月別:2007年10月

記事一覧
  • 色とりどりの鳥たちを見て、あらためて地球の色彩感覚に驚く

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6 掛川花鳥園シリーズ第四回は、人生色いろいろ鳥もいろいろ編をお送りします。 メモ撮りをしてないので、鳥の名前は不明のものも多い。こういう鳥たちはどこでどうやって調べたらいいんだろう。日本にいる野鳥なら図鑑もあるし、ネットの情報も多い。けど世界の鳥となると、ネットでもどうやって調べたらいいのか分からない。ここはひとつ、鳥に目覚めて世界鳥図鑑でも買うべきなのか...

    2007/10/31

    施設/公園(Park)

  • 地図を持たないオレ流料理人に未来はないと悟った2007年の秋サンデー

    Nikon D100+AF Nikkor 35mm f2D 自分が作った料理を見て、なんだこりゃ、と思うことがよくある。みんなもそうなんだろうか。それとも私くらいなんだろうか。この日は特になんだこりゃ度が高かった。あなたのような子を産んだ覚えはありません! 橋の下で拾った料理と思いたい。 始まりは簡単に和食を作るつもりだった。用意した食材も、エビ、ナス、白身魚、タマネギ、卵、その他と、和食になり得る材料たちだ。どこでどう間違...

    2007/10/30

    料理(Cooking)

  • 30種類のフクロウを見て触れて撮って、私は心の中で叫ぶ、ビバ、フクロウ!

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6 掛川花鳥園には、ショーをするフクロウだけでなく、たくさんのフクロウたちがいる。入り口から入ってすぐのガラス張りの和風小屋に、30種類近いフクロウさんがずらりと並んでお客を出迎える。いきなりのフクロウ攻撃におおぉぉ、これはぁ、とやられてしまう仕掛けになっているのだ。しかもまだそこはタダゾーン。チケットを買って入園するのはその先なので、タダでフクロウを見放題と...

    2007/10/29

    施設/公園(Park)

  • ファルコンショーで知る猛禽類の魅力と飛ぶ鳥撮りの楽しさ ---花鳥園第二回

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6 水族館にイルカやアシカのショーがあるように、掛川花鳥園にはファルコンショーがある。1日3回のうち2回は屋外で、午前中の1回目は屋内で行われる。残念ながらこの日は午後から雨で、3回目のショーは屋内に変更になってしまったのだけど、一度は外で見られてよかった。今日はそのときの様子を写真中心にお届けしたい。 ファルコンショーに登場するのは、フクロウ、タカ、ハヤブサなど...

    2007/10/28

    施設/公園(Park)

  • 鳥は見るだけのものではなく触れて乗せるものだと知った掛川花鳥園

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6 静岡県掛川市に鳥天国がある。それは鳥にとっての天国ではなく、鳥好きの人間にとっての天国だ。その名を掛川花鳥園(かちょうえん)という。鳥に囲まれて暮らしたい、そんな夢物語というか妄想を叶えてくれる夢の楽園がここにあった。 そこはもう、鳥に触れられるとか、鳥にエサを与えられるとかいう次元の話ではない。鳥と同じ空間に存在して、鳥と対等になれる世界だ。あるいは人...

    2007/10/27

    施設/公園(Park)

  • 明日は朝っぱらから鳥の園へ行くので夕景写真を並べて早寝早起き

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6/SIGMA 17-70mm F2.8-4 明日は早起きなので必然的には今日は早寝となる。だから時間がない。今日の私は一日が11時間しかなかった。失った13時間はどこへいってしまったんだろう? それはともかくとして、今日は河原の夕景写真を並べてお茶を濁す。調べ物をしたり、あれこれ書いている余裕はない。 最近は日没も5時すぎになって、写真を撮る時間が限られている。夕焼けから日没にかけ...

    2007/10/25

    夕焼け(Sunset)

  • スイバルなCOOLPIX3500さえあれば街でも店でもホームでも撮り放題さ

    Nikon COOLPIX 3500 デジタル一眼の最大の弱点は何か? それは、人目の多いところで撮りづらいというところだ。たとえば人混みの街中、賑わう店内、電車待ちのホーム、そんな場所でバッグからおもむろに大きなデジイチを取り出して撮影するというのは、なかなかに勇気がいる。それくらい全然平気だもんねという人もいるだろうけど、私は平気じゃない。わー、今ここで撮りたいなーと思っても、人目が気になって撮れずじまいになっ...

    2007/10/25

    カメラ(Camera)

  • 家族連れで賑わうアイボクに名古屋嬢はフィットするかしないか

    Canon EOS 20D+EF 75-300mm F3.5-5.6 IS / SIGMA 18-50mm F3.5-5.6 10月7日は、世間で言うところの三連休の中日で、アイボクはすごい人だった。普段でもけっこう人は多いけど、この日の多さはちょっと尋常じゃなかった。駐車場も、見たことがないような奥地まで行かないととめられなくて驚く。あれは駐車場じゃなくて空き地だ。 いくらタダスポットとはいえ、みんな牧場が相当好きらしい。少し前までは隠れた人気スポットと言わ...

    2007/10/24

    施設/公園(Park)

  • まだ咲き揃ってなかった2週間前のアイボクのコスモス畑

    Canon EOS 20D+EF 75-300mm F3.5-5.6 IS / SIGMA 18-50mm F3.5-5.6 10月7日にアイボクこと愛知牧場へ行ってきた。伊良湖へタカの渡りを見に行った日の午前中に。もう2週間前のことになる。伊良湖のことを書いたり、姫路城へ行ったりして、アイボクのことを書くのが先送りになっていた。 行った目的は二つ。一つは寒くなる前にソフトクリームを食べること。もう一つはコスモス畑を見ることだった。ソフトの話はまた次の機会にする...

    2007/10/23

    花/植物(Flower/plant)

  • サンデー料理も気づけばかれこれもう2年だから多少は上手くなって当然

    Nikon D100+AF Nikkor 35mm f2D 今日は出かける予定をしていたのでサンデー料理の準備をしてなかった。それが延期になって、急にサンデーが降って湧いてきた。出かけないなら料理しなくちゃダメじゃんってことで、急きょメニューを考えて作ったのがこの3品だった。いつもの応用で、あまり目新しさはない。短時間の思いつきとあり合わせの食材を使って作った。 左手前は例によって豆腐料理。以前はそうでもなかったけど、料理を作...

    2007/10/22

    料理(Cooking)

  • 円教寺番外編 ---そこはまるでサイレント映画の世界だ

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 円教寺の前後編では仕えなかった写真がけっこうあるので、今日はそれらを載せるだけ載せておくことにする。貧乏性だからせっかく撮った写真を捨て置くのがもったいない。実際は一ヶ所で何十枚も撮っているのだけど、全部仕える写真というわけではない。 円教寺はとにかく静かなお寺だった。それは単に人が少なくて話し声や物音が聞こえないとかそういうことではない。静謐が存在するという表現が...

    2007/10/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 静かなる壮麗建築物の前でしばし立ち尽くし、円教寺の歴史を思う<後編>

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 摩尼殿から10分ほど歩いて、最後の急な坂を登り切ると、目の前に広がる光景に不意打ちを食らう。おおぉー、これは……。小さくため息のような感嘆の声が漏れる。 静かなる荘厳。そこは本当に静かな空間だった。こんなに広い場所なのに、自分自身も声をひそめてしまうような雰囲気に包まれている。これは、やるね。まいりましたと言うしかなかった。 3つの大きな堂はコの字型に建っている。真ん中...

    2007/10/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • ついでというにはちょっと遠いけど行く価値は充分にある書写山円教寺<前編>

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 姫路観光の目玉として姫路城の他に書写山円教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)がある。神社仏閣に興味がない人にとってはそんなところ行かなくてもいいやと却下されてしまいそうなところだけど、近年NHKの大河ドラマ「武蔵」や映画『ラストサムライ』のロケ地になったことで脚光を浴びるようになった。トム・クルーズや渡辺謙が撮影をした場所となればちょっと興味が湧く。せっかくだから足を伸...

    2007/10/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 姫路城訪問記最終回 ---ありがとさよなら姫路城、また会う日まで

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 姫路城訪問記第3回目は最終回で番外編。姫路城の中や周辺で心惹かれて撮ったスナップ写真をお届けします。まずは猫から。 おそらくこのあたりを根城にしているノラだろう。人に慣れているというよりまったく物怖じしない堂々とした態度の猫だった。至近距離まで近づいてもまったく無視。しきりに体をなめまくっていた。触れる距離まで近づいてやっとこっちを見た。でもまた掃除再開。人を人と思...

    2007/10/19

    城(Castle)

  • 姫路城訪問記その2 ---そこには確かに彼らの泣き笑いと人生と暮らしがあった

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 姫路城訪問記第二回目は、いよいよというかようやく天守閣に入っていくことになる。あんまりのんびりしていたのではいつになったら終わるか分からない。ちょっとだけ足取りを早めよう。 前を行くのは、ちびっことカメラを持ったお父さんだ。大股で歩く父親と、そのあとを駆け足で追う少年と、城にはそんな男たちの小さなロマンもあったりする。ちびはこの日のことを大人になっても覚えているだろ...

    2007/10/18

    城(Castle)

  • 姫路城訪問記その1 ---サラっと軽く書くつもりが天守閣に入れず編

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 姫路城へ行って感銘を受けて、家に戻ってきて勉強して、いざ姫路城について書こうとしたら言葉に詰まった。たくさん写真を撮ってきて、書くべき事もいろいろあるのに、何からどう書いていいのか分からない。まだ自分の中で姫路城を消化しきれていないらしい。どの写真を使ってどれを不採用とすればいいのかの判断もつかない。こうなったら私が見たものを見た順番で並べて、その都度簡単な説明を付...

    2007/10/17

    城(Castle)

  • 姫路城は国宝で世界文化遺産でのぞみまで止めるすごいやつ

    Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4 姫路へ行った。何をしに行ったかと問うまでもない。それはもう、姫路城を見に行ったに決まっている。決まっている? そう、決まっているのだ。姫路っていったら姫路城しかないじゃん? しかし、姫路を侮ってはいけない。何しろ新幹線のぞみが止まるのだ。姫路城がなければ絶対にのぞみは止まらない。尾張名古屋は城で持つというけど、姫路こそその言葉がふさわしいとみた。 ところで姫路城だ。...

    2007/10/16

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 野菜づくしサンデーの成功とオムライスカレーの失敗、おまけのアイ写真

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 今日は野菜づくしというテーマで臨んだサンデー料理だった。一見すると野菜はそれほどでもないように見えるけど、実は8割野菜が占めている。隠れ野菜料理と呼んでもかまわないほどの料理となっているのだった。 今日のおかずは何? 野菜が8割よ。なんてことを言うと、食いしん坊の子供は怒るか泣き出すかもしれない。大人でも夕飯に占める野菜の割合が8割だと聞くとなんとなく気が滅入るも...

    2007/10/14

    料理(Cooking)

  • タカ渡りの伊良湖行き最終回は伊良湖岬周辺紹介と来年の約束

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 伊良湖のタカ渡り編最終回は、タカでも恋路ヶ浜でもない伊良湖の周辺紹介となる。 渥美半島の先端、42号線と259号線が合流したところに、フェリー乗り場と道の駅「伊良湖クリスタルポルト」がある。道の行き止まりでもあり、船旅の始まりでもある場所だ。その駐車場に車を置いて、てくてく15分ほど歩くと伊良湖岬灯台が見えてくる。確か600メートルという標識があったと思うけど、それよりも遠く...

    2007/10/14

    観光地(Tourist spot)

  • Nikonを持って近所をうろつきながら撮ったノンジャンル写真で一服

    Nikon D100/D50+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6/SIGMA 17-70mm F2.8-4 伊良湖の写真はまだあるのだけど、今日はちょっと一休みして違う写真にしてみよう。伊良湖では曇り空が多かったから、写真もブルーグレーの暗い色調が多かった。今日は色のある写真を並べたい。 特にテーマはない。強いて言えば、Nikonで撮ったノンジャンル写真ということになるだろうか。実は意味もなくD50や別のレンズを手に入れてしまったこともあって(...

    2007/10/13

    風景(Landscape)

  • 伊良湖いいとこ一度はおいで、私は再び訪れる理由を神島に見いだした

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 伊良湖に湖はない。これはある意味、意外な盲点だ。愛知県民にとっては馴染み深いこの場所も、他県の人にとってみれば琵琶湖とか諏訪湖のように湖のあるところだと思ったとしてもそれは無理のない話だ。逆に言えば、どうして湖もないのに伊良湖という名前なんだろうという疑問を持たない方がおかしい。 軽く調べたところによると、どうやら「いらご」という呼び名が昔からあって、伊良湖と...

    2007/10/12

    観光地(Tourist spot)

  • シャッタースピードで変わる手持ち花火の世界---季節はずれの海岸花火物語

    Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II 伊良湖の夜に手持ち花火をした。吉良のワイキキビーチでやり残したものだ。 もはや10月で完全に季節外れとなった花火だけど、花火はいつの季節でも楽しいということを発見した。冬でも春でもかまわない。花火は夏しかしてはいけないというような思い込みで損をしている。寒さの中で震えながらやる花火はどうなんだという気はするけれど。 手持ち花火写真はやっぱり難しい。二度目だからもう少し...

    2007/10/11

    風物詩/行事(Event)

  • タカは上空高く黒いシルエットでも楽しかった伊良湖ホークウォッチング

    Canon EOS 20D+EF 75-300mm f3.5-5.6 IS 秋といえば何? という問いかけに、食欲でも芸術でも読書でもスポーツでもなく、それはもうタカの渡りでしょう! と勢いよく答えてしまったあなたは完全に鳥の人。もう一般人には戻れない。周りに気づかれないようにこっそり鳥の人であり続けるか、お仲間を求めて鳥の人の輪の中に思い切って飛び込むか、道は二つに一つしかない。そうしなければ、私のように半鳥人としてどちらにも属せ...

    2007/10/10

    野鳥(Wild bird)

  • 伊良湖写真第一弾---タカの渡りを撮りに行ってやっぱり人を撮ってきた私

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 伊良湖名物、秋のタカ渡りを撮りに行って、デジのメモリに収まった写真は、伊良湖の海と、曇天の空と、人だった。タカはわずかに黒い粒のみ。天候も私たちに微笑まなかった。 それでも写真はたくさん撮ってきたから、今日は伊良湖写真第一弾として海と人の写真を並べてみる。 寝不足でノックダウン寸前なので、解説抜きの写真だけ。モノトーンの海と、点在する人と、わずかな薄明かり。そ...

    2007/10/09

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 夕焼けリニモを撮りに行ってキリンの親子を撮って帰ってきた夕暮れ

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm f3.5-5.6 何日か前の夕方、沈む太陽と競争するように長久手のグリーンロードへと向かった。 目的は、夕焼け空を背景に走るリニモを撮ること。頭の中でイメージはできていた。 はなみずき駅を出たリニモは、杁ヶ池交差点の手前で大きくカーブしながらグリーンロード上空を走り抜けていく。そのコーナーに差し掛かったとき、夕焼けをバックにして撮るのだと心に決めていた。 さあ、急げ、ぼや...

    2007/10/06

    夕焼け(Sunset)

  • 東京カテドラルは観光気分で行っても全然大丈夫なオープンマインド教会

     JR山手線の目白駅(地図)を出て、学習院大学のある東へ向かって目白通りを進む。日本女子大を左手に見つつ2キロほど行ったところで、左手にちょっと異様な姿をした銀色の建物が突然姿を現す。巨大建造物といっていいほどの大きさにもかかわらず、少し奥に引っ込んでいるから近づくまで気づかない。直前まで行ってなんだこれはと驚くことになる。 正式名称を東京カテドラル聖マリア大聖堂(地図)という。またの名をカトリック...

    2007/10/06

    東京(Tokyo)

  • 愛知県第三の国宝、金蓮寺弥陀堂は吉良の田舎にあっけらかんと建つ

     その寺を探し当てて門の前に立ってみると、いきなり正面に国宝があって驚く。もったいぶったところは一切なく、何の前触れもない。なんて大胆不敵なんだ。家の玄関が開けっ放しになっていて奥の間に積まれた金の延べ棒が見えているような大っぴらさに、いきなり衝撃を受ける私であった。 愛知県幡豆郡吉良町(2011年に西尾市に編入)にある金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)。それが寺と国宝の名前だ。おそらくこの存在を知っ...

    2007/10/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 着の身着のままこの地へやって来て戦後60年、穴守稲荷は今も人と共にある

    PENTAX K100D+PENTAX FA 18-55mm(f3.5-5.6) 京急の穴守稲荷駅から3、4分歩いたところに穴守稲荷神社はある。駅を出て、ローソンを斜め前に見ながら右へ進むと、左手の方にそれらしい建物が見えてくる。昨日の写真にあった自販機を見つけたら、その道は間違ってないことになる。まさかああいうのがあっちにもこっちもあるというわけではあるまい。 穴守稲荷に関しては、行く前から下調べをして行ったわけではなく、帰ってきてから...

    2007/10/04

    東京(Tokyo)

  • ガイドブックには載ってない東京の中の昭和、京急に乗って穴守稲荷へ行こう

    PENTAX K100D+PENTAX FA 18-55mm(f3.5-5.6) 東京から羽田空港へ行く場合、浜松町から東京モノレールに乗るか、品川から京浜急行に乗るか、一般的にはどちらかということになる。あるいは、庶民ならリムジンバスで、お金持ちはリムジンで乗り付けるというパターンもある。 私としては、小松未歩が「東京日和」の中で歌ったように、モノレールに乗って天空橋を通って行きたかったのだけど、このときは品川からだったので京急に乗る...

    2007/10/03

    東京(Tokyo)

  • ぶらり途中下車の旅---目白の小さな名所を徒歩と自転車でめぐる

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4) 巾着田へ行った日の帰り、東京に戻ってくると雨があがっていた。日没までは少し時間があったので、椎名町で途中下車して目白まで歩いて帰ることにした。ぶらり途中下車の旅といこう。 上の写真は確か、西武池袋線の椎名町駅だったと思う。ついこの前のことなのにすでに記憶が曖昧になっている自分が恐い。雰囲気がよくて軽い気持ちで撮った一枚だから、これがどこかということを意識して...

    2007/10/02

    東京(Tokyo)

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色とりどりの鳥たちを見て、あらためて地球の色彩感覚に驚く

施設/公園(Park)
鳥いろいろ-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6



 掛川花鳥園シリーズ第四回は、人生色いろいろ鳥もいろいろ編をお送りします。
 メモ撮りをしてないので、鳥の名前は不明のものも多い。こういう鳥たちはどこでどうやって調べたらいいんだろう。日本にいる野鳥なら図鑑もあるし、ネットの情報も多い。けど世界の鳥となると、ネットでもどうやって調べたらいいのか分からない。ここはひとつ、鳥に目覚めて世界鳥図鑑でも買うべきなのか? なんか高そう。今日初めて小鳥の専門雑誌があることを知ったから、ああいうのを定期購読しないといけないのか。鳥の世界もなかなかに奥が深い。
 上の写真のやつは、またえらく派手な鳥だ。体は色とりどりの極彩色で、ツタンカーメンのような頭をしている。もしかしてエジプトの鳥なんてことはないだろうか。ツタンカーメンはこの鳥からヒントを得てたりしたら面白い。

鳥いろいろ-2

 クジャクはオスの広げた羽に気を取られがちだけど、上半身も充分ハデハデだ。中でもインドクジャクのメタリックブルーはすごい。鳥にここまでのド派手さが必要なのかと思うほどだ。私はこの色の服を着こなす自信がない。頭の飾りもチャームポイントの一つ。メスは地味。

鳥いろいろ-3

 ゴールデン、ブルーときて、次はピンク。これまたピンクがなんとも鮮やかだ。体に悪そうな合成着色料で染めたような不健康な色をしている。自然界の色とは思えない。ちらし寿司に振りかけるピンクの粉みたいだ。
 フラミンゴはやっぱり、ひょいと一本足で立つピンクのレディーたちであった。

鳥いろいろ-4

 パンクヘアーのツルさん。がっちり固めてちょっとやそっとじゃ崩れない。名前は、ホオジロカンムリヅル。
 目つきは悪そうだし、頭の上は黒髪のリーゼントみたいだ。前髪がリーゼントで頭頂部がパンクヘアーってのが新しい。2010年くらいに流行るかもしれない。
 自然界って、ホントに面白い生き物を作る。

鳥いろいろ-5

 人なつっこくて、少し凶暴で、食い意地が張った、カッショクペリカンくん。
 ペリカンというと白というイメージだけど、こんな色のペリカンもいるんだ。アメリカ大陸の海岸で暮らしている。
 このカラーリングは非常に共感するものがある。茶色を基調とした着こなしは、私に相通ずるものがある。私のお下がりをあげたとしても、カッショクペリカンはあまり違和感がないと思う。
 こんなでっかい体だから地面をヨタヨタ歩いてるだけかと思いきや、野生のものは群れをなして海の上をバサバサ飛んでいるんだとか。集団で魚を捕るそうだ。
 クチバシの下のノドのとろは伸縮自在で、最大で2リットルのペットボトル5本分の水が入る。人間はどんなに頑張っても10リットルの水分は摂れない。

鳥いろいろ-6

 これもきれいな鳥だ。黄色いパンツと青い上着はなかなか着こなせない。自然界ではこんなカラーリングでも違和感がないのが不思議だ。
 なんで暖かいところでは生き物全般の色が派手になるんだろう。寒いところでは地味なものが多い。人間にも同じようなことが言える。沖縄の人と東北の人では一般的に沖縄の方が派手だ。東北にアロハは似合わない。

鳥いろいろ-7

 これは日本に昔からいるインコとよく似ている。実際、どこかの国のインコなのだろう。
 私たちが子供の頃はよくインコを飼っていたけど、今はあの頃に比べてかなり少なくなったんじゃないだろうか。身の回りでもインコを飼ってる人はいない。インコを飼うという行為が恥ずかしいような風潮さえある。逆に、すごく悪そうな高校生がインコを飼っていたりすると好感度が上がる。金髪に鼻ピアスをしてるようなやつがピーちゃん、ご飯ですよー、とか言ってたら微笑ましい。

鳥いろいろ-8

 こいつが誰彼かまわず肩や頭に乗ってくるコガネメキシコインコだ。インコと名づけられているけど、オウムの仲間に分類されている。そこそこ体も大きい。
 これは飼うにはいい鳥かもしれない。かなり人なつっこくて、こちらの遊び相手になってくれるから退屈しない。エサ以外にもいろんなものをかじるから、部屋で放し飼いにするとやっかいだけど。

鳥いろいろ-9

 これも見覚えがある人が多いんじゃないか。アメリカ大陸にいるコンゴウインコだ。コンゴウインコもいろいろ種類がいたのだけど、いくつかの種は絶滅してしまった。現在も野生のものは数を減らしている。
 世界最大級のインコで、50年以上生きるそうだ。小学校の頃から飼い始めて、こっちが定年退職になるくらいまで生きている可能性もある。鳥の50年というのはかなりのものだ。
 コンゴウインコは、一生涯つがいで生活し、人に飼われると飼い主だけになつくという。賢くもあるから、犬や猫を飼えない人にはよさそうだ。

鳥いろいろ-10

 ヨウムくんは、一見するとグレーで地味な印象を受けるけど、尾っぽの赤色がオシャレさんだ。
 姿は鳩っぽくもあり、顔だけ見ると猛禽類に少し似ている。アフリカにいるインコだ。
 性格は好奇心旺盛で人なつっこい。言葉を覚える鳥としても有名で、単なる口まねではなく、訓練すれば簡単な会話まで成立するようになると言われている。ペットインコとしてはポピュラーな種なので、飼っている人もけっこういるようだ。
 掛川花鳥園にはアンソニーという看板ヨウムくんがいて、こいつを見てると飽きない。木の板を腹立ち紛れに噛みちぎったり、ふいにハローとしゃべってみたり、こっちがじっと見てるとあさっての方向を見てたりする。
 アンソニーおじさんという人がいて、その人にアンソニーはめちゃめちゃなついているらしい。飼育員ではなく、一般客のおじさんだ。見てみたいぞ、アンソニーおじさん。

鳥いろいろ-11

 派手鳥の決定版は、なんといっても羽を広げたクジャクだろう。再びインドクジャクに登場を願って締めくくりとする。
 誰に対するアピールなのかよく分からないけど、近くにメスもいないのにさかんに羽を広げて歩き回っていた。あれだけ他の鳥がうじゃうじゃいると、自分は常にアピールしておかないと存在感が弱くなってしまうという危機感でも持っているのだろうか。止まってじっとしてくれたらアップで撮りたかったけど、こいつがまた落ち着きのないやつで動き回っていてなかなか撮らせてくれなかった。
 まあしかし、きれいなもんだ。

 世界には実に様々な種類の鳥たちがいて、それぞれに個性を持っている。ここまでの多様性に必然性はないと思うけど、この遊びの部分こそが地球のいいところだ。私たちは素直に、わーすごいと驚いて喜んでいよう。彼らは人を喜ばすためにきれいな色をしているわけではないのだろうけど。
 掛川花鳥園の鳥写真はまだだいぶ残っている。このままシリーズを続けていっていいものかどうか、少し迷ってきた。今日明治村へ行ってきて、また写真の在庫が一気に増えた。時間があれば、花鳥園と明治村の二本立てでいこうと思っている。
 つづく。

地図を持たないオレ流料理人に未来はないと悟った2007年の秋サンデー

料理(Cooking)
屋台料理サンデー

Nikon D100+AF Nikkor 35mm f2D



 自分が作った料理を見て、なんだこりゃ、と思うことがよくある。みんなもそうなんだろうか。それとも私くらいなんだろうか。この日は特になんだこりゃ度が高かった。あなたのような子を産んだ覚えはありません! 橋の下で拾った料理と思いたい。
 始まりは簡単に和食を作るつもりだった。用意した食材も、エビ、ナス、白身魚、タマネギ、卵、その他と、和食になり得る材料たちだ。どこでどう間違ってこんなことになってしまったんだろう。完成のイメージ図がないまま見切り発車で作り始めて、考えかんがえ作っていたら結果的にこうなってしまった。なんというか、アジアの屋台料理みたいだ。バザーで買ってきた一枚20円の皿もおかしな彩りを添えることとなった。
 白身魚は、やや和食テイストが残っている。塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いたあと、カタクリ粉と白ごまをまぶして、ごま油で焼いた。たれは、しょう油、みりん、酒、酢、長ネギの刻みを混ぜたもので絡めて完成。でもなんか見た目が和食っぽくない。
 奥の卵焼きは、ちょっと失敗。半熟でふわふわにするつもりが、表面が固くなって、へちゃんこになってしまった。味はよかっただけにもったいない失敗だ。
 卵の中には、長ネギの刻み、コンソメの素、塩、コショウ、マヨネーズ、牛乳、とろけるチーズが入っていて、あんかけのあんは水、しょう油、コンソメの素、砂糖、カタクリ粉で作ってある。天津飯の洋風といった感じだろうか。全然和食じゃない。
 一番和食から遠のいたのが手前のエビ料理だ。マヨネーズ和えにした時点で完全に和風から逸脱した。奥に見えているのは原形を失ったナスだ。
 エビは塩、コショウ、酒を振って、カタクリ粉をまぶして焼く。ナスは、オリーブオイルたっぷりで焼いたあと、水にコンソメの素を溶いたものを全体に振り入れて柔らかくなるまで煮る。そこへさきほどのエビを加えて、水分がなくなったら特性マヨネーズソースを絡めていく。牛乳に砂糖を加えたものをレンジで加熱して、そこにマヨネーズ、からし、塩、コショウ、コンソメの素を加え入れてよく混ぜる。

 味としては悪くなかった。日常の夕飯としては不満のないレベルだ。ただ、見た目のおかしさはいかんともしがたい。彩りというものがおよそないのが問題だ。緑色や赤色のような色が決定的に不足していて食欲をそそらない。皿の選択も間違えた。白い小皿に野菜や付け合わせと一緒に乗せたら、もう少し小洒落た料理に映ったようにも思う。同僚の家に遊びに行って夕飯を食べていけというからいただくことにして奥さんがこの料理を並べてきたらびっくりする。なんだこのセンスと、料理の顔ぶれは、と。料理って見た目も大事なのね。
 料理も写真も、完成図のイメージというものが重要だ。地図も持たずに知らない土地へ行ったら、それは迷う。目的地があって、そこへ至る道を把握していて初めて行きたいところへ行けるのだ。行き当たりばったり料理からはそろそろ卒業しなくてはいけない。
 最近思うのは、人が作らない珍しい料理を作れることよりも、普通の料理を基本通りに作れる人が本当の料理上手というのだろうなということだ。ありふれたおかずしか作ってくれないお母さんに文句を言ってはいけない。そんなちびっ子のところへは私が料理を作りに行ってしまうぞ。毎日何が出てくるか分からないぞ。味も毎回不安定で、料理の名前もついてないぞ。
 今回でちょっと反省した。もう一度基本に立ち返ってまともな料理を作れるようになりたい。またレシピ本を見て、分量もそのままに作り直してみよう。応用は基本ができる人がすることだ。たとえば卵焼きひとつ取ってみてもそうだ。卵焼きなんて卵を割って混ぜてフライパンで焼けばできるとかそういうものではない。ほどよい加減の卵焼きを作るのは思っている以上に難しいものだ。
 来週は休みだから、再来週、出直しサンデー料理と銘打って基本のおかずを作ってみることにする。今年も残り2ヶ月。基本の料理を基本通りにというテーマでいって、サンデー料理2007年の総まとめとしたい。オレ流料理に未来はないのだ。

30種類のフクロウを見て触れて撮って、私は心の中で叫ぶ、ビバ、フクロウ!

施設/公園(Park)
フクロウコレクション-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6



 掛川花鳥園には、ショーをするフクロウだけでなく、たくさんのフクロウたちがいる。入り口から入ってすぐのガラス張りの和風小屋に、30種類近いフクロウさんがずらりと並んでお客を出迎える。いきなりのフクロウ攻撃におおぉぉ、これはぁ、とやられてしまう仕掛けになっているのだ。しかもまだそこはタダゾーン。チケットを買って入園するのはその先なので、タダでフクロウを見放題という太っ腹ぶりをみせる。なんなら開園と同時にやって来て、お昼は持参のお弁当を食べ、夕方の閉園までフクロウを見ていてもお金はかからないということを意味する。たぶん、そこまでやると怒られてしまうだろうけど。
 花鳥園シリーズ第三回はフクロウコレクションをお送りしたい。帰ってきてから全種類撮っておけばよかったと悔やんだけど、それもまたもう一度行くための理由となった。今回は時間がなかったこともあって、30種類の中で撮ったのは5、6種類にとどまった。
 これだけたくさんのフクロウをコレクションしているところもそうめったにあるものではない。フクロウ好きにとってもここはウハウハ天国なのだ。

フクロウコレクション-2

 フクロウの眼光は、まん丸でありながら鋭い。猫の目と似ているようでいてやっぱり違う。猫のように瞳を細めたりできず、動かすこともできない。
 目が合うと、こちらのことは全部お見通しのような気がしてちょっとひるみがちだ。感情は読み取れない。とにかく目ヂカラの強さに圧倒されつつ魅入られてしまう。
 それにしてもこいつは不思議な生き物だ。鳥でありながら存在感はケモノと同格で、猛禽類でありながらタカなどとは受ける印象が違う。このずんぐりした体つきにだまされてはいけない。本来はかなり凶暴なやつだ。怖さはないけど、キュートというわけでもなく、でも見てるとなんとなく笑えるようでもある。

フクロウコレクション-3

 ワシミミズクにもいろいろな種類がいる。こいつはベンガルワシミミズクだったか。毛並みとか、耳(羽角(うかく))の形とか、微妙に違っている。
 ネームプレートをメモ撮りしておけばよかったのだけど、間近で見るフクロウや鳥たちに興奮してしまってそこまでの気が回らなかった。写真を撮りまくって、メモリ余裕がなくなったこともあって。次に行くときはメモリを買い足して、しっかり名前も撮ってこよう。
 すでにまた行く気満々の私であった。

フクロウコレクション-4

 これはネームプレートを見なくても分かる。ハート型のふちどり模様をしてるのは、メンフクロウだ。お面のようなところから来ているのだろう。
「どうぶつ奇想天外」に出演しましたと書いてあった。他にも「トリビアの泉」に出たフクロウもいた。フクロウが必要なら花鳥園に行けってのは業界の常識なのかもしれない。

フクロウコレクション-5

 こちらはガラスケースの中にいたフクロウさん。光が反射して写真を撮るのは難しい。時間帯によっては撮りやすいときもあるのだろうか。
 こいつは誰だったろう。モリフクロウの中のどれかだっただろうか。目を閉じてるとちょっと分かりづらい。
 ショーに出ないフクロウはこの中で過ごしている。たまには大温室の方に出たりもするのかも。
 飼育員さんは小屋の掃除をするときヘルメットをかぶっているらしい。頭をつつかれたりすると危険だからなのか!?

フクロウコレクション-6

 これはアカアシモリフクロウだと思う。フクロウの模様は縦縞のやつが多いのだけど、こいつは横縞だ。ちょっと珍しい。横縞だとけっこう印象が変わる。
 コノハズクやミミズクと違って瞳の色は黒だ。こっちの方が鳥の目っぽい。
 南米の森の中にいるそうだ。

フクロウコレクション-7

 これもちょっと分からなかった。フクロウの見分けなんて普通はつかない。
 白い首巻きが特徴的なのだけど、君は誰ですか?
 耳が縦ではなく横に広がっているのがちょっとユニークでもあり、凛々しくもある。これがあるのとないのとでは全然違ってくる。なくなくと頭がつるんとしてしまって、やや間抜けな感じになる。

フクロウコレクション-8

 クロワシミミズクかなと思うけど、違うような気もする。フクロウの仲間ってこんなにもたくさんいるんだと、初めて知った。
 グレーの毛並みの質感に惹かれた。おなかを触ってみたい。全体のカラーリングも渋い。

フクロウコレクション-9

 アビシニアンワシミミズクかな。お眠さんで寝ていたから、特徴とされる目の赤いふちどりは確認できなかった。
 模様が動物っぽいというか、アブラゼミみたいというか、なんとなくアライグマも連想させる。

 こうしてあらためてフクロウの写真を見ていると、もっとフクロウをじっくり観察してくればよかったと思う。今回はさらっと流しすぎた。
 フクロウはいいなぁ。今までフクロウフリークの人の気持ちが分からなかったけど、今なら分かる。フクロウはやっぱりいいぞ。森の博士ととか哲学者とか、そんな単純なものではない。もっといろんな面を持つ魅力的な生き物だ。置物のようなたたずまいとは裏腹の飛んでいる姿の猛禽ぶりや瞳の力強さ、毛並みのホコホコさと太いモモに鋭い爪。猫を作ったこの世界は天才だと思っていたけど、フクロウにも同じようなものを感じた。
 日常的にフクロウと接する機会は皆無だから、ぜひ花鳥園へ行ってフクロウの魅力を知って欲しいと思う。行って見てきたら、私と共に叫ぼうではないですか。ビバ! フクロウ! と。

ファルコンショーで知る猛禽類の魅力と飛ぶ鳥撮りの楽しさ ---花鳥園第二回

施設/公園(Park)
花鳥園ショー1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6



 水族館にイルカやアシカのショーがあるように、掛川花鳥園にはファルコンショーがある。1日3回のうち2回は屋外で、午前中の1回目は屋内で行われる。残念ながらこの日は午後から雨で、3回目のショーは屋内に変更になってしまったのだけど、一度は外で見られてよかった。今日はそのときの様子を写真中心にお届けしたい。
 ファルコンショーに登場するのは、フクロウ、タカ、ハヤブサなどだ。以前はワシもいたようだけどこの日は出てこなかった。顔ぶれはその日によっても変わるのかもしれない。
 1回目は屋内でのフクロウショーだった。上の写真がそうだ。おじさんたちもいい顔をしている。フクロウといっても日本の森でホーホーと鳴いてるようなやつではなく、外国にいるミミズクだ。鳴き声もグエッグエッというような鳴き方だった。
 フクロウというと昼間は森の奥で半目を開けながら眠って過ごしているようなイメージがあるけど、あれは夜行性のネズミなどが活動する夜に行動するために昼寝てるだけで、別に昼間は体が動かないとかそういうことではない。だから、人間にエサがもらえるフクロウは昼間起きていて夜寝ている。昼間では目はしっかり見えているそうだ。
 フクロウたちはときに素直に、ときにやる気がないそぶりをみせなかがら、最終的にはエサ欲しさに飼育員さんの人の言うことを聞いて芸をすることになる。芸といっても呼ばれた方向に飛んでいくということだけなのだけど。

花鳥園ショー2

 止まっているときは置物のようなフクロウも、飛んでいる姿はまさに猛禽そのものだ。凶暴な野生の片鱗を見せる。
 人に飼われているとはいえ肉食であることに変わりはない。普段から冷凍ヒヨコなどを食べているそうだ。ショーのときは何かの生肉を食べていた。
 特に何か芸をするというわけではないものの、人が呼んだ方にちゃんと飛んでくるというのはたいしたものだ。普通、鳥はそんなに人の言うことを聞かない。ショーに出てるのは、野生のものを飼い慣らしたものではなく、花鳥園で生まれて人の手で育てられた鳥のようだ。
 ショーのあとはお触りタイムで、そのときもおとなしく人の手に乗って写真を撮られている。つながれているわけでもないのにどこかへ勝手に飛んでいったりもしない。かなり賢いやつだ。

花鳥園ショー3

 室内での撮影は厳しいものがある。この日は特に日差しがなくてシャッタースピードを稼げず、手ぶれや被写体ブレの失敗写真が多かった。フクロウの飛行も思っている以上に速い。
 室内の飛行ショーでは明るいレンズを使いたいところだ。手ぶれ補正もあった方がいいけど、それよりもシャッタースピード優先となる。距離が近いから、たとえば50mmのF1.4とかF1.8のような単焦点レンズでもいいかもしれない。もしくは、タムロン90mmのようなマクロレンズをポートレート用途の応用で使うという手もある。それはあとになって思いついた。

花鳥園ショー4

 屋外での飛行ショーでもフクロウが活躍する。飛行距離も伸びて、フクロウたちものびのびと飛んでいる。ここでも彼らはどこか遠くに飛んでいってしまうというようなことがない。思っている以上に知能が高いようだ。
 外では望遠レンズが欲しい距離となる。使った望遠側120mmのレンズではやや届かなかった。でも300mmが必要なほどでもない。200mmくらいがちょうどよさそうだ。天気のいい日ならF5.6のような暗いレンズでもシャッタースピードが稼げるからそこそこ捉えられそうだ。この日は曇天で苦しかった。ノイズが増えても感度をもっと積極的に上げていくべきだった。

花鳥園ショー6

 フクロウは翼にたくさん空気を包み込んで音もなく低空を飛行して獲物を捕らえる。バサバサっと音を立てそうに思うけど、実際はとても静かに飛ぶ。野生のネズミや小鳥たちにとっては恐ろしい暗殺者だ。夜に背後から無音で近づかれたら逃げようがない。太いモモと力の強い足で獲物をがっちり捕まえたらもう放さない。
 猛禽類はもはや鳥ではない。翼を持ったケモノだ。

花鳥園ショー7

 タカのショーを担当するのはイギリスからやって来た鷹匠のギャリーさん。ジョークを交えた日本語で解説をしながらタカの飛行を演出する。
 タカは、ハリスホーク(モモアカノスリ)という種類のものだ。人によく慣れるタカで、こういうショーには向いているのだとか。時々機嫌を損ねて言うことを聞かないようだけど、それでもタカがパフォーマンスショーをできるということに感心する。お客の頭の上すれすれに飛んでいくたびに驚きの声と歓声が上がる。
 飛行時の写真は一枚も成功がなかった。タカはフクロウの比じゃない速さだ。ファインダーの中に納めるのが精一杯で、シャッタースピードも上がらないから、写ってもブレブレだった。これは難しい。天気のいい日にもう一度挑戦したい。それがもう一度掛川花鳥園へ行く理由となるだろう。それを言い訳にして200mmの明るいレンズを買ってしまいそうで恐い。

花鳥園ショー8

 最後に登場したのがハヤブサ(セーカーハヤブサだったかな)だった。登場は目隠しをされていて何事かと思ったけど、ハヤブサは神経質なので周りを見て興奮しないようにともことだった。
 ハヤブサというのもこんなに至近距離で見る機会はめったにない。動物園でもあまり見かけないし、たとえ飼育展示されていたとしても檻の中ではハヤブサの魅力は感じられない。やはりハヤブサは飛んでいる姿を見てこその猛禽だ。飛行速度はタカをも上回り、飛行姿を写真に撮るのは更に難しくなる。

花鳥園ショー9

 ヒモの先に付けた疑似餌を振り回してそれをハヤブサがキャッチするというパフォーマンスが行われた。写真はなんとか捉えた一枚。これ以外は全滅だった。
 ちょっと面白かったのは、このショーのすぐ近くでカモたちがのんきに過ごしている姿だ。まるで猛禽たちの存在を意識してない。やつらの感覚は人に対しても猛禽に対しても麻痺してるらしい。タカたちもカモなんかは獲物にならないのだろうか。毎日メシをもらってるから襲う気にならないのか。
 飛行ショーのときにスズメなんかが飛んできたらどうなるんだろう。まかり間違ってインコたちがいる温室に飛び込んでしまったら、そこは阿鼻叫喚の世界となってしまうのだろうか。

花鳥園ショー10

 最後は屋内でのファルコンショーとなった。外はますます暗くなってシャッタースピードが上がらない。普通に撮ってもまともに写らないから、タカと共に移動するギャリーさんを流し撮りしてみた。完全には止まりきらなかったけど、一つの可能性を見た。流し撮りというのはありかもしれない。室内ではやや厳しそうだけど、屋外のときは試してみる価値がある。これも次の課題だ。

 ファルコンショーは面白い。特に撮影が燃える。見てるだけでも楽しめるけど、撮るのはもっと楽しい。飛ぶ鳥を撮るのはやっぱり楽しいものだと再認識した。自然界ではなかなかチャンスがないことでもあるし。
 花鳥園はプログラムとしてもなかなかに多彩で飽きさせない。鳥だけしかいないというと、ざっと2時間も見たら飽きてしまうだろうと思うかもしれないけどそうではない。ファルコンショーにエサやりに触れ合いにと、6時間以上過ごしてもまだ足りないくらいだった。ここを知ってしまうと、もう動物園では物足りないと感じるようになってしまう。動物園の理想型がここにあるという言い方もできる。飼育展示された動物を人間が観察するというのではなく、動物が暮らしている環境に人間がお邪魔するというスタイルこそ、生き物たちの魅力を知ることができるというものだ。
 花鳥園の写真はまだまだたくさんあるから、明日もこの続きになる。何回シリーズになるかは今のところ未定。

鳥は見るだけのものではなく触れて乗せるものだと知った掛川花鳥園

施設/公園(Park)
花鳥園1-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6



 静岡県掛川市に鳥天国がある。それは鳥にとっての天国ではなく、鳥好きの人間にとっての天国だ。その名を掛川花鳥園(かちょうえん)という。鳥に囲まれて暮らしたい、そんな夢物語というか妄想を叶えてくれる夢の楽園がここにあった。
 そこはもう、鳥に触れられるとか、鳥にエサを与えられるとかいう次元の話ではない。鳥と同じ空間に存在して、鳥と対等になれる世界だ。あるいは人はここで鳥以下の存在となる。
 とにかく鳥を見て、触って、エサをやって、写真を撮って、記念撮影をしてと、忙しい。何故か笑いが止まらない。だんだん感覚がおかしくなってくる。最終的には鳥がどれだけいようと慣れる。いつの間にか異常な空間だったものが当たり前に思えてくるから恐い。
 今日はそんな鳥天国掛川花鳥園を写真で紹介したいと思う。まず第一回目はほんのさわりということで、人と鳥が触れ合っているシーンを中心に並べてみることにする。これで園内の雰囲気がある程度分かってもらえると思う。中には触れ合いの度を超しているものもあるけど、それもまた笑って許せてしまうのがここの素敵なところなのだ。

花鳥園1-2

 止まり木に止まっておとなしくしているフクロウさん。置物っぽいけど置物ではない。
 金網も檻もないすぐ目の前にフクロウ(ユーラシアワシミミズク)がいる。手を伸ばしたら触れられそうな距離だ。実際、ふれあいタイムでは手に乗せたり触ったりもできる。一回200円。

花鳥園1-3

 外の水鳥の池は野生とも飼い鳥ともつかないやつらが雑居房状態になっていた。渡りのカモとハクチョウとアヒルたちが渾然一体となって泳いだり浮いたり丸まって寝たりケンカしたりしている。これも不思議な光景だ。
 エサをやると、カモもアヒルもハクチョウも入り乱れての争奪戦になる。慣れたやつは手からも食べる。どこまで野生なのかよく分からない。もっと季節が進めば、渡りのカモたちも増えていくのだろう。

花鳥園1-4

 エミューに囲まれて襲われている人。エサを持っている人間をよく知っていて、みんなで取り囲んでエサを奪おうとする。コーナーに追い詰められると逃げ場がなくなるので、サイドステップを踏んで横に回り込まなくてはいけない。
 けど、エミューはその見た目とは裏腹にそんなに凶暴でもなく、クチバシも痛くない。奈良の鹿よりもソフトなアプローチだ。図体が大きくて恐竜っぽいからちょっと恐いけど。

花鳥園1-5

 温室の水場もすごいことになっている。セイタカシギやフラミンゴ、トキなどが水の中にたむろし、陸地ではオオハシさんやエボシドリたちがエサを持った人間を狙っている。
 本来動物園のようなところは、飼育展示してある生き物を人間が見るというスタンスだけど、ここの場合は鳥の生活空間に人間がお邪魔するというスタイルなので、立場が逆転している。お客は誰もがエサを与えるための飼育員を兼ねることになる。
 こいつらは人間をまったく恐れないので、うっかりしてると足下を歩いてるやつを蹴飛ばしそうになる。人間の方も、しばらくここで過ごしているとこの状況に馴染んでしまう。目の前をクジャクが羽を広げながら通り過ぎても、ああ、クジャクかで終わってしまう。

花鳥園1-6

 これがお目当ての一つだったオオハシさんだ。
 こんな大きなクチバシは必要なさそうだけど、エサをクチバシの先でくわえて、頭をひょいっとのけぞらして器用に口の中に放り込む。そのしぐさがなんともキュートで、どんどんエサをやってしまう。エサはメロンとリンゴをサイコロ状に切ったもので、100円分くらいは1匹で簡単に平らげる。恐るべし、オオハシさん。
 花鳥園では、エサと触れ合いで100円玉がどんどん消えていく。ゲーセンみたいだ。

花鳥園1-7

 インコや小鳥たちも慣れたもので、エサを持ってるとどんどん手や肩や頭に乗ってくる。子供の頃インコを飼っていたときの遠い記憶がよみがえった。手乗りインコにするためにはチビのときから育てて苦労して慣らしたものだけど、ここではそういう手間は一切かからない。どいつもこいつも慣れきっている。
 逆に鳥の立場からいえば、黙っていてもエサがもらえるわけではないから、観光客を積極的に狙ってエサをもらう必要がある。鳥にも要領のいいやつとそうでないやつがいて、もらえるやつはいくらでももらえるけど、引っ込み思案なやつはなかなかエサにありつけない。ここにはここの弱肉強食がある。

花鳥園1-8

 クロトキとクジャクみたいなやつ。ここにいると名前がどうだとか細かいことは気にならなくなる。
 珍しい鳥たちが床をヒョコヒョコ歩いてる姿も、考えてみると変なものなのだ。ニワトリ状態になっているなんて。人の目の前でも平気で横切っていく。野生の鳩より10倍は人になれている。

花鳥園1-9

 スイレン温室にいるコガネメキシコインコは、人に慣れているのを通り越して人を人と思ってないようなところがある。エサを持っていようといまいと攻撃的に人に乗ってくる。腕だろうと肩だろうと背中だろうと頭だろうと。油断しているとインコまみれになってしまう。
 けっこう凶暴で、服やアクセサリーなど、いろんなものをかじってくるから取られないように気をつけないといけない。指を噛まれるとけっこう痛い。
 面白いのは、この中を歩いている誰もが皆、手や肩に2、3羽のインコを乗せていることだ。まるでマイインコの見せ合いっこのような様相を呈している。ここの中だから違和感はないけど、これが電車の中だったりするとものすごくシュールな光景だ。

花鳥園1-10

 ペンギンが鳥だということを忘れがちだけど、ペンギンだって鳥だ。空を飛ぶことをやめて海に帰った飛べない鳥だけど。
 ペンギンともこれだけ接近遭遇できるところはそうめったにない。エサの魚を買ってあげることもできる。そのどさくさで触ることもできる。
 花鳥園は絶対に平日がオススメだ。週末はかなりの賑わいで、エサやりも触れ合いも制限されてしまうけど、平日ならほぼ好きなだけ触れ合うことができる。平日はエサもそれほどもらってないからよく食べてくれる。

 とまあ、こんな花鳥園なのです。この写真を見て早速行きたくなった人もいるかもしれない。もし少しでも興味がわいたのであれば、あなたはまず間違いなくここを楽しめる人だ。触れ合い興奮度は動物園の比じゃない。それはもう、ウハウハなのだ。あなたはきっと、嬉しくて笑いが止まらなくなるだろう。鳥好きの人には絶対のオススメスポットと言い切ってもいい。私も近所ならちょくちょく行きたいと思ったけど、掛川はさすがに遠かった。
 明日以降も何回かに渡って花鳥園で撮った写真を紹介する予定です。一人でも多くの人を花鳥園へ送り込むために。

明日は朝っぱらから鳥の園へ行くので夕景写真を並べて早寝早起き

夕焼け(Sunset)
河原夕景-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6/SIGMA 17-70mm F2.8-4



 明日は早起きなので必然的には今日は早寝となる。だから時間がない。今日の私は一日が11時間しかなかった。失った13時間はどこへいってしまったんだろう?
 それはともかくとして、今日は河原の夕景写真を並べてお茶を濁す。調べ物をしたり、あれこれ書いている余裕はない。
 最近は日没も5時すぎになって、写真を撮る時間が限られている。夕焼けから日没にかけてもあっけないくらいに短くて、ぐずぐずしてたらすぐに夕陽は沈んでしまう。秋の太陽は帰り支度が早い。ちょっと鳥なんかに気を取られていて振り返ると、もういない。
 そんな短時間の夕景の中で撮った河原風景が今日の写真です。

河原夕景-2

 気がつけばもう10月も後半。うっかりしてたら冬のカモシーズンが始まっていた。
 今年の春に繁殖のために北へ渡っていったカモたちが、冬を越すためにまた日本へとやって来た。まだ羽の生えかわってないオナガガモやコガモたちが数羽、川に浮かんでいた。この季節はまだ人に慣れていないから、こちらが近づくと飛んで逃げてしまう。年を越して来年になる頃にはだいぶ慣れてくるのだけど。
 今年はまだ見ぬカモに出会えるだろうか。

河原夕景-3

 ピンクの川面と、石を投げる少年たち。
 自分も確かにこんなシーンを演じているはずなのに、はっきりとした記憶はない。少年の頃は夕焼けがきれいで見とれるなんて感覚がなかった気がする。外で遊んでいて、家に帰らなければいけない日没はうらめしかった。

河原夕景-4

 夕陽が地平線に近づくと、川の色も濃くなる。ここ最近の焼け方は、オレンジではなくピンク色の日が多い。大気の関係なのか、太陽の角度なのか。

河原夕景-5

 橋の上を行く人と自転車が太陽の光でシルエットになり、空はオレンジ色に染まる。

河原夕景-6

 大きな太陽が街の向こうに沈もうとしている。かなり巨大だ。
 この太陽と重なる位置で飛び交っているコウモリを写し込もうと何度も試みてみたけど、どう考えても無理だった。コウモリの飛び方はものすごく速くて不規則だから、たとえ太陽の前に来たときにシャッターを切っても、まともには写らない。この暗さではシャッタースピードも足りない。

河原夕景-7

 夕陽が沈んだあとの優しいピンクとブルーの空もいい。この色を見ると、心穏やかになる。

河原夕景-8

 桜の木と夕空が車のフロントガラスに映り込んだ。

河原夕景-9

 あ、秋。
 真っ赤に染まった桜の木の葉が車の上にはらりと舞い落ちて止まった。
 紅葉の季節は近い。

 夕焼けにも様々な色があって、同じように見えても違っていることが、こうして写真を並べてみるとよく分かる。時間によって、場所によって、切り取る部分によって、夕景は表情を変える。どれも本当であって、どれも優しい嘘なのかもしれない。
 秋は夕暮れ。それは写真にも言える。夕景を撮るなら今の季節が一番ドラマチックなときだ。冬になるまでの短い期間だけど、太陽と競争しながら少しでも夕焼けを撮っていきたいと思っている。

 明日は雨模様の中、少し遠出をする。伊良湖に続いての雨だ。なんとかぎりぎりでも持ってくれるといいんだけど、ちょっと厳しいか。
 行く場所のヒントは、鳥天国。察しのいい人ならすぐにあそこだと分かってしまうかも? 一日中そこにいる予定なので、見つけたら声をかけてください。第2ヒント。そこにはオオハシさんがいます。

スイバルなCOOLPIX3500さえあれば街でも店でもホームでも撮り放題さ

カメラ(Camera)
coolpix3500写真-1

Nikon COOLPIX 3500



 デジタル一眼の最大の弱点は何か? それは、人目の多いところで撮りづらいというところだ。たとえば人混みの街中、賑わう店内、電車待ちのホーム、そんな場所でバッグからおもむろに大きなデジイチを取り出して撮影するというのは、なかなかに勇気がいる。それくらい全然平気だもんねという人もいるだろうけど、私は平気じゃない。わー、今ここで撮りたいなーと思っても、人目が気になって撮れずじまいになってしまうということがこれまでどれだけあったか。決定的瞬間になりえたのに逃したシーンも数え切れない。
 そこでクローズアップされるのが今日紹介するスイバルデザインのコンパクトデジだ。レンズがくるりと回転してむこう向きにもこちら向きにもできる仕組みのデジをスイバルと呼んでいる。意味はよく知らない。
 Nikonは昔からこのデザイン路線のデジを出していて、私が写真を趣味とするきっかけになったCOOLPIX 950もそのシリーズのデジだった。
 スイバルのよさは、おなかの位置で撮れるということだ。これでまわりの人間からみて写真を撮っているということを気づかれにくくなる。テレビゲームでもやってるようなスタイルだから。
 人目を気にせず撮れるようになると、撮影の幅がぐっと広がる。街中でも店内でも、撮影禁止の場所じゃなければたいてい撮れる。隠し撮りがしたいわけじゃないけど、それに近いこともできなくはない。携帯カメラもコンパクトデジより人目が気にならないアイテムだけど、あれは顔の前で構えないといけないから、周りから撮っていることが一目瞭然となってしまう。

 今回買ったのは、COOLPIX 3500という機種だ。ちょこっと撮るだけだから新しいものは必要ない。性能と値段のバランスを考えてこれにしておいた。200万画素のCOOLPIX 2500でもよかったのだけど、一応兄貴分の300万画素にしておいた。買値は3,000円ちょっとだから安いものだ。5年前(2002年)の発売時の定価が72,000円ということを思うと、なんとも気の毒な中古価格となってしまっている。コンパクトデジはモデルチェンジが頻繁ということもあって、値崩れが早い。
 35mm換算で37-111mmの3倍ズーム。この頃のNikonは広角が弱かった。F値は2.7-4.8と標準的なものだ。シャッタースピードは、2~1/3000秒。これはまずまず。
 スイバルデザインのものとしては、900、910、950、990、995、2500、3500、4500、SQ、S4、S10と続いていて、2500/3500は路線が変わっていくきっかけとなったデジだ。900シリーズは図体も大きめで本格仕様のデジだったのが、2500以降はコンパクトに鞍替えしてしまった。今でも900シリーズの復活を望む人がけっこういると思うのだけどどうなんだろう。
 S4からはスイバルで10倍ズームに変身して、S10では手ぶれ補正をつけてきた。これはけっこう惹かれるけど、発売してまだ一年だから中古相場も高い。安くても1万7,000円くらいになっている。

 久しぶりにコンパクトデジを使ったら、戸惑うことが多かった。できることとできないことがはっきりしていて、できないことはまったくできないことをあらためて思い知る。コンパクトだからできないこともあり、COOLPIX 3500ができないこともある。
 今日のところは、試し撮りした写真を並べつつ、そのあたりの気づいた点について少し書いていきたいと思う。

coolpix3500写真-2

 姫路駅で新幹線のぞみを撮った。ホーム撮りも楽勝だ。これは使えるぞと喜んだ。これからの私は電車撮り放題なのだ。隠れ撮り鉄と呼んでもらってもいい。人目を気にせず電車を撮れるというだけでもこのデジを買ったかいがあったというものだ。
 ただし、デジイチの感覚で撮ってるとてんで遅いから注意が必要だ。レリーズタイムログもすごいことになってる。この新幹線も自分の横を通過した瞬間にシャッターを切ってるのに、撮れた写真ではずいぶん向こうまで行ってしまっている。動きの速いものはかなり厳しそうだ。電車のような直線の動きはまだ予測して早めにシャッターを押せばいいけど、鳥なんかは相当難しい。慣れの問題があるにしても、慣れても撮れないものは撮れない。

coolpix3500写真-3

 逆光には変な強さを見せる。これはコンパクトデジのレンズ全般の特徴でもあるのだけど、デジイチでこのシーンを撮ったら手前の花は影の中に沈んでいるはずだ。それが全部出ている。それでいて光の部分も真っ白に飛んでいるわけではない。
 それにしても被写界深度の深いこと。手前からずっと奥の建物にまでピントが合ってる。デジイチではかなり絞ってもこんなふうにはならない。逆に言えば、手前にピントを合わせて背景をぼかすなんて気の利いたことはできない。
 COOLPIX 3500は、基本的にすべてオートで、撮影者ができることが少ない。絞りは当然変えられないし、マニュアルフォーカスもできず、感度の設定もできない。カメラの言うなりなすがままだ。絞りやシャッター速度も表示されないから、カメラの内部でどんなふうに判断してるのかもよく分からない。このあたりはのちのち大きな問題となってくる。

coolpix3500写真-4

 感度の判断もよく分からない。けっこう明るいシーンでも勝手にゲインアップしてザラザラ写真になったかと思えば、こんな暗いシーンでも感度が低いままだったりする。コントラストの強いシーンでは、レンズを向ける場所を少し変えるだけで変化が激しい。しばらく使ってみないとクセが掴めない。
 一ついい機能としては、BSS(ベストショットセレクション)というのがある。これは950のときから常用してたのだけど、連写モードのように最大10枚まで連写できて、その中で一番シャープに写っているとカメラが判断した一枚だけを記録するというものだ。一番解像してる画像が一番手ぶれが少ないということで、データ量が大きい写真を選択するようだ。これによって手ぶれ写真をある程度減らすことができる。腰構えで撮るデジでもあるし、一般のコンパクトデジよりは手ぶれが少なくなる。

coolpix3500写真-5

 夜景や夕陽や花火、風景モードなども当然あって、マクロモードもシーンモードの一つになっている。多少不便だけどこれは仕方がないか。被写体前4センチまで寄れる。ただし、倍率は高くない。
 問題は、シーンモードになるとBSS機能が使えないことだ。特にマクロの場合、手ぶれを避けるためにこれを使いたいのに使えない。結果として、手ぶれ写真増産ということになる。これは厳しい。
 全般的にみてもマクロには強くない。コンパクトデジで4センチでは物足りないし、レンズが特殊な形をしてるからマクロレンズなども付けられない。奥の手としては、レンズの前に虫眼鏡をかざして撮れば大きく撮れるというのがある。半分冗談だけど実際にそうやって撮るという方法はあるのだ。

coolpix3500写真-6

 一番の問題点は、やはりマニュアルフォーカスができないことだろう。ピントはコントラスト検出式なので、コントラストの低い被写体では永久にピントが合わない。自分の意図したところに合わせようにもにっちもさっちもいかない。
 このときは水槽の前面に生み付けられたネオンテトラの卵を写そうと試みたのだけど、水槽の中の藻にどうしてもピントがいってしまう。10回やっても20回やっても、しつこく30回やっても、金輪際ピントは合わなかった。ウィーンウィーン一所懸命うなってはいるものの、檻の中の動物のようなもので、どうにもならないのであった。
 どこか他の場所でピントを合わせて半押しのまま被写体に向けて撮れば上手くいくのだろうか。ただ、液晶画面ではピントがどこに合ってるのかまではよく見えない。光学ファインダーももちろん付いてない。

coolpix3500写真-7

 ピント合わせがままらないのを利用して、雨の日に車の窓越しに夜の街を撮ってみたら、面白い写真になった。
 一応、建物の明るい部分に合ってるのだろうけど、手前の道路などにも合っている。合ってないのは窓に付いた水滴だけか。デジイチだとかなり絞ってもこういう写真にはならない。
 これを狙いで撮るには難しいけど、夜の街撮りはもう少し可能性を探っていきたい。

coolpix3500写真-8

 朝焼けの一枚。こういう難しくないシーンだとしっかり写ってしまう。この手の写真だとデジイチの高いレンズで撮った写真とあまり差がないのは喜ぶべきなのか、悲しむべきか。
 レンズ部分の基本性能はけっこう高そうだ。単純に画質はどうかといえば、これは良いと言える。定価7万オーバーということは、それなりのレンズを使ってるということだろう。

coolpix3500写真-9

 夕景も悪くない。やや派手目ながら雰囲気は出ている。空の階調がやや不自然ではあるけど、破綻しているとまではいかない。シャドー部が沈まずに空の色がこれくらい残れば上出来だ。

coolpix3500写真-10

 これなんかも面白い空になった。焼けたピンクのグラデーションと残った青空のブルーが、不思議な淡いコントラストとなっている。
 これもデジイチで撮ると、手間のコスモスと散歩しているおじさんは暗くつぶれてしまう。その部分の色を出すと、空の色はかなり飛んでしまうはずだ。
 なかなか侮りがたい実力を持っていることがこの一枚でも分かる。

 ざっと試し撮りした段階では、画質という点で大きな不満はない。高画質で撮りたければデジイチを使えばいい。ただ、いろいろと弱点の多いデジでもあることが判明した。ピント合わせや絞り、感度などが自分で設定できないのは困る場面がいろいろ出てくる。結局のところ、どこまで割り切れるかということになるのだろう。それほど多くを求めてはいけない。
 それでも大いなる可能性は感じた。腰撮りで撮れるという決定的な利点をいかさない手はない。特に街撮りと店撮りで活躍してくれるだろう。デジイチでは決して撮り得ない写真を求めて、常日頃からいつでも撮れるように持ち歩くことにしよう。でも、隠し撮り疑惑で捕まらないように気をつけないとね。

家族連れで賑わうアイボクに名古屋嬢はフィットするかしないか

施設/公園(Park)
アイボクの生き物たち-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm F3.5-5.6 IS / SIGMA 18-50mm F3.5-5.6



 10月7日は、世間で言うところの三連休の中日で、アイボクはすごい人だった。普段でもけっこう人は多いけど、この日の多さはちょっと尋常じゃなかった。駐車場も、見たことがないような奥地まで行かないととめられなくて驚く。あれは駐車場じゃなくて空き地だ。
 いくらタダスポットとはいえ、みんな牧場が相当好きらしい。少し前までは隠れた人気スポットと言われたものだけど、今や全然隠れてない。多くの人が知る表の観光地に成長した。

アイボクの生き物たち-2

 普通の観光地は、汽車の格好をしたバスや馬車なんかに乗って園内を回ったりするものだけど、ここは牧場らしくトラクターが引っ張る荷台に乗って牧場を巡る。けっこうおかしい。これに乗ったからといって特に楽しいわけでもなさそうなのに、みんな喜んで乗っていた。トラクターに乗るという体験はめったにないものだから貴重といえば貴重か。客を乗せたフォードのトラクターがのんびり走る光景は、大変のどかなものだった。
 個人的にはトラクターの体験ドライブとかしてみたい。車体は当然赤だ。燃える男が乗るトラクターは真っ赤と相場が決まっている。子供はポニーに乗り、お母さんは馬に乗り、お父さんはトラクターに乗る。なんて素敵な家族だろう。敷地内でもトラクターは特別な免許が必要なんだろうか。

アイボクの生き物たち-3

 アイボクといえば、乗馬に親子にカップルにソフトその他諸々だ。ソフトを食べているとき、ちょうどアイボクらしい要素が目の前に揃ったので、こりゃいいやと一枚撮った。この写真一枚でアイボクの魅力のかなりの部分を説明することができる。まあ、こんな感じのところです、と。
 犬も禁止じゃないから、犬連れの人たちも多い。都会でアスファルトや公園の硬い土の上しか歩いてない犬にとって、ここの本物の土の上は気持ちいいだろう。ドッグランのゾーンとか作ってもいいかもしれない。

アイボクの生き物たち-4

 小動物との触れ合いゾーンも家族連れで満員御礼になっていた。
 それはいいけど、いつの間にかここに入るのに100円かかるようになっていたのはちょっといただけない。今年の冬に行ったときはそんなことはなかった。観光客が増えてきて牧場も考えたのだろう。確かにここで100円取ると取らないとでは大きな差が出る。
 そもそもアイボクは、入るのは無料でもエサ代だ、乗馬代だ、体験代だと、何かと小銭を取られるシステムになっている。タダスポットと思って家族で行くと、意外とお金を使わされることになるから注意が必要だ。500円の入園料だけの動植物園よりよほど高くつく。
 ただ、触れ合い度はこちらの方がずっと高いから、子供たちは楽しい。動物にエサをあげるという行為は、やってみると大人でもこれが嬉しいものなのだ。ついついエサをじゃんじゃん買ってしまいがちだ。ただし、休日の午後はみんなすでにおなかいっぱいになっているので食い付きが悪い。エサやりなら午前中か平日の方がいい。

アイボクの生き物たち-5

 水飲み中のヤギさん。放牧場に放し飼いされているやつもいる。
 ヤギの毛はゴワゴワしていてすごく剛毛だ。体も硬い。犬とは全然質感が違う。羊や牛もそうだった。そういうことは直接触れて初めて分かることだから、やっぱり触れ合い体験というのは大切なことだと思った。見ているだけでは分からないこともたくさんある。

アイボクの生き物たち-6

 子牛もたくさん生まれていて、それぞれ個別の小屋の中で寝ていた。人間も動物も子供の頃はかわいいものだ。私も子供のときはかわいかった。
 茶色の牛は白黒とは種類が別なんだろうか。日本の乳牛は白黒がお馴染みだけど、バッファローなんていうと茶色の牛を思い浮かべる。肉牛は黒だ。猫や馬みたいに毛並みの違いだけなのか。

アイボクの生き物たち-7

 ニンジンをもらう馬さん。ちょっと興奮して、オマヌケな顔になってしまった。油断したな。
 馬って正面から見るとけっこう面白い顔をしてるんだ。

アイボクの生き物たち-8

 馬の目は白目がない。隠れてるだけで実際はあるのだろうけど、そういえば黒目だけだ。犬と同じで、猫の目とは全然違う。
 馬の瞳に周りの景色が映ってきれいだったのだけど、写真では捕らえきれなかった。馬はよく動くということもあって、寄り切れなかった。もう一歩寄ったら、首を振ってよだれが飛んできた。ヒャー、逃げろー、と逃げた。馬は歯も強そうだし、意外と危険な生き物だ。

アイボクの生き物たち-9

 牛の乳搾り体験券というのが自動販売機で売られていて、なんだこれ、誰か買う人いるのかよなんて笑ってたら、牛の後ろのに長蛇の列ができていた。びっくり。世の中にこんなにも大勢、牛の乳搾りをしたいと思っている人がいたとは。確かに一生に一度くらいは経験としてやっておいてもいいとは思うけど、1時間も並んでまでしたいとは思わない。そもそもチケットを無制限に売ってしまって、牛の乳は続くのだろうか。搾れなくなったら他と交代すればいいのか。

アイボクの生き物たち-10

 乳搾られ中の牛さん。いたって無表情、クールになされるがままとなっていた。内心では、チキショー、こいつ下手だな、イテテテテとか、おお、こいつけっこう上手だなとか、早く終わらないかなとか、いろんなことを考えているのかもしれない。顔には出さないだけで。
 観光牧場の動物たちはなかなか大変だ。通常のお役目もあって、それプラス観光客の相手もしなくてはいけない。動物園生活よりストレスがたまりそうだ。

 ちょっと人が多くなりすぎた感はあるけど、アイボクはやっぱり楽しい。家畜の匂いに耐えられれば、半日でも一日でもたっぷり楽しめる。小銭はだいぶ取られるものの。
 搾りたての乳から作るソフトクリームや牛乳もぜひ試してみて欲しい。思ったほど濃厚ではなくて、どちらも美味しかった。ジェラートもたくさん種類があったから、次はあれをいこう。
 行くなら花畑のある季節が一番ではあるけど、動物との触れ合いや体験目当てならオールシーズンいつでもいい。エサやりや触れ合いは楽しいし、乗馬体験もできる。家族連れはもちろん、カップルでもいい。ギャルの二人組も見かけたくらいだから、女の子が喜ぶ可能性もけっこう高い。ただし、デートに誘った名古屋嬢がここを楽しんでくれるかどうかは微妙なところで、私は責任を持てないので自己責任でお願いします。

まだ咲き揃ってなかった2週間前のアイボクのコスモス畑

花/植物(Flower/plant)
アイボクのコスモス-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm F3.5-5.6 IS / SIGMA 18-50mm F3.5-5.6



 10月7日にアイボクこと愛知牧場へ行ってきた。伊良湖へタカの渡りを見に行った日の午前中に。もう2週間前のことになる。伊良湖のことを書いたり、姫路城へ行ったりして、アイボクのことを書くのが先送りになっていた。
 行った目的は二つ。一つは寒くなる前にソフトクリームを食べること。もう一つはコスモス畑を見ることだった。ソフトの話はまた次の機会にするとして、今日はコスモスの写真を並べることにする。行ったときは時期的にはまだ早くて、咲き具合としては2割か3割くらいだったのだけど、咲いているところが少ない分、写真を撮るには迷いがなくてよかったかもしれない。満開のコスモス畑はどこを撮っていいのかかえって分からなくなってしまいがちだ。2週間経った今頃はもう満開なのか、盛りを過ぎているのだろうか。

アイボクのコスモス-2

 アイボクでは季節によっていろいろな花畑を作っている。春は菜の花、夏はヒマワリ、秋はコスモスなど。どれも一年草だから、毎年種を植えている。年によって花畑の位置が変わるのは、おそらく連作障害(同じ土壌に同じ作物を続けて植えていると栄養素の関係で次第に生育不良になる)を避けるためなのだろう。今年のコスモス畑は、動物たちがいるゾーンをまっすぐ上がった右手に作られていた。ここは去年ヒマワリ畑があったところだ。
 この場所は背景がよくない場所だから、写真を撮るには向かない。去年は乗馬ゾーンの方のパターゴルフの横にあって、あそこは広くて傾斜になっていていい場所だった。
 どの花畑も迷路を作っていて、自己申告で100円を入れて入るようになっている。それはいいのだけど、道を作るのにコスモスを踏み倒して作っているのはまずいだろう。あれは痛々しい。引っこ抜く方がかわいそうなのかもしれないけど、親子で楽しむ人たちも多いだけにもう少し気遣いがあってもいいと思う。
 その迷路だけど、大人二人の私たちが迷って出られなくなるという失態を演じることになった。ちょっと侮りすぎていた。最終的にはなんとか出口にたどり着いたのだけど、大の大人が10分以上も迷ってはいけない。奥の手としてコスモスを踏み分けて強引に出るという強硬手段もあるにはあったのだけど、それはやってはいけないことだ。

アイボクのコスモス-3

 キバナコスモスも少し混じっていた。キバナの方は秋の花というよりも夏に咲くコスモスだから、時期的にはもう終わりだったのだろう。けど、キバナコスモス畑は見あたらなかった。今年は作らなかったのだろうか。それとも、もう完全に終わっていたのか。そんなことはないと思うのだけど。
 コスモスは可憐な花というイメージとは裏腹に、よく見るとけっこうとっちらかっている。規則性がないというか、雑然としていて花の向きにしてもみんな自分勝手だ。そういうところを見ると、やっぱり日本古来の花じゃないなと思う。メキシコ原産と知ったとき、なるほどそういうことかと納得した。可愛いメキシコ女性も、大和撫子のようなおしとやかさはない。可憐でも自由奔放なところがある。
 メキシコの高原ではいまでもワイルドコスモスが咲いているのだろうか。抜けるような青空の下の乾いた大地に咲き乱れる野生のコスモスを想像すると、それはそれでしっくりくるなと思う。そんな光景をいつか見てみたい。見てみたいといえば、まだ見たことがないチョコレートコスモスも今年こそは見てみたい。どこに行けば咲いているのだろう。

アイボクのコスモス-4

 結局、私が撮るとこういうことになる。人がいる風景に。コスモス畑を撮ろうと思ったとき、最初に浮かぶのがコスモス畑の中にいる人の映像だ。コスモスの花そのものを撮りたいとは考えない。どうやって人を絡めて撮ろうかということだけだ。おあつらえ向きの人がいれば、当然のことながらターゲットとなってしまう。ご協力に感謝します。
 この日は曇り空で、それがちょっと残念だった。コスモスも青空バックがよく似合う花だから。

アイボクのコスモス-5

 たくさん咲いている場所がここだけということで、人気撮影スポットとなっていた。人が記念撮影をするシーンが私は好きだ。みんなちょっと照れくさそうで楽しそうな様子が素敵だから。
 デジタル一眼を持ったおばさまがねらい撃ちになっていた。入れ替わり立ち替わり撮ってもらっていいですかとカップルに頼まれている。友達のおばさまに、そんな大きなカメラを持ってるからよとからかわれていた。確かにデジイチを持ったおばさまくらい撮ってもらうのを頼みやすい人もいない。すごいレンズと三脚をつけてるおばさまは逆に最も頼みづらいのだけど。

アイボクのコスモス-6

 そうそう、これが私が一番撮りたかったシーンだ。コスモスの咲き具合が足りず、子供がチビすぎて頭の一部しか映らなかったのが惜しかったけど、これが一枚取れたことでもう私は満足だった。やりきった感があった。
 コスモス畑はカップルもいいけど、小さい子供連れのお母さんが一番よく似合う。母親を見上げる少年と微笑むお母さんの図が私の頭の中にある。いつかそんな会心の一枚が撮れたらいい。演出ではなく自然の構図と表情として。

アイボクのコスモス-7

 緑の水に浮いた一輪のコスモスみたいに撮れた。これは面白い。
 コスモス畑を撮るなら、広角よりも望遠レンズの方が雰囲気のある写真が撮れる。前後をぼかして圧縮効果を狙うべし。もちろん、広角もマクロも持っていくだろうけど、望遠もお供に連れて行ってやるといいと思う。もちろん、明るいに越したことはない。
 最強なのは、180mm F2.8みたいな中望遠の大口径レンズだ。あれを使えばとても幻想的な写真になる。一本欲しいけど、高くてなかなか手が出ない。使える用途が限られているレンズでもあるし。

アイボクのコスモス-8

 ちょっと前に読んだ言葉で、「露出も作者が決めるものなのです」というのがあって、ハッとしたのだった。ローキー、ハイキーのような言い方をすることは知っていたのだけど、あらためて露出も作者の意図で決定するものなだと言われてとても納得するものがあった。
 カメラの判断がいつも正しいわけではない。表現としての意志や必然性があるなら、暗すぎる写真も明るすぎる写真も、それが適正露出ということになる。そういうものは、カメラの間違いや失敗写真がヒントになることもよくあることだ。そのあたりが写真は経験だと言われるゆえんだろう。持って生まれたセンスは人それぞれだけど、誰でもたくさん撮ればそれだけうまくなっていくのが写真のいいところだ。才能の部分が大きい絵とは違う。
 コスモスといってもいろんな表情があって、可能性はたくさんあることを今回あらためて知った。距離によって、光によって、時期によって、背景によって、それぞれ違った写真になる。一眼ならレンズの選択も重要な要素になる。
 私もまだ全然確信を持って撮っているわけではない。もっと勉強して、もっと撮って、撮る前から完成図が見えるところまでいきたいと思う。道のりは遠い。
 でも、日本のいいところは四季があって、毎年決まった時期に同じ花が巡ってくるところだ。桜、ヒマワリ、コスモス、紅葉など、今年撮った写真と去年撮った写真を見比べれば、自分でも成長が実感できる。今年に課題を残したら、来年はもっと上手く撮りたいと思う。そんなことを考えていると、生きることや歳を取ることも悪いことばかりじゃないと思えてくる。

 次は紅葉だ。桜と紅葉は二大難敵という意識が私の中にある。誰が撮ってもきれいゆえに、すごく難しい被写体だ。あまり狙いすぎると独りよがりになるし、そのまま撮っただけでは面白くない。どうやって撮ったらいいのか去年も分からないままシーズンが終わってしまった。今年の課題というか一番の目標は、朝一番の落ち葉だ。まだ誰にも踏まれず掃除もされてない石畳一面を覆ったモミジの落ち葉というイメージが頭の中にある。果たして私は超早起きをしてその一枚を捉えることができるだろうか。
 まずは木々のモミジだ。今年こそ紅葉の奈良へ行きたいと思っている。行けるといいな。香嵐渓も頑張ってみようかな。頑張れないかもな。

サンデー料理も気づけばかれこれもう2年だから多少は上手くなって当然

料理(Cooking)
思いつきサンデー

Nikon D100+AF Nikkor 35mm f2D



 今日は出かける予定をしていたのでサンデー料理の準備をしてなかった。それが延期になって、急にサンデーが降って湧いてきた。出かけないなら料理しなくちゃダメじゃんってことで、急きょメニューを考えて作ったのがこの3品だった。いつもの応用で、あまり目新しさはない。短時間の思いつきとあり合わせの食材を使って作った。

 左手前は例によって豆腐料理。以前はそうでもなかったけど、料理を作るようになって自分は豆腐が好きらしいということを発見した。豆腐はいろんな応用が利くし、合う調味料の幅が広い。和食だけでなく洋食にも使える。自分好みの味付けにすれば当然美味しい。やわらかモノも好物だから食材としては申し分ない。
 今回はいつもとちょっと味付けを変えてみた。マヨネーズベースにしょう油、からし、酒、みりん、塩、コショウを混ぜたものをタレとして、あとはタマネギ、鶏肉、トマトに絡めて焼いていく。豆腐は食感重視で絹ごしを使った。
 写真に撮るときは忘れていたけど、パセリだけでなく、青のりとかつお節も振りかける。これもポイントとして忘れてはいけない。
 豆腐とからししょう油マヨネーズは合う。間違いない。今まで作った豆腐料理の中でベスト3に入る。卵をからめてもよさそうだ。これはオススメできる。

 右は白身魚とジャガイモのミルフィーユ。
 重ねモノは見た目はいいけど、面倒だし、食べづらい。でもときどき妙に作りたくなることがある。それが今日だった。
 ジャガイモをスライスして、ラップしてレンジで加熱する。
 白身魚は塩コショウしたあとオリーブオイルで両面を軽く焼く。
 キャベツを炒める。
 ここまで作ったものを重ねて、その上にとろけるチーズを乗せる。
 あとは溶き卵をまぶしかけて、フライパンで蒸し焼きにしていく。
 スープは別に作る。タマネギを刻んで炒めて、そこへ白ワインを加え、更に水を入れる。コンソメの素で味付けをして、エビの刻みも入れる。最後にミルフィーユの上にエビスープをかければ完成だ。
 これは完全に見た目重視の趣味の料理だ。家庭料理としては手が込んでいるわりに美味しさと食べやすさが置いてけぼりになっている。重ねなくてもジャガイモと白身を一緒に焼いて、そこからスープをかけた方が簡単だ。

 奥のものは今回の中で一番変わった料理だ。なんと名づけていいのか分からない。いなり寿司のご飯が入ってない変形のものといったらいいのか。
 里芋の皮をむいて塩水にさらす。それを適当な大きさに切ってレンジで加熱して、つぶす。
 そこへダイコン、ニンジン、長ネギの刻み、卵、カタクリ粉を混ぜ合わせる。味付けもこのときにしてしまう。酒、しょう油、めんつゆ、塩、コショウ、みりん、七味を加える。
 あとは油揚げの端を切って、具を詰めて、蒸し焼きにしていく。口はつまようじで留めた方がいい。
 油揚げ包みは、中身がなんでもいける。肉でもいいし、ギョーザにもなる。袋としてもけっこう耐性があるから、煮ても焼いても大丈夫だ。

 今回は完成のイメージがあやふやなまま作り始めたサンデーだったけど、結果的にはまずまずだった。斬新さはなくても安心感はあった。
 マンネリの中にも成長はある。同じ料理を作り続けていてもだんだん上手くなっていくものだし、失敗を重ねながら見えてくるものもある。続けることでどこかに飛躍が生まれる。怠けながらやっていては、その都度やり直しとなって進歩がない。向上心を持って回数を重ねていくことが大切だ。
 料理もなんだかんだで始めて2年になる。週に一度にしても、けっこう作った。多少は上達して当然だ。そういえばブログもいつの間にか2周年を過ぎていた。これほど毎日続くとは思わなかったけど、これからも続くだけ続けようと思っている。料理もまだまだこれからだ。

円教寺番外編 ---そこはまるでサイレント映画の世界だ

神社仏閣(Shrines and temples)
円教寺3-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 円教寺の前後編では仕えなかった写真がけっこうあるので、今日はそれらを載せるだけ載せておくことにする。貧乏性だからせっかく撮った写真を捨て置くのがもったいない。実際は一ヶ所で何十枚も撮っているのだけど、全部仕える写真というわけではない。
 円教寺はとにかく静かなお寺だった。それは単に人が少なくて話し声や物音が聞こえないとかそういうことではない。静謐が存在するという表現がぴったりの空間だった。まるで音という音が境内の周囲に吸い込まれてしまうようにさえ感じられた。
 今日並べた写真から、そんな無音な様子が伝わればいいと思っている。

円教寺3-2

 ここへ行ったのが平日の夕方というのはいいタイミングだった。もし、休日の昼間だったら、もっと人も多くて雰囲気も違っていただろう。私が受けた印象もまったく別のものとなっていたかもしれない。
 木々の間から漏れる夕方の斜めの光は、いつも見慣れた近しいものだ。

円教寺3-3

 別の種類のクモの巣が途中で合体して同居状態になっていた。暗黙の了解でお互いに納得しているのだろうか。
 ちょっと面白かったのは、それぞれが裏表別の面にいたことだ。こっち側にかかった獲物は自分のものなんていう取り決めがあったりするかもしれない。

円教寺3-4

 お寺に絵馬というのは少し違和感がある。そもそもお寺に願い事をする習慣が私にはないからだろうか。願い事は神様にするもので、その場合は神社へ行く。お寺でも手を合わせるけど、いつも挨拶をするだけだ。神社と寺は、はっきり別のものという意識が私の中にある。
 それでも、手を合わせて頭を下げることができるようになった自分の成長を喜びたい。若い頃はそんなことは屈辱的なことだと思っていた。人は成長できるものだ。成長すれば謙虚になれる。頭を下げることは決して卑屈なことなんかじゃない。

円教寺3-5

 お堂の裏手は深い山になっている。山には多くの生き物たちが生息しているそうだ。
 心静かにしていると、自分も自然の一部として同化していくのが分かる。現代の日常生活は、音と光と映像の刺激が強すぎて、人間の感覚が鈍くなっている。静かな山寺は、人間の本来持っている感覚を取り戻すことができる場所でもある。

円教寺3-6

 堂の中はひときわ静かだった。扉は開け放たれているのに、この中は日常と隔絶しているように感じられる。

円教寺3-7

 ここへ来て見かけた数少ない人たち。写真を撮るだんなさんとそれを見守る奥さん。それもまた無言劇に見えた。そう、ここはサイレントの世界だ。

円教寺3-8

 まるで絵のようなというのもありふれた比喩だけど、紅葉の季節はもっといいのだろう。
 円教寺は紅葉の寺としても知られていて、シーズンになると大勢の人が訪れるという。そのときはそのときで華やいだ雰囲気が楽しそうだ。

円教寺3-8.5

 仏像がおさめられたガラスケースに窓の外の景色が反射して、不思議な光景となった。プロジェクターで映した映像のようだ。光と角度と映る景色によってはもっと面白くなりそうだ。

円教寺3-9

 そろそろ日没が近づいて帰る時間となった。バス停でバスを待ちながらふと空を見上げると、秋らしいうろこ雲が空を覆っていた。うろこやイワシというよりも、私は流氷を連想する。北海道ではそろそろ雪が降って、オホーツクから流氷が流れてくる季節になった。本州でも山の紅葉が始まっている。秋の日暮れは早く、秋の深まりもまた早足だ。

円教寺3-10

 帰りのひかりで止まった岐阜羽島駅。めったに止まらないので記念写真を撮っておいた。静かさの写真の締めくくりは、帰りの静かなる新幹線駅となった。

 人と場所の関係は一方的なものではない。人がどんなにその場所へ行きたいと思っても、その場所から呼ばれなければ行くことはできない。特に神社仏閣や名所旧跡などの特別な場所はそうだ。簡単に言えば縁ということになるのだけど、縁のない人と場所が出会うことはない。
 だから、行けた場所に関しては、着いたらまず感謝の言葉を言いたい。呼んでくれてありがとうと。タイミングも多くの場合、そのときでなければならなかった必然性がある。今回の私の姫路行きもそれを感じた。去年でもなく、来年でもなく、今年のこの時期だったのだろう。どういう理由だったのかは、だいぶあとになって分かることだ。
 姫路は魅力的なところだった。いい印象だけを私の中に残した。また行けるか、もう二度と行けないか。もう一度行ける日を期待しながら、今回の姫路編はこれにて終了となる。
 おしまい。

静かなる壮麗建築物の前でしばし立ち尽くし、円教寺の歴史を思う<後編>

神社仏閣(Shrines and temples)
円教寺2-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 摩尼殿から10分ほど歩いて、最後の急な坂を登り切ると、目の前に広がる光景に不意打ちを食らう。おおぉー、これは……。小さくため息のような感嘆の声が漏れる。
 静かなる荘厳。そこは本当に静かな空間だった。こんなに広い場所なのに、自分自身も声をひそめてしまうような雰囲気に包まれている。これは、やるね。まいりましたと言うしかなかった。

円教寺2-2

 3つの大きな堂はコの字型に建っている。真ん中が食堂(じきどう)、右が円教寺の本堂である大講堂、左が常行堂と呼ばれる建物だ。
 どこから見ていこうか迷うところだけど、実際のところ左右は中に入れないので、正面へ行くしかない。立ち入り禁止の札があったけど、ネットの写真を見ると人があがっているのもあるから、時期によってなのか時間なのか、ちょっと分からなかった。
 食堂は有料(200円)で、中に上がって展示物などを見ることができるようになっている。マイクロバスに乗ってくると、1,000円の中にその代金は含まれている。
 食堂(じきどう)といっても文字通り食堂ではない。かつて僧侶たちが寝食をした場所ということでその名が付けられただけど、ここも学問や生活のための修行場という意味合いが強い。パンフレットを見て、奥に食堂があるみたいだからお昼はそこでおそばでも食べようかなんて言ってると、行ってみてがっかりということになるので気をつけなくてはいけない。
 1174年、後白河法皇の勅願で創建された。現在の建物は室町時代に再建されたもので、未完部分は500年間そのままにされたあと、昭和34年の修理の時にようやく完成を見たのだった。

円教寺2-3

 常行堂の創建は不明で、何度か焼けて現在のものは室町時代中期(1463年)に再建されたものだ。昭和38年の解体修理のさい明らかとなった。最初のものは性空上人が生きているときに建てられたとされている。
 ここは僧侶が修行をするための道場として使われていたそうだ。常行というのは仏教用語で常に怠りなく修行するということを表す言葉だ。
 向かい側の大講堂の釈迦三尊像に舞楽を奉納するための舞台ともなっている。
『ラストサムライ』では、この中に渡辺謙がいて、そこへトム・クルーズが訪ねてくるといったシーンがあったような気がするのだけど、間違ってるかもしれない。あれを観たときは舞台がどこかだなんて意識してなかった。今度テレビでやったら録画してじっくり見てみよう。

円教寺2-4

 立派な二階建ての大講堂は、本堂でもあり、学問所でもあった。修行僧たちは、日々学問に励み、修行にいそしんでいたのだろう。ここは禅寺ではないけど禅寺っぽい雰囲気がするのは、そういう修行僧たちの気が濃密だからに違いない。観光地でありながら浮ついたところがない。姫路城にあれほどいた外国人たちもここまでは来ないようだ。『ラストサムライ』は外国では受けが悪かったのか。
 986年に花山法皇の勅願によって建てられたのが始まりだった。そこ後ここも焼け、1440年から50年ほどかけて再建されて、全体が整備された。途中で未完のまま放置していた期間があり、現在も未完部分が残っているという。
 本尊は釈迦三尊象。桧の一木造りで、性空上人の弟子感阿(かんな)の作と伝えられている。
 
円教寺2-5

 二階部分が展示コーナーとなっていて、この寺ゆかりの品々が保存展示されている。じっくり見て回っている時間がなかったので、ざっと流し見る。
 室内の古い空気感と静けさがまたいい。

円教寺2-6

 仏像もいつくかあって、どれがどんなものなのかよく分からなかったというか確認しなかった。もしかしたら、これが食堂の本尊である金剛薩捶座像(こんごうさったざぞう)だろうか。ちょっと違うかもしれない。こんなふうに仕舞われているところをみると、これは展示物のような気もする。

円教寺2-7

 傷みが激しい状態で発掘された木仏らしい。みんなやせ細ってしまって気の毒なようだった。気休めに10円寄付してみた。ここで100円を置いても事態は変わらない。こういうのは気持ちの問題だ。10円分の気持ちしかないのかおまえはと仏さんたちからのツッコミが入りそう。そんな仏には10円で怒るやつは10円に泣くぞと言い返そう。

円教寺2-8

 大きくて重そうな天然木の机があって、なんだろうこれと思ってみてみると、武蔵坊弁慶愛用の机と説明書きにある。弁慶の机がなんでここに? なんでも、義経と会う前に弁慶は円教寺でしばらく修行をしていたという言い伝えが残っているそうなのだ。ただし、弁慶の存在そのものが実在の人物かどうか怪しいから、その話をそのまま真に受けない方がいいかもしれない。
 伝説によると、比叡山での修行を怠けて武道ばかりしていたので叱られて嫌になって比叡山を下りたあとしばらくさまよっているうちにこの山寺にたどり着いたというのだ。飛び込みで強引に修行の仲間入りをした弁慶はしばらく真面目にやっていたのだけど、ある日寝ていたところ仲間の僧が弁慶の顔に墨で「足駄」と書いて(高下駄のこと)みんなで笑い転げていたのを知って激怒(そのとき自分の顔を確認したとされる弁慶の鏡井戸というのもある)。暴れん坊の弁慶が大暴れして、ケンカの途中で火事になってたちまち建物が燃え落ちたという。
 話としては面白い。今で言えば寝てるところを顔にナイキのマークと「エアジョーダン」などと書かれてしまうようなものだ。そりゃあ弁慶じゃなくても怒る。私たちの頃は、額に肉と書くのが流行っていた。

円教寺2-10

 平安の女流歌人、和泉式部も円教寺との縁が深い人の一人だ。
 仕えていた一条天皇の皇后である上東門院彰子のお供で円教寺を訪れたのがきっかけで、性空上人の弟子となっている。恋に生き、男から男へ渡り歩きながら愛の歌を歌った和泉式部は仏の道に何を求めたのか。
 暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月
 暗い道をさまよい歩いている私に月の明かりで道を照らして欲しいという意味の歌だ。それに対して性空上人はこう返している。
 日は入りて月まだ出でぬたそがれに かかげて照らす法のともしび
 自分はまだ人に教えられるほどの人間ではないけど仏の道なら示すことができると。 
 多くの人がこの山に惹かれ、性空上人を求めて書写山に登った。ロープウェイもなく、道も整備されてない山道をみんなどんな気持ちで歩いたのだろう。生きることの悩みや迷いは昔も今も変わらない。

円教寺2-11

 食堂の右脇から更に進むと、奥の院である開山堂の前に出る。性空上人が祀られているお堂だ。
 性空上人亡き後、千年以上に渡って燈明が燃え続け、朝夕には勤行が行われているそうだ。
 現在の建物は、江戸時代初期1671年に再建された。屋根の下にはこの建物を支えるという意味で左甚五郎作とされる力士の彫刻が四隅のうちの三ヶ所にある。一体は重さに耐えられずに逃げたという伝説がある。
 開山堂の左右には護法堂拝殿と本殿(護法堂)が向かい合って建っている。このスタイルは珍しいそうだ。護法堂拝殿は別名「弁慶の学問所」と呼ばれている。ここで弁慶は修行したのだとか。護法堂の隣には和泉式部の歌碑も建っている。
 ここから少し戻って右手の方にいくと金剛堂や鐘楼などがあるのだけど、もう省略させてもらった。帰りの時間が迫ってきていた。摩尼殿と三つのお堂でおなかいっぱい胸いっぱいだ。

 この山寺はいろいろと面白い歴史があって、ある程度予備知識を持って行った方が楽しめると思う。雰囲気だけでも充分堪能できるけど、関わった人物や歴史のことを思い浮かべながら見て回れば、また違った感慨も湧いてくるだろう。
 性空上人と花山法皇、後白河天皇、後醍醐天皇、一遍、和泉式部と彰子と武蔵坊弁慶が一堂に会したところを想像したら、なんだかちょっとクラクラしそうだ。もちろんそんなことはあり得ないのだけど、それだけの人たちがここに関わったと思うと嬉しいような気持ちにもなる。
 円教寺は前編と後編で終わるつもりが、写真が余ったのであと一回番外編が増えることになった。感想の総まとめはそのときにしよう。
 つづく。

ついでというにはちょっと遠いけど行く価値は充分にある書写山円教寺<前編>

神社仏閣(Shrines and temples)
円教寺1-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路観光の目玉として姫路城の他に書写山円教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)がある。神社仏閣に興味がない人にとってはそんなところ行かなくてもいいやと却下されてしまいそうなところだけど、近年NHKの大河ドラマ「武蔵」や映画『ラストサムライ』のロケ地になったことで脚光を浴びるようになった。トム・クルーズや渡辺謙が撮影をした場所となればちょっと興味が湧く。せっかくだから足を伸ばして行ってみようではないかということになった。
 しかしこれがちょっとついでにというわけにはいかなかった。上の写真を見てもらえば分かるように、ロープウェイを使って行かなくてはいけないような険しい山の上にあるお寺なのだ。姫路で一番高い書写山(371メートル)山頂にそれはある。歩いても山登りできるそうだけど、観光で行って山登りしてる場合じゃない。ロープウェイを使えばたった5分だ。その前に姫路駅からバスで30分近くかかるのだけど。
 バスはターミナルから書写山ロープウェイ駅行きというのが出ていて、往復のバス代とロープウェイ代がセットになった割引チケットが売っている。1,200円くらいだったと思う。
 そんなこんなでなんとかロープウェイに乗って、いざ参拝だ。

円教寺1-2

 それにしてもロープウェイに乗るなんてずいぶん久しぶりだ。いつ以来か思い出せない。子供の頃の御在所ロープウェイに乗って樹氷を見て以来かもしれない。
 この日は空気澄んでいて遠くの海まで見渡すことができた。風が強くてけっこう揺れた。確かこのロープウェイ、途中で止まったことがあったはずだ。そんなことになったら失神してしまいそうだ。高所恐怖症の人はたぶん乗れない。

円教寺1-3

 山上駅に着けばもう着いたも同然かといえばそうではない。目的のお寺まではここから登りで20分歩かねばならない。円教寺は甘くないのだ。でも軟弱な人用にここから手前まで行くマイクロバスが用意されている。往復のバス代と入山料、食堂(じきどう)拝観料がセットになって1,000円なので、迷わずバスを選んだ。歩きたくないわけじゃなく、帰りの時間が迫っていて時間がなかったからだと一応言い訳をしておく。でもバスに乗って正解だった。あの道はけっこう厳しい。姫路城でだいぶ歩いたあとだけに、山歩きは深いダメージになる。ただし、バスは揺れに揺れる。道が山道でガタゴトなので、おしゃべりに夢中になってると舌を噛みそうだ。バスの中で口紅を塗ろうなどとしてはいけない。着いた頃には顔中赤い落書きだらけになっている。半分折れた口紅が鼻の穴に刺さってるかもしれない。

円教寺1-4

 姫路駅からあれやこれやで1時間ほどかかってようやく目的地に到着した。やれやれといったところだけど、こいつを見ればそんな気持ちも吹き飛ぶ。わー、すごいとあちこちで声が上がった。私も思わず、おーとうなった。
 磨尼殿(まにでん)と呼ばれる巨大建築物が崖の上にそびえ立ってこちらを見下ろしている。京都の清水寺を下から見たようなものだ。写真ではそのスケール感が伝わらないのだけど、これは圧巻だった。
 創建は970年。この場所にあった桜の木に天界人が降りてきたのを見た性空上人が、その木に如意輪観世音を刻んだことでそれが本尊となり、そのままそこに本堂を築いたのでこんな崖の上に建てることになったとされている。こういうのを懸造り(かけづくり)というそうだ。
 何度か火事で焼けたあと大正10年に全焼してしまう。現在のものは昭和8年に武田五一の設計で再建されたものだ。そう聞くとちょっとありがたみがなくなるけど、それでもこの立派さは本物だ。

円教寺1-5

 近づいて見てみると、木組みがすごいことになっている。マッチで作った建物の拡大版みたいだ(たとえが正しくない)。こういうふうに木を組み合わせるだけでこんな建物ができるとういのは不思議でもありすごいことでもある。日本人の木造建築のセンスというのはどこから来たものなのだろう。こういう巨大なものを建てたのも驚きだけど、千年以上も前にこういう建築物の構造を思いついたのが素晴らしい。

円教寺1-6

 書写山円教寺は、比叡山、大山と並んで天台宗三大道場のひとつとされ、西の比叡山とも呼ばれている。一般的な知名度は低いけど、歴史があり、意外な有名人も多く関わっている。こんな地の山上にありながら、天皇をはじめ皇族との関わりも深い。西国三十三箇所の中で最大の規模を誇っている。
 創建は平安時代中期の966年。京都の貴族の子として生まれた性空上人(しょうくうしょうにん)は、36歳のときに遅い坊さんデビューを果たす。長い間九州で修行をして、だいぶ名前が知られるようになったものの、それでもまだ足りないと九州をあとにして旅に出る。京都へ向かう途中、姫路のこの場所でビビビと来たという。導きがあって何か感じるものがあったのだろう。ここをすみかと定めて再び修行が始まった。性空上人57歳のときだ。
 質素な草庵を結んで、普賢菩薩の絵をかかげたのが円教寺の始まりとされている。正しく書くと、書寫山圓教寺。
 山の上の寺院としての姿が整い始めるのは、性空上人が入山してから20年近く経った985年に法華三昧堂が建立されてからだった。性空上人の名は京都でも知られるようになっており、翌年天皇職を退いた花山法皇が参詣してきた。そのとき圓教寺という名を授けられることになる。
 それから1007年に性空上人が98歳で死ぬまでに少しずつ建築物が増えていき、やがては大伽藍寺院となった。講堂をはじめ、常行堂、多宝堂、大経所、鐘楼などは性空上人が生きている間に立てられたものだ。その後も跡を継いだ弟子の延照が開山堂を創建するなど、鎌倉、室町、江戸と、浮き沈みを経ながら歴史を積み重ねていった。
 伽藍は失火や落雷などで何度か燃えて再建されたものもあり、されなかったものもある。かつては五重塔や多宝塔もあったそうだけど、それはもう残っていない。

円教寺1-7

 最初の摩尼殿の本尊になった六臂如意輪観音像は焼けてしまい、性空上人が同じ桜の木で彫っていた六臂如意輪観音像が現在の本尊となっている。それは秘仏とされ、普段は見ることができない。本尊を守る四天王像も一緒に安置されていて、年に一度1月18日の修正会のときのみ公開されるそうだ。
 摩尼というのは、梵語でどんな願いもかなう如意宝珠のことをいう。摩尼殿は一般的な位置づけとしては観音堂のことで、本堂は更にこの奥にある。

円教寺1-8

 摩尼殿の舞台の上は清水寺のように広くはない。大勢が集まったら傾いてみんな転げ落ちていきそうだ。清水の舞台から飛び降りるというのはあっても、摩尼殿の舞台から転げ落ちるのは嫌だ。ちなみに、清水の舞台から飛び降りてもけっこうな確率で助かるらしい。自分で試してみようとは思わないけど。
 だいぶ日が傾いてきて帰りの時間が迫ってきた。ここからは少し駆け足での見学となる。姫路城と円教寺を一日で回るのはけっこう慌ただしい。

円教寺1-9

 西日を浴びた石仏がきれいだったので撮ってみた。顔も美しく、彫りも繊細だ。凝った帽子と衣装もなかなかのオシャレさん。

円教寺1-10

 摩尼殿をいったん降りて左手(西)へ進む。この先に『ラストサムライ』で出てきた講堂などがある。その空間は予想以上に素晴らしいものだったのだけど、それはまた次回の話となる。
 上の写真も雰囲気のあるいいところだった。コケ好きの私としてはたまらない。鎌倉でよく似た寺を見たのを思い出した。
 明日はこの続きで、三堂の紹介をしたいと思っている。
 つづく。

姫路城訪問記最終回 ---ありがとさよなら姫路城、また会う日まで

城(Castle)
姫路城番外編-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路城訪問記第3回目は最終回で番外編。姫路城の中や周辺で心惹かれて撮ったスナップ写真をお届けします。まずは猫から。
 おそらくこのあたりを根城にしているノラだろう。人に慣れているというよりまったく物怖じしない堂々とした態度の猫だった。至近距離まで近づいてもまったく無視。しきりに体をなめまくっていた。触れる距離まで近づいてやっとこっちを見た。でもまた掃除再開。人を人と思っていないようなところのあるやつだった。きっと人にメシをもらっているのだろうけど、その人にも愛想なしなのか。
 猫に小判、猫にお城、猫に国宝。こいつなら世界遺産に指定されている城で爪研ぎでもしそうだ。

姫路城番外編-2

 三国濠にサギがいた。なるほど、白鷺城だけにシラサギが、と思ったら、アオサギだった。惜しい。
 でもなんで白くて美しい城が白鳥城ではなく白鷺城だったのだろう。コサギやダイサギだってきれいといえばきれいだけど、白くてきれいな鳥の代名詞といえばやっぱりハクチョウだろう。ドイツのノイシュヴァンシュタイン城も白鳥城と呼ばれている。日本では「しらとりじょう」というのがいくつかあったようだ。
 菱門から入ってすぐにどうしてこんなプールのような四角い濠があるんだろうと思ったら、攻め入ってきた敵の勢いをここで殺し、あるいはここに追い込んで水に落として身動きをとらせないようにする目的があったんだとか。
 姫路城のこういう仕掛けをたくさん見ていると、作ったときは大まじめで本気だったのだろうけど、この懲りようというか用意周到さは遊び心さえ感じられる。趣味的すぎると言ってもいい。実際に一度も攻城戦が行われていないから効果の程は定かではないのだけど、かなり効果があるような、机上の空論のような、はてどうだろうとちょっと考えてしまう。
 もちろん、簡単に攻略できるような城ではない。自分が数万の兵で取り囲んで落城させるにはどうしたらいいかと考えたとき、やっぱりこの城は攻めがたいと思う。まともにいったのでは、天守閣に至るまでで大きな犠牲を出してしまいそうだ。

姫路城番外編-3

 外の堀にいたハクチョウならぬコクチョウ。ハクチョウの黒版だ。なんでハクチョウではなくコクチョウだったのだろう。ここで泳がせておくためにわざわざ原産地のオーストラリアから連れてきたのだろうか。姫路城の中には小さな動物園があるから、そことも関係があるのかもしれない。
 黒い城というと豊臣方だから、徳川の城にコクチョウはちょっと似合わない。私が見てないだけでハクチョウもいたのだろうか。

姫路城番外編-4

 十月桜が天守の前で咲いていた。もうそんな季節になっていたか。狂い咲きではなく秋から冬にかけて咲く桜もある。八重咲きなら十月桜、一重なら冬桜と思っておいてだいたい間違いない。
 秋の桜は貧弱であまり美しくないようだけど、近づいて見るとけっこう可憐でこれはこれで悪くない。
 春の桜はもっときれいだろう。桜と城の組み合わせは王道だ。

姫路城番外編-5

 城内にあるおみやげ屋さんは昭和の風情そのままだった。店のたたずまいといい、売っているおみやげ物のラインナップといい、文句なしの正統派だった。
 古いおみやげ物やのおかしさというのは、たとえばかつてのトシちゃんやマッチの髪型とスタイルで現代の街を歩くようなものだ。それは古すぎるだろうと突っ込まずにはいられない。どんなにかわいい女の子でも今聖子ちゃんカットをされたら笑ってしまうのと同じだ。

姫路城番外編-6

 出た、金メッキお城シリーズ。今どきこれを本気で欲しがって買う人はあまりいないと思うけど、定番商品としては欠かせない。私も笑い話のネタとしては一つ欲しいと思ったから、冗談半分で買っていく人が実はけっこういるのかもしれない。自分の家に飾りたいというよりも、おみやげとして人にあげたい。もらった人はとっても困るだろうな。
 こうして写真を見てたら買ってくればよかったような気もしてきた。大きいのでも1,000円以下だし、小さいのは500円くらいとそんなに高いものじゃない。私へのおみやげはこれにしてください。

姫路城番外編-7

 姫路という街は電車が発達してないから、バスがやたら走っている。パッと見渡すと、いつでもたいてい5台以上視界に入る。多いときは10台近くいるようなこともある。バスは観光で初めて行く街では分かりづらい。朝夕のラッシュはバスだけで乗り切れるものなんだろうか。
 姫路観光には写真の観光巡回バス「お姫様号」が便利だ。駅前のターミナルから姫路城の外周をぐるりと一周巡っている。1回100円で、直接大手門の前まで行ってもいいし、一周回って姫路の街を見てから庭園前で降りてもいい。私はそうした。
 観光地ではたいていこの手のバスが走っているから事前に調べておくと便利に回ることができる。名古屋もつい最近観光巡回バスが誕生した。その名も「メーグル」。名古屋らしいネーミングセンスが爆発している。バスは金シャチにちなんで金ピカに塗られているからちょっと恥ずかしい。名古屋港の金鯱号の二の舞にならないといいけど。

姫路城番外編-8

 城の前がおみやげ物屋街になっている。こちらは昭和ではなく平成だ。建物が全般的に新しかったけど、最近建て直したりしたのだろうか。
 しかし、姫路というのはおみやげ物がないところで、何を買おうか迷った。播州赤穂の塩味饅頭はこの地方の名物であって姫路城みやげとしては面白くない。いろいろと姫路城の名前のついたものはあるものの、どれもどこでも売っているお菓子でここでしか買えないようなものが見あたらなかった。姫路城をかたどった最中なんかがあれば買っただろうに。美味しかろうがおいしくなかろうが、ここならこれという定番が欲しい。名古屋ならういろう、京都なら生八つ橋、三重県なら赤福みたいなものが。
 結局、食べたいお菓子重視ということで姫路生チョコケーキというのを買ってみた。

姫路城番外編-9

 お昼はたこ焼き。質素倹約を旨とする私の基本的な観光スタイルはここでも踏襲された。食堂みたいなところは、ありふれた定食みたいなものしかなくてそそらなかったから、それならいっそ関西風のたこ焼きを食べてみようということになった。
 おみやげ物やの並びで誰も客が入ってなくてやや不安だったのだけど、これがびっくりするくらい美味しかった。大阪風と明石焼きの中間のようなふんわりやわらかたこ焼きで、名古屋では食べたことがない食感と味だった。大きいのが8個で300円は安い。家の近所にあればちょくちょく通って食べたいと思わせた。
 ソフトクリームも8種類くらいあって200円と格安で食べたたかったのだけど、たこ焼きだけでおなかいっぱいになってしまったのが残念だった。

姫路城番外編-10

 最後にもう一度姫路城を振り返って、名残を惜しむ。最初で最後になるかもしれない姫路城をしっかりと記憶に刻んだ。ありがとう、姫路城、そしていつまでもそこにそうして建っていておくれよ。これはまさしく、世界に誇っていい日本のお城だ。
 これで4つの国宝のうち、犬山城、彦根城、姫路城と3つまで行った。残りは松本城だ。あそこも必ず行きたい。
 江戸時代以前に建てられた城で天守が残っているのが12。これを現存十二天守という。弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城。第二次大戦前までは名古屋城、岡山城、広島城、大垣城、福山城、水戸城、和歌山城、松前城などが残っていたのに焼けてしまった。それだけでもアメリカの罪は重い。
 2006年には日本100名城が選ばれて、今年2007年からスタンプラリーが始まった。知ってました? 普通は知らないと思うけど、城野郎、城お嬢にとって、これは燃える。夏休みのチビたちが山手線でポケモンのスタンプラリーをしてたけど、あれ以上の情熱を持って城を巡っている大人もいるのだ。100個集めて江戸城へ行くとドラゴンが降りてきて願い事をなんでも一つ聞いてくれるらしい(そうだといいな)。さすがに100は無理だと思うけど、現存十二天守は全部見てみたいという思いはある。
 こうしてゆるやかな私の城巡りはこれからも続くのであった。

姫路城訪問記その2 ---そこには確かに彼らの泣き笑いと人生と暮らしがあった

城(Castle)
姫路城訪問記2-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路城訪問記第二回目は、いよいよというかようやく天守閣に入っていくことになる。あんまりのんびりしていたのではいつになったら終わるか分からない。ちょっとだけ足取りを早めよう。
 前を行くのは、ちびっことカメラを持ったお父さんだ。大股で歩く父親と、そのあとを駆け足で追う少年と、城にはそんな男たちの小さなロマンもあったりする。ちびはこの日のことを大人になっても覚えているだろうか。

姫路城訪問記2-2

 次に現れたのは若いカップルだ。なるほど、お城デートというのもありだろう。姫路の少年少女と姫路城の親密度はどの程度なのだろう。名古屋の中高生は名古屋城でデートしたりはしない。名古屋人にとっての名古屋城は、県外の人たちが思っているよりも近くて遠い存在なのだ。日常の中でたびたび行くようなところではない。行くとしてもそれはかなり非日常的なものだ。姫路城は姫路市民と近しい関係にあるのだろうか。
「はの門」から「にの門」にかけては、時代劇でよく登場する場所だ。このあたりは視界の中に近代的な建築物などが入ってこないから使いやすいのだろう。このへんの風景は江戸時代とほとんど変わってないんじゃないだろうか。
 姫路城は、駅前にありながら周りに高い建物がないというよさもある。

姫路城訪問記2-3

 天守閣の内部に入った。おお、これが姫路城の天守かと、しばし感慨にふける。素晴らしい古めかしさだ。人は新しいものに惹かれるだけでなく、ときに古さに感銘を受ける。城や神社仏閣などは古ければ古いほどありがたいと感じるものだ。
 木の傷み具合や床のきしむ音がたまらない。人波がふっと途絶えたとき耳を澄ますと、ドンドンドンという足音と共に甲冑がガシャンガシャンとこすれる音が聞こえてくるような気さえする。
 それにしても天守の内部は暗い。この日は曇りがちだったということがあるにしても、暮らしを考えると昼間でも灯りが必要なほどだ。昔はどうしていたんだろう。これくらいでも充分だったんだろうか。戦もない毎日の生活の中で、ここに住んでいた人たちは日々何をしていたのか。娯楽も少ないし、仕事もあるようなないようなだ。特に江戸時代の最初の頃は、急に戦がなくなって武士たちは途方に暮れたことだろう。それとも、平和になって案外みんな楽しく暮らしていたのかな。

姫路城訪問記2-4

 姫路城は戦を強く意識して造られた城だから、武器などの備えも万全だったに違いない。特に守りを重視した城だから、仕掛けも抜かりがない。構造で守り、守りながら攻撃するという想定があちらこちらで見られる。けれど、とうとうこの城では一度も戦が行われなかった。敵が攻めてくることもなく、この城から戦に出たこともなかった。備えあれば憂いなしということだ。
 敵が攻め込んできたことを第一に考えられているから、暮らすにはすごく不便な作りになっている。階段の配置が複雑で、傾斜は直角に近いくらい急角度で登るのも降りるのも一苦労だ。あまりにも不便だから、しまいには誰も天守まで登らなくなったという話も納得がいく。戦でもなければ天守に用はない。それぞれが下の屋敷で暮らしていたのだろう。仕事場も天守ではなかっただろうし。
 あまりにも人が出入りしなくなり、そのうち妖怪が出るというウワサが立ち始めた。その妖怪を退治したのが、名前を隠して足軽奉公をしていた宮本武蔵だったという逸話は有名だ。諸国放浪をしていた武蔵は、何年間か姫路城にこもって修行をしている。妖怪退治の話はともかくとして、宮本武蔵がこの城にいたことは間違いなさそうだ。武蔵がいたという部屋は、開かずの間として限られた期間だけ一般公開される。

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 千姫のものとされる豪華版羽子板が飾られていた。実際に羽子板で遊んだりしたんだろうか。勝った負けたで互いの顔に墨で○や×やヒゲを書いたりしてたら笑えるんだけど、そんな昭和のバラエティー番組のようなことはしなかったのだろうな。
 姫路城の裏の千姫が毎日通ったという男山千姫天満宮は、千姫が奉納した羽子板にちなんで絵馬が羽子板の形をしている。姫路城に展示されているものは、この天満宮に千姫が奉納したものとされるものだ。

姫路城訪問記2-6

 天守閣の構造が木組みで再現されているものがあった。ものすごい木の量だ。これはお金がかかるはずだ。鉄筋コンクリートで再建したくなる気持ちが分かる。これだけの木を集めてこようと思ったら、どれくらいの金額と労苦が必要になるのだろう。昭和31年から始まった昭和の大修理は、中心となる柱選びから始まって、大変な苦労だったようだ。のべ25万人が従事して、8年かかっている。
 木造の建物は確かに長持ちするのだけど、これだけの規模の建築物となると、この先永久に保っていくのはだんだん難しくなっていく。地階から最上階までを貫く極太の柱もすごいものだった。

姫路城訪問記2-7

 姫路城の全体的な様子は、姫路駅にあったこの模型が一番分かりやすい。天守閣だけでなく、周囲の建築物がほぼそのままの形で残っているところに姫路城の貴重さがある。
 姫山に初めて城と呼べるものを築いたのは、南北朝時代(1346年)の赤松則村とその子である赤松貞範だとされている。その後、この地方の豪族だった小野田氏が治め、その重臣だった黒田孝高(のちの黒田官兵衛)が城主となっているところに、中国遠征で豊臣秀吉がやって来た。そこで官兵衛はあっさり城を秀吉に譲り渡して信長の配下に入ってしまう。先を見抜く力があったのだろう。官兵衛自身ものちに秀吉の側近となり大いに活躍することとなる。
 信長の命を受けた秀吉は、1580年から一年がかりで姫路城を三層の本格的な天守閣に改築する。ここが西国を攻めるための拠点となった。それから3年間は秀吉が城主をつとめた。
 毛利攻略に手間取っていた1582年、本能寺の変が起きる。知らせを聞いた秀吉は、大急ぎで引き返して、いったん姫路城で休息を取っている。
 1584年、小牧長久手の合戦で秀吉は徳川家康に敗れ、木下兄弟と池田恒興を失う。いったんは城主に弟の秀長を置いたものの、秀長は多忙すぎて、木下家定がそれから16年間つとめることになる。
 時は流れて関ヶ原の合戦の翌1601年、戦での活躍を認められた池田輝政が家康の娘婿となって姫路城に入ることになる。神君家康の婿殿となった輝政へのプレッシャーは大きかった。西国の大名ににらみを効かせるためということで姫路城を一大要塞へと大改築させることを余儀なくされる。本来ケチんぼであったとされる輝政も、このときばかりは舞い上がって力の限りを尽くした。莫大な費用と人員を動員して、8年がかりで江戸城にも匹敵する大城郭を作り上げたのだった。のちに千姫が作った西の丸の化粧櫓とあわせて、現在の姫路城の姿はこのとき完成をみた。
 しかし、時代はもう大きな城を必要としなくなっていた。戦もなくなり、姫路城は無用の長物となっていく。城主もめまぐるしく交代した。池田氏の時代も3代16年で終わり、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏などが入れ替わり、だんだん荒れ果てていき、明治維新を迎えることとなる。

姫路城訪問記2-9

 五層六階の最上階は意外と狭い。その中央にお社がある。姫路城の守り神とも妖怪ともいわれる刑部大神(刑部姫)が祀られている。
 さすがに世界遺産、異人さんが多い。欧米よりも中国人がやたら多くて韓国人は見かけなかった。中国側へ宣伝されているのだろうか。

姫路城訪問記2-10

 大天守閣からの眺めがまたいい。姫山の上に建つ姫路城は海抜92メートル。石垣だけで約15メートル、建物が30メートルちょっと、なかなかの見晴らしだ。
 これだけ目立つ大きな建物なのに、第二次大戦の空襲でも焼けなかったのは奇跡か偶然か守り神の力か。姫路の街が壊滅的に焼けたのに姫路城だけは無事だった。アメリカ空軍もこの城の美しさを見てこれは爆弾を落としてはいけないと思ったのだろうか。
 現在では年間80万人以上が姫路城を訪れる。城マニアでなくてもこの城の美しさは分かる。外国人だってそうだろう。よくぞ残ったと喜びたい。
 あれから400年以上が経った。ずっと昔のようでもあり、けっこう最近のことのようにも思う。ぼんやりとした伝説のお話ではなく、ちょっと前にあった歴史がここにある。お城を外から眺めて、天守の中に入って歩いてみれば、歴史の息づかいが確かに感じられる。自分とは無関係の時代にあった他人事なんかじゃない。ここには人生があり、暮らしがあり、喜怒哀楽があった。恋愛も別れも死も。泣いて笑って戦った、私たちと同じ人間たちがここで生きていた。その延長線上に今私たちは生きている。そのことを忘れてはいけない。私たちは彼らの夢の具現者なのだから。
 姫路城訪問記はあと一回、番外編へとつづく。

姫路城訪問記その1 ---サラっと軽く書くつもりが天守閣に入れず編

城(Castle)
姫路城訪問記1-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路城へ行って感銘を受けて、家に戻ってきて勉強して、いざ姫路城について書こうとしたら言葉に詰まった。たくさん写真を撮ってきて、書くべき事もいろいろあるのに、何からどう書いていいのか分からない。まだ自分の中で姫路城を消化しきれていないらしい。どの写真を使ってどれを不採用とすればいいのかの判断もつかない。こうなったら私が見たものを見た順番で並べて、その都度簡単な説明を付けていくというスタイルしかなさそうだ。姫路城訪問記ということで、今回はそのスタイルにしよう。それが一番分かりやすいし書きやすそうだ。1回か2回で姫路城についてコンパクトにまとめるなんてことはできそうにない。
 ということで、歴史やエピソードについては後回しにして、まずは城外から天守閣に向かうまでの道のりを紹介していこう。これを見て、多少なりとも自分も行ったような気分になってもらえれば成功だ。私自身の記憶を整理することにもなるだろう。
 まずは堀からだ。江戸城周辺ほど広くはないけど、堀はかなり残っている。風景としては現在の皇居周辺に少し似ていた。城造りの発想として江戸城と姫路城は相通ずるものがある。名古屋城の堀なんかとは構造が違う。
 かつては内堀、中堀、外堀と三重に城を取り囲んでいたそうだ。外堀は11キロ以上、城下町は187ヘクタールの広大さだったという。今でもかなり残っているけど、それでも23ヘクタールと8分の1でしかない。江戸時代の姫路がそれほど発達した城下町だったとは知らなかった。京都、大阪から西への備えであり、交通の要所でもあったからからなのだろう。

姫路城訪問記1-2

 入り口では立派な橋が出迎えてくれる。やけにピカピカだなと思ったら、平成19年の今年できたばかりだった。どうりで新しいはずだ。
 桜門橋と呼ばれるこの橋は、江戸時代から明治初期まで大手門の内堀に架かる木の橋だった。それを再現するにあたって、市民側は木の橋を希望し、姫路市は安全のために鉄筋の橋を造るといってしばらくモメていたらしい。結果的には間を取って、中身は鉄筋、外側が木製ということで決着がついた。木造もどきというのはちょっと残念だけど、手すりなどは純木製で雰囲気はある。ある程度歳月が経てばいい感じになっていくだろう。今はまだ新しすぎて違和感がある。

姫路城訪問記1-3

 橋を渡ればすぐに大手門前だ。でも、まだ本物は始まっていない。この大手門は昭和13年に再建されたもので、かつてのものとは大きさも位置も違っている。防御重視ということで、江戸時代の大手門は三重構造になっていた。かつては桜門という名前で、その後ろには桐一の門、桐二の門が並んでいた。
 だから、ここからしてすでにありがたがってしまうのは間違いということになる。それは焦りすぎの勇み足というものだ。

姫路城訪問記1-4

 大手門をくぐると、遠く高いところに天守閣が姿を現す。おおー、これは、としばし立ち尽くす。その手前の三の丸広場では、なんの感慨も持たないちびっ子どもが城には目もくれずに走り回っていた。姫路っ子にとってみれば、姫路城なんてものは物心ついた頃から見慣れていてありがたくもなんともないのだろう。遠足でもちょくちょく連れてこられたりしてもう飽きてるのかもしれない。近くにある偉大なものの価値というのは分かりづらいものだ。
 ここまではまだタダゾーンなので人も多い。市民の憩いの場となっているようだ。この広場ではいろいろなイベントやライブなども行われている。周囲には桜が植えられていたから、花見シーズンは花見客で賑わうのだろう。
 かつては池田輝政の御殿など、様々な建物があったのだけど、明治時代に兵舎を作るために全部取り壊されてしまった。明治政府はろくなもんじゃない。
 姫路城そのものも明治に消滅の危機に瀕している。明治4年の廃藩置県で城が不要のものとなり次々に取り壊されていく中、姫路城はなんとか取り壊しを逃れたものの老朽化が激しくガタガタのボロボロとなっていた。それで競売の結果、神戸清一郎という人が23円50銭で落札する。これは現在の貨幣価値に換算すると120万円ほどだというから安い。いかに引き取り手がなかったかということだ。結局その人も持て余してしまって手放すこととなる。
 その危機を救ったのが中村重遠大佐で、こんな偉大なものを壊してしまうなんてもったいなすぎると陸軍卿だった山県有朋を説得して、陸軍の費用で修繕して保存することになったのだった。中村大佐は名古屋城も救っている。今の姫路城と名古屋城があるのは中村大佐のおかげと言っても言い過ぎではないかもしれない。
 なんか、すでに話が長くなってきた。まだ有料の門も入ってないのに。先を急ごう。

姫路城訪問記1-5

 入り口で600円を払って城内へ入るとすぐに見えてくるのが、二の丸の入り口の大手口にある菱の門だ。いよいよここからが姫路城の本物が始まる。
 櫓門(やぐらもん)と呼ばれる形式のこの門は、攻めてきた敵に対する備えとして作られている。伏見城から移築したといわれる上層部には多数の兵がたまるスペースが作られていて、ここから弓を射ったり、石を投げたり、熱湯をかけたりなどして敵兵を攻撃できるようになっている。
 しかしながら同時に安土桃山時代の様式を残した美しい門でもある。この攻撃性と優美さの同居こそが姫路城の本質だ。
 21ある門の中でこの門が一番大きな門ということになる。
 両柱の冠木には木彫りの菱の紋があって、そこから菱の門と名づけられた。

姫路城訪問記1-6

 天守に向かう近道としては、菱の門をくぐって三国濠の前を通って右に行くのが順路のようだけど、ここはあえて左の西の丸から行きたい。ここの櫓(やぐら)を通って天守に向かうのがオススメだ。
 ワの櫓、レの渡櫓、ヲの櫓、タの渡櫓、ルの櫓、ヨの渡櫓(西の丸百間廊下)、ヌの櫓、カの渡櫓と続く背隠曲輪があり、そこから千姫のいた化粧櫓へと至る。
 西の丸では、「大奥」の撮影が行われた。もちろん、姫路城に大奥のたぐいはなかった。姫路城は外観が江戸城に少し似ているということで、テレビや映画で江戸城としてよく登場している。

姫路城訪問記1-7

 櫓の内部はこんな感じになっている。古いということを差し引いても薄暗い。ここはただの廊下ではなく、右側にスペースがあって、奥女中たちの住み込み部屋になっていたようだ。当時は女性たちの話し声や笑い声で賑やかだったのだろうか。今は壁も床も柱も扉も古びていて、けっこう恐ろしげだ。夜はとてもじゃないけど歩けない。

姫路城訪問記1-8

 一部だけ妙に新しかった。最近修繕されたらしい。
 中を歩いているとくねくねと曲がっていて方向感覚を失う。これはどのあたりだったのだろう。百聞廊下あたりだったのだろうか。
 外では足場が組まれていて今現在も補修工事中だった。年中どこかしら直しているのかもしれない。維持費はとんでもなく高そうだ。

姫路城訪問記1-9

 化粧櫓を外から見たところだ。ここも外壁は最近塗り直されたようで、白く輝いていた。
 千姫が実際にここで暮らしていたと聞いてもなんだかちょっと信じられない。訪れたときの化粧櫓はなんとも暗かった。当時はもっと明るい住まいだったと信じたい。
 二代将軍徳川秀忠と、浅井長政と信長の妹お市の娘である崇源院の間に生まれ、7歳のときに政略結婚で豊臣秀吉の子秀頼のもとに嫁ぐことになる(1603年)。
 しかし、1615年の大坂夏の陣で、祖父である家康と父秀忠によって豊臣家は滅亡に追いやられてしまう。焼け落ちる大阪城から救出された千姫は、江戸に帰る途中、伊勢桑名の城主本多忠政の嫡男忠刻(ただとき)を見て一目惚れ。どうしてもあの人と結婚するんだと言って聞かず、父の秀忠も自分が豊臣家を滅ぼしてしまったという負い目から結婚を認めざるを得なかった。
 本多家が姫路に移封になったとき、千姫が将軍家から10万石の化粧料をもらって作ったのがこの化粧櫓だった。10万石というと現在の貨幣に換算するとざっと7億5,000万円くらいになる。お小遣いというにはすごい金額だ。将軍の娘となればそれくらいは当然なのか。

姫路城訪問記1-10

 化粧櫓の一室には、千姫の人形がいる。前触れもなく突然現れるからちょっと驚く。ここだけ急にこんなものがあるなんて。隣に座った猫もポイントだ。
 千姫は相当な美人でもあり、温厚な性格でもあったという。波瀾万丈の前半生にしてはやさぐれたところがない。それも育ちの良さだろうか。秀頼との夫婦仲もよかったというし、忠刻とも幸せな生活を送ったとされている。ただ、長男が三歳で病死したあとは子供に恵まれず(娘の勝姫はのちに池田光政と結婚)夫の忠刻、母の崇源院などを次々に亡くし、それは秀頼のたたりだなどとも言われた。ときに千姫まだ30歳。
 いたたまれなくなった千姫は娘と共に江戸城に戻り、出家してその後再婚することはなかった。1643年には、縁切り寺で有名な鎌倉東慶寺の伽藍を再建したりもしている。
 その後は三代将軍家光の側室お夏の方や、家光の次男綱重たちの世話をして暮らし、70歳まで生きた。姫路や本多家に戻ることなく、徳川家の姫として葬られた。

 さらっと書くはずの姫路城訪問記は、一回目から長くなった。こんなはずではなかったのに。筆が滑ったな。
 二回目からはもっと短くトントン拍子で進めたいと思っている。ハイドロプレーニング現象的姫路城紹介で姫路城の中を滑るように駆け抜けたい。たぶん無理だと思うけど。
 次回は天守閣の内部に入れるといいな。もし入れないようなことになると、訪問記は5回シリーズくらいの長期連載となってしまう。なんとか3回くらいにまとめたい。難しいなぁ。頑張ろう。
 第二回につづく。

姫路城は国宝で世界文化遺産でのぞみまで止めるすごいやつ

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
姫路城外観-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路へ行った。何をしに行ったかと問うまでもない。それはもう、姫路城を見に行ったに決まっている。決まっている? そう、決まっているのだ。姫路っていったら姫路城しかないじゃん?
 しかし、姫路を侮ってはいけない。何しろ新幹線のぞみが止まるのだ。姫路城がなければ絶対にのぞみは止まらない。尾張名古屋は城で持つというけど、姫路こそその言葉がふさわしいとみた。
 ところで姫路城だ。これはもう、文句なしに素晴らしい。国宝のみならず世界遺産ときては文句を言ったらバチが当たる。美しさ、風格、品格、古さ、どれをとっても一級品の城だ。戦後に再建された名古屋城なんかとは比べものにならない。逆に言えば、再建前の名古屋城や大阪城なんかはどれだけ素晴らしかったののだろうと思わずにはいられない。江戸城もこんなものじゃなかったのだろう。
 姫路城について余すとこなくびっちり書こうと思ったのだけど、今日はもうギブアップ。かれこれ起きてから24時間経過していて頭の動きが鈍くなっている。姫、じいはもうダメでござるなんてことを口走ってしまうほどだ。
 なので、今日のところは外観写真を何枚か並べてお開きとする。また明日以降、姫路城について熱く語りたい。

姫路城外観-2



姫路城外観-3



姫路城外観-4



姫路城外観-5



姫路城外観-6

 さて、どの角度から見る姫路城が一番美しいだろう。やはり、大手門方から見る斜めからの角度だろうか。天に向かってはばたくような白くて美しい城ということで、白鷺城(はくろじょう)とも呼ばれている。
 と、そんなことも絡めつつ、明日はしっかり姫路城について勉強して書きたいと思っている。姫、今宵はここまでにいたしとうございます。おやすみなさい。

野菜づくしサンデーの成功とオムライスカレーの失敗、おまけのアイ写真

料理(Cooking)
野菜づくしサンデー1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 今日は野菜づくしというテーマで臨んだサンデー料理だった。一見すると野菜はそれほどでもないように見えるけど、実は8割野菜が占めている。隠れ野菜料理と呼んでもかまわないほどの料理となっているのだった。
 今日のおかずは何? 野菜が8割よ。なんてことを言うと、食いしん坊の子供は怒るか泣き出すかもしれない。大人でも夕飯に占める野菜の割合が8割だと聞くとなんとなく気が滅入るものだ。一日会社で働いてきて何が悲しくて野菜ばっかり食べなくちゃいけないんだよと愚痴の一つもこぼしたくなる。
 けど、大丈夫マイフレンド(古い)。野菜だって調理すれば立派に美味しいおかずとなるのだ。野菜の潜在能力を侮ってはいけない。野菜は確かにそのまま食べれば美味しくないものが多い。もしくは味がない。だから、逆にそこを突くのだ。味なんてものは自分の好きなように付ければいいわけだから、なんとでもなる。簡単に言えば、代用品として使えばいいのだ。もどき料理の野菜版と言ってもいい。
 そこで今回作ったのがこの3品だ。一つのテーマとして、三大葉っぱともいうべきキャベツ、白菜、レタスを同時に使えるかという挑戦もあって、なんとか無理矢理実現させて自分自身喜んでいたというのもあった。今日の夕飯に限っては、私はそんじょそこらのウサギよりもたくさんの葉っぱを食べたかもしれない。

 左手前はパッと見るとギョーザに見える。実際ギョーザに間違いない。ただし、中身はキャベツだ。肉は一切使ってない。エビと長ネギの刻みは入っているけどそれだけだ。これでも充分美味しいギョーザになる。
 ヘルシーついでに油も使ってない。最初に水を入れて蒸し焼きにして、フタを開けてから片面に焦げ目がつくまで焼けばできあがりだ。
 タレは付けダレにしてある。しょう油、酢、酒、みりん、砂糖、塩、だし汁、ラー油、長ネギの刻みを混ぜたものだ。
 ギョーザは食べたいけど脂っこいし匂いも気になるなんてときは、こんなヘルシーバージョンをオススメしたい。

 右の料理は写真では少し分かりづらい。葉っぱはレタスで、鶏ガラスープで少し煮てある。いったん煮立てて、冷まして味を染みこませて、もう一度温める。
 中身の茶色いのは肉ではなく、ジャガイモ、タマネギ、まいたけだ。それらを刻んで、味噌、しょう油、酒、ごま油、みりん、砂糖、塩で炒めたものだ。ジャガイモはいったんレンジで加熱してつぶしてある。
 巻いて食べるのだけど、写真では分かりやすいように開いてある。多少味付けが濃くても、レタスに巻くことで味が弱まってちょうどよくなる。味噌を使わずに、しょう油、酒、みりんだけの甘辛バージョンでもいい。

 一番奥は、オーソドックスな野菜煮込みだ。白身魚のつみれがメインとなっている。
 つみれは、白身とシイタケ、長ネギ、酒、しょう油、カタクリ粉、塩を混ぜて練って作る。
 野菜は適当にあるものをじゃんじゃん放り込んで煮ればいい。今回は白菜、ニンジン、ブロッコリー、ダイコン、ほうれん草、タマネギを使った。
 味付けは塩、コショウ、中華だしでつけている。ややあっさり目に仕上げた。

 味の方は3品あわせてまずは破綻のないものとなった。美味しいと言ってもかまわない。野菜がほとんどを占めていることを思えば上出来だ。ただ、量が少なかったのがやや失敗だったかもしれない。小食の私でもちょっと足りないくらいだったから、育ち盛りの高校生なら不平不満が出るに違いない。ギョーザをもっと作ればよかったのだ。
 このように、野菜だけでも夕飯の食卓は成立するということを証明できたと思う。費用も安上がりで、健康にもいい感じになっている。ビンボー学生でもこれなら大丈夫だろう。一ヶ月一万円生活みたいだ。
 今回の野菜づくしサンデーは成功を持ってその幕を閉じた。めでたい。

オムライスカレー

 これは別の日に作ったオムライスカレーだ。けっこう美味しそうに見えるけど、結果的には失敗だった。
 味がぶつかり合って濃すぎるのだ。ジャック・ニコルソンとロバート・デ・ニーロの競演よりも濃い。個性がぶつかってケンカしてしまう。オムライスはオムライスで独立してるものだし、カレーは白いご飯と合わせてこそ上手くバランスが取れるものだ。美味しいものと美味しいものを掛け合わせれば2倍に美味しいというわけではなかった。
 ただ、まだ工夫の余地はあるとも感じた。オムライスのチャーハン部分をもっと薄味にすればいけるかもしれない。バターライスみたいにしたものをふんわり卵で包んで、その上にカレーをかければ美味しいような気もする。
 オムライスではなくオムレツにカレーをかけるというのは店のメニューでもあるものだけど、オムライスにカレーというのはけっこう難しい。だからこそ、定番メニューとして定着してないのだろう。美味しければ誰かがとっくの昔に発見してる。
 やっぱりオムライスはオムライスで、カレーライスはカレーライスで食べるのが人の道というものだろうか。

あっち向いてアイ

 明日、急きょ姫路へ行くことになったので、今日は早寝しないといけない。
 アイは留守番。おとなしく待ってろよ。
 そんな呼びかけが聞こえているのかいないのか、テレビの上であさっての方向を向いてるおすましアイであった。

 ちょっといってきます。
 姫路方面の方、お邪魔します。

タカ渡りの伊良湖行き最終回は伊良湖岬周辺紹介と来年の約束

観光地(Tourist spot)
伊良湖灯台-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 伊良湖のタカ渡り編最終回は、タカでも恋路ヶ浜でもない伊良湖の周辺紹介となる。
 渥美半島の先端、42号線と259号線が合流したところに、フェリー乗り場と道の駅「伊良湖クリスタルポルト」がある。道の行き止まりでもあり、船旅の始まりでもある場所だ。その駐車場に車を置いて、てくてく15分ほど歩くと伊良湖岬灯台が見えてくる。確か600メートルという標識があったと思うけど、それよりも遠く感じた。恋路ヶ浜から歩いた方が近かったかもしれない。
 伊良湖は何度か訪れているけどここまで歩いたのは初めてだなと思っていたら、家に帰って古い写真を見たら大昔にこの灯台の前で写っている若き日の自分の姿があって驚いた。まったく忘れていた。そういえば行ったような気がしないでもない。写真を見ると土がむき出しの荒れた海岸といった風情で、今とは全然違っている。上の写真のような遊歩道が整備されたのはそんなに昔のことではさそうだ。歩きやすくはなったけど、逆に情緒がなくなったようにも感じた。
 それにしてもフナムシのすごいこと。一歩歩くごとに目の前を左右にザザァーとフナムシが散っていく。ロマンチックな気分で女の子を連れて行くと、思いがけないマイナスポイントになりかねないので注意が必要だ。

 伊良湖岬灯台ができたのは昭和4年、この地方の海路の要所であり、潮流が速くて暗礁が沖まで続いている難所でもある伊良湖水道をゆく船の安全を守るために建てられた。高さは15メートルとさほど大きくない。
 当時はアセチレンガスを光源にしていたそうだ。電化になったのは昭和35年のことだった。古い割に白々としているのは、平成14年にお色直しをして塗り直されたからだ。青空の日は真っ白な灯台が海と空に映えるのだろう。
 現在は山の上の方に伊勢湾海上交通センター(平成15年)という灯台兼船の管制塔のようなものが建っていて、こちらがメインの施設になっている。上から見たらさぞ見晴らしがいいだろうけど、一般は立ち入ることができない。
 伊良湖岬灯台は、日本の灯台50選のうちの一つとして選ばれている。平成10年、50回目の灯台記念日に全国の応募と一般投票で50の灯台が選ばれたんだそうだ。普通の人はそんなことが行われていたことなどちっとも知らなかったと思うけど、きっと灯台マニアの人たちはここぞとばかりに力一杯自分の好きな灯台に投票したのだろう。一般人はお気に入りの灯台なんて持っていない。
 愛知県から選ばれたのは伊良湖岬だけで、三重県は神島灯台、菅島灯台、安乗埼灯台、大王埼灯台と4つ入っている。この中のどれかに行ったはずなのだけど、どれだったか覚えていない。静岡の御前崎灯台は何年か前に行ったときのことをよく覚えている。風の冷たい寒い日で、50円だったか150円だったかを払って、一人で登ったのだった。水平線を見ると地球が丸いのがよく分かるといううたい文句だったけど、強風でコンタクトが飛びそうになってしっかり見ることができなかった。
 灯台50選を制覇するのはまず無理にしても、機会があれば他の灯台も見てみたいと思う。

伊良湖周辺-2

 岩に波が当たって波しぶきがあがるのを見て、わー、東映だ、東映だと言って喜んでしまうのは私たちだけではないはずだ。タイミング良く撮ろうとするとなかなか難しい。
 東映のあのシーンは、千葉県銚子の犬吠埼なんだそうだ(もしくは海鹿島とも)。現在使われているものは4代目なんだとか。変わっているとは気づかなかった。正式名称は「荒磯に波」。東映は昔のヤクザ映画の印象が強い。

伊良湖周辺-3

 岩の上に鳥が一羽。最初ヒヨドリかと思ったけどそれにしては黒すぎる。ツグミっぽいけど、こんな時期こんなところにツグミはいない。クロツグミもいるのは林か山だ。となると、イソヒヨドリだろうか。光が弱くて羽の色がはっきりしない。メスかもしれない。50mmレンズから望遠に付け替える時間がなかった。
 イソヒヨドリとするなら、こういう海辺にいるのが自然な姿だ。ピョンピョンという跳ね方もツグミっぽかったらたぶんそうじゃないかと思う。名前は磯のヒヨドリとなっているけど、実際はツグミの仲間だ。磯にいるヒヨドリに似た鳥ということで名づけられた。紛らわしい。
 大きさは23センチくらいとヒヨドリよりやや小振り。オスは背中が濃い青色で腹がオレンジをしている。メスは地味な褐色ながらうろこ状の模様がきれいだ。 
 ユーラシア大陸からアフリカにかけて広く分布していて、日本では海岸に多い。都市部で生活しているやつもいるようだ。標高の高い岩山で暮らすやつもいるとか。
 エサは甲殻類や昆虫など。フナムシも食べるそうだから、伊良湖では食べるものに困ることはない。

伊良湖周辺-4

 灯台前の岩場でクネクネ三脚を記念撮影。
 アメリカ生まれのgorillapodという三脚、なかなかの優れものでけっこう使える。足が自由に動くようになっていて、安定の悪いところに立てたり、ポールなどに巻き付けて固定することができる。どこでもツーショットが撮れたり、一人旅でも自分撮りができるのが便利だ。
 これはコンパクトデジ用だけど、一眼レフ用もある。オークションで買っても量販店でも2,000円以内と高くない。軽くてコンパクトで持ち運びも苦にならないし、これはアイディア商品だ。

伊良湖周辺-5

 道の駅伊良湖クリスタルポルトの中に、「やしの実博物館」というちょっとした施設がある。かつては有料だったようだけど(300円)、今は無料となっている。無料ならということでちらっとのぞいてみた。
 伊良湖といえば椰子の実だ。世界でも珍しい椰子の実が展示されていたり、この地方で出土した古代の遺品、野鳥の剥製などを見学することができる。
 上の写真は灯台の模型だ。かなりよくできている。灯台50選や、全国の珍しい灯台が集められていた。灯台マニアにはたまらない。
 ここはフェリー乗り場でもあるから、待ち時間などに見て回るにはいいところだ。なんで無料になったんだろう。

伊良湖周辺-6

 特に意味もなく入ってきたフェリーを撮ってしまった。船というのは被写体なのかどうなのか、少し考えるところがある。飛行機なら無条件に撮っても違和感はない。車は珍しいもの以外撮らない。電車なら考えて撮ることもある。船はそれ自体で価値があるものなのだろうか。なんてことを思っていたら、隣のおじさんたちも携帯カメラで嬉しそうに撮っていた。それを見て、ああ、やっぱり撮って正解なんだと安心した私であった。
 伊良湖からは鳥羽への便が多くて、1時間に1便くらい出ている。そんなに需要があるんだ。フェリーで鳥羽まで55分だそうだ。名古屋からみると伊良湖はずっと東にあるようだけど、半島は左に回り込んでいるから西にある三重県の方がかえって近いのだ。
 知多半島の師崎へも40分でいく。

伊良湖周辺-7

 夕飯は、ホテルに隣接したレトロなレストランで海老フライ定食を食べた。せっかくの観光なんだから豪華な食事をと思わないでもないけど、小食の私としては海の幸豪華セットなんて頼んでも食べきれないからもったいない。そもそも生ものを食べられない。貝類もやや危険な香りがする。カキは一発でアウトだ。
 海老フライは普通に美味しかった。前の海でとれたばっかりとかではないはずだけど。

伊良湖周辺-8

 ホテルの売店がまた素敵だった。昭和そのものではないかと大喜びの私。へたしたらペナントも売ってるんじゃないかと期待したけど、そこまで昭和ではなかった。ちょっと残念。
 おみやげのメロン関係のお菓子がまた妙に安くて驚く。プチケーキ類は400円、500円台だし、餅菓子など10個入りで210円という驚異の値段設定となっている。買って食べてみたけど210円というようなものではない。この値段で儲けは出るのだろうかと心配になる。
 まあ伊良湖は一応メロンが名物になってるから、その関係で安いのかなと思いきや、製造は蒲郡だったり他のところだったりするのもまた謎だった。

伊良湖周辺-9

 夜のフェリー乗り場。最終は何時なんだろう。さすがに夜ともなるとこのあたりは静かなものだ。ここには歓楽街のようなものもない。

 タカの渡りというものを初めて知って、それじゃあ一度行ってみるかとのんきな気分で出向いていった伊良湖岬は、予想以上に楽しくて印象深いものとなった。タカ見にまつわるあれこれも、それ以外の周辺歩きも、ホテルもよかった。二日目の雨降りは残念だったけど、少しはタカも見ることができた。初めてにしては上出来だ。本格的に撮ろうと思えばデジスコが必要だということも分かった。
 さて、来年はどうだろう。まさかキャンピングカーに寝泊まりする道具とデジスコを積んで泊まりがけで出かけるなんてことはないとは思うけど、人間、どこでどう変わるものか予測はつかない。一年後には自分でもびっくりするくらいの鳥人間となっているかもしれない。それはそれで楽しそうだ。
 それほど劇的な変化を見せず、今年とあまり変わらない自分でいたなら、そのときは神島に渡りたい。アサギマダラとタカと猫という組み合わせはとても魅力的だ。向こうで一泊して、ゆっくり島歩きなんてのもいい。
 一年後のことなど分からない。でも、こうして季節を追いかけながらいろんなところを巡っていると、来年につながる楽しみが増えていく。どこへも行かなければ、また来年というのがない。今年行ったからこそ一年後というものが約束となる。
 また来年の10月、伊良湖へ行こう。今はっきりとそう思った。

Nikonを持って近所をうろつきながら撮ったノンジャンル写真で一服

風景(Landscape)
ニコン近所写真-1

Nikon D100/D50+VR Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6/SIGMA 17-70mm F2.8-4



 伊良湖の写真はまだあるのだけど、今日はちょっと一休みして違う写真にしてみよう。伊良湖では曇り空が多かったから、写真もブルーグレーの暗い色調が多かった。今日は色のある写真を並べたい。
 特にテーマはない。強いて言えば、Nikonで撮ったノンジャンル写真ということになるだろうか。実は意味もなくD50や別のレンズを手に入れてしまったこともあって(ホントは意味があるんだけど)、ここ2日ほどNikonを持って近所をうろついた。そのときの写真を紹介したい。
 手軽に短時間で試し撮りするときは、たいてい尾張旭へ行く。もしくは河原に。街中よりも被写体が多くて、空が広いところがいい。そして夕焼けが見られるところだ。今回は少し足を伸ばして春日井の方も回ってきた。
 城前の休耕田では毎年小規模ながらコスモスを植えている。今年もいつの間にか咲きそろっていた。もう10月も半ばだ。思っている以上に秋は深まっていっている。

ニコン近所写真-2

 スカイワードあさひの55メートルの展望台からの風景だ。田園と赤い電車と低い町並は、20年以上前からあまり変わってない気がする。それでも田んぼの面積は減っただろうか。家も以前に比べたら増えたのだろう。そういえば、この展望台も昔はなかった。それでもできてからかれこれ15年くらいにはなるかもしれない。
 夕焼けがきれいな日は、西向きの名古屋方面が染まる。夜景もそこそこ見応えがある。夜の9時半まで開いていて無料というのがいい。

ニコン近所写真-3

 田んぼの農道は、私のたたずみスポット兼、車の作業場兼、写真撮影場所となっていて、たびたび出没している。難点は犬の散歩をする人通りが多いことだ。
 とにかく尾張旭は犬を飼ってる人が多い。統計とかデータとか詳しいことは分からないのだけど、やたら犬を散歩してる人がいる。ほとんど一家に一頭くらいずつ飼ってるんじゃないかと思うほどだ。私の友達の家も、その隣の家も、向かい側の家でも飼っていた。
 一方で猫が少ない。野良が生活するには自然と民家のバランスがかなりよさそうなのに、猫をあまり見かけない。城山公園あたりにはいるようなのだけど、私は尾張旭で猫を撮ったという記憶がほとんどない。もう少し猫がいてくれると私としては嬉しい。

ニコン近所写真-4

 今はキンモクセイの花が最盛期で、木のあるところを通りかかるとキンモクセイの甘い香りがしてくる。花期は案外短くて、2週間くらいだ。もう少し寒くなってくると花が落ちてしまう。
 以前はキンモクセイの匂いをかいで秋の始まりを知ったものだけど、最近はもう少し先に季節の移り変わりを感じられるようになっている。写真を撮るために季節の先頭を追いかけているから。今になってみると、キンモクセイで秋を感じているようでは季節に対して鈍感すぎた。
 ところでNikonの空の色はときどきおかしい。これがあるから私は完全なNikonユーザーになりきれないところがある。なんだか青いペンキで塗ったような青空で、こうなるとホワイトバランスやカラー調整くらいではどうにもならない。FUJIのFinePix S1proも似たような傾向があったから、やはりNikonの色に違いない。
 空の色はやっぱりPENTAXが一番好きだ。Canonは薄味過ぎるし、OLYMPUSも嫌いじゃないけどちょっとあざとく感じることがある。今回D100とD50と両方同じところから撮ってみたけど、両方おかしかった。

ニコン近所写真-5

 このあたりの青はそんなに悪くない。これも紛れもなくNikonの青空だけど、変ではない。Nikonの青は水色っぽい。青の深みが足りない。
 しかし秋の空だねぇと独り言をつぶやいてしまうほどの秋空が広がった。この雲の感じは秋の空の典型だ。

ニコン近所写真-6

 ふと思い立って、春日井の王子バラ園へ寄ってみた。そろそろ秋バラの季節だということを思い出して。
 思った以上に咲いていて、ちょっと驚いた。ここまで咲いてるとは思ってなかったから。偵察のつもりが、もう秋バラ本番が始まっていたのだった。
 秋は数が少ないけど、花の形は春よりも整っている。好きなバラをじっくり観賞するなら秋の方がいい。写真写りも春より秋だ。
 まだ咲きそろうというところまでいってなかったから、もう少し間を置いてもう一度行けたら行きたい。今日は日没間際ということで、写真を撮るには光が足りなかった。

ニコン近所写真-7

 私のお気に入りのマダムも、秋は端正な姿をしている。これぞマダムだ。凛として品がある。
 同じく寺西菊雄作で私の好きな荒城の月はまだつぼみだった。
 秋バラもじっくり見て回りたいところだけど、今年はちょっと余裕がないか。どこかへ行ったついでにちらっと見るくらいで終わりそうだ。

ニコン近所写真-8

 王子製紙の工場の煙突からモクモクとはき出された煙が夕陽を浴びる。このシーンをいいロケーションから撮りたいと思っているのだけど、王子バラ園からでは障害物が多すぎて上手く撮れない。どこかにいいポイントはないものか。もう少し高い場所からの方がよさそうだ。

ニコン近所写真-9

 竜泉寺の裏手へとやって来た。ここはあまり人に知られていない夕焼け・夜景スポットとして私のお気に入りの場所の一つとなっている。人気がないのは、ここが墓地のど真ん中だからだ。普通はあまり来たがらない。カップルでいちゃつきに来るようなところでもない。でも、ロケーションは最高なのだ。空が広くて、遠くに名古屋駅のビル群が見えて、眼下には庄内川がゆったりと流れている。高台なので、河原とはまた違った視点から夕焼け風景を見ることができるのがいい。
 唯一の問題点が墓地の中ということで、これはやはり致命的か。私は気にしないのだけど。同じように気にしない人はオススメだ。竜泉寺の正面から左に折れて、つづら折りの道をしばらく下っていくと、パァーと視界が開ける。その先には駐車スペースもある。ただし、そのまま下まで行くと行き止まりになるので、帰りは駐車場でUターンして元来た道を戻らないといけない。墓地の人たちに挨拶することも忘れずに。

ニコン近所写真-10

 裏側から見た王子製紙の工場。こちらからは、夕焼けよりも夜景がいい。日没後に空がダークブルーに染まったときにここを撮ると、不思議な雰囲気になる。19世紀と近未来が入り交じったような古くて新しい感じが面白い。手前の電線が残念なのだけど、ここは三脚を立ててでも撮る価値がある。
 NikonのVR 24-120mmは、広角側よりも望遠側の方が画質がいい。これは120mmで撮った写真で、広角とは解像感とコントラストがかなり違う。望遠としては届かないけど、35mm換算の180mmレンズとして積極的に使っていきたいところだ。

ニコン近所写真-11

 太陽が沈んでしばらくすると、空はオレンジからパープルピンクへと変化していく。この時間帯を逃さず望遠で切り取るとドラマチックな写真になる。この色はとても好きな色だ。
 秋で空気が澄んできたこともあって、遠くの名古屋駅のビル群がよく見える。うちからは建物の影になって見えないビルもあるけど、ここからは全員集合そろい踏みだ。セントラルタワーズ、ミッドランドスクエア、ルーセントタワー、一番左にできかけのスパイラルタワーズもはっきり見えている。やっぱりこの場所はいいなとあらためて思った。

 D50の印象は、そつなくまとまったいいデジというものだった。使いやすいし分かりやすいしコンパクトで軽い。画質もD70よりもクリアくっきりで抜けがよくなった。ただ、D100を一度使ってしまうと、どうにも勝負にならない感じだ。シャッターを切る感覚だけで撮る楽しさが全然違う。撮れた写真が同じでも、使っていて気持ちいいかそうではないかの違いは大きい。重かったり、使い勝手が悪かったりしても、私はD100を使いたい。今中古価格は同じくらいになっているけど、今から買うにしてもD50よりもD70よりも、あえて古いD100をオススメしたい。何かがはっきり違うのだ。
 以上、こんな感じでNikon近所写真でした。明日からまた伊良湖写真に戻ります。

伊良湖いいとこ一度はおいで、私は再び訪れる理由を神島に見いだした

観光地(Tourist spot)
恋路ヶ浜風景-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 伊良湖に湖はない。これはある意味、意外な盲点だ。愛知県民にとっては馴染み深いこの場所も、他県の人にとってみれば琵琶湖とか諏訪湖のように湖のあるところだと思ったとしてもそれは無理のない話だ。逆に言えば、どうして湖もないのに伊良湖という名前なんだろうという疑問を持たない方がおかしい。
 軽く調べたところによると、どうやら「いらご」という呼び名が昔からあって、伊良湖というのはその当て字らしいということが分かった。万葉集にも登場するほど古い地名で、かつては伊良虞、五十等兒、伊良子、伊良児など様々な字が当てられていたらしい。
 一説によると、大昔は鳥羽の方まで陸続きで、湖のようになっていたところからその名がついたという話もあるようだけど、それは正しくない気がする。呼び名が「いらこ」ならともかく、「いらご」と濁るところからもともと湖は関係なかったはずだ。
「いらこ」と打って変換しないからといってPCを叱ってはいけない。「いらご」で変換すればちゃんと一発変換するのだ。
 伊良湖といえば恋路ヶ浜がすぐに思い浮かぶ。伊良湖岬から日出の水門まで伸びる海岸名で、なかなかロマンチックなネーミングだけど、そこには悲しい恋の物語があるという。
 昔、高貴な男女が許されぬ恋で都を追われこの半島に逃れてきた。女は表浜に住み、男は隠れるように裏浜に住むようになった。しかし、やがて二人は病気で死んでしまう。それ以来、いつしかこの浜は恋路ヶ浜と呼ばれるようになったのだとか。
 日本中のあらゆる浜辺には悲しい物語が眠っている。その上にいくつもの恋人たちの足跡が踏み重なり、波が寄せては返し、返しては寄せる。幸福と悲劇はいつだって背中合わせだ。

恋路ヶ浜風景-2

 高い岩場に人影が二つあって、少し驚く。あんなところによく行ったなと思う。
 ここは恋路ヶ浜が終わった東側で、この岩場の向こうは浜名湖まで延々と続く片浜十三里海岸だ。
 近くには島崎藤村の「椰子の実」の詩碑が建っている。明治31年の夏に柳田國男がここで椰子の実を一つ拾ったことを藤村に話したのがきっかけで生まれたあの詩の舞台がこのあたりだ。
 名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ……。
 伊良湖ターミナルの中には、椰子の実博物館というちょっとした資料館もある。無料だったのでのぞいてみた。機会があればそこの様子も紹介したいと思っている。

恋路ヶ浜風景-3

 このあたりは岩にぶつかって砕ける波頭が荒っぽい白さで、日本海の海岸を思わせる。
 その様子を見ていると、海の力強さと怖さを感じる。

恋路ヶ浜風景-4

 これは「日出の石門(ひいのせきもん)」と名づけられた二つの石の内の一つで、写真では波に隠れているけど真ん中に穴が開いていて、ここから日の出が見られるという仕掛けになっている。長い歳月の荒波で削られて、ぽっかり穴が開いてしまったのだ。もう一つの石門は岸にある。
 毎年、10月中旬と2月中旬に、この穴から朝日が昇る瞬間が見られるということで、この時期は朝っぱらから人が集まってみんなで写真を撮っているそうだ。私たちが行ったときはまだ少し早かったのだろうか。この情報を知らなかったから、朝はこの場所を訪れていない。タカ見とセットで見られるなら、ここも当然人気スポットとなるだろう。ただし、カメラマンの人種はだいぶ違う。同じ三脚人でも種類はいろいろなのだ。私としては、日の出の決定的瞬間よりも、三脚が並べたおじさんたちの写真を撮ってみたい。平均年齢がかなり高そうだ。
 初日の出を見る場所としても有名なようだから、元日も賑わうのだろう。
 昔は伊良湖の観光といえば恋路ヶ浜よりも、こちらが中心だったらしい。確かに俯瞰の眺めはこちらの方がいい。特に上から見下ろす片浜十三里は素晴らしい。こちら側の朝日と、恋路ヶ浜の夕陽と、両方見られれば言うことない。

恋路ヶ浜風景-5

 恋路ヶ浜は、砂浜がかなりきれいで歩いていてもいい感じなのだけど、浜に打ち上げられるものが多いのが少し残念なところだ。人工のゴミはあまりないのだけど、流木などの自然物が多い。これを拾ってきれいにすれば、もっと最高の浜辺になるだろう。
 ここは4つの日本百選に選ばれている。砂浜が渚百選に、潮騒の音は音風景百選、松林風景が白砂青松百選に、渥美サイクリングロードが日本の道百選になっている。
 伊良湖灯台から日出の石門までの1キロ、大きな波と、ゆるく弧を描くその姿が美しい。夏には海岸沿いに大きな白いハマユウが咲き、遠く近くに大小の船が行き交う。

 遠く高い丘の上に建っているのは伊良湖ビューホテルだ。その名の通り、全室オーシャンビューが素晴らしいというのがうたい文句となっている。あれだけ高ければ見晴らしもいいだろう。
 1泊2食付きで1万5,000円くらいだから、ちょっと贅沢に泊まるにはいいところかもしれない。食事抜きの安いコースなら1万円を切る。
 タカの渡りを見るには、ややコースから外れていて遠い。タカ重視なら、ロケーションのいい格安ホテル伊良湖ホテルがある。素泊まりで4,000円くらいで、野鳥の会提携旅館にもなっている。

恋路ヶ浜風景-6

 かなり大きめの流木も横たわっていた。どこから流れてきたのだろう。これくらいのサイズとなると、海の中でビーチボールで遊んでいるときに後頭部に直撃したら気絶くらいでは済まない。
 まあここの海岸はもともと遊泳禁止なので、それを守るならそんな心配は必要ないのだけど。
 それにしてもこんなのが打ち上げられる瞬間を見てみたいものだ。何が打ち上がってきたのかとびっくりするだろうな。

恋路ヶ浜風景-7

 沖合には神島が見えている。恋路ヶ浜からは6、7キロといったところだろうか。遠泳が得意な人なら泳いでいけるかもしれないけど、普通の人は船で行く。伊良湖から15分とのことだ。
 今回は全然行く気がなかったから調べもしなかったのだけど、帰ってきてから調べたところ、なかなか魅力的なところだった。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった島で、映画化のときは3回ともロケ地になっている。無人島と思っていたらそうではなく、現在でも500人ほどが生活してるそうだ。
 一番行きたいと思ったのは、旅する蝶アサギマダラの中継地だと知ったからだ。ちょうど9月の終わりから10月の上旬にかけてアサギマダラが立ち寄るとのことで、これは知らなかったのが痛かった。知ってたら無理してでも行ったのに。島はタカの通り道でもあるから、あちらでもタカを見ることができる。
 猫の島でもあって、いたるところに猫がのんびり寝そべっているという。そんなことを聞いたらますます行きたくなった。犬がいないそうで、猫はいたってのんきに暮らしているんだそうだ。島民の暮らしも素朴で、古い時代の日本風景も見られるらしい。
 神島という名前が示すように、神のすむ神聖な島でもあるんだとか。それもあって、愛を誓い、プロポーズするのにふさわしい場所として、恋人の聖地30選にも選ばれている。
 これで来年の10月、もう一度伊良湖へ行く理由ができた。タカとアサギマダラと猫がいれば、一日たっぷり楽しめる。来年といわず、今年もう一回行きたいくらいだ。

恋路ヶ浜風景-8

 こちらは恋人の聖地プロジェクト100選のうちの一つ、恋路ヶ浜の鐘だ。
 手前に見えているのが「願いがかなう鍵」。内海の灯台にも同じようなものがあったけど、始まったのが2001年と、こちらの方が新しい。
「椰子の実」の詩にちなんで、石垣島から毎年プレートをつけた椰子の実を流すという試みが行われていて、それが14年目にして初めて本当にここまで流れ着いたというのを記念して始まったのが、「願いがかなう鍵」だ。願いを書いて鍵をかけると願い事が叶うとされている。
 駐車場前の店やホテルのおみやげ屋などで、鍵と願いを書くためのマジックペンをセットにして売っていた。980円はちょっと高い。でも、100円ショップの鍵で済ませようなんて考えていては、叶う願いも叶わない気がする。恋愛に出し惜しみは厳禁という無言の圧力だろうか。

恋路ヶ浜風景-9

 夕暮れどきの鐘と、丘の上でこうこうと光る伊良湖ビューホテル。やや日本ばなれした風景だ。ここはやっぱり、恋人たちがよく似合う。

 渥美半島は金輪際、高速道路や自動車専用道路を作る気がないのだろうか。作っても採算が取れないというのは分かるけど、豊川インターからの一般道はあまりにも遠く感じる。名古屋からは不便すぎて、めったなことでは行く気になれない。三重県の鳥羽からの方が船で近い。名古屋港から安い海上バスでも出てればいいのだけど。もしくは、知多半島の先端から橋をかけられないものか。
 それはともかくとして、伊良湖はいいところなので、個人的には好きだしオススメもしたい。タカの渡りというのは特殊な楽しみで、それがすべてじゃない。海と砂浜を見るだけでも行く価値がある。
 私はまた来年の秋だ。

シャッタースピードで変わる手持ち花火の世界---季節はずれの海岸花火物語

風物詩/行事(Event)
手持ち花火再び-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 伊良湖の夜に手持ち花火をした。吉良のワイキキビーチでやり残したものだ。
 もはや10月で完全に季節外れとなった花火だけど、花火はいつの季節でも楽しいということを発見した。冬でも春でもかまわない。花火は夏しかしてはいけないというような思い込みで損をしている。寒さの中で震えながらやる花火はどうなんだという気はするけれど。
 手持ち花火写真はやっぱり難しい。二度目だからもう少し上手く撮れるかと思ったけど、実際は前回からほとんど進歩がなかった。適正なシャッタースピードがどうも掴めない。花火によってもそれぞれ違ってくるし、花火の時間は意外と短いからとっさには変更できない。やってる場所が暗いから、デジ本体のダイヤルなどもよく見えないのだ。
 手持ち花火撮りの結論としては、とにかく偶然に賭けろということだ。適当にシャッタースピードを変えながらパシャパシャ連写していれば、たまたま面白い感じに写ることがあって、それでいいのだと思う。打ち上げ花火のように計算しては撮れない。
 それに、そもそもが自分で花火をやりながら同時に撮るということに無理がある。いうなれば、テーブルでウエイターとして注文を聞いて、厨房で調理して、また自分で料理を出しに行って、レジまでやるようなものだ。忙しくてしょうがない。ツレがいたからそちらで写真は撮ったのだけど、一人手持ち花火撮影は無理ということがよく分かった(そんなことする人はめったにいない)。

手持ち花火再び-2

 最初は絞り優先で撮っていて、また前回のように弾ける光写真になってしまった。
 暗闇の中の花火というのはデジの計算の中には入っていない特殊な状況だから、明るさをちゃんと判断できない。デジはコントラストの強いシーンが苦手で、暗がりと花火の光はほとんどありえないくらのコントラストのきつさだ。デジタル測光では明るい部分に引きずられて、シャッタースピードが速くなってしまう。
 スポット測光にしたらどんな判断になるのだろう。試してみたいけど、もう手持ち花火は残っていない。来年の課題となった。

手持ち花火再び-3

 このときはどうしたわけかシャッタースピードが遅くなって、明るい部分が白く飛んだ。

手持ち花火再び-4

 青い光がきれいな花火もあった。どんな成分を燃やしているのだろう。
 でも、ガスコンロの火も青いから、青い火自体は特に驚くべきことではないか。花火で青は少し珍しいから、おおっと思うけど。

手持ち花火再び-5

 光の飛び散り方は線香花火っぽいけど違う。線香花火の親玉みたいなやつだ。

手持ち花火再び-6

 こちらは線香花火。繊細な光の様子が懐かしくもあり、今見ても新鮮だ。やっぱり線香花火はいいなと思う。
 右に見えている光はロウソクの光だ。浜辺は風が強いからすぐに消えてしまうのだけど、ツレが砂浜に穴を掘ることを思いついた。これはいいアイディアだった。ある程度の深さまで掘れば少々の風では火が消えなくなる。

手持ち花火再び-7

 吹き出し花火に移った。でもこれは完全にシャッタースピードが速すぎる。光が粉になってしまった。
 けど、狙いでやれば面白い写真になるんじゃないか。宇宙の星空のような写真になるかもしれない。

手持ち花火再び-8

 ここでようやく絞り優先モードからシャッタースピード優先モードに切り替えることを思いついた。これで1/20秒くらいだっただろうか。なるほどこうなるか。
 こうして撮ってみると、これが必ずしも正解ではないことが分かる。これはこれで成立するけど、光の粒もあれはあれで花火の写真だ。言い方を変えれば、シャッタースピードのコントロールによって写真というのは変わるということだ。特に花火の場合は表現の幅が広い。狙ってできるようになるには、もう少し経験が必要だ。

手持ち花火再び-9

 秋の手持ち花火撮影大会はこうして終了した。いくつかの発見と課題を残して。
 花火も花火撮りも面白い。あらためてそう思った。機会があればまたやりたい。花火セットの中で、打ち上げ花火系のものが残った。これは音がうるさいから人がいたり民家が近いところではできない。近所迷惑になる。人がいなくなった冬の海岸ででもやることになるだろうか。
 どうやって撮ったらいいのか、今のところイメージはない。打ち上げ花火、下から撮るか、横から撮るか。横向きに打ち上げたものを流し撮りで撮るというのはどうだろう。かなり高度なテクニックが必要となるけど、面白そうだ。海に向かって打ち上げたものを狙って撮るというのもよさそうだ。ミサイルめいたものになるのだろうか。
 考えてたら楽しみになってきた。今年中にやれたらやろう。

タカは上空高く黒いシルエットでも楽しかった伊良湖ホークウォッチング

野鳥(Wild bird)
伊良湖のタカ渡り-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f3.5-5.6 IS



 秋といえば何? という問いかけに、食欲でも芸術でも読書でもスポーツでもなく、それはもうタカの渡りでしょう! と勢いよく答えてしまったあなたは完全に鳥の人。もう一般人には戻れない。周りに気づかれないようにこっそり鳥の人であり続けるか、お仲間を求めて鳥の人の輪の中に思い切って飛び込むか、道は二つに一つしかない。そうしなければ、私のように半鳥人としてどちらにも属せない孤独な鳥撮り人となってしまうだろう。早く人間になりたい。
 それはともかくとして、秋といえばタカの渡りの季節であることは間違いなく、鳥好きの人にとっては楽しみでもあり、ソワソワしてしまうのが9月の終わりから10月にかけてだ。この時期、そういう人たちが日本全国から愛知県渥美半島の先端にある伊良湖(いらご)へと集結してくる。人は彼らのことを、ホークウォッチャーと呼ぶ。
 私も今年初めて、ツレと共に10月の伊良湖へと繰り出してみた。期待をしつつ軽い気持ちで。しかしながら結果的には、タカの渡りを見ることはできなかった。行った日も時間帯も天気も悪く、条件が整わなかった。5日の日がピークだったようで、その日は3,000羽以上が飛んだそうだ。次の日が1,000羽程度で、私たちが行ったのが7日の夕方、すでに天気は崩れ始めていた。翌8日は早朝までなんとか天気は持ったものの、午前中には雨が本降りになった。
 天気がよくて風の少ない好条件の日、上昇気流を待ってタカたちは一斉に飛び立ち南へと向かう。ときにそれは数十、数百の群れとなり、タカ柱と呼ばれる。だから、天気の悪い日にあえて飛んでいくひねくれ者はめったにいない。花の開花とは違って、いつタカにとっての好条件になるのかを読むのは難しい。だから、当たればそれはとても幸運なことだし、外れたとしても仕方がないことだ。
 今回はちょっと残念だったけど、他にもいろいろと見所や収穫があって思った以上に楽しいタカ見だった。特にホークウォッチャーを目の当たりして大喜びの我々なのであった。おおー、あれがウワサのバズーカ軍団か、と。

伊良湖のタカ渡り-2

 着いた日の夕方は、タカ待ちの人たちもかなり少なくなっていた。この日は天気が悪くてあまり飛ばなかったようで、それ以前にピークは午前中なので夕方まで粘っているのは泊まり込み組の人なのだろう。本格的な人はキャンピングカーで寝泊まりして待っているようだった。食事の準備もしてきており、一週間くらいは自給自足ができるのかもしれないと思わせた。
 条件がいい日は早朝の時点で恋路ヶ浜駐車場は満車になるのだとか。にわかには信じがたい。その光景をぜひ見たかったのだけど、翌日は雨ということでそこまでの激混みぶりは見ることができなかった。タカの渡りを見られなかったことよりもそっちの方が個人的には残念だったりした。
 完全タカ初心者としては、ベテランさんが見てる方向を見るのが手っ取り早い。ただ、みなさん思いおもいの方にデジスコやバズーカ砲を向けているのでどっちを見ればいいものやらよく分からない。おおむね山の方を向いていたので、どうやらどうやらこちらがメインの方向のようだった。
 目をこらしてよく見ると、おお、確かに山の上で何か飛んでるな。って、ちっちゃ! どうせ上空高いところだから私の300mm望遠レンズくらいでは歯が立たないとは思っていたけど、予想を超える遠さだった。あれをまともに撮ろうと思えば300mmレンズくらいではどうしようもない。やはりここはデジスコの独壇場だった。一眼ではむしろ厳しい。明るい望遠に2倍テレコンをつけてもまだ届かないだろう。高画素機でそうやって撮ってトリミングするという手もあるにはあるけど。

伊良湖のタカ渡り-3

 黒い粒はけっこう上空を舞っている。その大部分はトンビなのだけど、中にはタカも混じっていたようだ。日差しがなくて羽の色が見えないもんだから、トンビとタカの区別もつかない。そもそもタカに関しての知識がほとんどないも同然なので、姿をはっきり見たとしても分からない。タカ撮りを私は侮りすぎていたようだ。そんなに甘い世界ではなかった。鳥撮り人は一日にしてならず。

伊良湖のタカ渡り-4

 一日目は夕方の短い時間で状況もよく掴めず、手応えのないまま終わった。
 二日目の天気予報は雨で降水確率は60~80パーセント。たぶん駄目だろうけど、少しでも雨の降り出しが遅くなってくれと願いつつ起きたのが朝の6時。こんな時間に起きられるなんて、私としては奇跡のようなものだ。それに応えるかのように窓の外を見るとまだ降り出してない。これはもう行くしかないだろう。顔も洗わず服だけ着替えてホテルを出た。
 朝6時半、我々は再び恋路ヶ浜駐車場に戻った。その途中では電柱の上に止まったトンビが私たちを見送ってくれた。けっこう近い。これくらいの距離でタカが見られるといいのだけど。

伊良湖のタカ渡り-5

 早朝の6時半だというのに、すでにタカの観察会は始まっていた。しかも、とっくにという感じで。自分たちも相当早いつもりだったけど、実際は出遅れ組なくらいだった。みなさん、意気込みが違う。泊まり組もすでに機材はスタンバイ完了だった。
 けど、まだタカは出てきてないらしい。みんなあちらこちらへと望遠鏡や双眼鏡を向けてのぞいている。その方向は一定ではなかった。手持ちぶさたのようにぼんやりする人などもいて現場に緊迫感はない。私たちも海岸を歩いたり、海を撮ったりして過ごす。どうせ自分が第一発見者になれるはずもないのだ。人が騒ぎ始めたらそっちを見ればいい。実際に飛び立てばざわめきが起きたり歓声が上がったりするに違いない。

伊良湖のタカ渡り-6

 何度か数人が同じ方向にバズーカを向けて写真を撮っているような様子があるものの、思っているような盛り上がりもないまま時間は淡々と過ぎていく。私も思い出したように上空の黒い粒に向けてシャッターを切ってはみるものの、相変わらずトンビとタカの区別もつかない。なんとなく違うかなぁというやつも見かけはしても、それが何者なのかが分からない。
 そんな私たちのド素人ぶりを見かねて、一人のおじさんが近づいてきた。今、あそこに飛んでるのがタカですよ、という。何!? どこだ、どこだ? やや、あいつがそうか! トンビより小さいやつがそうです。おー、そうなんですか、あれが。なるほど比べてみると大きさも違うし、シルエットも違う。そこでようやくタカを見たという実感が少しだけわいたのだった。
 おじさんも外れ覚悟で連休を利用してタカを見に来たらしい。全国からホークウォッチャーが集うといっても、やはり来られる日は限られている。地元民なら通えても、遠くからなら一発勝負だ。毎年訪れてるような人でも、必ずしも当たりに遭遇するとは限らない。今年は5日がピークだといっても、来年も同じ日なわけではない。だいたい9月の終わりから10月の始めにかけてというぼんやりした情報にとどまる。ネットのブログ検索が最新の情報ということになるものの、それでも一日遅れだ。

伊良湖のタカ渡り-7

 やや低いところを旋回するように飛んでいたこいつは、明らかにトンビではない。羽のシルエットがほっそりして尖っているし、尾羽の形も違っている。これはチゴハヤブサというやつだろうか。全然自信がない。
 はっきり写った写真を見ても分からないのに、シルエットだけで当てろというのが無理な話だ。詳しい人でも、撮っているときは分からずに写真を見て初めて分かるということがあるんじゃないだろうか。とにかく遠い。
 このタカはこのときはまだ渡りではなかったようだ。しばらくぐるぐる回った後、また山の方に戻っていった。上昇気流を見つけられなかったのだろうか。
 タカの渡りは上昇気流を利用して行われる。上空を旋回しつつ上昇気流を見つけて、それに乗って高いところまで舞い上がったら、そこからは滑空しながら進む。途中でまた上昇気流を見つけて乗り直す。そしてまた滑空するという繰り返しで飛んでいく。
 秋から冬にかけて日本は寒くなっていくので、暖かい東南アジアへと渡って冬を越し、また春になったら戻ってくる。ただし、その春は集団にならないのでタカの渡りが風物詩になるところまではいかない。はやりタカの渡りは秋のものだ。
 東北や関東を出発したタカは、陸沿いを南下しつついったん伊良湖岬に集結する。ここで上昇気流を待って海を渡っていくのだ。一般的なコースとしては、紀伊半島から淡路島を通って四国を横断し、九州へと至る。第二の集結地が鹿児島の南端にある佐多岬だ。集まるタカの群れは数万羽といわれている。

伊良湖のタカ渡り-8

 これは上の写真のものとはまた別の種類だと思う。羽が太いし先端が丸っこい。トンビではないと思うけど、本当にそうかと聞かれるとはっきりそうだとは断言できない。ノスリあたりかなぁと思うけどどうだろう。
 タカといってもその種類は多い。オオタカ、クマタカ、ハイタカ、ツミ、チョゲンボウ、ハヤブサ、ミサゴなど。伊良湖の渡りの代表となると、サシバだ。ハチクマもそれに続く。
 街中でヒヨヒヨとうるさく鳴いているヒヨドリも集団で日本国内を南へと移動する。伊良湖でも大きな渡りの群れを見ることができる。その他、ツバメなども単独で渡っていく。
 松尾芭蕉も伊良湖を訪れて、「鷹ひとつ 見つけてうれし いらご崎」の句を詠んだ。季節は冬だったようで、芭蕉も季節をはずしている。渡りのシーズンに来ていたら、どんな句を残したのだろう。
 伊良湖がタカたちの渡りの中継地とはっきり分かったのはわりと最近のことで、昭和47年だったそうだ。それまでは、よく見られるなという程度で、タカ渡りの名所というほどではなかった。今ではすっかり全国区となっている。それは駐車場にとまっている車のナンバープレートでも分かる。このときは特に関東方面のナンバーが多かった。

伊良湖のタカ渡り-9

 近くでタカを撮ることはできなかったので、せめてトンビを大きく撮ってみた。これくらいの至近距離でタカを撮れたら楽しいだろうけど、そうしたければ黙ってデジスコを買うしかない。いや、本気でちょっと欲しくなってきている自分が恐い。タカに限らず、本腰を入れて鳥を撮りたければやっぱりデジスコだ。一眼では限界がある。
 今から来年の話をするのはちょっと気が早いけど、もし行けるようならもう一度行ってみたい気持ちはある。来年の今頃はどんなカメラで何を撮っているのだろう。もしかしてデジスコ使いになっていたりするのだろうか。もしそんなことになっていたら、無条件に行くことになるだろう。
 誰かがどこかで書いていた。秋の一日を無駄にするつもりで、のんびり眺めてください、と。確かにそうなのだ。ちゃちゃっと行って、ササッと撮って帰るとかそういうことではない。しっかり泊まり込みの用意をして、一日中粘るつもりで待つという姿勢が必要となる。
 人生の中の一日や二日、収穫のないまま無駄にしてもいい。今年こそタカ柱が見られるんじゃないか、今日の天候はどうだろう、去年話をしたあの人は今年も来てるだろうか、そんなワクワクを胸に抱いて出向いていって、することもなく日がな一日空を見上げて待って、今年はまずまずだったなぁなんて思い出を持って家に帰る。そういうトータルが風物詩としてのタカの渡り観察なのだと思う。大人の遠足のようなものだ。
 鳥の人ではない人も、来年は向こうで会いましょう。たいしてすることもないし、ゆっくり無駄話でもしながら秋の一日を過ごそう。伊良湖岬よ、また来年。渡っていったタカたちよ、春になったら無事に戻ってくるんだぞ。

伊良湖写真第一弾---タカの渡りを撮りに行ってやっぱり人を撮ってきた私

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
伊良湖の海と人-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 伊良湖名物、秋のタカ渡りを撮りに行って、デジのメモリに収まった写真は、伊良湖の海と、曇天の空と、人だった。タカはわずかに黒い粒のみ。天候も私たちに微笑まなかった。
 それでも写真はたくさん撮ってきたから、今日は伊良湖写真第一弾として海と人の写真を並べてみる。
 寝不足でノックダウン寸前なので、解説抜きの写真だけ。モノトーンの海と、点在する人と、わずかな薄明かり。そこにあるのは、波の音と、風に吹き消された静けさだけ。

伊良湖の海と人-2



伊良湖の海と人-3



伊良湖の海と人-4



伊良湖の海と人-5



伊良湖の海と人-6



伊良湖の海と人-7



伊良湖の海と人-8



伊良湖の海と人-9



伊良湖の海と人-10

 今回は光に恵まれなかったのが残念だったけど、人のいる海風景が撮れたからよかった。
 明日以降、しばらく伊良湖写真が続く予定です。

夕焼けリニモを撮りに行ってキリンの親子を撮って帰ってきた夕暮れ

夕焼け(Sunset)
グリーンロードの夕焼け-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm f3.5-5.6



 何日か前の夕方、沈む太陽と競争するように長久手のグリーンロードへと向かった。
 目的は、夕焼け空を背景に走るリニモを撮ること。頭の中でイメージはできていた。
 はなみずき駅を出たリニモは、杁ヶ池交差点の手前で大きくカーブしながらグリーンロード上空を走り抜けていく。そのコーナーに差し掛かったとき、夕焼けをバックにして撮るのだと心に決めていた。
 さあ、急げ、ぼやぼやしてると太陽が沈んでしまうぞ。
 とその前に、家から一枚。いい色が出ている。上手くいけばいい写真が撮れそうだ。

グリーンロードの夕焼け-2

 ちょっと道を間違えた。いかん。
 しかも、グリーンロード沿いは車通りが激しすぎて短時間の路上駐車さえ許されない。交差する道は細すぎて止めておけないし、これは困ったぞ。太陽は今にもビルの向こうに沈んでしまいそうだ。上空は厚い雲が張り出してきた。

グリーンロードの夕焼け-3

 裏道に入り込んでいたら時間をロスした。だんだん空の焼けが小さくなっていく。太陽は見えない。もう駄目か。でもせめて思っていたところまで行ってみよう。
 これは運転中、ノールック片手撮りの写真だ。手ぶれ補正はこういうシーンでも役に立つ。左右は流れているけど、正面はちゃんと止まっている。

グリーンロードの夕焼け-4

 信号に引っかかって、前方では渋滞している。遠くの空は燃えているけど、もう間に合わないか。
 それにしても、このときの空は絵に描いた火事のような焼け方をしていた。

グリーンロードの夕焼け-5

 ようやく撮影ポイントに到着。
 って、全然駄目じゃん。角度的に夕焼けがバックにはならない。特にこの日は無理だった。下から見上げることになるから、空の高い位置まで焼けてないと夕焼けバックにはならない。位置的にもここよりずっと右後方じゃないといけない。カーブの具合からすると反対側からの方が絵になるのだけど、そうなると夕焼けが背景には来ない。朝焼けか……。
 本気で焼け空バックにここでリニモを撮りたければ、朝焼けの日の朝に来なければならない。私にその根性はない。頭の中のイメージだけで終わってしまいそうだ。
 でも、夕焼けバックはまた挑戦したいと思う。車は裏の公園にでもとめて、歩いてポイントを探した方がよさそうだ。こんな街中でカメラを持ってうろついてたら、確実に鉄の人に思われてしまうけど、それは仕方がないことだ。

グリーンロードの夕焼け-6

 夕焼けリニモを撮りに行ったのに、この日のベストショットはキリンだった。
 トヨタ系列の中古車屋キリンダムにはキリンの親子がいる。名古屋人なら誰でも知っている常識だ。全国も同じかと思ったらそうじゃないと聞いて驚いた。名古屋の常識は全国の常識じゃないのね。

グリーンロードの夕焼け-7

 地下鉄東山線の終点、藤が丘駅では地下鉄が休憩中。もう夕暮れだし、一日よく走ったし、今日はこれでお役ご免だったのかもしれない。お疲れさんでした。

 夕焼けリニモは残念だったけど、写真の収穫はちょっとあったからよしとしよう。NikonのD100はやっぱりいいということが分かった。手ぶれ補正の24-120mmとの組み合わせがいいというのもありそうだ。
 D70は使っていてどうもしっくりこなかったけど、D100は撮っていて楽しい。性能的には後発のD70の方が上回っている部分もあるのに、撮るという行為においてはまったくの別物だ。構えた感じの重さやバランスがピタッとくる。
 カメラは野球選手のバットに似ている。自分に合ったバットを持ったからといってヒットやホームランを量産できるようになるわけではなくても、いろいろ試してみて好きなバットやそうじゃないバットがあるように、カメラにも値段や性能とは別のところで相性といったようなものがある。必ずしも高ければいいというわけではない。
 今使ってるCanonの20DとPENTAXのK100Dと比べても、NikonのD100が一番好きだと思う。レンズさえ揃えばナイコン野郎になってもいいとさえ思う。

 連休は伊良湖の浜辺で空を見上げて過ごしてます。なので明日は更新休みで、あさって月曜の夜に戻ります。
 空にいいもんが飛んでるのが写っていたら報告します。UFOとかではありません。

東京カテドラルは観光気分で行っても全然大丈夫なオープンマインド教会

東京(Tokyo)
東京カテドラル

 JR山手線の目白駅(地図)を出て、学習院大学のある東へ向かって目白通りを進む。日本女子大を左手に見つつ2キロほど行ったところで、左手にちょっと異様な姿をした銀色の建物が突然姿を現す。巨大建造物といっていいほどの大きさにもかかわらず、少し奥に引っ込んでいるから近づくまで気づかない。直前まで行ってなんだこれはと驚くことになる。
 正式名称を東京カテドラル聖マリア大聖堂(地図)という。またの名をカトリック関口教会。
 その存在は以前から知っていて、ネットで写真を見てずっと気になっていた。
 そして今回ようやく訪問の機会がやって来た。

 いざ目の前まで来て、少しひるむ。巨大な建物が人を寄せ付けない雰囲気を放っている。一般人が入っていっていいものかどうか確信が持てない。
 ここ2年くらいでいくつかの教会を巡って、普通の人よりは教会に対して免疫ができていたつもりでいたけど、ここはちょっと戸惑った。ひとりだったら引き返していただろう。
 でも大丈夫、入ってしまえばこっちのものだ。入ってはいけないのならこんなに大きく門は開いていないはず。それに教会というところは、非信者が思っているよりもずっとオープンマインドなところだ。日本の神社仏閣と一緒と思えば何も恐れることはない。仏教徒じゃなくてもお寺は訪問者を拒んだりしないし、信心がないからといって初詣に行ってはいけないというわけでもない。
 門をくぐったとたんに自転車に乗った二人組の外国人にアナタハカミヲシンジマスカ? などと訊ねられるなんてこともない(それは宗教が違う)。
 教会を見たら恐れず堂々と入って行くべし。おどおどしたら負けだ。



教会全体

 大聖堂の前に正装した男女が集まっていた。結婚式の招待客のようだった。その集団の間を颯爽と自転車で駆け抜ける我々。ちょっと恥ずかしいけど照れてはいけない。もしかしたら彼らは私たちをここの関係者と思ったかもしれない。観光のくせにレンタル自転車で教会に乗り付けるなんて人はあまりいないだろう。その自転車は写真の左下にしっかり写っている。
 ここは広い無料駐車場も完備しているから、車で行くにもいいところだ。信者さんや結婚式に参列する人たちのためだろう。
 ここまで敷地内に入ったからには当然聖堂の中も見てみたい。けど、結婚式だ。これはさすがに入れないと判断した。参列者に紛れ込むにはあまりにも普段着すぎた。Tシャツにマジックでネクタイを描いたくらいでは誤魔化せない。仕方がない、時間を置いて出直すことにする。その前に少しあたりを見学してみることにした。



ルルドの洞窟

 駐車場の反対側には聖母マリア像がある。フランスの巡礼地として有名なルルドの洞窟を模して作られたものだ。
 1858年、フランスのルルドという田舎町に住むベルナデットという少女の前に聖母マリアが現れた。彼女の証言を巡って町中が騒ぎになり、やがては教会を巻き込んでの大騒動に発展する。
 マリア様を見たというのは嘘なのか本当なのか。しかし、少女がマリアから掘るようにと言われた場所を掘ってみると、そこからは泉がわき出した。そしてそれを飲んだ病人が次々に治るという奇跡が起きる。
 その噂を聞きつけた人々がフランス中から訪れることとなり、教会もついにその事実を認めるようになった。
 少女ベルナデットはその後シスターとなるも病気のため35歳で死んでしまう。それから30年後、遺体を掘り返してみると埋葬時のままの姿を保っていたことからベルナデットは聖女として認められたのだった。
 現在ではルルドを目指して世界中から年間500万人もの人々が巡礼に訪れるようになった。
 東京カテドラルのルルドの洞窟には泉の仕掛けはなかった。水道水の蛇口のようなものがあったけど出てなかったから、あれは信者さんの儀式用か何かなのかもしれない。日本らしくここから温泉でもわき出たらよかったんだけど。



司教館

 司祭の家や司教館などはさすがに関係者以外立ち入り禁止となっていた。ただ、柵や門があるわけではないので、近づこうと思えば誰でも近づけてしまう。東京の街中とは思えない無防備さというか大らかさだ。



大司教聖堂

 1887年(明治20年)、この地に聖母仏語学校が開かれたのが始まりだった。その後名称がまいかい塾、関口教会と変わり、1899年に最初の大聖堂が建設された。1920年には大司教聖堂(カテドラル)となる。
 カトリック教会には地域の区分があって、日本は16の教区に分かれている。それぞれに司教がいて、司教が儀式をするときに座る椅子のことをギリシャ語でカテドラといい、そのカテドラのある教会をカテドラルと呼んでいる。要するに地区の元締めみたいなものだ。名古屋でいえば千種の布池教会がそのカテドラルに当たる(名古屋カテドラル聖ペトロ・聖パウロ司教座聖堂)。
 最初の大聖堂は第二次大戦の空襲で焼けてしまい、現在のものは1964年に西ドイツケルン市の信者たちの寄進などで再建されたものだ。
 設計はフジテレビや東京都庁の設計でも知られる丹下健三。同時期に担当した代々木体育館との類似も指摘される斬新なデザインだ。これを40年以上前にデザインしていた丹下健三はやはりただ者ではない。
 しかしその丹下デザインには大きな欠点がある。斬新すぎるデザインと素材使いから雨漏りがひどいというのだ。雨漏り丹下とまで呼ばれている。
 東京都庁も中は相当ガタガタで、修繕するくらいなら新しいものを建て直した方が安く済むというし、代々木体育館や立教大旧図書館なども同様の症状に悩まされているという。東京カテドラルの大改修もそれが原因で、外観の全面張り替えで費用が8億円もかかってしまった。
 もう亡くなってしまった大物建築家に今更文句も言えないけど、悪く言えば欠陥住宅だ。いくらデザインがよくても、10年もしたら雨漏りしてくるような建物では困る。
 それはともかくとして、このデザインはやっぱり近くで見てもすごいと思う。近すぎると全体が見えなくてよく分からない。外壁は複雑な曲線を描いていて、上空から見ると十字の形をしている。その屋根は採光面となっていて、入り込んだ光が十字架を浮かび上がらせる仕掛けになっているそうだ。
 高さ39.4m。10階建てのビルに相当する高さだ。
 外装はステンレス・スチール張りの鉄筋コンクリート造りで、内部には柱が一本もないという特殊な構造をしている。
 内装は壁がコンクリートのうちっぱなしで、床は大理石、壁面の上部には黄色いステンドグラスが張られている。
 鐘塔は大聖堂よりも更に高い61.68メートル。写真ではゆがんでいるように見えるけど、実際に4つの面がねじれている。これまた変わったデザインだ。
 鐘は高いところに4つ並んでいて西ドイツから輸入したものだそうだ。どういう仕掛けで鳴らしているのだろうか。



教会入り口

 戻ってきてみると、結婚式も終わったようで、先ほどの人たちもいなくなっていた。それではいよいよ中にお邪魔することにしよう。
 っと、扉が開かない! 木の扉は固く閉ざされていて我々を拒む。やっぱり一般人は入れないのかとあきらめかけたとき、横の通用門らしきところから入っていく二人組がいた。私たちも便乗だということであとをついていって潜入に成功した。
 実はもともとこちら側しか開いてなくて、基本的に日中は誰でも自由に入れるようになっているらしい。儀式の途中でも入れるというのだけど、本当だろうか。もしかしたら関係のない結婚式のときでもこっそり参加してもいいのかもしれない。
 内部は残念ながら撮影禁止となっている。人がいないときにお願いすれば撮らせてくれるという話もあるのだけど、このときはけっこう人がいて、真剣にお祈りをしてたので写真を撮れるような雰囲気ではなかった。
 中は静謐という言葉ぴったり当てはまるような空気感で、コンクリート特有の冷たさが神聖さにつながっている。それも設計時の狙いだったのだろうか。木の造りの方が温もりを感じるから私は好きなのだけど、これはこれで悪くない。私が知っている布池教会や多治見修道院とはまた違った神聖さがあった。しばらく座っておとなしくしてると心が浄化されていくようだ。
 建物が大きいだけに中も広い。ここで結婚式を挙げるなら、参加者の多いカップルじゃないと寂しいくらいになりそうだ。数百人は収容できるんじゃないだろうか。
 葬儀も行われることがあって、設計の丹下健三や(2005年)や吉田茂元首相もここで執り行われた。
 見所としてはまず、パイプオルガンがある。音響効果も計算して設計されていて、初代のパイプオルガンは 松任谷由実の「翳りゆく部屋」(1976年)で使われたことでも知られている。
 二台目は2004年に完成した。教会用パイプオルガンとしては日本最大のもので、この建築に合わせてオランダで制作されたそうだ。この日は演奏者が練習をしていて、その音色を聴くことができた。かなりの大音響で、神々しくもある。
 他には、祭壇のマリア像、聖フランシスコ・ザビエルの胸像、洗礼室などがある。中でも私が一番胸を打たれたのが、ピエタ像のレプリカだった。原寸大のものをフィレンツェに制作を依頼して1973年に贈られたものだという。
 老いた天才ダ・ヴィンチと若き天才ミケランジェロは、絵画と彫刻とどちらが優れた芸術かということを巡って子供のようなケンカをしていたけど、ピエタ像を見たダ・ヴィンチが心を打たれなかったはずがないではないかと、そのときはっきり実感として分かったのだった。最初に見たときは内心恐れおののいたんじゃないだろうか。



カテドラルと外国人

 外に出てきて、ふーとため息が出て、ひとつ大きく深呼吸をした。無意識のうちに、濃密な空気感に息を詰めていたらしい。通常の空気のところに出てきてホッとした。山頂から下りて登山口に戻ってきたときのような感じだ。
 表では外国人の信者さんらしき人たちが集まってきていた。
 この日は曇り空で、青空をバックにした写真を撮れなかったのが少し残念だった。教会には真っ青な青空がよく似合う。灰色の空だと銀色の建物だからモノトーンになって、少しまがまがしいような感じになった。
 夕焼けのときもいいのだろうけど、西の空は建物が太陽を隠してしまうから、夕焼けをバックに撮ることはできないかもしれない。

 教会はキリスト教信者だけのものではない。無神論者が観光気分で訪れてもいい場所だ。神社や寺へ行くように。みんな神様を信じて神社へ行ってるわけではない。教会だって同じことだ。
 東京カテドラルは、ちょっと入って行きづらいと感じるかもしれないけど、全然平気だ。ずんずん中に入っていっても大丈夫。木の扉の罠に引っかからず、横から入っていけることに気づけば勝ちだ。あの木の扉の前で引き返してしまったという人もいるんじゃないだろうか。だとしたらもったいない。
 ここは東京観光のひとつとしてオススメできる。丹下健三の建築物を堪能して、中に入って非日常的な空気に包まれてみれば、いい感じの脱力感と満足感を味わうことができるだろう。神様がいてもいなくても、そんなことはたいして重要ではない。
 教会は人の思いと時間が作り上げた素敵な空間だとあらためて思った。

 【アクセス】
 ・東京メトロ有楽町線 「江戸川橋駅」または「護国寺駅」下車 徒歩約20分(江戸川橋駅からの方が分かりやすい)
 ・JR山手線 「目白駅」から都営バス白61系統「新宿駅西口行き」に乗って約7分(210円)。「ホテル椿山荘東京前」下車。徒歩すぐ。
 ・JR山手線「新宿駅西口」より都営バス白61系統「練馬車庫前行き」に乗って約28分(210円)。「ホテル椿山荘東京前」下車。徒歩すぐ。
 ・無料駐車場あり(なるべく公共交通機関を使用してくださいとのこと)

 カトリック東京カテドラル関口教会webサイト
 

愛知県第三の国宝、金蓮寺弥陀堂は吉良の田舎にあっけらかんと建つ

神社仏閣(Shrines and temples)
金蓮寺入り口




 その寺を探し当てて門の前に立ってみると、いきなり正面に国宝があって驚く。もったいぶったところは一切なく、何の前触れもない。なんて大胆不敵なんだ。家の玄関が開けっ放しになっていて奥の間に積まれた金の延べ棒が見えているような大っぴらさに、いきなり衝撃を受ける私であった。
 愛知県幡豆郡吉良町(2011年に西尾市に編入)にある金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)。それが寺と国宝の名前だ。おそらくこの存在を知っている愛知県民はさほど多くない。私も吉良へ行くことになってネットで吉良のことを調べていて初めて知ったくらいだ。神社仏閣に関しては人より多少知っている私でもそうなのだから、普通に暮らしている愛知県民が知らなかったとしても無理はない。
 愛知県には3つの国宝建造物が存在している。意外と少ないと思うだろうか。ただ、三重県が0、岐阜県が3(永保寺開山堂と観音堂、安国寺経蔵)、東京でも1(正福寺地蔵堂に加えて迎賓館赤坂離宮が追加で2になった)ということを考えると、これでもある方なのだ。
 一つはよく知られた犬山城天守、もう一つは同じく犬山の有楽苑にある茶室如庵で、残りの一つが今回紹介する吉良の金蓮寺弥陀堂だ。
 それにしてもこの大らかさは何事か。とても国宝の扱いとは思えない。もちろん拝観料などというものもなく、訪れる人もなく、歓迎ムードさえない。これが国宝だということを知らずにこの前を通って、誰がこれを国宝と思うだろう。もう少し吉良町はここを県内外に宣伝した方がいいんじゃないか。なんといっても国宝なのだ、そこらにたくさんある重要文化財とはわけが違う。



金蓮寺弥陀堂

 金蓮寺弥陀堂は、1186年、源頼朝が三河国守護の安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)に命じて建てさせた三河七御堂(みかわしちみどう)の一つといわれている。他には鳳来寺や財賀寺などにもあったそうだけど、その中で現存するのはここ一つになってしまった。
 でもちょっと待て、と思う。1186年といえば、いいくにつくろう鎌倉幕府(1192年)の6年前だ。その時期に鎌倉から尾張に対してそれほど強い影響力があっただろうか。母親は熱田神宮の大宮司の娘だから、その関係で尾張には縁が深いということはあるにしても。それにこの前年に壇ノ浦で平家を滅ぼし、弟の義経と争っている時期だ。静御前に鶴岡八幡宮で舞を舞わせたのがこの年の4月で、翌年には義経を奥州平泉で自害に追い込んでいる。こんなバタバタした時期に、中央とは無関係の尾張に、のんきに阿弥陀堂を造れなんて命令をするだろうか。ちょっと疑わしいような気がしないでもない。
※頼朝が全国に守護地頭を置く権利を後白河法皇に認めさせたのが1185年で、鎌倉幕府の成立をこの年とするのが最近の定説になりつつあるようだ。
 実際のところ、この建造物はその特徴から鎌倉時代中期に建てられたものではないかという説がある。だとすれば、当然頼朝が絡んでいるはずはない。頼朝は1199年に没している。
 この建物が国宝に指定された経緯にも若干腑に落ちないところがある。というのも、創建以来、1678年、1805年、1905年と、記録に残っているだけでも複数回の修理が行われていて、そのたびに原形を保ちつつ手を加えられた部分もあるようなのだ。何が問題かというと、現在の姿は昭和29年(1954年)にいったん解体して復元修理されたものだということだ。昭和20年(1945年)の三河地震で倒壊寸前になって、大がかりな修復作業を余儀なくされた際に、瓦葺になっていたものを檜皮葺きにするなど創建当時の姿に復元したという経緯がある。にもかかわらず、その翌年の昭和30年に国宝の指定を受けている。
 これはちょっとおかしな話だと思わないだろうか。途中のどこかで原形から変わっていってしまったものを、現在の知識で当時はこうであっただろうという予想の元に新しく造り直したものが国宝になってしまうなんて。国宝の理由としては、鎌倉時代の建築様式をよく残しているからということなのだけど、復元のときに使われた多くの木材が昭和のものというのはどうなんだろう。建物自体が古ければ国宝ということではないにしても、なんとなく釈然としない感じもするのだった。



金蓮寺弥陀堂正面

 一般的に阿弥陀堂と呼ばれるこういう建物の中で、一間四面のものを弥陀堂と呼ぶことが多い。正面一間通り庇、側面後方二間庇の縋破風造り。桁行三間、梁間三間の単層という簡素な造りながら、屋根の曲線や柱の組み合わせなどが美しい。
 鎌倉時代の建築の特徴の一つとして、柱の面取りがある。料理で煮物をするときに煮くずれしないように角を落とすのと同じようなものだ。古い建築物ほどこの面取りの面が大きいそうだ。
 ちなみに几帳面という言葉はここから来ていて、几帳にきちんと面取りをしてることにたとえて、そこから丁寧な性格の人をそう呼ぶようになった。
 なにはともあれ、この建物自体が古い時代に建てられたものであるという事実は確かなことで、愛知県最古の木造建築としてこれからも大切にしていって欲しいと思う。平安、鎌倉の様式を伝える阿弥陀堂は全国でも20ほどしか現存していない貴重なものだ。



西福寺門前

 金蓮寺をあとにして海へ向かって県道42号線を南下している最中、ひときわ目立つ鐘楼が視界に飛び込んできて、あわてて左折してそちらにも寄っていくことにした。
 西福寺は、1254年、北条時頼によって創建された天台宗の寺で、1444年に浄土宗として再建されたとのことだ。



金蓮寺鐘楼

 かなり立派なものだ。相当古そうでもある。
 もともとは岡崎の伊賀八幡宮で造られたもののようで、徳川三代将軍・家光が再建したものらしい。それが明治の神仏分離令で行き場を失い、話を聞きつけたこの西福寺が買い取って移築したそうだ。
 移築の際に檜皮葺だったものを瓦葺としてしまったのは残念だった。檜皮葺だったらもっと貫禄があっただろうし、国の重要文化財にもなっていたかもしれない。今は愛知県文化財どまりとなっている。鐘楼も、移築前に仏教色が強すぎるということで撤去されてしまった。これもあるとないのとではずいぶん価値が違ってくる。もったいないことをした。
 伊賀八幡宮は徳川家に大事にされたこともあって、本殿、拝殿、幣殿、御供所、神橋、随身門、鳥居などがことごとく国の重要文化財に指定されている。西福寺の鐘楼の方は、吉良町の観光案内にも出ていないほどの扱いになっている。

 国宝と重要文化財の差は大きいようで小さく、小さいようで大きい。国宝も重要文化財というグループの中に属していて、国の扱いに基本的な違いはない。ただし、実際的な問題として、重文か国宝かでは人を呼ぶ力が決定的に違う。重文では求心力が弱く、国宝というと見に行く側の気持ちも違ってくる。
 国宝の定義は、国の宝と思っている人が多いだろうけど、実際は国民の宝と定義されているものだ。つまり、私のものでもあり、あなたのものでもあるということだ。国の所有物などではなく、個人で所有することもできる。売買だって自由なのだ。だから、お金を積めば国宝を手に入れることだって不可能なことではない。犬山城も少し前までは個人の所有物だった。
 しかしなんだかんだいって、国宝というのは誰が見ても納得するものだ。放っているオーラが違う。金蓮寺弥陀堂は、やや貫禄不足ではあったけど、姿の美しさや様子などは重文クラスではないと思わせる説得力があった。
 国宝も永遠ではない。火事で燃えたり地震で倒れたらそれまでだ。名古屋城も第二次大戦の空襲で燃えるまでは国宝だった。
 知られざる愛知第三の国宝、金蓮寺弥陀堂をぜひ拝みにいってみてください。
 
【アクセス】
 ・名鉄西尾線「吉良吉田駅」から徒歩約35分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日(9時-17時?)

 西尾市観光協会webサイト
 

着の身着のままこの地へやって来て戦後60年、穴守稲荷は今も人と共にある

東京(Tokyo)
穴守稲荷-1

PENTAX K100D+PENTAX FA 18-55mm(f3.5-5.6)



 京急の穴守稲荷駅から3、4分歩いたところに穴守稲荷神社はある。駅を出て、ローソンを斜め前に見ながら右へ進むと、左手の方にそれらしい建物が見えてくる。昨日の写真にあった自販機を見つけたら、その道は間違ってないことになる。まさかああいうのがあっちにもこっちもあるというわけではあるまい。
 穴守稲荷に関しては、行く前から下調べをして行ったわけではなく、帰ってきてから勉強して、その変遷を知ることとなった。予備知識なしに行った感想としては、なかなか立派なところだけど、それほど神聖な空気感というのはたたえてないなというものだった。全体的に古いような新しいような微妙な違和感を感じたのも、ここの経緯を知って納得した。歴史の積み重なった古さではなく、昭和の古さだったのだ。単純に木造家屋が古びてしまったあの感じと同じものだった。

 穴守稲荷はもともと、現在の羽田空港がある場所に建っていた。
 江戸時代後期の1800年頃、あのあたりが干拓されて漁師などが住み着くようになり、1804年に海の災害から家や人を守ってもらうために稲荷大神を祀ったのが穴守稲荷のはじまりとされている。
 穴守の名前は、1819年に大津波で堤防に穴が開いても田畑が守られたところからそう呼ばれるようになったんだとか。
 きちんとした社殿ができたのは明治18年(1885年)のことで、それから一般の参拝客が増えだして、そこへもってきて明治27年に和泉茂八という男が温泉を発見したことで、稲荷を中心として江戸の歓楽地として発展していくことになる。門前には料亭や旅館が建ち並び、稲荷さんは徐々に海難の神様から商売の神様への性格を強めていく。
 明治35年(1902年)には、京浜電車が蒲田から穴守まで開通して、門前は大いに賑わったそうだ。後半は健康な行楽地というよりも茶店や賭場などが建ち並ぶ荒っぽい場所だったようだ。羽田空港のあたりがそんな歓楽地だったとは、今となってはちょっと信じられない。
 夏目漱石の『我輩は猫である』にも穴守稲荷のことがちらっと出てきている。知り合いが穴守稲荷で河豚(ふぐ)の提灯をみやげに買ってきてくれたというエピソードとして。
 大正6年(1917年)、羽田に日本飛行学校ができ、昭和6年(1931年)に現在の羽田空港である東京飛行場ができた。ただ、まだそのときは穴守稲荷は動いていない。動かされたのは戦後のことだ。
 GHQが羽田空港を占領して、米軍が使うには狭すぎるということで突然拡張を宣言した。穴守稲荷も、近所の住民も、48時間以内に強制撤去命令が出された。住民はほとんど家財道具も運び出せないまま追い出されてしまい、穴守稲荷も急な引っ越しということになった。そりゃないぜ、マッカーサー。神社は急には動けないぞ。
 とりあえず羽田神社に合祀ということにして、その後昭和23年(1948年)に地元有志の尽力で現在の地へと移ってきたのだった。しかし、仮社殿から再建されるまでにはさらに17年の時を要している(昭和40年)。
 ここまで分かって、あの様子の意味が理解できた。なるほどあれは築40年くらい経った感じの古び方だったのだなと。
 ところで1999年以前の羽田を知っている人なら、羽田空港の駐車場に不自然に大きな赤い鳥居が建っていたことを覚えているかもしれない。あの場所がもともとの穴守稲荷があったところだったのだ。どうしてあの鳥居だけあそこに残ってしまったのか。実はあの鳥居だけは動かそうとするとブルドーザーが壊れたり、工事関係者が怪我をしたりと不吉なことが続いたので、タタリを恐れて移動させるのをやめてしまったのだった。平将門の首塚と話が似ている。
 その後、1999年に羽田空港が滑走路を増やすということで、いよいよ取り壊されることになった。しかし、ここでまた地元の人たちが立ち上がった。工事費2,000万円を集めて負担することで残されることとなったのだった。取り壊していたらまた何かが起こっていたかもしれない。現在は800メートルほど移った弁天橋の近くで、柵に囲まれて建っている。
 すごく前置きが長くなったけど、そろそろ鳥居をくぐって中に入ることにしよう。

穴守稲荷-2

 民家が建ち並ぶ中に無理矢理押し込めてしまったような作りになっているから、どこからどこまでが神域でどこからが通常域なのか、区別がつきにくい。すぐ後ろに見ているのは神社の関係の建物なんだろうか。
 境内の配置は一般的な神社のものだ。鳥居があって、手水舎があって、拝殿、社務所などがある。
 でも、なんとなくしっくりこないのは何故だろう。地面の感じが違うのか、空気が密度不足なのか、神社特有の居心地の良さみたいなものが感じられなかった。

穴守稲荷-3

 お稲荷さんだから神の使いは狛犬ではなくキツネさんだ。子供を抱えたお母さんキツネと、お父さんキツネで左右を守っている。

穴守稲荷-4

 祭神が豊受姫命(トヨウケビメ)というのがちょっと変わっている。これは伊勢神宮の外宮で祀られている女の神様だ。
 稲荷神社の総本宮は言わずと知れた京都の伏見稲荷大社だ。全国に4万もあるという稲荷神社の総元締めとなっている。そこで祀られているのが、いわゆる稲荷大神と呼ばれる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)だ。
 もう一つの大きな山として、愛知県にある豊川稲荷がある。あそこではインドの女神である荼吉尼天(だきにてん)が祀られている。神仏習合思想においては荼吉尼天が本来の稲荷の神様であるという話もある。
 穴守稲荷はそのどちらの流れもくんでいない。神社の中にある稲荷さんで豊受姫命を祀っているところはあっても、こうして単独で祭神にしてるところはあまり多くない。ただし、稲荷と書くようにお稲荷さんは稲、つまり穀物の神様だから、衣食住を受け持つ豊受姫命は決して不自然というわけではない。力のある神様だから、味方に付ければ心強いのは間違いない。
 ここの神社はもともと正当な稲荷の流れにあったところではないので、途中でいろんな神様を取り込んで、ちょっとごた混ぜになっているところがある。奥に進むといろんなお稲荷さんが並んでいる。開運稲荷、出世稲荷、必勝稲荷などなど。受験を賭とみるなら、ここへ来て片っ端からお願いしておけばどこかで引っかかりそうな気もする。
 羽田の海にあった頃は、近くの海岸の砂を持ち帰って家の庭などにまくとご利益があるとされていたそうだ。甲子園の土みたいだ。福砂などいう名前で売られたりもしていたらしい。

穴守稲荷-5

 こちらは神楽殿だ。昭和43年に建てられたもので、節分、初午、秋季大祭の年に3回使われるそうだ。普段は赤い柵で囲まれていて近づけない。

穴守稲荷-6

 帰り際に振り返ったら、夫婦連れらしき二人組が参拝に訪れていた。この場所までわざわざ遠くから観光気分で訪ねる人はそう多くないと思うけど、地域住民には大事にされているのだろう。年末年始は京急が深夜まで時間延長して走らせているそうだから、初詣客もけっこう多いのかもしれない。
 かつては賑やかな歓楽地にあって参拝客がひっきりなしだったろうけど、今では地域住民のための守り神となった。豊受姫命は昔を懐かしむ気持ちもあるだろうか。いまだにGHQめー、なんて思ってるかな。
 歴史の中で浮き沈みがあり、時代が変わって、歳月が流れた。それでも続いていくことが一番大事なことで、それは昔も今も変わらない。激動の昭和を乗り切り、今は穏やかな平成の時代になった。けどそれもいつまで続くか分からない。もっと激しい時代がこの先やってくる可能性もある。そのときでも、互いに支え合う気持ちがあれば、きっと乗り越えていける。困ったときはお互い様、弱い者が強い方を助けてもいい。人が助ける神社があってもいい。
 穴守稲荷はそんなことを感じさせるために私を呼んだんじゃないだろうか。

ガイドブックには載ってない東京の中の昭和、京急に乗って穴守稲荷へ行こう

東京(Tokyo)
京浜急行-1

PENTAX K100D+PENTAX FA 18-55mm(f3.5-5.6)


 東京から羽田空港へ行く場合、浜松町から東京モノレールに乗るか、品川から京浜急行に乗るか、一般的にはどちらかということになる。あるいは、庶民ならリムジンバスで、お金持ちはリムジンで乗り付けるというパターンもある。
 私としては、小松未歩が「東京日和」の中で歌ったように、モノレールに乗って天空橋を通って行きたかったのだけど、このときは品川からだったので京急に乗ることになった。でも、これが結果的には正解だった。京浜急行電鉄は、なんとも味のある路線だったから。
 途中の駅を見ると、穴守稲荷がある。羽田空港とも関係が深いところだから、これはぜひ寄らねばなるまい。モノレールに乗っていたら、それも寄ることなく終わっていた。
 ということで、今日は穴守稲荷へ行くまでのプロローグとして京浜急行について紹介したい。最近少しずつ自分が鉄っちゃんに近づいているような気がするけど気のせいだろう。名古屋では移動はほぼ100パーセントが車だから電車に接する機会がなくて、東京で電車に乗ると妙に浮き立つ気分になるというのは確かにある。その勢いでつい電車の写真も撮ってしまうのも事実だ。でもだからといって電車がすごく好きとかそういうことではない。一番前の車両に乗って運転士の背後からかぶりつきで計器を見てるなんてことも、もちろんしない。
 それはともかくとして京急だ。なかなかに歴史が長く、路線も長いので多彩な顔を持ち合わせている。羽田への足であり、横浜方面からの通勤電車でもあり、平和島競艇へ行くおじさん御用達電車でもある。発着が品川ではなく、その先の泉岳寺(赤穂浪士の墓がある寺)までいっているところがまた渋い。ここで都営浅草線と連絡している。
 反対の横浜方面は、横浜にとどまらず、ずっと先の逗子、浦賀、三浦半島まで伸びている。つまり観光電車でもあるというわけだ。東京方面に向かう朝のラッシュ時の激混み電車としても知られている。
 昔からJRへのライバル心が強く、負けてなるものかと飛ばせるところでは目一杯飛ばす。横浜あたりでは車両のシンボルカラーが赤色であることから、横浜の赤い稲妻と呼ばれて恐れられているらしい。赤い手袋の柴田と青い稲妻の松本を足して伊原コーチが手をぐるぐる回してしまったときよりも速い。

京浜急行-2

 これは京急の品川駅だったか、大森海岸駅だったか(京急蒲田かも)。なんだかすごく懐かしい感じがしたのは、子供の頃旅行で行った地方都市の風情そのままだったからだろう。この感じは今の東京ではなかなか味わえない貴重なものだ。切符も自販機ではなく、ちゃんと窓口で駅員さんから買いたくなる。

京浜急行-3

 電車の中も昭和の風情が色濃い。頭の上では扇風機が首を振りながら回っている。真夏のラッシュ時はどんなことになってしまうのだろう。想像するだけでめまいがしそうだ。
 便利さを追求する余り大切なものを失った、昔はよかったなんて言う人がいるけど、彼らは本気で昭和に戻りたいと思っているのだろうか。今の私たちの精神状態で昭和へタイムスリップしたら、いろんなシーンで不便で不快すぎて耐えられないと思うだろう。電車にクーラーは入ってないし、コンビニも携帯もネットもない。昭和はもはや遠い記憶として懐かしむものとなったのだ。今更昭和に回帰してる場合じゃない。

京浜急行-4

 穴守稲荷駅で途中下車した。ここから先、電車は地下へと潜っていってしまう。ということは、次の天空橋は地下駅ということだ。小松未歩の歌や名前のイメージでは天空に近い高い場所にあって、駅を降りると周りをぐるりと見渡せるようなところを想像していた。でも実際は違った。ロマンチックでもなんでもない駅だったのだ。これはかなり残念だった。
 天空橋は、羽田空港ができてから名前が変わった駅で、その前は羽田駅だった。いい名前だけど、名前負けしている。
 穴守稲荷駅も、もともとは稲荷駅で、戦後に穴守稲荷がこの地に移ってきてから改称された駅名だ。

京浜急行-5

 穴守稲荷駅前もまた昭和がそのまま残っている。駅前の一等地にして、開いているのかどうか分からないような店が建ち並ぶ余裕を見せる。これも貫禄というやつか。商売気や便利さ優先のセコセコした駅前とは違うのだという無言のメッセージを私は読み取った。よく見ると「駅前」三連発だということに気づく。
 喫茶店らしき「駅前」、「季節料理 駅前」、「居酒屋 駅前」。
 二階を見るとどうやらつながっているようだから、一軒の家で三つの商売を同時にしているのかもしれない。入り口は別でも、中でつながっていたりするのだろうか。
 ここは昭和は昭和でも50年代の風景だ。21世紀に写っているべきものが写ってないのがすごい。

京浜急行-6

 駅を降りてすぐ、早くも赤い鳥居が出迎えてくれる。全面的に穴守稲荷を押し出した駅と言えよう。
 もしかしてここから穴守稲荷が始まっているのかとびっくりしたけど、そういうことではなかった。というよりも、穴守稲荷がどこにあるのか案内も出てなくて見つけられない始末。力が入ってるんだか入ってないんだか。地元民はみんな知ってるだろうけど、これでは初めて訪れた人は戸惑ってしまう。コンビニで訊ねてようやく場所が分かったのだった。
 京浜急行といい、穴守稲荷といい、やられっぱなしの私であった。良くも悪くも。

京浜急行-7

 極めつけはこの自販機。こりゃすげえなと思わず口をついて出た。
 羽田のこのあたりといえば、東京都大田区という立派な東京23区内だ。いくらはずれの方とはいえ、この時代にこの風景は古いにしても古すぎる。古い町を演出するために残されているわけではないだろう、まさか。ここまでの自販機はうちの三重の田舎でも残っていない。これで100円を入れてジュースが出てきたらもっとすごいけど、そこまで期待するのは期待しすぎというものだ。そもそも今の100円玉を認識するかどうかも怪しい。

 東京という街は、非常に多様でいろんな面を持ち合わせているというだけでなく、時代が多重構造になっているという特徴も持っている。江戸時代、明治、大正、昭和、平成と、きちんと重なっていて、どの時代の面影も残している。都内の中心部はどんどん新しく塗り替えられていっている一方で、周辺部では時代に取り残されてかつての姿をとどめているところも多い。地方都市は中心と郊外にそれほど差はないけど、東京はその差が大きい。神楽坂や佃島などのように観光地化されていないこの羽田や北区あたりの方が、昔の姿をそのままとどめている。
 今回、たまたま京急に乗って穴守稲荷で降りたことで、思いがけず東京の隠れた一面を見ることができた。このあたりはガイドブックには載ってない。名も知らぬ駅にも歴史やドラマがあるものだ。ぶらり途中下車の大切さをあらためて知った。
 京浜急行電鉄に乗って、小さな昭和の旅に出よう。この路線はまだまだ隠し球を持っていそうだ。大森貝塚の大森(近くには鈴ヶ森の刑場跡もある)、赤穂浪士の泉岳寺、生麦事件の生麦、ペリー来航の浦賀など、歴史の教科書に出てきたようなところも多い。そんなところを訪ね歩くのも面白そうだ。機会があれば、また京浜急行に乗ってみたいと思っている。
 このあとは、穴守稲荷神社訪問編へと続く。

ぶらり途中下車の旅---目白の小さな名所を徒歩と自転車でめぐる

東京(Tokyo)
目白ぶらり-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 巾着田へ行った日の帰り、東京に戻ってくると雨があがっていた。日没までは少し時間があったので、椎名町で途中下車して目白まで歩いて帰ることにした。ぶらり途中下車の旅といこう。
 上の写真は確か、西武池袋線の椎名町駅だったと思う。ついこの前のことなのにすでに記憶が曖昧になっている自分が恐い。雰囲気がよくて軽い気持ちで撮った一枚だから、これがどこかということを意識してなかったのだという言い訳をしつつ、次に進もう。
 目白というと一般的にはどんなイメージなのだろう。山手線沿線で、北に池袋、南に新宿と、住むには良さそうな街といった感じだろうか。学校も多く集まっているから学生街という一面も持ち合わせている。わりとオシャレなイメージもあるかもしれない。
 ただ、何の用事もなく訪れる場所ではないし、何か特別な観光地があるというわけでもないから、東京に住んでいる人でも目白は行ったことがないという人が案外多いんじゃないだろうか。確かに東京を代表するような名所旧跡はあまりない。鬼子母神も一応は目白界隈ということになるけど、あれは隣の雑司ヶ谷だ。
 けど、目白も実際に歩いてみれば、見所もけっこうあって、魅力的な街なのだ。住むだけではなく、散歩するにもいいところなので、今日はそんな目白の小さな名所案内をしようと思う。

目白ぶらり-2

 やって来たのは目白の森。森とは名ばかりの小さな公園で、大きな地図には名前も載っていないので森という名前はちょっと大げさだ。端から端まで歩くのに3分くらいしかかからない。場所も分かりづらくて、住宅地の合間にこそっとあって、私たちもたどり着けずに犬を散歩してる女の人に訊いて、なんとかたどり着いた。もう一回行けと言われても行き着けないかもしれない。
 かつてマンションの建設計画でつぶされる予定だったところを住人の反対で残された貴重な公園だ。木が鬱蒼と生い茂っていて、かつてのこのあたりの面影を残している。
 目白という街は大通りから一歩入ると、昔ながらの高級住宅地となる。駅まで遠くて不便だろうにと思うけど、ガレージに並んだベンツ、BM、ポルシェ、レンジ・ローバーを見れば、そんなことは関係ないのかと思い直す。

目白ぶらり-3

 徳川黎明會(とくがわれいめいかい)の前。一般人を拒絶する重厚な雰囲気を漂わせている。
 徳川黎明會は、1931年(昭和6年)に、尾張徳川家第19代徳川義親によって作られた財団法人で、徳川美術館の運営や、徳川家にまつわる文献や美術品の管理などを行っているそうだ。
 私は尾張から行ってるからこっちの方が地元だというのに、東京で出会ってしまうと必要以上にへりくだった気持ちになってしまうのはどうしたことか。徳川美術館の前でもそんなにひるまないのに、ここはやけに雰囲気がものものしい。
 徳川家の威光というのは、やはり江戸であった東京のあちこちでいまだに垣間見ることができる。東京以外の土地で江戸時代というのを認識する機会というのはめったにないのだけど、東京にはまだ江戸の名残が色濃く残る。
 このあたり一帯は、徳川ビレッジと呼ばれていて、住宅地のようになっている。外国人専用の高級賃貸住宅や、徳川ドーミトリーという女子学生寮などがあるようだ。いずれにしても、あまりうろうろしてると不審者として通報されそうで長居はできない場所だ。写真を撮るだけでも大丈夫だろうかと少し心配になる。

目白ぶらり-4

 高級つながりで、こちらは目白の住宅街の中にある高級フレンチの店「ぎんきょう」だ。
 庶民らしく遠巻きに写真を撮った。
 おそるおそるメニューに近づいてのぞいてみると、ランチは5,000円から、ディナーも9,000円と、失神するほどの高さではなくて安心した。安心したからといって気軽に入れる店ではないけれど。子供もお断りと書かれていたし。
 何かすごく特別な日があれば、ランチくらいは一度食べてみたいと思う。

目白ぶらり-6

 目白駅の東側エリアはぐっと庶民派となる。学校が集まっているのもこちら側で、表通りも賑やかだ。
 そんな中、こんな昔ながらの店も残っていて嬉しくなる。完全に昭和の風情だ。酒屋兼食料品店というのだろうか。田舎の方に行くと、昔はこういう店がよくあった。
 店先の一番いい場所にカップ麺が並んでいるあたりが素敵だ。これを主力として前面に押し出して売っているのだろうか。

目白ぶらり-5

 目白通りをずっと東に進んで、神田川が流れる南に少し入ったところに、新江戸川公園がある。住所としては目白台で、豊島区ではなく文京区だから、もはや目白とは言えないか。神田川を渡れば新宿区の早稲田だ。
 ここはかつて細川家下屋敷の庭園があったところで、跡地をそのまま回遊式泉水庭園として残してある。規模は大きくないけど、大通りの喧噪を離れて静かに過ごすにはいいところだ。生き物も多く、春は桜、秋は紅葉と、四季の変化も楽しむことができる。
 この東隣には広大な庭園を擁する椿山荘(ちんざんそう)がある。もともと山縣有朋が持っていた土地で、今は名門結婚式場やホテルなどの複合施設になっている。かなり高級そうで、一般人が写真を撮るためにフラッと入っていけるような感じはなかった。チャンスがあったら一度チャレンジしてみたい。入り口の前の警備員につまみ出されてしまうのだろうか。

目白ぶらり-7

 目白通りには都電荒川線を見下ろせる橋があって、ちょっとした都電撮影スポットになっているようだ。赤帯レンズをつけたボーイがしっかり写真を撮っていた。私も便乗して撮ってみる。
 わ、しまった。都電の遅さにタイミングが合わず、連写を早まった。K100DのRAWは3枚しか連写できないことを忘れていた。もっと引きつけなくてはいけない。ちょっと失敗だ。
 今度ここを通ったときは、ちゃんとチェンジアップのタイミングで待とう。都電だから剛速球は来ない。

目白ぶらり-8

 日本女子大学。通称、目白の女子大。
 高村知恵子、高橋留美子、平岩弓枝、向井亜紀、大坪千夏 などの卒業生を出している。
 道を隔てた反対側には大きな田中邸が建っている。田中角栄の旧宅で田中真紀子も住んでいた目白御殿だ。
 相続税で物納したものを文京区が公園にしようとしているところに、またもや田中真紀子がインネンをつけてもめている最中らしい。木を切るとか切るなとかで。
 8,000坪という土地が今後どうなっていくのか、興味深いところだ。もし公開されるようなことになったら、目白(目白台)の目玉となるかもしれない。

目白ぶらり-9

 目白といえば、やはり学習院ということになるだろうか。駅を降りてすぐ隣がもう学習院だ。
 明治初期の1877年、皇族や華族のための学校として開校した。現在でも皇族のみなさんが通っている。一般人でもお坊ちゃん学校というイメージが強いけど、実際には多種多様な卒業生がいて、お坊ちゃんというのは一面的な見方に過ぎない。門を入っていく学生を見ても、ボンボンという感じはあまりない。
 こういう大学への一般人の立ち入りはどうなのだろう。門の中には警備員がいるから、その人の判断にゆだねられているのだろうか。入っていいものなら入ってみたかった。歴史のある大学だし、学習院ってのはどんな雰囲気のキャンパスなのか肌で感じてみたい。一般人用の講義などもあるから、行けそうな気もするんだけど、やはり入り口でチェックはあるのだろうな。最近は物騒だから、関係のない人間の立ち入りには神経質になっているだろうし。
 日本女子大は無理にしても学習院だけは狙っていきたいところだ。

 とまあ、目白という街はこんなところもあるのですという紹介でした。
 今後とも目白は歩いたり自転車に乗って回る機会もあるはずだから、おいおいレポートしていこうと思っている。豊島区のレンタル自転車は一日150円だから、いつでも借りられるのだ。自転車に乗ればかなり行動範囲が広がることが分かった。
 目白ツウになる日はそんなに遠くないかもしれない。目指せ、メジロライアン。今は亡き大川 慶次郎もあの世から私を応援してくれるだろう。ライアン、ライアン、と。
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