月別:2008年05月

記事一覧
  • 曇天だから散策はやめて暮らしの中の日常写真を撮って並べてみよう

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 + Canon EOS 20D+90mm f2.8 晴れたら夕方散策に出かけようと思っていたのに、見上げる空は曇天の灰色。一時的に日差しが戻ったと思ったら、またすぐに太陽が隠れてしまった。晴れていたら植物園へ行く予定だったけど、光がなければ面白くない。神社仏閣巡りも、光があるとなしとでは写真が全然違ってくる。どこへ行こうか、行こうかどうしようか迷っているうちに時間がなくな...

    2008/05/31

    室内(Room)

  • 撮影自由度が高い花鳥園は何度行っても撮るものがたくさんある

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8「しろくじゃく」を変換したら、「白く弱」になった。最近、ATOKのアホさ加減にちょっとイラっとすることが多い。 それは置いておいて、今日はまた花鳥園シリーズに戻ろうと思う。若干ネタ切れ気味というのはあるのだけど、花鳥園ネタを小出しにして引き延ばすよりも、一気に終わらせてしまった方がいいような気がして、なるべく優先させていくことにした。 今日は、ふれあいの小道で触れ合え...

    2008/05/30

    動物園(Zoo)

  • 去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本

    PENTAX istDS+PENTAX 18-55mm f3.5-5.6 これまで東京の有名な神社についていくつか紹介してきた。有名どころはかなり行き尽くした感がある。けれど、よくよく調べてみると、東京十社にしても、別表神社にしても、ポツリ、ポツリと抜けているところがあって、まだまだコンプリートには遠い状態だ。これから巡る予定の神社をざっと書き出してみると、軽く20を超える。マニアックなところでは、平将門の首や手足や胴体、兜、鎧などを...

    2008/05/29

    東京(Tokyo)

  • 王子バラ園まで遅刻してしまったけどいいとこ撮りの怪我の功名

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 今年は季節の花にずっと遅刻続きで、バラから建て直そうと思ったのに、バラにさえ置いていかれてしまった。よもやの出遅れ。花期が長いバラとはいえ、10日以上も遅れたら致命的だ。なんとか大丈夫でありますようにと願いながら行った春日井の王子バラ園は、遅刻常習犯の私を待っていてはくれなかった。バラよ、おまえもか。 今年は特に早かったようで、ピークは5月15日くらいだったそうだ。27...

    2008/05/28

    花/植物(Flower/plant)

  • 掛川花鳥園の人気者トップスリーそれぞれの近況報告

    Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8 好物のブドウをもらって、うっとりしながら食べるアンソニー。いい表情だ。 足でブドウを掴んで、器用に皮をむいて中身だけ食べる。むいた皮はそのへんにペッペッと吐き捨て、最後は種も出して完食。終盤は片足立ちが長引いて立っている足がプルプル震えていたけど、それでも食べるのに夢中で気にしていない様子だった。そんなにブドウが好きだったんだ、アンソニー。許されるものなら、ブド...

    2008/05/27

    動物園(Zoo)

  • 寿司ネタサンデーは他の2つのネタと合わせ技で一本

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 今日のサンデー料理は、寿司ネタサンデーだった。先週がマクドナルドサンデーで、その前に回転寿司スシロー前哨戦としての半生サンデーというのがあった。今回はその組み合わせともいえるような、半生寿司ネタ海鮮料理となった。 メニューは、回転寿司のネタ写真を見て、何の食材を使うかそこから選んだ。まずは基本中の基本としてマグロははずせない。次に何が食べたいかと考えたとき、久しぶり...

    2008/05/26

    料理(Cooking)

  • 飛びものはやっぱり難しいと思い知る三度目の正直ならず花鳥園

    Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8 今日も昨日に引き続き花鳥園ネタとなる。新シリーズ第二回は飛びもの特集だ。 花鳥園では一日に3回、フクロウやタカなどの飛行ショーが行われていて、これも呼び物の一つとなっている。私が初めてここのことを知ったとき、タカが飛んでいるところを撮ってみたいと思ったのが行くきっかけになった。 通常は室内でのフクロウ飛行ショーが1回と、屋外でのファルコンショ...

    2008/05/25

    動物園(Zoo)

  • ベビーたちに会うために三度目の花鳥園へ開園から閉園まで

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8 5月は鳥のベビーラッシュの季節。掛川花鳥園でもいろいろなヒナが生まれている情報を掴んだ我々は、三度目の掛川花鳥園に向かった。 今回も当然のように開園から閉園までしっかり楽しんできた。私たちが出たあとすぐに門が閉まったから、最後の客だったようだ。居座りすぎ。 また写真をたくさん撮ってきたので、しばらくは鳥写真の割合が多くなる...

    2008/05/24

    施設/公園(Park)

  • 5月の小堤西池はカキツバタだけじゃなく田園風景としても魅力的

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4 5月の小堤西池といえばカキツバタの季節であることは間違いないのだけど、ここは春から秋にかけて、いろんな生き物や花を見ることができる魅力的な場所でもある。基本点的に田んぼの一角なので、古き良き日本の風景といった一面を持っている。この時期は端境期でやや花などは少なくて、虫たちもまだ姿を見せなくて寂しいものの、遠く近くに被...

    2008/05/22

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 小堤西池のカキツバタは四年連続四回目の時期はずれで唖然呆然

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4 二度あることは三度ある。三度目の正直。仏の顔も三度まで。四度目という言葉が入ったことわざは知らないから、なんと言っていいか変わらない。仏の顔も四度目には鬼となるのか。 小堤西池へカキツバタを見に行くのは、今年で四年連続四回目となる。2005年は5月の10日に行って、勇み足。まだ二分咲きだった。2006年は満を持したつもりの29日...

    2008/05/22

    花/植物(Flower/plant)

  • 岡崎城と家康の前半生について長々と書いたから読むのは大変注意報

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 ブログが散策に追いついたと思ったら、まだ岡崎城が残っていた。ネタ切れで過去の在庫写真を漁っていたら出てきた。行ったのは桜の季節だから、もうひと月半も前のことになる。書くのをすっかり忘れていた。 岡崎城へ行ったのはこのときが二度目で、最初にしっかり見て回ったからほとんど新鮮さはなかった。桜見物のついでということで、今回は天守閣にも登らず、周囲を歩いただけだった...

    2008/05/21

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 天王川公園周辺で津島編が完結して更新が散策に追いついた

    PENTAX K100D+smc Takumar 28mm f3.5 津島の藤に続いて本町シリーズも終わって、天王川公園周辺の写真が余った。本編に入らなかった写真を集めてみたらけっこうあったので、それをまとめて一回分のネタにしてしまおう。捨て置くのはもったいない。 天王川公園は、天王川をせき止めて作った丸池を中心とした公園で、名前もそこから来ている。天王川という地名ではない。かつては川が町の中心を流れていた。 丸池の横には川の名残...

    2008/05/20

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • マクドナルドサンデーは思ったよりも普通に夕飯として成立した

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 今日のサンデー料理は、マクドナルドもどきサンデーとなった。何故そうなったのかは、自分でもよく分からない。特に何かきっかけがあったというわけでもなく、マクドナルドのメニューを料理に流用するとどんなものができるんだろうという思いつきから始まった。 結果としては、マックといえばマックだし、そうと言わなければ気づかないくらいのもどき料理になった。例によって思惑通りにいかない...

    2008/05/19

    料理(Cooking)

  • 煙突と斜陽の似合う津島市本町は寺社の密集地帯でもある <後編>

     昨日の前編に続いて津島のレトロ町、本町についての後編をお届けします。 本町のたたずまいには、銭湯の煙突がよく似合う。遠くを見ると何本か立っている。まだ営業してるのだろうか。 昭和30年代、40年代が銭湯のピークだった。家庭用の風呂が普及するにつれて銭湯はすたれていき、下駄をカラコロ鳴らして赤い手ぬぐいをマフラーに風呂桶を持って銭湯通いなんて光景も、今は昔の今昔物語だ。 それでも、銭湯が絶滅の危機に瀕...

    2008/05/18

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 知られざる魅惑のレトロ町、津島市本町を散策する <前編>

     名古屋の西に位置する津島市の一角にレトロな町並が残っている。天王川公園の東側の下街道エリアと、天王通りを挟んで北側の上街道エリアで、本町筋(ほんまちすじ)と呼ばれる本町1丁目から3丁目にかけてだ。名鉄津島駅と津島神社を結ぶ天王通りの間といった方が分かりやすいだろうか。 つい最近、この町の存在を知って、天王川公園の藤を撮りにいったときに歩いてきた。なかなか魅力的な町並みだったので紹介したい。 町並保...

    2008/05/17

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 手抜きじゃないけど今日はカルガモや花なんかの軽いネタを

    PENTAX K100D+SIGMA 400mm f5.6 5月に入って、各地からカルガモの赤ちゃん誕生の便りが届き始めた。モコモコの毛並みをしたカルガモのチビがお母さんのあとについてヒョコヒョコ歩いている姿は、初夏の風物詩としてだいぶ定着してきた。皇居に引っ越しをするカルガモの親子のニュース映像を見たことがある人も多いんじゃないだろうか。 あれは、三井物産のプラザ池という人工池で生まれた赤ちゃんが、皇居のお堀に引っ越すシーン...

    2008/05/16

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 早朝の光の中で見る名古屋駅の風景は新鮮で少し非現実的だった

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 名古屋駅の朝5時半。東京とは違い、まだ街は完全に目覚めきっていない。道行く人もまばらで、車も時折思い出したように通りすぎるだけだ。何より、とても静かだ。夜が早いといわれる名古屋は、朝も遅い、よく眠る街だった。 家に帰るためのバスも地下鉄も、6時を過ぎないと動き出さない。それまでの30分間、ぼんやり途方に暮れているのも能がないということで、名古屋駅周辺の写真を撮る...

    2008/05/15

    名古屋(Nagoya)

  • ナンジャタウンについて私が紹介できることはさほど多くない

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 やや及び腰で出向いていった、池袋サンシャインにあるナンジャタウンなるもの。その存在を知ったのはわりと最近のことで、各地のギョーザを集めたギョーザのテーマパークがあるとテレビでやっているのを見たのが初めてだった。 ツレと一度行ってみようかという話になって、公式サイトとかを見てみたのだけど、今ひとつどんなところかよく分からない。「思い出とときめきのテーマパーク」...

    2008/05/14

    施設/公園(Park)

  • 出番の少ないα-7Dを持って相性のいい矢田川へ行ってみると

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+TAMRON 28-200mm f4.5-5.6 ここ最近、α-7 DIGITALの出番がまったくなかった。レンズを買い揃えられないまま時が流れ、このままではたいして使わないうちに手放すことになってしまいそうだったので、久しぶりに持ち出して帰りに矢田川に寄ってきた。 渡りのカモたちはもう北へ帰ってしまったし、夏鳥はこんなところにやって来ないし、特にこれといった被写体は思いつかなかったのだけど、行ってみれば...

    2008/05/13

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 早朝5時半から7時半までの東京の街を歩く -激闘・河口湖前哨戦

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 激闘・河口湖編は、早朝の5時半、東京駅前から始まった。 5時半といえども当たり前のように電車が動いている東京だから、交通手段には困らない。ただ、この時間から行ける場所というとさすがに限られている。店は別にして、施設は開いてないし、お寺だってまだ閉まっている。開いているところといえば、神社くらいのものだ。 まず向かったのは人形町。特に何があるというわけではないけ...

    2008/05/13

    東京(Tokyo)

  • アイディア不足とカステラ噴火の母の日サンデー

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 5月の第二日曜日は母の日だ。母の日にちなんだサンデー料理を作ろうと思って、いろいろ調べたり考えたりしたのだけど、いいアイディアが浮かばなかった。カーネーションは食えないし、何かの食材でカーネーションを作ったところでそれがメインのおかずになるわけでもない。他に母の日を象徴するものが何かあるかというと、これがない。キャラ弁のように母の顔の似顔絵を料理で作ってる場合でもない...

    2008/05/12

    料理(Cooking)

  • 安曇野の歴史巡り編で長かった松本・安曇野シリーズはようやく終了

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 松本・安曇野行きは、滋賀巡りの更に前、4月6日のことだった。あれから今日までの間にいろんなネタが挟まって、安曇野を完結できないでいた。ここへきて、ようやく一段落して、過去の取りこぼしを拾いに戻ることができている。昨日は滋賀巡りを完結させたから、今日は松本・安曇野編を終わらせてしまうことにしよう。 松本についてはほぼ写真も出し切ったし、書くことも書いた。残っていた...

    2008/05/11

    観光地(Tourist spot)

  • 10時間も歩けばその町の魅力を知ることができる ~滋賀巡り総集編・後編

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 彦根の町巡りは、期せずして寺巡りの様相を呈した。ちょっと歩くと寺に当たる。歩いた場所がたまたま寺の多いところだったというのもあるのだろうけど、それにしても寺密度が高かった。 ただし、今回は時間もなくて、前を素通りしただけだった。寺の名前も分からないものがほとんどだ。有名なところもあったのかもしれない。 上の写真もなかなか趣のある三門を持ったいいお寺さんだった。...

    2008/05/10

    観光地(Tourist spot)

  • 心に引っかかっていた記憶が思い出にかわるまで ~滋賀巡り総集編・前編

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS 滋賀の歴史巡りをしたのは4月10日のことだったから、あれからもうひと月になる。時間が経ったような、そうでもないような、なんとなくはっきりしないのは、滋賀編を終わらせていないせいかもしれない。だから、気持ちのどこかに滋賀のことがずっと引っかかっているのだ。 今日は滋賀歴史巡りの残った写真を前後編に分けて総集編として紹介して、きっちり完結させることにした。そうすれば...

    2008/05/10

    観光地(Tourist spot)

  • 今年も大遅刻だった津島天王川公園の藤はもう5時間目の最中あたり

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5 ゴールデンウィーク後半は必要以上にのんびりしてしまったから、連休明けからはしっかり動こうと思っていた。第一弾は、津島市の天王川公園の藤と決めていた。 去年行ったのは5月9日で、完全なる大遅刻だった。6時間目の授業半ばという感じで、おまえ今頃何しに来たんだと藤に突っ込まれてしまうくらいの遅れっぷりだった。今年は藤まつりが終わった翌日の7日(昨...

    2008/05/09

    花/植物(Flower/plant)

  • 富士山のお見送りで河口湖本編は終了 -激闘・河口湖編<第七回>

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 4月の終わりといえば、名古屋や東京では初夏の入り口という時期なのに、富士山の麓である河口湖ではまだ春まっただ中だった。少し前までソメイヨシノが咲いていたくらいだから、名古屋でいうと4月のはじめあたりに相当するだろうか。一ヶ月とはいわないまでも、3週間くらい季節が戻った感じだった。菜の花が見頃で、ああ、春だねぇと思うのだった。 これは、...

    2008/05/08

    観光地(Tourist spot)

  • 河口湖番外編第一弾は乗り物やら建物やら -激闘・河口湖編<第六回>

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は河口湖の番外編。1回におさめるには微妙に枚数が多くなったので、二本立てにして一気に終わらせる。本編に入り切らなくて、そのまま捨ててしまうにはもったいない写真を集めて並べておきたい。 まだ河口湖編の延長戦としてナンジャタウンと早朝名古屋編があって、プロローグとして早朝東京編があるから全体としてはまだもう少し続くのだけど、河口湖本...

    2008/05/08

    観光地(Tourist spot)

  • 富士には富士桜がよく似合うと言いたかった -激闘・河口湖編<第五回>

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 富士御室浅間神社の流鏑馬を見たあと、1時間かけてよろめくような足取りでなんとか河口湖駅に帰り着いた我々は、創造の森行き最終バスに乗り込んでやれやれと思ったのもつかの間、チケットは駅の窓口で買ってくださいと言われて大あわてで駅まで走り、窓口のお姉さんからチケットをひったくるように受け取って、大急ぎでバスまで戻るというてんてこ舞いぶりを...

    2008/05/07

    観光地(Tourist spot)

  • 朝っぱらから亀戸天神で藤を見る -激闘・河口湖編はここから始まった

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 河口湖へ行った日は、朝っぱらに東京に着いて、出発までしばらく時間があったので亀戸天神(かめいどてんじん)へ行くことにした。一度行きたいと思っていた神社でもあり、ちょうど藤が満開の時期でもあった。ここは江戸の昔から藤名所としても知られたところだ。 激闘・河口湖編は、実は早朝6時の亀戸天神からすでに始まっていたのだ。今日は亀戸天神について書きたいと思う。 日本全国...

    2008/05/06

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • スシローへ行くために生もの再チャレンジだ半生サンデー

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II ゴールデンウィークだからゴールデンな料理にしようとか、明日は5月5日だから子供の日サンデーにしようとか、あれこれ考えて結局普通のサンデーになった。料理で鯉のぼりを作ったりするのが面倒だったから。鎧兜の料理なんてのも頑張ればやってやれないことはないのだろうけど、今日はそこまで気力が充実していなかった。せっかくだからちまきくらいは作って食べてもよかったかもしれない。あれは...

    2008/05/05

    料理(Cooking)

  • ホーム
  • 次 ›

曇天だから散策はやめて暮らしの中の日常写真を撮って並べてみよう

室内(Room)
日常写真-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 + Canon EOS 20D+90mm f2.8



 晴れたら夕方散策に出かけようと思っていたのに、見上げる空は曇天の灰色。一時的に日差しが戻ったと思ったら、またすぐに太陽が隠れてしまった。晴れていたら植物園へ行く予定だったけど、光がなければ面白くない。神社仏閣巡りも、光があるとなしとでは写真が全然違ってくる。どこへ行こうか、行こうかどうしようか迷っているうちに時間がなくなってしまった。散策は来週に延期だ。
 そこで今日はいつもと趣向を変えて、暮らしの中で撮った日常写真を集めて並べてみることにした。こういう写真は最近あまり紹介してなかった。

日常写真-2

 今日作っていた守山区の神社仏閣・歴史巡りの手製マップ。これだけ一度に回ろうとしたら大変だけど、2回か3回に分ければ回れるだろう。たぶん来週行くことになると思う。
 守山区の北ゾーンは、馴染みのある場所が限られていて、知らないところは全然知らない。歴史散策の見所を調べていて、こんなにもあったのかと驚いた。このあたりは古墳もたくさん見つかっている場所で、かなり昔から人が住んでいたようだ。その流れで、神社仏閣も多い。また行ってきたら、詳しく書こうと思う。

日常写真-3

 PC周りはこんな感じ。最近は黒で統一している。PC関連が白系だとなんとなく落ち着かない。
 マシンはIBMのNetvista、モニタはEIZOの液晶、キーボードはお気に入りのELECOM TK-P2109JPWB。マウスはMicrsoftの5ボタンで、これも黒。
 ミネラルウォーターはたまたま買ったもので、いつもこれを飲んでいるわけではない。気休めと分かっていても酸素入りのものが好きだ。飲むとシャキッとするような気がするから。まず気のせいだと思うけど。

日常写真-4

 最近、雑誌というものをまったく買わなくなった中で、唯一買ってるのが月刊テレビガイドの「TV Taro」だ。ネットで無料の番組表があるから一時買わなくなったのだけど、それだと見逃す番組が増えたので、やっぱり毎月買うことにした。紙媒体というのも、まだまだ捨てがたいものがある。
 観るか録画する番組を蛍光ペンで囲って忘れないようにしている。でも、よく忘れる。

日常写真-5

 ビデオデッキは消耗品だから、中古で安く買って、不調になったら売るというのを繰り返している。一時自分で修理することを趣味としていたけど、最近は面倒になってやってない。前は電源部のコンデンサ交換とかもやっていた。
 高級デッキはもったいないからもう買わないようにしている。VictorのX-3とか好きだったけど。
 今は丈夫なパナソニックを録画専用に使って、再生を東芝や三菱に担当させている。巻き戻しは日立に限る。巻きムラが一番少ないのが日立だから。

日常写真-6

 梅雨時が近づくと、ワッと咲いてくるイソトマ。咲き方はちょっと雑然としているけど、花は涼やかできれいな青紫だ。
 原産がオーストラリアというのは少し意外だった。でも、和製ではないとは思う。
 豪州の乾燥地帯で鍛えられているから、丈夫な花だ。他っておいてもよく咲く。

日常写真-7

 ビオラとパンジーの違いは、タカとワシの違いと同じで、大きさによって曖昧に区別されているだけだ。大きければパンジーで、小さいものをビオラと呼んでいる。タカとワシも、大きいのがワシで、小さいのがタカだ。細かいことをいろいろ違いはあるそうなのだけど、絶対に区別をつけなければいけないものでもないし、そのへんは適当でいい。
 これは小さめだからビオラだろう。一応の目安として、4センチを超えるとパンジーになるらしい。
 三色スミレという言い方も情緒があっていいけど、あれはパンジーを指す。三色は、「さんしき」と読むのが正式なんだとか。さんしょくでも間違いではない。

日常写真-8

 久々に登場のオヤブン。体長5センチくらいで槽の掃除屋さんという紹介だったのでものは試しと買ってみたら、すぐに30センチくらいに成長して、60センチ水槽では身動きもままらなくなったまま、かれこれ10年くらい生きている。特に掃除をしている様子はない。いつも土管の中に入ってじっとしている。
 大きな図体の割に臆病で、たまに出てきていても、私の姿を見るとあわてて土管の中に逃げていく。10年来の付き合いなのに、いまだに親しくなれていない。
 でも、いなくなると寂しいから、オヤブン、長生きするんだぞ。

日常写真-9

 たまにはアイも紹介しないといけない。
 カメラ嫌いは相変わらずだから、カメラを床に置いて撮ったら逃げなかったのでこれは上手くいったと喜んだら、ピントが合ってなかった。暗い部屋の中の黒猫ということでデジの露出も間違えていて、なんだかおかしな写真になってしまった。まあいいか。アイが黒目を大きくしてるところはなかなか撮れないから。猫は暗いところで黒目がちになってるところの方がかわいく見える。

日常写真-10

 夜、近所にヒメボタルを撮りに行った。去年教えてもらった場所に、今年もいた。小さい光がフラッシュのように点滅している。
 ただ、今年はまだ気温が低いこともあるのか、数は少なかった。8時台という時間も早かったかもしれない。もっと暑い日にもう一度出直したい。もうピークは過ぎてしまったのだろうか。

日常写真-11

 かなり近くから撮ることができた。使ったレンズはタムロンの90mmマクロで、f3.2のISO800でシャッター速度は30秒。地面で動かなければ暗がりでも充分撮れる。
 ヒメボタルのメスは羽が退化して飛べないから、こうして地面で光ってオスを待つ。オスは光りながらゆっくり飛ぶので、その姿が幻想的だ。今日はオスが飛んでいなかった。
 ヒメボタルはかなり限定された場所にしか生息していないから、なかなか見るのが難しいかもしれない。名古屋では天白の相生山緑地が一番有名だ。あそこも2回行ったことがあるけど、当たり外れが大きい。名古屋城の堀にもいるらしい。

日常写真-12

 手作りのココア団子。
 ずっと以前にういろうを作ったときに使った上新粉が出てきて、それを使って団子を作ってみた。カタクリ粉と砂糖、水を混ぜて、鍋でゆっくり加熱すると固まってくるので、それを冷まして団子状にしたらレンジでチンして、あとはココアをまぶせばできあがり。簡単だ。
 モチモチの和風食感とココアの洋風味の組み合わせはちょっと新鮮だった。混ぜるものやまぶすものでいろいろ応用もできるのでオススメしたい。

 そんなこんなの日常写真、たまにはこんなネタもいいかな。月一では多すぎるけど、3ヶ月に一度くらいなら。そのときのために日々の写真を撮りためておこう。
 以前はこういう一枚の写真で一ネタにしてたのだった。いつからか、文章が長くなり、写真の枚数が増えていった。今後どうなっていくかは、私にも分からない。どんな形になっても、続けられるだけは続けようと思っている。
 毎日の中に新しい発見や知ることの喜びがあって、書き手である私と読み手であるあなたとが、それを共有できたら幸せなこと。

撮影自由度が高い花鳥園は何度行っても撮るものがたくさんある

動物園(Zoo)
ふれあいの鳥たち-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



「しろくじゃく」を変換したら、「白く弱」になった。最近、ATOKのアホさ加減にちょっとイラっとすることが多い。
 それは置いておいて、今日はまた花鳥園シリーズに戻ろうと思う。若干ネタ切れ気味というのはあるのだけど、花鳥園ネタを小出しにして引き延ばすよりも、一気に終わらせてしまった方がいいような気がして、なるべく優先させていくことにした。
 今日は、ふれあいの小道で触れ合える鳥たちを紹介しよう。ここでは本来人に慣れるはずのない鳥たちが人をまったく怖がらず、エサをあげたり、近づいたりできる。クジャクも肩に乗ったりということはないけど、ちょっと触るくらいはできる。うっかりすると蹴飛ばしてしまいそうなくらい無防備に床を歩いているから、人間の方が気をつけないといけない。
 クジャクにとって今は恋の季節のようで、オスがさかんに羽を広げてアピールをしていた。でも、近くにメスの姿はない。一体、誰に向かってのアピールなんだろう。写真を撮れっていうアピールではないと思うのだけど、ひょっとして私たちに対してのサービスだったんだろうか。花鳥園の鳥として、そこまでプロ意識を持っていたとしたらすごい。
 シロクジャクは、インドクジャクの白変種なんだそうだ。別の種類だと思ってた。でも、アルビノではないそうで、シロクジャクという種として確立しているようだ。
 インドやパキスタン、ヒマラヤ山脈などの開けた林に生息しているというのだけど、野生のクジャクに出会ったら、かなりびっくりしそうだ。こんな鳥が自然界に存在しているのも不思議に思える。

ふれあいの鳥たち-2

 これが本家というか普通のクジャクで、インドクジャクだ。いつ見ても派手なメタリックカラーをしている。いくらメスにアピールして好かれなければいけないといっても、ここまで着飾る必要があるんだろうか。メスから見て、このカラーリングがそのままの色で見えているとは思えない。実際、花鳥園ではオスの必死のアピールに対してメスの態度はひどくそっけない。ほとんど完全無視に近い。それでも、オスはめげずに羽を広げ、体を震わせて、必死に頑張っている。その姿を見ると、しっかり、と応援したくなる。
 人間はいろんな生き物を観賞用に改良してきたけど、インドクジャクに関しては人間のイメージを最初から超えている。逆に、こんなものを人工的に作り出してしまったら、やりすぎだと非難されるだろう。

ふれあいの鳥たち-3

 これは何だろう。名前は知らない。インコの仲間のような、そうでないような。ちょっとカラスっぽいような感じもある。
 なんで体は地味なのに、顔だけこんなカラーリングになってしまったんだ。黒いタキシードを着た覆面レスラーみたいではないか。
 日本の鳥にはこういう遊び心を持ったやつが少ない。暑い地方になるほど色が派手になるのはどういう理由なのか分からないけど、おおむね日本の鳥は真面目だ。アマゾンとかの鳥は陽気でちょっとふざけているようなところがある。ノリがラテン系だ。
 派手な色のインコなどは、東北の豪雪地帯には似合わないというのを、インコ自身が自覚するのかもしれない。

ふれあいの鳥たち-4

 フラミンゴにエサをあげると、クチバシにくわえて、それを水につけて洗うようにしてから食べた。フラミンゴの習性なのか、こいつのクセなのか。
 これも人工着色料のような色をしている。

ふれあいの鳥たち-5

 花鳥園にいるセイタカシギは、南北アメリカ大陸にいるクロエリセイタカシギという種類だ。日本の干潟にいるのはセイタカシギで、少し種類が違う。
 セイタカシギは1970年代まで日本では珍しい鳥だったそうだけど、1980年代以降増えて、今では当たり前に見られる種になった。
 アメリカにおけるクロエリセイタカシギもきっとそうなのだと思う。花鳥園でもうなるほどいる。
 他にも、オーストラリアセイタカシギ、ナンベイセイタカシギなどの亜種がいる。

ふれあいの鳥たち-6

 クロエリセイタカシギの群れの中に、何かちょっと違う茶色いやつがいた。セイタカシギの若いやつかと思ったら、レンカクじゃないか。この大きな足は間違いない。きみ、なんでこんなところに? スイレンプールで生まれて大きくなったやつが、ここに移されてきたのか。
 スイレンプールで3羽のチビがいたけど、あれは最近になってまた生まれたやつだったのか。少し前に生まれたやつが、もうこんなに大きくなっていたなんて。このままこの雑居房の住人になるのだろうか。かなり落ち着かないと思うんだけど。チビが大きくなったら、またスイレンプールに戻してもらえるのかもしれない。
 レンカクは、インドネシアやスリランカ、台湾、フィリピンなどにいる鳥で、日本にもごく稀に迷い込んでくることがあるそうだ。そんなに長い距離を飛べるとは知らなかった。水草の上を歩くだけじゃないんだ。

ふれあいの鳥たち-7

 日本では絶滅してしまったトキも、花鳥園ではそのへんをふらふら歩いている。でもこれ、トキはトキでもシロトキだ。普通のトキとちょっと似てるけど、頭の毛がないし、見た目があまり美しくない。アメリカ大陸にいるトキで、おそらくそんなに珍しいものではないのだろう。
 花鳥園にもいる真っ赤なショウジョウトキとごく近い種のようで、よく交雑種が生まれることから、同じ種類にしてしまおうなんて話もあるそうだ。けど、それはいくらなんでも乱暴だろう。真っ白なトキと真っ赤なトキが同じでは混乱してしまう。
 中国ではある程度トキの保護と繁殖に成功しているようで、日本としてはちょっとうらやましいところだ。トキも江戸時代まではありふれた鳥だったというのだけど、気づいたときにはもう絶滅に向かっていて、それを食い止めることができなかった。
 兵庫県で行われているコウノトリの人工繁殖は少しずつ成果を上げてきているようで、今後に期待したい。
 どんな生き物も、人間の都合で絶滅まで追い込んでしまうのはよくないし、救えるものなら救った方がいい。

ふれあいの鳥たち-8

 何度も登場しているオニオオハシ。普通に撮るとこんな感じだ。
 派手なクチバシと瞳に目が奪われがちだけど、体はいたって地味だったりする。
 大きなクチバシは重たそうに見えて10円玉3枚分しかない。どうしてこんなクチバシになったしまったのかは、よく分かっていないらしい。

ふれあいの鳥たち-9

 どちらかというとこちらの方が派手な色をしているのに、オオハシといえばオニオオハシと思われて、日陰者になりがちなクリハシオオハシさんだ。体はオニオオハシの方が少し大きいけど、クリハシオオハシだってそんなに負けてはいない。
 でも、実際、オニオオハシの方が華があるというか、かわいいから、仕方がないかなと思う。クリハシオオハシは生まれながらのナンバーツーを宿命づけられた鳥だ。

ふれあいの鳥たち-10

 アフリカにすむコウノトリの仲間のクラハシコウ。名前はモロ。
 花鳥園では雑居房の中で牢名主のようにでんと構えて風格を漂わせる。エサの時間以外はほとんど動くことなく、お気に入りの場所で座っていることが多い。
 間接を無茶な方向に曲げているように見えるけど、人間でいうと机に肘をついてような格好なので、これが楽なのだろう。
 クチバシの黄色い部分が鞍に似ているから、鞍端黄でクラハシコウと名づけられた。
 オスは光彩が黒っぽくて、メスは黄色い。だからこれはオスということになる。

ふれあいの鳥たち-11

 クラハシコウは肉食だから、みんながもらってる鳥のエサには見向きもしない。エサは魚で、放り投げると器用にクチバシでキャッチして食べる。エサやり体験もできる。
 キャッチする直前を撮ろうとしたのだけど、失敗。少し遅れて、すでにくわえているところだった。

 こうして写真を並べてあらためて見てみると、鳥といってもずいぶん幅広いものだなと思う。同じプールに暮らしている彼らは、他の種類の鳥たちをどう思っているんだろう。仲間と思っているのか、別の生き物だと思っているのか。もしかしたら、他のやつらの鳴き声のうるささにいつも腹を立てているのかもしれない。こんなに騒々しくちゃやっていられねえとか。実際、かなりうるさいから、この施設は街中には作れない。あいつら、夜中は静かにしてるんだろうか。
 3度目ともなればそんなに写真を撮るものもないだろうと思ったけど、これがあるのが花鳥園なのだ。被写体には事欠かないし、同じ鳥でも常に状況が違うから、いろんな撮り方ができて自由度が高い。そのあたりが動物園との違いだ。
 一人でも多くの人を花鳥園へ送り込むために、私の花鳥園シリーズはまだ続くのであった。

去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本

東京(Tokyo)
平塚神社-1

PENTAX istDS+PENTAX 18-55mm f3.5-5.6



 これまで東京の有名な神社についていくつか紹介してきた。有名どころはかなり行き尽くした感がある。けれど、よくよく調べてみると、東京十社にしても、別表神社にしても、ポツリ、ポツリと抜けているところがあって、まだまだコンプリートには遠い状態だ。これから巡る予定の神社をざっと書き出してみると、軽く20を超える。マニアックなところでは、平将門の首や手足や胴体、兜、鎧などを御神体にしている神社巡りなんてのもある。なので、神社シリーズもまだネタ切れというわけではない。
 そんな中、今日は別の目的地へ行く途中、ついでに寄った神社を二つ紹介したいと思う。特に有名というわけではないけど、何かの縁で行くことになる神社というのがある。通りから少し奥に入ったところでも行こうかと思うこともあるし、目の前を通りながら中まで入らないこともある。波長というのか、縁というのか、たまたまなのかは分からないけど。
 こういう神社紹介を、東京マイナー神社シリーズと名づけよう。そこはマイナーじゃない、自分はよく知ってるぞという人もいるだろうけど、東京へ観光に行った地方の人間が行かないような神社という意味でマイナーとさせていただきたい。そもそも観光のために東京へ行って好きこのんで神社に行く人もそんなにたくさんはいないろうというツッコミはさらりとかわして、話を先へ進めることにしよう。

 一般的にはほとんど知られていないと思われる北区平塚という町も、内田康夫の浅見光彦シリーズのファンにとっては馴染みのある場所だ。浅見家があるのがこの町で、光彦のおふくろさんが好物の団子を売っている平塚亭は、実際に平塚神社の入り口に店を構えている。JR京浜東北線上中里駅を出て、蝉坂を登っていくあたりは、作品の中で何度も登場している。
 実は、私がそのことに気づいたのは、名古屋に帰ってきてからのことだった。あの平塚神社って、浅見光彦のあの平塚神社だったんだと驚いた。全然思いもしなかった。だから、平塚亭も見ていない。なんたる不覚。
 このときは、ここから少し先にある古河庭園にバラを見に行ったのだった。ちょうど去年の今頃の時期だ。もし、知っていたら、平塚亭で団子を買って食べていただろう。惜しいことをした。もう一度あそこまで行く機会はありそうにない。

 平安時代、この地は豊島郡を治める郡衙があったところで、平安末期に秩父平氏庶流の豪族・豊島太郎近義という人間が平塚城を建てた場所だった。この時代のものだから、戦国時代のような城ではなく、城館だったのだろう。
 1062年の前九年の役(陸奥国司と豪族安倍氏との戦い)に続き、1083年に後三年の役が起こり(出羽国の豪族清原氏との戦)、それに勝利して凱旋した源義家をもてなしたのが平塚城主の豊島近義で、感銘を受けた義家は鎧と十一面観音像を贈った。
 義家が死去すると、近義はその鎧を埋めて城の鎮守とし、社に義家三兄弟(八幡太郎義家、新羅三郎義満、加茂次郎義綱)の像を祀って平塚三明神としたのが平塚神社の始まりとされている。この塚が現在も平塚神社の本殿裏に残っている(非公開)。それが平らな塚であったことが平塚の地名の由来となった。豊島区は、平塚城主の豊島氏から来ている。
 鎌倉から室町時代にかけて、平塚城は豊島氏代々の居城として続くも、泰経の時代の1476年、長尾景春の呼びかけに応じて関東管領上杉氏に反旗を翻し、弟の泰明が平塚城で挙兵。それを受けて翌年、江戸城主の太田道灌が平塚城に攻め込み、落城。1478年、兄の泰経と共に再び戦ったものの、江古田・沼袋原の戦いで破れて泰明は討ち死にしてしまう。
 以降、豊島氏は急速に没落して、平塚城は使用されないまま廃城となる。
 蝉坂というのは、太田道灌が攻め入ってきた坂、攻め坂がなまって蝉坂になったといわれている。
 時は流れて江戸時代。上中里村出身で盲人の針医・山川城官貞久が江戸に出て検校にまで出世して、家光が病気になったとき、平塚明神に祈願したところたちまち病が治ったことから、自らの資金で平塚明神の社殿を建てた。その話を聞いた家光は、平塚明神に250石の知行地を与え、それが現在の平塚神社へとつながった。

平塚神社-2

 溶岩の塊のようなところに狛犬が乗っている。獅子は我が子を千尋の谷底に落として這い上がってきた強いもののみを育てるとうシーンを再現しているのだろうか。違うかもしれない。
 これとよく似たものをどこか別のところでも見た。あれはどこだったか。横浜の伊勢山皇大神宮へ行く途中にあった神社だっただろうか。
 境内社として、豊島神社、御料稲荷、菅原神社、石室神社などがある。

平塚神社-3

 表から見たところ。右手が下っていく蝉坂で、ここから右に少し歩くと古河庭園がある。まわりは静かな住宅地だ。
 神社は鬱蒼とした木に囲まれて深閑としているようだけど、境内の半分が月極駐車場になっていて、ずっこける。なんてちゃっかりした商売上手な神社。神社の境内を月極駐車場にしていいものなんだろうか。これが許されるなら、こんないい商売ない。賽銭で小銭をちまちま集めなくてもいい。

長崎神社-1

 ところ変わって、ここは豊島区長崎町。西武池袋線の椎名駅を出ると、すぐ目の前に長崎神社という立派な神社がある。神社仏閣好きなら素通りはできない。ちょっと寄っていこうかということになるはずだ。
 ここへ行ったのはいつだったか、よく覚えていない。西武池袋線なんてめったに乗らない。去年の秋、巾着田のヒガンバナを見に行った帰りだったかもしれない。
 長崎神社というから九州の長崎に関係があるのかと思ったら、まったくなかった。鎌倉時代、執権北条氏の御内人・長崎氏の領地だったことから、長崎村になり、現在も長崎という地名が残ったのだった。江戸時代には、小田原北条氏の家臣で江戸衆の太田康資(太田道灌のひ孫)の所領だった。
 かなり古い神社のようだけど、創建年代は分かっていないらしい。もともとは、長崎村の鎮守として、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を祀って村の安全と五穀豊穣を願ったのが始まりとされている。クシナダはスサノオがヤマタノオロチを退治することを請け負ったときにもらい受けた妻で、『日本書紀』では奇稲田姫という字を当てられていることから、稲田の女神とされる。
 それが江戸時代中期になると、 十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と称されるようになっていった。十羅刹女社というのは、法華経における10人の女性の鬼神のことで、鬼子母神と共に法華経の守護天使とされる神様だ。つまり、江戸時代に入って神仏混淆となっていったことを意味している。
 明治に入って神仏分離令が出されたため、明治5年に須佐之男命を合祀して氷川神社となり、明治7年に長崎神社と改称して、現在に至っている。

長崎神社-2

 ここでも岩に張りつく狛犬が出迎えてくれる。豊島区ではこのタイプの狛犬が流行っているのだろうか。平塚神社と同じ作り手によるものなのかもしれない。他の神社ではめったにこういうのは見かけないから、全国的に見ても珍しいと思うのだけど。
 参道の石段には金属製の手すりが付いている。お年寄りに優しくするのが狙いだろうか。
 ちょっとびっくりなのが、石段を登り切ったところに取り付けられたスライド式の金属門だ。閉店ガラガラ用だろうか。それにしては低すぎて、その気になれば楽々と乗り越えられてしまう。時間外は入らないでくださいという意思表示がしたいだけだろうか。

長崎神社-3

 なかなか面白い木の鳥居だ。両部鳥居と呼ばれるもので、柱の足下に補助をする木(控柱または稚児柱)が取り付けられている。一番上の笠木が反増といって両端が反り上がっているのも特徴だ。安曇野の穂高神社もそうだった。
 この鳥居は関東大震災で倒れて、今のものはその後作り直したものだそうだ。
 鳥居にかかっている神社額は、山岡鉄舟の揮毫らしい。山岡鉄舟と長崎神社の関わりはよく知らない。

長崎神社-4

 境内は静かで、なかなかいい雰囲気だった。ここはけっこう好きだ。
 本殿は1849年に建てられたものだそうで、歴史が感じられて悪くない。
 お参りを終えて、帰ろうと思って最後に振り向くと、ちびっこが駆けてきて、本殿の前で何か願い事をしていた。それがなんだかとてもいい光景だった。

 ここ長崎神社は、獅子舞がある神社として地元では知られている。豊島区で唯一の指定無形文化財だそうだ。
 獅子舞の獅子頭が奉納されたのが元禄年間というから、300年の歴史を持つ伝統の行事ということになる。現在では、豊島区で五穀を育てて生業にしてる人はほとんどいないだろうけど、厄除け神事として続いている。
 黒っぽい姿の獅子舞が印象的で、境内で舞いを演じるだけでなく、獅子舞をしながら町内も練り歩く。
 毎年5月の第二日曜日というから、今年は11日に行われたのだろう。

 江戸東京というと、徳川家康が幕府を開くまでは未開の地だったみたいなイメージがあるけど、その歴史は案外古い。ずっと昔から人は住んでいたし、歴史も重ねてきている。東京最古の寺院である浅草寺などは、大化の改新よりも前の628年までさかのぼる。
 東京は、関東大震災と第二次大戦の空襲と、二度壊滅的な打撃を受けているから、本当に古いものはあまり残ってないのだけど、それでも江戸時代を偲ばせるものはたくさんある。
 一般的な知名度は低いこの二つの神社でも、調べてみれば思いがけない歴史を持っていて興味深い。いろいろな出来事は、横にも縦にもつながっていて、いろんな人間が関わっている。
 今後とも、マイナー神社シリーズは継続させていこう。とりあえず目についた神社仏閣は入って写真を撮っておくべしだ。それがあとになって役に立つ。一ヶ所では弱くても、二つ三つと集まれば、合わせ技一本になる。
 神社だけでも、一生かけても巡りきれないくらいあるから、ネタには困らない。

王子バラ園まで遅刻してしまったけどいいとこ撮りの怪我の功名

花/植物(Flower/plant)
王子バラ園-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今年は季節の花にずっと遅刻続きで、バラから建て直そうと思ったのに、バラにさえ置いていかれてしまった。よもやの出遅れ。花期が長いバラとはいえ、10日以上も遅れたら致命的だ。なんとか大丈夫でありますようにと願いながら行った春日井の王子バラ園は、遅刻常習犯の私を待っていてはくれなかった。バラよ、おまえもか。
 今年は特に早かったようで、ピークは5月15日くらいだったそうだ。27日ではいかにも遅すぎる。去年は25日に行って、それでも遅れ気味だったから、今年は少なくとも20日は行っていなければいけなかったのだ。おととしは12日で、それはさすがに早すぎたけど、バラは5月の中旬と思い知るべしだ。5月の終わりじゃない。
 花の状態はかなり悪くなっていて、蕾もあまり残っていなかった。王子バラ園はどんどん剪定していくから、旬を過ぎると花の数が少なくなる。写真を撮るにしても、花が開ききってしまうと美しさが半減してしまうから、7分咲き、8分咲きくらいが一番いい。そのときは恥じらいがある。開ききると品がなくなる。
 普通に撮れる花が少なかったので、今回は方針を切り替えて、バラが持つ色と造形の美しさに迫ってみることにした。バラも撮るのが難しい花だけど、下手に小細工せず素直に写すのがいい。きれいに撮ろうとしなくても、バラはそのままで美しいのだから、足し引きしなくてもいい。
 今回は名前にこだわらず、目についたものをあれこれ考えずにパチパチ撮っていった。構図も考えず、距離感だけ決めて適当に撮った。名前から解放されると、一気にお気楽撮影になっていい。

王子バラ園-2

 一重咲きというのはあまりバラらしくないけど、よく見るとけっこう上品だ。ピンクの濃淡も情緒的で、繊細でもある。

王子バラ園-3

 私が好きな黄色いバラ2つ、寺西菊雄作の荒城の月も、天津乙女も咲いていなかった。残念。もう終わってしまっていたんだろうか。最近、あそこで見ていないのは時期を外しているだけなのか、もう枯れてしまったのか。
 代わりに黄色いバラはこれを選んだ。荒城の月や天津乙女と比べるとずいぶん色が濃い黄色だけど、これはこれで悪くない。花もまだ開ききっていなくて、いい状態だ。写真写りとしても、これくらいのときがいい。

王子バラ園-4

 バラのピンクはとても多様で、様々なピンクバラが存在する。淡いピンクからショッキングピンクのような色まで、いろいろな色が作り出せるのだろう。ローズピンクという色の名前があるように、ピンク色もバラを象徴する色の一つだ。

王子バラ園-6

 カップ咲きとピンク色は相性がいい。ゴージャスさと品をあわせ持つカップ咲きのピンクバラがけっこうある。人気の高いピエール・ド・ロンサールなどがその代表だろう。

王子バラ園-5

 私が好きなマダム・ヴィオレもこの通り。すっかり開ききってしまっていて、こうなってしまうとマダムの上品さはない。マダム・ヴィオレも、秋バラの方が姿がいいから、そのときもう一度会いに行こう。
 紫色のバラは、たくさんありそうで意外と少ない。ブルー・ライトや、マダム・ヴィオレを親に持つブルー・シャトーなどが思いつくくらいだ。青いバラを作ろうとして青くなりきらなかった青灰色みたいなバラもいくつかある。

王子バラ園-7

 これは黄色ともいえるけど、見た目の印象ではオレンジ色だった。オレンジ色のバラもバリエーションが多くて、それぞれ印象が違う。色が濃いほど華やかで、淡いものには気品を感じる。
 バラの花色の主成分は、赤色とオレンジ色と青色の色素で、その組み合わせによって色が決まるのだそうだ。だから、オレンジというのはバラでは基本色の一つで、黄色なんかの方が特殊な色ということになる。
 青色のバラが存在しないのは、青色色素と呼ばれるデルフィニジンが花弁にないからで、交配によって青いバラを作り出すのは不可能とされている。人工的に作り出すには、遺伝子組み換えをするしかない。サントリーが作った青いバラは、そうやって作られた。
 花フェスタで、岐阜県が作った青いバラ、ブルーヘブンというのを見たけど、あれは紫がかった灰色のバラだった。サントリーのものも一度見てみたい。

王子バラ園-8

 濃厚なピンク。あるいは赤。ここまで派手でどぎつくなってしまうと、私の好みからは外れる。非常に強い色だとは思うけど。

王子バラ園-9

 深紅というにはちょっと明るすぎる。
 バラというと赤いバラを思い浮かべるのが一般的な感覚だろうか。バラの花束を贈ったり受け取ったりする人生は、遠い世界に思えるけど、実際にどれくらいの赤いバラの花束が行き来しているのだろう。私は切り花は好きじゃないから、贈るにしても鉢植えにしたい。鉢植えの赤いバラになると、とたんにロマンチックじゃなくなってしまうけど。

王子バラ園-10

 少しだけ普通にも撮った。このバラは撮り頃だった。
 まだ開ききってない状態で、花を中心に蕾が取り囲んでいるというのが、被写体として理想的なバラの姿だ。
 ミニバラもなかなかいいものだ。離れて見ると印象が弱いけど、そばに近寄ると普通サイズのバラに負けてない。

王子バラ園-11

 これもミニバラで、しだれ咲きのように咲いているから、しだれバラと呼びたい。蕾の可憐さといい、他のバラとはちょっと違った魅力を持ったバラだ。

王子バラ園-12

 淡い色のバラを逆光で撮ると、ソフトフィルターをかけたような写りになる。たまたまこれがそうなったというわけではなく、絞りを開放気味で撮るとその傾向が強くなる。
 バラと光の関係というのもなかなか難しいもので、強すぎると色が飛ぶし、弱いとのっぺりしてしまう。夕方の光は花の色が濁るからあまり向かない。となると、やや弱めの日差しがあるときがベストということになるだろうか。
 レフ板を使うと、また違った写りになるだろうから、そのあたりも試してみたいところだ。簡易レフ板は買わなくても、厚手の紙にくしゃくしゃにしたアルミホイルを貼り付ければ簡単に作れる。昔は私も持ち歩いていたけど、最近はそんなこともすっかり忘れていた。

王子バラ園-13

 最後は私らしい写真で締めくくろう。

 今回は遅刻したことで怪我の功名として、いつもとは違った撮り方になった。いろんな撮り方をしようとせず、アップ写真に特化させたことでバラとの一つの距離感を掴んだ。この距離もありだ。あとはもう少し構図を工夫して、色と造形とバランスをイメージしながら撮れるともっといい。
 今年の春バラはこれで終わりになってしまうかどうか、今のところまだ未定だ。岐阜の花フェスタは今年は休みにしよう。2005年から去年まで3年連続で行ったから。近場では、鶴舞公園、庄内緑地、東山植物園あたりだろうけど、どれも行ったことがあって新鮮味がない。秋バラを見るために花フェスタへ行くというのはいいかもしれない。
 これからバラを見ようという人は、王子バラ園はもう終わりだからやめておいた方がよさそうだ。花フェスタは、これからがちょうどいい時期だと思う。5月の終わりから6月の始めにかけてが毎年ベストシーズンだから。あそこは世界一のバラ園を自称するだけのことはあるから、行ったことがない方はぜひ一度行ってみることをおすすめします。

掛川花鳥園の人気者トップスリーそれぞれの近況報告

動物園(Zoo)
花鳥園人気者-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 好物のブドウをもらって、うっとりしながら食べるアンソニー。いい表情だ。
 足でブドウを掴んで、器用に皮をむいて中身だけ食べる。むいた皮はそのへんにペッペッと吐き捨て、最後は種も出して完食。終盤は片足立ちが長引いて立っている足がプルプル震えていたけど、それでも食べるのに夢中で気にしていない様子だった。そんなにブドウが好きだったんだ、アンソニー。許されるものなら、ブドウくらい一房でも差し入れするのに。
 花鳥園新シリーズ第三回は、花鳥園の人気者トップスリーを紹介します。まずはヨウムのアンソニーから。
 ヨウムといえば、少し前にちょっとしたニュースになった。逃げ出したヨウムが、保護された先で自分の名前と住所をしゃべって、無事飼い主の元に戻ったというものだ。オウムや九官鳥ほどではないけど、ヨウムもけっこう人間の言葉を覚えてしゃべる。アンソニーも、ハローとかいらっしゃいませとか、4つか5つくらいを気まぐれに発する。でも、自分ちの住所を番地までしゃべれるヨウムは、なかなかいないと思う。足輪に電話番号を書いておいた方が早いとかそういう問題ではない。
 これくらい大型のインコになると知能も高く、言葉を覚えるだけでなく意味も理解して、人間とのコミュニケーションもとれるといわれている。なにしろ50年も生きるから、人と長く暮らしていればその間にいろんなことが分かるようになるのも不思議ではない。
 アンソニーは確かまだ若かったはずだ。3歳とか4歳とかじゃなかったか。まだまだこの先、賢くなっていくことだろう。

花鳥園人気者-2

 相変わらず、とぼけた顔のアンソニー。おすましさんなのだけど、どこか抜けていて笑える。おバカそうに見えて思慮深く、無愛想を装いながら人なつっこいところもある。アンソニー! と呼びかけても無視するくせに、離れていこうとするとハローと話しかけてきて、いかないでとアピールする。とっても憎めないやつなのだ。
 いろんな鳥が放し飼いにされていて、他にもヨウムはいるのに、アンソニーだけが特別な何かを持っている。スタッフもみんなアンソニーのことは気にかけていて、そばを通りかかると呼びかけたり手を振ったりしていく。アンソニーもそちらに顔を向けて、気にしている様子を見せる。
 アンソニーなりに好きな人がいるようで、人をちゃんを見分けている。よく遊んでもらっているスタッフの人が好きというのはあるのだろう。

花鳥園人気者-3

 習性なのかイラついてるのか、いつも何かをかじっている。木の台をかじってガリガリにしたり、このときはヒモをカジカジし続けていた。人間がプチプチをつぶし続けてストレス解消するみたいに。
 一日ここにいて、特にすることもないから、何かかじったりしてなければ間が持たないということかもしれない。鳥は毎日何を考えて過ごしてるんだろう。野生の鳥はエサを探すことで頭がいっぱいだろうけど、ここにいればエサの心配はしなくていい。いろんな人間が訪れるから、それを見て退屈を紛らわしているのか。

花鳥園人気者-4

 アンソニーは小屋のような台の上にいて、つながれてないから、手を差し出すと乗ってくることがある。気が向くとだけど。
 大きい体のわりには体重はさほどなく、400、500グラムくらいにしかならない。足の温かさからすると体温はけっこう高そうだ。
 腕に乗ってきたからといって、こちらに特別な関心を示すわけではなく、視線はあさっての方向を向いたまま。アイコンタクトとかそういうものはない。どこを見てるかも、よく分からない。犬や猫と違って、呼んでも返事をするわけではない。アンソニーは特別とぼけたところがあるのだけど。

花鳥園人気者-5

 こちらは入り口近くにいるヨウムくん。アンソニーとはずいぶん性格が違う感じだ。
 人との積極的な関わりを求めるふうでもなく、たまに独り言のように何かをつぶやいている。

花鳥園人気者-13

 テレビ出演以来、すっかり人気者になったポポちゃんの前は、いつも人だかりができていた。ポポちゃんは休まる暇がない。
 右側にテレビ出演のときの写真が貼ってある。自分より弱いメンフクロウに対しては大きく翼を広げて威嚇して、強いフクロウに対しては木のように細くなって隠れたつもりになるという本能が芸のようになってしまって、テレビで何度もやることになってしまった。相当なストレスがかかるから、普段はやらない。あんなもの毎日やってたら身が持たない。

花鳥園人気者-6

 人に注目されることに疲れたのか、ほとんどこちらを見ないポポちゃん。なんだか面やつれして元気がない。かなり心配だ。人気者はつらい。
 一日一回、ポポちゃんと一緒に記念写真を撮れるイベントがあるのだけど、そのときもなかなか正面を向かず、何度も顔を前に向けられて気の毒なようだった。
 ポポちゃん人気でかなり来場者が増えているようだけど、少し休ませてあげた方がいいかもしれない。

花鳥園人気者-7

 ずいぶん待って、やっとこちらを向いたと思っても、どこか遠くを見てこっちと目を合わせてはくれない。ポポちゃん、大丈夫かい。
 なんとなく顔や体つきに精彩を欠いている気がした。今年の1月に見たときはもっと元気だった。

花鳥園人気者-8

 うつむくポポちゃん。悩みは深そうだ。

花鳥園人気者-9

 ポポちゃんとは別のアフリカオオコノハズク。顔の張りや目つきの鋭さが違う。ポポちゃんもちょっと前まではこれくらい精悍だったのに。
 ポポちゃん人気にあやかって、同じグループの神戸花鳥園からアフリカオオコノハズクを10羽くらい掛川に移してきた。でも、ポポちゃんほどの芸達者は他にいなかったようだ。誰かピンチヒッターはいないのか。

花鳥園人気者-10

 オニオオハシさんも花鳥園の人気者だ。こいつを目当てに訪れるお客さんもけっこういるんじゃないか。
 オオハシさんは全部で7、8羽くらいいるだろうか。温室やスイレンプールで放し飼いにされている。それぞれに名前がついているのかどうかは分からない。ついていたとしても、どれがどれだか見分けはつかない。
 相変わらず器用にエサをくわえては、ひょいっと上を向いて、ポイッと口に中に放り込む。ほとんど百発百中で外さない。100円分のエサなど、その気になれば1分もかからずに平らげてしまう。一日にどれだけ食べていいのか、自分で分かってるだんだろうか。
 ただ、週末で人が多いときは、午後になるとエサを食べなくなるというから、満腹という感覚はあるらしい。花鳥園へ行くなら、断然、平日が面白い。

花鳥園人気者-11

 正面から見ると面白い顔になるオオハシさん。横顔がお馴染みすぎて、正面顔の印象はあまりない。大きなクチバシが邪魔して視界が悪そうだけど、クチバシの先で小さなエサをつまむことができるから、よく見えているらしい。
 鳥の視界って何度くらいなんだろう。目が横に付いてるから、180度以上見えているんだろうか。

花鳥園人気者-12

 オオハシさんはクチバシだけでなく目も印象的だ。ラピスラズリのような深い藍色をしている。
 このふちどりの青い部分はどんな役割の部分なんだろう。瞳は黒いところだと思うから、ただの飾りだったりするんだろうか。
 オオハシさんの瞳に映る景色というのを撮ればよかった。そこまで近づけるかどうかだけど、次回はそれにも挑戦しよう。

 今回はアンソニーにたくさん遊んでもらって楽しかったのだけど、ポポちゃんの元気のなさが気になった。オオハシさんはいつもと変わらず脳天気だった。
 花鳥園新シリーズは、まだ何回分か写真が残っている。今週は雨が多そうだから、写真を撮りに行けずに案外早く在庫を出し切ってしまうことになるかもしれない。

寿司ネタサンデーは他の2つのネタと合わせ技で一本

料理(Cooking)
寿司ネタサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は、寿司ネタサンデーだった。先週がマクドナルドサンデーで、その前に回転寿司スシロー前哨戦としての半生サンデーというのがあった。今回はその組み合わせともいえるような、半生寿司ネタ海鮮料理となった。
 メニューは、回転寿司のネタ写真を見て、何の食材を使うかそこから選んだ。まずは基本中の基本としてマグロははずせない。次に何が食べたいかと考えたとき、久しぶりに甘エビが食べたいと思った。もう1品はいろいろ迷って、結局ホタテにした。イカもタコもあまり好きじゃないし、イクラやウニは買えない。サーモンや白身だと魚ばっかりになってしまう。ホタテなら料理に使いやすいというのもあった。ただ、ホタテだけでは面白くないから、ツナマヨとコラボレーションさせることにした。
 調理としては、大した手間はかかっていない。時間も私にしては短い1時間半コースだった。3品ともあぶり焼きしただけで、手間暇といえば下味付けとソース作りくらいのものだ。
 本来ならどれも生で食べるものばかりなのだけど、生もの恐怖症の私としては、少しでも火を通さないと不安だった。まだ半生までしか回復していない。けど、半生でも食べる気になったのは、だいぶ元に戻っているということだろう。スシローへ行く日は近いか。

 甘エビは、尾と頭を残したまま殻をむいて、背わたとはらわたを取る。水洗いをして、水気を拭いたら、塩、コショウ、白ワインを振りかけてしばらく置いておく。それをオリーブオイルで軽くあぶり焼きする。
 ソースは、オリーブオイル、白ワイン、バターを加熱して、しょう油、塩、コショウ、からし、粉チーズを加え、最後に卵を割り入れて混ぜ、固まりきらないところで火を止める。
 マグロは、塩、コショウして、しょう油、酒、みりん、を混ぜたものにしばらく漬けておき、カタクリ粉をまぶして、オリーブオイルで表面だけ焼きを入れる。
 あんかけは、だし汁ベースにしょう油、酒、みりん、砂糖、酢、唐辛子、タマネギを混ぜたものをひと煮立ちさせ、水溶きカタクリ粉を加えて作る。
 ホタテも刺身用をバターとオリーブオイルで軽く焼いた。
 ツナマヨは、ツナ缶にしょう油、マヨネーズ、みりん、白ワインを加えて、少し炒めてある。

 どれも火を加えているからそれなりに料理らしくなっているけど、生で食べるならほとんど料理とは呼べないようなものばかりだ。時間も手間もかからない。今回は楽すぎて、あまり作ったという気がしないくらいだった。
 味は無難にまとめてあるから、失敗はない。3品とも平均点以上の美味しさだった。
 半生でも大丈夫だったから、そろそろ次は生でもいけるだろう。もう、救急車ということはないはずだ。スシローへのカウントダウンは始まった。夏場はちょっとやめて、涼しくなる秋か冬あたりに行きたいと思う。

失敗マフィン

 今日のサンデー料理は、ネタとしては弱かったので、他のネタも抱き合わせで一本にしたい。まずはケーキ作りのネタから。
 これはこの前花鳥園へ行ったときに作っていったマフィンだ。一見すると普通にできているようだけど、実際は失敗している。人は見た目で判断しちゃいけないというけど、ケーキも見た目だけでは分からない。焼きすぎてパサパサになってしまった。ひとくち食べると口の中のツバを全部持っていかれてしまうというシロモノだ。フルマラソンを走りきった直後のランナーにこのマフィンを食べさせたら、カラカラに渇いた喉に詰まらせて死んでしまうかもしれないほどの危険なマフィンだった。
 マフィンのレシピは、スポンジケーキよりもバラツキが大きくて、どれを信じていいのかよく分からず、またもやオレ流でやったら、それは不正解だった。
 バター60グラム、砂糖30グラム、はちみつ20グラム、卵1個、牛乳40グラム、小麦粉90グラム、ベーキングパウダー3グラム、黒豆ココア少しという材料で、180度で30分焼いたら、この結果となった。たぶん、どこかで間違えていたのだろう。全体的な間違いかもしれない。もし、焼き時間が25分くらいだったらどうなっていたんだろうというのはちょっと思った。ああ、そうか、6個あったんだから、20分くらいから一つずつ取り出して、どこが正解の時間だったのか見極めればよかったんだ。今頃気づいた。
 作り方の手順としては、スポンジケーキのように、まず卵と砂糖、はちみつを混ぜてもっさりさせてから、最後に溶かしバターと牛乳を入れるというやり方でやったのだけど、レシピによっては先にバターを混ぜて、そこに卵を少しずつ加えているという方法もある。その場合、バターではなくマーガリンを使うレシピも多い。その方がマフィンらしくなるんだとか。
 ところで、マフィンって何? という基本的な問いかけを誰にともなく投げかけてみる。形状としてはカップケーキなんだろうけど、スポンジケーキとパウンドケーキとマフィンの明確な違いが何かは全然分かってない。
 イギリスでは丸い形に焼いたパンをマフィンというらしいけど、私たちが思い描くのはアメリカ式の焼き菓子のことだろう。形状を指してマフィンなのか、材料の違いでマフィンと区別するのか、そのあたりもなんとなく釈然としない。パウンドケーキとマフィンの食感の違いを説明しろと言われても困る。
 パウンドケーキというのを調べてみると、小麦粉、バター、砂糖、卵をそれぞれ1ポンドずつ使って作るからパウンドケーキと名づけられたんだそうだ。初めて知った。ポンドが日本語ではパウンドになまるのは、ボクシングの体重でもそうだ。
 ただし、1ポンドは約453グラムだから、そんなに大量の材料でパウンドケーキを作ったら食べきれない。バター不足のこのご時世で、個人で食べるのに400グラムのバターは使いすぎだ。
 パウンドケーキとマフィンの配分の違いとしては、マフィンは卵が少ないというのがある。その分、ベーキングパウダーを多めに使って膨らませる。そのあたりの違いが食感の違いとして表れてくるのだと思う。
 いずれにしても、マフィンはもう一度挑戦したい。緊張で喉がカラカラになっているのど自慢の出番前のおじいさんが食べても大丈夫なくらいしっとしとしたマフィンを作ろう。

樹氷ロマン

 抱き合わせネタその2は、樹氷ロマンだ。何のことだと思う人も多いだろうけど、蔵王みやげとしては有名で、山形みやげとしても売り上げナンバーワンというから、東北地方の人たちにとってはお馴染みなんだと思う。東海地方まではその名は鳴り響いていない。
 少し前に長野みやげの雷鳥の里というのを紹介したけど、あれを調べていてこの樹氷ロマンの存在を知った。両方食べたことがある人によると、美味しさは双璧らしい。この手のお菓子ファンの私とツレとしては、ぜひ食べてみなければなるまいということで、ひとっ走り山形まで行って……来たりはせずに、素直に通販で取り寄せた。これを買いに山形まで行ってたら、4万円くらいのお菓子になってしまう。
 見た目は定番の細長い長方形で、多重構造の感じも雷鳥に似ている。最初にクリームの甘みが来て、あとからビターが重なってくる感じの美味しさは、雷鳥に近い。雷鳥と直接食べ比べをすれば違いがもっとはっきり分かったのだろうけど、記憶との比較でいえば、雷鳥の方がややトータルとしてのハードさがあるような気がする。味のパンチにしても、歯触りにしても。ただ、やはり美味しさは甲乙付けがたく、両雄並び立つといったところだろうか。どちらもナンバーワンみやげの名に恥じない。
 実は河口湖へ行ったときも、同じ系列の白桃スイートチョコサンドというのをおみやげに買って食べたのだった。あれもなかなか美味しかったけど、やはり雷鳥にはかなわなかった。
 だいぶ前に名古屋嬢というのも紹介したと思う。あれも姉妹品だ。後発だけにいろいろ研究もしてるだろうから、名古屋嬢も美味しいのでオススメしたい。
 全国にはこの手の欧風焼菓子と呼ばれるお菓子が他にもいろいろあるに違いない。今度とも調査を続行したいと思っている。また見つけたら紹介しよう。

 3ネタ合わせ技で一本ということで、今日はこれくらいにしておくか。
 来週は5月の最終週だし、梅雨に入る前にネタを集めておかないといけない。バラと、少し遠出を予定している。花鳥園ネタはいざというときのために在庫として持っておいてもいい。季節ものじゃないから、いつでも使える。
 そろそろヒメボタルの時期でもある。レリーズケーブルを持ってないから、今年も写真に撮るのは難しいだろうけど、見に行くだけは行きたい。

飛びものはやっぱり難しいと思い知る三度目の正直ならず花鳥園

動物園(Zoo)
飛びもの特集-1

Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 今日も昨日に引き続き花鳥園ネタとなる。新シリーズ第二回は飛びもの特集だ。
 花鳥園では一日に3回、フクロウやタカなどの飛行ショーが行われていて、これも呼び物の一つとなっている。私が初めてここのことを知ったとき、タカが飛んでいるところを撮ってみたいと思ったのが行くきっかけになった。
 通常は室内でのフクロウ飛行ショーが1回と、屋外でのファルコンショーが2回というプログラムなのだけど、この日は3回とも外で行われた。平日にもかかわらずお客が多かったからというのもあったのかもしれない。開始時間も前回までとは違っていたから、プログラム自体が変更になったのだろうか。
 3回ともメンバーの入れ替えがあるので、3回見ても楽しめるようになっている。当然、私たちは3回とも見た。
 最初に花鳥園に持っていったデジはNikonのD100で、2回目がFUJIFILMのS2proだった。2台ともピントも連写も遅いデジということで、飛びものには向かず苦戦した。なので今回はEOSの20Dを持っていった。これでまともに撮れなければ私の腕に問題があるということになる。
 結果は、デジではなく私のせいだということを思い知らされた。やっぱり飛びものは難しい。連写やピント以前に、ファインダーの中に飛んでいる鳥をおさめられないのだから話にならない。望遠レンズになると難易度が上がる。ショーは3回あったのに、思い通りに撮れたものは少なかった。練習不足を痛感したし、また花鳥園へ行く理由ができた。スピード感としては、ケリとツバメの間くらいだから、近場の田んぼで充分練習を積まないといけない。
 レンズは手ぶれ補正の75-300mmを使った。デジタル換算で480mmになるから、まず不足はない。これ以上の望遠になるともっと難しくなる。TAMRONの90mmマクロレンズも3回目のショーで使ってみて、これも意外と使えることが分かった。絞りをf4くらいにすればシャッタースピードも稼げるし、望遠レンズよりも画質がいい。

飛びもの特集-2

 オリャーっと飛び出したところ。太くて力強い足で蹴って飛び立ち、大きな翼を音もなく羽ばたかせる。フクロウの羽ばたきはほとんど無音だから、近くで聞いていても音は聞こえない。夜の森の暗殺者といわれるのも納得がいく。
 昼間でもしっかり目は見えていて、遠くまで見渡すことができる。ショーの中では、1キロ先のハンカチまで見えるという説明の仕方をしていた。
 こんな飛行ショーができるくらいだから当然知能は高い。ただ、気まぐれで頑固なところがあるから、やる気が起きないとエサを見せても飛ばなくなる。性格もそれぞれ違って、こういうショー向きなやつと向かないやつがいるのだろう。

飛びもの特集-3

 最初と2枚目は、たぶんベンガルワシミミズクだったと思う。3枚目は何ミミズクだったろう。ユーラシアワシミミズクだったか、違ったか。前回行って帰ってきたとき、次は名前のメモ書きが必要だと言っておきながら、すっかり忘れていた。メモ撮りもしてないので、名前が分からないやつが今後とも出てくる。
 上のやつは、久々に再登場した何とかちゃんだ。名前も覚えてない。
 カラスが嫌いで、上空に飛んでいるカラスをずっと気にしていた。近くにいると飛ばなくなるらしい。このときも久々でまだ勘が戻らなかったのか、飛ぶべきところで飛ばず、なんとかなだめすかされながら、ちょこっと飛んだだけで帰って行った。そういうこともある。
 毛が生えかわるのを待っていて、それが完了しての再デビューとなったとのことだ。休んでいる間、運動不足で、ちょっと体が重そうだった。フクロウも体重が増えすぎるとダイエットさせられるんだとか。

飛びもの特集-4

 飛び立てば猛禽の姿となる。鳴き声を一つあげながら目標に向かって飛んでいく。

飛びもの特集-5

 ハリスホークもお馴染みになった。こいつは賢くて、言うことをよく聞く。ミミズクのように気分屋ではなく、真面目な優等生だ。

飛びもの特集-6

 エサをつけたリモコンのウサギに飛びかかるハリスホーク。あの速さではウサギも逃れられまい。私は飛んでいるところに追いつけない。
 野生のハリスホークは群れで狩りをするタカとしてよく知られている。そういう鳥は非情に珍しい。

飛びもの特集-11

 これはタムロン90mmで撮ったものだ。少しトリミングしてるけど、こっちの方が撮りやすい。
 このハリスホークはまた別の個体で、名前はやっぱり忘れてしまった。

飛びもの特集-7

 飛行ショーの中で見るのは初めてのハクトウワシ。動物園では見たことがある。名前の通り、頭が白いワシで、アメリカの国鳥としても知られている。
 こいつはまだ若いので、頭が黒い。大人になるにつれて白くなっていく。
 ミミズクよりも更に巨大で、タカなども狩られてしまうのではないかと思うくらいだ。羽を広げると人間くらいの大きさがある。

飛びもの特集-8

 ここまで大きいと王者の風格で、羽ばたきの音を隠したりしない。バサッ、バサっと音が聞こえそうだ。こいつは大迫力。体重も4キロくらいあるそうだ。

飛びもの特集-9

 もう初夏だから暑さに弱いシロフクロウはショーを休んでるかと思ったら、最後に出てきた。
 前回見たときは生後3ヶ月で、まだ子供っぽさも残っていたけど、あれから4ヶ月経って、だいぶ大人になっていた。体のごまだら模様も少なくなって、白に近づいた。シロフクロウの白は白鳥の白よりも白くてきれいだ。

飛びもの特集-10

 飛行ショーにもだいぶ慣れたようで、そつなくこなしていた。飛んでいる姿も貴公子のように美しい。
 夏場は休むから、見られるのは5月いっぱいくらいだろうか。また秋になって涼しくなったら出てくるようになると思う。そのときはもう1歳だから、真っ白になってることだろう。

 今回で花鳥園は3回目だし、ショーとしては9回目だから、もう少し上手く撮れるんじゃないかと期待していたけど、なかなかイメージ通りにはいかないものだ。難しい。でも、楽しい。
 ハヤブサが疑似餌を空中で捕まえるシーンなどは全滅だった。ハヤブサの飛行シーンそのものが撮れてない。
 今回も課題を残したから、また行かねばなるまい。鳥との触れ合いと撮影と、この二つのバランスのよさが花鳥園の楽しさにつながっている。行くたびに変化もあって、飽きさせない。
 花鳥園写真はまだたくさんあるので、断続的に登場させていく予定だ。明日はサンデーだし、来週は別の散策もありそうだから、少し飛びとびになりそうだけど。

ベビーたちに会うために三度目の花鳥園へ開園から閉園まで

施設/公園(Park)
花鳥園ベビーたち-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 5月は鳥のベビーラッシュの季節。掛川花鳥園でもいろいろなヒナが生まれている情報を掴んだ我々は、三度目の掛川花鳥園に向かった。
 今回も当然のように開園から閉園までしっかり楽しんできた。私たちが出たあとすぐに門が閉まったから、最後の客だったようだ。居座りすぎ。
 また写真をたくさん撮ってきたので、しばらくは鳥写真の割合が多くなる。今日は花鳥園新シリーズ第一弾ということで、ベビーの写真を集めてみた。これが見たくて行ってきたのだ。
 ただ、ちょっと今日はくたびれ気味なので、写真中心にコメントは短めにしておこう。

花鳥園ベビーたち-2

 弱いフクロウに対しては威嚇して大きくなり、強いフクロウには細くなって身を守るポポちゃんでお馴染みになったアフリカオオコノハズクのヒナ。ポポちゃんの子供ではないけど、花鳥園のページでこのヒナの成長期が載っていて、こいつを見に行くというのが今回の一番の目的だった。
 現在、生後ひと月弱で、だいぶ大人らしくなってきたところだ。一週間くらい前まではボロ雑巾のようにみすぼらしくて目もしっかり開いてなかったのに、ここ数日で羽が生えかわった。まん丸の目玉はほとんど親と変わらないくらいだ。
 まだまだ立つ姿などはおぼつかなくて、プラスチックのケースの中にいる。もう少ししっかり立てるようになったら外にも出てきて、触ったりできるようになるんじゃないだろうか。
 こんなチビだけど、生まれたときからエサは生肉を食べている。

花鳥園ベビーたち-3

 ミミズクかコノハズクかの子供もいて、ちらっと外に出てきていた。こちらはまだ一般公開されていない。体はもうだいぶ大きくなっているけど、まだまだヒナらしさが残っている。
 他にもフクロウ類のヒナがいるようだけど、そのへんは公開していなかった。飼育の難しさもあるだろうし、大事な子だから仕方がないところだ。

花鳥園ベビーたち-4

 コブハクチョウのヒナも話題になっていて、これも見たいと思っていたやつだった。
 あー、いるいる。親についてしっかり泳ぎ回っていた。まだ子供同士固まって親から遠くに離れることはない。親と比べると体はまだだいぶ小さいものの、手前を泳ぐバンよりも大きいくらいで、すぐにカモくらいは追い抜きそうだ。親の体が巨大だから小さく見えるだけで。

花鳥園ベビーたち-5

 毛はまだ白くなっておらず、灰色がかっている。みにくいアヒルの子だ。でもモコモコがとてもキュート。頭をなでたくなる。
 人にもだいぶ慣れてきて、手を伸ばした30センチの距離までは近づいてくる。それ以上は近づかないから、直接手からエサをあげることはできない。口もまだ小さめで、親と同じサイズのエサは飲み込めないから、砕いてやらないといけない。それでもけっこうな量を食べていた。こいつらは加減というものを知っているのだろうか。

花鳥園ベビーたち-6

 ショウジョウトキのヒナもいた。まだ巣立ちもしてないくらいで、親のおなかの下にいる。
 頭しか見えなかったけど、真っ黒だ。羽が生えかわるごとにだんだん灰色からピンクになり、全身が赤くなるまでには3、4年かかるんだそうだ。それもなんだか不思議な話ではある。そんなに長い時間をかけて赤色になるのはどんな意味があるんだろう。

花鳥園ベビーたち-7

 これはショウジョウトキの若手なのか、シロトキの若いやつか。クロトキではなさそうだ。
 ここの温室はかなりの雑居房だから、どれがどれだか分からなくなる。交雑種とかも生まれそうなんだけど、実際はどうなんだろう。

花鳥園ベビーたち-8

 これはショウジョウトキの大人になりかけのやつだろう。とすると、上の写真のやつはやっぱりショウジョウトキの若手ということになりそうだ。

花鳥園ベビーたち-9

 これはきっと、フラミンゴのチビだろう。後ろに見えているのが親なのか、どこかよそからやって来たのか。花鳥園のページにフラミンゴのヒナがやって来ましたとあったから、それがこいつだろうか。
 少しピンクがかっているけど、薄汚れた灰色で、ややみすぼらしい感じだ。クチバシもまだピンク色になっていない。
 動物の子供は赤ん坊のときの方が成長した姿よりも圧倒的にかわいいものが多いけど、鳥はしょぼくれたヒナもけっこういて、笑えたりもする。

花鳥園ベビーたち-10

 レンカクのチビが3羽に増えていて安心した。前に何羽か生まれて、水に落ちて死んでしまったそうだから、今は1羽になってしまっていると思っていた。またあらたに生まれたようだ。
 浮き草の上を器用に走り回っているけど、子供の内は飛べなくて、水にはまったら助からない。なんとか今回は無事に育って欲しい。

花鳥園ベビーたち-11

 いつもは中央付近にいるレンカクのチビが、このときばかりは大サービスで至近距離にまでやって来てくれた。1メートル半くらいだっただろうか。こんなに近くで見たのは初めてだ。
 葉の上を歩くのに適した大きな足が特徴だ。少し沈みかけた葉の上くらいならすばやく駆け抜けることができる。
 立派な足に対して体つきは貧相だ。羽よりも何よりも足の成長が最優先なのだろう。これは落ちたら泳げないというのが分かる。大人になれば、ある程度の距離を低空飛行で飛べるようになる。

 ベビーラッシュを撮りまくりとまではいかなかったものの、アフリカオオコノハズクとコブフクロウのヒナをしっかり見られたから満足だった。レンカクのチビもいたし、行ったかいがあった。3回目でもまた違った面で楽しめた。
 今回のもう一つのテーマは、ファルコンショーの飛びものをしっかり撮るというものだったのだけど、それはあまり出来がよくなかった。連写が得意なEOS 20Dをもってしても、タカやフクロウのスピードにはついていけない。そのあたりの写真もおいおい出していこうと思っている。
 今日のところはここまでとしよう。また明日。

5月の小堤西池はカキツバタだけじゃなく田園風景としても魅力的

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
小堤西池風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4



 5月の小堤西池といえばカキツバタの季節であることは間違いないのだけど、ここは春から秋にかけて、いろんな生き物や花を見ることができる魅力的な場所でもある。基本点的に田んぼの一角なので、古き良き日本の風景といった一面を持っている。この時期は端境期でやや花などは少なくて、虫たちもまだ姿を見せなくて寂しいものの、遠く近くに被写体はある。
 そんなわけで、今日は5月の小堤西池風景を紹介します。

小堤西池風景-2

 これは何を育てていたんだろう。去年まではこんなものを育ってなかったはずだ。何かの穀物っぽい感じだけど、よく分からない。稲との二毛作にしてはもう間に合わないだろうから違うようだ。別の場所ではもう田んぼに水が張られて田植えが始まっていた。
 今年はカキツバタの池もそうだったけど、このあたり一帯の風景がずいぶん様変わりしていた。

小堤西池風景-3

 カキツバタの写真をもう少しだけ。昨日の本編に入りきらなかった一枚を。
 カキツバタを風景として撮る場合は、やはり水と絡めて撮った方がいい雰囲気になる。

小堤西池風景-4

 カキツバタ風景写真をもう一枚。
 自然の中に野生のカキツバタがポツリ、ポツリと素朴に咲いている感じを表現すると、こんなふうになる。花畑のようなものを想像していくと、こんなもんなんだとちょっとがっかりしてしまうかもしれないけど、自然の風景として捉えれば風情があるとも言える。

小堤西池風景-5

 サギたちにとってはエサが豊富で暮らしやすい環境なのだろう。いつ行ってもダイサギ、コサギ、アオサギたちがいる。アマサギの姿は見かけない。
 カルガモも池の中央あたりに浮かんでいた。今年は子供が生まれただろうか。
 カキツバタの時期をのぞけば、農作業や犬の散歩の人たち以外はあまり近づく人もいないから、鳥たちにとってはのんびりできる。

小堤西池風景-6

 ケリも盛んに鳴いていた。オスがケケケケケっとけたたましく叫びながらカラスを追い払っていたから、おそらくヒナがいるのだろう。もう少ししたら、田んぼの中でエサを探し回るヒナたちの姿が見られるんじゃないだろうか。
 ツバメも飛び回っていたけど、相変わらず速すぎて撮れる気がしない。

小堤西池風景-7

 モズかなと思ったんだけど、ちょっと遠くて確認できなかった。写真で見ても小さくて確信が持てない。背中を見ればもう少しはっきりすると思ったら、その前に飛び去ってしまった。ホオジロでもないし。
 全然違うやつだったりするかも。

小堤西池風景-8

 水面に何かが顔を出して、最初カメかなと思ったら、そのままスルスルスルと水面を滑るように移動していった。ヘビだ。慌てたのでピントを合わせきれなかった。マムシに注意という看板が立っているけど、どんなヘビだろう。
 小堤西池にいる海獣コッツィーとかではない。

小堤西池風景-9

 よく似た花でもっと葉っぱが大きいガマズミも咲いていてそれは分かったんだけど、これが分からない。ガマズミとは葉っぱが違う。
 こういうコアジサイみたいなやつは似たものがたくさんあるから区別が難しい。
 分からないから保留。

小堤西池風景-10

 田植えがだいぶ進んでいた。植えるばかりになった苗も準備万端整っていた。もうそんな時期かと思ったけど、考えてみれば5月も残り10日しかない。そりゃあ田植えもしないと秋の収穫に間に合わない。
 鳳来寺四谷の千枚田も、もう田植えをしてるだろうか。あそこはヤマユリを見に行く7月の終わりしか見たことがないから、機会があれば別の季節も見てみたい。まだ水面が見える時期に行くと、空の色を映してきれいだろう。

小堤西池風景-11

 そろそろ日暮れも近づいたから、今日の農作業は終わりにしましょうか。私もそろそろ帰ることにしよう。

小堤西池風景-12

 この広い田畑を眺めるためだけでも、ここを訪れる価値はある。街中はせせこましいから、たまにはこういうところに立つと清々しい気持ちになる。
 小堤西池のオススメは夏だ。雑草が生い茂ってあぜ道を歩くのがちょっと大変だけど、虫がたくさんいて、水辺に咲く夏の花もいろいろ見ることができる。私は秋に行ったことがないから、一度訪ねてみたいと思っている。
 来年のカキツバタはどうだろう。できることなら午前中に一度行ってみたいところだ。見たこともないほど新鮮でみずみずしい花が咲いているのかもしれない。来年こそ、鮮度の高いカキツバタ情報をお届けしたいと思う。

小堤西池のカキツバタは四年連続四回目の時期はずれで唖然呆然

花/植物(Flower/plant)
小堤西池カキツバタ-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4



 二度あることは三度ある。三度目の正直。仏の顔も三度まで。四度目という言葉が入ったことわざは知らないから、なんと言っていいか変わらない。仏の顔も四度目には鬼となるのか。
 小堤西池へカキツバタを見に行くのは、今年で四年連続四回目となる。2005年は5月の10日に行って、勇み足。まだ二分咲きだった。2006年は満を持したつもりの29日で大遅刻。去年はジャストミートのはずの23日でも時すでに遅し。七分枯れだった。
 今年は毎日情報を確認して、今度こそはずさないぞと身構えていた。実は昨日行くつもりが、直前になって体調不良に陥り、今日にずれ込んだ。一日くらい大丈夫だろうと思ったら甘かった。まさか、その一日が致命的だとは思いもよらなかった。
 現地に着いて、今年もまた茫然自失。完全に遅れた。認めたくないけど認めざるを得ない遅参。咲いている花の8割くらいが枯れ始めているではないか。ピークは昨日かおとといだったらしい。まいったねこりゃと思ったのも、四年連続四回目のことになる。
 訪れている人がほとんどいなくて、手前に咲いているキショウブが枯れ果てる寸前だったのを見たとき、すでにしまったという予感がした。テントにはボランティア係員の姿もない。祭りのあとのけだるい空気感が漂っていた。ピークを過ぎた花名所はどこもこんな雰囲気だ。

小堤西池カキツバタ-2

 小堤西池全体の様子はこんな感じになっている。群落地といっても自然に咲いているところなので、辺り一面カキツバタがびっしり咲いているというわけではない。良く言えば素朴、悪く言えば寂しい。天然記念物の群落地と聞いて期待に胸を膨らませていくと、ちょっとがっかりしてしまう。昭和50年代までは紫に染まるほど咲いていたそうだけど、往時の姿はもうない。昭和の終わりに激減して、その後地元の人たちの活動によって近年また少しずつ数を増やしてきたという、。
 ここは灌漑用の溜池(約2万平方メートル)で、昔からカキツバタの自生地として知られていた。少し南に行った知立市もカキツバタが有名なところで、『伊勢物語』で在原業平がかきつばたの歌を詠んだことでも知られている。それは平安時代の初期だから、少なくとも千年以上前から咲いていたということになる。
 京都市の大田の沢、鳥取県岩美町の唐川と並んで日本三大カキツバタ自生地とされていて、中でも最も規模が大きいのがここ刈谷市の小堤西池だ。昭和13年に国の天然記念物に指定された。
 天然記念物だけに、下手に手を加えられない難しさがある。観光名所にしようと思えば、人の手でもっとカキツバタも植えて、肥料もやればずっと見栄えはよくなる。けど、それはできない。知立にある無量寿寺のカキツバタは大切に手入れされたカキツバタだから、両方を見比べると違いがよく分かる。それぞれのよさがある。

小堤西池カキツバタ-3

 カメラのお仲間も少なかった。ここはいつ行ってもそんなにたくさんの人と出会ったことはないのだけど、ピーク時の午前中などはもっと大勢の人が訪れているのだろう。
 この場所は、望遠レンズを持っていかないとどうしようもないところだ。カキツバタまでが遠すぎて、標準ズームやマクロでは全然届かない。300mmレンズでデジタルの1.5倍換算450mmでもまだ足りない。花撮りなのに、鳥撮り用の400mmが必要なところはここくらいじゃないか。
 近くに咲いているものはマクロレンズでも届くけど、活躍の場は少ない。近距離は明るい中望遠レンズがベストだろうと思う。

小堤西池カキツバタ-4

 しばらく撮っていたら、ようやく見物人たちがやって来た。でも犬の散歩の途中といった感じだから、地元の人がついでに見に来ただけだろう。日本三大自生でありながら、全国的な知名度は低そうだ。刈谷市は愛知県の中でも地味な存在だから、名古屋人でもどこにあるのかよく分かってない人が多いんじゃないか。
 ここのことは、中日新聞に載ると、翌日からどっと人が押し寄せる。そういう日に行き会わせると、あらためて中日新聞が地元民に与える影響力の強さを思い知ることになる。

小堤西池カキツバタ-5

 今年は一つ大きな異変が起きていた。池の水がものすごく多かったのだ。去年は水が全然なくて、一部はひからびて地面がむき出しになっていたのに、今年はこれまで見たことがないほど水が入っていた。特に雨が多かったわけでもないから、わざと入れたのだろう。水の量によって咲き具合が変わるのかを確かめる実験的な意味があったのかもしれない。
 けど、花の量は去年の比べてやや少ないような印象を受けた。一部ではかたまってよく咲いていたものの、去年の方が花は多かったような気がする。
 その年の気温などによっても変わってくるだろうから、何がカキツバタに良くて何が悪いかを決めるのは難しそうだ。年間の平均気温が上昇すれば、当然植物にも影響が出てくるし、個別の問題だけでなく、生態系全体の問題が個々に影響を及ぼすということもある。
 見渡す限り一面のカキツバタというのは、21世紀の今はもう、夢物語となってしまった。

小堤西池カキツバタ-6

 一番奥のあたりは満々と水をたたえて風景が一変していた。四年目にしてこんなのは初めて見た。
 ここは高いところから撮りたいといつも思う。上からの俯瞰で撮ると、また違った写真が撮れるのに。簡易なものでいいから、二階建てくらいの展望台を設置してくれないだろうか。カキツバタの時期だけの期間限定でいいから。

小堤西池カキツバタ-7

 このあたりが一番集まって咲いていたところだ。全体的にしなびてしまっていて、状態のいい花を探しても見つからないくらいだった。
 一つ思ったのが、時期的な問題だけでなく、時間の問題というのもあるかもしれないということだ。今日でも、もしかしたら午前中に行っていたらもう少し花の状態はよかったんじゃないだろうか。夕方というのは、カキツバタの花がしぼみ始めてしまう時間帯なのか。
 今年は咲き始めが例年に比べて少し早かったそうだ。それでピークが19日と20日になったのだろう。普段の年なら21日というのは致命的な遅れではないはずだ。

小堤西池カキツバタ-8

 なんとかきれいな状態の花を探して、単独で撮ってみる。これくらいの状態のものは本当に残り少なくて、近くに咲いているものでは数えるほどだった。
 カキツバタは枯れ始めるとすぐに花びらがフニャフニャっと縮れたり丸まったりしてしまうので、美しくなくなってしまう。この花も日本人好みの儚さだ。

小堤西池カキツバタ-9

 カキツバタも品種改良されていろいろな種類が作り出された。野生のものでも色の違いがあって、これなどは赤が強いタイプだ。
 小堤西池のカキツバタは全体的に紫色が濃い。環境のせいなのだろうけど、去年特にそう思って、今年もそうだった。2年前、3年前はもう少し青っぽくて淡い感じだったと思う。
 無量寿寺のものは、もっと青味が強くて、爽やかな印象を与える。

小堤西池カキツバタ-10

 状態のいい花を探すのをあきらめて、雰囲気描写に気持ちを切り替えた。カキツバタが咲いているからといって、カキツバタを撮らなければいけないわけではない。カキツバタを添え物として風景写真を撮ってもいい。

小堤西池カキツバタ-11

 水がたくさん入ったおかげで、風景に変化が出た。写真を撮る分には歓迎だ。
 ただ、カキツバタは湿地に咲く花で、本来池の中に咲く花じゃない。だから、こういう光景は、ちょっと不自然にも思う。

小堤西池カキツバタ-12

 ちょっと大人描写かな。二年前、三年前はこんな写真は撮れなかった。少しは成長してると思う。

小堤西池カキツバタ-13

 帰り際、名残を惜しむためにもう一度振り向いたら、自転車の人が止まって携帯で写真を撮っていた。それ、いただきです。

 四年連続で行くことになるとは自分でも驚きだけど、四年連続で時期を外すというのはもっと驚きだ。まるで成長がない。ここまでくると、カキツバタ遅刻の常習犯だ。小堤西池のカキツバタたちもあきれているだろう。あいつ、今年も遅れやがったかと。今年こそ大丈夫と思ったのに残念だ。
 来年、もし行けるようなら、今度は少し早めに行くことにしよう。ジャストポイントを狙っていって一日遅れると、ブログの情報の鮮度を考えても価値が低くなる。今年などは、せっかく紹介して、それを見た人がいたとしても、もう手遅れという状態だ。せめてピークの一日前じゃないと。それはカキツバタに限ったことではない。
 でも、これでまた一つ、季節の花をクリアした。次はバラだ。バラは咲いている期間が長いから、そんなに焦ることはない。全部の種類が一度に咲くということもないし、来週のどこかでいいだろう。
 再来週はもう6月で、そろそろアジサイが気になってくる頃だ。とにかく季節の花に関しては遅刻厳禁ということで今後ともよろしくお願いしたいのであった。

岡崎城と家康の前半生について長々と書いたから読むのは大変注意報

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
岡崎城-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 ブログが散策に追いついたと思ったら、まだ岡崎城が残っていた。ネタ切れで過去の在庫写真を漁っていたら出てきた。行ったのは桜の季節だから、もうひと月半も前のことになる。書くのをすっかり忘れていた。
 岡崎城へ行ったのはこのときが二度目で、最初にしっかり見て回ったからほとんど新鮮さはなかった。桜見物のついでということで、今回は天守閣にも登らず、周囲を歩いただけだった。けど、ブログのネタにするのは初めてなので、まとめとして一応ちゃんと書いておこうと思う。
 岡崎城というのは家康が生まれた城のわりには全国的な知名度が低い。岡崎城自体を知らない人もたくさんいることだろう。歴史の表舞台に登場するのは、小牧長久手の戦いのときや長篠の戦いのときくらいで、それも名前が出るというだけで、ここが主戦場になったわけではない。だから、印象としては弱い。
 今日は岡崎城とその時代の家康について書いて、岡崎城をもっとよく知ってもらおうというのが狙いだ。

 1452年頃、三河国守護仁木氏の守護代だった西郷稠頼(つぎより又はちかより)とその子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する守りを固めるために簡単な砦を築いたのが始まりとされている。
 1531年に徳川家康の祖父である松平清康が西郷信貞から奪い取って拡張工事を行い、岡崎城と名づけた。
 三河を平定して勢いづいた松平清康は、尾張に攻め込んだとき、守山城で家臣の謀反によって殺害されてしまう。いわゆる森山崩れ(1535年)というやつで、これはうちの近所で起こっている。
 跡を継いだ息子の松平広忠(家康の父)はまだ若く、力もなかったので、三河の地は再び乱れることになる。いったんは言うことを聞かせた豪族たちが次々に離れて国は弱体化し、東の今川、西の織田に挟まれてにっちもさっちもいかなくなっていく。
 1543年に岡崎城で生まれた竹千代(のちの家康)は、こんな情勢の中、今川家に人質として差し出されることになる。1547年、広忠は織田家に対抗するために今川家に従属を決め、竹千代は今川の駿河へ送られることとなった。数えで6歳のときだ。
 しかしここで一つの事件が起きる。売られたか、策略か、渥美半島の田原城主だった戸田康光に途中で奪還され、織田家に送られることになってしまったのだ。当時の織田家は信長の父、織田信秀の時代で、信長は13歳だった。運命というのはこんなもんで、ここで家康と信長は出会うこととなる。もしこの出会いがなければ、のちの歴史は大きく変わっていただろう。桶狭間のあと、家康は世に出ないまま埋もれていたかもしれない。信長に攻め入られて家臣になっていた可能性もある。
 竹千代は、大須にある万松寺(ばんしょうじ)という寺に預けられて、2年を過ごすことになる。ここは、信長が父親の葬儀にとんでもない格好で現れて、仏前に向かって抹香を投げたという有名な事件があった寺だ。
 1549年、松平広忠は父親と同じく家臣の謀反によって殺害されてしまう(病死という説もあり)。岡崎城は今川家の属城として城代が置かれることになった。
 この後、今川義元は織田家を攻めて、信長の兄信広を生け捕りに成功し、竹千代はその人質交換によって今度こそ今川家に人質として行くことになる。駿府で元服して、義元から一字をもらって元信と名乗るようになり、更に祖父の清康からももらって松平元康と改めた。
 桶狭間の合戦があったのが1560年、元康19歳のときだ。大将の今川義元の首を取られたことで岡崎城にいた今川軍が城を放り出して逃げてしまったので、その隙を突いて元康は岡崎城を奪還した。元康も桶狭間の戦いでは今川義元に従って参戦していたことはあまり語られない。
 1562年には信長と同盟を結び独立。翌年、初めて家康を名乗る。
 1570年に本拠地を浜松城に移すまでの10年間、家康は岡崎城を居城とした。それなりの改築はしたようだけど、現在のような城郭になるのはもっとあとのことだ。
 浜松に移ったあとは、嫡男の信康が入城した。
 しかし、その信康は織田信長に対する謀反の疑いをかけられ、結局切腹に追い込まれることとなる。家康の正室であり、信康の母親である築山殿とともに武田家に内通していたという理由だった。それによって築山殿も殺害されることとなる。
 けど、これもいろいろと不自然な点があり、謎とされている事件だ。どうしてそれだけのことで信長は激怒し、家康に嫡男を殺すことを命じたのか、何故家康はあっさり承諾してしまったのか。信康は信長に匹敵するほどの武将で信長が恐れたからだとか、気性が荒くてたびたび問題を起こしていたから家康が自ら行ったのだとか、あれこれ説はあるもののはっきりしない。
 それに続いて重臣だった石川数正が秀吉の元に走った事件もあり、このあたりから徳川家康は二人いて、途中で入れ替わったのだという説へとつながっていくこととなる。もともとの家康は桶狭間の数年後に病死して、家がつぶれることを懸念した家臣たちが画策して影武者を仕立てて、それが二代目の家康におさまったという説だ。石川数正の突然の不可解な出奔や、嫡男と正室の墓を信長の死後も捨て置いたままだったとか、いろいろともっともらしい話があって面白い。ただ、それをここで書くと長くなるのでやめておく。
 一時は石川数正も城代を勤めるも、秀吉に寝返ったことで岡崎城は即刻改修を余儀なくされる。数正に全部知られてしまっているからまずい。このあたりのことは以前に松本城のときにも少し書いた。
 1590年に家康が関東に移封されると、豊臣家家臣の田中吉政が入城してきた。このときに大改築が行われて、のちの城郭の基礎ができあがる。城下町を整備し、東海道を城下に引き込んで、岡崎の町は大いに賑わいをみせるようになる。
 現在の復元天守は、1617年に本多康紀が改築ものを再現している。
 江戸時代は、徳川譜代大名の本多、水野、松平などが5万石で城主を務めて、明治を迎えた。禄高は少ないものの、家康の生まれた城ということで特別な城という認識があったようだ。

岡崎城-2

 大きくて立派な大手門だけど、いかにも最近作りましたという感じがありありだ。平成になってから復元されたものだから、風格を持つようになるには少なくともあと100年はかかる。
 国道1号線沿いから少し入った公園の入り口にある。といっても、ここを通らないと中に入れないというわけではなく、横が大きな出入り口になっているから、わざわざ門をくぐる必要はない。あくまでも気分の問題だけだ。
 当時はここから北東に200メートルほどいった浄瑠璃寺の南にあったとされている。
 江戸時代のものは十間(18メートル)あったというけど、復元はどうなんだろう。完全再現されているのか、想像で作られているのか。
 最盛期の岡崎城は、江戸城、豊臣時代の大阪城、幕末の姫路城に次いで日本で四番目に大きな城郭だったことが最近の発掘調査で分かった。天守閣から500メートル離れた大林寺郭堀跡で石垣が見つかったのだ。皇居や姫路城と同規模だったとは、今の岡崎城からは想像がつかない。天守閣を中心にわりと広い範囲が公園として整備されているものの(全体では10ヘクタール)、名古屋城なんかと同じくらいのものを想像して行くと拍子抜けする。

岡崎城-5

 岡崎城名物からくり時計。9時から夕方5時までの0分と30分に時計の扉が開いて、中から家康のからくり人形が出てきて能を舞う。私はまだ見たことがない。
 奥に見えているのは「三河武士のやかた家康館」という有料の歴史資料館で、私は入ったことがない。話によると、それなりに見所があるそうだ。350円。

岡崎城-6

 徳川家康の像が建っている。それはいいとして、何故老年期の家康像なんだ。岡崎城にいたのは19歳から10年余りだから、ここくらいは若者の家康像にすべきだったんじゃないのか。家康というと老成したイメージが強いけど、当然若い頃もあったわけで、そのときはそれなりに颯爽とした若武者だったろうに。背は150センチそこそこしかなかったというし、若い頃から恰幅のいい体つきだったのかもしれないけど。
 馬に乗った武者がいたけど、あれも家康像らしい。そちらは若い感じだ。
 資料館の前には徳川四天王の一人、本多忠勝像もあって、そちらの方が格好良く作られている。兜に鹿の角をつけて、凛々しい武者姿をしている。

岡崎城-3

 このあたりの石垣などは、当時のものなのかどうなのかよく分からない。
 明治4年(1871年)の廃藩置県のときはまだ城郭は壊されず、城内に額田県庁が置かれた。明治6年から7年にかけて城郭の取り壊しは行われたものの、翌8年には旧本丸跡が城跡公園として残ることが決まっているから、ある程度は残されたのだろう。公園として整備されたのは大正8年で、そのときに二の丸跡まで含めた岡崎公園の基礎が作られた。
 そういうことを考えると、現在あrる堀や石垣などは当時のものと考えていいのかもしれない。
 昭和34年には鉄筋コンクリートながらも、かつての姿の天守閣が復元された。古い写真が残っているので、見た目の再現性は高い。
 北曲輪門や二の門、念沸堂赤門などは愛知県内の寺や民家に移築されて残っている。
 城内にある遺構としては、産湯の井戸くらいで、あまりない。

岡崎城-4

 堀にかかる朱塗りの神橋。堀は噴水が吹きだしてしまっている。なんてことをするんだ。
 アヒルはつきものだ。これはいないと寂しいくらいに感じる。昔はどうだったんだろう。渡り鳥くらいは飛んできて堀に浮かんでいたんだろうか。鯉なんかも飼っていたのかどうか。

岡崎城-7

 城内にある龍城神社(たつきじんじゃ)。この地は昔から龍に縁のあるところで、城の建っているところがそもそも龍頭山という丘の上で、岡崎城は別名、龍城とも呼ばれていた。
 西郷稠頼が城主だった頃、天女が現れ、自分はこの地にすむ龍神であるからして、私を神として祀れば城を守ってやるぞというものだから、急いで天守に龍神を祀ったというのが龍城神社の始まりとされている。
 のちに本多忠勝を合祀して、昭和37年に現在の社殿が建った。

岡崎城-8

 岡崎城はフォトジェニックな城じゃない。どの角度に回り込んでも障害物だらけで、まともに撮れない。特に正面がいただけない。誰ですか、こんなところに松を2本植えたのは。記念写真で松の木を前にして写真を撮る人はない。一番いいところを邪魔されてしまっている。
 天守閣に限って言えば、東南に位置する岡崎グランドホテル9階のスカイレストラン「パリ」がいいらしい。そこからなら天守閣の上半分がしっかり見える。
 天守閣の中は、資料館と展望室になっている。値段は200円。

岡崎城-9

 普段もライトアップしてるのかどうか知らないけど、このときは桜祭りということで夜の中、天守が白く浮かび上がっていた。

 家康は当時としては長生きといえる75歳(満年齢73歳)まで生きた。健康オタクとも言えるほど体には気を遣っていたという。八丁味噌ばかり食べていたから長生きだったんだという話もある。
 家康を天下人にしたのは、さまざまな要素が絡んでいて何が要因だったかは一概には言えない。ただ一つ言えることは、絶妙な位置取りをしたということだ。信長が生きていたときはつかず離れずで弟格ながら従属はせず、秀吉との対立の中でもぎりぎりまで家臣にならずに粘って力をためた。一転好機到来となっても、勢いに任せず用意周到に周りとの連帯を深めて千載一遇の機会をものにした。天下統一を果たしたのちも、油断怠りなくのちのちの制度を作り上げた。
 信長、秀吉、家康の中で、自分がその立場の人生を送るとなったとき、もっともなぞるのが難しいのが家康だろう。信長の才気とカリスマ性、秀吉の知略と魅力が備わっていたら、あれらの人生に似たものは実現できるかもしれないけど、家康の能力はどう分類していいのか分からないようなものだ。家康自身ももう一回やり直してみろと言われても二度はできないんじゃないか。
 それがもし、後半は影武者がやり遂げたことだとしたら、こんな愉快痛快なことはない。
 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし。家康の有名な言葉だ。自分も歳を取るとこの言葉が染みる。若い頃は何を辛気くさいことを言ってるんだと反発した。今はもっと家康のことが知りたくなっている。

 歴史シリーズは必ずといっていいほど長くなる。自分が書いていて楽しいというのがあって止まらなくなるのだけど、読まされる方は大変だ。でも、今後も折に触れて書いていきたい。誰に頼まれなくても書いてしまう。
 城はまだまだいろいろ回りたいし、家康の足跡は静岡県にたくさんあるから、そのうちツアーを組んでまとめて巡ろう。
 近々、岐阜・関ヶ原巡りに行く予定もある。戦国野郎・戦国お嬢の方はお楽しみに。

天王川公園周辺で津島編が完結して更新が散策に追いついた

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
天王川公園周辺-1

PENTAX K100D+smc Takumar 28mm f3.5



 津島の藤に続いて本町シリーズも終わって、天王川公園周辺の写真が余った。本編に入らなかった写真を集めてみたらけっこうあったので、それをまとめて一回分のネタにしてしまおう。捨て置くのはもったいない。
 天王川公園は、天王川をせき止めて作った丸池を中心とした公園で、名前もそこから来ている。天王川という地名ではない。かつては川が町の中心を流れていた。
 丸池の横には川の名残と思われる水路がある。この水路は丸池とつながっていて、地図で見ると南側は急速に狭くなって、その後縦横に張り巡らされた水路になる。どこからどこに向かって流れているのかよく分からない。池の水量は一定で、川の一方はせき止められているから、池に向かって流れ込んでいるにしても池から流れ出ているにしても、どちらも不自然な気がする。どこかでうまいことなっているんだろうけど。
 水はあまりきれいではないものの、このあたりの水風景は好きだ。城の堀みたいでなかなか雰囲気がある。
 写真の奥が藤棚のあるところだ。

天王川公園周辺-2

 池には足こぎボートが並んでいる。こぎ出している人を見たことがないけど、それは私が訪れるのがいつも平日の夕方だからだろう。いい季節の休みの日限定かもしれない。桜の季節などはいるのだろう。
 渡りのカモを見たことがないのは、秋冬に訪れていないからか。一番最初に行ったときの季節は忘れてしまったけど、そのときはユリカモメがたくさんいた。当時はまだ野鳥に興味がなかった頃だったから、海でもないところにカモメがいることにたいそう驚いたものだった。カモメに見えるけどカモメではない鳥だろうと思った。
 遠くに見えている赤い橋は中之島に架かる橋で、歩いて渡ることができる。島の中には津島が生んだ詩人野口米次郎の銅像と詩碑が建っている。
 この周辺にだけ、夏にはたくさんの睡蓮が花を咲かせる。

天王川公園周辺-3

 公園の周囲はけっこう車がよく通るから、おちおち歩いていられない。抜け道になっているんだろうか。
 このあたりも木々が生い茂っていて、車が通らなければ散歩道にいいのに。

天王川公園周辺-4

 川の東の行き止まりには、点々と人工の小島があって、その上に何かが建っている。これは何だろう。
 昔は重要な水路だったというけど、そこまで古いもののようには見えない。何かの名残なのか、今でも使われているものなのか。歩いてはいけないところだから、船に関係あるんだろう。お祭りのときに使用されるものとかだろうか。
 調べたところ、車河戸(くるまこうど)なるもので、祭りの船の準備をするときに使うようだ。
 流れが淀む場所は水が汚い。落ち葉やらゴミやらが流れ着いてたまっている。構造上仕方がないところだけど、いい印象は受けない。藤が終わりの時期だったということもあるかもしれない。

天王川公園周辺-5

 丸池の東に御嶽神社がある。おんたけと読むのか、みたけと読むのか、名前からして山岳信仰に関係がある神社だろうか。この名前がついた神社は全国にたくさんある。津島のものはどういういわれのあるものなのか、知らない。ネットで調べても、これといった情報が出てこなかった。
 小綺麗で、しっかり手入れされているところのようだ。

天王川公園周辺-6

 祭り関係の山車をしまってあるのだろう。こういうのは山車庫とでもいうんだろうか。
 津島の尾張天王まつりは500年以上も続く伝統の祭りで、信長や秀吉もお気に入りだったと言われている。
 3ヶ月の長きに渡って行われる祭りで、クライマックスは7月の終わりの土日にある宵祭と朝祭だ。特に川にたくさんの提灯を付けた船がこぎ出す提灯祭りが有名で、大阪の天満天神祭、広島厳島神社の管絃祭とともに日本三大川祭りの一つとされている。なかなか幻想的な光景ということなので、一度くらいは見てみたいと思っている。

天王川公園周辺-7

 津島神社も3度目となるとお馴染み感が強い。今年は省略しようかなと一瞬思って、思い直した。こんなに近くまで来ていて寄っていかないと叱られてしまう。
 去年はかなり大がかりな工事をしていて落ち着かない感じだったけど、今年はだいぶ落ち着いていた。それでもまだ少しプレハブっぽいものが残っていたから、修理が完成するのはもう少し先になるようだ。
 津島神社に関しては去年しっかり書いたから、あれ以上付け足すことはない。

天王川公園周辺-8

 ここの社殿はとても好きだ。なんとなく波長が合うというか、心が落ち着く。
 去年はここの左右と裏手を囲って工事をしていた。回廊のあたりを修理していたのだろうか。
 拝殿の奥が本殿で、その左右にある回廊でつながっている。
 江戸時代初期の1605年に建てられたものということで歴史的な価値も高く、重要文化財に指定されている。

天王川公園周辺-9

 東側に建っているのが、豊臣秀吉が寄進したとされる立派な楼門だ。
 1591年に建てられたものがそのまま残っていて、こちらも重文指定になっている。

天王川公園周辺-10

 津島神社の東南にも古い家並みが残っている。こちらは本町の商家とは違って、門前のお金持ちの家といった感じだ。江戸時代は宿場があったあたりかもしれない。

天王川公園周辺-11

 このあたりはもう堀田家の敷地内なのかどうなのか。これは別の屋敷か。
 掘田家住宅は国の重要文化財になっていて、土日祝日は有料(300円)で見学することができる(平日は予約制)。
 江戸時代中期に建てられた尾張地方の代表的な建物ということで、一見の価値がある。いつか見に行こうと思いながら、私はまだ見ることができないでいる。
 天王川公園の東には江戸時代末期に建てられた氷室家というのもあるのだけど、そちらは一般公開されていない。

天王川公園周辺-12

 堀田家を遠巻きに眺める。門も塀も高くて、中の様子はうかがい知れない。623坪の敷地に母屋と土蔵3棟が建っているらしい。
 現在は津島市に寄贈されて、人は住んでいないようだ。

 津島編はこれですべて終わった。天王川公園の藤は今年も遅刻だったけど、本町のレトロ風景は大きな収穫だった。取りこぼした分は、また来年の藤のときにでも回ろう。次こそは藤まつりの期間中に行って、最高潮の藤を見てみたいものだ。
 しばらくの間、散策にブログの更新が追いつけないのが続いていたけど、これでようやく追いついた。言葉を変えれば在庫がなくなって、ネタ切れ注意報だ。明日からまた仕入れにいかないといけない。
 季節の花巡りも再開して、まずはカキツバタからだ。バラもすぐあとに控えている。そうこうしてるうちに6月になればアジサイだ。
 来週はまた電車の旅に出るつもりでいる。久しぶりに海も見たいし、ぼんやりしてる暇はないのだ。

マクドナルドサンデーは思ったよりも普通に夕飯として成立した

料理(Cooking)
マックサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は、マクドナルドもどきサンデーとなった。何故そうなったのかは、自分でもよく分からない。特に何かきっかけがあったというわけでもなく、マクドナルドのメニューを料理に流用するとどんなものができるんだろうという思いつきから始まった。
 結果としては、マックといえばマックだし、そうと言わなければ気づかないくらいのもどき料理になった。例によって思惑通りにいかない部分があって、思ったほどの再現度にはならなかった。
 マクドナルドのメニューを見ると、やはりというかなんというか、基本はハンバーガーしかない。過去にはいろいろなサイドメニューや限定商品もあったのだろうけど、人生でマクドナルドへ行った回数が20回以下の私としては、かつてどんなメニューがあったのか知るよしもない。ロッテリアは中学のとき限定で30回くらいは行ってる。モスバーガーは3回だったか4回だったか。一つ確かなことは、私はアメリカで貧乏暮らしはできないということだ。1日3食ハンバーガーなんて、耐えられない。
 それはともかくとして、応用するとすれば、ハンバーガーの中身をおかずに採用するしかないということになり、そこから2品、もう1品は定番のポテトを作ることに決めた。

 左手前は、エビちゃんにあやかって、えびフィレオを選択してみた。ただし、実際に食べたことがないので、作り方は勘だ。おそらく、実物とはかなり違うものとなっているはずだけど、マクドナルドに作り方を訊いてもきっと教えてくれないだろうから、オレ流でいくしかない。
 その前にフィレオって何だよ、と思う。どうしてエビの場合はエビが前に付いて、魚になるとフィレオフィッシュになるんだろう。フィレオえびじゃなく、えびフィレオの理由が知りたい。
 調べたところ、分かったような分からないようなだった。まず、フィレというのは、骨なしの切り身という意味のfilletを指しているらしい。日本語ではヒレ肉みたな使い方をするあれだ。だとすれば、フィレオフィッシュならfillet of fishで、それが簡略化されてfillet o'fishになったのかというとそうでもなく、マクドナルドのメニューにはFile-o-Fishと表記されているそうなのだ。しかも、アメリカのマクドナルドではfish o filletになっているらしい。頭が混乱する。えびフィレオの場合は、えびfillet ofとなって、これまた間違った使い方ということにならないか。shrimp fillet ofでは単語の並び順がおかしなことになる。
 結局、フィレオの意味は今ひとつ分からず、問題は解決しないまま、私のえびフィレオ作りは進んでいくことになる。
 エビは背わたはらわたを取ってみじん切りにして、タマネギも刻む。ここで一つ、ネットに載っていたアイディアを採用した。白はんぺんと卵白を使うというものだ。はんぺんも刻んで、卵白と共によく混ぜる。塩、コショウ、白ワイン、しょう油少々で下味をつけて、あとは小麦粉、卵、パン粉ところもをつけて揚げるだけだ。
 これは面白い食感になる。フワフワというか、モコモコというか、かなりの弾力だ。はんぺんを多くするほどその傾向が強くなるだろうから、エビ1に対してはんぺん1/2くらいでいい。
 今回はタルタルソースを作ってつけて食べたけど、単純にしょう油味の方が美味しいような気もした。ソースはちょっと合わないか。

 右は失敗作のチーズハンバーガーだ。形が整いきらなかった。肉を使わない豆腐と白身魚のヘルシーハンバーグだったから、タネがしっかりせずにボロボロになった。
 まず、木綿豆腐を水切りして、白身魚、卵、タマネギ、塩、コショウ、パン粉でハンバーグのタネを作る。ここでひき肉を使っていればよくこねて粘りを出すところなのだけど、肉を使ってないから粘りがなかった。それで焼いたりひっくり返している間に格好がガタガタになってしまったのだった。
 豆腐ハンバーグは薄く2枚焼いて、しょう油、酒、みりん、カタクリ粉で照り焼きにした。間にとろけるスライスチーズを挟んで少し加熱して、軽く焼いたトマトを乗せてできあがり。
 味は美味しかったし、これはハンバーガーらしかった。このまま食パンに挟んでも美味しく食べられそうだ。

 奥はフライドポテトだ。普通に揚げるだけでは料理らしくないから、少し工夫して、なおかつ簡単に作れるレシピにした。
 まずジャガイモをよく水洗いして、たわしなどでこする。そうして丸ごとラップにくるんでレンジで5分ほど加熱する。
 それを皮ごと切り分けて、軽く塩とカタクリ粉を振って、たっぷりのオリーブオイルを入れたフライパンで炒めるのだ。最後に青のりと黒コショウを振りかけたらできあがり。
 ソースは、トマト、タマネギ、ケチャップ、白ワイン、水、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖で作った簡単トマトソースだ。たいして手間もかからないし、美味しいから、このソースはオススメできる。
 こうやって作ればフライドポテトは簡単だし、ハンバーグなどのつけあわせとしてついでに作ってもいい。味はマクドナルドのものよりも上だ。

 突然の思いつきで作ったマックサンデーだったけど、意外と普通に成立した。少しカロリーが高すぎてくどいかなと心配したのだけど、思ったほどではなかった。
 アメリカ人はこの料理を食べたらどう思うんだろう。美味しいと思うのかどうか、全然見当がつかない。そもそも、彼らはハンバーガーやホットドッグを心底美味しいと思って食べてるのだろうか。イタリアやフランスや中国の人たちの味覚というのは信じられるけど、アメリカ人やイギリス人の味覚は不思議なところがある。美味しいレストランもたくさんあるはずなのに、まずいものに対する耐久性が高いということなのか。
 そういえば、アメリカ料理やイギリス料理というテーマでは、これまで一度も作ったことがない。英米人の味覚の秘密に迫るためにも、そのうち挑戦してみよう。けど、日本人にとって美味しくないイギリス料理というのは、どうやったら再現できるのだろう。意外と手強いサンデー料理になりそうだ。
 それから、えびフィレオはマクドナルドで一度ぜひ食べてみたいと思う。

煙突と斜陽の似合う津島市本町は寺社の密集地帯でもある <後編>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
津島本町煙突のある風景




 昨日の前編に続いて津島のレトロ町、本町についての後編をお届けします。

 本町のたたずまいには、銭湯の煙突がよく似合う。遠くを見ると何本か立っている。まだ営業してるのだろうか。
 昭和30年代、40年代が銭湯のピークだった。家庭用の風呂が普及するにつれて銭湯はすたれていき、下駄をカラコロ鳴らして赤い手ぬぐいをマフラーに風呂桶を持って銭湯通いなんて光景も、今は昔の今昔物語だ。
 それでも、銭湯が絶滅の危機に瀕しているかといえば、まだそこまではいっていない。組合に加盟しているところだけで全国5,000軒以上あるという。実際の数はもっと多いはずだ。田舎ほど少なく、都会の方がよく残っているのは、風呂なしアパートが多いからというのも理由の一つだろう。一番多いのは東京で、大阪、北海道、神奈川、愛知、京都と続く。東京は数年前に1,000軒を割ったものの、まだ900軒以上の銭湯が営業を続けている。
 最近はスーパー銭湯が全国各地にできて、けっこうな人気となっている(スーパー銭湯発祥の地は大阪で、1995年頃から名古屋でブームになって、その後全国に広まっていったとされる)。大江戸温泉物語のように銭湯のテーマパークのようなものもできている。銭湯と公衆浴場は別扱いらしいのだけど、細かい定義まではよく知らない。 
 津島は一番多いときで8軒ほど銭湯があったそうだ。現在では2軒だか3軒だからしいのだけど、それでも残ってる方だろう。本町湯というところは確かにやっているという情報を得ていたので、そこを目指した(2012年に廃業したようだ)。
 上の写真は、地図で見ると筏場浴場と書かれているところだ。けど、入り口が見つからず、近づくことができなかった。おそらくもう営業はしてないのだろう。
 そのすぐ北にある長珍酒造というところも行こうと思っていて見つけることができなかった。地図でも道から中に入ってたところだから、一般人進入禁止かもしれない。写真に写ってる黒い建物なんかがそれっぽいのだけど、どうだろう。



津島本町煙突

 裏手に回っても屋根の上から顔を出す煙突はよく目立つ。昔は高い建物がなかったから、銭湯の煙突が町のランドマークだったのだろう。
 銭湯の値段は都道府県ごとに決められていて、400円前後のところが多い。一番高いのが東京の430円で、安い宮崎などは300円だ。私の感覚では町の銭湯は200円くらいが妥当なんじゃないかと思うけど、現在のように客が少なくなってしまってはそれではとても経営が成り立っていかない。
 それにしても銭湯が400円もしてしまうということは、もはや貧乏人は銭湯も行けない。毎日通ったら月に1万2,000円もかかってしまう。そのへんの月極駐車場よりも高い。お年寄りが年金の中から出す金額としても1万円以上というのは安い額ではない。銭湯通いが好きなじいちゃんが2日に1度、3日に1度にしなくてはいけないとなると、世知辛い世の中になったもんだと思わずにはいられない。



津島本町本町湯

 本町湯は確かにやっていた。昭和13年から営業しているそうで、その頃からほとんど変わってないんじゃないかと思わせるたたずまいだ。さすがに戦後になって一度くらいは改築してるだろうか。
 中の様子を写した写真を見たけど、またすごいことになっている。レトロという次元さえも超えている。いつか機会があれば、中の様子を余すところなく写真におさめて紹介したいと思う。かなりびっくりするはずだ。近くの方はぜひ直接行って、自分の目で確かめて欲しい。



津島本町本町湯裏手

 開いている扉から中をのぞいてみたら、薪をくべていた。いまどき、薪の方が高くつくし、火の番も大変だ。
 このあたりの一角は、完全に時代が30年は戻っている、というか昭和のまま止まっている。



津島本町成信坊

 津島は津島神社の門前町として発展した一方で寺の多い地区でもある。このあたりだけで30以上も寺社があるという。地図を見ると、こんなに狭いところにこんなにもたくさん寺は必要ないだろうというくらい寺が密集している。理由はよく分からない。
 上の写真は、本町1丁目にある成信坊(じょうしんぼう)というお寺さんだ。時間がなくて中には入らなかったけど、外から遠巻きに見るだけでも立派な堂と門だった。



津島本町坂口神社

 すごく狭いところに、こそっおさまった坂口神社。小さいながら門もある。祠の前にはミニサイズの狛犬もしっかりいる。
 もともとどれくらいの規模だったのかは分からないけど、もしかしたら屋根神様を降ろして祀っているものかもしれない。



津島本町筏場神社

 これはやや大きめの筏場神社。番地では本町の隣の横町にあって、その隣が筏場町だから、そこから名前はきているのだろう。
 かつてこのあたりは筏をとめておいた場所だったのだろうか。海だったのか、川だったのか。とすれば、これは水の神様かもしれない。



津島本町堤下神社

 堤下神社。ここは小さいながらも境内に木が茂っていて、神社らしい雰囲気を持っていた。
 かつて天王川が流れていた堤防の下にあったから、この名前がつけられたのだろう。
 境内には井戸の跡が残されている。井戸は糀屋の前に上切の井戸というのもあって、あちらはまだ枯れていないようだ。
 この他にも、加藤清正ゆかりの清正公社など、見切れなかった寺社がたくさんある。



津島本町津島佐織キリスト教会

 天王通に出て、少し西へ行くと、津島佐織キリスト教会がある。建物の感じからしてプロテスタントだろうか。



津島本町黒塀の通り

 地図で津島の大椋(オオムク)というのを見つけて、それらしいところへ行くも、見あたらない。黒塀で囲まれたところに大きな木がたくさん立っていたからその中の一本かとも思ったのだけど、どうやら違うようだ。
 帰ってきて調べたところ、枯れて倒れたとかですでに切り株しか残っていないらしい。



津島本町西日に照らされる

 こういう歴史のある古い町並みは、夕方の斜陽がよく似合う。昭和の色合いがますます深まって、ちょっと切ないような気持ちになる。
 けっこう歩いて日没が迫ったところで帰ることにした。けど、家に帰ってきてからネットで散策マップを見つけて見てみると、いくつか見逃したものがある。氷室家住居や蔵の道は知らなかった。詩人野口米次郎の生家も残っているようだし、屋根神様や丸ポストなんてのも載っている。旧津島信用金庫の古い建物も逃している。これだけ見落としが多いと、もう一度行かないといけない。
 それにしても、こんなに魅力的な町があまり知られていないのはもったいない。住人がよそ者の訪問を望んでいないということはあるのだろうけど、人を呼ぶ観光資源としての可能性を大いに感じた。天王公園の藤や津島神社があって、古い町並みも残っているということでは足助の町と共通項がある。足助は中馬のおひなさんたんころりんなどで町おこしに成功している。
 津島には伝統のお祭り、津島天王祭もある。
 古い町並みが好きな人ならきっと感じるものがある場所だから、機会があればぜひ一度訊ねてみてください。

 知られざる魅惑のレトロ町、津島市本町を散策する <前編>

【アクセス】
 ・名鉄尾西線「津島駅」から徒歩約12分。

 津島市観光協会webサイト
 

知られざる魅惑のレトロ町、津島市本町を散策する <前編>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
津島本町の街並み




 名古屋の西に位置する津島市の一角にレトロな町並が残っている。天王川公園の東側の下街道エリアと、天王通りを挟んで北側の上街道エリアで、本町筋(ほんまちすじ)と呼ばれる本町1丁目から3丁目にかけてだ。名鉄津島駅津島神社を結ぶ天王通りの間といった方が分かりやすいだろうか。
 つい最近、この町の存在を知って、天王川公園の藤を撮りにいったときに歩いてきた。なかなか魅力的な町並みだったので紹介したい。
 町並保存地区に指定されているわけではなく観光地でもないので、そこがよさでもあるのだけど、道が入り組んでいて分かりづらい上に案内などもあまりないため、歩いていてときどき道に迷った。土地勘がないと方向感覚が狂いがちだ。地図を持参した方がいいかもしれない。



津島本町筋道しるべ

 辻には一応こんな案内標識も立っているものの、これだけではよく分からない。散策マップのようなものがあるといいのだけど。
 見所は、緩く弧を描きながら南北を貫いている本町筋沿いに多い。天王通り沿いを歩くだけでなく、内まで入っていきたい。
 津島は津島神社の参道沿いの町として発展し、江戸時代を経て、現在に至っている。
 津島神社の創建は古く、社伝によるとスサノオの和魂(にきたま)が対馬からこの地にやってきたのが540年で、810年に現在地に遷座されたとしている。ただ、「延喜式」(927年完成)には載っていないため、実際の創建年は平安時代後期ではないかとされている。公式の記録に初めて登場するのが1175年(大般若経奥書)ということで、平安時代にできていたのは間違いなさそうだ。
 鎌倉時代に整備された旧津島上街道は、東国と京都を結ぶ古東海道の一部で、尾張の清洲と伊勢や桑名の中継点だった。佐屋街道から分岐した津島下街道との合流点近くに本町がある。
 戦国時代は、織田家が津島神社を氏神として社殿を整備し、秀吉や秀頼が楼門などを寄進したことでますます発展した。
 江戸時代になると、津島と名古屋城下を結ぶ街道として町家などが立ち並ぶことになる。現在残されている古い町並みは、その頃の名残だ。
 巡見街道とも呼ばれるのは、江戸時代に幕府の巡見使という役人が視察のために訪れていたことからきている。
 本町筋が蛇行しているのは、かつてここには天王川が流れていて、その堤防沿いにできた道だったからだ。もう一本あった佐屋川と共に今はもう埋め立てられ、天王川公園の横でせき止められて一部を残すのみとなっている。
 濃尾地震(1891年)と伊勢湾台風(1959年)で壊滅的な被害を受けつつも古い町並みは残った。伊勢湾台風のときは町全体が水に浸かったという。



津島神社参道石碑

 ここは本町1丁目だったと思うのだけど、ちょっと自信がない。左が津島神社とあるから、天王通りから少し北に入ったところだろうか。
 古い町並みといっても、残っているのはごく一部で、新しい家並みと共存している。昭和の面影も残しているから、そういう部分でも懐かしさを感じる。
 完全に生活圏なので、生きている町を見ることができる興味深さと、観光客として写真を撮っている場違いな自分の居心地の悪さと、両方を感じることになった。



古いお茶屋さん

 個人商店で頑張っているところがたくさんあって、しかも何を売っている店なのかよく分からないところもある。ここはお茶屋さんだったのか。



格子の町屋

 街道沿いといっても宿場町として発展したところではないから、町屋が多い。残っているのは米商人や綿糸など繊維関係の商家が多いと思われる。
 平屋と二階建てが混在し、どの家も格子造りになっている。
 古いながらも大部分は改築するか修理するかで現役の家屋として使われているようだ。表から見える部分は古さを残して、内装は現代風になっているのかもしれない。町並保存への協力姿勢も見られて、エアコンの室外機も格子で目隠ししていたりする。



古い呉服店

 戎(えびす)に徳で、エビトク呉服店とでもいうのだろうか。
 これは昭和の洋服店の面影というよりも、もっと古い時代から続く呉服屋さんだろう。ひょとすると創業は江戸時代かもしれない。



青果店

 手前が青果店で、右隣は呉服店だったか。手前の看板にある平徳呉服店というのがそれか。
 本町界隈まではスーパーやコンビニが進出してきていないようだから、まだこういう店も商売をやっていけるのだろう。



古い薬局

 薬局というか、薬屋さんと呼ぶのがふさわしい店構えだ。



糀屋

 糀屋とあるけど、何屋さんか分からなかった。創業安政2年といえば幕末の1855年だ。店の中を見ても、どんな商品を扱っているのか様子が知れない。
 帰ってきてから調べたら、糀は「こうじ」、つまり、麹を売る店だった。米麹とかの麹で、日本酒や味噌、しょう油などを作るときに使うあれだ。そんなものを専門に作って売ってる店があるなんて知らなかった。



格子風の中日新聞販売店

 中日新聞の販売店までこんなことになっている。これは明らかに作り物だけど、この町がここまで徹底してるという表れでもある。



床屋さん

 昭和の床屋さん。



アクセサリー屋さん

 すでに閉店して久しい様子の店舗。おしやれの店。
 袋物って何だろう。巾着袋とかしか思い浮かばないのだけど、世の中には私が知らない袋物の商品がたくさんあるんだろうか。バッグのことか? いや、でもアクセサリーは英語なんだから、バッグならバッグと書くはずだ。ということは、やはり袋物を扱っていたに違いない。和装では一般的なのか。



閉店した喫茶店

 喫茶店だったことまでは分かるけど、店名までは読み取れない。EMEで始まる喫茶店らしい名前ってなんだろう。
 そういえば、この界隈は飲食店をあまり見かけなかった気がする。外食の習慣がなくて、みんな家で食べるのか。宿場町とそうじゃないところは店の顔ぶれがずいぶん違うものだとあらためて思った。

 後編に続く。
 
 煙突と斜陽の似合う津島本市町は寺社の密集地帯でもある <後編>

【アクセス】
 ・名鉄尾西線「津島駅」から徒歩約12分。

 津島市観光協会webサイト
 

手抜きじゃないけど今日はカルガモや花なんかの軽いネタを

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
5月の雨池-1

PENTAX K100D+SIGMA 400mm f5.6



 5月に入って、各地からカルガモの赤ちゃん誕生の便りが届き始めた。モコモコの毛並みをしたカルガモのチビがお母さんのあとについてヒョコヒョコ歩いている姿は、初夏の風物詩としてだいぶ定着してきた。皇居に引っ越しをするカルガモの親子のニュース映像を見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
 あれは、三井物産のプラザ池という人工池で生まれた赤ちゃんが、皇居のお堀に引っ越すシーンだ。それをお世話するカルガモレディなる人がいることを知っているだろうか。カルガモを見守り、日記を付け、何かあればすぐに池に駆けつけるカルガモレディ。現在は、4代目の前島淑子さんという人が10年前から勤めている。毎年生まれるわけではないようなので、暇な年もある。
 私はカルガモの赤ちゃんというのはこれまで一度も見たことがない。だいぶ成長したチビは一度、グリーンピア春日井の池で見たけど、あれだけだ。今年こそどこかで見たいと思っていて、まず最初に思いついたのが雨池だった。そんなわけで、今日ちょっと様子を見に行ってきた。

5月の雨池-2

 うーん、いないか。カルガモの親は4、5羽いたのだけど、池の中央あたりでのんきに浮かんでいるだけだった。子育てしてるような緊張感は見られない。ぐるりと池を一周してみても、赤ちゃんがいるような気配はなかった。今年は生まないのか、まだこれからなのか。カルガモの産卵期は、4月から7月までと期間が長いから、まだ可能性はある。
 池の上ではさかんにツバメが飛び交っていた。水面近くにいる虫でも捕まえていたのだろうか。スピードが速すぎて狙って撮るなんてことはとてもできない。レンズを構えて偶然ファインダーの中に入ってくるのを待つしかない。そうやって撮れたのが上の写真だ。見えるだろうか、右下に写ってる黒いやつ。飛ぶツバメだ。
 これはかなり距離があったからなんとか入ったけど、10メートル以内の至近距離でツバメを撮るのは至難の業だ。ツバメの流し撮りなんてできたら、すぐにプロスポーツカメラマンになれる。明るい条件のときに、待って速いシャッター速度で撮るしかない。偶然頼みになる。
 4月に尾張旭の田んぼに行ったときはツバメがやけに少なかったけど、今頃は数が増えただろうか。
 ケリの子育ても気になってるし、長久手の田んぼのアマサギもそろそろ見られるかもしれない。

5月の雨池-3

 ふいにカルガモが飛び立った。何かに驚いたというわけでもなく、以心伝心2羽同時に。鳥同士は鳴き交わさなくても意思の疎通ができる。互いに気配を読み取るんだろうか。

5月の雨池-4

 露出を間違えて、ものすごく白飛びした上に、ピントも合わず、手ぶれも起こした。けどその三重苦がソフトフォーカス効果を生んで、怪我の功名的な面白い写真になった。最近、ソフトフォーカスレンズが欲しくなっている私としては、こういうのを見るとますます買いたくなってくる。ソフトフィルターでは物足りないから、やっぱりレンズだ。

5月の雨池-5

 完全に眠りこけている黒猫を発見。首輪もしてないし、体つきからして野良だろう。
 すごく無防備なようだけど、人が入っていけないようなところだから大丈夫。それで安心しきってたんだな。
 野良にとっても今は一番いい季節だ。今日は暑くもなく、寒くもなく、ポカポカして気持ちがいい5月の一日だった。

5月の雨池-6

 こちらはいい体格をした猫だった。毛並みがきれいだから、飼われているものじゃなくても、人にメシをもらってるやつだろう。でもちょっと警戒気味。私が向けたミニバズーカのレンズに恐れをなしたか。
 このあと、ササッと草陰に駆け込んでいった。外にいる猫はそれくらい警戒心が強い方が長生きできる。人なつっこいのは人間にはかわいがられるけど、危険に対して鈍くなってしまうから危ない。

5月の雨池-7

 水辺にたくさんのキショウブ(黄菖蒲)が咲いていた。ヨーロッパ原産で明治になって日本に入ってきたものだから、自生しているはずはない。誰かが最初に植えたものが野生化して増えたのだろう。
 花にしても生き物にしても、なんで外国産ってこうも強いのだろう。生き残り勝負になると、日本産のものはたいてい負けてしまう。キショウブも強い花で、全国各地で野生化している。一方で日本に古くからあったカキツバタなどは減少する一方だ。

5月の雨池-8

 ムラサキツメクサもたくさん咲いている。シロツメクサと共に、いわゆる三つ葉のクローバーの花だ。
 白は日本産で、紫は外国産、ではない。両方ともヨーロッパやアフリカ原産で、明治に肥料として持ち込まれたのが最初とされている。今や日本全国で雑草のように野生化している。
 シロツメクサは背が低いけど、ムラサキツメクサはときどきびっくりするくらい背の高いやつがいる。最大で80センチくらいになるようだ。
 四つ葉のクローバーでも珍しいのに、たまに十葉クローバーなんてのが見つかることがある。そこまでいってしまうと幸運だかなんだかよく分からなくなってしまうけど。

5月の雨池-9

 これはよく見かける黄色い花の八重咲きのものだと思うんだけど、いつも名前が分からない。
 コレオプシスというやつかな。違うかな。保留。

5月の雨池-10

 今日は飛行機雲がなかなか消えずに残って、何本も空を横切っていた。明日の天気予報は晴れだけど、天気は崩れるんだろうか。
 ぐいんとカーブした飛行機雲はちょっと珍しい。旋回して小牧空港へ向かったか。

 カルガモの赤ちゃんは残念ながら見つけることができなかった。他を当たらないといけない。近場なら、香流川、矢田川、白沢渓谷あたりか。グリーンピア春日井は今年はどうだろう。ネットの情報を探りつつ、中日新聞にも期待しよう。地元の小ネタは中日新聞にお任せだ。
 ここのところ長々とした更新が続いたから、今日は軽めで、これでおしまいにしよう。たまには読む方としても楽したいはず。いやいや、私が怠けたいわけではないですよ。明日からはまたビシッと長く書こうではないか。神社仏閣、歴史ネタになると長くなるから、そのあたりで攻めようか。

早朝の光の中で見る名古屋駅の風景は新鮮で少し非現実的だった

名古屋(Nagoya)
朝の名古屋駅-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 名古屋駅の朝5時半。東京とは違い、まだ街は完全に目覚めきっていない。道行く人もまばらで、車も時折思い出したように通りすぎるだけだ。何より、とても静かだ。夜が早いといわれる名古屋は、朝も遅い、よく眠る街だった。
 家に帰るためのバスも地下鉄も、6時を過ぎないと動き出さない。それまでの30分間、ぼんやり途方に暮れているのも能がないということで、名古屋駅周辺の写真を撮ることにした。もちろん、こんな時間に駅の写真を撮ってる人間など私の他にはいない。そもそも歩いてる人自体ほとんどいないのだから。
 私の写真の大部分は午後で、その多くが夕方の光の中で撮られている。遠出したときは午前中の写真もあるけど、朝の写真は少ない。ましてや早朝の写真などほとんどない。そういう意味では、今日の写真は珍しいものでもあり、私にとって貴重なものでもあった。
 早朝の光というのはまた独特で、夕暮れとは質感が違っている。朝焼け色も、夕焼け色とは別のものだ。すごく新鮮に感じた。そのあたりが伝わるといいのだけど。
 上の写真は駅裏の太閤通口がある方だ。太閤というのは、あの太閤秀吉の太閤で、秀吉は名古屋駅裏で生まれたから、そこから名前が取られている。
 最近の私は駅前よりもこちらの方に来ることが多い。新幹線のホームがあるのもこちらで、ビジネスホテルや予備校、飲み屋街などもこちらに集まっている。ビックカメラやソフマップがやって来て以来、やや電気屋街的な性格も持つようになってきた。
 昔はガチャガチャして汚いようなイメージがあったけど、最近はえらく小綺麗になった。ただ、駅裏の街の開発はあまり進んでおらず、ちょっと中にはいると昔の面影が色濃く残っている。高層ビルやビジネス関係のものはほとんどが表側に集中していて、高層ビル化の波もこちらまでは押し寄せていない。

朝の名古屋駅-2

 ホームで出発を待つ新幹線。確か、始発はどこ行きも6時20分だったんじゃなかったか。6時くらいのものがあってもよさそうだけど、新幹線は速いから、そんなに早く出発したら到着時間が早くなりすぎる。名古屋から京都まではのぞみなら30分だから、6時に出たら6時半に着いてしまう。その時間では現地でちょっと困りそうだ。
 しかし、新幹線も速くなったものだ。名古屋から東京まで1時間40分ちょっとでいくようになった。リニアモーターカーの東京と大阪1時間というのも、そう遠くない将来に実現するのだろう。
 左に見えているのは、ゆりの噴水と、その向こうはルーセントタワーだ。ゆりの噴水は、どういういわれで、いつできたのか、私は知らない。そんなに昔からあったような気がしないのだけど、気づいたときにはそこにあった。
 ルーセントタワーは、2007年に完成した地上40階、高さ180メートルで、超高層ビルというにはやや高さが足りず、地味で目立たない存在だ。オフィスビルで展望台などがないので、一般人はほとんど立ち寄らない。地下や低い階に飲食店などもあるから、ビルそのものに入ることはできる。考えたら私はまだ一度も入ったことがない。一度くらいは行っておいた方がいいだろう。地下道のルーセントアベニューは、光と影で壁画を描いているらしいから、それも見てみたい。

朝の名古屋駅-3

 駅構内もこのがらんどうさ。電車が動いてないのだから、歩いているのは構内を通って桜通口の方へ行く人くらいのものだ。
 右に写ってる時計は銀の時計と呼ばれていて、一応待ち合わせスポットになっている。ただ、名古屋人の間でも認知度は低く、銀の時計なんていわれても何のことか分からない名古屋人も多いという。
 桜通口には金の時計がある。知らない人は両方知らない。よかったら今日覚えて帰ってください。

朝の名古屋駅-5

 桜通口はいつ行っても人が多くてざわついているのに、この時間はこの通り。こんなに閑散とした桜通口を見たのは初めてだ。かなり驚いた。夜中でももっと人が多い。
 そういえば、名古屋駅の構内って、何時から何時まで開いてるんだろう。かなり夜中まで開いてる気がしてたんだけど、閉鎖することってあるんだろうか。それとも24時間電気が消えることはないのか。夜中の2時、3時に名古屋駅あたりをうろついたことがないから、未知の世界だ。ずっと開いてる気もするし、開けておくのも無駄だし、どうなんだろう。ちょっと気になった。
 エスカレーターの前にある時計が金の時計だ。銀の時計とはデザインがずいぶん違う。

朝の名古屋駅-4

 このポスターを見て、わっ、やられたと思った。こんな場所があるんだ。知らなかった。
 写真では光の映り込みでよく分からないかもしれないけど、駅前の高層タワー全部と名古屋城が一つの画面の中にきれいに収まっている。この角度は知らないし、分からない。名古屋城がこれだけ大きく写ってるということは、名古屋城からある程度近いということになる。角度としては、名古屋城の東北ということになるんだろうか。しかも、これだけ高い視点からの撮影となると、かなり場所が限定される。そんなところはまったく思いつかない。
 黒川とかそのあたりだろうか。41号線のユニーの上の階なんてどうなんだろう。高さが足りないか。ひょっとして、かなり離れた庄内川沿いのザ・シーン城北という超高層マンションから超望遠で撮ったとかか。
 場所が分かればぜひ撮りに行きたいところだ。これは中部電力のポスターだから、中電に問い合わせたら教えてくれるだろうか。

朝の名古屋駅-6

 名古屋駅は表が東向きだから、こちらに出てくるともうすっかり夜が明けて明るくなっていた。
 左手に見えているのが大名古屋ビルヂング。これは私が物心ついた頃からあった。調べたらできたのは1965年だった。
 三菱地所所有のオフィスビルだけど、ここは名古屋駅前でも超一等地だ。売ったらいくらになるんだろう。かつてはこれでも高層ビルだったにしても、今ではすごく贅沢なビルになっている。こんな場所に、こんな背の低いビルがあるなんて。
 屋上は期間限定でビアガーデンになる。

朝の名古屋駅-7

 JRセントラルタワーズよりも2メートル高い、現在名古屋で一番高いビルがこのミッドランドスクエアだ(全国で5番目)。2007年に全面オープンした。
 セントラルタワーズの展望台がなくなってしまったから、今はミッドランドスクエアの展望台に登るしかなくなった。そのときの様子は以前にこのブログで紹介した。

朝の名古屋駅-8

 JRセントラルタワーズは、世界で一番高い駅ビル(245メートル)としてギネスに載っている。
 できたのは2000年だから、もう8年になるのか。当初はこんなもの名古屋に分不相応だという声が大きかったけど、今ではすっかり馴染んで、なくてはならない名駅のシンボルになった。
 かつては買い物といえば栄で、名駅は移動のための出入り口というイメージだったけど、最近では買い物も名駅という名古屋人が多くなった。これまでは地元企業の独占状態で安穏としていた名古屋に、外部から様々なものが入り込んできて、需要を活性化させたというのがある。タワーズに入っている高島屋も、最初はまず受け入れられないだろうというのがおおかたの意見だった。今や、松坂屋の包装紙にこだわるのは古い世代の名古屋人だけとなっている。
 展望台がなくなってしまったのはちょっと残念だ。登ったことはあるけど、ミッドランドスクエアと差別化を図って共存できなかったのか。流行ものに飛びついて飽きるのも早い名古屋人にしてやられてしまったという面はあるにしても、もう少し粘って欲しかったところだ。テレビ塔だって頑張ってるんだから。

朝の名古屋駅-9

 駅前通りの反対側も大きく様変わりした。昔は映画館街で、映画館が隣り合って並んでいたのに、今やヴィトンやディオールなどの海外高級ブランド店が入ったブランドビルになっている。いつからこんなことになったんだろう。変化の時期を私は知らない。
 お金持ちの名古屋嬢御用達の店だろうか。名古屋人の私も、名古屋の変化にはついていけてない。名駅は私にとっては移動の中継点で、遊ぶ場所じゃないから、ついていけないのも当然のことだ。栄もあまり行ってないけど、けっこう変わっているのだろう。

朝の名古屋駅-10

 今名古屋で一番新しい超高層ビルがこれ、モード学園スパイラルタワーズだ。2008年3月にできたばかりだから、私も完成した姿を見るのは初めてだった。建てている最中からその斬新なデザインが話題になっていたけど、できあがったのを見てよくこんなものを作ったなとあらためて感心する。ガラス面と内部の構造とのつながりがよく分からない。
 地上36階、高さ170メートルで、主に名古屋モード学園、HAL名古屋、名古屋医専の3つの専門学校から成り立っている。専門学校経営ってそんなに儲かるんだ。
 展望台などはないため、上に行くことはできない。ただ、地下や1階には飲食店が入っているから、一般も出入りできる。たぶん、セキュリティーが厳しくて、専門学校生のようなフリをしても途中で止められて上まで上がることはできないだろう。ビルに負けないくらい奇抜な格好をしていけば、ひょっとするとモード学園の生徒と思われてフリーパスになるかもしれない。

朝の名古屋駅-11

 人と車のいない名古屋駅というのは、人がいなくなった世界という設定の映画の中みたいだ。ちょっと非現実的な感じがした。朝の5時台に行けば、この光景が見られる。
 遠くに見えているのがテレビ塔だ。これが名駅と栄の距離感だから、歩いていく気にはなれない。この距離が名古屋に二つの繁華街を生むことになったのだけど、それがいいことだったのかそうじゃなかったのかは、なんとも言えない。二つの距離がもっと近くて一つになっていたら、名古屋はもっと早くに大都会らしくなっていたかもしれない。
 現在、駅の北にもう一本超高層ビル建設の話が出ている。旧名古屋中央郵便局がビルを建てるらしい。高い建物が増えて個人的に困ることは何もないから、どんどん建ってもらえばいいと思う。話題が増えるし、駅前もますます賑やかになる。

朝の名古屋駅-12

 名古屋人で知らない人はいないのに、全国的な知名度は今ひとつ低いナナちゃん人形。
 1973年スイス生まれで身長6メートル10センチ。もう35だけど、白くてスリムなボディは衰え知らず。
 名鉄セブンの前にあったからナナちゃん。名前は一般公募で決められた。
 季節ごとにいろんな衣装を身にまとうことでも知られていて、ときどきはニュースにもなる。夏は水着になり、冬はサンタ、ドラゴンズが優勝すればドラのユニフォームとお色直しに忙しい。着るものがないと、素っ裸になったりもするから油断がならない。このときはナゴヤ・エキトピアまつりのたすきをかけて、いち早く夏を先取りして赤いビキニを身につけていた。
 昔は名古屋駅の待ち合わせスポットの定番だった。9時にナナちゃんの下でね、みたいに言えば話は通じた。最近はどうなんだろう。
 そうえいばナナちゃんの場所変わったな。前はもっと向こうだった。今は名鉄バスセンターのエスカレータを降りてすぐのところに立っている。名鉄百貨店が大がかりなリニューアル工事をしていたから、それに伴って立ち位置も変わったようだ。一時は撤去されて姿を消していたらしい。

朝の名古屋駅-13

 駅裏と駅表の写真を撮りながらぷらぷら歩いていたら、バスが動く時間になってきた。さすがにその時間になれば名古屋の街も目を覚まして動き出す。太陽も昇って街も明るくなってきたところで、そろそろ帰ることにしよう。

 長かった激闘・河口湖編はこれでようやく完結となる。早朝の東京街歩きから始まって、亀戸天神の藤、河口湖へ移動してロープウェイ、遊覧船、流鏑馬、富士桜と巡って、池袋サンシャインのナンジャタウン、そして早朝名古屋駅散策と、ここまでが連続した日程だった。振り返ってみても、まさに激闘と呼ぶにふさわしい強行軍だったと思う。
 楽しくもあり、思い出深くもあった河口湖も、これで全部書いて自分の中で一区切りついた。もう気持ちを次へ向かわせよう。
 ネタとしては、津島のレトロ町、本町シリーズがあるから、まずはそれを紹介して、近い内にまたどこかへ旅に出よう。そろそろ歩きたくなってきた。

ナンジャタウンについて私が紹介できることはさほど多くない

施設/公園(Park)
ナンジャタウン-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 やや及び腰で出向いていった、池袋サンシャインにあるナンジャタウンなるもの。その存在を知ったのはわりと最近のことで、各地のギョーザを集めたギョーザのテーマパークがあるとテレビでやっているのを見たのが初めてだった。
 ツレと一度行ってみようかという話になって、公式サイトとかを見てみたのだけど、今ひとつどんなところかよく分からない。「思い出とときめきのテーマパーク」で、「遊びと食と癒しを同時に体験できる室内型テーマパーク」らしい。ギョーザやアイス、ケーキなどのテーマパークがあるというのは分かったものの、遊び系のアトラクションがどれくらいの年齢層をターゲットにしたどんなものなのかがイメージできない。
 そんなとき、ちょうど入園無料券(通常は300円)が手に入り、これは一度入ってみるしかないだろうということになった。それが河口湖から帰ってきた夜だったというわけだ。
 結局、行ってきても、今一つどんなところか掴みきれなかったのだけど、帰ってきてからネットでいろいろ調べているうちに、ようやくその輪郭が分かってきた。
 というわけで今日は、私という非常に頼りないガイドが、ナンジャタウンについて写真を中心に紹介したいと思う。ナンジャタウンの楽しさの10分の1もお伝えできるかどうか自信はないけど、足りないところは想像で補ってください。
 サンシャインシティの中にあるワールドインポートマート(かつて三越が入っていたフロア)の2階にエスカレーターで上がって、裏へ回ればそこがナンジャタウンの入り口だ。さあ、おっかなびっくり入ってみることにしよう。

ナンジャタウン-2

 入場招待券を見せて、とりあえずタダで入ることに成功した。エントリーカードというものを渡されたけど、何に使うのかは謎だ。たぶん、アトラクションなどをするときに提示したりするのだろう。
 アトラクションは20だか22だかあって、それぞれにお金がかかる。思い切り遊ぶつもりなら、一日遊び放題のナンジャパスポートというのを買った方がいいようだ(中には現金でしか遊べない物もあり)。3,900円と、けっこうなお値段だけど、チケットショップやオークションなどで半額くらいで売ってるらしいから、それを買っていった方がいいかもしれない。
 年間パスポートは19,800円。ちょっとびっくりの値段だ。どうやらここはお子様向けの場所じゃないらしい。完全に侮っていた。
 一回行って、何かを買うとスクラッチカードがもらえて、ペア招待券とかが当たりがちだ。私たちはペア招待券2枚と、ペアパスポート半額券というのが当たった。たぶん、こうやってもう一度来させようという作戦なのだろう。ここはリピーターが多いところでもあるらしくて、みんなまんまと作戦に引っかかっているに違いない。けど、これはとても大事なことで、一度行けば充分と思われてしまうと、名古屋のイタリア村のようなことになる。
 入ってまず何をしたらいいのか分からない。初めての場合は、置いてある小冊子のガイドブックを手に入れて見るのがいい。私たちは最後、帰るときになって見つけて、ようやく中の様子が分かったのだった。遅すぎる。

ナンジャタウン-3

 全体のコンセプトとしては、レトロ感というのが一つある。開園は1996年というから、もう12年も経っているのか。全然知らなかった。そんなに歴史のあるテーマパークだったとは。
 手がけたのはナムコのチームナンジャで、昭和の商店街を再現した福袋餃子自慢商店街(元は福袋七丁目商店街)、ローマをテーマにしたマカロニ広場、オールドアメリカンのナンダーバードなど、それぞれテーマ性を持った7つのブロックに分かれている。
 当初はアトラクション中心だったのが、ここ数年はフードテーマパークの色合いが濃くなってきている。
 アトラクションは基本的に見物型ではなく参加型だ。私たちは一切参加してないので、何がなにやらさっぱりだった。アトラクションの内容はいろいろ変わっていっているようだけど、何にしてもここは、参加してなんぼというところなのだろう。そういう意味では、大人のデートスポットとしてはきついものがある。おっさん二人組では何をどうしていいのか途方に暮れそうだ。中学生デートでは逆に照れくさいだろうから、大学生や若い社会人あたりが人目を気にせず夢中になるというのが一番似合ってるのかもしれない。あとはもちろん、子連れの一家と。

ナンジャタウン-4

 マスコットキャラクターのナジャヴくん。オスの三毛猫だから希少種だ。しかし、猫のわりにかわいげがない。ナンジャ政庁のお偉いさんらしい。
 ナジャヴにはナジャミーという女優のガールフレンドがいる。キャラクターグッズもおみやげ屋さんで売っているようだ。

ナンジャタウン-5

 餃子スタジアムを発見。全国の有名ギョーザ店が集まっていて、いろいろな味を食べ比べできるようになっている。けど、ギョーザばっかりそんなに食べていたら胸焼けしそうだ。ご飯セットとかを頼まないと。飲む人はビールのおつまみとして食べればいいのか。お持ち帰りもできるようだ。
 今回は見送った。このあと名古屋に帰られなくてはいけなかったから、腹一杯ギョーザを食べる場合じゃなかった。また別の機会に訪れて食べたい。宇都宮の三店盛り合わせとか、大阪の三よ志とか、札幌神龍の上富良野ギョーザとか、ガイドブックを見るとどれも美味しそうだ。

ナンジャタウン-6

 軽く何か食べようということで、佐世保バーガーを選んだ。「ビッグマン」という有名な店らしい。
 手作りにこだわったハンバーガーということで、注文すると鉄板の上でベーコンを焼いたりはさんだりと、手作りの工程まで見せてくれる。いや、特に見たくもないんだけど。
 ベーコンチーズバーガーも、ベーコンエッグバーガーも、どちらも500円。マクドナルドやロッテリアに比べると割高感がある。モスバーガーだって、もっと安い。味というか、方向性は、ファーストフードとは別の方を向いている感じではあるから、比較対象が違うといえば違うか。
 個人的にはチープな感じのハンバーガーの方が好きだ。佐世保バーガーも美味しいけど、分厚くて食べづらいというのもあった。

ナンジャタウン-7

 りらくの森は、2005年に登場した癒しのテーマパークだ。中国やインドのセラピーを体験できたり(予約制)、若返りをテーマにしたアトラクションなどがある。
 通常の相場がまったく分からない私としては、安いのか高いのか判断がつかない。値段のバラツキが大きくて、安いのは1,000円から高いのは7,000円以上のものもある。
 占い師をたくさん集めた占いストリートなんてのもあった。ここは笑うところ? それとも、真面目なところだろうか。どこまで本気で、どこからシャレなのか、その境界線が見えづらいというのも、ここの特徴だ。一から十まで真面目に取り組んでますと言われてしまうと、ちょっと困ってしまうような気もする。

ナンジャタウン-8

 これは確か、アイスクリームシティのカップアイス博物館だったと思う。日本各地から集められたご当地アイスクリームが売られていて、いろいろなアイスを食べることができる。300種類以上あるというから目移りしてしまって、何を食べていいのか迷う。
 名古屋のご当地ものとしては、手羽先アイスなんてのがあった。八丁味噌アイスもあったかもしれない。
 こういうものを全部制覇とはいわないまでも、たくさん食べようと思えば、それだけでもナンジャタウンの楽しみは大きく広がる。食べるということも、一つの参加だ。見て回ってるだけでは楽しめない。
 しかしここ、存分に楽しもうと思えばけっこうなお金がかかる。

ナンジャタウン-9

 ここは東京デザート共和国。全国のケーキや洋菓子がたくさん集まっているところだ。最初はシュークリーム専門だったのが、今はデザート一般にまで広がった。
 シーズンごとに商品を入れ替えしたり、期間限定にしたりなんかして、リピーターを獲得しているという。
 私はハンバーガーでおなかいっぱいになってしまったけど、おなかに余裕があれば何か一つくらいは食べてみたかった。北海道ろまん亭のチョコモンブランが食べたい。名古屋のプレミアポットプリンは660円って、高いな。最近の洋菓子も高くなったものだ。昔の不二家のケーキのイメージがいまだに強いせいかもしれない。

ナンジャタウン-10

 現在は、チーズケーキ博覧会2008というのが行われていた。チーズケーキは好きだけど、そんなにたくさんは食べられない。2個も食べれば充分だ。
 けど、通って食べるとなると、それはそれで楽しそうだ。だんだん、ここに通う人の気持ちが分かりかけてきた。ナンジャタウンの作戦に乗せられつつあるか?

ナンジャタウン-11

 トルコ人っぽいおじさんが売ってるトルコアイス。「オリエンタルの青い月」というところの、伸びるアイスだ。
 ツレがチョコを買って、少し食べさせてもらった。そうそう、こういうトルコアイスあるある。カップアイスで何度か食べたことがある。
 ソフトクリームもたくさんの種類があって、ガイドブックに出ている炭のように黒いイタリアのジェラートが興味深い。コーンも黒いぞ。何味か想像がつかない。

 アトラクションの紹介がまったくできないのは一つも参加してないから仕方がないところだ。スタンプラリーとか、探偵になって謎を解くとか、バンダイと提携したガウストパニックというゲームとか、あれこれあるらしいというのだけは分かった。みんな銃のようなものを持ってうろついてたから、あれもアトラクションの一つだったのだろう。
 子供だましのアトラクションかといえばそうではなく、それじゃあ大人も楽しめるかといえば微妙な感じで、やや中途半端な気もした。ナムコがプロデュースしてるところだから、参加してみれば思った以上にゲーム性が高いのかもしれない。
 しっかりした食事というのはなくて、軽食やデザートを食べ歩いておなかいっぱいにするという目的で行っても充分に楽しめそうだ。大食いでお金持ちの人ほど楽しめるようにできている。
 いずれにしても、参加してこそ楽しい場所で、写真撮影スポットではない。園内で写真を撮ってる人なんてほとんどいなかった。
 どれくらい魅力が伝わったか自信はないけど、私がナンジャタウンについて紹介できるのはこれくらいだ。興味が湧いた方はぜひ行って参加してみてください。私はもう一回、行くことになるかどうか。食べたいものはたくさんあるから、そのために行ってもいいかな。

出番の少ないα-7Dを持って相性のいい矢田川へ行ってみると

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
α7で矢田川-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+TAMRON 28-200mm f4.5-5.6



 ここ最近、α-7 DIGITALの出番がまったくなかった。レンズを買い揃えられないまま時が流れ、このままではたいして使わないうちに手放すことになってしまいそうだったので、久しぶりに持ち出して帰りに矢田川に寄ってきた。
 渡りのカモたちはもう北へ帰ってしまったし、夏鳥はこんなところにやって来ないし、特にこれといった被写体は思いつかなかったのだけど、行ってみれば何かしら収穫があるのが矢田川という場所で、そして、撮れたのが上の一枚だ。これは最後の最後、帰り際に撮れた写真で、これ一枚で行ったかいがあったと思えたのだった。相性のよさもあるようで、ここは偶然お気に入りの写真が撮れることが多い。
 下の2枚目以降の写真はおまけにすぎない。上の写真を見せたくて一回分のネタにしてみた。
 α-7Dは、特別色がいいわけではないのに、夕暮れの写真となると印象的に撮れることが多い。夕陽を浴びた瀬戸電の写真がそうだった。

α7で矢田川-2

 いつもの場所。見慣れた風景。河原は緑色が増えて、すっかり春バージョンになっていた。前回訪れたときは、まだ茶色が勝っていて、冬模様が残っていた。

α7で矢田川-3

 矢田川がいいのは、人が多いからだ。いろんな人種がいて、撮りたいと思えるシーンに出会える確率が高い。上の写真の親子もそうだった。香流川は遊歩道を歩いている人しかいないから被写体が少ないし、距離が近いから撮りづらい。
 それはそうと、上の写真の左下に写ってるおじさんだ。これって実体? 写ってはいけないもの?
 これだけはっきり写ってるから本物の人だとは思うのだけど、いる場所とポーズが不自然で、下半身が見えていないのも恐い。
 深く追求するのはやめておこう。

α7で矢田川-4

 28-200mmレンズは、デジで使うと1.5倍換算で42-300mmになって中途半端だ。広角は入らないし、望遠は寄り切れなくてもどかしい。
 お散歩レンズとして1本で済ますなら、ある程度画質は割り切って18-200mmしか選択肢はないだろう。17-50mm f2.8が欲しいけど、そうすると望遠はまた付け替えなくてはいけなくなる。

α7で矢田川-5

 これはたぶん、スイバかな。こいつが通称ギシギシというやつかと思ったら、スイバとギシギシは別の植物だった。
 このあたりにも初夏を感じた。

α7で矢田川-6

 マンネングサだと思うけど、ツルマンネングサでいいかどうか。メキシコマンネングサやコモチマンネングサとは葉っぱが違う感じがするし、オカタイトゴメじゃないはず。

α7で矢田川-7

 マツヨイグサの季節にもなったんだ。どんな花も一年ぶりに再開すると、ちょっとハッとするところがある。わぁ、お久しぶりですといった感じで。バラとか桜とかは一年中、頭のどこかにその存在があるから久しぶりでもそんなに驚かないけど、こういうマイナーな花は一年ぶりに見るだけでなく思い出すのも一年ぶりだから、わぁと思うことがよくある。
 モモイロヒルザキツキミソウも、道ばたでたくさん見かけるようになった。

α7で矢田川-8

 植え込みに咲いていた花。花や葉っぱの様子から、バラ科であろうということは分かる。最初、ツツジの一種かなとも思ったけど、葉っぱがもっと固い感じだ。
 シャリンバイってこんな花だったんじゃないか。自信はない。

α7で矢田川-9

 カモがいなくなった川は寂しいものだ。この日はカルガモも、サギさえいなかった。いたのは、スズメとムクドリくらいのもので。ツバメがたくさんいて、水面近くを猛スピードで飛んでいた。けど、あんなもの狙って撮れるもんじゃない。速すぎる。固定してタイミングを見て連写してみたけど、結局一回もフレームに入らなかった。それに、ツバメ狙いならもっと明るいうちにしないと。
 今年はカルガモの赤ちゃんをぜひ撮りたい。そろそろ季節のはずだ。どこか近所で見られないものだろうか。

α7で矢田川-10

 日が暮れてきたところで終了する。だいぶ日が長くなって、最近の名古屋は7時近くまで明るさが続く。夕方の行動範囲が広がるからありがたい。
 当面の予定は、カキツバタとバラだ。今年からだと思うのだけど、刈谷市のページに小堤西池のカキツバタ開花情報が載るようになった。これは嬉しいサービスだ。これまで3回行って、3回とも時期をはずしてるから、今年こそジャストタイミングで行けそうだ。12日現在、まだ二分咲き程度というから、見頃はもう少し先になる。今週末になるか、来週の頭までずれ込むか。
 無量寿寺のカキツバタはもう満開になっているようなので、行くなら急がないといけない。
 バラはどこで見ようか。花だけを撮っても面白くないから、何か他のものと絡めて撮りたい。去年行った古河庭園や、鎌倉の洋館なんかはよかった。岐阜の花フェスタを今年はどうするか。近場で無料の王子バラ園は一度行きたいと思っている。
 その他の花も油断してるといつの間にか通り過ぎてしまってるから、なるべく追いかけるようにしていきたい。

早朝5時半から7時半までの東京の街を歩く -激闘・河口湖前哨戦

東京(Tokyo)
早朝東京

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 激闘・河口湖編は、早朝の5時半、東京駅前から始まった。
 5時半といえども当たり前のように電車が動いている東京だから、交通手段には困らない。ただ、この時間から行ける場所というとさすがに限られている。店は別にして、施設は開いてないし、お寺だってまだ閉まっている。開いているところといえば、神社くらいのものだ。
 まず向かったのは人形町。特に何があるというわけではないけど、かつて吉原があった町というのを一度見てみたかったのだ。時間があれば明治座や元町公園まで足を伸ばそうと考えていた。
 東京駅から人形町へは少し行きづらい。とりあえず日本橋の駅までふらふらと歩いていくことにした。そこまで行けば、都営浅草線でひと駅だ。
 さすがに朝の5時半はまだ車通りもまばらで、目的もなく歩いている人は見かけない。見かけるのはホームがレスなおじさんたちくらいだ。一人、バス停のベンチで、真っ白に燃え尽きたあしたのジョーのような格好でお兄さんが深くうなだれて座り込んでいた。大丈夫かいと思ったけど、そういうときに声をかけないのが東京のルールだろう。人にはそれぞれ事情がある。朝の5時半からカメラを持って東京の街をうろついてる私だって、客観的に見ればだいぶ変だ。

早朝東京-2

 これは昭和通りの交差点だったか、その一本手前だったか。
 東京は高層ビルとコンクリートの無機質な街というイメージがあるけど、意外に花や街路樹が多い。下手な地方都市よりもよほど緑がたくさんある。大きな公園も要所にあるし、街の至る所に人の手が入っていて、ちょっとしたスペースも無駄に放置してない。そういう点でも名古屋は完全に負けている。名古屋では中央分離帯に雑草が茂っていて、そこに捨てられた缶が落ちていたりする。

早朝東京-4

 表通りから一本入れば、路地裏とまではいかないけど、個人単位の生活が見え隠れする。このあたりの街の表情は、地方とさほど変わらない。
 けど、こういう路地にすごくマニアックな店があって、客もたいして入ってないようなのに商売が成り立っているという東京の不思議もある。天体望遠鏡や鉱石なんかを売ってる小さな専門店の「ニュートン」なんてところに一度入ってみたことがあるけど、東京駅という立地で、あの狭さと品揃えでどうやって成立してるんだろうと思ってしまった。
 近年、名古屋メシが東京でも受け入れられるようになって、名古屋の有名店がどんどん東京に進出していっている。そういう人たちに言わせると、東京で商売をするのは楽だという。何もしなくてもお客が来てくれるからと。名古屋だと美味しくて安くて評判にならないと客が入らない。一度飽きられるともう来てくれなくなる。それだけ東京には人が多いということでもあるんだろうけど、ニーズの多様さというのは底が知れない。

早朝東京-3

 うわっ、すげえ、と思わず小さくつぶやいてしまいそうになった。24時間営業の果物屋さんなんてあるんだ。考えられない。なんで、深夜や朝っぱらに果物が必要なんだ。翌朝まで待てないか?
 一晩中、人件費と光熱費を使っても採算が取れるから24時間営業なんだろうけど、それにしても誰がそんな時間に果物なんか買いに行くんだろう。通りすがりの人がちょっとスイカでも買っていくかなんてことはそうはないだろうに。
 東京というのはいろんなところで驚かせてくれる。

早朝東京-5

 30分以上かかって日本橋駅にたどり着いた。地図で見ると近いようでも、歩くとなると案外遠いものだ。
 ここから人形町までは1分なんだけど、時計を見ると6時を回っている。このあと亀戸天神へ行く予定があって、新宿駅でツレとの待ち合わせが7時45分ということを考えると、人形町なんて行ってる場合じゃないということに気づく。しまった。なんてこった。
 しばし迷って、もう一度東京駅に引き返すことにする。この往復1時間の歩きはかなり無駄だった。
 人形町も行きたかったけど、またの機会ということにしよう。

早朝東京-6

 あ、日暮里・舎人ライナー。みんなが待っていたって、待っていた人は20年以上待っていたらしいから、地元の人には悲願と言えるだろう。
 私は特に待っていなかったけど、機会があれば一度乗りに行きたいと思っている。ただ、行くといっても路線沿いに何か魅力的なところがあるわけでもなさそうで、目的地になりそうなところといえば西新井大師くらいだろうか。記念に一度、端から端まで乗ることにしよう。
 6月に開業する副都心線もちょっとだけ楽しみだ。といっても、こちらは特に目新しい駅があるというわけではなく、たとえば雑司が谷へ行ったりするときに多少便利になるといったくらいかもしれない。始発の和光市には何があるんだろう。

早朝東京-7

 6時半を回っていたけど、この日は祝日、さすがの山手線東京駅も人が少なかった。こんなに人がいない東京駅を見たのは初めてだ。
 山手線で秋葉原まで行って、そこでJR総武線に乗り換えて亀戸を目指す。

早朝東京-11

 亀戸駅前。とりたてて特徴のある駅前ではない。東京の郊外の典型的な雰囲気だ。三鷹とかそんな感じに少し似ていた。
 亀戸天神までは少し距離があって、急いで10分、ゆっくりいけば15分はかかる。

早朝東京-8

 せっかくだから、こんな狭い路地裏を通っていこう。亀戸横丁というのがここの正式名なのだろうか。
 飲食店街の朝7時前は、まだゆうべの名残のけだるさが漂っていて、さあこれから朝が始まるぞという元気な感じはない。お店の前の掃除をしているおかみさんがひとり、ふたりといるくらいで。
 この町は下町の風情が残っているところなので、そういう視点で散策してみると面白い発見がありそうだ。今回は時間がなくて、急いで亀戸天神を目指してしまったので、そこまでゆっくり見て回る余裕がなかった。

早朝東京-9

 亀戸中央通り商店街では、こいのぼり祭りをやっていた。電柱につながれた鯉のぼりが商店街の上を泳いでいる。
 このあたりも時間があれば入っていって見てみたかった。

早朝東京-10

 これまたちょっとすごい、昔ながらの洋品店だ。今どき、帽子をここまで前面に押し出して主力商品としている店もなかなかない。私が小学生だったときは、町に帽子屋さんというのがあって、それなりに流行っていたものだけど、帽子屋さんを見かけなくなって久しい。
 店内には500円のものがいっぱいあるよ、売り尽くしセールで早い者勝ちだよと呼びかけられても、気軽に入っていくことはできない。オレンジ色のカウボーイハットなんて、かぶれない。パステルブルーのベレー帽とかも厳しい。
 でも、売り尽くすまで頑張って商売を続けて欲しいと思う。こういう店がまだ残っているとホッとするから。

 このあと亀戸天神で藤を見て、河口湖へ行くことになるのだけど、そこのことはもう書いた。激闘・河口湖編は、すでに早朝の東京2時間歩きから始まっていたのだった。
 河口湖から帰ってきたあと、夜は池袋のサンシャインにあるナンジャタウンというところへ行った。そのときのことはいずれ近いうちに書きたいと思っている。
 河口湖編はその後更に、翌日早朝の名古屋駅へと舞台を移し、そこでようやく完結を迎えることとなる。あともう少しこのシリーズは続くのであった。

アイディア不足とカステラ噴火の母の日サンデー

料理(Cooking)
焼き直しサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 5月の第二日曜日は母の日だ。母の日にちなんだサンデー料理を作ろうと思って、いろいろ調べたり考えたりしたのだけど、いいアイディアが浮かばなかった。カーネーションは食えないし、何かの食材でカーネーションを作ったところでそれがメインのおかずになるわけでもない。他に母の日を象徴するものが何かあるかというと、これがない。キャラ弁のように母の顔の似顔絵を料理で作ってる場合でもない。
 結局思いつかないまま時間切れとなって、さあ何を作るんだとなったとき、すでに考えるのが面倒になっていた。それで適当にあるものを使って、過去の焼き直し料理を作ることになってしまった。中華にしようか、フレンチはどうか、イタリアンも捨てがたいなんて迷ってるうちに考え疲れてしまって、最終的には吉野家に入ってしまったようなものだ。
 だから今日は特別書くことがない。大きな失敗もなく、大成功でもなく、味も無難にまとめてあるから驚きもない。アンチドラマチックなサンデー料理だった。母の日とはかすりもしない。
 一応、簡単なメニュー紹介だけはしておこう。

 右手前は、白身魚のそぼろから出発して生まれた一品だ。
 酒、みりん、しょう油で甘辛く味付けした白身魚が食べたくて、それにあわせてチーズ入りのスクランブルエッグを作って、つぶしジャガイモのハンバーグ風のものに乗せてみた。
 スクランブルエッグは焦げないようにレンジで作った。溶き卵に、塩、コショウ、牛乳を混ぜて、1分くらい加熱したあと、一回取りだして混ぜて、30秒加熱、それからとろけるチーズを加えて、更に30秒加熱して出来上がりだ。加熱時間によって好みの柔らかさにできる。多少手間だけど、こうすると焦げないスクランブルエッグができる。
 ジャガイモは細切りにしてレンジで加熱してつぶして、刻みタマネギ、塩、コショウ、しょう油、チーズを加えて、小判型にして表面にカタクリ粉を塗る。あとはオリーブオイルで焼けば完成だ。
 柔らか料理好きの私としてはとても好きな料理なんだけど、もうひと工夫することでもっと美味しくなりそうな気がした。ただ、何をどうすればいいのかは今日の時点では分からなかったから、そのうち応用してもう一度作ってみたいと思う。

 左奥は、大根と鶏肉としめじのバターしょう油焼きだ。
 大根と鶏肉を、だし汁、みりん、しょう油、酒、塩、コショウ、一味唐辛子のスープで下茹でして、いったん取り出す。
 それにカタクリ粉をまぶして、しめじと一緒にバターしょう油で炒める。
 ちょっと大根に苦みが出たから、面倒がらずに米のとぎ汁で下茹でをしてあく抜きをした方がよかった。
 味は基本的にしょうゆ味だからまずいはずもない。

 右奥は、また作った岩石揚げ。今回は豆腐バージョンにした。
 豆腐をレンジで加熱して水を飛ばして、刻みタマネギ、エビの刻み、卵、しょう油、酒、みりん、塩、コショウ、小麦粉、パン粉を混ぜ合わせてタネを作る。
 衣は食パンの耳を7mm四方くらいに切って付ける。
 中のもふわっとした食感と、外のパンのカリカリさがいい。普通のフライとは違う食感の料理になるから、これはオススメしたい。
 今回のたれは、だし汁、しょう油、酒、みりん、砂糖、めんつゆ、一味唐辛子で作った。
 岩石揚げは、和風、洋風のどんなソースにも合う。

 以上が今日の焼き直しサンデーだ。面白みがない。趣味の料理人としてこれだけでは納得できなかった私は、デザート作りへと移行する。最初はスポンジケーキをもう一回作ってみようと思っていたのだけど、途中から気が変わってカステラにした。特に深い理由はなくて、たまたまカステラのレシピが書いてあるページに当たって、そういえばカステラって作ったことなかったなと思ったからだ。カステラとスポンジケーキの違いに興味があったというのもある。
 しかし、はじめてのカステラ作りは思いがけない大噴火を招くことになるのだった。

カステラ作り-1

 うわぁー、噴火した。大惨事だ。えらいこっちゃ。溶岩流が襲ってきたぞー。逃げろや、逃げろー。
 おいおい、どうしたカステラ。何に怒ってそんなに爆発してしまったんだい。遠くから様子をうかがいながら呼びかけてみる。返事はない。
 レシピに160度で50分と書かれていて、そんな長い時間焼いていたら表面が黒こげになってしまうんじゃないかと、20分くらい焼いたところで上にアルミホイルをかぶせたのがいけなかった。それまで順調に膨らんできていたのに、表面から逃げていた熱が左右にかかってしまって、そこから噴火してしまったんじゃないかと思う。アルミホイルをかぶせるタイミングが早かったというのもあるかもしれない。
 大失敗だ。なんてこった。

カステラ作り-2

 切り分けたらなんとか格好はついたけど、焼けた上の部分が出っ張って、キノコの輪切りのようになってしまった。キノコカステラと名づけよう。
 レシピはこうだ。
 ボウルに、卵2個、砂糖80グラム、ハチミツ大1弱を入れて、湯せんをしながらゆっくりかき混ぜる。人肌まで温まったら湯せんを外して、ハンドミキサーでしっかり泡立てる。手動なら根性で混ぜる。
 わりと固めまで泡立ててしまって大丈夫だ。最後は低速でキメを揃える。
 一度振っておいた小麦粉60グラムをもう一度振りながらボウルに加えて混ぜる。カステラらしくしようとすれば強力粉を使った方がいいらしい。私は薄力粉しか持ってないからそれを使ったので、ややケーキに近い食感になった。
 混ぜ方はスポンジケーキのように神経質になる必要はなくて、粉っぽさがなくなるまで充分混ぜてしまった方がいいようだ。ここで牛乳ひと匙を加えてもいい。
 甘いのが好きな人は、型の底にざらめを敷くとカステラっぽさが増す。

 パウンドケーキとカステラの違いが何なのか、作っても食べてもよく分からなかった。カステラはバターを使わずにハチミツを使うということだろうか。砂糖と小麦粉の比率の違いというのもある。食感でいうと、カステラの方が重たくてしっとりしていると言えるかもしれない。
 砂糖が多いので甘い。それがカステラの美味しさとも言えるわけだけど、粉と砂糖の比率は1:1くらいでもよさそうだ。ハチミツの分、スポンジケーキよりも甘くなる。
 大噴火したときにはどうなることかと思ったけど、食べてみたら普通に美味しかった。素朴なカステラの味だ。ケーキより簡単だし、失敗する確率が低そうだから、ケーキが普通に焼ける人ならカステラはきっと美味しく作れると思う。
 私は焦って冷めないうちに切り分けて食べてしまったけど、本来は一晩置いてから切った方が切りやすくて、味もしっとりして美味しくなるようだ。
 そのうちもう一度挑戦したい。だいたいコツは分かった。次は噴火させないぞ。
 噴火後にアルミホイルを外して、合計40分くらい焼いたけど、160度なら表面の焦げは大丈夫そうだ。50分というのは、卵3個のレシピだったから、卵2個なら40分くらいで焼けると思う。
 そんなこんなの母の日サンデーだった。次は父の日サンデーをどうするか、今から考えておかなくては。

安曇野の歴史巡り編で長かった松本・安曇野シリーズはようやく終了

観光地(Tourist spot)
安曇野完結編-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 松本・安曇野行きは、滋賀巡りの更に前、4月6日のことだった。あれから今日までの間にいろんなネタが挟まって、安曇野を完結できないでいた。ここへきて、ようやく一段落して、過去の取りこぼしを拾いに戻ることができている。昨日は滋賀巡りを完結させたから、今日は松本・安曇野編を終わらせてしまうことにしよう。
 松本についてはほぼ写真も出し切ったし、書くことも書いた。残っていたのは安曇野編で、神社仏閣その他が後回しになったまま残ってしまっていた。今日はそのことについて、ひとまとめにして書きたい。

 穂高駅に着いた我々は、すぐに信州そばを食べ、休む間もなくレンタサイクルを借りて安曇野散策を開始した。最初にまずその土地の神様に挨拶に行くのが筋だろうということで、穂高神社へ出向いた。駅から徒歩5分、自転車で2分くらいの距離にある。
 行ってみると、なにやら大がかりな工事をしていて境内がそわそわした感じになっている。火事でもあって建て直してるのかと思ったら、来年平成21年が式年遷宮の年で、それに先立って拝殿の建て替え作業が行われているところだった。本殿などはプレハブに取り囲まれた仮住まいになっていて、なんとも雰囲気のない状態になっている。えらく運が悪いときに行ってしまったものだ。普段は木々に囲まれた深閑としたいい神社らしいのに。
 式年遷宮(本殿を20年に一度新しく建て替えるという儀式)といえば伊勢神宮だけど、他の神社でも同じようなことをやるとは知らなかった。全国でもあまり多くないんじゃないか。
 穂高神社では20年に一度の大遷宮祭と、その間に二回修理する小遷宮祭というのがって、大遷宮祭を3回見るとすごくいいことがあるという話だ。
 創建は記録が残っておらず、はっきりしていない。ただ、927年に編さんされた延喜式神名帳(当時の公式な全国の神社一覧)に信濃安曇郡の名神大社として載ってることから、1000年以上の歴史を持っていることが分かる。
 古くから日本アルプスの総鎮守として信仰されてきて、交通安全の神様として車のお祓いをする人も多いという。
 本宮(里宮)の他に、北アルプス穂高岳の麓の上高地に奥宮があり、奥穂高岳の頂上には嶺宮が祀られている。

安曇野完結編-2

 拝殿が解体されていて、おまけに表参道からではなく横から入ってしまったために、境内全体の配置がよく分からなかったのだけど、表の鳥居をくぐって入れば、正面にまず神楽殿があり、その奥に拝殿、本殿という並びになっている。右手が上の写真の末社群だ。大工事をしていたから、最初はこれが仮の本殿かと思った。
 本殿は三棟横に並んでおり、中央は穂高造と呼ばれる独特の屋根を持っている。
 祭神は、本殿中央に穂高見神(ほたかみのかみ)、左に綿津見神(わたつみのかみ)、右殿に瓊瓊杵神(ににぎのかみ)が、別宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、若宮に安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)、相殿に信濃中将がそれぞれ祀られている。
 海のない信濃なのに海の神との関わりが深いのは、北九州出身の安曇族と呼ばれる人々によってこの神社が建てられたからだといわれている。
 主神の穂高見神は、海の神である綿積(わだつみ)の息子で、神武天皇の叔父に当たるとされる神だ。その綿積、穂高見神をようした安曇族は、北九州で海に関わる貿易、海運、外交、戦などを司り、天皇家の海軍でもあったとされる一族だ。それがより豊かな土地を求めて海を渡り、この地に辿り着き、一帯を治めるようになったのだという。この神社に菊の御紋が使われているのはそういう関係からだ。

安曇野完結編-3

 境内には古い舟が飾られている。穂高神社は、毎年9月27日に行われる御船神事(おふねしんじ)でも有名で、これは昭和57の大祭のときに奉納された屋形船だ。
 長さ12メートル、高さ6メートルの大きな舟形の山車である御船(おふね)2艘を激しくぶつからせるというのが祭りのクライマックスとなる。それに先立って、大小5艘の舟に穂高人形と呼ばれる人形を飾り、町中を練り歩きながら神社へと曳き入れる。
 奥宮では、毎年10月8日に明神池に舟を浮かべて本宮とは別の儀式が執り行われる。
 なんで信州で海の祭りが行われてるんだろうという疑問は、海の一族安曇族の歴史を知ることで納得がいく。納得がいったところで次へ移ることにしよう。

安曇野完結編-4

 大王わさび農園を目指して自転車を漕いでいる途中に立ち寄った吉祥山東光寺。三門前の大きな朱色の下駄が目をひく。吉祥仁王尊の大下駄だ。
 観光名所が少ない安曇野の中で、ここは立ち寄りポイントとして人気が高い。ちょうどわさび農園へ行く道筋にあるというのが大きかった。一本中に入っていたら、ほとんどの人が行かないだろう。
 三門は立派だけど、大下駄以外は特に何があるというわけではない。この下駄を履いて願い事をすると願いが叶うといわれている。

安曇野完結編-5

 本堂もこうしてみるとなかなかのものだ。建てられた時代はよく分からないけど、意外と古いかもしれない。
 室町時代の薬師如来像など多くの仏像を持っているそうだ。
 境内の桜はまだ咲いておらず、梅の季節だった。信州の春の遅さを実感した。

安曇野完結編-7

 東光寺の斜め向かいにあるのが、本陣等々力家だ。ここは入るのに300円かかるので、ついでに寄る人と寄らない人が分かれると思う。
 本陣というのは、もともとは戦場における大将が陣を置いた場所のことで、のちにそれが変化して、武将などが宿泊する家という意味で使われるようになった。江戸時代になると、幕府の役人など偉いさんの泊まるところということで特権階級のようになり、その家の主人は特別に名字帯刀を許された。
 等々力家は戦国時代から活躍した一族で、一時は武田信玄の配下にも入っている。江戸時代になると、この地を治めた笠原氏に従って、大阪冬の陣にも参加した。
 以降は松本藩主の本陣に指定され、狩猟のときの休憩所として使われるようになる。

安曇野完結編-8

 入り口入ってすぐに囲炉裏の部屋がある。信州の冬は寒い。
 まさか当時からこんな赤カーペットが敷かれていたわけではあるまい。でも、古い家具や大時計は年季が入っていい感じだ。いつくらいまで現役として使われていたのか、そのあたりの詳しいところまでは知らない。昭和くらいまでは使われていたような感じはある。

安曇野完結編-9

 等々力家内部の見所としては、特にこれといったものはない。ポツリ、ポツリといわくありげに展示されているものは、素人目には価値があるんだかないんだか判断がつかない。古い陣屋の建物そのものを見せてもらうといったところか。

安曇野完結編-10

 庭園は安土桃山時代の様式である須弥山石組とかいうもので、この地方では珍しいんだそうだ。江戸時代中期に作られたらしい。
 時間があれば、縁側に座ってしばらくぼぉっと庭を眺めるのもいいだろう。

安曇野完結編-11

 別棟へ移動するための橋が架かっているのがちょっとすごい。太鼓橋になっているのは、洒落か粋か。

安曇野完結編-13

 帰り際、入り口で受付をしていたおばあさんが、柱の傷のことを教えてくれた。昔一揆が起きたときにつけられた刀傷がありますよと。なるほど、これがそうかと証拠写真を撮る。
 なかなかいいものを見せてもらったということで、本陣等々力家をあとにした。このあとの大王わさび農園のことは、以前に書いた通りだ。

 長くかかって間も開いてしまった松本・安曇野編はこれでようやく終わりとなった。何回シリーズになったのかも、よく覚えていない。このときもなかなかに盛りだくさんだった。
 特に安曇野がよかった。一番の目的が松本城を見ることだったのに、行ってみれば安曇野の魅力にすっかりやられてしまって、松本城も開智学校も飛んでしまったのだけど、とても満足感一杯の一日だったことは間違いない。
 松本や安曇野周辺はまだまだ見所がたくさんあるから、また行ってみたいという気持ちが強い。上高地も行ってみたいし、大正池も見てみたい。松本城にも登らないといけないし、いつか再び信州への旅に出よう、雷鳥の里を買うためにも。

10時間も歩けばその町の魅力を知ることができる ~滋賀巡り総集編・後編

観光地(Tourist spot)
滋賀総集編-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 彦根の町巡りは、期せずして寺巡りの様相を呈した。ちょっと歩くと寺に当たる。歩いた場所がたまたま寺の多いところだったというのもあるのだろうけど、それにしても寺密度が高かった。
 ただし、今回は時間もなくて、前を素通りしただけだった。寺の名前も分からないものがほとんどだ。有名なところもあったのかもしれない。
 上の写真もなかなか趣のある三門を持ったいいお寺さんだった。
 滋賀歴史巡り総集編の後編は、まず寺の写真が続く。

滋賀総集編-2

 額の字が読めない。だから何寺か分からない。名前が分からなければ調べようもない。こういう寺がありましたという、いい加減な報告写真だ。

滋賀総集編-3

 これはたまたま説明板の写真を撮ったから分かる。大信寺だ。初代彦根藩主の井伊直政が建てた寺だそうだ。
 三門はかなり真新しい感じだけど最近建て直したものだろうか。寺自体は井伊直政が建てたというから古いものだ。
 石垣は彦根城の余ったもので造ったらしい。

滋賀総集編-4

 願通寺ときたか。そのものズバリの名前だ。真っ直ぐど真ん中のネーミングに不意を突かれた感じだ。願いが通じる寺。この名前の寺は初めて見たけど、全国にどれくらいあるんだろう。ありそうで案外少ないんじゃないか。

滋賀総集編-5

 これは蓮華寺(れんげじ)というお寺。米原にある蓮花寺の方が有名なようだけど、ここもかつてはなかなか立派な寺だったようだ。
 井伊直政によって上野の箕輪(群馬県)に建てられたものが高崎に移されて、彦根城ができたときにこの地に移ってきた。江戸時代の半ば(1741年)に火事で焼けて、1776年に再建されている。
 門や本堂などもけっこう古そうだった。

滋賀総集編-6

 お寺巡りはこれくらいにして、町巡りに戻ろう。
 歴史のある家並みと、ただ古びてしまっただけの家並みは意味が違うわけだけど、こういうのも個人的には好きだ。すげえ、と思わず口走ってしまいそうになる。
 これも一種の曲線美と言えるかもしれない。本来直線であるべき部分が、みな思いおもいに酔っぱらったように波打っている。とても自由な感じがする。

滋賀総集編-7

 こちらは古くてもしっかり手入れがされている家だ。古さと近代性が両立していて美しい。古いだけではなく、生活感や彩りがあって好感が持てる。歴史のある家並みの一つのお手本と言えるんじゃないか。古さをそのままにするために住んでいる人が不便を我慢するというのもよくない。

滋賀総集編-8

 この本屋の看板はまた古い。私が知ってる昭和よりももっと昔のものだ。描かれているキャラクターが分からない。戦後間もなくといった感じかもしれない。

滋賀総集編-9

 彦根の町で出会った猫。たぶん、飼い猫だろう。いい体をしていた。
 猫って、すました顔で両手を前で揃えてる姿がコミカルでかわいいんだなとあらためて思う。

滋賀総集編-10

 4ヶ所目で、最後になった長浜の写真はもうあまり残ってない。この頃は日没で薄暗くなってきていた。長浜鉄道スクエアの写真2枚で終わりとなる。
 隣を通過する電車を待って撮ったのだけど、シャッタースピードが遅くてよく分からない写真になってしまった。
 手前に写ってるのは何の車輪だろう。線路の幅ってこんなものだっけ。

滋賀総集編-11

 長浜の桜は散り始めで、鉄道スクエアは落下盛んだった。
 ここも開いていたら寄りたかったけど、まあ仕方ない。よくぞここまで辿り着いたものだ。

 滋賀歴史巡りの報告はこれでおしまいだ。たくさん写真も載せたし、書きたいことは書いた。もう思い残すことはない。
 滋賀は思った以上にいいところだった。見所もたくさんあって、一日では回りきれなかったから、また機会があれば行ってみたいと思う。そして、その機会は案外近いうちにやって来るかもしれない。
 今回は米原を素通りしてしまったから次回は米原まで行って、醒ヶ井、柏原に戻りつつというコースも考えられる。この路線は、岐阜県にも関ヶ原、大垣、岐阜などがあって、見るところに事欠かない。行くとなったら、またハード&タイトスケジュールを組んで、びっちり回ってこよう。一日に10時間は歩けることを自分自身に証明して見せたというのも、滋賀行きの大きな収穫だった。
 印象としては地味な滋賀県だけど、滋賀県にあるのは琵琶湖だけじゃない。個人的には今回で滋賀県の地位がぐんと上がった。こんな魅力的なところだとは知らなかった。私からも滋賀県をよろしくお願いします。ぜひ一度行ってみてください。

心に引っかかっていた記憶が思い出にかわるまで ~滋賀巡り総集編・前編

観光地(Tourist spot)
滋賀番外編1-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 滋賀の歴史巡りをしたのは4月10日のことだったから、あれからもうひと月になる。時間が経ったような、そうでもないような、なんとなくはっきりしないのは、滋賀編を終わらせていないせいかもしれない。だから、気持ちのどこかに滋賀のことがずっと引っかかっているのだ。
 今日は滋賀歴史巡りの残った写真を前後編に分けて総集編として紹介して、きっちり完結させることにした。そうすればきっと、滋賀のことは私の中で記憶から思い出に変わるはずだ。
 時間をもう一度、4月10日の近江八幡に戻そう。このときは八幡堀の桜がきれいに咲いていた。
 今頃桜の写真を見せられても流行遅れで気持ちがしらけると思うだろうけど、いやいや、まだ北海道は今桜シーズンの後半戦をやっている。道北、道東の寒い地域はちょうど満開で、更に寒いところはまだ咲いてさえいない。マラソン大会は最後のランナーがゴールしたら終わりなように、桜シーズンも全部のところが咲き終わるまで終わらない。自分のところが過ぎてしまえばもう他人事というのは、ちょっとつれない。そういう意味では、もし北海道に住んでいる人が今この写真を見たら、とてもタイムリーな写真に思えるはずなのだ。私がそこまで計算して今日この写真を出したはずもないけど。

滋賀番外編1-2

 ここの堀端は、時代劇で頻繁に登場する。行って帰ってきてからだけでも、もう3回くらい見ている。主人公がちょっと歩くだけみたいなシーンでも使われているから、わざわざそのシーンだけを撮るために行くのだろう。京都からなら遠くないけど、東京で撮ってる時代劇は大変だ。セットなんかじゃ本物感は出ねぇからロケじゃないとダメなんだよなんていうこだわりの監督に当たると役者は迷惑をする。
 けど、この場所を使いたいという気持ちはよく分かる。ロケーションとしてはとても魅力的なところだ。

滋賀番外編1-3

 年季の入った看板だけど、字が読めなくて何屋さんかよく分からない。あ、そうか、右から読んで醤油さんか。

滋賀番外編1-4

 醤油の看板があるところの家。醤油屋さんは昔の話で、今は看板だけが名残として残っているだけなのか。それとも、中では今でも醤油造りが行われているのか。
 近江八幡の中では、新町と永原町通りに昔の日本家屋がよく残っている。私は新町に行けなかったのがちょっとだけ心残りだった。

滋賀番外編1-5

 どこでも丸ポストを見ると必ず撮る。反射的にといっていいほど。特別丸ポストが好きというわけでもないけど、なかなか珍しいから。
 近江八幡も丸ポストが似合う町で、二つ見つけた。帰ってきてネットで検索したらまだ11基も残ってるそうだ。それはかなり多い方だと思う。

滋賀番外編1-6

 近江八幡をあとにして、安土へとやって来た。駅から安土城までの道のりはけっこう遠かったな。行きはともかく、山登りをした帰りがこたえた。
 でも、田園風景はよかった。春の緑と、点在する菜の花の黄色と桜のピンク。電車が遠くを行き過ぎる。貨物列車がやたら多かった。5分おきくらいに行ったり来たりしていたけど、どこに何を運んでいる列車だったんだろう。
 安土という町が、こんなにも何もないところになってしまうなんて、信長は思っただろうか。

滋賀番外編1-7

 菜の花前の親子。安土は名古屋よりも10日くらい遅い春だった。隣では満開の桜の下でたくさんの人たちが花見をしていた。
 今年は松本と滋賀と河口湖で季節が戻ったから、1ヶ月以上桜の春を味わう年になった。

滋賀番外編1-8

 安土城天主跡に至る山登りは大変だったねぇ。何も知らないから、まだかまだかと思いながら頑張って登っていったけど、二度行くようなところじゃない。すっかり記憶が薄れるまでもう一度行きたいとは思わない。天主跡に天主でも再現してくれない限り。
 それに、大手道などの再現と整備が中途半端でガタガタで、それが悲しくて嫌だった。

滋賀番外編1-9

 安土駅でなかなか来ない電車を待つ。どこかで遮断機だか信号機だかが故障して40分だか遅れてますと盛んにアナウンスしていた。私が待っていた電車は10分遅れくらいでやって来たのだけど、田舎の電車ってけっこう平気で遅れる。都会のように分刻みのダイヤで運行してないから、少しくらい遅れても大丈夫なのだろう。
 こういう駅のホームに立つと、旅行してるなぁという実感が湧く。

滋賀番外編1-10

 彦根城は本編と桜編と2回書いたから、それで写真はだいたい使い切った。これはもう帰るところだ。
 ベレー帽のおじさんがオールドカメラで桜を撮っている姿が印象的だった。写真は未来への贈りものであり、今この瞬間を切り取って自分の見たものを実感する手段でもある。おじいさんになっても私は写真を撮ってるだろうか。

滋賀番外編1-11

 ピンクの桜と白い桜があるんだなぁと思ってその下を見たら、赤毛のアンがいてびっくり。久しくこんな赤毛の人を見てなかったので衝撃的だった。彦根では今この髪色がひそかに流行してるんだろうか。コスプレのカツラというのでもなさそうだ。

 ここまでが滋賀巡りの前半で、後半は彦根の町と長浜へと舞台を移す。
 後編へと続く。

今年も大遅刻だった津島天王川公園の藤はもう5時間目の最中あたり

花/植物(Flower/plant)
天王川公園の藤-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5



 ゴールデンウィーク後半は必要以上にのんびりしてしまったから、連休明けからはしっかり動こうと思っていた。第一弾は、津島市の天王川公園の藤と決めていた。
 去年行ったのは5月9日で、完全なる大遅刻だった。6時間目の授業半ばという感じで、おまえ今頃何しに来たんだと藤に突っ込まれてしまうくらいの遅れっぷりだった。今年は藤まつりが終わった翌日の7日(昨日)に、なんとか滑り込みで間に合ってくれという願いを込めつつ出向いていった。
 しかし、藤もそうそうは待ってくれない。6時間授業にたとえるなら、給食の時間が終わって5時間目が始まったあたりといったところだろうか。いやぁ、今年も遅れたね。すれ違った若いカップルの女の子が彼に、やっぱり遅すぎるじゃんっ、と怒っていた。ごもっとも。私も一緒に遅刻を叱られているような気分になった。ごめんよ、津島の藤さん。去年のブログで来年こそ満開のときに行こうと書いたのに、その約束を守れず今年も遅くなってしまった。面目ない。
 今回私が撮ってきた写真を見て、これが天王川公園の藤の実力とは思わないでいただきたい。これは全盛期の20~30パーセントくらいだ。こんなものじゃない。と、あらかじめことわりを入れてから、天王川公園の藤を紹介することにしよう。まあしかし、これでも去年よりはずいぶんましだった。いいところを写真に撮ると、それなりに見えるくらいは咲き残っていたから。

天王川公園の藤-2

 藤はなんというか、とっても貧相な感じになってしまっていた。ちょっと前までふさふさだったのに、今はもう貧乏くさい。何度も言うけど、こんなものじゃないのだ。
 香りもだいぶ抜けていて、満開のときはむせかえるくらい甘いのに、ほんのりと香るくらいだった。
 残り花と残り香の風情という言い方もできなくはないけど、やっぱりここまでになってしまうと寂しいというかわびしい。
 訪れていた人はそれなりにいた。激混みのときに来たくなかった人たちだろう。藤まつり開催中(今年は4/26~5/6)は、ものすごい混雑ぶりだと聞いている。休日の昼間なんて行ったら、まず車をとめられない。藤棚の下も満員御礼だ。
 混んでいてもピークの藤をとるか、ピークを逃してものんびり見るかという選択になる。最近は暖かいから藤の開花が早くてゴールデンウィーク明けまで持たなくなっている。今年の最盛期は5月1日前後あたりだったようだ。そこは平日だったから、思い切って行くべきだったかなと今更ながら思った。

天王川公園の藤-4

 天王川公園自体は今回が三度目で、藤は去年に続いて二回目だった。けっこうお馴染み感が強くて、新鮮さがない。藤棚にはあまり変化がないから、誰が撮っても同じような写真になってしまう。私も結局、去年とあまり変わり映えのしない写真しか撮れなかった。
 藤は九尺藤をはじめとして、全部で12種類植えられているそうだ。でも、終わってるものもけっこうあって、特に変わった藤というのは目にしなかった。白花藤も見なかったけど、もう散ってしまったんだろうか。

天王川公園の藤-5

 藤棚はコントラストが強くて、藤と周りの景色を両立させるのが難しい。藤を明るくすると周りが全部白く飛んでしまって、写真として不自然になる。
 今回も135mmではC-PLフィルタを使った。水面の映り込みがきれいに写るので面白い。今ひとつコツが分からないので、もう少し使っていかないといけない。

天王川公園の藤-6

 さぁーっと一瞬強い風が吹いて、藤がたなびいた。桜は風をあまり歓迎しないけど、藤は風があってもいいんだと気づいた。風に吹かれている様子は、本来動きのない藤に動きが出る。

天王川公園の藤-7

 光の当たり具合で藤の色がかなり違って写る。デジのホワイトバランスの関係もあるのだろうけど、強い光が当たると青味が増す。もしかすると藤の種類によっても色の違いがあったかもしれない。確か、木に名札プレートはついてなかったと思う。

天王川公園の藤-8

 この日の見学者はご近所さんといった感じの人が多かった。もともとここは全国区というほどの知名度はないだろうから、連休中も多くは近隣の人たちなのだろうか。まつりの期間中は駐車場に大型バスもとまるというから、ある程度遠方からも団体さんがやって来るのかもしれない。愛知県では一番の藤名所とされているところだから、私が思っている以上に全国の知名度は高い可能性はある。
 藤まつりのときは公園に屋台なども立ち並ぶんだそうだ。その光景はあまり想像できない。見たこともない演歌歌手が歌を歌ったり、踊りなどもあって、昔ながらの祭り風景が繰り広げられるらしい。夜はライトアップもある。
 藤名所として作ったのは、おそらく戦後だと思うのだけど、どうだろう。この津島という町は、織田信長や豊臣秀吉とも縁が深い場所で、豪華絢爛な津島天王祭りは当時からよく知られていた。でも秀吉たちが藤見をしたという話は聞かない。江戸時代の名所でもなさそうだから、やっぱりけっこう新しいんじゃないかと思う。藤の木もまだ若い感じで、古木といった風情はない。今後もっと大きく立派になっていく楽しみはある。

天王川公園の藤-9

 ここの映り込みが面白くて、なんとか上手く捉えたいと思って何枚も撮ったのに、あまり成功しなかった。もう少し絞って、手間の亀たちまでピントを合わせるべきだったか。

天王川公園の藤-10

 相変わらず藤だけの写真はほとんど撮ってない。どうにか人入りのいい写真が撮れないかとそればかり狙っていて、藤自体をあまり見ていないから。花だけを撮っても自分が面白くないというのもある。
 帰ってきて写真を見てみたら、藤のアップ写真が一枚もなかった。藤はあまりアップで撮るものではないにしても、一枚くらいは撮ってもいい。このときは蝶や虫を見かけなかったというのもあって、アップを撮るという発想がまったく浮かばなかった。

天王川公園の藤-11

 落ちた花びらが水面を覆って、藤のじゅうたんができた。でも桜じゅうたんと比べるとあまりきれいじゃない。色の違いなのか、それ以外の理由なのか。
 せっかくならこの水にも流れが欲しい。そうすると写真的にも変化が生まれるから。

天王川公園の藤-12

 手動の蓄音機を回して音楽を鳴らしていたおじさんがいた。ランニングに麦わら帽は、正しく昭和だ。藤を見に来た人たちがしばし立ち止まって、その様子を見ながら音楽を聴いていた。知らない曲だったけど、「リンゴの唄」とかがよく似合いそうだ。

 ゴールデンウィーク明けということで、藤はまあこんなものかなと納得した。大遅刻だったわりにはまずまず残っていた方だ。今年は亀戸天神でほぼピークの藤を見ることができたから、これで満足ということにする。小牧の「清流亭」は来年以降に持ち越しだ。
 今回の津島行きの目的は、この藤が半分で、もう半分はレトロな町並が残る本町を散策することだった。むしろそちらの方が楽しみだったので、たくさん写真を撮ってきた。近いうちにその様子も紹介したいと思っている。2、3回のシリーズになりそうだ。
 5月の花は、このあとカキツバタ、バラと続いていく。ただ、どちらも中旬以降ということで、少し間ができる。その間に、途中になっている安曇野やら滋賀やら河口湖やらをしっかり完結させたい。いろんなシリーズが中断してしまっているのはよくない。津島の本町シリーズは季節ものじゃないから、後回しにしよう。
 天王川公園の藤は、もうほぼ完全に終わっているから、見に行くなら来年にした方がいいと思う。私も来年こそ満開の実力を知ることができるだろうか。やや遅れ気味に行くとしても、3時間目くらいには行きたいものだ。

富士山のお見送りで河口湖本編は終了 -激闘・河口湖編<第七回>

観光地(Tourist spot)
河口湖番外編2-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 4月の終わりといえば、名古屋や東京では初夏の入り口という時期なのに、富士山の麓である河口湖ではまだ春まっただ中だった。少し前までソメイヨシノが咲いていたくらいだから、名古屋でいうと4月のはじめあたりに相当するだろうか。一ヶ月とはいわないまでも、3週間くらい季節が戻った感じだった。菜の花が見頃で、ああ、春だねぇと思うのだった。
 これは、冨士御室浅間神社に向かっている途中に出会った景色だ。少し前を行くちびっ子の女の子たちがポータプルプレイヤーでコブクロの「桜」を聴いていた。「蕾」じゃなくそっちできたかと思う。

河口湖番外編2-2

 同じく浅間神社へ向かう途中。何桜か分からないけど、まだ咲き残っていた。下に落ちている花びらからすると、ソメイヨシノっぽい気もする。遅咲きの木だったかもしれない。
 前を行くのは帽子とリュックという正統派スタイルの二人組だ。きっと夫婦さんだろう。

河口湖番外編2-5

 河口湖にはいくつか美術館があって、これはその中の一つ、河口湖美術館の前で咲いていた芝桜だ。
 これだけで人を呼ぶことはできないにしても、そこそこ楽しませてくれる。この日はもしかしたら秩父の芝桜を見に行っていたかもしれなくて、それの代わりにはならなかったけど、ここで少し見られてよかった。
 その他、木ノ花美術館や、オルゴールの森美術館などがある。オルゴールの森は周辺が魅力的らしいから時間があれば行きたかったのだけど、さすがにもう時間切れとなった。レトロバスの最終は5時前後と早い。

河口湖番外編2-3

 流鏑馬の合間にふと空を見上げると、山を背景にトンビがゆったり舞っていた。
 いいねぇ。雄大だねぇ。こんな風景にはトンビも絵になる。

河口湖番外編2-4

 夕暮れの優しい日差しに照らされる山々。少しかすんだ感じが素敵だ。
 日没前になって少し日差しが戻ってきた。そして、このあと、私たちは最後の最後に富士山を拝むことになる。

河口湖番外編2-6

 これはまだ全貌が見えていない、創造の森のときだ。望遠で狙ったら稜線の雪まではしっかり見えた。そこから上は雲の中で、想像するしかなかった。

河口湖番外編2-7

 ようやく山頂まで見えたのがこれ、帰りのレトロバスの中だった。かなりかすんでいてくっきりとは見えなかったものの、この日初めて上まで見られて感慨ひとしおだった。
 わざわざ席を移ってまで写真を撮ったのだった。

河口湖番外編2-8

 帰りの富士急線の列車からやっとはっきり姿を見せてくれた。遅いよと言いたかったけど、帰りを見送ってくれたと思ったらありがとうだ。これを見られたことでほぼ思い残すことがなくなった。
 裏から見る富士山は、鏡面文字みたいで不思議な違和感がある。現像の反転を間違えてしまったような感じとでもいおうか。
 それでもやっぱり富士山はいいものだ。あらためてそう思った。
 上の方はまだ真っ白で、山開きはもっと先になるのも納得だ。この雪では一般人は登れないだろう。

 こうして私たちの河口湖行きは終わった。河口湖をたっぷり堪能して、もうおなかいっぱいだった。
 かなりタイトなスケジュールをこなし終えた満足感は強かった。予定していたことは全部できた。良くを言えば、河口湖とカチカチ山で富士山が見たかった。もう一度行ける日があるといい。そのときは今回行けなかった西湖の方にも行ってみたい。
 車で行く方がずっと行動範囲が広がるのだけど、名古屋から日帰りはきついか。泊まりで富士五湖を巡るなんてのも面白そうだ。
 ブログの河口湖編の本編もこれでおしまいとなります。楽しんでいただけたでしょうか。いやはや、長かったですね、いろいろと。でもまた、前後の東京編と名古屋編でお会いしましょう。近いうちに。

河口湖番外編第一弾は乗り物やら建物やら -激闘・河口湖編<第六回>

観光地(Tourist spot)
河口湖番外編1-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は河口湖の番外編。1回におさめるには微妙に枚数が多くなったので、二本立てにして一気に終わらせる。本編に入り切らなくて、そのまま捨ててしまうにはもったいない写真を集めて並べておきたい。
 まだ河口湖編の延長戦としてナンジャタウンと早朝名古屋編があって、プロローグとして早朝東京編があるから全体としてはまだもう少し続くのだけど、河口湖本編としては今日が最後になる。
 河口湖シリーズはどれも説明が長くて書くのも読むのも大変だったから、今日は写真中心で短くしたい。デザートのようなものと思ってさらっと見てください。

 一枚目の写真は個人的にかなり笑えた。電車が到着したときの河口湖駅は、うなる中高年という感じでシルバーな熱気ムンムンなのだ。みなさんお元気で何よりです。帽子とリュックの比率が異常に高い。無帽でトートバッグといった出で立ちの我々など素人丸出しだ。
 富士急行線の駅としては、手前の富士急ランドで親子連れが降りて、その前の富士吉田駅でもリュックを背負った人が大勢降りていた。まだ富士山は山開きしてないから、あのあたりのハイキングコースでも歩くのだろうか。もしかすると、 忍野村から山中湖まで歩くのかもしれない。
 団塊の世代が大量退職したから、今後は中高年の観光客がどこも増えるに違いない。65やそこらじゃまだまだみんな元気だから。

河口湖番外編1-2

 新宿から乗っていったのがこれ、ホリデー快速河口湖1号だ。行き先表示がくるくると長いこと回って、ようやくこの表示が出てきた。とても昭和チックで嬉しくなる。
 これは国鉄時代の特急をそのまま流用した古い車両で、けっこう人気がある。乗る人にとってというよりもむしろ撮る人にとって。ホリデー快速河口湖を検索すると、乗るための情報よりも撮った写真がたくさん出てくる。撮り鉄の人はわざわざいいロケーションのところまで行って、この電車を撮っている。自分が乗っていては撮れないから乗らない。
 これはあずさ色で、もう一種類、彩野とかいうベージュとオレンジツートンのタイプもある。
 快速ではあるけど、大月での乗り換えなしに富士急行線に乗り入れて直接河口湖まで行ってくれるから便利だ。土日祝日に一日一往復している。大宮発のホリデー快速河口湖もあるようだ。
 気候がいいときはかなり混むようで、この日も新宿の時点でほぼ満席だった。そのあとも乗客は増えて、立っている人もかなりいた。座席を確保したければ、発車の15分くらい前に並んだ方がよさそうだ。

河口湖番外編1-3

 あ、フジサン特急だ。車両のペイントの絵がかなりふざけてる感じで脱力感を誘う。富士山が怒ったり笑ったりしている。
 大月駅と河口湖駅を40分で結んでいて、1号車は展望席とラウンジ席がある。着席整理券というのを1,000円で買うと1号車には必ず乗れるのだけど、着席は早い者勝ちという厳しいルールが設定されている。けど、一番先頭の展望席なんてのは、電車好きにはたまらない。
 ただし、場合によっては先頭を取ったと思ったら後ろ向きに進むことがあるので注意が必要だ。一番後ろの展望席で去りゆく風景を見ながら進むのは、ちょっと切ない。

河口湖番外編1-4

 どういう素性の車両かは知らないけど、一見して電車の人と分かる三人組が写真を撮っていたので、私たちも便乗して撮っておいた。お仲間と思われただろうか。
 深いブルーと白のコントラストが美しい。

河口湖番外編1-5

 これは駅前に飾ってあったやつだ。見るからに古そうだから、昔この路線を走っていて引退したものだろう。
 ちょっと気になったので検索したら引っかかった。「富士山麓電気鉄道 モ1号」だそうだ。裏手に回れば説明のプレートもあったみたいだ。中に乗り込むこともできる。
 富士急行の前身富士山麓電気鉄道が1929年に路線を開業させたときに造られた車両らしい。
 ということが分かったところで、私としてはふーんとしか反応のしようがないのだけど。

河口湖番外編1-6

 河口湖駅の表玄関側。
 開業は1950年で、2006年に新しい駅舎に建て替えられたようだ。どうりできれいだったわけだ。
 本来ならこの駅の背後にどーんと富士山が見えるはずなのに、ご覧のように雲に隠れてまったく見えない。まさかこの後ろに富士山が隠れているとは思わない。駅前からキョロキョロあたりを見渡して富士山を探せども見つからず、なんだか悪い冗談のようだった。富士山ってどっちの方角に見えるんですかと道行く人に尋ねたくなったくらいだ。いや、実際に創造の森で交通整理をしていた人に訊いて教えてもらったのだった。
 まさか河口湖へ行って富士山を探すことになるとは思ってもみなかった。

河口湖番外編1-7

 河口湖の周辺をレトロバスという観光バスが走っている。しかし、これが案外くせ者で、こいつに合わせようとするとけっこう無駄な時間ができたり、すごく慌てたりしないといけないことになる。30分間隔というのは採算を考えるとぎりぎりか赤字なのかもしれないけど、休日などはもう少し増やして欲しい。
 代金がまたけっこう高めで、遠いところへ行くと400円以上かかるし、一周すると1,000円も取られる。こういう観光地バスは一回100円とか150円とかが相場なのに、ここのは高い。移動距離が長いということもある。
 何回か乗り降りするならフリーパスを買った方がよさそうだ。私たちは東京からの往復と、ロープウェイやレトロバスが乗り放題のフリーチケットを買っていった(河口湖・西湖フリーきっぷ4,600円)。東京起点の人はそれがオススメだ。

河口湖番外編1-8

 河口湖の湖畔に建つ河口湖ホテル。外観はちょっと洒落てていい感じだった。もちろん泊まらない。私たちは歩いている途中で前を通っただけだ。

河口湖番外編1-9

 河口湖ハーブ館。時間がなくて中には入らなかった。
 ハーブ関連のものが売っていたり、ティールームがあるようだ。
 入り口の横にはきれいにチューリップが咲きそろっていた。

河口湖番外編1-10

 富士御室浅間神社から駅に向かって歩いている途中、狭い道の方に入っていったところで見つけた丸ポスト。
 丸ポストが店先を占拠してるのか、店が公共の道路を私物化しているのか、どっちもどっちというところに立っている。
 駅前にも丸ポストがあったから、他にも探せば見つかるかもしれない。
 気になったときは検索。丸ポスト好きな人は多く、そういう人は全国いろんなところを回ってよく知っている。河口湖周辺では、渡船場入口バス停近くの橋のところにもう一つあるようだ。ポストの数え方は、1基2基らしい。それも初めて知った。

 番外編の第一弾は乗り物や建物などを中心にお届けしました。
 第二弾は自然と富士山をお送りします。
 このあとすぐ。
 その前にいったんCM入りま~す。

富士には富士桜がよく似合うと言いたかった -激闘・河口湖編<第五回>

観光地(Tourist spot)
富士桜-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 富士御室浅間神社の流鏑馬を見たあと、1時間かけてよろめくような足取りでなんとか河口湖駅に帰り着いた我々は、創造の森行き最終バスに乗り込んでやれやれと思ったのもつかの間、チケットは駅の窓口で買ってくださいと言われて大あわてで駅まで走り、窓口のお姉さんからチケットをひったくるように受け取って、大急ぎでバスまで戻るというてんてこ舞いぶりを見せた。この時点で私たちは河口湖周辺で一番ヨレヨレの二人組だったんじゃないだろうか。
 富士山五合目行きの路線バスは、15分ほどかけて創造の森に到着した。途中でこの日初めて窓の外に富士山が見えて、おー、見えた、見えたと喜ぶ二人。初めて富士山を見た外国人のようだ。しかし、至近距離で見る富士山はやっぱり迫力がある。他の山とは威圧感が違う。遠くから見る富士は女性的な曲線で優しげだけど、近くから見る富士はオヤジのような荒々しい存在感だ。
 富士山の麓近くのへんぴなところにある創造の森までわざわざ行ったのは、このあたりに自生する富士桜というのを見るためだった。「富士桜ミツバツツジまつり」というのが開催されていて、行く前から楽しみにしていた。
 森の様子を写真に撮ると雑然としてとりとめがない感じだけど、実際はもっと印象的な桜風景が広がっていた。カラマツ林の中で、可憐な白い富士桜と、鮮やかなミツバツツジが彩りを添えて、これぞ野生の春といった風情だ。
 富士山麓の遅い春を告げるこの二つの花は、人の手によって植えられたものではなく野生で咲いているものだ。そこがいい。毎年4月の中旬から5月の半ばにかけて花を咲かせる。今年は一週間くらい早かったようだけど、ソメイヨシノのように花期が短くないから連休中は大勢の人で賑わっていたことだろう。今日は天気が良かったから富士山がよく見えただろうか。
 土壌の関係で、富士山の2合目から1合目にかけてたくさん自生して、離れるほど少なくなっていくんだそうだ。富士吉田市にも多く咲いていて、そちらでも毎年富士桜まつりが開催されるようだ。

富士桜-2

 かなり広範囲に広がって自生しているようで、向かっている途中の道路の両側にも点在していた。桜会場になっている創造の森がやはり一番多いようだ。
 写真の中央あたりに写っているのがバス停で、私たちが乗った路線バスは、この先の終点まで行って折り返し運転となる。つまりそのバスを逃すと帰る交通手段がなくなるということだ。その間、30分ちょっと。のんびりしている暇はない。さあ、急いで富士桜を観賞だ。
 なんて、ハードでタイトなスケジュールなんだ。この日の我々は、最初から最後まで売れっ子タレントみたいに時間に追われる一日だった。

富士桜-3

 あー、なるほど、こういう感じねと、一目見て納得した。手作り感が強いこんなイベント会場ってあるある、と思う。どこが開催しているのかは知らないけど、屋台とかが並ぶというのではなく、地元の関係者がみんなで協力してやっているようだ。
 特産品の販売や、苗木のプレゼントなどがあったようだ。ボランティアによる野草ガイドコーナーなんてのもあった。けっこう渋い。ゴールデンウィーク期間中はオリエンテーリングなどの参加型イベントも行われた。

富士桜-4

 桜祭りだから桜ソフトだろうと思いきや、それはラインナップにない。ノーマルのバニラでは面白くないということで、山梨にちなんで巨峰ソフトを選んでみた。300円だったかな。
 味は濃厚というか、懐かしいというか、昔の粉で作るグレープフルーツジュースのような味だった。ソフトがちょっとシャーベット状になっている。なかなか美味しかった
 そういえば、体がソフトクリームを求める季節になったんだという点でも初夏を感じたのだった。もっと暑くなるとアイスが食べたくなり、それが氷に変わったらもう夏本番だ。季節というのはそういうところでも感じ取ることができる。

富士桜-5

 花の販売も行われていた。普段花を買うことがないので安いのかどうなのか判断ができない。いくら安くても、こんなところで買って持って帰るのは大変だ。買うのは車で来た人たちだろう。
 富士桜やミツバツツジも売られていたようだ。背丈よりも大きな桜の木をかついで電車に乗ってもいいもんなんだろうか。

富士桜-6

 富士桜は、とても小さくて可憐で、これはかわいい桜だ。遠くで見ると華やかさはないけど、近くで見るとその魅力が分かる。いっぺんで気に入った。
 品種としてはマメザクラ(豆桜)という野生種で、富士山や箱根山を中心とした山地に多い。フジザクラというのは別名というか通り名だ。昔は箱根桜ともいったようだ。
 咲いている姿がうつむいて恥ずかしそうに見えるところから乙女桜とも呼ばれているとか。
 花の直径は2センチくらいの背の低い桜で、そのあたりからもマメザクラの名がつけられたのだろう。
 大きくならないから盆栽としても人気らしい。この盆栽なら欲しい。いっちょ買ってやろうかと思ったらけっこう高かった(5千円くらい)。

富士桜-7

 マメザクラは変種が多くて、花の色も白からこんな紅色まであるというから、これもマメザクラでいいんだろうか。上の写真のものとはまったく別の種類の桜に見える。八重咲きのものもあるようだ。
 花はガク(萼)の部分が長いのが特徴で、まれにガクが緑色のものもあるらしい。
 マメザクラの中には、富山や石川と近畿に自生するキンキマメザクラ(近畿豆桜)もある。

富士桜-12

 ほんの短い時間、明るい光が差したときがあって、あわてて撮ったのがこの一枚だ。このあとまたすぐに太陽が雲に隠れてしまって、そのまま日差しが戻ることはなかった。
 光に当たると、うぶ毛が多いのがよく分かる。これも富士桜の特徴の一つだ。

富士桜-8

 これは富士桜じゃないと思ったんだけど、どうだろう。背が高すぎるし、花のつき方も多すぎる気がする。でも、これくらい大きく育つ富士桜もあるのかもしれない。ほっそりした幹と枝を見るとそれっぽい。

富士桜-11

 森の中ではいろいろな鳥の鳴き声が聞こえていた。光がなくて、木が茂っているから姿はほとんど見えなかったのだけど、シジュウカラだけは撮れた。
 ウグイスもホーホケキョと盛んに鳴いていた。ウグイスは山梨県の県鳥になっている(福岡県も)。
 県の花は富士桜だ。
 ついでに書くと、桜を県花にしているのは、東京がソメイヨシノ、京都がしだれ桜、奈良が八重桜と、4つしかない。意外と少ない。愛知県のカキツバタは知立や刈谷に有名なところがあるから納得だ。

富士桜-10

 すごい毛深くてもしゃもしゃな枝が面白かったので、見上げて一枚。
 上からざばっと罠が落ちてきて捕らわれそう。

富士桜-9

 富士桜とミツバツツジと富士山のコラボレーションを撮ろうというもくろみは、厚い雲に阻まれて果たせなかった。バスから見えていたのもほんの一時のことで、またすぐに隠れてしまった。かえすがえすも残念無念。
 せっかく太宰治に対抗して、富士には富士桜がよく似合うというセリフで決めようと思ったのに、肝心の富士山が見えなければ用意してきた決めゼリフもひっこめるしかない。
 バスの時間ぎりぎりまで粘ってはみたものの、ついに富士が全貌を表すことはなかった。

 このあと我々は無事に最終のバスに乗り、河口湖駅まで戻ることができた。間髪入れず最終のレトロバスに乗って美術館へ行き、また戻りの最終のレトロバスに乗るという綱渡りのようなことをすることになるのだけど、それはまた別の話。
 河口湖編はそろそろ終わりが見えてきたようだ。番外編が1回におさまるか、2回になるか。
 今日でゴールデンウィークも終わったことだし、ぼちぼち河口湖編も完結させて次のシリーズに移りたい。実は松本も滋賀もまだ完全には完結していないことがずっと気になっている私なのだけど。

朝っぱらから亀戸天神で藤を見る -激闘・河口湖編はここから始まった

神社仏閣(Shrines and temples)
亀戸天神-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 河口湖へ行った日は、朝っぱらに東京に着いて、出発までしばらく時間があったので亀戸天神(かめいどてんじん)へ行くことにした。一度行きたいと思っていた神社でもあり、ちょうど藤が満開の時期でもあった。ここは江戸の昔から藤名所としても知られたところだ。
 激闘・河口湖編は、実は早朝6時の亀戸天神からすでに始まっていたのだ。今日は亀戸天神について書きたいと思う。

 日本全国にある天満宮、天神さんと同じく、ここも菅原道真を祀った神社だ。
 もともとは出世をねたまれた菅原道真が左遷された九州太宰府の地で死に、怨霊を沈めるために神様として祀ったのが天満宮の始まりだ。京都の北野天満宮も、朝廷で続いた変死が道真の怨念だということになって建てられた。
 のちの天満宮は性格が変わり、出来の良かった道真を学問の神様として奉ってあやかろうという発想によって建てられたものが多い。
 この亀戸天神も、江戸時代初期の1662年に、道真の子孫の大鳥居信祐が亀戸に小さな社を作ったのが始まりとされている。
 太宰府天満宮にならって社殿や楼門、太鼓橋をを造ったのは、四代将軍家綱だった。家綱は凡庸とか政務は家臣任せの趣味人だったとか、あまり評判のよくない将軍だけど、明暦の大火のときは寺社や武家に資金援助をするなどという面も見せた。11歳で将軍職について、政治は保科正之や井伊直孝、酒井忠勝といった優秀な取り巻きが全部やってしまったからやることがなかったということもがあるかもしれない。実際の人物像がよく分からない将軍だ。
 湯島天神とは歴史が違うものの、江戸時代から江戸の二大天神として信仰されていた。
 古くは九州太宰府天満宮に対して東の宰府ということで東宰府天満宮や亀戸宰府天満宮と呼ばれていたという。明治に亀戸神社となり、昭和11年に亀戸天神社となった。

亀戸天神-2

 現在の本殿は昭和36年(1961年)に再建されたものだ。昔の建物は何もかも空襲で焼けてしまって残っていない。亀戸一帯は焼け野原になったようだ。残っていたら、まず間違いなく重要文化財になっていただろう。
 明治の古い写真を見ると、それはもう立派な楼門と本殿が建っていて、写真だけでもうわぁーと声が出てしまうくらいなのだ。これを見られないなんて悔しい。こんなものを見せられてしまうと、今ある亀戸天神は作り物のレプリカにしか思えない。
 ただ、戦後復興がままらないまま15年以上も本殿なしに月日が流れ、ようやく昭和36年に再建されたときには地元の人たちは喜んだことだろう。楼門も再建できればよかったけど、そこまでは無理だったらしい。

 亀戸天神というと、鷽替神事がよく知られている。
 鷽(ウソ)という鳥がいて、その鳥とは直接関係ないのだけど、名前のウソとかけて、去年までの悪いことはウソにしてしまって、幸運に取り替えるというものだ。鷽をかたどった木彫りの人形を買って、一年後に古いものを持ってきて、新しいものを買って帰る。一回始めたら毎年新しいものに交換しなければいけないというなんだか上手い商売に乗せられているような気がしないでもないけど、こういうものは縁起物だ。実を取ってはいけないのだろう。
 鷽は、フィーフィーと口笛を吹くような声で鳴く姿がうそぶいているように見えることから名づけられたといわれている。いまどき、嘘を誤魔化すために口笛を吹いてる人は見たことがないけど。
 鷽替えは太宰府天満宮をはじめ、いくつかの天満宮で行われているようで、いろいろなスタイルがあるみたいだ。

亀戸天神-3

 祝日の朝6時だというのにすでにこの人出。恐るべし、東京。しかし、連休の日中はこの参道が人で埋め尽くされて歩くこともままならないというから更に驚く。写真を見たら笑った。朝の満員電車並みに混んでるではないか。ゆっくり見たければ平日の早朝に行くしかない。最近は夜明けも早いから、5時くらいに行けば大丈夫だろう。ここは終日開放なので、明るければいつでもいい。連休中は夜間のライトアップもされている(18時-0時)。夜藤というのはなかなか珍しい。
 約1万平方メートルの敷地に94株の藤の木と28の藤棚があるんだそうだ。なかなか見応えがある。数でもおそらく東京一だろう。
 見頃は早咲きが満開になる4月の終わりから遅咲きが咲く5月のはじめまで。私が行った4月29日は、早咲きのが終わりかけで、遅咲きが満開手前という感じだった。ゴールデンウィーク明けくらいまで楽しめるんじゃないだろうか。

亀戸天神-4

 人が集まるところを屋台が見逃すはずもなく、藤祭りの期間中は日中屋台が並ぶ。お祭り気分を味わうにはいいけど、食べ物の匂いが藤の香りを打ち消しがちだから、藤を堪能するならやっぱり朝早くということになるだろう。それでみなさん朝っぱらが訪れていたというのもあったのかもしれない。昼間は混むし。
 でも、朝の5時すぎから電車が普通に動いて、みんなが活動している東京という街はあらためて変な街だなと思う。一日の始まりと終わりの境目がすごく曖昧で、ほとんどないに等しい。これほど街の睡眠時間が短いところも他にないんじゃないか。

亀戸天神-5

 亀戸天神名物、太鼓橋。その下は心字池。
 北の鳥居をくぐると最初にあるのが大きな太鼓橋(男橋)で、本殿に近い方に小橋がある。
 歌川広重が「大江戸名所百景」の「亀戸天神境内」が描いたのは大きな太鼓橋だ。もちろん当時は木製で、こんなけばけばしい赤色はしていない。現在はコンクリート製になってしまった。
 広重が描いた構図で写真を撮ろうとすると、屋台が邪魔になって撮れないようだ。せっかくあんな有名な版画があるのだから、ここが広重が描いた場所という立て札でも立てて、そのように演出すればいいのに、もったいないことをする。ただ、広重が見た通りそのままを描いたとも思えないから、そういうことは無理なのかもしれない。
 安藤広重と歌川広重を混同してる人がけっこういるんじゃないかと思うけど、現在は歌川広重が正しいということになっている。火消しの安藤家に生まれて家督を継いだ広重だけど、浮世絵師のときは安藤を名乗っておらず歌川広重とするべきだというのが定説だ。
 その広重の浮世絵に影響を受けたのがフランス人画家のモネで、自宅に日本庭園を造り、描かれた亀戸天神の太鼓橋を再現するほどだった。代表作「睡蓮」の連作で描かれている橋は、亀戸天神の橋という言い方もできるかもしれない。モネの庭にあった橋はこれほど弧を描いておらず、緑色をしているのだけど。

亀戸天神-7

 早朝からカメラと三脚をかついでやってくるくらいだから、相当に気合いが入っている。このときはまだ人が少なかったからゆっくり撮れただろう。人が増えてくると三脚なんて立ててる場合じゃなくなる。橋の上など格好の撮影ポイントだから、身動きもままならないくらい鈴なりになるはずだ。
 私は河口湖行きのことがあってのでじっくり撮っている時間もなく、亀戸天神滞在は10分という慌てようだった。ざっと一通り見て、写真を撮るだけで終わってしまった。あまり広いところではないとはいえ、あと10分くらい欲しかった。急いでいたから、なで牛も道真さんの像も見逃した。
 来年の梅の季節に再訪できるといい。

亀戸天神-8

 藤はいつ見ても日本人好みの風情だねと思う。イメージいうと平安時代だ。桜は庶民のものでも、藤は貴族がよく似合う。
 藤は山でも野生のものが咲いているけど、断然藤棚に限る。人の手が加わると人工的になって情緒がなくなるものが多い中、藤は例外だ。藤棚を最初に思いついた人間は見る目があった。偶然だったのか、こうなると分かっていて始めたのか。
 藤の季語は晩春だけど、初夏の花という印象が強い。この花を見ると、いよいよ暑くなるぞと覚悟する。5月の花ラッシュに先駆けて咲く花という位置づけでもある。
 見頃を見極めるのが難しい花で、毎年出遅れている私だけど、今年はいい時期に見ることができた。できれば津島の天王川公園も見に行きたいと思っているのだけど、今年ももう出遅れだろう。連休明けで間に合うかどうか。
 今年ニュース画像で見た「あしかがフラワーパーク」の藤はすごかった。あれはいつか見に行きたい。

亀戸天神-9

 もう少し晴れていて、池の水がきれいなら、藤波が水面に映ってきれいだったろう。
 伊藤左千夫の「池水は濁りに にごり藤波の 影もうつらず 雨降りしきる」は雨の日の亀戸天神を詠ったものだったけど、太宰治はそれが亀戸天神のことだと知っていたのだろうか。もし知っていたら、記録には残ってないけど、こっそりこの地を訪れていたかもしれない。

亀戸天神-10

 少し紫がかかった白の藤もあった。白藤は豊田の御作の藤回廊で真っ白なのを見たことがある。あれはあれできれいだけど、やっぱり藤は藤色に限る。

亀戸天神-11

 亀戸天神は亀でも有名なんだとか。行く前は知らなくて、帰ってきてから知った。池には数百か、もっとたくさんの亀がいるらしい。岩場には折り重なるように亀が甲羅干しをしているそうだけど、このときはそんなこと思いもしなかったので見かけなかった。早朝だからまだ寝ていたか。
 ただし、亀がいるから亀戸ではなく、地名の由来はもっと古い時代にさかのぼる。弥生時代くらいまではこの地は海で、そこに亀ノ島(亀津島)という小さな島があった。亀の甲羅に形が似ているところからそう名づけられた。やがてそこに亀村という漁村ができて、亀ヶ井という井戸が有名で、そこから亀井戸となり、いつしか井が抜けて亀戸となったんだとか。

亀戸天神-12

 最初、少し道に迷って東の鳥居から入ってしまったので、帰りは南の鳥居から帰ることにした。
 おばあさんが掃除をしている姿が下町情緒という感じでよかった。
 亀戸の街も少し歩いて何枚か写真も撮ってきたので、近いうちに紹介しようと思っている。今日一緒に載せようと思ったら亀戸天神の写真が思ったよりも多くなってしまった。
 明日からはまた河口湖編に戻る。今日の亀戸天神も含めて、激闘・河口湖編は紹介した分でまだ半分ちょっとでしかない。何しろ時間だけでも朝の5時半から夜の10時までと長きに渡った。激闘というのは大げさじゃない一日だったのだ。それも、このブログに全部書き終わって初めて完結となる。もうしばらくおつき合いください。

スシローへ行くために生もの再チャレンジだ半生サンデー

料理(Cooking)
半生再開サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 ゴールデンウィークだからゴールデンな料理にしようとか、明日は5月5日だから子供の日サンデーにしようとか、あれこれ考えて結局普通のサンデーになった。料理で鯉のぼりを作ったりするのが面倒だったから。鎧兜の料理なんてのも頑張ればやってやれないことはないのだろうけど、今日はそこまで気力が充実していなかった。せっかくだからちまきくらいは作って食べてもよかったかもしれない。あれは上新粉から作るんだろうか。でも笹の葉なんてどこで入手できるんだ。中華ちまきという手はあったか。それはまた別の機会に作ることにしよう。
 今日のサンデー料理のテーマは、生ものへの再チャレンジだった。3年くらい前に刺身を食べて当たって死にそうになって救急車に乗せられて以来、生もの恐怖症になって食べられなくなっていた。食べてみれば大丈夫なんだろうけど、体が拒絶しているのか、食べたいという気も起きなかった。それがここ最近になって、そろそろ食べてもいいかなと思うようになっていた。どこかで食べないと、このまま一生寿司も食べられなくなってしまうという危機感もあって。回転寿司屋に行っても、サラダ巻きとか納豆巻きとか数の子とか卵とか、幼稚園児のようなことになる。しまいにはメロンの切れ端とかプリンなんかにも手を出してしまいがちだ。このままではないけない。
 いきなりの刺身には若干の身の危険を感じたので、半生から徐々に慣らしていくことにした。ということで、今日のメインはマグロのあぶりに決まった。
 でもちょっと失敗。焼きを入れすぎた。火が強かったのか、焼き時間が長すぎたのか、半生ではなく3分の1生くらいまで火が通ってしまった。けど、久々に生の食感を味わった。そうそう、こんな歯触りと香りだったと思い出した。
 食べて体の具合はどうなんだというと、今こうしてブログを書いているから大丈夫だったのだろう。特におなかの調子が悪くなったとか気持ち悪いとかもない。
 とはいえ、いきなり店屋で寿司は危ないから、家であと2、3回体に生ものを馴染ませてからにしよう。それで大丈夫なら回転寿司のスシローへ行こう。もうお子ちゃまとは言わせない。甘エビ、サーモン、サラダ巻き、納豆巻き、エビ、シーチキン巻き、なんて感じで食べよう。ん? まだ充分子供だって? 生ものが食べられるようになっても、私の好きなものはあまり変わらないのだ。もともとトロとかには何の思い入れもないし。
 今回のあぶりマグロのソースは、オリーブオイル、白ワイン、マヨネーズ、マスタード、塩、黒コショウ、バジル粉、しょう油で作った。大葉の刻みもよく合う。

 右手前は、イカリングに見えるけど、オニオンリングだ。イカやタコはかみ切れないから好きじゃない。どこで飲み込んでいいのか、タイミングが分からないし。
 今は新タマネギの時期だから、しゃきしゃきして甘い。これをフライにすると美味しいのだ。
 輪切りにして、小麦粉、ベーキングパウダー、塩をまぶし、溶き卵にくぐらせてパン粉をつけたら、あとは揚げるだけ。
 ソースは、トマト、白ワイン、コンソメ、ケチャップなどでトマトソースを作った。単純に塩やしょうゆでも充分いけるはず。
 タマネギの輪っかが五輪の形をしているのに気づいてくれただろうか。盛りつけているときに聖火が中国本土に渡ったというニュースをやっていて、そうだ、五輪にしようと思いついた。言わなければきっと誰も気づかなかっただろうから、自己申告してみた。
 日中友好でパンダを貸してもらわなければ。

 奥は、ニョッキ風のホワイトソースになっている。
 ニョッキの定義はよく分からないのだけど、基本はジャガイモと小麦粉で作るイタリア料理だと思う。パスタの一種といっていいのだろうか。
 ジャガイモを煮るかレンジで加熱するかしてつぶして、小麦粉を混ぜ合わせて塊にして、それを茹でてソースに絡めて食べるというのが一般的だ。フォークの背で半分つぶすようにして模様をつけるのが基本形のようだ。
 今回作ったのはそれのやや変形で、つぶしたジャガイモに小麦粉、卵黄、粉チーズ、塩、コショウを混ぜて団子にして茹でた。
 別にコンソメスープでタマネギと海老をゆがいて、フライパンでホワイトソースを作る。
 最終的に全部絡めて少し煮込んでできあがりだ。ホワイトソースはコンソメのゆで汁で固さと味を調整する。

 今日は全体的に味のバランスがよかった。マグロを和風ではなく洋風にしたことで他の2品とケンカせずに済んだ。表面的には野菜が少ないように思うかもしれないけど、材料の大部分は野菜からできている。ソースも手製だから安上がりで余計なものも入っていない。カロリー的にはどうなんだろう。あまり気にしたことはないのだけど、ソースの分だけ高くなっているのだろうか。
 しかし、食べ終わってから反省もした。せっかく子供の日だというのに、それにちなまない普通の料理に逃げるなんてもったいなかった。こういう特別なイベントデーはそれに合わせるべきじゃないか。趣味の料理なんだから、美味しければいいってもんじゃない。
 来週は母の日だ。母の日にちなんだ料理って何だろう? カーネーションでは料理と結びつかない。来週もノーマルな料理になってしまうのか。もう少し考えてみよう。
 なにはともあれ、これでスシローに一歩近づいたことは間違いない。夏場は何かと危ないから、秋くらいを目標に生ものを食べられる体に戻りたいと思っている。
  • ホーム
  • 次 ›