
PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/40s(絞り優先)
横浜で山下といえばピッカリ頭の山下監督を思い浮かべる人が少しはいると思うけど、たいていは山下公園を思うだろう。横浜における有名スポットアンケートを取れば、まずベスト3に入ってくるはずだ。じゃあ、山下公園に何があってどんな公園なのかと訊かれると、これが意外と分からない。昔、タカとユージが走り回っていたことしかイメージできない自分が少し悲しい。となれば、実際に行って自分の目で確かめてみるしかあるまいて。
ということでやって来た山下公園は、無駄なほど人が多かった。無駄に人が多い公園というのもあまりないのかもしれないけど、山下公園における無駄さは、ここを訪れている大部分の人が無目的にやって来て何もしてないところにある。みんな、なんとなくぼぉーっとして過ごしている。少なくとも私の目にはそう映った。なんだろう、この無駄な感じ。東京の代々木公園や日比谷公園も休みの日は人が多いけど、もう少し何か目的を持って集まってきている。犬の散歩をするとか、弁当を食べるとか、子供を遊ばせるとか。山下公園にはその程度の目的意識さえ希薄に感じられたのだった。
これはなにもけなしているとか非難しているとかそういうことではない。この独特な感じがある意味すごいなと感心したのだ。何もしないことの贅沢さをみんな自覚してかせずか、非常にゆったりと時を過ごしている。そういう生ぬるい心地よさがこの公園全体を支配している。邪魔になるような活気もない。私たちもしばらく無意味に歩き回ったあと、海沿いの空いたベンチを見つけてしばらくぼんやりした。自分たちが観光客だということも忘れるほどに。ここは横浜で最も何もしないことが似合う場所だ。
何もない、何もしないといっても、本当に何もないわけではない。写真に写ってる氷川丸もあるし、赤い靴の女の子像や水の守護神の像もある。花壇もあれば芝生広場もあり、遊覧船やレストラン船も停泊している。振り返ればマリンタワーも見えるし、何より海がある。
ただ、それらはあくまでも小道具であって、なければ成立しないというものではない。山下公園の本質はこの場所に存在している空間そのものだ。場所的にも、みなとみらい21と山手をつなぐ中間であり、中華街への出発点でもあって、ちょうど立ち寄って一休みするのに都合がいい。夜は夜景スポットにもなる。人が集まってくるには必ず根拠があるのだ。
それにしても山下公園はすることがない。肝心の氷川丸は現在閉鎖中で中に入れないし(2008年春再オープン予定)、マリンタワーもお休み中となっている(2009年まで)。レストラン船は気軽に入れるようなとろこじゃないし、ここには売店というものがない。自販機ひとつないから、ほとんど誰も飲み食いしていない。そこがまたみんな何もしてないように見える一つの要因となっているのだろう。屋台などは全面的に禁止しているようだ。休日は大道芸の人たちがパフォーマンスをしたりするそうだけど、この日はいなかった。大きなボート大会が開かれていたからかもしれない。
横浜の街は関東大震災で大きな被害を受けた。ほとんど壊滅的といっていいほどに。そのときに出たガレキを使って山下公園が作られたというのはよく知られた話だ。海沿いのこの場所がガレキの捨て場になって、こんなに集まったから海を埋め立てて公園にしてしまおうと最初に思いついた人は賢かった。
1930年(昭和5年)に作られた山下公園は、日本で最初の海沿いの公園とされている(その定義は曖昧らしいけど)。面積は約74㎡。
開園から5年後には復興を祝う意味で博覧会が開かれた。たくさんのパビリオンが立ち並んで、現在花壇になっている場所には鯨を泳がせたりして、大盛況だったそうだ。ここは震災復興の象徴的な公園でもあったのだ。
太平洋戦争のときは海軍に占拠された。戦後は長らくアメリカ軍に乗っ取られもした。マッカーサーもやって来ている。その後、少しずつアメリカ軍は帰っていって、ようやく1961年(昭和36年)に日本の市民のものとして戻ってきた。1988年(昭和63年)には、横浜博覧会がここで行われている。
公園でのんびりできるのも平和だからこそだ。

赤い靴の女の子像の前で記念撮影をする女の子たち。それは岩崎きみちゃんという実在の人物で、赤い靴の作詞家は野口雨情という人なんだよとうんちくを傾けても彼女たちは喜ばなかっただろう。ときに現実の知識は人の夢を壊す。
岩崎かよは18歳のとき、未婚で子供を産んだ。生まれたばかりのきみを連れて逃げるように故郷静岡の清水を離れて、開拓民として北海道へ渡る。しかし生活は苦しく、きみは病弱で、それ以上手元で育てるのは無理だった。ちょうど養子を探していたアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻にきみはもらわれていった。これが歌詞の中に出てくる異人さんだ。3年後、任務を終えたヒュエット夫妻がアメリカへ帰ることになったとき、きみは結核におかされていた。当時結核は不治の病だった。きみは異人さんに連れていかれてはいなかったのだ。麻布十番の教会の孤児院に預けられたきみは9歳のとき死んでしまう。しかし、そのことは母親のかよには知らされなかった。だからかよは自分が死ぬまできみはアメリカへ行って幸せに暮らしていると思っていたという。あの歌は母親の目線から歌われたものだった。
なんて話を、写真を撮っていた女の子たちに聞かせたら、泣いてしまっただろうか。話してる私の方が泣いてしまいそうだ。きみちゃん像は今日も体操座りで遠くの海を見つめている。

公園の中心あたりに噴水があって、中央には水の守護神の像が建っている。姉妹都市であるアメリカのサンディエゴから贈られたものだそうだ。
特にどういうということもないけど、なんとなくみんな写真を撮ってしまう。それだけ山下公園には被写体が少ないということでもある。
後ろに見えているのがマリンタワーだ。一応灯台の機能も持っているので、世界一背の高い灯台(106メートル)ということになっている。ただ、実際にはあまり灯台としては役に立っていないらしい。
横浜港開港100周年記念で1961年に建てられた。中には展望室があって、できた頃は大変な人気だったそうだけど、近年は業績が悪化して、ついに2006年の12月で閉鎖されてしまった。ただ、公募で新しい借り主が決まったようで、2009年春には再オープンが予定されている。
ライトアップだけは続いていて、夜はとてもきれいだった。

ここが昔の博覧会のとき鯨を泳がせたという場所だ。今は花壇になっている。しかし、今そんなことをやったらグリーンピースが黙っちゃいない。動物愛護団体からも猛烈抗議になるだろう。生き物を大事にすることは私も全面的に賛成するけど、給食に鯨の肉が出ていた頃がときどき懐かしく感じられる。
この時期はバラがたくさん咲いていた。じっくり見られるとよかったのだけど、山手へ行く時間だったので遠くから見ただけで終わってしまった。鯨が泳いでいたらもちろん見に行ったのだけど。

山下公園からは、100円均一のバス「あかいくつ」に乗って、山手方面へと向かった。着いたのは港の見える丘公園。私個人としては山下公園よりもこちらの方が名前として惹かれるものがあった。けど、この景色を見て大きくがっかりしてしまう。なんなんだ、このごたついた感じは。確かに港は見えるけど、私が見たかったのは港の向こうの海で、港そのものではないぞ。いや、名前をもう一度よく読んでみれば確かに間違ってはいない、港の見える丘公園。そうか、港が見える公園なんだ。海が見える丘公園とは誰も言ってない。しぶしぶ納得。
ここは開港当時から外国人居留地だった場所で、名前の通り坂の上の丘になっている。山手地区とも一体となっていて、外国人とお金持ちのための地域だった。戦後はアメリカ軍に押さえられていた。
公園として整備されたのは昭和37年。ここも横長の公園となっていて、高台の方にイギリス館などがあって、下の方はフランス人居留地があったことからフランス山と呼ばれている。
ここはなんといっても夕焼けから夜景にかけての時間だ。手前のごちゃごちゃした部分が暗くなって、遠くのベイブリッジの明かりがロマンチックになるのだろう。昼間に過度の期待は禁物だ。

こちらにも気持ちのよさそうな芝生広場がある。けど、やっぱり山下公園とはまったく異質のものだ。ロケーション的にここでゆったりする気にはなれない。
向こうに見えている茶色い建物は、大佛次郎記念会館だ。いまどき大佛次郎の『鞍馬天狗』など誰が読むのか。そもそも大佛次郎の名前さえ読めない人が多くなってるんじゃないだろうか。私自身ほとんど興味もないので入ることはなかった。ただ、大佛次郎といえば大の猫好きで有名で、その点においては共感するものがある。生涯で800匹の猫の世話をしたというほどの筋金入りだった。

港の見える丘公園は、山手の洋館巡りの出発点となっている。隣接するようにイギリス館や山手111番館があるから、ここから山手散策を始める人も多い。その一角に立派なバラ園もあった。ちょうど時期的に満開に近くて、おばさまを中心にたくさんの人が見物をしていた。
1991年(平成3年)5月にローズガーデンがオープンしたというから、まだ新しい。約70種類、1,500株が植えられているという。
西洋バラの多くが明治になって横浜から日本に上陸したとも言われている。だからということもあって、ここらはバラが多くて、横浜の花はバラとなっている。バラを見たことがなかった日本人たちは、洋ボタンと呼んで珍しがったそうだ。
横浜巡りはいよいよ後半から終盤へと向かう。このあと山手の洋館巡りをして、中華街へ行って終わりだから、このブログの横浜編もあと2回ということになる。
山下公園はオススメするまでもなくみんな行くことになるだろう。行ってみると私の言う無駄な感じというのが分かってもらえると思う。港の見える丘公園は、山手巡りをするなら自然とコースに入ってしまうけど、そうでなければわざわざ行くまでもないかもしれない。夜はカップルだらけだろう。
まあしかし、どちらも一回は行っておいて損のないところだ。何もないことを確かめるためだけでも。私としては、氷川丸が再オープンしたらもう一度行ってみたいと思っている。次はシーバスに乗って山下公園まで行くのも悪くない。