月別:2007年12月

記事一覧
  • 2007年最後は志摩マリンランドのペンギン写真を並べて帰郷

    FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 今年最後は、志摩マリンランドのペンギン写真で締めくくり。 大晦日の昼を回ってのんびりしてる場合じゃないので駆け足で写真だけ並べておきます。もう田舎に向けて出発しないと。どうやら雪の心配はなさそうだ。 入り口から入ってすぐの光景。 人影のあまりのまばらさに一瞬戸惑う。 雰囲気としては、南知多ビーチランドに似ている。 ペンギンの数はけっこういた。4種...

    2007/12/31

    水族館(Aquarium)

  • 何もない賢島で思う何もないことの贅沢

    FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 / DMC-TZ1 宇治山田駅から賢島行きの普通列車に最後まで乗っていたのは、私と写真の女性の二人だけだった。平日の昼過ぎはいつもこんなものなんだろうか。ここまで貸し切りに近い状態になるのはバスでもめったにないことなのに、電車となると更に珍しい。ありがたいような申し訳ないようなだ。近鉄、大丈夫だろうかと少し心配になる。賢島に住む人たちは、この路線がなくな...

    2007/12/31

    観光地(Tourist spot)

  • 賢島のカラー・アンド・ネイチャー ~島の色を求めて

    FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 賢島の写真第二弾は、カラー・アンド・ネイチャー編をお届けします。 この日は運良く冬晴れの一日で島のいろいろな色を撮ることができたのだった。光が色を作り、色が写真を決める。海と空が青いのも光のおかけだ。島には強い日差しがよく似合う。 海の色はさすがにきれいだった。入り江で動きの少ない海なのに、見慣れた名古屋港や内海の海とは全然違う。これほど透明感...

    2007/12/29

    観光地(Tourist spot)

  • 30年後孫に自慢するために今乗っておきたい栄の観覧車スカイボート

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 名古屋人なら栄にあるビルに張り付いた観覧車のことを知っていると思う。ただ、乗ったことがあるという名古屋人は少ないんじゃないだろうか。あんなもの、普通は乗れない。だって街のど真ん中のビルに張り付いてるんだもの。私もそう思っていた、あれはなかなか乗れないなと。 クリスマスイブの夜、乗ろうという話になったのは、それがクリスマスイブだったからだ。この日ばかりは少々感覚も...

    2007/12/29

    名古屋(Nagoya)

  • タワーズライツのクリスマス当日、クリスマス以降

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 クリスマスイブと、昨日の夜の2回、名古屋駅のイルミネーション「タワーズライツ」を見てきた。ついでに通ったと言った方が正しいかもしれない。写真も撮ってきたから、せっかくなので載せておくことにしよう。年に3度も見るなんてことはめったにないことだし。 前回載せたのはクリスマス前のプログラムで、クリスマスに第二弾、その後は来年のまでの第三弾ということになっている。基本的な...

    2007/12/28

    イルミネーション(Illumination)

  • 年末に近鉄急行3時間ぶらり一人旅賢島行き

    FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 / Nikkor 35mm f2D / DMC-TZ1 この風景を撮りたくて、年末のせわしない中、近鉄の終着駅のひとつである賢島(かしこじま)までぶらっと行ってきた。この時期にそんなことをしてる場合かという気がしないでもないけど、この一枚が撮れたことで行ったかいがあったとしたい。 賢島大橋から見る夕焼け風景は、日本の夕陽100選にも選ばれている。見所がさほど多いとはいえない賢...

    2007/12/28

    観光地(Tourist spot)

  • イタリア村のイルミネーションは水の効果でニバーイ、ニバーイ(高見山)

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 スターライト花火が終わったあと、すぐに帰ろうとすると地下鉄が混むだろうと考えて(時間を置いてもかなりの混雑だったのだけど)、イタリア村もサラッと見ていくことにした。こちらもイルミネーションをしていることは去年訪れていたので知っていた。夏も一度行ってるし、これが三度目になる。もっと行ってるような気がするくらいお馴染みの場所となった。 イタリア村も去年と比べて派手さ...

    2007/12/26

    名古屋(Nagoya)

  • スターライト☆レビューはイルミ+HANABI+αでダストは関係ない

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 クリスマスシーズンの名古屋港ガーデン埠頭はイルミネーションで飾られていて、名古屋を代表するイルミネーションスポットの一つとなっている。スター☆ライトレビューと名づけられたこのイベントも今年で17回目となり、名古屋港の冬の風物詩としてすっかり定着した。 でも、そんな名前のグループが昔いなかったっけ? おいおい、それはスターダストレビューだろう。ネタが古くて誰もツッコミ...

    2007/12/26

    イルミネーション(Illumination)

  • 2008年は三脚を持っていくよ、名古屋港スター☆ライトHANABI

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 今日は名古屋港のスター☆ライトHANABI写真の続きを。でもなんだろう、このネーミング。そこはかとなく名古屋的。名古屋人が名古屋人以外の人に笑われてしまうんじゃないかとおびえてしまうようなネーミングはやめて欲しい。どう名づけたって名古屋なんだから、無理せず素直な名前にしようよと思う。下手にひねらず、名古屋港冬花火大会でいいじゃないか。 まあそれはともかくとして、第二弾の...

    2007/12/26

    花火(Fireworks)

  • 熱いカップルの背中越しに凍えながら花火を撮る2007年クリスマスイブ

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 クリスマスイブはネットをお休みするなどといいながら、深夜にのこのこと出てきてしまった。今日の旬は今日のうちにと思って。 今年もまた去年に続いてクリスマスイブの名古屋港花火「スター☆ライトHANABI」をツレと見に行ってきた。 やっぱり今年も猛烈に寒かった。冬の夜の海辺は近づくもんじゃない。 それでも花火はきれいで感動的で、冬空の澄んだ空気を切り裂いてパッと散る花火は、夏...

    2007/12/25

    花火(Fireworks)

  • クリスマスイブ前日は明治村のクリスマスっぽい写真で簡単更新

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 明日はクリスマスイブ。だから今日は早寝しないといけない。のんびりブログを書いている場合ではないので、ささっと簡単に終わらせてもう寝てしまうのだ。サンタのおじさんは来てくれるかな。起きたら靴下の中にNikon D300が入ってるといいな。 短時間で書けて、クリスマスに関係したネタは何かないだろうかと考えて、そういえば明治村でけっこう教会を撮ったなと思い出した。そうだ、それで...

    2007/12/23

    施設/公園(Park)

  • 鎌倉番外編 ---記念写真は未来の自分たちに贈るプレゼント

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 鎌倉編は昨日の長谷寺で終わりといっておきながら、今日も鎌倉の写真は続く。閉店セールを延々とやってしまう紳士服店のようだ。でも、今回でホントに鎌倉編は完結となる。撮った写真をもう一度確認したら、お蔵入りにしてしまうのは残念に思えた写真が何枚かあったので、本編とは別に番外編のこぼれ写真として出すことにした。歯磨き粉とかマヨネーズとかも、使い切らずにちょこっと残ってい...

    2007/12/22

    鎌倉(Kamakura)

  • 今年三度目の鎌倉行きは長谷寺のライトアップで幕を閉じる

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 今年3度目の鎌倉行きは、長谷寺のライトアップで締めくくりとなった。 夕方5時前、長谷寺の前にたどり着くと、なにやら人だかりができている。団体さんでも来たのかと思ったら、門の前で大勢が列を作って並んでいる。一体どういうことだといぶかしむ。 その後状況を見て分かったのだけど、長谷寺の通常拝観は夕方の5時までで、いったん参拝客を追い出してから、ライトアップ組を入れるという...

    2007/12/21

    鎌倉(Kamakura)

  • マダム率の高い鎌倉文学館で文学青年だったときの感覚が蘇る

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 金沢街道方面から江ノ電に乗って、鎌倉文学館へとやって来た。エリアとしては長谷になるのだろうか。歩くなら由比ヶ浜の駅の方が近い。10分くらいだ。 アジサイのときに時間があったら行こうと話をしていて結局行けずじまいだったから、今回はちょっと強引にねじ込んでみた。このあと長谷寺のライトアップがあったから方角的に都合がいいというのもあった。 ここは鎌倉観光コースからやや外...

    2007/12/21

    鎌倉(Kamakura)

  • カメラと人の縁 ---第一印象がすべてじゃないよE-510

    OLYMPUS E-510+Super Takumar 300mm f4 OLYMPUSのE-510は、どうにもしっくりこない。それがこのデジに対する私の最初の感想だった。 何かにつけて使いづらい点が多く、こちらの言うことを聞いてくれない。手応えがないと言った方がいいかもしれない。感覚的に操作できず、なんとなくぎくしゃくしてしまう。操作が複雑だとか、ボタンの配置がおかしいとかそういうことではないのだけど。 それは、私がTakumarのマニュアルレンズ...

    2007/12/20

    野鳥(Wild bird)

  • 報国寺は歴史も本堂も素通りしてみな竹林へ向かう

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 金沢街道寺社巡りの最後は報国寺(ほうこくじ)だった。まだこの先も明王院、光触寺、十二所神社と続くのだけど、それぞれ距離が離れていて遠いので、今回はここまでとした。そのあと長谷へ行く予定もあって。こちら方面だけを一日コースにすれば光触寺まででちょうどいい感じで回れそうな距離感だ。紅葉の季節でいえば、北側の獅子舞というところもいいらしい。そっちまで足を伸ばせなかった...

    2007/12/18

    鎌倉(Kamakura)

  • かつての面影が残っていない鎌倉五山の浄妙寺に栄枯盛衰を思う

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 杉本寺をあとにして、更に金沢街道を行く。5分も歩くとバス停の浄明寺があって、そこを左に行けば浄妙寺、右へ行けば報国寺となる。どちらから行ってもよかったのだけど、気分で浄妙寺を先にした。 ここら一帯は浄明寺という地名になっていて、お寺の浄妙寺とは地が違っている。同じ字を使うのは畏れ多いということで変えたんだそうだ。かつての浄妙寺は鎌倉五山の第五位という大寺院だったか...

    2007/12/18

    鎌倉(Kamakura)

  • 鎌倉最古の杉本寺はガイドブックで作ったイメージとは違っていた

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 鎌倉最古のお寺という杉本寺には前から興味があった。神社仏閣は古ければ古いほどありがたいもので、一番古いなんて聞くと、それだけで俄然行ってみたくなる。ガイドブックを見ると、古いお堂に苔むした石段などの写真が載っていて、いかにもという感じだ。だから、金沢街道方面へ行くと決まったとき、ここが一番楽しみなところだった。 しかし、想像と現実は往々にして違うもので、杉本寺も...

    2007/12/17

    鎌倉(Kamakura)

  • 2007年最後のサンデー料理は今の私の等身大料理

    OLYMPUS E-510+smc Takumar 50mm f1.4 2007年のサンデー料理は今日が最後となる。来週はクリスマスイブ前で、その次は大晦日前だから、のんきに料理なんか作っていられない。そんなことを言うと主婦の人に叱られそうだけど、私の場合は、ほら、趣味だから。それに、相変わらず手際が悪くてとっかかりから完成までに2時間以上を要してしまう私なのだ。慌ただしい日の前日にサンデー料理をしてる暇はない。 最後ということで特別な...

    2007/12/17

    料理(Cooking)

  • 鎌倉はずれの瑞泉寺へ遅い紅葉を見に行ったらまだ早かった

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 鎌倉宮を出て左に曲がって更に奥を目指す。20分ほど歩いたところで瑞泉寺(ずいせんじ)の入り口が見つかった。やっと着いたかと思うとそうじゃない。本堂はここから更にずっと進んだ先にある。 ここまで来るとけっこう山の方に来たという感じがする。三方を山に囲まれた鎌倉の街で、ここが北東のはずれになる。 このあたり一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれており、昔から紅葉名所だ...

    2007/12/16

    鎌倉(Kamakura)

  • 小幡緑地東園で見つけた初冬風景と鳥少々

    PENTAX K100D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 日没が一番早かったときから1分遅くなったとはいえ、まだまだ日没は早く、夕方写真を撮れる時間は限られる。今日も短い時間の中でどこへ行こうか考えて、久しぶりに小幡緑地東園へ行くことにした。 小幡緑地といえばつい最近登場したところなのだけど、そことはまた別のところで、東園は尾張旭市にある。本園と西園と3つあって、かつては全部をつなげるという壮大な計画があったようなの...

    2007/12/15

    施設/公園(Park)

  • 歴史の跡地に立つ神社と夢のあとの野原 ~金沢街道を行く

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm Di 鶴岡八幡宮を出たあと、住宅街をテクテク歩いて最初にたどり着いたのが鎌倉宮(かまくらぐう)だった。こちらは金沢街道から外れた北側のルートにある神社で、お宮通りと呼ばれている道の先にある。金沢街道は「岐れ路」を下(南)へ進んだ方の道だ。 一つ失敗したのは、鎌倉宮の手前左側にあった荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)に寄らなかったことだ。大した神社じゃ...

    2007/12/15

    鎌倉(Kamakura)

  • 今年三度目の鎌倉行きはお馴染みとなった鶴岡八幡宮から始まった

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 長らく憧れの気持ちを持ちながら、どういうわけか恐れを抱いていた鎌倉という土地に今年一年で三度も行くことになろうとは、去年までの私には思いもよらなかった。 行ってみればなんてことはない、とても相性のいい場所ですぐに馴染めて溶け込めた。鎌倉はやっぱりいいところじゃないかと思う。 ただ、どちらかというと、北条色の強い北鎌倉よりも、源氏ゆかりの鎌倉の方に親しみを感じるあ...

    2007/12/13

    鎌倉(Kamakura)

  • 21世紀でも東京タワーは定番のご馳走のように特別であり続ける

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 特別展望台にあがってすぐ、お台場方面から花火が打ち上がって、展望台の中が歓声に包まれた。意表を突かれた形で突然始まったから、みんな驚いたようだ。思いがけずいいものを見られて私たちも喜んだ。けっこう本格的な打ち上げ花火で、10分か15分くらい続いただろう。お台場では週末にいつもやっているのだろうか。 東京タワーくらい高いところなら都内で開催されるあちこちの花火大会が見...

    2007/12/13

    東京(Tokyo)

  • 東京タワーの展望台から見えるのは東京タワーのない東京の街

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 1年間、おのぼりさんとして東京の街を巡りながら、一番行くべき所へ行っていなかったことに気づいた。そう、東京タワーにまだ行っていなかった。おのぼりさんなら真っ先に行かなければならない東京のシンボル。昔も今も日本一高い山が富士山であるように、日本一高い建物はずっと東京タワーであり続けている。こんなときじゃないと行けないだろうということで、ツレと一緒に行ってみることにし...

    2007/12/12

    東京(Tokyo)

  • 溢れかえる人混みと小さな奇跡の2年目神宮外苑いちょう並木

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 うわっ、なんだこりゃ。それが私たちの第一声だった。 思い起こせば去年のこの日、12月8日の朝7時、神宮外苑のいちょう並木から我々の東京巡りが始まった。ちょうど一年後の同じ日、同じ場所に舞い戻った私たちを待ち受けていたのは、お祭り会場と化した神宮外苑だった。いやはや、びっくり。人はいるだろうとは思ったけど、まさかこれほどとは想像してなかった。今になってみれば、あの日の...

    2007/12/11

    東京(Tokyo)

  • 【宿題】宗教公園五色園の写真を見て思うところを述べよ

    Canon EOS 20D+EF75-300mm F4-5.6 IS ほとんど誰も知らないと思うけど、知る人ぞ知るキワモノスポット「五色園(ごしきえん)」が愛知県の日進市にある。 ツレを伴って出向いたのは伊良湖へ行ったときだから、もう2ヶ月近く前のことになる。あれからこれをどう紹介したらいいものか取り扱いに困っていたところ、月日が流れてしまった。 なので、もう説明抜きに写真だけ並べてしまうことにした。これから東京へ行く朝だから時間...

    2007/12/08

    施設/公園(Park)

  • 日没前に無風の小幡緑地で出会ったノラと鏡

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は昨日の続きで小幡緑地の写真を。 明日は東京行きで早寝早起きなので、あっさり写真だけ並べて、もう寝てしまう。明日の出発前に時間があれば更新するつもりだけど、日曜は休みです。 振り返ってみると、2005年の9月にこのブログを始めて、去年の12月までは皆勤賞だったのが、12月8日の東京行きで初めて更新が途切れた。明日でちょうど一年、なかなか感慨...

    2007/12/07

    施設/公園(Park)

  • 300mm望遠レンズの限界を思い知り、ついに鳥の人となる決意を固める

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 大森の雨池へミコアイサを探しに行くも、影も形もなし。2006年の1月に見たオスのミコアイサは幻だったのか? いやいや、写真も残ってるし、ブログにも書いてるから、いたことは間違いない。あれ以来一度も姿を見かけないけど、もうここには来なくなったのだろうか。最近少しまとまって森林公園にいたという情報があったから、みんなあっちへ行ってしまったのかも...

    2007/12/07

    野鳥(Wild bird)

  • 岩屋堂は100年後も昭和のままでいて欲しい

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di 今日は岩屋堂の紅葉名残風景の続きを。 ここは浄源寺三蔵門前の左手、イチョウの落ち葉が一番きれいなところだ。落ちた葉っぱの量を見て、あらためて木の葉の多さを思う。葉っぱってのはこんなにも必要なものなのだろうか。 木がどうして冬になると葉を落とすのか、その理由はいまだに解明されていない。冬の間はあまり光合成ができないから余分な栄養素や水分...

    2007/12/07

    観光地(Tourist spot)

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2007年最後は志摩マリンランドのペンギン写真を並べて帰郷

水族館(Aquarium)
マリンランドのペンギン-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6



 今年最後は、志摩マリンランドのペンギン写真で締めくくり。
 大晦日の昼を回ってのんびりしてる場合じゃないので駆け足で写真だけ並べておきます。もう田舎に向けて出発しないと。どうやら雪の心配はなさそうだ。

マリンランドのペンギン-2

 入り口から入ってすぐの光景。
 人影のあまりのまばらさに一瞬戸惑う。
 雰囲気としては、南知多ビーチランドに似ている。

マリンランドのペンギン-3

 ペンギンの数はけっこういた。4種類くらいいると案内板には書いてあったのだけど、フンボルトペンギンくらいしかいないような気がしたのは気のせいだったか。

マリンランドのペンギン-4

 ペンギンもいろいろ性格があるようで、仲間と固まってるのが好きなやつや、こうしてひとりたたずむやつもいる。
 水のキラキラがきれいだった。夏場なら涼しげに感じただろう。ペンギンにとってはこの寒さがちょうど心地いいのかな。

マリンランドのペンギン-5

 泳ぐペンギン。水の中を飛ぶようだ。
 地上ではトコトコ、ヨロヨロと足取りもおぼつかないペンギンも、水の中に入れば人が変わる。普段おとなしいのに車を運転すると突然乱暴なスピード狂になってしまう人のようだ。
 一眼でも追い切れないほど速い。

マリンランドのペンギン-6

 ちょうどエサやりタイムが始まって、飼育員のお姉さんに群がり集まるペンギンたち。
 ここでも要領の悪いやつはいて、なかなかありつけないでいた。食いしん坊は人のやつまで奪い取って食べてしまう。

マリンランドのペンギン-7

 水中で食べるのが好きなやつは、プールの中に魚を投げてもらって、それをキャッチして食べていた。
 けっこう大きな魚を丸呑みだ。こういう姿を見ると、やっぱり鳥っぽい。

マリンランドのペンギン-8

 後ろ姿の後頭部がなんとなく猫を思わせてキュートだった。

マリンランドのペンギン-9

 閉館間際のペンギンプールは、見る人もなく、けだるい雰囲気に包まれていた。
 ペンギンはそれぞれの家に入ってくつろいでいた。そこに家の絵が描かれていることをペンギンたちはたぶん、知らない。

 今年も一年遊びにきていただきどうもありがとうございました。
 来年も変わらず書き続けると思うので、よろしくお願いします。
 ちょっと松阪までいってきます。
 けど、明日も元日早々更新はするのです。

何もない賢島で思う何もないことの贅沢

観光地(Tourist spot)
賢島断片-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 / DMC-TZ1



 宇治山田駅から賢島行きの普通列車に最後まで乗っていたのは、私と写真の女性の二人だけだった。平日の昼過ぎはいつもこんなものなんだろうか。ここまで貸し切りに近い状態になるのはバスでもめったにないことなのに、電車となると更に珍しい。ありがたいような申し訳ないようなだ。近鉄、大丈夫だろうかと少し心配になる。賢島に住む人たちは、この路線がなくなってしまうと困るだろう。


賢島断片-2


 賢島へ向かう途中、何度か黄色い特急に追い越された。写真の真ん中に写ってるやつだ。近鉄は特急がすべてにおいて優先されるようになっていて、シモジモの急行や普通列車はホームで特急様が行くのを待っていなくてはならない。下手すると10分くらい待たされることもある。
 こんな黄色電車は初めて見た。いつから走ってるんだろう。近鉄特急といえば昔からオレンジと紺のツートンカラーと相場が決まっていたはずだ。あれもまだ走っているけど、この路線は黄色いのがメインのようだった。
 調べてみたところ、1994年にオープンした志摩スペイン村への輸送のために導入されたものだそうだ。黄色は太陽をイメージしたカラーなんだとか。
 一度くらい記念に乗ってみたい気もする。シートも急行とは比べものにならないくらい良いのだろう。


賢島断片-3


 賢島駅の裏手はこんな感じになっている。駅舎はわりと新しかったから最近建て替えたのかもしれない。
 隣は食堂兼おみやげもの屋で、入るのには勇気が必要だ。中をちらっとのぞいたら店主らしき人が暇を持て余してるようだった。ここに一人で突っ込んでいってマンツーマンで真珠うどんを食べるほど私は社交的な人間ではない。おなかも空いていたし、真珠うどんがどんなものか食べてみたい気もしたのだけど。


賢島断片-4


 賢島に降り立った観光客の大半は、二手に分かれる。ひとつは表玄関から北の志摩マリンランドを目指すグループ、もう一つは南から英虞湾の周回クルーズに向かう団体だ。私のように無目的に島に行って島内の散策をしようなどという人間は少ない。
 バイキングの海賊船みたいなのが海にいた。大航海時代の帆船をイメージして作られているんだとか。
 スペイン語で希望を意味するエスペランサと名づけられた船で、一周50分の英虞湾クルーズを楽しむことができる(1,500円)。
 途中で真珠工場に立ち寄って真珠の核入れ作業を見学するそうだけど、それはみんなが望むことなのかどうか。物珍しくはあるだろうけど。


賢島断片-5


 見たときは噴き出してしまった唐突なウルトラマンの人形。真珠とウルトラマンは一切無関係なはずだけど、店主の趣味だろうか。
 実はこのあとここの工房でお世話になるのだけど、ウルトラマンについては訊ねることができなかった。たぶん、これはこれで間違っていないのだ。何度も前を通っているうちに見慣れてきてそう思うようになった。


賢島断片-6


 島一番の老舗、松井真珠店。寅さんのロケ地となった店だということは前回も紹介した。
 こちらはあとから建て増した方で、元々あった店舗はそれはもう年季が入っている。歩くと床がミシミシきしみ音を立てる。帳場というか作業場も昔の姿そのままで、これはすごいなと思わせた。この店を見るためだけでも賢島に行く価値があるといっても大げさではない。
 商品の真珠は一級品揃いで簡単には手を出せない。本気で真珠を買いたい人ならいいけど、5,000円くらでちょっとしたおみやげをなんてつもりで入っていくと買えるものがほとんどない。一番安い淡水真珠のストラップとかでも2,000円以上だった。


賢島断片-7


 この島に住む多くの人は真珠関係の人なんだろうと思うけど、中にはこんな立派な家も建っている。
 かつてこの島は、海の軽井沢にしようということで開発されたところだった。昭和初期に鉄道が開通するまでは無人島だったのだ。最初から観光地として始まったわけではないから、位置づけが半端になってしまったのだろう。こんな不便なところを別荘にしようとする人は少なく、後付けで観光地にしようにも人を呼び寄せる要素に欠けた。きれいな砂浜でもあれば夏場の海水浴客も期待できたのだけど、そういうところもなかった。今後もこれ以上開発しようとせずに、真珠の島として島民の生活を守ることを第一に考えていく方向のようだ。


賢島断片-8


 港というと潮くさいようなイメージがあるけど、ここはあまり匂いがしない。それだけ海がきれいということなのだろう。港くさいというのは、実はあまりきれいじゃない証拠だ。
 観光地らしい観光地じゃないから海も汚れていない。海に生きる島民が自ら海を汚すようなこともしない。汚い水ではアコヤ貝も育たない。
 普段から風もあまり吹かないところなのか、波はあくまでも穏やかだ。入り組んだ入り江の地形ゆえかもしれない。


賢島断片-9


 のんびり作業をするお父さんとお母さん。
 自分がここに住んでこんな暮らしができるかと自問してみると、それは無理という答えが返ってくる。よそ者として見てるぶんにはいい光景だと思う。


賢島断片-10


 見回りにきたらしい真珠のご主人。
 真珠作りなんて、アコヤ貝に核を入れて、あとは真珠になるのをじっと待っていればいいんだろうくらいに思っていたら、そんな簡単なものではない。調べてみると、それはもう、大変なのだ。
 まずはアコヤ貝を育てるところから始める。小さな状態から親になるまで世話をして育てて、母親となるアコヤ貝に別のアコヤ貝から取った外套膜を細かく切って細胞を核にくっつける。これが真珠の中心となり、これに何層もの真珠層が重なって最終的に私たちが知る形の真珠となる。
 夏には貝に付くフジツボなどを取り除き、冬に水温が下がったら暖かい水温のところへ移動させ、また春になったら戻し、赤潮などに気を配り、エサのプランクトンもきちんと管理しなくてはいけない。ぼーっと待ってるだけじゃ駄目なのだ。
 真珠の出来も熟練の技に運の要素も加わってくるから賭けのようなところもある。天候不順で痛手を負うのは農作物と同じだ。素人が思いつきで脱サラしてやれるようなものではなさそうだ。


賢島断片-11


 電話ボックスらしきものとセルフのガソリン給油機みたいなのがドッキングしていて、何だろうと興味を持った。ボックスの中を見ると、料金支払機のようなものが入っていた。今はもう使われてないようだけど、昔はセルフの軽油給油機だったようだ。
 でもやっぱりこれ、電話ボックスだよなぁ。

 以上、私の賢島レポートを3回に渡ってお送りしました。
 なかなかに遠いところだからよかったら行ってみてくださいと気軽には言えないけれど、もし機会があれば一度ぜひ訪れてみて欲しい。正直、見所は少ないと思う。ただ、不思議な魅力があって、ぼんやりとした印象が長く残るところだ。個人的には行ってよかったし、賢島は好きなところだと今ははっきり言える。中途半端に頑張ってないところがいい。私たちは用意された道具立てに慣れすぎているのかもしれない。楽しみというのは本来、与えられるものではなく自分で見いだすものだ。
 賢島の一番の魅力は、何もないところだ。それは皮肉とかではなく、我に返るというか、そうかそうだよねと、なんだか妙に納得するものがあった。日常を離れて非日常を求めてどこかへ行くとき、それはたくさんの要素が溢れた楽しいところではなく、その対極にある何もないところであってもいい。楽しまなければならないという義務感や時間や予定に追われる切羽詰まったような感覚から解き放たれるには何もないというのが大切なんだと気づく。盆暮れに帰る田舎の退屈さみたいなもので、これは現代の私たちにとってはとても贅沢なことなのだろう。
 これでいったん賢島編は完結ということになる。あとは番外編として志摩マリンランド編が2回か3回ある予定だ。あそこもまた素敵な昭和水族館だった。これでもかと繰り出される地味水槽にノックアウト寸前の私。途中からヘラヘラ笑いが止まらなくなった。

賢島のカラー・アンド・ネイチャー ~島の色を求めて

観光地(Tourist spot)
賢島カラー1

FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6



 賢島の写真第二弾は、カラー・アンド・ネイチャー編をお届けします。
 この日は運良く冬晴れの一日で島のいろいろな色を撮ることができたのだった。光が色を作り、色が写真を決める。海と空が青いのも光のおかけだ。島には強い日差しがよく似合う。
 海の色はさすがにきれいだった。入り江で動きの少ない海なのに、見慣れた名古屋港や内海の海とは全然違う。これほど透明感の強い青は久しぶりに見た。南国を思わせるような海だった。

賢島カラー3

 空の青。順光が作り出す写真の青は人間の目を超える。逆光でも人間の目に勝てるデジタルカメラはこの先も生まれないのだろうか。
 島は高い建物もなく、空が広い。そういえばこれが当たり前の空なんだよなと思う。

賢島カラー4

 観光客がめったに行かない島の西側は、こんな細い道が続く。雑木林と木漏れ日の道が心地よくてのんびり散策したいと思わせるけど、すぐに行き止まりか通行止めになってしまう。ここでも木に札が掛かっていて、この先私有地につき立ち入り禁止となっていた。
 住人の立場からすれば当然のことではあるのだろうけど、一生に一度か二度くらいしかない人間からすると残念に思う。西は特に夕焼けスポットだから、高台の公園か何かあるとよかったのに。
 昭和天皇の歌碑が建っているという話だったけどそこへ至る道も見つけられなかった。

賢島カラー4

 島の北西には原生林が広がっている。深くまでは踏み込めないものの、外側からその様子を垣間見ることができる。ここだけ見ると、瀬戸の海上の森よりも密林地帯だ。どんな木が生えているのかは分からないけど、いろんな生き物が棲んでいるのだろう。
 キツネやタヌキやイノシシなんかもいるそうだ。本土から海を渡ってくるやつもいるらしい。あわよくばそういう野生動物との遭遇も期待していたけど、残念ながら嬉しい出会いはなかった。

賢島カラー6

 再び海の青。
 岸辺近くにある緑色のネットも目についた。これも真珠の養殖関係なのか。それか、海草とか何かだろうか。

賢島カラー2

 海辺といえばトンビがつきものだ。高く低くをピーヒョロロロと鳴きながらゆっくり旋回していた。私が何も持っていないことを悟ったのか、近づいてくることはなかった。このときは猫のカリカリも家に置いてきて持っていなかったし、弁当持参でもなかった。海へ行くときは油揚げを持っていくようにしなければ。
 猫の姿がなかったのはたまたまだったのか、もともとこの島にはいないのか。島とか港とかいえば猫が5匹も6匹もゴロゴロ寝そべっているというイメージがある。この島はそういう感じではなさそうだった。たくさんいれば1匹くらいは見ていただろう。
 いくら本土から近いといっても、生き物の分布は島特有のものもあるに違いない。カラスは見かけなかったし、そういえば鳩もいなかった。鳥の声は雑木林の方で盛んにしていたから、たくさんいるようだ。

賢島カラー7

 海にいる水鳥も見なかった。シギとかチドリとか、カモメもウミネコもいない。唯一見たのがこのカワウだった。海だけどウミウではなくカワウでいいと思う。
 島には池らしいものもなかったから、カモ類もあまり飛んでこないのだろう。生物が豊かになる条件としては、淡水というのも絶対的な条件の一つとなる。海がすべてを兼ねるわけではない。
 水道水は本土から引っ張ってきてるのだろうか。

賢島カラー8

 民家の近くで出会ったのがジョウビタキのメスだった。
 遠くから見たときはスズメじゃない何か小鳥というくらいにしか判断ができなかったのだけど、帰ってきて写真を見たらジョウビタキだった。
 ユーラシア大陸の北で繁殖したやつらが冬になると日本に渡ってくる。こんな小さな体でも立派な渡り鳥だ。冬場は都市部の公園などでもよく見られるから、そんなに珍しい鳥ではない。
 オスはよく目立つから何度か撮っているけど、メスをちゃんと撮ったのは初めてかもしれない。
 かなりトリミングしても写真として成立してるのは、S2proのなんちゃって1200万画素のおかげだ。画素数が大きいと、こういうときに役に立つ。1000万画素オーバーのデジなら、超望遠の暗いレンズで撮るより明るくて画質のいい中望遠で撮ってトリミングした方が好結果になることもある。トリミングが好きじゃないという人にはそんなの邪道だと言われそうだけど。

賢島カラー9

 道ばたに菜の花らしき花が咲いていた驚いた。アブラナの一種だろうけど、ここは常春か? 確かにこの日は12月とは思えないほどの暖かさで、セーターの上にジャケットを着ていたら汗ばむほどだった。名古屋になんかと比べると平均気温は高めなのかもしれない。これは冬に咲く種類なんだろうかとも思ったけど、地面にはホトケノザまで咲いていたから、やっぱり暖かいらしい。

賢島カラー10

 賢島大橋からはたくさんの写真を撮った。ここが撮りたくて行ったから、小さな変化も逃さないようにとパチパチ無闇に撮ってきた。液晶モニターで確認しただけではどんな色が出ているかとか細かいところまでは分からない。微妙な角度や画角の違いでも写真の印象は違ってくる。
 上の写真も、望遠気味で撮ると全面的にオレンジに染まっているように写る。広角に引くと、染まっているのはこの一部だけという写真になる。画角が表現を変えるのは、こういうシーンだ。どこに正解があるのかは、私には判断がつかない。PCのモニター上で見て、感覚的にこれがいいのかなとぼんやり思うだけだ。

賢島カラー11

 別の色表現をするとこんな写真にもなる。少しホワイトバランスを変えただけで、ここまで別の風景になってしまう。どこまでやっていいのかは難しい問題だ。上のオレンジの写真も、見た目そのままではなく、色を強調している。ピンク紫を増やした方が印象的な写真になるのなら、もしかしたらこちらの方が写真としては正解ということになるのかもしれない。
 これはデジタルだけの問題ではなく銀塩カメラでもそうだ。フィルムメーカーによって色は違うし、リバーサルフィルムの色は明らかに非現実的だ。色強調のフィルターもあるし、PLフィルターを使えばまた違った表現になる。
 別の問題でいえば、それぞれが見ているモニターによっても色の見え方は大きく違うから、どこが基準とも言えない。
 記憶色という言葉があるように、私たちもまた自らの記憶と照らし合わせて自分がいいと思う色で表現すればいいのかもしれない。きっとそれしかできない。

 次回は、賢島の断片風景編の予定です。
 志摩マリンランド編を別にすれば本編はあと一回で収まるはず。なんとか今年中に終わらせたいと思っている。
 つづく。

30年後孫に自慢するために今乗っておきたい栄の観覧車スカイボート

名古屋(Nagoya)
栄スカイボート-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 名古屋人なら栄にあるビルに張り付いた観覧車のことを知っていると思う。ただ、乗ったことがあるという名古屋人は少ないんじゃないだろうか。あんなもの、普通は乗れない。だって街のど真ん中のビルに張り付いてるんだもの。私もそう思っていた、あれはなかなか乗れないなと。
 クリスマスイブの夜、乗ろうという話になったのは、それがクリスマスイブだったからだ。この日ばかりは少々感覚も麻痺するというもので、浮かれ気分に乗じて普段乗れないものも乗れてしまいがちだ。この機を逃す手はない。ちょうど満月で気分が高揚していたというのもあったかもしれない。
 結果から言うと、あれは思っているほど恥ずかしいものではなかった。普通の観覧車に乗れる感覚の持ち主ならあれも乗れる。それほど特別なものではない。面白いからぜひ一度乗ってみることをオススメしたい。
 今日はそのときの様子を写真を交えて紹介しようと思う。

 栄の中心、三越の斜め向かいという一等地にそれはある。まずこの場所がすごい。よくこんなところにこんなものが建てられたものだと感心する。
 もともとはパチンコ屋だったところで、京楽がファッションやレストラン、娯楽施設などの複合ビルとしてサンシャイン栄というビルを建てて、その中の目玉としてこの観覧車は作られた。できたのは2005年、愛・地球博の年だった。
 ビルは6階建てで、観覧車「スカイボート」は最高52メートルの高さになる。名古屋城の天守閣が48メートルだからそれよりも高い。
 ゴンドラの数は28で、一周10分とやや短めだ。その分ゆっくり動くのと、500円という安さが魅力となっている。
 乗るには500円玉が必要で、入り口前には両替機が置いてある。1万円札も崩せる。といっても、1万円が全部500円玉になって戻ってくるわけではないので心配はいらない。2枚にするか4枚にするか選ぶことができる。500円玉を20枚も入れたら財布がパンパンになってしまう。このあたりのノリはさすがにパチンコ屋だと思わせる。ゴンドラの中にはルーレットが設置されていて、777が出るとビルの中で使える1,000円分の商品券がもらえるというのもパチンコ屋らしい。
 夜の早い名古屋では珍しく、夜の11時まで営業をしている。高さがあまりない分、遠くまでは見渡せないから、昼間よりも夜景の方が楽しめそうだ。

栄スカイボート-2

 地下鉄の駅から地上に上がってサンシャイン栄へ向かう途中、栄三越の屋上に目をやると、観覧車がちらりと顔をのぞかせている。あれこそ日本最古の屋上観覧車の姿だ。
 1956年に日本で初めて設置された屋上観覧車は、現存する日本で一番古い屋上観覧車でもある。高さはわずかに12メートル、ゴンドラの数は9個という子供だましのようなものだけど、かつてはこれが画期的な乗り物だった。私も子供の頃に乗ったかもしれない。
 現在は老朽化が進んで営業を停止している。それでも取り壊すことなく、文化財として保存していくということだ。
 サンシャイン栄のスカイボートも、あと50年もすればいい感じになっていることだろう。

栄スカイボート-3

 サンシャイン栄の1階のト広場に、アムロ・レイのモノマネでおなじみの若井おさむが来てイベントをしていた。
 横には大きなツリー。
 そんなものを横目で見つつ、我々は観覧車を目指す。入り口はビルの3階にあってエスカレーターで上がっていく。
 2階にはラーメンのテーマパーク「名古屋麺屋横丁」というのがあって、実は私たちはそこで早めの夕飯を食べるというクリスマスイブらしからぬことになるのだけど、それはまた別の機会に紹介することになると思う。

栄スカイボート-4

 観覧車に乗り込んでいよいよ出発となる。
 クリスマスということもあって、やはりカップルが多かった。少し並んでいたものの、待ち時間はなくすぐに乗ることができた。一周10分だから回転は早い。
 全面シースルーと聞いていたので少しびくついていたのだけど、思ったほどさらされ感も強くなく、恐くもない。高さがあまりないこともあるだろうし、ビルに張り付いているというのは乗ってみると安心感につながることが分かった。普通の観覧車は360度切り離されてる感じがするから普通のものの方が恐い。
 床もシースルーかと思ったら床は普通だった。足下まで見えていたらさぞかし恐かっただろう。下から丸見えでは別の意味で問題もあるし、床が透明ということはないだろう。
 ゴンドラが球体をしているので、写真を撮ると光が不思議な映り込みをする。こういうところでは写真重視ではないだろうからかまわないか。

栄スカイボート-5

 どういう構造で観覧車を支えているのかはよく分からないけど、今後老朽化したときのことが少し心配だ。ビル観覧車は全国でも増えてきているから、ノウハウは確立されているのだろう。太い軸をビルの中心に打ち込んで支えるといった単純なものではなく、もっと力を分散させてビル全体で支えるような格好になっているらしい。
 ゴンドラはシースルーで、直径が短いから反対側のゴンドラまでよく見える。あまり怪しいことはできない。一番上までいけば大丈夫だけど。下手なことができない理由はもう一つあって、それは次の写真が示している。

栄スカイボート-6

 ビルに張り付いているということは、ビルからもこちらからもお互いに見えるということを意味している。なんてこった。途中、ヘアサロンとカフェでまともに見合うシーンがある。これはどうなんだろう。最初から想定されていたことなのか、そうではなかったのか。サロンはともかく、カフェでは外を見ている人と目と目が合ってしまう可能性は高い。ちょっと気まずい。いちゃついたりしてるところを見られたら恥ずかしいし、見てしまった方も照れる。それがこの観覧車の醍醐味でもあるのか。

栄スカイボート-7

 ある程度高いところまで上がってくれば、もう人目も気にならないで景色に集中できる。三越とはこの位置距離関係になる。
 大津通りの青色イルミネーションがきれいだ。

栄スカイボート-8

 これは一番上に近いところだ。テレビ塔やオアシス21などがよく見える。
 その他、夜景として見えるところとしては、名古屋駅のビル群などがある。名古屋城のライトアップも距離的には充分見えるはずだけど、このときは見つけられなかった。
 ここから見下ろす景色は、昔ながらの名古屋の歓楽地風景だ。名古屋駅は高いビルが建ってずいぶん様変わりしてしまったけど、栄はあまり大きな変化がない。
 イルミネーションの季節が終われば、都会とは思えないほど暗い街並みが戻ってくることだろう。名古屋の街の節電ぶりというのは他の都市も見習った方がいいと思う。

栄スカイボート-9

 観覧車の上からだけ見える液晶画面。ビルの屋上が巨大な液晶モニターになっている。
 この日はクリスマスツリーだった。季節やイベントによって様々に変化するそうだ。ここらへんもパチンコ屋ちっくだ。そう、名古屋というのはパチンコ屋の街であることも忘れてはいけない。

 なんても12月31日は25時まで営業をするんだとか。この観覧車で大晦日のカウントダウンと新年を迎えるというのはいいことなのかどうなのか。思い出にはなるけど、笑い話としてだ。
 24時から25時の間は無料というから、けっこう人も集まるのかもしれない。観覧車の中でカウントダウンというのは、他でも行われるイベントなんだろうか。
 それはともかくとしては、名古屋の人は一度乗ってみて欲しいと思う。これに乗ったことがあるとなるとけっこう自慢できる。乗ったことない人が多いから。なかなか楽しい経験だし、500円というのは話のネタとして安いものだ。
 デートのとき乗ろうという若いカップルにもいい。今乗っておけば30年後くらいに自分の孫に自慢できる。じいちゃん、ばあちゃんはあれのできた頃に乗ったんじゃぞとか。

タワーズライツのクリスマス当日、クリスマス以降

イルミネーション(Illumination)
タワーズライツクリスマス-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 クリスマスイブと、昨日の夜の2回、名古屋駅のイルミネーション「タワーズライツ」を見てきた。ついでに通ったと言った方が正しいかもしれない。写真も撮ってきたから、せっかくなので載せておくことにしよう。年に3度も見るなんてことはめったにないことだし。
 前回載せたのはクリスマス前のプログラムで、クリスマスに第二弾、その後は来年のまでの第三弾ということになっている。基本的なデザインは一緒で、多少壁面の動く模様が違うだけだけど、全種類見たとなるとけっこうすっきり感がある。
 ただし、クリスマスのときは車の中から撮っただけで、昨日はコンパクトデジでしか撮ってないから、多少の心残りはある。久しぶりに手ぶれ写真を大量生産してしまって、もう少しちゃんと撮っておけばよかったと思った。年明け早々にチャンスがあるかどうか。けど、年をまたいでしまうとイルミネーションというのは急速に魅力を失ってしまうから、わざわざ撮りにいくようなことはないだろう。今年はこれでよしとしようか。

タワーズライツクリスマス-2

 城の右上に、Merry Christmasの文字が見えると思う。これがくりますバージョンだ。城そのものに変化はない。左上の動くイルミネーションもクリスマスの特別仕様なのだろう。
 サンタは扉の中に入っていった。堂々と正面扉から。トナカイに乗って煙突から入っていくというようなパターンは複雑すぎて難しかったのかもしれない。
 車の中からの撮影でもけっこう撮れる。ガラス越しという感じはない。桜通を名古屋駅方面に向かうと必ず渋滞するから撮る時間はたくさんある。何度も信号待ちになるし。背の高い車の後ろにつかないことがコツだ。

タワーズライツクリスマス-3

 これはクリスマスあとのバージョン。これが最後まで続くことになる。
 メッセージは、メリークリスマスからHappy Holidayに変わった。花火や雪の演出は前からあったような気がする。
 城の色が上の写真とまったく違うのは、イルミネーションが変わったのではなく、一眼とコンパクトの違いだ。色合いが違うから受ける印象もずいぶん違ったものとなる。

タワーズライツクリスマス-4

 平日の夜8時すぎということで、人出はそれなり。クリスマスのときはここまで来てないからどんな状況だったのか知らない。相当な人混みだったに違いない。
 こういうところは一人で来て写真を撮っても面白くないところだとあらためて思う。カップルや友達、家族同士の中で一人というのはけっこう照れくさくもある。

タワーズライツクリスマス-5

 タワーズガーデンを上から見たところ。ここも人は少なかった。
 朝、賢島へ行く前もこの中を通ったのだけど、ただの植え込みだった。時間がなくて写真を撮れなかったのが残念。祭りの後というま祭りの前のような舞台裏が面白かったのだけど、近鉄の乗り場が分からなくなって電車に乗り遅れそうで気持ちにも余裕がなかった。名鉄出口と近鉄入り口の位置関係がどうもよく分かってない。

タワーズライツクリスマス-6

 ガーデンテラスを下から見たところ。
 DMC-TZ1は手ぶれ補正機能がついているのだけど、コンパクトデジは構えたときに脇が空くからどうも安定が悪くなってブレやすい。
 細かい部分の描写も、デジタル一眼とは比べものにならない。レンズが違う。昼間の風景ではあまり差が出なくても、こういうシーンでは大きな差が表れる。画素数をいくら多くしても解決にはならない。

タワーズライツクリスマス-7

 ミッドランドスクエアの窓は雪だるまになっていた。クリスマスまではツリーだったのは知っていたけど、これは知らなかった。
 これまた派手にブレた。向こうに写ってるスパイラルタワーズはぼやけてよく見えない。
 スパイラルは、ねじ切れたフランスパンのような外観をしているけど、あれで完成型なのだろうか。

タワーズライツクリスマス-8

 見慣れた一眼の写真に戻ったらホッとする。
 ここは広小路通りだっただろうか。道路の両脇の青いイルミネーションがきれいだった。
 青というえば栄近辺の大津通が名古屋では一番だと思う。昨日の帰りのバスでは寝ていて見逃した。

 そんなこんなのクリスマスイブと年末のタワーズライツでした。
 1月6日まで続くから、まだ見てない方でチャンスがあればぜひ。

年末に近鉄急行3時間ぶらり一人旅賢島行き

観光地(Tourist spot)
賢島大橋から見る英虞湾の夕景

FUJIFILM FinePix S2 pro+VR Nikkor 24-120mm f3.5-5.6 / Nikkor 35mm f2D / DMC-TZ1



 この風景を撮りたくて、年末のせわしない中、近鉄の終着駅のひとつである賢島(かしこじま)までぶらっと行ってきた。この時期にそんなことをしてる場合かという気がしないでもないけど、この一枚が撮れたことで行ったかいがあったとしたい。
 賢島大橋から見る夕焼け風景は、日本の夕陽100選にも選ばれている。見所がさほど多いとはいえない賢島の中では、一番の見所と言っていい。これ以外に何もないのが賢島というところだったりする。
 残念ながら夕陽は雲に隠れたまま沈んでしまったけど、空と海の焼け具合は悪くなかった。オレンジに染まった入り江の静かな海に、真珠の養殖筏のシルエットが点々と浮かぶ様子は、英虞湾(あごわん)特有の景観だ。港に帰ってきた船が描く波模様に心が揺さぶられる。



朝の宇治山田駅ホーム

 時間を朝までさかのぼる。
 ここは朝の近鉄宇治山田駅のホーム。白いソックスの女子中学生と二両編成のローカル列車が懐かしい。昔ながらの近鉄風景だ。
 今回、賢島へ行ったのは、深い意味があったわけでも、賢島に対して熱い思いを抱いていたからでもない。ただ単に近鉄電車を使ってなるべく遠くまで行ってみたいと思ったとき、たまたまた賢島が終着駅だったからに他ならない。
 奈良へ行くときに近鉄の株主優待券を使って安く行く方法を知って、それなら別のことろへも行けるじゃないかと思いついた。期限間近のチケットは1,000円前後で手に入るから(通常は1,500円くらい)、近鉄が走っているところならどこまででもその金額で行くことができる。奈良だって京都だって大阪だって。そのひとつが賢島だったというわけだ。
 賢島というのがどんなところかまったく知らなかったけど、島というのに惹かれたというのもあった。島という響きにはロマンがある。ネットの情報がほとんどない中、行けば何かあるだろうという軽い気持ちで私は近鉄の急行に乗り込んだ。特急を使うと特急券が必要になって安くなくなってしまうから、なるべく安くて遠くまでという趣旨に反する。途中で特急に追い抜かれながら、のんびり急行に揺られていった。



港風景

 イメージも予備知識も中途半端なまま賢島に到着した。島といっても本土とは短い橋一本でつながってるし、電車も乗り入れてるから、離島という感じはまったくしない。ただ、近鉄の終着駅に着いたという感じだけだ。しかし、自動改札もない駅で、駅員に切符を渡して出るというあたりはさすがに遠くまで来たなという思いはした。
 さて、駅から出たもののどこへ行っていいものやらよく分からない。一応マピオンの地図は印刷して持っていったけど、簡略地図なのでどの道が歩ける道なのか判断がつかない。
 とりあえず船着き場から左の方に向かって歩き出した。東へ向かってぐるりと一周歩いて回ろうと思って。がしかし、いきなり行き止まりになった。道が切れてその先は海になっている。なんだこの道は。意味があんのか!? 仕方なく元来た道を引き返して、また駅前に戻ってしまった。
 これは単なる序の口にすぎなかったことをあとから私は知ることとなる。2時間後、この島は観光客が歩くようにはできていないという結論に達した。あっちで行き止まりになり、こっちで私有地につき進入禁止といわれ、はたまた別のところでは立ち入り禁止の看板が立ちふさがる。島の西半分で私は2時間もさまようことになるのだった。



松井眞珠店外観

 島で一番の老舗真珠屋「松井眞珠店」。志摩地方の英虞湾といえば真珠が有名で、多くの真珠が養殖されている。
 松井眞珠店の創業は明治38年だから、かれこれ100年になる。昭和4年に賢島に店ができて現在に至っている。
 ここは映画『男はつらいよ 寅次郎物語』(39作)の舞台にもなったところだ。映画を観て覚えている人もいるかもしれない。私も観てるけど、ここが出てきたかどうかまでは覚えていない。
 店構えは老舗らしい本物の古さがある。このあとうっかり足を踏み入れた私は大いに戸惑うことになる。ちょっとしたおみやげを買おうとしたら、数千円単位のものがない。ちょっとした小粒のものでも数万円は当たり前という世界で、すみません、真珠を侮ってました私と誰にともなく謝りたい気持ちになった。安いものはいくらでもあるのだろうけど、老舗のプライドから廉価なものは扱っていないようだ。



海と筏の風景

 略地図を頼りに、島の西側へとやって来た。それにしても、この島は道が少ない。海に囲まれた島であるにもかかわらず、なかなか海へ辿り着けない。細い道を進んでいくとホテルの敷地だったり、民家で行き止まりになったり、真珠の養殖場に出たりと、思うようにならない。やっとの思いで視界が開けたこの場所も、港関係の事務所などがあるところの裏手だった。およそ観光客が海を見ながらたたずむようなスポットではない。
 この島には公園もないし、休憩所のようなところも見あたらず、そもそも散策路のたぐいが一切ない。道は生活のための最小限しかなく、それは島の中央部分に集まっている。それ加えて私有地だ立ち入り禁止だというから全然歩けない。
 ここまで観光地化されてないと、かえってすがすがしい。なるほどそういうことかとこっちも納得する。
 ただ、それじゃあ手つかずの自然が残されていて冒険心を駆り立てるかといえばそういうこともない。島の住人は150人ほどだそうだけど、適度に開発はされているから、古き良き島の風情といったものもない。要するにここは、島で暮らす人のための島なのだ。観光客を呼んで成り立っているのではない。私が勝手に思い描いていたようなロマンチックな島ではなかった。



養殖筏の作業風景

 入り江近くの養殖筏。お母さんたちが何か作業をしていた。
 向こう岸に見えているのが住居だろうか。これ以上近くに寄っていけるような雰囲気ではない。
 左奥に見えているクレーンは、何か大がかりな工事をしていて、立派な建物を建てていた。必ずしもさびれる一方というわけではなく、開発は続いているということなのだろう。新しいホテルでも作ってるんだろうか。



閉鎖した賢島ホテル

 賢島ホテルは閉鎖して久しい様子だった。
 この島の状況ではなかなか商売繁盛とはいかないだろう。夏場は多少賑わいも見せるのかもしれないど、海水浴場のようなものもなさそうだから、あまり期待はできない。美味しい食事などは食べられそうではある。
 この近くにはドッグラン場なんてものがあったけど、そちらも扉は閉ざされていた。なんで唐突にここにドッグランだったんだろう。あれは街中で犬を自由に放せないから意味があるもので、島なら犬くらい好き勝手に走り回らせておけばいい。ドッグランなんてものは必要ない。そもそも犬の姿もまったく見なかったし。そういえば猫もいなかった。港町にノラはつきものなのに。



島の道

 冬ということを差し引いても植生はあまり豊かな感じではなかった。道の両脇にはシダが繁殖している。
 鳥の声はたくさん聞こえていたから、野鳥にとってはなかなか住みやすいところなのだろう。動物はタヌキ、キツネ、イノシシなどがいるそうだ。中には本土から泳いで渡ってくるやつもいるのだとか。



賢島金比羅宮入り口

 島でおそらく唯一の神社であろう、賢島金比羅宮の鳥居前だ。
 階段を登ってお参りしてきた。参拝客はあまり多くないようだ。それでも、これが島の守り神ということになるはずだ。
 金比羅宮といえば香川の金比羅さんが有名だ。海の守り神ということで、金比羅さんを島の神として招いたのだろう。



賢島大橋を眺める

 志摩マリンランドの屋上展望台から見た賢島大橋。志摩マリンランドの話はまたあらためてしたいと思っている。
 橋の左側が賢島で、右は本土。これだけしか離れていないから、島という感じが希薄なのだろう。東側にももう一本、賢島橋が架かっていて、隣を近鉄が走っている。
 本土と島の一番近いところは10メートルしかない。
 島の人口が少なく、船で行き来する必要がないということで、生活に必要な店なども島には揃っていない。コンビニやスーパーのたぐいもなさそうだ。
 小学校、中学校もなく、何故か代々木高校という高校だけがある。どういう学校なのかはよく分からない。
 島には子供がいるのかどうか、冬休みに入っただろうに、姿は見かけなかった。



英虞湾の東向き風景

 賢島大橋から見た入り江の奥の方。写真には写ってないけど、右手に志摩マリンランドがある。右奥遠くに見えているのは、本土側にある賢島グランドホテルだろうか。
 こちらは東向きになるから、朝焼けのときがきれいだろう。



賢島大橋の女子ふたり

 賢島大橋から今日の夕焼け風景を見たのは私だけではなかった。先客として女の子の二人組がいて、その前には男の人もひとりいた。やはりここは夕焼けスポットとしてよく知られた場所なのだろう。ホテルから見るなら、賢島ビューホテルが最適のようだ。志摩の南東にあるという西山慕情ヶ丘(にしやまぼじょうがおか)というのはどこにあるのか分からなかった。
 最初の予定では、この場所で夕景から夜景にかけても撮ろうと思っていたのだけど、雲が多くなって夕焼けも鈍くなっていったので、早めに切り上げて帰ることにした。

 賢島のことをどう言ったらいいだろう。今日行って帰ってきたばかりで、まだ自分の中で完全には整理しきれていない。写真もまだだいぶ残っているので、志摩マリンランドとあわせてあと2回か3回は賢島編が続くことになると思う。最後に総括して感想を書くことにしよう。あと2、3日は寝かせないと印象も成熟しない。
 いずれにしても、行って良かったことだけは間違いない。行かなければどんなところか分からなかった。観光という意味ではほとんど何もないところだけど、私としては得るものがいろいろあって面白かった。言葉としては矛盾するけど、ぼんやりとした強い印象が長く尾を引くような気がしている。
 

イタリア村のイルミネーションは水の効果でニバーイ、ニバーイ(高見山)

名古屋(Nagoya)
イタリア村イルミ-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 スターライト花火が終わったあと、すぐに帰ろうとすると地下鉄が混むだろうと考えて(時間を置いてもかなりの混雑だったのだけど)、イタリア村もサラッと見ていくことにした。こちらもイルミネーションをしていることは去年訪れていたので知っていた。夏も一度行ってるし、これが三度目になる。もっと行ってるような気がするくらいお馴染みの場所となった。
 イタリア村も去年と比べて派手さが増したような印象を受けた。はっきりとは覚えてないので実際はあまり変わってないのかもしれないけど。
 イルミネーションと水の相性は抜群だということにあらためて気づく。地上の光を水面が映し出して二倍以上の効果がある。街中のイルミネーションでも、水の演出を積極的に取り込んでいくともっと違った表現ができそうだ。

イタリア村イルミ-2

 人がたくさん集まるところでは、自分の思考パターンは大勢の人と同じなんだなということを思い知らされる。花火が終わったあとのイタリア村はギュウギュウ詰めのような状態だった。花火のときはかなり空いていたらしいのに。みんな考えることは一緒だ。
 人波に流され、押されながら、メインの通りを行く。途中、少し立ち止まって写真を撮ったりしながら。
 橋を渡ったところで店内に逃げ込んだ。あまりの寒さに耐えがたくなって。夜になって気温が下がったところへもってきて、水辺の風は冷たい。これだけの人がいても暖かさにはつながらなかった。店内では冷えた体が解凍されて、じんじんしてたからやっぱり相当寒かったらしい。建物の中も混雑していた。トイレも行列。

イタリア村イルミ-3

 イタリア村のメインストリートと運河風景。橋の上から見るこの光景がもっともイタリア村らしい景観だと思う。ここだけ切り取って見ると、名古屋港の倉庫街だったところとは思えない。
 最初はいろいろ言われたイタリア村だけど(今でもか)、名古屋としては成功した方なんじゃないだろうか。多くの人を呼び寄せて、名古屋港の活性化にはつながっている。個人的にもここはけっこう好きなところだ。

イタリア村イルミ-4

 去年は電球色の光のトンネルだったのが、今年は青紫になっていた。ここははっきりした変化だった。この色も悪くない。
 残念ながらゴンドラはやっていなかった。夜の7時半すぎなのに、もう営業が終わってしまったのか。クリスマスくらいは夜間営業すればいいのに。カップルが大挙して押し寄せてるんだから稼ぎ時だ。もしかして、イタリア人のゴンドリエーレがクリスマスということでとっとと家に帰ってしまったのかもしれない。彼らに多くを期待してはいけない。かといって、このときだけバイトの日本人学生に漕がせるわけにもいかない。

イタリア村イルミ-5

 イタリア村のシンボル塔とカップルのシルエット。名古屋港花火もイタリア村もカップルだらけだった。名古屋中のカップルの半分はここに集まってたんじゃないかと思うほどに。
 あとの半分は栄と名駅あたりか。名古屋は東京などと違ってクリスマススポットが限られるから、みんなだいたい行くところが決まってしまう。そこが大きな田舎町である証拠だ。名古屋を都会として捉えようとすると実体を掴み損ねる。

イタリア村イルミ-6

 光のトンネルはきれいに写らなかった。実物はもっと明るくて華やかだったのだけど。
 タイミングの問題だったのか、ここはやけに人が少なかった。こういうところは人の頭で埋め尽くさないと絵にならない。人影まばらではありがたみがないように思える。

イタリア村イルミ-7

 北側のこちらが正面エントランスになっているけど、ここからは入ったことがない。いつも出口として利用している。車で行って駐車場からいくとここが正面になるのだろうか。地下鉄でいくともっと右側から入ることになる。
 このイルミネーションも去年から少し変更があるようだ。ちょと凝ったものとなっていた。

イタリア村イルミ-8

 入り口から出たところでもう一度後ろをイタリア村を振り返ってみる。頭上には満月が浮かんでいた。
 イタリア村のイルミネーションは、1月14日まで続く。ハッピーマンデーの成人の日までということか。
 ここはなかなか馬鹿にしたものではないので、まだ行ったことがない人はぜひ一度見に行ってください。名古屋観光のついでとして、名古屋駅からも栄からも地下鉄一本で30分くらいだから、足を伸ばせない場所ではない。名古屋港水族館と絡めると一日コースになってしまう。そのときは昭和の遊園地シートレインランドもぜひ寄ってみて欲しい。
 ただ、夜の水辺は本当に寒いので気をつけて。

スターライト☆レビューはイルミ+HANABI+αでダストは関係ない

イルミネーション(Illumination)
名古屋港イルミ-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 クリスマスシーズンの名古屋港ガーデン埠頭はイルミネーションで飾られていて、名古屋を代表するイルミネーションスポットの一つとなっている。スター☆ライトレビューと名づけられたこのイベントも今年で17回目となり、名古屋港の冬の風物詩としてすっかり定着した。
 でも、そんな名前のグループが昔いなかったっけ? おいおい、それはスターダストレビューだろう。ネタが古くて誰もツッコミを入れられない恐れがあるので一人ボケツッコミ。
 スター☆ライトHANABIのセンスはここからきていたのか。どうりで古めかしいわけだ。平成初期のネーミングだから。
 打ち上げ花火はクリスマスイブだけのことで、普段はイルミネーションが見所ということになる。ちょっと気が早い11月22日から始まって、12月31日まで続く。イブの日は花火のついでに見ていった人も多かっただろう。私たちもざっと一周見て回った。そのとき撮った写真があるので、本日二本立ての二本目として並べてみることにする。

 上の写真は歩き撮りしたものだ。長谷寺のところで偶然成功したのに味をしめて今回またやってみた。流し撮りの奥行きバージョンのようなもので、ブレさえ止まれば面白い写真になる。中央だけが止まって周囲が流れるから、シーンによっては臨場感が増す。ズームレンズのズームを動かしながらシャッターを切るというテクニックがあるけど、あれと同じ理屈だ。どちらも上下のブレに気をつける必要がある。シャッタースピードが速いと効果が弱いから、露出とブレの兼ね合いでいいポイントを見つけるのがコツとなる。

名古屋港イルミ-2

 南極観測船ふじも、ふちどりライトアップ。これは普段からもしてそうだけどどうだろう。やはりこの時期限定だろうか。
 手前は錨の光オブジェ。去年はこんな細かい芸があったかどうか。タロとジロの銅像を撮った記憶はあるけど、こんなものは見た覚えがない。イルミネーションは年々エスカレートしていく傾向があるから、これも新顔だろうか。

名古屋港イルミ-3

 奥に見えている建物は、ポートハウスという無料休憩所だ。寒さから逃れた人々が難民のように寄り集まっていた。手持ちぶさたでやることがなくぼんやり時を過ごしている様子は、避難勧告が出て自宅から追い出されてしまった人々のようだった。しかし、外は猛烈に寒いからここはありがたい。持ち込みのものを食べたりもできる。
 変わった形は、羽根を広げたカモメをイメージしたものなんだそうだ。どこからどう見てもそんなふうには見えないけど。
 左奥に小さく見えているのは、遊園地シートレインランドの観覧車だ。夏に名古屋港水族館へ行ったときに乗った。イブはどうだっただろう。この日ばかりは昭和色満点のあそこもカップルで賑わっただろうか。

名古屋港イルミ-4

 帆船のオブジェは去年どうだっただろう。見てないような気がする。
 全体的に去年より華やかになってたから、このあたりも新作かもしれない。前の年と同じレベルでは失望されてしまうから大変だ。

名古屋港イルミ-5

 お馴染みの巨大ツリーは今年も健在だ。
 このツリーを中心とした「つどいの広場」全体のイルミネーションのことをスター☆ライトイルミネーションというようだ。じゃあ、スター☆ライトレビューは何なんだというと、イルミネーションや花火やイベントなどをひっくるめた総称のようだ。そういうことだったのか。やっと理解した。
 22日に行われるはずだったフリーヒルズ・ジャズ・オーケストラ は雨天中止になってしまったみたいだ。
 今年の人出は去年に比べるとずいぶん少ないような印象を受けた。このツリーの周りも人があまりいなかった。去年はびっちり満員だったのに。行きの地下鉄も去年のすし詰め熱気ムンムンというほどでもなかったし。助かるけど、ちょっと物足りないようにも思えた。

名古屋港イルミ-6

 ツリーのイルミネーションは去年とあまり変わってないようだった。細かいパターンや電飾の色などは違っていたのだろうけど、大きな変化はなかった。使い回したか。
 高さは15メートルだからビルの三階相当。電球は45,000個使用されているという。
 光がメロディーに合わせていろいろ変化していくようになっている。見た目はきれいだけど、写真に撮るにはタイミングが難しい。

名古屋港イルミ-7

 ポートビルなどのエリアと水族館を結ぶ橋。光っている三角形が水族館だ。この日は夜間まで営業していたようだ。夜の水族館というのはどうなんだろう。動物園ほど大きな変化はなさそうだ。たいていの魚は夜寝るし。

名古屋港イルミ-8

 夜の海。遠くに見えている橋と灯りはどこだろう。名港中央大橋だろうか。
 ここは東京や横浜のような観光地としての港ではないので、夜に電飾をピカピカさせながら浮かんでいる船などはない。漁船なのか何なのか、時折通りかかるくらいだ。花火屋形船とか花火クルーズをやったら人気になりそうなのだ。
 打ち上げ花火はここから向かって左側の岸からだいぶ離れたところから打ち上がっていた。向こうの陸地から上げてたのか、海の上に特設会場みたいなものを作ったのか。距離が離れている分、音の伝わりは弱かった。

名古屋港イルミ-9

 待合室風景。ここでしばらく体を温めてから花火に向かうことにした。同じ考えの人たちも多く、椅子はすべて埋まっていた。椅子撮りゲームに負けた我々はしばらく立ち尽くし、その後席が空いたので座る。
 写真はノールック撮影。一眼の場合ファンダーをのぞくから、その姿で人を身構えさせてしまうけど、見ないまま腰の位置で撮ると周りから撮っていることが分かりづらくなる。隠し撮りというほど大げさなものではなくて、人目の多いところではこの撮り方が有効になる。普段とは角度が違うから、少し印象の違う写真になるという効果もある。

名古屋港イルミ-10

 花火を見たあと、このゲートを撮りたくて反対側まで歩いていった。
 スターライトレビューという文字ではなく、今年はただ100という数字だけのイルミネーションになっていた。100だけでは何のことか分からない人もたくさんいたんじゃないだろうか。すごく説明不足だ。そんなに省略してどうする。

 去年一度見てるから新鮮さはないけど、二度目ならではのよさもある。あれから一年、また戻ってこられたなという感慨が持てるから。
 なかなかいいもんだ。無駄といえば無駄、無意味といえばいえなくもないこういうイルミネーションのようなものを、素直な気持ちで楽しめるようになった自分の変化を喜びたい。若い頃はこんなものをわざわざ見に行こうなんて思わなかった。
 また来年に向かって新しい一年が始まった。クリスマスが終われば、次は大晦日と正月に気持ちは向かう。今年も残り少なくなった。やることをやって、すっきりした気持ちで新年を迎えたい。

2008年は三脚を持っていくよ、名古屋港スター☆ライトHANABI

花火(Fireworks)
名古屋港花火2-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 今日は名古屋港のスター☆ライトHANABI写真の続きを。でもなんだろう、このネーミング。そこはかとなく名古屋的。名古屋人が名古屋人以外の人に笑われてしまうんじゃないかとおびえてしまうようなネーミングはやめて欲しい。どう名づけたって名古屋なんだから、無理せず素直な名前にしようよと思う。下手にひねらず、名古屋港冬花火大会でいいじゃないか。
 まあそれはともかくとして、第二弾の花火写真を10枚並べておこう。実物の打ち上げ花火には遠く及ばないけど、雰囲気だけでもお伝えしたい。

名古屋港花火2-2



名古屋港花火2-3



名古屋港花火2-4



名古屋港花火2-5



名古屋港花火2-6



名古屋港花火2-7



名古屋港花火2-8



名古屋港花火2-9



名古屋港花火2-10

 写真はすべて、ISO800で、シャッタースピード優先の1/5秒、F2.8で撮っている。
 花火会場は当然暗くて、デジの小窓液晶はよく見えないし、そんなところを見ていると花火についていけず遅れてしまう。それに、打ち上げ花火は次はどんな花火が上がるか予想できないから、どんなふうに撮れるかも予測がつかない。上手く撮れるかどうかは運次第。花火の種類によってはもっとシャッタースピードを上げた方がいい場合もあるし、遅くした方がきれいになることもある。そのへんはよく分からない。今回で打ち上げ花火の撮影は3回目だけど、いまだにコツを掴めない。三脚を使った場合は、また事情はまったく違ってくる。手ぶれ補正のK100Dでブレないのが1/5か1/4くらいなので、そう撮っただけだ。1/2でもしっかり構えてそっと撮ればなんとかなるかもしれないけど、花火にそんな余裕はない。
 K100Dの高感度ノイズはかなり少ない方だ。ISO800でも、このサイズなら特に気にならない。よく見ると暗いところと明るいところの境目でノイズが浮いているけど、シャドー部分で出ていないのは優秀だ。1000万画素のK10Dではもう少しノイズが増えてくるらしい。
 ただ、K100Dは連写能力が貧弱だから、本格的な花火撮影となると厳しいものがある。RAWで3枚連写すると書き込んでいる間は操作不能になる。連写能力が高くて書き込みが速い方が有利に違いない。実際のところ、花火は数撃ちゃ当たる世界なのだから。
 シチュエーション的には、前にカップルがいて個人的な満足度は高かった。欲を言えば、もう一要素欲しかった。去年のようにツリーを入れるとか、背景に何かポイントがあればなおよかったと思う。
 今年初の試みとして夜間にポートビルの営業をやったようだ。展望台からはどんなふうに見えていたんだろう。ロケーションがいいなら、あそこから撮れば寒さ知らずでぬくぬくで撮ることができる。けど、人も多いだろうし、ガラス越しだから、思うようには撮れないだろうか。
 イタリア村の方からもしっかり見えるから、あちらから建物絡みで撮るというのもよさそうだ。
 海を挟んだ南にあるブルーボネットからはどれくらいの大きさで見えるのかも気になるところだ。名古屋港の夏花火に行くようなことがあれば、あっち側に行ってもいい。そうすれば渋滞と混雑を避けられるかもしれない。

 今回の花火撮りを踏まえて結論めいたことを言えば、ちゃんと花火を撮りたければ三脚を使えということだ。そんな当たり前のことに気づいていたけど気づかないふりをしていた。来年は私もとうとうあきらめて三脚を使うことになるのかもしれない。
 花火大会というのは一人で行くのもありだ。なにもカップルだけのものではないし、家族や友達連れじゃないといけないようなものでもない。実際、一人三脚の人もけっこういる。始まるまでは恥ずかしくても、始まってしまえばあっちもこっちも自分の世界だから関係ない。
 今回気づいたことで、私ができる実践的なアドバイスが一つある。それは、三脚野郎の近くに陣取れという方法論だ。本格的な機材を持ち込んでいる人は、どこで撮ればいいか分かっている確率が高い。三脚が集まっていれば、まず間違いないと思っていい。よく釣れる場所に釣り人が集まっているようなものだ。カップルの多さとかに惑わされてはいけない。やつらは素人だ。花火大会会場に着いたらまず三脚の人を探してその人についていけ。思い切って話しかければ確実だ。こちらは初めてですかとか何とか。
 そんなこんなで、名古屋港の冬花火大会の写真でした。また来年、お会いしましょう。

熱いカップルの背中越しに凍えながら花火を撮る2007年クリスマスイブ

花火(Fireworks)
名古屋港花火1-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 クリスマスイブはネットをお休みするなどといいながら、深夜にのこのこと出てきてしまった。今日の旬は今日のうちにと思って。
 今年もまた去年に続いてクリスマスイブの名古屋港花火「スター☆ライトHANABI」をツレと見に行ってきた。
 やっぱり今年も猛烈に寒かった。冬の夜の海辺は近づくもんじゃない。
 それでも花火はきれいで感動的で、冬空の澄んだ空気を切り裂いてパッと散る花火は、夏花火とはまた違ったよさがあるのだ。だから、寒いと分かっていながら今年も行ってしまったのだった。
 2007年は名古屋港開港100周年ということで、打ち上げ花火は質量ともに去年を上回っていた。前半は出し惜しみという感じで単発ものが多くてやや盛り上がりに欠けたのだけど、後半から終盤は景気よく連発して見応えがあった。夏とは違って長々とはできないから、30分という時間の中であれくらいのボリュームがちょうどよさそうだ。途中のクリスマスのお話は特に必要ないから、20分に凝縮してしまってもいい。メロディ花火と銘打って、バックに曲を流しながらの打ち上げ花火というのも選曲によっては効果を発揮する。今年のミスチルはよかった。

 今回もいざ本番となると設定をいろいろ変えて撮るといった余裕もなく、上がった花火に反応してパチパチ撮るにとどまった。
 打ち上げ花火の撮影というのはやはりなかなか難しくて、同じ撮り方では似たような写真ばかりになって面白くない。途中でレンズ交換なんてしてる暇もなく、いったん場所を決めたら周りの状況からもなかなか移動するのは難しい。
 それに、手ぶれ補正があるとはいえ、手持ち撮影はさすがに苦しい。シャッタースピードも限られてくるから、撮影の幅が生まれにくい。できることなら避けたいけど、もっとしっかり撮りたければ三脚しかないのだろう。
 枚数だけはたくさん撮ってきたから、今日は第一弾として10枚並べてみる。去年と比べて少しは成長してるだろうか。

名古屋港花火1-2



名古屋港花火1-3



名古屋港花火1-4



名古屋港花火1-5



名古屋港花火1-6



名古屋港花火1-7



名古屋港花火1-8



名古屋港花火1-9



名古屋港花火1-10



 狙ってここを陣取ったわけではないけど、結果的に写り込んだカップルが効果的だった。視界がクリアで花火しか写ってなければ個人的に満足のいく結果にはなってなかったはずだ。いいところに入ってくれた。
 第二弾としてあと10枚出す予定でいる。今日はここまで。
 みなさん、よいクリスマスを。だって本番は25日の明日だから。

クリスマスイブ前日は明治村のクリスマスっぽい写真で簡単更新

施設/公園(Park)
明治村クリスマス編-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 明日はクリスマスイブ。だから今日は早寝しないといけない。のんびりブログを書いている場合ではないので、ささっと簡単に終わらせてもう寝てしまうのだ。サンタのおじさんは来てくれるかな。起きたら靴下の中にNikon D300が入ってるといいな。
 短時間で書けて、クリスマスに関係したネタは何かないだろうかと考えて、そういえば明治村でけっこう教会を撮ったなと思い出した。そうだ、それでいこう。クリスマスといえばキリスト、キリストといえば教会と相場が決まっているではないか。
 明治村の写真もまだたくさん残っているのに、途中で奈良行きと鎌倉行きが挟まってうやむやになっていた。年内になんとか出し終えてしまえたらいいけどどうだろう。明日はクリスマスイブだし、来週は一つ遠出の予定も入っている。年末年始は田舎に帰郷だし、明治村は年越えになってしまうか。困ったときの明治村と動物園写真ということで、在庫として残しておけばいいか。

明治村クリスマス編-2

 ステンドグラスはそれ自体でも美しいけど、通した光が室内に描く色がまた美しい。二重に楽しめる。
 日本家屋にこの光は似合わないけど、教会や洋館はこれがいい。


明治村クリスマス編-4

 聖ザビエル天主堂。手前の紅葉が季節感のズレを表している。明治村へ行ったのは、10月の終わりだった。あれからもう二ヶ月近くが経っているんだ。それはびっくり。
 このときは50mm(75mm換算)の単焦点レンズ一本勝負だったから、全景が入るはずもなく、上部だけとなった。こういう不自由なレンズは難しいけど勉強にはなる。工夫して撮ろうとするから。でもやっぱり不自由だ。

明治村クリスマス編-3

 これまた上だけの写真。一階がレンズ造りで二階が木造という聖ヨハネ教会堂だ。
 建築様式も和洋折衷、建てられた時期も明治の終わりの過渡期ということで、ユニークな造りになっている。今教会を建てるとしても、こんな発想は出てこない。

明治村クリスマス編-5

 外観は純和風の大明寺聖パウロ教会堂と、屋根に乗った鐘。中に入るとゴシック様式の聖堂となっている。隠れキリシタン風の教会だ。
 屋根の上の鐘も、火消しの早鐘のようだ。教会堂の鐘という風情ではない。どんな音で鳴るんだろう。

明治村クリスマス編-6

 これも教会の内部だ。アメリカのシアトル日系福音教会で、もとはアメリカ人の住居だったものを、日系一世のための福音教会として使われるようになり、のちに明治村に移築された。
 説教台があって、ピアノがあって、椅子があって、日曜学校で日系人たちが説教を聞いたり賛美歌を歌ったりしたのだろう。
 日本からアメリカへの移住は、戊辰戦争に敗れた会津若松藩士たちが明治初頭に海を越えて渡っていったことに始まるといわれている。幕末から明治維新、そしてアメリカ移住。なんという激動の人生だろう。

明治村クリスマス編-7

 教会ネタが尽きたので晩餐ネタでつないでみた。西郷從道邸の食卓。
 これもまた激変ぶりを伝えるものだ。何年か前までちょんまげを結って刀を差して、日本人同士で戦争してたのに、時代が明治に変わったとたんに洋館に住み、刀を捨て、西洋の食事に興じていた日本人の変わり身の早さ。たくましいというか、節操がないというか。
 もしかしたらクリスマスくらいはやっていたかもしれない。七面鳥を食べたりシャンパンを飲んだり。

明治村クリスマス編-8

 十字架つながりで赤十字のレリーフ。強引につなげてみた。
 かなり凝った見事なものだ。そういえば年賀状書かないとな。今年は彫刻でも彫ろうと思ったんだけど、やっぱり面倒なんでやめておこう。みかん汁のあぶり出しにするか。

明治村クリスマス編-9

 いよいよ関連性のある写真がなくなって、おやすみなさいということで寝室のベッド写真でも出してみよう。私もそろそろ風呂入って寝ないと。

明治村クリスマス編-10

 オマケ写真は、近所の民家のイルミネーション。これはDMC-TZ1での撮影。
 隣三軒と向かいが競い合うようにイルミネーションをしている。ここまでくると競争心というよりもおつき合いの色合いが強いのかもしれない。両隣と向かいがやっていて自分のところだけやらないわけにもいかない。
 しかし、ここの一角だけはギンギラギンになっていて賑やかだ。通り道から少し外れたところだけど、ときどき遠回りして前を通って帰る。光害だなんていわずに、この季節だけだからみんなで楽しませてもらおう。
 実際はもっときれいなのに、イルミネーションは写真に上手く写らない。あれは点滅する美しさで、静止画になると光が半分以下になってしまうから。長時間露光すればどんなふうになるんだろう。一度三脚でちゃんと撮ってみたいとも思う。

 それではみなさん、よいクリスマスイブを。メリー・クリスマス。
 クリスマスイブは毎年恒例で、私はネット活動を全面的にお休みです。だから、明日のブログも更新なしです。何があってもなくても、これは決まり事だから。
 私はたぶん、名古屋港の打ち上げ花火会場にいます。見つけたら声を掛けてください(あんなところ親でも見つけられないと思うけど)。

鎌倉番外編 ---記念写真は未来の自分たちに贈るプレゼント

鎌倉(Kamakura)
鎌倉こぼれ写真-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 鎌倉編は昨日の長谷寺で終わりといっておきながら、今日も鎌倉の写真は続く。閉店セールを延々とやってしまう紳士服店のようだ。でも、今回でホントに鎌倉編は完結となる。撮った写真をもう一度確認したら、お蔵入りにしてしまうのは残念に思えた写真が何枚かあったので、本編とは別に番外編のこぼれ写真として出すことにした。歯磨き粉とかマヨネーズとかも、使い切らずにちょこっと残っているのは気になるもので、あれと同じようなものだ。最後まで出し切ってしまえばすっきりして次へいける。

鎌倉こぼれ写真-2

 鶴岡八幡宮の造りがいかに一直線になっているかは、この写真を見てもよく分かる。鎌倉駅に近いところに一の鳥居があって、段葛の入り口に二の鳥居、上の写真は三の鳥居だ。信号を渡る手前から本宮がはっきり正面に見えている。黄色は階段途中の大銀杏だ。
 今は信号機や交差点なんていう無粋なものが写り込んでしまっているけど、戦前までは鎌倉時代とあまり変わらない風景だったようだ。古い写真を見ると今とはまったく違っている。
 ここを頼朝や北条政子が歩いていたんだと思うと、面白くもあり不思議でもある。鎌倉へ入ることを許されなかった義経はこの風景を見ることができなかった。

鎌倉こぼれ写真-3

 瑞泉寺の総門前。本編では別の写真を使ったけど、こっちの方がよかった。和装の女性と写真を撮る男子一人という取り合わせは鎌倉らしいワンシーンだ。京都のように作り物めいたところがない。

鎌倉こぼれ写真-4

 鎌倉は空襲にやられてないから、戦前からの古い建物も残っている。観光コースから外れた路地は、昭和の香りがする。
 鎌倉も人が歩くところはだいたい決まっているから、あえてそこを外して一本中に入ってみると面白い。観光地とは別の顔を垣間見ることができる。鎌倉に住む人は観光客を受け入れつつ、自分たちの生活エリアとはきっちり線引きしているように見える。京都や奈良と比べると、住人と観光客との関わりが弱いように思う。
 鎌倉、奈良、京都、同じ古都でもずいぶん性格は違っている。

鎌倉こぼれ写真-5

 民家の庭に植えられたモミジの葉が光に照らされて、秋の風情を演出していた。こういうのを見ると、自分の生活の中には風流といった要素が決定的に欠けているなと思う。風流は自分の家の外にあるもので、内にはない。盆栽でも始めてみるか。

鎌倉こぼれ写真-6

 江ノ電にはいくつかの無人駅があるけど、由比ヶ浜の無人ぶりははなはだしいものがある。改札はなく、PASMOなどのタッチパネルの装置が置いてあるだけで、うっかりしてると見落としたまま駅から出てしまいそうになる。出入りはどこからでも自由自在で、ここから乗る人は切符を買わずに江ノ電に乗れてしまう。改札を出ずにまたこの駅に戻ってきたら普通に出られる。こんなので大丈夫なんだろうか。鎌倉と江ノ電は切っても切れない仲だから、お互いに信頼関係で成り立っているということか。
 朝夕の利用客が多いときだけ駅員が立っているのかもしれない。そうしないと本当にフリーパスになりかねない。

鎌倉こぼれ写真-7

 瑞泉寺のサビ猫。本編では後ろ姿しか登場しなかったから、番外編で顔をお披露目しよう。
 サビ猫はなんとなく小汚いようなイメージがあったんだけど、こいつを見て印象が変わった。けっこうかわいいではないか。これからはサビ猫も好きになりそうだ。

鎌倉こぼれ写真-8

 12月ともなると花の姿はほとんどなく、撮りたくなるような野草も咲いていない。だからこんな植物でも撮ってみた。うねうねくねくねしている姿がちょっとキュートだった。何者かは知らない。

鎌倉こぼれ写真-9

 鎌倉名物の一つ、「いも吉館」の紫いもソフトクリームを試してみる。12月にソフトはないだろうと思ったんだけど、この日はけっこう暖かくて、食べるなら今日しかないっということで食べてみた。
 うん、これはなかなか。イモ味というふうではなく、ちょっと変わった味で美味しかった。普通のバニラとは明らかに違う。変わり種としてではなく定番としての美味しさだ。また食べたい。

鎌倉こぼれ写真-10

 これは昨日の長谷寺紅葉ライトアップのこぼれ写真。石段を埋め尽くす群衆ぶりがよく出ている。アジサイのときより人口爆発していたかもしれない。

鎌倉こぼれ写真-11

 急にモノクロになってびっくりしただろうか。なんとなくこの写真は白黒の方が雰囲気が伝わりそうだったので、初の試みとしてやってみた。集合記念写真といえば昭和、昭和の観光地といえば白黒写真という記憶が強い。私の子供の頃の写真も、小学校にあがる前くらいまでは白黒写真だった。
 集合写真ってけっこういいものだと最近思うようになった。昭和っぽくて恥ずかしいけど、そこがいい。記念写真というのは未来へのメッセージだ。今日、明日必要なものではなく、10年後、20年後になって価値を持つようになる。だから、照れずに、面倒がらずに、観光地では観光地らしい記念写真を撮っておくのはいいことだ。将来の自分たちに贈るプレゼントの気持ちで。
 ハイ、チ~ズ! Vサインでにっこり。パシャ!
 昭和だねぇ。
 これにて鎌倉編は完結。

今年三度目の鎌倉行きは長谷寺のライトアップで幕を閉じる

鎌倉(Kamakura)
長谷観音ライトアップ-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 今年3度目の鎌倉行きは、長谷寺のライトアップで締めくくりとなった。
 夕方5時前、長谷寺の前にたどり着くと、なにやら人だかりができている。団体さんでも来たのかと思ったら、門の前で大勢が列を作って並んでいる。一体どういうことだといぶかしむ。
 その後状況を見て分かったのだけど、長谷寺の通常拝観は夕方の5時までで、いったん参拝客を追い出してから、ライトアップ組を入れるという仕組みになっているということが判明した。そこで私たちも長蛇の列の後ろに並ぶことにした。
 しかし結果的にこれは無駄だったということをあとから知ることになる。ライトアップの時間は夕方5時から6時までの1時間で、我々が出てきた30分後にはきれいに行列は消えていた。ということは、5時半前に行けば並ばずに入れるということだ。寒空の中、あえて並んでまで入る必要はどこにもない。先取りしたからといっていい場所が取れるとかそういうことではないのだから。来年行く人は覚えておいてそうした方がいいと思う。今年のライトアップは、11月23日から12月9日までで終わってしまった。このライトアップ時間は拝観料無料で入れるので、オススメ度は高い。

 上の写真は、人波に押されるようにしながら歩き撮りした一枚だ。周囲が流れて臨場感のある面白い写真になった。
 こういうのが撮れるのも手ぶれ補正のおかげだ。感度でシャッター速度を稼げば手ぶれはふせげるけど、被写体ブレを利用できない。手ぶれ補正機能なんていらないという人もいるけど、あって困る機能ではない。手ぶれ補正によって写真の表現が違ってくるし、必要なければ機能をオフにすればいいだけだ。スローシャッターでなければ撮れない写真もある。私はすべてのデジカメにとって重要な機能だと思う。いい加減、意地を張らずにCanonとNikonも採用したらどうだろう。手ぶれ補正付きの高いレンズが売れなくなるなんてケチなことを言わずに。

長谷観音ライトアップ-2

 ぞろぞろと石段を登りながらライトアップされた紅葉を鑑賞する人々の列。ほとんどの人が何らかのカメラを持っていて写真を撮っている。感覚としては正常だと思うけど、光景としてはちょっと異様だ。
 写真を撮ることが趣味の私が言うことではないけど、そんなにみんなして撮らなくてもいいじゃないかと思う。日本人って、潜在的にこんなにも写真を撮るのが好きな人種だったんだとあらためて思い知るのだった。

長谷観音ライトアップ-3

 昔のアメリカ映画なんかでは、メガネをかけて首からカメラぶら下げた日本人がよく出てきてたけど、あれはもはやデフォルメではなくなった。今の日本人を象徴するのは、ひとつの被写体に向かって大勢が取り囲みながら無表情で携帯カメラを向けている姿なのかもしれない。
 ライトアップされた紅葉は、葉っぱが赤いのかライトが赤いのかよく分からないままやたら赤い。きれいなんだけど偽物っぽい感じもする。紅葉の最盛期はどんな感じだったんだろう。私たちが訪れのはもう終盤で、だいぶ葉も落ちていた。

長谷観音ライトアップ-4

 ライトアップされるのは紅葉だけじゃない。お堂も石像もされている。お堂はともかく、石像を下から照らすのはどうなんだろう。キャンプで懐中電灯を顔の下から照らすお調子者みたいだ。別に恐くはないけど、暗闇に浮かんでるとちょっと不気味だ。
 いくら光があっても、一人では夜の寺に訪れたくはない。周りに大勢人がいるから平気なだけで。

長谷観音ライトアップ-5

 観音堂も解放されていて、ライトアップを見に来たついでにお参りしていくことができる。十一面観音像は相変わらず撮影禁止なのが残念なところだ。
 一応、遠くから手を合わせて挨拶だけしておいた。もう三度目だし、観音様からしてもおまえたちまた来たのかってなもんだろう。

長谷観音ライトアップ-6

 展望スペースから見る夜の由比ヶ浜方面は暗い。遠くに見えている街灯りは、大崎あたりか、それとも葉山方面だろうか。それほど明るくはないけれど、暗い海の向こうに見える灯りは暖かく感じられる。都会の光とはぬくもりが違う。

長谷観音ライトアップ-8

 紅葉に光が当たっているものの周囲は暗い。シャッタースピードが上がらず撮るのに苦労する。手ぶれ補正があってもブレるときは盛大にブレる。
 三脚は禁止されてないようだけど、あの人混みの中で三脚を使えるところは限られる。みんな撮ろうと狙うところは同じだし。
 テレビ局のカメラもあったから、ニュースの中継なんかがあったのだろう。
 入り口近くの池に映り込んだ紅葉はきれいだった。柵に囲まれていてもう一歩踏み出せないのが惜しいところなのだけど、ここはベストポジションの一つとみた。狭いところだから、みんな代わるがわるここで撮っていた。
 こういう状況のところでは手を伸ばして液晶を見ながら撮れる手ぶれ補正付きのE-510は活躍しそうだ。

長谷観音ライトアップ-9

 一周回って長谷寺をあとにする。これですべて予定をこなした。あとは江ノ電に乗って鎌倉駅まで行って、帰るだけとなった。最後に江ノ電も撮っておくかと、踏切でスタンバイして撮った。たぶん、電車の人と思われてしまっただろう。
 あとになってそういえばもう一つやり残したと思ったのは、長谷の先の極楽寺駅に行かなかったことだ。ドラマ「俺たちの朝」の舞台となったあの駅を撮るだけでも撮りたかった。前に話をしていたのにすっかり忘れていた。まあ、それはまた次の機会ということにしよう。鎌倉高校駅の夕焼けや稲村ヶ崎、腰越あたりもまだ行っていない。江ノ島もまるまる残っている。

長谷観音ライトアップ-10

 今更ながら気づいたのだけど、単線の江ノ電は、駅で向こうから来る列車を待たないと出発できないんだ。どっちかが慌てて出発してしまったら正面衝突になってしまう。もしくは、どちらかがバックオーライしないといけない。
 路線上に同時に何車両走ってるのか知らないけど、のんびりしてるように見える江ノ電のダイヤはけっこうシビアだ。速すぎてもいけないし、遅すぎてもまずい。スピードがゆっくりだから、いざとなったら急ブレーキで止まれそうではあるけど。

長谷観音ライトアップ-11

 長谷駅もイルミネーションで飾られていて少し華やいでいた。無駄といえば無駄だけど、クリスマスシーズンくらい日本中で浮かれてもいい。江ノ電にあまり派手なのは似合わないから、これくらいがちょうどよさそうだ。江ノ電の花列車みたいなのはないんだろうか。

 こうして長くて短い鎌倉での一日が終わった。お疲れ様、私たち。そしておつき合いいただいたみなさい、ご苦労様でした。
 さらば2007年鎌倉。また来年会いましょう。

マダム率の高い鎌倉文学館で文学青年だったときの感覚が蘇る

鎌倉(Kamakura)
鎌倉文学館-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 金沢街道方面から江ノ電に乗って、鎌倉文学館へとやって来た。エリアとしては長谷になるのだろうか。歩くなら由比ヶ浜の駅の方が近い。10分くらいだ。
 アジサイのときに時間があったら行こうと話をしていて結局行けずじまいだったから、今回はちょっと強引にねじ込んでみた。このあと長谷寺のライトアップがあったから方角的に都合がいいというのもあった。
 ここは鎌倉観光コースからやや外れているようで、訪れる人はさほど多くない。夕方近くという時間帯もあったかもしれないけど、文学館なんてものに好んで行こうという人も少ないのだろう。秋バラの季節は終わったし、紅葉もほとんど終わりかけだ。少し前まで特別展覧をしていた澁澤龍彦のときならもう少し賑わっていたのかもしれない。私もそれはぜひ見たかったけど、訪れたときにやっていた中原中也特集はもっと見たかった。そういう意味でも今回はタイミングがよかった。
 洋館へと続くアプローチはちょとしたモミジのトンネルになっている。もう一週間早ければもっときれいだっただろう。
 私にしては珍しく人が入ってない写真を採用したのは、この場所が光の影の加減が一番よかったからだ。でもやっぱりいるべきところに人がない写真は面白くない。死んだ世界のようで不気味にさえ思えて不安になる。

鎌倉文学館-2

 これは振り返って撮ったところ。帰りのおばさまたちとすれ違ったので、いいタイミングを待って撮った。人が入っている写真は安心する。
 それにしてもマダム率高しだ。古い洋館にバラに文学と来れば、マダムを惹きつける要素は出そろったと言っていい。文学青年が思い詰めたような顔で一人訪れるのは似合わないところだ。そういうための文学館でもあるのだけど。

鎌倉文学館-3

 入り口に向かって上り坂を歩いていたら、いつの間にかマダムの人たちに追いついた。いかにもという客層でちょっと笑ってしまう。洋館にやって来る人種そのものだったから。おばさま方は本当に洋館が好きらしい。
 前方に見えているのは、招鶴洞(しょうかくどう)と名づけられたトンネルだ。屋敷の中にトンネルを持っているところはそうはない。谷戸(やと)と呼ばれる鎌倉らしい地形に建てられているからこんなことになってしまう。谷戸というのは関東特有の言い回しで、まわりを小高い山や丘に囲まれて谷が細長く続くような地形を指す。切り通しと共に鎌倉でよくある地形だ。
 この土地がいかに山に囲まれた場所にあるかは、文学館の中にある鎌倉のジオラマでもよく分かった。敵から身を守るために頼朝はあえてこの地に都を置いたのだろうけど、拡張性があまり期待できない土地だけに、その後の発展をはばむ要因にもなった。

鎌倉文学館-4

 文学館全景。今は冬枯れになってしまった芝だけど、夏は青々としていて建物とのコントラストが美しい。暖かいときはこの芝生に座ってお弁当を食べたり、のんびりしたりするのも気持ちいいだろう。

 加賀藩前田家の子孫である前田利嗣が、この地に鎌倉の別邸として屋敷を建てたのが1890年頃。明治43年(1910年)に火事で焼けてしまったのち、1936年(昭和11年)に現在の館が建てられた。
 戦後は一時デンマーク公使が別荘として借りていたこともあった。昭和39年から死ぬまで、佐藤栄作元首相が借り受けて週末の静養地として使っていたという館でもある。三島由紀夫氏が『春の雪』でこの別荘をモデルとして描いたことでも知られている。
 昭和58年に鎌倉市に寄贈されて、昭和60年に鎌倉文学館として一般公開が始まった。
 建物はちょっと見慣れない不思議な外観をしている。なんとなく落ち着かないような気がするのは、左右非対称で、和洋折衷だからだろう。設計は前田家専属の建築家・渡辺栄治という人物だそうだ。お抱え建築家まで持っていたとは前田家もなかなかのものだ。元をたどれば、名古屋の荒子出身の前田利家が、まつのおかげで立身出世して加賀100万石の大名になったおかげだ。
 二階建てのように見えているけど実際は三階建てで、玄関が二階で一階は地下のような造りになっている。三階は非公開で入れない。
 内装もお金のかかった凝ったもので、大理石の暖炉やステンドグラス、照明器具など見所がいろいろある。ただ、残念ながら撮影禁止で写真はない。文学的に貴重な資料を展示してるということで写真は駄目ということなんだろう。
 入館は300円。このときは特別展示で400円だった。月曜定休なので注意が必要。

鎌倉文学館-5

 鎌倉には大正時代あたりから文学者が住むようになって、昭和初期は文学者のステータスのようになった。鎌倉文士という言葉が生まれたのもその頃のことだった。
 理由の一つに関東大震災があった。壊滅的になってしまった東京から移り住むのに鎌倉がちょうどよかったのだろう。それと、横須賀線の開通というのも大きかった。普段は静かな環境で作品を書き、用事があるときはちょっと東京まで行って帰ってこられる。それに鎌倉は古都としての魅力も備えている。
 夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、小林秀雄、澁澤龍彦、太宰治、与謝野晶子、大佛次郎、里見、高見順、久米正雄など、鎌倉に縁のある文学者は多い。
 そういった鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や愛用品などを展示するための資料館が、鎌倉文学館というわけだ。
 写真付きで紹介できないのがかえすがえすも残念なのだけど、興味のある人なら一見の価値がある。生原稿なども充実していて、直筆の原稿の直しなどを見ると感慨深いものがある。みんなそれぞれ字に個性があって、やっぱり手書き原稿はいいなとあらためて思う。ワープロでは直しが残らないから詰まらない。
 展示内容は常設展と企画展に分かれていて、それぞれ年に何回か入れ替えが行われる。
 今回の中原中也の企画展は、見ておいてよかった。ちょっと思い入れが強いので、ここで簡単には書けない。いずれ何かの機会に中原中也のことはあらためて書きたいと思っている。

鎌倉文学館-6

 春バラと秋バラのシーズンは、ここも大賑わいだそうだ。バラと洋館のコンビは強い。そのときばかりはマダムの独壇場ではなく、カメラのおじさんたちが押し寄せてくる。カップルも入り乱れて大混雑の様相を呈すのだろう。
 種類もだんだん増えて、現在は178品種200株が植えられているそうだ。でもきっと、バラの羊羹は売ってないと思う。あれは古河庭園だけだろう。

鎌倉文学館-7

 背の高い紫ピンクの花が勢いよく咲いていて、なんだろうと近づいてプレートを見たら、「皇帝ダリア」とあった。初めて見た。
 立木ダリア、ツリーダリアとも呼ばれて、高さ4メートルにもなるそうだ。
 原産はメキシコで、晩秋に咲く。そういえばコスモスにも少し似ているところがある。

鎌倉文学館-8

 上空ではトンビが何羽も旋回していた。下で人間が何か美味しいものを食べてないか見ていたのだろう。鎌倉のトンビは賢くて凶暴だから気をつけないといけない。あえて食べ物で誘ってみるも、トンビはついに降りてこなかった。やつらはこっちが油断しているときを狙って素早くかっぱらっていくようだ。
 トンビの好物は何だろう。やっぱり鳶に油揚げなのか? だったらいなり寿司を買っていくのだけど。いなり寿司を捉える決定的瞬間を撮ってみたい。頭に乗せておいたらエサを取られるだけでは済まず頭をかち割られるだろうか。鎌倉帰りに私の頭に包帯がぐるぐる巻きになっていたら、それはトンビにやられたものだと思っていい。

鎌倉文学館-9

 高台に建っているので、由比ヶ浜方面の海を見渡すことができる。天気がいいと遠くの島なども見えるそうだ。
 ここで日没時間切れとなった。文学館も冬場は4時半まで。私たちも追い立てられるようにあとにするのだった。
 次の長谷寺ライトアップで今回の鎌倉編も終わりとなる。

カメラと人の縁 ---第一印象がすべてじゃないよE-510

野鳥(Wild bird)
明徳公園-1

OLYMPUS E-510+Super Takumar 300mm f4



 OLYMPUSのE-510は、どうにもしっくりこない。それがこのデジに対する私の最初の感想だった。
 何かにつけて使いづらい点が多く、こちらの言うことを聞いてくれない。手応えがないと言った方がいいかもしれない。感覚的に操作できず、なんとなくぎくしゃくしてしまう。操作が複雑だとか、ボタンの配置がおかしいとかそういうことではないのだけど。
 それは、私がTakumarのマニュアルレンズなんかを組み合わせて使っているからに他ならない。けど、いろんなデジやレンズを使ってきて、E-510とTakumarくらい相性の悪いものはないんじゃないかと思うくらい使い勝手が悪い。
 まず致命的な点として、ファインダーが見づらくてマニュアルでピントが合ってるかどうか分からないというのがある。合ってるような気がして撮ってみると全然合ってないのでずっこける。もらったと思ってスイングしたらバットとボールが15センチも離れていたときくらいずれている。特に暗いときが厳しい。
 マニュアルでの撮影は最初から考慮されてないのか、信号のやりとりがまったくなくて、ピピッという音もしなければ合焦マークさえ出ない。PENTAXは両方出るのに。それに、マニュアルレンズでは肝心の手ぶれ補正機能まで効かない始末だ。ダメだこりゃ。
 そもそもE-510に興味を持ったのは、フォーサーズシステムは35mm換算で2倍になるというのを望遠側で有利に働かせようという狙いがあってのことだった。それに手ぶれ補正が効けば最強の望遠デジになるはずだった。マニュアルレンズは手ぶれ補正が効かないというのは買う前から知っていたけど、それにしてもブレすぎる。軽量コンパクトが逆にあだとなった。E-1とTakumar 300mmでの組み合わせでは、もっとピシッと決まったし、ファインダーも見やすくてピント合わせも簡単だった。E-1の出来が良すぎただけに、あれと比較するのはかわいそうではあるのだけど。
 やはりE-510はフォーサーズ規格のオートフォーカスレンズと組み合わせて使うデジのようだ。この10月に出たED 70-300mmなら手ぶれ補正付きの600mmレンズとなるから魅力的だ。もしくは、シグマの135-400mmという選択肢もある。画質的にはあまり評判が良くないようだけど、手持ち撮影ができる800mmというのはそれだけで価値がある。高性能の手ぶれ補正をもってすれば、1/100秒でもブレずに撮れるかもしれない。
 どちらも高いからしばらくは手が出せないだろうけど、もう少し様子を見つつ、とりあえずはTakumarのマニュアル300mmでお茶を濁しておこう。
 それにしてもブレやがるな、こいつ。止まりゃしない。

明徳公園-2

 ファインダーはよく見えないし、日没前で池は暗いしで、ねらい撃ちは無理なんでとりあえずバチバチ撮ってみた。立っていてはブレブレになるので、しゃがんでヒザに両肘をついた姿勢になる。手持ちではこれが一番安定するから。ホントは腹ばいが最強だけど、私はそこまで達観できてない。
 中には何枚かまぐれ当たりでピントが合っていたのがあった。普通では当たり前のことがE-510では嬉しい。日頃悪いことばっかりやっている不良がちょっといいことをすると誉められるのと同じようなものだ。
 まあしかし、これはあくまでも望遠のマニュアルレンズを組み合わせたときの話で、E-510自体がじゃじゃ馬とかそういうことではない。たぶん、普通にオートフォーカスのズイコーレンズを使えば優等生なんだと思う。私は今、フォーサーズを持ってないので確認しようがない。
 連写機能は優秀だ。秒間3コマは特別速くはないけど、RAWでも連続8コマ連写できるのは偉い。3コマしか連写できずにその後しばらく固まってしまうK100Dとは大違いだ。8コマのあともすぐにバッファが解放されて撮れるようになるというのも使い勝手のよさにつながっている。

明徳公園-3

 まだ設定をどうしていいのか分かってないから、実力をどこまで引き出せているのかも判然としない。さすがに1000万画素だけに基本的な画質がいいのは間違いない。特に変わったクセもなく、パッと見の印象もいい。
 ただ、ちょっとねむたいような画質になりがちだ。どうやらそれはノイズフィルタのせいらしく、最初の設定では標準になっているのを、みんなOFFか弱に変更して使っているらしい。標準にすると強力なノイズフィルタがかかって、ノイズを消すだけでなく解像感まで消してしまうのだ。それでなんとなくぼや~んとした画質になってしまうのだった。OFFにしてみたらシャキッとした。なんだよ、OLYMPUS。フォーサーズはノイズ面で不利で、これまでさんざんノイズが多いと言われ続けてきたから、これでどうだということなのか。OFFにすると解像感と共にノイズも戻ってくるから、弱にしてシャープネスを+1にするというのが妥協点のようだ。

明徳公園-4

 このあたりのボヤっとした感じは、手ぶれなのかピンぼけなのかノイズフィルタのせいなのか、よく分からない。その全部のような気もする。三重苦だ。ISOを上げるとザラザラになるから、なんとかISO400までにとどめたい。E-1に比べると400でのノイズは減っているから、なんとかここまでは実用範囲内だろう。800にするとかなり目立ってくるから使いたくない。
 画質のチューンはけっこう軟派な感じだ。一般受けする仕上げになっている。硬派だったE-1とは方向性が違う。ノーマルでもけっこう鮮やかだ。色乗り重視ならVIVIDでもよさそうだ。彩度を+1にしても破綻するようなことはない。

明徳公園-5

 このあたりの描写も納得はできない。ビシッと決まっていない。毛並みの質感が消えているのは、やはりノイズフィルタのせいに違いない。絞りは確かF5.6だったと思う。もう一段絞れば多少違ったかもしれない。

明徳公園-6

 4、5メートル先のスズメでもこの大きさで写るのが600mmだ。PENTAXの1.5倍換算なら同じ300mmレンズでも450mmにしかならない。この差はやっぱり大きい。
 600mmとなると動物園でも持て余す焦点距離となる。

明徳公園-7

 遠くのもを写せる反面、近くのものをまったく写せないという弱点もある。風景写真を撮ろうとすると、50メートルくらい向こうのものしか撮れない。70-300mmのような望遠ズームならまだしも、300mmの単焦点レンズは使いにくくしてしょうがない。いくら鳥撮りといっても、遠くのものだけしか撮らないわけじゃない。
 300mmでF4の明るさは魅力だけど、撮れないものがたくさんあっては結果的にはマイナスが大きすぎる。今日もいくつかのいいシーンを逃した。犬を散歩する二人組の後ろ姿を撮ったら、カップルの後頭部しか写ってなかった。いや、そういうことじゃなくて。

明徳公園-8

 なんとなく紅葉っぽいところを撮ってみるも、期せずして木のアップになってしまう。バックオーライ、バックオーライだけど、場所におってはオーライじゃないところも多々あるわけで、気をつけないと後ろ向きのまま山の斜面を転げ落ちてしまったりする。600mmレンズを振り回すときは周りに人がいないか確かめて、自分の後ろにも注意を払う必要がある。

明徳公園-9

 木立の向こうに夕陽が沈んでいくのが見えて撮ったら、なんだか訳の分からない写真になった。白く丸くなっている部分が夕陽だ。これまた近すぎた。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。
 この組み合わせで思い通りの写真を撮れるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。高くてもオートフォーカスのレンズを買った方が早い。K100Dとの組み合わせではこんなに扱いづらくはなかったのだけど。

明徳公園-10

 月を撮ってもやっぱり大きい。
 こういう明るいシーンでシャッタースピードを稼げるときなら、この組み合わせでも難しさはない。鳥撮りでも昼間の条件のいいときなら、もっとしっかり撮れるのだろう。
 ただ、それならE-510ではなく、E-410でもE-300でもいいじゃないかと人は言うかもしれない。でも、それを言っちゃあ身も蓋もない。E-510にはE-510のいいところがある。私がまだそれに気づいてないだけだ。
 私の手元にいつまでいることになるか知れないE-510。あっさり手放すことになるか、あるいは長い付き合いになるか。第一印象は最悪でこいつ何者と思った二人がいつしか恋に落ちるなんてこともある。E-510と私がそうならないと決まったわけじゃない。あれほど仲良しになったE-1も、今は私の元にいない。カメラと人の縁というのも不思議なものだ。
 縁あって出会ったE-510だから、どんな形になるにしても、最後までしっかりつき合っていこうと思う。よろしくネ、E-510(ゆーとぴあのポーズでキメ)。

報国寺は歴史も本堂も素通りしてみな竹林へ向かう

鎌倉(Kamakura)
報国寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 金沢街道寺社巡りの最後は報国寺(ほうこくじ)だった。まだこの先も明王院、光触寺、十二所神社と続くのだけど、それぞれ距離が離れていて遠いので、今回はここまでとした。そのあと長谷へ行く予定もあって。こちら方面だけを一日コースにすれば光触寺まででちょうどいい感じで回れそうな距離感だ。紅葉の季節でいえば、北側の獅子舞というところもいいらしい。そっちまで足を伸ばせなかったのが今回少し残念なところだった。
 少し日も傾いてきた。秋の夕暮れは早いからのんびりはできない。ちょっとだけ先を急ぐ。
 報国寺の三門はどうしたことか、妙に真新しい。大変立派な構えをしているけどこの新しさが気になった。これも帰ってきてから知ったのだけど、最近修復をしたらしい。どうりでピカピカなわけだ。
 しかし、極太の柱といい、大きな二枚扉といい、かなりお金をかけたとみえる。儲かってるんだろうか。ここは入るだけなら無料だけど、たいていの人は名物の竹の庭を見に来てるわけでそれが200円だから、実質は拝観料200円だ。ただ、本堂のお参りだけの人もいることを考えるとこれは親切とも言える。庭で抹茶をいただきたければプラス500円になる。

報国寺-2

 傾いた秋の日が長い影を作った。狙ったわけではないけどちょうどいい時間帯に訪れたようだ。最後にここを持ってきたのは正解だった。
 鎌倉もこのあたりまで来ると客層が変わる。騒がしいおばちゃん軍団は少ないし、休みの日は修学旅行生もいない。落ち着いた感じのカップルが増え、外国人もあまり見かけない。北鎌倉あたりの有名寺社や鎌倉駅周辺は人も多くて騒々しい。それはそれで賑やかで楽しいのだけど、古都鎌倉の風情を味わいたければやはり少し足を伸ばす必要がある。

報国寺-3

 本堂へのお参りもそこそこに、みんな一目散に竹林の方に向かう。ここの仏さんはけっこう素通りされることが多そうだ。縁起や由来に興味を持ってこの寺を訪れる人は少ないと思う。私も帰ってきて復習するまではどんなお寺なのかまったく知らなかった。
 創建は1334年、開山は天岸慧広(夢想国師の兄弟子)で、開基は足利家時(足利尊氏の祖父)、または上杉重兼ともいわれている。はっきりしたことは分からないようだ。
 臨済宗建長寺派の禅寺で、正式名は功臣山報国寺。本尊は釈迦如来。
 足利氏と上杉氏の菩提寺として栄え、最盛期は5キロ離れた衣張山まで境内に入っていたという大寺院だったのだとか。
 1439年の永享の乱では、反乱を起こした父・足利持氏が永安寺で自刃したのをうけて長男の義久もこの寺で自ら果てている。
 現在は歴史的な部分は置き去りにされて、もっぱら竹の寺として名を馳せている。いいことなのかどうでないのか分からないけど、鎌倉で竹林といえばここと決まっていて、大勢が訪れる。
 見所といえばそれくらいで、右手にある迦葉堂や茅葺き屋根の鐘楼などは私も見ることさえなく通り過ぎてしまった。

報国寺-4

 かなりの人気スポットで、この中は賑わっていた。閑散とした境内とは雰囲気が一変する。やっぱりみんなここ目的で来てるんだなと分かる。
 竹林は細い板の通路が作られていて、そこを一列か二列になってぞろぞろ歩いていく。ロープも張り巡らされているから、勝手なところへ入っていくことはできない。踏み荒らされるのは竹にとってもよくないし、竹の子を踏を踏まれないようにという配慮もあるのだろう。
 1,000本以上の孟宗竹はなかなか壮観だ。もともとここは自然に竹が生えていたところだったようで、40年ほど前に整備して一般公開するようになったそうだ。

報国寺-5

 斜めから差し込む光の具合がよくて、そりゃあみんな撮るよねと思う。でもコントラストが強いから、デジは苦手な被写体だ。明るくなりすぎるか、暗くなりすぎる。フラッシュを使うと雰囲気が飛んでしまう。難しいところだ。
 レンズは人間の目ほど優秀にできてないから、こういうシーンは見たままを捉えることができない。こういうところではまだフィルムのアドバンテージがある。

報国寺-6

 ここはやはり夕方がベストタイムなんじゃないだろうか。竹林が絵になるのは、この光と影のコントラストだから。
 耳を澄ますと上空を渡る風がサラサラ鳴る音が聞こえる。それもまた、竹林の楽しみの一つだ。ベストシーズンは夏の終わりだろうか。このシチュエーションにヒグラシの鳴き声が加わったら素敵だ。自分たちの貸し切り状態なら尚いい。

報国寺-7

 どこまでも高く伸びた竹は、その先が見えないくらい高い。竹の寿命は何年くらいなんだろう。
 竹のように真っ直ぐな性格という言葉があるけど、あれは上手い表現だ。写真ではゆがんでいるけど、これは広角レンズの特性でこうなってしまただけで、見た目はやっぱり真っ直ぐだ。

報国寺-8

 裏手に行くと、鎌倉時代特有の岩のお墓「やぐら」があった。近づくことはできない。
 ここで自刃した足利義久や、足利家時など足利氏一族のお墓のようだ。

報国寺-9

 蛇足写真。絵になりそうでなりきらなかった一枚。もっと紅葉の葉が一面に浮いていればよかったのだけど。

 このあと私たちは江ノ電に乗って由比ヶ浜まで行き、鎌倉文学館を訪れ、最後を長谷寺のライトアップで締めくくることになる。ここしばらく神社仏閣の歴史ネタが続いたので、そろそろおなかいっぱいになった頃だろう。私だってそうだ。三度の飯より神社仏閣が好きというわけではない。あ、でも、まだ奈良の東大寺編が残ってた。また寺かよ。なんとかワンクッション、ツークッション、何か別のものを挟みたい。鳥になるか、風景になるか。もしかしたら遠出もあるかもしれない。
 クリスマスイブまで一週間を切った。今年の残りもあと2週間だ。でも、まずは鎌倉編を完結させることを考えよう。残りあと2回。

かつての面影が残っていない鎌倉五山の浄妙寺に栄枯盛衰を思う

鎌倉(Kamakura)
浄妙寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 杉本寺をあとにして、更に金沢街道を行く。5分も歩くとバス停の浄明寺があって、そこを左に行けば浄妙寺、右へ行けば報国寺となる。どちらから行ってもよかったのだけど、気分で浄妙寺を先にした。
 ここら一帯は浄明寺という地名になっていて、お寺の浄妙寺とは地が違っている。同じ字を使うのは畏れ多いということで変えたんだそうだ。かつての浄妙寺は鎌倉五山の第五位という大寺院だったから、そういうこともあるだろう。
 帰りは浄明寺のバス停からバスに乗って鎌倉駅まで戻った。歩くと遠いけどバスならすぐだ。渋滞さえなければ10分もかからない距離だ。

 浄妙寺は我々の鎌倉五山巡り最後のお寺となった。ゴールデンウィークのときに、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺と一気に4つ回って、浄妙寺だけが離れたところにあったので行けずに残った。寿福寺もゴールデンウィークの特別公開とかで知らない間に中に入っていた。
 鎌倉五山といっても、その後の衰退が激しく、現在も大寺院として生き残ったのは建長寺と円覚寺だけとなっている。今回行った浄妙寺も普通の規模のお寺となっていて、七堂伽藍と塔頭二十三院を抱えていたという全盛期の面影はもはや残っていない。拝観料も控えめで100円だ。
 それでは総門をくぐって中に入ってみよう。

浄妙寺-2

 門から真っ直ぐ伸びた参道の先に大きな本堂が建っている。禅寺らしい構えだ。しかし境内は狭い。かつてはどんな規模だったのか分からないけど、こんな狭い中には七つもの伽藍は入らない。もっと横幅も奥行きもあったのだろう。今は本堂だけがわずかに過去の栄華を偲ばせる。
 今は銅葺き屋根となっているけど、何十年か前までは茅葺きだったそうだ。近年の茅不足と手入れの大変さから銅葺きになってしまったらしい。この規模で茅葺き屋根のお堂は立派な姿だったろう。そのとき見たかった。
 堂は江戸時代中期の1756年に再建されたものだ。
 境内には他に、客殿、庫裏、収納庫などしか残っていない。火災などで焼けてしまったまま再建されることがなかった。

 創建は1188年というから鎌倉幕府が開かれる前だ。源頼朝の家臣だった足利義兼が、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて極楽寺として建てたのがはじまりだった。このときはまだ密教系(真言宗)の寺院だった。
 禅宗に鞍替えして名前を浄妙寺としたのは、建長寺の開山だった蘭溪道隆の弟子の月峯了然が住職となったときで、1258年頃だったとされている。
 1756年に足利尊氏のお父さんの足利貞氏が再興した。貞氏は死んでここに葬られ、寺の裏手に墓が建っている。
 1386年に室町幕府の三代将軍足利義満が五山の制を定めたとき、浄妙寺は第五位とされた。この後隆盛を極めるも、室町幕府の衰退と共に寺も勢いを失っていった。日本の中心が鎌倉ではなくなっていったから無理もない話だ。
 正式名は、稲荷山浄妙廣利禅寺。本尊は釈迦如来。

浄妙寺-3

 目の前を猫がスタコラと横切っていった。あ、おい、ちょっと待って、という呼びかけにも応じることなく駆け足で去っていって、何をする気かと思ったら灰色の猫を追いかけて飛びかかっていっていた。お仲間じゃないのか。
 この猫、どうやらここの名物猫のようで、いつもは拝観料を払う入り口のカウンターで寝ているらしい。こういうのも看板猫というのだろうか。あるいは招き猫か。
 でもやっぱり猫がいる神社仏閣はいい。気持ちが和む。

浄妙寺-4

 この寺は特に紅葉名所というわけではなく、枯れ葉風情だった。
 茶室の隣は、木漏れ日と落ち葉が風情を感じさせた。

浄妙寺-5

 喜泉庵と名づけられた茶室と枯山水の庭園があって、500円払うとここにあがって抹茶をいただくことができる。
 でもありがたがるのは早い。もともとこの場所は1500年代後半に僧侶たちが喜泉という茶席を設けていたところで、現在の茶室と庭園は平成3年に造られたものだ。よくできているけど、ごく新しいものなのでこれはまた歴史のある立派な庭園ですねなどと口走ると恥ずかしい思いをするので気をつけたい。

浄妙寺-6

 左手の坂道を登っていくと、「石窯ガーデンテラス」という案内看板が立っている。お寺の中にガーデンテラスとは何事だろうと思ったら、自家製パンを出すカフェ&レストランだった。これも境内の中ということになるのだろう。
 かつて貴族院議員の洋館が建っていて、その持ち主が転々として、最終的には浄妙寺が買い取ったとかなんとか。はっきりしたことはよく知らない。とにかく今は境内の中にあるレストランのようだ。
 かなりの人気らしくて、私たちは行かなかったのだけど、週末などは入るのに1時間待ちなんてこともあるんだとか。
 金沢街道のこの先には旧華頂宮邸もあったりして、ちょっとした洋館巡りもできる。

浄妙寺-7

 奥に紅葉してるところがあったので撮ってみた。ここはきれいな赤が残っていた。鎌倉は場所によって紅葉の進み具合にかなりバラつきがある。距離はそんなに離れてないのだけど。

 鎌倉五山の寺として期待していくとこんなものかとちょっとがっかりしてしまうかもしれない。寺院としては特に見所があるわけではない。本堂も江戸時代のものだし、茶室や庭園は平成生まれの生成育ちだ。紅葉も見所になるほどではない。季節ものとしてはボタンが充実してるそうだ。あとは看板猫を見るくらいか。
 ここまで何も残ってないと、逆に流れた歳月の多さに感慨深い。円覚寺や建長寺へ行ったあとに訪れてみるとその思いもひとしおだろう。栄華盛衰というのもを思わずにいられない。時代は移り変わっていくものだ。
 次回は報国時編だ。それが今回の金沢街道巡り最後となる。

鎌倉最古の杉本寺はガイドブックで作ったイメージとは違っていた

鎌倉(Kamakura)
杉本寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 鎌倉最古のお寺という杉本寺には前から興味があった。神社仏閣は古ければ古いほどありがたいもので、一番古いなんて聞くと、それだけで俄然行ってみたくなる。ガイドブックを見ると、古いお堂に苔むした石段などの写真が載っていて、いかにもという感じだ。だから、金沢街道方面へ行くと決まったとき、ここが一番楽しみなところだった。
 しかし、想像と現実は往々にして違うもので、杉本寺もちょっと拍子抜けするようなところだった。まず、車の往来の激しい金沢街道に面しているところから、あれあれとなった。こんなところだったんだと。金沢街道自体、車も人も通らないような山道をイメージしていたから、まずそこから崩れてしまったというのがある。そこへもってきてこのロケーション、私ががっかりしてしまったのも無理はない。もっと山の中の人里離れた古寺かと思っていた。
 とはいえ、ここまで来たからには寄らないはずもなく、本堂の方に期待して石段を上がっていった。入り口の石段はそんなに古くもないし苔むしてもいない。

杉本寺-2

 この仁王門(三門)は古そうだ。かなり年季が入っている。たくさんの千社札が貼られているのも、いかにもといった感じだ。茅葺屋根の仁王門というのはちょっと珍しい。この門が作られたのがいつだったのかは調べがつなかった。
 おじさん、ややカメラ目線でフレームイン。上の写真にも背中が写っている。エキストラ参加だ。

杉本寺-3

 左右の仁王像は運慶の作と伝えられている。
 仁王像というと怒りの表情を浮かべていて恐ろしげという印象があるけど、ここのは少しデフォルメしたようなコミカルさを感じた。そんなに怒ってるふうでもない。子供の頃見た丹生大師の仁王像は恐かったな。

杉本寺-4

 ああ、ここだ、ここだ。ガイドブックに出ていた苔むした石段。
 でも、時期的に少し遅かったようで、苔も冬枯れの手前だった。夏の終わりくらいならもっと青々としてきれいだったろうに。光もこのときは強すぎたかもしれない。
 現在この石段は封鎖されていて歩くことができないようになっていた。残念。ここを歩けると思っていたのに。老朽化して危ないということだろうか。人が歩かない方が苔の状態がよくなるから、景観保存のためにはいいか。

杉本寺-5

 三門をすぎてすぐ右側には鳥居が建っていて、中に大蔵弁財天がある。
 どういう歴史や由来があるのかは分からない。大蔵だけにお金に関係あるのかと思うのは間違いなようだ。杉本寺の正式名が大蔵山杉本寺だから、そこから来ているのだろう。
 鎌倉には銭洗弁財天もあるけど、あちらはお金に関係がありそうだ。
 杉本寺の紅葉はこの場所が一番きれいだった。おじさん入りの写真もあったけど、あまり登場するとしつこいので、このシーンではおじさんの出番はカットとした。

杉本寺-6

 拝観料は200円。微妙なところだ。お賽銭は、なしになる。入り口で払っておいたから、あっちでもらってくださいと。人間にばっかりお金がいって、仏さんに回っていかないような気がしないでもない。賽銭なら気持ちよく入れられるのだけど。
 観音堂は1189年に焼けたのをはじめ、何度か焼けていて、現在のものは1678年に再建されたものだそうだ。それでも江戸時代の初期だから、すっかり古びていい感じになっている。茅葺屋根は何年か前に葺き替えられたようだ。かなりお金がかかったことだろう。拝観料の200円くらいじゃ追いつかない。
 最初に観音堂が焼けたとき、本尊の十一面観音三体は燃えずに助かった。燃える観音堂から自ら逃げ出した十一面観音が杉の木の下で見つかったという話が「吾妻鏡」に出てくる。そこから杉本観音と呼ばれるようになったのだと。

 731年、関東地方を訪れていた行基(ぎょうき)が、この場所に自分で彫った十一面観音像を安置したことから杉本寺の歴史が始まった。
 734年に光明皇后の発願で、行基と藤原房前が杉本寺を創建したとされている。
 その後、851年に慈覚大師が、985年には花山法皇の命を受けた恵心僧都(えしんそうず)がそれぞれ十一面観音を杉本寺に納めている。これで十一面観音は三体となった。
 更に1193年には頼朝が運慶に造らせた十一面観音を寄進し、杉本寺は十一面観音だらけになっている。観音堂には運慶作の観音像が立っていて、奥に秘仏として三体の観音像が安置されている。同じく運慶作の地蔵菩薩もいる。
 頼朝が修理費を出したり、実朝も参詣したりと、鎌倉時代も大切にされた。
 観音堂の中に入ってブツを見ることはできるけど、撮影は禁止となっていた。こういうところの撮影禁止というのはよく分からない。フラッシュ禁止なら分かるけど、まさか写真を撮られると魂を抜かれるのを恐れるわけでもあるまいに。肖像権とかそっち関係なんだろうか。あまり撮られて写真が出回るとありがたみがさがるとか。
 歴史をさかのぼると、この地は三浦氏の一族である杉本義宗が築いた杉本城があったところで、鎌倉時代に斯波家長が南朝の北畠顕家に攻めらて落城した。寺の裏手に少し跡が残っているようだ。

杉本寺-7

 観音堂の向かって右手にも上り下りする階段があって、こちらからは視界が開けていて家並みを見下ろすことができる。帰ってきてから知ったのだけど、左側からは富士山が見えたらしい。
 このあたりがかなり山側に入っているというのがこの写真でも分かる。山間の狭いところによくもこれだけ詰め込めたもんだと感心する。ぎゅうぎゅうの押し合いへし合いをしながら、みんな思い思いの方向も向いて建っているのも面白い。それぞれの家に通じる道はどんなふうになっているんだろう。
 鎌倉に住むというと優雅なイメージがあるけど、実際に住むとなると不便そうだ。車がないと動きが取りづらいし、道は狭い。観光客はいつでも多くて邪魔くさい。スーパーやコンビニのたぐいがほとんど見あたらないけど、住人はどこで買い物してるんだろう。電気屋やホームセンターもドラッグストアもない。Book offもないし、私にとっても住みづらそうな街だ。もはや鎌倉文士の時代ではなくなった。

 聞くと見るとでは大違いの杉本寺ではあるけど、なかなか雰囲気もあって、観光客も少なくて静かないいところだった。ただ、山奥の苔むした寺を求めていくと肩すかしを食う。鎌倉最古というほど圧倒的な古さは感じない。
 今回の金沢街道行きの旅も残すところ浄妙寺と報国寺の二つとなった。その先の明王院や光触院は遠いし時間もないからやめておいた。
 その後は鎌倉駅に戻って江ノ電で長谷へ行って、文学館と長谷寺のライトアップを見て回った。順調にいけばあと4回で終わるのだけど、来週は途中で遠出も予定してるから来週中に終わるかどうか。次はクリスマスだ。
 鎌倉編はまだ折り返し地点。もう少しおつき合いください。

2007年最後のサンデー料理は今の私の等身大料理

料理(Cooking)
2007年最終サンデー

OLYMPUS E-510+smc Takumar 50mm f1.4



 2007年のサンデー料理は今日が最後となる。来週はクリスマスイブ前で、その次は大晦日前だから、のんきに料理なんか作っていられない。そんなことを言うと主婦の人に叱られそうだけど、私の場合は、ほら、趣味だから。それに、相変わらず手際が悪くてとっかかりから完成までに2時間以上を要してしまう私なのだ。慌ただしい日の前日にサンデー料理をしてる暇はない。
 最後ということで特別なメニューも考えたんだけど、結局はいつもの常連メンバーにしておいた。今日自分が食べたいと頭に浮かんだものを作って食べようと。それが2007年の締めくくりにふさわしい。
 食材もお馴染みさんが顔を揃えた。豆腐、マグロ、タマネギ、エビ、鶏肉、ニンジン、エリンギ、長ネギたち。変わり映えはしないけど、安心感はある。
 食べる前から味は想像できるものばかりだったから、大きくはずすことはなかった。無難すぎてつまらないと言えばつまらないけど、言葉を換えれば安定した料理ということになる。1年間、月に2、3度作ってきて、ようやく大きなふらつきはなくなった。味のバラツキも当初に比べたらだいぶなくなりつつある。圧縮鍋で作ったカレーが爆発していた頃が懐かしい。ある意味では趣味というより家事に近くなってきているような危うさもあるがありつつも、それはまた来年への課題ということにしよう。

 簡単にメニューを説明すると、手前は豆腐ハンバーグだ。絹ごしを使うことでフワフワに仕上げることができる。肉は入れずにあえて豆腐とタマネギ、卵だけで作ってみた。あっさりした味わいでこれでも充分おかずとして成立する。ダイエット食にもよさそうだし、ベジタリアンの人でも食べられる。
 味はソース次第でどうにでもなる。今回は、しょう油、みりん、酒の和風だれにしたけど、トマトソース系でもホワイトソース系でもいけるはずだ。
 右のやつはちょっと失敗した。イメージがないまま作り始めて、途中でも着地点が見いだせないままぐずぐずの完成となっった。
 最初は薄焼き卵に切り込みを入れて巻いて花のようにしようとしたけど、失敗。単なる薄焼き卵のロール巻きになってしまった。それだけでは寂しいということで、手持ちの白身魚、エビ、鶏肉、タマネギをそれぞれ刻んで塩、コショウ、だし、しょう油などで味付けたものを加えてみた。出来上がったのを見て、もう少しどうにかならなかったものかと反省するも、もはや手遅れだった。盛りつけも来年の大きなテーマだ。
 左奥は中失敗。マグロの切り身のあぶり焼きをするはずが、魚焼きグリルで焼いている途中で来客があって、対応してたらすっかり忘れていて、最終的にはくんせいのようになってしまっていた。なんてこった。まあ、ちょっと固いだけで食べられたからよかったのだけど。
 しょう油、酒、みりんのたれにつけ置きして、あとはあぶるくらいで食べるのがちょうどいい。上にはわさび醤油、味付けのりと長ネギの刻みを振る。

 一年の締めくくりサンデーとしては、やや物足りないものとなったものの、今年はここまでとする。今年の初めのおせち料理もどきから始まって何回作ったんだろう。30回くらいだろうか。作った回数とインターバルを考えれば、まずまず順調に進歩成長してると思っていいだろう。とりあえず一通りのものを作れるという自信は持てるようになった。人に出しても、そう問題のないものだと思う。作っている過程を見られなければ。
 来年も時間のある限り続けていきたい。もっと向上心とチャレンジ精神を持っていろんなものにも挑戦していきたいとも思う。馴染みのない食材を使いたいし、まだ見ぬ外国料理も作ってみたい。
 課題としてははっきりしているのは、付け合わせによる彩りと盛りつけだ。料理のセンスがいい人はこのあたりが違う。食事というのは見た目でも楽しむものだから、食べる以前に美味しそうに見えることも大切だ。その課題を克服したとき、もう一段上にいける気がしている。
 突撃!私の晩ご飯企画も頓挫したままになってる。これもまた2008年サンデー料理の目玉のひとつとしていきたい。
 あとは作る手際のよさやスピードアップなど、まだまだ課題は多い。おまえは一体どこへ行こうとしているのだと私に訊ねてはいけない。私だって分からないのだから。
 この世にサンデーがある限り、私のサンデー料理も続いていくだろう(ホントかなぁ)。

鎌倉はずれの瑞泉寺へ遅い紅葉を見に行ったらまだ早かった

鎌倉(Kamakura)
瑞泉寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 鎌倉宮を出て左に曲がって更に奥を目指す。20分ほど歩いたところで瑞泉寺(ずいせんじ)の入り口が見つかった。やっと着いたかと思うとそうじゃない。本堂はここから更にずっと進んだ先にある。
 ここまで来るとけっこう山の方に来たという感じがする。三方を山に囲まれた鎌倉の街で、ここが北東のはずれになる。
 このあたり一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれており、昔から紅葉名所だったようだ。瑞泉寺も鎌倉の中では一番紅葉の遅い場所としても知られている。私たちが行ったのもそれを見るためだった。

 瑞泉寺は鎌倉期に創建された臨済宗円覚寺派のお寺で、山号を錦屏山という。
 1327年、鎌倉幕府の重臣だった二階堂道蘊(どううん)が、夢窓疎石を開山として創建し、瑞泉院と名づけた。
 瑞泉寺となったのは、足利尊氏の四男で初代鎌倉公方の足利基氏のときだった。その頃までに衰えていた寺の勢いを再び取り戻させて(そういうのを中興という)名前をあらためた。
 このあたりの二階堂という地名は、二階堂道蘊から来ている。
 足利基氏がこの寺に葬られてからは、関東公方家の菩提寺となり、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(じっさつ)筆頭となった。
 鎌倉時代から五山文学(禅宗寺院で行われた漢文学)の拠点であったこともあり、近代まで文学者との関わりも深い。徳川光圀もここで『新編鎌倉志』の編さんをしたといわれている。鎌倉に縁のあった文学者の多くが訪れ、永井龍男の「秋」などの作品にも登場している。高浜虚子、久保田万太郎、大宅壮一などの碑の他、久米正雄や立原正秋の墓がある。

瑞泉寺-2

 総門の前できれいに染まったモミジが出迎えてくれた。
 このあたりはやたら電線が目立ってしまうので写真を撮るとき邪魔になる。景観もよくないし鎌倉は狭いのだから、せめて電柱を地下に埋めればいいのにと思う。工事は大変だろうけど。
 こういう細い道でも車が平気で通るのも鎌倉の特徴だ。車の運転に自信がない人は鎌倉は住まない方がいいかもしれない。
 総門をくぐればいよいよ境内かと思うとそうではない。左右に民家が建ち並んでいて驚かされる。境内なのに民家? かつては大規模だった寺が土地を切り売りしたのか、今はかなり縮小されてしまったようだ。
 それにしても門の中に普通の民家があるというのは不思議な感じがする。

瑞泉寺-3

 途中でポツンと土鈴(どれい)の店があった。みやげもの屋などが並んでいるわけではなく、ここだけが独立してある。おじいさんが趣味を兼ねてやっているような店で、たくさんの作品が並んでいた。作るのが楽しくて売るのは二の次といったところだろうか。でも、けっこういい値段していた。
 私も瀬戸で土鈴猫を作ったけど、あれは面白かった。また機会があれば挑戦してみたい。次こそ猫に似せてみせる。

瑞泉寺-4

 鎌倉で一番紅葉が遅いところというだけあって、我々が訪れた12月9日はまだ完全に色づいていなかった。他ではほとんど終わっているところが多かったのに、ここは特別遅い。山の方で気温も低いだろうに平地より遅いというのは不思議だ。
 あれから一週間経って、そろそろ見頃が過ぎた頃だろうか。
 本堂は高い位置にあって、少し長めの石段を登らなければいけない。途中で二手に分かれていてどっちから行けばいいか迷う。先で合流してるからどっちから行ってもいいのだけど、右が新しく作られた方で、左が昔からある石段だ。行き帰りで両方行ってもいい。

瑞泉寺-5

 かなりの巨木もあり、一本で見上げる空全体を覆い隠していた。
 このときの染まり具合はまだ6分、7分くらいで、青々してるやつもあった。これが真っ赤に染まったら壮観だろうけど、グラデーションもそれはそれで悪くない。

瑞泉寺-6

 石段を登り切ったところに三門がある。
 書き忘れたけど、ここでは拝観料100円を取られる。100円は良心的だけど、いよいよここからは鎌倉得意の小銭徴収攻撃が始まる。

瑞泉寺-7

 ここは鎌倉を代表する花の寺で、一年中何かしらの花が咲いている。特に有名なのが春先の梅と水仙だ。境内にはたくさんの梅の木があり、3月はさぞや華やかなのだろうと思わせた。
 その他、椿、マンサク、コブシ、藤、アジサイなどが咲き、最後は紅葉で締めくくりとなる。この時期は、センリョウ、マンリョウの赤い実も目立っていた。
 仏殿や書院、客殿、地蔵堂、開山堂などはすべて大正以降に再建されたもので、古い堂は残っていない。その点ではありがたみはもうひとつだ。

瑞泉寺-8

 どこもく地蔵と呼ばれる堂。
 昔、寺の堂守が生活の苦しさから逃げだそうとしていたとき、夢に地蔵が現れて「どこも苦、どこも苦」と言うのを聞いて思い直して地蔵を祀るようになったという話だ。
 中をのぞくと、地蔵菩薩立像が安置されていた。これは古そうな建物だったのに、意外と新しいものだったのだ。火事で焼けたのか、関東大震災で倒れたのか。

瑞泉寺-9

 これが瑞泉寺名物、岩の庭園だ。鎌倉によくある「やぐら」かと思ったら違った。
 夢窓疎石初期の作品で、徹底的に無駄をはぶいて、くりぬいた岩と池で禅の庭園を造ったとされている。造形がワイルドすぎて言われなければよさに気づかない。言われても、はぁ、そんなもんですかと言うしかない。鎌倉期唯一の庭園で、禅宗庭園の傑作とされている。
 長らく忘れられて埋もれていたものを、昭和45年(1970年)に発掘、復元したのだとか。
 夢窓疎石は京都の天龍寺の庭園が一番有名だろう。西芳寺や山梨の恵林寺などたくさん設計していて、私は岐阜県多治見の永保寺や春日井市の内々神社のものを見た。
 まあ、でも、禅の庭は難しい。正直、分からないのが当たり前だと思う。

瑞泉寺-10

 紅葉の赤に惹かれるのは共通のようで、みんなして同じ木を囲むようにして撮っているのがおかしい。その姿が私にとって被写体になる。

瑞泉寺-11

 お昼も過ぎたところでランチタイムとなる。おあつらえ向きに休憩所があったので、そこで食べることにした。残念ながら高台からの見晴らしはよくない。木々に遮られていい景色とは言えない。よく晴れた日は富士山が見えるそうだけど、このときは見えなかった。残念。
 ケーキは今回市販のものだった。ケーキ焼きはクリスマスだ。けど、市販のケーキを超えるのは難しい。料理なら自分の好みの味付けとかがあるけど、ケーキだけは正面から戦って必ず負ける。コンビニの安いケーキを超えることさえ難しい。

瑞泉寺-12

 どこからともなくサビ猫が現れて愛想を振りまいてくれた。サービスのいいやつだ。首輪もしてるし、ここのお寺の飼い猫だろうか。ここなら行動も自由で縛られないし、車もこないから半ノラのような状態で気ままに生きるには最高の環境だろう。
 よく慣れていて触ってもおとなしくしていた。首輪にプレートが付いていたから名前が書いてあるのかと見てみたら、ノミ取り首輪の日付を書くプレートだった。
 猫が食べられるようなものは持っていかなかったので、こいつらは何もくれないやチェっとか思ったようで離れていった。遠出するときもカリカリは必帯だろうか。

 岐れ路の北側の道はここが終点となるから引き返すことになる。歩き目的なら天園ハイキングコースを行ってもいいのだけど、山歩きを避けるならいったん戻ることになる。ここから真っ直ぐ南に降りられると楽なのに、鎌倉宮の手前まで戻らないといけない。それがこのコースで少しやっかいなところだ。
 次回は金沢街道に出て、杉本寺などを回ることになる。それはまた別の話。今日はここまで。続きはまた明日。

小幡緑地東園で見つけた初冬風景と鳥少々

施設/公園(Park)
小幡緑地東-1

PENTAX K100D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 日没が一番早かったときから1分遅くなったとはいえ、まだまだ日没は早く、夕方写真を撮れる時間は限られる。今日も短い時間の中でどこへ行こうか考えて、久しぶりに小幡緑地東園へ行くことにした。
 小幡緑地といえばつい最近登場したところなのだけど、そことはまた別のところで、東園は尾張旭市にある。本園と西園と3つあって、かつては全部をつなげるという壮大な計画があったようなのだけど、どうやらいつの間にか立ち消えになってしまったらしい。飛び地のまま3つの緑地がそれぞれ独立した格好になっている。
 東園は狭くてそれほど見所のあるところではない。芝生広場と小さな池があるくらいのものだ。あとは野球場や児童公園などが隣接している。
 今日の目的は一応、鳥だった。こことは相性がよくて、行くと何らかの収穫がある。カワセミも見たし、カラ類の混成チームに遭遇したこともあった。カモ類は少ないから期待できない。
 30分ほどかけて鳥を探しながらぐるっと一周して写真を撮ってきた。二本立ての二本目は、小幡緑地東園編となる。

小幡緑地東-2

 この一角はなんだか外国っぽい。北欧かカナダかそんな感じだ。
 背景の山のオレンジも、初冬の風情だ。

小幡緑地東-3

 午後は曇っていたけど、夕方近くになって日差しが戻ってきた。やっぱり光というのはありがたいものだ。こんなシーンは光がなければなんの面白みもないところだけど、光があるだけで被写体になる。
 広角側70mmは、PENTAXの場合1.5倍換算だから、105mmになってポートレートとしても使える。Canonの望遠レンズだと広角75mmで1.6倍換算だから140mmになって使いづらい。

小幡緑地東-4

 このレンズはデジタルコーティングのわりには逆光に弱い。フードもつけているのに、派手にフレアが発生しているし、コントラストも落ちている。
 昔はシグマが逆光に弱かったけど、最近は傾向が変わってきただろうか。

小幡緑地東-5

 深い青色が出た。自然界には様々な色があって、人が作った色の名前や絵の具では追いつけない。
 今の時期は池全体を枯れ葉が覆っていて、カモたちには泳ぎづらい環境になっている。もう少し季節が進むと枯れ葉が底に沈んで、水面が表れてくるから、そうするとまたカモもやって来る。

小幡緑地東-6

 逆光の紅葉は見た目がすごく印象的なのだけど、写真にすると弱くなる。画像データを落とすために圧縮保存をすると、ますます鮮やかさが失われる。ただでさえ写真の枚数が多くなっているのに、これ以上データ量は増やせない。サイズもできればもう一回りくらい大きくしたいのだけど。

小幡緑地東-7

 落ち葉の道。向こうからおじさんが一人。
 カップルならもっと絵になったけど、そうなると正面からは撮りづらくなる。

小幡緑地東-8

 母子の散歩風景。ちびは寒さをあまり感じないものだろうか。
 暑い寒いと言い出すのは中学生くらいからかもしれない。私だって小学生のときは冬でも半ズボンを履いていた。もう無理だ。今半ズボンを履くのは季節にかかわらずきついものがあるけど。

小幡緑地東-9

 そういえば今日も目的は鳥だった。アオサギを見て思い出す。
 アオサギさんも寒いのか、首をすっこめていた。今日は寒い日だったし、水辺は風が冷たい。鳥だって寒かろう。

小幡緑地東-10

 サギも警戒心が強くてちょっと近づくとすぐに飛んで逃げる。考えてみるとサギを至近距離で見ることはめったにない。せいぜい5メートルくらいだろうか。
 このときもふいに飛び立って慌てて流し撮りをしたけど追い切れなかった。ピンぼけが少し、手ぶれもおこしてるかもしれない。
 こういうとき連写機能が弱いK100Dでは厳しい。K10Dはまだ値崩れしてこないから買えるのは先になりそうだ。

小幡緑地東-11

 お馴染みのシジュウカラだ。今日はカラ類混成チームは見かけなかった。メジロやエナガなどもいるかと期待していったのだけど。最近、ヤマガラさんも見ていない。

小幡緑地東-12

 芝生にハクセキレイ。これも常連さんだ。
 今年はまだ地面のツグミも撮ってない。
 結局、今日の収穫はこんなところだった。初冬の風景としてはまずまず、鳥は物足りなかった。初顔に出会いたいと思いつつ、この冬はまだ出会えてない。
 紅葉も終わったし、そろそろ鳥撮りに本腰を入れよう。さて、次はどこへ行こうか。

歴史の跡地に立つ神社と夢のあとの野原 ~金沢街道を行く

鎌倉(Kamakura)
鎌倉宮-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm Di



 鶴岡八幡宮を出たあと、住宅街をテクテク歩いて最初にたどり着いたのが鎌倉宮(かまくらぐう)だった。こちらは金沢街道から外れた北側のルートにある神社で、お宮通りと呼ばれている道の先にある。金沢街道は「岐れ路」を下(南)へ進んだ方の道だ。
 一つ失敗したのは、鎌倉宮の手前左側にあった荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)に寄らなかったことだ。大した神社じゃないだろうと飛ばしたのだけど、帰ってきてから調べたら、九州の大宰府天満宮、京都の北野天満宮とともに日本三大天神とされているところというではないか。しまったにもほどがある。そんな大事なところをスルーしてしまったとは痛恨のミスだった。また行く機会があるといいんだけど。
 なにはともあれ、金沢街道方面巡りはここ鎌倉宮がスタート地点となった。
 入り口では紅白の鳥居が出迎えてくれる。ちょっと珍しいカラーリングだ。源氏の赤と平家の白というそれぞれのシンボルカラーを組み合わせることで仲良くいこうというメッセージだろうか。単におめでたい色だからか。
 入り口付近から人も多く、車の出入りなどもあって雑然とした雰囲気にちょっとたじろぐ。一般的な観光コースからははずれたところだから、もっと深閑としたところをイメージしていた。朝市の旗も立っている。
 ここを訪れたのは、この神社の由来や歴史に興味を持ったからというのではなく、紅葉が目当てだった。予習はまったくしてなかったので、行ったときはここがどういう神社なのかはまったく知らない状態だった。だから荏柄天神社も逃してしまうのだ。

鎌倉宮-2

 入り口は狭かったものの、境内はわりと広く、奥行きもある。左側では朝市なのか骨董市なのか、価値があるのかないのかまったく分からないようなブツがたくさん並んでいた。お宝が埋もれていたとしても、私には判断できない。
 右手は駐車スペースになっている。狭い鎌倉だからしょうがないのだけど、神社仏閣の境内に車がたくさん入っていると景観を損ねる。人が入った写真は好きだけど、神社に車の入った写真は好きじゃない。

鎌倉宮-3

 二の鳥居も白と赤だ。昔からこの色だったのか、最近塗り直したのか、どちらだろう。
 建物の規模としては決して大きくない。どちらかといえばこぢんまりしてるといった方がいい。

鎌倉宮-4

 拝殿の前には大きな獅子の顔がでんと置かれている。なんだこりゃと思う。こんなのは初めて見た。
 帰ってきてから調べたところ、ここの祭神である護良親王(もりながしんのう)が戦のとき兜の中に獅子頭の小さなお守りを入れていたところから来ているんだとか。獅子頭守というらしい。由来も分からず頭をなでておいたけど、それは失礼だったのかもしれない。たむけんはぜひここにお参りに来るべきだ。

 1308年、後醍醐天皇の皇子として生まれた護良親王は、6歳のときに京都の三千院に預けられ、11歳で延暦寺に入って、大塔宮(おおとうのみや)と称されるようになる。現在鎌倉宮が別名大塔宮と呼ばれているのはここから来ている。一般的には「おおとうのみや」、地元の人は「だいとうのみや」というそうだ。バス停も大塔宮となっている。
 20歳で早くも天台座主(てんだいざす)となるも、23歳のとき父親の後醍醐天皇が北条氏の鎌倉幕府倒幕に立ち上がり、還俗して参戦することになる。子供の頃からずっと僧侶として育った天皇の息子が、20歳をすぎてからいきなり戦に参加して戦うというのだから驚く。我々が現在抱いている皇室のイメージとはずいぶんかけ離れている。
 その後2年間にわたり、赤松則祐や村上義光たちと十津川、吉野、高野山などを転々として戦った。足利尊氏は京都の六波羅探題を滅ぼし、一方では新田義貞が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府はついに滅亡することとなる。
 倒幕計画が発覚してすぐに捕まって隠岐(おき)に配流されていた後醍醐天皇は京都に戻り、護良親王は兵部卿・征夷大将軍に、足利尊氏は鎮守府将軍に任命される。
 しかし、この人事に納得がいなかったのは足利尊氏で、自分こそが征夷大将軍だと言い張ってややこしいことになる。こののち二人は対立し、先制攻撃を仕掛けた護良親王が逆に尊氏の策略によって捕まってしまい、鎌倉の東光寺(とうこうじ)に幽閉の身となってしまう。その際、寺の裏の土牢(つちろう)に9ヶ月間入れられていたという伝説があり、今でもその跡地が残っている。神社は拝観料はいらないけど、そこに入るには300円が必要になる。私はいったときは知らなかったけど、知っていてもたぶん入ることはなかっただろう。
 護良親王幽閉後も争いは続き、1335年7月、残党を集めて鎌倉に攻め入った北条時行の軍に、尊氏の弟である足利直義が破れることとなる。このとき、時行に親王を奪還されることを恐れた直義は、家臣の淵辺義博に護良親王暗殺を命じる。暗くて狭い中に9ヶ月も閉じこめられていた護良はまともに戦うこともできず、28歳で波乱の人生を終えることとなる。
 時は流れて明治2年。護良親王の霊を慰めるため、明治天皇が自ら東光寺跡に神社を造ることを思い立ち、名前を鎌倉宮と名づけた。鎌倉の中ではずいぶん新しい神社だったのだ。明治6年には明治天皇もこの地を訪れている。

鎌倉宮-5

 社務所前にある「もみじの天井」は、なかなかのものだった。ここは色づきが遅いところで、このときもまだ完全には染まりきってない部分もあった。
 これだけを見に行くほどのものではないけど、この時期に金沢街道へ行くなら寄っていって損はない。

鎌倉宮-6

 出口付近にあるもみじの木で、鳥の鳴き声がして、人が上を見上げて何かを撮っていた。紅葉でも撮っているのかなと思ったら、ビクセンのケースを持っていた。あ、鳥の人だ。
 あわてて上を見上げると何かがチョロチョロ動いている。あ、メジロ。紅葉にメジロとはチャンス到来。この組み合わせは撮ったことがない。慌てて望遠レンズに交換したものの、なかなかいいポジションに止まってくれない。枝や葉が重なり合ってオートフォーカスも迷いっぱなしだ。
 なんとか粘ったものの、これで精一杯だった。葉っぱの影に下半身しか写ってない。でも紅葉写真としてはきれいだから、これはこれでよしとしよう。

鎌倉宮-7

 葉っぱの少ないところに移動したところでどうにか撮れたのがこの一枚だ。これでもいい鳥写真とはいえない。少なくとも目はしっかり捉えないと。メジロといえどもちょこまかするから、なかなか手強い。
 TAMRONの70-300mm Diはけっこう優秀だ。期待以上に写りがよくて驚いた。デジタルコーティングが効いているのか。これくらい写れば必要充分だろう。ミニバズーカのTakumar 300mmを持ち出せないような旅行のときはこいつを持っていこう。コンパクトで軽いから助かる。

鎌倉宮-8

 鎌倉宮を出てすぐのところが一番よく染まっていた。
 このあと我々は、瑞泉寺へ向かうことになる。お宮通りの突き当たりにそれはある。

鎌倉宮-9

 向かう途中、テニスコートの横に永福寺跡(ようふくじあと)の石碑が建っていた。永福寺といえば、かつて大きな寺だったというのをどこかでちらっと見た記憶がある。念のため撮っておいた方がいいかなと思って撮っておいて正解だった。ここは頼朝の鎌倉幕府にとって重要な場所の一つだったのだ。それも帰ってきてから知ったことだった。
 源頼朝が建てた寺院といえば、なんといっても鶴岡八幡宮が有名だ。けど、それ以外に頼朝ゆかりの寺社は思いつかない。頼朝はあれしか建てなかったかといえばそうではなく、今はもうなくなってしまった二つの大きな寺院を建立している。一つが勝長寿院で、もう一つがここにあった永福寺だった。
 奥州平泉を制圧したとき目にした中尊寺の豪華絢爛さに衝撃を受けた頼朝は、鎌倉の地にあれを超える寺院を建てたいと考える。奥州攻めで命を落とした源義経や藤原泰衡ら武将の鎮魂をするという名目で、中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを模した壮大な寺院を建築したのだった。
 二階堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂を中心とした壮大な伽藍が建ち並び、その前には南北200メートルの池と、京都から庭師を呼んで造らせた広大な庭園を持っていたという。研究者によって再現されたCGを見たけど、これはもう素晴らしく立派なものだ。もし今も残っていたら、鎌倉観光の中心となっていたに違いない。
 鎌倉期に何度か燃えてその都度再建され、室町期には足利氏に保護されたものの、1405年に火事で焼け落ちたあとはついに再建されることがなかった。江戸時代のはじめには廃寺となってしまったそうだ。
 昭和に入って発掘調査が行われたそうだけど、現在は草ぼうぼうの空き地となり果てている。枯れすすき、兵どもが夢のあとといった風情だ。かつての面影は一切残っていない。完全復元は資金的に不可能だろう。

鎌倉宮-10

 落ち葉に埋め尽くされた水路。このあたりは日が当たらず空気がひんやりしている。ここから先は少し山の方に入っていく。といっても、まだ観光コースから外れているわけではないから、人通りはそれなりにあって絶えることはない。思っていた以上にこちらも人気のコースのようだ。鎌倉観光中級者向けといったところだろうか。
 この先は瑞泉寺だ。そのときの話はまたあらためてということで。
 つづく。

今年三度目の鎌倉行きはお馴染みとなった鶴岡八幡宮から始まった

鎌倉(Kamakura)
鶴岡八幡宮の秋-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 長らく憧れの気持ちを持ちながら、どういうわけか恐れを抱いていた鎌倉という土地に今年一年で三度も行くことになろうとは、去年までの私には思いもよらなかった。
 行ってみればなんてことはない、とても相性のいい場所ですぐに馴染めて溶け込めた。鎌倉はやっぱりいいところじゃないかと思う。
 ただ、どちらかというと、北条色の強い北鎌倉よりも、源氏ゆかりの鎌倉の方に親しみを感じるあたりに、やっぱり何かあるのか。今はもう恐れはなくなったけど、行く前に感じていた得も言われぬ不安感というのは、まったくの気のせいだったとも思えない。自分は近づいてはいけないのではないかとさえ感じていたのは鎌倉しかなかったから、よけいに何かあるんじゃないかと疑ったのも無理はないことだった。
 三度目ともなると、すっかり常連のような気分になる。ゴールデンウィークとアジサイの6月は暑かった。12月は天気がよくて気持ちのいい一日だった。紅葉には少し遅かったけど、今年最後の紅葉見物ということで名残の赤や黄色を求めて、我々は金沢街道方面へ向かった。
 鎌倉駅からバスで大塔宮まで行くという手もあるけど、行きはのんびり歩いていくことにする。歩いていけば鶴岡八幡宮に寄っていくこともできる。
 鶴岡八幡宮に入るのは二度目なのにそう思えない。もう何度も訪れている神社のようだ。見慣れた人混み光景がそう思わせるのかもしれない。ここが空いているときの様子を想像できない。いつ行っても、初詣のようにわんさか人がいる。平日の昼間なんかは静かなんだろうか。
 ポツポツと出ている屋台は常駐なのか、週末だけなのか。

鶴岡八幡宮の秋-2

 舞殿(まいでん)ではこの日も結婚式がとり行われていた。人気のスポットに違いないから、週末ともなれば先まで予約がいっぱいでなかなか取れないくらいなんだろう。この日が大安だったのかどうかは知らないけど、神前結婚式なんだから大安も仏滅も関係ない。仏を祀った寺じゃないわけだし、もともと六曜日にそれほど意味があるとも思えないし。でも、雨降りに当たってしまったら大変だ。
 これだけの人だかりだから、どうしたって注目の的になってしまう。関係のない人に写真も撮られまくりだ。特に外国人にとっては珍しい光景と映るだろう。こういうものを見られるチャンスはなかなかない。神社側としては、オールド・ジャパニーズ・スタイルとして楽しませるという意図もあるのかもしれない。自分だったら参列するのも恥ずかしいけど。

鶴岡八幡宮の秋-3

 鶴岡八幡宮名物の大イチョウは、まだ色づききっておらず、落ち葉にも早かった。見頃はもう少し先になりそうだ。
 この葉がハラハラと散って石段を黄色に染めたらさぞかし風情があるだろう。赤い神殿と黄色いイチョウと青い空の組み合わせはいい。
 この下に集まって集合写真を撮っていたのが印象的だった。昭和の風景みたいで。

鶴岡八幡宮の秋-4

 ツアー旅行者もけっこう多かったようで、西武の青いバスガイドさんも旗を持って中高年を引き連れていた。
 鎌倉とバスツアーの相性というのはどうなんだろう。道が狭くて慢性的に渋滞するから、移動には時間がかかりそうだ。ある程度見所は固まっているから、ツアーとしての効率は悪くないかもしれない。北鎌倉と鎌倉と長谷あたりの主要なポイントを見て回れば一日コースとして成立するのだろう。
 ただ、鎌倉といえば歩きがいいところだし、江ノ電にも乗れないとなると、魅力は半減かもしれない。
 一日タクシー借り切りというのは、京都ほど効果的ではないようにも思う。

鶴岡八幡宮の秋-5

 運転手らしき人に見送られた女の人を、宮司さんや巫女さんが出迎えていた。特別参拝か何かあったんだろうか。
 神社の神職(しんしょく)というのを私はよく分かってない。全部を神主さんだと思うのは間違いで、一般的には神職の長を神主と呼ぶことくらいは分かっても、それ以上は曖昧だ。
 うやむやのまま置いていてはいつまで経っても分かるようにならないと少し調べてみた。
 神社によってもいろいろあるようだけど、基本的には神社の代表者を「宮司(ぐうじ)」、副代表を「権宮司」、宮司の補佐役が「禰宜(ねぎ)」で、一般職員が「権禰宜(ごんねぎ)」となるようだ。けっこうややこしい。すぐに忘れそうだ。たぶん、衣装でも区別がつくのだろうけど、そこまでくわしく勉強してない。
 巫女さんは神職に含まれない。戦前は男しか神職につけなかったけど、今は女性でもなれる。ただ誰でもなれるわけではなく、神道学科のある皇學館大学か國學院大学を卒業するか、神職養成所に通う必要がある。近所の神社へ行って、飛び込みで今日からならせてくださいと頼んでなれるものではない。

鶴岡八幡宮の秋-6

 見慣れない黒い着物の花嫁さんが前を通ってちょっとびっくり。黒もありなんだ。あまり見た記憶がない。
 調べてみると、これは黒引き振袖というやつで、明治、大正時代はこちらの方が主流だったんだそうだ。そういえば昔の親戚の写真で見たような気がしてきた。花嫁は白無垢じゃなきゃ駄目というのは間違った思い込みだったらしい。
 最近はカラフルな色打ち掛けも増えているという。藤原紀香は十二単だったし。

鶴岡八幡宮の秋-7

 今回は金沢街道方面がメインということで、鶴岡八幡宮の拝殿までは行かず、石段の下からお参りするだけにしておいた。先はまだまだ長い。
 ここをあとにする前に、少し池に寄って鳥たちと遊んでもらうことにした。
 プカプカのんきに浮かんでいるのはユリカモメだ。冬鳥としてすっかり常連となった。昔はこんな街中にたくさんはいなかったのに、近年ぐっと数を増やしている。東京もこいつが多い。東京都の都鳥でもある。
 ありふれたやつらで見てもあまりあがたみがないのだけど、ユーラシア大陸の北からはるばる渡ってくる渡り鳥だということを知れば、大切なお客としておもてなししなければという気にもなる。
 白いおなかと真っ赤な足は、よく見るとかわいい。鳩のように邪険に扱っちゃいけない。

鶴岡八幡宮の秋-8

 家から持参した鳩豆を与える人。
 たくさんの白鳩にびっくり。神社だけに神の使いか。でも、これほど多くの白鳩が自然界で生まれるはずもなく、どこからか飛んできたやつらなんだろう。イベントなんかで飛び立たせたやつが野生化したのか。
 白い鳩は純白でとてもきれいだ。ユリカモメよりかわいい。ノラなのにどうやってこんな美白を保っているのだろう。
 でも、白は自然界では弱者であることが多く、このときもたった1匹のドバトに蹴散らされていた。人間から見ればきれいな白も、野生では弱っちいやつらでしかないのかもしれない。

鶴岡八幡宮の秋-9

 鶴岡八幡宮の右を抜けて、金沢街道方面に向かう。最初の目的地は鎌倉宮だ。ゆっくり歩いて20分くらいだったか、もう少しかかったか。
 途中は路地裏の民家の間を縫っていくことになる。バス通りは狭い上に車がひっきりなしに往来していて歩きづらいからなるべく避けたい。裏から行けば、こんな丸ポスト風景も見ることができる。観光客が多い時期の週末は、このあたりに住んでいる人は落ち着かないだろうな。

 こうして三度目の鎌倉編は始まった。何回シリーズになるか、今のところまだ分からない。けっこう回ったから、5回シリーズくらいにはなるだろうか。一応巡った順に書いていこうとは思っているけど、どこかで前後するかもしれない。
 中断している奈良編も終わらせてすっきりしたいとは思いつつ、とりあえず鎌倉を優先する。その途中でも何か挟まることがありそうだ。ここのところネタの在庫過多になってるから、できれば二本立てでいきたいところだ。時間よりも気力的に厳しいものがあるのだけど。
 このあとは鎌倉宮編に続きます。もしかしたら今日中に。

21世紀でも東京タワーは定番のご馳走のように特別であり続ける

東京(Tokyo)
東京タワー2-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 特別展望台にあがってすぐ、お台場方面から花火が打ち上がって、展望台の中が歓声に包まれた。意表を突かれた形で突然始まったから、みんな驚いたようだ。思いがけずいいものを見られて私たちも喜んだ。けっこう本格的な打ち上げ花火で、10分か15分くらい続いただろう。お台場では週末にいつもやっているのだろうか。
 東京タワーくらい高いところなら都内で開催されるあちこちの花火大会が見られそうだ。小さくて音も遮断されてしまうから迫力には欠けるけど、大混雑と暑さ寒さからは逃れることができる。来年はひとつくらいそういう花火鑑賞もいいかもしれない。みんな考えることは同じで、展望台は展望台で混雑するのだろうけど。

東京タワー2-2

 2002年に大きくリニューアルしたとかで、特別展望台も小綺麗になっていた。足下が青や赤などにライトアップされて、脱昭和の意気込みが感じられた。ちょっとムーディーな感じで悪くない。
 それにしても、11人乗りのエレベーターが1基というのはどう考えても無理がある。大展望台から特別展望台に登る人が何割くらいなのかは知らないけど、エレベーターに乗るまでに何分並ばされたか。30分以上は立たされていた。エレベーターが1つだから、帰るときもまた待たされる。乗った人間を降ろしてまた乗せて、到着階での入れ替えてだから、効率の上げようもない。もちろん、エレベーターは遅い。
 上まで来ると展望スペースも狭いからエレベーターを増設するのは無理だ。せめてもう少し高速エレベーターにならないものかとも思うけど、構造上それも難しいのか。
 週末の東京タワーは老人子供に厳しい。車椅子やベビーカーでは特別展望台には登れないんじゃないかと思うけどどうだろう。行列に並んでいる間に孫を連れたおじいちゃんやおばあちゃんは倒れてしまいそうだ。
 そもそも、150メートルの展望台までに820円取っておいて、そこから100メートル上に行くだけのために600円もぶんどるというのは取りすぎだろう。おのぼりさんの足下を見ている。一生のうちに何度も行かない東京タワーにせっかく来たんだから、上まで登っていこうということになるではないか。ただ、上をあまり安くしたらみんな登りたがってますます行列と混雑が大変なことになってしまうから、これも苦肉の策ということか。
 東京タワーへ行くなら平日の方がよさそうだ。

東京タワー2-3

 そんなに並んでまで上まで行かなくてもいいやと思ったかもしれないけど、それがそうでもないところが悔しいところなのだ。たかが100メートル、されど100メートルで、150メートルと250メートルでは明らかに世界が違う。スケール感の違いはそのまま感動の違いとして表れてくる。ビル群が遙か下に見える感覚というのは、通常では味わえない新鮮な感じを受ける。たった100メートルに600円と思うけど、それだけの価値はある。一度は見ておきたい光景だ。
 少しでも元を取るためのぜいたくな楽しみ方としては、夕方前に大展望台に登って、昼間の景色と夕焼けを見て、日没後に特別展望台で夜景を見るというコース設定をすることだ。時間制限はないから、なんなら朝一に弁当持参で登って、営業終了までいたってかまわない。それなら1,420円は安い。

東京タワー2-4

 週末の夜ともなればカップルだらけになるのは仕方がないところだろう。私はカップルを見たり後ろ姿を撮ったりするのが好きだから歓迎だけど、おのぼりさんとして男同士で行ったりすると、ちぇっとか思うだろう。それをバネに頑張るというのもありかもしれない。

東京タワー2-5

 タワーの中の「東京カレーラボ」というカレー屋でカレーを食べることにした。最初は昭和の雰囲気満点の「タワーレストラン」で食べようと思っていたのだけど、カレー屋の呼び込みに負けてついうっかり入ってしまった。カレー屋ではなく、「カレーをテーマにしたレストラン」なんだそうだけど。
 ちょっと汁っぽいカレーで、変わった味のスパイスが効いていた。まずまず美味しかったとは思う。
 ツレはここのカレーが原因だったか定かではないのだけど、これをきっかけに体調を崩すこととなる。このときはまだそんなことになるとは思いもよらない二人であった。

東京タワー2-6

 外に出たらイルミネーションがきれいだったので寄っていくことにした。
 ツレはここでデジを落として壊してしまうという不幸に見舞われる。悪いことが続くときは続くものだ。いろんな意味で思い出深い東京タワーとなった。

東京タワー2-8

 このイルミネーションは毎年恒例で、クリスマスの25日まで毎日点灯されているそうだ。
 15メートルのもみの木のツリーと4万個のイルミネーションが華やかに彩り、東京タワーと光の競演をしている。
 他にもミニ東京タワーがあったり、機関車の光オブジェが飾られたりしている。
 この場所は無料なので、小さい子連れの親子などが多かった。もちろん、カップルも。

東京タワー2-9

 どういうつながりがあるのかは知らないけど、隣では南極観測船で活躍した樺太犬の像が飾られていた。名古屋港にあるタロジロの銅像を思い出す。なんでこんなところにあったのだろう。

東京タワー2-10

 午前0時、東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見たカップルは永遠の幸せを手に入れるという伝説がある。卒業式の日に、校庭のはずれにある伝説の樹の下での女の子からの告白で生まれたカップルは永遠に幸せになる、というのと同じようなものだ。ずいぶん前に聞いたような気がするけど、今でも深夜0時前になるとたくさんのカップルが東京タワーのまわりに集まってきてタワーを見上げているんだそうだ。
 12月は特別に夜の8時になるとライトダウンの演出が行われている。今年で3回目だそうで、クリスマス・ライトダウンストーリーと名づけられた光と音の30分のショーがある。東京タワーの中にいたら当然見ることはできない。ライトダウンの8時は、帰りのエレベーターの行列の中にいた。
 タワーの文字はハートマークをしていた。昔は年号だった。何かのドラマで見た記憶もある。その他、イベントでは別の文字などが点灯されることもあるようだ。

東京タワー2-11

 人が撮ってるところではそれにつられてみんな撮るという法則があって、実に面白い。一人が二人になり、三人、四人と増えていく。みんな他人が何を撮ってるか気になる。自分もその場に立って撮っている方を見ると、なるほどと思う。そういうことか、と。

 毎年200万人が訪れる東京タワー。年間収入40億円のうち、放送局などからの収入が半分、観光客の入場料が半分という割合だという。
 今回私も初めて登ってみて、いろいろ感じるところはあった。リリー・フランキーの作品で東京タワーが持つ意味を再認識した人も多かっただろう。まだまだ魅力は古びてない。少し年を取ったけど、今でも東京タワーは日本のヒーローであることに変わりはない。
 まだ行ったことがないという人はぜひ、一度行ってみて欲しいと思う。それは理屈じゃないし、理由など必要ない。一度行っておくという事実が大切なのだ。
 東京の街のあらゆる場所から見える東京タワー。それを眺めるとき、あそこに登ったんだと思って見るのとそうでないのとでは見え方や感じ方も違ってくる。東京に住んでいる人こそ登るべきだと思う。
 見上げればいつもそこにある。だから私たちは安心していられる。けれどそれは当たり前のことなんかじゃなくて、いつだって特別なことだ。永遠は約束されていない。だから、心の中に必要なのだ。あなたの心の中に東京タワーはありますか?

東京タワーの展望台から見えるのは東京タワーのない東京の街

東京(Tokyo)
東京タワー1-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 1年間、おのぼりさんとして東京の街を巡りながら、一番行くべき所へ行っていなかったことに気づいた。そう、東京タワーにまだ行っていなかった。おのぼりさんなら真っ先に行かなければならない東京のシンボル。昔も今も日本一高い山が富士山であるように、日本一高い建物はずっと東京タワーであり続けている。こんなときじゃないと行けないだろうということで、ツレと一緒に行ってみることにした。
 東京巡り一周年記念として東京タワーに登ったのは正解だった。リリー・フランキーがそうであったように、東京という街に関わる人にはそれぞれ東京タワーに登るべきときがある。東京で生まれた人にとっては小さい頃両親に連れられて行くところだろうし、地方出身者なら初めて行く東京名所になるかもしれない。あんなものは気軽にひょいひょいと何度も行くようなところじゃない。何かのきっかけで、えいやっと気合いを入れないと行けない。たまたま巡り合わせで気軽に行くことになったとしても、それはきっと心に何らかの印象を残すものになるだろう。
 東京タワーは21世紀の今でも、東京のシンボルとしてでんと大きく構えて立っている。時代と共に古びていって時代遅れのものに成り下がったと思っている人がいるかもしれない。私も登ってみるまでそう思っていた。けど、実際は違っていた。その圧倒的な存在感は今なお健在で、東京タワーはやっぱり日本一なんだと深く納得させられたのだった。
 その偉容は、近づくほどに頭上にのしかかり、真下から見上げると、ただ感嘆の声をあげるばかりとなる。こりゃあ、すごいな、と。名古屋のテレビ塔とは全然違う。

東京タワー1-2

 写真が前後するけど、少し離れた場所から見た東京タワーだ。お馴染みのオレンジと白の光が夜空にくっきりと浮かび上がる。
 これは冬バージョンで、暖かい色のオレンジ色となっている。夏場は涼しげな薄いオレンジ色で、東京タワーも季節によって衣替えをしているのだ。
 他にもいろいろなイベントでライトアップの色が変わることがある。乳ガン早期発見啓蒙キャンペーンで毎年ピンクになり、今年の11月には世界糖尿病デーでブルーになった。少し前には 「マトリックス リローデッド」公開記念でグリーンになったり、 2002ワールドカップ開催記念ではシャンパンブルーになったこともあった。
 照明デザインを担当したのは、ライトアップの第一人者、石井幹子だ。現在のように下から照らし出すライトアップが始まったのは1989年だった。それまでは鉄塔の四隅に一定間隔で電球を設置してシルエットを浮き上がらせていた。一晩の電気代2万5,000円を高いとみるか安いとみるかは難しいところだ。
 東京タワーがある港区芝公園はやや半端なところに位置していて、初めて行く場合はちょっと迷う。どこからでも見えるから歩いて行けばやがては辿り着けるのだけど、地下鉄で行く場合はそうもいかず、やや面倒だ。一番分かりやすいのがJR山手線で浜松町まで行って、そこから歩くという方法だ。ただ、15分くらいかかってちょっと遠い。あとは、大江戸線の赤羽橋か、三田線の御成門駅、日比谷線の神谷町駅あたりが5分から7分くらいと近いものの、地方人には聞き覚えのない駅名だ。なんで東京タワー駅というのを作らなかったのだろう。
 平日はともかく、週末の東京タワーはかなり混雑しているから、チケットをあらかじめ買っていくというのがオススメだ。コンビニの端末で買えば820円が740円とわずかに安くもなるし、チケット買いで並ばなくて済む。その後エレベーター待ちで並ばざるを得ないのだけど。

東京タワー1-3

「誓いのタワー」にリボンを結ぶというイベントがあって、趣旨はよく分からないまま我々も参加してみた。誓いなのか願いなのか、その根拠や意図はどこにあったのだろう。特に願い事を書いたりするわけでもなさそうだ。東京タワーへ来たという記念と思っておけば大きな間違いではないだろう。
 こういうものはあまり斜に構えず、素直にやっておくのが一番だ。深く追求してはいけない。去年も5万人がリボンを結びつけたとかで、完成したツリーの写真を見たらモコモコにふくらんでいた。上の写真は、まだまだやせ細っている状態だ。これからクリスマスにかけてだんだん膨張していく。

東京タワー1-4

 時間がなくておみやげ屋はあまり見られなかったのだけど、外からちらっと見たところ、かなり昭和色が濃そうだった。なつかしおみやげの定番である木刀が入り口すぐにあったり、神風と書かれたはちまきやペナントのようなものさえあった。もちろん、金色の東京タワーミニチュアも各種取りそろえられていた。やはりおみやげ物屋はこうでなくちゃいけない。王道中の王道をここに見た。

東京タワー1-5

 展望台の入り口が分からず、少し迷った。チケット売り場からエレベーターの方につながっていて、フットタウンと呼ばれるテナントスペースへ最初に行ったから分からなくなってしまったのだ。そこの2階から1階に降りたところにエレベーターがある。
 コンビニで買ったチケットはエレベーター前のカウンターで通常のチケットと交換することを忘れないように。コンビニチケットを持って並んでいてもエレベーターの前で止められてしまうから気をつけたい。
 それにしても長蛇の列にびっくり仰天。土曜の夕方6時半でこんな状態になっているとは思いもよらなかった。東京タワーはこんなにも人気スポットだったんだ。8時半頃帰るときに見たら、列は2倍以上になっていて外まではみ出していた。恐ろしいことだ。
 結局、エレベーターに乗るまでに30分近く待たされただろうか。ただでさえ定員数の少なくて遅い旧式エレベーターなのに、この日は3基の内1基が点検で動いてなくて、2基でまかなおうとしてるから無理がある。この点検作業はしばらく続くようだ。土日は階段も解放されているようだけど、夜は閉まっている。

東京タワー1-6

 ようやく大展望台に到着した。ここまで来るまでになんだかえらく苦労したから、感動というよりもやれやれという気持ちが強かった。リリーさんのようにドラマチックとはいかなかった。
 150メートルという高さは今となっては平凡だ。東京には他にももっと高い展望スペースがたくさんあって、私たちは何ヶ所も行ってるからこの程度では驚かない。
 ちなみに、日本で一番高い展望スペースは、横浜ランドマークタワーの273メートルだ。東京タワーのこの上にある特別展望台の250メートルより高い。サンシャイン60のスカイデッキが240メートル、名古屋ではミッドランドスクエアのスカイプロムナードが220メートルだ。以前はJRセントラルタワーズの245メートルがあったけど今はない。名古屋のテレビ塔は180メートルだ。

東京タワー1-7

 大展望台にはタワー大神宮がある。これぞ日本文化。外国人にこのセンスが理解できるだろうか。現代でも超高層ビルを建てる前に神主さんを呼んでお祓いをするくらいだから、昭和33年にここを建てたとき神様もお祀りしようと考えたのは不思議ではない。あるいは、こんなに高い建物を建ててしまったことでバベルの塔のように神の怒りを買うことを恐れて、先回りしてここに神様を呼んでしまおうと考えたのかもしれない。
 祭神は、伊勢神宮と同じ天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。ちょっと大胆な神様選びとも思えるけど、ここが天に近い場所であることを考えると妥当なところか。
 御利益は、恋愛成就、合格祈願、交通安全だそうだ。どの程度の力なのかは分からないけど、天界に一番近い神社だから願い事が聞き入れられやすいなんてことも言われたりする。

 正式名称「日本電波塔」が建てられたのは、昭和33年(1958年)のことだった。戦後の復興めざましい東京で、今後発展していくであろうテレビ、ラジオの放送事業に対応するための総合電波塔として建設された。
 高さは一般的に333メートルとされているけど、実際には332.6メートルだそうだ。ちょっとだけサバを読んでいる。完成当時はパリのエッフェル塔よりも高く、世界一高い塔だった。
 工事は大量の職人がかき集められ、これだけの規模でありながら1年3ヶ月で完成している。ビートたけしのおやじさんの菊次郎もペンキ職人として参加するはずがそれを断ったというエピソードがたけしの作品の中で出てくる。最近では、映画『三丁目の夕日』で建築途中の東京タワーが登場していた。
 2011年の地上デジタル放送に向けて、新東京タワー構想が実現の手前まで来ている。紆余曲折を経て、墨田区に建てられるという話が決まって、いよいよ着工間近となったところで待ったがかかった。今ある東京タワーのアンテナの位置を高くすれば地デジにも対応できると言い出したからだ。
 完成すれば高さ610メートルという異次元の塔となる第2東京タワーだけど、この先の展開は読めない。工事を始めるなら2008年からということだ。さて、どうなることか。個人的には東京タワーは1本でいいだろうという思いがある一方で、450メートルの展望台からの眺めも見てみたいとも思う。
 もし新東京タワーが建てられなかった場合は、東京タワーの背が今より100メートルくらい伸びる可能性もある。それはそれで見てみたい。

東京タワー1-8

 ずいぶん前置きが長くなってしまった。東京タワーといえば展望台からの眺めがメインだろう。夜なら東京の夜景だ。その写真を出さずにどうする。
 当然三脚は禁止だけど、ガラスの映り込みも少なく、おあつらえ向きに肘を載せる台があるから写真は撮りやすい。手持ちの夜でブレを完全になくすことは無理でも、ある程度抑え込める。
 手ぶれ補正付きのK100Dならシャッタースピードは1秒でこれくらいは止まる。一段絞りのF3.2だったか。できればもう少し絞りたかった。

東京タワー1-9

 こちらはお台場方面だ。芝はもう海に近いところで、隅田川の河口も見える。遠くにはレインボーブリッジのライトアップもよく見えた。
 昼間なら富士山や房総半島まで見渡せるそうだ。元日は朝の6時にオープンして、初日の出を見るために大勢の人が展望台に登るという。

東京タワー1-10

 六本木には近いから、ヒルズやミッドタウンも近い。ただ、新宿の高層ビル群は遠く、全般的にはやや見所が少ないようにも思った。池袋は遙かに遠く、サンシャインも暗くて高いビルとして小さく見えるだけだ。
 そして、何か物足りないなと思って、はたと気づいた。そうだ、東京タワーがないんだ、と。
 東京で高いところに登れば、たいていのところからは東京タワーが見える。それを目印に方角を判断してるのに、目標物としての東京タワーがない。これは意外な盲点だった。当たり前なんだけど、東京タワーを見たければ東京タワーに登っている場合じゃない。

東京タワー1-11

 東京タワー名物のひとつガラス張りの床「ルックダウンウインドウ」。足下から真下を見られるようになっている。
 ただ、夜はガラスの傷に光が反射して下は見づらい。昼間はきっと恐いのだろうけど、夜はさほどではない。子供はこの上で飛び跳ねていた。あんまりはしゃぐと床が抜けるぞ。
 ここも座るところがほとんどない。スペースの問題もあるだろうし、長居されても困るという思惑もあるだろう。休みたければフロアにあるカフェで何か注文しろということか。
 このあと、特別展望台にも登るのだけど、その話は後編で。だいぶ長くなったので、前半はここまでとしたい。続きはまた明日。

溢れかえる人混みと小さな奇跡の2年目神宮外苑いちょう並木

東京(Tokyo)
2年目の神宮外苑-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 うわっ、なんだこりゃ。それが私たちの第一声だった。
 思い起こせば去年のこの日、12月8日の朝7時、神宮外苑のいちょう並木から我々の東京巡りが始まった。ちょうど一年後の同じ日、同じ場所に舞い戻った私たちを待ち受けていたのは、お祭り会場と化した神宮外苑だった。いやはや、びっくり。人はいるだろうとは思ったけど、まさかこれほどとは想像してなかった。今になってみれば、あの日のこの場所は奇跡のように無人のいちょう並木だったのだ。
 それは平日の朝7時だったからだろう。この日は土曜日の午後3時、そりゃあまあ人が多いに決まっている。東京を侮っちゃいけない。
 入り口からすでに石焼き芋の屋台カーが何台も並び、はとバスまで入り口に横付けしている。無数のカップルに親子連れ、老夫婦に女の子たち。ちびっこはあたりを駆け回り、落ち葉を集めてばらまき、犬の散歩人たちが犬談義に道をふさぐ。駐車場の入り口では警備員がスピーカーでがなり立てている。一周年の感慨も何もあったもんじゃなかった。
 それでもせっかく来たのだからとなんとか気を取り直して、奥まで歩いてみることにする。人波に飲み込まれながら。

2年目の神宮外苑-2

 今年は紅葉も全体的に遅かったけど、イチョウも例外ではない。去年の写真と見比べてみると、明らかに今年の方が残っている葉っぱが多い。去年はかなり落ちていて、多くの枝が顔を出していた。その分しっかりイチョウの絨毯ができていてよかったのに、今年の見頃はまだこれからだ。
 ただ、気候が原因なのか、色づきがよくない。本来はもっと明るい黄色になるはずが、なんとなく黄土色のように濁っていて鮮やかさが足りない。夕方近くで曇り空だったこともあるにしても、本来のイチョウの葉色ではないように感じた。秋口に暖かい日が続いたのが色づきの悪さにつながったのだろうか。紅葉は寒暖の差が激しい年ほどきれいに染まる。

2年目の神宮外苑-3

 まだまだ葉の落ちる量が少ないのと、夕方のこの時間でこの人出では踏み荒らされ、蹴散らされてしまって黄色の絨毯は望めない。行くならやはり早朝に限る。前回は深夜バスで朝っぱらに東京に着いたから朝一見物が実現したのだった。
 神宮外苑のいちょう並木については、去年の12月9日の記事(日付は12月10日)で詳しく書いたので繰り返さない。興味のある方は読んでみてください。私もあらためて読み返してみたけど、あの頃は今よりずっと一所懸命にいろいろ調べて力を入れて書いていたんだとあらためて思った。写真の腕はともかく、文章の内容に関しては今の私は去年の私に負けている。もっと頑張らねばと思った。

2年目の神宮外苑-4

 噴水前まで行くと、ずっこけそうなくらいにすごいことになっている。再びなんじゃこりゃと私たちは顔を見合わせて笑うことになった。
 周囲を屋台がぐるりと取り囲み、完全にお祭りムードに包まれている。その屋台の顔ぶれもとりとめがない。どういう基準で選定したのか謎なのだけど、山形名産やら京風たこ焼きやら長崎、新潟、埼玉などの物産展の様相を呈している。肝心の東京名物は見あたらない。ミスタードーナツの出張店があったけど、あれの本社はダスキンで大阪だ。何故か風林火山の旗まで立っていた。あの屋台のチョイスがよく分からなかった。

2年目の神宮外苑-6

 どれも観光地価格で高い中、私たちが選んだのは山口代表の「昭ちゃんコロッケ」だった。NHKのコンクールで金賞を受賞したとかで日本一のコロッケを自称していたのに惹かれた。200円というのは冷静に考えるとコロッケとしては安くないだけど、こういうところでは冷静な判断力は失われがちだ。
 何を持ってして日本一とするかの判断は難しいところだけど、肉コロッケで柔らかくて美味しかったので満足だった。日が落ちかけて寒くなってきたところでコロッケの温かさがおなかに染みた。ちょっとおすすめしたいと思ったら、いちょう祭りは12月9日で終わってしまったらしい。山口まで行ったときはぜひ食べてみてください、昭ちゃんコロッケ。山口県でどれくらいの知名度なのかはまったく不明だけど。

2年目の神宮外苑-5

 絵画館の前にもこんな無粋な看板を立てられてしまって、どうにもならない。どう考えてもここに設置しちゃあ駄目なことは分かりそうなものだ。左右は屋台に阻まれてフェンスに近づくことさえできない。絵画館を撮るのを楽しみにしてた人もいただろうに。
 今日からはこの看板も取り外されただろうから、ここ数日の朝っぱらが神宮外苑いちょう並木の一番の見頃ということになるかもしれない。

2年目の神宮外苑-7

 感傷に浸るまもなく日が落ちてあたりが暗くなり始めた。帰りは反対側を歩いて帰ることにした。こちらを歩くのは初めてだ。去年は噴水広場から神宮球場の方に歩いて抜けた。
 夕方が近づいても人混み具合は衰えず、勤め帰りの人も参戦して賑わいは夜まで続いたのだろう。
 写真を撮るには日没後は厳しい。シャッタースピードが上がらずに歩く人がブレてくる。

2年目の神宮外苑-8

 メインストリートにはイチョウの落ち葉もまばらだけど、少し中に入るとけっこう落ちていていい感じだ。やっぱりイチョウの黄葉の楽しみの半分以上は黄色の絨毯にある。これがあるから絵になるのだ。ただイチョウ並木があるだけでは面白みがない。モミジの紅葉はグラデーションの変化なども楽しめるけど、イチョウの黄色はそれだけでは単調だ。

2年目の神宮外苑-9

 夕方のカフェ前。歩く人の像が流れ始める。三脚があれば、もっとスローシャッターにして、移動する人を線のようにすると面白い写真になる。背景の動きを止めて前を横切る人の影だけが動く写真は、状況によってはいい写真になる。たとえば駅の構内や交差点などによく使われる。

2年目の神宮外苑-10

 信号が青に変わって横断歩道を渡り始めた人が真ん中で立ち止まって、一斉にカメラを構えて写真を撮り始める姿がおかしかった。みんな考えることは同じだ。ここからなら一番奥の絵画館まで一直線に見渡せる。車が走っている間は撮ることができないから、信号を渡るときしかチャンスがない。望遠レンズを使って圧縮効果を狙っても面白そうだ。
 逆の目線から言えば、車の信号待ちで車の中からいちょう並木を撮る人を撮るのも面白い。

2年目の神宮外苑-11

 名古屋に戻ってきてから、イチョウの葉を拾ってくるのを忘れたことに気がついた。去年のブログの最後の締めくくりに、ゲーテの話とイチョウの葉のことを書いた。イチョウの葉はもともと二枚だったのが一枚になったのか、一枚だったのが二枚に分かれたのだろうかとゲーテは若い恋人にあてて詩を送った。そして、私も次に訪れたときはイチョウの葉を拾ってこようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
 家に帰ってバッグの中身を出して整理をしていたら、底に一枚のイチョウの葉を見つけた。ああ、なんて粋なことをするんだと思う。嘘みたいにできすぎた演出だけど、小さな奇跡は確かに起こった。ハラハラとイチョウが舞い落ちる並木を歩いている途中でヒラリと一枚の葉がバッグの中に入ったのだろう。まったくの偶然だけど、こういうことがあるからこの世界は面白い。
 このイチョウの葉は大事な本の間に挟んでおこう。二度と読み返さないような作品がいい。ずっとあとになって見つかったとき、そういえばこれはあのときのと思い出せるように。
 去年と今年は違う年だ。私自身も同じではいられない。変わらないものなど何もないし、思い出さえも変質してしまう。けど、いつだって12月8日は忘れずにいたいと思う。また来年、ここへ戻っていこう。一日いちにちを重ねていくことが未来につながっていくのだと信じて。
 そんな2年目の神宮外苑いちょう並木だったのでした。

【宿題】宗教公園五色園の写真を見て思うところを述べよ

施設/公園(Park)
五色園-1

Canon EOS 20D+EF75-300mm F4-5.6 IS



 ほとんど誰も知らないと思うけど、知る人ぞ知るキワモノスポット「五色園(ごしきえん)」が愛知県の日進市にある。
 ツレを伴って出向いたのは伊良湖へ行ったときだから、もう2ヶ月近く前のことになる。あれからこれをどう紹介したらいいものか取り扱いに困っていたところ、月日が流れてしまった。
 なので、もう説明抜きに写真だけ並べてしまうことにした。これから東京へ行く朝だから時間もない。
 日曜は更新休みなので、この週末はこの写真を見てお楽しみください。解釈は各自に任せます。

五色園-2



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 それじゃあ、ちょっといってきます。
 また月曜日にお会いしましょう。

日没前に無風の小幡緑地で出会ったノラと鏡

施設/公園(Park)
小幡緑地-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は昨日の続きで小幡緑地の写真を。
 明日は東京行きで早寝早起きなので、あっさり写真だけ並べて、もう寝てしまう。明日の出発前に時間があれば更新するつもりだけど、日曜は休みです。
 振り返ってみると、2005年の9月にこのブログを始めて、去年の12月までは皆勤賞だったのが、12月8日の東京行きで初めて更新が途切れた。明日でちょうど一年、なかなか感慨深いものがある。この一年で得たものは大きくて、このブログの写真枚数も増えた。最初は1枚だったものが2枚になり、3枚になり、今では10枚以上の日もある。この調子でいくと来年の今頃は30枚くらいになってるかもしれない。いや、それはないか。なるべく控えめに、できれば5、6枚くらいがいいのかなとも思う。そうなると捨て写真が増えて、それはそれで忍びなくなるのだけど。
 とりあえず今日は小幡緑地編だ。日没前後の暗い写真が多くて、鳥の収穫はほとんどなかったけど、写真の収穫はあった。

小幡緑地-2

 あたりは暗くなって、おまけに遠かったから肉眼ではよく見えなかったのだけど、写真で見たらマガモだった。最初、飛び石かゴミでも浮いてるのかと思ったら違った。
 もう少し光がある時間帯なら紅葉の映り込みもきれいだったろう。
 手ぶれ補正をもってしても、200mm域で1/6秒ではさすがにブレる。これでも連写した中でなんとかまともだった一枚だ。せめて一脚でも使えばもう少しましになっただろうけど。

小幡緑地-3

 茂みの中でガサゴソ音がして見てみたら、ノラだった。おー、キミ、チャトランくんではないか。私が一番好きなタイプのトラ猫だ。丸い顔が最高。What's Michael?みたいだ。
 こいつがまた人なつっこいやつで、しばらくしたら近寄ってきて体をすりすりしてきた。申し訳ないことにこのときはカリカリを持ってなかった。やはり猫エサは常に持参しておかないといけない。散策のお供に忘れずにだ。
 かなり人に慣れていたから、近所の人がメシをあげているのだろう。体つきもノラとは思えないほどまるまるしていて、毛並みも良かった。
 次に行くときは美味しいものを持っていくことにしよう。寒くなってこれからの季節は大変だけど、しっかり生き延びるんだぞ。

小幡緑地-4

 チャトランと遊んでたら別の所からも鳴き声がしてきて、すごい勢いで突っ込んできた。写真を撮ろうとしたらどんどん接近してくるんで、私は後ずさりし、ノラは迫ってくるで、妙に迫力のある写真になった。もう少し明るい条件でこの撮り方をしたら面白い写真になりそうだ。
 こいつも茶トラと同じく慣れていて、触らせもするし、すり寄ってもくる。一緒にメシをもらってる仲間だろう。親子とか兄弟かもしれない。

小幡緑地-5

 別の所にも違うノラがいた。ここは猫が多いところだ。毛色が近いから、さっきのやつらの身内かもしれない。
 こいつはおすまし猫で、逃げもせず近寄っても来ず、どこか明後日の方を向いていた。前で揃えた手が行儀いい。

小幡緑地-6

 とうとう日没。大きな太陽が木々の向こう側に消えていった。
 今年は秋のきれいな夕焼けを見ないまま冬に入っていこうとしている。ちょこちょこ夕焼けは見ているけど、強い印象を残すようなものは見られなかった。今月中に今年のベストというようなものをどこかで見たい。

小幡緑地-7

 夕方、ほぼ無風状態になって、池が鏡のようになった。鏡面写真は風がないときに限る。ここまできれいに映り込むことはなかなかない。
 これが焼けている部分のアップ写真で、下が引いた写真だ。同じところを撮ってもまったく違う印象になる。

小幡緑地-8

 とても幻想的な写真になった。夕焼けは刻一刻と色を変えていくから、ある程度粘って何枚か撮っておきたい。一番焼けているときがベストとは限らない。日が沈んで、焼けが薄くなって、夜の気配が近づいてきたときもいい色になる。どの時間帯が一番なのかは、写真を撮って、PCの画面上で見てみるまで分からない。このときはたまたま短い時間の中でいい色が出て運が良かった。この前後に撮ったものの中でこの一枚が一番印象的だった。

 今日はここで時間切れとなった。準備をして、もう明日に向かおう。
 月曜日に更新再開予定です。東京と鎌倉でたくさん写真のおみやげを持ち帰ろう。
 ちょっといってきます。

300mm望遠レンズの限界を思い知り、ついに鳥の人となる決意を固める

野鳥(Wild bird)
雨池-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 大森の雨池へミコアイサを探しに行くも、影も形もなし。2006年の1月に見たオスのミコアイサは幻だったのか? いやいや、写真も残ってるし、ブログにも書いてるから、いたことは間違いない。あれ以来一度も姿を見かけないけど、もうここには来なくなったのだろうか。最近少しまとまって森林公園にいたという情報があったから、みんなあっちへ行ってしまったのかもしれない。
 夏には水面をびっちり覆っていたボタンウキクサ(ウォーターレタス)も、寒さには勝てずすっかり姿を消していた。まるで別の池のようだ。それにしてもあれの影響がなかったはずもなく、この冬はカモたちの姿も少ないようだ。お馴染みのカルガモとバンしか見あたらず。マガモやコガモあたりも来ていない。サギさえいなかったということは、魚の数もずいぶん減ってしまった可能性もある。

 お目当てのミコアイサは残念ながらいなかったけど、ちょこっと写真を撮ってきたので並べたい。ちょこっとといっても10枚ある。だんだん写真の枚数が多くなって電話回線の人には申し訳ないです。重たいページは私も嫌いなんだけど。
 現在インターネット利用世帯数の中でADSL以上のブロードバンド普及率は80パーセントだそうだけど、ということは20パーセントはまだ電話回線ということだ。なつかしいけど、もうあの頃には戻りたくない。ドリキャスネットはもうイヤだ。
 それはともかくとして、二本立ての二回目は雨池写真となる。

雨池-2

 今日は風が弱い穏やかな一日だったのだけど、ところによってはさざ波も立って、写り込んだ風景が絵画的になった。
 泳いでるのはカルガモさん。こういう写真ならカルガモだろうとミコアイサだろうと関係ない。鳥は添え物として入ってもらうだけだ。

雨池-3

 距離を詰めるとそそくさと逃げていくカルガモども。そんなに逃げなくてもと思いつつ、波が面白い形になったのでそれを撮ってみる。

雨池-4

 紅葉を背景に、縦列で泳いでいくカルガモたち。
 渡りのカモが来なくて静かでいいと思っているのか、寂しく感じているのか。

雨池-5

 地上の紅葉は少しだけ。赤の紅葉はもう終わって、落ちた葉が枯れていた。

雨池-6

 遠くから見ると黒いカモみたいで魅力的には思えないバンだけど、近くから見るとなかなかの美しさを持っている。体色は黒というより深い青色で、背中は茶色っぽい。そしてなんといっても目立つのがクチバシの赤だ。こうして見るとけっこうかわいい。
 水の質感がミルクのようなメタリックなような、とろりとした不思議な写りになった。

雨池-7

 地上のバン。カモとは違って黄色い足が長い。足に水かきがないから地上を歩くのは得意だ。その代わり水鳥でありながら泳ぎが少し苦手で、こいでもなかなかスピードが上がらず前のめりの姿勢になる。でも潜水は得意だ。
 東日本では夏鳥らしいけど、こちらでは一年中いるから珍しくもない。雨池はいつ行ってもいる。オオバンはここでは見たことがない。

雨池-8

 樹上の鳥は相変わらず手強くて、エナガくらいしか撮れなかった。他は声がするだけか、一瞬見てもすぐに飛び去ってしまう。エナガは群れで行動してることもあって、それほど警戒心が強くない。たまたま移動の途中で近くを通ると撮るチャンスがある。すごくせわしなくて常に動き回ってるから捉えにくいというのはあるのだけど。
 こういう動きの激しい鳥はデジスコよりもデジイチに分がある。

雨池-9

 早くも日没が迫ってきた。水面が黄金に染まる。
 被写体としてはカルガモとバンしか選択肢がないから面白くない。留鳥ではなく、せめて渡り鳥が撮りたいところだ。
 これ以上粘っても雨池では収穫がなさそうなので、急いで小幡緑地に移動することにした。そのときの写真はまた明日。

雨池-10

 金城学院のランドルフ記念講堂の尖塔が夕暮れ空にシルエットで浮かぶ。両サイドの建物は何だろう。

 雨池にミコアイサが帰ってこないか、今後とも折に触れて見に行きたいと思っている。あれは1月だから、年明けに期待しよう。今の時期にいたとしてもまだ羽が白黒に生えかわらない時期だから、ニックネーム通りパンダになってからの姿が見たい。
 雨池で駄目なら、もう一度森林公園まで行こう。かつては牧野ヶ池にも来ていたそうだけど、最近はどうなんだろう。あそこは距離が遠いから、デジスコじゃないと届かない。
 鳥撮りにおいては300mm望遠レンズでは限界を思い知らされる。400mmを買ったとしても600mm換算で劇的な変化はない。それならオリンパスのフォーサーズで2倍換算の方が早いし安い。手ぶれ補正機能を搭載したE-510は魅力的なんだけど、まだ少し高い。
 デジスコにも難しさや限界はあるのだろうけど、まずは買って使ってみないとそのあたりも分からない。そろそろ本格的に動いてみようか。実はターボアダプターG1だけすでに持ってるのだけど、こんなアダプターだけじゃ何の役にも立たない。
 とうとう私も鳥の人となってしまうのか(まだなってるつもりはない)。

岩屋堂は100年後も昭和のままでいて欲しい

観光地(Tourist spot)
岩屋堂2-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は岩屋堂の紅葉名残風景の続きを。
 ここは浄源寺三蔵門前の左手、イチョウの落ち葉が一番きれいなところだ。落ちた葉っぱの量を見て、あらためて木の葉の多さを思う。葉っぱってのはこんなにも必要なものなのだろうか。
 木がどうして冬になると葉を落とすのか、その理由はいまだに解明されていない。冬の間はあまり光合成ができないから余分な栄養素や水分を吸い取ってしまう葉っぱを落とすのだとか、一年に一度自身にたまった老廃物を捨ててリフレッシュするのだとか、いろいろな人がいろな理屈をつけてみても、はっきりしたところは分からない。木自身さえきっと分かってない。
 紅葉もメカニズムは解明されていても理由は誰も知らない。花の美しさに理由がないのと同じことななのかもしれない。この世界は人間の理屈で動いてるわけではないから、理解できないことがたくさんあるのは当たり前のことだ。

岩屋堂2-2

 門から三蔵門までの参道。
 きれいな赤絨毯を見たければ、もっと早く訪れなくてはならない。落ちたてホヤホヤの時期の早朝がベストだ。雨上がりの朝という条件が揃えば最高だろう。そんな時間帯に出向いていけるようになれば私の写真に対する熱意も本物なのだろうけど、今のところそんな気はサラサラない。無理なく動ける範囲でお気に入りの写真を撮ろうというレベルにとどまっている。根性がないやつめ。

岩屋堂2-3

 無料駐車場から少し歩いたところで小さな団体さんとすれ違った。じさまとばさまの小軍団だったけど、マイクロバスがとまっていたから、どこかからやって来たのだろう。でも、ちゃんと下調べしてこないと。もうここは終わってますよ。
 夕方だったから、どこか他からの流れだったのかもしれない。香嵐渓帰りについでに岩屋堂も寄っていこうかなんてふうに。もしくは、小原村あたりとか。

岩屋堂2-4

 ここの屋台が営業してる時期に行ったことがないから誰がどんなふうに商売をしてるのか分からないのだけど、閉まっているときの風情が好きだ。手作り感覚満点の屋台と手書きの品書き。ビニール張りのパイプ椅子に「ご自由にお使いください」と油性マジックでダイレクトに書いてしまう大胆さもいい。
 そして今回ニューアイテムが加わったのを私は見逃さなかった。手前に写ってるカラーベンチがそうだ。白、赤、黄色、緑に塗り分けるという斬新さ。ただし、特に意味はないものと思われる。カラフルにして人目を引こうと思ったのだろうか。もしくは、屋台を塗ったときのペンキが余ったからそれを使いたかったのかもしれない。
 せっかくきれいに塗ったんだから足まで塗ろうよ。下の部分は木のままだ。たぶん、裏も塗ってない。ここの人はどうも途中で仕事を投げ出してしまう傾向があって、椅子の片付けが途中だったり、椅子の並び文字がバラバラだったり、あちこちにB型的な傾向が見受けられる。
 いつかそのうち、どんな人がオーナーなのか見に行こう。

岩屋堂2-5

 ここが岩屋堂と呼ばれるようになったきっかけはこの岩の洞窟にある。奈良時代に行基がここの洞窟にこもって、聖武天皇の病気がよくなるように願いながら仏像を彫り、岩屋山薬師堂と名づけて、それが岩屋堂となった。
 洞窟の中には薬師石仏と十二体の観音石仏がある。詳しくは以前のブログに書いたので今回は省略する。
 この場所も久しぶりに立ち寄った。一応挨拶だけしておいた。
 右の赤い鳥居の先にはお稲荷さんがあって、岩巣山への登山口にもなっている。ここの山は低山ハイクにはなかなかいいところだ。低い山だけど道はけっこう険しくて、侮っているとはじき返される。私は一度途中でギブアップしたことがあった。

岩屋堂2-6

 暁明ヶ滝の右上に毘沙門天を祀ったと思われる小さな社がある。くわしいいわれとかは分からない。
 お参りに訪れる人はあまりいなさそうだけど、おみくじの自動販売機が置かれている。赤く写ってるのがそうだ。ちゃんとお金を入れたら出てくるんだろうか。おみくじの売り切れって聞いたことがないけど、出なかったらそれはハズレだ。

岩屋堂2-7

 水の流れは目の付け所によっては絵になる部分があって、プロはそういうところを見つける力がすごい。たぶん、写真家が撮った同じ場所に立っても普通の人にそれは見えないんじゃないかと思う。
 このときもそんなところを探してみたのだけど、これといったところは見つけられなかった。渦を巻いたところで落ち葉が回っているのをスローシャッターで撮るというのは一つの定番だ。

岩屋堂2-8

 落ち葉に埋まる石の階段。誰もこんなところまで掃除はしそうにないから、季節がすぎゆくままに任せるのだろう。落ち葉はどこへいくのだろう。散った桜の花びらがどこへ行くのか不思議なように、紅葉のあとの落ち葉がどうなるのか、毎年疑問に思う。
 階段の枯れ葉はキケン、キケン。奈良ですべってこけてから、必要以上に警戒して歩くようになった。階段を下りる姿はじいさんのようになっている私なのであった。危ない、危ない、ゆっくり、慎重に。

岩屋堂2-9

 落とし物なのか、置き忘れなのか、手すりに水晶が置かれていた。こういうものはどんな念やパワーが入ってるか知れないからうかつに触れない。
 私は一年近くつけていた水晶をしながわ水族館のトイレに置き忘れてしまった。あれはさんざん神社仏閣を巡って多くのパワーを注入したものだったから、惜しいことをした。でも、水晶は身代わりになってくれるともいうし、私から離れることで守ってくれたのかもしれないとも思う。
 持っていった人がいたとしたら、私の代わりに守ってもらえるだろう。

岩屋堂2-10

 日没になって、鳥も風景さえも撮れない暗さになったので引き返してきた。今は日没が一年で一番早い時期となっているから、日暮れが早い。
 ここはよく分からないけど、小さな池があって、噴水が出ている。ときどき大きく噴き出したり、小さくなったりなんて演出もある。ほとんど誰も見てない。魚がいるわけでもなさそうだ。その割にはしっかり周りを囲ってあったりして、何がしたいのかもう一つ読み切れない。ただの飾りだろうか。

岩屋堂2-11

 バス停の時刻表を見て、うちの田舎が負けるところがあることを知る。
 日に3本というのはまああり得るとは思うけど、昼前後に集中しているのは何事だろう。9時台、11時台、13時台というのは何故だ? 朝の出勤には遅すぎるし、行楽客の帰りには早すぎる。誰が利用するのだろう。需要が読めない。1本逃すと次は2時間後というのもつらい。これならいっそのこと、午前と午後の2本でいいんじゃないかと思うけど、向こうから来るバスの都合もあるのだろうか。平日用と土日用の時間がまったく一緒だからわざわざ分けることもなかろうに。

 岩屋堂はみんな温かい目で見守らなくてはいけない。いろんなところでおかしかったり、笑えたりするけど、笑ってもいけない。今となっては昭和の観光地風情を残す貴重なスポットだ。ありがたい。昭和遺産というものが選定されることがあれば、ぜひ岩屋堂を推したい。いい意味で脱力感を誘う癒しスポットとも言える。初めて訪れた人はのけぞると思うけど、それは味として楽しんで欲しい。私はこれからもまた何度も行くことになるだろう。次はまた来年2月のセリバオウレンだ。その前に鳥撮りも行くかもしれない。
 地元の紅葉撮りもこれで最後になりそうだ。今週末鎌倉で紅葉は見る予定でいるけど、来週まで保っているところはもうほとんどないだろう。猿投神社へ行こうと思って行けなかったのが少し心残りだけど、今年は大本命の香嵐渓へも行けたし、岩屋堂の浄源寺もジャストタイミングだったし、もう充分だ。小原村と犬山寂光院は来年のお楽しみということにしよう。
 紅葉撮りは少し見えた部分もあり、あらためて難しさも知った。それと、光の重要性も再認識した。毎年、桜と紅葉は自分の成長を知るのに格好の被写体となる。大切なのは撮る前のイメージだとは分かっていても、まだ完成図が見えた上でシャッターを切るところまでいけない。次の桜まであと4ヶ月近くあるから、その間さらに勉強と練習を重ねていかなくては。
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