月別:2007年08月

記事一覧
  • 庄内川の軽いスナップショットを並べて一つの河原風景になるかならないか

    PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6) 庄内川では特に深い考えも狙いもなく、気の向くままたくさん写真を撮った。目についた風景や光景を軽くパチパチと。いわゆるスナップショットだ。 こういう撮り方はフィルムでは決してできない。デジタルになって写真が軽くなったけど、軽さというのは必ずしも悪いものではない。晩年の松尾芭蕉は「軽み」という言葉をよく使った。対象をそのまま素直に受け止めてありのままを句にすると...

    2007/08/31

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • デジ写真の思い出の長い前フリとフォトコンのこと

    PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm f2 ちゃんとした写真を撮ろうと初めて思ったのは、2004年の7月だった。2002年、2003年というのが私にとってかなり低調な2年間で、2004年の半ばを過ぎた頃、そろそろ何か新しいことを始めようかなと思って思いついたのが写真を撮ることだった。その少し前にネットで見つけたある人の写真が気に入って、それが直接のきっかけとなったということもあった。 それまでもデジカメは持っていたし、...

    2007/08/30

    カメラ(Camera)

  • 庄内川の河原に天然のカワラナデシコを探したけど見つからず

    PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6) 少し前に放送した「そこが知りたい特捜!板東リサーチ」で、志段味(しだみ)付近の庄内川でカワラナデシコが咲いているのが紹介された。まさか家の近所でまだナデシコが咲いている河原があるとは思ってもなかったので驚いた。 カワラナデシコといえば、大和撫子の語源ともなった可憐なピンクの花で、私の好きな野草ベストテンにも入っている。ぜひとも見に行かなければと思っていた。 ...

    2007/08/29

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 2007年お大師参りは過去と未来をつなぐお礼参り

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/200s(絞り優先) 思えば神社仏閣との縁は、子供時代から慣れ親しんでいる田舎の丹生大師にあったのかもしれないと、今更ながら思った。名古屋に移ってからは、少年時代も学生時代も、自分から神社仏閣に行くことはほとんどなかった。長い空白の後に、再び私が自らの意志で寺社へと向かうようになったのは、写真を撮り始めたここ数年のことだ。決して根っから信心深い...

    2007/08/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • ノーコン料理人は言った、料理の行き先は料理に聞いてくれ、と

    PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/50s(絞り優先) 今日のサンデー料理は、洋風味付けの和食の予定だった。メニューもそのように考えて作ったつもりだった。結果は上の写真の通りだ。 最近の私はひどいノーコンピッチャーのような料理人となっていて、行き先はボールに聞いてくれじゃないけど、できあがりは料理に聞いてくれ的な状態に陥っている。作っていて途中からこれはおかしいぞと気づくものの、そのとき...

    2007/08/27

    食べ物(Food)

  • 田舎の変わらない生き物と変わった時代と野生児の我々と

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/160s(絞り優先) 今日は田舎歩きで出会った生き物たちを。 まずは大師の鯉から。 池のそばに立つと、鯉たちがどこからともなく集まってきて、けっこうな数になった。どうやら日頃から人にエサをもらっているようだ。昔からこの池には鯉がたくさんいた。お寺さんか神社さんが飼っているのか、昔からいるのをそのままにしているだけなのか。私たちが子供時代から数え...

    2007/08/26

    虫/生き物(Insect)

  • 帰郷再び、それぞれの記憶をつなげて、重ねて、一つに

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/100s(絞り優先) ツレと二人、共通の第二の故郷、丹生へ里帰りをしてきた。私は10日ぶり、ツレは10年ぶりの帰郷となった。 断片的な記憶をつなぎ合わせて重ねるために、過去をたどりながらぐるりと一周歩いた。ツレにとっては懐かしくも新鮮で、私にとっては見慣れているけど新鮮な光景に映った。 今日はその写真を何枚か並べてみる。私たち以外の誰かにも、心のど...

    2007/08/25

    自然(Natural)

  • お上りさんによるお上りさんのための羽田空港の歩き方指南

    PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f6.3 1/15s(絞り優先) 羽田が国内線で、成田が国際線という、ぼんやりとした認識はあった。どっちがどっちか分からなくなったときは、成田離婚という言葉を思い出すことにしている。そうだ、そうだ、成田が外国行く方だ、と。 羽田空港は、東京23区の南東のはずれにある人工の埋め立て地だ。多摩川を挟んですぐ南は神奈川県川崎市になる。都心からはやや遠いものの、成田に比べれ...

    2007/08/23

    東京(Tokyo)

  • お上りさんは羽田空港へ行って飛行機に乗らず写真を撮る

    PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f9 1/500s(絞り優先) この前初めて羽田空港へ行ってきた。旅行のためではない。人を出迎えるためでも、誰かを見送るためでもなく、観光に。 これはけっこう恥ずかしい告白かもしれない。六本木ヒルズへ行ってきたとか、浅草寺へ行ったとかよりも更に度の強いお上りさん度を示す行為だから。地方出身者でも東京に住んでいる人なら、照れくさくて観光で羽田空港へは行けないかもしれ...

    2007/08/23

    東京(Tokyo)

  • 名古屋人だけど鶴舞公園ってそんなところだったんだと初めて知った

    Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100 今日は鶴舞公園の成り立ちについて、写真を交えながら少し書きたいと思う。  名古屋で初めての公園として鶴舞公園が誕生したのは、明治42年(1909年)と意外にも遅かった。日本初の公園として上野恩賜公園ができたのが明治6年(1873年)、日本初の西洋式公園日比谷公園も明治36年にはできている。以前から名古屋にも公園を作って欲しいという市民の強い希望があったのに...

    2007/08/22

    施設/公園(Park)

  • フィルムカメラで夏の暑苦しい鶴舞公園の空気をスケッチ

    Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100 1909年(明治42年)に名古屋の公園第一号として鶴舞公園(つるまこうえん)は誕生した。名古屋では桜の名所としてよく知られている。私は長年名古屋に住みながら、おととし初めて訪れた。それから都合3回行っているのだけど、なんとなく居心地が良くない。人と場所にもそれぞれの波長のようなものがあって、相性の良し悪しが存在する。鶴舞公園と私は、シンクロ率が低い...

    2007/08/21

    施設/公園(Park)

  • 自分の料理を作るということが趣味としてのサンデー料理

    PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/25s(絞り優先) 今日は洋食を食べたい気分だった。私のサンデー料理の気分を大きく分けると、和食を食べたいとき、フランス料理を作りたいとき、洋食を食べたいとき、たまには中華もいいかというとき、その他変わったものを作りたいとき、とだいたいこのパターンに分類される。料理を始めた頃は何を作りたいかが最優先事項だったけど、この頃は食べたさの占める割合が大きくな...

    2007/08/20

    食べ物(Food)

  • 動物園の脇役動物たちはときに主役以上に魅力的だ

    PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/25s(絞り優先) 動物園では、キリン、象、ライオンといったメジャー動物の他にも、個性豊かな脇役陣が様々な味付けをして彩りを添えて私たちを出迎えてくれる。それらはときに脇に徹し、ときに主役を食ったりしつつ、さりげなく存在感を示す。今日はそんな脇役動物たちにスポットを当ててみることにしよう。 たとえばこのカピバラさん。一般にはあまり知られてない動物ではあるが...

    2007/08/19

    動物(Animal)

  • いつか鳥たちが空を飛べる動物園ができることを願って

    PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先) 動物園と鳥というのはイメージとしてあまり結びつかないものだけど、実は動物園にはたくさんの鳥がいる。東山にも、外国の珍しいものから日本でお馴染みのもの、大きいやつから小さいやつまで、数十種類の鳥が飼育展示されている。今日はそんな鳥たちの中から、たまたま目について撮った写真を紹介しようと思う。 今回は300mmの単焦点望遠レンズということで、必...

    2007/08/18

    動物(Animal)

  • 誰の関心を引かなくても田舎の夏に花は咲く

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/320s(絞り優先) 普段は朝っぱらから散策するなんてことがめったにないから、夏といえどもしっかり咲いているアサガオを見る機会はほどんどない。私にとってアサガオ写真を撮ることは、簡単なようで難しい課題だったりする。けど、田舎の朝は早いから、否が応でもたたき起こされてしまい、高校野球を観ることくらいしかやることがなくて、午前中からふらりと出かけるこ...

    2007/08/17

    花/植物(Flower/plant)

  • 100年後の誰かに届け2007年夏の田舎風景写真

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f11 1/1000s(絞り優先) この夏も松阪の田舎へ短い帰郷をしてきた。毎年変わり映えのしない風景だと思うけど、本当はそんなことはなくて、子供の頃と比べたら大きく変わっているはずだ。昔はしっかり目に焼き付けようなんて思わなかったから、頭の中でも完全に再現することは難しい。どれくらい変わったのかも、今となっては知るすべもない。そして、今見ている風景もまた、...

    2007/08/16

    自然(Natural)

  • 帰郷で今日はお休み熊写真を残していってきます

    PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/10s(絞り優先) ナイトZOOのとき、夜行性の動物が夕方から活発になり始めるのに対して、熊はもう寝る時間となったようで、猫のように腹を出して寝ていた熊さんでした。 これから松阪(からもっと田舎に入った方)に帰郷してきます。 明日には戻ります。 ちょっといってきます。...

    2007/08/14

    動物(Animal)

  • 夏の動物たちのけだるい表情の中にあなたは何を見るだろう

    PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/200s(絞り優先) 名古屋の夏は蒸し暑くて嫌になってしまうのは人間だけでない。動物園の動物たちも同じだ。暑い国から来たといっても向こうはカラッとしていて日本のムシムシとは違う。暑さにやられた彼らはみんなどこかけだるげでしょんぼりしてるように見えた。仕事終わりのサラリーマンのように。 今日の写真は、動物園の中でメジャーなメンバーを揃えてみた。それぞれが暑さ...

    2007/08/14

    動物(Animal)

  • 夕暮れ時に見上げる視線の先の空には動物たちの故郷があるのさ

    PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先) 東山動物園のナイトZOOでは、夜よりも夕方に多くの収穫があった。日も暮れ始めたたそがれ時、一日の終わりを迎えて動物たちはどこか遠くを見ていた。遠い故郷のことでも思っているのか、見つめる視線の先は空だった。切ないような表情に見えたのは、私の感傷だったのだろか。 今日は印象的だった動物たちの表情を写した写真を集めてみた。 カンガルーの濡れた黒...

    2007/08/13

    動物(Animal)

  • フランス行きの列車に乗ったつもりが気づけば無国籍難民サンデー

    PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/60s(絞り優先) 予定では今日は松阪に帰郷してるはずだったのだけど、それがあさってに延期になったことでサンデー料理の出番が回ってきた。準備が足りず、イメージも不足で、いいアイディアも浮かばないまま、なし崩し的に作ったサンデー料理となってしまった。 こうして完成した3品を並べてみても、統一感がない。料理としての方向性も明確ではなく、どれがメインかも判然と...

    2007/08/13

    食べ物(Food)

  • 東山のナイトZOOは赤色世界で夜の動物園の怖さを知る

    PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f5.6, 1/15s(絞り優先) 昨日(11日金曜日)、ふいに思い立って東山動物園へ行こうかとサイトを見てみたら、ちょうどその日から3日間、ナイトZOOという夜間営業をやっているという。そりゃいい、こんな機会はめったにないからぜひ行っておかなければと、夕方少し遅めに東山へ向かった。 東山動物園も入場者数を旭山動物園に抜かれたことでようやくこのままじゃいけないと思ったようで、...

    2007/08/12

    施設/公園(Park)

  • イルカやアシカのショーやアザラシなんか ---しながわ水族館第三弾<完>

    PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f8 1/200s(絞り優先) しながわ水族館といえば、イルカとアシカのショーをはずすことができない。これがあるのとないのとでは、水族館としての意味合いも大きく違ってくる。これがもしなかったとしたら、入館料の1,300円は高すぎるし、単に渋くて地味な水族館という印象で終わってしまうことだろう。 イルカとアシカのショーは、毎日行われている。平日はあわせて4回、土曜が5回、...

    2007/08/11

    施設/公園(Park)

  • 東京の川から海へ、そして世界へ ---しながわ水族館第二弾

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f3.5 1/30s(絞り優先) トンネル水槽の中では大きなエイやウミガメなどをはじめ、いろんな種類の魚たちが泳ぎまわっている。あるものはのんびりと、あるものはせわしなく。1,500匹の魚たちはやや混雑気味で、行き交うたびに互いを迷惑と感じているように見えた。海は広いのに水槽は狭い。 エイは下から見上げるとエラが顔のようで面白い。種類としてはサメに近いのに、生態...

    2007/08/10

    施設/公園(Park)

  • 区立しながわ水族館に集う人々 ---しながわ水族館第一弾

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f3.5 1/6s(絞り優先) 品川というと、品川ナンバーに代表されるようなハイソな山の手のイメージが私の中にあった。スーパーカーブームのときも品川ナンバーをよく見かけたような気がする。けれどそのイメージは、しながわ水族館行きで大きく崩れることとなった。品川は品川庄司の品川的なところだった。少なくとも、しながわ水族館まわりに関しては、私の思い描く品川ではな...

    2007/08/09

    施設/公園(Park)

  • しながわ水族館プロローグ

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/50s(絞り優先) 今日は、しながわ水族館のプロローグ。写真を一枚出して、ここまでとしよう。 昨日の花火写真に文章を付けていたら、時間とエネルギーが切れてしまった。水族館の続きはまた明日。 ...

    2007/08/08

    施設/公園(Park)

  • また来年も行きたいとは思わないけど今年行ってよかった戸田橋花火大会

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4 1/8s(絞り優先) 8月4日に行われた戸田橋・いたばし花火大会へ行ってきた。直前まで行こうかやめようかツレと迷って、せっかくだから近くまで行ってみようかという安易な考えの私たちを待ち受けていたのは、45万人の大群衆だった。板橋側は65万人で、あわせて110万人。東京都民の人口が1,200万人だから、東京都に住んでいる約10人に1人がこの地に集まったことになる。そり...

    2007/08/07

    風物詩/行事(Event)

  • 感度ISO100フィルムによるラグーナにおける手ぶれ写真の見本市

    Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100 豊川稲荷をあとにして、ついでというのは大回りだけど、ラグーナ蒲郡にも寄ってから帰ることにした。 施設のオープンは2002年だから、もう5年になる。テレビ愛知の「海においでよ!」というラグナシア紹介番組をいつも観ていた私だから、一度は行ってみないとと思いつつそのままになっていた。愛知ローカルタレントの川崎郁美ちゃんは元気にしてるだろうか。「遊びに行...

    2007/08/03

    施設/公園(Park)

  • 豊川稲荷で閉じこめられそうになったのはキツネさんではなく自分のせい

     東名高速の豊川インターを降りて北へ行くと長篠、鳳来寺方面で、南へ行くと豊川市、蒲郡方面となる。このあたりは愛知県の中では三河地区と呼ばれるところで、名古屋市のある尾張地方とは同じ県内でありながら県外に近い感覚の土地だ。もともと尾張と三河は別の国だったから当然といえば当然かもしれない。 個人的に三河はあまり馴染みがない。遊びに行くとしてもせいぜい蒲郡どまりで、何度か豊橋や渥美半島に行ったことがある...

    2007/08/03

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 兵どもが見た夢の続きを私たちは今生きていると言えるだろうか

    Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100 鳳来寺へヤマユリを見に行ったときはセットで四谷の千枚田も見に行く。今年もまた稲は順調に育って、夏空の下で棚田は鮮やかな緑に彩られていた。上空を流れる雲が太陽を隠し、棚田の上に強い影を落とす。影は潮の満ち引きのように寄せては返す。小学生の頃、逃げる影を全速力で追いかけた運動場を思い出した。 苦肉の策とでもいうべき生きていくための知恵が、美しさに...

    2007/08/02

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 仙人が開いた鳳来寺山で1300年の長くて短い歴史のことを思う

    Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100 鳳来寺のヤマユリを見たあとは、お寺の鳳来寺も参拝していこうということになった。ヤマユリは3度目でも鳳来寺は初めてだった。 本来なら、一番下の参道から1425段の石段を歩いて登るのが筋というものだけど、そんな根性がなかった我々は車で上まで登った。決してズルではない。あくまでも目的は参拝であって、山登りではないのだから。おととしまで有料だった鳳来寺山...

    2007/08/01

    神社仏閣(Shrines and temples)

庄内川の軽いスナップショットを並べて一つの河原風景になるかならないか

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
庄内川-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6)



 庄内川では特に深い考えも狙いもなく、気の向くままたくさん写真を撮った。目についた風景や光景を軽くパチパチと。いわゆるスナップショットだ。
 こういう撮り方はフィルムでは決してできない。デジタルになって写真が軽くなったけど、軽さというのは必ずしも悪いものではない。晩年の松尾芭蕉は「軽み」という言葉をよく使った。対象をそのまま素直に受け止めてありのままを句にするという方法論というより境地としてそこに至ったのだろう。太宰治もこのことを自分の発明のように語っていた。まあそれは大げさなたとえだけど、写真もまた向かうべきは重厚さではなく軽さなのかもしれないと最近思う。重くて意味ありげな写真はある程度上手くなれば誰でも撮れる。軽くていい写真を撮るためには長い歳月と努力の継続が必要だ。
 ちなみに、スナップショットというのは、急いで射落とすという狩猟用語が語源で、そこから転じて人物や情景などの瞬間的な動きを素早く写すというのが元々の意味だった。今ではもう少し広い意味で、人物撮影や風景撮りなどに使われることが多い。
 そんなわけで、今日は庄内川のスナップショットを並べてみる。コマ切れのような断片的な風景がうまくつながって河原の空気感が伝わるだろうか。

庄内川-2

 橋桁を見るとなんでこれで道路が落ちないんだろうと思い、エレベーターに乗るとロープが切れて落下するんじゃないかと少し心配になる。鉄のかたまりの飛行機が空を飛ぶことも、鋼鉄の船が水に沈まないことも、私の中では完全に納得できているわけではない。技術というのはそれだけ発達してすごいことだと頭では分かってるつもりでも、どこか信用しきれない部分が残る。実際、そういう事故がたまに起こったりするから余計に。すごく心配性というわけでもないのだけど。
 上の写真はなんとなく造形に惹かれて撮った。橋のフォルムというのも人の心に訴えかける何かがある。

庄内川-3

 河原も緑がモコモコ状態で、いかにも夏という風景だった。
 一年を通して花や生き物を追いかけて歩いていると、緑のビビッドな増減というものに驚きを感じる。冬に枯れ果てて茶色になったものが春になると少しずつ緑色に色づいてきて、夏にはこれでもかとばかりに緑が爆発する。そして秋になるとまた枯れて、気づくと緑はどこかへ消えてなくなっている。
 近年は季節がおかしくなっていると言うけど、自然を観察していると狂いはないことに気づく。花は咲くべき月に咲き、渡り鳥は来るべき時にやって来て去るべき時に去り、昆虫は夏と共に現れて秋と共に消えていく。一年の移り変わりを高速カメラで捉えたら、その移り変わりは実に鮮やかなものだろう。
 地球の偉大さは近所の河原でも感じることができる。

庄内川-4

 渡らないカモのカルガモは、日本の夏の暑さにもすっかり馴染んで、しばし静かな時を過ごしている。なのに、私というちん入者が突然近くまでやって来たので慌てて逃げ泳いでいった。大急ぎで水をかきながら、さりげなく、でも全速力で。なんだか、女子校の嫌われ教師にでもなったような気分でちょっと悲しかった。わっ、先公が来やがった、逃げろ、みたいな感じでみんな遠くへ散っていった。世の中にはいろんな悪夢があるけど、女子校で嫌われ者になるというのは私の中では最大級の悪夢だ。一般企業でイジメにあうよりつらい。
 夏が終わればそろそろまた冬の渡り鳥たちが戻ってくる。虫や花が少なくなって撮るものもだんだんなくなっていっても、冬の間はカモたちがいるから寂しくない。

庄内川-5

 河原でひたすら石を投げてる人がいた。何か嫌なことでもあったのだろうか。見てはいけないものを見たような気がしたけど、写真まで撮ってしまった。水切りとかではなく、ただ普通に石を投げていた。グラブ2つとボールを持っていってキャッチボールに誘うべきだっただろうか。そんなやつはいないけど、やってやれないことはない。公園のベンチに座ってぼんやりしてる人に、「キャッチボールしませんか?」と呼びかけたら、何人くらいつき合ってくれるだろう。私がもしそんな誘いを受けたら、とりあえず少しだけ誘いに乗ってしまいそうな気がする。現代人は心のどこかでキャッチボールに飢えているのかもしれない。

庄内川-6

 犬を連れたお母さんと自転車に乗った小さな女の子。世の中の平和の象徴のような光景だ。戦時中にこんなシーンは見られない。おなかが空いて食べるものがなくても、こんなのんきなことはしてられない。
 テレビで伝えられる殺伐としたニュースは世の中がどんどん悪くなっていってるかのような印象を与えているけど、50年前、100年前と比べて世界は劇的によくなっている。日本も豊かになったし平和にもなった。悪いことももちろんたくさんあるけど、それはどの時代でも変わらない。私は世界の明るい面を見ていきたい。

庄内川-7

 少年時代の夏休みが人生最良の時だとは思わない。何の気苦労もなく遊んでいられたあの季節を懐かしむ気持ちはあっても、無知であることはいいことではない。物事が理解できるようになった大人こそ、いい時間だ。
 それでも、思い出というのはとても大切なものだ。子供の頃たくさんの思い出を作った人間ほど、大人になって豊かな心を持てる。人の総体というのは突き詰めていけば記憶と意識だ。それは過去の経験が作り上げたものに他ならない。感受性が豊かな時代にたくさんの刺激を受けた方が人格形成の上でも有利に働くのは当然だろう。
 日本全国の少年少女たちはこの夏、どんな思い出を作っただろう。いっぱい日焼けして、めいっぱい楽しめただろうか。夏休みを超えられなかった子供たちも少なからずいた。
 私が今少年少女として生きている彼らにかけられる言葉があるとすれば、たくさん遊んで、自分の好きなことに熱中して、いい大人になってくださいね、ということだけだ。

庄内川-8

 スケボー・ボーイたち。もう少し近くから撮れるものなら撮りたかった。撮らせてもらっていいですかと声をかけて撮るスタイルじゃないから、どうしても被写体との距離感が遠くなる。このあたりも今後の課題だ。当面は風景の中の人たちということで撮っていくことになるだろうか。

庄内川-9

 カメラのレンズはすごく優秀でもあり、その一方で人間の目には遠く及ばない部分もある。人間の目の優れたところは、明暗差の強いシーンで明るいところと暗いところを同時に見ることができるところだ。カメラ用語で言えばダイナミックレンジが恐ろしく広い。カメラは人間の目では捉えられない一瞬を切り取り、見えない細部まで写し取ってみせるけど、明るさと暗さを同時に捉えることができない。逆光のときは特にそうだ。
 カメラは万能じゃない。できることとできないことがある。でもそれを限界としてあきらめるのではなく、逆に利用して人間の目に見えるのとは違う光景を写すという方向で考えていくのがいい。

 スナップショットは誰にでも撮れる写真だけど、奥が深くて底がない。センス、偶然、幸運、経験。いろんな要素が重なって、ときにいい写真として結実する。
 写真というのは麻雀に似ているなと思うことがよくある。どんな牌が来るかは運次第だけど、運を呼び込むのは実力で、読みも大切だけどいつも読み通りにいくとは限らない。たまたま幸運なシーンによく出会う人がいて、写真運がない人もいる。最終的には人間力とでもいうようなものがいいシーンを呼び込むものなのかもしれない。
 いい写真に偶然はないと達人は言うだろうか。それでも一生に一度くらいは、配られた牌がすでに上がりとなっている天和(てんほう)のような写真を撮ってみたいと思うのは、写真を撮る人共通の願いだろう。
 自分が撮りたい究極の写真が頭の中にあるとしたら、それはいつかどこかで撮れるはずだ。なければ、まずはそれを見つけることから始めないといけない。

デジ写真の思い出の長い前フリとフォトコンのこと

カメラ(Camera)
フォトコン

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm f2



 ちゃんとした写真を撮ろうと初めて思ったのは、2004年の7月だった。2002年、2003年というのが私にとってかなり低調な2年間で、2004年の半ばを過ぎた頃、そろそろ何か新しいことを始めようかなと思って思いついたのが写真を撮ることだった。その少し前にネットで見つけたある人の写真が気に入って、それが直接のきっかけとなったということもあった。
 それまでもデジカメは持っていたし、自分のHPでも撮った写真を載せていた。SANYOのDSC-SX150という150万画素のコンパクトデジを使って日常のヒトコマを切り取っていた。けどそれは、HPで使う素材としての写真を撮るということで、趣味としてカメラを使うということではなかった。
 そして選んだのがそのMさんという人が使っていたNikonのCOOLPIX 950というデジカメだった。これはかなり変わったデザインのデジで、200万画素クラスながら1999年発売当時の定価が12万オーバーというけっこう本格的なものだった。そこから私とカメラとの本格的な付き合いが始まることとなる。と同時に、写真を撮るための散策が日常的なものとなったのもこのときからだった。

 その後は、オークションの一般化という流れも手伝って、デジを何度も買い換えていくことになる。中古で買ってしばらく使ったら売って、また別のものを買うというサイクルは、非常にありがたいものだった。新品で次々に買うなんてことは非現実的だし、いまだに私は新品のデジというものを買ったことがない。中古相場は半年やそこらで急激に下がるということがないから、趣味としてはむしろ金がかからないものだった。
 CASIO QV-3000EX、OLYMPUS C-2020ZOOM、OLYMPUS C-3030ZOOM、TOSHIBA Allegretto M70、MINOLTA DiMAGE S304、Kodak DC4800、OLYMPUS C-2100UZ、MINOLTA DiMAGE7 UG。数えたら2004年だけで8台買っている。この中では鮮やかコダカラーで広角のDC4800と、手ぶれ補正10倍ズームのC-2100UZがお気に入りだった。DC4800は今でも欲しいくらいだ。
 こうなってくるとだんだん欲が出て物足りなくなってくるのは当然の流れだった。一眼が欲しいと思い、でもまだ早いと思いとどまり、とうとうこらえきれずにレンズ一体型のOLYMPUS E-10を買ったのが、2005年3月のことだった。ちょうど愛・地球博が開催されるときで、愛知万博記念だと自分の中で強引な理屈をつけて買ったのを覚えている。それにE-10は目標とするMさんもCOOLPIX 950の次に選んだ機種だった。ここまで来たら、もう後戻りはできない。行くところまで行くしかない。

 E-10はとてもいいデジだったと思う。400万画素ながら35-140mmでF2-2.4という明るいレンズは今考えても魅力的だ。テレコンを使うと200mmでF2.4のレンズとなる。こんなもの、交換式のレンズで買おうと思ったらいくらになるか。
 それから半年の間、E-10はどこへ行くにも連れて行くよき相棒となった。思えば2005年のこの半年ほどいろんなところへ散策へ行ったことはなかった。春の桜から季節の花々、神社仏閣に森や公園巡り、愛地球博にも行ったし、海にも山にも一緒に行った。とても思い出深いデジだ。
 最終的にはレンズ一体式ゆえの不自由さがどうしても物足りなくなって、初めての本格デジイチCanon EOS D30をその年の10月の終わりに買うことになるのだけど、何故かそこから急激に私の散策熱は冷めていってしまう。愛地球博で燃え尽きたような妙な脱力感に襲われて、2006年は散策冬の年となる。月に一度も散策に出かけないような一年だった。デジタル一眼にステップアップしたことがどの程度散策行きに影響を与えたのか、自分でもよく分からない。

 デジイチになっても買い換えグセはいっこうに直っていない。一番よく使って気に入っていたEOS 10Dでもメインとして半年使ってない。その間にもちょくちょく買ってはちょこっと使って売り、また他の機種を買っては売りということをしていた。キスデジは旧もNewも使ったし、NikonのD70なんかは散策では2回か3回しか使わないまま手放してしまった。PENTAXのistDも何回使ったか。
 そんな中で感覚的にぴたりときたのがistDSだった。istDはしっくりこなかったのに、その後継機でほとんど変わってないistDSがはまったというのも不思議なことだった。デジはスペックだけでは語れないところがあって、実際に使ってみないと相性の良し悪しは分からない。何がどうよくてどこが気に入らないのかを言葉で説明するのは難しいのだけど。
 OLYMPUSのE-1も独特のよさがあるいいデジだった。持ってよし、シャッター切ってよし、画質もよし、と一時はこれ以上のデジはないかもしれないと思うほどだった。これまたMさんがE-10のあとに使った機種ということで、私の追っかけぶりもかなりのものだ。ただE-1はフォーサーズという規格がどうも納得いかず、最近は出番も減ってきている。これさえ普通だったら、私はOLYMPUS党になってもよかったのに。そろそろ売りに出す時期に来た。
 istDSを買ったのは2006年10月の終わりで、これはこれまでの最長記録となっている。K100Dへの買い換えが2007年の8月だから10ヶ月もメインとして使い続けた。東京通いが始まったのが2006年の12月だから、これもまたいろんなところへお供したデジとなった。K100Dは手ぶれ補正という決定的な利点を持ったデジだけど、どちらが好きかといえば間違いなくistDSの方が好きだ。画質もだし、使っているときの感覚がistDSの方が楽しい。istDSのグリップは最高だったのに、K100Dはミシミシきしむようなヤワさで、なんだか持っていて頼りない。カメラのグリップというのは車でいうハンドルのようなもので、握り心地はけっこう重要なのだ。

 さて、非常に長い前置きとなったけど、今日の本題はここからだ。前置きが長すぎるだろうというツッコミは置いておいて、話はいきなりフォトコン、写真コンテストの話題に飛ぶ。
 写真をちゃんと撮ろうと思ったのが2005年の7月で、せっかく趣味として撮ってるんだから何か目標を持とうと思って始めたのがフォトコンへの挑戦だった。それが2006年春のことだ。最初に自信を持って送った桜の写真が選ばれなかったときのがっかりさは忘れられない。
 あれから目標を達成できないまま1年半の歳月が流れ、この夏ようやく最初の一歩が実現したのだった。1年半の間にたくさん写真も撮って、少しずつ写真というものがわかりかけてきたところで、でもまだまだと思っているところに一つ結果が出たというのはいいタイミングだった。
 フォトコン狙いのアマチュアカメラマンなんて、ミスコン荒らしの高慢ちきな女みたいなものだと、以前の私は思っていた。人に誉められたり選ばれたりするような写真を必死に撮ってるなんて、ケッと正直思っていた部分もある。半分以上はやっかみと自覚しながら。でも、フォトコンなんてと言うなら一度くらいはフォトコンに選ばれてみなければ言う資格がないんじゃないかと思い直した。フォトコンを非難するならそれからでもできるだろう、と。
 自分の気に入った写真を数枚、月に一度雑誌に送るというのは、結果はともかく一つの目標にはなる。それ用に意識して撮ったものじゃなくても、送るときにひと月分の自分の写真を見返すというのも意味があることだ。けど、何度送っても通らないというのは、やはりそれなりにへこむものだ。選者と自分の写真の相性が悪いんじゃないかと人のせいにしてみたり。
 そんなふうにして半ばあきらめていたところで今回初めて選ばれたのは、嬉しいというより意外さが先立った。自分の写真が急に上手くなったわけでもないのに、なんで今までダメだったのに今回だけよかったのだろうという戸惑いが大きくて。
 けど、選ばれた写真を見て、なるほどそういうことだったのかと納得もした。今までは上手く撮ろうとして自分なりに上手く撮れたものがいい写真なんだと思っていたけど、そうじゃなかったのだ。その人なりの独自の視点から撮られた写真がフォトコンでは選ばれやすいということに気づいた。テクニックは選考の上位項目ではない。プロのように撮ってもプロのようには撮れないのだから、アマチュアとしてユニークな写真を撮ってくださいというメッセージなのだろう。選者によってもいろいろ基準や好みがあることは間違いないにしても、選ぶ方向性というのはある程度一致してるのだと思う。
 初めて選ばれたのが、江ノ電とそれを撮る人たちだったというのは、偶然なのか必然なのか、私にはとてもラッキーなことだった。きれいな風景写真で入っていたら、自分の向かうべき方向を見失っていたかもしれない。結果が出てみれば、これこそ私の理想とする一枚ではないか。撮りたい被写体があって、季節があって、人がいる写真だから。
 佳作に一回入ったくらいでどうこうということはないのだけど、ここは素直に喜んでおこう。むしろ、突然入選なんてしてしまったらどうしていいのか舞い上がって自分を見失ってしまいそうだから、これくらいでちょうどよかったのだ。自分自身、まだまだ下手だと思ってるし、自分の撮りたい写真を撮れているわけではないから、これからももっと上手くなりたいと思って撮っていく姿勢に変わりはない。
 私が撮りたいのはやはり、人がいる風景や光景だ。人物像でもなく、風景写真でもなく、花のアップや生き物だけでもなく、人がいる写真が撮りたい。それはおそらく、私の世界との関わり方にも深くつながっているのだと思う。私は世界の参加者としてではなく傍観者として世界を見ているところがあって、でもそれは世界や人間と関わり合うのを嫌っているというではなく、人が生きているこの世界を愛しているから、この場所から世界を見ていたいというのがある。人間がいるからこそ、この世界は美しく、愛おしい。だから、そういう写真を撮りたいと願うのだろう。

 たかがフォトコンというなかれ。写真を撮るすべての人々に、私はフォトコン参加をすすめたい。人に評価されるために頑張るというのは悪いことではないし、どんな結果でも努力は無駄にならない。向上心を持たずにどれだけ続けても上手くならないのは写真も同じだ。選ばれないことで謙虚にもなれるし、選ばれれば嬉しくもあり、励みにもなる。
 写真というのは、自分のためだけではなく、誰かのためにあるものだ。自分のためだけのものなら、人に見せなくてもいいし、ましてやネット上に公開する必要もない。写真もまた、人を幸せにするためのものだとするならば、見てくれる人のために撮るという発想も必要となるだろう。自分がどこかへ行ってきれいなものを見て、これをあの人にも見せてあげたいと思って撮るのが写真の基本だ。視点や記憶の共有と言ってもいい。これ見よがしにテクニックを駆使して奇をてらった写真を撮るのは自己満足のためだ。人のためにはならない。
 見た人が感動したり笑顔になるような写真が撮れたら、それは誰が何と言おうといい写真なのだ。技術やカメラやレンズなんて関係ない。そんな写真が撮れたら、迷わずフォトコンに応募したらいい。それがフォトコンと趣味として写真を撮ることとの幸せな関係性だと私は思う。

庄内川の河原に天然のカワラナデシコを探したけど見つからず

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
庄内川河原風景-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6)



 少し前に放送した「そこが知りたい特捜!板東リサーチ」で、志段味(しだみ)付近の庄内川でカワラナデシコが咲いているのが紹介された。まさか家の近所でまだナデシコが咲いている河原があるとは思ってもなかったので驚いた。
 カワラナデシコといえば、大和撫子の語源ともなった可憐なピンクの花で、私の好きな野草ベストテンにも入っている。ぜひとも見に行かなければと思っていた。
 昔はありふれた花だったカワラナデシコも、近年は野生のものはかなり貴重になっている。私も園芸品種以外では松平郷で半野生のものを見ただけで、純粋な野生は見たことがなかった。今日やっと時間を作れたので探しに行くことにしたのだった。
 しかし、気になる点が二つあった。一つは咲いている場所が志段味橋付近という漠然とした手がかりしかないことと、もう一つはネットで読んだお盆あたりに草刈りをするから見るならその前という情報だった。これはちょっと厳しそうだ。それでもとりあえず行ってみないことには始まらないので、何はともあれ河原を歩いて探すことにした。
 まずは大留大橋近くの路上に車をとめて、支流の内津川の河原から捜索を開始した。言うまでもなく、カメラを持って河原をうろついてるお仲間はいない。ひとりぼっちのカワラナデシコ探索隊だ。
 探すこと15分、まったく気配すらない。そもそも花自体咲いてない。カワラナデシコがどんなところにどんなふうに咲くのかも知らない私としては、左右をキョロキョロしながら激しく探すより他に手がない。人が見たら完全に落とし物を探す人となっていた。もしくは、河原で石ころを拾って集めている変わり者と思われたかもしれない。
 けっこう歩き回ったけど、結局内津川では見つからなかった。それ以外にもめぼしい収穫もなく、庄内川に移動することにした。

庄内川河原風景-2

 花といえば、こんなヤブに咲く地味な花しか咲いてなかった。アレチハナガサっぽいけど、違う。どこかで名前を見た気がするのだけど、忘れてしまった。おそらく、南米からの帰化植物のクマツヅラ属の仲間だろうとは思う。
 ミツバチにとっては魅力的な花のようで、小さい花から花へ飛び移ってせっせと密を集めていた。2週間の寿命の中で、休みなく働いてもティースプーン1杯分しか集められない彼らだから、それはもう必死だ。写真を撮られていることに気づいても、そんなのかまっちゃいられない。

庄内川河原風景-3

 河原ではなく近くの小公園に咲いていたヒャクニチソウ(百日草)。
 夏の暑い盛りの3ヶ月間にわたって咲いているところから名付けられた。いかにも夏らしい色合いのこの花は、メキシコからやって来た。園芸品種として品種改良も盛んで、様々な色や形のものが作り出されている。
 ヒャクニチソウもコスモスも、同じメキシコ出身というのも面白い。夏向き、秋向きと全然キャラが違うけど、それぞれが日本に馴染んで、ずっと前からいたような顔をしている。

庄内川河原風景-4

 捜索ポイントを志段味橋近くの庄内川河原に移してはみたものの、ここでもカワラナデシコの姿は見つけられなかった。川近くの砂地のような土壌に咲くとも思えないのだけどどうなんだろう。私は探す場所を決定的に間違えていたのだろうか。
 ここも花は少なく、唯一咲いていたのはムラサキツメクサだけだった。同じピンク紫でもキミじゃないんだよなぁ、私の探してるのは。
 川辺ではなく土手に咲いているのだとしたら、確かに草が刈り取られた様子だったから、もう刈られてしまったあとだったのかもしれない。機械で刈るだろうから、わざわざカワラナデシコだけ残して刈るとも思えない。人によっては貴重な野草も、別の人から見たらただの雑草だ。
 ついにカワラナデシコ発見ならず。日没が近づき、捜索を断念。やはり訪れるのが遅かった。お盆の草刈りの前なら咲いていたのだろうか。残念無念、また来年だ。
 帰宅後もう一度ネットで調べたところ、もう少し東の野添川の河原に咲いているという情報を得た。こちらは10月くらいまであるらしいから、機会を見つけてもう一度探しに行きたい。天然のカワラナデシコは今や、天然の大和撫子と同じくらい貴重なものだから、一度は自分の目で見ておきたい。園芸種のカワラナデシコなんてコスプレの巫女さんみたいなものなのだ。

庄内川河原風景-5

 地平線近くの雲に太陽が隠れて、河原も夕暮れ時間となった。
 日暮れの空を川面に映して、庄内川はゆっくりと流れている。

庄内川河原風景-6

 雲が多い夕焼け空も、ドラマチックで悪くない。
 今日の空はまだ秋の夕焼けという感じではなかった。夏の焼けない夕空だ。
 昼間は暑い日が続いているけど、朝夕は少し涼しくなってきたから、夏ももう残り少なくなった。

庄内川河原風景-7

 黒いはねをヒラヒラさせてオハグロトンボが川面を飛んで枯れ草に止まった。オハグロトンボがいるあたりに自然度の高さを感じる。街中の川ではめったに見られなくなった。
 水面にたくさん見えている黒いツブツブはアメンボウだ。魚が口をパクパクさせてるのかと思ったら、無数のアメンボウが水の上を滑っていた。

庄内川河原風景-8

 日も沈んだし、もう帰ろうか。母と娘でそんな会話を交わしていたのかもしれない。
 河原の土手は、家路につく人、犬を散歩させる人、小さな子連れの親子たちが夕陽の中でシルエットになっていた。

庄内川河原風景-9

 さて、私も帰るとするか。カワラナデシコは影も形もなく、これといった花や生き物の収穫もなかったけど、河原風景は撮れた。河原というのはなかなか絵になるシーンが多くていい。特に夕暮れ時はロマンチックでドラマチックだ。時間と共に移り変わっていく空と水の色に、通りかかる人間が彩りを添える。人がいる風景写真が一番好きな私としては、河原は写真を撮るのに最適な場所と言えそうだ。もしかしたら海よりも。
 カワラナデシコは、秋までに再チャレンジしたいと思っている。だいたいあのあたりの様子も分かったから、もっと時間をかけて捜索の範囲を広げれば発見の可能性は高まる。
 庄内川の河原で下を向いてキョロキョロしてる男を見かけても、何か落としましたかなどと声をかけず、遠くからそっと見守ってください。

2007年お大師参りは過去と未来をつなぐお礼参り

神社仏閣(Shrines and temples)
大師さん-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/200s(絞り優先)



 思えば神社仏閣との縁は、子供時代から慣れ親しんでいる田舎の丹生大師にあったのかもしれないと、今更ながら思った。名古屋に移ってからは、少年時代も学生時代も、自分から神社仏閣に行くことはほとんどなかった。長い空白の後に、再び私が自らの意志で寺社へと向かうようになったのは、写真を撮り始めたここ数年のことだ。決して根っから信心深い神社野郎などではなかった。
 夏休みや冬休みに田舎へ行くと、たいていお大師さんへ行っていた。昔は大師前に三交バスのバス停があったというのもあったし、大晦日はどんど火を見に行き、正月は初詣がいつもここだった。
 村の人間は誰もがみなお大師さんの馴染みであり、村人の誇りでもある。私は何度くらい行ってるのだろう。少なくとも50回以上はいってるから、そんなに何度も行ったことがある神社仏閣はもちろんここしかない。
 丹生大師については、以前ここで書いたのでもうやめておく。今日は2007年に行ったときの記録をとどめるという意味で写真を貼り付けておこう。何年か経って見返したとき、私はこの日のことをどれくらい覚えていて、写真を見てどんなことがよみがえるだろうか。

大師さん-2

 丹生大師の中で最も印象的な風景は、奥の大師堂へ向かう石段と回廊だ。下から見上げる光景が好きだけど、上から見下ろすのも悪くない。
 丹生大師の創建は奈良時代の774年とされているけど、この回廊はいつ造られたのだろう。時代劇っぽい感じも受けるから江戸時代のもののような気がする。伽藍は何度か焼けて再建されているから、おそらくこれもそれくらいの時代のものだろう。他では見たことがないから、なかなか珍しいものなんじゃないだろうか。

大師さん-3

 昔はこの回廊の中が恐かった。暗くて何か出そうで。今は別の意味でちょっと恐い。今にも崩れてきそうなほど古めかしくて。
 かなり老朽化してるけど、今度も大丈夫なんだろうか。ずっと残して欲しいものではある。

大師さん-4

 石段を登り切ったところに大師堂がある。手前の龍がついてるやつは何だろう。子供の頃、これに乗ってるところの写真を撮ったのが残っている。あのときと変わらず同じだろうか。でも、龍が青いガラス玉のようなものを持っているのは記憶にない。昔から持っていたのか、最近持たせたものなのか。
 大師堂の本尊は、弘法大師空海が42歳のとき自ら刻んだ自画像なのだそうだ。のぞいたとき見えたあれがそうだったのか。

大師さん-5

 大師堂の右側奥に、丹生都比売神社(二ウツヒメ)がある。こんなところにあったとは初めて知った。こっちまでは来たことがなかった。
 どうして寺の境内に神社があるかというと、弘法大師は丹生都比売に導かれてこの地にやって来たということと、丹生都比売は弘法大師の守護神ということでここに祀られているのだった。
 平成6年に新しく建て直したようだ。ただ、入り口の鳥居まではお金が回らなかったのか、古いままだ。

大師さん-6

 石段の下にあるこちらが、もともの本堂である観音堂だ。開基は空海の師匠(兄弟子とも)にあたる勤操大徳で、こちらには十一面観世音菩薩像が祀られている。
 空海が建てたといわれる七堂伽藍は、このあたりで起こった戦によってほどんど消失してしまった。現在残っているほどんどのものは江戸時代に再建されたものだそうだ。観音堂は1684年とされている。それでも320年以上経ってるわけで、相当古びている。よくぞ建っていると思うほどに。昔の宮大工さんは優秀だった。

大師さん-7

 丹生大師は、明治の神仏分離令をなんとかやり過ごして、現在も境内は神仏が渾然一体となっている。入り口は神宮寺の仁王門と丹生神社の一の鳥居で別になっているものの、中ではひとつにつながっている。男女の入り口が別なだけの混浴温泉みたいに。
 昔は寺院である神宮司の方ばかり行っていたけど、最近は丹生神社の方が近しいものに感じるようになった。お寺よりも神社の方が好きだから。
 丹生神社の祭神は、埴山姫命、水波売命(美津波女神)などで、できたのは523年というから神宮寺よりも古い。
 拝殿は昭和5年の伊勢神宮式年遷宮のとき、外宮の御正殿のそばにあった東宝殿を移築したものだそうだ。これも20年に一度、伊勢神宮の遷宮のときに出る木材をいただいて建て替えをするという。

大師さん-8

 こちらは参道一番奥の丹生中神社。祭神は、金山彦命、金山比女命など。明治になって村の神社30ほどをここにまとめて合祀した。

大師さん-9

 この日も暑かった。風がなくて、境内を歩きながら大汗をかいた。でも、強い光が作るこのコントラストは夏ならではの光景で、とても素敵だった。

 2007年夏の丹生大師は、思い出深いワンシーンとなった。過去と未来をつなぐ中間地点として記憶に残るだろう。
 昔ばあちゃんがよく言っていた。お願い事があったら、お大師さんにお願いするんだよと。今回の大師参りは、お願い事というよりもお礼参りだった。こちらは元気でやってるから、そっちも元気でやってください。これからもよろしくお願いしますということで。
 お大師さんは神様という感覚はなくて、私にとってはお墓参りみたいなものかもしれない。また来年の正月には初詣にいこう。

ノーコン料理人は言った、料理の行き先は料理に聞いてくれ、と

食べ物(Food)
和食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、洋風味付けの和食の予定だった。メニューもそのように考えて作ったつもりだった。結果は上の写真の通りだ。
 最近の私はひどいノーコンピッチャーのような料理人となっていて、行き先はボールに聞いてくれじゃないけど、できあがりは料理に聞いてくれ的な状態に陥っている。作っていて途中からこれはおかしいぞと気づくものの、そのときはすでに私の思惑から料理が一人歩きをし始めていて、軌道修正は不可能となっている。そのまま料理が向かう先に私はあとからついていくしかないのだった。
 完成した3品は、またもや正体不明の訳の分からない料理となった。名前は自分でも思いつかない。人に出してこれなんていう料理と訊ねられても答えようがない料理だ。とりあえず食べられることは食べられるから食べてみてとしか言えない。ただ、まんざら暴投というわけでもない。インローを狙った球が外角高めにいったようなものだ。ぎりぎりストライクには違いない。

 左手前は、この中では一番和食に近いと言えるだろうか。
 ダイコンを切って水にさらしたあと、下ゆでして柔らかくする。その後、塩を加えただし汁で更に煮込んでいく。
 それを水切りして、カタクリ粉をまぶし、カレー粉を振りかけながらフライパンで焼いていく。軽く塩コショウもする。
 上に乗っているのは、アイのエサのフレークだ。やつのを盗んで使ってみた。といっても猫用ではない、人間用だ。猫缶を食べなければ食べるものがないほどせっぱ詰まってはいない。
 マグロフレークを鍋で温めつつ、カレー粉で味を加えて、少しだし汁で薄める。
 あとはダイコンの上に味付けフレークとパセリの刻みを乗せればできあがりだ。
 和食とも洋食ともつかないようなどっちつかずの一品だけど、これはなかなか悪くない。フレークとカレー味はマッチする。ダイコンの代わりにジャガイモでもいい。

 右は魚のつくねの洋風バージョンとでも言おうか。
 今回はアジを使ってみた。小骨を取りつつ砕いて刻んで、小エビの刻み、長ネギの刻み、小麦粉、しょう油、酒、塩、コショウと混ぜ合わせる。団子状にしたらカタクリ粉をまぶして、沸騰したお湯の中にゆっくり沈めて煮ていく。
 取り出したものをフライパンに移し、オリーブオイルで転がしながら焼きを入れる。
 たれはマヨネーズ、カラシ、しょう油、塩、コショウを混ぜて作る。
 青のりとかつお節を振りかけて、たれをつければ完成だ。
 肉で作った方が美味しいのだけど、魚をこういうふうにして食べる方法もありだ。子供や魚嫌いの人でも、これなら美味しく食べられる。
 ノーマルな味付けがよければ、しょう油、みりん、酒の和風味にして、串焼きにしてもいい。

 左奥は洋風肉じゃがを作るというのがスタート地点での思惑だった。途中からどんどんおかしくなって、最終的にはホワイトシチュー崩れになった。しかし、これが美味しいから、料理というのは分からない。フライパンでもシチューが作れるというのを発見した。
 まずはジャガイモとニンジンを切り分けて、塩を入れたお湯で煮込んでいく。アクを取り除きつつ。このとき煮込むか煮込まないかでその後の料理が変わってくる。私は煮込みすぎて肉じゃがから方向転換を意義なくされた。
 柔らかくなったところでいったんザルに上げる。そのお湯に今度はタマネギ、鶏肉を入れてある程度煮る。最後にブロッコリーを加えてさっと煮る。
 それらをフライパンに移動させて、たっぷりのバターで焼いていく。ジャガイモが崩れてぐだぐだになってしまうけど、今更後戻りはできない。さきほど煮込んだときに使ったお湯を加えつつ、コンソメの素、塩、コショウで味を整える。
 最後に、とろけるチーズをたっぷり乗せる。表面を覆うくらい。蓋をして蒸し焼きにしていく。チーズが溶けたら肉じゃが崩れシチューもどきがいっちょあがりとなる。
 料理としては失敗だし、こんなもの店で出せるものじゃないけど、家庭料理の一品としては成立すると思う。見た目がよくなくても、味が美味しければよしとしたい。いちいち分けて煮込まなくても最初から全部放り込んで煮てしまっても同じかもしれない。ポイントはバターとチーズだ。もう少し品よく仕上げようとすれば、ジャガイモやニンジンが型くずれしないようにレンジで蒸したあと焼けばいいだろう。チーズを乗せたあとはオーブンで加熱した方がいいとも言える。

 最近、何を作っても基本形から逸脱してしまうのは、良いことなのか悪いことなのか、それさえも判断できなくなりつつある。次の段階に登るための過渡期なのか、それとも単なる我流が身についてしまっただけなのか。基本の料理が何でも一通り作れて、その上で自己流にアレンジするならいいのだけど、私の場合基本もできないのに応用に走りすぎる。物心ついてから何事につけ、いつでもそうだった。習い事が苦手で、人に指図されることが嫌いだった。誰に教わらなくても人並みのことはできたけど、本当にはモノにならなかったのは、基本の反復を怠ったからだ。器用貧乏という自覚はある。料理も例外ではなかった。
 だからもう一度初心に立ち返って、和洋中と基本の料理を作ってみるべきだ。それをマスターしてから次へ進めばいい。でも、性格というのはなかなか直らないもので、次に作るときはやっぱりヒネリを加えずにはいられなくなるのだろうなという予感はある。基本通りにしてもつまらないと思ってしまうから。
 私はこのままノーコン料理人として突き進むしかないのだろうか。けど、メジャーリーグにこんな言葉がある。コントロールを持たないピッチャーは何も持ってないと同じ。その言葉を思い出すと、料理においてもコントロールは一番大事なことに違いない。レシピ通りに作れるというのが基本だ。
 凝った料理を作れることが料理上手なのではなく、基本の料理を美味しく作れる人が真の料理上手なのだということを、最近の私は知ったのだった。
 今度は脱ノーコンの方向で精進していきたい。来週は和洋中3品の基本レシピを作ってみよう。

田舎の変わらない生き物と変わった時代と野生児の我々と

虫/生き物(Insect)
田舎の生き物-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/160s(絞り優先)



 今日は田舎歩きで出会った生き物たちを。
 まずは大師の鯉から。
 池のそばに立つと、鯉たちがどこからともなく集まってきて、けっこうな数になった。どうやら日頃から人にエサをもらっているようだ。昔からこの池には鯉がたくさんいた。お寺さんか神社さんが飼っているのか、昔からいるのをそのままにしているだけなのか。私たちが子供時代から数えて、一体何世代目の鯉になるのだろう。いや、鯉の寿命は30年から40年というから、もしかしたら子供時代に出会っている鯉がまだいたのかもしれない。長生きするのは100年以上とも言われている。

田舎の生き物-2

 鯉といえば、なんといってもエサやりが大師の定番だ。準備していった麩を投入すると、すごい大騒ぎになった。バシャバシャと音を立ててエサに食らいつき、激しい争奪戦が展開される。その騒ぎを聞きつけて、更に別の鯉も集まってきた。少し遅れてミシシッピアカミミガメも参戦だ。
 最後は昔を懐かしむ意味でかっぱえびせんも投入してみた。鯉は味覚があるのかないのか、それにも大喜びで食いついていた。あまりやると鯉にも水にもよくなさそうだったので、少しだけにしておく。でも、やっぱり大師の鯉にはかっぱえびせんがよく似合う。

田舎の生き物-3

 池の別の場所にはチビの魚もたくさん泳いでいた。メダカの仲間か、フナか鯉の子供なのか。
 昔は当たり前にいたニホンメダカも今や絶滅危惧種というから、時代の流れを感じずにはいられない。田舎の田んぼにはまだいるんだろうか。村を流れる水路に沢ガニはまだたくさんいるけど、ハヨやドジョウの姿は見られなくなった。子供の頃、30年後にはそれらが見られなくなるなんて思いもしなかった。

田舎の生き物-4

 カエルはあちこちで飛び跳ねていた。池の周りや田んぼのあぜ道を歩くと、目の前でピョンピョン逃げていく。バッタも跳ね、ヘビもチョロチョロし、田舎の生き物たちはまだ健在だった。ちょっとホッとした。
 生き物は本来、人が守るべきものではなく自然に普通にいるものだ。それを特に気にもとめずに生活していくというのが、昔からの当たり前の関係性だった。夏休みに子供たちが少々虫を捕ったりするくらいではびくともしない自然であり続けて欲しい。

田舎の生き物-5

 激しく鳴いているセミを背後から狙うカマキリ。まだチビだし、この体格差はいかんともしがたい。どうするつもりだろうと見ていたら、思い切りよく飛びかかっていった。びっくりだ。セミも驚いてわめき散らしながら飛んでいった。いくらなんでも獲物が大きすぎた。このサイズのカマキリでセミは捕まえきれない。
 セミの立場からみれば助かったともいえるし、カマキリから見れば残念だった。これもまた夏のワンシーンだ。
 子供時代に比べて街中から一番姿を消したのはカマキリなんじゃないかというのが私の印象だ。カブトやクワガタなんかは昔から街にはいなかったし、セミは変わらない。トカゲやバッタもそれなりにいる。カマキリだけは本当に見かけなくなった。昔はちょっとした空き地にはいつでもカマキリの卵があって、カマキリも普通に見られたのに、最近は本当に見ない。里でも数を減らしているのだろうか。

田舎の生き物-6

 田舎暮らしの人は自然の花が周りにたくさんあるから花は足りているのかといえばそうでもない。庭や田んぼの脇などに園芸品種の花をよく植えている。そのあたりの感覚は、都会でも郊外でも田舎でも変わらない。主食があれば嗜好品は必要ないかといえばそうではないのと同じだ。
 そろそろ夏の花も終わりが近づいて、秋の花が咲き始める季節が近づいてきた。萩も早くもちらほら花がつき出している。お盆が過ぎた夏休みの後半というのは、夏の名残でもあり、秋の入り口でもある。

田舎の生き物-7

 10日前は池一面を覆うほどの花を咲かせていたホテイアオイも、半分以下になっていた。こんにも急激に減ってしまうものなのか。
 気温は相変わらず高くても、季節というのは確実に進んでいくものだ。人間だけが鈍くて、季節の移り変わりに一番最後に気づく。気づいたときにはたいてい季節は行ってしまったあとだ。

田舎の生き物-8

 夜の自販機にカエルがへばりついていた。のどが渇いからジュースをよこせということか。それとも、光に集まってくる虫を狙ってのことか。
 しっかり見なかったけど、これは何ガエルだったろう。アオガエルか、アマガエルか、アカガエルか、そのあたりだろうか。
 自販機にカエルがくっついてるってのも田舎ならではの光景だけど、それを驚きもせず普通に受け止めてしまう私は、やっぱり田舎者ということだろう。

おまけのアイ

 家に戻ったらアイが出迎えてくれた。あ? 帰ってきたの? ってな感じで。
 きみ、一度田舎に連れて行ってやろうか? ハンター・アイだから、最初は喜んでいろんな生き物を追いかけ回すだろう。けど、田舎暮らしをしていけるかといえば、それはまた別の問題だ。好きというのと生活するのはまったく違う。子供の頃に河原でしばらく野良暮らしをしていたとはいえ、そのときでも人にエサをもらっていた。田舎での自給自足となると、これは厳しいものがある。私もそうだけど、今更田舎暮らしは無理だ。軟弱な都会者として生きていくしかない。
 今回の帰郷は、自分たちが野生児であることの再確認と、田舎暮らしはできないことを思い知る里帰りでもあった。それでも、いざとなったら帰れる場所があるということは心の支えになる。お金もなくなって、どこへも行くところがなくなったとき、あそこに住む場所があるというのはありがたいことだ。
 心の中にはいつでも田舎の思い出があって、私たちは田舎を捨てたわけでも、田舎に捨てられたわけでもない。あそこは一生帰らない場所であり、いつでも帰れるところでもある。

帰郷再び、それぞれの記憶をつなげて、重ねて、一つに

自然(Natural)
帰郷再び-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/100s(絞り優先)



 ツレと二人、共通の第二の故郷、丹生へ里帰りをしてきた。私は10日ぶり、ツレは10年ぶりの帰郷となった。
 断片的な記憶をつなぎ合わせて重ねるために、過去をたどりながらぐるりと一周歩いた。ツレにとっては懐かしくも新鮮で、私にとっては見慣れているけど新鮮な光景に映った。
 今日はその写真を何枚か並べてみる。私たち以外の誰かにも、心のどこかにリンクする田舎風景であるだろうか。

帰郷再び-2

 この道は私の知らない道だ。見慣れた場所を違う角度から見るのは不思議な感じがする。よく知ってる場所なのに知らないところのように思えたり。

帰郷再び-3

 うちの家の庭からモクモクと白煙が上がっていた。火事かと思うほどに。でも、田舎では庭で何でも燃やしてしまうから、これを見ても驚かない。私も子供の頃、庭でゴミを燃やすのが好きだった。あの頃は誰もダイオキシンなんて言葉は知らなかった。

帰郷再び-4

 家の裏手にこんな地蔵堂があるとは知らなかった。ツレに教えてもらって初めて知った。
 勝手知ったるつもりの場所でも、道を一本入ると知らないところがたくさんある。一度も歩いたことがない道は、永遠に未知のままだ。それは街でも村でも変わらない。

帰郷再び-5

 青く澄んだ空は、10日前よりも少し優しかった。クマゼミの鳴き声が消え、ツクツクボウシが勢いを増していた。ツクツクが夏の終わりが近いことを告げる。
 期待していたカナカナの声があまり聞かれなかったのは少し残念だった。夏休みの思い出の一つに、夕方、遠くから聞こえるヒグラシの鳴き声というのがあって、あれを聞くと夏休みの終わりを思って切なくなったものだ。

帰郷再び-6

 山の向こうに日が沈んだ。放射状に伸びた光のラインがよかった。
 日暮れも初夏に比べたらずいぶん早くなった。山に囲まれた田舎は特に早い。

帰郷再び-7

 河原も夏休みの記憶として外せないものの一つだ。いつもこの川で釣りをして、泳いだ。ここの風景だけは、大昔から変わってないんじゃないだろうか。物心ついた頃からまったく変化がない気がする。
 しかし、思い出に浸ろうとしたら、蚊の猛攻にあって、2分で逃げ帰った。30年以上の思い出の重みよりも数匹の蚊の方が強かった。

帰郷再び-8

 まっすぐ伸びる田んぼの一本道。川への行き帰りに歩き慣れた道だ。

帰郷再び-9

 日暮れまで田んぼの草取りをしていたお母さんを、他で作業をしていたお父さんが軽トラで迎えに来て、家に帰っていった。今日も一日ごくろうさまなんてことを口に出して言ったりはしないだろうけど、そこには確かな思いやりを感じた。
 もうすぐ稲刈りの季節がやって来て、また忙しくなる。今年は雨が少なかったけど、暑い日が続いて、台風は来なかった。新米はけっこう期待できるんじゃないだろうか。

 日が暮れてから、空を見上げて星を探した。でもまだ時間が早く、雲がどんどん増えてきて、思ったほど見ることができなかった。そんな夕暮れの空を貫くように人工衛星の明るい光がまっすぐに横切って、山の向こうに消えた。人工衛星があんなにも明るくてはっきり見えるものだとは知らなかった。
 夜になると田舎ではやることがまったくなくなる。それこそ星を見るくらいしかない。帰る家がなければ、もう行くところもない。私たちは都会のそれぞれの家に戻ることにした。故郷における私たちは、訪問者でしかない。
 帰郷というとたいていが盆と正月で、それ以外の季節をほとんど知らない。次は別の季節に行ってみよう。桜の春か、紅葉の秋か。二人の里帰りに少し落とし物をしてきてしまったので、それを拾いに、また。

お上りさんによるお上りさんのための羽田空港の歩き方指南

東京(Tokyo)
羽田空港ターミナル-1

PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f6.3 1/15s(絞り優先)



 羽田が国内線で、成田が国際線という、ぼんやりとした認識はあった。どっちがどっちか分からなくなったときは、成田離婚という言葉を思い出すことにしている。そうだ、そうだ、成田が外国行く方だ、と。
 羽田空港は、東京23区の南東のはずれにある人工の埋め立て地だ。多摩川を挟んですぐ南は神奈川県川崎市になる。都心からはやや遠いものの、成田に比べればずっとましだ。成田は遠すぎる。あんなところしか土地がなかったのか。
 基本的に国内線のみだけど、小さな国際線ターミナルもあって、近場の外国への路線はある。それと、政治家などのVIPが政府専用機などで公務で外国に行くときも羽田が使われる。こちらの方が近いのと、警備しやすいということがあって。
 現在でも羽田は日本最大の空港として機能している。国内線がメインでも発着数、利用者数とも国内最大となっている。確かにターミナルは人でごった返しているし、滑走路の飛行機も混雑していた。いろいろ問題も山積みで、騒音問題という難問を抱えつつ、今後も拡張していく方向にあるようだ。

 羽田空港は、1931年8月25日、日本初の国営民間航空機専用空港、東京飛行場として誕生した。当時はまだ戦前で民間の航空機も少なかったということで、利用数は少なかった。
 戦中は軍事用として利用され、戦後は当然のごとくアメリカ軍のものとなった。日本人は立ち入り禁止となり、米軍が空港の拡張工事をする際は、近隣住民に48時間以内の立ち退きを命令する傍若無人さだったという。この地域の守り神だった穴守稲荷も移され、あとには穴守稲荷の大鳥居だけがぽつんと残った。これだけは撤去しようとするたびに工事中の事故が起きて、結局そのまま残されることとなったのだった。
 日本に一部が返還されたのが1952年で、そのとき東京国際空港と名前が改められた。全面返還は1958年のことだった。
 1955年に新しくできた旅客ターミナルは、たちまち東京の新観光名所になったそうだ。新しい空港ができると旅行もしないのに大勢の人が観光目的で押し寄せるというのは昔も今も変わらない。愛知にセントレアができたときは旅行者が入れないくらい観光客で大混雑した。
 1978年、あまりにも発着数が増えすぎてさばきれなくなったため、新東京国際空港開(成田国際空港)を作って、海外便はほぼそちらに移っていった。
 その後も何度も増改築を繰り返して現在に至っている。ビッグバードという愛称は、1993年に国内線のターミナルが第1旅客ターミナルビルに移転したとき以来で、2004年12月には第2旅客ターミナルビルが新たに完成した。
 と、軽く歴史を振り返ったところで、そろそろターミナル内をうろついてみることにしよう。これから羽田空港へ行こうと考えているお上りさんに贈る、これがビッグバードだ。

羽田空港ターミナル-2

 飛行機に乗るときは北ウイングか南ウイングかは大切になるけど、観光の場合はどちらから行っても違いはない。店舗の顔ぶれが違うくらいだ。ただし、ターミナル内は相当広いので、どこへ行っていいものやら見当がつかないことがある。困ったような顔で上を見上げてキョロキョロしていると、どこからともなくお姉さんが近寄ってきて、何かお困りですかと声をかけてくれる。私たちのように。いや、大丈夫ですと強がってみたものの、完全にお上りさんと思われたな。迷ったときは、とりあえず恥ずかしがらずにターミナルマップを入手して見てみた方がいい。あるいは、素直にお姉さんに救いを求めるか。空港の中心で、誰か助けてくださいと大声で叫んでみるという手もある。
 ビルは地下1階から6階の展望デッキまであって、各フロアーにはそれぞれ店舗などが入っている。衣食住なんでも取りそろえられているので、その気になれば空港から一歩も出ずに生活することは可能だ。銀行も郵便局もある。お金は持ってるけど家はないという場合は空港に住むのが快適でよさそうだ。羽田は24時間運用可能空港なので、頑張ればできるかもしれない(たぶん無理)。

羽田空港ターミナル-3

 6階展望デッキと、更にもう一段上の屋外にまで出ることができる。暑い日は暑く、風も強いし、飛行機臭いけど、備え付けの椅子があったり、見学者に対する受け入れ態勢は整っているので、気兼ねなく近くで飛行機を眺められる。見学者も思ったよりも多かった。デートコースとしても定着してるらしい。子供を連れて行けばきっと喜ぶだろう。親にとってこんな安上がりな行楽地はなかなかない。
 撮影は金網に空けられた穴にレンズを入れて行うことになる。しかし、建物の前に出っ張っている部分も邪魔になって、思い通りのポジションは取れない。夢中になってレンズを左右に振ってると、マウントの根本からバキッと折れたりするかもしれないので、くれぐれも気をつけない。ここから右へ行った方は視界が開けているので、止まっている機体を撮るには問題ない。ただ、離陸はここからずっと左に行ったところで、そちらで撮ろうとするとやっぱりままならない。

羽田空港ターミナル-4

 ある程度写真を撮ったところで満足することにして、次に第2ターミナルに移動した。昨日も書いたように、無料巡回バスが出ている。
 新しくできた方ということで、何か目新しいものがあるのかと思ったけど、第1とそれほど変わらない印象だった。
 ちなみに、第1はJALメインということでシンボルカラーが赤で、第2はANAメインでイメージカラーは青になっている。
 第2の方が店が閉まるのが早かったと思う。夕飯を食べようとしたら、どこも早々に閉店していて見つけられなかった。それ以前に、どこで何を食べればいいものやら、さっぱりイメージがなくて、探すにも探せなかったと言った方がいいかもしれない。空港へ行くときはある程度予習が必要かもしれない。おみやげ屋も早々に店じまいしていて、結局もう一度第1まで戻る羽目になった。

羽田空港ターミナル-5

 第2ターミナルの展望デッキはこんな感じになっている。こちらの方がより見学者を意識した作りになっていて、椅子だけでなく、テーブル付きのオープンデッキや、軽食店なども完備している。暑さ寒さよけの室内通路も用意されているのは嬉しい心遣いだ。
 デートにはこちらがオススメだ。遠くに観覧車や打ち上げ花火なんかも見えたりして、雰囲気もいい。
 昼間の撮影は第1と第2とどっちが向いているのかはよく分からなかった。第2の方が少し近いけど、障害物は多い気もした。

羽田空港ターミナル-6

 第2は早じまいだったので、第1で夕飯を食べることにした。最初、2階の「チャオ」というカレー専門店で食べるつもりでいたら、20時で閉まってしまっていた。失敗した。
 あちこち探し回ってようやく「ブルースカイ カフェレストラン」というのが開いてるのを見つけて、なんとかここに入った。軽食屋のような感じで、夜の22時30分まで開いている。半分セルフサービスで、テイクアウトもできる。

羽田空港ターミナル-7

 私はシンプルにカレーを、ツレはオムハヤシライスを食べた。どちらも平均点くらいには美味しかった。値段もそこそこだし、軽く食べるならここは悪くない。
 空港だから本格的な食事というわけにもいかないけど、各種食事は揃っている。あらかじめ何を食べるか決めておくか、調べてくるかした方がよさそうだ。その場で急に何か食べようとなったとき、どの店に行っていいのかとまどってしまうから。

羽田空港ターミナル-8

 おみやげは、羽田空港限定「空とぶでかドラ」だ(東京ばな奈)。標準レンズと比べてもこの大きさ(20センチ)。1個400円で、ふわふわで味も美味しいので、おみやげに最適だ。話のネタとしてもインパクトがある。小さめの子ドラもあるけど、やっぱりでかドラで決まりだ。学校や会社の昼ご飯のとき、これをおもむろに取り出して食べ始めればたちまち人気者になるだろう。

羽田空港ターミナル-9

 行きも帰りも結局、京浜急行に乗った。小松未歩の「東京日和」に出てくるように、天空橋からモノレールに乗りたかったのだけど、ロマンチックな名前とは裏腹に、単なる地下駅だったのであえて行くこともないかと思ってしまって。特に行きはしながら水族館からの流れだったので、京浜急行でそのまま行けたから。
 電車賃は妙に高い。品川から天空橋までは230円と普通なのに、次の羽田空港駅まで行くと400円になってしまう。工事費がそれだけかかっているということなのか。天空橋でいったん外に出て、そこから羽田空港までの切符を買うと150円なので、20円浮かすためにそうするというせこいテクニックもある。
 羽田空港まで歩いていけるか、というのがときどき話題になる。かつて「水曜どうでしょう」で、歩いて外に出られるかというのがあって、そのときは出られないということだったけど、実際に実験した人がいて、結論としては徒歩でも出入りできるというのが正しいようだ。天空橋から途中車用のトンネルの歩道などを歩きつつ、1時間半くらいかかるそうだけど。
 羽田空港は、行ったことがないという人は充分観光地として楽しめるので、ぜひオススメしたい。飛行機に詳しくなくても、飛行機撮影は思いのほか楽しいし、ターミナルの中は見所もけっこうある。デートなら夕景から夜景にかけてがいい。
 私は富士山が見える時期にもう一度行きたいと思っている。旅行で羽田から飛行機に乗る予定は、ない。

お上りさんは羽田空港へ行って飛行機に乗らず写真を撮る

東京(Tokyo)
羽田空港の飛行機-1

PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f9 1/500s(絞り優先)



 この前初めて羽田空港へ行ってきた。旅行のためではない。人を出迎えるためでも、誰かを見送るためでもなく、観光に。
 これはけっこう恥ずかしい告白かもしれない。六本木ヒルズへ行ってきたとか、浅草寺へ行ったとかよりも更に度の強いお上りさん度を示す行為だから。地方出身者でも東京に住んでいる人なら、照れくさくて観光で羽田空港へは行けないかもしれない。ヒコーキ野郎は別として。これもお上りさんの特権というものか。私なんか、ちっとも恥ずかしくないもんね。羽田のターミナルで喜んで写真を撮ってるのが私たちだけだったときは、ちょっとまずいかなとは思ったけれど。
 展望デッキまで登ってしまえば大丈夫。飛行機見学のお仲間がたくさんいるから、もう恥ずかしがることはない。思う存分飛行機を撮りまくればいいのさ。ここには羽田空港に観光で来ている人間を笑う者はいない。
 今日は羽田空港前編ということで、飛行機編をお送りしたい。飛行機には何の思い入れも知識もない私だけど、飛行機撮影は思いがけず楽しいものだった。時間帯が夕方から夜にかけてということもあって、なかなかいい雰囲気でもあった。

羽田空港の飛行機-2

 まずは第一ターミナルの方から。展望デッキは無料で登ることができて、飛行機見学者のための椅子なども用意されている。なかなか気が利いている、、飛行場ってやっぱり一種の観光地でもあるのだなと少し安心する。飛行場側も見学者をあらかじめ想定してるということだから。
 この日は夏休みの日曜日ということもあって、カップルや家族連れなどで賑わいを見せていた。一眼で写真を撮っている人もいたけど、それは少数派だった。本格的な写真撮りは日中ということか。

羽田空港の飛行機-3

 撮影は障害物が多くてけっこう苦しいものがある。安全対策のためのネットも、写真という点では邪魔以外の何ものでもない。ネットには撮影用と思われる穴が開けられているのだけど、その穴はレンズを入れると左右に振れないくらい小さい。バズーカ砲なら入らない。直径10センチ四方くらいだったろうか。どこまで穴を空けると危険なのかは分からないけど、せめて15センチ四方は必要だ。下のコンクリートの部分に乗って撮れる上のところにも穴を空けておいて欲しかった。
 レンズは単焦点では自由度が低すぎて飛行場では扱いづらい。デジでも300mmくらいの望遠ズームがよさそうだ。400mmクラスのレンズになると穴に入らないおそれがある。キヤノンの白レンズもここでは宝の持ち腐れになりそうだ。

羽田空港の飛行機-4

 飛行場での撮影で一番楽しいは、やはり離陸のときだろう。ふわっと浮いた瞬間を捉えられると嬉しくなる。けど、穴からののぞき見撮影なので、必要以上に難易度が上がってしまうのがもどかしい。自分の好きな位置で狙えないし、機体の種類や操縦士のクセによって離陸ポイントがかなりずれるから、あらかじめ構えた場所で浮かび上がるとは限らない。
 このときはわりとひんぱんに離陸してくれて何度かチャンスがあったけど、途中からピタリと飛ばなくなってしまった。どの滑走路を使うかとか、時間割はどうなのかなど、飛行機や飛行場に関する知識が全くないので、事情が掴めなかった。風向きによっても使う滑走路や角度が変わるのだとか。
 それでも、うまくいったりいなかったりするギャンブル的な楽しさもあって、ツレと二人ではしゃぎながら写真を撮っていた私たちは、どこからどう見てもお上りさんだったに違いない。途中からは人目も気にせず夢中になって撮っていた。

羽田空港の飛行機-5

 これはいいタイミングで撮れた。できればもっと前方から飛び立つところを撮りたかったところだけど、そんなにこちらの都合よくはいかない。もっと前の方にいくと、今度は建物の手前部分の出っ張りが障害物になってうまく撮れないのだ。
 この位置からはちょうど富士山が見える方角のはずだ。冬の晴れた日は富士山をバックに離陸する飛行機の写真が撮れるんじゃないだろうか。真冬はしかし、吹きさらしのこの場所はさぞかし寒かろう。
 羽田空港に出入りする飛行機撮影スポットは空港だけじゃない。周辺の浮島公園、京浜島つばさ公園、城南島海浜公園などでも撮れるそうだ。距離は遠くなっても障害物がなければ撮影にはよさそうだ。気合いの入った飛行機好きはそれぞれお気に入りのスポットを持っているのだろう。

羽田空港の飛行機-6

 向こうに見えているのが新しくできた第2ターミナルだ。こっちの方が見てる限り、激しく発着陸を繰り返していた。ANA、ANDO、SNAなどが入っている(第1ターミナルはJALやJTAなど)。
 どっちがどうなのか、初めて訪れたのでよく分かってないまま、今度は第2の方へ行ってみることにした。歩いていくのは距離があるから大変で、電車で行くのも面倒だ。地下にある動く歩道という手もあったのだけど、私たちはターミナル前から出ている無料巡回バスを利用した。頻繁に出てるし、飛行機を利用しない観光客も区別せずに乗せてくれるので、遠慮せず乗ってかまわない。

羽田空港の飛行機-7

 最後にもう一度挑戦して、なんとか狙ったシーンを撮ることができた。ちょっとズームしすぎて、ぎりぎりしっぽが切れたのは残念。
 この角度なら、もっとアップにして、後ろを通る東京モノレールと絡めて撮ると面白い写真になりそうだ。その両者がちょうどいい位置で出会う瞬間を捉えるためには相当粘らないといけないだろうけど。

羽田空港の飛行機-8

 第2ターミナルに移動し終えたときは、すっかり日も暮れていた。夜の飛行機撮影は、はっきり言って無理だ。50mmレンズに交換して、絞り開放f1.4でISOを800くらいにしても、この暗さではシャッタースピードが稼げない。機体を止めて写すのは不可能だろう。流し撮りするにしても1/20秒程度では現実的じゃないと思う。ツワモノなら可能なのだろうか。いずれにしても、飛行機の離陸速度はけっこう速い。
 第2ターミナルの展望デッキも、撮影事情は第1とさほど変わらない。しっかり金網が張られているし、穴の大きさも位置も同じだ。滑走路までの距離はこちらの方が少し近いかもしれない。手前の障害物も似たようなものか。一つこちらの特徴としては、ガラス張りの室内から眺められるというのがある。暑さ寒さを避けつつ見物するにはいい。
 方角は東京の臨海地域で、遠くにはお台場、葛西臨海公園、ディズニーランドがある。この日は打ち上げ花火が小さく見えた。あれはディズニーのものだっただろうか。
 オープンテラスのようなものあり、空港デートにはこちらの方が向いている。飛行機にまったく興味がない彼女でも、夜の空港というのはなかなかロマンチックだから、おすすめできる。

羽田空港の飛行機-9

 ANAのピカチュウバージョンがあった。おお、これは撮らねば。機体の知識がないので、目に付くものといえば広告ものやキャラものしかない。通の人なら、あれは747で、こっちが777、あそこには767があるぜ、なんていう楽しみ方ができるのだろう。私にはジャンボとエアバスの区別さえつかない。見分けることができるのは、プロペラ機とそうじゃない飛行機くらいのものだ。電車もそうだけど、世の中には飛行機に異常に詳しい人たちがたくさんいる。好きこそものの上手なれの言葉通り、自分が好きなものは勉強するつもりがなくても知識が身につくものだ。私も乗り物はどれも嫌いじゃないけど、そういう方向には気持ちが向かわなかった。車についても、学生時代の走り屋カーの時代で知識が止まっている。

 飛行場は面白い。想像してたよりも5倍は楽しかった。飛行機撮影は難しくもあり挑戦のしがいがあって燃えるし、ターミナルの中は一大ショッピングモールのようになっていて買い物や食事も楽しめる。空港という場所がある意味では非日常的な場所で、訪れる人たちの浮き立った気持ちが空港内に満ちていて、それが心地いいのかもしれない。高揚感が伝染する。
 成田は遠いけど、羽田なら東京都内で交通の便もいいから、東京観光のコースに組み入れるのは充分可能だ。お上りさんが観光気分で行くのも場違いではない。私が身をもって証明した。断言してもいい、羽田空港は観光地だと。
 次回はお上りさんのための羽田空港の歩き方を紹介しようと思う。ビッグバード・ターミナル編につづく。

名古屋人だけど鶴舞公園ってそんなところだったんだと初めて知った

施設/公園(Park)
名古屋市公会堂

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 今日は鶴舞公園の成り立ちについて、写真を交えながら少し書きたいと思う。
 名古屋で初めての公園として鶴舞公園が誕生したのは、明治42年(1909年)と意外にも遅かった。日本初の公園として上野恩賜公園ができたのが明治6年(1873年)、日本初の西洋式公園日比谷公園も明治36年にはできている。以前から名古屋にも公園を作って欲しいという市民の強い希望があったのに、名古屋市はそんなもの必要ないと言い張って作ろうとしなかった。しかし、翌年誘致が決まっていた第10回関西府県連合共進会(地方の博覧会のようなもの)の会場をどうするかという段になって、ようやくそれじゃあ公園でも作るかとなったのだった。
 現在にその姿をとどめている噴水塔などのモニュメントはそのときの名残だ。共進会は大成功で、当時の名古屋市民が40万人だったところへ期間中には260万人も押し寄せたという。現在の名古屋市の人口が約220万人ということを考えると、盛り上がりは相当なものだったようだ。ちなみに、愛知万博の入場者数は約2,200万人だった。
 この場所が選ばれたのは、ちょうど堀川(当時の精進川)の整備をしていて、そこで大量の土砂が出たもんだから、ここの沼地をその土で埋めてしまえば一挙両得と名古屋市が考えたからだ。ケチな名古屋市らしい発想だ。名古屋人は「お得」とか「お値打ち」とかいう言葉に極端に弱い人種だと言われている。
 全体の設計を本多静六と鈴木禎次が、日本庭園を村瀬玄中と松尾宗五がそれぞれ担当した。
 共進会終了後は市民公園として開放される一方、動物園も作られることになった。これが東山動物園の前身で、のちに手狭になったということで現在の東山に移っていった(1937年)。
 鶴舞公園の正式名称は「つるま公園」という。これ、名古屋人の常識、他県民の非常識。もともとここの地名が鶴舞だったわけではなく、「水が流れるところ」という意味で、つるま公園と名付けられた。それが鶴舞の字を当てるようになって、公園に隣接する駅を作るとき、旧鉄道院が間違えて「つるまい駅」としてしまったため、混乱が生まれることとなった。旧鉄道院は、秋葉原も本来「あきばはら」だったのを間違えて「あきはばら」と読んでしまったという間抜けなことをしている(それまではあきばっぱらなどとも呼ばれていて、だから現在のようにアキバと略すのは正しい略語だったりする)。この混乱は現在まで続き、公園は「つるま」で、駅は「つるまい」、町名も「つるまい」で、小学校は「つるま」などというややこしいことになっている。「大須ういろ」と「青柳ういろう」の争いみたいになっているのだ。

 上の写真は、公園の北にある名古屋市公会堂だ。昭和天皇の成婚記念として昭和5年に建てられた。茶色のタイル張りで、なかなかレトロな雰囲気を持っている。
 戦中は陸軍の司令部が置かれ、戦後は進駐軍に奪われた。昭和31年(1956年)に日本に返還されるまで、戦後11年間も連合軍兵士専用の劇場として使われていたのだった。戦後というのは私たちが思っている以上に長く続いたらしい。
 公園の西には鶴舞図書館が、南には愛知県勤労開館が隣接している。
 そのほか、陸上競技場、野球場、テニスコート、グリーンプラザなどの施設があり、鶴舞小学校は公園の敷地内に建っている。そのすぐ横に東海地方最大規模の円墳、八幡山古墳(直径82メートル、高さ10メートル、外側幅10メートル)があるというロケーションもなかなかすごいものがある。



噴水塔

 共進会のとき、正面玄関を飾った噴水塔が今も残されている。設計は鈴木禎次で、外国文化に強い憧れを持っていた明治時代を象徴するような和洋折衷デザインになっている。当時の名古屋人にはすごくモダンに見えたことだろう。
 昭和48年に、地下鉄鶴舞線を走らせる工事をする際、一時的に解体撤去されたものの、地下鉄完成後の昭和52年に復元された。古い建築物の価値としては公園の中でこれが一番高いといえそうだ。



奏楽堂と夕焼け

 これはデジタル写真。こうして並べてみるとあらためてフィルムとデジタルの画質の違いを思い知る。
 これは奏楽堂。共進会のときには、ここで多くの演奏会が開かれたそうだ。これも設計は鈴木禎次が担当した。ただし、オリジナルはもうない。老朽化が進んでいたところへ昭和9年の室戸台風が直撃して砕け散ってしまった。
 二代目は間に合わせのように昭和12年に再建されたのだけど、これも平成7年には古くなって解体撤去された(二代目は設計者不明)。現在のものは、平成9年にオリジナルのデザインを再現して建てたものだ。新しいものだから存在としての迫力はないものの、見た目の雰囲気はある。
 今でもここで音楽会などが開かれたりするようだ。



鶴々亭

 もう一度フィルムに戻って鶴々亭。昭和3年(1928年)に開かれた御大典奏祝名古屋博覧会のときに名古屋材木商工会が出品した茶席で、そのまま寄贈された。見本市ということで、高級材木がふんだんに使われているらしい。
 現在は予約制で市民も使えるお茶室となっている。ただし、お茶会と俳句のみしか許されていない。宴会などもってのほか、家族でお弁当を食べるために借りてももちろんいけない。なかなか条件が厳しいのだ。



蓮池

 胡蝶ヶ池の北側は夏場は蓮池になる。夕方ではこの通り、開いている花もないけど、朝っぱらは大勢の見物客とカメラを持った人で賑わうそうだ。
 これも共進会のときに作られた池で、鈴菜橋で仕切られて蝶が羽根を広げたような形をしているところから、そう名付けられた。南側は回遊式日本庭園になっている。
 鈴菜橋は当時、木造の太鼓橋だったのが、戦後の改修工事のときに鉄筋コンクリートのものに架け替えられた。
 この東にもう一つ、龍ヶ池(竜ヶ池)という池がある。公園になる前はこのあたり一体は田園地帯で、灌漑用水路をせき止めて作ったのが龍ヶ池だ。今は誰も乗らないボート池となっている(桜の季節なんかは乗ってる人もいるのかもしれない)。ボートは朽ち果てそうな風情で、池の水は落ちて飲んだら大変なことになりそうな色をしている。



バラ園と銅像

 桜の名所として有名な鶴舞公園だけど、四季折々の花がいろいろ咲いていて、彩りを添えている。バラの花壇もそこそこ充実していて、シーズン中は楽しむことができる。



菖蒲園

 これもデジ写真。PENTAX SPのフィルムがダメになったとき、予備のためデジ撮りしておいた一枚だ。
 花菖蒲園もここの名物の一つで、5月下旬から6月にかけてそれなりに賑わう。なかなか珍しい品種もあるそうだ。
 もともとは大正時代に作られたもので、戦争中は芋畑になっていたそうだ。食うのに困っているときは花を愛でる心の余裕など持てない。ハスはレンコンになるからいいんだけど。現在の姿は、戦後になって再現されたものだ。



紫陽花と西日

 アジサイもずいぶん遠い日の出来事になってしまった。6月といえばまだ2ヶ月前なのに。いや、もう2ヶ月というべきか。
 遊歩道に沿ってアジサイがずっと植えられているので、公園を横切るだけの人たちの目も楽しませている。

 こうしてあらためて鶴舞公園を見てみると、なかなか魅力的な公園ではないかと思い直した。明治から続く歴史に思いを馳せながら四季の花を楽しめる公園なんてのは、名古屋にはほとんどない。今回これを書くに当たって勉強して、初めて噴水塔や奏楽堂の意味や価値を知った。戦争中のことを考えても、そういうことがあったんだなぁと感慨深い。いつもザワザワしてるとか、トイレが汚いとか、駐車場が有料(30分180円)だとか、不満なところもあるけど、いいところを見ながらこれからもつき合っていくことにしよう。何しろ私はまだ鶴舞公園の桜を見たことがないのだ。そんなのは名古屋人のモグリと言われても仕方がない。来年はちゃんと見に行かないと。ここは夜桜の名所でもある。
 

フィルムカメラで夏の暑苦しい鶴舞公園の空気をスケッチ

施設/公園(Park)
鶴舞公園スケッチ-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 1909年(明治42年)に名古屋の公園第一号として鶴舞公園(つるまこうえん)は誕生した。名古屋では桜の名所としてよく知られている。私は長年名古屋に住みながら、おととし初めて訪れた。それから都合3回行っているのだけど、なんとなく居心地が良くない。人と場所にもそれぞれの波長のようなものがあって、相性の良し悪しが存在する。鶴舞公園と私は、シンクロ率が低い。どちらが悪いというわけではなく。
 二度目のとき、PENTAX SPでフィルム写真を撮った。36枚撮り切って、巻き戻そうとしたらフィルムが切れて写真が全部消えた。カメラの巻き戻し部分が壊れていたのだった。相性の悪さがこんなところでも出る。
 そのままでは悔しいから、もう一度フィルムで写真を撮りに行った。今度はNikonのF-801を持って、7月の終わりに。あれからひと月近く経ってしまったけど、ようやく鶴舞公園を紹介できることになった。フィルム写真ということで思い出っぽくていい。
 枚数が多くなったので、2回に分けることにした。1回目の今日は鶴舞公園スケッチ編で、鶴舞公園の成り立ちなどについては明日の2回目で詳しく書くことにする。写真点描で鶴舞公園が持っている空気感が伝わるといいのだけど。
 まずはJR中央本線の鶴舞駅(つるまいえき)の前から出発しよう。ここが公園の西玄関ということになる。

鶴舞公園スケッチ-2

 北の玄関口はこちら、名古屋市公会堂がある方だ。駐車場がこちらなので、車で訪れる人はこっちの方が馴染み深いだろう。
 入ってすぐに噴水塔がある。カップルの女の子が池に手をつっこんで魚をつかみ取りしていた(ニセ情報)。

鶴舞公園スケッチ-3

 これも鶴舞公園のシンボルの一つ、奏楽堂(そうがくどう)だ。フィルムで撮ると、自転車に乗った女の子が女学生といった風情になる。昭和の映画のワンシーンみたいだ。

鶴舞公園スケッチ-4

 この公園は、街中のにあって、駅に近く、住宅地に囲まれて、周りに学校が多いという立地条件のため、客層が非常に幅広くて雑多という特徴がある。夕方ともなると、学校帰りの学生の集団、ちびっ子ども、駅利用の勤め人、近所の散歩人、カップル、リタイアした人たち、お年寄り、ホームレスなど、様々な人種が入り乱れる。それで異人種同士の波長がぶつかり合って、ザワザワした感じで落ち着かないのだろう。私が公園を訪れる目的は主に写真を撮ることだから、どうもリズムが合わないと感じるのはそのあたりに原因がありそうだ。
 ただ、公園のはずれまで行くと、人通りの少ない静かなところがあちこちにあって、カップルやおじさんたちがのんびり過ごしてる姿を見ることができる。いろんな顔を持った公園という言い方もできるだろう。

鶴舞公園スケッチ-5

 ヤングカップルとハトの群れ。
 胡蝶ヶ池の南には、朝日新聞社寄贈の鶴の噴水がある。
 鶴舞という名前だけど、もちろん、鶴が舞ったりはしていない。

鶴舞公園スケッチ-6

 この公園は暇なおじさんたちの憩いの場となっていて、よく将棋や囲碁、麻雀なんかをしているのを見かける。名古屋ではこういう光景は珍しい。ここだけは妙に関西っぽい。東京でも野外の公園で将棋を指してるおじさんたちは見たことがない。

鶴舞公園スケッチ-7

 野良猫がたくさんいる公園はいい公園という定義が私の中にある。世知辛い都会の公園でノラが生きていけるということは、地域住人で世話をする人がいて、それを容認してるということだ。猫だって生きてるんだし、少しくらい迷惑をかけるのはお互い様だ。好き嫌いは別にして、猫くらいはのんびり暮らせる街であって欲しいと思う。野犬のように人を襲ったりするわけでもないのだし。
 まだ子供だけど、外国猫の血が入ったきれいな猫だった。目がブルーで。このときはカリカリを持っていくのを忘れていてあげることができなかった。すまん。これで反省して、次の日からは散策のときは常にカリカリを持参している。気休めでも一食おごることは無駄じゃないと思いたい。

鶴舞公園スケッチ-8

 カメさん、ベストポジションを独り占めして、どうだといわんばかりだ。

鶴舞公園スケッチ-9

 夕方、長く伸びた影をセルフポートレート。
 こういう写真を見ると、やっぱりフィルムの味って捨てがたいなと思う。同じシーンをデジタルで撮っていたら、全然違う雰囲気になっていたはずだ。フィルムにはなんというか、温度がある。夏は暑苦しく、冬は寒々しい空気まで写し込むのがフィルムの特質だ。非リアルタイムという決定的なマイナス要素が致命的にならない時と場所を選んで、これからも使っていきたい。

 次回、鶴舞公園の由来と歴史編につづく。

自分の料理を作るということが趣味としてのサンデー料理

食べ物(Food)
洋食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/25s(絞り優先)



 今日は洋食を食べたい気分だった。私のサンデー料理の気分を大きく分けると、和食を食べたいとき、フランス料理を作りたいとき、洋食を食べたいとき、たまには中華もいいかというとき、その他変わったものを作りたいとき、とだいたいこのパターンに分類される。料理を始めた頃は何を作りたいかが最優先事項だったけど、この頃は食べたさの占める割合が大きくなってきた。それだけ作るということに関して余裕が出てきたということだろう。
 そんな中で今日は洋食気分だった。しかし、結果的に当初の気分はどこかへ置き去られて、正体不明の料理になってしまった。上の写真を見てもらえば分かる通り。名古屋から東京へ向かったはずが気づけば富山県に出ていたというくらいのズレを見せた。いったい、ここはどこですか? アレンジにアレンジを加えていたら、どんどん洋食から離れていってしまったのだった。もはや洋食崩れという体もなしていない。作っている途中から、こりゃあ道が違うぞと気づいてはいたのだけど、もう引き返すことができなかった。この料理を洋食だといってだませるのは小学三年までだ。小四なら、これは洋食じゃないやいと見破られてしまう。最近の私の料理は国籍不明となっている。迷子の料理人だ。

 最初の予定では、ハンバーグとプレーンオムレツと白身魚の団子を作るはずだった。信じられないと思うけど、実際そうだったのだ。思惑通りにいかないのは人生も料理も同じらしい。
 ハンバーグになるはずだったものは手前の緑色のものではなく、左奥のものだ。お好み焼きの出来損ないに大量のマヨネーズがかかっているように見えるかもしれないけど、そうじゃない。これがハンバーグのなれの果てだ。
 名付けるとすれば、「絹ごしフワフワ豆腐ハンバーグのタルタルソース掛け」といったところか。作り方はこうだ。
 まずは絹ごし豆腐をペーパーでくるんでレンジで加熱して熱を飛ばす。それをボウルに入れて適当に砕き、白身魚、刻みタマネギ、とろけるチーズ、カタクリ粉、卵、パン粉を混ぜあわせる。通常のハンバーグならここでこねて形を整えるところだけど、絹ごし豆腐でやわやわなのでそれができない。なので、このままフライパンに流し込んで焼く。質感も食感もお好み焼きっぽいものの、これはこれでけっこう美味しい。とてもヘルシーでもある。もっとしっかり味が欲しければ挽肉を加えてもいい。
 ソースは、マヨネーズ、ゆで卵、刻みタマネギ、パセリ、塩、コショウ、ヨーグルト、レモン汁でタルタルソースを作った。しょう油やカラシなどを加えてもいい。

 右奥のプレーンオムレツは、プレーン度が足りずにやや不満の残るものとなった。卵をあまりかき混ぜすぎず、塩、コショウ少々、牛乳を混ぜ入れ、バターを敷いたフライパンで、よく動かしながら焼いて、半分に折りたたんだらバターを加えて、手早く焼き上げて完成となる。はずだった。少し焼きすぎたようだ。これは加減がすべてだから、かえって難しい。
 トッピングとして小エビとしめじの炒め物をのせて、ソースはいつものようにトマトソースを作ってかけた。
 味としては問題ない。体裁を気にしなければ、エビやキノコも一緒に加えてスクランブルエッグのようにしてしまった方が手間がかからず早い。

 手前の緑のものは途中から自分でも何を作ってるかよく分からなくなった正体不明の料理だ。
 なんとなくイメージだけで白身魚とほうれん草を混ぜあわせて団子にしてみようというのがあって、まずはそこまで手順を踏んでみた。けど、そのままではパサパサなので小麦粉を混ぜた。これでお湯の中に落としたら茹で団子になるだろうかと思って、試しに小さく丸めて湯の中に投入したところ、あっという間に分解してどこかへいってしまった。こりゃいけない。
 気を取り直してジャガイモを加えてみることにする。小さく切ってお湯で茹でたあと、砕いて混ぜ込んだ。これでけっこう団子のタネっぽくはなかった。まだ寂しい気がして、シラスも入れてみた。特に意味はない。これでもお湯に入れたら砕け散りそうだったので、仕方なく焼くことにした。そしてできたのがグロテスクな緑のハンバーグ風の料理だったというわけだ。子供が泣いて逃げそう。
 味付けもどうしていいのかよく分からないまま、コンソメの素をお湯とオリーブオイルで溶いたものをかけてみた。
 おっかなびっくり食べてみると、これが意外と美味しい。ジャガイモの少しくちゃっとした感じも嬉しい食感につながっている。これは結果オーライで成功だったんじゃないか。誰も食べたことがないであろうオリジナルの料理にもなった。失敗は成功の母とはこのことか。
 見た目をもう少しなんとかして、グリーンソースの上に浮かべたりしたら、けっこうしゃれた料理になりそうではないか。今度、これをもっと発展させたやつを作ってみよう。

 予定通りに事が運ぶことはもちろんいいことだけど、予定外の事が起きて思いがけないところに自分が運ばれるのも、それはそれで楽しいものだ。私は好きだ。ドライブでも見知らぬところへ行って、現地で迷って泣きそうになることがあるけど、それだって嫌いじゃない。偶然の発見や出会いこそが旅の醍醐味であり、それは人生にも通じるものだと思っているから。
 料理というのも、無謀な挑戦や失敗や偶然から生まれることが多い。たくさんの食材の中から無限の組み合わせがあるというのは、音楽と同じようなものだ。同じ曲が2曲とないように、同じ料理というのもない。料理を作るというのは二通りの意味があって、人が考えた料理を真似て作るということと、自分が料理を創作するという意味での作るということがある。人が作った曲を弾くのも楽しいけど、自分が曲を作れたらもっと楽しい。料理もそうだろう。レシピ通りに作っているだけでは面白くない。
 今後もいろいろトンチンカンなチャレンジをしていこう。その中で自分独自の料理もできてくるはずだ。誰も名前を知らない料理をたくさん作れるというのはちょっとした自慢になる。美味しいかどうかはともかくとして。
 題名のないサンデー料理会は今後もまだまだ続いていくのであった。

動物園の脇役動物たちはときに主役以上に魅力的だ

動物(Animal)
脇役動物たち-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/25s(絞り優先)



 動物園では、キリン、象、ライオンといったメジャー動物の他にも、個性豊かな脇役陣が様々な味付けをして彩りを添えて私たちを出迎えてくれる。それらはときに脇に徹し、ときに主役を食ったりしつつ、さりげなく存在感を示す。今日はそんな脇役動物たちにスポットを当ててみることにしよう。
 たとえばこのカピバラさん。一般にはあまり知られてない動物ではあるが、動物園好きの中ではファンが多い。真っ先にカピバラのところへ行って癒されるというカピバラ好きもいるという。確かにカピバラには人の気持ちを和ませる魅力を持っていて、私も好きだ。大ネズミでありながらなんとも愛嬌があるのだ。
 和名をオニテンジクネズミという。鬼のように恐いというのではなく、鬼のように大きいという意味で付けられたのだろう。テンジクネズミといえばモルモットの和名だから、大きなモルモットといったところか。
 南米のアマゾン川流域にすむ世界一大きなネズミで、最大で130センチ、65キロくらいになる。ぽっちゃりした小学生くらいのネズミといえばいかに大きいかが分かるだろう。
 特徴としては泳ぎが上手いというのがある。手足の指の間に水かきがついていて、器用に泳ぐことができる。アマゾンは敵がいっぱいで危険だから、泳いだり水中に潜ったりして逃げなければならない。
 NKH大河ドラマ「風林火山」の武田信玄をやっている市川亀治郎がカピバラに似ているともっぱらの評判だ。

脇役動物たち-2

 変な位置で黒と灰色のツートンカラーなのは、マレーバク。どうしてこの位置でツートンカラーになったしまったのか、何度見ても不思議で笑える。チビの頃はイノシシの子供のようなうり坊姿をしているというのも面白い。東山で春に生まれたチビも、すっかり大人の配色になっていた。
 バクというのは非常に原始的な動物で、200万年くらい前にはすでにこんな姿をしていたと言われている。主な生息地は南米で、マレーバクだけが東南アジアにすんでいる。
 中途半端に長い鼻(吻)からゾウに近い生き物と思わせて、動物学的にはサイなどに近いとされている。純然たる陸生生物ではなく、泳ぎが得意で水陸両用の生活を送っている。

脇役動物たち-3

 これは非常に珍しいドールシープというヒツジの仲間で、日本では東山動物園にしかいない。
 アラスカからカナダにかけての切り立った断崖で暮らしている。立派な角を持っていても平和主義者で、暴れん坊の動物がいない山岳地帯で家族と一緒に静かな生活を送ることを選んだ。とはいえ、発情期になるとオス同士がこの角で頭突き争いをしてメスを賭けた勝負をする。勝った方は家族を持てて、負ければ持てない。平和主義なだけでは生き残れないのが自然の厳しさだ。

脇役動物たち-4

 白い体にピンクに染まった顔がなんとなく色っぽい、アルパカさん。
 南米アンデス山の標高4000メートルの高地で生活する彼らだから、暖かい毛に全身が覆われている。高級生地アルパカはアルパカさんの毛から作られている。
 名古屋の夏はこの高級毛がむしろあだとなる。さぞかし暑いことだろう。夕方になってもまったりとして動かなかった。東山動物園でも毛を刈ってやればいいのに。そうすれば彼らも多少は涼しくなるし、東山としても毛を売って儲けることができる。毛を刈られたアルパカさんの姿はちょっと情けないのだけれど。

脇役動物たち-5

 トナカイといえばサンタクロースのソリを引く動物として日本でもすっかりお馴染みだけど、実物のトナカイというと意外と馴染みがない。実物を見たことがないという人も多いんじゃないか。
 ユーラシア大陸や北アメリカの寒冷地では古くから家畜として人々の生活の近いところにいた。乳や肉の他、荷物運びのソリ引きとしても活躍した。その流れでサンタクロースのソリを引くことになった。
 寒冷地仕様の動物ということで、日本で家畜として導入されなかった。一般家庭や農家で飼っているところはほとんどないと思う(北海道にトナカイ牧場があるそうだけど)。飼ってみればなかなか役に立ってくれる頼もしい相棒になるようだ。

脇役動物たち-6

 アザラシなんてのはもともと動物園の脇役で、さして注目の存在ではなかった。それを一躍人気者の地位に押し上げたのは、やはりなんといっても『少年アシベ』や『コマゴマ』だろう。ゴマちゃんがアザラシの一般的な知名度を上げた。近年では多摩川や鶴見川に迷い込んでアザラシブームまで作ったアゴヒゲアザラシのタマちゃんの存在も大きい。動物園でもアザラシを見ると反射的にタマちゃんだと言ってしまう人は多い。写真のやつはゴマフアザラシなんだけど。
 アザラシは冬の間、流氷に乗ってオホーツク海を漂流している。生まれたての子供は真っ白の毛に覆われていて、とにかくかわいらしい。野生の赤ちゃんアザラシを見学するツアーなんかもあって、写真を撮りたいと思っている人も多いことだろう。

脇役動物たち-7

 私は猫派なので犬に対してはさほど思い入れはないのだけど、オオカミに対しては相当強い思いがある。オオカミが好きというよりも、オオカミには何か近いものを感じるのだ。たとえば前世で共に暮らしていたような、そんな感覚だ。だから、絶滅したとされるオオカミのことを思うと、飼っていた猫が家出してしまって今もどこかで生きているのではないかと思いを巡らすような、そんな感じがしてならない。
 上の写真は北アメリカに生息するシンリンオオカミだ。こいつはそんなにぐぐっとはこないのだけど、それでも長い間見てしまった。犬といえば犬だけど、違うといえば断然違う。
 ニホンオオカミが最後に目撃されてから100年近い歳月が流れてしまった。今でも山奥のどこかでひそかに生き延びていると思いたいけど、やっぱりもういなくなってしまったのだろうか。もし、生きているニホンオオカミが見つかったとしたら、それは私にとって最大級に嬉しいニュースとなる。

脇役動物たち-8

 孫悟空のモデルとなった猿だと言われたり、いやそうじゃないんだと言われたりするキンシコウ。
 中国やチベットの山奥に生息していて、世界で最も寒い地域に暮らす猿としても有名だ。氷点下でも生きていける。だから名古屋の夏は暑すぎて、なかなか外に出てきてくれない。中国から預かっている貴重なキンシコウだから、いつもクーラーの効いた部屋で大事にされているのだ。
 日中共同研究の繁殖計画ということで日本の動物園にいるので、いずれは返還されることになる。東山でも何頭か子供が生まれている。前に見たチビはだいぶ大きくなって、またあらたに小さいのが暴れ回っていた。そのうちに見られなくなりそうだから、一度くらいは外の運動場で駆け回っている姿を写真に撮っておきたい。

 東山動物園の生き物たちも、だいたい見たと思う。鳥などの細かいところや、すっこんでいてなかなか出てこないもので見落としてるものが少しありそうだけど、ほぼ見るには見たはずだ。去年から今年にかけて5、6回行ったから。ただ、写真となるとまだ撮れてないものがたくさんある。金網の状況が悪いところが多くて、撮りたくても撮れないところもあるし、自然動物館もまだ撮れてないものが多い。
 そろそろ年間パスポートを買うべきなのかもしれないと思い始めた。通常の入場料が500円で、年間パスポートが2,000円だから、年に5回行けば得になる。パスポートがあれば、閉園まで1時間なんてときでもふらりと立ち寄ることもできる。
 今回の東山ナイトZOO編はこれで終わりとなる。また来月あたり行って、たくさん写真を撮ってこよう。ミニバズーカ砲も手ぶれ補正のおかげで失敗確率がかなり減った。次は200mmも持参して、万全の態勢で臨みたい。9月になれば少しも涼しくなって、動物たちも元気を取り戻すだろう。

いつか鳥たちが空を飛べる動物園ができることを願って

動物(Animal)
東山の鳥たち-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先)



 動物園と鳥というのはイメージとしてあまり結びつかないものだけど、実は動物園にはたくさんの鳥がいる。東山にも、外国の珍しいものから日本でお馴染みのもの、大きいやつから小さいやつまで、数十種類の鳥が飼育展示されている。今日はそんな鳥たちの中から、たまたま目について撮った写真を紹介しようと思う。
 今回は300mmの単焦点望遠レンズということで、必然的に顔のアップが多くなっている。ズームレンズじゃないと動物園では扱いづらいのだけど、不自由さが普段と違う写真を撮らせてくれることもあるから、これはこれで楽しかった。ただ、Takumarのミニバズーカ砲300mm F4は、最短焦点距離が5.5メートルという致命的ともいえる難点があって、これはやっかいだった。鳥舎などはゲージの近くまで寄れるから、なるべく近づいて撮るのが普通なのに、私の場合は5.5メートル離れなければならない。バックオーライ、バックオーラと下がっていって、しまいには通路を隔てた反対側で撮らなければならないなんてこともあった。鳥かごから5.5メートル離れたところからバズーカ砲で鳥を狙ってる男ってヘンだ。当然の道行く人はそんな私をけげんそうに見ながら過ぎていった。私としては、このレンズは5.5メートル離れないと撮れないんですよ、てへへ、などといちいち説明したかったのだけど、そんなことを言われた方も困ってしまうから、ここはぐっと我慢して好奇の視線に耐えた。これらの写真はそんな苦労の結晶なのだ(大げさな)。

 最初は、ベニイロフラミンゴ。鮮やかな赤い体色が、光と影のコントラストに中に浮かび上がっていた。みんな揃って身繕いに夢中だ。
 子供の頃、うちの近所に「喫茶フラミンゴ」というのがあって、よく父親に連れていってもらった。窓から中庭で飼っているフラミンゴが見える店で、私のお気に入りだったのだ。そこでいつも飲んでいた緑色をしたクリームソーダを今でもよく覚えている。東山でフラミンゴを見ると、あのときの味がよみがえる。

東山の鳥たち-2

 タンチョウといえば、ドラマ「池中玄太80キロ」だ。西田敏行演じるカメラマンが丹頂鶴に魅せられて、北海道の鶴居村でタンチョウの求愛ダンスを夢中で撮りまくるというシーンが出てきた。あれはいいドラマだったし、タンチョウの撮影シーンも感動的で、強く印象に残っている。
 動物園でのタンチョウは、狭いカゴの中ですっかり精彩を失っている。本当は大空を飛び、真冬のもやの中でダンスを踊り、夕陽を浴びているはずなのに。
 動物園でしか見られないような鳥もたくさんいて、見られるのはいいことなのだけど、カゴの中の鳥というのは現実的にも象徴的にも、見ていて少しつらいものがある。鳥は空を飛んでこそ鳥だから。
 オシドリなんてのは、おしどり夫婦とは名ばかりで、実際は毎年相手を変える浮気性の鳥だけど、おしどり夫婦という言葉はこのタンチョウにこそふさわしい。タンチョウは一度決めた相手と生涯寄り添って生きる。決して別れない。だからきっと、愛の求愛ダンスがあんなにも美しいのだ。

東山の鳥たち-3

 この顔を見て、死神博士の天本英世を思い出した。ハゲた頭に長い白髪、血走った目は、どこから見ても悪の親玉面だ。
 アネハヅル(姉羽鶴)は、世界で最も高い空を飛ぶ鳥の一つで、アジアで繁殖をして、冬になるとヒマラヤ山脈を越えてインドやアフリカに渡る。時々日本にも迷い込んできてニュースになる。
 ツルの中では最小で、普通のツルの半分くらいの大きさしかない。そんな小さな体で8,000メートルの山々を越えるというからすごいもんだ。
 じっと遠くを見ていたのは、ヒマラヤの上を飛んでいるところを思い出していたんだろうか。

東山の鳥たち-4

 ハクトウワシを神聖化していたアメリカの先住民が動物園に来たら、この姿を見て嘆くことだろう。神様の使いを檻に閉じこめて何事かと。
 現代のアメリカ人のハクトウワシに対する思い入れはどの程度なんだろう。アメリカの国鳥になっていることさえ知らない人が多いのかもしれない。日本の国鳥がキジだということを意識しながら暮らしている日本人だってほとんどいないから、アメリカも同じようなものなんだろう。
 当のハクトウワシは長い動物園生活でも眼光の鋭さは失っていない。これが野生の誇りというものか。

東山の鳥たち-5

 こいつは確か、コサンケイというやつだったと思う。ベトナムの森林にすむ、キジの仲間だ。
 ベトナム戦争で多くの森林が燃えて、数を大きく減らしてしまい、野生のものは絶滅の危機に瀕している。遠くを見つめるまなざしは、故郷の仲間たちを心配しているようにも見えた。

東山の鳥たち-6

 8月2日に東山動物園で一つの事故があった。1日に新しくキリン舎の担当になった女性飼育員がダチョウに蹴られて頭蓋骨骨折の大けがをしてしまったのだ。
 キリン舎の広い運動場には6頭のキリンの他に、2頭のダチョウも放し飼いにされている。飼育員が掃除をしていると、ダチョウが突っ込んできて慌てて逃げようとしたところ、尻餅をついてしまい、そこへダチョウキックが頭に炸裂したのだという。ナガブチばりのキックだったのだろう。
 その張本人はこいつかもしれない。2頭は何事もなかったかのように、今日も元気に走り回っていた。

東山の鳥たち-7

 飛べない鳥ペンギンは、空の代わりに海で飛ぶことにした。水中で泳ぐ姿はまさに飛んでいるという形容がふさわしい。地上のヨタヨタ歩きも、海で飛ぶことを思えば苦にならない。
 しかし、自然というのはすごいものだ。海から進化して地上に出てきた生き物がまた海へ戻っていくという進化さえも見せるのだから。
 ペンギンは触りたいと思う。私はそれほど触りたがり屋ではないのだけど、ペンギンだけは触ってみたいという思いが強い。「志摩マリンランド」でペンギンタッチという夏季限定のイベントがあるそうだけど、9月2日までということで今年は無理そうだ。いつかどこかでペンギンにお触りしてみたい。

東山の鳥たち-8

 空を自由に飛べる野生の鳥にとっては、動物園というのは魅力的な場所で自ら飛び込んでくる。カゴの中の鳥は外へ出たがりカゴの外の鳥は中に入りたがると結婚をたとえて言ったのは誰だったか、あれと同じだ。
 チリーフラミンゴがいる古代池あたりには、カルガモやらカラスやらカワウやらハトやらが入り乱れていて雑然としていた。本来の住人であるモモイロペリカンなんかは隅っこの方に追いやられていて気の毒なほどだ。
 仲間がいる気安さと、エサがあるから、好きこのんでやって来るのだろう。冬場になると渡りのカモたちでますます賑わうことになる。

東山の鳥たち-9

 東山動物園のボートに乗ったカップルは必ず別れるという都市伝説を知らない名古屋人はたぶんいない。昔から言われ続けている話だ。けど、ここのボートに乗るカップルといえば、たいていは中学生か高校生くらいのもので、そこで知り合ったカップルが結婚までいく確率は相当低いわけで、結果的に分かれるというのは当たり前の話だ。だから、名古屋の若者たちは恐れずにデートで乗ってもらいたいと思う。じゃあ、おまえが乗ってみろよとあなたは言うだろうか。いやいや、私は乗らないですよ。私はチャレンジャーじゃないし、若者でもないから。

 幸せな動物園の形というものを考えてみる。そんなものは存在し得ないかもしれないけど、理想のないところに幸せの実現はないのだから、考えてみることは無駄じゃない。
 たとえばサファリパークというのは一つの理想の形だろう。けど、あれは規模が大きくなりすぎて、街中では実現が難しい。
 私が考えるに、まず全体を透明なドーム場にするところから始める。そして、飼育している動物を人間が見るのではなく、動物の暮らすところに人間が観察するための通路やスペースを作る。まず動物のための生息環境を作って、人間をゲストにするわけだ。
 旭山動物園の成功はそこにあわったわけだし、日本モンキーパークなんかでもある程度できている。今ある動物園を手直しするくらいでは無理な話だけど、近いうちに大改修することが決まっている東山動物園には期待をしたい。一から発想を変えて設計し直せば、ある程度は動物主体の動物園にできるんじゃないだろうか。
 生き物たちがいかに野生の姿を垣間見せてくれるかが、子供たちにとっても大切な教育にもなる。寝ているだけのライオンを見たらライオンってあんなものかと思ってしまうし、飛べない鳥が感動を与えることはない。動物園というのは命を閉じこめておくところではなく、命が輝くところであって欲しいと私は願っている。

誰の関心を引かなくても田舎の夏に花は咲く

花/植物(Flower/plant)
田舎の花たち-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/320s(絞り優先)



 普段は朝っぱらから散策するなんてことがめったにないから、夏といえどもしっかり咲いているアサガオを見る機会はほどんどない。私にとってアサガオ写真を撮ることは、簡単なようで難しい課題だったりする。けど、田舎の朝は早いから、否が応でもたたき起こされてしまい、高校野球を観ることくらいしかやることがなくて、午前中からふらりと出かけることになる。おかげでこの夏初めて、アサガオ写真を撮ることができた。
 昔はどこの家でもよくアサガオを植えていたものだけど、最近は少なくなった。街中ではもちろん、田舎でもどこでもここでも咲かせているというわけではない。
 夏休みの自由研究といえば、男の子は昆虫採集、女の子はアサガオの観察と相場が決まっていた。最近はどうなんだろう。今はいろんな小道具や情報があふれてるから、そんな古典的なことをする子供は少なくなっただろうか。ネットからなんでも好きなネタを集めることもできる。
 今ふと思ったけど、このブログは自由研究に近いかもしれない。フィールドワークとして歩きながら写真を撮って、帰ってきて調べて、書いてまとめて提出するというスタイルだから。知らない間に私は毎日自由研究をしていたのか。昔は夏休みの宿題なんて面倒でやってられないと思ったけど、今ならクラス全員の自由研究と読書感想文を代わりにやってあげてもいいくらいだ。40日あれば40人分はできる。

 アサガオは江戸時代に入ってから品種改良が盛んになって、現代に至るまで多くの品種と愛好家を生み出した。もともとは奈良時代に(平安時代という説も)遣唐使が中国から種を薬として持ち帰ったのが始まりとされている。
 幻のバラといえば青いバラだけど、幻のアサガオといえば黄色いアサガオのことを指す。江戸時代には薄黄色のきれいなアサガオがあったと言われている。今はきちんと系統立ったものはないそうだ。そういえば黄色いアサガオは見たことがない。私は薄いブルーのアサガオが一番好きだ。

田舎の花たち-2

 サルスベリも夏を代表する花の一つだ。暑い時期にショッキングピンクの花はよく目立つ。
 江戸時代の始めに中国南部から入ってきた。暖かい地方の花らしく、日本でも夏に好んで咲く。
 サルスベリというのは、木の幹がツルツルでサルでも滑りそうだということでつけられた。だから猿滑りと表記する場合もある。ただ、一般的には百日紅と書く。7月から9月にかけて100日間も咲いている紅色の花というところからきている。白花もよく見かける。

田舎の花たち-3

 丹生大師の池は夏空を映し、鯉が泳ぎ、咲き残ったスイレンの姿がポツリポツリとあった。ここには亀もたくさんいたはずだ。トンボたちも飛び交って、水面に卵を産み付けていた。
 子供の頃、ここでよく鯉にかっぱえびせんをやったのを覚えている。今考えると、かっぱえびせんは鯉にも池にもよくないだろうと思うけど、自分が食べるついでにあげたかっただけで、鯉のために家から食パンを持ってきてあげようとかそういうことではなかった。ベビースターラーメンとかもあげたかもしれない。

田舎の花たち-4

 今年もホテイアオイの池のわきにポツリとタカサゴユリ(高砂百合)が咲いていた。去年までは確か数本だったんじゃなかったか。今年は一本だった。
 このユリだけは高嶺の花という品格はない。見た目もそうだし、雑草のようにどこにでも咲くたくましさがササユリやオニユリなどとは違う。伊勢自動車道の両脇にたくさん咲いているのもありがたみがない。種が風に乗って遠くまで広がって、排気ガスにも相当強いようだ。
 もともとは台湾原産で、今は日本の帰化植物となった。高砂は台湾の原産地の地名だ。
 沖縄などに咲くテッポウユリは大柄ながらもっと品がある。

田舎の花たち-5

 キツネノカミソリはヒガンバナ科ということで、ヒガンバナと同じく、花の時期は葉っぱがない。地面から唐突に突き出た茎の先に3、4個の花をつける。
 名前はキツネを連想させる花色と、葉っぱの形が昔の剃刀に似ているところからきている。
 お盆頃から9月にかけて、山辺の林のやや暗いところで咲いている。街中ではまず見かけない花になった。

田舎の花たち-6

 キツネつながりで、こちらはキツネノマゴ。小さい花だから、キツネのゴマと間違って覚えてる人もいそうだ。実際は狐の孫だ。花の上の穂状花序を狐の尾に見立てて、花が小さいから狐の子供ではなく孫としたという説がある。
 歩く高さの視点ではその存在さえ目に入らないような小さくて目立たない花だけど、ぐっと近づいてよく見てみると薄ピンクで可憐な姿をしていることに気づく。道は歩くだけのためじゃない。たまには道ばたにしゃがんでみると、いろんな発見があるものだ。

田舎の花たち-7

 タンポポの出来損ないのように見えて、実はこれが普通の姿というベニバナボロギク(紅花襤褸菊)は、遠くアフリカからやって来た。よく似た姿で黄色いバージョンのノボロギクは、明治にヨーロッパから入ってきたとされている。
 どちらも、花が咲くとすぐに出てくる白い冠毛がボロ(襤褸)のようだということから名付けられた。ボロ(襤褸)はボロボロという擬態語から生まれた言葉で、ぼろぞうきんや、ぼろが出るなどという表現が今でもよく使われる。
 花は赤い部分で、これで全開だ。つぼみの状態ではない。
 茎や葉は春菊に似た味と香りで、食べると美味しいそうだ。

おまけの田舎ノラ猫

 おまけ画像は、田舎にいたノラ。顔の大きさと体のサイズが合ってない。いろんなところでメシをもらっているらしく、いい体をしていて、人にも慣れている。でも姿形はいかにもノラという風情だ。

 夏は花が少なくなる時期だけど、田舎に行けばやはりそれなりに咲いている。見慣れていて写真に撮らなかったものもある。一年を通して追いかけていれば、あの地区だけでも多くの花を見ることができるのだろう。住んでいる人にとってみればわざわざ追いかけて写真に撮るようなものではないのだろうけど、たまに行くと新鮮に映る。
 実は一週間後にもう一度田舎に行くことになっている。10日間でも小さな変化はあるだろう。お盆を過ぎれば季節はまた一つ小さく進んで、秋に向かい始める。次はどこで何の写真を撮ろう。夏の終わりを予感させるような写真が撮れるといいなと思っている。

100年後の誰かに届け2007年夏の田舎風景写真

自然(Natural)
田舎の夏風景-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f11 1/1000s(絞り優先)



 この夏も松阪の田舎へ短い帰郷をしてきた。毎年変わり映えのしない風景だと思うけど、本当はそんなことはなくて、子供の頃と比べたら大きく変わっているはずだ。昔はしっかり目に焼き付けようなんて思わなかったから、頭の中でも完全に再現することは難しい。どれくらい変わったのかも、今となっては知るすべもない。そして、今見ている風景もまた、永遠ではない。やがて失われてしまう景色を、私はこの先どれくらい覚えていられるだろうか。
 そんなことをぼんやりと思いながら、いつもの場所を歩いて、いつもと同じところで写真を撮った。デジタルデータとしての写真も永遠なんかではないけど、私の記憶よりは長持ちするだろう。ネットの海に流したデジタル写真は、私がこの世から消えて100年後もこの場所にあって、誰かがここへたどり着くかもしれない。100年後、私が今日立った同じ場所に立った誰かが、目の前の風景と私が撮った写真を見比べて、100年前はこんなふうだったんだと思ってくれたなら嬉しい。
 それにしても田舎の夏は暑い。都会とはまた違った暑さがある。太陽が直接攻撃してくるように感じるのは、光を遮る日陰がないからだ。じりじりと照りつけてくる太陽に容赦はない。今日は特に暑い一日だった。

田舎の夏風景-2

 ここから見る川風景が子供の頃から好きだった。夏休みの絵の宿題でこの風景を描いたことがある。あのときは力が入った。好きな場所なんだからちゃんと描かなくちゃと。田舎のことを思い出すとき、その象徴としてこの風景が頭に浮かぶことが多い。
 ずっと下の方を緑色をした櫛田川が流れ、向こうには高橋が見える。ここだけは物心ついてからほとんど変わってないように思うのだけど、実際はどうなんだろう。昔描いた絵はどこへいってしまっただろうか。

田舎の夏風景-3

 夏の青い花といえばツユクサだ。この時期の青は珍しいからよく目立つ。街中では見ることが少なくなったツユクサだけど、田舎では雑草のようにいくらでも咲いている。
 朝咲いて午後には閉じてしまうから露草とも、月草から転じたものとも言われているけど、そのイメージとは裏腹にかなりたくましい。田んぼでは養分を吸い取る害草として農家の人に嫌われている。

田舎の夏風景-4

 昔走っていた三交バスはだいぶ前に廃線となって、今は町営バスがそれに代わった。
 時刻表を見ると、かなりスリリングなバスだということが分かる。朝のバスを乗り過ごしたら次は昼までない。5分や10分寝過ごしても多少の遅刻で済む街中とは事情が違う。1本逃しただけで、登校や出社は午後からになってしまうのだ。なんて厳しい生活。毎朝が綱渡りだ。帰りも早い最終に乗り遅れたら、もう帰ってこられない。都会暮らしに慣れた人間にとって田舎暮らしは思いがけないところにスリルが潜んでいる。
「ご乗車の際には手をあげて合図してください」というただし書きも気になる。手を挙げないと止まってくれないのだろうか。こんな周りに何もない場所でバス停の前に立っていたらバスを待っているとしか考えられないのだけど、何か私の知らない事情があるのかもしれない。もしかしたら、バス停じゃないところでも手を挙げてくれたら止まりますよっていう意味だろうか。乗る人はたいてい常連さんだから、家の前で待っていたらいいのかもしれない。

田舎の夏風景-5

 今も現役の井戸。私の子供の時はもちろんのこと、家を建てた100年近く前から変わらず活躍している。
 21世紀になっても100年前の地下水脈から汲み上げた水が飲料水になるというのはすごいことだ。私は大人になってさすがに飲むことはなくなったけど、飲もうと思えばいつでも飲める。井戸水は夏冷たくて、冬暖かいからいいのだ。夏にスイカを冷やしたり、冬に顔を洗うときなどは特に。

田舎の夏風景-6

 うちの田舎のほとんど唯一の自慢と言えるのが丹生大師さんだ。奈良時代の末期の774年に、光仁天皇の勅願によって空海の師匠である勤操大徳によって創建された。
 この仁王門も古くて立派だ。子供の頃は、中にいる仁王さんが怖かった。赤い顔して怒ってるから。
 道を隔てた向かいに昔は駄菓子屋のような店があって、よくジュースやアイスを買ったり、ガチャガチャをやったのだけど、今はもう店も閉じてしまった。デジカメプリント18円という看板が時代を感じさせる。

田舎の夏風景-7

 大師堂へ登る石段の横には回廊があって、少年時代の私は喜んでこの中を駆け上がり、駆け下りていた。昔は高貴な人専用で、外敵から身を守るためだったと言われているけど、本当だろうか。この場所だけ守っても仕方がないのではないか。広い境内で襲おうと思えばどこでも襲えるのだから。

田舎の夏風景-8

 四季の花々が咲く中で、特にアジサイとササユリとホテイアオイには力を入れている。私が訪れるのはお盆なので、アジサイとササユリの盛りのときは見たことがないのだけど、ホテイアオイはちょうどこの時期なので毎年見ている。今年はタイミングがちょうどよかったようで、絶好調に咲いていた。こんなに咲いてるのは初めて見た。去年は少なかったのに、今年は天候がよかったのだろうか。
 ホテイアオイも水の浄化作用がある一方で、繁殖力が強すぎて場所によっては害草となっている。撤去作業もままらないくらい繁茂してかえって環境破壊になったりもしているから、なかなか難しいところだ。
 花自体は、きれいではあるけど、ややグロテスクな感じも受ける。無数の目玉がこちらを向いてるように思えるのも怖い。

田舎の夏風景-9

 田舎の水路にはお馴染みの沢ガニがいた。子供の頃はよく釣りをしたもんだ。煮干しやスルメイカを糸に付けて垂らすと、いくらでも釣れた。でもこいつだけは釣っても仕方がないから、すぐ放してやることになって、今ひとつ張り合いはなかった。
 大人になって一時ずいぶん減って絶滅寸前なのかと思ったら、まら最近になって増えてきたような印象がある。ドジョウはさすがにいなくなった。

田舎の夏風景-10

 夏休みといえばなんとってもセミ捕りとカブト探しだ。田舎へ遊びに行く一番の楽しみがこれだった。カブトやクワガタは家の方まで飛んでこなくなったから、やはり数が減っているのだろう。
 セミは今日もたくさん鳴いていた。今の時期はまだアブラゼミとクマゼミが優勢で、たまにミンミンゼミが鳴くくらいだ。夕方のヒグラシの声も弱い。あと一週間もするとツクツクボウシが鳴き始めて、夕暮れ時はヒグラシの合唱になるだろう。カナカナカナカナカナ……。あの声を聞くと、ああ、もう夏休みも終わりが近づいたんだと、少しもの悲しい気分になったものだ。

 少年時代の夏休みにもう一度戻りたいとは思わない。楽しかったけど、もう充分堪能した。2週間も3週間も田舎暮らしはしていられない。もうすっかり街中の人になってしまった。
 戻りたくなはないけど、あの頃の楽しかった思い出を持っていることは幸せなことだ。田舎を持たない子供が田舎に帰る私たちのことをうらやましがった気持ちが今なら分かる。夏休みの思い出というのは、大人になっても大切なものだ。
 目を閉じれば、少年時代の夏休みの記憶が次々によみがえる。断片的なシーンだけど、それはどれも懐かしくて、甘くて、少し苦い。楽しいことばかりじゃなかった。でも、みんないい思い出だ。
 何十年かして、自分がまだ生きていたら、田舎を歩きながら写真を撮っていた頃の記憶を懐かしく思い出すのだろうか。それとも、やっぱり子供の頃の思い出だけが残るのか。
 バスの一番後ろの席から振り返ると、バス停まで見送りにきてくれたじいちゃんが手を振っている。それが夏の終わりの一番切なくて懐かしい記憶だ。

帰郷で今日はお休み熊写真を残していってきます

動物(Animal)
寝る熊

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/10s(絞り優先)



 ナイトZOOのとき、夜行性の動物が夕方から活発になり始めるのに対して、熊はもう寝る時間となったようで、猫のように腹を出して寝ていた熊さんでした。

 これから松阪(からもっと田舎に入った方)に帰郷してきます。
 明日には戻ります。
 ちょっといってきます。

夏の動物たちのけだるい表情の中にあなたは何を見るだろう

動物(Animal)
夏のけだるい動物たち-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/200s(絞り優先)



 名古屋の夏は蒸し暑くて嫌になってしまうのは人間だけでない。動物園の動物たちも同じだ。暑い国から来たといっても向こうはカラッとしていて日本のムシムシとは違う。暑さにやられた彼らはみんなどこかけだるげでしょんぼりしてるように見えた。仕事終わりのサラリーマンのように。
 今日の写真は、動物園の中でメジャーなメンバーを揃えてみた。それぞれが暑さに負けている様子は、ちょっと気の毒だけど微笑ましくもあった。まったく覇気というものがない。連日の35度オーバーでは元気を出せという方が無理な話か。
 夏の動物園は動物が動かないからつまらないとよく言われるけど、クタッとしてる動物たちの表情もそれはそれで味があっていいもんだ。

夏のけだるい動物たち-2

 キリンはその目の表情から感情を読み取るのが難しい生き物だ。伏し目がちでいつもマイペースだから、暑さもこたえてるんだか平気なのか分からない。この日も動きは普段と変わらなかったから、暑さは気にならないのだろうか。
 動物にももちろん感情はある。猫でも犬でも喜怒哀楽はある。キリンの感情も、一般人には分からなくても毎日世話をしている飼育員さんには分かるのだろうか。笑ったり、興奮したり、喜んだりしてるキリンというのは想像ができないけど、いっぺん見てみたい。

夏のけだるい動物たち-3

 シマウマというとサバンナでライオンに襲われて食べられる代表のようなイメージがあるけど、それはテレビの動物番組によって作られたものに過ぎない。シマウマは本気を出すとすごく足も速いし、気も強い。そう簡単にやられてしまう弱い生き物ではない。馬でありながら人間に飼い慣らされなかったのが何よりの証拠だ。
 もしシマウマが素直な性格で人間に慣れていたら、彼らの運命は大きく変わっていただろう。走るスピードはサラブレッドよりも速いし、何よりも美しい。改良されてレース用にされたか、馬車用になっていたかもしれない。
 野生を捨てて生き延びるか、野生を保ち続けて滅びへの道を進むか、それは難しい選択だ。会社に飼い慣らされるか、自由を選んで自滅するかという選択に似ている。

夏のけだるい動物たち-4

 サイについては、まだ個別ネタとしてブログに書いたことがない。これまで動物についてはたくさん書いてきたのに、そういえばサイはまだだった。だから私はサイについての知識がほとんどない。ブログに書くと一夜漬け的な知識を獲得することになる。
 また別の機会にサイについては調べて書きたいと思っている。

夏のけだるい動物たち-5

 カバは皮膚の乾燥にすごく弱いから、暑い昼間はたいてい水の中で過ごす。皮膚が乾くと大変なことになってしまうから。
 東山動物園には重吉という名物カバがいてかつては一番の人気者だった。2001年に長寿記録を更新して死んでしまって以来、現在は三代目重吉が跡を継いで、二代目福子と子供の小福とともに一家で暮らしている。

夏のけだるい動物たち-6

 ライオンは猫以上に毛むくじゃらだから、夏はたまらんなぁと思っていることだろう。気候がいいときでさえほとんど動かない彼らだから、暑いときに動くはずもない。最近になって運動場の近くまで行けるワ~オチューブというものができて、ますます隅っこの方で座り込んでいることが多くなった。たまにはチューブの方まで来て、人間を襲うマネでもしてくれれれば来園者はもっと喜ぶのに。
 野生のライオンは狩りが下手で、他の動物が襲った動物の残りをちょうだいすることが多いというのが最近の定説になっている。百獣の王という称号は返上しなくてはいけないかもしれない。それでもやっぱり貫禄はナンバーワンだ。座って何もしなくても大御所の存在感がある。

夏のけだるい動物たち-7

 ヒョウはすごく美しい生き物だ。猫科の中では一番と言ってもいい。でもヒョウ柄を身にまとう女の人とは友達になる自信がない。それとこれとは話が別だ。私がもし女だったとしてもヒョウ柄は着られないと思う。世の中のヒョウ柄好きの女性は、ヒョウが好きなのか、柄が好きなのか、ヒョウ柄が持つイメージが好きなのか、どれなんだろう。

夏のけだるい動物たち-8

 これはペルシャヒョウだったと思う。違ったか。上の写真のやつもヒョウだったかどうだか自信がなくなってきた。ジャガーだったかもしれないし、ピューマだったかもしれない。模様が微妙に違うから知識さえあれば簡単に見分けられるのだろうけど、今はまだ分かってない。これもいずれ書かなければならないネタの一つだ。今度行ったら、ちゃんと全員撮って比べてみよう。確か、東山には珍しいユキヒョウもいたはずだ。

 動物園でお馴染みの動物たちも、実は自然界では全然お馴染みなんかではないものばかりだということに今更ながら気づく。ゾウもキリンもライオンも近所をうろついたりしていないし、もともと日本にいた動物でもない。でも、外国には自然の中で当たり前に暮らしている。そのあたりの現実感と非現実感のズレのようなものが動物園の動物にはある。物語がフィクションなのかノンフィクションなのか分からなくなってしまうような感覚に近い。動物園という場所自体、日常なのか非日常なのか、ときどき曖昧になる。
 それは動物たちにとってもそうで、彼らにしてみても自分の置かれた状況を現実的な日常とみるか、特殊な非日常とするかで戸惑っていることだろう。動物園生まれなら疑問も抱かないかもしれないけど、それにしても野生の血が完全に眠ってしまうことはないはずだ。
 囚われの身であることを受け入れきれず、流れる日常の中で表情がだんだん曖昧なものとなっていってしまうのかもしれない。受け入れても受け入れきれないわだかまりのようなものもあるだろう。人間も動物も、厳しい生存競争の中でしか輝けないということがある。平和は心を穏やかにもするけど、鈍くもさせる。
 彼らが垣間見せる表情の中に何を読み取るかは私たちの側の問題だ。それは往々にして自分自身の心理の反映でもある。動物を見て悲しげだと思うのならそれは、自分もまた見えない檻の中に入れられていることを嘆いているのだろう。瞳の中に美しさと気高さを見る人は、自分の望まない状況でも精一杯生きようとする前向きな人に違いない。
 動物園の中には生きるためのヒントがたくさん見え隠れしている。彼らが教えてくれるサインを見落とさずにしっかり受け止めることができれば、動物園はもっと幸せな場所となるだろう。

夕暮れ時に見上げる視線の先の空には動物たちの故郷があるのさ

動物(Animal)
視線のゆくえ-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先)



 東山動物園のナイトZOOでは、夜よりも夕方に多くの収穫があった。日も暮れ始めたたそがれ時、一日の終わりを迎えて動物たちはどこか遠くを見ていた。遠い故郷のことでも思っているのか、見つめる視線の先は空だった。切ないような表情に見えたのは、私の感傷だったのだろか。
 今日は印象的だった動物たちの表情を写した写真を集めてみた。

視線のゆくえ-2

 カンガルーの濡れた黒い瞳は、オレンジに染まる夕焼け空をずっと見ていた。

視線のゆくえ-3

 夕陽を浴びたラクダは、いつまでもじっと動かない。砂漠で見た夕陽を思い出していたのだろうか、静かに微笑んでいるようにも見えた。

視線のゆくえ-4

 いつもはうるさく吠え立てているカリフォルニアアシカも、夕暮れ時は黙って空を見上げていた。日暮れ前の動物たちはみな、神聖な儀式のように夕陽の方向を見上げたまま静かにたたずむ。

視線のゆくえ-5

 私の視線に気づいたのか、振り向いたボンゴと目が合った。森の貴公子の瞳は、動物園暮らしでもその光を失ってはいない。誇り高く美しい生き物だ。

視線のゆくえ-6

 最も人間に近い類人猿のチンパンジーは、その表情もひどく人間くさい。すべてを悟ってあきらめてしまった人のような目をしていた。それを私が悲しげだと感じたのは思い上がりだろうか。

視線のゆくえ-7

 檻の中という言葉はとても残酷な響きを持っている。残酷さを教えることが動物園の使命ではないとするならば、檻の形状や在り方にもっと工夫をすべきだと私は思う。動物園へ行きたくないと思う人の多くが、動物園の動物を見てかわいそうだと思うからだ。珍しい動物を呼んだり、触れ合うチャンスを多くすることが人を呼ぶ特効薬なんかではない。残酷だと思わない飼育展示をすれば、潜在的に動物園に行きたいと思っている多くの人を呼ぶことができる。生き生きとした動物を見るのが嫌いな人は少ないだろう。旭山動物園が成功したのはそういうことだ。本質を読み間違えれば、いくら施設を新しくしてもいい動物園にはならない。
 動物たちにとっても、檻越しに見る空はひどく悲しく、打ちのめされる思いがするに違いない。

視線のゆくえ-8

 そんな目をされたら、檻を開けて外に出してやりたくなる。でも、彼らは外では生きていけないから、それは決して親切でも思いやりでもないのだ。
 動物園は、生き物として生きていくことの意味を自分自身に問いかけ直す場所でもある。

視線のゆくえ-9

 動物たちが何を考えているのかいないのかはともかく、その表情やしぐさから人間が感じ取れることはたくさんある。子供の頃は可愛いとしか見えなかった動物たちも、大人になれば違った印象を受けるようになる。けど、ただかわいそうとか気の毒と思って目をそらしてしまえば、動物園で生きる動物たちは報われない。もっと多くのことを見て感じて考えて、自分自身が生きていく上でのエネルギーに変えなくては。

 動物園は普段の暮らしの中で忘れている地球というものを思い出すところだ。世界は広く、様々な生き物たちが競争と共存の中で懸命に生きている。どこへ向かうでもなく、完成を目指すでもなく、ただただ生き延びるという一つの目的のために。それは人間も変わらないはずだ。
 私たちもまた、進化の過程を生きている一種類の生物に過ぎない。やがては別の生き物に取って代わられ、滅び去る運命にある。それでも、命は次につながっていく。私たちの時代は無駄じゃない。時間を重ね、命をつなぐことでしか生命は次の段階へ進むことができない。そう思えば、動物園の動物たちも、私たち人間もたいした違いはない。同じ地球という船の上に乗り合わせた運命共同体だ。
 ずっと先の未来、別の星で、檻の中に入っているのは人類かもしれない。そうなったとき、私たちもやっぱり夕暮れ時の空を見上げて故郷のことを思い出すことだろう。高度な知性を持った異星人は、そんな人間を見ても、実際は何も考えてなんかいやしないさと言うだろう。でもそんなことはない。動物たちの瞳に切ない感情が浮かんで見えたとしたら、それは本当にそう感じているのだ。誰が故郷のことを思わないものか。

フランス行きの列車に乗ったつもりが気づけば無国籍難民サンデー

食べ物(Food)
ありふれたサンデー

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/60s(絞り優先)



 予定では今日は松阪に帰郷してるはずだったのだけど、それがあさってに延期になったことでサンデー料理の出番が回ってきた。準備が足りず、イメージも不足で、いいアイディアも浮かばないまま、なし崩し的に作ったサンデー料理となってしまった。
 こうして完成した3品を並べてみても、統一感がない。料理としての方向性も明確ではなく、どれがメインかも判然としない。何料理なのかと問われても答えられないようでは、趣味の料理としては失格だ。漫然と作る夕飯のおかずではないのだから。
 ただ、あまり何も考えなくても料理できるようになったというのは成長したということだろう。レシピ本を見なくても作れるようになった。大きな失敗もなくなったし、味の安定感もだいぶ出てきた。まだ料理上手というにはほど遠いし、味も人様に自信を持って出せるようなものではないけど、まあ食べられなくはないものを作れるところまではきた。新米主婦とならいい勝負ができそうだ。
 あとは自分が作りたい料理をイメージ通りに作れて、味も自分自身が本当に美味しいと思える域までいけるかどうかだ。このあたりは写真にも通じるところがある。誰でもカメラのシャッターを切れば写真は撮れるし、ある程度経験と知識を身につければ一眼レフも使えるようになる。美味しい料理はいい写真に似ている。技術、経験、知識、そしてイメージ、それらが高いところで融合したとき、いい写真が撮れたり、美味しい料理が作れたりする。もともとのセンスや偶然の要素も確かにあるけど、いいものにはやはり根拠があるものだ。私の料理の進歩具合というか停滞感は、私が撮る写真と同じようなところにある。どちらももっと上手くなりたいという思いと、思い通りにならないもどかしさを抱えている。こればっかりはある日突然上手くなるというものでもないから、実践を積み重ねていくしかないだろう。

 今日の料理は最初、フランス料理を作るつもりだった。それがどういうわけか、作っている間に方向がそれて国籍不明の難民料理になってしまった。さまよえるサンデー料理と名付けよう。フランスでも中華でも洋食でもなく、和食ともほど遠い。日本でしか食べられないような料理だけど、日本料理という呼び名も違う。家庭料理といえばそうなるだろうか。でもこの料理を頭に思い浮かべてお店で食べたいと思ったとき、どこの店へ行けば出てくるのかさっぱり見当がつかない。あえて言えば、フランスの家庭料理を出している店で出てこないとも限らないか。この料理をお母さんに作ってもらおうと口で説明するのもまた難しい。
 なんなんだこの料理は、と自分で今あらためて思った。とりあえず作り方を書くので、お母さんや奥さんに作ってもらいたい場合はそのまま伝えてください。料理の名前はまだない。

 今回の中で一番美味しくてオススメなのは手前のナス料理だ。
 ナスの皮をむいてスライスしたものを、しばらく水につけてあく抜きをする。それを取り出して水分を拭き取ったら、ビニール袋にカタクリ粉と一緒に入れてよく振って、粉を全体によくまぶす。こうすることでまんべんなくカタクリ粉をまぶすことができて、粉も無駄にならない。それをたっぷりのオリーブオイルで揚げ焼きにする。
 上にのせる具材は別に作る。タマネギのみじんをオリーブオイルで炒めて、白ワイン、塩、コショウ、コンソメの素で濃いめに味付けする。そこへみじんにしたトマトを加えて炒める。できあがったものをナスにのせれば完成だ。
 ナスの外はカリカリになって、中はとろりととろける食感となる。これは新食感で美味しかった。今回はコンソメ味で洋風にしたけど、かつお節としょう油やめんつゆベースの和風にしても美味しそうだ。

 左奥は、海と山のケチャップ炒めといったようなものだ。
 まずはタマネギと鶏肉をオリーブオイルで炒めて(好みでニンニクも)、あらかじめ下ゆでしたニンジン、ホタテ、キノコ類(今回はしめじ)を加えて、白ワインでざっと炒める。塩、コショウで味付けもする。
 ソースは別で作る。トマトジュース、白ワイン、オリーブオイル、ウスターソース、マヨネーズ、砂糖、タバスコを混ぜ合わせて煮立たせる。最後に炒め物にソースを絡めてできあがりとなる。
 味の決め手はやはりソースだ。トマトソースと思わせてマヨネーズを加えることでだいぶまろやかになりつつ、タバスコの辛みが効いている。
 苦手の野菜やキノコ類も、こういう強い味のソースで絡めることで食べられたりするから、このソースは他にもいろいろ応用が利きそうだ。

 右のやつが一応フランス料理風と言えるだろうか。
 白身魚(今回はメカジキ)と海老をそれぞれ魚焼きグリルでホイル包み焼きにして、最後に直接焼いて表面に軽く焦げ目をつける。あまり長い時間焼くと固くなってしまうので、やや焼き足りないくらいで止めて、余熱で中まで火を通した方がいい。
 アスパラは塩水で下ゆでして、グリルで少し焼きをいれる。
 ソースは、マヨネーズ、カラシ、しょう油、白ワイン、砂糖、塩、コショウ、白味噌を混ぜてひと煮立ちさせる。
 魚介類の中でも白身は味にクセがないから、ソースによって自分の好みのおかずにできる。塩焼きや煮魚は私も嫌いだけど、洋風のソースをかける魚は好きだ。肉だけでなく魚も充分美味しい料理になるから、使わないのはもったいない。

 急場しのぎのようなサンデー料理になってしまった割にはまずまずまとまったものとなった。国籍は不明でも、日本人の舌に合った味となってるから、美味しく食べられた。家で食べる夕飯のおかずとしてはまあ文句のないところだろう。レストランでこの料理が出てきたら、評価はそこそこ止まりだろうけど。
 今月はいろいろ予定がずれて、来週も再来週もサンデー料理ができるようになってしまった。本来なら一回しかチャンスがなかったはずなのに。喜んでいいものなのかどうか。作るのは楽しいけど、メニューを決めるのがひと苦労になっている。目新しい食材があるわけでもなく、メニューそのものに行き詰まり感がある。何かいいレシピ本が欲しいところだ。
 でも、せっかく作れる機会が巡ってきたのだから、何かテーマ性のあるものを作りたい。まずは来週までに何か考えておかなくては。
 というわけで、また来週のサンデーにお会いしましょう。

東山のナイトZOOは赤色世界で夜の動物園の怖さを知る

施設/公園(Park)
ナイトZOO-1

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f5.6, 1/15s(絞り優先)



 昨日(11日金曜日)、ふいに思い立って東山動物園へ行こうかとサイトを見てみたら、ちょうどその日から3日間、ナイトZOOという夜間営業をやっているという。そりゃいい、こんな機会はめったにないからぜひ行っておかなければと、夕方少し遅めに東山へ向かった。
 東山動物園も入場者数を旭山動物園に抜かれたことでようやくこのままじゃいけないと思ったようで、去年あたりから本格的な再生計画を立てて、様々な試みを行うようになった。ちょうど開園70周年ということもあって、ライオンを間近で見るためのワ~オチューブや、キリンを上から見られる見晴台、カンガルー広場の通路など、あらたな施設も増設された。これはけっこう評判になって、ここ最近入場者数も盛り返しつつあるようだ。園全体が老朽化していて付け焼き刃でしかないのだけど、それでももう少しなんとかしなければという姿勢には共感する。数年後には本格的に作り直す計画も進んでいるようなので、楽しみにしたい。
 今回のナイトZOOというのも再生計画の一環で、今年で3回目になる。これまでは応募者の中から限定で見学できるというものだったのが、今年初めて誰でも入れる一般公開の形をとった。時間も去年までは日没までだったのを、今年からは夜の8時半まで延長することになった。
 いろいろな点で初の試みということで動物園側もまだ手探り状態だったんじゃないだろうか。宣伝ももうひとつ行き渡っておらず、私も偶然知らなければ知らないままで終わっていた。動物園側としては、あまり派手な宣伝を打って大挙して押し寄せてきたらどうなるか分からないという不安があって、控えめにしたのかもしれない。それで、今年成功したら来年からもっと本格的に呼ぶつもりということも考えられる。
 私が入園した4時すぎは、本当に今日ナイトZOOがあるのかと思うほど閑散としていて心配になったほどだった。普段の動物園より空いていた。でも、さすがに6時になる頃には人も増え始めて、暗くなり始める7時には大勢の人が入ってきた。普段は5時前までの動物園に暗くなってから人が増えていく様子はかなり違和感があった。

ナイトZOO-2

 暗くなり始めると、あらかじめ設置してあった赤色灯があちこちで点り始めた。動物たちにあまり刺激を与えない光なのだろう。せっかく夜の動物園の雰囲気を味わってもらうためのイベントに明るい白色灯を点けてしまっては意味がない。しかし、この先、動物園は異様な赤の世界となっていく。赤い光に照らされた動物のシルエットがうごめく様子は、夜行性とかどうこう以前にかなり不気味なものだった。
 写真をまともに撮るのはまるで無理だ。当然フラッシュは禁止だし、光は赤だし、動物の動きは活発になるし、三脚なんか立てても意味がない。K100Dの手ぶれ補正で自分の手のブレは止まっても、動物が動く被写体ブレは止まらない。レンズも明るいのは50mmのf1.4で、これでは動物園じゃ役に立たないし、高価な望遠レンズといってもせいぜいf2.8だから、かなり高感度にしないと動物は止まらない。たとえちゃんと撮れたとしても、赤い光の中の動物は絵にならない。夜の動物園は撮るものじゃなく見るものだった。
 ライオンたちは、ワ~オチューブにいくら人が行列を作ろうと、暗くなろうと、赤い光に照らされようと、ビクともしない。相変わらずのんきな顔で座り込んでいるだけだ。ヒョウやトラなどは夜になってかなり動き回っていたのに、さすが百獣の王の貫禄と言うべきか、普段とちっとも変わらないライオンなのであった。広場の中を駆け回って、ワオ~ンと吠えてくれるくらいのサービスが欲しかったけど、それは無理な注文というものだ。

ナイトZOO-3
PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6, 1/4s(絞り優先)

 この8月、東山にやってきたスリランカゾウの子象も、さっそく赤色灯に照らされていた。いきなり何事かと不安に思ったんじゃないだろうか。まだ環境に慣れてないということで午前と午後それぞれ1時間のお披露目だったはずだけど、この日ばかりは特別に夜まで外に出されていた。スリランカ人っぽい係員の人が数人付き添っていたから、やはり心配だったのだろう。いきなりこんなイベントに当たった子象たちにとっては災難だった。
 東山はゾウには縁が深い動物園だから、この2頭も長生きして人気者になってくれるといいなと思う。

ナイトZOO-4

 夜の動物園といえば動物たちの鳴き声も見所というか聞き所だ。赤い光のケージに人だかりができていて何事かと思ったら、サルが大声でわめき散らしていた。ワオーとか、ギャオーとか、ウォーとか、それはもうちょっとしたジャングル状態で、真っ暗で人がいなければ魂が震え上がるような恐ろしい叫び声だった。もしかしたら、ここが一番夜の動物園を体感できる場所だったかもしれない。
 昼間は牙を抜かれたようにおとなしい動物たちも、夜になると野生が目覚める。深夜の動物園はかなり怖いであろうことが想像できた。実際問題、すべての檻が開いていたとしたら、人間はその中で一晩生き延びられないだろう。動物園というのは実は非常に危険な場所だということを思い出さずにはいられなかった。

ナイトZOO-5

 私の好きなコビトカバも、暗くなると急にアクティブになった。狭い水槽を行ったり来たりして落ち着かず、しまいには赤い光めがけて突進したりもしていた。三脚に固定したライトを倒そうとしていたから、よほど興奮していたのだろう。動物たちも何が起こったのか理解できなかったに違いない。普段なら寝床の室内に入れてもらえる時間になっても外に閉め出された格好になっているものが多かった。
 一方で夜になるとお眠の時間になるやつらもいて、クマなどは猫のように腹を出してひっくり返って寝ていた。鳥も夜は寝る時間だ。そういう動物のところは赤い光も当てていないから、見ることはできない。
 コアラはさすがに夜になるとだいぶ動いていた。昼間はほぼ寝てるだけだから、動くコアラを見られるのは貴重だ。

ナイトZOO-6

 赤い水面から顔の一部を出して泳ぐカバさん。動物園でのカバは昼間も起きて動いているけど、野生のものは昼間は休んでいて夜エサをとりにいく。だから、どちらかといえば夜行性ということになるのだろう。このカバさんも昼間より泳ぎが速かった。
 このあと更にカバさんの写真を撮ろうとしたら、赤い光がバシャっと音を立てて消えてしまった。トラブル発生。配線が切れたのか、ヒューズでも飛んだのか。光が消えて真っ暗になった動物園はさすがに心細い。特にカバがいるあたりは奥で人も少ないから危なかった。私は何度も行っていて地形を知ってるからいいけど、初めての人が閉園近くになって道に迷っていたら閉じこめられかねない。昨日、今日と、そんなことはなかっただろうか。

ナイトZOO-7

 動物園の裏の人気者、カピバラさん。体長メートルを超える世界一大きなネズミだ。
 カピバラさんもいたってマイペースで、トコトコトコと歩き回ったり、エサを食べたり、奥に引っ込んだり、普段と変わらない姿を見せていた。光を気にしてる様子もなく、いつもより人が多いこともまったく意に介していないようだった。世界一という称号を持つと肝が据わるのだろうか。
 カピバラさんは夜も人の気持ちを和ませてくれるやつだった。

ナイトZOO-8

 これはトナカイ。真っ赤なお鼻どころか、全身真っ赤に染まってみんなの笑いもの、でもないけど、やっぱり赤すぎるだろうこの光、とは思った。夜撮った写真のすべてが血塗られた映像みたいになって自分の写真なのに怖い。せめてもう少し穏やかな色のライトはなかったんだろうか。このあたりは来年に向けて課題として残ったんじゃないか。

ナイトZOO-9

 アルパカさんは、我関せずとばかりに、向こうを向いたまま誰が通っても知らんぷりだった。夜になって眠たかったのかもしれない。8時を回ったところで私もぼちぼち帰ることにした。4時から4時間、ほぼ歩きっぱなしで、写真もたくさん撮った。もう満足だ。
 夜の写真はほぼ駄目だったけど、夕方たくさん撮れたのが収穫だった。いつもは5時閉園で4時には主な動物が室内に入ってしまうから、夕陽に照らされた動物の写真がほとんど撮れない。それが今回は撮れてよかった。たくさん撮ったので、また紹介していきたい。

 夜の動物園開放というのは、とてもいい試みだ。初の一般公開ということで動物園側も動物も大変だっただろうけど、ぜひ来年以降も続けて、夏休み恒例のイベントとして定着させて欲しい。
 入園料は普段と同じ、大人500円というのも良心的だ。あるいは、昼の部と夜の部を分けて別料金にしてもいいのかもしれない。
 ただ夜の動物園といっても、8時という宵の口だから、昼とはまったく別の様相を呈するというほどではない。深夜の動物園に忍び込んだようなスリリングなものを想像して行くと拍子抜けする。夜行性の動物の活発度が3割り増しになるくらいのものをイメージしていけばいいだろう。
 まあしかし、これは貴重な体験には違いないわけで、実質的な面白さよりもめったに見られない世界を見ることができるという物珍しさという部分で価値がある。
 昨日から始まって13日日曜日まで3日間限定なので、近くの方はぜひ足を運んでみてください。夜の写真は最初から期待せずに、夕方5時から日没までの時間帯がオススメです。最終日の日曜は人が多いから思うように撮れないかもしれないけど。
 東山以外にも全国の動物園で同じようなイベントをしてるところがあるはず。私はいつか、富士サファリパークのナイトサファリに行きたい。老体のインテグちゃんがライオンに囲まれて動かなくなっているのを見かけたら、誰か助けてください。

イルカやアシカのショーやアザラシなんか ---しながわ水族館第三弾<完>

施設/公園(Park)
しながわ水族館ショー編-1

PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f8 1/200s(絞り優先)



 しながわ水族館といえば、イルカとアシカのショーをはずすことができない。これがあるのとないのとでは、水族館としての意味合いも大きく違ってくる。これがもしなかったとしたら、入館料の1,300円は高すぎるし、単に渋くて地味な水族館という印象で終わってしまうことだろう。
 イルカとアシカのショーは、毎日行われている。平日はあわせて4回、土曜が5回、日曜6回で、ゴールデンウィークや夏休みなどは7回行われることもある。イルカの方が時間が短くてショーの回数も多く、アシカはプログラムが長くて回数が少ない。行く前に時間を調べていって、ショーの時間に合わせて館内を見学するような時間配分するといいと思う。
 それにしてもすごい人気だ。みんなやはりこれははずせないと思ったのだろう。日曜日だったので開始30分前ですでに3分2ほど席が埋まってしまうような状況だった。10分くらい前に行けばいいかなんてのんきなことを言っていたら、立ち見席でも見られないかもしれない。
 写真であらためて見ると、鈴なりとはこのことだ。人気小劇場の観客席のみたいになっている。座席数が少なくて、階段まで座ってもこの有様。これ以上改善の余地はないから、見たければ早めに席取りをするしかなさそうだ。屋外だから夏はむちゃくちゃ暑いんだけど。

しながわ水族館ショー編-2

 アシカはやっぱり器用でもあり、賢くもある。陸地でも芸をするし、水中でもなかなかのパフォーマンスを見せる。水陸両用だから、芸の幅も広い。写真のようにボールめがけてジャンプも披露する。
 ボールを鼻に乗せたまま泳いだり、キャッチボールをしたり、完全に犬を超えている。アシカがここまでやるやつだとは知らなかった。それによく訓練もされている。区立水族館と侮ってはいけなかった。芸達者ぶりではどの水族館へ出しても恥ずかしくない。私立の有名野球校を食って優勝した県立高校を思わせるアシカショー・パフォーマンスだった。

しながわ水族館ショー編-3

 イルカプールはかなり狭いので、イルカの持つ能力を出し切っているとはいえない。それでもプールを所狭しと泳いで、見事なハイジャンプを披露していた。ここのイルカ自体の能力も低くない。名古屋港水族館のジャンボプールに連れて行ったら、あそこのイルカと同じくらいのことはできるだろう。
 ジャンプだけでなく、イルカも大小のボールを使った芸などを見せていた。子供も大人もけっこう盛り上がる。

しながわ水族館ショー編-4

 イルカのジャンプはさすがに高い。すごいジャンプ力だ。
 イルカは水中からボールを見るから光の屈折が起こって、空中のボールは見た目とはずれた場所にある。それを学習ととっさの判断で微調整しているのだそうだ。それだけ知能が高いということでもある。一般にイルカの脳は人間の三歳児並という言われ方をする。あまりその比較は意味がないけど、部分的にはもっとずっと賢いようにも思う。知能というのは必要のないところには発達しないから、あえて今以上に伸ばそうという発想がないだけなのだろう。ショーにしても、人間から見てすごいとか賢いとかいうけど、イルカ自身にしたらほんの片手間にしてるだけなんじゃないだろうか。あまり見せすぎるともっとやらされるからこれくらいにしておくかなんて計算してるかもしれない。

しながわ水族館ショー編-5

 これはアシカだったかアザラシだったか。狭い水槽の中を飽きもせずに右から左、左から右へと休むことなく泳ぎ続けていた。
 ここで私とツレは流し撮りの練習をした。泳ぎがかなり高速なので難しいのだけど、これがけっこう面白い。15分くらいこいつに遊んでもらった。

しながわ水族館ショー編-6

 去年新しくできたアザラシ館は本館とは別館となっている(以前はチケットが別になっていたようだけど、今は共通になっていた)。ゴマフアザラシたちは特別待遇で大事にされている。新しい目玉として、これを前面に押し出して客を呼ばなければならないから。
 旭山動物園は当然参考にしてるから、あれを発展させたものとなっている。チューブもあり、透明の床もあり、頭上のトンネルもありと、360度ぐるりと見られるようになっている。ただ、見るのは楽しいけど写真を撮るのが難しい。採光がやや足りず、泳ぎの速いアザラシに追いつけない。

しながわ水族館ショー編-7

 ここもアザラシ館の一部で、外の水面からぽっこりと顔を出すことがある。ゴマちゃんはやっぱり可愛いな。

しながわ水族館ショー編-8

 少しだけペンギンもいた。暑さに弱いイワトペンギンは、クーラーのついた涼しい部屋に入れてもらっているのに、マゼランペンギンは暑さに強いということで外のまま。こりゃ暑くてたまらんという顔をして、表でぐったりしていた。生息地は南米アルゼンチンだから暑さには弱くないはずだけど、日本の夏はジメっとしてるからマゼランペンギンにとっても不快なんじゃないだろうか。オレたちも冷房の効いた部屋に入れやがれーと思ってそう。

しながわ水族館ショー編-9

 イルカプールの中を横から見たところ。青色が涼やかだ。イルカも気持ちよさそうにのんびり泳いでいた。ここの水槽前は見学と休憩スペースを兼ねていて、椅子に座ってイルカを眺められるようになっている。イルカショーのとき、涼しいところで休みながら見たければここから見るという手もある。水面より上のパフォーマンスはまったく見えないけど。

 しながわ水族館を他の有名水族館と同列に並べて比較しては気の毒だ。魚の種類が少ないとか、館内が狭いとか、そういうことを言い出したら不満が大きくなって楽しめない。安い値段でやっている区立の水族館ということを前提にすれば、これはもう、かなり頑張っていると言って間違いない。できる範囲内で手を抜かずにお客さんを楽しませたいという心意気が伝わってくる。どこにも投げやりな感じはないし、これ見よがしでもない。子供目線ということをちゃんと意識した作りは素敵なことだと思う。水族館は必ずしもオシャレスポットである必要はない。
 オススメは家族連れということになるのだろうけど、大人だけで行っても充分楽しめる。おそらく平日は空いているだろうから、ゆっくり見学したければ週末は避けた方がよさそうだ。ちょっと人が入るとすぐいっぱいになってしまう。
 個人的にはこれで南知多ビーチランド、名古屋港水族館に続いて3つめの水族館ということになった。子供の頃に行ったっきりの鳥羽水族館へもいつかもう一度行きたいと思っている。次は葛西臨海公園の水族館、江ノ島水族館、八景島シーパラダイスあたりが候補地として挙がっている。機会を見つけてひとつずつ順番に行きたい。展示してある生き物はたいていどこも似たようなものではあるのだけど、それぞれにあらたな発見があったり、違った楽しさがある。
 手ぶれ補正機能は、やはり水族館でも威力を発揮した。ただ、動きの速い魚などは被写体ブレをおこしてしまうから、次は明るいレンズで積極的に感度を上げて撮っていくことにしよう。今回は標準ズームばかりだったので、撮りきれずに終わったものもけっこうあった。
 以上、3回に渡ってお送りしたしながわ水族館レポートは、これにて完結です。おしまい。

東京の川から海へ、そして世界へ ---しながわ水族館第二弾

施設/公園(Park)
しながわ水族館の魚1-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f3.5 1/30s(絞り優先)



 トンネル水槽の中では大きなエイやウミガメなどをはじめ、いろんな種類の魚たちが泳ぎまわっている。あるものはのんびりと、あるものはせわしなく。1,500匹の魚たちはやや混雑気味で、行き交うたびに互いを迷惑と感じているように見えた。海は広いのに水槽は狭い。
 エイは下から見上げるとエラが顔のようで面白い。種類としてはサメに近いのに、生態も印象もずいぶん違っている。ダイバーの憧れであるマンタもエイの仲間で(オニイトマキエイ)、プランクトンを食べて人を襲うことは決してない。
 大きなエイの背中に捕まって泳いでいくと、海底のどこかいいところに連れて行ってくれそうな気がする。浦島太郎もウミガメではなくエイだったら違ったお話になっていたかもしれない。

しながわ水族館の魚1-2

 しながわ水族館は、東京の川と海に棲む生き物たちを見て、触れ合って欲しいというテーマから生まれた水族館だ。展示水槽も、東京の上流の川から始まって、中流、河口、海、深海、世界の川や海という順路になっている。子供たちにとってはそんなテーマ性など関係ないところだけど、大人にとってはなかなか勉強になる。
 水槽は全般的に低い位置に作られている。どうやら子供目線を意識した作りになっているらしいと途中で気づいた。これは素敵な発想だ。
 入り口から入って、まずは上流の川魚水槽が出迎えてくれる。ニジマス、イワナ、ヤマメなどだ。さすがにこのあたりの魚は東京にはいないのだろうけど、東京に流れ込んでくる川にならいる。もしかすると、奥多摩あたりまで行けば、まだ天然のヤマメが泳いでいたりするんだろうか。
 中流水槽にはウグイ、タナゴ、オイカワ、モツなどが、下流域水槽にはコイやフナなどがいた。ミドリガメことミシシッピアカミミガメがいたのはなるほどと思った。日本原産じゃないけど確かにこの亀は東京の池にたくさんいる。
 品川工業地帯の海まで順番にちゃんと見ていくと興味深いのだろうけど、いかんせんこのあたりのゾーンは地味だ。みんな飛ばしながら見ていく。

しながわ水族館の魚1-3

 写真は順番が前後するけど、これは確かアマゾンの川を再現した水槽にいたやつだと思う。今回、前日の花火大会でメモリを使いすぎて、水族館では名前のメモ撮りをする余裕がなかった。
 これはピラルクだっただろうか。だとすれば、アマゾンに生息する世界最大級で最古の淡水魚だ。最大で4メートルにもなるという。水族館のやつもかなり大きかった。子供の手と比べるとその大きさが分かる。底の方を眠たい顔をしてどよ~んと泳いでいた。
 世界最古なのに金属質なボディーがなんとなく近代的に見えなくもない。こんな姿のまま変わらず1億年も生き延びた。
 肺呼吸なので普段は10分から15分に一度くらい、水面に顔を出して空気を吸う。エラ呼吸じゃないから汚れた水にも強い。
 こいつがなかなか美味しいらしくて、現地では乱獲されて数を減らしているんだとか。あらゆる生き物にとっての最大の敵は、環境の変化ではなく人間ということだ。
 この水槽には他にアロワナやキャットフィッシュなどがいた。

しながわ水族館の魚1-4

 お馴染みのミズクラゲもいた。でも、後ろの青い網目も無粋だし、光の演出がなってない。クラゲは光を上手く当てることですごく幻想的になるのに、これはもったいない。
 こういう小さくてお金のない水族館こそ、もっとクラゲを充実させるべきだと思う。スペースも少なくて済むし、クラゲは展示を工夫することで人気者になる可能性を持った生き物だ。部屋の中で素晴らしいクラゲコレクションを持っているクラゲマニアの人がたくさんいるくらいだから、水族館でできないはずがない。

しながわ水族館の魚1-5

 タツノオトシゴは大人気。みんな順番待ちをして写真を撮っていた。私も大好きだ。子供の頃、鳥羽水族館で見て好きになった。
 タツノオトシゴはもっと茶色くて小さいのに、これは透明感があって大きい。こっちの方がきれいでいいなと思ったら、これはビッグベリーシーホースとかいうタツノオトシゴの仲間で、タツノオトシゴそのものではないらしい。なんだ、そうだったのか。
 でもやっぱりこいつはかわいいぞ。家でも飼ってみたい。

しながわ水族館の魚1-6

 エビちゃんは好きな私なので、赤くて可愛いエビにも反応した。
 シロボシアカモエビという名前で、足の先が白いことからホワイトソックスという方が通りがいいようだ。海水魚を飼っている人にはお馴染みのエビちゃんのようだ。魚の体や口の中の寄生虫をクリーニングしてくれるんだそうだ。
 西部太平洋やインド洋などに生息している。

しながわ水族館の魚1-7

 きれいなウツボが岩陰からぬーっと首を伸ばしてきた。ウツボもけっこう好きだ。小さな目が可愛いらしい。性格は凶暴だから、海の中で出会ったら可愛いなんてのんきなことは言ってられないけど。
 ニセゴイシウツボというのは、やはりまだら模様を碁石と見立てているのだろう。でも、なんでニセなんだろう。
 ウツボの中でも大きい方で、1.5メートルくらいになる。
 かつてはあまり見られなかったものが最近は割とよく見られるようになったとか。

しながわ水族館の魚1-8

 これも名古屋港水族館や南知多ビーチランドで見た、タカアシガニだ。地球最大の甲殻類というわりにはあまり大きくないし足も長くない。どうやらメスのようだ。狭い水槽だと、オスの場合身動きもままならない。
 よく見ると、タカアシガニの下に何匹もの魚たちが折り重なっていることに気づく。この水槽の中では、カジカやカサゴ、オオクチイシナギやゴマソイなどが混泳していた。

しながわ水族館の魚1-9

 シャークホールには大きなシロワニを始め、アカシュモクザメ、オグロメジロザメ、グレイリーフシャークなどがいて、ゆったりと泳いでいる。シロワニの歯などはものすごく凶暴そうで、こいつに噛まれたら五体満足ではいられないなと思う。
 ただ、基本的にサメはさほど凶暴な性格をしているわけではなく、仲間同士みんな仲良く平和に暮らしている。意味もなく共食いしたりはしない。
 エサはサバやアジ、ホッケ、エビ、イカなどで、なかなか好みはうるさいらしい。好きなものしか食べず、それも飽きてしまうともう食べない。気に入るエサが出てこないと何週間もハンストをするんだとか。サメがそんなデリケートだとは知らなかった。

 しながわ水族館第二弾は、水槽の魚・生き物編でした。次回第三弾は、イルカ・アシカ・アザラシ編です。つづく。

区立しながわ水族館に集う人々 ---しながわ水族館第一弾

施設/公園(Park)
しながわ水族館の人々-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f3.5 1/6s(絞り優先)



 品川というと、品川ナンバーに代表されるようなハイソな山の手のイメージが私の中にあった。スーパーカーブームのときも品川ナンバーをよく見かけたような気がする。けれどそのイメージは、しながわ水族館行きで大きく崩れることとなった。品川は品川庄司の品川的なところだった。少なくとも、しながわ水族館まわりに関しては、私の思い描く品川ではなかった。
 JR山手線の品川駅から京急本線に乗り換えると、とたんに時代が25年ほど逆行する。昭和末期の旅行列車の風情を色濃く残す電車に揺られて、我々はしながわ水族館を目指すことになった。横向きと縦向きの混在したシートで、頭の上には扇風機が回っている。自分が都内を走る電車に乗っていることを忘れそうだ。
 降りる駅は大森海岸。近くには大森貝塚や鈴ヶ森の刑場跡、大井競馬場、昭和島競艇場などがある。オシャレスポットは一切ない。品川ってこんなところだったのか。大森貝塚って、モースではないか。懐かしすぎるぞ。モースのことを思い出したのなんて何十年ぶりだ。鈴ヶ森刑場があったところというのもかなり怖い。江戸時代から明治の始めにかけて10万人以上が公開処刑された場所だ。うかつには近づいてはいけない。
 そんなことをツレと話しながら、とにもかくにも、しながわ水族館に到着した。駅からは歩いて10分ほどかかる。そんなに歩きたくないぞという人は、JR大井町駅から無料送迎バスが出ている。もしくは、日の出桟橋からの水上バスに乗るという手もある。水族館とセットで1,890円(片道分のみ含む)だから割引にもなる(水族館が1,300円で水上バスが800円)。
 しながわ水族館は、区の持ち物という非常に珍しい水族館となっている(営業は民間)。だから品川区民割引なんてのもある。市民プールと区民プールでは当然区民プールがしょぼいように、区民水族館は一般の水族館のようにはいかない。それでも、けっこう頑張っているという印象は受けた。館内は狭いながらも魚類はなかなか充実しているし(約450種、1万点)、イルカやアシカのショーなども行われている。2005年に品川プリンスホテルの中にエプソン品川アクアスタジアムができるまでは、ここが都内で唯一イルカショーが見られるところだった。
 夏休みということもあって、館内はちびっこ連れのファミリーで大賑わいだった。ノリとしては完全に区立ノリだ。客層が区民プールを思わせる。中が狭いから、それなりの人数でも大盛況のようになってしまう。クーラー全開でもまったく涼しくない。水族館というと夏は涼しくて冬は暖かいという思い込みがあるけど、ここではそんな常識は通用しない。夏ならタオルが必須アイテムとなる。イルカショーは屋外だ。
 今日はそんなしながわ水族館レポート第一弾として、しながわ水族館に集まってきた人々が入った写真を紹介したいと思う。動物園もそうだけど、水族館にもいろいろな人間模様があって、そんな人たちをさりげなく撮るのも私の楽しみとなっている。

しながわ水族館の人々-2

 オープンは平成3年(1991年)と比較的新しい。最初の目玉がこの全長22メートルのトンネル水槽だった。今となってはどこの水族館でもお馴染みとなっているけど、首都圏ではここが初だった。
 当初は区立水族館ということで値段の安さも魅力だった。900円で入れる水族館はそうはない。ただ、施設の充実ととも値上げを余儀なくされて、現在は1,300円と普通の水族館並になってしまっている。
 5周年でペンギンランドが増設され、10周年のリニューアルでシャークホールが増えて1,100円となり、15周年でアザラシ館ができて1,300円となった。この調子でいくと20周年でまた何か増えて入館料は1,500円になるだろう。次はラッコなんかがよさそうだ。
 小さな品川区イジメとしては、コンビニで前売りを買うか、窓口でJAFの会員証を見せて100円割引してもらうというのがある。品川区を支える心意気がある人はそんな割引を使ってはいけない。私たちは迷うことなく使ったけど。

しながわ水族館の人々-3

 これが10周年のとき作られたシャークホールだ。大きな鮫がゆったりと泳ぎながら水槽の中を回っていて、エサやりタイムが見所の一つとなっている。
 鮫担当の人は中に入って内側から掃除しなくてはならない。飼育員さんなのか、専門の業者の人なのか。まさか、区の職員ということもないだろうけど、けっこう命がけだ。いくらおとなしい性格の鮫とはいっても、あの凶暴な歯を見たら腰が引ける。犬に噛まれるのとはわけが違う。万が一に備えてウエットスーツの中に鎖帷子のようなものを着込んでいるそうだ。それで本当に身を守ることができるのかどうかは噛まれてみないと分からない。

しながわ水族館の人々-4

 水族館のイルカ水槽でお馴染みの青がここにもあった。水族館ブルーと名付けよう。イルカ水槽のブルーとそれを眺める人たちのシルエットというのは、何度見てもやっぱりいいなと思う。水族館に行ったら必ず撮りたくなる。
 カップル二人だけになるとか、小さな女の子一人になるとか、そんなシーンを思い描いてはみるけど、そうそうこちらの都合よくはいかない。

しながわ水族館の人々-5

 地味水族館の中で、この「海の宝石箱」と名付けられた水槽は彩りがあって華やかだった。女の子たちも大喜び。東京の川や海に棲む魚たちのことを知ることも学習としては大切だけど、やっぱり子供たちは水族館らしい魚も見たい。体にいい食事よりも不健康なお菓子が好きなように。

しながわ水族館の人々-6

 旭山動物園にインスパイアされて去年完成させたアザラシ館。パクリなどと言ってはいけない。あくまでも参考にしただけだ。あれを発展させたと言ってもいい。
 地上2階建てで、水面に顔を出すところや、チューブの中から、足下など、さまざまな角度から6頭いるゴマフアザラシを観察できるようになっている。
 これはなかなかいいもんだ。アザラシは愛嬌があって面白いし、見ていて楽しい。泳ぎが思いがけず高速スピードなので写真に撮るのは難しいのだけど。

しながわ水族館の人々-7

 ヒトデのタッチ水槽もある。写真を撮っていたら隣から手がびゅーっと伸びてきた。誰ですか、これは。マイク・タイソンが鳩を素手で掴んだときのようだ(実際はそんな速かったわけではない)。
 タッチしようとするのはだいたいがちびっ子で、平気で水から持ち上げるものだから、ヒトデにとっては災難な話だ。絶対長生きできない。係員の人も注意はするものの、子供は聞いちゃいない。

しながわ水族館の人々-8

 シャークホールで同居している伊勢エビ。少年たちが寄ってきて、あ、ザリガニだ! と叫んでいた。それを聞いたお母さんたちは、これは高いんだぞーっと言っていた。このボーイたちには、ザリガニを捕ってきて伊勢エビだと言って食べさせても分かるまい。大人になってデートして、伊勢エビのことをザリガニ呼ばわりして恥ずかしい思いをするというのもエピソードとしては微笑ましい。
 伊勢エビたちにとっては上の方を泳いでいる鮫たちはちっとも怖くない。恐れるべき敵じゃない。鮫はエビ類を食べないのだろうか。丈夫な歯を持ってるんだから、エビくらいはその気になればバリバリかじれるだろうに。

しながわ水族館の人々-9

 水族館もベビーカーに乗せた小さな子連れの親子がけっこう多い。あまりチビでは水族館の魅力も分からないと思うのだけど、もしかすると赤ん坊も水族館で何かを感じて帰っていくのだろうか。お母さんのおなかの中でも外のことが分かるというのなら、当然外に出れば外界の情報も入ってきているとみるべきか。物心ついてなくてもあちこちに連れて行くことは、親たちが思っている以上に教育になっているのかもしれない。
 私自身のことを思い返してみると、小学校以前の記憶はほとんどない。いろんなところへ連れて行ってもらっているのにまるで覚えていない。写真を見ても記憶はよみがえられない。それでも何か身についているのだろうか。
 動物園や水族館は、基本的に善意が支配する親子、家族の場所だ。平和でもあり、愛情にも満たされている。だから、デートにも適している。家族というもののいいイメージを抱くことができるから。ある意味では偏った不自然な空間なのだけど、たまにはこういうところの空気に触れにいくのはいいことだ。単に魚や動物を見るだけではないのが水族館や動物園というところなのだ。
 次回、しながわ水族館第二弾は魚、生き物紹介となります。地味だけどよろしくおつき合いください。

しながわ水族館プロローグ

施設/公園(Park)
しながわ水族館プロローグ

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/50s(絞り優先)



 今日は、しながわ水族館のプロローグ。写真を一枚出して、ここまでとしよう。
 昨日の花火写真に文章を付けていたら、時間とエネルギーが切れてしまった。水族館の続きはまた明日。
 

また来年も行きたいとは思わないけど今年行ってよかった戸田橋花火大会

風物詩/行事(Event)
戸田橋花火大会-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4 1/8s(絞り優先)



 8月4日に行われた戸田橋・いたばし花火大会へ行ってきた。直前まで行こうかやめようかツレと迷って、せっかくだから近くまで行ってみようかという安易な考えの私たちを待ち受けていたのは、45万人の大群衆だった。板橋側は65万人で、あわせて110万人。東京都民の人口が1,200万人だから、東京都に住んでいる約10人に1人がこの地に集まったことになる。そりゃ激混みになるってもんだ。
 戸田橋花火大会と、いたばし花火大会は、どちらも同じ花火大会のことを指している。荒川を挟んで共同で行われる花火大会をどちら側で見るかによって名前が変わるだけだ。それぞれが同時に花火を打ち上げて、合計11,000発が夏の夜空を彩り、110万人の観客を酔わせる。
 この花火大会が始まったのは昭和26年のことだった。荒川の対岸、埼玉県戸田町と東京板橋区で、お互いにこれからも仲良くやっていこうということで始まったそうだ。今年で55回目になる。
「伝統の隅田川花火大会、実力の戸田橋・いたばし花火大会」だそうだ。本当かどうかは私には判断ができなかった。花火の細かい技術の知識などまるでないから。
 それにしても恐ろしいほどの人波だ。行きの電車も朝のラッシュアワーを超えるほどの混雑ぶりで、子供があちこちで本気泣きし出して車内はえらいことになっていた。駅を降りてからも、会場までの道のりは人渋滞でノロノロとなり、なかなか前へ進めない。会場となる荒川の土手までの道を人が埋め尽くすその光景は、まるで国境を目指す難民のようだった。
 選択肢としては、板橋側で見るか、戸田側で見るかというのがある。私たちは戸田の方が空いてるんじゃないかという判断でそちらへ行ったのだけど、実際のところどうだったのだろう。板橋側の方が見物客は多いものの、交通手段と現地近くの状況を見ていないのでなんとも言えない。どっちもどっちだろうか。有料席があるとはいっても、行き帰りの混雑を逃れることはできないから、大変さという点ではそれほど変わらないと思う。会場自体は広いので、途中から行っても座れないというようなことはない。もちろん、早くからいい場所を取っている人も大勢いる。

戸田橋花火大会-2

 会場はこんな感じになっている。明るい光はすべて屋台で、土手沿いと駅までの通りはびっちりだから、数百は並んでいた。あんなに多くの屋台を見たのは生まれて初めてだ。21世紀の日本にまだあれほどの屋台が存在したとは驚きだった。板橋の方もだから、あれの倍は出てたわけだし、この日は他でも花火大会が行われていた。
 雑草の生えた土手は据わりが悪い。ビニールシートを敷いても滑り落ちてしまいそうになる。それでもなんとか斜め座りをしてポジションをキープするしかない。三角形の椅子か何かあればよかったのだろうけど。

戸田橋花火大会-3

 午後7時、定刻通りに花火大会は始まった。この日は適度な風が吹いていて、打ち上げ花火日和だった。風が強すぎると花火が流されてしまうし、風がないと煙がこもってしまって花火がきれいに見えない。少し風があるくらいがちょうどいい。
 私たちが陣取ったのは、危険区域としてロープが張られたすぐ外ということで、正面ほぼ真上あたりに花火が上がった。これくらい至近距離だと音がすごい。ヒュ~~~~という花火が上がる音は、B29から降り注ぐ焼夷弾の落下音のようで、ドーンという爆発音は心臓に直接響いて、遠い昔の恐怖心を呼び起こす(戦前生まれじゃないでもないのに)。
 この位置だと花火をずっと見上げることになって、だんだん首が痛くなってくる。バードウォッチャーならともかく、一般人にこの位置はやや厳しかったか。たまに下を向いて休まないといけない。でも、戸田と板橋で同時に打ち上げるものだから、なかなか休ませてくれない。一回小休止を挟んで、1時間45分、ほぼ花火が打ち上がりっぱなしだった。

戸田橋花火大会-4

 写真のことを言えば、近いところのよさと難しさがあった。大きく撮れるのはいいところだし、低い花火も見られる反面、風景としての打ち上げ花火を撮ることができなかった。花火そのものではなく花火大会風景を撮りたければ、あまり近い場所は向かない。人が多くて気ままに移動しながら撮るというわけにもいかないから、場所を決めたらそこで撮れるものを撮るしかない。
 個人的には見ている人の頭のシルエットもいい感じに入れて、花火見物風景として撮りたかったのだけど、なかなかこちらの注文通りのポジションにおあつらえ向きの頭が入るなどということはなかった。カップルの頭二つとその上に広がる花火なんてのが撮れたらよかったのだけど。

戸田橋花火大会-5

 打ち上げ花火の本格的な花火撮りは初めてで、最初はコツが分からず戸惑った。使ったデジも買ってまだそれほど撮ってないK100Dだったということもあって。
 ただ、しばらく撮っているうちにだんだん分かってきた。今回は18-55mmの標準ズームを使ったのだけど、明るい単焦点はあまり必要ないかもしれない。写りがよくても、単焦点は自由度が低くて扱いづらい。広角ズームがやっぱり便利だ。
 手ぶれ補正付きカメラの手持ちで撮るなら、フォーカスはマニュアルの無限にして、シャッタースピード優先1秒というのに落ち着いた。これ以上長いシャッターは手ぶれ補正をもってしても止まらないし、これより短いと花火がきれいに広がらない。最初から無理と分かっている手持ち撮影の妥協点ではあるけど、これならなんとかまともな花火が撮れないことはない。無駄打ち覚悟で連写は当然だ。
 でもやっぱりちゃんと撮りたければ三脚は必須だ。できればレリーズケーブルかリモコンもあった方がいい。

戸田橋花火大会-6

 1万発もあれば中には失敗もあったのかもしれないけど、それを思わせない滞りのなさだった。実力の戸田橋・いたばしは本当かもしれない。
 変わり種やキャラクターものなどに頼らず、ごく真面目な花火ばかりだった。子供におもねってピカチュウの顔を描くなんてことは一切ない。昔気質の花火職人が作る花火という感じだった。
 この大会の場合は、板橋、戸田とそれぞれが打ち上げてるから、互いにライバル意識があって、それがいい方向に向かっているのだろう。プログラムを見ると、けっこう花火の種類が違っている。かぶらないように相談して取り決めているようだ。

戸田橋花火大会-7

 尺玉と呼ばれる10号サイズの花火が何発も上がる。滞空時間の長い花火は高さは320メートルまで上がり、東京タワーの特別展望台(250メートル)からも見上げる高さになる。
 見応えのあるのは、やはりスターマインだろう。速射連発花火というように、いくつもの花火を組み合わせて連続して打ち上げるので、見ていて一番盛り上がる。クライマックスや休憩前などの要所で打ち上げられていた。
 戸田橋は仕掛けが大がかりになるごとにスターマイン、スーパースターマイン、ウルトラスターマインとグレードアップしていく。スターマインにもそれぞれ、夜空のパノラマとか、トロピカル牡丹とか、白銀の妖精などの名前がついている。単色の組み合わせや、多色花火、音や形もいろいろあって、そのあたりが花火職人の腕の見せ所なのだろう。手軽に実験を重ねて完成に近づけていくなどということができないものだから、やはりこれも門外不出といった伝統の知識と技術がベースになっているに違いない。

戸田橋花火大会-8

 ツレは途中で動画がいけることに気づいて撮っていた。コンパクトデジの場合、手ぶれだけでなくシャッターを押してから実際に撮れるまでのタイムラグが大きいから、一眼よりも数倍難しくなってしまう。花火が上がってからシャッターを押していては、撮れた画像に花火が撮れてないなんてことになってしまう。野生の勘で花火が上がる前にシャッターを切るなんてのはプロでも大変だ。
 その代わり、コンパクトデジには動画機能がついてるものが多い。打ち上げ花火の臨場感は、写真よりも動画の方が圧倒的に有利だ。スターマインだって撮り放題になる。

戸田橋花火大会-9

 クライマックスは、板橋側の大ナイアガラの滝だ。低い位置なので板橋からだと有料席でしか見られない。だったから対岸の戸田から見えるんじゃないかと期待したけど、いかんせん距離がありすぎた。こちらから見ると、対岸が火事で燃えているようにしか見えない。まさに対岸の火事状態。考えが甘かった。途中からは黒煙が上がってきて、何も見えなくなった。やっぱり板橋の有料席でしか大ナイアガラの滝は楽しめないようだ。
 最後は板橋、戸田両側で1,000発以上のスターマインが乱れ撃ちで、歓声と拍手に包まれつつ花火大会は無事終了となった。いや、お見事。堪能させてもらった。
 しかし、帰りがまた大変だった。駅まで15分の道のりに1時間かかり、駅に入る列に並んで1時間以上動けなかった。いつになったら電車に乗れるやらと気が遠くなりそうだった。あれは厳しかった。8時45分に終わって、池袋に着いたときは11時を回っていた。普段なら30分ちょっとだろうに。
 行き帰りの大変さと花火の感動と、天秤にかけると釣り合ってしまう。来年ももう一度行きたいとは今のところ思えない。あの人混みはもう体験したくないものだ。でも、来年の夏になる頃にはいい思い出だけが残って、性懲りもなくのこのこ出向いていきたくなるのかもしれない。それが楽しみなような、そうでもないような。
 でも、行ってよかったことは間違いない。とても印象深いものとなったし、収穫も多かった。花火撮りも楽しかったし、間近で見る興奮もあった。やっぱり来年もまた行きたいなとだんだん思ってきた。痛い目にあっても、人間って割と学習能力がないものだ。

感度ISO100フィルムによるラグーナにおける手ぶれ写真の見本市

施設/公園(Park)
ラグーナ蒲郡-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 豊川稲荷をあとにして、ついでというのは大回りだけど、ラグーナ蒲郡にも寄ってから帰ることにした。
 施設のオープンは2002年だから、もう5年になる。テレビ愛知の「海においでよ!」というラグナシア紹介番組をいつも観ていた私だから、一度は行ってみないとと思いつつそのままになっていた。愛知ローカルタレントの川崎郁美ちゃんは元気にしてるだろうか。「遊びに行こっ!」も、郁美ちゃんに戻してくれー。
 ラグーナ蒲郡とラグナシアと、どっちがどうなんだという長年の疑問は、実際に行ってみて初めて解決した。ラグーナ蒲郡というのが施設全体の名前で、ラグナシアというのはその中にあるテーマパークのことだったのだ。ラグーナ蒲郡は、ラグナシアとショッピング街であるフェスティバルマーケットなどをあわせた総称だったのだ。知らなかった。そういうことだったか。
 ラグナシアは、アドリア海に面した架空の港町という設定になっている。イタリア村にギリシャ風味を効かせてもっと大きくしたような感じと言えば遠くない。あちらとよりもこちらの方が、より遊園地色が濃い。
 ラグーナ蒲郡に入るのは無料で(駐車場は最初の1時間無料)、ラグナシアへ入るには1,300円かかる。アトラクションのフリーチケットとあわせると3,100円で、夏のプールまで入れてフルセットは4,000円となる。なかなかの値段だ。
 今回は夕方で時間もなかったので、私たちは観覧車に乗っただけだった。上から施設全体を見下ろしてみて、だいたい規模や中身の様子は掴んだ。いつか機会があればラグナシアにも入ってみたい。ここはクリスマスのイルミネーションでもちょっと有名だ。

ラグーナ蒲郡-2

 フィルム感度ISO100で夜の観覧車を撮るのは非常に厳しいものがある。デジカメのように感度を上げられず、三脚も使わないとなると、手ぶれは必至だ。人間の手は1秒以上も完全に静止するようにはできていない。デジカメのいつでも感度を変えられるという機能は、長年フィルムカメラを使ってきた人間にとってはすごくありがたく思えるのだろう。デジから写真に入った人間としては特にすごいことも思わず普通に使っている機能だけど。
 ここの観覧車の照明はすごく地味だ。写真は1秒以上の露光になってるから派手に写っているけど、肉眼で見るとかなり暗い。色が変わっていく仕掛けはあるものの、単色なので見た目の華やかさがない。
 帰ってきてからこれが石井幹子(いしいもとこ)監修と知って驚いた。ホントかな。助手にでもやらせたのだろうか。監修というから自分の作品ではないということか。白川郷合掌集落、東京タワー、大阪城、姫路城、レインボーブリッジ、横浜ベイブリッジなどを手がけたライトアップ界の第一人者の仕事とは思えなかった。近くで見るよりも離れて見るとけっこうきれいではあったけど、どうにも地味という印象は確かだった。予算不足だったのか、維持費をケチったのか。

ラグーナ蒲郡-3

 観覧車に乗ってからは、更に手ぶれとの厳しい戦いとなった。観覧車の情緒などそっちのけで必死に写真を撮る二人組。ガラス面にレンズを押し当てた程度では手ぶれは押さえ込めなかった。これは苦しい。失敗も連写もできないフィルムカメラと観覧車の相性はものすごく悪かった。
 こちら側はヨットハーバーやマリンハウスのある方で、ここもラグーナ蒲郡の一部になる。右端にちらっと見えているのが温泉「ラグーナの湯」ではないかと思う。
 こうやってみると全体はけっこう広い。いろいろな楽しみがあって、一日たっぷり遊ぶことができそうだ。船に乗ったりもできる。

ラグーナ蒲郡-5

 この日は天気が崩れ気味で、期待していた夕焼け空は見ることができなかった。晴れていれば三河湾を一望できるはずだ。ただ、海としてはあまり面白みのある風景ではない。
 ヨットがたくさん見えているのは、昔から蒲郡はヨットの盛んなところだからだ。国際大会などもよく開かれている。アメリカズカップの日本チャレンジの基地が蒲郡に設置されたのが1987年のことで、いつの日か蒲郡でアメリカズカップが開催されることが蒲郡の悲願となっている。

ラグーナ蒲郡-6

 こちらがラグナシアの全景だ。さほど広くないことが分かる。ディズニーシーのミニチュア版という陰口もよく聞かれるところだ。実際行ってみると思った以上に楽しめるそうなのだけど。

ラグーナ蒲郡-7

 手持ちの2秒は止まらない。2秒を止められるのは達人だ。手ぶれ補正機能をもってしても止まらないだろう。本気で撮りたければ三脚を使うしかない。でも、こんなところで三脚立ててる場合じゃない。
 駆け足で観覧車にだけ乗りに来たかっこうになったけど、ここで時間切れとなった。ラグーナ蒲郡、おじゃましました、さようなら、またいつか。
 ラグーナ蒲郡へは、またあらためて行こうと思った。今回はいかにも中途半端な訪問で腹八分目もいかなかった。蒲郡といえば竹島弁天や竹島水族館などがあるから、そちらと絡めてもよさそうだ。

 こうして、鳳来寺ヤマユリ行きの長い一日は終わった。フィルムで撮った写真とともにたくさんの思い出が残った。医王寺のハスから始まって、長篠城址、ヤマユリ、四谷の千枚田、鳳来寺山と鳳来寺、東照宮、豊川稲荷、ラグーナ蒲郡と。
 一日の長さは、詰め込もうと思えばかなり詰め込める長さだということをあらためて知る。スカスカでも同じように過ぎていくし、ギュウギュウでも同じ一日として経過する。一日の濃淡の差って面白い。毎日がこんな調子では一週間でへばってしまうだろうけど。
 明日から週末はまた東京行きだ。今度は手ぶれ補正のK100Dで3Gのメモリいっぱい写真を撮ってこよう。いくら撮ってもタダというのはいいもんだ。夜の高感度も試してみたい。
 ということで、土日はブログの更新を休みます。復帰予定は月曜日。ちょっと留守します。

豊川稲荷で閉じこめられそうになったのはキツネさんではなく自分のせい

神社仏閣(Shrines and temples)
豊川稲荷山門前




 東名高速の豊川インターを降りて北へ行くと長篠、鳳来寺方面で、南へ行くと豊川市、蒲郡方面となる。このあたりは愛知県の中では三河地区と呼ばれるところで、名古屋市のある尾張地方とは同じ県内でありながら県外に近い感覚の土地だ。もともと尾張と三河は別の国だったから当然といえば当然かもしれない。
 個人的に三河はあまり馴染みがない。遊びに行くとしてもせいぜい蒲郡どまりで、何度か豊橋や渥美半島に行ったことがあるくらいだ。豊川についても豊川稲荷くらいしか思い浮かぶものがなく、街自体のイメージがない。
 ただ、豊川稲荷は愛知県を代表する寺のひとつであることは間違いなく、初詣客は熱田神宮と人気を二分している。商売繁盛を願うなら熱田さんより豊川稲荷だろうか。
 以前から一度は行かなくてはいけないと思っていて、今回ようやく行くことができた。
 着いたのは太陽も傾き始めた夕方の4時過ぎ。駐車場を探して周囲を走ってみると、有料駐車場しかない。しかも、入り口が閉まっている。門をくぐって境内に車ごと乗り込めるのかと思ったらそうでもない。ぐるりと一周してみたけど、見つからない。日没時間も迫っているし時間もないので、総門の反対側にある稲荷公園の方に入っていった駐禁じゃない路上にとめておくことにした。これがあとで痛い目に遭う原因となることを、そのときの私たちはまだ知らない。
 結局、豊川稲荷に参拝者用の無料駐車場はないようだ。



豊川稲荷総門

 風格のある稲荷総門をくぐって中にはいると、続いて仁王門(山門)が現れる。ここで少し違和感を覚える人もいるかもしれない。総門は寺っぽいのに、これは神社みたいだなと。境内の雰囲気は寺そのものといっていい。けど、お稲荷さんなら神社なんじゃないのと思うのが普通の感覚だ。
 結論から言うと、ここは神社ではなくお寺さんだ。しかも、曹洞宗の禅寺なのだ。これは意外だった。どういうことなのかを理解するには少し解説が必要となる。

 仏教伝来以降の日本の寺社は長い間、神仏習合が当たり前になっていた。神様も仏様も一緒にお祀りしていて、誰もがそれを不自然なこととは思っていなかった。それを明治新政府が神道を国の基本として神と仏を分ける政策をとったもんだから、逆におかしなことになった。神仏分離令によって神社の中にあった仏教関係のものを排除させるという過程で廃仏毀釈に発展していく。このとき多くの貴重な寺院建築や仏像などが壊されてしまった。
 今でこそ寺は寺、神社は神社と分けられているのが当たり前のようになっているけど、本来日本人のメンタリティとしては神と仏は同列のものだったことを思うと、現代の姿の方が不自然なのかもしれない。
 豊川稲荷の場合は、神仏分離に抵抗して踏みとどまったことで寺と神社が同居したような姿をとどめることになった。お寺なのに鳥居があるのも現代人からすると違和感があるけど、本来はこれが普通だったのだ。

 正式名称を円福山豊川閣妙厳寺という。一般的に豊川稲荷と呼ばれるのは、境内に鎮守として祀られた「咤枳尼真天(だきにしんてん)」の方が本家よりも有名になってしまったからだ。
 戦国時代は、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが信仰し、江戸時代に入ると庶民の間で商売繁盛の神様として広く知られるようになった。大岡越前はわざわざ自分の屋敷に豊川稲荷を造ってしまったほどだった(現在も赤坂に別院として残っている)。
 稲荷神社の総本家は言わずと知れた京都の伏見稲荷大社だ。全国には約8万の神社がある中で、その3分の1は稲荷神社といわれている。日本三大稲荷を自称するところも多く、豊川稲荷も自ら名乗っている(もうひとつを佐賀県の祐徳稲荷神社としている)。

 室町時代中期の1441年、東海義易禅師が本尊に千手観音菩薩を安置して、鎮守として自ら彫った豊川托枳尼真天を祀ったのが妙厳寺・豊川稲荷の始まりとされている。
 室町時代末期には今川義元が伽藍を整備した。上の写真の仁王門も今川義元が寄進したものだ(中の仁王像は昭和41年に作られたもの)。
 私たちが訪れたのは日曜の夕方ということで人影もまばらでひっそりとしていた。正月は大変な人出で押すなおすなの大盛況になる。三が日だけで100万人が参拝に訪れるという。境内はかなり広めとはいっても熱田神宮や明治神宮のような広さはない。混雑はすごいことになるのだろう。
 仁王門の写真を撮ったあと、とりあえず境内をふらりと歩いてみようということになった。門が閉まる時間が近づいていることなどつゆ知らず。



豊川稲荷参道

 寺院と神社が混在するせいもあるのだろうけど、お堂の配置がちょっと変わっている。総門から仁王門、寺院の本堂である法堂までは直線なのだけど、お稲荷さんの豊川稲荷大本殿は斜め後ろにあって、参道が不自然な角度に折れている。大小100以上あるという伽藍も法則性が感じられず、それらをつなぐ参道は逆S字を描いている。周回コースのようになっているから順番に見学していくには都合がいいにしても、方向感覚を見失いがちだ。中で道に迷って、自分たちの方向音痴ぶりをキツネのせいにする罰当たりな我々であった。
 最初からこういう配置だったのか、途中から増えていってこんなふうになったのか、そのあたりはよく分からない。豊川稲荷は神社仏閣の常識が通用しない不思議空間だ。
 鳥居があるのはお稲荷さんのある本殿に続く参道の方で、写真に写っている大きな建物はお寺の本堂に当たる法堂だ。あとから考えたら、本堂にお参りするのを忘れていた。そういう人もけっこう多いんじゃないだろうか。



豊川稲荷本堂

 本殿の前に着いたのは5時前で、扉を閉め始めていた。おいおい、もう店じまいかいと焦る。急いでお参りをすませようとする我々と、とっとと帰り支度をするお寺側の無言の攻防が展開された。豊川稲荷というところは、不親切というか愛想がないと感じたのは、私と相性が悪かったせいだけだろうか。このあと寺の中に閉じこめられかけて泣きそうになったのは私たちのせいだとしても、お参りしてる間くらい扉を閉めるのを待っていてくれてもいいじゃないかと思った。ひと声かけてくれたらまた気分も違っていただろうに。
 本堂は、総欅造りで、20年以上かけて建てられた。高さは30メートルもあって立派だ。ただ、古い本堂は江戸時代に燃えてしまって、現在のものは1930年に再建されたものだ。
 お稲荷さんとはいえ、ここは寺ということで柏手は打たず、礼のみの参拝となる。なにはともあれ、念願の豊川稲荷参拝を終えて、そろそろ帰ろうかと本堂をあとにした。裏手の伽藍を見つつ、入ってきた西門から出るつもりで。



豊川稲荷寺務所

 寺務所もまた立派な建物だ。禅の道場も兼ねているのだろうか。
 境内に丸ポストがあって驚いた。寺の中にポストがあるのは初めて見た。横には公衆電話もある。



豊川稲荷三重塔

 小振りながら三重塔もある。高さは15メートルで、1531年に建てられたものだ。
 右に少し写っているのは千本幟(のぼり)で、これがずらっと並んだ様子は雰囲気がある。

 このあと私たちは西門の手前で愕然とすることになる。自転車に乗ったおじさんが扉を閉めようとしているので慌てて走っていったら無情にも扉は目の前で閉ざされてしまったのだ。うわー、そんなー。開けてくださいとお願いしたら鍵を持ってないから無理だとあっさり断れた。なんてこった。5時に閉まるなんて、どこかに書いてあったのだろうか。北門は6時まで開いてるというのでややほっとした私たちだったけど、安心するのはまだ早かった。北門を探してうろうろしてるうちに道に迷ってしまい、いったん門の外に出たものの、まだそれは境内の中で、車の方に向かってぐるりと回ったら、あろうことか閉じている西門の前にもう一度出てしまったのだった。途方に暮れた。思い切って植え込みをよじ登って脱出しようとしたら、上の方に有刺鉄線が張り巡らしてあるではないか。なんて恐ろしい。私たちを出さないつもりか? 完全にキツネのせいにする私たち。総門の脇は確か8時くらいまで開いてると書いてあったのをちらっと見たからそちらから出ればよかったのだけど、そうすると車の方とはまったく逆方向だからすごく歩かなければいけなくなる。気を取り直してもう一度北門から出て、今度は駐車場の出入り口から出て、ようやく脱出に成功したのだった。かなり焦った。


豊川稲荷公園

 焦りと早足歩きで嫌な汗をかいた私たちは、隣の稲荷公園で夕焼けを見ながら一休みすることにした。吹き来る風が心地いい。ようやく人心地ついた。
 焦ったせいでおキツネさんがたくさんいる霊狐塚(れいこづか)に挨拶するのを忘れていた。それでキツネさんがいたずら心を出して私たちをこらしめたのかもしれない。次はちゃんと稲荷寿司を持っていかなくては。そして帰りは、豊川稲荷名物、味噌カツいなりを食べて帰るのだ。
 
【アクセス】
 ・JR飯田線「豊川駅」から徒歩約5分。
 ・名鉄豊川線「豊川稲荷駅」から徒歩約5分。
 ・拝観時間 5時-19時(無料)
 ・駐車場 有料(1回500円)

 豊川稲荷webサイト
 

兵どもが見た夢の続きを私たちは今生きていると言えるだろうか

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
千枚田-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 鳳来寺へヤマユリを見に行ったときはセットで四谷の千枚田も見に行く。今年もまた稲は順調に育って、夏空の下で棚田は鮮やかな緑に彩られていた。上空を流れる雲が太陽を隠し、棚田の上に強い影を落とす。影は潮の満ち引きのように寄せては返す。小学生の頃、逃げる影を全速力で追いかけた運動場を思い出した。
 苦肉の策とでもいうべき生きていくための知恵が、美しさに昇華することがある。千枚田もそういうものの一つだ。ここで稲作をしていくのは大変けど、一年を通じてここから四季の千枚田を見れば、少しは苦労が報われることだろう。水を張った田んぼに映る空の青や、黄金に実った稲の黄金色、冬の雪景色や夕焼けの中で作業する人たちのシルエット。誰かに見せるための光景ではなくても、それはやっぱり美しいものだ。目を閉じれば確かにそんな風景が見えた気がした。

千枚田-2

 棚田は山の斜面を削って作るのではなく、城の石垣のように石を組んで平らな面をいくつも作る。この石組みが非常に高度な技で、誰にでもできるものじゃないそうだ。今では棚作りの名人なんて人はほとんどいなくなったのだろう。この時代に新たな棚田を作るなんてことはめったにないことだから。高齢化が進んで棚田農家も深刻な跡取り問題を抱えている。
 ここ四谷の千枚田も、かつては1,000枚以上あったものが、今では800枚ほどに減っているという。遊んでいる田んぼもちょくちょくある。今後も減っていくのを食い止めるのは難しいだろう。田んぼのオーナーを募集して体験的に米作りをしてもらうという試みが各地で行われているから、ここもそういう制度ができているのだろうか。

千枚田-3

 棚田の間の農道を少し歩いていくと、休憩所があった。多少は観光地化しているから、ここも観光客用だろうか。木で作った椅子とテーブルが設置してあるから、休んだりお弁当を食べたりできる。ちょうどおあつらえ向きということで、私たちもここでランチにした。
 最近ちょっと調子がよくて、ケーキ作りもコツを掴みつつあるかと思いきや、今回はまたもや先祖返り的な失敗をやらかした。伊達巻き卵の固い版みたいな、びっちり中身の詰まったパウンドケーキになったのだった。すごく筋肉質。なんでぇ? 店では売っていない不思議な食感のケーキを複雑な気持ちで味わう我々であった。パウンドケーキの素というのを見つけて、試しにそれを使ってみたのが失敗の原因だ。
 しかし、ここの景色とケーキランチはかなりミスマッチだな。このロケーションならやはりおにぎりだろう。葉っぱか何かでくるんだ塩むすびがベストマッチだ。おかずは味噌。

おたまがえる

 夏を迎えて、田んぼの中にはたくさんのカエルやオタマジャクシがいた。そっと近づいてのぞき込んでも、みんな一斉に逃げていく。人慣れしてない天然のやつらだ。懐かしい感覚がよみがえる。
 オタマジャクシというよりも、足が生えたオタマガエルがほとんどだった。そういえばオタマジャクシは手よりも足から先に生えるんだったか。
 夜になればここはカエルの大合唱になるのだろう。それもまた、近頃では耳にすることがなくなった懐かしい音の一つだ。

長篠城-1

 四谷からずっと南に下ったところに、長篠の戦いが行われた長篠があって、かつて長篠城があった場所は、跡地として残されている。説明がなければただ草が茂る空き地でしかないこの場所も、かつては戦いによって多くの血が流された。今となってはまさに、夏草や兵どもが夢の跡、というやつだ。
 オヤジの武田信玄の遺志を受け継いで天下統一を目指した勝頼の夢が破れた場所でもある。1万5千の兵を引き連れて上洛する途中、長篠城攻略に手間取ったことで徳川家康と織田信長連合軍が駆けつける時間を与えてしまって、織田軍の鉄砲隊によってさんざんに打ち負かされた。武田家重臣の多くと求心力を失った勝頼に天下統一の道がひらけるはずもなかった。
 時代の歯車がカチリと音を立てて動く瞬間がいくつかある。長篠の戦いでもカチリと音がした。古い騎馬隊の時代は終わり、鉄砲の時代へと移り変わる決定的な戦が長篠だった。勝頼は古い時代に殉じたという言い方もできるかもしれない。
 何も残っていない城跡に立ってみても、戦国の息吹はもはや感じられない。かすかな記憶も記録となり、歳月とともに薄れていくばかりだ。あの頃の人たちが求めた自由や平和というのはいったい何だったのか、それさえももうおぼろげで手を伸ばしても掴めない。

長篠城-2

 長篠城址史跡保存館(210円)では、長篠の戦いの文献や遺品、武器などを展示している。私はまだ入ったことがない。そのうち一度は入ってみよう。
 城跡で現在も残っているものとしては、土塁、石段、内堀などがある。線路を渡った南側の高台から全体を見下ろすと城がどんなふうに建っていたかがよく分かるそうだ。
 長篠城は、戦いのあと、新城城が築かれて廃城となった。なので本丸の跡が何も残っていないのは仕方がない。
 辺り一帯の足跡としては、野戦場となった設楽が原に信長連合軍が作った馬防柵が復元されている。新城市設楽原歴史資料館などもあり、医王寺には勝頼本陣跡の石碑が建っている。家康、信長本陣跡の案内標識なども立っているから、戦国好きなら一日かけて回ってみるのもよさそうだ。
 5月の連休には火縄銃の実演などがある「のぼりまつり」が行われ、お盆には兵たちの霊を慰める「火おんどり」が400年以上も続けられている。

飯田線線路

 長篠城の敷地内にはJR飯田線の線路が走っている。これまた懐かしい単線のローカル線だ。電車野郎にはたまらないロケーションだろう。私も少し電車を待ってみたけど、いっこうに走ってくる気配はなかった。1時間に1本もないんじゃないか。ここでたまたま電車を撮れたら、それはよほど運がいい。飯田線のことをネットで調べていたら、「JR飯田線フォトコンテスト」というのを見つけた。ただ、残念ながら応募締め切りが2007年6月30日までだったので、もう間に合わない。この距離感なら電車の中で乗客が何をしてるかまで写りそうだから、そのあたりを狙ってみると面白そうだと思ったのだけど。
 愛知の豊橋から長野県辰野町の辰野駅まで、約195キロを結んでいる。険しい山の中を走っているから、急カーブや急勾配の連続で、なかなかにスリリングらしい。停車駅が94もあって、スピードも上がらないから、電車をたっぷり6時間堪能できる。往復12時間、休日の一日、そんな過ごし方も贅沢なのかもしれない。辰野町には何があるんだろう。

 愛知県は、郷土三英傑の出身地ということで戦国時代の歴史の跡がかなり色濃く残っているところだ。ただ、不思議なことに、そこから時代は一気に昭和まで飛んでしまう。江戸、明治、大正の名残がほとんどなく、いきなり昭和になる。東京へ行くと、それぞれの時代の面影が残っていて、新しい時代は古い時代の上に積み重なっているんだということが感覚的に理解できるのだけど、愛知にはそれがない。この地方の人たちが江戸時代や明治にどんな暮らしをしていたのか、それが見えてこない。信長も秀吉も家康も、みんなこの地を離れて出て行ったから、愛知はただの地方都市になってしまった。古いものを大事に残そうという気持ちが弱かったというのもあるのだろうか。
 それでも戦国時代が残っているから、よしとしようか。小さな城跡などを細かく回っていると回りきれないくらいたくさんある。そんなところを一つひとつ見て回るほど私は戦国野郎ではないけど、今後も折に触れてあちこち巡っていきたいとは思っている。金華山の岐阜城もまだ見てないし、関ヶ原の合戦場も行っていない。関ヶ原は昼間行っても空気が冷たくて恐ろしいそうだから、もし行くなら体調を整えてからにしよう。
 戦国の跡地に立って思うのは、私たちは今、彼らの夢の続きを生きているだろうかということだ。彼らが血を流して獲得した平和の中で、私たちが彼らに報いるにはどうしたらいいだろう。その答えは簡単には出ない。だから私は戦国の名残を求めて出向いていくのかもしれない。

仙人が開いた鳳来寺山で1300年の長くて短い歴史のことを思う

神社仏閣(Shrines and temples)
鳳来寺-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 鳳来寺のヤマユリを見たあとは、お寺の鳳来寺も参拝していこうということになった。ヤマユリは3度目でも鳳来寺は初めてだった。
 本来なら、一番下の参道から1425段の石段を歩いて登るのが筋というものだけど、そんな根性がなかった我々は車で上まで登った。決してズルではない。あくまでも目的は参拝であって、山登りではないのだから。おととしまで有料だった鳳来寺山パークウェイが無料になったこともあって、一度走ってみたかったというのもあった。500円の山頂駐車場に車をとめて、鳳来寺へ向かう。ここからだって10分はかかる。
 入り口にあるおみやげ屋さんの並びは昭和が色濃く漂っていて素敵だった。フィルム写真がまたマッチしている。これを見たら小学生のとき両親に連れて行ってもらった養老の滝の記念写真を思い出した。懐かしすぎて泣けそうだ。ペナントさえ売っていそうな気がする。この写真の中に21世紀はまるで感じない。

鳳来寺-2

 この景色を見るとかなり高いところまで登ってきていることが分かる。山間の集落が遠くて小さい。あれは門谷集落だろうか。
 歩いて石段を登ると、約1時間かかる。鳳来寺山の標高は684メートル。車でもつづら折りの道だから15分くらいはかかった。涼しいときはいいけど、真夏の歩きはちょっと危険だ。当然のことながら、ヒールの彼女を連れてデートで行くようなところではない。
 松尾芭蕉も鳳来寺を訪れているから、あの道を歩いて登ったのだろう。参道の途中にはたくさんの歌碑が建っている。
 私の好きな歌「白鳥は哀しからずや 空の青海のあをにも染まずただよふ」と詠んだ若山牧水も、旅の途中でこの場所にやってきて、「仏法僧仏法僧となく鳥の声をまねつつ飲める酒かも」など、いくつもの歌を残している。
 鳳来寺山といえば仏法僧(ブッポウソウ)が有名だ。実際はコノハズクのことなのだけど、「ブッポウーソー、ブッポウーソー」と鳴くことから仏法僧と名付けられた。かなり珍しいフクロウの仲間で、こんな険しい山の中にしか生息していない。4月から9月くらいにかけて、夜その鳴き声が聞こえるそうだ。夕方だからちょっと期待したのだけど、さすがに無理だった。でも、夜はあんな怖いところへ行きたくない。録音された声なら「鳳来寺山自然科学博物館」で聞くことができる。コノハズクは愛知県の県鳥に指定されている。
 ちなみに、ブッポウソウという名の鳥もいて、こいつはゲッゲッゲッというだみ声でしか鳴かない。以前はこいつがブッポウソウと鳴く鳥の正体だと思われていてそう名付けられたのだけど、実際にそう鳴いているのはコノハズクだったということが分かって、ちょっとややこしいことになっている。

鳳来寺-3

 5分ほど歩くと、遠くに鳳来寺が見えてくる(と思ったら、あれは休憩所を兼ねた見晴台だったことがあとで分かった)。
 手前の尖った崖の上に立つ一本松が印象的だ。あんなところに誰かが行ってわざわざ植えたのだろうか。それとも、自然にあそこに生えたのだろうか。
 鳳来寺の背景の岩肌がむき出しになっているところは、鏡岩と呼ばれていて、古くからそれ自体が信仰の対象となっている。この場所からは昔の鏡などが数多く発見されているそうだ。
 鳳来寺山は山岳信仰の山として開かれた。ずっと時代をさかのぼれば、約2000万年ほど前に何度かの火山活動によってできた山だ。花崗岩や片麻岩の上に、砂岩や凝灰岩などの層が積み重なり、浸食され、地殻変動が起こり、人を寄せ付けない複雑な地形の岩山となった。
 この山を開いたのは、570年に山城国(京都)で生まれた利修仙人(一説では役行者の兄弟ともいわれている)とされている。多分に伝説的ではあるのだけど、鳳来寺山にあった杉の霊木を切って峰薬師如来を彫ったとか、百済に渡って仙術を身につけて鳳凰(ほうおう)に乗って帰国したとか、鳳来寺山で3匹の鬼と竜を家来にしていたとか、698年に文武天王(もんむてんのう)が重い病にかかったときは鳳凰に乗って駆けつけて治したとか、いろいろな話がある。
 鳳来寺を建てたのは天皇の病気を治したのがきっかけで、お礼として天皇が建ててくれたのだった。それが703年のことで、この年が鳳来寺開山の年ということになっている。利修仙人はこのとき133歳の計算だ。先年生きる仙人だからまだまだ若手ということか。
 それまでこの山は、100メートルを超える桐の大木がたくさんあったところから桐生山と呼ばれていた。鳳来寺というのは、鳳凰に乗ってやって来たというところから命名されたもので、そのとき以来、山も鳳来寺山となったのだった。鳳来寺の正式名は、煙厳山鳳来寺という。
 聖武天皇(しょうむてんのう)が病気になったとき、光明皇后が薬師如来に祈願したらすぐによくなったというエピソードもある。仁王門にかかっている額の字は光明皇后の筆とされている。

鳳来寺-4

 古い歴史と山岳信仰ということで期待させる鳳来寺は、本堂を見て腰が砕ける。なんなんだこの軽さは、と。これはいただけない。全盛期は24院坊もあったという大伽藍寺院の面影はほとんどまったく残っていない。しばし、呆然とたたずむ私。こりゃまいったね。
 ここは火災の多いところで、燃えるたびに規模が小さくなっていってしまったようだ。現在の本堂は、大正3年に火災で燃えたあと、昭和49年に再建されたものだ。これほど長い間仮本堂だったところからも、すっかりかつての勢いを失ってしまったことが分かる。
 どういう縁があったのか、鎌倉時代に源頼朝が大々的な再興を行っている。三重塔の他、いくつもの伽藍や堂宇を新築して、大寺院となった。頼朝は名古屋の熱田生まれという説もあるし、おやじさんは愛知の知多で死んでるし、けっこうこの地方にもゆかりがあるのだ。
 いったんは衰退したものの、徳川家康の母である於大の方がここに参拝して、立派な跡取り息子が生まれますようにとお願いして家康が生まれたということがあって、江戸時代初期には二度目のピークを迎えることとなる。幕府の手厚い保護を受け、三代家光は東照宮と仁王門を建てた(完成したのは四代家綱のとき)。
 しかし、ここからは火事の連続で、江戸時代に数度の火災で多くの伽藍を失い、明治に入って更に規模が縮小された。現在残っているのは、本堂と、仁王門(国の重要文化財)、奥の院のみという寂しいことになっている。古い絵図を見ると、こんな山の中にこれほど巨大な寺院が本当にあったんだろうかと信じられないくらいの立派さだ。今となっては三重塔の礎石さえ見つかっていない。
 鳳来寺の絵馬には鏡がついている。どういう意味があるんだろうとそのときは分からなかったけど、どうやら鏡岩に関係があるようだ。古くから鏡は神聖なものであり、思いは鏡に映って封じ込められるといった意味もあるのだろうか。鏡絵馬は1,000円と、ちょっと高め。高いといえば、山頂にあった自販機のアクエリアスが160円でびっくりした。山頂価格かい。

鳳来寺-5

 鳳来寺からほど近い東照宮にも当然寄っていった。
 三代将軍家光が日光東照宮に参拝したとき、祖父である家康が鳳来寺に祈願したことで生まれたことを知って、それじゃあ鳳来寺山にも家康を祀るための東照宮を造ろうではないかということで造れたのが、鳳来山東照宮だ。建立は1651年。完成を見ずして家光はこの世を去り、出来上がったのは四代将軍家綱のときだった。
 家康や将軍家にこびるために、江戸時代たくさんの東照宮が全国に造られた。一番多いときで500以上あったという。日光、久能山とともにうちの東照宮が日本三大東照宮だと言い張っているところは多い。鳳来寺山もその一つだ。規模という点では全然小さいけど、関わりの深さという点ではここも三大の一つと主張しても間違いではなさそうだ。

鳳来寺-6

 社殿は日光東照宮のミニチュア版のようで、なかなか豪華絢爛だ。ただ、これは最近の姿で、少し前の写真を見ると朽ち果てそうなほど古びている。300年以上、修繕でなんとか保ってきたものが昭和になってとうとう持たなくなって、1971年(昭和46年)から4年かけて大がかりな修復工事が行われた。更にそれも古くなってきて、2002年から1年半で屋根の葺き替えや漆塗りなどを施したのだった。どうりでビカビカに光ってると思った。
 祭神は言わずと知れた徳川家康だ。御神体の家康木造は、江戸城の紅葉山にあったものをここに移してきた。
 御利益は、家内安全、商売繁盛、厄除、無病息災、安産、子宝、縁結びなど、何でもありだ。タヌキオヤジはちゃんとみんなの願いを聞いているだろうか。

鳳来寺-7

 このあたりは樹齢数百年を超える杉の木がごろごろしている。見上げると鬱蒼とした杉林で、昼でも薄暗い。樹齢700年という杉もあるようだ。
 鳳来寺山は人が入っていけるところが限られているから、貴重な動植物が数多く生息しているといわれている。タヌキや猿やキツネ、イノシシだけじゃなく、もっと驚くような動物もいるかもしれない。日本全土はほぼ開発し尽くされたような気がしているけど、まだまだ手つかずの山深いところはたくさんあるのだろう。

鳳来寺-8

 これが鳳来山東照宮のほぼ全景だ。ごく規模は小さいことが分かる。本殿、拝殿、幣殿、中門、左右透塀、水屋くらいしかない。本当にミニチュア版みたいだ。でも、鳳来寺よりもずっと風情があっていい感じだった。空間的にもこちらの方に親しみを感じた。
 ここから山道を登っていくと、鷹打場展望台、天狗岩展望台、奥の院、山頂などがある周回コースとなる。私たちも鷹打場くらいまで行こうかと15分ほど歩いたところで残り40分の案内標識を見て引き返した。片道1時間ってことは往復2時間だ。そんなにここで時間を食ってるわけにはいかない。まだここから豊川稲荷と蒲郡まで行かなくてはいけなかったから。
 鳳来寺の本格的な山登りをするなら、丸一日かけるつもりで訪れないといけない。そのときは下から石段を登って歩くことにしよう。参道の途中にある仁王門も見てみたいし。

鳳来寺-9

 なんだかんでけっこう歩いて入り口まで戻ってきたときはけっこうくたびれていた。みやげ物屋の前に座ってアイスを食べる。疲れた体にはアイスが染みる。
 それにしてもこの風情はどう見ても昭和だよなぁ。

 鳳来寺の本堂にはちょっとがっかりしてしまったけど、鳳来寺と東照宮を参拝できたことはとても嬉しいことだった。前からずっと気になっていて、心のつかえが取れた。家康、家光だけでなく源頼朝まで深く関わっていたことを初めて知って、それもちょっと得したような気分になった。お目当てのスターを見に行ったら他のスターも来ていたみたいな感じで。利修仙人も我々の訪問に気づいてくれていただろうか。鳳凰や竜は山深いところでまだ生きてたのかな。1,300年の歴史は長いけど地球の歴史に比べたらごく短い最近の話だ。家康なんてほんのちょっと前に生きていた先輩のようなものだ。仙人だってまだ生きているかもしれない。
 鳳来寺を歩きながら家康の言葉を思い出していた。
「人の一生は、重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」
 若い頃はこんな言葉は嫌いだったけど、ここまで生きてきて今は素直にうなずける。そんなにのんびりはしてられないけど、先はまだ長い。まあ、焦らずいくとしますか。