月別:2006年09月

記事一覧
  • 彼岸花は美人なんだけどタイプじゃない女の人に似ている 2006年9月29日(金)

    Canon EOS Kiss Digital+EF-S 18-55mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/80s(絞り優先) 今年の春から、なんとなく習わしのように月に一度は海上の森へ行っている。前回が8月の終わりだったから、あれからまたひと月経った。森の様相は一ヶ月も経つと大きく変わる。季節の変わり目は特にだ。 9月終盤の海上の森は、秋といえば秋だけど、夏の延長戦という様相を色濃く残していた。今日は特に暑くて、歩いていたら汗をかいたし、遠くでツクツク...

    2006/09/30

    森/山(Forest/Mountain)

  • 教会の空気には森や川や海よりも高い浄化作用がある ~南山教会

    Canon EOS Kiss Digital+SIGMA 18-125mm DC(f3.5-5.6), f5.0, 1/500s(絞り優先) 久しぶりに布池教会(ぬのいけきょうかい)に行こうと思ってネットを検索していたら、南山教会(なんざんきょうかい)というのがあるというのを初めて知った。南山といえば、名古屋あたりではちょっとした私立有名学校で、小学校から大学まであり、賢い坊っちゃん、嬢ちゃんが通う総合学園だ。 実は、南山大学は私の受験の本命校だった。しかし、...

    2006/09/29

    教会(Church)

  • シーズンオフの上野天満宮を訪れ、ちょっと願い事 2006年9月27日(水)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f4.5, 1/40s(絞り優先) ふと思い立って、千種区にある上野天満宮に立ち寄ってみた。今回が二度目で、初めて訪れたのは去年の3月半ばのことだった。1年半前の私と今日の私と、何か変わっていただろうか。変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない。ただ、あのときは抱えていなかった願い事を今は抱えている。神社にお参りするときの作法も覚えたし、心構えも変わっ...

    2006/09/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • クモは糸に乗って旅をするチョコ味(らしい)の節足動物 2006年9月26日(火)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/125s(絞り優先) 行く夏を惜しみつつ、夏が終わってホッとすることがふたつある。蚊がいなくなることと、森歩きでクモの巣が顔にかからなくなることだ。これは本当に嬉しい。 それでもまだ9月中は、最後の虫たちを狙って巣を張っているクモがいるので油断はならない。私自身、顔にかかるのはイヤだし、彼らにしてもせっかく苦労して張った巣を壊れたんではかなわない。お互い...

    2006/09/27

    虫/生き物(Insect)

  • タヌキがこんなにもスーパーな生き物だったなんて 2006年9月25日(月)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/125s(絞り優先) 前回、東山動物園へ行ったとき、あ、タヌキだと思ってプレートを見たら、アライグマだった。あれ? タヌキってこんな感じじゃなかったっけ? とそのときはそれで終わった。けど、あれ以来実際のタヌキはがどんな顔をしてるのかちょっと気になっていた。なので今回の東山行きはタヌキを見ることも目的のひとつだった。 それは、子供動物園ゾーンの「タヌキの里...

    2006/09/26

    動物園(Zoo)

  • 家庭懐石料理の方向性が少し見えたサンデー料理 2006年9月24日(日)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/13s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマは、加工和食。煮る、焼く、食う、という男らしい料理からホップ、ステップ、ジャンプして、和の食材で和食を作るということでできたのがこの3品だった。必ずしもイメージ通りではなかったのだけど。 見た目簡単そうで量も少なく見えるけど、総料理時間2時間半で、おなかいっぱいになった。私の場合、作ってるだけで胸がいっぱいにな...

    2006/09/25

    料理(Cooking)

  • 東山動物園のコビトカバの前で小次郎と共に待ってます 2006年9月23日(土)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/200s(絞り優先) カバの背中に乗って水上を行くとこんなふうに見えるんじゃないかと思う。いや、もちろん、カバの背中に乗って写真を撮ったわけではない。望遠レンズで至近距離から撮ったらこんなふうになっただけだ。世界広しといえども、カバの背中に乗せてくれるサービスを行っている動物園はおそらくないと思う。野生のカバに乗るのはムツゴロウさんでも難しい。カバは見た目...

    2006/09/24

    動物園(Zoo)

  • ちょっと新舞子マリンパークに行ってきました。 2006年9月22日(金)

    NIKON D70+Zoom Nikkor ED 18-70mm(f3.5-4.5), f7.1, 1/400s(絞り優先) 名古屋港にたったひとつだけ砂浜がある。新舞子マリンパークという人工の海水浴場が。私はその存在を、今年になって初めて知った。そんなところがあったなんてちっとも知らなかった。夏が終わったら行ってみようと思っていて、今日ちょっと行ってきました(ドラマ「結婚できない男」の金田風)。 キャッチフレーズが「名古屋から一番近いマリンレジャー...

    2006/09/23

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • リニモは今日も浮かび上がって静かに行ったり来たり 2006年9月21日(木)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6, 1/50s(絞り優先) 愛・地球博の目玉のひとつにリニモがあった。県外から訪れた人は会場までの交通手段としてけっこう利用したんじゃないだろうか。あまりいい思い出はなかったかもしれない。何しろ混雑がひどかった。一時は定員オーバーで動かなくなるなんてこともあったりして。待ち時間の長さにうんざりした人も多かっただろう。 あれから一年経って今、地元の人間にとってリニ...

    2006/09/22

    飛行機(Airplane)

  • 愛・地球博会場はモリコロパークとなり、万博の面影なし 2006年9月20日(水)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f8, 1/400s(絞り優先) 9月も半ばを過ぎてなんとなく心がソワソワしてるのは、一年前の今ごろ、愛知万博の終盤に駆け込みで行ったときの記憶がよみがえってきているからかもしれない。私が行ったのが去年の9月22日だったから、あれからほぼ一年経ったということになる。懐かしいような、ひどく遠い出来事のような、甘く切ない記憶がうずく。 2005年の3月25日から9月25日までの半年間に渡...

    2006/09/21

    愛・地球博(Aichi Expo)

  • トウモロコシで夏の食べ物の食べ納めかと思いきや 2006年9月19日(火)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/100s(絞り優先) この夏は終盤になって夏の食べ物を一通り食べ納めた。スイカにそうめんに冷やし中華、桃もアイスも食べた。何か忘れ物はないかと振り返ったとき、トウモロコシを食べてなかったことに気づく。もう夏と呼ぶには季節が進みすぎてしまったけど、思い出したからには食べておかないと気になる。 ということで、この夏の食べ物の締めくくりとして、最後にトウモロコ...

    2006/09/20

    食べ物(Food)

  • ペリカンはひとり暮らしでも案外平気なのか? 2006年9月18日(月)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/125s(絞り優先) このシーンをファインダー越しに見つけたとき、あっと思った。それは、ペリカンがあまりにも大きかったからではなく、ペリカンをのぞき込んでいるおばあさまが私のばあちゃんにそっくりだったから。え? ばあちゃん、こんなとこで何してるの? と一瞬思ったほどよく似ていて驚いた。 まあ、それはいいとして、今日はペリカンの話を少ししたい。写真のようにペ...

    2006/09/19

    動物園(Zoo)

  • キュウリの野郎にケンカで勝って勝負に負けたサンデー 2006年9月17日(日) 

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/80s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマはただひとつ、キュウリの克服、これがすべてだった。 先週もちらっと書いたように、この世界における私の天敵とも言うべきキュウリの野郎をどうにかしてやっつけたいと思った。小学校の給食でキュウリ半分が出てきて、泣きながら断固拒否したときに見た夕焼け空を忘れるためにも、私はキュウリを克服する必要があった。ずっと先延ば...

    2006/09/18

    料理(Cooking)

  • 幸福の黒いE-1は天国に一番近いデジかもしれない 2006年9月16日(土)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/4s(絞り優先) 人でもモノでも縁がある。どれだけ相手のことが好きでも縁がなければつながれない。理屈を超えたそんなものが存在する。今回、OLYMPUSのE-1を買えたのも縁なんだと思う。 メインとして愛用していたCanonの10Dが酷使のためにシャッターユニットがへたってきた。エラーが出るようになり、買い換えざるを得なくなった。断然の一番候補はPENTAXの*istDだったのだけど...

    2006/09/17

    カメラ(Camera)

  • 駆け回るリスを撮るつもりが撮れたのは食事中だけ 2006年9月15日(金)

    OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f4.0, 1/50s(絞り優先) ふいにリスが見たくなった。ふとしたはずみにラーメンが食べたくなるみたいに。リスを見なければ気になって夜も寝られなくなってしまいそうだったので(そんな大げさな)、東山動物園へ行ってきた。それは、「小鳥とリスの森」の中にいた。入っていってすぐに足もとをピャーと駆け抜けていったので、ネズ公か!? と思ったらリスだった。まさか、放し飼いだと思っ...

    2006/09/16

    動物園(Zoo)

  • 頼朝物語---後編 ~ただのイジワルアニキじゃなかった 2006年9月14日(木)

    Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f8, 1/50s(絞り優先) 今日は源頼朝の物語後編。昨日のようにのんきにちんたら書いてるといつまでたっても終わらないから、急いで要点だけ書いていくことにしたい。とはいえ、せっかく勉強したからにはその成果もお見せしたいところ。詳しく書くべきか、簡単に書くべきか、それが問題だ。などと、余計な前置きを書いてるからますます長くなっていく。いったんCMいく? いいですか?...

    2006/09/15

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 源頼朝が名古屋人であろうとなかろうと---前編 2006年9月13日(水)

    Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f5.6, 1/80s(絞り優先) 源頼朝(みなもとのよりとも)は人気がない。いや、もちろん頼朝が好きな日本人は世の中にはたくさんいるに違いないけど、一般的には義経の敵役としてのイメージがすっかり定着してしまっていて、あまり好かれてないんじゃないかと思う。いい国作ろう鎌倉幕府は覚えやすくて好きという人はたくさんいても。ドラマや小説でも義経の目線で描かれたものが圧倒的...

    2006/09/14

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • キツネつながりの花ふたつ、剃刀と孫 2006年9月12日(火)

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f4.0, 1/25s(絞り優先) 世の中にはキツネの名を持つものがたくさん存在する。ワオキツネザルなどのキツネザルたちもそうだし、魚ではキツネアマダイやキツネベラなど、花ならキツネアザミ、キツネノボタン、キツネササゲ、人ならキツネ目の男など、他にもいろいろいる。 写真のこれは、キツネノカミソリという名前の花で、8月から9月にかけて、林や山道などのちょっと薄暗いようなところ...

    2006/09/13

    花/植物(Flower/plant)

  • 観覧車の思い出をよみがえらせつつひとり観覧車を思う 2006年9月11日(月)

    Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f4.0, 1/25s(絞り優先) 去年の春先、名古屋の繁華街である栄のど真ん中に、観覧車ができた。屋上に取り付けられた軸を中心に、ビルの側面に張り付くようにして回っている。回る回るよ時代は回ると中島みゆきも歌っていたけど、まさか栄のビルに観覧車が張り付く時代が来るとは思わなかった。この観覧車の存在を知ってわざわざ乗りに来たユーミンもびっくりしただろう。 名前はスカ...

    2006/09/12

    名古屋(Nagoya)

  • 肉食サンデーでやっぱり肉を欲しない体を自覚する 2006年9月10日(日)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f3.5, 1/125s(絞り優先) 今日のサンデー料理は、珍しく肉サンデーとなった。日頃は極端に貧しくて肉が買えないとか、狂牛病を死ぬほど恐れて牛肉を口にできないとか、そういう理由で肉料理をしないわけではなく、ただ単に最近あまり肉を食べたくなくなったから料理に使ってないだけだ。もちろん、ベジタリアンとかではないし、ヒンズー教徒でもない。 10代、20代の頃の私は肉食動物だ...

    2006/09/11

    料理(Cooking)

  • バッタ野郎への道 ~イナゴライダー編 2006年9月9日(土)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/200s(絞り優先) 虫関係はここ2、3年でいろいろ写真も撮ったし勉強もしてきた。ただ、相変わらずバッタ関係に関してはどうにも苦手意識が拭いきれない私。地面で跳ねてるものは、カエルとウサギ以外はとりあえず全部バッタに見える。もちろん事実はそうではない。世の中には実にたくさんの跳ねる生き物たちがいるのだ。私だって昔はグランドの周りを跳ねていた(テニス部でウ...

    2006/09/10

    虫/生き物(Insect)

  • 熱田さんにお参りして1,900年の歴史に思いを馳せる55円 2006年9月8日(金)

    Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f5.0, 1/30s(絞り優先) 名古屋の中心街から車で15分ほど南に走ったところに、ここらの人間が熱田さんと呼ぶ熱田神宮がある。名古屋で知らない人はほとんどいないと思うけど、実は行ったことがないですよという人が意外と多いのかもしれない。私のように名古屋の北に住んでいると、あちらまでわざわざ出向いていく機会がない。初めて訪れたのは、おととしの11月だった。だから今回の...

    2006/09/09

    名古屋(Nagoya)

  • 旅するウスバキトンボは今年もまた、ひたすら北を目指す 2006年9月7日(木)

    PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC 日本にアカトンボという名前のトンボはいない。アカトンボと呼ばれているのは、たいていアキアカネかナツアカネだ。そんなの常識じゃん、と思ったあなたはすでにトンボの人となっていて一般人から逸脱しているので多少の自覚が必要だ。更に、この写真を見て瞬時にアカトンボではなくウスバキトンボと答えてしまった人は、腰のあたりまでトンボ池に浸かり込んでしまっ...

    2006/09/08

    虫/生き物(Insect)

  • 初めて知った大石のお不動さんの存在とその魅力 2006年9月6日(水)

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/40s(絞り優先) 勢和村からたぶん一番近い町が車で20分ほど走ったところにある大石町(おいしちょう)だと思う。帰郷したとき、夕飯の買い出しのためにコンビニを探して車を走らせていたら、思いがけず歴史的建造物を発見して、急ブレーキ、急ターンで手前の空き地に飛び込んだ。なんだこれはー、と心の中で叫びつつ。隣町とはいえ、こんなところまでは来たことがなかった...

    2006/09/07

    丹生(Nyu)

  • カリガネソウの話だけど古いネタ注意報発令 2006年9月5日(火)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/100s(絞り優先) 森林公園で面白い造形の花を見つけた。くねくねとのたくったような茎と花。コテを当てるのに失敗したインチキパーマみたいだ。ストレートパーマをかけ直せとアドバイスしたい。でも、この花にしてみればこれが普通の状態なのだろう。じっと観察していたら、「マクロス」の板野サーカスを思い出した。目標に向かってくねくねとうねりながら進むたくさんのミサ...

    2006/09/06

    花/植物(Flower/plant)

  • 夏に生き夏に死すセミたちは今最後の命を燃やす 2006年9月4日(月)

    PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC 小幡緑地を歩いていると、ツクツクボウシとアブラゼミとヒグラシの合唱が頭の上から降りそそいでくる。行く夏を惜しむかのように精一杯命を燃やして鳴いているのだろう。夏よ行かないでという気持ちは私たちよりも彼らの方がずっと強くて切実なものだ。 鳴き声を聞きながら、そういえば最近ツクツクボウシを見てないなと思う。写真に撮ってるのもアブラゼミとクマゼ...

    2006/09/05

    虫/生き物(Insect)

  • やや節約サンデーレシピは中出来 2006年9月3日(日)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4, 1/40s(絞り優先)「Book off」の100円コーナーで『いきなり!黄金伝説。超節約レシピ50』という本を見つけて買ってきた。一ヶ月1万円生活で登場した料理が紹介されていて、けっこう参考になりそうだ。そういえば、第一回目のとき、濱口マサルさん、マックでハンバーガー食べてたなぁ、などという感慨を抱きつつ、パラパラとめくって、キミに決めたっ、と選んだのがこの三品だ。 私...

    2006/09/04

    料理(Cooking)

  • 40年の時を経て今でも現役のPENTAX SPというオモチャ

    Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/60s(絞り優先) Takumarの50mm f1.4が欲しくて探していたら、PENTAX SP本体とセットで売っていたので、レンズ目的で買ってみた。ジャンク扱いで1,600円。実物を見てみたら、思ったよりきれいで壊れてるところもなさそうだ。これなら使えるかもしれない。レバーを巻いて、シャッターボタンを押すとカシャンと懐かしい音がする。デジタルや電子の世界ではない、機械としてのカメ...

    2006/09/03

    カメラ(Camera)

  • 咲き乱れるシラタマホシクサを見て否が応でも秋を感じた 9月1日(金)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.5, 1/250s(絞り優先) 夏の散策を怠けたので、丸っと8月分の湿地の花が飛んでしまった。せめてサギソウだけでも残ってないだろうかという淡い期待を抱いて森林公園の湿地へ行ってみると、すでにシラタマホシクサが広がっていて、わっとなった。完全なる遅刻。2時間目くらいのつもりが行ってみたら4時間目の終わりだったみたいな。弁当食って帰るかな。 サギソウなんて影も形もない...

    2006/09/02

    花/植物(Flower/plant)

  • 残り4ヶ月だけど戌年のうちに伊奴神社にいって参拝してきた

     今年が戌年だということを覚えている人はどれくらいいるだろう。ふいに今年って何年だっけと問いかけられて即答できるのは半分くらいだろうか。覚えていても意識しながら生活している人は少ないだろう。朝目が覚めて、今年は戌年だということを忘れないようにしなくちゃなどと思いながら日々暮らしている人はまずいない。自分が戌年という人を除けば。 伊奴神社フィーバーから早8ヶ月。一度行っておかなくてはと思いつつ時が流...

    2006/09/01

    神社仏閣(Shrines and temples)

彼岸花は美人なんだけどタイプじゃない女の人に似ている 2006年9月29日(金)

森/山(Forest/Mountain)
夏と秋の境の海上の森

Canon EOS Kiss Digital+EF-S 18-55mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/80s(絞り優先)



 今年の春から、なんとなく習わしのように月に一度は海上の森へ行っている。前回が8月の終わりだったから、あれからまたひと月経った。森の様相は一ヶ月も経つと大きく変わる。季節の変わり目は特にだ。
 9月終盤の海上の森は、秋といえば秋だけど、夏の延長戦という様相を色濃く残していた。今日は特に暑くて、歩いていたら汗をかいたし、遠くでツクツクボウシが鳴き、写真を撮るためにじっとしていたら、半袖の右腕を狙われて4ヶ所も蚊に刺されてしまった。
 それでも、写真のように田んぼは稲刈りが進み、集落のコスモスも咲き揃っていた。夏の野草は終わり、虫の姿もめっきり少なくなっていた。見かけたのはチャバネセセリやキチョウくらいで、トンボも残りわずかとなっていた。
 野草もそろそろ秋シーズン開幕だろう。夏の間少なくなっていた花たちがまた戻ってくる。ただ、今日は四つ沢から集落、大正池と一般的なコースしか歩かなかったからお馴染みのものしか見かけなかった。ミズヒキ、キンミズヒキ、ハッカ、キツネノマゴ、ヒヨドリバナなど。ちょっと変わったところでは、ヤブマメや、アキノチョウジくらい。野草目当てで湿地の方のコースを歩けば、センニンソウやアケボノソウ、ヤマジノホトトギスなんかが咲いていただろう。アキノギンリョウソウはどのあたりに咲いてるんだろう。
 冬鳥のシーズンにはまだ少し早い。森の野鳥としては今が一番寂しい時期かもしれない。
 大正池はの水量がすごいことになっていた。散策路近くまで水辺が迫ってきていて驚く。去年の同じ時期はもっと水が引いていたし、他の時期でもあんなに水がたくさん入っている大正池は見たことがない。今年は雨が多かったからだろうか。
 今日は、夏の名残と秋のはざまのそんな海上の森歩きだった。

海上の彼岸花
Canon EOS Kiss Digital+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/40s(絞り優先)

 ここにも少しだけヒガンバナが咲いていた。ヒガンバナにはキツネがよく似合うと思うのは、やっぱり「ごんぎつね」の影響なのだろう。他にキツネとヒガンバナを結びつけるものは思いつかないから。
「ごんぎつねの里」である半田の矢勝川へは今年は行けそうにない。この前知多の海へ行ったときタイミング合えばそっちも寄っていこうと思ったのだけど、あのときはまだ早すぎた。今年はどうやら遅れていて、見頃は月末か来月のはじめになりそうだということだ。

 彼岸の頃に咲くから彼岸花。実に単純明快で分かりやすい。ただし、ヒガンバナの出所や人との関わりに関してはそれほど単純というわけではない。まず、いつ頃日本にやって来たのかがはっきりしない。原産地は中国の揚子江中域に間違いなさそうだけど、いつどうやって入ってきたかはいくつかの説がある。
 大昔に海を渡ってやって来たとか、稲と同じ時期に持ち込まれた帰化植物だとか、いやもっとずっと後になって人為的に導入されたのだとか、いろいろ言われている。個人的な予想としては、ヒガンバナはかなり目新しい花だと思う。「万葉集」に一首も詠まれてないし、江戸時代以前の文献にまったく登場してないということは、一般的にはなかったものに違いない。万葉集に出てくる「壱師(いちし)」がヒガンバナのことではないかという説にはうなずけない。良くも悪くもこれだけ存在感のある目立つ花なのだから、咲いていれば必ず誰かが詠っているだろうし、文献にも登場してるはずだ。かつて大昔に入って来たことはあったにしても、今のように一般の人が目にするようになったのは江戸時代あたりからではないだろうか。少なくとも室町時代以降だと思う。
 別名の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、江戸時代以降に使われるようになった呼び名だ。仏教言葉で、天上に咲くという意味の古代インドの梵語「マンジュサカ」が転じてマンジュシャゲになったという。
 その他ヒガンバナには別名がたくさんある。日本全国で1,000以上もあるんだとか。中でもシニビトバナ(死人花)やユウレイバナ(幽霊花)など、マイナスイメージのものも多い。見た目からの連想や、毒を持っているというところから付いたのだろうけど、ヒガンバナ自体が持つ負のオーラみたいなものは確かに感じる。
 そもそもの導入動機としては、飢餓のときにこれを食べて飢えを凌ぐためだった。球根(鱗茎・りんけい)にはデンプンが多く含まれているので食用になった。だから、田んぼのあぜ道に咲いているものが多い。ただし、かなり強いアルカロイド系の毒がある。なのでダイレクトにかじるのはとっても危険だ。長いこと水に浸けて毒を抜かないと食べられない。動物はこの毒をよく分かっているから、かつて土葬だった時代はお墓の周りとかにもよく植えられた。

 ヒガンバナは道ばたなどでもよく咲いているから自生してると思いがちだけど、完全な自生のヒガンバナというのは存在しない。必ず誰かが植えたものだ。もっと言えば、現在日本全国で咲いているすべてのヒガンバナは、中国から持ち込まれたひと株のクローンなのだという。これは、日本のヒガンバナが二倍体ではなく三倍体で雌雄の別がなく、種子ができず、自ら増えることはないためだ(稀に種子ができることがあってもそれは育たないという)。ソメイヨシノとクローン仲間だったとは面白くもあり、不思議な話でもある。
 種子ができないので球根で増える。だから遠くへ飛んでいって落ちたところで咲くなんてこともない。山でヒガンバナを見ないのはそのためだ。いつでも人が暮らす近くで咲いているからよく目にする気がするのだ。ただ、種ができなくても蜜は出す。アゲハなどがよく密を吸っている。あれはただのサービスなんだろうか?
 花言葉の「悲しい思い出」、「あなたひとりを思う」、「また逢う日を楽しみに」というのはどうなんだろう。なんとなく私が持っているヒガンバナのイメージとは合わない。

 それにしてもこの花は撮るのが難しい。去年切実に感じたその思いを今年も打ち消せずにいる。たくさん咲いている群生を撮ると赤色がベタッとしてしまうし、行儀よく並んで咲き揃ってるところもなんとなく絵にならない。ポイントとしては、花をどれくらい入れてどこに置いて、背景をどうするかだろう。近づきすぎない方がよさそうだ。今まで見たヒガンバナの写真の中で一番ぐっときたのは、土手の斜面一面に咲き揃った彼岸花を真っ赤に染まる空を背景に写した写真だった。赤色にあえて赤色をぶつけるというのは気づいてみれば効果抜群だ。私もそういうのを撮ってみたいけど、シチュエーションと時間帯が限られる。もし、そういうシーンに当たったらぜひそうやって撮ってみてください。私の分まで。
 半田の矢勝川を歩きながら、どうやって撮ったものか悩んで首をかしげながら「♪赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る 濡れて泣いてた ジャガタラお春 未練の出船に ああ雨が降る ああ雨が降る♪」と小さな声で歌っている私を見かけたら、おまえはいくつだ! と突っ込んでみてください。って、この歌、みんな知ってるかなぁ。

教会の空気には森や川や海よりも高い浄化作用がある ~南山教会

教会(Church)
南山教会外観

Canon EOS Kiss Digital+SIGMA 18-125mm DC(f3.5-5.6), f5.0, 1/500s(絞り優先)



 久しぶりに布池教会(ぬのいけきょうかい)に行こうと思ってネットを検索していたら、南山教会(なんざんきょうかい)というのがあるというのを初めて知った。南山といえば、名古屋あたりではちょっとした私立有名学校で、小学校から大学まであり、賢い坊っちゃん、嬢ちゃんが通う総合学園だ。
 実は、南山大学は私の受験の本命校だった。しかし、試験問題を見たとたんに、こりゃダメだと悟る。今まで勉強したことがないような難しい問題ばかりで、焦るのを通り越して笑えてきた。そもそも、受験勉強なんてものをほとんどすることなくぶっつけ本番で望んだ受験だったから、それも至極当たり前の話だった。こいつはいけねぇなぁと、休み時間に休憩室でタバコを吸いながら周りを見渡してみると、なんということだ! 誰ひとりタバコなんて吸ってないぞ! それどころか、みんな参考書を開いて勉強しているではないか。いよいよ自分は場違いなところに迷い込んだらしいと思う18歳の私であった。実際のところ、一年浪人して京都の大学へ行くつもりだったから、高校生のときは本当に勉強なってまったくしなかった。オレは本番に強いからもしかしていけるんじゃないのかという根拠のない自信で入れるほど南山大学は甘いところではなかったのだ。結果的には名城に引っかかって成り行きで入学することになったのだけど、名城の受験のときはトイレの中がタバコの煙で前が見えないほどだったのは素敵な思い出として残っている。
 そんなことはともかくとして、南山教会のことを調べてみると、どうやら中まで入って写真も撮れそうだ。ここはひとつ行ってみるしかないだろうということで、やや及び腰ながら向かったのだった。タバコをやめてもう10年以上になるし、そろそろ南山も私のことを受け入れてくれるだろう。

 カトリック南山教会は、昭和区南山町の学校が集まっている敷地内にある。残念ながら大学の方ではなく短大などが集まっているところだった。南山のキャンパスは今も私を拒むのか!? でも、短大の方なので違う意味で腰が引けがちだ。あまり怪しい人間という自覚はないのだけど、もしかしたら男ひとりで大きなカメラを持って敷地内をうろついていたら警備員に止められたり、通報されたりしないとも限らない。こういうときは堂々とするのがいい。コソコソ、キョロキョロしてると怪しまれるから。
 とはいえ、駐車場に入っていく入口でも、駐車場から降りたところにも人影はまるでなく、逆に心配になるほどのフリーパス状態だった。教会を訪れる人に悪人はいないはずだという基本姿勢なのか、南山教会は予想を超えた広き門だった。駐車スペースも20台分くらいはあったから、たぶんミサのとき以外はとめられると思う。
 さて、無事門をくぐったものの、聖堂の入り口が分からない。ここかなぁと扉を引いてみると、ガチャガチャと鍵がかかっている音があたりに響いて、うわっ! となる。いえ、私、不審者じゃないです、と誰にともなく言い訳したくなったり。トイレがあったので、ここはまずトイレに行って気持ちを落ち着かせようと思いきや、トイレの鍵までかかってる! うわー、と心の中で叫んで逃げ出したくなるのを抑え、冷静を装う私。いや、戸締まりの確認のようなものですよ、はは……。夕方でもう閉まってしまったのかなと思って帰りかけていると、信者さんらしきおばさまがやって来て、私と目があった。逃げろ! と逃げるには遅すぎたので、軽く会釈して何気なくおばさまのあとをつけていったら、ふいに振り返って、信者の方ですか? と問いかけられてしまった。あ、いえ、見学に来たのですが、と正直に答えると、ああ、それならどうぞ、どうぞと優しく入口まで案内してくれて、中に招き入れてくれたのだった。助かった。
 もしあのタイミングでおばさまが来てくれなかったら、私はきっとあきらめて帰ってしまっただろう。それで二度と南山教会には行かず、無縁のまま終わったと思う。これもまた神の思し召し、なんていうと大げさだけど、これも縁というものだろう。どうもありがとうございます。

南山教会の内部
OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/40s(絞り優先)

 大聖堂内部は、さすがに現役の教会ということで厳粛さが漂う。教会特有の空気感に包まれ、体が馴染むのにしばらく時間がかかる。この空気に触れたら、相当なお調子者でも黙り込んでしまうことだろう。柳沢慎吾でもここでは持ちネタを披露できまい。
 10分ほど椅子に腰掛け、パイプオルガンの音色に耳を傾けたり、当たりを見渡したりして気持ちを静める。少し時間が経って馴染んでくると、ああ、やっぱりこの空間は心地いいと思う。この独特の気持ちよさを初めて体験したのは多治見修道院だった。あそこはすごかった。次に訪れた布池教会でも同じような空気を感じた。ただ、教会の建物ならどんなものでも同じ雰囲気を持っているかといえばそうじゃない。歴史のある本物の教会を移築展示してある明治村のものは、どこの教会よりも立派だけど、見事なまでに教会特有の空気感が抜け去っていた。
 先ほどのおばさまがお祈りを終えて帰っていき、私の体もいよいよ聖堂内の空気と同調したのを感じた。シャッター・チャーンス、アタック・チャーンンス(児玉清)。一番後ろの壁に張り付き、連写しまくりの私。しかし、レンズが50mmの単焦点で2倍換算になるE-1なので、実質100mm、これはちと苦しかった。ここで写真を撮るときは、明るい広角レンズがいい。ただ、E-1の静かなシャッター音は助かる。これがD30なんかのパコーンというような大きな音だと、聖堂内の静寂を引き裂いて、ワンショットごとに心臓がびくんっとしてしまいそうだ。温厚なイエスだって、ちょっとうるさいです、と怒ってくるかもしれない。

教会内のステンドグラスと光

 教会を撮る楽しみのひとつにステンドグラスとそれを通した様々な色の光がある。大きな一枚のステンドグラスもいいけど、ここの設計も素敵だった。神々しいという言葉が思い浮かぶ。
 教会なんてものは信者さんや結婚式で使うだけのところ、という固定観念はきっぱり捨てた方がいい。一般人もごくごく普通に受け入れてくれる場所だ。日常生活とは明らかな異空間で、あの異質さは実際に礼拝堂に入ってみないと分からないし、説明できない。日曜日のミサに飛び込みでってのは無理だろうけど、平日なら解放してるところが多いから、ぜひ近くの教会にふらりと入っていくことをおすすめしたい。私のように教会好きとなる人もきっといると思う。
 名古屋ではここの南山教会と布池教会は自信を持っておすすめできる。両方行ってそれぞれの違いを体感してくるというのもいい。布池は建物が素晴らしいので、またあたらめて紹介したいと思っている。
 アナタハ、カミヲ、シンジマスカ? などと、いきなりフランシスコ・ザビエルのような人が話しかけてくることはないし、聖書を売りつけられるようなこともないので安心して欲しい。基本的にはこちらから話しかけなければ挨拶以上のことはないし、干渉されることもない。日本の神社などと同じようなものと思っておけば間違いない。教会体験はきっと貴重なものとなるはずだし、それが自分にとってマイナスになることはない。
 教会を出た私は、教会に入る前の私とは明らかに違っていた。自分が浄化されたのがはっきり分かる。実にすがすがしい気分だ。このすがすがしさはちょっと他ではないかもしれない。道行く人みんなにおこずかいをあげたくなってしまうような気分とでも言おうか。もちろん、あげないけど。

シーズンオフの上野天満宮を訪れ、ちょっと願い事 2006年9月27日(水)

神社仏閣(Shrines and temples)
季節はずれの上野天満宮

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f4.5, 1/40s(絞り優先)



 ふと思い立って、千種区にある上野天満宮に立ち寄ってみた。今回が二度目で、初めて訪れたのは去年の3月半ばのことだった。1年半前の私と今日の私と、何か変わっていただろうか。変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない。ただ、あのときは抱えていなかった願い事を今は抱えている。神社にお参りするときの作法も覚えたし、心構えも変わった。そういう部分では、天神さんも私の変化を認めてくれたんじゃないだろうか。
 前回が3月中旬で梅は終わっていて、今回は9月の終わり。またもや季節はずれの時期に訪れてしまった。天神様といえばなんといっても梅と合格祈願だ。せっかくならどちらかの季節に行った方が雰囲気を味わえていいのだけど。それでもちょこちょこ入れ替わり立ち替わり参拝者が来ていた。黒い服を着て美しい参拝作法をしていた女の人はどんな願いを抱えていたのだろう。

 名古屋三大天神のひとつである名古屋天神・上野天満宮の創建は990年。当時、都から左遷されて名古屋の地にやって来た安倍晴明が、好きだった菅原道真を祀ったのがはじまりとされている。でも実際のところ、安倍晴明が本当にこの地にやって来ていたという公式記録はない。どうやら安倍晴明の一族がこの地に飛ばされてきたというのが本当のところのようだ。ただ、安倍晴明が住んでいたとされる一年間は京都にいなかったという公式の記録が残っているだけに、満更でたらめでもないのかもしれない。このあたりの地名が、「安倍山」ではなく「晴明山」であるところからも可能性は感じさせる。近くには晴明神社があって、そちらにもちゃんと寄ってきたので、このへんの詳しい話はまたあらためて書こうと思う。
 三大天神のあとふたつは、北区の山田天満宮と、中区の桜天神だ。以前、桜天神のことはこのブログで書いた。菅原道真がどうして天神様として祀られるようになったかといういきさつもそのとき書いたけど、一応おさらいとして簡単に説明しておこう。
 平安時代中期、家柄もよく子供の頃から大秀才だった菅原道真は、大人になってトントン拍子に出世して、右大臣にまで上り詰めた。しかしそれをねたんだ左大臣の藤原時平に無実の罪を背負わされ、京都から太宰府に左遷されてしまう。その地で菅原道真は無念の死を遂げ、それ以来京では様々な怪事件が起こるようになく。藤原一族の関係者はことごとく死に、しまいには雷に打たれて死んでしまう人まで出た。こりゃいけないっていうんで、道真の霊を祀るために作られたのが太宰府天満宮であり、北野天満宮だったというわけだ。
 それがどうして学問の神様となったかといえば、端的に言って、勉強がすごくよくできた菅原道真にあやかろうということだ。代々、文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれ、自身も23歳でこの地位について、非常にできが良かった。人格者でもあり、後世でも菅原道真を慕う人は多い。そもそも、いくら恨む気持ちが強かったとはいえ、怨霊扱いされるような人ではなかったのだ。ただ、それゆえ神様扱いされるようになったということもあるから、道真さんはどう思ってるんだろう。現在日本全国に1万2,000もの天満宮があるという。こんなにもたくさんのところで祀られている人間は、菅原道真ただひとりだ。
 天神様と呼ばれるのは、落雷で死人が出たことと、元々あった雷信仰とか結びついて、菅原道真は雷の姿になって現れると考えられるようになったからだ。

天神さんの牛

 天満宮には必ずいる牛さん。どうして牛なんだろうと疑問に思った人もけっこういるんじゃないだろうか。これは、菅原道真が丑年生まれだったということと、遺体を運んだのが牛車(ぎっしゃ)で、その牛がどうしても動かなくなったところを道真公の意志として墓所とし、そこに太宰府天満宮が作られた、というエピソードがあるからだ。天神様は白い牛に乗ってやってくるという言い伝えも関係があるのだろう。
 もうひとつのシンボルである梅は有名なので知ってる人が多いと思う。道真さんは子供の頃から好きで、最後まで梅のことを愛でていた。京都の庭にあった梅が一夜で太宰府まで飛んでいったという飛梅伝説や、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだのも有名な話だ。

 天神様と聞いて、「天神様の細道」を思い出す人もいるだろう。今はもう、「とおりゃんせ」なんていう遊びは誰もやらないだろうし、知らないだろうけど、私たちが子供頃はまだ残っていた。鬼になったふたりが向かい合って両手をつないで門を作り、その下をみんな一列になって「とおりゃんせ、とおりゃんせ」と歌いながらくぐっていく。みんながくぐり終えるともう一度戻り、そのとき鬼だったふたりは今だっと手を下ろして誰かを捕まえる。捕まった人はわー、捕まったー、と嘆き悲しむ、といったような遊びだったと思うんだけど、細部までの記憶がない。そもそもこれを遊びと言えるのかどうなのか。
 童謡の歌詞をどう解釈していいのか疑問に思った人もいたんじゃないかと思う。

 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
 ちょっと通してくだしゃんせ 御用のない者通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
 行きはよいよい 帰りは恐い 恐いながらも 通りゃんせ通りゃんせ


 なんで行きはいいのに帰りは怖いんだろう? 七つのお祝いということは七五三だろうに、それにしてはなんだかおどろおどろしい雰囲気さえある。
 いくつかの解釈がある中で、一番納得というかしっくりくるのは、間引きや子捨ての歌だろうという説だ。貧しい一家で子供を食わせていくことができなくなった母親は、7歳になった子供を天神さんに捨てに行く。「七つ前は神の子」という考え方があって、それまでは罰が当たると怖いので育てて、いよいよ成長して食べさせられなくなったので捨てに行くのだ。当時は捨て子が巷に溢れ、誰もどうしようもできなかった。そんな中、天神さんだけは拾って育ててくれるという噂があり、だからそこへ行くのだ。
 この歌詞での登場人物は三人。歌詞をそれぞれセリフとして割り当てて見ると分かりやすい。

 通りゃんせ 通りゃんせ<母親>
 ここはどこの細道じゃ<子供>
 天神様の細道じゃ<母親>
 ちょっと通してくだしゃんせ<母親・番人に対して>
 御用のない者通しゃせぬ<番人>
 この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります<母親>
 行きはよいよい 帰りは恐い<母親の内心>
 恐いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ<門番>


 捨て子があまりにも多いもんだから、天神様の前では門番が見張っている。ここは通さないと立ちふさがる門番に対して、七五三のお参りに行くと言って通してもらう。行きはその言い訳が通るけど、帰りは子供を連れてないのでどう言い逃れをしたらいいのかと考えると恐ろしい。本当は門番もそのことには気づいていながら通してやる。
 もちろん、この解釈が必ずしも合ってるというわけではないけど、「はないちもんめ」や「赤い靴」に通じる怖さがある。

 現在の天神様は、決して細道でもないし、怖い門番が立っているわけでもなく、開放的な明るい雰囲気で、境内の中は心地いい。道真さんももう怒ってないだろうし、受験シーズンは殺気立っていることがあっても、季節はずれはいたってのんびりしている。道真さんはわずらわされることなく自分の勉強に集中できているだろうか。
 天満宮を訪れるといつも、「菅原道真公は日本を代表する勉強家でした」という言葉を思い出して、そのたびに胸を打たれる。勉強家日本代表になるには、一体どれくらい勉強しなくてはいけないのだろう? 今になってやっと少しずつ勉強をしてる私だけど、勉強家というにはあまりにも遠い。
 天満宮は、受験生やその家族のためだけのものでは決してない。大人になってからも折に触れて立ち寄って、道真さんに思いを馳せ、あらためて勉強の誓いを胸に刻むいいきっかけとなる。私もまた、梅の咲く2月に行こうと思う。半年近くあるから、そのときまでにはもっと変わった自分を見せられるようにしたい。それから、道真さん、例の件、よろしく頼みます。

クモは糸に乗って旅をするチョコ味(らしい)の節足動物 2006年9月26日(火)

虫/生き物(Insect)
夏の終わりのクモの巣

Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/125s(絞り優先)



 行く夏を惜しみつつ、夏が終わってホッとすることがふたつある。蚊がいなくなることと、森歩きでクモの巣が顔にかからなくなることだ。これは本当に嬉しい。
 それでもまだ9月中は、最後の虫たちを狙って巣を張っているクモがいるので油断はならない。私自身、顔にかかるのはイヤだし、彼らにしてもせっかく苦労して張った巣を壊れたんではかなわない。お互いのために、なるべくクモの巣には干渉しないようにと心がけてはいる。
 今日はそんなクモたちについて、基本的なところをおさらいしてみることにしよう。知ってるようで知らなかったクモについてのあれこれ。これを読めば、クモについて知ってるつもり?! と関口宏に言われなくても済むようになるはずだ(番組が古いし、関口宏はそんなこと言わない)。

 まず、クモは昆虫ではない、というところから始めよう。いわゆる虫と呼ばれてはいるけど、昆虫には属しておらず、節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目というグループに所属してる。ええ? なんだそりゃ? と思うかもしれない。私も思った。大きく言うとダニやサソリなんかの仲間になる。昆虫ではない理由として、足が8本であることと、頭と胸の境が明確でないということがある。触角もなく、口にはハサミ状の鋏角(きょうかく)という器官があり、目なんか8つも持っている。なるほど、昆虫とはずいぶん作りが違う。
 世界には3万5,000種類ものクモがいると言われている。その中で毒グモはわずか0.1%の30種類くらいしかいない。もちろん日本にはいなくて、アメリカやオーストラリアにいるだけだ。日本には分かってるだけで1,300種類ほどのクモがいるんだとか。未知のものも多いから1,500種類はいるだろうという話もある。クモの区別は実際難しい。
 その中で巣を張るクモは約半数程度で、歩き回って自分から飛びかかっていくやつや、花の中で待ち伏せするものなど、エサの捕り方は様々だ。巣を張ることが必ずしも効率がいいとは限らない。ただし、すべてのクモは歩くときに必ず糸を引いて歩くんだとか。
 生息地は砂漠から森、都会までと広い。水中で生活してるミズグモなんてのもいる。
 誕生したのは4億年くらい前ではないかと言われている。かなりの古株さんだ。
 エサは肉食。害虫を食べてくれるから本来なら益虫扱いとなってもよさそうなのに、見た目のグロテスクさで大きく損をしている。あの細い足がいけないんだと思う。いや、太くて毛深いやつの方がもっと不気味か。クモの何がいけなんだろうか? と立ち止まって考えてしまいがちだ。けど、家の中のクモはなるべく退治せず共存の道を選んだ方がいいと思う。クモよりもっとイヤな虫なんかを食べてくれている可能性が高いから。
 巣を張るやつは糸に絡め取って、そうじゃないやつは直接飛びかかって獲物をいただくわけだけど、まず鋏角をエサに突き刺して、ここから毒を送り込んで殺したり弱らせたりしてから食べる。たいていのクモは自分と同じ大きさくらいまではいけるようだ。沖縄県の石垣島にいる日本最大のオオジョロウグモは、ネズミやカエル、時には鳥まで食ってしまうというから驚く。そんなクモが家の中にいたら、ちょっと穏やかではいられない。暖かい土地は生き物全般が大きくなるのが難点だ。

 クモの巣の造形美にはいつも感心する。これは6種類もの別の糸で織られているという。ワナ用の糸や、足場を作るための糸、ぶらさがり用の糸、卵を包むための糸など、用途によって使い分けているんだとか。
 クモの糸はカイコのマユなんかよりもずっと強く、自然界では最強と言われている。ただし、なんといっても大量生産がきかない。だから、クモの巣で編んだパンツなどというのは作られることがない。パンツ一丁作るのにどれくらいのクモが必要なのか、見当もつかない。トリビアの種に送ってもいいかもしれない。
 クモはなんで自分の巣に絡まないのかという問いがよくある。あれは、獲物を捕るための粘りがある糸を横糸に使い、自分は粘りのない縦糸を伝って移動するからだ。それと、くっつかないように足から油性の成分を分泌したりもする。
 面白いやつでは、糸を手でもって投げ縄のようにして投げて獲物を捕らえるやつもいる。あるいは、口から糸を吐いて捕まえるやつとかも。
 クモの糸のもうひとつ大きな役割として、旅のお供として欠かせないということがある。卵からかえったクモの子は、しばらく卵のうにとどまり、一回目の脱皮を待つ。それが済むまでは糸を出すことができないからだ。そう、クモは脱皮するというのも意外と知られてない事実ではないだろうか。生涯で10回以上脱皮するんだとか。無事一回目の脱皮を終えた子供グモは、高いところに登り、空に向かって糸を吐き出し、それを風に乗せて飛んでいくのだ。どこにたどり着くのかは風任せ。降り立った場所が子グモにとっての生活の場となる。
 新天地で成長したクモは相手を見つけ、そこで卵を産む。ワンシーズンで死んでしまうものや、大きいものは数年生きるのもいるという。

 以上、クモについて知ってるつもり?! 初級編はどうだったでしょう。少しはクモを好きになってもらえただろうか。そういうお前はクモのどこが好きなんだと訊かれると、いや、別に、と明石家サンタのお約束の受け答えのようになってしまうのだけど、決して嫌いなわけではない。昔からクモだけは殺してはいけないという思いがあって、物心ついてから今に至るまでそれを守っている。クモは家の守り神とさえ思ってるくらいで。
 日本全国、クモに関してはいろいろな迷信がある。朝グモは縁起がいいとか夜グモは悪いとか、朝にクモの巣を見ると人が訪ねてくるとかなんとか。まったく逆の地方があったりして、必ずしも根拠のあるものではないのだろうけど、人の暮らしとクモの関わりは昔から深い。
 そういえば、以前読んだサバイバルの本に、クモはチョコレートの味がする、と書いてあったのを思い出した。ホントかよぉー、と思ったけど、ウソと証明できない以上、信じるより他にしょうがない。よっぽど飢えて食うものに困っても、クモに行き着くまでにはたくさんの段階があって、なかなかクモまではたどり着かないと思うけどどうだろう。クモを食う前に食うものがあるだろうと思うから。洒落や遊び心で食べられるものでもないし。だからきっと、私は一生クモの味を知らず、チョコの味がするらしいというあやふやなサバイバル知識だけで終わることだろう。
 もし、自分ならいけるというチャレンジャーな方がいたら、ぜひ試してみてください。そして、本当にチョコ味なのかどうか私に教えてください。カカオ85%よりも甘いのかそうじゃないのか。くれぐれも、食べるまえに手足をもぐことをお忘れなく。あ、もちろん、食べるときは生ですので。

タヌキがこんなにもスーパーな生き物だったなんて 2006年9月25日(月)

動物園(Zoo)
タヌキってこんなだったか

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/125s(絞り優先)



 前回、東山動物園へ行ったとき、あ、タヌキだと思ってプレートを見たら、アライグマだった。あれ? タヌキってこんな感じじゃなかったっけ? とそのときはそれで終わった。けど、あれ以来実際のタヌキはがどんな顔をしてるのかちょっと気になっていた。なので今回の東山行きはタヌキを見ることも目的のひとつだった。
 それは、子供動物園ゾーンの「タヌキの里」にいた。ええー!? っと驚くタヌキの顔。こんな顔してたっけ? いや、野生のタヌキは見たことがないからあくまでも自分の中のイメージなんだけど、こんなんじゃなかった。もっと丸い顔をしてると思い込んでいた。これじゃあ犬ではないか。薄汚れた感じの雑種の犬でこんなのいるぞ。体型は犬とは違って丸々としてたから、その点では紛れもなくタヌキだった。
 まあタヌキもそれぞれ個性があって、こいつが全タヌキの顔を代表してるわけではないのだろうけど、思っているより犬に近い生き物だったのだ。犬科だから当たり前といえば当たり前にしても、アニメや狸の置物で作られたイメージは間違っていたらしい。それにしてもこいつ、しょぼくれた顔してるなぁ。

 タヌキの故郷は、意外にも北アメリカなんだそうだ。1,000万年ほど昔に誕生して、その後ユーラシア大陸を始め世界の広い範囲に分布を広げていったにもかかわらず、どういうわけか北アメリカでは1万年ほど前に絶滅してしまったらしい。
 現在は、日本を中心として東アジアに生息していて、この地域の固有種となっている。日本には数十万年前からいたようで、北海道から九州までの広い地域に生息している。沖縄にはいないようだ。北海道のものはエゾタヌキという種類で、本州のはホンドタヌキと呼ばれている。
 体の色が茶色っぽいのが南方で、黒っぽいものが北方らしい。毛並みということだと、冬場は厚着になってぱんぱんにふくらんでいるのに対して、夏場はごっそり抜けて貧相な体つきになるという特徴がある。便利といえば便利だけど、そんなに毛が抜けてしまっては室内飼いは厳しい。初夏は1時間ごとにコロコロを転がして毛を取ってないといけない。
 体長は60センチ前後、体重は5-10キロほどで、しっぽはわりとふさふさしていて10センチくらいと短い。
 顔がアライグマに似てると思ったら、英名はRacoon dog、アライグマ犬となっている。顔でいうと、アナグマとも似てるので間違えやすい。タヌキとアナグマをまとめてムジナと呼ぶ地方もあるとか。同じ穴の狢というのは、あれはタヌキとアナグマを指している。
 メシは典型的な雑食性。今の時期そこにあるものを食べるという、積極性を見せる。中でも好物はミミズというからちょっと意外だ。タヌキはそんなものを食っていたのか。他にもカエルやネズミ、魚、昆虫、鳥、ドングリ、穀物、植物の根っこ、果物などを食べる。海辺に暮らしてるやつはカニなんかもいただく。エサを取るためには木にも登る。イメージ違うなぁ。更に驚くことに泳ぎまで得意という。

室内タヌキ

 これは室内に隔離されていたタヌキだ。なんでも親を交通事故でなくして保護されたんだそうだ。タヌキの事故死もけっこう多いと聞く。動きが猫のようにすばしこくないから逃げるのが遅れるのだろう。
 こいつは上の写真のものとはまたずいぶん違った印象を受ける。やっぱり犬っぽいけど、こっちの方はかわいい犬っぽい。タヌキもこう見るとかなり顔つきに差があるようだ。
 あまり知られてないけど、タヌキというのはオシドリ夫婦なんだそうだ。いったん相手を決めたら、一年中ほぼカップルまたは家族で行動して、死ぬまでそれが続くという。これはほ乳類ではかなり珍しい。あんなにいつも一緒だったコアラと三原順子も今では家の中でも相手がどこにいるか知らない有様だというのに。
 しかもオスはとっても子煩悩なんだとか。子育ては母親任せという生き物が多い中、タヌキのオスは我が子のためにせっせとエサを運び、毛づくろいをしたり、一緒に遊んでやったりする。基本的に夜行性なので私たちがその姿を目にすることはほとんどないのだけど、もし彼らが昼行性だったとしたら、私たちは中のいい夫婦のことをオシドリ夫婦ではなくタヌキ夫婦と呼んでいたかもしれない。これからは出来たダンナさんを見たら、タヌキのオスみたいだなと形容することにしよう。なんでだと訊かれていちいち説明するのが面倒だけど。
 自分では巣穴を掘らず、元々あった穴や、アナグマやキツネが掘った穴をレンタルして、だいたい年に一度、春に3-5頭くらいの子供を産む。

 タヌキ寝入りという言葉は、銃で撃たれたときに当たってもいないのに倒れて、死んだかと思って近づいていくと、起きあがって逃げていくことがよくあったことから来ているそうだ。タヌキにしてみたらだまそうとしてそんな演技をしたわけではなく、驚いて失神しただけなのに、そんなふうに思われて心外だったろう。現在でも車とヘッドライトに驚いてそんなふうになることがあるそうだ。逆にそれが命取りになったりもするのだけど。
 狸という漢字が、けものへんに里と書くように、昔から人里の近くにいた生き物だった。昔話に登場したり、歌に歌われて親しまれてきた。しかし、タマが大きいというのは事実ではないようだ。もちろん、腹鼓(はらつづみ)を打ったりもしない。

 それにしても、今回タヌキについて勉強したことで彼らに対するイメージが大きく変わった。かなり尊敬に近い感情を持つようになったと言ってもいい。なんでも食べて、木にも登り、水泳も得意で、仲良し夫婦の子煩悩ダンナなんて、なんて素晴らしいんだ。考えたら私に持ってないものばかり持っているではないか。うらやましいぞ。
 こんなにも立派な生き物なのに、人をだます悪いやつと思われたり、キツネのように神様の使いとして祀られることもなく、いつまで経っても日陰暮らしで日の目を見られそうにない。干支にも入れてもらえず。唯一大事にしてもらってるのは、信楽焼の狸の置物くらいのものだ。
 私としては今後はもっとタヌキを大事に思いつつ、更に接近遭遇していきたいと思っている。近所でノラ猫のエサ場に出没するという噂もあるから、今度夜見張ってみよう。それと、信楽焼の狸もひとつ買って部屋に飾っておこうじゃないか。タヌキを見習えよ自分、という戒めのために。全日本狸地位向上組合などといものがあるのなら、ぜひそこの会員にもなりたいと思う。

家庭懐石料理の方向性が少し見えたサンデー料理 2006年9月24日(日)

料理(Cooking)
和の素材を生かすサンデー

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/13s(絞り優先)



 今日のサンデー料理のテーマは、加工和食。煮る、焼く、食う、という男らしい料理からホップ、ステップ、ジャンプして、和の食材で和食を作るということでできたのがこの3品だった。必ずしもイメージ通りではなかったのだけど。
 見た目簡単そうで量も少なく見えるけど、総料理時間2時間半で、おなかいっぱいになった。私の場合、作ってるだけで胸がいっぱいになってきてしまうので、職業としての調理人は決定的に向いてないと思う。だいいち、料理の腕は多少上がったけど、時間だけではどうも短縮できない。少なくとも、ランチタイムに私を雇ってはいけない。

 一番奥は、白身魚のつくね。
 つくねの定義ってなんだろう? 肉だんごのことなのか、串で刺すことにポイントがあるのかどうなのか。たいていは鶏のひき肉で作ることが多いと思うけど、私はメカジキで作ってみた。
 白身を包丁で刻んで叩いて、みじん切りしたタマネギと長ネギ、カタクリ粉を混ぜて、塩、コショウを振り、今度は手でこねる。ハンバーグのように空気を抜きつつパチパチ叩いて丸め、フライパンで焼いて、串を刺して、たれを塗ればできあがりだ。たれは和食ソースの基本、しょう油、酒、みりん、砂糖少々をだし汁で割り、水溶きカタクリ粉でとろみをつけた。
 身が締まりすぎたのか、カタクリ粉が多かったのか、やや固めになってしまったのが失敗だったものの、味としては美味しかった。肉じゃなくても問題ない。

 右の黒いのは、里芋の黒ごままぶし。
 里芋をタワシでざっと洗って、ラップをしてレンジで3分加熱して、皮をむく。それを半分に切って、耐熱タッパーに里芋とめんつゆを入れて更に3分加熱して、取り出したら熱いうちにすりばちなどでつぶしてこねる。いい感じに粘ってきたら、手でこねて丸め、黒ごまを全体にまぶし、フライパンに入れて蒸し焼きのようにして温めれば本体は完成だ。
 たれは酢をベースに、しょう油、みりん、酒、塩、黒コショウなどを混ぜた。
 最後に、別に作っておいた白髪ネギを乗せる。ちょっと白髪ネギが風呂上がりのようになってしまって失敗だった。もっと水を切らないといけないらしい。

 手前は、白ごまと青のりの豆腐ステーキ。
 これは後回しにしたら手が回らずに加工が中途半端になってしまった未完成品だ。予定としては、つぶして味を付けてからレンジで蒸し焼きにして、それから青のりとごまを乗せるつもりだった。時間切れと気力切れで、ステーキでお茶を濁すこととなった。しょう油、酒、みりん、マヨネーズなどを混ぜたたれを付け焼きにして、青のりと白ごまを上にまぶしただけで終わった。

 今日は凝って時間がかかったわりには総合点の低いものとなってしまったのだけど、これは懐石料理への足がかりとして見れば、無駄ではなかったと思う。しばらく前から加工和食ともいうべき懐石料理を作りたいという思いがずっとあって、今日はその第一歩だった。本来、懐石の意味は手のかかっていない簡単な料理という意味だったものが、近年は手の込んだ和食のように思われがちだ。それは間違いではあるのだけど、私の目指す方向はそっちにある。一方には家庭フランス料理が作りたいというのがあり、もう一方は家庭懐石を作るのが私の目標なのだ。家庭懐石と呼べるものを作れるようになるまでにはまだしばらく修行が必要だろう。盛りつけひとつとっても奥が深く、難しい。
 おまえは一体どこへ行くつもりなんだ? とあなたは思ったかもしれない。それはもう、あなたの家じゃないですか。「突撃、私の晩ごはん」の企画はまだお蔵入りになってないですからね。ずっと温めているこいつは、いつかきっと日の目を見させてやりたい。ただ、凝った料理になると、3時間くらいかかるんで、申し訳ないですが、3時間ほど台所を借りることになります。しかもその間は、なるべく話しかけないでください。気が散るので。できるまで箸をなめて待っていてくださいね。
 けど、実際、そろそろ自分が作ったものを人に食べてもらいたいという欲求が強くなってきたことは確かで、いくつか自分の中で完成品となっている料理もできたし、本当にあるかもしれない、突撃、私の晩ごはん。あるいは今年中に?
 もし、寂しいクリスマスイブを過ごしていて、夕方くらいに私のことを思い出したら、呼んでください。食材を持ってお邪魔しますので。たぶん、当日予約でも、だいじょ~ぶ!(仮面の忍者・青影のポーズで決めてます)

東山動物園のコビトカバの前で小次郎と共に待ってます 2006年9月23日(土)

動物園(Zoo)
コビトカバの背中に乗って

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/200s(絞り優先)



 カバの背中に乗って水上を行くとこんなふうに見えるんじゃないかと思う。いや、もちろん、カバの背中に乗って写真を撮ったわけではない。望遠レンズで至近距離から撮ったらこんなふうになっただけだ。世界広しといえども、カバの背中に乗せてくれるサービスを行っている動物園はおそらくないと思う。野生のカバに乗るのはムツゴロウさんでも難しい。カバは見た目以上に凶暴で強いから。
 こいつは、カバはカバでもコビトカバという非常に珍しい種類のカバだ。世界四大珍獣の内のひとつに数えられ、150年ほど前に初めて発見されるまでUMA扱いの動物だった(Unidentified Mysterious Animal=謎の未確認動物) 。もう少し発見が遅れていたら「特命リサーチ」で特集されていたかもしれない。早くビッグフッドも見つけて欲しいぞ。
 日本での飼育もごく限られていて、現在は名古屋の東山動物園、東京の上野動物園、和歌山の南紀白浜アドベンチャーワールドでしか見ることができない。数年前、鳥羽水族館に移されたものは残念ながら事故で死んでしまった。
 というわけで、なかなかお目にかかれないだけあってごく一部では人気者となっている。一般的には人気以前に知名度が低い。私がこいつの写真を撮ろうと長いことプールの前で粘っていたら、何かいいものがいるのかと入れ替わり立ち替わり人が近づいてきて、小さなこいつをひと目見ると、なんだカバか、という捨てゼリフを残して立ち去っていったことからもそのことがうかがえた。世界四大珍獣を、ジャイアントパンダ、ボンゴ、オカピ、コビトカバとスラスラ答えられる人もそうはいないだろうから無理もないことなのだけど。

 アフリカの西にあるリベリアのジャングルで1841年(1844年という説もある)に初めて発見されたコビトカバは、当初カバの変種くらいにしか思われていなかったらしい。カバとはかなり違うから発見した時点で分かりそうなものなのに、そうでもなかったようだ。
 何しろ生息数が少なく、おまけに現地の人間が捕まえて食ってしまったりしていたから、その生態がよく分からなかった。その後も捕獲や密猟などでますますその数を減らし、現在は保護区以外のものは絶滅してしまったのではないかと言われている。なので、野生での生態はいまだに謎の部分が多いようだ。
 一番の特徴としては、通常のカバに比べて10分の1ほどの大きさしかないということがある。それがコビトの名前の由来となったのだけど、普通のカバが体長4メートル、4トンにもなるのに対して、体長は170-180センチ程度で、体重も160-270キロほどにしかならない。カバは自分の重さに耐え難くなって水中を選んだけど、コビトカバは軽いので陸上を主な生活の場として選択した。走るとけっこう速いらしい。でも、東山ではずっとプカプカと浮いていた。野生では水中にいるとかえって危険なので陸にいることが多いけど、動物園は安全なので水の中にいたいのかもしれない。だって、オレ、カバだし、と彼は言うのだろうか。
 研究が進むにつれて、こいつが普通のカバとは全然違っていることが分かった。頭は小さく、目は上ではなく横についていて、水中にいながら鼻だけで息をすることができない。足の指先には水かきもついてないので、泳ぎも得意じゃない。要するにカバのように水中生活に適してないのだ。なので、生活は水辺の森林や湿地帯ということになる。出産もカバが水中なのに対してコビトカバは陸上で行う。
 いろいろな要素がカバよりも原始的なことが分かってきて、予測ではカバよりも500万年くらい前から地球上に生息していたのではないかということになっている。カバの祖先と言ってもいい。そのため、生きた化石という言われ方をすることもある。なんだカバか、とカバ呼ばわりされておしまいなやつじゃないのだ、コビトカバさんは。

大口コビトカバさん

 それにしてもコビトカバさんは撮りづらかった。400mm換算単焦点の望遠レンズしか持ってなかったというものあるのだけど、ずっと背中だけ見せてプカプカ浮いて漂ってるだけで、なかなか顔をあげてくれない。ときどき思い出したように息継ぎのために顔を上げるものの、それもほんの短い時間でしかない。閉園時間は迫る。焦る私。そんな私の殺気(?)を感じて寄って来る人々。カバと分かって冷たい視線を浴びる私。そんな中でようやく撮れたのがこの一枚だった。それでも全体像がよく分からない。コビトカバの魅力をもっと充分お伝えしたかったのに。

 ジャングルでは単独かペアで行動している。日中は水辺で過ごし、夜になると草原へ出て行って草や果物などを食べる。短いしっぽをぶるんぶるん回してフンをまき散らしながら歩き、それを道しるべにするそうだ。
 動物園では、干し草や青草、りんごなどの果物をもらっていて、体が小さい分、カバのように大食いではなく、10キロほどだそうだ。
 寿命は35年くらいで、上野動物園の37歳のトシコが死んでしまったため、現在は東山動物園の31歳の小次郎が最年長となったようだ。もしかしたら写真のこいつかもしれない(もう一頭いるからそっちかもしれない)。
 小次郎は1976年にボルティモアの動物園からやって来たやつで、現在日本の動物園にいる5頭のうち3頭が小次郎の子供か孫なんだそうだ。

 地球上のどこかには、まだ人類が知らない動物がけっこういることだろう。21世紀の現在でも、人跡未踏の場所はたくさんある。深海やジャングルや山の中や。特に中国の山中が怪しい。アフリカやアマゾンよりもむしろあっちの方が未開の地がありそうだ。
 現在知られている動物でも、まだまだ謎は多く、今後新たな発見もどんどんされていくだろう。人に見つかることがその動物にとって幸せなこととは言えないだろうけど、びっくりするような新発見を期待したい。
 珍獣とは言わず、まだ見たことがない動物がたくさんいる。世界四大珍獣だって、ボンゴとコビトカバは見たけど、パンダとオカピはまだ見たことがない。メジャーなものでも見たものより見てないものの方が圧倒的に多い。まずは見たいし写真も撮りたい。それで調べて、こうして書けば自分の中で親しみもわく。もうコビトカバだって他人じゃない。次に東山動物園のコビトカバのところへ行ったときは、奥さん、坊っちゃん、嬢ちゃん、これは世界四大珍獣のひとつでコビトカバっていう珍しい動物なんですよ、と自信を持って解説したいと思う。誰だ、あんた、みたいな目で見られても頑張ってアピールしよう。
 そのうち、誰か他の人のブログで、東山動物園のコビトカバの前で熱く解説してる男の人がいましたという文章と写真が載ったら、それはきっと私です。コビトカバともどもよろしくお願いします。

ちょっと新舞子マリンパークに行ってきました。 2006年9月22日(金)

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
新舞子マリンパーク砂浜

NIKON D70+Zoom Nikkor ED 18-70mm(f3.5-4.5), f7.1, 1/400s(絞り優先)



 名古屋港にたったひとつだけ砂浜がある。新舞子マリンパークという人工の海水浴場が。私はその存在を、今年になって初めて知った。そんなところがあったなんてちっとも知らなかった。夏が終わったら行ってみようと思っていて、今日ちょっと行ってきました(ドラマ「結婚できない男」の金田風)。
 キャッチフレーズが「名古屋から一番近いマリンレジャースポット」。確かに直線距離は短いと言えば短い。けど、何しろ道路が混む。名古屋東部のうちからは、59号線しか選択の余地がなくて、天白区と緑区を越えるだけで1時間もかかるもんだから、ちっとも近い気がしない。高速を使おうにも入るにも出てからも遠回りなので、あまり意味がなく、1時間半という時間以上に遠く感じるドライブだった。
 なにはともあれ、到着。7月、8月以外は駐車場が無料なので(夏は一日500円)、車をとめてビーチを目指す。徒歩2分。すると、看板に書かれた「通り魔・強盗事件が多発してます」という注意書きを発見して思わず立ち止まった。おいおいおい、大丈夫か、ここ。車上狙いの注意を呼びかける看板は見慣れてるけど、通り魔や強盗となると軽い注意では済まないぞ。しかも多発と聞いては穏やかじゃない。思わず周囲を伺ってしまったではないか。お札を靴下に隠そうかと一瞬中学生のようなことを考えてやめた。でも、その場で飛んでみろと言われたらどうしよう。
 やや及び腰でビーチに踏み込んでみると、そこは明るく開放的な雰囲気で人もたくさんいたのでまずは安心する。岸壁の方には釣り人もわんさかいて、どうやら昼間は大丈夫のようだ。デンジャラスゾーンになるのは夜間なのだろう。夜は9時まで開いている。
 気を取り直して砂浜を歩いたり、写真を撮ったりする。なるほど、これが長崎県壱岐島から運んできたという白砂か。なかなかいいではないか。これなら裸足で歩いても安全そうだ。
 そして目につくのが風力発電の風車だ。五郎父さんが作ったようなちっちゃなやつではなく、こいつは巨大だ。高さ65メートル(羽を入れると91メートル)のものが2基立っていて、ぐわんぐわんといい感じに回っていた。ここは安定して風が吹く場所らしい。一般家庭830世帯分をまかなえるというから大したものだ。愛・地球博のときは、愛知県館の電力をこれが担当していたんだとか。風車はデンマーク製で、2005年の2月に完成した。この地方でこれだけ巨大なものは初めてということで、これは一見の価値がある。
 砂浜には数組のカップル、岸壁の方には釣り人、芝生広場には犬を連れた大勢の人たち、水辺を散歩するおじさんなど、平日にもかかわらずけっこうな賑わいをみせていた。なかなかの人気スポットらしい。夏場はものすごい数の海水浴客でごった返すとか。

新舞子マリンパークの水際

 新舞子マリンパークは、人工の埋め立て島で、陸地とは新舞子ファインブリッジという橋でつながっている。砂浜は内陸の方を向いているため、波はあくまでも低い。穏やかと言えば聞こえはいいが、とっても気が抜けている。ぴちゃ~ん、ぴちゃ~んとやる気のない音が響き、なんとなく気力が萎えがちだ。飲み残しの状態で二日間放置しておいた三ツ矢サイダーみたいな気の抜けよう。砂浜のブルーサンビーチというネーミングは、吉良ワイキキビーチに負けてない。
 おまけに、どういうわけか、ワカメがいっぱい漂っている。写真にもひとつ写ってるのが見えるだろうか。一ヶ月1万円生活で食うのに困ったらここにワカメを拾いに来たらいいと思う。
 こんなビーチだけど、驚くことにこの砂浜にアカウミガメが産卵しにやって来るのだ。そのまま放っておいたら人間につぶされてしまうということで、名古屋港水族館に持ち込んで人工ふ化に成功させたのだった。砂がいいということはウミガメにも分かったのだろう。
 春には、タダでアサリが拾えるということで、そのときも大勢が訪れるそうだ。その他、ビーチバレー大会が開かれたり、少し前には高校生クイズの予選会場にもなったようだ。

 元々、このあたりは江戸時代から海水浴場として知られていた場所で、尾張藩の藩主なども遊びにやってきた土地なんだそうだ。ここから少し南に行ったところに大野海水浴場というところがあって、そこは世界で一番古い海水浴場だとも言われている(ホントはどうかは知らない)。
 それが昭和に入ってからの開発や埋め立てで当時の面影はすっかり消え失せ、完全に港風景となってしまっている。これでは寂しすぎるということで、少しでも昔の面影を取り戻そうとして作ったのが、ここ新舞子マリンパークというわけだ。今のように整備されたのが平成9年というから、この地域の人たちには馴染みの場所となってきているのだろう。

新舞子マリンパーク近くの夕焼け

 新舞子マリンパークの砂浜は東を向いているので夕焼けを見るのは向かない場所だ。海辺に腰を下ろして沈む夕陽をふたりで見るはずが、いちゃつくのに夢中になってると背中の方に沈んでいってしまうので注意が必要だ。私はいちゃつく相手もいなかったので、冷静に場所を移動して夕焼け写真を撮った。昼間はずっと曇っていたけど、日没少し前に晴れてきて、いい色の焼けを見ることができた。よかった。
 新舞子で夕焼けを見たり写真を撮ったりするなら、ファインブリッジからがよさそうだ。夕焼けをバックにした風車というのも絵になりそうだし、砂浜にカップルがいればなおいい。

 新舞子マリンパーク自体のオススメ度としては、あまり高くない。たまたま時期的にだとか、タイミング的なところもあるんだろうけど、なんとなく落ち着けなかった。それは、カップル、投げ釣りの客、犬を遊ばせる人たち、夫婦連れなどといった、やや異質な客層が集まっていることが一種の不協和音を奏でているように感じたからだ。目的が違う人たちが一ヶ所に集まると、なんというか空気がぶつかるようなところがあって、それが落ち着きのなさを生んでいたんじゃないかと思う。むしろカップルだらけの方が私としては馴染めた気がする。写真の撮りどころとしても少ない。
 中部国際空港からはそれほど離れていないとはいえ、飛行機まではかなり距離があるから飛行機を狙うにしてももっと南の方がいい。砂浜のきれいさと風力発電を見たいという人にはオススメできるけど、それ以外の人は素直に内海海岸へ行った方が楽しいんじゃないだろうか。
 とはいうものの、久しぶりに海岸を歩いて、波の音を聞いて、潮風を胸一杯に吸い込んで元気をもらった。やっぱり海はいいなぁとあらためて思う。帰りの渋滞で2時間かからなければもっといいのに。

リニモは今日も浮かび上がって静かに行ったり来たり 2006年9月21日(木)

飛行機(Airplane)
夕暮れリニモ

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 愛・地球博の目玉のひとつにリニモがあった。県外から訪れた人は会場までの交通手段としてけっこう利用したんじゃないだろうか。あまりいい思い出はなかったかもしれない。何しろ混雑がひどかった。一時は定員オーバーで動かなくなるなんてこともあったりして。待ち時間の長さにうんざりした人も多かっただろう。
 あれから一年経って今、地元の人間にとってリニモは風景の一部としてすっかり定着した感がある。けっこう短い間隔で運行してるから、線路沿いを車で走っていると必ずといっていいほど見かける。しかしながら、日常の足として根付いているかといえば決してそうはなっていない。
 誰が計算したのか知らないけど、1日に31,000人の乗客を見込んでいたところ、閉幕後半年の平均が12,000人と3分の1近くしか利用されてないというこの現実。名古屋人や愛知県民がみんな車を持ってることを知らなかったのか? だいたいこの地方の人間の気質をまったく理解していない。目新しいものができると最初は物珍しくてみんなどっと押し寄せるけど、その後は潮が引くように見向きもしなくなるという性質を。ナゴヤドームだってツインタワーだって中部国際空港だってみんなそうだったではないか。一家に一台どころかひとり一台車を持っている車社会の愛知で、あえて不便で高い公共交通機関を誰が使うものか。万博のときに客が増えたのは、駐車がパーク&ライド方式で高くて面倒だったからだ。もし、万博会場近くに大駐車場があれば、リニモなんてガラガラだったに違いない(それは言い過ぎ)。
 沿線の学校が15ほどあってその学生の利用を見込んでいたらしいけど、その前からバスがあったわけで、リニモに乗り換える必然性はほとんどない。安ければ別だけど高いんだから。それに駅から学校までも遠いし。
 万博記念公園の再オープンで多少は客も増えるだろうけど、沿線がこの先劇的に開発が進むとは思えないから、今後も苦しい経営が続くだろう。そう簡単に廃線にはならないにしても、まだ乗ってない人は早めに乗っておいた方がいいと思う。

 リニモ(Linimo)というのは、この路線(愛知高速交通東部丘陵線)の愛称で、正しくはリニアモーターカーだ。漢字で書くと、磁気浮上式鉄道。字の通り磁気で浮かび上がって進む近未来の乗り物で、日本で初めての常時線として開通したのだった。
 詳しい仕組みは文系の私にはよく分からないのだけど、車体に取り付けた電磁石に電流を流すとレールに対して浮くようになっていて、推進は回転モーターを平たくのばしたリニアモーターによるんだとかなんとか。とりあえず理屈は理解できなくても冷蔵庫は便利に使えるのと同じようなもので、深く追究するのはやめようと思う。システムの総称としては、HSSTという言葉が使われている(High Speed Surface Transport)。
 21世紀の交通手段として期待されているリニアモーターカーだけど、発想や実験はかなり昔から行われていたようだ。電磁誘導反発式は1914年のイギリスで、リニアモーター自体は1841年には作られていたんだとか。
 一番の利点としては、浮いてることで騒音や震動が小さくなって乗り心地がよくなるという点だ。加速もスムーズで、勾配やカーブにも抜群の強みを持っている。もともとこの沿線は藤が丘から地下鉄が延びる計画があったところで、そこに万博を機にリニモを持ってきたというわけだ。地下鉄に比べたらコストも安いし時間もかからないということで採用された。構造上、脱線の心配がなく、タイヤなどがない分、消耗品も少なく住むからランニングコストの面でも有利だった。
 問題点しては、つぶしが利かないというところだ。何しろ他にこのシステムを採用してるところがないので、万博のとき大量に作った車両をどうすることもできないでいる。車両が余ってしまってしょうがない。遊んでるからといってそんなにじゃんじゃん走らせるわけにもいかないし。万博期間中の混雑を見て、もっと車両を増やしやがれと思っただろうけど、実はこんなやむにやまれぬ理由があったのだ。

夕暮れリニモ

 いろいろ大人の事情はありつつも、今日もリニモは健気に一本道をひた走る。わずか8.9キロ、9駅、17分の道のりを行ったり来たり、行ったり来たり。最高速度は約100キロと決して速くない。車両編成は3両ということもあって、なんとなく田舎の列車を思わせるような風情もあったりする。ラッシュ時は6分間隔で、普段は10分間隔くらいで出てるので、便利は便利だ。あまり待たなくても済む。
 始発の藤が丘駅から終点の八草駅までは360円と、微妙な金額。愛・地球博記念公園駅までは340円。一家四人で往復すると2,720円。こりゃ、どう考えても地元の人間は車で行くだろう。駐車場は一日500円なのだから。
 運転士さんはもちろん坐っているけど、運転その他は全自動なので、実はいなくてもいいのかもしれない。あんまり赤字が続くと、人件費削減のために、この席にはモリゾーとキッコロのぬいぐるみが置かれることになるかもしれない。万博会場を走っていた無人バスが実際にそうであったように。
 今後のリニモのゆくえとしては、いかに地元の人間が愛着をもって支えていくかにかかっている。リニモ側の企業努力だけでは近い将来つぶれてしまう可能性は高い。小牧の桃花台線のように廃止が決まってから慌てていては手遅れになる。
 そう思うなら、まず自分が乗りに行こうよ、とどこからか声がする。そう、私はまだリニモに一度も乗ったことがない地元の人間なのだ。ダメじゃん。でも、乗ってみたいぞ、リニモ。どんな乗り心地がするんだろう。内部の写真も撮りたいし。そのときは、一日乗り放題の「Linimo1DAYフリーきっぷ(大人800円)」を買って、5往復くらいしてみよう。

愛・地球博会場はモリコロパークとなり、万博の面影なし 2006年9月20日(水)

愛・地球博(Aichi Expo)
愛・地球博は今

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f8, 1/400s(絞り優先)



 9月も半ばを過ぎてなんとなく心がソワソワしてるのは、一年前の今ごろ、愛知万博の終盤に駆け込みで行ったときの記憶がよみがえってきているからかもしれない。私が行ったのが去年の9月22日だったから、あれからほぼ一年経ったということになる。懐かしいような、ひどく遠い出来事のような、甘く切ない記憶がうずく。
 2005年の3月25日から9月25日までの半年間に渡って開催された愛・地球博。入場者数はのべ22,049,544人。その中のひとりとして私も間違いなくカウントされている。地元開催ということで行かなくてならないという強迫観念が重荷となり、最後の最後まで行けなかった愛知万博。でも、ようやく終了間際に出向いていったら、思いがけず大きな感動をもらって帰ってきた。行っておいてよかった、行かなかったら一生の不覚だったとまで思えたあの日も、今となっては遠い。
 あれから一年、今会場はどうなっているんだろうとずっと気になっていた。今年の7月15日に一部が再オープンして、初日は1万人が訪れたということはニュースで聞いていた。ただ、実際に行こうと思ったのはここ数日のことだ。丸一年ということで、気持ちの中で大きくなってきたのだろう。
 今日の夕方、やっとその気になって行ってきた。そしてそこにあったものは、夢の残骸でさえなく、まるで移動サーカスがよそへ移っていたような跡形のなさだった。本当にここがあの愛・地球博の会場だったのかと疑うほど面影がない。悲しいとか寂しいとかの前に唖然、呆然、あっけにとられて立ち尽くす私。まさか、ここまで名残がないとは……。あのときの華やいだ雰囲気も活気も熱気ももはやどこにもなく、解体工事中にあったけだるささえも消えていた。

 正式名称「愛・地球博記念公園」は、公募で決まったモリコロパークとして2006年の7月15日に再オープンした。ただし、現在は第一期の工事が終わっただけで、入れるゾーンはごく一部に限られている(公園全体約194ヘクタールのうち約26ヘクタール)。
 自然体感遊具の「水のエリア」、「風のエリア」、「森のエリア」や、愛知県児童総合センター(大人300円・中学生以下無料)、愛知国際児童年記念館(童話館の入場料は大人200円・中学生以下100円)などの子供の遊び場がメインとなっている。
 大観覧車は開催中より100円値下げして600円。サツキとメイの家は、往復ハガキによる抽選で当選しなければ入れず、当たった上で入場料を500円も取られる(中学生以下は250円)。
 今日はサツキとメイの家を遠くから見ようと思っていたら、そこまではバス(無料)でしか行くことができなくて、歩いていくのは禁止だった。なんてこった。一応、観覧に当選しなくてもバスに乗れて、遠くから見ることはできるのだけど、サツキとメイの家自体が午後5時までなので、私が行ったときはすでにバスは終わっていたのだった。その他、有料施設は全部5時で終わる。
 駐車場は北駐車場のみで一回(一日)500円(2輪は200円)。一応許容範囲か。まだ設備が整ってないので、駐車料金は入口で係員に前払いの手渡しシステム。ここは海の家か、と心の中でツッコミが入る。
 救いとしては、モリコロパークに入ること自体は無料で、夜も7時まで開いているということだ。ただし、冬場は6時半までなのと、有料施設が休みの月曜は5時までなので注意が必要。
 現在、一部オープンのまま第二期工事に入っており、ブルドーザーなどが動いている。次は来年の3月、日本庭園の茶室や森林ゾーンの「親林楽園・林床花園」、フィールドセンターや温水プール、アイススケート場などがオープンする予定になっている。工事はその後も何年か続き、迎賓館、野球場、テニスコートなどが作られ、グローバルループも一部を残して歩けるようになるようだ。
 閉幕一周年記念イベントとして、今週末9月23日、24日は、「モリコロパーク夜まつり」が開催される。土曜は夜9時まで、日曜は8時まで、夜店が出たり、太鼓が叩かれたり、よさこい祭りが行われるそうだ。モリコログッズも販売されるようだから、そのあたりもねらい目かもしれない。トヨタのクラシックカーやロボットも再集結とかなんとか。

観覧車の夕焼け

 1時間ほど公園内を歩いていたら、すごく涼しいことに気づいた。去年行ったときは汗だくになったのとはまるで別の季節のようだ。入口でペットボトルを取り上げられた私は、会場内で2本もアクエリアスを買って、更に帰りには缶コーヒーまで買ったことを思い出す。今日の愛・地球博会場跡地にあのときの熱はなかった。
 愛知万博の興奮と感動よ再び、という期待を胸に秘めて出かけてはいけない。あのときの夢の中にいたい人は特に。今、モリコロパークを訪れると、愛知万博に対する百年の恋も冷めるだろう。
 子供連れで子供を半日遊ばせるなら悪くない。それなりに遊べる施設はあるので、子供も退屈しないと思う。ただ、カップルで行くにはあまりにも見どころがなさすぎるし、ましてや私のようにひとりで出かけていくと身の置き所がない。夕陽の観覧車でも撮ってるより他にすることもなく。
 ただ、逆に言えば、いまだ愛・地球博の夢覚めやらず元の生活に戻れてないなんて人が行くべきところなのかもしれない。あそこに立って、あの光景を見れば、ああ、ホントのホントに愛・地球博は終わってしまったんだなぁという実感を噛みしめることになるだろうから。
 ああ、なんと罪深き、モリコロパーク。いっそのこと青少年公園に戻すか、モリゾーとキッコロをあそこに住まわせて常駐させておいて欲しいぞ。海上の森2005番地から引っ越して。そうすれば、わずかでもあのときの浮き立つ気持ちも戻ってくるに違いない。そして公園内には、DAHLIAの公式イメージソング「I'll be your love」をエンドレスで流すのだ。

トウモロコシで夏の食べ物の食べ納めかと思いきや 2006年9月19日(火)

食べ物(Food)
トウモロコシのこの夏食べ納め

Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/100s(絞り優先)



 この夏は終盤になって夏の食べ物を一通り食べ納めた。スイカにそうめんに冷やし中華、桃もアイスも食べた。何か忘れ物はないかと振り返ったとき、トウモロコシを食べてなかったことに気づく。もう夏と呼ぶには季節が進みすぎてしまったけど、思い出したからには食べておかないと気になる。
 ということで、この夏の食べ物の締めくくりとして、最後にトウモロコシを食べることにした。うん、悪くない。甘くて美味しい。けど、半分で充分だった。私、昔からトウモロコシはあまり好きじゃないのだ。

 世界三大穀物のひとつであるトウモロコシの歴史は古い。米や小麦粉よりもずっと昔から栽培されてきた。原産は南米もしくは中米あたりで、起源は7,000年前とも4,600年ほど前とも言われている。有史以前から栽培されていたのは間違いないようで、マヤ・アステカ文明あたりではすでに主要な農作物となっていたという記録が残っているそうだ。
 ひとつの特徴として、大昔の野生種と現在のものがそれほど大きな違いがないということがある。これほど長い年月に大きく品種改良が進んでない作物というのも珍しいんじゃないだろうか。大昔のアメリカ大陸にタイムトラベルするときはトウモロコシをたくさん持っていくといい。みんなに差し出せばいきなりヤリで襲われるということはないと思う。いや、あんまり持ってると逆に襲われる可能性もあるか。身の危険を感じたときは、遠くに投げて逃げてください。
 アメリカ大陸の特産品ということで、トウモロコシが世界に知られるようになるのは、15世紀に入ってからだ。大航海時代に発見され、まずヨーロッパに伝わり、16世紀になってアジアやアフリカに渡った。
 日本に初めてやってきたのは16世紀のはじめ、ポルトガル人によって持ち込まれた。大規模に栽培されるようになるのは、明治時代の初期に北海道に渡ってからだ。今でもトウモロコシというと北海道というイメージが強い。向こうではトウキビと言うのだろう。
 北海道に限らず、トウモロコシの別名は多い。日本全国で200種類以上の呼び名があるそうだ。うちの三重の田舎ではナンバと言っていた。これは南蛮から転じたものだろう。もともとトウモロコシという自体が、唐(とう)と唐土(もろこし)という中国を意味する言葉から来てるので、南蛮や高麗と呼ばれるのも特殊なことではない。
「キビ」というのは、黍(きび)のことで、これに少し似てるからというところからの連想だろう。
 漢字で書くと玉蜀黍。読めても書くのは難しい。

 トウモロコシを一番作っているところも一番食べているところも、言わずとしれたアメリカだ。アメリカ人は朝にはコーンフレーク、夜は映画やベースボールを観ながらポップコーンを食う。両方とも大して美味しいと思わないけど、アメリカ人は心底美味しいと思って食べてるんだろうか。それとも、習慣性の方が強いんだろうか。
 日本は世界最大のトウモロコシ輸入国だ。え、そんなにトウモロコシなんて食べてないぞと思うだろうけど、大部分が家畜のエサになっている。国内生産なんてのはほんの微々たるものに過ぎない。
 その他のトウモロコシの使い道としては、缶詰にするとか、サラダオイルの原料にするとか、燃料油になったりする。アメリカではトウモロコシ油ストーブがあるそうだ。個人的には、なんとかトウモロコシの油で車が走らないだろうかと思ったりもする。ガソリンに変わる安い燃料を開発して欲しいぞ。
 自宅でトウモロコシ作りにチャレンジしてる人もけっこういるかもしれない。でも家庭ではあまり立派なトウモロコシを作ることができない。それは、トウモロコシは自家受粉せず、他の株の花粉でしか受精しないため、かなり大がかりに栽培する必要があるからだ。トウモロコシは、もいですぐに糖分が逃げていくから、家の庭で作ってもぎたてを食べられればそれが一番なんだけど。

 トウモロコシの思い出は、盆踊りの屋台で買って食べた焼きトウモロコシの香りと味だ。普通に塩でゆでたものの方が好きだなと思いつつ、りんごアメとともに懐かしの食べ物として記憶にしっかり焼き付いている。北海道では焼きトウモロコシにバターをつけて食べるそうだ。夏の北海道で食べたら、きっと思い出の味になるだろう。
 トウモロコシ畑ということでは、映画『フィールド・オブ・ドリームス』が印象に残っている。まだ輝いていた頃のケビン・コスナーにサリンジャー、トウモロコシ畑に作った野球場とシューレス・ジョー。やっぱり、トウモロコシはアメリカがよく似合う。アメリカ・インディアンもみんなトウモロコシを育って大きくなった。
 なにはともあれ、今年もまたトウモロコシを食べることができてよかった。夏の食べ物は、夏という季節に戻ってこなければ食べることができないもので、それを今年も食べられたということは去年から見て一年後まで生き延びたということだ。誕生日と同じくらいめでたい。
 あ、そういえば、かき氷をまだ食べてなかった。しまった。すっかり忘れてた。夏の食べ物の代表選手なのに。まだ暑さが残る9月中になんとか一回は食べておかなくてはなるまい。それをこの夏最後の宿題としよう。

ペリカンはひとり暮らしでも案外平気なのか? 2006年9月18日(月)

動物園(Zoo)
モモイロペリカンとおばさま

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/125s(絞り優先)



 このシーンをファインダー越しに見つけたとき、あっと思った。それは、ペリカンがあまりにも大きかったからではなく、ペリカンをのぞき込んでいるおばあさまが私のばあちゃんにそっくりだったから。え? ばあちゃん、こんなとこで何してるの? と一瞬思ったほどよく似ていて驚いた。
 まあ、それはいいとして、今日はペリカンの話を少ししたい。写真のようにペリカンはかなり大きい。鳥ということを思えば巨大と言ってもいいだろう。体長は1.5メートル以上、体重は10キロもあり、翼を広げると3メートル近くになる。手長猿蔵(テナガザルゾウ)と呼ばれた私でさえ両手を広げても1.6メートルにしかならない。ペリカンとしては、四畳半一間のアパート暮らしでは狭くてやりきれない。家具を置いたら翼を広げることさえままならない。せめて六畳のアパートに越したいと愚痴をこぼすに違いない。
 こんな巨大なペリカンだけど、実は空を飛ぶ。それどころか、飛行はかなり得意な方だ。なんとなく飛べない鳥のように思っている人もいるかもしれないけど、大きな体に負けない大きな翼をバサバサと羽ばたかせて、長い距離を飛ぶことができる。野生のものは、寝床からエサ場まで、毎日数百キロの遠距離通勤をするやつもいるという。何年か前、北海道で突然ペリカンが姿を現して住民を驚かせたということがあったけど、あれは山口県で放し飼いされてたものが、白鳥の群れに混じって北上したものだった。
 飛ぶことだけでなく、泳ぎも得意だ。水かきが付いた大きな足で、泳いだり、潜ったりもできる。むしろ一番苦手なのが歩くことなので、動物園におけるペリカンは本来のよさをほとんど発揮できないということになる。よたよた歩いてる様子から、こいつ、やらないなと思いがちだけど、実際ペリカンはやるやつなのだ。侮ってはいけない。
 飼われているペリカンはとても人なつっこい。かつて山口県宇部市で幼稚園に通ってくるペリカンのカッタ君というのが話題になったことを覚えてる人もいると思う。園児に囲まれても平気というのは、相当に人が好きに違いない。よくできた大人でもつらいことなのに、その辛抱強さに感心する。その後人工ふ化させて育った子供ペリカンたちが今でも幼稚園や公園などで人気者になっているそうだ。
 写真の東山動物園のペリカンも人なつこさではなかなか負けてない。人が近寄っていくと自分から近づいてきて、オリの前をうろうろする。金網から手を入れたら触れるんじゃないかと思うほどだ。警戒心が弱いのか、賢いのかどちらなんだろう。

 南アジアからアフリカ、ヨーロッパにかけて、世界には8種類のペリカンがいる。ハイイロペリカン(中央アジア)、モモイロペリカン(アフリカ北部~東南アジア)、コシベニペリカン(東アフリカ)、オーストラリアペリカン(オーストラリア)、アメリカシロペリカン(北米)、カッショクペリカン(北米)、フィリピンペリカン(東南アジア)、ペルーペリカン(南米)たちが。
 日本にはもちろん野生のペリカンはいない。全国の何ヶ所かで野生化してるものは、元々飼われていたものが逃げ出したものだ。ただ、日本の環境には適すらしい。
 東山にいたのはモモイロペリカンだった。どうしてモモイロかというと、繁殖期になると体が桃色になるからだ。普段は写真のように白に近い薄ピンクをしている。英名はGREAT WHITE PELICANだから、向こうの人はこれを白と見たのだろう。
 ハイイロペリカンとはよく似ていて区別するのが難しいこともある。モモイロの方が少しピンクが強い。
 オスとメスは同じ体色で、見分けるポイントは、クチバシがやや曲がっているのがオスで、まっすぐなのがメスなんだとか。一緒にいるときなら区別がつくかもしれない。目の周りが黄色いのがオスで、赤いのがメスという違いもあるようだ。
 別名は伽藍鳥(ガランチョウ)。伽藍というのは僧侶が修行するような場所のことだけど、なんでペリカンが伽藍なのかはよく分からない。

 野生のものは、数十羽からときには数万羽の群れで暮らしている。これはおそらく大きな体を支えるためにはたくさんのエサが必要だということにも関係があるのだろう。この巨体なので素早くは動けない。だから集団で漁をする。U字型などに隊列を作って、水面を羽でバシャバシャしながら魚を浅瀬に追い込み、大きなクチバシでショベルカーのように水ごと魚をすくい取るという戦法だ。水だけ器用にはき出して、魚は丸飲みする。それはバーゲン時におけるおばさまの作戦に似たものがある。とりあえず抱えられるだけ抱えて、欲しいものは残していらないものは放り出していくというあの方法だ。ある意味理にかなっている。
 伸縮自在のノド袋には、水が15リットルも入るんだそうだ。2リットルのペットボトルを両手に2本ずつ持ってぶら下げて帰るのも大変なのに、それを7本も首にぶらさげることができるなんて、相当首と背筋が強いな。ペリカンを飼えば、買い物につき合ってもらって重いペットボトルをノド袋に入れて持ってもらえる。
 エサは魚や甲殻類で、一日1キロ以上の魚が必要という。動物園ではアジやホッケなどを与えているそうだ。魚類なら淡水でも海水でもかまわないらしい。しかし、一日1キロも魚介類を食べさせなければ行けないとなるとペットとしては大変だ。金銭的にもだけど、毎日1キロの魚を魚屋さんに買いに行くのもしんどい話だ。まとめ買いしようにも、そんなにたくさん冷蔵庫に入らないし。
 産卵は年に一度、一回に1個または数個で、集団で地上に巣を作る。きっと卵も大きいのだろう。ふ化までに約30日。生まれた子供は子供専用の場所(ポッド)に置き、半分消化した魚をクチバシにためてそこからエサを与える。
 野生の寿命は25-30年で、飼育下では50年以上生きることもあるそうだ。このへんも鳥離れしている。

 故郷では大勢の仲間と一緒に一生を過ごすペリカンたち。それが遠い日本という異国にやってきて、数羽で半ば放し飼いのようにされたとき、それまで眠っていた心の奥の欲求がわき起こり、ひとり遠くへ旅立ちたいと思うのかもしれない。千葉県の印旛沼にも、そんなカゴ抜けのペリカンが一羽いるという。始めて目撃されたのが1994年で、今でも元気にしてるということだから、10年以上のひとり暮らし歴ということになる。漁師さんの舟の上でよくたたずんでいて、漁についていって魚をもらったりもしてるそうだ。
 カンタ君と名づけられたそのペリカンは、ひとり何を思っているのだろう。人から見たら寂しそうに見えたりもするけど、本人はけっこう今の暮らしに満足してるのかもしれない。少なくとも、自分で選んだ人生というのは素敵なことだと思う。たとえ最初は他人の思惑から始まったらとしても、最後には自分で道を選ぶことが許されるというのは幸せなことだ。
 私たちもまた、カンタ君のように自らの意志で生きる場所や生き方を選びたい。私たちはカゴの中の鳥ではないのだから。たとえ翼はなくても走っていける。

キュウリの野郎にケンカで勝って勝負に負けたサンデー 2006年9月17日(日) 

料理(Cooking)
キュウリ克服サンデー

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/80s(絞り優先)



 今日のサンデー料理のテーマはただひとつ、キュウリの克服、これがすべてだった。
 先週もちらっと書いたように、この世界における私の天敵とも言うべきキュウリの野郎をどうにかしてやっつけたいと思った。小学校の給食でキュウリ半分が出てきて、泣きながら断固拒否したときに見た夕焼け空を忘れるためにも、私はキュウリを克服する必要があった。ずっと先延ばしにしてきたキュウリ問題をそろそろ解決してもいい頃だろう。長年の確執に今日、終止符を打つ。
 名づけて、キュウリをやっつけろ! ヤァヤァヤァ! サンデー料理。

 結論から言うと、ある意味で私はキュウリをねじ伏せ、それでもまだ戦いは続くことになった。疑惑の採点により再試合。要するに、原形をとどめないところまで徹底的に調理した結果、もはやキュウリを思わせるものが一切消えていて、果たしてそれをキュウリと呼んでよいものかどうか、自分でもにわかには判断がつかなかったからだ。ここまでやれば世の中に食べられないものはないぞってくらいになっているので、使う食材がキュウリである必要はまったくなかったとさえ言える。スイカの皮でもいいくらいだ。確かにキュウリは食べたし、美味しくさえあったけど、今でもそのままの形で出てきたら食べる自信はまったくない。よって、克服したとはとうてい言い難い。
 その調理方法はこうだ。まずは薄く斜めに切って、塩を振りかけ、お湯でぐつぐつと煮込む。そこへ更に塩を加え、コンソメの素を一個投入する。それでも足りず、次に白ワインと牛乳を入れる。鍋の中はなんだかすごいことになっているけど気にしない。まだまだ煮込む。キュウリの青臭さがいい加減抜けただろうというところで取り出し、小麦粉、パン粉をまぶし、バターとオリーブオイルで揚げ焼きにする。最後に好物の手作りタルタルソースをたっぷりかければ完成だ。
 たぶんこれは、キュウリって言わなければ分からないと思う。特有の青臭さも一切なく、非常に美味しい。この調理法ならサンダルの切れ端でも美味しく食べられてしまうかもしれない。けど、キュウリが本来持っている栄養素はおそらくほとんど飛んでいってしまっていると思われ、これでキュウリを食べたことになるのかという疑問がわき上がる。
 けどこれ、なんか妙に美味しいぞ。いくらでも食べられそうな気がした。柔らかくてほどよい歯ごたえもいいし、あまり食べたことのない料理でもある。オススメしてもよいのかも? もし機会があったら、キュウリ嫌いの子供で実験してみて欲しい。たぶん普通に美味しいって言いながら食べるはずだ。ニンジンやピーマンでもいけるんじゃないだろうか。

 キュウリがメインで他のおかずまで頭が回らなかったので、残りの2品はいつものやつの応用で軽く済ませた。
 白身、エビ、イカ、タマネギのカレー粉炒めと、鶏肉と鮭のそぼろ海苔はさみは、どちらも味は申し分なかった。特にそぼろ海苔はさみはオススメできる。もっと上手く作れば、好評を博すはずだ。お弁当のおかずにもよさそうだ。
 鶏のひき肉と鮭は細かく砕いて、みじん切りにしたタマネギ、カタクリ粉と混ぜ合わせ、しょう油、酒、みりん、塩、コショウで味付けする。あとはそれを焼いて、味付け海苔にはさむだけだ。ボロボロとこぼれてしまいがちだから、海苔巻きにした方がいいのかもしれない。

 というわけで、キュウリの野郎はぎゃふんと言わせてやったものの、ケンカに勝って勝負に負けたというモヤモヤ感が残った。私に食べられながら、それで勝ったと思うなよ、とキュウリが言っていたような気がした。空耳か?
 キュウリはやっぱり、どんな形にせよ、かじってなんぼかもしれない。クニャクニャのキュウリを食べたからといって、ぐでんぐでんの酔っぱらいに勝っても勝ったことにはならないようなものだ。次こそ、もう少し原形をとどめた形のキュウリに立ち向かっていきたいと思う。あの青臭い感じさえなんとかすれば食べられそうなんだけど。
 それでも、激しく調理すればキュウリも恐るるに足りずということが分かっただけでも意味はあった。一歩前進と言えよう。
 キュウリ完全克服まであと56日。そのとき歴史は動く。あと2ヶ月もしたら、私は丸ごとかじれる男になっていることだろう。一本のキュウリを口にくわえたまま矢田川で泳いでいれば、守山のカッパと呼ばれる日も遠くない!?

幸福の黒いE-1は天国に一番近いデジかもしれない 2006年9月16日(土)

カメラ(Camera)
鏡に映るE-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/4s(絞り優先)



 人でもモノでも縁がある。どれだけ相手のことが好きでも縁がなければつながれない。理屈を超えたそんなものが存在する。今回、OLYMPUSのE-1を買えたのも縁なんだと思う。
 メインとして愛用していたCanonの10Dが酷使のためにシャッターユニットがへたってきた。エラーが出るようになり、買い換えざるを得なくなった。断然の一番候補はPENTAXの*istDだったのだけど、何故か縁がない。いいタイミングで買えずどうしようかと思っていたとき、降ってわいたようにやってきたのがE-1だった。
 少し前まとめ買いしたTakumarレンズと一緒にM42とOLYMPUSフォーサーズ変換アダプタが付いてきたのも流れを呼び込んだ。E-300でもいいなと思っていたところへ思いがけずE-1が安く買えたことで、結果的には一番いい形で落ち着いた。

 E-1というデジには昔から思い入れがある。振り返れば2年前、当時何か新しいことを始めたいと思っていた私はデジカメ写真をもう少しちゃんと撮れるようになりたいと思い立つ。あれこれ調べて買ったのがNIKONのCOOLPIX 950というコンパクト系デジで、ネットで勉強しながらあれこれ調べていて、行き当たったのが同じ機種を使っていたMさんだった。
 Mさんの写真は多くのものを私に与え、教えてくれた。構図について、光の捉え方、ロケーションの大切さ、身近にあるさまざまな被写体など。どこをとっても揺るぎがなくて、上手いのに嫌味がないというのがよかった。人柄のよさが写真にも表れるということもそのとき初めて知ったのだった。
 それからMさんはOLYMPUSのE-10に買い換え、更にE-1へと移っていく。私も後を追うようにE-10を買うことになる。その先はCanonのD30やFUJIFILMのS1pro、10Dへ流れて少し方向が変わるのだけど、今回またもや同じところに戻ってきたのは感慨深い。これもまた縁というものか。
 Mさんはその後、何故かほとんど写真を撮らなくなってしまう。熱が冷めたように。結局私は、Mさんとは会ったことはもちろん、ネット上で言葉を交わしたことさえないまま今に至っている。それでも、Mさんは今でも私のお手本であることに変わりはない。たまに昔の写真を見返して、少しは近づけたかなと思ったり、いやいやまだまだ追いつけてないなとちょっと悔しい思いをしたりしているのだ。
 Mさんがどういうつもりで写真を撮っていたのかは想像するしかないのだけど、少なくとも写真コンテストで入選することを目指していたのではなかったはずだ。応募していたら入っていたものもあっただろうし、もしかしたら応募していたかもしれないけど、そういう方向での上手さを目指しているようには見えなかった。自分が撮りたいものを見せたいように撮る、というのが基本姿勢だったんじゃないかと私は思っている。まず見てもらいたい写真の完成図が頭の中にあって、どういうふうに撮ればそういうふうに写るかが分かっていた。私なんかは今でも偶然頼みなところがあって、そういうところが一番まだまだだと自分で感じるところだ。まだ撮り手本位でありすぎる。
 E-1を買ったことで、ずっと前から書いておきたいと思っていたMさんのことを書くことができて、心のつかえがみたいなものがひとつ取れた。Mさんがこのページにたどり着くことはまずないだろうけど、もし見つけてもらえれば、それまた縁というものだから喜びたい。

 4日ほどE-1を使ってみて、思った以上の出来のよさに感激している。とにかく、握る喜び、撮る楽しさ、持つ幸せがこのデジにはある。ただ単に高級機だからとか、プロユースだからとか、重いからとかではない、モノとしての質感の高さが歓びにつながるのだと思う。
 昔、車のCMで、「スペックだけでは語れない」というキャッチコピーがあったけど、久しぶりにあの言葉を思い出した。持って構えてシャッターを切っただけで楽しいデジというのはそうあるものではない。上質感はこれまで使ったどのデジよりも上だ。10Dもトータルバランスのいい優等生だけど、カメラとしては明らかにE-1の方が格上だ。位置づけの違い以上の差を感じる。
 高感度ノイズが多いとか、交換レンズが少なすぎるとか、画素数が少ないとか、そんな欠点も軽々と蹴飛ばしてしまえる魅力がある。画質的にも、Takumarレンズとの相性も思った以上にいいし、心配していた小さなファインダーは10Dよりもはるかにマニュアルのピント合わせがしやすい。
 これはいいデジだ。気に入った。

 デジタル一眼もかなり成熟してきて、どれを買っても不満のないものとなりつつある。画質に関しても、それぞれのメーカーで傾向の違いはあるものの、単純な画質の良し悪しに大きな差はない(もちろんプロ機は明らかに違いがある)。一眼本体はレンズを付けるための箱と言えばそうだし。
 じゃあ、どれを買っても同じかといえば決してそんなことはない。確かにカメラは写真を撮るための道具ではある。でも、道具だからこそ自分の気に入るものを選んで使いたい。自分に合うデジとそうじゃないデジというのは確かにあって、それは誰が決めるものでもなく自分が決めるものだ。自分に合ってるデジを使った方が間違いなく幸福度は上がる。私の場合、それがたまたまE-1だったということで、誰にとってもE-1がそうであるわけではない。
 世の中には駄目なデジなど存在しないと私は思っている。どのデジにも必ずいいところがあるから。好きなデジタル一眼にひとりでも多くの人が出会って幸せになれますように。

 ところで、自分がちょこっと写ってることにコメントなしかよ、と思ったあなた。なしでいいーんです。これだけわずかしか見えてなければ、たとえ名古屋の街でE-1を使ってる人を見かけても私とは一致しないだろう。ただ、E-1に古いTakumarレンズを付けてる人はめったにいないだろうから、そこで分かってしまうおそれはある。
 それっぽい男を見かけたら、まずは遠くからオオタ! と呼んでみてください。キョロキョロしたら、きっと私です。そして、近づいていって逃げ出したら、間違いなく私です。深追いはしないでください。

駆け回るリスを撮るつもりが撮れたのは食事中だけ 2006年9月15日(金)

動物園(Zoo)
東山のニホンリス

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 ふいにリスが見たくなった。ふとしたはずみにラーメンが食べたくなるみたいに。リスを見なければ気になって夜も寝られなくなってしまいそうだったので(そんな大げさな)、東山動物園へ行ってきた。それは、「小鳥とリスの森」の中にいた。入っていってすぐに足もとをピャーと駆け抜けていったので、ネズ公か!? と思ったらリスだった。まさか、放し飼いだと思ってなかったので驚く。わっ、頭の上を何か鳥が猛スピードで飛んでいった! よく見るとヤマガラだ。ヤマガラさんまでこんなところに? 藪の中でがさごそ音がするので見てみると、何やら見慣れない鳩のようなやつがいる。コジュケイ? 水たまりの中にはオシドリがいて暴れている。なんだかちょっとしたジャングルに踏み込んでしまったみたいだ。
 小屋の中は200坪くらいだろうか。高さは15メートルくらいで、金網に囲われている。動物を外から観察するのではなく、人間がお邪魔するスタイルだ。これはいい。その中でリスをはじめ、小鳥やら中鳥やらが放し飼いになっていて、すぐそばで観察したりエサをあげたりできるようになっている。木々が植えられ、エサ台もたくさん用意されていて、リスたちにとってはなかなか住み心地がよさそうだ。
 どれどれ、早速リスの野郎を激写してやろうか、と思いきや、ややや! 速いなっ……とシャアのようにつぶやく私。リスの速さときたら、ネズ公の速さを凌駕するほどで、不慣れなデジタル一眼とマニュアルレンズではちょっとやそっとのことではとてもじゃなけど撮れそうな気がしない。小屋の中は薄暗いのでシャッタースピードも上がらない。飛び跳ねてるリスの生き生きした様子を写す予定は、撮影開始3分で大きな方向転換を余儀なくされたのであった。跳ねてる瞬間の空中に浮かんでいるところを撮りたかった。
 基本的にここのリスは人に慣れていない。というか、勝手気ままに人間を無視して行動していると言った方がいいかもしれない。人の足もとをすり抜け、木に駆け上がり、木から木へと渡り、金網を登って屋根の向こうに消えたり、神出鬼没。ここで動いてるリスを撮れる人はよっぽど上手いか運がいい人かのどちらかだろう。エサをあげると近づいてはくるものの、触ることはできず、手乗りなど夢のまた夢といった感じだった。
 狙いを食事中のリスに切り替えることにした。そのときばかりはやつらも油断して動きを止めるので撮ることができる。後ろからこっそり近づいて、遠くから撮ったのがこの写真だ。何食べてんだ? もしかしてトマト? リスってトマトなんか食べるのかな。雑食だから、こんなものも気まぐれに食べたりするのかもしれない。それともリンゴか?
 なんとか一枚は撮れて気が済んだ。これで一枚も撮れずに終わったら、ラーメンを食べようと思ったら買い置きが切れていて、買いに行くのも面倒で次の日まで待とうかやっぱり買いに行こうか迷いながら寝付かれない夜、みたいになっていたところだ。それでも、空中のリスはいつか撮りたい。

 世界には250種類以上のリスがいる。木の上で過ごすリスと、地面で暮らすリスに大きく分けられ、樹上性のものが木の実やキノコを食べるのに対して、地リスは草などを食べる。樹上性は主に南アジアで、地リスは北アメリカを中心に生息している。プレーリードッグなどがそうだ。オーストラリアにはリスがいないというのはちょっと意外だった。
 日本にいるリスとしては、北海道のエゾリスとエゾシマリス、本州、四国、九州にいるニホンリス(ホンドリス)が主だったところだ。写真の東山にいたやつはニホンリスで、シマリスも飼育室の中にいた(混血にならないように)。中国地方や九州では近年、ニホンリスが激減してるようで、九州では絶滅したのではないかとも言われている。ニホンリスは日本の固有種だ。
 最近ではペットとして入ってきたタイワンリスやチョウセンシマリスが逃げ出したり野生化して数を増やしているという。
 それから、モモンガとムササビもリスの仲間なんだそうだ。あいつら飛んでるじゃないかと思いきや、あれは滑空してるだけで飛んでないし基本構造はリスなんだそうだ。なんとなく納得できないけど。

 ニホンリスの大きさは、20センチ前後。走ってる姿を見ると小柄な印象を受けるけど、至近距離で見ると意外と大きい。しっぽがふさふさで15センチくらいある。体重は250グラム前後くらい。
 昼行性で、夜は寝てる。昼は基本的に単独で走り回ったりエサを食べたり、食べ物を隠したりして過ごす。エサを隠すのは冬場を乗り切るためだ。エサがなくなる冬のために貯蓄しておかなくてはいけない。頬の内側にエサを詰め込む頬袋を持っていて、ここにエサを詰め込んで頬がふくらんでいるリスはかわいい。昔の宍戸錠みたい。
 寒いところにいるやつも冬眠はしない(地リスは冬眠する)。だから、エサを隠しておくのは本能というよりもっと強い強迫観念みたいなものかもしれない。ペットとして飼われているリスでも一生この習性から逃れることはできない(よく知らないけどたぶん)。
 夏と冬では衣装が違う。衣替えするのだ。夏場は写真のように赤茶色をしていて、冬場は灰色になって、耳にも毛がふさふさになる。
 エサは、ヒマワリの種やクルミ、ドングリなどが中心で、もらえるのなら果物類なども食べる。鳥のエサだって横取りしてしまう。日本で固いオニグルミを割って食べられる生き物は、このニホンリスとアカネズミだけだと言われている。そんなことはない、オレだってできるぞといって挑戦して前歯を折っても私は知りません。
 小枝や樹皮などを集めて小鳥のように樹上に巣を作り、年に一、二度、一回に数匹の子供を産む。ネズミのようにやたら増えたりはしない。
 個人的な好みとしては、ニホンリスよりもシマリスが好きだ。あっちの方がかわいく見えるから。でも、ニホンリスもこれはこれで悪くない。動物園やリス園などで機会があったらぜひ見てみてください。そして、走り回っているリス撮りにもチャレンジして欲しい。難しくて翻弄されるけど面白いですよ。まだまだ日本各地で野生のニホンリスもいるというから、今度はぜひ自然の中で出会いたいと思う。そのとき撮れたら感激もずっと大きいだろう。

 ところでこのブログ、今日で一周年を迎えたのでした。特にイベントもなく、さりげなく過ぎてしまったけど、一年間一日も休まずに書き続けた自分に驚く。どんだけ暇なんだ! と一応自ら突っ込んでおこう。
 まだまだ全然終わる予定はないので、当分続きます。そんなわけで、今後とも暇を見つけて遊びに来てくださいね。私はいつでもここにいますから。

頼朝物語---後編 ~ただのイジワルアニキじゃなかった 2006年9月14日(木)

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
源頼朝生誕地逆光

Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f8, 1/50s(絞り優先)



 今日は源頼朝の物語後編。昨日のようにのんきにちんたら書いてるといつまでたっても終わらないから、急いで要点だけ書いていくことにしたい。とはいえ、せっかく勉強したからにはその成果もお見せしたいところ。詳しく書くべきか、簡単に書くべきか、それが問題だ。などと、余計な前置きを書いてるからますます長くなっていく。いったんCMいく? いいですか? それじゃあ、後編のはじまりはじまり。もしかしたら、続編の予感あり。

 オヤジさんの起こした平治の乱でとんだとばっちりを受けた頼朝は、なんとか命だけは助けられ、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に島流しとなる。頼朝14歳の1160年のことだ。
 ところでこの場所、伊豆の沖の方にある小島だと思っている人はいないだろうか。私? もちろん思ってましたよ。そしたらなんと、まったく島でも何でもなくて、ただの陸地だった! 島流しで蛭ヶ小島というから、当然海に浮かぶ島だと思うじゃないか。韮山近くにある地名だったとは思わなかった。陸の孤島とでも呼ぶべき場所だったそうだけど、それを知ってなんだか拍子抜けしてしまったというのは私だけではないはずだ。とはいえ、この地で頼朝はなんと20年もの島流し人生を送ることになったのだから、島じゃなくてもつらかったことは間違いないだろう。10年くらいからは人生をあきらめてたんじゃないだろうか。
 この地の土豪だった北条時政の娘・政子と結婚したのは1177年だから、頼朝が31歳のときだ。政子は21歳だった。オヤジさんの時政にこの男はやると見込まれ、政子に惚れられて結婚したという形だったようだ。島流しの身分でも結婚できるんだ、などと感心しつつ、話を先に進めたい。
 この頃都では、平清盛があっという間に出世街道を駆け上り、平家の天下がおとずれている。有名な「平家に非ずんば人にあらず」というセリフは、この当時の清盛が口にした言葉とされる(と覚えていたのだけど実は違って、清盛のカミさんの弟の平時忠の言葉だと教えてもらった。このもの言いは当時も反感を買ったらしい)。源氏は各地に散らばっておとなしくなってるし、他にライバルもいないからわが世の春をうたっていたのも無理はない。
 しかし、3年後、にわかに歴史は動き始めることになる。都で好き放題している平家を見るに見かねて、以仁王(もちひとおう)という後白河天皇の息子が、平家打倒の挙兵をうながす命令書を全国に送ったのだった。この反乱は失敗に終わるものの(以仁王は逃げるところと討たれる)、それまで各地でくすぶっているのにいい加減飽き飽きしていた源氏が一斉に立ち上がることとなる。棟梁の跡取り息子だった頼朝のところにもその知らせはやってきた。迷う頼朝、尻を叩く政子、さあ、どうするんだ、頼朝さんよ。
 って、ちょっと待ってください。こんなにゆったりと書いていたんでは、本当にいつまで経っても終わりませんよ。大河ドラマじゃないんだから。下手をすれば10回連載とかになってしまうおそれさえある。もともと歴史ブログならそれでもいいかもしれないけど、ここはそういうところじゃない。日本史が好きな人ばかりじゃないし、しかも取り上げてるのは人気のない頼朝だ。これはまずいことになったぞ。こうなったら、超ハイスピードで4時間の大作映画を3分にまとめてしまおう。できるのか、私? 大丈夫、ダイジェストにすればいいのだ。

 その後いろいろありまして(いきなりな省略)、1192年、裏でさんざん世の中を引っかき回していた後白河上皇が死んで、頼朝は征夷大将軍の官位を与えられ、ここに鎌倉幕府が成立したのだった。
 おいおい、すごい話が飛んだぞ。義経のとの確執はどうなったんだ? 木曽義仲なんて名前さえ出てきてないではないか。静御前のことや奥州合戦模様は? 平清盛が死んだあとの平家はどうなったんだ? 壇ノ浦の戦いとかの義経の活躍も描かれてないし。などなど、意見や苦情はあるだろうけど、ここはひとつ、大目に見て欲しい。何しろちゃんと書くと長くなってしまうんで。
 というわけで、なんだかララァの乗るエルメスのようになってしまった今回の頼朝物語。完成したのは頭の部分だけで、足も胴体もない状態だけど、ララァはかしこいので許してくれるだろう。
 もし、機会があれば、「続きを読む」のところでこっそり書いてみたいと思う。ただし、10人以上のお客がいない場合は頼朝ツアーは中止となります。

 最後に、頼朝は義経のことをどう思っていたのだろうということについて少しだけ書いてみたい。
 初めて出会ったときは、涙ながらにこれまでのことを語り合い、互いの身の上を思い慰め合いながら平家打倒を誓ったふたりだから、最初から憎み合っていたわけではなかった。正室の跡取りと異母弟という意識もそれほど強くはなかったはずだ。ただ、やはり現実の流れの中で、どこかで相容れないものが少しずつ増えていったのだろうとは思う。単に立場の違いだけではなかったんじゃないだろうか。
 天才的な武人と秀才政治家では理解し合えない部分もある。性格も、天真爛漫で人に好かれる義経と、厳格で非情なところのある頼朝とではなかなかうまくはいかない。A型のアニキとB型の弟だからだ、なんてネタもあるけど本当かどうかは知らない。頼朝側から見た、嫉妬や恐れもまったくなかったわけではあるまい。義経が次の時代を理解できなかったということもあるだろう。
 今となっては、もはやうかがい知ることができないことだ。これからもずっと、日本人は義経を愛し続けるだろうし、頼朝はその敵役から逃れることはできない。ただ、私としては、今回頼朝について勉強したことで、いろいろ理解できるところも、共感できるところも見つけることができて、そのことは嬉しく思っている。少なくとも、業績の偉大さだけでももう少し評価されてもいい。日本で初めて武家が政治権力を持つ制度を作ったのは頼朝だったのだ。それは明治維新が起きる約680年間続くことになる。

 最後に、頼朝の死についても少し触れておきたい。一般的な説としては、馬から落ちて死んだということになっている。1198年、53歳のときだった。しかし、当時の頑丈な武士が馬から落ちたくらいで死ぬだろうか。下はアスファルトでもあるまいに。現に、落馬から17日も生きているところからみても、打ち所が悪くて死んだというのではなさそうだ。
 それらのことから、後世様々な説が唱えられ、憶測が飛んだ。有力なのとしては、重度の糖尿病だったというのがある。落馬する前から病気が進んでいて、寝込んでいるときに更に悪化して命を落としたというのだ。けど、島流しとそれに続く戦乱の中で糖尿病になんてなるだろうか。その他、毒殺されたのだとか、愛人のところに夜ばいにいく途中不審者に間違われて斬られたとか、あれこれ言われているけど、これもまたもはや分からないことだ。
 長い我慢の時を堪え忍び、満を持して立ち上がり悲願の平家打倒を果たした源氏。けれどそれはわずか20年しか続かなかった。将軍になった息子たちは政治から遠ざけられ、裏であやつる妻だった北条政子が実権を握り、そこから政治は北条執権体制に引き継がれることとなる。室町幕府、南北朝時代、応仁の乱を経て戦国時代へ、大きくうねっていったのだった。
 頼朝は時代の流れの作った最大の立役者のひとりであることは間違いない。義経をイジメただけのただのイジワルアニキではなかったんだ、そう思ってもらえれば、長々と2日に渡って私が書いてきたのも無駄じゃなかったことになる。お疲れ様でした、読んでいただいた方、そして私。
 これにて頼朝物語は、やや唐突な完を迎える。

源頼朝が名古屋人であろうとなかろうと---前編 2006年9月13日(水)

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
頼朝生誕の地は熱田

Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f5.6, 1/80s(絞り優先)



 源頼朝(みなもとのよりとも)は人気がない。いや、もちろん頼朝が好きな日本人は世の中にはたくさんいるに違いないけど、一般的には義経の敵役としてのイメージがすっかり定着してしまっていて、あまり好かれてないんじゃないかと思う。いい国作ろう鎌倉幕府は覚えやすくて好きという人はたくさんいても。ドラマや小説でも義経の目線で描かれたものが圧倒的に多いから、そうなると必然的に頼朝は悪役となってしまう。
 でも実際はどうだったんだろう? 本当にイジワルないじめっ子にすぎなかったのんだろうか? 考えてみると、日本で初めて武家が政治権力を握ることになった鎌倉幕府を作った偉大な人物にもかかわらず、あまりにも知らなさすぎることに気づく。もしかしたら、本当はいいヤツで、つき合ってみたら意外と気さくで好感が持てたりするんじゃないのか。後の世の評価も低すぎるようにも思える。
 何故突然、頼朝なのかといえば、タッキーのNHK大河「義経」を観て、見直したとかではなく、去年、熱田神宮へ行ったとき、この写真の場所に偶然行き当たってびっくり仰天したからだった。
「右大臣源頼朝生誕の地」
 源頼朝って、名古屋生まれだったの!? ホントに? 名古屋で育った私だけど、そんな話は今まで一度も聞いたことがなかったぞ。でも、調べてみると、満更でたらめでもなさそうなのだ。
 場所は、熱田神宮の北西、国道19号線を挟んだ斜め向かいあたりで、かつて誓願時というお寺があった場所に石碑は建っている。なんでも、頼朝のオヤジさんの義朝(よしとも)の正室が、熱田神宮の大宮司だった藤原季範の娘で、当時の風習として奥さんの実家で子供を産むのがならわしだっから、そうなるとここにあった実家の別宅で産んだに違いない、というのがこの説の根拠のようだ。一般的には京都で産んだとも言われている。
 けど、熱田の実家で産んだというのは確かに充分あり得る話だと思う。その証拠というのでもないけど、弟の義経は兄を慕ってわざわざこの地を訪れ、熱田神宮で元服の儀を行ったという話もある。
 頼朝は三男なのにどうして嫡男となったかといえば、正室の子供だったからだ。義経は側室の異母兄弟だったことも、のちの確執につながっている。
 尾張、三河というのは、この時代にもいろいろと関わりが深くて、頼朝・義経の父親の義朝は、平家との戦いに負けて逃げ延びた先の知多半島の野間で殺されているし、鎌倉幕府の次の室町幕府を作った足利尊氏は三河守護職の息子だったりする。
 頼朝が本当に名古屋人だったかどうかはともかくとして、せっかくの機会なので今日は頼朝について少し勉強してみた。知るほどに好きになれるといいなという期待を抱きつつ。

 生まれたのは平安時代の末期、1147年。幼名は「鬼武者」(あのゲームって、ここから来てるのか?)時代は、源氏と平家が覇権争いをしていた頃だ。
 1156年、保元の乱が起こる。後白河天皇と崇徳上皇の兄弟ゲンカに巻き込まれる形で源氏と平家の争いは激しさを増し、のちの決定的な対立へとつながっていく。振り返って見れば、すべての根源は後白河天皇だったと言えなくもないのだけど、これもまた歴史の必然というものだろう。
 この時の戦いでは、後白河天皇・平清盛の側だった義朝は勝者となる。しかし、そのときの恩賞が足りなかったと義朝は不満を募らせていた3年後、義朝は、後白河上皇の家臣の藤原信頼にそそのかされ、上皇とその息子である二条天皇に食ってかかっていった。これが平治の乱と呼ばれるもので、前回が兄弟ゲンカだったのに対して、これは内部抗争、内輪モメだった。でも、これがいけなかった。
 平清盛のところに上手く逃げ込んだ上皇・天皇によって、平家が官軍となり、源氏は賊軍ととなってしまう。勢いは一気に平家側に傾き、源氏は総崩れとなる。13歳になっていた頼朝も、この戦で初陣を飾ったが、多くの家臣が殺され、棟梁である義朝も落ちのびた知多(野間)で謀殺されてしまう。
 頼朝はといえば、オヤジさんたちと一緒に逃げ延びる途中、馬の上で居眠りしてみんなからはぐれてしまった。寝てる場合か、とも思うけど、ある意味大物の証とも言える。迷子になっているところを捕らえられ、平清盛のところに引っ張っていかれることになる。そこに待っているのは当然、死だ。本人も覚悟しただろうし、もちろん清盛もそのつもりだった。何しろ源氏の棟梁の跡取り息子だ。生かしておいて後々の災いになっては困る。
 しかし、そこが歴史の不思議というかドラマチックなところ。清盛の義母・池禅尼が早くに死んだ我が子と瓜二つだから、どうかこの子を助けてやってくれと強く頼み込むものだから、とうとう清盛は折れて、分かりました、じゃあ島流しということで、ということになったのだった。頼朝は伊豆へ、兄弟の希義(まれよし)は土佐へ、それぞれ流されることになる。
 このとき、義経はまだチビだった。名前もまだ牛若丸の頃だ。常盤御前の子供、今若丸(阿野全成)、乙若丸(卿ノ公義円)とともに寺へ預けられ、大人になったら出家させるという約束で命を助けられることになる。

 と、ここまで書いてきて、まだまだ全然終わりそうにないことに気づいた。こりゃいかん。伊豆に流された先で北条政子と結婚したことや、雌伏の時を経て平家打倒に立ち上がった経緯、弟義経との愛憎劇、鎌倉幕府を作り三代で滅んだことなど、全部端折ってしまうのは無理がある。
 ということで、唐突だけど、今日はこれでおしまいにする。続きはまた明日。初めての二日またぎ。ま、たまにはそんなことがあってもいいか。
 今宵はここまでにいたしとうございます(若尾文子)。

キツネつながりの花ふたつ、剃刀と孫 2006年9月12日(火)

花/植物(Flower/plant)
キツネアザミは夏の終わりに

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f4.0, 1/25s(絞り優先)



 世の中にはキツネの名を持つものがたくさん存在する。ワオキツネザルなどのキツネザルたちもそうだし、魚ではキツネアマダイやキツネベラなど、花ならキツネアザミ、キツネノボタン、キツネササゲ、人ならキツネ目の男など、他にもいろいろいる。
 写真のこれは、キツネノカミソリという名前の花で、8月から9月にかけて、林や山道などのちょっと薄暗いようなところで唐突に固まって咲いてる。ふいに出会うと突然のオレンジに驚くかもしれない。オレンジのユリだと思ってしまう人もいるだろうか。
 これってヒガンバナみたいだな、と思ったあなたはするどい。そう、ヒガンバナ科に属する、いわゆるリコリス(Lycoris)と呼ばれている花の仲間だ。東アジアには10数種類、日本にはこれとヒガンバナと、ナツズイセン、ショウキズイセンの4種類が自生している(シロバナマンジュシャゲ、アケボノショウキラン、オオキツネノカミソリも入れると7種)。
 いずれも鱗茎という地下茎を持っていて、葉っぱが早春に顔を出し、初夏にいったん枯れて姿を消したあと、また夏の終わりに茎がニョキッと伸びてきて先端につぼみをつけ、花を咲かせる。この戦略は、夏に草刈りされても生き延びられるというメリットがある。草刈りおじさんのスケジュールまで計算に入れてるわけじゃないだろうけど。
 キツネノカミソリとショウキズイセンだけが、鱗茎でも種子でも増えることができる。にもかかわらず、どういうわけかヒガンバナのような大群生になることは少ない。私が見たところでも、去年と同じところで同じくらいの数だけ咲いていた。あまり勢力を拡大しようという野心がない花なのだろうか。ただ、福岡や新潟あたりにはこれの大群落があるそうなので、必ずしも謙虚なばかりではないらしい。
 近年は全国的にかなり数を減らしているという。

 生息地は、東北の南から九州にかけてで、原産地は日本。
 高さは30-50センチくらいで、いくつかの花がかたまって咲く。自分のところの国なんだから、もっと堂々かつ気ままに咲けばいいのにと思うけど、そんなものキツネノカミソリの勝手だ。
 漢字で書くと狐の剃刀。名前の由来はもうひとつはっきりしないのだけど、葉っぱが剃刀の形に似ていて、花の色がアカキツネっぽいからそう名づけられたというのが一般的な説のようだ。もしくは、いきなり花を咲かせる様子がキツネに化かされたみたいに思えるからという説もある。キツネノカミソリという語感はいいけど、姿と名前は一致しないところがある。
 西日本には、これよりも大きくて雄しべが飛び出しているオオキツネノカミソリがある。ごく稀に白花もあるという。そういえばヒガンバナにも白いやつがある。
 葉っぱや根っこなどを食べると、下痢、吐き気、めまい、頭痛など、様々な症状を引き起こすらしいので、食べない方がいいと思う。って、誰が食べるか!

キツネノマゴというけどどのへんが

 キツネつながりということで、こちらはキツネノマゴ(狐の孫)。これまた分からないネーミングだ。どのあたりがキツネなんだろう? 図鑑などを見ても、詳しいことは分かってないと書かれている。花の形はキツネに見えない。花穂の格好がキツネのしっぽに似ていて、花がすごく小さいからキツネの孫と呼ばれるようになったんじゃないかという推理は当たらずといえども遠からずかもしれない。
 キツネノマゴ科というのがあって、日本では10数種類、世界では3,000種類以上あるというから、日本と世界ではこの花のグループに対する扱いはかなり違うようだ。熱帯などのものはもっと巨大で派手なので観賞用にされているという。
 日本のキツネノマゴはとても小さい。腰を曲げて歩かないと気づかないくらいだ。草丈は30センチくらいで、花の直径は5ミリくらいしかない。普通は雑草として見向きもされないので、一般的にはあまり知られていないんじゃないかと思う。道ばたを歩いていて、あ! キツネだ! などと叫ぶと、どこどこ!? と周りが一斉にこちらを見て、しゃがんでキツネノマゴの写真を撮っていたら頭をはたかれる可能性があるので気をつけたい。名古屋あたりにキツネはいないけど、いたら嬉しい。
 生息地は、本州から九州にかけてと、国外では中国、朝鮮半島からインドシナ、マレーシア、インドあたりと、けっこう広い。南の島には、キツネノヒマゴやキツネノメマゴなどといった変種もあるそうだ。
 白い花も珍しくない。
 花がごく小さいので、大きな虫は蜜を吸うことができず、写真のように小さなヒラタアブなどが受粉の役目を果たしている。

 9月も半ばが近づいて、そろそろ各地からヒガンバナの便りが届き始めた。愛知県では、新美南吉のごんぎつねの里で有名な半田の矢勝川が一番のヒガンバナ・スポットとなっている。童話『ごんぎつね』の舞台となった川の周辺には、無数のヒガンバナが咲き、浦和レッズの応援団のようにあたり一面を真っ赤に染める。去年は9月30日で完全に出遅れたので、今年は20日くらいに行けたら行きたいと思っている。シーズンとしては9月の半ばから10月の始めにかけてだけど、ピークは案外短い。
 岐阜県南濃町の津屋川というところも、写真を見ると雰囲気があってよさそだ。ただ、何しろ遠い。そこまでヒガンバナに思い入れはないので、たぶん今年も行けないだろう。
 私のイメージとしては、田んぼのあぜ道に咲くヒガンバナこそが最もヒガンバナらしく思える。川の土手というのはちょっとイメージとずれる。いつか、飛鳥の田んぼに咲くというヒガンバナを撮りに行きたい。
 それと、キツネと名の付く花だけじゃなく、本物のキツネもぜひぜひ見たいし、撮りたい。どこに行けば野生のキツネっているんだろう。愛知の山奥で、ルールルルルル、ルールルルルルという声が聞こえたら、私がキツネを探してるんだなと思ってください。

観覧車の思い出をよみがえらせつつひとり観覧車を思う 2006年9月11日(月)

名古屋(Nagoya)
唐突な観覧車

Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f4.0, 1/25s(絞り優先)



 去年の春先、名古屋の繁華街である栄のど真ん中に、観覧車ができた。屋上に取り付けられた軸を中心に、ビルの側面に張り付くようにして回っている。回る回るよ時代は回ると中島みゆきも歌っていたけど、まさか栄のビルに観覧車が張り付く時代が来るとは思わなかった。この観覧車の存在を知ってわざわざ乗りに来たユーミンもびっくりしただろう。
 名前はスカイボート(sky-boat)。名古屋としては頑張ったネーミングではあるけど、洗練されていると言えるかどうかは微妙なところだ。空の舟。ビルはサンシャイン栄で、錦通と大津通が交わる交差点の南西、三越の斜め向かいになる。この地方では有名なパチンコグループの京楽の持ちビルで、地下と1階はパチンコなどのアミューズメント、2階にはもうひとつの目玉である名古屋麺屋横丁があり、3、4階がファッション&ビューティー、5、6階にはレストランが入ってるそうだ。
 観覧車の高さは地上52メートル、直径は40メートル。今どきの観覧車としては小さいくらいの規模だ。ただ、ビルに付いていることを考えるとこれくらいが精一杯だったのだろう。あんまり大きく重くしすぎて、ビルからはがれ落ちてきたら笑える。いや、洒落にならない。
 地上52メートルだから、景色としてはさほどではない。名古屋城の天守閣が48メートルだから、あんなものだ。このへんはとくに百貨店やオフィスビル街で周りに高めの建物が多いから、見晴らしも悪い。夜景はそれなりに楽しめるだろうけど、昼間は面白くない気がする。
 ゴンドラの数は28個。一周は公称15分で、実質は10分ちょっとらしいので、すぐ終わる。かなりゆっくり動いてもこれくらいしかかからない。ゴンドラの中で愛の告白をしようとしてモジモジしていたら途中で時間切れになりかねないので、その場合は乗って5分後くらいには本題に入った方がいいと思う。
 金額はひとり500円だから、観覧車としては並みの値段だろう。乗車券はなくて、ゲートにお金を入れて通るシステムになっている。ただ、その際500円硬貨しか使えないという話があるけど、本当だろうか。財布に500円玉が入ってる確率ってかなり低いぞ。しかも、デートとなると500円玉が2枚必要になる。いい感じになって観覧車に乗ろうか、うん、いいよ、となったとき、財布に500円玉が2枚入ってなくて、悪いけど500円貸してくれる? なんだこの男、使えねえな! となってしまう恐れがあるので、栄に行くときは念のため500円玉を2枚用意していくことをおすすめしたい(たぶん両替機があると思うけど)。
 さて、いよいよ観覧車に乗ったら、横に並んで坐っていちゃつきたいのが人情というもの。でも、ちょっと待て、このゴンドラは全面ガラス張り360度シースルーだ。なんてこった。足もとまで透けてるというから、高所恐怖症の人はたまったもんじゃない。生きた心地がしないだろう。空中に浮かんでいるような感覚が味わえて楽しいという人ももちろんいるだろうけど、高いところが駄目な人はこれは乗らない方が身のためだ。
 ガラス張りだから、下を歩いている人に見られたり、ビルの中で買い物したり何か食べたりしてる窓際の人とも目が合うという。なんて気まずい観覧車なんだ。動きはゆっくりだし、お互いに照れ笑いでもしてるよりしょうがない。
 こんなファンキーな観覧車スカイボートだけど、一番腰が砕けたのは、観覧車に乗ると、おもむろに頭の上の3ケタの数字が回り始めて、何事だろうとびっくりしていたら777が出て大当たりになることがあるということだ。さすがパチンコ会社の観覧車。こんなところにスロットが付いてるなんて。当たりが出るとビルの中で使える1,000円分の商品券がもらえる。でも、せっかくなら目押しさせて欲しかった。

 名古屋という土地は、意外にも昔から観覧車と縁のあるところだった。国産の観覧車第一号は1937年(昭和15年)に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会の会場に建設されたものだというし、デパートの屋上に作られた遊園地の観覧車第一号も名古屋三越だった。この日本最古の屋上観覧車は現在でもそのまま残っている。遊園地自体は閉鎖されてしまったけど、保存が決まったそうだ。昔から名古屋の人は回るのが好きだったのか?
 観覧車の元祖は水車で、それを遊び道具としたものが17世紀頃の中近東やヨーロッパ、アフリカなどで作られていたようだ。
 現在のような形の観覧車が世界で初めて作られたのは、1893年のシカゴ万博だった。アメリカ人技師のジョージ・フェリスの設計によるもので、その結果、それまでは「プレジャーホイール(pleasure wheel)」などと呼ばれていた遊具が、技師の名前を取って「フェリスホイール(Ferris Wheel)」と呼ばれるようになったのだった。
 日本における観覧車の呼び名は、1904年にセントルイスで開催された博覧会で「オブザベーションホイール(Observation Wheel)」と呼ばれたものを、そのままオブザべーションは観るということだから観覧車にしてしまえということでそうなって今に至っている。観測車や展望車などになる可能性もあった。
 日本で初めて設置された観覧車は、ずっと1907年に東京上野で開催された東京勧業博覧会と思われていたのが、1906年に大阪の日露戦争戦捷紀念博覧会ですでに設置されていたことが分かって、入れ替わった。大阪も観覧車は好きなようで、元祖とビルに取り付けた観覧車(HEP FIVE)の世界初の記録も持っている。
 このあたりのくわしい歴史に興味がある方は、『観覧車物語 110年の歴史をめぐる』福井優子がおすすめです。

 現在日本には60ほどの観覧車があるようだ(63個?)。
 一番大きなものは、福岡SKY DREAM FUKUOKAの120メートルで、これは世界2位でもある。国内2位は葛西臨海公園のダイヤと花の観覧車(117メートル)、3位はお台場パレットタウンの「大観覧車」(115メートル)と続く。
 私が乗ったことがある一番大きなものは、4位のよこはまコスモワールドの「コスモクロック21」(112.5m)だ。あれは怖かった。名古屋港のシートレインランドの観覧車は夜だったから、あれはもっと怖かったけど。
 世界1位は、今のところロンドンにある「ロンドン・アイ」の135メートルだ。この世界一の座を狙って、現在いくつかの巨大観覧車の建設が進んでいる。シンガポールでは一気に170メートルというのを作っている最中だ。しかしこれ、完成予定は2005年だったものがいまだにできてない。2006年の6月に延びて、更に2007年12月になってしまった。本当にできるだんろうか。その他、ラスベガスでは158メートルの「ボイジャー」というのがあるのだけど、2002年完成予定だったというところからみてもかなり現実味がないし、中国が北京オリンピックまでに作ると言ってる210メートルの「東方摩天輪」なんてのはどこまで本気なのか分からない。
 技術的には日本でも200メートルは作れるそうなんだ。ただ、そうなると建設費が80億円と莫大になりすぎて採算が取れないということで、120メートルあたりで頭打ちになってるらしい。カップルあたりから500円、1,000円とチビチビ取っていたんでは、いつまで経っても80億円は集まらない。

 観覧車に対するイメージは人それぞれだろうし、いい思い出がある人もそうじゃない人もいるだろう。高いところが苦手で一生乗らずに終わるという人もいるかもしれない。でも、やっぱり甘酸っぱいような素敵さを観覧車に感じている人は多いんじゃないだろうか。女の子同士で乗ることはっても、男同士で観覧車に乗ることは基本的にないので、男子は特にその思いが強いと思う。カップルになったらぜひ観覧車に乗りたい、と。
 観覧車の何が一番大切なのか。それは、大きさでも、風景でも、ロケーションでも、値段でも、設備でもなく、誰とどのタイミングで乗るかという一点のみ、と言ってもいい。景色がどんなだったかは覚えてなくても、誰といつ乗って、どんな雰囲気だったかというのは覚えているものだ。大事なのはそれだから。
 私としては、もちろん好きな人と乗るのが一番いいには違いないのだけど、それとは別にひとり観覧車というのを想像してみたりもする。これまであったたくさんのひとりシリーズの中で、これは最難関であることは間違いない。果たして自分にできるものなのかどうなのか。もしかしたらそれは、ひとり東京ディズニーランドよりも難しいかもしれない。もし、ひとり観覧車をクリアすることができたなら、そのときは最強のひとり上手となれるだろう。でも、もし私がやり遂げたとしても、ひとり上手と呼ばないで、ひとりが好きなわけじゃないのよ。

肉食サンデーでやっぱり肉を欲しない体を自覚する 2006年9月10日(日)

料理(Cooking)
珍しく肉サンデー

Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f3.5, 1/125s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、珍しく肉サンデーとなった。日頃は極端に貧しくて肉が買えないとか、狂牛病を死ぬほど恐れて牛肉を口にできないとか、そういう理由で肉料理をしないわけではなく、ただ単に最近あまり肉を食べたくなくなったから料理に使ってないだけだ。もちろん、ベジタリアンとかではないし、ヒンズー教徒でもない。
 10代、20代の頃の私は肉食動物だった。基本的に魚が嫌いでほとんど食べられなかったから、必然的に肉になったというのもあるんだけど、肉そのものが好きだったということもある。一週間に5日は肉を食べていたような記憶がある。
 そんな私が一時、宗教哲学的な理由で肉を食べられなくなってしまったことがあった。20代の終わりくらいに、思想的混迷期とでもいおうか、食べるという行為自体がひどく罪深いものに思えて、その中でも肉食というのはしてはならないものなんじゃないかと思い込んでしまったのだ。実際、2、3年くらいは肉を食べなかったと思う。
 30を過ぎてからの私はいろんな意味で突き抜けて、それとともに肉も食べられるようになった。食べることも好きになり、食べるということに対する理屈や論理も自分なりに見出して、自らを納得させることに成功した。食べることは生きることなんだから、決して罪なんかではない。でも、命に対する感謝の気持ちをいつも忘れないことが大切だと。ドラマ「ギャルサー」の中で藤木直人も、「ありがとう大地、ありがとう太陽、命よありがとう、いただきます」と言っていた。あの精神だ。
 そんなわけで今日は肉料理とあいなったのだった。え? どんなわけ? いや、気分で。
 ところで、私が作る料理の傾向として、とても食べやすい加工がなされているということに気がついた。言い方を換えれば、アゴに優しすぎる。固い食材をほとんど使わず、使っても調理の段階で柔らかくしてしまうので、出来上がったものはたいてい入れ歯のおじいちゃんでも食べられるような料理ばかりとなっている。自分が柔らかいものの方が好きだというのももちろんあるのだけど、なかば無意識のうちにそうなっている。何を作るか決める段階ですでに固いものを排除してしまってるらしい。このままではアゴ勇のようになれない。なる必要もないけど、アゴにパンチを決められたら一発でのびてしまいかねないのはまずい。食後はキシリトールガムを噛みまくってアゴを鍛えなくてなるまい。辻本茂雄に負けるな(関西人しか知らないか)。
 今日は前置きが長い。そろそろ本題に入ろう。

 ご飯は久々の色物。カレーチャーハンを作った。
 ニンニク、タマネギをみじん切りして、オリーブオイルとバターで炒める。そこに鶏のひき肉、ツナ缶を加えて更に炒める。色が変わったら、ご飯を投入して、あとはカレー・ルーを混ぜ合わせ、カレー粉で味を調えて出来上がり。お好みで卵を入れてもいい。
 普通のチャーハンよりもしっかり味が付いていて、ベーコンなどを使っていない分、しつこくないのがよかった。カレー風味も新鮮で、鶏とツナ缶の組み合わせも悪くない。

 右上は大葉とアスパラ揚げの鶏そぼろ掛け。
 鶏そぼろって、たまにすごく食べたくなって、食べると幸せな美味しさを感じる。駅弁とかの三食弁当も美味しいけど、やっぱり暖かい方がいい。
 味付けはごくシンプルに、しょう油、酒、みりんを1:1:1で混ぜ合わせて、少し砂糖を入れるだけ。あとはそれをひき肉と混ぜて温めるだけで出来上がりだ。簡単で美味しくて、お弁当メニューにしても子供はきっと喜ぶはず。
 アスパラは少し下ゆでして、大葉とともに小麦粉をまぶして、オリーブオイルで焼き揚げする。

 左のやつはなんと呼んだらいいのか分からないけど、牛肉のタルタルというか、韓国のユッケに近いんだろうか。どちらも食べたことはないのでよく知らないのだけど。
 牛肉を粗みじん切りにして、みじん切りにしたタマネギ、と卵黄、パン粉で混ぜ合わせて、あとは焼くだけだ。これはとても簡単で、ちょっと不思議な食感を醸しだす料理なので、ぜひ一度作ってみることをおすすめしたい。私はこれまであまり味わったことのないものだった。
 ソースはいろいろ考えられる。今回は自分が一番好きなタルタルソース風にした。マヨネーズ、カラシしょう油、白ワイン、牛乳、ヨーグルト、黒コショウ、塩、バジルを混ぜて作るいつものやつだ。牛肉とタルタルソースも意外に合う。

 今回は腹にこたえる重さだった。味は申し分なかったけど、今の私にこの肉づくしはちょっときつかったかもしれない。やっぱり昔ほど肉をあまり欲しない体になってきているようだ。それは一種の老化現象として悲しむべきことなんだろうけど、その代わり薄味の料理の美味しさも知ることができたし、魚も食べられるようになったのでよしとしたい。そのときどきで美味しいと感じるものが移り変わっていくことは、それだけたくさんの喜びを体験できることだから、むしろ喜ぶべきことだ。
 今はまったく食べられない漬け物も、あと10年もすれば食べられるようになるかもしれない。でも、キュウリはどうだろう。あれだけはどうにも好きになれない。私の前世は、人間に捕まってキュウリしか与えられずに飢え死にしてしまったカブトムシの可能性がある。小学校のとき、かたくなにキュウリを食べずに居残りを命じられた私は、夕暮れまでついに食べずに先生に打ち勝ったことがあった。マスター、サンドイッチ、キュウリ抜きで! そんな注文をしてる男が喫茶店にいたら、それは私かもしれない。
 でも、キュウリを使った美味しい料理を作ることを考えてもいい。ピーマンも食べられないから、それと一緒に何か美味しいものができないだろうか。店のものや人に出されたものだと嫌いなものは反射的に弾いてしまうけど、自分で意識的に調理すれば克服できるんじゃないか。原形をとどめず、好きな味付けにすれば、どんなものでも食べられなくはないはずだ。せっかく自分で作る機会があるんだから、これを機に苦手を好物に変える試みがなされてもいい。来週以降、そのへんのことも考えていこう。そして、いつの日か、マスターに向かって高らかにこう注文したい。
 マスター、サンドイッチ、キュウリ入りで! と。
 いや、最初からキュウリ入ってますけど、と言われて恥をかいたとしても、あえてそう言える大人の男に私はなりたい。

バッタ野郎への道 ~イナゴライダー編 2006年9月9日(土)

虫/生き物(Insect)
コバネイナゴ(推定)と抜け殻

Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/200s(絞り優先)



 虫関係はここ2、3年でいろいろ写真も撮ったし勉強もしてきた。ただ、相変わらずバッタ関係に関してはどうにも苦手意識が拭いきれない私。地面で跳ねてるものは、カエルとウサギ以外はとりあえず全部バッタに見える。もちろん事実はそうではない。世の中には実にたくさんの跳ねる生き物たちがいるのだ。私だって昔はグランドの周りを跳ねていた(テニス部でウサギ跳びをさせられてただけ)。
 これまで見て見ぬふりを続けていたのだけど、夏の終わりも近いということで、少しだけバッタたちについて勉強してみることにした。その結果、バッタ恐るるに足らず、となったかといえばそんなことはなく、やっぱりバッタの見分けは手強いのだった。でも、これは第一歩だ。私とバッタとの長い戦いはまだ始まったばかり。学校で禁止されてしまったウサギ跳びならぬバッタ跳びで1階と自宅の7階の階段を往復して自らを鍛えるところから出直したい。最終的には、チキチキチキっと言いながら10段くらい飛べるところまでいきたいと思う(それは無理だろう)。
 それにしてもバッタ類の種類は多い。思いつくところでは、トノサマバッタ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、ヒシバッタなどのバッタという名の付くものから、キリギリス、マツムシ、コオロギ、スズムシ、イナゴ、ヤブキリ、ササキリなど、バッタではないものから跳ばないものまで含めると、一夜漬けではとても手に負えない。
 ということで、今日はまずイナゴからいきたいと思う。ちょっと待て、イナゴはバッタじゃないぞ! と速攻でツッコミを入れてしまったあなたは、イナゴライダーと呼ばれてしまうほどイナゴ好きな人に違いない。そう、確かにイナゴはバッタに含まれたり、はっきり別のものとされたりで、ちょっと仲間はずれっぽいところがある。ただ、写真に撮れたのが今回イナゴだけだったということで、今日のところはイナゴでいきたい。本家バッタは写真が撮れてからまたあらためて。

 写真のものは、少し迷うんだけど、たぶん コバネイナゴでいいと思う。現在の日本を代表するイナゴだ。かつて日本のイナゴ界は、コバネイナゴとハネナガイナゴの二大勢力が縄張り争いを繰り広げていた。しかし、昭和に入り、強い農薬が使われるようになると、まず先にハネナガイナゴが激減して、コバネイナゴはゆるやかな減少にとどまった。昭和40年代、50年代には、はっきりとコバネイナゴの天下となる。その後強い農薬はあまり使われなくなると、一時数を減らしていたイナゴがまた田んぼに戻ってきた。けれど何故かハネナガイナゴの数が回復することはなく、現在に至っている。今ではハネナガイナゴが貴重な存在となってしまった。
 コバネイナゴの生息地は、北海道南部から九州(沖縄も?)までと広く、国外では台湾、フィリピン、インドあたりにもいるという。比較的暖かいところが好きらしい。
 卵で越冬して、5月の中頃にチビイナゴとしてふ化する。それから5、6回脱皮を繰り返してだんだん大きくなり、最終的には8月の中旬から下旬にかけて大人になる。写真に写ってる白いやつが抜け殻(脱皮殻)だ。足の形が残ったままどうやって体を抜いたのか不思議。もっとビリビリに破いて出てきた方が楽そうなのに。相当固いんだろうか。
 成虫の寿命は約80日と、意外と長い。2ヶ月半も生きるということは、イナゴは夏ではなく秋の生き物ということになる。
 産みつける卵の数は1,000個というから驚きだ。それは大量発生もするだろう。しかし、逆に言うと、それだけ卵を産んでも激減してしまうほどかつての農薬は強力だったのだ。そう思うとちょっと恐ろしい。
 大きさは3センチから4センチほどで、外観が少し似ているトノサマバッタと見分けるときは、大きさの印象の違いでたぶん分かると思う。目の上から後ろに向かって伸びる濃茶色の筋がチャームポイントだ。写真のやつは脱皮したてということで、まだ色味が全体的に薄い。
 食べ物はイネ科の草。稲ももちろん好きではあるのだけど、米を食べてるわけではなく、食べるのはあくまでも草だ。よほど大量発生しない限り、憎むべき害虫とまでは言えないと思うけど、農家さんにしてみたら草をかじられるだけでも腹立たしいところだろう。

 イナゴの漢字は文字通り稲子だ。これは分かりやすい。ただし、もうひとつ「蝗」という字を当てることがあって、これが少し分かりづらい。バッタは「飛蝗」で、跳ばないから蝗かといえばそう簡単な話でもない。
 もともと漢語の「蝗」はトノサマバッタなどを指す言葉で、バッタ類が大量発生して群れとなったときの現象を「飛蝗」と表現していた。しかし、日本において大量発生するものといえばイナゴしかおらず、いつの間にかイナゴのことを「蝗」と混同するようになったのだという。やっぱりイナゴは稲子の方が分かりやすい。
 その他のイナゴとしては、イナゴ亜科のツチイナゴや、ヒナバッタ亜科に属すツマグロイナゴ、ナキイナゴ、ヒナバッタなどがいる。イナゴライダーはメロディック・ハードコアに属すらしい(それはまた別の種類の生き物)。

 イナゴといえば食うもんだと思っている世代はどこから上なんだろう? 戦後すぐは食べるものがなくて、貴重なタンパク源として食べられていたというのは聞いているけど、団塊の世代の人たちも子供の頃は普通に食べていたものなんだろうか。少なくとも私たちの世代は食べたことがない人がほとんどだろうし、もちろん給食に出たりもしなかった。あるいは地域による差もあるかもしれない。
 日本では平安時代くらいから食べられていたようで、現在でもスーパーなどに普通に並ぶ唯一の虫だといわれている。甘露煮や佃煮がけっこう売れてるというから驚く。隠れイナゴファンは私の知らないところでたくさんいるらしい。
 一番たくさんとられているのは仙台平野だそうだ。もしかしたら今でも仙台の小中学生は田んぼでイナゴを集めさせられているんだろうか。一日10トンも集めるというからすごい。それでもまだ足りず、韓国や中国から輸入もされてるとか。どんだけイナゴ好きなんだ、日本人。食べられている量は、日本人全員が年間数匹食べているのに相当するんだとか。そんなデータを聞いたら、私は食べてないですー、って人が続出だろうから、食べてる人はものすごく偏って食べまくっているのだろう。とりあえず私の身近にそういう人はない。
 食感はちょっとエビちゃんみたいというんだけど、私のサンデー料理に登場する予定は金輪際ない。できればイナゴを食べずに済む人生を選択したいと思う。

 近年、日本でイナゴの大量発生という話は聞かない。昔はかなりあったそうだ。外国では今でもたまに起こっている。最近では、2004年にエジプトで大発生があったし、2005年には中国の山東省などで大きな被害を出した。ちょっと笑えたのが、中国ではイナゴ対策としてニワトリを日頃から訓練してるというのだ。イナゴ撃退プロジェクトとして3万羽のニワトリが日夜訓練に励んでいるという。残念ながら訓練の内容までは伝わってきていない。もしかして極秘プロジェクトだろうか。中国ではそのうち、マクドナルドでイナゴバーガーが新発売になるかもしれない。日本におけるエビちゃんのようなイナゴちゃんが登場して、イナゴバーガーが話題をさらうことになるなんてこともなくはない。
 映画『北の零年』でイナゴに作物を根こそぎ食べられてしまうシーンがあったけど、ああなると本当にもうどうしようもない。大量発生のメカニズムはその都度違って、原因もはっきりしてないから対策を立てることができないようなのだ。

 バッタのことならなんでも知ってるバッタもんオオタと呼ばれるその日まで、今後もバッタの勉強は続けていきたいと思っている。イナゴに関しては少し分かったから、次は王道のトノサマバッタあたりを攻めてみたい。地面で飛び跳ねてるやつを見ても、これまではあまり写真を撮ろうと思わなかったけど、これからは跳ねものにビビビッと反応して写真を撮っていこう。
 地面にしゃがんで跳ねてるバッタを追いかけながら自分もバッタ跳びをして写真を撮っている男を見つけたら、すかさず背中に飛び乗ってこう言ってみてください。
 オンブバッタ! と。
 私だったら怒らないけど、そうじゃないと怒られる可能性があるので、よく見極めてから。

熱田さんにお参りして1,900年の歴史に思いを馳せる55円 2006年9月8日(金)

名古屋(Nagoya)
おととし以来の熱田さん

Canon EOS 10D+PORST Weitwinkel 35mm(f2.8), f5.0, 1/30s(絞り優先)



 名古屋の中心街から車で15分ほど南に走ったところに、ここらの人間が熱田さんと呼ぶ熱田神宮がある。名古屋で知らない人はほとんどいないと思うけど、実は行ったことがないですよという人が意外と多いのかもしれない。私のように名古屋の北に住んでいると、あちらまでわざわざ出向いていく機会がない。初めて訪れたのは、おととしの11月だった。だから今回の訪問が二度目ということになる。なんとなくふいに行きたくなった。
 これは個人的な感覚なのだけど、熱田神宮はナチュラルというか無味無臭な感じがする。すごく神々しいとか、息苦しいくらい神聖だとか、そういう過剰なものがなくて、少し物足りないような気がしつつ、とても自然な感覚でいられる。良くも悪くもアクがない。日本においては伊勢神宮に次いで二番目に格式が高いとされる神社でありながら、大上段に構えたところがないというか、威圧感のようなものがない。マイナスの気があまりにも希薄なために味のしない蒸留水を飲むのに似ていると言えるだろうか。
 大鳥居をくぐり、玉砂利を踏みながら歩いていくと、巨木や古木に空を覆われ、ひんやりした空気が閉じこめられている。まだセミも少し鳴いていた。夏でもここは涼しいに違いない。年間900万人が参拝にやって来るとはいえ、平日の5時では人もまばらだ。
 約20万平米の境内にはいくつもの寺社が集まっていて、歴史的建造物や重要文化財も多い。前回一通り回ったので、今回は本殿へ一直線に向かった。それでもけっこう距離はある。
 写真は拝殿で、奥に見えているのが本殿だ。残念ながらあちらまでは近づけない。拝殿前では女の人がずいぶん長い時間拝んでいた。私も賽銭を入れようと財布を見ると、100円玉がない。仕方がないので55円投げておいた。特にお願い事もないので、とりあえず元気ですよという報告と、そちらも元気でやってくださいという励ましで短く切り上げた。ついでに良いご縁もありますようにと(その5円か)。

 熱田神宮がどうして日本で第二位の格式を持つかといえば、それはもう一も二もなくここに三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)があるからに他ならない。祭神となっている熱田大神(アツタノオオカミ)は草薙神剣のことだ。ただし、当然のことながら一般公開はされていない。有料の宝物館(300円)があるから、もしかしてそこで見られるのか!? と期待したけど、やっぱり無理だった。そりゃそうだ。伝家の宝刀でもそうめったに抜いてはいけないのに、神の剣を一般に晒している場合じゃない。
 ただ、宝物館には、天皇家、将軍家、一般から集めた貴重なお宝がたくさん展示されているので、見る価値はある。
 三種の神器のうちあとのふたつは、八咫鏡(やまたのかがみ)が伊勢神宮に、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は御所の中にある。
 創建は景行天皇の時代で113年頃ではないかと言われている。長らく尾張造というこの地方特有の建築様式で建てられてものを1893年(明治26年)に伊勢神宮と同じ神明造に建て直した。しかし、昭和20年にアメリカ軍の空襲で大部分の建物が壊れてしまって、現在のものは多くが昭和30年に再建されたものだ。東京も空襲で焼け野原にされたけど、名古屋も相当たられている。当時は国宝だった名古屋城まで燃やされた。
 熱田神宮といえば、宇崎竜童が歌うCMソング、♪やさしい~ 森には~ 神話が~ 生きてる~♪でお馴染みの熱田神宮会館を思い浮かべる人も多いかもしれない。名古屋でもっとも格式が高いといわれる結婚式場で、新郎新婦の衣装といい化粧といい、古式ゆかしい伝統にのっとった神前結婚式を挙げることができる。そして、もちろん観光客の格好の被写体となってしまう。照れ屋さんにはちょっとおすすめできない。
 その他有名なものとしては、信長塀がある。桶狭間の合戦に行く前、信長がここ熱田さんに寄って戦勝祈願をして、もし勝ったら塀を奉納すると約束した。そして今川義元を破り、約束通り作ったのが信長塀と呼ばれるものだ(日本三大塀のひとつとなっている)。
 桶狭間へと向かう若き信長に、熱田の豪商、加藤順盛が差し入れの菓子を持って駆けつけた。そのとき信長は高らかにこう叫んだという。
「今日のいくさは加藤(勝とう)!」
 ……。
 ダジャレかよ!
 いい感じに脱力感に誘われて戦前の緊張から解き放たれて織田軍は勝てたのかもしれない。でもホントに信長、そんなこと言ったのかなぁ。

御神木の大楠

 熱田神宮の御神木となっている大楠は樹齢1,200年。空海が植えたという伝説の木だ。高さ20メートル、幹周り7メートル50、かつてはこの木に守り神の白蛇がすんでいたといわれる。ただし、これは大きさでは三番目で、一番大きいものは神宮会館の裏にあるという。
 その他には、名古屋最古の石橋といわれる二十五丁橋や、「宮きしめん」の元祖となった店、実のならない「ならずの梅」などが見どころとしてある。
 行事としては、初詣の他に6月5日の「熱田まつり」が大いに盛り上がるそうだ。本宮では神聖な儀式が執り行われ、境内では祭り屋台が並び、花火が上がる。
 その他、 「オホホ祭」と呼ばれる変わった祭りもあるらしい。みんなでオホホ、オホホと終始笑ってるんだとか。なんだか分からないけど、あまり参加したくない気がする。

 熱田神宮といえば、やはり日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のことを書いておかないといけないだろう。ただ、どこまでが伝説でどこからが史実なのか分からないし、全部説明すると長くなるしややこしいので、簡単にまとめるだけにしたい。
 まずはスサノオのことから。イザナギとイザナミの末っ子として生まれたスサノオ(上はアマテラスとツクヨミ)は手に負えない暴れん坊だった。一時は悪さをして追放されたりしたのだけど、悪名高いヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治したことでヒーローとなった。そのときオロチのしっぽから取り出したとされるのが、後の草薙の剣となる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だった。これは伊勢神宮に納められることになる。
 時は流れて景行天皇(けいこうてんのう)の時代。次男坊だったヤマトタケル(日本武尊)は、親である景行天皇の言うことをちっとも聞かないアニキのオオウスノ皇子を八つ裂きにして殺してしまう。それを見て恐れをなした景行天皇は、ヤマトタケルに地方豪族の討伐を命じて遠ざけることにした。あわよくばやられてくれないかなという思いもあっただろうか。
 生まれつき姿も美しく力持ちで、暴れん坊体質だったヤマトタケルは、獅子奮迅の活躍を見せ、期待以上に討伐しまくり、日本を西から東へと縦横無尽に駆け抜け、やっつけにやっつけた。そのとき手にしていたのが、叔母であるヤマトヒメのツテで借りた天叢雲剣だった。それがどうして草薙の剣と名前を変えたかというと、窮地に追い込まれて火攻めをされたときに、その剣で草をなぎ払って死地を脱したということがあったからだった。
 危険な東国の征伐に成功したヤマトタケルは、結婚の約束を交わしていた尾張の豪族の娘ミヤズヒメ(宮簀媛または美夜受比売)の元に戻り結婚する。しかし、平和もつかの間、次は伊吹山の討伐命令が下る。このとき、魔が差したというのか、あろうことか、ヤマトタケルは大事な草薙の剣をミヤズヒメが寝てる枕元にうっかり置き忘れてしまった。いくらヤマトタケルが強いからといって、手ぶらじゃ勝てない。伊吹山の怪物にやられて、逃げ帰る途中の三重県山中の能褒野(のぼの)でついに力尽きてしまったのだった。30歳くらいだったという。
 それを嘆いた奥さんのミヤズヒメが、熱田の地に草薙神剣を納めて祀ったのが熱田神宮の始まりとされている。
 全部伝説といえば伝説だし、ある程度の史実を反映した話だといえばそうなのだろう。

 こんな伝説やエピソードを知ってから熱田神宮に行ってみると、また違った思いを抱くかもしれない。信長塀を見て信長の一発ギャグを思い出し、大楠を見上げて空海を思い、本殿に向かって頭を下げながら草薙の剣の伝説を想像してみる。2,000年の間にはいろんなことがあったもんだなと思う。
 それにしても、いくら三種の神器とはいえ、元々はヤマタノオロチという恐ろしい怪物のしっぽから出てきた剣を神様として祀って、その剣に向かっていい縁がありますようにとお願いして聞き入れてもらえるのかな、という素朴な疑問がわき上がる。お願いする向きを間違えたか? 私の投げた55円は何かいいことに役立ててください。私は私で頑張りますから。

旅するウスバキトンボは今年もまた、ひたすら北を目指す 2006年9月7日(木)

虫/生き物(Insect)
意外と知らないウスバキトンボ

PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 日本にアカトンボという名前のトンボはいない。アカトンボと呼ばれているのは、たいていアキアカネかナツアカネだ。そんなの常識じゃん、と思ったあなたはすでにトンボの人となっていて一般人から逸脱しているので多少の自覚が必要だ。更に、この写真を見て瞬時にアカトンボではなくウスバキトンボと答えてしまった人は、腰のあたりまでトンボ池に浸かり込んでしまっていると言えるだろう。もう、あの頃には戻れない。赤いトンボを見て無邪気に赤とんぼだ、と言っていたあの頃には。
 それにしても、どうしてウスバキトンボ(薄翅黄蜻蛉)はこんなに知られていないのだろう。日本全国のどの場所にもいるありふれたトンボなのに、不自然なほど一般的な知名度が低い。夕焼け小焼けの赤とんぼ~♪というのも、あれは実はウスバキトンボなんじゃないのか。夕暮れどきに田んぼの上などで夕陽を浴びながらキラキラと飛んでいるやつは、赤とんぼじゃなくてたいていウスバキトンボだ。
 アキアカネの未成熟のやつよりも赤みは弱く、黄色に近いオレンジ色をしてるのが特徴だ。オスもメスもそっくりなので見分けるのは難しい。常に飛び回っていてなかなかとまらないので、とまっている姿を見かけることは少ないかもしれない。とまっているところを見れば、前翅、後翅両方の先っぽに黄色っぽい点(斑紋)があるのが見つかる。これもアキアカネと見分けるポイントのひとつだ(アキアカネは黒っぽい)。
 とまっているといえば、アキアカネたちが水平にとまるのに対して、写真のように必ずぶらさがってとまるところにも違いがある。大きさもウスバキトンボの方が1センチくらい大きいので、パッと見でもやや大きい印象を受ける。飛び方もなんとなくフラフラと頼りないような感じだから、トンボ観察を続けていると飛んでいる姿で見分けられるようになってくる。

 ここまで読んで、自分は別に赤とんぼの区別なんてつけたくないぞ、とあなたは思ったかもしれない。けど、そんな人にはこのトンボのことを好きになるであろう話をぜひしたい。ならないかもしれないけどそれでもしたい。私は訊かれてもいないことを教えたがる教えたがり屋さんだから。
 ウスバキトンボがどんなトンボかといえば、旅するトンボという言葉がぴったりだと思う。それも死出の旅だ。
 世界中の熱帯、温帯地域にすむウスバキトンボたちは、年が明け春が近づいてくると、あるものは南へ、あるものは北へと旅に出る。集団で海を越え、遠くを目指し。
 春3月、日本へとやってきたウスバキトンボの一団はまず鹿児島に上陸する。しかし、海を渡ってきたダメージは深く、翅はボロボロになり力尽きる寸前となっているので、その前に急いで産卵をする。力が余ったものは九州を北上し、別のものは四国へと渡る。それぞれがそこで産卵して命果てる。
 それからひと月半後、またたく間に成長してヤゴからトンボの成虫になったものが北へと旅を続ける。親の意志を引き継いで。関西には5月、中部には6月、関東には7月くらいに辿りつき、それらはすでに第二世代を超えて第三世代になっていることもある。成虫になっても命はひと月なので、その時間旅をして力尽きる先で産卵して、そこで育ったやつがまた旅を続ける。ただひたすら北へ向けて。
 その意志の源が何なのかは分からない。本能なのか生き残るための知恵なのか、突き動かされる強い力が何かあるのかどうなのか。すべてのウスバキトンボが旅を続けるわけではない。中には生まれた地に居残るものもいる。全員で移動していくわけではないところに、種全体としての意志というか戦略めいたものを感じないでもない。
 夏が終わり、秋が始まる9月、ついに彼らは津軽海峡を越えて北海道の南へと上陸を果たす。世代を超えた長いながい旅の終わりが近づく。
 10月、最北の地に辿り着いたを彼らを待っているのは、死だ。寒さに極端に弱いウスバキトンボは、北の大地で季節を越えることを許されない。成虫も、卵も、かえったヤゴも、ことごとく寒さに負けて死んでゆく。最後の一匹までも。
 次の年の春、南の島であらたに生まれたウスバキトンボは、またも北への旅に出る。自分たちを待っている運命を知ってか知らずか、大昔からずっと繰り返されてきて、これからもきっと続いていくに違いない。
 彼らが何をどうしたいのかを知っている人間はいない。学者たちはそれらしい理屈を説明しようと試みているけど、成功してるとは言えない。センチメンタルな想像をするなら、彼らはカムチャツカ半島にたどり着くことを夢見ているのかもしれない。その向こうのまだ見ぬ大地のことを。あるいは、地球温暖化によって彼らの願いが叶う日が来ることになるだろうか。だとすれば、温暖化も必ずしも悪いことばかりではないなと思ったりもする。

 8月、野山でも郊外でも街中でもたくさん飛んでいるトンボたち。シオカラトンボにオニヤンマ、赤とんぼにイトトンボ。その中には、こんなドラマを持ったウスバキトンボたちもいるのことを少しだけ覚えていて欲しい。北の果てに向かう旅の途中、受け継いだ命と意志を次へつなごうと精一杯生きている彼らのことを。
 秋のはじめにこいつを見かけた北海道の人は、旅の疲れをねぎらって、優しく受け入れてやってください。よくぞ南の島から半年以上もかけてここまでたどり着いた、と。
 旅行というのは行って帰ってくることで、旅というのは行って戻らないことだとするならば、ウスバキトンボはまさに旅するトンボだ。旅に生き、旅に死すことは、必ずしも不幸なことではないと私は思う。他のトンボたちよりも多くの風景を見ることができるのだから。
 9月になり、そろそろまた彼らの旅の終わりが近づいてきた。

初めて知った大石のお不動さんの存在とその魅力 2006年9月6日(水)

丹生(Nyu)
大石不動院

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/40s(絞り優先)



 勢和村からたぶん一番近い町が車で20分ほど走ったところにある大石町(おいしちょう)だと思う。帰郷したとき、夕飯の買い出しのためにコンビニを探して車を走らせていたら、思いがけず歴史的建造物を発見して、急ブレーキ、急ターンで手前の空き地に飛び込んだ。なんだこれはー、と心の中で叫びつつ。隣町とはいえ、こんなところまでは来たことがなかったので、こんなものがあるとは知らなかった。コンビニは見つからなかったけど、それよりもずっといいものを見つけた。
 建っていた石碑を見ると、「石勝山金常寺 不動院」とある。あとから聞いてみると、ここらでは有名なお寺さんで、「大石の不動さん」とか「青石不動さん」などと呼ばれて親しまれているそうだ。念のために言っておくと、青学対不動峰とか大石と菊丸とかは一切関係ない(当たり前)。そういえば、大石恵がキャスターとして復帰するそうだ。ニュースステーションの頃は可愛くて好きだったけど、もうあまり見たくない。
 説明文によると、平安時代(812年)にこの地を訪れた弘法大師空海が、ここの名産である青石で不動明王を彫って安置するためにお堂をつくったのがが始まりらしい。現在の本堂は1,000年以上も前のものではないものの、江戸時代(1602年)に松阪城主だった古田重勝公が再建したものというから400年以上は経っている。良く言えば風格があるとも言えるし、悪く言うとかなり老朽化が進んでいる。かなり大がかりな補修をしたとか書いてあったから、その前はもっとすごいことになっていたんだろう。お金使ってしまったので寄付をお願いしますとも書いてあった。あ、車に財布忘れた。

 前の道は現在の国道166号で、旧和歌山街道にあたる。かなり昔から三重県と奈良や和歌山を結ぶ道として利用されていたようで、物資の運搬の他、伊勢参りや熊野古道参りなどで人々はこの道を歩いたそうだ。紀州藩の参勤交代で江戸へ向かうときもこの道だったというから、昔から重要な道だったのだろう。
 本堂の隣には、これまた立派な鐘楼堂がある。鐘は有名な天命安弾の作らしいのだけど、その筋では有名にしても私はまったく知らない。だいたい、鐘作りの名人の名前なんてひとりも知らないし。
 鐘楼堂も1722年に建てられたというからなかなかのものだ。
 右の石段を登ったところには、大師堂と天満宮がある。大師堂には弘法大師坐像が置かれているそうで、天満宮の方は、1833年に当時の住職が太宰府天満宮で菅原道真の神体の一部をいただいてきてここに安置したという。どこの一部かがちょっと気になるところだ。
 更に石段を登っていくと、展望台があるらしい。知らなかったのでそこまでは行かなかった。櫛田川やこの地区の町並みが見渡せることだろう。ここら一帯は、三重県立公園「香肌峡」に指定されている。

不動滝の水は少なめ

 本堂の左には、ここの名物のひとつである不動滝がある。写真で見ると妙にスケールが小さく見えるけど、実際は高さ10メートルで、なかなか悪くない景観だ。ただ、季節柄なのか、流れ落ちる水が少なかった。多いときは、もっとダァーっと流れていて、それが二本に分かれることから夫婦の滝とも呼ばれるそうだ。夏の暑いときは水浴びするちびっこがいたり、滝に打たれて修行したりする人もいるという。滝に打たれるというと、オレたちひょうきん族の懺悔の部屋を思い出す。
 ちょっと笑ったのは、滝が当たる岩に空海が「不動滝」と彫り込んだとされる文字が残っているというエピソードだ。キミは修学旅行生か! と空海にツッコミを入れたい。ホントに空海がそんなお茶目なことをしただろうか。空海なら許されても、他の人ならこっぴどく叱れてしまうだろう。
 ちなみに、空海の本名は佐伯眞魚(さえきのまお)という。マオっていうと、浅田真央と小林真央を連想してしまって空海とは結びつかない。しかし、真の魚って、さかなクンが大喜びしそうな名前だな。さかなクンが結婚して子供ができたときは、ぜひこの名前を付けるようにアドバイスしたい。
 更に雑学として付け加えると、弘法大師というのは醍醐天皇が与えた号(諡号)で、必ずしも空海と弘法大師はイコールではないということだ。なにしろ、弘法大師ゆかり地やら大師さんにまつわるエピソードは全国5,000以上もあるというから、それはいくらなんでもあり得ない。ドラマの中の水戸黄門でもそんなに足跡は残してない。空海は一生旅人だったわけではもちろんなくて、多くの時間を中国へ行ったり高野山にこもったりして修行していたのだから。弘法大師にまつわる伝説のかなりの部分は、後世に作られたものなんじゃないかと思う。
 空海の生まれは四国。四国八十八箇所霊場巡りというのは、空海の修行場所が基本となっている。讃岐うどんも空海が作ったなんて話もあるけど、それはどうなんだ。空海も週に5回くらいうどんを食っていたのか?

 大石の不動さんで最も有名な行事は、江戸時代から行われている大石不動八朔まつりだ。近年は8月31日と9月1日の2日間で、今年はあいにくの雨だったとか。無病息災、風水害の厄除け、五穀豊穣、家内安全などを願い、本堂では住職が護摩を焚き、外では市民が手踊りしたり、餅を投げたり、盛大に花火を打ち上げたりして、大盛り上がりに盛り上がるという。70軒の屋台が並び、近隣から1万人が押し寄せるというから、なかなかのものだ。普段とのギャップが激しい。対岸の櫛田川から打ち上げられる花火も本格的なようで、この2日間ばかりは近所の人は静かな夜を過ごすのはあきらめなければならない。
 何故か、カラオケ大会まで開かれると聞いて腰砕けになった。カラオケはある意味、現代の平和の象徴と言えなくもないか。けど、町長やら議員やら町の顔役やらが、「無法松の一生」や「自動車ショー歌」、「母に捧げるバラード」などを熱唱する図は、なんというかめまいがしそうでもある。まさに祭りの夜。
 八朔(はっさく)の八は8月、朔は1日で、旧暦の8月1日を八朔といい、昔はこの日に行われていたからこの名が付いたそうだ。

 夏祭りの他にも、年間を通して見どころがある。春は桜が咲き、4月8日の釈迦の誕生日には櫛田川沿いに咲く桃の花を見ながら花まつりが行われる。初夏にはアジサイが咲き、7月には池に白い睡蓮が浮かぶ。
 そしてもう一つの名物が、7月の終わりから8月にかけて、境内の炮烙岩(ほうろくいわ)という巨岩に咲くムカデランの群生だ。これは国の天然記念物に指定されている珍しいもので、米粒ほどの小さなピンクの色の花が固まって咲くんだそうだ。この時期は、多くのカメラマンが望遠レンズを持ってやって来るという。
 秋は紅葉も楽しめる。
 場所がかなりローカルなところでおすすめできるのは三重県の松阪周辺の人に限られてしまうだろうけど、近くに住んでるのにまだ行ったことがないという方にはおすすめしたい。車で20分ほどにある丹生大師もよろしくお願いします。
 もし行ったときは、私が寄付できなかったことをあやまっていたと伝えてください。よかったら私の分もお賽銭頼みます。あと、不動滝の彫り込みが本当に空海の仕業かどうか確かめてきてくださいね。

カリガネソウの話だけど古いネタ注意報発令 2006年9月5日(火)

花/植物(Flower/plant)
カリガネソウの造形

Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.0, 1/100s(絞り優先)



 森林公園で面白い造形の花を見つけた。くねくねとのたくったような茎と花。コテを当てるのに失敗したインチキパーマみたいだ。ストレートパーマをかけ直せとアドバイスしたい。でも、この花にしてみればこれが普通の状態なのだろう。じっと観察していたら、「マクロス」の板野サーカスを思い出した。目標に向かってくねくねとうねりながら進むたくさんのミサイルとそれをヒラヒラとかわすバルキリー。♪リメンバー 大空舞う しろがねの翼~ シャ~オパ~イロン♪という飯島真理の懐かしい歌が頭の中で流れた。
 プレートを見ると、「かりがねそう」とある。借り金草? キミに金を借りた覚えはないぞ、とついムキになってしまいそうになったが、帰ってきて調べてみたら雁草だった。または、雁金草。
 雁が飛ぶ姿を模した家紋の「結び雁金」に似ているところから名づけられたそうだ。単純に雁の姿から来ているという説もあるけど、この花を見て雁は思い浮かばない。花からびよ~んと弓なりに伸びている雄しべと雌しべの姿が雁っぽいと言われても素直には賛同できない。むしろ、雁という文字から裸の大将の芦屋雁之助を連想してしまいがちだ。♪野に咲く花のように風に吹かれて 野に咲く花のように人を爽やかにして そんな風にぼく達も いきてゆけたらすばらしい~♪
 今日は全般的にネタが古いけど大丈夫だろうか。あらかじめ10代の人にはあやまっておいた方がいいかもしれない。ゴメンよ、メンフラハップ(分からないだろうな)。
 別名は、ホカケソウ(帆掛草)。そう言われてみると、なるほどそれは見えなくもない。個人的には板野サーカス草と呼ぶことにしよう。

 日本原産の花で、北海道から九州まで分布している。自生してるのは林や野山の周辺で、近年かなり減ってきているそうだ。名古屋あたりではまず見かけない。もっと山深いところまで行かないとなさそうだ。準絶滅危惧種に指定されている。
 国外では、中国などの東アジアにもあるそうだけど、英名はないことから外国では知られてない花なのかもしれない。
 花期は8月から9月にかけて。夏と秋をつなぐ花で、この時期の青紫色はちょっと希少だ。山道などでたまたま群生してるところに出会ったらハッとすることだろう。ハッとしてグー……。いや、なんでもないです。
 ゆらゆらと風に吹かれて揺れながらハチたちを誘い、密を吸うためにとまると、雄しべがびよーんと降りてきてハチの腹に花粉をこすりつけるんだとか。自然の知恵というのは人では思いつかないような戦略をとるものだ。
 それからこの花を語る上で欠かせないのは、臭うということだ。人にとって不快な匂いということは、それもまたひとつの作戦なんだろうか。花が人に好かれていいことなどほとんどないから、むしろ人に嫌われた方が生き延びやすいと言える。花粉を運ぶ虫にさえ嫌われなければいい。ただ、そんなに言われるほどの匂いは感じなかった。最近の私は、何かの花粉に反応して季節はずれの花粉症にかかっているからだろうか。
 カリガネソウは、冬になると地上部をすっかり隠してしまう。どこに生えていたか分からなくなるほどに。春にはそういう花がたくさんあった。カタクリやニリンソウなどのいわゆるスプリングエフェメラルと呼ばれる花たちだ。それにならえば、カリガネソウはサマーエフェメラルとかオータムエフェメラルということになるだろうか。秋の妖精と呼んでも名前負けしない風情がある。

ツリガネニンジンの仲間みたいなやつ

 同じ季節に咲く紫の花つながりということでもう一枚。最初、ツリガネニンジンだろうと思ったのだけど、よく見るとどうも違うようだ。ツリガネニンジンは、もっと花が茎の近くに集まって咲くのに対してこれは枝分かれした先にぶら下がって咲いている。
 調べてみると、ツリガネニンジンに似た花はたくさんあるのだった。ただ、ソバナとは違うと思う。となると、サイヨウシャジンとかヒメシャジンとかオトメシャジンとか、そのあたりなんだろうか。それともまったく別の種類の花なのか。
 結局調べはつかなかった。夏は終わったけど、夏の宿題ということで、来年までにはなんとか名前をつきとめたい。

 8月から9月への移行は、7月から8月に移るのとは違う意味を持つ。9月からはもう秋という区分になる。衣替えは10月でも、気持ちの切り替えは9月にしておきたい。
 9月という月は、ある意味ではとても自由な月だ。追いかけるものもなく、追い立てられるものもない。祝日としては秋分の日と敬老の日があるものの、個人的にはこれといった行事もない。これだけは9月中にやっておかなければならいというものも思いつかない。だから、どうしてもルーズになりがちだ。
 こんなときこそ、自分にムチを打たないといけない。ある種の自虐さも必要だろう。とはいえ、それじゃあ私がムチ打ってあげますわよと言われも困ってしまうので、立候補していただかなくても大丈夫です。自分でなんとかしますので。
 9月の野草としては、去年見たくて見られなかったダイモンジソウとワレモコウが一番の目標になる。野生のダイモンジソウはどこに行けば見られるんだろう。ツリフネソウとシラヒゲソウもぜひ見たい。一般的な花では、コスモスと彼岸花が控えている。それらの花の名前を聞くと、いよいよ秋だなという実感がわいてくる。そして、今年の野草もだんだん残り少なくなっていく。
 2006年も、第3コーナーを回って第4コーナーに向かうところまできた。最後の直線で最高の加速をみせるためには9月、10月の過ごし方が大事になる。それが大事。大事MANブラザーズバンドのみんなは元気にしてるだろうか。
 ということで、今日はこのへんで。バイナラ~。

夏に生き夏に死すセミたちは今最後の命を燃やす 2006年9月4日(月)

虫/生き物(Insect)
遅れてきたニイニイ?

PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 小幡緑地を歩いていると、ツクツクボウシとアブラゼミとヒグラシの合唱が頭の上から降りそそいでくる。行く夏を惜しむかのように精一杯命を燃やして鳴いているのだろう。夏よ行かないでという気持ちは私たちよりも彼らの方がずっと強くて切実なものだ。
 鳴き声を聞きながら、そういえば最近ツクツクボウシを見てないなと思う。写真に撮ってるのもアブラゼミとクマゼミだけだ。ここはひとつ、夏の最後の撮っておこうと、ツクツクホーシ、ツクツクホーシと鳴く声の方に静かに近づいて撮ったのがこの一枚だ。でも、ちょっと待ってくださいよ、これってツクツクですか? ニイニイゼミじゃないですかい? このまだら模様の茶色い翅はニイニイっぽい。けど、ニイニイゼミはハルゼミに続いて夏一番で鳴き始めるセミのはず。9月まで鳴いてるものだろうか。遅刻ニイニイなのか? なんとなく模様もニイニイゼミじゃないような気もする。とはいえ、名古屋市内で普通にいるセミとしては、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ニイニイゼミくらいなものだから、となると消去法でニイニイということになる。一応そういうことにしておこう。

 子供の頃はたくさんいたニイニイゼミも、いつの間にかめっきり少なくなった。セミ獲りに行くとアブラゼミの次によく見つかって、アブラゼミに次いで人気がなかったやつだった。その地味な翅と小さい体が子供には受けが悪かった。クマゼミなどの大きくて翅が透明なやつほど大物としてもてはやされたものだ。今となってはかえって希少価値に思える。
 体の大きさは3-4センチほどと、セミの中ではかなり小さい。頭と体は少し緑がかった灰褐色で、腹は黒い。翅は焦げ茶のまだらなので、木の幹にとまっていると溶け込んでしまってなかなか見つけることができない。好んでとまる桜の木の色とは特に似ている。
 北海道から沖縄まで広く分布していて、沖縄のものは少し種類が違うようだ。朝鮮半島などにもいるらしい。世界的にみると、ニイニイゼミ属がセミの中で一番広く分布するというから、日本のニイニイゼミも暑さ寒さには強い方なのだろう。警戒心の弱さからすると耐性が高いというよりも鈍いとも考えられる。
 枯れ枝などに産みつけられた卵はひと月半ほどでかえる。他のセミが孵化までに1年くらいかかるのに対してニイニイはやけに早い。幼虫は地面にポトリと落ちて、もごもごと土の中に潜っていき、地下で7年の時を過ごす。その時間はセミにとって長いのか短いのか。
 幼虫は何を食べて生きてるだろうと不思議に思ったことはないだろうか。実はやつら、土の中で木の汁を吸っている。大人のセミが何を食べているのか知らない人もけっこういるかもしれない。彼らは尖った口を木の幹に突き刺して、樹液を吸っている。だから、捕まえてきたセミをスイカに乗せておいても育てることはできないのだ。
 ニイニイゼミの抜け殻を見たことがある人は多いと思う。地面から低い位置で羽化するということもあるけど、ニイニイだけが抜け殻に土が付いているから他のものと区別することができるというのもあるだろう。なんでニイニイだけあんなに土まみれなのかはよく分かってないらしい。湿った土を好むからという話もあるのだけど、それだけでは説明できないようにも思う。単に殻の材質が汚れやすいものというだけの理由かもしれない。

 鳴き声は、チチッ、チ、チーーーーーーーーー、シーーーーーーーーという感じで、地味だ。ツクツクボウシやミンミンゼミのようにムキになって鳴いてない。けど、このチーーーーーーーという鳴き声があったからこそ、芭蕉の「閑さや岩にしみいる蝉の声」という句が生まれたに違いない。
 かつて、あれはアブラゼミだ、そうじゃないニイニイゼミだという論争があった。なんだその子供のケンカみたいなのはと思うかもしれないけど、片方のアブラゼミ派が歌人の斎藤茂吉だったというからちょっと面白い。それに対するニイニイゼミ派は国文学者の小宮豊隆で、しまいには現地まで行って確かめようじゃないか、いいですともそうしましょうということになって、実際に出向いているというのも楽しいエピソードだ。行ってみるとアブラゼミもニイニイゼミも両方鳴いてた、というオチで終わったかに思えたが、芭蕉が訪ねた7月13日(新暦)にもう一度確かめに行ったら、やっぱりニイニイしか鳴いてなくて、斎藤茂吉がまいったということになり、それ以来あれはニイニイゼミだということで落ち着いた。感覚的にいっても、岩にしみいるのニイニイの鳴き声だと私も思う。
 でも、ニイニイゼミの名前の由来が鳴き声だというのには納得できない。どう頑張って聞いてもニイニイと鳴いてるとは思えない。

ツクツクボウシのシルエット

 こちらは鳴き声の発信源ということを確認して撮ったから、ツクツクボウシに間違いない。大きさは4-5センチほどで、日本全国の山林から都市部周辺まで幅広く生息している。アブラゼミほど都会派ではないけれど。国外では朝鮮半島、中国、台湾あたりにもいるそうだ。
 透明な翅と黒っぽいスマートな体が特徴で、抜け殻も薄茶色でほっそりしている。
 警戒心は強い方で、近づくとすぐに飛んで逃げていく。アイもアブラゼミやクマゼミはよく生け捕りにして持ち帰ってくるけど、ツクツクボウシはない。それだけすばしっこいということだろう。
 これはオスメスの区別がつけやすい。メスは腹の先端に産卵管があるので細く伸びている。オスは写真のようにつるんとしている。
 鳴き始めるのは7月の下旬からなのに、なんとなく夏休みの終わりを告げるセミのように感じるのは、その時期になると他のうるさいセミたちの鳴き声が静かになるからだ。ツクツクはそのまま9月の終わりから10月の始めくらいまで鳴き続ける。

 ところでツクツクボウシの鳴き声を訊かれたとき、あなたはどう表現して説明するだろうか?
 私は単純に、ツクツクボーシ、またはツクツクホーシと鳴くものだとずっと思っていた。物心ついて30年以上疑ったことさえない。ところが、辞典や図鑑によると、「オーシーツクツク」と鳴いているというのだ。ホントかよ。そんな話、聞いたことなかったぞ。でも、それが一般的な学説でもあるというからびっくり。今日、初めて知った驚愕の真実(そんな大げさな)。なんだか信じられない。
 ツクツクツクツクと前奏を入れてから、オーシーツクツク、オーシーツクツクと鳴いてるらしい。そして、最後にジィィィィィーーーで締めくくる。近いうちにもう一度よく耳をすませて確かめてみよう。行く夏が、惜しいつくづく、惜しいつくづく、と鳴いているというのが本当かどうか。

 気がつけば街中でセミの鳴き声を耳にすることがほとんどなくなった。夜にはもう虫の音が聞こえる。暑さは居座っていても季節はもうどうしようもなく秋に入っていっている。
 夏はいつも、終わってしまうとあっけない。長いと思っていた夏休みが物足りないまま終わってしまうような感覚は、大人になっても変わるものではない。たぶん、この先もずっと。
 9月になったとたん、人はまるで夢から覚めたように浮かれ気分から正気に戻り、平常の生活へと戻っていく。海の家も、もう畳まれたことだろう。
 蝶やトンボも近頃はぐっと少なくなり、いよいよ写真の被写体も秋へと移り変わっていく。秋には秋に撮りたいものがたくさんあるから、それは悲しいことではないけれど、やっぱり夏の終わりを惜しむ気持ちは抑えようがない。夏の出来事は、なんだかすべてが夢のようでさえある。
 夏は行くけど、私たちには次の季節がある。その次も、またその次も。セミは暑い夏しか知ることが出来ない。日本には秋の紅葉も、春の桜も、冬の雪景色もあるのに。彼らは地面の下でそんな季節の巡りを感じているのだろうか。もしセミが、自らの意志で夏を生の最後として選んでいるのだとしたら、それは実に潔い生き様だ。夏に生き、夏に死す。短く生きるには、夏という季節はもっとも適した季節に違いない。

やや節約サンデーレシピは中出来 2006年9月3日(日)

料理(Cooking)
節約サンデーレシピ

Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4, 1/40s(絞り優先)



「Book off」の100円コーナーで『いきなり!黄金伝説。超節約レシピ50』という本を見つけて買ってきた。一ヶ月1万円生活で登場した料理が紹介されていて、けっこう参考になりそうだ。そういえば、第一回目のとき、濱口マサルさん、マックでハンバーガー食べてたなぁ、などという感慨を抱きつつ、パラパラとめくって、キミに決めたっ、と選んだのがこの三品だ。
 私の場合趣味で作ってるので、さほど節約は意識していない。自分なりのアレンジを加えて節約度合いはほどほどとなっている。毎日これでは一ヶ月を1万円では乗り切れまい。途中から海で魚を突いたり、河原で草を摘んでこなければならなくなる。パンの耳をもらってきたり。

 左手前は今回一番のヒット作で、トータルでもベストテンに入るかもしれない。レシピ本では、イワシのにらパン粉焼きとなっていたけど、私は自分が好きな白身(メカジキ)で作った。
 切り身に塩、コショウを振ってしばらく置いた後、細かくみじん切りにする。同じくタマネギもみじん切りして、ふたつを混ぜ合わせる。それに小麦を混ぜてハンバーグのように丸めて固めて、更に小麦粉をまぶし、溶き卵、パン粉の順に衣をつけていく。
 次に焼くわけだけど、揚げ物にする必要はない。揚げ物は後処理が面倒なので最初からパスしてしまうという人もいると思うけど、今回のように一品、二品なら中華鍋のようなフライパンに少し多めの油(オリーブオイル)を入れて、揚げ焼きにすればいい。これなら手間は普通の焼きものとほとんど変わらない。少し厚みがあるので火は中火でじっくり揚げる。
 ソースは、マヨネーズをベースに、カラシしょう油、牛乳、塩、黒コショウ、バジルを混ぜて作った。タルタルソースを手作りしてもいい。
 これはホントに美味しかったので、人に作って出す機会があったらぜひ作りたい一品だ。タマネギの甘みがあっさり目の白身を引き立て、揚げることで更に旨味が増す。マヨネーズベースのソースとの相性もいい。

 右のものは、写真を見るとイカの詰め物みたいに見えるけど、実際は手作りのギョーザの皮に野菜などを詰めて蒸したものだ。レシピでは鶏の皮で巻いているもので、大きく違っている。
 ギョーザの皮作りはだいぶ手慣れてきて、失敗しなくなった。ただし、相変わらず丸い形にできない。人に出すときは、丸いお椀か何かでくり抜いた方がよさそうだ。切れ端がもったいないとか言わずに。
 中身は、ニンジン、長ネギの白い部分、もやし、キャベツの千切り、鶏肉、エビとなっている。このへんはいろいろと応用が効く。キャベツとニンジンだけは下ゆでしておいた方がいいかもしれない。あとは、タネを皮で巻いて蒸し器で蒸すだけだ。
 ソースは他との兼ね合いで和風にした。酒、みりん、しょう油を1:1:1で混ぜ、だし汁で薄めたあとひと煮立たせして、水溶き片栗粉でとろみをつける。

 奥の黄色いのは、カボチャのニョッキで、これは本に近い。ただし、見た目が違う。本のようにオシャレな感じにできなかった。ちょっと黄色がきつすぎた。
 ニョッキというのはジャガイモで作るものだけど、カボチャというのもあるそうだ。カボチャの皮をむいて1センチ角くらいに切り分け、レンジで3分加熱する。それをつぶして、溶き卵と小麦粉を混ぜて、棒状に丸める。のだけど、小麦粉がネタ切れになってしまったため、上手く丸めることができなかった。ねばねば状態のまま熱湯に入れたら型くずれして、おかしなことになってしまったのだった。小麦粉はけっこう多めに必要のようだ。
 フライパンでタマネギ、ニンニクを炒めて、ニョッキとは別に大根を薄く切ったものを一緒に焼く。ゆであがったニョッキを加え、ゆで汁、牛乳を入れ、コンソメの素と塩、コショウで味付けをする。味にややインパクトがなかったので飲むヨーグルトも入れてみた。最後にとろけるチーズを振りかけて、とろけてきたら完成だ。

 カボチャのニョッキが他のとのバランスを崩したところがあったものの、トータルとしてはまず問題なかった。中の上といったところだろうか。味も量もほどよくて、自分自身満足できた。
 節約度ではどうだろう。買い足したのは白身とカボチャだけで、あとは残り物や冷凍にしてあったものを使ったのでお金がかかってないといえばかかってない。一ヶ月1万円生活で優勝はできないまでも、濱口さんには勝てそうな気がする。
 最初深夜枠だった「黄金伝説」が始まったのが1998年だから、もう8年も続いているのか。このレシピ本も2000年に出て、2004年に16刷だから、けっこう売れてる。あの企画は確かに面白い。でも、マサルさんにはいつまでも優勝できないままでいて欲しい。小学生にバカにされつつ。
 またそのうちこの本から何か作ってみよう。しかし、一ヶ月に食費と光熱費で1万円しか使えない生活って、考えたらすごくイヤだな。

40年の時を経て今でも現役のPENTAX SPというオモチャ

カメラ(Camera)
PENTAX SP

Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/60s(絞り優先)



 Takumarの50mm f1.4が欲しくて探していたら、PENTAX SP本体とセットで売っていたので、レンズ目的で買ってみた。ジャンク扱いで1,600円。実物を見てみたら、思ったよりきれいで壊れてるところもなさそうだ。これなら使えるかもしれない。レバーを巻いて、シャッターボタンを押すとカシャンと懐かしい音がする。デジタルや電子の世界ではない、機械としてのカメラの味わいだ。
 せっかくだから一回くらい使ってみようと思い、フィルムを入れて……って、どこから入れるんだ!? まったく分からんっ! いろんな角度からカメラを眺め回してみても裏蓋を開けるスイッチやレバーのたぐいが見つからない。あちこちボタンを押したり、ダイヤルを回したりしてみるものの、いっこうに裏蓋が開きそうな気配はない。ヤケになってフィルム巻き上げレバーを回してはシャッターを切り、回しては切り、切っては回しを繰り返してみたが、そんなことでラチが開くはずもなかった。なんだか、カメラというものを生まれて初めて目にしたジャングルの部族の人みたいになってしまった私であった。

 それから時は流れ3日後、相変わらず裏蓋を開けられないまま、折に触れPENTAX SPをいじったり、振ったり、叩いたりしていた私は、ついに決心をする。こうなったらマイナスドライバーで無理矢理こじ開けるしかないと。そのとき、いや、ちょっと待て、と頭の中で声がした。その前にネットで検索した方がいいんじゃないかな、と。それも一理ある。早速心の声に従い検索してみた。
「PENTAX SP フタ 開かない」
 世の中には自分と同じことを考えている人間が3人はいるという。なるほど、今回もそうだった。私と同じようにこいつのフタの開け方が分からず悩んでいた人を発見。本体左上にあるフィルムを巻き取るときのスイッチレバーを上に持ち上げて、更に力を込めてぐいっと上に引っ張ると、あら不思議、裏蓋は魔法の呪文を聞いたようにパカリと開いたのだった。まさかこんな仕掛けがあったとは。説明書も読まず、誰にも教えてもらわずにこのカラクリに気づく人がどれくらいいるんだろう。けど、このことを書いていた人は20分も悩んでしまったと書いている。20分で突き止めたなんてすごい、と私は感心してしまった。それにしても、マイナスドライバーでこじ開けなくてよかった。
 裏蓋さえ開いてしまえばこっちのものだ。フィルムを入れて……。ん? こんな感じでいいのかな? なんとなく軸の隙間にフィルムの先を入れて回してみたら巻いていったのでたぶん大丈夫だろう。まずは試し撮りだと小幡緑地に向かった。



これぞフィルムの青空
PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC

 露出計の電池が切れてるので完全マニュアル機となっているSPに苦戦しながら、なんとか撮ってすぐにカメラのキタムラに持ち込み、現像とCD-ROM書き込みを頼んだ(1,010円)。そして出来上がってきたのがこの写真だ。
 おおー、撮れてる、というのが最初の感想だった。しかも、銀塩EOSよりもきれいに写ってるのには驚いた。使ったフィルムが、Kodak ULTRA COLOR 400UCということもあるんだろうけど、これぞフィルムでしか撮れない青空という感じに写っている。ポジフィルムに近いくらいの深さだ。

 このカメラが発売されたのが1964年。昭和39年といえば東京オリンピックの年で、私はまだ生まれてない。世界で初めてレンズを通して測光できる(TTL)カメラとして世界中で話題となった。価格は本体のみで3万円、55mm f1.8が付いて4万4,200円、50mmF1.4付きで53,500円だった。この価格と性能でたちまちベストセラーとなり、この後しばらくPENTAXの時代が続くことになる。私も子供の頃は、持ってもいないくせにカメラはペンタックスが一番と思い込んでいた。キヤノンやニコンなんて一段も二段も落ちるメーカーじゃんと。子供の思い込みなので、ニコン党の人とか怒らないでくださいね。
 しかし、4万、5万という価格は決して安い買い物ではない。当時の大卒初任給が2万円切るくらいだから、現代の値段に換算すると40万とか50万とかになる。フラッグシップ機の価格帯だから、その頃のおとーさんとしては家族の猛反対を押し切って、気絶しそうなくらいの意気込みで一台のカメラを買ったのだろう。何度も家族会議を開いたかもしれないし、好きなタバコやお酒をやめてまで欲しいと思ったかもしれない。一眼レフというのは、学生やOLが趣味として気軽に買えるようなものではなかった。
 ちなみに、トヨタコロナが54万円だったというから、今でいうと500万円オーバー。当時は自家用車もまだまだ高嶺の花だった。
 それにしても40年経った今でも現役で使えるというのはすごいことだ。いかに丈夫で壊れにくいか。露出計の部分がダメになってるのは多いけど、基本的には問題なく動くものがほとんどだと思う。ミラーが上がったまま下りてこないことがあるという不具合が私のやつもあったけど、底蓋をはずして(小さいマイナスネジ4本だけ)、ギアの部分にKURE 5-56を吹きかけたら直った。



SPで撮ったキバナコスモス
PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC

 こういう描写もフィルムならではだ。解像感もボケも申し分ない。それと、このフィルムけっこういいんじゃないか。今回プリントしてないからその点ではよく分からないのだけど、デジタル化も想定して作られているというから、デジタルデータにしたときの印象がいいのかもしれない。
 花はキバナコスモス(黄花秋桜)で、原産地はメキシコ。一般的なコスモスもメキシコの高原地帯だけど、あちらの方が日本の風景に馴染む。こちらはちょっとバタ臭いというか、葉っぱの形や咲く様が繊細さを欠く。普通のコスモスよりもチョコレートコスモスに近いそうだ。オレンジの他に黄色もあり、日本には大正時代に入ってきた。

 カメラはここ50年ほどのあいだにいろいろな部分が大きく進化した。フォーカスはオートになり、自動測光になり、より簡単に、使う人に優しくなった。デザインやスタイルも変化し、ここ数年でフィルムからデジタルへとほぼ完全に移行しつつある。けど、PENTAX SPを今回使ってみてあらためて思ったのは、やっぱりカメラってレンズなんだなということだ。カメラにレンズが付いているのではなく、レンズにカメラを付けるというのがとらえ方としては正しいのかもしれない。
 デジカメへの流れは今後も止まらない。デジタルは更なる進化を遂げていくだろう。ただ、フィルムカメラが完全になくなってしまうことはないはずだ。レコードファンよりももっと一般的な場所で残っていくと思う。それはやっぱり、フィルムカメラならでは楽しさがあるからだ。特にマニュアル機となると自分で考えなくていけないことが多くて、そこがかえって楽しさとなる。絞りは開放にするのか絞るのか、この絞りならシャッタースピードはどれくらいなのか、ピントは合ってるかどうか、手ぶれしないように慎重にシャッターを切って、現像に出して、取りに行ったときちゃんと写ってるかどうか不安と期待が入り交じるあの感覚。デジカメが手軽さや便利さを得る代わりに失ってしまったものだ。
 オールドカメラやレンズには、確かに撮る楽しさがある。ただ、それは個人的なものであって写真を見る側(あるいは見せられる側)には関係のないものだ。むしろ、邪魔くさいとさえ言える。そんな話はマニア同士で勝手にやってくれと私も思ったりもする。このデジ全盛の時代にあえてフィルムで撮ってる人間なんてよほど変わり者か、妙なこだわりをひけらかす嫌味な人種じゃないかと思う人もいるだろう。頑なに時代に逆行する頑固オヤジや、気取った芸術学部の学生に対するような反発心とコンプレックスの入り交じったようなものを感じることもある。
 とはいえ、クラシックカメラに関してはロー・アマチュアな私でさえ、こっちにおいでよと手招きせずにはいられないのだ。面白いよー、いっぺん触って撮ってみてよ、絶対楽しいから。こんな魅力的なオモチャをマニアだけに独占させておくのはもったいない。
 今なら、レンズ付きでSPなどのまともに動くマニュアル機が数千円でゴロゴロ転がっている。中学生のお小遣いでも買える値段だ。大人買いなら10台だって買える。
 もう一度言おう、こっちにおいでよ、と。
 

咲き乱れるシラタマホシクサを見て否が応でも秋を感じた 9月1日(金)

花/植物(Flower/plant)
森林公園のシラタマホシクサ

Canon EOS 10D+Super Takumar 135mm(f3.5), f4.5, 1/250s(絞り優先)



 夏の散策を怠けたので、丸っと8月分の湿地の花が飛んでしまった。せめてサギソウだけでも残ってないだろうかという淡い期待を抱いて森林公園の湿地へ行ってみると、すでにシラタマホシクサが広がっていて、わっとなった。完全なる遅刻。2時間目くらいのつもりが行ってみたら4時間目の終わりだったみたいな。弁当食って帰るかな。
 サギソウなんて影も形もない。それはそうだろう、シラタマホシクサがこんなに咲いているんだから。私は自然の歩みの早さと確実さを侮りすぎていた。野草相手に遅刻の言い訳はきかない。家を出たところでおばあちゃんが溝にはまっていたんで助けてたら遅れちゃいました、へへ、などと誤魔化そうとしても、終わったものは終わっている。顔洗って来年出直してこいと言われて終わりだ。

 ところで、シラタマホシクサはどの程度知られた野草なんだろう? 名古屋に住んでてあちこちの湿地へよく行く私は割と見かけることが多いので当たり前にあるものと思っていたら、東海地方にしかない花なんだそうだ。大げさに言うと、地球上で自生しているのは、愛知、岐阜、三重、静岡の砂礫層からなる湿地帯だけだという。いわゆる東海丘陵要素植物と呼ばれるもののひとつで、伊勢湾を取り囲む地域ということで「周伊勢湾要素植物」と言われたりもする。シデコブシ、ミカワバイケイソウ、ヒトツバタゴなどがそれに当たる。
 ということなので、シラタマホシクサを知っている日本人というのは圧倒的少数ということになるのだろう。ましてや見たことがある人となると、日本人の1パーセントとかなのかもしれない。普通の人が用もなく湿地帯になど行かないだろうし。野草に興味がある人なら常識かもしれないけど。
 有名な群生地としては、愛知県豊橋市の葦毛湿原がある。シラタマホシクサはここの一番の名物で、全国からこれだけを見に訪れる人もいるそうだ。
 私の知ってるところでは、豊田市藤岡の昭和の森とその周辺、瀬戸の海上の森あたりに自生している。大森の八竜湿地や尾張旭の吉賀池湿地などは公開日が限定されるのが残念なところだ。
 自生ではないけど確実に見られるところとしては、尾張旭の森林公園と東山植物園がある。ただし、どちらも有料。

 花の咲く時期は、8月の終わりから9月の終わりにかけて。高さ30センチほどの茎の先端に、直径7、8ミリの白い小さな花をつける。花は少しずつふくらんでいき、一斉に咲き揃ったときの白い星を散りばめたような光景は人の心をふわっとさせ、おばさまは少女に返り、おじさんをニューハーフっぽくさせてしまうくらいの力がある(このたとえは正確なのか?)。
 名前の由来は、見た目そのまま、白玉星草。別名にはミズタマソウやコンペイトウグサなどというものもある。白い砂糖菓子みたいなので、飢えが限界のときをこの花を見たら、反射的に引きちぎって食ってしまいそうなので気をつけたい。
 雄花と雌花があるそうだけど、ちょっとそこまでは分からない。かすかにするという甘い香りもまだかいだことがない。
 冬場近くまで花は残るものの、周囲の草が青々としてる晩夏から初秋にかけてがシラタマホシクサの見頃だ。秋が深まると草が枯れて見栄えが寂しくなる。
 育てるのが非常に難しい一年草なので、見たければ東海地方に自ら足を運ぶしかない。レッドデータブックで絶滅危惧種に指定されているし、葦毛湿原のものも年々数を減らしているという。100年後の絶滅確率は98%というから、もしかしたら私たちが生きている間にも幻の花となってしまうかもしれない。来年と言わず、今年のうちにぜひ。

サワシロギクもついで

 サワシロギク(沢白菊)は同じ酸性の湿地に生える野草の中でも、ポピュラーなものだ。北海道から九州までの湿地帯に広く自生している。これも在来種だ。
 沢のように湿ったところに咲く白い菊ということでこの名前になった。やや投げやりな感じ。姿も地味で、存在自体あまりありがたがられることもなく、湿地の隅っこの方でひっそり咲いている。必要以上に自分をアピールしない。そこが好きだという人もいるだろう。
 草丈は50センチくらいで、枝分かれした先に直径3センチくらいの白い花をつける。中央の黄色い部分が頭花で、頭花の中心部に両性の筒状花があり、周囲に雌性の舌状花が一列に並んでいる。
 いたって地味なサワシロギクだけど、ひとつこの花には大きな特徴がある。それは、秋の深まりと共に白い部分が薄紅色から赤色に色づいていくところだ。一学期は目立たなかった女の子が夏休み明けの二学期、冬休み明けの三学期とだんだん色気づいていく様に似てなくてもない。
 もし、名前がウスベニサワギク(薄紅沢菊)だったら、この花の運命は今とは少し違っていただろうか。

 夏の終わりは名残惜しくて、もう少し、もう少しと引き留めたい気持ちになるけど、季節は決して待ってはくれない。森も山も湿地も、空も雲も風も、花も鳥も虫も、変わるべきときを知り、去るべきときを心得ている。人の感傷などは知ったこっちゃないのだ。自然の中を歩けば、嫌でもそれを思い知らされる。
 私たちもまた、残酷な時の流れの中で生を刻んでいる。今年の夏は、もう二度とない夏で、来年の夏に辿り着ける保証はどこにもない。だから、ひとつひとつの季節に精一杯の思いを込めなくてはいけないのだと思う。
 すべては一期一会。人も、花も、生き物も、季節も。

残り4ヶ月だけど戌年のうちに伊奴神社にいって参拝してきた

神社仏閣(Shrines and temples)
伊奴神社拝殿前


 今年が戌年だということを覚えている人はどれくらいいるだろう。ふいに今年って何年だっけと問いかけられて即答できるのは半分くらいだろうか。覚えていても意識しながら生活している人は少ないだろう。朝目が覚めて、今年は戌年だということを忘れないようにしなくちゃなどと思いながら日々暮らしている人はまずいない。自分が戌年という人を除けば。
 伊奴神社フィーバーから早8ヶ月。一度行っておかなくてはと思いつつ時が流れていた。当たり前だけど今はもう普通の神社に戻っていた。正月三が日は、普段の年の5倍の10万人がこのマイナーな神社に初詣に訪れたという。

 伊奴神社と書いて「いぬじんじゃ」と読む。「いぬ」という字が入っている日本で唯一の神社なんだとか。そんなマスコミの宣伝によって、12年前からにわかに脚光を浴びるようになり、今年は更に大変な賑わいになった。戌年だから伊奴(いぬ)神社というのは無理なこじつけじゃないかと思うかもしれないけど、実はここ、犬を前面に押し出した神社なのだ。狛犬も犬になっている。
 場所は西区稲生町。西区と北区の境、庄内川の南側に位置している。
 元々は、伊奴姫神(いぬひめのかみ)を祀っていたところから神社の名前となったとされている。そして、こんな伝説が残されている。
 かつてこのあたりは稲作が盛んなところだったのだけど、近くを流れる庄内川がたびたび氾濫して困っていた。そこへある日、ひとりの山伏が旅の途中で立ち寄り、泊めてくれたお礼にと御幣(ごへい)を立てお祈りをしてくれたらピタリと洪水が収まった。
 何が書いてあるのが気になって御幣を開けたところ、そこには犬の絵と「犬の王」という文字が書かれていたという。しかしそれは開けてはならないと言われていたものだったため、次の年はまた洪水となってしまった。
 そこで村人は謝ってもう一度山伏に頼んだら、御幣を埋めて社を建てて祀りなさいと言われたのでそうした、というのが伊奴神社の始まりなのだと。

 伊奴姫神は、素盞鳴尊(スサノオ)の子供である大年神(オオトシ)の娘ということで、この三神がこの神社の主祭神となっている。
 伊奴姫神は子授け、安産、夫婦円満、家内安全などの御利益があるとされ、お産が軽い犬にあやかろうと安産祈願に訪れる人も多いという。
 伝説とは別に、実際のところいつ伊奴神社が建てられたかといえば、天武天皇の673年という。この地で収穫された稲を皇室に献上した際に社殿が建てられたことが始まりのようだ。
 平安時代に編さんされた「延喜式神名帳」にも載る式内社だ。
 中に入ってみると、拝殿などはさほど古いものではないものの、鬱蒼と生い茂った古木たちが長い歴史を物語る。御神木となっている白蛇がすんで樹齢800年の椎の木や、天狗がすんでいたという大杉などもある。



稲荷社

 こちらはお稲荷さん。朱色が目にも鮮やかだ。玉主稲荷社で、五穀豊穣、商売繁盛の神様とされる。
 ここを訪れると一気にいろいろな御利益がありそうだ。安産だけでなく、素戔嗚尊や大年神に厄除けなどを祈りつつ、御神木に触って病気祈願に長寿の願い、金運まで願い、名物となっている縦2メートル横3メートルの巨大な犬の絵馬にペットの健康を祈り、ついでに合格祈願までしてしまえる。七五三詣でや車のお祓いもしてくれるし、名古屋場所のときに訪れると、元横綱旭富士の安治川部屋が境内で相撲の稽古をしてるのを見ることもできる。
 中でもやはり犬の神社ということで、犬連れの参拝者が多いようだ。しかし、看板の注意書きには「犬や猫の散歩は禁止」と書かれている。狛犬が社殿を守っているということは、この神社に限って犬は神の使いということではないのか。
 ま、普通に犬を連れて入ってきてる人もいるし、巨大絵馬の前に犬を坐らせて記念撮影をしたりもしているから、参拝者はお目こぼしということだろうか。
 猫は散歩させないと思うけど。

 戌年は12年後にしかやってこないし、行けるものなら今年中に行っておくのが吉だと思う。
 犬の絵が描かれたグッズや犬の足形などの珍しいお守りなども売ってる。名古屋近辺の愛犬家の方はぜひ一度訪れてみてください。
 
【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約18分
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日

 伊奴神社webサイト