月別:2008年06月

記事一覧
  • 3色ソースサンデーでソースの可能性を再認識する

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 今日のサンデーはソースサンデーだった。まずソースがあって、食材は後追いの脇役だったと言っていいかもしれない。 そもそもは、少し前に生チョコを作ったときに生クリームが余って、これを使い切らなくてはいけないという使命があった。となると、一つはホワイトクリームで決まりだ。ここからの出発だった。 次にふとしたきっかけでフリッターというものの存在を知って、...

    2008/06/30

    料理(Cooking)

  • タコとスクーターとノーヘルの島 ---日間賀島本編<第一回>

     離島というと遠く離れた別世界と思いがちだけど、名古屋から一番近い島・日間賀島へは名古屋駅から1時間半ちょっとで行くことができるお手軽な観光地だ。休みの朝、いつもの時間に起きて、今日はちょっと日間賀島へ行こうかなと思いながら朝食を食べて、昼前に家を出たら夜には帰ってこられるくらいの近場だ。 いつか行きたいと思っていて、今回ようやく実現することができた。 車で行く場合は、知多半島の先端の師崎まで行く...

    2008/06/29

    観光地(Tourist spot)

  • 愛知の離島を巡る二島物語 ---予告編

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 離島へ行こうシリーズ第二弾は、愛知県南知多の日間賀島(ひまかじま)と篠島(しのじま)の二島物語。 去年の暮れに行った三重県の賢島は、近鉄電車での乗り入れだったから、島という感覚がなかった。今回は船での上陸だったから、島に降り立ったなという感じがした。高速船は揺れて弾んで、出だしから島気分を満喫させてくれる。 早速撮ってきた写真をお届けしたいところなのだけど、...

    2008/06/28

    観光地(Tourist spot)

  • 花鳥園フクロウのゴッドファーザーになった報告と早寝で簡単更新

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 / FUJIFILM FinePix S2pro 掛川花鳥園でフクロウの名前を募集していたので、ものは試しと応募してみたら採用されてしまった。アフリカワシミミズクのミコトちゃんがショーに出ていたら、その子のゴッドファーザーは私です。 採用されたといっても、最終的には多数決で決まったので、私のセンスが冴えていたとかそういうことではない。みんな考えることはけっこう一緒だ。そ...

    2008/06/26

    動物園(Zoo)

  • 水屋を発見できなかった瀬古散策の路地裏で昭和の面影を見た

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 縄文時代の日本は、今よりも気温が1~2度高く、海面は4~5メートル高かったと考えられている。なので、現在の名古屋市はほぼ全域が海の底で、一番北にある守山区に海岸線があった。それゆえ、このあたりは早くから人が住み始めた場所で、古墳なども多く残されている。 平安から室町時代になると海岸線はぐっと南に下がり、名古屋の北側は奥地となった。その頃は、善光寺街道と瀬戸街...

    2008/06/26

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 水屋を探して瀬古を3時間歩き回ってついに発見できず

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 名古屋市守山区の瀬古というところに、古い水屋が残っているというのを知って、見に行ってきた。しかし、結論からいうと、水屋を発見することはできなかった。3時間も歩き回って探したのに。下調べが不充分だった。帰ってきてからもう一度よく調べてみたら、一本手前まで行って引き返していたことが分かった。残念というか、悔しいというか、間抜けというか。 今日はすっかりくたび...

    2008/06/25

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 密蔵院には多宝塔があるというべきか多宝塔しかないというべきか

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 春日井の外れに密蔵院(みつぞういん)という寺がある。神社仏閣好きの間では、重要文化財の多宝塔がある寺としてちょっとは知られた存在なのだろうけど、一般的な知名度は高くない。かつてこの寺が尾張地方における天台宗の中心地だったと知る人もさほど多くないだろう。 最盛期には境内に36の建物が建ち並び、尾張・美濃を中心に全国11の国に700以上の末寺を有し、修行僧が3,000人もい...

    2008/06/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 郷土料理サンデーで全国47都道府県を制覇しようシリーズ第一弾

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 先週の沖縄料理からスピンオフした企画、郷土料理サンデーが今日から始まった。ご当地グルメさん、いらっしゃいということで、県特有の料理を作っていこうというものだ。 最初は、一回に一県の料理を三品作って47都道府県を制覇していこうと考えたのだけど、そんなことをやっていたのではそれだけで丸一年かかってしまうことに気づいて思い直した。一県一品で一度に三品作れ...

    2008/06/23

    料理(Cooking)

  • 竜泉寺裏の墓地から見る夕焼け風景は個人的夕陽百選の一つ

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Takumar 135mm f2.5/ 50mm f1.4 個人的夕陽百選の一つに、竜泉寺裏がある。知る人ぞ知るというよりほとんど知ってる人はいないと思うけど、ここから見る夕焼け風景が気に入っている。墓地のど真ん中というロケーションが一般的には夕焼け鑑賞には向かないけど、そこさえ気にしなければとてもいい場所なのだ(たいていの人は気になる)。 久しぶりにちょっと見に行きたくなって行ってき...

    2008/06/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 稲沢番外編は神社仏閣、花、虫、思い出話などの雑多ネタ

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8 稲沢神社仏閣巡りシリーズで使い切れなかった写真を並べて、今日は稲沢番外編。ネタ不足というよりも、余った写真を使い切ってすっきりしたかった。 国府宮神社のはだか祭り(儺追神事)で使われた「なおいぎれ(儺追布)」が結ばれている様子。境内の社務所で1本100円で売られている。お守りというか、厄除けというか、日頃から持っている人もいて、願いを込...

    2008/06/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 何も知らずに迷い込んだ矢合観音と古刹の萬徳寺訪問

     稲沢市矢合町にある矢合観音(やわせかんのん)は、とても分かりづらい場所にあった。地図で見ると、121号線を少し左に入ったところにあるようなのだけど、その入り口がよく分からない。2度通り過ぎて、3回目は車を店の駐車場にとめて歩いて確認しにいって、ようやく分かった。北側から南下した方がいいのだろうか。 入り口は分かったものの、この道がまた狭い。対向車が来たら完全に立ち往生してしまう。前から車が来ませんよ...

    2008/06/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 稲沢寺社巡りは長光寺から始まり、稲沢の魅力を知るきっかけともなった

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 今回の稲沢神社仏閣巡りは、重要文化財巡りでもあった。回った順番と紹介する順序がバラバラになってしまっているけど、最初に行ったのがここ長光寺(ちょうこうじ)で、お目当ては六角円堂だった。 東海道本線清洲駅の北、稲沢市の右下にあり、町名の六角町はこの六角円堂から来ている。場所がちょっと分かりづらい。北市場町を北へ進んで細い道に入っていくと、左手に突然現れる。...

    2008/06/19

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 15分のアップダウン山道歩きをしても行く価値がある6月の築水池湿地

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 稲沢シリーズを続けると神社仏閣ばかりになってしまうので、いったん中断して、グリーンピア春日井に戻ることにする。そういえば、あちらもまだ終わってなかった。 今日は、グリーンピアのとなりにある築水池湿地(ちくすいいけしっち)を紹介しようと思う。去年の同じ時期、グリーンピアを訪れたときにも行っているから、一年ぶりの再訪だ。そのときの様子はちょこっとだけこのブログにも登...

    2008/06/18

    花/植物(Flower/plant)

  • 稲沢名所といえば一に国府宮神社で二番目はアジサイ寺の性海寺

     稲沢のアジサイ寺として知られる性海寺(しょうかいじ)。 真言宗智山派のお寺で、山号を大塚山という。智山派の総本山は、京都東山の智積院(ちしゃくいん)で、大本山に川崎大師、成田山新勝寺、高尾山薬王院がある。名古屋でいうと、大須観音宝生院が別格本山となっている。 開祖は覚鑁(かくばん)で、と書き始めると長くなるので今回はやめておこう。真言宗智山派についてはいずれどこかで書く機会もあると思う。 性海寺...

    2008/06/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 空想沖縄もどきサンデー料理にめんそーれ、いみそーれ

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 先週、来週のサンデーはタイ料理を作ろうと書いた。実際、そう思って調べてみたのだけど、タイ料理の壁は意外と高かった。何を作ろうにも、ナンプラーとココナツミルクがないと話にならず、タイ料理を一度作るためだけにそれらを買い揃える気にはなれなかった。それらを避けて作ろにも、香辛料や野菜なども特殊で、すべてを日本の食材で代用してしまうとタイらしさがまったく...

    2008/06/16

    料理(Cooking)

  • 国府宮神社について紹介するついでに国府のことを勉強しよう

     愛知県稲沢市(いなざわし)にある国府宮神社(こうのみやじんじゃ)。愛知県民にとっては、はだか祭が行われる神社という認識が一般的だと思う。全国的な知名度はそれほど高いない気がするけどどうだろう。国府宮神社の由緒や祭神まで詳しく知っているという人となると、愛知県民でも多くないのではないだろうか。かつて尾張国の中心がここ稲沢だったということを認識している県民はどれくらいいるのだろう。 今回は国府宮神社...

    2008/06/15

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 夏の記憶

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 家から一歩外へ出たとたん、あ、夏だ、と思う。昨日まではそうじゃなかった。夏はある日突然やって来て、しばらく居座っていく。恋のように。 春の体は夏の濃密な空気にまだ馴染んでいなくて、少し息苦しいような気さえする。今シーズン初めて半袖を着て出かけた。強い太陽の日差しに晒された白い両腕は、ちりちりと小さく音を立てて焦げるようだ。 直射日光で熱せられた車に乗り込むと、す...

    2008/06/14

    風物詩/行事(Event)

  • 咲く花の顔ぶれで季節が分かるようになったことを喜ぼう

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 昨日は長々と書いたから読むのも疲れてしまったことだろう。最長記録を更新したかもしれない。今日は短く写真中心でいこうと思う。私が怠けたいからという理由ではないので邪推してはいけない。 写真はまたグリーンピアに戻る。今日は外に咲いていた季節の花編ということでお送りします。 まずはノハナショウブから。ハナショウブ名所に行くと、品種改良をしたハナショウブはたくさん見るこ...

    2008/06/13

    花/植物(Flower/plant)

  • 高蔵寺から春日井の神社仏閣巡り開始 ~尾張氏の長文付録付き

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 春日井の神社仏閣巡り、始めました。 尾張旭の神社もまだ回り終えていないのに、春日井にまで手を広げてしまった。春日井は尾張旭とは規模が違う。神社だけでも50以上あるし、お寺まで回るとなると、それはもう大変だ。とりあえずお寺はほどほどにしておいて、神社優先で巡っていきたいと思う。 このときはグリーンピアへ行く前に、高蔵寺エリアの高蔵寺と五社大明神を巡ってきた。...

    2008/06/12

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 6月になると思い出す、そうだグリーンピア春日井へ行こう

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 / Canon EF 70-300mm f4-5.6 IS 毎年6月になると、なんとなくグリーンピア春日井に行ってしまう。6月に何か特別なものがあるわけではないから、5月でも9月でもいつでもいいのに、どういうわけかグリーンピアへ行くのは6月と決まっている。思うに、4月から5月までは花ラッシュで、それを追いかけているからグリーンピアのことなど頭になくて、6月に入ってホッと一息ついたところで、そういえば...

    2008/06/11

    施設/公園(Park)

  • 見たこともないほど大盛況の丹生アジサイ祭り前日の様子に驚く

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 今日は7日の土曜日に帰郷したときの続きで、アジサイ編をお届けします。 丹生大師前の「ふれあいの館」の駐車場が満車になっていてまず驚く。未だかつてこんなに混んでいるのは見たことがない。何事かと思った。 ちょっと信じられないのだけど、主にアジサイを見に来た人たちの車らしい。勢和村のアジサイってそんなに有名だったのか。普段は駐車場になっているところが、「彦左衛門のあ...

    2008/06/10

    丹生(Nyu)

  • ちょっとひねったソースで定番サンデーと牛丼の話

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / MINOLTA α-7D / COOLPIX3500 今週末はやや変則的で、メニューを考える時間もあまりなかったから、サンデーはひねりのない定番ものになった。曲がりきらないスライダー料理とでも言おうか。味も破綻のないものに仕上がった。 けど、考えてみたら普通に作って普通に美味しい料理ができるようになったというのは大きな進歩だ。料理が得意と胸を張って言い張るほどではないにしても、たいてい何でも...

    2008/06/09

    料理(Cooking)

  • 用事があって帰郷したついでにちょっとだけ6月の田舎風景を撮ってきた

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 ちょっと用事があって、祖母のいる田舎に帰郷してきた。遊びではなかったのだけど、せっかく行ったのだから、少しでも写真を撮ろうと、短い時間の中でちょっとだけ撮ってきた。くたびれたのと寝不足なので、今日は写真を並べるだけにしておく。ここのところ長くなっていたから、ちょうどいい。 三重県のこのあたりは田植えが遅い地区とはいえ、6月の7日ともなればさすがに田植えは終わっ...

    2008/06/08

    丹生(Nyu)

  • 花菖蒲の歴史と品種を勉強して天晴れ松平左金吾と叫ぼう

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 マニアックな世界というのはだいたいが一般人お断りで敷居が高いものだけど、マニアがたくさんいるということはそれだけ魅力的な世界だという証拠で、そんな面白そうなものを敬遠してしまうのは実にもったいない話だ。入り口は狭くても、一歩中に踏み入れば、奥へ奥へと続く広い世界が存在している。どっぷり浸かってしまえば、きっと居心地がいいに違いない。 マニアな世界に親しむには何が...

    2008/06/07

    花/植物(Flower/plant)

  • 知立神社訪問と家康の息子の話など

     愛知県知立市にある知立神社(地図)は三河国の二宮で、江戸時代は東海道三大社のひとつに数えられた歴史のある神社だ。 三河国一宮は砥鹿神社(とがじんじゃ)で三宮は猿投神社だ。 東海道三大社のあとの二社は三嶋大社と熱田神社だったから、それらに並ぶ大社だったということになる。 鳥居をくぐる前に、知立神社と知立の歴史についても少しだけ予習しておきたい。 知立(ちりゅう)の語源は、茅(ち/かや)が育つ湿地帯...

    2008/06/06

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 地味な中継ぎ的存在の花菖蒲を撮りに知立神社へ行く

    Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8 花菖蒲(ハナショウブ)については特に思い入れはないのだけど、これまであちこちで撮る機会があって、このブログにも何度か載せている。去年は鎌倉の明月院と東慶寺で見たし、鶴舞公園やグリーンピア春日井でも撮った。カキツバタやアヤメはこちらから積極的に見に行かないと出会えないのに対して、花菖蒲はわりといろんなところで植えられているからその気が...

    2008/06/05

    花/植物(Flower/plant)

  • アマサギに再会するため6月の長久手の田んぼに行ってきた

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 / 100-300mm f4.5-5.6 APO 雨があがればネタ集めに行こうと思っていたのに、時間も気力も足りなかった。候補地がいくつかあって、どこへ行こうか迷っていたら、ますます時間がなくなり、最後に思いついたのが長久手の田んぼだった。おととしの6月、初めて長久手でアマサギを見て、それ以来他の場所で出会ったことがなかったので、もう一度会いにいこうと思ったのだった。 場...

    2008/06/04

    野鳥(Wild bird)

  • 雨の日のネタ探しについて考えながらバラ写真でつなぎ更新

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 バラのアップ写真を見たツレは、美味しそうだと言った。言われてみればそうかもしれない。砂糖菓子で作った花みたいで美味しそうに見えてくる。実際に食べたら決して美味しいものではないのだろうけど、どんな味がするんだろう。青臭い感じなのか、バラの香りがして意外といけたりするのか。今度、ものすごくおなかかが減って食べるものがなかったら食べてみよう。人生何事も経験だから、一生...

    2008/06/03

    花/植物(Flower/plant)

  • 変化球料理人の自覚と紀元前の焼き菓子に出会ったサンデー

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 私の作る料理は、130キロそこそこの真っ直ぐと、120キロのスライダーと、100キロちょっとのカーブでかわすピッチングをする2線級の変化球ピッチャーみたいだ。しかも、ノーコンときている。特別美味しくなくても、味が安定していればまだましだけど、作ってみるまでどこへいくか分からないというのは困ったものだ。料理の出来は料理に聞いてくれ。 趣味の料理を始めてかれこ...

    2008/06/02

    料理(Cooking)

  • 花鳥園新シリーズ最終回は残り写真には福があるかないか

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 今日で花鳥園新シリーズも最終回となった。あと2回分はあるかと思っていたのだけど、写真を整理したら2回には足りなかったから、1回にまとめてこれで完結とする。結局、今回は5回シリーズということになった。花鳥園も三度目だから、まあこんなものだろう。 最後は残っていた写真を全部出すということで、ノンジャンルになる。登場する鳥たちも、お馴染みのものがほとんどだ。まずはコガネメ...

    2008/06/01

    動物園(Zoo)

3色ソースサンデーでソースの可能性を再認識する

料理(Cooking)
通常3色サンデー

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8



 今日のサンデーはソースサンデーだった。まずソースがあって、食材は後追いの脇役だったと言っていいかもしれない。
 そもそもは、少し前に生チョコを作ったときに生クリームが余って、これを使い切らなくてはいけないという使命があった。となると、一つはホワイトクリームで決まりだ。ここからの出発だった。
 次にふとしたきっかけでフリッターというものの存在を知って、これを作ってみようということになった。フリッターというのは、天ぷらとは似て非なるもので、卵黄と小麦粉と牛乳を混ぜたものに卵白を泡立ててメレンゲにしたものを合わせて衣にするという調理法だ。ふんわりとした柔らかい食感で、天ぷらとは違う料理になる。
 具は白身魚にした。ここの選択肢はいろいろあるのだけど、他との兼ね合いでそうなった。ソースについては後ほど。
 2品決まって残りの1品が決まらないというのが常で、いつもこれを決めるのに時間がかかる。メインの肉魚系があって、サブの野菜ものがあって、もう一つは何にしようかと考えると、なかなかいいものが思い浮かばない。食材なんてだいたい決まってしまうし、変わり種は買う買わない以前に食べたくないというのもある。
 結局、今回も無難な豆腐にした。他にあったとすれば、ダイコンとかナスくらいのものだ。
 ソースをトマト系にしたら、期せずして赤白黄色の3色ソースになった。計算ではなく、偶然見た目もきれいになった。
 今日はこの3品を紹介しようと思う。

 まずは左手前の豆腐トマトソースから。
 今回は通常のトマトではなくトマトピューレから作ったので、普段とは少し味が違った。
 刻んだタマネギをオリーブオイルで炒めて、白ワイン、トマトピューレ、ケチャップ、しょう油、ウスターソース、コンソメの素、塩、コショウ、唐辛子、水を混ぜて煮立たせる。
 豆腐は薄めに切って、あえて水切りをしない。カタクリ粉をまぶして、フライパンでじっくり焼いていく。これで外はとろっとして、中身はふんわりの食感になる。よりふんわり感が欲しい場合は、絹ごし豆腐を使ってもいい。そのときは豆腐が崩れやすくなるから、小さく切り分けた方がよさそうだ。

 右の白身魚フリッカーが今回一番のヒットだった。
 メレンゲ作りはケーキを作るのと同じ要領で、少し砂糖を加えた方が固く泡立つ。
 具は白身魚でもいいし、鶏肉やソーセージなんかも美味しそうだ。メレンゲの衣にくぐらせて揚げていくだけだから、簡単だ。今回はアスパラも付け合わせにした。
 お菓子っぽい食感と思うかもしれないけど、決してそんなことはなく、これでもちゃんとおかずとして成立する。子供も喜びそうだ。
 油は2センチくらいで、温度はやや低めにしてじっくり揚げる。温度が高いとすぐに焦げてしまうから注意が必要だ。
 ソースはちょっと冒険的なソースになっている。基本はマヨネーズとしょう油で、そこに和洋折衷様々な調味料を入れてみた。豆板醤、わさび、唐辛子、はちみつ、砂糖、牛乳、白ワイン、コンソメの素、塩、黒コショウ、水と。
 かなり無茶な取り合わせのようだけど、これが美味しいからソースは面白い。辛くて甘くて深くて旨みのあるソースに仕上がった。
 フリッカーともども、ぜひ一度作ってみて欲しい。

 一番奥は最初に決まったホワイトソースの山海煮込みで、結局これが一番地味で目立たない存在になってしまった。
 タマネギ、エビ、鶏肉、ジャガイモをオリーブオイルで炒めて、そこに白ワインを振りかけたあと、水とコンソメの素を加えて煮込んでいく。最後にしめじも入れる。
 ある程度煮込んだところで、生クリーム、牛乳、小麦粉、塩、コショウで作ったホワイトソースを入れて、更に少し煮込めば完成だ。
 結果的にシチューに近いのだけど、少し違っている。生クリームを入れると、やっぱり美味しさが増す。

 日本食と洋食の最大の違いは、食材が先かソースが先か、という点かもしれない。和食の場合は食材の美味しさを引き出すための味付けという考えに対して、洋食はソースを味わうための食材選びといったところがある。それだけ洋食はソースのバリエーションが多いということだし、逆に言えば日本には美味しい食材がたくさんあるということでもある。
 現在の日本は、和洋折衷でいろんな美味しい料理が存在している。和食、洋食にこだわる必要もない。そのときの気分で何を食べたいか、たくさんの選択肢の中から選ぶことができる。それはとても幸せなことだし、現代はもう極まったと言ってもいいかもしれない。まだまだ見知らぬ国の料理がたくさんあるにしても、100年後に今より10倍も料理が美味しくなっているとは思えない。
 とはいえ、私はまだまだ食べたことがない料理がたくさんあって、その中にはびっくりするくらい美味しいものもあるに違いない。自分が作る料理も、もっと進歩させていきたいし、可能性はまだたくさんあるはずだ。
 ソースに関しても、もっと追求していきたいという思いが強まった。そのためにはミキサーみたいなものもあるに越したことはない。買ってもどうせすぐに使わなくなることは目に見えているけど、ミキサーがあればもっといろんなソースが作れるようになる。買ってしまおうかな。砕き料理は私の得意とするところだし。
 来週あたり、ミキサーサンデーがあるかもしれない。

タコとスクーターとノーヘルの島 ---日間賀島本編<第一回>

観光地(Tourist spot)
名鉄河和駅ホーム

 離島というと遠く離れた別世界と思いがちだけど、名古屋から一番近い島・日間賀島へは名古屋駅から1時間半ちょっとで行くことができるお手軽な観光地だ。休みの朝、いつもの時間に起きて、今日はちょっと日間賀島へ行こうかなと思いながら朝食を食べて、昼前に家を出たら夜には帰ってこられるくらいの近場だ。
 いつか行きたいと思っていて、今回ようやく実現することができた。
 車で行く場合は、知多半島の先端の師崎まで行く方がいいかもしれない。そこから高速船でわずか10分で行くことができる。鉄道の場合は南知多の河和駅(こうわえき)まで行って、そこから高速船に乗って20分だ。河和駅から高速船乗り場までは、無料の送迎バスが出ていて、それなら3分ほど、歩いても7、8分で行ける。
 上の写真は、河和駅に着いた名鉄電車の車両だ。左端がパノラマSuperの特急で、先頭車両は見晴らしのいいパノラマ席になっている。古い7000系のパノラマカーは2009年までに廃止が決まっているから、今後は鉄の人たちが遠くから乗りに来たり写真を撮ったりするのだろう。



港の高速船

 島まで運んでくれる船は高速船のイーグル号。1号から3号まであるようだ。
 全長21メートル、45トンの船で、定員は86名。
 海が穏やかなときならさほど揺れることはないけど、乗り物酔いする人はやや危険かもしれない。乗り物酔いはほとんどしたことがない私でも、酔いの初期症状である生あくびが出たくらいだから、普通の人でも海が荒れているときに出港するとアウトの可能性がある。窓ははめ殺しで開かないようになってるし、表のデッキにも出られないのが厳しい。
 日間賀島と篠島の二島を回る場合は、二島めぐりチケットというのが500円くらいお得になる。



日間賀島の船着き場

 ようこそ日間賀島へ。はじめまして、日間賀島。
 このとき一緒の船に乗っていたのは、20人弱くらいだったろうか。平日の昼前としては、まずまずの乗客だ。後の便では団体さんも降り立っていたし、けっこうメジャーな観光地なんだと再認識した。週末はもっと賑わいを見せるのだろうし、夏になれば大勢の海水浴客が訪れるに違いない。
 島の人口は約2,200人。男女比はほぼ半々で、世帯数は約630だから、お年寄りばかりの過疎の島とは違う。半数が漁業関係で、もう半分がサービス業というから、半漁半観光の島というのが数字からも分かる。
 面積は約0.73平方キロで、周囲は約5.5キロ。一周をゆっくり歩いて2時間くらいの島だ。
 この規模の島に、観光ホテルと民宿をあわせて100軒近くもあるというから驚く。それがどこもそれほどひなびた感じがないからたいしたものだ。寂れた昭和の観光地といった風情ではない。
 愛知県には日間賀島の他に篠島佐久島という3つの有人島があって、日間賀島は一番面積は小さいものの、最も多くの観光客が訪れる。このあと篠島へ行って、両島の違いを目の当たりにして、なるほどと納得した。日間賀島は自分たちの生活を守りながらも、観光客の方をしっかり向いている。



タコのモニュメントと小学生たち

 この島の売りはなんといってもタコだ。タコを全面的に押し出してきていて、島の至る所でいろいろなタコを目にする。歓迎のモニュメントも、タコがハチマキをして扇子を振っている。
 もうひとつの名物はフグだ。下関で食べられているフグの一部は、この日間賀島で獲れたものだったりもするらしい。ここで獲れるものはそれだけ美味しいということだろう。トラフグのシーズンは10月から3月までなので、夏場に行っても食べることはできない。
 タコ漁のシーズンはよく分からない。秋くらいに解禁になるんだろうか。風物詩である干しダコ風景は、12月のものだ。寒風に2週間さらして干しダコができあがる。それを縁起物として神棚に供えられたりするそうだ。普通のタコは一年中食べられるものなんだろうか。



タコのタイル絵

 タイルでツボに入ったタコの絵が描かれている。日間賀島の島民がどの程度タコを好きなのはかよく分からないけど、島としてはタコをぜひよろしくお願いしますと強く推してきているのは感じられる。せっかくだからタコ関係のものを何か食べようかとも思ったのだけど、気軽に食べられるようなものは売ってなかった。タコせんべいのおみやげくらいだ。島で唯一のたこ焼き屋の店は閉まっていた。めったに開いてないらしい。
 道ばたでおばちゃんがタコを売ったり、学校帰りの中学生がタコの足をかじっていたり、女子高生がタコのストラップをじゃらじゃら付けた携帯でメールをしているというような光景も目にしなかった。今はタコのシーズンオフなのかもしれない。
 日間賀島の名前の由来は、日本の間ん中で貝が獲れる島、というところから来ているらしい。



昼食風景と小学生

 昼食は例によって持ち込み。
 後ろに写っているは、島の外から遠足に来た小学生たちだ。民宿のおばさまたちに作ってもらったカレーを食べていた。あまりに何杯もおかわりをする男子は、そんなに食べたらおなかこわしてまうでもうあかんてと止められていた。いくらかは島特有の言い回しもあるのだろうけど、基本は名古屋弁と変わらない。ちょっと古くて強めの尾張弁だった。



レンタサイクル

 ランチのあと、イルカのタッチ体験というのをしたのだけど、それはまた別の機会に紹介したい。
 午後からはレンタサイクルで島の散策に出た。喫茶いこいが1時間500円で自転車をレンタルできる。
 ぐるりと一周するだけなら30分くらいだけど、島の内部にまで行こうとすると自転車はむしろ足手まといになる。歩きと自転車と、どっちで回った方がいいのかはなんとも言えない。私たちの散策は主に神社仏閣巡りだったから、時間に余裕があれば歩きでもよかったかもしれない。電動アシスト付き自転車があれば最高だけど、そんなに気の利いたものはない。1時間1,000円でもいいから、ぜひ電動アシスト付き自転車を導入して欲しいところだ。あれがあれば散策はぐっと楽になる。



島の道路風景

 島民の主な移動手段はスクーターだ。人口2,200に対してスクーター台数が1,200というから、島の人口の半数以上はスクーターを持っていることになる。子供やお年寄りは持ってないから、大人の大多数が所有しているということになるのだろう。
 目撃した範囲でのノーヘル率は90パーセント以上。シートベルト率はほぼゼロ。後部座席のシートベルト着用義務など永久に定着しないであろう、ここは無法地帯だ。それでもめったに事故が起きないというからすごい。
 道が狭いので、車は少ない。一家に一台までで3ナンバーは不可という制約もあるそうだ。
 坂道が多いから自転車は流行らない。路線バスもなく、タクシー会社もないから、みんな自力で移動するしかない。



路地風景

 狭い路地はアップダウンがあって入り組んでいる。それなりに詳しい地図も持っていったのに、神社仏閣探しの途中で道に迷ってしまった。狭い島だから迷ったところで迷子になる心配はないにしても、目的地にたどり着けないのは困る。それさえも楽しめる心と時間の余裕が欲しい。
 私たちは二島を巡るための時間が6時間ほどだったので、ややゆとりが足りなかった。なかなか行けないところだから、どうせなら二島回りたいと思うのは人情だけど、日間賀島でゆっくり散策をして一泊して、翌日篠島へ行くというのが理想的だろう。実際、そういう人が多いんじゃないかと思う。島へ行って美味しい海の幸を食べないのももったいない。



電話ボックス

 島には唯一のものがいくつかある。信号機、診療所、派出所、小中学校など。
 公衆電話ボックスはどうだろう。私が回った範囲ではこれひとつしか見なかった。
 携帯電話は圏内だ。ネットのLAN回線とかはどうなんだろう。光は来てるだろうか。
 電気はもちろん完全に来ていて、水道は愛知用水から海底の水道管によって送られてきている。
 離島とはいっても、知多半島から近いところに位置しているから、沖合の島とはいろんな部分で感覚的な違いはあるだろう。いざとなればすぐ本州にも行けるし、向こうから人も来てくれる。



船溜まりの風景

 港がいくつかあって、漁船がやたらめったらたくさんある。島には570隻からの漁船があるというから、この所有率もすごい。就労者の半数を超えている。漁師なら船を持っているのは当たり前と思うかもしれないけど、一人一隻というのは普通じゃない。
 島の成人男性はほとんどが船とスクーターを所有して、ヘルメットを持っていないということになる。



日間賀島小中学校

 南の高台に小学校と中学校が並んでいる。生徒数はどれくらいなのだろう。校庭にいる生徒や下校の様子を見ると、それなりの人数はいそうだ。最近は少子化だから以前に比べたらずっと減っただろうけど、それでも子供が少ない島という印象ではない。
 高校はないから、みんな船で本州に通っている。高速船でも何人か見かけた。1980年に内海高校の日間賀島分校ができたことがあったものの、生徒数が減って2001年に閉校となってしまった。



インドハマユウと篠島

 小学校近くに見晴らしのいい場所がある。インドハマユウ越しに篠島を眺めた。
 離島といっても南国ではなく年間平均気温も15.6度と名古屋よりもわずかに低いくらいだ。だから、基本的に咲く花は同じということだろう。ただ、海辺の潮風ということで咲く花の種類はある程度違うかもしれない。

 つづく。
 

愛知の離島を巡る二島物語 ---予告編

観光地(Tourist spot)
二島物語予告編-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 離島へ行こうシリーズ第二弾は、愛知県南知多の日間賀島(ひまかじま)と篠島(しのじま)の二島物語。
 去年の暮れに行った三重県の賢島は、近鉄電車での乗り入れだったから、島という感覚がなかった。今回は船での上陸だったから、島に降り立ったなという感じがした。高速船は揺れて弾んで、出だしから島気分を満喫させてくれる。
 早速撮ってきた写真をお届けしたいところなのだけど、今日はもう余力が残ってない。まずは予告編ということで、本編は明日以降になる。
 梅雨の時期で心配だった天気は、ときどき曇りながらも最後まで青空と日差しがあって、またもや真っ赤に日焼けしてしまった私であった。

二島物語予告編-2

 そんなわけで、今日はここまで。また明日。

花鳥園フクロウのゴッドファーザーになった報告と早寝で簡単更新

動物園(Zoo)
花鳥園-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 / FUJIFILM FinePix S2pro



 掛川花鳥園でフクロウの名前を募集していたので、ものは試しと応募してみたら採用されてしまった。アフリカワシミミズクのミコトちゃんがショーに出ていたら、その子のゴッドファーザーは私です。
 採用されたといっても、最終的には多数決で決まったので、私のセンスが冴えていたとかそういうことではない。みんな考えることはけっこう一緒だ。その前にいるアフリカワシミミズクの兄弟がヤマトとタケルだったから、それに続くのはミコトしかないだろうという安易な発想だった。
 まあでも、これでまた花鳥園へ行く理由もできたし、選ばれたことは嬉しいことだった。いただいた記念品が上の写真のフクロウの置物と、ポポちゃん写真集のメモ帳だ。いい記念になった。フクロウは、自分で作った招き猫の土鈴の横に並べてみた。メモ帳はもったいないとかいわずに使っていこう。

 明日は遠出で、早起きなので、ゆっくりブログを書いている時間がない。ということで、花鳥園で撮った写真を並べて、今日は終わりとしたい。
 この写真はこの前行ったときではなく、その前に行ったときのものだ。そのうち使おうと思って忘れていた。このまま眠らせておいても仕方がないし、9月にはまた花鳥園へ行きたいと思ってるので、ここで出しておこう。
 明日のブログは撮りたての写真になると思う。ここしばらく神社仏閣ネタの比率が高くなっていたから、久しぶりに違う空気の写真をお届けできそうだ。ただし、明日行くところもある意味神社仏閣しか見所がないところだから、結局それかよってことになりかねない。
 行き先を書くと限定されすぎて誰かに見つかってしまうおそれがあるから、書かないでおこう。めったに人に会うようなところではないから、誰かに会ったとしたらその方が驚く。

花鳥園-2

 クラハシコウと仲間たち。
 この前行ったら、セイタカシギの数が減っていた。このときはこんなにもたくさんいたのに。

花鳥園-5

 翼を広げてクラハシコウ。メシをよこせとアピールをする。この状態でエサの魚を放り投げてやると、器用にクチバシでキャッチする。

花鳥園-3

 水が描き出す絵も撮りどころのひとつ。フラミンゴは自分の顔が映ってるのが分かっているのかな。

花鳥園-6

 突然、翼をばたつかせて走り出すフラミンゴたち。彼らには彼らの気分があり、彼らのタイミングがある。人には分からない呼吸のようなものが。

花鳥園-4

 たたずむセイタカシギ。光と影の中で何を思う。

花鳥園-7

 鳥の脳がどれくらいなのかは知らないけど、一日何を考えてるんだろう。
 賢いインコなどは人の言葉も覚えるし、何か考えていそうな雰囲気もある。感情もありそうだ。小型インコと大型インコの差はどれくらいなんだろう。

花鳥園-8

 クジャクのメス3羽に同時アタックを仕掛けるオスのクジャク。しかし、メスの反応は鈍い。ほとんど無視に近い。見ていると気の毒になるほど相手にされていない。オスのクジャクは他のどんな鳥よりも派手で美しいのに、人間が思うほどメスに対してはアピールになっていないようだ。オスにしてみたら、ここまでやっても駄目なのかと、悔しさで一杯だろう。

花鳥園-9

 これは確かオウギバトだったと思う。カンムリバトじゃなかったはず。
 オウギバトの飾りは実際どれくらい役に立っているのか。頭の後ろだから、自分では見えない。
 地上をトコトコ歩いている鳩で、あまり飛ばない。飛ぶのは夜寝るとき木の上に登るためくらいだ。

花鳥園-10

 浮き草の上を走るレンカク。翼を広げてバタバタさせているから飛べないのかと思いきや、その気になればけっこう飛べるらしい。
 チビの頃は足が先に発達して、翼は最後に生えそろうから、水に落ちると助からない。親にもどうにもできないのだろう。
 ここのところ立て続けにヒナが孵って無事に成長しているようだから、レンカク大ファミリーになる日は近そうだ。

花鳥園-11

 おとぼけアンソニー。そっけないフリをしても実は寂しがり屋さん。こっちを見ていないようでいてよく見ている。
 アンソニーはまだ4歳。50歳まで生きるとしたら、長生き勝負に勝てない可能性が高い。40年後くらいに花鳥園へ行って、まだアンソニーがいたら嬉しい。

花鳥園-12

 花鳥園の中では人気薄のエミューだけど、私たちはいつも会うのを楽しみにしている。コワモテだけど、心優しき鳥なのだ。
 エミューにかかればエサは一撃で持っていかれて、50円など瞬間的になくなってしまう。もう食べたくないってくらい食べさせてやろうと思ったらいくらくらいかかるんだろう。

花鳥園-13

 恐竜の足。これを見れば、鳥は恐竜が進化した生物だという説は納得できる。

 そんなわけで、今日はここまで。
 ちょっといってきます。

水屋を発見できなかった瀬古散策の路地裏で昭和の面影を見た

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
瀬古散策2-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 縄文時代の日本は、今よりも気温が1~2度高く、海面は4~5メートル高かったと考えられている。なので、現在の名古屋市はほぼ全域が海の底で、一番北にある守山区に海岸線があった。それゆえ、このあたりは早くから人が住み始めた場所で、古墳なども多く残されている。
 平安から室町時代になると海岸線はぐっと南に下がり、名古屋の北側は奥地となった。その頃は、善光寺街道と瀬戸街道沿いにポツリ、ポツリと集落があるような農村だったという。守山区も森山と表記されることが多かったようだ。
 昨日から紹介している瀬古地区がちょうどそういう地域に当たり、せこの郷と呼ばれていた。せは背中、こは場所を表し、裏手といった感じだろうか。
 善光寺街道というのは、その名の通り、長野の善光寺へ行くための道だ。京都や大阪、江戸など、それぞれの国にある脇道で、東海道のような公式の一本道とは違う。尾張の場合は、東海道と中山道を結ぶ近道として発展したという歴史がある。江戸時代に入ってからは藩によって整備され、ますます重要な道となっていった。
 瀬古にはその名残がわずかにあって、現在の天神橋から瀬古商店街を北上し、瀬古小学校の東から勝川橋までつながっている。当時は矢田川、庄内川ともに橋がかかっておらず、渡し船でいくか、水が少ないときは歩いて渡ったそうだ。国道19号線が開通してからは、旧道もすっかりすたれて忘れられてしまった。
 上の写真は、瀬古東一丁目あたりの善光寺街道で、朱塗りの祠(ほこら)がある。これと似たものがあちこちにあるから、街道と関係があるものなんだろう。旅人の安全を守るためなのか、子供を守るためという話もある。
 今日は瀬古散策の本編となる。目的の水屋は発見できなかったけど、水屋とは何かというあたりも書いていきたい。

瀬古散策2-2

 道ばたの石仏がお寺に属するものなら、祠は神社の小型版のようなものだ。中に仏像が入っていたりすることもあるそうだから、ミニ神社と言い切ってしまうのは問題があるのだろうけど、町や村の素朴な信仰の表れには違いない。
 祠は、ほくら(神庫または宝倉)から転じたものだと言われている。

瀬古散策2-3

 瀬古地区の祠がいつからあるものなのかは知らない。見た感じそれほど古いものではなさそうだから、江戸時代とかではなく、昭和に入ってからのものかもしれない。
 古くなったら作り直しているとすれば、元々あったものは江戸とかもっと古いという可能性もある。
 手間の花は、アガパンサスだと思う。南アフリカ原産のユリの仲間だ。明治になって日本に入ってきたものだから、江戸時代の風景には似合わない。

瀬古散策2-4

 これは鳥居を持っているから、ちょっと本格的な祠だ。ここまでくると、神社の小型版と言って差し支えないと思う。
 こういうものが町の風景に溶け込んで点在しているというのも、このあたりのいいところだ。

瀬古散策2-5

 水屋を探して歩き回っているときは、どの道が善光寺街道か分かっていなかったから、とにかく細い道があったら入り込んでみた。路地裏フリークかというほどの路地裏歩きを見せる私。

瀬古散策2-6

 わ、懐かしいと思った。昭和40年代、50年代の長屋風景だ。久しくこんな風景は見てなかった。小学生くらいまではまだこういう家がけっこう残っていたけど、気がついたらいつの間にかなくなっていた。ずっと忘れていた小学生のときの感覚がよみがえった。

瀬古散策2-12

 おおお、これまたすごい。まだこんなアパートが残っていたか。表にも生活感があふれ出していて、すごいことになっている。純昭和アパートとでも呼びたくなるようなものだ。
 昭和40年代に見たとしても、このアパート年季が入ってるなと思っただろう。

瀬古散策2-7

 水屋探しから、だんだん昭和の路地裏探しに目的が変わっていった。このあたりもなかなかのものだ。車はすれ違えないどころか、入っていくのもためらわれる細さだ。
 名の知れた観光地でなくても、日本のいたるところにまだまだ昭和の面影というのはたくさん残っているのだろう。車を降りて、一本、二本、奥へ入っていけば、こんな光景と出会うことができる。

瀬古散策2-8

 水屋探しはいっこうに進展を見せず、疲労だけがたまる。
 外から見たら石垣が見えたから、もしかしたらこんな森の中にも水屋は埋もれているのかもしれない。どこかでそんな情報も見たのだけど、それがここかどうかは分からない。

瀬古散策2-9

 小学校の西側に細くくねった道があって、そのあたりが怪しいとにらんで何度も行き来した。この家もそれっぽさを漂わせるのだけど、水屋とは違うようだ。
 ただ、いかにも昔のお金持ちの家といった趣で、当然ここも水屋を持っていたに違いない。
 帰ってきてから、ここがかつての庄屋さんだった家だということが分かって、なるほどと納得した。

瀬古散策2-10

 庄屋さんの家の敷地内にあって、一段高くなっているこの建物がどうやら水屋っぽい。生け垣と木々に遮られて、下の方が見えないので確信は持てないのだけど。
 このあたりは庄内川と矢田川がたびたび氾濫して水浸しになって、その自衛策として高く土を持って垣を築き、食料貯蔵庫兼避難住居として建てた建物を水屋(みずや)という。一般には蔵式と住居式があって、ここは両方を兼ねた住居倉庫式と呼ばれる形式のものが多かったようだ。
 ただし、こういうものを持っているのは中流以上の家で、持てない家は洪水のたびに大被害をこうむっていた。もともと低湿地帯で、窪地のようになっていたことから、一度水に浸かるとなかなか水が引かずに、引くまでに数週間からひと月以上もかかったという。だから、水屋は住居としての機能も持っていなければいけなかったというわけだ。その間は、備え付けの舟で行き来をしていたそうだ。
 かつてたくさんあった水屋も、現在は3つほどが残るだけとなった。その中の一番水屋らしい水屋が、私の探していた東龍(あずまりゅう)という酒屋さんのものだった。結局どこにあったかというと、小学校の東の路地を北へ進んだ先だった。近くまで行けば案内標識が出てるそうだ。

 そんなわけで、私の水屋探し瀬古散策は、メインディッシュ抜きで終わりを迎えることになってしまった。昭和の路地やアパートなどの収穫はあったものの、肝心のものが発見できずに消化不良の気分が残った。
 このままでは終われないから、もう一度出直そうと思っている。少し離れたところには、守山城跡の宝勝寺や、大永寺などもあるから、そちらとからめて巡っていこう。大永寺地区や、庄内川を渡った勝川地区にも水屋があるようだから、余裕があればそちらも回りたい。
 守山区も、大森、小幡よりも北西の地域はほとんど馴染みがないから、もう少しあちこち行って詳しくなっておきたい。
 瀬古シリーズとしては、神社仏閣編がまだ残っている。あさっては遠出で、明日は早寝なので、ちょっと間が空きそうだ。神社仏閣は生ものではないから、またそのうちゆっくり書こうと思っている。

水屋を探して瀬古を3時間歩き回ってついに発見できず

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
瀬古散策1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 名古屋市守山区の瀬古というところに、古い水屋が残っているというのを知って、見に行ってきた。しかし、結論からいうと、水屋を発見することはできなかった。3時間も歩き回って探したのに。下調べが不充分だった。帰ってきてからもう一度よく調べてみたら、一本手前まで行って引き返していたことが分かった。残念というか、悔しいというか、間抜けというか。
 今日はすっかりくたびれてしまって、写真を現像するだけで精一杯で、しっかり復習するところまでいけなかった。だから、瀬古散策編のプロローグとして写真を並べて、お茶を濁すことにする。本編は明日以降ということで。
 上の写真に写ってるのは中央線の電車。東に中央線、真ん中に国道19号線、西に名鉄小牧線がそれぞれ縦に町を貫いている。交通の便がいいようなよくないような微妙な感じだ。中央線を利用する人はいいとしても、名鉄は味鋺へ行くにしても上飯田へ行くにしても遠い。地理的には名東区などよりも栄や名駅に近いし、大曽根もすぐだから、車なら便利そうだ。
 水屋や善光寺街道なんかについては、次回にゆっくり書きたいと思う。今日はとりあえず写真だけ。

瀬古散策1-2

 東邦ガスの大きなタンクがあるのは、住所としては新守山になる。遠くから見えている大きなガスタンクはこれだったのか。
 左側を向くと、名古屋駅のタワー群の一部が頭をのぞかせている。はっきり全景は見えないものの、けっこう大きく見える。距離が近いことが分かる。

瀬古散策1-3

 たぶん、古川だと思う。絞りのオシロイバナが咲いていた。
 この土地は北の庄内川と南の矢田川に挟まれて、昔からたびたび水害にあってきた。水は恵みにもなれば敵にもなる。

瀬古散策1-4

 こちらは矢田川の河川敷。天神橋緑地と名づけられているけど、特に何があるというわけではない。犬の散歩をしたり、ジョギングや散歩をしたり、子供たちが遊んだり、みんな思いおもいに過ごしている。
 町の中にこういう場所があるというのはいいことだ。ここに来れば広い空もある。

瀬古散策1-5

 今日は梅雨の間の晴れ間で暑い一日だった。紫外線対策の日傘も必要というのもだ。

瀬古散策1-6

 このあたりもすっかり住宅地となって、農地はごく一部になっている。昔は農村だったろうに。
 小さな畑の脇でタチアオイが咲いていた。

瀬古散策1-7

 建て売り住宅なんだろうけど、左右対称のようでいてよく見ると違っている。窓の配置や大きさなどに個性を示そうとしたのか。家の大きさも微妙に違う。

瀬古散策1-8

 庄内用水元杁近くの黒川。もう少し先へ行くと、庄内用水元杁樋門があるはずだ。時間切れでここも見に行けなかった。

瀬古散策1-9

 小牧空港が近いから、上空を頻繁に飛行機が飛んでいく。うちの近所でもたまに見かけるこのローカルなやつと、あとは自衛隊機だ。

瀬古散策1-10

 水屋を探して何度もうろつきまわった道。でも、この先へ行ったところにも一つあって、それは外からはっきり見えないだけだったのだ。だから、水屋の一部は見ている。

瀬古散策1-11

 唐突にテニスコート。一面だけどクレーコートの本格的なものだ。一般に貸し出してるようなものではなさそうで、隣が元庄屋さんの屋敷だから、そこの家の専属コートかもしれない。
 高校、大学までは日が暮れてボールが見えなくなるまで、よくテニスをしていた。やらなくなってから久しい。

 今日はここまでとする。明日はたぶん、この続きになると思う。瀬古の歴史や善光寺街道なんかについても書きたいし、神社仏閣巡りもしてきたから、瀬古シリーズは全部で3回か4回になりそうだ。

密蔵院には多宝塔があるというべきか多宝塔しかないというべきか

神社仏閣(Shrines and temples)
密蔵院-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 春日井の外れに密蔵院(みつぞういん)という寺がある。神社仏閣好きの間では、重要文化財の多宝塔がある寺としてちょっとは知られた存在なのだろうけど、一般的な知名度は高くない。かつてこの寺が尾張地方における天台宗の中心地だったと知る人もさほど多くないだろう。
 最盛期には境内に36の建物が建ち並び、尾張・美濃を中心に全国11の国に700以上の末寺を有し、修行僧が3,000人もいたという。この前出てきた竜泉寺も、この密蔵院の末寺の一つだった。
 それ以前、この地方の天台宗の中心は、小牧にあった大山峰正福寺(通称大山寺)だった。現在、大山寺は跡地として残るばかりで、かつての栄華の面影は何も残っていないという。当時は比叡山延暦寺、姫路の書写山円教寺(このブログで以前登場した)と並んで天台宗三大道場といわれていたというのに、寺の浮き沈みというのも激しいものがある。
 天台宗は法蓮華経を教典として中国で生まれた宗派で、初め鑑真和上が来日した際に典籍が持ち込まれ、平安時代のはじめに向こうで修行した最澄が帰国(806年)して伝えたのが、日本における始まりだった。
 総本山は言わずとしれた比叡山延暦寺だ。ここから円仁、円珍など多くの高僧が育っていった。
 最澄の一年後に唐から帰国したのが弘法大師空海で、最澄は一時空海に弟子入りして密教の本流を学ぼうとしている。しかし、両者は考えの違いから別れ、空海は真言宗の祖となり、最澄も独自の密教を深めていくことになる。
 比叡山延暦寺というと、織田信長を思い出す人も多いかもしれない。延暦寺焼き討ちによって信長の残虐性が際立つことになってしまったのだけど、延暦寺にも大いに問題があった。
 室町時代になると延暦寺は武装化を強め、独立国家のようになっていた。時の権力者にも平気でたてつき、強大な権力と武力と資金を抱えて、好き放題にやっていた。奈良の興福寺もそうだったという。
 このまま放置しておくわけにはいかないと最初に立ち上がったのが室町幕府六代将軍の足利義教(くじ引きで選ばれた将軍)で、曲がりなりも制圧に成功したものの、義教が死去すると再び武装化に走り、戦国時代には織田信長に対して徹底抗戦の姿勢を見せる。山にこもった僧兵4千人に何度となく武装解除するように通達するもまったく聞き入れず、ついには焼き討ちという事態にまで発展してしまった。
 この信長と延暦寺との対立が全国の天台宗に与えた影響は大きく、これをきっかけに密蔵院初め、多くの天台宗の寺は衰退していくことになる。たくさんあったこの地方の天台宗の寺も、現在は竜泉寺と守山区瀬古東の石山寺しか残っていない。
 信長の死後の延暦寺がどうなったかというと、秀頼、家康、家光らによって僧坊は再建され、さすがに懲りたのかその後はおとなしくなった。家康の死後は、天海僧正によって江戸の鬼門の守りとして建てられた上野東叡山寛永寺に実権が移った。
 1994年には世界遺産に登録されている。
 天台宗のその他の大本山としては、日光の日光山輪王寺、岩手県平泉の関山中尊寺、長野の定額山善光寺大勧進がある。
 以上が、長い前置きとなった天台宗スタディだ。本編の密蔵院については、実はあまり書くことがないので、前置きに力を入れてみた。見所としても多宝塔しかないから、写真もほとんどそればっかりだ。かつての繁栄の面影は、多宝塔にわずかに残るばかりなのだった。

密蔵院-2

 多宝塔を見に来たのは、これで3回目か4回目になる。最初は2005年の1月で、その後1回か2回、桜を見るために訪れている。だから新鮮味はないけど、それでも何度見ても立派なものだと感心する。
 正式名称を二重塔婆(にじゅうとうば)という。といっても実際には二重ではなく一重の造りになっている。円形の本体の上に正方形の屋根を持ち、胴のまわりに裳階(もこし)をつけているから二重に見えるだけだ。
 高さ約16.5メートル。
 室町時代初期に建立されたもので、禅宗様式が取り入れられた珍しいスタイルをしているのだという。どのあたりが禅宗スタイルなのかはよく分からないけど、言われてみると他の多宝塔とは印象が違うようだ。
 これまでに何度も修理が行われながら、建てられた当時の原形を保っているといわれている。
 屋根はこけら葺きで、一番最近では平成14年に葺き替えが行われたようだ。まだ6年しか経っていなくても、しっかり古い感じが出ていて違和感はない。

密蔵院-3

 正面下から。あらためて見ると、この多宝塔は大きさに気づく。胴回りが立派でどっしりしている。知立神社や稲沢で見た多宝塔よりも一回りか二回り大きい感じだ。

密蔵院-4

 見るべきものは多宝塔しかないから、いろんな角度から見て、撮ってみる。一番格好いいのはこのあたりからだろうか。
 午後はまともな逆光になってしまうから、青空バックに撮りたければ午前中に行かないといけない。この裏側からは撮るスペースがない。

密蔵院-5

 こちらが本堂なのだろうか。なんだか民家っぽくて、うかつに入っていけない雰囲気がある。賽銭箱が置かれている様子もない。
 私が行くのはいつも夕方だから、昼間に行けばもっと開放されているのかもしれない。

密蔵院-6

 江戸末期の1844年に刊行された尾張名所図会では、こんな伽藍配置になっている。江戸時代でさえすでに古い建物は多宝塔だけになっていたことが分かる。
 鎌倉時代の1328年、密蔵院は慈妙上人(じみょうしょうにん)によって開山された。正式名称を、医王山薬師寺密蔵院 (いおうざんやくしじみつぞういん)という。
 慈妙上人については、密蔵院を開いたという以外に情報がなくて、どんな人物だったのかはよく分からない。美濃の御嵩(みたけ)からやって来たらしい。どういう経緯で密蔵院が尾張の大本山になっていったのかというのも、調べがつかなかった。慈妙上人によるところが大きかったのか、それ以外に要因があったのか。
 戦国時代に衰退したときは、末寺が700から100に、塔頭も36から16になったというから、半減どころか激減だ。
 江戸時代初期の1615年に珍祐が七堂を再興したものの、再び力を失っていき、1891年の濃尾平野で本堂、仁王門、灌頂堂が倒壊すると、建て直す財力も残っていなかった。

密蔵院-7

 境内には、開山堂や観音堂、山王社などがある。

密蔵院-8

 本尊の薬師如来は非公開で、蔵にしまい込まれている。
 毎年10月の第一日曜日に所蔵の文化財を一般公開しているそうだ。このときばかりは近隣の神社仏閣ファンが一堂に会するのだろうと思う。きっと写真は撮らせてくれないから私は行かない。撮らせてくれるなら喜んで行くけど。

密蔵院-9

 最後にもう一度、多宝塔を撮って帰ることにする。夕焼けバックのシルエットなんかもよさそうだ。夜間はライトアップもしてるというからちょっと驚く。確かに、離れたところにライトが設置されていた。夜あのあたりを通ることがあったら、見に行こう。
 愛知県の多宝塔コレクションも、一歩ずつ着実に進んでいる。けど、ここで一段落。残りの岡崎大樹寺と豊橋の東観音寺は遠いから、しばらく行けそうにない。荒子観音は一度行っているけど、ブログでは紹介してないから、そのうち行って写真を撮ってこよう。八事興正寺の五重塔についても未紹介になったままだ。
 全国には170基以上の多宝塔があって、国宝や重要文化財になっているのはわずかに39。そのうちの7基が愛知県にあるというのは、なかなかのものだ。多宝塔は東日本に少なく、多くは関西に集中している。全制覇というのは無理だろうけど、国宝になっている滋賀県大津の石山寺、大阪泉佐野市の慈眼院、和歌山伊都郡の金剛三味院、海草郡の長保寺、那賀郡の根来寺大塔、広島県尾道市の浄土寺の6つは見てみたい。
 だんだん神社仏閣ブログのようになってきているけど、これは流行ものだから、そのうちブームは終わります。などといいながら、明日も神社仏閣ネタの予感がする。

郷土料理サンデーで全国47都道府県を制覇しようシリーズ第一弾

料理(Cooking)
ご当地グルメサンデー

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8



 先週の沖縄料理からスピンオフした企画、郷土料理サンデーが今日から始まった。ご当地グルメさん、いらっしゃいということで、県特有の料理を作っていこうというものだ。
 最初は、一回に一県の料理を三品作って47都道府県を制覇していこうと考えたのだけど、そんなことをやっていたのではそれだけで丸一年かかってしまうことに気づいて思い直した。一県一品で一度に三品作れば、4ヶ月でできる。
 まずは全国各地にどんな郷土料理があるのかを知ることから始めた。すると、たくさんあるようで意外とない。特殊な食材を使うものは作れないし、その土地でとれたものを使う料理となると再現は難しい。食べたくないものは作りたくないなんてことになると、選択肢は限られてくる。全国制覇への道のりは思った以上に厳しそうだ。
 今回はまず最初ということで、食べたいもので、作りやすそうなものを選んだ。地方別に揃えようとも考えたのだけど、そうするといろいろ難しいこともでてくるので、とりあえず縛りは取り払った。そうやって選んで作ったのが上の三品だ。

 まず手前の左側は、北海道の「いもだんご」と呼ばれる料理だ。
 どの程度一般的なものなのかは知らない。単純に言ってしまえばジャガイモハンバーグのようなものだから、北海道の郷土料理と呼んでいいのかどうかも微妙だ。
 ところで、郷土料理とご当地グルメの線引きというのも曖昧で、どういう扱いにしたらいいのか迷った。昔から食べられていてその土地に根付いている料理が郷土料理で、新興勢力的にあらたにその土地の名物となった料理をご当地グルメと呼ぶというのが一般的な区別のようだ。名古屋でいえば、あんかけスパは郷土料理じゃない。でも、味噌カツはどうなんだというと悩む。
 今回のこの企画としては、なるべく郷土料理寄りでいきたいとは思っているけど、場合によってはご当地グルメとなってしまう場合もある。北海道のいもだんごというのも、どっちに属するものなのか、私には判断が難しい。
 それはさておき、いもだんごだ。これまでに似たようなものを何回か作ってるから、新鮮味はなかった。どのあたりに北海道のオリジナリティを出せばいいものなんだろうか。
 料理としては単純で、ジャガイモ(北海道だから男爵いも)をレンジで加熱するか茹でるかしてつぶして、カタクリ粉を混ぜてハンバーグ状にして焼くというのが基本だ。味付けはバターしょう油が一般的のようだ。ジャガイモに対してカタクリ粉を4分の1ほど混ぜるというあたりが、北海道のいもだんごの特徴と言えるかもしれない。これでかなりもっちりした食感になる。
 私の場合は、自分好みに多少アレンジを加えた。刻みタマネギととろけるチーズを加えて、カタクリ粉は少なめにした。上にかかっているのは、青のりとゆで卵の黄身の裏ごしだ。白身はいもだんご本体に混ぜ込んだ。
 これは誰が作ってもまずくなりようがない料理で、私としてはお馴染み感が強かった。普通に美味しい。いもだんごを北海道代表にしてくれるなという意見もあるだろう。北海道には美味しい料理が他にもいくらでもあるじゃないかと。私もそう思う。だから、一県一品にこだわらないでいこう。

 右手前は、徳島のフィッシュカツというものだ。
 徳島ではかなり一般的に認知された料理のようで、一般家庭で作られるだけでなく、スーパーやコンビニでも普通に売ってるらしい。徳島でカツといえばフィッシュカツのことで、豚カツはトンカツというのが常識なんだとか。なんだか、お母さんにだまされてハムステーキをステーキと思い込まされたまま大人になって初めて違うことを知るみたいな話だ。徳島の人たちは本当にフィッシュカツこそ普通のカツと思い込んでいるんだろうか。
 これも料理としては非常にシンプルなもので、特徴らしい特徴があまりない一品だ。白身魚をすり身にして、そこにカレー粉で味付けをして、パン粉をつけて揚げるだけだ。
 カツというとトンカツを連想するから、なんとなく豚肉を指すような言葉と思いがちだけど、実際はカツレツの略で、それは小麦粉やパン粉などの衣をつけて揚げる料理のことをいうから、フィッシュカツという名前はまったく不自然ではない。フィッシュのカツレツだから、そのままで正しい。
 家庭で作る場合は、白身魚をすり身にして粘りを出させるのが難しいところだ。つなぎがないから、白身をつぶしただけでは衣がつきづらくて、揚げるときにバラバラになってしまう。多少はカタクリ粉などでつないで、なるべくこねた方がよさそうだ。
 カレー風味というのがありそうでなかったフライと言えるだろうか。更なる味付けとしては、マヨネーズしょう油にしてみた。
 付け合わせは、カレー粉と塩コショウで味付けしながら炒めたキャベツだ。これは郷土料理とは関係ない。

 一番奥は、宮城県のはっと汁なるものだ。
 ある意味、戦時中の料理の豪華版といえるような汁物料理で、類似のものは全国各地に存在している。昔でいうところの、すいとんというやつだろうか。
 はっとの語源は、あまりの美味しさに御法度となったからとかなんとか。本当だろうか。
 小麦粉に水を加えて練って、伸ばして茹でたものを入れた汁物だ。はっとの形状に各地の特徴があって、ある地域では団子だったり、手でちぎって入れたり、様々のようだ。宮城の場合は、薄くのばしてぺらぺらにする。
 汁はしょう油ベースのお雑煮といえばそのものだ。だし汁にしょう油などで味付けをして、具はダイコン、ニンジン、サトイモ、長ネギ、肉などを入れる。
 はっと汁が美味しいというか、汁が美味しいわけで、はっとは入れなくても充分成立する。はっとを入れると腹の足しになることは間違いないのだけど。
 むしろ純粋にはっと汁を味わおうと思ったら、具は最小限にして、はっとだけを味わうようにした方がよかったかもしれない。はっとと長ネギくらいでよかった。そうなると、ちょっとした戦時中気分が味わえるだろう。白米は高いから、小麦粉というのは今でも腹ぺこ貧乏人の味方と言える。苦学生とかにお勧めしたい一品だ。

 全国郷土料理サンデーというのは、思いつきとしてはよかった。全国制覇はなかなか難しそうではあるけど、どうにかして47都道府県料理を作っていきたい。シリーズ化決定だ。
 これでとりあえず、沖縄、北海道、徳島、宮城はクリアということにしよう。愛知県と故郷三重県に関しても何度か料理してるから、これも作ったことにしよう。
 東北、北陸、九州あたりはそれぞれ特徴のある料理があって、何か一つくらい作れそうなものがありそうだ。問題は関東で、東京の郷土料理って何だろうと考えても思いつかない。江戸名物ということで深川丼あたりだろうか。神奈川とか何かあるんだろうか。
 まずはそれぞれの県にどんな料理があるのかを知るところから始めよう。もっといろいろ調べていけば、面白い料理も見つかるだろう。一番いいのは、その県では普通に食べてるのに他の地域の人は全然知らないような料理だ。そういう意味では、徳島のフィッシュカツというのが、今回の一番の収穫だった。

竜泉寺裏の墓地から見る夕焼け風景は個人的夕陽百選の一つ

神社仏閣(Shrines and temples)
竜泉寺-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / Takumar 135mm f2.5/ 50mm f1.4



 個人的夕陽百選の一つに、竜泉寺裏がある。知る人ぞ知るというよりほとんど知ってる人はいないと思うけど、ここから見る夕焼け風景が気に入っている。墓地のど真ん中というロケーションが一般的には夕焼け鑑賞には向かないけど、そこさえ気にしなければとてもいい場所なのだ(たいていの人は気になる)。
 久しぶりにちょっと見に行きたくなって行ってきた。この日はそこからよく見える王子製紙の工場が火事になったというニュースもあって、それもちょっと気になっていた。
 夕焼け時間にはまだ早かったので、まずは竜泉寺に挨拶に寄った。ここはもう何度も訪れてる。ブログにもちょくちょく登場している。2006年11月には竜泉寺についてしっかり書いたから、もう付け足すことはあまりない。だから今日は写真中心の紹介になる。

竜泉寺-2

 竜泉寺は戦火や火災で何度も建物を失いながら再興され、現在は尾張四観音の一つとなっている。
 本堂や多宝塔は明治になってからの再建なので、見所とは言えない。一番はやはり重要文化財の仁王門だ。江戸初期の1607年に建てられたもので、堂々とした風格を有している。入母屋造のこけら葺き。両側には仁王像が立っている。

竜泉寺-3

 仁王門を斜めから。
 たくさんの幟(のぼり)が立っている。寄進というのか、奉納というのか、5千円だか1万円だかを納めると個人の名前入りで立てることができる。神社ならお稲荷さんの朱塗りの鳥居を寄進するというのもよくある。

竜泉寺-7

 明治40年に再建した本堂がだいぶガタが来ているので修繕したいから寄付して欲しいというお知らせだ。金額は1億円。高いのか安いのか、よく分からない。
 一人100円で100万人の協力が必要となる。こんなお願いの看板だけで簡単に1億円集まったとしたら、それはそれで問題のような気もする。賽銭に10円しか入れない私のような人間ばかりだと1,000万人の力を結集しないと集まらない。サラリーマンの生涯年収が約2億円というから、1億円というのは口で言うほど簡単なものじゃない。
 ここの本堂はともかくとして、名古屋城の本丸御殿は協力したい。こけら募金3千円で御殿に名前が載るから、これだけはしようかと思っている。名古屋城へ行ったときに募金もしたし、本丸御殿宝くじや本丸御殿茶を買ったりもして、ささやかながら協力姿勢も見せている。
 あちらの総工費は150億円。来年から着工して、完成は早くても平成29年と言われている。それまでちゃんと生きていられるだろうか。できれば、名古屋城をもう一度木造で造り直して欲しいけど、それは叶わぬ夢だ。

竜泉寺-4

 竜泉寺の昭和っぽいところがいい。でんわ、でんぽうって、今どき表の公衆電話から電報を打つ人はほとんどいないだろう。手作りの木製電話ボックスには、TELEPHONE BOXとある。外国人の人が訪れてるのを見たことがないけど、どうしてあえて英語だったんだろう。主なターゲットであるお年寄りには伝わりづらい。

竜泉寺-5

 この奥に模造竜泉寺城があって、展示室を兼ねている。一度入ってみてみたいと思いながら、いまだに果たせずにいる。日曜、祝日の朝9時から午後3時半までしか開いてないから、私としては厳しいところだ。
 昔はこの横に「展望台 百万ドルの絶景」と書かれた看板があったのに、いつの間にか撤去されてしまった。冷静に考えて百万ドルの価値はないことに気づいたのか。しかし、どうしてここでも百万ドルっていうアメリカナイズなんだ。ここの住職はアメリカに対する憧れが強いのかもしれない。
 竜泉寺城については、いつか一度入って、歴史的なことについても書きたいと思っている。昔からここは重要な戦闘拠点ということで歴史に登場したところだから、書くことはたくさんある。

竜泉寺-6

 竜泉寺は平安時代初期の800年前後に最澄が開いたとされる古刹だ。空海もここを訪れている。身近にありすぎてちょっと軽く見ているところがあるけど、実際は尾張を代表するお寺の一つだ。私自身、もう少し敬意を払うべきか。
 多宝塔は明治のものだから、さほどありがたみはない。とはいえ、明治28年(1895年)といえば100年以上は経っている。充分に古いものだ。

竜泉寺-8

 竜泉寺は猫の多いお寺で、その点でも行くのが楽しみなのだけど、昔から主のようにいた白猫を最近見ない。もういなくなってしまったんだろうか。このときは他の猫も見かけなかった。
 その代わり、近くの民家にいた。半飼い猫・半野良といった生活をしてるような猫だ。どちらも外国の猫の血が入ってそうだ。向かって右はシャム猫っぽい。

竜泉寺-9

 この日はあまり天気もよくなくて、雲が低い位置にかかっていたから、空は思ったほど焼けなかった。このあと太陽がすぐに隠れてしまって、夕焼けは不完全燃焼で終わった。
 ここは無粋な電線などもなくて、広くていい空が見られる場所だ。眼下にはたくさんの墓石が並んでいて、生きることと死ぬことを思う場所でもある。

竜泉寺-10

 火事があったのがどこか探したけど、分からなかった。それほど大規模なものではなく、午前中にベルトコンベアが燃えて1時間で消し止められたというからよかった。
 竜泉寺裏は夕焼けだけではなく、この風景も好きで、なんだか妙に心惹かれるものがある。こちらは夕暮れどきに灯りがともり始めてから雰囲気が出てくる。前時代的なような、近未来的なような、不思議な風景なのだ。

竜泉寺-11

 春日井は小牧空港から近いから、よく自衛隊機が飛んでいる。
 名古屋の空港が小牧から知多のセントレアに移ってしまったから、ここらあたりも静かになった。以前は、外へ出ると頭上をジャンボが飛んでいくのが当たり前の光景だったのに、今はあまり飛行機を見なくなってちょっと寂しい。

竜泉寺-12

 名古屋駅方面を撮るなら望遠レンズを持っていかないといけない。この日は忘れてしまって、135mmでしか撮れなかった。条件も悪かったから、写りがあまりよくない。
 この方角も、夕焼けか夜景になるとすごく絵になる。暗くなると手ぶれ補正を持ってしても手持ち望遠は厳しくなるから、そのうち三脚で夜景を撮ろう。夜の墓地で、三脚を立てて夜景を撮ってる人という図を想像すると、それはどうなんだとも思うけど。
 秋になって、夕焼けから日暮れの速度が速くなったときがねらい目だ。

 今日もややつなぎネタっぽくなってしまったけど、これはこれで写真を載せておきたかったからよしとする。竜泉寺も今までと違った撮り方ができたから、収穫はあった。
 夕焼けは残念だった。またそのうち出直そう。墓地の中の違う場所からの更なるベストポジションも探ってみたい。
 個人的夕陽百選を集めるというのも、一つのテーマとして持っている。今まで見た中で最高の夕焼けは、三重県の御座海岸で見た夕焼けだ。もう10年くらい前になるけど、いまだにあれを超える夕焼けは見ていない。琵琶湖の東岸から見た夕焼けも忘れがたいし、賢島も最高だった。名古屋港の東築地橋からイタリア村に沈む夕陽もよかった。ローカルなところでは、香流川、矢田川それぞれにお気に入りの場所がある。一人で100集めるのは大変だけど、少しずつ増やしていこう。

稲沢番外編は神社仏閣、花、虫、思い出話などの雑多ネタ

神社仏閣(Shrines and temples)
稲沢番外編-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 稲沢神社仏閣巡りシリーズで使い切れなかった写真を並べて、今日は稲沢番外編。ネタ不足というよりも、余った写真を使い切ってすっきりしたかった。
 国府宮神社のはだか祭り(儺追神事)で使われた「なおいぎれ(儺追布)」が結ばれている様子。境内の社務所で1本100円で売られている。お守りというか、厄除けというか、日頃から持っている人もいて、願いを込めてこうして結びつけていく人もいる。稲沢の人は車の中に結んでいるのが多いんだとか。
 神社は受験シーズンが深まる年末から年始にかけてがオンシーズンでかき入れ時だ。だから、夏場はシーズンオフのようなもので、いたってのんびりしている。ピリピリした空気が張り詰めている1月あたりと今とでは、ずいぶん違うのを肌で感じる。

稲沢番外編-2

 性海寺の多宝塔を、大塚古墳からタムロン90mmで撮るとこうなる。なんとなく京都っぽいというか、中国っぽくもある。
 タムロン90mmを中望遠で使うのも好きだ。ちょっと絞るだけでカリッとなる。

稲沢番外編-3

 地図にも載ってないような神社。載ってるのかもしれないけど、通りすがりに一枚記念撮影。
 これは長光寺から性海寺へ向かう途中だったんじゃないかと思う。神明社だったろうか。境内はそこそこ広そうだったけど、本殿は確認できなかった。

稲沢番外編-4

 矢合観音を探しているときに迷い込んだ安楽寺。最初、ここが矢合観音かと思って、車をとめて歩いていったらどうも様子が違う。本堂もなく、仏像をしまい込んだような倉庫があるだけだ。
 立て札を見ると、国の重要文化財を3つも持っているとある。帰ってきてから調べたところ、木造十一面観音立像、木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来坐像と、3つの重文があって、それぞれ藤原時代(平安時代の後期)に造られたものだそうだ。
 もともと国分寺の支院として建てられた寺ということで、歴史も古い。普段は仏像の公開はしてないようだけど、限定公開というのはありそうだ。
 参道は桜並木になっていたから、桜の季節はここも人で賑わうのかもしれない。

稲沢番外編-5

 このあたりは川や水路が複雑に入り組んでいる。昔は一面の田んぼ風景だったのではないか。今は郊外の町並と田んぼが混在している。地図で見ても、細い水路が毛細血管のように縦横無尽に張り巡らされているのが分かる。水が多く流れている町はいい町だ。気が淀まない。
 上の写真は安楽寺近くの三宅川にそそぐ水路と水門だろうか。水面に緑を映してちょっと雰囲気があった。

稲沢番外編-6

 稲沢は東海道新幹線が斜めに走っていて、ちょうと矢合観音近くを通っている。名古屋人の感覚からすると、なんで東京、名古屋、京都、大阪を結ぶ線が稲沢あたりを通らなければならないのかと不思議に思う。誰だよ、岐阜羽島なんて駅を作ったのは。岐阜を通るにしても、岐阜の中心から遠すぎて意味がない。どうせなら岐阜駅まで回ってもらわないと。
 そもそも東海道新幹線のルートは誰がどうやって決めたのか。効率だけを考えれば、名古屋から北上せずに三重県北部を通って真っ直ぐ西の京都を目指すのが一番早い。北陸との連絡を考えると、米原は絶対通りたかったというのはあるかもしれない。それなら岐阜羽島ではなく、素直に大垣でよかったんじゃないか。岐阜市内の人は岐阜羽島へ行くよりも名古屋駅まで行った方が近い。岐阜羽島なんかで待ってても、たまにこだまがとまるだけだ。
 それでも、新幹線がとまらない県であるより新幹線がとまる県であることを喜ぶべきか。

稲沢番外編-7

 昨日も登場した猫。たたずみ姿。猫だけが人の暮らしと共にあって自由に生きている唯一の動物だろう。その特異性は、考えてみると不思議でもあり、とても貴重なものでもある。

稲沢番外編-8

 サギのコロニー。小規模ながら、アオサギが5、6羽いるのが見えた。
 サギはこうして仲間同士でコロニーを作って、一緒に子育てをする。ダイサギやコサギ、ときにはカワウなども同居することがある。大きなコロニーになると、数百、数千羽単位になる。

稲沢番外編-9

 性海寺の歴史公園は、アジサイだけでなく、花菖蒲も植えられている。二つ一緒に見られるから、ちょと得した気分だ。

稲沢番外編-10

 花菖蒲は、もうここで見納めだろうか。今年は知立神社も行けたし、たくさん見て、勉強して、だいぶ花菖蒲とお近づきになれた。来年以降もたくさん見て、系統くらいは見分けられるようになろう。

稲沢番外編-11

 アジサイの品種は覚える気になれない。覚えても、日常会話の中で登場する機会がありそうにないし。ねえ、アジサイの品種で何が好き? なんて訊かれるとも思えないし、自分からしようとも思わない。中には、墨田の花火が好きだなとか即答する人もいるんだろうけど。
 アジサイに関して必要以上に興味を持つためには、まずアジサイ図鑑を買うことだろう。見たアジサイを後追いで調べるのではなく、まず図鑑で好きなのを見つけて、それを探すためにあちこちを巡るというふうにすれば、アジサイをもっと楽しめるようになるんじゃないかと思う。バラなんかも、そういうアプローチをするともっと理解を深めることができそうだ。

稲沢番外編-12

 こういう虫を見ると、なんでもかんでもカナブンかコガネムシと思ってしまう人は案外多いんじゃないか。でも、カナブンとコガネムシは違う種類だし、ハナムグリもまた別のものだ。コガネムシの見分けというのも、実はけっこう難しかったりする。そんなに種類はいないし、珍しいものはめったに見かけないから、一度覚えてしまえば簡単なのだけど。
 アジサイの花びらに見えているのは装飾花で、実際の花弁は役割を終えると落ちてしまう。だから、咲いているように見えても花としては終わっていることも多い。
 他の花と同様、雄しべと雌しべで受粉して、実をつけて種になる。このとき別の品種同士を掛け合わせると違うアジサイができたりするから、一般人でもアジサイの新種は生み出せる。やってみたら楽しい世界かもしれない。

稲沢番外編-13

 最後は稲沢市内で見かけたミュージックショップ。CDショップではなく、レコード店と言いたくなるような店で、表から見ただけで嬉しくなった。私が小中学校のときにあった店の雰囲気だ。店内をちらっとのぞき見たら、レコードだけでなくカセットテープさえも売っていそうだった。平成生まれの人たちは、曲がカセットテープで売られていたことを知らないだろう。カセットテープ自体見たことがないかもしれない。
 小学校のとき、初めて自分のお金で買ったレコードは、山口百恵の「秋桜」だった。今でも押し入れのどこかに「およげ!たいやきくん」なんかと一緒に眠っているはずだ。さすがにレコードプレイヤーは捨ててしまって、もう持ってないけれど。
 最後に買ったレコードは、昭和58年にH2Oが歌った「想い出がいっぱい」だったんじゃないかと思うけど、どうだろう。そのあとも何か買っただろうか。あれはテレビアニメ「みゆき」のエンディング曲だった。
 その後、レンタルレコード店というのが現れて、レコードは買うものから借りてカセットにダビングするものになった。そこからCDが登場してレコードを駆逐していくまではあまり時間がかからなかったような気がする。それでも、ダビングするのは相変わらずカセットテープで、MDが出てくるのはもっとずっとあとになってからだ。
 今でも、思い出の曲はほとんどがカセットテープの中にある。

 とりとめもなく雑多な感じになってしまったけど、写真もだいたい使い切ることができたし、これで稲沢編は番外編も含めて終了だ。
 来週は雨続きのようだから、在庫のネタでつないでいくことになりそうだ。金曜は出かけることが決まっているけど、できればそれまでに一回くらいどこかへ行きたい。最近、神社仏閣確率が高くなっているから、それ以外のネタを集めに。

何も知らずに迷い込んだ矢合観音と古刹の萬徳寺訪問

神社仏閣(Shrines and temples)
矢合観音入り口




 稲沢市矢合町にある矢合観音(やわせかんのん)は、とても分かりづらい場所にあった。地図で見ると、121号線を少し左に入ったところにあるようなのだけど、その入り口がよく分からない。2度通り過ぎて、3回目は車を店の駐車場にとめて歩いて確認しにいって、ようやく分かった。北側から南下した方がいいのだろうか。
 入り口は分かったものの、この道がまた狭い。対向車が来たら完全に立ち往生してしまう。前から車が来ませんようにと願いながら、ようやく裏手の駐車場にたどり着いた。ここでずいぶん無駄に時間を食ってしまった。
 けど、迷いはこれで終わりではなかった。肝心の矢合観音の場所が分からない。北へ行っても南へ行ってもそれらしい建物がない。たまたま通りかかった近所の人に尋ねてようやく分かった。駐車場から見ると、南へ少し歩いて、左の細い道を入って左手の民家がそうだ。
 民家? そう、ここはどう見ても民家のたたずまいだ。お寺じゃない。矢合観音と書かれた表札がかかってなければ、分かりっこない。隠れ家的お店というのはあるけど、隠れ家的お寺というのはあまり聞かない。
 実際ここはお寺ではなく、観音様を持った民家で、住職もいないという。にもかかわらず、稲沢を代表するお寺ということになっている。私が今回寄ったのは、ここだけは重要文化財巡りではなく、稲沢の有名なお寺だというぼんやりとした情報によるものだった。何で有名だったのかという肝心な情報が私の中で抜け落ちていたため、単なるおっかなびっくりの訪問に終わってしまい、ここを有名にしている万病に効く井戸水というものをいただいてくることもなく帰ってきてしまったのだった。
 このときはもう日没も近い時間ということで私以外に人はいなかったのだけど、昼間はおばあちゃん、おじいちゃん、病気の人がひっきりなしに水を求めてやってくる超人気スポットらしい。みなさん、ペットボトルや水筒なんかを持参して、井戸水をいただいていくんだとか。
 そんな話も知らないものだから、井戸の写真さえ撮ってない。上の写真の右側に少し写ってるのがそれで、ちらっと見て、今どきめずらしくこんなところに井戸があるんだと思っただけだった。境内にはここの家の人と思われるおばさまが掃除をしていた。井戸には見向きもしない私を見て、不思議に思ったことだろう。こいつ、何しに来たんだと。迷い込んでたまたま訪れるような場所じゃない。今にして思えば、惜しいことをしたもんだ。



矢合観音-2

 これが矢合観音のほぼ全景だ。民家としては広めの庭を持っているけど、お寺と思って見ると狭く感じるかもしれない。
 毎月18日の縁日は、参道から境内まで中高年で埋め尽くされるらしい。そういう意味では、ちょっと巣鴨に似たところと言えるかもしれない。
 井戸水はただ汲んで持ち帰ればいいというわけではなく、祈祷を受けて初めて霊水となる。上の写真でいうと、左側の建物が観音様がいる本堂に当たる場所で、右側の建物でまず申し込みをする。祈祷料は1,000円ほどだそうだ。病気が治るというなら1,000円は安いし、井戸水と思えば高い。
 本堂で祈祷を受けた水を持ち帰って、飲んだり悪いところに塗ったりすると病気が治るといわれている。
 ペットボトルは500ミリリットルくらいにしないといけないらしい。2リットルの大きなやつで持ち帰ろうなどとすると怒られる。灯油のポリタンクなどもってのほかだ。ここはただで水が汲めるとかそういうところではない。
 井戸水が万病に効くといって大勢が訪れるようになったのは最近のことではなく、話は江戸時代までさかのぼる。
 江戸時代後期、諸国を巡礼していた一人の行者がこの村を通りかかった。日も暮れて泊まるところを探して民家を訪ね歩くも、みすぼらしい身なりをした行者を警戒した村人はなかなか泊めてくれない。何軒目かでようやく泊めてくれる親切な家があって、翌朝、行者が泊まった部屋を主人が見ると小さな箱が置かれていて、中には観音像が入っていた。あの人は高貴な人だったに違いないと、この観音像を祀ったのが矢合観音の始まりだという話だ。泊めてあげるのを断った家はことごとく不幸が続いて滅びてしまったというオマケもつく。
 その行者の観音様と井戸水が病気に効くという話がどこでどう結びついたのかはよく分からない。評判を聞きつけた近所の人が観音様を見に来て、ついでにもらっていった井戸水で病気が治ったりしたことで、噂が噂を呼んで広まっていったということかもしれない。
 行者うんぬんの話は、あとから作られたお話という可能性も高い。他の説として、一色城主橋本道一の弟で矢合城主・橋本大膳がこの地に観音菩薩を祀ったのが始まりというのもある。



矢合観音-3

 私が境内に立ち尽くしてどうしていいものか途方に暮れている姿を見かねて、奥さんが本堂が開いているからよかったらお参りしていってくださいと声をかけてくれた。せっかくだからそうさせていただきますということで、中に入って挨拶だけしてきた。
 写真を撮っていいものかどうか迷って、一枚だけ撮らせてもらった。焦って傾いて、手がぶれた。観音様(十一面観世音菩薩)も、遠くて小さいからよく見えない。
 それでも、一応お参りだけはできてよかった。それをしなかったら、民家の外観の写真を撮っただけで終わってしまったところだった。



矢合観音-4

 駐車場がある方は裏参道ということになるのだろうか。道ばたに観音様だか地蔵様だかを祀った祠がある。サビ猫が中に入ってなにやごそごそ探っていた。私を見ても逃げないところをみると、近所のノラで人に慣れているやつだろう。こっちを見て、ニャーとひと声鳴いた。
 どうやら水を飲んでいたようだ。供えられた水はきっと矢合観音の井戸水だろうから、この猫も病気知らずで長生きすることだろう。



矢合観音-5

 121号線から徒歩で矢合観音に向かう場合は、右に見えている道の向こうからこちらに向かうことになるのだと思う。この道は車は通れない。参道はちょっとした門前町のようになっていて、みやげ物屋や団子屋、植木屋などが並ぶ。
 有名なのは、さかえや菓子舗の矢合観音饅頭で、全国菓子博名誉金賞を受賞した名物まんじゅうだそうだ。もう一つ有名なのは、参道入り口に100年続く老舗の小玉屋食堂だ。参拝の行き帰りにまんじゅうを食べたり、食堂に寄ったりするのも、矢合観音の楽しみになっているのだろう。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「国府宮駅」から名鉄バスで「矢合観音前停留所」下車。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 不明



三島社

 道を隔てた向かいの林の中に、小さな神社がある。どういういわれのある神社なのかはよく分からない。説明書きらしいものもなかった。
 あとから地図で見たら三島社とある。



萬徳寺-1

 この日の稲沢神社仏閣巡り最後に訪れたのは萬徳寺(まんとくじ)だった。
 日没間際で写真は厳しかったのだけど、せっかくここまで来たのだから多宝塔だけは撮っておきたかった。
 山号は長沼山。真言宗豊山派。
 一見するとさほど由緒のある寺に見えないから、多宝塔ばかりに心を奪われていた。けど、帰ってきてから古い歴史を持った名刹だということを知って、申し訳ないような、もったいないことをしたような気持ちになった。

 始まりは768年というから奈良時代後半、称徳天皇の勅願によって慈眼上人が創建したとされている。
 その後、木曽川(鵜沼川)の氾濫で一時荒廃したものを、834年、弘法大師空海がこの地を訪れたときに再興して、真言宗に宗旨替えして道場として再興した。
 その際、空海は本堂裏に如意宝珠(霊験あらたかな宝の玉)を埋めたとされている。空海が如意宝珠を埋めたのは、奈良の室生寺、山形の恩徳寺と、ここの三ヶ所しかないことから、何らかの理由でこの寺を重要と考えていたようだ。
 しかし、950年前後には火災、989年には強風で伽藍は壊滅してしまう。
 1254年に後深草天皇が常円上人を招いて、勅願寺として再興したのちは、鎌倉時代から室町時代にかけて繁栄し、一時は尾張国真言宗の本山となって53の末寺を持つほどになった。
 しかしながら、その後も度重なる水害と火災で伽藍を失い、現在は本堂と多宝塔などが残るだけとなっている。
 上の写真に写っている山門は、清洲城の通用門を移築したものだそうだ。
 災害慣れしていたのが幸いして、多数の文化財は消失を逃れて、現在も国や県、市の指定文化財34を持っているという。



萬徳寺-2

 本堂はかなり立派なものの、まだ新しい。昭和44年に火災で失われて、その後建て直されたものだ。



萬徳寺-3

 多宝塔は、本堂の左手に建っている。これが見たかった。
 非常にシンプルというか、あっさりとした味付けの多宝塔だ。飾りっ気がない。
 室町時代中期に建立されたもので、同じ稲沢市内にある性海寺の多宝塔との類似点が多いことから、あちらを参考に造られたのではないかといわれている。
 ただし、こちらの屋根は上下ともに檜皮葺(ひわだぶき)になっている。銅板葺よりもこちらの方が渋くて好きだ。
 塔内部には金剛界大日如来が安置されている。



萬徳寺-4

 多宝塔の向こうに見えているのが鎮守堂で、こちらも多宝塔同様、室町時代の建立で重要文化財に指定されている。こちらは1530年と、建てられた年数がはっきりしている。
 流造(ながれづくり)の檜皮葺で、小さいながらもなかなかの存在感を見せる。

【アクセス】
 ・JR東海道本線「稲沢駅」から徒歩約13分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日



萬徳寺-5

 今回の稲沢神社仏閣巡りシリーズはこれで完結となる。本編には入りきらなかった写真が残っているから、どこかで他のものと抱き合わせの二本立てで紹介したい。
 稲沢の魅力にも少し触れることができて有意義な散策となった。稲葉宿を中心に、もう一回は必ず行きたい。清洲と絡めれば一日コースにもなるから、県外の方にもオススメできるスポットだ。
 
 国府宮神社について紹介するついでに国府のことを勉強しよう
 稲沢名所といえば一に国府宮神社で二番目はアジサイ寺の性海寺
 稲沢寺社巡りは長光寺から始まり、稲沢の魅力を知るきっかけともなった
 稲沢番外編は神社仏閣、花、虫、思い出話などの雑多ネタ
 
 稲沢市観光協会webページ
 

稲沢寺社巡りは長光寺から始まり、稲沢の魅力を知るきっかけともなった

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
長光寺-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 今回の稲沢神社仏閣巡りは、重要文化財巡りでもあった。回った順番と紹介する順序がバラバラになってしまっているけど、最初に行ったのがここ長光寺(ちょうこうじ)で、お目当ては六角円堂だった。
 東海道本線清洲駅の北、稲沢市の右下にあり、町名の六角町はこの六角円堂から来ている。場所がちょっと分かりづらい。北市場町を北へ進んで細い道に入っていくと、左手に突然現れる。楼門が奥に引っ込んでいて、手前に高いマンションがあるから、うっかりしてると見逃しそうになる。
 入り口の右側に駐車スペースがある。
 まずは入ってみないと始まらない。ちょっとお邪魔します。

長光寺-2

 なかなか立派な楼門(仁王門)だ。建てられたのは天明8年 (1788年)だそうだ。入母屋造の本瓦葺。彫刻も凝っている。
 このお寺自体は更に古く、1161年に平頼盛(清盛の弟)の寄進によって建てられた。1336年に足利尊氏が復興させて法相宗に宗旨替えをして寛林院と号したのち、1499年に臨済宗になり現在に至っている。
 織田家や徳川家も大事にしたお寺で、境内には信長が清洲城や岐阜城にも届けさせた水を汲んだとされる臥松水(がしょうすい)という井戸がある。信長の居城だった清洲城は、ここからさほど離れていない。私たちが南アルプスの天然水などを飲むように、昔の殿様は愛飲の井戸を持っていたのだろう。信長なら六甲のおいしい水を献上してもこれは六甲から汲んだ水ではあるまいと見破ったかもしれない。

長光寺-3

 門をくぐってすぐ、右斜め前に六角円堂(地蔵堂)が姿を現す。おお、なるほどこれだねと、まずは遠巻きにしばらく眺める。けっこうな存在感だ。
 じっくり見物する前に、本堂に挨拶だけしておかないといけない。真っ直ぐ進んだ突き当たりがそうだ。

長光寺-4

 興化山という山号の額が飾ってある。
 にしても、なんだ、このピカピカ加減は。歴史のある寺のはずなのに、やけに真新しい。けど、賽銭箱とか、床板とかは年季が入っていて、新旧のコントラストが妙な感じで戸惑う。
 帰ってきてから知ったのだけど、近年、本堂を建て替えたそうだ。どうりで新しいはずだ。それで、使える部分の木材などは再利用したということだろう。建て替える前の本堂は、どれくらい歴史があるものだったんだろう。

 ここは臨済宗妙心寺派の禅寺だ。宗教もなんであんなに派閥が好きなのか知らないけど、臨済宗もたくさんの宗派に分かれている。
 妙心寺派は臨済宗最大派閥で、京都の右京区にある妙心寺を大本山として、全国に末寺3,400を抱えている。
 他に主な宗派としては、日本最古の禅寺である京都建仁寺の建仁寺派、同じく京都の東福寺派、南禅寺派、大徳寺派、天龍寺派、鎌倉の建長寺派、円覚寺派などがある。
 臨済宗というのは、中国禅宗五家の中の一つで、唐の臨済義玄を宗祖とする。日本へは鎌倉時代に栄西らによって伝えられ、主に武家の間で支持されて、政治と結びついて発展していった。
 同じ禅宗でも一般大衆に受け入れられた曹洞宗とは性質が異なっている。
 臨済宗は、修行によって悟りを開き、師匠から弟子へ伝えることを重視しているのだとか。

長光寺-5

 あらためて六角円堂をしげしげと眺めてみる。うーむ、なるほどと納得する。何がどう納得かは自分でもよく分からないけど、存在としての説得力がある。フォルムが美しいというのもある。
 建てられたのは1510年のようで、古い時代の六角堂というのは全国でも残存しているものが少ないそうだから、文句なしの重要文化財だ。中でもここのものは特に古いものとされている。
 正面には鰐口(わにぐち)が吊されている。鰐口というのは、お寺の境内でお参りをするときにぶら下がっているヒモを引っ張ってじゃらじゃら鳴らす鐘の部分だ。
 これは天正11年(1583年)6月2日にかけられたことが分かっている。一年前のその日は本能寺の変があったときで、信長の一周忌にかけられたそうだ。
 地蔵堂というからには中に地蔵さんが安置されている。この地蔵は鉄で鋳造された珍しい地蔵ということで、これも重要文化財に指定されている。
 鉄は銅に比べて鋳造が難しいことから、あまり造られることがなく、細かい部分や仕上げも美しくならないといわれている。しかしながら、長光寺の地蔵菩薩立像(1.6メートル)は、鋳銅製と変わらないほどの美しさに感心する。写真を見るだけでもそれは伝わる。
 基本的には非公開となっているけど、お願いすれば見せてもらえるそうだ。いきなりというのはなんだから、事前に電話連絡をしておいた方がいいと思う。
 これは別名汗かき地蔵といって、何か悪いことが起きる前兆として全身に汗を吹きだして知らせるとされている。伊勢湾台風や太平洋戦争のときに汗をかいたんだとか。

長光寺-11

 裏側から順光で撮っておかないと、屋根の様子がよく分からない。こんな感じになっている。

長光寺-6

 楼門の中にいる仁王さん。朱塗りだけど、怒っている表情ではなく、穏やかな顔の仁王像だ。
 長光寺は尾張六地蔵の一番札所にもなっている。ランの館の隣にある二番札所清浄寺の巨大延命地蔵(高さ5メートル)は、そうとは知らずに見ている。ランの館へ行こうとして場所が分からず迷っていたらたまたまそこを突っ切ることになったのだった。あれがここにつながったのも、地蔵の導きだったのか。
 三番は南区呼続の地蔵院、四番は緑区鳴海の如意寺、五番は天白区島田の地蔵寺、六番は千種区今池の芳珠寺となっている。どこも市内で行きやすいところだから、近いうちに全部回ってしまおう。また新たな目標ができた。

長光寺-8

 門を出てすぐ前に、見た瞬間、うひょっと奇声を発してしまいそうな古い家がある。昔の面影を残しつつ相当熟してしまった感じだ。
 長光寺の門前には、かつて四ツ家追分(鎌倉街道、美濃路、岐阜街道の分岐点)に立っていた道標がある。ダンプカーが突っ込んで折ってしまったものを、この場所に移して保存しているんだそうだ。1819年に立てられた道標で、「右 ぎふ并浅井道」,「左 京都道并大垣道」と刻まれていた(今は字が薄くなっていてよく読めない)。
 近くには、浅野長勝宅跡の碑や(浅野長勝の甥が浅野長政で、養女のねねは秀吉の正室になっている)、清洲代官所跡などもある。
 今回は時間の都合で省略した南北朝時代の木造虚空蔵菩薩座像(重文)を所蔵する亀翁寺や、織田信雄が父信長の菩提を弔う為に建てた総見院もある。

長光寺-9

 稲沢のこのあたりは、清洲城の近くで、後に美濃路沿いの稲葉宿があったところなので、古い家が点在している。町並保存というふうではなさそうだけど、歩いて見て回ればけっこう見所が多そうだ。車で通りすぎてしまうのが惜しいくらいだった。もう一度別の機会に訪れたい。
 美濃路は、東海道の熱田から別れて、名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣を通って、垂井で中山道と合流する脇街道だった。かなり古くからあった道らしく、鎌倉時代には整備されて鎌倉街道の一つとして重要な街道となっていたようだ。戦国時代は、信長の桶狭間の戦い、秀吉の小田原征伐、家康の関ヶ原それぞれの凱旋路となった縁起のいい道でもある。
 江戸時代は、熱田から桑名までの海路を通るより少し遠回りになるものの、安全第一ということで美濃路まわりで旅をした人も多かったという。
 本陣・脇本陣もあって、大名の参勤交代でも使われたそうだ。
 稲葉宿があったのは、名鉄国府宮駅の西1キロあたりで、このあたりが色濃く当時の面影を保っている。道は細く入り組んでいて、かなり雑然としている。
 かつてこのあたりを稲葉村といい、のちに小沢村も加わって、合併するときに二つの文字を取って稲沢市と名づけられた。

長光寺-10

 稲沢は思った以上に見所の多い、いい町だった。秋葉宿のことは知らなかったから、思いがけない収穫でもあった。地味で見るべきものの少ないところというのは間違った思い込みとして、あらためねばなるまい。
 稲沢神社仏閣巡りシリーズは、5ヶ所のうち3ヶ所の紹介が終わって、残り2つになった。稲沢の宣伝のためにも、最後までしっかり書きたいと思う。

15分のアップダウン山道歩きをしても行く価値がある6月の築水池湿地

花/植物(Flower/plant)
築水池湿地-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 稲沢シリーズを続けると神社仏閣ばかりになってしまうので、いったん中断して、グリーンピア春日井に戻ることにする。そういえば、あちらもまだ終わってなかった。
 今日は、グリーンピアのとなりにある築水池湿地(ちくすいいけしっち)を紹介しようと思う。去年の同じ時期、グリーンピアを訪れたときにも行っているから、一年ぶりの再訪だ。そのときの様子はちょこっとだけこのブログにも登場している。
 この時期の湿地の花としては、まずトキソウがある。夏のサギソウと並んで初夏の湿地の主役だ。カキランももしかしたら咲いてるかと期待したけど、まだちょっと早かった。あれは6月の終わりから7月にかけてだ。築水池はササユリも自生しているから、それも楽しみにしていた。
 ササユリはやや時期を外したようで、あまりきれいに咲いているものがなかった。群生してるわけではなくて点在してるだけだから、ちょうどきれいに咲いている時期に当たるかどうかは運次第だ。

築水池湿地-2

 池の周りの散策路脇に、こんなふうにポツリ、ポツリと思い出したように咲いている。ササユリというのは本来、明るい森林などを好むはずで、築水池は光があまり当たらないから、育成条件としてはあまりよくないんじゃないかと思う。特に湿地帯を好むというわけでもないし、どうしてここに咲いているのか不思議だ。
 もともとササユリは人の暮らしの近い場所で、普通に咲いているありふれたユリだった。万葉集などで詠まれている山百合は、ササユリのことを指すと言われている。
 ここまで数が減ってしまったのは、開発と乱獲ばかりではなく、人が野山に入らなくなったからというのもありそうだ。里山というのは、人と共存しないと植生は豊かにならず、放置するとどんどん荒れてしまう。雑草や木々が生えすぎて、ササユリにしてみたら明るさが足りなくなって数を減らしていったのではないだろうか。
 自然に対して人間はいつでも悪者というわけではない。上手くバランスを取って共存していくことでお互いにとっての利益が生まれるというものだ。一度崩れたバランスを取り戻すのは難しい。

築水池湿地-3

 サギソウは姿を見れば、なるほどちょっとサギっぽいなと思うけど、トキソウはどこがトキだよと思う。トキなんて見たことがないから、これはトキじゃないとは言えないのだけど、写真で見るトキと野草のトキは結びつかない。
 それもそのはず、名前の由来は、姿形ではなく色から来ているのだった。トキ色(鴇色)という色があって、それはトキの羽の一部の薄いピンク色をいう。その色とトキソウの色が似ていることから、こう名づけられたようだ。それでちょっと納得はしたけど、トキのどの部分がピンク色なんだろうというあらたな疑問がわく。
 学名をニッポニアニッポンという日本を代表する鳥だったトキが絶滅してしまうなんて、なんとも残念というか恥ずかしいような気持ちだ。江戸時代までは、今でいうシラサギのように日本全国の田んぼにいるありふれた鳥だったのに。

築水池湿地-4

 築水池湿地のトキソウは、咲いている場所が立ち入り禁止になっているから、守られてたくさん咲いている。ただ、この花は雑然と咲いているから、離れて見るときれいじゃない。ほとんど雑草然としている。トキソウは、近くから見ないとその魅力が分からない。

築水池湿地-5

 夏の湿地を代表する植物の一つに、モウセンゴケがある。日本を代表する食虫植物だ。
 葉っぱが立ち上がってぴよーんと伸びるのがモウセンゴケで、地べた近くで広がるのがコモウセンゴケ。ときどき、どっちがどっちか混乱する。
 モウセンゴケは、白い花を咲かせ、コモウセンゴケはピンクの花を咲かせる。けど、私はまだ一度も咲いているところを見たことがない。特にコモウセンゴケは晴れた日の午前中しか花を開かないから、見られるチャンスは限られる。モウセンゴケは曇りの日の日中でも咲くそうなんだけど。
 葉っぱの先についた水滴から甘い匂いを発して、それに誘われて止まった虫を捕まえる。はえ取り紙のように虫はくっついたまま飛べなくなり、モウセンゴケは虫を溶かして吸収してしまうのだ。その場面をぜひ一度見てみたいと思っているけど、いまだに見たことがない。そんなに都合よく虫が捕まるもんなんだろうか。モウセンゴケは相当群生してるけど、全部を養おうと思ったら虫の大群が必要だ。
 実は虫を捕まえなくても生きていける。基本的には光合成で生きていて、虫はおやつのようなものらしい。虫からはチッ素分やリン酸などを吸収して、栄養にしているようで、虫を食べると元気になって、葉っぱも赤々となり、きれいな花をたくさんつける。
 葉っぱについたものが虫かそうじゃないかもちゃんと区別できるというから、かなり賢い。
 モウセンゴケの名前の由来は、葉っぱの様子が獣の毛で織った敷物「毛氈」から来ている。コケという名前がついているけど、苔の仲間ではない。

築水池湿地-6

 コモウセンゴケは、通常のコモウセンゴケの他に東海から近畿にかけて分布するトウカイコモウセンゴケと、ナガバノモウセンゴケがある。愛知県で見られるものは基本的にトウカイコモウセンゴケだと思うのだけど、あまり区別がついてない。トウカイコモウセンゴケは、モウセンゴケとコモウセンゴケの交雑種で、中間的な特徴を持っていると言われている。
 西日本では白い花を咲かせるシロバナコモウセンゴケが一般的らしい。愛知県ではピンクがほとんどだと思う。
 モウセンゴケよりはやや寒さに弱いようで、宮城県が北限とされている。
 モウセンゴケは夏だけ葉っぱが緑なのに対して、コモウセンゴケは常緑で、冬には赤色に紅葉する。

築水池湿地-7

 ひょろひょろっと頼りないような細い茎を伸ばして、その先にいくつかの小さなピンクの花を咲かせる。一度くらいは咲いているところを見てみたい。虫を捕らえているところも。

築水池湿地-8

 草の間からカエルもこんにちは。
 これはニホンアカガエルか、違うか。全身が見えてないからはっきりしない。
 カエルの見分け方の勉強も進んでない。もうちょっと頻繁に写真に撮れるといいんだけど、最近はあまり見かけなくなって偶然撮れる機会も少なくなった。もっとカエルに親しもうと思えば、カエルのいるところへ積極的に出向いていかないといけない。

築水池湿地-9

 ジャノメチョウは久しぶりに撮った。おととしくらいは勉強も兼ねてよく撮っていたけど、最近は見かけても撮らなくなっていた。久々に撮ったら名前が分からない。覚えたはずの見分けポイントもすっかり忘れてしまっていた。
 もう一度調べて勉強し直して、少し記憶が戻った。これは白色の帯が真っ直ぐに近いから、ヒメジャノメでいいと思う。この白い線が波打っているとコジャノメだ。コジャノメは翅の色ももう少し濃い。
 ジャノメは蛇の目から来ている。丸い模様をヘビの目に見立てたのは納得だ。

築水池湿地-10

 この時期、よく姿を目にするホオジロだ。鳴き声でも分かりやすい。大きな声でピッピチューといった感じで鳴いている。どう耳を澄ませても、一筆啓上仕候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)とは聞こえないけど。

築水池湿地-11

 胸を反らせて鳴く姿勢もホオジロの特徴だ。あまり警戒心が強くないから、そこそこ近づいて撮れる。
 メスは頭の色がオスに比べると褐色というけど、メスは見たことがないのでよく分からない。高いところで鳴いているのはオスで、そういうふうに目立つ行動をしてくれないと見つけられない。

築水池湿地-12

 湿地帯はワイルドな場所にあることが多くて、あまり誰にも彼にもオススメできない。築水池湿地も例外ではなくて、場所はグリーンピアのすぐ隣ではあるけど、車をとめるところから現地まではかなりきついアップダウンの道を15分くらい歩かないと辿り着けない。低山歩きくらいの覚悟が必要だ。
 それでも、ここにしか咲かない花があるから、行く価値はある。トキソウに加えて、そろそろカキランも咲き始める頃だろう。この日は見かけなかったけど、ハッチョウトンボも飛ぶはずだ。8月になればサギソウも咲く。

 グリーンピアシリーズはこれで終わりではなくて、まだサボテン編と温室の花編が残っている。どちらも季節ものではないから、焦ることはない。そのうちどこかで紹介したい。神社仏閣の合間の一服という感じで挟み込もう。
 梅雨の中休みも終わって、また梅雨空が戻ってきそうだ。今日尾張旭と春日井で少し神社仏閣巡りをしてきたから、ネタの在庫はできた。雨の日は神社仏閣の話をゆっくり長々と書くことにしよう。

稲沢名所といえば一に国府宮神社で二番目はアジサイ寺の性海寺

神社仏閣(Shrines and temples)
性海寺山門前と紫陽花




 稲沢のアジサイ寺として知られる性海寺(しょうかいじ)。
 真言宗智山派のお寺で、山号を大塚山という。智山派の総本山は、京都東山の智積院(ちしゃくいん)で、大本山に川崎大師成田山新勝寺高尾山薬王院がある。名古屋でいうと、大須観音宝生院が別格本山となっている。
 開祖は覚鑁(かくばん)で、と書き始めると長くなるので今回はやめておこう。真言宗智山派についてはいずれどこかで書く機会もあると思う。

 性海寺は、弘法大師空海が創建したということになっている。あまりはっきりしたことは分かってないようだけど、818年(?)に空海が熱田神宮へ参詣へ行くときこの地を通り、何らかの形で関わってお寺が建ったということらしい。銅像の歓喜天をここに埋めたのが始まりとかなんとか。
 当初の本尊は、空海作の愛染明王だったのかどうか。このあたりもよく分からない。
 現在の本尊、善光寺式阿弥陀三尊像は、1115年、浄連源延上人の手によるものだという。
 1253年(?)、大塚の領主・長谷部源政と熱田宮司出身の僧・良敏が伽藍を再興したというのは、はっきりしているようだ。
 1580年前後に兵火で一度焼失し、1648年に伽藍が再建されたという。
 ただ、この寺を大切に保護したという顔ぶれを見ると、北条時頼、足利尊氏、浅野長政、松平忠吉、徳川義直と豪華なメンバーが並ぶから、かなり重要な寺という位置づけだったらしいことがうかがえる。



性海寺山門

 山門はさほど立派というわけではないけど、江戸時代のものということでなかなかの風格を漂わせる。



性海寺多宝塔

 ちょうどアジサイシーズン終盤ということで、けっこうな賑わいを見せていた。それは門を入って右側の歴史公園の方で、境内は閑散としている。みんなお目当てはアジサイで、寺そのものを目的に訪れた人たちじゃない。
 私が見たかったのはこれ、多宝塔だ。最初に訪れたのは2005年だったか。
 この多宝塔は、コンパクトでスリムな印象を受ける。
 室町時代に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。
 高さは約13メートル。一辺が約3.6メートル。
 下層は四角形で、上層は円形、内部は八角形になっているそうだ。屋根は銅板葺で、相輪は青銅製。
 木製の渋い多宝塔とはまた違った魅力がある。



性海寺多宝塔近くから

 これは裏側から見たところ。



性海寺多宝塔拝殿

 多宝塔の拝殿には愛染明王が安置されている。
 以前は多宝塔と連結されていたそうだけど、今は分離している。
 愛染明王というのは、これまであまり縁がなくてよく知らないのだけど、大阪天王寺にある勝鬘院(愛染堂)は行ってみたい。ここには聖徳太子が建立して、豊臣秀吉が再建した多宝塔がある。



性海寺太子堂

 多宝塔に目を奪われがちだけど、本堂(太子堂)も江戸時代初期に再建された古い建物で、重要文化財に指定されている。
 入母屋造で、屋根はこけら葺。シャチホコも乗ってる。
 本堂の扉はいつも閉まっているのか、時間が遅かったから閉まっていたのか。この中には、室内用の木造宝塔と木製五輪塔があるはずだ。どちらも国の重要文化財で、宝塔は織田信長が安土城に建てた宝塔のオリジナルと言われているものだ。高さ約2.6メートルの黒漆塗で、クギやカンナを一切使わずに造られているという。見られるものなら見たかった。



性海寺紫陽花見物の人たち

 せっかくこの時期にここまで来たのだから、アジサイも少し見ていこうということで、歴史公園に移動する。
 かつては庭園だったところが伊勢湾台風で被害を受けて、平成4年に歴史公園として整備されて今に至っている。どうしてアジサイにしたのかはよく分からない。何か一つくらい稲沢の花名所を作ろうということになってアジサイを選んだのかもしれない。
 約90種類、1万株のアジサイが植えられている。品種名のプレートがあって親切だ。手入れも行き届いている。
 行ったのは6月13日で、やや遅かった。まだ花はかなり残っていたものの、枯れ始めているものもけっこうあって、ピークは外していた。ここは県内の他のアジサイスポットより早いようだ。今年でいえば、6月10日より前に行くべきだったろう。



性海寺古墳とアジサイ

 奥の方へ進むと、こんもりと盛り上がったところがあって、その上から境内を見渡せるようになっている。ただの高台かと思いきや、実は古墳だ。歴史公園と名づけたのは、これがあるからだろう。
 空海が仏像を埋めたのはこことされている。
 大塚古墳と呼ばれる古墳は、直径約50メートル、高さ5メートルほどの円形で、周りは堀で囲まれている。ただし、現在の盛り土は鎌倉時代以降のものだろうと言われている。
 鎌倉時代、ここには大塚城という城があって、そのときこの古墳に土を持って物見台としていたようだ。築城は長谷部信蓮という人物らしいけど、詳しいことは分かっていない。
 大塚山という山号や、大塚町という町名は、ここから来ている。



性海寺アジサイ風景

 古墳の上というか、物見台山頂からの眺め。定番の撮影スポットだ。
 手前にアジサイが咲いていて、現代の建物は木々にさえぎられて、絵になる風景だ。



性海寺アジサイ

 性海寺は一度行ってるから、もう行かなくてもいいかと思ったのだけど、多宝塔コレクションということで思い直してもう一度行っておいた。今回、しっかりいい条件で撮れたし、アジサイも見られたということで、思い残すことはない。愛知の多宝塔コンプリートに一歩近づいた。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「国府宮駅」から徒歩約40分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 不明(夕方には門が閉まるかも)
 

空想沖縄もどきサンデー料理にめんそーれ、いみそーれ

料理(Cooking)
沖縄もどきサンデー

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8



 先週、来週のサンデーはタイ料理を作ろうと書いた。実際、そう思って調べてみたのだけど、タイ料理の壁は意外と高かった。何を作ろうにも、ナンプラーとココナツミルクがないと話にならず、タイ料理を一度作るためだけにそれらを買い揃える気にはなれなかった。それらを避けて作ろにも、香辛料や野菜なども特殊で、すべてを日本の食材で代用してしまうとタイらしさがまったく出なくなってしまう。そんなわけで、タイ料理は断念せざるを得なかった。
 次に思いついたのが沖縄だった。特に何かのきっかけがあったわけではなく、ガッキーのファンだとかそういうことでもないのだけど、ふと頭に浮かんだのだった。
 沖縄など行ったこともないし、沖縄料理なんて見たこともない私だから、全然想像ができないところから出発して、最終的には遠くから沖縄本島を眺めるあたりまではいったと思う。沖縄までは上陸していない。私が作ったのは、あくまでも想像上の沖縄もどき料理だ。だから、私のサンデーを沖縄の人が見て、そんなの沖縄料理じゃないサーなどと怒ってはいけない。なんくるないサーと暖かい目で見守ってください。

 沖縄料理といってまず思い浮かべるのがゴーヤーチャンプルだ。しかし、ゴーヤーは一度食べて懲りた。あれはもう食べたくない。苦みや渋み、酸っぱさというのは、舌が危険を知らせるサインだ。ゴーヤーの苦みは、これは食べちゃいけないぞという警告レベルを超えている。本場のゴーヤーチャンプルーは苦みも抑えて美味しいのかもしれないけど、自分で作るときはあえてゴーヤーを入れるという選択肢は考えられなかった。だから、ゴーヤー抜きのチャンプルーにした。
 調べてみると、チャンプルーというのはいろいろな種類がある。定義としては、沖縄の豆腐を使った野菜炒めをそう呼んでいるようだ。へちまを使ったナーベーラーチャンプルー、もやしを使ったマーミナーチャンプルーなどがあって、今回はキャベツを使ったタマナーチャンプルーと、そーめんを使ったソーミンチャンプルーのミックスチャンプルーでいってみた。右手前のがそれだ。
 沖縄の豆腐は入手が難しそうだったので、普通の木綿豆腐を使った。その地点ですでにチャンプルーの定義からは外れてるのだろうけど、これはまあ仕方がない。
 チャンプルーというのは、混ぜるという意味のちゃんぽんあたりに語源があるようだ。
 そーめんを軽くゆがきつつ、まずは水切りした豆腐をサイコロに切って、フライパンでガァーっと炒めて表面に焼きを入れる。いったん取り出し、次にキャベツ、鶏肉(本来は沖縄らしく豚肉を使う)を炒めて、豆腐とそーめん、ニラを加えて、塩、コショウ、ダシの素、しょう油で味付けする。
 非常にシンプルなのに美味しいのは何故だろう。調味料も必要最小限しか使ってないし、野菜の甘みが出てるというふうでもない。ダシとニラが効いているのだろうか。そーめんのマッチングも思った以上にいい。これは簡単だし、美味しいし、バリエーションもあるし、気に入った。また作って食べたい。

 左前は、一応ラフテーを意識して作った豚肉料理だ。これはラフテーの原形からは遠い。ラフテーというのは豚の三枚肉の角煮のことをいうと思うのだけど、どこまでが許容範囲なのかはよく分からない。沖縄では泡盛で煮込んでいくそうだ。
 今回は余った焼き豚があったので、それを使ってみた。それだけでは寂しいということで、ゆで卵も一緒に煮込んだ。もはやラフテーはどこかへいってしまっている。
 ラフテーの語源はよく分からない。臘火腿(らほとうい)という中国語から来ているのではないかと言われているけど、これはハムのことを指すらしいから、どこかで間違ってラフテーになってしまったのかもしれない。沖縄人は、そんな細かいことを気にしないといえばそうなのか。
 これは時間がかかるけど、調理は単純。塩、コショウ、しょう油、酒、みりん、ダシでひたすら煮込んでいく。途中で水と味を足しながら、2時間でも3時間でも好きなだけ煮込んでいけばいい。半日だってかまわない。私が使ったのは焼き豚だから、いくら煮ても柔らかくはならないけど、豚の三枚肉なら煮込むほどに柔らかくなる。
 便乗したゆで卵が美味しかった。煮込みおでんのゆで卵みたいに味が染みこんでいて。

 右奥は、にんじんシリシリという沖縄のポピュラーな家庭料理らしい。
 これもいたってシンプルな料理で、作り方は簡単だ。ニンジンをシリシリ器でシリシリして……って、なんですか、そのシリシリ器ってのは? 詳しいことは分からないのだけど、野菜とかのスライサーのことを指しているらしい。沖縄における正式な商品名なのか、単にそう呼ばれているものなのか、はっきりしたところは不明だ。北海道のママさんダンプのようなものだろうか。
 そんなシリシリ器なるものは持ってないので、包丁で千切りにした。ここがちょっと面倒。ああ、シリシリ器さえあればなぁ。
 シリシリさえ終われば、あとはツナ缶と混ぜて炒めていくだけだ。最後に溶き卵を流し入れて、混ぜながら炒めて、ダシの素、塩、コショウ、しょう油で味付けすればできあがり。
 これも素朴ながら、今まで食べたことがないような味で、なんとなく不思議な気がした。特別変わったことはしてないのに、新鮮さがある。めんつゆで味付けしてもいいようだ。

 左奥のものは、沖縄風天ぷらとタコライスをアレンジしたオリジナルだ。これはぜひ、沖縄に逆輸入したい自信作だ。ん? 逆輸出か? 沖縄以外の人にもオススメしたい。
 沖縄の天ぷらは、卵と小麦粉と牛乳と塩を混ぜたものにエビや白身魚などを浸して衣をつけて揚げるというスタイルで、私はそこから一歩進めて、団子と衣を一つにした。手抜きという言い方もできる。
 エビと白身魚を細かく砕いて、刻みタマネギ、小麦粉、卵、牛乳、塩、コショウを混ぜて、しばらく冷蔵庫で休める。
 手で団子状にできるほど固くないので、スプーンですくって油の中に落として揚げる。温度はやや低めで。
 ソースは、タコライスの上の部分のオレ流だ。
 タコライスと聞いて、当然、タコが乗ったライスを想像したら、全然違っていた。タコは登場すらしてない。タコスの具から来ていて、それをご飯の上に乗せるからタコライス。そういうことだったのか。知らないまま沖縄へ行っていたら、すみません、これタコ入ってないんですけど! と抗議して恥をかくところだった。たこ焼きのタコ入れ忘れとは訳が違う。
 タコライスというのは、もともと沖縄のパーラー千里というところが考案したオリジナルだったのが、評判を呼んで沖縄で広く一般的なものとなっていったというのが経緯のようだ。名古屋でいうところのあんかけスパに近いだろうか。
 オリジナルのタコライスは、牛挽肉、ニンニク、タマネギ、ピーマンを塩コショウ、チリパウダーで炒めて、チーズ、レタス、トマトとともにご飯の上に乗せて、サルサソースをかけて食べるというものらしい。ただ、最近は一般化して、いろいろなパターンも登場して定義はやや曖昧になっているようだ。
 今回私が作ったタコソースもどきは、タマネギの刻み、酒、しょう油、みりん、ダシの素、砂糖、ウスターソース、ケチャップ、豆板醤、とろけるチーズ、粉チーズ、トマトの刻みを混ぜて熱して作った。かなりピリ辛でほどよい甘みもあって、これはいける。ちょっとエキゾチックな味ながら天ぷらとの相性もいいし、他のもののソースとしても使えそうだ。
 沖縄風タコ天ぷらとして沖縄料理の一員として加えて欲しい。
 今日は、一つひとつは簡単だったので、4品作ってみた。それだけでなく、更にデザートまで作ってしまった。サーターアンダギーという沖縄ドーナツが下のものだ。

沖縄もどきサンデー2

 これも至ってシンプル。これ以上ないというほど素朴なドーナツだ。けど、これが懐かしくて優しい味なのだ。天ぷらをしたついでに作って食べてみて欲しい。冷めても美味しいから。
 サーターアンダギーって、何のことだと思いきや、サーターは砂糖で、アンダギーは揚げ物のことと知って、ウッと一瞬言葉を失った。沖縄の料理名はなまってるだけってのもけっこう多い。
 これも中国から渡ってきたもののようで、沖縄という土地はいろんな外国の影響を受けてきた歴史があるから、それらがない交ぜとなって、歳月を重ねる中で沖縄特有のものとして定着していったのだろう。
 卵1個に対して小麦粉100グラム、ベーキングパウダー小さじ1、砂糖50グラム、サラダ油小さじ1で、あとは混ぜて揚げるだけだ。
 最初に卵と砂糖を、そこに粉を入れて、最後にサラダ油を加えて混ぜる。きめ細かい仕事をしようと思えば粉も振るうべきなんだろうけど、あまりデリケートなお菓子ではないので適当でいい。最初の泡立てでしっかり混ぜればふんわり食感になって、あまり混ぜないとしっとり重ためになるんじゃないかと思う。
 油の温度は160度くらいの低めにしないとすぐに焦げてしまうので、そこだけ注意が必要だ。

 沖縄料理の再現度としては、70パーセントもいってないと思うけど、私としては満足度が高かった。素朴な沖縄の家庭料理との相性のよさに自分でもちょっと驚いた。本場の沖縄料理を食べたらまた違う印象を持つのだろうけど、自分で作る沖縄もどき料理は美味しく食べられた。また他のものにも挑戦したい。
 外国料理というのは、食材にしろ調味料にしろ、なかなか揃えるのが難しいものがあって限界がある。だから、日本国内に目を向けるというのはいい方向性だ。沖縄ほど特徴的な料理があるところはあまりないにしても、各地の郷土料理というのはあって、それぞれの土地の家庭料理でも意外なオリジナル料理があるものだ。全国各地、けっこう変なものを食べている。
 全県制覇という試みも面白いだろう。馴染みのない県の人たちは何を食べているのか調べて自分で作ってみれば、今以上に親しみも湧いてくるに違いない。
 今後、県の郷土料理はシリーズ化していこう。サンデー料理のいいネタが見つかった。

国府宮神社について紹介するついでに国府のことを勉強しよう

神社仏閣(Shrines and temples)
国府宮楼門前




 愛知県稲沢市(いなざわし)にある国府宮神社(こうのみやじんじゃ)。愛知県民にとっては、はだか祭が行われる神社という認識が一般的だと思う。全国的な知名度はそれほど高いない気がするけどどうだろう。国府宮神社の由緒や祭神まで詳しく知っているという人となると、愛知県民でも多くないのではないだろうか。かつて尾張国の中心がここ稲沢だったということを認識している県民はどれくらいいるのだろう。
 今回は国府宮神社のことを書くのだけど、その前に少し日本史の復習をしておきたい。国府とは何かということも、学生の頃習ったっきりで忘れてしまってる人も多いだろう。守護・地頭なんて言葉も懐かしい。日本史が好きだった人も、苦手だった人も、少しだけおつき合いください。

 国府(こくふ/こう)というのは、日本に国家という概念が生まれた奈良時代から平安時代にかけて、国が地方を管理するために政務機関を置いた都市のことをいう。その頃の日本というのは、まだ中央集権制が完成しておらず、共和制のような形で危うくバランスを取っていた。地方はその土地の豪族が取り仕切っていて(郡司)、朝廷の管理も行き届いていなかった。
 それでは何かと都合が悪いということで、重要な都市には国府を作り、国司(こくし)と呼ばれる中央の役人を派遣して地方を管理するようにした。国司は政治だけでなく、軍事や司法なども取り仕切る絶大な権力を与えられていて、主な仕事は年貢を中央に納めることだった。
 ついでだから国分寺にも触れておくと、聖武天皇が741年に、国家安泰のために一国に一つ作らせたのが国分寺で、たいていは国府近くに置かれた。国分寺という寺や地名として残っている場合は、そこが国府だったということになる。
 平安時代中期以降になると、租税システムなども確立され、国司としては細かい仕事は代役に任せるようになってくる。取り立てシステムも、個人単位から田んぼ単位になって、朝廷も一定の税収があればいいということになって、余分に取れた分に関しては力の強い農家や国司などがそれぞれ懐に入れて私腹を肥やしていくことになる。金を持てばますます権力が強まる。
 平安末期にはかなり制度も乱れて怪しくなっていくのだけど、鎌倉時代になると更にややこしいことになる。朝廷と鎌倉幕府という二重支配の体制となり、幕府は各地に地頭を置いて、その土地を管理することになる。当然、国司と役職がかぶることから、争いも起きたわけだけど、力は地頭の方が強く、だんだん国司は形式化していくことになった。
 もう一つの守護というのは、年代によって役割が違うので、説明するのは大変だ。鎌倉時代は地頭の監督という性格が強かったものが、室町時代になると軍事、警察だけでなく様々な権限を与えられるようになり、やがて守護大名と呼ばれる強大な存在となっていく。
 1467年、室町幕府8代将軍足利義政の後継者をめぐる争いがきっかけとなり、室町幕府管領の細川勝元と、山名持豊たち守護大名が戦を始めた。11年続く応仁の乱だ。これが全国に拡大して戦国時代となっていく。
 守護の中には複数の国を支配する者が現れ、各国に守護代を置くようになる。そんな中、守護以上の強大な力を持つ守護代が現れたりして、争いはますます激しさを増していく。
 守護大名で代表的な存在が、遠江・駿河の今川家や、甲斐の武田、日向・大隅・薩摩の島津などだ。織田家は、尾張・遠江・越前守護斯波氏の尾張守護代だった。
 この頃になると、国司というのは名目だけのものとなっていたのだけど、成り上がりの戦国大名たちがこの地位を欲しがって朝廷に盛んに貢ぎ物をしたりして地位を得ようという動きが出てくる。大義名分や自分の正当性を主張したいという思惑があったのだろう。室町幕府は弱体化して、誰もが武力で天下統一を成し遂げるチャンスが訪れた。これがいわゆる下克上というやつだ。
 この先のことについては知っている人も多いと思うから省略する。守護代の織田家が天下を取りかけ、その家臣で農民出身とされる豊臣秀吉が天下を統一し、地方の小豪族にすぎなかった松平家の徳川家康が江戸幕府を開くことになる。時代は変わったと、朝廷や名門出が嘆いたのも無理はない。
 国司はどうなったかといえば、その後も役割を変えながら名前だけは江戸時代を通じて残った。もちろん、強大な権力などはなく、任命されてもいないのに自分がそうだと言い張る者も多かったという。

 非常に前置きが長くなったけど、その尾張の国府があったのが、この稲沢で、ここにあった神社だから、国府宮(こうのみや)と広く一般に呼ばれるようになったということを言いたかったのだ。正式名は、尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)という。
 国府がどこにあったのか、正確な場所は分かっていない。中島郡だったことは間違いないにしても、松下なのか下津町なのか、それ以外だったのか、はっきりしないようだ。松下公民館横に国府跡という石碑が建っているらしい。
 国分寺も今はもう残っていない。
 そろそろ本編に入ろうと思うのだけど、実は国府宮神社に関してはあまり書くことがない。前置きの歴史の復習が今回のメインと言えなくもない。



国府宮-2

 非常に立派で雰囲気のある楼門だ。初めて見たときは、こりゃあ見事なもんだと感心した。
 室町時代初期の建築で、国の重要文化財に指定されている。



国府宮-3

 国府宮神社を訪ねるときは、いきなり楼門前まで行かず、南参道から歩いて向かうとぐっと気分が盛り上がる。これだけ広くて長い参道を持っているのには訳がある。ここがはだか祭のメイン会場となるからだ。
 儺追神事(なおいしんじ)、通称はだか祭。国府宮のはだか祭りといえばこのあたりでは大変有名で、山梨の富士浅間神社火祭り、静岡の帯まつりとともに日本三奇祭の一つと言われる神事だ。
 767年、称徳天皇が全国の国分寺に悪霊退散、厄払いの勅令を出したことを受け、尾張の総社だった国府宮神社で厄除け神事を行ったのが始まりとされている。どこではだか祭りになったのかは、よく分かっていないようだ。いつからか、男たちは裸になった。
 毎年2月(旧正月13日)、42歳と25歳の厄年の男たちを中心に、さらしのふんどし一丁と白足袋という姿で集まってきて、祭りは始まる。その数、数千人。それを取り囲む見物者は15万人。
 毎年一人選ばれる神男(しんおとこ)が親衛隊に守られて登場するのが午後4時半頃。ここから祭りはクライマックスを迎える。神男を見つけた裸の男たちは一斉に神男に向かって突進していく。神男に触ると厄除けになるとされるためだ。
 神男は、人々が願いを書いたなおい笹を掲げ、拝殿へ向かって駆け込もうとする。もみ合う数千の裸男たち。ワッショイ、ワッショイのかけ声も勇ましく、やがて怒号に変わる。裸男たちに向かって手桶で浴びせかけられた水は、熱気によって一瞬で湯気となり立ち上る。だからこの祭りの日はとびきり寒い日じゃないと盛り上がらないのだ。この壮絶なもみ合いは1時間近くも続く。けが人必至。親衛隊にちゃんと渡すものを渡しておかないとしっかり守ってもらえなくて、神男は身の危険もあるという。
 なおい笹を拝殿に納めたところで一応祭りは終わりとなる。祈祷したなおい布は、1本100円で売られ、厄除けのお守りとして買っていく。
 この他にも、直径2メートル40、重さ4トンの大鏡餅が奉納され、翌日切り分けた餅をもらうためにみんな朝から並ぶ。これを食べると無病息災といわれている。
 実は今年の2月、この祭りを見るために国府宮まで行っている。車をとめるところを探してうろつき回っていたら、祭りが終わってしまったのだった。もったいないことをした。街中を普通にふんどし姿の男たちがプラプラ歩いている図はシュールでおかしかった。普段なら完全な異常事態なのに、その日その場の雰囲気では、みんな違和感なく受け入れているのだ。あれは面白い光景だった。祭りの様子も、一度は見てみたいと思っている。

 国府宮はだか祭を撮りにいく



国府宮-4

 こちらは西の大鳥居。



国府宮-5

 拝殿、本殿などの様子。横から見ても全景を捉えることはできない。境内もなかなか広くて、ここに写ってる範囲の4倍くらいはある。
 境内の雰囲気は独特のものがある。荘厳というのではなく、神聖というのも違って、親しみやすい清浄さとでも言おうか。誰もが気軽に入っていけて、居心地がいい。でも、神的な空気が抜けているかといえば決してそんなことはなく、必要充分に閉じこめているから守られている安心感もある。個人的に相性の良さを感じるところだ。
 学校帰りの中学生たちが、手水舎の水をひしゃくでゴクゴク飲んでる姿を見て、ああ、ここはいい神社だなと思った。上品な若い女の人が門の前に車を横付けして、急ぎ足で中に入っていて、大きな柏手を打ってお参りしてたり、ジョギング途中のお父さんが拝殿の前まで走っていって、行きがけの駄賃のように賽銭を投げ込んで礼をしてまた走り去っていったり、見ているとみんなに親しまれている神社だということがよく分かる。



国府宮-7

 ここの参拝客は、年齢層が低い。おじいちゃん、おばあちゃんだけの神社ではない。波長というか、空気というか、幅広い年齢層を集めるパワーがあるということだろう。



国府宮-6

 拝殿は江戸時代初期の建築で、これも重要文化財に指定されている。切妻造で、内部は柱がたくさん立っている。
 拝殿の後ろに、廻廊、祭文殿、渡殿、本殿と続く尾張式と称される建築様式になっている。
 延喜式に載ってる式内社ということで歴史のあることは間違いないものの、創建などはよく分かってないようだ。尾張の国府と共に建てられたもので、尾張地方の総鎮守、総社と位置づけられている。当初は国司が祭祀を行っていたという。
 ちなみに、尾張の一宮は一宮市の真清田神社で、二宮は犬山市の大懸神社、三宮は名古屋市の熱田神宮となっている。
 祭神の尾張大国霊神は、この地方の土地神様で、土地が持つ霊的なパワーを神とした自然神のようなものだろう。
 配祀は、イザナミ(伊耶那美)、アマテラス(天照大神)、スサノオ(須佐之男)などで、境内社として稲荷神社、司宮神社、神明社など六社がある。
 境内外には別宮宗形神社(大歳神之御子)と別宮大御霊神社(田心姫命)があって、この三つを総称して国府宮三社という。
 鎌倉時代あたりから神仏習合が始まったようで、江戸時代末期には相殿(主祭神と同格の祭神)は四十二神にまで増えたという。



国府宮-8




国府宮-9

 こちらの建物は、おそらく結婚式関係じゃないかと思う。神前結婚式が挙げられるようになっているから、披露宴会場とかかもしれない。



国府宮-10

 境内から見る楼門。
 国府宮神社はどんな神社かと訊かれたら、カッコイイ神社だと答える。男っぽくてハンサムな神社と言ってもいい。



国府宮-11

 日暮れの時間が近づいた。
 この日、稲沢で回った寺社は5つ。国府宮神社が4つ目で、あと一つ、最後に萬徳寺が残った。それはここから車で3分くらいのことだから、なんとか頑張って行ってきた。稲沢神社仏閣巡り紹介は、おいおいしていく予定でいる。

 稲沢寺社巡りは長光寺から始まり、稲沢の魅力を知るきっかけともなった
 何も知らずに迷い込んだ矢合観音と古刹萬徳寺訪問で稲沢編完結

 「アクセス」
 ・名鉄名古屋本線「国府宮駅」から徒歩約6分。
 ・JR東海道本線「稲沢駅」から徒歩約30分。
 ・無料駐車場 あり
 
 ・拝観時間 終日(祈祷受付は9時-16時)

 国府宮神社webサイト
 

夏の記憶

風物詩/行事(Event)
夏の空-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 家から一歩外へ出たとたん、あ、夏だ、と思う。昨日まではそうじゃなかった。夏はある日突然やって来て、しばらく居座っていく。恋のように。
 春の体は夏の濃密な空気にまだ馴染んでいなくて、少し息苦しいような気さえする。今シーズン初めて半袖を着て出かけた。強い太陽の日差しに晒された白い両腕は、ちりちりと小さく音を立てて焦げるようだ。
 直射日光で熱せられた車に乗り込むと、すぐに汗が滲んでくる。あわてて入れたエアコンもすぐには効かず、一筋、二筋と汗が流れた。この感覚も久しぶりだ。暑いということがどういうことかを思い出す。
 窓を開けて空気を入れ換える。これで多少は車内の空気が軽くなった。
 私たちは夏が去るたびに夏を侮ってしまう。冬になる頃には、夏なんてたいしたことなかったとさえ思う。こんな凍えるような寒さに比べたら真夏の暑さの方がずっとましだと。けど、夏の入り口に立つと、夏を甘く見ていた自分に文句を言いたくなる。誰だよ、冬より夏の方がいいなんて言ったのは。
 見上げる空は無情に青く、力を取り戻した太陽は直視することを許さない。私は心の中で夏に向かって小さくあやまる。ごめんよ、侮っていた私が悪かったです。

 夏が来るたびにいつも、小学生の夏休みを思い出す。夏はそのあとも繰り返しやって来たのに、どういうわけか思い浮かべるのは小学生の自分なのだ。ラジオ体操のときの朝の匂いや、田舎で蝉を捕ったときの状況や、スイカを食べたあと昼寝をした畳の感触や、真っ黒に日焼けした好きな女の子のこと。夏祭り、朝顔、クワガタ、朝焼け空。夕暮れ時に聞いたカナカナの声。
 夏という季節にはたくさんの記憶が閉じこめられている。この季節になるたびに私はその宝箱をそっと開けて確かめる。誰にも知らせていない秘密の宝をこっそり見るように。
 あなたは夏が好きですかと問われたら、迷うことなくはいと答える。昔よりもずっと好きになった。どうして好きかという理由をいくつも並べることができる。夏を売り込む営業マンのように。
 汗をかきながら食べるかき氷、小旅行だった海水浴、兄ちゃんたちがやっていた頃の高校野球。友達と遊んだ花火や、子供会のキャンプや、川の魚釣り。ラムネに縁日の金魚すくいに夏休みの宿題。全部が全部楽しい思い出ばかりじゃないけど、今はすべてが懐かしい。
 あの頃私たちは子供だった。子供らしい子供だったと言った方がいいかもしれない。あの時代に子供時代を送れたことを幸せに思う。

 これから夏は何段階かに分けて深まっていく。まだ今は入り口に入ったばかりの第一段階だ。今の段階ではまだ信じられないくらい暑くなる。寝苦しい熱帯夜も続くだろう。でも、少しずつ体も慣れていって、夏を受け入れるようになる。あるいは、暑さをあきらめる。夏とケンカしても勝てないことを思い知って。
 大人になった私たちは、この夏にどんな記憶を刻めるだろう。今子供時代を懐かしんでいるように、おじいちゃんになったとき、この時代のことを懐かしく思い出すことができたらいいなと思う。
 いつの夏も、二度と巡り来ない特別な夏だ。真っ白な画用紙のように、まだ何も描かれていない。いい絵が描けるかどうかは自分次第。どこへも行かず、何もしなければ、夏の思い出を描くことができない。大人になっても宿題はある。自由研究という宿題が。それは、未来の自分に対して提出するものだ。
 今年もいい夏にしよう。あちこちへ行って、楽しいことをたくさんやって、いろんな思い出を作ろう。
 大人と子供の一番の違いは、子供は夏が永久に続くと思い込んでいるけど、大人はそうじゃないことを知っているところだ。この夏が最後の夏になるかもしれない。だから、大人は一つの季節を全力で生きなければいけないのだ。もうあの頃みたいに無邪気なだけではいられないから。

夏の空-2


咲く花の顔ぶれで季節が分かるようになったことを喜ぼう

花/植物(Flower/plant)
グリーンピア花-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 昨日は長々と書いたから読むのも疲れてしまったことだろう。最長記録を更新したかもしれない。今日は短く写真中心でいこうと思う。私が怠けたいからという理由ではないので邪推してはいけない。
 写真はまたグリーンピアに戻る。今日は外に咲いていた季節の花編ということでお送りします。
 まずはノハナショウブから。ハナショウブ名所に行くと、品種改良をしたハナショウブはたくさん見ることができるけど、その元となったノハナショウブはそれほど多くない。グリーンピアは、ノハナショウブが充実していて、それもこの時期の見所となっている。
 上の写真のようにノハナショウブもけっこう花色があって、素朴な美しさがある。これだけでも充分という気がするけど、自然にこんなに変化するになら人工的にやればもっといろんな色が出てくるんじゃないかと思った気持ちは分かる。花の形まで変えてしまうのだから、人間は欲深い。もっともっとと満足することを知らない。
 グリーンピアは池の水が濁ってるのが惜しい。花の姿が映り込むくらいきれいならもっとよかった。

グリーンピア花-2

 まともな逆光で撮ると、どうしても写真は暗くなる。無理に明るくすると色が飛んでしまう。この点は人間の目の方がずっと優れている。カメラとレンズの技術がいくら進んでも克服できない部分だろう。画素数競争なんかをするよりもラティチュードを広げる研究をして欲しい。
 一つ発見したのは、強い逆光でハナショウブを撮ると花びらが透けることだ。けっこう厚みがあるから、透けるイメージはなかった。

グリーンピア花-3

 ここはアジサイが遅いところだ。一番色づいているところでもこの程度で、全体としてはまだ2分咲き程度だった。特に寒い地区というわけではないのに、どういう理由があるんだろう。早いところではもう盛りを過ぎている。蒲郡の形原温泉も、見頃になったと中日新聞のネット版に出ていた。
 アジサイだけを撮っても面白くないから、何か他のものと絡めて撮れるところへ行きたい。稲沢の性海寺は、そろそろ終わりかけということだけど、行けたら行きたいと思っている。愛知県のアジサイ寺として有名なところだ。2005年の6月24日に行ったときは、いかにも遅すぎた。ここは多宝塔がある寺だから、そっち目的でもいい。

グリーンピア花-4

 アジサイ写真はあまり工夫の余地がないような気がしているけど、きっとそんなことはなくて、もっと印象的な撮り方があるはずだ。引くのか、寄るのか、花をいくつどこに入れるか、余白をどうするのか。いろいろもっと違う撮り方をしながら追求していきたいと思っている。
 いかにも上手っぽく意味ありげに撮りたいというのではなくて、写真でしか表現できない美しさがあるはずだから、そのあたりを自分自身のためにも見つけていきたい。毎年同じように撮っていては能がない。

グリーンピア花-5

 バラはもうすっかり終わりかけていて、残っている花は数えるほどだった。これはピンクと黄色のグラデーションがよかった。
 ここのバラ花壇は全体的に荒れてる印象を受けた。以前はもっと手入れが行き届いていたのに、今は半ば放置されている感じだった。バラは手を抜くときれいに咲かない。土も悪くなっていたし、どうしてしまったんだろう。
 花フェスタも、もうそろそろ終わりだろう。今年は行けなかった。でもまだ秋バラがある。秋シーズンの花フェスタは行ったことがないから、一度行ってみてもいい。

グリーンピア花-6

 バラは見た目も美しいけど、写真写りのいい花だ。テレビ映りのいい女優を思わせる。
 バラを撮るなら、タムロン90mmマクロが一番だとあらためて思った。明るい標準や中望遠など試してみたけど、寄ってよし離れてよしの90mmマクロは写り、自由度とも申し分ない。ボケ味も一番きれいだろう。

グリーンピア花-7

 ときどき、ヤマブキとキンシバイとの区別がつかなくなって焦る。見分けがつかないのではなくて、どっちがどっちか分からなくなるのだ。その変な感覚が嫌だ。ヤマブキは春の花で、キンシバイは初夏の花だから、季節を思い出せば間違えないはずなのに。
 これはキンシバイの方だ。ヤマブキの花とは見た目も違うし、そもそも色が山吹色ではない。もっと鮮やかな黄色だ。どうして分からなくなるのか自分でも不思議だ。
 漢字で書くと金糸梅。雄しべを金色の糸にたとえて、5枚の花弁を梅に見立てたのだろう。これは分かりやすくて納得の名づけ方だ。

グリーンピア花-8

 タチアオイだと思うけど、こんな黒っぽい色は初めて見た。普通はピンク系や白などが多くて、濃くても紫くらいなのに、ここまで黒いものはなかなかないんじゃないか。
 品種改良されて、いろいろな種類の色や花びらのものがある。街中でも畑の脇や街路樹の下などでよく見かける。
 夏の花というよりも春の終わりの花というイメージが強い。花期は長くて、これから夏にかけて人の背よりも高く伸びて咲く。

グリーンピア花-9

 好きな花の一つカワラナデシコも、こういうところで出会うと嬉しくない。園芸品種ではありがたみがない。やっぱり名前の通り河原で自然に咲いているやつじゃないと。
 松平郷で自生しているのは見たけど、本当の野生というのはまだ見たことがない。去年、矢田川かどっかの河原で咲いているという情報を得て探しに行ったのに見つけられなかった。今年ももう一度探しに行こう。
 季節としては、夏から秋にかけての花だから、もうちょっとあとの方が気分が出る。秋の七草の一つでもあることだし。

グリーンピア花-11

 これもナデシコの仲間かと思ったら違ったようだ。なんとかムーンとかいう名前だったと思うけど、忘れてしまった。ネームプレートを見たのに。
 種類としてはナデシコに近いような気がする。

グリーンピア花-10

 えっ、もうコスモス? 驚いて近づいて確認すると、どう見てもコスモスだ。ちょっと気が早くないか。しかももう、半分枯れてるじゃないか。
 帰ってきてから調べてみると、6月から咲き始める早咲きのものがあるんだそうだ。それを知って安心した。異常気象か何か知らないけど、季節の花があまりにも狂い咲きをすると心配になる。
 それにしても梅雨の季節にコスモスというのは、なんとも違和感がある。

グリーンピア花-12

 ねぎ坊主の巨大紫バージョンのアリウム。こういうホコリ取りを持っているから、そっちの方も連想させる。
 アリウム・ギガンテウムが正式名のようだ。ギガンテウムは巨大なという意味だ。
 ネギの仲間はこういう花を咲かせるものが多くて、世界にたくさん種類がある。野菜の花というのもなかなか侮れない。

グリーンピア花-13

 あまりにも毛深くて笑える花だ。名前のボリジは、ラテン語の剛毛を意味するborraから来ている。
 毛むくじゃらなのに、清潔感のあるブルーの花を咲かせる。
 地中海原産で、古代ギリシャやローマでは、ワインにこの花を浮かべて飲んでいたんだとか。薬用効果のあるハーブらしい。

 グリーンピアの外花壇には他にもいろんな花が咲いているから、被写体には困らない。まだもう少し写真はあるけど、今回はこれくらいにしておこう。グリーンピア第三弾は、温室の花特集を予定している。
 追いかける季節の花としては、当面アジサイということになる。ちょこちょこは撮っているものの、まだしっかり撮った感じはない。どこかで一回、ちゃんと撮りたい。
 アジサイが終わればもうヒマワリだ。ヤマユリもある。さて、この夏は何を撮ろうか。

高蔵寺から春日井の神社仏閣巡り開始 ~尾張氏の長文付録付き

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
高蔵寺-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 春日井の神社仏閣巡り、始めました。
 尾張旭の神社もまだ回り終えていないのに、春日井にまで手を広げてしまった。春日井は尾張旭とは規模が違う。神社だけでも50以上あるし、お寺まで回るとなると、それはもう大変だ。とりあえずお寺はほどほどにしておいて、神社優先で巡っていきたいと思う。
 このときはグリーンピアへ行く前に、高蔵寺エリアの高蔵寺と五社大明神を巡ってきた。まずはここから始めよう。ブログを始める以前に密蔵院や内々神社なども行ってるけど、それらも再訪して一度きちんと書いておきたい。50もあるとそう簡単には回りきれないから、ぼちぼちいくことにしよう。
 ついでに春日井の城はどうなんだと調べてみると、田楽城、上条城、白山城など、いくつか小さな城があっただけで、今は跡地しか残っていないようだ。大留城は子安神明社になっている。
 小牧長久手の戦いのときに少しだけ春日井も登場するものの、戦国時代を通じてあまり重要な拠点ではなかったらしい。隣の小牧市にある小牧城のような城はない。
 ということなので、城は省略する。その代わり、古墳群がたくさんあって、それをどうしようかとちょっと考えているところだ。今日は後半で尾張氏について少し書くつもりでいるけど、その時代までさかのぼるなら、古墳は避けては通れない。ただ、奈良時代以前は、多くの人にとって馴染みが薄いだろうし、詳しく書いてもあまり面白くないんじゃないかと思う。私もよく知らないし、残っている資料や史跡も少ない。逆に、それだからこそ勉強して分かりやすく書く必要があるのか。
 今日のところは春日井の2つの神社仏閣を紹介して、尾張氏に関しては触りだけにしておきたい。あまり長くならないようにしよう。と、このときはまでそう思っていた。まさか、これほど長くなるとは。

高蔵寺-2

 春日井市の高蔵寺(こうぞうじ)といえば、かつて名古屋の一大ベッドタウンとして大いに注目を集めたところだ。東京でいえば多摩ニュータウン、大阪だと千里ニュータウンのようなものだ。
 最近、やや印象が薄くなっているようだけど、実際のところはどうなんだろう。JR中央線で名古屋市内まで20分ちょっとという利便性は失われていないはずだ。朝夕の電車はやっぱり激混みなんだろうか。
 初入居が1968年と日本で二番目に古いニュータウンということで、そろそろ高齢化の問題なども出てきているようだ。元々は航空自衛隊高蔵寺分屯基地の移転を前提として作られたニュータウンだったのに、移転計画が頓挫してしまって、いまだに隣り合わせになっている。
 小牧の桃花台ニュータウンでは桃花台線が廃線になっていろいろモメていたけど、JRの中央線がなくなってしまうことはないだろうから、その点では安心だ。愛知環状鉄道線で瀬戸まで10分で行けるというのもある。車を使って名古屋駅まで行くのはちょっと遠いか。
 そんな高蔵寺の地名の由来となったのが、今回紹介する高蔵寺というお寺だ。山号を燈明山(とうめいざん)という天台宗の寺で、創建時は一山十二坊あったというから、今よりもずっと大きな規模だったのだろう。現在はわりとこぢんまりしている。
 平安時代中期の933年、智蔵僧正によって創建されたと言われている。
 上の写真は本堂で、高蔵福徳神毘沙門天が安置されている。見た目がかなり新しいから、最近建て直したのだろう。

高蔵寺-3

 本尊はこちら、観音堂に安置された薬師如来像だ。
 階段を上がっていいものか分からず、下から拝むにとどめた。だから、薬師如来像はよく見えなかった。
 小さな箱のような賽銭箱を見ると、何も入っていない。10円玉を入れようとして一瞬迷って、20円にした。100円にすると見栄を張ったみたいでよくないかなと。5円とか1円とかありったけ入れて、賑やかにしておけばよかったかもしれない。募金箱じゃないと怒られるだろうか。

高蔵寺-4

 隣には古い民家風の建物があった。お寺の境内だろうから、住職一家の住居か。なかなか年季が入っていて、建物としてはこっちの方が風格があるくらいだ。
 このお寺は、室町時代の十二天画像や曽呂利惣八所持刀など、たくさんの書や刀を所有しているそうだ。ただ、傷みが激しいなどの理由で一般公開はしていないらしい。
 本堂や本尊の木造薬師如来坐像などは、特別な日に公開があるようだ。

高蔵寺-5

 塀際にはアジサイやいろいろな花が植えてあった。お寺というのは、ある意味民家も兼ねているから、こういう家庭的な部分がけっこう見られる。神社はあまりそういうことがない。神社を私物化してるようなところがたまにあって、おいおいこれはいいのかと思うことはある。

 高蔵寺はもう少し何かあるかと思ったけど、これくらいのものだった。地名の元となったお寺ということで、訪問できたことはよかった。
 五社大明神社は、ここから車で2分くらいのところにある。歩いても10分もかかならいようなところだ。どちらも高蔵寺の駅から歩いていける。

五社大明神-1

 線路沿いの道を折れて坂道を上がった先に、五社大明神がある。左手には参拝者用の駐車場があるから、そこにとめればいい。
 ゆるやかに登りながら長く続く参道をのんびり歩いていく。石段自体はそれなりに古そうだけど、手すりなどは新しい。雰囲気は壊れるけど、安全優先ということだろう。

五社大明神2

 五社大明神に関してはネットで調べてみても情報が少なすぎてよく分からない。春日井市としてもあまり重視していないようだ。現在は、高蔵寺町の氏神ということで、近所の人たちが守っているといったところだろうか。
 境内の説明書きによると、創建年や場所は定かではなく、分かっているのは1493年に再建されて、1528年に現在の地に移り、1655年にも再建されているということだ。
 昔は熱田神宮の高倉明神を祀る熱田高蔵宮の奥の宮だったため、この一帯を高倉地と呼んでいたらしい。
 祭神が尾張氏の祖神であることから、創建そのものは古そうだ。

五社大明神3

 参道を登り切ったところに本殿がある。写真でほぼ全容だ。大きな神社を想像していくとこぢんまりしてると思うだろうし、町の氏神と思えばなかなか立派なものだ。
 五社というのは祀られている、素盞緒尊(スサノオノミコト)、大碓尊(オウスノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、菊理比売命(キクリヒメミコト)、天目一個命(アマノマヒトツノミコト)のことをいうのだろうか。
 とにかく、詳しいことはよく分からないというのが正直なところだ。

五社大明神4

 せっかく行ったことだし、二度訪れることはないだろうということで、あちこち記念写真を撮った。
 これは横から見た拝殿と本殿だ。三棟が一直線に続いていて、屋根付きの渡り廊下も備えている。
 社殿の造りなども、元々このスタイルだったのか、再建によってこうなったのか、よく分からない。わりと見慣れた感じではある。

五社大明神5

 ちょっと変わった木彫りの狛犬を発見。手前は標準的な石像の狛犬で、木彫りというのは初めて見た。左右に一体ずついた。

五社大明神6

 津嶋神社など、摂社、末社も並ぶ。明治以降、このあたりにあった神社を合祀したのだろう。

 高蔵寺と五社大明神について私が紹介できるのはこれくらいで、ここで簡単に終わってもいいのだけど、それじゃあ面白くないし、私も物足りない。尾張氏に関係がありそうな神社が登場したということで、延長戦として尾張氏について少し書きたいと思う。時間と興味のある方はおつき合いください。

 尾張氏(おわりし)は、古墳時代を中心に、尾張地方一帯を支配した大豪族だ。この地方の尾張というのは、この尾張氏から来ている。元々は尾治氏だったという説もあるようだけど、はっきりしていない。はっきりしていないといえば、尾張氏についてもいろいろな説があって、本当のところはよく分かっていないというのが実情だ。
 時代をさかのぼって縄文、弥生時代、この地方はどうなっていたかといえば、三河湾、伊勢湾はもっと内陸まで深く切れ込んでいて、名古屋市はほとんど海の底だった。その海岸線にポツリ、ポツリと海人(アマ)と呼ばれる人々の集落があり、それらの多くは大陸から小舟に乗って渡ってきた人たちと考えられている。やがて人口が増え、漁業だけでなく稲作も始まり、集落が集まり大きくなり、一つの大きな海人族ができあがっていった。
 一方、現在の尾張北部にも別の集落があり、丹羽氏と物部氏という二大勢力という構図ができていた。物部氏の本拠は現在の高牟神社で、丹羽氏は二の宮の大県神社として残っている。
 尾張氏の本拠がどこだったのかはいろいろ言われていてよく分かっていない。伊勢湾から知多半島あたりを支配していた海人が尾張氏となって北上しながら勢力を伸ばしたとか、西から来た尾張氏が海人を飲み込みながら巨大化していったなど諸説ある。いずれにしても、海人や物部氏を統合しながら尾張氏はこの地で大豪族として成長していくことになる。
 尾張一の宮の真清田神社(ますみたじんじゃ)なども尾張氏の始祖を祀った神社で、創建は2630年前とされている。一時そこに尾張氏の本拠があったともされる。天火明命(アメノホアカリノミコト)を祀っている神社は、尾張氏の神社であると思って間違いない。尾張氏は伊勢神宮の創建にも関わりがあるという話もある。
 始祖である天火明命から数えて11代目の小止与命(オトヨノミコト)が、初代の尾張国造に任命される。この息子が建稲種命(タケイナダネノミコト)で、妹の宮簀姫命(ミヤズヒメノミコト)が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の奥さんとなり、建稲種命もヤマトタケルの東征に副将軍として同行している。
 ヤマトタケルは伊勢神宮から預かった天叢雲剣を持って東の国を平定したあと、いったん尾張に戻り宮簀姫命と結婚するも、草薙剣(東征のとき神剣によって野火の難を払ったことからそう呼ばれるようになった)を奥さんに預けたまますぐに伊吹山へ悪い神を退治しにいって返り討ちにあって命を落としてしまう。
 その草薙剣をおさめるために建てたのが熱田神宮で、そのため熱田神宮では草薙剣を御神体としている他に、宮簀姫命と建稲種命も祀っている。
 熱田神宮の大宮司は代々尾張氏が勤め、のちに外孫筋の藤原季範に大宮司職が譲られ、この季範の娘が源頼朝を生むことになる。
 以降、大宮司家は次第に武士となっていき、織田信長のときには一武将となっていて、桶狭間で戦死したりもしている。
 信長といえば、津島神社も尾張氏と関わりがあるところで、信長も手厚く保護している。桶狭間の戦いの前に熱田神宮に戦勝祈願をしたのは、織田家が藤原氏や橘氏とのつながりを持っていたからというのもありそうだ。
 神社つながりでいえば、尾張氏同族の津守氏は大阪の住吉大社の宮司を代々務めている。
 あと、京都丹後半島に元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)というのがあり、ここの宮司は海部氏(あまべし)の直系が今でも継いでいる。祭神は尾張氏と同じ天火明命ということで、同族か、もしくはここから尾張氏が出たという説もあるようだ(尾張氏から分かれたのが海部氏という説もある)。海部氏の家系図は日本に現存する最古のものとして、家系図としては初めて国宝に指定された。

 話が少し前後したので、もう一度年代を追って整理してみる。
 2世紀から3世紀にかけての弥生時代、日本で初めての国家である邪馬台国が誕生する。近畿にあったのか、九州だったのか、未だに論争が続いていて結論が出ていない。まったく別の土地だった可能性もある。
 卑弥呼亡きあとの4世紀中頃、大和朝廷が成立する。はじめは近畿から九州にかけてが勢力圏内で、7世紀頃までには東海、関東まで広がっていった。
 海人族、のちに尾張氏は、この大和朝廷と深く結びついていくことで勢力を強めていく。一族から妃を朝廷に送り込んで外戚となり、やがて一族の者が要職にもつき、国政にも影響を及ぼすようになっていった。
 歴史上、表舞台で最も華やかな活躍をみせたのは、壬申の乱のときだ。のちに天武天皇となる大海人皇子(おおあまのみこ)を助けて勝利に導き、朝廷との関係はいっそう深まった。大海人皇子の名前もまた象徴的だ。
 ちなみに、愛知県には海部郡(あまぐん)という地名が今でも残っている。愛知県出身の総理大臣、海部俊樹が尾張氏と関わりがあるのかどうかは知らない。
 尾張氏の全盛期は、5世紀末から6世紀にかけてとされている。平安末期に熱田神宮の大宮司を藤原家に譲って以降、歴史の表舞台から姿を消した。鎌倉時代になっても頼朝ともつながっているわけだし、これだけの勢力を誇った一族が突然力を失ってしまうというのは考えづらい。歴史の裏では隠然たる力を持っていたかもしれないし、直系が現在に至るまで続いている可能性もある。舞台裏に回ったのは何か理由があったのだろう。

 最後に、尾張氏ゆかりの史跡を挙げておく。今後自分が巡るときの手がかりとしても役に立つように。
 まずは守山区の東谷山(とうごくさん)だ。ここのことは以前にブログにも書いた。熱田神宮の奥の宮として天火明命を祀った古社で、名古屋城ができてからは鬼門の守り神として尾張徳川家からも大事にされた。ここは尾張氏との関わりが深い。
 活躍したのが古墳時代ということで、たくさんの古墳も残っている。一番大きなものが熱田区の熱田神宮近くにある断夫山古墳(だんぷさんこふん)で、一説ではヤマトタケルの死後、夫をめとらなかったことからこの名がつけられた宮簣媛の墓とされている。
 ただ、実際には6世紀くらいに造られたものということで、尾張氏の誰かの墓だろうということになっている。全長151メートル、高さ16メートルで、東海地方最大の前方後円墳だ。
 周囲を歩いてみたけど、地上レベルではスケール感などはよく分からない。ただのこんもりした丘みたいなものだ。上の方まで登ってみたりもした。この古墳が造られた頃は、このあたりはすぐ海岸線だったようだ。
 その他、大きな古墳としては、春日井の味美二子山古墳、白山神社古墳、守山区の白鳥塚古墳などがある。
 小規模の古墳群もたくさんあり、春日井、小牧、犬山、守山区などに点在している。宅地開発などでつぶされてしまったり、埋もれたままになっていたりする中、一部は保存されて見ることができるようになっているものもある。うちの近所にもあって、小学生のとき見学に行ったけど、さっぱり面白くなかった。
 それらの古墳からは、様々な出土品が出ていて、『鹿男』で有名になった三角縁神獣鏡も何枚か見つかっている。見つかるのは4世紀以降の古墳からということで卑弥呼の鏡とは無関係ではあるけど、中央政権を通じて大陸との交流があったという証拠ではある。海人そのものが大陸から渡ってきた人々の末裔だとするなら、当たり前といえば当たり前の話か。
 味鋺・味美地区の古墳は物部氏のものもあるようだ。

 以上が尾張氏についての大まかな説明というか、自分のための覚え書きのようなものだ。
 はっきり分かっていることは少なく、史実のように言われていることもどこまでが本当なのかは分からない。多分に想像もあるだろうし、間違った認識もどこかに必ずあるはずだ。一般的な認識が低いのは、あまり表舞台に出たがらなかった一族だったというのもある。学校の教科書でも尾張氏についての記述がどれだけあるのか。壬申の乱のときに少し出てくるくらいかもしれない。だから、一般常識として知らなくても当然だ。
 でも、こうやってちょっと勉強してみると、歴史の様々なところで関わっていることが分かって面白い。これまで何気なく回ってきた神社にも尾張氏は深く関係しているし、信長の行動でちょっと謎に思えた部分も、尾張氏というキーワードが解いてくれた。
 今後とも直接的、間接的に尾張氏と関わりのある場所を巡ることになるだろう。特に真清田神社は近いうちに行っておきたい。ここは尾張地方における重要な神社だから。
 古墳群も機会があれば立ち寄ってみたい。そのときまた尾張氏について勉強しつつ書きたいと思う。かなり興味深い存在だということが今日でよく分かった。熱田神宮ももう一度行って、宝物庫も見てこないといけない。
 歴史は思いがけないところでつながっている。その発見が面白い。

6月になると思い出す、そうだグリーンピア春日井へ行こう

施設/公園(Park)
グリーンピア-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 / Canon EF 70-300mm f4-5.6 IS



 毎年6月になると、なんとなくグリーンピア春日井に行ってしまう。6月に何か特別なものがあるわけではないから、5月でも9月でもいつでもいいのに、どういうわけかグリーンピアへ行くのは6月と決まっている。思うに、4月から5月までは花ラッシュで、それを追いかけているからグリーンピアのことなど頭になくて、6月に入ってホッと一息ついたところで、そういえば今年はまだグリーンピアへ行ってなかったなと思い出すんじゃないだろうか。6月のグリーンピアは、花菖蒲が咲いていて、アジサイもそろそろで、もしかしたらカルガモのチビもいるかもしれない。虫にも鳥にも会える。隣の築水池湿地にはトキソウとカキランとササユリが咲く。だから、盛りだくさんでお得な感じがするのだ。それじゃあ、行ってみようかということになる。
 ここはネタに困ったとき行くにもいいところで、一年中何かしら撮るものがある。真冬でも池にはカモがいて、温室には花が咲いている。ちょっとしたミニ動物園もある。入園も駐車場も無料というのもいい。家から車で50分という距離がやや微妙なところで、30分以内ならもっとたびたび訪れている。
 今日は到着したのが閉園1時間前の5時ということで、やや急ぎ足で一通り回った。動物園だけは4時くらいに閉まってしまうので見ることができなかった。
 上の写真は、入り口から入ってすぐのカナールと呼ばれる水のところだ。最近よくこのカナールという言葉を目にする。水の流れのことらしいのだけど、意味はよく分からない。運河や水路を意味するcanalから来ているようで、造園用語らしい。造園用語って何だという疑問はとりあえずそれは置いておいて、静水をたたえた水路をカナールというと覚えておくことにしよう。
 似た用語にカスケードというのがある。これは人工的に作った階段状の滝のことなんだとか。

グリーンピア-2

 平日のグリーンピアに集う人々は、基本的に暇人たちだ。そんなことを言うと叱られそうだけど、たぶん間違いない。少なくとも、園内で忙しそうにしている人は見かけない。小さな子供を連れたお母さんとか、年配の夫婦さんとかが中心メンバーで、カメラマンやその他の人が少々といった構成だ。
 だから、いたってのんきで平和な空気に包まれていて、居心地がいい。特に目的もなく、フラッと訪れるにもいいところだ。
 休日になるともっと賑わいを見せて、それなりの活気となるのだろう。私は週末などに行ったことがないから、人がたくさんいるグリーンピアを想像できない。一度クリスマスイルミネーションのときに行ってみたいと思っていて実現できないでいる。

グリーンピア-3

 この季節の被写体は、やはりハナショウブということになるだろう。池の周りにセンス良く植えられていて、なかなか情緒があっていい。ノハナショウブをたくさん植えているのも特徴で、そちらの風情の方が私は好きだ。素朴な美しさがある。
 去年はフィルムカメラを持っていって撮ったのを思い出した。このハナショウブのところも撮った。けど、結局36枚撮りフィルムを全部使い切れなかったのだった。今日なんかは深く考えず100枚以上撮っているから、フィルムとデジとでは撮る姿勢がまったく違ってくるのが枚数からも分かる。フィルムの場合は無駄打ちができないと思うから、一枚撮るのにえらく悩んで考え込んで時間がかかる。本来、それが写真を撮るという行為のはずで、デジになってから一枚が軽くなった。だから、たまにフィルムを使った方がいいのだと思う。私はいつ以来使ってないだろう。去年の夏、ヤマユリを撮りに鳳来寺へ行ったとき以来かもしれない。ここ最近、何を撮っていいか分からなくなっている部分があるから、久々にフィルムカメラを使ってみよう。

グリーンピア-4

 舟は乗れるものではなく、小道具というか風景として浮かべているだけだろう。演出としては間違ってない。写真を撮る立場からすると、嬉しい心遣いだ。
 この写真はあれこれ入れすぎて整理できていない。欲張って親子まで入れたのは失敗だった。

グリーンピア-5

 うっとり見とれていたのか、頬杖をついて何かを思っていたのか。
 昔、『もう頬づえはつかない』という作品があったっけ。主演は確か、桃井かおりだった。調べてみると、1979年公開だ。リアルタイムで観ているはずはないから、テレビ放送で観たんだろうか。内容はよく覚えていない。
 大学のとき、哲学の授業で、騒がしい教室に教授が突然怒りを爆発させ、「しゃべっているやつは出て行け!」と怒鳴り、「おい、そこの頬杖をついてるやつ、聞く気がないならおまえも出て行け!」とこっちを見て言うから、周りを見渡したら頬杖をついているのは私一人だった。ええー!? 私ですかぁ? 聞く気はあったのに、頬杖をついてただけで退場処分を食らってしまった私は、それ以降なるべく頬杖をつかないようにしている。
 そんな懐かしくもほろ苦いエピソードを、頬杖をついたおばさまに披露してみてもよかったかもしれない。たとえば深夜2時のファミレスで、頬杖をつきながら窓の外をぼんやり眺めている主婦らしき女の人がいたとしたら、何があったんだろうとちょっと心配になる。頬杖というのは、けっこうドラマチックなポーズだ。

グリーンピア-6

 人を見たらエサ係と思え。コイはみんなそう思っているフシがある。のそ~っと泳ぎ寄ってきて、エサよこせー、とばかりに水面から口を出してパクパクする。ひとしきりパクパクしてみてエサが降ってこないと分かると、チェッとばかりに泳ぎ去っていく。コイもバカじゃない。エサをくれない人間に愛想を振りまいても無駄ということを知っている。
 ごめんよ、持ってるのは猫エサのカリカリだけなんだ。これからは、コイエサと鳩エサは常に持参するよう心がけよう。兼用できるもので、両方にとって健康にいいエサってなんだろう。どちらも雑食性だからたいていのものは食べるにしても、あまりカロリーが高いものは体に悪い。市販されているコイのエサを鳩は食べるのだろうか。

グリーンピア-7

 たぶん、ジャコウアゲハのメスだと思うけど、近づいて撮ろうとしたら逃げられてしまって、近くから確認することができなかった。胴体を見て、黒地に赤い模様が入っていれば間違いない。
 でもこれ、写真であらためて見ると、クロアゲハのメスかもしれないと思い始めた。胴体に赤い部分が見えない。
 ジャコウアゲハもクロアゲハも、黒いアゲハは個体差がけっこうあって、判別が難しい。色が薄いものもいるし、真っ黒なのもいて、ときには青みがかったりもする。虫関係の見分けも、毎年悩ましいところだ。
 今年こそ青空をバックに飛ぶ蝶を撮れるだろうか。毎年夏の課題になっている。

グリーンピア-8

 白い蝶を見ると自動的に、なんだモンシロチョウかと思ってしまいがちだけど、実はよく見るとスジグロシロチョウだったり、モンキチョウの白型のメスだったりということもあるから油断はできない。ただのモンシロチョウだったとしても、オスかメスか区別するところまではしたい。モンシロチョウのオスメスを言い当てても、誰も誉めてくれないと思うけど。
 上の写真はメスだ。前翅の黒い部分が多くて、付け根が灰色をしているから。オスは前翅の黒が薄くて、翅全体がやや黄色っぽい。飛んでいる姿で見分けるのは難しいにしても、とまっている姿を見れば分かる。写真に撮ればなおはっきりする。
 3月から10月にかけて3回から多い地域では6回、7回と発生する。夏生まれよりも春生まれの方が白いのはどういう理由なんだろう。
 シロチョウの仲間は全世界にいて、日本にはもともといなかったそうだ。奈良時代に野菜の菜っ葉などにくっついて入ってきたとされる。

グリーンピア-9

 水たまり写真というのは、一つの分野として可能性を持っている。映画『アジアンタムブルー』の中で、松下奈緒は水たまりの写真ばかりを撮っていた。けっこういい写真がたくさんあったから、私も見習いたい。
 今は梅雨だし、水たまりには事欠かない。今年の梅雨シーズンは水たまり写真というのを意識してたくさん撮ってみよう。運も必要だけど、何か面白い写真が撮れそうな気がしてきた。

グリーンピア-10

 グリーンピアを植物園と説明すると間違ったイメージを与えてしまう。植物園というには規模も小さいし、草花の種類も少ない。ハウスの中にしても、それなりに花は賑やかに咲いているけど、動物園に付属する植物園のようなものを想像して行くとがっかりしてしまう。だから、ここのことを説明するのは難しい。植物の多い公園くらいに思っておけば、大きな間違いではないだろう。
 ハウスの中は温室兼休憩所になっていて、レストラン、フラワーショップ、ソフトクリーム売り場などがある。

グリーンピア-11

 窓の外の広場では、社交ダンスの練習中。
 反対側に回り込むと、ちょうど西日が当たってシルエットになったところを撮れたとあとから気づいた。せっかくのいいシーンを撮り逃して残念。
 社交ダンスは、横浜の大さん橋ターミナルで大会が開かれているのをたまたま見て、かなり面白かった。熱気と興奮は生で見るスポーツの域だった。日本人には似合わないと決めつけて笑いものにしてしまえるようなものではない。またどこかでチャンスがあったら見てみたい。自分もやりたいとまでは思わないけど。

グリーンピア-12

 池に浮かぶボートとハゲ山。ものすごい削っていたけど、何をやらかそうというのか。池の南方面だから、道樹山や弥勒山ではなく無名の山だろうけど、山を半分くらい削ってしまうような勢いだった。悲しい光景だ。
 こちらの池にもカルガモはいなかった。グリーンピアでも今年はヒナは生まれなかったらしい。遠くの方に浮かんでいたのは、アオクビアヒルだったろう。
 おととしこの池で見たバリケンさんはその後見かけない。もういなくなってしまったんだろうか。

 グリーンピア春日井第一段はここまでとしよう。第二回の花編、第三回のサボテン編と続く予定です。
 築水池湿地も行ったし、神社仏閣も回ったし、一日でけっこうネタが集まった。これで今週いっぱいは雨が続いても大丈夫だ。
 ネタの在庫に余裕ができたところで、今一番撮りたいものが何なのかをもう一度よく自問自答して、答えが出たところでフィルムカメラを持って出かけよう。一期一会の瞬間との出会いを求めて。

見たこともないほど大盛況の丹生アジサイ祭り前日の様子に驚く

丹生(Nyu)
丹生アジサイ小径-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 今日は7日の土曜日に帰郷したときの続きで、アジサイ編をお届けします。
 丹生大師前の「ふれあいの館」の駐車場が満車になっていてまず驚く。未だかつてこんなに混んでいるのは見たことがない。何事かと思った。
 ちょっと信じられないのだけど、主にアジサイを見に来た人たちの車らしい。勢和村のアジサイってそんなに有名だったのか。普段は駐車場になっているところが、「彦左衛門のあじさいまつり」の準備で関係者以外立ち入り禁止になっていたというのもあったのだろうけど、それにしてもこんな状況は思いもよらなかった。これはどのあたりから来た人たちだったんだろう。まさか県外ということはないだろうけど。
 なんとか一台スペースが空いていたので、そこにとめて、アジサイの小径まで歩いていくことにした。

丹生アジサイ小径-2

 普段は静かな丹生大師前も、なんだか騒々しいことになっている。工事でもしてるのかと思ったら、これも祭りの準備のようだ。ここに食べ物の出店が並ぶのだろう。
 たぶん、「彦左衛門のあじさいまつり」というのは6月8日の日曜日に行われて、その一日だけだったんじゃないかと思う。一日ずれていたらその様子も見ることができたのに、残念だった。あらかじめ知ってたら、行くのを土曜ではなく日曜にしていた。
 バンド演奏やウナギつかみ、もち投げ、アジサイコンテスト、用水路の浮き舟流し、お茶会、マス釣り、どろんこ綱引きなど、イベントが盛りだくさんだったようだ。綱引きで優勝すると、西村彦左衛門のお米が賞品でもらえたとか。
 雨天決行という意気込みもすごい。昨日はあのあたりも晴れていたと思うから、無事にできただろう。
 一般から選ばれたあじさい姫はどんな子たちだったんだろう。丹生っ子だったのか。

丹生アジサイ小径-3

 大師さんから向かって右方向に進むと、ぼちぼちアジサイが見えてくる。村一帯がアジサイを増やそう運動をしていて、あちこちでアジサイを見ることができる。
 平成6年に村おこしの一環として(今は多気町になったから町おこしか)、アジサイを1万本植えようという運動が始まり、年々本数が増えて、今では3万本を超えるまでになったそうだ。
 しかし、アジサイ祭りをするにはまだ時期が早い。ようやく色づき始めたところで、見頃までにはあと10日か2週間はかかるんじゃないか。6月の第二日曜というのは、やや焦りすぎだろう。せめてもう一週先でもいい。もしかすると、実行委員の人たちの多くが農家さんで、農作業とかの都合などもあるのかもしれない。
 ところで、このあたりはいつから麦畑になったんだろう。これは麦だと思うんだけど、違うのか。昔はここも普通に稲を植えていたはずだ。米の減反とか、価格の問題とか、いろいろ都合もあって麦栽培に切り替えたんだろうか。二毛作をするにしては、今頃まで収穫してないようでは田植えには間に合わない気がする。
 時間があれば、昔の写真を引っ張り出してきて、このあたりが写っていないか探してみよう。風景を見比べてみて、どんなふうに変わったのか、確認しておきたい。

丹生アジサイ小径-4

 アジサイは主に、立梅用水(たちばいようすい)脇の散策路沿いに植えられている。花はまだまだこれからだったけど、ボリュームもかなりあって、見頃になればなかなかのものだろうと思わせた。花の状態もよさそうだ。
 江戸時代(1808年)、貧窮する農民を救おうと、丹生村の地士・西村彦左衛門がのべ24万7,000人の人力を使って全長30キロの農業用水を完成させた。それによって新田開発は成功し、村人は大いに救われたことから、西村彦左衛門さんは村の大恩人として今でも大変慕われている。住んでいた家には銅像まで建っている。
 まつりでは立梅用水のボート下りというのもけっこう人気なんだとか。流れは速いから、けっこうスリルがありそうだ。まつりのとき以外に、勝手に自前の舟を浮かべて用水路下りをしていいのかどうかは分からない。たぶん、駄目だと思う。もちろん、泳いでもいけない。

丹生アジサイ小径-5

 村ではササユリも大事にされていて、保護しながら少しずつ増やしているような話を聞いた。だから、このあたりにたくさん咲いているのだろうと探してみたのだけど、ポツリ、ポツリと咲いているだけだ。ササユリの里みたいなものもあるようなことがネットの情報には出ていたのだけど。
 地元の人に訊ねてみるも、誰も知りやしない。みんなササユリなんかに興味はないのか、それとも本当にこのあたりにはないのか。
 帰ってきてからもう一度よく調べてみると、どうやらアジサイの小径周辺ではなく、勢和村役場のあたりのようだ。そういえばそんなようなことを言っていた人もいた。勢和中学や小学校がある方の役場近くの山にたくさん咲いているらしい。あっちはほとんど行ったことがないから土地勘もない。こんな時期に行くことはめったにないから、見られるものなら見ておきたかった。
 大石の不動院にはムカデランという国の天然記念物に指定されている絶滅危惧種の花が群生しているようだ。3ミリくらいのごく小さなピンクの花で8月に咲く。私もまだ見たことがないから、お盆のとき見に行けたら行きたい。
 アジサイの小径の先へ行ったところにはメダカ池があって、夏にはそこにホテイアオイがたくさん咲く。その様子は去年のブログで紹介した。

丹生アジサイ小径-6

 ササユリはピンク色の濃淡に個体差がある。ここのは薄めで、白に近い。もっと濃いピンクをしているものもある。土壌の関係なのか、その他の理由なのか、よく分からない。近くに咲いているやつでも色の違いがあるから、単純に土がどうこうということもでもなさそうだ。
 今年もなんとかササユリを見られてよかった。これでまた季節の花を一つクリアだ。アジサイが終われば一段落で、少し寂しくなる。花に関してだけ言えば、5月でピークを迎え、あとは冬に向かって少なくなる一方だ。

丹生アジサイ小径-7

 ガクアジサイは少し早めに咲いていた。アジサイは去年たくさん見て、いろんな種類があることを知った。面白い形や変わった色をしたものもある。品種についても追求していけば奥が深い世界だろう。
 もともとはガクアジサイが本来のアジサイの形で、今では一般的になったセイヨウアジサイは品種改良であの形に変化させたものだ。だから、昔の人にとってのアジサイは、ガクアジサイだった。
 アジサイは日本が原産ということも、案外意識されてないことなんじゃないだろうか。

丹生アジサイ小径-8

 土壌のpHが酸性なら青、アルカリ性なら赤系になるというのは有名だけど、それほど単純でもないようだ。アルミニウムイオンの量などによっても花色は変化するという。そうじゃなければ、日本の土壌は基本的に酸性だから、青色のアジサイばかりということになってしまう。そんなことはない。
 丹生のアジサイは青系が多いようだ。赤系やその他の色も少しある。
 アジサイは終わりに近づくにつれて成熟して色が濃くなっていく。名所に単発で見に行くよりも、家で育てて毎日変化を楽しむ方がアジサイ本来の楽しみ方なのかもしれない。

 わずか15分ほどの滞在だったので、ささっと撮っただけで終わってしまったのはもったいなかったけど、それでも一通り見ることができてよかった。ササユリも見られたし、収穫はあった。
 アジサイまつりは終わっても、花の見頃はまだこれからなので、近くの人は一度行ってみてください。丹生の近くの人がこれを読んでいる確率はものすごく小さいと思うのだけど。
 私はお盆に訪れたい。そのときはまた、遠くからカナカナの声が聞こえることだろう。

ちょっとひねったソースで定番サンデーと牛丼の話

料理(Cooking)
定番サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / MINOLTA α-7D / COOLPIX3500



 今週末はやや変則的で、メニューを考える時間もあまりなかったから、サンデーはひねりのない定番ものになった。曲がりきらないスライダー料理とでも言おうか。味も破綻のないものに仕上がった。
 けど、考えてみたら普通に作って普通に美味しい料理ができるようになったというのは大きな進歩だ。料理が得意と胸を張って言い張るほどではないにしても、たいてい何でも作れますと言えるというのは2年前には考えられなかったことだ。人は自分でも気づかないところで成長している。歳を取って悪くなるばかりじゃない。

 今日はソースのひねりをテーマに3品作った。
 ひとつ目は、手前のみぞれドレッシングだ。大根おろしは辛みが強いから苦手なのだけど、火を入れることでそれがある程度弱まるから、これなら私でも美味しく食べられた。
 酒、みりん、しょう油に大根おろし、酢、唐辛子、塩、白ごまを加えて、ひと煮立ちさせる。
 ここでふと思ったけど、ドレッシングとソースの違いって何だろう。サラダにかけるものがドレッシングで、料理にかけるものをソースと呼ぶという単純なことなんだろうか。それとも、成り立ちから全然別物なのか。ドレッシングは火を入れないもので、ソースは火を入れたものという感じもする。元々ドレッシングというのは着こなすとか化粧をするという意味から来ているもので、ソースを辞書で調べると洋風の液体調味料と説明されている。違いはなんとなく分かるような分からないようなだ。
 マグロは、塩、コショウ、白ワインを振りかけて、レンジで2分加熱。
 しめじとタマネギはだし汁で少し煮る。
 マグロは当然刺身で食べてもいい。そのときは卵黄をかけたりしてもよさそうだ。

 左奥は、料理にメレンゲをソースとして使えないかと試してみた1品だ。
 卵焼きは、絹ごし豆腐入りでフワトロ食感に仕上げてある。だし、牛乳、チーズ、青ネギを加え、めんつゆ、しょう油、塩、コショウで味付けをした。
 メレンゲは卵白を泡立てたもので、少し砂糖を入れている。
 で、結果はどうだったかというと、再考の余地ありだ。普通に卵焼きだけで食べた方が美味しかったと思う。メレンゲの味付けを塩味にしたら違っただろうか。
 ただ、この食感というのは独特のものだから、何か他のものに応用したい。卵料理ならスクランブルエッグ風にして、スープ仕立てにした方がよさそうだ。中華か、和食か、なんとなく使えそうな気はしている。

 右奥は、鶏肉のパンカレー粉まぶし焼きのカレーマヨソースがけで、これはかなり美味しかった。これまで作った全メニューの中でベストテンに入る。
 鶏肉は、塩、コショウ、白ワインを振って、容器にラップをしてレンジで3分ほど加熱する。ワインがなければ酒でもいい。アルコールで蒸すことで肉が軟らかくなる。
 ビニール袋にパン粉、カレー粉、粉チーズ、小麦粉少々、黒コショウを混ぜて、鶏肉を入れてよくシェイクする。
 つかなかったパン粉などと共にフライパンに入れて、やや多めのオリーブオイルでじっくり焼く。
 ソースは、マヨネーズ、しょう油、カレー粉、わさび、白ワインを混ぜて、ひと煮立ちさせる。和洋折衷のこの調味料がいいハーモニーを奏でる。
 これは簡単で美味しいからぜひ作ってみて欲しい。私ももう一度食べたい。

 ソースをややひねった以外は定番メニューということで、波乱もドラマもなく、調理から食事まで滞りなく終わった。面白くないといえば面白くないけど、夕飯に面白さを求めるのもどうかと思う。毎回、圧力鍋で作ったカレーを爆発させている場合じゃない(昔そんなことがあたんです)。
 今週はちょっとしょうがない部分もあったので、これでよしとする。来週はもう少し何かテーマ性を持った料理に挑戦したい。また外国シリーズもやってみたい。サッカーワールドカップ3次予選記念でタイ料理とかはどうだろう。米を手で食べるとかそういうのは気が進まないけど、定番のトム・ヤム・クンなんかのもどき料理なら作れるんじゃないか。タイという国に関しても、知ってるようで知らないことだらけだから、タイの勉強も一緒にしたら面白そうだ。
 よし、来週はタイ料理にしよう。タイだけにメイン料理は鯛だろう。鯛を使ったタイ料理があるといいけど。

すき家-1

 近所に「すき家」のドライブスルーができたというんで、ものは試しと昨日行ってきた。システムとしては、マクドナルドなどと変わらない。車の中からマイクに向かって注文して、その先で代金を払って牛丼を受け取る。ただ、カメラがないのでちょっと注文しづらいというのはあった。ボックスみたいなものに向かって牛丼一つとか言うのは、照れくさいというか間抜けっぽい。
 すき家の牛丼を食べるのはこれが初めてだった。吉野家や松屋は何度か食べたことがあって、どちらも必要充分に美味しいから、すき家はどうだろうという期待はあった。しかし期待は裏切られることになる。

すき家-2

 これが一番基本メニューの牛丼の並350円だ。
 ドライブスルーというのは、その場で食べるわけではないから、どうしてもタイムラグが生じてしまう。ここに一つ落とし穴があった。家に帰ってからすぐ食べればよかったのだけど、まだ時間が早いからしばらく置いてしまったのも敗因だったのだろう。いったん冷めたから、レンジで温め直すことにした。
 けど、ここで問題が発生する。この容器のままレンジで温められませんと書かれている。えー、今どき、レンジで温められない容器でお持ち帰りかー。仕方がないから、丼に移し替えて温めて食べた。
 率直に言って、吉野家や松屋と比べて味が落ちる。まず肉が筋っぽくて固いし、なんだかパサパサしている。タマネギのかすみたいなのがわずかに入っているだけで、汁もほとんどかかっていないから、ご飯はただの白ご飯になっている。
 350円で牛肉が食べられるんだから文句は言えないといえばその通りなのだけど、松屋はもっと美味しい。すき家も店で食べればもう少し美味しかったのだと思うけど。
 ドライブスルーに関しては、アイディアはよかったけど、牛丼はあまり向かないと見た。持ち帰り用ということでつゆを少なくしているという可能性もある。
 これだけですき家は美味しくないと決めつけてしまうのはフェアじゃないから、一度店に食べに行こう。そのときはつゆだくにした方がいいかもしれない。
 なんにしても、アメリカ産牛肉の輸入再開を望みたい。輸入停止になる以前はもっと肉質がよくて美味しかったはずだ。
 東名阪の亀山パーキングエリアには、松阪牛100パーセントで780円の牛丼があるらしい。1日限定25食だそうだけど、何時くらいに行けば食べられるんだろう。午前中から牛丼はちょっときついんだけど。それか、深夜0時を回ったところでトラックドライバーたちが一斉に注文してあっという間に売り切れてしまうんだろうか。いつかチャンスがあれば食べてみたい。
 松阪へ行けば、4,000円の牛丼とかもあるし、そもそもお歳暮でもらう松阪牛を使ってサンデー料理で贅沢牛丼を作ればいいんだ。それなら実質タダみたいなものだ。よし、今年の12月は、どこかで松阪牛丼サンデーにしよう。

用事があって帰郷したついでにちょっとだけ6月の田舎風景を撮ってきた

丹生(Nyu)
6月の田舎風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 ちょっと用事があって、祖母のいる田舎に帰郷してきた。遊びではなかったのだけど、せっかく行ったのだから、少しでも写真を撮ろうと、短い時間の中でちょっとだけ撮ってきた。くたびれたのと寝不足なので、今日は写真を並べるだけにしておく。ここのところ長くなっていたから、ちょうどいい。

 三重県のこのあたりは田植えが遅い地区とはいえ、6月の7日ともなればさすがに田植えは終わっていた。苗の伸び具合からして、ここ数日という感じではない。5月の終わりくらいだったんだろうか。
 いつもは盆暮れしか帰ってないから、この時期の田んぼ風景はけっこう新鮮に映った。もう少し時間があれば、あぜ道をのんびり歩いて野草や生き物を探したかった。カエルやザリガニくらいはまだいるだろうし、もしかしたらドジョウもいるかもしれない。
 今年はホタルが多い年だったようで、このあたりの田んぼや川にたくさん舞っていたそうだ。昭和の後半は田んぼや川も農薬や下水で汚染されていろんな生き物が少なくなったけど、最近はまたきれいになってきて、生物が戻りつつある。嬉しいことだ。

6月の田舎風景-2

 田んぼを見守る一輪のバラ。こんなところに野生のバラが咲くはずもないから、ここの農家さんが植えたのだろう。農作業の行き帰りに眺めて和むためだろうか。
 田舎にバラというのはあまり似合わないけど、もし私が上下白のスーツで胸ポケットにバラを差して帰ったら、たちまち村で話題にのぼってしまう。田舎のネットワークはインターネットより早いと言われる。

6月の田舎風景-3

 こういうのも路地というのだろうか。田舎には細い道が多い。こんな狭いところでも軽トラなどはアグレッシブに突っ込んでいく。しかも、地元民の田舎道の飛ばし方は尋常じゃない。私は恐ろしくてノロノロ運転をするのに。横から子供が飛び出してくるかもしれないという前提がまったくないのが怖い。それでも案外事故はないらしい。

6月の田舎風景-4

 沢ガニのいる水路。今日もこの場所で見つけたのだけど、写真を撮ろうとしたら巣穴の中に入っていってしまって撮れなかった。残念。
 子供の頃はよく、煮干しとかスルメとかでカニ釣りをした。糸の先にイカなんかをくくって穴に垂らすと、沢ガニがハサミで掴んでくるからたくさん釣れるのだ。飼うわけではなく釣るのが楽しいだけだから、すぐに逃がした。
 沢ガニが今でも普通にいるというのも、なかなか貴重なことだ。もう少し深い流れのところには、イモリもよくいた。あれは腹が赤色をしていてグロテスクだった。

6月の田舎風景-5

 このあたりに咲いているユキノシタは、自生なのか民家の種が飛んだり流されたりして咲いたのか、どちらともはっきりしない。野生としても特に珍しいものではないから、もともと自生していたのかもしれない。
 ユキノシタも見るとちょっと嬉しいけど、私が見たいのはなんといってもダイモンジソウだ。山の渓流に咲くダイモンジソウを撮るというのも毎年秋の目標の一つとなっていて、いまだ果たせないでいる。かなり身の危険があるようなところに咲いているという。今年は頑張って、面ノ木あたりに撮りに行ってみようか。

6月の田舎風景-6

 かつて水銀の町、丹生大師の門前町として栄えた宿場町の名残が少し残っている。うちを含めたこの並びが一番残っている方だろうか。
 このあたりもだんだん住む人が少なくなってきた。あと何年、この風景が残るだろう。

6月の田舎風景-7

 まだ現役として使っている井戸。もう100年近くになるんじゃないだろうか。最近少し水に汚れが混じるようになってきたらしい。
 井戸水は夏冷たくて、冬暖かいから重宝する。スイカを冷やしたり、冬に顔を洗うときも冷たくない。今はもう、ちょっと飲む気はしないけど。

6月の田舎風景-8

 こんなところに花菖蒲が咲くなんて知らなかった。6月というのはほとんど訪れた記憶がない。
 これは昨日勉強した、伊勢系だろうか。
 いつも来ていた猫は見かけなかった。

6月の田舎風景-9

 うちはもう使ってないけど、今でも薪を使っている家もある。これは風呂用だろうか。さすがに暖房用ではないと思うけど。
 田舎はなんでも庭で燃やしてしまう習慣が昔からあった。今はダイオキシンがどうだこうだとうるさくなったけど、子供の頃はゴミを燃やすのが好きだった。なんだか知らないけど、あれはけっこう楽しいものなのだ。
 薪で風呂を沸かす作業も楽しくて、自分から率先して手伝った。

 この後、丹生大師近くにあるアジサイの里へ行った。まだアジサイには早かったのだけど、明日からアジサイ祭りが始まるとかで、テントを建てたりいろいろ準備が行われていた。
 そのあたりのことは、近いうちに紹介できると思う。とりあえず今日はここまで。また明日。

花菖蒲の歴史と品種を勉強して天晴れ松平左金吾と叫ぼう

花/植物(Flower/plant)
花菖蒲-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 マニアックな世界というのはだいたいが一般人お断りで敷居が高いものだけど、マニアがたくさんいるということはそれだけ魅力的な世界だという証拠で、そんな面白そうなものを敬遠してしまうのは実にもったいない話だ。入り口は狭くても、一歩中に踏み入れば、奥へ奥へと続く広い世界が存在している。どっぷり浸かってしまえば、きっと居心地がいいに違いない。
 マニアな世界に親しむには何が必要かといえば、一に好奇心、二に基礎知識だ。まずは知りたいと思わなければ何も始まらないし、知識がなければ楽しさのポイントが理解できない。最初は興味がないものでも、ちょっと知るだけでずいぶん違ってくる。少しでも分かってくれば興味も増してくるし、知るほどに楽しくなっていくものだ。
 そんなわけで、今日は花菖蒲(ハナショウブ)の品種改良というディープな世界の入り口を、私自身も勉強しつつ、紹介してきたいと思う。
 普通に暮らしている人にとって花菖蒲の品種改良なんてまったく関心がないだろうし、大部分の人にとっては、一生無縁の世界だ。何種類くらいの品種があって、どんな歴史を辿ってきたかなんてことも、一般常識として知っておくべきことではない。花菖蒲の名所に見に来ている人たちでさえ、これは肥後系の深咲きで白筋入りの見事な花ですね、なんてマニアックな会話をしてるのを聞いたことがない。それなりに興味がある人でも、花菖蒲に関する知識はそれほど多く持っていないんじゃないだろうか。
 ただ、花菖蒲というのは、さほど複雑な系統があるわけではないから、覚えることはそんなにたくさんない。バラほど多彩でもなく、作出者の名前やどの国で何年に作られたかなどといったことまでは気にしなくてもいい。もちろん、品種の数だけ名前がついているから、それを覚えようとすればすごく大変になるのだけど。

花菖蒲-2

 花菖蒲の元となった野花菖蒲(ノハナショウブ)は、日本に古来からある花で、湿地や水辺などで普通に咲いていた。色や形はカキツバタに似ていて、青紫色をしている。違いは、カキツバタの筋が白色なのに対して、ノハナショウブは黄色という点だ。アヤメはこの部分に網目状の模様がある。野生のものに関しては、見慣れればすぐに区別ができるようになる。
 ただ、ノハナショウブにしても花色の変化があって、白色やピンクなどもあるから、ちょっと戸惑うこともある。もともとはそういう変化したノハナショウブを観賞用に庭などに植えて育てたことが花菖蒲の品種改良の始まりだったのではないかと言われている。そういう中で自然交配が起こり、それをもっと人為的にやっていけば違った色や模様が出せるのではないと思うのは自然の流れだ。
 花菖蒲を観賞用とするようになったのは、平安時代あたりが始まりだったのではないかとされている。品種改良を本格的にやるようになったのは、室町時代から江戸時代のはじめにかけてのようだ。戦国時代にはのんきに花の改良なんてやってる心の余裕はない。品種が系統立ってくるのは、江戸の中期になってからだった。

花菖蒲-4

 花菖蒲は、江戸系、肥後系、伊勢系の3つのグループに大きく分けられる。それに加えて、長井古種、アメリカ系(外国系)、種間交配種などがある。まずはこの基本をおさえておきたい。
 歴史としては、長井古種が一番古く、江戸中期の江戸系と伊勢系があり、門外不出ながらのちに主流となった肥後系、明治以降外国に輸出されたものが向こうで新たな品種を生んで逆輸入してきたものと続く。
 大正時代までは一般的に栽培されていたのが江戸系のみだったので、花菖蒲は江戸系のことを指していた。
 江戸系は主に屋外での育成を考えられて改良されてきたため、群生させて楽しんでいた。一方の肥後系と伊勢系は、屋内での鉢植え用として発展してきた。現在は、肥後、伊勢とも屋外に植えられることが多くなったようだけど、その傾向は今でも残っているようだ。

花菖蒲-5

 江戸時代の初期から中期にかけては、試行錯誤の中で様々な花菖蒲が作られていった。徳川家の将軍は代々花好きが多かったこともあって、将軍様が花好きなら家臣は我も我もと花を作って、珍しいものができたら献上したから、徳川家や江戸にはたくさんの花が集まった。
 尾張二代藩主の光友(初代義直の長男)は、1671年に下屋敷があった戸山荘庭園に花菖蒲園を作った。ここは現在の戸山公園で、山手線の中で一番高い箱根山があるところでも知られている。光友が趣味で箱根山と東海道五十三次を模して作った庭園だ。
 すでにこの頃には多様なものが作られるようになっていて、この当時の花菖蒲を今に伝えているのが山形県長井市のあやめ公園に保存されている長井古種と呼ばれる一群のものだ。
 まだ花の形を変化させるというよりも、色や模様などに主眼が置かれたようで、姿は素朴なものが多い。現在、30品種が保存育成されているそうだ。

花菖蒲-6

 江戸後期、花菖蒲の歴史を変える一人の男が登場する。二千石の旗本、松平左金吾定朝という人物だ。菖翁(しょうおう)と呼ばれ、花菖蒲中興の祖と称されている。
 新たに作り出した品種は300近く。花菖蒲を飛躍的に発達させた。
 ただし、彼の作出したとされる花菖蒲で現代に伝わっているものは、宇宙(おおぞら)や霓裳羽衣(げいしょううい)など、20品種に満たないそうだ。
 菖翁の死後、彼が作った花菖蒲は、どういうツテがあったのか、堀切に住んでいた伊左衛門という園芸好きの農民に譲られ、それらを元にして堀切に菖蒲園(小高園)ができたという話だ(違う説もあり)。江戸から明治、大正、昭和にかけて賑わい、堀切菖蒲園(葛飾区)は今でも花菖蒲の名所としてよく知られている。かつては近くにいくつかの菖蒲園があったようだけど、今では残っていない。
 歌川広重の「名所江戸百景」の中にも、堀切の花菖蒲が登場する。

花菖蒲-7

 江戸系、肥後系とは系統を異にする伊勢系は、江戸中期、伊勢松阪の殿町に住んでいた園芸家・吉井定五郎という人物によって作り出された。花弁が垂れる三英咲きが特徴で、伊勢誉などが代表的な品種だ。
 花弁がちょっとクタッとしていて、表面がザラザラなのも伊勢系の特質で、雌しべの先に細かい切れ込みがあるものをくも手と呼んで、それも名花の条件となっているんだとか。
 長らく知られていなかったものが、戦後、三重大学の冨野耕治博士によって作り出されて紹介されたことがきっかけ知られるようになり、のちに伊勢花菖蒲は三重県の天然記念物に指定され、県の花にもなった。

花菖蒲-7

 肥後系は江戸の末期、肥後藩主の細川斉護が江戸の菖翁から花菖蒲を譲り受けたことで藩の間に広まって、そこから発達を遂げた品種だ。
 長らく門外不出で一般に知られることがなかったものが、昭和になって出回るようになり、一気に主流にまでなった。
 もともとは室内の鉢植え用に品種改良されたものながら、花は大輪で、華やかさと風格があるものが好まれた。江戸の粋とはまた違った九州人気質というのが表れているようだ。

花菖蒲-9

 多種多様に見える花も、パターンは決まっていて、たいていはその組み合わせになっている。
 花色としては、紫色、青紫色、紅紫色、純白色、ピンク色、黄色などで、その濃淡と二色花があり、白筋入り、白筋入りぼかし、脈入り、絞り、覆輪(ふくりん)などの模様が入る。
 花の形としては、三英咲き、六英咲き、八重咲き、受け咲き、平咲き、深咲き、垂れ咲き、台咲き、玉咲き、爪咲きなどがある。
 カキツバタやキショウブとの種間交配種などを入れて、現存する品種は2,000品種ほどだと言われている。

花菖蒲-11

 とまあ、花菖蒲というのはこんな感じだ。まだまだこの先にディープな世界が広がっているのだけど、私としても今はここまでにしておきたい。ざっくりした流れや系統が分かれば、あとは自分の目で見て、好みの花を見つけていく作業に移ればいい。バラでもそうだけど、たくさん見ていけば自分の好きな色や形がだんだん分かってくる。それが何系なのかという特徴も出てくるだろうし、そうなったときあらためてもう一段踏み込んで勉強していけばいい。
 花菖蒲は、世界に誇る日本の園芸品種だそうだ。特に今まで日本人として花菖蒲を誇りに思ったことはないのだけど、どうやらそうらしい。バラの原産国はイラン(かつてのペルシャ)だけど、イラン人がバラを自慢している様子がないのとちょっと似てるかもしれない。今後は私も花菖蒲を積極的に誇っていきたいと思う。我らが松平左金吾とまで言ってしまおう。松阪は私の故郷でもあるから、伊勢系についても更に理解を深めていきたい。
 そんなこんなで、花菖蒲をもっと大事にしていこうではありませんかという話でした。

知立神社訪問と家康の息子の話など

神社仏閣(Shrines and temples)
知立神社鳥居額

 愛知県知立市にある知立神社(地図)は三河国の二宮で、江戸時代は東海道三大社のひとつに数えられた歴史のある神社だ。
 三河国一宮は砥鹿神社(とがじんじゃ)で三宮は猿投神社だ。
 東海道三大社のあとの二社は三嶋大社と熱田神社だったから、それらに並ぶ大社だったということになる。



知立神社入り口鳥居

 鳥居をくぐる前に、知立神社と知立の歴史についても少しだけ予習しておきたい。
 知立(ちりゅう)の語源は、茅(ち/かや)が育つ湿地帯というところから来ているという説がある。奈良時代には知利布(ちりふ)と呼ばれていたようで、平安時代になると知立や智立と表記され、江戸時代は池鯉鮒という字が当てられた。東海道の宿場町の名前も池鯉鮒宿だった。
 知立神社の創建についてははっきりしたことは分からない。
 景行天皇(けいこうてんのう)の時代というのが本当であれば4世紀あたりだろうか。景行天皇はヤマトタケルの父で第12代天皇ということになる。
 日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定に向かう途中、この地において皇祖神に祈願を行い、無事平定を果たした帰り道にその神々を祀ったのが知立神社の始まりとされている。
 社殿の造営は14代仲哀天皇の元年という。仲哀天皇はヤマトタケルの子だ。
 創建当時は、現在地から東に1キロほどのところにあって、二度焼けて、現在の場所に移されたとされる。



知立神社鳥居

 室町時代、この近くに知立城があって、当時知立神社の神主でもあり豪族でもあった氷見氏がこの地を治めていた。
 十三代貞春は、北面武士(上皇に仕えて身辺警護をしていた武士)として保元・平治の乱に参加して武功を挙げ、氷見氏は鎌倉から南北朝時代にかけても勢力を広げていった。
 戦国時代になり、二十九代貞英のとき、桶狭間の戦いで織田軍の追撃によって落城。
 その後、氷見氏は水野氏との関係を強めるため、貞英が水野忠政の娘を妻とした。その二人の間に生まれた娘がお万の方で、のちに徳川家康の側室となって、結城秀康を産むことになる。

 寄り道ついでに結城秀康についても少し触れておこう。
 岡崎城のとき、家康が嫡男である松平信康を切腹させたという話を書いた。その異母兄弟で次男が結城秀康だ。この秀康、何故か家康に嫌われた。理由はいろいろ言われていて、一説には自分の子供ではないのではないかと疑っていたからだという。そのせいで側室にしたお万の方も嫌っていたとも言われる。
 家康が最も愛したとされる側室が西郷局で、三男でのちの徳川二代将軍となる秀忠を産んだのがこの西郷局だった。西郷局を喜ばせるために秀忠を強引に将軍にしたという説もある。それで、長男の信康をいろいろと理由をつけて切腹させたのではないかと。
 それなら当然、次の将軍候補は次男である秀康になるはずだけど、そうはならなかった。嫌っていたというのがどこまで本当かは分からない。小牧長久手の戦いのあと、秀吉との和睦条件として次男で嫡男であるはずの秀康をあっさり人質として渡してしまったのもそんな噂が立った原因のひとつかもしれない。小牧長久手の戦いは、実際のところ家康が負けたとはいえない。
 その後、秀康は豊臣の養子として成長し、九州征伐から朝鮮出兵まで、数々の武功を挙げていった。
 けれど、秀康の翻弄人生はこれで終わらない。秀吉に鶴松という嫡男が生まれるとやっかいものとなり、結城家の養子に出されてしまうことになる。1590年、17歳のことだ。
 それに続いたのが豊臣家滅亡という事態だった。休まる暇がない。結局、また徳川家につくことになり、関ヶ原の合戦の前哨戦である上杉景勝征伐に参加したまではよかったけど、石田三成挙兵ということで西に向かった家康本隊についていくことを許されず、留守番を命じられたまま関ヶ原の合戦に参戦することもできなかった。
 関ヶ原の後、加増はされたものの、徳川家に戻ることはないまま、梅毒で死んでしまった。34歳だった。
 家康の息子は優秀な人間が多かった。長男の信康や次男の秀康は特に有能な武将だったとされているし、四男の忠吉や、尾張藩初代で九男の義直も優れた人物だった。そんな中で最も凡庸と思われる三男の秀忠が二代将軍になったというのは、結果としてはよかったのだろう。徳川家の基盤を固めるという意味で、秀忠が最も二代目将軍に適していると家康は見抜いていたとも言われている。信康は信長タイプとされるから、平和な世の中を築くのには合わなかったかもしれない。
 秀忠は、関ヶ原に遅刻して家康にこっぴどく叱られたというエピソードに象徴されてしまっているけど、実務面でやることはしっかりやっている。三代家光が良く言われることが多いけど、その基礎を作ったのは秀忠だ。

 話を戻すと、知立城のその後は、天平年間に水野忠重が城跡に建てて住んでいた御殿は地震で倒壊して、そのままになってしまった。今は石碑しか残っていない。



知立神社多宝塔

 知立神社の自慢がこの多宝塔だ。国の重要文化財に指定されている。
 普通、多宝塔は寺にあるものなので、神社にあるのは珍しい。
 850年に知立神社の別当寺となる神宮寺が建てられたとき、天台宗の僧円仁によって一緒に建てられたのがこの多宝塔だ。知立神社は早くから神仏習合の神社だった。
 現在の多宝塔は、1509年に重原城主・山岡忠左衛門によって再建されたものだ。
 本来であれば、明治の神仏分離令で取り壊されるか移築されているはずが、屋根の相輪を取っ払って、入母屋造りに改築して、これは知立文庫という書庫だと言い張って、取り壊しを免れた。
 大正時代になってすぐ、元の姿に戻して、現在に至っている。



知立神社多宝塔近くから

 とても美しい姿をしている。風格と品がある。
 三間二層で、屋根は柿葺。高さは約10メートル。 
 室町時代の建築物らしい特徴がよく出ている。



知立神社太鼓橋

 花崗岩で作られた太鼓橋。
 全長6.6メートル、幅2.4メートル。作られたのは江戸時代だろうか。
「東海道名所図会」にも描かれている。



知立神社境内と参道

 拝殿前。
 境内全体はさほど広くない。昔はもっと広かったはずだ。



知立神社拝殿




知立神社拝殿内




知立神社拝殿横から

 拝殿を横から見る。本殿はよく見えない。
 本殿は1830年に建てられたもので、流造(ながれづくり)の朱塗りになっている。
 拝殿は檜皮葺の尾張造と呼ばれる様式だ。この地方特有のもので、津島神社なども同じように建てられている。熱田神宮もかつては尾張造だったのを明治になって神明造に変えてしまった。

 祭神は、彦火火出見尊(ヒコホホデミ)、武鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)、玉依比賣命(タマヨリヒメ)、神日本磐余彦尊(神武天皇)となっている。
 天孫・瓊瓊杵尊(ニニギ)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が結婚して生まれたのが山幸彦として知られる彦火火出見尊で、海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚して武鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を生む。
 ウガヤフキアエズは母の妹の妹玉依姫(タマヨリヒメ)と結婚して生まれた子供の末っ子が神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコ)で、後に初代神武天皇として即位することになる。
 つまり祭神は神武天皇ファミリーということになるのだけど、そもそもでいうとヤマトタケルが創建のきっかけになったという話があるのにそれとは合わない。
 もともとは地主神を祀ったのが始まりなのだろうけど、そのあたりはよく分からなくなっている。
 どういうところからきているのか、聖徳太子も合祀してる。



知立神社境内社

 親母神社、土御前社、小山天神社などの境内社が並ぶ。



知立神社太鼓橋と多宝塔




知立神社ニワトリ

 神使としてニワトリを飼っているようだ。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「知立駅」から徒歩約16分
 ・駐車場 あり(境内)

 公式サイト
 

地味な中継ぎ的存在の花菖蒲を撮りに知立神社へ行く

花/植物(Flower/plant)
知立花しょうぶ1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 花菖蒲(ハナショウブ)については特に思い入れはないのだけど、これまであちこちで撮る機会があって、このブログにも何度か載せている。去年は鎌倉の明月院と東慶寺で見たし、鶴舞公園やグリーンピア春日井でも撮った。カキツバタやアヤメはこちらから積極的に見に行かないと出会えないのに対して、花菖蒲はわりといろんなところで植えられているからその気がなくても見かける機会が多い。その分、ありがたみがないというのはある。5月の終わりから6月のはじめに咲く花菖蒲は、カキツバタ、バラときて、アジサイが咲きそろうまでのつなぎの花としてはなかなか貴重な存在なのだけど。
 知立(ちりゅう)の花菖蒲は、2005年の5月17日に知立神社へ行ったとき、早咲きのものがちらっと咲いていたのを見ている。けど、そのときはさすがに早すぎて見た内に入らないくらいだった。一度くらいはちゃんと見ておこうと思い、今日行ってきた。知立神社の写真を撮ることがメインで、そのついでということで。
 知立公園では5月の25日から6月20日まで、花しょうぶまつりが開催されている。この期間の週末には、茶会やからくり人形実演、短歌大会などのイベントが行われるようだ。10日には、ミスかきつばた4名による知立公園花しょうぶを写す会というのが開かれるというのを帰ってきてから知った。着物姿での撮影会で、高いカラメラを持ったおじさんたちが群がり集まる楽しいイベントらしい。知ってたら、私もぜひ参加してみたかった。そして、ミスかきつばたではなくカメラマンのおじさんたちの群れを撮りたかった。もう一度出向くには遠すぎるし、時間が午前10時から正午までというのは厳しい。
 花のピークはだいたい10日前後らしい。確かに、今日見た感じではまだ早すぎる感じだった。つぼみもたくさん残っていたから、咲きそろうのが一週間先というのは納得だ。
 ここは知立神社の外苑で、神社をはさんで東公園と西公園に分かれている。上の写真は東公園で、こちらは昭和62年に増設された。本園の西公園は、昭和30年に明治神宮からもらった花菖蒲を植えて作られたのが始まりで、その後、32年、35年と3回で60数種類の品種を贈られたそうだ。だから、明治神宮の分園みたいなものということになる。
 明治神宮のものは、明治26年に明治天皇が昭憲皇太后のために植えたのが始まりだそうだ。
 現在は、7,200平方の敷地内に約3万本の花菖蒲が植えられていて、期間中15万人ほどが訪れるという。

知立花しょうぶ1-2

 東公園の方が開花が早くて、こちらはほぼ満開という感じだった。
 全体に雑然と植えられていて、品種名のプレートも見あたらなかった。風景としての花菖蒲を楽しんでもらおうという趣向だろうか。
 このときは夕方の6時前という時間ということもあって、見学者はポツリ、ポツリといったところだった。子供連れのお母さんは花菖蒲を見に来たというよりも子供の遊びにつき合っただけだったのだろう。池で何かを捕ろうとしてるようだった。

知立花しょうぶ1-3

 こちらがメイン会場の西公園だ。東公園とは違って、花菖蒲は品種ごとに植えられていて、名前のプレートも立っていた。写真に写っている範囲でほぼ全域なので、さほど広いところじゃないのが分かると思う。
 全部が一斉に咲くわけではないだろうけど、まだまだこれからといった感じだ。今年はわりと涼しい日が続いてるから、例年よりも遅いかもしれない。

知立花しょうぶ1-4

 反対側から見たところ。特別面白い景色というわけではない。回遊式の庭園になっているわけでもない。もう少し全体としての情緒みたいなのが欲しい。

知立花しょうぶ1-5

 モデルさんが通りかかるのを待って一枚。タモとバケツを持った母娘だから、完全に花菖蒲目当てじゃない。ここの池で捕れるものといったら、カエルとかザリガニくらいだろうか。

知立花しょうぶ1-6

 やっと訪れた花菖蒲目的の見物客。他に選択肢もなく、否応もなくモデルになってもらった。もう少し見学者で賑わってると思ったんだのに、時間が遅すぎたのか、時期が早すぎたのか。それほど有名なところじゃないから、平日はこんなものか。

知立花しょうぶ1-7

 知立神社は別表神社という位の高い神社で(そのあたりの詳しいことは知立神社のときに書く予定)、神職の階級なども他の神社と少し違っているのかもしれない。
 神職はいろいろ複雑で難しいので、私もよくは知らない。基本的には特級、一級、二級上、二級、三級、四級とあって、一般的な神社の構成としては、偉い順に宮司(ぐうじ)、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)という感じになっている。巫女さんは神職ではない(女性の神職の人はいる)。
 上の写真のように紫色の袴をはいた人はちょっと偉いさんで、二級以上の人だ。二級が紋なしで、紋付きの紫になると二級上や一級となる。特級は白袴だ。よく見かける水色(浅葱色)は三級、四級の人たちだ。
 初詣に彼女と一緒に行って、そんな神社雑学を披露しても彼女は感心してくれないと思うけど、知っているといつかどこかで役に立つかもしれない。神社仏閣好きの女の人と出会ったときに、話が盛り上がるだろう。

知立花しょうぶ1-8

 ぷらっと訪れたらしい近所のおばさま風の人。とりあえず目についた人は全部写真に収めてみた。花菖蒲単独で撮っても面白くないんだもの。
 ちょっとした食事処というか休憩所のようなものも作られていたから、人で賑わうときは店が開いて、売店のようになるのだろう。知立といえば、藤田屋の大あんまきしかないということで、大々的に宣伝していた。ここでも出張販売しているようだ。大あんまきというくらいだからやたら大きくて、一本食べたらおなか一杯になってしまう。

知立花しょうぶ1-9

 じさまは散歩の途中、ベンチで一休み。
 ここまで並べた写真を見て、私は何を撮りに行ったんだと自分でも思った。

知立花しょうぶ1-12

 花菖蒲だけの写真も撮ったんだという証拠写真を出しておこう。あー、でも、遠くの方にぼやけて子供が写ってる。厳密に言えばこれも花菖蒲だけの写真じゃない。

知立花しょうぶ1-13

 これは花菖蒲だけの写真だ。人は写ってない。
 田んぼ脇に咲く花菖蒲というのは、自然なようで不自然だ。違和感がある。野生の野花菖蒲は、かつてこんなふうに咲いていたんだろうか。でもそのときはこんな派手な花の色をしてないから、もっと自然な感じで風景に溶け込んでいたのだろう。

知立花しょうぶ1-10

 カキツバタの季節は終わった中、一輪だけきれいに咲き残っていた。咲いてみたらまわりに誰もいなくてこのカキツバタもびっくりしただろう。完全に遅刻ですよ、きみ。遠足のバスが出てしまったあとに遅れて学校にやって来て、ポツンと校庭に立ち尽くす小学生を思った。

知立花しょうぶ1-11

 季節の花は、途切れることなく次々と咲いては枯れ、枯れては咲く。前の季節の花が最盛期の頃には、もう次の花の準備が着々と進んでいる。花菖蒲が終わる頃にはアジサイが咲きそろうことだろう。かなり色づき始めていた。
 去年は鎌倉でおなか一杯アジサイを見て、たくさん撮った。今年はどうしようか。形原温泉は一度見てみたいけど、遠いし、渋滞がひどいらしいから迷っている。

 花菖蒲の写真もそれなりに撮ってきたので、また明日にでも特集として紹介する予定でいる。人ばっかり撮っていたわけではないのだ。
 知立神社についても近いうちに書きたいと思っている。神社ネタはまたきっと長くなるだろう。

アマサギに再会するため6月の長久手の田んぼに行ってきた

野鳥(Wild bird)
長久手田んぼ-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 / 100-300mm f4.5-5.6 APO



 雨があがればネタ集めに行こうと思っていたのに、時間も気力も足りなかった。候補地がいくつかあって、どこへ行こうか迷っていたら、ますます時間がなくなり、最後に思いついたのが長久手の田んぼだった。おととしの6月、初めて長久手でアマサギを見て、それ以来他の場所で出会ったことがなかったので、もう一度会いにいこうと思ったのだった。
 場所は、リニモの長久手古戦場駅の北側に広がる田んぼだ。地名でいうと丸根というところになる。
 田んぼの間の細い道に車をとめて南を向くと、モリコロパークの観覧車とリニモが見える。愛・地球博からもう3年。それでもいまだにイメージソングの「I'll be your love」を聴くと、ちょっとジーンとしてしまう愛知県民なのだ。
 そういえば、一番最初にデジイチのEOS D30を買ったときに初めて試し撮りをしたのがこの場所だった。あれは2005年10月、愛・地球博が終わって間もなくのことだった。
 万博会場はモリコロパークと名前を変え、段階的な工事が進められている。2006年7月に一部分だけの第1期オープンとなり、私も2回遊びに行った。2007年の3月に第2期オープン以降は行っていない。2008年の4月には第3期オープンとなって、いろいろな施設ができたようだ。今更だけど、サツキとメイの家も一度くらいは行っておきたい。最終的な完成は2010年になるらしい。
 モリコロパークはまたそのうち行って紹介するとして、今日はアマサギだ。2年ぶりの再会となるだろうか。

長久手田んぼ-2

 視線を少し左に向けると、北東方向に瀬戸デジタルタワーが見える。正式名は、瀬戸デジタルテレビ放送所だそうだ。
 愛知県のみならず中京圏の地デジを一手に引き受けるのが瀬戸でいいのかという疑問がありつつ、なんとなく瀬戸に決まった。そのあたりの詳しい経緯はよく知らない。栄のテレビ塔ではアンテナを延ばせなくて駄目だったというのは聞いている。
 地デジのテレビを買って以来世話になってるから、たまにはデジタルタワーを見て拝んでおこう。いったん地デジの画質を見慣れてしまうと、もうアナログには戻りたくなくなる。人間は贅沢にすぐに慣れてしまう。けど、いまだに地デジのチャンネルを覚えられない。東海とNHKとCBCはそのままだけど、中京が4でメーテレが6でテレビ愛知が10というのは、どうにも馴染めない。その上、BSデジタル放送も1から12チャンネルまであって、途中で有料放送がはさまるから、もう最初から覚えようという気になれない。リモコンでパチパチとやたらチャンネルを変えながら番組を探す日々だ。これが昔の回転ダイヤル式なら大変だ。回しすぎて半年もしたらチャンネルが取れてしまうところだ。

長久手田んぼ-3

 長久手も尾張旭同様、田植えの遅い地区のようだ。つい最近ようやく田植えをしたという感じで、一部ではまだ終わってないところもあった。
 この時期の田んぼは、空や風景を映してきれいだ。秋の稲穂もいいけど、6月の田んぼが一番いい。手で田植えをしている農家の人と夕焼け色に染まった千枚田風景を一度撮ってみたいと思う。それはできすぎという気がしないでもないけれど。

長久手田んぼ-4

 ヒメジョオンかハルジオンか、どちらか。テントウムシを見つけて、マクロの等倍で目一杯寄って撮ったら、花の区別がつかない写真になった。
 テントウムシはたぶん、ヒメカメノコテントウじゃないかと思う。5ミリもないくらいの小さなやつだ。
 50ミリマクロは、標準レンズ的にもマクロにも使えると思って買ってみたのだけど、遠景での解像感が足りない感じだ。f6.3まで絞ってもまだシャープさが足りない。近接撮影との両立を考えた場合でも、50ミリならf1.4などの標準レンズの方がいいかもしれない。

長久手田んぼ-5

 最初なかなか見つからなくて、時期を外したのか、今年はここに飛来しなかったのかと心配したけど、奥の方まで行ったところで見つけた。いた、いた、アマサギだ。ご無沙汰してます、元気でしたか?
 車から降りるとすぐに逃げてしまうので、車の中から撮った。でもまだ遠いし、ここは場所が悪い。別のところを探すことにする。
 そういえば、このあたりは田植えは早かったらしい。苗がずいぶん伸びている。同じ地区でも農家さんによって田植えの時期に差があるのだろう。もしかしたら品種の違いなどもあるのかもしれない。

長久手田んぼ-6

 あ、いる、いる。今度はいい場所だ。全部で7羽くらいいた。やはりこの場所はアマサギのお気に入りなのだろう。けどなんで、長久手のこの田んぼなんだろう。尾張旭や近所の川では見たことがない。他にもいるところにはいるに違いないのだけど。
 アマサギは渡りをするサギで、日本には5月くらいにやって来て、日本で子育てをして、寒くなり始める9月から10月くらいに東南アジアに帰っていく。
 夏羽は写真のようなオレンジ色をしていて、冬羽になると白くなるのでコサギやダイサギと紛れてしまいがちだ。そんなときの目印は黄色いクチバシで、体はコサギよりも小さいから、ダイサギとは区別がつく。チュウサギはめったに見ないけど、チュウサギの場合はクチバシの先が黒いから分かる。
 婚姻色になるとクチバシが色鮮やかな赤紫色になり、足もピンク色に染まる。他のサギたちと一緒に木の上のコロニーで卵を産んで育てる。
 エサは魚ではなく、昆虫やカエルなどだから、必ずしも水辺で暮らさなくてもいい。でも、水が張られた田んぼにいるというイメージが強く、ネットの写真を見てもそういうところでよく撮られている。

長久手田んぼ-7

 渡り鳥ということもあって、人に対する警戒心は他のサギよりもずっと強い。民家の近くに降り立つ割には人間が苦手なようだ。
 このときも車の窓を開けて運転席から撮っていただけなのに、気配を感じたようで、次々に飛び去っていってしまった。わぁー、待ってくれーと、流し撮りで追いかけたけど追いつけなかった。ちょっとピントが合ってないし、手ぶれも起こしている。ISOが100のままだった。
 α-7Dの性能はまずまず悪くない。ピント速度や連写は20Dに劣るものの、飛びものに関しても実用範囲内だ。K100Dとは比べものにならない。動くものに対してはK10Dもあまり強くないということだけど、K20Dになってそのあたりは改良されたんだろうか。クラスと値段を考えれば、20Dの後継機の30D、40Dと同等を望みたいところだ。

長久手田んぼ-8

 ケリのヒナもちょっと期待したけど、今日は見つけられなかった。もうそろそろ生まれてもいい時期だとは思う。親鳥が一羽、じっとたたずんで、ときどき思い出したように小さな声で鳴いていた。子育て警戒中でもなさそうだった。

長久手田んぼ-10

 夕焼け色を映して、田んぼがオレンジに染まった。

長久手田んぼ-9

 雨があがったとはいえ、カラリと晴れたわけではなく、太陽は雲の間に隠れたりちらりと顔を出したりで、日没前にはすっかり隠れてしまった。暗くなれば鳥撮りはもう終わりだ。手ぶれ補正をもってしても望遠レンズのブレは止められない。飛んでいったアマサギもどこかへ行ってしまったし、そろそろ帰ることにする。

 当初の目的地とは違ってしまって妥協した形にはなったけど、アマサギに再会できたのはよかった。これも季節の風物詩として、毎年見たい風景の一つとなった。できたら、もう一度出向いて、ヒナの姿も見てみたいけど、コロニーとエサ場は別とすれば、アマサギのヒナを見るのは難しいだろうか。ヒナを見たければコロニーを見つけないといけない。夏前に行けば、婚姻色くらいは見られるだろうか。モリコロパークへ行くことがあれば、そのとき忘れずに寄ろう。
 とりあえず一つネタを拾って、今日も無事更新できた。明日はまた明日の分のネタ探しに出かけないといけない。自転車操業的なブログだ。漕ぎ続けないと倒れてしまう。次の雨降りまでにある程度まとめて仕入れてきたい。
 明日は少し青空が戻りそうだ。貴重な光を無駄にしないようにしよう。

雨の日のネタ探しについて考えながらバラ写真でつなぎ更新

花/植物(Flower/plant)
王子バラ園その2-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 バラのアップ写真を見たツレは、美味しそうだと言った。言われてみればそうかもしれない。砂糖菓子で作った花みたいで美味しそうに見えてくる。実際に食べたら決して美味しいものではないのだろうけど、どんな味がするんだろう。青臭い感じなのか、バラの香りがして意外といけたりするのか。今度、ものすごくおなかかが減って食べるものがなかったら食べてみよう。人生何事も経験だから、一生に一度くらいバラの花を食べてみるのも無駄じゃない。

 6月2日にして早くも梅雨入りして困ってしまった。完全なるネタ不足。スーパーの棚からバターが消えたように、私の写真在庫も底を突いた。バター不足でうなぎパイが作れなくて困ってるというけど、私も同じくらい弱っている。さて、どうしたものか。
 雨降りだと散策に行ける場所が極端に狭まってしまう。光がないと嫌だなんて贅沢なことは言わないから、せめて雨は一日おきくらいにしてくれないだろうか。ここ数年はカラ梅雨が続いたけど、今年はなんだか雨が多そうだ。例年通り7月20日まで梅雨が続けば、ひと月半以上ということになる。なんとか雨対策を考えなければいけない。
 今日も本当なら夕方守山歴史散策へ行く予定だったのに、雨で足止めを食ってしまった。一眼の場合、片手で傘を差して、片手で構えてシャッターを切るというのはかなり無理がある。ズーム操作も困難だし、マニュアルフォーカスのレンズなどは絶望的だ。背中に傘を縛り付けて撮るしかないけど、人目のあるところでは恥ずかしすぎる。そんなやつ見たことないし。デジの場合、水にはかなり弱いから、雨の日にあまり持ち出したくないというのもある。レンズも結露したら終わりだ。
 雨ならではの被写体もあるにはあるものの、あまり積極的な気持ちになれない。となると、室内系か。ただ、美術館、博物館は撮影禁止のところがほとんどだし、室内ものでネタ写真が撮れるところというのは案外少ない。
 雨の日撮影用のカメラレインコートみたいなのも売ってるから、あれを買うか。でも、街中でカッパを着て、カメラのレインコートで神社仏閣を撮ってる人ってどうなんだろう。その姿を客観的に見た図を想像すると、何かが間違っているような気がする。そんなことをしていたら、私自身が雨の日の格好の被写体になってしまう。激写された姿が誰かのブログに載るのはイヤだ。
 雨の日のネタ探しについては、明日以降いろいろ検討していく必要があるのだけど、今日のところは王子バラ園で撮ったバラ写真でつなぐことにする。もう一回分写真が残っていて助かった。
 前回も書いたように、名前プレートはメモ撮りしてこなかったから、名前は一つも分からない。バラの色と雰囲気を味わってもらおうということで、写真を並べることにする。

王子バラ園その2-2

 バラは黒バックもよく似合う。オレンジ色もムーディーな感じになる。

王子バラ園その2-3

 ピンク色はけばけばしい方に転ぶこともあれば、清楚で可憐な方に向かうこともある。ピンクは女性的な色ではあるけど、上手くつき合うのは難しい色だろう。ピンクが好きと口にするのはリスキーでもある。ピンク色が似合う女の人が好きな男もいれば、そうじゃない男もいる。
 ピンクをさりげなく着こなす男が好きという女性が案外多いらしい。スーツの下に薄ピンクのシャツを着られる男はそう多くない。一歩間違えると、完全に外すことになる。
 林家ペーパー夫妻くらい吹っ切れてしまえばいいんだろうけど。

王子バラ園その2-4

 淡いピンクといおうか、ベージュといおうか、とても上品な色だ。これを白系とするなら、白には無限とも思えるほどのバリエーションが存在する。白というのは最も可能性を持った最強の色かもしれない。

王子バラ園その2-5

 最初に一つも名前は分からないと書いたけど、これはカクテルだ。特徴があるから覚えていた。
 たまには青空バックで撮ってみた。バラと青空というのはあまり相性がよくないようだ。

王子バラ園その2-6

 バラの美しさの秘密はグラデーションにあると気づいた。芯に近づくほど色が濃くて、それがぼやけるように外に向かうほど色が薄まっていく。陰影によっても色の深みが増す。そういうふうに見えるように花の形を改良していったというのもあるだろう。

王子バラ園その2-7

 開きすぎのピエール・ド・ロンサールかもしれない。これの美しい時期は本当にきれいで、カップ咲きのバラの中では一番好きだ。自分が何か一つバラを育てるとしたら、迷うことなくこれを選ぶ。

王子バラ園その2-8

 バラの花の構造はよく知らない。雄しべと雌しべがあるのかなというくらいで、他の細かい部分に関しては無知だ。
 中心の方は閉じているのが多いけど、あれでも虫は入ることができるんだろうか。どんな虫が主に受粉の役割を果たしているんだろう。バラ園に行ってあまりハチ類などは見かけないし、蝶が蜜を吸っている姿もちらほらくらいで大活躍しているというふうでもない。バラの種というのも実物を見たことがないし、近いうちに一度、バラについて基本的な部分を勉強しないといけない。

王子バラ園その2-9

 花のつき方がちょっと珍しいかなと。大きな花でこんなに混み合って咲くバラはあまり多くない。バラは気高く一輪で凛と咲いている印象が強い。

王子バラ園その2-10

 これもまた、ピンクバラのバリエーションの一つ。
 バラの縦撮りも、もっとチャレンジしていかないといけない課題だ。中心をどこに置いて、どれだけ余白を作るかがポイントになる。

王子バラ園その2-11

 外国産ワイルドフラワーの小径。さほど広くないけど、王子バラ園にもワイルドフラワー畑がある。
 これまで見た中で一番印象的だったワイルドフラワー畑は、名古屋港のブルーボネットだ。あれは、ワァーっとなった。花フェスタの池周りもよかった。

王子バラ園その2-12

 王子製紙のバラ園だから、王子バラ園。
 かつて工場の煙突から出る煙は公害の象徴的な光景だったけど、最近はかなりきれいになったと言われている。煙突というのは21世紀ではノルタルジックな風景に感じられるようになった。

王子バラ園その2-13

 そうえばバラ園の隣は桜並木だったんだと、5月に訪れるたびに思い出す。桜の季節には一度も訪れたことがないから、ここで桜を見たことがない。来年、忘れなければ4月に桜を見に来よう。
 王子バラ園のバラは、10月にもう一回行けたらいいと思っている。秋バラは小さくて数も少ないけど、姿は春バラよりも美しいものが多い。菊雄さんのバラが好きになったのも、秋バラできれいな姿を見てからだった。10月を楽しみにしておこう。

 明日からは雨の日の被写体探しだ。屋外で雨の中でも撮れるものを狙うか、撮影可能な室内ものを見つけるか、カメラレインコートを買うかという三択になる。どれかを選択するというよりも、3つを組み合わせていかないとひと月半は乗り切れないかもしれない。もしくは、合間の晴れの日を狙って一気にネタをかき集めるかだ。朝一から12時間の電車の旅を決行するしかないか。
 いずれにしても、雨とケンカしても勝てないから、なんとか仲良くなる方法を見つけ出したいと思う。今年の梅雨のテーマは、できるだけたくさんの雨の日写真を撮るというものにしよう。梅雨は来年以降も毎年やって来るのだから。

変化球料理人の自覚と紀元前の焼き菓子に出会ったサンデー

料理(Cooking)
変化球サンデー

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8



 私の作る料理は、130キロそこそこの真っ直ぐと、120キロのスライダーと、100キロちょっとのカーブでかわすピッチングをする2線級の変化球ピッチャーみたいだ。しかも、ノーコンときている。特別美味しくなくても、味が安定していればまだましだけど、作ってみるまでどこへいくか分からないというのは困ったものだ。料理の出来は料理に聞いてくれ。
 趣味の料理を始めてかれこれ2年以上経った。多くても週に1回ではなかなか上達は望めないにしても、そこそこ回数を重ねてきて、そろそろ自分の実力を思い知ってきている。どうやら私には、140キロ代後半のストレートを外角低め一杯に決める実力はないようだ。こうなったらもう、変化球料理人として生きていくしかない。
 という自覚の元で、今日は変化球料理3本勝負を挑んでみた。ピザ風ギョーザのトマトソース、マグロ入りの玉子丼上の具だけ、豆腐お好み焼きめんつゆ味の3品。パームボール、ナックル、シンカーみたいな料理だ。これぞ私の真骨頂と言えるかもしれない。

 ギョーザの具は、ジャガイモをつぶしたもの、キャベツ、タマネギ、卵、チーズで、トマトソースはニンジン入りのものを作った。ケチャップ、しょう油、ソース、唐辛子、コンソメの素、砂糖などを使って、やや甘めの濃い味付けにしてある。
 ソースの味はよかったけど、ギョーザの食感がやや固めだった。もう少しふんわりと仕上げられたらよかった。
 右手前は玉子丼にマグロを加えたものというか、マグロに卵とじをかけて焼いたものというか、かなり意図とは違ったところにいってしまったけど、結果オーライだった。これは上手く作ればもっと美味しくなる可能性を感じた。
 マグロの切り身に塩、コショウで下味をつけて、酒をまぶし、溶き卵に長ネギ、タマネギ、牛乳、塩、コショウ、ダシ、しょう油、みりん、砂糖、酒を混ぜて、フライパンで蒸し焼きのようにする。本当はもっと半熟にする予定が失敗、卵が固まりすぎた。
 最後の刻み海苔がけっこう効いて、これで玉子丼風味が強くなる。
 豆腐お好み焼きは、わりとありがちな分、無難な味だ。でも、お好み焼きのソースではなく、あえてめんつゆ味にしてみた。そちらの方が夕飯のおかずとしては合うから。ここをソース味にしてしまうと、他のものとの兼ね合いでバランスを崩しそうだった。
 豆腐は水切りせず崩してしまって、キャベツ、卵、ダシ、小麦粉、カタクリ粉、塩、コショウを混ぜて、フライパンで焼く。味付けは、しょう油、酒、みりん、めんつゆでつける。
 仕上げとして、青のりとかつお節をまぶせばできあがりだ。普通のお好み焼きよりもフワフワの柔らかい食感になる。小麦粉アレルギーの人は豆腐だけで作ることもできる。

 料理としての出来は、まあこんなもんだろうという仕上がりだった。どうにか変化球でかわして1イニング0点に抑えたという感じだ。勝ち負けはつかず。
 私のライバルは、レストランのシェフでも、家庭の主婦でもなく、ファミレスだ。そのことも最近分かってきた。ファミレスのメニューは、どれも飛び抜けて美味しいわけではないけど、とても安定感がある。4人目のローテーションピッチャーのように、一定の役割を全うする。変則ピッチャーの私としては、先発三本柱に食い込もうとするのは無理がある。だから、なんとかファミレスに勝つしかないのだ。コンビニ弁当には負けられない。
 変化球料理人をはっきり自覚できたのは、一つの成長だろう。今までは自分の実力を測りかねている。分かったからには、今の路線で上を目指すことになる。普通の料理を基本通りに美味しく作っても面白くないという性格的な問題もある。
 そんなわけで、これからも変化球料理を磨いていこうと思う。誰も思いつかなかった珍料理を作るのが目標ということになるだろうか。大リーグ料理養成ギブスを体に装着して、いつか魔球料理をマスターしてみせる。

スコーン焼き前

 今日のもう一つの話題は、スコーン作りだ。しかし、今となってみると、私が作ったものはスコーンでも何でもなかったということを私は知っている。スコーンを作ったことがある人にしてみたら、上の写真を見ただけでこれはスコーンじゃないと気づくはずだ。スコーンといったら小池屋のスコーンだろうと思った人、それはまた話が別なのです。私が作ろうとしたのは、カリッとサクッと美味しいスコーンではない。
 スコーンの定義はちょっと曖昧なところがあって、こういうものだとはっきりしているわけではない。スコットランドを起源とするビスケットのようなもので、小麦粉や大麦粉にベーキングパウダーとバター、牛乳を混ぜて生地を作ってから焼くというのが基本となる。一般的にはイギリスでよく食べられている焼き菓子という認識でいいと思う。
 アメリカでは同じものをビスケットと呼ぶことが多く、砂糖を入れて甘くするのがスタンダードのようだ。イギリスではプレーンタイプが主流で、ジャムやハチミツを塗ったりして、紅茶と一緒に食べるらしい。
 私のスコーン作りは、二つの致命的なミスをやらかした。一つは砂糖を入れ忘れたことで、もう一つは生地作りの間違いだ。
 焼き上がって一つ食べたとき、あれ、味がしないなぁと思って、そのとき初めて砂糖を入れ忘れたことに気づいた。自分で自分のうっかりぶりにのけぞった。
 生地に関しては、こねくり回しすぎたのと、寝かせ時間が長すぎたというのがあった。どれくらいこねればいいか分からないまま、うどん並みにこねくった結果、必要以上の腰というか固さを生んでしまったのだった。サンデー料理と同時進行していたから、生地の完成から焼き始めまでに3時間くらい間が空いてしまって、これも悪い結果を生む要因になった。あと、本来は生地を伸ばして二枚に重ねて型を抜くことで二枚重ねになるというのがスコーンの基本形なのに、そのことは焼き上がってレシピを復習しているときに気づいたのだった。
 これだけミスを重ねればまともなものができるはずもなく、出来上がったのが下のシロモノだ。

スコーンもどき

 固い、パサパサ、味がしないの三重苦。紀元前のエジプトで作られていたお菓子だと説明されて出されたとしたら、なるほどこれがねぇと深く納得してしまうような焼き菓子だ。素朴を絵に描いたようなクッキーで、戦後の子供でも喜ばない。
 本場のスコーンというのがどんなものなのかは知らないけど、これをイギリス人に食べさせたら顔をしかめるんじゃなかろうか。いや、イギリス人ならこれでも美味しいと言うのだろうか。
 とりあえず固いパンだと思えば食べられる。よく噛んでるとほのかな味わいもある。口の中の唾液を全部持っていかれるけど。
 ハチミツをつけて、飲み物と一緒に食べたらけっこういけた。イギリス人がそうしてるというのなら、あるいはこれは本場のスコーンに近いものなのかもしれない。レシピの粉などの分量を見ても、どう上手く作ってもケーキやクッキーのようにふんわりとはいかないんだと思う。粉が多くて、卵やバターの分量が少ない。
 けどこのスコーンというやつ、美味しいか美味しくないかといえば、そんなに美味しくないものなんじゃないか。普通にクッキーを作った方が美味しい気がする。少なくとも私は、紀元前の焼き菓子よりも現代のケーキの方が好きだ。
 ただ、一度の失敗で懲りてしまうのも悔しいから、もう一回挑戦したい。次はちゃんとレシピを忠実に再現して、正確に作ってみよう。砂糖を入れ忘れないようにしなければ。
 次こそ本物のスコーンと私は出会えるだろうか。出会えたら、またここで紹介したい。これがスコーンだと自信を持って。

花鳥園新シリーズ最終回は残り写真には福があるかないか

動物園(Zoo)
花鳥園最終回-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今日で花鳥園新シリーズも最終回となった。あと2回分はあるかと思っていたのだけど、写真を整理したら2回には足りなかったから、1回にまとめてこれで完結とする。結局、今回は5回シリーズということになった。花鳥園も三度目だから、まあこんなものだろう。
 最後は残っていた写真を全部出すということで、ノンジャンルになる。登場する鳥たちも、お馴染みのものがほとんどだ。まずはコガネメキシコインコからいってみよう。
 広い温室の中を、突然群れで飛び立つコガネたち。かなりのスピードで、ときに人の頭の上スレスレに飛んでいくから、ちょっとびっくりする。
 すごくうるさく鳴きながら猛スピードで飛んでるから、何か怒ってるみたいに感じる。いらついてるのか、嬉しくて騒いでいるのか、実際のところは分からない。狭いカゴの中で暮らすことを思えば、これくらい飛ぶスペースがあれば、ある程度のストレス解消にはなるだろう。
 でも、どういうきっかけで飛ぶのかはさっぱり分からない。写真を撮ろうと飛ぶのを待っていると、まったく飛んでくれない。何の前触れもなく、ふいにわぁーっと飛び立つから不思議だ。

花鳥園最終回-2

 夕方の閉園間近の時間になると、インコたちにとってのエサの時間となる。エサ箱にエサをいれてもらって、みんな一斉にたかっている。人があげるエサだけでは充分ではないのだろうし、要領のいいやつばかり満腹になって、人に慣れてないやつは腹ぺこのままということになってしまう。
 通常は50円や100円で買うカップのエサも、夕方になると無料になってあげ放題になる。そのときは普通にエサをもらってるから、あまりこっちまでは来てくれないのだけど。

花鳥園最終回-3

 花鳥園のページに載っていた、こいつがベイビーか。スタッフの人に尋ねたらそうだと教えてくれた。ただ、サイトでは、このオオホンセイインコは飼い主が買えなくなって花鳥園で引き取ることになったやつで、1羽しかいないと書いてあったのだけど、よく似たインコが他にも2羽くらいた。あれは何だったんだろう。同じ種類のやつが入ってきたのか、似てるやつは違う種類だったのか。
 きみはベイビーですか? と訊いてみたところ、ゴニョゴニョと口ごもってはっきり答えてはくれなかった。おしゃべりはあまり得意ではないらしい。
 南アジアやアフリカに生息する中型のインコで、日本では1970年代に一時流行って、その後逃げ出したり放したりしたものが野生化して街中を飛び交っていたそうだ。最近はいなくなったようだから、繁殖して日本に定着するまでには至らなかったのだろう。

花鳥園最終回-4

 これはたぶん、初めて見た。名前は知らない。ヒヨドリの黒バージョンみたいな感じで、なかなか立派な尾っぽをしている。

花鳥園最終回-5

 この日は暑かったから、アヒルたちも日陰に逃げ込んで休んでいた。こいつらだけでなく、日陰という日陰にアヒルやカモたちが座り込んでいる姿はけっこう笑えた。アヒルたちも暑いのは嫌なのだろう。夏場は大変だ。

花鳥園最終回-6

 ホオジロカンムリヅルは相変わらずパンクヘアで目が点だった。頭の上はリーゼントっぽい。首からは赤シャツがのぞいてるし、完全に不良ファッションだ。
 ツル舎にはたくさんのツルがいるのに、ここは花鳥園で一番の不人気スポットとなっている。ほとんど誰も寄りつかず、ツルたちも人に関心を示さない。そして、やたら大声でわめき散らしている。ツル舎の中では決して安眠できないだろう。
 ホオジロカンムリヅルはアフリカのサバンナに生息していて、ウガンダの国鳥になっている。国旗にも描かれているくらいだから、ウガンダでは大事にされている鳥なのだろう。ウガンダに関する知識はほとんど皆無に近いし、一生ウガンダに行くことはないと思うけど、ホオジロカンムリヅルを見たときくらいはウガンダに思いを馳せたい。

花鳥園最終回-7

 ケープペンギンはプールでいつものんきそうに泳いだり、岩の上で遠くを見たりして一日を過ごしている。
 ペンギンにもエサをあげることができるし、ペンギンをだっこして写真が撮れるのは全国的にみても珍しいんだそうだ。
 ケープペンギンは名前の通り、ケープタウン近くの海岸沿いにいるやつらだから、暑さ寒さに強い。ペンギンというと寒いところにいるイメージがあるけど、実際にはほとんどのペンギンは暖かい地域に暮らしている。
 日本人の感覚からすると勘違いしてしまいがちなのは、アフリカはどこも熱帯という思い込みだ。アフリカ大陸は、赤道を離れて南へ行くほど寒い地域ということになる。南のケープタウン近くは、夏と冬がはっきりしたところだから、ケープペンギンも日本で暮らしていけるというわけだ。

花鳥園最終回-8

 これは何フクロウだったか。ふれあいゾーンにいたやつで、どこか遠くをにらみつけていた。
 フクロウの目玉は大きく分けて2種類あって、真っ黒な瞳と、光彩だけ黒いタイプがいる。光彩の大きさはよく変化するので、こちらの方が意志を読み取りやすい。
 この目の強さが鳥の域を超えて獣を感じさせる部分だ。

花鳥園最終回-9

 人気者のポポちゃんと同じ場所にいながら、ほとんど注目を浴びることがないアメリカオオコノハズクの十三さん。オレのことはほっといてくれとばかりに、いじけてふてぶてしい態度を取っている。アウトローなおっさんみたい。
 毎日、まいにち、ポポちゃん、ポポちゃんって、こいつらうるせえな、なんて思ってるかもしれない。

花鳥園最終回-10

 フクロウさん。日本にもいるフクロウがこいつだ。庄内緑地でも見た。
 フクロウってよく見ると面白い模様をしている。フクロウの柄をした頭巾をすっぽりかぶって、顔だけ出してるみたいだ。防寒着を着込んだおかみさんみたいでもあり、ちょっとキャディーさんっぽくもある。ダルマのようでもあり、つぶらな目を見ていたら泉谷しげるが思い浮かんだ。

花鳥園最終回-11

 これはメガネフクロウだっけな。目を閉じているのと、ちょっと横を向いてるから分かりづらいのだけど、たぶんそうだと思う。目の周りの白いふちどりがメガネみたいだということなのだろう。
 私たちが帰ろうとしていた閉園前の5時は、フクロウたちにとってエサの時間で、冷凍ヒヨの解凍されたものが与えられていた。ただ、誰も手をつけていなかったから、食事の時間は人がいなくなって、暗くなってからなのかもしれない。
 ヒヨを丸呑みするんだから、やっぱりフクロウは紛れもなく猛禽類だ。

花鳥園最終回-12

 これも黒瞳タイプのクロワシミミズク。
 アフリカの森林にいる大型のフクロウで、体長は60センチくらいになる。
 顔がなんとなく猿っぽい。まぶたがピンク色なのがチャームポイントだ。

花鳥園最終回-13

 たぶんオオコノハズクだと思うんだけど、ある一人のスタッフに対してやたら挑発的な態度を見せていた。私たちや他の人が通りかかっても無反応なのに、何故か一人のスタッフに対して威嚇をする。自分より格下の敵と見なしているらしい。
 見てる分には面白かったけど、こいつにとってはストレスになりそうだ。

 今回の花鳥園写真はこれにて完結となった。また半年もしないうちに行くことになるかもしれない。そのときは違うテーマで臨みたい。
 鳥好きじゃなくても楽しめるところなので、機会があれば一度行ってみてください。