
Nikon F-801+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak GOLD 100
フィルムで撮ったヤマユリの写真が出来上がってきた。一週間遅れになってしまったけど、今日はそのときの写真を紹介しようと思う。
鳳来寺のヤマユリ見物は今年で3年連続3回目になる。おととしは7月22日でやや遅れ気味で、去年は26日で大遅刻だった。今年はもう一度22日に行ってみた。しかし、今年ばかりは早いとか遅いとかの問題ではなかった。なんというか、これまで見たことがないほど花に勢いがなくて、つぼみのまま枯れてしまっているものが多く見かけられたのだった。あんなことは過去2回にはなかった。訪れていた人と少し話をしたら、今年は春から初夏にかけて気温が上がらなくて一週間くらい遅いとのことだった。雨が少なくて、梅雨の後半では大雨が続いたのもよくなかったのだろうか。それにしても花に元気が全然なかった。葉っぱも枯れかけていたし、あれでは来年以降も心配になる。
それでも、一部ではきれいに咲いていたのでなんとか撮ることができたのが上の写真だ。ここはいつも撮る連谷小学校の手前あたりで、32号線沿いではベストポイントだと思う。毎年ここの花はよく咲いていて、シチュエーション的にも手の届かない高いところというヤマユリの持っているイメージにぴったりだ。
相変わらず強い香りを放ちながら、夏の山里に大輪の花を咲かせていた。これぞヤマユリ、お見事。可憐さではササユリだけど、威風堂々とした気品は他のどんなユリも寄せ付けない女王様の風格を漂わせる。
かつては日本中どこの山でも当たり前に咲いていたヤマユリも、近年はごく限られた場所に出向いていかなければ野生のものを見ることができなくなった。鑑賞に堪えるからそこ園芸用としても出回ってはいるけど、野生と園芸種では天然ウナギと養殖ウナギ以上にありがたみが違う。

ヤマユリという名前から山奥の人目に触れないような崖にでも咲いていると思っている人も多いかもしれない。けど、実際はもっと里に近いところで咲く花だ。ヤマユリが咲く条件としては、ある程度日当たりがよくて風通しがいいところというのがある。森の中の暗いようなところはあまり好まない。女王様だから日陰の花では嫌なのだろう。
昔から山里に多く咲いていたのは、人と山の関係が今よりももっと親密だったからというのもある。木を切り、山菜や果実をつみに入ることで草が踏まれて山はある程度整備され、ヤマユリにとっては都合のよい環境ができていた。それがだんだん人が山に入らなくなっていったことで山が荒れ、結果的にそれがヤマユリを減らすこととなった。ヤマユリの球根はイノシシなどの動物が好んで食べるから、人が来なくなったことで安全に食べられるようになり、球根で増えるヤマユリはどんどん減っていった。減っていったことで希少価値が上がり、人間による盗掘が行われ、減少に拍車をかけた。自然環境が悪くなるというのは単に公害で空気や水が悪くなるとかそういうことだけではない。
それでも、ようやく近年、日本でも野生の花や生き物を保護しようという気運が高まってきたから、これより先はそれほど悲観することはないのかもしれない。今まで残ったものは今後も基本的には守られていく方向で進むだろう。それでも消えていくものは多いけど、これまでのように無自覚でなくなっただけましだ。100年前の日本人で100年後にヤマユリが見られなくなるなんて誰が思っただろう。

ヤマユリは咲いている地域によって、吉野百合や叡山百合などと呼ばれている。鳳来寺あたりに咲いているのは鳳来寺百合という。かつては鳳来寺山周辺にたくさん咲いていたようだ。今私の知る限りまとまって咲いているのは、32号線沿いの連谷や海老あたりくらいだ。愛知県民の森や新城総合公園にも咲いているらしい。鳳来寺百合というくらいだから鳳来寺山の参道や山の中に咲いているだろうと探しても、たぶんそっちでは見つからないと思う。
鳳来寺のヤマユリはあまり知られていないようで、現地でもほとんど人に会わないし、ネットでも情報が少ない。私が行ってるところはマイナーなスポットで、もしかして地元民しか知らない穴場群落地があるのだろうか。

ヤマユリが思ったほど咲いていなかったこともあって、フィルムで撮ったヤマユリ写真はたったの4枚だった。年に一度しか見られない貴重なヤマユリでさえ4枚しか撮れない私の貧乏性に我ながらあきれてしまう。デジならあの状況でも20枚は撮っていただろうに。
ヤマユリの代わりにちょこっとだけ目に付いたものを撮った。セミの抜け殻は今年初だったので1枚を費やした。たぶん、アブラゼミだろう。セミの抜け殻なんて子供の頃は飽きるほど見たけど、大人になるとなかなか目にすることがなくなった。だから、たまに見つけると懐かしい気持ちになる。
今年はセミの当たり年だそうで、言われてみれば朝から夕方まで良く鳴いている。名古屋はまだアブラゼミが全盛で、そろそろクマゼミの声も増えてきた。田舎へ行けばツクツクボウシやヒグラシの声も聞けるだろう。そういえば、もう8月で、気がつけばお盆も近い。

山里の民家の花壇のようなところで咲いていたから、ミヤコワスレかなと思う。でももしかしたら、ヤマジノギクとか、コンギクとかそっちの方かもしれない。野の菊関係は種類も多いしよく似てるから区別が難しい。
これはどうも、葉っぱや花びらの感じからしてミヤコワスレではなさそうだ。咲いていた場所が場所だけに、野草なのか園芸種なのか、それもよく分からなかった。

パッと見て、最初はヤマハッカかなと思った。でも、花が少し違う。そうか、アキノタムラソウか。でも、夏に咲いてるから、ナツノタムラソウ?
調べてみると、ナツノタムラソウは紫色が濃くて、雄しべがまっすぐ突き出て伸びているとある。じゃあ、やっぱりこれはアキノタムラソウでいいのか。秋のといいながら7月から咲き始めるようだし。
ヤマハッカはもっと花が大きくて、葉っぱも目立つから、やっぱり違う。
この写真を撮ろうとしているとき、ちょうどいいところにミツバチがフレームインしてきたのだけど、慎重にマニュアルでピントを合わせている間に飛んでいってしまった。デジなら激しく連写して捉えていたのに、フィルムだとこういうところでシャッターチャンスを逃す。

ヤマユリを見に行く前に、長篠のあたりにちょっとした蓮名所となっている医王寺というのがあるというので寄ってみた。151号線の長篠交差点から少し北に入っていったところだ。
案内標識に従って行ってみると、確かに蓮池はあった。しかし、遅かった。着いた頃はもう11時を回っていて、こんな時間まで起きている蓮はいなかった。若い蓮はしっかり花を閉じて眠りについていて、年を取った蓮だけがわずかに開いているのみだった。本気で蓮を撮ろうと思ったら、朝7時には行かないといけない。そんな朝っぱらからと思うかもしれないけど、有名な蓮スポットに行ってみるとすでに大勢の先客がいて驚くそうだ。根性のない私はそんな時間、そんな場所へ行ったことがないから状況を想像できない。
長篠の戦いのとき、長篠城を攻める武田勝頼が本陣をしいていたのが、この医王寺のあたりだったといわれている。寺の奥へ入っていくと石碑や資料館もあったようなのけど、時間がなかったので省略した。長篠周辺は長篠合戦の跡がいろいろ残っているから、戦国野郎、戦国お嬢にとってはなかなか興味深いところだ。

蓮の花は、3回開いて、3回閉じるを繰り返す。4回目に開いたらそのまま閉じずに花びらを散らす。最初に開くときは早朝から1時間程度で、2回目以降だんだん咲いている時間を延ばしていき、最後は夕方まで開いている。
花が開くときにポンと音がするというのは本当ではない。誰も聞いたことがないから。自分は聞いたぞというのはきっと空耳だ。
今年は無理でも来年以降のいつか、私も早朝の蓮名所に繰り出していって、一度くらいはちゃんと蓮の写真を撮りたいと思っている。2000年前の地層から現代によみがえった古代蓮、大賀蓮を本場の千葉まで見に行ってみたい。愛知県にも大賀蓮はあるけど、やっぱりロマンの問題として大賀博士に育てたところで見てみたいというのがある。冬に行ったときは一面の枯れ蓮となっていた上野不忍池は今頃一面の蓮の花となっているだろうか。
ヤマユリはまた来年と思っている。今年はあまりにも元気がなかったから、来年も様子を見に行かないと。もしかしたら、あのまま絶滅に向かってしまうのではないかと心配だ。そんなことにならなければいいけど。
今度は愛知県民の森まで足を伸ばしてみてもいい。どこかもっと穴場はないものだろうか。
一年後のことを思うと気の長い話だけど、去年のことを振り返ってみると、もう一年が経ったんだなぁと感慨深い。毎年楽しみにすることが増えるというのはいいことだ。季節の花を追いかけていれば、春から秋までは楽しみが続く。また明日、という言葉が私は好きなのだけど、また来年、という言葉も最近好きになってきた。鳳来寺のヤマユリさんたち、また来年会いにいきますね。今度は元気な姿を見せてくださいね。