月別:2008年03月

記事一覧
  • 在庫一掃セール松平郷編最終回は春の始まりの終わりの花写真

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / 135mm f2.5 / 28mm f3.5 / 200mm f3.5 他 在庫一掃セールは続く。今日は松平郷の花編だ。 3月の終わりというのは、松平郷ではやや中途半端な時期になる。桜には早く、梅には遅い。早春の花も一段落している小休止のようなときだから。 それでも、なんだかんだでちょこちょこ花は咲いている。ここは歴史の郷というだけでなく、花の里でもある。住んでいれば、季節の花がきちんと咲いてくる...

    2008/03/31

    花/植物(Flower/plant)

  • さしすせそ和食サンデーは字余りでも不自由を感じた

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 和食の定義とは何かと問われるとちょっと考えてしまう。普通に考えれば、昔から日本にあった食材と調味料で作った料理が和食ということになるのだろうとは思うけど、たとえばすき焼きは和食なのかなんて意地悪な質問をされると答えに詰まる。日本人が牛肉を食べるようになってからまだ100年ちょっとしか経っていない。カレーライスが和食かそうじゃないかというのも難しいところだ。 和食という言...

    2008/03/31

    料理(Cooking)

  • 静かなる松平郷

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5 桜はいったん休んで、今日は松平郷に戻りたい。3月から4月にかけては、季節が急ぎ足で進んでいくから、写真をためておくとすぐに古びてしまう。なるべく旬のうちに使いたいと思いつつ、新しい写真が増えていって埋もれてしまいがちになる。そんなときは二本立てだ。季節ものじゃなければ在庫にしてもいいけど、季節限定ものは早いうちに使い切ってしまわないといけ...

    2008/03/31

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 山崎川の桜後編は人がいない桜だけの写真

    FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5 / TAMRON 90mm f2.8 SP 今日は昨日の山崎川の続きで、桜編をお届けします。今日の写真は、人入りではないのだ。ちょこっと入っているくらいでは人入り写真ではない。人以外のものが入ってたりもする。 まずは鼎小橋付近から。このあたりは古木が残っていて、それが川面に向かってしだれるように枝を伸ばしているから風情がある。これが最初からの狙いだとしたら、なかなかのも...

    2008/03/29

    桜(Cherry Blossoms)

  • 山崎川の桜並木を撮り歩きながらやっぱり人入り写真が好きだと思う

    FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5 / TAMRON 90mm f2.8 SP 春を求めて今日は東へ明日は西。東奔西走の3月終盤。燃え尽きる前に回れるだけ回れということで、今日は山崎川へ出向いた。 名古屋を代表する桜名所で、全国の桜名所100選にも選ばれているこの場所は、意外と評価が分かれるところだったりする。一昔前を知っている人間にとっては、最近の山崎川は物足りなくなったというし、今の姿しか知らない人は美し...

    2008/03/29

    桜(Cherry Blossoms)

  • 2分咲きのソメイヨシノと満開のエドヒガンで2008年桜シーズン開幕

    FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5 桜の開花宣言からすでに6日経ったというのに、名古屋の桜はいまだ見頃を迎えない。通常、開花から一週間くらいで満開になるというから、本来なら7、8分咲きになっていてもおかしくない頃だ。実際はまだ、2、3分のところが多い。ここのところちょっと気温が低くなっているから、桜の開花速度が弱まった。なかなか話が前に進まないマンガみたいだ。どんだけ引っ張るんだとツッコミ...

    2008/03/28

    桜(Cherry Blossoms)

  • 三年目のカタクリは1時間間違えて早く着いてしまった教室のようだった

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / TAMRON SP 90mm f2.8 / smc Takumar 135mm f2.5 3月の終わりは、桜の季節というだけでなく、カタクリの季節でもある。 桜の開花宣言が出されて、それを追いかけるようにカタクリの花が咲き始める。私も毎日、カタクリの開花状況が気になって、足助町のHPを見ながら、すぐに飛び出せるように行く機会をうかがっていた。すると昨日、ついに満開宣言が出された。写真を見ると確かに斜面一面をカタ...

    2008/03/27

    花/植物(Flower/plant)

  • 一年半の無沙汰を詫びに親氏のオヤジに会いにいく ---松平郷<第1回>

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / 135mm f2.5 / 28mm f3.5 / 200mm f3.5 他 今週は桜週間と位置づけて、心の準備は万端整えているのに、なかなか満開の便りが届かない。開花宣言から、まだ3日だから当然だ。はやるきもちをおさえつつ、どこへ行こうかあれこれ考えるも、行き先が決まらない。今行ってもまだ2、3分咲きに違いないから早すぎる。せっかく行くなら満開のときに見たい。 いったん桜は延期にして、別のところへ行...

    2008/03/26

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • マンネリ感を打破できずに3回で完結になった東山動物園の春<第三回>

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO 春の東山動物園シリーズは3回目で早くも完結を迎えてしまった。期待のドラマが視聴率の低迷で途中打ち切りになってしまったような唐突な終わりだ。予定ではたっぷり撮り貯めて、2週間分くらいの在庫にしようと目論んでいたのに。今回は全体的にみて低調だった。要因はいろいろあるのだろうけど、残念だ。こういうこともある。 今日は鳥写真を中心に、おまけ写真を加...

    2008/03/25

    動物園(Zoo)

  • 冷凍食品に勝負を挑んで脱線と自滅で完敗のサンデー料理

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 今日のサンデー料理のテーマは、冷凍食品だった。ややタイムリーさに欠ける感はあるものの、ふと冷凍食品という言葉心に引っかかった。今頃。 といっても、もちろん、冷凍食品を使って料理をするというのではない。冷凍食品風のおかずを手間暇かけて作ってみようという企画だ。そして、そのおかずは冷凍食品に勝てるのかという勝負でもあった。 最近の冷凍食品事情に疎い私は、まずは勉強から入...

    2008/03/24

    料理(Cooking)

  • 望遠ズームで画角に迷って動物に迫りきれず ---東山動物園の春<第二回>

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO 春の東山動物園第二回は、普通に撮った動物写真をお届けします。 今回は100-300mmという望遠ズームを使ったから、ちょっと迷いが生まれてしまった。300mm望遠の単焦点なら迷いようがなくて、ファインダーの中におさまった大きさで撮るしかないのだけど、選択肢の幅ができるとどの大きさが正解なんだろうと考えてしまう。体全体なのか、顔アップなのか、上半身とかを...

    2008/03/23

    動物園(Zoo)

  • 3月の動物園は動物も人も花も春模様 ---東山動物園の春<第一回>

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO 望遠レンズしか持ってなくてたくさん写真を撮りたいとなると、行く場所は自ずと決まってくる。そう、動物園だ。カモの多くが北へ渡ってしまった今、望遠が活躍するところといえば動物園しかない。 東山動物園は、去年の8月にナイトズーへ行って以来だから、半年以上ぶりになる。行くたびに2,000円の年間チケットを買おうかどうしようかと考えてやめる。よく行っても...

    2008/03/22

    動物園(Zoo)

  • エースの7のお手並み拝見といきましょうかね(浜田剛史)

    KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO α-7Dと100-300mm APOを持って、夕方近所へ写真を撮りに行った。 いつの間にα-7Dなんて持ってたんだなどと突っ込んではいけない。いつの間にかだ。そういうこともある。 100-300mmの望遠ズーム一本勝負ということで、撮れるものが限られる中、撮れるものを撮った。まだα-7Dの使い勝手も画質傾向も分からないから、まずはいろいろ撮ってみることだ。撮りながら掴んで...

    2008/03/21

    カメラ(Camera)

  • 井田八幡神社へ行って八幡神のことを少し知る ---尾張旭神社巡り第三弾

     尾張旭の神社巡り第三弾は、井田町にある井田八幡神社だ。 場所は、三郷交差点を南に入って、イトーヨーカドーを右手に見ながら通り越し、三郷南交差点を過ぎて少し行った左側だ。三郷小学校の西といった方が地元の人にはイメージしやすいだろうか。 この神社に関しては、情報も少なく、これといった見所もないので、あまり書くことはない。神社にある陶製の狛犬が尾張旭市指定文化財になっているということくらいだろう。 13...

    2008/03/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 名東区三大緑地の一つ猪高緑地は演出下手でいい作品になり損ねている

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm IS / EF 75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON 90mm f2.8 SP 名古屋市東部の名東区には3つの大きな緑地がある。そのうちの2つ、牧野ヶ池緑地と明徳緑地はここにちょくちょく登場しているのに、もう1つの猪高緑地(いたかりょくち)はほとんど出てきていない。ブログを調べてみると、2005年の12月に一度出たのが最初で最後だった。2年以上行っていないというのは自分でも驚いた。 場所は東名名古屋インターの...

    2008/03/19

    施設/公園(Park)

  • 明大前に歴史と人間の物語あり ---駅シリーズ第一弾

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 明大前へ行ったのは、ネットの友達に会うためだった。それ以外の理由で明大前に降り立つ理由は、思い当たらない。特に名所があるというわけでもなく、今更明治大学に入学し直す予定ももちろんないから。 でもせっかく縁あって降り立った駅だし、これをネタにしない手はない。今日は明大前について少し書きたいと思う。 地名では世田谷区松原と呼ばれるこの街は、かつては甲州街道沿い...

    2008/03/17

    東京(Tokyo)

  • 知ってるつもりで知らない料理を作って食べて解き明かすサンデー

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II ミネストローネって、なんだろう? 今日のサンデー料理はそこから出発した。 料理名は耳にしたことがあるけど食べたことがない料理や、食べたことはあるけどその料理の定義を訊かれると答えられないものはたくさんある。トム・ヤム・クンとか、ボルシチとか、チンジャオロースとか、いきなり今から作って欲しいと言われても困る。トルティーヤってなんだっけみたいなことも多い。 ミネストロー...

    2008/03/17

    料理(Cooking)

  • 奈良番外編は残り物写真を見ながら思い出の中の奈良巡り

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 奈良シリーズは終わった。でもまた奈良ネタじゃないかと思うかもしれない。本編の最終回が終わればスペシャルがあるのは世の常だ。連ドラでは回想シーンだけでスペシャルにするなんてこともある。本編が終了してスペシャルまでの間が短すぎるけど、そもそも奈良へ行ったのは去年の11月のことだから、本編の終盤3回からスペシャルが始まっているようなものだったのだ。でもそれも今回で...

    2008/03/16

    奈良(Nara)

  • ホワイトデー便乗企画、クッキーと私と名古屋銘菓とオマケ

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 今日は白い日、ホワイトデー。来月はブラックデーで、再来月はイエローデーと続いていくのは韓国の話。年がら年中記念日がある韓国とは違って、日本では冬から続いたイベントが一段落するのがホワイトデーだ。ここを乗り切ればしばらく休めるぞと思ってホッとしてる人が案外多いんじゃないだろうか。クリスマスからの寂しさが続いた人にとっての終戦記念日でもある。 義理と人情を秤にかけりゃ義...

    2008/03/15

    名古屋(Nagoya)

  • 奈良シリーズ本編の最終回はどうしても見たかった朱雀門で締めくくり

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 秋の奈良行き最終目的地は、ライトアップの朱雀門と決めていた。 そもそも奈良へ行こうと思ったのは、この朱雀門の存在を知ったのがきっかけだった。もう3、4年前のことになる。ずっと行きたいいきたいと言いながらなかなか実現できずにいて、この前ようやく念願が叶った。名古屋-奈良間は、JRの直通電車が廃止されて、近くて遠い都となった。 朱雀門へ行くのは苦労した。近鉄電車で...

    2008/03/14

    奈良(Nara)

  • 農業センターのしだれ梅の見頃はまだこれからでピークは週末<後編>

    FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor 35mm f2D / TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 17-35mm 今日は昨日に引き続いて農業センターのしだれ梅後編です。 自分の人入り写真を見ると、ときどき新聞写真みたいだなと思うことがある。もしくは、新聞の写真を見ると自分が撮った写真みたいだなと思ったりもする。 上の写真などはその典型で、花名所で花が見頃ですといったニュースの横に添えられる写真がちょうどこんな感じだ。それは私として...

    2008/03/13

    花/植物(Flower/plant)

  • 3年目の農業センターしだれ梅を今年もまた撮りきれず<前編>

    FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor 35mm f2D / TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 17-35mm 3月も半ばに近づく中、今年はいまだに梅をまともに撮っていない。今年の冬は寒かったから、梅がなかなか満開にならないのだ。毎日ネットで情報を見ていてもいっこうに満開になったという報告がない。うちの近所の梅林もようやく7分咲きといったところで進まない。 とうとうこらえられなくなって今日、本命の農業センターへ行ってしまうことにし...

    2008/03/12

    花/植物(Flower/plant)

  • 東大寺<後編>は二月三月四月堂 一月堂や五月堂はないですよ

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 東大寺の魅力は大仏殿だけじゃない。二月堂をはじめ他にも見所はいろいろある。私たちは時間が足りずにやや駆け足の見学になってしまったけれど、二月堂だけは見にいった。三月堂、四月堂は外見だけとなってしまい、三月堂の内部を見られなかったのはちょっと心残りではある。 乾漆不空羂索観音立像や塑造日光・月光菩薩立像など国宝ゴロゴロで、宝庫とはまさにこのことを言うのだとい...

    2008/03/10

    奈良(Nara)

  • 落下傘料理人は中華を目指してごま油を買い忘れて日本海越えならず

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 今日のサンデー料理は中華だった。のつもりだったと言い直した方がいいかもしれない。作り始めてからごま油がないことに気づいた。それはある意味致命傷だった。オリーブオイルで作った中華料理を果たして中華料理と呼んでいいのかどうかという疑問は、食べ終わったあとまで頭を去らなかった。 落下傘料理人の私が作る料理は風任せの運任せだから、どこに着地するかは作ってみなければ分からない...

    2008/03/10

    料理(Cooking)

  • 唐突に再開した奈良シリーズは長いながい東大寺編の前編から

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 唐突だけど、今日は奈良の東大寺について書こうと思う。 奈良へ行ったのは去年の11月、紅葉の季節だった。月日は流れて今はもう3月、春になった。その間、あっちこっち出歩いて、東大寺編はずっと在庫として寝かせてあった。いつかそのうち書こうと思いつつ、今日になってしまった。そろそろ東大寺二月堂のお水取りも近づいてきて、再開するなら今を置いて他になく、ドラマ「鹿男」が...

    2008/03/09

    奈良(Nara)

  • 3月の尾張旭はまだ冬が色濃い茶色風景、ところにより一部春

    Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II 春を探しに尾張旭へ行く。けれど3月の尾張旭はまだ冬景色。春の緑ではなく、冬の茶色が風景を支配している。 それでも、車をとめ、立ち止まり、かがんであたりを見渡すと、そこには確かに春の予兆がある。行く人は冬装束で、吹き来る風は冷たくとも、季節はいつでも人の感覚の先を行く。追い抜かれてから初めて季節の背中を見て追いかける。過ぎゆく時の速さに人はついて...

    2008/03/07

    自然(Natural)

  • カレーうどんなんてどこにでもあるけど、それでも名古屋名物の一つ

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 名古屋名物試食ツアーとして今回はカレーうどんを紹介しようと思う。去年はツレと共に名古屋名物を食べ歩いた。ひつまぶしの「しら河」、味噌カツの「手のべとんかつ うめだ」、味噌煮込みうどんときしめんは「ひらのや」で、あんかけスパの「パスタ・デ・ココ」、「コメダ」さんでは小倉トーストとシロノワール、名古屋人のソウルフード「スガキヤ」のラーメンとソフトも食べた。 あと残ってい...

    2008/03/07

    名古屋(Nagoya)

  • 梅を撮りにいった平和公園で気づけば塔コレクションに夢中

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5 / SIGMA 400mm f5.6 梅は咲いたか桜はまだかいな。3月になれば花が気になってそわそわし始めるのは江戸の昔も今も変わらない。今日、気象庁の桜開花予想が発表された。名古屋は平年並みの3月28日だそうだ。去年は一週間も早かった。今年は寒さがまだ抜けないからもう少し遅くなるかもしれない。 桜の前にまずは梅だ。今年は大高緑地と天白の農業センターに絞ろうと...

    2008/03/06

    施設/公園(Park)

  • 足助の町の魅力は細部に宿る ---中馬のおひなさん第4回<完結>

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II 足助の町シリーズ最終回は、目についた部分を切り取った断片写真になる。 特に意味とか主張とかテーマがあるわけではなく、ちょっといいなと思ったシーンを切り取っていったらこういう写真になった。でも、もしかするとこういうクローズアップの方がこの町の魅力は伝わりやすいかもしれない。神は細部に宿るという言葉もある。 それでは、いってみよう。 古い町並みを...

    2008/03/05

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 家庭の数だけひな人形はあることを知る ---中馬のおひなさん第3回

    Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II 今日は中馬のおひなさん写真の続きをお届けします。 130軒以上の展示があるから全部は写真も撮れないし、ここに載せることもできないけど、撮ってきた分は紹介したい。昨日も書いたように撮ってると途中から感覚が麻痺してきて、後半からはぐっとひな人形写真が少なくなる。どれを撮っても同じものに思えて。前半飛ばしすぎると失速するというのも初めてだから分かって...

    2008/03/04

    風物詩/行事(Event)

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在庫一掃セール松平郷編最終回は春の始まりの終わりの花写真

花/植物(Flower/plant)
松平郷の花-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / 135mm f2.5 / 28mm f3.5 / 200mm f3.5 他



 在庫一掃セールは続く。今日は松平郷の花編だ。
 3月の終わりというのは、松平郷ではやや中途半端な時期になる。桜には早く、梅には遅い。早春の花も一段落している小休止のようなときだから。
 それでも、なんだかんだでちょこちょこ花は咲いている。ここは歴史の郷というだけでなく、花の里でもある。住んでいれば、季節の花がきちんと咲いてくるのを見ることができるのだろう。生活の隣に、細やかな季節の変化がある。

 上の写真はショウジョウバカマだ。今では見慣れてしまって、なんだショウジョウバカマかと素通りするくらいだけど、何年か前まではその存在さえ知らなかった。最初に見たのは3年前の明治村だった。カタクリ自生地という案内板に誘われて山の方に入っていくと、この花がたくさん咲いていた。てっきりこれがカタクリだと思い込んで、大喜びで撮って帰って調べてみると、カタクリでもなんでもないことが分かったずいぶんがっかりしたのだった。それで印象として強く残る花となった。
 ショウジョウバカマのショウジョウは、酒好きでいつも赤い顔をしているという中国の伝説の生き物「猩猩」から来ている。ハカマは、花ではなく葉の形を袴にたとえたものだ。
 わりとあちこちで見られる花ではあるけど、街の公園や道ばたに咲いているものではないから、知らない人も多いと思う。どこに行けばすぐに見られますかと訊かれると、そういえば近くにはないなと気づく。海上の森あたりまで行けばいくらでも咲いているけど。

松平郷の花-2

 アセビといえば一般的には白色だけど、こういうピンクのもある。
 一応園芸種ということになるのだろうか。アケボノアセビというのかもしれない。
 食べれば馬も酔っぱらうことから馬酔木。おなかを空かせた奈良公園の鹿さえ食べないというから、その毒性はかなり強烈なのだろう。
 古くから日本に自生していた木で、万葉集にも詠まれている。

松平郷の花-3

 たぶん、ヒュウガミズキでいいと思う。よく似たトサミズキは、雄しべの赤色がもっと目立つはずだから。
 にしても、トサミズキって、女子マラソンランナーみたいだ。野口みずきに土佐礼子の身長があったら、もっと速かっただろうか。
 それはともかくとして、ヒュウガミズキは、この時期に咲く黄色い花の代表選手の一つだ。マンサク、ロウバイ、サンシュユ、レンギョウなど、春先は黄色が多い。
 トサミズキが土佐に由来するのに対して、ヒュウガミズキは九州の日向が出所という説と、明智日向守光秀がおさめていた丹波地方に多くあったからという説がある。

松平郷の花-4

 来る花があれば行く花もある。春に先駆けて咲いたマンサクは、春半ばで風前の灯火となった。わずかに咲き残るだけだ。
 日本に自生するマンサクと、中国から来たシナマンサクはよく似ている。枯れ葉がついているのがシナマンサクで、ついてなければマンサクと思っておけばだいたい間違いない。シナマンサクの方が花が多くて華やかな印象もある。

松平郷の花-5

 これがちょっと分からなかった。今から咲いてくるつぼみのような、もう終わった花のような、どっちだろう。
 クロモジかなとも思ったけど、違うような気もする。ちょっと保留。分かったら追記しておこう。

松平郷の花-6

 天下茶屋というと、太宰治が「富士には月見草がよく似合う」と書いた山梨県御坂峠を思い浮かべるけど、松平郷にもある。全国いろんなところにあるだろう。
 それほど風流な演出がなされているわけではなく、茶店風の喫茶店のようなものだ。司馬遼太郎ならこんなものは必要ないと言うだろうけど、ちょっとお茶を飲んだり休憩したりするにはいい。一人ではちょっと入りづらい。
 店の前では桜が咲いていた。ソメイヨシノのような違うような。

松平郷の花-7

 なんだか幼稚園生が描いたような黄水仙で、ちょっとおかしかった。満面の笑みって感じだ。
 水仙もいろいろ種類があって、世界的な園芸品種でもある。古くから日本にある白い水仙も、もともと中国から渡ってきたものだといわれている。ラッパスイセンやクチベニスイセンなんてのもあり、咲き方も、ラッパ咲き、カップ咲き、八重咲きなどの名前がつけられている。

松平郷の花-8

 菜の花が畑の一角で咲いていて、西日を受けて黄色く輝いていた。これもまた、古くからの里の風景だ。与謝野蕪村の「菜の花や 月は東に 日は西に」も、大げさな菜の花畑ではなく、こんな菜の花を見て詠んだんじゃないだろうか。
 菜の花という花はなくて、アブラナが正式名だというのは前に書いた覚えがある。油を採る目的ではなく花を咲かせるために植えるのはナバナという。まあでも、セイヨウアブラナも全部ひっくるめて菜の花でいいじゃないかとも思う。赤トンボなんてのはいなくても、赤いトンボは赤トンボでいいし、マガモカラーのアヒルもカモでいい。

松平郷の花-9

 ネコヤナギかな、と短絡的に決めつけるのは早い。バッコヤナギ(ヤマネコヤナギ)かもしれないし、別のものかもしれない。さて、どうだろう。柳の仲間であることは間違いないと思うんだけど。

 名古屋はそろそろ桜の満開が近づいた。今日あたりの松平郷はどうなってるだろう。高月院前のしだれ桜がようやく五分咲きというから、まだ先だろうか。次の日曜は確か春祭りのはずだ。桜はその頃かもしれない。
 そうこうしてるとヒトリシズカも咲いてきて、ミズバショウも見頃になる。花盛りはもうすぐだ。
 私が次に松平郷へ行けるのは、早くても秋くらいだろう。
 明日からは4月で、花はさらに加速度を増し、生き物が増え、気持ちも慌ただしくなる。まずは桜を自分の中できっちり完結させたい。そのあとも追いかけるものがたくさんあるから、ぼんやりはしてられない。流されずに追いかければ、日々の中にも必ず、出会いと発見がある。

さしすせそ和食サンデーは字余りでも不自由を感じた

料理(Cooking)
和食定義サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 和食の定義とは何かと問われるとちょっと考えてしまう。普通に考えれば、昔から日本にあった食材と調味料で作った料理が和食ということになるのだろうとは思うけど、たとえばすき焼きは和食なのかなんて意地悪な質問をされると答えに詰まる。日本人が牛肉を食べるようになってからまだ100年ちょっとしか経っていない。カレーライスが和食かそうじゃないかというのも難しいところだ。
 和食という言葉自体が、明治以降に洋食が入ってきてから便宜的に使われるようになったのだろうし、日本人が考える和食と外国人が思い描く和食はまた別物だ。和風と洋風という使い方もある。洋風のソースをかけたハンバーグは洋食で、和風のたれをかけたら和食なのかとか、考えるとややこしい。
 普段は作るときも、食べるときも、和食という言葉はあまり意識していない。和食の店に入っても洋食があるし、外国の調味料も使っているから、純粋な和食と呼べるかどうかも怪しい。
 日本料理と和食は別のものか同じものかは、中華と中国料理との関係に似ているようで違う。
 寿司だって、発祥は東南アジアという説もある。
 結論を言えば、和食を定義することはほとんど無理ということになる。日本人特有の曖昧さで、なんとなくそのへんを境界線にしておこうよということで話をまとめるしかない。和食か和食じゃないかの他に、和食っぽいという便利な日本語もあることだし。
 ただ一つ、和食として決定づける要素に調味料の「さしすせそ」がある。クイズ問題によく出て、「そ」をソースと答えて間違えるというのも定番だ。味噌ってそこだけ後ろの文字じゃないか。「せ」をしょう油とするのも無理矢理な感じがする。
 そんなこなんで、さしすせそを使って料理をすれば和食の枠に収まるんじゃないかと思って作ったのが、今日の3品だ。名づけて、「さしすせそ和食サンデー字余り」。さしすせそ以外にもめんつゆと味噌を使った。そこまでは許されるだろうけど、パン粉とアスパラを使ってしまったのは明らかに勇み足だった。片足だけ和食からはみ出した。

 左手前は、私の好きな料理でもあり得意料理でもあるサトイモの団子だ。今回は味噌味にしてみた。
 サトイモの皮をむいてぶつ切りにして、レンジで柔らかくなるまで加熱する。7分から10分くらい。
 それをつぶして、だし汁、しょう油、塩、コショウ、味噌、酒、カタクリ粉を混ぜて団子にする。
 白ごまと黒ごまをまぶして、フライパンで転がしながら焼く。くっつかなかったごまも一緒に炒ってしまうとフライパンの中でくっつきやすい。
 青のりをふりかけたらできあがり。写真には撮り忘れたけど、刻み味付け海苔も振りかけた。
 つぶしサトイモは絶対美味しいと思う。普通に煮たものとは食感が全然違うから別物だ。和食の縛りがなければ、パン粉をつけて揚げても美味しそうだ。

 右手前は、白身魚と豆腐のお焼きというんだろうか。
 白身魚は細かく切って、水を飛ばして砕いた木綿豆腐と混ぜる。刻んだタマネギも加え、溶き卵をつなぎにする。パン粉もたっぷり混ぜた。
 たれは、めんつゆベースにだし汁、しょう油、酢、塩、コショウ、砂糖、一味を加えてひと煮立ちさせて、水溶きカタクリ粉でとろみをつける。
 しめじはこのたれで炒めて、お焼きの上にめんつゆだれをかけてできあがりだ。
 めんつゆはそばやうどんを食べるためだけでなく、調理に使っても応用範囲が広い。丼もののダシも下手に自分で作るよりもめんゆつの方が早くて失敗がない。

 一番奥は、ダイコンと鶏肉のカタクリ粉焼きだ。
 ダイコン、鶏肉、アズパラはだし汁で下茹でをして、しょう油、酒、みりんである程度味付けをしておく。
 取り出したらよく水気を切ってしばらくおいて乾かす。それをビニール袋に入れて、カタクリ粉を投入して振って全体にまぶす。多少は水分が残っているから、溶きカタクリ粉みたいになってちょうどいい。
 あとは焼くだけだ。
 これは美味しい。表面がカタクリ粉のとろりとした膜に覆われて、これだけでずいぶん食感が違ってくる。カリッと焼けば、外はカリカリで中はふんわりというふうにもできる。
 しょう油、酒、みりんで味付けする。さしすせそを全部使った。

 和食の定義を踏まえてそこに収まるように作ろうとすると、とても不自由に感じる。オリーブオイルも、マヨネーズも、白ワインも、バターも使えない。普段は和食を作るときも、そういうものを使っているから、味の幅も広がる。和食の調味料にこだわれば、しょう油味か塩味か味噌味しかなくなってしまう。そればっかり続くと飽きる。ケチャップやホワイトソースも使いたいし食べたい。
 江戸時代までの日本人の食事が質素に思えるのは、食材の少なさからというよりも調味料の種類が限られていたことが大きい。牛肉はなかったにしても鶏肉くらいは食べだろうし、魚や野菜もそれなりにあったはずだ。現代の日本から和洋中の調味料一式を抱えて過去へ行けば、けっこう豪華な食事になるんじゃないか。信長ならトマトソースのコロッケなんかでも喜んで食べただろう。
 広いようでいて案外狭い和食というものについて、今日はいろいろ分かったことも多かった。料理に関する疑問点は、自分で作ってみるのが一番だ。食べるだけでは分からない。作ると理解できる部分や納得するところも出てくる。
 定義シリーズは、中華、和食ときて、次はどこへいこう。洋食もあれこれ作ってるから、一応やったということになるだろうか。イタリア料理やフランス料理は、どこからどこまでがそうなのか、なんてのもいいかもしれない。
 あと、名古屋めしを作るという企画もやってないことに気づいた。そのうちやってみよう。人気の駅弁を再現するとか、まだいろいろ考えられることはある。趣味としての料理というスタンスを忘れず、できるだけ毎回テーマを持って作っていきたい。

静かなる松平郷

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
静かなる松平郷-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5



 桜はいったん休んで、今日は松平郷に戻りたい。3月から4月にかけては、季節が急ぎ足で進んでいくから、写真をためておくとすぐに古びてしまう。なるべく旬のうちに使いたいと思いつつ、新しい写真が増えていって埋もれてしまいがちになる。そんなときは二本立てだ。季節ものじゃなければ在庫にしてもいいけど、季節限定ものは早いうちに使い切ってしまわないといけない。賞味期限をごまかすわけにもいかないし。
 松平郷写真第二弾は、部分を切り取った写真を集めてみた。最初から意識したわけではないけど、並べてみると松平郷の静けさというテーマが浮かび上がった。でもそれは死んだような静かさではなく、歴史を重ねて穏やかに流れる時間と空間が支配するものだ。写真から松平郷の息づかいが伝わるだろうか。
 せっかくの静かな写真だから、ごたごた書かずにコメントは短くしよう。単なる手抜きだろうなどと邪推してはいけない。気づいていても言わぬが花ということもある。

2008-3-30-2

 小川のせせらぎというのも、街中に暮らしていると聞くことができない音になってしまった。

2008-3-30-3

 室町塀が続く道。歩く人もいない。

2008-3-30-4

 かつて松平館があった場所に、堀と石垣が残っている。今は、松平東照宮になって、堀では鯉が泳ぐ。

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 高月院の三門とバックの桜。
 季節は冬の眠りから春の目覚めへ。

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 東照宮の手水舎。
 こんなふうに雰囲気のいいところだと、省略しちゃいけないなと思う。

2008-3-30-7

 東照宮の裏手。いつも日が当たらないようなところで、ひっそりとしている。
 頭上ご注意と書かれた板が立っている。上から何が落ちてくるんだろう。

2008-3-30-8

 松平家の人々が産湯に使った井戸が残っている。家康が岡崎で生まれたときも、ここから水を運んだといわれている。家康は松平家の長男だから、まんざら作り話でもないように思う。

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 神社の境内特有の光と影がある。これは寺のイメージではない。やっぱり神社だ。木立に囲まれた参道が作り出すものだろう。

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 三つ葉葵というと権威の象徴のようだけど、元を辿れば家康が使っていた徳川家(松平家)の紋だった。特別な意味を持つようになったのは、江戸時代に入ってからだ。
 葵紋はもともと京都の加茂神社の紋だった。三つ葉葵がどこからきて、松平家の誰から使うようになったのかは、はっきりしていないようだ。
 葵の御紋を一番権威づけたのは、テレビの水戸黄門かもしれない。

2008-3-30-11

 人の暮らしの近くには、水の流れが必要だ。即物的にいえば、マイナスイオンが出てるということになるだろうし、感覚的にいえば気持ちの安らぎにつながるものがある。
 水が汚れると気持ちも荒れる。都会人はきれいな川を見ると感動するけど、昔はあれが普通だったのだ。そう考えると、やっぱりちょっと寂しい。
 でも、それがまだ残っているのが松平郷で、ここを訪れると安堵する。まだ大丈夫だと思えるから。

山崎川の桜後編は人がいない桜だけの写真

桜(Cherry Blossoms)
山崎川桜-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5 / TAMRON 90mm f2.8 SP



 今日は昨日の山崎川の続きで、桜編をお届けします。今日の写真は、人入りではないのだ。ちょこっと入っているくらいでは人入り写真ではない。人以外のものが入ってたりもする。
 まずは鼎小橋付近から。このあたりは古木が残っていて、それが川面に向かってしだれるように枝を伸ばしているから風情がある。これが最初からの狙いだとしたら、なかなかのものだ。
 この日はまだ満開ではなかった。今日あたりはどうだっただろう。人出はすごいことになっていただろうけど、今日の名古屋は寒かったからまだ満開になってないんじゃないか。明日は午後から雨だから、見にいくなら午前中が勝負だ。
 桜も満開を過ぎるとだんだんよくなくなるから、8分咲きくらいのときが一番きれいでいい。

山崎川桜-2

 これはどのあたりだったろう。向こうに見えている橋は、向田橋か、石川大橋か。両方違うかもしれない。
 山崎川は、川に関しては魅力のとぼしいところだ。川幅の狭さは桜並木には有利にしても、すっかり牙を抜かれた街中の川で、生命力がない。これじゃあ、カモたちも来ない。桜の花びらが散ったときも絵にならない。
 川沿いの桜ということでは五条川の魅力にはかなわない。

山崎川桜-3

 これは鼎橋近くだったろうか。満開のときは、このあたりの桜もよさそうだ。
 護岸工事はもう少しどうにかならなかったんだろうか。せっかく日本の桜名所100選に選ばれて県外からも大勢の人がやって来るのに、こんな石垣のニセモノ風では残念すぎる。本当の石垣を組むくらいの予算は出なかったのか。もしくは、もう少し自然と調和するような外観にできたんじゃないかと惜しまれる。
 桜名所でそういうあたりまで気を配ってトータルデザインをしてるところはほとんどない。予算の関係があるにしても、デザインの専門家に頼めばもう少しなんとかできるに違いない。もったいない。

山崎川桜-4

 特に深く考えず、いいなと思えるところを撮っていると、だいたい似たような写真になっていることにあとから気づく。人の好みはたいて決まっているし、自分の中で安定感のある構図というのもパターンは限られる。
 文章のクセというのはネクタイの好みのようなものでなかなか変えることができないと三島由紀夫は言ったけど、その言葉は写真にも当てはまりそうだ。
 あるいは、映画『アジアンタム・ブルー』の中で松下奈緒が水たまりの写真ばかり撮っていたように、自分のスタイルに固執することで確立していく世界というのもあるのかもしれない。

山崎川桜-5

 ライトアップされるあたり。木の下にライトが見えている。ここのライトは真っ白で、暗闇の中に白い桜がくっくり浮かび上がるという趣向になっている。幽玄といえば幽玄だけど、白々として寒々しい感じもある。
 写真でしか見たことがないから、実物を見たらまた印象も変わるのかもしれない。今年はもうチャンスはないだろうから、来年の宿題としよう。

山崎川桜-6

 山崎川の鼎小橋は、香嵐渓の巴橋のようなもので、見る人も撮る人も、ここに引きつけられる。狙いなのか、結果的にか、桜もここが一番の見所となっているから、当然といえば当然だ。
 しかし、あんな小さな木の橋に人を満載しても大丈夫なんだろうか。100人乗っても大丈夫?

山崎川桜-7

 遊歩道の桜トンネル。鼎橋から南の左側は、車が入ってこられない遊歩道になっていて歩きやすい。
 このあたりはよく咲いていて、もう満開に近かった。今日行っていれば、人の頭がいっぱい入った写真を撮れただろうか。

山崎川桜-8

 見上げる桜。古木は川に向かっていて、空に大きく伸びた大木というのは少ない。このへんの木もまだ若い。
 今年は藤ヶ丘もずいぶん木や枝を切ってしまったようで、香流川の桜も歳を取ってきたからそろそろ危ない。若木に植え替えられると、それが成長するまで10年以上かかって、その間寂しいことになる。
 山崎川も、二度目のピークまではあと20年くらいは待たなければならないだろう。

山崎川桜-9

 瑞穂陸上競技場近く。夕陽に照らされた桜の花がピンクに染まって、木の影が長く伸びた。
 夕焼けと桜というのも、ありがちなようであまりない。今までにこれだっていうような決定的な写真を撮れたという記憶もない。意外と難しい組み合わせなんだろうか。

山崎川桜-10

 カラスを狙う猫。首輪がついてたから近所の飼い猫だろう。黒猫だけど、手足が白のホワイトソックスだ。
 この姿は、うちのアイを見るようだ。アイもこうやっていつも鳩を狙っている。鳩はおとぼけだから狙われてることに気づいてないのかもしれないけど、カラスは賢いから猫がいることなど当然分かっているに違いない。猫は隠れてるつもりでも、カラスからは丸わかりなのだ。

山崎川桜-11

 陸上競技場のヒトコマ。
 昔はトラック一周くらいなんでもなかったけど、今は走ったら死にそうな気がする。たぶんそれは、必ずしも気のせいじゃない。もう何年全力疾走をしてないだろう。
 見てると、ちょっと走りたいような気持ちもする。

山崎川桜-12

 沈む夕陽と桜の花アップ。
 これにて山崎川の桜編はおしまいとなる。もう少し変化に富んだ写真を撮りたかったのに、なかなか上手くいかなかった。アイディアもチャンスも不足だった。
 山崎川自体の変化の少なさというのもあったので、これを踏まえつつ、五条川の桜撮りに臨みたい。五条川の桜も、まだ満開にはなってないようだ。来週の中頃に行くつもりでいる。
 2008年の桜シーズンはここで折り返し。後半もしっかり回って、たくさん写真を撮ろう。

山崎川の桜並木を撮り歩きながらやっぱり人入り写真が好きだと思う

桜(Cherry Blossoms)
山崎川1-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5 / TAMRON 90mm f2.8 SP



 春を求めて今日は東へ明日は西。東奔西走の3月終盤。燃え尽きる前に回れるだけ回れということで、今日は山崎川へ出向いた。
 名古屋を代表する桜名所で、全国の桜名所100選にも選ばれているこの場所は、意外と評価が分かれるところだったりする。一昔前を知っている人間にとっては、最近の山崎川は物足りなくなったというし、今の姿しか知らない人は美しい桜並木に感動する。
 個人的には山崎川はそんなにたいしたことはないと思っていた。桜並木というのなら香流川の方が上だろうし、市外では五条川がある。でもそれは、車で近くまで行ってちらっと見ただけで決めつけていた部分もある。だから、今回は一度ちゃんと歩いてみようと思った。

 山崎川は、平和公園の猫ヶ洞池を水源として、南西に進みながら名古屋港へと続く13.6キロの川だ。そのうちの桜ポイントは、石川橋から新瑞橋までの約2.8キロの区間で、630本ほどの桜が植えられている。その前後もあるので、あわせると700本以上になる。
 一番の見所は、木橋の鼎小橋付近で、このあたりは古木が川面にかかるように伸びていて、山崎川の桜のクライマックスとなっている。
 最初は、昭和3年(1928年)に、石川橋から左右田橋にかけて両岸に500本の桜を植えたのが始まりだった。それからすでに80年だから、初代の桜がほとんど残ってないのは仕方がないところだ。おそらく昭和の終わりくらいが一番よかったのだろう。大部分の古木は若木に植え替えられてしまった。ソメイヨシノの寿命は短い。

 今日は、石川橋付近から瑞穂陸上競技場がある左右田橋までの間を往復してみた。何をどう撮ろうかと迷いながらの歩き撮りになったのだけど、撮っているうちにだんだんテーマが見えてきた。やはり、人だろう、と。誰がどう撮っても桜はきれいで、それ以上ではない。自分が撮りたいものって何だろうと考えたとき、答ははっきりしていた。人のいる桜風景だ。
 ということで、今日は人がいる写真を集めてみることにした。思ったように撮れたものもあり、思い通りにならなかったのもあり、レンズの選択にもまだ迷いがあった。

山崎川1-2

 桜の咲き具合は、6分から7分くらいだろうか。木によってもバラつきがあって、ほとんど満開のところもあれば5分咲きにもなっていないのもある。
 今日はすごく寒かったし、明日以降も気温が上がらないようだから、この週末でも満開にはなりそうにない。来週の日曜までは持たないにしても、最近の気温なら来週の中頃あたりがピークということになるかもしれない。
 山崎川のさくらまつりは明日から始まる。今日ももう夜間のライトアップをするのかと待っていたらしなかった。どうやらライトアップも明日かららしい。場所は鼎小橋付近の100メートルの間で、一番きれいなところを選んでやるようだ。川の周囲は住宅地で宴会禁止なので、夜間でも静かに桜見物ができる。
 今日の見学者はぼちぼちだった。平日だから、大挙して押し寄せるというふうではないにしても、もう少しいると思ったらさほどでもなかった。日曜は天気が悪そうだから、人出としては明日が一番多くなるだろうか。

山崎川1-3

 見物客は、カップル、近所の犬の散歩の人、年配の夫婦あたりが一番多くて、あとは家族で、自転車の通りすがりなど。カメラの人は少なかった。
 考えてみると、観光地ではない桜名所はカメラの人が案外少ない。撮るよりも見に来ている人が大部分だ。そういう部分でも、他の花と桜は違う。

山崎川1-4

 これが木の橋、鼎小橋だ。狭い橋で、満開のときは人で埋まる。
 ここは絵にもなるし、前後の桜がいい感じなので、一番人気の場所といっていい。記念撮影スポットでもあるので写真を撮ってる人も多いく、カメラのおじさんがカップルに写真を頼まれていた。

山崎川1-5

 左側が遊歩道になっていて、一部は車が入ってこられないようになっているので、のんびり歩くことができる。ところどころでこういうふうに下まで降りられるように整備されている。川自体に見所はない。黒い鯉が泳いでいたり、カルガモが数羽浮いてるだけだ。
 去年、護岸工事が終わって、無粋なクレーン車がいなくなったのはよかった。

山崎川1-6

 焼きいもカーが一台だけ出現していた。明日からのさくらまつりではもっと増えるんだろうか。ただ、ここはそういうスペースがあまりないから、お祭りムードというのはさほど強くなさそうだ。あれもよしあしだ。

山崎川1-7

 わっ、すごい犬、と思ってとっさに撮った一枚。立ち上がったら人間の体くらいある。銀魂のさだはるみたいだ。犬が苦手な人なら泣いて逃げ出しそうな大きさだった。ちょっとしたシロクマみたい。

山崎川1-8

 犬の散歩の人が多いところをみると、このあたりでは犬を飼っている家が多いのだろう。飼い猫が一匹、川岸に遊びに来ていた。
 自転車通りも多くて、ここが生活空間だということが分かる。近くに瑞穂陸上競技場があるから、ランニングをしている人もけっこういる。
 そういえば、中学のテニス大会のときに、瑞穂まで自転車で来たんだった。今、ふと思い出した。二人乗りをしていて、坂道でブレーキが効かなくて、ガードレールにぶつかった拍子に後ろに乗せていた友達が吹っ飛んでいったのも今ではいい思い出だ。

山崎川1-9

 ここも遊歩道にユキヤナギが植えられていた。ちょうど桜と同じ時期に咲くから、桜並木に彩りを添える。

山崎川1-10

 チビと桜の記念写真というのは意外と難しいのか。大人の背の高さならバックに桜が来るけど、チビの視線では後ろに花はない。親がしゃがんで下から撮らないと桜バックにならないこともありそうだ。
 このお母さんはユキヤナギをバックに写真を撮っていた。それもまた春の写真だ。

山崎川1-11

 何気なくふと撮ったカップルの写真は、足の形が同じだった。

山崎川1-12

 ちょっとお邪魔しますと心の中でつぶやいて撮らせてもらった記念撮影写真。
 たぶん、このスタンスが私と被写体の良好な関係で、この世界と自分との距離感なのだろうと思う。被写体と自分との一対一ではなく、撮られる側でもなく、人がいるこの世界を一歩引いた位置に立って眺めている感じ。
 でも、本当にいい写真を撮るためには、あと一歩も二歩も踏み込んでいかないといけないことも知っている。自分の撮りたい写真が見えそうで見えない。今日並べた写真は、良くも悪くも私らしい写真といえそうだ。

 桜のタイミングとしてはまたも少し早すぎてフライング気味になってしまったけど、今日行っておいたのは間違いじゃない。まだ次がたくさん控えてるから、一つずつクリアしていかないといけない。なんだかんだで来週いっぱい持ちそうだから、回れるだけ回ろうと思っている。ここまでは順調にきた。あとは五条川と岡崎城まで行けるかどうかだ。
 山崎川の桜写真はあと一回分あるので、明日以降のどこかで紹介したい。人ばかり撮ってるわけじゃないのだ。

2分咲きのソメイヨシノと満開のエドヒガンで2008年桜シーズン開幕

桜(Cherry Blossoms)
2008年桜1-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON 17-35mm f2.8-4.5



 桜の開花宣言からすでに6日経ったというのに、名古屋の桜はいまだ見頃を迎えない。通常、開花から一週間くらいで満開になるというから、本来なら7、8分咲きになっていてもおかしくない頃だ。実際はまだ、2、3分のところが多い。ここのところちょっと気温が低くなっているから、桜の開花速度が弱まった。なかなか話が前に進まないマンガみたいだ。どんだけ引っ張るんだとツッコミの一つも入れたくなる。
 もう待っていられないということで、前倒しで今日から2008桜シーズンを開幕することにした。
 まず手始めに向かったのは、春日井にある覚成寺というお寺さんだ。ここのエドヒガン桜が見事で、2005年、2006年と行って、去年行かなかったので今年は見たかった。ソメイヨシノより少し早めに咲く桜なので、時期的にもちょうどいいだろうということもあって。
 とその前に、通り道だったのでついでに白沢渓谷にも寄っていくことにする。名古屋で唯一の吊り橋がある渓谷ということで、以前にこのブログにも登場した。ここも地元ではちょっとした桜名所になっているようだ。
 しかし、ご覧の通り、まだまだ。渓谷とはいっても街中の公園で、山奥というわけではない。気候が違うわけでもないのに、まだ1分から2分咲きくらいだった。名古屋でもかなり遅い方だ。
 真っ白なユキヤナギと黄色のレンギョウが鮮やかだったから、桜が咲けば三色のコントラストがきれいだろう。満開のときにもう一度訪れたい。

2008年桜1-2

 吊り橋を渡って下の河原に降りてみた。ここからの眺めが白沢渓谷の景色だ。左岸には桜並木があるから、満開になれば見応えがありそうだ。
 滝と吊り橋と桜のコラボレーションが見られるのは、名古屋市内で唯一ここだけだ。非常に希少価値が高い。

2008年桜1-3

 吊り橋から反対方向を眺めたところだ。しだれ桜もあって、河原は緑色が増えて、ずいぶん春めいた景色になってきた。厳しい冬を越えたからこそ、生きる喜びが溢れているように感じられるのが春という季節だ。

2008年桜1-4

 シダレ桜のアップも一枚くらい撮ってみる。バックに吊り橋を入れたけど、ぼやけてよく分からない。
 シダレはソメイヨシノよりもピンクが濃くて華やかな印象を与える。それでもやっぱり、満開のソメイヨシノにはかなわない。ソメイヨシノは、これからもずっと桜の主役であり続けるだろう。

2008年桜1-5

 白沢渓谷から302号線に復帰する道が分からずにさまよっていたら、竜泉寺に着いてしまった。地元なのに何してるんだ、私。
 けど、怪我の功名ということにして、ついにで竜泉寺にも寄っていくことにした。入り口を見ると桜も咲いている。もしかしたら猫に会えるかもしれないという期待もあった。

2008年桜1-6

 境内には数本桜が咲いていて、いつもより華やいだ雰囲気になっていた。ここにもシダレが植えられている。
 残念ながら猫の姿は見かけなかった。ずっと昔からいる白い猫は元気にしてるんだろうか。
 右奥に見えている竜泉寺城は、平日だから開いてない。休みの日の午後くらいしかやってないから、いまだに入れずにいる。入り口には「百万ドルの景色」とかなんとか書かれた紙が貼られている。最近は円高だから、風景の価格も下がったかもしれない。

2008年桜1-7

 どうにか日没前に到着することができた。これが覚成寺のエドヒガン桜だ。
 やっぱりいい。何しろ勢いがある。これで三度目だけど、一番いい時期に来た。今が最高潮に満開だろう。
 樹齢は約100年くらいとのことだ。エドヒガンは長生きで数百年生きるから、まだ成長途中だ。全国の桜の銘木でも、添え木などをいっぱいつっかえさせているものもあるけど、あれは痛々しい。この桜は今のところまだそんな心配はまったくなさそうだ。
 一般的な知名度はほとんどない地元の桜だけど、これはオススメしたい。
 朝宮町の朝宮公園の南西あたりの奥に入ったところにある。どうしても見つからなければ、朝宮公園を歩いてる人に訊けば教えてくれるはずだ。

2008年桜1-8

 桜並木ではソメイヨシノでも、一本桜ならエドヒガンだ。全国には有名な一本桜も多いけど、こういう名もない一本桜もたくさんある。有名になって大勢の人に見てもらうことが、必ずしも桜の望みではないだろう。みんなの心に、それぞれ大切な一本桜があればそれでいい。

2008年桜1-9

 少し離れて眺めてみる。これが覚成寺のほぼ全景だ。桜の左奥に本堂があって、その左はお墓になっている。左手前が三門で、ちょっと変わったスタイルをしている。右にある民家は、お寺の人のものだろう。
 この日見物人は私以外にいなかった。普段は近所の人がちょろちょろ見に来るという感じだ。

2008年桜1-10

 最後は日没迫る中、桜を逆光で撮っておしまいとした。
 桜はどう頑張って撮っても実物以上に撮れない。花のクローズアップなどは実物以上にきれいに撮れたりするのだけど、桜だけは実際に自分の目で見た方が感動する。だから、写真で紹介して、見にいってくださいというしかない。あえてこれを見るためだけに県外から来るほどのものでもないけれど。
 今年も覚成寺のエドヒガンを見られて良かった。これでひとつ、桜の課題をクリアしてすっきりした。
 奥山田のシダレは、今年はやめておくことにした。あそこは遠すぎてつらい。2回見たから、よしとする。
 今後の桜スケジュールとしては、山崎川、五条川をメインに、地元スポットを回るといった感じで予定している。
 今年の目玉として、岡崎城というのを一つ思いついた。まだ実現するかどうか分からないけど、夜桜もあわせて撮ってみたいという気持ちはある。
 その他、落合公園、名城公園、平和公園あたりも合間に挟めたら挟みたい。
 まだ桜シーズンは始まったところだ。この分だと見頃は4月に入ってからだろうか。4月の一週目が本番ということになる。
 なんてのんびり構えていると、桜はあっという間に駆け抜けてしまう。できるだけ寄り添って、最後まで見届けよう。今年こそ、桜の花びらが五条川の川面を埋め尽くすシーンを撮れるだろうか。

三年目のカタクリは1時間間違えて早く着いてしまった教室のようだった

花/植物(Flower/plant)
カタクリ群生-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / TAMRON SP 90mm f2.8 / smc Takumar 135mm f2.5



 3月の終わりは、桜の季節というだけでなく、カタクリの季節でもある。
 桜の開花宣言が出されて、それを追いかけるようにカタクリの花が咲き始める。私も毎日、カタクリの開花状況が気になって、足助町のHPを見ながら、すぐに飛び出せるように行く機会をうかがっていた。すると昨日、ついに満開宣言が出された。写真を見ると確かに斜面一面をカタクリが覆っている。これはもう行かねばならない。満開っぷりが一刻の猶予もならないことを告げている。
 曇りがちで光がないのがなんとも残念ではあったのだけど、今日行ってしまうことにした。明日、あさっては天気の心配もある。
 しかし、この判断は間違いだった。完全に早まった。うーん、なんだろう。遅刻かと思って大あわてで学校へ行ったら、1時間間違えて早く着きすぎてしまったみたいな感じだろうか。だーれもいやしない。駐車場に着いた時点で車が5、6台しかとまってなくて、もしかしてと思ったら案の定だった。
 確かに一部は満開のところもあって、それどころか終わりかけている花もけっこうあったのだけど、全体としてはまだ半分くらいじゃないだろうか。一番いいときを知ってるだけに、この程度では物足りないと感じた。それより何より、人が少なすぎた。みんなまだ早いと知っていたのだろう。
 ただ、おととし2006年は、同じ26日に訪れて満開だったし、去年は4月1日で3日くらい遅れた印象だったから、時期的には間違いではなかったはずだ。今日は午後からずっと曇っていたから、花の開きが悪かったというのもありそうだ。午前中ならもう少し印象が違ったかもしれない。
 三年連続三度目ともなると、見慣れた光景になった。とはいえ、これだけのカタクリの群生は他ではちょっと見られるものではないから、いつ見てもわぁーっと思う。桜と同じように、またこの季節に戻ってこられたことを喜びとして感じる。
 そんな気持ちのお裾分けということで、今日はカタクリの写真をお届けします。

カタクリ群生-2

 足助のカタクリの楽しみの一つとして、人入り写真をたくさん撮れるというのがある。しかし、何しろ今日は人が少なかった。視界に入るのが4、5人で、山全体でも10人もいない。カタクリシーズンでこんなに人が少ないのはもちろん初めてだ。おととしも平日だったけど、そのときも大賑わいだった。あれは確か、中日新聞に紹介された直後だったというのもあったんだったか。去年は日曜日で、通路を埋め尽くすほどだったから、あれを思うとなんとも寂しい限りだった。やっぱりここは人も賑わってないと面白くない。訪れた人たちの、わぁーすごい、きれいねーという歓声を伴ってこそ、こちらの気分も盛り上がってくるのだから。
 上の写真のあたりが今一番よく咲いていたところだ。ここだけ切り取れば、文句なしに満開といえる。光の当たり具合によって咲く時期もずれるから、斜面によってけっこう差が出てくる。全体が足並みを揃えてきれいに咲くということはない。
 だから、見ることを重視するなら全体が出揃ったときの方がいいし、写真を撮るなら花の状態がいい前半がよさそうだ。明日、あさってはタイミング的にどうなんだろう。次のピークがくるまで少し待った方がいいかもしれない。

カタクリ群生-3

 散策路前半はこんな感じだ。後半部分よりもこちらの方がよく咲いていた。けど、ピークはこんなもんじゃない。もっと全部が紫色で埋め尽くされる。この倍以上は咲くはずだ。それとも今年は花が少ないのだろうか。
 それにしても、これだけ俯瞰で撮って人が一人も入らないなんて、ちょっと信じられない。もう一度中日新聞に紹介してもらわないといけない。

カタクリ群生-4

 本腰を入れて撮りに来ていたカメラの人も、私が見た範囲では3人だけだった。足助のカタクリといえば、赤帯、白レンズは当たり前の高級機材見本市のような場所で、今年も楽しみにしていたのに、それも見られなかったのは残念だった。今回は撮る人を撮るシリーズもいい写真が撮れなかった。人が少なすぎて、数少ない人にレンズを向けるのも不自然すぎてできない。そんなことをしたら、がらがらの映画館で人の隣に座るようなものだ。

カタクリ群生-5

 とはいえ、こっそり撮ってしまう私。カメラの人は、撮っているときが一番無防備になるから、そこがシャッターチャンスだ。この日ばかりは、私も訪れていた人が撮った写真の中にしっかりおさまっていそう。まあ、こういうところへ来て、人を狙って撮ってるのは新聞社のカメラマンと私くらいのものだろうけど。

カタクリ群生-6

 花は曇りの日の方が色が柔らかく写っていいという人もいるけど、私はやっぱり光が欲しい。空に明るさはあったものの、もっと光をの願いもむなしく、最後まで光は戻らなかった。
 上の写真は、わずかに光が差したときに急いで撮った一枚だ。もう少し時間の余裕があれば、しっかり狙って撮りたかった。このあとまたすぐに太陽は雲に隠れてしまった。

カタクリ群生-7

 光の少なさはカタクリの元気も奪い、状態のいい花を見つけるのが大変だった。みんな開きすぎるか、開き方が足りなくて、ちょうどいい具合に反り返っているのがあまりなかった。写真に撮る場合は、周りとの兼ね合いもあるから、いい場所にいい感じに咲いているのを探さないといけない。でも、なかなか都合よくはいかないものだ。
 カタクリを撮るのも、簡単そうで難しい。

カタクリ群生-8

 群生してる状態では雑然とした中に埋もれてしまいがちだけど、カタクリは本来単独で鑑賞するものだ。こうして一輪に近づいてよく見てみると、その清楚さや透明感にあらためて感じ入る。繊細でありながら凛としているのは、うつむきながらも目一杯開いている花びらの姿がそう感じさせるのだろう。

カタクリ群生-10

 咲いている白花カタクリは見つけることができなかった。さほど珍しいものではなく、ちょくちょくある。
 でも、カタクリはなんといってもあのピンク紫に限る。白は珍しくても、あまりありがたいとは思わない。
 カタクリの色は地方差や個体差がけっこうあって、紫が濃かったり、ピンクが勝っていたり、白っぽかったりいろいろだ。足助のカタクリは紫が強いんじゃないかと思う。人によってはカタクリはピンクというイメージの人もいると思う。土壌や環境によっても変わってくるのかもしれない。

カタクリ群生-9

 昨日、松平郷で久しぶりにTakumarの135mm f2.5を使って、あらためて魅力に気づいた。デジタルにすると200mmちょっとという中途半端な画角で、使えるシーンが限られるのだけど、上手くはまるといい写真が撮れる。基本はポートレートレンズで、マクロは使えないから、花もポートレート的な撮り方になる。
 上の写真も、マクロでも望遠でも広角でもこういう写りにはならなくて、明るい中望遠特有のものだ。距離さえ合えば面白いレンズとして使える。最短焦点距離が1.5メートルというのが惜しい。これで50センチくらいまで寄れれば、もっと被写体の幅が広がるのに。

カタクリ群生-11

 散策路後半部分はまだ全然咲きが足りない。葉も出そろってない状態だから、あと数日かかりそうだ。
 一時間ほどかけてゆっくり二周して、それ以上粘っても、光も戻りそうにないし、人も来そうにないということで、私も帰ることにした。もうちょっといろいろ撮りたいという物足りなさが残った。それはまた来年ということにしようか。
 カタクリだけでなく、他にもあれこれ撮ってきたので、そのあたりの写真はまた明日以降紹介することにしよう。足助の町も少し歩いて撮ってきたし、咲いてる花もカタクリだけじゃない。
 桜の咲き具合は、まだ3分程度だろうか。見頃にはもう3、4日かかりそうだ。開花のときが一番暖かくて、ここ数日少し気温が下がっている分、咲き方のペースも遅くなっている。満開は今週末か、来週の初めか。
 今週はのんびりしていられない。少しでも時間を作って、どこかへ何かを見にいこう。明日はどこかで桜見物を予定している。桜はフッと気を抜くと一瞬にして置いていかれるから、この時期は油断禁物なのだ。

一年半の無沙汰を詫びに親氏のオヤジに会いにいく ---松平郷<第1回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
松平郷1-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / 135mm f2.5 / 28mm f3.5 / 200mm f3.5 他



 今週は桜週間と位置づけて、心の準備は万端整えているのに、なかなか満開の便りが届かない。開花宣言から、まだ3日だから当然だ。はやるきもちをおさえつつ、どこへ行こうかあれこれ考えるも、行き先が決まらない。今行ってもまだ2、3分咲きに違いないから早すぎる。せっかく行くなら満開のときに見たい。
 いったん桜は延期にして、別のところへ行くことにした。春だし、松平郷にしようと思う。3月はまだ行ったことがない。ブログを調べてみると、最後に行ったのは2006年の8月だ。一年半以上も行ってないのか。それはもう、行かなくてはなるまい。大のお気に入りの場所でもあり、心の故郷のようなところだから、そんなに長らくご無沙汰してはいけない。
 しかし、変わらない。一年や二年では何の変化もないように見える。まだ一般に知られる前、司馬遼太郎はこの場所を見つけて初めて訪れて大感激して、のちに再訪したときあまりの観光地化ぶりに激怒したというエピソードがあるけど、あれで松平郷も思い直すところがあったのだろう。変わらないことがいいこともある。
 いつ行っても、車から降り立ったとたん、ふっと空気に馴染む。感慨もなく、なつかしさもなく、里帰りしたようでもなく、何もかもが当たり前に思える。クセのないミネラルウォーターが喉を通って体の中に吸い込まれていくように。かつての松平郷を、司馬遼太郎は清らかな日本と表現した。そうだ、ここは日本なんだと思う。本当に日本好きの外国人に見せてあげたい日本がここにある。本来の日本はもはや、京都にも鎌倉にもない。
 今回もたくさん写真を撮ってきたから、何回かに分けて紹介しようと思う。断片的な風景からどこまで松平郷の魅力を伝えることができるだろうか。

松平郷1-2

 ここを訪れたらまず、この松平親氏(ちかうじ)のオヤジに挨拶をしなければいけない。徳川家康のルーツである松平家の始祖が松平親氏だ(史実では一応そうなっているが真偽は不明)。
 オヤジさん、ご無沙汰してます。帰ってきましたよと挨拶をする。
 相変わらずはだけた格好であらぬ方向を指さしたまま何も言わない。あっちへ行けとでも言ってるのあか。

松平郷1-3

 ソメイヨシノにはまだ早かったものの、いろいろな花が咲いていた。春に咲くのは桜だけじゃない。
 このあたりの花も桜の一種だろうか。自信が持てない。
 天下茶屋は今日も静かに営業していた。お客は二人。平日の夕方ならこんなものだ。ここは広く知られた観光地というわけではない。
 ただ、4月には春祭りがあるようだから、そのときは賑わうのだろう。2月には天下祭りという、はだか祭りもあった。

松平郷1-4

 入り口近くにあるのが松平東照宮で、奥には高月院がある。東照宮は松平親氏を祀った神社で、境内には家康が生まれたときに産湯に使ったとされる井戸などが残っている。高月院は、1367年に足助重政が建立し、親氏が堂や塔を建てて以来、松平家の菩提寺となった。1641年には、三代将軍家光が三門と本堂を建てたとされている。
 高月院の長い白塀も、松平郷を代表する風景の一つだ。

松平郷1-5

 集落は奥へ向かうほど登り勾配がきつくなり、奥は段々の田畑になっている。
 そこに桜がポツリと立って咲いていた。そうだ、桜ってこうだよなとあらためて思い出したような気持ちがした。桜というと桜並木を思い浮かべるけど、あれは人の手で植えられたもので、自然の姿ではない。この桜も、郷の誰かが植えたものだとしても、これが昔からの日本の桜風景だ。いつ誰が植えたのかも忘れられたまま、誰も手入れや世話をせずとも毎年春になると花を咲かせて季節を知らせる。そこで人はあらたまって花見をしたり、宴会をしたりなんかはしない。そして、気づけばいつの間にか桜は散っている。
 日本全国には名物の一本桜がたくさんある。地元の人しか知らないような銘木もあるのだろう。

松平郷1-6

 一番上まで登って、逆光の桜を望遠で撮ってみた。花がギュッと詰まって華やかに見える。こういう撮り方もありだ。

松平郷1-7

 松平郷の中で、私が一番好きな眺めがこれだ。田んぼの上の方まで行って、下を見下ろすとほぼ全景が見える。
 家康が松平郷を訪れたことはたぶんないのだろうけど、こんな小さな集落で始まった家系から、天下統一した人物が出たと思うと不思議な気分になる。
 この場所から見る夕焼けはさぞかしきれいだろうと思うけど、西は山が空を遮っているから、あまり焼けることはないのかもしれない。

松平郷1-8

 足下の土手を見ると、あちこちでツクシが顔を出していた。街中で暮らしていると、ツクシを目にする機会もほとんどなくなってしまったけど、昔はそのへんにいくらでもあった。特別珍しいものでもなかったから、気にもとめなかったくらいだ。
 今では貴重なものとなってしまって、とって食べようとも思わない。今でもあるところへいけばたくさん生えているのだろうけど。

松平郷1-9

 そういえば水芭蕉はどうなっただろうと思い出して、奥の池に行ってみたら、やっぱりもう咲き始めていた。そうだ、そうだ、水芭蕉も4月に咲くものだから、そろそろ出てきてもおかしくない。夏が来てから思い出していては遅いのだ。
 見頃となると、4月のはじめから半ばにかけてだろう。

松平郷1-10

 ウグイスが遠く、近くでさかんに鳴き交わしていた。ぜひ撮りたかったのだけど、なかなか姿を現してくれないのがウグイスだ。
 その代わり、シジュウカラが相手をしてくれたので撮らせてもらう。でも、せっかくならもう少し撮りやすいところにとまって欲しかった。今日は200mmしか持っていかなかったから、近づいたところで逃げられてしまった。

松平郷1-11

 松平郷といえば、室町塀が一番有名だろう。見ると撮りたくなる。
 この塀と小川のほとりは、一年を通じて様々な花が咲く。初めてカワラナデシコを見たのもここだったし、4月になればヒトリシズカが咲いてくる。夏のオミナエシと萩も、室町塀とセットでよく被写体になる。
 今日はまだ時期的に早くてめぼしい野草は咲いていなかった。そんな中、柳の風情がちょっとよかった。

松平郷1-12

 西日に照らされる室町塀と柳の木。
 道が石畳だったらもっとよかったのにと勝手なことを思う。集落は人も住んでるし、車も通る生活道だから、よそ者の無責任な願望だと自覚しつつ。

 3月の松平郷シリーズ第一回はここまでとしよう。続きは明日以降ということで。
 今週はなんといっても桜週間だから、更新内容はあちこち飛ぶかもしれない。さて、どこの桜から見て回ろうか。

マンネリ感を打破できずに3回で完結になった東山動物園の春<第三回>

動物園(Zoo)
東山動物園春3-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO



 春の東山動物園シリーズは3回目で早くも完結を迎えてしまった。期待のドラマが視聴率の低迷で途中打ち切りになってしまったような唐突な終わりだ。予定ではたっぷり撮り貯めて、2週間分くらいの在庫にしようと目論んでいたのに。今回は全体的にみて低調だった。要因はいろいろあるのだろうけど、残念だ。こういうこともある。
 今日は鳥写真を中心に、おまけ写真を加えて最終回とする。

 このフラミンゴの名前をいつも思い出せない。ピンク色をしてるからピンクフラミンゴだろうと思うと違って、ああ、モモイロフラミンゴかと思い出したと思ったらそれも不正解。ベニイロフラミンゴだったかなぁと思いつつ、正解はチリーフラミンゴだ。全然ピンク色と関係ない。
 チリやアルゼンチン、ブラジルなどの南米にいるからチリ産のフラミンゴということでそう名づけられた。東山にはベニイロフラミンゴもいるから、よけいに混乱しがちだ。
 現地では塩湖や海岸線などで、数百羽から数千羽の群れで暮らしているそうだ。こんな大きなピンク色をした鳥が数千も集まっている光景はさぞかし壮観だろう。不忍池でカモが群れているのとはスケールが違う。
 特徴は、半分から先が折れ曲がって黒色をしているクチバシだ。あと、間接が鮮やかなピンク色をしているのも見分けるポイントとなる。

東山動物園春3-2

 フラミンゴがいる小さな池には、毎年多くの訪問客が訪れる。動物園の中の生き物は外へ出たがり、外の生き物は動物園に入ってきたがる。エサが豊富で安全だから。
 よほど居心地がいいのか、3月も半ばを過ぎたのに、北へ返ろうとしないやつらがまだ居残っていた。オナガガモやヒドリガモなどは、もう帰らないといけないだろう。快適だから、このまま日本で過ごしてしまおうかなんて考えてるのか。
 基本的に暑さは苦手なはずだけど、渡りの鳥が渡るのは子育てとエサの問題が大きいから、それをクリアできるならあえて危険な渡りをする必要はないともいえる。
 カモ界にも流行やムーブメントみたいなものがあって、渡りのスタイルにも変化が起きている。関東までしかいなかったのが関西まで進出したり、北へ渡ったやつが北海道で繁殖したり、例外とは呼べない傾向の変化がある。日本もだんだん暖かくなってるから、渡りも影響が出てくるかもしれない。
 鳥たちが季節を感じるのは、気温ではなく日照時間だといわれている。確かにそうじゃなければ、年によって気温の差があるから、鳥たちにしてみたら季節感が狂ってしまう。昼と夜の長さで判断すれば、季節を間違えることはない。

東山動物園春3-3

 こちらは温室にいるオシドリたち。外へ出られないから、当然渡ることもない。一年を通じて安定した気候の中で暮らしているから、まさに温室育ちだ。
 花の場合、温室育ちはきれいになるけど、鳥の場合は精彩を欠く。野生のオシドリはもっと色鮮やかだ。ここのは色がくすんでいる。
 今年も田峯のオシドリの里へ行くことができなかった。何しろ遠いし、最近はあちこちでオシドリを見ているから、貴重にも感じられなくなって、なかなかあそこまで行く気になれない。一度くらいは行って見てみたいとは思っているのだけど。

東山動物園春3-4

 上を見ながら寝るオウサマペンギン。
 キングペンギンという呼び名の方が一般的だろうか。コウテイペンギンについで2番目に大きなペンギンで、体長は90センチくらいある。
 ペンギンというと極寒の地に暮らしているというイメージがあるけど、多くのペンギンは暖かいところにすんでいる。キングペンギンは、南大西洋とインド洋の島々で暮らしている。
 極寒の南極にいるのはコウテイペンギンだ。コウテイペンギンは、夏場にクーラーががんがんに効いた部屋がないと生きていけないから、水族館に多い。キングペンギンなどは室外飼いでも大丈夫なので、動物園にもいる。

東山動物園春3-5

 いつ見ても、恐竜チックなヒクイドリさんだ。
 でもこれもおかしな鳥で、派手なのは首から上だけで、その下はいたって地味な黒い毛並みをしている。足は白だ。これが顔まで黒だったら、面白みに欠ける鳥だった。顔の印象が強すぎて、他のところにあまり目がいかない。
 ニューギニアとオーストラリアのごく一部に生息していて、現在野生種は絶滅を危惧されている。
 オーストラリアで暮らしていても、ヒクイドリが道路を時速50キロで疾走している姿を目撃するなんて経験は一生に一度もないだろう。
 けっこう乱暴な性格で、現地では蹴られて命を落としたということもあったそうだから、ヒクイドリを見かけても気軽に頭をなでようとしてはいけない。

東山動物園春3-6

 花鳥園へ行って以来、インコのおなじみさんが増えたので、動物園でも見るのが楽しみになった。あ、キミ、ここにもいたんだというのを何羽も見かけた。
 これは知らない。花鳥園にもいなかったと思う。鮮やかなブルーが美しい。
 花鳥園ならある程度自由に飛び回れるけど、小屋ではほとんど飛べないから気の毒に思えてしまう。

東山動物園春3-7

 仲良くくっついて寝てるところへ私が近寄っていったので、パチッと開いた目と目が合った。何見てるんだようと言いたげな表情だ。

東山動物園春3-8

 リスと小鳥の森で、ルリビタキのメスは見つけた。尾っぽだけが鮮やかなルリ色をしている。
 オスはどこか奥の方にいたんだろうか。ここも、開園直後の午前中に行くと、小鳥が活発に活動していて見られる確率が高いとのことだ。ヤマガラやメジロもいるはずだ。

東山動物園春3-9

 モノレールと桜のつぼみ。行ったのは21日だったから、まだソメイヨシノは咲いてなかった。
 植物園には早咲きの桜が何種類が咲いているそうだから、時間があればそちらも回りたかったのだけど、2時間では動物園と植物園は両立できない。動物園を一周歩くだけでも1時間以上かかるから。

東山動物園春3-10

 前も一度紹介したことがある、東山の古いモノレール。
 サフェージュ式と呼ばれる吊り下げ式モノレールとしては日本最初のもので、三菱がフランスの会社と技術提携して作ったものだ。営業開始は昭和39年(1964年)で、昭和49年(1974年)まで東山動物園の中を走っていた。
 そのときの車両がいまも動物園の片隅に置かれている。せっかくだから中も見学させてくれればいいのに。人が乗ったら落ちてきてしまうくらい朽ち果てそうになってるのだろうか。
 日本最古(1962年)で現在も営業している犬山モンキーパークのモノレールが、今年の12月で営業を終えることが決まった。去年、モンキーパークへ行ったとき乗ったけど、あれは下手なジェットコースターよりもスリリングで面白い乗り物だったから、とても残念だ。廃線になる前にもう一度乗りに行こうと決めている。

東山動物園春3-11

 ソメイヨシノはまだでも、別の桜が咲いていた。というか、ほとんど散っていて、わずかに花が残っているだけだった。とても早咲きの桜はなんて種類のものだったんだろう。
 桜の見分けも勉強が進んでいない。この春は、少しでも覚えていきたい。

東山動物園春3-12

 小学生の女子グループ。この春小学校を卒業した子たちだろうか。
 ちびっこを見ていると、断然女の子たちの方が真面目だということに気づく。男子はこういうところへ来てもふざけてばかりいてまともに動物なんて見てないけど、女子はしっかり観察しようという姿勢が見える。子供の頃は特に女の子の方が早熟で大人だから、同じくラスの男子を見てあきれてしまう気持ちは分かる。振り返ってみると小学生のときの私もおバカだった。動物園の社会見学でも野球をしてるような間抜けな少年だった。

東山動物園春3-13

 にぎわっていた動物園も、4時半を回ると人がぐっと減り、閉園間際ともなると哀感さえ漂ってくる。私はこの時間の動物園が一番好きだ。園内全体が夕方のけだるい空気に包まれて、寂しいんだけど嬉しいような、なんとなく微笑みが漏れてしまうような心地になる。
 動物たちは部屋に戻り、飼育員さんたちが掃除をし、売店は店じまいを終える。歩き疲れた親子たちがゆっくり門へと進み、私は立ち止まって振り返る。今日も動物園は平和のうちに一日を終えた。お疲れ様と、誰にともなく声をかけたくなる。
 春の東山動物園は、もう一つ収穫のないまま終わったけど、行ってよかった。また行こうと思う。
 今回のシリーズはこれで終了だ。また次回、真夏の夜の夢動物園でお会いしましょう。今年も行くぞ、ナイトズー。

冷凍食品に勝負を挑んで脱線と自滅で完敗のサンデー料理

料理(Cooking)
冷凍食品風サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理のテーマは、冷凍食品だった。ややタイムリーさに欠ける感はあるものの、ふと冷凍食品という言葉心に引っかかった。今頃。
 といっても、もちろん、冷凍食品を使って料理をするというのではない。冷凍食品風のおかずを手間暇かけて作ってみようという企画だ。そして、そのおかずは冷凍食品に勝てるのかという勝負でもあった。
 最近の冷凍食品事情に疎い私は、まずは勉強から入ることにした。
 一昔前までは、冷凍食品というと手抜きで美味しくなくて、カロリー高めで体にもよくないというイメージがあった。しかし、最近は冷凍食品も大きく進歩を遂げて、簡単、便利で美味しく、非常に多様になっているという。確かに、スーパーの冷凍食品コーナーを見ると、多種多様な商品が並んでいる。
 フライやハンバーグ、ギョウザ、ピラフなどのお馴染みのものから、変わったもの、高級なもの、気取ったものまで、その幅は広い。肉、魚介、野菜などの食材も取りそろえられているし、調理の段階も各自もいろいろで、レンジで温めるだけのものから、揚げたり焼いたりする手前までなど、消費者それぞれの事情とニーズに応えている。
 割高なんじゃないかというのも必ずしも正しくないようで、特にひとり暮らしや少人数の家族の場合、一から材料を揃えて作るよりも無駄がなくて安上がりということも多いという。その上、下手に作るよりも美味しいとくれば、かたくなに冷凍食品を使わない方が意固地なだけとさえ思えてくる。朝お弁当を作らなければならない忙しい主婦の強い味方というのも、なるほど納得する。
 この前のギョーザ事件で大きく信用性を失ってしまったとはいえ、基本的には安全性も高いし、自宅の冷凍庫で凍らせたものよりも新鮮さを保っているという利点もある。
 冷蔵庫はガラガラなのに冷凍庫はいつもいっぱいという家庭もけっこう多いそうだ。安売りのときにまとめ買いすれば経済的だから、気持ちは分かる
 レトルトやインスタントよりも勝っている部分が多いのも冷凍食品の特徴といえるだろう。

 冷凍食品大国は、言わずと知れたアメリカだ。電子レンジが早くから普及した国だから、冷凍食品の浸透も早かった。アメリカの料理の多くが冷凍食品向きだったというのもある。
 ただ、歴史をさかのぼってみると、1834年に圧縮式冷凍機が発明され、1877年にフランスのテリエ(冷凍食品の父)が羊肉の海上冷凍輸送を始めたあたりが冷凍食品の走りということになっている。。
 1800年代の終わりには様々なものの冷凍に成功し、1905年にはアメリカでジャム用のイチゴを凍らせて運んだのが本格的な冷凍食品の始まりだともいわれる。
 アメリカの一般家庭で冷凍庫つきの冷蔵庫が普及し始めたのが1920年代で、戦後の1950年代には広く消費されるようになっていた。
 日本で冷凍食品が認知されるようになるのは、1960年代に入ってからのことだった。1980年代には日本でも電子レンジを持つ家庭が増え、冷凍技術の進歩とあいまって、市民権を得ていくこととなる。
 家庭用だけでなく、ファミレスなどの外食産業でも冷凍食品が多く使われる。いまや日本も冷凍食品なしには食生活が成り立たないところまできた。
 でも、これがかつて私たちが夢見た食生活の在り方だろうかと考えると、それはちょっと違うような気もする。調理マシーンに命令すれば手早く調理されて完成品が出てくるのが未来で、冷凍食品は自分でやらないといけない分、未来的じゃない。
 現在は、10月18日を冷凍食品の日と定め、オリジナルキャラクターのレイミー・とお太が活躍する。活躍してる? 私は見たことがないんだけど。
 なんで10月18日かといえば、10は冷凍の凍で、18は冷凍食品の管理温度マイナス18度からきているそうだ。冷凍食品の日は、恋人同士がそれぞれ自分が好きな冷凍食品をプレゼントしあう日なのだ(ウソ)。

 前置きが長くなってしまったけど、そんなわけで今日の私は打倒冷凍食品サンデーとなった。あっちはエリートでこっちは雑草でも、草魂を見せるのだ。スマートさでは負けるけど、なんとか味で一矢報いたい。
 三本勝負では、白身魚のフライ、ハッシュドポテト、シューマイと、なんとなく冷凍食品ぽいかなという料理を選んでみた。ポピュラーではないかもしれないけど、どれも冷凍食品として売っているものだと思う。
 まずは左手前の白身のフライから。
 普通にころもをつけて揚げただけでは負けてしまう可能性大なので、ひと工夫こらした。白身の切り身に塩、コショウと白ワインを振って、間に大葉とチーズを挟み、あとは普通にころもをつけて揚げていく。
 ソースはタルタルソースにした。タルタルソースの冷凍食品ってあるんだろうか。ゆで卵をくだいて、オリーブオイルで炒めたみじん切りのタマネギ、マヨネーズ、塩、コショウ、バジルの葉を混ぜて作った。
 これは勝っただろう。揚げる手前の段階のものも売ってるから、冷凍食品でも揚げたてにはなるけど、タルタルソースまではついてこない。冷凍ものに作ったタルタルソースをかければ引き分けになるから、必ずしも勝ちではないって? でも大葉を挟んだところを買って欲しい。僅差の判定勝ちということにしておこうか。

 奥はハッシュドポテトを作ったつもり。
 ハッシュドポテトというのも先週の知ってるつもり料理の続きで、名前はよく聞くけど定義を知らない料理の一つだった。なんとなくジャガイモをつぶして揚げたのがそうだろうと思っていたけど、どうやら間違っていたらしい。ジャガイモはつぶすのではなくみじん切りにして、小麦粉を混ぜて揚げたのがそうらしい。
 私は、ジャガイモを千切りにしてレンジで加熱してからつぶして、刻んだタマネギを混ぜて、カタクリ粉、塩、コショウなどで味付けして、パン粉をまぶしてフライパンで焼いた。食感はほとんどコロッケだったから、なんか違うなと思ったのだ。そうか、ジャガイモをみじん切りにして歯ごたえを残すのか。
 食感が大きく違えば、料理としても別のものとなる。この勝負は、私の反則負けのようだ。
 ソースは、刻んだタマネギをオリーブオイルで炒めて、たっぷりの白ワインを注ぎ入れ、アルコールを飛ばしたら、ケチャップ、コンソメの素、塩、コショウ、しょう油少々、砂糖たっぷり、水で薄めて、水溶きカタクリ粉でちょっととろみをつける。トマトを使わない簡易トマトソースだけど、これでも充分美味しいのでお手軽ソースとしてオススメできる。まがいもののハッシュドポテトも、気づけば手抜きコロッケとして成立していた。

 右のは写真を見ただけでは何を作ったかまず分からないと思う。もうその時点で自滅の不戦敗という気がする。
 基本はシューマイだったのだけど、いろいろ考えて手を加えているうちに脱線して、最終的には誰も作ったことがないようなオリジナル料理となった。
 シューマイの具材は、エビをつぶしたものと、なめこ、白菜を使っている。皮のツルツルさと具材のなめこのぬめぬめ感が口の中で踊って得もいわれない食感となった。私は好きだけど、これは人を選ぶ。
 おそらく、世界中を探してもこんな冷凍食品は売ってないだろう。勝ちといえば勝ちだし、失格といえば失格だ。
 シューマイを野菜スープに浮かべるというのもちょっと斬新なアイディアだった。タマネギ、ニンジン、白菜、ベーコンを使ってコンソメスープを作り、ワンタン風のシューマイとしてみた。この考えは悪くなかったと思う。
 シューマイは、皮こそ市販のものを使ったものの、ちゃんと蒸し器で蒸した。手間暇がかかっている。

 というわけで、結果的に私と冷凍食品対決は1勝5敗となった。2敗ではなく5敗になったのは、時間のかかりすぎと、食材費の高騰、台所まわりのとっちらかり具合とをあわせてプラス3敗だ。トータルの味では勝てたと思うからそれでプラス1勝としても、2勝5敗では完敗と言わざるを得ない。冷凍食品、侮り難し。
 ものの試しに、今度冷凍食品を買ってきて、それを元に料理するサンデーというのも一度やってみたい。冷凍食品はそのままの形で出さなければいけないと決まっているわけではないし、アレンジして自分で作ったように見せかけることができるという点もいいところだから、完成型としては普通に作ったよりも美味しいものができるかもしれない。どこかに限界もあるんだろうし、そのあたりを見極めたいという思いもある。勝負に勝つにはまず敵を知ることから始めないといけない。
 いつか、冷凍食品、敗れたり! と高々と勝利宣言できる日がやって来るだろうか。待ってろ、冷凍食品、次は負けない。

望遠ズームで画角に迷って動物に迫りきれず ---東山動物園の春<第二回>

動物園(Zoo)
東山動物園2-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO



 春の東山動物園第二回は、普通に撮った動物写真をお届けします。
 今回は100-300mmという望遠ズームを使ったから、ちょっと迷いが生まれてしまった。300mm望遠の単焦点なら迷いようがなくて、ファインダーの中におさまった大きさで撮るしかないのだけど、選択肢の幅ができるとどの大きさが正解なんだろうと考えてしまう。体全体なのか、顔アップなのか、上半身とかを切り取るべきかなどと。あたらめて望遠ズームの難しさを知った。
 あと、やはりF値が暗い望遠は、動物園では使いづらいというのも分かった。最近の定番は、Takumarの300mm f4だったのが、300mmでf5.6になると、前後のボケが小さくなって、檻や金網越しが極端に難しくなる。画質重視となると一段は絞ってf6.3で撮りたい気持ちも働くし、そうなると室内にいる動物はほとんど撮れないことにもなる。いくら手ぶれ補正があるとはいえ、ISOを800まで上げても300mmでは苦しすぎる。持ってないけど、動物園の理想レンズは70-200mm f2.8あたりじゃないだろうか。値段的にも一般人が買えるぎりぎりだし、持ち歩いて手持ちで撮れるレンズとなるとそのあたりだろう。300mm f2.8などはいろんな意味で現実的じゃない。
 そんなわけで、今回は迷った分、あまり印象的な写真が撮れなかった。なんとなく通り一遍の感じになって、自分でも面白くなかった。タイミングもよくなくて、自分の力不足を感じることとなった。

東山動物園2-2

 一度覚えたことも油断するとすぐに忘れてしまうことがある。アザラシとアシカの見分け方もそうで、耳が出てないのがどっちかで、耳が出てるのはどっちかだというところまでは分かるのだけど、どっちがどっちか分からなくなりがちだ。ゴマちゃんは耳がないと覚えたつもりなのに。
 耳の穴だけしかないのがアザラシで、耳が出っ張ってるのがアシカだ。もう一度覚え直さないと。あと、泳ぐとき体の後ろだけで泳ぐのがアザラシで、アシカは前のヒレも動かすというのもある。
 しかし、安心するのはまだ早くて、他にもセイウチ、トド、オットセイ、オタリアなどがいるから、ますますややこしい。耳があるからアシカだと思ったら、オットセイだったなんてこともよくある。
 写真は、体にゴマ模様があるゴマフアザラシだ。

東山動物園2-3

 東山動物園名物といえば、なんといってもコアラだ。気づけばけっこう増殖して8頭くらいいた。チビも順調に増えているようだ。
 まあしかし、動物園で見てこんな面白みのない動物も他にはいない。基本的にみんな寝てるだけなんだから。しかも、顔を隠して寝てたり、背中を向けてるから、寝顔も見られない。最初は物珍しくて長蛇の列ができたけど、今ではみんな軽く見ながら素通りしていく。
 コアラの場合は飼育が難しい動物だから、どうしてもコアラの生活優先で、見学者のことは後回しになる。夜行性で、夜はけっこう動き回るから、せめて夜のコアラの映像をモニターで流すとかしてもいいと思う。
 写真のこいつは、たまたまちょっとだけ目を覚まして、うーんと手足を伸ばしたところだった。木の上で寝っぱなしだから、コアラも疲れるだろう。

東山動物園2-4

 飼育員さんにエサをもらうラクダくん。一頭で寂しそうにしているこのラクダがいつも気になる。ラクダの楽しみや喜びってなんだろう。
 木についた葉っぱをむしゃむしゃ食べていたけど、これが主食だろうか。野生のラクダは何を食べているんだろう。草食には違いないけど、動物園でも野菜ではなく葉っぱなのか。
 ラクダはとても我慢強い生き物だ。背中のコブに蓄えた脂肪分で何日も食べなくても生きていけるし、血液中に水分を持っていて数日間水を飲まないでも生き延びられる。人間は体の水分の10パーセントも失うと死んでしまうけど、ラクダは4割まで大丈夫だという。
 しかし、辛抱強いラクダが我慢するのが好きかどうかは本人に訊いてみなければ分からない。ホントはつらいのが大嫌いかもしれない。悲しげな顔をしてるのは、実は精神的には打たれ弱い可能性もある。ラクダだってぬくぬくした生活の方がきっと好きに違いない。

東山動物園2-5

 東山動物園の中ではもっとも広い場所で飼育されているのがキリンだ。体のサイズも大きいけど、動き回れるスペースも充分にある。敵がいないから走り回ったりはしないものの、ちょっとした駆けっこくらいはできる。
 キリンを近くから見ることができる展望台が新設されたけど、どうやら時間が決められているらしく、まだ見たことがない。近くから見るキリンは更に大迫力だろう。
 見たことがないといえば、マサイキリンも見たことがないからどこかで見たい。動物園にいるのは、たいていアミメかマサイだ。どこへ行けば見られるだろう。

東山動物園2-6

 相変わらず恐ろしげな爪をしているヒグマさん。能ある鷹は爪を隠すというけど、ヒグマは隠さない。能がないかというともちろんそんなことはなく、ヒグマパンチをまともに食ったら、頭ごと飛んでいく。
 人間なんてこざかしい知恵で生き延びているけど、素手の勝負となったら、多くの動物にかなわない。人間よりももっと小さくて、もっと賢い生き物がいて、そいつらがこの世界を好き勝手にしてたら、さぞかし腹が立つだろう。動物たちもみんな悔しい思いをしてるんじゃないかな。

東山動物園2-7

 私が野生で見たい動物の一つ、ニホンカモシカだ。
 これはどこかで見たいし、撮りたい。街中で暮らしてるとカモシカなんて遠い世界の生き物のようだけど、意外と人の暮らしの近いところにいる。山で暮らしてる人の中には、日常的に見てるという人もいるはずだ。
 乱開発や乱獲で一時絶滅の危機に陥って特別天然記念物に指定されたニホンカモシカも、その後数を増やして、今や10万頭近くいるといわれている。ちょっと山の方に入っていけばいそうだ。少し前に、春日井市の高蔵寺で見かけたという情報がある。追いかけたら東谷山方面に逃げていったらしい。東谷山にいるなら、ぜひ撮ってみたい。東谷山フルーツパークあたりにひょいと出てきてくれないかな。

東山動物園2-8

 私が好きな動物、ボンゴだ。世界四大珍獣の一つで(残り三つは、ジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバ)、森の貴公子とも呼ばれている美しい生き物だ。
 彼らはきっと、森の中でこそ最高に美しいのだと思う。動物園ではその輝きの半分でさえない。
 アフリカの山岳地帯に彼らはいる。野生の生息数は100頭未満というから、おそらく一生見ることはかなわないだろうけど、どんな観光地や世界遺産よりも野生のボンゴを見にいきたい気持ちの方が強い。

東山動物園2-9

 いつ見てもクスッと笑えるマレーバク。そのツートンのカラーリングはやっぱり変ですよと教えてあげたい。
 インドネシアのスマトラ島やマレー半島に生息するバクで、タイでは神様が動物の余ったパーツをつなぎあわせて作った生き物とされているんだとか。確かにその気持ちは分かる。なんか中途半端というか、サイでもなくブタでもなくカバでもなくゾウでもない。どこかで間違ってしまったような印象を受ける。
 東山では去年子供が生まれた。生まれたときはイノシシの子供のうり坊そっくりで、これがまたキュートなのだ。順調に育って大きくなっているようだ。このときは部屋に入っていたのか、姿が見えなかった。

東山動物園2-10

 これはチーターだったか、ジャガーだったか、ピューマだったか。近くを通りかかった女の子たちが、ヒョウ柄なのにヒョウじゃないじゃんと口走ったのを聞いて、確かにそうだねと思ったのは覚えている。
 小屋のフェンスの網目が細かすぎてまともに写真を撮れない。間違っても檻を破らないようにという配慮だろうけど、これじゃあ写真はおろか見るのにさえ支障がある。
 新しく生まれ変わる東山動物園は、ぜひ写真を撮ることに配慮した作りにして欲しいと思う。そのことを念頭に置いて設計すれば、随所で工夫はできるはずだ。全部ガラス張りとかじゃなくても、一部でいいんだから。レンズが入る大きさの穴を開けるだけでもいい。

東山動物園2-11

 アカカンガルーの飼育所もひと工夫がこらされたところで、近くまで行けるようになって、見やすくなった。カンガルーパンチやキックが届かない範囲で近づくなら危険のない動物だから、これはいい試みだ。
 檻越しっていうのは、どうしても動物との距離感が生まれてもどかしいし、見てる側の心が痛むというマイナス要因にもなる。

東山動物園2-12

 キンシコウの仲良し親子。子供はまだまだ甘えたい盛りで、お母さんから離れようとしない。父親は今ひとつ相手にされないながらも近くにいたい。
 キンシコウも外に運動場があるのに、そこに出てるのを見たことがない。もっと早い時間に行かないといけないんだろうか。自然光の中で、生き生きと動き回っているところを撮ってみたい。
 これは中国との共同研究で貸してもらっているやつだ。中国との関係が悪化するとこれも返せって話になりかねないから、やっぱりどこの国とも仲良くしておいた方がいい。パンダをもらった恩だってあるんだし。

 動物園写真は面白くて難しい。いい写真を撮ろうと思えば、ひとつの動物にある程度の時間をかける必要がある。通りかかったときにパチパチっと数枚撮ってすぐ次に移動というスタイルでは、いい瞬間を捉えられない。
 東山の場合、夕方4時以降は多くの動物が部屋に入ってしまうからそれからは写真の時間じゃなくなってしまうのが残念だ。動物園側の事情なんだろうけど、もう少し最後まで見させて欲しいところだ。
 今の季節だと、閉園の4時50分はまだまだ明るいから、これで閉まってしまうのはもったいない。夏休みのナイトズーは、夜間の動物が見られる面白さもなることながら、夕暮れ時に西日の当たる動物たちの姿を見ることができるのがいい。あれは写真として決定的な狙い目となる。季節でいうと、晩秋に行けば夕焼けと動物を絡めて撮れるのかもしれない。
 春の東山動物園シリーズは次の第三回で終わりになりそうだ。今回は思ったよりも撮れてなかった。できれば近いうちに植物園と一緒にもう一度行きたいと思っている。

3月の動物園は動物も人も花も春模様 ---東山動物園の春<第一回>

動物園(Zoo)
東山動物園1-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO



 望遠レンズしか持ってなくてたくさん写真を撮りたいとなると、行く場所は自ずと決まってくる。そう、動物園だ。カモの多くが北へ渡ってしまった今、望遠が活躍するところといえば動物園しかない。
 東山動物園は、去年の8月にナイトズーへ行って以来だから、半年以上ぶりになる。行くたびに2,000円の年間チケットを買おうかどうしようかと考えてやめる。よく行っても年に3度か4度くらいしか行かないから、買ってもしょうがないかなと思って。買えばもっと行くようになるだろうか。
 今日は平日にもかかわらず、人が多かった。学校の卒業式があったり、小学校はもう学校が短縮授業になっているのかもしれない。チビ軍団や、チビ連れの親子の姿が目立った。若いカップルは大学生だろうか。動物園ってやっぱりデートコースなんだなとあらためて思う。
 そんな中、今日一番のいいシーンは、手をつないだ夫婦さんの姿だった。手をつなぎ続けることは簡単なことじゃないからこそ美しいと思う。

東山動物園1-2

 まずはリスと小鳥の森から。お目当てはルリビタキのオスだったのに、人が多かったせいもあってか、とうとう出てこなかった。たぶんいるはずなんだけど。
 リスも少なかったのはどうしてだろう。急に数が減ったわけでもないだろうに。チビが多かったから、警戒して奥にすっこんでいたのか。
 それでも慣れた数匹は、エサを持った子供たちの近くにやってきて、愛想を振りまいていた。
 ニホンリスもかわいいけど、個人的にはシマリス希望。断然シマリスの方がかわいいから。

東山動物園1-3

 キリン広場の前は、ベンチが置かれた休憩所のようになっているから、いつも人がいて、こんな感じの風景になっている。私はこれくらいの距離から、キリンを見てる人たちを一緒に撮るのが好きだ。とてものどかな光景に思えるから。
 まあしかし、キリンはいつ見ても大きいね。

東山動物園1-4

 合体中、失礼します。
 このシーンを狙って撮ったんじゃなくて、普通に横に並んでいるところを撮っていたら、おもむろにオスが後ろに回り込んで始まってしまったから、つい流れで撮ってしまった。お邪魔しました。
 でも、メスの表情が微妙だ。

東山動物園1-5

 逆光のアクシスジカが、鹿男の鹿に見えた。じっと見てたら、向こうから話しかけてくるんじゃないかとちょっと思う。
 未来の動物園には動物語翻訳機があって、動物と話ができるようになるのかもしれない。無理かな。

東山動物園1-6

 夕方のけだるいカンガルーさん。今日もそろそろ日が暮れるなぁといったところか。
 平和には退屈というオマケがついてくる。動物は命の危険と隣り合わせのとき、最高の輝きを見せる。どっちがいいのかは人間には判断ができない。

東山動物園1-7

 花鳥園では撮り放題のエミューさんも、金網越しとなると難易度は跳ね上がり、まともに顔を撮ることさえままならない。
 エミューって、こんな頑丈な金網にする必要はない穏やかな性格の鳥なのに。こんなふうにしてるから、凶暴だと思われてしまうのだ。
 動物園の手本は旭山動物園よりも花鳥園だと私は思う。花鳥園の加茂さんの考え方に学ぶところは多いはずだ。

東山動物園1-8

 沖縄の桜といえばこのカンヒザクラ(寒緋桜)だ。桜の開花が早まったなんて話題も、沖縄の人にとってみればまったくの他人事だろう。沖縄の桜は1月の中頃から2月にかけてだから、もうとっくに終わってしまっている。
 東山動物園の中にはどういう関係か知らないけど、沖縄民家風の休憩所があって、屋根にはシーサーがいて、カンヒザクラが植えられている。名古屋のカンヒザクラもだいぶ咲いていた。この桜は、あまり開かないまま花ごとボトボト落ちる。

東山動物園1-9

 ふと気づけば、ボートもカラフルになっている。昔は木の白い手こぎボートだったし、足こぎもあんなおしゃれじゃなかった。
 暖かさもあって、今日はボートも多かった。水に入るものではないけど、ボートもやはり暖かい季節のものだ。冬場はあまり乗りたいとは思わない。
 東山のボートに乗ったカップルは別れるという名古屋の都市伝説は、今でも語り継がれているのだろうか。

東山動物園1-10

 スカイタワーをバックに飛ぶサギ。コサギだと思ったけど、足が黄色くないからダイサギか。それともシルエットになっていて黒く見えるだけで、やっぱりコサギかな。
 α-7の1秒間に3枚という連写はやや物足りない。連続9枚までは上出来だけど、秒3枚は飛びものだと追いつかない。ミドルクラスの20Dでも秒5枚ができたんだから、やればできたはずだ。結局、α-7の後継機を出せないままコニカミノルタはカメラ事業から撤退してしまった。跡を継いだソニーのα-700の実力はどうなんだろう。ペンタックスのK20Dとともに気になる存在だ。

 写真はまだまだあるけど、今日のところはこれくらいにしておこう。どうせ一回や二回では終わらない。たぶん、三、四回になるだろう。来週からは桜が始まるから、その合間に挟んでいくことになると思う。
 暖かくなって動物たちもだいぶ活気が戻ってきた。これから暑くなるまでの季節が一年の中で一番の動物園シーズンだ。初夏にはベビーラッシュもあるかもしれない。ライオンのベビーにも期待しよう。

エースの7のお手並み拝見といきましょうかね(浜田剛史)

カメラ(Camera)
αで撮る-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 100-300mm f4.5-5.6 APO



 α-7Dと100-300mm APOを持って、夕方近所へ写真を撮りに行った。
 いつの間にα-7Dなんて持ってたんだなどと突っ込んではいけない。いつの間にかだ。そういうこともある。
 100-300mmの望遠ズーム一本勝負ということで、撮れるものが限られる中、撮れるものを撮った。まだα-7Dの使い勝手も画質傾向も分からないから、まずはいろいろ撮ってみることだ。撮りながら掴んでいけばいい。
 一枚目は西日の当たる瀬戸電だ。踏切待ちになって、車の運転席からとっさに撮った一枚だったわりによく撮れた。絵に偶然はないけど写真にはそれがある。
 100mm側の画質は申し分ない。どういう評価のレンズかよく分からないまま買ってしまったけど、これはけっこういいレンズかもしれない。APOだけのことはあるか。

αで撮る-2

 いつもの矢田川の河原。時間がなくて写真を撮りにいく場所が思いつかないときはよくここに来る。そうすれば何か撮るものがあるから。
 逆光のテストをしてみる。フードなしでも問題ない。古いレンズだから当然デジタル用のコーティングなどされているはずもないけど、逆光には強そうだ。
 コントラストのきつさはミノルタの方向性で、一眼になってもそれは変わらなかったようだ。白飛びを出さないように露出がアンダーで、暗部がつぶれがちになる。ミノルタのコンパクトデジを何台か使ったときと似たような印象を受ける。他の人が撮ったα-7の写真でもそうだ。深いといえば深いし、重いといえば重い。このあたりはもう少しパラメーターを変えて、好みの画質を見つける必要がありそうだ。

αで撮る-3

 色の出方は思ったほどクセがなくて素直だ。ペンタックスともキヤノンとも違うけど、ニコンやフジのようにいちいち調整しなくてはいけないようなことはない。
 記録はいつものようにRAWで撮って、Photoshopで現像している。調整はしやすい方だ。

αで撮る-4

 ピントは速くないものの、動きものにもそこそこついていける。K100Dよりずっと良く、20Dよりちょっと落ちるといったところか。連写速度も連写枚数も必要充分と感じた。ピントは合いやすい。

αで撮る-5

 矢田川のカモ状況を調べるという目的もあった。雨上がりで増水していたことの影響もあったのかもしれないけど、やはりカモは減っていた。3月も半ばを過ぎたし、多くのカモが北へ渡っていった。姿が見えたのは、居残り組のコガモ数羽だった。
 桜が散る頃にはカモたちもいなくなっている。そして川はまた秋まで寂しくなる。

αで撮る-6

 よく探したら他にもカモたちがいた。シルエットになっていてよく見えなかったけど、渡らないカルガモだったかもしれない。
 寒いところで暮らすカモだから、最近の名古屋はもう暑いくらいなんじゃないか。すべての鳥が暖かいところが好きなわけじゃない。暖かいのが苦手な鳥もたくさんいる。大部分のカモたちがそうだ。

αで撮る-7

 お馴染みのムクドリとスズメの群れが、地面でエサを探していた。体のサイズはだいぶ違うけど、仲良く共存できているようだ。
 そういえば今シーズンは一度も地面のツグミを見なかった。特に珍しい鳥でもないけど、シーズンに一度くらいは見ておかないともやもやが残る。もうツグミたちも群れになって北へ渡っていってしまっただろうか。

αで撮る-8

 ミコアイサがどうなったか気になって、雨池に移動した。
 車を降りたらノラがお出迎え。ここは確かエサやりの人がいるはずだ。4匹くらい集まっていた。私もカリカリをあげようと思ったら逃げられた。そうそう、それくらい用心深い方がいい。
 暖かくなってノラたちにもいい季節になった。もうしばらくしたら子供も生まれる。春は楽しいことがたくさんある。

αで撮る-9

 やっぱりミコアイサはいなかった。北へ旅立ったのだろう。残念だけど、仕方ない。
 今年は3回見られたからよかった。あともう一歩近くから撮りたかったというのはあったけど、また来年の楽しみとしよう。
 それ以外のカモもほとんどいなかった。それを見て、自分の中でもう池の鳥撮りの季節は終わった。私が次に池を訪れるのは、秋になるだろう。

αで撮る-10

 雨池は何度も訪れてるのに、池の周囲の崖にこんなふうに家が建っているということに初めて気づいた。かなり無理して建てている感じだ。段々畑みたいになっている。
 気づいたといえば、α-7は光がないシーンではホワイトバランスが崩れる。色調がピンクがかる傾向があるようだ。オートではなく太陽光で固定した方がいいかもしれない。

αで撮る-11

 手ぶれ補正の効きは、K100Dやキヤノンの手ぶれ補正レンズに比べて悪い。100mm側で1/20秒くらいでも止まらずブレる。300mmになるとある程度のシャッタースピードが必要になる。
 ノイズは比較的少なめだから、ISO800と400で撮ってみて、ノイズがどれくらいになるかというのも試してみよう。

αで撮る-12

 激しく降っていた雨も昼までにはやんで、夕方は晴れ間が戻った。水たまりが夕空を映す。

 まずは試し撮りということでこんなものか。レンズ一本では、画質が本体の傾向なのかレンズのクセなのか分からない。αシステムを一から揃えるのは大変だけど、まずは広角ズームと、明るい標準の単焦点が欲しい。α-7についての評価はそれからだろう。
 100-300mm APOはなかなかいいレンズだと思う。ズームだし、F値が暗いからキレはさほどでもないものの、普通の望遠ズームより写りはいい。そこそこ軽量コンパクトだし、持ち歩くにも向いている。
 なにはともあれ、もう少しこいつを使い込んでみよう。望遠レンズが活躍する場所といえば、あそこだ。

井田八幡神社へ行って八幡神のことを少し知る ---尾張旭神社巡り第三弾

神社仏閣(Shrines and temples)
井田八幡入り口鳥居




 尾張旭の神社巡り第三弾は、井田町にある井田八幡神社だ。
 場所は、三郷交差点を南に入って、イトーヨーカドーを右手に見ながら通り越し、三郷南交差点を過ぎて少し行った左側だ。三郷小学校の西といった方が地元の人にはイメージしやすいだろうか。
 この神社に関しては、情報も少なく、これといった見所もないので、あまり書くことはない。神社にある陶製の狛犬が尾張旭市指定文化財になっているということくらいだろう。
 1300年代に、この地の城主だった浅井氏が創建したとされている。これが説明のすべてといってもいい。でも、それだけではあまりにも愛想がない。だから今日は八幡社や八幡信仰について少し書いてみたいと思う。



井田八幡鳥居額

 八幡宮といえば、鎌倉の鶴岡八幡宮が思い浮かぶ。
 八幡神の使いは鳩とされる。ここの鳥居の額も八の字がちょっと鳩っぽい。いや、微妙か。



井田八幡拝殿

 総本社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮(宇佐神宮)で、祭神は応神天皇(誉田天皇)、神功皇后、比売神の八幡三神で(応神天皇の父・仲哀天皇も一緒に祀るところもあり)、全国でその数1万とも2万ともいわれ、稲荷社に次いで2番目に多い神社とされる。
 三大八幡となると、宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)と、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)または筥崎宮(福岡県福岡市)というのが一般的だ。他にも自称というのはある。
 名古屋では、城山八幡宮(千種区)や若宮八幡社(中区)が知られている。
 何しろ数が多いから、意識しないままそういえば近所にあるなという人も多いと思う。
 しかし、これの出自に興味を持って調べてみようという人はさほど多くないかもしれない。八幡の神様が誰であろうとそんなことは普通の人には関係のないことだ。
 いきなり結論めいたことをいってしまうと、これは渡来人(主に中国や朝鮮半島から日本に来た人々)がもたらした信仰を日本人が取り込んで発展させた神様ということのようだ。
 宇佐八幡宮の元宮が福岡県築上郡にある。矢幡八幡宮という神社で(現在の金富神社)、当時八幡は「ヤハタ」と呼ばれていた。ハチマンという読みになったのは、神仏習合したのちのことだ。宇佐八幡宮となったのは、京都に石清水八幡宮ができてのちのことで(859年)、それまでは単に八幡だった。
 ヤハタの八は数が多いという意味で(八百万の神のように)、「ハタ」は神が降りてきたときの拠り所となる幡を意味するとされる。たくさんの旗を立てて信仰するというスタイルは朝鮮半島にあったものだ。源氏の赤旗、平家の白旗や、戦国時代の旗なども単なる目印というだけではなく、このあたりからも来ているようだ。
 宇佐地方は、新羅・加羅から渡来した秦氏が支配する国だった。5世紀頃のことだ。朝鮮半島からもたらされた信仰が土地で根を下ろし、日本の古くからの信仰と結びついて、八幡信仰が確立されていくことになる。

 秦氏などの渡来人は、信仰だけでなく進んだ知識や技術なども日本にもたらした。
 八幡信仰は元々シャーマニズムの色合いが濃く、当時のシャーマンは火を扱う専門家でもあった。同時に鍛冶や鋳造の専門家でもあり、そのことがのちに日本との関わりを深くさせる要因となる。
 砂鉄を溶かして鉄を作り、銅から鏡などを作った。「鹿男」で有名になった三角縁神獣鏡も、卑弥呼が魏から送られたものだけでなく、日本国内でも作られていたという話もある。宇佐市の古墳からもそれが見つかっている。
 そんな流れの中、東大寺の大仏が一つの大きな転機となる。大仏作りは制作開始から10年の歳月を要すことになるのだけど、大仏の鋳造に7度失敗して8度目にようやく成功を収めたという経緯がある。日本国内の知識や技術だけではどうにもならないとなって、聖武天皇は宇佐に使いを送って助けを求めた。宇佐八幡宮に祈願したということになっているけど、実際は渡来人に銅や技術の提供を頼んだのだろう。よほどの理由がない限り、都のある奈良からわざわざ九州まで祈願しに行ったりはしない。
 その成功により、渡来人は朝廷と強く結びつくことになる。早速東大寺に手向山八幡宮が建てられ、神様であった八幡は八幡大菩薩という仏様にもなった。これが日本における神仏習合の始まりとされている。
 八幡には神宮の称号が贈られ、外来神が伊勢神宮に次いでいきなり国家第二位の神社になった。これを機に、八幡神社は日本全国へと広がっていくことになる。
 道鏡が天皇になろうとして八幡神の託宣を利用しようとした事件などでも八幡宮は登場するし、源氏と八幡との関わりも強い。源頼朝は幕府を開くために真っ先に取りかかったのが鎌倉に鶴岡八幡宮を移して社殿を建てることだった。鎌倉時代以降、武将の守護神としての意味合いも強めていくことになる。第二次大戦の特攻隊員の信仰心にまでつながっていく。
 京都の石清水八幡宮は多くの荘園を持っていたため、それらの土地にも八幡神信仰は広まっていった。
 ついでに書けば、稲荷神社も、もともとは秦氏が京都の伏見で始めたもので、のちに現世利益と結びついて信仰者を増やしたという歴史がある。そうみると、今の日本の神社の半分以上は朝鮮と関わりのある神様を祀っているということになる。



井田八幡拝殿

 おそらく戦後の再建だろうけど木造の社殿はなかなか雰囲気がある。

 

井田八幡御嶽神社

 本殿の横に御嶽神社と彫られた石が建っている。木曽の御嶽山で修行した僧たちが広めたもので、平安以前からあった古い信仰のようだ。どういう経緯でここに祀られることになったのかはよく分からない。



井田八幡狛犬

 尾張旭市文化財指定の陶製狛犬があるということは帰ってきてから知った。拝殿前の狛犬は普通の石像だから、どこかに保管しているのだろうか。



井田八幡本殿

 本殿がどうなっているのか、ぐるりと一周回ってみた。



井田八幡手水舎

 龍の口から水が流れて、手水舎の水がきれいなのは好感が持てる。こういうローカル神社では、日常的な参拝客が少ないから、手水舎の水を止めているところも少なくない。水道水なら確かにもったないことだけど、こういう部分は神社では大事なところだから、手入れを行き届かせて欲しいと思う。



井田八幡境内夕暮れ

 近くに山ノ神神社というのもあって、そっちも一緒に回ろうと思ったのだけど、場所が分からずぐるぐる走っているうちに日没となってしまった。その少し先にも白山神社があるから、次はそちらも巡る予定でいる。
 
【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「三郷駅」から徒歩約10分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日
 

名東区三大緑地の一つ猪高緑地は演出下手でいい作品になり損ねている

施設/公園(Park)
猪高緑地-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm IS / EF 75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON 90mm f2.8 SP



 名古屋市東部の名東区には3つの大きな緑地がある。そのうちの2つ、牧野ヶ池緑地と明徳緑地はここにちょくちょく登場しているのに、もう1つの猪高緑地(いたかりょくち)はほとんど出てきていない。ブログを調べてみると、2005年の12月に一度出たのが最初で最後だった。2年以上行っていないというのは自分でも驚いた。
 場所は東名名古屋インターの近くなので、家から車で15分と、牧野ヶ池より近所だ。なのにどうしてそんなに行っていないかといえば理由ははっきりしている、写真の撮りどころが少ないからだ。これまでに4度は行っているけど、いつ行っても収穫が少なくて、そのうち足が遠のいてしまった。
 まず花が少ない。だから虫も集まってこない。池には水草なども豊かではないのか、冬場もカモの飛来数が周りの池に比べて極端に少ない。初夏は多少賑やかになるものの、他の緑地ほどでもなく、それ以外の季節は見所があまりないというのがこれまでの猪高緑地に対する私の印象だった。
 それが今回急に行く気になったのは何故だろうと自分自身に問いかけてみたけど、よく分からなかった。ふいに思いついて、久しぶりに行ってみようかと思っただけだ。本当に何もないのか、もう一度確かめてみたいというのもあった。

 表通りの方の駐車場がよく分からないので、いつも名東プールの裏に車をとめている。駐車スペースが10台分くらいあって、散策コースの入り口だから便利というのもある。名東プール側のスペースにとめると夕方5時で閉められてしまうので注意が必要だ。
 上の写真は、この緑地最大のため池の塚ノ杁池だ。夏から秋にかけては水面が見えないほど水草が覆っているけど、冬場はそれも消えてクリアになる。水も悪くなさそうだ。なのにカモたちには人気がなくて、めったに見かけない。近くの牧野ヶ池や明徳池とどこがそんなに違うんだろう。
 ここはブラックバスの池で、バス釣りの人の姿を見かける。バスがエサにしている小魚もいるはずだから、そういうのを狙ってサギなどがいてもよさそうなのに、それも少ない。今日はコサギを1羽見かけただけだった。カワウにさえ見放されているのか。
 遠くの雑木林からは鳥たちの声がさかんにしていたから、鳥はそれなりにいそうだ。

猪高緑地-2

 この池に限らず、この緑地はどこか暗さがある。生き物の気配があまりなく、この空間を包んでいる気が重たい。気のせいかもしれないし、相性がよくないというのもあるかもしれないけど、雰囲気としてやや健全さに欠けるところがある。自然というのはもっと陽気で命に満ちているもののはずなのに、静かというか躍動感がない。歴史的にみて、何かあったところではないのかと勘ぐったりもするけど、私には霊感などない。
 緑地の東部分はもっと開けていて、公園やテニスコート、スポーツセンターなどがあって、そちらのゾーンは明るい。ここは二つの顔を持つ緑地と言えるだろう。

猪高緑地-3

 散策路はきちんと整備されていて、歩く人もそれなりにいるから荒れている印象はない。ただ、名古屋市内であることを忘れさせるワイルドネイチャーで、アップダウンもきつい。ヒールで散歩できるような場所ではなく、ほとんど小山歩きに近いくらいのものがある。雑木林も一歩踏み込むと、そこはジャングルだ。タヌキやキツネが生息しているというのも納得する。今日も茂みの中で鳥よりも大きな何かが動いていた。
 最初にこの緑地を歩いたときは、一番奥で日没を迎えて迷子になった。本気で朝まで出られないんじゃないかと思ったほどで、泣きそうになった。市内の緑地だと思って侮っていると痛い目に遭う。最後はデジカメの液晶モニターの明るさだけを頼りに道を探しながら歩いた。街にもまだまだ闇はあるのだと思い知ったのだった。
 あちこちに人の手は入っているものの、昔ながらの里山の雰囲気を色濃く残している。市内の緑地の中では最もワイルド度が高い。

猪高緑地-4

 畑になっている一角があって、そこには街の空き地や田んぼなどで見かける野草たちが咲いている。実はこういう野草は、山中には少なくて、人の暮らしの近くの方が多い。山の栄養素が少ない土よりも、農作物用の肥沃な土を好む。
 人のいない野生の方が命に満ちていると思うのは勘違いだ。自然の生き物たちも昔から人間と上手く共存して豊かさを獲得してきたという一面がある。だから、里山でも人が入らなくなるとだんだん荒れて自然の命が少なくなっていく。
 今は程良さのバランスが崩れてしまった。昔みたいにはもう戻れないから、今後は自然を作り出すという方向で進めていくしかない。

猪高緑地-5

 オオイヌノフグリは日の出と共に咲き始めて午後にはしぼんでしまう一日花だから、夕方はほとんどの花が閉じてしまっている。わずかに夜更かしのやつが咲いているだけだ。今日は夕方から太陽が隠れてしまったから、咲き残っているやつも普段以上に少なかった。
 人が立っている目線からは小さな青い雑草でしかないものが、しゃがんで近づいてみることで青い宝石に見える。視線を変えることと近づくことの大切さを野草は教えてくれる。この世界も、自分が立つ位置と見る場所によってまったく違って見える。

猪高緑地-6

 春先の地味な野草の代表選手のようなナズナも、近寄ってみれば、両手を一杯に伸ばしてバンザイしてるように一所懸命咲いている。
 ナズナなんていうよりぺんぺん草といったほうが通りがいいだろうけど、ぺんぺん草を見分けられる人も最近では少なくなったのかもしれない。昔の子供は野山や空き地で遊んでいたから、そういうところで見る草や花は多少なりとも知っていた。そういう場所を子供たちから奪ってしまった世代の大人たちの責任は、思っている以上に重い。
 でも、こうやって行くところに行けば、まだまだたくさんの野草が咲いている。そういうのを見せて教えてあげるのも大人の責任だろう。
 地球上のことで知らなくてもいいことなんて何もない。

猪高緑地-7

 彼岸の入りで春本番というのはまだまだ暦の上でのことで、自然の風景はまだ冬色をしている。
 それでも至る所に春の訪れは表れていて、目に見えやすい花という形だけでなく、こうして枯れ枝に新芽がたくさん芽吹いていたりもする。
 冬の色は茶色で、春の色は緑だ。学生の制服の色が変わるように、自然界も4月になれば衣替えをする。気づいたらいつの間にかそうなっているものだけど、その変化の始めを見つけることができたらそれは嬉しいことだ。自分もまた、あらたな気持ちになれる。

猪高緑地-8

 畑ゾーンをあとにして、再び散策に戻る。
 右に曲がって木道の方へ行けば、スポーツセンターなどがある表通りに出る。どうしてここにだけ木道を作ったのかはよく分からない。湿地帯というわけでもないのに。ただの気分か、雰囲気作りか。
 初夏になると、この木道沿いに植えられているアジサイの花が咲く。季節イベントが少ない猪高緑地の中では貴重な花風景となる。

猪高緑地-9

 私は木道の方には行かず、いつも一番奥というか、北西出入り口方面を目指す。
 勢子坊の竹林と名づけられたこの竹は、野生のものなのか人工のものなのか。
 タケノコ盗るな、なんていう立て札もある。そういえばそろそろタケノコの季節だ。新タケノコは美味しいから楽しみにしている。

猪高緑地-10

 井堀分岐近くに、井堀の大クスと名づけられた大きな楠が立っている。名前がつけられているくらいだから特別な木なのだろう。かなり立派で、まだまだ元気がある。もっと大きくなりそうだ。
 長く生きた木には敬意を払いたくなる人間の心理からして、長生きの木には精霊が宿るというのは本当かもしれないと思う。そういう畏敬の念というのも人間には必要なものだ。

猪高緑地-11

 奥の方にも、井堀上池、井堀下池という2つの池がある。
 こちらは更に生き物の気配がない。死んだように静まっている。昔はもっと生き物もいたんだろうけど、今は寒々しい。夏になればもう少し生き生きとするようになるのか。
 近くにめだか池と書かれた小さなため池があった。めだかを放流しているのかもしれない。そういう試みはもっとしてもいい。ホタルが飛び交う里山にするといったようなこともあちこちでやっている。
 せっかく素材としていいものがあるのだから、もっと有効活用できないものだろうか。活動グループの人たちがいろいろやっているにしても、名古屋市民の関心が低いのが問題だ。現状では人を呼ぶ魅力に欠ける。

猪高緑地-12

 北西部分は復元棚田になっている。振り返ると高速道路が通っている場所だけど、ここが猪高緑地の中で一番いい場所だと個人的には思っている。田植えが終わった初夏は、里山の田んぼ風景が広がっていい感じになるのだ。
 ここは個人のものではなく、オーナー制のようになっているんじゃなかったか。体験田植えなどもできるのかもしれない。田植え前の水を張った田んぼでどろんこ大会などをしても面白そうだ。

猪高緑地-13

 そうこうしてるうちに日没時間となった。もう道は分かっているとはいえ、迷子になったときの記憶は消えずに残っていて、帰り道は自然と早足になる。暗くなる前に脱出しなくてはと気持ちが焦る。

 猪高緑地は、歩くにはとてもいい場所だ。街中でこれだけ自然の中を歩ける場所は多くない。広さも適度で、ざっと歩いて1時間くらい、全部歩いても2時間くらいだろう。道は平坦なだけでなく、アップダウンあり、ちょっとした山登りもありと変化に富んでいる。
 写真となると撮りどころが少なくてもあまりおすすめできない。初夏に行けばそこそこ撮るものはあるのだけど。
 個人的には、豊田市自然観察の森くらい手を入れて、生き物いっぱいの森にしたらどうだろうと思う。お金も時間もかかるけど、牧野ヶ池とも明徳緑地とも違うオリジナリティのある緑地にして、もっと市民に親しんでもらうというのは悪くない考えじゃないか。豊田市自然観察の森は、生き物満載であんな楽しいところはめったにない。手つかずの自然を残すよりも、身近にある自然の魅力を分かってもらうことの方が、与えるものは大きい。それが作られたものでもかまわない。
 私の猪高緑地に対する印象は、今回も変わることがなかった。もったいない。面白い原作を演出が下手なばっかりに面白い作品にし損ねた映画を観るようだ。それでも随所に魅力はあるので、捨てがたさは残る。

明大前に歴史と人間の物語あり ---駅シリーズ第一弾

東京(Tokyo)
明大前-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 明大前へ行ったのは、ネットの友達に会うためだった。それ以外の理由で明大前に降り立つ理由は、思い当たらない。特に名所があるというわけでもなく、今更明治大学に入学し直す予定ももちろんないから。
 でもせっかく縁あって降り立った駅だし、これをネタにしない手はない。今日は明大前について少し書きたいと思う。
 地名では世田谷区松原と呼ばれるこの街は、かつては甲州街道沿いの宿場町としてそれなりの賑わいを見せていたようだ。
 時代が進み、戦前は住宅地として発展するも、昭和20年4月の東京大空襲で焼かれ、一面焼け野原となってしまう。
 終戦後は再び住宅地として復興していき、大きな転機となったのは東京オリンピックだった。昭和30年代の終わりから40年代初めにかけて、街は大きく様変わりする。駅舎は新しく生まれ変わり、甲州街道も倍の広さに拡張された。マラソンではそこをランナーたちが走っている。
 現在の明大前は、古さの残る住宅地という印象を受けた。学校といっても明治大学の他数校があるだけなので、学生街という感じはない。明治大学にしても、和泉校舎は文系の1、2年だけのようだから、学生の数もさほど多くない。その分うるさくないといえばそうだし、賑やかさが足りないといえばいえるかもしれない。新宿や渋谷まで電車一本10分以内という好立地条件のわりには静かな街のようだ。少なくとも、下北沢や吉祥寺のようではない。
 地味なのは京王電鉄だからという話もある。ここが東急の街だったら、もっと華やかになっていただろうか。電車ということでは、昔ここにもう一つの山手線が通るはずだったというのは、鉄の人たちの間では有名な話だ。それを通すための施設の一部が残っていて、わざわざそれを見に来る人も多いという。
 京王線の駅が初めてできたのは、大正2年(1319年)のことで、そのときの駅名は「火薬庫前駅」だった。江戸時代、この地に幕府の武器弾薬を格納する焔硝蔵(えんしょうぐら)があって、明治になってもそのまま陸軍が火薬庫として使っていたので、その名前になった。あたりは見渡す限り畑でそれ以外に目印となるものがなかったのだ。
 4年後、駅名は地名の松原となり、火薬庫はやがてつぶされ、その跡地に明治大学予科が移転してきたことを機に(昭和9年(1934年))、現在の明大前と再び改名されたのだった。
 明治大学の西側は築地本願寺別院の墓地和田堀廟所(びょうしょ)があり、樋口一葉や海音寺潮五郎、佐藤栄作などの墓がある。
 一方の井の頭線の開通は昭和8年(1933年)で、当初は違う鉄道会社だった。駅名は最初「西松原駅」だったのが、京王線にあわせて昭和10年(1935年)に明大前とした。
 こちらの電車に乗っていくと、太宰治が住んでいた三鷹や井の頭公園、吉祥寺へ行く。お彼岸巡りをしたのは、ちょうど去年の今頃のことだった。そのときの様子は去年のブログに書いた。

明大前-2

 友達とは一度メーリングリストのオフ会で会って以来、8年ぶりくらいの再会となった。ネット上でそれくらい続く関係というのもあまりない。
 カフェでごちそうになり、そのまま夕飯までごちそうになってしまった。
 明大前と再会とくれば、水上勉の再会話を思い出す。
 昭和15年、21歳のときに福井から東京に上京した水上勉は、昭和16年、22歳のときに同姓相手との間に長男をもうける。しかし、戦争と生活苦のために明大前の靴屋の養子に出さざるをえなかった。
 昭和18年正式な結婚をするも、売れない作家の水上勉は奥さんに食べさせてもらうような生活だった。戦争は激しさを増し、暮らしはますます厳しくなる。
 昭和20年、東京空襲で明大前が焼けたため、長男は助からなかっただろうとあきらめていた。
 妻との間に長女が生まれる。
 昭和24年、奥さんは娘を置いて、明大前にあった印刷屋の長男と駆け落ち。日本橋白木屋にあった勤め先のダンスホールで知り合った男だった。
 何ヶ月経っても帰ってこない妻を捜して、水上勉は人づてに聞いた話を頼りに3歳の娘を連れて明大前の街をさまよい歩くことになる。戦後まもなくの明大前は今以上にごちゃごちゃした街だったようだ。
 なんとか印刷屋を見つけて男に対面したものの、とうとう妻に会うことはできず、やがて協議離婚となる。
 昭和52年、死んだと思っていた長男と34年ぶりの再会を果たすこととなり、それは新聞にも大きく取り上げられた。長男の窪島誠一郎は、美術評論家となっていた。

明大前-3

 昭和の香り漂う、すずらん通り商店街を少し歩いたところにある「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 明大前店」という店に入った。焼き肉なんてすごく久しぶりだ。学生時代に行ったきりかもしれない。
 ホルモン本舗だけに知ってる肉がない。これはひるんだ。ただでさえ焼き肉の知識がないところへもってきて、ガツ刺や白センマイ刺なんていわれてもどこのことやらさっぱり分からない。適当なものを注文したら、それでえらく苦労することになったのだけど、それもまた思い出となった。
 ここから得られた教訓は、焼き肉屋では知ってる名前の肉を注文しろということだ。カルビやキモは美味しかった。

明大前-4

 店内に飾られていたブリキの置物などを撮ってみる。特に深い意味はない。
 今回は駅前とか駅舎とか、撮るべきところを撮ってなかったのが悔やまれる。時間があまりなくて夜にかけてだったということもあって、明治大学も見られなかった。次回があれば、和田堀廟所などもあわせて見て回りたいと思う。

明大前-5

「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 」のキャッチコピーは「平凡な焼肉に飽きてしまった貴方!満足すること受け合いです。」だそうだ。確かに平凡な焼き肉屋ではなかった。私たちは一番奥の座席に座ったので、近くの方は一度行ってみてください。おおー、ここがオオタたちが座った席なんだぁという感慨はあまりないと思うけど。
 すずらん通り商店街には昔、オウム真理教の店などがあったそうだけど、さすがに今はもうないだろう。
 商店街ではないけど、中田兄弟とかいう有名なラーメン屋があるそうだ。「山猫珈琲店」のコーヒーが美味しいらしい。
 桜の季節は、その時期だけ開放される和田掘給水所がある。都内で二番目に古い給水所なので、見る価値ありだ。

 人に歴史があるように、街にも歴史があり、人と街の関わりがある。田舎の無名のローカル駅にもたくさんのドラマがある。
 駅シリーズというのは面白そうだ。東京なら無数に駅があるから、駅の写真も撮っておけば、それがネタになる。山手線全部の駅に降りて、各駅について書くなんてのも楽しそうだ。たぶん、鉄の人の中にはそういう駅の人もいるのだろう。
 また駅シリーズ第二弾でお会いしましょう。次は~、下北沢~、下北沢の予定です。

知ってるつもりで知らない料理を作って食べて解き明かすサンデー

料理(Cooking)
知ってるつもりサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 ミネストローネって、なんだろう?
 今日のサンデー料理はそこから出発した。
 料理名は耳にしたことがあるけど食べたことがない料理や、食べたことはあるけどその料理の定義を訊かれると答えられないものはたくさんある。トム・ヤム・クンとか、ボルシチとか、チンジャオロースとか、いきなり今から作って欲しいと言われても困る。トルティーヤってなんだっけみたいなことも多い。
 ミネストローネも、たぶん赤い色をした野菜スープだろうというところまではイメージできたのだけど、それ以上のことを知らなかったし考えたこともなかった。店で食べたことはないし、家で出てきた記憶もない。
 こういう知ってるようで知らない料理というのは、一度自分で作ってみるのが一番手っ取り早い。そうすれば一気に顔見知りになれるから。
 同じように知ってるつもり料理2品とあわせて今日も3品作った。あとの2つは、ナゲットとつみれだ。どちらも分かるようで分かっていない。チキンナゲットというのはよく聞くし食べたこともあるけど、チキンじゃなければナゲットじゃないのかとか、つみれとつくねはどう違うのだろうとか、曖昧な点が多い。このあたりもあわせて明白にするというのが、今日のサンデー料理のテーマだった。

 まずはミネストローネから明らかにしていこう。一番奥の赤いスープがそれだ。
 調べてみると、まずイタリア料理だということが判明した。つづりはminestroneだから、ミッネスットローネって感じだろうか。英語読みすれば、マインストローンだ。英語圏で実際にそう呼ばれているかどうかまでは調べがつかなかった。でも、バッハがバックになってしまうのが英語だから、それはありえる。エドベリだってエドバーグだった。
 それはともかく、意味は具だくさんだそうだ。必ずしもトマトスープと決められているのではないようだ。でもやはりトマトソースが基本で、野菜はそれぞれの家庭や店によって違うらしい。要するに、イタリアの野菜スープは全部ミネストローネと言ってしまってもいいのかもしれない。乱暴に決めつけてしまうなら、ミネストローネは日本で言うところの味噌汁みたいなものだろうか。中身は野菜類なら何でもいいのだ、きっと。ロシアのボルシチよりも定義は曖昧と言える。
 イタリアでよく使われる材料としては、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、セロリなどで、パスタにしたり米を入れたりもするという。イタリア人は基本的に性格が大らかだから(大ざっぱともいう)、細かいことは気にしない。美味しくて楽しければそれでサイコーなのだ。オー、ミネストローネ、ブォーノ! それで万事オーケイ。私たちもイタリア料理を作ったり食べたりするときは、イタリア人のようになればいい。
 作り方もいたって単純だ。用意した野菜を適当な大きさに切って、ニンニク、タマネギを炒めたら、あとは野菜を放り込んで白ワインで炒めて、水を加えて、切ったトマト、ケチャップ、コンソメ、塩、コショウ、砂糖などで味付けして煮込んでいくだけだ。
 でもこれが美味しいから侮れない。野菜の旨みがたっぷり出て、トマトの酸味とケチャップ、砂糖の甘みが味を引き立てる。シチューとはまた別のスープだし、洋食にあるようでないのがミネストローネという料理だ。トマトを使ったイタリアの家庭スープ料理と思っておけば間違いない。
 よし、これで一つ謎は解けた。次にいってみよう。

 次はナゲット問題を考えたい。
 チキンナゲットといえば鶏肉を使ったものだということは分かるけど、ポークナゲットやフィッシュナゲットのような使い方をするかというととたんに怪しくなる。実際にレシピの料理名としては使われているものの、それが正しい使用方法なのかどうかはっきりしない。何にでも頭につければナゲットとして成立するのか。豆腐ナゲットとか、エビナゲットとか、カニナゲットとかはあまり聞いたことがないけど。
 nuggetを辞書で調べてみると、「1.貴金属のかたまり。特に、天然の金塊。 2.鶏肉や豚肉などの小さなかたまりを揚げたもの」と出てくる。これが本当だとすると、少なくとも肉を使って揚げないとナゲットにはならないということになる。焼いたものはもはやナゲットではないのか? そもそもナゲットってどこの国の料理なんだ。やっぱりアメリカか? ウィスコンシン州のJ・J・K・ブースという人が考案したという説があるようだけど、肉のかたまりを揚げた料理なんて、考案するも何も大昔からあったに違いない。
 ナゲット問題は意外と手強い。どこまでをナゲットとして認めるかという線引きが難しい。焼きではなく揚げは絶対条件なんだろうか。簡単には解決しそうにないから、今日のところは保留ということにしたい。
 たぶん、私が今回作ったのはナゲットとは違うものなのだろうと思う。でも、そうなると呼び名が分からないから、とりあえずナゲットの仲間に入れてもらうことにしよう。
 使ったのは、白身魚と木綿豆腐だ。刻んだタマネギ、卵、コンソメの素、塩、コショウ、カタクリ粉、パン粉を混ぜ合わせて油で揚げた。見た目はけっこうナゲットっぽい。食感はチキンなどよりはずっと柔らかいから、私の好みだ。味も美味しかった。
 ソースは、マヨネーズにしょう油、カラシ、コンソメ、塩、コショウ、カレー粉を混ぜたものをひと煮立ちさせたのをかける。

 3つめが一番スタンダードから外れていると思われる、つくねだ。見た目はミニハンバーグっぽいけど、つくねのつもりで作っている。
 つくねというのもよく分からない料理だ。漢字では「捏ね」と表記する。もともとは、「こねる」の文語形で、「捏ぬ(こぬ)」という使い方をした言葉のようだ。
 これは思ったよりも守備範囲が広くて、肉でも魚でも刻んでこねればつくねになるみたいで、煮ても焼いても揚げてもつくねであることに変わりがないという。ここまで定義の幅が広い料理はそう多くないんじゃないか。形態も団子状であろうが棒状であろうが他の形であろうが、つくねはつくねのようだ。
 一般的には肉のミンチに卵などのつなぎを混ぜ合わせて焼くか煮るのをつくねと呼んでいる。
 魚を使った場合は、つみれとされることが多いようだ。ただし、つみれという場合は、魚のすり身につなぎを加えて団子状にして、それをお湯で茹でたものというのがその定義となるので、とたんに幅が狭くなる。つみれを漢字では、摘入とか抓入と書く。
 ということを踏まえた上で私の作った料理を見ると、一応つみれと呼んでいいんじゃないかと思う。食材はエビとナスを使っているけど、料理方法としてはつみれだ。
 ナスは一度下茹でをしてアクを取って細かくみじん切り、エビは背わたを取ってから塩水にさらして細かく切る。これにとろけるチーズ、長ネギ、カタクリ粉、パン粉、卵、塩、コショウを混ぜてタネを作って、スプーンですくってフライパンで焼く。
 しょう油、酢、みりん、酒、砂糖、一味、塩、コショウ、水溶カタクリ粉で作ったたれを塗って、照り焼きにすれば完成だ。青のりも振りかけてみた。

 振り返ってみると、イタリア、アメリカ、日本それぞれの知ってるつもり料理の曖昧さをほぼ解き明かした。アメリカの代わりにドイツ料理を持ってくれば、日独伊三国同盟料理になった。今度やってみよう。連合国料理とかもできそうだ。
 思った通り、一度作ってしまえばもう顔なじみの友達同然だ。明日からはもう、ミネストローネって何だろうという問いかけにもすぐに答えることができる。ナゲットの曖昧さは残ったものの、つくねの心の広さを知ったのも収穫だった。
 知ってるつもり料理というのはけっこう面白い。これは第二弾もありそうだ。また何か思いつくものが3つ揃ったらやってみよう。

おでん缶

 昨日、初めておでん缶なるものを食べてみたので、ついでに紹介しておこう。
 秋葉原でオタクたちが食べているということで有名になったおでん缶が、実は名古屋発祥だということを知っているだろうか。名古屋市中区にある天狗缶詰株式会社というところで作っている。商品名は「こてんぐ」。
 私が見たのは2種類で、共通なのは、さつまあげ、ちくわ、こんにゃく、大根、うずら卵、昆布、結びこんにゃくで、つみれ入りと牛すじ入りで差別化が図られている。
 値段は300円。缶は小さめながら、中身を開けてみると意外と量がある。
 名古屋で作られているだけあって、味付けは濃いめだ。寒い日に外で食べることを想定しているだろうから、しっかりした味付けになっているというのもあるだろう。寒風の中で薄味のおでんでは気力が萎える。
 味は普通に美味しい。決して馬鹿にしたものではない。コンビニのおでんを食べたことがないからはっきりしたことは言えないけど、あれと同じくらいだろう。
 外でどうやって食べるんだと疑問に思った人もいるかもしれない。それは、こんにゃくに串が刺してあって、その串で他の具も刺して食べることができるから心配ない。ダイレクトに缶からおでんを飲むなんてことをしたら、ひょうきん族の鶴太郎のようになってしまう。
 300円というのはちょっと微妙な金額ではあるけど、話のネタとしては充分面白いから元は取れる。常飲するにはちょっと高いか。
 私は岩屋堂の奥で初めて見つけたのだけど、印場駅にも置いてあった。大須にもあるらしいし、探せば名古屋の至る所にあるのかもしれない。見つけたらぜひ一度食べてみてください。電車の中でおもむろにおでん缶を取り出して、缶を開けておでんを食べ始めたら、車内中の話題独占間違いなしです。

奈良番外編は残り物写真を見ながら思い出の中の奈良巡り

奈良(Nara)
奈良番外-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 奈良シリーズは終わった。でもまた奈良ネタじゃないかと思うかもしれない。本編の最終回が終わればスペシャルがあるのは世の常だ。連ドラでは回想シーンだけでスペシャルにするなんてこともある。本編が終了してスペシャルまでの間が短すぎるけど、そもそも奈良へ行ったのは去年の11月のことだから、本編の終盤3回からスペシャルが始まっているようなものだったのだ。でもそれも今回で終わる。もうネタ切れだ。
 番外編は、思い出写真で奈良を振り返ることにする。お蔵入りさせてしまうのは残念な写真を集めたらけっこうあった。あらためて見ていると、懐かしくもあり、またすぐにでも行きたくなる。ドラマ「鹿男」を観たあとだからよけいに思いが強くなった。時間や場所の都合で見に行けなかったところもいろいろある。奈良公園周辺だけでも一日で全部回るのは無理な話だった。
 行けなかったところとしてまず思い浮かぶのが、「ならまち」だ。近鉄奈良駅から南に入っていったあたりに、古くても趣のある町並が残っている。時間があれば行きたかったのだけど、今回のコースからは外れていて行けなかった。
 寺社がたくさん集まっていた場所で、東大寺や春日大社の門前町としてかつては大いに賑わったところだそうだ。空襲で焼けなかったから、江戸から明治、大正、昭和に至るまでの面影が残っている。
 ただ、ここをしっかり回ろうと思えばそれなりに時間がかかるから、有名どころの寺社巡りとの両立は難しくなる。奈良巡り中級者以上向けということになるかもしれない。
 もし行けば、写真の撮りどころがたくさんありそうではある。

奈良番外-2

 興福寺で五重塔を見たあと、春日大社へ向かう途中で鹿の群れに遭遇する。平和そうに見えるこの光景が、私の持参したサツマイモ入り手作り鹿せんべいによって大混乱を来すことになる。思いがけず好評を博してしまい、逃げまどう私とどこまでも追いかける鹿の群れ。鹿に取り囲まれ、角で尻を突き上げられる私。ほとんどカツアゲ同然に鹿は私から鹿せんべいを強奪していったのだった。神の使いのくせに、鹿はとても凶暴な生き物だ。
 それにしても、まさか自家製鹿せんべいがあれほど喜ばれるとは思ってなかった。持っていく前は食べなかったらどうしようと不安だったのだけど、あれだけ食べてくれれば本望だ。次はボストンバッグ一杯に詰めて持っていってやろう。

奈良番外-3

 あきらめることを知らない鹿たちに恐れをなした私は、義経の鵯越の逆落としさながらに崖を下り降りて、鷺池の浮見堂まで逃げた。さすがにここまでは鹿たちも追ってこられまい。
 走り回ったもんだから、季節外れの大汗をかく私。上着なんて着ちゃいられない。セーターの袖も半分まくって、この人なんでこんなに汗かいてるんだと、周りの人たちに不審な目で見られてしまうのであった。まさか11月の終わりにハンカチで汗をぬぐうことになるとは。
 ここでちょっと一休みする。まだ奈良巡りは始まったばかりだ。

奈良番外-4

 鷺池から飛火野へ行くときに一つの事故が起きる。道路を渡って、下の芝生広場に降りようと階段状になっている土のところで、落ち葉に乗って滑って激しく転んでしまったのだ。横向きに腰から落ちて、そのまま1メートルほど落下した。
 最初はデジが心配だった。体の下になってどこか打ち付けた感じがあったから。それはフードが砕けただけで済んだのだけど、ダメージは体の方にあった。左腕を大きくすりむいて一部が切れて出血。更に骨までちょっといっていた。触ると変な出っ張りができている。腰もおかしい。鹿騒動のあとはこれか。
 まあしかし、とりあえず歩いたりするのには支障がなかったので、そのままランチにすることにした。
 そういえば、傷の証拠写真を撮っておけばよかった。ちょっとグロテスクすぎてここでは見せられなかったかもしれないけど。
 今でも左腕にははっきりと傷跡が残っていて、奈良傷と呼んでいる。骨は自然治癒させた。

奈良番外-5

 ロマンチックとは言えないランチ風景。下に敷いてるのが新聞紙だ。左の方には血がついたウェットティッシュが写ってるし。
 この日はツレがもらったお菓子類でランチとなった。その前の転倒騒ぎでびっくりしてしまって、二人とも昼食どころじゃなかったってのもある。

奈良番外-6

 体もデジも大ごとにならかったのは幸いだった。昼前にデジも体もダメになっていたら何をしに奈良まで行ったか分からなくなってしまう。鹿に追いかけられて転んで帰ったなんて笑い話にもならない。
 ランチで少し落ち着いたので、奈良巡りを再開することにする。
 春日大社でお参りをしたあと、裏を抜けて若草山を右手に見ながらおみやげが建ち並ぶ道を歩いて、東大寺方面に向かった。
 若草山も登らなかったのが少し心残りだった。丘を登るのがけっこう大変そうだったし、時間の余裕もそれほどなくなっていたのでやめておいた。あの上まで登れば奈良の町並が一望できることを「鹿男」を観て知った。しまったことをした。あの景色が見られるなら、ちょっと頑張って登っておくべきだった。次に行ったときは必ず登ろう。
 上の写真はおみやげ屋さんの一場面。昭和の中の昭和といった風情のおみやげ屋さんで、商売気があまり感じられず、商品は無造作に並んでいる。
 鹿皮の財布が2,500円を消して1,500円になっていた。さっきまで鹿にエサをあげてたのに、ここでは皮になってしまっているのは、なんとも切ないものがある。鹿の角グッズもいろんなのが売られていた。中には角そのものというワイルドなおみやげもある。1万円以上してたから貴重なものなんだろう。買ってもまったく使い道がないし、誰かにおみやげとして買っていっても嫌がらせとしか思われないけど。

奈良番外-7

 大仏殿へ行く前に、正倉院を先に見ることにした。けど、ここで何度か道を間違えてしまう。どこから正倉院に入れるのか分からず、ぐるりと反対方向に無駄歩きをしてしまった。
 大仏殿の裏にもたくさん鹿たちがいる。まだ鹿せんべいが残っていたから少しあげたのに、このときは食い付きが悪かった。もう夕方近くになっていたから、観光客にもらってある程度おなかが一杯になっていたのだろう。でも、やるとやっぱり囲まれてしまうので、早々に切り上げて逃げることにした。

奈良番外-8

 ようやく正倉院の入り口を見つけたときには、無情にも入り口は閉まった後だった。なんてこった。見学は午後3時までだなんて、早すぎないか。
 帰ってきてから知ったのだけど、そもそも見学できるのは平日の午後3時までで、土日祝日は閉まっていて見られないのだった。なんて厳しいんだ。学校の教科書で習った有名な校倉造りを我が目で見られると思ったのに、残念。
 まあ、裏手の門の隙間から遠巻きに少しだけ見られたのでよしとするか。それも道を間違えたおかげだったし。
 見られるといっても、正倉院の中ではなく建物の外からだけだ。基本的に正倉院はいろんなお宝がたくさん眠っているので非公開となっている。

奈良番外-9

 東大寺前で燃える火と煙。寺でこういう煙を見ると、訳も分からず煙を頭とかにかけてしまいがちだ。絶対間違ってると思うんだけど、ついやってしまうのが人情というもので、それを見た他の人も照れくさそうにマネをする。みんな、これ違うんじゃないかなと内心思っていることだろう。
 煙を悪いところにかけると治るってのは、どこの話だっただろう。

奈良番外-10

 こんな風景を見ると、すごく季節外れに思える。
 黄色絨毯の写真を撮りたいってのが奈良へ行く理由の一つだったことも思い出す。結局、紅葉のタイミングには少し早かった。一週間あとがよかったんじゃないだろうか。
 一面の黄色い絨毯の中で鹿たちが食べ物を探して頭を垂れているところに西日が斜めに当たっている、というのが私の頭の中にあった撮りたいイメージだった。

奈良番外-11

 ここのイチョウ絨毯が一番よかった。何枚も写真を撮ったし、以前の奈良シリーズでも載せている。とても印象深いシーンの一つとなった。
 ここの写真を見ると、もう一度撮りに行きたくなる。まだ物足りなかった。時間の余裕があったら、ここだけで1時間くらい撮ってみたかったところだ。

奈良番外-12

 忘れがたいという点では、朱雀門の行き帰りもまた記憶に残った。行くのにも苦労したし、帰りはそれ以上だったから。
 何しろ待てども待てどもバスがやってこない。1時間に1本しかないバスが30分も来ないもんだから、途方に暮れてしまった。他にも待ち人がいたから、時間を間違えてるわけでもない。もうしょうがないっていうんでタクシーを呼ぼうとタクシー会社に電話をしたら、30分か40分かかるという。私たちは朱雀門の前で永遠に帰れないのかと思ったほどだ。
 あきらめて大通りの向こうまで歩くことにした。そこまで行けばバスの本数がもう少し多くなるはずだから。
 10分ほど歩いて次の停留場に着くと、そこでも一人待ちぼうけを食った人がいて、話しかけてきた。バス来ないんだけどと。いやぁ、私たちもあまりにも来ないから歩いてるんですよなんて言ってたら、後ろからバスが来た。何食わぬ顔して。
 いろいろあった奈良巡りもようやく終わりが近づいた。行けなかったところややり残したことがいくつかあったものの、もうおなかいっぱいごちそうさまだった。相当歩いたし、走ったし、転がり落ちもして、ヨレヨレだったのだけど、楽しい奈良巡りになった。
 やっぱり奈良とは相性の良さを感じる。またきっと行こう。次は別の季節とも思うけど、やっぱり紅葉の奈良に惹かれる部分が大きい。桜なら吉野だし、秋の飛鳥というのも捨てがたい。夏はちょっと歩き回るのは厳しいか。エサがたくさんあるときは鹿も私の鹿せんべいをそんなに喜んでくれないかもしれない。
 次に奈良へ行くときは、三角の鹿せんべいを持っていこう。そうしたら鹿が話かけてきてくれるかもしれない。いや、丸ままフチを三角にするのが正解か。それこそ三角縁鹿煎餅鏡だ。

ホワイトデー便乗企画、クッキーと私と名古屋銘菓とオマケ

名古屋(Nagoya)
ホワイトデークッキー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日は白い日、ホワイトデー。来月はブラックデーで、再来月はイエローデーと続いていくのは韓国の話。年がら年中記念日がある韓国とは違って、日本では冬から続いたイベントが一段落するのがホワイトデーだ。ここを乗り切ればしばらく休めるぞと思ってホッとしてる人が案外多いんじゃないだろうか。クリスマスからの寂しさが続いた人にとっての終戦記念日でもある。
 義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界と高倉健さんも歌っていた。男と女の世界も、ときに人情よりも義理が優ることもある。義理チョコには義理キャンディーや義理マシュマロで応えるのが人の道というものだ。誰だ、ホワイトデーは3倍返しなんて理不尽なことを言い出したやつは。
 今年も日本中で義理と愛情が行き来したのだろう。どこかでロマンチックな物語もあったかもしれない。今日は全国的に雨降りの一日だった。誰かの涙雨だったのか。

 私はひとあし先にホワイトデーをしてしまって、今日は特別なことはなかった。でも、せっかくのホワイトデーだし、ちょっとでも気分に浸ろうと思って、クッキーを焼いてみた。自分のために。バレンタインのときは自分に生チョコを作って送ったから、そのお返しだ。自分に自分でチョコを送って、自分にまたクッキーを送ってる男もそうはいまい。二重人格でもないのに。
 一つ完成させたいクッキーがあって、今日もそれに挑戦した。ボールクッキーといって丸い形のクッキーなんだけど、過去2回はぺちゃっとつぶれてしまって丸くならなかった。今回はもう一度レシピに忠実に三度目の正直なるかと意気込んで、またもや失敗に終わった。原因は結局分からずじまいだ。
 レシピの写真を見ると確かに丸くなっているけど、どう考えても丸を保てるような気がしない。地球には重力というものがあるから。焼いている段階で、どうしても自分の重みで下半分はつぶれてしまう。丸いままをキープさせるにはどうすればいいんだろう。もっとがっちり固めればいいのか。
 まあしかし、味は申し分ないから食べる分には問題ない。アーモンドプードルとコーンスターチを使ったこのクッキーは、口溶けサクサクでとっても美味しいのだ。市販のクッキーにもないようなサックリ感で、一度食べると忘れがたい。
 私の作ったのはあげられないので、ぜひ各自で作ってください。日頃のご愛顧に感謝して、画像だけホワイトデーのお裾分けです。
 その後もう一度よく考えてみたんだけど、要するに生地に腰がないのが原因なんだろう。粉類を混ぜ終わった段階で、ゴムべらでまとめるだけじゃなくて、そこから手で練り込まないといけないのかもしれない。自家製のうどんを考えてみると、練りが腰を生んで強い麺になるわけで、クッキーも練り込みが必要な気がする。あと、ボール状に丸めるときも、手のひらで転がして丸くするだけじゃなく、もっと押して固める方がよさそうだ。
 三度目の失敗で挫けそうになっていたけど、もう一度作ってみようという気になった。

名古屋みやげ-1

 ホワイトデーのクッキーネタに便乗して、今日は名古屋みやげなどを紹介しようと思う。
 名古屋名物というのは、食べ物屋で食べる食事ものと、おみやげなどに持っていく菓子類の両方がある。二つの要素を備えているものもあって両者の境界線は曖昧になることもあるけど、今回はまんじゅう系にスポットを当ててみる。名古屋銘菓と呼んだ方が分かりやすいかもしれない。
 まずトップバッターは、知る人ぞ知る名古屋の人気定番みやげ「シャチボン」だ。
 見た目の通り、シャチをかたどったシュークリームで、発想が名古屋らしいっていえば名古屋らしい。こういうものを作って喜んでるから、名古屋人はみんな名古屋城やシャチが好きなんだと思われてしまうのだ。なにかっていえばシャチかよとか言われてしまう。名古屋の一般人の生活の中にシャチなどいないにも関わらず。
 名古屋駅「ボン・ヴォヤージュ」という店がオリジナル商品として売り出したのが2001年のことだった。その後クチコミで評判が伝わり、すべて手作りで一日50個というプレミアもあって人気が高まっていった。
 しかし、2004年には「ボン・ヴォヤージュ」が閉鎖してしまい、シャチボンは絶滅危惧種に指定されることとなる。絶滅から救ったのは「黐木(もちのき)」という店で、現在もそこのオリジナルということで1日80個限定で販売している。パーツを全部手作りしないといけないから、これが限界なんだとか。でも、手作りゆえに全部顔が違うという楽しみも残った。
 ネタとして面白いというので、県外人よりもむしろ名古屋人がよそへおみやげに持っていくときに買っていく方が多いようだ。確かにこれはちょっと受ける。
 で、肝心の味の方はどうかというと、いたって普通のシュークリームで味にパンチはない。あくまでも見た目重視で、この形をキープするために制約も多いから、美味しさの追求は難しい。
 最大の欠点は、とても食べづらいところだ。ダメじゃん。かぶりつくには大きすぎるし、上品に割って食べようとするとパーツが取れてきて収拾がつかなくなる。一番効率的な食べ方としては、パーツを一つずつ分解して、それにクリームを付けて食べていくという方法だ。これならきれいに食べられる。ただし、パーツを取り終わった時点で、シャチボンはただのシュークリームに成り下がるので、それがちょっと悲しい。

シャチボン-2

 店頭に並ぶシャチボンたち。記念撮影する我々。
 1個340円だったか、346円だったか。
 一日80個だから、すぐになくなりそうでもあり、売れ残るようでもあり、微妙なところだ。おみやげとして持っていくなら、一人で3個とか5個とか買っていくだろうから、そう考えるとあっけなく午前中で売り切れなんてこともありそうだ。
 電話すると取り置きもしてくれるそうだ。カフェの中でお茶を飲みながら食べることもできる。形が形なので、通販はしてくれない。名古屋駅に行かないと買えないという意味では貴重な一品といえるだろう。

名古屋みやげ-3

 「なごやん」という思い切り名古屋なお菓子のハローキティー・バージョン。
 なごやん自体は昔から名古屋の定番みやげとして親しまれている。
 製造発売は、意外にも敷島パン(Pasco)で、昭和32年に発売された。最初は「金鯱まんじゅう」だったのが、一年でなごやんに名称変更している。シャチ好きは昔も今も変わらない。
 そのままのネーミングだったら、今まで残ってなかったかもしれない。なごやんという脱力感を誘う名前は正解だった。
 白餡を薄い皮で包んだまんじゅうで、「ひよ子」に近いけど、なごやんの方がもう少し固い感じがある。私は地元びいきでなごやんの方が美味しいと思う。皮の口触りが違っている。うちの田舎の銘菓「うづらの郷」もお仲間だ。
 キティちゃんバージョンは、まんじゅうの形がキティちゃんになっているのかと思ったら、違いは包装紙だけだった。やられた。せめて表面にキティちゃんの焼き印くらい押して欲しかった。中からキティちゃんが出てくるのかと楽しみにしていた女の子なら、普通のなごやんが出てきたら泣くぞ。
 一応中部限定となっているらしいけど、もっと広い範囲で売っているという話もある。1個80円で5個入りからあるからちょっとしたおみやげにはいい。

名古屋みやげ-4

 これも最近人気のおみやげとして定着しつつある「なごや嬢」。左のピンクのやつがそうだ。
 右下はボールクッキーの試作品で、このときは半円さえ保てず普通のクッキーだった。その上はオリエンタルのハヤシだ。これも懐かしい人が多いんじゃないか。ハヤシもあるでよ、のCMでお馴染みだった。
 なごや嬢は、名古屋嬢とはまったく無関係な菓子だけど、妙に美味しいので、そのギャップが面白い。人によると、長野みやげの「雷鳥の里」にそっくりだそうだ。私は雷鳥の里を食べたことがないので分からない。
 ゴーフルというのかウエハースというのか、固めの焼き菓子でホワイトチョコをサンドしてあって、歯ごたえがちょうといい感じだ。
 これは私もまた食べたいし、どこかへおみやげに持っていくにもいい。ツレがとても気に入っていたから、また買っていこう。

名古屋みやげ-5

 どんな素性のものか知らないまま、なんとなく目についたので買ってみた「桃福(ももふく)」。
 赤福のパチ物かと疑ったけど、必ずしもそうではないようだ。桃が入った大福だから桃福、理にかなったネーミングに違いない。
 調べたところ、北名古屋市の「桃花亭」というところの期間限定商品だったようだ。
 近隣で採れた桃を蜜に漬け込んで種まで柔らかくして、それを丸ごと餅でくるんだ大福になっている。種の柔らか食感は他にはちょっとない不思議なものだ。これはけっこう美味しいのでオススメしたい。期間限定というのはいつからいつまでなんだろう。
 冷凍庫で半分凍らせてシャーベットのようにすると更に美味しいんだとか。

便乗みやげ-2

 ここからは名古屋みやげではなく、周辺みやげになる。ホワイトデーのクッキーに名古屋銘菓が相乗りして、更にそこに便乗した地方みやげという構図で、こうやって伸ばしていけばネタはどんどん広がっていくことが分かった。書くことがなくて困ったらこの手を使おう。
 それはそれとして、これは「真珠のたまご」というまんじゅうで、賢島へ行ったとき買って帰ってきたものだ。
 賢島の名物といえば真珠だから、真珠関連のお菓子がたくさんあっても不思議ではない。真珠には一切関係なくても、真珠という文字を使えば、それでもう賢島や鳥羽・二見あたりのおみやげ物になる。地方のおみやげものなんてそんなものだ。
 このまんじゅうの中には1万個に一つ本真珠が入っていてそれが出ると当たり、なんてはずもなく、特に変わったところのない普通に美味しい白餡のまんじゅうだった。真珠に相当するようなものも入ってない。丸っこい形そのものを真珠に見立てているのだろう。

便乗みやげ-3

 花鳥園の定番みやげになりつつある「ふくろうまんじゅう」。白餡と黒餡の2バージョンあって、最初に行ったときに白餡を買ったから、次は黒餡にした。個人的には漉し餡が好きだから、白餡の方が好みだった。
 目のところをくぼませたり、足のところに凹凸をつけてあって、一応フクロウっぽくはなっている。ふくろうまんじゅうって言われなければ何のことか分からないかもしれないけど。

便乗みやげ-4

 これは東名高速の浜名湖サービスエリアかどこかで買った「ふじさん小町」というまんじゅうだ。
 これの地元みやげの中で占める位置は知らない。有名なのか無名なのか。富士山とは似てもにつかないというか、まったく関連性を見いだせない。だいたい、富士山と小町は結びつかないものだ。
 薄くて白い皮に黒餡を包んだこういうまんじゅうはどこにでもある。安心して食べられる味ではあるけど、新鮮みはない。全国の銘菓を一堂に集めてみれば、見た目も味もそっくりというのがたくさんあるに違いない。まんじゅうなんてそうそうバリエーションのあるものではないから。

便乗みやげ-5

 オマケ写真は、ひなまつりのときに作ったひなケーキだ。生クリームの白と、イチゴの赤と、抹茶の緑色でひな祭りを演出したつもりだったのに、自分から説明しないと伝わらないものに仕上がった。いろんな部分で失敗気味で、ひな祭り以前にケーキとしての体裁が整っていない。
 スポンジ作りをいまだにマスターできない。

 ホワイトデーが終わったら、しばらくイベントはお休みだ。子供の日や七夕といっても何をするわけではないし、お盆は意味が違う。誕生日は1月だから、もうクリスマスイブまでないことになる。考えたら、1年のうちにイベントがあるのは3月の間だけで、残りの9ヶ月は休みなのだ。12月から1月は慌ただしい中だから、もう少し分散してくれてもよかった。身内の誕生日が1月に集中してるから、特にここがタイトすぎる。
 個人的には昔からずっと気になっている謎の7月14日もあるのだけど、それはまた別の話だ。
 イベントはなくても、クッキーやケーキは作るつもりだし、名古屋銘菓を買う機会もある。新しいものに挑戦してバリエーションを増やしていきつつ、名古屋銘菓もいろいろ試してみたいと思っている。

奈良シリーズ本編の最終回はどうしても見たかった朱雀門で締めくくり

奈良(Nara)
奈良最終回-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 秋の奈良行き最終目的地は、ライトアップの朱雀門と決めていた。
 そもそも奈良へ行こうと思ったのは、この朱雀門の存在を知ったのがきっかけだった。もう3、4年前のことになる。ずっと行きたいいきたいと言いながらなかなか実現できずにいて、この前ようやく念願が叶った。名古屋-奈良間は、JRの直通電車が廃止されて、近くて遠い都となった。
 朱雀門へ行くのは苦労した。近鉄電車で行こうとすると、新大宮と大和西大寺の中間だから、どちらから歩いても20分くらいかかるし、バスは本数が少ない。特に夕方以降は朱雀門に一番近い「二条大路南四丁目」まで行くバスがあまりなくなってしまう。このときはタイミングも悪かった。仕方がないのでそのだいぶ手前の二条大路南1まで行くバスに乗ったのだけど、夕方の大渋滞にはまり込んでしまってバスがまったく動かない。すんなり行けば10分のところを30分以上もかかってしまった。帰りはもっとひどい目に遭うことになる。
 そんな苦労をして行った朱雀門だから、ぜひここに書いて無駄足じゃなかったということにしなければならなかった。勉強するのにも時間がかったということもあるのだけど、最後に持ってくるのがふさわしいネタでもある。奈良シリーズは今回でようやく最終回となる。

 なんと(710年)見事な平城京、そんなふうに年号を覚えた人も多いだろう。鳴くようぐいす平安京に比べるとずっとマイナーではあるけど、奈良の都平城京も日本史の中で重要な意味を持つ都だったのは間違いない。
 ところで平城京の読みをわたしたちの年代は「へいじょうきょう」と習った。なのに、近年は「へいぜいきょう」と仮名が振られている。最近そうなったらしい。
 奈良時代の昔は、「平城」を「なら」と読んで、「平城宮」は「ならのみやこ」と呼んでいたというのが定説となっている。ならはならすに由来して、平坦な場所にある都ということで、ならのみやこといったというのが有力だ。
 すでに長くなりそうな予感がしてきたけど、ここで平城宮遷都の前後の動きについて復習しておきたい。平安以前に関しては意外とあやふやな記憶になってるという人も多いんじゃないか。
 女王卑弥呼が邪馬台国をおさめていたのが230年代から240年代にかけてで、ようやく国家の基本的な形ができてきた時代だ。
 大和国として一応の統一が見えてくるのが500年代で、574年に聖徳太子が生まれている。この時代が飛鳥時代の始まりだ。
 法隆寺が建ったのが607年、遣隋使と、のちの遣唐使によって中国との本格的な交流が始まる。
 645年、大化の改新。
 694年に飛鳥から藤原京に都を移す。
 平城京への遷都は707年から段階的に行われ、710年に遷都が完了する。
 その後、途中で「恭仁京(くにきょう)や「紫香楽宮(しがらきのみや)」へ都が移ったりしたもののまた戻り、784年に長岡京へ遷都されるまで、平城京は日本の都であった。

 平城宮は、平城京の北部中央に位置していて、東西1.3キロ、南北1キロだった。
 唐の都長安や北魏洛陽城など手本にした碁盤状の作りになっていて、平安京のモデルにもなっている。ただし、東部分のでっぱりなど、平城宮特有の特徴も備えていることなどから、日本オリジナルの計画都市だったのではないかという説もある。
 天皇の住まいである内裏(だいり)や、政治・儀式の中心である大極殿・朝堂院などの建物が建っていた。
 四方には高さ5メートルの築地塀がめぐらされ、それぞれ3つの門を備えていた。南の中央にあるのが正門である朱雀門だ。
 平城京と平城宮を一緒だと思うと混乱する。平城京というと都全体のことを指し、平城宮というとその中の都施設のことをいう。私も最初ごっちゃになっていて、勉強している途中で訳が分からなくなった。平城京は甲子園球場30個分という広大な都のことで、平城宮は皇居と国会議事堂と官庁街が凝縮されたような施設といえば分かりやすいだろうか。
 朱雀門を出て南に真っ直ぐ伸びているのが朱雀大路で、その突き当たりには羅城門が建っていた。それが平城京の南端になる。
 朱雀大路によって分けられた右京と左京は、それぞれが碁盤の目のように整然と区画された町が形成されていた。最盛期には10万とも20万ともいう人々が住んでいたという。ただし、大部分は下級役人や一般庶民で、貴族は数百人だったそうだ。シルクロードの終点ということで、都には唐や新羅、インド人なども多かったらしい。
 平城京の主な寺としては、薬師寺、大安寺、興福寺、元興寺の四大寺などがあった。東の東大寺、西の西大寺、ちょっと離れた法隆寺を加えて南都七大寺という呼び方もされた。南都というのは北の長岡京に対する南の都という意味だ。

 都が平安京に移った頃には、平城京はうち捨てられ、田んぼになっていた。都を移したら、人も建物も物も一切合切移動させてしまうという昔の日本人の引っ越し体質というのは、今となってはちょっと信じられない。それは戦国時代まで続くことになる。日本人が定住ということを本当に考えるようになったのは江戸時代になってからだ。
 江戸時代の末になって、ようやく平城京のことを思い出した人たちがいた。藤堂藩の奉行所に勤めていた北浦定政たちによって実測調査が行われ、平城京の位置と規模が判明することになる。しかし、早い段階で気づいたのは幸いだった。その後この土地一帯の大部分は国の所有となり、保護されることになるからだ。
 今は思いっきり近鉄電車が斜めに横切ってしまっているけど、平城京跡の大部分は保存されている。世界遺産にも登録されたから、これ以上開発されることはない。
 現在は2010年の遷都1300年に向けて様々な復元作業が進められている。目玉は第一次大極殿正殿だ。外から覆いをかぶせて、一部しか見えないようになっているのが小憎らしい。これが完成してお披露目となったら大きな話題になるだろう。
 1998年には朱雀門の復元がなされた。ただしこれは想像復元に過ぎない。資料は何も残っていないからだ。だから、実際の朱雀門と復元された朱雀門は違っているのかもしれない。相当な年月と研究を重ねて作られているそうだから、違っていたらがっかりだろう。
 復元された朱雀門は、間口25メートル、高さ25メートル、奥行き10メートルの入母屋造りの二重門。国産ヒノキを3,000本使ったというから気合いが入っている。材料費だけでも相当な額だ。
 現在、見学は無料で、夜間はライトアップをしている。闇に浮かぶ朱雀門はなんとも幻想的で、これを見るだけでも奈良へ行く価値があると思った。
 全体の発掘調査はようやくまだ半分とのことだ。これから何かあっと驚く新発見も出てくるかもしれない。これまでに出た出土品などは、平城宮跡内部の「平城宮跡資料館」や「遺構展示館」などに展示されている。こちらも無料で見られるのだけど、夕方4時半くらいまでしか開いてないので私たちは見られなかった。朱雀門から向こうへも夕方には閉まって行けなくなる。
 東院庭園なども復元されているので、やはり行くなら明るい内から行くべきだったと、帰ってきてから悔やんだけど遅かった。2010年にもう一度行こう。大極殿もぜひ見なければなるまい。

 あをによし 奈良のみやこは 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

 小野老が万葉集で歌ったような奈良はもうない。けど、華やかかりし頃の面影はなくとも、奈良は1300年経った今でも魅力的であり続けている。
 奈良へ行くときは肩肘張らず、ありのままの自分でいられる気がする。京都や鎌倉を好きかと問われるとちょっと考えていろいろ言いたくなるけど、奈良は好きですと即答できる。友達みたいな気軽さで。その場を支配している空気感と同調するいう言い方もできるかもしれない。
 奈良シリーズは一応これで完結となる。あと、捨てるにはしのびない写真が何枚か残ったので、番外編としてそのうち載せることになると思う。
 今回見て回った分に関してはこれがすべてだ。長々とおつき合いいただきありがとうございました。また新しい奈良シリーズで会いましょう。

農業センターのしだれ梅の見頃はまだこれからでピークは週末<後編>

花/植物(Flower/plant)
しだれ梅後編-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor 35mm f2D / TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 17-35mm



 今日は昨日に引き続いて農業センターのしだれ梅後編です。
 自分の人入り写真を見ると、ときどき新聞写真みたいだなと思うことがある。もしくは、新聞の写真を見ると自分が撮った写真みたいだなと思ったりもする。
 上の写真などはその典型で、花名所で花が見頃ですといったニュースの横に添えられる写真がちょうどこんな感じだ。それは私としては全然嫌なことではないし、むしろ新聞写真はお手本でもあるのだけど、それにしてもときどき典型的すぎて自分でもちょっと笑ってしまうことがある。必ずしも狙っているわけではないのだけど。
 違いがあるとすれば、新聞はある程度演出が入っている(であろう)のに対して私のは偶然撮れた写真という点だ。どっちがいい悪いではないけど、演出写真は苦手だ。モデル撮影なんかも上手く撮れる気がしない。カメラ目線でポーズなんか取られたらドギマギしてしまう。

しだれ梅後編-2

 ここの梅林はわりと無造作に木が植えられているから、撮りどころを見つけるのが難しい。整然と並んでないから、どう撮っても雑然とした感じになってしまう。
 上の写真のポイントは下が緑だから、ピンク、白、緑と三色揃うと華やかになっていい。地面がむき出しの所もあって、そこは絵になりづらい。
 でも、もう少し植えようがあったんじゃないのか。列も間隔もバラバラすぎるだろうと思う。

しだれ梅後編-3

 しだれは、下から見上げて花が滝のように降ってくるという撮り方もある。ただ、桜の場合は木も大きくて花も多いから見栄えがするのだけど、しだれ梅は木も小さいし花も少ないから、ちょっと寂しい滝のようになってしまう。
 特に今回はいいポイントを見つけられなかった。背景に他の梅が写らず、単独でよく咲いている梅を見つけないといけない。

しだれ梅後編-4

 梅と竹林の組み合わせで撮っていたら、その間に三脚カメラウーマンが入った。普通なら邪魔だなと思うかもしれないけど、私はラッキーだと喜ぶ。人が入ってなければ、この写真は面白くもなんともない一枚だった。
 レンズを竹林の上の方に向けていたあの人は何を撮っていたのだろう。竹林を単独で撮っていたんだろうか。

しだれ梅後編-5

 行くといつも気になる煙突風の建物。どういう用途のものだろう。中に入れるようになっているようだから、内部は部屋になっているらしい。何かの装置が入っているのか。
 横にはアンテナみたいなものも出ている。格好はノリタケで見た煙突に似ているのだけど。
 その足下ではしだれ梅を愛でる女の人たち。若い女性二人組も多く訪れている。

しだれ梅後編-6

 特に意味はないけど、こんな撮り方もしてみる。でも失敗。こういう撮り方をするなら、余分なものは極力排除して、背景のピンクと白い梅一輪にした方がよかった。これでは中途半端すぎる。梅を置く位置も収まりが悪い。
 分かっていればそうやって撮ればいいだろうと思うかもしれないけど、撮る前にファインダーをのぞいた段階で完成図をイメージするのは難しいのだ。画像を液晶で確認してもよく分からない。成功か失敗かは、PCで見て初めて分かる。
 人の目と写真というのはずいぶん違っていて、目で見えているものが写らなかったり、必要以上に写ったりする。たとえば見慣れた自分の部屋の写真に撮ると、目と写真の違いがよく分かる。人の目は見えていても意識してないものは見えないものだ。だから、余分なものが写り込んでしまう。

しだれ梅後編-7

 白梅のしだれを浅いピントで撮ると、淡雪のようなイメージで撮れる。タムロン90mmはこういうのも得意だ。
 手前のピンク梅は、入れてみたらアクセントになるかなと思ったら、邪魔なだけだった。ボケ味のコントロールも、ファインダーだけでは把握できない部分だ。いろいろ設定を変えて何枚も撮ることで当たりの一枚を獲得するしかないのも実力のなさを表している。このときは一枚しか撮らなかった。

しだれ梅後編-8

 これは方向性としては間違ってない。もっと上手く撮ればもっといい写真になった。その可能性は感じる。ただ、成功とは言えない。もう一歩、二歩だ。
 逆光とボケ味のコントロールができると、撮れる写真のバリエーションが広がる。

しだれ梅後編-9

 竹林を降りる階段からの一枚。ここはお気に入りの場所で毎年挑戦するも、いまだイメージ通りに撮れたことがない。
 上から見下ろせる場所としては、ここがベストだと思うんだけど、どうも写真に撮ると現地のすばらしさを伝えきれなくてもどかしい。できればあと2、3メートル高いところから撮りたいところだ。それを実現するには竹をよじ登っていくしかない。中学、高校くらいまでなら裸足で棒登りは得意だったんだけど。

しだれ梅後編-10

 これも竹林付近で、逆光のテストとして撮った写真だ。
 デジは逆光が苦手というのは今後も克服されることはないのだろうか。構造上難しいことは分かるけど、技術力でカバーできるものならして欲しい。私たちが望んでいるのは、これ以上の画素数ではなくもっと広いラティチュードなのだから。

しだれ梅後編-11

 昨日載せたのよりもこちらは咲いている花が少ない木だ。
 あまり咲ききってしまうと、しだれの風情がかえって消えてしまうから、これくらいの方が上品とも言える。
 FinePix S2proは、青系の発色はあまり好きじゃないけど、赤系はきれいに出るから好きだ。梅のピンクも鮮やかに発色している。桜のときも使ってみたいと思う。

しだれ梅後編-12

 オマケは葉の花畑。カメラマンの彼と、それを見守る彼女。バックにはしだれ梅が脇役として華を添える。
 菜の花畑といっても広大なものを想像していくとこける。家庭菜園くらいの小さなものだ。いいところの一部しか撮らない写真というのは、嘘ではないけど真実でもない。自分にとって都合の悪いことは書かかれない日記のようなものだ。
 どうせ本当でないなら、人が幸せになるような優しい嘘をつきたい。

 ここのところの暖かさ続きでしだれ梅も一気に咲いていくことだろう。桜の開花予想も早まった。このままいけば、梅と桜の競演というのも見られそうだ。
 私はとしては、梅はこれでいいかという気分になっている。大高緑地はピークを過ぎてしまったみたいだし。
 桜までの2週間、何を追いかけようか。野草も咲いてきてるだろうから、そろそろそのあたりも偵察に行かないといけない。ショウジョウバカマなんかはもう咲いてるはずだ。ハルリンドウはそろそろ咲きそろってきただろうか。足助のカタクリもちょっと気になり始めた。今年はスミレの識別ができるようになるだろうか。
 海上の森、森林公園、グリーンピア、東山植物園。春は行き先に事欠かない。野草に野鳥に昆虫、動物と、今年も勉強することがたくさんある。世の中知らないことばかり。もっと知りたいと思う気持ちが足を前に運ばせてくれる。
 2008年の春もきっとたくさんの出会いがあることだろう。

3年目の農業センターしだれ梅を今年もまた撮りきれず<前編>

花/植物(Flower/plant)
しだれ梅-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor 35mm f2D / TAMRON SP 90mm f2.8 / TAMRON 17-35mm



 3月も半ばに近づく中、今年はいまだに梅をまともに撮っていない。今年の冬は寒かったから、梅がなかなか満開にならないのだ。毎日ネットで情報を見ていてもいっこうに満開になったという報告がない。うちの近所の梅林もようやく7分咲きといったところで進まない。
 とうとうこらえられなくなって今日、本命の農業センターへ行ってしまうことにした。まだ5、6分咲きとのことだったけど、もう待っていられない。満開ではなくても咲いているところを撮ればいいのだ。それに、梅でも桜でも満開よりも蕾が残っているときの方が花がきれいというのもある。
 今日行っておいたのは間違いではなかった。見頃は今週末くらいだろうけど、そんな激混みの中を行く勇気はない。来週になってしまうともう遅かっただろう。
 夕方の閉園1時間前というのに駐車待ちの車が長蛇の列を成していた。しだれ梅まつりのときに行くのは初めてだったから、聞きしに勝る渋滞だ。名古屋方面から行くと「農業センター北」交差点でみんな右折しようとするから、ずっと手前から大渋滞になる。反対側からアプローチしてもあまり変わらない。でも、裏技がある。農業センター北の交差点を右折せずにそのまま直進して、最初の分離帯の切れ目で右折して細い道に入っていく。そうして道なりに右へ曲がっていくと臨時駐車場があるので、そこにとめればいいのだ。時間帯にもよるだろうけど、私が行ったときは待ち時間ゼロで駐車スペースもまだ空いていた。料金は同じ300円だけど、歩くといっても2分くらいのものだし、渋滞なしだからこちらにとめない手はない。これから行こうと思ってる人は絶対こちらがおすすめだ。週末はさすがに待ちが発生するだろうけど、それでも通常の駐車場よりはましなはずだ。

 そんなわけで、しだれ梅を撮ってきた。また枚数が多くなって一回に収まりきらなかったので、前後編2回に分けることにした。
 今回はレンズを4本持ち込んで(SIGMAの55-200mmも使ってる)、できるだけ多様な撮り方をしようというのがテーマだった。成功度というか満足度は、うーんとうなってしばらく考えて、60から70パーセントくらいだろうか。
 時間は1時間あったし、光も必要充分で、レンズにも不足はない。この条件で思い通りの写真が撮れないとしたら力がないということだ。言い訳は出来ない。そう思うと、またもや実力のなさを思い知って敗北感を味わうこととなった。
 上手い写真を撮りたいわけではなくて、いい写真が撮りたい。でも何をもっていい写真とするかが自分の中でもはっきりしてないから、完成図をイメージして撮ることができない。たまに当たりがあってもそれはまぐれ当たりにすぎなくて、たまたま振ったバットにボールが当たってヒットゾーンに落ちたというだけだ。ねらい撃ちで右中間を破ったわけではない。
 ひとつ分かっていることは、いい写真というのはパッと見たときに、あ、いい写真だなと思う写真だ。料理でいえばひとくち食べて反射的に美味しいっと思うようなものだ。美味しいものを食べたときは、その料理にどんな食材が使われていてどんな調理法をしてるとかなんてのは考えない。ただ単純に美味しいと思うだけだ。写真にも同じことが言える。上手いなと思われたらそれはたぶんいい写真ではないのだ。映ってる被写体と見る人との間に写し手がちらつくのはよくない。
 いい写真を撮るためには、被写体と自分とがもっと直接つながらないといけないのかもしれない。そうやって写し取った被写体は、見る人とも直接つながるだろうから。テクニックではなく姿勢の問題だということが最近少し分かってきた。まだまだ道のりは遠い。
 とはいえ、練習なら自分ちでひとりでやってくれってなもんで、こうして見てもらうために撮る写真なのだから、現状の力で精一杯誠実に撮らなければいけないとも思っている。何か心に引っかかったり、ヒントやきっかけになるものがあればいいのだけど。私も人が撮って見せてくれるたくさんの写真から刺激をもらってるから。
 前置きが長くなったけど、農業センターで撮ってきたしだれ梅の写真をお届けします。

しだれ梅-2

 しだれ梅の咲き具合は、全体で6分咲きくらいだろうか。品種によって満開に近いものからまったく咲いてないものまで差が大きい。印象としてはまだ少し早い。もう3、4日待ってちょうどいいくらいだろう。今日から急激に暖かくなったから、ここからは駆け足になりそうだ。やはり見頃は今週末か。

しだれ梅-3

 駐車待ちの渋滞はひどいものの、中に入ってしまえばそんなに混雑しているわけではない。適度な賑わいがあって、ちょうどいいくらいだ。写真もわりとゆっくり撮れる。
 老若男女の撮影会がすごい。ここ数年でデジカメ人口というのは本当に増えた。今はシルバー世代でも携帯カメラを使いこなしている時代だ。孫に画像を送ったりしてるんだろうか。
 白レンズ、赤帯、三脚組も当然いる。

しだれ梅-4

 じいちゃんがフィルムカメラで写真を撮っている姿に惹かれる。
 写真というのは未来に向けて残すものだけど、今現在を楽しむものでもある。自分がこの世からいなくなっても写真は残る。残したものを受け取ってくれる人がいれば、それは幸せなことだ。
 もしこの年代まで自分が生きたとして、そのとき私は何を思いながら写真を撮るのだろう。

しだれ梅-5

 女性の一人撮影隊もけっこういる。シルバーや家族連れ、カップルだけではなく、バラエティーに富んでいるのもここの特徴だ。異人さんまでいた。しかも、ドイツ人。

しだれ梅-6

 梅だけ撮っても楽しくないので、私の撮影は人を探しながらとなる。
 いい被写体を見つけたときがシャッターチャンス。梅は二の次なのだ。

しだれ梅-7

 竹林とその向こうのしだれ梅の組み合わせは、農業センターの定番撮影スポットだ。でも、ここから上手く撮るのは難しい。今回も再挑戦で何枚も撮ったのに、気に入るものが一枚も撮れてなかった。
 結局は人入り写真になった。

しだれ梅-8

 托鉢の坊さんが立っていてちょっとびっくり。なんでこんなところに? 農業センターと関係あるんだろうか。こういうのって許可がいるんだろうかなんて思ったり。
 托鉢は、盲導犬の募金や赤い羽根募金とは違うから気軽に100円入れるとかはできない。そもそも、どういう目的でここで托鉢をしてるのかも分からない。お困り度も不明で、10円とか渡しては失礼になりそうだし、千円札では逆におかしいし。それとも、自分のためにするものなんだろうか。

しだれ梅-9

 駆け回るチビ。梅なんてどーでもいいのだ。見たい親の付き添いで来てるだけだから。
 子供たちにとっては敷地内にいる牛とかニワトリとかの動物や、ソフトクリームなんかの方が楽しみに違いない。

しだれ梅-10

 少しくらいはしだれ梅がきれいに咲いているところを紹介しないとまずいだろう。これもちらっと人が入ってるけど。

しだれ梅-11

 ピンク色のしだれ梅は、とても華やかだ。普通の梅よりも花のボリュームがあるから、ゴージャスでもある。
 完全な満開よりもこれくらい蕾があった方が上品かもしれない。
 しだれ梅は、しだれ桜よりも撮るのが難しい。しだれ桜は並木として撮ればいいけど、しだれ梅は単独でいいポイントを見つけないといけないから。どこをどう撮っていいのか、最後まで確信が持てないままだった。

しだれ梅-12

 強い逆光も場所を選べば撮影ポイントになる。順光だけがきれいに撮れるわけではない。
 確かに逆光は失敗確率が増えるけど、デジならあえて逆光を選んで撮ってみてもいい。順光にはない印象的な写真になることもある。

しだれ梅-13

 最後もやっぱり人入り写真で。花名所には年配夫婦がよく似合う。

 前半はここまで。
 こうして並べたものをあらためて見てみると、まだまだ偏りがあることに気づく。もっといろんな撮り方ができるはずなのに、スタイルが固まってしまっている。
 気に入った写真は、TAMRONの90mmで撮ったものが多い。マクロ専用と思われがちなこのレンズだけど、実はポートレートにも向いている。離れても近づいても写りは申し分ないから、こういう場所でも持っていくことをオススメします。
 便利なズームレンズではなくて、不自由な単焦点の方がいい写真が撮れることが多いというあたりにも、いい写真を撮るためのヒントがありそうだ。
 後編につづく。

東大寺<後編>は二月三月四月堂 一月堂や五月堂はないですよ

奈良(Nara)
三月堂前の風景

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 東大寺の魅力は大仏殿だけじゃない。二月堂をはじめ他にも見所はいろいろある。私たちは時間が足りずにやや駆け足の見学になってしまったけれど、二月堂だけは見にいった。三月堂、四月堂は外見だけとなってしまい、三月堂の内部を見られなかったのはちょっと心残りではある。
 乾漆不空羂索観音立像や塑造日光・月光菩薩立像など国宝ゴロゴロで、宝庫とはまさにこのことを言うのだというくらいの充実ぶりを誇る三月堂。国宝、重文仏像がギュウギュウ詰めなんだとか。ただし、内部は撮影禁止で、拝観料も500円と高めだ。金額はともかく、撮影禁止というのはどうにかならないのか。
 建物自体も国宝指定になっている。東大寺に残る数少ない奈良時代建築のひとつで、金鐘寺(こんしゅじ)時代に羂索堂(けんさくどう)として建てられたものだ(743年)。東大寺最古の建物でもある。
 当時のものは、仏像が安置されている北部分の正堂で、南側の礼堂(らいどう)は鎌倉時代(1199年)に再建されたものだ。写真に写ってるのが新しい南部分で、この裏手にあたる部分が奈良時代のものになる。
 本尊が不空羂索観音ということで昔は羂索堂と呼ばれていたのが、毎年3月に法華会が行われたことから法華堂や三月堂と呼ばれるようになった。



四月堂外観

 三月堂から二月堂に向かう途中の反対側にあるのが四月堂だ。それぞれ特徴と人気のある二月・三月堂に比べると地味な存在で、みんなに素通りされがちだ。
 重文の本尊千手観音像や阿弥陀如来坐像などが安置されていたり、室町時代に再建されたお堂だったり、それなりに見応えもあるのだけど、東大寺の中では目立たない。他のチームにいけばレギュラー確実なのにビッグチームにいて補欠に甘んじている選手みたいだ。
 創建は1021年、仁杣、助慶両上人で、かつては普賢菩薩像を本尊としてために普賢三昧堂とも呼ばれていた。三昧堂の名は、毎年4月に法華三昧堂が行われるところからきている。四月堂の呼び名の由来もそこからだ。



二月堂外観

 三月堂、四月堂ときたら次は五月堂だろうと思いきや、二月に戻る。そしてそこで月シリーズは終わる。一月堂はない。五月堂も。昔は一月堂から十二月堂まであったんだよ、なんてもっともらしいことを言うと、へぇーなんて感心されてしまいそうだけど、実際はそんなものは昔からなかった。あるのは二・三・四月堂だけだ。
 二月堂の由来も他の二つと同じで、旧暦の2月に修二会(しゅにえ)という大切な行事が行われているところからきている。東大寺のお水取りといえば関西では有名な行事で、お水取りが終われば春が来るというのはよく言われることだ。
 修二会は752年に開山の良弁僧正の弟子だった実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたとされている。国家安泰や五穀豊穣を願う行で、なかでも二階の舞台をたいまつの火が駆けめぐるのが有名だ。テレビのニュース映像などで見たことがある人も多いだろう。
 源平合戦のときも、第二次大戦中も途絶えることなく、1200年以上続いている伝統の行事だ。松明(たいまつ)の火の粉を浴びると無病息災ということで、大勢の人が詰めかける。お松明は期間中毎日行われているのだけど、クライマックスは12日の夜で、この日が特に盛り上がりを見せる。
 正式名を十一面悔過(じゅういちめんけか)といい、本尊の十一面観世音菩薩に祈る行だ。修二会というのは、二月に修する法会という意味だ。
 お水取りというのは、若狭井(わかさい)という井戸から観音様に供えるお香水(おこうずい)を汲み上げる儀式からきている。いろんな呼び方があったり、読み方が難しかったりして、最初どういうことかよく分からなかった。帰ってきてから調べてようやく理解できた。
 こんな木造建築で火を振り回して大丈夫なんだろうかと心配になるけど、1200年で一度しか火事になってないから大丈夫なのだろう。でも一度はそれで全焼している。平重衡の兵火でも、三好・松永の戦いでも燃えずに焼け残ったのに、自分のところの行事で焼けてしまったのはちょっと皮肉な話だ。現在の建物は、1667年に焼けて2年後には再建されたものだ。
 国宝指定は2005年と最近のことだ。建物は江戸時代のものだから、とびきり古いものでもない。
 本尊は秘仏の十一面観世音菩薩。



二月堂のお堂前

 二月堂は崖の上に建っているから、石段を登っていかないといけない。ここが登り切ったところだ。
 左手に写っているのが二月堂の建物で、正面右手は手水舎だっただろうか。大きな提灯のようなものがたくさんぶら下がっている。



舞台から奈良の街方面を見渡す

 舞台からは大仏殿や、その向こうに奈良の街並みを見渡すことが出来る。奈良時代はこのあたりも山の中だったのだろう。遠くに平城宮が見えていたんだろうか。
 西向きだから夕焼けがきれいだろう。シーズンオフで人が少ない夕暮れどきなんかもよさそうだ。



舞台と回廊

 左が舞台で、右には屋根付きの登り回廊がある。帰りはこちらから帰ることにした。
 この日は紅葉シーズンの休日ということで、二月堂の舞台上も大変な賑わいをみせていた。あさって12日はあの上を松明の火が走り回ることになるのだろう。行事は深夜だからニュース映像で見られるのは13日になる。YouTubeなどで映像だけならいつでも見られるのだけど。



二月堂を下から見上げる

 登廊下から舞台を見上げたところ。ここからが一番絵になる姿かもしれない。秋の青空を背景に、二月堂は凛と建っていた。



石畳の風景

 石畳と土塀が続く東大寺の裏参道がいい。奈良はこういう風情のあるしっとりとした場所が意外と少ない。



奈良の街の日常風景

 たくさん撮った奈良写真の中でも、これは好きな一枚だ。無関係の他人だけど、家族写真のような親しみを感じる。見知らぬ一家の思い出の一枚としてここに貼り付けておこう。

東大寺と鹿の風景

 ほぼ同じカットの写真を以前にも載せたけど、東大寺の締めくくりはこのシーンにした。東大寺大仏殿と中門、鏡池と鹿のショットは、これ以上ないというほど奈良らしい光景だ。
 東大寺編は前後編、これで完結となる。見物という点では少し心残りがありつつも、書くことに関してはだいたい書いたと思う。
 次の機会があれば、奈良公園周辺だけでなく、法隆寺や唐招提寺、飛鳥方面にも行ってみたい。奈良めぐりはまだ始まったばかりだ。楽しみはたくさん残っている。
 

落下傘料理人は中華を目指してごま油を買い忘れて日本海越えならず

料理(Cooking)
中華サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は中華だった。のつもりだったと言い直した方がいいかもしれない。作り始めてからごま油がないことに気づいた。それはある意味致命傷だった。オリーブオイルで作った中華料理を果たして中華料理と呼んでいいのかどうかという疑問は、食べ終わったあとまで頭を去らなかった。
 落下傘料理人の私が作る料理は風任せの運任せだから、どこに着地するかは作ってみなければ分からない。中華に向けて出発したとしても、狙い通りのところに降りられる保証はどこにもない。
 そもそも中華料理の定義って何だろう。中国で作られている料理は中国料理であって中華料理ではない。たぶん、中国の人は自分のところの料理を中華料理とは呼ばないだろう。となると、これは日本における中国料理全般を指す言葉と思えばいいんだろうか。
 しかし、どこからどこまでが中華なのかを定義するのは難しい。ギョーザやチャーハンは中華だろうけど、ラーメンは中華なのかとか。コンソメスープにワンタンを浮かべたものは中華なのか洋食なのかとか。肉団子にあんをかけたものは中華なのか和食なのか洋食なのか、たれの味付けによっても違ってくるし。
 とりあえず分かっていることは、支那料理って言わなくなったということくらいだ。

 定義問題はひとまず置いておくことにして、今日作った中華のつもり料理3品を紹介しよう。
 まず左手前から。基本はワンタンだけど、これはたぶん中華から逸脱した料理だと思う。でも片足は中華に突っ込んでいるから中華料理の仲間に入れてもらいたい。
 ワンタンの皮にツナ缶ととろけるチーズを入れて、いったんフライパンで焼きを入れる。このとき水溶きカタクリ粉を多めに流し込んで表面に膜を作ってしまう。
 軽く焼いたら中華スープの中に移してしばらく煮込む。スープは、中華味の素、塩、コショウ、一味、酒、しょう油で作る。
 たれはマヨネーズベースだから、この時点で完全に中華から脱線した。マヨネーズ、からし、しょう油、酒、一味を混ぜたものをひと煮立ちさせる。
 これは普通に美味しいのでジャンルにこだわらずに作って食べてみてくださいと言いたい。ワンタンの食感は美味しいことを再確認した。あのツルツル感はギョウザにもシュウマイにもない独特のものだ。水溶きカタクリ粉がそれに追い打ちをかける。

 右手前は、分類としては八宝菜になるのだろうと思う。ただ、少し違うというか間違えたというか、別の料理を作ろうとして結果的に八宝菜みたいになってしまっただけなので、私としては八宝菜を作ったつもりはない。
 基本にあったのは、肉団子のとろみあんかけで、それだけじゃ寂しいってことで白菜を足し、エビを足し、彩りにニンジンも加えていったら、どこかで見たことがある料理になった。ばったり八宝菜と出くわしたというわけだ。
 鶏の挽肉に刻んだタマネギを混ぜ、塩、コショウ、中華の素で味付けをする。それをこねて団子状にして、カタクリ粉をまぶす。
 エビは皮をむいて、わたを取って、塩、コショウ、酒を振って、これもカタクリで衣をつける。
 中華スープで輪切りにしたニンジンを煮込みつつ、フライパンでエビと肉団子を炒める。炒めたら中華スープに移動させて、切った白菜も入れる。ここにもワンタンの皮を投入する。ワンタンは皮を食べるものだから間違ってない。
 ある程度煮込んだところで水溶きカタクリ粉を少し加えて、更にもう少し煮る。あとは、塩、コショウ、中華の素、一味、ラー油、しょう油などで味を調える。

 奥のはカニ玉あんかけなんだけど、これも結果論にすぎない。私が作りたかったのはこんなものではなかった。
 ちょっとぜいたくなスクランブルエッグのあんかけバージョンみたいなものをイメージしていたのに、できたものは卵焼きのあんかけに成り下がってしまった。こんなはずでは。
 失敗だったのは、白身魚を入れてしまったことだ。ふわふわのふっくら卵にしたかったのに、これを入れてしまったことでしっかり火を通さなくてはいけなくなって、結果的に堅焼き卵焼きになった。間違えた。入れるなら別に焼くか煮るかしておかなくてはいけなかったのだ。
 カニ缶も入ったちょっと高級な卵料理だったのに、貧乏くさい料理となってしまった。

 今日はとにかくごま油がなかったのが敗因の一つだった。あるとなしとでは風味がまったく違ってくる。ワンタンはかえってよかったかもしれないけど、あとの2品はごま油で作っていたらもっと中華らしい味になっていただろう。ややパンチを欠いたのが惜しまれる。
 ここのところ味に関してちょっとスランプだ。まずくないけど、満足度がもう一歩で、あー、美味しかったと思うことが出来ない。何か物足りない。普通に美味しいものを作ることの難しさをあらためて感じている。
 今回の収穫はワンタンだ。ワンタンの皮は中華に限らず他の料理にも応用できそうだ。詰める具材とたれによって和風にも洋風にもできる。ワンタンスープだけがワンタン料理じゃない。
 中華は作り慣れていないこともあって難しい。料理としてのバリエーションは豊富なのに、家庭で作れるものは限られるから、サンデー料理として採用しづらいというのもある。基本的なものと高級料理の中間のものが少ないから、工夫して作れるメニューがあまりない。美味しさ優先なら作るものがいろいろあるけど、炒め物とかは趣味の料理にはちょっと向かない。食べるのは好きだけど作風が合わないというのか。
 でも、ごま油を買ってきてまた違うものに挑戦してみたい。中国料理といっても、広東、四川、上海、北京と幅も広く、それぞれに特徴がある。そのあたりを勉強しながら、各地の代表料理を作ってみるという試みも面白そうだ。
 次こそ、ゼンジー北京もびっくりの中華料理を作るアルヨ。

唐突に再開した奈良シリーズは長いながい東大寺編の前編から

奈良(Nara)
東大寺-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 唐突だけど、今日は奈良の東大寺について書こうと思う。
 奈良へ行ったのは去年の11月、紅葉の季節だった。月日は流れて今はもう3月、春になった。その間、あっちこっち出歩いて、東大寺編はずっと在庫として寝かせてあった。いつかそのうち書こうと思いつつ、今日になってしまった。そろそろ東大寺二月堂のお水取りも近づいてきて、再開するなら今を置いて他になく、ドラマ「鹿男」が終わらないうちに書きたいというのもあった。
 そんなわけで東大寺だ。奈良へ行ってきて東大寺のことを書かずにどうすると今更ながら思う。書くと長くなりそうだから、それで先延ばしにしていただけとも言える。

 東大寺は中門より先に進むにはお金を取られる。500円。観光客を狙った厳しい取り立てだ。ここまで来て大仏を見ないと心残りになるから、つい言いなりに払ってしまう。それでも大仏殿の敷地内は人で溢れていて、ザクザク儲かっていることをうかがわせる。うちは葬式もしないし檀家もいない(いる?)から入場料だけが頼りなのだと東大寺は言うかもしれない。
 地続きのようになっている興福寺や春日大社は無料で、ここだけ徴収するのはどうかとも思うけど、興福寺も建物で個別に取られるし、京都や鎌倉のことを思えば良心的とも言えるか。
 東大寺の敷地というのはどこからどこまでなのかよく分からない。塀も仕切りもなく、内と外の区別がつかない。奈良公園の春日大社と興福寺の境目も判然としない。歩いているといつの間にか敷地内に入っている。

東大寺-2

 かつてのものと比べると間口が3分の2(11間から7間)になってしまったとはいえ、世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿(金堂)。間口57メートル、高さは天平時代と同じ47.5メートルある。近くで見ると威風堂々、さすがとうならせる。
 現在のものは江戸時代に再建された三代目で、東大寺もまた波乱と浮き沈みの歴史を持つ寺だ。
 728年、聖武天皇が1歳にならずに亡くなった第1皇子の基王(もといおう)を弔うために金鐘山寺(きんしょうせんじ)という小さな寺を建てたのが東大寺の始まりだ。
 741年、聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じ、その際金鐘寺は大和の国分寺として金光明寺と名前が改められた。
 東大寺になるのは745年のことで、その2年前に聖武天皇の命で大仏が造られることとなった。
 東大寺の名前は、都がある平城京から見て東の大きな寺という意味で、「ひむがしのおおてら」とも呼ばれていたようだ。
 大仏の開眼供養は752年、最終的に伽藍が完成するのは789年のことだ。
 開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)。天皇の勅願寺ということで、藤原氏の氏寺だった興福寺とは根本的に性格が異なっている。興福寺が私立だとすると、東大寺は国立というたとえでいいだろうか。

 短かった奈良時代が終わり、時代は平安へと移る。平安時代にも地震で大仏の頭が落ちたり、大風で南大門が倒れたりなんてことはあったものの、おおむね平和に時が過ぎた。
 東大寺最初の大きな受難は、平安末期の源平合戦のときだ。平重衡の軍勢が南都に攻め込んできたとき、放たれた火によって大仏殿をはじめ、大半の伽藍を失うこととなる。1180年のことだ。大仏殿は数日にわたって焼け続けたという。
 数年は争乱が続いて再建どころではなかった。
 この事態を嘆いた僧侶の俊乗房重源が立ち上がる。全国で資金集めをし、源頼朝や後白河法皇に掛け合って援助の約束を取り付け、1185年に再建が始まった。
 1195年には、源頼朝、北条政子夫妻や後鳥羽上皇も参列して大仏の開眼供養が行われた。
 更に時は流れて戦国時代。大和の国も戦乱に巻き込まれ、反乱を起こした松永久秀によって再び大仏殿は焼かれることとなる。二月堂や南大門などが残ったものの、大仏殿は焼失、大仏も大打撃を受け、戦国の世で再建は進まない。仮堂が建てられるも、1610年の暴風で倒壊し、その後100年間、大仏は野ざらしのままとなる。
 大仏の修理がようやく行われたのは江戸時代の1691年になってからだ。大仏殿が再建されたのは綱吉の時代の1709年のことだった。
 大仏殿が小振りになってしまったのは、資金不足と木材不足に加えて技術不足でもあった。江戸時代にはこれほど大きな木造建築を建てる技術が失われていたのだ。現在の技術をもってしても難しい木造の大伽藍や五重塔などを、奈良時代やそれ以前に建てていた昔の大工の技術力はすごい。コンピューターどころか計算機さえもない時代に、経験と勘で建てていたのだから。
 明治時代の廃仏毀釈の嵐をどうにか乗り越え、明治と昭和の二度の大修理を経て、平成10年には世界遺産に登録され、今に至っている。年間300万人が訪れるという。

東大寺-3

 正式名称「盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)」というこの大仏さんの正体は、釈迦如来(しゃかにょらい)だ。華厳宗の別名がそうなっている。
 高さ14.98メートル。金銅仏では世界最大のものだ。金銅仏というのは、銅で鋳造した仏像に金メッキをしたものをいう。そう、大仏さんはかつて、金ピカだった。
 少し前に東大寺大仏殿を再現したCG映像を見たけど、あれは衝撃的だった。大仏はもちろん、柱や飾りは黄金色に輝き、天井には極彩色の絵が描かれ、大仏の頭なんて鮮やかな群青色をしていたというのだ。そばにはべる仏像も、青、赤、緑などで彩色され、あの色彩感覚はにわかには信じられないほどだった。私たちがありがたがって見ている大仏殿などは、枯れ果てた出がらしのようなもので、天平の人々が目にしたら、なんだこんなものと言うだろう。現代に同じ着色をしたら安っぽく感じてありがたみがないと思うのだろうけど、もしタイムトリップができて当時の実物を見ることができたとしたら、それはもう度肝を抜かれるどころじゃなく腰を抜かしてしまうかもしれない。
 昔と今とでは、仏像だけでなく仏教の在り方が根本から違っている。かつては国家の権威の象徴であり、外国から渡ってきた時代の最先端でもあった。祈りの対象や心の平安を求めてお参りにいくようなそんな穏やかなものではなかった。なんといっても国家事業でもあるし、時代を考えると庶民感覚からかけ離れたものであったとしても不思議ではない。
 動員された人数はのべ260万人だったと記録はいう。数字だけみれば日本人の3分の1以上が関わったことになる。
 金箔のために大量の水銀が必要で、うちの田舎の丹生から掘り出されたものが多かったということから、奈良の大仏には私も親しみを持っている。代替わりして、今ではすっかり金もはがれてしまったけど。

東大寺-4

 大仏の左右には、如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像が鎮座している。
 どちらも江戸時代に造られた木造仏で、当時の代表的な仏師一門によって、それぞれ30年以上かけて彫られた。
 如意輪観音像が1738年、虚空蔵菩薩像が1752年に完成した。

東大寺-5

 大仏の後ろには四天王のうち、広目天と多聞天の二体が控える(残り二体の持国天と増長天は予算不足で造られずじまいとなった)。
 左側のこちらが広目天だ。みうらじゅんじゃないけど、仏像はカッコイイ。昔のアイドルだったという言い方もできるから、憧れの対象でもあった。実際、仏像というのは格好良かったり、セクシーだったりするのだ。せっかく日本にはたくさんのいい仏像があるのだから、宗教色抜きにしてもっと親しめばいいのにと思う。仏像のフィギュアとかプラモデルとかたくさん販売して、ガンダムくらいの人気シリーズに成長させたい。
 CGで復元されたド派手な広目天なんて、モビルスーツ並みにカッコイイのだ。ああいうのをもっと子供たちに見せてあげれば、日本人も仏教を文化として大切にしていけると思うのだけど。

東大寺-6

 こちらは多聞天。毘沙門天と言った方が通りがいいかもしれない。
 こっちは軍神ということで衣装がクールだ。NHK大河の「風林火山」でGacktが上杉信玄を演じたけど、あのイメージはなかなか悪くない。
 奈良の観光の一環として、仏像の衣装レンタルというのはどうだろう。いろんな仏像の衣装やメイクを施して写真を撮ろうという企画だ。修学旅行の思い出にパンチパーマのカツラをかぶって大仏になるなんてのもいい。

東大寺-7

 天平時代の東大寺を再現したミニチュア模型が飾られている。目をひくのは、なんといっても左右に配置された七重塔だ。五重塔はあっても七重塔は見たことがない。
 高さ100メートルの木造建築物を造ることができたのもすごいし、それを二つも持っていた東大寺もまたすごい。大阪の通天閣と同じ高さの七重塔が現存していたらさぞや見応えがあっただろう。
 模型ではぎゅっと凝縮して建っているようだけど、実際は広い敷地の中にゆったりとしたスペースで伽藍が並んでいた。南大門から中門を経て大仏殿までが南北一直線に列び、左右には七重塔、大仏殿の後ろには講堂があった。その他、多数の伽藍があって、最盛期にはどんな全体像だったのか、想像するのも難しい。

東大寺-8

 比較のために、それぞれの時代の大仏殿が再現されて並んでいる。
 手前が現在のもので、左がかつてのものだ。ちょっと撮る角度を間違えて大きさの比較になってないけど、建物のスタイルがだいぶ違っていることが分かる。昔のものは非常に大らかで落ち着きのある構えになっている。
 せっかくだからこの模型もちゃんと当時の着色をしたらどうだろう。その方が本来の豪華絢爛さがよく伝わる。

東大寺-9

 お調子者のスリムな若いやつが鼻の穴くぐりをして成功していた。かなり引っかかり気味だったけど、けっこういけるもんだ。私はちょっと無理そうだ。
 この穴の大きさは大仏の鼻の穴と同じ大きさだとされている。実際は違うと聞いたこともあるんだけど、どうなんだろう。
 目から鼻に抜けるという言葉にあやかって、ここを通り抜けると賢い人になれるとか、この柱が大仏殿の中で鬼門の東北に位置しているから厄払いになるなどと言われている。

東大寺-10

 大仏殿の中におみやげ物コーナーを作ってしまっている。修学旅行生や外国人観光客が多いから、奈良名物に限らず日本みやげみたいなものが多い。ゆっくり見ていけば面白いものも見つかりそうだ。このときはもう閉まる間際で、時間がなかった。

東大寺-11

 大仏殿は広いけど人も多く、空気が濃密なので、表に出ると開放感がある。歴史の空気は外気よりも重たさを感じる。
 みんな帰るところで、秋の日に照らされて長く伸びる影がきれいだった。
 向こうに見えているのが中門で、1716年に再建されたものの一つだ。これも重要文化財に指定されている。
 その手前にあるのは、金銅八角燈籠で、これは古い。何度も修理されているものの、創建の奈良時代のもので、国宝になっている。

東大寺-12

 行きは裏手から回り込んでしまったので、帰りは南大門をくぐって帰ることにする。
 これまた大変立派な三門だ。鎌倉時代に再建された日本最大の三門ということで、当然国宝指定になっている(1199年)。高さは25.46メートル。
 大仏様(だいぶつよう)、または天竺様(てんじくよう)建築で、柱を貫通させる水平の木材を多用しているのが特徴だ。五間三戸の二重門で、天井はない。
 門の中には高さ8.4メートルの木造金剛力士立像一対が安置されている。どういう理由からか、一般とは逆に、左に阿形(あぎょう)、右に吽形(うんぎょう)が配置されている。
 運慶が総指揮を執って、快慶や定覚、湛慶などが弟子たちとともに短期間で彫り上げた。

 やはり書き始めると長くなる。神社仏閣や歴史ものはどうしてもそうなりがちだ。東大寺編は一回で終わらないのは最初から分かっていた。まだ二月堂などの主だった建物も紹介してないし、そのあたりは後編で書きたいと思っている。
 平城宮跡の写真は撮れなかったのだけど、夜になって朱雀門をわざわざ見にいってきたので、それも没ネタにはできない。奈良時代の歴史の復習と絡めて書く予定をしている。
 ということで、終わったと思った奈良シリーズがここに復活。少なくともあと2回はある。神社仏閣好きの方もそうじゃない方も、もう少しおつき合いください。

3月の尾張旭はまだ冬が色濃い茶色風景、ところにより一部春

自然(Natural)
尾張旭3月-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II



 春を探しに尾張旭へ行く。けれど3月の尾張旭はまだ冬景色。春の緑ではなく、冬の茶色が風景を支配している。
 それでも、車をとめ、立ち止まり、かがんであたりを見渡すと、そこには確かに春の予兆がある。行く人は冬装束で、吹き来る風は冷たくとも、季節はいつでも人の感覚の先を行く。追い抜かれてから初めて季節の背中を見て追いかける。過ぎゆく時の速さに人はついていくことができない。生き物の中で、人間だけが季節に鈍感に生きている。
 カメラを持つと、少しだけ季節の移ろいに対して敏感になれる。いつも撮るものを探していウロウロ、キョロキョロしているから。それは、短歌や俳句を詠むのを日常的な行為としていた昔人に通じるものがあるかもしれない。ちょっとした変化や発見を大げさに喜ぶのがクセみたいになっている。
 季節や自然をよく観察し、感じることが大切だ。よくよく見ないと見えないものがこの世にはたくさんある。歌も写真も、無から有を生み出すことはできない。埋もれているもの掘り起こすことだ。
 季節感のある写真が撮りたいといつも思っている。

尾張旭3月-2

 田んぼのあぜ道では、ヒメオドリコソウがたくさん咲き始めていた。ヒメが踊り始めたらもう春本番だ。オオイヌノフグリやホトケノザはひとあし先に咲いていた。タネツケやハコベも。
 野草シーズンも本格的に始動した。もう待ったなしだ。木の上の梅や桜にばかり気を取られていると足下の花を見落とすことになる。地面にお金が落ちてることはめったにないけど、下を向いて歩いているといいことがある。
 ハルリンドウが咲いたという便りも届き始めた。春のスターでもあり、春シーズンの中で私が一番好きな花だ。はやる気持ちを抑えつつ、もう少し待って海上の森の湿地へ行こう。

尾張旭3月-3

 茶色い田んぼでは保護色になって目立たないけど、鳴き声を聞けばすぐに分かる。ケケッ、ケケッとよく通る甲高い声で鳴き交わしているのはケリだ。
 他の鳥より少し早めに繁殖するケリだから、そろそろペアになってる頃だろうか。田植え前の田んぼ脇に巣を作って、卵を温める。田植えが終わった頃には、稲の間をちょこまか動くヒナの姿が見られるだろう。
 これも春を感じさせてくれる風物詩の一つとして私の中で定着した。4月が楽しみだ。

尾張旭3月-4

 まだ巣作りは済んでないようだ。卵がある時期のケリは気が立っていて、近づく他の鳥や散歩の犬などに鳴いて威嚇する。まだそんな様子もなく、犬が近づくとおとなしく歩いて距離を取っていた。
 おかげで近くから撮ることはできたけど、ほとんど飛ばなくて飛び姿を撮ることができなかった。飛翔を狙うなら産卵後がいい。見張り役のオスがひっきりなしに巣の周りを飛んでるから。
 地面では灰色の鳩のように地味なケリも、飛んでいる姿は白黒ツートンで凛々しい。同じ鳥とは思えないほど美しい。

尾張旭3月-5

 ケリの流し撮りはピントが合わずに失敗。スズメで練習するもこれまた不完全。流し撮りをするときは手ぶれ補正機能を切った方がいいのかもしれない。
 E-510には流し撮り用の手ぶれ補正モードがあるから一度使ってみたいと思いつつ、いまだデジタル用のズイコーレンズを入手できないでいる。

尾張旭3月-6

 ずっと気になっていた城山レストラン。ツレと一緒に、おっかなびっくり接近遭遇してみた。
 やや、営業しているではないか。まさか、と思った。でも、お客は人っ子一人いない。このときは日曜の夕方だったのに。
 入ろうか入るまいか迷ってやめた。入る勇気が持てなかった。ちらりとのぞいたところ、店内では手持ちぶさたそうなおばさまがうろうろ歩いていた。他の客が一組でいたら入ったのに。
 でも、やってることは確認できたので、今後の課題としたい。桜祭りのときなどはそれなりに客もいるだろうから、そのときどさくさにまぎれて入ってもいい。

尾張旭3月-7

 スカイワードあさひにも登ってみた。ちょっと久しぶりか。景色は特に変化なし。都会とは違って、日々刻々と風景が変わっていくなんてことはない。けど、こうして写真を撮っておいて、10年後、20年後に見比べたら、きっと大きく様変わりしてることだろう。目の前の田んぼなんかもつぶされてマンションが建ち並んでいるかもしれない。
 ここからの眺めも、田植えが終わって稲が伸び始めた5月、6月が一番きれいだ。稲の緑と瀬戸電の赤のコントラストが鮮やかで、とても尾張旭らしい景色になる。

尾張旭3月-8

 ツレと出かけるときは90パーセント以上の確率で晴れる。けれど、どうしたわけか夕焼け運がない。晴れていても夕焼けになると曇ったり、たまたまタイミングを逃して夕焼けを見られなかったりする。この日もそうだった。昼間の青空から一転、夕陽は厚い雲の中に飲み込まれた。
 おまけに、このあと予定していた天体観測も天候不良で中止になってしまった。時間に合わせてわざわざ二度も行ったのに無駄骨になった。せっかくの機会だったのに残念だ。
 スカイワードあさひでは毎週日曜、日没後1時間後くらいから1時間、無料天体観測というのが行われている。申し込み不要で直接行けば望遠鏡をのぞかせてくれるそうだから、お近くの方はぜひ。私も一度は見にいきたいと思っている。今の時期なら土星やオリオン座大星雲などが見られるようだ。

尾張旭3月-9

 これは今日の夕焼け。ピンクに染まる空と、白い犬を散歩させるおじいさん。
 尾張旭の田んぼは犬を散歩する人のメッカで、とにかく多い。尾張旭市民の一家に一匹もれなく犬を飼ってるんじゃないかと思うほどだ。一軒家がほとんどということもあるのだろうけど、それにしても犬密度の高い地区だ。
 その一方で、野良猫がすごく少ない。犬猫勢力図では、犬が圧倒している。猫を飼っている家庭はどれくらいいるんだろう。

尾張旭3月-10

 夕陽はもくもく雲の向こう側に消えていった。
 ずいぶん日も長くなった。名古屋はそろそろ日没時間が6時に近づいている。私としては夕方の行動時間が延びるからありがたい。
 夕陽は望遠レンズで狙うと、街中にいながらにしてネイチャーフォトになる。これはちょっとオススメしたい。いい場所を見つければ面白い写真が撮れる。

尾張旭3月-11

 城山レストランだと勝手に思っていたのだけど、さっきネットで調べたら、旭城っていう名前がついていた。知らなかった。
 もともとはこの地を治めていた水野宗国が1460年に建てた新居城(あらいじょう)が建っていた場所で、周囲には空堀や土塁などの遺構が少しだけ残っている。
 昭和62年に雇用開発事業団というところがこの建物を建てて、その後尾張旭市が譲り受けたんだそうだ。どうりでレストランなのに午後5時で閉まってしまうはずだ。あんなに儲かってない店では普通に考えて経営は成り立たない。
 それと、4階が無料展望室になっているということもさっき初めて知った。登れるなんてまったく思ってなかったから登れるかどうかなんて考えたこともなかった。この前ツレがあそこに行けるのかなぁと言うのを聞いて初めて気づかされたとはうかつな話だ。さんざん見たり撮ったりしてきたのに。
 近いうちに登りに行こう。大した高さではないけど、内部がどうなってるか見てみたい。

尾張旭3月-12

 天体観測が中止になってしまったので、もう一度展望室に登って夜景を見ることにした。
 見所はやはり名古屋駅方面ということになる。そちらしか見るものがないとも言える。
 お役所仕事なのに夜の9時半まで無料開放してるのは偉い。タダで文句を言っちゃいけない。でも、そんなことをしてるから、タワーの年間維持費に1億円もかかってしまうということもある。電気代や人件費だって馬鹿にならない。

 そんなこんなの尾張旭の3月。春は近く遠くに見え隠れし、冷たい空気の中にも冬の気配が弱まっているのを感じた。
 来週からは気温も上がって一気に春めいてくるようだ。渡りのカモたちもそろそろ北へ旅立つ頃だろう。虫たちの登場を待ちながら、気持ちは春の花へと向かう。
 季節の贈りものは、いつも私たちの目の前に差し出されている。あとはそれに気づいて、手を伸ばすだけだ。

カレーうどんなんてどこにでもあるけど、それでも名古屋名物の一つ

名古屋(Nagoya)
カレーうどん-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 名古屋名物試食ツアーとして今回はカレーうどんを紹介しようと思う。去年はツレと共に名古屋名物を食べ歩いた。ひつまぶしの「しら河」、味噌カツの「手のべとんかつ うめだ」、味噌煮込みうどんときしめんは「ひらのや」で、あんかけスパの「パスタ・デ・ココ」、「コメダ」さんでは小倉トーストとシロノワール、名古屋人のソウルフード「スガキヤ」のラーメンとソフトも食べた。
 あと残っているのは、天むすと手羽先くらいになった。天むすはクリスマスのとき栄で食べ逃して、手羽先は酒を飲まない私たちはちょっと食べに行きづらいというのがある。世界の山ちゃんで酒も飲まずに手羽先だけ食べてもいいんだろうか。
 そろそろネタ切れかなと思っていたら、そうだ、まだカレーうどんがあるではないかと思い出した。エビフライはタモリが言ってただけで、実際は名古屋名物でもなんでもない。台湾ラーメンはカップ麺で食べた。
 それにしてもいつからカレーうどんは名古屋名物になっていたのだろう。ごく最近というのではないにしても、そんなに昔のことではない。遠い日の記憶としては、学校給食でカレーうどんが出てあれは美味しかったというのはある。でも、当時は誰もそれが名古屋名物だなどと認識していなかった。
 そもそもカレーうどん自体は全国のどこにでもあるありふれたうどんの一つに過ぎない。発祥も名古屋ではなく東京だ。明治37年に早稲田の「三朝庵」という店が初めて出したのが始まりというのが定説になっている。
 それじゃあ、何故カレーうどんが名古屋名物になっているかといえば、同じカレーうどんでも名古屋のものと他県のものとでは似て非なるものらしいのだ。カレーうどんを前面に押し出している専門店があるというのも特徴として挙げられる。
 具体的には、名古屋のカレーうどんスープは和風だしを効かせて、とろりとしたあん状になっている。適度にスパイシーでもある。麺は柔らかめではなく腰があるのを基本とする。そうすることによって汁の飛び散りを抑えつつ、いい感じに麺にカレースープが絡まるようになっている。味は名古屋特有の濃さだ。
 名古屋では暑い夏にも寒い冬にも好んで食べられている。酒を飲んだあとにカレーうどんで締めるという人もけっこういるようだ。
 どうして名古屋でカレーうどんが名物と言われるまでの地位を獲得できたのかはよく分かっていない。たまたま名古屋人の嗜好と合ったとしか言いようがないのだろう。

 下調べがすんだところで、さてどこで食べるべきかということになる。本来ならば、名古屋のカレーうどんスタンダードとでもいうべきチェーン店の「若鯱家」で食べるのが王道だろう。しかし、それを外すのが私たちのだいたいのパターンで、今回も「香流庵」を選択した。
 ここは雑誌やテレビなどで何度も取り上げられているところで、クチコミの評判もいい。しかも、うちの近所だった。全然知らなかった。
 でも行ってみて知らなかったのも仕方がない。通りから奥まった住宅街に店はあった。あんなところでは飛び込みの客はまず期待できない。それでも人気店になれるんだから、たいしたものだ。

カレーうどん-3

 場所は地図を調べてから行った方がよさそうだ。近所に住んでる私でさえ最初どこにあるのか分からなかったくらいだから。
 ローカルな説明をすると、「ローソン」や「ドラッグ スギヤマ」、「メガネのキクチ」がある交差点「香流小学校」を南に入って、しばらく坂道を登った左側だ。看板が出ているから通りを間違えなければ見つかるはずだ。駐車場も15台分あるから、まず大丈夫だろう。
 店内は広くもなく、狭くもなく、一般的なうどん屋といった風情だ。テーブル8つくらいで、座席数は30くらいだったか。
 知名度はそれなりにあるとはいっても場所が場所だけに行列を作るようなことはない。日曜の夕方で満席になるかならないかといったところだった。

カレーうどん-4

 ここのこだわりの一つとして手打ち麺がある。ガラス張りのブースで麺打ち職人が二人、せっせと麺を打っていた。「麺打ち職人募集」なんていう張り紙があったりして、意気込みを感じさせる。
 ここの主人が名古屋手打ち研究会の会長さんなんだそうだ。手打ち一筋50年の名人だという。店で出すうどん、きしめん、そばは全部自家製の手打ちらしい。
 そんなこだわりもあって、注文したメニューがすぐに出てくるということはない。注文を受けてから打ち始めるなんてことはないけど、10分くらいかかっただろうか。とりあえず店内に置いてあったフクロウの置物でも撮って気を紛らわせることにした。掛川花鳥園のことを教えてあげたい。
 メニューは一般的な名古屋のうどん屋さんのものが一通り揃っている。きしめんもあるし、味噌煮込みも人気のようだ。カレーうどんはノーマルのものと、びっくりカレーうどんという激辛のものがある。辛いもの好きの人は挑戦してみるといいかもしれない。

カレーうどん-2

 やってきました、カレーうどん。本格的なカレーうどんとしては、これが初対面となる。なるほど、見た目からしてつゆがとろりとした感じだ。これにも特別な製法があって、カタクリ粉は使ってないという。
 汁を飛ばさないように慎重にまずはひとくち。うん、なるほど、カレーうどんの味だなと思う。初めてだけだど初めてじゃないのは、カップヌードルカレー味などを食べているからだ。カップ麺のカレー味もかつて食べたことはある。だから、最初はわりと普通だなという印象を受ける。
 しかし、本場のカレーうどんが美味しくなるのは、中盤以降だ。最初はまろやかに感じたカレーも、食べ進めるうちに辛みが追いかけてきて、口の中で旨みが増していく。食べ始めて一度軌道に乗ったらやめられない感じになってくる。うん、これは美味しいや。
 麺もさすがのこだわりで、腰があってツヤがある。伊勢うどんのように固いのとは違う。ツルツル加減がちょうどよくて、つゆとの絡み具合もいい。これは人気が出るはずだ。
 きしめんバージョンもあるけど、どうなんだろう。きしめんはやや柔らかめで横広だから、けっこう違う印象になるんじゃないだろうか。

カレーうどん-5

 ごちそうさまでした。美味しくいただきました。
 小食の私にはけっこう多めで、カレーつゆまで飲み干すことができなかった。悔しいのでつゆに写り込んだ天井の明かりの写真でも撮ってみる。
 値段は800円。うどんと思えば高いけど、カレー+うどんと思えばこんなものか。去年までは740円だったはずだけど、値上げは最近だろうか。
 ご飯とサラダがついた定食にするとプラス100円でお得感が増す。胃袋に余裕がある人は定食にして、カレースープをご飯にかけて食べるというやり方もある。それくらいカレースープはただの汁ではなく、カレーとして独立できるくらいの存在感を持っている。スープカレーとしても充分成立しそうだ。

 ところで、カレーうどんには一つ重大な欠点がある。それは汁の飛びはね問題だ。
 うどんだからすすった方が美味しく食べられるのに、カレーうどんの場合はそうもいかない。家から直接店へ行って食べたら帰るというのならともかく、出先で食べるとなると飛びはねには神経質にならざをえない。結果としておっかなびっくり食べることになって、味わうことに集中できないということがある。これがもったいない。実際、私は二度ほど飛び跳ねてしまった。カレー色のセーターを着ていたからよかったものの。
 提案としては、カレーうどんのお客には使い捨てのエプロンを支給したらどうだろう。ちょっと格好悪いけど、服にはねるよりもいい。コストは一枚100円もかからないだろうし、なんならエプロン代を50円くらいのオプションにしてもいい。そうすればデートでも食べられるし、会社員やOLもランチで注文しやすくなる。エプロンさえつけていれば安心してすすれるから更に美味しく感じられるだろう。
 もしくは、自分ちから持っていけって話か。マイエプロンを持参してカレーうどんを食べてるカップルってどうなんだとは思うけど。
 前に「げりらっパ」という番組でさまぁ~ずが、白いタキシードを5万円でレンタルしてカレーうどんを食べに行くという企画があった。そのときの店は「うどん錦」だったけど、あれはけっこう面白かった。

 その他の有名店としては、「鯱乃家」がある。名古屋で初めてカレーうどんを出したのがこの店だと言われている。
 もともとはここが若鯱家を名乗っていたのだけど、商標登録をとっていなかったため、後発の東海通信社に名前を商標登録されてしまって使えなくなってしまった。なんてことをするんだ、若鯱家。その後、若鯱家はどんどん事業を拡大して、30以上のチェーン店を展開するまでになった。愛知、岐阜、三重だけでなく、今や関東や関西にまで進出している。
 本家の鯱乃家はどうかというと、今でも黒川でひっそりと小さな店をやっている。カウンター10席のみという店らしいので入るのはちょっと勇気がいりそうだ。でも、ここが一番美味しいという人も多いから、そのうち食べに行きたいと思う。

カレーうどん-6

 外に出て記念写真を一枚。麺打ち職人さんが麺打ちに励んでいる様子が表から見えるようになっている。大通りに面していたらけっこう恥ずかしそうだ。でも、この姿に憧れて麺打ち職人を目指す人もいるかもしれない。

カレーうどん-7

 カレーうどんは、記憶の中で美味しさとして定着する。食べ終わってから美味しさが始まると言ったら大げさだろうか。でも一度食べるとまた食べたくなるのは確かだ。
 食べ比べもしてみたいということで、スーパーにカレーうどんを買いに行った。カップ麺で鯱乃家が出しているやつがあるというのだけど、近所には置いてなかった。期間限定だったか、地域限定かもしれない。
 あまり選択肢がなく、今回は「寿がきや」と「マルちゃん」のものを買った。そして早速、寿がきやのものを作って食べてみた。お湯で麺を茹でて、粉末のカレースープを混ぜて少し煮込めば完成だ。麺は生麺タイプになっている。
 マルちゃんの方は名古屋のカレーうどんとは違うだろう。赤いきつねと緑のたぬきでお馴染みのメーカーで、製造元も東京になっている。こちらは乾麺だ。近いうちに食べて比較してみる。
 さて、寿がきやのカレーうどんだけど、なるほどそうだよねという味だった。当たり前のカレーうどんで、美味しいには美味しい。名古屋風にカレースープもとろみのあるあんタイプになっていて、スパイシーだ。ただ、基本のだしが違う。たぶん魚類系のだしだろう。香流庵のものとはずいぶん印象が違っていて、だしが味を大きく左右することが分かる。麺は一般的な食感で、腰は足りない。
 これを食べてみて、あらためて香流庵のカレーうどんが美味しかったと思った。インスタントでは初めから勝負にならないのは当たり前だけど、カレーの味、だしの取り方、麺の腰とツルツル感、それらが絶妙に絡み合ったとき、初めて美味しいカレーうどんになるということを知った。単純なようで奥深い料理だ。

 カレーうどんが名古屋名物だと認識してない人も多いと思う。私も自分で食べてみるまで半信半疑だった。でも食べてみたら、これは名古屋名物として推したい気持ちになった。味噌煮込みよりも一般受けするはずだ。名古屋に来たときは一度食べてみて欲しい。
 今後も名古屋名物を追いかけていきたいと思っている。そういえば、イタリアンもあった。イタリアンって知ってるだろうか。鉄板の上に溶き卵を敷いて、その上にナポリタンを乗せた料理だ。名古屋の喫茶店でスパゲティを頼むとそれが出てくるし、一般家庭でもイタリアン用の鉄板を持っている。これも知られざる名古屋めしの一つだろう。機会があればそれも紹介したい。
 そんなわけで、名古屋のカレーうどんをよろしくお願いします。

梅を撮りにいった平和公園で気づけば塔コレクションに夢中

施設/公園(Park)
3月の平和公園-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / smc Takumar 135mm f2.5 / SIGMA 400mm f5.6



 梅は咲いたか桜はまだかいな。3月になれば花が気になってそわそわし始めるのは江戸の昔も今も変わらない。今日、気象庁の桜開花予想が発表された。名古屋は平年並みの3月28日だそうだ。去年は一週間も早かった。今年は寒さがまだ抜けないからもう少し遅くなるかもしれない。
 桜の前にまずは梅だ。今年は大高緑地と天白の農業センターに絞ろうと思っている。情報によると、どちらもまだ満開には早いようだ。それじゃあまず近所の平和公園で偵察しようということでちょっと行ってきた。しかし、まったく咲いていない。1分咲きにもなっていないほどのちらほら咲きで驚いた。ここは市内でも平均的な場所のはずだけど、何か遅れる理由があるのだろうか。
 わずかに咲いていたところを選んで撮ってはみたものの、咲いてる花が少なすぎて本番前の練習にもならなかった。
 梅は被写体としては意外と平凡だから、光と背景を味方につけないといい写真になりづらい。もしくは人などを絡めないと面白みがない。難易度でいうと桜よりも難しい。今年こそという思いも、早々に打ち砕かれそうだ。心の中で何度もつぶやく言葉は、うーん、難しい。分からない。

3月の平和公園-2

 わっと咲いてる木が一本だけあって、それはほぼ満開だった。梅の木にも性格があるのか、先走るやつと乗り遅れるやつがいる。同じ場所で、同じ条件でも木によって咲く時期が違うのが面白い。もともと梅は桜ほど足並みが揃わないやつではある。
 結局、梅を撮りに行って早々に力尽きた。粘ってもいい写真は撮れそうになかったのであきらめて別のものを撮ることにした。まずは南の雑木林を歩いて鳥を探すことにする。その前に車で猫が洞を見てきたけど、あそこは相変わらず鳥がいない池だ。カモの一羽さえ姿が見えなかった。

3月の平和公園-3

 夕方前という時間帯も悪く、今日は風も強くて冷たかったので鳥は少なかった。アオジかシロハラらしきやつが落ち葉の中でゴソゴソしてたけどそれは撮れず、やっと撮れたのはシジュウカラだけだった。ヒヨドリは撮ってもしょうがない。
 鳥の収穫もなしということで、気持ちを夕焼けに切り替える。市民の森を出て、平和堂へ向かう。

3月の平和公園-4

 夕焼けカラスのシルエット。カラスも時と場合によっては絵になることもある。これはもうひとつ。
 夕陽の中に入ったカラスというのは一度撮ってみたい。月の中ならもっとドラマチックだ。

3月の平和公園-5

 平和堂から道路一本隔てた南には母子像が建っている。どういういわれのものかは知らない。有名な彫刻家の作品だろうか。
 普段は特に気にしたこともなかったのだけど、ちょうど夕陽が当たっていてちょっとよかったので撮ってみた。明日への希望といった感じになった。

3月の平和公園-6

 冬の晴れた日、高台にある平和堂に上がると、遠くまでよく見渡せる。今日は特に空気が乾いていて風も強かったから、これまで気づかなかったいろいろなものが見えた。
 名古屋駅のタワー群が見えることは知っていたけど、テレビ塔までこんなにくっきり見えるとは思ってなかった。望遠レンズの圧縮効果で遠近感がおかしくなっているとはいえ、テレビ塔の存在感もなかなかのものだ。
 タワーズ左のスパイラルタワーズは、ここからでは目立たない。右には青く光るルーセントタワーと、その右の高い塔はたぶんNTTの電波塔だと思う。
 背景の山はどこの山だろう。

3月の平和公園-7

 南に視線を移せば、お馴染みの東山スカイタワーが近くに建っている。
 平和公園から東山公園まではほとんど地続きのようなものだから、大きく見えて当然だ。直線距離で2キロちょっとだろうか。
 左に写ってるマンションは特に有名なものではない。でもいいロケーションに建っている。上の階は見晴らしがよさそうだ。

3月の平和公園-8

 こうなったらいろんな塔を全部撮ってやろうと思いついて、北側に回り込んだ。
 当然、瀬戸のデジタルタワーも見えるわけだ。こちら側は木の枝の障害物が多くて思ったところから撮れないのが難点ではあるけど、今の時期なら葉が少ない分まだ撮りやすい。
 あそこはなんで一般公開しなかったのだろう。あれだけの高さがあるんだから、展望台を作ればそれなりの観光資源になっただろうに。建設費や維持費と見学料を天秤に掛けて採算が合わないと判断したんだろうか。

3月の平和公園-9

 尾張旭のスカイワードあさひもしっかり見えた。あそこはこの前の日曜日に登ってきたばかりだ。向こうからこちらは確認できなくても、こちらからはよく見える。横にある天体望遠鏡も確認できる。
 実はこの写真の中にうちも写っているんだけど、それは関係者にしか分からない。
 遠くには雪を被った南アルプスも見えている。これも新鮮な風景だ。うちからは見えない。

3月の平和公園-10

 平和公園内にあるアクアタワー。あそこはまだ上がったことがない。そのうちそのうちと思いながら先送りになっている。休日しか開いてないのと、上がっても下にお墓しか見えないらしいのが積極的になれない理由だ。
 これで名古屋市内と近郊の主だったタワーはほぼ網羅した。あとは東山給水塔くらいだろう。それもここから見えたのかどうか。奥まったところにあって、こちらからは角度的に見えないような気もする。今度明るいときにもう一度探してみよう。

3月の平和公園-11

 塔ということで公園内にある虹の塔も外せない。
 これは登れるたぐいのものではなくて、ただ建っているだけだ。
 何故虹の塔というかといえば、下の写真に答がある。

3月の平和公園-12

 塔の中に入って見上げると、七色の光が見える。だから、虹の塔。七色のステンドグラスがはめ込んであって、光を通して塔の中に虹色が表れるようになっている。
 毎年、春分の日と秋分の日は、虹が降りそそぐように設計されているんだそうだ。見たことがないからどういうことなのかイメージできない。
 春分の日は3月の20日だ。その日は東山給水塔の開放日でもある。猪高配水塔も開放する。まとめて回ってみようか。給水塔では、名古屋の水道水を缶に詰めた名古屋の水が無料進呈されるというのもある。うちの蛇口から出る水が缶に入っただけだけど、価値はあるんだろうか。
 あ、いけない、今調べたら、今年は工事で東山給水塔の開放は中止だそうだ。間違えて行かないように気をつけないと。

 梅撮りの練習のつもりで行った平和公園で、気づけば塔コレクションをしていた。でも、その方がかえって面白かったし、発見もあった。
 この場所は塔撮りには最適の場所だ。望遠レンズと三脚持参で行けば、一ヶ所で全部撮れる。夜景スポットとしても悪くないかもしれない。
 ただし、周りは見渡す限り墓、墓、墓。夜行くのはちょっとどうかとも思う。安全に暖かく夜景を撮るには、東山のスカイタワーがいい。
 梅は、大高緑地と農業センターで試行錯誤しながら撮るしかない。自分の中に完成されたイメージがないから、どう撮っていいかよく分からない。毎年漠然とした写真になってしまう。今年はどうだろう。レンズ選びももう一度考えて、しっかりイメージトレーニングしてから臨もう。満開は、今週末から来週はじめにかけてのようだ。

足助の町の魅力は細部に宿る ---中馬のおひなさん第4回<完結>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
足助の町2-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II



 足助の町シリーズ最終回は、目についた部分を切り取った断片写真になる。
 特に意味とか主張とかテーマがあるわけではなく、ちょっといいなと思ったシーンを切り取っていったらこういう写真になった。でも、もしかするとこういうクローズアップの方がこの町の魅力は伝わりやすいかもしれない。神は細部に宿るという言葉もある。
 それでは、いってみよう。

足助の町2-2

 古い町並みを再現するための演出ではなく、現役としてこういう風景が至る所に残っているのが足助の町の素敵なところだ。あざとさがなく素朴だ。

足助の町2-3

 狭い町の中に丸ポストが3つも残っている。大きい郵便物が入らないから住人としては不便だろうけど、風情としてはとてもいい。町並によく溶け込んでいる。

足助の町2-4

 なにやら古びたマシンが店先に置かれている。ほうじ茶と書かれているから茶の葉をどうにかするものなのだろうけど、どんな用途に使うんだろう。茶もみ機とかそういうものか。

足助の町2-5

 押売りは分かるけど、物もらいやたかりといったたぐいの人が頻繁に押しかけてくることがあったんだろうか。だんなさん、何かめぐんでくだせえとかいう人が来たのかもしれない。
 押売り、物もらい、たかりって、金の奪い方の三段活用みたいだ。何かの映画で、父親である田中邦衛が娘である小林聡美に言ったセリフにこんなのがあった。「金を得るには、稼ぐ、もらう、取る。この三種類しかないんだ。どれでいくか早めに決めろぉ~」
 でも、セールスお断りなんて愛想のない文句よりもこちらの方がずっと味があっていい。現代のセールスマンもこれを見たらくすっと笑ってしまうんじゃないか。

足助の町2-6

 相当年季が入った招き猫。
 ここまでくると、もともと白地だったのか黒地だったのかの判断さえ難しい。
 仏像もこんなふうに色落ちしてしまうとかえってありがたくなるから、招き猫も同じことが言えるかもしれない。

足助の町2-7

 しだれ梅はまだつぼみ。ちらほら気の早いやつがほころびかけながら、暖かい春を待つ。
 赤い実はなんだろう。ピラカンサとかその手のものだろうか。
 左に見えている竹の中に小さなひな人形が入っている。

足助の町2-8

 ソシンロウバイはそろそろ旬を過ぎて終わりが近づいた。春一番で咲く花は、本格的な春の訪れとともにその座を次の花に譲る。

足助の町2-9

 今年は少し梅の開花が遅い。去年が早すぎたからこれが普通か。この冬は後半になって寒い日が続いたから、梅もまだ準備が整っていないのだろう。寒さの中でまだ夢うつつ。

足助の町2-10

 ヒモに吊したこういうマリみたいなものはなんて名前なんだろう。昔、よくあった。発泡スチロールのボールに糸をぐるぐる巻いて自分でも作ったことがあるような気がする。これは様々な布を貼り合わせて作ってあった。着物などの端切れか。
 考えてみると、最近は手作りのものが生活の中に少なくなった。昔は、雑巾とか弁当袋とか、お手玉だとか、自分で作れるものは作ったものだ。今はなんでも買ってしまう。だから人の心の温もりが足りなくなったというのもありそうだ。

足助の町2-11

 最後は笑える自動販売機を紹介して終わりとする。
 こんな不真面目な自動販売機を初めて見た。なんでみんなガタガタに傾いてるんだ。どれでも100円はいいとして、操作方法が分からない。左右の三角ボタンで欲しいものを選んで、真ん中の丸いボタンで決定だろうか。

 観光地として整備されてない足助の町は、素朴な魅力を持っている。古さが作り物めいていないのがいい。今回の4回シリーズでそんなところが少しは伝えられているといいのだけど。
 写真には紹介しきれなかった良いところがたくさんあるから、ぜひ一度訪れてみてください。紅葉を見にいったときはついでに足助の町を散策することをおすすめします。
 ゆっくり写真を撮るならオフシーズンで人が少ないときがいいかな。
 私も今度行くときは、シシコロッケを食べて、名古屋牛乳でビンのコーヒー牛乳を飲んで、おみやげにはもみじの衣揚げと、自販機でuccコーヒーを買って帰ることにしよう。

家庭の数だけひな人形はあることを知る ---中馬のおひなさん第3回

風物詩/行事(Event)
中馬のおひなさん2-1

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II



 今日は中馬のおひなさん写真の続きをお届けします。
 130軒以上の展示があるから全部は写真も撮れないし、ここに載せることもできないけど、撮ってきた分は紹介したい。昨日も書いたように撮ってると途中から感覚が麻痺してきて、後半からはぐっとひな人形写真が少なくなる。どれを撮っても同じものに思えて。前半飛ばしすぎると失速するというのも初めてだから分かっていなかった。二回目があれば、次はもう少しバラエティーに富んだ写真が撮れるんじゃないかと思う。
 上の写真は旅館の玄関口に飾られていたものだ。玉田屋さんだったか。
 上段の5列は基本の人形が並ぶ。親王はそれぞれ天皇皇后を表す男雛、女雛、三人官女がいて、五人囃子がいる。ここまではよく知られているメンバーだ。そこから下の段になると私も怪しくなる。近衛兵としての右大臣・左大臣の随身(ずいじん)、従者の仕丁(しちょう)は三人一組が一般的だ。
 ここまでが五段飾りで、七段飾りになると三歌人の柿本人麻呂、小野小町、菅原道真、能の鶴亀、
稚児二人が加わったりする。七段でも五段分の人形とその他の飾り物というパターンも多い。
 衣装はみんな平安時代のものだ。鎌倉や室町の衣装をよく知らず平安時代を多少なりとも知っているのは、ひな人形を見ているからというのもありそうだ。

中馬のおひなさん2-2

 六畳間くらいに大きなひな人形を置くとこの存在感。ひな人形を置くと寝る場所もなくなってしまうような家に七段飾りのひな人形は置けない。
 いろんな日本人形などが便乗するように並べられているけど、これも悪いことじゃない。日頃は忘れ去られたように部屋の隅に置かれた人形も、年に一度くらいは注目を浴びたいと願ってるかもしれないから。
 フラッシュ撮影禁止と書かれているところが多いのは、フラッシュの光によって色あせるのが早まってしまうからというのが理由のようだ。部屋の中の人形を撮ることを考えると、明るいレンズか手ぶれ補正を持っていきたい。

中馬のおひなさん2-3

 ここでも大きな女の子の日本人形がかたわらに控えていた。これはひな祭りと関係があるものなんだろうか。この大きさは抜群の存在感を見せる。
 からくり人形になっていて動き出すんじゃないかとさえ思える。家の人が奥からリモコンで操作していて、見学者が来たところで急に動かしたらびっくりするだろう。お茶を運んだりするからくり人形は江戸時代から作られていたから、ここでもそういうものがあっても不思議ではない。
 そういえば前に、学研の「大人の科学」でからくり人形が組み立て付録になったものがあった。

中馬のおひなさん2-4

 広い玄関先に飾られたひな人形。見学者のためにここに置いてくれてるんだろうけど、置き場所としては意表を突く。
 ひな人形はどこに置かなくてはいけないとか、どこに置いてはいけないとかの決まり事はあるのだろうか。正式な向きなんかもありそうだ。

中馬のおひなさん2-5

 もともと銀行だった建物の金庫室に置かれたひな人形。
 上段の男雛、女雛がいる部分が豪華絢爛だ。いつの時代のものだろう。ちょっと古そうなものだった。

中馬のおひなさん2-6

 昭和の色濃い雑貨屋さんの一角にも飾られていた。こういう昔ながらの店が今でも営業してるのがすごいと思う。
 男女一対の人形だけでは寂しいと思ったのだろう。七福神などの土雛も一緒に参加している。さりげなく混ざっている福助も見逃せない。

中馬のおひなさん2-7

 かつてこの町にもたくさんの土雛があったそうだ。田んぼでかかしの代わりに使って朽ちてしまったり、ネズミにかじられたり、骨董屋に売り払ったりしてしまって、今ではあまり多く残ってないという。
 昔のおもちゃや人形などでもそうだけど、将来価値が上がるなんて思いもしなかったから仕方ない。現在まで残ったのは貴重な土雛になった。

中馬のおひなさん2-8

 変わったまるっこいひな人形もあった。自分で作ったものでもないだろうから、やはり買ったものなんだろう。個人作家のオリジナル作品だろうか、既製品なのか。
 家の中に飾ってあって網戸越しだったから写真はよくない。このように撮るには条件がよくないところもちょくちょくある。

中馬のおひなさん2-9

 ガラス越しになると撮るのがいっそう難しくなる。映り込みは避けられない。それを逆に利用して自分を映してしまうというのもやり方によっては面白いだろうけど。
 ここで気になったのは、いなり寿司と巻き寿司だ。ひな祭りでも食べたり供えたりするものなんだろうか。
 ひな祭りのときに食べるものとしては、ひなあられや菱餅などが定番だろう。その他のものとしては、甘酒、ちらし寿司、貝の吸い物なども一般的かもしれない。
 そのあたりも地方や各家庭によっていろいろありそうだ。

中馬のおひなさん2-10

 これは飾りものではなく売り物だ。ひな人形一式で売ってるところはないようだけど、こういうふうに単品で売っているものはあれこれあった。
 おみやげ物としては、もち花があちこちで売られていて買っている人も多かった。これも足助の風物詩の一つで、小枝にピンクや白、緑、黄色など、色とりどりの小さな餅をつけて花のように飾るものだ。地方によっては旧正月に豊作を祈って作られるところもある。

 ひな人形写真はそろそろこれで打ち止めとなる。こういう行事ものというのは一日でも過ぎてしまうと急激に白々しいような感じになってしまうから、私も長々と続けるのはよそう。12月26日のクリスマスケーキや、2月15日のバレンタインチョコのように、ひな人形も3月4日になればすでに過去のものとなってしまう。
 足助シリーズはあと一回、番外編写真で完結となる。写真としては次の最終回が一番面白いと思う。
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