも、伝統的な神社建築ではないように見える。以前はどうなっていたのかが気になるところだ。



境内社

 狛犬などもすべて新しくなっている中、境内社だけは昔のものを流用したようだ。
 左から、兜神社、北野天満宮、黒石大明神と並んでいる。
 兜神社というのは、小牧長久手の戦いの戦没者を慰霊するために建てられたもののようだ。
 北野天満宮は、天神さまとして勧請したのだろう。
 黒石大明神というのはよく分からないのだけど、次に出てくる天狗のかかと岩というのと関係があるのだろうか。



境内の大石

 大きな黒い石の中央に穴が開いているのが見えると思う。これは、白山林にすんでいた天狗が、猿投山の天狗に会いにいくとき、エイヤっとジャンプしてついた足跡だという。それにしては、天狗の足が小さすぎる。だから、かかと岩なんだろうけど。
 実際のところは、7世紀に建造された横穴式石室を持つ天狗岩古墳の天井石だと言われている。昭和50年ごろまで長坂町の矢田川の崖にあったものを、ここに移してきたそうだ。



本地ヶ原小学校のイチョウ

 隣の本地原小学校のイチョウがだいぶ色づいてきていた。



本地ヶ原-13

 本地ヶ原神社はやや印象が薄かったものの、これまで長い年月すれ違い続けてようやく縁ができたことを喜びたい。一度でも行けば馴染みとなるし、一度も行かなければ無縁のままだ。これから何度も前を通る機会もあるだろう。知り合いが多いほど、何かのときにひょんなことで助けてもらえることがある。それは人も神様も同じだ。
 
 尾張旭の神社巡り第6弾で9つ制覇するもまだ完結に至らず
 
【アクセス】
 ・鉄道駅からは遠いので、バスか車で。
 ・無料駐車場 あり
 

サンデー料理で悪化した風邪をマンデー料理で治す

料理(Cooking)
病み上がりサンデー

PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4



 今日はサンデー料理ならぬマンデー料理。前回のサンデーで悪化した風邪を振り払う意味も込めて料理を作った。料理が作れるくらいになれば、心身共に復活したと見ていいだろう。果たして結果はどうだったかといえば、まあまあ大丈夫だった。まだちょっと完全復活とは言い切れない感覚が残った。疲れ具合とか、食欲の点で。ただ、作ろうという気持ちになったのは前進だ。昨日の時点ではまだ作れるような気がしなかったから。
 今回はあり合わせ料理となった。特に工夫もなく、なるべく体によさそうな食材を選んで、自分が食べたい味付けで作っただけだ。テーマとしては、できるだけたくさんの食材を使う、というものだった。

 左手前は、偶然できた面白い料理だった。作り始める前のイメージと、出来上がったものがまったく違った。見た目だけでは何を作ったのか分からないと思う。
 使ったのはハマチだ。ハマチは味にクセがあるからめったに食べないのだけど、珍しく料理してみた。最初は切り身をホイル焼きにしてソースをかけてと考えていたのだけど、意外と骨が多くて、それを外しているうちに身がバラバラになってしまった。こりゃいかんと思ったときにはもう遅かった。こうなったら得意の刻み料理にしてやるということで、途中から大きく路線変更となった。
 刻んだ身に、塩、コショウ、酒、しょう油、牛乳、コンソメの素、粉チーズ、オリーブオイルを加えてこねて、それにパン粉をまぶしてオリーブオイルで揚げ焼きにした。
 このままではまた茶色料理になってしまうので、卵とじでカツ丼風にしてみた。これが成功だった。卵とめんつゆミックスをフライパンで半熟まで熱して、ハマチ揚げにかけて食べた。
 ここまでしてもハマチの強い味は消えなかったものの、ここまですればハマチ嫌いの人でも美味しく食べられるんじゃないかと思う。もっとクセのない魚でやれば更に美味しくなる可能性が高い。

 右は長芋のフリットと言っていいかどうか。お焼きと言うべきか。
 長芋をすり下ろして、刻みタマネギ、チーズ、塩、コショウ、しょう油、酒、マヨネーズ、小麦粉、卵を混ぜ合わせる。
 これをフライパンでじっくり焼けば基本は出来上がりだ。
 最後にめんつゆ、唐辛子で味付けをして、青のりを振りかけて完成となる。
 長芋特有のフワフワ食感が気に入った。長芋入りのお好み焼きがあるけど、もっと他にも応用ができそうだ。

 一番奥は、何の工夫もない野菜スープだ。ありったけの野菜を入れて、トロトロに煮込んである。上品ではないけれど、体によくて味わい深いスープになった。
 入れたのは、大根、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、キャベツ、白菜、ほうれん草、長ネギ、鶏肉、ブロッコリー、しめじ。
 味付けはコンソメの素と、塩、コショウというシンプルな仕上げとなっている。これでも野菜の旨みがしっかり出て充分美味しい。

 風邪の間も食欲はあまり落ちなかったのだけど、昨日あたりから90パーセントくらいまで戻ってきた。体重はあまり減ってないと思う。運動不足で逆に増えているくらいかもしれない。
 完全にシャキッとするまではもう一歩、あと数日かかりそうだ。何事もなかったようにというところまではいっていない。
 今日はこれでネタができたけど、明日の分のネタがないから、明日はどこかへ行ってネタ拾いをしてこないといけない。体力80パーセントでも無理なく写真を撮れるところを選ぼう。
 今年のサンデー料理も残り少なくなった。彩りと盛りつけという課題を来年まで持ち越してしまうことになるのか、今年なりの回答を出せるのか、自分自身に期待したい。自分が食べたい料理を作れるようになることがゴールじゃない。料理というのは、誰かに食べてもらってこそという部分が大きい。見た目も大事だ。
 目指せ、脱茶色料理。これが当面の課題となる。

一週間の風邪期間は今日で終わりとして明日からは通常更新

街(Cityscape)
雑多写真-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他



 風邪でダウンしてから今日で一週間になる。調子が悪いという自覚の中でサンデー料理を作って、その後完全にやられた。一発K.O.で一週間立ち上がれないことになるとは思わなかった。
 それでも、風邪だ不調だというのはもう今日までとする。回復度はまだ70パーセント程度で、今日もサンデー料理を作れなかったけど、風邪にもいい加減飽きた。調子が悪くても何でも、明日からは平常に戻す。これ以上の甘えを自分に許してはいけない。
 ただ、今日までは簡単更新となる。何しろネタ写真がいよいよなくなってしまったのだ。どうにか一回分、在庫からかき集めたものの、それも限界が来た。明日はどうしてもネタ集めに出なければならない。と同時に、長い文章を書けるくらいの気力も取り戻す必要がある。中途半端な内容で一週間も続けていると、寝覚めが悪い。
 今日は中小田井で使ってなかった写真が少しあって、それを中心に何枚か足して一回分の更新とする。季節感もちょっと狂ってしまっているけど、在庫を使い切ることができたのはすっきりした。写真を探す中で、去年から今年にかけて行った場所を振り返ることができたのも意味があった。これでリセットして、明日からまた新しく始められそうな気がしている。

雑多写真-2

 名鉄中小田井駅。写ってる女子高生もまだ夏服を着ている。
 名鉄犬山線の駅で、北から東北に方向を変えつつ、犬山方面へと向かう。基本的にこの沿線沿いの人が名古屋と行き来するための路線なのだろうけど、部外者にとってはまったく役に立たないような線だ。犬山方面はいい観光地がたくさんあるのに、それぞれ場所が離れすぎていて、犬山線ではどうしょうもない。明治村へも、リトルパークへも、モンキーパークへも行けない。モンキーパークはモノレールでつないでいたのに、この線も今年いっぱいで廃線になってしまう。犬山線で行けるところといえば、犬山城くらいだ。ここだって駅からは1キロ以上歩くことになる。せめて明治村は経由していくべきだったんじゃないか。明治村よりも犬山線の方が先か。
 何にしてもこの路線には乗ったことがないし、今後も乗る予定はない。

雑多写真-3

 路地裏の黒猫。
 黒猫なんてどれも同じに見えるだろうけど、黒猫の飼い主からすると、自分ちの黒猫とよその黒猫は、はっきり区別がつく。顔の形や目つき、体型など、やっぱりそれぞれ違うものだ。

雑多写真-4

 小田井の町並保存地区。アスファルトの色が違っているところがそうなのだろう。
 人の後ろ姿を撮るときはプレッシャーがかからないけど、正面から来られるとちょっと焦る。このときも慌てて撮ったものだから、えらく傾いてしまった。でも、なんとなく味があって、この写真私は嫌いじゃない。

雑多写真-5

 お釈迦様だかお地蔵様だかが見守るお墓と、背景の古いコーポの組み合わせが、なんとなくシュールでちょっと笑えた。笑うところじゃないけど。

雑多写真-6

 名鉄名古屋本線の夕焼け風景。岡崎城へ行ったときの写真だ。
 名前の通り、これが名鉄の主要路線ということになるのだろう。岐阜と豊橋を結んでいる。この電車が嫌なのは、どちらへ行くときも、どちから帰るときも、名古屋駅止まりじゃないということだ。うっかり居眠りなどしていると、岐阜やら豊橋やらまで運ばれてしまう。
 そろそろまた電車の旅もしたくなってきたし、電車撮りもしたい。早く元気になろう。

雑多写真-7

 どこで撮った夕焼け写真だか、思い出せない。雲が不思議な模様を描いていた。

雑多写真-8

 最後は唐突だけど、去年のタワーズライツのイルミ写真を載せておく。今年のイルミに向けた復習ということで。
 2008年版は、これをもっと細密にしたようなイルミで、絵本の世界といった感じになっている。写真で見るのと実物とではだいぶ印象も違うし、近いうちに見に行こう。
 イルミの場合はできれば三脚を立てて、シャッタースピードを5秒、10秒にして撮った方がきれいに写るのは間違いない。ただ、あの駅前の状況でそれができるかというと、私には無理かもしれない。連れと一緒のときならまだしも。今年もささっと撮って逃げるようにその場を立ち去るということになってしまうのだろうか。
 クリスマス気分というにはまだいかにも早すぎるから、行くとしても12月に入ってからでいいか。あまり先走ると12月の後半まで気分が持たない。
 まずは紅葉だ。茶臼山では撮ったような撮ってないようなだったから、まだ本格的にシーズンは開幕していない。そろそろ郊外で色づき始めたようだ。今年はポイントを絞って回りたいと思っている。
 風邪更新はこれで終わり。明日からは通常に戻る予定です。

気持ちが戻らず空写真でインターミッション的更新

空(Sky)
かき集め写真-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 他



 風邪の具合はどうにもよくない。寝込むほどではないけど、起きて普通に動き回るには気力、体力とも決定的に不足している。具体的にどこがどう悪いというのでもないのに、全体的にどんよりしている。
 今日も更新は写真を並べるだけで精一杯だ。ネタもなくなって、在庫からかき集めてきた。
 空写真でインターミッションということにさせてもらおう。

かき集め写真-2


かき集め写真-3


かき集め写真-4


かき集め写真-5


かき集め写真-6


かき集め写真-7


かき集め写真-8


かき集め写真-9


かき集め写真-10

 明日は今日より回復しているといいけど、だんだん元気だった頃の自分が想像できなくなりつつある。あまり不調が続くと、風邪以外の疑いも出てくる。
 とにかく気力が戻らないことには今のところ動けるような気がしない。単なる怠惰や甘えとは違うものを、自分自身感じている。
 今日はここまでとしよう。また明日。

意を決して病院へ行くも薬をおみやげにあっさり送り返された

街(Cityscape)
近所写真-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6



 薬も医者も苦手な私は、風邪との勝負に負けたとき、どうしても後手に回ってしまう。ゴホンといえば龍角散だとか、風邪かなと思ったらすぐにパブロンとか、そういう基本姿勢がなっていない。風邪になるのが2、3年に1度くらいという頻度だから油断しているというのもある。
 今回はけっこう長引いている。いつもとは違ったやられ方をしているのが気がかりだ。がぁっと悪くなって、山を越して、あとは何日かかけて治していくというパターンではなく、最初に熱とだるさが一気に来て、第二弾として咳と喉に来た。二段構えの攻撃に不意を突かれたのだった。
 とにかく声がかすれて日常会話もままらないのは不便極まりないし、夜は咳との戦いでなかなか寝られないのがつらい。
 今日、とうとう敗北宣言を出して、病院へ行ってきた。風邪で病院へ行くなど、いつ以来か思い出せない。子供の頃は病気がちで、よく病院は行っていた。子供がかかる一通りの病気はした。それで病院が苦手になったというのはありそうだ。
 当然のことながら散策へも行けず、ネタ写真の在庫は底を突いたままだ。冷蔵庫に残ったもので食いつなぐしかないような状態に陥っている。最終的にはマヨネーズを飲んでやり過ごすしかないようなところまで追い込まれそうだ。明日のネタはいよいよなく、日曜もサンデー料理は無理そうだ。家の中にネタは落ちてないものだろうか。
 今日もまた、近所の日常写真でつなぐ。長々と書いている気力もないので、簡単更新になってしまう。仕方がないけど自分自身残念でもある。

近所写真-2

 西日を浴びて、滑り台で遊ぶちびっこたち。
 E-510写真はどうも暗い。コントラストがきつくて、影の部分がつぶれがちになる。レタッチのときのクセもまだ掴めていない。補正の段階では適正なのに、ファイルを圧縮して保存すると妙に暗くなる。RAW現像ソフトとレタッチソフトの相性などもあるんだろうか。
 それと、最近PCの液晶を換えたこともあって、調整具合がまだよく分かっていない。もう少し試行錯誤が続く。

近所写真-3

 たこやき、いかやきの店「どんだけぇ」。
 流行に乗るとそのときはよくても、流行が去った後が危険だ。店名はそうそう簡単に変えるものでもないし。
 となりのパール化粧品店は古い。昔と同じ経営者がそのままやっているわけではないだろうけど、私が子供だったときからすでにここに化粧品店があった。母親のお供で何度か入ったことがある。

近所写真-4

 猪子石西原を過ぎて香流橋へ向かう途中あたり。右手の煙突は、焼却場のもの。正面遠くに名古屋駅のタワー群がちらっと頭を出している。
 名駅の冬の名物となった、駅前イルミネーションが今日から始まった。まだクリスマス気分には早いけど、もうそんな季節になったのか。そのうち機会を見つけて写真を撮りに行こう。

近所写真-5

 ユニーアピタ手前の汁谷交差点。
 かつては左手に郵政のアパートがあって、そこに友達一家が住んでいたから、ここはよく来た場所だ。大学生の頃、東海テレビで深夜のテレホンショッピングのバイトをしていたとき、このあたりが友達との集合場所でもあった。思い返せばこのあたりもずいぶん変わってしまったものだ。
 右手前にあるbook offはたまに出没する。
 この写真は実は、中央にいる名鉄バスを撮ったのだった。写真ではよく見えないのだけど、屋根にハイブリッドの装置が乗っている。少し前から見かけるようになったタイプで、エコ・ハイブリッドバスというんだそうだ。この中にリチウムイオン電池が入っていて、ディーゼルエンジンと併用でクリーンに走る。
 まだこのタイプには乗ったことがないのだけど、いい試みだと思う。私もできることなら太陽電池で走りたい。

近所写真-6

 ここのところガソリン価格の下落ぶりが激しい。一番高かったときはセルフでもハイオクは200円近くまでいった。それがみるみる安くなって、下げ止まらない。
 上の写真は何日か前のもので、ハイオクはまだ140円を超えている。今日見たら136円になっていた。レギュラーは125円だ。
 走り控えとかで、今度はスタンド間での価格競争が起こっている。安くなるのはありがたいことだけど、閉店されてしまっては困るから、ほどほどのところで落ち着いて欲しい。私としては150円を切ってくれれば文句はない。
 それよりも、ガソリン価格上昇のときに便乗値上げをした企業や商品は下げるべきだと思う。
 結局、ガソリン騒動で一番損をしたのはガソリンスタンドだったんじゃないか。

近所写真-7

 私が意を決して病院へ行くときは、自分でよほど駄目だと判断したときで、もうこのまま入院かもしれないというくらいの覚悟を決めていくわけだけど、そんな私の熱い思いとは裏腹に医師は常に冷めていて、あまりの温度差に肩すかしを食ってしまうというのが常だ。私は医者を占い師のように思っているところがあって、黙って座ればピタリと当たるくらいに考えているのだけど、実際はほとんど何も言い当ててはくれない。今回は、えーと、風邪ですね、そんなに悪い状態じゃないですよと、あっさり片付けられてしまった。ああ、そうですかと、私は引き下がるしかない。言われるがままに薬を買って、ありがたく受け取り、そしてすごすごと帰るしかないのであった。
 患者の方はどこまでも可能性を広げて悲観的になり、医者は可能性を狭めていってたいていは楽観的だ。めったに風邪を引かない人間にとって風邪は重大な出来事なのに対して、医者にしてみたらあまりにもありふれていて真剣に向き合おうという気持ちになれない。本当に重大な病気なら医者も気づくのだろうけど、患者は医者の見立てに対してどこか不信を抱いている。何か大事なことを見落としてるんじゃないのか、と。
 風邪というのはある意味とても便利な言葉で、風邪の名の元に片付けてしまっていいのかどうかという疑問がある。風邪の特効薬を発明すれば間違いなくノーベル賞がもらえるというけど、一体風邪って何なんだろう。現代医学は風邪についてどこまで分かっているのか。
 何はともあれ、病院も行ったし、あとは時間をかけて自力で治すしかない。できれば週末で完治させて、来週からは通常の生活に戻りたい。ぐずぐず過ごしていてもいいことはない。

近所写真-8

 元補交差点。元補郵便局があるところ。
 そういえば昔、このあたりは森孝新田字元補160-1とかだった。町名変更で森孝1丁目になったのは、何年くらい前だったろう。子供の頃は住所が長すぎて、懸賞ハガキとか年賀状とかを書くときやっかいだった。住所欄が短い用紙だと収まりきらずにはみ出してしまうなんてこともあった。

近所写真-9

 ここの交差点の名前をいつも思い出せずに、なんていうだっけと思う。そのたびに調べて、そうそう引山住宅東だったと思い出す。
 引山住宅ができる前はなんという名前だったのか、まったく思い出せない。昔ここらは長屋の住宅で、低い町並がどこまでも続いていた。あの長屋がすでに引山住宅という名前だったんだろうか。
 引山のバス停まではまだ片側一車線で、両側には空き地があった。冬の夕暮れどき、空き地から聞こえるコオロギの声を聞きながら、母親と一緒にバス停まで父親を迎えに行ったのを覚えている。頭の上にはたくさんのコウモリが飛び交っていた。今はもう、ぼんやりとした記憶の中にしかあの風景は残っていない。

 長く起きていても風邪がよくなることはないだろうから、今日もとっとと早寝してしまおう。また咳き込んで寝苦しい夜になりそうだ。病院でもらった薬がどれだけ効くか。咳さえ止まってしっかり眠れるようになれば、声の回復は多少時間がかかってもいい。体調はもうそんなに悪くないから、順調にいけばサンデー料理も可能かもしれない。そうなれば一回分のネタになる。
 明日は完全ネタ切れの中、どうなるか自分でも分からない。体の回復具合によっても違ってくる。
 何にしても、また写真を撮りに出かけたい。治ったら、全快記念として自分にレンズでもプレゼントしようか。200mmのf2.8とかいいな。

風邪悪化につき日常的つなぎ写真で簡単手抜き更新

空(Sky)
つなぎ写真-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6



 今日になって風邪の回復を願ったのだけど、むしろ悪化してしまった。ドク・ホリデイのように咳が止まらず、眠れない夜を過ごすこととなった。一日休んでやや回復したものの、完治からは遠ざかった。これでは散策に行けるはずもない。ネタ写真の在庫も底を突いた。
 今日のところは近所で日常的に撮った写真を4枚だけ並べて簡単更新とする。一日も早く回復したいところだ。
 こんなところでくたばってはいられない。私の目標は、22世紀をこの目で見ることなのだから。ドク・ホリデイだって、医者から死を宣告させれから15年も生きた。

つなぎ写真-2

 運転席側のバックミラーに写った景色は絵になることが多い。助手席の窓で切り取られた風景にも可能性はある。まだこれだという写真を撮ったことがないけど、今後のねらい目として意識しておこう。

つなぎ写真-3

 ダイエー名古屋東店の屋上駐車場は、夕焼け撮影ポイントととして一つある。金網が張り巡らされていて自由に撮れないのが残念なところだ。ただ、空は広く、遮るものはない。

つなぎ写真-4

 ハーフムーン。
 半分欠けていることを残念に思うか、半分光っていることを喜びとするか、心持ち次第でどちらにもなる。
 元気ではないけど、まだこうして生きていることを救いとしたい。

 今日のところは手抜き更新でも許してもらおう。元気になったら、また長文でお会いしましょう。写真も撮りたいし、勉強をして、また長々と書きたい。

名駅ビル群撮影スポットとしての茶屋ヶ坂公園評価はB-

施設/公園(Park)
茶屋ヶ坂公園-1

OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm f3.5-5.6 / Super Takumar 300mm f4



 風邪からの回復度はまだ70パーセント弱といったところで、通常の生活に戻り切れていない。喉をやられて、まだちゃんとしゃべれない。今電話が来ても取りません。取っても声を出せなくて、受けた私がイタズラ電話をしてるような状態になってしまうから。
 なので、今日もつなぎの小ネタで失礼します。そろそろ写真を撮りたい気持ちがムクムクと涌き起こってきたから、回復してきていることは間違いない。散策再開まであともう一歩のところまでは来ている。写真を撮るときは話をする必要はないから、喉の調子は関係ない。むしろブツブツと独り言を言いながら撮ってる方が怖い。
 今日の小ネタは、茶屋ヶ坂公園だ。前に一度行ったことがある。あれはまだブログを始める前だったから、HPの散策コーナーには出したけど、ブログでは初登場となる。家から15分程度のところのわりには縁が薄い。
 場所は名前の通り、茶屋ヶ坂にある。住所では揚羽町と鍋屋上野町にまたがっている。道から一本入ったところということもあって、一般的にはあまりメジャーではないかもしれない。平和公園の北西で、1キロも離れていない。すぐ北には、地下鉄名城線の茶屋ヶ坂駅がある。
 高級住宅地に近いこの街中に、よくぞこれだけの緑が残ったと感心する。高級マンションを売り出すときの宣伝文句が、マンションを出たらそこは森だった、というのがあったくらいだ。
 前回行ったときは雨降りだった。今回の目的は二つ。高台から臨む名駅ビル群の夕焼け風景を撮ることと、茶屋ヶ坂池のカモ状況を確認することと。

茶屋ヶ坂公園-2

 公園は道路を隔てて、北と南の二つのブロックに分かれている。北側は整備された公園やグランドなどがあり、南は池や雑木林が広がっている。私が用があるのは南エリアの方だ。
 駐車場はないので、北エリアの中を通っている道路に路上駐車することになる。ここは駐禁になっていない。地域の住民が夜間に駐車するということで夜の取り締まりをするという話があったけど、あれは実行されているのだろうか。青空駐車禁止とは書かれている。昼間はたくさんとまっているから大丈夫だ。自主休養中の営業車もちらほら見かける。
 野球グランドとサッカーグラウンドで、それぞれちびっこたちが練習をしていた。こういう風景は、昔も今もあまり変わらないなと思う。
 野球グラウンドのフェンスに貼られた「早朝野球禁止」という注意書きが前回も気になった。住宅地だから、朝っぱらから野球などして騒ぐなということだろうか。早朝は駄目でも朝なら大丈夫なんだろうか。そのあたりの境目をはっきりさせてくれないと困る。

茶屋ヶ坂公園-3

 北の公園ゾーン。子供用の遊具などもあり、子連れのお母さんや、犬連れの人たちが多い。
 ここは紅葉の季節がきれいなところのようだ。ところどころ紅葉が始まっていた。

茶屋ヶ坂公園-4

 子供の自転車練習をするお父さん。練習する妹と、走って追いかけるお姉ちゃん。なんとなく昭和の雰囲気を感じたのだけど、こういう風景も昔とあまり変わってないのかもしれない。

茶屋ヶ坂公園-5

 北エリアと南エリアをつなぐ歩道橋の上からが、名駅ビル群を撮るには最適のポイントだろうか。雑木林の奥に展望台があるようなのだけど、それは帰ってきてから知ったことだった。もう一度確認に行くべきかもしれない。
 これで35mm換算の84mm。
 電線が多くて、すごく邪魔だ。

茶屋ヶ坂公園-6

 これが35mm換算の600mm。ちょっと近すぎて、全部収まりきらなかった。単焦点だと、どうすることもできない。ベストは400mmから500mmくらいだろう。
 うちのベランダからは見えないテレビ塔と、ビル群が同じ画面に入るのは嬉しい。
 一番撮りたいのは、スパイラルタワーズまで含めたすべてのビル群と、テレビ塔と、名古屋城と、ナゴヤドームが全部入っている写真だ。そんなポイントがどこかにあるはずだと信じている。
 ここは歩道橋の手すりが水平で、カメラを置いて撮れるのがいい。タイマーを使えば、夜景も撮れる。

茶屋ヶ坂公園-7

 超高層マンションのザ・シーン城北も見えたので、撮っておいた。ここは電線が思い切り邪魔をする。名古屋市は電柱と電線の地下化を進める気持ちはまったくないんだろうか。

茶屋ヶ坂公園-8

 茶屋ヶ坂池にはポツンと一羽だけが浮いていた。まだ羽が生えかわっていないマガモか、混血のアオクビアヒルなのか、もうひとつはっきりしない。
 他のカモと大きさを比較すればすぐに分かるけど、単独だったので判然としなかった。
 いずれにしても、この池は渡りのカモたちには不人気のようだ。カモたちがどういう基準で池を選んでいるのか、私には分からない。

茶屋ヶ坂公園-9

 あ、黒猫、と思って急いで撮ったら、激しくブレた。雑木林の中は暗すぎた。
 このときはカリカリを車に置いてきて手ぶらだった。街中の公園だから、まず間違いなくエサやりの人がいるはずだ。

茶屋ヶ坂公園-10

 タワー群と池を撮ったら、もう他に撮るものがなくなった。この公園は、撮るものがそんなにあるわけではない。一応、目的を果たしたということで帰ることにする。
 タワー群撮影スポットとしては、もう一歩だろうか。電線が写り込まなければもう少し自信を持ってオススメできただけに惜しい。その他の障害物もけっこう多い。奥の展望台というのが気になるところではある。

 明日になればもう少し回復してると思うから、写真も撮って、ブログもちゃんと書きたい。今日はここまで。

風邪の回復待ちの間に牧野ヶ池のカモ下見写真でつなぎ更新

施設/公園(Park)
牧野ヶ池下見-1

OLYMPUS E-510+SMC Takumar 50mm f1.4 / Super Takumar 300mm f4



 風邪の具合は今日になっても一進一退。一日の中で悪化したり回復したりを繰り返している。一番悪かったときは脱したようだけど、まだ体の中でウィルスと細胞が戦っている感じがある。熱っぽくてだるい。ノドをやられて、まともに声が出ない。森進一のモノマネさえできないほど声がかすれている。
 そんなわけで、今日もつなぎネタの写真を並べて、早々に寝ることにする。牧野ヶ池の紅葉と渡りガモの下見をしてきたときの様子をお届けしたい。
 紅葉といっても特に見所があるわけではないのだけど、駐車場の木々が色づいて、11月の終わりくらいはきれいになる。まだ二分程度の色づき具合だった。
 渡りのカモも、もうシーズンインしてるとはいえ、本格的な飛来はこれからだろう。あまり数は多くなかった。

牧野ヶ池下見-2

 高針から先の高速道路と302号線の工事は、もうずいぶん長く続いている。いつになったら完成するのだろうと楽しみにしながら待っているけど、まだまだかかりそうだ。302号が飯田街道に交わるところで終わってしまうから、天白へ行くときは混雑して時間がかかりすぎる。これが真っ直ぐ大高あたりまでつながってくれれば、大高緑地も近くなるし、南知多方面へ行くにも便利になる。
 高針インターから南へ延びる高速の高架が少しずつ出来ていた。これはどこへつなげる予定なんだろう。相生山緑地のヒメボタルが守られるといいのだけど。

牧野ヶ池下見-3

 池の入り口付近にカモたちの姿はほとんどなかった。いたのは、このバンくらいで。
 カワセミは2ヶ所で見たものの、あっという間に飛んでいって撮るチャンスがなかった。
 デジスコ組の人たちが何人かいて、茂みの方を見ていた。小鳥系の何かがいたのだろう。今回は時間もなかったので話しかけずに、そのまま池の奥に向かって歩いていった。

牧野ヶ池下見-4

 アオサギとコサギの飛翔姿を一瞬だけ同時に捉えるチャンスがあって、あわてて撮ったのがこの一枚だった。奥のアオサギにかろうじてピントが合っているだけで、手前のコサギはピンぼけと手ぶれと両方起こしている。成功写真とは言えないけど、惜しい写真ではある。
 E-510に単焦点のミニバズーカTakumar 300mmのマニュアルフォーカスでは、飛びものは最初から無理がある。E-510はノイズが多いからISO200までしか実用ではないというのもつらいところだ。

牧野ヶ池下見-5

 奥まで行ったら、けっこうカモが集まっていた。ここは近所の人のエサやりポイントになっているところなので、野生のカモたちもよく知っている。毎年ここに飛んでくるやつもいるんじゃないだろうか。
 これは50mmレンズでの一枚なので、フォーサーズの2倍換算100mmでも遠い。この大きさではカモの識別は難しい。

牧野ヶ池下見-6

 300mmに交換して撮ったのがこれ。今度は手ぶれではっきり写ってない。E-510の手ぶれ補正も、300mmの1/20秒とかでは止まるはずもない。このときは曇天の日没前という非常に悪い条件だった。
 まだ羽が生えかわってなくて分かりづらいやつらもいた。確認できたのは、ヒドリガモ、ホシハジロ、オナガガモあたりで、マガモもいたかもしれない。コガモはよく分からなかった。
 牧野ヶ池はたまに珍しいカモが飛来するようだから、できればもう少しちょくちょく行きたい。池が広くてカモまでの距離が遠いから、デジスコじゃないと本当には楽しめないというのはある。600mm換算でも遠くて届かない。

牧野ヶ池下見-7

 白いのはアヒルだけかと思ったら、ハクチョウもいた。向かって右のは、たぶんコブハクチョウだ。野生のものがいるはずがないから、どこかから逃げ出してきたのだろうか。
 この日ははっきりと分からなかったけど、ここは混血のアオクビアヒルなどもたくさんいる。

牧野ヶ池下見-8

 遅いシャッタースピードで流し撮りをしたら、面白い写真になった。
 飛翔カモの流し撮りも、この冬のテーマの一つにしよう。

牧野ヶ池下見-9

 水面の映り込み写真を撮るのも定番になっている。このときは光がなくて、あまりいい映り込みがなかった。

牧野ヶ池下見-10

 奥まで行ったところで日没時間となって暗くなったので、引き返してきた。いくら下見とはいえ、30分では短すぎた。これからますます日没が早くなって、私は苦しくなっていく。冬の間の対策を考えないといけない。
 今日はもうここまでとしよう。なるべく早く回復させて、散策を再開したい。つなぎの小ネタもそんなには在庫がない。完全復活までもうしばらくお待ちを。

名古屋名物をモチーフにしたサンデー料理で風邪が悪化のち回復

料理(Cooking)
風邪引きサンデー

PENTAX K100D+PENTAX-M 50mm f1.4



 風邪が悪化しそうな予感がある中で作ったサンデー料理は、名古屋名物をモチーフとした3品だった。
 赤味噌の豆腐、あんかけスパの野菜煮込み、エビフライと。ただ、エビフライを名古屋名物だと思っている名古屋人が少ないことだけは言っておかねばならない。あれは昔、タモリが名古屋人はエビフライのことをエビフリャーと言うとテレビで言ったことから、エビフライが名古屋名物のような勘違いをされてしまっただけだ。その後、その話が一人歩きして、名古屋の方が便乗して名物のようにしたという経緯があって、今に至っている。
 赤味噌に関しては、どうして名古屋人がこんなにも味噌好きになったのか、よく分からない。もともと家康の生まれ故郷である岡崎には八丁味噌という独自の味噌があって、家康も好んで食べていたということから来ているのだろうか。味噌煮込みうどんやおでん、味噌カツなどは、名古屋名物という自覚はある。
 ただし、名古屋人が普段から好んで味噌煮込み系のものを食べると思ったら間違いだ。むしろ他県から名古屋に来た人が名古屋名物ということで食べる方が多いんじゃないだろうか。
 名古屋で味噌というと、味噌だれが一般的だ。甘辛く味付けされた味噌だれがパッケージに入ってスーパーやコンビニなどで売られているのだけど、これは当たり前のたれの一つだから、よそでは売っていないことを知ると名古屋人は驚く。マヨネーズやケチャップほどメジャーではないとしても、トンカツソースやお好み焼きソースと同等のものだと考えている。どうやらそうではないらしいと私が知ったのは、わりと最近のことだ。
 名古屋の家庭ではどこでも味噌だれが常備されていて、カツだけでなく、ナスとか豆腐とか、いろいろなものにかけて食べる。
 あんかけスパについては、前に一度書いたことがある。今回作ったのは、スパの代わりに野菜を使ったあんかけ煮込みで、見た目はトマトソースとビーフシチューの中間のようだけど、味はそれらとは違っている。
 トマトソースをもっとピリ辛にした味で、どろりとしている。カタクリ粉などを使ったとろみではなく、自然に生まれるとろみがあんかけスパの特徴だ。初めてなのにどこかで食べたことがあるような、懐かしいようなそうでもないような、素朴なミートソースに近いかもしれない。

 3品の作り方をざっと説明していこう。
 豆腐味噌は、豆腐を水切りして、魚焼きグリルで焼き、しめじとタマネギをオリーブオイルで炒めた後、味噌だれを絡めて加熱する。
 これは味噌だれの味で決まるので、自分で味噌を調合してやろうとすると、また違ったものとなってくる。
 エビフライは、背わた、はらわたを取って開いて、塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いた後、大葉とチーズを挟んで、天ぷらにする。こうすることで、普通のエビフライにプラスアルファの美味しさが加わる。
 タルタルソースも簡単に作れて美味しいから、これもぜひ作りたい。
 あんかけスパあん野菜煮込みは、タマネギ、ひき肉、ウィンナー、ニンニクを炒めて、トマトのぶつ切り、トマトピューレ、ジャガイモ、ニンジン、ネギ、白菜、塩、コショウ、コンソメの素、唐辛子、ケチャップ、砂糖、酢、白ワイン、水を加えてじっくり煮込んでいく。店では何時間も煮込むそうだけど、家ではそうもしてられないので、30分から1時間くらいだろうか。

 作り終わった頃には風邪が悪化して、作らなければよかったと後悔した。途中の味見で食欲を失ったということもあって、食べきれず残してしまった。まあでも、味は悪くなかったし、試みとしては面白いものだった。
 来週はもっと万全の体調でサンデー料理に臨みたい。今日一日休んでだいぶ回復した。そう長引くこともないだろう。
 治り次第、ネタ集めにいかないといけない。ここのところ小ネタでつなぐ日々が続いている。また歴史散策もしたいし、神社仏閣へ行って病気平癒祈願もしてこう。

秋になると明徳公園のことを思い出して行ってみるのだけど

施設/公園(Park)
明徳公園秋-1

PENTAX K100D+SMC Takumar 135mm f2.5 / Super Takumar 300mm f4



 久しぶりに明徳公園へ行ってきた。毎年秋になると、そういえばずいぶん明徳公園にも行ってないなと思いだして行くというのがここ数年続いている。去年行ったのは12月で、ほぼ一年ぶりとなった。
 車で10分もかからない近場だから、季節ごとに行ってもよさそうなものだけど、あそこは花も虫も少なくて、撮るものがあまりないから、そうそう行く気にならないというのがある。もう少し彩りを増やして魅力的な緑地公園にできないものだろうか。街中に残された自然環境を上手に生かし切れていないのがもったいない。
 今回の主な目的は渡りのカモだった。デジはK100Dを持っていったのだけど、レンズを間違えた。どうして300mmのTakumarを持っていったのか、自分でも分からない。SIGMAの400mmを持っていくつもりだったのに、300mmの450mm換算では、明徳池のカモには届かない。
 風景その他用として、135mmも持っていった。PENTAXマウントのマクロレンズをいまだに買えていない。

明徳公園秋-2

 どんぐりコロコロどんぐりこといったかわいいものではなく、どんぐりゴロゴロゴロゴロとやたら転がっていて、うっかりしてると、どんぐりに足を取られてすっころびそうになる。それに、ボトッ、ガキガキッと、絶えず頭の上から木々の間をどんぐりが落ちてくる。駐車場でもゴトッ、ゴトッと鈍い音をたててルーフの上に落ちてきて、慌てて場所を移動させたくらいだった。明徳公園ではどんぐり注意報が発令されている。
 どんぐりは何の木の実か知っているだろうか。コナラ?  ミズナラ? クヌギ?
 どれも正解だ。どんぐりというのは特定の木の実を指す言葉ではなく、殻斗(かくと)と呼ばれる帽子をかぶった堅い木の実のことを、どんぐりと言っている。学術的には、ブナ科の木の実の総称ということになる。
 他にも、カシワ、シラカシ、アカガシ、ツクバネガシ、ウラジロガシ、イチイガシ、オキナワウラジロガシ、アラカシ、アベマキ、ウバメガシ、マテバシイ、スダジイ、ツブラジイなどがある。一般人でそれらを全部見分けられるようになる必要はない。全部覚えてしまったら、もう一般人ではない。
 どんぐりに爪楊枝を差してコマ遊びをしていた昔は貧乏だったけど、懐かしくもある。

明徳公園秋-3

 ミゾソバの罠にはまってはいけない。この手の花を見て反射的にミゾソバだなと片付けてしまうと、実はアキノウナギツカミだったりママコノシリヌグイだったりすることがあるから油断ならない。花はよく似ていて区別をつけるのが難しい。たぶん、葉っぱで見分けるのだと思う。どうやって見分けるかまでは分からない。
 アキノウナギツカミの方が葉っぱが細い。ママコノシリヌグイは水辺や湿地に咲かない。だから、上の写真はミゾソバでいいはずだ。
 ナガバノウナギツマミとか、ヤノネグサとか、タニソバとか、花が似ているものは他にもある。

明徳公園秋-4

 これはイヌタデでいいと思うのだけど、ここにも罠がある。オオイヌタデ、サナエタデ、ニオイタデ、オオベニタデ、ハルタデ、ハナタデなどがある。
 そういう小さな差違に喜びを感じる人間しか植物学者にはなれない。そんなのみんな同じようなものじゃん、という大雑把な性格では向いていない。私は中間的な性格だと思うけど、それでもこういう区別は面倒くさい。記憶力にも問題があって、長期にわたって覚えていられない。

明徳公園秋-5

 私たちが子供の頃は、街中にセイタカアワダチソウが繁茂していて、秋になるとあちこちが真っ黄色に染まったものだった。公園だとか空き地だとか道ばたは、セイタカアワダチソウだらけだった。
 その頃は、これは毒草だというウワサがあった。花粉とか吸い込むと体に悪いだなどと脅されて、この花の近くでは息を止めるような思いだったのを覚えている。
 その後、自家中毒を起こしたとかで、街からセイタカアワダチソウの姿が消えた時期があった。駆除したわけでもないのに、勝手に滅んでいった。しかしながらここ数年、また少しずつ勢いを取り戻しつつある。絶滅したわけではなかったのだ。毒草云々という話は、たぶんでたらめだったのだろう。これが原因で病気になったなどという話も聞かない。

明徳公園秋-6

 ノコンギクか、ヨメナか、さあどっち?
 分からない。降参。
 たぶん、ヨメナだと思うけど、自信はない。
 細かい部分で見分けるポイントはいくつかあるようだ。ただ、カントウヨメナとかも絡んでくると、私にはお手上げとなる。

明徳公園秋-7

 ヒルガオでいいのかな。ユウガオは別物だろうし、ヨルガオという可能性もあったりなかったり。
 葉っぱがヒルガオ科っぽくないような気もする。セイヨウヒルガオだろうか。
 コヒルガオとかもあるし、ややこしいな。

明徳公園秋-8

 生き残りのクモ。虫類もめっきり少なくなった今、クモたちはハングリー・スパイダーになっていることだろう。待てど暮らせど、いっこうに獲物はかからない。そうやっておなかを空かせて、冬を越せずに死んでいくのだろうか。
 そう考えるとちょっと切ない。森を歩いているときにクモの巣が顔にかかってすごく不快でも、クモの方が大迷惑をしているということに思い至らないといけない。

明徳公園秋-9

 明徳池は魚を放流しているから、いつでも釣り人がいる。朝一番のバスで行って、日暮れまで釣っている。その勤勉さには頭が下がるくらいで、昼は弁当を食べて、一年360日以上通っている人もいるらしい。
 釣りも子供の頃好きでよくやっていたけど、今はもうやらない。魚が気の毒だ。魚は食べても釣りはもう二度とやらない。鯨の肉も食べない。

明徳公園秋-10

 たぶんカイツブリだと思う。他に確認できたのは、カルガモくらいだった。毎年数は多くないながらも、ここにはマガモやコガモなどが飛来する。珍しいカモはあまりいない。
 この日はカモの収穫はほとんどなかった。そういえば、いつもいるアヒルもいなかった。以前2羽いたやつが1羽になって、とうとういなくなってしまったんだろうか。

明徳公園秋-11

 露出を間違えてやけに暗くなってしまったら、それがかえって雰囲気のある写真になった。
 ローキーやハイキー写真は上手くはまると面白い写真になる。やりすぎると嫌味な写真になるから気をつけよう。

明徳公園秋-12

 急に夕焼けの写真と思うだろうけど、これは池沿いに建っている茶色っぽいマンションに西日が当たって、それが水面に映り込んでこんな色になっているだけだ。一部を切り取ると、ウソじゃないけど本当でもない写真になる。
 シルエットになっているカモは、遠すぎて正体が分からなかった。

明徳公園秋-13

 小学生の少年ども。最近の子供たちは学校帰りにみんなで何をして遊んでいるんだろう。自分がこの時代に何をして遊んでいたかは、よく思い出せない。「なんでも屋」と呼んでいる駄菓子屋にはよく行っていた。
 野球をしたり、家でみんなとゲームをしたり、他には何をしていたのか、誰と遊んでいたのかも覚えていない。
 別に嫌なことがあったわけでもないけど、一番戻りたくないのは小学生のときだ。小学校からやり直さなくてはいけないと思うと、うんざりしてしまう。現在の精神性で小学生生活には耐えられそうにない。見た目は子供、頭脳は大人のコナンくんのようには上手く演じられない。

明徳公園秋-14

 ひとけのない散策路で、たまに人と出会うと驚く。ここは犬の散歩の人もあまり多くない。そもそも訪れている人が多くない。駐車場は、仕事を怠けている風の勤め人でいつも賑わっている。

明徳公園秋-15

 禁止というくらいだから、掘っていく人が少なからずいるのだろう。

明徳公園秋-16

 行くたびに、相変わらず魅力不足なところだなという感想を抱いて帰ることになる。撮るべき被写体も少ない。夕焼けの小径とかなんとかいう道もあるのに、そちらは木々で視界をふさがれて、まったく夕焼け景色が見えない。せめてこちらに展望台でもあれば、夕焼けスポットとしてもっと足を運ぶのに。近くには大きな給水塔があったりして、ここからの夕景は絵になるはずなのだ。
 名古屋市としてはこれ以上の整備を考えているようではないから、明徳公園が今後劇的に魅力的になることはないだろう。
 私としては、この冬にもう一度くらいは行くことになるかもしれない。次はちゃんと600mm換算の望遠レンズを持って、カモや野鳥を撮りに行こう。

森林公園の秋風景を撮って、木の勉強をしようと思った <後編>

自然(Natural)
森林公園秋2-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm F2.8 / Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF28mm f2.8



 森林公園の南門近くに、田んぼができていた。畑は以前からあったような気もするけど、田んぼまではなかったんじゃないだろうか。小屋なども建っていて、里山風景を再現したようになっている。数人の人たちが農作業をしていた。
 公園の植物園内は尾張旭市の管轄で、個人の土地というわけではないから、市によってこういう試みがなされているのだろう。そういえば、猪高緑地の中でも田んぼが作られていたから、それと同じことか。
 最近はこういう里山風景をなかなか見ることができなくなったから、作り物にしてもいいことだと思う。本物を見たければ、豊田の奥にある松平郷をオススメする。

森林公園秋2-2

 森林公園も秋が進んでいた。色づいたり枯れたりした木々と、たくさんの落ち葉。芝生の緑色とのコントラストが秋風景だ。もっと季節が進むと、芝生は茶色になり、景色が色を失う。日本に紅葉がなければ、秋はもっと寂しい季節になっていた。

森林公園秋2-3

 枯れ葉道。こういう道を歩くと、どういうわけか、デジカメを持って散策を始めた2004年のことを思い出す。枯れ葉を敷き詰めた土の上を歩く感覚が新鮮だったからかもしれない。

森林公園秋2-4

 木についての知識はほとんどないに等しいから、木を見て名前を当てることはできない。野草と同じく、樹木についてももっと勉強すべきだろうか。一応、樹木のポケット図鑑は持っているけど、木は季節にとって姿を大きく変えるから、花よりも難しい。若葉のときと、花が咲いたとき、実がなったとき、紅葉したり葉が落ちたりしたときと、それぞれの姿を覚えないといけない。木肌とかで区別すればいいんだろうか。
 こんなふうに色づいている木を見てけっこうきれいなもんだなと思いつつ、それ以上私とこの木との関係が進まないのは、私がこの木について名前を知らないからだ。見知らぬ他人と仲良くなるためにはまず名前を知る必要があるように、木も花も名前を知らないと仲良くなれないということがある。
 冬は足元の花も咲かないし、ちょっと意識的に木を観察しつつ勉強してみようか。

森林公園秋2-5

 モミジも赤くなり始めていた。森林公園にもそこそこモミジがあって、紅葉の季節はけっこうきれいだ。紅葉の道と名づけられているところもあったんじゃなかったか。
 今年の夏は一度も台風が上陸しなかったから、紅葉は期待できる。秋口は暖かい日が続いたものの、ここへきて一気に冷え込んできた。あと2週間もすれば紅葉の見頃となってくるだろう。まだ先だとのんびり構えていると、また遅刻する。出遅れるよりも先走る方がましというのを忘れないようにしよう。

森林公園秋2-6

 この日は曇天で、最後は雨降りになった。途中で少しだけ日が差したときの写真がこれだ。芝生に日が当たって、心惹かれる風景になった。
 昔少しだけゴルフをやっていたことがあって、そのとき芝生の魅力というのを知った。ゴルフの楽しさの何割かは、芝生の上を歩く心地よさにあるのではないかと思う。日本にはもっとたくさんの芝生広場が必要だ。

森林公園秋2-7

 なんとなく面白くて笑えた。一本だけきれいにツタが這っていて。

森林公園秋2-8

 遠くの方に茶色い派手なカモがいるなと思って写真を撮って、家に帰ってきてから写真を見て、初めてオシドリだということが分かった。肉眼では識別できず、300mm望遠レンズの480mm換算でも確認できなかった。写真は少しトリミングしている。
 遠いながらも野生のオシドリを撮ったのは初めてだったから本来なら感慨深いところなのだけど、現場ではオシドリと思っていないから感動を逃した。気づいていれば、もっと近づいてたくさん写真を撮っていたのに。右にいる地味なのがメスだ。
 オシドリ自体は花鳥園で何度も見ているから、珍しさはない。動物園にもいる。でも、森林公園あたりに渡ってきているというのは嬉しい。

森林公園秋2-9

 ここの池は広くてカモまでの距離が遠いから、小さくしか写せない。デジスコ向きの池だ。街の池とは違って近くを通る人も少ないし、人との距離も遠いから、渡っていくまで慣れずじまいで、なかなか近づかせてくれない。
 手前に写っているのも小さくてよく分からない。カイツブリか。奥はカルガモだ。

森林公園秋2-10

 今回は池の南側しか行っていないから、全体の様子は把握できなかった。一角にマガモのグループがいた。コガモは見かけなかったけど、北側にいたかもしれない。
 いずれにしても、まだ渡ってきている数は多くない。増えてくるのは11月に入ってからだろう。

森林公園秋2-11

 あ、ヌートリアだ。もう何度も見かけていて驚かなくなった。ヌートリアっているよね、という程度の認識になっている。ついこの前も津屋川で見た。
 どこからどういう経路で増えたのか知らないけど、思っている以上にあちこちで繁殖しているようだ。最初はペットか何かが逃げ出したのだとしても、そんなに長い距離を移動できるとも思えないし、どうしてこんなに広い範囲で生息するようになったのかは謎だ。

森林公園秋2-12

 雨が降ってきて、日没で暗くなったし、私もぼちぼち帰ることにしよう。収穫はもう一つだったけど、10月最後に行っておいてよかった。

森林公園秋2-13

 森林公園南門前の道は、秋になると黄葉ロードになる。この木もよく分かっていない。黄色のは全部イチョウということにしていいのかどうか。

森林公園秋2-14

 帰りに尾張旭の城山にも寄っていった。
 ようやく遅い稲刈りが始まったところで、まだ大部分はこれからだった。尾張旭の収穫は本当に遅い。早いところでは8月の終わりには借り入れをしているのに、2ヶ月遅れにはどんな意味があるのだろう。品種の問題なのか、流通や商売的な理由なのか。気候的なことではないと思うのだけど。
 瀬戸電の新型シルバー車両がとまっていた。

森林公園秋2-15

 尾張旭上空に雨雲がかかっていて、西の空は晴れているという変な天気だった。それで、ちょっとドラマチックな風景になった。
 最近は5時を回ると、もう撮影不可能なほど暗くなってしまう。冬はどこで何を撮ろう。

 本格的な紅葉シーズンが始まる前に行っておくべくところがまだいくつか残っている。コスモスもすっかり出遅れてしまったけど、一度くらいはどこかで撮っておきたい。来週のどこかでアイボクかモリコロに行こうと思っている。
 紅葉もどこへ行くか、早めにスケジュールを考えておいた方がいい。去年けっこう回ったから、今年はもういいかなという気持ちになっている。行くならまだ行ったことがないところへ行って、新鮮な気持ちで撮りたい。
 野草はこれでもう撮り納めだ。次は来年の2月ということになる。遠いようで3ヶ月なんてすぐに過ぎてしまうものだ。
 この冬の課題は木の勉強ということで、木の写真をたくさん撮ってネタにしてみるというのもいい。マニアックすぎて一般受けしそうにないけど。