月別:2008年10月

記事一覧
  • 去りゆく秋の野草たちの撮り納めに森林公園へ行く <前編>

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm F2.8 / Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS 秋は頭の上だけでなく足元にもやって来る。そして、私たちが視線の高さの日常に追われている間に、音もなく早足で駆け抜けていく。あ、そういえば秋の野草、と思い出したときにはもう遅い。秋の野草たちは、短い命を咲かせて散ってゆく。今年も夏から秋にかけての野草をたくさん見逃してしまった。 10月も終わりということで、今年の野草撮り納めに、尾張旭の...

    2008/10/31

    花/植物(Flower/plant)

  • 私が茶臼山の紅葉について語れることは少ない <第三回>

    FUJIFILM FinePix S2pro+Nikkor ED 18-70mm f3.5-4.5 茶臼山の紅葉シリーズは、3回目の今日でこれといった見所もないまま最終回を迎える。せめて最後くらいは紅葉とまではいかないまでも秋っぽい写真を撮りたいと、デジをS2proに替えて芹沼池と矢筈池の周辺を歩いてみた。 S2proのどぎついとも言える強烈な発色は紅葉撮りに向いている。赤いものはそれこそ真っ赤に撮れる。 レンズはD70などのレンズキットについてくる18-70mmを...

    2008/10/30

    紅葉(Autumn leaves)

  • 茶臼山の紅葉は一週間遅刻だった疑惑が浮上 <第二回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 茶臼山の紅葉第二弾は、昨日のカエル館の続きからとなる。写真は、茶臼山湖という湖で、さほど大きくはない。溜め池のような姿からしてもおそらく人造湖だろう。 この湖は茶臼山の北側にあって、すでに長野県に入ってしまっている。茶臼山自体が県境にあって、両方の県にかかっている。愛知県は最高峰だから大事にしているけど、長野にはもっと高い山がいくらでもあるからあまり気に...

    2008/10/29

    紅葉(Autumn leaves)

  • 愛知で一番紅葉が早い茶臼山は紅葉名所にあらず <第一回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 名古屋はまだ暖かい日が続いているとはいえ、10月後半ともなると全国各地から紅葉の便りが届き始めて、私もそろそろ紅葉が気になり始めた。今年の第一弾は茶臼山にしようと、わりと早い段階で決めていた。茶臼山行きは、4年ぶり二度目となる。 上の写真は、茶臼山高原道路に入る前で撮った一枚で、川風景がとてもいい感じだった。名倉川だろうか。 久々の茶臼山行きは、とても遠く...

    2008/10/28

    紅葉(Autumn leaves)

  • ソース独走で食材と食べ手は置いてけぼりの濃厚サンデー

    PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 今日のサンデー料理のテーマは、和の食材を洋のソースで食べるというものだった。和洋折衷というのは前にもやったけど、あれは和食と洋食を組み合わせるというもので、今回は食材とソースを分けて考えたところに新しい試みがあった。 日本ほど世界中の料理が渾然一体となった国は他にないんじゃないかと思う。世界三大料理と呼ばれるフランス、中国、トルコは、それぞれの独自性にこだわった...

    2008/10/27

    料理(Cooking)

  • 日常の風景を切り取って未来の自分に贈る <フィルム9回・最終回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / 50mm 他+FUJI 400 / Kodak 100 フィルム写真もたくさん撮ったと思っていたけど、気づけば今日が9回目で、最終回となった。最後はこれまで使えなかった写真を集めて並べて終わりとする。 去年まとめ買いしたフィルムも残り5本となって、夏の間に撮りきってしまおうと撮り始めたのが8月のはじめ頃だった。なかなか撮りきれないまま時が流れて、最終的に5本を撮り終わったの...

    2008/10/26

    フィルム写真(Film photography)

  • 秋シーズンの王子バラ園で雨上がりの夜バラを撮る

    FUJIFILM S2pro+Nikkor 35mm f2D 雨のち曇天。太陽はついに姿を見せず、青空が戻ることもなく、夕暮れどきを迎える中、ふと思い立って春日井の王子バラ園に寄ってみた。今日の装備は、FUJIのS2proと35mm F2Dという変な組み合わせ。この珍しいデジセットは、去年の年末に賢島の志摩マリンランドで使って以来じゃないか。たまには使わないとカビが生えそうなので、持ち出してみた。バラ撮りには向かないと知りつつも。 王子バラ園...

    2008/10/25

    花/植物(Flower/plant)

  • 駅周辺を歩いて、藤が丘の今を少し知る【後】 <フィルム8回>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400 藤が丘後編は、駅周辺と少し離れたところをぶらり歩いたところを紹介していこう。思い出話は昨日だいたいしてしまったから、今日は現在の藤が丘という視点で書いていくことにする。 上の写真は、今回とめた駐車場横から撮った写真だ。駐車場は右前の建物で、右後ろがマツザカヤストアになる。この建物の地下にリニモの駅があって、ちょうど立っている下あたりを線路が通ってい...

    2008/10/24

    フィルム写真(Film photography)

  • 中学生の私がいた街、藤が丘の今を写真に収める【前】 <フィルム7回>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400 名古屋の東のはずれに藤が丘という街がある。地下鉄東山線の終点であり、愛・地球博のとき敷かれたリニモの始発駅でもある。 藤が丘と私との距離感は微妙なものがある。家の近くでは最も賑わっている駅で、車で10分ほどしかかからないにもかかわらず、藤か丘へ行くことは少ない。とにかくこの街は車で行くには不便すぎるというのがその理由だ。名古屋の郊外といえば、どこの店...

    2008/10/23

    フィルム写真(Film photography)

  • 10月の海上の森は被写体が少なくて不完全燃焼で一回完結

    Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8 今年は2月、4月、7月と、これまで3回海上の森へ行っている。10月の今回のテーマは、秋の里山風景と、あわよくばアサギマダラとの出会いだった。ネットで先週の日曜日にアサギマダラが飛んでいたというのを見て、撮れるものなら是非撮ってみたいと思ったのだけど、その願いは叶わなかった。日没前の夕方に飛ぶはずもなく、今日歩くコースにはおそらくいないだろうというのは最初から予測できたこと...

    2008/10/22

    森/山(Forest/Mountain)

  • センチメンタル夕焼風景に撮りたい写真のヒントが見つかった

    PENTAX K100D+SMC Takumar 135mm f2.5 / 300mm f4 /OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm 他 私の主な散策時間は夕方だ。なので、必然的に夕焼けの写真は多くなる。10月に入って日没が早くなると、この傾向が更に顕著になる。好むと好まざるとに関わらず、夕焼け写真しか撮れないと言ってもいいくらいだ。夕方の光が特別好きでこの時間を選んで撮りに行っているというわけではない。 個人的に日没の時間をリクエストできるとしたら、私は6時...

    2008/10/21

    夕焼け(Sunset)

  • 着地点の見えないジャンプ料理はK点手前でテレマーク・サンデー

    PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 着地点の見えない料理を作ろう、それが今日のサンデー料理のテーマだった。ひとひねり、ふたひねりを加えることで結果が予測できなくなるメニューをあえて作ってみることで可能性を広げられるかもしれないという狙いがあった。完成図が見えている料理では面白くない。そろそろ一度基本に立ち返った方がいいのではないかという思いを置き去りにしつつ、趣味のサンデー料理は進んでいく。行き先...

    2008/10/20

    料理(Cooking)

  • 17mmで撮る見慣れた尾張旭風景は広くて遠くて小さい <フィルム7回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100 尾張旭の城山公園周辺は私のお気に入りの場所で、これまで何度も行って、何度となく写真も撮ってきた。このブログでもたびたび登場している。空が広くて、車をとめてのんびりできる場所というのは、名古屋の郊外でも案外少ない。空の広さでいえば矢田川の河原などもあるけど、あちらは車の中で落ち着ける場所がない。家から15分というのも、ちょっとド...

    2008/10/19

    フィルム写真(Film photography)

  • 雨降りの中で瀬戸の家並みを撮り歩く <フィルム6回・瀬戸編4>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400 フィルムで撮る瀬戸も今回で最終回となった。雨が降る中、瀬戸蔵を出発して、末広町周辺を少し歩いて写真を撮ってきた。アーケードの写真は昨日紹介したから、今日はそれ以外の補完編のようになっている。 傘を差しながらの一眼片手撮りはかなり無理があったものの、ISO400のフィルムを使ってどうにか手ぶれを抑え込んだ。雨降りでも屋外は意外と光があ...

    2008/10/18

    フィルム写真(Film photography)

  • 昭和レトロ度満点の末広町商店街を歩いて撮る <フィルム5回・瀬戸編3>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400 二度目の瀬戸商店街散策は雨だった。一度目は銀座通り商店街を中心に神社などを回っていたら日没時間切れになったので、もう一回出直すことになった。あえて雨降りの日に行ったのは、カメラがデジではなく銀塩だったということもある。デジは水に弱いから雨降りは持ち出したくない。銀塩なら少々濡れても大丈夫だ。レンズさえ濡らさなければ銀塩カメラ本...

    2008/10/17

    フィルム写真(Film photography)

  • 瀬戸市の深川神社周辺を歩く

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +kodak 100 愛・地球博を契機として、尾張瀬戸駅前に二つの新しい建物が建った。一つが上の写真の瀬戸蔵(せとぐら)で、もう一つが最後に登場するパルティせとだ。どちらも2005年に完成した。二つは、街全体を博物館や美術館に見立てる「せと・まるっとミュージアム」運動の一環として誕生することとなった。パルティせとは、尾張瀬戸駅の駅ビルで、瀬戸蔵は市民...

    2008/10/16

    フィルム写真(Film photography)

  • 瀬戸の商店街はフィルム写真がよく似合う <フィルム3回・瀬戸編1>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400 今日紹介するのは、瀬戸市の商店街だ。せとものの街として全国的に名前は知られているものの、瀬戸市そのものをよく知っているという人は少ないと思う。せとものというのは一般的な陶器の名称だと思っている人もいるかもしれない。それくらい瀬戸の焼き物は日本中に広まっているということも言える。 愛・地球博のサテライト会場があったということで、...

    2008/10/15

    フィルム写真(Film photography)

  • 近所をフィルムで撮ってみてあらためて見えてくるもの <フィルム2回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100 フィルムシリーズ第2回は、初回に続いて17mmで切り取る近所編となる。前回は本当に近所周りだったけれど、今回はもう少し足を伸ばして私がよく行っている場所を紹介することにした。今日出てきたあたりをぐるぐる回っていると、そのうち私が通ることになる。見つけても石を投げたり追いかけたりしてはいけない。 1枚目は、晴丘交差点だ。左がレンタル...

    2008/10/14

    フィルム写真(Film photography)

  • 新しい調理器具が成功を呼んだか好バランスサンデー

    PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 壊れかけのガステーブルは今週に入って故障度が更に増して、ついにはだましだまし使えるレベルではなくなった。コンロの火がとろ火にしかならなくなり、もう一方のコンロは軽い爆発音がして内部から火を噴いた。これは洒落にならないということで、とうとう買い換えざるを得なくなった。性能的には前のものと変わらないから特にどうということもないのだけど、火を付けようとするたびにチャッ...

    2008/10/13

    料理(Cooking)

  • 初めての17mm世界に被写体との距離感が掴めない <フィルム1回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100 去年、最後にフィルムで写真を撮ったのは夏だったんじゃないかと思う。鳳来寺に持っていったのを覚えているし、海上の森でも一回使った記憶がある。その前は、鶴舞公園もフィルムで撮った。それ以来、今年に入ってまだ一度も銀塩カメラを使っていなかった。たまにはフィルムでも写真を撮ろうと思ったのが、夏の始めくらいだった。それから時は流れ、夏...

    2008/10/12

    フィルム写真(Film photography)

  • つなぎの小ネタはISO1600の高感度で撮る近所写真

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 養老シリーズが終わって、ちょっと一服。すぐにでも遠出をして新しいシリーズを始めようと考えていたのだけど、ヒザを痛めてそれができなくなってしまった。養老歩きは思った以上のダメージを私に与えていたようで、それに加えて車を降りるときにグキッとひねっておかしくなった。ここ数日の私は、おじいさんのようにたどたどしい足取りだった。 とりあえずそれもどうにか治ったもの...

    2008/10/11

    カメラ(Camera)

  • 養老昭和幻想風というタイトル通りの写真にならず <養老第5回>

    Canon EOS 20D+Canon EF135mm f2.8 SF 養老シリーズ最終回は、ソフトフォーカス編での締めくくりとなる。 行く前のイメージとしては、ひなびた昭和の観光地を想像していたから、養老昭和幻想みたいな感じで撮ろうと狙っていたのだけど、行ってみると頭の中のイメージとはずいぶん違っていて、思惑通りにはいかなかった。タイトルももう考えてあったのに。 135mmという画角も、スナップ的に撮るにはちょっと苦しかった。50mmか、...

    2008/10/10

    観光地(Tourist spot)

  • 養老の滝は立派なのにどこか面白みに欠ける滝 <養老第4回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 養老シリーズ第4回にして、ようやく滝までたどり着いた。前置きが長かった。 リフトに乗らず自分の足で歩く場合は、養老神社を過ぎたあたりから登りがきつくなってくる。距離としてはそんなに長くない。ゆっくり歩いて10分か15分くらいだろうか。暑いときは少し大変だろうけど、このときはちょうどいい気候で、心地よかった。秋の紅葉の時期は、街中よりも寒そうだ。冬は雪が多いん...

    2008/10/09

    観光地(Tourist spot)

  • 養老の立役者源丞内にまつわる寺社参拝と墓参り <養老第3回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 養老シリーズ3回目は、滝編ではなく神社仏閣編にした。そっちを先にした方が、養老の名前の由来や歴史なんかを説明しやすいから。滝については特に書くこともないから、ほとんど写真だけになると思う。 養老公園の中には、養老寺(ようろうじ)と、養老神社がある。養老説教場というのもあるらしいのだけど、たぶん遠いだろうと思って省略した。けど、帰ってきてから分かりやすい養...

    2008/10/08

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 養老のおみやげ屋通りを歩いても幼少の記憶は戻らず <養老第2回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS ここは養老の滝の下流約1キロ地点。橋の上に立って自分の影を見つけると、つい記念撮影をしてしまう。垂井でもやった。他でもやった気がする。次はポーズ付きでやろう。 この川の名前を、滝谷という。養老山地から始まるこの川は、養老の滝となって流れ落ち、養老公園を横断したあと、別の流れと合流して、津屋川と名前を変える。彼岸花を見に行ったあの川だ。津屋川は揖斐川と合流...

    2008/10/07

    観光地(Tourist spot)

  • 使えたのはグリルとレンジとコンロの強火だけサンデー

    PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 他 ガステーブルが壊れてピンチ。しばらく前から自動で火がつかなくなって、チャッカマンでつけていたのだけど、とうとう手動でもつかなくなってしまった。こりゃまいった。そもそもチャッカマンを使ってる時点でどうにかしないといけないと思い至るべきだった。時代に逆行してしまっている。 昨日あたり本格的に火がつかなくなって、サンデー料理のピンチに陥ることとなった今日、そうだ、...

    2008/10/06

    料理(Cooking)

  • 養老の滝は養老公園から始まり、思うほど昭和じゃない <養老第1回>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II 養老の滝を見に行ったのは、津屋川の彼岸花を撮るついでだった。彼岸花の名所を探しているときに津屋川の存在を知って、地図で場所を調べていたら近くに養老の滝がある。せっかくそこまで行くなら養老の滝も見に行っておこうということになって、二つセットメニューにしたのが今回の養老行きだった。今年に入って日光華厳の滝、赤目四十八滝と滝...

    2008/10/05

    観光地(Tourist spot)

  • 津屋川彼岸花後編は現地の不確かな案内と歴史エピソード紹介

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II 津屋川の彼岸花ポイントは、南濃梅園のある対岸あたりだということは、頭では分かっていたつもりだった。一応、海津町のページにあったマップをプリントアウトして持っていったのだけど、これがどうも分かりづらい。彼岸花の時期は、北部グラウンドというところが臨時駐車場になっていると地図にはある。けど、結局最後までその場所を見つけられ...

    2008/10/04

    花/植物(Flower/plant)

  • 一週間と一時間遅刻した津屋川で怪我の功名的彼岸花写真 <前編>

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II 養老の滝へ行った帰り、津屋川の彼岸花を撮りに寄った。そもそも養老方面へ行こうと思ったのは、この彼岸花があったからで、それは一週間前のことだった。予定通り家を出て、いざ出発しようと思ったら、エンジンがかからない。焦りながらも途方に暮れて、結局その日は行けず、その後バッテリーを交換したり、雨が続いたりでなかなか行けずに延び...

    2008/10/03

    花/植物(Flower/plant)

  • 試行錯誤のお菓子作り、その成功への遙かなる道のり

    PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 他 何ヶ月か前に、お菓子作りの報告をしたのを覚えているだろうか。それがいつだったのかは私もすっかり忘れてしまったのだけど、あれから懲りずにちまちま作っていて、そろそろここらでまとめて続報をお届けしようということになった。小出しにするほどたいしたネタでもないので、ひとまとめにした。 作る頻度としては、多くても月に一回くらいだから、サンデー料理よりも進歩はずっと遅い...

    2008/10/02

    料理(Cooking)

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去りゆく秋の野草たちの撮り納めに森林公園へ行く <前編>

花/植物(Flower/plant)
森林公園秋1-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm F2.8 / Canon EF 75-300mm f4-5.6 IS



 秋は頭の上だけでなく足元にもやって来る。そして、私たちが視線の高さの日常に追われている間に、音もなく早足で駆け抜けていく。あ、そういえば秋の野草、と思い出したときにはもう遅い。秋の野草たちは、短い命を咲かせて散ってゆく。今年も夏から秋にかけての野草をたくさん見逃してしまった。
 10月も終わりということで、今年の野草撮り納めに、尾張旭の森林公園へ行ってきた。そういえばここもずいぶん長く行っていなかった。振り返ってブログを調べてみると、4月の半ばにハルリンドウを撮りに行って以来だ。夏シーズンがすっぽり抜けてしまっている。今年は本当に野草の勉強がおろそかになった。今頃反省してももう遅い。取り戻すためには、来年の春まで生き延びなければならない。
 10月の終盤ともなると、もう咲いている野草は数少ない。いよいよ野草の季節は終わったのだと思い知らされる。最後のいい季節は、10月の始めまでだ。その頃森林公園に行こうという考えはあったのだけど、ヒザ痛でしゃがめず、行けなかったという事情もあった。バッテリー上がりで矢勝川の彼岸花にも出遅れ、ヒザの故障で野草にも致命的な遅刻をした。元を辿れば、今年は長距離歩行の度が過ぎたということもある。あちらはあちらで成果を上げたものの、反動で失ったものも少なくない。何事もそういうものだと言えばそうなのかもしれない。
 上の写真は、シラタマホシクサの残骸だ。頭の白い部分は残って、茎の部分が茶色く枯れてしまっている。9月の元気がいいときは見られなかった。今年はサギソウも見ていない。なんとかダイモンジソウだけはと思っていたけど、これもまた来年の課題になってしまいそうだ。

森林公園秋1-2

 タカサゴユリがひょっこり咲いていた。まだ咲いていたかと驚く。夏の花というイメージで、だいたい9月までだというのに、10月の終わりでこんなにきれいに咲いているのは珍しい。
 大正時代に台湾から入ってきたものが野生化して、今は高速道路の脇などでも咲いている。球根のユリとは違って種子で増えるユリだから、風に飛ばされ全国に広まった。
 ササユリの気品もなく、ヤマユリの優雅さもない。このユリを見てもありがたみを感じない。

森林公園秋1-3

 こういう花の写真を撮って、帰ってきて図鑑を調べて、見分けがつかずに頭を悩ませるということから今年は逃げていたようにも思う。分からないまま放置しておくと、いつまで経っても分からないままだと知りながら。
 春ならジシバリと思っただろうし、夏ならニガナを疑った。秋の今、これを見ても何か分からない。ヤクシソウでなければ、タビラコ類か。それも違う気がする。
 葉っぱを撮るのを忘れたのが致命的。いつものことだ。

森林公園秋1-4

 また難しいのが来た。ノコンギクやヨメナ、ジオンなどは真ん中の部分が黄色だから違う。中央部分が紫色のこんな花は初めて見たんじゃないか。忘れているだけだろうか。
 そんなに珍しい花ではないのだろうけど、早々にギブアップ。春先の花の方が多少知識があって、夏から秋へ進むにつれて知らないものが増えていく。歴史の教科書みたいだ。

森林公園秋1-5

 これは知っている。サワヒヨドリだ。
 白いのがヒヨドリバナで、紫がかっているのがサワヒヨドリと覚えている。もしかして落とし穴があるのかも。
 知っているものが出てくるとホッとするけど、写真を撮るなら見たことがないやつの方が面白い。お馴染みさんはもう撮り飽きたと思ってしまう。

森林公園秋1-6

 この毒々しい色は、タイワンホトトギスだと思う。普通のホトトギスはもう少し色白だ。
 山で咲く野生のホトトギスには、ヤマジノホトトギスとヤマホトトギスなどがある。それらはもっと白くて品がある。花の中央部分にオレンジ色があれば、ホトトギスかタイワンホトトギスということになる。

森林公園秋1-7

 赤い実は種類が多すぎて、始めから見分けがつくようになりたいと思わない。
 ただ、これは葉っぱの様子からして、ガマズミじゃないかと思った。ミヤマガマズミかもしれない。

森林公園秋1-8

 虫の姿もめっきり減って、わずかにいたのはこんなやつくらいだった。ハチではなくアブの仲間だろうか。ハエではない。
 その右には蚊の親玉みたいなやつも写っている。
 みんな残り少なくなった花の蜜を吸いに集まっていた。虫たちにとっても秋は食糧難で、生きるのが難しい季節だ。さすがに蚊もいなくなった。

森林公園秋1-9

 トンボの生き残りがいた。
 赤いから赤トンボで片付けてしまっては進歩がない。赤トンボにもいろいろいて、赤いくせに赤トンボじゃないやつもいる。
 さて、こいつは何だ。マユタテアカネか、マイコアカネか、ヒメアカネか。たぶん、そのあたりのどれかだと思う。
 これ以外にはチョウもトンボも見かけなかった。虫の季節もいつの間にか終わってしまっていたのだ。今年は野草以上に虫を撮れなかった。

森林公園秋1-10

 田んぼや湿地にはカエルがたくさんいて、近づくとピョンピョン跳ねて、一斉に逃げていった。カエルは冬になったら冬眠するから、まだ今の季節はオンシーズンだ。
 これは何ガエルかよく分からなかった。黒っぽい体色だから、ヌマガエルとかツチガエルとかそんなやつだろうか。カエル図鑑も一冊買っておくべきか。
 そういえば最近、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」のカエルは、トウキョウダルマガエルだという説があるのを知った。トノサマガエルの仲間らしいのだけど、見たことはない。

森林公園秋1-11

 湿地にはたくさんのウメバチソウが咲いていた。これは夏から咲き始めて、花期が長い。
 菅原道真や前田利家の家紋である「梅鉢」に似ているところから名づけられた。天満宮で見かけるあの梅の紋だ。
 離れてみると可憐で清楚、近づいて見ると繊細な花だということが分かる。

森林公園秋1-12

 この日一番見たかったのがこれ、ホソバリンドウだ。今年の森林公園は、ハルリンドウから始まってホソバリンドウで締めくくった。
 曇り空の夕方ということで、ほとんどの花が閉じてしまっていたのは残念だった。開いていたのはわずか数輪しかなかった。

森林公園秋1-13

 ハルリンドウの青が好きで、ホソバリンドウのハッとさせる青も嫌いじゃない。なんだか自然界にはあり得ないような青色をしている。私の中のあり得ない青いバラのイメージは、この青色だ。
 ホソバリンドウを見られたのは、この日最大の収穫だった。

森林公園秋1-14

 おまけはキノコ写真。食べてはいけない典型的な色をしている。こういう分かりやすい色はいい。なんとかもどきというのが危ない。この秋も食べてはいけないキノコを食べてしまう人がたくさんいるんだろうな。

森林公園秋1-15

 キノコとコケ。当然、これも食べてはいけないものと思われる。
 キノコを採って食べるわけではないからキノコに関する知識は必要ないのだけど、キノコ図鑑は欲しい。キノコは笑えるものがけっこう多いから。

 今回、森林公園で出会うことができた野草はこんなところだった。全体の3分の1くらいしか歩いてないから、もっと足を伸ばせばいろいろな花に出会えたのだとは思う。見たかったアキノギンリョウソウを探して見つからなかったのは残念だった。もう終わってしまっていたんだろうか。
 森林公園の写真はもう一回分ある。次回は秋風景と鳥たち編ということでお送りしたい。

私が茶臼山の紅葉について語れることは少ない <第三回>

紅葉(Autumn leaves)
茶臼山3-1

FUJIFILM FinePix S2pro+Nikkor ED 18-70mm f3.5-4.5



 茶臼山の紅葉シリーズは、3回目の今日でこれといった見所もないまま最終回を迎える。せめて最後くらいは紅葉とまではいかないまでも秋っぽい写真を撮りたいと、デジをS2proに替えて芹沼池と矢筈池の周辺を歩いてみた。
 S2proのどぎついとも言える強烈な発色は紅葉撮りに向いている。赤いものはそれこそ真っ赤に撮れる。
 レンズはD70などのレンズキットについてくる18-70mmを使った。標準レンズとはいえ、EDレンズを使っているだけあって他のメーカーの標準レンズより一段上の描写性能を持っている。このレンズの出来の良さにはNikonも自信を持っているようで、D300のレンズキットにもいまだに改良もせずこのレンズを付属させている。SIGMAの17-70mm f2.8-4も持っているけど、撮り比べてもそんなに違わないんじゃないかと思う。

茶臼山3-2

 山の向こうに太陽が沈む芹沼池。位置関係としては、この池は夕焼けを撮るにはいいところにある。この日はあまり焼けなかったけど、きれいに空が焼けたときはここからの写真はきっとドラマチックになる。

茶臼山3-3

 紅葉らしい紅葉もないので、足下の落ち葉を撮ってみる。ここが一番色とりどりだった。ということはやはり、少し出遅れたということだろう。一週間前ならこれらの葉がまだ枝についていただろうから。

茶臼山3-4

 このポイントは定番撮影スポットだと思う。少し角度が違うものの、茶臼山の紅葉情報はこの場所からの写真が使われていたのかもしれない。
 紅葉の色が薄いと思ったら、これはもう終わりかけの薄さだったらしい。一週間前の写真を見たら、もっと鮮やかな赤や黄色をしている。私が行ったときは、紅葉が過ぎて枯れた雑木林風情になっていたのだ。
 風のない穏やかなよく晴れた日なら、紅葉の赤や黄色が水面に映り込んで、もっと絵になるのだろう。この日でも、もっと早い時間にこの場所を見つていれば、もう少しきれいに撮れたはずだ。

茶臼山3-5

 このポイントにも可能性を感じたけど、惜しい。もっと色があって水面への映り込みがあればいい感じになっていただろうに。

茶臼山3-6

 秋枯れのロッジ風景。それにしてもすごいところに建ってる。うっかりしてると池まで転げ落ちていきそうだ。
 左後ろに写ってるのが茶臼山だ。あらためて写真で見てみても、茶臼山自体はあまり紅葉しているふうでもない。どちらかというと萩太郎山の方が紅葉している。

茶臼山3-7

 紅葉写真といっても、色づいた葉っぱだけ写しても何も面白くないと思いつつ撮ってしまった一枚。とにかくこの日は紅葉に飢えていた。

茶臼山3-8

 これぞまさにS2proならではの写真だ。水の青がすごいことになっている。こういう色は他のメーカーのデジでは出てこない。S2proのオートホワイトバランスが少し変ということもある。

茶臼山3-9

 いかにも秋の散策路といった風景だ。ここ数年の散策で見慣れた光景になったけど、それまではとても新鮮に映ったものだ。

茶臼山3-10

 枯れ葉道。こういう道をガシャガシャ音を立てながら歩いていると、秋よりもむしろ冬を感じる。春先に野草を探しながら歩き始めた頃のことを思い出し、夏が来て、秋が過ぎ、散策シーズンが終盤を迎えたことを知る。

茶臼山3-11

 赤い葉の間からのぞき見たスワンボートと萩太郎山のリフト。あまり撮るものがない。

茶臼山3-12

 日が沈んで暗くなり始めたところ。秋の日暮れは早く、山の日没の早さを侮っていると痛い目に遭う。これ以上ぐずぐずしていたら帰りの山道が真っ暗になって危険ということで、ここで終わりとする。

茶臼山3-13

 水中の紅葉がいい感じだったけど、撮ってみたらそれほどでもなかった。
 もう帰ろう。

 3回で終わってしまったというより、この内容で3回も引っ張ってしまったのがどうだったか。茶臼山高原の紹介にはなったかもしれないけど、肝心の紅葉風景をあまりお伝えできずに申し訳ないような気持ちだ。むしろ途中からは紅葉へのこだわりを捨てて、山頂からの景色を撮りに行った方がよかったかもしれないと今になって思う。
 これでもうしばらく茶臼山へ行くことはない。紅葉の最盛期には出遅れたとはいえ、だいたいの状況は分かった。スキーもスノボもしないし、ネバタゴガエルがワンと鳴くところも聞きたくない。自分の感覚の中にあるよりも遠かった。面ノ木ももう一度行きたいと思っていたけど、茶臼山とあまり距離は変わらないから、今度はいつ行けるかどうか。
 そんなわけで、茶臼山の紅葉情報について私がお伝えできるのはここまでだ。あとは来年以降、各自に丸投げということで、よろしく頼みます。ぜひ来年、私の代わりにピークのときに行って、あなたとは違うんですと、私に向かって捨て台詞を投げつけてください。そうしたら私も発奮して、もう一度行く気になるかもしれないから。

茶臼山の紅葉は一週間遅刻だった疑惑が浮上 <第二回>

紅葉(Autumn leaves)
茶臼山2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 茶臼山の紅葉第二弾は、昨日のカエル館の続きからとなる。写真は、茶臼山湖という湖で、さほど大きくはない。溜め池のような姿からしてもおそらく人造湖だろう。
 この湖は茶臼山の北側にあって、すでに長野県に入ってしまっている。茶臼山自体が県境にあって、両方の県にかかっている。愛知県は最高峰だから大事にしているけど、長野にはもっと高い山がいくらでもあるからあまり気に懸けていないのではないかと思う。
 カエル館の呼び物となっているネバタゴガエルは、茶臼山湖で見つかったので、長野県根羽村(ねばむら)の天然記念物に指定されている。
 この付近には他にもナガレタゴガエルや普通のタゴガエルなども生息しているとのことだ。一般人が見ても区別がつくとは思えないけど。
 木の上で卵を産むことで知られるモリアオガエルの産卵地としても有名らしく、カエル好きの人は遠くからもそれを見に訪れるのかもしれない。
 茶臼山湖一帯は、多くの野草や野鳥、虫類の生息地でもあって、チョウは100種類ほど見られるんだそうだ。ここは紅葉の秋よりも夏に来ると楽しいところのようだ。

茶臼山2-2

 湖畔にはたくさんのロッジが建ち並んでいた。このあたりの紅葉というか秋枯れ風景はなかなか趣があってよかった。
 紅葉の季節となると、もう朝晩が寒すぎて泊まり客もいないのではないかと思うけどどうだろう。スキー客が利用するなら暖房装置も整っているだろうから、秋でも観光客は来るのかもしれない。夏の避暑キャンプにはよさそうなところだ。

茶臼山2-3

 なんとなく上手く雰囲気を伝えられず、もどかしい。実際はもっといい感じだったのに。
 これ以上このあたりをうろついても紅葉スポットはなさそうだったので、最初に見た池の方に戻ることにした。

茶臼山2-4

 戻っていく途中に見た山並み風景。撮るべき紅葉風景と出会えず、山ばかり撮っていた。
 日没が近づくにつれて、空がほんのりと染まり始め、山の風景はますます幻想的でドラマチックになっていった。今回の茶臼山行きはこの山並み風景が一番の収穫となった。
 愛知県や岐阜県の小山はけっこう登っている私だけど、高いメジャーの山に関してはまったく知識がない。山の稜線を見て山の名前を当てられる男となるべきなのだろうか。そのあたりはちょっと迷いがある。高い山に登りたいという気持ちも今のところあまりない。富士山だけは一度登らないといけないだろうか。
 ちょっと気になって日本で二番目に高い山を調べたら、北岳だった。知らなかった。山梨県の赤石山脈(南アルプス)にあって、標高は3,193メートルだそうだ。
 茶臼山からは南アルプスが見えるはずだから、知らない間に北岳も見ていたのかもしれない。直線距離にしたら富士山の方が近いくらいだし、ひょっとして富士山も見えていたのか。考えたら長野県まで入っているのだから、もっと富士山を意識して探せばよかったのだ。最初から見えないものとあきらめていた。

茶臼山2-5

 厚い雲が低くたれ込めてきて、山の上空近くに浮かんでいた。
 自分がいるところがすでに標高1,200メートルを超えているということを忘れがちになるけど、実はかなり高い位置にいたのだ。酸素濃度は地上の85パーセントくらいになっている。前回山登りをしたとき、短い距離でもやけに息が切れたのも、単に私が運動不足というだけではなかった。今回は短い距離をゆっくり歩いただけだったから、酸素の薄さは気にならなかった。

茶臼山2-6

 一番紅葉していたあたり。ずっとこんな感じで赤く染まっていれば車を走らせるだけでも楽しいだろうけど、色づいているのは一部だけで、見応えがあるところまではいかない。道ばたの紅葉なら近所の平和公園の方がよほどきれいだ。

茶臼山2-7

 道路の上をスキーリフトが行き来している。このリフトはスキーのときだけでなく、一年中動いているようだ。夏でも秋でも、萩太郎山の山頂へ登る人が利用する。
 12分で往復500円は良心的だ。時間があれば私も乗ってみようと思っていたのだけど、日没が近づいて時間切れとなってしまった。萩太郎山の上から正面の茶臼山を見たら紅葉が見られたかもしれない。

茶臼山2-8

 矢筈池まで戻ってきた。結局のところ、このあたり一帯が紅葉ポイントとなるようだ。
 あれから茶臼山の紅葉ポイントについてもう一度調べ直したところ、どうやら私が行った27日は一週間遅かったらしいということが判明した。一週間前に撮られた写真は、萩太郎山の紅葉も赤く色づいていてもっときれいだった。日曜は駐車場も車がたくさんとまっていたから、訪れる人もやはりけっこういるようだ。10月の終盤で県内の紅葉に出遅れるとは思わなかった。
 それから、建物の正体もだいぶ分かった。左端に切れて写っているのが「レストハウスやはず」と「花ノ木センター」で、右端のは「高原の美術館」だった。正面右に写っている山がたぶん茶臼山だ。

茶臼山2-9

 紅葉を探してクローズアップで撮る。けど、こんなところくらいしか撮るところがないというのも寂しい。
 このあと車を芹沼池近くの駐車場に移動させて、デジをS2proに持ち替えて芹沼池周辺を撮った。そのときの様子はまた明日あらためてということにして、今日は本編の後編を締めくくるということで、帰り道の写真となる。

茶臼山2-10

 茶臼山高原道路は、入り口あたりの路面が荒れていたものの、奥はきれいになっていて走りやすい。このときも工事をして直していた。有料道路から無料道路になったとはいえ、あまり放置しておいてもよくないという判断だったのだろう。
 帰り道は下りが多いから、かなり惰性で走ってガソリン消費を抑えた。どうにかガス欠にならずに家まで帰り着けたのはよかった。山を下りてからのスタンドも有人ばかりで、市内よりも10円以上高かった。そういえばガソリンもだいぶ値下がりした。

茶臼山2-11

 行きと同じ場所でもう一度夕焼けの山並み風景を撮った。途中で視界が開けている場所は少ないから、車をとめて写真を撮れる場所は限られる。

茶臼山2-12

 山の夕焼け写真をもう一枚。
 結局、今回も紅葉らしい写真はほとんど登場しないまま締めとなった。紅葉を撮りに行ったのに、紅葉を撮った気がしないなと思ったら、本当に撮れてなかった。撮れてないのは気のせいではなかった。
 次の紅葉スポットはどこになるだろう。早くても11月の中旬。去年香嵐渓へ行ったから、今年はもう行かない。有名どころはだいたい行って、まだ行っていないところというのはあまり思いつかない。明治村のチケットがあるから、今年は秋の明治村を撮りに行こうとは思っている。あとは岩屋堂とか、定光寺とか、そのあたりの近場ということになるだろう。去年は奈良が印象深かったから、今年は京都とも思っているけど、実現するかどうか。
 茶臼山の紅葉編は明日も続く。

愛知で一番紅葉が早い茶臼山は紅葉名所にあらず <第一回>

紅葉(Autumn leaves)
茶臼山1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 名古屋はまだ暖かい日が続いているとはいえ、10月後半ともなると全国各地から紅葉の便りが届き始めて、私もそろそろ紅葉が気になり始めた。今年の第一弾は茶臼山にしようと、わりと早い段階で決めていた。茶臼山行きは、4年ぶり二度目となる。
 上の写真は、茶臼山高原道路に入る前で撮った一枚で、川風景がとてもいい感じだった。名倉川だろうか。
 久々の茶臼山行きは、とても遠く感じられた。自動車専用道路はグリーンロードしか使えないから一般道メインでの2時間ドライブとなる。その3分の1は細くて曲がりくねった山道なので、精神的にもくたびれた。帰りはガス欠寸前に陥って、余計に疲れた。茶臼山の上までJAFはガソリンを持ってやって来てくれるのだろうか。

茶臼山1-2

 このあたり一帯は、たくさんの牧場が点在していて、愛知県内とは思えないような風景が広がっている。車だと思ったところにとめられないけど、バイクならどこでもとまって写真を撮ることができるのがうらやましい。ツーリングには最適のコースだろう。私も125ccのビッグスクーターが欲しい。
 上の写真は、面ノ木牧場だろうか。見渡した感じ、牛の姿はなかった。
 車を降りたら、とにかく寒かった。市内とは気候が全然違う。標高は1,000メートルを超えて、気温は10度を切っていた。紅葉してるくらいだから、それくらい寒くて当然だろう。もちろん、上着は持っていった。

茶臼山1-3

 茶臼山高原道路は、今年2008年の4月13日から全面無料になった。それまでは全線走ると1,460円という県で最も高額な有料道路で、評判が悪かった。交通量が少なくなって、人件費で赤字がかさんでしまったため、無料にした方が安上がりだからという理由だそうだ。ちょっと笑った。
 本坂トンネルと尾張パークウェイも、同じ理由で無料開放された。
 無料になって以来、交通量がぐっと増えたというから、やはりみなさん考えることは同じだ。パーキングエリア付近には「サーキット走行禁止」という看板がたくさん立っていた。なるほど、この峠道なら走り屋の格好のコースになるだろう。ドリキン土屋に教えてあげたい(古い)。

茶臼山1-4

 途中で車をとめて、遠くの山並みを撮った。これはいい眺めだ。
 南なのか、東なのか。方向的には鳳来寺山方面にも思えるのだけど。

茶臼山1-5

 重なり連なる山の稜線というのは、面白くもあり、不思議でもあり、ドラマチックだ。水墨画の世界のようでもある。

茶臼山1-6

 どこかの駐車場に到着。4年前は、茶臼山高原道路を避けて北側からぐるりと大回りしたから、こちらには来ていない。前回は茶臼山の北側に車をとめて、山頂までの登山をした。といっても歩いたのは600メートルほどだけど。
 今回の目的は紅葉だったものの、ポイントはよく分かっていなかった。ネットを見てもこれというピンポイントの情報がなくて、今日もまた手探りでの紅葉探しとなった。
 行ってきて今更訊くのも何なんだけど、茶臼山の紅葉ってどこなんですか? 誰かに同じ質問をされても、私は答えることができない。たぶん茶臼山高原一帯なんだと思うというあやふやな回答しかできない私を許して欲しい。前回も11月1日で、一応紅葉シーズンの終盤には引っかかっていたはずだけど、あのときも紅葉ポイントが分からないまま途中から霧に包まれて逃げ帰ってきた。二度目の今回も、結局分からずじまいだった。

茶臼山1-7

 駐車場から池の眺め。池が二つ並んでいて、どちらかが矢筈池(やはずいけ)で、どちらかが芹沼池(せりぬまいけ)のはずだ。たぶん、上の写真の方が大きいから矢筈池だと思う。ボートも浮かんでいる。
 手前に見えている建物は何だろう。よく分かっていない。左端に見えているのは、観光案内所か、茶臼山高原美術館かもしれない。
 遠くの山並みは、長野方面だから、おそらくアルプスの山々だ。そろそろ冠雪していてもよさそうなのに、今年は遅いのだろうか。
 ここ豊根村は愛知県の東のはずれで、隣は長野県だ。

茶臼山1-8

 山の上の方に洒落た小屋のようなものが建っていた。山のロッジとかそういうものか。
 茶臼山一帯は茶臼山高原というリゾート地になっていて、愛知県内では唯一のスキー場がある場所でもある。
 夏でも真夏日が一日もないというくらい涼しいところで、避暑地としても知られている。平均気温も10度を割っている。
 人気度の具合はよく知らない。スキーシーズンはどれくらいの人が訪れるんだろう。

茶臼山1-9

 スキーリフトが見えているのが、県唯一のスキー場、茶臼山高原スキー場だ。ただし、この山は茶臼山ではなく、萩太郎山(はぎたろうやま)で、茶臼山へ行ってもスキー場はない。だから、高原スキー場という名前になっているのだろう。ちょっとややこしい。
 茶臼山は愛知県最高峰で1415メートル。向かい合う萩太郎山は第2位の1358メートルとなっている。
 単純に県で一番高いところにあるから、一番早く紅葉する場所というわけだ。紅葉といっても、いわゆるモミジとかではなくカエデでブナが中心なので、至って地味であることは間違いない。上の写真の萩太郎山も、これで紅葉全開なのだろう。渋枯れといえば渋枯れだ。黄色は黄色で悪くないにしても、もう少し彩りとしての赤が欲しい。
 今年の茶臼山高原まつりは、10月4日から26日まで開催されていたようだ。どこで何をしていたのかは知らないけど、翌日の今日はすでにそんな形跡はどこにも残っていなかった。紅葉見物に来ている人も、カップル数組、カメラのお兄さん一人、女の子二人組、犬の散歩の夫婦連れといったところで、紅葉名所の賑わいとは無縁の世界だった。私の知らない賑わいスポットがどこかにあったのだろうか。

茶臼山1-10

 紅葉ポイントを見いだせないまま適当に道を走っていると、見覚えのある風景の場所に出た。この場所で4年前も確かに写真を撮った。HPにそのときの写真を載せている。あのときはkodakのコンパクトデジDC4800だった。
 あれは広角のいいデジでお気に入りだった。空を撮ったら抜群にきれいだったという印象が残っている。今の目で見てしまうともう駄目なんだろうけど、もう一度買い直したいと思うコンパクトデジはあれだけだ。

茶臼山1-11

 紅葉してる感じの山。でも、これでは、わーきれいとか、すごいねとかは言えない。紅葉っていえば紅葉だけど。
 このあと更に車を走らせていたら、知らない間に北側へ行きすぎていたようだ。行くつもりのなかった茶臼山湖まで行ってしまっていた。ガソリン残量も少ないのに。

茶臼山1-12

 手前の駐車場近くで「カエル館」の案内看板が出ていて、カエル館って! と、一人で突っ込みながら、誰が行くもんかと思っていたら、うっかり行ってしまっていた。しまった、来てしまった、カエル館。
 残念ながら15時閉館で、もう閉まって中に入ることはできなかった。月曜と木曜が定休らしいので、運良く探し当てても入れるチャンスは少ない。今年は11月3日までということだから、行くなら急がないといけない。
 呼び物はなんといっても、茶臼山高原で見つかった「ワン」と鳴くネバタゴガエルだ。新種のタゴガエルで、このカエルが見られるのは世界でここだけらしい。カエルファンなら見逃せない。

 茶臼山の紅葉編は、たいして紅葉も登場しないままここで前半が終わりとなる。写真の枚数の区切りがいいところでいったん終わって、続きは後編で紹介したいと思う。番外編としてS2proで撮った写真もあるので、今回は全部で3回シリーズになる。さて、その中で紅葉写真は何枚あることか。
 明日につづく。

ソース独走で食材と食べ手は置いてけぼりの濃厚サンデー

料理(Cooking)
ソースを食べるサンデー

PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4



 今日のサンデー料理のテーマは、和の食材を洋のソースで食べるというものだった。和洋折衷というのは前にもやったけど、あれは和食と洋食を組み合わせるというもので、今回は食材とソースを分けて考えたところに新しい試みがあった。
 日本ほど世界中の料理が渾然一体となった国は他にないんじゃないかと思う。世界三大料理と呼ばれるフランス、中国、トルコは、それぞれの独自性にこだわった料理を確立していて、他の国の影響はさほど大きくない。トルコは西洋と東洋が交わる場所ということで様々な国の料理が融合しているけど、その上で独自の料理を作り出していった。
 日本が他の国と決定的に違っているのは、自分の国の和食というものを持ちながら、他の国の料理が並列的に存在していることだ。アメリカやヨーロッパなどもいろいろな国のレストランなどはあるのだろうけど、家庭の食卓に他の国の料理が混在することは少ないんじゃないだろうか。中国料理の種類がいくら多くても、日本における多様性はまた別のものだ。
 言葉を変えれば、日本は節操なくいろんな国の料理を取り込んだとも言える。結果的に、今日本人が毎日の食事で食べているものは、和食でも洋食でもない新日本料理とでも言うべき独自の料理となっている。日本風の洋食に日本風の中華、イタリア風、フランス風など、食卓に並ぶ料理を分類するのが難しいくらいだ。
 外国人は日本の家庭料理を見てどう思うのだろう。食べて美味しいと思うのだろうか。いつか機会があれば、日本食をあまり食べたことがない様々な国の外国人を集めて私の料理を食べてもらいたい。どんな反応をするのか、全然見当がつかない。外国といってもその幅は広く、アフリカ人とロシア人の味覚が同じではないだろうから、なかなか興味深い実験になりそうだ。

 そんなことを考えつつ、今日はまずソース作りから入った。最初にソースを作って、それに合うであろう和の食材を選ぶというアプローチ方法を採った。今回のサンデーは、おかずを食べるというよりもソースを食べるのがメインだったと言ってもいい。順番に紹介していこう。
 まず左手前は、一見するとトマトソースのように見えて、一応アメリケーヌソースのつもりで作っている。もちろん、本物とはだいぶ違ったもどきソースでもあり、そもそもアメリケーヌソースの定義がよく分かっていない。エビの殻でダシをとったソースのことをいうのだろうか。
 オリーブオイルでエビの殻としっぽなどを炒めて、白ワインを加えてダシ汁を作る。
 殻を取りだして、刻みタマネギ、ニンニク、切ったトマト、トマトペースト、ケチャップ、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖、刻んだエビ、水を加えて、煮込んでいく。
 本物はこれを漉してスープ状にするのだけど、もったいないので私はこのまま使う。もっと贅沢に作るなら、エビをオマールエビにしたり、伊勢エビにしたりしてもいい。
 食材は、白身魚とジャガイモとニンジンで、白身はグリルで焼いて、ジャガイモはゆがいて柔らかくして、ニンジンはオリーブオイルでカリカリに炒める。最後にバジル粉を振りかけて完成だ。
 エビの風味が強く出る分、通常のトマトソースとは違う味になる。コクがあって美味しい。白身魚との相性もよかった。コロッケにも合いそうだ。カニクリームコロッケのアメリケーヌソースも食べてみたい。

 右奥は、ソースポロネーズ(またはポロネーズソース)から発進して、オリジナルのソースになったものだ。
 ポロネーズというのはショパンの曲にもあるように、フランス語でポーランド風を意味する言葉で、音楽においてはポーランドを起源とするダンスや舞曲を指す。料理では、パン粉をバターで炒めたものをいうらしい。このパン粉ソースというのをヒントに、今回は思いつく限りのものをどんどん追加していって、結果的に偶然美味しいソースになった。ポロネーズからははなりズレている。
 まず何か核になるダシが必要だろうということで、鶏肉を選んだ。オリーブオイルでゆっくり炒めて、白ワインで香りづけをしたあと、パン粉を投入。生パン粉の方がいいようだ。
 これに、マヨネーズたっぷり、卵、カレー粉、マスタード、唐辛子、塩、コショウ、砂糖、しょう油、牛乳を加えて加熱して、かなりもっさりしたソースが出来上がった。もっと牛乳で伸ばせば柔らかいソースになったのだとは思う。
 このソースは最終的にどんな味になるのかよく分からなかったので、食材はどんなものにも合いそうなダイコンにしておいた。それは間違いではなかった。ただやっぱりこのソースなら洋の食材の方がいい。パスタに絡めれば美味しくなりそうだ。チーズを入れ忘れたから、チーズも入れた方がいい。

 左奥のは参考にしたものはなくて、ホワイトソースを食べたいというのと、まだ使い切れていなかったカボチャをどうにかしようというところから生まれた、カボチャカレー風味ホワイトソースだ。
 まずはカボチャを潰して炒めて、白ワインで伸ばしたところへ、バター、小麦粉、牛乳を加えてホワイトソースを作る。これにほうれん草の刻んだもの、塩、コショウ、コンソメの素、カレー粉を足して味を調え、固さは牛乳で調節する。
 食材は、豆腐、しめじ、ブロッコリーを使った。ブロッコリーは地中海沿岸が原産と言われているから和の食材ではないけど、愛知県田原市が全国一の生産量ということで友情出演してもらった。
 この料理は、食材の味付けにソースをかけるというよりも、ほとんどソースを食べるための料理だから、食材は邪魔さえしなければそれでいい。

 ソース作りはどれも上手くいった。特にアメリケーヌソースもどきは美味しかった。だったら全体の出来もよくて美味しく食べられたかといえば、そう上手くいかないのが料理というものだ。一言で言って、ソースが強すぎた。3つともそれぞれ主張が強すぎて、3品揃うとくどすぎた。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノとジャック・ニコルソン競演の映画みたいで、濃厚すぎて疲れる味だった。作り手としては満足度が高かったのだけど。
 料理はバランスが大事で、濃すぎても薄すぎてもいけない。いい塩梅だとか、いい加減という言葉があるように、ちょうどいい味がいい料理であり、美味しい料理だ。過ぎたるは及ばざるがごとしで、美味しすぎてもいい料理にはならない。
 今回は食べ手を置き去りにしたような料理だったから、次からは両方満足できる料理を目指したい。作って楽しく、食べて美味しいというのが趣味の料理の基本だ。作り手の立場としては、簡単すぎてもつまらないし、難しすぎたら上手く作れないから面白くない。身の丈にあった料理を作ることが大切だ。

日常の風景を切り取って未来の自分に贈る <フィルム9回・最終回>

フィルム写真(Film photography)
フィルム最終回-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / 50mm 他+FUJI 400 / Kodak 100



 フィルム写真もたくさん撮ったと思っていたけど、気づけば今日が9回目で、最終回となった。最後はこれまで使えなかった写真を集めて並べて終わりとする。
 去年まとめ買いしたフィルムも残り5本となって、夏の間に撮りきってしまおうと撮り始めたのが8月のはじめ頃だった。なかなか撮りきれないまま時が流れて、最終的に5本を撮り終わったのは10月になってからだった。貧乏性というだけでなく、フィルムは無駄打ちしたくないから、撮ろうとカメラを構えてファインダーをのぞくところまでいっても、これはつまらないからやめておこうとなることが多い。写真を撮りに出かけて2枚しか撮れなかったなんてこともあった。そんなにたいそうな写真を撮ってるわけではないのに、デジとフィルムでは撮る姿勢がまるで違ってくる。
 並べた写真をあらためて見てみると、フィルムの中にはしっかり夏が定着している。夏の光や夏の空気が閉じこめられていて、すでに懐かしささえ感じる。空の青や雲の様子も、10月に入ってからのものとはやっぱり別物だ。暑かった夏の感覚が蘇る。
 何年か後になって、この写真を見たとき、この夏の記憶がどれくらいよみがえるだろうか。

フィルム最終回-2

 17mm超広角レンズの広さを知ったのも今回が初めてで、やはり一番の収穫だっただろう。写真の面白さは、肉眼では見られない光景を見られるというところにもある。上手な嘘なら騙されたい。
 いつも行っている矢田川も、17mmで切り取ると、また違った風景に見える。

フィルム最終回-3

 同じく矢田川の夕方。順光で撮ると、青い空と白い雲が写る。
 以前、この場所に大きな虹がかかったことがあった。そのときは28mmでは収まりきらずにもどかしい思いをしたけど、17mmで撮っていたら全部入ったんじゃないだろうか。

フィルム最終回-4

 これは135mmのソフトフォーカスレンズで撮った一枚だ。暗かったので少しブレているというのもある。
 この場所はコサギのエサ場になっているところで、よく被写体になってくれる。
 そろそろコガモやマガモたちも戻ってきた頃だろう。コサギもそれで季節を感じているというのもあるかもしれない。エサが違うから、縄張り争いになることはない。

フィルム最終回-5

 大雨が降った翌日の香流川。思ったほど水は増えていなかったものの、濁って流れは早かった。東海豪雨のときは、この川も氾濫した。
 堤防沿いの桜並木も、この頃はまだ葉が青々と茂っている。今は桜の木も紅葉が始まって、落葉しつつ赤茶色に染まっている。高いところから見る桜並木は紅葉並木になるから、毎年楽しみにしている。

フィルム最終回-6

 香流川と矢田川の合流地点の手前。ここもよく夕焼けを撮りに来る場所だ。このときも空は焼けていたはずなのに、フィルムには色が写っていない。現像の問題というのも今回一つ出てきたものだった。店によってか、機械によってか、こちらのイメージ通りにならないことがある。撮るときはいつも-2/3に露出補正をかけているのだけど、これくらいだと現像の段階で自動的に明るくされてしまう。リバーサルフィルムを使えばいいのだろうけど、そうなると5本の現像と書き込みで6,000円を超えるから、お気軽には撮れなくなってしまう。
 17mmの特徴として、ものが小さく写るというのも今回初めて知ったことだった。写真左下に小さく白い物体が写ってるけど、これは釣りのおじさんだ。すごく遠くにいるように見えていて、実際は橋のすぐ下にいる。17mmでは、人入り写真は人入り写真にならない。手前の被写体をかなり近くから撮らなければ、人の存在感が弱くなりすぎる。遠くのものは当然、ものすごく小さくなる。

フィルム最終回-7

 二つの川の合流地点の夕焼け。
 空と川と両方色が残っているものの、色味が薄い。実際はもっと劇的な色だった。RAW現像の場合は色データが残っているからレタッチソフトでコントロールできるけど、jpegだとあまり修正がきかない。デジでもjpegで撮った方が露出などの点では上達するのかもしれないと思いつつ、一度RAWに慣れてしまうともう戻れない。撮ったままの画像にこだわるほどストイックではない。

フィルム最終回-8

 9月に田舎に帰ったときに撮ったホテイアオイ。9月とはいえ、写真からも日差しの眩しさが伝わってくる。実際、このときは暑くて大汗をかいた。
 ホテイアオイの花はもう終わりかけで、あまりきれいではなかった。ピークはお盆過ぎから8月終わりにかけてくらいだろう。

フィルム最終回-9

 平和公園で撮った一枚。翼を広げて空を飛ぶ白鯨に見えた。
 海から生まれた生命体は、陸へと進出する一方、海へ戻っていったものたちもいた。それが現在の海の生き物たちだ。ペンギンも空を飛ぶことをあきらめて、海を選んだ。彼らも空を飛ぶ夢を見るのだろうか。

フィルム最終回-10

 地平線も水平線も見えない街で暮らしていると、夕陽は建物の向こうに沈んでいく。
 水平線に沈む太陽は海へ行けば見られるけど、地平線に沈む太陽はどこへ行けば見られるのだろう。山に囲まれた日本では、見渡す限りの地平線の向こうに沈む夕陽を見られる場所は限られている。行くところへ行けば見られるのだろうけど、私はまだ見たことがない。

フィルム最終回-11

 雨の日のドライブ。見慣れたメーターパネル。左右対称のこのパネルが気に入っている。レッドゾーンが8千からというVTECも、最近そんなところまで回すことはない。
 長いつき合いのわりにはまだ5万キロちょっとしか乗ってない。地球1周と4分の1だ。まだもうしばらく頑張ってもらわないといけない。
 運転席に座ってメーターがすべて収まりきるというのも17mm超広角ならではだ。

フィルム最終回-12

 雨に濡れたアスファルトを車のヘッドライトが照らす。これを撮るときは、すごくドラマチックな写真になったんじゃないかと期待したのに、出来上がりを見たらそうでもなかった。
 でも、雨と水と光の組み合わせに大きな可能性があることを最近遅ればせながら気づいたから、今後は雨でも積極的に撮りに行こうと思う。

フィルム最終回-13

 少しは花でも撮っておくかと、タムロン90mmマクロで撮った一枚。何の花だったか、名前は忘れてしまった。
 フィルムのブツ撮りは風景以上に難しい。ブツ撮りはいろんな角度から何枚も撮ってベストの一枚を決めるのが常套だけど、フィルムだとそんなことはしてられない。室内ではシャッタースピードも上がらず、手ぶれは即アウトとなる。フィルムの花撮影もあまりしたくない。動き回る虫などは、もっとやっかいだ。

フィルム最終回-15

 ソフトフォーカスレンズで撮った花写真。デジと同じ感覚で撮ると、35mmフルサイズはボケ味が大きくて失敗する。これは一段絞りのソフト効果1で撮ったのだけど、あまりにもボケすぎだ。ソフトフォーカスなのか、手ぶれなのか、ピンぼけなのか、よく分からない。たぶん全部だ。

フィルム最終回-14

 アイもフィルムで一枚。ソフトフォーカスレンズの効果があまり出ず、手ぶれも起こしている。写真としては失敗だけど、記念写真として残しておこう。

 フィルムシリーズはこれにて終了。デジ散策写真の隙間を埋める格好で長く続くと思っていたのに、案外あっけなく終わってしまった。ここしばらくヒザの故障で出歩けなかったというのもある。逆に言えば、フィルムの在庫があって助かった。
 これですっかりネタ切れだから、来週は遠出をして、ネタ集めに出ないといけなくなった。
 今回のフィルムシリーズではいろいろな発見があった。ここから街撮りシリーズが生まれたのも大きな収穫だ。2008年はフィルムの晩夏として記憶に残ることだろう。
 次はいつになるか、今のところまったく未定ではあるけど、またフィルムシリーズをやりたいと思っている。取り残したものもまだまだあるし、今撮っておくべき景色もある。
 今日撮る写真は、未来の自分に向けての贈りものだ。

秋シーズンの王子バラ園で雨上がりの夜バラを撮る

花/植物(Flower/plant)
王子の秋バラ-1

FUJIFILM S2pro+Nikkor 35mm f2D



 雨のち曇天。太陽はついに姿を見せず、青空が戻ることもなく、夕暮れどきを迎える中、ふと思い立って春日井の王子バラ園に寄ってみた。今日の装備は、FUJIのS2proと35mm F2Dという変な組み合わせ。この珍しいデジセットは、去年の年末に賢島の志摩マリンランドで使って以来じゃないか。たまには使わないとカビが生えそうなので、持ち出してみた。バラ撮りには向かないと知りつつも。
 王子バラ園に到着したときはすでに日没時間が迫っていた。西の空がわずかに焼けていて、残された明るさはもうわずかだった。勝負は15分にかかっている。
 わりと明るめのレンズとはいうものの、手ぶれ補正もなくゴツいボディのS2proでブレない写真を撮るのは非常に困難だった。三脚なんてセットしてる時間はない。ISO感度を200まで上げて、とりあえず撮れるだけ撮ってみて、使える写真が10枚あればいいやというつもりで撮り始めた。
 それにしても、薄暗い中で肉眼でもバラが見えないような状況で写真を撮っている人というのは、客観的に見て変だったと思う。途中から夜桜見物ならぬ夜バラ見物になった。でも、その中でもちょっとした発見もあり、使える写真も10枚以上確保できて、思った以上に収穫があった。

王子の秋バラ-2

 秋バラは春とは違って花の数が少なく、一斉にわっと咲くというよりポツリ、ポツリと順番に咲いてくる。なので、どこをピークと見るかは難しいところなのだけど、王子バラ園に関しては25日現在、すでに出遅れという感じだった。これから咲いてくる花があるにしても、終わっている花も多かった。今年は夏が暑かった影響もあってか、どこも秋バラの出来がよくないという話もある。10月に入っても暖かい日が続いている。

王子の秋バラ-3

 この一枚を見て、S2proらしい発色がどういうものかを思い出した。深みがあって、色が力強い。リバーサルフィルムのような発色は好みが分かれるところだろうけど、私は嫌いじゃない。

王子の秋バラ-4

 35mm F2Dの最短焦点距離は25センチで、倍率は1/4.2だから、マクロ撮影は得意な方ではない。35mm換算で52.5mmというのは標準レンズの画角だ。本来はスナップや風景撮りのレンズだろう。ただ、開放f2ということで、ボケ味はきれいだ。今回は暗かったこともあって、バラ写真は一段絞りのf2.2で撮っている。

王子の秋バラ-5

 あたりはますます暗くなってきて、背景が暗いところではシャッタースピードが1秒とかになってしまって、とてもじゃないけど止められない。S2proを使い慣れてないということもあって、構えたときにカチッとこない。なんかぐらぐらする。シャッターのフィーリングはソフトだから、押したときのブレよりも構えたときにブレを止められないことの方が影響してるような気がする。
 空バックにすればある程度シャッタースピードも稼げるということで、明るい背景を探しながらの撮影となっていった。

王子の秋バラ-6

 今日は時間がなかったので、バラの名前は一切気にせず、花の状態がよさそうなものを探して撮っていった。きれいに咲いているものは、春バラよりも繊細でエレガントだ。春は元気がよすぎて開けっぴろげな感じになってしまうことが多い。色も鮮やかになる傾向がある。

王子の秋バラ-7

 私が好きなマダム・ヴィオレとの再会も果たした。きれいに咲いている花がなくて、撮りづらいところにあったので、写真はちょっとブレてしまったのが残念だった。
 同じ寺西菊雄作の荒城の月は、今回は咲いていなかった。時期がずれたらしい。天津乙女も暗がりの中で発見できず。

王子の秋バラ-8

 もう一歩寄り切れず、大写しにできないのがもどかしい。バラは花の姿を撮るだけでなく、花びらの造形美や色彩を撮るのも楽しいことだから、寄れないと面白くない。
 35mm F2Dは、スナップ用としては高い実力を持ったレンズではあるのだけど。

王子の秋バラ-9

 ブレとの戦いは激しさを増し、だんだん私の形勢不利になっていった。空の明るさだけは足りず、人工的な明るさも味方につけて撮ろうと試みるも、夜には勝てない。フラッシュの光は好きじゃないから、使ったことがないし、使おうという発想もない。

王子の秋バラ-10

 これはどうにかギリギリ止まった一枚。しゃがんで、両肘をヒザの上にしっかり固定するというのが一番安定するポーズだ。
 そういえば、ヒザ痛もようやく完治したのだった。痛かったことを忘れているくらいだから、もう大丈夫だろう。ただ、10時間オーバーウォーキングは、今後なるべく控えるようにしたい。特にアップダウンのきつい歩きは危険だ。ヒザを故障すると、撮影行きにも日常生活にも多大な支障をもたらすことが分かって懲りた。

王子の秋バラ-11

 もはや通常の撮影は事実上不可能なほど暗くなった。最後に街灯の下で照らされるバラを撮って終わることにする。
 夜バラ写真というのは、私も初めて撮ったし、見たのも初めてくらいかもしれない。光の具合によっては面白い写真になる可能性を感じた。機会があれば、三脚を使ってじっくり撮ってみたい。たとえば、街中に咲いているバラを、バックに走る車と絡めて撮るなんてのも面白い写真になりそうだし、月とバラというのもありだろう。

王子の秋バラ-12

 この写真が今回一番の収穫だった。こんな写真は、自分の中のイメージにはまったくなかった。
 雨とか曇りとか夜とか、そういう悪条件の中でしか撮れない写真もあることに、この頃気づいた。カッパを着て、ダイビング用の水中ハウジングで雨中の写真を撮るようになったら、私も本物になれるかもしれない。そんな気は全くないけど。早起き早朝撮影も却下。

王子の秋バラ-13

 個人的定番写真。王子バラ園へ行くと、必ずこの風景を撮っている。煙突がもくもくと煙を吐き出している光景は、何か心惹かれるものがあるらしい。

王子の秋バラ-14

 S2proの実力を見直した一枚。発色だけでなくS2proは水との相性がいいようで、水が絡むと印象的な写真になることが多い。S1proのときからそれは感じていて、FUJI全般の傾向と言える。賢島のときでも、あの海や夕焼けの写真が撮れたのはS2proだったからだと思っている。
 だからもっと使ってあげなくちゃと思いつつ、あらためて使い勝手の悪さを感じたのも確かだった。とにかくトロい。ピントはゆっくり迷って合わないこともしばしばで、書き込みも妙に時間がかかる。連写も遅いし、何かにつけてのんびりしている。ゆったりとした気持ちで風景写真なんかを撮るときはいいけど、動きのあるものをテキパキ撮ろうとしても全然ついてこない。図体のデカさも、メリットはない。使いたいと思わせるシーンの限られたデジだ。

 秋バラはこれで終わりとしていいのかどうか。花フェスタへ行くほどの気力はない。あそこはちょっと遠すぎる。鶴舞公園か、東山植物園か、行くとしてもそのあたりになるだろう。
 バラ写真もいろんなレンズで撮ってきて、今のところ新しい試みというのは思いつかない。人の写真を見て、何かヒントが得られたら撮りに行こう。ソフトフォーカスレンズも全然寄れないから、マクロ的に使うのは無理がある。エクステンションチューブを安く買えたら、一度撮ってみたい気もする。
 何はともあれ、この秋も王子バラ園に行けてよかった。2005年の春初めて行って以来、毎年2回ずつ休まず行っているはずだ。春秋の恒例行事になっている。
 あとはコスモスをどこかで撮って、秋の野草ももう少し撮ったら、次はもう紅葉だ。花の季節があと少しで終わってしまうと思うと寂しい。

駅周辺を歩いて、藤が丘の今を少し知る【後】 <フィルム8回>

フィルム写真(Film photography)
藤が丘2-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400



 藤が丘後編は、駅周辺と少し離れたところをぶらり歩いたところを紹介していこう。思い出話は昨日だいたいしてしまったから、今日は現在の藤が丘という視点で書いていくことにする。
 上の写真は、今回とめた駐車場横から撮った写真だ。駐車場は右前の建物で、右後ろがマツザカヤストアになる。この建物の地下にリニモの駅があって、ちょうど立っている下あたりを線路が通っている。
 地下鉄東山線は、一社を出て上社の手前から地上に出てきて、藤が丘の駅も高架駅になっている。開業当時、このあたりは民家も少ない郊外の田舎だったから地下を掘るよりも地上の土地を買収した方が安上がりだったのだ。
 今では民家や店が建ち並んぶ街になったので、本来高架線であるはずのリニモは藤が丘周辺では地上に出ることができず、地下に潜った。リニモが地上に出てくるのは、次のはなみずき駅の手前からだ。その間はグリーンロード沿いの地下を走っている。
 藤が丘周辺の勾配がきつくて地上に作るのが困難だという理由もあったようだ。
 マツザカヤストアでは、「リニもなか」を売っている。藤が丘名物にしようとリニモ開業にあわせて開発されたもので、万博のときなどはけっこう売れたようだ。
 最近第2弾が新発売になった。思い切ったテコ入れが必要と感じたのか、味噌入りタイプが加わった。名古屋といえば味噌というのは分かるけど、ちょっと方向性を間違えているような気もする。
 10個入り1,300円というのはそんなに高くはないにしても、自分で食べるために買うにはもったいない。都電もなかの真似をして、小さなもなかをばら売りにしたらいいのに。1個ずつリニモの格好をしたパッケージに入れて売れば、おみやげだけでなく日常的にも売れるはずだ。リニモの車両が1種類しかないからコレクション的な面白さがないのが残念なところか。10個入りのものはパッケージがリニモのペーパークラフトになっている。

藤が丘2-2

 藤が丘東交差点の東から西を見たところ。この後ろには地下鉄の車庫や引き込み線がある。かなり広くて、一部は長久手町にかかっている。この土地を提供する条件で東山線が藤が丘へ来たのだった。
 その線路の様子なども写真に撮ろうと思いつつ、後回しにしたら結局行けずじまいになってしまった。歩いて行くには遠いから車で行ったら途中でとめておくところがなくて断念するしかなかった。夜に地下鉄が戻ってきて線路に並んで休んでいる様子など撮れたらいいのだけど、暗がりの中でそんなことをしていたら電車好きの不審者に間違われそうで危険だ。夏の早朝とかの方がいいかもしれない。
 実際、フェンスによじ登って写真を撮ってる電車の人とかいそうだ。

藤が丘2-3

 いったん、駅前ロータリーのところに戻る。このあたりもなんだか洒落た感じになったものだ。
 クリスマスシーズンになると、アーチのあたりを中心にイルミネーションで飾られる。いつも車の中から見てるだけだから、今年は一度歩いて撮りにいこうか。ちょっと恥ずかしいけど、クリスマスなら私の他にも写真を撮っているお仲間がいるだろう。
 そういえば、藤が丘も路上禁煙になって、煙草の吸い殻は落ちてなかった。煙草を吸う人にとってはますます生息域を狭められるようで気に入らないだろうけど、街がきれいになるのはいいことだ。駅もダメ、公共の場もダメ、路上もダメとなって、店内も全面禁煙のところが増えてきそうだ。

藤が丘2-4

 右端に止まっている名鉄バスは、中部国際空港セントレア行きのバスだ。1時間10分で片道1,400円はやや高い。うちから藤が丘までバスで15分、200円。合計1時間半くらいで1,600円。
 名古屋駅まで行って、そこから電車で行くパターンもある。この場合はバスで1時間弱200円。乗り換え移動に15分。そこから電車で30分弱、850円。合計1,050円。
 藤が丘からの方が時間はかからないけど、500円以上差が出るとメリットは感じない。藤が丘起点にしても、地下鉄で名駅まで行って、そこから電車に乗り換えた方が安くて早い。このバスを利用するのは、途中の日進や三好の人たちだろう。

藤が丘2-5

 リニモの2番出入り口。こちらはサブゲートなので、こぢんまりしている。これがメインゲートだったら、万博のときは乗客をさばききれない。もしかすると、万博のあとに作られたところかもしれない。
 それにしても、リニモはどう考えても無理があった。地下鉄の車両が6両編成で藤が丘まで満員の乗客を乗せてやってきて、藤が丘からは3両編成のリニモになってしまっては半分も乗せられない。当然開幕前からこの点は問題視されていたのだけど、まあなんとかなるだろう的な安易な考えによって愛・地球博は開幕し、一部なんとかならなかったりもしつつ、どうにかこうにか無事に終わった。
 名古屋人や愛知県民の多くは、一生万博のことを忘れないと思う。本音を言えば、名古屋オリンピックだっていまだにあきらめきれていない。密かにソウルを憎んでいたりもする。

藤が丘2-6

 正面に見えているのが、高架駅の地下鉄藤が丘駅だ。外観がだいぶ変わったような気がするけどどうなんだろう。万博にあわせてお色直しをしたのだろうか。
 藤が丘駅はほとんど利用したことがないから、どうなっているのかよく知らない。どうしても地下鉄に乗らなければいけないときは、バスで本郷まで行く方が近い。
 そういえば、中学のテニス大会が瑞穂競技場であったときは、自転車で藤が丘まで行って、そこから地下鉄に乗っていったような気もする。

藤が丘2-7

 今回藤が丘を歩くとなったとき、高架下を南へ行くと何があるんだろうというのがあって、信号のあるところまで200メートルくらい歩いてみた。このあたりは車でも通ったことがない未知の場所だった。
 飲食店などがずらりと並んでて、ちょっと驚いた。何かの店がありそうだなとは思っていたけど、こんなにもたくさん並んでいるとは想像してなかった。古くなって閉鎖されたような店は少なく、新しい感じの店がしっかり営業しているようだ。客層は駅の利用者が多いのか、周辺住人が多いのか、昼間だっただけにそのあたりの状況はよく分からない。

藤が丘2-8

 特に意味もなく、このあたりでパチパチ何枚も写真を撮った。そんなに撮る必要はなかったけど、せっかく撮って使わないのももったいないから、撮った分は全部出してしまう。
 この写真などは何が撮りたかったのか、自分でも判然としない。

藤が丘2-9

 古そうなペット屋さんもあった。店先にインコなどがいる古典的なペット屋さんだ。こんな場所で生き残っているのも意外に思えた。
 私が知っている藤が丘は、駅西エリアだけだったということをあらためて知る。南エリアは、グリーンロードに出る道沿いしか知らない。そこには昔、T&Eという老舗パソコンゲームソフト会社があって、一時は大きなビルに引っ越したりして成長したなと思わせたのだけど、そのうち会社の名前も見聞きしなくなり、どこかへ移ってしまってその後の消息はよく分からない。
「ハイドライド」や「遙かなるオーガスタ」などはいいゲームだった。

藤が丘2-10

 シャッターが降りている店舗跡もある。
 このあたりは学生の下宿もけっこうあるのか、大学生風の姿をよく見かけた。学生向けらしい店もあるし、雰囲気が大学周辺という空気を感じた。藤が丘から大学行きのバスが何本か出ているようだし、ここから行く大学は郊外の山の中といったところがほとんどだから、大学の近くに下宿するよりも藤が丘に住んだ方が便利で楽しいに違いない。
 地上を走る地下鉄が写っているのに気づいただろうか。こんなふうにして地下鉄だけど地上高くを走っている。

藤が丘2-11

 駅を通り越した北側にいつも地下鉄車両がとまっている。この先は線路がぷっつり途切れていて、ブレーキを踏み忘れると、地上に転落する。
 車庫に入らずここで休んでいるのは、時間調整か何かだろうか。
 東山線のイメージカラーは黄色で、シルバー車両になってからも黄色のラインが入っている。昔は一面黄色の電車だった。あれは野暮ったかった。地下鉄東山線というと、今でも黄色でクーラーの入っていない夏の暑い電車を思い出す。黄色いやつはいつまで走っていたんだろう。
 日進のグリーンロード沿いにある「レトロでんしゃ館」には黄色い車両が保存展示してあるそうだから、今度一度見に行こう。

藤が丘2-12

 ぐるりと一周歩いて駐車場に戻ってきたところ。
 これは駅前広場というのだろうか。地下鉄駅の東で、リニモの入り口でもある。
 せっかく広いスペースを確保してあるのに、ベンチも少なく、これといった展示物もない。有効利用されているようには見えない。待ち合わせに使うには目印となるものが見あたらない。何かのイベントとかに使うためにスペースを確保しているとかだろうか。ラッシュ時には、ここが全部埋まるほど駅へ向かう人の群れが押し寄せるのだろうか。

藤が丘2-13

 立体駐車場の階段から駅前広場を見下ろしたところ。
 左がリニモの出入り口で、正面には駅にとまっている電車の車内が見えている。
 地下鉄とリニモの連絡の悪さも不評となっている。ダイヤはまったく連動しておらず、地下鉄が高架でリニモが地下なので、移動に時間がかかる。地下鉄駅から直接つなぐエスカレーターは作れなかったようだ。

藤が丘2-14

 立体駐車場からの眺めが面白かったので撮ってみた。
 遠くに見えている本屋は、さくら書店とかいう名前だったか。10年くらい前に開店して、一度行ってみないとなと思っていたら、いつの間にか閉店していた。
 うちの近所の本屋もどんどん減っていって、不便になった。四軒家の三洋堂がつぶれたのは痛かった。

藤が丘2-15

 車での帰り道。藤が丘駅南交差点。右斜め前に笑笑がある。これも昔はなかったから、入ったことはない。
 ここを真っ直ぐ行った左側に、昔ながらの古本屋があって、何度か入ったことがある。その店も、もうずいぶん前になくなってしまった。

 今回、フィルムで自分のうちの近所や馴染みのある街をあちこち撮って一つ気づいたのは、自分のための写真がどこかで誰かの役にも立っているということだ。自分にとって思い出のある街は、ここで暮らす多くの人にとっても思い入れのある街で、そういう人の目に触れることがあったとするなら、私が撮った写真も無駄じゃない。昔このあたりに住んでいて、今は引っ越してしまったという人にとっては懐かしさもあるだろうし、今住んでいる人にしても見慣れすぎている風景を写真に撮ろうとは思わないから、写真で見ることで発見した魅力というのもあるんじゃないだろうか。
 私自身にとってもそうだった。特に藤が丘は、長い間眠っていた中学時代の記憶を呼び覚ましてくれた。
 近所の街撮りシリーズは面白い。これはやっぱりフィルムで撮るべき被写体だ。デジで撮ると写真も違ってきてしまう。
 候補地はたくさんある。近場でいえば、大森、天子田、四軒家あたり。地下鉄沿線は全部で、中でも星ヶ丘と本山は街撮りに向いている場所だ。名城あたりもどう変わったのか見てみたい。
 今回は17mmに慣れるということであえて自分に縛りをかけていたけど、次回はもっといろいろなレンズを使って街の様々な表情を切り取りたいと思っている。

中学生の私がいた街、藤が丘の今を写真に収める【前】 <フィルム7回>

フィルム写真(Film photography)
藤が丘1-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400



 名古屋の東のはずれに藤が丘という街がある。地下鉄東山線の終点であり、愛・地球博のとき敷かれたリニモの始発駅でもある。
 藤が丘と私との距離感は微妙なものがある。家の近くでは最も賑わっている駅で、車で10分ほどしかかからないにもかかわらず、藤か丘へ行くことは少ない。とにかくこの街は車で行くには不便すぎるというのがその理由だ。名古屋の郊外といえば、どこの店でもたいていは自分のところの無料駐車場を持っているのが当たり前なのに、藤か丘にはそれがない。街としての規模が小さく、道も狭いから路上駐車しておく場所もない。なので、藤が丘へ行かなくも済むのなら他のところで用事を済ます。いい本屋や喫茶店があるから、無料駐車場さえあれば昔からもっと頻繁に行っていた。
 私にとっての藤が丘は、中学の友達との思い出が一番残っている街だ。テニス部のペアを組んでいるやつと何かというとつるんで藤が丘へ行っていた。服屋のバーゲンで同じ服を買って、次に藤が丘で待ち合わせしたら二人ともその服を着ていて、ペアルックの男子中学生になってしまったなんてこともあった。いや、そういう仲ではなかったのだけど。
 あれからずいぶん時は流れ、寄りつかなくなっている間に藤が丘も少しずつ変わっていった。そして2005年、万博開催とリニモ開通によって更に大きな変化があった。
 上の写真のあたりが一番大きく変わったところで、大きな白い建物は万博が終わってから建ったビルだ。万博開催中は、リニモの駅に入るのを待つための広場になっていたところだ。リニモ待ちで何十分、下手をしたら何時間と待たされたなんて人もいただろう。リニモに客を詰め込みすぎて、浮くはずのリニモが沈んで動かなくなったなんてニュースもあった。もっと台数を増やしたらどうだという意見を聞き入れなかったのは正解だった。たった半年のことだし、リニモの車両は特殊だから、他の路線に譲るなんてことができない。それに、万博が終わったらリニモの利用客がほとんどいなくなることは目に見えていた。実際、試算の半分も利用客がいないということで問題になっている。もっとみんなリニモに乗ってあげないと、そのうち廃線なんてことにもなりかねない。すでに赤字のお荷物路線となってしまっている。
 この白い建物の前は、赤茶色タイルの建物だった。名前はeffe(エフ)で昔と変わっていないかもしれない。
 中学の頃は、ここのロッテリアに入って、ハンバーガーとポテトとシェイクを食べるというのが定番コースだった。ロッテリアのシェイクの味は中学生の思い出と直結している。
 そんな藤が丘の今をフィルムで残そうと思ったのは、ある意味では必然だった。フィルムで撮るなら藤が丘と思ったし、デジでは撮る気がしないのが私にとっての藤が丘という街だ。こんなところで写真を撮っている人間など皆無で、道行く人にけっこう見られてしまったのだけど、二度とこんなふうにここで写真を撮ることはないだろうということで、人目を気にせず馴染みのある藤が丘の風景をフィルムに収めてきた。今日と明日の前後編でそのときの写真を紹介しようと思う。
 とてもローカルなネタなので、大部分の人にとっては何の思い入れもなく、魅力も感じないだろうとは思うけど、一部思い出のある人と一緒にちょっとおつき合いください。

藤が丘1-2

 少し場所が前後するので、知っている人も戸惑うかもしれないけどご勘弁を。
 私は北西方面から藤が丘駅前交差点にぶつかる道でやって来るのが常なので、そこを左折して少し行った右側がこの風景になる。左手に商店街が並び、右手はバスのロータリー、正面にはマツザカヤストアがある。この道を入っていくと、藤が丘に来たなと思う。
 ここ数年、藤が丘の路上駐車は劇的に減った。民間取り締まりが始まって、ここは重点取り締まり区域とされたので、みんなとめられなくなってしまったのだ。昔はすべての路上に駐車車両があるというくらいで、それが当たり前と思っていたから、路駐がなくなったときは逆に驚いたものだ。おかげで車は走りやすくなった。有料駐車場はたくさんあるから、お金さえ出せばとめる場所に困ることはない。

藤が丘1-3

 角の宝くじ屋はずいぶん昔からある。大昔に一度くらい買ったことがあるような気もする。私は大学に入るまで本を読むという習慣がまったくなかったので、高校の夏休みの感想文は2年連続で宝くじ必勝法という本で書いた。もちろん、シャレでだ。本気で宝くじを買っていたとかではない。ただ、一番よく買っていたのが高校生くらいだった。その後、自ら宝くじを買うことを禁じて買わなくなった。
 隣のたこ焼き屋は知らない。昔はなかった。
 この通りも新旧半々くらいになったのだろうか。変わってないところは変わってない。藤が丘で大きく変わったのは中心のロータリーあたりで、駅裏や周辺は昔の姿をとどめているところが意外と多い。

藤が丘1-4

 こんな白洋舎のクリーニング屋はなかった。道路の上に屋根なんてついていただろうか。意識したことはなかった。普段意識的に見ている光景と写真に写った景色は違うから、見慣れた街も写真に撮ると思いがけない発見がある。
 この並びでよく覚えているのが、マニアックな品揃えの白樺書店だ。この本屋だけは大学の頃もよく訪れていた。マニアックな本が欲しいときは、藤が丘のここか、それでもなければ千種の正文館へ行くのが常だった。
 中学の頃はどんな本を買っていたんだろう。あまり覚えていない。当時は週刊少年コミックは買っていなかったし、マンガも本当に読みたいものを買うだけで、しょっちゅう買うということはなかった。
 考えてみると、中学のときの自分が何に興味を持っていて、毎日家で何をしていたのか、思い出そうと思っても思い出せない。部活は夕方までやっていたけど、夜は何をしていただろう。他愛もなくテレビを観たりして一日が終わっていっていたのだろうか。
 最初にパソコンというか当時はマイコンと言っていたのだけど、それを買ったのは確か中3のときだ。それからはマイコンゲームやプログラムの打ち込みとかだったか。受験勉強なんて洒落たものはしなかったから、時間はあったはずなのだけど。
 一日中、好きな女の子のことを考えて過ごしていたとかではあるまい。ラジオのオールナイトニッポンを聴いていたのは、中学だったか高校だったか。睡眠学習枕で寝ていたのが中学だったのは覚えている。あれは役に立ったんだかどうだか。

藤が丘1-5

 駅入り口のミスタードーナツ。
 ここから右側に歩いて10秒くらいいったところにもう1軒スタードーナツがある。意味がよく分からないけど、昔から2軒あった。駅前店と駅東店となっているけど、距離は20メートルくらいしか離れていない。
 店内のスペースが狭いからという理由だったのだろうか。同時にできたんだったか、東店はあとからできたのだったか、よく覚えていない。
 あまりドーナツを食べる習慣はなかった。ドーナツは女子の食べるものという思い込みがあって、男子二人で入るのが照れくさかったというのがある。たまに入ることがあったのは、ドーナツの割引券が郵便受けに入っていたときなどに限られた。
 今ふと記憶が蘇ってきた。中学の頃、藤が丘以上によく行ったのが四軒家の清水屋だった。あそこのスガキヤでラーメンを食べて、同じフロアのゲームコーナーでゲームをやるというパターンが一番多かった。そうだ、埋もれていた記憶が表に出てきた。

藤が丘1-6

 ミスタードーナツの横と、マツザカヤストアの横の2ヶ所に休憩スペースがあるというこの配置も昔と変わっていない。
 あの頃は時間があって暇だったから、こういうところで座って長い時間くだらないおしゃべりをしたりもしていた。当時と今と、同じスピードで時間が流れているとは思えないくらい時間の感覚が違う。

藤が丘1-7

 駅前交差点にいったん戻る。背後がバスターミナルで、駅前交差点を北西の方を向いている位置だ。左後ろにはパチンコ屋がある。
 藤が丘には昔、3軒の本屋があって、向かって左手角にもそのうちの1軒があった。今ミニミニになっているところだ。古田書店とか吉田書店とかなんとかいう名前だったんじゃなかったか。この本屋をよく待ち合わせの場所に使っていた。
 右手の愛知銀行はどうだったろう。昔は銀行なんかに興味はなかったから、どこに何銀行があるかなんて別にどうでもよかった。
 右に少し行ったところの二階に喫茶べらというのがあったはずだけど、今はもうないか。ロッテリアばかりではつまらないから、ちょっと背伸びしてコーヒーを飲もうなんてときに何度か入った。

藤が丘1-8

 駅前から少し北西に離れてみる。左手にあるのがマックスバリューだ。昔はナフコだったと思う。違ったかな。
 更に進んで右側にジャズ喫茶青猫がある。地下一階になっているから少し見つけづらい。青猫のことは以前このブログで紹介した。ジャズ好きじゃなくてもなかなかいい店なのでオススメしておく。もちろん、昔はそんな店はなかった。

藤が丘1-10

 この通りは桜並木がきれいで有名なところだ。道路沿いだから座り込んで花見酒というところではなく、歩いたり車で通ったりして楽しむところになっている。特に桜吹雪の時期に車で走るのが気持ちいい。毎年楽しみにしている。
 ただ、藤が丘のソメイヨシノも老木となって、去年ずいぶんたくさん若木と植え替えられてしまった。ここ数年は見事だっただけに残念だ。来年の桜並木はちょっと寂しいことになるだろう。もう一度育つまでには20年や30年はかかる。
 日本のソメイヨシノというのは戦後しばらく経ってから植えられたものが多くて、そろそろ日本全国一斉に植え替えの時期に来ている。寿命が50年くらいで、元気がなくなると切ってしまうことが多い。ちょっと残酷なような気がするけど、もともとソメイヨシノというのはクローンで増えてきた桜だ。切り倒した老木の枝を接ぎ木して、新しい木として育っていくから、悲しむことはない。

藤が丘1-11

 駅前を右折したところにはビルが並んでいて、中でもGAZAはこの場所のシンボル的な存在だ。ほとんど入ったことがないから中の様子はよく知らない。ファッションビルといえばそうなのだろう。一度、買い物のお供で入ったくらいだ。確か、一階がファッション関係で、二階から上はクリニックとか美容院とかだったんじゃないか。
 隣にはレイ・エ・ルイがある。そちらも似たような性格のビルだと思う。

藤が丘1-13

 こちらがレイ・エ・ルイ。その裏手から見たところだ。
 エステとかフィットネスが入っているようだ。昔はどうだったのかは、まったく覚えていない。ビル自体はかなり以前からあったのは間違いない。
 このあたりは中坊男子が近づくようなところではないから、思い出がないのは当然だ。中学生のデートコースといえば、東山動物園とか、大須スケートリンクとか、映画館とか、そんなところだった。買い物といっても、ファッション関連ではなくファンシーショップとかだった。
 今どきの中学生とは時代の違いを感じる。

藤が丘1-12

 そうそう、レンタルショップのZIG-ZAGもなくなってしまったのだった。あの店は20代の頃よく利用した店で思い入れのあるところだったから、閉店してしまったのはとても寂しかった。20代の私はとにかく映画を片っ端から観まくっていて、ZIG-ZAGも通い詰めていた。ここは駅前から少し離れたところにあるせいで無料駐車場があって、行きやすかったというのがある。ビデオやCDの品揃えも申し分なかった。
 最近はレンタルビデオやDVDもまったく借りなくなったから、実質的に困ることはないのだけど、それでもよく行った店がなくなってしまうことは悲しいことに違いない。
 ここから右に少し行くと、おもちゃのブレーメンがある。半分雑貨屋のようでもあり、プラモ関係もいろいろあって、ちょっと変わった面白い店だ。

藤が丘1-14

 また場所は飛んで、今度は商店街の裏側へとやって来た。
 ここは車で横を通るだけで、歩いて近くまで来たのは今回が初めてだった。団地の下に昔ながらの古い商店が並んでいる。こんなところがあるとは知らなかった。これは紛れもなく昭和のテイストだ。
 団地の名前が藤が丘ではなく藤ヶ丘団地になっているのには理由がある。
 東山線藤ヶ丘駅が開業したのは1969年(昭和44年)のことだった。それまでこのあたりは未開拓の里山のような場所だった。
 当初地下鉄は猪子石や高針に延びる計画が立てられていた。にもかかわらず藤ヶ丘になったのは、地元の熱心な誘致運動と、車庫を造るための用地を無料で提供するという申し出があったからだった。
 駅が開業したとき、ここはまだ千種区猪高町大字藤森という地名だった。名東区ではなかったのだ。明治までは藤森村と呼ばれる痩せた土地だったという。
 藤が丘と藤ヶ丘という二つの表記が混在するのは、地名と駅名とがそれぞれ別だったからだ。区画整理のとき町名が藤が丘となったのに、駅は駅で藤ヶ丘と名づけてしまった。それで混乱が生まれることとなった。
 この表記が藤が丘に統一されたのは実はごく最近のことで、愛地球博もあるし、リニモもできるし、ここは一つ統一した方がいいだろうということで、2004年に町名に合わせて駅も藤が丘駅となったのだった。電車や駅の表記をいちいち変えなくてはいけなかったから、かなり大変だったようだ。それでも、いまだにあちこちに藤ヶ丘の痕跡はたくさん残っている。

藤が丘1-15

 喫茶店に中華屋に塾など、おそらく上の団地の人目当てに作られたと思われる店が並ぶ。けど、こういうところは顔見知りが多いだろうということで住民は避けることが多い。店を開店させた当時の思惑ほど流行らなかったはずだ。こういう団地の下の店というのは独特の難しさがあるから、入れ替わりが激しい。ここに並んでいる店も、長く続いているとこは少ないんじゃないだろうか。

 藤が丘が賑わっているといっても、まあこんなところだ。本当の繁華街とは違うから、夜の店があるとかそういう場所ではない。ここを起点として高校、大学へ行く学生が多いから、学生街的な性格も持ち合わせている。居酒屋なども多い。学校のちょっとした同窓会みたいなものがあると、たいてい藤が丘に集合ということになる。
 私にとっては近いようで遠く、遠いようで近いのが藤が丘という街だ。これからも微妙な距離感を保ってつき合いは続いていくことになると思う。
 ここも瀬戸と同じで、万博の前に一度ちゃんと写真を撮っておくべきだった。2004年にその発想がなかったことが悔やまれる。万博開催中は混雑してると思って寄りつかないようにしていたのも、今となっては失敗だった。藤が丘に群衆が集まっている光景など、後にも先にもあのときだけだっただろう。リニモ待ちの長蛇の列というのも見てみたかった。
 万博後の工事もすっかり終わり、街は落ち着きを取り戻したようだ。変わったところは変わり、変わらなかったところは変わってない。期待したほどの変化がなくてがっかりしてしまった住人もけっこういたかもしれない。リニモにしても、長久手方面なんかへ行く用事はほとんどないから大して嬉しくない。物珍しさも2、3回までで、利用するにしても跡地のモリコロパークへ行くときくらいだ。リニモの線がこれ以上延びるとは考えられないし、藤が丘の発展というのもここまでだろうか。東山線が名駅まで行ってるし、名城線も環状線になったから、地下鉄はずいぶん便利になった。
 思い出の藤が丘編前編はこれくらいにしておこう。明日はこの続きの後編ということになる。

10月の海上の森は被写体が少なくて不完全燃焼で一回完結

森/山(Forest/Mountain)
10月の海上の森-1

Canon EOS 20D+TAMRON 90mm f2.8



 今年は2月、4月、7月と、これまで3回海上の森へ行っている。10月の今回のテーマは、秋の里山風景と、あわよくばアサギマダラとの出会いだった。ネットで先週の日曜日にアサギマダラが飛んでいたというのを見て、撮れるものなら是非撮ってみたいと思ったのだけど、その願いは叶わなかった。日没前の夕方に飛ぶはずもなく、今日歩くコースにはおそらくいないだろうというのは最初から予測できたことだった。4月はギフチョウを追いかけて追いつけず、秋もアサギマダラとすれ違ってしまった。まだ見ぬふたつの蝶との出会いは、また来年へ持ち越しとなった。
 10月といえば、初めて海上の森へ行ったのが10月1日のことだった。あれは海上の森が愛知万博開催地の候補になり、市民の反対でとりやめてになることが決まった2004年のことだった。初めての森ということで、懐中電灯や遭難用のチョコレートをバッグに入れ、恐れと不安を抱きながら出向いていったのを覚えている。あれからけっこう時が経ったような気がしていたけど、まだ4年というのは意外だった。もうかれこれ20回近くは行っただろうか。
 万博の前と後とで、海上の森はかなり変わった。それまでは忘れ去れて放置された森だったのが、今や県に管理される森となった。良い面もあり、悪くなった部分もある。立派なトイレが作られたり、案内看板が立ったのは良いことだけど、あちこちを柵で取り囲み、行く手をふさいで遮り、自由に入っていける道が少なくなったのは残念だ。ついには見回りの人まで導入して、森に入る人間を管理し始めた。自由だった頃の森を見ているだけに、今の状況は少し息苦しい。海上の森もずいぶん世知辛くなってしまったものだ。
 それでも、森の中の季節のサイクルというのは変わらず、人の思惑など置いてけぼりにして自然の営みは続いている。森の生き物たちにとっては、人の入れる場所が限定されたことで安心して暮らせるようになったのかもしれない。
 10月後半の海上の森は、だんだん秋も深まって花などは寂しくなっていく時期だ。秋の野草も、よく咲いていたのは9月までだったろう。今日は蝶もトンボも、何も飛び交っていなかった。写真の収穫も少なく、物足りないものとなってしまった。シリーズ化もならず、一回完結となる。時期としては出遅れた。
 今日はそんな海上の森の風景と野草写真をお届けします。里山の秋を少しでも感じてもらえるといいのだけど。

10月の海上の森-2

 うちの田舎の三重県の稲刈りは早く、お盆明けにはもう刈り入れをするのに、名古屋郊外の尾張旭などは10月の半ばを過ぎてようやく稲刈りをする。隣の県で気象条件もさほど変わらないのに、こんなに差があるのはどうしてだろう。
 海上の森のある長久手も遅いようで、森の入り口近くにある田んぼはまだ借り入れが終わっていなかった。海上の森でも稲穂風景が見られるかと思ったら、ここはもう稲刈りが済んでいた。品種によっても違うのだろうし、田植えの時期にもよるのだろう。
 これは「はせがけ」でいいんだろうか。どういう字を当てるのか知らない。地方によって呼び方も違うようだし、かけ方にもいろいろなスタイルがある。
 こうして天日干しをして、ゆっくり乾燥させることで米の旨みが増すらしい。

10月の海上の森-3

 海上の森といっても広大で、実際どこからどこまでが森なのか、私はまったく把握していない。個人的な感覚としては、西の四ツ沢を入り口として、南は赤池、物見山まで、中心部に海上の集落があって、北に大正池と篠田池と、これくらいが行動範囲となっている。実際にはもっと東にも北にも広がっていて、未知の部分がどうなっているのか、まったく知らない。どこまで入っていけるものなのか。
 集落には何軒かの民家がある。その手前にもポツリ、ポツリとあって、家屋としては7、8軒だろうか。住んでいる家は二世帯という話もあり、そのあたりもどうなっているのか謎だ。ときどき住民らしき人が歩いていたり、森の中を車が走っていたりするから、もう少し人は住んでいそうなのだけど。
 海上の森を万博会場として使えなかったのは、自然破壊によって貴重生物が棲む場所を追われるという理由による反対運動と、住民問題があったというのを聞いている。今はモリゾーとキッコロの住民票が海上の森2005番地にある。

10月の海上の森-4

 里山の秋といえば、柿の木になる柿の実風景というのも一つある。これは渋柿だろうか。収穫されることもなく、鳥に食べられることもなく、ただ落ちるに任せているようだった。
 かつては10世帯くらいが暮らしていたこともあったようで、その頃はこういう柿を採って干し柿にして食べていたことだろう。今は田舎でも軒先に干し柿を干している光景を見なくなった。
 里山は近くに人が暮らしていないと荒れていく一方になる。観光客ではどうすることもできない。

10月の海上の森-5

 ホトトギスには違いない。暗いところに咲いていて、撮りづらいところだったから、ブレてしまった。
 ただのホトトギスか、それ以外のホトトギスか。最近野草の勉強がすっかりおろそかになっていて、ずいぶんいろんなことを忘れてしまった。もう、ヤマホトトギスとヤマジノホトトギスの見分けもできない。
 これは民家の近くで咲いていたから、もしかすると園芸用のタイワンホトトギスかもしれない。この紫色のきつさはそんな気がする。野生のホトトギスはもっと白っぽくて上品だ。
 鳥のホトトギスの胸にある斑点模様に似ているからということで名前がつけられたというのだけど、ホトトギスにこんな模様あったっけ。

10月の海上の森-6

 ん? これはアジサイか? たぶんそうだと思うけど、この時期まで咲き残っているものだろうか。10月の終わりだけに確信が持てなかった。アジサイじゃないのか。

10月の海上の森-7

 これはサザンカでいい? 自信がない。
 サザンカというと晩秋から冬にかけてというイメージがある。この花はかなり花びらを落として終わりかけのものが多かった。この時期にもうそんなに咲いてしまうものだろうか。

10月の海上の森-8

 コスモスももう終盤といった様子だった。海上の森は季節の歩みが街中よりも早いように見えた。今年はここまで暖かい日が続いているから、そんなに先走ることはないだろうに。
 今年はまだコスモスをちゃんと撮っていない。愛知牧場か、モリコロパークへでも行って撮ってこなくては。季節の風物詩として、秋のはじめのコスモスは外せない。

10月の海上の森-9

 これはノコンギクで合ってるはず。それさえ違うと言われると、野草に対する自分の知識を完全に疑ってかからなくてはならなくなる。
 野草が少なくなった今の時期の海上の森では、このノコンギクが主役と言っていい。これくらいしか目につく花がないとも言える。

10月の海上の森-10

 ツリガネニンジンで大丈夫? と、誰にともなく訊いてみる。大丈夫じゃなかったら大丈夫じゃないぞと教えて欲しい。
 ツリガネは釣り鐘で見た目そのままだ。じゃあ、ニンジンはどこから来たのかといえば、根っこが朝鮮人参に似ているからだそうだ。そんなこと分かりっこない。
 美味しい野草として昔からよく知られていたようで、若葉や根っこ、花まで食べられるらしい。食べるものに困ったら、海上の森へ採取しに行こう(採っちゃダメ)。

10月の海上の森-11

 なんだろうな、これ。見たことがあるような気がするんだけど。普通の状態でも見分けられないのに、花びらも半分落ちて、真ん中の部分も実になりかけているから余計分からない。なんというか20年ぶりの同窓会で会った同級生を見るようだ。見覚えあるけど誰だっけという感じ。
 ヨメナのような、サワシロギクのような、どちらとも違うような。思い出せないから見なかったことにしよう。

10月の海上の森-12

 単純に言えばアザミ。引っ掛けとするならタムラソウという可能性もある。トゲがなければタムラソウで、トゲがあればアザミだ。アザミといっても種類が多いから、何アザミかまでは分からない。
 どちらにしても、もう時期はずれだ。

10月の海上の森-13

 パッと見て、なんだ、イヌタデかと思って素通りしてしまうのは少し危険だ。オオイヌタデかもしれないし、オオベニタデかもしれない。ニオイタデだったり、サナエタデだったりする可能性もなくはない。タデを完璧に見分けられる人になっても、実生活では何の役にも立たないけど。
「たで」というのは、食べると辛くて口がただれるということから来ている。「蓼食う虫も好き好き」というのは、これらのたでを指した言葉だ。人間にとっては辛くて美味しくも何ともないものでも、好んで食べる虫もいるというところから来ている。

10月の海上の森-14

 ああ、これね、分かる、分かる。あれだよね、あれ。えーと、なんだっけね。完全に老化現象的な物言いに陥った。いや、ホント、なんだったか、思い出せない。何度か見ていて、そのたびに覚え直しているのに。
 野草というより園芸種だっただろうか。そのうちひょんなところから分かったり思い出したりすることもあるから、それに期待しよう。
 などと書いて、別のことでネットを見て回っていたら、この花の写真が出てきた。そうだ、ヒメツルソバだ。なんとなくソバがつくことだけは覚えていた。よかった。これですっきりした。

10月の海上の森-15

 ハナトラノオかなと思ったけど、花の咲き方がバラバラで行儀よく並んでいないから違うような気もしてきた。咲き揃ってないときはこんなものなのか。
 これも保留。

 今回あらためて感じたのは、野草写真の難しさだ。工夫して撮ろうとしても、マクロレンズでいつもと違った撮り方が思いつかない。寄るか引くかしかなくて、角度を変えるにしても、野生のものだから撮れる角度は限られている。余計な写り込みも避けられない。まだまだマクロレンズを使いこなしているとは言い難い。
 もう少し一つの被写体に対して、じっくり時間をかけてさぐりながら撮る必要がある。見つけて構えてファインダーをのぞいて撮る位置を決めてシャッターを切るまで30秒くらいというのは、ちょっと早撮りすぎる。せめて5分くらいかけて、ああでもないこうでもないとやっていると、見えてくるものがあるんじゃないか。もっと写真のデッサンも勉強しないといけない。
 何はともあれ、森にも里にもしっかり秋は訪れていた。私を置き去りにしたまま季節はどんどん進んでいっている。そのことに焦りもし、安心もする。
 今年はたくさんの野草を逃して、勉強も進まなかった。毎年の繰り返しとはいえ、これも積み重ねだから、少しでも怠けると丸まる一年の遅れになる。季節の野草を逃すと来年まで見られないのだから。
 まだ花が残る10月中に、森林公園か東山植物園へ行って、今年最後の野草学習をすべきだろう。11月に入ってしまうと、野草を撮りたくても撮るものがなくなってしまう。ここ数年見たくて見られずにいるワレモコウとダイモンジソウを、今年こそ写真に撮りたい。
 次回の海上の森は、鳥目的になる。木々の葉っぱが落ちる冬になれば、野鳥も見つけやすくなる。今日は声だけで一度もシャッターチャンスがなかった。次は12月くらいになるだろうか。

センチメンタル夕焼風景に撮りたい写真のヒントが見つかった

夕焼け(Sunset)
夕焼けセンチメンタル-1

PENTAX K100D+SMC Takumar 135mm f2.5 / 300mm f4 /OLYMPUS E-510+ZD 14-42mm 他



 私の主な散策時間は夕方だ。なので、必然的に夕焼けの写真は多くなる。10月に入って日没が早くなると、この傾向が更に顕著になる。好むと好まざるとに関わらず、夕焼け写真しか撮れないと言ってもいいくらいだ。夕方の光が特別好きでこの時間を選んで撮りに行っているというわけではない。
 個人的に日没の時間をリクエストできるとしたら、私は6時半を希望したい。7時過ぎだと今度は遅すぎて夕焼け写真を撮れないし、5時台になってしまうと夕焼け写真しか撮れなくなるから。一番日が短くなる冬は写真を撮ること自体が難しくなる。
 ここしばらくフィルム写真シリーズのネタが続いてた裏で、日々ちまちまとデジで写真も撮っていた。それを振り返ってみたら、思った以上に夕焼け関連の写真が多かった。ここはひとつ夕焼け写真を集めてひとネタにしてしまえというのが今日の趣旨だ。フィルム写真が一段落ついたところで、たまにはデジの写真を挟むのも悪くない。
 フィルム写真はなんというか乾いていて、あまり続くと水分が欲しくなるような気分に陥る。ドライかウェットかで言えば、フィルムはドライでデジはウェットだ。フィルムはノルタルジックで、デジはセンチメンタルと言ってもいい。無機質であるはずのデジの方がみずみずしいというのもおかしなものだ。
 自分が撮った夕焼けの写真を見ていたら、自分はセンチメンタルな写真を撮りたいんだなとあらためて気づいた。ノルタルジックでセンチメンタルな写真のぼんやりとしたイメージが頭の中にあって、それを追いかけて手が届かないもどかしさをいつも感じている。人のいる風景が好きなのも、センチメンタルと無関係ではない。
 今日の写真の中に、ヒントがいくつかあった。でもまだイメージははっきりしない。

夕焼けセンチメンタル-2

 優しいピンクの夕焼け空と河原風景。そこに集う人々のドラマが見え隠れする。
 河原における不干渉コミュニティというのは一種独特のものがある。公園とも違い、森や山とも違う。ウォーキングやジョギング、犬の散歩、川遊び、立ち話、自転車で移動の人、写真を撮る私。それぞれの目的の違いや微妙な距離感がある。コミュニケーション不全でありながら同じ場を共有するというのは、他にはあまりない。海辺は日常と非日常が混在する場所だから、河原とは性質が違う。河原は日常世界の中にあって、日常とはズレた特有の居心地のよさがある。

夕焼けセンチメンタル-3

 夕焼け色に染まった川を入れての縦撮り。
 少し味付け不足。もう一つ要素が必要だった。

夕焼けセンチメンタル-4

 川横の水面に映った夕焼け色。
 水の映り込みは多くの可能性を持っているから、いいシーンがないかといつも探しているけど、そう簡単には見つからない。映り込みはテクニックよりも発見した者勝ちだ。写真が上手い人は、いいシーンを見つけるのが上手い人に他ならない。それはセンスと言ってしまえばそれまでだけど、経験と勉強で上積みできる部分でもある。写真は撮らないと上手くならない。

夕焼けセンチメンタル-5

 日没が近づいて暗くなってきた。ぎりぎり撮れたカモも、暗いのと水中に顔をつけているのとで、どこにいるのかよく見えない。石と区別がつきづらい。この写真の中に5羽はいるはずだ。
 これはたぶん渡ってきて間もないマガモかコガモだと思うのだけど、肉眼で見てもはっきり分からず、今こうして写真を見ても確信が持てない。まだ羽が生えかわってないから、オスが混じっていても区別がつかない。今度明るいうちに確かめに行こう。
 10月もそろそろ後半ということで、渡りのカモたちが一斉に戻ってくる頃だ。川や池がまた賑やかになる。

夕焼けセンチメンタル-6

 日没間際で赤みが増した。望遠で一番染まっているところを切り取ったからよけいに強調されている。
 右手前に写っている黒い影はコウモリだ。一般的なアブラコウモリだろう。たくさん空に飛び交っていた。そういえばコウモリというのも寒くなると増えてくる鳥だ。夏の間はどこで何をして過ごしているんだろう。あまり考えたことがなかった。

夕焼けセンチメンタル-8

 なんとか撮ってやろうと10分くらい粘ってはみたものの、一番ましなのがこれだった。コウモリ撮りは非常に難度が高い。動きが速くて不規則だから読めない。マニュアルフォーカスで、これだけ暗くなってシャッタースピードが稼げない状況では至難の業だ。中古のD2Hでも買って、半日くらいシャッターを切りまくれば一枚くらい当たるかもしれない。
 CanonのLレンズとNikonの一桁ボディを買うのと、どっちが末期的症状なのだろう。

夕焼けセンチメンタル-7

 川面もピンクから紫に変わっていった。コウモリに翻弄されている間に、いよいよカモの姿も確認できなくなった。秋の日没は本当に容赦なくて、ちょっと油断するとすぐに暗くなってしまう。ここまで暗くなってしまうと、もう撮れるものはほとんどなくなってしまう。

夕焼けセンチメンタル-9

 この場所から名古屋駅のタワー群がこんなにはっきり見えることを今まで意識したことがなかった。距離を考えれば当然見えても不思議ではないけど、こんなによく見えたことがあったっけ。秋になってだいぶ空気が澄んできたようで、うちからも遠くまではっきりと見渡せるようになった。今日の最高気温は26度を超えていたけど、それでも季節は確実に進んでいる。

夕焼けセンチメンタル-10

 所変わって小幡緑地の緑ヶ池。先週の写真だ。
 この池は、風のない日没時間にいくと、見事な鏡面写真が撮れる。テクニックでも発見でもなく、その時間この場所にいれば誰にでも撮れる。そういう写真はいい写真とは言わない。同じとき、同じ場にいてその人しか撮れない写真がいい写真だ。
 上の写真でも、もう一つ何かプラスアルファの要素が加わればいい写真になった可能性はある。池か空に鳥がいるとか、池の前にカップルの背中があるとか、そういうものが。
 ここで17mmの超広角を使ってみたかった。フィルム写真を撮っているときは、この場所のことを忘れていた。

夕焼けセンチメンタル-11

 同じ場所から84mm換算の中望遠域で撮るとこうなる。ずいぶん雰囲気が違ってくる。風景だから無条件に広角レンズが正解とは限らない。確信が持てなければ、ズームレンズでいくつかの画角を撮っておくと、あとから自分の写真を見て発見することもある。
 左手に釣り人がいて、これはいい写真になったかもしれないと期待しながら撮ったのに、影で黒つぶれしてしまったのは残念だった。そちらに露出を合わせると、空の色が薄味になって味気なくなってしまう。それを避けるには、思い切って空を切り落として、水面と釣り人だけにするという手もあった。
 水風景に限らず、水平線をどの位置に持ってくるかというのも難しい問題だ。7対3くらいが基本なのだろうけど、意識的にバランスを崩してみせるという表現もある。5対5は一般的に駄目と言われることが多いとはいえ、鏡面写真の場合はあえて半々にした方が安定感が生まれる。日の丸構図も絶対に不正解というわけじゃない。

夕焼けセンチメンタル-12

 川沿いの細い道に立っているこれがいつも気になる。反射板か何かだろうか。ちょっとメルセデスっぽい。
 このアングルから通過する自転車を撮ろうとしたら、シャッタースピードが遅すぎて被写体ブレになって何がなんだか分からない写りになってしまった。暗さ限界を超えた。

夕焼けセンチメンタル-13

 穏やかな夕暮れ風景。暗い場所で何が起こっていても、表面的には平和な世界に見える。

 夕焼けといっても、いろいろな色があり、イメージがあるものだ。これらの写真は夕焼けのほんの一部に過ぎない。同じ夕焼けは二度とないと言っても言い過ぎではないだろう。
 記憶の中にある夕焼け空は、時間と共に美化されてますます美しさを増していく。あの夕焼けを超えたいとずっと思いながら夕焼け写真を撮っているけど、本当はもうどこかで超えているようにも思う。琵琶湖で見た夕焼けも、御座海岸で見た夕陽も、賢島で見た空も、自分の中で実物を超えてしまっているに違いない。
 これからの季節は日没との競争になる。遠出をして一気にまとめ撮りをするしかない。リスが頬に餌をため込むみたいにたくさん写真の在庫を作らねば。と同時に、小ネタやつなぎネタが増えていきそうだ。

着地点の見えないジャンプ料理はK点手前でテレマーク・サンデー

料理(Cooking)
着地点不明サンデー

PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4



 着地点の見えない料理を作ろう、それが今日のサンデー料理のテーマだった。ひとひねり、ふたひねりを加えることで結果が予測できなくなるメニューをあえて作ってみることで可能性を広げられるかもしれないという狙いがあった。完成図が見えている料理では面白くない。そろそろ一度基本に立ち返った方がいいのではないかという思いを置き去りにしつつ、趣味のサンデー料理は進んでいく。行き先は私にも分からない。作りたいものがあって作っているのではない、作ってみて出来た料理が私の料理なのだ。

 最初に思いついたのがカボチャソースだった。2週間くらい前に買ったカボチャ4分の1切れをいまだに使い切れずにいて、これをなんとかする必要があった。前にカボチャ入りの野菜炒めを作ったとき、カボチャが溶けてカボチャ味になってしまったのだけど、あれがヒントになった。市販のカボチャソースなど食べたことはないし、成分表も分からないので、オレ流に作ってみることにした。
 まずはカボチャを小さくカットして、オリーブオイルで炒め、そこに白ワインを加えてカボチャが柔らかくなるまで煮込んでいく。あとは、コンソメの素、マヨネーズ、マスタード、塩、黒コショウ、しょう油、砂糖を加えてしばらく煮ると出来上がる。
 これは美味しいと自画自賛。思ったほど甘ったるくならず、ほのかな甘みと深い味わいで、万能ソースと言ってもいいの仕上がりになった。今回はソースの味とぶつからないようにということで豆腐にしてみたけど、魚でも肉でもいけそうだ。野菜炒めにもいいかもしれない。見た目も鮮やかな黄色で食欲をそそる。
 豆腐は絹ごしにして、魚焼きグリルで両面をあぶり焼きしたあと、とろけるチーズとパン粉を乗せて、表面がきつね色になるまで焼いていく。こうすることで、パリ、ふわ、とろりと三つの食感を楽しむことができる。
 焼き豆腐のカボチャソースがけは、自分の得意料理としてレパートリーに加えよう。もっとユニークな料理になるかと想像していたのに、予想に反して普通に美味しい料理になってしまった。

 左奥の団子も、ちょっと変わったことをしている。
 里芋と白身魚のボール焼きにそうめんを揚げたものを乗せた料理で、これを作ったのは世界で私が初めてかもしれない。名前はまだない。
 ジャガイモと白身魚のつくねはあっても、里芋と白身魚のつくねはあまりないんじゃないかと思う。私は里芋がけっこう好きで、里芋と白身魚の相性はどうなんだろうということで初めて組み合わせてみた。なかなか悪くない。というか、思った以上に当たり前な感じだった。
 里芋はレンジで加熱して柔らかくしてつぶして、白身魚は身を刻んですり身にする。この二つをよく混ぜ合わせて、小麦粉、酒、牛乳、塩、コショウ、青のり、黒コショウを加え入れて団子状に丸める。
 それをオリーブオイルを入れたフライパンで転がしながら焼き、白ワインで香りづけをする。
 そうめん揚げは飾りの意味合いだけでなく、里芋のふんわりぬめっとした食感とそうめん揚げのパリパリ食感を同時に味わう面白さを狙ってみた。これは間違いではなかった。そうめん揚げをもっと細かくして、団子の周囲にまぶすようにくっつけてもよかった。その場合は、焼きでは難しいから全体揚げになる。
 ソースは、しょう油、酒、みりん、唐辛子、砂糖、酢に、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。

 右奥のものは半分失敗したエビとパン耳のかき揚げだ。
 刻んだエビとタマネギに、卵黄、酒、塩、コショウ、大葉、7ミリ角に切ったパン耳を混ぜて揚げてみた。イメージではパン耳がカリカリになるはずだったのに、全体がふんわりとした食感になってしまった。これはこれで失敗ではなくても、思惑とはだいぶずれた。作ってから失敗の原因は分かった。
 まず卵を使ったことでパリパリ食感を弱くした上に、パン耳を一緒に混ぜ込んでしまったのも間違いだった。パリパリの岩石揚げにするなら、パン粉は外にまぶさなければいけなかったのだ。もしくは、パン耳をビスケットの土台のようにして、その上にエビなどのすり身を乗せて揚げるという手もあった。これは改良の余地が大いにある。
 たれはシンプルにめんつゆを使って、バジル粉を振りかけた。

 思いつきの見切り発車的な料理だったわりに上手くいってしまったことを喜ぶべきなのか、面白くないと残念がるべきか、自分でも判断に迷うところだ。失敗覚悟でもっと思い切った冒険をした方が収穫があったのではないか。失敗は自分の可能性を狭めるものではなく、むしろ可能性を広げるものだ。成功するとそこで完結してしまって行き止まりになってしまうけど、失敗したら原因を考えた上で試行錯誤を続けようとする。そこで新たな可能性が生まれる。今後とも更なるチャレンジ精神が必要だ。
 ソースに関してもまだまだいろんな野菜が使えそうだ。今回はカボチャで成功したから、次はまた別のものに挑戦してみよう。ニンジンソースというのは当然あるだろうし、ほうれん草やブロッコリーを使った緑色のソースもものにしたい。ジェノベーゼは松の実とかを使わないといけないから難しい。
 ソース作りということを考えると、やはりジューサーが欲しいところではある。あと、ソースで皿に模様を描くときに何を使えばいいのかがよく分からない。スプーンでは垂らす量を調整できず思い通りの模様を描けない。ソース専用の絞り器みたいなのがあるのか、もしくは自作するしかないのか。昔弁当の中に入っていた魚の形をしたしょう油入れみたいなのが欲しいところだ。
 そんなこんなで、今日は思いがけず上手く着地ができたけど、これを実力だなどと勘違いせず、もっと幅を広げていくことを怠らないようにしよう。今日だって、一歩間違えたら得意の茶色料理になっていたところだ。なんとなく小手先でちょろまかしただけで、付け合わせの野菜も忘れていた。完成してから、あ、アスパラ使うの忘れてた、と気づいた。ニンジンだってどこかで使うつもりだったのに飛んだ。
 そう考えると、思っていたよりも手前の安全なところに着地しただけだ。次こそバッケンレコードを超える大ジャンプを見せて、震える声でふなき~と弱々しくつぶやいてみせる。

17mmで撮る見慣れた尾張旭風景は広くて遠くて小さい <フィルム7回>

フィルム写真(Film photography)
17mmの尾張旭-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100



 尾張旭の城山公園周辺は私のお気に入りの場所で、これまで何度も行って、何度となく写真も撮ってきた。このブログでもたびたび登場している。空が広くて、車をとめてのんびりできる場所というのは、名古屋の郊外でも案外少ない。空の広さでいえば矢田川の河原などもあるけど、あちらは車の中で落ち着ける場所がない。家から15分というのも、ちょっとドライブするのにいい距離というのもある。
 今回のフィルムシリーズ一番のテーマが17mmの超広角で撮る風景ということで、当然その中に尾張旭も入っていた。見慣れた光景も、17mmで切り取ってみるとまた違ったものに見えるはずだ。
 そんなわけで、フィルムシリーズ第7回は、尾張旭編をお届けします。

17mmの尾張旭-2

 17mmというのは、広いというだけでなく、対象がとにかく遠くなる。肉眼ではそれなりの大きさで見えているものも、写真の中ではレンズについたゴミのようになってしまう。上の写真でいうと、道の遠くに人が写っているのが見えるだろうか。言われなければ人とは見えないくらい小さい。空に黒い粒が2つあるのも、たぶんカラスだ。ゴミではない。
 これは今回現像してみて初めて分かったことで、次回から17mmを使うときの注意点となる。ファインダーをのぞいているときよりも小さく写るということを頭に入れておく必要がある。被写体を大きく写そうと思えば、思い切って近づかないといけない。手前に大きく写して、背景が広いというのも超広角ならではの写真だ。
 盛大に発生しているフレアやゴーストは、個人的には逆光の効果として嫌っていない。面白いから好きと言ってもいいくらいだ。CGっぽくもある。

17mmの尾張旭-3

 とっさのことで構図もシャッタースピードも何もなく反射的に撮った瀬戸電の新型車両。これだな、この前ニュースで言っていたやつは。
 瀬戸電といえばかつては緑色で、近年は赤色がシンボルカラーとして完全に定着していた。尾張旭の田んぼ風景には赤い電車がよく似合っていた。それなのに、名鉄はシルバーにするという。なんて無粋な。ステンレスの無塗装で、その理由が尾張旭に作った検車区は住宅街だったために塗装施設を置けず、色塗りができないという事情だというからずっこける。色が塗れるところに検車区を作ろうよと言いたい。
 新型の4000系は現在のところ4両の1編成のみが10月1日から走り始めている。今後車両を増やしていって、将来的にはすべてシルバーの車両に入れ替える計画だそうだ。今まで当たり前と思っていた赤い瀬戸電がここ数年のうちに見られなくなるというのは、まだ信じられない。今の内にいろんなところで赤電車を撮っておいた方がよさそうだ。

17mmの尾張旭-4

 見慣れた光景、いつもの構図。城山レストランも、スカイワードあさひも、ずいぶん遠くに見える。35mmだと両方入れて撮るのに苦心するほどなのに、17mmになるとここまで遠い。

17mmの尾張旭-5

 空をメインに撮ってみるとこんな感じ。レンズを上に向けたり下に向けたりすると、周辺部の歪みが激しくなって、ちょっとフィッシュアイのようになる。こうやって撮るのも一つの方法だ。
 いくら空を広く撮れるといっても、空だけを撮ってしまうととりとめのない写真になるから、やはり何か下の方に入れるものが欲しい。
 海はどうなんだろうとふと思った。そういえば17mmで撮っているときには一度も海を思い浮かべなかった。今となっては不思議な話だ。広い風景といって思い浮かべるのは、普通空と海なのに。また17mmで撮る機会があれば、次こそ海を撮りに行こう。海と空と波と砂浜と、どう撮ったらいいのか、イメージが湧かない。

17mmの尾張旭-6

 このときはまだコスモスが咲き始めの時期だった。そろそろ満開が近づいた頃かもしれない。
 真正面に太陽がある状況で、あえて逆光で撮ってみてどんな写りになるか確かめてみたかった。現像はコスモスの方に露出を合わせてるから、空はほとんど白飛びしてしまっている。現像の段階で空の方に合わせたらコスモスは黒つぶれしてしまっただろうけど、そこからレタッチソフトでコスモスの色を出すことができるのだろうか。色が飛んでしまったら救いようがない。

17mmの尾張旭-7

 これもなんだか変な色になってしまった。この世の風景ではないような色だ。実際はもう少しオレンジ系の夕焼けで、空も水たまりもきれいな色をしていたのだけど。

17mmの尾張旭-8

 昔よくテニスをしたコート。尾張旭はテニスコートをあちこちに持っていて、市民向けに安く使わせてくれていた。今はいくらになったか知らないけど、当時は1面1時間で300円くらいだった。
 写真のこの場所はクレーコートだから、あまり使ったことがなかった。尾張旭市民テニス大会に出たときは、ここだった。写っている一番手前のコートだったのを覚えている。あのときは2回戦で老獪なオヤジテニスにしてやられてミスから自滅して負けた。
 よくやっていたのは、旭ヶ丘あたりのハードコートや、体育館のようなところにあったコートだ。その場所も忘れてしまうくらい、もう長くテニスをしていない。

17mmの尾張旭-9

 せっかくだから、スカイワードあさひの展望台にも登っておいた。
 これは南側の景色だ。田んぼがあって、瀬戸電がいて、やや遠目の左手には地デジの瀬戸デジタルタワーが見える。これも小さくてよく見えない。
 南は尾張旭の東印場や守山区の本地あたり、藤が丘までは見えないか。このあたりはまだ高い建物がほとんどない。

17mmの尾張旭-10

 これは新鮮な絵になった。手前の長池から遠くの名駅ビル群まで同時に入ってしまうのも17mmならではだ。
 夕陽や夕焼け空は、例によって白飛びしてしまって色を失った。この写真も機会があれば現像し直したい。
 しかし、名駅の高層ビル群もちっちゃくなってしまったもんだ。正面やや左寄りにかろうじて写っているのが見えるかどうか。遠いながらも肉眼ではもっとはっきり確認できる。
 17mmの使い道として、高いところから下を俯瞰する構図というのも有効のようだ。名駅のミッドランドスクエアや、東山のスカイタワーから地上の夜景を撮ってみるのもいい。

17mmの尾張旭-11

 こちは東側の瀬戸方面風景。これといっためぼしいものは写っていない。デジタルタワーくらいだ。モリコロパークの大観覧車は見えるのだったか、見えないんだったか。この写真よりもう少し右側になるかもしれない。向こうに見えている山並みは猿投山方面だろうか。手前の森は、森林公園の一部か。
 北側は特に面白いものも見えない。

17mmの尾張旭-12

 最後に長池の風景を一枚。ここは悪い池ではないのだけど、これといったものが何もない。魚もいないのか釣り人もおらず、カモのエサがないのか渡りのカモにも不人気だ。楽しみといえば藤棚と冬に咲く冬桜くらいのものだ。被写体として絵になるのも、写真のこの場所くらいしかない。
 尾張旭も、もう少しこの池を市民が憩う魅力的な場所にできないものだろうか。可能性はありそうなのに上手く活用できていないのはもったいない。

 私の馴染みがある尾張旭風景はざっとこんなところだ。そういえば夕暮れ時の野球グラウンドも好きな風景の一つだったのに、写真を撮れなかったのはちょっと残念だった。あそこもいつも入り切らなくてもどかしい思いをしているところだったから、この機会に撮っておけばよかった。
 尾張旭自体は、これからも何度となく行って写真を撮ることになる。
 フィルムシリーズは明日のサンデー料理を挟んで来週も続く。来週遠出をしたら、いったん中断することはあるにしても、全10回以上のシリーズになることは確定した。36枚フィルム5本で合計180枚。1回の更新に13枚から15枚くらいの写真を使っているから、いかに無駄なく撮っているかが分かる。1枚を無駄にしないという姿勢は、写真を撮る上でもう一度背筋を伸ばさせてくれる。
 またフィルム写真を撮りたい気持ちが高まってきた。近所の街撮りシリーズはフィルムとの相性がいいことに気づいたから、今後ともシリーズ化していこう。次はリバーサルフィルム初挑戦ということになりそうだ。

雨降りの中で瀬戸の家並みを撮り歩く <フィルム6回・瀬戸編4>

フィルム写真(Film photography)
雨の瀬戸2-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400



 フィルムで撮る瀬戸も今回で最終回となった。雨が降る中、瀬戸蔵を出発して、末広町周辺を少し歩いて写真を撮ってきた。アーケードの写真は昨日紹介したから、今日はそれ以外の補完編のようになっている。
 傘を差しながらの一眼片手撮りはかなり無理があったものの、ISO400のフィルムを使ってどうにか手ぶれを抑え込んだ。雨降りでも屋外は意外と光があって、シャッタースピードは稼げるものだ。今回は自分史上最も雨度の高い写真となった。雨の日でもその気になれば写真を撮れると分かったのも収穫だった。
 上の写真は、瀬戸蔵の前にいる巨大招き猫だ。笑えるけどあまりかわいくない。写真でじっくり見ると、ツメの描き方とかが乱暴だ。模様や字もあまり上手とは言えない。誰が作ったものだろう。これだけ大きいからさすがに陶製ではなさそうだ。

雨の瀬戸2-2

 瀬戸蔵の中の陶器屋さん。一般的な食器類の中に招き猫もたくさんいる。
 瀬戸焼の特徴は特徴のないことと言われるくらい幅広くて、どういうものが瀬戸焼らしいものなのか、私も全然よく分かっていない。陶器だけでなく、磁器もたくさん作られている。
 18世紀の後半、瀬戸の陶器が下降線を辿り始め、衰退していく中で加藤民吉という陶芸家が現れる。次男坊で本業を継げなかった民吉は、磁器の技術を習得するために九州肥前に渡り、そこで得た技術を瀬戸に持ち帰ってオリジナルの磁器を焼き始めた。それによって瀬戸は磁器でも知られるようになり、息を吹き返したのだった。陶祖藤四郎に対して民吉は磁祖(じそ)と呼ばれ、窯神神社(かまがみじんじゃ)に祀られている。今回そちらは行けなかったので、また機会を見つけて行きたいと思っている。
 秋に行われるせともの祭りは、この磁祖・加藤民吉の祭りで、陶祖藤四郎の陶祖祭は春に行われている。このあたりは意外と曖昧になっている部分で、よその人からするとどっちがどっちかよく分かっていないのではないかと思う。瀬戸焼というと、今はもう、磁器を思い浮かべる人の方が多いのかもしれない。
 陶器の瀬戸焼は伝統の流れを汲む黄瀬戸(きぜと)、瀬戸黒(せとぐろ)、志野(しの)、赤津(あかづ)、織部(おりべ)などに分類される。

雨の瀬戸2-3

 瀬戸蔵の柱の中に飾られていたペアの招き猫。なかなかかわいい。ちょっとネズミっぽいか。
 作家によっても招き猫の表現はいろいろで、猫らしくないやつもいたり、デフォルメされたものや、リアルなもの、スリムなものなど幅広い。去年の招き猫大賞は、逆立ちする招き猫だった。

雨の瀬戸2-4

 このあたりの道も、すっかり小綺麗になった。昔はもっと雑然とした感じだった。愛・地球博のおかげだ。でもあれがもし、当初の予定通り海上の森をメイン会場にしていたら、瀬戸の激変ぶりはこんなものではなかったはずだ。瀬戸電ではとてもじゃないけど人を運びきれないから、リニモがここまで通っていた可能性は高い。そんな瀬戸の姿は想像がつかない。

雨の瀬戸2-5

 昭和の喫茶店。こういう昔ながらの喫茶店も少なくなった。店構えだけ残っていて閉鎖されているところも多い。このcoffee橘はまだしっかり営業していた。こういう店もなくなってしまうと近所の常連さんは困ってしまう。みんながコメダさん好きというわけではないし、洒落たカフェなんて入りたくない人だって多い。ましてやスタバなんて、注文する段階で年配の人は弱ってしまう。トールとかグランデとか、なんだそれって感じだ。注文はアイスかホットで通じるだろう。コーヒーの種類なんて、そっちで美味しいと思うものを出してくれって話だ。
 純喫茶というのも最近は見かけなくなった。

雨の瀬戸2-6

 末広町商店街が見つからず、軽くさまようことになったときの一枚。二本南側に行きすぎていた。
 この道を進むと、新世紀工芸館というのがある。ギャラリーや各種工房などが入っていて、企画ものの展示や、陶芸体験などもできるようになっている。入館は無料で、カフェコーナーのようなものもあるようだ。
 このときは招き猫作品の展示をしていたのだけど、時間もなかったので通りすぎた。
 更に少し行ったところに市営の駐車場があって、そこも1時間無料だから、末広町商店街を散策する場合は、そちらの方が少し近い。

雨の瀬戸2-7

 裏通りの路地に古い建物が残っているのは、そこに油断があるからだ。よそものはあまり通らないという安心感から油断が生まれ、体裁を整えることがおろそかになって、結果的に古いたたずまいが残る。表通りに面していると、古くなっているのを人に見られると恥ずかしいという思いが働いて改装してしまう。昭和好きにとっては残ってくれた方がありがたい。

雨の瀬戸2-8

 これは陶生町あたりだったか。ここらには格子の家がいくつか残っていた。半分改築してあってきれいになっていながらも、昔の姿を残そうという意志が感じられる。こういう味わいはいいものだ。

雨の瀬戸2-9

 いい感じの道と家並みが続く。昭和の懐かしい匂いがある。夕方に野球帽をかぶった少年が駆けていく姿が似合いそうだ。

雨の瀬戸2-10

 似たような写真が続くけど、この連続する風景を見てもらいたくてあえて並べてみた。
 曲がった道沿いに家を建てているから、家もそれに合わせて曲がっている。ちょっと坂道になっていている分、土台も傾いていたり、玄関もダイレクトに道と面している。いや、これは玄関ではないのか。
 それにしても、昭和だなぁと心の中でつぶやかずにはいられなかった。

雨の瀬戸2-11

 なんというか、非常に味のある家だ。ところどころ崩れかけているようなところがありつつ、創意工夫で乗り切っているのが感じられて、頑張ってるなと思わせる。味わいのあるクラシックカーのような家だ。まだまだいける。このまま建ち続けていて欲しい。

雨の瀬戸2-12

 最後に瀬戸蔵の展望台に登って、瀬戸の町並みを見下ろしてみた。
 正面右手にパルティせとがあって、その左に赤い電車が見えている。あそこが尾張瀬戸駅で、瀬戸電の終点になっている。昔は名古屋城のお堀の中を走っていた。

雨の瀬戸2-13

 瀬戸蔵の二階からの眺め。遠くには窯の煙突も見える。

 今回の瀬戸紹介はこれで終わりとなった。古民家久米邸や窯神神社など、いくつか取りこぼしたものはあるものの、商店街をすべて見て撮ることができたのはよかった。フィルムで撮ろうと思わなければこの企画はなかった。
 またそのうち瀬戸の町歩きもしてみようと思っている。地図を見ても曲がりくねって入り組んだ路地が多いから、歩いて回ればいろいろ収穫がありそうだ。町撮りの面白さも分かったし、他のところも撮りにいこう。
 明日は小ネタを挟んで、来週は藤が丘編を予定している。フィルムシリーズはもう少し続く。

昭和レトロ度満点の末広町商店街を歩いて撮る <フィルム5回・瀬戸編3>

フィルム写真(Film photography)
雨の瀬戸1-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400



 二度目の瀬戸商店街散策は雨だった。一度目は銀座通り商店街を中心に神社などを回っていたら日没時間切れになったので、もう一回出直すことになった。あえて雨降りの日に行ったのは、カメラがデジではなく銀塩だったということもある。デジは水に弱いから雨降りは持ち出したくない。銀塩なら少々濡れても大丈夫だ。レンズさえ濡らさなければ銀塩カメラ本体は壊れてもいつでも買い戻せる。このとき使ったEOS 620も、少し前に中古で2,000円くらいで買ったものだ。このブログには雨の写真がほとんど登場しないから、今回は私にしてはちょっと珍しい写真になった。実際の降りほど写真に雨は写らないのだけど。
 末広町商店街は、途中に道が通っていて大きく分断されている。西エリアが末広町1丁目で、東が末広町2丁目になるのだけど、もともとこんな広い道が通っていたとは思えない。おそらく渋滞緩和か何かのためにバイパスのようにここに道を通したのだろう。そういえば円頓寺商店街もこんなふうになっていた。これは商店街にとってはあまりいいことではない。
 上の写真は、東エリアの入り口だ。外から見ただけでも昭和が色濃い。これは期待できそうだ。早速行ってみよう。アーケードは雨降りでも傘を差さずに買い物ができるのが利点だということにあらためて気がついた。

雨の瀬戸1-2

 これはこれはと思わずうなるアーケード商店街だった。銀座通り商店街よりも更にレトロ感が強い。これが昔ながらのアーケード風景で、私の記憶の中にあるイメージ通りだった。銀座通りよりもこちらの方がより地元度が高い感じだ。
 入り口にある中央劇場という映画館はもう営業していないようだった。一階のパチンコ屋も開いていなかったから、もう閉鎖したのだろうか。
 ロマン中央というのは、かつての中高生男子の心をうずかせるようなネーミングだ。実際、そういう映画館だったのかもしれない。にっかつロマンが全盛だったのは、1970年代か80年代だったか。
 瀬戸が陶芸で賑わっていた時代は、こういう娯楽施設も当然必要だったわけで、昔は娯楽が少なかったから映画館もよく人が入った。今の時代は、こういう小さな映画館では生き残っていけない。末広町商店街だけでも2軒の映画館があったそうだ。

雨の瀬戸1-3

 円頓寺商店街へ行った日はちょうど七夕まつりで賑わっていて本来の姿を見ることができなかったのだけど、昭和レトロという点では末広町商店街の方が上回っているかもしれない。フィルム写真ということもあって、これを昭和60年の写真と言われても、新しすぎるとは思わない。当時の感覚でもこの写真を見たら古い商店街だと思ったんじゃないだろうか。
 末広町商店街と銀座通り商店街と、いつどちらが先にできたのか、調べがつかなかった。戦前のもので残っている建物や店などは少ないだろうけど、瀬戸は空襲を受けなかったから、第二次大戦前後という区別が曖昧とも考えられる。その点が大須や円頓寺とは違う。その分、区画整理が進まずに町並が非常にごちゃついているということはある。終戦の年の8月下旬か9月初旬に米軍機による瀬戸市空爆が予定されていたというから、もし空襲があったら瀬戸の町は今頃ずいぶん違う姿をしていたことだろう。
 末広町商店街は、瀬戸市で一番規模の大きな商店街で、70ほどの店がある。せと末広商店街という表記も見られるから、そちらが正式名なのかもしれない。
 他には昨日、おとといと紹介した銀座通り商店街と、宮前地下商店街、そして中央通り商店街がある。中央通りというのは、瀬戸川沿いに店舗が並んでいるあたりを指してそう呼んでいる。
 アーケード商店街も今ではほとんど姿を消してしまって、瀬戸の二つは貴重なものとなっている。名古屋市内には大須と円頓寺の二つしかなく、県内でも豊橋の常盤通商店街と花園商店街、一宮市の一宮市本町商店街だけしか残っていない。
 アーケードスタイルは大阪を中心とした関西圏で圧倒的な支持を得ている。関西の人にしたらアーケードなど珍しくも何ともないという感覚なのだと思う。少ない県では3つか4つしかないのに、大阪だけで100以上もある。これは全国でもダントツの多さだ。東京は都内には少なく、下町や郊外へ行くほど増えていく。完全な西高東低で、東北や北陸は少ない。
 日本でアーケード商店街が誕生したのは1950年代で、日本初のアーケード商店街は北九州市小倉の魚町銀天街と言われている。これが昭和26年(1951年)のことだった。

雨の瀬戸1-4

 昭和レトロで欠かせない店の一つに床屋さんがある。写真をよく見ると、白衣を着た白髪交じりのおじさんが散髪している姿が写っているのが見えると思う。これなんかも、いかにもといった感じで嬉しくなった。
 昔はハイカラな名前をつけようとして、バーバー松原みたいな名前の床屋がけっこうあった。当時の感覚として、理容店というのはもう古いと思ったのだろう。でも、一番新しいものから古くなるのが言葉で、今となってはバーバーというのはちょっと照れくさい。チェッカーズのようなナウい髪型にしてくださない、なんて注文をする人はもういない。聖子ちゃんカットも今は昔の今昔物語だ。

雨の瀬戸1-5

 こんな古いたたずまいの店にブラザーミシンと書かれると、ミシンそのものがすごく古めかしいもののように思えてくる。ブラザーミシンは今でももちろんしっかり生き残っている。最近のミシンはかなり進化しているらしい。縫い目や刺繍などをコンピューターが制御している。家で縫い物などをする人もめっきり減ったのだろうけど。
 ジャノメ、シンガー、ジャガー、ロックミシン。どれも懐かしい響きの言葉だ。土方ミシンなんていうローカルなミシンもあったっけ。

雨の瀬戸1-6

 笑うところではないと分かっていつつも笑ってしまう婦人服の店。こういう洋服を着て歩いている人をあまり見かけないのだけど、誰が買っていっているんだろう。地元のおばさま御用達のお店ということで、私の想像を遙かに上回る売り上げを見せるのか。
 古い商店街というと、まず頭に浮かぶのがこういう店だ。商売としては大変だろうけど、できるだけ長く続けて欲しいと思う。

雨の瀬戸1-7

 せと末広亭という小さな演芸場があった。これはたぶん、最近になって始めたものだろう。商店街の空きスペースの有効活用の一つじゃないかと思う。
 名古屋や愛知県というのは、なかなかこういうお笑いや演芸などが育たない土地柄で、出身地は名古屋でも東京に出て行かないと成功しない。大阪や北海道で成功したコンビが東京進出するみたいなパターンはほとんどない。信長、秀吉、家康も、みんな成功したのは外へ出て行ってからだ。名古屋タレントになると名古屋から出られない。瀬戸出身の有名人といえば、芸名にもなっている瀬戸朝香だ。彼女も中学卒業と同時に上京しているから、名古屋(愛知)カラーはついていない。最近は、香里奈や玉木宏など、名古屋出身のタレントもだいぶ垢抜けてきた。

雨の瀬戸1-8

 見事なまでにがらんとしてしまったアーケード内。雨降りとはいえ、夕方の時間帯でこの人の少なさは厳しすぎる。シャッターが降りている店もけっこう多い。
 私が行った何日か前まで、来る福招き猫まつりが行われていたので、その名残が少しあった。祭りの当日はこのあたりも大勢の人で賑わっていたことだろう。来年こそ行けるだろうか。

雨の瀬戸1-9

 来る福招き猫まつりの延長戦で、作家の招き猫ギャラリーができていた。しばらくはあちこちの会場で、いろいろな作家の作品が展示されていたようだ。
 瀬戸蔵のギャラリーでも展示してあるというので行ってみたら、時間が遅かったようで閉まっていて見られなかった。
 窯垣の小径での土鈴作りがとても面白かったから、また猫作りもやってみたい。次こそもっと猫らしいものを作らなくてはなるまい。

雨の瀬戸1-10

 二階に屋根神様が乗っている。これが昔ながらの本式の屋根神様だ。ちゃんと今でも大事にされている様子がうかがえる。
 以前も書いたように、二階に小さな祠を置いて神様を祀るという信仰がこの地方には昔からあって、それを屋根神様と呼んでいる。個人宅や町内の守り神のようなもので、津島の天王や火除けの秋葉山などが多い。
 この旅館は営業しているのかどうかちょっと分からなかったけど、屋根神様のお世話は町内会でやっているそうだ。昔は瀬戸にもたくさんあったという。今でも残っているのは二つというから、この写真のものと、昨日紹介したのがそうだったのだろうか。

雨の瀬戸1-11

 末広町商店街と通路とつながっているライオン食品センター。名前も店内の様子も古めかしい。
 入り口の通路に吊されている洋服は誰が売ってるのか。あげると言われても欲しくはないけど、こんなところに置いていたら誰かに持っていかれても分からない。このあたりからしても地元による地元のための商店街だということがよく分かる。観光客など最初から当てにしていない姿勢が潔い。
 しかし、これらの洋服、いつ入荷したものだろう。下手すると本当に昭和に作られたものかもしれない。あと何年かしたら、巡りめぐって最先端の服になっているかもしれないから、安売りしている今の内に買い占めて、孫の代まで取っておくというのは素敵なアイディアだ。あと30年もしたら、こんなのは買いたくても買えなくなる。

雨の瀬戸1-12

 商店街の片隅に井戸があった。まだ現役で使われているような感じだ。モップやペットボトルが転がっていたりして、生活感がある。
 井戸自体はうちの田舎でもまだ使っているから珍しくはないけど、名古屋や近郊で井戸を見かけることはほとんどない。残っているものは少ないんじゃないだろうか。

雨の瀬戸1-13

 商店街の東エリアを往復して戻ってきた。写真は東から西エリアを見たところで、あちらのアーケードはごく短い。
 この中央部分は、ちょっとした公園のようになっている。市民に憩いの場を提供するということなのだろうけど、あまり有効活用されているようには見えなかった。晴れた日の昼休みには、近くの勤め人たちがここで弁当を食べていたりするのだろうか。

雨の瀬戸1-14

 何やら大きな荷物を抱えたおばあさんがアーケードを通り抜け、向こうからやって来た学校帰りの女子高生とすれ違った。この場所におけるそのシーンを見て、時間の残酷さのようなものを思った。生き残ることの正しさと、枯れてしまったことの寂しさをも飲み込んで、時代は前に転がり続ける。昭和は遠くて近く、近くて遠い。

 明日は瀬戸編最終回。雨降りの瀬戸の町並紹介でこのシリーズ完結となる。

瀬戸市の深川神社周辺を歩く

フィルム写真(Film photography)
瀬戸の街並み-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +kodak 100



 愛・地球博を契機として、尾張瀬戸駅前に二つの新しい建物が建った。一つが上の写真の瀬戸蔵(せとぐら)で、もう一つが最後に登場するパルティせとだ。どちらも2005年に完成した。二つは、街全体を博物館や美術館に見立てる「せと・まるっとミュージアム」運動の一環として誕生することとなった。パルティせとは、尾張瀬戸駅の駅ビルで、瀬戸蔵は市民会館が生まれ変わったものだ。
 瀬戸蔵というのは一般公募でつけられた名前で、瀬戸のいろいろなものが詰まった蔵をイメージしたのだとか。もともと市民会館ということで市民ホールや会議室などが中心となっている。
 呼び物として「瀬戸蔵ミュージアム」がある。これは有料の小さな博物館のようなもので、瀬戸にまつわる展示物がいろいろあるらしい。私はまだ入ったことがないから、中の様子はよく知らない。昔の尾張瀬戸駅が移築展示されていたり、古い瀬戸電の車両も置かれているようだ。
 瀬戸の散策は、瀬戸蔵の駐車場に車をとめておいてするのがいい。最初の1時間は無料で、次の1時間から100円と良心的だ。
 瀬戸蔵の前の橋を渡って北へ行くと、瀬戸銀座通り商店街がある。前の道を右へ進んで一本入ったところが末広町商店街になる。

瀬戸の街並み-2

 宮前公園の歩道橋から見る瀬戸川の流れと瀬戸の街並み風景。左に瀬戸蔵、正面にパルティせとが見えている。この二つができる前の風景というのは、もう忘れてしまった。写真にも撮っていない。
 瀬戸川は特に何もない川で面白みはない。魚もいるのかいないのか、渡りのカモもあまりいないし、釣り人も見たことがない。ただ、春先の菜の花に彩られる時期はきれいだ。写真よりもう少し向こう側では、もう少しするとイチョウの黄葉が見られる。クリスマスシーズンになると、イルミネーションで飾られる。
 せともの祭になると、この道は通行止めになって、道一杯に瀬戸物の店が並ぶ。この狭い場所に毎年50万人が訪れるから、それはもう大変な混雑になる。
 近年は、来る福招き猫まつりという招き猫の祭りも有名になって、大勢の人が集まるようになった。私も一度は行ってみたいと思いつつ今年も行けなかった。

瀬戸の街並み-3

 瀬戸川饅頭で知られる川村屋賀栄は、江戸末期創業の老舗の和菓子屋さんだ。店のたたずまいも素晴らしいものがある。
 瀬戸川饅頭は昔食べたような気がする。ごく一般的な酒蒸し饅頭で、特別美味しかったという記憶はない。酒蒸し饅頭は誰がどう作ってもとびきり美味しくなるような饅頭でもないと思うけど、ドラマ「あんどーなつ」を観たら、そんなに簡単なものじゃないのかもしれないと思い始めた。機会があればもう一度食べてみよう。次はじっくり味わって。

瀬戸の街並み-4

 明治40年築の商家を改修して使っているカフェ「蔵遊前」。定休日だったのか、もう閉店してしまったのか、店は閉じていた。右に出ている貸店舗の案内は、この店のものなのか、隣の家屋のものなのか。
 こういう店は最初話題になって流行っても、長く続けるのはなかなか難しい。やはりなんといっても立地条件が悪い。いい店を作りさえすれば客は来てくれると思うのは幻想なのだろう。ただ、すごい悪条件でも繁盛させる人たちがいるから、才能というかセンスというか、ノウハウを持っている人種が確かにいるのだ。

瀬戸の街並み-5

 月極駐車場の塀の上に、焼き物がずらっと並べられていた。素人っぽい作品ばかりだから、学校で子供たちが作ったものかもしれない。なんて言って実は職人さんが作ったものだったら叱られてしまうか。
 瀬戸の街はさすがにたくさんの陶器があちこちにあるけど、もっともっとあってもいい。これでもかというくらい陶器に充ち満ちた街作りを徹底したら面白い。その写真を撮るためによそから人がやって来るくらいにしてこそ、瀬戸市が進めるまるっとミュージアムの街と言えるんじゃかない。

瀬戸の街並み-6

 二階に置かれている小さな祠は、屋根神様を今に伝えるものだろう。家を改築したときに、屋根神様を乗せる二階の庇がなくなって、苦肉の策としてこういうふうに取り付けたようだ。
 屋根神様は、四間道で見て、そのときブログにも書いたから、ここでは繰り返さない。このあと末広町商店街でも、もっと本格的なものを見ることになる。

瀬戸の街並み-7

 深川神社前へとやって来た。この後ろに宮前地下商店街がある。神社が一段高いところにあるから、そういう意味でも宮前地下なのかもしれない。
 延喜式にも載っている由緒のある古い神社で、創建は奈良時代の末期771年と言われている。
 ここは藤原氏との関係が深い神社で、さかのぼるとこの地方の有力な豪族が治めていた土地だった。神社の境内には6世紀のものと推定される横穴式円墳が見つかっている。
 近くからは縄文早期の押型文土器(おしがたもんどき)が発掘されていることから、すでに縄文時代から人が暮らしていたことが分かっている。かなり早い時期に土器のためのいい土が採れることが知られていたようで、土器を作る専門の集団もいたと推測されている。
 瀬戸という地名は、陶器を作る場所という陶所(すえと)が転じて瀬戸になったのだという。
 奈良時代に入って大和朝廷が力を持ってくると、瀬戸も中央政権とつながりを持とうと、藤原氏の神様である天津神(アマツカミ)をこの地に勧請して建てたのが深川神社だったというわけだ。それ以前は、土地の神様を拝んでいただろうから、深川神社の前にもすでに神社があった可能性はある。
 その後、天照大神の五男三女神8人(八王子)を祀るようになり、深川八王子社と称されることになった。
 のちに陶祖藤四郎と呼ばれることになる加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)がこの地にやって来たのは、鎌倉時代前期の1227年のことだった。この4年前、僧の道元(どうげん)に従って宋へ渡り、向こうで陶器作りの勉強をした藤四郎は、良質な土を求めて全国をさまよい、瀬戸に来た。そして、深川神社でお参りをしたとき、ここにいい土があるぞという神のお告げを聞いて、掘ってみたところは確かにこれはいいというので、瀬戸に窯を築いて陶器作りを始めることになる。それがやがて評判となり、全国に知られることとなったことで、藤四郎は瀬戸焼の陶祖と呼ばれるようになったのだった。
 ただ、瀬戸ではもっとずっと以前から陶器は作られていて、藤四郎がまったくのゼロから始めたというわけではない。それ以前の古瀬戸と呼ばれる陶器も残っている。日本で最初に釉薬が使われたのも瀬戸で、平安時代に猿投山の職人たちが瀬戸で灰釉を用いて焼いたのが始まりとされている。
 時代は移って室町時代。応仁の乱で京都を追われた藤原一門の公家だった守栄は逃れのがれて深川神社にたどり着いてここで暮らすようになったり、1560年には信長が鷹狩りのときにこの神社を訪れ、斉藤龍興の刺客に命を狙われるなどという歴史もある。1563年に再び訪れたときは、今川氏の残党にも襲われそうになったとか。

瀬戸の街並み-8

 現在の社殿は、平成12年から2年間をかけて改修したものなので、まだ新しい。
 本殿は諏訪の名工と言われた立川和四郎が建てたもので、左側の虹梁には立川流龍彫刻もほどこされている。
 織部焼の緑色の鬼瓦が目をひく。昔は瓦でできていたものを、加藤清之兄弟が織部焼で再現した。
 もともとは別の場所にあって、1596年の火事で全焼してしまったあと、現在の地に移ってきたらしい。
 江戸時代まではここも神仏習合の神宮寺があったというから、もっと境内は広くて、お堂なども建っていたのだろう。

瀬戸の街並み-9

 まだユリが咲いていた。タカサゴユリか何かだろう。
 絵馬はやや少なめ。天照大神の八人の子供たちが全員集合している神社だから、お願い事をすれば誰かが力になってくれそうな気はする。

瀬戸の街並み-10

 深川奥宮稲荷社の鳥居。ちょっと朱塗りがはがれかけ。
 摂社として、白山社、八幡社、神明社、恵比寿社がある。
 深川神社でもう一つ忘れてはならないのが、藤四郎の作品と伝えられる陶製狛犬だ。宝物庫に保管されていて、宮司さんにお願いして200円出すと見せてくれる。
 本来二対だったものが、あろうことか一体は盗まれてしまってない。残った阿吽のうちの吽も、神社が火事のときに前の片足が焼けてしまって、一部木製になっている。藤四郎が神のお告げへの感謝を込めて奉納しただそうだ。
 かつては国宝とされ、今は重要文化財に指定されている。
 境内には瀬戸パークホテルという観光ホテルが建っていて、どういうことだと思ったら、以前はこまいぬ会館という結婚式場だったところをホテルに改装して営業しているということだ。こまいぬ会館って。

瀬戸の街並み-11

 深川神社の隣には、地続きで陶彦社(すえひこしゃ)がある。
 創建は江戸時代後期の1824年で、陶祖藤四郎が祀られている。
 御利益は陶器の発展と商売繁盛らしいから、よそものが拝んでもあまり効果はないかもしれない。今瀬戸物を使えるのはあなたのおかげです、ありがとうとでも言っておくより他に言いようがない。

瀬戸の街並み-12

 こちらも平成14年に改装が完成したものだから、まだまだ真新しい。本殿はなかなか洒落たデザインの建物になっている。江戸時代のオリジナルとはかなり違っているんじゃないかと思わせる。

瀬戸の街並み-13

 神社をあとにして帰途についた。
 瀬戸川沿いを中心に、たくさんの陶器屋さんがあるから、興味のある人なら見て回ると楽しいだろう。この店は店先にたぬきが並んでいた。たぬきといえば信楽焼だけど、別に瀬戸焼でたぬきを作っても全然おかしくはない。たぬきは信楽焼の専売特許というわけでもない。
 瀬戸は招き猫もたくさん作っていて、全国の招き猫を集めて展示販売している招き猫ミュージアムというのもある。そこも私は一度も入ったことがない。撮影禁止というのがつまらない。

瀬戸の街並み-14

 瀬戸駅前ではとても目立つ建物だから、知っている人も多いだろう。でも、何という名前の店か知ってる人は多くないかもしれない。丸一国府商店(まるいちこくぶしょうてん)という。言われてみればその通りだ。国ー府(こくーぶ)と伸ばしているわけではない。
 ここも陶器屋さんだ。

瀬戸の街並み-15

 最後はパルティせとの夕焼け写真で終了となる。
 最初にこれを見たときは、瀬戸にこんなハイカラな建物が似合うはずがないと思ったけど、3年も経つとすっかり街に馴染んで違和感がなくなった。ガラス張りの円形ビルは、空や光を映して、夕方から夜にかけてドラマチックな表情を見せる。絵になる建物だから、前を通るたびに写真を撮っている。

 瀬戸編の前半はこれで終わりだけど、まだ後半が残っている。次回からは、瀬戸川の南、末広町商店街を中心に紹介していくことになる。雨の日だったから、また少し違った雰囲気の写真になっている。

瀬戸の商店街はフィルム写真がよく似合う <フィルム3回・瀬戸編1>

フィルム写真(Film photography)
瀬戸商店街1-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Canon EF50mm f1.8II +FUJI 400



 今日紹介するのは、瀬戸市の商店街だ。せとものの街として全国的に名前は知られているものの、瀬戸市そのものをよく知っているという人は少ないと思う。せとものというのは一般的な陶器の名称だと思っている人もいるかもしれない。それくらい瀬戸の焼き物は日本中に広まっているということも言える。
 愛・地球博のサテライト会場があったということで、瀬戸電の尾張瀬戸駅に降り立った人も大勢いただろうけど、その中で商店街やアーケードに立ち寄った人がどれくらいいたか。せともの祭りは全国的にも有名だから、そのときに商店街も見ているだろうか。
 瀬戸焼の歴史を最初から語ると長くなるので今日はやめておく。瀬戸焼きの始祖、加藤四郎左衛門影正(通称・藤四郎)が出てきたときに、またあらためて書くことにしよう。今日は商店街について紹介していくことにする。
 瀬戸市の人口は約13万人。近年は名古屋のベッドタウンというような位置づけになってはいるけど、もともとは陶器の街として発展してきた。ここには陶器作りに適した土がたくさんあった。
 その瀬戸には、瀬戸銀座通り商店街、宮前地下商店街、末広町商店街と3つの商店街がある。どれもレトロ感たっぷりで、昭和好きの期待を裏切らない。フィルムで写真を撮ろうとなったとき、早い段階でここのことが頭に浮かんだ。フィルム向きの被写体だろうという予測は当たった。
 結局、一回では撮りきれずに二回行くこととなり、二度目は雨降りになった。雨の瀬戸商店街というのもなかなか悪くなかった。今日から3回か4回に渡って、フィルムで切り取った瀬戸の街編をお送りしようと考えている。
 まずは宮前地下商店街から始めよう。地上なのに何故地下商店街という名前がついているのかという謎もあとになって解明される。

瀬戸商店街1-2

 電話と書かれてはいるけど公衆電話はすでになく、下には小便するなとか何とか書かれてある。絶好の立ち小便ポイントになっていたのだろう。
 公衆トイレがこれほど増えてきれいになったのはわりと近年のことだ。昭和時代にはけっこう道ばたでおっさんが立ち小便をしていて、それを悪いことだという自覚があまりなかった。日本の歴史を見ても、江戸時代などは当然公衆便所はなく、明治になってようやく公衆トイレというのが登場したものの、まだまだ習慣としては定着していなかった。初期の郵便ポストを公衆トイレだと思って小便をする人間が後を絶たなかったというのは有名な話だ。屋外での立ち小便が罪だというモラルが浸透したのも、けっこう近年になってからのことだということを私たちは忘れかけている。
 小便する……その後は何と書かれているのだろう。するべからん、だろうか。

瀬戸商店街1-3

 古くて新しいおもちゃ屋さん。昭和にフィギュアという言葉はなかったから、その点では新しい。当時はなんでも人形だった。しかし、たたずまいは思い切り古い。店の看板がつなぎ合わせた紙にマジックで手書きというのもどうなんだ。「」はあとから書き足したのか、余裕がない。雑貨・フィギュアまで書いて、残りのスペースが足りなくなったことに気づいたのだろう。のを小さく書いて誤魔化したのも見て取れる。子供の習字じゃないんだから。
 こういうところには意外と古い掘り出し物のおもちゃなんかが埋もれているかもしれない。なんでも鑑定団の北原さんに教えてあげたい。
 子供の頃買ってもらった仮面ライダーのパンチ&キックとか、超合金のロボットとか、ミウラのミニカーとか、あんなのはみんな捨ててしまった。持っていたら今頃はお宝だったのに。

瀬戸商店街1-4

 宮前地下街と書かれているのを見て、どこかに地下へ通じる階段があるんじゃないかとあたりを探してしまった人も多いはずだ。名古屋人は地下街が大好きだから、瀬戸にあってもおかしくないだろうと。
 その答えは次の写真にある。

瀬戸商店街1-5

 実はこの商店街の上には深川公園という公園があって、そこから見ると商店街は一段低いところにある。だから、地下商店街というわけだ。これは意外と知らない人が多いんじゃないかと思う。私もつい最近テレビを見て知ったばかりだ。そうはいっても、やっぱりこれは地下じゃないだろう。
 宮前というのは、商店街の突き当たりに深川神社があって、ここはその門前町としてできたところなのでそういう名前がつけられた。
 昔は陶器関係の職人町だったから、ここらの商店街も職人たちでたいそうな賑わいだったそうだ。給料日あとともなると職人が集まってきて、たくさんお金を使っていったから、街も発展していった。飲食街も多かっただろうし、色町的な性格も併せ持っていたことだろう。今はそういう面影はまったく消えてしまっている。
 現在の宮前地下商店街で有名な店は、うなぎ屋さんと焼きそば屋さんだ。これが二大看板と言っていい。瀬戸焼きそばというのはちょっとした名物で、休日ともなるといつも列ができている。うなぎ屋もなかなか評判いい。

瀬戸商店街1-6

 歩道橋の上から銀座通り商店街の入り口あたりを撮ってみる。牧歌的というか、昔ながらというか、さびれているというか。写真を撮る分には味わいがあっていいけど、商売をしてる人たちは大変だ。
 それにしても、昭和は銀座が好きだった。日本全国どこにも、何々銀座という商店街や飲み屋街があった。昔は銀座というのが都会への憧れの象徴であり、地方の人間が考える一番賑わっている場所は銀座だったのだ。時代をさかのぼれば、小江戸(こえど)や小京都(しょうきょうと)などが各地にあるから、精神性としてはその流れを汲んでいる。現在は都会と地方との格差がそれほどなくなったから、こういう純粋な憧れを抱くことは恥ずかしいことのような風潮になっている。

瀬戸商店街1-7

 訪れるのは何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりだから、どこがどう変わったのかよく分からなかった。思ったよりも小綺麗になっていたから、近年かなり改装したようだ。地面もこんな洒落た感じではなかった。ただ、部分、部分にはしっかり昭和が残っていて、変わらないところも多いと思わせた。
 銀座通り商店街は、全長約200メートルのアーケード街で、個人商店や飲食街が並んでいる。大須ほどではないにしても、レトロでマニアックな店もある。
 長らく下降線を辿り続け、いわゆるシャッター通りになっていたのだけど、愛・地球博をきっかけに多少復興傾向にあるようだ。学生や若者に対して積極的に開放したり支援をしたりして、少しずつ店も増えつつある。古いたたずまいの新しいギャラリーなどもあって、ちょっといいじゃないと思った。

瀬戸商店街1-8

 とはいうものの、夕方の時間帯でこれだけ人が少ないと、劇的な立て直しは難しそうだ。愛・地球博で一時的に人は増えたとしても、結局のところ支えてくれるのは地域の住民しかいないわけで、そういう人たちにとって必要不可欠で魅力的な商店街でなければお客は来てくれない。私のように写真を撮りにくるような物好きがたまにいたとしても、たいしてお金は落としていってくれない。

瀬戸商店街1-9

 お、こんなところに人力車が。観光客用か、と思って裏に回ってみたら違った。なんだろう、これ。人力車には違いないけど、運ぶのは人ではなさそうだ。ただの飾りでもないだろうし、何を運ぶものだろう。

瀬戸商店街1-10

 銀座通り商店街を西に抜けたところ。商店街の名前は地図には載っていないから、最初どこからどこまでなのか分からなかった。東の端は深川神社の通りで、宮前橋から一本入ったところだ。西は、記念橋の通りを超えて、栄町のはずれまで続いている。
 左手にある床屋さんもレトロチックだった。黙って座ってお任せにしたら、後ろを刈り上げられた上に七三分けにされてしまいそう。パーマの注文を出せば、それはアイパーの可能性が高い。

瀬戸商店街1-11

 わっ、店名が右から左に書かれている。若松屋。店構えからして花屋さんかなと思いつつ続きを読むと、若松屋洋服店とある。ええぇ、洋服店!? 全然洋服を売っている感じはない。店内をちらりとのぞき見ても、洋服らしきものが見えない。
 帰ってきて調べたところ、「手しごとや『阿ん』」という焼き物のギャラリー兼店舗だと知ってずっこけた。やっぱり洋服店じゃなかったか。花屋でもなく、陶器屋さんだったとは、完全に意表を突かれた。古い店舗をそのまま流用しているのだろうけど、この看板は紛らわしい。それが狙いだとしても、フラッとは入りづらい。

瀬戸商店街1-12

 道が二股に分かれて面白いことになっている。分かれ道にある家は落ち着かないだろうと思うけど、どうやらうどん屋さんのようだ。
 左にはパルティせとが見えている。右へ行くと古い家並みが少し残っている。どちらを行っても出る道は同じであまり変わらない。

瀬戸商店街1-13

 一部を切り取っていくと、昭和の名残が色濃く残っているように見える。実際のところは新しい建物もけっこうあって、新旧が混在している感じだ。愛・地球博の前と後とでは大きく様変わりをした部分もあるから、今にして思えば2003年くらいにこのあたりを撮っておけばよかった。その当時も、何度となく表通りは通っていた。特に瀬戸川沿いは大きく変貌した。裏道や商店街はあまり変わってないのかもしれない。

 フィルムシリーズ第3弾で瀬戸編の第1弾はこれくらいで終わりにしよう。明日はこの続きで、商店街を少し離れて、瀬戸川沿いの風景を中心にお届けします。深川神社紹介に絡めて瀬戸の歴史についても少し書きたいと思っている。

近所をフィルムで撮ってみてあらためて見えてくるもの <フィルム2回>

フィルム写真(Film photography)
17mm近所編-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100



 フィルムシリーズ第2回は、初回に続いて17mmで切り取る近所編となる。前回は本当に近所周りだったけれど、今回はもう少し足を伸ばして私がよく行っている場所を紹介することにした。今日出てきたあたりをぐるぐる回っていると、そのうち私が通ることになる。見つけても石を投げたり追いかけたりしてはいけない。
 1枚目は、晴丘交差点だ。左がレンタル屋で昔はたまに行っていた。正面左にアルペンが見える。ここは相当前からあるスポーツ用品店だ。ただ、私は一社のオリンピックが好きだったので、あっちへ行っていた。テニス関係はいつもあそこで買っていたのに、閉鎖して久しい。この交差点を過ぎた右側にあるbook offはたまに行く。その先には大きな電気屋とPCショップがあって、そこもときどき行く。
 フィルム写真を撮っているとき、ふと思い立って自分が通っていた高校の写真を撮ろうと向かったら、場所が分からなくて愕然とした。ちょっと奥まったところにあって、卒業以来一度も行ってないとはいえ、3年間も通っていた高校の場所を思い出せないなんてことが本当にあるもんだろうか。自分でも信じられなかった。
 結局ナビに教えてもらってどうにか辿り着くことができたものの、周囲はかなり様変わりしていて隔世の感があった。昔は周りにあんなに家が建っていなかった。竹藪や畑に囲まれているようなところだったのだ。
 正門から校舎を見た感じは変わってなくて安心したのと同時に、ずっと長い間思い出さなかった当時の記憶が一気に蘇ってきて、それに焦った私は逃げるように高校をあとにしたのだった。どこにあるか忘れていたということの動揺もあったし、当時の感覚が瞬間的に戻ってうろたえたというのもあった。正門の外から一枚くらい写真を撮っておこうと思っていたけど、それどころではなかった。
 恐ろしくてこれでまたしばらく近寄れそうにない。

17mm近所編-2

 数え切れないほど通っている道だけど、ここの交差点の名前を知らない。知っている道というのは交差点の名前など意識しないから、人に場所を教えるとき交差点の名前を知らなかったことに驚くことがある。
 東名高速を挟んで、こちら側と向こう側では名前が違うんだろうか。そもそも、ここに名前がついているのかどうか。
 昔なら、マルスを過ぎて高速の下の交差点と言ったところだ。今は交差点の角に幸楽苑がある。
 その手前は回転寿司のスシローで、週末の夕方ここを通ると、店の駐車場に入るための車が連なっていて、スシロー渋滞ができている。一度それを知らずに、左車線で延々と待っていたことがあった。工事でもしてるんだろうかと思いながら。そしたら驚いたことにスシローに入るための車の列だったのだ。そんなたいそうな店でもないのだけど。
 高速の下を通って左にはそば処のサガミがある。ここも古い。あまり客が入っているようには見えないけど、長く続いている。昔はちょくちょく行ったけど、最近はまったく行かなくなった。

17mm近所編-3

 大森の雨池。今年は水草の大量繁殖はなかったようで、夏場も池はきれいな状態だった。去年の夏は水草がびっしり池の表面を覆っていて、それを人が手作業で撤去していた。完全駆除に成功したらしい。
 今年もそろそろカモたちがこの池に戻ってくる季節になった。ミコアイサはもう少し先になるだろうか。近場だし、またちょくちょく行くことになるだろう。
 ここは散歩人がぞろぞろ歩いていて、大きなレンズで写真を撮っていると目立つのが難点だ。雨池で写真を撮っている人を見かけたら、それは私である確率がかなり高い。ミコアイサなどはかなり珍しい鳥にもかかわらず、池がマイナーすぎて鳥撮りの人がほとんど訪れない。

17mm近所編-4

 場所も日付も時間帯も、かなり前後している。これは夕焼けの引山交差点だ。露出を間違えているのは、私のせいなのか、カメラの失敗なのか、現像の間違いなのか。手前の車に露出を合わせているから、空の色がおかしくなってしまっている。車は黒つぶれでいいから、空の露出を適正にして欲しかった。
 現像やCD-R書き込みは、一括の機械任せでは限界がある。自分でフィルムスキャナを買うほどフィルムを撮るわけでもないし、どうしたものか。

17mm近所編-5

 上社ジャンクション下の交差点。ここは毎回赤信号で止められるから、よく写真を撮る。頭の上を縦横に走っている道路の造形が面白い。
 17mmレンズを使うことになったとき、思い浮かんだのがこの場所だった。ただ、信号待ちの車の中からでは面白い写真は撮れない。車通りが少なくて明るい時間帯というと、夏場の早朝だ。一度その時間に行って、いろいろな場所から撮ってみたいと思う。歩道橋の上からなら、また違った風景が広がっているだろう。

17mm近所編-6

 カーマの屋上駐車場からの夕焼け。これも露出が間違っている。間違いというか、私の思いと機械の判断が一致していない。私が撮りたかったのは夕焼け空の色で、機械は建物を被写体と思ったようだ。こうなってしまったネガでも、もう一度スキャンし直したら自分の思う露出にできるのだろうか。

17mm近所編-7

 アピタ千代田橋の立体駐車場からの眺め。これも空がおかしい。色合いもピンクが強すぎる。このあたりのネガは、いずれ何らかの形でもう一度焼き直してみる必要がありそうだ。店に頼んでも5本1,000円くらいだから、別の店でやってみるというのも一つの手だ。現像機のクセや店の人の好みなどによっても違う仕上がりになるんじゃないかと思う。
 それはともかくとして、やられた。正面中央に建てかけのマンションが写っているけど、こいつ、一番眺めのいいポジションを奪いやがった。この角度から見ると、ちょうど直線上にナゴヤドーム、テレビ塔、名駅の高層ビル群が並ぶという絶好の位置だったのに、このマンションのおかげで全面的に視界を遮られることになってしまった。そりゃあ、ないぜ。これが自分ちからの眺めだったら悲しすぎる。しかし、よりによってここに建つかなという嫌がらせのような位置だ。もうアピタに夕焼け空を見に行く楽しみがなくなってしまった。こうなったら、あのマンションに住むしかない。

17mm近所編-8

 平和公園の猫ヶ洞池。この夕焼け色も納得はいかない。
 この池はどういうわけか、毎年カモが少ない。周りの森にはけっこうな数の野鳥がいるし、池の水もそれほど悪くなさそうなのに、どういうわけかカモに人気がない。水質なのか、エサが少ないのだろう。
 ここから南へ行った小さな新池には混雑するほどのカモが飛来する。あちらは大通りのすぐ近くで環境も悪そうなのに。カモの好みというのも分からないものだ。鳥の人に訊けば理由は分かるのかもしれない。

17mm近所編-9

 平和公園は大墓地で、行くのを避けている人もたくさんいると思う。かつての私もそうだった。ただ、行ってみると全然変な空気はなくて、明るくて開放的で居心地がいいところだ。見渡す限りの墓石群というのも、見ようによっては壮観だ。この世界が生者と死者で成り立っていることを思い出させてくれる。
 猫ヶ洞池を見て、ぐるりと一周回って、虹の塔を見つつ平和堂に登るというがいつものコースになっている。
 平日の夕方に行くと、よく学生がランニングをしている。すぐ近くの東邦高校の部活だろう。意外性の男、山倉和博もかつてはここを走っていたのかもしれない。
 東邦高校出身者には、天知茂、奥田瑛二、伊武雅刀などがいる。いずれもマニアックな面々だ。
 甲子園のバンビ坂本を今でも覚えている人はどれくらいいるだろう。

17mm近所編-10

 平和堂。見上げるばかりの大きな建物なのに、17mmで撮るとこんなにも小さく見える。それがかえって新鮮で面白い。35mmレンズくらいでは、目一杯下がっても画面に収めるのに苦労するくらいだ。

17mm近所編-11

 この角度からではちょっと分かりづらいけど、地下鉄本郷駅前だ。地下鉄東山線の発着駅である藤が丘の隣で、うちの近所にバス停がある市バスは本郷行きか一社行きなので、近い方の本郷へ行く。車で行くと最寄り駅は上社の方だけど、あちらには路線バスがない。
 本郷駅の思い出としては、ここから乗り合いバスに乗って愛・地球博へ行ったことだ。あれは2005年のことだから、もう3年前になるのか。

17mm近所編-12

 上社も撮ろうと思って寄ったのだけど、車をとめる場所がなくて素通りしてしまった。また撮る機会があるだろうと思ったら、その前にフィルムを使い切ってしまった。シャッターチャンスというのも一期一会で、撮りたいと思ったときに撮っておかないと、永遠に撮れないことが多い。無理矢理にでも、強引にでも、撮るべきシーンでは撮っておかないといけない。
 上の写真は、一社へ向かう東山通だ。東山公園を過ぎると、広小路通と名前を変える。
 この道は、夕方走ると混んでいるから、あまり走りたくない。星ヶ丘、東山公園、本山、覚王山、池下、今池、千種、新栄、栄、伏見、名駅と、終始混雑してゴタゴタしている。タクシーとかの運転も荒っぽいし、走るときは今でも嫌な緊張感がある。

17mm近所編-13

 一社の駅前。個人的にとても馴染み深くて、あまり近づきたくないところでもある。実際、なるべく避けるようにしている。

17mm近所編-14

 打越交差点。昔はよくここも通ったのに、最近はほとんど来なくなった。昔はなんでこんなところへ来ていたのかすら、よく覚えていない。
 角の吉野家はきれいな外観に生まれ変わっていた。この店は吉野家の最初期からあるんじゃないかというくらい古い。私が最初に見た吉野家でもある。ずっと昔に一度だけ入って食べたことがある。

 お馴染みの場所編は、思ったよりも面白かった。ローカルすぎてほとんどの人は知らないところだろうけど、個人的に楽しかったから、第3弾、第4弾と続けていきたい。交差点とか、駅とか、店とか、道とか、知っているところはたくさんあるから、細かく撮撮ろうと思えばいくらでもある。ネタに困ったときは、これをやろう。見慣れた風景も、あらためて写真に撮ってみると、思うところもあるし、語ることも出てくる。
 どこでもとりあえず写真を撮っておくことだ。一枚では価値のない写真も、集まれば一つのネタになる。これもフィルム写真を撮ることで見えたことだった。このシリーズはデジよりもフィルムの方が向いている。またフィルムを買ってきて、フィルム写真も撮ろう。
 そろそろ一度リバーサルフィルムを使ってみてもいい時期かもしれない。失敗覚悟で撮ってみると、そこから見えてくることもありそうだ。
 今回のフィルムシリーズは、明日以降もまだ当分続く。

新しい調理器具が成功を呼んだか好バランスサンデー

料理(Cooking)
新しい道具サンデー

PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4



 壊れかけのガステーブルは今週に入って故障度が更に増して、ついにはだましだまし使えるレベルではなくなった。コンロの火がとろ火にしかならなくなり、もう一方のコンロは軽い爆発音がして内部から火を噴いた。これは洒落にならないということで、とうとう買い換えざるを得なくなった。性能的には前のものと変わらないから特にどうということもないのだけど、火を付けようとするたびにチャッカマンを探してしまうのは自分でも残念な感じがした。ガステーブルはスイッチを押せば自動的に火が付くことを忘れかけていたことが悲しい。チャッカマン生活が長かったから。
 ガステーブルを新しくした勢いを借りて、ピーラーも買ってみた。単体でもけっこう高いから、それならセットの方がお得だろうということで、キッチン5点セットというのにしてみた。けど、この中で使いそうなのは、キッチンバサミくらいだということにあとから気づいた。芯抜きもそうは使いそうにないし、チーズ切りを使うようなチーズなどうちにはない。買うとしてもスライスチーズを買う。栓抜きに至っては、ビンビールも飲まない私には何の役にも立たない。万能栓抜きといって、缶に穴を開けられる機能も付いているけど、それが必要だったのは大昔のことだ。缶ジュースをコップにそそぐとき、両側に2つ穴を開けたのを覚えている。片方だと空気が入らず、なかなか中身が出てこないのだ。今はたいていの缶詰はプルトップになっている。安い猫缶はプルトップになっていないものがあるから、せめて缶切りをセットに入れて欲しかった。缶切りは災害セットやサバイバルセットの缶詰を開けるときにも役に立つ。
 まあそれはともかくとして、待望のピーラーを手に入れた私は、野菜の皮をむきまくりでウハウハ……となる予定が、思ったほど軽快にむけない。こんなもんなのか。ジャガイモなどは確かに包丁よりも簡単にむけるものの、デコボコが苦手だから、結局は包丁で仕上げないといけなくて二度手間になるし、ニンジンの薄皮などはすいすいむけて気持ちがいいものの、ナスくらい皮が固くなると歯が立たない。上手くむけないのは100円ショップのものが駄目なのだと決めつけていたけど、ピーラーという道具そのものの限界もあったのだということを知る。
 それでもせっかく買ったから、今度とも使っていくことにしよう。薄く皮がむけるのは無駄がなくていいことだ。

新しい道具サンデー2

 今日のサンデーもアイディア不足によるノーマル料理となった。ベースは和食で、やや洋の味を加えている。今回は、思いついた食べたいものを作るというのがテーマだった。
 メインのおかずをマグロにしたのは、最近テレビでマグロを食べているシーンを続けて見て、それを見ていたら食べたくなったから。
 最初はマグロのサイコロステーキを考えていたのだけど、売られている姿が短冊だったので、なし崩し的にこの形となってしまった。
 だいぶ生への抵抗感もなくなりつつあるとはいえ、まだ焼いた方が安心感があって、いざとなると焼く方を選択してしまう。半生で止めるつもりが、ちょっと焼きすぎた感はある。
 塩、コショウ、酒、しょう油を振ってしばらく置いた後、ビニール袋の中で小麦粉とシェイクしてころもをつけて、オリーブオイルで焼く。
 味付けは、しょう油、酒、みりんにマスタードを効かせて甘辛にしている。
 彩りに刻み長ネギと青のりを振った。
 マグロの食べ方ではこれが一番好きだ。トロをこうやって食べたらどんな味になるのか興味がある。肉を同じように調理しても美味しくなると思う。

 右側のものは、一応天ぷらだ。そうは見えないだろうけど。
 ナスの間にチーズを挟んだものと、カボチャと、トマトを天ぷらにしている。ちょっとだけひねった。
 天ぷらのころもは、卵を使わずマヨネーズを使っている。その方がカラッと揚がる。油も、サラダ油とごま油のブレンドを使った。ごま油を使うと風味がよくなると聞いてやってみると、なるほど、美味しいものだ。思ったほど風味はきつくない。江戸で天ぷらといえばごま油が主流で、今でも東京の天ぷら屋ではごま油を使っている店が多いという。
 トマトの天ぷらというのも、それなりに知られたもので、やっている人にとっては当たり前のもののようだ。今回初めて食べてみたけど、これは当たりだ。型くずれしやすいという難点はあるものの、トマトの天ぷらがこんなに美味しいとは知らなかった。油がはねやすいので、最後に低温で揚げるのがコツだ。
 味付けは、めんつゆをベースに、しょう油、塩、コショウ、酒、みりん、唐辛子、エビの刻み、タマネギの刻みを煮てタレを作って、とろみをつけたものをかけて食べる。最終的には普通の天ぷらとはだいぶ違った料理になった。

 左奥のは、洋風の煮込み肉じゃがだ。カレーのたぐいは使っていないのに、見た目はカレーっぽくなった。
 タマネギ、鶏肉、ジャガイモ、ニンジン、長ネギをオリーブオイルで炒めて、白ワイン、しょう油、みりん、塩、コショウ、コンソメの素、マヨネーズで味付けをして、水を足しながら煮込んでいく。かなりとろとろまで煮て、ジャガイモは崩れる手前くらいまで柔らかくなっている。
 一度途中で火を止めて、30分以上冷ますのがポイントだ。そのとき味が染みる。
 普通の肉じゃがとは味がかなり違っているので、洋風好きな人にオススメしたい。これは美味しい。

 今回はひとひねりが有効に作用して、全体的に良い仕上がりになった。単独としての味もよく、3品のバランスもよかった。足を引っ張る料理もなく、突出するものもなかった。
 料理時間が短く済んだのは、ガステーブルが新しくなってチャッカマンを探さなくてよくなったせいもあるかもしれない。ピーラー効果も多少はある。
 趣味としての料理として見ると物足りない面はあるにしても、食べたいものを美味しく作るという点においては成功した。成功実績がまだまだ足りない私としては、自己採点でも合格というのは貴重だ。今回は食べる側として不満のない料理だった。
 作り手としては、もっともっと前進と飛躍が必要だ。挑戦して失敗してみないと自分の限界が分からないということもある。小さくまとまるなよと三上博史も言っていた(いつの話だ)。自分の殻を打ち破るということが趣味の料理としては必要なところだ。飛び出せ青春的な料理をもっと作っていきたいと思う。チャレンジ精神と熱い思いを忘れなければ、それはやがて、くいしん坊へとつながっていくことだろう。

初めての17mm世界に被写体との距離感が掴めない <フィルム1回>

フィルム写真(Film photography)
17mmの世界-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100



 去年、最後にフィルムで写真を撮ったのは夏だったんじゃないかと思う。鳳来寺に持っていったのを覚えているし、海上の森でも一回使った記憶がある。その前は、鶴舞公園もフィルムで撮った。それ以来、今年に入ってまだ一度も銀塩カメラを使っていなかった。たまにはフィルムでも写真を撮ろうと思ったのが、夏の始めくらいだった。それから時は流れ、夏は終わり、季節は秋になった。手持ちのフィルム5本を撮りきるのに2ヶ月くらいかかってしまった。
 今回一つテーマとしてあったのが、17mmの超広角写真だった。TAMRONの17-35mmは、普段デジの広角ズームとして使っているレンズなのだけど、銀塩カメラにも使えるレンズだったことを、ふと思い出した。なんとなくデジタル専用と思い込んでいた。
 17mmというのはファインダーをのぞいただけでもその広さが実感できた。銀塩カメラの場合、デジよりも視野率も倍率も高いから、よけいにそう感じた。
 しかし、17mmならではの写真を撮ろうと思うと、これがなかなか難しい。単純に広いところで撮ればいいというのはあるにしても、ある程度ポイントがないと写真が漠然としてしまう。広く写るということは、それだけ被写体が小さくなるということで、見えているよりも風景がずっと遠くなる。
 そして私は、2ヶ月の間、17mmの風景を求めてうろつくことになった。
 今日から何回かに渡って、フィルム写真シリーズをやっていこうと考えている。途中で中断があるかもしれないけど、全部で10回プラスアルファくらいになりそうだ。フィルムで撮った写真の150枚と、デジで撮った150枚は全然意味が違う。デジのように捨てゴマや押さえ写真はほとんどないから、捨てるのは手ぶれで失敗したものだけになる。
 瀬戸編や藤が丘編などもありつつ、雑多な日常写真が大部分を占めている。意識的に近所の見慣れた風景をたくさん撮った。デジよりもフィルムで撮る場合、未来に向けて残そうという気持ちが強くなる。デジとフィルムでは、撮る意識がだいぶ違う。
 1回目の今回は、家の周りで撮った写真編ということにした。なるべく17mmらしい写真を集めてみたつもりだけど、撮り終わった今でも、やっぱり超広角は難しいと思う。使いこなすというにはほど遠い。
 1枚目は、朝の空写真だ。

17mmの世界-2

 フィルム写真は、色をコントロールできない。撮ってみるまでどうなるか分からないし、現像次第という面もある。jpegでCD-R書き込みだから、レタッチソフトで加工できることは限られる。頼んだ写真屋さんが使っている現像機によっても違ってくるのだろうし、写真屋さんの好みと自分の相性問題もある。
 今回は自分のイメージとは違っていたものが多くて釈然としないところもあったのだけど、それが意外で面白くもあった。デジのRAWで撮ってしまうと、どの写真も自分の好みに偏ってしまって驚きがない。

17mmの世界-3

 これは記憶に近い仕上がりだった。ただ、もう少し露出アンダーの現像でもいい。夕陽の色が上手く出ずに、飛んでしまっている。こうなるとレタッチで赤くすることはできない。無理にすると全体のカラーバランスが崩れる。
 広角レンズでは歪みや周辺の傾きが問題になることが多いけど、超広角になるとそれは避けられないから、味として受け入れるしかない。遠近感が強調されて面白い絵になる。個人的には広角の歪みは嫌いじゃない。

17mmの世界-5

 明るい光があるシーンでの白飛びの例。こうなると白い部分にデータは残ってないから、レタッチで補正は効かない。撮る時点でもっとアンダーにすればとも思うけど、おそらく現像機は自動的に建物などに露出を合わせて明るくしてしまうはずだ。一括で現像を注文しているから、個人でやっている写真屋さんに細かく指示を出すようなことはできない。フィルム写真にそこまでのこだわりは持ってないし。

17mmの世界-6

 超広角は、広いところだけではなく狭いところでも威力を発揮する。人の視界よりも広い範囲が写り込む。
 部屋の中でも撮ってみたけど、全部写ってしまっているから、その写真は出しづらい。店の中で撮るのも面白かったなと、今になって思った。

17mmの世界-7

 夕焼け色に染まった住宅の色がきれいに出ている。空の青も自然だ。
 ただ、明るいところは白飛びしている。フィルムはラティチュードが広いとはいえ、明暗を両立させるのが難しいシーンもある。

17mmの世界-8

 縦撮りでも超広角ならでは写真になる。地面から空まで写る。
 高層ビル群を真下から撮るなんてのも面白そうだ。東京の街を超広角で撮るという企画もやてみたい。

17mmの世界-9

 手ぶれのサンプル。このときはかなり暗くて、確か1秒くらいだったんじゃなかったかと思う。17mmとはいえ、手ぶれ補正なしでは1/4くらいが限界だ。
 ちなみに、これは近所のお好み焼き屋さん。半ば駄菓子屋のようになっていて、夕方に行くと小学生がたかっている。

17mmの世界-10

 何度通ったか分からない引山交差点。東向き。
 17mmならこれだけ広く写る。真ん中車線の先頭ならもっとよかった。おもむろに車を降りて、横断歩道の真ん中で写真を撮ろうかと思いつつ、あまりにも恥ずかしいのでやめておいた。いい写真を撮ろうと思えば人目など気にしていてはいけないのだろうけど。

17mmの世界-11

 引山バスターミナル。最初、どこを撮ったのか分からなかった。こんな写真は撮った覚えがないぞとさえ思った。普段見慣れている光景も、超広角になるとまるで違って見える。
 このあたりも昔と比べると大きく様変わりした。引山バスターミナルができるまでは、完全に郊外といった趣で、まだ空き地もあちこちに残っていた。環状2号線が通ったのも大きく風景を変えることとなった。

17mmの世界-12

 いい夕焼け空だったので、車を置いて急いで歩道橋の上まで登っていった。少し遅かった。この5分くらい前までは、もっと濃い色に染まっていたのだ。惜しいことをした。

17mmの世界-13

 シャッタースピードは1/2くらいだったはずだけど、そのわりにはよくブレずに止まった。歩道橋の手すりにしっかり手を固定したのがよかった。本来なら当然三脚を使うべきシーンではある。
 ヘッドライトとテールライトの光線写真というのはありがちで、自分はやらないぞと反発しつつも、一回くらいは撮ってみてもいいかなと思ったりもする。それが本当に必要で効果的な場面なら、そういう写真もいい。単なる光線写真というのではつまらない。

17mmの世界-14

 近所の飲食店街といえるかどうか、ささやかな夜の明かり。
 昔はここに化粧品の店くらいしかなかったような記憶がある。道を挟んだ反対側に帽子屋さんがあった。大衆食堂いびきが昔と変わらず今でも営業しているのは偉い。たまにあそこの甘いカツ丼の味を思い出して食べたくなることがある。
 今ではこのあたりで飲み食いすることはまったくなくなった。この写真も、10年後、20年後には懐かしい風景になるんだろうか。

 写真の質感はどれもいかにもフィルムといった感じだ。デジタル写真とは明らかに違う。フィルムの方が奥行きや立体感がありつつも、乾いた感じがする。デジ写真の方が無機質だと思いがちだけど、実はウエットだ。デジの方がその場の空気感に忠実だとも思う。フィルムは現実とは別物の世界だ。ホワイトバランスの転び方によっても印象がだいぶ変わってくる。
 フィルム写真については、また追々書いていくとして、今回のメインテーマである17mmの超広角に関して一言で言うと、難しいというものだった。5本のフィルムのうち4本分くらいは17mmで撮ったのだけど、まだコツが掴めなかった。完成図が上手くイメージできないから、何をどう撮っていいのか、漠然としてしまう。狙いを持って撮らないと、17mmを使いこなすのは無理なのだろう。もう少し手前の近いところに被写体を持ってきて、奥行きを強調した写真なんてのも撮りたかった。人入り風景も少なかったのは残念だ。
 明日も17mm写真シリーズは続く。どういう内容にするかはまだ決めていない。

つなぎの小ネタはISO1600の高感度で撮る近所写真

カメラ(Camera)
ISO1600-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 養老シリーズが終わって、ちょっと一服。すぐにでも遠出をして新しいシリーズを始めようと考えていたのだけど、ヒザを痛めてそれができなくなってしまった。養老歩きは思った以上のダメージを私に与えていたようで、それに加えて車を降りるときにグキッとひねっておかしくなった。ここ数日の私は、おじいさんのようにたどたどしい足取りだった。
 とりあえずそれもどうにか治ったものの、またすぐに10時間歩きとかしてしまうと悪化しそうなので、今週は自重することにした。来週に延期だ。
 ここのところずっとフィルムで写真を撮っていて、5本まとめて現像に出すと安くなるというので、頑張って5本撮りきって現像に出したのが出来上がってきた。36本撮りだから、150枚以上で、一日15枚使ったとしても10日分のネタができたことになる。これでしばらくはネタ不足から解放されそうだ。自転車操業的ブログ更新はきつい。
 早速今日からフィルム写真をとも思ったのだけど、その前に一つ小ネタを挟むことにした。超高感度のISO1600で撮る近所回りの写真という、ちょっとした企画ものだ。
 デジカメ写真のノイズは、フィルムとは違って味にならないことが多いから、あまり好きではない。だから、普段も極力低感度で撮るようにしている。デジイチ史上ベスト3に入るくらいノイズが少ないとされるEOS 20Dでさえ、ISO100以上に上げることはめったにしない。どうしてもというときだけISO400までは上げるけど、それ以上は上げたくないから上げない。これまでずっとそうしてきた。
 それがたまたま誰かのページで、わざと高感度のザラザラ写真を上手に撮っているのを見て、真似したくなった。なるほど、ノイズというのもシーンによっては味付けになるかもしれない。
 結果的に狙ったほど成功した写真は撮れなかったのだけど、常用は無理でも実用レベルで使えることが分かった。ISO800なら完全に常用範囲だ。確実に手ぶれするシーンでも、撮れないとあきらめてしまう前に高感度で撮っておけば、あとから使える写真になることが多いに違いない。低感度にこだわって手ぶれ写真で没にしてしまうよりも、画質は落ちてもブレてない写真の方がいい。
 ISO1600と手ぶれ補正レンズを使えば、かなり暗い状況でも撮れる。1/10秒あればなんとか止まる。夜でもシャッタースピードを稼ぎたいシーンもある。
 せっかくのデジなのだから、もっと幅広くデジの特性を活かして撮ればいい。フィルム写真を撮ることの不自由さの中でデジの自由度の高さを思い出したという部分もある。デジから入った人間にとっては、途中でいつでも感度を変えられるのは当たり前のことと思ってるけど、フィルムで長く撮っていた人にとってはこんなにありがたいことはないだろう。ISO100のフィルムを一度入れたら、最後までそれを通すしかない。
 というわけで、今回は感度をISO1600に固定して、夕暮れから夜にかけて近所まわりで、あれこれ試し撮りをしてきた。もう少し幅広くいろいろな被写体をいろんな条件で撮れるとよかったのだけど、お手軽企画ということで2日で済ませてしまった。続編があれば、そのときは昼間の明るいときに高感度で撮るとどんな感じになるのかを試してみたいし、室内編というのも考えられる。

ISO1600-2

 大森IC南交差点。正面に見えているマクドナルドは古い。この左後ろあたりにモスバーガーもある。両方とも、一回も入ったことがない。このあたりは頻繁に通る場所だけど、行動範囲ではない。
 こういう明るめのシーンの場合、ノイズも気になるけど、それよりものっぺりとして立体感がなくなってしまうという弊害が出る。人の目は暗部に対するノイズはあまり気にならず、明暗の明の方に目がいくから、そちらの部分が悪印象だと全体の印象が悪くなる。
 遠方の建物などのディテールも失われてしまっている。

ISO1600-3

 東名阪の下、302号の郵便局東交差点。ここを右折したところにある名東郵便局はしょっちゅう行っている。集荷郵便局で、時間外の窓口が常に開いているから。
 この写真は、それほど超高感度写真という感じがない。もちろん、等倍で見ればノイズだらけなのだけど、これくらいのサイズになると気にならなくなる。明暗の暗の部分が多いからというのもありそうだ。
 シャッタースピードが速くなって、走ってる車の被写体ブレが少なくなっている。感度を下げるほどに被写体ブレは激しくなり、車のボケ具合も違ってくる。常に絞り優先モードで撮っているから、そのあたりは感度の上げ下げで調整していけばいいのだろう。

ISO1600-4

 かなり暗くなり始めて、雨まで降ってきたところ。高針あたり。左手は牧野ヶ池緑地で、もう少し行くと植田鴻ノ巣交差点がある。そこを右折して、ハイエースに向かう途中。昔は近所に、マルスやナカイや名鉄ホームセンターやプラザなど、たくさんホームセンターがあったのに、今はカーマだけになってしまった。ホームセンター好きの私としては残念でならない。カーマにないものは、わざわざ高針まで行かないといけないなんて、不便になったものだ。
 この写真も空のノイズと、のっぺり具合が気になる。超高感度と明るめの空は相性が悪いことが分かった。なるべく空の割合を少なくした方がよさそうだ。

ISO1600-5

 ハイエースからの帰り道。高針橋東交差点の手前。左前には愛知トヨタのディーラーが見えている。
 この交差点を右折して、西友へ行った。中に入っている無印良品へ行くためだ。ここの無印も、昔からちょくちょく行っている。このときは、エコバッグとかを買いに行った。スーパーとかの買い物袋もいよいよ有料になってきて、主婦ではない私もエコバッグを持ち歩かないといけないことになってきた。地球温暖化防止のためというよりも、考えたら必要以上の袋とかは無駄だと前から思っていた。無印のエコバッグは3種類くらいあって、真ん中の大きさの70円のを買ってみた。ぺらぺらで使い切りみたいな感じだけど、とりあえずこれで様子を見よう。買い物によってはこのサイズでは入りきらないから、何種類か用意しておかないといけないのかもしれない。
 写真については、これだけ暗部が多くなると、ノイズは黒の中に沈み込んで打ち消されてしまっている。レタッチソフトで明るくするとノイズも浮いてくるから、そのあたりは写真によって手動で調整していくことになる。
 今回は試さなかったけど、レタッチソフトのノイズ除去をかけた場合、解像感はどんな感じになるのかというのも知りたいところだ。ノイズを消して、その上からシャープをかければ、解像感はある程度戻るものなのだろうか。

ISO1600-6

 再び郵便局東交差点。今度は反対側から。
 シャッタースピードは1/40くらいあったと思うけど、交差点を渡る自転車はブレて半分消えている。こういう狙いで撮るなら、それもいい。たくさんの人が渡っている交差点をこんなふうにして撮ると、スピード感のある写真になって面白い。今度名駅か栄あたりでやってみよう。
 このシーンでもノイズはさほど気にならない。シチュエーションによって実際のノイズ量も違っているのか、それとも人の目の感覚的な問題なのか。

ISO1600-7

 これは別の日。夕方、天子田交差点。ここを真っ直ぐ行って少し左に入ったところが天子田小学校。天子田の読みを正解できるのは、地元の人間だけ(あまこだ)。
 ノイズは多いような少ないような、どっちつかずだ。全体的にディテールが失われているのは間違いない。電線の描写も少し不自然な感じになっている。
 シャッタースピードが速かったようで、右折する車が止まっていてブレていない。ブレるのと、ブラすのと、止めるのと、意識的にコントロールできればそれに越したことはない。

ISO1600-8

 大森の洋菓子ナポリ。ここも古い。昭和の洋菓子屋さん然としている。
 何度かここのケーキは食べたことがある。とても基本に忠実にケーキという印象だ。今どきは、甘さ控えめとか、見た目重視とか、気取ったものが多くなったケーキだけど、たまにこういうところのものを食べるとホッとする。場所もよくないのにここまで持っているということは、昔からのおなじみさんが多いのだろう。
 これもあまり高感度ということを意識させない写真だ。かなり暗いシチュエーションだから、普段なら撮るのをあきらめている。時間的な余裕があれば、最初に高感度を撮って、2枚目、3枚目で感度を下げて押さえ撮りしておくという方法もある。ノイズと画質のトレードオフということで、あとから選択すればいい。

ISO1600-9

 大森のファミリーマート。わりと最近できた店だ。最近といってもここ何年かだろうけど。
 この写真は超高感度にもかかわらず、グラデーションがよく出ている。感度を上げると物体のディテールが失われるだけでなく、色の再現性も低くなる。でも、この写真は悪くない。
 周辺減光は高感度とは関係なくて、このレンズの欠点だ。個人的には周辺減光は嫌いじゃない。

ISO1600-10

 子供の頃、このあたりに住んでいたので、大森というのは馴染み深くもあり、懐かしくもある場所だ。
 この和菓子屋さんは、私が物心つく前から営業していた。子供の頃でさえずいぶん年季が入っていたから、だいぶ長く続いている。代替わりもしたのだろう。店の名前が思い出せなくてネットで調べた。ああ、そうそう、大泉堂だ。もう何十年もここのまんじゅうは食べてない。あの頃と変わったのか変わってないのかも、今となっては判断ができない。
 子供の頃は、ここの横を通って、裏を抜けて父親と雨池へよく釣りに行った。あの当時は雨池もぼうぼうの草に覆われた野生の池で、よくヘビとかもいた。フナとかコイとかけっこう釣れた記憶がある。今はすっかり人工の池になってしまった。それでもたまに、渡りのカモなどを撮りに行く。このブログでもちょくちょく登場している。今年もミコアイサはやって来てくれるだろうか。
 写真はこれも高感度っぽくない仕上がりになっている。どういう状況のときに高感度を使えばいいのか、まだよく分からない。

ISO1600-11

 ここも大昔からあるレコード屋だ。名前からしてレコード屋から変わっていない。まだカセットも売ってるようだ。
 私がこのあたりに住んでいたのは、幼稚園の頃だから、自分でレコードを買うということはなかった。でも、「泳げたいやきくん」を買ってもらったのはここだったかもしれない。あとは母親の付き添いで入ったくらいだ。
 自分でレコードをよく買ったのは、元補の「サニーレコード」だ。その店ももう、ずいぶん前になくなった。店主のおじさんの顔はよく覚えている。

ISO1600-12

 昔住んでいたアパートは、二世帯住宅の三階建ての立派な家になった。これは当時の大家さん一家の家だという話を聞いた気がする。
 このアパートと、中庭と、大家さんの家と、それら断片的なところから私の記憶は始まっている。それ以前のことは思い出せない。アパートの2階の廊下とか、入り口の様子なんかは覚えている。今はそれらの面影はまったくなくなってしまった。
 屋根の上に出ているのは、半月だった。ぼんやりしてしまって形もよく分からない。微妙な手ぶれだろうか。

ISO1600-13

 かなり暗くなった矢田川の土手。夕焼け色がまだ残っていてきれいだと思って撮ったのに、写真ではあまり色が出ていない。そのあたりも高感度によるものだと思う。グラデーションがきれいじゃない。
 ただ、ここまで暗くても撮れてしまうのがISO1600だ。階段にしゃがんで、肘をヒザの上に乗せて固定して、シャッタースピードは1/2くらいだった。

ISO1600-14

 土手の下にとめた車の中からフロントウィンドウ越し。
 実際はここまで暗くなかったのだけど、写真をこれ以上明るくするとノイズまみれになってしまうので、ここまでにしておいた。空の色が、筆で塗ったようになっている。車のヘッドライトに騙されて、シャッタースピードが速くなりすぎたというのもある。絞りやシャッタースピードによるノイズ量の変化というのもあるかもしれない。

 2日間の実験的高感度撮影で得られたのがこれらの写真だ。把握できたところもあり、まだ掴み切れていないところもある。どういう条件なら積極的に高感度を使っていっていいのかというは、ちょっと分からない。デジの小さな液晶モニターでは、細かいところまでは判断できない。やはり、条件を変えて何枚か撮っておくというのが自衛策ということになるのだろう。
 小ネタの企画ものとしては、なかなか面白かった。近所も回れたし、そういう部分でも収穫はあった。大森も、もうちょっとちゃんと歩いて写真を撮っておこう。大森銀座や、昔のスーパーのあたりがどうなってるのか気になるところだ。
 明日からはフィルム写真シリーズがしばらく続くことになる。大きなネタはないけど、小ネタがいくつかあって、企画ものもある。
 ヒザの回復を待って、来週は遠出もしたいと考えている。

養老昭和幻想風というタイトル通りの写真にならず <養老第5回>

観光地(Tourist spot)
養老5-1

Canon EOS 20D+Canon EF135mm f2.8 SF



 養老シリーズ最終回は、ソフトフォーカス編での締めくくりとなる。
 行く前のイメージとしては、ひなびた昭和の観光地を想像していたから、養老昭和幻想みたいな感じで撮ろうと狙っていたのだけど、行ってみると頭の中のイメージとはずいぶん違っていて、思惑通りにはいかなかった。タイトルももう考えてあったのに。
 135mmという画角も、スナップ的に撮るにはちょっと苦しかった。50mmか、せめて90mmなら、もう少しイメージに近い写真になっていたと思う。ソフトフォーカスレンズの試行錯誤は続く。
 滝写真も、ソフトレンズではほとんど撮れなかった。中望遠域の手ぶれ補正なしは明るい条件じゃないと厳しい。このときは夕方が近づいて、山の中にある滝には光が差していなかった。

養老5-2

 今回ソフトレンズで撮った中ではこれが一番気に入った。なんとなく雰囲気が好きだ。ちょっとあの世の光景みたいに見えないでもない。
 それにしても、養老の滝を見る人がこんなにもぞろぞろと歩いているのは驚きだった。平日の夕方に団体さんが訪れるほど人気のスポットだったのか。どこかへ行ったツアーの帰りだろうか。まさか遠方から養老の滝だけを見に来ていたわけでもあるまい。

養老5-3

 高いところにあるリフト乗り場。万国旗という感性が昭和だ。今でも学校の運動会に万国旗は飾られているんだろうか。
 私は帰りにリフトに乗ろうと思っていたのだけど、考えてみるとここは滝へ向かう乗り場だ。帰りにここに寄っても、ここはゴール地点だから何の意味もない。完全に勘違いしていた。乗るなら滝の上から乗って、ここで降りないといけないのだった。
 濃尾平野を一望する風景はどんなだったんだろう。リフトの怖さ加減も気になるところではある。

養老5-4

 このあたりが養老のいいところだ。この絵は誰に頼んで描いてもらったんだ。同じ看板があちこちに立っている。絵はまったく同じなのか、微妙に違っていたんだろうか。
 この感覚はレトロだ。昭和のど真ん中と言っていい。

養老5-5

 養老名物の一つに流しそうめんがある。養老の滝の水だか、菊水泉だかを使って、そうめんを流して食べる。これがけっこう美味しいらしい。水道水で流すよりも美味しいであろうことは想像がつく。
 秋に入ったということで、店はもう営業していなかった。やはり夏の風物詩ということで、暑い時期だけなのだろう。それで商売が成り立つとも思えないから、他のことと兼用でやっているのだろうか。

養老5-6

 お店の名残のような、民家のような、どっちとも言えない家屋の二階。光が当たって、ちょっと雰囲気があった。
 手前にはもみじがあるから、紅葉の時期はもっと絵になることだろう。

養老5-7

 田舎造りの家の一階。全体はもっといい感じだったのに、これだけしかレンズに収まらなかった。撮りたいものを離れて撮れない状況もある。
 手前の花も入れてはみたものの、明暗差がきつすぎて飛んでしまった。絞りの問題もあるし、ソフトレンズの場合は、欲張っても全部は写しきれないことを知る。マクロレンズ以上にポイントを一つに絞る必要がありそうだ。

養老5-8

 消火栓という張り紙があって、錆びた缶ががかぶせられ、使用禁止とある。禁止以前に使用できる状況にはなさそうだ。

養老5-9

 養老みやげの定番といえば、ひょうたんと相場が決まっている。しかし、これほどもらって困るおみやげはない。使い道はないし、飾っておくには部屋とのマッチングの問題がある。特に大きいものはしまっておく場所にも困る。いまどき、腰にひょうたんをぶらさげて水筒代わりに使っている人など、見たことがない。
 それでもたくさんぶら下げて売っていたから、それなりには売れるのだろうか。年配の人にとってみれば、養老といえばひょうたんというのは切っても切れない関係性にあるに違いないから、記念に一つ買っていこうかとなる。
 私も昔行ったときに小さいやつを買ってもらった記憶がある。あれはもうなくしてしまったけど、どこへやったんだろう。

養老5-10

 今回の再訪で唯一思い出した気がするおみやげ屋さん。この座敷で何か食べたのは記憶違いではないと思うのだけど、それにしてもその他のことを何も思い出せないのも釈然としなかった。子供の頃の記憶というのは、そんなにきれいに忘れてしまうものだろうか。現地へ行ってまでこれほど思い出せないとは思わなかった。養老自体はそれほど大きく様変わりしてるとも思えないのだけど。

養老5-11

 一番下の方にあったおみやげ屋さん。ここは観光地のみやげ物屋というよりも、昭和の駄菓子屋さんの風情だった。このまま昭和50年代に移しても違和感はない。
 21世紀になっても変わらない光景が残っているというのは嬉しいことだ。

養老5-12

 俳句ポストが設置されていた。誰でも俳句を書いて、ここに投函することができる。
 養老は和歌などにも力を入れているようで、あちこちに歌碑や句碑が建てられていた。詳しくは見なかったけど、万葉歌碑の他、北原白秋歌碑や芭蕉句碑などもあったようだ。

養老5-13

 養老公園に戻ってきた。これが養老の滝のなれの果てだと思うと寂しい感じもするけど、公園内の水の造形と思えば、なかなかセンスがいい。

養老5-14

 のぞき見えた濃尾平野の一部。どこからも木が邪魔して、一望というわけにはいかなかった。リフトからだと、もっと高いところからこの風景がパノラマで見えたはずだ。

 昭和レトロな観光地をソフトフォーカスレンズで幻想的に切り取るという試みは成功しなかった。私がソフトレンズを使いこなせていないということがあるにしても、養老の滝自体が思うほどさびれていなかったという方が大きい。言葉は悪いかもしれないけど、笑えなかった。意外と普通だったし、思った以上に流行っていて驚きもした。
 ただ、行っておいてよかったのは間違いない。子供の頃以来の久々の再訪は、いろいろと思うところも多かった。
 養老を誰にどうオススメすればいいのかは、難しいところだ。あまり写真向きのところではない。遊びに行くといってもそんなに面白いものがあるわけでもなく、肝心の滝自体の魅力がもう一歩というのもある。養老公園全体として、のんびりしに行くにはいいところだ。私のように表面をなぞるだけではなく、家族で行って養老ランドへ入ったり、養老天命反転地を体験したり、おみやげ屋で何か食べたり、リフトにも乗れば一日楽しめそうだ。
 これから行くとしたら、紅葉の時期に雨が続いて晴れた日なんかがよさそうだ。紅葉の散策路を歩いて、最後に迫力を増した滝が出迎えてくれれば、けっこう感動できるんじゃないかと思う。
 私としては、また30年後とか40年後とかに、自力で歩けなくなる前にもう一回行こう。そのときは今回のことをどれくらい思い出せるだろう。

養老の滝は立派なのにどこか面白みに欠ける滝 <養老第4回>

観光地(Tourist spot)
養老4-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 養老シリーズ第4回にして、ようやく滝までたどり着いた。前置きが長かった。
 リフトに乗らず自分の足で歩く場合は、養老神社を過ぎたあたりから登りがきつくなってくる。距離としてはそんなに長くない。ゆっくり歩いて10分か15分くらいだろうか。暑いときは少し大変だろうけど、このときはちょうどいい気候で、心地よかった。秋の紅葉の時期は、街中よりも寒そうだ。冬は雪が多いんだろうか。

養老4-2

 このあたりの流れも、きれいと言えばきれいだけど、あまりにも人工的すぎる。公園内は特に、流れを弱めることを重視した工事をしている。
 散策路も整備されて歩きやすくなったらしい昔の記憶がないだけに、どのあたりが整備された部分なのか、よく分からなかった。

養老4-3

 整備されたのはこのあたりかもしれない。手すりもついて安全対策も取られているし、下もアスファルトで固められて歩きやすくなっている。訪れるのは年配の人も多いから、こういう配慮はいい。
 ただ、登り勾配はきつく、いい道は続かないのだった。

養老4-4

 最後に来て道は突然ワイルドになる。ここまでに体力を使い切ってしまうと、足を取られたりつまづいたりしがちだ。最後くらいは野趣溢れる自然の道を堪能してもらおうという養老の滝側の粋な計らいか? 滝までの200メートルくらいはちょっと厳しい。でも、ここを登ればもう滝はすぐ目の前だ。
 リフトから行くと、滝の上に出て、道を下って滝を見に行くということになるようだ。それもちょっと変な感じがする。

養老4-5

 道が荒っぽくなったあたりから、川は自然な姿を見せる。これが本来の滝谷の流れだろう。
 しかし、これだけの段差を下っていくと水の勢いというのは相当強いものになるのだろう。大雨が降ったらすごいことになりそうだ。台風のあとの養老の滝の写真を見たけど、瀑布になっていた。あれは写真で見ても大迫力だった。大雨のあとがねらい目というのを覚えておいていいと思う。

養老4-6

 ようやく滝前に到着。ああ、ここか。なるほど、こんな感じかと、あまり感慨はない。見た覚えもない。
 落差32メートル、幅4メートル。スケールとしては立派なのに、この滝には何かが足りない。豪快さもなく、色気も愛想もない。ただ水が流れ落ちているだけといった感じなのだ。生真面目で面白みがない優等生のような滝だ。フォトジェニックでもない。

養老4-7

 こんな流れを撮りつつ、更に上を目指す。滝壺の近くまで行けるようになっている。

養老4-8

 このあたりが一番絵になるところだろうか。足場の岩は濡れているから、滑り落ちて流されないように気をつけたい。滑って転んで水の中に落ちて、岩場に打ち付けられながらおみやげ屋のあるあたりまで流れ落ちていったら、カメラだけでなく自分の身も危ういことになる。

養老4-9

 これが一番上で、ちょっとした広場になっている。一応低い柵のようなものがあるけど、行こうと思えば滝壺近くまで行ける。ただ、修行で滝に打たれてみるには滝の勢いが強すぎる。たぶん、首の骨がどうにかなる。
 こうして間近で見ると、なかなか立派なものだ。うん、悪くない。
 とはいえ、華厳の滝が97メートルで、那智の滝が133メートルということを思えば、養老の滝はずいぶん格下だ。日本三大滝を自認するのはちょっとおこがましい。ここはやはり袋田の滝に日本三大滝の座は譲ろう。あちらは落差はさほどではないにしても、4段に落ちる変化のある滝で、滝の長さとしても73メートルある。好きな滝アンケートで1位にもなっているし。

養老4-10

 滝は誰がどう撮ってもあまり変わり映えがしない被写体だけど、養老の滝は特にそうだ。周囲にも面白くなる要素は見あたらないし、撮れる角度も決まってしまう。季節の変化も劇的というほどでもないだろうし、光によってもさほど変化はなさそうだ。近所に住んでいても、何度も通いたいと思わせるような滝ではない。

養老4-11

 岩場を流れる水をもう一度撮ってみるも、面白みがないのであきらめた。滝撮りはもう終わりにして帰ることにする。
 帰りは同じレンズではつまらないということで、ソフトフォーカスレンズで撮りながら帰って行った。その写真を明日の最終回で使うことになる。
 つづく。

養老の立役者源丞内にまつわる寺社参拝と墓参り <養老第3回>

神社仏閣(Shrines and temples)
養老3-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 養老シリーズ3回目は、滝編ではなく神社仏閣編にした。そっちを先にした方が、養老の名前の由来や歴史なんかを説明しやすいから。滝については特に書くこともないから、ほとんど写真だけになると思う。
 養老公園の中には、養老寺(ようろうじ)と、養老神社がある。養老説教場というのもあるらしいのだけど、たぶん遠いだろうと思って省略した。けど、帰ってきてから分かりやすい養老公園のイラストマップを見つけて、それを見ると思ったよりも近いことが分かった。失敗したか。妙見堂というのもあるし、大菩提寺というのもあった。やっぱり事前の下調べは大切だ。ただ、それらを回っていたら、津屋川の彼岸花は完全に間に合ってないから、今回はしょうがいないところだったとも言える。
 そんなわけで、今日は養老寺と養老神社について紹介したい。

養老3-2

 ここらは水には事欠かないから、手水舎もきれいな水が流れていた。水道水ではなく、そこらから湧き水でも引っ張ってきてるのだろうと思う。こういうところで手を洗うのは気持ちいい。柄杓(ひしゃく)が金属製でちょっと情緒を欠いたけど。

養老3-3

 境内は狭く、半分は幼稚園の運動場として占領されている。堂から離れて写真を撮ろうとすると、必然的に幼稚園の敷地に入り込むこととなる。柵などはないから入ってもいいのだろうとは思うけど、お遊戯中だったりすると、写真を撮りづらい。幼稚園児たちに囲まれてお寺の写真を撮っている男の図は明らかに変だ。
 堂が二つ並んでいて、左の不動明王という提灯が下がっている方が不動堂で、右手の方が本堂のようだ。その右にも建物があって、そちらは半分ブルーシートがかぶせられていて朽ち果てそうになっていた。このお寺自体、相当痛みが激しくてこのままでは長くは持たない感じだ。
 不動堂に安置されているのが、高さ97センチの滝守不動明王立像で、岐阜県の指定文化財になっている。
 やはり滝といえば不動明王がつきもので、養老山麓がかつては修行の場だったことを物語っている。昔は不動堂養老寺と称していたという。
 創建は奈良時代で、養老の滝伝説の主人公、源丞内が開いたとされている。
 もともとは法相宗で、創建時はここから南東1キロほどのことろにあったそうだ。当時は養老寺や養老の滝を中心とした養老山地が法相宗の修業地となり、広大な境内に多くの伽藍が建っていたそうだ。それらの伽藍は、織田信長の兵火でことごとく焼失してしまったらしい。
 安土桃山時代に、伊藤祐盛という人物がこの地に寺を移し、江戸時代に入った1607年に美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助で本堂が再建されて、浄土真宗に改宗された。

養老3-4

 本堂の方もかなり年季が入っている。見ている分には古めかしくていい。
 本尊の十一面千手観世音菩薩は、国の重要文化財だから、本堂ではなく宝物庫にしまわれているのかもしれない。鎌倉時代の作とされるもので、兵火で寺が焼かれたとき養老の滝に隠して難を逃れたという話もある。
 この寺は不老長寿に御利益があるというので、昔から大勢の参拝客が訪れたという。

養老3-5

 小さいながらも頑丈そうな宝物庫がある。徳川家康が寄贈したという鎌倉時代の太刀や、平安時代の太刀などの重要文化財を所蔵している。
 こんなところで信長や家康の名前が出てくるとは思わなかった。

養老3-6

 お寺の横には、孝子源丞内の墓がある。養老一の有名人のお墓にしては、こぢんまりとして、少し荒れているような印象も受けた。

養老3-7

 養老神社は、リフト乗り場近くの、少し奥まったところにある。散策路を普通に歩いていると見落としてしまうかもしれない。
 入り口からしてなかなかいい雰囲気だった。階段を登った上に本殿がある。

養老3-8

 神社の境内にある菊水泉から、滔々と水が流れ落ちてきている。みんなここへ水を汲みに来るようだ。近所だったら、ミネラルウォーターを店で買う必要もなく、もらいたい放題だ。
 この水を飲んだ全員が若返って不老長寿になってしまったら、それはすごく困るけど。

養老3-9

 この神社に関しては、はっきりしたことはよく分からなかった。創建の時期は不明ながら、ここも源丞内ゆかりの神社だそうだから、始まりは奈良時代ということになるだろうか。平安時代の美濃国神明帳には養老明神と出ているそうだ。
 どういういきさつがあったのか、1504年には菅原道真を合祀して養老天神に改称されている。
 その後、明治に入って、近くにあった元正天皇・聖武天皇祭場を移転して合祀し、そのとき養老神社となった。
 もともとは、菊理姫(菊理媛神)を祀った神社だったという話もある。黄泉の国でもめたイザナギとイザナミを仲直りさせて、のちに白山神社の神となった神様だから、養老の古い山岳信仰が始まりだったとも考えられる。
 菊水泉の名前も、菊理姫から来ているのだろうか。

養老3-10

 手前が拝殿で、奥の高いところに本殿がある。本殿は最近建て直されたのか、新しかった。
 すごく簡略化された木造の小屋みたいだけど、最初からこんなふうだったのか。これじゃあ、山小屋みたいではないか。まだ建てている途中だったりするのだろうか。

養老3-11

 神社の境内に菊水泉はある。養老の滝伝説というと、滝の水を汲んで帰った息子が、年老いた父親に飲ませたところ酒に変わって喜ばせたというというのが一般的な話として伝わっている。ただ、実際問題として、滝から水を汲むのはとても危険で、あえて滝の水を汲み必要があったのかという疑問がある。むしろ菊水泉から汲んでいった水を飲んだ父親の病気が治ったとかの方が現実的なような気がする。
 養老山地から湧き出た水は、カルシウムやマグネシウム、カリウムなんかを豊富に含んだ天然のミネラル水だ。これを飲めば体調がよくなるということは充分に考えられる。年老いた酒好きのお父さんに無尽蔵に酒を飲ませることが親孝行とも思えない。それじゃあ、水道の蛇口から無限にジュースが出てきたらいいなと言ってる子供とあまり変わらない。
 ただ、このエピソードはまんざら作り話というわけでもなく、「続日本記」や「古今著聞集」に書かれていることだから、何らかの元エピソードはあったのだろう。ここの水がいい水で、健康や若返りに効果があるといった話が広く伝わっていたのは確かなようだ。時の元正天皇(女帝)もこの話を聞いて感心して、老いを養う若返りの水は天の恵みに違いないということで、元号を養老に改めているくらいだ。そのとき、源丞内を美濃守に任命し、この地方の税を免除したとも言われている。
 元正天皇がこの地を訪れ、菊水泉で沐浴して、痛いところが治って若返ったという伝説もあるけど、まあおそらくそれはないだろう。この水を都まで運んで、みそぎなどに使ったということはあり得る話かもしれない。

養老3-12

 養老神社のもう一つの入り口。
 菊水泉の案内も出ている。菊水泉は名水百選に選ばれている。

養老3-13

 養老神社を出てすぐのところに金比羅さんがあった。どうしてこんなところに。
 金刀比羅神社といえば、総本社は香川県の金刀比羅神社で、瀬戸内海の航海の安全を守る神様だ。のちに龍神と結びついて雨乞いの神となったりしつつ、今は大物主神が祭神になっている。養老とはあまり関係がない気もするのだけど、いつ誰が建てたものなんだろう。詳しいことは調べがつかなかった。

 養老公園の神社仏閣は、とりあえずこの二つを巡っておけば充分だろう。お寺と神社とワンセットになっていてちょうどいい。両方とも養老伝説の源丞内にまつわるところだから、寄っておいて損はない。菊水泉の下の方で水を飲んでおくのもいい。神社仏閣好きの人は、私が行けなかったところまで全部回ってきて欲しいと思う。
 明日はやっと滝の写真が登場する。
 つづく。

養老のおみやげ屋通りを歩いても幼少の記憶は戻らず <養老第2回>

観光地(Tourist spot)
養老2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 ここは養老の滝の下流約1キロ地点。橋の上に立って自分の影を見つけると、つい記念撮影をしてしまう。垂井でもやった。他でもやった気がする。次はポーズ付きでやろう。
 この川の名前を、滝谷という。養老山地から始まるこの川は、養老の滝となって流れ落ち、養老公園を横断したあと、別の流れと合流して、津屋川と名前を変える。彼岸花を見に行ったあの川だ。津屋川は揖斐川と合流し、伊勢湾へと注ぎ込む。水もまた長い旅をしている。
 養老シリーズ第2回でもまだ滝は登場しない。そこへ至るまでの散策路と、おみやげ屋紹介で時間切れとなり、次回に続く。もしかすると、間に神社仏閣が挟まって、滝は更にそのあとになる可能性もある。
 実は、養老の滝というのはそんなにたいしたものではない。日本三大名瀑の一つを自称しているけど(一般的には袋田の滝の方が入る)、華厳の滝や那智の滝なんかと比べると迫力はだいぶ落ちる。すごく期待して行くと、拍子抜けしてしまう。
 私が見たかったのは滝よりもおみやげ屋通りの昭和ムードだった。子供の頃のぼんやりしたイメージと、現在の様子を見比べてみてどう感じるだろうというのが興味の大半だった。そういう意味では、養老シリーズのクライマックスは今回と言っていい。滝そのものは、ついでに見に行ったようなものだ。
 結論から言うと、非情にがっかりしてしまったというのが正直な感想だった。かなり寂れていて、昭和の名残が色濃いひなびた観光地を想像していたのに、行ってみたら意外と流行っているではないか。確かにおみやげ屋などはどこも古びていて昔のままのところも多いのだけど、訪れている人が多すぎる。活気がありすぎて面白くない。途中で団体さんまでやって来て、一時は100人以上の観光客に囲まれることとなってしまった。行く前は、せいぜい5、6人としかすれ違わないんじゃないと思っていたから、大きく思惑は外れることとなった。
 平日の午後ということもあってか、若いカップルも多かった。滝デートはありらしい。自分が大学生の頃は、デートで養老の滝に行くなんて発想はみじんもなかったけど、最近の傾向なのか、昔から密かな人気スポットだったのか。
 そんなわけで、他の人たちとは違う意味で拍子抜けとなった養老の滝行きだったけど、写真だけはやたら撮ってきたので、順番に紹介していきたい。たぶん、おみやげ屋にこんなにスポットを当てた養老の滝紹介は他にないだろうと思う。

養老2-2

 正面遠くに見えているのが養老山脈だ。
 滝谷はこれでもかというくらいに自然の姿を打ち消されて、完全に牙を抜かれた状態となっている。豪快な滝が、1キロ先にはこんな姿になり果ててしまうのは、けっこう悲しいものがある。ここまで工事する必要があったんだろうか。大雨が降ると洪水になってしまうのかもしれない。

養老2-3

 少し秋の気配。でもクモの巣のが張っていて、まだ夏の名残。
 北海道ではもう紅葉が始まっているというし、そろそろどこへ紅葉を撮りに行くか考えないといけない時期になってきた。去年は奈良と鎌倉へ行ったから、今年は京都かなとも思っている。

養老2-4

 橋を渡って、駐車場を過ぎたあたりから、おみやげ屋が現れる。一部閉まっている店はあるものの、思いのほか古びていない。
 しげしげとあたりを眺めつつ、こんな感じだったかなぁと、記憶の中にあるイメージとのギャップを感じた。覚えているのはこんな風景ではなかった。道はここしかないはずだ。子供の頃の記憶というのも、いい加減なもので、他の場所で見た風景やテレビで観た光景などがあわさって、本来のものとは違ったものに作り変えられていることが多い。
 このあたりの風景自体がどういうふうに変化したのかもよく分からない。今更だけど、昔のアルバム写真を見てから行った方がよかったか。押し入れのどこかにしまい込んでいるはずだ。

養老2-5

 ここで洋品店を営むか。養老の滝を見に行った帰りに、ついでにワンピースでも買っていこうかしら、なんて人はまずいないと思うのだけど。全然おみやげ物とも関係ない。
 周囲に少し民家もあるから、そういう人たち向けなのだろう。洋品店なのに喫茶もやっているらしい。店の中の一角がカフェになっているのだろうか。かなり斬新だ。

養老2-6

 これはかつての旅館だろうか。看板には「瓢遊亭」とある。ネットで調べてみたら、化粧品・ジュエリー・ファッション小物の店と出ていた。本当か。店の佇まいからしてそんな感じはしないのだが。そういえば、表のショーウィンドウの中には、ひょうたんとか人形などの置物が飾られていたような気がする。とすると、やっぱり本当にそういう店なのかもしれない。
 二階の窓あたりを見ると、昔の旅館っぽい風情が感じられる。

養老2-7

 そろそろ本格的なおみやげ屋通りに入ってきた。営業していた店は、10軒弱くらいだったろうか。それだけ店があるということは、それなりに人がやって来て、営業が成り立つくらい売り上げがあるということだ。私が思っている以上に養老の滝というのはメジャーな観光地らしい。瀬戸の岩屋堂などと一緒にしてはいけない。
 上り坂は最初から始まっていて、それが最後までずっと続く。終盤の300メートルくらいはかなり急になるから、途中であきらめてしまう年配の人もいた。私は奈良と滋賀・岐阜歩きで痛めたヒザがまた悪化することになった。今日になってもまだ完治しない。

養老2-8

 歩き進んでも記憶はいっこうに戻らない。見覚えのない風景が続く。記憶喪失というのはこんな感じかもしれないと思う。思い出そうにもどうにも思い出せない。
 子供の頃というのは、案外風景を見ていない。自分の興味のある対象が次々と切り替わっていって、全体を俯瞰して関係性を把握しようとか、この風景を覚えておこうという頭がない。だから、記憶は断片的なものとなって、上手くつながらない。
 それにしても、ここまで思い出せないとは思わなかった。ちょっと焦る。

養老2-9

 養老といえば、養老サイダーを思い出すという人も多いかもしれない。昔から養老の名物だった。
 ただ、本家養老サイダーは、施設の老朽化と職人の高齢化で、2000年に工場が閉鎖になって製造中止になってしまった。それを受けて、現在は別の会社が養老山麓サイダーという名前で再販している。
 ちょっと飲んでみようかと思いつつ、やめてしまったのは、大人になってからの私は炭酸水が苦手になってしまったからだ。子供の頃は毎日がぶ飲みしていたのに、大学生くらいからほとんど飲まなくなった。辛いから、というお年寄りみたいな理由で。
 ごく稀に飲んでみると、ファンタ程度でも涙がにじむ。コーラなど、辛すぎて飲めない。
 昔はコーラとかサイダーとかソーダ水とか、よく飲んだものだ。あの味の記憶は、今でもはっきりと残っている。

養老2-10

 若いカップルとすれ違って、振り向いて写真を撮ったとき、左の店の座敷で何か食べたかもしれないと、ふと思った。味噌田楽のようなものを食べたような記憶がよみがえったのだけど、定かではない。
 両親に訊いてみても、そこまでは覚えていないだろう。その記憶は、京都での記憶と混乱しているようにも思える。
 結局、最後までおみやげ屋通りの記憶が戻ることはなかった。本当に私、養老の滝へ行ったことがあったんだろうか。

養老2-11

 このおみやげ屋が最も昭和の風情を色濃く残す店だった。30年くらい変わってないんじゃないだろうかと思わせる。
 ラムネという響きも懐かしい。そういえば昔はサイダーといえば三ツ矢サイダーのことで、一般的にはラムネといっていた。フタのビー玉を押し込んで口を開けて飲むやつ。あのビー玉を取り出したかったのだけど、確かビンを返すと10円とかもらえたんだった。
 コーラもペプシももちろんビンで、自販機に栓抜きが付いていた。当たりが出ると、ルパン三世の下敷きがもらえるとか何とかがあったんじゃなかったか。

養老2-13

 おみやげ屋が終わると、上り坂が急勾配になってくる。右手の建物は、かつてのお食事処のようだけど、閉鎖されて久しい感じだった。養老の滝全体がこんなふうになっていると私は想像していたのだった。
 養老を侮っちゃいけない。

養老2-14

 これは旅館だろうと思ったら、酒屋さんだった。看板を掲げているところをみると、今でも営業しているのだろうか。
 ここで橋を渡って左から養老の滝を目指すことになる。右にはリフト乗り場があって、そこから滝へ行くこともできるのだけど……。

養老2-15

 リフト乗り場自体が異常に上の方にあって、険しいつづら折りの階段を登っていかないといけないのはどうにかならなかったのか。この階段を登る体力と時間があったら、そのまま道を行ってもほとんど変わらないんじゃないかと思う。リフトの宣伝文句は、「濃尾平野を一望」だから、楽をするためにリフトを利用するのではなく、景色を眺めるためというのが主目的かもしれない。実際、登りよりも下りの方が利用客が多いらしい。そんなリフト、あんまり聞いたことがない。
 私も帰りに乗っていこうと思っていたら、営業終了時間になっていた。5時までと思っていたら、10月から4月までは4時半で終わりだった。失敗した。そうと知っていたら行きに乗っていたのに。
 しかし、リフトというのは文字通りスキー場にあるあのリフトで、高所恐怖症の人はとても乗れないくらいスリリングらしいから、私もちょっと危なかったかもしれない。片手で掴まって、片手で写真を撮れたかどうか自信がない。
 リフト乗り場には、昭和50年代に一世を風靡したインベーダーのゲームテーブルが今も現役で置いてあるという話だったから、それだけでも見たかった。

 ここから先は、もう特に何も見所はなく、滝を目指して坂を登っていくだけだ。その先に大きな感動は……たぶん、ない。ああ、なるほど、こういう感じかぁというちょっとした感慨があるだけだ。養老の滝が不幸だったのは、滝とセットになる観光名所を持たなかったことだ。あともう一つでも惹きつける要素があれば、その後の運命も違ったものになっただろう。紅葉の時期はけっこう賑わうのかもしれない。
 養老シリーズは、あと3回の予定だ。滝編と、神社仏閣編と、番外編が残っている。
 明日に続く。

使えたのはグリルとレンジとコンロの強火だけサンデー

料理(Cooking)
グリルサンデー

PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 他



 ガステーブルが壊れてピンチ。しばらく前から自動で火がつかなくなって、チャッカマンでつけていたのだけど、とうとう手動でもつかなくなってしまった。こりゃまいった。そもそもチャッカマンを使ってる時点でどうにかしないといけないと思い至るべきだった。時代に逆行してしまっている。
 昨日あたり本格的に火がつかなくなって、サンデー料理のピンチに陥ることとなった今日、そうだ、まだ魚焼きグリルがあるじゃないかと思いついた。電子レンジだってある。文明は私を見捨ててはいなかった! グリルの着火も、もちろんチャッカマンなのだが。
 そんなわけで、急きょグリルとレンジを使った料理をすることになったのだけど、なかなか制限が厳しい。まず汁物は駄目だ。スープもできないし、汁っぽいもの全般は不可となる。基本はレンジで蒸すかグリルで焼くという二通りしかない。焼くといってもグリルでは限界があるから、どうしても簡単な料理にせざるを得なかった。
 などと言い訳を考えながら作り始めたら、途中でガステーブルが復活。眠りから覚めて火がつくようになった。ただし、火を小さくするとまた消えてしまうので、すべて中火以上での調理となり、それはそれで厳しい戦いとなった。弱火を封印されると料理はとたんに難しくなることを思い知る。常にかき回していないとすぐに焦げ付いてしまう。オール強火では中華しか作れない。

 まず最初に思いついたのは、グリル焼き豆腐だった。豆腐田楽はグリル料理の定番で、これは前にも何度か作ったことがった。フライパンで焼くよりもふっくら仕上がって、美味しくなる。水分を失いすぎないように、表面にオリーブオイルをたっぷり塗るのがコツだ。
 最初、味噌田楽にするつもりが、気がついたらひき肉そぼろになっていた。ひき肉を使いすぎたし、味噌の分量が少なすぎた。
 このときは一時的にコンロが復活していたときだったので、強火に苦戦しながらも鍋で炒めて作った。味噌、しょう油、酒、みりん、砂糖、七味、塩、コショウ、豆板醤、卵黄で味付けてしてある。
 味噌田楽にするなら、味付けした味噌ソースを豆腐に塗って、グリルで焼けばいい。グリルは焼くことはできても炒めることはできない。

 左手前はレンジとグリルと両方使った白身魚の料理だ。
 白身の切り身に塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いたあと、ラップでくるんでレンジで2分。
 ソースは、シーチキンとマヨネーズがベースで、刻みタマネギ、からし、コショウを加えている。
 レンジから取り出した白身の上にマヨツナソースを乗せて、グリルで2分ほど焼けばできあがりだ。バジル粉を振って香りづけをした。
 これはお手軽で時間もかからないし、白身魚を美味しく食べる一つの方法だ。グリルの活用法としてもオススメできる。
 冷めた天ぷらなども、オーブントースターで加熱するよりも、グリルでやった方が美味しく戻るそうだ。

 一番奥の野菜焼きは、当初の予定から大きく逸脱した一品だった。
 魚焼きグリルの中は意外に狭い。だから、一度にたくさんの食材を焼けないという欠点がある。最初は、グリルでいろいろな野菜を焼いて、温野菜料理にしようと考えていたのだけど、やろうとしたら野菜が全然入らないのであきらめた。一つ、二つと焼いていたら、時間がかかってしょうがない。
 なので、コンロが復活しているうちに湯がきと炒めをやって、結果的には普通の野菜炒めになってしまったのだった。料理としては失敗ではないにしても、思惑から外れたのは確かだ。
 多少の工夫としては、めんつゆで味付けをしているという点だ。カボチャを強火で湯がいていたら、とろとろに溶けてしまったので、いっそのことカボチャ味の野菜炒めにしてみた。全体に黄色くなっているのは、カレー粉で味付けしたわけではなく、カボチャ色でこうなった。ほんのり甘みが行き渡って、これはこれでいい。
 めんつゆと七味味はいける。これはあまり一般的ではないと思うけど、やってみると美味しい。
 使った野菜は、長ネギ、えのき、ニンジン、カボチャ、タマネギ、ジャガイモ、アスパラ、トマトだ。余り物の野菜を総動員した。生野菜よりも温野菜の方がたくさん食べられるから、私はこちらの方が好きだ。

 コンロ騒動でドタバタしたものの、なんとかサンデー料理として成立させることができたのはよかった。こういうことも経験値になる。
 グリルを上手く活用することは今後ともテーマの一つとして意識していきたい。ガステーブルのコンロは2つしかないわけで、同時に3品作ろうとするといつもどこかで足りなくなるから、そんなときにグリルで同時進行できると時間に無駄がなくなる。調理時間の短縮というのも私にとっての課題だ。
 来週までには新しいガステーブルを買って、心機一転出直したい。もうチャッカマンは嫌だ。できれば両面焼きグリルのものが欲しい。両面焼きができれば時間の短縮というだけでなく、料理の幅も広がる。
 しかし、6万とか7万とかするガステーブルというのは、2万や3万のやつとどこがそんなに違うんだろう。火力なのか、機能なのか、作りそのものなのか。ちょっと興味はあるけど、なかなか買う気にはなれない。
 そういえば、ミキサーも買うと言って買ってない。今となっては、買ってもあまり使いそうにない。あのとき買っていても、今頃はもう使わなくなっていたことだろう。
 今欲しいのは、性能のいいピーラーだ。100円ショップのものは、きれいに皮がむけずにイライラする。結局、たどたどしい手つきで包丁を使ってむくことになって、必要以上に時間がかかる。大根のかつらむきチャンピオンになりたいわけじゃないから、包丁さばきの上達はそれほど望んでいるものではない。ピーラーで済ますことができればそれでいい。外国のステンレス製を買えば夢のようにすいすいむけるのだろうか。
 欲しいといえば、よく切れる包丁も欲しいし、今度東京へ行ったら、合羽橋へ行こうかな。

養老の滝は養老公園から始まり、思うほど昭和じゃない <養老第1回>

観光地(Tourist spot)
養老1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II



 養老の滝を見に行ったのは、津屋川の彼岸花を撮るついでだった。彼岸花の名所を探しているときに津屋川の存在を知って、地図で場所を調べていたら近くに養老の滝がある。せっかくそこまで行くなら養老の滝も見に行っておこうということになって、二つセットメニューにしたのが今回の養老行きだった。今年に入って日光華厳の滝、赤目四十八滝と滝が続いているけど、特別滝が好きというわけではない。日本滝100選を全部制覇しようだなどという野望を持っているわけでもない。
 養老も子供の頃両親に連れられて行って以来だから、ものすごく久しぶりのことになる。かすかに覚えているけど、はっきりしたことはほとんど思い出せないくらいの状態だった。行けば何か思い出すかもしれないという期待はあった。
 大垣インターから養老公園までは20分くらいだっただろうか。ナビの指示に従っていたら、狭い川沿いの土手のような道を走らされて怖い思いをした。普通に258号線を南下して右折した方が分かりやすくて安全な道だ。ナビの考えていることはよく分からない。信じて鵜呑みにしていると、ときどき痛い目に遭う。
 上の写真は、その土手の上を走っているときのものだ。左手に養老山脈が見えていて、とてもいい景色だったのでノールックファインダーで撮った。道路の両脇はガードレールもなく、線を外れたら10メートルくらい転げ落ちていって危ないところだ。

養老1-2

 なんとか無事養老公園に到着した。養老の滝は養老公園の一番奥に位置していて、いくつかの施設が集まった複合公園になっている。開園は明治13年(1880年)と古く、総面積は78ヘクタールとかなり広い。
 どの駐車場に車をとめるかが一つ問題となる。私は施設全体を見たかったから、公園の一番手前にとめたのだけど、ここからだと滝まで1時間くらいかかる。料金は1日300円。滝まで徒歩5分の駐車場もあって、そこならお手軽滝見学となるものの、料金は1,000円に跳ね上がる。おみやげ屋の通りを歩きながらぷらぷら滝見学へ行くなら、真っ直ぐ進んで右折して、橋を渡った先の駐車場がいい。ここも料金は300円で、滝までは30分くらいのコースになる。
 駐車場を出てすぐ左手には、こどもの国という施設がある。ちょっとさびれてる感じで入り口も無人だったから閉鎖したのかと思ったら、開園中という看板が立っていた。どうやら入れるらしい。無料のようだ。
 3万坪の敷地の中に、アスレチックス、図書室、ホール、各種ひろば、森林、プールなどがあるというから、大きな公園といったところだろう。安上がりに子供を一日遊ばせておくにはいいところかもしれない。駐車代金の300円で済む。

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 こどもの国の入り口には、噴水と誰かの像がある。養老の滝の昔話の主人公、源丞内のようだ。このエピソードについては、次回以降のどこかで出てくるはず。今日のところは省略して先へ進もう。
 写真の角度から見ると、小便小僧みたいだけど、実際は手に持ったひょうたんから水が出ている。養老名物はひょうたんなのだ。

養老1-4

 少し歩いて振り返ると、遠くに濃尾平野が見える。入り口からしてすでに上り坂は始まっている。奥にある養老の滝までは、だらだらと登っていくことになる。

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 特に意味のない像を撮ったのは、逆光のテストをしたかったから。標準レンズもやっぱりフードが必要だろうと思ってオプションを買ってつけてみたところ、やっぱり効果はある。シルエットに沈みきることなく、しっかりコントラストも出ている。邪魔でもつけておかないといけないようだ。

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 更に進むと、左に大きな芝生広場が広がっている。ここはもう、こどもの国ではなく、ただの広場なのだろう。ここの左に養老天命反転地という施設がある。

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 平和な午後のひととき。小さい子供を連れたお母さんや、カップルが木陰で寝てたりする。
 これだけ広い芝生広場だから、犬を連れてきてあげたらさぞかし喜ぶだろうと思ったら、公園内はペット持ち込み禁止になっていた。

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 養老天命反転地の前で説明書きを読む若いカップル。入ろうかやめようか考え中。話のネタには面白いだろうけど、実際にはあまり楽しめないかもしれない。
 でもこういうとき、つまらなそうだからやめてしまうのと、つまらないだろうけどものは試しと入ってみるのとでは、人生が違ってくるようにも思う。くだらないこともやっておいて損はない。

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 と言いつつ、私は入っていない。時間がなかったし、ここは一人で入っても楽しめないだろうから。
 どんなところと説明していいのか、入っていない私にはよく分からない。入った人の話を読んでも、入った人自身もよく分からなかったようなので、ますます説明が難しい。分かったのは、前衛芸術的な不思議空間らしいということまでだ。それ以上は不明。
 世界的に有名なアーティストの荒川修作と(知ってる?)、詩人マドリン・ギンズが仕掛けたアート庭園で、水平な地面や線がなくて、でこぼこに歪んだ変な空間になっているんだとか。いろんなところがうねっていたり、傾いていたり、滑りやすくなっていたりで、転倒者続出という話もある。ヒールを履いた女の子とデート気分で入るところではないらしい。楽しめる人は限られそうだ。
 入場料は710円(10円はどこから来た?)。1995年のオープン以来10年以上も続いているところをみると、それなりに入場者はいるようだ。
 ちょっと笑ったのが、月曜定休に加えて荒天時は休みという但し書きだ。雨が降ってるときに傘を差して入るような人も少ないと思うけど、荒天時は当然休みだろう。荒天時といえば、台風とか強風とか大雪とかだ。営業してたらそれはすごい。

養老1-10

 芝生広場を抜けると、今度は変わった形のテントが見えてきた。何の施設かと思ったら、食事処とおみやげ物の建物だった。名前を楽市楽座という。織田信長の許可でも得たというのか?(楽市楽座を最初にやったのは、1549年、近江国・観音寺城の六角定頼だったとされる) 

養老1-11

 施設内には食事処など9店舗が入っていて、本格的な食事はできなくても、ちょっとした軽食ならここで済みそうだ。
 散策中は基本的に何も食べない私なので、ここは素通り。帰りにソフトクリームを食べようかどうしようか迷ってやめた。一人ソフトクリームはけっこう恥ずかしい。マロンソフトは心惹かれたけど。

養老1-12

 養老公園の入り口近辺は、期待したほど昭和色じゃなくて、個人的にはがっかりしてしまったのだけど、中盤あたりから俄然本気を出してきて期待を裏切らない。奥へ進むほど昭和が濃くなっていく。その始まりが、子供用の遊園地、養老ランドだ。
 養老ランドというからスーパー温泉か、お年寄りの施設を想像していたら、子供遊園地だった。古き良き昭和の遊園地がここにある。

養老1-13

 動かない観覧車に、動かないメリーゴーランド。昭和のまま時が止まったかのようだった。まだ営業中の時間だったにもかかわらず、外から見る限り動いているアトラクションは一つもなく、人影も見えなかった。駐車場にあった車はお客のものではなかったのだろうか。
 入場は大人600円で子供400円。乗り物料金は別で、30種類のアトラクションがあるという。どれも100円から200円というから、今の感覚ではしょんぼりなのだろうけど、小さな子供は案外楽しいんじゃないだろうか。最近は子供だましというものを馬鹿にしすぎる。子供だましには子供だましのよさもある。
 けど、ここに私が一人で入って、メリーゴーランドとかに乗ってたら、完全に変な大人だ。園内のスタッフは私の話題で持ちきりになることだろう。そういう話題性をあえて提供することも必要だったりするのだろうか。

養老1-14

 滝を見た帰り道、時間は夕方の5時くらいだったから、出てきた従業員らしき人はもう帰るところだったのだろうか。今日も一日暇だったなといったアンニュイ感が後ろ姿に出ていた。

 養老の滝はまだまだこの先で、半分も来ていない。途中には養老寺や養老神社もあって、滝は一番最後だ。そんなに引っ張ってもったいぶるほどの滝でもないのだけど、養老シリーズは全4回くらいになりそうだ。思った以上に写真を撮っていた。
 初回から枚数が多くなった。今日のところはこれで終わりにしよう。次回はこの続きで、おみやげ屋通りの紹介になる。そこが養老で最も昭和なところで、私は滝よりもそこが見たくて行ったようなものだった。ただ、もっとさびれているのを想像していたら、思いのほか賑わっていて驚くことになる。

津屋川彼岸花後編は現地の不確かな案内と歴史エピソード紹介

花/植物(Flower/plant)
津屋川彼岸花2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II



 津屋川の彼岸花ポイントは、南濃梅園のある対岸あたりだということは、頭では分かっていたつもりだった。一応、海津町のページにあったマップをプリントアウトして持っていったのだけど、これがどうも分かりづらい。彼岸花の時期は、北部グラウンドというところが臨時駐車場になっていると地図にはある。けど、結局最後までその場所を見つけられないままぐるぐる同じ所を回って時間を失うことになってしまった。ハリヨ池近くの小公園の駐車場にとめたときは、すでに日が沈んでいた。
 養老公園がある前の道を南下して、右手にモービル石油がある信号を左折したらあとは道なりに進んで、線路の下をくぐって橋の手前を左に入っていったあたりが駐車場なのだと思う。私はたぶん、一本手前の道を入って、さまようことになったのだろう。
 上の写真は駐車場を探しているときに撮った写真で、ここらにも多少彼岸花が咲いていた。群生ポイントとしては、ここよりもう少し向こう側だ。見えている橋の左手あたりが駐車場なのではないかと思うけど、いまだに確信は持てていない。
 車なら大垣インターから20分くらい。電車なら近鉄養老線の美濃津屋駅が最寄り駅になる。駅から歩くとちょっと距離がありそうだ。

 岐阜県海津郡南濃町にある津屋川(つやがわ)は、木曽川水系の一級河川で、養老の滝がある滝谷などを水源として、揖斐川に合流している。
 ここがいつから彼岸花の名所になったのかは知らない。自然に生えるものではないから、農家の人か誰かが最初に植えて、そこからだんだん増えていったのだろう。絨毯になるほど増えるはずはないから、みんなの手で植えて名所にしていったに違いない。現在は川沿い3キロに渡って10万本が咲く。
 去年は満開がすごく遅くて10月の5日くらいだったらしい。今年は平年並みで9月24日あたりがピークだったようだ。私は一週間遅かった。
 最近はずいぶん有名になったようで、バスツアーの人たちまでやって来るんだとか。見頃になるとカメラの砲列が並ぶというから、そのシーンを撮りたかった。一番人が多いときを狙うなら、中日新聞に載った次の日だ。地元における中日新聞の影響力の大きさは絶大なのだ。
 東海地方では、愛知県半田市の矢勝川も彼岸花名所としてよく知られている。
 彼岸花というと、ちょっと不吉なイメージもあったりして苦手な人もいると思うけど、思っている以上に人気があって、彼岸花名所へ行くと驚くほど大勢の人が来ている。桜と紅葉に次ぐくらいの人気度なんじゃないかと思うほどだ。今まで見た中では、埼玉県日高市の巾着田が一番すごかった。あそこは訪れている人もものすごかった。彼岸花を侮ってはいけないと思い知らされた。

津屋川彼岸花2-2

 この写真の場所の左側が南濃梅園で、右に行くと駐車場じゃないかと思う。暗くなってきていて少しでも撮りたかったから、駐車場を確かめに行く時間がもったいなくて行っていない。帰りに確認しなかったのは、二度来ることはないかなと思ったからだ。もう一度行ったら、もう一回さまようことになるかもしれない。

津屋川彼岸花2-3

 この左手にある水の流れは、用水路か何かで、川は右手に流れている。最初、どれが津屋川なんだかよく分からなかった。
 左前方に見えている家並みは美濃津屋の町だ。線路沿いということで家がけっこう集まっている。家並みの間からときどき養老線の電車が見えていた。時間があれば、彼岸花と電車を絡めて撮りたいと思っていたけど、川とは距離があるのでそれは難しそうだった。どっちみち暗くて電車を撮れるような状態でもなかった。

津屋川彼岸花2-4

 場所によってすっかり枯れ果てているところと、このようにまだよく咲いているところと、まだらになっていた。今年は咲きがよかったようで、人の写真を見ると土手は真っ赤な絨毯のようになっていた。
 土手の上には小さな祠があった。みんなの写真でよく登場しているお地蔵さんはどこにあったのだろう。探したけど見つけることができなかった。あれは川の向こう岸だったか。

津屋川彼岸花2-5

 このあたりがおそらく一番密集して咲いているところだと思う。少しまだらになっていたものの、まだだいぶ残っていた。
 イメージとしては、この上をぞろぞろと歩いている人たちを入れて撮りたいと考えていた。日没後では誰も歩いていない。たまに犬の散歩の人が通りかかるくらいで。

津屋川彼岸花2-6

 この日は風がない日で、川の写真を撮るにはいい条件だった。津屋川は流れがゆるやかで、風がないと川面が鏡面のようになって、景色や空をよく映す。
 明るさが残っていたら、このあたりでPLフィルタを使いたかった。

津屋川彼岸花2-7

 橋の上からの定番撮影ポイント。訪れた多くのカメラマンは、ここから撮る。津屋川のゆったりとした穏やかな流れと、背景の養老山脈、彼岸花の赤が彩りを添える。

津屋川彼岸花2-8

 ソフトフォーカスレンズの描写。普通の写真の中に急にこれが出てくると、突然目がかすんだようになって違和感がある。でも、この写真を単独で見ると、このレンズでもっと撮ってみたくなる。
 ふと思いついたのが、白川郷の合掌造りの家並みだ。雪で白く染まった白川郷をソフトレンズで撮ったら、とても幻想的な風景になりそうだ。
 ソフトレンズはまだ模索中。

津屋川彼岸花2-9

 アオサギが舞い降りた。せっかくならもう少し絵になるところに降りてくれたらよかったのに。鳥はこちらの思惑など考えちゃいない。
 車に望遠も積んでいたけど、この暗さでは使えなかった。望遠で川面に映った姿と彼岸花の赤だけを切り取ればもう少し絵になっただろう。
 この川はカワセミもいるようだ。

津屋川彼岸花2-10

 川の上を何かがすーっと泳ぎ渡っていって、わっ、なんだ、ヘビか、と思ってよく見ると、ヌートリアだった。
 南米産の大きなネズミで、野生化したヌートリアは外来種として問題になっている。水田を荒らしたり、生態系を崩したりして、あまり好かれてはいない。
 最初に見たときは驚いたけど、さほど珍しいものではないから、ちょくちょく見かける。のんきそうに川や池で泳いでいる。

津屋川彼岸花2-11

 この川の一つの名物として、舟で投網を投げる実演というのがある。誰かに頼まれているのか、自らその役を買って出ているのか、おじいさんが小舟をこぎ出して、網を投げる。それをカメラマンたちが撮る。また投げる。また撮る。そしておじさんは陸に上がり、帽子をひっくり返してお金を集めて回るというシステムらしい。あらかじめお金を払って見せてもらうという話もあって、実際のところはよく知らない。
 人がたくさん集まっているところでギターの弾き語りでもすれば、小銭くらいは集まるかもしれない。浴衣を着た女の人など訪れようものなら、格好の被写体となって撮られまくることだろう。コスプレ趣味の人はやってみるといいかもしれない。

津屋川彼岸花2-12

 土手を散歩する犬とおじさん。
 養老山脈の麓の町ということで、山が近い。普通の町並の背景に大きな山がある光景は、ちょっと不思議な感じだった。

津屋川彼岸花2-13

 川の東側は、広大な田畑が広がる。稲の刈り入れ前で、秋の実りのいい風景だった。

津屋川彼岸花2-14

 空は紺色が深くなり、金星が見えた。もうこれ以上は撮れない。
 南濃梅園の中を通って、車まで戻る。3月はここの梅林はきれいだろう。

 ここから少し北へ行った養老町明徳には、源氏橋という名の小さな橋が架かっている。平治の乱に破れた源義朝(頼朝・義経の父)は、ここから舟に乗って津屋川を下り、知多半島の野間に逃げ延びたという。かつての津屋川は、物資や木材を運ぶために利用されていて、もっと川幅が広かったようだ。
 義朝は最初から知多まで逃げるつもりだったんだろうか。京都から落ちのび、追っ手をかわしつつ琵琶湖を横断して大垣へと逃れ、そこから南へ南へと下り、最後は野間で家臣の裏切りにあい殺されてしまう。
 この行程を地図上で辿ってみると、遙かに長い旅路だということが分かる。津屋川からでも、揖斐川に入り、木曽三川が合流するあたりを超え、桑名を過ぎ、伊勢湾に出て、知多半島に入ってから野間まではかなりある。
 父亡き後、長男の義平(よしひら)は、京都へ戻って平清盛の暗殺を図るも失敗して捕えられ、斬首された。次男の朝長(ともなが)は、逃亡中の怪我が元で命を落としている。三男の頼朝は、途中で一行とはぐれて平家に捕まった。このとき頼朝13歳。
 京都へ送られた頼朝は当然死刑となるところを、平清盛の継母・池禅尼の嘆願により命を救われる。伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)へ流されることで許された。このとき頼朝が殺されていたら、のちの歴史はまた違ったものとなっていただろう。
 義経は頼朝の異母弟に当たる義朝の九男で、平治の乱のときはまだ1歳だった。父親の死後、京都の鞍馬寺に預けられ、のちに奥州平泉へ移り、藤原秀衡の庇護を受けた。
 頼朝が平家打倒に立ち上がったのは34歳のとき(治承・寿永の乱)だった。平泉から駆けつけた義経は22歳。源平の合戦は義経の派手な活躍で鮮やかに決着がついたような印象があるけど、実際には6年の長きに渡る戦いだった。

 そんな歴史に思いを馳せながら津屋川の流れと彼岸花を見ると、また少し違った思いを抱くかもしれない。今年はもう駄目だ。遅すぎる。機会があれば、来年にでもぜひ行ってみて欲しいと思う。私も次に訪れることがあったなら、そのときこそ遅刻せずに行きたい。上流から小舟に乗って私が登場したときは、遠慮なく激写してください。私も舟の上からみなさんを撮りたい。

一週間と一時間遅刻した津屋川で怪我の功名的彼岸花写真 <前編>

花/植物(Flower/plant)
津屋川彼岸花1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF135mm f2.8 SF / EF50mm f1.8 II



 養老の滝へ行った帰り、津屋川の彼岸花を撮りに寄った。そもそも養老方面へ行こうと思ったのは、この彼岸花があったからで、それは一週間前のことだった。予定通り家を出て、いざ出発しようと思ったら、エンジンがかからない。焦りながらも途方に暮れて、結局その日は行けず、その後バッテリーを交換したり、雨が続いたりでなかなか行けずに延びのびになり、ようやく今日行けたというわけだった。
 しかし、時すでに遅し。時期だけでなく、時刻まで遅刻してしまったのは致命的だった。一週間と一時間遅かった。初めての場所でよく分からず、車をとめるところを見つけられずにぐるぐる回っていたら、日没になってしまった。秋の日はつるべ落とし、非情な秋の太陽は遅刻の私を待ってはくれなかった。
 そんなわけで、日没後の津屋川彼岸花写真となった。ある意味珍しくて貴重な写真ではある。誰もこんな時間に撮っちゃいない。人気スポットにもかかわらず、カメラを持った人は誰一人いなかった。暗がりで散歩のおばちゃまとばったり出くわして、お互いにびっくりしてしまったくらいだ。写真ではそれなりに明るく写っているけど、実際はもっと暗かった。足下が見えずに何度もつまづき、片足が川にはまりかけたりもした。
 それでも暗さに負けずたくさん撮って一回に収まらなかったから、前後編の二回に分けることにした。今日は養老歩きでちょっとくたびれて長々と書く元気が残っていない。とりあえず一回分の写真を並べるだけにして、津屋川については明日書くことにする。

津屋川彼岸花1-2

 事前にネットでたくさん写真を見ていったから、みんなが撮っている場所はすぐに分かった。ここもその一つだ。
 川沿いの草がものすごく踏み荒らされているというか、土が踏み固められていて、踏み跡からみなさんの気合いが感じられた。水辺のぎりぎりまで降りていっていることが分かる。
 10年くらい前まではここも無名で、休日でも地元の散歩人以外ほとんど人は歩いてなかったそうだ。うちの近所の香流川の桜並木もそうだ。最近はネットで情報が行き渡るから、一度知られると人がどんどん増えていく。地元の人が昔を懐かしむ気持ちはよく分かる。

津屋川彼岸花1-3

 途中からはすっかり暗くなって、彼岸花写真ではなくなった。こうなるともう、単なる川の夕景写真だ。彼岸花はシルエットに沈んで、脇役にさえなっていない。

津屋川彼岸花1-4

 このへんはまだ多少彼岸花が残っているところで、全体的にはもう完全に終わりかけだった。最盛期を10とすると、3分か4分くらいだろうか。今年は咲き具合がよかったようで、写真を見ると土手が真っ赤に染まるくらい咲いているところもあった。
 花は何でも、終わりかけの4分よりも咲き始めの4分の方がきれいで、写真を撮るなら満開よりも8分咲きくらいの方が向いている。終わりに向かう8分残りも、もうあまりきれいじゃない。

津屋川彼岸花1-5

 たくさん人が来ているという話だったので、人入り写真を撮り放題だぞと思って楽しみにしていたのに、ほとんど人影もなく、やっと通ったと思ったらシャッター速度を稼げずに、被写体ブレを起こしている。これでも感度はISO400で、800までは上げたくない。
 水面の映り込みも撮るつもりでC-PLフィルタも持っていったのに、この暗さでは出番はなかった。これ以上レンズを暗くしてしまったら、手ぶれ補正でもブレブレになる。

津屋川彼岸花1-6

 ソフトフォーカスレンズは、135mmで手ぶれ補正がないから、厳しすぎた。これもどこからがソフト効果で、どこまでが手ぶれなのか、よく分からない。
 彼岸花を幻想的に撮るにはソフトフォーカスレンズは最適だと思うけど、ほとんどまともには試せなかった。

津屋川彼岸花1-7

 まだソフトフォーカスレンズを使いこなせていないけど、こういう写真を見ると可能性を感じる。もっと上手に使えば面白い写真が撮れるんじゃないかと思わせる。
 それでも135mmというのは望遠すぎる。デジで使うならせめて90mmまでだ。200mmオーバー換算では、ほとんど望遠レンズとなって、使いどころが限られてしまう。

津屋川彼岸花1-8

 これもソフトレンズ。個人的には好きな写真。
 もう少し彼岸花をたくさん入れたかった。

津屋川彼岸花1-9

 ますます暗さを増して、開放f2.8のソフトレンズは使えなくなったので、50mm f1.8に切り替える。50mmなら一段か二段絞ってISO400にすれば、シャッタースピードも稼げて、ブレずにかなり撮れる。

津屋川彼岸花1-10

 最後の方に撮った一枚。橋の上ではなく、横のところだったと思う。行った人なら場所は分かるだろう。みんなが撮る定番の位置だ。
 このあと空は急速に色を失って、あたりは暗闇に包まれた。秋から冬にかけては、日没との戦いになる。今日はぎりぎり負けなかったけど、次は負けてしまうかもしれない。
 怪我の功名的な写真が撮れたから、まずはよしとしよう。せめてあと30分早く着いていたら、昼時間の写真も撮れたのだけど。
 今日はこれで終わりとして、続きはまた明日。

試行錯誤のお菓子作り、その成功への遙かなる道のり

料理(Cooking)
お菓子作り-1

PENTAX K100D+SMC Takumar 50mm f1.4 他



 何ヶ月か前に、お菓子作りの報告をしたのを覚えているだろうか。それがいつだったのかは私もすっかり忘れてしまったのだけど、あれから懲りずにちまちま作っていて、そろそろここらでまとめて続報をお届けしようということになった。小出しにするほどたいしたネタでもないので、ひとまとめにした。
 作る頻度としては、多くても月に一回くらいだから、サンデー料理よりも進歩はずっと遅い。お菓子作りを初めて間もない不器用な小学5年生の女の子くらいの実力と思ってもらえれば、そんなに大きくは外してないと思う。これを見た小5の女の子が、あたしの方がもっとじょうずにできるもん! と思ったとしても、私には反論することができない。
 私のお菓子作りは、トライアル・アンド・エラーの連続で、ほとんど実験に近い。いまだかつて一度たりとも完璧に成功したためしはなく、確信を持って作ったこともない。それなりに上手くいくことはあっても、たいていは何かが足りなかったり、今一歩成功とは言い切れないのが常だ。試食させられる連れにとっては災難なのだけど、それもまた仕方がないことだ。気長に待っていると、そのうち美味しいものが食べられるようになるかもしれないと夢見ていて欲しい。私自身も夢を見たい。

 まず最初に紹介するのは、プリンだ。プリンは何度か作っていて、この写真はいつ作ったものだったか、よく覚えていない。最初に作ったシンプルなやつだっただろうか。
 覚えている範囲では、シンプルプリンと、なめらかプリンと、ゼラチンを使ったプリンと、3回は作っている。4回だったかもしれない。そのうち成功したのは0回で、毎回どこかで失敗する。プリンなんて失敗しようがないと思うのだけど、不思議な話だ。
 一番気に入ったのは、ごくごく単純なプリンだった。材料は卵と砂糖と牛乳だけで、作り方も簡単なのがいい。
 卵3個をボウルに割り入れ、鍋で牛乳400ccを人肌に温める。牛乳に砂糖40gを加えてよく混ぜ、卵も入れて、更に混ぜる。バニラエッセンスがあれば、ここで数滴振る。
 次にカルメラを作る。砂糖50gに大さじ2の水を入れて、鍋で煮詰める。もしくは、レンジを使った方が早い。ぐつぐつなったところで水を少量入れて、混ぜる。飛びはねに注意。
 カルメラを容器に入れ、プリン液を裏ごしして流し込む。
 大きな鍋にプリンカップを並べ、1センチくらい浸かるように水を入れてフタをして、沸騰するまで待ち、プリンの表面が固まってきたら火を止め、フタをしたまま15分ほど蒸らす。取り出したら冷蔵庫で少し休ませれば完成だ。
 とても素朴な味だけど、余計なものを加えてないから、普通に美味しい。
 なめらかプリンも手順は同じで、生クリームを使えればできる。かなりのフワフワ食感で、味もマイルドになるから、そちらの方が好きという人もいるだろう。
 このときの失敗は、カラメルがカラメル色にならなかったことだ。砂糖の種類が違ったのか、いくら煮詰めても透明なままだった。プリンはやっぱりあのカラメル色がないとちょっと違う気がする。

お菓子作り-2

 これは黒豆ココアを使ってココアプリンを作ったときのものだ。これが大失敗作となった。
 煮るのが面倒だからゼラチンで固めてしまえば手っ取り早いだろうと思って作ってみたら、ゼラチンの分量が多すぎたようで、えらく固いプリンに仕上がってしまったのだった。こんな筋肉質のプリンは食べたことがないというほどのもので、もはやプリンの域を超えていた。ゼラチンなんて適当でいいんだろうという思い違いが失敗を招くこととなった。私はこう見えても感覚派なのだ、緻密な人間ではない。これではパティシエにはなれない。
 ゼラチンプリンのレシピもたくさんあるから、ちゃんと作れば美味しく作れるのだと思う。
 黒豆ココア味というのもあまり美味しくなかった。

お菓子作り-3

 レンガ生チョコは、前にも紹介している。これは誰が作っても美味しくできるインチキなお菓子だ。美味しいに決まってるから、ずるい。ただ、やはり生クリームの分量を間違えると失敗につながるから、レシピの割合は守った方がいい。一度、柔らかくなりすぎたことがあって、そうなるとあまり美味しくないのだ。生チョコの命は、絶妙な柔らかさ加減にある。固すぎても普通のチョコと同じで面白くない。
 これは自分でも成功したと思えたので、近所に配って歩いた。別に頼まれてもいなかったのだけど。
 冬場はチョコを刻むのが面倒なのが難点だ。夏場は部屋にしばらく放置しておけば柔らかくなって、そのまま溶かしても大丈夫なので楽だ。しかしながら、夏場はココアをまぶす作業のときにチョコが溶け出すから、やっかいだ。その大失敗例が下だ。

お菓子作り-4

 最初は四角く切って、手でココアをまぶしていたのだけど、途中からチョコがドロドロに溶けてきて収拾がつかなくなった。駄目だこりゃー、ということで投げ出した。自分で食べるものだから、姿形などどうでもいいやとなって、適当にココアを振りかけて完成ということにしてしまった。味は特に変わらないとはいえ、見た目がひどいことになった。
 バレンタインデーに女の子が手作りチョコを作ってきたといってこれを差し出してきたら、ずっこける。たとえ大好きでも、ちょっと人格を疑う。一所懸命作れば下手でも許されるわけではない。失敗にも限度というものがある。
 一つ思いついたのは、チョコを四角く切って、ビニール袋にココアと一緒に入れてシェイクしたらどうなんだろうということだ。これは唐揚げなどでよくやっている方法なのだけど、チョコでも上手くいくんだろうか。今度実験してみようと思っている。それが上手くいけば、生チョコ作りは飛躍的に楽になる。ココアまぶしの行程が一番面倒なところだから。

お菓子作り-5

 これは確か、イギリスのお菓子スコーンというのを作ったんじゃなかったかと思う。見た目があまりにも違っているので、はっきりとは言えないけどきっとそうだ。スコーンというのは、もっとぷっくり高く膨らんでいて、こんな中途半端な厚みのクッキーのようなものではない。何か失敗の原因があって、思ったほど膨らまなかった。
 食べた感じも、かなりパサつく感じで、あまり美味しくなかった。それは私が失敗したからなのか、スコーンというのはああいうものだったのか、ちゃんとしたものを食べたことがない私には判断がつかなかった。おそらく原因の9割は私にあるのだろうけど。
 イギリスでは、半分のところに切れ目を入れて、ジャムなどを挟んで食べるそうだ。ということは、やはりこのまま食べるとプレーンすぎて美味しさが足りないということじゃないか。レシピの砂糖の分量も少なかった。
 スコーンは今のところ再挑戦しようという気が起きていない。どこかで本物のスコーンを食べる機会があれば食べてみたい。それで美味しかったら、もう一回作ってみよう。

お菓子作り-6

 これは確か、マカロンというやつだ。アーモンドプードルと卵白から作るサクサク、パサパサのお菓子で、普通のクッキーとは違う食感だった。なかなか美味しかった記憶がある。
 ただ、これももう少し膨らむはずが膨らみきらなかった。どこに間違いがあったのだろう。混ぜる過程で気泡がつぶれてしまったのだろうか。

お菓子作り-7

 今まで作った中で、史上最悪の失敗がこのクッキーだ。とにかくまずかった。
 クッキーなんて、粉と卵と牛乳を混ぜて焼けばできるんだろうということで、ものすごく適当に作ってみた。ちょうどレモンが余っていて、どうにかして使ってしまわなくてはならくて、それじゃあレモン入りのクッキーを作ろうと思って作ったのがこれだ。できそこないのせんべいみたいにも見える。見た目からしてまずそうだ。味もレモンの苦みが強すぎた。固くて、くちゃくちゃで、味も歯ごたえも最悪だった。
 クッキーといえども、分量を守らず適当に作ったら美味しくならないんだということを思い知る。レシピにはちゃんとした根拠がある。
 逆に言えば、まずいクッキーというのも作ろうと思えばいくらでも作れるのだということも知った。まずいクッキーと、まずいカレーライスは作れないものだというのは間違った思い込みだった。

お菓子作り-8

 急に唐揚げを出してきて、写真を間違えてるぞと思ったかもしれない。けど、これはドーナツだ。これまたひどい失敗作だった。
 ホットケーキの素に牛乳を混ぜて、それを油に流し込んで揚げたのだけど、あとから考えると生地が柔らかすぎた。ドーナツのような形は一切できず、トロトロの状態で流し入れたものだから、生地が油を吸い込みまくって、とんでもなく脂っこいドーナツに仕上がったのだった。胸焼けしそうになる。
 ドーナツにするなら、生地の段階で、手でこねられるくらいの固さじゃないといけない。

お菓子作り-9

 これは久々に作ったスポンジケーキだ。まずまずの成功で、今までに比べたらましな方だった。色からして、ちょっと焼き過ぎか。食べたときも、焼きたては美味しかったのに、次の日にはだいぶパサついていた。普通、よくできたスポンジケーキは、一日寝かせるとしっとりして美味しくなるという。私が作るとそうはならない。いまだにオーブンレンジのクセがよく分かっていない。半生はよくないけど、焼き過ぎもいいことはない。
 スポンジケーキは何度作っても難しいと感じる。スポンジを上手に作れるようになれば、お菓子作り人としてはまずまず一人前と言えるんじゃないか。

お菓子作り-10

 私の一番苦手とする盛りつけと飾り付けは、デコレーションケーキのときに弱点が炸裂する。デコレーションを終えて、自分でも何と表現していいのか、言葉を失った。失敗以前の問題で、ここから何をどう修正すればいいのか見当がつかず、途方に暮れた。こんなデコレーションケーキは見たことがないという意味では、デコレーションの革命が起きたと言ってもいいかもしれない。そもそも、上に乗せるものがメロンしかなかったというのも問題だ。切り方も何とかならなかったのかと、他人事のように思う。
 このときは真夏で、ケーキの横の部分でも悪戦苦闘した。こねればこねるほど汚くなっていって、最後は室温で生クリームが溶けてきて、これ以上どうすることもできなくなった。
 子供の誕生日ケーキを私に注文してはいけない。子供は、泣く。

お菓子作り-11

 これが一番最近作ったケーキだ。わりとまし。ややパサつき気味で、甘み不足だったものの、まずまず美味しく食べられた。
 奥に見えているのは私が作ったものではない。連れが並んで買ってきてくれたクリスピードーナツだ。こちらはさすがにプロが作ったドーナツということで、出来が違う。ふんわりしっとりな食感は、素人が自宅で作れるようなものではない。
 私が作ったのは、チョコブラウニーというものだろうか。自分でもよく分かっていない。パウンドケーキといえばパウンドケーキだろうし、そのあたりの定義をよく知らない。

 失敗は成功のマザーとチョーさんは言い、ミルキーはママの味だとかつてCMで歌っていた。今の私は、田中義剛花畑牧場の生キャラメルが食べたい。売り切れ必至で、今や通販でも買うのが難しい。それなら作ってしまえばいいのだ。ということで、近々生キャラメル作りに挑戦しようと思っている。本物を食べたことがないから、もどきでもいいのだ。
 あと、和菓子も作ってみたいと前から考えていた。だいぶ前にういろうを作って以来、和菓子は作っていない。簡単な大福とか、みたらし団子あたりから実験してみよう。
 せんべいも焼いてみたいのだけど、あれは意外と難しいようだ。焼く前のせんべいをどうやって作ればいいのかもよく分かっていない。
 サンデー料理の影で、お菓子作りもまだまだ続いていく予定だ。もうちょっと作る回数を増やして、少しでも早く進歩しないといけないか。引き続き連れには試食実験台になってもらうとして、また10回くらい作ったところでまとめて報告したいと思う。
 最終的な目標としては、美しいデコレーションケーキを作ることと、和菓子屋で売ってるような和菓子を作ることの二本立てでいきたい。お菓子作りに笑いはいらない。
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