月別:2007年04月

記事一覧
  • ゴールデンなサンデーに普通に料理を作ってゴールデンメモリーズに浸る

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/50s(絞り優先) ゴールデンといえばバット。バットといえばチョコ。やったね、父ちゃん、明日はホームランだ。 そんなわけで、ゴールデンウィーク。みなさん、いかがお過ごしですか。私は元気で、家にいます。 珍しく2週続けてのサンデー料理になったわけだけど、今日はあまり考えずにパッと思いついたものをササッと作った。そしたら、意外にも出来が良くて美味しくて、自分...

    2007/04/30

    食べ物(Food)

  • 華やかで可憐なサトザクラが束になってもソメイヨシノにはかなわない

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/200s(絞り優先) ゴールデンウィークに入ってソメイヨシノの桜前線は、東北・北海道ブロックに到達したようだ。こちらではもうひと月近く前のことになるから、正月気分も抜けた2月の始めみたいな遠さを感じる。こっちはもう初夏だ。桜並木も、満開の桜の花が幻だったみたいに青々と生い茂って普通の木になってしまった。 けれど、桜の花は今この時期もまだたくさん咲いている。ソ...

    2007/04/29

    桜(Cherry Blossoms)

  • 40-80mmマニュアルレンズでグリグリしながら撮り巡った牧野ヶ池緑地

    PENTAX istDS+smc PENTAX-M 40-80mm(f2.8-4), f2.8, 1/20s(絞り優先) 久しぶりに変なレンズを買った。PENTAXのマニュアルレンズで、40-80mmというなんとも中途半端なやつだ。istDSで使うから1.6倍換算で64mm-128mmとなって、半端さも倍増する。一応分類としては中望遠となるのだろうけど、128mmでは望遠としては届かないし、64mmはスナップにも向かない。なんで買ったんだろう私。人は必ずしも自分で自分の行動の理由を把握して...

    2007/04/28

    カメラ(Camera)

  • 東山植物園で感じて思った、巡る季節と花と地球と人の話

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3,1/16s(絞り優先) 去年の秋、紅葉のトンネルをゆく老夫婦を見ていいなと思った。春の花道は若いカップルがよく似合う。どちらにもそれぞれの味があり、よさがあって、象徴的な光景だった。 私たちは皆、物心ついてから少年、少女時代を過ごし、思春期をくぐり抜けて大人になった。そこには直接的、間接的に、いつでも花があったんじゃないだろうか。自分では特別意識しなかったとし...

    2007/04/27

    施設/公園(Park)

  • 春から初夏へと急ぐ東山植物園の花たちを追いかけて開放

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/800s(絞り優先) 閉園間際の東山植物園に駆け込んで、1時間半で走り撮りした花たちを。 今日のテーマは、解放。じゃなく、開放。植物園で自らを解き放って、暴れたり裸になったり窓ガラス壊して回ってる場合じゃない。明るいレンズを一番開いて、ぼんやりほわっと柔らかく撮るのが開放だ。マクロレンズじゃない標準レンズでもこれくらいはボケる。ばあさん、夕ご飯は食べたんだっ...

    2007/04/26

    花/植物(Flower/plant)

  • 名古屋人の青春の味はスガキヤのラーメンだった

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5,1/100s(絞り優先) 15年ぶりに食べたスガキヤのラーメンは青春の味がした。 ひとくちスープをすすって大学時代に戻り、麺で高校時代に帰り、チョコレートクリームで中学までタイムトリップをした。圭一と食べた清水屋は今どうなっているだろう。マッチャとランチした大学近くの店はあのときのままなんだろうか。みんなも、もう、スガキヤは行ってないだろうな。 名古屋人の心の故...

    2007/04/25

    食べ物(Food)

  • フクロウとコンドルが出会った動物園で彼らは何を語りどんな夢を見るのか

    Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先) お面をかぶった銀行強盗みたいな顔をしたフクロウさんの名は、メンフクロウ。見た目そのままだった。もちろん、マスクで変装してるわけではなく、これが元々の顔だ。じっと見てると笑えてくる。線を省略したアニメチックな顔だからだろうか。 世界中に生息するフクロウで、決して珍しい種類ではない。北の寒いところをのぞくヨーロッパ全域から東南...

    2007/04/24

    動物(Animal)

  • 平凡サンデーとケーキ作り失敗の変遷を越えて10年後の自分に期待

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/40s(絞り優先) 最近は隔週になっているサンデー料理も、けっこう回数を重ねて60回かそこらにはなっただろうか。同じものをなるべく作らないという決め事に縛られて、最近はメニューを決めるのにかなり苦心するようになっている。今日などは決まるまでに1時間以上もかかってしまった。レストランの客なら追い出されてるところだ。 けど、考えてみると60回ということは、毎日作...

    2007/04/23

    食べ物(Food)

  • オオカミ好き告白と今はなきニホンオオカミの話

    Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先) 誰も知らないと思うけど、実は私はオオカミ好きの男である。まだ誰にも言ったことがないから、知らなくても無理はない。がっかりしたりびっくりしたりすることはない。犬に対してはさほど思い入れがない私が、何故か子供の頃からオオカミは好きだった。どれくらい好きかというと、三度の飯のうちの一食はオオカミ観察に替えてもいいくらいといえば大...

    2007/04/22

    動物(Animal)

  • 急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社

     名古屋市の北東に隣接する尾張旭市。高校時代の友人が住んでいたのがきっかけで、今でも用事もないのによく出向いていっている。田んぼの農道に車をとめてしばらく佇んだり、城山レストランとスカイワードあさひの写真を撮ったり、瀬戸電を眺めたりしてしばらく時間を過ごす。ここにはまだ、昭和の古き良き郊外の面影が残っていて、なんとなく心が落ち着くのだ。 そんなお気に入りの尾張旭なのに、市内の神社仏閣に一度も足を踏...

    2007/04/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 普通に美味しいあんかけスパを名古屋マイナーから全国メジャーに

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f3.5, 1/10s(絞り優先) 近年、名古屋めしという言葉が一般的なものとなり、名古屋名物の全国的な知名度も上がって久しい。ひつまぶし、きしめん、味噌煮込みうどん、手羽先、天むすなどは、食べたことはなくても知っているという人は多いと思う。しかし、名古屋では浸透していながら全国にはまだ知られていない名古屋めしも存在している。その代表が「あんかけスパ」だ。 あんかけス...

    2007/04/20

    食べ物(Food)

  • 瀬戸物の歴史に思いを巡らせながらゆく静かな窯垣の小径

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6,1/250s(絞り優先) 愛知県瀬戸市は言わずと知れた瀬戸物の街だ。瀬戸焼にまつわるスポットも多い。そんな中で、今日は「窯垣の小径」というちょっと素敵な場所を紹介したいと思う。 窯垣というのは見慣れない文字だと思う。読みもちょっと迷う。でも、種を明かせば単純で、なんだとなる。まず読みは、かまがき、だ。 器などを焼くときに使うのが登り窯(のぼりがま)で、器を守る...

    2007/04/19

    施設/公園(Park)

  • ミュージアムを見ない瀬戸蔵は牛肉の入ってないすき焼きを食べるみたいなもの

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f9, 1/10s(絞り優先) 2005年の愛・地球博を機に、瀬戸の街も化粧直しをして小綺麗になった。日本各地だけでなく世界からのお客さんを出迎えるのにふさわしい玄関口にしようと、道路や街並みは整備され、いくつかの新しい建物もできた。「瀬戸蔵(せとぐら)」もその中のひとつだった。 気がつけばあれから早2年の歳月が流れた。その間、何度も前を車で通りながら一度も入ったことが...

    2007/04/18

    施設/公園(Park)

  • 脇役花だって生きているんだ咲いているだ春なんだ

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5, 1/200s(絞り優先) 東谷山フルーツパークは、しだれ桜が最も有名には違いないのだけど、フルーツパークの名前が示すように果物の楽園でもある。というよりも、本来はそれがメインのパークだ。なのでこの時期、主役以外にもたくさんの脇役花たちが、園内のあちこちで咲いている。今回はそんな助演花たちにスポットを当ててみようと思う。 まずはウコンザクラから。 通称「黄桜」(...

    2007/04/17

    花/植物(Flower/plant)

  • 2007年の桜シーズンはふたりの東谷山フルーツパークで完結

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/100s(絞り優先) 去年の桜シーズン最後に、東谷山フルーツパークのしだれ桜を見に行った。そのときのことを書いた4月19日のブログの最後を、こうしめくくっていた。「また来年、きっと、桜の季節に戻ってこよう。再会を約束して、少しの間さよならだ。」 その来年が巡ってきた。あれから一年、早かったような、長かったような、2007年の桜シーズンのしめくくり。約束通り、し...

    2007/04/16

    桜(Cherry Blossoms)

  • そうだ、カエル、飼おう、と思った、東山自然動物観カエルコーナーで

    Canon EOS Kiss Digital N+EF50mm(f1.8 II), f1.8, 0.4s(絞り優先) 生き物は色が大切だ。ただ色が違うというだけで、その印象は大きく違ってくる。人から見て、カラフルできれいな生き物は好ましく、地味な生き物はかわいくない。ただしそれは、生き物の側からすると事情は違ってくる。好きで原色になったわけでもないのに、色がきれいというだけの理由で人間に捕まってしまう。派手な色をしてるほどより不幸になる確率が高くな...

    2007/04/14

    虫/生き物(Insect)

  • 名古屋名物代表は味噌カツにしとこまいと名古屋人は言うだろう

    SH505iS(携帯カメラ) いくつかある名古屋の名物料理の中で、何か一つ代表選手を選べといわれたら、多くの名古屋人が味噌カツを推すんじゃないかと思う。ひつまぶしは食べ方が変わっているだけでうなぎ自体は珍しいものではないし、味噌煮込みうどんは所詮うどんでうどんは名古屋名物じゃない。きしめんは名古屋人自体がそんなに好きではなく、手羽先や天むすは代表としては存在感が弱い。エビフライなんてタモリが勝手に言って...

    2007/04/14

    食べ物(Food)

  • 2007年春の海上の森で、森の音と匂いと空気とC・W・ニコルを思い出した

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3, 1/60s(絞り優先) そういえば最近、海上の森へ行ってないなと、ふと思った。いや、ずいぶん行ってないぞ。思い返してみると、去年の最後が確か秋の入口だった。ヒガンバナが西日に照らされていたのを覚えている。今年になってから一度は行っただろうかと考えてみる。行ってない。ということは、半年もご無沙汰ではないか。これはまずい。何がまずいのか具体的には分からなくてもま...

    2007/04/13

    自然(Natural)

  • 月島でもんじゃ焼きを食べることは東京タワーに登るようなお約束

    PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6),f3.8, 1/20s(絞り優先) 東京の名物料理を食べようと思い立ったとき、はて、それは一体なんだろうかとなる。せっかく東京へ来たんだから東京名物を食べていこうかとなったとき、東京ならではの食べ物って何かあるだろうか。 そばや江戸前寿司なんかは、東京オリジナルのものではない。東京は世界中の美味しいものを何でも食べられるところだけど、東京でしか食べられない名物ってい...

    2007/04/12

    東京(Tokyo)

  • 二度目の猿投桃畑散策でもベストビューポイントは見つからず

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/50s(絞り優先) 愛知県豊田市の北に猿投山(さなげやま)がある。上の写真に写っているのがそうだ。あそこの山頂まで登ったのはもう2年半前になるのか。 猿を投げる山って、猿を捨てる山だったのかと思いきや、当たらずといえども遠からず。大昔、景行天皇が伊勢へ行ったときに連れていった猿が悪いことばかりしたので伊勢の海に捨ててしまったところ、海から上がって...

    2007/04/11

    花/植物(Flower/plant)

  • 時を止めた異次元空間の鬼子母神で夢から覚めた夢を見る

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f4.5, 1/100s(絞り優先) 都電荒川線の線路を越えたときはすでに日が傾きかけていた。昭和の香り濃い商店街を通って、ケヤキ並木の参道を抜けて左に曲がる。そこで突然空気が変わる。今まで冗談を言ってふざけいてた笑いがスッと引いて、神妙な顔つきになるみたいに。 ああ、ここは……。 そう、小さくつぶやいて、その先の言葉を見失った。初めて訪れた場所なのに懐かしい。...

    2007/04/10

    東京(Tokyo)

  • タケノコサンデー料理のキーワードは竹の子族とかぐや姫と神田川

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/40s(絞り優先) 新タケノコが出回る季節になった。桜の季節になればそうだねタケノコだって生えてくる。地面からニョキッと、E気持ち~と歌いながら顔を出す。 久々に目新しい新しい食材が手に入ったということで、今日のサンデーはタケノコを中心に組み立ててみた。タケノコ料理というと、まず単純に煮付けが思い浮かぶ。でも、それは昔からよく食べているから面白くない。こ...

    2007/04/09

    食べ物(Food)

  • 明治の雑司ヶ谷にマッケなんとかいう偉い宣教師の人がいたんだってね

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f4.5, 1/640s(絞り優先) 護国寺からのんびり歩いて雑司ヶ谷へとやってきた。静かな住宅街の道を進むと、道が突然赤煉瓦敷きになる。その先に目指す旧宣教師館はある。このときはツレが場所を知っていたから迷うことはなかったけど、初めて行く人は見つけるのに苦労しそうだ。道ばたを歩いている人に訊けばたいてい分かると思うけど。 交通機関としては、どこから歩いても少...

    2007/04/08

    東京(Tokyo)

  • 明日に自由を求めなくても今もう心の中にあるんだよね、ライト先生

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/100s(絞り優先) 目白から山手線通り沿いをテクテク歩いていくと、おっ、こんなところにヨネクラジムがある! などという驚きがありつつ、住宅街のクネクネした細い道を進んで明日館へとやって来た。これがあしたかんか。いやいや、みょうにちかんって読むんだよ。それでは、みょうにち、の明日だ。 入口の前に立って中をのぞいてみると、なにやら人だかりができて...

    2007/04/07

    東京(Tokyo)

  • 香流川桜六景---散りゆく前に

    Canon EOS Kiss Digital N+SIGMA 18-125mm(f5.5-5.6 DC), f7.1, 1/100s(絞り優先) 名古屋地方の桜は今、満開から少し散り始めた。今年の桜は気温の浮き沈みに翻弄されて、あたふたと足並みが揃わなかったけど、最後にきてきれいに咲き揃った。自然は季節を間違えない。 ここ数日、気温が下がったことで満開が長持ちしている。明日、あさっての週末まで見頃は続きそうだ。 私は名残を惜しんで、近くの香流川(かなれがわ)をも...

    2007/04/06

    桜(Cherry Blossoms)

  • 15年後の護国寺に彼の歌は響かず、あの日の映像だけが記憶に残った

    PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/125 あの日あのときの護国寺は雨だった。この日は薄曇りの少し肌寒い一日。あれからもうすぐ15年か。 東京メトロ有楽町線の護国寺駅から地上にあがると、すぐ目の前に護国寺が現れる。心の準備ができていなくて少し驚く。 これが護国寺か。はじめまして。ようやくやって来ることができました。あのときここに集まった4万人は、今頃どこで何をしてるだろう。この15年...

    2007/04/06

    東京(Tokyo)

  • 秋の香嵐渓もいいけど足助いいとこ一度はおいで春夏秋冬

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/60s(絞り優先) カタクリ群生地から離れて巴川沿いを少し歩いたところに香積寺(こうじゃくじ)がある。紅葉の季節は、ここももみじ寺となって大勢の人で賑わうのだけど、それ以外は訪れる人も少なく、ひっそりとしている。この寺と紅葉の関係は深く、ここの住職が香嵐渓の名付け親、ゴッドファーザーであり、はじめの一歩ならぬはじめの一本を植えたのもここの住職だった。ヒ...

    2007/04/05

    施設/公園(Park)

  • 日本人とソメイヨシノの奇跡の関係性

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/125s(絞り優先) 去年はたくさん桜を見た。近距離、中距離の桜スポットをひとりでまわって、ずいぶん写真も撮った。2006年はこれまでで一番桜を見た年だったんじゃないかと思う。 今年はツレと一緒に近所を一日で全部回った。満開には少し早かったけど、今年はもうこれでいいと思った。短い時間で一気に堪能したから、あっという間に満腹になってしまったのだろうか。 今年...

    2007/04/04

    桜(Cherry Blossoms)

  • レトロとモダンがナチュラルシェイクされた足助の町で誰か昭和を想わざる

    OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/30s(絞り優先) カタクリを堪能したあとは、足助の町並みを散策した。 国道153号線は、古くから三河と信州を結ぶ重要な街道だった道で、伊奈街道または三州街道(明治以降は飯田街道)と呼ばれていた。あるいは別名の中馬街道(ちゅうまかいどう)の方が通りがいいかもしれない。 中馬というのは、江戸時代に馬で荷物の運送をしていた信州の業者のことで、彼らが通る道とい...

    2007/04/03

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 足助カタクリの群生地は高額機材の群生地でもあった

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.8), f5.6, 1/100s(絞り優先) 去年に続いて足助のカタクリを見に行った。飯盛山の斜面には、今年もまたカタクリの花が無数に咲き乱れ、カメラを持った大勢の人たちで賑わっていた。そうそう、この光景。桜の満開とともにカタクリの群生は春が本気になったことを知らせてくれる。 ただ、ほんの少し出遅れた。枯れ始めや枯れ落ちなどがちょこちょこ目立ち始めていて、完全な状態の花が少なかっ...

    2007/04/02

    花/植物(Flower/plant)

ゴールデンなサンデーに普通に料理を作ってゴールデンメモリーズに浸る

食べ物(Food)
ゴールデンウィークサンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 ゴールデンといえばバット。バットといえばチョコ。やったね、父ちゃん、明日はホームランだ。
 そんなわけで、ゴールデンウィーク。みなさん、いかがお過ごしですか。私は元気で、家にいます。
 珍しく2週続けてのサンデー料理になったわけだけど、今日はあまり考えずにパッと思いついたものをササッと作った。そしたら、意外にも出来が良くて美味しくて、自分で作っておきながらなんだよぅと思ってしまった。何も考えずに思い切って振ったらバットにボールが当たったみたいに、喜んでいいものやらどうやら。いつもはあれこれ余分なことを考えすぎて、かえって失敗していたのかもしれない。
 今日の3品は、いつもの応用で、目新しさはあまりない。ただ、見た目では何を作ったのか分かりづらい料理になっている。もし、この写真だけで同じものを再現できたとしたら、その人はすごいか、私のストーカーかのどちらかだろう。普通は無理だ。

 手前の左側が、一番予測のしづらい料理だと思う。私も何と呼んでいいのかよく分からない。何かを参考にしたわけではなくて、思いつきで作っただけだから。
 まずはジャガイモの皮をむいて薄くスライスしたものをレンジで3分ほど加熱して、取り出してつぶす。そこへバターひと切れと、牛乳少々、小麦粉を加えてもう一度加熱。取り出して混ぜて、また少し牛乳を加えて加熱して、最後に塩コショウで味付けをする。
 冷ましたらハンバーグのような形にして、これを土台とする。ケチャップを塗り、その上にスライスしたタマネギ、ベーコン、とろけるチーズを載せ、パン粉を振りかけて、もう一度ケチャップをかける。それをオーブンレンジで加熱すれば出来上がりだ。最後に青のりを全体に振りかける。
 さて、なんて呼ぼう。ジャガイモベースのピザのようなものといえば遠くないか。ただ、ジャガイモはいったんつぶしてるので、ピザよりもずっと柔らかくて、食感は全然違う。ジャガバターのピザ風という方が近いかもしれない。いずれにしても、今回はこれが一番ヒットだった。美味しいのでオススメしたい。多少手間がかかるものの、特に失敗する要素もないし、トッピングを増やせばメインのおかずにも昇格できそうだ。

 右手前の変な卵焼きみたいのは、豆腐ベースで、これまた何て名づけたらいいのか難しい。
 木綿豆腐をキッチンペーパーで巻いてレンジで加熱して水分を飛ばした後、これもつぶす。つぶし料理は私の得意技なのだ。そこへ、背わた、はらわたを取った小エビと、ツナ缶、刻みタマネギ、小麦粉、塩、コショウを混ぜて、サランラップにくるんで長方形にする。それをレンジで10分ほど加熱して固める。固まったところで取り出して、味付け海苔を巻く。
 卵焼きはもっとフワフワにしようとして失敗した。だし巻き卵にして、塩、コショウ、砂糖などで味付けしてから焼く。
 たれは、めんつゆベースで、だし汁、酒、しょう油、みりんで味をととのえて、ひと煮立たせする。
 これもけっこう美味しかった。豆腐は冷や奴や湯豆腐だけじゃなく、いろんなものに応用できる便利な加工食材として使える。組み合わせの相性がいいものも多く、加熱の仕方が食感も変わるので、同じ味付けでも別の料理になる。絹ごしにすればまた別物に変身するし、和食にも洋食にもなる。

 奥のは、白身魚とトマトの焼きものというか煮物というか、その中間的なもの。
 白身魚の切り身をやや薄くスライスして、塩、コショウする。タマネギ、しめじ、トマトをそれぞれ適当に切って、たっぷりのオリーブオイルとバターで炒めたあと、白ワインを振りかけて、コンソメの素と塩、コショウで味付けをする。ケチャップを少し加えてもいい。最後に刻んだ青ネギを加えて、あとは弱火で少し煮込めば完成だ。
 トマトソースというほどトマト味ではなく、味はシンプルな洋風で、ちょっとオシャレめ。手間もかからず、見た目の赤が食欲をそそる、簡単メイン料理として時間のない主婦の人に最適だ。
 色の組み合わせと見た目も料理には大切な要素というのが少し分かってきた。そんなに凝らなくても、少し彩りを添えるだけで手間がかかってそうにも、美味しそうにも見える。気取ったレストランがソースで絵を描いてるのも、同じ原理だ。一般家庭では、ひとつまみ加えるためだけにハーブを買ったりはできないけど、レストランならそれができる。見た目をもっとよくしていくというのも、今後の私の課題のひとつとなっていく。

 料理というのは漠然と毎日作っているだけではなかなか進歩しないものだ。主婦歴30年とシェフ歴30年の違いは、絶対的な料理数の違いだけでなく、向上心の差だ。あるいは、食べる人がまずいと言うかもしれない恐れと言ってもいいかもしれない。美味しいと思ってもらえるものを作ろうと思えば、もっと努力もするし、あれこれ試したりもするから、そうやって上達していく。料理は必ずしもセンスや才能がすべてではないと思う。
 もし、奥さんやお母さんの料理の腕がもっと上がって毎日美味しい料理を食べたいと思ったら、まずいときはまずいとはっきり言うべきだろう。美味しいときは誉めて、失敗したときそのまま放置しないことが大切だ。反省のないところに向上は生まれない。そんなこと言うなら食べなくていいです! と、怒らせて二度と作ってくれなくなったら、それはもっとまずいことになるけど。
 でも、主婦の人の立場に立って考えた場合、食事を作り続ける原動力は、食べる人が美味しいと言ってくれることに他ならなくて、無感動に感想のひとつも言うことなく食べられてたら、これ以上勉強して美味しいものを作ろうという気力もなくなってしまう。美味しいと言ってくれたらもっと美味しいものを作ってあげたいと思う。家庭料理はそういう形でしか努力が報われないものだ。もしくは、家庭内の食事を料金制にするかだ。
 料理を作るというのは、メニューを考えることから始まって、買い物の時間や作る手間など、いろいろと大変なのだ。ときには心底作りたくないと思う日だってあるだろう。そのあたりのことを食べるだけの人はくみ取っていってあげたい。
 だんなさんやお父さんも、料理はしてみるべきだと思う。男の場合は、美味しいものを作るとかどうこうよりも、自分で実際に作ってみて分かる大変さや難しさというのを実感することが必要だ。ひとり暮らしのときに自炊していたのと、家族に食べさせるために作るのとでは全然意味が違う。
 料理はシミュレーションゲーム的な面白さもあるから、男子にもオススメしたい。男子厨房に入らずなんてことでは逆にもったいない。
 目指せ、タモさん、追いつけ追い越せキムキム兄やん、負けるなグッチ裕三の気持ちでこれからも頑張って料理を作っていきたいと思う。

 ゴールデンといえば、やっぱりウィーク。黄金週間。後半は私も旅に出ます。8時ちょうどのあずさ2号で。って、狩人、ついに解散か。けど、兄貴の方、何を思ったか、ボクサーになるらしいではないか。狩人はあずさ2号に乗ってどこへ行く? クリスタルキングも、シャネルズもモンタ&ブラザースも、今はもうない、遠い80年代。懐かしのゴールデンメモリーズに浸りながら、また来週~。

華やかで可憐なサトザクラが束になってもソメイヨシノにはかなわない

桜(Cherry Blossoms)
東山植物園の桜-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/200s(絞り優先)



 ゴールデンウィークに入ってソメイヨシノの桜前線は、東北・北海道ブロックに到達したようだ。こちらではもうひと月近く前のことになるから、正月気分も抜けた2月の始めみたいな遠さを感じる。こっちはもう初夏だ。桜並木も、満開の桜の花が幻だったみたいに青々と生い茂って普通の木になってしまった。
 けれど、桜の花は今この時期もまだたくさん咲いている。ソメイヨシノばかりが桜じゃない。いわゆるサトザクラ(里桜)と呼ばれる園芸品種の桜の多くが、4月の中旬から終わりにかけて満開になるのだ。東山植物園には桜の園という各地の桜を集めたコーナーがあって、いろんな種類の桜で賑わっていた。

 たとえばこれは、松月(ショウゲツ)という品種の桜だ。もともとは荒川堤にあった桜で、現在でも関東地方に多く植えられているという。
 薄ピンクの八重咲きで、ヒラヒラフリルの好きな女の子みたいな姿をしている。グループごとに固まって賑やかに咲く様子は、女子中学生を思わせる。中学のとき可愛かった彼女たちは今頃どうしてるだろうなぁ。いやいや、考えまい。
 花弁は20-30枚で、先端に細かい切れ込みが多くあるのが特徴だ。最初は濃いめのピンクで、満開が近づくほどに白くなっていく。ピンクの頬から美白へ、それが大人の女?

東山植物園の桜-2

 これも松月だったような違うような。近くにあったからそうだと思ったのだけど、プレートがかかってない木もあって、これは見た目の印象が違う。もしかしたら別の種類だったかもしれない。
 サトザクラは、桜の花ひとつひとつはきれいでも、離れて見たときの全体像があまりよくない。風情はあっても絢爛さに欠ける。これが桜本来の姿に近いといえばそうだけど、これを見て花見で酒を飲もうとは思わない。この桜じゃあ酔えない。

東山植物園の桜-3

 胸に付けるコサージュみたいなこれは、兼六園菊桜という珍しい種類の桜だ。
 一重の桜に対して花弁がたくさんあるものを八重桜といい、その中でも花弁が70枚以上のものを菊桜と呼ぶ。多くの菊桜は200枚ほどで、兼六園菊桜の場合はそれが250枚から300枚ほどあるのだという。
 昔、孝明天皇が兼六園に植えたとされる桜で、かつては日本に一本しかない天然記念物だった。ただ、それは1970年に枯れてしまって、現在は二代目が跡を継いでいる。
 その後、ある程度は増えて、全国に何本かは植わっているようだ。でも、珍しいことには変わりがない。
 これも濃いピンクから色が薄くなっていく種類の桜で、花びらは散らずに花ごとボトリと落ちる。

東山植物園の桜-4

 これまた変わった花姿をした桜だ。ひょろひょろっと伸びた枝の途中と先端に、やや唐突な感じに桜の花がかたまって咲いている。桜といえば花は完全に桜だけど、この咲き方は桜らしくない。
 プレートが見つからなかったんだったか、メモ撮りを忘れたのだったか、名前は分からない。変わった特徴の桜だから、たぶん有名だとは思うのだけど。

東山植物園の桜-5

 これまた豪華な桜だ。血統書付きのお嬢様猫みたいな風格がある。他のどの桜も憧れずにはいられないような華やかさだ。
 しかしこの普賢象桜(フゲンゾウザクラ)は、最近の品種改良で生み出されたものではなく、室町時代にはすでにあった古い桜というから意外だ。京都の朱雀大路に咲いていたこの桜を見た将軍・足利義満も感服したというエピソードが残っている。
 地味で一重のオオシマザクラからどうしてこんな桜が生まれたのか不思議だ。
 花心から葉化した細い2本の雌しべを突き出している形が、普賢菩薩の乗る象の鼻に似てるところから名づけられたという。
 花は満開になると花心が赤くなっていって、更に華やかさを増す。

東山植物園の桜-6

 楊貴妃(ヨウキヒ)という名の桜。人の名前がついた桜があるのを初めて知った。なんだかバラみたいなネーミングだ。けど、意外なことに楊貴妃という名前のバラはない(はず)。
 これまた古い桜で、奈良時代にはすでにあったとされている。奈良の興福寺の庭に咲いていたものを、僧侶が楊貴妃と呼ぶようになったことからそれが定着したそうだ。それじゃあ、名前というより愛称だ。昔は、厳密に名前をつけて他と区別するという意識が弱かったようだから、それでいいのか。

東山植物園の桜-7

 八重桜園はボトボト落ちた桜の花で死屍累々といった趣だった。これはちょっと単純に美しいとは言いがたい光景だ。少し痛々しいような感じもあった。八重桜の場合、花弁がギュッと詰まっているから、盛りを過ぎると花びらを散らす前に自らの重みに耐えきれなくなってボトリと落下してしまう。見ようによってはあまり気持ちのいいものではないかもしれない。
 これは御衣黄(ギョイコウ)という桜で、緑色の花を咲かせる唯一の桜だ。ウコン桜よりもはっきりと緑色をしている。それは、花弁に葉緑素があるからで、最初は緑色からだんだん白、黄色、ピンクと変化していく。
 これも、普賢象、松月、鬱金などと同じくオオシマザクラが親で、江戸時代に作られたそうだ。江戸時代初期に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとされている。現在では珍しいながらも全国で見ることができるようだ。ただ、緑色の桜は見た目がパッとしないのであまり普及はしていない。
 名前は、貴族が好んで着た萌黄色の衣に似ているところから、御衣黄となった。

 サトザクラは、昔から今に至るまで、500種類ほどが生み出されたといわれている。品種改良が盛んになったのは鎌倉時代あたりからで、江戸時代にはすでに今あるものの多くが出そろっていた。
 今回、こうしていくつかの種類の桜を見てあらためて思ったのは、ソメイヨシノというのはやっぱり傑作中の傑作なんだなということだった。八重咲きでもなく、可憐なピンク色でもないけど、満開の姿がとにかく素晴らしくて、一週間で花びらを一気に散らす風情がまた格別だ。ソメイヨシノのライバルはいない。ソメイヨシノだけが桜の中でスターになれた。日本人が他のどの桜でもなくソメイヨシノに魅せられたの、必然だった。もし、ソメイヨシノが生み出されていなかったら、日本人と桜のつき合いは今とは全然違ったものとなっただろう。ヤマザクラやサトザクラだけでは満たされなかったに違いない。
 とはいえ、サトザクラにもサトザクラの魅力はあって、ソメイヨシノよりきれいじゃないから価値がないというわけではない。別ものとして楽しめば、これはこれで美しい。ボトボトと落下する花の様子もちょっと胸を打たれるものがある。八重桜は花に近づいて見てこその美しさと知る。
 今年は奥山田のしだれ桜なんかの一本桜を見に行くことができなくて、それが少し心残りとなったものの、それ以外はほぼフルコースを見て回ることができた。近所の桜並木は残らず見たし、東谷山フルーツパークのしだれも、東山植物園のサトザクラも見られて満腹だ。特に最後サトザクラをたくさん見られたのは収穫だった。これを見なければソメイヨシノの偉大さを実感として気づくことができなかった。
 桜見はまた来年へと続いていく。一年いちねん、しっかり見て、自分の中で完結させていくことが次の年につながる。桜の木も、新しい葉をたくさん出して、来年の花に向けての準備が始めている。
 桜よ、今年もありがとう。きっとまた来年会おう。今年会えなかった桜たちよ、来年はきっと会いに行きます。それまでお互い、くたばらずに元気で過ごそう。生きていれば出会いと再会は叶うはずだから。

40-80mmマニュアルレンズでグリグリしながら撮り巡った牧野ヶ池緑地

カメラ(Camera)
牧野ヶ池緑地-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-M 40-80mm(f2.8-4), f2.8, 1/20s(絞り優先)



 久しぶりに変なレンズを買った。PENTAXのマニュアルレンズで、40-80mmというなんとも中途半端なやつだ。istDSで使うから1.6倍換算で64mm-128mmとなって、半端さも倍増する。一応分類としては中望遠となるのだろうけど、128mmでは望遠としては届かないし、64mmはスナップにも向かない。なんで買ったんだろう私。人は必ずしも自分で自分の行動の理由を把握しているわけではない。無駄遣いもまた、人生の醍醐味のひとつだ。
 せっかく買ったからには一日くらい使ってみようと、夕方近場の牧野ヶ池緑地へ持っていった。このレンズのひとつ特徴としては、80mmのときだけ簡易マクロとして焦点距離が37センチの1:4になるというのがある。その使い心地と画質を確かめるというのが主目的だった。
 しかし、ジャンクレンズ(1,000円)に説明書なんていう気の利いたものが付いているはずもなく、最初どこをどうすればマクロになるかさっぱり分からず、かなり長い時間考える人となってしまった。80mmの位置からもう一歩ぐっと力を入れてマクロポジションにダイヤルを合わせることに気づいたのは30分後のことだった。
 更に、絞りのリングをどうやれば連動するのかも分からない。リングは回るものの、絞り羽がまったく動かない。レンズをはずしてグリグリすると絞り羽も連動して動く。カメラに付けると動かない。結局分からないまま、絞り優先モードですべて開放となってしまった。遠景も開放って、なんか間抜け。
 家に帰ってきてネットで調べてようやく分かった。マニュアルモードにしてからAE-Lボタンを長押しすると羽がバシャって感じで動くのだ。ファミコンの裏技じゃないんだから、こんなもの普通気づかないぞ。
 今回初めてマニュアルフォーカスのズームというのを買って、これまたややこしいったらない。Takumarとかの単焦点は、絞りリングで絞りを決めたら、あとはピントリングでピント合わせて撮るだけだからそんなに面倒ではないのだけど、これがズームとなると、まずはズームリングで撮る範囲を決めて、絞りリングで絞りを決定して、そこからピントリングでピントを合わせてと三段階グリグリしなければいけないのだ。その間の私は、なんだかレンズをやたらグリグリ回している人となって、その様子を人に見られるとなんだかとっても恥ずかしい気がした。あいつどんだけグリグリしてるんだよ、早く撮れよと思われてしまいそうで。ゴルフで必要以上に素振りを繰り返してなかなか打たない人みたいだ。マニュアルズームレンズって、片手にソフトクリームを持っていたら絶対に使えないことが分かった。

 何はともあれ、40-80mmレンズを付けて、1時間ほど歩いて撮ったのが今日の写真だ。今日の牧野が池でやたらレンズをグリグリしていて人を見かけたとしたら、それは間違いなく私だった。
 最初は、池の周囲の散策路から。前回訪れたのは確か3月の始めだったと思うけど、ひと月以上経って、木々の緑は大繁茂していた。名古屋市内の緑地とは思えないほどの密林状態だ。茂みの向こうからトラでも出てきそう。春の緑の成長速度は、伸び盛りの子供のような勢いがある。ちょっと油断したらもう服が着られなくなってるみたいな。そろそろ散策路をはずれて中に踏み込んでいくのは難しくなった。小さな虫集団も現れて、クモの巣が顔にかかる日も近い。今度からは緑地へ行くときは、フルフェイスのヘルメットをかぶっていきたいくらいだ(いかないけど)。
 こんなシーンはf2.8の開放で撮るところじゃないけど、解像感はもうひとつ。絞ればもう少しシャープになるのだろうけど、描写の線は太めのようだ。色の出方は悪くない。コントラストはきつめで、シーンによっては白飛び、黒潰れが起こりやすい印象だった。全体としての雰囲気は嫌いじゃない。

牧野ヶ池緑地-2

 牧野池は、冬ガモたちの姿がすっかり消えて、いつものアオクビアヒルやカルガモたちの静かな池に戻っていた。3月のときはまだけっこう居残っていたのに、みんな帰っていったようで、それが寂しくもあり、安心もした。カモも渡るやつはちゃんと渡るし、渡らないやつは渡らない。みんな季節や自分の居場所を間違えたりしなくて偉いなと思う。もうシベリヤやカムチャツカに無事帰り着いただろうか。また来年、きっと戻ってきて欲しい。私も半年後にまた会いに行こう。

 コントラストがきついシーンでの描写は、良く言えば深い、悪く言えば重い。ムードはあるけど、シャドー部分が潰れすぎる。全体を明るくすると白っぽくなって締まりがなくなる。PENTAXの絵作りじゃなくてNikonみたいだ。D70で撮るとよくこんな感じになった。
 ピントはなんとなく合わせづらい。レンズの曇りの影響もあるのかもしれないけど、Takumarに比べると見えにくくて、ピントの山が掴みづらい。ピントリングもTakumarより大雑把な気がする。istDSはマニュアルモードでもピントが合うとピピッと合焦音がするからそれが手掛かりになるのだけど、istDは音がしないからマニュアルレンズは使い勝手が悪い。

牧野ヶ池緑地-3

 こんなシーンも開放なんかで撮る人はめったにいないと思うけど、あえて柔らかい描写にするには開放で撮るというのも一つの手だということに気づいた。怪我の功名だ。これはこれで悪くない。
 無限遠もちゃんと出てるから、遠景も苦手ではないようだ。けど、元々はどういう趣旨で開発されたレンズなんだろう。35mmから始まっていれば普通の標準ズームだったのに、あえて40mmからにしたのはどんな意図だったのか。もし、f2.8-4ではなくf2.8通しにできたとしたら、もっといいレンズになっていただろうに。その分かなり高くなっただろうけど。
 それにしても広角64mm換算というのは、デジでは撮るものが限られてくる。風景写真には向かない。ポートレートとしてはいいのだろうか。猫用レンズとしてはそれなりに使えるかもしれない。

牧野ヶ池緑地-4

 一番期待していた簡易マクロ機能は、こんな感じ。ピントが少し合ってないような、手ぶれもあるようなんだけど、ややシャープさが足りない。最短37センチの倍率1:4というのも、あと一歩寄り切れずにもどかしい。TAMRON 90mmみたいなのを要求するのはもちろん間違っているのだけど、たとえばTakumar 50mm f1.4のマクロ的な使い方と比べても、使い勝手はあまりよくない。背景ボケはまずまずきれいだけど。
 一段か二段絞って、ちゃんと三脚で撮ればまた印象も違ってくるだろうか。ただ、私の使い方としてはラフな手持ちで開放が多いから、あえてこのレンズを使う必然性は弱い。標準レンズ的に使いつつ、とっさにマクロ撮影もできるという便利さはあるにしても。

牧野ヶ池緑地-5

 ハナミズキに群がる小さい虫とクモ。花びらに見せかけた白い飾りで虫たちを呼び寄せ、中心にある小さな花へと誘い込む。派手な宣伝を打って売り込む商売に似ている。
 これを見ても、やっぱりピントが合ってると思われる部分の解像感が鈍い感じがする。シャッタースピードはそこそこ出てるからひどい手ぶれではないはずだ。かといってソフトレンズのようなふわっとした絵になるわけでもない。
 結論的に言って、マクロレンズとしてメインで使うには力不足と見た。ただし、今回使ったのはカビ、曇りありのジャンクレンズなので、きれいな状態のレンズではもっと鮮明になるはずだ。状態のいいものも試したくなってきた。あと一歩惜しい感じだから、そのちょっとした残念感がなくなればお気に入りとなる可能性はある。鈍いというのも単焦点と比べてで、最近のズームレンズよりは自己主張のある写真になるから、そういう部分での面白さはある。

牧野ヶ池緑地-6

 太陽が森の向こうに隠れて、空はオレンジからピンクに変わる。水面もまたピンク紫に染まった。
 何気なく撮ったこの一枚がけっこう気に入った。このレンズはこういうぼんやりした被写体と淡い色合いを切り取るのに向いているのかもしれない。シャープさを求めてもこたえてはくれないから、雰囲気重視でいくべきだろう。同じシーンをデジタル用の標準ズームで撮っても、こういう写真にはならない。

 短時間の少しの撮影だけでこのレンズの実力を分かったとは思えないけど、一応の傾向は見えた。使えないレンズではない。使うシーンさえ見つけられれば普通とはちょっと違った写真が撮れる。いかにも写真を撮ってるというマニュアル感も味わえる。
 ただ、一本で全部をまかなうのは苦しいから、他のレンズとの組み合わせになるだろう。たとえば18mmか20mmくらの広角単焦点レンズと、135mmくらいの中望遠と、200mmか300mmの望遠レンズという4本体勢の標準レンズとしては使えそうだ。って、全然街のスナップ向きじゃない。観光地へ行くにしても邪魔くさいラインナップだ。
 このレンズでなければ撮れないシーンや場所というのはちょっと思いつかない。明るいといってもF2.8だし、マクロになるとF4だから室内では使いづらい。動物園にも水族館にも中途半端だ。一本勝負ができるところといえば植物園くらいだろうか。
 結局のところ、今後は気まぐれに登場する程度になりそうだ。荷物が少ないときにとりあえず持っていって、思い出したら使おう。人がたくさんいるところで、これ見よがしにグリグリしたい場合は最適なレンズだ。キャンペーンガールの撮影会とかにはいいかもしれない。キャンギャルが、あの人やけにグリグリしてるけどどんなカメラを使ってるんだろうと私に興味を持ってくれるかもしれないからだ。コンパニオンガールの視線を独り占め。
 というわけで、このレンズを付けて行くのに最適な場所はモーターショーと決まった。逆に一番向かないのは電車だ。列車が来てからあちこちグリグリしてたんじゃ電車はあっという間に通り過ぎて間に合わない。鉄ちゃんへの道のりは、ギャル攻略よりも遠く険しいのだ。

東山植物園で感じて思った、巡る季節と花と地球と人の話

施設/公園(Park)
東山植物園2-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3,1/16s(絞り優先)



 去年の秋、紅葉のトンネルをゆく老夫婦を見ていいなと思った。春の花道は若いカップルがよく似合う。どちらにもそれぞれの味があり、よさがあって、象徴的な光景だった。
 私たちは皆、物心ついてから少年、少女時代を過ごし、思春期をくぐり抜けて大人になった。そこには直接的、間接的に、いつでも花があったんじゃないだろうか。自分では特別意識しなかったとしても、思い出のシーンのどこかに引っかかりのある花があったはずだ。小学校のとき、遠くにいる好きな子を見ていた校庭には花壇があっただろうし、入学式の桜や、初めて渡したりもらったりした花束を覚えているだろう。家族旅行で行った旅先にあった花や、初恋の人が何気なく口にした好きな花の名前を覚えている人もいるかもしれない。
 もし、この地球に花がなかったら、私たちは今とは違う性格の人類になっていたに違いない。心ももっと殺伐としていたかもしれない。歌の歌詞の中にも花が登場しなかったら、なんて味気ないことだろう。花にまつわるいくつかの名曲を私たちは聴くことがなかった。
 人は花と共にあるのだということに、写真を撮るようになって初めて気づいた。花の種類の多さに驚き、季節の細やかな移り変わりを花に教えられた。決して季節を間違えない花の偉大さも知った。
 地球のすべて必然だとは思わない。もし何もかもかっちり決まり切っていたら、生きるのが息苦しくて仕方ない。この世界が素敵なのは、遊びの部分があるからだ。趣味的なところと言ってもいい。花や動物などはその代表的なものだ。こんなに種類はいらない。でも、こんなにあって嬉しいとも思う。多様さが面白くて楽しい。偶然で片づけるには多彩すぎる。きっと、天に花や鳥や動物や魚や、それぞれの担当者がいるのだろう。その仕事ぶりはとても素晴らしい。これだけ楽しませてもらっているのだから、感謝しなくてはいけない。どうもありがとう。

東山植物園2-2

 動物園や植物園は割と変わった人がいる。私だってひとりで来て嬉しそうに写真を撮ってる変わった男の一人だから人のことは言えないのだけど、動植物園というのは不思議ちゃんのような人も温かく迎え入れてくれる包容力がある。この前は、オオフラミンゴの前でいつまでも動かない女の人を見た。ひとりで動物園を訪れて、オオフラミンゴの前で立ち尽くす人生というものがどういうものなのか、私にはちょっと想像がつかなかった。今回は、植物園で至近距離から植物を観察する女の子を見かけた。近い、近い、とツッコミを入れたくなるほどの距離感で、彼女は一体何を観察していたのだろう。花ではなく木だったのが不思議だった。植物の葉っぱや枝に何か特別な思い入れがあるのだろうか。
 動植物園にいるのは動物や花だけでない、ホモサピエンスもたくさんいる。それを含めての動物園だ。ときにはそちらの方が興味深かったりもする。だから私は動物園が好きだ。

東山植物園2-3

 植物園の奥から、高台にある花畑へと続く坂道。このあたりは中国の植物が集められていたり、竹林があったりして、他とは少し趣が異なっている。
 坂道はだらだらと長く続き、年輩の人はちょっと苦しそうに登っている。ベビーカーを押しながら歩く若いお母さんは大変だ。でも母は強し。デートではちっとも歩かなかった名古屋嬢も、お母さんになればぐんぐん歩く。カバンさえ男に持たせていたのに、スーパーの重い荷物も両手で持ったりする。歳月は人を変える。
 竹林にはだいぶ伸びたタケノコがニョキニョキたくさん顔を出していた。地面から出てしまってはもう食べられない。ここの竹林は手入れが行き届いていてきれいだ。京都の嵯峨野を思い出す。静かな嵯峨野をまた歩きたい。
 それにしても、気づかないうちに新緑がすっかり濃くなっていた。少し前まで枯れ木も目についたのに、今はもう、ほぼ完全に緑におおわれている。春は花の咲かない木にも平等に訪れる。近くでウグイスが鳴いた。ホーホーホー、ケッキョ。でも、深い緑に視界をさえぎられて姿は見えない。そろそろもう、夏鳥の季節だ。

東山植物園2-4

 レプリカ縄文杉の間から地上を照らす太陽の光。この日は曇ったり日差しが戻ったりで、はっきりしない天気だった。それでも太陽の光は春と比べて明らかに強さを増していた。冬の間はあんなにも力を失っていた太陽の力が、今また戻って来つつある。今年の夏も容赦してはくれないだろう。
 どうして夏は暑くて冬は寒いの? ねえ、どちて、どちて。そう、どちて坊やにしつこく訊かれたとき、あなたは簡単に分かりやすく説明できるだろうか。こういうことって、意外と学校で習わない。いや、習ったのかもしれないけど、大人になってもはっきりとした理屈を認識してないということは、教え方がまずいのだ。案外、太陽と地球の距離の違いによるものと勘違いしてる人が多いんじゃないだろうか。
 ごく簡単に言うと、太陽に対して楕円軌道を取っている地球の傾きによって夏と冬は起こる。もし、太陽と地球の距離によるものなら、北半球も南半球も季節は同じになる。でも、北半球が夏のときは南半球は冬だ。文章だけで説明するのは難しいのだけど、地球から見て太陽が高い位置にあって垂直に近いときほど光がたくさん地面に当たって暑くなるというのがまずある。これは朝と夕方よりも昼間の太陽が上にあるときの方が気温が上がるのと同じ理屈だ。冬は太陽が斜めの位置にあって光がロスして気温が上がらず、夏は高くなるから暑くなる。ライトの光を真正面から見ると眩しくて、斜めから見るそれほどではないというのに近い。
 ところでこの前、驚きのニュースがあった。あろうことか、ロシア人の3人に1人は地球の周りを太陽が回っている天動説を信じているというのだ。ガリレオは17世紀初頭の人だ。21世紀のロシアはそれ以前のレベルということか。にわかには信じがたいけど、さすがにこの事態にロシアも焦ったようだ。何らかの対策は考えているだろう。地球が太陽の周りを回っていることを知らないということは、宇宙に関してまったく知識も興味もないということだ。それはいくらなんでもまずすぎる。
 日本でも最近は受験勉強のような実際的なものばかりを優先して、無駄ではない遊びの知識を教えなくなっている。だから、もしかしたらこれに近い現状があるのかもしれない。科学はともかく、天文学の授業なんて今あるんだろうか。大人にとっての常識も、子供には教えないと子供は知らないままだ。自分で興味を持って天文学の本を読む子供なんてのはごくわずかだろう。美しい国作りよりも常識的な人間を育てることの方が先だ。教育にゆとりなんか持たせていたんでは、短い一生で勉強は間に合わない。学ぶべきことはいくらでもあるのに。

東山植物園2-5

 春がまだ粘って少し居座っていた。最初の花と最後の花はありがたがられて大事にされる。長男と末っ子のように。真ん中はけっこう扱いが雑になりがちだ。平均的な子供はその他大勢にまとめられてしまうように。
 しかし、桜も季節はずれになると、なんとなく白々しいような、違和感のようなものがある。夏に冬ソナを観るように。それは人間の勝手な気分の問題で、遅咲きのサトザクラにしたら今の時期こそが自分たちが咲くときだ。ソメイヨシノのことなんて知ったこっちゃない。花は人間の都合に合わせて咲いているわけじゃない。
 この地方の人間にとっては桜もすっかり遠い過去の出来事になったけど、ソメイヨシノの桜前線は今どのあたりまで行っているのだろう。東北から津軽海峡を越えて北海道に上陸しただろうか。桜前線の尾っぽは、福島あたりか。今年のゴールデンウィークも、弘前城の桜は見事なんだろうな。もし、裕福なじじいになって、やることがなくなったら、沖縄から北海道まで、桜前線に合わせて日本縦断の旅に出るというのも悪くない。たとえ、震える手でカメラの手ぶれ補正機能が役に立たずに全部手ぶれ写真になったとしても、桜の撮影旅行は魅力的だ。日本人としての最高に贅沢な国内旅行かもしれない。

東山植物園2-6

 バラ園にまったく花はなし。今年はいろんな花がいつもよりも一週間くらい早く咲いてるから、バラも気の早いやつが先走って咲いてるんじゃないかと思ったけど、それはなかった。バラは例年通りになるのだろうか。だとしたら、咲き揃ってくるのは早くても5月の半ばくらいからだ。3週間早かった。早まりすぎだって。
 バラもスタイリッシュに撮るのが難しい花だ。アップにすると誰が撮っても同じになってしまうし、離れるととりとめがなくなる。背景と余白で工夫するしかない。バラも今年で3シーズン目だ。去年よりはもう少し上手に撮りたい。この上手に撮りたいという気持ちが大切で、野球のイチローとサッカーの中村俊輔と、二人の天才が同じように「もっと上手くなりたいから練習してるんです」とインタビューで答えていた。上手になるために写真を撮ってるわけじゃないというのは言い訳にならない言い訳だ。写真に限らず自分の好きなことをやるときは、もっと上手になりたいと思って続けることが大事なんだと思う。

東山植物園2-7

 春の面影が薄くなり、夏の気配を予感させる初夏、その影では早くも秋が準備を始めている。カエデも美しく染まるために今は青々とした葉を育てている。桜も紅葉も、一気に来て、あっという間に去っていくけど、そこに至るまでは長い準備をしている。人も発表会のときだけちょちょいのちょいでやって上手くいくものではない。本番は一瞬でも、積み重ねた練習と努力があってこそだ。
 日本には四季がある。それは、一年に4つの顔があるのではなくて、4つの独立した季節があって、それぞれが一年を陰になり日向になって進んでいると言った方がいい。たとえばそれは渡り鳥のように、あるいは植物が種から根を出し芽を出し花を咲かせて実を付けまた種に戻っていくように。それぞれの季節がそれぞれの一年サイクルを持っている。今見えていない冬も、見えないところで次の支度を調えている。
 たかが季節、たかが花、そんなものに何の価値があるのかと若い頃の私は思っていた。今さら若い自分を責めても仕方がない。若いというのは愚かなことだから。あのときはまだ気づかなかっただけで、気づけるようになった今を喜びたい。
 私たちは地球の一部として、今この場所、この時間に存在している。道ばたに咲く野草と同じほどの価値しかなくても、誰かの役に立っている。自分を見つけてくれる人がいる。それは慰めではなく、責任だ。咲かなくていい花はない。太陽に向かって精一杯の花を咲かせるのだ。自分のことを知ってくれている人のために。それが私たちの生きる道。単純だけど、難しい。難しいから頑張る意味がある。

春から初夏へと急ぐ東山植物園の花たちを追いかけて開放

花/植物(Flower/plant)
東山植物園花-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/800s(絞り優先)



 閉園間際の東山植物園に駆け込んで、1時間半で走り撮りした花たちを。
 今日のテーマは、解放。じゃなく、開放。植物園で自らを解き放って、暴れたり裸になったり窓ガラス壊して回ってる場合じゃない。明るいレンズを一番開いて、ぼんやりほわっと柔らかく撮るのが開放だ。マクロレンズじゃない標準レンズでもこれくらいはボケる。ばあさん、夕ご飯は食べたんだったかいのぉ。

 目につく花を手当たり次第に撮っていった中の一枚で、プレートが見つからなくて名前は分からない。女と見れば手当たり次第にという言い回しがあるけど、私の場合は対象が花なので人畜無害だ。しかし、振り回した手が当たった女性全部に挑んでいくチャレンジャー人生というのはある意味憧れる。初代総理大臣の伊藤博文がそうだった。薬師寺保栄のばあちゃんの名言を思い出す。
「あの男は動いてる女ならなんでもいい」
 話がすごく脱線してしまったけど、私は最近、黄色い花が好きらしいということに気がついた。前はそうでもなかったのに、黄色を見ると心惹かれる自分がいる。精神状態と好ましいと思う色は密接な関係があるはずだから、今の私は黄色い気分らしい。自殺前のゴッホみたいな感じだろうか。ドクターコパ的には黄色は金運を呼ぶ色だから金に飢えているのか。心理学的にいうと、黄色はコミュニケーションカラーで、他人に対して心が開いている状態なんだとか。でも実際は全部当たってなくて、割と普通な感じ。ハイテンションでもローテンションでもなく、ほどほどに元気だ。
 それはともかくとして、これは面白い姿をした花だった。人によっていろいろなものを連想しそうだ。私は何故か、宇宙的だなと瞬間的に思った。何がどう宇宙なのかは自分でも分からないのだけど、そう感じのだった。星なのか、宇宙船なのか、宇宙の生命体なのか。
 そのうち名前も調べておこう(親切な人が教えてくれるのを待ちながら)。

東山植物園花-2

 子供がこの花の絵を描いたら、大人はどう言うだろう。大部分の親や教師は、そんな花はありませんと言うんじゃないだろうか。私も初めて見た。こんな格好をした花もあるんだ。
 自然の造形というのは面白いもので、人の想像が及ばないような姿をしたものがたくさんある。海の生き物だったり、花もそうだ。奇抜なアイディアはすでに全部自然の中にあるのかもしれない。人はそれを模倣してるだけで。
 逆に言えば、自然は人を真似しない。真似する必要がないからだ。そう思うと、人間が本当の意味で作り出したものは何もないとさえ言える。人は自然にあるものを模倣したり加工したり組み立てたりするだけだ。
 この花は花火に見える。そういえば、花火の文字は花に火だ。やっぱり昔の人も花を見てそれをヒントに花火を作ったのだろう。

<追記>
 セントウレアと判明。矢車菊(ヤグルマギク)とも近いけど、たぶんセントウレア。

東山植物園花-3

 花びらが散って、顎筒(ガクトウ)というのかそれも落ちて、クモの巣に引っかかって、川面にきらめく初夏近し。冬来たりなば春遠からじというならば、春来たりなば夏遠からじとも言えるわけで、出会いは別れの始まりで、夏はもうすぐそこに迫ってきていた。春のたけなわ。
 いつだって季節は全力疾走で休むことを知らない。今ここにいない季節も地球の反対側を駆け抜けている。私たちはのろい足取りで季節の背中を追いかけて、あとかからあとから季節が私たちを追い越していく。今年の春は去年の春とは違う春で、生きた年数と同じ数の季節が私たちの上を通り過ぎていった。かすかに頬に風を感じただけで、決して捕まえることはできない。追いつけないのなら、せめて全力で感じよう。それしかできないけど、それだけはできるから。

東山植物園花-4

 これも見たこともないような不思議な木の花だった。花がピンクで葉っぱが赤い。ハッと目を引くきれいさだった。お正月に咲いたら、さぞやめでたい花として大切にされただろう。桃の節句のときでもよかった。名前が分からなかったから、林家ぺーパー夫妻木と名づけよう。
 ピンク色も最近けっこう好きだ。ときどきそういう時期があるのか、中学の一時期、ピンク色のシャツを好んできていた時期があった。今思うと変なんだけど、ときどき私は何かにとりつかれているのかもしれない。
 いや、ピンク色というからいけないんだ。桃色といえば、それはおかしな色じゃない。桃色がシュキでーす、とチャン・ドンゴン風に言えばけっこうカッコいい気もする。そういえば最近、ピンク映画って言葉を聞かなくなったな。

東山植物園花-5

 青い花はハーブだろうか。これも名前は判明せず。飛んでるハチはセイヨウミツバチかニホンミツバチか。色が黒いのがニホンミツバチで、黄色が濃いのがセイヨウミツバチなんだけど、単独で見分けるのはちょっと難しい。この写真だけは判断がつかない。最近、名古屋ではニホンミツバチも増えているそうだ。はっきり区別するためには、後翅の支脈がくっついてるか離れてるかで分かるというのだけど、そんな至近距離に近づいてまでミツバチを見分けたくない。私はこれまで二度ミツバチに刺されてるから、もうこれ以上刺されたくないのだ。
 働き者の代名詞といえばアリだけど、ミツバチも相当なもんだ。アリにも負けてないくらい、一心不乱に働いている。カメラで狙う私を警戒しつつも、何しろ蜜を集めないと女王様に叱れるとばかりに必死だ。それでも働き蜂が一生をかけて集める蜜はティースプーン2杯分と言われている。ミツバチの一生は人がなめるハチミツ1口分でしかないかと思うと、ちょっと悲しいような気持ちになる。と言いつつ、ハチミツを常飲している私。やっぱりミツバチに刺されるわけだ。

東山植物園花-6

 最後は桜で締めくくり。足早に去ろうとする季節の肩に手をかけて、もうちょっとゆっくりしていきなよと引き留めたい。まだ4月も終わってないんだし、あとちょっとだけ。
 遅咲きの桜が最後の花を咲かせながら、そのそばからハラハラと散ってゆく。帰り支度を始めた旅人の心はもうここにあらずか。人の心も桜から離れて日常へと戻っていってしまった。
 季節は晩春から初夏へ。新緑と風薫る5月。目を閉じて耳をすませば、生ぬるい風がゆるく吹き抜け、鳥たちのざわめきが聞こえる。目を開ければ鮮やかな新緑と、今を盛りに咲くいろとりどりの花たち。林道を歩けば顔にクモの巣がかかり、夏の匂いの予感がする。
 どの季節にもいいところがあり、悪いところがある。でもその中で、5月ほど嫌いになる要素が少ない月はない。4月もよかったけど、5月はもっといい。カメラを持って外を歩けば撮りたいものがたくさんあって、見上げる空は青い。この世界には何も問題がないと一瞬でも思えるのが5月という月かもしれない。

名古屋人の青春の味はスガキヤのラーメンだった

食べ物(Food)
スガキヤ-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5,1/100s(絞り優先)



 15年ぶりに食べたスガキヤのラーメンは青春の味がした。
 ひとくちスープをすすって大学時代に戻り、麺で高校時代に帰り、チョコレートクリームで中学までタイムトリップをした。圭一と食べた清水屋は今どうなっているだろう。マッチャとランチした大学近くの店はあのときのままなんだろうか。みんなも、もう、スガキヤは行ってないだろうな。

 名古屋人の心の故郷の食べ物は、味噌カツでも、味噌煮込みでも、きしめんでも、ひつまぶしでもなく、スガキヤのラーメンかもしれない。東海地方の中高生たちはみんな、学校帰りにスガキヤのラーメンとソフトを食べて育った。不良もマジメっ子も、男子も女子も。それは美味しかったからというよりも安かったからに他ならない。ラーメン一杯が200円そこそこで、ソフトクリームを食べても300円かそこらで済んだのは、お小遣いの少ない学生にはとてもありがたい存在だった。
 やがてみんな学校を卒業して、大人になると、スガキヤから離れていった。会社の昼休みに食べるようなものではないし、休日にひとりで訪れるにはなんとなくわびしさが伴う。戻っていったのは、主婦の人たちくらいだろう。小さな子供を連れて行くにはスガキヤはまた良いところだから。
 スガキヤのラーメンは美味しいか美味しくないかといえば、名古屋人の多くは美味しいと答えるだろう。じゃあ、他県の人にも自信を持って紹介できるかといえば、それはできない。これはそういうたぐいのものではないから。スガキヤのラーメンに自信と誇りを持っているとかそういうことではない。たとえるならそれは、舌を慣らされたお袋の料理に近いかもしれない。あれだけ食べれば好きも嫌いもなくて、よそ様に自慢できるようなものではないというのに似ている。だから、観光客向けのガイドブックには、スガキヤが大きく取り上げられることはない。名古屋人の心にこれほど深く染み込んでいるにもかかわらず。それでも、名古屋の人間は美味しいと思って食べているのだから、名古屋人の精神はどこか屈折している。
 部活の帰りにおなかを空かして食べたスガキヤは旨かった。みんな必ずラーメンのあとにソフトを食べた。よくおなかを壊さなかったものだ。でも、スガキヤは何故かラーメンとソフトの両方でワンセットのような思い込みがあって、それを何の不思議とも思っていなかった。岐阜出身のマラソンの高橋尚子もスガキヤが大好きだった。スガキヤを忘れた大人の名古屋人たちよ、今こそスガキヤに帰ろうではないか。ひとくち食べればたちまち心は19のままさ。今もあの娘長い髪のままかな。僕はほらネクタイしめて僕が僕じゃないみたい。それは、スガキヤを忘れたからだ。

スガキヤ-2

 15年ぶりということで、おっかなびっくり店の入り口に近づく。もしかして激変していたらどうしようという不安が心をよぎる。前注文システムはあの頃のままだろうか。それとも今は注文方式が変わってしまったのだろうか。食券を自販機で買ったりするのか。などなど、あれこれ考えつつ、店先のメニューを見てみると、うほー、ラーメンがいまだに280円じゃん。安っ! 15年前、20年前でも200円だったか180円だったかで安かったけど、21世紀の280円はいかにも安い。ソフトクリームもまだ140円だ。
 けど、なにやら見慣れない小洒落たものが載っている。温野菜ラーメン(390円)やタンタンメン(390円)だって!? 和風つけ麺なんて、そんなハイカラなものがスガキヤに登場していたのか。豚塩カルビ丼(290円)なんてものまである。ラーメンじゃないじゃないし。サラダセット、デザートセット、お子様セットなんてのはいつからあるんだろう。このあたりではさすがに時代の流れを感じずにはいられなかった。私が訪れなかった15年という月日は、やはり短くなかったようだ。歳月人を待たず。
 もしかしたら味も変わってしまっているかもしれない。それに、自分は果たしてスガキヤの味をしっかり覚えているだろうかという心配もあった。ただ、システムに関しては、店先で店員に口頭で注文をして、代金先払いで番号札を渡されるという昔ながらの古典的なシステムでちょっとホッとした。スガキヤはやっぱりこうでなくちゃと思う。
 私は肉入りラーメン(350円)と、チョコクリーム(190円)を、ツレは温野菜ラーメン(390円)を注文した。ちょっと待て、それは昔ながらのメニューじゃないから邪道だぞ、なんてことは言わない。ツレは名古屋人じゃないから、何を注文してもいいのだ。

スガキヤ-3

 厨房の中は昔に比べたら多少きれいになったかなという印象はあった。もともと清潔さに定評のあるところではなく、若い私たちもそんなものを気にするような上品な学生ではなかった。安くてそれなりに美味しければ文句は言いっこなしというような暗黙の了解みたいなものがあった。たとえ、ラーメンの器を持つおばちゃんの指がスープに入っていたとしても、おばちゃん、指入ってる! と怒ると、おばちゃんのダシ入りだがねなんて返しがあって、それで終わりだった。昔はよかったなと思うこともある。
 このときは奥でラーメンを作る係のおばちゃんと、注文取り兼ソフト係の男子学生の二人体勢だった。日曜の夜ということで客の入りはまずまずで、割と待たされた。昔はほとんど待ち時間はなかった気がしたけど、こればっかりはパートのおばちゃんの技量次第なので、一概には言えない。ここでのおばちゃんはあくまでもマイペースの人のようで、たくさん注文が入っていたにもかかわらず、あまり慌てた様子もなく、何度も伝票を確認しにカウンターへやって来ては、また奥にすっこんでいくというのを繰り返していた。それを見かねた学生がヘルプにいっていて、カウンターはがら空き状態。レジも無防備に晒されているけど、そんなことは全然平気なのだ。スガキヤ好きに悪い人はいない。スガキヤ性善説。

 ラーメンを待つ間、スガキヤについてちょっと勉強しておこう。
 2006年の去年、スガキヤは60周年記念ということで半額セールをやっていたらしい。もちろん、私は全然知らなかった。60周年ということだから、1946年、戦後まもなくスガキヤは創業したことになる。
 名古屋の栄に甘味処とラーメンの「寿がきや」をオープンしたのが始まりだった。当時はラーメンが40円だったそうだ。
 スガキヤの名前は、創業者の名前が菅木周一(すがきしゅういち)だったからだ。知ってしまえば、なーんだ、となる。
 1963年(昭和36年)に、日本で初めて粉末の即席ラーメンを作ったのもスガキヤだった。その際に、寿がきや食品株式会社を設立している。
 現在もカップ麺やインスタント麺の「寿がきや」があって、やや混乱するのだけど、インスタント麺関係は一応別会社になっているようだ。とはいえ、元は同じなので、カップ麺のスガキヤ再現度はかなり高い。
 本格的に店舗数を増やしていったのは、昭和40年代半ばから50年代にかけてだった。郊外の大型スーパーなどのテナントとして入ってることが多いスガキヤのスタイルはこのとき確立されていった。地方では百貨店の中によく入っている。独立した店舗のところは少ない。昭和50年代というと、ちょうど私たちの少年時代と重なる。
 昭和60年代からは行き詰まりを感じたのか、新たな可能性に挑戦したかったのか、思い切った全国展開へと打って出る。大阪を中心とした関西で一応の成功をおさめ、満を持して出て行った東京で完敗を喫す。夢破れて名古屋あり。おい、水島、一緒に名古屋へ帰ろう。打ちのめされたスガキヤは静岡までいったん前線を引いて、時を待つことになった。
 時は流れて2005年。もう一度だけ東京で挑戦させてくれと父親を説得して、新宿高田馬場店を開いた。今度こそ勝ってみせる、これがラストチャンス、そんな熱い思いがあったに違いない。しかし、東京人のスガキヤに対する仕打ちは冷たかった。学生の多い好立地条件も活かせず、2006年、スガキヤは東京から勇気ある撤退となった。何かが違う、何かが……。そんなつぶやきが聞こえてきそうだ。おそらく、スガキヤからアイ・シャル・リターンの言葉は聞かれることはなかっただろう。
 現在は東海地方を中心に300店舗ほどに落ち着いている。

 スガキヤといえば、大昔からヘビからダシを取っているという噂が絶えなかった。しかし、どう考えてもヘビの方が高くつく。大量のヘビを養殖までしてスープを作るメリットはどこにもない。マクドナルドのミミズ疑惑と同じような都市伝説だ。しかし、この話、初代の社長が話題作りのために流したという噂もある。本当だろうか。
 白湯のスープは一見トンコツに見えるけど、普通のトンコツとはまったく違った独特のものだ。トンコツをベースにした、昆布や鰹などの魚系の和風トンコツと言えばいいだろうか。見た目よりもあっさりしている。基本的にスガキヤのラーメンはこのスープ一本勝負だ。これが苦手だと、他に食べるものがない。
 スープも麺も具材も、すべて工場で作って配送しているので、店舗によるバラツキはないとのことだ。確かに、どこの店で食べても味は変わらなかった。
「7番の方~。お待たせしました~。」
 おっ、呼んでるぞ。どうやらできたようだ。取りに行かなくちゃ。水ももちろんセルフで、ラーメンはお盆に載っている。コショウもその場でかける。ラーメンフォークで食べない人は、割り箸もカウンターに置いてあるものを取ってくる。このあたりも昔と全然変わらない。食べ終わったらお盆は返却用のカウンターに返しに行く。

スガキヤ-4

 ラーメンの器は変わった。前は赤色を基調にしたものだったと思う。でも、ラーメン自体の見た目は当時のままだ。変わってない。
 チョコレートクリームも一緒に来てしまうのがつらいところ。後からなんて気の利いたことはしてくれない。ラーメン後にソフトを食べたければ、食べてから食券を買いに行く必要がある。もしくは、素早くラーメンを食べきって、溶ける前にソフトにかかれ。
 スープを飲んで、麺を食べる。ああ、そうだ、これだ。一瞬にして味の記憶が甦った。変わってない。あの頃のままだ。でも、これはいくらなんでも変わってなさすぎるんじゃないか。15年、20年も経っているのに、まったく一緒ってどういうことだ。すごいといえばすごいけど、ここまで味が停滞してるのは笑えた。それとも、私が気づかないだけで、微妙なマイナーチェンジはほどこされているのだろうか。いやぁ、でも、やっぱり同じだ。食べれば食べるほどに昔の感覚が甦る。味の記憶って消えないものなんだ。それだけ、昔たくさん食べたってことか。
 初めて食べたツレは、意外と美味しいと喜んでいた。B級ラーメンとしては上出来だと。ラーメン通からすれば、これは許されるようなシロモノではないのかもしれないけど、名古屋人の心のラーメンとしては、これはこれでいいのだ。たとえ麺の水切りがなってなくても、麺は伸び気味で腰が存在しなくても、焼き豚が薄くても、福岡の屋台では通用しない味でも、名古屋人はスガキヤが好きという現実だけで、スガキヤのラーメンには存在価値がある。

 気持ちが学生時代に戻ってしまったのか、大急ぎで食べ終わってしまった。食べるのが遅い私らしくもなく。いや、満足した。ごちそうさまでした。あの頃は何も考えずにかき込んでいたけど、久しぶりのスガキヤは感慨深いものがあった。昔の自分の感覚も一時的に戻ったのも嬉しいことだった。
 チョコレートクリームもあの頃のままだ。これも安くて美味しい。スガキヤのラーメンとの相性も抜群だ。今でもこれだけ美味しいと思えるなら、これからもちょくちょくスガキヤで食べようかと一瞬思ってやめた。やっぱりスガキヤは青春の味のまま記憶をとどめておいた方がいい。次はまた10年後でいい。きっとその頃も味は変わってないのだろう。
 それぞれの土地に、それぞれの故郷の味や思い出の食べ物があるのだと思う。時間が経ってそれを食べたらたちまち時が戻るようなものが。名古屋にはスガキヤがある。そのことを幸せに思いながら、ありがとうスガキヤ、また会う日までしばしの別れだ。10年したらまた食べに行くから、そのときまで変わらないでいてな。

フクロウとコンドルが出会った動物園で彼らは何を語りどんな夢を見るのか

動物(Animal)
メンフクロウ-1

Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 お面をかぶった銀行強盗みたいな顔をしたフクロウさんの名は、メンフクロウ。見た目そのままだった。もちろん、マスクで変装してるわけではなく、これが元々の顔だ。じっと見てると笑えてくる。線を省略したアニメチックな顔だからだろうか。
 世界中に生息するフクロウで、決して珍しい種類ではない。北の寒いところをのぞくヨーロッパ全域から東南アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアまでと生息域も広い。これだけ世界各地にいるのに日本にいないのが不思議なくらいだ。
 散らばっているとやはり多少の差が出てくるようで、約30種の亜種に分けられている。それぞれの国によって顔つきも微妙に違ったりするのだろう。
 日本では物珍しさから顔の特徴でメンフクロウと名づけられたけど、外国では見慣れた顔ということからか、納屋(Barn)によくいるという生態の特徴からBarn owlという名がつけられた。フクロウといえばこんな顔と思ってるのだろうか。
 住んでいる地域だけでなく生活圏も広く、民家に近いところから森林、サバンナ、沼地などで暮らしている。暑さ、寒さにもけっこう強いようだ。
 生態としては、ほぼ完全な夜行性で、主に夜、ネズミやウサギなどの小型ほ乳類、鳥、は虫類、昆虫などを捕って食べる。夜目が利くので暗いところでもバッチリ見える。聴覚もとても発達していて、遠くの小さな物音も聞き逃さない。獲物を捕るときは目よりも耳で判断しているのではないかとも言われている。
 そんな夜型で目も耳もいいのであれば、動物園暮らしは相当ストレスが溜まってるんじゃないだろうか。横並びの鳥舎で他の鳥はうるさいし、昼間はぞろぞろと人間が前を歩いていくからおちおち寝てもいられない。少し離れたところにいるワライカワセミの声なんかにいつもイラっときてるだろう。ケケケケケケケケっとけたたましく鳴いている。
 そんな神経過敏なところがあるせいか、多くのメンフクロウは2年ほどしか生きないという。人間も鳥も、大らかで少し脳天気なくらいの方が長生きするようだ。

メンフクロウ-2

 フクロウ目は、メンフクロウ科とフクロウ科の2科に分かれていて、全体では世界で140種類ほどが見つかっている。日本ではめったに目にすることはないものの、それでも10種類ほどいるとされている。地球でフクロウがすんでいないのは南極だけだそうだ。
 フクロウがじっと一点を見つめているのは、哲学的なことを考えてるからでも、物思いにふけっているからでもなく、単に目玉が動かせないからにすぎない。目が泳ぐなんてこともないから、堂々としてるように見えるけど、内心はびくびくしたりすることもあるに違いない。
 目玉は顔の前についていて動かせないから、代わりに頭を動かす。ぐるりと真後ろを見ることもできるし、左右だけでなく上下にも自由に動く。人間だったらびっくり人間で白いギターがもらえるところだ。
 目の位置は上下で少しずれていて、耳も左右違う位置についている。こういう非対称の生き物は珍しい。
 視力はものすごくよくて、遠くのものまで見える。ただし、近くのものは見えないから新聞を読んだりはできない。メガネスーパーのキャラクターのフクロウは遠視用の眼鏡をかけているはずだ。夜目の利きも抜群で、感度は人間の100倍だそうだ。デジカメのISOでいうと、ISO10000とかだろうか。夜が明るい都会では暮らせない。

 フクロウのイメージは国や文化によっていろいろで、不吉なものとされたり、森の守り神とされたり、幸福を呼ぶ生き物として喜ばれたりしている。アイヌ人は守護神として崇め、アメリカ先住民のホピ族は不気味な生き物と恐れた。古代メキシコでは豊穣をもたらすものとされながら同時に死の象徴でもあったとされている。夜の闇に生きる生き物ということで、霊界とこの世を行き来しているというような思われ方をしていたのだろう。
 日本でもかつてフクロウは不吉な生き物とされて、フクロウを見ると悪いことが起きたり死んだりするとまで言われたことがあった。現在は積極的なイメージ回復作戦がとられていて、「福籠」、「不苦労」、「富来労」などという字を当てて、置物やお守りになったりしている。
 私もフクロウには一目置いている。単純に好きとかではなくて、鳥を越えたケモノの存在感を感じて、敬意を表しつつ少し距離を置きたいような気分が強い。森で出会ったら、静かに頭を下げて通り過ぎたいような。庄内緑地でフクロウの仲間のトラフズクは見てるけど、野生のフクロウはまだ見たことがない。いつか見てみたいと思っている。

コンドル

 幼稚園児のちびっこがコンドル舎の前へ走り込んできて、元気よく言いはなった。あっ、コンドルじゃん! それがまるで、昔の友達に街でばったりであったときのような口調だったのでちょっとおかしかった。あ、近藤じゃん、久しぶり、元気だった? なんていうふうに会話が続きそうだった。でも、なんでやつはひと目見てこいつをコンドルと見分けたんだろう。コンドルなんてのは街ではもちろん、テレビなんかでもあまり目にする機会はないと思うんだけど。明らかにプレートを見る前から知っていたふうだったから、動物好きの少年だったのだろうか。

 コンドルはいわゆるハゲタカと呼ばれるものの一種で、その通り頭には毛がない。顔全体がむき出しになっている。これは動物の死肉を食べる習性からそうなったとされている。死体に頭を突っ込んで肉を食べるときに、毛がふさふさだと腐った液体や血で汚れてしまって衛生的ではないからという理由なんだそうだ。服は汚れるから最初から上半身裸でいようってな感じだろう。毛がなければ汚れても乾かせばいいし、空を飛んでいるうちに紫外線で殺菌消毒になるというわけだ。
 それと、毛のない頭の部分で体温調節をしているということもある。
 最近話題のハゲタカファンドというのも、死肉を漁るコンドルが由来になっている。死に体になった日本企業の不良債権を安く買いたたいて儲ける外資系の投資会社のことだ。

コンドル-2

 コンドルは世界最大の猛禽類で、空を飛ぶ鳥としては最も大きい。体長は1メートル以上で、翼を広げると3メートルになる。体重も10キロ以上で、よくこんな大きな体で空を飛べるなと感心する。近くで見るとかなりの迫力だ。肩に乗せて電車に乗ったりはできそうにない。
 オスは翼が黒くて、頭にトサカがある。メスはつるっとした頭をしていて、目が赤い。
 メキシコやアルゼンチンの森林、アンデス山脈などに生息している。それとは別に北アメリカの西海岸に、やや小型のカリフォルニアコンドルというのもいる。なのでそれに対して普通のコンドルは南米コンドルなどと呼ばれることもある。
 コンドルは猛禽類でありながら、いわゆるタカやワシとは系統の違う鳥で、狩りも苦手というかできない。足の爪が発達してなくて、タカのように上空から急降下して爪で獲物をがっちりとらえたりできないからだ。足は意外にも歩くのに適した格好になっている。遺伝子的にはコウノトリに近いということが最近の研究で分かってきた。
 地上の姿はあまりスマートとはいえない。寂しくて小さな頭と、それに不釣り合いながっちりした体のバランスが悪いし、姿勢も前のめりでシャキッとしていない。やっぱりコンドルはアンデス山脈の上空を優雅に滑空している姿が美しい。
 コンドルの骨や翼は、バタバタと羽ばたくよりも上空高くで風に乗るのに適した構造になっている。いったん風をつかまえるとほとんど羽ばたかなくても飛んでいられるという。
 彼らこそ、もっとも動物園に似合わない生き物かもしれない。ここの空は狭すぎて、彼らが夢見るアンデスの上空はあまりにも遠い。
 それにしても彼らの寿命は長い。50年から60年生きるというから、一昔前の人間並みだ。5、6歳まで成熟せず、ペアは一生を連れ添うと言われている。
 巣作りは、高度3,000から5,000メートルの高い場所でおこない、一度に数個の卵を産む。子供は2歳くらいまで親と一緒に過ごす。
 この繁殖力の低さと、環境の悪化によって近年その数を減らしている。特にカリフォルニアコンドルは一時絶滅寸前までいって、人間の手で最近になってどうにか少し回復したところだ。このあたりもコウノトリに近いものがある。
 ボリビア、チリ、コロンビア、エクアドルの国鳥となっていて、南米人にとってはとても大切な鳥のようだ。その国がどんな鳥を国鳥に選ぶかは国の特徴を表していて面白い。アメリカがハクトウワシというのはいかにもだし、日本の雉(キジ)、インドのクジャク、パプアニューギニアの極楽鳥などもなるほどと思わせる。フランスの雄鳥(ニワトリ)も意外なようでいて戦闘的な感じは納得かもしれない。

 フクロウとコンドルと、野生で出会うことはないであろう鳥たちが一ヶ所に集められて暮らす動物園というのは、生き物の視点で見るとひどく不思議な場所だ。野生では天敵同士でも、ここではある種の運命共同体となる。日ごと夜ごとの動物園ではどんな会話が交わされているのだろう。あまりもたくさんの異種語が飛び交っていて、混線状態になっているのだろうか。動物の言葉が理解できる人間が動物園に行ったら、おかしくなってしまいそうだ。
 今でも毎日故郷の夢を見るのだろうか。それとも、夢はもう見なくなったのかな。動物園を訪れる人間に夢を与えるという役割を担いながら、彼らにどんな夢が残されているのか。せめて私たちは彼らに報いるために、彼らの存在を知ろう。この地球をよりよく知って、愛するための手掛かりとして。
 檻の内と外という違いはあるにしても、私たちはみんな地球号に乗り合わせた同じ乗客だ。共に生き延びる道を探していこう。どこにあるかも知れない終着駅に着く日まで。

平凡サンデーとケーキ作り失敗の変遷を越えて10年後の自分に期待

食べ物(Food)
平凡なサンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/40s(絞り優先)



 最近は隔週になっているサンデー料理も、けっこう回数を重ねて60回かそこらにはなっただろうか。同じものをなるべく作らないという決め事に縛られて、最近はメニューを決めるのにかなり苦心するようになっている。今日などは決まるまでに1時間以上もかかってしまった。レストランの客なら追い出されてるところだ。
 けど、考えてみると60回ということは、毎日作ってる人の2ヶ月でしかないわけで、新婚2ヶ月で夕飯作りに行き詰まった新妻のような状態に陥っているということになる。それはいくらなんでも行き詰まるのが早すぎないか、私。もう少し料理っていろいろ他にもたくさんあるだろう。
 今日は結局、最後は平凡なところに戻ってきてしまった。タケノコがあったので、マグロそぼろタケノコだけは決まったものの、その先が思いつかず、ちょっと新鮮素材のイカと、今日一番食べたかった野菜のかき揚げで落ち着くこととなった。ちょっと詰まらない。冒険心も、遊び心もない。
 これまで作ったものの応用と変化だから、味は3品とも安定していた。甘辛そぼろは肉じゃなくてマグロのくずでも充分美味しいし、かき揚げはまずいものを作る方が難しい。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ナスを細切りにして揚げただけだ。つゆは、天つゆベースに、だし汁、しょう油、みりん、酒、一味唐辛子を加えてひと煮立たせした。
 イカは、内臓を取り出したり、皮をむいたりする解体作業がやっかいなわりにはあまり報われない食材かもしれない。丸まらないように筋を入れるのも手間がかかる。わざわざ蒸し器を使って蒸したのに、やっぱり少し固い。刺身用のイカの方がよかったか。ソースは、白味噌、マヨネーズ、辛子しょう油、卵、塩コショウ、だし汁などで作った。

 今日のサンデー料理は、全般を通して乗り切れなかった。失敗ではないけど物足りない感じ。メニュー決めの段階からイメージ不足だったこともあって。腰が入ってないバッティングでセカンドフライみたいなサンデーだった。
 この現状を打破するためには早出特打ちが必要かもしれない。腰が入った料理を作るために、ヒモ付きのタイヤを腰にくくりつけて、早朝の海岸を走るところから出直せ、私。ウサギ跳びのあとは、中華鍋に砂を入れてひたすら振り続けろ。
 ひとつには、新しいレシピ本が欲しい。最近は思いつきで作ることが多くなって、イマジネーションがわいてこない。ネットのレシピ検索は案外使えないというか、漠然と何か作りたくなるようなものはないかと探し回っても、時間がかかるばかりで成果が上がらない。基本ができてない私としては、レシピ本を参考した方が作りたいものが見えてくる。
 それから、なんといっても新素材だ。3品作る中で、どうしてもパターンが決まってきて、使える食材もおのずと限られてしまう。メインは魚にするなら赤身か白身で、あとはエビとか豆腐とか野菜とかになって、広がりがない。たまにはズワイガニとか明太子とか伊勢エビとかアワビとかフカヒレとか燕の巣とか使ってみたい。白トリュフやキャビアやフォアグラだった与えてくれたら料理できるはずだ。ギブミー高級食材。
 世の中には数限りない食材と料理があるのに、その中で自分が作れるものはごく限られている。それはまるで人生の象徴のようだ。出会える人は大勢の中のわずかで、行ける場所は数えるほどだし、縁のあるものもまた多くない。みんながみんな世界一周の旅に出られるわけではないように、料理も世界一周というわけにはいかない。きっと私は、モザンビーク料理も、パラグアイ料理も、ラトビア料理も知らないまま一生を終えることになるだろう。それを悲しむべきことなのかどうか、少し迷うところだけど。

 料理は冒険であり、出会いであるとするならば、美味しさは二の次で常にチャレンジ精神を持って関わっていくべきだろう。作るのも食べるのも。美味しいものを食べるのは、たまにでいい。それよりもまだ食べたことがないものを優先的に食べていく方が、精神的な糧になる。いつも行く喫茶店で別のものを注文してみるとか、ファーストフードの新商品を試してみるとか、コンビニでまだ食べたことがないカップ麺を買うとか、チャレンジの可能性は日常の中にたくさん潜んでいる。サンデー料理もその精神を忘れないようにしたいと思う。
 以下は、私のケーキ作りチャレンジの記録と失敗の変遷だ。料理に関しては小さくまとまりつつ私も、ことケーキとなるとド素人以下の無惨なものとなる。これまで作ること約10回。いまだに一度も成功したことがない。いつも違うパターンの失敗になる。同じものを作ろうにも再現性がないので作れない。ケーキ職人のハルウララ状態。引退の日は近いか!?

抹茶ケーキ

 世の中では抹茶ブームということで(?)、抹茶ケーキに挑戦してみた。一見上手くいっているように見えるかもしれないけど、しっかり失敗している。ベーキングパウダーを入れて、まずまずふくらんだものの、レンジの中で膨らみすぎて小爆発を起こした。上部がカリカリになって、中身に火が通らずに半生状態になってしまったのだ。見た目がよかっただけに残念な失敗だ。ただ、このときまでは次にもう一度作れば今度こそ成功しそうな気はしていたのだった。

ホットケーキロール

 イメージの中では、クレープとホットケーキの中間くらいのやつに、生クリームを挟んだら美味しいんじゃないかと思って作った、名前のないケーキ。愛知県知立市に「大あん巻」という銘菓があって、それを頭に入れて臨んだものの、無惨な結果に終わった。
 一番の敗因は、焼きたてのホットケーキに生クリームを挟んで巻いたところだ。ちょっと考えれば分かることだけど、暖かいケーキに生クリームを巻いたら溶けるのは当たり前の話だ。巻いてるそばからドロドロになって、真夏のソフトクリームのようにタチの悪い食べ物になってしまったのだった。あと、ケーキを巻いて上から生クリームを入れるのが筋というものだ。ケーキにクリームを載せて、溶け始めた状態でのり巻きのように巻けると思うのが大間違いだった。
 ケーキ自体も、中途半端な厚みがある分パサついた感じで、これはまずかった。ホットケーキの素はあまり膨らまないから、こんなに厚く焼いたら固いのは当然だ。このあたりから私のケーキ作り職人としての地位は大きく失墜を始めることになる。

ホットココアケーキ

 このときは生クリームをやめて、スポンジケーキだけで勝負することにした。しかし、黒豆ココアを入れすぎたのか、他の原因があったのか、とにかく膨らまなかった。パサパサのガチガチ筋肉質のココアケーキに仕上がって、なんだこりゃと作った本人もびっくり。持久走を走り切ったランナーに差し入れしたら、こんなもの飲み込めるかと腹立ち紛れに地面にたたきつけられるに違いない。
 良く言えば中身がギュッと詰まっているケーキという言い方もできるけど、私が目指してるのはもっとふわっとした柔らかい食感のものだ。こんな筋肉ムキムキのケーキを生んだ覚えはありません、と突き放したくなる。
 とにかく失敗の原因さえも見失って、先の展望が見えなくなった。レンジの熱の問題なのか、手動のかき混ぜでは泡立てが充分ではないのか、粉の混ぜ方がよくないのか、たぶん、その全部なのだろう。ふんわりケーキが食べたい。

スポンジケーキの素ケーキ

 普通の小麦粉じゃダメなのかと、半分インチキするつもりで買ったスポンジケーキの素で作ったケーキは、今まで見たことがない失敗ケーキとなった。なんでー?
 説明書通りにやったのに、まったく膨らまない。ケーキの素が膨らまないまま型の中でがっちり焼き上がった。そして、分離した。なんなんだ、この分離は。上の方が黄色くてやや柔らかく、下半分が超絶固い。伊達巻き卵のガチガチ決定版みたいな固さを誇った。ものすごい密度だ。これぞ、スポンジケーキ。このまま食器も洗えそうだ。上半分はぐちゃっとして変に柔らかいのも気になった。
 もはやこれはスポンジケーキの域を超えた何かだった。上の黒豆ココアケーキが喫茶店で出てきたら怒っただろうけど、これが出てきたらあまりの不思議食感にしばし考え込んで、逆に納得してしまいそうだ。こういうものなのかな、と。とにかくこれは、私が今まで口にしたことがないケーキだったことは間違いない。もう一度作っても、たぶんこんなふうにはならないだろう。何がどういけなかったんだろう。

 長く生きていると、その途中で自分の思いがけない才能に気づくことがある。自分ってこんなことが得意だったんだ、知らなかったなと。逆に、思っても見なかった欠点を発見して愕然とすることもある。私の場合、それがケーキ作りだった。人類の中で私のケーキ作りの才能は明らかに下から数えた方が早い。ちょっとびっくりだ。スポーツは得意なのに、高校の修学旅行でスキーがまったく滑れるようにならなかったとき以来の衝撃かも。
 今後の私のケーキ作りはどこへ向かうのだろう。出来はケーキに聞いてくれ状態のノーコンケーキ職人でいいのだろうか。突然知り合いからケーキ屋を譲られることになったとしたら、そのケーキ店はひと月でつぶれる。今のところ光は見えない。
 それでもケーキをまだまだ作りたいと思うというのは、実は私はかなりケーキ作りが気に入っているということだろう。下手の横好きってこういうことだったのかと初めて納得した。
 このまま続けていけば、3年後くらいには小5の女の子くらいにはなれるだろうか。どれだけ作っても、ケーキ作りが趣味という主婦の人には勝てそうな気がしない。でも、人生何が起こるか分からない。大学に入るまでは文章を書く才能がカケラもなくて、読書感想文が大嫌いだった私が、今ではこうして毎日長々と文章を書いている。それも日記を10年以上毎日書き続けたおかげだ。何事も続けていさえすれば、いつかはなんとか格好がつくものだ。もしかしたら、10年後の私はケーキ屋のオヤジになってるかもしれない。
 料理もケーキも、まだこれからだ。もっと上手くなりたいという気持ちが続くうちは作り続けていこうと思っている。ケーキ安打製造機と呼ばれる日は遠くて近いか!?

オオカミ好き告白と今はなきニホンオオカミの話

動物(Animal)
シンリンオオカミ-1

Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 誰も知らないと思うけど、実は私はオオカミ好きの男である。まだ誰にも言ったことがないから、知らなくても無理はない。がっかりしたりびっくりしたりすることはない。犬に対してはさほど思い入れがない私が、何故か子供の頃からオオカミは好きだった。どれくらい好きかというと、三度の飯のうちの一食はオオカミ観察に替えてもいいくらいといえば大げさだけど、それに肉薄して10日後退したくらい好きなのは間違いない。オオカミを見ると、うぉー、オオカミだぁー、とちょっと興奮する。オオカミが来たぞーと思わず言ってしまいそうにもなる。「サーキットの狼」世代というのも少しは関係しているかもしれないけど、オオカミ少年と呼ばれたことはない。
 東山動物園のシンリンオオカミコーナーは、動物園の一番奥まった薄暗い場所にあるので、いつ行っても人がいない。オオカミの檻の前で家族連れが楽しそうに談笑してる姿も見たことがないし、白レンズの人もここにはいない。みんなオオカミがあんまり好きじゃないんだろうか。私一人が静かに興奮して写真を撮りまくりで借り切り状態。写真を撮る足場が悪いので、遠く離れた斜面から望遠で真剣に狙う様子は、何事かと人々を振り向かせるくらいのパワーがあった。そんなことかまっちゃいられねぇ、オレはオオカミを撮るんだぁー、スクープを前にした報道カメラマン並みに気合いが入る私であった。
 それにしてもここのオオカミは撮りづらい。けっこう粘ったわりにはいい写真は撮れずじまいで閉園時間になってしまった。残念すぎるぞ。オオカミの足取りは意外に素早くて追い切れなかった。次こそはもっとカッチョいいオオカミの写真を撮りたいものだ。

 オオカミというとなんとなく寒いところにいるイメージがあるかもしれないけど、実際は適応能力が高い動物で、東南アジアの熱帯雨林とヨーロッパの一部をのぞいたユーラシア大陸全域と、北アメリカ大陸に広く生息している。あるいは、していたと言った方がいい。北極圏にも、アフリカにもすんでいた。
 しかし、唯一と言っていい敵の人間によって19世紀から20世紀にかけて激減してしまった。日本のように絶滅したところも多い。アメリカも、100年前までは10万頭以上いたものが20世紀になって絶滅寸前にまでなっている。その要因となったのは、オオカミに対する間違った知識やイメージで、害もないのに多くを狩ってしまったことにある。言うまでもなく、オオカミは人を襲ったりはしないし、家畜を襲うといっても絶滅まで追い込まれるほど悪いことをしたわけではない。むしろオオカミの激減によって鹿などの草食動物が異常繁殖して、農作物を荒らしたり、森林の生態系を壊したりという弊害が出てしまっている。アメリカでは、イエローストーン国立公園に絶滅したオオカミを再び放して生態系を回復させている。日本でも同様の試みをしようという動きがあったようだけど、実現には至っていない。
 現在、世界で野生のオオカミが生息しているのは、カナダ、アラスカとヨーロッパと中国の一部だけになった。日本では、1910年(明治43年)に福井城址で捕獲されたのを最後にニホンオオカミは見つかっていない。50年間生存が確認されてない生き物は絶滅という扱いになる。北海道にいたエゾオオカミは、明治に入って入植者によって駆除されのと大雪によるエゾジカ激減が重なって、1900年頃絶滅に至った。ただ、近年になっても紀伊半島の山奥などで見たという目撃談もあることから、わずかながら生存の可能性はあるようだ。少し前も九州でそれらしい写真が撮られて話題になった。あれは結局どうだったのだろう。
 100年ほど前まではありふれた野生動物だったオオカミがまさか絶滅するとは思ってなかったようで、詳しい生態調査もされてなければ標本すらわずかにしか残っていない。1892年まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるものの、写真さえ残っていない。江戸時代にシーボルトが日本から持っていってオランダのライデン王立博物館に保存されていたはく製が、この前の愛知万博にやって来ていたそうだ。知らなかった。知っていれば見に行ったのに。
 今は普通に目にしている生き物の中のいくつかは、確実に100年後とかには絶滅している。身近な動物でも今のうちに触れ合っておいた方がよさそうだ。

シンリンオオカミ-2

 シンリンオオカミの見た目は、犬っぽいというか、そのまま犬だ。こいつに首輪をつけて河原なんかを散歩させていたら、しょぼくれた雑種と思われて素通りされるだろう。シェパードとシベリアンハスキーの血が混じった雑種なんですよ、なんて言ったらそうなんですかとみんな信じるのではないか。ただ、大きさは通常の犬より一回り大きい感じで、それなりの存在感はある。体長は1メートルから1.5メートルくらい、体重は最大80キロくらいで、タイリクオオカミの中では一番大きくて、セントバーナードくらいある。犬とは違うのだよ、犬とは。
 一般的に、オオカミも北へ行くほど大型化する傾向があって、南のアラビアオオカミになるとシンリンオオカミの半分くらいになる。ニホンオオカミはその中間くらいだ。
 毛の色は、灰色、黒、白、ベージュ、茶など個体差がかなり大きい。同じシンリンオオカミでも真っ黒と灰色では違う種類に見える。斑点や縞模様のやつもいるそうだ。
 オオカミは亜種が多くて、分類ははっきり確立されていない。現存だけでも33亜種に分かれている(絶滅を含めると39種類)。ただこれもいまだに流動的なようで、シンリンオオカミもタイリクオオカミの亜種とされたものが、最近では独立種となったとかならないとか。飼い犬の祖先はこのシンリンオオカミだと言われている。
 犬もかつてはオオカミの近似種とされていたのだけど、最近はオオカミの一亜種という考え方が主流になってきた。DNA研究が進んで、私たちの常識もいろいろなところでくつがえされてきている。
 犬とオオカミの一番の違いは、やはり鳴き方だ。犬が吠えるのに対して、オオカミはうなる。エサも肉しか食べない。

 シンリンオオカミは、カナダの森林の中で、パックとよばれる群れで生活している。そこには厳格な順位と鉄の掟があるという。
 アルファオスと呼ばれるリーダーを筆頭に、アルファメス以下、はっきりとした順位が決まっている。たいていの群れは家族が基本となり、数頭から数十頭で縄張りを持っている。
 子供はたいていの場合、アルファオスとアルファメスのみが作り、群れでそれを守る。ペアの絆は固く、死ぬまで続くそうだ。群れにはそれぞれ役割があり、オオカミは仲良しだと言われている。
 狩りも仲間で協力して行い、行動範囲は広い。1日に9時間前後移動して、しばしば50キロから100キロ以上も歩くという。群れ同士がぶつかっても追い払うだけで、無駄な争いはしない。
 狩りの成功確率は10パーセント以下と言われる。何日も食べないこともしばしばだ。能力が低いかといえばそんなことはなく、最高速度は70キロまで出るし、そのまま20分も走り続けることができるという。半分まで速度を落とせば一晩中でも走り続けるそうだ。
 どうしてこんな性格だったものから犬が生まれたのは不思議だ。飼い慣らされるって怖い。
 オオカミはとても社会性の発達した動物で、仲間内で様々な形でコミュニケーションを取っている。離れた位置にいる仲間との確認作業である遠吠えの他、近くの仲間とは短く甲高い声で鳴き交わす。それだけでなく、互いの顔つきや体でも意志を伝え合って読み取っていると言われている。匂いをかぎ合うのもコミュニケーションの一種で、このあたりは犬にも受け継がれている。
 野生では8~9年くらい、飼育では15年ほど生きるそうだ。

シンリンオオカミ-3

 おいおい、どうした、そんな困ったような顔をして。何か相談か? 悩みがあるなら聞くぞ、と言いたくなるようなオオカミだ。この顔を見る限り、オオカミが悪者だとはとても思えない。一体、いつどういう経緯でオオカミは悪の象徴のようになってしまったんだろう。赤頭巾ちゃんはあるけど、あれだけでここまでイメージダウンするとは思えない。月を見るとオオカミに変身する狼男などは、旧約聖書や古代ギリシャなどで登場しているから相当古くからのイメージだ。人がそこまで恐れなければいけないほどオオカミが悪さをしたとは思えないのだけど。
 日本では大口真神(おおぐちのまがみ)などとして一部で神聖化されていたりするものの、やはり悪のイメージが強い。男はオオカミなのよとピンクレディーも歌っていた。

 それにしても、私の中にすんでいるオオカミはこんなしょんぼりした顔をしていない。もっと凛々しい生き物だ。それは、人が美化して作ったオオカミ像なのかもしれないけど、それでもやっぱりオオカミには気品と孤高の気高さがあるように思う。人に慣れることもなく、新しい時代にも適応せずに滅んだオオカミには、ある種の武士道のようなものも感じたりする。絶滅は必然だった。
 動物園で暮らすオオカミは、私が本当に見たいオオカミの姿ではない。野生のオオカミが見たかった。外国ではなく、この日本の地で。もはやその願いが叶うことはないだろう。群れで暮らすオオカミだから、もしいたらいくら山奥といっても遠吠えが聞こえてくるはずだ。もう、日本には一頭のニホンオオカミも生きていない。私たちは最後の飢えたオオカミの最期を幻として見るだけだ。せめて、記憶にとどめて、ときどき思い出そう。月夜に響く遠吠えを。

急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社

神社仏閣(Shrines and temples)
渋川神社外観




 名古屋市の北東に隣接する尾張旭市。高校時代の友人が住んでいたのがきっかけで、今でも用事もないのによく出向いていっている。田んぼの農道に車をとめてしばらく佇んだり、城山レストランスカイワードあさひの写真を撮ったり、瀬戸電を眺めたりしてしばらく時間を過ごす。ここにはまだ、昭和の古き良き郊外の面影が残っていて、なんとなく心が落ち着くのだ。
 そんなお気に入りの尾張旭なのに、市内の神社仏閣に一度も足を踏み入れてないことにふと気づいた。尾張旭の神社というのはあまりイメージがない。数としても少ないような気がするけどどうだろう。
 地図を見て探したところ、神社だけで10個近く見つかった。普通の人ならそれはすごく多いように感じるかもしれないけど、やはり密度としては低いと思う。名古屋市内の方がもっと数はある。普段気にとめていないだけで、神社というのは街中にも驚くほどたくさんあるものなのだ。
 10くらいなら楽勝で全部回れるではないか。よし、今日からさっそく始めよう。ということで、私の尾張旭の神社全制覇の旅は前触れもなく始まった。
 制覇したとしても誰にも自慢できないし誰も誉めてくれないけど、それでもいい。私は尾張旭中の神様と仲良くなるのだ。余裕があればお寺さんも回っていこう。なんだか、早くもいいことがありそうな気がしてきた。

 尾張旭市は、名古屋の東部、愛知県では北西部に位置する名古屋のベッドタウンという性格の濃い街だ。東には瀬戸市、北には春日井市、南には長久手市がある。名古屋と瀬戸の中間でやや影が薄い。
 これといった観光資源を持たないので、よそから人がやって来ない分、住むには静かな街だ。大きな事件も少ない。一番の見どころとしては森林公園がある。これが市の面積の15パーセントを占めている。他にも城山公園小幡緑地東園などがあり、「ともにつくる元気あふれる公園都市」というのがキャッチフレーズとなっている。
 尾張旭市はお金持ちなのかどうか知らないけど、けっこう公共の施設が充実している。昔はテニスコートの1時間1面を借りるのが300円くらいだった。スカイワードあさひは夜まで開いているのに、登るのは無料だ。住民が裕福で税収が多いのだろうか。
 いざ住むとなるとどうだろう。車で名古屋駅までは1時間から1時間半近くかかるし、公共交通機関は瀬戸電が頼りなので、やや不便かもしれない。名鉄バスの路線が一本あるものの、ここはバス路線があまり発達しなかった。
 歴史的に見ると、弥生時代の住居跡が見つかってることからも、古くから人が住んでいた土地だったことが分かっている。今日紹介する渋川神社は、927年にまとめられた「延喜式神名帳」(当時「官社」とされていた全国の神社の一覧名簿)にも載っている歴史のある神社だし、古くからある程度の集落があったことは間違いなさそうだ。東谷山の尾張戸神社もそう遠くないから、尾張氏の勢力内だったのかもしれない。
 南北朝時代からいくつかの城があったことも分かっている。井田城や新居城など7つの城跡が確認されていて、この地でも小規模な戦闘があったようだ。
 城山公園からは、東海地方で一番古い窯址が見つかっており、この地が東海地方の窯業発祥の地とされている。
 明治にいったん名古屋県に取り込まれた後、昭和45年に尾張旭市となって今に至っている。人口は8万人弱。



工事中の渋川神社

 なるほどここが渋川神社かと一歩足を踏み入れてびっくり。大規模な工事が行われていて、境内は仮住まいの佇まいを見せている。一体、何事? こんなに工事真っ最中の神社というものを初めて見た。しばし呆然と立ち尽くす。事情がさっぱり分からない。
 帰ってきてから調べて謎が解けた。平成14年(2002年)の5月に、社殿から出火して、本殿と拝殿が焼け落ちてしまったそうだ。そういえばそんなニュースをちらりと耳にしたようなかすかな記憶がある。けど、5年前の私は神社仏閣になどまったく興味がなかった頃だから、そんなニュースも耳を素通りしていた。今ならもっと心を痛めていた。
 焼ける前の本殿は、1663年に再建されたものだったというから、一度は見ておきたかった。江戸時代初期の建物といえば、このあたりではかなり貴重だ。
 現在は、写真にある仮本殿が建てられて、奥では大がかりな本殿建築が進んでいた。工事は平成17年から始まって、平成20年に完成予定だそうだ。ただ、すべての工事が終わるのが平成22年というから、まだだいぶ先になる。神様も避難所生活のような落ち着かない日々が当分続きそうだ。



完成予定図

 完成予定図を見ると、なんだかすごく立派な神社になりそうだ。前からこんなふうだったとは思えない。写真で見る本殿はもっとこじんまりしている。場所も少し移動するようだ。
 境内の敷地はけっこう広い。周りは樫の木や楠木、桧などの古木が鬱蒼と生い茂っていて雰囲気がある。来年の完成がちょっと楽しみになってきた。

 再訪の様子は「超復活した渋川神社再訪で尾張旭神社シリーズは完結<第7弾>」で。

 渋川神社は、景行天皇の時代に、高皇産霊大社を創始したことが始まりとされる。そのときはここより数百メートル西南にあったようだ。677年、天武天皇即位の大典にあわせて、この地へと移ってきた。
 祭神は、大年大神、御食津大神、庭高日大神、河須波大神、波比伎大神、大宮売大神、八重事代主大神の7柱。
 かつてこの地は、尾張国山田郡と呼ばれていて、山田郡の総社として広く信仰を集めていたといわれる。
 旧瀬戸街道を行く人々がここに立ち寄り、わき水を飲んで馬や体を休めたそうだ。織田信長が神殿を改修し、尾張藩2代藩主の徳川光友が神殿を再建している。江戸時代は蘇父川天神と称していた。
 昔はもっと大きな森に囲まれた広い敷地があったようだ。現在は宅地開発で規模がかなり縮小した。昭和34年の伊勢湾台風はこの地にまで被害を及ぼし、樹齢300年以上の檜の大樹など数十本をなぎ倒したという。
 例大祭は10月15日に近い日曜日で、尾張旭の棒の手保存会の実演も境内で行われる。初詣客でも賑わうそうだ。
 渋川神社で棒の手奉納
 全国的には大阪の八尾市にある渋川神社が有名のようで、ネットで検索するとそちらがたくさん出てくる。こことの関係はあるのかないのか、よく分からなかった。

 私の尾張旭神社仏閣巡りの旅はこうして始まった。その気になれば10やそこらは朝から回って一日で制覇できるのだろうけど、それではあまりにもあっけなくてつまらない。今年いっぱいくらいかけるつもりで、のんびりと巡っていこうと思っている。
 
【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「印場駅」から徒歩約8分。
 ・無料駐車場 あり(閉まっていることもある)
 ・拝観時間 終日
 

普通に美味しいあんかけスパを名古屋マイナーから全国メジャーに

食べ物(Food)
あんかけスパ-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f3.5, 1/10s(絞り優先)



 近年、名古屋めしという言葉が一般的なものとなり、名古屋名物の全国的な知名度も上がって久しい。ひつまぶし、きしめん、味噌煮込みうどん、手羽先、天むすなどは、食べたことはなくても知っているという人は多いと思う。しかし、名古屋では浸透していながら全国にはまだ知られていない名古屋めしも存在している。その代表が「あんかけスパ」だ。
 あんかけスパって何? という人がおそらくほとんどだろう。名古屋人ならみんな知っている。けど、名古屋人でも食べたことがないという人が多い、ちょっと特殊な位置にいるのがあんかけスパというやつだ。
 実は私もこれまで一度も食べたことがなかった。あんかけということは、あの餡なのだろう。中華の八宝菜とかにかかってる、あのドロッとした感じのもの。名古屋以外の人は、あんと聞いて漉し餡とかのあんこを想像したかもしれない。いくら名古屋人が変な食べ物好きといっても、パスタにあんこはかけない。トーストに小倉餡を乗せる小倉トーストはあるけど、それとこれは話が別だ。
 名古屋人のあんかけスパ体験率はどれくらいなのだろう。半分はいってないだろうか。ある意味キワモノめいた存在で、笑い話のネタになることが意外と多かったりするから、そんなものと思って食べようとしない名古屋人もけっこういるんじゃないだろうか。

 あんかけスパが一般的なものとなったのは割と最近の印象がある。ここ数年とはいかないまでも、よく話題になるようになったのはここ10年以内のことだ。けれど、その誕生は意外に古く、昭和38年(1963年)に登場したというから、もう40年以上の歴史があるということになる。
「ヨコイ」の社長だった山岡博という人が、イタリアナポリ地方のスパゲティーソースをヒントに作ったミートソーススパゲティが、その後あんかけスパと呼ばれるようになって広まっていったとされている(「スパゲッティハウス そ~れ」も老舗を名乗っている)。
 特徴は、あんかけの名の通り、餡のとろりとしたソースと、太麺だ。とろりといっても八宝菜のようなドロリとまではい。スープスパと普通のソースの中間くらいだ。「ヨコイ」の麺は特に太麺で、通常の1.7mmに対して2.2mmというから完全にスパゲトーニだ(2mm以下をスパゲッティといい、2mm以上をスパゲトーニという)。あんかけスパは、ゆでたあとにラードなどの油で炒めるために細いと切れやすくなるのと、太くすることでソースの絡みをよくするという狙いがあるんだとか。
 濃い味付けを好む名古屋で受けて、一部ではキワモノ的な扱いをされつつも、だんだん浸透していった。今では、有名なあんかけスパ専門店が何軒もあり、レストランだけでなくたいていの喫茶店でもあんかけスパを食べることができるまで一般化している。コンビニ弁当にも当然あるし、あんかけソースのレトルトは何種類も売っている。

 なにはともあれ、一度食べてみないことには始まらない。ツレを伴って、さて、どこへ行こうかとなったとき、食べたいものは最後に残しておくという悪いクセが出た。本来なら発祥の店に敬意を表して、何も考えずに「スパゲッティハウス ヨコイ」へ向かうべきところだ。選択の余地はないとさえ言える。けど、本命を一番最初に持ってきては詰まらないだろうとも思う。二番手、三番手を知ってこそ、初めて一番手のよさが分かるということもある。
 そこで候補としてあがったのが、「チャオ」、「そーれ」、「レンガ亭」、「ソール本山」、「からめ亭」などだった。おそらくこのあたりの有名店なら、どこへ行っても間違いはないと思われた。場所の関係もあって、「からめ亭」に決めた私たちは早速車で向かったのだけど、ここで思いがけない事態が起こる。店の前の駐車場に車を止めて、店内の様子をうかがいのぞいたところ、日曜の夜7時前というのに客が人っ子一人いない! なんてこった。そんなことがあり得るのか!? 人気が落ちたのかたまたまだったのか、いずれにしてもこの状況は危険すぎた。何しろこれまで一度も食べたことがない未知のもので、しかもこの時点では半分キワモノ的な食べ物なのではないかという疑いを持っていた。マスターとマンツーマンになるのは怖すぎる。まずくても残せないし、美味しくないと分かって感想を聞かれても困る。グルメレポーターじゃないんだから、上手く取り繕う自信はない。世間話をされても邪魔くさいし、かといって黙って食べるのも気まずい。
 これは無理と判断して、私たちはその場から逃げるように立ち去ったのだった。

あんかけスパ-2

 結局、行ったのは最も無難な選択となる、「PASTA DE COCO」だった。ここは名前からも想像がつくように、「カレーハウスCoCo壱番屋」の別展開のチェーン店だ。
 実はココイチも愛知県一宮市に本社がある愛知の店で、カレーチェーン店としては、全国だけでなく上海、台湾、ハワイにも出店する東証1部上場企業に成長を遂げている。次の狙いはあんかけスパによる全国制覇で、2003年に1号店を出して以来、現在は愛知を中心に17店舗、更には東京にも進出している。港区西新橋烏森通店と千代田区末広店の客の入りも上々だという。東京人にも受けているのか、東京へ出て行った名古屋人が懐かしくて食べているのか、たぶんその両方なのだろうけど、一応全国展開のとっかかりはつかんだようだ。
 これに負けじと、サガミグループのセルフサービスうどん店「どんどん庵」もあんかけスパを始めたらしい。ただ、こちらはまだ浸透度は低く、評判もよく分からない。お手軽さに安さが加わればそれなりに受け入れられるのだろうか。けど、うどんと違ってスパは麺のゆで加減で美味しさがかなり違ってくるから、このシステムは少し無理があるような気もする。
 チェーン店とあんかけスパの取り合わせは無理がない。基本的にソースは一種類で、あとはトッピングや麺の量を選べたり、サイドメニューをいろいろ用意してお客に選ばせるというのは、カレーと同じでシステマティックにできる。厨房がバイトでも味に大きな差は出にくい。麺のゆで時間さえ間違えなければ、バイト3日目の学生でも即戦力となる。
 あんかけスパの専門店は圧倒的に男が多いという。特にランチどきはサラリーマンで店は占領状態になるそうだ。パスタというと女性が好みそうなのに、あんかけスパとなると男性の支持率が決定的に高いらしい。
 ココ・デ・パスタはその現状を打破しようと、女性やファミリー向けに設定されているそうだ。このときも確かに男よりも女性の方がむしろ多いくらいだった。

あんかけスパ-3

 あんかけスパと初めてのご対面。なるほど、これがあんかけスパというものか。思ったよりもソースはさらっとしている感じだ。トマトソースなんだろうけど、色は明るい。
 私が注文したのは、イカルボ(850円)だったか。なんだか、聞き慣れない名前のもので忘れてしまった。ツレはきのこだったか野菜だったか。
 早速、いただきまーす、とその前に写真を撮らないと。あわてて食べ始めてしまうところだった。この色はけっこう食欲をそそる。
 ひとくち、ふたくち……。うーん、なんだろう、この感じ。トマトソース味には違いないのだけど、今まで食べたことのない不思議な味だ。食べたことがないのに、どこか懐かしい。スパイシーと聞いていたのに、ピリッとこない。なんというか、普通に美味しいけど、少し物足りないかなというのが最初の印象だった。
 しかし、食べ進めていくにつれて適度にピリ辛感が増していって、これは美味しいかもしれないとなり、やがて半分以上進むと、これは美味しいぞに変わっていく。全然キワモノじゃなかった。昔の喫茶店のスパゲッティがこんなような味だったかもしれない。最近はパスタと称して気取ったものが多くなった中、これは懐かしくて新しい味わいがある。うん、悪くない。
 ココイチのチェーン展開ということで、味は専門的と比べると辛さ控え目で万人向けになっているそうだ。美味しさも平均的というけど、これなら日本全国民に普通にオススメしてもいいのではないか。味噌煮込みよりも人を選ばないはずだ。
 麺の量は少なめSサイズ(200gで通常より50円引き)を頼んだけど、ほどよく満腹になった。専門店は量が多めということで男性に人気のようだけど、みんながみんな大盛りを喜ぶわけではないので、量を減らせるという心遣いはありがたい。辛さも選べるようになっている。
 100円のミニ小倉トーストに心惹かれつつも、マンゴープリン(200円)でしめくくっておなか一杯。プリンも美味しかった。
 レトルトソースもおみやげとして買って帰ることができるので(一食分210円)、話のネタとしても面白い。家族や友達に配れば喜ばれるだろう。

 あんかけソースは、店によっていろいろ工夫がなされていて、けっこう違いがあるようだ。ただ基本はやはりトマトベースで、ニンニク、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ひき肉などを煮込んで作っているのは間違いない。絡みはタバスコなどを使わずに、コショウでつけているそうだ。
 ただし、この程度の材料で自分の家で作っても店の味にはならないはずだから、何か秘密があるに違いない。とろみ加減で食感も変わってくるし、味にインパクトがなければ普通のトマトソースのしゃびしゃび版で終わってしまう。思ってる以上に奥が深いソースだ。

 すでに誕生から40年前も経ちながら、いまだ名古屋のマイナー名物となっているのは、あんかけスパという名前に問題があるかもしれない。あんかけとスパゲッティという組み合わせは、あまりいいイメージがわいてこない。実際、私も食べるまでは冗談半分のメニューかと思っていたくらいだ。名古屋人の私でさえそうなのだから、他県の人が警戒したとしても無理はない。
 餡というほどドロッとしてるわけではないから、ミートスープパスタくらいでいい。その方が普通に美味しそうだし洗練された感じがする。あんかけスパというのはいかにも冗談半分っぽい響きだ。
 というわけなので、名古屋へ遊びに来たときは、安心してあんかけスパを食べても大丈夫です。全然ヘンな食べ物でもなく、おふざけでもないから。逆に普通すぎて拍子抜けしてしまうと思う。
 誰かが、美味しいというよりクセになる味、という表現をしていたけど、それはぴったりの言い回しだ。あんかけスパは3度食べてから語れ、という言葉もある(ないかもしれない)。2度、3度と食べるうちに不思議と馴染んできて、そうなると月に一回は食べないといけなくなるという話もある。そう言われてみれば、私もなんだかまた食べたくなってきた。
 次は本命「ヨコイ」に行ってみようと思う。それから、今度こそ、お客で賑わう「あんかけ亭」にも入って食べてみたい。他の店との食べ比べも面白そうだ。
 名古屋めし制覇の旅はまだまだ続くのであった。

瀬戸物の歴史に思いを巡らせながらゆく静かな窯垣の小径

施設/公園(Park)
窯垣の小径-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6,1/250s(絞り優先)



 愛知県瀬戸市は言わずと知れた瀬戸物の街だ。瀬戸焼にまつわるスポットも多い。そんな中で、今日は「窯垣の小径」というちょっと素敵な場所を紹介したいと思う。
 窯垣というのは見慣れない文字だと思う。読みもちょっと迷う。でも、種を明かせば単純で、なんだとなる。まず読みは、かまがき、だ。
 器などを焼くときに使うのが登り窯(のぼりがま)で、器を守るために窯の中に陶器の板や瓦などを立てる。それらをエンゴロ(鉢)、エブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などといい、使わなくなった窯道具で作った塀や壁のことを窯垣と呼ぶ。石で作れば石垣、樹木で作れば生垣、窯の余りもので作ったから窯垣というわけだ。
 イメージキャラクターとしては、ガッキーこと新垣さんを起用したらどうだろう。垣つながりで。でも間違って結衣ではなく渚の方が来てしまわないように気をつけなくてはいけない。
 場所は、尾張瀬戸駅から瀬戸川沿いを東に進んで、中橋で右折。少し進んで、「東風山野坊」という苔玉を売ってる店の手前を左折。そこまで行けば、あとは案内が出ているので大丈夫だと思う。道が細いのと、駐車場は5時で閉まるので注意。

窯垣の小径-2

 小径は山の起伏に沿ってアップダウンを繰り返して続く。迷路のような細い路地だ。かつてこの場所にはたくさんの登り窯が築かれていて、この道を焼き物職人が往来し、陶磁器を運ぶ荷車や天秤棒をかついだ担ぎ手たちが行き交っていたという。
 今は往時の面影だけを残し、ひっそりと静まりかえっている。民家も建ち並んでいるのに、恐ろしいほど静かだ。女の子がひとり、空き地で花を摘んでいた。他には人影もない。
 小径は400メートルほどなので、5往復しても1時間と間が持たない。駆け抜ければ1分だ。けど、もちろんそんなに急いで歩くようなところではないので、なるべくゆっくり歩く。牛歩戦術並みに(それは遅すぎる)。
 窯垣は幾何学模様や、何かをかたどったもの、茶碗などを埋め込んだものと、変化に富んでいて面白い。観光地として作られたものではないから必ずしも洗練されているとは言えないのだけど、実用本位というだけではない職人さんたちのセンスと遊び心が感じられる。
 小径の途中では案内がほとんどないので、どこからどこまでが窯垣の小径なのか、ちょっと分かりづらい。民家の方に入ってしまったり、違う方に進んでしまったりして、何度か引き返すことになった。マップをプリントアウトしていくか、入口にあった案内マップをデジカメでメモ撮りしていった方がよさそうだ。分かれ道で小さなマップなどがあればいいと思う。

窯垣の小径-3

 小径の途中に、「窯垣の小径資料館」と「窯垣の小径ギャラリー」がある。
 資料館は、120年前の窯元の家(寺田邸)を改修したもので、古い陶器や、窯道具などが展示されている。離れは休憩所になっていて、ボランティアのおばあちゃまたちが常駐していて、いろいろ説明してくれたり、お茶を出してくれたりするそうだ。
 本業タイルが貼られた浴室やトイレも見どころの一つになっている。明治から大正時代に作られたもので、そのタイルを日本で最初に焼いたのがこの洞町の窯元だったんだとか。本業というのは、江戸時代後期に磁器が作られるようになる前にやっていた仕事のことで、磁器の仕事を親製と呼んで区別している。
 水曜定休で、午後は3時で閉まってしまうので、見たい場合は早めに行く必要がある。

 ギャラリーは、300年ほど前の江戸時代の窯元の家だったもので、空き家になっているのはもったいないということで、陶芸家たちによる作品展示の場所として利用することになったのが始まりだった。
 作家が共同で運営していて、現代作家の作品が常時約500点ほど展示されているそうだ。販売もしてるので、お気に入りを見つけて買うのもいい。
 訪れたときたまたま、土鈴(どれい)作りに挑戦というのがあって、500円だったのでやってみた。土をこねて招き猫を作ったのだけど、焼き上がりは来月なので、できてきたらまたこのブログで紹介したいと思っている。

窯垣の小径-4

 高台から見下ろす町並みも、昔の日本の風景のようで風情があった。窯の煙突が何本か見えたけど、昔はこの場所ももっと活気に満ちていたのだろうと思うと、少し寂しい気もした。現在でもまだ40ほどの陶房や製陶所があるそうだけど、明治初期には300以上も窯があったという。
 ここから更に先に進むと、洞本業窯(瀬戸本業窯)というのがあって、そこを散策の終点にするつもりだったのに、土鈴作りに1時間以上もかかって時間切れになってしまった。
 4連房の登り窯は、幾多の名品を生み出して、昭和50年代の半ばにその使命を終えた。現在は、瀬戸市の指定有形文化財となっている。

窯垣の小径-5

 こんな坂の小径には野良猫がよく似合う。車も通らないし、住人たちも猫を大切にしてくれそうだ。野良にとっては、都会よりもずっと住み心地がいいだろう。写真を撮るときも、逃げようかどうしようかというへっぴり腰がよかった。都会の猫のように人に慣れすぎてないというのが、人と野良とのいい距離感だと思う。

窯垣の小径-6

 大昔、愛知県は、東海湖という巨大な湖の底だった。琵琶湖の6倍というからちょっと想像ができない大きさだ。そこへ山岳地帯からたくさんの土砂が流れ込んで湖底に堆積した。湖が干上がったとき、それが陶器作りに最適な土となった。
 時は流れて鎌倉時代、のちに陶祖と呼ばれることになる藤四郎(加藤四郎左衛門景正)が、僧の道元と共に宋(中国)に渡って陶業技法を学んで帰国した後、土を探して全国を歩き回って見つけたのが、この瀬戸の地だった。
 瀬戸という地名は、「陶所(すえと)」が転じてせとになったと言われている。
 18世紀後半、外国から入ってきた磁器に陶器が押されて低迷し始めたとき、加藤民吉が肥前で磁器を学んで技術を持ち帰り、瀬戸でも磁器作りが盛んになった。加藤民吉は「磁祖」と呼ばれている。
 これら二人の貢献者以外にも大勢の無名作家によって瀬戸物は今に受け継がれ、21世紀の現在でも人々の生活になくてはならないものとなっている。これからも新しいものを取り入れつつ、瀬戸物は発展していくことだろう。日本から陶器がなくなることは、まずない。
 そんな陶器作りの歴史に思いを馳せつつ窯垣の小径をゆけば、かつての賑わいと活気が目の前に甦ってくるような錯覚にとらわれる。あなたも窯垣の小径で小さな時間旅行をしてみませんか。

ミュージアムを見ない瀬戸蔵は牛肉の入ってないすき焼きを食べるみたいなもの

施設/公園(Park)
瀬戸蔵-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f9, 1/10s(絞り優先)



 2005年の愛・地球博を機に、瀬戸の街も化粧直しをして小綺麗になった。日本各地だけでなく世界からのお客さんを出迎えるのにふさわしい玄関口にしようと、道路や街並みは整備され、いくつかの新しい建物もできた。「瀬戸蔵(せとぐら)」もその中のひとつだった。
 気がつけばあれから早2年の歳月が流れた。その間、何度も前を車で通りながら一度も入ったことがなかった瀬戸蔵に、今回初めて入ってみることにした。万博からもう2年も経ってしまったんだという感慨を抱きながら。
 以前この場所には、昭和34年に建てられた瀬戸市民会館があった。ちょうどそれが老朽化したということで、あらたに建て直されたのが瀬戸蔵だ。けど、瀬戸蔵って一体何かと問われると私は答えに困ってしまう。瀬戸の陶器作りや瀬戸電関連を展示した有料のミュージアムがあるということだけは知っていたものの、それ以外に何がどうなっているのかは入ってみるまでまったく知らなかった。
 瀬戸市そのものを博物館に見立てた「せと・まるっとミュージアム」構想の拠点として作られた市民のための複合文化施設というのだけど、そんな漠然とした情報では今ひとつイメージが掴めない。要するに市民会館なんですよと説明されたら、はぁと言って何となく納得するしかないものかもしれない。産業観光と市民交流を支援するための器といえばそうなのだろう。
「瀬戸蔵」という名前は、瀬戸のいろいろなものが詰まった蔵のようなものということで、公募によって決められたそうだ。

 エントランスに足を踏み入れると、まずは高い吹き抜けのホールにあっと驚く。田舎者なら100パーセント天井を見てしまい、カメラを持っていれば10人のうち7人は写真を撮ってしまうに違いない。たいていの人は、初めて入ったときは口を開けて見上げてしまうことだろう。
 しかし、贅沢な空間といえばそうだけど、こんなに無駄スペースを作ってしまったら、瀬戸が丸ごとギュッと入るのは無理なんじゃないかと、いきなり入口から嫌な予感をさせる。
 この空間はパティオ(中庭)といい、ぐるりと回りながら登っていく階段をコリドール(回廊)というらしい。なんて、ハイカラな。でも、階段で上がると無駄に歩かないといけないから市民から文句が出そうな気がする。
 本体は4階建てということになるのだろうか。立体駐車場もあわせると5階建てということになるかもしれない。
 1階には瀬戸物を売る店や食べ物屋、案内所などがある、2階と3階に目玉の瀬戸蔵ミュージアムや、つばきホール、交流ラウンジ、会議室などが入っている。4階は多目的ホールなどだ。
 ざっと見た感じとしては、これは観光施設ではない。今回はミュージアムに入らなかったのだけど、それ以外としては見どころはあまりなく、イベントなどで市民が活用するための施設という色合いが濃い。1階では公開イベントのようなことが行われていたり、映画が上映されたりしていたようだけど、他県の人が瀬戸の魅力を知るために訪れるようなところではなさそうだ。
 店舗は、食事所と瀬戸物などを売ってる店の2軒しかないのも寂しいところ。商業施設という性質のものではないにしても、瀬戸の魅力が詰まった蔵という名前にしては蔵の中身に乏しい。

瀬戸蔵-2

 瀬戸は近年、招き猫の街としても認識されるようになってきていて、近くには招き猫をたくさん集めた「招き猫ミュージアム」というのもできた。瀬戸物で作られた猫たちがたくさんいる。
 写真は、「瀬戸蔵セラミックプラザ」の店内の様子で、食器やガーデニング用品などが売られている。けっこう安いものもあるようなので、せとものを買う目的の人がのぞいてみる価値ありだ。

 瀬戸蔵ミュージアムは、せとものに関する展示や、瀬戸駅を再現したり、古い瀬戸電の車両などが保存されているそうだ。大人500円はやや微妙な値段設定か。あまり興味のない人にとっては、ついでに見てみるかとなりづらい値段だ。300円なら入ってもいいけど500円出してまでという人も多いと思う。一般的に、せとものを詳しく勉強してみたいという熱い思いを抱いている人はそう多くないし、昔の瀬戸電に頬ずりしたいと願ってやまないという人は更に少ない。
 とはいえ、9時-18時の年中無休というのは立派だ。意気込みが感じられる。私も近いうちに一度入ってみようと思っている。そのときは、瀬戸電のシートで飛び跳ねてはしゃぎたい。

瀬戸蔵-3

 1階のエントランスでは、瀬戸みやげや陶器などのワゴンセールが行われていた。
 つばきホールでは、ミニコンサートや講習会などが開かれる。美輪明宏や志茂田景樹、假屋崎省吾、藤岡弘、花田勝氏なども訪れたようで、通路には多くの有名人のサイン色紙が展示されていた。有名ラーメン店みたい。
 少し古めの映画も上映されることがあるようで、500円ということだから、観たい作品であれば利用価値はある。
 4階では展覧会やパーティーなども催されるようだ。

瀬戸蔵-4

 2、3、4階にはそれぞれ屋外に出られるオープンデッキがあって、更に一番上には展望室がある。これはそこからの風景だ。高さは30メートルとそれほどではないものの、周囲に高い建物がないので、瀬戸も街をぐるりと見渡すことができる。
 ガラス張りなので写真撮影には向かないけど、夜景もそれなりに楽しめそうだ。ただし、明かりはさほどではなく、名古屋の中心も遠いので、派手さはない。一番ギンギラは写真にも写っているパルティせとになるだろう。
 瀬戸蔵自体は、たぶん夜の9時半くらいまで開いていたはずだ。
 駐車場は1時間まで無料で、その後1時間につき100円と良心的だ。
 瀬戸電の尾張瀬戸駅から少し離れていて、徒歩5分くらい。

瀬戸蔵-5

 いつもあの建物が気になっていた。瀬戸川沿いにある風情のあるたたずまい。何か老舗の店なんだろなと思っていたら、江戸末期創業の和菓子屋さんだそうだ。名前は「川村屋賀栄」。
 名物の瀬戸川饅頭(105円)というのを食べてみたい。こし餡というのが私の好みだ。酒素蒸しというのはアルコールが苦手な私でも大丈夫だろうか。

瀬戸蔵-6

 この日(15日)はちょうど、陶祖まつりが行われいて、昼間は神輿が出たりして盛り上がりを見せていた。道ではお馴染みの陶器販売も行われていて、けっこうな人出だった。
 秋のせともの祭りはもっと大規模で、ものすごい人になるのだけど(毎年50~60万人)、春は知名度も低くてさほどではない。それでも、今年で46回目になる陶祖まつりは、2日間で8万3千人が訪れて大盛況だったようだ。去年が3万6千人だったというから、今年は特に多かったことになる。天気もよかった。秋は必ず雨が降る祭りということでも有名だ。
 鎌倉時代に、この瀬戸の地で陶器作りを始めた藤四郎(加藤四郎左衛門景正)に感謝をささげるというのが陶祖まつりの趣旨ということになっている。けれど、客はたいてい、安い陶器を見つけるためにやって来る。3割引から5割引くらいというのもあるようだけど、そんなに安いという印象はない。
 その他、「来る福招き猫まつり」というのも、秋の風物詩として定着しつつあるようだ。瀬戸全体が招き猫だらけになる10数日間は、全国から招き猫ファンがやって来る。今年は私もちょっと見に行ってみようと思っている。

 それで結局、瀬戸蔵ってどんなところだったのと、まだ行ったことがない人に訊かれたとき、私はどう答えればいいのか今でも迷う。肝心のミュージアムに入ってないから、半分も分かってないのだろうけど、とりあえず市民会館プラスアルファのところかなくらいしか答えようがない。見どころはやはり、ミュージアムと展望室くらいしかないと思う。陶器を買うにしても、表に専門店がたくさんあるから、あえてここに入るまでもない。あとは、階段をぐるぐる回りながら登るとかか。
 興味のあるイベントを見たり参加したりするために行く場所ということか。市民会館はそういうところだ。観光施設を期待してして行くと、拍子抜けしてしまいそう。
 それでも、個人的にはどういう施設か分かったのは収穫だった。これからは前を通るたびにどんなところなんだろうなと思いを巡らせなくても済む。次回は必ずミュージアムに入って、また中の様子をお伝えしたい。せとものの招き猫のひとつも買ってもいい。
 瀬戸蔵第二弾、瀬戸蔵はミュージアムに入ってなんぼ編につづく。

脇役花だって生きているんだ咲いているだ春なんだ

花/植物(Flower/plant)
東谷山ウコンザクラ

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5, 1/200s(絞り優先)



 東谷山フルーツパークは、しだれ桜が最も有名には違いないのだけど、フルーツパークの名前が示すように果物の楽園でもある。というよりも、本来はそれがメインのパークだ。なのでこの時期、主役以外にもたくさんの脇役花たちが、園内のあちこちで咲いている。今回はそんな助演花たちにスポットを当ててみようと思う。
 まずはウコンザクラから。
 通称「黄桜」(そんな名前の酒があったっけ)、漢字で書くと「鬱金桜」となる。憂鬱の鬱に金でウコンというのは、当て字としてはどうなんだろうとちょっと思う。サプリメントやカレーの原料となるいわゆるターメリックのウコンも鬱金と書く。ウコンの根で染めると淡黄緑色になり、これを鬱金色という。花の色がその色に似てるからということでウコンザクラと名づけられた。カレーが黄色いのもウコンによるものだ。
 江戸時代に、オオシマザクラ系サトザクラから作り出された園芸種で、花は八重咲きをする。日本ではあまり馴染みがない桜だけど、欧米人には人気が高いらしい。
 つぼみは淡い紅色で、開くと薄黄緑色になり、満開が近づくと中心がピンク色に染まってくる。そして、花は散らずにぼとりと落ちる。このへんの風情に欠ける感じも、日本では人気が出ない理由だろう。果実もならない。

東谷山キクモモ

 これはキクモモ(菊桃)。姿は桃らしくないけど、色は確かに桃の色をしている。形が菊っぽいところからそう名づけられたのだろうけど、あまり似ていない。ベニバナトキワマンサクの方が似ている。
 桃もいくつかの園芸品種があって、そういうハナモモの中の一種だ。これも江戸時代に作り出された。江戸時代の園芸家はホントに研究熱心というか暇というか、花の改良に情熱を傾けていた。特に樹木の花は江戸時代に品種改良されたものがとても多い。
 木自体は多くが中国から渡ってきているから、日中合作という方が正確かもしれないけど。

東谷山サクラかな

 このときもメモ撮りを忘れて、いくつかの花の名前が分からなかった。その場では覚えたつもりで、忘れたとしても帰ってからネットで調べれば分かるだろうと思うのだけど、やっぱり覚えてなくて、ネットでも調べがつかない。メモリーカードの容量を気にするよりも自分の記憶容量を疑った方いい。
 これは山桜だったか、リンゴだったか、梨だったか。桜のような気はするんだけど、どの場所で、どういうシチュエーションで撮ったのかも思い出せない。ばあさん、朝ご飯はまだかいのぉ。

東谷山ナシかリンゴ

 これは確かリンゴ畑の入口で撮ったから単純にリンゴの花だろうと思いきや、帰ってきて写真を見ると、なんとなく梨の花のようにも見えてきた。たぶん、梨の方だと思う。リンゴの花はもう少しピンクがかっているから。
 ただ、梨もリンゴも、品種がいろいろあって、花もそれぞれ微妙に違っていたりするから油断ができない。このあたりの花は、どれも似たものが横並びにグラデーションのようになっていて、その境目が分からなくなる。桜と梅と桃とリンゴと梨と、他にもボケ、カリン、スモモ、アンズなどなど、紛らわしいものがたくさんある。中途半端に知識が増えて余計混乱してしまった。今となっては、梅と桜しか知らなかった頃が懐かしい。

東谷山名前忘れ

 これがどうしても分からなかった。撮った時は、へぇ、アレってこんな花が咲くんだぁと感心した記憶はあるのに、そのアレが何だったかが出てこない。完全なる老化現象。代名詞症候群。頭を叩いても振っても、砂の嵐状態になったテレビ画面のよう。そのうち、中でカラカラと乾いた音がしそうだ。壊れたトランジスタラジオみたいに。
 これはそもそも花なのか。ここから何かの実がなるのだろうか。キミは一体、ダレですか?

東谷山サクランボ

 花が終わった木は、早くも小さな実をつけ始めていた。人が桜の花に見とれている間にも季節は確実に進み、木々の気持ちはもう実りの夏に向かっている。彼らは花を咲かせるために生きているわけじゃなく、実をつけるために生きている。そこにひとつの大きな目標があって、花はそのための手段に過ぎない。
 そういう意味では、実を付けないソメイヨシノが狂ったように花を咲かせる気持ちは分かる。ソメイヨシノにとっては花を咲かせることしか目標がないから。あれは結婚という幸せよりも仕事を取った女優魂のような咲き方だ。サクランボを付ける桜の木は、ソメイヨシノほど必死に花を咲かせていない。だから、人の心に訴えるものが弱いのだろう。

 人々から注目されない脇役花も咲き誇り、咲き乱れる季節は春。上を向いても、下を向いても、花盛り。ミツバチは忙しく花粉を集めて回り、蝶は花から花へ、鳥たちは気まぐれに花をついばむ。人はただ無闇に写真を撮る。みんな冬眠から目覚めて、活発に動き始めた。
 花を追いかけていると一番慌ただしくなるのが4月から6月にかけてだ。桜が終わっても、チューリップに藤にツツジ、カキツバタに花菖蒲にバラにアジサイまで、息つく暇もない。森や山にも野草が次々に咲いては後続に場所を譲り、湿地の花も忙しい。
 自然界の花サイクルがこんなにもめまぐるしく動いていることを、ほんの3年前まで知らずにいた。地球がものすごい速さで自転しながら公転してるように、地球上でも命が猛スピードで駆け抜けている。人も毎日を無為に過ごしている場合じゃない。自然に負けないように早回しで生きていかなければ。
 桜は終わった。今年もまた、夢のような2週間を過ごすことができた。葉桜になってしまえば、街並みも酔いから冷めて平常に戻る。桜など幻だったように。夢から覚めた人々は、また来年の春まで、おぼつかない足取りでよろめきながら進むしかない。
 私たちはあと何回、生きて桜を見られるだろう。風に舞う桜の花びらを目で追いながら少し切ない4月の半ば。

2007年の桜シーズンはふたりの東谷山フルーツパークで完結

桜(Cherry Blossoms)
東谷山フルーツパーク-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/100s(絞り優先)



 去年の桜シーズン最後に、東谷山フルーツパークのしだれ桜を見に行った。そのときのことを書いた4月19日のブログの最後を、こうしめくくっていた。「また来年、きっと、桜の季節に戻ってこよう。再会を約束して、少しの間さよならだ。」
 その来年が巡ってきた。あれから一年、早かったような、長かったような、2007年の桜シーズンのしめくくり。約束通り、しだれ桜に会いに東谷山フルーツパークへ行ってきた。今回はひとりではなく、ツレとふたりで。

 午前中の10時半頃に到着したので、渋滞にはほとんど引っかからずに済んだ。行く前はかなり恐れもして、覚悟もしていたのに、すんなり入れたのは幸運だった。すでにほぼ満車状態だったものの、9時開園と同時に訪れた人がちょうど帰り始める時間に当たっていたのがよかったようだ。11時を過ぎた頃からは、駐車待ちの長い列が出来始めていた。
 桜のタイミングとしてはベストからは数日遅れという感じだろうか。今年はかなり低調で、去年と比べると全然花付きが悪い。フルーツパークの人も言っていたので、私の思い込みではない。去年の写真と見比べても、明らかに今年は花数が絶対的に少ないことが分かる。不順な気候が影響したのだろうか。同じ木でも散っている枝とまだつぼみの枝があって、全然足並みが揃っていない。葉が出始めてるのにつぼみのものもあるので、スカスカで見栄えが悪くなってしまっていた。
 それでも、しだれ桜特有の華やかさは訪れる人々を充分楽しませてくれる。ピンクの滝が両側から降りそそぐしだれのトンネルは、愛知ではここにしかない。これもまた、ひとつの桜の楽しみだ。ソメイヨシノとは違う桜を見る喜びがある。

東谷山フルーツパーク-2

 何やら黒山の人だかりができている。何事かとのぞいてみたら、大道芸だった。他の場所では猿回しもしていた。日曜日ということで、こういう催し物があちこちで行われていて、多くの人たちを寄せ付けていた。
 他には野菜や果物の即売、たこ焼きやソフトなどの食べ物屋などもいろいろ出ていて、完全にお祭り騒ぎ。入園無料(駐車料金だけこの時期限定300円)なので、こういうことで稼がないといけない。
 今年の桜もこの日曜日が最後の週末となる。シダレザクラまつり自体は、17日まで続く。もう、花としてはこのあたりが見頃の最後になるだろう。今年はしだれも早かった。暖かい冬のあとに春先に気温の上がらない日が続いて、桜も調子が狂ってしまったようだ。

東谷山フルーツパーク-3

 この場所が、一番今の時期の東谷山フルーツパークらしいポイントだと思う。果物ドームとそれを取り囲むように咲くしだれ桜の配置がいい。園内の華やいだ春模様が見渡せる。
 いろんな人が思いおもいに桜を楽しんでいた。カップルや友達同士、老夫婦や小さな子連れの家族、お年寄りの団体さん。同じ場所の同じ桜でも、年々自分は変わっていき、立場が変われば桜の見え方も違ってくる。独身が夫婦連れになり、子供が産まれて親になり、定年退職したり、学校を卒業したり、一年でがらりと変わってしまうこともある。
 誰と一緒に訪れて見るかによってもまた思いは違う。桜の思い出は二重奏、三重奏、四重奏となり、自分の中で積み重なっていく。10年後、30年後、50年後、一緒に見た桜の思い出話ができる人がいれば、それはとても幸せなことだ。

東谷山フルーツパーク-4

 客層の大部分は、年輩の団体さんと子連れ親子が占めている。平均年齢はかなり高い。しだれ桜の華やかさとは対照的に、なんというか、園内の様子は渋い。スピーカーから流れてくる音楽が浪曲だったりする。
 それから、ここの最も特徴的なのが、異常にビニールシート持参率が高いことだ。名古屋市内の全ビニールシートの半分がここに集まってしまったんではないかというほど、みんながみんなビニールシートを持っている。持っていないのはモグリと言われてしまいそう。ベンチが少なくて、人がやたら多くて、おあつらえ向きに芝生がたくさんあるから、必然的にそうなる。去年持ってこなかった人たちは、その様子を見て、来年はうちも持っていこうとなって、またまたビニールシートは増殖していくのだった。来年は私も持っていこうと思った。

東谷山フルーツパーク-5

 ここのしだれ桜は、大部分がヤエベニシダレ(八重紅枝垂)という種類のものだ。一重のものや、他の種類も少し混ざっている。ピンクの濃いしだれ桜で、なおかつ八重咲きなのでボリューム感があって豪華な印象になる。一重咲きのものが中心だったら、かなり違った感じになると思う。
 桜は集まって咲いていると華やかで、近くで個別に見ると可憐に見える。花のひとつひとつは意外と弱々しくもある。

東谷山フルーツパーク-6

 園内の奥にある、おそらく一番大きなしだれ桜の木。これがお気に入りで、今年も楽しみにしてきたら、残念なことにかなり花が落ちてしまっていた。けど、池に落ちた花びらとの対比が、それはそれで美しかった。水彩画の風情があって。

 2007年の桜もこれで終わりとなった。今年はもう、延長戦はない。まだまだ桜前線は北上中で、東北はまだ咲いてもいないけど、気持ちの中では終わりだ。まだ見たければ長野あたりへ行けば充分咲いているだろうけど、今年はもう満足した。また来年だ。
 桜の季節の終わりで思うことは、毎年変わらない。来年もこの季節の上に戻ってこよう、だ。去年はひとりでたくさんの桜を見て回って、あらためて桜の魅力を知った年だった。今年はツレとあちこち巡って、思い出を共有することの喜びに気づいた。来年はどうだろう。一年というのは過ぎてしまえばあっけないものだけど、一年後を思うと上手く想像できない。去年も今年の自分というのはまったく想像できなかった。来年の自分もやっぱり分からない。ただ、分かっていることは、桜をまた見たいということだ。その気持ちはとても強くある。
 2008年の桜シーズンへ向けて、もうあらたな一年は始まっている。毎日を大切に生き抜いて日々を重ねていくことでしか辿り着けない。休みやすみでも、ひとっ飛びにも行けない。季節が巡りさえすれば、桜は忘れずに咲いてくれる。
 桜よ、今年もありがとう。また来年会おう。それまでお互い元気に過ごそう。それじゃ、また2008年に。

そうだ、カエル、飼おう、と思った、東山自然動物観カエルコーナーで

虫/生き物(Insect)
東山動物園トマトガエル

Canon EOS Kiss Digital N+EF50mm(f1.8 II), f1.8, 0.4s(絞り優先)



 生き物は色が大切だ。ただ色が違うというだけで、その印象は大きく違ってくる。人から見て、カラフルできれいな生き物は好ましく、地味な生き物はかわいくない。ただしそれは、生き物の側からすると事情は違ってくる。好きで原色になったわけでもないのに、色がきれいというだけの理由で人間に捕まってしまう。派手な色をしてるほどより不幸になる確率が高くなるというのは、生き物にしてみたら理不尽でしかないだろう。人間も動物も、何が幸いして何が災いするかは分からない。美人がいつも幸せになれるとは限らないように。
 日本人にとってもカエルは、一般的に冴えない生き物という認識だと思う。ヒキガエル、ツチガエル、ウシガエル、トノサマガエル、どれもみんな華やかさに欠ける。唯一アマガエルはきれいだけど、他は深緑や茶色や褐色で、あまりかわいげがない。けど、世界のカエルは色も姿も多種多様で、特に暑い地域にすんでいるものは鮮やかな色をしているものが多い。ただのカエルも色付きになるだけでかわいく見えるから不思議だ。
 上の写真の赤いのは確か、トマトガエルだったと思う(プレートをメモ撮りしてないので間違えてるかもしれない)。もしそうなら、文字通りトマト色をしているからその名が付けられたということだろう。サビトマトガエルというやや濁った色のトマトガエルもいるそうだ。これはそちらかもしれない。
 マダガスカルに生息しているカエルで、でっぷりした体つきで、動きは鈍い。カエルのくせにジャンプもほとんどせず、指先の吸盤もない。たいては地中や落ち葉の下などに半分もぐってまったりして過ごす。敵に襲われると、逃げるのではなく体を膨らませて威嚇する。動くのが根っから嫌いらしい。

東山動物園アオガエル

 これはモリアオガエルだったろうか。本州と佐渡島にいて、四国、九州はいるようないないようなはっきりしていないらしい。
 指先に吸盤があって、木の上とかもスイスイ登っていく。
 地方によって個体差があって、前身が緑色一色のタイプと、目立つ褐色のまだら模様が入るやつがいる。
 と、ここまで書いて、こいつはシュレーゲルアオガエルかもしれないと思い始めた。だとしてもそれは日本固有種で、本州、四国、九州に分布している日本産のカエルだ。虹彩が黄色いのがシュレーゲルアオガエルの特徴というから、やっぱりそうだろうか。モリアオガエルなら光彩は赤っぽいらしい。
 日本のカエルなのに、名前はオランダのライデン王立自然史博物館館長だったヘルマン・シュレーゲルから取られている。シーボルトが日本で収集した生き物を研究した動物学者だったそうだから、その中にこのカエルも入っていたのだろう。
 昔から馴染みのいわゆるアマガエルは、ニホンアマガエルが正式名で、これもよく似ている。カエルもけっこう種類が多くて見分けが難しい。
 昔は雨上がりの学校帰りによくアマガエルなんかを見たけど、最近は道を歩いていてもカエルなんてまったく見なくなった。カエルが自由に暮らす空き地は、街中にはもうなくなってしまった。

東山動物園ベルツノガエル

 こいつは笑った。ものすごいでっぷりした体つきで、巨体の関取みたいなベルツノガエル。これは後ろ姿だけど、前から見てもそのふてぶてしさは他のカエルを圧倒する。
 カエル好きの間では知らない者がいないほど有名だそうで、飼っている人も多いという。外で嫌なことがあっても家に帰ってきてこいつを見たら吹き出してしまって、いい意味で脱力感に襲われそうだ。
 アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南東部あたりにいるやつで、発見者の名前であるベルと、頭にツノ状の突起があるところから名づけられた。
 体色と模様は個体差が大きくて、必ずしも緑色ではなく、赤っぽいのや褐色っぽいのもいる。一体いったい違う体をしてるところもペットガエルとして人気が出た要因のひとつとなっているようだ。
 これだけの体をしていたら重たくて動けないだろうと思いきや、太ったゴールキーパーのように意外にも動きは素早い。普段は葉や泥の下でぬーぼーとしていて、目の前を何かが通りかかると瞬間的に飛びかかって食ってしまう。でっかい口でとりあえずくわえてみて、食べられないと分かったら吐き出す。食べられるものなら何でも食べる。昆虫やトカゲ、ネズミの他、小鳥や小動物、ときにはヘビまで食べるというからすごい。動くものは全部エサと思っているらしい。飼う時は、自分が食べられないように気をつけなくてはいけない。うかつに前に手を出すとパクっといかれるかもしれない。
 活発に動くのは雨季で、乾季の間は地中で休眠する。食べるか寝るかなので、そりゃあこんな体にもなってしまうというものだ。

 カエルをペットとして飼うというのは、これまで考えたことがなかったけど、そんなにおかしなことではない。熱帯魚以上トカゲ未満、友達以上恋人未満のペットとして、女の子をうちに呼んでもたぶん大丈夫だ。は虫類よりもひかれないと思う。
 種類によっては飼育はそれほど難しくないようだし、そこそこ年数も生きる。じっとしていてもその姿はおかしみがあって愛着もわきそうだ。鳴くといっても1匹や2匹ならそれほどうるさいということもないだろう。田舎のウシガエルの大合唱とか違う。
 日本産のカエルなら今でも田んぼへいけばいそうだし、外国産は外観がペットにふさわしい。高いものは驚きの値段なんだろうけど、そのあたりは熱帯魚でも同じだ。水槽も小さいものでいいし、掃除や水替えも熱帯魚よりずっと楽そうだ。なんか、ちょっと飼ってみようかという気になってきた。いきなりベルツノガエルはきつそうだから、もっと小型でかわいいのがいい。トノサマガエルとかもやめておこう。
 まずはもう一度東山動物園の自然動物館で世界のカエルをじっくり見てくることにしよう。前回はざっと流してしまって、名前も確認してなかった。次は飼うことを前提に、お気に入りを探す。
 青柳の「かえるまんじゅう」のふたをくり抜いたお面を頭にかぶせて、ゲロゲーロと鳴きながら東山自然動物館のカエルコーナーの水槽にはりついているかえるクンがいたら、球児? と問いかけてみてください。そうだよ、好児と答えたら、それはまず間違いなく私です。カエル談義に花を咲かせましょう。

名古屋名物代表は味噌カツにしとこまいと名古屋人は言うだろう

食べ物(Food)
手のべとんかつうめだ

SH505iS(携帯カメラ)



 いくつかある名古屋の名物料理の中で、何か一つ代表選手を選べといわれたら、多くの名古屋人が味噌カツを推すんじゃないかと思う。ひつまぶしは食べ方が変わっているだけでうなぎ自体は珍しいものではないし、味噌煮込みうどんは所詮うどんでうどんは名古屋名物じゃない。きしめんは名古屋人自体がそんなに好きではなく、手羽先や天むすは代表としては存在感が弱い。エビフライなんてタモリが勝手に言ってるだけだ。そこへいくと味噌カツは完全に名古屋・中部圏特有のものだし、何より普通に美味しいというのが代表選手として恥ずかしくない。
 しかし、味噌カツは名古屋においては名物ではない。そんな特別扱いのものではなく、当たり前の食べ物として家庭レベルで浸透している普通の食べ物だ。もちろん、カツにソースをかけて食べることもある。でも、それと同じくらいの意識で味噌もかける。ただし、味噌といってもみそ汁を作る時に使うようなあんな味噌ではない。味噌カツ用の味噌ソースがスーパーでもコンビニでも売っているので、それをかけて食べるということだ。豆腐やおでんなどにもその味噌ソースをかけて食べる。要するに、味噌カツが浸透してるというよりも、カツにかける味噌ソースが調味料のひとつとして完全に定着していると言った方が正しい。

 そんな名古屋人は外食で味噌カツを食べるかどうかといえば、けっこうはっきり分かれる気がする。よく食べる人もいれば、外では食べたことがないという人もいるだろう。名古屋は家庭料理志向が強い土地で、外食をしない人は全然しないから、そういうことになる。食べる機会といえば、よそから遊びに来た人を連れて行くときが多い。
 味噌カツ屋といえば、なんといっても「矢場とん」が一番有名だ。行ったことがなくても、どこにあるか知らなくても、その名前だけはみんな知っている。ガイドブックにも必ず載る店だから、他県から名古屋に来たことがある人も知っている人が多いかもしれない。味噌カツを食べようと調べていると、まず最初に出てくる。
 そこでまず最初の選択をしなければいけない。矢場とんにするか、矢場とん以外にするか。矢場とんは創業60年の老舗だし、ずば抜けた有名店には違いないのだけど、評価は二つに割れるのだ。絶賛する人もいるし、そうじゃない派というのも確かに存在する。ひとつには味噌ソースがしゃびしゃび系で、カツの上にかけてあるというより味噌ソースの中にカツが沈んでいるような状態なので、衣のサクサク感が失われていて嫌だという人も少なくない。味噌ソースは大きく分けてしゃびしゃび系とドロリ系があって、家庭用のものはドロリ系なので、しゃびしゃびに馴染みがない名古屋人も多い。あとは有名店ゆえに行列ができてしまうというのも難点ではある。
 今回、私とツレはあえて矢場とんをはずした。良くも悪くも矢場とんは本命で、最初にそっちへ行ってしまうと、それが名古屋の本場の味噌カツと思い込んで、それ以上追求する気持ちをなくしてしまいそうな気がしたから。まずワンクッション、他の店で試したあと、矢場とんへ行って食べて比較した方が味噌カツのなんたるかがはっきり分かるんじゃないかと。
 そこで選んだのは「手のべとんかつ うめだ」だった。テレビで紹介されたり、ネットの口コミなどでもなかなか評判がいい店だ。場所は覚王山日泰寺近くの通り沿いで、駐車場も用意されている。

 店の名前にもなっている手のべというのは、ヒレ肉のスジを叩いて切って柔らかくしたものをいう。食べているときも、厨房の奥でトンカントンカントンカンと肉を叩きまくっている音が響いていた。キミは鍛冶屋かとツッコミたくなるほどに。
 叩きに叩いたかいがあって、肉はかなり柔らかい。箸で切れるトンカツというキャッチフレーズに偽りはない。私は柔らかいのが好きだからこれは好みだったけど、歯ごたえがなさすぎて面白くないと感じる人もいるだろう。
 味噌ソースは、ここもしゃびしゃび系で、適度な甘さとまろやかさで嫌味のない美味しさだった。ソースもかかりすぎてないので、衣のサクサクもそれほど失われてはいない。シャキシャキのキャベツとのマッチングもいい。ここなら初めて味噌カツを食べる名古屋人以外の人を連れていっても間違いはないと思う。
 値段は1,300円くらいだったろうか。肉のサイズによっても前後するけど、味噌カツとしてはまずまず平均的な価格だろうか。ヒレ肉ということで少し高めかもしれない。
 やっぱり店の味噌ソースは、パックで売ってるものとは違う。肉も違うし、値段なりの美味しさはある。
 他にも「叶」や「石川」などの有名店もあるけど、基本的にトンカツがある店なら味噌カツもあるから、あえて有名店に行く必要もないかもしれない。ホントかウソか、愛知県内で味噌ソースを扱っていないトンカツ屋は一軒もない、という話がある。

 ちょっと不思議なのだけど、味噌カツ元祖の店というのは私の知る限り名古屋にない。ひつまぶしにしても、味噌煮込みにしても、天むすなどにしても、たいてい発祥店があったり元祖争いをしていたりするのに、味噌カツに関してはそれがない。矢場とんも昭和22年創業というから、最初期から味噌カツを始めた店だろうに、うちが発祥などとはうたっていない。いつ、誰が、どの店で始めたのかは、ほとんどの名古屋人が知らないんじゃないだろうか。
 戦後、飲み屋のカウンターで酔った客が、串カツを面白半分に、どて鍋の味噌に浸して食べたらそれが美味しくてたちまち評判となって、そこから味噌カツが生まれたという話がある。でもこれはちょっと作り話っぽい。
 味噌カツの味噌は、豆味噌から作っている。味噌は大きく分けて4種類あって、大豆と米と発酵させて作るのが米味噌、大麦を加えるのが麦味噌で、大豆のみを発酵させるのが豆味噌となる(もうひとつは混合した調合味噌)。この中で愛知の昔からの名物である八丁味噌は豆味噌になる。徳川家康も豆味噌が好物だった。こういうベースがあったからそこ、この地方で味噌カツが生まれたのだろう。
 最初に味噌カツを店で出したのは三重県津市の「カインドコックの店カトレア」だったという説がある。それが本当なら、名古屋じゃないじゃん。
 味噌ソースは単に豆味噌を薄めたものではなくて、鰹ダシや砂糖などの他に店によっていろいろなものをブレンドして作り上げている。店の味を家で作るのは難しい。
 食べたことがない人はすごく濃くてくどいんじゃないかというイメージを持っているようだけど、実際はそんなことはなくて、思っているよりもずっとまろやかで好ましい甘さに感じると思う。甘みが旨味に直接つながる味だ。キワモノ系などではなく、味噌田楽なんかよりはずっとさっぱりした味だ。
 名古屋地方において味噌カツは完全に市民権を獲得して、専門店や家庭のみならず、学食でも、弁当屋でも、コンビニ弁当でも、当たり前の顔をしてメニューに加わっている。名古屋のモスバーガーでは、「モスライス味噌カツバーガー」が一般メニューとして存在している。期間限定のお遊びとかではなく。コンビニのカツサンドももちろん、味噌ソースだ。

矢場とんビル

 大須にある「矢場とん本店」は、2005年に5階建てのビルとなった。まさか路地奥の食堂だった味噌カツ専門店が、自社ビルを建てられるようになるとは、店も客も思いもしなかっただろう。勢いづいた矢場とんは、東京進出も果たし、2004年には銀座に店を構えるまでになった。更に関東のみならず関西進出も狙っているという。調子に乗って、コンビニで「ナビスコ矢場とんみそかつ風味ポテトチップス」まで出してしまったが、味が薄いと評判はもうひとつのようだ。
「矢場とん」の名物はなんといっても、黒豚わらじかつ(1,600円)だろう。江守徹の顔くらいデカイらしい。少食の私では半分も食べられそうにないけど、いつかおなかぺこぺこのときに挑戦してみたい。
 ここは意外と値段も安い。スタンダードなロースカツは735円だし、みそかつ丼も1,050円だ。この値段の安さも名古屋で人気になった要因だろう。
 やっぱり、名古屋で味噌カツといえば、「矢場とん」で一度は食べてみないことに始まらない。もし行くことがあったら、熱々の鉄板に載ってくる「鉄板とんかつ(1,365円)」をいってみたい。味噌ソースが鉄板でジュージューいいながら香ばしくなるのを想像したら食べたくなってきたではないか。矢場とんのやつめ。
 ぜひ、名古屋に来た際は、味噌カツを試してみてください。食わず嫌いにしておくのはもったいないですから。そして、いつでも私におごってくれてもいいんですよ。
 よい子のみんなは、8月10日の「矢場とんの日」には、矢場とんへ行って味噌カツを食べよう!

2007年春の海上の森で、森の音と匂いと空気とC・W・ニコルを思い出した

自然(Natural)
海上の森春模様

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3, 1/60s(絞り優先)



 そういえば最近、海上の森へ行ってないなと、ふと思った。いや、ずいぶん行ってないぞ。思い返してみると、去年の最後が確か秋の入口だった。ヒガンバナが西日に照らされていたのを覚えている。今年になってから一度は行っただろうかと考えてみる。行ってない。ということは、半年もご無沙汰ではないか。これはまずい。何がまずいのか具体的には分からなくてもまずいことだけは分かった。そうなるといてもたってもいられなくなって、夕方、バッグにE-1とタクマー一式を詰め込んで、食パンを口にくわえたままあわてて家を飛び出した私は、曲がり角で女の子とぶつかって、それが今度うちのクラスに転校してきた女子だったというストーリー展開があったりなかったりしつつ、海上の森へと向かった。
 4月の森は、すっかり春の装いで私を迎えてくれた。山桜には残念ながら間に合わず、大部分が散ってしまっていたけど、それでも森の木々に彩りを添え、小川にも花びらの化粧をほどこして風情を演出していた。山桜の渋さもまたいい。街のソメイヨシノとは違った趣がある。
 野草は、春一番のメンバーから春の主力メンバーにバトンタッチするところだった。スミレも飽きるほど咲いていた。木々の上の方からはウグイスやその他いろいろな鳥たちの鳴き声が聞こえる。
 海上の森を歩きながら、森はいいなぁとあらためて思う。森には森の音があり、森の匂いがあり、森の空気がある。立ち止まって背を伸ばし、胸一杯に空気を吸って、耳をすませてみる。小川のせせらぎや、風が葉を揺らすささやきが聞こえてくる。森は生きている、そんな言葉が頭に浮かんで、何年ぶりかでC・W・ニコルのことを思い出した。正確には、C・W・ニコルのモノマネをする関根勤をだけど。
 4月の海上の森は、まさに春本番待ったなしであった。お久しぶりね、海上の森、少しは私も大人になったでしょう。あなたはお変わりないようで安心しました。と思ったら、湿地があんなことにっ。

海上の森ネコノメソウ

 今日私が歩いたのは、お気に入りの広久手の森-赤池コースだった。四ツ沢を入口とする一般的なコースからずっと南の、「愛知海上の森センター」があるところから出発する。赤池まで行って引き返して、途中の道を北に入って湿地へ行くコースだ。こちらはあまり人が訪れないゾーンなので、めったに人に会わない。会うと両方ともびくっとしてしまう。出会った者同士、こっちにも人がいたんだ、と驚く様子が互いに分かる。
 こちら側で一番目立っていたのが、上のネコノメソウだった。ネコノメソウは、ヤマネコノメソウ、ツルネコノメソウ、マルバネコノメソウなど種類がいくつかあって、区別が難しい。たぶんこれは普通のネコノメソウだとは思うのだけど、咲いている場所からしてヤマネコノメソウの可能性もあるかもしれない。ヤマネコノメソウは葉が互生で、ネコノメソウは対生というのだけど、互生と対生の意味がよく分からない私であった。
 野草としてはさほど珍しいものではない。北海道南部から九州にかけて広く分布していて、林や渓谷などのやや湿った場所を好む。
 黄色い部分全体が花びらではなくて、花は真ん中の5mmくらいで、あとはガク片だ。アジサイみたいな構造と思えば遠くはない。
 猫の目草の由来は、花のあとに果実が裂けて中からのぞく黒い種が猫の瞳孔に似てるところからきている。もしくは、ガクの黄色から黄緑の変化が慌ただしくてそれがよく変化する猫の目のようだというところからきているという説もあるらしい。

海上の森タチツボスミレかな

 スミレシーズン開幕と同時に、今年もまたスミレの名前当ては半ば以上あきらめた。スミレは種類が多くて難しすぎる。いつも、スミレのシーズンが終わる頃には、来年こそスミレの勉強をしようと思うのだけど、次の年になるとその決意はすっかり鈍っているのだった。
 これはたぶん、もっともポピュラーなタチツボスミレだと思う。もし、違ったら、私のスミレに対するわずかな馴染みぶりも崩れてしまいそうだ。
 ニオイタチツボスミレ、シハイスミレ、マキノスミレ、コスミレ、スミレ。葉っぱが細いノジスミレや、花の色が白っぽいフモトスミレなんかはかろうじて区別がつく。しかし、そこへスミレサイシンなどが入ってきて事態をまたややこしくさせる。スミレは3種類くらいでいいじゃないか。
 けど、スミレというのは日本でしか咲かない花だということを知れば、やっぱりちゃんと勉強して区別できるようにならなければと思う。日本以外では朝鮮半島近くの島にしかない。国内では森から街から山まで、いたるところで当たり前のように咲いているから、日本人はあまり大事にしてないけど、本当は国を代表する花としてもっと大切にしてもいい。
 スミレというのは、花の形が墨入れに似ているところからきている、というのが一般的に浸透している。けど、これは牧野富太郎が勝手に言い出しただけなので、本当とは言えない。他にもいくつか説があって、はっきりしたことは分かっていない。万葉集の中では「須美礼」という漢字で登場している。

海上の森エナガ

 ウグイスの鳴き声がさかんにしているものの、どうにも姿を見ることができない。かなり近くから聞こえても見えない。色が地味ということもあるにしても、あれだけ見ることが難しい鳥もそうはいない。一度は撮ってみたいとずっと思っているのだけど。
 今日、唯一撮れた鳥はエナガさんだった。こいつらはサービスがよくて、近くでさえずりながらチョコマカしてくれるから、姿を見つけやすい。ただ、異常に落ち着きがないので、狙い通りに撮るのは難しいとも言える。一ヶ所にじっとしてることを知らないやつらだ。
 日本にいる鳥の中ではキクイタダキに次いで二番目に小さくて、9グラムほどしかない。スズメでも20グラムあることを思うと、いかに小さいか。
 全長の半分は尾っぽで、そのスタイルがひしゃくの柄のようだというんで柄長(エナガ)となった。
 秋になるとエサを確保するためにシジュウカラやメジロたちと混成グループになるエナガも、春は恋の季節でペアで過ごすことが多くなる。5月には子供も生まれる。変わった特性として、ペアの他にヘルパーと呼ばれるエナガがひなにエサをあげたりして子育てを手伝うというのがある。エナガは仲間同士でも、他の鳥たちとも仲良しさんなのだ。

海上の森シデコブシ

 少しだけシデコブシの花が残っていた。これは愛知、岐阜、三重の限られた湿地帯にのみ自生する珍しい花で、愛知万博が海上の森を会場にすることを断念したひとつの理由になったのがこの花の存在だった。
 通常のコブシと比べると、花びらの形と色がずいぶん違っている。花びらは10~25枚でヒラヒラと波打っていて、色も白からピンクまで変化が多い。
 もともとはコブシとタムシバが交雑して生まれたものと推測されている。
 現在は日本全国で栽培されいて、見ること自体は難しいものではない。公園などでも咲いている。たくさんある園芸種のマグノリアの親ともなっていて、英名をスターマグノリアという。
 コブシの木よりも小型で、2メートルほどにしかならないので、庭木にも向いている。春先にピンクの花びらがヒラヒラと踊るように咲いて、ほのかな香りを漂わせる。

海上の森ハルリンドウ

 湿地にたどり着いた頃は森の向こうに日が沈んで暗くなり始めていた。今回の一番の目的だったハルリンドウはこの通り、早くも眠りについてしまっていたのだった。残念無念、また来週、は来られないから、今年は見られずじまいで終わってしまうのか。
 去年、初めて見たとき、この世にこんなに清楚な青が存在するのかと感動したのをはっきり覚えている。あれは生まれて初めて見る青だった。空の青とも海の青とも違う、他の花の青とも違った。秋のリンドウの青とも違う。もはや、ハルリンドウ・ブルーとしか呼べないような青だ。
 陽の当たる昼間だけ咲き、日が沈むとしっかりと花を閉じてしまう。春の太陽の申し子。なのに、花は星の形をして咲く。昼に咲くブルーの星。
 政夫さんがりんどうのような人なら、私はハルリンドウのような人になりたい。そのためにはまず夜型の生活を根本から改善する必要がある。

 半年ぶりの海上の森で激変していたのが、湿地帯の金属道と進入禁止のロープだった。なんじゃこりゃ、と驚いた。手つかずの森だったのが、愛知万博をきっかけに少しずつ人間の手が入って、自然から遠ざかっていっている。小屋や集落にトイレができたのはありがたいことだけど、湿地のあれはちょっと残念だった。人が踏み込んで湿地が荒れてしまうというのは分かるけど。あれでは夏にハッチョウトンボを近くで見るのも難しくなる。
 愛知県がどう考えているのか知らないけど、個人的にはもう何もしないでいいですからと言いたい。
 海上の森は、これからますますいい季節になっていく。ただし、快適な散策ができるのは6月までだ。それ以降は暑くなるし、蚊やクモの巣という大敵が現れて、いろんな意味で消耗が激しくなる。8月の海上の森は、間違ってもヒールを履いた女の子とデートで行くようなところではない。野草や花が一番賑やかになるのも、5月、6月だ。暖かくなれば、蝶や虫たちもたくさん飛び交うようになる。海上の森デビューは、この時期をおいて他にはないと言い切ってしまおう。
 今シーズンも、私は月に一度くらいのペースで行きたいと思っている。森歩き、楽しいぞ、と再認識した一日だった。海上の森、ありがとう、近いうちにまた行きます。

月島でもんじゃ焼きを食べることは東京タワーに登るようなお約束

東京(Tokyo)
月島もんじゃストリート入口

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6),f3.8, 1/20s(絞り優先)



 東京の名物料理を食べようと思い立ったとき、はて、それは一体なんだろうかとなる。せっかく東京へ来たんだから東京名物を食べていこうかとなったとき、東京ならではの食べ物って何かあるだろうか。
 そばや江戸前寿司なんかは、東京オリジナルのものではない。東京は世界中の美味しいものを何でも食べられるところだけど、東京でしか食べられない名物っていうのが意外とないことに気づく。東京へ行ったらとりあえず食べておけ的な食べ物って何だろう。
 ひとつ思いついたのが、もんじゃ焼きだった。発祥は浅草だとか群馬だとかいくつか説があるようだし、必ずしも東京オリジナルのものではないにしても、一応東京の食べ物のような気はする。
 そんなわけで、我々は夜の月島へと向かった。浅草の方が安いらしいのだけど、ここはひとつ、いかにも観光地という月島で食べた方が雰囲気は出るに違いないということで。

 月島は、明治中期に隅田川の中州を埋め立てた東京湾埋め立て地第一号として誕生した町だ。当初は長屋の密集地帯で、下町として発展していくことになる。
 もんじゃ焼きは、駄菓子屋で生まれた子供のためのおやつだった。鉄板の上にメリケン粉(小麦粉の昔風の呼び名)を水で溶いて薄く焼いた上にしょう油などで味付けして食べたのが始まりだ。子供たちが遊びで、鉄板の上に文字を書いて焼いたところから文字焼きと呼ばれるようになって、大正時代になった頃からそれがもんじゃ焼きと言われるようになったというのが定説となっている。
 それより以前の江戸時代にすでに似たようなものがあったという説もある。1819年の『北斎漫画』の中で「文字焼き屋」の挿絵が出てくる。お好み焼きのルーツは、戦国時代に千利休が茶会で出した「麩の焼き」だと言われているから、もんじゃに類するものはかなり昔からあったと思ってもよさそうだ。
 歳月と共にだんだんキャベツやイカなどの具を載せるようになり、味付けもしょう油からウスターソースへと変わっていった。
 その後もんじゃは駄菓子屋の減少とともに数を減らしていくことになる。だんだん具が多くなって高価になってしまって、子供がお小遣いで食べられるおやつではなくなっていったというのもひとつの要因だった。
 その一方で、下町名物として観光客やサラリーマンなどにターゲットを変え、徐々に盛り返していく。月島はその典型で、昭和30年代には4軒しかなかったもんじゃ焼き屋が平成に入ってから増え始め、平成9年にはついにもんじゃストリートなるものが誕生することになる。そのときはすでに30軒近くまで店が増えていた。
 平成12年の地下鉄大江戸線開通もあり店は更に増加し、現在は75軒もあるという。わずか500メートルほどのもんじゃストリートの両脇は、もんじゃ屋がひしめくように並んでいる。この店舗数でも成り立っていくのが東京のすごさだろう。大阪や名古屋ではこういう形態は成り立たない。情報が横に伝わって、格差がはっきりしてしまうから。東京は観光客相手だから客を分け合うことができているのだろう。

月島もんじゃ風月

 軽い思いつきで月島へとやって来た我々は、もんじゃストリートの前で立ち止まることになる。どの店に入ればいいの? と顔を見合わせるものの、手掛かりがない。とりあえず月島へ行って、賑わってそうなところに入れば間違いないだろうという軽い乗りでやって来て、あまりの店の多さに戸惑ってしまった。店の様子なんて外からはさっぱり見えない。たまに行列ができてる店があるものの、それが本当に美味しい人気店なのかどうなのか判断がつかない。
 そんな中、勘で選んだのがこの「風月」という店だった。根拠はない。ただ、なんとなくだ。扉を開けると、かなりお客がいたので安心する。店主と我々のマンツーマン・ディフェンスになってしまったら困ってしまうところだった。
 しかし、結果的に、この店は大当たりというわけではなかったようだ。帰ってきてから復習して分かった(遅すぎる)。

風月店舗内

 お客はほぼ満席だったので、不人気店というわけではない。味も普通に美味しかったし、ここの固定ファンも大勢いるのだろう。ちょっと納得いかなかったのは、食べ物を注文する前に必ずひとり一杯飲み物を注文しなければいけないというのと、食べ物は人数分でなければいけないというシステムだ。別にのども渇いてないし、酒は飲まないから飲み物なんていらないぞというのは通用しない。最初から酒を飲むつもりの人なら問題ないのだろうけど、酒を飲まない私たちは巨大なグラスに入った450円のウーロン茶を3分の1も飲みきれずに終わったのだった。高けえウーロン茶だな。それに、ふたりでひとつのもんじゃ焼きを注文して分け合ってもいいではないか。一杯のかけそばの親子なんて泣いて帰ってしまうぞ。
 しかし、ここの店に限らず月島のもんじゃ焼きは高いなと思う。小麦粉とキャベツがメインの原材料を考えると、1,000円オーバーは完全に観光地価格だ。具が豪華になると2,000円とか3,000円とかになる。これじゃあ、子供は食べられない。しかも、お客が焼くんだから調理の手間もかかってないのだ。感覚的にいえば、せいぜい500円か600円のものだろう。

 何事も予習というのは大事なわけで、あとになって人気店というのもだいぶ分かった。テレビなんかに紹介されて駄目になってしまう店もあるとはいえ、一定以上の支持を集めるにはそれなりの理由があるわけで、人気上位の店は他とは違う何かよいところがあるに違いない。初めて行くなら、まずはそういう店から行っておいた方が無難だ。
 たとえば「もん吉」などの有名店ならまず間違いないだろう。あとは海鮮もんじゃの「月島」や、「綿」、「近どう」あたりの評判がよさそうだ。路地裏では「麦」なども人気が高い。
 東京に住んでいる人なら食べ比べもできるけど、観光客は一発勝負だから、並んでも人気店に入っておいた方がいいと思う。

もんじゃ焼き実践編

 さて、いよいよもんじゃ焼きのタネが運ばれてきて、焼いて食べる段になった。しかし、もんじゃ焼き完全シロートの我々は、それを見てふむとうなって動きが止まる。その様子を見た鉄板少女アカネならぬ鉄板オヤジさんが、焼き方を教えましょうかと親切に言ってくれた。一も二もなく、お願いしますと言う二人。お好み焼きのように具をダバァっと流し込んで焼けばいいというものではないらしい。
 まずは鉄板を温めて、油を引きのばす。そこへ、汁を残して具材だけを鉄板の上にガバッとあけて、ハケでキャベツを刻むように焼いていく。ここはカンカンカンカンうるさくするのが玄人っぽい。小声の会話などかき消されてしまうくらいに。
 キャベツなんかがしんなりしてきたら、炒めた具でドーナツ状の土手を作る。汁が決壊しないように、しっかり作るのがコツだ。その真ん中のところへ汁を流し込む。ここで端に取っておいたスルメイカの刻みを入れるのを忘れないようにする。これを入れ忘れるとあとからパンチのない味になる。
 ここで汁のところにソースを加えて、固まってきたら具と混ぜ合わせて、あとは小さなコテ(ハガシというらしい)で食べるだけだ。フハフハしながら熱々を食べていく。のだけど、このハガシとやら、やけに食べづらい。具をすくおうとしてなかなか乗らないのがもどかしい。昔、レストランで皿に盛られたライスをフォークの背中に乗せて食べていた時代を思い出した。思わず箸くださいと言いたくなるほどだ。
 なにはともあれ、もんじゃ焼きは美味しかったので、けっこう満足した。お好み焼きとはまた違った美味しさがある。ダシが違うのか、食感の違いが味にも影響してるのか、同じ種類の食べ物ではない。この先どちらかしか食べられなくなると言われたら、迷わずお好み焼きを選ぶけど。

 次にもんじゃ焼きを食べる機会があるのかどうか。まったくないとは言えないけど、明日にでももう一度行きたいというほど切実な願望はない。月島でもんじゃ焼きを食べたという事実で満足してしまった感がある。これで充分話のネタになる。これが浅草でお好み焼きを食べたというのでは話のネタにもブログのネタにもならない。美味しいかどうかはこの際、二の次なのだ。
 もう一度食べることがあれば、今度は発祥の地とされる浅草で食べてみたい。あちらの方が安くいて美味しい店がありそうだ。行くときはちゃんと下調べをして、一番評判のいい店で食べよう。そうしたら、もんじゃ焼きに対する思いもまた違ったものとなるかもしれない。
 東京名物探しの旅はまだ始まったばかりだ。その街ゆかりのものとかに範囲を広げつつ、今後も探っていきたいと思っている。次は浅草の「どぜう」をいってみようと計画している。どじょうなんて子供のときに田舎で見て以来だ。もちろん、食べたことはない。ゲテモノではなく本当に美味しいものなんだろうか。もし食べるにしても、素人らしく謙虚に、骨抜きの深川にしてもらおう。
 それにしても、東京で文字焼きやどじょうを食べてるなんて田舎のばあちゃんに言ったら、食べるものにも困ってるのかと心配してお金を送ってきそうだな。

二度目の猿投桃畑散策でもベストビューポイントは見つからず

花/植物(Flower/plant)
猿投の桃畑-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/50s(絞り優先)



 愛知県豊田市の北に猿投山(さなげやま)がある。上の写真に写っているのがそうだ。あそこの山頂まで登ったのはもう2年半前になるのか。
 猿を投げる山って、猿を捨てる山だったのかと思いきや、当たらずといえども遠からず。大昔、景行天皇が伊勢へ行ったときに連れていった猿が悪いことばかりしたので伊勢の海に捨ててしまったところ、海から上がって鷲取山に逃げ込んでそこで暮らすようになったことから猿投山と名づけられたのだという。でも、ちょっと待ってくれと思う。伊勢から猿投山までは高速道路を飛ばしても2時間はかかる距離だ。どうしてあえて伊勢からここまでえっちらおっちら猿が歩いてこなければならないというのか。ここに来るまでに山ならいくらでもある。鈴鹿山脈とかでもよかったではないか。このエピソードにはかなり無理がある。一体誰が言い出した話なんだ。
 それはともかくとして、4月上旬のこの時期、猿投山のふもとは桃の花で一面ピンクに染まって、桃色吐息。偶然通りかかって見つけたのは、おととしのことだった。去年初めて写真を撮りに行ったのだけど、時期が微妙に遅れたことと、ベストビューポイントを見つけられなかったことで今年の宿題になっていた。
 そして今日、満を持して再チャレンジしてきた。しかし、私が万全を期すときがだいたいそうであるように、今回もまた機は熟しすぎていた。完全に油断負け。今回は去年以上の出遅れで、おそらく最盛期は3日か4日前だった。満開から過ぎて花が散り始め、花摘み作業も場所によってはかなり進んでしまっていた。ああ、失敗。ああ無情、ジャンバルジャン。去年行ったのが17日で、来年は15日に行こうなんて言っていたのに、今日はまだ10日。今年は気候が少しおかしくて桃は先走って咲いてしまったらしい。年によってずれるとは聞いていたけど10日近くも早まるとは思ってもみなかった。猿投の桃は有名といえば有名だけど、花見客が大勢押し寄せるといった場所ではないので、ネットでの情報が決定的に不足しているのだ。家からけっこう離れているから毎日偵察に行くわけにもいかない。
 それでも二回目ということで、だいぶ状況が掴めた。今日は私が見つけたスポットを写真で紹介していこうと思う。今年の残りと来年以降に行く人の参考になるように。

猿投の桃畑-2

 ここは去年見つけた場所。同じ場所から写真を撮って、去年のブログに載せている。
 名古屋方面からなら猿投グリーンロードの猿投インターを降りて、県道349号線にぶつかるところを右折して南下する。3、4分走ると、右にJAあいち豊田(とよたFRUIT直販所)と書かれた建物があるので、そこの駐車スペースに車をとめて眺めるとこの光景が広がっている。建物は倉庫なのか何なのか、いつ見ても閉まっている。昼間は開いてるのだろうか。とりあえず前のスペースが空いているのでしばらく車を停めておいても大丈夫そうな気がする(気のせいかもしれない)。まずそうなら、近くの道路は駐禁じゃないので脇に止めておいても平気だろう。
 ここから右(西)に進むと、桃畑は広がっているのだけど、立つ位置が低くなるので全体を見渡すことができない。あたりを見渡してどうにか登れそうな高いところはないか探してみても、どうにもなさそうなのが残念なところだ。このあたりで5、6階建て相当の建物か何かあれば非常に素晴らしい展望になるのに。
 猿投の桃畑は一ヶ所に固まっているわけではなくて、各農家さんがそれぞれの土地で桃をとるための畑を作っているだけなので、景観をよくすることは主眼に置かれていない。観光地ではないから。なので、なんとか自力でいいポイントを見つけるしかない。社交的な人なら、思い切って地元っぽい人に訊いてみるのも手かもしれない。このあたりで高い場所ってどこですか、と。そりゃ、おめえ、猿投山だが、などという返事が返ってくるだろうか。いや、そういうことじゃなくて。

猿投の桃畑-3

 349号線の西側はあきらめて、今日は東側を重点的に探ってみた。先ほどのとよたFRUIT直販所の道を渡った反対側(東方向)に入っていく道があるので、そちらの坂道を登っていく。すぐ先で二手に別れるので、その左側へ進む。そこから先は道が狭くなるので、車は分かれ道あたりで置いておいた方が無難。地図上でいうと、348号線と419号線に挟まれた一帯だ。
 ここでひとつ、お気に入りの場所を見つけた。桃の密度はそれほどでもないものの、適度に桃色が点在していて風景としてのバランスがいいのと、周囲の緑色とのコントラストが美しい。いかにも春の田園風景といった風情で、のどかな気分になる。実際は写真よりもずっといいので、ここはオススメしたい。
 猿投地区は日照時間が長くて年間の雨量も1,400mm以下と美味しい桃が育つ条件が整っているということで、愛知県で最もたくさんの桃が作られている。約1キロ四方に2万本の桃の木があるそうだ。
 日本でたくさん作っている県は、山梨、福島、長野、岡山あたりになる。そのあたりにも桃畑の名所が散在しているのだろう。

猿投の桃畑-4

 桃の花が満開になると、桃農家さんは俄然忙しくなって、花見どころじゃなくなる。花の受粉を助けるために、ひとつひとつ花粉をつけていくという気の遠くなるような作業が待っている。短気な人と単純作業が苦手な人には向かない職業だ。
 それと同時に花摘みもしなくてはいけない。桃の花は最初白っぽくてだんだん赤みが強くなっていく。そうやって一本の枝にたくさんの花をびっちりつける。けれど、これだけ全部が実になるのは無理があるので、美味しい桃のためにはよいものを選定しなくてはいけない。よい花を残して悪い花はどんどん摘んでいって、一本の木に残す花の数を決める。これまた根気のいる作業だ。花は摘まなくても満開から一週間程度で落ちてしまう。
 というわけだから、桃の花畑のピークを見極めるのは桜の満開を当てるよりも難しくなるのだ。満開から花摘みまで2、3日が勝負になる。猿投に友達を作って、毎日様子を知らせてもらうしかないかもしれない。
 5月の中旬から6月にかけて、実がなってくると、今度はそれに袋をかけていく。害虫や日焼けから守るためだ。これまた大変だ。すべての作業が上を向いて腕を上げてだから、相当きついだろう。猿投中学(通称サルチュー)のバレーボール部の1年生に手伝わせたらいい。
 6月下旬から7月にかけてが収穫時期になる。夏には美味しい桃を私たちが食べられるのは、こうした桃農家さんたちのおかげだ。せめて上を向きながら手を高く掲げて食べよう。少しでも苦労を味わうために。
 農家さんには犬がよく似合う。こういうシーンで猫というのはいかにも役に立たない。

猿投の桃畑-5

 桃の花は近くで見ると、やはり桜よりもずっとピンク色が強くて華やかだ。中原中也におめえは何の花が好きなんだと問われて太宰治が答えたのが、桃の花だった。桜でも梅でもないところが太宰治らしいといえるだろうか。
 桃の花は下品になる手前で踏みとどまった可憐さがある。エビちゃんみたい。でも、エビちゃんが好きと言っても不審がられなくても、桃の花が好きと公言する男は少し警戒感を持たれるかもしれないので注意が必要だ。
 こんなに派手な色だから園芸種と思いがちだけど、食用の桃をとるための実モモは花のための品種改良はされていない。花を楽しむためのものをハナモモといって区別している。ハナモモの花は、これよりも大きくて桃色の他に白や赤、八重などがある。実はならないか、なっても小さくてまずいそうだ。
 原産地は中国北部の黄河上流だと言われている。日本には弥生時代または縄文時代に伝わったとされる。英語のピーチ(Peach)は、ペルシアからヨーロッパへ伝わったということでペルシアが語源となっている。
 桃は中国名で、語源は「真実(まみ)」が変化したとか、実の色の「燃実(もえみ)」からきてるとか、たくさんの実をつけるから「百(もも)」だとかいろいろな説があってはっきりしない。
 日本も中国も、古来より桃には邪気を祓う力があると考えられてきた。あるいは子だくさんや長寿をもたらすものともされる。

猿投の桃畑-6

 二度目となった今回の猿投桃畑紀行も、日没前の1時間という短い時間となって、充分な散策とはならなかった。未練が残る。去年気になっていた東側を探索できたのは収穫だったものの、思い描いているいるような場所は今回もまた見つけることができなかった。頭の中にある桃花源はどこにあるのか。陶淵明が書いた漁師のように、私もまた幻の桃源郷のイメージに翻弄されているだけなのだろうか。
 来年、もう一度挑戦したい。必ずベストビューポイントはあると信じて。次こそ完璧なタイミングで訪れたい。桜に気を取られすぎないように桃の状況にも心を配りつつ、花摘み直前を狙おう。それと、もう少し時間が欲しい。日没前はいけない。写真的にも青空の方が映えるし、もっと早い時間に出向かなければなるまい。
 去年の来年の今年、自分は一年前と比べてどれくらい違っていたのだろう。あまり変わってないような気もするけど、少しはいい方に変われていただろうか。来年の今頃は何をしていることやら。なんにしても、今年もまた桃畑を見られたことは喜ばしいことで、来年も見られたらそれは幸せなこと。
 桃の花よ、また来年会おう。無理な注文とは思うけど、次は私の都合に合わせて咲いてくれると助かります。

時を止めた異次元空間の鬼子母神で夢から覚めた夢を見る

東京(Tokyo)
鬼子母神参道より

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f4.5, 1/100s(絞り優先)



 都電荒川線の線路を越えたときはすでに日が傾きかけていた。昭和の香り濃い商店街を通って、ケヤキ並木の参道を抜けて左に曲がる。そこで突然空気が変わる。今まで冗談を言ってふざけいてた笑いがスッと引いて、神妙な顔つきになるみたいに。
 ああ、ここは……。
 そう、小さくつぶやいて、その先の言葉を見失った。初めて訪れた場所なのに懐かしい。いや、ずっと昔来たことがあるのか。目を細めて遠い記憶を探す。ふと、映画『異人たちとの夏』を思い出した。あの作品の舞台は浅草で、季節は夏だったけど、ここまたあんな異空間の空気が支配している場所だった。疑似タイムスリップ感というのはこういうことをいうのか。21世紀の現実世界が悪い夢で、この空間に入った瞬間に夢から覚めたみたいに感じた。
 鬼子母神堂。それは、室町から昭和までの歴史を重ねて、そこで時が止まったような空間だった。だからふと、正気に返ったような気がしたのだろう。

鬼子母神境内

 境内は神聖で近寄りがたいとか、神々しくてものものしいようなものではない。かつて町のどこにでもあったような正常な空気に支配されているだけだ。歴史の重みで息苦しいなんてこともない。人によっては懐かしいと感じる人もいるだろうけど、私はむしろごく当たり前な気がした。ここが普通で、外が異常なのだと。今の時代、正常な場所は少なくなったから、そういう意味ではここはすごく特別な空間と言えるだろう。
 雑司ヶ谷の住人にとっても鬼子母神は自慢であり、最も親しみを感じる場所のひとつだという。身内もよそ者も分け隔てなく大らかに受け入れる雰囲気がいい。観光客として訪れても、ここだけは自分が場違いには感じないんじゃないかと思う。

 室町時代の1561年、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の畑で鬼子母神の像を掘り出したことに始まる。それを星の井の清土鬼子母神にある三角井戸(現存)で清めて、東陽坊(大行院と改称後、法明寺に合併)に納めた。その後、武芳稲荷(ぶほういなり)の森を開いて像を安置して鬼子母神堂はできた。
 現在のように多くの人が参拝に訪れるようになるのは江戸時代に入ってからだ。1664年に、加賀藩主前田利常の娘(自証院殿英心日妙大姉)が宝殿(現在の本殿)を寄進したことで現在の規模になり、多くの人が参拝に訪れるようになった
 人が集まれば茶屋や料亭が建ち、ますます賑やかになる。境内には駄菓子屋もできて、鬼子母神名物の「すすきみみずく」も江戸時代に生まれている。当時は大人から子供まで大勢の参拝客で賑やかだったことだろう。
 昭和35年に東京都の有形文化財になり、昭和51年から54年にかけて江戸時代の姿に復元するする解体修理が行われた。本殿も境内も戦争の被害を受けなかったようだから、江戸の頃から大きくは変わってないのではないだろうか。
 永井荷風は『日和下駄』の中で鬱蒼とした境内に差し込む夕日の美しさを書いている。雑司ヶ谷霊園に墓がある夏目漱石や泉鏡花、小泉八雲たちもきっと訪れたことだろう。京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』の舞台としても登場している。

鬼子母神大イチョウ

 鬼子母神名物の大イチョウ。別名子育てイチョウとも呼ばれ、樹齢は600年とされている。
 高さは33メートル、幹の周囲は11メートルで、都内では麻布の善福寺にある逆さイチョウに次ぐ二番目に大きいイチョウだそうだ。
 巨大な幹と、毛細血管のような無数の枝で、悪い気を吸い取って浄化した空気を吐き出しているように見える。まさに御神木にふさわしい風格。しかも、まだ成長を続けているというからすごい。秋になって葉が黄色に色づいたら、また見に来よう。

鬼子母神の駄菓子屋

 境内にある駄菓子屋「上川口屋」と、古社武芳稲荷。
 上川口屋は江戸時代から続く都内最古の駄菓子屋で、お菓子などの他にすすきみみずくも売っている。これは、ススキを使ってミミズクをかたどったもので、江戸時代から全国に知られた名物となっている。魔除けにも効果があるということだ。現在は作れる人が3人になってしまったという。
 古社武芳稲荷は、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀ったもので、こちらも古い。
 その他境内には、妙見堂、金剛不動尊を安置した法不動堂(のりふどうどう)、帝釈天王の石像、一字一石妙経塔、山岡鉄舟の碑などがある。

鬼子母神本殿前

 ところで鬼子母神堂は、見た目に反してお寺だ。鬼子母神の神という文字で神社と思ってしまうのと、実際に行ってみた印象としてもこれは完全に神社の境内だ。見た目も、空気感も、ここがお寺だとは思えない。多くの人が神社と思い込んでいるというのも無理はない。
 そもそも鬼子母神というのがどんな神様かということを知れば、勘違いすることもない。
 鬼子母神はインドでは訶梨帝母(カリテイモ)と呼ばれていた。夜叉神の娘で、般闍迦(パーンチカ)という神様に嫁いだカリテイモは、500人もの子供を産み、その子供たちを育てるために人間の子供を次々にさらって自分の子供たちに食べさせていた。困った人間たちはお釈迦様に相談したところ、こらしめるためにカリテイモがかわいがっていた一番下の子供を隠してしまう。カリテイモは嘆き悲しみ、世界中を探して回ったがとうとう見つからずお釈迦様のところへやって来た。そこでお釈迦様は言う、500人のうちたった一人でもその悲しみなのだから、人間の親がどんなに悲しんだか分かるだろう、と。そこでハッと気づいて改心したカリテイモは、以降、子供たちと仏教を守る鬼子母神となったという「法華経」の中のお話だ。
 鬼でなくなった鬼子母神の鬼の字には「点」がない。神になって角(ツノ)が取れたのだ。それでも鬼子母神堂の豆まきは、鬼は外とは言わない。鬼子母神を追い出してしまうとまずいからという理由で。やっぱり鬼子母神は半分鬼扱いなのだった。
 読み方は、「きしもじん」が正しいとされている。ただし、都電の駅などは「きしぼじん」になっている。
 鬼子母神像は、ふところに子供を抱き、右手にザクロの枝を持っている。ザクロは人の肉の味がするからとも、小さな実がたくさんあるところから子孫繁栄の象徴とも言われている。
 鬼子母神信仰は日本でも平安時代からあったといわれている。日蓮も重要視していた神様だ。といわけで、ここは神社ではなくお寺というわけだ。

鬼子母神で参拝

 御利益はなんといっても子授け、安産、子育てだ。お願いする対象が鬼子母神だけに。だから、私などが参拝してもどうなんだという話はあるけど、一応子供から派生して愛の神、縁結びの神ということにもなっているようだから、お参りがまったくの空振りということにはならないはずだ。けど、女遊びが好きなプレイボーイが来るところじゃないなとは思う。
 毎年10月の半ばには鬼子母神御会式(おえしき)という日蓮を供養する大祭がある。境内には露天が並び、万灯と呼ばれるしだれ状の灯りを持って、夜の雑司ヶ谷を練り歩く。はっぴや着物を着た人たちが太鼓を叩いて行進する様は、江戸時代から続く伝統的な祭りとして定着している。タイミングが合えば、一度見てみたい。

 鬼子母神を訪れた人に、どうだったと訊ねたら、多くの人がいいところだったよと答えるだろう。けど、どういう風によかったのか具体的に教えてもらおうとしても、うーん、雰囲気がよくてねくらいにしか答えが返ってこないかもしれない。そう、ここはなんとなくいいところなのだ。そこはかとなく。
 私の受けた印象としては、とてもまっとうな空間に思えた。自分の中の狂ったリズムやテンポや傾きを修正してくれるところと言ってもいい。東京見物の一番最後に行くと、東京の雑踏や喧噪で麻痺した感覚がスッと元に戻るようなリセット効果が得られるだろう。
 とはいえ、ずっとここに住むわけにはいかない私たちは、21世紀の街の中へ再び出ていくしかない。私たちが今生きる場所はここではない。さよなら、ありがとう、鬼子母神。心が疲れたらまた来ます。日が暮れかけて、門も閉まった。夢から覚めたと思ったら、夢から覚めた夢を見ていただけだったらしい。

タケノコサンデー料理のキーワードは竹の子族とかぐや姫と神田川

食べ物(Food)
タケノコサンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/40s(絞り優先)



 新タケノコが出回る季節になった。桜の季節になればそうだねタケノコだって生えてくる。地面からニョキッと、E気持ち~と歌いながら顔を出す。
 久々に目新しい新しい食材が手に入ったということで、今日のサンデーはタケノコを中心に組み立ててみた。タケノコ料理というと、まず単純に煮付けが思い浮かぶ。でも、それは昔からよく食べているから面白くない。ここはひとつ、洋風にしようとトマトソース煮込みにしてみた。この組み合わせは一度も食べたことはないけど、たぶん合うに違いないと思って。実際、よく合って、美味しかった。
 トマトソース作りはいつもの通り。タマネギのみじん切りをオリーブオイルで炒めて、皮をむいて乱切りにしたトマト、鶏肉を放り込んだら、あとはケチャップ、トマトジュース、白ワイン、砂糖、塩、コショウ、コンソメの素で味をととのえるだけだ。
 タケノコはあらかじめあく抜きをしたあと、水もしくはだし汁でしっかりゆがいておく。最後にトマトソースと絡めて少し煮込む。
 タケノコをもらいすぎて煮付けにも飽きたなんてときには、これでおかずが一品できる。他のレシピとしては、甘辛鶏そぼろ和えや、牛肉巻きなんかも作ってみたいし、タケノコは焼いても美味しい。
 店で売っているのは孟宗竹が多い。けど食べられるタケノコはそれだけではない。機会があれば他の竹も食べてみたい。淡竹や真竹なんかもたまに売っているそうだ。
 栄養としては、これが意外と少ない。ビタミンCやBもそれほどではなく、食物繊維が主と言ってもいい。カリウムは多いから、高血圧予防などにはなる。カロリーが低いから、ダイエットには向いているかもしれない。タケノコダイエットが主流になることはないと思うけど。

 タケノコに合わせてあと2品作った。「サーモンとダイコンのカニ缶合え」と「豆腐チーズハンバーグの白味噌マヨネーズソース」。
 ダイコンは薄切りにして白ワインをふりかけてしばらく置いておく。サーモンも薄くスライスして、塩、コショウ、白ワインをふってしばらく待つ。
 次にだし汁でダイコンをじっくり煮て、あとからサーモンを加える。サーモンは色が変わる程度で火を止める。
 あとはオリーブオイル、カニ缶、ハチミツ、塩、黒コショウ、水溶きカタクリ粉をひと煮立ちさせたものを上からかければできあがりだ。
 私は前に刺身を食べて当たって救急車で運ばれて以来生もの恐怖症になってしまったからサーモンを茹でたけど、普通の人はそのまま生でもいい。見た目はその方が紅白になってきれいに見える。私はいつになったらもう一度寿司を食べられるようになるのだろう。
 豆腐ハンバーグは何度か作っている。その中で今回のは何故か妙に美味しかった。何がよかったんだろう。
 木綿豆腐をレンジで加熱して水を飛ばしてしばらく置く。卵をとじて、その中に刻んだタマネギ、砕いた豆腐、生パン粉、しめじを刻んだものを混ぜ合わせて、ハンバーグの形にする。あとはオリーブオイルとバターでじっくり焼いて、後半とろけるチーズを乗せる。
 ソースは、白味噌、マヨネーズ、からししょう油、砂糖、白ワイン、みりん、塩、コショウを混ぜたもので、それをハンバーグの両面に塗りながら仕上げる。つけあわせのしめじにもソースを塗って焼く。
 よく分からないけど成功した。無欲の勝利だ。とろしとした舌触りと甘めのソースがよく合って、貧乏ハンバーグとは思えないほどだった。貧乏じゃない人にもオススメしたい。しめじの刻みを混ぜたのが意外と効いていたのかもしれない。バター焼きにすることと、とろけるチーズを乗せることも欠かせない。

 今日は3品ともうまくいった。しかしもちろん、計算ではない。ただの偶然だ。もう一度同じものを再現してみろと言われてもできるはずもない。いつでも行き当たりばったりなのが私のサンデー料理なのだから。それでも、今日の豆腐ハンバーグだけはもう一度作ってみたい。自分で作ったものでもう一度食べたいと思うものはそう多くない。
 新タケノコはやっぱり柔らかくて美味しい。この時期になると、自分はやっぱりタケノコが好きなんだということを毎年再確認する。できることなら自分ちの裏山で朝抜いたものを料理したいものだ。山なんて持ってないけど。
 いつか山を買ったら、孟宗竹を植えて、タケノコを掘りたいと思う。背中にカゴを背負ってタケノコを掘っている私を見かけたら、オオタの野郎、山買いやがったのかと思ってください。決して人んちの山でタケノコドロボーをしているわけではありません。
 次回のサンデー料理にもぜひ、タケノコを登場させたいと思っている。タケノコづくしでもいいかもしれない。タケノコと肉、タケノコと魚、タケノコと野菜という各コラボレーションが食欲をそそって、私を魅惑のタケノコ世界へと誘う。もしかしたら私の前世は、かぐや姫だったかもしれない。赤い手拭いをマフラーにして横丁の風呂屋でも行くか。

明治の雑司ヶ谷にマッケなんとかいう偉い宣教師の人がいたんだってね

東京(Tokyo)
宣教師館表から

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f4.5, 1/640s(絞り優先)


 護国寺からのんびり歩いて雑司ヶ谷へとやってきた。静かな住宅街の道を進むと、道が突然赤煉瓦敷きになる。その先に目指す旧宣教師館はある。このときはツレが場所を知っていたから迷うことはなかったけど、初めて行く人は見つけるのに苦労しそうだ。道ばたを歩いている人に訊けばたいてい分かると思うけど。
 交通機関としては、どこから歩いても少し遠い。目白からでも歩けない距離ではないけど、もう少し近いところとしては、地下鉄有楽町線の東池袋駅か護国寺駅ということになる。どちらから歩いても10分くらいかかるだろうか。都電荒川線の雑司ヶ谷駅からなら7分くらいだ。
 9時から午後4時半まで開いていて見学自由となっている(月曜、第3日曜定休、祝日の翌日も休み)。無料なので思い切って入っていけば大丈夫だ。ただし、内部の写真を撮る場合は、別棟にいる管理人さんに申し出る必要がある。ノートに代表者の住所と名前を書くシステムだ。私が住所を書いていたら、わー、名古屋からみえたんですかと驚いていた。ここだけを目指して行ったわけではないけど。
 それではさっそく、及び腰でお邪魔します。

宣教師館外観

 ネットで宣教師館を紹介している写真はたいていこの角度からの写真と相場が決まっている。十中八九そうだ。現地に行ってみれば分かるけど、ここしか撮る場所がないのだ。これ以上近づくと全体が入らなかったり邪魔なものがあったりで、後ろはこれ以上下がれない。なので必然的にこの場所からとなってしまう。うーむ、家の前の木、ちょっとどいてくれないかな。

 旧宣教師館の名前の通り、かつてここにはある宣教師が住んでいた。
 ジョン・ムーディー・マッケーレブ。1861年、アメリカ・テネシー州ナッシュビル郊外生まれ。
 父親を南北戦争で失ったのが生後6ヶ月のとき。少年時代から苦労を重ね、勉強して、クリスチャンとなる。27歳のとき、ケンタッキー州のカレッジ・オブ・ザ・バイブルに入学にして、先輩宣教師アズビルの勧めで日本での伝道を決意する。
 1892年(明治25年)、新婚の妻デラを伴い、来日。築地、神田、小石川で伝道活動を行い、1907年(明治40年)に雑司ヶ谷のこの家に移り住んだ。以降はこの地を拠点として、太平洋戦争開戦直前の昭和16年まで、伝道活動に力を尽くした。
 それだけでなく、現在雑司ヶ谷幼稚園のある場所に雑司が谷学院を開校して、青少年教育や慈善事業などの活動も積極に行い、多くの日本人に感銘を与えた。日本での伝道活動は50年に及び、この家にも34年間暮らした。戦争がなければ日本に骨を埋めることになっただろう。
 マッケーレブが帰国したあと、家は売却され、音響機器メーカー(スタックス)の本社ビルとして使われたりしながら、最後は建築会社のものとなり解体されることになった。しかしここで住民や建築家などの保存運動が起こり、昭和57年に豊島区が買い取って保存されることが決まる。
 その後、調査、修理などをしたのち、平成1年から館内が一般公開されるようになった。平成11年には東京都有形文化財にも指定されている。
 豊島区内ではもっとも古い洋館で、都内でも明治の純木造建築はほとんど残ってないので、これは貴重なものとなっている。

 建物は二階建ての木造建築で、シングル様式とカーペンターゴシック様式を組み合わせた19世紀末アメリカの典型的な郊外型邸宅のスタイルをしている。屋根は寄棟造りで一部切妻。
 洋館といっても宣教師館ということで豪華さや派手さはなく、むしろ質素なくらいだ。それでもこの外観は当時の日本人の目には相当ハイカラに映ったことだろう。出窓や大きなガラス張りなど、今見ても洒落た印象を受ける。

宣教師館内観

 内部はさすがに歳月感じさせる古さだ。走ったりしたら床が抜けそうで、そっと忍び足で歩いてしまう。
 家具などは当時のものはあまり残ってないのだろう。持ち主を変えていなければもっと残っていたかもしれない。部屋の様子は当時の面影をほとんど残していないのかもしれない。
 ほとんどの部屋は展示室になっていて、マッケーレブの活動や生活の様子紹介、児童書コーナー、雑司ヶ谷の紹介などがある。ミニチュア模型やビデオなどもあった。
 目を引いた物としては、石炭の暖炉や、竹張りの天井などだ。それと、二階に浴室があったのもちょっと驚いた。どうしてあえて二階だったのだろう。

宣教師館の廊下

 きしむ廊下に味がある。広い窓から光がたくさん差し込んで気持ちがいい。家の裏側は特に大きな窓になっていて、採光という点に関して外国人の方がずっと進んだ考えを持っていたことを知る。日本家屋の場合、畳やふすまなので、あまり光が入るとすぐに日焼けしてしまうというのがあって、必要以上に窓は大きくしなかったというのもあるのだろう。
 出窓というのも、ちょっとした工夫なのに効果は大きい。これがあるだけで部屋は明るく広く感じられる。
 間取りとしては広くないのに、近くに階段が二つあるのも面白かった。これも日本人にはない発想だ。普通、家族が暮らす二階建ての家に階段は一つでいい。二つあって、別々の部屋につながれば便利といえば便利だけど。
 家の裏には芝生と花壇があって、金髪の親子が座ってまったりしていた。あまりにも絵になる光景だったので写真に撮れなかった。表側ではブルーベリーがたくさん花をつけていた。きっと奥さんのデラは花壇で季節の花をいっぱい育てていたのだろう。

大門ケヤキ並木

 旧宣教師館をあとにした私たちは、雑司ヶ谷散策のゴール地点である鬼子母神へ向かった。ここはその手前にある有名な大門ケヤキ並木だ。
 信長、秀吉の時代に雑司ヶ谷村の長島内匠が鬼子母神へ奉納の為に植えたのが始まりとも、旧鎌倉街道の並木が残存したものともいわれ、いずれにしてもかなり歴史のあるケヤキ並木だ。
 昭和12年頃までは樹齢400年のケヤキが18本残っていたそうだ。今は古いものは4本だけになってしまった。それでも4本は戦国から江戸時代、明治、大正、昭和、平成と、ここで人々の暮らしと鬼子母神に参拝する人たちを見守ってきたということになる。

並木ハウス

 ケヤキ並木の中ほどに、手塚治虫ファンにはお馴染みの並木ハウスがある。このアパートの201号室に、昭和29年から34年までの5年間を過ごし、「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」を書いた。
 現在はちょっとした観光地になりつつ、まだ住んでいる人がいるそうだ。築50年を超えるアパートなので住み心地よりも手塚治虫が住んでいた部屋ということ優先なのかもしれない。人がうろちょろするのも我慢しているのだろう。
 手塚治虫はここでテレビを買ってはしゃぎ、近所の人みんなを誘って嬉しそうに観ていたそうだ。そうかと思うと突然夜中にピアノを弾き始めて住人は頭を痛めたというエピソードも残っている。

 今でこそ日本で暮らす外国人は増えたものの、かつて外国人が日本で生活するというのは大変なことだっただろう。良くも悪くも注目の的となって好奇の目に晒され、必ずしも暮らしやすい国ではなかったはずだ。
 宣教師として日本で50年も生きたマッケーレブはどんな思いで過ごしていたのだろう。伝道活動は決して楽なものではなかったと言われている。最後にアメリカへ帰ることになったときは何を感じたのか。
 もし、この旧宣教師館が残されていなければ、私たちはおそらくマッケーレブのことを知らなかった。私たちが知る外国人宣教師は少ない。知ってるのはフランシスコ・ザビエルくらいのものだ。あとは、ルイス・フロイスやニコライ堂のニコライとか。マッケーレブもこれを機に覚えておこうと思う。けど、ちょっと覚えにくいのが難点だ。マッケンローだったら忘れないのに。
 自分の足跡を残すには本を書くという方法と、教科書に載ることと、あとは建物を残すという手があることをマッケーレブは教えてくれる。結果として、それが立派な宣教師がかつて日本にいたことを知るきっかけになるのだから、マッケーレブにとっても私たちにとっても幸せなことだ。
 問題はしばらくして思い出そうとしたとき、マッケ、マッケ、マッケなんだっけ? となるに違いないことだ。マッケンレーだっけ? マケレレじゃないよね。それでも旧宣教師館を見れば私たちの脳裏にはマッケなんとかという偉い宣教師のことが浮かぶからそれでよしとしてくださいね、マッケーレブさん。

明日に自由を求めなくても今もう心の中にあるんだよね、ライト先生

東京(Tokyo)
明日館人だかり

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/100s(絞り優先)



 目白から山手線通り沿いをテクテク歩いていくと、おっ、こんなところにヨネクラジムがある! などという驚きがありつつ、住宅街のクネクネした細い道を進んで明日館へとやって来た。これがあしたかんか。いやいや、みょうにちかんって読むんだよ。それでは、みょうにち、の明日だ。
 入口の前に立って中をのぞいてみると、なにやら人だかりができている。なんかあったか? と思ったら、ガイドさんによる建物解説が行われいるところだった。誰か有名人が来ていて報道陣が取り囲んでインタビューしているのかと思った。
 この日はちょうど休日見学デーということで400円を払って中を見学してみることにした(お茶付きだと600円)。
 ここの見学日システムは少しややこしいことになっているので、行くときは事前に公式サイトで調べていった方がいい。基本的に平日の10時-16時は公開しているのだけど、講堂見学不可や食堂見学不可などがあるので油断できない。結婚式やイベントに使われることが多いようだ。月に1、2度休日見学デーがあって、この日は17時まで開いている。第三金曜日は18時-21時の夜間見学がある(ビール付きは1,000円)。ガイドツアーは公開日の14時から。

 婦人公論社を作った羽生もと子・吉一夫妻が、大正10年(1921年)に女学校として自由学園をこの地に創設した。キリスト教を土台とした人間教育を行い、女性の地位向上を目指すというというのが学園創設の趣旨であった。「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」。学ぶことと生活することが生きることそのもだというのが基本思想だった。
 実際に校舎として使われたのは13年で、自由学園は昭和9年(1934年)に東久留米市に移転している。生徒が増えて、この校舎に入り切らなくなったためだ。その後ここは明日館と名前を変え、卒業生の活動拠点として長らく使われてきた。
 設計はアメリカが生んだ世界の巨匠フランク・ロイド・ライト。羽仁夫妻の思想に共感したライトがぜひにということで担当することになった。当時、帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手をしていた遠藤新の紹介だった(中央棟と西教室棟がライトの設計で、引き継いだ遠藤新が東教室棟と講堂の設計をしている)。
 建物は関東大震災にも、第二次大戦にも耐えて、1997年には国の重要文化財にも指定された。ただ、重ねた歳月には勝てず老朽化が進み、1999年から3年に渡って大がかりな補修工事が行われた。2001年にリニューアルオープンとなって現在に至っている。
 動態保存ということで、現在は積極的に解放して活用していく方向になったようだ。使わない建物は傷みが早い。
 セキスイハイムの阿部寛のとなりのハイムさんのCMはここで撮影された。

明日館外観

 人がいなくなったところであらためてライト設計の建物をよく見てみる。シンプルというよりもいい意味での質素さがあって、学校建築にはふさわしい。それにやはりライト特有のスタイルで、帝国ホテルにも通じるものがある。中庭に広くスペースを取ってコの字型にするところに余裕を感じさせる。
 中央棟のゆるやかな傾斜の屋根から左右の建物につながって、シンメトリーになっている。この建物はライトの中期の作品に当たるのだけど、スタイルは初期の第一期黄金時代と呼ばれるものの特徴に近い。出身地のウィスコンシンの大草原に似合う建物としてライトが作り出したもので、プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれている。
 ライトは生涯で800以上の作品を残し(実現したのは400ほど)、のちの建築業界に大きな影響を与えた。しかし、外国での設計はカナダの3件と日本の6件しかなく、カナダのものは現存してない。日本のものでは、帝国ホテルの正面玄関が愛知県犬山市の博物館明治村に移築されている他、山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)、旧林愛作邸(現電通八星苑・非公開)と、この明日館だけということで、こうして自由に見学できる建物はとても貴重だと言える。

 しかし、このライトという人、かなり無茶している。大学を中退したあと、設計事務所で働き始めて早くから才能を認められ、22歳のときに最初の結婚。しかし、他でこっそりやっていたバイトがバレて事務所をやめ、独立。プレイリースタイルが高く評価され調子に乗ったか、ダブル不倫。更に設計を担当した家の奥さんと恋仲に落ちて泥沼に。奥さんとの間には6人の子供がいたこともあって大変なスキャンダルとなった。ここから長らく建築家としても低迷期に入る。
 日本にもともと興味があったライトは、翌年初めて来日して、浮世絵と出会っている。のちに強烈な浮世絵コレクターとなるきっかとなったのは、この不倫騒動の中の初来日のときだった。
 42歳、どうしても離婚に応じない妻にキレて、チェニー夫人と恋の逃避行。家庭も捨て、事務所も閉めて、ニューヨークからヨーロッパへ逃れ逃れて流れていった。これでアメリカ国内での評価は地に堕ちた。
 しかし、さすが巨匠ライト、ただでは転ばない。この逃避行の2年間の間にこれまでの作品集を発表したことで、ヨーロッパで評価されることになり、結果的にそれが世界に天才ライトの名を知らしめることとなる。
 2年後にアメリカに一時帰国。けれど、設計の依頼は来ない。失意のライトは故郷ウィスコンシンに戻り、チェニー夫人と住むための家を建て、タリアセンと名づけたその家でふたりの間の子供たちと暮らし始めた。
 ここで更なる大事件勃発。使用人が突然発狂して家に火をつけたあと、チェニー夫人と2人の子供、弟子達までもを殺害するというショッキングな出来事が起こる。建築現場に行っていたライトは無事だったものの、心に受けた衝撃は計り知れない。もちろんこれはアメリカ中で大スキャンダルとなる。
 なのだけど、さすがライト先生というかなんというか、この事件に同情した女性彫刻家とこの年、早くも恋に落ちるのであった。めげない人だ。
 それにしても、これで完全に依頼がばったり止まってしまったライトは途方に暮れる。はて、どうしたものか。そんなところに舞い込んだのが、日本からの帝国ホテル設計の依頼だった。
 1917年、50歳のときに再来日。帝国ホテル建築中に自由学園の設計も担当しつつ、浮世絵も買い漁りつつ(集めに集めた6,000点)、日本で6年間を過ごした。アメリカ帰っても仕事ないしな、って感じだっただろうか。
 その後、懲りることを知らないライト先生は、更に結婚、ダブル不倫、離婚を経験して、ますます信用を失墜させながらも、三度目に結婚したオリジヴァンナ・マリノフがライトを立ち直らせ、69歳のときカウフマン邸落水荘で奇跡のカムバックを果たす。ここから第二期黄金時代を迎えることになる。
 82歳のときにはアメリカ建築家協会からゴールドメダル受賞して、評価も完全復活。91歳で死ぬまで仕事を続けたのだった。
 天才はかくも破天荒でなければならないのか。女と仕事と長生きという点で、ピカソに似ている。
 こんな波乱の生涯と穏やかな明日館の建物は相容れないようでいて、そのギャップが面白くもある。内装は天井を低くして、椅子や家具などは小さめに作っている。これは子供たちのための校舎だからだ。

明日館室内

 内部で見学できるのは、小教室や食堂、ホールなど、数ヶ所に限られる。室内はかつての面影を残すものの、特別何かがあるわけではない。自分の中でイメージを膨らませないと、素通りして終わりになってしまうかもしれない。

明日館食堂

 この食堂はとてもいい雰囲気だった。窓から差し込む日差しと、天井の柔らかい光が相まって、わぁ、いいなぁと思わせた。手作りの暖かい昼食をみんなで集まって食べることが大事という思想のもと、校舎の中心に作られている。
 内装のデザインもかなり凝っているものの、ライトの設計はメインフロアのみで、他は遠藤新が担当している。実は、かなりの部分で遠藤新の功績が大きい。最後まで忠実な弟子だったと言われている。

明日館ホール

 ホールの2階部分から下を見下ろしたところ。中央の大きな窓もこの建物の特徴のひとつだ。ここから外を眺めながらティータイムができる。春は桜が、秋は紅葉が、この窓で切り取られて絵画のようになる。2階はギャラリーになっている。

明日館講堂

 道路を一本隔てたところに建つ講堂。遠藤新設計で、テニスコートがあった場所に昭和2年に建てられた。こちらも重要文化財に指定されている。
 現在はコンサートや講演会、結婚式などに使われている。ちょっと教会のような厳粛な雰囲気があってよかった。
 中庭には樹齢50年を超える立派な桜が4本ある。満開になったときはとてもきれいだ。今はもうかなり散ってしまったのだろうけど、咲いてる期間中ライトアップされている。

 自由は与えられるものではなく、不自由さの中に自分で見出していくもの。親や社会が子供に分け与えるようなものではない。自由は心の中にしかないのだから。そして、自由には大きな責任が伴う。
 明日は明るい日と書く。明日は今日よりも明るいと信じて私たちは生きている。信じることは間違いではない。ただ、ぼんやり待っていても明日が明るくなることはない。自らが輝かせなければ。
 大人が子供に与えなければならないのは、口でかみ砕いたエサではなく、エサを獲る方法だ。それが明日を生きるために必要な教育というものだ。
 ライト先生の生き様からも学ぶことはたくさんある。自分がしでかしたことは自分にはね返ってくるということと、天才を天才たらしめるのはそれを支える周りの人間がいてこそということを私たちは知る。結局のところ、人と人とのつながりが何よりも大事だということだ。建築物というのは、そのための装置の役割も果たしている。ひとつ屋根の下で人と人とが集うとき、そこに大切なものが生まれる。
 学校を作るということも、建物も建てることも、思いを込めれば、それは必ず伝わるものだ。時を超えて。昨日の明日が今日になり、今日が明日につながっていく。ここでの教えも、この校舎も、私たちの願いも。

香流川桜六景---散りゆく前に

桜(Cherry Blossoms)
香流川の桜-1

Canon EOS Kiss Digital N+SIGMA 18-125mm(f5.5-5.6 DC), f7.1, 1/100s(絞り優先)



 名古屋地方の桜は今、満開から少し散り始めた。今年の桜は気温の浮き沈みに翻弄されて、あたふたと足並みが揃わなかったけど、最後にきてきれいに咲き揃った。自然は季節を間違えない。
 ここ数日、気温が下がったことで満開が長持ちしている。明日、あさっての週末まで見頃は続きそうだ。
 私は名残を惜しんで、近くの香流川(かなれがわ)をもう一度歩いてきた。相変わらずここは人が少ない。歩いている人も普段とまったく変わらない。写真を撮っていると恥ずかしいくらいだ。
 今日はそんな香流川の桜写真をもう少しだけ紹介したい。少しでもここを訪れる人が増えるようにと願って。これだけの桜並木を近所の人間だけで楽しんでるのはもったいない。

香流川の桜-2

 桜の本数は約500本。こんなふうに川の両岸2キロに渡って続いている。写真にすると魅力が半減してしまうのが残念なところ。ここは写真向きではなく、散歩向きの桜並木だ。

香流川の桜-3

 ここ3年くらい、どうやってここの桜を撮れば上手く伝わるんだろうと考えてきて、ひとつ分かったことは、桜は水平よりも下から撮った方が豪華に見えるということだ。香流川の場合、サイクリングロードの下に車道があって、ここから見上げるようにして撮ると桜の密度が増して、絵になりやすい。人が入ると更にいい。なかなか狙い通りの通行人が都合よく来てくれるわけではないのだけど。
 このときはたまたま親子の自転車がよかった。狙いとしては、制服の自転車カップルなんかいい。

香流川の桜-4

 まさに満開なのに桜見物の人が驚くほどいない。桜を見てる人の写真を撮りたかったのに全然通らない。やっと通ったと思ったら散歩のおじさんだった。絶対これ、桜見物じゃない。ジャージ姿だし、まったく上を見上げるようなそぶりもない。
 去年はもう少し人がいたと思うんだけど、今年は特別少ない印象を受けた。私が行った時間がたまたまだったのだろうか。
 この桜の木はだいぶ花びらが散っていた。少し強い風が吹くとサァーっと花吹雪が舞うのだけど、それを写真に撮るのは難しい。三脚でスローシャッターにしても、たぶん思ってるようには写らない。

香流川の桜-5

 夕焼けと桜も撮りたくて撮りきれないテーマのひとつだ。空の赤と桜の薄ピンクは両立しない。特に逆光のときは難しい。それに春先のこの時期は空があまりきれいに空が染まらないから、夕焼けの桜写真というのはほとんど見たことがない。たいてい昼間か夜桜のライトアップになってしまう。オレンジを背景にした白い桜の写真をいつか撮りたい。

香流川の桜-6

 日が落ちて、夕暮れの中に桜も沈んで、今日はここまで。
 週末はこの香流川も少しは賑わうだろうか。名古屋の今シーズンの桜が楽しめる週末としては明日あさってが最後だろうから、それなりに人は訪れるだろう。私はもう充分堪能したから、今年の桜はこれでよしとする。いや、東谷山フルーツパークのしだれ桜が最後に残ってるか。五条川も行きたかったけど、今年はお休みになりそうだ。
 今年もけっこう桜を撮った。少しは進歩してるだろうか。また来年の桜の季節までには練習を重ねて、もっと思い通りに撮れるようになりたい。
 桜を見るためだけに長生きするというのも、命をつなぐ原動力になる。桜の季節の終わりにはいつも、また来年もこの季節に戻ってきたいと強く思う。人間、生きているだけでいいことがあるもんだ。

15年後の護国寺に彼の歌は響かず、あの日の映像だけが記憶に残った

東京(Tokyo)
護国寺山門

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/125



 あの日あのときの護国寺は雨だった。この日は薄曇りの少し肌寒い一日。あれからもうすぐ15年か。
 東京メトロ有楽町線の護国寺駅から地上にあがると、すぐ目の前に護国寺が現れる。心の準備ができていなくて少し驚く。
 これが護国寺か。はじめまして。ようやくやって来ることができました。あのときここに集まった4万人は、今頃どこで何をしてるだろう。この15年で心の喪失は何か別のもので埋められただろうか。それとも、すっかり昔話になってしまってしまっただろうか。



護国寺参道

 京都の八百屋の娘だったお玉の方は、三代将軍家光の側室お万の侍女となって江戸城大奥に入り、家光のお手つきとなって男子を産んだ。思いがけない玉の輿。しかも、その子供がのちに五代将軍綱吉となるから、人生はどこでどう転ぶか分からない。
 家光の死後、お玉の方は髪を剃って、桂昌院と名乗る(1651年)。
 30年後の1681年、前年将軍についた息子綱吉にお寺が欲しいといって建ててもらったのが、この護国寺だ。マンションを買って欲しいとねだる愛人はいても、お寺をくれなきゃイヤだという母親はめったにいない。徳川家にはすでに芝の増上寺、上野の寛永寺とふたつの菩提寺があって、徳川家としての寺はもうそんなに必要ではなかった。家康の日光東照宮もある。けど、桂昌院は自分専用の祈祷所が欲しかった。若い頃からずっと信仰心が厚かったのだ。
 母親をとても大切にした綱吉は、僧亮賢に命じて護国寺を建てさせた。以降、将軍家の手厚い庇護のもと、1,300石の寺禄を与えられて繁栄を続けることになる。
 江戸城に住んでいた桂昌院と綱吉は、たびたび護国寺を訪れた。母は30回以上、将軍綱吉も16回参詣したそうだ。ただし、将軍と母親が一緒に詣でるなんてことはなく、桂昌院が先に行って将軍を迎えるという形をとっていた。そのときのお供は千人を超えていたというから、相当大がかりなものだ。そのために護国寺の前の道は「御成道(おなりみち)」として整備され、当時からすでに今の音羽通りと同じ広さがあったという。
 綱吉にしてみれば、母親孝行の意味合いが強かったのだろう。ただ、それだけでは楽しくないということで、この近所にお気に入りの女中だった音羽を住まわせている。音羽の護国寺と呼ばれるようになったのはそこからきている。

 護国寺は真言宗豊山派の寺院で、山号は神齢山悉地。
 本尊は桂昌院の念持仏であった天然琥珀観音像。最初は300石から始まり、のちの大造営で現在の規模となった。
 1720年に神田橋の護持院が焼失したことで護国寺と合併。
 1883年(明治16年)、1926年(大正15年)と火事を出して創建時の本堂を失ったものの、元禄年代(1697年)の観音堂を移して本堂とする。それは関東大震災にも第二次大戦にも耐えて残った。寛永寺や増上寺は江戸期の建物がことごとく燃えてしまったのに、護国寺のは生き延びた。都内に残った唯一の江戸期の大伽藍となっている。
 一番上の写真は表門の仁王門。これも1697年建立と歴史のあるものだ。八脚門の切妻造り。正面側には阿吽の金剛力士像、裏側には増長天と広目天の二天像が中に入っている。



不老門

 石畳の参道を進むと石段があって、その上にはくすんだ朱色の門が待ち構えている。不老門だ。この門をくぐることで病気にならず長生きできますようにという願いを込めたもので、鞍馬山の山門を模したものだそうだ。しかし、昭和13年に寄贈されたものということで、新しい。



護国寺本堂

 立派な本堂と広々とした境内は、すがすがしくて、雰囲気がある。歴史の空気感をとどめている。主観的な印象として、ここはいいお寺だなと思った。
 単層、入母屋造りの銅板本葺で、和様と唐様の折衷様式は元禄時代の建築工芸の粋を結集した建築物とされ、国の重要文化財に指定されている。
 本堂の裏側に回ってみると、その古さがよく分かる。使われている木の傷み具合が逆に感動的なくらいだ。

 この裏手には墓地があって、有名人の墓も多い。明治に三条実美がここに墓を建てると、たくさんの人が入りたがったという。大隈重信や山縣有朋などの政治家や軍人、実業家などが多い。どういう縁か、建築家のコンドルもここに入っている。お墓を探したけど見つからなかった。ここはくわしい案内がないので、見つけるのは難しそうだ。
 明治6年に明治天皇の皇子が死去して、護国寺の東半分が皇族墓地となった。豊島ヶ岡御陵と呼ばれるそちらは、一般は入ることができず、忍不通りの富士見坂に面した正門は閉ざされている。



多宝塔と月光殿

 左に見えているのが多宝塔で、右のが月光殿。二重塔は昭和13年に建てられた新しいもので、月光殿の方がずっと古い。近江三井寺から移築した桃山時代の書院様式の建造物で、これも国の重要文化財になっている。多宝塔は近江石山寺のものを模したものだ。
 その他、惣門、薬師堂、大師堂、鐘楼など、現存している江戸期の建築物も多い。

 4月8日はお釈迦様の誕生日ということで、各地の寺院では花まつり(潅仏会)が行われる。護国寺でも江戸時代から今に続く、季節の風物詩となっている。今年はちょうど8日は日曜日だ。
 花で飾った小堂の水盤に釈尊仏を置いて、参詣者は柄杓でその像の頭上に甘茶をそそぐ。釈迦が生まれたとき、天から龍が降りてきて釈迦に水をそそいで洗い清めたという言い伝えにちなんでいる。日本には中国から伝わって606年に元興寺で行われたのが始まりとされる。
 花御堂行列のあとに着飾った子供たちが続く。
 ここはちょっとしたツツジに名所ともなっている。根津神社ほどではないものの、参道の両脇に咲くツツジは5月の護国寺を華やかに彩る。

 あの日も参道にはツツジが咲いていたのだろうか。1992年4月30日。4月25日に26歳で死んだ尾崎豊の追悼式が、護国寺で行われた。冷たい雨が降る中、みんな傘をさすのも忘れて立ち尽くしていた。私はあの場に行けなかったけど、テレビから流れてくる映像は今でも強く自分の中に残っている。
 生きていれば41歳。その歳の彼を上手く想像できないけど、まだ生きて作品を発表し続けて欲しかった。尾崎豊の前に尾崎豊なし、尾崎豊のあとに尾崎豊なし。さよならを言うには早すぎる。
 護国寺に彼はいなかった。今あなたはどこでどんな歌を歌ってますか?

秋の香嵐渓もいいけど足助いいとこ一度はおいで春夏秋冬

施設/公園(Park)
香積寺参道

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/60s(絞り優先)



 カタクリ群生地から離れて巴川沿いを少し歩いたところに香積寺(こうじゃくじ)がある。紅葉の季節は、ここももみじ寺となって大勢の人で賑わうのだけど、それ以外は訪れる人も少なく、ひっそりとしている。この寺と紅葉の関係は深く、ここの住職が香嵐渓の名付け親、ゴッドファーザーであり、はじめの一歩ならぬはじめの一本を植えたのもここの住職だった。ヒザに猫を乗せながらぼそぼそと、香嵐渓、と小さな声でつぶやいた……という言い伝えは特に残っていない。
 1930年(昭和5年)に、大阪毎日新聞社の社長がこの地を訪れたときにここの名前を何かつけてくれないかというリクエストに対して、「飯盛山から香積寺に向かって爽やかな嵐気(湿りけを含んだ山の空気)が吹き降りてくる場所」ということで香嵐渓と名づけたのだそうだ。和尚の横にいた町長が、そりゃあいいですなぁとかなんとか言った図が目に浮かぶ。
 春先の香積寺は、まだ渋枯風情で春本番はまだ遠いのを感じさせる。新緑はもう少し先になる。枯れ木と緑が濃くなり始めた苔の組み合わせも、これはこれで悪くない。秋は様相が一変して、この場所も真っ赤に染まる。
 室町時代の1427年、足助氏の居城があった場所に香積寺は創建された。その頃はまだこのあたりも深い山の中で、もちろん観光名所などではなかった。
 時は流れて江戸時代の1634年、11世の三栄和尚がこの地をもっと美しくしようと思いついて、般若心経を1巻詠むごとに巴川河畔からカエデを引っこ抜いてきて参道に植え始めた。今ならそんな勝手なことをしたらちょっと問題になりそうだけど、当時は全然問題ない。それは一本、二本と増えていき、その後、大正から昭和のはじめにかけてその趣旨に賛同した住人たちが境内や川沿いにカエデを移植して、それが今日の紅葉名所につながった。
 東海一の紅葉名所となった香嵐渓は、秋になると4,000本を超えるカエデが赤く色づいて、大勢の人を呼び寄せる。ひとりの思いつきがこんな大ごとになってしまうこともある。千里の道も一歩から。4,000本のカエデも1本から。ひとりの力は微力でも、次の世代につなげていくことで大きな力になる。三栄和尚も紅葉の季節にはこの世界に戻ってきて、あれオレが植えたんだぜ、巴川から引っこ抜いてきて、どうだ、すごいだろう、と霊仲間に自慢しているかもしれない。

参道のスミレ

 参道の石段に咲いていたスミレ。タチツボスミレだろうか。違うだろうか。
 人は生まれる場所を選べないように、花もまた咲く場所を選ぶことができない。けど、こういうところでもしっかり咲いている野の花を見ると、生まれ落ちた場所に精一杯生きていくことの大切さを教えられる。いい条件で咲くことが幸せなのではない。与えられた場所で生きられることが幸せなのだ。
 スミレからすれば、どうせならもうちょっといい場所で咲きたかったなと思っているかもしれないけど。それとも、風流好みの性格のやつで自分はここで充分満足ですと思っているだろうか。幸せも不幸も、大部分は主観の問題だ。

三州足助屋敷のミツマタ

 三州足助屋敷の外に咲いていたミツマタの花。枯れて葉の落ちた枝の先に白っぽいもの付いていて、花の枯れあとかなと思うけど、近づいてよく見てみると外が白で先が黄色の花が咲いていることが分かる。これは枯れたあとじゃない、今まさに咲いているところだ。
 春先にいち早く咲き始めるということで、昔はサキサクと呼ばれ、三枝という性はこの花が語源とされている。
 三州足助屋敷は紙すきで和紙を作っているから、これはその材料として植えられているのだろう。コウゾとともに和紙を作るための原料として今でも岡山県を中心に栽培されている。現在の一万円札の主な原料もこのミツマタだそうだ。
 原産地は中国南部からヒマラヤにかけてで、日本には室町時代に中国から入ってきたと言われている。和紙の原料となるのは戦国時代以降で、本格的に使われるようになったのは江戸時代からとされる。初めて文献に登場したのは、徳川家康が公用紙を作る製紙工にミツマタの使用を許可した黒印状だそうだ。ただ、万葉集に登場したりもしていることから(ガンピとミツマタを混同しているという説も)、もっと早くから渡ってきて使われていたのではないかという話もある。
 名前は文字通り枝から三つに分かれるところからきている。漢字では三叉、三又、三椏、三枝などと表記する。中国語では結香(ジエシアン)、英名はペーパーブッシュと呼ばれる。
 園芸種では花がオレンジや赤のものもある。

三州足助屋敷の桜

 三州足助屋敷外から見た桜。どうして外からの写真しかないかというと、中に入るのに500円もかかるから入ってないのだ。どういうところか今ひとつ分からないまま入るのはためらわれた。帰ってきてから調べたところ、江戸から昭和にかけての手仕事を今に伝える伝統工芸館みたいなところらしい。昔の農家を再現して作って、その中で実際に人が傘や桶を作ったり、機織りをしたり、紙すきやわら細工、炭焼き、鍛冶屋仕事などをしているんだそうだ。入ってないから500円の価値があるのかどうかは分からないのだけど、なかなか面白そうなところではある。300円なら入りたい。
 ここの桜はほぼ満開で散り始めていた。桜の花びらがハラハラと舞い落ちる様は、少しセンチメンタルだ。てのひらじゃつかめない風に踊る花びらを立ち止まって肩に上手に乗せて笑って見せたかったのだけど、それをやろうとすると不幸侵入になって捕まってしまうので思いとどまった。

巴川の流れ

 巴川の流れは、故郷の櫛田川に似ていた。子供の頃は、こんな川で釣りをしたり、泳いだりしたものだ。大人になって川遊びはまったくしなくなった。釣りももうしない。でも、こういう自然の川の流れを見るが好きなのは昔も今も変わってない。街の改造工事をほどこされた無惨な人工の川とは全然違う。川には音があるのだ。耳をすますと、ゴォーっという低い音が耳だけでなく体に伝わってくる。
 巴川は矢作川の支流で、巴橋から1.2キロ上流の一の谷までの渓谷を香嵐渓と呼んでいる。ここにカエデが集中して植えられていて、紅葉の季節はこの河原も人がぞろぞろ歩く。
 そして、一番の見どころが赤い山を背景にした赤い待月橋だ。って、橋がない!? あれ、本当にないぞ。架かってる橋は、あれは待月橋じゃない。川は何台も重機が入って大工事中。何事かと思ったら、橋を架け替えているところだった。そういえばそんなニュースを聞いた。川の風景で何か足りないなと思ったら、巴川のシンボルの待月橋が消えていたのだ。ちょっとびっくり。
 昭和36年に架けられて以来、老朽化が進んで、橋の幅の狭さも見物客渋滞の原因になっていた。架け替えは仕方ないところだろう。新しい橋は幅が2倍になって、今年の9月完成予定だそうだ。もし紅葉の時期に間に合わなかったら大変だから、最後は突貫工事をしてでも完成させることになるだろう。
 今年の秋は新しい待月橋を見るためにも香嵐渓の紅葉を見に行きたい。

源平桃

 中馬街道に咲いていた紅白の花。最初、正体が分からなかった。梅にしては遅すぎるし、こんな桜は見たことがない。どうやら源平桃という桃のようだ。一本の木から赤い花と白いというかピンクの花を咲かせているのは珍しい。源氏の赤と平家の白で、源平桃か。なるほど。
 これは面白くて美しい桃の木だ。気に入った。こういうのならうちの庭にも一本欲しい。って、庭なんてないじゃん! ベランダでは育たないだろう。いや、植木という手があるか。

 今回、カタクリ絡みで足助の町をいろいろ紹介できてよかった。私自身、これだけしっかり見て回ったのは初めてだったから楽しかった。見どころも多いし、季節を変えればまた違った顔も見ることができる。他にも足助城があるし、飯盛山の低山登山もオススメだ。
 名古屋の中心から車で1時間ちょっとなので、この地方の人はあえて紅葉とカタクリをはずすのもいい。普段はひっそりとした山間の町だから、ゆっくり堪能できる。シーズンオフは少し離れた落部駐車場などは無料になる。野鳥や野草も豊富なところなので、散策も写真も楽しめる。
 足助観光協会の人に成り代わって、ぜひ美し国、伊達な旅、足助をよろしくお願いします(三重県知事と宮城県知事の両方からクレームがつきそう)。

日本人とソメイヨシノの奇跡の関係性

桜(Cherry Blossoms)
藤が丘の桜

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/125s(絞り優先)



 去年はたくさん桜を見た。近距離、中距離の桜スポットをひとりでまわって、ずいぶん写真も撮った。2006年はこれまでで一番桜を見た年だったんじゃないかと思う。
 今年はツレと一緒に近所を一日で全部回った。満開には少し早かったけど、今年はもうこれでいいと思った。短い時間で一気に堪能したから、あっという間に満腹になってしまったのだろうか。
 今年の桜はなんだかちょっとおかしかった。早い開花予想がはずれて、咲き始めてから全然進まずに、満開になるまでに10日以上もかかった。同じ場所でも木によってバラつきが大きくて、もう散り始めてるのがあるかと思えばまだほとんど咲いてないようなものもあって、桜自身も戸惑ったように足並みが揃っていない。なんとなくぎくしゃくした咲き方は、足並みの揃わない行進のようで、やや美しさを欠いていた。

 まずは藤が丘から。グリーンロードから藤が丘駅に向かう道と、藤が丘駅前から四軒家に向かう道の両脇に桜が続く。ここは歩いて見るより車で走り抜けるのがきれいだ。特に終わりかけの桜吹雪は気持ちよくて、幸せな気持ちになる。舞い落ちる花びらの中を車で走るのは感動的なのだ。桜吹雪は写真には写らないから、できたら実際に体験してみてください。
 ここが近所では一番咲き具合が進んでいて、すでに満開だった。少し寒くなったから数日は持つだろうけど、今週末には見頃を過ぎてるかもしれない。来週は桜吹雪になる。

マルス裏の桜トンネル

 個人的に「マルス裏の桜トンネル」と呼んでいるマイナー桜スポット。私のお気に入りの場所だ。かつて「ホームセンター マルス」があったところの裏道で、道の名前もついてないのでどうやって説明していいのか分からない。三軒家の一本裏の道で、森孝の八剣神社がある前の道、といっても近所の人しか分からないだろう。近隣住民以外にわざわざここまで桜見物に来る人がいるとも思えないから、近場の人しか知らない超マイナースポットだ。全国にはそういう隠れ桜名所が無数にあって、それぞれが胸の内で大切にしてるのだろう。
 ここは車通りも人通りも少なくて、車で通っても歩いてもいいところなので、場所が分かるという人にはおすすめしたい。ここの桜トンネルを私はもう何十回見てるんだろう。だいぶ桜の木も成長してきたけど、まだ大きくなるから、今後も楽しみだ。近い将来、空も見えないくらいの桜トンネルになるはずだ。

尾張旭の桜

 尾張旭の桜は名古屋市内よりも遅れ気味だった。まだ満開には遠い感じ。
 ここの桜はたいしたことがないのだけど、妙に人が集まってきて人気がある。それは、数少ない宴会ができる桜スポットだからだ。川沿いや道路沿いではなかなか大勢で坐って酒を飲むなんてことはできないけど、この城山なら場所はたくさんある。
 ここは撮影や見物よりも宴会向きの場所だ。見るならスカイワードあさひに登って、上から見下ろすのがいい。長池を取り囲むように咲いている桜は悪くない。

香流川の桜

 私の庭中の庭、香流川沿いの桜。うちから歩いて行ける至近距離の桜スポット。
 何年か前まではまったくの無名で満開時でも歩いているのは近所の人たちだけだったのだけど、近年少し知られるようになって人が増えた。増えたといってもチョロチョロ歩いてるくらいで、山崎川のようなことはまったくない。山崎川はだいぶ木を切ってしまったから、現状ではこちらの方がきれいだと思うんだけど。
 ここの残念なところは、両岸の間が広くて間延びしてることと、川自体の様子が美しくないことだ。それが大きなマイナス要因となって、メジャースポットになりきれずにいる。車をとめておけるところもほとんどなく、宴会ができるところもまったくない。住宅地だから、住民も積極的に桜名所にしようとは思ってないのだろう。
 川沿いはサイクリングロードになってるから、ここは自転車が気持ちよさそうだ。

香流川の桜と近所の人たち

 ここは桜見物だけの人は少なくて、日常的な散歩や通勤通学、買い物の行き帰りといった人たちが多い。でっかいカメラと三脚を持った人は見たことがない。やっぱりマイナーなのだろう。絵にするには難しいポイントなのは確かだけど、もう少し人気が出てもいいと思う。せっかく立派な桜といういい素材があるのに、それをいかせてない。ここはこれでいいんだと近所の人はみんな思ってるんだろうか。

桜の花

 ソメイヨシノと日本人、どちらかが欠けても春の幸福な関係性は成立しなかった。限りなく白に近い薄桃色の美しさを知るのは日本人だけだろうし、パッと咲いてパッと散る潔さの大切さをソメイヨシノは教えてくれる。同じように横並びで咲くソメイヨシノの整然さも、日本人が本来持っている気質に合った。これほど全国民とひとつの花が幸福な関係性を持ち得たところは他にない。これを奇跡よ呼ばずして何と呼ぼう。
 歳を取るごとに桜に対する思い入れが強くなるのは、見られる残り回数が減っていくからだろう。50年生きても50回も見られない。80年でも80回。毎年一回いっかいが貴重なのだ。来年もまた桜の季節の上に立てるという保証はどこにもない。今年見た桜が最後の桜になる人も大勢いる。
 ソメイヨシノは、オオシマザクラとコマツオトメを掛け合わせて生まれた桜だと遺伝子研究によって判明したというニュースがあった。世界中にあるすべてのソメイヨシノは、一本の親から生まれたクローンだというのは有名な話だ。でも、それぞれの桜はそれぞれに生きて、そこに思いを寄せるそれぞれの人がいる。決して同じものなんかではない。毎年まいとし、一ヶ所いっかしょが、すべて一期一会。同じ機会、同じ桜は二度とない。去年と桜は同じでも、それを見る自分は去年の自分とは違っている。
 今年も残り少なくなった桜シーズン。最後まで心を込めてしっかり見ておこう。写真も大事だけど、記憶に刻むことが大切だ。目を閉じて思い浮かべる桜のシーンを、たくさん持っている人は幸せな日本人だ。

レトロとモダンがナチュラルシェイクされた足助の町で誰か昭和を想わざる

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
足助の町-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f6.3, 1/30s(絞り優先)



 カタクリを堪能したあとは、足助の町並みを散策した。
 国道153号線は、古くから三河と信州を結ぶ重要な街道だった道で、伊奈街道または三州街道(明治以降は飯田街道)と呼ばれていた。あるいは別名の中馬街道(ちゅうまかいどう)の方が通りがいいかもしれない。
 中馬というのは、江戸時代に馬で荷物の運送をしていた信州の業者のことで、彼らが通る道ということでそう呼ばれるようになった。信州の米や煙草を三河に運ぶ代わりに三河の塩を運ぶ道として中馬街道沿いは発展を遂げることになる。三河でとれた塩は矢作川を上って足助に運ばれ、ここから伊那、飯田の信州に運ばれていった。江戸時代にはここに14軒の塩問屋があったそうだ。
 人馬の往来が多くなるにつれて、足助は街道最大の宿場町となっていくことになる。それ以前の平安時代には足助氏一族がこのあたりにいくつかの城を支配していた。15世紀には鈴木氏が足助城を築き、のちに武田信玄軍に攻められ、徳川家康軍の領地となるなど歴史は古く、必ずしものんびりとした山間の町というわけではない。
 そんな過去に思いを馳せながら、町並みを見ながらゆっくり歩くことにしよう。

 巴川沿いのいわゆる香嵐渓から見て足助の町は北に位置している。駐車場の前の道路を一本渡って細い道を入っていくと、足助川沿いに中馬街道はある。古い町並みが残っているのは約2キロほどで、宿場町の面影を残す旅籠や商店などが点在している。まずは「商工会」に置いてある散策マップを手に入れてから歩き始めるといい。町の入口近くのポストのある建物がそうだ。
 市や町が事業として始めた町並み保存ではなく、町民の自然発生的なものなので、馬籠や妻籠のような観光地とは違う。感じとしては、名古屋市緑区の有松にやや近い。恵那の大正村ほど洗練されてはいない。
 何年か前から始まった「中馬のおひなさん」という古いおひな様を各家庭や店が展示して見てもらおうというイベントも、町民のアイディアから始まったという。こちらの方も年々知名度が上がって、訪れる人も多くなっているようだ。
 江戸時代の宿場町風情と昭和の香りが渾然となり、そこに平成が混ざり込んで、いい意味でのごた混ぜ感がある。本当に古くからの建物もあれば、ただ単にうち捨てられて古びてしまったものや、昔風に改築されたニセモノ風のものもあったりして楽しい。けっこう笑える要素もある。
 上の写真は、築200年の幕末の頃の旅籠「玉田屋」で、現在でも現役の宿屋として営業している。部屋数は6で、一泊8,500円だそうだ。2階の手すりにもたれかかったら下に転げ落ちるかもしれない。
 他にも三島屋、山城屋などの旅館が残っている。

足助の丸ポスト

 古い町並みには丸ポストがよく似合う。見つけただけでも3本残されていた。大きな郵便が入らないという不便さはあるだろうけど、こういうのを見ると嬉しくなる。

マンリン書店

 足助の町並み紹介では必ず登場する有名な「マンリン書店」。マリリンでも、マンドリンでもなく、マンリンなので間違えないようにしたい。店の屋号が萬屋で、当主は林右衛門を代々名乗ったことで萬林、つまりマンリンとなったそうだ。
 古い蔵を改造した建物で、こだわりの外観がいい。冷やかしに入るのはややためらわれるけど、中は基本的に町の本屋さんなので、何か買う目的があればひるむことはない。店主の趣味の本も取り揃えているそうなので、そういう珍しい本を見つける楽しみもある。看板に彫られた「典籍」というのは、書籍などと同じく本を指す言葉で、貴重な書物のことを指すことが多い。そのあたりにもオーナーの姿勢が表れている。

マンリン小路

 マンリン書店のとなりには、足助の町一番の見どころといえるマンリン小路がある。宗恩寺へと続く黒板と白い塀の土蔵に挟まれた小路は、ここだけを切り取ってみるととても平成には見えない。わずかに50メートルほどとはいえ、この坂道を歩くと前時代トリップ感を味わうことができる。
 マンリン書店から蔵が4棟続いていて、ギャラリーや喫茶ルームになっている。ギャラリーは年8回の展示入れ替えで、お茶券付きで500円だそうだ(見学だけなら自由かも)。
 宗恩寺は今回省略してしまったけど、上からは足助の町並みが見渡せるビューポイントだそうだ。

名古屋牛乳

「名古屋牛乳」の店がこんなところに。しかも、すごく古い店舗だ。名古屋牛乳ってこんな歴史あったっけ。確か、小学校の給食のときに出た瓶牛乳が名古屋牛乳だったんじゃないだろうか。どういうわけか当時のちびっこは牛乳のふたを集めていた。そんなもの集めて何が楽しいんだと今では思うけど、少年というのは何かを集めずにはいられない生き物らしい。
 それにしても名古屋牛乳というのは最近まったく見かけない。まだ営業してたんだ。今でも近所のスーパーに売ってるんだろうか。さすがにコンビニには置いてないだろう。
 瓶の牛乳のというのは何故か美味しかったような記憶がある。今飲むと味はどうなんだろう。紙パックのものと変わらないのか、それともやっぱり違った味がするんだろうか。今さらながら、このとき飲んでおけばよかったと思う。次に行ったときは必ず飲んでみよう。もちろん、姿勢はお決まりの肩幅に足を開いて左手を腰に当てて一気に飲み干す正しいスタイルで。そんな私を見ても、鼻から牛乳を吹き出さないでください。

足助の赤鳥居

 唐突な赤鳥居と昭和の建物。前を横切る昭和のおじさん。
 鳥居の向こうは駐車場しか見えていなかったのだけど、この先を進むと「お釜稲荷」というのがあるようだ。
 右はいかにも昭和モダンという風情で懐かしい。タイル張りの壁というのを久しぶりに見た。そういえば昔こういうのがけっこうあった。今はまったく見かけない。タイル張り自体はあるのだろうけど、今のはもっと洗練されている。昭和の時代はこれがモダンだったのだ。古いアパートの流しとかもこんな感じだった。
 足助の町並み散策はこのあたりで終点となる。ぷらぷらと店を見たり写真を撮りながら歩いて1時間くらいだろうか。なかなか楽しめてよかった。カタクリとセットで見てちょうどいい。

 足助を楽しむ年間スケジュールはこうだ。2月から3月の中馬のおひな様から始まって、3月終わりのカタクリ、4月の春祭りの桜、夏は足助川や巴川で水遊びや鮎釣りをして、10月は足助祭り、秋は香嵐渓の紅葉を昼と夜楽しんで締めくくる。散策スポットとしては、中馬街道、足助の町並みの他、香積寺、三州足助屋敷(明治時代の足助の農家を復元した民族博物館500円)、足助城、飯盛山、足助八幡宮などがある。
 季節の野草や野鳥、虫なども豊富で、足助は香嵐渓の紅葉だけはなく、多くの楽しみがあるから、近場の人はぜひシーズンオフにも訪れてみて欲しい。ついでに香嵐渓ヘビセンターも寄るといいだろう。って、そんなものとっくになくなってるぞ。は虫類専門のテーマパークとしてかつては賑わっていたのだけど、1993年に閉鎖されてしまった。お客が減ったというだけではなく、は虫類の補充ができなくなったというのがちょっと悲しい。コブラ対マングースの決闘が呼び物のひとつだったのを思い出す。行ってきた知り合いから財布に入れておくとお金持ちになるというヘビの抜け殻のお守りをもらったのに、あれはどこへいってしまったんだろう。
 それにしても、やはり一生に一度は香嵐渓の紅葉を見ないといけないだろう。ものすごい渋滞に怖じ気づいていまだに一度も見に行ったことがない。自転車で行くには遠すぎる。スクーターのレンタルってどこか近所でしてるところないだろうか。今年こそ、決死の覚悟で挑戦してみようか。ツレを誘えば渋滞も乗り切れるだろう。
 今年の秋、香嵐渓で私を見かけたら、気軽に声をかけてください。あの状況では、まず、見つけられないと思うけど、合い言葉は「コブラ」といえば「マングース」で。

足助カタクリの群生地は高額機材の群生地でもあった

花/植物(Flower/plant)
足助カタクリ-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.8), f5.6, 1/100s(絞り優先)



 去年に続いて足助のカタクリを見に行った。飯盛山の斜面には、今年もまたカタクリの花が無数に咲き乱れ、カメラを持った大勢の人たちで賑わっていた。そうそう、この光景。桜の満開とともにカタクリの群生は春が本気になったことを知らせてくれる。
 ただ、ほんの少し出遅れた。枯れ始めや枯れ落ちなどがちょこちょこ目立ち始めていて、完全な状態の花が少なかった。おそらく3日前くらいがピークだったのではないかと思う。カタクリが一番いいときは短くて、毎年それが何日に来るかを読むのは難しい。今年はやや花が少なめの印象を受けたけどどうだったんだろう。最盛期はもっと多かったんだろうか。

足助カタクリ-2

 私が知る限り、カタクリの時期の飯盛山は、最も高性能で高額のカメラ機材が集まる撮影スポットだ。白レンズなんて当たり前で、赤い帯のLレンズでさえ目立たない。その他のメーカーも高級レンズの見本市のようで、普通のカメラとレンズでは恥ずかしくて隠してしまいたくなるくらいだ。飯盛山の斜面に張り付いてる人のカメラ機材を集めたら数百万単位ではきかない。全員のカメラ機材を取り上げたら大金持ちだ。三脚使用率もかなり高い。
 私はカタクリの群生を撮るよりもカメラの群生を撮る方が楽しかった。とにかくここはすごい。撮影にも熱が入ってるけど、それ以前の意気込みが違う。手持ちのライト撮影の私などは、完全に素人派に属す。E-1にTakumarなどでは、全然相手にしてもらえない。

足助カタクリ-3

 今日は終始曇りがちで、ぼんやりとした太陽がたまに顔をのぞかせるような一日だった。その分、カタクリの写真は柔らかくなったけど、光が足りなくて平面的な写真になってしまった。カタクリの花の可憐な姿は伝えられても、凛とした美しさを伝えきれないのが残念だ。

足助カタクリ-4

 さほど珍しいわけではないけど、今年も数輪の白花カタクリを見つけてちょっと嬉しかった。紫がアタリで白はハズレなのに、当たり前の正解よりも珍しい不正解の方がありがたいこともある。

足助カタクリ-5

 あまりこういう撮り方はしないのだけど、たまには。
 カメラのレンズに比べて人間の目は何倍も優秀にできている。特に明るいものと暗いものを同時に見る能力は優れている。レンズはきついコントラストに弱い。人の目はピントを合わせてものを見ることができる範囲も広い。遠くの景色と近くのものを見るときの切り替えも一瞬だ。カメラではそうはいかない。
 それじゃあ、カメラのレンズは人間の目に全面的に劣っているのかといえばそうではない。人間の目では見えず、レンズにしか写せない世界もある。それが薄いピント範囲の写真だ。奥行きのある中で一定ラインにだけピントを合わせて、前後をボケさせるというのは人間の目にはできない。これこそが写真の面白さや価値の大きな部分だと思う。だから人は一眼レフを買い、解放が明るい高いレンズを買うのだ。単純に解像度だけならコンパクトデジと一眼レフはそんなに大きな差はない。コンパクトデジでもクローズアップレンズをつければ近くのものは一眼的なマクロ写真が撮れるけど、望遠の圧縮効果をプラスした前後ボケの写真が撮れない。
 まあ、そんな理屈はともかく、一眼の方が写真を撮るのが楽しいことは確かなので、買おうかどうしようか迷ったら買ってしまうがいい。カメラもレンズも上を見ればキリがないから、適当なところで妥協するしかないのだけど。

足助カタクリ-6

 カタクリを撮るのに飽きたら人を撮ろう。なんていってたら、私も誰かの写真に入ってしまっていて、その人のブログにこっそり載ってしまってるんだろうな。
 カタクリに負けないくらい可憐で凛としたE-1で写真を撮ってる男を見かけたら、これオオタじゃねぇのと思っていてくださいね。