月別:2007年09月

記事一覧
  • 鳩山会館の2番ダシ写真はごった煮のとりとめのないフラグメント

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4) 今日は鳩山会館の2回目。2番ダシ写真だ。1番ダシは味噌汁に使って2番ダシは煮物などに使おう。というわけで、今回は鳩山会館のごった煮写真編をお送りします。 1枚目は屋敷から見た庭の様子だ。とびきり広いわけでもないけど、庶民レベルの庭でない。テニスコートくらいな充分に作れる。ゴムボールとプラスチックバットならちょうど野球が楽しめるくらいだろう。由起夫、邦夫兄弟は年子...

    2007/09/30

    施設/公園(Park)

  • ちょっと総理大臣の家まで行ってきましたと言える鳩山会館

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4) 鳩山一族と聞いて即座にピンと来る人はそれほど多くないかもしれない。私も最初、鳩山会館と聞いて、なんのこっちゃと思った。あの鳩山一郎の鳩山御殿じゃないかと言われても、どの鳩山だよと思う。 よくよく考えてみると、戦後自由民主党(当時は自由党)の結成に尽力して、初代自民党党首で総理大臣になった鳩山一郎をよく知らなかった私にも問題がある。ただ、佐藤栄作や田中角栄ほど...

    2007/09/29

    施設/公園(Park)

  • 彼岸花の持つ暗いイメージを覆す巾着田の明るい曼珠沙華群生地

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4) 今日は巾着田で撮った彼岸花の写真をお送りします。人混みの中で傘を差しながらの撮影は厳しいものがあったけど、ツレに助手役をやってもらいながらなんとか撮ってきた。あの状況ではひとりで行っていたらほとんど何も撮れずに終わっていた。 巾着田の彼岸花が全国的に有名らしいということを知ったのは、出向く一週間くらい前のことだった。それまではそんな情報はかけらも知らなかった...

    2007/09/28

    観光地(Tourist spot)

  • 日本一の彼岸花名所を侮りすぎていた我々が目にした激混み巾着田風景

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4) 連休初日の23日、私たちは少し早起きをして、埼玉県日高市にある彼岸花の名所、巾着田(きんちゃくだ)へと向かった。池袋から西武池袋線の黄色い列車に乗って、最寄りの高麗駅(こまえき)に到着したのが午前10時30分。うひょ、こりゃ混んでるなぁ、というか激しく混んでますよ。アジサイのときの北鎌倉駅並ではないですか。びっくり仰天。前の日に新聞に載ったからちょっと混んでるかも...

    2007/09/27

    観光地(Tourist spot)

  • 風邪ひきで一日遅れの再開はフォトコン報告から

    PENTAX K100D+smc Takumar 50mm(f1.4) 東京で風邪をひいて、ブログ再開が一日遅くなった。 かなり久々のダウンだったけど、一日で復活したのは上出来だ。もう大丈夫なので、差し入れはマスクメロンでも高級マンゴーでも松坂牛でもなんでも食べられます。辛抱強く待ってます。 今月も「デジタルカメラマガジン」のふぉとコンは佳作だった。 前回よりも今回の方が嬉しかったのは、一回目はたまたまのまぐれ当たりだったかもしれ...

    2007/09/26

    カメラ(Camera)

  • 東京行きの前に長久手田んぼ写真

    Canon EOS 20D+EF 75-300mm f3.5-5.6 IS 連休中は東京にいます。 更新再開予定は火曜日です。 ちょっといってきます。...

    2007/09/22

    自然(Natural)

  • いけるときにいっておかないとすれ違って終わってしまうから、今D100

    Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm f3.5-5.6 明日から東京行きなので、今日は写真を並べて寝てしまう。長々と書いている時間がない。でもただ写真を並べるだけでは芸がない。ここはひとつ、いつもとは違うデジで撮った写真にしてみよう。 ということで、NikonのD100の登場となった。あれ? 私そんなの持ってたっけ? 持ってませんよ、買いましたよ。しかもレンズは手ぶれ補正のVRレンズじゃないか。うーん、いつの間に。いろい...

    2007/09/22

    カメラ(Camera)

  • いつかデンパークがもっとデンマークらしくなるようにと願いを込めて最終章

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 デンパーク最終回は、メイン施設である大温室フローラルプレイスを紹介しつつデンマークについて少し勉強してみたい。デンパークが思いのほかデンマークではなくてがっかりしてしまった私だけど、じゃあデンマークについでどれだけ知っているんだと訊かれると答えに詰まってしまうくらいよく知らない。日本で普通に暮らしている中でデンマークの話題が出ることはほとんど皆無に等しい。デン...

    2007/09/21

    施設/公園(Park)

  • 何故デンパークはもっとデンマークではなかったのかというもどかしさ

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 デンパーク第三弾になってようやく本編、デンパーク風景の紹介となる。結論を言えば、デンパークはデンマークではなかった。デンマークらしさを探して園内を一周した私たちは、ついにデンマークをあまり感じられないまま公園をあとにすることになる。いや、まったくデンマーク色がないというわけではない。少しだけデンマークを意識した作りにはなっている。期待度の問題として、個人的に物...

    2007/09/20

    施設/公園(Park)

  • 夏の終わりのデンパークに咲いている花を並べてみてもデンマークは見えてこず

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 百聞は一見にしかず。デンパークがどんなところだったかを私が語る前に、写真で見てもらった方が手っ取り早いだろうということで、デンパークの第二弾は花特集としてみた。昨日の第一弾は虫紹介だったので、もしかしたら虫の楽園の森林公園のようなところをイメージさせてしまったかもしれない。でもそうではない、むしろ花の公園と呼ぶにふさわしい、花に満ちた公園こそがデンパークなのだ...

    2007/09/19

    施設/公園(Park)

  • 知って得しない虫についての知識を余すところなく披露してみる

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 今日はデンパークで撮った生き物たちの写真を使って、虫についての復習をしようと思う。だからデンパークってなんだよという方もいるだろうけど、それはまあおいおい紹介するとして、今日のところは虫でいかせてほしい。 ところで虫(むし)の定義をあなたは知っているだろうか。これは分かっているようで案外難しい問題をはらんでいる。虫と昆虫は完全なイコールではないと意識している人...

    2007/09/18

    虫/生き物(Insect)

  • 第三のアプローチ方法、始めにソースありきのサンデー料理

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II 料理を作るアプローチ方法は大きく分けて二つある。完成した料理から逆算して食材を買い揃えるやり方と、手元にある食材から料理にしていく方法の二通りだ。毎日の食事を作っている人なら、この両方のアプローチを組み合わせて作っていることだろう。常に食べたいものを作るために食材を買い揃えていては無駄が出過ぎてしまう。食べたいものを作りつつ、余った食材を次の料理に使ったりするの...

    2007/09/17

    料理(Cooking)

  • 夏の名残の花火大会はヘビ花火で幕が開き吹き出し花火で幕を閉じた

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II 上の写真を見て、すぐに正体が分かった人は30代、40代かもしれない。おお、これは懐かしいと思うことだろう。20代は知ってるだろうか、ヘビ花火のことを。 私たちの子供時代において、ヘビ花火はシャレの一つとして確固たる地位を築いていた。おもちゃ花火の中ではもちろん中心を担うような花形ではなかったけど、冗談や笑いのネタとしてヘビ花火はいつも子供たちの身近にあった。 あれから...

    2007/09/16

    風物詩/行事(Event)

  • 岩屋堂完結編は花写真を並べて短文であっさり締めくくった

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II/EF75-300mm F4-5.6 今日は岩屋堂で撮った花の写真をあっさり並べて終わる。というのも、さっきまで調子よく書いていたら途中でページが勝手にリロードされて、書いた記事が跡形もなく消えてしまったから。それですっかり力尽きた。FC2ブログは時々挙動不審になるから信用ならない。普段は気をつけてこまめに保存するようにしてるのだけど、今日は油断した。 というわけで、文章はごく短くなる...

    2007/09/15

    花/植物(Flower/plant)

  • ただでさえ昭和の岩屋堂で再び昭和の観光ブームを呼び起こせ

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II / SIGMA 18-55mm f3.5-5.6 岩屋堂は昭和である。そう断言してしまってもかまわない。昭和で時を止めたまま、なし崩し的になじめない平成の中で生きている。いや、そんなことはないぞ、これでもずいぶんモダンになったんだと岩屋堂で暮らす人は言うかもしれない。でも、名古屋近郊の観光地でいまだにこれだけ昭和の香りをたたえている場所は他にない。ただ古いというのではなく、昔懐かしい観...

    2007/09/14

    観光地(Tourist spot)

  • 何もないけどいつも少しだけ贈りものをくれる岩屋堂第一弾は水風景

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II 行っても大したものがないと分かっているのに、ある一定期間が過ぎるとなんとなくまた行きたくなる場所がある。私にとって岩屋堂はそういうところの一つだ。これまでに10回近く行って、これという収穫があったためしがないのに、次こそは何かあるかもしれないと思ってしまう。で行ってみるとやっぱり特に何もない。ここはタイミングや相性もよくないのに、何故か引き寄せられるのは、向こうで...

    2007/09/13

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 人工で天然で真面目で笑わせる、その名も吉良ワイキキビーチ

     はるばる来たぜワイキキビーチ。家から車で1時間半くらいかかっただろうか。しかし、最近はワイキキもずいぶん近くなったもんだなぁ、車で来られるようになったとは。 察しのいい方はすでに気づいてると思うけど、ここはオアフ島のホノルルではない。ワイキキはワイキキでも、愛知県の吉良町にある吉良ワイキキビーチだ。その海岸を一目見て、誰もがその大胆なネーミングに驚く。まさかこれがワイキキか、と。 最初にそういう...

    2007/09/12

    観光地(Tourist spot)

  • 虹と夕焼けを20D+Takumarで撮ると現実以上にドラマチックワールド

    Canon EOS 20D+SMC Takumar 135mm f2.5↑ 今日の名古屋は曇りのち夕焼け。ずっと曇っていて雨が降りそうな天気から、夕方になって一転して晴れとなった。 この前買った20Dの画質もだいたい掴めてきたところで、Takumarレンズの組み合わせで少し撮ってみることにした。ここ最近はPENTAXの色にすっかり慣れていたから、Canonデジ×Canonレンズの優等生画質はどうも物足りなかった。クリアで抜けはいいけど、色まで抜けてしまって私に...

    2007/09/11

    空(Sky)

  • 夏の名残の吉良ツアーはうつむくヒマワリに夏の終わりを告げられた

    Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6 ツレを伴い、夏の名残の吉良ツアーへ出かけた。 お目当ての一つだった遅咲きのひまわり畑へ行ってみると、畑一面に全面降伏状態のひまわりが平身低頭して我々を出迎えてくれた。殿様の前の家来のように。5万本のひまわりがすべてこれ以上ないほどうつむいている姿は、壮観といえば壮観と言えなくもなかったのだけど、それにしてもまさかここまで出遅れているとは思ってなかった我々は、こ...

    2007/09/10

    観光地(Tourist spot)

  • 忘れた頃にやって来る尾張旭の神社巡り第二弾は一之御前と直會神社

    PENTAX K100D+smc Takumar 28mm(f3.5) もうほとんど誰も覚えてないと思うけど、以前私は尾張旭市の神社仏閣全制覇宣言を出した。第一弾として渋川神社のことを書いたのを誰か覚えていてくれてるだろうか。あれは4月の終わりのことだった。誰も覚えてなくても、神社仏閣ネタに食いつく人が少数派でも、私はやる。ライフワークとして尾張旭の神社をすべて巡ると決めたのだから。 もしサッカーくじのBIGで6億円が当たったら、回った...

    2007/09/09

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 夏の終わりと秋の始まりが交差する場所で今日も命が輝いている

    Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm f4-5.6 USM 香流橋から家まで歩く機会があって、せっかくだから香流川沿いのサイクリングロードを通って帰ることにした。20Dに75-300mmの望遠ズームを付けて、目に付く生き物や花などを撮りつつ。 最初に出会ったのがキバナコスモスとアゲハだった。今はちょうど夏と秋の境目の季節を迎えている。秋の花に夏の虫がとまっているシーンが象徴的だった。車では見逃してしまいがちな季節の微妙な変化...

    2007/09/08

    虫/生き物(Insect)

  • 腰砕けの伊勢うどんは美味しいようなそうでもないような美味しさ

     お伊勢参りに行ったら当然、名物伊勢うどんは食べておくべきだろうということで、昼食はおかげ横丁の中にある「うどん ふくすけ」に入ることにした。 ここは江戸時代に美味しい伊勢うどんを食べさせると評判だった「豆腐六(どぶろく)」を再現した店だそうだ。なるほど、言われてみれば素朴な風情があってなかなか悪くない。座ってる人がみんな着物を着ていたとしても違和感はなさそうだ。店内の座敷ではなく、ここは雰囲気重...

    2007/09/07

    食べ物(Food)

  • おかげさまでおはらい町で念願の赤福氷を食べることができました

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL 伊勢神宮参拝を終えたら次に向かうのは、「おはらい町」だ。江戸時代のおかげ参りによって発達した内宮の門前町で、今もなお大勢の参拝客を出迎えて賑わっている。 おはらい町の名は、かつて御師(おんし)と呼ばれる人たちが(参拝客をもてなす役割を持った下級の神職)、自分の屋敷に泊まった客におはらい(お札)をさずけたところから来ているそうだ。この御師たちは全国を...

    2007/09/06

    観光地(Tourist spot)

  • 伊勢神宮参拝客の顔ぶれは初詣客と同じと気づいて違和感が消えた

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL 伊勢神宮ではたくさん写真を撮った。本編では使いきれなかったので、今日は伊勢神宮風景の写真を紹介しようと思う。建物以外に撮るものといえば、やはり人と生き物ということになる。それが好きだから。 その人が普段、何に興味を持って、どれくらいの距離感で関係性を築こうとしているかは、その人が撮った写真を見ればよく分かる。写真というのは、ある意味では告白のような...

    2007/09/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 20Dを持って河原で試し撮りをして長々とカメラ話をするの巻

    Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm USM f4-5.6 新しいカメラやレンズを買って、短い時間で試し撮りをしようと思ったとき、私が行くのはたいてい尾張旭か河原のどちらかだ。もっと時間があれば動物園や花のある公園や森なんかもいいのだけど、夕方のわずかな時間となると行く場所は限られる。今回は日没間近ということで河原を選んだ。 河原というのは被写体が多いことをあらためて知る。水の流れがあって、広い空があって、いろい...

    2007/09/04

    カメラ(Camera)

  • 敷かれたレールの上を走る脱線なしの和食サンデー料理

    Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II ここの最近サンデー料理はあまりにも脱線が多かったから、今日は敷かれたレールの上を歩く和食サンデーとしてみた。僕の前に道はなく僕のうしろに道はできる的な料理はいったん休憩だ。多少の揺れやブレはあったものの、なんとか脱線せずに終着駅までたどり着くことができた。純粋な和食というには少し逸脱があったけど、そのへんはちょっとしたオーバーランということで大目に見てもらおう。...

    2007/09/03

    料理(Cooking)

  • 久しぶりのお伊勢参りを終えていろんな意味で安堵した

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL 先週、田舎に帰郷したとき、ついでといっては失礼なのだけど、お伊勢参りもしてきた。物心つくかつかないかのとき両親に連れて行ってもらって以来長らくご無沙汰をしていて、もう一度行かなくてはと思いつつなかなか行けずにいた。今回ようやく念願がなかって、ちょっとホッとしている。肩の荷が下りたというと大げさだけど、懸念が一つ消えてすっきりしたのは間違いない。一生...

    2007/09/02

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 赤煉瓦造りのトンネルは守山区民の自慢となるか

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL 名古屋のチベットだとか、いやネパールだ、ヒマラヤだなどさんざんな言われようの守山区だけど、名古屋の秘境とまで言われると、おいおいそれはちょっと言い過ぎだろうと、守山区民の私は制止したくもなってくる。そこまで奥地じゃないぞと。 けれど、名古屋市最高峰193メートルの東谷山(とうごくさん)を擁し、名古屋で唯一の吊り橋がかかる白沢渓谷まであってしまった日には...

    2007/09/01

    建物(Architecture)

鳩山会館の2番ダシ写真はごった煮のとりとめのないフラグメント

施設/公園(Park)
鳩山会館パート2-

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 今日は鳩山会館の2回目。2番ダシ写真だ。1番ダシは味噌汁に使って2番ダシは煮物などに使おう。というわけで、今回は鳩山会館のごった煮写真編をお送りします。
 1枚目は屋敷から見た庭の様子だ。とびきり広いわけでもないけど、庶民レベルの庭でない。テニスコートくらいな充分に作れる。ゴムボールとプラスチックバットならちょうど野球が楽しめるくらいだろう。由起夫、邦夫兄弟は年子だから、子供の頃はここでよく遊んだに違いない。あの銅像に当てたらツーベースな! なんてルールもあったかもしれない。
 でもその銅像は、鳩山一郎の両親である和夫・春子像で、作者は東洋のロダンといわれた朝倉文夫だ。野球のボールを当てていいようなものではない。ツーベースどこか、あれに当たったらトリプルプレーのアウトにしなければなるまい(そういう問題でもない)。
 純洋風庭園の手前には純和風の盆栽が置かれている。このコントラストも面白かった。これは誰の趣味だったのだろう。
 奥にはちょっとしたバラ園がある。これはバラ好きだった一郎が始めたもので、総理在任中も休みの日は自分で買ってきた苗を植えたりして楽しんでいたそうだ。5月にはバラと庭園と洋館という黄金の組み合わせを見ることができる。

鳩山会館パート2-2

 これはテッセンかクレマチスかそのあたりのどれかだろうか。でもクレマチスは初夏の花だ。9月まで咲いてるだろうか。違う花かもしれない。
 見上げる洋館の窓から外を眺める深窓の令嬢が見えそうな気がした。私は住み込みの庭師の息子で、花の手入れをしているふりをしながらお嬢様を盗み見る。洋館にはそんなドラマが似合う。これが日本家屋の2階ならそうはいかない。よくても屋根の上に登った女の子がギターを弾きながら下手な歌を歌うくらいのものだ。

鳩山会館パート2-3

 一目見ただけで生まれも育ちもいいということが分かるカラフルな鯉たち。近所の川で泳いでる黒い鯉とは何もかもが違っている。田舎の工業高校と都内のお嬢様私立くらいの違いがある。
 こちらはチビの池で、もう一つ大人の鯉の池もある。かっぱえびせんなんか投げても見向きもしないだろうか。その前にそんなことをしたら出入り禁止になりそうだ。
 上にはさりげなく鳩の置物がくっついている。鳩山さんはホントに鳩が好きらしい。

鳩山会館パート2-4

 なんだこのオレンジはと思って葉っぱを見たらイチョウだ。ああ、そうか、ギンナンだと思い出した。もうそんな季節なのか。ギンナンを拾う季節はイチョウが黄葉する12月の始めだから、今の季節とギンナンが結びつかなかった。もう実はなってるんだ。
 今年もまた神宮外苑のイチョウ並木を見に行こう。

鳩山会館パート2-5

 ミカンももうたくさんなっていた。まだ夏の延長戦をやっているかと思いきや、すでに秋の向こうで冬が着々と準備を進めている。ここからは季節が一気に加速していくから、こちらも遅れないように進んでしかないといけない。
 それにしてもこの庭はバラエティーに飛んでいるというか、いろんな草木がとりとめもなくたくさん植わっている庭だ。

鳩山会館パート2-6

 廊下に置かれた絵画のようなヒマワリ花瓶。ゴッホの「ひまわり」を思い起こさせる。品種としてはなんだろう。ゴーギャンでもないし、マチスとも似てるようで違う。ヒマワリも品種が多くて区別をするのが難しい。

鳩山会館パート2-7

 グラスや食器なんかに関してはまったく知識がないから、こういうのを見てもきっと高いんだろうなと思ってそれ以上のことは分からない。こういう無駄なところにお金をかけられるかどうかが真の金持ちとそうでない金持ちとの差なのだろうか。
 このグラスは実際に昔から使われていたものなのか。デザインとしては古そうな気もするけど、どうなんだろう。

鳩山会館パート2-8

 応接室やサンルームとつながっている食堂は、開放的ではあるけど食事をする空間としては少し落ち着かない。そもそも庶民の私からすると広すぎる家自体が落ち着かない。食事もテレビのある居間でしたいし、必要なものは身の回りに置いていつでも手に取れるようにしておきたい。
 ヤドカリが自分の身の丈に合った貝殻を選ぶように、私もまた狭い家を選ぶ。いくら大金持ちになっても広い家に住みたいとは思わない。負け惜しみとかではなく。

鳩山会館パート2-9

 お金持ちの大きな家は、お呼ばれするだけで充分だ。遊びに行くにはよくても住むとなると大変すぎる。不便なことも多い。子供の頃からそこで育っていれば、それが当たり前になるのだろうけど。
 玄関を出て、振り返って見上げるとそこには鹿の首。このセンスだけは共感できなかった。もし私がここのうちの子だったら、あれだけは降ろしてくれと泣いて頼むだろう。
 鳩山会館は、普通のトーンでいいところですよとオススメできる場所だ。ハイトーンでもロートーンでもなく、地声で。とりあえず行ってみて損はない。建物としても、内装も、歴史的な価値を考えても、ここはいいところだ。魅力という点でいうと横浜の山手の方が上かもしれないし、建物としての存在感は古河邸の方が印象が強いけど、鳩山会館はトータルとしてのよさがある。外観と庭だけでなく内部もしっかり見せてくれるのがありがたい。
 鳩山由紀夫、邦夫兄弟に対する見方もかなり変わった。ずいぶん親しみが持てるようになった。元タカラジェンヌのパンチの効いた由起夫のカミさんも好きになれそうだ。

 東京の洋館や古い建物もけっこう巡ってきた。けど、まだ他にもいろいろ見られるところが残っている。今日話題に出た朝倉文夫のアトリエだった朝倉彫塑館、旧東京音楽学校奏楽堂、渋沢栄一の青淵文庫、柴又の山本亭など、今後もひとつずつ回っていくことにしよう。横浜の山手もまだ3分の1を残している。
 名古屋にはあまり洋館というのは残っていないのだけど、次の週末に行く予定の豊橋にはハリストス正教会や豊橋市公会堂、愛知大学記念館などがある。時間があれば寄ってこようと思っている。
 この調子でいくと古い建物好きが高じて、そのうち廃墟巡りとかしてしまいそうだ。そうなったら誰か私を止めてください。

ちょっと総理大臣の家まで行ってきましたと言える鳩山会館

施設/公園(Park)

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 鳩山一族と聞いて即座にピンと来る人はそれほど多くないかもしれない。私も最初、鳩山会館と聞いて、なんのこっちゃと思った。あの鳩山一郎の鳩山御殿じゃないかと言われても、どの鳩山だよと思う。
 よくよく考えてみると、戦後自由民主党(当時は自由党)の結成に尽力して、初代自民党党首で総理大臣になった鳩山一郎をよく知らなかった私にも問題がある。ただ、佐藤栄作や田中角栄ほどの知名度はない首相だから、私同様鳩山会館と聞いてすぐに鳩山一族を思い浮かばなかった人もたくさんいるに違いない。だいたい、会館という名前が紛らわしい。公会堂とか市民会館みたいなものを連想してしまいがちだ。
 調べてみると、その鳩山一族が暮らしていた洋館が一般公開されているという。元首相の家なんてのはそうそうお邪魔する機会もない。入れてもらえるものなら是非入れてもらおうではないかと、我々は庶民らしく自転車で鳩山邸に乗り付けた。
 立派な門をくぐったところで自転車を置き、そこからはふんぞり返ると後ろにひっくり返って転げ落ちそうなほどの急坂を登って玄関を目指す。丘の上にある家に行くには坂道と相場が決まっているにしてもこの坂はきつい。S字を描いていて、足腰と心臓の弱い人は登り切れずにあきらめて帰ってしまうかもしれない。
 道の両脇には桜の木が植えてある。春になるとここの桜が見事なのだそうだ。他にも木々や草が生い茂っていて、蚊がすごい。逃げるように坂道を登った。屋敷の中でも何ヶ所も蚊取り線香を焚いていた。

鳩山会館-2

 坂を登り切ると目の前に玄関がある。そこから入り口までは階段だ。赤絨毯も敷いてある。ややひるんで及び腰になっていると、入り口の扉が開き、上品な女性がいらっしゃいませと我々に声をかけてくれた。そこまでいったらもう引き返せない。2人分の入館料1,000円を払ってお邪魔させてもらうことになった。
 上を見上げると、鹿の顔と飛び立つ白鳩がいる。趣味の良し悪しは別にして、いかにもお金持ちのお屋敷アイテムだ。部屋の中に熊の毛皮が敷かれたりしてないだろうかと心配になる。いや、それは田舎の猟師の家か。お金持ちは虎の毛皮だろう。いずれにしても毛皮関係は勘弁して欲しいところだ(もちろんそんなものはなかった)。

鳩山会館-3

 入り口から入ってすぐ、いきなり部屋が3つ、つながって並んでいる。写真に写ってるのが第二応接室で、手前に第一応接室、奥には第三応接室(食堂兼用)となっている。この構造は不思議だ。かなり変わっている。一般公開用に扉が全部開け放たれているというのもあるのだろうけど、かなり開けっぴろげな印象を受けた。よく言えばオープンだし、逆に言えば密室感がなくて落ち着かない気がする。
 独立した一つの椅子は鳩山一郎愛用の椅子で、ここが定位置だったようだ。この応接室はしばしば政治の重要な会合に使われた場所で、大勢の政治家がこの部屋を訪れている。自由党結成の相談がなされたのもここだったし、日ソ国交回復の準備も行われたという。
 各界のVIPも訪れ、水原監督や川上繁も来ている。一郎の孫である前民主党代表の鳩山由紀夫が桜を見る会(観桜会)を毎年開いていて、政党を超えて土井たか子や志位和夫なども顔を揃えるそうだ。最近では麻生太郎も4月にこの部屋を訪ねている。向かって左手の椅子に座ってワインらしきものを飲んでいる写真を見た。背景に同じ時計が写っていたから間違いない。
 鳩山由紀夫の弟で、現職の法務大臣である鳩山邦夫も兄と共にこの家で育った。子供の頃は芝生広場で一緒に野球をやったそうだ。弟の方が学校の成績はよかったようで、今は紆余曲折を経て違う政党の政治家になった。アニキの方が変わり者だから、それほど負い目には感じてないのかもしれない。
 政治一家の始まりは、一郎の父親である和夫からだった。生まれは江戸時代の人だ。早くからアメリカへ渡った学問の人で、外務省、教授などを経て、34歳のときにはすでに現在の早稲田大学(東京専門学校)の学長にまでなっている。どれだけ優秀だったか知らないけど今ではちょっと考えられない若さだ。37歳のときに衆議院銀に当選して、39歳で衆議院議長となる。出世も早かったけど亡くなるのも55歳と早かった。
 一郎の息子であり由起夫、邦夫の父である威一郎も政治家で、外務大臣をつとめている。四代に渡って政治家を出し続けているわけだ。
 その次の第五世代はどうかというと、由起夫の息子は大学関係、邦夫の息子は東京都議会議員に一度当選して二度目で落選。さて、今後はどうなっていくことか。

鳩山会館-4

 シャンデリアにステンドグラスにサンルーム、お金持ち御用達アイテムが過不足なく揃っている。ただ、部屋自体はさほど広くもなく、調度品もこれ見よがしに豪華絢爛というわけではない。全体的な趣味もよく、嫌味なところがないて好感の持てるお金持ちの家だ。冷たい感じもないし、落ち着いた雰囲気も持っている。実際にここで家族が暮らしていたという温もりが残っているのだろう。
 一郎の死後、かなり老朽化が進んで取り壊しの話も出たそうだ。それでも結局は壊さずに一般公開を実現したのはありがたいことだった。ここは都や国の文化財指定を受けていない。今でも鳩山家の持ち家のままだ。当主は威一郎氏の妻で由紀夫、邦夫兄弟の母である安子さんとなっている。受付の人も鳩山家の人なのかもしれない。
 それにしてもこれは鳩山家は資産家だからできたことだ。平成7年に行われた大改修には6億5,000万かかったといわれている。民主党を結成したときの資金も大部分が鳩山家の資産から出たという話もある。それは由起夫が当然初代代表になるわけだ。由起夫さんいわく、オレは自転車に乗れるから庶民だそうだ。そんな金持ちの坊ちゃん育ちの庶民はいない。
 一般公開は平成8年から始まってるから、もう10年以上になる。1人500円ではいつになったら6億5,000万円を取り返せるのだろう。

 建物の設計は、一郎の親友であり、当時の日本を代表する建築家だった岡田信一郎がおこなった(丸ノ内の明治生命館が有名)。最初他の人に設計を頼んだら岡田がなんで自分に頼まないんだと怒ったそうだ。それであらためて岡田に頼んでこの洋館は完成した。謝礼は一切受け取らなかったという。
 音羽の丘の上に洋館ができたのが関東大震災の翌年大正15年だった。近所の人は音羽御殿と呼んだそうだ。
 外観はイギリス風で、鳩やミミズクをモチーフにした装飾や、アダムスタイルの応接室なども岡田信一郎が設計を担当している。いかにもハイカラな洋館というよりも、暮らす人のことをよく考えて作られていて、形式はけっこう崩れているという。親友の家を自分のための作品として作るつもりはなかったからだろう。
 海外の建築に憧れ、誰よりも海外様式に造詣が深かったといわれる岡田は、生涯一度も海外へ行くことはなかった。自分の目で実際に見なかったことが良い方に作用した部分もあったに違いない。それは、誰よりもニューヨークを愛し、誰よりもニューヨークに詳しかった植草甚一が実は一度もニューヨークへ行ったことがなかった(晩年に行くことになる)というエピソードに似ていて私は好きだ。

鳩山会館-5

 サンルームというのはとても贅沢な空間の使い方だけど、どの洋館へ行ってもやっぱりサンルームはいいよなぁと思う。悪いサンルームというのは見たことがない。太陽の光がふんだんに差し込む部屋というのは、人の気持ちを優しくもするし温かくもする。暗い家に住むのは精神的によくない。人工の光をいくら集めても太陽光にはかなわない。
 ここの屋敷は重要文化財とはではないので、マナーを守れば椅子に座ったり多少は触れたりしてもかまわない。サンルームでは無料のお茶マシーンが備え付けられていて、ここでくつろいで飲むこともできる。応接室のソファーはふんぞり返るにふさわしい座り心地だった。無印良品のソファーとはモノが違った。

鳩山会館-6

 建物は3階建てで、2階までは上がることができる。
 赤絨毯の階段は庶民の家にはないものだ。

鳩山会館-7

 踊り場には大きなステンドグラスがはめ込まれている。和風の絵柄というのはちょっと珍しい。五重塔らしきものはどこから出てきた発想だろうか。鳩山家だけに鳩もたくさん飛んでいる。
 実際、鳩山家は鳩を大事にしていて、いたるところで鳩のマークやオブジェなどがあった。かなり鳩が好きらしい。鳩サブレーとコラボレーションしたら何か作れそうだ。鳩の方は鳩山があまり好きではないのか、一羽も姿を見せなかった。庭が鳩だらけでもいいくらいだけど、鳩はフンで汚れるから、実際に鳩が来たら追い払ってる可能性はある。

鳩山会館-

 純和室もあって、母親か奥さんの部屋かと思ったら、改修のときにあらたに作ったものだった。洋館の中にあって独特の和空間としてすごく落ち着くなと感心したのに。
 ここは一応、一郎の妻である薫の記念室という扱いになっていて、ゆかりの品などが並べられていた。共立女子学園理事長などをつめて女子教育に尽力した人らしい。昭和41年には勲一等瑞宝章を授与されている。
 改修の際に他にもあちこち手が加えられていて、2階は完全にオリジナルの姿をとどめているわけではない。
 その他の部屋としては、一郎、威一郎の記念室があって、そちらは撮影禁止になっていた。成績表や持ち物などがいろいろ展示されていてちょっと面白かった。

鳩山会館-9

 この大広間も改修工事のとき作られたもののようだ。いくらハイカラ趣味でもこの空間は無駄に贅沢すぎる。首相といえどもダンスパーティーを頻繁に開いていたわけでもあるまい。
 現在ここは写真撮影やちょっとした催し物を開催するために借りることができるようになっている。結婚式もできるようだ。ただちょっと面白かったのは、ゴスロリやパンクファッションの人は入館が断られるというシステムだ。前に女性ファッション誌がゴスロリの似合う場所という特集記事を書いて、それを見たそっち系の人が大挙して押し寄せてトラブルになったことがあったんだそうだ。確かにここはそういうのが似合いそうだし、モメてる様子も想像できる気がする。
 この日は祝日で、そこそこ訪れる人がいた。見たところ10人か15人くらいだったろうか。昼過ぎには団体客もやって来るらしい。鳩山だけにはとバスで。いや、ホントにはとバスツアーに鳩山会館も組み込まれているので、ゆっくり見学したい場合は1時くらいは避けた方がいいかもしれない。
 月曜定休。最寄り駅は、地下鉄有楽町線の江戸川橋駅か、護国寺駅になる。どちらからいっても徒歩7、8分だろう。

 ゆっくり見させていただいたのでそろそろ帰ることにする。写真もたくさん撮った。撮った写真を一回では使い切れなかったので、もう一回鳩山会館写真が続く。

彼岸花の持つ暗いイメージを覆す巾着田の明るい曼珠沙華群生地

観光地(Tourist spot)
巾着田の彼岸花

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 今日は巾着田で撮った彼岸花の写真をお送りします。人混みの中で傘を差しながらの撮影は厳しいものがあったけど、ツレに助手役をやってもらいながらなんとか撮ってきた。あの状況ではひとりで行っていたらほとんど何も撮れずに終わっていた。

 巾着田の彼岸花が全国的に有名らしいということを知ったのは、出向く一週間くらい前のことだった。それまではそんな情報はかけらも知らなかった。私が世間に疎いだけなのか、言うほど有名ではないのか、どちらだろう。関東地方の人には馴染み深いものなのか。
 東海地方では、半田の矢勝川がよく知られている。新美南吉の故郷であり、童話「ごん狐」の舞台ともなった場所だ。彼岸の頃になると土手が一面真っ赤に染まり、大勢の人が見物に訪れる。
 しかしなんといっても巾着田は埼玉県で東京から1時間半の関東エリアだ。全国から人が集まってきても不思議ではない。実際、観光バスも続々と乗り込んできていた。あれも遠くからのツアーだったのだろう。あの現地の様子を見せられたら、日本一というのもそうなんだろうなと納得するしかない。

 巾着田が彼岸花の名所となったのはわりと最近のことだ。遊んでいて草ぼうぼうになっていた高麗川沿いの土地を日高市が買い取って、さて何に使おうかという話になったのが昭和40年代後半のことだ。これといったアイディアも浮かばないまま時が流れ、平成元年(1989年)にとりあえず何にするにしてもまずは整備しなくちゃいけないと草刈りをしたところ、思いがけず彼岸花の群生地が顔を出した。これがのちに日高市にとって大きなドル箱になるとは、このときはまだ誰も思わなかったことだろう。中にはもしかしてこれはいけるかもと思った人も少しはいただろうか。
 それからほどなくしてここの彼岸花が近隣住民の話題にのぼるようになり、マスコミにも取り上げられて少しずつ遠くからの見物人が増えていく。まだこの頃は観光地ではなく、ちょっとした地方の名所程度の存在だった。
 現在のように全国区の観光名所となったのは、ここ10年くらいのことだ。地元の人たちが根を掘り起こして整理して埋め直すという作業を繰り返すことによって、その本数は100万本を超えるまでになった。今では押しも押されもしない激混みスポットだ。いや、押され押しまくる激混みスポットと言った方がいいかもしれない。狭い通路を歩くのもままらない。
 巾着田の名前の由来は、高麗川の蛇行で作られた土地の形が巾着(きんちゃく)に似ているところから来ているそうだ。ただしその形を目で見て確認するためには、日和田山(ひわださん)の山頂近くの二の鳥居まで30分の道のりを歩かなければならない。ナスカの地上絵みたいだ。



彼岸花の群生

 このあたり一帯を地元では「巾着田曼珠沙華公園」と称しているようだ。あわせて3万4,000平方メートルの土地に130万本の彼岸花が群生している。早咲き、遅咲きのようにエリア分けされているので、見渡す限り一面の彼岸花を想像していくとやや拍子抜けするかもしれない。ただ、数は圧倒的だ。この規模はすごい。半田などでは勝負にならなかった。
 主に高麗川沿いと、雑木林の中に固まって咲いている。特に雑木林の中に咲く風情が独特で素晴らしい。
 高麗川も、晴れた日にはもっとよかっただろう。清流と呼んでいいほどきれいな水で、カワセミなどもいるそうだ。この日はアオサギとダイサギとカルガモを見かけた。
 見頃は例年彼岸の日あたりということで、今年は秋になっても暑い日が続いているので少し遅れた。ちょうど今日あたりが早咲きのピークだったらしい。私たちが行った23日は少し早かった。遅咲きの方もようやく咲き始めといったところで。10月の始めまでは充分楽しめそうだ。



雑木林の彼岸花

 一番多くの人が狙っていたのがこの場所だった。なるほど、木の造形と彼岸花の取り合わせがいい。見ようによっては人影が彼岸花畑の間を駆けているようにも見える。まだ隙間が多いけど、雨に濡れた黒い木肌と彼岸花の赤と緑の組み合わせに風情があった。
 今日のニュース写真では、ここも一面真っ赤に染まっていた。見渡す限り赤の世界というのは、不気味なようでいて不思議に心惹かれる美しさだ。彼岸花というのはなんとなく薄暗くて不健康なイメージがあったけど、ここの群生を見て考えが変わった。ここまで揃うと、それはもう見事としか言えない。文句なしにきれいだった。



彼岸花ベストポジション
 同じ場所から少し角度を変えて。緑を多く入れて、赤い川のようになった。
 左側に土手があって、駐車場とコスモス畑が広がっている。これより奥は遅咲きエリアなので、まだあまり咲いてなかった。奥まで行くと人もやや少なくなって、一息つける。人気ポイントはすれ違うのもやっとだから。
 ここはもう少し整備して、順路を作った方がいいと思う。三叉路などでは三方から人が流れ込んできてひどい渋滞になる。通路を一方通行にすれば、もっと人の流れもスムースになるし、写真撮り待ちでつっかえることも少なくなるはずだ。入り口から出口までというふうにせず周回路を作るくらいの通路はあった。あと、せっかくだから上から見下ろすための物見台も欲しい。小さい見晴台は混雑を避けるためか、封鎖されていた。



白い彼岸花

 白い彼岸花も少し咲いていた。ちょっと珍しいけど、すごく珍しいというほどのものでもない。



彼岸花を写す

 マクロレンズを持っていなかったから、アップの写真はあまり撮れなかった。雨の中のレンズ交換も厳しかった。



彼岸花アップ

 更に寄ってみる。ここまで寄るとやっと水滴が見えて雨らしさが出る。



遅咲きの彼岸花

 奥の遅咲きのところ。今日あたりはこのへんももっと咲いていることだろう。彼岸花も咲き始めれば、あとは終わりに向かって駆け足となる。枯れ始めた彼岸花はなんとも絵にしづらい。



コスモス畑

 せっかくなのでコスモス畑も少しだけ寄っていった。晴れていたらこちらもゆっくり歩いてみたかったけど、ここは休耕田で歩く道はあぜ道。それ以上どろんこ道を歩く気にはなれず、入り口で写真だけ撮って帰ることにした。
 おそらく最初で最後になるであろう巾着田の彼岸花は、雨の記憶と共に私の中に深く刻まれることになりそうだ。

 巾着田の彼岸花は、いくらかの問題を抱えつつも、やっぱりオススメせざるを得ないという結論になる。遠いし、人は多いし、観光地としての整備も不十分で快適な散策にはならないかもしれないけど、それでもここの彼岸花には特別な魅力がある。彼岸花群生地の常識を覆すところような。河原や田んぼに咲く彼岸花とはずいぶん趣が違っていて、それまで自分の中にあった彼岸花のイメージが大きく変わった。意外といいじゃん、彼岸花、とここを訪れた多くの人が思ったんじゃないだろうか。
 巾着田の彼岸花を見てなければ、彼岸花は暗い花という思い込みのままずっと過ごすことになっただろう。これからの私は、彼岸花が好きかと訊かれたら、迷わず嫌いじゃないと答えることができる。巾着田の彼岸花がとってもよかったから、と。まだ大好きとまでは言えないにしても。
 チャンスがあればぜひ一度訪れてみてください。
 

日本一の彼岸花名所を侮りすぎていた我々が目にした激混み巾着田風景

観光地(Tourist spot)
西武池袋線高麗駅ホーム

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 連休初日の23日、私たちは少し早起きをして、埼玉県日高市にある彼岸花の名所、巾着田(きんちゃくだ)へと向かった。池袋から西武池袋線の黄色い列車に乗って、最寄りの高麗駅(こまえき)に到着したのが午前10時30分。うひょ、こりゃ混んでるなぁ、というか激しく混んでますよ。アジサイのときの北鎌倉駅並ではないですか。びっくり仰天。前の日に新聞に載ったからちょっと混んでるかもね、などとのんきにしゃべりながら軽い気持ちで出向いていった我々は、ここで事態の深刻さを初めて知ることとなる。まさかこれほどの人混みとは想像もしていなかった。あとから知ったところによると、朝っぱらの6時くらいからすでに大勢の人が訪れていたんだとか。それは恐れ入りましたと謝るしかない私たちであった。
 しかも悪いことに雨が降り始めてきた。天気予報では午後から天気が崩れるということだったからあえて午前中に行ったのに、予想は外れた。おかげで雨の中での悪条件での撮影となり、靴もパンツもドロドロのずくずくになった(私の風邪ひきの要因もここにあったのだ)。
 なにはともあれ、ここまで来てしまったからには引き返すわけにもいかない。傘は二人で一本の折りたたみ傘しかなくても雨天決行だ。ゾロゾロと続く人波に従って私たちも現地を目指すことにした。



混雑する高麗駅

 ローカル線の駅が、この時期ばかりは新宿駅を超えるような混雑となる。昔は私も人混みが苦手だとか言っていたものだけど、最近はそんなことも言っていられなくなった。どこ行っても混雑に巻き込まれてしまうものだから、すっかり慣れてしまった。悟りの境地に達したと言ってもいいかもしれない。何故混むのか? それはみんな見たいものが一緒だからだ。仕方がない、みんな仲良く見ようではないか。前が詰まって動かなくなったら動くまで待とう。靴を踏まれてもいえいえ大丈夫ですよ、気にしないでください。もはや仏になる日も近いか!?
 駅の構内も全面的に彼岸花を押し出してくる。鉄道も池袋から直通のレッドアロー号という特急を臨時に走らせている。私たちの乗った西武池袋線はぎりぎり満席という程度だったけど、特急は早くから満席になっていたようだ。
 何しろ巾着田の彼岸花は日本一ということになっている。かつては数万本程度だったものを地元の努力で100万本まで増やして宣伝を打った結果、今では期間中だけでも30万人以上が訪れる立派な観光地に成長した(年間では80万人)。
 おかげでかつては無料だった自生地も、今では周りを取り囲んで入場料200円を徴収するようになった。駐車場は1回500円と抜かりはない。もちろん普段はタダの場所だ。こういうシステムは当たり前といえば当たり前なのだけど、なんとなくしてやれた感があってチェッとか思ってしまう。仏への道のりは遠い。



彼岸花とそれを写す人たち

 今回も写真が多くなってしまったので、2回に分けることにした。一回目の今日は、彼岸花とそれを取り巻く人々というテーマで写真を集めてみた。これだけ大勢が見に来てるのだから、人が入ってない写真を撮るなんて無理なこと、それならいっそのこと人がたくさん入った写真を撮ってしまえというのが私のスタイルだ。人が占める割合を半分くらいまで増やしてもいい。人が撮りたいというわけではないけど、人がそこにいて自分も同じ空間にいて、みんなでその場を共有してる感じが写せればいいなと思っている。
 途中から雨が激しくなってきて、彼岸花を撮ること半分、デジとレンズを守ること半分くらいの感じになってしまった。



彼岸花とカップル

 雨の彼岸花というのもなかなか風情があっていいのだけど、雨そのものが写るわけではないし、なんとなく彼岸花がスカスカな感じに写ってしまうのは残念なところだ。やっぱり光があった方が楽しい。



撮影者のレンズ

 みなさんいい機材を持っていて、三脚組もいた。有名な花名所には高級機材が揃う。


 
彼岸花と人々

 500メートルほどの間に彼岸花が密集するように群生している中、やけに人が固まっている地点がある。こういうところは魚がよく釣れるポイントと一緒で、撮りどころである可能性が高い。撮る場所に迷ったら、一番人が集まっているところに行けば、大きく外すことはないものだ。
 気合いカメラの人々の背後に回ってみると、なるほどねと納得するものがあった。この日のこの場所が、まず間違いなくベストポジションだった。みなさん、よく見てる。



濡れても撮る

 別の角度から見ると、こんな感じになっていた。自分が濡れるなんて気にもとめず、カメラだけビニールなどをかぶせて脇目もふらずに撮っている人もいた。我々とは最初から気合いが違っている。



お弁当の人たち

 雨の中、河原に座ってお昼を食べる人たち。これもなんだかすごいなと感心してしまった。昼ご飯への執念を見た。
 ここは屋根のある場所がほとんどないから、雨が降るとどうしようもなくなる。晴れていたら河原でも土手でも食べたり休んだりするところはたくさんあるのだけど、観光地としての整備がもうひとつ整っていない印象を受けた。この時期限定とはいえ、気持ちよく迎え入れて帰ってもらうにはまだいろいろと改善の余地がある。駅から現地へも徒歩10分と書いてあるけど、あの混雑の中ではとてもじゃないけど10分じゃ着けないし、大回りすぎるからなんとかできないものかとも思う。今後は花の数を増やして日本一がどうこうよりも、施設的な部分にお金を使った方がいいんじゃないかと思った。



苔を撮る

 雨に濡れる苔とかも撮ってみる。

 2回目の次回は、人があまり入ってない彼岸花写真編になる。今回とあまり変わり映えはしないのだけど、現地の様子が伝わるといいなと思っている。
 つづく。
 

風邪ひきで一日遅れの再開はフォトコン報告から

カメラ(Camera)
フォトコン-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm(f1.4)



 東京で風邪をひいて、ブログ再開が一日遅くなった。
 かなり久々のダウンだったけど、一日で復活したのは上出来だ。もう大丈夫なので、差し入れはマスクメロンでも高級マンゴーでも松坂牛でもなんでも食べられます。辛抱強く待ってます。

 今月も「デジタルカメラマガジン」のふぉとコンは佳作だった。
 前回よりも今回の方が嬉しかったのは、一回目はたまたまのまぐれ当たりだったかもしれないという疑いが強かったから。ふた月連続は素直に嬉しかったし、これから写真を撮り続けていく上で励みにもなった。人に評価されるために撮るわけじゃなくても、評価されることは喜ぶべきことだ。人に誉められてケッと思うほど私は人間がヒネていないのだ。自分で思う以上に誉められて喜ぶタイプなのかもしれない。
 期せずして選ばれたのは2回連続で「撮る人を撮る」写真になった(前回は「江ノ電を撮る人たち」)。1年半の間に、何枚も応募してる中でこの2枚だけが選ばれたということは象徴的なことだ。おまえはこういうのだけ撮っておけということだろうか。確かに人がいる光景こそが私の一番撮りたいと思ってる写真だから、ここは素直にこの路線でいくべきだろうとも思う。「撮る人を撮る」は今後シリーズ化していこう。

フォトコン-2

 選ばれたといってもまだ佳作。上には入選も優秀賞もある。その差は決して小さいものではない。私自身もまだ大きな隔たりを感じている。
 一概にいい写真というものがどういうものかを決めるのは難しいところなのだけど、自分の中の会心の一枚というものが撮れたら、それがいい写真ということになるのだろうと思う。それは他人の評価とは関係ない。私はまだ、そういう写真は一枚も撮れたことがない。頭の中のイメージにだけ存在するそんな一枚を求めて、これからも写真を撮っていこうと思っている。
 趣味でも遊びでもなんでも、どうせやるなら上手くなりたい。下手よりも上手くできた方が楽しいから。

東京行きの前に長久手田んぼ写真

自然(Natural)
長久手田んぼにて-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f3.5-5.6 IS



 連休中は東京にいます。

長久手田んぼにて-2



長久手田んぼにて-3


長久手田んぼにて-4


 更新再開予定は火曜日です。
 ちょっといってきます。

いけるときにいっておかないとすれ違って終わってしまうから、今D100

カメラ(Camera)
D100試し撮り-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm f3.5-5.6


 明日から東京行きなので、今日は写真を並べて寝てしまう。長々と書いている時間がない。でもただ写真を並べるだけでは芸がない。ここはひとつ、いつもとは違うデジで撮った写真にしてみよう。
 ということで、NikonのD100の登場となった。あれ? 私そんなの持ってたっけ? 持ってませんよ、買いましたよ。しかもレンズは手ぶれ補正のVRレンズじゃないか。うーん、いつの間に。いろいろ経緯はあったんだけどその説明は省くとして、とにかく今手元にあるのでこうなったら使うしかない。おそらく所有期間はさほど長くはならないだろう。カメラも縁というのがあって、買えるときに買っておかないとそのまますれ違ってしまう。買えるときは買ってしまうのが正解なのだ。という、かなり強引な理屈をつけて自分を納得させた。
 弟分であるD70との付き合いは短かった。どうも色合いがしっくりこなくて3、4回持ち出しただけで手放してしまったけど、あの頃はまだデジというものも写真というものもよく分かってなくて使いこなせなかっただけということもあった。チャンスが会ったらもう一度買い直そうと思っていたところにD100の値下がりというタイミングで出会うこととなった。どれくらい違うものなのか前から一度使ってみたいという思いもあった。
 D70の感触はあまり覚えてないのだけど、D100の方がやはり作りは上だ。特にシャッターがいい。このマイルドテイストはE-1にも通じるものがある。PENTAXの入門機のようにパコーンなんて音はしない。
 操作系はかなり煩雑で分かりづらい。設定できる項目も多くてマニュアルを読まないと使いこなせそうにない。この時代は中級機といえども半ばプロユースを想定して作られたものだろうから、こんな複雑なことになってしまったに違いない。Nikonというメーカーは特に独自性が強いから他のメーカーを使い慣れてると戸惑うことも多い。
 あ、いけない、カメラ話をしてたら長くなってきた。今日の私は時間がないのだ。こんなおしゃべりをしてる場合ではないぞ。ここからはササッといこう。
 なんて言いながら、明日出かける前にもう一回更新することになるかもしれないけど。

D100試し撮り-2

 道ばたや民家の前なんかで最近よく見かけるやつで、なんて花なのか気になっていた。こういうつぼみような咲き方なのか思ったら、この前咲いているところを見た。
 調べてみると、どうやらチョウセンアサガオの一種のようだ。ただ、ヨウシュチョウセンアサガオ、シロバナヨウシュチョウセンアサガオ、アメリカチョウセンアサガオなど、いろいろ種類があるようで、これが何なのかまでは調べる時間がなかった。宿題とする。それに咲いているところも撮りたい。前に見たときはあまりにも人通りと車通りが多い場所で、バッグからデジを取り出して撮るのをちゅうちょしてしまったのだった。

D100試し撮り-3

 西日を受ける萩。ヤマハギだろうか。
 萩に対しては特に思い入れもないけど、これを見ると否が応でも秋を思わずにはいられない。
 そういえばそろそろ中秋の名月だ。来週の火曜だったか。おはぎも最近食べてないから、久しぶりに月を見ながら食べてみよう。思い出したら無性に食べたくなってきた。

D100試し撮り-4

 ここではまだ夏が頑張っていた。光を透かしたモミジアオイの赤がきれいだ。キバナコスモスも秋よりも夏のイメージが強い。晩夏から秋にかけて長く咲いている花ではあるけれど。

D100試し撮り-5

 特に意味はないけど、この風景はよく撮っている。東山方面だ。
 24-120mmの広角はNikonの場合1.5倍だから36mmになる。ここ最近24mmの世界を知ったから、36mmが狭く感じる。望遠側が180mmだから、このレンズの画角は標準レンズとしては少し中途半端だ。もともとフィルム用に開発されたものだから仕方がない。

D100試し撮り-6

 この色合いはいかにもNikonの色だ。最近のNikonもD50、D80あたりからずいぶん鮮やかで抜けがいい方向性に変わってきてるけど、この頃のNikonはこんな色をしていた。良く言えば暖かい色、悪く言うと黄色く濁ってる。特に空の色がどうも気に入らなくてD70を手放したことを思い出した。このあたりの色合いはRAWで撮ってホワイトバランスや色合いを調節しても上手く好みの色に近づけることができない。画質というのは単に解像度やクリア感やノイズだけで決まるものではなく、メーカー特有の色味というものもある。それはいい悪いではなく、個人の好みの問題だ。私はやっぱりPENTAXの色が好きだとあらためて思う。Canonは抜けすぎて薄味すぎる。

D100試し撮り-7

 まともな夕陽の逆光で、不思議なゴースト(というのか)が出た。なんだこのびよ~んと曲がった光の筋は。これは本体ではなくレンズの仕業だ。デジタル用のコーティングがされてないからだろう。個人的にはこういうのも嫌いじゃない。味として楽しめばいいと思ってる。
 こういうコントラストの強いシーンはNikonが得意とするところだ。黒つぶれが出ても不自然じゃないシーンにおいては、他のメーカーにはない深い味わいが出る。

D100試し撮り-8

 個人的に懐かしのシーン。おととし2005年の3月に初めてレンズ交換式のデジタル一眼レフCanon D30を買ったとき、ここで試し撮りをした。あれはまだ愛知万博が始まる前だった。それと同じ場所に2年半ぶりに戻ってきたのは感慨深い。あのときと比べるとずいぶん画質は上がっている。デジの世代としてはD30もD100それほど変わってないけど、たぶん自分も少しは成長してるからだろう。
 万博の2周年を記念して、22、23日の連休に愛・地球博記念公園で夜まつりが行われる。午後5時から9時まで(23日は8時まで)、外国料理店やグッズショップなど15店が出るそうだ。万博ロス症候群の愛知県民が大挙して押し寄せることとなるだろう。私も家にいたら行きたかったけど、その日は東京だ。

D100試し撮り-9

 VRレンズの手ぶれ補正効果はどうかといえば、効いてる感じはないけど効いてることは確かなようだ。Canonの手ぶれ補正はジージー小さくうなって頑張ってるなと分かるのだけど、Nikonは静かすぎて動いてるのかどうか分からない。でもオフにするとやっぱりブレるから動いてるのだろう。撮れた写真でも効果は認められる。まだ限界がどのあたりなのかまでは掴んでない。1/2秒でもけっこうブレたから、ボディに内蔵してるK100の方が効果は高そうだ。レンズ内補正だとファインダーで揺れを確認できるから使いやすいというのはある。

D100試し撮り-10

 やっぱり手ぶれ補正は効いてるようだ。これくらいの暗さでも止まってる。細い電線もつぶれずに残った。
 けど、このレンズ、定価9万4,000円という割に描写は高級レンズとまではいかない。F値も3.5-5.6と暗いし、標準レンズにEDレンズと手ぶれ補正を加えただけといったところか。廉価レンズよりは数段上にしても、D70レンズキットのED18-70mmにも解像度で負けるかもしれない。

 まあ、いろいろ書いたけど、おおむねD100はいいデジだと思う。入門機とは確かに違った存在感があるし、持ったときも撮るときもその気にさせてくれる。このあたりは言葉では上手く説明ができないのだけど、作り手の情熱と思い入れが使い手にも伝わるからだろうか。定価30万はダテじゃない。
 何にしてももうしばらく使ってみないことにはなんとも言えない部分も多い。ちょっと手持ちのデジが増えすぎてるけど、整理するまで交代で使っていくことになるだろう。最終的にはPENTAXのK10D一本で落ち着きたいのだけど、Canonの20Dも捨てがたいし、一本化するのは難しそうだ。
 東京はK100Dと最低限のレンズという軽装で行く。さて、どんな写真と出会えるだろう。

いつかデンパークがもっとデンマークらしくなるようにと願いを込めて最終章

施設/公園(Park)
デンパークとデンマーク-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 デンパーク最終回は、メイン施設である大温室フローラルプレイスを紹介しつつデンマークについて少し勉強してみたい。デンパークが思いのほかデンマークではなくてがっかりしてしまった私だけど、じゃあデンマークについでどれだけ知っているんだと訊かれると答えに詰まってしまうくらいよく知らない。日本で普通に暮らしている中でデンマークの話題が出ることはほとんど皆無に等しい。デンマークのニュースなどテレビではやらないし、デンマーク人が道ばたを歩いているわけでもなく、デンマーク料理の店が近所にオープンしたなんて話もついぞ聞かない。せいぜいスポーツの世界でたまに見かけるくらいなものだ。海外旅行へ行こうとなってもデンマークというのはかなり優先順位が低くなる。
 そんなわけで、興味がなければ知りようもなく、情報も流れてこないから知識も増えない。デンマークについて詳しい日本人は一体どれくらいいるというのか。日本というのは情報過多と思われているけど、案外外国のことを知らないものだ。名前と場所だけは知っていてもそれ以上のことは知らない国も多い。特に北欧というのは馴染みが薄い。だから、私にとってはデンパークへ行ったことがデンマークについて勉強するいいきっかけになった。あそこへ行ってなければ、もしかしたら一生デンマークについては何も知らないまま終わっていたかもしれない。これを読んでデンマークについて興味を持ち始めた人がいたなら、私もデンパークへ行ったかいがあったというものだ。

 上の写真はデンパーク館という建物だ。入ってないので何をするところかよく分からなかった。催し物や展示、体験教室みたいなものが行われる施設なのだと思う。建物のスタイルとしてはデンマークらしさを装っているのだろう。たぶん。
 手前のいかりのようなものはただのオブジェではなく日時計になっている。日時計とデンマークが関係あるのかどうかはよく知らない。デンマークについての予備知識がある人はほとんどいないはずだから、デンパークはいろんな部分でもう少し説明が必要だ。

デンパークとデンマーク-2

 大温室というわりにはそれほど大きくはない。これで全体の半分くらいだ(3,600平方メートル)。冬は暖かく、夏は蒸し暑い。温室だから当然だけど、この中でミニコンサートなども行われているというから出演者は大変だ。楽器にも悪そうだけどそうでもないのか。
 花よりも緑が多い熱帯温室で、周りにはデンマークの街並みや民家を再現してあり、それが店舗を兼ねている。ここの手前にはおみやげ屋や飲食店などもあり、そちらはエアコンが効いて涼しい。
 温室の中にもみやげ物屋やグッズ屋、レゴで遊べるスペース、貸衣装屋などがある。デンマークに限らず北欧の衣装を着て記念撮影ができるようで、衣装代と写真代で1,000円くらいなので、そんなに高くない。外まで着て出ることができないのなら、犬山のリトルワールドの方が上だ。
 デンパークウエディングというのもあって、ここで結婚式が挙げられる。デンパークで結婚式というのもちょっと考えてしまうけど、イタリア村でするのとどっちがいいか選べと言われたら迷う。

デンパークとデンマーク-3

 ここへきてようやく分かりやすいデンマークらしさに出会えた。人魚姫といえばアンデルセン、アンデルセンといえばデンマークだ。おそらく日本で最も有名なデンマーク人はアンデルセンだろう。人によっては哲学者のキェルケゴールや詩人のイエンス・ペーター・ヤコブセンなんかにも馴染みがあるかもしれない。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『奇跡の海』で知られるようになったラース・フォン・トリアー監督もデンマーク人だ。他にはレゴの創業者であるオーレ・キアク・クリスチャンセンや、サッカー選手のミカエル・ラウドルップあたりが知られたところだろうか。ノーベル賞をとった学者なんかもけっこう出ている。
 アンデルセンの童話は日本でもよく読まれている。グリム童話かアンデルセンかというくらいだ。『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』、『親指姫』、『マッチ売りの少女』など、誰もがなんとなくは知ってる話ばかりだ。けっこう悲しい話が多いのは、北欧という土地柄と、アンデルセンそのものの性格もあったのだろう。晩年の作品は明るい話も多い。
 アンデルセンは独身のまま70歳で死ぬことになるけど、すごく心配性で、寝てるときに死んだと勘違いされて埋葬された男の話を聞いて以来、寝るときは枕元に「死んでません」と書いた紙をいつも置いていたという。本人は大まじめだったに違いないけど、なかなか笑えるキュートなエピソードだ。私もやむを得ず野宿するときは見習うことにしよう。

デンパークとデンマーク-4

 デンマークの木工玩具デザイナー、カイ・ボイスンの作品が入り口近くに飾られていた。コペンハーゲン名物、王立衛兵隊の木製人形だ。けっこう大きい。
 デンマークは正式名称をデンマーク王国というように、1972年に即位したマルグレーテ2世女王がいる国だ。デンマークの王室はヨーロッパで最も古く、最も開かれた王室と言われている。女王が住んでいるアメリエンボー宮殿は塀もなくて、誰でも自由に敷地内に入っていけるそうだ。
 ここで少しデンマークについて基本的な勉強をしておこう。
 スカンジナビア諸国の中ではもっとも南に位置していて、ドイツと国境を接している。緯度はイギリス北部と同じくらいなのですごく寒い国というわけではない。ユトランド半島と4つの大きな島、その他小さな島々からなっていて、面積は北海道の3分の2くらいと北欧ではもっとも小さい。そのわりには人口530万人とスカンジナビア諸国の中では最も人口密度が高い国となっている。
 首都はコペンハーゲン。公用語はデンマーク語で、各地に方言がある。割と英語に近い言語のようだ。南はドイツ語の影響が大きい。
 デンマークは英語読みで、本当の読み方ではダンマルクとなる。アンデルセンも国ではアナスンと呼ばれていて、これはデンマークではとてもあふれた名字なんだそうだ。だから、デンマークへ行ってアンデルセンの住んでいた場所はどこですかと訊ねるのは、日本で伊藤さんちはどこですかと訊くのと同じくらい漠然とした問いかけになる。ホセ・アナスンといえば通じるらしい。
 日本ではデンマークのことを昔はデンマルクと呼んでいた。漢字の当て字は、丁抹。略すと丁となる。これも馴染みがない。
 歴史的にみると、かなり昔から人が住んでいた土地のようで、いわゆるヴァイキングと呼ばれたノルマン人が8世紀から11世紀にかけてデンマークを本拠地にしていた。この頃はヨーロッパの暴れん坊としてこのあたりで大いに幅をきかせていた。イギリスも征服し、アイスランドを発見し、一説によるよコロンブスより先にアメリカ大陸に到達していたという話もある。
 その後スウェーデンなど近隣諸国との戦争を繰り返し、やがて力を失っていった。第一次大戦は中立を守ったものの、第二次大戦ではナチス・ドイツに占領されて戦後を迎える。現在は歴史上の表舞台に出てくることはほとんどなくなった。わりとのんきに平和に暮らしているようだ。ただし、今でも徴兵制度があって、18才から32才までの男子は9ヶ月ほどの兵役義務がある。
 産業としては資源が豊富で、エネルギーには困っていない。石油自給率も100パーセントで、昨日も書いたように風力発電も盛んに行われている。鉱物などもたくさんとれるようだ。
 他の北欧諸国同様、超福祉国家でもある。学校を始め教育に関するものはすべて無料で、医療費も全面的にタダ、手術代もかからない。公共の施設はものすごく充実している。けど、夢のような国だと思うのは早い。税金がものすごいことになっている。一般人でも所得税と市民税などで50パーセント以上とられて、消費税は25パーセントで物価も日本並みに高い。車を買うと180パーセントの自動車税がかかる。200万の新車を買うと360万円になってしまう。いくら公共のものがタダといっても、これはちょっと考えてしまう。逆に言うと、日本など大借金をしてるわりには税金が安すぎるのだ。消費税は10パーセントでも仕方がないし、将来は20パーセントくらいまでいくかもしれない。
 自然あふれる観光地としても人気が高くて、ヨーロッパを始め、世界中から観光客が訪れる。日本人は年間どれくらい行ってるのだろう。私の周りには一人もいないけど、好きな人はよく行くのだろうか。
 国民性は温かくて人なつっこいというから、行ってみれば楽しいところなのだろうけど、私が行くことはまずないと思う。デンパークでさえ今回初めて行っただけなんだから。

デンパークとデンマーク-5

 みやげ物屋に入って、何か記念にデンマークらしいものを買っていこうと思ったのだけど、これがまるで充実していない。缶に入ったクッキーや、ロイヤルコペンハーゲンの食器くらいしか見あたらない。そんなものはここじゃなくても買える。ここでしか買えないようなデンマークグッズが私は欲しかった。なんでそういうものを取りそろえないのか不思議だ。売れるようなものがないのか、デンマークらしさというものが伝わりにくいからなのか。確かにそもそもデンマークのものというイメージが買い手の側にないのだから、そこに需要を生み出すのは難しいのかもしれない。それでも、もっとデンマークらしくあって欲しいというのが私の願望だった。デンマークのペナントはないのか。

デンパークとデンマーク-7

 結局、温室の外のみやげ物屋で、デンマーク製のジャムを買った。これは種類が充実していて値段も500円前後とお買い得だった。食べてみると甘さ控えめでとっても美味しくて気に入った。これはオススメできる。デンマークとジャムというのが結びつかないというのはあるものの、家が近かったらもう一度行って何種類か買い込みたいところだ。
 その他のおみやげ物としては、デンマークに関係なく、名古屋ものだったり、他の国のものだったり、安城特産品だったり、ひどくとりとめのない感じだった。あの統一感のなさはかえってすごい。

デンパークとデンマーク-6

 今年の4月にできた、世界最大級のオルゴールからくり時計「ポール・ラッシュ」だ。幅5.6メートル、高さ2.8メートルと、相当な大きさだった。中には木管楽器や金管楽器、打楽器、オルガンなどが仕込まれていて、時間になると自動演奏を始める。音量は100人のオーケストラに匹敵するんだとか。
 このときは時間が合わずに聞くことができなかった。みんなこの前で記念写真を撮っていた。当然、私たちもだ。

デンパークとデンマーク-8

 帰り際、入り口から入ってすぐに立っているツリーのオブジェを見て、初めてこれがデンマーク国旗を模しているということに気づいた。さりげなさすぎ。
 公園としてはいいところなのに、デンマーク色が足りなすぎるというのがこの施設に対する私の結論だ。安城は日本のデンマークというわりにはデンマークに対する思い入れがあまり感じられない。2002年に日韓ワールドカップでデンマーク代表が来日したときも、どうしてキャンプ地として名乗りでなかったのか。誘致合戦に負けたのか、最初から設備が整わずに断念したのか。キャンプ地となった和歌山県でデンマーク代表と地元民との心温まるエピソードも伝わってきている。こんなチャンスを逃すなんて、熱意が足りなかったとしか思えない。まだ5年前のことだから、当然デンーパークもすでにできていたときだ。
 入場者数も最初の年の120万人から現在は40万人台にまで落ち込んでいる。それはなんといってもリピーターを獲得できてないという証拠だ。どの程度商売気があるのかは分からないけど、やっぱり年間100万人くらいは呼びたいところだろう。そのためにはぜひもっとデンマークであって欲しいと私は願う。デンマークという国の魅力を日本人に伝えるんだという強い思いを持って。小手先のイベントなどでは一時的な集客にしかならない。
 個人的なことを言えば、デンマークについて多少なりとも知るきっかけになったデンパークには感謝している。物足りなかった分、自分で補うしかなくて、それが結果的にはよかったのかもしれない。でも、もし私にプロデュースを任せてくれるなら全面的にデンマークに改装したい。ミニディズニーのデンマークバージョンみたいにしたら楽しいだろう。川を船で行くと人魚姫が泳いでいて喜んでると、向こうからヴァイキングの船がやって来て身ぐるみはがされてしまうとか。一角でもいいからデンマークコーナーというのを作るのはどうだろう。衣食住、遊び、体験すべてをデンマークにするのだ。大きなオルゴールを作るお金があるなら、そういうことに使って欲しかったと今更言ってももう遅い。
 もし、デンマークに大改装されたら、私も喜んでもう一度行こう。その日を夢見つつ、デンパーク紹介はこれにて終わりとなる。

何故デンパークはもっとデンマークではなかったのかというもどかしさ

施設/公園(Park)
デンパーク風景-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 デンパーク第三弾になってようやく本編、デンパーク風景の紹介となる。結論を言えば、デンパークはデンマークではなかった。デンマークらしさを探して園内を一周した私たちは、ついにデンマークをあまり感じられないまま公園をあとにすることになる。いや、まったくデンマーク色がないというわけではない。少しだけデンマークを意識した作りにはなっている。期待度の問題として、個人的に物足りなかったというだけだ。
 断片的な風景写真からそれがどこまで伝わるか自信はないけど、今日のテーマはデンパークにおけるデンマークを探せだ。何の予備知識もなくふらっと歩けばいつの間にかデンマーク通になっているなんてことはないので、できればデンマークのガイドブックを手元に置いてこれを読んで欲しいと思う。一般家庭にそんなものがあるとも思えないけど。

 デンマークといえばなんといっても風車だ。ん? そうなのか? 風車の故郷はオランダではないのか? 風車に挑んでいったドン・キホーテはスペインの話だった。デンマークも風車が有名なのだろうか?
 答えはイエスだ。上の写真のものは古典的なスタイルのデンマークの風車で、最初は主に製粉のために使われていたんだそうだ。やがてそれを電力発電に利用するようになり、今ではデンマークは世界有数の風車王国となっている。
 特徴的なのは政府の押しつけではなく市民主導で風車が導入されるようになったことで、国内にある約6,000機のうち5,700機が個人所有というから驚く。デンマーク人の多くが共同でマイ風車を持っているのだ。黒板五郎父さんもびっくり。電力も16パーセントを風力発電でまかなっていて、今度30年で50パーセントまで引き上げる計画もあるという。デンマーク国内の地形や風土も風車に合っていたのだろうけど、デンマーク人の性格というのもありそうだ。
 というわけで、デンマークといえば何が思い浮かぶかという問いかけに対して風車と答えるのは、間違っているどころか大正解なのだった。

デンパーク風景-2

 風車の近くに行ってみるとなにやら人だかりができている。なんだなんだと思ったら、ギャル撮影会が行われていた。おー、これはすごいぞ。遠巻きに私も乗っかってみた。
 けど、いわゆるカメラ小僧とかアキバ系とかのコスプレ撮影会ではない。カメラを持っているのがおじさま、おばさまだ。小僧や若者ではない。でも何故かモデルはミニスカの衣装を身にまとったギャル。どういう集まりなのか不思議だった。
 帰ってきてから知ったのだけど、どうやらデンパーク内に写真講座みたいなものがあって、その受講生の人たちだったようだ。それ以外でも、ここは撮影会によく使われるところのようで、ネットで検索するとコスプレ写真の人たちがたくさん出てくる。確かにモデル撮影には格好の場所と言えそうだ。

デンパーク風景-3

 花畑の中の女の子を四方八方から狙うおじさん軍団。かなり気合いが入っている。みなさん、いいカメラとレンズを持っている。赤帯、白レンズ当たり前という世界だ。私の装備など見られたら恥ずかしいくらい。こういうところって持っていくカメラやレンズには気を遣う。コンパクトデジならかえって平気なのだけど、デジイチだとみんな人のものをチラ見するものなのだ。あまり重装備だと逆に反感を買いそうだし、レンズキットのレンズなんて付けてるとケッとか思われそうで思わず隠したくなる。かえってTakumarあたりのオールドレンズをつけてる方がはったりが効く。私も役に立たないミニバズーカでも持っていけばよかったか。あれなら木の陰からこっそり便乗してモデル撮影会に参加できた。

デンパーク風景-4

 ここでも汽車型のバス「メルヘン号」がのんびり走っていた。岐阜の花フェスタでも同じようなものを見た。
 園内を15分ほどで一周するようだ。大人200円だから、乗ってもよかったけど、乗ると人に写真を撮られてしまうので照れくさい。すごくスピードが遅いので、横を通るときに飛び乗れる。もちろんタダ乗りは許されない。

デンパーク風景-5

 ところでデンパークというネーミングは、単なるデンマークとパークをあわせたものではなかった。デンはデンマークのデンであり、田園のデンであり、伝統のデンもかけられていたのであった。その裏話を聞いて軽い衝撃を受ける私。まさか三重のダジャレだったとは。だから、必ずしもデンマークをメインテーマにした公園ではなかったのだ。私はひとりでデンマークにこだわりすぎて空回りしていた。
 デンマークということをいったん忘れて、客観的にこの施設を見たとき、ここは花と緑の公園だ。作られたときのコンセプトは「花・みどり・暮らしの提案」というものだったようで、正式名称は安城産業文化公園となっている。
 どうしてデンマークかといえば、かつて安城市は先進的な農業スタイルから日本のデンマークと呼ばれたことがあって、それが縁でデンマークと姉妹都市となったという経緯がある。
 デンパークは、デンマークをモチーフにした遊びのためのテーマパークとして作られたわけではなかった。
 ちなみに、デンパークのマスコットガール(?)は、紺野美沙子だ。これまた渋いチョイスだ(2005年でお役ご免となったようだ)。
 もともとは道の駅がここにあって、それに隣接する形で平成9年(1997年)に作られた。今年で10周年になる。年間の目標を50万人としているようだけど少し届いてない。安城市という場所にあって、しかも駅からも市の中心からも遠い場所では、大勢の人を呼ぶのはなかなか難しいものがある。入園料600円というのもやや高い。花のテーマパークとしてならもっと充実したところがあるし、動植物園が500円ということを考えるとそれ以上に魅力的と言えるかどうか。
 近所の人にはいい場所だ。2,400円の年間パスポートを買っておけばいつでも気軽に立ち寄って、半日でものんびりできる。ただ、遠くから行く人間にとってもう一度行きたくなるかというと、なかなか厳しいものがある。少なくとも、高速道路を使ってまで行きたくなるほど魅力的とは思えなかった。だからこそ私は強くデンマークを願ったのだ。デンマークを感じられる場所など、日本の中ではそうそうあるものではない。客層を狭めても、あえてデンマークでいって欲しかった。

デンパーク風景-6

 花時計のある花広場は見事だった。みんなここで記念写真を撮っていた。グループは集合写真を、カップルはツーショット写真を。
 花は今の季節はデンマークらしさはない。春は一面のマーガレットが咲くのかもしれない。

デンパーク風景-7

 ファンタジーガーデンと名づけられたこの空間は、メルヘンチックだ。キャラクターが少しディズニーっぽくはあるけど、パクリではない。デンパークには、花の妖精「ペタル」、ブタの兄弟「ピッピとグーグ」、農夫「デアリー」のマスコットがいる。写真に写ってるのはデアリーだろうか、別人なのか。
 けど、なんでここでデンマークが生んだ偉大なる童話作家アンデルセンを前面に押し出さないのか。まさか版権とか肖像権とかそういう問題でもあるまいに。水のプールには人魚姫、通りにはマッチ売りの少女、池にはみにくいアヒルの子であるハクチョウ、花畑の中には裸の王様をそれぞれ職員もしくはアルバイトで配置すべきだ。人形なんてケチなことを言わず、リアルでいって欲しい。マッチ売りの少女からマッチを買ってあげたかったし、裸の王様にはハダカですよと教えてあげたかった。
 不満というよりもどうして利用しないのかが不思議だ。デンマークらしさを出そうという意志があまり感じられない。

デンパーク風景-8

 葉っぱに子供が乗れることで有名なパラグアイオニバスだ。実際に子供を乗せるというイベントも行われたようだ。
 直径は1メートル以上になり、きれいな花も咲かせる。

デンパーク風景-9

 デンパーク内の電力の一部を担っている風車もあった。風力発電を成立させるためにはほどよく安定した風が必要だそうだけど、この程度の大きさでいいなら個人宅でも建てられそうだ。これで一部でも電力をまかなえるなら設備投資としては安いのではないか。日本でも一部で導入され始めているけど、まだまだ個人レベルではない。石油も高いし、日本はエネルギー自給率が低すぎるから、今後は風力発電をもっと積極的に取り入れていくべきだろう。ビルの屋上なんかはどうなんだろう。電気が暗くなって電力不足になってきたら、お父さんが自転車を漕げばいい。コントみたいだけど、家族の絆は強まりそうだ。お父さん、しっかり、なんて子供が声援を送る風景は微笑ましい。

デンパーク風景-10

 ランチは例によって自家製のスポンジケーキだ。今回は今までの中で一番できがよかった。粉の分量をいつもより多くしたのがよかったのだろうか。食感もだいぶフワフワに近づいてきた。理想のスポンジケーキまではまだ遠いものの、少しだけ光が見えてきた気がした。

 このあとは花の大温室フローラルプレイスへ向かうことになるけど、その話はまた次回ということで。
 今回で多少はデンパークの様子も伝わっただろうか。まさかデンパークネタで連載4回になるとは思ってなかった。そういう意味ではデンパークはとてもいいところだ。家から近ければ、撮るものがなくて困ったときはデンパークへ行けということになったかもしれない。写真ということで考えて個人的なローカルスポット比較をすると、デンパークはグリーンピア春日井以上東山植物園以下、といったところだろうか。ブルーボネットよりは上で、魅力的なところには違いない。
 最終回につづく。

夏の終わりのデンパークに咲いている花を並べてみてもデンマークは見えてこず

施設/公園(Park)
デンパークの花-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 百聞は一見にしかず。デンパークがどんなところだったかを私が語る前に、写真で見てもらった方が手っ取り早いだろうということで、デンパークの第二弾は花特集としてみた。昨日の第一弾は虫紹介だったので、もしかしたら虫の楽園の森林公園のようなところをイメージさせてしまったかもしれない。でもそうではない、むしろ花の公園と呼ぶにふさわしい、花に満ちた公園こそがデンパークなのだ。
 ただし、植えられている花がデンマークに特化したものかといえばそういうことはないと思う。デンマーク固有の花がどんなものだかは知らない私でも、一見してデンマークっぽくないことだけは分かる。けど、見たこともないものもあったから、その中の一部はデンマークゆかりの花だったのかもしれない。
 デンマークらしさとは何か、デンパークとはなんぞやということを考えつつ、写真で足りないところは想像でおぎなってください。
 一枚目の写真はいきなり名前が分からない。デンマークの花じゃないことは確かだと思うけど。

デンパークの花-2

 これは前にどこかの温室で見た記憶がある。違っただろうか。たぶん、アスクレピアスというやつだ。
 原産は南北アメリカやアフリカなどで、ギリシャ神話の医術の神アスクレピアスから名付けられている。根や草に止血や殺虫効果があるそうだ。
 葉や茎を傷つけると乳液が出ることから英名はミルクウィードと呼ばれ、日本では種に光沢のある綿毛がつくことから唐棉(とうわた)と呼ばれる。
 いくつか品種があって、白花やピンクなどもある。

デンパークの花-3

 私の中にあるイメージとは少し違っているのだけど、これもランタナなのだろう。始めは黄色や橙色で、そこから赤や紫紅などに花色が変化していく。そこから別名を七変化ともいう。これはまだ咲き始めで、これから変色していくところなのだろう。
 花や葉っぱの様子は少しアジサイに似ている。アジサイシーズンに見かけると一瞬アジサイと間違えそうになる。種類としてはクマツヅラ科なので仲間ではない。
 原産は中南米あたり。上のアスクレピアスといいランタナといい、北欧のデンマークからはほど遠い。
 日本には江戸時代末期にはすでに入ってきていたそうだ。

デンパークの花-4

 これはちょっと自信がないけど、センニチコウ(千日紅)でいいのか。
 もちろん千日間咲いているわけはなく、長く咲くという意味で千日という名前がつけられたのだろう。百日紅(サルスベリ)や百日草(ヒャクニチソウ)の場合は、実際に3ヶ月くらい咲くから名前に偽りはない。
 花期が長いということで、昔は仏前やお墓によく供えられていたそうだ。江戸時代の初期に日本にやって来た。
 これも原産は熱帯アメリカ。この時期に咲く日本の花が少ないから、たまたま熱帯の花が揃ってしまっただけだろうか。夏のデンマークではどんな花が咲いているのだろう。デンマークの国花はマーガレットだけど、当然今の時期は咲いてない。春にデンパークを訪れると一面のマーガレット畑だったりするのだろうか。

デンパークの花-5

 サルビア花壇は特別に設けられていて、なかなか充実していた。
 こうして見るとサルビアの花色や種類はたくさんあるんだということをあらためて知る。品種改良が盛んなのだろう。
 原産は南米のブラジルあたり。日本では和名の緋衣草(ひごろもそう)の通り、赤い花が一般的だ。花の少ない真夏の花壇では主役となっているところも多い。

デンパークの花-6

 黄色い花は調べたけど分からなかった。赤い葉っぱはコリウスの一種だろうか。
 このあたりはちょっと宿題とする。

デンパークの花-7

 これはヘチマの花だろう。見覚えがある。ひょうたんも近くになっていたけど、ひょうたんの花は白いはずだ。黄色はヘチマでいいと思う。
 ヘチマは大昔から日本にいるような気がするけど、実際は江戸時代にやって来た新参組だ。原産はインド。風情としてはとても日本的だ。
 漢字で書くと糸瓜となる。もともとは果実から繊維がとれたので糸瓜(いとうり)と呼ばれていて、これが「とうり」と訛り、「と」はいろはにほへとちりぬるわの中で「へ」と「ち」の間ということで、「へちま」と呼ばれるようになったという嘘のような本当の話。シャレというより暗号みたいだ。

デンパークの花-8

 一般的にムラサキシキブと呼ばれることが多いこの紫の実は、実際はコムラサキという種類だ。民家の庭や公園などに植えられてるものは見栄えのいいコムラサキがほとんどで、ムラサキシキブは山の中などでわりとひっそり実をつけている。実のつき方ももっとまばらで野生の感じが強い。
 ムラサキシキブという名前の方が受けがいいからということで、店では知っていてあえてコムラサキをムラサキシキブといって売っているところもあるようだ。
 源氏物語の紫式部から来ているかと思いきや、もともとは紫の実がたくさんなるという「シキミ」からムラサキシキミと呼ばれていたものが、のちに語感が似ているところからムラサキシキブと呼ぶようになったのだとか。
 花よりも実の方が目を引くということで秋の方が存在感が強い。初夏にはピンクの可憐な花を咲かせる。

デンパークの花-9

 いよいよ彼岸花が咲き始めた。この花も咲き始めると一気に咲きそろって、駆け足で秋を告げて去っていく。半田のごん狐の里、矢勝川の彼岸花もそろそろ咲き始めた頃だろう。満開まではあと一週間くらいだろうか。
 真っ赤な彼岸花が土手を埋め尽くす光景は、きれいというより鬼気迫るものがあって少し恐い。夕暮れ時などは特に不気味でさえある。日本人のイメージの中にはそういう感覚があるようだ。あんなに派手な色なのに陽気さが感じられない。
 白い彼岸花はまたイメージがずいぶん違ってくる。けど、これも見ようによっては少し妖しい雰囲気もある。清楚なふりをして実はしたたかな女の人のようだ。

デンパークの花-10

 これは売り物のサボテン。花が鮮やかで目を引いた。普段の地味な姿から想像できないような花が咲いてくるのがサボテンの面白さだ。

 こうして並べた花写真をあらためて見てみると、デンパークってどんなところなのかますます分からなくなる。どんどんデンマークから離れていく。そしてはたと気づく。もしかして、デンパークというのはデンマークをモチーフにしたテーマパークではないんじゃないか、と。デンパークというからにはデンマークなんだろうという私の思い込みが根本的に間違っていたのかもしれない。
 第三弾ではいよいよデンパークの核心に迫っていくことになる。デンパークが実は名前の出オチで終わってしまうということが知れてしまうのも時間の問題となった。
 次回はデンパーク本編について書かねばなるまい。これ以上引っ張ってもいいことはない。ネタ不足で水増ししてるんだろうと疑われても損だ。デンパークの魅力について余すことなく紹介するという私の試みは、すでに失敗の予感がただよい始めた。でもまだ2回ある(あと1回では終わらない)。だからもう少し頑張ってみようと思う。読んだ人が自分も行ってみたいと思えるようなものを書けるだろうか。
 つづく。

知って得しない虫についての知識を余すところなく披露してみる

虫/生き物(Insect)
デンパークの生き物たち-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 今日はデンパークで撮った生き物たちの写真を使って、虫についての復習をしようと思う。だからデンパークってなんだよという方もいるだろうけど、それはまあおいおい紹介するとして、今日のところは虫でいかせてほしい。
 ところで虫(むし)の定義をあなたは知っているだろうか。これは分かっているようで案外難しい問題をはらんでいる。虫と昆虫は完全なイコールではないと意識している人がどれくらいいるだろう。虫(むし)というのは本来、鳥でも獣でも魚でもない生き物を指す総称だった。昔の人がはっきりと分類できないものを「むし」と呼んで誤魔化していたという歴史がある。だから蛇も蟹も虫という字が入っている。昆虫というものが学問として確立するのは、虫という言葉が生まれたずっとあとのことだ。昆虫とういうのはむしの中の一つであって、昆虫と虫は同義語ではない。昔は昆虫を指す場合は「蟲」という字が使われていた。
 とまあ、そんな雑学も絡めつつ、今日は虫について書いてみよう。あまり気持ち悪い虫は出てこないけど、苦手な人は逃げる準備をしてください。

 まず最初はナミアゲハから。
 一般的にはアゲハチョウと呼ばれることがほとんどだけど、実はアゲハチョウという名前の蝶は存在しない。たいていはこのナミアゲハ(チョウはつかない)のことをいう。もしくは、黄色味が強いキアゲハのどちらかだ。
 ナミアゲハのナミは、波ではなく並だ。普通にありふれているという意味でつけられたのだろうけど、それはちょっとないだろうとナミアゲハに代わって抗議したい。上とか優とかそんな高級なアゲハがいるならともかく、いくら平凡でも並扱いは失礼だ。可もなく不可もなしみたいで、なんだか納得がいかない。あんなにきれいな体をしてるのに。ナミアゲハだって自分たちの名前を知ったら黙っちゃいないだろう。せめてオオアゲハなんてのがいるなら仕方ないなと思っただろうけど。
 キアゲハは名前の通り黄色いアゲハだ。でも区別は割と難しい。黄色加減では見分けづらいときは、前翅の付け根を見る。黄色地に黒い横線が入っていたらナミアゲハで、この部分が黒く塗りつぶされていたらキアゲハだ。
 ナミアゲハは、春から秋にかけて4回ほど世代交代をする。成虫での寿命はひと月ちょっとということだ。秋を迎える前にその年最後の産卵をして、寒くなる前に卵からかえって幼虫になり、サナギの姿で冬を越す。それが春に孵ってまた世代を重ねる。春に生まれたやつよりも夏に生まれるやつの方が体が大きい。

デンパークの生き物たち-2

 アオスジアゲハの鮮やかなブルーは南国を思わせるけど、これも昔から日本にいたアゲハチョウだ。アジアやオーストラリアにも広く生息している。
 アゲハチョウというと、ナミアゲハなどのグループと黒いアゲハの仲間に大きく分かれる中で、アオスジアゲハはどちらにも属さない独特のアゲハだ。翅を動かす速度も速く、飛び方もシャープな感じで、止まるときは翅を閉じて止まる。動きが全体的にアゲハらしくない。
 九州や四国あたりにはこれに似た青いミカドアゲハというのがいるらしいけど、私は見たことがない。いるところでもそれほど数は多くないようだ。
 黒い蝶に関してはまたいずれ書くこともあるだろう。黒い蝶もたくさん種類がいて、話はそう単純ではないのだ。

デンパークの生き物たち-3

 モンシロチョウやアゲハなんかが少なくなってきた夏の終わり頃から俄然目立つようになるのが、このセセリチョウだ。茶色くて地味な体をしてるから蛾に間違われそうだけど、これでも立派な蝶の一種なので蛾扱いしないでやってほしい。
 よく似たイチモンジセセリとチャバネセセリは、翅の裏側を見れば一目瞭然、白い点が大きく並んでいるのがイチモンジセセリで、白点が小さくまばらならチャバネセセリということになる。写真のものはちょっと見づらいけど、イチモンジセセリだ。
 肌寒くなった11月くらいまでしっかり生きて、こいつらは幼虫で越冬する。イネやススキなんかを食べて寒い冬を乗り切る。
 近くで見ると意外と目がつぶらでかわいい。

デンパークの生き物たち-4

 ここ数年、名古屋でもクマゼミが激増して、アブラゼミと勢力を二分するくらいにまでのし上がった。けど、今年はどういうわけか少なかった。鳴き声もあまりしなかったし、うちのアイもクマゼミを1匹もとってこなかった。今年の暑さと関係があったのか、それとも他へ分布が移動したのだろうか。今のところまだ関東へはほとんど勢力を伸ばしていない。西日本は完全に制圧したのに。
 東京へ行ったときはミンミンゼミの声が大きくて少し驚いた。名古屋にミンミンゼミはほとんどいない。地球温暖化もあって、今度はクマゼミの関東進出も充分あり得る。そうなったとき、ミンミンゼミはどうなるのかちょっと心配だ。
 上の写真は腹(腹弁)がオレンジをしてるからオスだ。これを使って鳴いている。
 細い木の枝を伝ってもぞもぞしてたから卵を産んでるのかと思ったら違った。関西では光ファイバーのケーブルに卵を産み付けて断線するという被害がけっこう出ているとか。
 蝉は近代化に一番上手く適応した虫かもしれない。他の虫たちが生活の場を奪われ、郊外や田舎へと押しやられたのに、蝉だけは子供の頃と比べても数が全然減ってない。一日中明るいような都会でもたくましく生きている。特別賢いわけでもないのに、なんとなく平然と生き延びてきた。そう考えると蝉ってけっこう不思議な生き物だ。

デンパークの生き物たち-5

 木の上で変な鳴き方をしてるツクツクボウシがいてどうしたんだろうと見上げたら、カマキリに捕まっていた。蝉側からいえば気の毒だし、カマキリ側からいえばよかったねだし、こういう光景は複雑な気持ちになる。
 ハラビロカマキリは久しぶりに見た。前に見たのは子供の時だったんじゃないだろうか。普段は木の上で生活してるからあまり見かけることがない。
 名前の通り腹の広いカマキリで、多くは緑色をしてる。まれに茶色いのもいる。
 もともと茶色くて小さいのがコカマキリで、これも昔はよく見たのに最近は見ない。
 あと一般的なカマキリとしては、大きくて太いオオカマキリ、それより少し細いチョウセンカマキリあたりだろう。ヒナカマキリ、モリカマキリ、ウスバカマキリ、ヒメカマキリなんてのも日本にいるそうだけど、このへんは意識したことがないから、見たことがあるのかないのかも分からない。
 カマキリは腹から出てくる黒い針金みたいなハリガネムシが恐かった。

デンパークの生き物たち-6

 トンボの区別はとても難しいけど、シオカラトンボも油断ができないトンボの一つだ。たいていの人は青白っぽい体をしたトンボを見たらシオカラトンボだと思ってそこで終わる。その先まで深く潜ろうという人は稀だ。
 シオカラトンボと見えて実はシオヤトンボかもしれないし、オオシオカラトンボかもしれない。黄色い体をしたやつはムギワラトンボと呼ばれるシオカラトンボのメスだというところまでは常識の範囲内にしても、本当のところは未成熟なオスかもしれないというところまで疑ってかかるのがトンボの人たちだ。トンボの世界もなかなかに奥が深い。よく似てるけどちょっと太ってるなと思ったら、それはハラビロトンボだ。
 シオヤトンボは腹が少し平たい感じで、シオカラトンボは灰色に近い白、オオシオカラトンボは青白い。だから上の写真はオオシオカラトンボということになる。たぶん。そうだといいな。違ったら誰か指摘してください。

デンパークの生き物たち-7

 最後はカエル。緑色の小さい蛙を見たら反射的にアマガエルだと思うのは勇み足だ。それが本当にアマガエルかどうか、もう一度よく確認する必要がある。テストも見直しが必要ですと先生も口を酸っぱくして言っていたのを思いだそう。
 目の横に黒い線はあるか、目玉(光彩)は赤くないか、体の大きさはどうか。答えを言えば、上の写真はいわゆるアマガエルと呼ばれるニホンアマガエルではない。ニホンアマガエルの場合は目の横に黒い線がある。これはそれがなく、光彩が金色をしてるから、シュレーゲルアオガエルだ。目が赤くて、体も少し大きくてくすんだ緑色をしていたらそれはモリアオガエルということになる。
 だんだんややこしくなってきて、もういいやとあなたは投げ出しそうになったかもしれない。そんなに全部覚えられないし、そんなものの細かい区別がついてどうなるんだと。確かにどうにもならない。自慢しても誰も誉めてくれないし、第一最後まで聞いてくれない可能性の方が高い。アゲハはアゲハでシオカラはシオカラでいいじゃないかと言われておしまいだ。できることなら私もそんな時代に帰りたいと思わないでもない。ただ、気になり始めると気になるもので、区別つかないとモヤモヤが乗って気持ちが落ち着かなくなる。分からないと自覚することが知ることの第一歩だ。もう引き返せないところまで来てるから、このまま行けるところまで行くしかない。目指せ、虫博士。いや、蟲博士と書くべきか。まだまだ先は長い。

 次回こそデンパークの全貌を暴く編へとつながっていくと思いきや、まだデンパークの花編でもうワンクッション置くことになりそうだ。実はデンパークへ行ってきたものの、どんなところだったかと訊かれてはっきり答えられるほどデンパークについてのイメージが固まってないのだ。なんとなく漠然とした感じで、とらえどころのないところだったから。なのでもう少し周辺から固めていって、最終的に本編を書こうと思っている。
 私自身、デンマークという国について基本的な勉強をしてから出直さないといけない。デンパークを語るにはまずデンマークについて知るべきだ。けど、デンパークは思いのほかデンマークではなく、私たちを戸惑わせることになるのであった。
 つづく。

第三のアプローチ方法、始めにソースありきのサンデー料理

料理(Cooking)
ソース出発サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 料理を作るアプローチ方法は大きく分けて二つある。完成した料理から逆算して食材を買い揃えるやり方と、手元にある食材から料理にしていく方法の二通りだ。毎日の食事を作っている人なら、この両方のアプローチを組み合わせて作っていることだろう。常に食べたいものを作るために食材を買い揃えていては無駄が出過ぎてしまう。食べたいものを作りつつ、余った食材を次の料理に使ったりするのは当然のことだ。
 実はこの二つの他に、アプローチ方法がもう一つある。それは、始めにソースありき、という発想だ。まずその日の気分でどんなソースを食べたいかを決めて、揃いそうな食材を思い浮かべつつ、どんな料理にしようかと考えるのだ。何を作ろうか献立に困ったときは、食材側からのアプローチよりもソース側から決めてしまった方が早い。味付けが決まれば食材は限られてくるし、調理法は最後に決めればいい。
 私が趣味の料理で気づいたのは、料理はソースで決まってしまうという身も蓋もない現実だった。どんな嫌いな食材も、加工して好きなソースで食べれば食べられてしまう。逆に、どんな好きな食材も嫌いなソースで食べたら美味しくない。食材とソースの相性というのはもちろんあるにしても、結局のところ何が食べたいかというのはどんなソースを食べたいかということなのだ。和食と洋食の違いも大部分はソースの違いでしかない。同じ材料でも味付けで和食になったり洋食になったりする。
 というわけで、今日のサンデー料理は3種類のソース作りから始まった。まずはホワイトソースを食べたかったのでメインは魚介類であっさり決まった。もう一つ、新しいソースとしてオーロラソースというのを試してみたかった。マヨネーズとケチャップをあわせたオレンジのソースだ。最後にもう一つ、取り合わせとしては合わないかもしれないけど味噌ソースを作ってみたくなったので、それにしてみた。そこまで決まればあとは手持ちの食材をベースに足りないものを少し買い足すだけだ。もう完成図は見えたようなものだ(ホントはよく見えてないのだけど)。

 まずは左奥のホワイトソースの魚介煮込みから。
 これは一番イメージからズレた。最初は乾いた魚介の上からホワイトソースをかけるつもりだったのに、最終的にはホワイトソース煮込みに仕上がった。私が注文を出して私が作ったのに、注文とは違う料理が出てきて私もびっくり。
 殻をむいたエビ、白身魚、鶏肉、タマネギ、マッシュルームをコンソメスープで下茹でする。それをフライパンに移してある程度焼いたものの、かなり汁っぽいままだった。いっそのこと別に作っておいたホワイトソースをこれに入れて煮込んでしまうことにした。こんなことになるなら最初からホワイトソースで煮込んだ方が早かった。無駄な遠回りをしてしまった。
 最後に牛乳たっぷり半熟のスクランブルエッグを上に乗せて完成となった。方向性としてはともかく、美味しかったことは美味しかったので問題はない。たぶん当初予定していた料理よりもこっちの方がよかったような気もする。

 右奥のオーロラソースは、料理自体は単純でひねりはない。ジャガイモをコンソメスープで煮込んで柔らかくして、フライパンに移してカニ缶と一緒に炒めただけだ。
 オーロラソースは、ケチャップとマヨネーズを半々くらいで混ぜて、しょう油を少し、カラシを加えて混ぜあわせる。加熱はしない。
 ジャガイモの上にとろけるチーズをたっぷり振りかけて、フタをしてしばらく蒸らして溶けるのを待つ。あとはオーロラソースをかければできあがりだ。
 ソースとしては美味しかったけど、料理としてはまだ工夫の余地がある。むしろジャガイモをゆがいてつぶして、団子にして揚げたものにかけた方がよかったようにも思う。白身魚のフライなんかにも合いそうだ。

 右手前は味噌ということで和食と思うかもしれないけど、中華に近いものとなった。
 大根と豆腐はだし汁で煮込んで柔らかくして、それを取り出して小麦粉をまぶして、フライパンで焼きを入れる。このときの油はごま油を使う。
 味噌スープは、赤味噌、だし汁、酒、みりん、砂糖、唐辛子、長ネギの刻み、ごま油を混ぜて、一煮立ちさせる。あとは豆腐と大根にかけるだけだ。
 この味噌スープは甘辛で美味しいのでオススメしたい。トンカツにかければ名古屋名物味噌カツになる。

 組み合わせとしては、思った通り味噌味が強すぎてやや全体のバランスを欠いた。ここをもっと単純にコンソメベースのソースにしておけば破綻のないものとなっただろう。けど、一つひとつはなかなかいいできて合格点だったと言える。味だけでなく趣味の料理としても、今の私のちょうどいい難易度だった。簡単すぎず、難しすぎず、作る楽しさも味わえた。問題がなさすぎて面白くなかったくらいだなんていうのは贅沢だろうか。
 さて、次はどんなサンデー料理を作ろうか。また再来週のサンデーにお会いしましょう。

魚焼き食パン

 今日のオマケは、食パンのススメ。
 私はあまりトーストが好きじゃなくてずいぶん長い間食べなかった。けど、美味しい食パンを買って美味しく焼けるトースターを買ったことでトーストに目覚めた。トースターで焼いたトーストは、オーブントースターで焼いたものよりずっと美味しい。火加減が違うのだろう。
 それでしばらくは喜んで食べていたのだけど、そのうちだんだん面倒になってきた。食べるといっても週に1度程度だから、トースターは使うたびにしまっていた。次に食べるときはそれを取り出して、コンセントをつないで、また使ったらしまうという行為が邪魔くさくなってきて、だんだんまた食パンから遠ざかるようになっていた。
 そんなときに出会ったのが、魚焼きグリルを使った方法だった。ガスコンロはいつでも使える状態にあるから、思いついたときすぐに焼くことができる。方法もごく簡単だ。アミははずして、しばらく空焼きしてグリル内を充分に温めておく。あとは受け皿の上に直接食パンを乗せて、一番弱火で裏表2分くらいずつ焼くだけでできあがる。トースターとは違って厚さの制限がないから厚切りトースターだってできる。
 この方法で焼くと、表面がカリカリで中身はふんわり柔らかの仕上がりになる。しっとりさせたければ、表面を霧吹きで吹くといい。中身までしっかり焼きたい場合は、アルミホイルを上からかぶせる。
 焼き上がったらあとは好きなジャムをたっぷりつけて食べるだけだ。私はデンパークで買ったデンマーク製のいちごジャムをつけて食べた。デンパークって何だと思ったかもしれないけど、それはまた近いうちに紹介したいと思っている。わざわざジャムを買いにデンマークまで行ったわけではない。
 というわけで次回はデンパークについて書く予定です。この食パンネタはデンパークへと続く前振りでもあったのだ。

夏の名残の花火大会はヘビ花火で幕が開き吹き出し花火で幕を閉じた

風物詩/行事(Event)
9月の花火-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 上の写真を見て、すぐに正体が分かった人は30代、40代かもしれない。おお、これは懐かしいと思うことだろう。20代は知ってるだろうか、ヘビ花火のことを。
 私たちの子供時代において、ヘビ花火はシャレの一つとして確固たる地位を築いていた。おもちゃ花火の中ではもちろん中心を担うような花形ではなかったけど、冗談や笑いのネタとしてヘビ花火はいつも子供たちの身近にあった。
 あれからずいぶん長い年月が経って、ヘビ花火はどうなったんだろうと思ったら、いつのまにやらかなりマイナーな地位へと滑り落ちていたようだ。昔は駄菓子屋やおもちゃ屋なんかで普通に売られていたのに、今は探してもそう簡単に手に入らなくなっていた。いつからか子供たちに人気がなくなったのだろう。オークションで探してみても、出品が一つしかないところを見ると、今どきもう誰もやらなくなったらしい。その存在さえも遠い過去のキワモノとして忘れ去られてしまったのだろうか。
 けど、ツレが東急ハンズで見つけてきた。なるほど、あそこはこういうものを置いていそうだ。恥ずかしさに耐えて買ってみせたツレの勇気をたたえつつ、吉良ワイキキビーチで我々は夏の名残の花火大会を開くことになった。
 花火といえば当然夜暗くなってからなのだけど、ヘビ花火の場合は暗くなったら何も見えなくなってちっとも楽しくない。これだけは昼間にやらないと意味がない。これを花火の範ちゅうに入れてもいいんだろうかという疑問はひとまず棚上げにしておいて。
 はやる気持ちを抑えつつ、辺りをうかがい、人の目がないことを確認する。海辺でヘビ花火をする大人二人は客観的に見てかなり怪しい。というか、馬鹿っぽい。この姿を見られたらちょっと恥ずかしいので、人がいないタイミングを見計らってやらないといけない。わっ、なんだあれ、なんて言いながら子供が集まってきたら最悪だ。大人に見られたらくすくす笑いが起こりそう。
 よし、今がチャンス、着火オーライだ。よし、いけ、とばかりにヘビ花火に点火する。うわー、なんだこの煙は。怪しく黄色い煙がモクモク出てきて焦る二人。これは目立ちすぎるぞ。のろしを上げたみたいではないか。ホラ貝の音が聞こえてきそうだぞ。でも、おー、ヘビが伸びてきたー、わはは、これこれ、これぞヘビ花火だと大受けの私たち。何十年ぶりかで見るヘビ花火の勇姿は、子供の頃の記憶そのままだった。黒いニョロニョロは昔も今も何も変わってなかった。

9月の花火-2

 これがヘビ花火だ。ヘビ玉という商品名で売られていた。製造元が愛知県の西尾市というので驚いた。全国的にも製造業者は減っていることが予想される中、どうして西尾だったのだろう。西尾が特に花火の生産で有名というわけでもないのに。
 ヘビ花火なんかは販売価格も原価も安いものだから、100円ショップでも売ればいいのに。話のネタにでもと買っていく人がけっこういると思うけどどうだろう。でも、リピーターはあまり期待できそうにない。こんなもの、久しぶりに一回やったら充分だから。

9月の花火-3

 今回一番できがよかったのがこの双頭の蛇だ。2つ同時点火作戦で、いい感じに伸びていった。
 最後まで切れずに上手く伸びれば成功で、途中で切れてしまったら失敗だ。どういうふうに伸びるかはやってみなければ分からない。伸びる姿の変化がヘビ花火の面白さで、これが一定なら楽しさも半減してしまう。

9月の花火-4

 3個同時はグロテスクになって美しくなかった。2個がヘビ花火本来の姿を失わず楽しめる限界とみた。数十個同時になんてことを面白半分にやってみても、炎と煙でヘビの姿が見えなくなってしまう。もはやそれは違う遊びだ。一つずつニョロニョロさせるのが正しいヘビ花火のやり方に違いない。
 燃えている最中や燃え残りは、赤々と火を内部に保っていて近づくと怪我をしそうだ。噴火した溶岩のようでもある。伸びている最中のヘビを持つことは大変危険なのでちびっ子はしちゃいけないぞ。
 2袋のヘビ花をやりきって、すっかり堪能した私たちは、夏の名残の花火大会第一部を終えたのだった。たぶん人にも見られてないと思う。浜辺で怪しいものを燃やしているという通報もされずに済んだ。第二部は暗くなるのを待って、おもちゃ花火をやることになる。これまた何年ぶりか。
 最近は夏の公園などでも花火を楽しむ人が少なくなった。私たちが子供の頃は、毎日何組もの親子やちびっ子たちが公園で花火をしていたのに。それだけ昔は娯楽がなかったということか。テレビは一家に一台で、まだビデオも普及してなくて、テレビゲームもなかった。今振り返ると、毎日何をしてたんだろうと不思議に思うけど、あの頃はあの頃で毎日することがたくさんあって楽しかったはず。与えられることが少なかった分、自分から楽しさを見いだしていこうという積極性があった。今の時代に子供時代を過ごすよりも、あの頃過ごせたことは幸運なことだったと思う。昔と今と、別々の時代の両方の楽しみを楽しむことができたから。ヘビ花火もこうして、二度違う楽しみ方ができた。

9月の花火-5

 第二部は手持ち花火から静かに始まった。これまたとても懐かしい感覚だ。
 おもちゃ花火の撮影は初めてだったので、最初は全然勝手が分からず手探りでの撮影になった。ツレは右手で花火を持ちながら左手にコンパクトデジを持っての撮影という無茶なことになっていた。
 基本的にシャッタースピードを何秒くらいにすればいいのか予測がつかない。絞り開放のf1.8とかで撮ると、花火の明るさにつられてシャッタースピードが1/200とかの高速になってしまう。そうすると手ぶれはしなくても、花火の質感がうまく出ない。あとになって気づいたのだけど、手持ち花火の場合は、絞り優先ではなくシャッター速度優先モードにした方がコントロールしやすくなる。今回は最後までそれに気づかないまま終わってしまった。花火は時間が短いからあれこれ考えたり試したりしてる余裕はない。

9月の花火-6

 これなどもシャッタースピードが速すぎる。でも、偶然面白い写真になった。海の中の生物のような、宇宙を漂う生き物のような、不思議な世界だ。
 たまたま失敗から生まれた写真だけど、花火撮影は必ずしも花火らしく撮らなくてもいいということが分かった。速いシャッタースピードでも間違いじゃない。
 花火をやっている人と花火を一緒に写す場合は、ストロボでスローシンクロをすることになる。私はフラッシュ撮影はしないので、スローシンクロなんてやりたくてもできない。

9月の花火-7

 これも花火写真としては失敗だけど、写真としては気に入った。花火の光がネオンライトのようで儚くもあり、幻想的でもある。

9月の花火-8

 次は吹き出し花火だ。このへんの花火は昔のものよりも進歩して多彩な表現をするようになっていた。
 今回はセット買いをしたので、自分で選んだ花火ではない。夜の海岸で暗闇の中懐中電灯で照らしながら花火を選んでいたから、ほとんど闇鍋に近いようなものがあった。闇花火だ。短い時間の中で、手に持った花火を順番に点火していった。
 昔一番好きだったのが、パラシュート花火だ。打ち上げ花火と同時に落下傘が打ち上がって、それがゆらゆらと落ちてくるのを拾うのが楽しかった。なんでそんなことくらいであんなに楽しかったのかは、今となっては自分でも理解できない。もう一度思い出すために、今度パラシュート花火も買ってやってみようか。
 ロケット花火やネズミ花火なんていう派手なのはあまり好みではなかった。線香花火は時間が短くて、それがいつも残念に思ったものだ。今回も線香花火を何本かやってみたけど、風が強くてダメだった。すぐに玉が落ちてしまって。浜辺というのは実は花火にはあまり向いてないことにも今回分かったことの一つだ。吹きさらしで風を遮るものがない。

9月の花火-9

 吹き出し花火もシャッタースピードを何秒にするかで表現が違ってくる。速くすると火の粉の感じなって、遅くすると火が軌跡を描く。あまり長すぎるとわずらわしい感じになる。
 位置取りも難しくて、上がってみないとどの程度の大きさになるか分からないから、偶然を味方に付けるか、慣れるまで撮るしかなさそうだ。
 風に流されすぎてもあまりきれいにならない。

9月の花火-10

 高速シャッターで撮るとこうなる。これはこれで成立してるし、好みとしてはこういう弾ける感じの方が好きだ。
 今回で少しだけコツが分かりかけてきたので、次はもう少しいい写真を撮りたい。花火セットは遊びきれずにまだ半分残った。来月もう一度海へ行くから、そのとき再チャレンジしたいと思っている。

 何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりの花火となったけど、やっぱり花火は楽しいものだ。やる前の予想よりもずっと楽しめた。打ち上げ花火にはない面白さがある。大人が二人でヘビ花火をしてはしゃいでいるのはどうなんだなどと反省してはいけない。楽しんだ方が勝ちなのだから。人に見られない範囲で。
 こうして夏の名残の花火大会は無事に終わった。吉良ワイキキビーチのみなさん、お騒がせしました。2007年の夏もそろそろ行こうとしている。今年は心おきなく夏を見送ることができそうだ。また来年と笑顔で手を振りながら。

岩屋堂完結編は花写真を並べて短文であっさり締めくくった

花/植物(Flower/plant)
岩屋堂9月の花-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II/EF75-300mm F4-5.6



 今日は岩屋堂で撮った花の写真をあっさり並べて終わる。というのも、さっきまで調子よく書いていたら途中でページが勝手にリロードされて、書いた記事が跡形もなく消えてしまったから。それですっかり力尽きた。FC2ブログは時々挙動不審になるから信用ならない。普段は気をつけてこまめに保存するようにしてるのだけど、今日は油断した。
 というわけで、文章はごく短くなる。またにはこういう日があってもいいだろう。毎日長文が続いてるから。

 一枚目の写真の花は調べがつかなかった。特徴のある花だから図鑑を調べればすぐに出てくるだろうと思いきや、意外にも手強かった。花としてはクサギに似てるし、色合いはシモツケっぽい。でも、もちろん両方違う。
 民家の前の道の反対側に咲いていたから、野草なのか人の手で植えられたものなのかも判断が難しいところだった。いや、草ではなく木の花だ。有名なのだろうか。
 そのうちひょっこり分かる日が来るだろう。

岩屋堂9月の花-2

 これはツルボ(蔓穂)だ。たぶん間違いない。
 島原川の土手にたくさん生えていた。花はまだこれからだ。薄ピンクのツルボが一斉に咲いて光を浴びている光景は、なかなか可憐できれいなのだ。地味だけど風情がある。
 昔は食糧難のときに食べられていたんだとか。

岩屋堂9月の花-3

 こういう思わせぶりでいて実は意味がない写真というのはあまり撮らないようにしようと気をつけてはいるのだけど、いざ自分が見つけるとやっぱり撮ってしまう。演出ではない偶然が面白くて。
 これにあと一つ要素が加われば意味のある写真になる。バックが真っ赤とか、光を浴びているとか、虫か何かが一緒に写ってたりするともっとよかった。

岩屋堂9月の花-4

 コケの緑に惹かれるのは日本人にある程度共通の感覚なのだろうけど、私もかなり好きな方だ。きれいに苔むしている光景を見ると、軽く気持ちが高揚する。わー、コケだ、コケだ、と言いながら走り出したりはしないけど。

岩屋堂9月の花-5

 さすがに紅葉まではまだ遠かった。モミジの葉も青々としている。
 やっと9月になったばかりだから、紅葉まであと3ヶ月はかかる。
 それにしても色の違いだけでここまで扱いが違ってくるのも面白い話だ。緑のときは誰も見向きもしないのに、それが赤に変わったというだけで大注目となる。
 でもまあ、それをいえば空だって海だって山だってそうか。世界は色に満ちていて、人は色によって一喜一憂する生き物だ。

岩屋堂9月の花-6

 蜘蛛シーズンももう終盤。蜘蛛がいなくなると森歩きで蜘蛛の巣が顔にかからなくなるから助かる。でも、蜘蛛にとってはそろそろ命の終わりが近づいたことを思うと、そう喜ぶ気にもなれない。
 巣を張るタイプは、エサとなる虫がいなくなれば当然生きていけなくなる。虫シーズンの終わりが自分たちの季節の終わりを意味する。秋に卵を産んで、その状態で越冬するものが多いようだ。蜘蛛の巣を張らないタイプは幼体で冬を越す。
 この蜘蛛の巣はだいぶボロボロになっていた。網目も破れて、障子や襖が破れたまま放置されている家みたいだ。もう今の時期から新しい巣を張り直す気力が持てないのかもしれない。

岩屋堂9月の花-7

 ユリも8月で終わりかと思ったら、9月になってもしっかり咲いていた。でも、タカサゴユリではありがたみがない。ユリはユリでも、これは美しさも気品もぐっと落ちる。
 今年もヤマユリをなんとか見られてよかった。その代わりササユリが見られなかったのが少し心残りだ。そういえばオニユリもほとんど出会わなかった。来年はしっかりユリフルコースを堪能したい。

岩屋堂9月の花-8

 これはダイコンソウでいいだろうか。相変わらず葉っぱを撮るのを忘れる。名前を特定するためには、花だけではなく葉や茎などの全体像も撮っておく必要がある。できればポケット図鑑でも持っていってその場で確認するのが一番早くて確実性がある。触った感じや葉っぱの裏などに特徴がある場合は、あとから写真を見ても区別がつけられないから。
 花の終わった姿に特徴があるから、たぶんダイコンソウでいいと思う。

岩屋堂9月の花-9

 散策路はいまだ夏の風情のままだ。葉っぱも青々と茂って、秋の気配はどこにもない。
 それでも、見えないところで確実に季節は進んでいる。人が気づいた頃はもう移行が完成してるときだ。ふと気づいたときには、この道も落ち葉で埋まって、上を見上げれば空がはっきり見えるくらい葉が少なくなっていることだろう。
 紅葉もピタリとタイミングを合わせるのは難しい。たいてい早すぎるか遅すぎる。今年の紅葉運はどうだろう。9月、10月は少し間延びするけど、11月の終わりから12月にかけてはまた慌ただしくなる。

 岩屋堂は年間を通じて特別花の多いところではない。それでも、川沿いをゆっくり歩けばいくつもの花々に出会うことができる。もっと川の奥や山の方に入っていくと、種類も増えていく。冬は花の代わりに鳥の楽しみもある。
 今年中にあと1度か2度は行くことになるだろう。きっとまた岩屋堂が私を呼び寄せるから。紅葉の時期になるのか、もっと冬が深まってからなのかは、今のところ分からない。私としては呼ばれたらイヤイヤでも行くだけだ。
 というわけで、意外にも3回に渡ってしまった岩屋堂編はこれにて完結となりました。ぜひ、近くの方は一度行ってみてください。昭和と自然を体感しに。持っていくカメラは、写ルンですが一番似合うかもしれない。

ただでさえ昭和の岩屋堂で再び昭和の観光ブームを呼び起こせ

観光地(Tourist spot)
岩屋堂昭和風景-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II / SIGMA 18-55mm f3.5-5.6



 岩屋堂は昭和である。そう断言してしまってもかまわない。昭和で時を止めたまま、なし崩し的になじめない平成の中で生きている。いや、そんなことはないぞ、これでもずいぶんモダンになったんだと岩屋堂で暮らす人は言うかもしれない。でも、名古屋近郊の観光地でいまだにこれだけ昭和の香りをたたえている場所は他にない。ただ古いというのではなく、昔懐かしい観光地の風情が色濃いのだ。その飾らないレトロ感が岩屋堂の素敵なところだということを岩屋堂自身は自覚してないだろうけど。
 今日はそんな岩屋堂の昭和っぷりを中心に紹介したいと思う。まずその前に岩屋堂について軽く復習してみよう。
 奈良時代の725年、病気になった聖武天皇の回復を祈るため、僧の行基がここの洞窟内で三体の仏像を彫った。どうしてこの場所を選んだのかは定かではない。その後聖武天皇の病気は無事治り、彫った仏像のうちの一体、薬師瑠璃光如来を本尊として岩屋山薬師堂が建立された。今も行基がこもっていたとされる洞窟はそのまま残っている。岩屋堂というのはその洞窟のことで、一般的にはそこを中心とするこのあたり一体の呼び名ともなっている。
 上の写真は岩屋堂の入り口にある浄源寺というお寺さんだ。行基が彫った内の一体である白衣観世音菩薩を本尊として1430年に建てられた。ここの紅葉は趣があっていい。春先にはセリバオウレンが咲く。
 時代は一気に昭和に飛ぶ。その間、岩屋堂がどういう変遷をたどっていったのかはよく知らない。おそらくは紅葉のちょっとした名所として観光に訪れる人がそれなりにいたのだろう。愛知高原国定公園に指定されのはいつなのだろう。たぶん戦後だとは思うのだけど、そのへんも詳しいところもよく分からない。昭和の時代はなかなかの賑わいを見せたのだろうと思う。現在もそのときの名残がいくつか見られるから。
 復習はこれくらいにして、そろそろ奥に向かって歩いていくとしよう。タイムトンネルを通って昭和へ。

岩屋堂昭和風景-2

 いきなり昭和の洗礼の右ストレートが飛んでくる。心の準備ができてないのでよけようがない。左ジャブ抜きでノーモーションが右がテンプルにヒットして、一瞬クラッとする。とても現役の観光地とは思えない荒れっぷりだ。最初に見たときは、思わず、すごいなと小さくつぶやいてしまったほどだ。昭和から平成になるのを拒んでそのまま古い時代に殉じて朽ちていったのだろう。写真の建物は店舗兼住居だったのだと思う。かつてはこのあたりがメインストリートだったに違いない。
 道路にしても階段にしても、もはや化粧直ししようという意志はまるで感じられない。田舎で暮らす一人住まいの老人宅のようだ。どこから持ってきたのか、まるで統一感のないベンチも、履き古したジーンズでも座るのがためらわれる。
 今更リニューアルしても客を呼べそうもないから、このまま放置しておくしかないという判断なのだろう。建物だけ取り壊してしまったら、それはそれで違和感がある。むしろ22世紀までこのままでいて欲しい。

岩屋堂昭和風景-3

 ここで暮らす人の中には、昭和のままではいけないという強い決意を持って平成へと踏み出そうという勇気ある人もいる。このように新しい店もできていたりして、少し安心する。夏休みと秋の紅葉だけで一年分稼げるのかと心配にもなるけど、なんとか頑張って欲しいところだ。まさか、前の鳥原川でうなぎは獲れないだろう。自力で食材を調達できるならなんとかなるかもしれない。

岩屋堂昭和風景-4

 私が行くときはいつも閉まっている屋台。夏と秋だけの臨時開店なのだろう。店には「準備中」という張り紙があった。長い準備になりそうだ。
 前に見たときより小綺麗になっていたような気もする。お品書きなんかを新しく書き直したのだろうか。氷の旗も真新しい。この夏新調したか。
 どこを見ても完全なハンドメイドと分かる屋台は、風情というべきか、温もりと表現すべきか。細かいところを見ていくと、苦労が忍ばれてちょっと微笑ましい。
 それにしても昭和だなぁ。

岩屋堂昭和風景-5

 夏の間だけオープンするプールもある。確か無料だったはずだ。
 これもシーズンオフしか見てないので、いつも水がすごい色をしている。深緑色で、顕微鏡で見たらいろんな生物が見えそうだ。息継ぎのときに飲んだら25メートル先でおなかが痛くなりそう。
 でも、夏シーズンの写真を見るときれいな水色をしてるから大丈夫だ。大丈夫じゃなければ困る。

岩屋堂昭和風景-6

 思いがけないものを発見してのけぞった。おでん缶自販機がこんなところに!? 秋葉原名物であそこしかないかと思ったら、全国展開だったのか。いや、でも、ここ以外では見たことがない。かなり珍しいんじゃないかと思うけどどうなんだろう。
 それにしてもなんでここでおでん缶という選択だったのだろう。ここのオンシーズンは夏と秋だ。逆に言えばそれ以外の時期に訪れる人はめったにない。夏場におでんは厳しい。冷たいってことはないだろうから、やっぱり熱々なのだろう。夏のおでんは6畳一間で関取と同居するくらいうっとうしい。試しに買ってみればよかったなと思ったのは、岩屋堂をあとにしてからだった。衝撃が大きすぎて、その場で買って食べてみようなどという発想は出なかった。証拠写真を抑えることに気を取られて。
 もしかすると、人が少なくなる冬場に人を呼ぶための起死回生として放った一手だったのだろうか。そろそろ寒くなってきたから岩屋堂でおでん缶買いに行こうぜ、なんていう会話が交わされることを夢見たか。今はおでんを買いたければコンビニに売ってる時代なにに。あるいは昭和の方が売れた可能性がある。お汁粉缶よりも、コーンポタージュ缶よりも魅力的に思えたはずだ。おでん缶自販機は遅れてきたヒーローと言えるかもしれない。
 次に行ったら動揺せず買って食べてみよう。

岩屋堂昭和風景-7

 遠くから離れて見ると風情がある朱色のくれないばしだけど、近づくほどに安さがバレてしまう。神社仏閣のような本物感はどこにもない。これもここの人がペンキを買ってきて手で塗ったおそれがある。ちゃんと業者に発注しただろうか。ペンキ塗りが趣味の私に頼んでもらえれば喜んで塗り直したい。
 昭和三十八と書かれてあるから、ここが公園として整備されたのもそのあたりだったのだろう。とすれば、賑わいのピークは、昭和40年代から50年代にかけてだろうか。あの頃はまだみんなそれほど遠くへ気軽には行けなかったから、こういう近場の行楽地が人気だった。たった30年や40年でここまで時代が変わってしまうとは、あの頃は想像できなかったに違いない。

岩屋堂昭和風景-8

 奥の方へ行くと、旅館が並んでいる。ここもかつての賑わいの名残だ。半分は営業してないようだけど、残りはまだ開いてるように見える。そのへんの境目もよく分からない。ただ、マイクロバスなどもとまってるから、小規模の社員旅行などもあるのだろうか。個人や家族で、シーズンオフに好きこのんでここに泊まりがけ来ようという人はめったにいない気がする。それとも、静かで落ち着ける場所として私の知らないところで密かな人気を呼んでいるのだろうか。
 夏場はバンガローも営業しているようだ。そのあたりも昔なら子供会などで利用されただろうけど、今はどうだろう。マスの釣り堀など、一通りの施設は整ってはいるものの、現状どこまで稼働していてどこから停止してるのか見極めが付かない。一日中うたた寝をしている老人のようだ。

岩屋堂昭和風景-9

 滞在1時間半の間に5人の人を見た。駐車場の車の方に戻っていった3人組のおじさまおばさまたちは何をしに来ていたのだろう。観光というふうでもなかったし、山登りでもなかった。カメラも持っていなかったから、泊まりか食事か。あとの2人組もなんとなく分かりづらかった。向こうは向こうで一人でカメラを持ってうろついている私のことを不審に思っていただろう。森や散策路などですれ違うときは自然と挨拶したり会釈したりするものだけど、こういうひなびた観光地で出会うとお互いにどう反応していいのか戸惑う。何気なくすれ違うには他に人影がなさすぎて不自然だし、声を掛け合うには仲間意識が持てない同士なので照れくささもある。結果、探り合いをしつつ見て見ぬふりのようになってしまう。
 こんな岩屋堂だけど、実は年間の観光客は40万人を超えるんだそうだ。本当だろうか。信じられない。私は年に5回くらい行くけど、全部あわせても30人も見かけない。夏と紅葉のシーズンは私が思っている以上の混雑を見せるのだろう。一度そんな岩屋堂の姿を見てみたら、私の認識も大きく変わることになるかもしれない。
 それでも、今のところ、私の中の岩屋堂は純昭和だ。純喫茶よりも昭和的とさえ言える。こうなったら居直って、もっと昭和色を濃くしてみたらどうだろう。お土産物屋でペナントやキーホルダーを売って、店先ではグリーンティーを置くのだ。当然、絵はがきやしおりも必須アイテムだろう。事情が許すなら木刀も揃えたい。
 この時代だからこそ、あえて岩屋堂昭和化計画でいこうではないか。逆転の発想で。いまさら中途半端に取り繕っても魅力的な観光地にはならない。おでん缶は方向性としては間違ってると思う。今、昭和ブームは来ている。ブームに乗り遅れるな岩屋堂。平成なんてどこ吹く風と、岩屋堂はもっと岩屋堂らしくあって欲しい。私はこれからも岩屋堂を応援していきたい。

何もないけどいつも少しだけ贈りものをくれる岩屋堂第一弾は水風景

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
岩屋堂水風景-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 行っても大したものがないと分かっているのに、ある一定期間が過ぎるとなんとなくまた行きたくなる場所がある。私にとって岩屋堂はそういうところの一つだ。これまでに10回近く行って、これという収穫があったためしがないのに、次こそは何かあるかもしれないと思ってしまう。で行ってみるとやっぱり特に何もない。ここはタイミングや相性もよくないのに、何故か引き寄せられるのは、向こうで誰かが私を呼んでいるのだろうか。
 今日もまた、大きな驚きも喜びもなく、いつもの風景を見て、いつもと同じところから写真を撮って帰ってきた。期待した鳥や虫との出会いもなく。だいたい岩屋堂はこんなものだという納得感を持って。
 けど、帰ってきて写真を整理したら、思いがけずたくさん撮っていた。あまり自覚のないままパチパチシャッターを切りまくっていたらしい。枚数が多くなってしまったので、2回か3回に分けることにした。
 第一弾は水風景編。岩屋堂を流れる鳥原川は特別美しい流れというわけでもないけど、それなりに変化はあって面白い。

岩屋堂水風景-2

 入り口に近い方は水量が少なくて穏やかな流れになっている。ここは増水しやすくて危険な川なのかもしれない。小さなダムがいくつも設けられていて、流れをコントロールしている。このあたりも増水したあとが残っていた。最近降った雨と台風の影響だろう。
 季節的には今は面白くない。春なら桜や野草が咲き、秋なら紅葉も見られるけど、今は野草さえもほとんど咲いてない。
 前に一度、このあたりでカワセミを見た。キセキレイもよく見る。けっこう珍しいカワガラスもいるというのだけど、夕方なんかでは見ることはできない。本気で見たければ朝っぱらから出向いていかないと。

岩屋堂水風景-3

 駐車場近辺。右に見えてるのは桜の木。いつ植えたのか、ここのものはまだ小さい。
 川を探したけど鳥の姿は見えず。見たものといえば、ルリタテハ蝶くらいだった。蝉はまだ元気に鳴いていた。ツクツクボウシだけでなく、出遅れたヒグラシの声も聞こえていた。

岩屋堂水風景-4

 夏休みシーズンになると、川のこのあたりをせき止めて天然のプールが作られる。普段は訪れる人もめったにないような寂しい場所も、夏と秋の紅葉だけはそれなりに賑わいをみせる。近場の行楽地としてこのあたりの人にはなかなか人気のスポットだったりする。私はその時期は近づかないようにしている。人が多いし、いつもは無料の駐車場がにわかに有料となってしまうから。
 万国旗というのが昭和の行楽地を思わせる。なんで学校の運動会に万国旗だったのだろう。その因果関係がいまだによく分からない(運動会が始まったのが明治時代で、時代は文明開化と国際交流だったからその勢いで、という説があるようだ)。

岩屋堂水風景-5

 更に上流にさかのぼると、川の様子はだんだんワイルドさを増していく。橋を一つ越えただけで突然渓谷風になるのが面白い。これが島原川本来の姿だったのだろう。
 このあたりは紅葉で赤く染まると絵になる場所だ。今年は秋にもう一度訪れることになるだろうか。

岩屋堂水風景-6

 もともと川というのはこれが普通だったのに、街中のコンクリートで固められた間を行儀よく流れている川を見慣れているせいで、こういうのが新鮮に映る。川らしさというのはこういうことなんだと思い出す。水の勢いの力強さというものもあらためて感じた。
 川にしろ海にしろ、人間の生体リズムと動く水というのはシンクロするものなのだろう。人間の体の70パーセントが水分だし、人には水が必要なのだ。飲むだけでなく、水のリズムやエネルギーを感じるということも大切なものなんじゃないだろうか。

岩屋堂水風景-7

 白濁した水が生き物のようだ。生命力を感じる。
 小さなダムでもこれだけの力強さがある。最初にダムをエネルギーに変えられると思いついた人は偉かった。
 けど、そのおかげでダムによる自然破壊も進んだ。自然の恵みを絵ながら自然と共存していくというのは難しい。

岩屋堂水風景-8

 最近は日没が早くなって私の行動時間も短くなった。6時を過ぎるともう暗くなってしまう。ここは山に囲まれた場所だから、街よりも早い。やっとこれからというときに光を失ってしまった。暗くなったらここで撮るものはない。真っ暗になる前に帰ろう。

岩屋堂水風景-9

 今日一番の収穫は、この色だった。これがなければ、ホントに何もないまま帰ることになっていて、もう行くのはやめておこうと思ったかもしれない。一つ、素敵な贈りものをもらった。こういうささやかなときめきがあるから、またのこのこと私は岩屋堂へ行ってしまうのだ。まったく何もなければそう何回も行くものではない。写真に関しても、行けば一枚か二枚は印象的なものを撮らせてくれる。それ以上ではないのだけど。
 岩屋堂が好きか嫌いかと訊かれると、うーんとうなって、嫌いではないと答える。いいところかよくないところかと問われれば、なんとなく笑ってごまかしたくなる。一度行ってみればいいんじゃないかなぁと、少し思わせぶりな答え方になるだろう。私が特に好きなのは、昭和のうらぶれた観光地風情を残すところだ。半分死に体になっているけど完全には眠ってないぎりぎりな感じがいい。
 そのあたりのことを第二弾で写真と共に紹介したいと思う。昭和は遠くなりにけり、それでもどっこい岩屋堂は平成の時代に生きている編をお楽しみに。
 つづく。

人工で天然で真面目で笑わせる、その名も吉良ワイキキビーチ

観光地(Tourist spot)
吉良ワイキキビーチ




 はるばる来たぜワイキキビーチ。家から車で1時間半くらいかかっただろうか。しかし、最近はワイキキもずいぶん近くなったもんだなぁ、車で来られるようになったとは。
 察しのいい方はすでに気づいてると思うけど、ここはオアフ島のホノルルではない。ワイキキはワイキキでも、愛知県の吉良町にある吉良ワイキキビーチだ。その海岸を一目見て、誰もがその大胆なネーミングに驚く。まさかこれがワイキキか、と。
 最初にそういう話が出たとき、周りは説得して止めるべきではなかったのか。町長、さすがにそれはちょっとまずいのではないでしょうかと。しかしこれがかなり本気のようで、勢い余ってハワイ州まで飛んで名前の使用許可を取ってきてしまったというからびっくりだ。心の広いハワイアンにも感心する。
 そんなわけでここは正々堂々、本物のワイキキビーチなのである。誰がなんと言おうと、吉良町とハワイがそう言うんだから間違いない。ウワサによると、吉良町の職員は役場で全員アロハシャツを着ているらしい。もはや似てるとか似てないとかそういう次元の話ではないのだ。椰子の木だって、ダイヤモンドヘッド風の小山だって、海の家だってある。見れば見るほどワイキキ風ではないか。ホノルルに海の家があるかどうかは知らないけれど。



吉良海岸

 今回、7、8年ぶりの再訪となった。前回訪れたのは確か5月だった。愛知県にあるワイキキビーチというものはどんなものか、自分の目で確かめたくて。
 断片的に覚えてる光景もあり、こんなふうだったかなという戸惑いもありつつ、懐かしい気持ちで吉良ワイキキビーチに降り立った。そうそう、ここ、ここ。海岸に立てばあのときの記憶が鮮やかによみがえる。昔に比べるといくぶん荒れたような印象を受けたのは、夏の終わりだったからだろうか。前はもう少し砂浜がきれいだったような記憶がある。
 吉良ワイキキビーチという名前は、吉良町が主張してるだけで実は正式名称ではない。だから、地図には載ってない。地図上では宮崎海水浴場と恵比寿海水浴場と出てる海岸が吉良ワイキキビーチということになる。
 沖合に見えている島は、無人島の梶島(かじしま)だ。春の潮干狩りシーズンのときだけ、漁船に乗せてもらって行けるらしい(もろもろ込みで2,300円)。海岸から1キロくらいだから、遠泳ができる人なら泳げなくはないかもしれない。
 9月の日曜日、ポツリ、ポツリと人が訪れていた。釣り人を別にすればバーベキューをする人などをあわせてざっと30人くらいだったろうか。ここは8月の海水浴シーズンでも芋洗い状態にはならないそうだから、海でゆっくりしたければここはよさそうだ。夏休み期間中に内海の海水浴場なんて行くとひどい目に遭う。



海に入る母子

 この日も30度を超える暑い日だったけど、さすがに泳いでる人はいないだろうと思ったら、ツワモノのお母さんとちびっこが海の中に入っていた。すごい親子だ。雲が多くて太陽が出たり隠れたりだったので、海日和というほどでもなかった。寒くなかったのだろうか。
 それから、海に入っていたのを感心したのはもう一つ理由があった。それが下の写真だ。



海岸のあおさ

 あおさというんだろうか。緑色の海草がグロテスクなほど海岸に打ち上げられていた。えげつない量だ。とても海水浴場の海岸風景ではない。ここは地形的に奥まったところで周りを半分囲うように仕切ってあるから、漂流物がたまりやすいのだろう。木片やゴミなども相当浮かんでいた。いくら暑くてもこの海に入るには勇気がいる。平成13年には環境省選定「日本の水浴場88選」に選ばれたというのは、にわかには信じられない。私が前に訪れたときは、こんなことはなかった。あれは5月で、今は9月ということもあるのだろうか。それとも、この前の台風の影響なのか。
 これだけの量を味噌汁に入れて食べようと思えば、毎食食べても3年くらいかかりそうだ。これがホントにあおさなら食べられるはずだけど、そんなまっとうな食材ではないのかもしれない。地元民も拾ってる様子はない。



海岸のホテル

 吉良ワイキキビーチの背後には、居丈高な感じで巨大なリゾートホテル三河湾リゾートリンクスがそびえ立っている。この風景にはそぐわないほど威風堂々と。ワイキキビーチとセットで観光の目玉として建設したのだろう。
 しかし、このホテル、見た目とは裏腹に意外と庶民向けのようだ。1泊2食付きで13,000円~と高級価格ではない。民宿でも8,000円くらいはするから、せっかくだからこちらにしておこうかという家族も多そうだ。あまり高いと泊まる人もないだろうから、こんなものか。けど、800名宿泊可能という規模がすごい。夏のピーク時でもとても埋まるような気はしないけどどうなんだろう。
 吉良には天然温泉も湧いてるから、そちらのお客が目当てなのかもしれない。他には、吉良観光ホテル竜宮ホテル、旅館、民宿などが十数軒ほどある。観光の呼び物がほとんどない吉良町にとって、ここの発展に期待をかけてる部分が大きいのだと思う。忠臣蔵の敵役で有名な吉良上野介の地元といっても観光資源といえるようなものは少ない。
 それらを考えると、ワイキキビーチのネーミングは苦し紛れでも成功だったというべきだろう。もしここが元の宮崎海水浴場という名前のままだったら、私のような興味本位で遊びに来る人間が今よりもっと少なかったに違いないから。少々笑われてもそれで人が来てくれるならそれでいいと、そこまで計算しての名前だったとしたら、なかなかにしたたかだ。



海岸の二人

 夏の終わりの海岸にたたずむオヤジが二人。これはこれでちょっと絵になる光景だった。



浜辺のカップル

 オヤジさん二人も悪くなかったけど、海といえばやっぱりカップルだ。特に夕暮れ時がいい。
 今の季節は太陽が山の向こうに沈んでしまうから、海に沈む夕陽を見ることはできないのが残念だ。5月はここから見て右端の方の海に沈んでいく太陽を見た。夕焼けシーズンの秋はどこへ沈むのだろう。
 この場所は、メジャーすぎずマイナーすぎず、年間を通して釣り人がいるから、ふらりとやって来るにはいいところかもしれない。いつ行っても賑やかすぎず寂しすぎない。
 ただ、鉄道の駅から歩くには遠すぎて、バスもないのが難点だ。


夕暮れのマリーナ

 夕陽を見るために、隣接する漁港の方に歩いて移動した。夕暮れ時の港の風情も味がある。一日の終わりというものを素直に実感できる。街で暮らしていると、暗くなればすぐに灯りがともって一日はまだまだこれから残り半分だなんて思ってしまう。
 こちらでは釣り人がたくさんいた。釣り上げてるところも見かけたし、そこそこ釣れるのだろうか。
 夕陽はこのあと厚い雲に隠れてしまって、夕焼け空を見ることはできなかった。それでも、太陽が見えなくなるまでこの風景を見ていた。



イルミネーション

 日が暮れると、とても中途半端なイルミネーションが輝き始める。実物はもう少し華やかなのだけど、この時期に海岸沿いで見るイルミネーションは、なんとなく間が抜けていて脱力感を誘う。メキシコあたりのモーテルみたいだ。メキシコのモーテルなんて泊まったことがないけど、そんなイメージだった。
 駐車場の方にももっと派手なイルミネーションがあって、頑張ってるんだなぁと思わせる。努力の方向性はそちらでいいのだろうかと言いたくなるのは余計なお世話というものだ。帰る前に心を和ませてくれることは確かなのだし。
 吉良ワイキキビーチは作られた人工の海岸でありながら、その演出は計算ではない天然のよさがある。決して笑わせようとかそんなことを思っているわけではない。
 今回の再訪で吉良ワイキキビーチを前よりも好きになった。あともう一、二回行けば虜になってしまうかもしれない。なんといっても面白い。当たり前すぎて面白みのない海水浴場よりもずっと楽しい。いろんなところに意外性があって退屈させない。去年はウミガメが産卵に訪れたんだそうだ。たぶん、海道に迷ったウミガメだろうけど。
 最近では毎年ハワイアンフェスティバルというのが行われて、年に一度、全国からフラダンス愛好家が集まってフラを踊りまくるのだとか。
 吉良ワイキキビーチは、いろんな意味でオススメします。彼氏はウクレレを持って、彼女はフラダンスのスタイルで、夕陽をバックに「憧れのハワイ航路」を歌い踊って欲しいと思う。
 
【アクセス】
 ・名鉄蒲郡線「三河鳥羽駅」下車。徒歩約30分。
 ・タクシー利用の場合は、「吉良吉田駅」で下車。車で約10分。
 ・無料駐車場 あり(夏シーズンは1日800円)
 

虹と夕焼けを20D+Takumarで撮ると現実以上にドラマチックワールド

空(Sky)
虹と夕焼け-1

Canon EOS 20D+SMC Takumar 135mm f2.5↑



 今日の名古屋は曇りのち夕焼け。ずっと曇っていて雨が降りそうな天気から、夕方になって一転して晴れとなった。
 この前買った20Dの画質もだいたい掴めてきたところで、Takumarレンズの組み合わせで少し撮ってみることにした。ここ最近はPENTAXの色にすっかり慣れていたから、Canonデジ×Canonレンズの優等生画質はどうも物足りなかった。クリアで抜けはいいけど、色まで抜けてしまって私には薄味すぎる。PENTAXの濃い味付けが好みだっただけに余計そう感じる。けどそれは最近のズームレンズでの話。CanonデジもTakumarの単焦点オールドレンズと組み合わせることでやけに色乗りが良くなることは前に使っていた10Dで知っていた。その傾向は20Dでも変わらないはずだ。そして、実際にそれは証明された。
 上の写真は135mm f2.5という少し珍しいレンズで撮ったものだ。f3.5は廉価レンズでゴロゴロ転がっているけど、f2.5はあまり出回ってない。カビありジャンクで安かったので試しに買ってみた。
 そもそも135mmというのはデジに使うと216mmという使い勝手の悪い画角となる(Canonは1.6倍換算)。望遠レンズとして使うには距離が足りないし、デジに使うと無限遠も出ない。マクロ的に使おうとしても最短焦点距離が1.5メートルと長すぎて使えないから、中間距離のポートレートかスナップに用途が限られる。けれどこれがはまると非常に味わい深い画質になるから捨てがたい。135mm f3.5も廉価なわりにはとてもシャープなのだけど、f2.5はシャープさに加えて柔らかさもある。使えるシーンは限られているものの、積極的に使っていきたいレンズだと思わせる魅力がある。
 というわけだから、本来は遠景の風景に使うようなものではない。このときはたまたま20Dにつけていて、無限遠が出るか出ないか確認するために撮ってみた。無限遠は出ないのだけど、ピントリング手前の30mと表示してあるあたりでなんとなくピントが合う。30メートルなんてことはもちろんなくて、実際の距離は数キロ先だ。でも結果的に合えばいい。これなら一応望遠レンズとしても使えるかもしれない。
 色もきれいなグラデーションが出てなかなかいい。雰囲気重視がこのレンズの特徴でもある。CanonとTakumarレンズの組み合わせがいいのは、コントラストの暗の部分が黒つぶれせずに出るところだ。この粘りはPENTAXにはない。

虹と夕焼け-2
SMC Takumar 28mm f3.5↑↓

 車を走らせていると空に虹がかかっているのを見つけた。あわててセブンイレブンの駐車場に車を入れて、レンズをTakumar 28mmに交換する。けど、ここで失敗に気づく。今日はTakumarの試し撮りのつもりだったから、デジ用の広角ズームを家に置いてきてしまった。28mmの1.6倍換算だから45mmになってしまって、広い範囲を写せない。虹は巨大すぎて半分も入らない。28mm換算の18-50mmズームを取りに家に戻ろうかどうしようか迷った。もしくは、1.5倍換算になるPENTAXなら18mmが27mm換算になる。広角側の1mmというのはときに非常に大きな意味を持つことがある。朝の5分が昼間の5分とは全然意味合いが違うように。
 結局家に戻るのはやめて、視界が開ける河原へ急いで向かうことにした。急がないといつまで虹が出ているか分からないし、日没時間も近づいていた。

虹と夕焼け-3

 橋の上で信号に引っかかったので、車の座席から一枚。やっぱりまったく入りきらない。虹の大きさをあたらめて実感した。この広がりだと17mmでも全部は入らないだろう。虹は離れれば小さくなるようなものではない、どこまで遠ざかっても見えているところからはどこからでも同じ大きさに見えるということも知った。
 この日、同じ虹を見た人がたくさんいた。車を運転しながら、歩きながら、家の前で、多くの人が空を見上げていた。小さな女の子とお母さんは空を指さして何かを話していた。そのとき、虹という存在がその場にいた見知らぬ人同士の心をつないで、一つの空間を作り上げた。ほんの短い一瞬の共有だったけど、確かに目に見えない交流が生まれた。

虹と夕焼け-4

 Over the rainbow、虹の向こうに幸せがあるというけれど、本当は虹のこちら側にこそ幸せがあるのだ。向こうにいってしまえば、もはや夢見ることができない。
 虹を最初に「発見」したのは、万有引力でお馴染みのアイザック・ニュートンだった。ニュートンはそれをスペクトルと名付けた。虹の色を7色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)だと最初に言ったのもニュートンで、日本も7色ということになっている。けど、ヨーロッパでは一般的に6色や5色と考えている国が多い。実際に目で見てみると、確かに5色くらいにしか見えないといえば見えない。頑張れば6色くらいは見えそうにも思う。

虹と夕焼け-5

 河原に着いたときにはすでに夕焼け時間となっていた。これもちょっと珍しい光景だったかもしれない。ピンクの夕焼け空を背景にかかる虹というのは初めて見た気がする。虹までもが少し桃色に染まっているようだった。
 空一面が見渡せる河原でも虹すべてを撮ることはできなかった。そこで縦撮りではどうだろうと撮ってみたら、これが意外といい。横位置で一部を切り取るようも虹のスケール感が伝わりやすい。このときの虹は、この大きさで途切れることなくぐるりと半円を描いていた。それはなかなかに感動的な光景で、できれば全体写真を撮ってみせたかったけど、せめて一部をお裾分けしよう。昨日だったらもっとよかったのにとも思った。

虹と夕焼け-6

 虹がかかっていたのが東の空で、振り向いて西の空を見たら、こちらはこちらでドラマチックな夕焼けが広がっていた。虹を追いかけてきたら、別のいいものも見させてもらった。
 これはもう夏の夕焼け空じゃない。秋の入り口の空だ。これから秋が深まっていくと、空はますます高く澄んで、焼ける色も鮮やかさを増していく。

虹と夕焼け-7
Super Takumar 50mm f1.4↑↓

 光と色の演出というのは実に偉大なもので、昼間の光の中では冴えないおじさんも、夕焼け空を背景すればドラマの主人公のようになる。スポットライトを浴びるという表現があるけど、あれなどはまさにライトを浴びた普通の人を特別な存在に変えるという意味だ。
 もし、この世界に夕焼け空が存在しなければ、私たちの現実世界は今よりももっと平凡でアンチドラマチックなものとなっていただろう。

虹と夕焼け-8

 最後はドラマチックすぎて嘘くさいような写真になってしまった。でもこれがCanon画質とTakumarレンズの組み合わせの真骨頂。この色はPENTAXとTakumarでも出ない色なのだ。

 私は写真は嘘でいいと思っている。人を上手にだますならそれでいいと。
 写真は偽りのない記録である必要はない。むしろノンフィクション小説に近いものがある。あるいは、都合の悪いことを書かない日記のようなものと言ってもいい。きれいな部分だけ切り取ってみせて、それが自分と他人との幸福につながればそれでいい。必ずしも正直でなくてもいいということだ。
 写真なんてどう撮っても真実になりようがないものだ。ありのままを写しても、それは事実の一部でしかなくて、意図的に排除した要素がある以上、もはや真実のすべてではない。ニュース報道のように。
 人は誰もだまそうと意識しないまま人をだましている。一方で人は無意識のうちにだまされたいと願っているようなところがある。それぞれの思惑が一致したところに偽りでも幸福感が生まれればそれは不幸なことではない。
 私は嘘つきにはなりたくないけど、写真に関してはもっと上手な嘘をつけるようになりたいと思っている。この世界は思っているよりもずっと美しくて素敵なところで、私がつくささやかな嘘写真が現実を超えるようなことはないのだから。

夏の名残の吉良ツアーはうつむくヒマワリに夏の終わりを告げられた

観光地(Tourist spot)
夏の名残の吉良町-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 ツレを伴い、夏の名残の吉良ツアーへ出かけた。
 お目当ての一つだった遅咲きのひまわり畑へ行ってみると、畑一面に全面降伏状態のひまわりが平身低頭して我々を出迎えてくれた。殿様の前の家来のように。5万本のひまわりがすべてこれ以上ないほどうつむいている姿は、壮観といえば壮観と言えなくもなかったのだけど、それにしてもまさかここまで出遅れているとは思ってなかった我々は、この光景を目の当たりにして、しばし呆然と立ち尽くしたのであった。くるしゅうない、顔をあげい、と言っても誰一人頭を上げるものはいなかった。
 吉良町のサイト情報によると、見頃は8月中旬から末頃までと出ていたから、9日なら半分は無理でも2分か3分くらいは花も残ってるんじゃないかと期待していた。完全に終わってるというのは想像してなかったので、やっぱり残念感は強かった。夏は終わっていたのだ。もはや名残さえもないほどに。

夏の名残の吉良町-2

 私たちはひまわり鑑賞の方法を変えることにした。ひまわり畑がダメなら個別に咲いてるひまわりを探せということだ。果敢にも畑の中に突っ込んでいき、枯れたひまわりをかき分けかき分け、ついに発見、チビひまわり。茎の途中からひょこっと顔を出した小さなひまわり。これはなんだろう。親玉ひまわりは人の顔くらいの大きさがあるのに、これは直径15センチにも満たない。普通のひまわりも人知れずこんなところに小さく咲くものなんだろうか。
 探しに探して、結局こんなチビひまわりの花を7つほど見つけた。そんなことをしてる人はなかなかいないだろうけど、私たちなりに頑張った方だと思う。少しだけ満足感も得た。かろうじてでも確かに我々はひまわりの最後の残り火を見届けたのだ。もう誰もがひまわりのことなど忘れてしまった9月の半ばに。

夏の名残の吉良町-3

 ほぼ全員が頭を垂れている中、2つ3つの顔がすくと前を見据えていた。自分だけは権威に屈しないぞを突っ張ってるやつのように。
 こいつなどはもはや花びらもなく種をびっしりつけながら顔を上げていた。髪型が金髪の頃の家田荘子みたいだ。

夏の名残の吉良町-4

 あと2週間早く訪れていれば、ここから見渡す限りのひまわりがこちらを向いていたはずなのだ。今は誰とも目が合わない。将軍気分を味わうなら今がチャンスだ。5万人が一斉に自分に向かって頭を下げるなんて経験はしたくてもできるものじゃないから。
 今年はもう、ひまわり畑を見に行くチャンスはなさそうだ。来年の課題として残してしまった。ひまわりというと真夏の8月というイメージがあるけど、実際は7月の方がよく咲いている。早めに気づいて出向いていかないといけない。いつか、山梨の明野のひまわり畑を見に行こう。

夏の名残の吉良町-5

 吉良町というと、忠臣蔵の敵役である吉良上野介が領主をしていた土地であり、中世は足利氏族の東条吉良氏の支配地だった。ただ、吉良上野介は江戸生まれでこちらにはほとんど帰ってきたことがないので、関係ないと言えばない。
 一番の有名出身者というと、尾崎士郎ということになるだろうか。けど、今どき誰も『人生劇場』なんて読みはしないから、吉良町といえば尾崎士郎なんてものではないのだろう。隣の吉良中学でもそんな話は出ないくらいかもしれない。

夏の名残の吉良町-6

 もう稲の刈り入れが始まっていた。私たちがのんきに夏の名残ツアーなんてしてるときに、農家はもう秋だった。そろそろ新米も出回り始めている。
 稲を刈ったあとに飛び出してくる虫たちを目当てに、ツバメやサギや鳩やカラスやケリたちが上空を乱れ飛ぶ。ものすごい賑やかだ。写真には撮りきれなかったけど、望遠レンズで飛ぶ鳥撮りの練習には今が最適の季節だ。どれを撮っていいものやら目移りしてしまうくらい被写体には事欠かない。

夏の名残の吉良町-7

 町では単線の名鉄西尾線がのんびりゴトゴト走っている。名鉄の赤い車両が田んぼ風景にはよく似合う。
 名古屋駅からも名鉄名古屋本線と西尾線を乗り継いで吉良まで行くことができるから、そんなゆったりした旅もよさそうだ。

夏の名残の吉良町-8

 ひまわり畑をあとにした私たちは、吉良のお寺回りを経て、海へとやってきた。その名も、吉良ワイキキビーチ。私は7、8年ぶりの再訪となる。懐かしのワイキキビーチは相変わらずのワイキキぶりだろうか。
 夏の名残吉良ツアーの最後は、海岸で花火となった。それはまた別の機会に話しをすることにして、今日はここまで。また明日。

忘れた頃にやって来る尾張旭の神社巡り第二弾は一之御前と直會神社

神社仏閣(Shrines and temples)
一之御前神社外観

PENTAX K100D+smc Takumar 28mm(f3.5)



 もうほとんど誰も覚えてないと思うけど、以前私は尾張旭市の神社仏閣全制覇宣言を出した。第一弾として渋川神社のことを書いたのを誰か覚えていてくれてるだろうか。あれは4月の終わりのことだった。誰も覚えてなくても、神社仏閣ネタに食いつく人が少数派でも、私はやる。ライフワークとして尾張旭の神社をすべて巡ると決めたのだから。
 もしサッカーくじのBIGで6億円が当たったら、回った神社すべてに10万円の賽銭を投げるという約束も私は忘れてない。今のところまだ御利益はない。回れば回るほど配当が少なくなる可能性があるので、私がすでに訪れた神社はなるべく早く私に力を貸してください。今のところ、今回の第二弾で3つだから、この時点で当たった場合は、1神社につき20万円としよう。早く当たらないかな。
 今回巡ったのは、一之御前神社(いちのごぜんじんじゃ)と、直會神社(なおらいじんじゃ)の2社だった。お寺はけっこう足を踏み入れづらい雰囲気もあるので、神社仏閣巡りから神社巡りに切り替えた。民家に近いようなお寺にカメラを持って入っていくのは、少しためらわれる。
 まずは一之御前神社にお邪魔することにしよう。



手水舎

 手水舎の龍の口から出る水に光が当たってキラキラと輝いていてきれいだった。頭をなでたらドラゴンボールでもはき出さないだろうか。
 手と口をすすいで、参拝にのぞむ。人があまり訪れない神社の水がどの程度きれいなのかは毎回疑問に思うのだけど。



拝殿を臨む

 誰もいない境内。夕方の光が斜めに差し込んで、光と影の強いコントラストを描く。頭の上からは耳鳴りがするほどの蝉時雨が降りそそいでくる。
 あ、ここは好きだ、とすぐに思った。神社にも感じるものがあるところとそうじゃないところがあって、悪いというところは基本的にないのだけど、特にいいところとそうでもないところははっきりしている。いいところは領域に足を踏み入れた瞬間に分かる。好きなタイプの顔と同じよう。それは理屈じゃない。
 これまで何度横の道を通ったから知れないくらい通ってるところのすぐ横を入ったところに、こんな神社があるとは知らなかった。表からは見えないところだから、なかなか気づきにくい。尾張旭の人でも知らない人がけっこういるかもしれない。

 この尾張旭の一之御前神社については、ネットで調べてもほとんど情報が出てこない。熱田神宮にも天照大神の荒魂を祀る同名の摂社があるようだけど、それは「いちのみさき」と読ませるようだから、別系統なのかもしれない。
 瑞穂区や豊明市沓掛町にも一之御前社というのがある。そちらとの関係はどうなんだろう。全部共通のものがあるのだろうか。
 ここは由緒などを書いた説明板も立ってないから、知る手がかりがなかった。尾張旭の図書館で郷土史でも調べれば出てきそうだけど、そこまでして知りたいわけでもない。感覚的に好きだということが分かればそれでいい。



境内の様子

 ここは不思議な空間を持った神社だ。普通とはちょっと違った印象を受ける。正方形の空間の一番奥に社殿があって、あとは参道といったような道もなく、空き地に神社の社だけ持ってきたようなつくりになっている。ひどく懐かしいような気持ちになったのは、ここが昔よくあった空き地の風情に似ているからだと途中で気づいた。ところどころに雑草が生えた広場の雰囲気そのままで、社がなければ完全に子供の野球場になってるところだろう。素敵な無駄空間といったようなものを久しぶりに見て嬉しくなった。
 お気に入りの神社がまたひとつ増えた。



直會神社入り口

 次に直會神社へとやって来た。これはずいぶん奥まったところにある。偶然通りかかる可能性はほとんどない場所だ。地図を見てここを目指してやって来ないと出会うことはまずない。
 ここは吹きさらしというか、まったく囲われてないから神社特有の空気感が抜けきっている。神社というのは気を囲い込むための道具立てがないと、気が抜けていくものだ。もともとなかったのか、あとになって取り除かれてしまったのか。住宅地の間によく残されたと逆に感心してしまうくらいだ。
 こちらの方は歴史がはっきりしている。676年、天武天皇の大嘗祭が行われたときに、この地が神様に供えるための米を作る場所に選ばれたことが始まりだった。その儀式のあと、お供え物の酒や食べ物をみんなでいただく儀式を直會(なおらい)といい、その儀式が行われた場所に直會神社が建てられた。けっこう由緒正しい神社のようだ。



拝殿

 社殿はこぢんまりとした質素なたたずまいとなっている。祭神は、罪や穢れを祓う神直日神と大直日神で、できものなどがすぐに治るという評判が立って、かつては遠くからも参拝者が大勢訪れたという。現在のさびれ方からするとちょっと信じられないくらいだけど、この神社へと続く道は直會道と呼ばれたくらいだから、昔は人の往来が多かったのだろう。近所の人たちからは「のうらいさま」や「にょうらいさん」と呼ばれて親しまれていたそうだ。今はもうその道は残っていない。
 それでも毎年3月と12月の第一日曜には大祭が行われて、露天も並んでけっこうな賑わいになるんだとか。機会があれば一度のぞいてみよう。



額

 額の字は味があるというべきかなんというか。昭和54年と書いてるのだろうか。だとしたら新しいものだ。



境内の風景

 これが境内のほぼ全体像だ。柵も塀もなく、さらされ感が強い。鳥居も本殿の前に一つあるだけだ。
 昔はもっと広かったのだろうし、境内もこんな開けっぴろげな感じではなかったのだろうけど、今はもう昔の面影はあまり残ってなさそうだ。空気感としてもあまり感じるものはなかった。もう少し訪れる人が多ければ、また空気の密度も変わってくるのだろうだけど。

 愛知県には、県の無形民俗文化財にも指定されている「棒の手」という民俗芸能がある。長い棒や大太刀を使う武術的なパフォーマンスのようなものだ。各地区によってそれぞれの流派や型などがあって、尾張旭にも棒の手会がいくつかある。秋の祭りでは演技が披露されて、この地区でも一之御前神社や直會神社などで行われるそうだ。10月の第二日曜ということで、今年は10月14日だから、もうすぐだ。
 子供も演技に参加して、そのときに地元の人たちが祝儀や菓子を子供たちに投げつけるようにばらまくらしい。祭りの主催者側がするもち投げや豆まきはよくあるけど、観客の側から主役の方にものを投げるというのは珍しい。舞台のおひねりみたいだ。

 これで尾張旭にある10ほどの神社のうち、3つを回ったことになる。その気になれば2、3日で終わってしまうから、今くらいののんびりペースでちょうどいいのかもしれない。BIGもそう簡単に当たるはずもないし。
 

夏の終わりと秋の始まりが交差する場所で今日も命が輝いている

虫/生き物(Insect)
香流川の生き物-1

Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm f4-5.6 USM



 香流橋から家まで歩く機会があって、せっかくだから香流川沿いのサイクリングロードを通って帰ることにした。20Dに75-300mmの望遠ズームを付けて、目に付く生き物や花などを撮りつつ。
 最初に出会ったのがキバナコスモスとアゲハだった。今はちょうど夏と秋の境目の季節を迎えている。秋の花に夏の虫がとまっているシーンが象徴的だった。車では見逃してしまいがちな季節の微妙な変化も、歩くスピードなら実感することができる。カメラを持っていると余計にそうだ。
 今年の夏はほとんど虫たちを撮れなかったという心残りが少しある。そういうところにあまり出かけなかったこともあるけど、今年に限っては縁が薄かった。街中でも出会うときは出会うし、シャッターチャンスに恵まれることもある。アゲハもちゃんと撮ったのはこれが初めてだったかもしれない。
 あと少しチャンスは残っている。できることならここ数年の目標である、青空を背景に飛ぶ蝶の写真を撮ってこの夏の締めくくりとしたい。イメージはもう頭の中にある。2匹のアゲハのランデブー写真で、できれば太陽まで入れ込みたい。まだそういうシーンに出会ったことはない。

香流川の生き物-2

 小さなひまわりみたいな黄色い花もよく見かける。名前は知らない。たぶんひまわりの仲間でもないのだろう。日本産ではなく、アメリカかどこかの花のような気もする。キク科っぽい。
 ひまわりに似てるから、やっぱり夏の花だろうか。半分咲いて、半分枯れていた。これも夏の名残だ。

香流川の生き物-3

 ムクゲ(木槿)は夏の花といっていいかどうか。6月の終わりから10月くらまで咲いている。花は一日花で、朝開いたものは夕方にしぼんでしまうけど、それを繰り返して次々に長く咲く。
 この花はあまり存在感がないような気がする。自己主張が弱いというか、咲いているのを見かけても心が動かない。私だけだろうか。
 これを韓国が国花にしているのは意外だ。韓国というともっと強い印象の花を国の象徴にしそうなのに。色も赤のイメージだ。
 原産は中国やインドで、日本には平安時代に入ってきた。品種改良も盛んで、ピンクの他にも白や赤、八重咲きなどの種類がある。

香流川の生き物-4

 ノウゼンカズラ(凌霄花)は私の好きな花の一つだ。花そのものよりも、名前の響きがいい。漢字は当て字で能禅葛とでもしたい。
 この花は私に夏の到来をいち早く告げる花でもある。初夏にこの花を見ると、さあ、いよいよ夏が来るぞと心の準備が始まる。
 暑さが本格的になると、次々に花をつけて、夕方ぼとぼとと花を落としていく。咲いている花と地面に転がった花の生と死のコントラストが鮮やかで心惹かれる。
 8月になると花も少なくなっていよいよ夏も終わりかと自分の中で覚悟を決める。けど、そこから二枚腰でもう一段粘って咲き直し、結局9月いっぱいは花を咲かせ続ける。潔い花もいいけど、こういう粘り強い花も悪くない。
 ノウゼンカズラは南の暖かい地方だけでなく、都会の新しい家でも、田舎の古い家の庭先でも不思議とよく似合う。見た目のインパクトは強いのに爽やかでもあるから、どんなシーンにも溶け込むのだろう。派手で遊んでいるように見えて案外奥さんやお母さんも似合う女の人みたいだ。

香流川の生き物-5

 見たのは昼過ぎだったけど、これはアサガオでいいのだろう。ヒルガオではないと思う。
 今年は田舎でもしっかりアサガオを見たし、夏の終わりにもう一度見ることができて、私としては上出来だった。近年は一度もアサガオを見ないまま夏が終わってしまうことも多かったから。
 いつかもう一度、私もアサガオの水やりから一日が始まるような暮らしができるだろうか。

香流川の生き物-6

 繁殖期を迎えたコサギさんはきれいに着飾っている。後頭部からはカールした2本の長い冠羽が生えて、胸も背もビラビラの飾り羽(蓑毛)に覆われて、身支度は完成した。
 冬場のシンプルな衣装のコサギしか知らない人が見たら、別の鳥と思うかもしれない。夏場に暑苦しそうだけど、これが彼らの勝負服なのだ。いよいよ恋のシーズンとなると、目とくちばしの間が婚姻色と呼ばれるピンク色に染まる。足下はオールシーズン黄色でキメている。

香流川の生き物-7

 セグロセキレイはなんとなく冬の川にいるイメージが強いけど、留鳥なので一年中日本にいる。都会でも順応して暮らしているから、特に不自由は感じてないのだろう。
 ハクセイキレイは田んぼなどの陸地にいることが多く、セグロセキレイは町の川でよく見かける。もっと上流へ行くとキセキレイが増える。同じセキレイでもそれぞれ好む場所が違う。尾っぽを上下にフリフリする様子や、飛ぶ姿はそっくりだ。

香流川の生き物-8

 カワウは季節感のない鳥だ。一年中どこにでもいる。黒くてかわいくないし、魚をたくさん丸呑みしてしまうからあまり好かれない。アップで見るとつぶらな瞳とか可愛いし、羽も光が当たると玉虫色のようできれいなんだけど。
 これが一時絶滅寸前まで追い込まれた鳥だとは信じられない。高度成長期以降、日本中の川や池が汚れて、ほとんどいなくなってしまったというから、日本の水辺は最悪に近いところまでいっていたということだ。環境問題が叫ばれて川が少しずつきれいになったことでまた数を増やしてきた。今度は増えすぎて問題になっている。人間の都合で減ったり増えたりというのも気の毒な話だ。
 カワウの隣の岩には、よく見るとチビカメが2匹乗っている。彼らなどはペットとして外国から日本に連れてこられて、人の都合で川に捨てられて、そこからたくましく環境に馴染んで今日の繁栄を迎えている。たくましいさを超えたずうずうしささえ感じる。

香流川の生き物-9

 白い鳩がヒョコヒョコ歩いて目の前を横切った。
 野生で白い鳩が生まれることがあるのだろうか。式典なんかで放した鳩が野生化したのか。
 白い生き物はアルビノという劣性なことが多いから、自然界では弱い存在だ。白い鳩も仲間に入れてもらえず単独行動してるのをよく見かける。人間にとって白い生き物はきれいで神秘的に映るけど、白い体で野生を生きていくのはなかなか大変なんじゃないだろうか。

香流川の生き物-10

 街中では最近めっきり蝉の鳴き声を聞かなくなった。気づいたときにはピタリとやんでいる。
 けど、出遅れるやつはどの世界にもいるわけで、9月になっても一部ではまだ鳴いている。香流川沿いでもアブラゼミとツクツクボウシの生き残りがいた。遅刻してしまったのか、戦略的出遅れなのか。遅れることは必ずしも悪いことじゃない。みんなと足並みを揃えることが正しでもない。今鳴いているやつらは出遅れたのではなく、最後をつとめる役割を持った蝉たちかもしれない。行く夏を送るために鳴いているのだろうか。

 行く季節があれば来る季節がある。コスモスが咲き始め、ヒガンバナの便りが届き、キンモクセイの甘い香りがしてきたら、もう秋の始まりだ。そうこうしてるうちに、春に北へ渡ったカモたちがまた戻ってくる。逆に越冬のために南へ渡る鳥たちもいる。この秋は伊良湖岬にタカの渡りを見に行きたいと思っている。
 夏の終わりはいつでも少し感傷的になるけど、秋の到来が楽しみでもある。かつて私が一番好きだった季節が秋だった。秋のトーンが心地よかった。秋も撮るものがたくさんあるし、お楽しみはこれからだ。
 毎日が写真日和で、生きるに値しない日は一日としてない。日々、地球上のあらゆる場所で命が燃え輝いている。季節をいくつも超えられる私たちは、彼らの何倍も輝かなければならないのだ。

腰砕けの伊勢うどんは美味しいようなそうでもないような美味しさ

食べ物(Food)
おかげ横丁

 お伊勢参りに行ったら当然、名物伊勢うどんは食べておくべきだろうということで、昼食はおかげ横丁の中にある「うどん ふくすけ」に入ることにした。
 ここは江戸時代に美味しい伊勢うどんを食べさせると評判だった「豆腐六(どぶろく)」を再現した店だそうだ。なるほど、言われてみれば素朴な風情があってなかなか悪くない。座ってる人がみんな着物を着ていたとしても違和感はなさそうだ。店内の座敷ではなく、ここは雰囲気重視で外にした。どっちにしてもエアコンが効いてるような店ではないので夏は暑く、冬は寒い。そのあたりも江戸時代の気分を味わえるといえるかもしれない。
 それにしても待っても待ってもなかなか出てこない。確かにほぼ満席のような状態ではあるにしても、うどんにそんなに時間がかかるものだろうか。10分、15分、20分、もしかして忘れられてるんじゃないかと心配になった頃、ようやく私たちの番号札が呼ばれた。ここでも赤福と同じ番号呼び出しシステムを取っている。番号は順番ではなく、ひどく飛び飛びなのも意味が分からない。待ち時間が予測できないから、せめて番号は順番にして欲しいぞ。
 あとから分かったことだけど、通常のうどんが強火で15分くらいのゆで時間なのに対して、伊勢うどんは40分から1時間も煮るそうなのだ。それも煮っぱなしではなく、始め弱火で途中強火にしてまた弱火にするという手間をかけているということだから、それは時間がかかるはずだ。厨房では料理人が交代なしに朝から晩までうどんをゆでているのだろうか。だとしたら、それはある種、釜ゆでの刑に近い。ちょっとしたシジフォスみたいだ。



伊勢うどんが到着

 初めての伊勢うどんだから、本来なら一番ノーマルなものを食べるべきだったのだろうけど、あまりの暑さに熱いものは食べたくなかったので、冷やし伊勢うどんにした。通常のものが450円で、冷やしになると550円だったか。冷やす手間で100円アップなのか?
 腰がないとか極太麺とか、いろいろ評判は聞いていた。実際食べてみたところ、とても微妙な感じだった。確かに腰はない。固いということはなくて、柔らかいのだけど単に延びたとかそういう状態でもなく、もごもごした感じとでも言おうか。まずくはないけど、普通のうどんに比べて特別美味しい麺だとは思わなかった。少し粉っぽいのも気になった。
 つゆは店によってずいぶん違うようだ。ここのものは、たまり醤油に昆布と鰹節のダシが効いていて、甘さはやや控えめだろうか。見た目の真っ黒さとは裏腹に、くどくはない。やや濃い目ながらも塩辛くないから、むしろあっさりしてる。そばのように上品に麺の下の方だけつけてなんて食べ方では味がしない。つゆの中に麺を泳がせるくらいでちょうどいい。温かいうどんにかけるのとは少し味付けが違っているのかもしれない。
 それにしてもこれは今まで味わったことのない不思議な食感だ。何かに似てるような気がするけど、なんだろう。けど、食べているうちに最初の違和感はだんだん消えて、最後の方は妙に馴染んでくるから面白い。そのときすでに、これはもう一度食べてみないといけないだろうなという予感めいたものを感じたくらいだった。第一印象はよくなくても、もしかしたらあとから好きになるかもしれないと思ってしまうあの感覚だ。これがやみつきになってしまう人の気持ちが分かる気がした。



岡田屋外観

 これはおはらい町にある有名店「岡田屋」だ。ここで食べようと思っていたのだけど、待ち人がいたのでやめておいた。あの待ち時間を考えると正解だっただろう。伊勢うどんというのはうどん屋の中では最も回転が悪いんじゃないだろうか。これは駅のホームでは流行らない。乗り換えのわずかな時間を利用しては食べられそうにない。
 でも、伊勢うどんというのは元々、大挙して押し寄せる伊勢神宮のおかげ参りの参拝客に出すためのファーストフードのようなものだったと言われている。常に釜の中に煮込んでおいて、大量の客を次々にさばくためのものだったはずだ。そのための極太麺だったのだから。いつからこんなに時間のかかるものになってしまったんだろう。あのときはたまたま客が多すぎただけだろうか。
 伊勢うどんの原型は江戸時代以前からあったと言われている。伊勢の地ではあまり米がとれなかったものだから、農民は代わりにうどんを食べていた。当時は素うどんと呼ばれていて、ゆでたうどんに、地味噌を作るときにできるたまり醤油を少しかけて食べていたという。
 江戸時代になって参拝客が増え、このうどんに目を付けた橋本屋七代目の小倉小兵が、食べやすいように鰹節などのだし汁をかけたものを参拝客に出したのが伊勢うどん店の始まりとされている。
 伊勢うどんという呼び名がブランドとなったのはつい最近、昭和40年代以降のことだそうだ。それまでは、伊勢の人は自分たちのうどんが普通のうどんと思っていて、他のうどんと違うものだとはあまり意識してなかったらしい。名古屋人としてもそういうものはたくさんあるから、その感覚は理解できる。決してぼんやりしていたわけではない。
 現在はすっかり伊勢名物として定着して、三重県内ではたいて食べることができるし、スーパーなどでも普通にパックのものが売られている。高速のサービスエリアにも置いてある。伊勢の家庭でもよく食べられているそうだ。



二光堂支店外観

 こちらは、おはらい町にある「二光堂支店」という店だ。
 伊勢市内には伊勢うどんを食べさせる店が100軒ほどあると言われている。ただ、普通の食事処で出てくるうどんも伊勢うどんだから、この店舗数は少し大げさな気がする。専門店としては40、50軒くらいのようだ。
 遠くから伊勢を訪れて一回勝負なら、おはらい町やおかげ横丁でついでに済ますというのはおすすめしない。せっかくなら美味しいと評判の店で食べておいた方が悔いが残らない。多くの店が外宮のある伊勢市駅周辺に固まってるから内宮からは遠くなってしまうのだけど、時間さえあればあえてそこまで食べに行く価値はあると思う。有名な「山口屋」や「まめや」あたりならはずさないだろう。
 伊勢うどんは店によってかなり差があるから、最初に食べたところで美味しくなかったとしても、それですべてを判断することはできない。たれによってまったく印象も違ってくるそうだから。



店売り伊勢うどん

 もう一度食べたくなるんじゃないかという予感は当たった。名古屋に帰ってきてから私は伊勢うどんを求めてさまようことになる。しかしこれがなかなかない。大きなスーパーにも置いてなくて見つけるのに苦労した。三重県ではコンビニでさえ買えるのに、隣の名古屋ではまったく見かけないとは。問屋スーパーでやっと発見した。
 四日市の「坂崎製麺」というところのもので(伊勢じゃないじゃん)、お湯で3分煮て、たれをかければできあがりという手間のかからないものだ。生卵を落として、ネギと一味唐辛子を振ってみた。
 では、さっそく食べてみよう。温かいタイプは初めてだ。どれどれ。ん? 旨いな。おかしいぞ。もう一口。これは明らかに美味しい。「ふくすけ」で食べたよりも数段美味しいではないか。一体どうしたことだ。冷やしと温かいものの違いはあるにしても、麺が全然違う。こちらはツルツル麺で歯ごたえものどごしもとてもいい。伊勢で食べたようなもごもご感や粉っぽさはない。こりゃ、美味しいや。
 考えるに、こういう市販のものだから一般に広く受けるように普通のうどん寄りの作りになっているというのがあるのだろう。美味しく感じられたのは慣れた食感だったからだ。伊勢の店で出しているのが本式な伊勢うどんに違いない。でもそうなると、伊勢うどんは一般のうどんに負けているということになる。好みの問題といえばそうなのだろうけど。
 これはもう少し伊勢うどんを追求してみる必要がありそうだ。伊勢の有名店で食べてみないことには始まらない。おはらい町などにある店はあまり評価が高くないというのもあるから、美味しいところで食べたらまた違った印象となるだろうか。もう一度伊勢まで行くことはなかなかないにしても、三重県自体は盆暮れに行くから、そんとき仕入れるか現地で食べてみよう。
 最近はネットのお取り寄せもあるから、興味を持った方はぜひ一度食べてみてください。ここには讃岐うどんの対極としてうどんの一つの答えがある。伊勢うどんは、腰砕けで泳ぎながら打った打球が風に乗ってホームランになってしまったような愉快なうどんなのだ。
 

おかげさまでおはらい町で念願の赤福氷を食べることができました

観光地(Tourist spot)
おはらい町-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL



 伊勢神宮参拝を終えたら次に向かうのは、「おはらい町」だ。江戸時代のおかげ参りによって発達した内宮の門前町で、今もなお大勢の参拝客を出迎えて賑わっている。
 おはらい町の名は、かつて御師(おんし)と呼ばれる人たちが(参拝客をもてなす役割を持った下級の神職)、自分の屋敷に泊まった客におはらい(お札)をさずけたところから来ているそうだ。この御師たちは全国を回って伊勢神宮を宣伝した伊勢神宮ブームの仕掛け人でもあるといわれている。御師の館は現存しておらず、2ヶ所の門だけが残されている。
 昭和の終わり頃のおはらい町は、さびれにさびれて気の毒なほどだったという。現在は年間600万人の参拝者のうち400万人もの人がおはらい町に寄っていくといわれているけど、一時は年間12万人まで落ち込んだ。単純計算して1日330人。土日に集中するから平日などは閑散とした状況だったのだろう。車や観光バスでやって来る人が増えて、参拝者がおはらい町まで流れていかなくなったのが原因だった。
 このままじゃまずいと町の有志が集まり、町並み保存会が結成されて立て直しが図られたのが平成元年(1989年)のことだった。赤福本店も一役買い、古い家屋を改修し、道を石畳に変え、電信柱を地下に埋めるなどして、再び人を呼び寄せるための町作りを進めていった。平成5年(1993年)には赤福本店が出資した「おかげ横丁」もでき、おはらい町は一気に息を吹き返すことになる。

おはらい町-2

 約800メートルの参道には、江戸時代に建てられた切妻、入母屋、妻入り様式の伊勢伝統の建物、飲食店、みやげ物屋、旅館などが建ち並び、往事の面影を今に伝えている。明治時代までは、宇治橋を渡った神苑の中にまでこれらの家並みが続いていたそうだ。
 妻入り様式の家が多いのは、伊勢神宮が平入りのため、同じにするのは畏れ多いということでそうなったといわれている。
 天候のいいときにぶらぶら歩いたら楽しいだろうなと思いつつ、暑さにやられた我々は日陰を選びながらよろめくようにそぞろ歩きをした。伊勢の夏は思いのほか暑かった。

おはらい町-3

 これが有名な「赤福本店」だ。子供の頃連れられてきて、ここで赤福を食べてるはずだけど、かすかな記憶しかない。当時はこんなレトロチックな建物じゃなかったように思う。ロケーション的にもこんなところだったかなぁと思いつつ、はっきりとは思い出せなかった。
 今回のお伊勢参りの大きな目的の一つとして、「赤福」で夏季限定の赤福氷を食べるというのがあった。それは後回しにして別の場所で食べたのだけど、この本店の向かいにある別店でも食べることができる。赤福本店では作りたての赤福餅がいただける(3個230円+お茶)。できたてはやはり格別なものがある。
 創業は1707年。ちょうど300年の歴史を持つ。馬鹿の一つ覚えのように頑なにこれを作り続けてきた。いや、けなしてるんじゃなくて誉めてるのだ。そのぶれない一途さがすごい。
 赤福の名は、真心を尽くすことで素直に他人の幸せを喜ぶことができるという意味の赤心慶福(せきしんけいふく)という言葉から来ている。ここは企業としても優等生で、地元でも尊敬されている。ただ長い歴史の上にあぐらをかいて威張っているような老舗ではない。赤心というのも言葉だけでないことを感じる。
 かつては三重県でしか販売しないというご当地みやげとして誇り高く販売してたけど、時代の波には勝てず、最近では東海地方から関西にかけての駅、サービスエリア、百貨店などでも売られるようになった。ただ、それ以上広げるつもりはないようで、関東などではふいに食べたくなってもなかなか手に入らない。この戦略は正しいと思う。いつでもどこでも買えてしまえば、ありがたみがなくなってしまうし、おみやげという本来の意義も失ってしまうから。
 赤福のもう一つの楽しみとして、毎月1日にだけ販売される朔日餅(ついたちもち)がある。これを求めて人々が早朝から並んで買うという人気商品だ。以前は朝の4時から長蛇の列ができていた。今は整理券を3時半に配っている(百貨店などの直営店でも売り出す)。これを買いに来たお客を目当てに朝市が開かれたり、早朝営業する店もある。

おはらい町-4

 赤福本店の前がおかげ横丁の入り口だ。おはらい町とおかげ横丁の関係性が今ひとつよく分からないまま行ったのだけど、行ってみてやっと分かった。おはらい町というのは昔ながらの参道の門前町のことでで、おかげ横丁というのは江戸の街並みを再現したミニタウンのような一角を指す。
 赤福本店がおはらい町復活の起爆剤として、140億円を投資して作ったのがおかげ横丁だ。この場所で300年近くも商売を続けられたのはお伊勢さんのおかげというのと、江戸時代のおかげ参りをひっかけて名付けられた。
 2,700坪の敷地内には、伊勢を代表する建築物を移築、再現して、20数件の商店が並んでいる。入場料は無料だ。
 おかげ座と名付けられたミュージアムだけは有料で(普段は600円で、夏休みは300円?)、芝居小屋風になっていて、からくり人形と映像などで当時のお伊勢参りの様子を勉強できるようになっている。私たちは飛ばした。
 実際のところ、このおかげ横丁が有名になったことでおはらい町に人が寄るようになり、おかげ横丁へ行きたいから伊勢神宮も参るという人が増えたことは間違いない。赤福の巨額の投資も、長い目で見れば無駄ではなかった。損して得取れとはこういうことをいうのだろう。赤福の店も客をさばききれないくらい人があふれていた。

おはらい町-5

 頭の上にすだれが渡されていて、この通りは涼しかった。狭い路地だからできることだけど、これも生活の知恵だ。差し込む光とすだれが作る影も涼しげだった。
 氷で冷やされたキュウリ一本丸ごと売られていたのだけは個人的にやめて欲しかった。キュウリは私の天敵なのだ。あんなもの、お金積まれても食べられないぞ。

おはらい町-6

 招き猫専門店の「吉兆 招福亭」というのもあった。店内は1,000体以上の招き猫がぎっしり並んでいる。適当な値段のものがあれば買ってもいいかと思ったけど、こういうものは割高感が強い。招き猫の置物はチビでもけっこう高い。自分で作った方が安くて愛着も湧くというものだ。うちにはすでに先住猫の土鈴招き猫もいるし、何も買わずに出てきた。
 おかげ横丁では、来る福招き猫まつりというのが毎年行われていて、いろんな招き猫が全国から集められたり、招き猫神輿や招き猫踊りなんかもあるそうだ。特別ゲストにゆうこりんでも呼んだらその筋の人たちが大勢訪れるに違いない。

おはらい町-7

 作られたレトロではあるけど、いろんなところで懐かしさを覚える仕掛けが施されている。瓶牛乳、瓶コーヒー牛乳、ラムネなども売られていた。おなかに余裕があれば久々に瓶コーヒー牛乳を飲んでみたかったのだけど、すでに伊勢うどんを食べて、このあと赤福氷が控えていたので、ここは見送った。他にも名物の牛肉コロッケなどもあり、食いしん坊にはたまらない場所だ。

おはらい町-8

 最後は戻ってきて、入り口近くの赤福内宮前支店で赤福氷を食べることにした。ここも大賑わいで、けっこう待たされることになる。15分くらい待っただろうか。店内では必死に氷をかいていたのだろう。一日中機械から出てくる氷を皿に受ける仕事というのは想像するとなかなかつらそうだ。それとも最近はもっと機械化されているのだろうか。
 赤福氷は、五十鈴川店、おかげ横町内の団五郎茶屋の他、二見支店、二見プラザ店、鳥羽支店などでも食べることができる。それだけでなく、名古屋でも食べられることを知ってちょっとがっかりしてしまった。松坂屋本店や高島屋の地下でも出しているそうだ。でも、そこで食べるのと伊勢で食べるのとでは、やっぱり気分が全然違う。ここで食べられて嬉しかった。

おはらい町-9

 注文して料金先払いで番号札をもらう。席に座って待っていると、お姉さんとおばさまが氷を持ってきて番号札を呼び上げるというシステムだ。しかし、これはかなり無駄が多く、番号も順番通りじゃないから、ちょっとイラっとくるし、必要以上に待ち時間が長くなる。特に風情のある方式でもないし、ここはもっと効率よく客をさばく方が客にとっても店にとってもいいと思うけどどうなんだろう。むしろ、列を作って出来上がるそばから持っていった方がずっと早い。
 それはともかくとして、初めて食べる赤福氷は格別の美味しさだった。この日はとびきり暑かったこともあって、氷が一気に体温を下げてくれた。抹茶シロップがかかったかき氷の中には赤福が2個入っている。けっこうボリュームがあるから、食後のデザートには少し厳しいかもしれない。500円というと高い感じだけど、赤福2つ入ってることを考えると、かき氷自体は300円を切ってるから安い。
 5月から9月までの夏季限定なので、暑いときに行ったときはぜひこれを食べて欲しい。冬季限定としては、赤福の餅と餡を使ったぜんざいがある。これもぜひ食べてみなければなるまい。これを食べるためだけに伊勢に行くのはちょっとつらいので、名古屋駅で食べることにしよう。

 おはらい町やおかげ横丁という楽しみができたからこそ伊勢神宮の客層が若返っていたのだろう。お伊勢参りだけでは観光としては弱くても、おかげ横丁まで絡めれば観光として充分成立する。相乗効果で訪れる人が増えたことは喜ばしいことだ。
 私たちも伊勢神宮参拝とおはらい町散策を充分堪能させてもらった。伊勢うどんも食べたし(そのうちネタにする予定)、念願の赤福氷も食べることができた。おはらい町とおかげ横丁の区別もつくようになった。お伊勢参りのことも、今度はもう死ぬまで忘れないだろう。行ったか行ってないか分からないようなあやふやな思い出じゃなく、しっかり記憶に刻まれた。あの日の暑さとともに。
 とてもいいお伊勢参りだった。伊勢神宮と伊勢の人々とツレに感謝したい。おかげさまでした。ありがとう。

伊勢神宮参拝客の顔ぶれは初詣客と同じと気づいて違和感が消えた

神社仏閣(Shrines and temples)
伊勢神宮風景-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL



 伊勢神宮ではたくさん写真を撮った。本編では使いきれなかったので、今日は伊勢神宮風景の写真を紹介しようと思う。建物以外に撮るものといえば、やはり人と生き物ということになる。それが好きだから。
 その人が普段、何に興味を持って、どれくらいの距離感で関係性を築こうとしているかは、その人が撮った写真を見ればよく分かる。写真というのは、ある意味では告白のようなものとも言える。

伊勢神宮風景-2

 伊勢神宮に隣接するように流れる五十鈴川の御手洗場(みたらしば)は、多くの人を惹きつける。初めて伊勢神宮に参拝に来たなら、ここも当然寄っておくべき大事な場所と言えるだろう。かつてはここで禊(みそ)ぎをしてからお参りするのが作法だった。昔はかなりの清流だったようで、口濯(くちすす)ぎも行われていたものの、現在は禁止されている。見るからにそれほどの清流ではないから、感覚的にもためらわれる。飲まなければ大丈夫だろうけど。
 自動車メーカーの「いすず」はこの五十鈴川から名前をとって付けられたそうだ。
 御手洗という名字はかなり珍しいけどいることはいる。「みたらし」や「みたらい」と読む場合が多いようだけど、学校ではいじられそうだ。島田荘司作品の探偵御手洗潔は、「みたらい」と読ませている。
 みたらしだんごも漢字で書くと御手洗団子となる。これは、京都の下鴨神社にある御手洗川の近くで売っていた団子がみたらし団子と呼ばれたのが始まりだった。串には5つの団子が刺してあって、1つめが少し大きくてこれを頭に見立てて、2番目との間を少し空けてある。そして2番目以降の4つを体として、これを神前に供えてお参りをしてから家に持ち帰って、しょう油を塗って火であぶってから食べると厄除けになる、というのが元々のみたらし団子だった。だんごの輪島の輪島功一はたぶんそのことは知らないまま今日も嬉しそうに団子を焼いてることだろう。

伊勢神宮風景-3

 樹齢数百年の木々が参道に光と影のコントラストを作る。普通ならこれでずいぶん涼しく感じるはずなのに、伊勢神宮は暑かった。風がなかったということがあるにしても、伊勢神宮ということろはひんやりした神々しさよりもむしろ包み込む暖かさの気に満ちたところと言えそうだ。いい意味で緊張感がない。老舗なのに気取ってなくて居心地がいい店のように。日本で最高位の神社というと大上段に構えて居丈高なイメージがあるけど、そんなことは決してなくて、庶民のための神社と言ってもいいくらいの気安さがある。これもやはりアマテラスが女神だからだろうか。
 参拝者の若年齢ぶりにはとにかく驚いた。おばあちゃんの原宿巣鴨なんかと比べると差は歴然で、平均年齢は半分以下だろう。東京の観光地になってる神社仏閣よりも顔ぶれが若い。じいさまやばあさまがほとんどいないのはどうしたことか。たまたまそういうタイミングだったということもあるにしても、こんなに若いというのは意外だった。若者を呼び寄せる力があるということだろう。

伊勢神宮風景-4

 さすがに神官や巫女さんは本物感がある。茶髪のバイト学生風情が巫女さんコスプレをしてるのとはわけが違う。
 この写真の画面からだけでも客層の若さが分かると思う。お馴染みの神社仏閣とは明らかにメンバー構成が違うから私としては戸惑った。そして、なるほどそうかと思ったのは、これは初詣客と同じなんだということに気づいてからだ。それで得心がいった。そういう意味でも、日本人にとって伊勢神宮というのは別格の存在と言えるのだろう。近所の神社に行くのはカッコ悪くても、伊勢神宮に行くのはカッコ悪くないということかもしれない。

伊勢神宮風景-5

 夏休みは少年がよく似合う。でも少女も夏休み風景には欠かせない。日焼けした腕と帽子がよく似合っていた。
 女の子は鯉にエサをあげたいと言い、お父さんに止められていた。これは神様の鯉やから変なものをあげちゃあかんのやと。そしてこう付け加えていた。これめっちゃ高そうな鯉やなぁ、と。確かにまるまると太った金色の鯉なんかは、私の持っているデジが何台も買えるくらいの値段がしそうだ。

 ツレが見たいと言っていた神馬(しんめ)は残念ながら姿がなかった。暑かったから休憩所にでも避難させていたのだろう。
 伊勢神宮の神馬は皇室が奉納したもので、神様の乗り物とされている。奈良時代から祈願のために馬を奉納する習わしがあり、それがのちに絵馬となった。むやみに馬を贈られてても神社としても困ってしまうから、本物の馬の代わりに馬の絵を描いたものを納めたのが絵馬の始まりだ。

伊勢神宮風景-6

 鯉に興味を失った女の子が何かを見つけて走っていって、そちらを見るとニワトリがいた。これも神のニワトリということで神鶏(しんけい)と呼ばれている。
 天の岩屋に隠れた天照大神に夜明けを告げたことから、ニワトリは神の使いということになった。時々神社にいるのを見かける。特に伊勢神宮ではアマテラスが祀られてることで縁が深い。かつてはたくさんのニワトリが境内に放し飼いされたいたのが、イタチなんかに襲われて近年はほとんどいなくなっていそうだ。それでは寂しいということで、ニワトリ愛好家が小国鶏という白いニワトリを寄贈したのだという。

伊勢神宮風景-7

 すっかり環境にも馴染んだようで、ある程度人が近づいても逃げないくらいに慣れていた。それでもちびっ子は苦手なようで、触ろうとするチビからは逃げ回っていた。生き物にとって子供は敵だ。
 神のニワトリだから、卵を産むのに飼育されているレグホーンなんかではまずい。あれではありがたみがない。やはり日本鶏ではないと。特に白いのが神聖ということで小国鶏が選ばれたようだ。尾っぽがヒラヒラしていて品がある。同じニワトリでも育ちと環境が違えば姿も違ってくるものだ。

伊勢神宮風景-9

 神の川五十鈴川で川遊びをしている集団がいた。おいおいと思ったけど、これは神のものではなくみんなのものだからいいのか。御手洗場より下流だし。これが上流ならちょっと問題となる。

 伊勢神宮というと襟を正して身を清めて、ビシッとした気持ちで行かなければいけないような気がしていたけど、案外そうでもなかった。非常におおらかで懐が深い。早朝なんかに行くと人も少なくてもピンと空気が張り詰めてるのだろうけど、昼の賑わい時なら適度な活気があって陽気とも言える空気に包まれている。
 神道というものは考えてみれば、信者を持つわけでもなく、人を選ぶわけでも、裁くわけでもない。神社へ行かない人間に罰を与えるなんてこともないし、悪いことをしたら地獄行きだなんていう教えでもない。すごくゆるやかなものだ。
 神社の存在意義というのは、人間を超えた存在に対して敬いの気持ちを持つことを思い出させるための道具立てとしてだ。それは必ずしも支配者としての神がすむ場所などではない。自然の力や、この世界そのものすべてが神という発想から生まれている。上に対して敬意を払うことで自分自身が謙虚になるし、人にも優しくなれる。
 そんな神社の頂点に立つ伊勢神宮が、一番大きくておおらかなのは、当然といえば当然のことだ。作法や態度がなってないからといっていちいち腹を立てたりはしない。来る者はどんな者でも受け入れて拒まない。
 伊勢神宮は願い事を叶えてもらうために行くところじゃない。おかげさまという言葉があるように、伊勢神宮へ行けること自体がすでにおかげさまで来ることができましたという感謝の気持ちにつながるものだ。私たちもおかげでお伊勢参りをすることができた。その喜びの気持ちをおみやげにもらって伊勢神宮をあとにしたのだった。
 このあと、我々はおはらい町へと向かった。そのときの話はまた次回ということで。

20Dを持って河原で試し撮りをして長々とカメラ話をするの巻

カメラ(Camera)
20Dで河原風景-1

Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm USM f4-5.6



 新しいカメラやレンズを買って、短い時間で試し撮りをしようと思ったとき、私が行くのはたいてい尾張旭か河原のどちらかだ。もっと時間があれば動物園や花のある公園や森なんかもいいのだけど、夕方のわずかな時間となると行く場所は限られる。今回は日没間近ということで河原を選んだ。
 河原というのは被写体が多いことをあらためて知る。水の流れがあって、広い空があって、いろいろな人が集まってくる。運とタイミングが良ければ、花や鳥や昆虫にも出会えるし、公園よりも人目を気にせず写真が撮れるのもいい。
 今日は新しく買ったEOS 20Dを持ち出して河原で試し撮りをしてきた。主なチェックポイントとしては、手ぶれ補正がないデジでどの程度ブレるのかと、連写機能を確認するという二つの目的があった。結論から言うと、万能のデジというのはないものだなと思った。だから人は次から次に発売される新機種に飛びついてしまうのだなとも。ちょこっとずつ完成度を上げるメーカーの思惑に翻弄されて、よろめくようにあとをついていってしまう悲しき我々なのだ。究極のデジは山のあなたの空遠く、21世紀の向こう側にあるのだろうか。

20Dで河原風景-2
Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6

 草の中に白い球が落ちていて、あ、軟球か、久しぶりに触ってみるかと拾おうとして、ギョッとして思いとどまった。なんじゃこりゃ、巨大な白いキノコではないか。誰かが落としたのかとも思ったけどそんなはずもない。誰がこんなところに大きな白いキノコを捨てていくものか。よく見るとしっかり地面から生えている。こんなところに生えるものだろうか。もぎ取って家に持ち帰って今夜はキノコパーティーだ、なんてことはもちろんしない。
 あまり近づくとキノコの菌とか飛んでそうなので、おそるおそる近寄って証拠写真だけ撮った。大きさはソフトボールくらいあった。いくら私が中学の時、2年連続守山区ソフトボール大会で優勝投手になったからといっても、このキノコでライジングボールは投げられない。
 河原には意外なものが落ちているから油断できない。

20Dで河原風景-3

 いつも歩いているところから対岸に渡ったら、名古屋駅のタワー群が見えた。思いがけず大きく。あれだけ高いビルだから、視界さえ開ければ名古屋市内のどこからでも見られるわけだ。守山区からだって見られる。
 望遠レンズの圧縮効果で面白い写真になった。車で行けばここから45分はかかる距離感だけど、橋のちょっと向こうくらいに建っているように見える。このあたりも人間の目とレンズの違いだ。
 シャッタースピードは1/100秒ということで、立って手持ちでは厳しかったので、しゃがんで両肘を股に固定してなんとかブレずに済んだ。このスタイルが手持ちでは一番安定感がある。

20Dで河原風景-4

 これで1/40秒。手ぶれ補正機能のあるK100Dならブレないはずだけど、手ぶれ補正なしの20Dでは止まらない。持った感じの安定感はあるし、シャッターもそれほどバタつくわけではないのに、思っている以上にブレる。やはり手ぶれ補正なしの望遠は厳しいか。連写くらいでは止めきれない。このときはあえてISO100で撮ってこれだったから、今後は積極的に感度を上げて対応していくしかなさそうだ。
 300mmで1/100秒が限界では暗いレンズはつらい。やはり20Dでもミニバズーカ砲のTakumar 300mm f4を装備しなければならないか。けど、あれは人がいる街中では恥ずかしいからあまり使いたくないんだよな。

20Dで河原風景-5

 薄い雲がかかったその上を飛ぶ飛行機。この方向は小牧空港に降りるローカルなやつだ。尾翼が赤いこの機体はよく見かける。どこの航空機だろう。
 シャッタースピードは1/320秒。ここまで速ければブレることはない。ただ、自分の意志に反してすごい連写になってしまうことがあってびっくりする。アクセルをちょっと踏んだら急発進するスポーツカーみたいだ。秒速5枚はだてじゃない。でもそんなに連写するシーンはごく限られてるし、無駄打ちしてシャッターユニットの寿命を早めてもつまらないから、連写は控えめにしよう。シャッターは少し慣れが必要だ。
 シャッターといえば、10Dは静かで上品で気持ちよかったのに、後継機の20Dはバタン、バタンと品がないものになってしまった。速度を得た代わりに静粛性を失ってしまったのは少し残念だ。シャッターの音や押した感覚は写真を撮るという行為の中で割と重要な部分を占める。車のドアを閉める音のようなもので、カシャーンと上品な音が望ましい。バタコーンなんて鳴ると気分的にしょんぼりしてしまいがちだ。istDのシャキーンというシャッター音なんかは最高にいい気分だった。

20Dで河原風景-6

 手ぶれとピント速度と連写能力を確かめるために飛んでいる鳥を撮りたかったのだけど、被写体はカラスしかいかなかった。カラスでは遅いし大きいし、練習台にはならない。せめてコサギか何かいればよかったのだけど。
 20Dのレリーズタイムラグ(シャッターを押してから実際に撮影されるまでの時間差)が65msと中級機の中では速い方なので、動きものには向いている(10Dが90ms、D80が80ms、D200が55ms、最速とされるD2Xsで37ms)。K100Dなどは100msを超えてるし、K10Dの100ms弱というのもちょっと遅すぎる。プロでもないから一瞬の遅れが致命傷になることはほとんどないにしても、遅いよりは速い方が気分的にもいい。K10Dは欲しいけどこの遅さがなんとかならないものかと思っている人も多いんじゃないだろうか。

20Dで河原風景-7

 初夏に比べてずいぶん日が短くなった。一番昼が長かったときは7時半くらまで明るさが残っていたけど、今はもう6時すぎには日暮れ時間になってしまう。私の活動時間は、これから冬に向かってどんどん短くなっていく。4時半すぎに日没を迎えてしまう時期は文字通り冬の季節だ。早い日没時間は写真の敵というか私の敵となる。
 でも、これから秋は夕焼けが一年で一番いい時期だから楽しみだ。河原風景でも、やはりなんといっても夕焼け時間が最も絵になる。平凡な風景もドラマチックとなり、ただシャッターを切るだけでいつよりいい写真になるから得したような気分だ。

20Dで河原風景-8

 300mmテレマクロの手持ちはものすごく厳しい。ISO800まで上げてもシャッタースピードが1/20秒ではブレずに写すことは不可能に近い(ISO800でもこのノイズの少なさはいい)。このときは暗くなりかけていて風も吹いていて、ピンぼけと被写体ブレも重なった。
 同じ条件でK100Dを使ったらどんな結果になっていただろう。今度比較実験もしてみよう。どちらもそれぞれの長所と短所があって、2台で使い分けていけば万全となるのだけど、いつも2台持ち歩くわけにもいかない。何を犠牲にするかで持っていく方を決めるしかないだろう。20Dを使ってみると20Dの良さも実感するし、同時にK100Dの実用性の高さも思い知る。

20Dで河原風景-9
Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6

 夕焼け時間、空も川もオレンジに染まり、川で遊ぶ女の子たちがシルエットとなった。
 日没を迎えて20Dの試し撮りもそこまで。夜景撮影時の高感度ノイズ実験はまた別の機会にあらためてすることにしよう。
 画質的なことに関しては、これまでD30、Kiss Digital、KDN、10Dと使ってきたから、すっかりお馴染みのものだ。KDNの写真と並べてもほとんど区別がつかないかもしれない。良くも悪くもキヤノン画質で破綻がない。悪くいえば優等生すぎて面白みがない。
 性能としては、これまで使ったデジの中ではもっとも不満のないものとなりそうだ。ファインダーもistDほどではないにしてもまずまず見やすくて、10Dよりだいぶいい。これならTakumarなんかのマニュアルフォーカスでも使えそうだ。起動時間も10Dに比べてずいぶん速くなった。
 ただ、スイッチの位置は相変わらず気に入らない。スイッチの考え方はPENTAXが一番正しいと思う。右手でグリップを握って右の親指でONにできるのが一番早くて自然な動作だ。Canonのように両手を使わないと入れられないのはどう考えても邪魔くさい。復帰も早いから常にオートパワーオフにしてシャッターボタン再起動のクセをつけた方がいい。
 要するに手ぶれ補正なのだ。これさえあれば20Dは私にとって何の不満もないデジとなったかもしれない。レンズごとに手ぶれ補正がついたのを買うのはイヤだ。高いし、ついてないものが圧倒的に多い。現実的な範囲でいえば、17-85mmと75-300mmのISつきを揃えればいいということになるのだろうけど、それでも納得はいかない。次の50Dこそ手ぶれ補正をつけてくれ、Canon。そうしたら今持ってるすべてのカメラとレンズを売り払ってでも買う。もしくは、K10Dの後継機に期待した方が早いか。ユーザーのわがままにキリはない。
 そんなこんなのカメラ話でした。カメラに興味のない人にはさっぱり面白くなかったことでしょう。申し訳ない。明日からはカメラ話は少なめでいきますので、また遊びに来てください。

敷かれたレールの上を走る脱線なしの和食サンデー料理

料理(Cooking)
レール上の和食サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 ここの最近サンデー料理はあまりにも脱線が多かったから、今日は敷かれたレールの上を歩く和食サンデーとしてみた。僕の前に道はなく僕のうしろに道はできる的な料理はいったん休憩だ。多少の揺れやブレはあったものの、なんとか脱線せずに終着駅までたどり着くことができた。純粋な和食というには少し逸脱があったけど、そのへんはちょっとしたオーバーランということで大目に見てもらおう。
 今日はさほど手間暇をかけたメニューじゃなかったから、落ち着いて3品作ることができた。里芋を煮ているのを忘れてネットに夢中になっていたら焦げてしまったというほんのささいな失敗を乗り越えて、私としては短時間といえる1時間半で完成にこぎ着けた。名古屋-東京間ののぞみに勝った。理想は1時間以内なのだけど、それを実現しようとすれば、ツインヘッドと4本の手と4つのガスコンロが必要となる。このまま料理を続けていったら、料理に特化した体に進化して、2つの頭と4本の手を持つ料理人間になれるだろうか。もしそうなったら、調理場が見える料理屋で働こう。評判を呼んで千客万来となるか、気味が悪くて客が寄りつかなくなるか。
 くだらない空想はこれくらいにして、今日の3品を紹介しよう。

 まずはマグロのたまりしょう油マヨネーズ和えから。一番手前がそれだ。
 当初はマグロを天ぷらにしようと思っていたけど、作ってるうちに面倒になってきて簡略版にしてしまった。天ぷらは後処理が大変だからついつい避けてしまう。そういう主婦の人も多いだろう。唐揚げとか天ぷらが多い家庭というのは、それだけ手間をかけているということで奥さんやお母さんに感謝しないといけないのだ。
 マグロの切り身を薄切りにして、塩、コショウで下味を付ける。これをビニール袋に入れて、そこにカタクリ粉を投入してよく振る。そうするとカタクリ粉を無駄にせずにまんべんなく粉がつく。これはいろんなところで使える便利な技なので覚えておいて損はない。
 あとはオリーブオイルで軽く焼くだけのこと。焼き具合はお好み次第だけど、あまり焼くと固くなってしまうので半生くらいでいい。その場合は刺身用のマグロを使った方がいい。
 ソースは、マヨネーズにたまり醤油とわさびを混ぜて作る。
 これはかなり美味しい。これまで作った魚料理の中ではトップクラスだと思う。柔らかい食感といい、タレとのマッチングといい、ちょっとした焼き肉にも負けてない。魚が苦手な人にぜひおすすめしたい。

 右奥は豆腐の鶏そぼろ掛け。お馴染みのメニューの変形だ。
 木綿豆腐を3センチくらいにスライスして、だし汁で煮込む。それをフライパンに移して、だし汁でひたひたになるくらいにして、少し焼きを入れる。塩、コショウ、しょう油をまわし入れて、豆腐に味付けをする。長ネギの白い部分も入れる。
 鶏そぼろは、鶏肉を細かく切って、しょう油、酒、みりんで味付けをする。肉の代わりに白身や赤身の魚でもいい。
 最後に豆腐にそぼろをかけてできあがり。
 これも安心して食べられる美味しさだ。何も複雑なことはしていない。それでも、冷や奴なんかで食べるよりも私はずっと好きだ。甘辛のそぼろと豆腐の相性もいい。

 左奥は今日の目玉として一番作りたくて一番食べたかった、里芋となめこの卵とじだ。
 ヌメヌメにヌメヌメを掛け合わせて卵で閉じこめるというのは、アイディアが出た段階で美味しくなる予感があった。実際作ってみると思った通り美味しかった。ヌメヌメ系が苦手じゃない人には自信を持ってオススメできる。
 里芋の皮をむいてよく洗い、適当な大きさに切り分けて、塩をたっぷり入れたお湯でしばらく煮る。次にだし汁に交換して、更に煮込んでいく。里芋はなかなか柔らかくならないから時間がかかる。煮汁がなくなるほど煮込むと私のように焦がしてしまうことになるけど、煮すぎてもあまり型崩れないのでジャガイモよりも扱いやすい。
 煮汁が少なくなったところでめんつゆを入れる。ここがポイント。更にしばらく煮て味を染みこませる。
 なめこを投入してから少し煮て、最後にとじた卵を入れてフタをしてしばらく待つ。半熟になったところで火を止めて蒸らす。
 ヌメった食感がたまらない。あまり頻繁に食べたくなるような料理ではないけど、これはまた作りたいと思った。私の好物の一つになりそうだ。

 全体的に味付けがやや濃いめになってしまったところに不満が残ったものの、トータルで満足度の高いサンデー料理になった。これならたいていの家庭に出しても大丈夫だと思う。少し色つき野菜が少ないけど、ヘルシー指向でもある。
 和食は追求していけば奥が深い世界ではあるけど、作るのは一番簡単だ。調味料が決まっているから大きな失敗がない。だいたいどんなふうに作ってもそれなりに美味しいものができる。外国料理の場合は、冒険すると失敗確率がぐんと上がって、へたしたら食べられないものができてくる。ソース作りも変に工夫すると吐きそうなものになったりする。和食なら、塩、しょう油、みりん、酒のどれかを使っておけば間違いはない。迷ったら全部使ってもいい。失敗するとしたら濃すぎるか薄すぎるかくらいで、それも取り返しはつく。
 私が和食を作るときは、作るよりも食べる方を優先させたときだ。作るという点では工夫の余地があまりないから物足りない場合が多い。懐石料理に挑戦なんてことになるとまた話は別なのだけど。
 まあでも、和食はやっぱり美味しいものだなとあらためて思った。日本人の口に合うように長年にわたって作り上げられてきたものだから当然と言えば当然か。白いご飯があって、中心となる肉か魚のメイン料理があって、あとは付け合わせに何品かあれば納得がいくというのも、日本人の遺伝子がそうなっているのだろう。
 今後も和食は作っていきたいと思っている。冒険心をちょっとお休みしたいときなどに。けど、趣味としてのサンデー料理だから、無難な和食に逃げてはいけないとも思う。世界地図にダーツを投げて、刺さった国の料理を作るなんていう遊び心も必要だ。一人でそんなことをしていてもまったく盛り上がらないけど。

久しぶりのお伊勢参りを終えていろんな意味で安堵した

神社仏閣(Shrines and temples)
お伊勢さん-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL



 先週、田舎に帰郷したとき、ついでといっては失礼なのだけど、お伊勢参りもしてきた。物心つくかつかないかのとき両親に連れて行ってもらって以来長らくご無沙汰をしていて、もう一度行かなくてはと思いつつなかなか行けずにいた。今回ようやく念願がなかって、ちょっとホッとしている。肩の荷が下りたというと大げさだけど、懸念が一つ消えてすっきりしたのは間違いない。一生に一度はお伊勢参りというけど、今回でようやく私も仲間入りできた。
 今日は伊勢神宮の勉強を交えつつ、お伊勢参りのレポートをお届けしたいと思う。

 伊勢神宮が長い歴史を持つ、日本で最高位の神宮だということはたいていの人は知ってるだろう。けど、誰がいつどういう経緯で建てたのかということまでは知らない人が多いんじゃないだろうか。私も行って帰ってきて勉強し直すまでちゃんとは分かっていなかった。
 始まりは伝説めいている。「日本書紀」によると、第十代崇神天皇の時代までは、大和の宮中で天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀っていて、これを皇居の外の笠縫邑(かさぬいのむら)に建てたのが、のちの伊勢神宮の始まりだという。三種の神器のうち八咫鏡の中にアマテラスを祀って御神体とした。
 その後、天皇に代わり豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)がお祀りを受け持つこととなり、十一代垂仁天皇の代になって倭姫命(やまとひめのみこと)が担当となった。このとき、大和の国は疫病が蔓延したり、戦乱のような状態になったため、倭姫命はお祀りするのにもっとふさわしい場所はないかと諸国を巡り、最終的にたどり着いたのが伊勢の地だったというわけだ。昔からこの地は自然が美しく神聖な土地とされていた。
 現在のように大きな神宮となったのは、天武天皇から持統天皇にかけての時代だった。現代も続いている20年に一度の神宮式年遷宮も、690年の持統天皇のときから始められたものだ。
 というわけで、伊勢神宮の歴史は約2,000年、現在のような姿になってから1,300年以上の歳月が流れたことになる。

 伊勢神宮の歴史をもう少し詳しくみてみよう。
 古代においては天皇や皇室の氏神として、一般庶民とは無縁のものだった。はっきり私幣禁断と定められていて、一般人はお参り禁止とされていた。
 中世になると朝廷の権威が弱まり、私幣禁断もうやむやになって、全国の武士が信仰するようになる。外国から仏教も入ってきて神仏習合となる中、神道の最高神として武士から庶民にまで広くあがめられるようになった。
 源頼朝も伊勢神宮に対する崇拝心は強く、のちの北条執権時代とあわせて、鎌倉時代でちっきり8回の遷宮を執り行っている。
 それは室町時代の足利家にも引き継がれて前半まではよかったのの、応仁の乱以降は国が乱れて、遷宮も100年以上行われず、伊勢神宮は危機的な状態に陥ってしまう。それを救ったのが、戦国時代の織田信長であり、豊臣秀吉だった。信長は無神論者の暴れん坊というイメージが先行しているけど、実は意外と信仰心が強くて、桶狭間の前には熱田神宮に戦勝祈願に行っているし、戦のさなか伊勢神宮にも参拝に訪れている。多大な寄進をして伊勢神宮建て直しをはかった。
 徳川家もそれに習って手厚く保護し、江戸時代を通じてお伊勢さんは庶民の神様となっていく。1811年には正式に私幣禁断が解かれ、誰もが大っぴらに伊勢神宮にお参りできるようになった。江戸時代には毎年50万人もの庶民がお伊勢参りしたという記録が残っている。そして、どういう理由からか、ほぼ60年周期で「おかげまいり」という伊勢神宮参拝の一大ブームがわき起こっている。一番多かったときは半年足らずで500万人が伊勢神宮に押し寄せたというからすごい。当時の日本人の6人に1人がお伊勢参りをしたというからちょっと考えられない数字だ。しかも、全国からみんな歩きなのだ。今、東京から三重県まで歩けと言われて誰が喜んで歩くか。
 明治になると国の方針が神道一本となって、名実ともに伊勢神宮は国の最高位の神社となる。

 基本的な勉強が済んだところで、そろそろ鳥居をくぐってお伊勢さんにお邪魔することにしよう。鳥居の前で一礼して足を踏み入れる。この先は神域だ。日常とは隔てられた空間なので浮ついた気持ちで入ってはいけない。背筋が伸びてシャキッとした気持ちになる。これが伊勢バリアというものか(意味が違う)。

お伊勢さん-2

 まずは宇治橋を渡る。中央の一段高くなっているところは神様の通り道だから踏んではいけないことになっている。このはしわたるべからずという禁止札を見て橋の真ん中を堂々と歩いた一休さんが宇治橋で同じことをやったとしたら、とんだ罰当たりの坊主ということになる。
 宇治橋も他の建物同様、20年ごとに新しく架け替えられる。昔は遷宮と同じ年にされていたのだけど、戦後の混乱で遷宮が間に合わずに、せめて橋だけでも架け替えようとなったことで橋の方が4年先となった。次回の遷宮が平成25年だから、橋は平成21年ということになると思う。
 全長101.8メートル、幅8.421メートル。神聖な橋ということで檜(ひのき)で造られている(橋脚は欅(けやき))。高欄つきの和橋で、欄干の上には16基の擬宝珠(ぎぼし)が据えられている。
 20年間で1億人もの参拝客が渡るから、厚さ15センチの檜が5センチもすり減ってしまうんだそうだ。50年くらい架け替えないとぺらんぺらんの板になってしまうので危険だ。
 古い橋の材料は別の神社などでリサイクルされて、60年間はお役目を果たすという。

お伊勢さん-3

 宇治橋を渡って少し行くと、心身を清めるための手水舎と、五十鈴川に設けられた御手洗場(みたらし)がある。清潔さを優先するなら手水舎で、ここはやっぱり気分優先だろうという人は五十鈴川で手洗いをするといいだろう。両方やってもいい。
 本来神社にお参りするときは、川や海の中に入って禊(みそぎ)をして心身ともに清めてからのぞむものとされていた。手水舎はその簡略版というわけだ。今朝シャワーを浴びてきたからいいだろうとかそういうことではない。
 この石畳は、1692年に徳川綱吉の母、桂昌院が寄進したものだそうだ。
 川の中では色とりどりの鯉が泳ぎ、小銭が沈んでいる。トレビの泉じゃあるまいし、コイン投げてどうする。10円硬貨を花瓶に入れると切り花が長持ちするから、鯉にもいい影響を与えるのか!?

お伊勢さん-4

 伊勢神宮は広い。思っている以上に広大だ。先を急ぐと途中でへばってしまいかねない。ゆっくり行こう。この日は風がなくて暑かった。境内の木陰でも歩いてると汗が止まらない。
 ようやく着いたかと思ったら、まだ半分だった。ここはお札などを売ってる御神札授与所だった。様々な伊勢神宮グッズが売られていた。神棚セットまで置いてある。もし家に神棚を置くことになったら、ここに買いに来よう。小さいものは1万円くらいで売っていた。町の専門店で買うよりもお伊勢さんで買った方が御利益がありそうだ。

お伊勢さん-5

 隣の神楽殿(かぐらでん)。普段は何があるというわけではなく、儀式のときに御神楽の奉奏が行われたり、個別の祈祷などをしてもらうときに使われる。
 銅板葺の入母屋造で、これも20年ごとに建て替えられる。この隣には「御饌殿(みけでん)」がある。

お伊勢さん-6

 ようやく正宮の下までたどり着いた。かれこれ15分か20分くらい歩いただろうか。
 伊勢神宮内宮の神域は93ヘクタールで、宮域林と呼ばれる神聖な森林地帯をあわせると5,500ヘクタールにもなる。どれくらい広いのかよく分からないくらい広い。
 写真撮影はこの石段の下までとなる。これより先は神域の中核部分ということで撮影禁止だ。直視するのも畏れ多くていけないとか。
 では、カメラをしまって、いよいよ参拝しよう。
 これだけ格式の高い神宮ということで、個人的な願い事はしない方がいい。元々は私幣禁断の長い歴史もある。自己紹介して、挨拶するくらいにとどめておいた方がよさそうだ。日本一の神様に個人的な恋愛相談とかしてる場合じゃない。
 祭神は言わずと知れた天照大神だ。正式には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)という。皇大御神もアマテラスの別名だ。

 ところで、伊勢神宮に内宮(ないくう)と外宮(げくう)とに別れていて、本来は外宮でお参りしたあと内宮に参拝するのが正式な作法とされている。今回は時間がなかったので外宮はごめんしてもらった。外宮は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)、内宮は皇大神宮(こうたいじんぐう)が正式名となる。外宮はあらゆる食べ物の神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られている。
 伊勢神宮というのは俗称で、もともとはただの神宮だった。その他にも神宮ができたため、区別するために伊勢の神宮と呼ばれるようになった。
 神宮が管理している宮社は全部で125あって、伊勢市以外にも広がっている。

お伊勢さん-7

 正面から正宮を撮ることができないので、横に回ってチラリズムで撮影してみた。のぞき見したからアマテラスさんは怒っただろうか。金ぴかの屋根の一部だけが顔をのぞかせていた。有名人の家に行って隠し撮りをしてるような気分になる。
 隣に式年遷宮の敷地がある。隣り合った敷地に、交代に新しい正宮を建てていく。こちらも神域ということでパワースポットとなっている。

お伊勢さん-8

 どうして伊勢神宮だけが20年に一度、すべての建物を壊して新しく造り直すのか、本当の理由は分かっていない。当初は20年目を前にして19年間隔で建て替えていたので、それは太陰暦の周期に関係があったのではないかとか、常に新しい家に神様をお迎えすることで心機一転、パワーを弱めないためだとか、木造建築の耐久年数を考えてだとか、宮大工の世代交代がそれくらいだからとか、いろいろなことは言われている。
 それにしても、ものすごい労力とお金がかかる。莫大な国家予算を投じてするからには何か明確な目的があったのだろう。ただ新しい方がいいとかそういうことではなかったはずだ。檜だけでも1万本以上を切り倒して運んでこなければならない。
 今となっては急にやめるわけにもいかないから、現代になっても続けられている。遷宮年のずいぶん前から、お木曳き、陸曳き(おかびき)、川曳きなどという儀式で全国から木を運び入れる作業が行われる。今回も2013年の遷宮に向けて2005年から儀式や行事が進行中で、これに関われるのは最高の名誉とされているそうだ。この前、皇太子さんも参加しに伊勢を訪れていた。

お伊勢さん-9

 これは神のための米を作っている田んぼでとれた米を納めるための御稲御倉(みしねのみくら)だ。
 教科書で見た弥生時代の高床式倉庫みたいだなと思った人は正解、伊勢神宮の建物は正殿もその他も全部、日本で一番古い木造建築様式といわれる唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)で建てられている。弥生時時代から続く伝統の様式だ。古代の人たちもこの建物に日本建築の美を見いだして、伝統を守っていこうと神社に採用したのだろうか。20年遷宮も伝統保存の意味合いが強かったのかもしれない。

 無宗教だった西行は、伊勢神宮を訪れて、「なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」と詠ったとされている(別人の歌という説もあるけど)。
 かたじけなさは神々しさに打たれてありがたいと感じたとされる説が一般的だだけど、私は少し違うような気がする。かたじけないというのは文字通り、我が身のかたじけなさに申し訳ないと素直に謝りたくなるような気持ちになったというんじゃないだろうかというのが私の想像だ。「願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」と、悟ったようなつもりになってるけど、ここへ来て自分もまだまだだなと思い知ったという方が解釈としてはしっくりくる。伊勢神宮というのは、それだけ人を謙虚な気持ちにさせる力がある。
 個人的な感覚としては、もう覚えてないくらい久しぶりの再訪だったけど、境内にすごく神聖な空気を感じたというわけでもなく、泣けそうな気持ちになるというわけでもなく、普通の空間にいるというような当たり前の感じだった。空気が抜けているとかではなく、長年住んだ自分の実家に戻ってくつろいでいるような感じとでも言おうか、清らかさの密度がちょうどよかった。やれやれ、やっと戻ってこられたかと安堵する気持ちが強かった。ずいぶんご無沙汰してました。お久しぶりです。こちらは元気でやってましたよ。そっちはどうですか、なんてふうに。そんな気安さをも迎え入れてくれる懐の深さも、神宮には確かにある。
 この日は夏休みということもあってか、老若男女というよりも若手がすごく多かった。子供連れの家族だけでなく、ギャル同士が連れ立ってだったり、若い男子グループだったり、カップルのデートだったり、およそ神社仏閣には無縁そうな顔ぶれが目立って驚いた。現代におけるお伊勢さんは、すっかり庶民の神様となったようだ。あれだけ大勢の若者を惹きつける魅力があるということに安心もした。まだまだ日本も大丈夫だ。
 日本最高位の神社には天照大神がいる。これは、日本の総支配神は女神ということだ。そのことをあらためて意識したとき、ああ、日本ってやっぱりいい国だなと思ったのだった。男の神が威張って支配してるよりも、女神が優しく守ってくれていた方がずっと心強い。すべての人間が母親から生まれるように、世界の神様は女神こそがふさわしい。そのことを再確認することができたという意味でも、お伊勢参りはとても有意義なものとなった。
 アマテラスさん、これからもみんなをよろしくお願いしますね。ついでに私のことも見守ってください。

赤煉瓦造りのトンネルは守山区民の自慢となるか

建物(Architecture)
鳥羽見赤煉瓦-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm f3.5-5.6 AL



 名古屋のチベットだとか、いやネパールだ、ヒマラヤだなどさんざんな言われようの守山区だけど、名古屋の秘境とまで言われると、おいおいそれはちょっと言い過ぎだろうと、守山区民の私は制止したくもなってくる。そこまで奥地じゃないぞと。
 けれど、名古屋市最高峰193メートルの東谷山(とうごくさん)を擁し、名古屋で唯一の吊り橋がかかる白沢渓谷まであってしまった日には言い訳もむなしく響く。日本でただ一つのチベット寺院、強巴林(チャン・バ・リン)さえ存在する以上、名古屋のチベットどころか日本のチベットとして守山区民は自覚する必要があると言えよう。守山区民であることから目を背けようとしてはいけない。
 そんな守山区にまた一つ、知られざる伝説が加わることとなった。なんでも赤煉瓦造りのトンネルがあるという。名古屋市内の有名どころはかなり回ったし、行ってないまでも名所旧跡はたいてい知っているつもりの私も、それは初耳だった。観光名所とか保存地区とかではないはずだ。それなら知らないはずがない。本当にそんなものがあるのだろうか。これはもう、自ら行ってこの目で確かめるしかない。そんなわけで私はさっそく現地に飛んだのであった。

鳥羽見赤煉瓦-2

 場所はJR中央本線の新守山駅の南あたりで、住所としては鳥羽見(とりばみ)1丁目ということは分かっていた。ただ、地図で見てもそこにたどり着くはっきりとした道がない。いかにも狭そうな一方通行が複雑に入り組んでいる。北から行くか南からアプローチするか迷って、北の瀬戸街道を選択した。この道を通るのは久しぶりだ。お馴染みの瀬戸電も走っている。

鳥羽見赤煉瓦-3

 確かにそれはそこにあった。守山区民のみなさん、喜んでください、私は確かに見つけましたよ、赤煉瓦のトンネルを。しかし、ホントにあったのだな。
 この老朽化ぶりからして、よもや張りぼての赤煉瓦もどきということはあるまい。車一台がやっと通れるくらいの狭さで、高さも2.5メートル制限されている。昭和になってノスタルジーなオシャレを気取って赤煉瓦トンネルにしたとも考えにくい。やはり昔に造られたものがそのまま残ったと考えた方が自然だろう。

鳥羽見赤煉瓦-4

 赤煉瓦といえば明治時代だ。これも明治のものだろうか。
 JR中央本線の多治見-名古屋間が開通したのが明治33年(1900年)だから、基本的な部分は当時のままとも考えられる。だとしたら100年以上前のものということだ。ところどころに中途半端な補修あとも見られる。
 あるいは、鉄道とは別の時期に造られたトンネルなのだろうか。

鳥羽見赤煉瓦-5

 反対側に回ってみると、赤煉瓦トンネルにコンクリート製のトンネルを継ぎ足しているのが分かる。かなり乱暴な継ぎ足し方だ。同じデザインで延長させえようとか考えなかったのだろうか。意匠も何もあったもんじゃない。なんて無粋なことをするんだ、国鉄。
 おそらく、昔は単線だったものを複線にしたとき線路を造る幅が足りなくて、トンネルをつなぎ足したのだろう。ただ、それならどうして古い煉瓦造りの方まで全部新しく造り直さなかったのだろうかという疑問もわいてくる。せっかく古いものだからあちらは残してこっちだけ新しくすればいいやと思ったのか、そんなに予算をかけたくなかっただけなのか。どちらにしても、赤煉瓦を残してくれたのはありがたいことだった。こうしてずっとあとになって私が見つけることができたのだから。

鳥羽見赤煉瓦-6

 しばらく待っていると、お目当ての列車が通った。これを一緒に写さなければ意味がない。それ、今だ! って、見えんっ! 列車の上半分も見えてない。これは失敗だ。どうやらポジションが近すぎたらしい。もっと下がって後ろから撮らなくては。
 しかし、ここは古くからの民家が集まった住宅地。観光地でも何でもなく、おまけにどういうわけか人通りも車通りも意外と多い。近所の人の通り道や抜け道になっているらしい。そこに完全に異質な存在の私がカメラを持ってうろついているものだから、近隣住民がこの人何を撮ってるんだといういぶかしげな視線を痛いほどにぶつけてくる。赤煉瓦トンネルが貴重だという自覚もないのかもしれない。いや、私は決して電車クンとはではなくてですね、ただ写真が趣味で、ここに珍しい赤煉瓦のトンネルがあるって聞いたからそれを撮りに来ただけなんですよ、と道行くすべての人に説明したかった。でも、完全に変な電車男が今日トンネルのところで写真を撮っていたというお茶の間の話題になってしまったんだろうなと考えると、それがちょっと悲しかった。
 電車は夕方ということで10分に一度くらいは通るのものの、シチュエーション的にここで何もせずカメラを持ったまま10分立ちつくすというのはつらいものがある。無駄にうろうろしてもかえって不審だ。なんとか必要最小限のうろつきに抑えつつ次の電車を待つことにする。

鳥羽見赤煉瓦-7

 ついにチャンス到来。うまいことに右から電車が来てくれた。このときを逃してなるものか。すでに日が沈んであたりが暗くなってシャッタースピードが稼げず少しブレてしまったけど、ぜいたくは言ってられない。ちょっと焦ってタイミングも早かったか。
 でも、なんとか目的を達成したのでこれでよしとしよう。そそくさと逃げるように現場を立ち去る私。鳥羽見のみなさん、私は怪しい者ではありません。

鳥羽見赤煉瓦-8

 赤煉瓦トンネルから最後は電車撮りに目的が変わってしまっていたけど、赤煉瓦造りのトンネルは確かに見つけた。あれはニセモノじゃなく本物だ。守山区には確かに赤煉瓦造りの架道橋が存在する。
 帰ってきてからあらためてネットで調べたけど、ここの詳しい情報は見つからなかった。JR東海に問い合わせてみればある程度は分かるのかもしれないけど、そこまで知りたいわけじゃないので、私のレポートはここまでとしたい。あとは電車の人に続きを託すことにしよう。
 写真としても、ちょうど西向きということで夕焼け時間に行けばドラマチックな写真が撮れそうだ。私が狙った左斜めから撮るなら、名古屋行き列車のダイヤを調べてから行った方がいいかもしれない。電車が通る時間さえ分かっていれば、車の中で待機していればいい。近所の人の注目の的にならずに済む。
 行き方は矢田川にかかる矢田川橋を南から北上する方が分かりやすい。橋を渡ったすぐの細い道を左折して、そのまま道なりに行って突き当たりを右に曲がったところだ。車は線路沿いの路上に短時間ならとめておけそうだった。

 ワンダーランド守山区には、私の知らないワンダーがまだまだ潜んでいそうな予感がしてきた。長年住んでいるのに、チベット寺院も吊り橋も赤煉瓦トンネルも、知ったのはここ数年のことだ。これらの存在をいまだ知らずに守山区に住んでいる守山区民も多いことだろう。
 今後も、一人守山探検隊として様々な場所に潜入捜査を試みて、知られざる守山区の魅力をお伝えしたいと思う。まだまだ名古屋で唯一とか、名古屋で一番みたいなものがありそうだ。いつか、胸を張って私は守山区民だと大きな声で言える日が来ることを願ってやまない。きっと来ないだろうけど。