月別:2007年07月

記事一覧
  • 3年連続3回目の鳳来寺ヤマユリはびっくりするくらい元気がなかった

    Nikon F-801+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak GOLD 100 フィルムで撮ったヤマユリの写真が出来上がってきた。一週間遅れになってしまったけど、今日はそのときの写真を紹介しようと思う。 鳳来寺のヤマユリ見物は今年で3年連続3回目になる。おととしは7月22日でやや遅れ気味で、去年は26日で大遅刻だった。今年はもう一度22日に行ってみた。しかし、今年ばかりは早いとか遅いとかの問題ではなかった。なんというか、これまで見たこと...

    2007/07/31

    花/植物(Flower/plant)

  • せっかく趣味の料理なんだからもっと上手くなりたいと思って作ろう

    PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/40s(絞り優先) サンデー料理ネタ切れ注意報が発令された。注意報が警報に変わるのも時間の問題か!? 作るだけならいくらでも作れるし、料理自体に飽きたとかそういうことは全然ない。ただ、新しい何かを作ろうとするとどうにも行き詰まってしまって、メニューがなかなか決まらなくなってきた。目新しいアイディアが出てこないまま会議が2時間経過、みたいな感じだ。使える食...

    2007/07/30

    食べ物(Food)

  • 庄内緑地試し撮り<広角編> ~K100Dと写真について考えたこと

    PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/800s(絞り優先) 今日も昨日に引き続き、庄内緑地のK100D試し撮り写真でいこう。今回は広角系のレンズで撮ったものだ。 まずは、PENTAXデジのレンズキットになっている18-55mmから。すごくいいわけじゃないけど、平均以上の写りなので安心して使える。私もこれを標準レンズとしている。 PENTAX初代デジのistDはかなり地味目の発色だった。そういう声が多かったよう...

    2007/07/29

    カメラ(Camera)

  • 手ぶれ補正さえあればあとは何もいらないとまでは言わないけれど

    PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6, 1/320s(絞り優先) 手ぶれ補正機能が欲しくなってK100Dを買った。まずは試し撮りということで、最も手ぶれ補正の恩恵を受ける望遠レンズを持って庄内緑地に向かった。小バズーカ砲とでも呼ぶべきSuper Takumar 300mm f4を取り付けて。 しかし、istDSよりも更にきゃしゃで頼りないボディーとなってしまったK100Dに300mm f4は荷が重かった。レンズをつけたまま片手でグリップを持つ...

    2007/07/28

    カメラ(Camera)

  • キワモノとして笑い飛ばせない哲学堂はいまだ消化不良のまま

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/30s(絞り優先) ゴールデンウィークに中野区にある哲学堂公園へ行った。行くまで哲学をテーマにした公園というのがどんなものかイメージできず、行ってみたら想像してたのとはずいぶん違ったので、自分の中で哲学堂の位置が定まらなかった。愛知の日進市にある宗教公園五色園のようなものだかと思ったらそうではなかった。あれはキワモノとして笑えたけど、哲学堂は笑え...

    2007/07/27

    東京(Tokyo)

  • 東京の拠点である目白界隈を歩いて集めた小ネタ集

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/250s(絞り優先) ヤマユリと鳳来寺行きで撮った写真を現像に出して、出来上がってくるまでネタ切れ注意報発令。今回は安さに惹かれてネットで注文したので、返送されてくるまで3、4日はかかる。この間、何かでつながないといけない。さて困ったなと思いつつ過去の写真を漁っていると、東京へ行ったときに撮った写真でこぼれているものが何枚か見つかった。その中から...

    2007/07/26

    東京(Tokyo)

  • 信長、秀吉も大事にした津島神社へ行ってスサノオと友達になっておこう

     愛知県津島市にある津島神社は、愛知県を代表する神社の一つだ。知名度こそ熱田神宮や豊川稲荷に劣るものの、立派さや歴史では同格と言ってもいいんじゃないかと思う。今日はそんな津島神社について少し書いてみたい。 言い伝えでは創建から1460年なんてことも言われたりする。その伝説はこうだ。 アマテラス(天照大神)の弟で暴れん坊のスサノオ(建速須佐之男命)は、父のイザナギ(伊邪那岐神)の言うことをまったく聞かな...

    2007/07/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • フィルムの現像がまだだから森林公園の花で場つなぎ

    OLYMPUS E-1+SMC Takumar 135mm(f3.5), f3.5,1/50s(絞り優先) 昨日行った鳳来寺方面の写真は、まだ現像に出してないから使えない。36枚撮りフィルム2本目の途中で終わってしまったから、まずはそれを使い切らないといけない。フィルムのこのタイムラグというのは、やっぱりネット向きじゃないとあらためて思った。今日撮ったものを今日使えなければ、ネットではどんどん鮮度が落ちていく。そうなるともう、画質どうこうという話...

    2007/07/24

    花/植物(Flower/plant)

  • デジイチで押さえたヤマユリの写真一枚で続きはフィルムで今週末

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/1000s(絞り優先) 今年で3年連続になった、鳳来寺のヤマユリ見物。今年はどういうわけか不作のようだったけど、それでも一部できれいに咲いているところを見られてよかった。 今回は銀塩のフィルムで撮ってきた。上の写真はデジで押さえに撮っておいた一枚。現像に出してできあがってきたら、ヤマユリレポートをお届けする予定です。たぶん、今週末くらいになりそう...

    2007/07/23

    花/植物(Flower/plant)

  • 純昭和遊園地シートレインランドで心も体もリラクゼーション

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/125s(絞り優先) 日曜日の夕方。季節は初夏で、天気は曇天。人もまばらで閑散とした遊園地は、けだるい空気に満ちていた。手持ちぶさたの係員と、居心地悪そうなカップル、そして3人親子がひと組。名古屋港シートレインランドは不思議な異空間と化していた。そこにうっかり足を踏み入れた私たちは、ひどく場違いなところに迷い込んだようでとまどった。 誰も乗ってい...

    2007/07/21

    施設/公園(Park)

  • 名古屋の本質を知りたければ名古屋港イタリア村へ行けばいい

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/125s(絞り優先) イタリア村は二度目だった。名古屋港水族館へ行った日、セットとして行った。積極的なリピーターとしてではない。けど昼間としては初めてだから、ちょっと楽しみではあった。昼の顔と夜の顔と、両方を見て初めてイタリア村へ行ったと言うことができる。 イタリア村に関しては以前書ききってしまったので、あれ以上付け足すことはあまりない(ブログ...

    2007/07/21

    施設/公園(Park)

  • 7月の森林公園で私の相手をしてくれた貴重な花と生き物たち

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/50s(絞り優先) 久しぶりに地元のローカルネタとして、今日は初夏の森林公園で出会った生き物たちを紹介しようと思う。森林公園へ行ったのは何ヶ月ぶりだろう。 けどこの時期、残念なことに花が非常に少ない。花に興味がなかった頃は、春から秋まではまんべんなく何らかの花が咲いているんだと思っていた、自分の興味の外で。でも、実際は違う。野草は春早い3月に咲き始めて、4...

    2007/07/20

    自然(Natural)

  • 妊婦じゃないけど朱塗りの社殿に惹かれてとりあえず水天宮へ

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/25s(絞り優先) 私はどういうわけか、朱塗りの神社に惹かれるものがあって、写真などで朱色の神社を見ると、わっ、これは行かなくてはいけないと反射的に思ってしまう。朱色という色が好きというよりも朱塗りの神社がどうやら好きらしいのだ。その理由は自分でもよく分からない。 水天宮もそうだった。安産や子育ての神社として紹介されてるのをテレビで観て、御利益...

    2007/07/19

    東京(Tokyo)

  • 佃島に見た今後の日本が向かうべき新旧の鮮やかなコントラスト風景

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/640s(絞り優先) 越中島から相生橋を渡ると、日本初の埋め立てて地である佃島(つくだじま)にたどり着く。今でこそ東京湾は埋め立て地だらけでどこが島でどこが本来の陸地か判然としなくなっているけど、一番最初に作られた人工の島が佃島だった。 隅田川の河口に自然に出来た三角州に人が住むようになったのは江戸時代になる前のことだ。本能寺の変や大阪の陣で世...

    2007/07/18

    東京(Tokyo)

  • かつての面影はなくとも深川に江戸のかすかな息づかいを感じた

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/800s(絞り優先) 越中島で水上バスを降りたあとは深川に向かった。本所深川といえば、門前町として発達した江戸の古い町並みへの期待が高まる。まずは深川不動へ向かうことにしよう。 門前仲町駅から深川公園へ、その横の道を入っていくと深川不動の参道が唐突に現れる。ああ、ここだ、間違いないと一目で分かる。テレビでも見た光景だ。けど、ちょっとイメージと違...

    2007/07/17

    東京(Tokyo)

  • 最近東京で食べてる脇道フードコレクション第一弾

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/50s(絞り優先) 最近の私たちはといえば、東京でたいしものを食べていない。私が美味しいものに対する追求心が弱いというのもあるのだけど、観光と散策に力が入る余り、食べ物の方に気持ちも時間もお金も回せないというのもあって。 でも、記念撮影に抜かりはない。何でも食べたものは全部写真に撮っている。お店でも、人目のあるところでも、視線に負けず撮る我々一...

    2007/07/16

    東京(Tokyo)

  • 焼く、煮る、炒める、茹でる、蒸すに続いてグリルにも目覚めたサンデー

    PENTAX istDS+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f4.5, 1/20s(絞り優先) 今日のサンデー料理では、魚焼きグリルを使った調理というものに初挑戦してみた。松田美智子という人のレシピ本の「肉も野菜も! カリッと焼けてヘルシー&スピーディ 電子レンジ以上に便利です!」という言葉を信じて。 けれど、こういううたい文句が言葉通りだったためしはない。これで背が10cm伸びましたとか、英語のテストで100点取ってクラスでモテモ...

    2007/07/16

    食べ物(Food)

  • 招き猫だらけで猫のいない今戸神社はいろんな意味で印象的

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/200s(絞り優先) 前からずっと行こうと思っていてなかなか行けなかった浅草の今戸神社(いまどじんじゃ)へ、ようやく行くことができた。ここは浅草といっても浅草寺や浅草の駅からやや離れている場所にあるため、ついでに行くというのができなかった。今回は隅田川の水上バス乗り場と近いということでセットにできた。 ここを訪れたかった理由は二つ。一つは、沖田...

    2007/07/15

    東京(Tokyo)

  • 東京観光にぜひ組み入れたい水上バス隅田川下りの旅

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/640s(絞り優先) 春のうららの隅田川~、のぼりくだりのふなびとが~。 春というには遅すぎるけれど、隅田川へとやってまいりました。初夏の東京で私たちは船上の人となったのである。隅田川の川下り。なんて風流な響き。ちょっと小金持ちっぽい。けれど我々が乗るのは屋形船などという典雅な乗り物ではない。水上バスだ。読んで字の如く、水の上のバス。優雅も何もあ...

    2007/07/14

    東京(Tokyo)

  • 六本木ヒルズは金持ちの家へ遊びに行くような感じ

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/80s(絞り優先) 東京ミッドタウンをあとにした我々は、お上りさんの見本のように六本木ヒルズにも行ってみることにした。今やこの二つは六本木名物として抱き合わせとなっている。しかし、これが意外と遠かった。地下鉄の六本木駅を挟んで北と南にあって、地図上の直線では400メートルくらいでも、道の連絡が悪いから、実際には1キロくらい歩いた気がする。もしかした...

    2007/07/13

    東京(Tokyo)

  • 東京ミッドタウンはお上りさんも優しく迎え入れる懐の深さがある

     今回の東京行きでは、珍しくオシャレスポットもいくつか巡ってきた。神社仏閣だけが東京行きの目的ではない。池袋のサンシャインシティに続いて行ったのが、六本木に新しくできたばかりの東京ミッドタウンだ。住所でいうと六本木ではなく赤坂になる。 でも、東京にしてはこのネーミングセンスに疑問を感じる。ひとあし先に名古屋駅に建った超高層ビルがミッドランドスクエアだから、名古屋人からするとうちらのマネだがやとなり...

    2007/07/12

    東京(Tokyo)

  • 鬼子母神の夏市には昔ながらの夏まつりの姿があった

     七夕を挟んで7月6日から8日の3日間、雑司が谷の鬼子母神(地図)で毎年恒例の夏市が開かれる。 夏祭りなんて何年ぶりだろう。久しくこういう場所と無縁の暮らしを送っていた。少年の頃、毎年あちこちの盆踊りに行っていたときの記憶がぼんやりよみがえった。 普段の鬼子母神は、江戸期の面影を色濃く残すひっそりとした異空間で心落ち着く場所なのだけど、この日ばかりは雰囲気がガラリと一変して、あふれんばかりの人々が境内...

    2007/07/11

    東京(Tokyo)

  • サンシャインで過ごした七夕らしい一日に思う平和と奇跡

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.0 1/20s(絞り優先) 七夕の夕方、池袋サンシャインは大勢の人で賑わっていた。外は涼しかったのに、熱気が伝わって中は汗が出るほど暑かった。 こんな日だからプラネタリウムでも見に行こうと最初に言い出したのは私だった。私たちはワールドインポートマート屋上にある「サンシャインスターライトドーム満天」へと向かった。その途中、サンシャインシティアルパ地下1階...

    2007/07/10

    東京(Tokyo)

  • お上りさんは六本木ヒルズに上り隅田川を下る

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/40s(絞り優先) この前作ったケーキの写真を置いて、東京へ出発。東京とケーキの間に因果関係はありません。ちょっとだけ進歩したケーキの出来を見てもらいたかっただけで。 私が東京へ行くので、この週末、東京は雨は降りません。 隅田川を下る船に乗っている私を見かけたら、川岸から手を振ってください。私も振り返します。 それじゃあ、ちょっと行ってきます。帰りは月曜...

    2007/07/07

    食べ物(Food)

  • 海に暮らす多様な生き物のことを教えてくれた名古屋港水族館に感謝

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/40s(絞り優先) いい顔してるなぁ、クエ。じろりとにらんだ目が執筆中を邪魔された松本清張みたいだ。先生、調子はいかがでしょうか、と話しかけたくなる。あ? まあまあだ、なんて返事が返ってきそう。 ゆら~っとゆったり泳ぎながら目だけキョロキョロさせて辺りをうかがうクエさん。魚なのになんとも表情が豊かで、見ていると笑えてくる。クエとしては特に深い考えで泳いで...

    2007/07/06

    施設/公園(Park)

  • 砂と共に暮らす海底の地味な生物たちも生きているんだ友達なんだ

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/80s(絞り優先) 名古屋港水族館で何が一番面白かったかと訊かれたら、砂の上をはいずり回っていた地味な生き物たちと私は答えるだろう。これでもかと次から次へと繰り出される地味な生物の連続に、だんだんヘラヘラ笑いが止まらなくなってくる。猫ひろしのギャグに唖然としつつ、そのうちなんだかヘンに面白くなってくるような感覚だ。地味な生き物の魅力は大人だけじゃなく子供...

    2007/07/06

    名古屋(Nagoya)

  • 名古屋城に金シャチがいるように、名古屋港水族館にはシャチのクーがいる

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/125s(絞り優先) 名古屋港水族館が開館したのは1992年の10月だった。もう15年も経ったのか。けっこう最近のことだと思っていたら、いつの間にか時が流れていた。行こう、行こう、と思いながらようやく行けたのが15年後というのは、なんというかちょっと感慨深いものがある。 しかしまあ、下手をすれば一生行かずに終わっていたかもしれない名古屋港水族館に、今回初...

    2007/07/05

    名古屋(Nagoya)

  • 少し物足りないイルカパフォーマンスに味付けをするのはシャチか私か

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/640s(絞り優先) 名古屋港水族館北館(新館)のメインとなるのが、イルカパフォーマンスが行われるメインプールだ。60メートル×30メートル、水深12メートルのプールは見るからに広々としている。端から端まで泳ぎ切れるかどうか、自信が持てない。リクエストさえいただければ、私の半溺れバタフライを披露してもよかったのだけど、リクエストはなかったのでおとなしく...

    2007/07/04

    名古屋(Nagoya)

  • 知らなかった水の中の世界をのぞいて見上げて撮って ---名古屋港水族館<2>

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/5s(絞り優先) 今日は名古屋港水族館の第二弾。特に決まったテーマの写真ではなく、個人的に印象な写真を集めてみた。組写真として名前をつけるとしたら、印象・水の中、ということにしよう。思い切りパクリじゃないかと人は言うかもしれない。そんなことないモんネ。 まずはクラゲからいってみよう。火の玉が撮れてしまったわけじゃない。たぶん、アカクラゲだと思う。 水中...

    2007/07/03

    名古屋(Nagoya)

  • ブルー・イン・ザ・名古屋港水族館

     初めて名古屋港水族館へ行ってきた。 詳しいレポートは明日以降ゆっくりするとして、今日はまずプロローグとして青い写真を集めてみた。水族館の青は独特の青で、人はこのブルーに惹かれて水族館へ行くのかもしれない。 昔からある地味な南館に対して、新しくできた北館はイルカとシャチの二大スターがいるから、それなりに華やかだ。 イルカ水槽のブルーを見上げると、自分が海の中にいるみたいに感じられる。今日は曇り空だ...

    2007/07/02

    名古屋(Nagoya)

3年連続3回目の鳳来寺ヤマユリはびっくりするくらい元気がなかった

花/植物(Flower/plant)
鳳来寺ヤマユリ-1

Nikon F-801+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak GOLD 100



 フィルムで撮ったヤマユリの写真が出来上がってきた。一週間遅れになってしまったけど、今日はそのときの写真を紹介しようと思う。
 鳳来寺のヤマユリ見物は今年で3年連続3回目になる。おととしは7月22日でやや遅れ気味で、去年は26日で大遅刻だった。今年はもう一度22日に行ってみた。しかし、今年ばかりは早いとか遅いとかの問題ではなかった。なんというか、これまで見たことがないほど花に勢いがなくて、つぼみのまま枯れてしまっているものが多く見かけられたのだった。あんなことは過去2回にはなかった。訪れていた人と少し話をしたら、今年は春から初夏にかけて気温が上がらなくて一週間くらい遅いとのことだった。雨が少なくて、梅雨の後半では大雨が続いたのもよくなかったのだろうか。それにしても花に元気が全然なかった。葉っぱも枯れかけていたし、あれでは来年以降も心配になる。
 それでも、一部ではきれいに咲いていたのでなんとか撮ることができたのが上の写真だ。ここはいつも撮る連谷小学校の手前あたりで、32号線沿いではベストポイントだと思う。毎年ここの花はよく咲いていて、シチュエーション的にも手の届かない高いところというヤマユリの持っているイメージにぴったりだ。
 相変わらず強い香りを放ちながら、夏の山里に大輪の花を咲かせていた。これぞヤマユリ、お見事。可憐さではササユリだけど、威風堂々とした気品は他のどんなユリも寄せ付けない女王様の風格を漂わせる。
 かつては日本中どこの山でも当たり前に咲いていたヤマユリも、近年はごく限られた場所に出向いていかなければ野生のものを見ることができなくなった。鑑賞に堪えるからそこ園芸用としても出回ってはいるけど、野生と園芸種では天然ウナギと養殖ウナギ以上にありがたみが違う。

ヤマユリ-2

 ヤマユリという名前から山奥の人目に触れないような崖にでも咲いていると思っている人も多いかもしれない。けど、実際はもっと里に近いところで咲く花だ。ヤマユリが咲く条件としては、ある程度日当たりがよくて風通しがいいところというのがある。森の中の暗いようなところはあまり好まない。女王様だから日陰の花では嫌なのだろう。
 昔から山里に多く咲いていたのは、人と山の関係が今よりももっと親密だったからというのもある。木を切り、山菜や果実をつみに入ることで草が踏まれて山はある程度整備され、ヤマユリにとっては都合のよい環境ができていた。それがだんだん人が山に入らなくなっていったことで山が荒れ、結果的にそれがヤマユリを減らすこととなった。ヤマユリの球根はイノシシなどの動物が好んで食べるから、人が来なくなったことで安全に食べられるようになり、球根で増えるヤマユリはどんどん減っていった。減っていったことで希少価値が上がり、人間による盗掘が行われ、減少に拍車をかけた。自然環境が悪くなるというのは単に公害で空気や水が悪くなるとかそういうことだけではない。
 それでも、ようやく近年、日本でも野生の花や生き物を保護しようという気運が高まってきたから、これより先はそれほど悲観することはないのかもしれない。今まで残ったものは今後も基本的には守られていく方向で進むだろう。それでも消えていくものは多いけど、これまでのように無自覚でなくなっただけましだ。100年前の日本人で100年後にヤマユリが見られなくなるなんて誰が思っただろう。

ヤマユリ-3

 ヤマユリは咲いている地域によって、吉野百合や叡山百合などと呼ばれている。鳳来寺あたりに咲いているのは鳳来寺百合という。かつては鳳来寺山周辺にたくさん咲いていたようだ。今私の知る限りまとまって咲いているのは、32号線沿いの連谷や海老あたりくらいだ。愛知県民の森や新城総合公園にも咲いているらしい。鳳来寺百合というくらいだから鳳来寺山の参道や山の中に咲いているだろうと探しても、たぶんそっちでは見つからないと思う。
 鳳来寺のヤマユリはあまり知られていないようで、現地でもほとんど人に会わないし、ネットでも情報が少ない。私が行ってるところはマイナーなスポットで、もしかして地元民しか知らない穴場群落地があるのだろうか。

今年初セミの抜け殻

 ヤマユリが思ったほど咲いていなかったこともあって、フィルムで撮ったヤマユリ写真はたったの4枚だった。年に一度しか見られない貴重なヤマユリでさえ4枚しか撮れない私の貧乏性に我ながらあきれてしまう。デジならあの状況でも20枚は撮っていただろうに。
 ヤマユリの代わりにちょこっとだけ目に付いたものを撮った。セミの抜け殻は今年初だったので1枚を費やした。たぶん、アブラゼミだろう。セミの抜け殻なんて子供の頃は飽きるほど見たけど、大人になるとなかなか目にすることがなくなった。だから、たまに見つけると懐かしい気持ちになる。
 今年はセミの当たり年だそうで、言われてみれば朝から夕方まで良く鳴いている。名古屋はまだアブラゼミが全盛で、そろそろクマゼミの声も増えてきた。田舎へ行けばツクツクボウシやヒグラシの声も聞けるだろう。そういえば、もう8月で、気がつけばお盆も近い。

ミヤコワスレかな

 山里の民家の花壇のようなところで咲いていたから、ミヤコワスレかなと思う。でももしかしたら、ヤマジノギクとか、コンギクとかそっちの方かもしれない。野の菊関係は種類も多いしよく似てるから区別が難しい。
 これはどうも、葉っぱや花びらの感じからしてミヤコワスレではなさそうだ。咲いていた場所が場所だけに、野草なのか園芸種なのか、それもよく分からなかった。

アキノタムラソウと思うけど

 パッと見て、最初はヤマハッカかなと思った。でも、花が少し違う。そうか、アキノタムラソウか。でも、夏に咲いてるから、ナツノタムラソウ?
 調べてみると、ナツノタムラソウは紫色が濃くて、雄しべがまっすぐ突き出て伸びているとある。じゃあ、やっぱりこれはアキノタムラソウでいいのか。秋のといいながら7月から咲き始めるようだし。
 ヤマハッカはもっと花が大きくて、葉っぱも目立つから、やっぱり違う。
 この写真を撮ろうとしているとき、ちょうどいいところにミツバチがフレームインしてきたのだけど、慎重にマニュアルでピントを合わせている間に飛んでいってしまった。デジなら激しく連写して捉えていたのに、フィルムだとこういうところでシャッターチャンスを逃す。

医王寺の蓮-1

 ヤマユリを見に行く前に、長篠のあたりにちょっとした蓮名所となっている医王寺というのがあるというので寄ってみた。151号線の長篠交差点から少し北に入っていったところだ。
 案内標識に従って行ってみると、確かに蓮池はあった。しかし、遅かった。着いた頃はもう11時を回っていて、こんな時間まで起きている蓮はいなかった。若い蓮はしっかり花を閉じて眠りについていて、年を取った蓮だけがわずかに開いているのみだった。本気で蓮を撮ろうと思ったら、朝7時には行かないといけない。そんな朝っぱらからと思うかもしれないけど、有名な蓮スポットに行ってみるとすでに大勢の先客がいて驚くそうだ。根性のない私はそんな時間、そんな場所へ行ったことがないから状況を想像できない。
 長篠の戦いのとき、長篠城を攻める武田勝頼が本陣をしいていたのが、この医王寺のあたりだったといわれている。寺の奥へ入っていくと石碑や資料館もあったようなのけど、時間がなかったので省略した。長篠周辺は長篠合戦の跡がいろいろ残っているから、戦国野郎、戦国お嬢にとってはなかなか興味深いところだ。

医王寺の蓮-2

 蓮の花は、3回開いて、3回閉じるを繰り返す。4回目に開いたらそのまま閉じずに花びらを散らす。最初に開くときは早朝から1時間程度で、2回目以降だんだん咲いている時間を延ばしていき、最後は夕方まで開いている。
 花が開くときにポンと音がするというのは本当ではない。誰も聞いたことがないから。自分は聞いたぞというのはきっと空耳だ。
 今年は無理でも来年以降のいつか、私も早朝の蓮名所に繰り出していって、一度くらいはちゃんと蓮の写真を撮りたいと思っている。2000年前の地層から現代によみがえった古代蓮、大賀蓮を本場の千葉まで見に行ってみたい。愛知県にも大賀蓮はあるけど、やっぱりロマンの問題として大賀博士に育てたところで見てみたいというのがある。冬に行ったときは一面の枯れ蓮となっていた上野不忍池は今頃一面の蓮の花となっているだろうか。

 ヤマユリはまた来年と思っている。今年はあまりにも元気がなかったから、来年も様子を見に行かないと。もしかしたら、あのまま絶滅に向かってしまうのではないかと心配だ。そんなことにならなければいいけど。
 今度は愛知県民の森まで足を伸ばしてみてもいい。どこかもっと穴場はないものだろうか。
 一年後のことを思うと気の長い話だけど、去年のことを振り返ってみると、もう一年が経ったんだなぁと感慨深い。毎年楽しみにすることが増えるというのはいいことだ。季節の花を追いかけていれば、春から秋までは楽しみが続く。また明日、という言葉が私は好きなのだけど、また来年、という言葉も最近好きになってきた。鳳来寺のヤマユリさんたち、また来年会いにいきますね。今度は元気な姿を見せてくださいね。

せっかく趣味の料理なんだからもっと上手くなりたいと思って作ろう

食べ物(Food)
行き詰まりサンデー

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/40s(絞り優先)



 サンデー料理ネタ切れ注意報が発令された。注意報が警報に変わるのも時間の問題か!? 作るだけならいくらでも作れるし、料理自体に飽きたとかそういうことは全然ない。ただ、新しい何かを作ろうとするとどうにも行き詰まってしまって、メニューがなかなか決まらなくなってきた。目新しいアイディアが出てこないまま会議が2時間経過、みたいな感じだ。使える食材はほぼ決まってしまったし、アレンジといっても限界がある。自分が食べたくないものを作っても意味がない。結局、いい考えが思い浮かばないまま見切り発車で今までの焼き直しサンデー料理となってしまったのだった。焦げ茶色になって縮んだダイコンのように煮詰まった。

 手前は今日一番食べたかった豆腐と白身のハンバーグ。
 白身を刻んで、水切りした木綿豆腐、とろけるチーズ、タマネギ、卵、小麦粉、パン粉を混ぜてハンバーグにした。ひと工夫としては、初めて魚焼きグリルで焼いてみた。アミにアルミホイルを強いて、両面10分くらいずつ。少し焼きすぎて固くなってしまったものの、これはまずまず。もう少しイメージとしてはふっくらいくはずだったけど、チーズの料が少なかったのと、小麦粉を入れすぎたのがやや失敗を呼んだ。アルミで包んでじっくり焼くとふんわりなるのかもしれない。
 たれは、しょう油、酒、みりん、砂糖に水溶き片栗粉を加えてとろみをつけたものをかけた。

 右奥は、少し変わった卵焼き。
 とじた卵に、エビの刻み、タマネギ、長ネギ、チーズ、塩、コショウ、しょう油を混ぜて、型に流してオーブンで焼いた。
 のだけど、型のタッパーが耐熱じゃなかったようで、オーブンの中で変形してきたのであわてて取り出すことになった。こりゃいけないと、途中からフライパンでの焼きになってしまった。オーブンでやっていればふんわりふっくり卵焼きになったはずが、食感はノーマルの卵焼きになってしまってがっかり。
 ソースは、トマトジュースと赤ワインベースで作ったトマトソースにした。お手軽トマトソースは、コロッケや白身魚の他、いろいろなものに使えて便利だ。タマネギの刻みとコンソメの素、ケチャップ、砂糖、塩、コショウで10分もあれば作れる。もちろん、パスタにも合う。コショウを強く効かせて、とろみをつければ、あんかけスパにもなる。

 左奥は、ダイコンのツナ缶乗せ。
 これも今までの応用だ。ダイコンを薄めの輪切りにして、塩水で茹でる。ツナはしょう油、からし、塩、コショウ、マヨネーズ、カレー粉を入れて炒める。ダイコンの上に味付けしたツナを乗せればできあがりだ。簡単で美味しいし、ダイコン以外にもいろんな野菜がいける。

 全体としては無難にまとめた75点といったところか。味には不満がないけど、やはり冒険心の欠如が自分でもどかしい。もう少し何か変わったことをしたかった。家事の料理ではなく、あくまでも趣味としての料理なのだから。
 ただ、行き詰まっても作り続けていくことが大切なことだ。続けることで見えてくることもあるし、ふとした瞬間に突き抜けて次の段階へ進めるということもある。
 なんだかんだいって味の安定感も出てきた。よほど冒険しない限り食べられないほどひどいものにはならなくなった。ベテラン主婦さんの域にはまだまだ遠く及ばないとはいえ、若妻には負けないくらいにはなったと思う。向上心を持って続けていけば、まだ進歩する余地は充分に残っている。料理の多彩さという点では頭打ちになってきてるけど、料理の腕はまだまだこれからだ。もっと思い通りに味をコントロールできるようにならないといけない。作ってる途中で味見ばっかりして満腹になってしまうようでは問題だ。もう一度基本レシピに戻って味付けの基礎を学び直す必要もありそうだ。
 まだ料理2年生。今が辛抱のときだ。ここで頭打ちになるか、突き抜けられるかは、今後にかかっている。写真と一緒で、料理ももっと上手くなりたいと思って作らなければ上達はない。何も考えずに素振りばかりしていてもいい打者にはなれないように、ただ漠然と料理を毎日10年、20年作っていてもプロの料理人並にはなれない。せっかくの趣味なんだから、上手くなった方が楽しいに決まってる。下手の横好きなんて楽しくない。
 と思ったら、8月はのんきにサンデー料理をしてる暇がないことに気づいた。来週は東京で、次は帰郷。最終週は出かけるし、作れるとしたら3週目の1回だけだ。ダメだこりゃ。料理人への道のりは遠いなぁ。

庄内緑地試し撮り<広角編> ~K100Dと写真について考えたこと

カメラ(Camera)
庄内緑地試し撮り-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/800s(絞り優先)



 今日も昨日に引き続き、庄内緑地のK100D試し撮り写真でいこう。今回は広角系のレンズで撮ったものだ。
 まずは、PENTAXデジのレンズキットになっている18-55mmから。すごくいいわけじゃないけど、平均以上の写りなので安心して使える。私もこれを標準レンズとしている。
 PENTAX初代デジのistDはかなり地味目の発色だった。そういう声が多かったようで、2代目のistDSはかなり派手目に振ってきた。私はそこが好きでistDからDSに買い換えたのだけど、好みが分かれる発色だった。istDS2はマイナーチェンジで大きな変更はなく、K100DでPENTAXが出した答えは、中間を取るというものだった。istDSほど派手じゃなく、istDほど控えめでもない。ある意味では無難なところにまとめてきた。でも、やっぱり一目見て、PENTAX画質だなと分かる。Canonほど抜けすぎてなくて、Nikonほど深すぎない。OLYMPUSほど重厚でなく、MINOLTAほど暗くない。全体的な程良さがPENTAXデジの特徴となっている。
 もちろん、レンズによっても当然画質傾向は変わってくるのだけど、メーカーによって傾向があるのは確かだ。使い手は好みに合ったメーカーのものを使えばいい。どのメーカーの画質が一番いいかなんてことは一概には言えない。
 それから一つ最近気づいたことなのだけど、自分が使っているPCのモニターとデジカメの相性というものがあって、それによっても好みというのは大きく左右されるのだ。私はずっとNANAOのディスプレイを使っていて、これが標準と思い込んでいたのだけど、ノートPCや液晶モニターで見ると全然色合いやコントラストが違っていて驚いた。特に液晶はノートPCとモニターで全然違うし、メーカーによっても差が大きい。色合いも違うし、コントラストがディスプレイとはまるで違ってくる。ディスプレイで見ると暗すぎる写真が液晶だとちょうどいいということもある。
 そういうことを考えても、デジタル写真の画質というのはいろんな要素を含んでいて、共通言語として語るのは難しい問題だ。

庄内緑地試し撮り-2

 まともな逆光で撮ったヒマワリ。太陽は一応ヒマワリで隠れているものの、デジカメにとっては厳しい条件だ。被写体はシルエットに近くなって、空の色は飛んでしまう。
 ダイナミックレンジが広い狭いということを言うけど、実際のところはよく分からない。はっきり実感したことはあまりない。明暗差の強いシーンでどれだけ黒つぶれせず白飛びしないかも、同じシーンでいろんなデジを撮り比べれば分かったとしても、単独ではなかなか実感できないものだ。K100Dに関してはもう少し使っていかないとまだ分からない。610万画素のK100Dと、1020万画素のK10Dと比べるとどうなんだろう。

庄内緑地試し撮り-3

 強風に揺れる赤いカンナ。手ぶれ補正も被写体ブレはどうしようもない。シャッタースピードを上げて対処するか、感度を上げることになる。
 感度はISO3200まで上げられるものの、これはオマケ機能だ。さすがにノイズまみれになって実用には耐えない。せいぜいISO800までだろう。できればISO400までにしたい。ただ、ISO3200にして、50mm f1.4の開放でどこまで暗い場所でぶれずに撮れるかというのは実験してみる価値がありそうだ。シャッタースピードが1/10あればなんとかなるから、かなり暗いところでも撮れそうな気がするけどどうだろう。

庄内緑地試し撮り-4

 これはsmc Takumar 28mm f3.5で撮ったものだ。太陽が隠れて光が差してなかったときとはいえ、ちょっと色の抜けが悪い。f8くらいまで絞ってるはずだけど、キレもあまりない。条件がよくなかっただけなのか、K100Dとの相性があまりよくないのか。このレンズの評判はそんなに悪くないんだけど。

庄内緑地試し撮り-5

 これも同じくsmc Takumar 28mmで撮っている。シチュエーション的には大好きなシーンで、撮り終わった画像を液晶モニターで確認したときはすごくよかったのに、PCで見たらそれほどでもなかった。やっぱり色抜けが悪い。青が濁っている。
 K100Dの液晶モニターは嘘つきだから信用ならない。ものすごくハデハデ鮮やかでくっきり表示しすぎて、実際の撮れた画像とは大きく食い違っている。賛辞を並び立てるテレホンショッピングの宣伝文句のようだ。液晶で確認した画像はだいぶ割り引いて考えた方がよさそうだ。

庄内緑地試し撮り-6

 このシーンでのsmc Takumar 28mmは悪い印象はない。夕陽の逆光の雰囲気が出ていて、特に色が濁ってる感じもない。空のオレンジ色も飛びきってない。
 このレンズはこれまであまり出番がなくて使ってないから、まだ傾向をはっきり掴んでないというのもある。画角としては28mmの1.5倍で42mmと少し半端だけど、標準レンズの練習にはなる。

名古屋城裏-1

 日没の庄内緑地をあとにして、帰りに名古屋城裏に寄っていった。すっかり太陽も沈んで、名古屋城はライトアップされていた。レンズはTakumarの50mm f1.4。
 シャッタースピードが1/50もあれば楽勝だ。手ぶれ補正がなくても大丈夫だけど、あればやっぱり安心感がある。それにK100DのボディバランスはistDSよりもいい。グリップの形状が変わったりボディの重さが変わったりしたのもあるだろうか、istDSよりも普通にシャッターを切ったときもブレにくい感じがある。このへんも個人の手の大きさなんかが関係してきて相性というのもあるのだけど、実際使ってみるとスペックにはあらわれない使い心地の良さや悪さというのが出てくる。重ければいいというわけでもなく、軽いと不安定というわけでもない。個人的にはE-1が最も安定して撮れるけど、前に使っていたKiss Digital Nも案外悪くなかった。istDSはまあまあ良くて、K100Dはもう少しいい。

名古屋城裏-2

 Takumar 50mmは色乗りが良すぎて、やけに嘘くさい夕焼けになってしまった。実際はここまで焼けていない。
 それと、これも写真の嘘というやつで、一部を切り取ることで現実を歪めて伝えることになるというものだ。下の写真で種明かしをするとこういうことだった。上の方の青と下の方のオレンジと、そのグラデーションの一部だけを写すことで、現実とは別の主張を持った写真となる。意図せずなってしまうこともあるし、意図を持ってやろうと思えばできてしまう。

名古屋城裏-3

 18-55mmの広角端(27mm換算)で上と同じところで撮るとこうなる。でもこれは、ある意味で写真の本質を示しているとも言える。写真というのは目に見えるすべてを写し取ることはできないから、一部を切り取ることになる。どの部分をどの角度でどれくらいの大きさで切り取るかによって写真はまるで別のものとなる。そしてそれがセンスだったり、撮る人の主張にもなる。二人が同じカメラ、同じレンズ、同じ場所から撮っても写真は違う仕上がりとなるから面白い。レンズの選択肢が増えれば、写真の可能性は大きく広がっていく。
 いい写真とそうではない写真を分けるものが何かというのは私もよくは分かってない。でも、確かに言えることは、見えてる光景のどの部分を切り取るかにかかっているということだ。単純に言ってしまえばそれは想像力ということになるのだろう。絵心と言ってもいい。撮る前に頭の中に写真が完成してさえいれば、カメラやレンズの知識や技術はあとからついてくる。センスだけは教わったり学んだりするのは難しい。
 ただ、写真が絵と決定的に違うのは、短時間にたくさん練習できるという点だ。上手くなりたいと思って撮り続けていればそのうち上手くなっていくものだ。
 私ももっともっと上手くなりと思いながら、今日も明日も撮っていこう。もともと下手なんだから練習しないと上手くならない。それはスポーツでも芸事でも同じことだ。練習せずに上手くなれるものは何もない。K100Dのシャッターユニットが寿命で壊れるまで撮りまくれ、私。壊すにはあと5万回くらいシャッターを切らないといけないけど。

手ぶれ補正さえあればあとは何もいらないとまでは言わないけれど

カメラ(Camera)
庄内緑地で鳥撮り-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6, 1/320s(絞り優先)



 手ぶれ補正機能が欲しくなってK100Dを買った。まずは試し撮りということで、最も手ぶれ補正の恩恵を受ける望遠レンズを持って庄内緑地に向かった。小バズーカ砲とでも呼ぶべきSuper Takumar 300mm f4を取り付けて。
 しかし、istDSよりも更にきゃしゃで頼りないボディーとなってしまったK100Dに300mm f4は荷が重かった。レンズをつけたまま片手でグリップを持つと、グリップがちぎれそうになる。ミシミシ、バキッと音がして吹っ飛びそうで不安になる。持つときはレンズを支えて持たないと危ない。買って初日で重たすぎるレンズを付けたためにバラバラに吹っ飛んでしまったら悲しすぎる。ボディの剛性って大事なんだとあらためて思った。E-1ならこれくらのレンズではビクともしないのだけど。
 何はともあれ、早速池をのんきに泳いでいるカルガモに向かって一撃を放ってみた。何しろ小バズーカ砲なので、撮るというよりも撃つといった方が近い気がする。目標に向かって、更に二撃目をお見舞いする。がしかし、ここで問題発生。画像が異常に暗いのだ。超アンダーで真夜中のカルガモみたいな絵になってしまう。なんだこりゃ。いろいろ設定をいじってみたのに変わらない。時々適正露出になるものの、どうにも暗すぎて、プラス2.0くらい補正しないとまともな写真にならない。うーむ、なんだろう。マニュアル読んでくればよかったなぁ(読んでないのかよ)。
 istDSの場合は、絞り優先モードにして実絞りでシャッターを半押しすればデジが適正露出になるようにシャッター速度を決めてくれた。それはいつも大きくはずれることはなかった。同じようにK100Dで撮ると、異常なアンダーになってしまう。PENTAXのMレンズのように常に開放になってしまうとかではなく、絞りを絞るとシャッター速度はそれにつれて変化するのに、露出だけが正しくならない。単純にシャッター速度が速くなりすぎる。手ぶれ補正機能をオンにすると単焦点のマニュアルレンズの場合、焦点距離を入力しないといけないようになってるから、そのへんのプログラムとも関係があるのだろうか。それとも何か設定しないといけないのか。
 帰ってきてから調べたら、マニュアルモードにして、絞りリングで絞りを決めてからAE-Lボタンを押すと適正露出になるようにシャッター速度を合わせてくれるということが分かった。確かにそうやれば露出は合うようになる。けど、どうも釈然としない。istDSでできたことが後発のK100Dでできなくなってしまうということがあるのだろうか。私は露出優先モードで普通に撮りたいぞ。ピントをリングで合わせて、絞りを決めて、AE-Lボタンを指で探って押して、やっとシャッターを切ってるようでは動きのあるものに逃げられてしまうではないか。
 とりあえず今日のところは、AVモードで一回撮って、暗さ加減を再生画面で確認してから手動で露出を合わせ直して撮っておいた。これはこれで面倒すぎる。撮る枚数も2倍3倍になってしまうし。次からはあきらめてマニュアルモードで撮るしかないか。
 もしかしてこれって、私だけのつまづきなんだろうか。まさか私のK100Dが故障してたなんてオチはないだろうな。オートフォーカスの普通のレンズで撮ると露出は正確だから大丈夫だとは思うけど。

庄内緑地で鳥撮り-2

 一見ブレてるように見えるけど、このときは軽く流し撮りをして、狙ったアオサギは止まっている。手ぶれ補正はやっぱり止まる。もちろんブレるときはブレるけど、ブレずに救える写真の確率がぐんと上がる。
 手ぶれ補正付きのデジを使うのは、OLYMPUSの10倍ズーム機C-2100 Ultra Zoom以来だから、3年ぶりくらいになるだろうか。あのとき実感した絶対的とも言える効果を思い出した。公称はシャッター速度2、3段分ということになっているけど、感覚的には標準レンズで頑張れば1秒でも止まる。300mmレンズなら通常は1/300秒といわれるところを1/100秒あれば大丈夫だ。連射すれば1/50秒くらいでもいける。これはやっぱり助かる。
 ただ、手ぶれ補正に慣れるに従ってだんだんシャッターの押し方がラフになっていくので、カメラの腕は落ちると言えるかもしれない。このへんは気をつけなくてはいけない。手ぶれ補正機能はあくまでもアシストだ。

庄内緑地で鳥撮り-3

 カルガモと思ったものは近づいてよく見てみるとカルガモ模様のアヒルだった。うわー、そっくりじゃん。くちばしが黄色いからやっぱりアヒルだろう。よく確認しなかったけど、たぶんカルガモもいた。かなり混血が進んでいたかもしれない。30羽くらいいたから、境界線は曖昧になってしまっているのか。

庄内緑地で鳥撮り-4

 色の出方はistDSと比べるとややおとなしめの印象だ。設定で彩度を上げれば同じようになるのかもしれないけど、istDSのいい意味での嘘くさい派手さが好きだった私としてはやや物足りない。
 デジとしての基本部分は共通だから、画質傾向は変わらない。istDS2を経てK100Dというふうにステップを踏んでるわけだから、ある程度は画質も向上してるのではないかと思う。あまり分からないけど、同じ場面を撮って並べて比べたら気づくだろうか。

庄内緑地で鳥撮り-5

 左のタイヤに乗ってるのがカルガモで、右の水にいるのがアヒルだと思ったんだけど、急に自信がなくなった。くちばしが黒いけど、こっちもアヒルだろうか。ホントに分からない。黒ずんだ黄色なら、やっぱりアヒルか。カルガモって夏になると姿が変わったりするんだったか。アオクビアヒルとマガモの区別はつくようになったけど、こんなとこにも落とし穴があった。

庄内緑地で鳥撮り-6

 オーバー露出で普通なら失敗写真だけど、怪我の功名で淡い水彩画のような仕上がりが気に入った。これはこれで成立している。露出は必ずしも適正でなくてもいいということだ。わざとローにしたりハイにしたりというテクニックもある。ただ、あまりやりすぎるとあざとい感じになって嫌味な写真になってしまう。

庄内緑地で鳥撮り-7

 小バズーカで花撮りは無理があった。何しろ最短焦点距離は5.5メートルと、近接用途はまったく考慮されていないレンズだから。これで記念写真を撮るのも難しい。さあ、撮りますよぉと言ってどんどん後退していって、ようやくピントが合うのが5.5メートル後ろになる。それでも顔のドアップになってしまうから、更に10メートルくらいまで下がらないとまともに撮れない。一度動物園に持っていったけど、にっちもさっちもいかなかった。

庄内緑地で鳥撮り-8

 無限遠も出てるようで安心した。K100Dとこのレンズの相性は悪くなさそうだ。無限遠が出ないと使い勝手が極端に悪くなる。
 2100UZの手ぶれ補正はファインダーで揺れが止まるのが分かったから実感しやすかったけど、K100Dはボディ内蔵方式だから効いているのかどうか撮っているときには分からない。撮れた写真を確認して初めて分かる。今回ざっと撮ってみて、その効き具合はだいたい掴めた。思った以上に止まる。これくらい効けば300mmでも安心して使える。300mmで絞って使えれば圧縮効果の効いた写真も撮れるようになる。

庄内緑地で鳥撮り-9

 手ぶれ補正機能は付いていて邪魔になるものではない。すべてのデジに必要な機能とさえ私は思う。特に初心者にこそこの機能は必要不可欠だ。これがあればどれだけ多くの失敗写真を救えるか。
 もはやカメラはほとんどがオートで機能して写真を撮ってくれるようになった。ピント合わせも自動、露出も自動、それらの精度は年々上がっている。ほとんど誰が撮っても致命的な失敗する可能性はほとんどなくなったとさえ言える。残る大きな失敗の原因は手ぶれだけだ。逆に言えばこの失敗の原因さえ対処できれば、もう失敗する理由はなくなるということだ。技術的な問題さえクリアできればぜひ付けるべきだ。必要ない人はこの機能をオフにすればいい。
 カメラは単に写真を撮るための道具ではないから便利ならいいってもんじゃないと人は言うかもしれない。確かにその通り、私もいろんなカメラやマニュアルレンズを使う楽しさは知っている。けど、道具であると考えたとき、不便なものよりも便利な方がやっぱりいいだろう。テレビに付いたチャンネルをガチャガチャ回して変えるよりも離れたところからリモコンで操作する方が楽なように。
 あとはCanonとNikonがどう出てくるか。どちらも手ぶれ補正付きの高いレンズを持っているから今のところ手ぶれ補正のボディ内蔵には消極的なようだ。けど、もしこの2大メーカーのどちらが導入に踏み切ったら、デジカメの流れはまた大きく変わることになる。長らく低調を続けていたPENTAXが手ぶれ補正のK100DとK10Dで一気によみがえったのを見て何も感じなかったということはないはずだ。OLYMPUSもついにE-510で導入してきた。おそらくCanonから動くことはないだろうから、まずNikonから動いて欲しい。D80とD200が出たばかりだからまだ先になるだろうけど、後継機に手ぶれ補正を付けたらD70を超えるヒットになるんじゃないか。
 私としてはしばらくK100Dがメイン機になるだろう。K10Dは思ったほど画質のアドバンテージがないようだから、焦って乗り換えることもない。手ぶれ補正機能が活かせる夜景の手持ちや水族館など、今後も活躍の場が広がっていきそうで楽しみが増えた。

キワモノとして笑い飛ばせない哲学堂はいまだ消化不良のまま

東京(Tokyo)
哲学堂-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/30s(絞り優先)



 ゴールデンウィークに中野区にある哲学堂公園へ行った。行くまで哲学をテーマにした公園というのがどんなものかイメージできず、行ってみたら想像してたのとはずいぶん違ったので、自分の中で哲学堂の位置が定まらなかった。愛知の日進市にある宗教公園五色園のようなものだかと思ったらそうではなかった。あれはキワモノとして笑えたけど、哲学堂は笑えるようなものではなかった。なので、自分の中でどう処理をして紹介すればいいのか方向性が見えずにこれまで放置したままになっていた。
 今ここで引っ張り出してきたのは哲学堂と折り合いがついたからではなく、単なるネタ不足からだ。それでも、ずっと気になっていたから、これはいいタイミングだったのだろう。もう未解決のまま出してしまって、あとはこれを見て読んでくれた人の判断にゆだねたい。哲学堂ってどんなところと訊かれても私は口ごもって答えられない。美味しくもなく不味くもない変わった味の料理を口にしたときのあの感じだ。なんて言ったらいいのかなぁと、そのあとの言葉が続かない。あるいは、この不可解でモヤモヤっとした印象を与えるところが哲学堂の真骨頂なのかもしれない。

 いくつかある入り口の中で、やはり正門に当たる哲理門をくぐって入ろう。一見神社か寺かと思わせるけど、ここは宗教的な施設ではないので、神様関係のものはない。この門の左右にも、仁王様ではなく天狗と幽霊がいる(幽霊って)。通称、妖怪門。
 なんでそんなものがここにいるかというと、天狗は物質界、幽霊は精神界における不可解を象徴してるのだとかなんとか。よく分からないのだけど、入り口から立ち止まって考え込んでいては前に進めないので、あまり深く考えず先を急ぐことにする。妖怪博士と呼ばれた創設者の井上圓了の『妖怪学講義』を読めば謎解きはできるのだろうか。
 この施設が作られたのが明治期なので、このあたりの建物も非常に古びている。神社仏閣なら味わいとなるところだけど、ここの場合はなんとなくおどろおどろしい。幽霊が出るというウワサも本当かもしれないと思わせる変な説得力がある。屋根瓦の「哲」マークはちょっと受けた。

哲学堂-2

 この日は年に二回ある内部公開の日に当たっていて(春はゴールデンウィーク中)、各建物の内部に入ることができた。日頃は訪れる人も少なくひっそりしているであろう哲学堂も、このときは大勢の人で賑わっていた。こんなに人気スポットだとは思いもよらなかった。普段の哲学堂を知ってる人もこの姿には驚きだったろう。
 上の写真は、寝そべった釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)がいる「四聖堂」という建物の中だ。四聖とは孔子、釈迦、カント、ソクラテスのことを指す(井上圓了が勝手にそう決めただけだと思うけど)。
 井上圓了は明治から大正にかけての仏教哲学者で、東洋大学の前身である哲学館の創設者でもある。単なる変わり者のおやじさんとかではないので間違えてはいけない。
 時代をさかのぼればこの地は源頼朝の重臣の和田義盛が陣屋をかまえた和田山だった。私財をなげうって土地を買い、哲人養成のための施設を作る足がかりとして建てられたのがこの四聖堂だった(明治39年)。一年のうち260日も講演で全国を回る生活を14年も続けて、その講演料をあらかたつぎ込んで哲学堂建設に力を注いだということはかなりの力の入れようだ。伊達や酔狂の次元ではない。
 のちに四聖堂は哲学堂と呼ばれようになって、それがこの施設全体の呼び名となった。
 井上圓了のそんな強い思いを知るよしもない私たちは、休憩所代わりにここに上がり込んで、しばしくつろいだのだった。あとから来た親子連れなどは完全にリラックス状態で、ヘタしたらお弁当を広げそうな勢いさえ見せていた。まるで民宿の部屋に上がった一家という風情だった。

哲学堂-3

 こちらは小講堂としての役割を持つ「宇宙館」だ。この日も哲学に関する講義が行われていて、受講者もけっこういた。右に写っているオレンジ色の人たちはどうやらスタッフのようで、10人かそこらいた。内部公開ということで、ガードマン的な人たちだったのだろう。建物は中野区の文化財でもあるから、無茶されたら困る。
 宇宙館というからには宇宙についてもいろいろ勉強する場だったのだろう。井上圓了の思想は全然知らないから、どういう宇宙観を持っていたのかも分からない。
 宇宙館の隣には幽霊梅と呼ばれる木がある。駒込の家の庭にあった梅のところでよく幽霊が出たから、それをここに移し替えたんだとか。なんでそんなことするかなぁ、圓了先生。当時の梅の木がそのまま残ってるというわけではないだろうけど、ここで写真を撮るとよからぬものが写るという話もあったりする。

哲学堂-4

 宇宙館の中には聖徳太子像がいる。どうして宇宙と聖徳太子の組み合わせなのかは謎だ。
 そもそも、聖徳太子の存在は近年、非常にあやういものとなっている。その存在が疑われ始めて、教科書からもどんどん消えていっているというのだ。あれは作られた幻の人物像の可能性が高いから、そんな不確かな歴史を教科書に載せるのはやめておこうということらしい。少し前までは1万円札の肖像画だったのに、時代は変わった。この先、日本人はどこかで聖徳太子を知ってる世代と知らない世代の境目ができることになる。

哲学堂-5

 公園内には大小あわせて哲学に由来する77の建物や施設がある。その中で一番目につくのが、この赤い二重の塔っぽい「六賢臺(ろくけんだい)」だ。木造六角形の外観で、内部はかなり狭い。二階まで上がれるようになっているのだけど、階段などではすれ違うことさえできない。二階も4人も入ったら満員御礼になって身動きもままらない。この中ではとても暮らせないなと思う。
 六賢は、井上圓了いわく、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅仙ということになっている。これが東洋代表メンバーらしい。いったい、圓了先生は誰が好きで、誰を尊敬していたのだろう。いろんな代表選手を選出していて、その根拠が分かりづらい。

哲学堂-6

「無盡藏」の内部。普段入れないところに入れる物珍しさはあるものの、入ったからといって特別面白いものや興味を引くものがあるわけではない。床に置かれた白い人物像が井上圓了像だといわれても、へぇーと思うくらいでそれ以上の感想は持ち得ない。なんだろう、哲学堂、行く前も、訪れてる最中も、行ってきたあともよく分からない不思議なところだ。
 このほか、三學亭、絶對城、髑髏庵、鬼神窟、靈明閣などという恐ろしいような大げさな名前のついた建物がいくつかあって、心字池、倫理淵、理性島、概念橋など自然や人工物にもいちいち名前がつけられている。ネーミングマニアと言ってもいい。

哲学堂-7

 この日は特別な日で人も多かったから普段とはまるで違った雰囲気だったのだろうけど、こんなワンシーンが今の哲学堂公園を象徴しているのだろう。近所のおじさんたちが集まってきて、ベンチでひなたぼっこをしたりおしゃべりをしたり、公園にいる猫が横でねそべっていたりする。和服の異人さんまでいて、おじさんと将棋を指していた。南米のどこかの国から来たと言っていた。ボリビアだったか、パラグアイだったか、そんなようなところだ。カタコトならが日本語でのコミュニケーションも成立していた。私たちもおじさんたちと猫の話をした。
 井上圓了の没後、本人の遺志によって1944年、哲学堂は東京都に寄贈された。それを公園として整備して、1975年には中野区が管理するようになった。今となっては哲学そっちのけの普通の公園となっている。中野区民が哲学するためにここへやってきて瞑想するなんてところではない。桜の名所としてもちょっと知られた場所となっている。

哲学堂-8

 大きい池が心字池で、こちらの小さい池は唯心庭(ゆいしんてい)という庭扱いとなっている。東京のちびっ子たちがザリガニ釣りをしていた。夕方の木漏れ日の中で、平和な光景だった。東京というと街中の殺伐としたイメージが強いけど、意外と緑や自然が多くて、子供たちもそんな中で元気に遊んでいる。こういう一部分だけ切り取ってみると、私たちが子供だった頃とそんなに変わってないようにも見える。

哲学堂-9

 鳩を手なずけて自由自在に操っているおじさんがいた。何を語りかけるでもなく、ニコリとするわけでもなく、淡々と仕事のように手から鳩にエサをやり、肩に乗せて戯れていた。東京ってこういうおじさんが多い。カモたちにエサをばらまいてるおじさんや、スズメと完全に友達になってるおじさんとかを私は見た。名古屋ではそんな人は見たことがないんだけど。
 ある意味では、このおじさんが哲学堂の中でもっとも哲学しているように見えた。哲人鳩オヤジと名付けたい。

 哲学堂は行ってみないとよく分からないとこだけど、行ったとしても今ひとつ理解は出来ない。いったい何がしたかったんだろうという疑問が頭の中で空に浮かんだまま着地点を見いだせない。学問所でもなく、宗教的な施設でもなく、一般に対する積極的な働きかけもない。どうぞここで思う存分哲学してくださいという姿勢のようなものも見えない。哲学を優しくかみ砕いて誰でも理解できるように説明しようなんて気もないようだ。
 哲学というのは学問としての側面だけでなく、人が生きていく上で幸せに暮らすための方法論としての側面が大事だと私は思っている。自分も他人も幸せにしない哲学なんて価値がない。だとするならば、難しい論理も出来る限り分かりやすい形にして提出してみせる必要がある。小難しいことを言ったり論理をこねくるなんてのは自己満足でしかない。
 そういう意味では、個人的な印象として哲学堂には物足りなさを感じた。せっかくここまでの施設を作って広く一般に公開してるのに、それをいかしきれていない。もったいない。もっと哲学に親しんでもらうための工夫をした方がよかったんじゃないか。難しい名前の建物を建てるだけでは普通の人が哲学に目覚めるためのきっけにはならない。哲学者に興味を持ってもらうためには、哲学者たちの人間的なエピソードの一つでも紹介すればいい。釈迦は恵まれた王子だったのにカミさんと子供を捨てて自分だけ悟りのための修行をしたとか、そんなようなことでもいい。
 まあしかし、哲学堂の哲学的な部分は置いといて、こういう施設が公園として引き継がれたということには意味がある。キワモノ的存在として徹底されてないのが残念といえば残念だけど、ユニークな存在であることは間違いない。哲学公園なんて世界でもそうはないだろう。
 次の内部公開は秋。10月いっぱいの土日祝日なので、行ける人はぜひ一度行ってみることをおすすめしたい。私も消化不良を起こしたままだから、もう一度行ってきちんと消化する必要があるかもしれない。

東京の拠点である目白界隈を歩いて集めた小ネタ集

東京(Tokyo)
目白界隈-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/250s(絞り優先)



 ヤマユリと鳳来寺行きで撮った写真を現像に出して、出来上がってくるまでネタ切れ注意報発令。今回は安さに惹かれてネットで注文したので、返送されてくるまで3、4日はかかる。この間、何かでつながないといけない。さて困ったなと思いつつ過去の写真を漁っていると、東京へ行ったときに撮った写真でこぼれているものが何枚か見つかった。その中から今回は、私の東京の拠点である目白界隈の写真を紹介しようと思う。半年以上に渡って目白、雑司ヶ谷方面はちょくちょく歩いているので、気がついたら小ネタがけっこう集まっていた。季節はバラバラだけど、今日はこれを使うことにしよう。

 護国寺の前の大通りを雑司ヶ谷方面に向かって歩く。昭和シェルを過ぎたあたりを右側に入っていくと、民家の庭のようなところに古い神社がある。何も知らなければただ通り過ぎてしまうところだし、そもそも入っていっていいのかどうかもためらわれるような雰囲気があって人を寄せ付けない。でも、いわれを知っていればちょっと見ていこうかということになるのがここ、清土鬼子母神(せいどきしもじん)だ。鬼子母神堂の本尊となった鬼子母神像はこの地で見つかったといわれている。
 室町時代(1561年)、村人が畑仕事をしていたらクワの先にガチンという手応えがして石っころかと思ったら何かの仏像で、なんじゃこりゃと思いながら、東陽坊(のちに大行院と改称後、法明寺に合併)で坊さんに見てもらったところ、こりゃあおまえ、鬼子母神の像だぞということになって、それが現在の鬼子母神堂が誕生するきっかけとなったのだった。
 村人としては仏像よりも小判の方がありがたかっただろうけど、東陽坊の坊主がひそかに自分のものにしようとして故郷に持ち帰ったらひどい病気になってあわてて寺に返したという話を聞いたときは、下手なことをしなくてよかったと安堵したんじゃないだろうか。落とし物の取り扱いには注意が必要だ。1億円拾った大貫さんはあの後どうなったんだろう。

目白界隈-2

 境内には三角形の井戸があって、掘り出した鬼子母神像をこの水で洗い清めたというエピソードが残っている。そのとき井戸の水面に星の影が現れたことから、井戸を星の清水とか星の井などと呼ぶようになった。
 現在井戸の水は枯れているようだ。
 この清土鬼子母神の奥に、かつて菊池寛の邸宅があった。

目白界隈-3

 目白台を抜け、雑司ヶ谷霊園の横を過ぎて、都電荒川線の線路を越える。雑司ヶ谷駅と鬼子母神駅の間に、雑司ヶ谷大鳥神社(大鷲神社)がある。ここも鬼子母神と関わりが深い。
 創建は江戸時代の1712年。旧称を鷺明神といった。祭神は、日本武命(やまとたけるのみこと)で、相殿には倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られている。
 もともとは鬼子母神の境内にあったものが、明治の神仏分離令で大鳥神社と改称、分離してこの地に移された。
 毎年11月には酉の市が行われて、なかなか賑わうそうだ。地元の人には雑司が谷のお酉様と呼ばれて親しまれているという。

目白界隈-4

 鬼子母神堂は法明寺ともつながる。というよりも、鬼子母神堂は法明寺の飛地境内なので、こちらの方が本家(本坊)だ。鬼子母神堂の北、住所としては南池袋3丁目に位置している。
 創建は810年。弘法大師の開基とされているけど定かではない。もともとは威光寺という真言宗の寺だったものが、1312年に日源上人が日蓮宗に改宗して威光山法明寺と名を改めた。
 三代将軍家光以降、将軍家にも大事にされて大きくなっていく。関東大震災、第二次大戦それぞれで倒壊、消失して、そのたびに再建されて今に至っている。
 江戸時代に参道の両脇に桜を植えて以来、桜の名所として名が知られるようになった。桜の季節には参道の両側に座り込んで花見をする人が多数出現する。写真で見ただけだけど、それはちょっと変な光景で笑えた。来年は実際の様子を見てみたい。

目白界隈-5

 神社仏閣巡りの次は教会巡りだ。目白通り沿いにある目白聖公会に入ってみた。昼間の時間帯なら門も扉も開いていて、誰でも自由に入っていくことができる。オープンマインドな教会だ。
 大正7年(1918年)、この場所にあった病院の建物を改造して教会にしたのが始まりだった。現在の聖堂は昭和4年(1929年)に建てられたもので、空襲にもあわずに今も当時の姿をとどめている。木造の平屋建てで、東京の聖公会教会(33)の中では最も古く、唯一戦前の建物だ。
 教会創立から90年近く、建物も80年になる。その割には古びた印象もなく、格式張ってなくてキリストとは無関係の人間でもなじみやすい。信者のミサだけではなく、一般向けのいろんな催し物やコンサートなども多く開かれているようだ。

目白界隈-6

 聖堂の内部はこじんまりしていて、ぬくもりと神聖さがほどよく混じり合って居心地がいい。ここにも本物の教会だけが持つ、外界とは隔絶された非日常的な空気感が支配していた。密度はなかなか濃い。教会でもその空気感の密度は違って、スカスカに抜けてしまっているようなところもある。
 教会が日常になってしまうとそれはそれで面白くないのだけど、たまに行くと身も心も浄化されてすっきりする。

目白界隈-7

 ここの名物になっている大きくて美しいステンドグラスがこれだ。「聖家族」というタイトルがつけられている。100年以上前にイギリスで作られたものを譲り受けたそうだ。
 柔らかい夕方の光を受けたステンドグラスは、とてもすてきだった。

目白界隈-9

 目白通りの南、下落合2丁目にちょっと目を引く古い建物がある。日立目白クラブ、かつて学習院の寄宿舎「昭和寮」だったものだ。
 昭和3年(1928年)の建築で、鉄筋コンクリートの2階建て。その前は学習院院長の近衛篤麿公爵邸がここに建っていた。今の天皇陛下もここで寮生活を送っていたんだそうだ。戦後の昭和28年(1953年)に日立製作所の所有となった。
 一般人は立ち入り禁止なのが惜しい。年に数回でもいいから公開してくれないだろうか。

目白界隈-8

 個人的に思い出深い、バプテスト目白ヶ丘教会。思えば去年の12月の早朝6時半、私の東京通いはここから始まったのだった。あの時期、あの時間帯、あの場所でと、今では笑い話となっている。

 東京へ行くと電車以外は歩くより他に移動手段がない。普段は車生活を送っているから、それはとてもまどろっこしく感じられることなのだけど、歩いたからこそ見える風景があり、撮れる写真があり、気づくことあるのはいいことだ。名古屋だと車で通りすぎて見逃してしまうことも、東京ではいろんな小さな発見がある。歩くということは今更ながら偉大なことだと思う。
 これからも目白界隈はあちこち歩くことになる。ぼちぼち写真を撮っていって、たまったところでまた目白界隈編を書くことにしよう。それに私には豊島区のレンタサイクルカードという武器がある。豊島区民でもないのにレンタル自転車の会員権を持っていて、いつでも24時間100円で自転車を乗り回すことができるのだ。今度はこいつに乗って、小石川植物園あたりまで繰り出してやろうと計画している。新宿御苑あたりも行けるだろう。頑張れば東京ドームあたりまで行けるかもしれない(ホントかなぁ)。
 肩からデジカメをぶら下げて豊島区のレンタサイクルに乗って写真を撮っている男がいたら、それは私である確率がものすごく高いです。見かけたら声をかけてください。

信長、秀吉も大事にした津島神社へ行ってスサノオと友達になっておこう

神社仏閣(Shrines and temples)
津島神社鳥居




 愛知県津島市にある津島神社は、愛知県を代表する神社の一つだ。知名度こそ熱田神宮や豊川稲荷に劣るものの、立派さや歴史では同格と言ってもいいんじゃないかと思う。今日はそんな津島神社について少し書いてみたい。
 言い伝えでは創建から1460年なんてことも言われたりする。その伝説はこうだ。
 アマテラス(天照大神)の弟で暴れん坊のスサノオ(建速須佐之男命)は、父のイザナギ(伊邪那岐神)の言うことをまったく聞かなかったために怒りを買い、姉は悲しんで天岩戸(あめのいわと)に隠れてしまい、神様会議でついに追放の憂き目にあってしまう。こりゃまずいと思ったスサノオは、出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)退治して汚名返上、名誉挽回したのち、八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)をアマテラスに渡してなんとか許してもらった。その後、スサノオの荒御魂(あらみたま)は出雲にとどまり、和御魂(にぎみたま)は紆余曲折を経て津島の地に収まり、それが津島神社の始まりとなったというのだ(540年)。
 しかしながら、延喜式神名帳(平安時代に編纂された公式の神社一覧)に記載がなく、公式記録に出てくる最初が1175年ということで、平安時代後期の創建というのが実際のところのようだ。
 古くは、津島牛頭天王社(つしまこずてんのうしゃ)と称して、牛頭天王を祭神としていた。牛頭天王はもともとインドの祇園精舎の守護神で、疫病をまき散らしながら一方で病から人々を救うという複雑な神だ。現在、牛頭天王信仰では西の八坂神社、東の津島神社と並び称され、東海地方を中心とした約3,000の津島社、天王社の総本社となっている。
 戦国時代、地元出身の織田信長、豊臣秀吉、徳川家に大事にされて大きくなった。特に信長は津島神社を氏神として手厚く保護した。織田家の家紋と津島神社の神紋は同じ木瓜紋が使われている。秀吉も楼門を寄進したり、社領を与えたりしている。
 江戸時代にはお伊勢参りのとき一緒に津島神社も参るのが習わしとなり、伊勢神宮だけでは片参りとまで言われたんだとか。
 現在でも全国から人が訪れ、初詣は30万人、年間の参拝者は100万人を超える。



津島神社楼門

 津島神社の中で最も目を引くのは、なんといっても秀吉が寄進した朱塗りの楼門だ。1591年に建てられた楼門は、三間一戸の入母屋造、檜皮葺で、桃山時代の壮麗な造りになっている(重要文化財指定)。



津島神社南門

 小振りな南門は、豊臣秀頼が父秀吉の病気平癒を祈願して寄進したものだ(1598年)。
 父を超えるような立派なものは造ってはいけないと思ったのか、楼門と比べてしまうといたって地味な造りになっている



西日が当たる境内

 東に楼門があって、本殿は北に位置して南を向いている。境内はそれほど広いというわけではない。ただ、南にある大鳥居までがかつての境内とするなら、昔はもっと広かったのだろう。今は参道と駐車場を兼ねていて情緒がない。
 社殿を囲むようにたくさんの摂社、末社があるのもここの特徴で、全部で34社も入った大所帯となっている。



拝殿正面

 社殿は尾張造と呼ばれる形式で、拝殿、本殿、祭文殿が左右対称に配置されて回廊によってつながっている。
 1605年、家康四男の清洲城主松平忠吉の病気がよくなるようにと、妻の政子が寄進した。
 三間社流造の檜皮葺で、桃山時代の建築美を残すということでこちらも重要文化財に指定されている。
 祭文殿、拝殿、回廊、いずれも江戸時代に建てられたものがそのまま残っていて、歴史的な価値が高い。空襲で焼けなかったのは幸いだった。
 現在の祭神は、スサノオと、息子のオオナムチ(大穴牟遅命)になっている。明治の神仏分離令で仏教的なものが排除されて、社名も牛頭天王を外して津島神社となった。



参拝者

 神社に日常的に通っているお年寄りは多い。それは神への信仰とかとは少し違うものかもしれない。
 神社に通い詰めたからといって必ず幸せになれるわけではないだろうけど、信心というのは必要なものだと思う。すがるのではなく、自らの心を正すという意味において。人間は世界の王様なんかじゃない。
 それにしても、こういう姿を見ると私はいつも不思議に思う。ギャルはいつ神社通いをするおばあちゃんになり、ボーイはどこで神社じいさんになるのだろうか、と。その境がよく分からない。はっきりしたものではないだろうけど、どこかで神社通いが始まるのだ。その境界線がなんとなく気になる。私はまだまだ日常レベルにまでは達していないし、自分がそうなるような気はしないのだけど、いつか気づいたら神社通いじじいとなっているのだろうか。



拝殿から本殿を望む

 津島神社といえば、500年続く尾張津島天王祭で有名だ。毎年7月の最終土日におこなわれる。
 土曜日の宵祭(提灯祭)と、日曜日の朝祭(車楽祭)を中心として、3ヶ月に渡って行われる津島神社の大祭で、大勢の見物客が訪れる。365個の提灯を掲げた5艘のまきわら船が夜の天王川をゆらゆらと渡り、能人形を飾った6艘の車楽船(だんじりぶね)が朝の天王川に勢いよくこぎ出す。桶狭間の戦いの2年前に織田信長も奥さん連れで見物した。秀吉もお気に入りの祭りだったという。
 大阪の天満天神祭、広島厳島神社の管絃祭(かんげんさい)とともに日本三大川祭りの一つとされている。

 津島神社は由緒もあって、立派な建物が揃ったいい神社なのだけど、いかんせん情緒が足りない。神聖さをぶちこわす無粋な看板やレッドコーン、プレハブ建築などが至る所に散乱していて、どうにも興醒めしてしまう。これでは神妙な気分に浸れない。演出がなってないというか、徹底が足りないというか、美意識に欠ける。神社もある意味ではテーマパークのようなものなのだから、時代考証が間違っていたり、雰囲気を壊してしまうようなことはなるべくやめた方がいいんじゃないかといつも思う。神社全体をワンセットと意識すれば、何を置いてはいけないかが分かるはずだ。神社プロデューサーという職種の人間がいたとしたら、一目見てここはダメ出し連発となるだろう。格式を上げるためにも、歴史のある神社として自己演出を一から見直した方がいいと思う。ちょっとの工夫と気遣いでもっといい神社になるに違いないから。
 と、ここまで書いて、津島神社の御利益を知らないことに気づいた。元暴れん坊でのちにヒーローとなったスサノオに私たちは何をお願いすればいいのか。そして、スサノオは私たちのどんな願いを叶えてくれるのだろう。スサノオといえば、日本初の和歌を詠んだり、寂しがり屋だったり、ただの暴れん坊ではない。敵にすると恐ろしく、味方にすると人なつっこくて頼りになるやつという気がする。だから、願い事はともかくとして、友達になっておいて損はない。男気あふれる神だから、困ったときには助けてくれるだろう。信長も秀吉も、そんなスサノオの人間くささが好きでこの神社を大事にしたのかもなんて想像してみる。
 
【アクセス】
 ・名鉄尾西線「津島駅」下車。徒歩約20分。
 ・無料駐車場 あり
 

フィルムの現像がまだだから森林公園の花で場つなぎ

花/植物(Flower/plant)
森林公園の花-1

OLYMPUS E-1+SMC Takumar 135mm(f3.5), f3.5,1/50s(絞り優先)



 昨日行った鳳来寺方面の写真は、まだ現像に出してないから使えない。36枚撮りフィルム2本目の途中で終わってしまったから、まずはそれを使い切らないといけない。フィルムのこのタイムラグというのは、やっぱりネット向きじゃないとあらためて思った。今日撮ったものを今日使えなければ、ネットではどんどん鮮度が落ちていく。そうなるともう、画質どうこうという話ではなくなる。やはりデジカメというのはネット社会が生み出した必然だったのだ。

 なので今日は、この前森林公園で撮ってきた花写真でつなぐことにする。時間がないから、ざっと簡単に。
 まずはノギラン(芒蘭)。湿地などの湿ったところで咲く。離れて見ると地味だけど、ぐぐっと近づいてみると可憐で魅力的な花だ。

森林公園の花-2

 ミミカキグサ(耳掻草)。名前の通り、花が耳かきのような形をしている。
 これも湿地の花で、小さいのでよくよく探さないと見落としてしまう。
 見た目のひ弱さとは裏腹に、こいつも虫を捕まえて食べる食虫植物だ。地下茎や葉っぱの根本に捕虫嚢をつけて、プランクトンなんかを食べて栄養にしている。

森林公園の花-3

 いくつかあるトラノオと呼ばれる花の中で、陸の乾いたところに咲くオカトラノオ(丘虎尾)。湿地などに咲くのはヌマトラノオ。
 ハナトラノオなどもあるけど、トラノオ科やトラノオ属というものはない。見た目で虎の尾に似てる花は種族にかかわらずそういう名前をつけられてしまっただけだ。でも、オカトラノオは虎の尾には似てない。

森林公園の花-4

 ウツボグサ(靫草)。
 海のギャングと呼ばれるウツボとは関係なく、弓矢の矢を収める靫から名付けられたといわれている。もしくは、空穂に形が似ているからという説もある。

森林公園の花-5

 おなじみのネムノキ(合歓木)の花だ。これも夏を思わせる花の一つだろう。
 夜になると葉を閉じる様子が眠ってるように見えて、そこから眠いの木、ネムノキになった。

森林公園の花-6

 たぶん、インドハマユウ(印度浜木綿)。アフカリハマユウと呼ぶべきか。
 一見ユリのように見えるけど、花がくたっとして元気がない感じなので、こりゃ違うなと思う。これでも本人としては一所懸命咲いているのだろう。実際、非常に強い花だという。

森林公園の花-7

 クチナシ(梔)。夏の強い香りの代表選手だ。
 実は朱色に熟して口が開かないからクチナシとなった。
 この花を見ると反射的に、♪くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる~♪ と頭の中で流れ出すのは30代以上。今の若者は渡哲也が歌手もしていたことはきっと知らない。

森林公園の花-8

 たぶんヒヨドリバナ(鵯花)。フジバカマは秋だし、サワヒヨドリはもう少し赤みがあって湿ったところに咲くから。
 名前の由来は、ヒヨドリが鳴く頃に咲くからというのだけど、そんな花はいくらでもあって、あえてこの花にこの名前をつけることはなかった。ヒヨドリとこの花とは何の関係もないし。

森林公園の花-9

 なんとなく見覚えがある気がするけど、思い出せなかった。花はセンニンソウに似てるけど、あれはこんな咲き方じゃなかった。近いうちに調べておこう。もしくは、親切な人が教えてくれるのを待とう。

 とりあえず今日はここまで。明日から週末まで、フィルムの現像が終わるまで何かでつかがないと。
 明日はフィルムの残りを使いつつ、デジでネタを拾ってくることにしよう。

デジイチで押さえたヤマユリの写真一枚で続きはフィルムで今週末

花/植物(Flower/plant)
ヤマユリデジイチ押さえ

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/1000s(絞り優先)



 今年で3年連続になった、鳳来寺のヤマユリ見物。今年はどういうわけか不作のようだったけど、それでも一部できれいに咲いているところを見られてよかった。
 今回は銀塩のフィルムで撮ってきた。上の写真はデジで押さえに撮っておいた一枚。現像に出してできあがってきたら、ヤマユリレポートをお届けする予定です。たぶん、今週末くらいになりそう。
 今日は予告編ということで、これにて終了。また明日。

純昭和遊園地シートレインランドで心も体もリラクゼーション

施設/公園(Park)
シートレインランド-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/125s(絞り優先)



 日曜日の夕方。季節は初夏で、天気は曇天。人もまばらで閑散とした遊園地は、けだるい空気に満ちていた。手持ちぶさたの係員と、居心地悪そうなカップル、そして3人親子がひと組。名古屋港シートレインランドは不思議な異空間と化していた。そこにうっかり足を踏み入れた私たちは、ひどく場違いなところに迷い込んだようでとまどった。
 誰も乗っていない観覧車は、ただ当てもなくぐるぐると音もなく回り続けている。

シートレインランド-2

 無人のメリーゴーランドも動きを止めたまま、深い眠りについている。歓声と笑顔に包まれていた幸せな頃の夢を見ていただろうか。
 回らないメリーゴーランドは、ただの大きな置物でしかない。

シートレインランド-3

 JAFの会員割引を駆使して一人600円のところを500円で観覧車に乗る私たち。苦しい経営状況に追い打ちをかけるむごい仕打ちだ。
 上から見ると、ポツリ、ポツリと訪れる人が見えて安心する。それにしても、これは日曜日の夕方の遊園地風景ではない。あまりにも人が少なすぎる。維持費と人件費の方が売り上げを大きく上回るに違いない。大丈夫なのか。それとも、時間帯によってはもっと賑わっているのだろうか。

シートレインランド-4


 遠くに見えている色のある街並みがイタリア村だ。高いところから見ると、イタリア村が名古屋港の中でいかに場違いかよく分かる。地上から見るとこれほど違和感はないのだけど。
 シートレインランドとイタリア村はけっこう離れている。名古屋港水族館が写真でいうと右手にあって、3つを巡るとなると移動距離がけっこう出てくる。今更もっと凝縮して欲しいなんてのは無理な注文だけど、このあたりにも名古屋港再開発計画の行き当たりばったりさがよく出ている。愛・地球博で使い終わったゴンドラをここに持ってくればよかったのに。話題にもなるし、移動も便利になっただろうに。

シートレインランド-5

 名古屋駅との距離感はこんなところ。超高層ビルがこれだけ小さく見えるということは、やっぱりけっこう遠い。地下鉄なら30分くらいだろうか。車だと道路状況を考え合わせると1時間近くかかる。ロケーションの悪さも名古屋港が観光地として発展しなかった原因の一つだろう。名古屋駅の裏手あたりにあれば、相乗効果で今頃もっと賑わっていたはずだ。名古屋の景気の良さも、名古屋港までは届かなかった。
 シートレインランドは、もともとJRの貨物駅跡に作られた遊園地で、ちょっと驚くことにJR貨物が経営している。母体がしっかりしてるからなんとか営業を続けていくことができてるのだ。独立採算ではとても持たない。
 名前のシートレインランドというのは、海のシーと列車のトレインから来ているんそうだ。さっき初めて知った。どこからトレインが来たんだろうと不思議だったけど、これで納得した。
 この日は残念ながら雲に覆われていて遠くまで見渡すことができなかった。晴れた日は、伊勢湾や鈴鹿山脈まで見渡せるそうだ。でもここはやはり夜がいい。名古屋の夜景がきれいだろう。
 それにしてもこの観覧車、妙に怖い。下がスカスカなのに加えて、中で人が移動すると怪しく揺れるのだ。二人が同じ側に座ると傾くし。高所恐怖症の人は失神しそうだ。

シートレインランド-6

 この遊園地は、どこをとっても昭和の香りがする。かつてデパートの屋上にあったミニ遊園地のテイストそのままで、アトラクションを見ながら歩いているだけでもひどく懐かしい。乗り物はどれも300円くらいで、子供なら喜ぶかもしれないけど、今時の中学生のデートにも使えない。逆に、昭和に子供時代を過ごした大人が訪れると、楽しめるというか受ける。ああ、こういうの、あった、あった、と。もちろん、狙いでそういう演出にしているわけではない。天然の営業で昭和なのだ。21世紀の日本でこの味は大変貴重なものだと思う。
 名古屋港へ行ったらついでに行くのではなく、ぜひここを目指して行ってもらいたい。癒される以上に脱力感を伴って、ほのぼのとした優しい気持ちになれるだろう。あるいは切なさに胸が熱くなって、涙で前が見えなくなるかもしれない。

名古屋の本質を知りたければ名古屋港イタリア村へ行けばいい

施設/公園(Park)
イタリア村-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/125s(絞り優先)



 イタリア村は二度目だった。名古屋港水族館へ行った日、セットとして行った。積極的なリピーターとしてではない。けど昼間としては初めてだから、ちょっと楽しみではあった。昼の顔と夜の顔と、両方を見て初めてイタリア村へ行ったと言うことができる。
 イタリア村に関しては以前書ききってしまったので、あれ以上付け足すことはあまりない(ブログ内検索するとページに飛びます)。今回は写真を中心に、前回とは違う部分を紹介したいと思う。

 まずは花馬車から。これは前回撮ってない。あのときはクリスマスイブの夜に花火を見に行ったから、もう花馬車は終わっていた(日没まで)。
 600円という微妙な金額を払うと花馬車に乗ってイタリア村の周囲を一周してくれる。パッカン、パッカン、アスファルトに蹄の音が響いてのどかな気分になる。時々馬が興奮して突然ヒヒーンといなないて狂ったように走り出したりしたら面白いだろうなと思う。想像すると楽しそうだ。しかし、そういう種類のアトラクションではないからそんなことは起こらない。今度行くときは、ニンジンの束を背中に背負ってイタリア村の周りを歩いてみようかと思う。おそってきたら力の限り逃げてみよう。イタリア村の中に。

イタリア村-2

 今回のイタリア村行きの目的は二つあって、一つは週末の花火で、もう一つがジェラートを食べることだった。まずは食べるためのテーブルと椅子を確保して、店で買ってきて、さあ写真を撮ろうと思ったらもう溶けてきましたよ。うひょー、こりゃ大変だ。この日の名古屋は暑かった。待ったなしのドロドロ状態。ヒャーと悲鳴を上げながらソフトを撮る私たち。手はネチョネチョだし、テーブルはビチャビチャだし、写真なんか撮ってる場合じゃなかった。撮ったあと大急ぎで食べたから、ゆっくり味わうこともできなかった。なんてこった。コーンにしますかカップにしますかと店員さんに訊かれて何も考えずコーンを選らんで、おかしなこと訊くなぁとそのときは思ったけど、あれはこういうことだったのか。夏場はカップを選んだ方が無難だ。

イタリア村-3

 前のカップルはしっかりカップでジェラートを買っていた。やるな、上級者だなと思った。コーンでダラダラに溶けてくるアイスと闘ってる私たちを見て、あいつらやらないな、ド素人だなと誰かに思われていたのだろうか。
 ゴンドラが行き交う運河沿いでのんびり座ってイタリア村を眺めるひとときは、なかなか心地いい。サンマルコ広場を模した鐘楼の鐘が鳴る。ゴンドリエーレのイタリア人が陽気に歌を歌いながらゴンドラを漕ぎ、カップルや家族連れが通りを歩く。うん、悪くない。これで天気がよくて涼しければ最高だ。このときは暑すぎて、前に訪れたときは寒すぎた。次は季節を選びたい。

イタリア村-4

 イタリア村ができた当初の混雑もおさまって、週末でものんびり過ごせるようになったイタリア村は、今がちょうどいい頃合いなんだと思う。もっと時が経つと、今度は寂しくなりすぎるおそれがある。今はほどよい混み具合が高揚感と居心地のよさのバランスを上手く作り出している。入村料金なんてのも取られなくなったし、何も飲み食いせず買い物もしなければお金はかからない。電車賃か駐車場代はかかるけど、それがイヤなら歩きか自転車で行けばいい。家から弁当持参でも大丈夫だ。
 ショップに関しては、最初から何も買う気がない私なのでよく分かってない。イタリア産にこだわって、ファッションや雑貨、食品なんかも品揃えしてるそうだから、イタリア好きの人は満足するんじゃないだろうか。仮面舞踏会のマスクなんかも売っている。
 当然といえば当然の話だけど、こういう複合施設はお金を使えば使うほど楽しめる仕組みになっている。使わないと充分には堪能できない。ただし、ゴンドラも乗って、花場所も乗って、ランチを食べて、洋服を買って、クルージングなんかして、夕飯まで食べてしまえば、けっこうな散財になるので注意が必要だ。ほとんどお金を使わない私たちからするとイタリア村はお金のかからないところという印象だけど、子供が多い一家で遊びに行くとけっこうダメージを受ける場所かもしれない。ちょっとした遊園地並みにお金がかかる。水族館や展望台なんかを組み合わせると、こりゃお父さん、大変だ。

イタリア村-5

 花火が始まる7時45分まではまだ時間があったので、少し離れた場所にあるシートレインランドへ行って、7時半頃戻ってきた。シートレインランドというのがまた強烈な純昭和遊園地で笑えたのだけど、それはまた別の機会に紹介することにしたい。まずは花火を見に行こう。いい感じに日が暮れて夜となった。
 イタリア村のデートは夕方から夜にかけてがいい。朝一から行ってしまうと、夜まで間が持たない。となると、やはり水族館とのセットがいいということになるだろうか。

イタリア村-6

 7月と8月(12日まで)は毎週末、イタリア村のサンマルコ広場で小花火大会が開催される。無料観覧できて、簡易座席も用意されるから、座って見たい場合は7時半の開場前に並んでおいた方がいい。ただし、花火大会自体に過度の期待をしてはいけない。市販されている打ち上げ花火の豪華版くらいに思っておくといい感じで楽しめるだろう。
 花火大会が開演すると、まずはイタリア人が登場してきて、全員でカンツォーネを合唱するところから始まる。入り口で手渡された歌詞カードを見ながら、ヤンモ、ヤンモ、ンコッパ、ヤンモ、ヤ、フニクリィ、フニクラ、フニクリィ、フニクラァー! と大声でわめかないといけない。歌ってないと、そこ、歌ってない! などと指摘されたりする。さすがイタリアン、ラテンの血が騒ぐのか。
 ひとしきり盛り上がったところで、ようやく花火が打ち上がる。ヒュ~、ドーン! ヒュルルル~、バチバチバチ、おお~、などと言いつつ、みんなで花火を見上げる。わー、きれいー! マクロスみたいー、とかなんとか言いつつ花火大会は進んでいく。

イタリア村-7

 そして、5分後、ちょっと派手めの花火が上がって、突然沈黙が訪れる。え? もう終わった? 早っ! 観客はとまどいつつ、アンコールもなく、そこで花火大会はお開きとなる。みんな納得できない感じでゆるゆると席を立ってゾロゾロ出口へ向かい始める。その様子を見て、ホントに終わりなんぁ、と納得する。毎週末あるから100発はないと思ったけど、30発くらいで終わってしまうとは思わなかった。まあ、でも、見られたからよしとしよう。短い時間だったけど、一足早い花火も満喫できた。
 名古屋の本格的な花火大会は明日、7月21日の名古屋港花火大会だ。これが3,600発と名古屋市内では一番規模が大きなものということになる。毎年大勢の人が詰めかけて、ものすごい混雑となるそうだ。今年はタイミングが合わずに行けないから、また来年にかけよう。次は三脚を持って行って三脚花火野郎となってみたい。

イタリア村-8

 帰る前にイタリア村の中にあるピッツェリア「デュエ レオーニ」でパスタを食べた。イタリア村でイタリア人が作るパスタやピザだから大変美味しいに違いないと思っていくと、これまた拍子抜けとなる。日本人の寿司職人が握る寿司がどれも無条件で美味しいわけではないように、イタリア人が作ったパスタが必ず美味しいと決まっているわけではない。黒人なら全員リズム感が良くてダンスも上手いと思い込むのが間違いなように。
 食べたパスタに関しては平均点以上だとは思うけど、オーソドックスなメニューだし、超絶美味しいというわけではない。ピザに関しても評判はまずまずそれなりのようだ。行楽施設に入っている店に本場のレストラン並みの味を求めるのも酷というものだろう。イタリア村の中にも値段の高い高級店っぽいところがあるから、そっちは値段に見合った美味しさなのだろう。

 イタリア村にイタリアと同等の質を求めてそれが得られないからといって批判するのは間違っている。イタリア村はイタリアをモチーフとした複合商業施設であって、イタリアそのものを再現してるわけではないのだから。日本の、しかも名古屋という土地にあるイタリア村というものを楽しむつもりで行かないと楽しめない。ここはイタリアではない、名古屋港イタリア村なのだ。本物のイタリアやヴェネチアを知っている人ほど楽しめないというのは、皮肉なのか理にかなっているのか。
 薄っぺらい感じが否めないイタリア村だけど、名古屋港にこれが出来たことはとても意義のあることだった。これでようやく、水族館、遊園地、南極観測船などの施設とあわせて一日たっぷり楽しめるところとなった。ここはここである意味もう完結した。東京や横浜のベイアリアと対抗しようなんて夢物語は追わなくてもいい。名古屋は名古屋らしく泥臭く行こうよと思う。名古屋人ならここのよさをきっと理解してくる。
 栄や名駅よりも、名古屋港こそが最も名古屋らしさが出ているところと言えるかもしれない。県外の人が名古屋の本質を知りたければ、名古屋港で一日過ごしてみればいい。もう行ってきた人ならきっとそれを感じてくれたと思う。そう、名古屋ってああいうことなんですよ。

7月の森林公園で私の相手をしてくれた貴重な花と生き物たち

自然(Natural)
森林公園の生き物-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/50s(絞り優先)



 久しぶりに地元のローカルネタとして、今日は初夏の森林公園で出会った生き物たちを紹介しようと思う。森林公園へ行ったのは何ヶ月ぶりだろう。
 けどこの時期、残念なことに花が非常に少ない。花に興味がなかった頃は、春から秋まではまんべんなく何らかの花が咲いているんだと思っていた、自分の興味の外で。でも、実際は違う。野草は春早い3月に咲き始めて、4月、5月にはピークを迎えて、6月以降はもう少なくなる一方なのだ。秋になるとまた少し増えるものの、それも花期は短くて、紅葉になる頃にはすっかり花はなくなってしまう。南国や北海道はまた事情が違っているのだけど、本州はだいたいこういうサイクルで花の一年が回っている。中でも7月は特に少ない端境期で、花一つ見つけるのに苦労するほどだ。初夏の花は終わり、真夏の花もまだ咲いてこない。野草好きにとっての7月は、ぐっと我慢のひと月なのだった。
 森林公園なんていう半植物園のようなところでさえそうだった。完全なるスター不在の目玉不足。この時期これだけは見逃せないという花はほとんどない。池に咲く蓮が一つあるけど、これは午前中しか咲かないし、森林公園には咲いてなかった。
 そんなわけで、とりあえず目についたものを少しだけ撮ってきた。新たな出会いもなく、おなじみさんばかりでおもしろみに欠けたけど、行った時期が悪かったから仕方がない。サギソウにもまだ少し早かった。
 飛びものの虫たちも今日はあまり出てこなかった。日がかげっていたからだろう。湿地帯の木道ではトカゲを追いかけて逃げられ、飛び回るキチョウには翻弄され、鳥の声を聞いて見上げても姿は見えず。一瞬通り過ぎたクロアゲハも次の瞬間には見失っていた。私の相手をしてくれたのは、動かずにじっとしていてくれたバッタかイナゴか何かとクモくらいのものだった。もっとたくさん友達になりたかった。

森林公園の生き物-2

 クモの巣についた水滴を撮っていたら、宿主と思われるクモが帰ってきてジタバタしていた。うわー、水浸しでうちに入れないー、みたいな感じで。人間から見たら無責任にきれいだなと思うけど、クモにしてみたら床上浸水のようなものだ。壊れなかったのがまだましだったにしても、しばらくは家に戻れそうにない。クモの糸というのはあんなに細いのに重たい水滴をこれだけつなぎとめておけるというのはやっぱり性能がいいのだ。かかった虫は逃れられないし、歩いていて顔にかかるとホントに粘ついて嫌な感じがする。

森林公園の生き物-3

 夏の池は渡りのカモたちの姿もなく、カワウに占拠されていて寂しい。他にいるメンバーといえば、サギたちとカイツブリくらいだ。カワウたちは我が物顔に集まって、グワァグワァ騒ぎ立てていた。こいつらはどうにもかわいげがない。エサの魚を文字通り鵜呑みしてしまうだけで、生態系の役にもあまり立っていような気がする。せめて体の色が白だったらもう少し人間に大事にされただろうに。

森林公園の生き物-4

 夏の水路は、水が淀んで不気味な緑色になっていた。緑色の絵の具を流し込んだみたいだ。
 これは藻か何かだろうか。水温が上がって繁殖してこうなったのかもしれない。

森林公園の生き物-5

 この時期の数少ない彩りの一つ、シモツケソウ(下野草)。5月から咲いているシモツケよりも遅れて咲いてくる。シモツケが樹木なのに対してシモツケは草だ。昔、下野の国(今の栃木県)でたくさん咲いてるのが見つかったことから名前がつけられたといわれている。なので栃木県の県花は、このシモツケソウだ。
 本州から四国、九州の山に咲く花で、高山では群生しているところもある。伊吹山では一面がピンクに染まるほどだそうだ。一度見てみたい。

森林公園の生き物-6

 これも夏の花、オニユリ(鬼百合)。そこまで開かなくてもいいだろうというくらいに全開に開くのがこのユリの特徴だ。よく似たコオニユリというのもあって、区別するのは難しい。
 道ばたなんかに咲いているから野生と思いきや、古い時代に食用として中国か朝鮮から入ってきたものが、人の手を介して増えていったと言われている。元々日本にあったものではないから、野生化していてもそれは誰かが最初にそこに植えたものということになる。日本古来のササユリなんかとは違う。

森林公園の生き物-7

 こちらは日本に昔から咲いているノカンゾウ(野萱草)だ。よく似た八重咲きのヤブカンゾウもある。この花の名前は名古屋弁っぽい。破かんぞ、のかんぞ(避けないぞ)みたいで。
 花は一日花で、朝咲いて夕方にはしぼむ。オレンジ色の花は野生らしくない感じもするけど、キツネノカミソリなんかもオレンジで、これらに山道とかでバッタリ出くわすとハッとする。あり得ないところであり得ない色に出会ったみたいで。

森林公園の生き物-8

 鳥や魚や花なんかで「もどき」呼ばわりされてしまうかわいそうなやつらがいる。このウメモドキもそうだ。もどきはないだろうと思う。そもそも、これのどこがウメに似ているのかもよく分からない。小さな白い花はそれほど似てるわけでもなく、葉っぱが似てるとか枝が似てるとか言われても今ひとつ納得できない。
 今は緑の実も、秋には真っ赤に色づく。鳥たちがこの実を食べて、タネがフンと一緒に地面に落ちて芽を出す。
 それにしても、もどきじゃない自分だけのオリジナルの名前が欲しいよね。聖子ちゃんもどきとかエビちゃんもどきとか、もどきと呼ばれて大成した例はない。

森林公園の生き物-9

 もうヤマハギ(山萩)が咲いていてちょっと驚いた。確かに気の早いやつは6月くらいから咲いてくるとはいえ、萩といえばやっぱり9月の花だ。7月なんかに咲いてこられたら調子が狂う。その年初めて萩を見て、ああ、もう夏も終わりなんだぁと感慨にふけりたいのに。
 けど、もう次の季節も準備を始めているのだ。夏が来る頃には秋もすぐ次に控えて待っている。私たちが季節を追いかけているすぐ後ろで。

 森林公園ではもうアブラゼミの合唱が始まっていた。梅雨はまだ明けないけど、もうすぐ学校も夏休みで、真夏は手の届くところまでやってきている。初夏の花たちも役割を終えて来年へ向かっていった。人間だけがいつだって季節の後追いをしている。
 今年はメインどころの花に関してはまずまず寄り添えている。初春のカタクリから始まって、梅、桜、山桃、藤、バラ、カキツバタ、アジサイと、ほぼ逃さずここまで来ている。8月はヤマユリ、ヒマワリ畑、朝顔、蓮あたりをきっちり追いかけていきたい。秋のコスモス、紅葉まで。
 東京観光と名古屋散策とあわせて自然にも触れ合って季節の細かな変化も感じていこう。カメラが巡り合わせてくれたこれらのものに報いるためにも、少しでもいい写真を撮りたいとも思っている。

妊婦じゃないけど朱塗りの社殿に惹かれてとりあえず水天宮へ

東京(Tokyo)
水天宮-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/25s(絞り優先)



 私はどういうわけか、朱塗りの神社に惹かれるものがあって、写真などで朱色の神社を見ると、わっ、これは行かなくてはいけないと反射的に思ってしまう。朱色という色が好きというよりも朱塗りの神社がどうやら好きらしいのだ。その理由は自分でもよく分からない。
 水天宮もそうだった。安産や子育ての神社として紹介されてるのをテレビで観て、御利益はともかくここは行っておかねばと強く思い込んだのだった。行くまでにしばらく時間がかかり、行ってきてからこうして書くまでにまた時間が経った。訪れたのは5月5日のことだったから、もう2ヶ月以上も前になる。特に意識的に温めていたとかそういうわけではない。
 水天宮は日本橋蛎殻町(かきがらちょう)にある。東京駅の1キロちょっと東だ。安産祈願の神社として東京では特に有名なようで、水天宮は地下鉄半蔵門線の駅名にもなっている。地下鉄の駅を上がってすぐに位置していて、交通紹介では徒歩0分と説明される。0分ということはないけど、確かに1分はかからない。
 周囲はオフィス街というのかビル街というのか、交通量も人通りも多くて、ザワザワしている。完全な街中にあって、神社特有の静けさとは一切無縁だ。こんなところにあったんだと驚いた。
 それでも水天宮前では駄菓子屋風のおみやげ物屋さんが今も粘り強く商売をしている。周囲の光景とはおよそミスマッチだけど、がんばってる感じに好感が持てる。この一角だけは昔からあまり変わってないのだろう。その間に周りがどんどん変わっていってしまった。

水天宮-2

 駄菓子屋に気を取られなければ、歩いて30秒で水天宮前に到着する。しかし、これはまたすごいロケーションだな。一応参道になるのか、階段を上がったところに境内があって、この真下は地下駐車場になっている。妊婦さんが多いということで、地下の駐車場からはエレベーターに乗って境内に昇れる仕組みになっているというから気が利いてるというか、けっこう斬新だ。
 日枝神社のエスカレーターといい、水天宮のエレベーターといい、現代東京と神社仏閣の共存ぶりが面白い。ビルの屋上に寺社があったりもする。

水天宮-3

 ここは基本的に子供関係のお参りに来る人がほとんどなので、大多数は夫婦だったり家族連れだったり主婦だったりする。他の神社とはずいぶん雰囲気が違う。メンバーは子度向けの遊園地のような顔ぶれだ。
 毎月5日は東京三大縁日の一つとされる縁日があって、子供の日だったこの日も大勢の人で賑わっていた。ただ、通常並ぶという露天などはなかったから、それは子供の日で休みだったのかもしれない。
 水天宮が最も賑わうのが、戌の日(いぬのひ)だ。年ごとに干支があるように、毎日干支に当たる日があって、戌の日は12日に一度やって来る。犬は子だくさんでお産も軽いことから、昔から安産の守り神とされてきた。これが土日に当たると境内は妊婦さんで溢れかえり、えらいことになる。入場制限が行われて、行列は駅の出口まで続くのだとか。少子化などどこ吹く風で、この日の水天宮は世界で一番妊婦さんの集まる場所となるであった。いつが戌の日に当たるかなんて意識して生活してないけど、水天宮にはうかつに行っていけない日というのがある。戌の日に祈祷を受けられるのは妊婦さんだけとなる。

水天宮-4

 そうそう、この朱色とグリーンがぐっと来る感じ。これがいいんだよねぇ、と心の中でつぶやく。前世的な因縁があるのかどうなのか、朱色がイカしてると思うのだ。自分の好みに合うエクステリアというのか、自分が神社を造ったとしたら絶対朱色をシンボルカラーにするに違いない。心落ち着く感じでもあり、しっくり来る感覚でもある。
 朱色をイメージカラーとする寺社は多い。たとえば八幡宮がそうだ。けど、必ずしも源氏カラーというわけではなく、厳島神社や平安神宮もそうだ。伊勢神宮は違う。朱色はお稲荷さんの色でもある。だから、特にどこの誰のイメージカラーというのではない。中国から伝わった色なのか、日本独自の色なのか。

 水天宮というと今でこそ安産や子授かりの神社として知られているけど、もともとは平家を祀るための神社だったことは忘れられがちだ。
 世の中が平家の時代から源氏の時代に移り変わろうとするとき、平清盛の血をひく安徳天皇は源氏に追われ追われて西へ西へと逃げ延びいて、とうとう壇ノ浦で進退窮まって船から身を投げて命を落とすことになった。祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に。ときに安徳天皇8歳のことだった。仕えていた女官の按察使局(あぜちのつぼね)も一緒に身投げしようとしたところを二位の尼に止められて、おまえは生きて私たちの霊を慰めよと言われ、更に西へ逃げ延びていった先が九州の久留米だった。そこに小さな祠を建てて、安徳天皇と平家一族の霊を慰める日々を送り、これがのちの水天宮の始まりとされる。
 江戸時代になり、この話を聞いた久留米藩二代藩主の有馬忠頼は、屋敷内に立派な社殿を建てた。現在でも水天宮の本家は久留米にある。東京水天宮は、のちの第九代藩主頼徳が参勤交代で江戸に住むようになったとき、久留米から分霊をして江戸の屋敷内(今の港区)に水天宮を祀ったのが始まりだ(1818年)。
 ここからどうして安産の神様となっていったのかは不思議なところなのだけど、いつからか屋敷にある水天宮のことが知れ渡るようになり、江戸町民たちにとっても信仰の対象となっていったのだった。ついには屋敷を五の日に限って開放するようになり、江戸っ子たちも参拝できるようになった。「恐れ入りやの鬼子母神」と共に「情けありまの水天宮」というのが江戸での流行語になったほどだった。
 明治4年(1871年)に、有馬家屋敷と一緒に赤坂に移ったあと、翌年に現在の日本橋に再び移り、今に至っている。
 祭神は久留米水天宮と同じく天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院)、二位の尼となっている。安産、子授けの御利益が言われるようになったのは江戸時代になってからのことだ。水天という文字からか、水の守り神ともされている。

水天宮-5

 社殿の右には絵馬殿があって、古い額や絵馬などが奉納されていた。祈祷所はこの裏になるのだろうか(未確認)。絵馬殿は休憩所も兼ねていると思うのだけど、このときは何か大工仕事のような作業をしていて、木や板がとっちらかっていた。
 水天宮も関東大震災で倒壊してしまった神社の一つだ。御神体を隅田川の新大橋へ運んで難を逃れたという。社殿は昭和5年に再建され、現在のものは昭和42年に建て直されたものだ。
 境内には「安産子育て河童」や「子宝犬」の像があって、やっぱりお産関連一色となっている。絵馬も犬だ。

水天宮-6

 2枚古い写真が印象的だった。一枚は昭和44年、廃止される直前の都電が走っている古い日本橋の町並みで、もう一枚は例大祭のものすごい賑わいの写真だ。境内といわず道といわず、押しかけた人でびっしりと埋め尽くされている。すし詰めとはまさにこのことだ。水天宮は昔から流行っていたんだなぁと感心した。

水天宮-7

 境内には4つの末社があって、写真は中央弁財天だ。日本橋七福神の一つで、毎月5日と巳の日には扉が開いて弁天像を見ることができるらしい。
 そのほか、火と風の神「火風神社」、鎮火の神「秋葉神社」、雨の神「高尾神社」が入っている。水と火という相反する神が同居してるのが面白い。

 日本人の精神性のユニークなところは、とりあえずと言いながらも神社仏閣へ出向いていって神頼みのようなことをしてしまうところだ。正月には初詣に出かけ、受験といっては天神様へ行て絵馬に願いを書き、恋人ができますようにと縁結びのお願いをして、妊娠すると安産のお守りをもらいに行く。これは外国の信仰心とはまったく異質の日本人特有のものだ。なんでそんなことをするのかと外国人に訊かれても答えようがない。一応、しないよりしておいた方がいいだろうと思うから、とりあえずやっているだけだ。それは否定されたり茶化されたりすべきものではなく、むしろ個人的には強く肯定したいことだ。そうそう、参拝はしないよりしておいた方が絶対いいってと言いたい。神頼みというと他力本願的でよくないイメージがあるけど、自分や人間以外の霊力のようなものを敬うことは大切なことだ。神を信じるとかそういうことではない。世の中には自分の力だけではどうすることもできないことがたくさんあるということを自覚すれば、人間は謙虚になれる。
 お参りしてもしなくても悪いことが起きるときは起きるし、いいことがあるときはある。けど、参拝というのは墓参りと同じようなもので、形だけでもやっておけば安堵することだ。面倒だからこそあえてやる価値がある。苦労は誰のためでもなく自分のためにするもので、それはいつか何らかの形で自分に返ってくる。
 神の使いは神社にいる。街中にはいない。神は世界に偏在してるといっても、事務的な細々したことは神の使いがやっている。村のことを総理大臣に頼んでもらちが開かない。村のことは村長さんにお願いしないと。だから神社まで出向いていって顔つなぎをしておく必要がある。向こうの視点から見れば、自分のところに来た人間のことは何とかしてやろうと思っても、街を歩いてる人間の力になってやろうとは思わないだろう。
 何をお願いするでもなく、顔見知りになっておくことがいざというとき役に立つ。打算でも何でも、神社は行かないより行った方がいいのだ。とりあえずビールね的な感覚で、とりあえず神社でいこう。

佃島に見た今後の日本が向かうべき新旧の鮮やかなコントラスト風景

東京(Tokyo)
佃島-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/640s(絞り優先)



 越中島から相生橋を渡ると、日本初の埋め立てて地である佃島(つくだじま)にたどり着く。今でこそ東京湾は埋め立て地だらけでどこが島でどこが本来の陸地か判然としなくなっているけど、一番最初に作られた人工の島が佃島だった。
 隅田川の河口に自然に出来た三角州に人が住むようになったのは江戸時代になる前のことだ。本能寺の変や大阪の陣で世話になった摂津の漁師たちを徳川家康が呼び寄せてやってきた33人(もしくは34人)が住むようになったのが始まりだった(1590年)。家康は漁民たちに優先的に漁の権利を与えて保護したものの、もともといた地元民とモメたため、三角州を埋め立てて島を作って住むようになり(1644年)、故郷佃の名を取って佃島と名付けたのだった(もともとは佃嶋(つくだしま))。

 昭和の終わり頃まで、佃島は東京でもっとも古い町並みが残る場所と言われてきた。関東大震災でも第二次大戦でも焼けなかったからだ。けれど、昭和から平成になる頃、石川島造船所跡地に大川端リバーシティ21が作られたことで風景は激変してしまった。もはや古い時代の面影はわずかに残るのみとなった。今回はそんな佃島を歩いてみよう。注意深く探してみれば、今でも昭和が少しだけ顔をのぞかせる。痕跡のような手がかりをつなぎ合わせてみれば、江戸の昔に思いを馳せることもできるかもしれない。
 赤い佃小橋を渡れば、目指す佃一丁目だ。

佃島-2

 船を引き入れるための入船堀が掘られていて、今でも数艘係留されていた。水路は隅田川にある住吉水門によって水位調整が行われている。現在でもわずかに漁は行われていて、佃島の漁師は正月になると毎年、目白と下落合にある徳川家に東京湾で獲れた魚を献上しているんだそうだ。
 船といえば、佃島と対岸の湊町の間には昭和39年(1964年)まで、佃の渡しがあって、一日に70往復もしていたそうだ。佃大橋が架かって以来廃止されてしまったけど、その頃まではまだここは島という感覚が残っていたのだろう。

佃島-3

 もう少し古い町並みが残っているのではないかと期待したのに、行ってみると思った以上にこぎれいな町になっていた。平成ももはや19年になる。昭和は遠くなりけりだ。せめて10年前に訪れていたら、もっと昭和の名残があったんじゃないかと思う。
 けど、自分勝手なイメージをふくらませて訪れる無責任な観光客の感傷よりも、住んでいる人たちの利便性が優先するのは当たり前の話だ。暮らすなら古い家や道より新しいものの方がいいに決まってる。

佃島-4

 それでも歩いていると、ポツリ、ポツリと古い家が現れる。これは昭和だねぇとうならせるものが。ネットの佃島紹介ではこういう古い建物の写真ばかりを並べてるからこんな家並みが続いているのかと思うけど、実際はそうじゃない。基本的に佃島もすっかり平成の姿をしている。わずかに昭和が消え残って点在しているだけだ。それでも、東京駅から直線距離にしてわずか2、3キロのこの場所に、少しでもこんな風景が残っているというのは奇跡的と言うべきかもしれない。
 大栄マンションというところの1階には日の出湯という銭湯があって、まだ営業しているようだった。マンションと煙突が一体化した光景はちょっと面白い。

佃島-5

 これまた古い木造の家だ。間口が妙に狭いけど、奥行きはあるのだろうか。京都の町屋を思わせる。これだけ隣との間が狭かったら地震で倒れることはないだろう。隣が倒れてきたらひとたまりもないけど。

佃島-6

 佃島といえば佃煮発祥の地としても知られている。今でも創業150年ほどの佃煮屋が3軒営業している。写真に写ってるのは「丸久」で、一番古い「天安」が有名のようだ。他にも「田中屋」というのがある。味付けが微妙に違って、それぞれのひいきさんがいるとのことだ。
 もともとは漁師たちが船で食べるときの携帯食や保存食として、小魚をしょう油で煮詰めたものを作って持って行ったのが始まりだった。それを売るようになったところ評判となって、以来佃煮と呼ばれるようになった。店の前に行くと、しょう油の香りが漂ってくる。

佃島-7

 人が一人やっと通れるくらいの路地が今も残っている。神楽坂にもこんなところがあったなと思い出された。ただの狭い通路というのではなくて、生活感のある路地というのも近年消えつつあるものの一つだ。これだけ隣り合っていれば近所づきあいを避けて通るわけにはいかない。
 別の路地には佃天台子育地蔵というのがあって、家の間のものすごく狭い空間に地蔵堂がはまり込んでいた。地蔵堂が先にあって家が取り込んでしまったのか、家のあるところに無理矢理地蔵堂を作ってしまったのか、いずれにしてもすごいことになっている。ご神木なのか、太いイチョウの木の幹が家の中に生えて突き抜けてるのだ。4畳半の部屋に地蔵堂とイチョウの木が同居してるところを想像してもらえれば大きく間違ってはいない。

佃島-8

 大阪の船乗りの心のより所といえば、やはり住吉さんだろう。佃の漁師たちが佃島に永住すると決めたとき、住吉の神様もここに持ってきた。創建は1646年。
 当時の社殿は1866年の火事で全焼してしまい、今のものは1870年(明治3年)に再建されたものだ。
 鳥居には陶製の扁額がかかっている。入り口の鳥居は緑色をしている。これは当時からだろうか。海に向かって建っているから、漁師たちは漁の行き帰りにここをくぐって航海の無事と漁獲を願ったり感謝したりしたのだろう。

佃島-9

 佃島も、隣の月島ほどではないけれど観光地となっている。このときも、若手の女性陣がクラシックカメラで古い家の写真を撮っているのを見かけた。高いレンズをつけたメンズたちも。あまりデート向きの場所ではないけど、写真を撮るには魅力的な町だ。
 隣の月島にも古い町並みが残っている。月島は明治になってから埋め立てられた比較的新しい町で、あちらは関東大震災で大きな被害を受けた。ただ、第二次大戦ではたいして重要なものがなかったために空襲にあわずに戦災をまぬかれた。それで戦前のものが少し残った。
 佃一丁目に江戸の面影を見つけるのは思ったよりも難しかった。昭和の名残さえも残りわずかとなっている。この先もどんどんかつての姿は姿を消していくことだろう。なくしてから気づく大切なもののなんと多いことか。古いものを懐かしむなんてセンチメンタルなことだけど、なんでもかんでも西洋式に新しければいいというものでもない。明治以降の140年、日本人は日本のいいところを見失いすぎていた。そのことに気づいたのは、ほんのここ10年、20年のことじゃないか。私たちが子供の頃もまだ、古いものよりも新しいものの方が絶対的に正しいんだという気分が支配していた。
 21世紀は古き良き日本を再発見するための世紀となるかもしれない。佃島の木造の家と背景の超高層マンションのシュールなコントラストを見るとき、これが日本の向かうべき一つの方向性なのかなと思ったりもしたのだった。

かつての面影はなくとも深川に江戸のかすかな息づかいを感じた

東京(Tokyo)
深川散策-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/800s(絞り優先)



 越中島で水上バスを降りたあとは深川に向かった。本所深川といえば、門前町として発達した江戸の古い町並みへの期待が高まる。まずは深川不動へ向かうことにしよう。
 門前仲町駅から深川公園へ、その横の道を入っていくと深川不動の参道が唐突に現れる。ああ、ここだ、間違いないと一目で分かる。テレビでも見た光景だ。けど、ちょっとイメージと違った。もっと昔ながらの姿をとどめているのかと思ったら、これでは観光地の参道だ。うーん、残念。せんべいなんかを売ってる店は昔からのものなんだろうけど。
 それなりに賑わってはいた。浅草や巣鴨のようなメジャースポットではないのでこんなものか。地方から東京観光へ行って、コースに組み込むようなところではない。

 江戸時代になる前、このあたりは海の上に小島が点在するようなところで住む人もいなかった。そこへ深川八郎右衛門という人物が一族を連れて移り住んできて土地を開拓したのが深川という町の始まりだった。家康が江戸幕府を開いてこの地を訪れたとき、深川八郎右衛門にここはなんという地名だと訪ねたところ、住んでるのもうちら一家だけでまだ名前はないと答えると、それならおまえの名を取って深川にするがよいということで深川になったんだとか。
 深川が賑わうようになった一つの要因として明暦の大火(1657年)があった。焼け出された人々の受け入れ先としてこの場所が選ばれて、十五万坪を埋め立てて人が大勢住むようになったことが、のちの発展につながった。材木所も作られ、多くの人と物資が集まるようになり、人が増えれば寺社も作られ、更に人が集まってくる。材木の商売で大きく当てた紀ノ国屋文左衛門なんてのも出てくるようになった。花街も自然発生的に生まれ、辰巳芸者が名物となったりもした。
 江戸の中期には最盛期を迎えて、華々しくて魅力的な町となっていった。一時は松尾芭蕉もこの地に住み、安藤広重や葛飾北斎も好んで深川を描いた。現代の時代小説などでも深川はよく描かれている。
 しかしながら、現在は当時の面影を見つけるのは難しい。時代劇そのものような町並みを期待して行くとがっかりしてしまう。今はもう、わずかに江戸風情の名残があるだけだ。

深川散策-2

 深川不動堂が成田山新勝寺の東京別院だったとは知らなかった。愛知にも名古屋別院として犬山に成田山があるけど、まったく印象が違う。成田山というと赤い派手なイメージなのに、深川不動はまったく違って渋い作りになっている。
 それにしても、後ろの近代的な建物や高層道路はもう少しなんとかならなかったものか。東京の宿命とはいえ、これでは気分がしらけてしまう。芝増上寺の東京タワーくらいシュールだと笑えるけど、これは笑えない。

 江戸で町人文化が花開いた元禄時代、江戸市民の間で不動尊への信仰が急速に高まっていった。しかしながら当時は成田山新勝寺までは遠かったからそう簡単に行ける場所ではなかった。そこで乱暴にも新勝寺の本尊を江戸に呼んでしまおうということになった。一説によると、五代将軍綱吉の母である桂昌院が言い出したわがままだったとか。
 とにもかくにも話は決まり、新勝寺から不動明王を1週間かけて江戸まで運んできたのだった。現在深川公園になっている永代寺で、2ヶ月に渡って出開帳が行われ、大勢の参拝者が訪れたそうだ。
 ただ、深川不動の本堂が建てられたのはずっとのちの明治14年のことで、永代寺は神仏分離令によって廃寺となり、現在は深川不動堂だけが残った。
 本堂は関東大震災と第二次大戦で焼けて、今の本堂は昭和26年に千葉県の龍腹寺(1862年建立)を移築したものとなっている。なので建物はなかなか趣がある。本尊も焼け残った昔のものだ。

深川散策-3

 永代通りに面した入り口には立派な赤門が建っている。鳥居かと思ったらそうじゃなかった。でもこの赤こそが成田山だ。こちらの通り沿いにもおみやげ屋などが並んでいて門前町らしい。大通り沿いだから江戸の面影などはまったくないけど。

深川散策-4

 少し歩くと、今度は富岡八幡宮がある。深川といえば富岡八幡宮が真っ先に思い浮かぶ人も多いかもしれない。
 1627年、永代島に菅原道真の末裔を名乗る僧の長盛によって創建されたとされている。出自のはっきりしない神社なのに、どういうわけかすぐに人気となった。家康が八幡宮好きだったことで代々徳川家によって手厚く保護されたというのもあったにしても、ちょっと不思議ではある。三代家光の頃にはこの辺り一帯が江戸の観光地となって、富岡八幡宮も大人気スポットとなっていった。
 人気を呼んだ理由としては、富くじと大相撲と祭りがあった。宮司が商売上手だったのだろう。寺の維持費や改修費を作るために富くじを売ったり、大相撲を呼んだりして人と金を集めた。祭りもだんだん規模が大きくなり、やがては江戸最大の八幡宮となり、お祭りは江戸三大祭りの一つにまで発展した。
 祭りは毎年8月15日に行われて、3年に一度本祭りという大規模なお祭りになる。次は来年2008年だ。大神興50基あまり、大小あわせて120基もの神輿が担がれ、水をかけながら練り歩くことから水掛け祭りとも呼ばれている。

深川散策-5

 この日は月に2回ある骨董市(毎月第1第2日曜日)の日に当たっていて、その一種異様な熱気に我々はたじろいだ。間違った場所に足を踏み入れてしまったようで。品揃えといい、売ってるおじさんたちといい、街では決して見かけないようなものばかりが並んでいてちょっと怖い。これはフリーマーケットではない。あくまでも骨董市だ。並んでいる品は、どれ一つをとっても価値があるのかないのか判断がつかない。高いのか安いのか。
 古い雑貨、玩具、茶器、絵、着物、レコード、雑誌、家具など、アンティークと呼ぶべきなのか、単に古いだけのものなのか、もしかしたら売ってる人もよく分かってないのかもしれない。中にはものすごいお宝が捨て値で売られてたりもしてるのだろうけど、基本的に欲しいものはなかった。どれでも好きなものを持っていっていいと言われてこれほど困るところは他にないだろう。裸電球の傘とかもらっても使い道がないし。

深川散策-6

 境内は骨董市の雰囲気に完全に飲み込まれてしまって、普段の富岡八幡宮の姿がまったく想像できなかった。二度行くことはないだろうから、私の中の富岡八幡宮は恐ろしげな骨董市の印象しか残らないことになる。なんだか残念すぎるぞ。あれはあれで貴重なものを見たといえばそうなのだけど、できれば初回は普通の富岡八幡宮が見たかった。みんな、石碑に骨董品を立てかけてたり、像の土台が物置になってたりしてたし。

深川散策-7

 富岡八幡宮といえば、日本一の大御輿でも有名だ。もともとは紀伊国屋文左衛門が寄進した3基の神輿があったのだけど、関東大震災で焼失してしまって、長らく宮御輿がない時代が続いた。その後、平成3年に満を持して制作されたのが、高さ4.4メートル、重さ4.5トンの大御輿だ。
 各所に金銀財宝がちりばめられていて制作費は10億円以上なんだとか。狛犬の目なんかダイヤモンドだ。鳳凰にも7カラットからのダイヤが埋め込まれ、ルビー2,000個、や純金24キロなど、ものすごいことになっている。そこまで豪華にする必要があったのかと突っ込まずにはいられない。
 しかし、あまりにも金銀財宝を使って重たくなりすぎて担げないという事態が発生してしまう。そりゃそうだろう、4.5トンは重すぎる。そこで平成9年には2トンの二宮御輿が作られて、こちらを担ぐようになったのだった。
 富岡八幡宮って、なんかおかしなところだ。すっとこどっこいのお金持ちみたいで脱力感を誘われる。そんなところも魅力の一つで、人とお金がここに集まってくるのかなとも思う。

深川散策-8

 伊能忠敬の像が建っている。伊能忠敬は、下総の佐原での事業が成功して、50歳のときに隠居したあと暦学者高橋至時の門下生となるために江戸に出てきてこの近くに住んでいたからだ。日本地図を作る測量に出かける前はいつも富岡八幡宮でお参りしてから出発していたそうだ。
 しかし、当時の50歳といえば今の70歳くらいに当たる。人生で成功を収めて、なおかつ第二の人生としてまったく新しいことを始めようと思う気持ちの若さが素晴らしい。しかも、歩いて地図を作るなんて無謀なことは誰もやらなかったことだ。そこがまたすごい。55歳から71歳まで日本全国を歩き続けて正確な日本地図を作った。
 私もけっこう歩いてる方だけど、伊能忠敬を思うと、一日歩き回ったくらいで疲れたなんては言ってられない。未知への挑戦の大切さも教えられる。

深川散策-9

 思っていたような古い町並みは残っていなかったけど、現在の深川という町を見ることができたのは嬉しかった。いろいろ収穫もあった。深川江戸資料館も行けず、名物の深川めしも食べられなかった心残りが少しあるものの、行けたことだけで満足した部分が大きかった。縁があれば、富岡八幡宮のお祭りも行ってみたい。大御輿の勇姿も見てみたいし。
 深川をあとにした私たちは、次に佃島へと向かうことになる。それはまた次回ゆっくり書こう。東京の下には江戸が眠っている。車や電車で通り過ぎるだけでは気づかない江戸の息づかいが、歩くことで感じられる。それはかすかだけど、耳を傾ければ聞こえてくる。ときどき、立ち止まってみることが必要だ。

最近東京で食べてる脇道フードコレクション第一弾

東京(Tokyo)
最近東京で食べてるこんなもの-1

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 最近の私たちはといえば、東京でたいしものを食べていない。私が美味しいものに対する追求心が弱いというのもあるのだけど、観光と散策に力が入る余り、食べ物の方に気持ちも時間もお金も回せないというのもあって。
 でも、記念撮影に抜かりはない。何でも食べたものは全部写真に撮っている。お店でも、人目のあるところでも、視線に負けず撮る我々一行。
 今日はそんなコレクションをここに紹介したいと思う。あまり興味はないと思うけど、無理矢理にでも見せてしまうのだ。

 まずはブルーベリーの収穫祭から。支給は一人一粒。しっかり味わって食べないといけない。天然ブルーベリーは、素朴で甘酸っぱい美味しさだった。ワイルド・スウィート。
 いつか、ブルーベリージャムが作れるほど収穫できるかな。

最近東京で食べてるこんなもの-2

 名古屋から持って行ったおみやげのおまんじゅうで朝食を。
 松河屋の丹波御前。上品な甘さに味付けした栗が一個丸ごと入ったまんじゅうで、これはなかなかだ。
 名古屋はまんじゅう関係も充実していて、美味しい和菓子が多い。食事の名古屋名物に比べるとオーソドックスで、奇をてらったものは少ない。割と正統派だ。

最近東京で食べてるこんなもの-3

 池袋のサンシャインで、初めて「SUBWAY」に入った。サンドイッチのファーストフードというのだろうか。家の近所にも一軒あるけど、入ったことはなかった。
 注文したのは、クリームチーズローストチキン。ツレはえびアボカド。どちらも420円。中身だけでなく、野菜の種類やドレッシングやパンも自分で選べるのだけど、いちいち店員とやりとりしないといけないので邪魔くさいといえば邪魔くさい。もっと自信を持って美味しいともうものをビシッと出してくれていいんだよと言いたくなる。お客にゆだねすぎちゃいけないよと。誰だったかな、マクドナルドでこちらでお召し上がりですかお持ち帰りですかと訊かれてどっちでもいいですと答えたやつは。客に選択を預けるというのはデートの行き先を女性に決めさせるようなもので、優しさのようでいて必ずしもそうではない。
 サンドイッチの中身は暖かくてパンが冷たいのはどうなんだ。パンは温かい方が美味しいと思うぞ。電子レンジでチンしたくなった。そういうサービスはないのか。
 ドリンクは、マンゴーフロート。390円。マンゴーってそういえばこんな味だったなぁと思い出した。ちょっとクセがある。

最近東京で食べてるこんなもの-4

 ランチは越中島でツレ作の抹茶あずきパウンドケーキ。抹茶の渋みとあずきの甘みのマッチングがいい。私の焼くケーキとは違っていつも安定してるので安心だ。美味しくいただきました。ごちそうさま。

最近東京で食べてるこんなもの-5

 深川で買った10円まんじゅう。一口サイズのまんじゅうが一個10円。ケース代も10円。でも10個110円は安い。
 黒砂糖味の皮と甘さやや控えめの漉し餡で基本に忠実なまんじゅうだ。この値段でこの味なら文句はない。
 深川名物というわけではなくて、本家は千葉県の市川市にある店らしい。支店なのか便乗なのか、あちこちに店があって人気になっているようだ。並ばないと買えないところもあるとか。

最近東京で食べてるこんなもの-6

 ついに食べた、旧古河庭園で買ってきた「バラの花ようかん」。洋館で羊羹を食べようというシャレなのかどうなのか微妙なところ。
 白餡の羊羹にバラの花びらが封じ込められていて、噛むと口の中にバラの香りというか味がワッと広がる。こりゃ、間違いなくバラだと確信が持てる。もはや風味という域を超えている。バラソフトクリームとはバラ度が違う。
 ちょっと笑えるけど、美味しかった。これはこれで悪くない。色味が美味しそうじゃないので、その点がややマイナスポイントだ。これが透き通るようなピンク色ならもっとよかったのに。
 しかしこのバラようかん、製造元は名古屋というオチがついたのだった。

最近東京で食べてるこんなもの-7

 店で食べる元気も、家で簡単なものを作る気力もなくなったとき、我々に残されているのは吉野家の牛丼お持ち帰りだけだった。東京観光で夕飯に吉野家はないだろうと思ったけど、これもまた一つ思い出になった。吉野家の牛丼なんて何年ぶりだろう。トータルでも3回くらいしか食べたことがないんだけど、最後に行ったのは大学生のときだったんじゃないだろうか。
 でも、味は当時と変わってない気がした。記憶の中にある味だった。一時アメリカ牛肉の輸入がストップして牛丼は休んでいたけど、ほぼ復活したようだ。

最近東京で食べてるこんなもの-8

 吉野家で調子づいた我々は、勢いに乗って松屋まで制覇した。今度は禁断の店食べ。しっかり記念撮影までこなしてしまった私たちであった。
 松屋の食券先買いシステムはいい。注文のやりとりはなんとなく照れくさいものがあるから、これなら女の人でもいいんじゃないか。
 安い牛肉を使ってるだろうに、ここまで普通に美味しく柔らかくできるのはたいしたものだ。味噌汁までついて350円は安い。そのへんのちょっとした和食屋の丼でも1,500円、2,000円するというのに。独身の男子にとって牛丼屋というのは実にありがたい存在なんだなぁとあらためて思ったのだった。量も多い。私は食べきれずにご飯を残してしまった。
 次は松屋の300円カレーに挑戦だ。

最近東京で食べてるこんなもの-9

 今回の東京みやげは「江戸の力餅」。630円。あっさりめでシンプルなお餅系で、自分や家族のためのおみやげなら必要十分だ。よそ様に持って行くにはちょっと物足りないかもしれない。
 東京のキオスクは、おみやげ物が少ない。百貨店へ行けばもっと豊富なんだろうけど、名古屋駅のキオスクなんて選びきれないくらいあることを考えると、東京ももうちょっとおみやげ物に力を入れたらどうだろうと思う。これだけ各地方から大勢の観光客が訪れているのにもったいない。東京は必要なものがなんでも揃うけど、東京でしか買えないものってあまりないのだ。京都の生八つ橋や伊勢の赤福みたいに、東京にもブランドとしてのおみやげが欲しいところだ。雷おこしに東京みやげを一身に背負わせるには荷が重すぎる。

 豊かな食生活とは言い難いけど、こうして並べてみるとけっこうユニークでいい。東京観光の人が食べるようなものじゃないところが自分でも笑える。きっと今後もこんな感じが続くだろうから、脇道フードコレクションを今後も追求していこう。また写真がたまったら紹介します。興味があろうとなかろうと。

焼く、煮る、炒める、茹でる、蒸すに続いてグリルにも目覚めたサンデー

食べ物(Food)
グリルサンデー

PENTAX istDS+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f4.5, 1/20s(絞り優先)



 今日のサンデー料理では、魚焼きグリルを使った調理というものに初挑戦してみた。松田美智子という人のレシピ本の「肉も野菜も! カリッと焼けてヘルシー&スピーディ 電子レンジ以上に便利です!」という言葉を信じて。
 けれど、こういううたい文句が言葉通りだったためしはない。これで背が10cm伸びましたとか、英語のテストで100点取ってクラスでモテモテだとか、そんな誘い文句に乗って実際その通りになることはないように。一度やってみればわかるけど、どう考えても電子レンジの方が早くて便利だし、カリッと焼くつもりでも結果としてはカリカリになってしまったりする。魚焼きグリルなんて使ったことがないからコツが分からないというのもあるにしても、電子レンジが魚焼きグリルに対してすべての面で劣っているとは思えない。魚焼きグリルがそんなに優秀なら、みんなとっくの昔に気づいてもっと活用してる。でもそうではなくて世の中はみんな電子レンジを使っている。ちょっと考えれば分かることだった。
 ただ、可能性は感じた。ものによっては普通に焼いたり電子レンジで加熱するよりもふっくりとなるし、グリルを使いこなせれば、上のコンロ2ヶ所と3つの料理を同時進行できる。魚焼きグリルは思った以上に使えるかもしれない。最初から使えないを見切ってしまうのは惜しい。

 右手前はマグロステーキ。厚めの切り身に塩、コショウをして、オリーブオイルをまぶす。本には霧吹きでかけると書いてあるけど、今回は用意してなかったので、クッキングペーパーにオリーブオイルをつけて全体に塗った。
 グリルの受け皿に水を張って、アミの上で片面5分、ひっくり返して5分ほど焼く。これは厚みによって時間が変わってくる。マグロなので中心は半生くらいでもいい。好みによって焼き時間を短くすれば、表面あぶり焼きのようにもできる。
 タレは、溶かしたバターにしょう油とわさびを混ぜて作る。表面に塗って少し焼きを入れたら、仕上げに青のりとかつお節を振りかけてできあがりだ。白ごまなんかもよさそうだ。
 これは非常に美味しかった。今回一番のヒットだ。赤身はフライパンで焼くとどうしても固くなってしまうけど、グリルで焼くとふっくらとして固くならない。表面カリッと、中身はふわっとなって、独特の食感になる。全体に柔らかくなる蒸し料理ともまた違う。
 わさびとしょう油とバターの組み合わせもいいし、魚料理が嫌いな人でもこのおかずなら気持ちが萎えることはない。誰にでもおすすめできるし、自分でもまた作って食べたい。牛肉でやっても美味しいだろう。

 右奥はシンプルな野菜焼き料理。ナス、ニンジン、ジャガイモ、長ネギ、ベーコンをグリルで焼いたものだ。
 塩、コショウ、オリーブオイルをまぶして、アミで焼く。このとき、下の水に野菜くずを入れておくと、そのうまみが食べる野菜にも染みこんでさらに美味しくなるそうだ。グリルはあらかじめ温めておくのもポイントらしい。
 これは焼き時間は難しい。野菜によって焼ける時間にけっこう差があるから、同時にやるよりも時間がかかるものから焼いて、途中で焼けやすいものを足していくというのがよさそうだ。熱は奥の方が強いようだ。片面を強火で5分くらいというのが目安となる。
 タレは、オリーブオイル、白ワイン、しょう油、塩、黒コショウを混ぜたものをひと煮立たせさせる。
 味はまあそれなりに。よく言えば素材のうまみを引き出したということになる。こうすればたくさん野菜も食べられるから、そういう意味ではいい料理だ。野菜嫌いになる子供は、親が手抜きをして生野菜を食べさせようとするからだ。野菜もひと手間かけて調理すれば甘くなるし、タレを工夫すれば美味しくもなる。

 左奥は、鶏もも肉とトマトのチーズ焼き。もも肉、タマネギ、トマトに、それぞれ塩、コショウ、オリーブオイルをまぶして焼く。まずもも肉を弱火で片面10分くらいずつ。次にタマネギとトマトを乗せてもう少し焼いて、最後にとろけるチーズを振って温めて溶ければ完成だ。
 味は塩、コショウとチーズでついてるけど、トマトソースにも合いそうだ。グリルで焼いたもも肉は、脂も落ちてあっさりとしながら燻製のような味わいになる。

 魚焼きグリルの料理はなかなか難しい。経験がないから何分焼けばいいのかがよく分からない。見た目の勘でやってると、つい焼きすぎにになりがちだ。そうなると素材が固くなってしまう。
 今回の場合は、おかず3品ともグリルで調理したというのに無理があった。一度にはできなから順番に焼いていくのだけど、最後のができた頃には最初のが冷めていて、もう一度温めるつもりで焼きを加えると焼きすぎになる。単品で作ればもう少しうまくいったと思うのだけど。マグロが美味しかったから、トータルの出来としては75点としよう。
 今後も魚焼きグリル料理を追求していきたいと思っている。白身魚の切り身なんかもグリルで焼くと美味しくなりそうだ。レシピ本には厚切りトーストや焼きトウモロコシも載っていたから、そういうのにも活用してみたい。これからの季節、焼きトウモロコシは魅力的だ。あれは祭りの屋台でしか食べられないものだと思っていた。魚焼きグリルを使えば作れるとは盲点だった。
 料理は単に焼く、煮る、炒めるだけではなく、蒸しもあるし、グリルもある。調理法によって同じ素材もまったく別の食感や味になるということも分かった。料理は単純だけど奥へ行けば行くほど広がりのあるものだ。毎日のおつとめとしての料理は苦しいところもあるけど、趣味としての料理は楽しい。食べることが好きじゃない人にこそ料理をおすすめしたい。自分で作るようになれば料理に対して積極的に向かっていくようになって、食べることも好きになるから。と同時に、食べられる側の痛みも知る。

招き猫だらけで猫のいない今戸神社はいろんな意味で印象的

東京(Tokyo)
今戸神社-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/200s(絞り優先)



 前からずっと行こうと思っていてなかなか行けなかった浅草の今戸神社(いまどじんじゃ)へ、ようやく行くことができた。ここは浅草といっても浅草寺や浅草の駅からやや離れている場所にあるため、ついでに行くというのができなかった。今回は隅田川の水上バス乗り場と近いということでセットにできた。
 ここを訪れたかった理由は二つ。一つは、沖田総司終焉の地という説があること、もう一つは招き猫発祥の地と自称していることだ。結論から言うと、どちらの主張もけっこう怪しいのだけど、まあそれはそれ、ウソかマコトかは別にしてそういういわれのある神社仏閣はとりあえず押さえておきたい。
 やっと来ることができて、鳥居の前に立ったときは、おー、来た来た、と嬉しかった。初めまして、今戸神社さん、ちょっとお邪魔します。

今戸神社-2

 今戸神社へは浅草駅から徒歩15分くらいかかる。ここ単発なら歩いても全然かまわないところだけど、一日東京巡りの中の一つとするとこの歩きはけっこうダメージになる。
 そこでオススメしたいのが、「めぐりん」だ。といってもメグという女の子にお世話になるとかそういうことではない。めぐりんという名の100円巡回バスだ。観光地を巡るというのと、その中で素敵な巡り会いがありますようにということで名づけられたらしい。
 台東区には北めぐりん、南めぐりん、東西めぐりんという3つの巡回バスが走っていて、浅草や上野を観光するときはこれを使うと便利だ。どこまで乗っても一回100円と格安だし、一日乗車券も300円だ。今戸方面は北めぐりんで、根岸方面を回って浅草に戻っていく。南めぐりんは上野からかっぱ橋、入谷方面へ、東西めぐりんは上野公園をぐるりと回る。
 東京は網の目のように電車が走っているにもかかわらず、ポッカリと真空地帯のように空いてしまう場所がある。東京観光の上級者になるためにはバスを活用できるようにならなければいけない。バスを使いこなせれば、東京都23区内で行けないところはほぼなくなる。レンタサイクルまで組み合わせれば万全だ。

今戸神社-3

 それにしてもまあ、なんというか、ここの境内は空気がすかすかだ。炭酸の抜けたジュースのように、神聖な空気が抜けてしまっている。神社と人にはそれぞれ相性というものがあるから、私の感覚が必ずしも正しいわけではないのだけど、ここには神の気のようなものが感じられなかった。住宅地の真ん中という立地条件もあるにしても、ここはちょっと抜け過ぎではないか。
 もともとはなかなか由緒のある神社なのだ。後冷泉天皇の時代(1063年)、源頼義と義家親子が勅命を受けて奥州の安部貞任を征討するときに、京都の石清水八幡から浅草今之津村と鎌倉の鶴ヶ岡に勧請したのが今戸神社の始まりとされている。つまり、鎌倉の鶴岡八幡宮とは兄弟神社ということになる。当初は今戸八幡宮だった。
 1081年に、源義家が参拝して戦に勝利したのでお礼に社殿を修復し、1190年には源頼朝が奥州征討に勝利して社殿を再建している。鎌倉時代から戦国時代にかけては戦火で何度も焼けて、そのたびに再建された。江戸時代には三代将軍家光が江戸城改築の際に余った資材で建て替えたりもしている。
 関東大震災でも焼け落ち、東京大空襲でも燃えた。何かあるごとに焼け出されてしまっては神様も、こんなところでおちおちしてられないと思って出て行ってしまったのかもしれない。
 昭和12年に近くにあった白山神社と合祀して、今戸神社と改称された。現在の社殿は昭和46年に建てられたものだ。
 祭神は應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊と伊弉冉尊(イザナギ・イザナミ)、七福神の中の福禄寿。浅草七福神巡りのうちの一ヶ所ともなっている。

今戸神社-4

 さて、いよいよ真打ち登場、巨大招き猫のお出迎えだ。かなり大きい。手が不自然に長い。そして、やや可愛さに欠けるとぼけた顔をしている。これだけ大きいとなんだか笑える。「銀魂」に出てくる定春みたいだ(あれは犬だけど)。
 神前の結婚式も行われているようだけど、この猫を見たら式の最中に笑いが止まらなくなるおそれがある。この巨大招き猫は神聖な場では危険な存在となりかねない。お葬式のあるお寺じゃなくてよかった。

今戸神社-5

 あらゆるところに招き猫の影。神棚には古そうな招き猫が飾られ、おみくじは招き猫、お守りも絵馬も招き猫、グッズも招き猫だらけ。今戸焼招き猫は3,000円もする。これでもかと招き猫攻撃を仕掛けてくるので招き猫に興味のない人は戸惑ってしまうだろう。
 招き猫発祥の地はいくつかの説があって、ここ今戸神社もそのうちの一つということになっている。江戸時代、おばあちゃんの死んだ猫が夢に出てきて自分の姿をした人形を作って売ったらいいことがあるといったからその通り作って浅草で売ってみたらたちまち評判になったとかなんとか。
 他には世田谷の豪徳寺説や、新宿区の自性院説、豊島区の西方寺説などあって、どれが本当かははっきりしていない。いずれにしても、江戸で生まれたことだけは間違いなさそうだ。
 今戸焼きは江戸時代にここ今戸で発達して、昭和初期にはすたれてしまった。今では一軒のみになったそうだ。

今戸神社-6

 社務所では様々な招き猫グッズが売られていた。ほとんど猫雑貨専門店だ。どれもそれなりの値段している。ここまでくると縁起ものというより商売に走りすぎてるような気がしないでもない。今戸神社の招き猫について書かれた本まで売っている。
 今戸神社は縁結びの神社ということにもなっている。それは祭神が八百万の神を生んだイザナギノミコトとイザナミノミコトだからだ。應神天皇と母の神功天皇の親子愛と子孫繁栄、更に一対の招き猫ということでも縁結びの三重奏だ。
 期待していた生きている猫の姿は見られなかった。たまたまそのときいなかっただけなのか、もともといないのか。これだけ猫を前面に押し出しているなら、生き神様としての猫が常駐していてもよさそうなものだ。看板猫がいるといないのとでは、その神社に対する印象は全然変わってくるし、説得力が違う。無理矢理にでも太った白い猫を連れてきて、賽銭箱の横に寝かせておくべきだと私は思う。

今戸神社-7

 ここの絵馬は丸型をしていた。当然、招き猫だ。縁結びということで、けっこうカップルが訪れてるのだろう。絵馬がたくさんかかっていた。
 アジサイもまだよく咲いていて驚く。気候が違うとは思えないから、遅咲きの品種だろうか。
 ここは神社の人が花好きのようで、境内をマイ花壇にしていっぱい花を育てていた。完全なる私物化。椅子とテーブルなんかもセットして、自分ちの庭のようになっている。参拝者はここでお茶を飲んだりできる。花もきれいでいいんだけど、なんかちょっと違うよなぁと思わずにいられないのであった。

今戸神社-8

 入口にも沖田総司終焉の地という看板があって、境内にも石碑が建っている。しかし、その扱いは小さい。招き猫の10分の1も力が入っていない。ここを終焉の地とする説はあまり有力でないという自覚からだろうか。
 ここを沖田最期の地とする根拠は、永倉新八の「同志連名記」が元になっている。ここの近くに新撰組が世話になっていた松本良順の医学所があって、その縁で沖田は今戸神社で療養していて亡くなったと永倉は語ったそうだ。しかし、永倉新八の言うこと書くことは記憶違いが多くて、この話も当てにならないとされている。
 もう一つは、子母澤寛が「新選組始末記」の中で書いた千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で亡くなったという説だ。「ばぁさん、あの黒い猫は来てるだろうなぁ」という有名なやりとりがこちらだ。現在はそちらの方が有力な説となっている。
 今戸神社がそれでもここが沖田総司の最期の地と主張するなら、せめて神社に黒猫をすまわせずばなるまい。黒と白の夫婦猫が境内にいれば、道具立てとしてはパーフェクトだ。

 よく言えばユニーク、悪く言えばちょっとずっこけな今戸神社だけど、見た目以上に由緒と歴史はある。神聖な空気感という点でも物足りないとはいえ、過度の期待をせずに行けばなかなか楽しめる。沖田総司の巡礼気分で出向いていくと腰砕けになる。
 個人的にはずっと気になっていた場所なので、行けてよかった。へー、こんなところだったんだと納得できた。良くも悪くも印象深いところであった。

東京観光にぜひ組み入れたい水上バス隅田川下りの旅

東京(Tokyo)
隅田川下り-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/640s(絞り優先)



 春のうららの隅田川~、のぼりくだりのふなびとが~。
 春というには遅すぎるけれど、隅田川へとやってまいりました。初夏の東京で私たちは船上の人となったのである。隅田川の川下り。なんて風流な響き。ちょっと小金持ちっぽい。けれど我々が乗るのは屋形船などという典雅な乗り物ではない。水上バスだ。読んで字の如く、水の上のバス。優雅も何もあったものではない。一区間200円という値段設定からして庶民のための足代わりということが分かる。けれど、これはかなり楽しみだった。普段船など乗る機会はまったくないし、そもそも最後に船というものに乗ったのがいつだったのか覚えてないくらいだ。子供時代にさかのぼらないと記憶がない。
 昭和の一時期、隅田川は壊滅的に汚れた川となっていたという。それではいけないと努力して、ここ20年、30年でずいぶんきれいな川に戻ってきた。きれいな川なら船にも乗ってみようかと思うのが人情だ。最近ではルートも増えて、隅田川の川下りは東京の観光名所の一つとして認識されるようになっている。人は水に惹かれるものだし、船という非日常の乗り物は心浮き立たせてくれるものがある。
 現在、隅田川では「東京水辺ライン」と「東京都観光汽船」という2社が水上バスを運営している。コースやルートがたくさんあってややこしいのだけど、それだけ行ける場所がたくさんあるということは嬉しいことだ。不定期便などもあって、時間もいろいろなので、あらかじめ調べていった方が無難だ。行き当たりばったりで行けばなんとかなるだろうと思っていると、すごく待つことになりかねない。
 最も一般的なのが浅草から乗るコースだろう。浅草観光へ行ったあと、川下りもしていくのは効率がいい。私たちはその前に浅草の北にある今戸神社へ行ったので、そこから近い桜橋から乗船することにした。時間直前まで誰も発着所にいなくてホントに来るのかいなと心配したけど、ほどなくして水上バスは上流からやって来た。
 東京水辺ラインの「さくら号」、定員200名の船だ。当然のことながら、待っていた人はほぼ全員写真撮りまくりで、観光客だということが知れる。東京に住んでる人はあまり水上バスは利用しないか。
 水上船自体は、明治18年から運行してるというから歴史がある。当時は今のように橋が多くなかったから、渡し船としての役割もあった。明治時代は船賃が1銭だったことから一銭蒸気と呼ばれて親しまれていたそうだ。
 さあ、船に乗って隅田川を下ろう。

隅田川下り-2

 船内には当然シートがあって、のんびり坐って川下りを楽しむことができる。けれど私たちは2階の外デッキを選んだ。やっぱり川下りは川風に吹かれながら景色を楽しみたい。写真を撮るにもガラス越しじゃない方がいい。
 隅田川下りの楽しみはなんといっても次々に現れる橋をくぐっていくことだ。それぞれの橋にはいろいろなドラマやエピソードがあって、そのあたりの説明がスピーカーから流れてくる。単なる交通手段としての水上バスじゃないのが嬉しい。観光気分も盛り上がる。
 桜橋から出発すると最初に登場するのが言問橋(ことといばし)だ。在原業平が「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と歌ったのにちなんだ場所にあるのがこの橋だ(いろいろ諸説はあるようだけど)。今は夏だから、在原業平が見たユリカモメは飛んでいない。言問団子もこの地で生まれた。
 言問橋の前には白鬚橋と水神大橋があって、その先が江戸時代、徳川家康によって架けた最初の橋である千住大橋だ。長らく隅田川の橋はこの一本だけしか架かっていなかった。両国橋が架けられのは66年後のことだ。
 橋以外にも高速道路や電車の鉄橋なども何本か走っていて、上の写真では東武伊勢崎線が見えている。

隅田川下り-3

 赤い吾妻橋(あずまばし)を超えると、有名なアサヒビールのオブジェが見える。ユニークといえばユニークだし、悪ふざけといえばそうも思えるこの光景。下から見るとその斬新さが更に際立つ。隅田川沿いの両岸はやや変化に乏しい風景が続くけど、ここは賑やかで楽しい。
 吾妻橋は江戸時代に架けた5つの橋(千住大橋、両国橋、永代橋、新大橋、吾妻橋)の中で最後に架けられたもので、これは幕府ではなく個人が造った橋だった。町人の伊右衛門と下谷竜泉寺の源八が5年がかりで完成させて、武士以外からは通行料を取っていたんだとか。
 隅田川最後の木の橋だったものが、明治18年の大洪水のとき、上流から流されてきた千住大橋の橋桁が橋脚激突して、もろとも流されてしまった。2年後に、今度は隅田川最初の鉄橋として架け替えられた。現在の橋は、関東大震災で傷んだものを昭和6年に架け直したものだ。

隅田川下り-4

 橋によってはかなり低くて、船外デッキに立っていると手が届きそうだ。実際には届かないけど、ちょっと緊張感があって面白い。
 橋は次々にやって来るので油断していられない。レッドの吾妻橋に続いては、ブルーの駒形橋、グリーンの厩橋(うまやばし)、そしてイエローの蔵前橋と色物が続く。橋の展覧会といわれるのもなるほどと思わせる。
 駒形橋は、橋の西にある「駒形堂」から名づけられた橋で、関東大震災後の復興事業の一つとして架けられた。かつては駒形の渡しがあったところで、駒形どぜうが有名だ。
 厩橋は、明治になって最初に民間によって架けられた橋だった。江戸時代には幕府の厩舎が西岸にあったことからこの名がついた。ここも渡しがあったところで、御厩(おんまい)の渡しと呼ばれていた。
 蔵前橋も、幕府の米蔵があったところからきている。昔は蔵前国技館というのがあって大相撲も行われていた(昭和59年まで)。

隅田川下り-5

 最初の発着所である両国に到着。ここまで約15分で200円。乗り降りのためにしばらく待ち時間がある。このへんがバスや電車と違ってのんびりしたところだ。
 川を進んでいるといろいろな船に出会う。前から何やら派手な船がやって来た。ちょっとヨーロッパ調の感じだ。船体の横には「ドッグクルーズ」と書いてある。どうやら犬と一緒に乗れる船のようだ。乗り物が好きな犬もいるから、喜ぶやつもいるだろう。犬の飼い主ではない私としては、犬と一緒に船に乗ってどうなるんだろうと考えたりしつつ、猫だったらこの企画は絶対成り立たないと思う。
 お台場の方からのクルージングで、大人1,000円プラス犬600円だそうだ。高いんだか安いんだかよく分からない。
 見えている鉄橋は総武線で、すぐ左には両国駅や両国国技館がある。

隅田川下り-6

 両国から先は海が近づいて橋の間隔も長くなる。江戸時代は大橋と呼ばれた両国橋、江戸時代三番目に架けられた新大橋、そして、写真の清洲橋。
 両国橋は、西の武蔵国と東の下総国の二つの国をつないだことから両国橋と呼ばれるようになって、新大橋ができてからは両国橋が正式名称となった。葛飾北斎の冨嶽三十六景にも描かれている。
 これができる以前は千住大橋しかなくて、大火事のとき逃げられずに命を落とした人が多数出たことから架けられた。そしてなんといっても両国橋といえば花火だ。飢饉やコレラの大流行で大勢の死者が出てことから、慰霊と悪霊退散を願って花火を上げたことが隅田川の花火の始まりとされている。両国橋より上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当して、それぞれの花火を競った。「たまや~」、「かぎや~」というかけ声は、それぞれの花火師をひいきする見物客の声援だった。どうして玉屋だけが残ったかというのは説明すると長くなるので省略。隅田川の花火を見に行くことがあれば、そのときにあらためて書きたい。
 新大橋は、歌川広重が名所江戸百景の中で描いた「大はしあたけの夕立」としても有名だ。永谷園のお茶漬けのカードを集めていた人なら見覚えがあるはず。ゴッホもこの絵が好きで真似して描いた。
 江戸から明治にかけて20回以上も架け替えられたこの橋は、関東大震災のとき唯一無事に残って、第二次大戦にも耐えた。そのとき多くの人の命を救ったことから人助け橋と呼ばれたそうだ。現在のものは昭和52年に架け替えられたもので、古い橋の一部が愛知県の明治村に移築展示されている。
 清洲橋は「男女七人夏物語」の舞台となった橋だ。あの頃はさんまも大竹しのぶも私たちも若かった。隅田川でこの橋が最も美しいと言う人も多い。青色のカラーリングと吊り橋のシルエットは確かにきれいだ。ドイツのライン川に架かるビンデンブルグ橋をモデルにしたといわれている。関東大震災後の昭和3年に架けられた。夜のライトアップも美しい。

隅田川下り-7

 私たちの目的地である越中島が近づいてきた。その前に見えるのが永代橋とリバーシティー21だ。なんだあれは、とちょっとたじろいでしまうような光景が目の前に広がる。現実感の希薄な未来予想図がそのまま出現したみたいな変な感じだ。他の惑星に降り立ってしまったような錯覚さえ覚える。
 石川島播磨重工業の工場が移転したのに伴い、再開発事業として大がかりな超高層マンション群を出現させた。すぐ隣は昔ながらの街である佃島で、その先がもんじゃでお馴染みの月島だ。このロケーションでこの景観はすごい。
 永代橋は、5代将軍徳川綱吉の50歳を祝って架けられた橋で(1698年)、徳川家が代々続くようにと願ってつけられたという。当時は隅田川の最も下流に位置する橋で、この先はもう海だった。
 1807年、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に押し寄せた客で橋が重みに耐えられずに落ちて、1,500人を超える死者を出した。大田南畝の狂歌に「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」というのがある。
 明治の終わりには橋の上を路面電車が走っていたそうだ。
 現在の橋は、、ドイツのライン川に架かるルーデンドルフ鉄道橋をモデルとして大正15年に架けられた。
 川はここで二手に分かれ、左が越中島と晴海運河、右へ行くと隅田川が続き、中央大橋、佃大橋とあって、最後は勝鬨橋(かちどきばし)で終わりとなる。その先には浜離宮があり、レインボーブリッジ、お台場、もっと先には葛西臨海がある。

隅田川下り-8

 越中島で降りたのは私たちだけだった。ここは人気薄のスポットらしい。桜橋から待ち時間を入れて約40分。船賃は500円。充分楽しんで満足した。
 ここから佃島の方に渡って散策をしたのだけど、それはまた別の話。船の旅はここまで。船酔いもなく、快適な水上バスの川下りだった。

隅田川下り-9

 降りた後、すごい近未来的な船が走っていった。なんだありゃとそのときは分からず、帰ってきて調べたところ、松本零士プロデュースの「ヒミコ」という船だそうだ。船内放送には「999」の車掌さんも登場するんだとか。浅草-お台場間で1,360円と、少し高い。もしメーテルが乗っているならぜひ私も乗りたい。

 隅田川下りの水上バスは、とってもオススメしたい。何か特別なことがあるとか、エキサイティングとかではないのに、妙にうきうきして楽しいのだ。川を船でいくという経験はめったにできないし、川から見る東京というのもまた新鮮だ。値段も安いし、交通手段としても、一区画を観光気分で乗るだけで楽しめる。夜の便もあるから、夜景もまたとびきりきれいだろう。
 私もこれで船の楽しさに目覚めた。また違うルートで乗ってみたい。お台場で遊んで、帰りは水上バスでゆっくり帰ってくるというのもよさそうだ。ツレにメーテルの扮装をしてもらってヒミコ号に乗ってみるというのもありだろうか。私は哲郎で。そんな二人組を見かけたら、自由に写真を撮ってください。

六本木ヒルズは金持ちの家へ遊びに行くような感じ

東京(Tokyo)
六本木ヒルズ-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/80s(絞り優先)



 東京ミッドタウンをあとにした我々は、お上りさんの見本のように六本木ヒルズにも行ってみることにした。今やこの二つは六本木名物として抱き合わせとなっている。しかし、これが意外と遠かった。地下鉄の六本木駅を挟んで北と南にあって、地図上の直線では400メートルくらいでも、道の連絡が悪いから、実際には1キロくらい歩いた気がする。もしかしたらバスとかでも行けるのだろうか。
 向かっている途中に地図を見ていたら、出雲大社があった。出雲大社って、あの出雲大社か? まさか同姓同名の別物ということはないだろうなと思いつつ、ついでだから寄ってみることにする。確かに出雲大社はあった。でもなんだこりゃ。マンションの中というか、民家を改造した造りみたいというか、思い描いていたものと全然違う。こんな近代的な出雲大社なんて知らない。背後には六本木ヒルズのタワーがそびえ立っている。
 帰ってきて調べてみたところ、正真正銘出雲大社の東京分祠で、明治初期に建てられたという由緒正しい出雲大社だった。もともとは出雲大社の宮司が東京出張所を作ったことが始まりで、以前は神田神社の社務所内にあったものを六本木のこの地に移したんだそうだ。祭神は本家と同じく大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、この神様は縁結びの神様として名高い。まさかそんなことになっていたとはこのときは思いもしなかったから、下で手を合わせるだけで終わってしまった。大国主大神さんは気を悪くしてないといいけど。
 縁結びの神社として一部では知られているようで、参拝客もけっこういるようだ。しかし、ここまで近代的な造りにされるとちょっと戸惑うというかありがたみがない気もする。

六本木ヒルズ-2

 六本木ヒルズのクモのところで10時に、なんていう待ち合わせがあるそうだ。高さ10メートルの巨大なクモが六本木ヒルズの足もとでビルを守っている。深夜人がいなくなったら、このクモがガシャガシャいいながら動き出してビルの周辺を警備するに違いない。そして、不審者を見つけると、口から糸を吐き出してあやしいやつを捕まえるのだ。うん、きっとこいつならやってくれる、そう思わせる説得力がある。
 クモの下から写真を撮ろうとしたら、ツレが離れて遠巻きで見ていた。クモのオブジェを撮る人はいても、恥ずかしげもなく下から撮る人はあまりいないようだった。確かにまわりにはたくさん人がいて恥ずかしいといえば恥ずかしいけど、居直りお上りさんとして他人の視線に私は負けなかった。ある意味六本木ヒルズに勝ったと言えるかもしれない。

六本木ヒルズ-3

 六本木ヒルズの敷地内に残された毛利庭園。近代建築に取り囲まれた日本庭園というのもちょっと不思議な光景だけど、これはこれで日本らしくて悪くない。外国人が作る間違った日本映画みたいな面白い味を出している。取り繕ったような洋式の公園を作るのではなく、ここに日本庭園を残したのは正解だった。
 江戸時代、この場所には長府毛利家の上屋敷があった。三本の矢で有名な毛利元就の孫である秀元がここに屋敷を建てて庭園を造った。
 赤穂浪士の討ち入りのときは、赤穂藩の浪士10人(岡島八十右衛門ら)がこの屋敷に預けられて、この地で切腹している。
 明治の陸軍大将乃木希典は、ここで幼年時代を過ごした。
 その後、第二次大戦で焼け、戦後ニッカウヰスキーの工場となったり、テレビ朝日の敷地になったりして、現在は六本木ヒルズがこの地に建った。
 庭園の向こうに見えているのがテレビ朝日の本社ビルだ。「美味紳助」と「オーラの泉」のポスターが貼られていた。オーラはいつの間にかテレ朝の看板番組になっていたのか。
 右に見えているのが六本木ヒルズのマンションである六本木ヒルズレジデンスだ。目立つ超高層ビルが2棟、低めの2棟とあわせて4棟ならなる。言うまでもなく高い。家賃はだいたい100万円から500万円くらいだそうだ。
 六本木ヒルズというと、たいていは森タワーのことを思い浮かべるのだけど、実際は5つのエリアに分かれた総称が六本木ヒルズということになる。衣食住となんでも揃っていて、敷地面積11.6ヘクタールといえばもう立派な街と呼べる規模だ。ウォーキングコースというのもあって、歩いて一周するだけでもけっこう時間がかかるだろう。
 デザインは、森タワーなどをコーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイツが担当して、商業エリアなどはジャーディ・パートナーシップによる。
 最寄り駅は、地下鉄日比谷線か大江戸線の六本木駅になる。感覚的には日比谷線の方が近そうだ。どちらにしても出口を間違えると遠回りになるのでそれは避けたい。

六本木ヒルズ-4

 ヒルズとテレビ朝日に隣接する六本木けやき坂通り。橋の上から正面に東京タワーが見える。両者の位置関係がけっこう近いことがこの写真からも分かる。
 この通りはクリスマスイルミネーションがきれいなことでも知られている。写真を撮った橋の上も、クリスマスシーズンには鈴なりのカップルの姿が見られるのだろう。ここで三脚を立ててイルミネーションとライトアップされた東京タワーを撮るツワモノもいるだろうか。ぜひ撮りたくなるスポットではあるけど、カップルまみれの中にひとりで突っ込んでいくには勇気がいりそうだ。

六本木ヒルズ-5

 タワーとテレビ朝日の間は大きな屋根のある野外ステージだ。普段はこのようにオープンスペースで、椅子とテーブルがあるから坐ってくつろいだりできる。人目さえ気にしなければお弁当だって食べられる。私たちは人目も気にせず、深川で買った10円まんじゅうを広げて食べた。
 今回テレビ朝日には入らなかったけど、テレ朝にもパブリックスペースがあって、一般も自由に入っていけるようになっている。

六本木ヒルズ-6

 六本木ヒルズといえばやっぱりなんといっても展望台だ。お上りさんとしては、ここにのぼらないことには始まらない。しかしこれが1,500円ときた。おぬし、やるな、という値段だ。東京タワーの展望台が820円+特別展望台600円で1,420円だから、それよりも高い。だから普段はなかなか行く気になれなかったけど、7月の一週目は七夕割引があって二人で1,800円ということでのぼってみる気になったのだった。ネットの東京デートナビクーポンを使えばいつでも1,500円が1,200円になるから、とりあえずクーポンをプリントアウトして持っていって、男二人なら入口で女子二人を誘ってカップルとして入れば300円は得するというせこい戦法がある。一人で来ている女の人はめったにいないだろうから、野郎一人でこの作戦を使うのは難しいけど。
 東京シティービューと名づけられたこの展望台は、高さ250メートルで、東京の街をぐるり360度を見渡すことができる。東京タワー、新宿、汐留、池袋サンシャインシティ、お台場のレインボーブリッジ。遠くには東京ディズニーランドや羽田空港も見える。まわりに高い建物がないのから視界が開けている。
 深夜1時まで営業しているというのもここの魅力だ。

六本木ヒルズ-7

 さすがに三脚は全面的に禁止なので夜景撮りは厳しい。光が反射しにくいガラスを使っているそうだけど、それでもまったく映り込まないというわけではない。撮る角度を工夫しないと、上の写真のように盛大に映り込む。これはこれで味だと思って、ここでは採用したのだけど。
 ベストビューポイントは、入口から入ってすぐの東京タワーが見える方向だろう。こちらが一番明るくて見るものも多い。その分、競争率が高くて、一度居座ったカップルはなかなかどこうとしない。どうしてもここから見たい場合は、どけどけどけーい、邪魔だ邪魔だ、どけどけどけーいと、いつもここからのギャグで迫ってみてはどうだろう。そういえば彼ら、最近見なくなったな。
 以前までは屋上のスカイデッキに出られたのに(プラス500円)、今はどういうわけか休止中になっている。何か不都合なことがあったのだろうか。写真で見るとかなりの吹きさらし状態でスリリングそうだ。もし再開したら、ぜひ行ってみたい。

六本木ヒルズ-8

 この状況で少しでもまともに撮るには、ガラス面と平行にレンズをくっつけるようにカメラを置いて、タイマーを使って撮るのがいい。これなら手ぶれしない。タイマーだから絞りはなるべく絞った方がいい(この写真は絞り足りないけど)。
 右下に神宮外苑の絵画館がライトアップされて夜の中に浮かび上がっていた。思えば私の東京通いは、去年の12月、あの神宮外苑のイチョウ並木から始まったのだった。あれから7ヶ月。絵画館は感慨深いものがある。
 
 お上りさんとして森タワーの展望台にのぼって夜景を見るだけなら、六本木ヒルズに対して反感を抱いたりひがんだりする必要はまるでない。たとえ自分がヒルズ族になれなくても東京シティービューからの眺めが楽しめないわけではない。ただ、やっぱり六本木ヒルズという存在に対しては平静ではいられないところが誰の中にも多少なりともあるんじゃないだろうか。憧れにせよ、そうでないにせよ。ニューリッチ層であるIT企業などをたくさん受け入れたことがいいことだったのかそうじゃなかったのか。ある意味では六本木ヒルズというのは差別社会の象徴的な存在でもある。
 貧乏人は置き去りの高級志向。悪い言葉で言うと成金的。これみよがしなところが一般人にはかちんと来て、新進の金持ちには心地がいい。最初からそういうコンセプトで始まったわけではないだろうけど、どこか差別化するようなところがあるように感じられる。マスコミが作り出した幻想というだけではない。
 似て非なる東京ミッドタウンができて、今後はますます比較されることが増えていくだろう。あっちにはそういうアクの強さがなかったのは、六本木ヒルズをある種の反面教師としたのかもしれない。でっぷり太った押し出しの強い森タワーと、シャープな印象のミッドタウン・タワーは、外観だけでもその方向性の違いが見て取れる。
 六本木ヒルズは今後も六本木とニューリッチの象徴であり続けるだろう。否が応でもそういう宿命だ。10年後、20年後、どうなっているだろう。他にもっと新しいものができて、ここは過去の栄光のようになるのだろうか。それとも、別の姿に変化していくのか。

六本木ヒルズ-9

 ハート型のカップルシールに、みんな願いや約束を書いてボードに貼り付けていた。東京シティービューは、恋人の聖地100選のうちの一つに選ばれていることもあって、カップルが多い。
 七夕の夜、また来年も一緒に来ようねと多くの恋人たちがここで誓ったことだろう。1年というのはすぐに過ぎるけど、その間にはいろんなことがある。変わらないものは何もなくても、変わりながら進んでいくことが大切だ。一組でも多くの約束が守られますように。

東京ミッドタウンはお上りさんも優しく迎え入れる懐の深さがある

東京(Tokyo)
ミッドタウン-1




 今回の東京行きでは、珍しくオシャレスポットもいくつか巡ってきた。神社仏閣だけが東京行きの目的ではない。池袋のサンシャインシティに続いて行ったのが、六本木に新しくできたばかりの東京ミッドタウンだ。住所でいうと六本木ではなく赤坂になる。
 でも、東京にしてはこのネーミングセンスに疑問を感じる。ひとあし先に名古屋駅に建った超高層ビルがミッドランドスクエアだから、名古屋人からするとうちらのマネだがやとなりかねない。そもそもミッドタウンといえばニューヨークだし、個人的には学生の頃ミッドナイトショップというテレホンショッピングの電話受付のバイトをしてから、ミッドの後に続くのが何だったか混乱してしまう。しまいにはミッドシティだっけ? なんてとぼけたことを言い出す始末。ミッドタウンというのは覚えにくい。
 まあ、名前はともかくとして、東京ミッドタウンだ。2007年3月30日にオープンしたときは大勢が押し寄せたというニュースを見た。3ヶ月で1,100万人が訪れたというから大変なものだ。一年目の年間集客目標3,000万人というのも達成できるだろう。
 ミッドタウンのシンボルであるミッドタウン・タワーは、地下5階、地上54階、高さが248.1メートルと、六本木ヒルズや東京都庁を抜いて都内で一番高いビルとなった。ただ、残念ながらミッドタウンには展望台はないから、隣の六本木ヒルズを見下ろすことはできない。最上階は機械室となっていて、ここのビルのメンテナンス係にでもならないと入ることもできない。その他高いところはオフィスなので、展望はあきらめるしかなさそうだ。どうしても高いところから眺めたければ、目玉の一つである超高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」に泊まるしかない。一番安い部屋で1泊6万8,250円、最上級スイートルームは1泊210万円するけれど。
 2000年の5月までここには防衛庁(現防衛省)の本庁舎があった。それが新宿の市ヶ谷に移転してしまったあと、長らく都内の超一等地にぽっかりと穴が開いた形となっていた。その再開発事業でできたのが東京ミッドタウンというわけだ。総事業費約3,800億円。2,700億円だった六本木ヒルズに対して、かけた金額でも大きく上回った(敷地面積では六本木ヒルズの方が広い)。
 東京ミッドタウンというのは、商業施設やオフィス、マンションなどの建物の総称だ。六本木ヒルズとライバル関係で語られることが多いミッドタウンだけど、コンセプトや方向性はかなり違っている。



ミッドタウン-2

 こちらは芝生広場やガーデンテラスのある方の出入り口になる。もともとは防衛庁の敷地だったこともあって、緑が多く、公園との合体というのもテーマの一つともなっている。敷地にあった樹木なども移し替えして残された。
 最寄り駅は地下鉄大江戸線の六本木駅ということになる。六本木ヒルズよりも近くて行きやすい。ただし、大江戸線は地下深いので、地図で見るよりも歩かないといけない。なので、日比谷線の方が近いかもしれない。どちらも地下通路で直結している。千代田線の乃木坂駅でも距離はそれほど変わらない。
 交差点の名前も、「東京ミッドタウン前」や「東京ミッドタウン西」となっていた。「六本木ヒルズ前」という交差点はないはずだから、その点でも六本木ヒルズを超えたと言っていいかもしれない。というよりも、もともと国有の土地の再利用ということで、民間主導の裏で官僚的な影が少しちらついたりもしている。



ミッドタウン-3

 こちらは反対側のプラザの方で、こっちから行ってしまうとミッドタウンの中心部がどこなのか見失いがちになる。四方をビルに囲まれて、いわゆるミッドタウンはどれなのか分かりにくい。ミッドタウンイースト(コンベンションホールやコナミの本社)と、ミッドタウンウエスト(オフィス棟)があって、この写真でいくと正面がショッピングゾーンのガレリアになる。たいていの場合、ミッドタウンへ行くというのはこのガレリアに行くことを指していると思う。
 建物は非常に洗練されて洒落ているものの、訪れてる人は案外そうでもない。子供連れの半ズボンのお父さんや、明らかな観光客、おばちゃま軍団やらがたくさんいてホッとする。六本木ヒルズよりも緊張感がない。気合いの入れ具合としては、近所の百貨店へ行くくらいの心構えでちょうどいい。そんなにめかし込んでいかなくても大丈夫だ。オシャレ度が高すぎて近づきがたいような空間ではない。



ミッドタウン-4

 建物の中にも外にも様々なオブジェがある。名のある作家の作品かもしれない。ミッドタウンは「デザイン・アートの発信基地となることを目指し」てるそうだから、これもその一環らしい。ちびっこたちがオブジェに乗ってはしゃいでたけど、あの光景を見たら作った作家は嘆くだろうか。

 ミッドタウンの母体というか中心的な存在は、三井不動産ということになる。そこへ様々な企業や団体などが絡んでくる。
 全体の設計は、コンベンションの結果、アメリカの有名な建築事務所SOM(スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル)が担当した。個別には日本の建築事務所や建築家が当たった。
 トータルのイメージとしては、上質な洗練をテーマにしたことがうかがえる。六本木ヒルズのようにどうだという押しつけがましさがない。
 そのあたりの指向性や方向性もあってか、テナントには富士フイルムやゼロックス、USEN、ヤフー、コナミ、シスコシステムズなど、大手で堅実なところが顔を並べている。ライブドアや楽天などの新進のIT企業などが競うように入居した六本木ヒルズとはかなり違っているのが面白い。



ミッドタウン-5

 都内の中心でありながら、ゆったりとしたぜいたくなスペースが取られているのもここの特徴だ。隣接する檜町公園と芝生広場は弁当を広げたり、子供を遊ばせたりするのにもいい。上質な生活空間や働く空間を提供するというのもミッドタウンの目指しているところだ。緑も多い。



ミッドタウン-6

 ここがミッドタウンを紹介するときよく出てくるガレリアだ。そうそう、ここだよ、ここ、と私たちも思わずはしゃいでしまった。完全なるお上りさん状態。写真も撮りまくりで、ふとあたりを見渡すと、喜んで写真を撮ってる人は私たち以外にいなかった。ここはそういうところではないのか?
 地上3階、地下1階の吹き抜けは、開放感があって気持ちがいい。最新のセンスに和のエッセンスを盛り込んで、冷たくなりがちな空間を柔らかく演出している。自然光を取り込みつつ人工光を上手くあわせていて、居心地のいい部屋のようだ。ギラギラ、テカテカしてないから疲れない。
 ファッションやインテリア、カフェなど132の店舗が入っていて、どの店も大勢のお客がいた。和菓子の「虎屋」などおなじみの店もあって、必ずしも高い店というばかりではなさそうだ。MUJIなどもあった。



ミッドタウン-7

 高いところから流れ落ちる水の仕掛けがあって、みんな興味深そうに集まって見ていた。ここでは写真を撮る人も多かった。
 ミッドタウンは、とても休憩の椅子が多いところだ。フロアごとあちこちに椅子やソファーが用意されている。これには好感が持てた。東京でただで座れるところは貴重だ。何もすることがない休みの日などは一日でも過ごせそうだ。各店を冷やかして、疲れたら椅子で休んでいれば、夏は涼しくていい。弁当を食べるのはさすがに無理でも、本くらいは読んでいても平気そうな雰囲気だ。携帯ゲームをしてる子供もいた。図書館へ行くよりも楽しめる。



ミッドタウン-8

 セブンイレブンも外観はこんなことになっている。高級そば屋みたいだ。ででも、品揃えは他店と変わらない。特別高い品物ばかり並んでいるわけでもなく、店員さんがスーツを着て接客をしているなんてこともない。
 結局、この日ミッドタウンで買ったのは、ここのコーヒー牛乳だけだった。ミッドタウンへの私の貢献度はほとんどゼロといえる。



ミッドタウン-9

 東京ミッドタウンは、もちろんオシャレスポットには違いない。建物の外観も内装もショップも最先端で、どこも洗練されている。けれど、意外に庶民派でもある。居丈高な感じがなくて、肩肘張らずに過ごすことができる。高級なものを求める人にも、一般的なものを求める人にも、どちらにもこたえることができる懐の深さがある。上質だけど高尚なわけではなく、高級志向一辺倒じゃないところがいい。
 そろそろ混雑も解消して、休みの日でもゆっくり見て回れるようになった。東京観光のひとつに組み込んでみるのもいい。六本木ヒルズと両方歩いていくとちょっと距離があるけど、二つ行って比べてみると違いがよく分かる。
 いつかはホテル・リッツへ。スコット・フィッツジェラルドのように。
 
【アクセス】
 ・都営大江戸線「六本木駅」下車。直結。
 ・東京メトロ日比谷線「六本木駅」下車。徒歩約5分。
 ・東京メトロ千代田線「乃木坂駅」下車。徒歩約5分。

 ・営業時間 ショップ 11時-21時 / レストラン 11時-24時
 ・休業日 店舗、施設による

 東京ミッドタウンwebサイト
 

鬼子母神の夏市には昔ながらの夏まつりの姿があった

東京(Tokyo)
鬼子母神の屋台風景

 七夕を挟んで7月6日から8日の3日間、雑司が谷の鬼子母神(地図)で毎年恒例の夏市が開かれる。
 夏祭りなんて何年ぶりだろう。久しくこういう場所と無縁の暮らしを送っていた。少年の頃、毎年あちこちの盆踊りに行っていたときの記憶がぼんやりよみがえった。
 普段の鬼子母神は、江戸期の面影を色濃く残すひっそりとした異空間で心落ち着く場所なのだけど、この日ばかりは雰囲気がガラリと一変して、あふれんばかりの人々が境内からはみ出し、異様とも思えるほどの熱気に包まれていた。活気や賑わいというのを超えていて、入口の外からちょっとひるんだ。なんだこりゃ、と思わず口走る。そこはまさにお祭り会場だった。すごい人だかりにおののく私。まさかこれほど賑わっているとは思ってなかった。



夏市に訪れる少年少女

 一番驚いたのが子供たちの数だ。どこからわいて出てきたのか知らないけど、境内は子供まみれになっている。
 普段は高齢者しか見かけないような雑司が谷に、これほどの子供がいたのか。近所中の子供を集めて、なおかつ他の地域からの応援を呼んでもここまで集まるかどうかというほどの少年少女軍団。いつもの鬼子母神の平均年齢が60歳を超えるのに対して、この日は20歳を下回っていたかもしれない。小中学生が半分くらいを占めていたから、ホントにそれくらいだろう。それも、親や大人に連れられてきたというのではなく、子供同士で誘い合ってやって来ている姿が目立った。こんなにたくさんの小中学生の群れの中に入ったのは、自分が小中学生だったとき以来だ。



出店が並ぶ

 境内には所狭しと屋台が立ち並ぶ。それは現代風のものではなく、古式ゆかしいテキ屋の夜店で、コワモテのおじさんが型抜きで子供相手に容赦ないダメ出しをしていたり、おばちゃんがくわえタバコで焼きそばを焼いたりしているといったようなものだ。
 金魚すくい、射的、焼きトウモロコシ、大坂焼き、ヨーヨー釣り、チョコバナナ、アンズ飴、かき氷、ラムネ……。見て回っているだけで子供の頃のワクワクがよみがえる。少し怖いようなあの感じも。
 入谷の鬼子母神ほどではないけれど、小規模ならが朝顔を売っている出店もあった。唐突にKAT-TUNのうちわなどのジャニーズグッズの店があったりして、そのあたりだけがわずかにズレた感のある21世紀風景が面白い。



上川口屋のおばちゃんと少女たち

 境内に常駐している駄菓子屋「上川口屋」も、この日は祭りモード。次々に訪れるお客におばちゃんも忙しそうだった。



すきみみずく

 鬼子母神名物「すきみみずく」も、もちろん売っている。江戸時代から続く郷土玩具として、今も伝統は続いている。
 縁起物として買っていく人も多いのだろう。値段は書いてなかったけど、おそらく1,500円か2,000円くらいはするはずだ。



たこ焼きを買う

 せっかくの縁日だから何か食べようとなって、迷った末に、大たこ焼(6個入500円)にした。焼きそばはおばちゃんがくわえタバコだし、焼きトウモロコシは歯に引っかかる。大阪焼きと迷って、無難なたこ焼きにしておいた。そういえば、リンゴ飴はなかったな。あれはもう流行らないのか。
 中身にタコだけじゃなくてうずらの卵や赤いウインナーが入っているのがちょっと斬新だった。外皮のパリパリ感が足りなかったものの、肉厚でしっとりしてなかなか美味しかった。こういう夜店で食べるものは、意外に何でも美味しく感じられるものだ。



浴衣姿の子たち

 浴衣の女の子も多かった。みんなこの日のために親に用意してもらったのだろう。それは昔よりも昔的で、素敵な光景だった。夏祭りと浴衣と夜店と走り回る少年たち。
 昭和の後半から平成にかけて、夏祭りは死んだも同然だと思っていた。でもそうじゃなかった。ここには私さえも知らない昭和30年代のような活気に満ちた縁日があった。私たちが子供だった昭和40年代後半から50年代にかけて、夜祭りの活気は少しずつ薄らいでいっていた。子供心にそれを感じて寂しかったのを覚えている。それが平成10年代の終わりにもまだあったというのは驚きでもあり、嬉しいことでもあった。
 近年は地方都市ほどこういう伝統的な行事を軽んじる傾向がある。祭りといえば田舎のものというイメージは実際は逆で、むしろもっとも都会である東京こそが一番色濃く江戸の伝統を残しているように思う。東京の子供たちは自然がなくてかわいそうだなんてのも、まったくの思い違いだ。東京は意外にも緑や自然が多くて、子供たちは積極的にそういうものと触れ合っている。
 少年少女時代に鬼子母神の祭りのような思い出を持てる子供たちは幸せだ。大人になったとき、懐かしく思い出したり語り合ったりできる。今の彼らはそれに気づかなくても、20年後、30年後、今の私のような気持ちになるだろう。



夜の都電荒川線

 夜の雑司が谷にも都電荒川線は走る。これに乗って鬼子母神の夏市に行った人も多かっただろう。まさに昭和の世界だ。
 来年の6月には、新たな地下鉄「副都心線」がこのあたりを通ることになる。池袋から雑司が谷、新宿を通って渋谷までをつなぐから、山手線からの連絡がよくなって、このあたりも訪れる人が増えるんじゃないだろうか。観光地化が進むと、鬼子母神も少し変わってしまうかもしれない。来年の夏市はどんなふうになっているだろう。少年少女たちにとって楽しい空間と時間だけは消えずに残って欲しいと思う。
 来年は平成20年代の始まりの年だ。変わらないものなど何もないけど、変わらずに残って欲しいものもある。ノスタルジックなものとしてではなく、現代のリアルタイムの行事として定着していくことが大切だ。今を生きる子供たちは懐かしいから縁日に行くわけではない。楽しいから行き、それがやがて楽しかった思い出となる。
 来年もその先も毎年行きたいと思えるところが増えていくのは、とても素敵なことだ。長生きするのも悪くないと思える。
 
【アクセス】
 ・都電荒川線「鬼子母神前」から徒歩約4分
 ・東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」から徒歩約6分
 ・JR山手線「目白駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 なし

 鬼子母神堂webサイト
 

サンシャインで過ごした七夕らしい一日に思う平和と奇跡

東京(Tokyo)
サンシャイン60-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.0 1/20s(絞り優先)



 七夕の夕方、池袋サンシャインは大勢の人で賑わっていた。外は涼しかったのに、熱気が伝わって中は汗が出るほど暑かった。
 こんな日だからプラネタリウムでも見に行こうと最初に言い出したのは私だった。私たちはワールドインポートマート屋上にある「サンシャインスターライトドーム満天」へと向かった。その途中、サンシャインシティアルパ地下1階の噴水広場を通りかかると、浴衣を着たお姉さんが短冊を配っていた。大きな七夕飾り(15メートル)が2本立てられていて、みんな短冊にそれぞれの願い事を書いて結んでいる。七夕の行事など、幼稚園児のとき以来した記憶がない。短冊を受け取ってみると、プラネタリウムの2割引券がくっついていた。800円が640円になる。もともとプラネタリウムへ行くつもりだった我々としては、道ばたを歩いていたらお姉さんが160円を手渡してくれたようなものだ。そんなことはめったにあるもんじゃない。ありがたい話だ。
 願い事というか目標を書いた短冊をくくって、ぼちぼち私たちはスターライトドームへ行くことにした。このときはまだ、満員御礼で入れないなんて思ってもみない二人であった。
 噴水広場ではこの日、キンモクセイのミニライブが行われたようだ。

サンシャイン60-2

 プラネタリウム「スターライトドーム満天」では、毎日3本の番組が1時間交代で行われている。私たちがチケット売り場に着いたのが夕方の5時前。6時から始まるメインのプログラム「満天の星に願いを」を見るつもりだった。入口で何分前くらに並べば座れますかと訊ねたところ、もうチケットは持ってますよねと聞き返された。いえまだですけどと言うと、もう満席ですよという答えが返ってきた。ええー、うそーん。プラネタリウムってそんなに人気爆発だったの? 驚く我々とあきれる係の人。おまえたちこんな時間におっとりやってきてチケットが残ってるはずないじゃないかとでも言いたげな感じだった。見通しが甘かった。確かに公式サイトには休日は1~2時間前に並ばないといけないようなことは書いてあったけど、本気にはしてなかった。まさか300近い座席のプラネタリウムが満席になるなんてないよねと。けど、この日は七夕だ。こんなときくらいプラネタリウムでも行こうかと考えた人間がたくさんいても不思議ではない。288席のチケットは何時の段階で売り切れたのだろう。
 気を取り直して、どこか座れるプログラムはないかチケット売り場で訊ねてみると、5時から始まる「Astronaut 宇宙飛行士になる!」なら見られるという。すでに開始4分前。迷ってる時間はなかった。それでお願いしますと急いでチケットを買って会場に入っていった。宇宙飛行士になるつもりは全然ないんだけどなと思いつつ。
 やはりこっちのプログラムは人気薄らしく、開始直前でも客の入りは3分の2程度だった。その次の7時から始まる「天の川幻想」というのもすでに売り切れだったのに。「宇宙飛行士になる!」はファミリー向けという設定で、「天の川幻想」は一日の最後に一度だけ行われるプログラムで、こちらはアロマの香りなどが出たりして1,200円と特別料金になっている。
 結果的に「宇宙飛行士になる!」は、もうひとつの内容だった。前半は一般的な星空の解説でいわゆるプラネタリウムのプログラムなのだけど、後半は外国で制作された宇宙飛行士になるのがいかに大変で危険かという内容なのでさっぱり楽しめない。こっちとしては最初から宇宙飛行士など目指してないから。
 とはいえ、子供時代以来のプラネタリウムは、映写機も映像も大きく進歩していたり、ナレーションが椎名へきるだったりして(メインプログラムは三石琴乃)、へーと感じるところがいろいろあった。星座にまつわる物語自体は昔も今も変わってないけど、見せ方や楽しませ方に関してはけっこう変わってきているようだ。夜空に見える星が少なくなったこの時代だからこそ、プラネタリウムは動物園のような役割を担っていかなければいけないのだろう。多くのプラネタリウムが閉鎖されていっている今だけど、東京ではまだ満席になるのだということを知ったことが一番の収穫だったかもしれない。

サンシャイン60-3

 時間なくて入れなかった、ナムコ・ナンジャタウン。「驚きと不思議が詰まった夢の都市型テーマパーク」というのだけど、それだけではどんな内容のところなのかはイメージできない。全国各地のギョーザを集めた「池袋餃子スタジアム」というのをテレビで見て、これだけはちょっと食べたみたいと思っていた。その他、昭和30年代の日本の町並みを再現したコーナーなどもあるというから、またいつか行ってみたい。入園料は300円。

サンシャイン-4

 サンシャインといえばなんといってもサンシャイン60だ。かつて長らく日本一の超高層ビルであり、東京のシンボルの一つだった。
 サンシャインシティというと、サンシャイン60の他、いくつかのビルが集まった複合施設のことを指す。事情が分からないとちょっと混乱してしまう。サンシャイン60のビルとサンシャインプリンスホテル、ワールドインポートマート(プラネタリウム、国際水族館、ナンジャタウンなど)、専門店街アルパと4つのブロックに分かれつつ、地下や1階などでフロアがつながっている。でも分かりづらい。
 サンシャインができたのが昭和53年(1978年)のことだから、もうすぐ30年になる。江戸時代までここは人も住まないような土地で、戦前戦後は巣鴨プリズン(のちの東京拘置所)があった。できたばかりのサンシャイン60は、東京タワーと並ぶほどの東京名所で大勢の人が押し寄せた。あれから30年、サンシャイン60は良くも悪くも昭和が色濃い。展望台は特にあか抜けなさが時代を感じさせた。
 展望台料金は今となっては良心的とも思える620円。六本木ヒルズなど1,500円も取る。それでも我々は情け容赦なくJAFの会員2割引を駆使して500円で入場した。土曜日の夕方6時前、七夕の夜といっても入場者は写真の程度。安くて高い穴場高所スポットだ。同じくらい高さで無料の新宿東京都庁もあるけど、あちらとは場所が違うから景色も違ってくる。

サンシャイン-5

 展望台としての洗練度は低いものの、360度ぐるりと見渡せて窓の数も必要充分にある。一部は展望スペースとしてのぼることもできるので、写真を撮るにもまずまず向いている。ガラス面はバックの光がどうしても写り込んでしまうけど、それはしょうがない。
 上の写真はスローシャッターで動いている人を撮ったので、一部が亡霊のようになってしまっている。もう少し速いシャッタースピードで撮れれば、これも狙いとして面白い写真になるのだけど。

サンシャイン-6

 この日は残念ながら夕焼けを見ることはできなかった。ただ、梅雨まっただ中の七夕の日ということを考えると、雨が降らなかっただけでも上出来だ。雲の間から少しだけ薄い青空も見えていた。
 写真は池袋駅方面だったはず。サンシャインは池袋の駅から離れていて少し歩く。
 空が暮れ始めると、街明かりが徐々に増えていく。一日は昼の部から夜の部へバトンタッチされ、人々の暮らしの終わりと始まりが交差する。

サンシャイン-7

 屋上のスカイデッキは、土日と祝日のみ出ることができる。雨風が強いときは出られないようだけど、無料なのが嬉しい。柵でがっちり囲われているとはいえ、地上250メートルもの場所で屋外に出られるという体験はなかなか貴重だ。ガラス越しとガラスなしでは精神的に全然違う。怖いのは間違いなく怖い。
 さすがに七夕の夜ということもあってカップル率高し。ほぼ100パーセントに近い。ここへ男子ひとりで夜景写真を撮りにいくのはきつい。男でいっぱいの深夜の吉野家へ女性がひとりで突入するのと同じくらい難しいかもしれない。そもそも喜んで夜景写真を撮ってるのも私たちくらいだった。みんな夜景ムードにしっとり浸っていた。

サンシャイン-8

 スカイデッキは360度見渡せるわけではなく、見られる方向が限られている。ただ、東京タワーや新宿方面など、一番見応えのある方角に視界が開けているので問題ない。写真を撮るには柵が邪魔でなかなか思い通りにはならないのだけど。三脚も持ち込み可なのか不可なのか。警備員が2人、常駐している。これだけ高層階だから、ふざけ半分でも柵を乗り越えたりしたら危険だから目を光らせているのだろう。

サンシャイン-9

 視力が悪い人間見る夜景はこんなふうに映る。これぞ宝石を散りばめたようというやつだ。高い場所から見下ろす東京の街は、様々な色の光に満ちた平和な世界そのものに見えた。もちろんそんなはずがないことは分かっている。それでも七夕の夜、夜風に吹かれながら夜景を眺めるたくさんのカップルの姿は、平和な世界でしか実現しないものだ。たとえそれがもろいガラスの平和だったとしても、今このとき、ここに生きていることを喜びとしたい。
 七夕の夜に特別な願い事などしなくてもいい。今日が一年に一度の七夕ということを思い出して、自分のまわりにいる大切な人に対して少しだけ優しい気持ちになって、心の中でありがとうと言えればそれでいい。
 夜空を仰ぎ見て、見えない星に目をこらして、遠い星々のことを思い出す。無数の星の中、奇跡の星地球に生まれ合わせたこと以上に何を願うというのか。

お上りさんは六本木ヒルズに上り隅田川を下る

食べ物(Food)
最近のケーキ事情

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/40s(絞り優先)



 この前作ったケーキの写真を置いて、東京へ出発。東京とケーキの間に因果関係はありません。ちょっとだけ進歩したケーキの出来を見てもらいたかっただけで。
 私が東京へ行くので、この週末、東京は雨は降りません。
 隅田川を下る船に乗っている私を見かけたら、川岸から手を振ってください。私も振り返します。
 それじゃあ、ちょっと行ってきます。帰りは月曜日の予定です。

海に暮らす多様な生き物のことを教えてくれた名古屋港水族館に感謝

施設/公園(Park)
名古屋港水族館の魚たち-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/40s(絞り優先)



 いい顔してるなぁ、クエ。じろりとにらんだ目が執筆中を邪魔された松本清張みたいだ。先生、調子はいかがでしょうか、と話しかけたくなる。あ? まあまあだ、なんて返事が返ってきそう。
 ゆら~っとゆったり泳ぎながら目だけキョロキョロさせて辺りをうかがうクエさん。魚なのになんとも表情が豊かで、見ていると笑えてくる。クエとしては特に深い考えで泳いでいるわけではないのだろうけど。
 西日本から東シナ海あたりのさほど深くない海底でのんきに暮らしている。群れは作らず単独で、昼間は岩陰などでぼぉーっとして過ごし、夜になると獲物を求めて巣の近場をうろつく。そして、寝ている魚やイカなんかを大きな口で丸飲みにして食べる。
 大きいものは1メートル以上になるそうだ。高級魚で市場ではほとんど出回らないため、釣り人の憧れの的ともなっているらしい。食べるとフグより美味しいんだとか。一度くらいは食べてみたい気もするけど、その前にフグを食べたことがないので(食べて死ぬような可能性のあるものは食べたくない)、私にはフグより美味しいかどうかの判断はできない。

名古屋港水族館の魚たち-2

 海のギャング・ウツボが水中から空に向かって吠えるようにじっと動かない。見るからに悪そうだ。凶暴さが顔に出ている。けど、目はつぶらでちょっとかわいい。鳥なんかの目の位置からするとずいぶん前のほうの中途半端な位置にある。ここの方が海では都合がいいんだろうか。
 ウワサに違わず性格は凶暴で、鋭い歯で人間の指くらいは簡単に食いちぎる。捕らえた獲物は決して離さない。こちらから向かっていかなければ襲ってくることはほとんどないだろうけど、濱口まさるさんは海でよく捕まえて食べている。あれは危険すぎる。よい子はマネしてはないけない。食べてみるとけっこう美味しいらしいのだけど。
 日本の南側から台湾にかけての暖かい海に彼らはいる。昼間は岩場などに潜んでいて、夜になると獲物を求めてうろつき回る。タコが好物らしい。

名古屋港水族館の魚たち-3

 ヒラヒラの派手な衣装を身にまとったハナミノカサゴ。よく似たミノカサゴとの違いは、ハナの方が顔などのトゲトゲが多いところだ。縞模様もこちらの方が派手で、やや大型になる。
 このヒラヒラは飾りなどではなく、毒を持っているというアピールだ。毒性が強くて刺されるとけっこう危険だそうだ。美しいものには棘があるというのはハナミノカサゴにも言える。
 こいつも夜行性で、昼はぼんやり休んで過ごす。昼間に狩りをするには衣装が派手すぎるかもしれない。夜みんなが寝静まっているところを襲って飲み込んでしまう。
 生息域は日本の南からインド洋、太平洋にかけて。

名古屋港水族館の魚たち-4

 これまたでっかくてゆったりと泳ぐ魚だ。ナポレオンフィッシュ。ナポレオンは小男だったのになんでこんな大きな魚がナポレオンフィッシュなんだろうと思ったら、頭の形がナポレオンがかぶっていた帽子に似ているからなんだそうだ。日本名は、メガネモチノウオという。これは、目の後ろの黒い線がメガネをかけているように見えるところからきている。この個体は、その線がちょっと薄かった。
 日本の南からインド洋、太平洋にかけて広く分布するベラの仲間で、最大2メートルにもなる。泳ぎはゆったりだから性格もどっしり構えていると思いきや、意外と縄張り意識が強くて心が狭い。仲間が入り込んでくると怒って追い出したりする。肉食で、小魚や甲殻類などを食べる。こちらは昼行性で、夜は岩陰などでお休みする。

名古屋港水族館の魚たち-5

 エイはサメの仲間だ。白と黒のカラーリングを見ると、なるほどサメと一緒だと思う。軟骨魚類と呼ばれる種類に属する。
 白いおなか側の二つの穴は目ではなく鼻の穴だ。匂いに敏感らしい。口の下にある左右に並んだ穴はエラだ。目は背中側の横の方についている。
 特徴的なのが泳ぐためのヒレと長くて細い尾っぽだ。サメと違って基本的に性格はおとなしいのだけど、アカエイのように稀に背ビレに毒を持っているものがいる。オーストラリアの動物博士スティーブ・アーウィンは、2006年にアカエイに胸を刺されて命を落とした。電気を持っているシビレエイなんてのもいる。
 世界には約530種ものエイがいるそうだ。多くは海底で貝などを食べて生きている。淡水に生息するやつもいる。

名古屋港水族館の魚たち-6

 カクレクマノミ。こいつは撮るのに苦労した。サンゴに隠れたり出たりちょろちょろして落ち着きがない。映画『ファインディング・ニモ』のモデルになったのがこいつだ。
 奄美大島より南の太平洋から東部インド洋にかけて生息している。すっかりおなじみの熱帯魚だ。
 ハタゴイソギンチャクなどのイソギンチャクを家として家族で共同生活を送っている。
 これも雄性先熟型の雌雄同体魚で、オスからメスに一部が変化する。卵の世話などもオスの方が熱心にやる。ニモの話もそうだった。

名古屋港水族館の魚たち-7

 写真では大きさが伝わらないのだけど、巨大な貝だった。1メートル近いこの貝はオオシャコガイだ。重さは数百キロになるそうだ。
 エサはプランクトンからだけでなく、貝についた藻の光合成から生まれた養分をもらって栄養にしている。海の中では様々な形の共生がある。
 日本では名古屋港水族館にしかいないんだとか。

名古屋港水族館の魚たち-8

 底にいて動かないこの毒々しい生き物はなんだろう。ウミウシというやつだろうか。定かではない。
 もしウミウシというのだとしたら、世界では3,000種類以上もいるんだそうだ。知らなかった。海の牛なんて聞いたこともなかった。頭の先端に一対か二対の触角を持っていて、それを牛の角に見立てて名づけられたようだ。
 毒を持っているやつが多く、食用には適さない。この体を見て食欲はわかない。

名古屋港水族館の魚たち-9

 お触りコーナー(タッチタンク)にいる生き物たち。ナマコ、ヒトデ、ウミウシ、ムラサキウニなどがいて、ちびっ子たちに触られ放題で無抵抗。見ていると気の毒になる。ストレスで長生きできそうにない。近くにはボランティアの係員が3、4人は見張っているのだけど、子供たちの暴挙を完全に食い止めることはできない。
 ちらっと触ったナマコやウニは、少し固めでヌメっとした不思議な触感だった。

 名古屋港水族館の魚編は今回で終了となる。まだまだたくさんの生き物たちがいたのだけど、全部は撮りきれなかった。次回に持ち越しだ。
 今回はいろんな生き物がいることを実感できたのが一番の収穫だった。海にいるのは分かりやすい魚ばかりじゃなかった。地味な生き物たちも進化の過程を懸命に生きている。これまで勝ち残った優秀な生物たちだ。見た目がグロテスクでも、コミカルでも、生き残ったものが勝ち。生き残れなかったら負けとなる。
 それにしても海の多様性というのは今さらながら驚異だ。ここ数年、野草や虫や動物たちについて少しずつ勉強しているけど、今後は海の生き物にももっと目を向けていこうと思った。名古屋港水族館、ありがとう。また行きます。

砂と共に暮らす海底の地味な生物たちも生きているんだ友達なんだ

名古屋(Nagoya)
地味魚名古屋港水族館-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/80s(絞り優先)



 名古屋港水族館で何が一番面白かったかと訊かれたら、砂の上をはいずり回っていた地味な生き物たちと私は答えるだろう。これでもかと次から次へと繰り出される地味な生物の連続に、だんだんヘラヘラ笑いが止まらなくなってくる。猫ひろしのギャグに唖然としつつ、そのうちなんだかヘンに面白くなってくるような感覚だ。地味な生き物の魅力は大人だけじゃなく子供にも意外と伝わるようで、ちびっこたちも水槽の前でけっこう盛り上がっていた。もっと動けと叫びながらガラスをガンガン叩いたりして。おいおい、叩くなよ。
 砂水槽には、シロギスやクロウシノシタなどの地味な魚の他に、ヒトデとか何か分からない生き物たちが半分砂に埋まったまま動かない。イシガレイなどは、ときどき思い出しようにもぞもぞと移動するだけで、あとは砂底でぬーぼーとしている。何を考えているのか、何も考えてないのか。悪ガキがガラスを叩いたくらいではビクともしないのだ。

地味魚名古屋港水族館-1

 これはかなり見つけやすい方のイシガレイだ。もっと深く砂に埋まってるのは、動かない限りほとんど分からない。ほぼ砂底と一体化している。
 こいつはまだ子供なのだろう。食用にもなるくらいだから、成魚になればけっこう大きくなるはずだ。海では日本や朝鮮半島あたりの浅瀬で暮らしている。淡水にも入り込むことがあるそうだ。
 砂に潜るのは、自分が食べられないように身を隠すというよりも、ハンターとして獲物に姿を見られないようにという意味合いなのだろう。小さな甲殻類やゴカイなんかを捕まえて食べている。
 シロギスもこれはまだチビだ。だいたい20センチくらいになって、釣り人のターゲットにもよくなる。日本国内の広い範囲に分布している。
 こいつがなんで砂水槽に入れられているかというと、シロギスも身の危険を感じると砂に潜る習性があるからだ。水槽の中ではそれほどの危険はないだろうからめったに潜ったりはしないだろうけど。

地味魚名古屋港水族館-3

 別の砂水槽にいたマゴチという魚。太平洋からインド洋あたりに生息していて、こいつもあまり動かない。一生の間に動く範囲はかなり狭そうだ。
 しかし、こう見えてけっこう凶暴で、甲殻類や魚なんかを大きな口を開けて丸飲みにしてしまう。いいものを食べているせいもあってか、なかなか美味しい高級魚とされている。ただ、獲れる数が少ないからあまり魚屋などでは見かけないはずだ。料亭とかで出てくるそうだけど、そんなところとは縁がないので、一生私は食べずに終わりそうだ。刺身にしたり天ぷらにしたりすると美味しいらしいのだけど。
 雌雄同体魚で、最初は全部オスとしてスタートして、大きくなったものがメス担当となって卵を産む。同じ雌雄同体魚でも逆のパターンもある。

地味魚名古屋港水族館-4

 テナガエビ。これまた地味だ。およそ彩りというものがない。世界は地味な生き物に満ちているということを名古屋港水族館は我々に教えてくれる。海水魚といっても派手な色をしていたり元気に泳ぎ回っている魚ばかりではないのだ。
 名前の通り手が長い。すごく細くて頼りない。こんなきゃしゃな手で何か掴めるのかと心配になるほどだ。でも手が長いのはオスだけで、メスの手は短い。正確にいうと手ではなく、はさみ脚だから、足が細いということになる。
 野生のものは見たことがないけど、日本の河口付近や池なんかにもいるそうだ。ただ、小エビのときは川を下って海で過ごす習性があるらしい。近年は水質の悪化でだいぶ数を減らしているようだ。
 食用の川エビといえばこのテナガエビを指すことが多い。

地味魚名古屋港水族館-5

 また砂に潜ってるし。ヒラアシクモガニ、おまえもか。こんな赤い体をして中途半端な潜りではあんまり意味がないんじゃないと思いきや、こいつは水深200から300メートルという深い海の底にいるやつで、太陽の光が弱い海底では赤色は黒っぽくなってカモフラージュになる。だから、これで充分隠れていることになるのだろう。
 ヒラアシは平べったい足で、クモガニというのは姿が蜘蛛に似ているからだろう。
 それにしても、海の底には見たこともないいろんな生き物がいるんだとあらためて思い知るのであった。

地味魚名古屋港水族館-6

 水槽の底にゴミのかたまりが落ちてるぞと思ったら、ゴミをいっぱい身にまとったカニだった。
 毛むくじゃらの体に、そこらにあるものを何でもくっつけてしまわずにはいられない性質を持っている。海の藻屑を背負うことからモクズショイ。ボロは着てても心は錦なのかもしれない。
 自分ではいろんなボロを身にまとってカモフラージュしてるつもりのようだけど、ものによってはかえって目立ってしまう結果となる。何が目立って何が目立たないかまでは判断できないらしい。水槽では実験的に毛糸やスポンジのくずをくっつけさせていた。実際の海では藻なんかをくっつけてるそうだけど。

地味魚名古屋港水族館-7

 身動きもままならないような狭い水槽の中で不機嫌そうな顔をしていたタカアシガニ。うう、ここは狭くてかなわん、と言ってるようだった。何しろ足を広げると4メートルにもなるような世界最大のカニだ。快適に過ごしてもらおうと思えばちょっとしたプールくらい必要になる。
 日本の周辺の海底深く、最高800メートルの深海で静かに暮らしている。
 生きた化石といわれるほど昔からいるカニで、駿河湾などではそこそこ獲れるから名物となったりもしてるようだけど、全体的な数は少ないので今後は保護される方向に向かいそうだ。深海であまり動かないカニだから美味しいのかどうか。

地味魚名古屋港水族館-8

 自分で撮った写真なのに、一瞬何が写ってるんだろうと分からなかった。よく見たら、エビの上にエビが乗ってる写真だ。ああ、そうそう、こいつらいたなと思い出した。
 下にいるピンクと水色のがニシキエビで、上にいるのがシマイセエビだ。手がストライプ模様になっている。
 関東以南からインド洋、太平洋の暖かい海にいる伊勢エビの仲間で、珊瑚礁や砂の海底で生きている。見るからにまずそうだけど、実際まずいらしい。水色のエビって食卓向きではない。
 かなり巨大になって、最大60センチ、5キロにもなるそうだ。見栄えがよくて大きいから水族館だけでなく観賞用としても飼われたりしている。
 シマイセエビは名前の通り縞のある伊勢エビで、これも食べられているようだ。ただ、こいつも暖かい海を好むので、本物の伊勢エビよりも味は落ちそうだ。暖かい海でだらりと暮らしてる魚介類は身の締まりがない。

 こうして地味な海の生き物を並べてみると、あらためて水族館らしくない顔ぶれだなと思う。けど、こう次々に繰り出されると、だんだん楽しくなってくる。最初薄味と思った料理があとから深みのある美味しさだと気づくように。この水族館はマニアックだけど面白い。特に砂ものが充実している。ここには紹介しきれなかったものもいるので、ぜひ自分の目で見てみて欲しいと思う。イシガレイ探しとかもけっこう盛り上がる。
 名古屋港水族館は子連れではなく大人同士で行った方が楽しめるところかもしれない。子供は一ヶ所に集中しなくてどんどん先へ行こうとするから落ち着いて地味生物を観察できない。ひと目見て派手できれいな熱帯魚だけでなく、地味な中にも海の生物の奥深さがあることを知ると、水族館はもっと楽しくなる。動物園より深い。
 とはいえ、次回はもう少し派手目の海の生き物を紹介したい。さすがに地味なだけではマニアック水族館になってしまって一般人が置いてけぼりになってしまう。ある程度は見栄えのいいものも取り揃えておく必要がある。大きいものや優雅なものや笑えるものなんかを。
 それにしても地味生物展示水槽は楽しかった。今度名古屋港水族館へ行くときはここをメインに見学したいと思っている。

名古屋城に金シャチがいるように、名古屋港水族館にはシャチのクーがいる

名古屋(Nagoya)
名古屋港水族館-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/125s(絞り優先)



 名古屋港水族館が開館したのは1992年の10月だった。もう15年も経ったのか。けっこう最近のことだと思っていたら、いつの間にか時が流れていた。行こう、行こう、と思いながらようやく行けたのが15年後というのは、なんというかちょっと感慨深いものがある。
 しかしまあ、下手をすれば一生行かずに終わっていたかもしれない名古屋港水族館に、今回初めて行けたことを素直に喜ぶことにしよう。何かを始めるのに遅すぎることはないという言葉もある。一回行けば、二回目、三回目は近くなる。勢い余って年間パスポートを買ってしまってもいい。5,000円だから、3回行けば元が取れる。
 上の写真は、名古屋港水族館とショッピングモールJETTYの共通入口だ。日曜日ということで、家族連れが多い。この日は家族割引の日で、子供は入館料が半額になるということで特に子連れが多かった。きっと大して行きたくないのに親に言い含められて半ば強引に連れてこられたという子供もいたことだろう。右のちびっ子なんか入る前からすでに寝ている。早くもふて寝か? 孫を連れたおじいちゃん、おばあちゃんにとってはここから過酷な一日が始まる。坐るところが少ない分、水族館は動物園よりもしんどいところなのだ。
 マスコットキャラクターのクーちゃんの看板が、そんな私たちを暖かく出迎えてくれる。「よろしクーちゃん」と言いながら手を振るクーの絵を見せられて、入口からいきなりジョー小泉さんのダジャレを聞いたときのような脱力感に襲われる。そういうコット、みたいなやつだ。このあたりのセンスも名古屋らしいなぁと、照れくさくもあり、微笑ましくもある。

名古屋港水族館-2

 名古屋港水族館全体像の遠景。左に見えているドーム状のが元々あった南館で、右にあるのが新たに増設された北館だ。名古屋港水族館のシンボルであるシャチを迎え入れるため、2001年に建て増しされた。それ以前の名古屋港水族館は、とにかく地味で面白くないともっぱらの評判だった。1,500円でも高すぎると言われていたくらいだ。マニアックなセンスで水族館好きの一部には受けていたようだけど、一般受けは悪かった。
 しかし、肝心のシャチを迎え入れるまでには北館オープンから2年の月日を要した。当初、野生のシャチを捕獲して連れてくるという計画が立てられ、試みられたものの度重なる失敗で、とうとう断念せざるを得なくなってしまった。いろんな動物団体からもクレームが入ったりして、結局、和歌山県のくじらの博物館から5年間のレンタル移籍という形で一応の決着がついた。それが2003年10月のことだった。
 それまで北館はどうなっていたかというと、だだっ広いプールにイルカだけが自由自在に泳ぎ回っていた。イルカには快適だったかもしれないけど、割を食ったのが人間の方だ。シャチもいないのに入館料が1,500円から2,000円に引き上げられて否が応でも払うしかなかったのだから。北館は入らないから南館だけの1,500円にしてくれといっても通用しなかった。昨日紹介した大プールと大型ハイビジョンを見れば、こりゃあ値段も上がるなと納得せざるを得ないけど。

名古屋港水族館-3

 入口は北館の方になる。チケット売り場は見ての通りの大混雑。暑い中並ぶのは大変だ。賢い方法としては、行く前にコンビニで前売り券を買っていくことだ。値段はまったく一緒だけど、並ばなくても済むだけありがたい。家族連れのお父さんやデートの彼氏はそういうスマートさを発揮したいところだ。私は発揮できなかった。
 それにしても、思った以上に名古屋港水族館は大盛況だった。あんなに人気スポットだとは思わなかった。昔のあまり芳しくない評判を聞いたことでよくないイメージを持っていた。北館の増設は成功だったようだ。評価をあらためないといけない。実際、自分も行ってみて、予想外のところで味のある水族館だということが分かった。派手さはないけど、噛むほどに味が出る魅力がある。
 現在、500種類、約3万2,000匹(頭)ほどの生物がいるそうだ。一回や二回では全部は見て回れない。

名古屋港水族館-4

 北館は、イルカとシャチの大プールの他、いろいろな魚の骨格標本やパネルなどの学習コーナーやシアターなどがある。テーマは、「35億年 はるかなる旅 ~ふたたび海へもどった動物たち~」なんだとか。
 一つ気になったのが写真撮影サービスコーナーだ。「クーちゃんスタジオ」と名づけられた一角に、クーの置物があって、スタッフが写真を撮りますと書かれていた。見ていると、カップルや家族連れが自分たちのカメラをスタッフに渡して写真を撮ってもらっていた。無料っぽいけどプロカメラを首からぶら下げていたスタッフの姿が気になって頼むことができなかった。よく観光地であるような頼んでもいないのに勝手に写真を撮られて売りつけられるシステムだったらイヤだと思って。でも、帰ってきて調べたところ、自分のカメラを渡してシャッターを押してもらうのは無料で、プロカメラマンに撮ってもらうと一枚1,000円だということが判明した。それならそうと、分かるようにはっきり書いておいて欲しかった。しかし、一枚1,000円はけっこういい値段だな。

名古屋港水族館-5

 クーもやって来てそろそろ4年になる。来年2008年には契約切れで帰っていくことになるのだろうか。シンボルを失った名古屋港水族館はどうなってしまうんだろう。もはや不動のマスコットキャラであり、グッズもクーちゃんだらけだというのに。違うシャチを連れてきて、二代目クーちゃんと名づけるつもりか!?
 シャチというのはなかなか貴重な生き物で、国内では4ヶ所で10頭ほどしかいない。名目上は飼育ではなく、研究個体ということになっているようだ。なので本当はショーなどしてる場合ではないのだ。
 クーは推定年齢16歳のメスで、体長は約6メートル、体重は3トン近くもある。そばで見ると巨体に圧倒される。
 でっかいから一日の食事も大量だ。サケやサバ、ホッケなど一日で80キロも食べるんだとか。メシ代は2万から3万円、月に80万円は食ってしまう。安月給ではシャチは養えない。
 大事な子ということで、3人のトレーナーが付いて、しっかり管理されている。虎の子と言ってもいい。
 2004年には人工授精が試みられたようだけど、成功したという話は聞かない。もし、赤ちゃん誕生となれば、大変なニュースになって大量の人が押し寄せることになるだろう。想像すると怖い。
 でもホントにクーちゃんは今後どうなってしまうのだろう。ちょっと心配だ。帰してあげたい気もするし、残って欲しいとも思う。尾張名古屋は城で持つ。名古屋城が金シャチで持っているように、名古屋港水族館はクーで持っている。クーのいなくなった名古屋港水族館は、万博で金シャチがいなくなった名古屋城のように間の抜けたようになってしまうのだろうな。

名古屋港水族館-6

 北館から南館へは長い通路を歩いていかなければいけないので、何度も行き来するのは厳しい。あとになって北館を増設したから、続いてはいるけど、まったくの別棟と考えた方がいい。動く歩道が欲しかったところだ。
 南館のテーマは、南極への旅だ。なんで南極なんだろうと思ったら、名古屋港に永久停泊している南極観測船ふじと深い関わりがあった。ふじが辿ったコースにならって、「日本の海」、「深海ギャラリー」、「赤道の海」、「オーストラリアの水辺」、「南極の海」というふうに、5つのブロックに分けられている。これも帰ってきてから知ったことだ。言われなければ気づかない。なんだかとりとめのない展示水槽だなと思ったくらいで。でも、別にふじに合わせる必要もなかったんじゃないのか? 結果的にそれが地味な展開となってしまっている。水族館へ行って、普段食べている魚を見たいとはあまり思わない。逆に言えば、これだけ日本にいるおなじみの魚が充実している水族館も珍しい。

 南館の目玉は、やはりペンギン水槽ということになるだろう。エンペラー、ジェンツー、アデリー、ヒゲという、マニアックな取り合わせのペンギンが大量にいる。うわっ、すごいいる! という驚愕の声があちこちから聞こえてくる。世界一ペンギン密度の濃いペンギン水槽かもしれない。幅20メートルほどの水槽に、ざっと数えても60羽以上いたんじゃないだろうか。陸地が狭いから、すごく混み合っている。手前のプールも幅があまりないから、たくさんのペンギンが水に入ると夏休みの市民プールのようになる。最初からこんなにたくさんいたのか、だんだん増えてしまったのか。動物園や水族館はどこへ行ってもペンギンは多いから、生まれても引き取り手がなくてこんなにも多くなってしまったのかもしれない。
 見物はなんといってもエンペラーペンギンだ。こいつが見られるところは全国でも少ない。でっぷり太った貫禄のボディーに他のペンギンがみんな小さくスリムに見える。同じペンギンとは思えないほどだ。西郷どんの銅像のようにじっとして動かない。犬でも連れてそうな風格がある。
 アデリーとヒゲがいるのも、ここと南紀白浜アドベンチャーワールドだけだそうだ。
 水槽も凝っていて、南極の環境を再現していて雪まで降るようになっている。日照時間も南極に合わせていて、日本とは季節が逆になるから、夏は暗く、冬は明るくなるんだとか。昼間なのにやけに薄暗いなと思ったら、南極の冬を演出していたのか。

名古屋港水族館-7

 これはたぶん、ヒゲペンギンだと思うんだけど、黒いヒゲ模様がないからもしかして違う?
 水中のペンギンは地上のヒョコヒョコ歩きとはうって変わって、ものすごい速さで泳ぐ。まさに水中を飛んでいるようだ。泳いでいるところを撮るのはとっても難しい。館内は暗いし、ペンギンは猛スピードだし、オートフォーカスなんて追いつけない。マニュアルでも連写さえままならない。上の写真も相当粘って頑張ったんだけど、これで精一杯だった。水中で泳いでいるペンギンを流し撮りできたら水族館撮影は極めたと言ってもいいかもしれない。

名古屋港水族館-8

 現在、ベルーガ2頭が妊娠中で、水槽の手前についたてが立てられて、遠くからのぞき見ることしかできないようになっている。普段なら近くから見ることもできるし、芸さえもするのに。
 この2頭は、No.5とNo.6と呼ばれている。名前がないのは、これはペットではないからというのが水族館の理屈だ。でもそれは、家畜農家が家畜に名前をつけないような悲しさがある。公開しない研究個体ならそれでもいいけど、一般公開してるものだから名前はつけてもいいんじゃないか。名前ってけっこう大事だ。人は名前がついてないものに対しては不安になるものだし。
 おなかの子供は順調に育っているようだ。係員の人も交代で見守っている。無事に赤ちゃんが生まれたら、また大きな話題になるだろう。子供もきっとかわいいんだろうな。
 ベルーガというのは、ロシア語で白いクジラを意味している。日本ではシロイルカと呼ばれることもある。北極海にいるクジラの仲間で、いろんな鳴き声をすることから、海のカナリアとも呼ばれている。

名古屋港水族館-9

 北館の外には、しおかぜ広場という芝生広場がある。海の見えるベンチで休んだり、お昼を食べたりするのにいいところだ。
 この近くには、カメ類繁殖研究施設というのがあって、カメを育てている研究施設をガラス越しに見学することができる。工場の社会見学みたいな感じで。水族館に併設されたウミガメ研究施設は日本でここだけなんだとか。名古屋港水族館も、当初からウミガメの研究と繁殖には力を入れていた。
 運がいいと、生まれたばかりの赤ちゃんカメがはっているところを見たりできるらしい。

 名古屋港水族館は、行く前より、中に入っているときより、帰ってきてからの方がじわじわとよくなっていく水族館かもしれない。予習不足で予備知識が足りなかったから、感じるべきところを感じきれなかったという悔いが残る。南極への旅というテーマを知っていれば、南館の見方や感じ方も違っていたようにも思う。いろいろ調べて勉強したら、もう一回行きたくなってきた。ペンギン水槽ももう少し人が少ないときに行ってじっくり見てみたいし、写真ももう少し頑張りたい。
 名古屋港水族館って面白い? と人に訊かれたら、うん、面白いよと今なら答えることができる。人によっては面白みが足りないと感じるだろうけど、表面よりもう一層下に面白みが隠れている。子供は子供の楽しみ方ができて、大人だけが分かる面白みもある。
 一日かけるつもりでじっくり見て回るのをオススメします。ぜひ一度行ってみてください。名古屋港水族館を、よろしクーね!(ゆーとぴあのポーズつきで)

少し物足りないイルカパフォーマンスに味付けをするのはシャチか私か

名古屋(Nagoya)
イルカパフォーマンス-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/640s(絞り優先)



 名古屋港水族館北館(新館)のメインとなるのが、イルカパフォーマンスが行われるメインプールだ。60メートル×30メートル、水深12メートルのプールは見るからに広々としている。端から端まで泳ぎ切れるかどうか、自信が持てない。リクエストさえいただければ、私の半溺れバタフライを披露してもよかったのだけど、リクエストはなかったのでおとなしくスタンドで観戦することにした。
 観覧席も3,000人収容という大規模なもので、スタンドの名前通り、野球場のような雰囲気に包まれていた。ショーの開演15分前ですでに半分は埋まり、始まる頃には8分ほどの入りになった。かなりの大盛況だ。
 この会場の目玉の一つとして、633インチ(14×7.9メートル)の世界最大級のハイビジョンテレビがある。カメラ何台かでイルカのパフォーマンスを追いかけて、スイッチングで映像が次々に切り替わったり、すぐにリプレイ画面も流れるというテレビ並みの演出もある。油断してると口を開けて見ている自分の顔を抜かれたりするので注意が必要だ。

イルカパフォーマンス-2

 メインプール脇の控えプールでは、飼育員さんらしき人とイルカがスキンシップをはかっていた。至近距離で見られる位置ではあるけど、触れるまでには至らない。触れそうで触れないもどかしさ。踊り子さんにはお手を触れないでください。できることならイルカの頭をなでてみたかった。ツルツルなのか、意外とザラザラなのか。もしかして、鮫肌?

イルカパフォーマンス-3
PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6)

 いよいよイルカパフォーマンスが開演。司会のお姉さんが登場だ。イルカも舞台に上がって挨拶を。
 ショーはこの日4回行われていた。普段は3回だと思う。短い時間だけど、けっこう働かされる。イルカ稼業も楽じゃない。しかし、ショーの間は頻繁にエサをもらいまくりなので、メシの時間と思えば楽しみなのかもしれない。

イルカパフォーマンス-4

 ショーに参加するバンドウイルカは5頭か6頭くらいだったか。係員さんも1頭につき一人付いていて、一つ芸をするたびにエサを口に放り込んでいた。そんなに腹減ってるのかいと心の中でツッコミが入るほどに。ショーよりもそっちの方が気になった。イルカ的には条件反射のようになってるんじゃないのか。
 芸としては特に複雑なプログラムがあるというわけではないのだけど、そのスピード感とジャンプ力に圧倒されて、ほぉーっと感心しがちだ。それはたとえば、体操部のやつがバク宙をしたりするのに似ている。冷静に考えてみるとそんなにすごいことじゃないのに、その場の勢いですごいっと思ってしまうあの感覚だ。イルカにしてみたら、能力の範囲内で飛んだり跳ねたりしてるだけなのだろう。

イルカパフォーマンス-5

 上から垂れてきた赤いボールに向かって大ジャンプ。このジャンプ力は驚異的だ。水面から10メートルくらい飛び上がっていたかもしれない。ビルの3階か4階の高さだ。このボールを尾っぽで弾くという芸もしていた。

イルカパフォーマンス-6

 次は火の輪くぐり、ではなく輪くぐり。火の輪だとやっぱりイルカもくぐらないのか。サーカスのライオンじゃないから。

イルカパフォーマンス-7

 水中のイルカを見ていると、このように仰向けの姿勢で泳いでいる姿を見る。どこか調子悪いのか、やる気がないのかと思っていたら、イルカはこうしてひっくり返ることで水面より上の視界がぐっと広がるんだそうだ。だから、ジャンプなどの芸をするときは、こうして仰向けで泳ぎながらボールなどの位置を確認してからジャンプをすることになる。ショーの途中で、司会のお姉さんが教えてくれた。へぇーと思う。光の屈折で、水中と空中では目標物の位置がずれて見えるのは、イルカの能力で分析処理をしているらしい。やっぱりイルカは賢い。

イルカパフォーマンス-8

 リングを顔でグルグル回しながら泳ぐというパフォーマンス。写真は、リング遊びをするイルカを双眼鏡で見守る係員みたいな図になっているけど、そういうことではない。ショーの中のワンシーンだ。おじさんが勝手に私の写真の中にフレームインしてきただけで。

イルカパフォーマンス-9

 メインプールの下にも大きなのぞき窓があって、水中のイルカたちを見ることができる。アンダーウォータービューと名づけられた窓は、横29メートル、縦4メートルで世界最大なんだそうだ。
 ここはいつでも行くことができて、階段状の床に坐ることもできるので、歩き疲れたときにはここで休みながらぼぉーっとイルカを眺めているのもいい。完全にノックダウンで横になって寝ているお父さんもいた。

 イルカパフォーマンスは、15分ほどで割とあっさり終わってしまう。え、もう終わりかいって言ってしまうほどに。長々とすればいいというものではないし、イルカも疲れてしまうだろうけど、やや物足りない感が残る。パフォーマンス自体も、もう少し何かできそうな気もする。イルカの芸をグレードアップさせるというよりも、人間の側の演出でもっと観客を楽しませることができると思う。笑いの要素がもっとあってもいい。パフォーマンスの演出家を呼んで、ショーとして完成度を高めて欲しいところだ。もしくは、もっと単純にイルカたちが自由自在に広いプールを速いスピードで泳いだり跳ねたりしてる姿が見せてもいいかもしれない。
 イルカパフォーマンスとは別に、シャチのクーの訓練風景というのもある。まだショーになるほどの完成度はないようだけど、一応飛んだりはするらしい。こいつが一本立ちしたら、ショーはもっと盛り上がることになるだろう。シャチはなんといっても体が大きくて迫力がある。
 なにはともあれ、イルカさんたち、お疲れ様でした。今度は私のバタフライと一緒に泳ぎましょうね。私のバタフライショーは、歓声ではなく悲鳴が上がるでしょう。あいつ、溺れてもがいてるぞ、早く助けろ! と。そしてイルカに助けられた私が、マイク片手に「イルカに乗った少年」を歌いながら再浮上するというナイスなショーが見られる日は近いかも!?

知らなかった水の中の世界をのぞいて見上げて撮って ---名古屋港水族館<2>

名古屋(Nagoya)
水の中の世界-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/5s(絞り優先)



 今日は名古屋港水族館の第二弾。特に決まったテーマの写真ではなく、個人的に印象な写真を集めてみた。組写真として名前をつけるとしたら、印象・水の中、ということにしよう。思い切りパクリじゃないかと人は言うかもしれない。そんなことないモんネ。

 まずはクラゲからいってみよう。火の玉が撮れてしまったわけじゃない。たぶん、アカクラゲだと思う。
 水中にふわ~んと浮かんで、触手が光の帯のようで幻想的だった。クラゲマニアが部屋の中で明かりを消してクラゲを見ながらまったりするのが好きという気持ちが分かる気がした。これは確かに見ていると心が穏やかになる雰囲気を持っている。クラゲというと海で泳いでいると刺してくる痛くて気持ち悪いやつという先入観があるけど、水槽の中で見るクラゲは美しい。
 けれど、海で見たとしても近づかない方がいい。このアカクラゲは日本の海に普通にいるやつで、かなり強い毒を持っているそうだから。しかもけっこう攻撃的らしい。ビリビリくるくらいじゃ済まないかもしれない。
 別名の軍艦旗は何でだろうと思ったら、アカクラゲの触手が16本で、軍艦旗の光の帯も16本だからだった。
 それにしても、クラゲの撮影は難しい。水槽が暗い上に動いているから、手ぶれと被写体ボケでキリッと撮れない。絞り開放f1.4のISO400でもシャッタースピードは1/5までしか上がらなかった。クラゲは水の流れがないと沈んでしまうから、水槽の中は絶えず水流があって、クラゲもそれに乗って漂っている。しかも、水族館は混んでいて、クラゲ水槽は人気ときているから条件が非常にキビシーのだ。やっぱり手ぶれ補正機能が欲しいぞ。私が近々K100Dを買ってしまったとしたら、それはこのアカクラゲのせいだ。

水の中の世界-2

 これは何クラゲだったかプレートを見てくるのを忘れてしまった。透明な色とスタイルは一般的なやつだ。お盆過ぎの海水浴場で刺してくるのがミズクラゲだったか。
 クラゲの世界は、宇宙的だ。海世界と宇宙世界はまったく別のものでありながら共通するイメージを持っている。水の中のゆるやかな感じと、宇宙の無重力空間での動きが似ているというのもあるかもしれない。
 クラゲを漢字で書くと海月もしくは水母となる。ポルトガル人がクラゲを見て海の月と呼んで、そのまま日本語も当て字として採用したんだとか。水母は中国語だ。

水の中の世界-3

 ドーム状の通路の頭の上が水槽になっていて、そこを魚が泳いでいる。光が差していると魚がシルエットになってきれいだ。キラリと一瞬背びれが光る。
 水族館は雨の日でも楽しめると思いがちだけど、実はよく晴れた日差しのあるときの方が絶対にいい。屋内でも自然光を取り込んでいるところが多くて、光の演出のあるなしでずいぶん印象も違ってくるから。

水の中の世界-5

 頭の上を魚が泳いでいくというのも不思議で面白い感覚だ。ダイビングをしない人間にとっては、水族館でしか見ることができない。
 もう一つ気づくことは、水の中では光の屈折で水上の世界が歪んで見えているということだ。上の写真では屋根のフレームが激しく揺らいでいる。魚から見ると、地上は歪んだ世界なのだろうか。水槽をのぞき込む人間たちの姿もひどく歪んでいるのかもしれない。今日もみにくい生物が自分たちを見にきてやがるぜ、なんて思っているのかな。

水の中の世界-4

 昨日も登場したマイワシ。鰯と書くように、水からあげるとすぐに悪くなって、鮮度が落ちるとまずくて食べられなくなる。冬場も美味しくない。食べるなら春から秋にかけてだ。イワシの稚魚のしらすも同じことが言える。しらすはマイワシよりもカタクチイワシの子供が多い。
 そんな食べるときは美しさなんて思わないイワシだけど、大軍で泳いでいる姿はとてもきれいだ。この姿を見たら、食べようとは思わない。
 イワシが口を開けながら泳いでいるのは酸素が足りなくて苦しいわけじゃなくて、泳ぎながらプランクトンを食べているからだ。それをろ過して栄養にしている。

水の中の世界-6

 水槽の中を大きな翼のようなヒレで飛ぶように泳ぐのはマダラトビエイ。日本の中部以南から世界にかけて広く分布する、斑点が特徴のエイだ。映画『ファイティング・ニモ』のエイ先生のモデルにもなった。
 どういう理由からか、ある魚の群れがこのエイのあとをどこまでも追いかけていた。スターの追っかけのおばさま軍団のように。あの魚たちにとってエイを追うことにどんなメリットがあるんだろう。エイが好きだからという理由ではないと思うけど、食べ物で何かいいことがあるのだろうか。

水の中の世界-7

 ウミガメの目は怖い。完全にガメラの目だ。それもそのはず、ガメラのモデルはウミガメだ。これはアカウミガメだったか、アオウミガメだったか。もしかして違うウミガメ?
 名古屋港水族館といえばアカウミガメも有名で、1995年に日本で初めて屋内の人工産卵場で人工ふ化を成功させた水族館としても知られている。それから13年連続でふ化が続いているんだそうだ。水槽には赤ちゃんアカウミガメもたくさん泳いでいた。赤ちゃんといってもすでにかなり大きいのだけど。大人のアカウミガメは本当の大きくて、これなら浦島太郎の一人や二人、楽勝で乗せて泳げるに違いないと思わせる。

水の中の世界-8

 大きな水槽の中で黒い影がもぞもぞ動いていると思ったら、ダイバー3人が水槽の床や壁をキュッキュッと磨いていた。なんじゃそりゃ。あえてこの時間にか!? 日曜の午前中にする仕事ではないと思ったけど、もしかしたらあれも展示の一種だったのだろうか。しかし、こんな広い水槽に3人程度の手作業ではラチが開かない。水の中で身動きもままならないし、丁寧にやっていたら半日くらいかかりそうだ。どうせならショー形式にして、やってる方も見てる方も楽しめるものにしたらどうだろう。ビキニを着たお姉さんがやれば、家族連れで来たお父さんも子供そっちのけで水槽にかぶりつき間違いなしなんだけど。

 水の中の世界は、一般の人にとっては未知のものだから、いろんな部分で興味深い。今まで知らなかったを知るし、見たことがない生き物もたくさんいる。そして、いろんな不思議がある。
 水族館というと魚を見に行くものと考えがちだけど、実際はもっとトータルな水の中の世界を見に行くところだ。海の中には様々な生き物がいて、それぞれの水中世界があって、展示方法によっても全然違うものとなる。
 どの水族館も入館料が高いのが残念なところだけど、維持費の高さを考えると仕方がないか。名古屋港水族館の2,000円も、感覚的に少し高いと感じる。これが1,000円ならもっと何度も行きたいと思う。けど、そんなに安かったらものすごい人が押し寄せて収集がつかなくなってしまうか。この日もどの水槽の前のにも人だかりができるほど大盛況だった。
 今週一杯は名古屋港水族館編が続く予定です。今週の週末には自分も行ってみようと思えるものとなればいいな。

ブルー・イン・ザ・名古屋港水族館

名古屋(Nagoya)
名古屋港水族館大水槽




 初めて名古屋港水族館へ行ってきた。
 詳しいレポートは明日以降ゆっくりするとして、今日はまずプロローグとして青い写真を集めてみた。水族館の青は独特の青で、人はこのブルーに惹かれて水族館へ行くのかもしれない。



名古屋港水族館イルカ水槽

 昔からある地味な南館に対して、新しくできた北館はイルカとシャチの二大スターがいるから、それなりに華やかだ。
 イルカ水槽のブルーを見上げると、自分が海の中にいるみたいに感じられる。今日は曇り空だったけど、日差しがあるときは上からの光が差し込んで更に美しくなるだろう。



名古屋港水族館シャチ

 シャチのクーくん。名古屋港水族館の中のビッグスターがこのクーだ。これが来たおかげで北館が増設されたと言ってもいい。
 しかし、このクーくん、実は和歌山県のくじらの博物館から5年間のレンタル移籍で、来年あたり契約切れとなってしまう。その後の名古屋港水族館は誰が支えていくのか心配だ。クーとしては仲間がいない生活が長くなってるから、そろそろホームに帰りたがっているだろうか。



名古屋港水族館イルカショー

 イルカパフォーマンス会場。これはまずまずの盛り上がりを見せた。日曜日ということで、ほぼ満員御礼と言っていいほど人も入っていた。これ以外に目玉らしい目玉はないから、これを見ずに何を見るというところか。
 クーはそろそろ4年にもなるのにいまだ芸人として一本立ちできないようで、日に二度ほどショーではなく訓練されていた。残りはあと1年だから、シャチのショーが見られる日は来ない気がする。



名古屋港水族館クエ

 名古屋港水族館は派手な色の魚のが少ない。水族館というと熱帯魚と呼ばれるカラフルな魚を連想するものだけど、ここにそんなものを期待してはいけない。
 この水槽は数少ない派手魚水槽と思わせて、やっぱり地味な巨大魚がメインだったりする。小さな熱帯魚は彩りとして添えられているに過ぎない。



名古屋港水族館マイワシの群れ

 マイワシの大群水槽。これは確かに、おっ、すごいと思わせる。地味なイワシもこれだけ集めると見応えがある。エキストラを1,000人集めたみたいなものだ。



名古屋港水族館潜水服

 昔の潜水服の展示。



名古屋港水族館シャチのイルミネーション

 夕暮れが近づくと、中途半端なイルミネーションが点灯して、あたりを地味に彩る。どこをとっても脱力感を誘う名古屋港水族館。このゆるい感じがたまらない。
 このイルミオブジェは、シャチのクーをかたどったものだ。制作途中ではなく、これで完成だ。もう少し肉付けが欲しいところだけど、これはこれでいいのか。周りを囲った柵も、やっつけ仕事のようだ。

 名古屋港水族館は、期待とは全然違うところでいろいろ楽しませてもらった。良い意味で期待を裏切ってくれた。明日からは、そんな名古屋港水族館の魅力を余すところなく紹介していきたいと思っている。砂に潜ってちょこっとしか動かないマゴチのこととか、タッチングコーナーで触ることができるヒトデやウニやナマコのことなんかを。エビちゃん、カニちゃん、ウツボもよろしくと言ってたのでお楽しみに。

 知らなかった水の中の世界をのぞいて見上げて撮って ---名古屋港水族館<2>

【アクセス】
 ・地下鉄名港線「名古屋港駅」から徒歩約6分。
 ・駐車場(ガーデンふ頭駐車場) 有料
 ・営業時間 9時半-17時半(季節による変動有り)
 ・休館日 毎週月曜日
 ・料金 2,000円(小中学生1,000円)

 名古屋港水族館webサイト