月別:2006年08月

記事一覧
  • 夏休みの終わりに訪れた庄内緑地はいつもの通り 8月30日(水)

    Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f5.6, 1/500s(絞り優先) 今日の気分は庄内緑地。夏休み中はちびっこ関係が集まりそうな場所はなるべく避けていたのだけど、夏休みの終わりが近づくと今度はそういうところへ行ってみたくなる。名残惜しいというか未練というか、自分の中でひとつの区切りをつけるためかもしれない。夏休みが終われば夏も終わりなんだぞと。 それにしても、夏休み残り2日となった今、のんきに公園なん...

    2006/08/31

    施設/公園(Park)

  • 遅れに遅れた朝顔の自由研究を今更ながらやった 2006年8月29日(火)

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.5, 1/20s(絞り優先) 午後2時、道ばたに咲くこの花は、未練の朝顔か、起き出した昼顔か、はたまた気の早い夜顔か。あるいは西洋朝顔だろうか。帰宅後調べてみたのだけど、はっきりしない。最近の朝顔は品種改良で昼まで咲いてるという話もあるから、朝顔確率90パーセントの西洋昼顔確率10パーセントということにしておこうか。西洋じゃないだろうという根拠は花の中心部が黄色み...

    2006/08/30

    花/植物(Flower/plant)

  • 人間に翻弄されるホテイアオイは救世主か悪魔か? 2006年8月28日(月)

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/50s(絞り優先) 勢和村丹生大師の近くにあるメダカ池。毎年、夏に帰郷したときホテイアオイに会いに行く。今年はいつもより2週間遅れになったのに、そのわりには数が少なかった。初夏から咲き始めてピークは9月だから、そろそろにぎわっていてもよさそうなものなのに。何らかの理由で枯れて少なくなってしまったのか、それとも増えすぎて減らしたのか。いずれにしても今年...

    2006/08/29

    丹生(Nyu)

  • 曇天の下、田舎の田んぼを吹き抜ける風は秋の気配 2006年8月27日(日)

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/125s(絞り優先) 2週間遅れの帰郷は無事に済んだ。名古屋から松阪の奥まで、墓参りをあわせて片道2時間半のドライブ。午前中に家を出て昼過ぎに到着(昼飯はサービスエリアで買ったたこ焼き)。午後は田舎を散策。山に囲まれた田んぼ地帯と川沿い、神社の散策路とその周辺を歩く。夕方、夕飯を買いに町まで車を30分走らせる。途中で別の神社にも寄る。夕飯を食べて、夜向こ...

    2006/08/28

    丹生(Nyu)

  • 酸素入りの水を飲んで21世紀を生き延びろ 2006年8月26日(土)

    Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/15s(絞り優先) 21世紀を生きる私たちのカラダは酸素を求めている。単に酸素ブームに乗せられているとか、飲料メーカーに踊らされているというだけではない。消費者が求めるからメーカーは作るのだ。たとえば10年前、20年前に酸素入りの水を売り出してもほとんど売れなかったに違いない。両者の思惑が一致して初めてブームというのは生まれる。 最初に酸素入りの水を知ったの...

    2006/08/26

    食べ物(Food)

  • スイカと私のよそよそしい関係に終止符を打つために 2006年8月25日(金)

    Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/40s(絞り優先) スイカが嫌いなわけではないのだけれど、出された瞬間、2秒で食べてしまう志村けんのようにスイカ好きなわけでは決してない(志村けんもたぶんそんなにスイカは好きじゃないんだと思うけど)。もらいものが冷蔵庫に入っているのが目に入る。アクエリアスを飲んで冷蔵庫を閉める。また冷蔵を開けるとスイカと目が合う。そろそろ食えよとスイカが言ってるような気...

    2006/08/26

    食べ物(Food)

  • ハグロトンボを撮ってお歯黒の勉強をした 2006年8月24日(木)

    Canon EOS 10D+Super-Takumar 135mm(f3.5), f3.5, 1/60s(絞り優先) ひと月ぶりとなった海上の森行き。出迎えてくれたのは、ツクツクボウシの大合唱と、たくさんのハグロトンボたちだった。一ヶ月も間が空いてしまえば生き物たちの顔ぶれはがらりと変わる。もちろん、野草たちも。8月の前半に行けなかったのが少し心残りだ。それにしても、クモの巣はまた大変なことになっていた。10歩進むごとに糸が顔に絡みつき、声にならない...

    2006/08/25

    虫/生き物(Insect)

  • ついに日の目を見ることとなった私の秘蔵睡眠学習枕 2006年8月23日(水)

    Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 0.4s(絞り優先) この写真をひと目見て、おおっ、こ、これはっ!? と思う人がどれくらいいるだろうか。すぐに分かったという人は、きっと30代以上だと思う。1970年代から80年代にかけて思春期を過ごした人々だ。 長年秘蔵していた私の睡眠学習枕が、このたびついに日の目を見ることとなった。雑誌の特集で使いたいからちょっと貸して欲しいという依頼が来たのだ。何の特集か深...

    2006/08/24

    物(Objet)

  • ビターなチョコでダイエットと健康促進は甘い夢物語? 2006年8月22日(火)

    Canon EOS 10D+SUPER-TAKUMAR 50mm(f1.4), f2.0, 1/8s(絞り優先/三脚) 巷で流行っているという噂は以前から耳にしていた、ビターチョコ。ふと思い立って、今回初めて買ってみた。「発掘!あるある大事典2」のチョコダイエット特集を観たからではない。私は体脂肪13パーセントで脂肪が足りないくらいなのだから。 特に選り好みしたわけではなく、目についたこの2つを選んだ。明治のチョコレート効果86%と、ロッテのカカオの恵...

    2006/08/23

    食べ物(Food)

  • 矢田川と香流川の合流地点はちょっとした夕陽スポット 2006年8月21日(月)

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/40s(絞り優先) 茶屋ヶ坂自動車学校(名古屋では「車校(しゃこう)」と言う)から奥に入っていったところに、ちょっとした夕焼けスポットがある。矢田川(やだがわ)と香流川(かなれがわ)が合流するポイントで、橋が架かっていて視界も開けているので正面に夕陽を見ることができる。 車を走らせているといい感じに焼けてきたので、今日も寄ってみた。ちょっとタイミング的に...

    2006/08/22

    海/川/水辺(Sea/rive/pond)

  • 安定した味付けの難しさを今さらながら知るサンデー料理 2006年8月20日(日)

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f4, 1/30s(絞り優先) 今日の気分は和食。名古屋の濃い味付けを離れて、関西風で迫ってみた。暑い日はあっさり味の方が食が進む。それから、パサついたものはこの時期つらいので、汁っぽいにした。そして完成したのがこの3品だった。 左手前は白菜ロール。 あまりロールになってないけど、これは具の分量を間違えたからだ。スティックにしたニンジンとアスパラと鶏肉の量が多すぎて太巻...

    2006/08/21

    料理(Cooking)

  • 成田山へ行くべきか神田明神へ行くべきかそれが問題だ

     いつの頃からか「成田山ステッカー」を貼った車をほとんど見かけなくなった。全国的なものなのかどうなのかよく分からないのだけど、10年か15年くらい前までは、名古屋を走る多くの車に成田山のステッカーが貼られていた。白地に緑色の「田」の字のステッカーといえば思い出す人も多いんじゃないだろうか。 気になって検索してみたらまだ売られていた。それでも昔に比べたら売上げはがた落ちだろう。それともみんな持っているけ...

    2006/08/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 今でもホオズキは鳴らせないけどやり方は知っている

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f2.8, 1/25s(絞り優先) 私が小さくてまだ可愛かった頃、夏休みに母方の祖父母の家に行くと、庭にホオズキがなっていた。物珍しくてあれは何だと訊ねるとホオズキだという。こうやって遊ぶんだよと親戚のお姉ちゃんが中身をくり抜いてビュービュー鳴らしてみせてくれた。コツは実をしつこいくらいにもみほぐしてから種を抜き取ることだという。私も何度か挑戦してみたのだけど、ついに成...

    2006/08/19

    風物詩/行事(Event)

  • 夕方起き出し夜に美しく咲くオシロイバナは夜蛾と共に

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/125s(絞り優先) 子供の頃からお馴染みのオシロイバナ。小学校の校庭に咲いていたのを覚えている。白粉花と漢字で書くと純和風だけど、見た目は日本っぽくない。いかにも南国風だ。 原産地はメキシコまたはペルー。英名はMarvel of Peru、訳すとペルーの不思議。なるほど、それで納得した。やっぱりこれは暖かいところに咲く花だ。 どのあたりが不思議かというと、写真のように...

    2006/08/18

    花/植物(Flower/plant)

  • ハンター・アイは今年の夏もセミをおみやげに持ち帰る

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f1.8, 1/200s(絞り優先) この夏もうちのアイ(推定5歳メスの黒猫)はハンターだ。トカゲ、ヤモリ、スズメの子、蛾、クマゼミなどを生きたまま口にくわえて持ち帰ってくる。本能から捕らずにはいられないのか、私に見せて誉めてもらいたいのか、あるいは私を養っているつもりでいるという説もある。 このアブラゼミは昨日の深夜におみやげとして持ってきたものだ。鳴かなかったからメス...

    2006/08/17

    虫/生き物(Insect)

  • 野鳥好きと言えるようになるまでの長い道の二歩目あたり

    Canon EOS 10D+Tele-TAKUMAR 200mm(f5.6), f8, 1/250s(絞り優先) 田んぼのあぜ道で、飛んでるトンボを撮ろうと四苦八苦していると、ふいに鳥が飛んできて目の前の地面にとまった。わっ、何か知らないけど撮っておこっとそちらにカメラを向けて、マニュアルレンズをぐりぐり回してピントを合わせてまずは一枚。と、次の瞬間パッと飛び去ってしまった。うわー、待ってくれーという心の叫びが届くはずもなく、たった一枚しか撮れな...

    2006/08/16

    野鳥(Wild bird)

  • ノウゼンカズラが似合うような人なら絡みつかれてみたい

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f6.7, 1/125s(絞り優先) ノウゼンカズラ。---その言葉には不思議な魅力がある。耳に触れると何故だかとても心地がいい。たとえばアルジャーノンのように。 能と禅という言葉から世阿弥の幽玄世界が思い浮かんだり、「愛染かつら」に似ているということで悲恋を思ったりもする。パステル・オレンジの花は、トロピカルジュースにささっていそうな姿だけど。 南国をイメージさせるこの花...

    2006/08/15

    花/植物(Flower/plant)

  • 予定外だったサンデー料理は手探りで進み手応えなく終わった

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f6.7, 1/20s(絞り優先) 本来であれば今日はサンデー料理のことも忘れて田舎でのんびり過ごしてるはずだった。まさか直前になって車が言うことを聞かなくなるなんて思いもしない(何らかの原因でエンジンがオーバーヒート寸前)。いつものディーラーに電話したら、女の子の嬉しそうな声がお盆休みを告げていた。そっちもそうきたか。身動きがままらなくなった私は、なし崩し的にサンデー...

    2006/08/14

    料理(Cooking)

  • マスクメロンの地位が下がったのは幸せなことかな?

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/4s(絞り優先) 網のないメロンなんてメロンじゃないやい! と、風邪をひいた小学校のときに駄々をこねたことがあるだろうか。私はない。心の中で思っていても、そういうことを口にする子供ではなかったから。 かつては高級果物の代名詞だったマスクメロンも、今では中級果物くらいにランクダウンした感がある。日常的に食べるところまではいかないまでも、贈る方ももらう方もそ...

    2006/08/13

    食べ物(Food)

  • ちっとも怠けてなんていないのにナマケグマ呼ばわり

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/50s(絞り優先) 以前、ホッキョクグマ、ヒグマ、マレーグマについて書いた。地球上に棲む熊は全部で8種類。上の3つの他、アメリカグマ、アジアクロクマ、メガネグマ、ジャイアントパンダ、そして写真のナマケグマだ。今日はこいつについて書こうと思う。 ナマケグマという名前に似合わず、このときは休みなしにあちこちうろつき回っていた。その落ち着きのなさ...

    2006/08/12

    動物園(Zoo)

  • 正体不明のカエルさん(知らないだけ)は田んぼでゲロゲーロ

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/500s(絞り優先) 地味は最大の防御、それが自然界の掟。目立つが負けなのだ、ゲロゲーロ、とカエルくんは言うだろう。田んぼのわきにしゃがんでみると、カエルぴょこぴょこ3ぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこ6ぴょこぴょこ(言えてない)と、カエル飛び跳ねまくりの季節は夏なのである。 誰もが知っているカエルだけど、カエルとは何かと訊かれてはっきり答えられる学者はひと...

    2006/08/11

    虫/生き物(Insect)

  • ひばりくんはいつまでも空高くさえずっていてください

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f8.0, 1/100s(絞り優先) 河原でちょっと見慣れない鳥が盛んにさえずっていた。スズメかと思ったけど違うし、ツグミは季節はずれだ。街中の川だからそんなに珍しい鳥がいるとも思えない。もしかして、これがヒバリだろうか。だとしたら、これが初対面だ。はじめまして、ひばりくん。もしかして、ビンズイとかじゃないですよね? セッカとかヨシキリとか、まだまだ区別がつかないものが多...

    2006/08/10

    野鳥(Wild bird)

  • いつ台風について訊かれても大丈夫なように

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f11, 1/100s(絞り優先) 夕方の天気予報を見ながら明日は台風かと思ってふと窓を見ると、異様なオレンジ色に染まっている。何事かとベランダに出てみたら、空がこんなことになっていた。こりゃすごい。慌ててデジを持ちに戻り、たくさん写真を撮った。すごく不思議な色、そして、やるなスーパーマルチコート・タクマー55mm f1.8。とても300円で買ったレンズとは思えない発色と描写だ(超...

    2006/08/09

    夕焼け(Sunset)

  • 立秋の松平郷で秋の四草を見つけてフィルムで撮るの巻

    Canon EOS 10QD+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJIFILM ISO800 暑さ真っ盛りの中、名古屋よりは多少涼しい奥豊田の松平郷へ行ってきた。お気に入りの場所で、いつ行っても体が馴染んで居心地がいい。しかし、暑いことは暑い。短い距離でも歩くと汗が流れる。自動販売機のような近代兵器は配備されてないので、夏にここを訪れるときは水筒持参で行くことをおすすめする。いや、ペットボトルでもいいんだけど。 今回は久しぶりにフィルム...

    2006/08/08

    花/植物(Flower/plant)

  • 次はあなたの家に空き巣料理野郎が現れるかもしれない

    Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/100s(絞り優先) 今日のサンデー料理は、ぎりぎりまでメニューが決まらなくてちょっと焦った。方向性やイメージさえも浮かばず、だんだん時間が迫ってくる。困ったぞ。これが主婦の苦悩というやつかもしれない。ギブ・ミー・メニュー。 いろいろ考えて最終的に、残り物食材で凝った料理を、ということになった。冷凍庫にあるものや、余った野菜などを使って、なるべく手を加える...

    2006/08/07

    料理(Cooking)

  • 美しき馬はもう一度アメリカ大陸の荒野を駆ける夢を見るか

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f7.1, 1/80s(絞り優先) すべての馬がそうではないけれど、ときどきハッとするようなきれいな馬がいる。愛知牧場で見たこの馬もそういう馬だった。馬同士の美しさの基準はよく分からないけど、人間から見てきれいな馬とそうじゃない馬というのが確かにある。個人的な感覚による差はあるにしても。 人と馬との歴史は長い。有史以来、ずっと近くで寄り添って生きてきた。農耕民族は農作業...

    2006/08/06

    動物(Animal)

  • いつか、会いにゆきます、あなたが待つ向日葵畑に

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f11, 1/160s(絞り優先) 目を閉じるとヒマワリ畑がある。青空を背景に、ヒマワリがみんなこちらを向いて、どこまでもどこまでも広がっている。それがどこなのかは分からない。まだ見ぬ光景なのか、いつかどこかで見た風景なのか。あるいは、映画や写真で見たものを拡大しただけなのかもしれない。でも、それは確かにある、心の中に。そして、きっとこの世界のどこかに。 8月になって、ヒ...

    2006/08/05

    施設/公園(Park)

  • M42レンズ沼に膝下あたりまで浸かり始めた

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/6s(絞り優先) 世の中には地図に載っていないレンズ沼という沼がある。その沼には華麗に泳いでいる人から、つま先立ちで口まで浸かってブクブクと言葉にならない言葉を発している人までさまざまな人たちがいる。私はまだ大丈夫だ。浅瀬でヒザあたりまで入って、たわむれてる程度だから。ただし、その先は急激にがくんと深くなっているから気をつけようとは思っている。 沼にもいろいろな種...

    2006/08/04

    カメラ(Camera)

  • 夏に咲く花たちが街に戻ってきて秋の気配を遠くに感じた

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f8, 1/100s(絞り優先) 道ばたや民家の庭先などでちょくちょく姿を見かけるのに名前を知らない花がたくさんある。野草は勉強して覚えようとしてるけど、庭の花はちょっと分野外という思いがあって、なかなか積極的に調べるまでいかない。そうしてるうちにいつの間にか花が終わって見かけなくなり、忘れてしまう。そしてまた季節が巡ってきて、そういえばあの花去年も見たけど名前知...

    2006/08/03

    花/植物(Flower/plant)

  • 夜遊び貴族のゴイサギさんはいざとなったら首が長い

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f8, 1/60s(絞り優先) 水草がものすごいことになっている雨池で、アオサギさんと一緒にいる見慣れない鳥を見つけた。ファインダー越しでは小さくてよく見えず、体のサイズの割にピンクの足がやけに長い鳥だなと思った。帰ってきてモニタで見てみると、足長鳥ではなく、水面から突き出た棒に乗っているシークレットブーツ鳥だった。本人に自分を大きく見せようという意志はなかった...

    2006/08/02

    野鳥(Wild bird)

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夏休みの終わりに訪れた庄内緑地はいつもの通り 8月30日(水)

施設/公園(Park)
庄内緑地のちびっこ

Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f5.6, 1/500s(絞り優先)



 今日の気分は庄内緑地。夏休み中はちびっこ関係が集まりそうな場所はなるべく避けていたのだけど、夏休みの終わりが近づくと今度はそういうところへ行ってみたくなる。名残惜しいというか未練というか、自分の中でひとつの区切りをつけるためかもしれない。夏休みが終われば夏も終わりなんだぞと。
 それにしても、夏休み残り2日となった今、のんきに公園なんかで遊んでいる子供は立派だ。宿題終わらせ組なんだろう。私の残り2日なんか、完全に追いつめられて、涙目で宿題をやっていたものだ。宿題帳が涙で滲んで見えなかった。

 庄内緑地は、名古屋城の北西、庄内川のほとりにある。市内のはずれとはいえ、中心地から車で15分か20分という位置にあるとは思えないほど自然の広がるのどかな場所だ。広さは40ヘクタールというから、中日球場なら10個くらいは入るだろうか(ナゴヤドームなら8個くらい)。特に中心部にある芝生広場は、端から端まで走ったら息切れして前につんのめってしまうくらい広い。老犬なら走りきれないかもしれない。
 元々この場所は、尾張藩の御用溜があった場所らしく、昭和61年にグリーンプラザという施設のオープンに伴い整備されて今に至っているようだ。テーマは「水と緑と太陽」。まさにその通りの緑地公園だと私も思う。
 入場は無料で終日解放。ただし、テニスコート、陸上競技場、ゲートボール場などは有料だ。その他、サイクリングコース、花と緑の温室と休憩所、ボート池などがある。
 大噴水もここの名物のひとつとなっている。今日は出ていなかったけど(時間帯によってなのか)、高さ12mまで噴き上がる噴水は名古屋一なんだとか。夏の暑い日に子供たちが噴水の中ではしゃいでいる様子の写真を中日聞で見たことがあるという地元の人は多いと思う。私もあれを狙っていたのに、残念だった。
 グリーンプラザは、毎週月曜と第三水曜休みで、午後4時半までしかやってない。
 駐車場が有料なのがここの唯一最大の欠点なのだけど、去年は30分120円だったものが今日行ったら1時間180円に値下がりしていた。なかなかこういう場所で値下げというのはないのでちょっと驚いた。偉いぞ名古屋市と誉めておこう。私に誉められても名古屋市としては嬉しくないだろうけど。でも、考えたら1時間半で360円だったものが2時間360円になっただけということもできる。あまり偉くないぞ、名古屋市。
 ちなみに、大雨の日は駐車場は閉鎖となるので気をつけないといけない。なんで? と思ったら、庄内川が氾濫するかもしれないから、だそうだ。ここって、そんなに危険な緑地公園だったのか!?

芝生の若夫婦
Canon EOS 10D+Super-Takumar 135mm(f3.5)

 芝生広場はとにかくゆったりとくつろげる雰囲気で好感が持てる。若夫婦から老夫婦まで、誰もが絵になる。大の字に寝てるお父さんまでも。訪れる人も、おじいちゃんおばあちゃんからちびっ子、赤ん坊まで幅広い。
 これだけ広いと当然犬も多い。犬のヒモは放していいことになってるのかどうか分からないけど、自由に走り回ることができたら犬も大喜びだろう。日頃運動不足のやつは、舌を出してハァハァ言いながら、もう帰りたいと泣きが入るかもしれない。
 季節の花もひと通り揃っている。春は菜の花畑に桜。ソメイヨシノなど1,000本あるそうだ。5月はヒトツバタゴとバラ。バラ園もそれなりに充実していて楽しめる。花菖蒲園もあり、夏は変わった種類のヒマワリをたくさん見ることができる。これから秋にかけてはコスモス畑が広がるという。
 野鳥に関してもここはけっこう充実している。一般的なものだけでなく、冬にはトラフズクというフクロウが必ずやって来るし、カワセミやオオルリまで見ることができる。その他、ツツドリ、ノゴマ、マミチャジナイなど、ちょっと珍しいものもいるというから、私もぜひ見たいと思っている。ただ、野鳥スポットが多すぎて、詳しい人に教えてもらわないと見つけるのが難しい。適当にぶらぶらしながらでは出会えたためしがない。
 あと、カラスがやたら多いのもここの特徴だ。カラスにエサをあげてるおばさまを見たことがあるけど、あの人が手なずけているのだろうか。

絵を描くおやじさん
Canon EOS 10D+Super-Takumar 135mm(f3.5)

 庄内緑地は、私の統計によると、名古屋で一番おっさんのひとり確率が高い公園だ。名古屋市内のほとんどすべての公園や緑地に行っている私が言うのだから間違いない。
 歩くおじさん、走るおじさん、自転車に乗るおじさん、釣りをするおじさん、ラジコン飛行機を飛ばすおじさん、絵を描くおじさん、ベンチで寝るおじさん、本を読むおじさん、写真を撮るおじさんなどなど、異常にひとりおじさん確率が高いのだ。ひとりおっさん天国と言ってもいい。それは、ここがおじさんたちにとって非常にくつろげる場所だからに他ならない。
 たとえば、街中の公園で平日の昼間からベンチに腰掛けているおじさんの姿はなんだかすごく寂しげに見えるけど、ここではそれさえもまるで違和感がなく、むしろとってもくつろいでいるように見えるから不思議だ。ベンチで寝ていても、芝生に坐っていても、後ろ歩きをしていても(そんなおじさんもいるんです)、不自然な感じがしない。
 ひとつには、広々としているということがあるだろうし、公園内の空気感がゆったりしているということもある。同じ名古屋市内の鶴舞公園なんかと比べるとその違いがよく分かる。鶴舞は、集団確率がとても高くて、学生の通学路になっていることもあって、すごくゴミゴミ、バタバタしていて落ち着かない。あちらの方がより都会の中にあるということもあって。
 休みの日など、家にいても奥さんにけむたらがれてるおじさんには、ぜひ庄内緑地をオススメしたい。掃除機で足をつつかれて、あなた邪魔! とか言われてるよりは庄内緑地で本でも読んでいた方が英気を養えるというものだ。

 ここの公園のよさは、必要最低限の道具立てを用意して、それ以上訪れる人に干渉してこないところだ。ああしろこうしろと言わないし、こんなものもあんなものも用意してありますからぜひご利用くださいといった押しつけがましさもない。清潔感も保たれているし、荒れた感じのところもない。一応揃えるものは揃えておきましたんで、あとは各自で楽しんでくださいといったいい意味での投げやりさがある。逆に言えば、目的もなくふらりと訪れると、季節によっては何も見どころがなくて退屈と感じるかもしれない。
 それにしてもこの開放感と非干渉感は、名古屋市内ではなかなかに得がたい。ここならトランペットの練習をしたり、法螺貝を吹いたり、三味線をかき鳴らしたり、太鼓を叩いたりしていても、人の迷惑になることはない。庄内川のほとりに立って大声でバカヤローと叫んでも大丈夫だ。
 そんなわけで、庄内緑地は私もとても好きな場所のひとつだ。また冬鳥の季節になったら行ってみようと思っている。現地で見かけたら声をかけてください。芝生広場で徒競走でもしましょう。

遅れに遅れた朝顔の自由研究を今更ながらやった 2006年8月29日(火)

花/植物(Flower/plant)
昼に咲いていた朝顔らしきやつ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.5, 1/20s(絞り優先)



 午後2時、道ばたに咲くこの花は、未練の朝顔か、起き出した昼顔か、はたまた気の早い夜顔か。あるいは西洋朝顔だろうか。帰宅後調べてみたのだけど、はっきりしない。最近の朝顔は品種改良で昼まで咲いてるという話もあるから、朝顔確率90パーセントの西洋昼顔確率10パーセントということにしておこうか。西洋じゃないだろうという根拠は花の中心部が黄色みを帯びていないところだ。昼顔は明らかに葉っぱの形が違うし、小昼顔というには大きすぎた。
 でもこれ、ホントに朝顔だろうか。何か違和感があるんだけど。もしかしたら全然違う花だったというオチもあり得る。そんなときは、レミオロメンの「朝顔」というヘンテコリンな歌を歌って誤魔化そう。
 楽だねって ラクダを前に 笑えねって首捻る
 砂だねって 当たり前に 砂漠はどこまで続くかな?


 朝顔といえば小学生の夏休みと相場が決まっている。幼稚園生では早すぎるし、中学生では照れくさい。高校の自由研究で朝顔の観察日記を書いていったら受け付けてもらえそうにない。やっぱり朝顔は小学生がよく似合う。
 夏休み、セミの声、朝顔、カブトムシ、ラジオ体操。ちょっと好きだった女の子が、好きな男子ベストテンを書いた紙を見て自分が4位だったときの複雑な心境をふと思い出す。4位って。
 ただ、実際に朝顔の観察日記を書いたことがあるかどうかといえば、どうもなかったような気がする。朝顔の種は何度か植えたことがあったけど、ちゃんと育ったのかどうかさえ記憶にない。身近なようでいて実は意外と縁遠い朝顔と私の関係。大人になってからは育てるどころか咲いている姿さえほとんど見ることがなくなった。
 しかし、それでいいのか私と内なる声がする。光原百合の小説を読んで以来、少し朝顔が怖くなった私は、これを機に朝顔と一気にお近づきになることを考えた。怖いものから逃げるからよけいに怖くなるのだ。ワニに手を噛まれたら引くんじゃなく押せという教えがあるけどあれと同じだ。アサガオさん、あらためましてよろしくです。
 ということで、ずいぶん遅れたけど夏の朝顔研究をすることにした。得意の追い込まれてからの一夜漬けで。

 朝顔の原産地は熱帯アメリカで、奈良時代に遣唐使が種を薬として持ち帰ったことが日本における朝顔の始まりだとするのが一般的な説だ。ただ、原産は中国だとする説や、東南アジアなんじゃないかという人もいたりして、ややはっきりしないところがある。。今ではすっかり日本の夏に欠かせないものとして何食わぬ顔で咲いている朝顔も、思ったほど古顔というわけではない。
「万葉集」に出てくる朝顔は、私たちが思う朝顔とは違い、桔梗(キキョウ)や木槿(ムクゲ)などを指していると言われている。元々は朝に咲くかわいい花全般を朝顔と呼んでいたらしい。
 朝顔の基本色はあくまでも青色だ。それ以外の色はすべて突然変異や品種改良されたものということになる。奈良、平安時代は薬用植物の位置づけで、種を「牽牛子(けんごし)」と呼んで利尿剤や下剤として利用していたという。
 現在のように観賞用として様々な色の朝顔が生み出されたのは江戸時代。江戸時代というのは本当にみんな暇だったんだなと思わせる。花の品種改良が行われたのはたいてい江戸時代だ。みんな暇に任せていろんな楽しみを見出していたんだろう。鎖国が生み出したものは決して小さくない。
 あるときは江戸だけでなく日本中で朝顔の改良が流行して、色だけでなく様々な形のものも作られた。「変化朝顔」というやつで、現在に伝わっているものもある。今でも朝顔愛好家という人たちがたくさんいて、朝顔市も賑わったりしているらしい。私が寝てる間に世間ではそんなことが起こっているのか。
 バラ作りの人たちが青いバラを作ることを夢見るように、朝顔愛好家たちは黄色と黒の朝顔を作ることを夢見ているという。言われてみれば黄色い朝顔は見たことがない。濃い紫はあっても黒はない。黄色はかつて作り出されたことがあるというけど、現在に伝わっていない。世の中には自分の知らない夢がたくさんあるということをあらためて知る。
 外国での栽培があまり盛んにならないのは、イギリスなどのヨーロッパでは寒すぎて朝顔があまり育たないからというのもあるようだ。西洋朝顔の品種としては、冴えた青色をしたヘブンリーブルーや、深紅のスカーレットオハラなどがある。西洋朝顔は昼間も咲いているから、私がもし育てるならこちらの方がよさそうだ。寝坊すけのちびっこにもオススメしたい。

 ついでに昼顔についても少し。カトリーヌ・ドヌーブは憎たらしなかったなぁ、とかそういうことじゃなく、花の方を。民家で栽培されている朝顔に対して昼顔はそのへんの野で勝手に咲いている。フェンスなどに絡みついて。九州から北海道の広い地域に自生しているところを見ると、けっこう丈夫のようだ。花はたいてい薄ピンクというか薄紫で、それなりにきれいだとは思うけど、人の扱いは厳しい。たいして注目もされず、ほとんど雑草扱いされている。よく見るとかわいくないことはないのにぞんざいな扱いをされがちな事務職の女の子みたいだ。昼顔ももっと大事にしたいと思う。
 朝顔はヒルガオ科で、アサガオという名前の花が他にもいろいろあって、でも科が違っていたりして少しややこしい。夜顔はヒルガオ科で、夕顔はウリ科とか。チョウセンアサガオはナス科だ。ノアサガオ、ルコウソウ、ハマヒルガオ、アメリカアサガオ、ホシアサガオなども詳しく研究していってもいいのだけど、小学校の夏休みの課題でそこまで深く追究するのはかえってまずいかもしれない。学校の先生もそこまでは期待してないだろうし、やりすぎて親に手伝ってもらったというあらぬ疑いをかけられる恐れもある。かわいらしく朝顔の絵日記くらいにしておいた方がいいだろう。くれぐれも私のこの文章を丸写しして提出してはいけないぞ、ちびっこ諸君。

 朝顔というやつはなんでも、日の出よりも早い時間から咲き始めるんだそうだ。午前4時とかから。本格的に観察しようと思ったら超早起きが必要となる。牛乳配達のバイトでもしようかな。少年時代はカブトムシやクワガタをとりに行くためにそんな時間でも起きることができたものだった。でも今はもう無理だ。というより、その時間、まだ寝ずに起きている。ある意味朝顔観察には向いてる生活なのか? いやいや、そこまで朝顔に情熱を傾けるつもりはない。黄色い朝顔を生み出したいとか思ったこともないし。けど、もし小学生のとき私にそれくらいの根性があれば、あの子の好きな男子ランキングのベスト3くらいには食い込めたかもしれないと思うと、もう一度小学生からやり直したいような気もしてくる。彼女はそんなベストテンのことなどカケラも覚えてないだろうけど、この季節になるとあのときの朝の空気をふと思い出す私なのだった。

人間に翻弄されるホテイアオイは救世主か悪魔か? 2006年8月28日(月)

丹生(Nyu)
ちょっと少なめホテイアオイ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/50s(絞り優先)



 勢和村丹生大師の近くにあるメダカ池。毎年、夏に帰郷したときホテイアオイに会いに行く。今年はいつもより2週間遅れになったのに、そのわりには数が少なかった。初夏から咲き始めてピークは9月だから、そろそろにぎわっていてもよさそうなものなのに。何らかの理由で枯れて少なくなってしまったのか、それとも増えすぎて減らしたのか。いずれにしても今年はちょっと寂しい光景だった。
 10年ほど前、故郷の田んぼがどんどん荒れていくことを寂しく思った地元の人たちが、休耕田を利用してホテイアオイを植えることを思いついた。ホテイアオイ200株、メダカ50匹を放流したのが始まりだ。何故メダカとホテイアオイなのかといえば、自然の金魚鉢をイメージしたんだそうだ。そういえば昔から金魚鉢にはホテイアオイが付きものだった。
 最盛期には1万5,000株にまで増えたというから、ホテイアオイの繁殖力は並みじゃない。実はそれがホテイアオイにとっては致命傷にもなるのだけど。
 3年前の9月には、立梅用水の開設180周年ということもあって、大きなイベントも開かれたようだ。コンサートやら出店やらでお祭り騒ぎだったらしい。知らなかったから当然行ってないけど知っていてもたぶん行かなかっただろう。でも、うちの田舎でそんなにも大勢の人が集まったのは最初で最後かもしれないので、見ておく価値はあったか。

ホテイアオイを近くから

 英名はウォーター・ヒアシンス。どこがヒヤシンスに似てるんだよと文句を言いたくなるけど、異人さんの感覚にケチをつけてもしょうがない。逆に向こうの人からしたら布袋葵というのが何のことかさっぱり分からないだろう。外国は七福神を知っているのだろうか?
 別名は布袋草。茎の中ほどがぷくっとふくれてこの部分で浮いているのだけど、これを布袋様のおなかにたとえて名づけられた。とても日本らしいネーミングだ。でも布袋さんのモデルは中国の僧侶。中国ではこの花のことをなんと呼んでいるんだろう。今回、調べがつかなかったので宿題とする。
 葵といってもアオイ科ではなく、ミズアオイ科に属している。モミジアオイや芙蓉なんかの仲間ではなく、日本の仲間はコナギだけしかいない。元々は熱帯アメリカが原産地だから、日本で仲間を見つけるのは難しい。孤独な転校生みたいだ。
 明治時代に観賞用として持ち込まれて、外飼いの金魚桶などに浮かべられていた。ああ、あの浮き草がホテイアオイなんだと思った人も多いんじゃないだろうか。外で飼うときの日よけとしてもこの草はよかった。
 それはそうと、こいつは増え方が尋常じゃない。栄養のある池などでは、水面が見えなくなるくらい爆発的に増えてしまう。船が進めなくなるくらいというから、そこまでいってしまうときれいも何もあったもんじゃない。当然、水の中に光が入らず、生態系にも悪影響を与えてしまう。野良ホテイアオイが野生で繁殖して害草として駆除されるなんてことも日本各地で起こっている。ただし、元々熱帯の植物なので北では冬を越せない(5度が限界らしい)。北海道の人なんかは見たこともないかもしれない。
 一方で水質浄化の救世主として汚れた池やなどに導入されることがある。水中の窒素分を吸い込んで水をきれいにするんだそうだ。とはいえ、やっぱり増えすぎるとかえって水質悪化につながったりするので、なかなか難しいというのが現状のようだ。
 植物にしても動物にしても外来種を持ち込んで何か上手いことをしようして成功した例はめったにない。ハブの天敵として野に放ったマングースがちっともハブと戦わなかったというのは笑い話にもならない。いや、笑えるけど。考えてみると夜行性のマングースと昼行性のハブが道でばったり出会う確率はすごく低いし、マングースにしてみればわざわざ危険なハブに挑んでいかなくても他に食料となるものがたくさんあるのだから、あえてハブをやっつけようなんて思うはずもない。あれはショーだから戦ってるだけだったのだ。

 暑い夏を彩る涼しげなホテイアオイの花。だけど、実情はそんなに甘いものでもない。人の勝手な都合で持ち込まれ、もてはやされたかと思えば使い捨てられ、しまいには邪魔者扱い。もしホテイアオイが話せたら、わたしは都合のいい女じゃないわ! とわめき散らすだろうか。それとも、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、と静かな口調で語るだろうか。しかし、世界十大害草として「青い悪魔(blue devil)」呼ばわりされているのを知ったら、そりゃあないぜと愚痴もこぼしたくなるだろう。こんなに一所懸命きれいに咲いてるのに、と。
 たくさん咲いているホテイアオイを見ていたら、向こうもこちらを見ていることに気づいた。無数の目玉が一斉にこちらをじっと見つめている。それがちょっと怖いような気がして、私はホテイアオイの池から足早に立ち去ったのだった。少し離れた場所で振り向いて、また来年会いに来ますと約束をして。

曇天の下、田舎の田んぼを吹き抜ける風は秋の気配 2006年8月27日(日)

丹生(Nyu)
収穫の秋早くも始まる

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/125s(絞り優先)



 2週間遅れの帰郷は無事に済んだ。名古屋から松阪の奥まで、墓参りをあわせて片道2時間半のドライブ。午前中に家を出て昼過ぎに到着(昼飯はサービスエリアで買ったたこ焼き)。午後は田舎を散策。山に囲まれた田んぼ地帯と川沿い、神社の散策路とその周辺を歩く。夕方、夕飯を買いに町まで車を30分走らせる。途中で別の神社にも寄る。夕飯を食べて、夜向こうを後にして帰宅は9時。12時間の内半分以上車を運転していたので、ダメージが深い。寝不足と重なって。
 なにはともあれ、これでようやく夏休みの宿題が終わったような晴れやかな気分になれた。お盆直前の思いがけない車の故障はあったものの、まずはよかった。帰郷といっても何をするわけでもないけど、顔を見せに行くだけでもそれなりに意味はある。田舎の風景を見たり写真を撮ったりする楽しみもある。

 うちの田舎は、今年の4月から合併して村から町へと名前を変えた。なんだかしっくり来ない。多気町なんて言われても隣町のことみたいだ。もう一度村に戻して欲しいぞ。
 三重県はどういうわけか、稲の収穫が早い。全国でもかなり早い方だと思う。なにかの作戦か?
 早くも稲刈りが本格的に始まっていた。9月の頭には、新米の三重県産コシヒカリが出回り始めるだろう。お盆が過ぎたらもう新米ってのはちょっと感覚的に早すぎる気もするけど、ブランドとしては弱い三重県産コシヒカリを少しでも売るには先に出すというのは戦略として正しいかもしれない。
 しかし、広い田んぼを少し前までは手作業で刈っていたのだ。想像するだけで気が遠くなって腰まで痛くなってきそう。今は機械があるから楽になった。機械はものすごく高いけど。
 今年の米はどうなんだろう。一時雨が多くて日照時間が少ないときがあったから、あまりよくないのだろうか。ただ、台風が来なかったのは救いだ。今年はたぶん一度も直撃されてないはずだ。
 新米コシヒカリはやっぱり美味しい。親戚から送られてくるのを楽しみに待っていよう。

泥水櫛田川

 いつもはきれいな櫛田川も、ここ数日の雨で泥水の川となっていた。残念。浅い場所は透明で、深いところはエメラルドグリーンをしている川を見るのが好きなのに。
 空も曇っていて、今日は写真には向かない日だった。野草も少なく、鳥も姿を見せなかった。
 川風は冷たいくらいで、季節は確実に夏から秋へ移り変わっていっていることを感じさせた。お盆を過ぎれば季節も変わる。気づけば8月も残り4日だ。
 夏を越えられなかった人たちが今年もまたたくさんいた。そのことを思えば夏休みの宿題で青ざめるくらいは不幸のうちに入らない。という達観が少年時代の私にあれば、たぶん、宿題はもっとやらなかっただろう。だから、少年少女はやっぱり夏休みの最終週は焦って親に泣きつくのが正しい姿なのだろう。それが大人になったとき、いい思い出として残るから。

霞む山々

 遠くに霞みながら連なる山々。どこの山なのかは知らない。昔から見てる山なのに、山の名前を知ろうとは思わなかった。名古屋から見える山の方がずっと詳しく知っている。
 それにしても、ここらの風景は本当に変わらない。山々も、田んぼも、畑も、川も。名前が村から町に変わっても、相変わらず信号機もコンビニもないのだった。
 車は昔も今も軽トラ。田舎風景にこんなに似合う車は他にない。21世紀の最後まで、軽トラは田んぼのあぜ道を駆け抜けて欲しい。22世紀は、このスタイルのまま空を飛んでもいいなと思う。
 この田舎風景も、いつかは失われてしまうんだろうか。

酸素入りの水を飲んで21世紀を生き延びろ 2006年8月26日(土)

食べ物(Food)
時代は酸素水

Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/15s(絞り優先)



 21世紀を生きる私たちのカラダは酸素を求めている。単に酸素ブームに乗せられているとか、飲料メーカーに踊らされているというだけではない。消費者が求めるからメーカーは作るのだ。たとえば10年前、20年前に酸素入りの水を売り出してもほとんど売れなかったに違いない。両者の思惑が一致して初めてブームというのは生まれる。
 最初に酸素入りの水を知ったのは去年だった。たまたまドラッグストアで売ってた日本食研の「酸素プラス」というのを見つけて、それ以来気が向くとちょくちょく買って飲んでいる。常飲するのは普通のミネラルウォーターなのだけど。
 飲んでみると、心なしか目がパッチリするような気がする。眠気も飛んで、頭もはっきりするような感覚もある。そんなに即効性があるのかどうかは分からないのだけど、そんな気がすることは確かだ。酸素不足のカラダが酸素が入ってきて喜んでいるのかもしれない。減量中のボクサーが極限状態で水を飲むと、水が体内のどこを流れているか分かるというから、ぜひボクサーの人に飲んでもらって意見を聞きたいところだ。輪島功一も酸素入りの水を飲んだとたんにシャキッとしてハキハキしゃべるようになるかもしれない。
 今回、今年の5月に発売されたという新製品の「酸素水」というというのを初めて買ってみた。メーカーはアサヒだ。サントリーも同じ時期に「新呼吸」というのを出している。
 酸素プラスが10倍の酸素なのに対してこれは5倍。効果は半分なのだろうかどうか。こういうのはメーカー独自の発表なので当てにはできない。490mlで150円だから、そんなに高いものではない。ただ、水が150円もするのは高いっていえば高いか。
 アルミ缶なのは、その方が酸素が逃げにくいからだそうだ。炭酸が抜けにくいのと同じ理屈だろう。逆に言うと、ペットボトルのものはフタを開けると酸素が逃げやすいと言える。
 味に関しては普通のミネラルウォーターと変わらない。それぞれ水自体のクセによって味は違ってくるけど、酸素が入っていることで味が変わることはない。当たり前だけど。

 どうして今、酸素がこんなにも話題になっているかといえば、そこにはちゃんとした理由がある。
 数百年前まで大気の中で30%以上あった酸素は、現在21%程度まで薄くなっているという事実がある。この100年で4%濃度が下がったとも言われ、15%を切ると人間の体は正常に機能しなくなるという。ひとつの原因として森林破壊がある。
 更に、車の排気ガス、農薬、化学物質などで空気が汚れたことで、有毒物を体内で解毒するために昔より多くの酸素を必要とするため、結果的に酸素不足に陥っているという面もある。
 その他、ストレスによる酸素消費や、運動不足による酸素取り込み量が足りなくなるなど、さまざまな原因で現代人は酸素が足りていない。
 実際、体内酸素濃度を測ってみると、現代人の多くが基準値を下回っているという。酸素不足は決して気のせいなんかじゃないのだ。
 酸素は言うまでもなく人間だけでなく生き物には必要不可欠なものだ。地球に生まれたものの宿命として常に酸素を取り込まなくて生きていけない。人間の場合、特に脳と肺で多くの酸素を必要とする。脳に酸素が送られなくなると、2~3分で脳細胞が死に始め、元に戻らなくなるし、息を止めておけるのも、一般人で1分~2分くらいのものだ。
 酸素が足りなくなると何がいけないかといえば、まずドロドロ血液になってしまう。ドロドロ血液選手権で毎回優勝してる元近鉄の金村のようになりたくなければ、酸素は絶対は必要だ。血管の流れが悪くなると、心臓にも脳にも悪影響を及ぼす。神経や排泄にも支障を来すなど、いいことは何もない。野口英世も、すべての病気の原因は酸素不足だと言っているくらいだ(それは極論だけど)。
 これまでは、イライラしてる人を見るとカルシウム不足だから牛乳を飲めなどとからかったものだけど、これからはおまえ酸素吸った方がいいぞなんてことになるかもしれない。
 酸素を取り込むことで何がいいか。疲労回復やケガが早く直るなどの他に、ダイエット効果や美肌効果もある。血管の流れがよくなって身体機能が上がれば、それにつれていい影響が出てくるのは当たり前の話で、酸素は多いに越したことがないというわけだ。
 酸素を取り込みすぎることで人体に有害な活性酸素も増えるのではないということが言われ始めているようだけど、このあたりのことは今後の研究課題となっていくだろう。私は知らんっ。

 少し前まで、日頃運動不足のやつが急に激しい運動をして息を切らせてしまって、酸素スプレーを吸ってる姿は軟弱者の証であり、笑いの対象でさえあった。しかし、時代は変わった。甲子園で優勝した早実の斎藤くんも酸素を吸ったり酸素カプセルに入っていたという。ベッカムが骨折を早く治すためにカプセルに入っていたのも有名な話だ。
 アメリカなんかでは酸素バーが大賑わいだという。カウンターに坐ってみんなで酸素を吸ってる図はなんか間抜けだけど、日本でも少しずつそういうところが増えているらしい。
 酸素は肺から取り込むよりも水分で摂取した方が血液に早く吸収されるから水を飲むのも効果は高い。最近は酸素缶もコンビニ売ってるし、食べる酸素なんてのもある。いっそのこと水道水に取り付けてしまえということで酸素入りのウォーターサーバーも出てきた。より仕事の効率を上げるために導入する企業も出てくるだろう。酸素入りの水も、何年もしないうちに普通の飲み物になるに違いない。
 ただ、もっと遠い未来のことを考えると、数百年後の人たちは酸素ボンベを持ち歩かないと外へ出られないようになってしまうのかもしれない。家の中には酸素発生装置が必要不可欠となって。

 酸素入りの水が実際どれくらい効果があるのかは分からない。体内酸素濃度を測る機械で測ってみればはっきりするのだろうけど、それは「発掘!あるある大事典」に任せるとして、個人的には効果があると感じている。思い込みが入っているにしても、それだけじゃないような気がする。眠たいときに飲むと目が覚めるし。
 車を運転中や、テスト勉強前など、眠たいけど寝てはいけないときなどにおすすめしたい。ガムを噛むより効果があると思う。
 いずれにしても、私は幸せな性格をしてるなぁと思うのは、こういうどっちとも取れるものを意外と単純に信じてしまえるところだ。まず疑ってかかる人がいるけど、私の場合まず信じてしまう。それで効かなければ初めて信じなければいいと思うから。ま、こういう私みたいな人間がたくさんいるから、健康食品会社やサプリメント業界が潤っているんだね。
 酸素入りの水は今後ともいろいろ試してみたいと思っている。そして、超酸素野郎となった私は、サラサラ血液で22世紀まで生き延びるのだ。

スイカと私のよそよそしい関係に終止符を打つために 2006年8月25日(金)

食べ物(Food)
この夏最後になりそうなスイカ

Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/40s(絞り優先)



 スイカが嫌いなわけではないのだけれど、出された瞬間、2秒で食べてしまう志村けんのようにスイカ好きなわけでは決してない(志村けんもたぶんそんなにスイカは好きじゃないんだと思うけど)。もらいものが冷蔵庫に入っているのが目に入る。アクエリアスを飲んで冷蔵庫を閉める。また冷蔵を開けるとスイカと目が合う。そろそろ食えよとスイカが言ってるような気がして思わず目を背け、アセロラドリンクに手が伸びる。そうやって3度、4度と逡巡した後、いよいよ食べないとしなびてしまうぞというところでようやく手が伸びるのだった。このスイカも、そんな感じで切り分けてはみたものの、食べたのは2日後というやつだ。ちょっと水分が飛んで、しなっとしている。今年は3回くらい食べたからもう充分だ。このひと切れでもう終わりにしよう。さよなら、スイカ。また来年の夏に会おう。
 子供の頃からスイカがあまり好きじゃなかった。大きな理由として、種を取り出すのが面倒だからというのがある。いや、正確に言うと、種を噛んでしまったときのあのガリッという感じがすごくイヤなのだ。貝の砂を噛んだときのように。指で種を取りながら食べるのももどかしいし、手がびちゃびちゃになるのもどうにかして欲しい。それじゃあ、種なしスイカはどうなんだというと、あれはあれでなんか違和感があって好きになれなかった。なんだそれ、単なるワガママじゃないかと人は言うだろう。私もそう思う。思うのだけど、スイカに関してだけはどうもだだっ子のようになってしまう私なのだ。黄色いスイカもどうなんだ、とスイカ全般にケチをつけてしまいがち。スイカ農家に婿養子にはいけそうにない。

 スイカの原産地は南アフリカの砂漠だと言われている。その起源は古く、原種は3000万年ほど前にはもうあったという説もある。4,000年ほど前の古代エジプトなどでもすでに栽培されていたというから、人類にとっては古くから馴染みの深い食べ物と言えるだろう。一応、野菜に分類されるけど、これだけ汁気が多いとやっぱり果物だろうと思う。
 11世紀には中国に、ヨーロッパには16世紀初め、アメリカには17世紀に伝わったそうだ。
 日本にはいつ入ったのかはいろんな説があってはっきりしない。16世紀にポルトガル人が持ち込んだとか、17世紀に中国から入ってきたのだとか、平安時代の記録にスイカらしきものが登場するからもっと前だったんじゃないかなど、いろいろと言われている。いずれにしても、一般庶民が普通にスイカを食べるようになるのは、もっとずっと後になってからだ。
 スイカの栽培が盛んになったのは江戸時代中期だ。品種改良も進み、日本各地で名産品となっていった。ただし、この頃までのスイカは黒い色をしている。おそらく光沢のあるカボチャのような感じだったんじゃないだろうか。私たちにしてみたらスイカというのは緑色で黒い線が入っているものという思い込みがあるけど、あれはけっこう最近になってからなのだ。江戸時代にタイムトラベルするときスイカを手みやげに持っていくのはやめておいた方がいいかもしれない。そんなものスイカじゃねぇ、てやんでぇとか言われて気味悪がられる可能性が高い。それに、江戸人は赤い果肉を気味悪がってあまり食べなかったらしいし。
 明治になると、外国からいろいろな品種のものが入ってくるようになり、ここでようやく現在のスカイの基本になるものが出来上がった。「大和」などがそれに当たる。
 昭和に入ると、スイカは黒色から私たちが見慣れた緑と黒の模様となる。奈良を中心とした大和西瓜と、関東を中心とした都西瓜の二大品種が生まれ、現在へと至っている。世界には150種類ほどのスイカがあるそうだ。

 スイカを漢字で書くと西瓜だけど、これは中国の言葉だ。中国から見て西のシルクロードからやって来たということで、この字を当てたようだ。発音はシィグァといった感じで、日本語のスイカはこれが転じたもののようだ。
 スイカに関するちょっとした雑学で知っておきたいのは、東京オリンピックのマラソン金メダリストであるエチオピアのアベベは、スイカをつぶした特製ジュースを飲んで勝った、ということだ。え? 知らない? 裸足のアベベ。ついでに言うと、東京オリンピックではちゃんとシューズを履いていたのに、なんで前回のローマでは裸足だったかというと、シューズがレース直前になって壊れてしまったからだ。谷口のぬげちゃいましたに近いものがある。そりゃ裸足でも優勝できる人に靴を履かしちゃ誰も勝ち目がないぜ。
 雑学ついでにちょっとだけデータを。スイカの生産量ベスト3は、熊本県、千葉県、山形県で、意外にも愛知は5位に入っている。渥美あたりでたくさん作ってるんだろうか。
 スイカ好きの都市は、鳥取市、熊本市、富山市で、スイカを食べないのは甲府市、福島市、福井市なんだそうだ。何か特別な理由があるのか、たまたまなのかはよく分からない。甲府は鳥取の3分の1しか食べないというからには何か理由がありそうにも思える。

 スイカの効用としては、まずその水分の多さによる利尿作用が挙げられる。90%以上が水分というからほとんど水のようなものだ。栄養素としてはビタミンAが白血球の働きを助けて、ガンや白内障の予防につながるという話もある。
 それからやっぱり甘さが命。最近はスーパーなどで糖度を表示してあるところも増えてきた。13%以上なら確実に甘いと言えるだろう。よくスイカをやたら叩いてる人を見かけるけど、あれはホントに分かって叩いてるんだろうか。主婦の勘が冴え渡っているのかもしれない。ボンボンと鈍い音がしたら熟れすぎで、軽い音だと若すぎる。ポンポンと軽快に響くのがいいと言われている。
 甘いのは中心の部分なので、切り分けるときはすべてに甘い部分が入るように放射状に切り分けるといい。冷蔵庫で冷やしすぎるとかえって味が落ちるので、15度くらいがいいとされている。
 スイカをとことん食べ尽くしたいという人は、皮を漬け物にしたり、種を煎ってお湯を注いでお茶にしたりなんてのもいいらしい。私はそこまで深くスイカと関わりたいとは思わないけど。
 そうそう、カブトムシにスイカをあげてはいけない。食べるけど下痢ピーになってしまってカブトをかえって弱らせてしまうから。

 たいして好きじゃないスイカのことにやたら詳しくなってしまった私。こうなったら、もっとスイカと親交を温めるべきなのかもしれない。そこで思いついたのがスイカヘルメットだ。
 まずは頭のサイズに合ったスイカを買ってくる。それを思い切って半分に切り、スプーンで中身をすっかり食べ尽くす。そしておもむろに頭に乗せれば完成だ。
 もし、スイカヘルメットをかぶった男がスクーターに乗っていたら、きっと私です。信号待ちのとき、目隠ししたまま近づいて棒で私の頭を叩かないでください。

ハグロトンボを撮ってお歯黒の勉強をした 2006年8月24日(木)

虫/生き物(Insect)
オハグロトンボ

Canon EOS 10D+Super-Takumar 135mm(f3.5), f3.5, 1/60s(絞り優先)



 ひと月ぶりとなった海上の森行き。出迎えてくれたのは、ツクツクボウシの大合唱と、たくさんのハグロトンボたちだった。一ヶ月も間が空いてしまえば生き物たちの顔ぶれはがらりと変わる。もちろん、野草たちも。8月の前半に行けなかったのが少し心残りだ。それにしても、クモの巣はまた大変なことになっていた。10歩進むごとに糸が顔に絡みつき、声にならない心の叫びをあげ続ける私であった。

 ハグロトンボは、田舎の川でよく見かけたという印象が強く、名古屋市内ではあまり姿を見なかった。公園や緑地の水辺へ行くといるくらいで。
 いつも岩とか草にとまっていて、近づくとハッと飛び立ち、ヒラヒラと頼りなげに舞い飛んで、また離れたところにスッととまる。その様子は、あまり飛ぶのが好きでないようにさえ見える。ハグロトンボの飛ぶ持久力というのはどれくらいあるんだろう。本気を出したらどこまでも飛んでいけるのだろうか。
 近年、都会では川の護岸工事などで数を減らしているという話だけど、海上の森にはうようよいた。最初は、あ、羽黒だと喜んだ私も、10分で飽きるほどに。ただ、数は多くても写真を撮るのはけっこう難しいやつだ。警戒心が強いので、なかなか近づけない。自分の飛びが遅いということを自覚していて、早めに逃げるようにしてるのだろう。撮るときは、まずいったん動きを止めて、向こうがとまったのを見てからそぉ~っと近づくのがコツだ。アイドル寝起きドッキリのレポーター並みの静かな動きが要求される。
 寒いところは好きじゃないらしく、青森より北にはいないという。かといってあんまり暑いところも苦手なようで、九州の南部は局地的にしかいないようだ。沖縄にはたぶんいない。朝鮮半島、中国、ロシアの一部にもいるらしい。
 体長は5~6センチくらい。胴体が緑色に光っているのがオスで、写真のように黒いのがメスだ。
 同じように翅が黒いアオハダトンボというのがいるけど、あれはオスの翅が青っぽいのと、メスの翅には白いちょんというのがあるので区別が付く。ハグロトンボの翅は光りに当たると茶色っぽく見える。
 ヤゴ(幼虫)は水の中で小さな魚などを食べて2~3年ほど生きる。6~7月くらいに羽化して、成虫の姿を見るのは7~8月が多い。遅いものは10月くらいまで飛ぶらしい。私の中では8月のトンボというイメージだ。
 若いときは薄暗い林の中を好み、成熟してくると明るい川辺に出てくるというから、海上の森で私が見たのは若手の連中だったのかもしれない。

 ハグロトンボの名前の由来は、翅が黒いから羽黒だと思ってる人が多いようだけど、実際はお歯黒から来ているという説が有力だ。別名にオハグロトンボだけでなく、歯を黒くするという意味の「鉄奬(かね)つけ」からカネツケトンボとも言うところからもそれがうかがえる。
 ところで、お歯黒とは何でしょう? という問いにスラスラと答えられる人はどれくらいいるだろう。大人になった証として歯を黒くするというくらいは分かっていても、何故そうするのか、いつ頃から始まっていつ頃すたれた習慣なのかというところまで知っている人はそれほど多くないんじゃないだろうか。私、忘年会の隠し芸でお歯黒やったことあります! という人はいるかもしれないけど。私もよく知らなかったので少し勉強してみた。
 そもそもは弥生時代や古墳時代からお歯黒に類することは行われていたようだ。日本以外では、東南アジアや中国の一部の部族で似たようなことが行われていただけなので、そこから伝わったのか、あるいは自分たちで思いついたのかは分からない。一般的な習慣として定着したのは平安時代で間違いなさそうだ。
 貴族の身だしなみとして、最初は女性が、のちに男性貴族もまねるようになる。平安後期には武士層にも広がっていった。
 戦国時代になると成人の儀式という意味合いが強くなり、政略結婚のために幼い女の子がお歯黒をされて嫁に出されるというようなことも多かった。お歯黒というとこのへんのことを思い浮かべる人も多いかもしれない。
 江戸時代になると、今度は結婚の証となっていく。結婚指輪ならはずせば分からなくなるけど、お歯黒は誤魔化しようがない。腹話術師でもなければ口を開けずにしゃべることもできないからすぐに既婚だと分かってしまう。
 この習慣がすたれ始めたのは幕末だった。西洋の文化や習慣を知るようになると、これはやっぱりいけてないんじゃないかと思うようになったのだろう。時代はホワイトニングでしょう、ということにだんだんなっていった。女性蔑視にもつながるということが言われたりもしたようだ。
 明治3年には、ついに華族のお歯黒禁止令が出されることとなる。続いて明治6年には皇后もお歯黒をやめ、お歯黒の時代は終わったのだった。未来でまたリバイバルするかどうかは誰にも分からない。私の未来予測では、もう一度ボンタン、長ラン、ハイカラー、リーゼントの時代が来るとにらんでいる。時代は巡る。
 現代においてお歯黒をやってみようとすると、これがなかなかに大変だ。お歯黒液は市販されていないので自分で作るしかない。まずはお茶の中に麹(こうじ)、粥(かゆ)、砂糖、酒などを混ぜて、そこに真っ赤に燃やしたクギを入れて2ヶ月寝かす。すると特殊な鉄分ができてくるらしい。そこに、ヌルデの葉っぱにヌルデシロアブラムシという虫が寄生してできる虫こぶ---五倍子(ごばいし)というらしい---をどこからか調達してきて(どこで?)、火であぶってから粉末にして混ぜるのだ。なんだか、魔女の調合する怪しい薬みたいだ。
 とにかく、そうして出来上がった黒い液体を、筆で歯に二重、三重に塗る。でもすぐに取れてきてしまうので、2日に1度は塗り重ねないといけない。お手軽さとはほど遠いけど、お歯黒にしたい人はぜひこの方法を試してみてください。証拠写真待ってます。

 以上、ハグロトンボとお歯黒の話でした。ハグロトンボを見かけたら、このお歯黒の話を思い出しながら、そぉっと近づいて激写してみてくださいね。そのとき、もしあなたがお歯黒をしていたなら、ぜひ私に撮らせてください。お歯黒をした人がオハグロトンボを撮っている図というやつを。ハイ、笑って~。

ついに日の目を見ることとなった私の秘蔵睡眠学習枕 2006年8月23日(水)

物(Objet)
押し入れの奥から睡眠学習枕

Canon EOS 10D+Super-Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 0.4s(絞り優先)



 この写真をひと目見て、おおっ、こ、これはっ!? と思う人がどれくらいいるだろうか。すぐに分かったという人は、きっと30代以上だと思う。1970年代から80年代にかけて思春期を過ごした人々だ。
 長年秘蔵していた私の睡眠学習枕が、このたびついに日の目を見ることとなった。雑誌の特集で使いたいからちょっと貸して欲しいという依頼が来たのだ。何の特集か深く訊ねてはいけない。なんとなく想像はつくだろうけど。
 睡眠学習枕……。なんて甘くて酸っぱい響きなんだ。それはまるで、昔書いて出したおバカなラブレターのようだ。あの頃、みんな若かった。

 私がこいつの存在を知ったのは、たぶん何かの雑誌でだったろうと思う。中学生のときだったはずだから、当時購読していた「中一時代」か何かだろうか。さだまさしファンだった素直な中学生の私は(さだまさしと睡眠学習枕に直接の因果関係はない)、雑誌に載っていた誇大広告、いや、体験談にこれはすごそうだなとひどく感心したのだった。
「ねている間に差をつけろ これが僕らの合い言葉!!」
「睡眠学習の威力! この枕ひとつで眠っているうちになんでも覚えられる驚異の学習法!」
「これを使ったら、偏差値が40から60に上がりました!」
「睡眠学習枕のおかげでクラストップになって女の子にモテるようになりました。ありがとうございます」
 こりゃ、買うしかないな、と特に疑いもせず、迷うこともなく心を決めた私は、この頃から自分の記憶力には難があることをよく自覚していた。とはいえ、中学生のおこづかいで買えるほど安いものではなかった。確か3万円以上したんじゃなかったかと思う。大人の今でも迷う金額だ。それでも結果的に今でも手元にあるんだから、どうにか親を説得して買ってもらったのだろう。そのへんの記憶ははっきりしていない。いかに睡眠学習枕が優れものかということを力説する私に親が負けたのだと思う。父親は父親で、ヘッドホンからアルファ波とシータ波が出て脳がすごいことになるという怪しげなものを買っていたくらいだから、似たもの親子と言えばそれまでだ。

 睡眠学習枕を買えなかった人は(買わなかっただけだって?)、枕の中にテープレコーダーが仕込まれていると思っている人がいるようだけど、そうじゃない。枕に入ってるのはスピーカーだけだ。スピーカー入りの枕がなんで3万円もするんだよと早合点してはいけない。ちゃんとタイマーも付いている。おやすみタイマーと、おはようタイマーが。じゃあ、タイマー付きのスピーカー入り枕が3万円じゃないかとあなたは言うだろう。確かにその通り、返す言葉がないのである。
 カセットデッキは自分で用意して、線で枕とつなぐ仕組みになっている。それがタイマーと連動してテープが動いたり止まったりするというわけだ。ただし、もうひとつの目玉として、エンドレステープが付いてくるというのがあった。もはやカセットテープというものがどんなものかよく知らないという若者も多いかもしれないけど、テープはビデオテープの音楽版のようなもので、終わりまで行ったらそこで止まりで終わってしまう。リバースデッキなんてのが出てきたのはもっと後のことだった。なのに、エンドレス。なにしろエンドがレスなのだからすごいと、わけも分からず感動する私なのだった。
 ここまで説明してもまだ睡眠学習枕について具体的な使い方がイメージできない人もいるかもしれない。要するに、そのエンドレステープに自分が覚えたい英単語や歴史年表などを自分で吹き込んで、カセットデッキにセットして、眠りながら聞いて覚えるのだ。あるいは、おはようタイマーをセットして起きる1時間前に流して覚える。
 考えてみると、ほとんど自給自足のこのシステム。枕なんてなくてもできるんじゃねぇかと思わないでもない。確かに、外部のカセットデッキをタイマーでコントロールすれば同じことができそうではある。いやいや、頭の下から聞こえてくるところがミソなのだ(そう思いたい)。ヘッドホンやイヤホンでは寝てる間に外れてどっか飛んでいきそうだし。あくまでも睡眠学習枕に対する私の信頼は厚い。

 使い始めて数日後、これを購入した多くの人がそうであっただろう疑問に私もぶつかることになる。これってホントに効いてるの? という大いなる疑問だ。しかし、その問いの答えは今もって出ていない。たとえるなら、これが効かないということを証明するのは、神様が存在しないことを証明するのと同じくらい不可能なことだからだ。
 理屈としては大いに共感する部分もある。人間の脳波は日常生活を送っているときのベータ波と、リラックスしてるときのアルファ波、更に静かな状態のときはシータ波が出ていることは科学的にも証明されいる。そして、人間は眠りについてすぐと起き出す前にシータ波が出ているので、この時間に脳に刺激を与えることで潜在意識に記憶させるというのは実に理にかなっている。この分野は日本の大学でも外国でも研究されていることからも、満更うそっぱちでもないのだ。
 それに、睡眠学習枕には知られざるもうひとつの効果がある。それは、自分で覚えたいことを吹き込むという行為自体に秘密が隠されている。要するに、覚えるためには声に出して言えというやつだ。カセットに吹き込んだ時点で暗記の8割か9割はすでに完了してるとさえ言えるのだった。カンニングをしようとカンニングペーパーを作ったら覚えてしまっていたというのに似ている。やっぱり枕なんていらないじゃないか! と思うのは痛い目を見てない人の理屈だ。買ってしまった人間としてみたら、少しでも元を取らなくてはいけないと必死になる。3万円だから少なくとも3ヶ月は使わないとといったように。私も確か半年くらいは使って、その後は普通の枕として使っていたような記憶がある。
 思えばこの3万円という値段設定は上手かった。これ以上高かったら誰も買わなくなるし、1万円とかだったらもっと多くの人が気軽に買って、すぐに使わなくなって、現在のような伝説的なグッズにはなっていなかったに違いない。そこまで深い読みがあったとも思えないけど、やるな、(株)三井企画。社長いわく、50万台は売れたというけど本当だろうか。それにしては周りに持ってるやつはいなかったぞ。それとも、みんな恥ずかしくて言い出せなかっただけだろうか。
 三度ほどモデルチェンジが行われたそうで、私の持ってるやつは、model-2001とある。まさか、21世紀を先取り気分で付けられた型番なんだろうか?

 実は睡眠学習枕、21世紀の今も形を変えて販売されているというからちょっと驚く。やはり理屈としては間違ってなかったのだ。といっても本家の三井企画ではなく、別の会社でだけど。スタイルは洗練されて、枕としても睡眠を重視したものとなっている。値段は1万5,000円ほどだから、さほど高いものではない。学習用というよりも、リラクゼーション効果のある音楽を流すなど、眠りの方に主眼が置かれているようだ。
 睡眠学習枕を買ってダマされたとか後悔したとか、そんなことはまったく思わない。送られてきたものを見たときから、これは将来いい話のタネになるぞという予感めいたものがあったし、こうしてブログの記事になったり、人の役に立ったりしたから、充分元は取ったと言えるだろう。
 あなたもひとつ、どうですか、睡眠学習枕。いいですよ、これ。自分の声を聴きながら眠るのはどうなんだという人には、私、いい方法を思いつきました。カレシ、カノジョに吹き込んでもらうんです。カノジョの読み上げる歴史年号と共に眠りにつき、カレシのささやく英単語で眠りから目覚める。うーん、なんて素敵な眠りなんだ。好きな人の声を聞いて幸福感に満たされながら同時に学習もできてしまうというこの画期的なアイディア。三井企画に企画を持ち込みたいくらいだ。有名人バージョンのカセットテープも売り出したら、第二次睡眠学習枕ブームが到来するかも!?

ビターなチョコでダイエットと健康促進は甘い夢物語? 2006年8月22日(火)

食べ物(Food)
ビターチョコ2種

Canon EOS 10D+SUPER-TAKUMAR 50mm(f1.4), f2.0, 1/8s(絞り優先/三脚)



 巷で流行っているという噂は以前から耳にしていた、ビターチョコ。ふと思い立って、今回初めて買ってみた。「発掘!あるある大事典2」のチョコダイエット特集を観たからではない。私は体脂肪13パーセントで脂肪が足りないくらいなのだから。
 特に選り好みしたわけではなく、目についたこの2つを選んだ。明治のチョコレート効果86%と、ロッテのカカオの恵み85%。早速食べてみることにした。
 まずは明治の86%から。うっ、こりゃにげぇ。まさにビター。予想を超える苦さに一瞬顔が歪む。でも、そのうちほのかな甘みが口の中で広がってきて、最後はそんなに不快ではなくなる。口の中にやや苦みは残るものの、2列は食べられそうだ。
 続いてロッテの85%の方を。おっ、これはずいぶんマイルドだ。カカオ1%の差とかそんなことではもちろんなく、味付けが優しくて食べやすい。普通のチョコに近い感じで、苦さにも嫌味がない。逆に言うと、ベリー・ビターを求めてこれを食べるとかえって物足りないくらいかもしれない。
 他の製品と食べ比べたわけではないのでよくは分からないけど、初めてならロッテの85%をおすすめする。やっぱり少しでも食べやすい方がいいし、ビターチョコでダイエットするつもりならこっちの方が続きやすいと思う。それで満足できなくなったときは、明治の最終兵器カカオ99%というのがあるので心配無用だ。これはもはやチョコの域を超えてると話だけど。

 ダイエット効果に関してだけど、「あるある」を見る限り、けっこうきつそうだ。70%以上のカカオ成分でできたビター・タイプを一日50g、朝昼晩の食前に食べると効果があるというものだった。メシ前にチョコってどうなんだと考えてしまう。さあ、おなかが空いたからこれから美味しいものを食べるぞーってときに板チョコ1列食べてしまったら中途半端におなかがふくれてご飯が美味しくなくなってしまいそうだ。実際、ダイエット効果の中に満腹中枢を刺激してごはんをたくさん食べられないようにするというものあった。
 一番効果的なのは、間食が習慣の人がお菓子なんかの代わりにビターチョコを食べるとやせる、というものだった。そりゃそうだろうと思う。更に言えばチョコさえもやめてしまったらどうだろうとアドバイスしたい。
 その他、基礎代謝を上げる効果があるから脂肪燃焼効率がよくなるとか、ダイエットではないけどポリフェノールがコルステロール値を下げて動脈硬化を防ぐなんて効果もあるという。意外にも食物繊維がたくさん含まれていて便秘にも効くんだとか。
 カロリーは思うほど高くなく、虫歯になるというイメージは砂糖が少ない分、ビターチョコに関してはあまり心配しなくてもいいようだ。
 いろいろ話を聞いたり調べたりしたところでは、ビターチョコに悪いところはなさそうなので、ダイエットの一環として取り入れてみてもいいように思う。ただし、チョコに対してアレルギー体質の人がいるそうだから、そういう人には向かない。チョコを食べて頭痛がしたりしたらやめた方がいい。チョコを食べると鼻血が出る人はもちろん駄目だ。
 あと、犬や猫なんかにチョコをやるのも厳禁だという。

 チョコレートの元であるカカオは、今から4,000年以上前から中米などで自生していたと言われている。カカオ椰子の木の幹にカカオ・ビーンズというラグビーボールようなものがなり、その中にびっしりとカカオの種が詰まっている。
 古代のメキシコではこれに目を付け、すりつぶしたものを水に溶かして、はじめは神の儀式に使ったり、王族たちだけが飲んだりしていたようだ。カカオ100%のビターチョコはさぞかし苦かっただろう。
 人が今のようにチョコレートを美味しいものとして食べるようになったのは、まだほんの500年ほど前だ。チョコの歴史は意外と浅い。コロンブスもスペインに持ち帰ったのに、苦いだけの豆に使い道を見いだせなかったという。
 はじめてチョコを美味しくすることに気づいたのはスペイン人のコルテスという人物だった。ハチミツとバニラを混ぜ合わせて王族に出したところたいそう評判になり、王様はこのことは100年外国には知らせてはならぬぞと命じたほどたった。しかし、それからほどなくしてチョコの美味しさはヨーロッパに広く知れ渡ることとなり、様々な工夫がなされ、一般的な飲み物、食べ物となっていったのだった。
 日本に渡ってきたのは、江戸時代の初期のこと。最初に製造したのは風月堂というところで明治元年だった。その名も「貯古齢糖」。美味しいんだかまずいんだかイメージしにくい文字だ。あまり評判になることもなく、ごく一部の階級でのみ食べられていたという。そもそも庶民には高すぎた。
 現在のチョコに近いものは、明治32年に森永が作ったミルクチョコレートが第一号だ。砂糖とミルクを混ぜ合わせることに成功して、これが現在へと続く流れを生んだと言っていいだろう。大正15年(1926年)には明治が続いた。ロッテは1961年からだから、他とは少し歴史が違う。

 日本は世界でひとり当たりのチョコレート消費量第15位だという。思ったより低い。バレンタインデーで年間の2割というから、上位の国はよほど日常的にたくさんのチョコを食べていることになる。1位はスイスで、2位はノルウェイだそうだ。スイス人は年に10kg近いチョコを食べているというからすごい。アメリカでさえ9位で5kgなのに。甘いものが苦手な人はスイス人にはなれないな(そういうことなのか?)。
 私はチョコ好きだけど普段はあんまり食べない。特に大人になってからはほとんど食べなくなった。バレンタインデーにもらえないからいじけてる、というわけではない。けど、思い起こしてみると子供の頃はよく食べていた。板チョコではなく、いろんなチョコレート菓子を。
 チロルチョコ、ビックリマンチョコ、不二家のペンシル、チョコレートボール、ポッキー、マーブルチョコ、アポロ、小枝、キットカット、きのこの山、たけのこの里、コアラのマーチなどなど。学校帰りに「なんでも屋」で買い食いしたのも楽しい思い出として残っている。
 大人になってチョコレートと楽しくつき合っていくにはいくつかの道がある。ひとつは、高級ブランドチョコ。モロゾフ、ゴディバ、ピエールマルコリーニなどを自分で買って食べる。これはけっこう贅沢だ。もうひとつは大人買い。子供の頃は親にねだってもなかなか買ってもらえなかったチョコをコンビニで片っ端から買ってやるのだ。気持ちいいだろうな。
 個人的におすすめしたいのがチョコの手作りだ。市販のチョコを買ってきて溶かすといった安易なものではなく、カカオから作ってしまって欲しい。できればカカオビーンズを現地まで穫りに行くのが望ましい。そこまでしてこそ真の手作り。ビターでスウィートな手作りチョコを待ってます、来年のバレンタインデーに。

矢田川と香流川の合流地点はちょっとした夕陽スポット 2006年8月21日(月)

海/川/水辺(Sea/rive/pond)
矢田川と香流川の夕陽

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/40s(絞り優先)



 茶屋ヶ坂自動車学校(名古屋では「車校(しゃこう)」と言う)から奥に入っていったところに、ちょっとした夕焼けスポットがある。矢田川(やだがわ)と香流川(かなれがわ)が合流するポイントで、橋が架かっていて視界も開けているので正面に夕陽を見ることができる。
 車を走らせているといい感じに焼けてきたので、今日も寄ってみた。ちょっとタイミング的に早かったけど、しっかり夕陽と夕焼けを見ることができてよかった。それにしてもいつの間にか日が暮れるのが早くなったな。

 近所を流れる矢田川と香流川はとても身近な川だ。けど、意外と関わりは浅く、知識も少ない。毎日のように見たり橋を渡ったりしてる川についても案外知らないものだ。たとえば、どこから流れが始まって、どこを通ってどこに流れ込んでいるのかといったことさえあまり考えたことがなかった。
 地図を見てみると、香流川は長久手町から始まっていることが分かる。かつての青少年公園、今の愛知万博会場跡地近くが源流のようだ。三ヶ峯というところらしい。香流川砂防公園というのがあるから、そのあたりかもしれない。
 何年か前まで、香流川の上流には名古屋でも珍しくなったヒメボタルが生息する場所だった。最初に激減してしまったのは青少年公園の整備によってで、完全に絶滅に追い込んだのは愛知万博会場だった。自然の叡智をうたいながらも万博が壊してしまった自然は小さくない。10年くらい前までは下流の方でもゲンジボタルがかなり飛んでいたそうだけど、それも今ではほとんど見られなくなった。見た目はさほど悪くない香流川の水も、生物にとってはあまり棲みやすいところではないようだ。
 長久手から守山区に入った香流川は藤ノ木川と合流して西に進み、名東区に流れ込む。ここからが桜並木の始まりだ。地元ではここの桜が一番きれいだと私は思っている。両岸に500本の桜が2キロに渡って続いている。3、4年くらい前まではまったく有名ではなくて地元の人間が散歩してるくらいだったのに、ここ数年どっと人が訪れるようになった。新聞か何かで紹介されたのだろう。昔の閑散とした満開の桜並木が好きだったので、ちょっと残念に思っている。
 香流川という名前の由来にはいくつかの説がある。応仁の乱のときに焼けたお寺の残骸が川に落ちて流れ、お香の匂いがするので川底を掘ってみたら黄金の仏像が見つかって、それで香が流れる川で香流川になったのだとか、孝行者の娘が川で薪を拾っていたらイノシシに襲われて、必死に逃げながら神様に祈ったら川が急に水かさを増して娘は無事両親の元に帰ることができて、娘のきれいな心の香りが流れる川となったなどという話もある。今はそんないい香りはしないし、カナレというとどうも萩原流行を思い出してしまいがちな私なのだった。

 名東区と千種区の境目あたりで、守山区を流れてきた矢田川に香流川は飲み込まれ、名前も矢田川となる。川の規模としては矢田川の方がずっと大きいので吸収合併は仕方がないところだ。
 矢田川の源流がどこかというのは難しい。瀬戸市の西で、瀬戸川、山口川、本地川が合流して矢田川と名前を変えるので、源流はいくつかあることになる。
 尾張旭と守山区を通って西に進んだ矢田川は、ナゴヤドームの北あたりで進路を北西に変える。北区の北側を通り、しばらく庄内川と並走した後、西区で庄内川と合流して、ここでは矢田川の方が飲み込まれ、庄内川となる。そのまま南西へと向かい、名古屋駅の西、中村区、中川区、港区と進み、最後は伊勢湾へと流れ込んで、川の旅は終わる。思えば長い道のりだ。
 香流川の象徴が桜並木とサイクリングロードなのに対して、矢田川は広い川辺と緑地が特徴だ。公園のようになっているところも多く、家族が遊んだりするのに向いている。犬の散歩もいい。
 矢田川というとなんとっても矢田の花火がここらじゃ有名だった。名古屋で一番大きな花火大会で、うちのベランダから唯一見られる花火だったのに、去年は愛・地球博で警備の人数が揃わないからというわけの分からない理由で中止になってしまった。今年は復活するだろうと思ったら、今度は採算が合わないからやめると言う。なんだそりゃ。そもそも花火大会って採算が合うものなのか?
 どこにあるのか知らないのだけど、矢田川河川噴水というのがあるらしい。高さ50メートルまで吹き上がる日本最大級の河川噴水なんだそうだ。機会があったら一度見てみたい。冬には大凧揚げ大会などもあるという。

 子供の頃は川で釣りをしたこともあったけど、大人になって川へ行くことはまったくなくなった。釣りもしないし、犬も飼ってない。川で泳ぐ趣味もないので、川へ行く用事がない。けど、気づけばここ数年、人並み以上に川へよく行くようになった。それは写真を撮るためだ。夕焼けだけじゃなく、街中では少なくなった広い空を求めて行くことが多い。それからなんといっても野鳥だ。冬場はどちらの川も、コガモ、マガモ、オナガガモなどがたくさん渡ってくる。今年も気の早い奴がひと月後くらいにはもうやって来るだろう。思いがけず川はとても身近なものとなった。
 今は大人も子供も、川へ行くことが少なくなったように思う。川で石を投げてる子供なんてのもめったに見られなくなった。川へ行くようになってまた魅力を再発見しつつある私としては、ぜひ川行きをおすすめしたい。水の流れというのは、海ほどではないにしても心のリセット効果があるような気がするし、都会の中では貴重なマイナスイオン源だ。川を見ると心が落ち着くし、少し切なくもなる。
 それに川には面白い人が多い。食パンの耳を大量にハトに投げ与えてるおばさまとか、趣味で水質検査をしてるおじさんとか(どう見ても職員とか研究者ではない)、オカリナを吹いてる女の人とか、川辺で体操座りをしながら遠くを見ている作業服のおじさんとか、なかなかにドラマチックだったりするのだ。
 これからの季節、私もこのへんの川に出没することが多くなると思う。川辺でカモを撮っているところを背後からそっと近づいて背中を押すのだけはやめてください。

安定した味付けの難しさを今さらながら知るサンデー料理 2006年8月20日(日)

料理(Cooking)
薄味サンデー

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f4, 1/30s(絞り優先)



 今日の気分は和食。名古屋の濃い味付けを離れて、関西風で迫ってみた。暑い日はあっさり味の方が食が進む。それから、パサついたものはこの時期つらいので、汁っぽいにした。そして完成したのがこの3品だった。

 左手前は白菜ロール。
 あまりロールになってないけど、これは具の分量を間違えたからだ。スティックにしたニンジンとアスパラと鶏肉の量が多すぎて太巻きになってしまった。恵方寿司じゃないんだから。もっと品よく小さく巻いて、3つくらい作ればよかったのだ。失敗。
 白菜をさっと茹でて、ニンジンはややしっかり、アスパラと鶏肉もそれなりに茹でて、白菜で巻いたら蒸す。煮てもいいんだろうけど、型くずれしやすいので蒸した方がよさそうだ。
 スープは、だし汁にコンソメの素と塩、コショウ。最後に長ネギの刻みと茹でておいた枝豆を乗せて出来上がり。
 味はややあっさり目。しょう油、みりん、酒の和風基本スープでもいいと思う。

 右は大根のあんかけ。
 大根は厚めの輪切りにして、やわらかくなるまでだし汁でしっかり煮る。
 あんは、だし汁にしょう油、酒、みりん、カニ缶、えのき、細切りにしたニンジンとタマネギを混ぜて、ひと煮立たせする。水溶き片栗粉でとろみをつけて、大根にかける。カニ缶というのがちょっとだけ贅沢か。

 奥のは、白身魚とジャガイモのヨーグルトカレー・ソース掛け。
 これはちょっと和風から外れて洋風になった。魚は初めてさわらを使ってみた。魚へんに春と書いて鰆。旬は冬らしいのだけど、どんなものか食べたことがなかったので試しに。味は少しクセのある白身魚で、特別どうこうということはなかった。ただ、身が柔らかくて、焼くと崩れやすいのでこういう料理にはあまり向かないようだ。皮付きのまま塩焼きにするか、旬の時期は刺身が美味しいらしい。
 ジャガイモは下ゆでしたあと輪切りにして、魚は塩、コショウを振って、オリーブオイルとバターで炒める。気分で白ワインも振ってみる。
 ソースは、飲むヨーグルトにカレー粉をたっぷり混ぜて作った。塩、コショウも少し。日本ではあまり料理には使わないヨーグルトだけど、けっこういろんなところで使える。特にソース作りのとき、いろいろな応用が利く。ご飯を炊くときにスプーン一杯のヨーグルト(味のないプレーンタイプ)を入れると、ご飯にツヤが出て柔らかくなるので、これもおすすめしたい。

 とこんな感じで今日のサンデー料理は関西人向けとなった。ただし、身近に関西人はいないので本当に関西風になっているかどうかは定かではない。
 濃い料理が好きな名古屋人には味付けが物足りないだろうか。三重県生まれ、名古屋育ちの私でも、関西の料理屋で食べると味があまりにも薄くてびっくりする。ということは、関西から名古屋に来る人は味付けの濃さに驚くのだろう。味噌煮込みうどんを見て、泥水につかったうどんと言った関西人もいたっけ。
 料理の回数を重ねていく中で何が一番難しいと感じるかといえば、当たり前なんだけどやっぱり味付けだ。ちょうどいい濃さにするのは本当に難しくて、毎回ふらついてしまう。濃すぎたり薄すぎたり。上手くいったとしてもそれはたまたまで、もう一度同じものを作れるという確信が持てない。最近は、自分で考えて作ったレシピが多くて、どれも初めて作るものだから、よけいに難しく感じる。味見の時点で感じる濃さと、完成して皿に盛りつけて食べたときと感じ方がけっこう違うので、そのへんのズレが感覚的にまだ掴めない。安定した味付けができるようになるには、もっと作っていかなければならないようだ。
 私自身、あまり味に敏感な方ではないから、ここはひとつ、優秀な舌を持つ助手を雇いたい。報酬なしで、私のサンデー料理の味見をしてくれるご意見番を募集します。私が金子信雄をやるので、東ちづるをやってくれる人の応募をお待ちしてます。

成田山へ行くべきか神田明神へ行くべきかそれが問題だ

神社仏閣(Shrines and temples)
犬山成田山




 いつの頃からか「成田山ステッカー」を貼った車をほとんど見かけなくなった。全国的なものなのかどうなのかよく分からないのだけど、10年か15年くらい前までは、名古屋を走る多くの車に成田山のステッカーが貼られていた。白地に緑色の「田」の字のステッカーといえば思い出す人も多いんじゃないだろうか。
 気になって検索してみたらまだ売られていた。それでも昔に比べたら売上げはがた落ちだろう。それともみんな持っているけど貼っていないだけなんだろうか。
 成田山はどんなお寺なのかと、この前初めて訪れてみた。といっても千葉にある総本山の新勝寺ではなく、犬山の成田山だ。愛知県民にとっての成田山はここと相場が決まっている。メイダイと言えば明治大学ではなく名古屋大学のことであるように。
 第一印象は、とても立派だけど何かが違う、といったものだった。イメージしていたものよりも新しすぎるというか、古めかしさがまったくない。歴史的建造物というより宗教施設といった趣だ。もっと古色蒼然とした古刹を想像していた。
 正式名称は大本山成田山名古屋別院大聖寺。創建は昭和28年と新しい。風格が出てくるまでにはまだ数十年かかりそうだ。
 ご本尊は本家と同じ不動明王。御利益は、交通安全が主なもので、その他、家内安全、商売繁盛など。ペットの健康祈願なんてのもある。
 犬山城の東の小高い山の上に建っていて、見晴らしはいい。夜景のちょっとした名所にもなっていて、花火大会もここからよく見えるらしい。初日の出も拝めるということで、初詣客でもたいへん賑わう。大晦日の夜は先着順で除夜の鐘を鳴らせるとか。

 本家である成田山明王院神護新勝寺は940年開山というから、さすがに歴史が違う。宗派は新義真言宗智山派。総本山は京都東山の智積院で、名古屋では大須観音宝生院が別格本山となっている。
 成田山新勝寺(しんしょうじ)と平将門がすぐに結びつく人は歴史好きか成田山の近隣住人だろう。私は成田山について勉強するまでまったく知らなかった。話はこうだ。
 時は平安時代中期、関東で勢力を伸ばしていた平将門は、自分の意志とは関係ないところでいくつかの争いに巻き込まれて、気がつけば朝廷に目を付けられる存在となっていた。それでも強気を弱めない平将門は、朝廷の怒りを買い討伐対象となってしまう。いくつかの戦いに勝ち、また負け、とうとう取り囲まれる格好になった939年、朱雀天皇の命を受けた僧の寛朝は、京都の高雄山神護寺にあった空海が彫った不動明王を抱えて東に向かった。そこでの不動護摩の儀式が効いたのか、翌940年、平将門はついに破れ、平将門の乱は平定されることになる。
 役目を終えた寛朝は、不動明王を再び抱え京に戻ろうとするも、不動明王はどうしたことかぴくりとも動かなくなってしまった。そのときどこからか声がする。ここにとどまってこの地を守ることにした、と。そういうことならと、そこにお堂を建てて新勝寺としたのが成田山の始まりというわけだ。ただ、現在の場所になったのはもっとあとの1560年代という話もある。
 といったいきさつで建てられた成田山なので、平将門ファンの人はうかつにお参りにいくのはまずいかもしれない。平将門とその家来の子孫の人たちは千年以上経った今でも成田山へは決して近づかないという。

 成田山は現在、8つの別院、12の分院、その他末寺や末教会を各地にたくさん持つ大勢力となっている。新勝寺は初詣客日本一の寺で(神社をあわせると日本一は明治神宮)、年間1,300万人も訪れるというから、これは日本人の10人に1人が行っていることになる。みんなで行けば平将門の怨霊も怖くないということか。
 成田山が人気を集めるようになったのは、不動明王をたびたび公開するようになった江戸時代からのようだ。ちょうど場所的にも江戸から3泊4日くらいの距離にあったということで、成田山詣では庶民の憧れとなったんだとか。
 更に名を高めたのは歌舞伎役者の初代市川團十郎だった。子宝に恵まれなかった團十郎が成田山に詣でて子供が生まれたことで成田屋を名乗るようになり、更に不動明王が登場する芝居をしたことで成田不動はますます庶民の信仰対象となったのだった。

 ところで不動明王とはどんな神様なのだろうか。それも知らなかったので少し勉強してみた。
 元々はインドのヒンドゥー教シヴァ神のことなんだそうだ。それが中国に渡って、空海が日本に紹介したことで広まり、真言密教の中では、大日如来の化身(または使者)とされている。
 左手にはどんな人間も仏の道に引き込むための索(なわ)を持ち、右手にはあやまった行いをやめない人間の煩悩を断ち切るための利剣を握り、顔はとても怒っている。この怒りの形相は人間そのものに向けられたものではなく、迷いを捨てきれない人間に対して叱り飛ばしてでも信仰の道に導こうという父親のような怒りであるという。背中には火まで背負っている。奴僕(ぬぼく)の姿をしているのは、災難があればどこへでも駆けつけていくためだ。不動なのにと思うかもしれないけど、動かないのは自分ではなく確かな信念が動かないという意味だそうだ。
 お不動さんなどと呼ばれ、庶民からも親しまれているのは、このあたりの親身で熱いところからなのかもしれない。
 日本三大不動尊は、三井寺の黄不動青蓮院の青不動高野山の赤不動の三つだといわれている。

 何も知らないままふらりと出向いた成田山だったけど、帰ってきてから勉強してみたらまた違う思いも生まれた。交通安全のステッカーを売ってるだけのお寺ではなかった。
 さて、空海作の不動明王を詣でるべきか、それとも平将門を恐れるべきか、それが問題だ。まずは平将門を祀ってある神田明神にお参りに行くのが先だろうか。そのときの感じでどっちか決めることにしよう。

 江戸のヒーロー将門さんに挨拶して味方に付けよう神田明神
 
【アクセス】
 ・名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約12分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日(無料)

 犬山成田山webサイト
 

今でもホオズキは鳴らせないけどやり方は知っている

風物詩/行事(Event)
なつかしのホオズキ

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f2.8, 1/25s(絞り優先)



 私が小さくてまだ可愛かった頃、夏休みに母方の祖父母の家に行くと、庭にホオズキがなっていた。物珍しくてあれは何だと訊ねるとホオズキだという。こうやって遊ぶんだよと親戚のお姉ちゃんが中身をくり抜いてビュービュー鳴らしてみせてくれた。コツは実をしつこいくらいにもみほぐしてから種を抜き取ることだという。私も何度か挑戦してみたのだけど、ついに成功することはなかった。どうしても皮が破れてしまうのだ。田舎の人間ってある意味すごいなと子供心に感心したのを覚えている。母親もやっぱり上手だった。
 あれから時は流れ、もはや誰も可愛いと言ってくれなくなった私は、久しぶりにホオズキを手にすることになった。子供の頃の記憶がふいによみがえる。たぶん、もう一度挑戦しても上手く鳴らすことはできないだろうから、眺めて写真を撮るだけにしておいた。親戚のお姉ちゃんもおばちゃんとなったけど、今でもホオズキを上手く鳴らすことができるのだろうか。子供たちにやり方を伝えているのかな。

 かつてホオズキは日本中で当たり前にあったものだった。民家の庭には普通に植わっていたし、畑の隅っこなどでもよく見かけたものだ。この袋の中に先祖の霊が入ってお盆に還ってくると信じられていて、仏前やお墓に供えるのが一般的な風習だった。今はそういう光景はあまり見られない。ホオズキそのものを見たのもずいぶん久しぶりな気がする。
 日本にあるホオズキの原産地は東アジアだそうだ。ずっと古い時代に渡ってきたと言われている。世界には80種類ほどあって、東南アジアや南北アメリカにほとんどあるそうだ。
 最初に登場したのは『古事記』で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の目はアカカガチのようだったと書かれている。ホオズキは昔、カガチと呼ばれていたらしい。
 漢字では一般に酸漿と書く。それ以外にも、見た目から鬼灯という字を使うこともある。これは中国語から来ているようで、赤い提灯のことだそうだ。英名もそのままChinese lantern plantとなっている。
 ホオズキという言葉の由来は、実を頬に含んで鳴らすところから頬突きが転じたものだとか、カメムシを昔ホオと呼び、カメムシが好きな植物だからホオ好きだとか、ホは火を表しツキは染まるという意味の著でホホツキと呼ばれたなどの説がある。

 日本におけるホオズキは観賞用だったり、お盆用だったりして食べるという発想はない。実際、日本にあるホオズキはひどくまずい。鳴らすために皮を口に含むとなんといえず酸っぱい。それがヨーロッパなどでは普通にフルーツとして食べられているんだそうだ。もちろん、種類の違う食用のホオズキなのだが。見た目もちょっとミニトマトっぽいし、ビタミン、ミネラルも豊富で、味も甘くて美味しいというから、近い将来日本でも流行るかもしれない。みのもんたが紹介すれば一発でブームになるに違いない。マチャアキのところに送ると、またお中元かとうるさがられて捨てられる恐れがあるのでやめておいた方がいいだろう。
 江戸時代に始まった浅草の浅草寺のほおずき市は特に有名で、毎年60万人も訪れるというから大した賑わいだ。全国でも各地で行われているというから、ホオズキそのものは私の知らないところでもしっかり受け継がれているようだ。
 最近は栽培用としてアメリカ原産のセンナリホオズキという品種がよく売られているという。
 実ばかりが有名だけど、ちゃんと花も咲く。6月から7月にかけて淡い黄色の花をつけ、花が終わると萼(がく)の部分が成長して実を包み、最初緑色をしていたものがだんだん赤く色づいてきて、中身も赤く熟す。実を取らずにそのままにしておくと、ガクの部分が網目に枯れてきて中の赤い実が透けて見えるという面白い造形になる。

 私たちの世代は、古い時代からの風習を受け継ぐことができた最後の世代かもしれないと思うことがある。ホオズキ鳴らしに限らず、メンコ、凧揚げ、カルタ、ビー玉なんかの遊びにしても、一通りはやってきた。竹とんぼも作ったし、竹馬にも乗って遊んだ。古い時代を懐かしむ懐古趣味はないけど、子供時代の素朴な遊びを思い出に持てたことは幸せなことだと思う。ホオズキは上手く鳴らすことができなかったけど、素敵な記憶は残った。

夕方起き出し夜に美しく咲くオシロイバナは夜蛾と共に

花/植物(Flower/plant)
白粉花というと和風っぽいけど

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/125s(絞り優先)



 子供の頃からお馴染みのオシロイバナ。小学校の校庭に咲いていたのを覚えている。白粉花と漢字で書くと純和風だけど、見た目は日本っぽくない。いかにも南国風だ。
 原産地はメキシコまたはペルー。英名はMarvel of Peru、訳すとペルーの不思議。なるほど、それで納得した。やっぱりこれは暖かいところに咲く花だ。
 どのあたりが不思議かというと、写真のようにいくつもの色が混ざるように咲くからだ。一番多いのが濃いピンクで、ついで黄色、白花もある。
 この花は他にもいくつかの異名を持っている。面白いのがCommon Four O'clockという呼び名だ。フォー・オクロック、つまり4時。花が午後4時頃から咲いてくるところから付けられた。外国でもそれくらいの時間から咲いてくるのだろう。この写真を撮ったのがちょうど4時過ぎで、花が半分くらい咲いてきているところだ。8時半の男、宮田みたい。最近、5時から男って使わなくなったな。
 Beauty of the Nightという名もある。フランスでは午後の美人というそうだ。
 中国名は、洗澡花。風呂に入る時間といった意味らしいから、この花に関しては世界中でほぼ共通の認識が持たれているということだろう。日本でも夕化粧という別名を持っている。花の名前を付けるセンスは日本人が世界一だと思う。
 白粉花の由来については知ってる人も多いだろう。黒い種を割ると中から白い粉が出てきてそれを鼻からストローで吸うと……ってそうじゃなくて、その粉を白粉のように顔に付けて遊んだことがある人も多いと思う。そこからだ。名付け親は、江戸時代の博物学者、貝原益軒だと言われている。

 日本にやって来たのは江戸時代のはじめ頃。どういうきっかけでどういう経路から入ってきたのかは分からないけど、初めてこの花を見た江戸の庶民はどんなふうに思ったんだろう。名前の通り、ペルーの不思議を感じただろうか。江戸時代というと鎖国してたから外国のものは完全に遮断していたような印象があるけど、実際はそうじゃなかっただろう。長崎の出島なんかもあったし、私たちが考えている以上にたくさん異国のものに触れる機会があったんじゃないかと思う。人工物だけじゃなく動植物に関しても。その驚きや感動は、きっととても強烈で純粋なものだっただろう。それはある意味うらやましくもある。
 オシロイバナは現在、北海道をのぞく日本のいたるところで咲いている。元々は観賞用として育てられていたものが、半ば野生化してるものも多い。とても丈夫なので、上の部分を全部刈り取ってしまっても根っこが残っていればすぐにまたぐんぐん生えてくる。そのへんに咲いてるオシロイバナから種をいくつかもらってきて庭に放り投げておけば、忘れた頃にびっくりするくらい生えてくるだろう。スイカの種もこれくらい増えてくれると嬉しいんだけど。
 昼間のうちは派手な色で虫を誘い、夜になると香りで呼び寄せる。こういうラッパ型の花なので、口の長いやつじゃないと花粉まで届かないから、蜜を吸える虫は限られている。スズメガあたりがその代表のようだ。

 かすかな香りを放ちながら夜の中で咲き、朝の9時くらいには花を閉じるオシロイバナ。完全に夜型だ。私もそんな生活をしてたことがあったっけ。あの頃の私なら、おまえはオシロイバナか! というツッコミが入れられた。
 花期は6月の終わりから10月までとけっこう長い。ただ、この花を見るともう夏だなと思うけど、この花を見なくなるともう秋だなとは思わない。派手な割にはさほど存在感は強くない。花好き、野草好きの間でもあまり人気はないような気がする。
 オシロイバナは、B級グラビアアイドルみたいだ。出てきた当初は少し話題になるけど、いつの間にか消えてしまい、みんなに忘れられる。こんなに派手なのに。こんなにもきれいなのに。シェイプUPガールズみたい。
 夕ぐれニャンニャンは遠くなり、『夕暮れ族』の山本奈津子が好きだったのも昔の話。それにしてもオシロイバナというやつは、なんだか昔のことを思い起こさせる何かを持っているらしい。

ハンター・アイは今年の夏もセミをおみやげに持ち帰る

虫/生き物(Insect)
アイのおみやげアブラゼミ

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f1.8, 1/200s(絞り優先)



 この夏もうちのアイ(推定5歳メスの黒猫)はハンターだ。トカゲ、ヤモリ、スズメの子、蛾、クマゼミなどを生きたまま口にくわえて持ち帰ってくる。本能から捕らずにはいられないのか、私に見せて誉めてもらいたいのか、あるいは私を養っているつもりでいるという説もある。
 このアブラゼミは昨日の深夜におみやげとして持ってきたものだ。鳴かなかったからメスだろう。少し撮影に協力してもらって、そのあと放したら元気に飛んでいった。短い命なんだから、もうアイに捕まったりしないようにな。
 大人になってセミ捕りなんてのはまったくしなくなったけど、アイのおかげで毎年セミに触れることができる。少年時代を思い出して少し嬉しい。でもアイ、どうせならカブトムシやクワガタがいいな。もしオオクワガタなんかを捕まえてきたら、好きなだけエビとホタテを食べさせてあげるぞ。

 熱帯や亜熱帯の森林を中心に、世界には3,000種類のセミがいると言われている。小さなもので2センチくらい、大きなものは13センチもあるという。その名もテイオウゼミ。マレーシアにいる。これだけ大きいと見ても嬉しいというより怖いだろう。子供は泣き出しそう。
 日本は世界一たくさんの種類のセミがいる国だそうだ。亜種などを入れると30種類くらいいるらしい。知ってるのを挙げてみると、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、ハルゼミあたりだろうか。クサゼミ、エゾゼミ、チッチゼミなんてのもいるという。
 セミといえば夏と思うけど、ハルゼミのように春に生まれるやつや、チョウセンケナガニイニイのように秋に出現するものまでいろいろだ。西日本と東日本でも違いはあるし、低地や山地、都会と郊外でも差はあるので、地域によってセミといってもイメージするものはけっこう違いが大きいのかもしれない。たとえば、西日本は近年アブラゼミよりもクマゼミの方が多いという。関東から東の人にとってそれはちょっと信じられないんじゃないかと思う。
 時間や天候によってもセミの鳴き声は違ってくる。午前中はクマゼミがシャーシャーシャーシャーと元気よく鳴き、暑くなってくる午後はアブラゼミやツクツクボウシが取って代わる。クマゼミは暑いと鳴かない。夕方になって少し涼しくなるとヒグラシの出番だ。カナカナカナカナカナと寂しげな鳴き声が山の方から聞こえてくる。ニイニイゼミやミンミンゼミの鳴き声が今でも聞こえるところに住んでいる人は幸せだ。都会ではなかなか聞くことができなくなった。近年は夜中でも明るいので、一晩中鳴いてるセミもいる。

 アブラゼミは、誰もが知っているセミの代表と言っていいだろう。日本中どこにでもいる。しかし、沖縄にはアブラゼミはいないんだそうだ。その代わり沖縄にはリュウキュウアブラゼミというのがいる。目が緑色をしてるやつだ。
 日本では最も一般的なアブラゼミも、世界の人に見せるとなんて変わったセミなんだと驚く。世界のセミ・スタンダードは翅が透明だからだ。アブラゼミのように翅に色が付いたセミは非常に珍しい。珍しいから美しいというわけでもないだろうけど。
 アブラゼミの名前の由来は、油紙のような翅の色をしてるからという説と、ジージージージリジリジリという鳴き声が油を煮立たせるときの音に似てるから名づけられたという説がある。個人的には鳴き声からだろうと思う。セミの特徴はなんといっても鳴くということで、ミンミンゼミやツクツクボウシなどのように鳴き声を元にしたという方が自然だから。
 蝉の語源はもうひとつはっきりしないのだけど、単純に蝉の音読みが「せん」なのでそれが「せみ」に転じたということでいいのかもしれない。「三国志」の貂蝉は、そういえばちょうせんだ。
 蝉という文字は、平安の歌人「蝉丸(せみまろ)」がいるし、『源氏物語』には「空蝉」がある。日本でもずっと昔からいたのだろうと思う。
 松尾芭蕉の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の蝉は、季節的にニイニイゼミだろうということだ。確かにアブラゼミではこの句は生まれそうにない。

 セミは地上に出てきてから一週間とか二週間とかしか生きられないからかわいそうだと言われることが多い。でも本当にそうだろうか。たとえばアブラゼミは幼虫として土の中で4年か5年生きるし、長いやつは17年も幼虫で過ごすのもいる。サナギにもならない。一生ということで考えると、セミは昆虫の中でかなりのご長寿さんなのだ。案外、幼虫時代は土の中でぬくぬくと幸せに生きてるんじゃないだろうか。生涯の最後、地上に出てくるのはおつとめを果たすためで、あの鳴きっぷり半ばやけっぱちなのかもしれない。本当のところはセミに訊いてみなければ分からないけれど。
 一時、名古屋はすごくセミが減ったことがあった。いよいよ地球も変になったかと心配したけど、ここ数年はまた勢いが戻ってきたようだ。今日も川沿いの桜並木を歩いていると、耳がおかしくなるくらいの大合唱だった。まさに蝉時雨。蝉の鳴き声がシャワーのように頭上に降りそそぐ。
 たまにはうるさく感じることもあるけど、やっぱり日本の夏にセミの鳴き声は欠かせない。お盆も過ぎて、そろそろ夏も終わりに向かい始める頃だけど、まだもうしばらくはセミの声を聞いていたい。アイもまだ捕まえ足りないと思っているだろう。でもアイ、いくら捕ってきても私はセミは食べないぞ、沖縄県民じゃないんだから。

野鳥好きと言えるようになるまでの長い道の二歩目あたり

野鳥(Wild bird)
田んぼにいたけどカワラヒワ

Canon EOS 10D+Tele-TAKUMAR 200mm(f5.6), f8, 1/250s(絞り優先)



 田んぼのあぜ道で、飛んでるトンボを撮ろうと四苦八苦していると、ふいに鳥が飛んできて目の前の地面にとまった。わっ、何か知らないけど撮っておこっとそちらにカメラを向けて、マニュアルレンズをぐりぐり回してピントを合わせてまずは一枚。と、次の瞬間パッと飛び去ってしまった。うわー、待ってくれーという心の叫びが届くはずもなく、たった一枚しか撮れなかった写真がこれだ。いかん、ピントが合ってないではないか。今さらながらオートフォーカスという発明の偉大さを知る。タクマーのピントリングをぐりぐりぐりぐり回してる間にも時は流れていく。こりゃ、動いてるものは撮れないな。飛んでるトンボやツバメもかなり粘ってはみたものの、撮れっこないというという結論に達したのだった。

 初めて見るこいつはカワラヒワ。翼の後ろの黄色が目印だ。飛んでるときはこの黄色がよく目立つ。
 遠目で見るといたって地味な鳥で、普通の人はスズメと思って終わりだ。褐色というかオリーブ色というか、人間でもこの色の服を着こなすのは難しい。目立たない色すぎて逆に目立ってしまうくらいだ。どんだけ地味なんだとツッコミが入りそう。
 しかし、カワラヒワという鳥の存在を知って、そこから野鳥に興味を持ち始める人もけっこういるというから、地味も度を超すと何らかの意味を持つということかもしれない。黄色のワンポイントも効いているといえば効いている。
 日本では北海道のみ夏鳥で、あとは全国に一年中いる。とてもありふれた鳥だというけど、個人的にはそれほどとは思わない。私はまだまだ一般人寄りなので、カワラヒワってどこでもよく見かけるよね、などと話しかけられるとちょっと返答に詰まる。
 名前の通り、河原などにいることが多いけど、田んぼや里、雑木林などにもいる。街の公園などではあまりいないかもしれない。
 国外では中国、朝鮮半島にもいるようだ。

 大きさはスズメと同じ15センチくらい。肌色のクチバシは、丸っぽくてぶ厚い。たらこ唇みたい。
 足はピンク色で細くて頼りない感じ。カワラヒワのヒワというのは「ひ弱」から来てるらしいから、この細い足からそう名づけられたのかもしれない。
 漢字は河原鶸。英名はOriental Greenfinch。東洋のカワラヒワだからそのままだ。finchは円錐形のクチバシを持つ鳥の総称でもある。
 太いクチバシは、木の実を割って食べるのに適している。ヒマワリの種が好物らしく、器用に割って中身を食べるらしい。庭にヒマワリの種を置いておくと、カワラヒワがやって来て食べる様子を見られるかもしれない。または通りすがりのメジャーリーガーが盗み食いする姿を見るチャンスでもある(そんなメジャーリーガーはめったにいない)。
 アトリ科の特徴として、M字型の尾っぽというのもある。エビフライの尾っぽみたいだ。
 ヒワの仲間としては、ベニヒワやマヒワなどがいる。
 カワラヒワの亜種は3種類。普通種はかつてコカワラヒワと呼ばれていたそうだ。それは冬鳥としてオオカワラヒワというのがやって来るからだ。小笠原諸島にはオガサワラカワラヒワというのがいるらしい。
 オオカワラヒワはカワラヒワに比べて体がひとまわり大きくて、三列風切の外の白線が太いというのだけど、私にはたぶん区別がつかない。

 世の中にはスズメに似たスズメ以外の鳥がたくさんいるのだということを知ったここ1、2年。ようやく、スズメとホオジロの区別がつくようになり、今回カワラヒワのこともある程度分かった。
 バードウォッチングの楽しさは人それぞれだけど、私は魚釣りに似てるといつも思う。魚釣りは単純に釣れたら嬉しいけど、それだけじゃ物足りなくなって、いろんな道具を揃えたり、研究をして、いろいろな魚を釣ってみたくなる。あれに近い感覚がある。それくらい鳥の写真を撮るということは難しくもあり、専門的な道具も必要になり、勉強もしなくてはならないということだ。運にも大きく左右される。そのへんの偶然性の面白さもある。ただ見るだけじゃなく写真を撮ることを目的とした場合、コレクション的な楽しさも加わる。トレカのレアカード集めに通じると言っていいだろう。
 私はまだ一歩目、二歩目といったところで鳥好きと大きな声で叫べるところまではいってない(野鳥が好きだーと叫んでる人は見たことがないけど)。身近なところでも200種類以上いるという。私が撮ったのはせいぜい20種類くらいだろうか。先は長い。
 私もいつか、チャン・ドンゴンのように、あなたがしゅきでーす! と大きな声で言えるほどの野鳥好きになりたい。

ノウゼンカズラが似合うような人なら絡みつかれてみたい

花/植物(Flower/plant)
ノウゼンカズラという響き

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f6.7, 1/125s(絞り優先)



 ノウゼンカズラ。---その言葉には不思議な魅力がある。耳に触れると何故だかとても心地がいい。たとえばアルジャーノンのように。
 能と禅という言葉から世阿弥の幽玄世界が思い浮かんだり、「愛染かつら」に似ているということで悲恋を思ったりもする。パステル・オレンジの花は、トロピカルジュースにささっていそうな姿だけど。

 南国をイメージさせるこの花の故郷は、意外にも中国だった。日本には平安時代にやって来たという。平安貴族の庭先にもこの花が咲いていたのだろうか。だとしたら、平安人はこれを見て異国情緒を感じたことだろう。この色は日本にはなかった色だろうから。
 千年も日本で過ごせば、日本の風景にも溶け込む。今では夏を代表する花のひとつとなった。日当たりのいいところでオレンジの花を次々に咲かせては落とし、落としては咲かせる。花は基本的に一日花なのに、花期は6月から9月までと長い。それだけたくさんの花を持っているということだ。
 木の寿命も長く、朝鮮出兵のとき豊臣秀吉が持ち帰った木が今でも金沢の玉泉園に健在だという。
 つる性なので、木とか塀とかいろんなものにからみつき、まとわりついてどんどん伸びていく。とにかく丈夫なのがとりえで、日本の夏でも元気いっぱいなノウゼンカズラなのだ。

 漢字は凌霄花。読むのも書くのも難しい。初めは当て字で「乃宇世宇」と表記されていたようだ。凌霄は漢名で、読みは「のせう」や「のしょう」が後に「のうぜん」となった。もしくは、「りょうしょう」とも読む。
「凌」は「しのぐ」、「霄」は「そら」で、ツルがどこまでも伸びていって空をも凌ぐ高さになるという意味でそう名づけられた。
 貝原益軒が「花上の露目に入れば目暗くなる」と書いたことで毒を持っていると言われることも多いけど、実際は無毒だそうだ。昆虫たちもこの花が好きで、ハチやアリなどがたくさん集まっていた。
 古くは薬としても利用していたようだ。花は利尿剤として、茎や葉はリュウマチ、痛風などに効くと言われていたらしい。実際のところはどうかよく分からないので、私はなるべく近づかないようにしている。もしかしたら本当に毒があるかもしれない。フグだって食べない。

 ノウゼンカズラには、アメリカ南東部原産のアメリカノウゼンカズラというものもある。格好は似てるけど、もっと花が小さくて濃い赤色をしている。黄色いのもあるらしい。
 オーストラリア原産のピンクノウゼンカズラというのもあるそうだけど、これは見たことがない。他にも園芸品種がいくつかあるようだ。
 英語名はトランペット・クリーパー(trumpet creeper)。言われてみればトランペットに似てなくもない。いや、むしろ昔の蓄音機に似ている。
 いろんな木にからみつくことから、浮気性というような言われ方もする。

 ノウゼンカズラ。花を見るたびに口の中で言ってみる。そのたびにやっぱりいい響きだなと思う。何か私の心に触れるものがあるのだろう。それが何なのかはよく分からないのだけど。
 暑い夏の昼下がり、花もぐったりしてる様子のものが多い中、こいつは当たり前のような顔をして元気に咲いている。情熱的でもなく、クールでもなく、ごく普通に。暑苦しい感じがしないのもこの花のいいところだ。
 ノウゼンカズラには鎌倉がよく似合う。特に根拠はないのにそう思う。平安時代に伝わったのに京都ではない。やっぱり鎌倉だ。いつか、ノウゼンカズラを見ながら夏の鎌倉を歩いてみたい。歩き疲れたら、カフェのテラスでトロピカルジュースを飲もう。2本のストローで一緒に飲んでくれる人を募集してます。ノウゼンカズラを耳に差すのが似合う人希望です。

予定外だったサンデー料理は手探りで進み手応えなく終わった

料理(Cooking)
手探りサンデー料理

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f6.7, 1/20s(絞り優先)



 本来であれば今日はサンデー料理のことも忘れて田舎でのんびり過ごしてるはずだった。まさか直前になって車が言うことを聞かなくなるなんて思いもしない(何らかの原因でエンジンがオーバーヒート寸前)。いつものディーラーに電話したら、女の子の嬉しそうな声がお盆休みを告げていた。そっちもそうきたか。身動きがままらなくなった私は、なし崩し的にサンデー料理へと突入することになる。
 こんな状態なのでメニューはまったく考えてないし、食材も用意してない。かといって安易にどんぶりものなんかでお茶を濁したら負けのような気がした。誰かと勝負してるわけではないけれど、逃げるが負けだ。
 残りものを並べ、これまで作った料理を思い出しつつ、完成型が見えないまま手探りで作り始めた。そして、出来上がった料理を食べつつ思った。なんだかひどくとりとめがないなと。コンセプトもテーマもなく、とりあえず3品作りましたという感じだ。まかない料理かよ! と自分の家で自分のために作った料理を作った自分に対してツッコミを入れる私。劇団ひとりみたいだ。

 鮭は食べやすい大きさに切り分けて、塩、コショウを振ったあと、オリーブオイルとバターで焼く。ニンニクの刻みと、付け合わせのタマネギと一緒に。白ワインも振りかける。ソースは手作りホワイトソース。小麦粉、バター、牛乳でシンプルに。
 左のは見栄えが悪くなった。これを見てどんな料理か当てられる人がいたら、それは私の守護霊かストーカーくらいだ。勘では当たらない。
 イカを切り身にして、塩、コショウ、小麦粉、卵を付けて、バターで焼いたあと、とろけるチーズを乗せる。ソースは、マヨネーズと辛子しょう油をベースに、白ワイン、酢、砂糖、塩、コショウなど。
 奥のは、何を作ってるのか自分でも最後まで分からなかったやつだ。ジャガイモ、ニンジンを小さく切って茹で、切り分けた豆腐、枝豆も加えて煮込む。ソースがなんでこんな黄色なのかというと、カボチャをつぶして入れてあるからだ。ベースはヨーグルトと飲むヨーグルト。それに、卵白、山芋、マヨネーズ、塩、黒コショウ、バジル、白ワイン、砂糖などが加わっている。非常に微妙な味。甘いような酸っぱいような、形容しがたい未知の味だった。まずくはないけど、他のふたつとは合わない。作り終えたあとも、何を作りたかったのか自分でも分からなかった。

 今日はノートPCの入れ替え作業などもあって、てんやわんやの一日だった。のんきにサンデー料理なんて作ってる場合じゃなかったかもしれない。けど、もし今日料理してなかったなら、私はきっと敗北感のようなものを味わっていただろう。だから、やっぱり作ってよかったのだ。どうにかこうにか、最後は辻褄を合わせることもできたし。
 来週はもう少しまともな料理を作りたいと思っている。のだけど、もしかしたら来週こそ帰郷となるかもしれないので、まだ流動的だ。車のことも心配だし、落ち着かない日が続く。この夏はどうも腰のすわりが悪い。田舎に行って墓参りをして帰ってくるまでは気持ちのザワザワは収まらないだろう。
 料理に関しては、そろそろあちこちで行き詰まり感にぶつかっている。問題は食材だ。ここを広げていかないと、レパートリーは増えていかない。ご家庭で余った伊勢エビや越前ガニ、ウニ、イクラなどがありましたら、うちまで送ってください。美味しく料理して送り返しますので。私は美味しいものが食べたいわけじゃなく、美味しい料理が作りたいだけだから。料理を作っているとき味見してるだけで食欲がなくなり、回転寿司の回ってる寿司を見てるだけでおなかいっぱいになってしまう私なのです。

マスクメロンの地位が下がったのは幸せなことかな?

食べ物(Food)
渥美のマスクメロン

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/4s(絞り優先)



 網のないメロンなんてメロンじゃないやい! と、風邪をひいた小学校のときに駄々をこねたことがあるだろうか。私はない。心の中で思っていても、そういうことを口にする子供ではなかったから。
 かつては高級果物の代名詞だったマスクメロンも、今では中級果物くらいにランクダウンした感がある。日常的に食べるところまではいかないまでも、贈る方ももらう方もそれほどリキまなくなってきた。機が熟すのを待ちきれず、勢い余って食べてしまったらまだ全然固くて失敗した! なんてこともなくなり、むしろ食べることを忘れて熟しすぎてしまうことさえある。それは私が出世したからではなく時代が変わったからに他ならない。それは必ずしも幸せなことではないようにも思う。
 写真のメロンは、当然自分で買ったものではない。こんなもの自分で買うくらいならジャンクレンズを3本買う。ちょっとしたお盆の贈りものとしてもらったのだった。病気で寝込んでいるわけでもありません。ピンピンしてます。
 そういえば昔は、高級メロンなんてもらったら自分はよっぽど悪いんじゃないかと心配になったものだった。

 メロンが野菜に分類されていることに納得がいってない人も多いだろうけど、メロンはウリ科の野菜だ。トマトだってスイカだってイチゴだって野菜だから、メロンだって野菜と言われればそうなんだろう。区別としては、一年(もしくは二年)で実がなってそのまま枯れてしまうのが野菜で、実がなるまでに何年かかかって一度実がなったら毎年収穫できるものが果物というのが定義だそうだ。
 メロンに関して言えば、祖先が瓜(うり)だと思えば野菜と納得がいく。原産地は北アフリカという説が一応有力だそうだ。そこから世界に広がり、いろんな品種に分かれ、ヨーロッパ方面へ行ったものがメロンとなり、中国に伝わったものが瓜(マクワウリ)になった。当初はどれも今のように甘いものではなく、他の野菜と同じ扱いで作られ食べられていたのだろう。
 メロンの歴史は古く、古代エジプトやギリシャ、ローマ時代にも食べられていたようだ。日本でも弥生時代からあったと言われている。
 その後世界各地で様々に品種改良され、今のように甘い果物のようなメロンが作られるようになり、栽培方法も確立されていった。
 近代メロンが最初に栽培されたのは北海道だ。明治初期に開拓使の人たちによって実験的にメロンが栽培されたのだけど、このときはあまり上手くいなかったらしく、味も美味しくなかったということで成功には至らなかった。
 明治20年代になるとヨーロッパから種を取り寄せて温室メロンが作られるようになる。明治30年代にそれが成功し、当時は超高級品として富豪や高級役人にのみ食べられていたという。本格的な商売用メロンの栽培は、大正13年に静岡県で始まったとされている。
 翌14年にはイギリスから初めてネットメロンの「アールス・フェボリット」が持ち込まれて、一気にメロン熱が高まることになる。庶民は安いマクワウリを食べ、一部の金持ちだけがネットメロンを食べていたのだった。悔しくて瓜に網目を書いたやつがたくさんいたことだろう。
 一般人が美味しいメロンを食べられるようになるのは昭和37年に入ってからだ。マクワウリとカンタロープを掛け合わせたプリンスメロンの登場まで待たねばならなかった。この年は皇太子(今の天皇陛下)が結婚した年で、それにちなんで名づけられた。昭和に育った私たちがよく食べていたのがこのプリンスメロンだった。私はマスクメロンのニセモノだと思っていたけど。

 現在はいろいろな種類のメロンが作られている。安心ですメロンが縮まって命名されたアンデスメロンを始め、私は食べたことも聞いたこともないホームランメロンやクレオパトラメロンなんてのもあるそうだ。
 産地としては夕張メロンが有名だ。最初は悪口を言われた中身の赤いメロンを大変な苦労をして高級メロンに育てたというのを「プロジェクトX」でやっていた。写真は愛知県の渥美のメロンだ。ここもけっこう有名で出荷量も多い。メロン出荷日本一は意外にも茨城県の鉾田だそうだ。北海道はどこもたくさん作っている。北海道の笑い話として、スイカを盗むと停学で、メロンを盗むと退学になる、というのがある。満更笑い話でもないというから、それだけ北海道の人にとってメロンは大切な存在ということだろう。
 マスクメロンが高いのには理由がある。それは野菜や果物の中で栽培が一番難しくて手間がかかるからだ。種を蒔いて、収穫まで3ヶ月かかり、その間まったく目が離せない。特に網目をきれいに出そうとすると、ボーリングの球を磨きまくる人のように磨きまくりのメロン農家さんなのだ。メロンが成長する過程で表面がひび割れたところにあふれ出てきた果汁が固まって網目になる。ある意味あれがマスクメロンの命とも言える。きれいに細かく出ているものほど美味しいそうだ。
 マスクというのは、タイガーマスクとかのマスクではなく、ジャコウを意味するmusk、つまり、香りのいいメロンということだ。
 メロンの語源は、リンゴのようなウリを意味するギリシャ語のmelopeponから来ている。
 メロンは、体内の塩分を調整したり、コレステロールを減らしてくれる効果もある健康的な食べ物でもある。ただ美味しいだけじゃない。二日酔いにも効くし、高エネルギーだから、お見舞いの品としても最適というわけだ。
 もし、あなたが病気になってメロンが食べたくなったときは私を呼んでください。マスクメロンは高いからメロンパンとメロンシャーベットを持っていって、耳元で「デカメロン伝説」を歌ってあげましょう。30代以上にしか効かない!?

ちっとも怠けてなんていないのにナマケグマ呼ばわり

動物園(Zoo)
怠け者じゃないのに

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 以前、ホッキョクグマ、ヒグマ、マレーグマについて書いた。地球上に棲む熊は全部で8種類。上の3つの他、アメリカグマ、アジアクロクマ、メガネグマ、ジャイアントパンダ、そして写真のナマケグマだ。今日はこいつについて書こうと思う。
 ナマケグマという名前に似合わず、このときは休みなしにあちこちうろつき回っていた。その落ち着きのなさといったら、まるで大事な初デートの前に彼女からの電話を待っている男のようだった。狭い部屋の中をあっちへ行きこっちへ行きするので、おいおい、ちょっとは落ち着けよと声を掛けたくなるほどだった。もちろん、声に出して言ったりはしなかったけど。
 説明プレートにも「ナマケグマという名前ですがちっとも怠けてません」というようなことが書かれていた。ナマケグマも自分の呼び名を知ったら驚くことだろう。オイラのどこが怠けてるっていうんだよぅ、と。
 どうやら長く伸びたツメでナマケモノみたいに木から逆さにぶら~んとぶら下がる様子からそう名づけられてしまったらしい。それと、夜行性ということで、自然界では昼間寝てることが多いからというのもあったのだろう。でも、動物園のナマケグマは昼間でも活発で、まったくナマケモノっぽくはなかった。モシャモシャの毛並みが、怠け者というか不精者って感じはあったけど。

 体長は1メートル50から2メートルくらいで、体重は100キロ前後と、熊の中では小柄な方だ。性格もおとなしいとされる。熊は寒いところにいるやつほど凶暴で、暖かいところにいるやつほど穏やかになる傾向がある。
 インドからスリランカにかけての森林で暮らしていて、たいていは単独行動のようだ。動物園で1頭だけしかいなかったから寂しくないのかなと思ったけど、ナマケグマとしては孤独の方がかえって落ち着くのかもしれない。
 全身の毛は黒色でモジャモジャ。白い鼻先と、長く伸びたツメが特徴だ。森の中でばったりトラと出会ってしまって戦わなくてはいけないときは、このツメが武器になる。その気になると案外強いらしい。ただ、人を襲うことはないそうだ。
 食べ物は雑食性で、昆虫から果物、花、肉などを食べる。好物はシロアリ。巣をツメで壊して、唇と舌を丸めてストローのようにして木くずを飛ばし、そのあと舌ストローでシロアリをチューチュー吸って食べるのだ。けっこう賢い。シロアリにしてみたら、ものすごい強敵だ。巣の中でまったりしていたら、すごい吸引力でみんな食べられてしまうのだから。人間をシロアリにたとえるなら、マンションで家族団らんテレビを観ていたら、巨大な恐竜がツメでガバーっとマンションの壁を削り取って、中の人間たちをチューチュー吸い込んで食べてしまうということだ。想像すると、かなりイヤだなと思う。
 マレーグマの白い鼻先は、巣に突っ込んだ証拠みたいにも見える。瓶の牛乳を盗み飲みした小学生みたい。おい、牛乳飲んだだろう! いや、飲んでないよ、と言いつつ白いヒゲができてるみたいな感じ。

 熊はすべてそうなのだけど、このナマケグマも近年急激に数を減らし、絶滅の危機に瀕している。現地では生息地をサンクチュアリーに指定して保護してるそうだ。
 人間も含めて、すべての生き物がなるべく快適に暮らしていける世界が実現するといいけど、なかなか上手くいかない。あちらを立てればこちらが立たずで。いろんな動物にとっては、人間がいなくなるまで生き残れば勝ちとなるだろう。
 マレーグマについては、実はあまり書くことがない。特にドラマチックというわけでもなく、何か決定的に他と変わってる点があるというわけでもないから。ちょっとした特徴としては、他の熊と違って水に入らないとか、産んだ子供を背中に乗せて運ぶなんてのがあるものの、それが特に印象的な要素とはならない。一番のインパクトは名前で、それ以外は熊の中でも地味な存在と言っていいだろう。私自身、いつまで覚えていられるか、ちょっと自信がない。
 ここまできたら、熊は8種類全部制覇したい。ジャイアントパンダは今、どこの動物園に行けば会えるんだろう? 私の中では、上野動物園のランランとカンカンで記憶が止まってしまっている。古っ! 調べてみたところ、恩賜上野動物園、神戸市立王子動物園、和歌山のアドベンチャーワールドの3ヶ所でしか見ることができないようだ。意外と少ない。中国も大切な宝をそう簡単に外国に出すわけにもいかないのだろう。東山動物園に譲ってくれないだろうか。キンシコウの縁もあるし。それが無理そうなら、一番近い和歌山に行かないといけないか。あそこも遠いんだけど。
 アメリカグマ、アジアクロクマ、メガネグマもそれぞれ動物園で写真を撮って勉強してここで書きたいと思っている。余裕があれば、レオナルド熊についても語りたい。

正体不明のカエルさん(知らないだけ)は田んぼでゲロゲーロ

虫/生き物(Insect)
田んぼのカエル

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/500s(絞り優先)



 地味は最大の防御、それが自然界の掟。目立つが負けなのだ、ゲロゲーロ、とカエルくんは言うだろう。田んぼのわきにしゃがんでみると、カエルぴょこぴょこ3ぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこ6ぴょこぴょこ(言えてない)と、カエル飛び跳ねまくりの季節は夏なのである。
 誰もが知っているカエルだけど、カエルとは何かと訊かれてはっきり答えられる学者はひとりもいない。何故なら、カエルがいつどこでどのような生き物から進化したか、直接の祖先は何かが分かってないので、カエルとは何かを定義することができないから。便宜上、尾っぽのない両生類(無尾目)というグループに入れられてはいるけど、本当に全部が同じ仲間かどうかは分からない。将来、カエルの祖先が見つかれば、そのとき初めてカエルは本当の意味でカエルとなることができるのだ。
 相当昔からいたことは確かなようで、マダガスカルの2億年以上前の地層から化石(トリアドバドラクス)が発見されている。ただし、それが本当にカエルの祖先なのか、枝分かれしたものなのかは、はっきりしてないのだという。何しろカエルの化石は見つかっている数がすごく少なくて、進化過程もほとんど分かっていないようなのだ。こんなにも未知の生き物だったとは知らなかった。

 現在世界には4,800種類ほどのカエルが知られている。まだまだ未知のものも多く、今後も新種が見つかるに違いない。日本には40種類ほどがいると言われている。トノサマガエル、アマガエル、ヒキガエル、アオガエル、アカガエル、ど根性ガエルあたりが有名だ(最後のはちょっと違う)。
 ほとんどのものは水辺で暮らしている。水中暮らしのものも、完全陸上のものも、ほとんどいない。水の中ばっかりではふやけてしまうし、体が乾くと死んでしまう。だから、水際じゃないといけない。
 田んぼの国ニッポンでは昔から馴染みの生き物だった。春を告げる使者として、また縁起のいい生き物として大切にされてきた。外国のように食用にしようとはあまり考えなかったようだ。
 万葉集にも詠まれ、松尾芭蕉や小林一茶の俳句にも登場する。「やせ蛙まけるな一茶これにあり」は一茶の代表作のひとつだ。
 芭蕉の句に出てくるように、昔は「かはづ」と呼ばれていたと思われがちだけどそうではなく、これはカジカガエルのことで、いつからか混同されてしまっただけだ。かえる、という言葉の方が古い。
 かえるという名前は、ケーロケロという鳴き声から来たという説と、必ず元いた場所に帰るところから来たという説(貝原益軒)がある。お金が返る、という意味でカエルの小物を財布に入れておくなんてのも昔流行った。
 オタマジャクシは、杓子(しゃくし)に形が似てるところから来たのだろうということは分かるけど、そう呼ばれるようになったのは江戸時代からで、その前はカエルコ(蛙子)と呼ばれていたそうだ。
 かつては学校の理科の時間にカエルの解剖をやらされたものだ。あれはイヤな授業だった。今でもやってるんだろうか。
 蛙の子は蛙、 蛙の面にしょんべん、など今でもよく使われる言葉もある。井の中の蛙大海を知らずは特に。ただ、あれに続く言葉、されど空の青さを知るという負け惜しみみたいな理屈が私は好きだ。

 写真のカエルは何ガエルだろう。ヌマガエルのような気がするけど、自信はない。イボイボがないからツチガエルではないと思う。腹が白ければヌマガエルの確率が高くなるとはいうものの、いちいちつかんで腹を確認したりはしない。『山渓ハンディ図鑑 日本のカエル』が欲しい。カエルにもっと近づくために。
 これがヌマガエルだとすると、本州の中部(千葉や神奈川)から西に生息するやつで、大きさは4センチ前後。写真のは3センチもなかったくらいだから、他のカエルの子供なのかもしれない。
 たいていのカエルがそうであるように、これも肉食だ。アリ、クモ、ミミズ、コオロギなどを食べている。基本的に生き餌しか食べないので飼うのは難しい。というか、毎日昆虫を捕まえられるくらいヒマな人じゃないとカエルにはつき合ってられない。もしくは、昆虫ごと飼うという手もあるにはある。上手く飼えば10年も生きるやつもいるそうだから、挑戦してみる価値はある。カエルを飼っていることが世間話のネタとして役に立つかどうかは微妙なところだけど。
 学名は、沼の女神。ちょっと名前負け。

 水につかりながら気持ちよさそうにしているカエルを見ていたら、この夏はまだ水に入ってないことを思い出した。たまにはプールに行って泳ぎたい気持ちがないでもない。もしプールに行ったら、私の華麗なるカエル泳ぎを披露しよう。ゲロゲーロと青空球児のモノマネをしながら平泳ぎをしてる男を、あなたはこの夏どこかのプールで目撃するかもしれない。気軽に声を掛けてください。もし誰にも気づいてもらえないときは、プールサイドで輪島公一の蛙跳びアッパーをやってます。

ひばりくんはいつまでも空高くさえずっていてください

野鳥(Wild bird)
ひばりくんかな

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f8.0, 1/100s(絞り優先)



 河原でちょっと見慣れない鳥が盛んにさえずっていた。スズメかと思ったけど違うし、ツグミは季節はずれだ。街中の川だからそんなに珍しい鳥がいるとも思えない。もしかして、これがヒバリだろうか。だとしたら、これが初対面だ。はじめまして、ひばりくん。もしかして、ビンズイとかじゃないですよね? セッカとかヨシキリとか、まだまだ区別がつかないものが多い(もしヒバリじゃないときは指摘してもらえると助かります)。
 今日のところは、ヒバリということで話を進めたいと思う。

 ヒバリは、馴染みがあるようで意外と見たことがない人が多いと思う。茶褐色の地味な姿をしてるから、一年中首から双眼鏡をさげている人以外はヒバリを目にしてもスズメかなんかだと思ってそのまま通り過ぎてしまいがちだろう。このときの私も、なんか鳴いてたからとりあえず撮っておいただけだった。スズメかなにかだろうと思いつつ。ヒバリなんてすごくメジャーな鳥じゃんと思う鳥の人と一般人の間には深い溝がある。ひとつの双眼鏡がその架け橋になるというわけでもない。
 彼らは、東アジアからヨーロッパにかけて、ユーラシア大陸の広い場所に留鳥として分布している。日本では、沖縄以外の全国にいて、北海道や寒いところでは夏鳥扱いになっているようだ。
 寒いときはどこかにすっこんでいて、春になると、河原や畑、草むらなんかに出てきてさえずり始める。鳥の人は、この声を聞くと、ああ、もう春なんだなぁと思うのだろう。イギリスなどでは朝を告げる鳥として親しまれているそうだ。
 大きさは、スズメより少し大きめの17センチ。オスメス同色で、頭にトサカ(冠羽)を持っていて、立てたりしまったり自由にできる。立ってるときはすぐにヒバリだと分かるから、こちらの希望としてはなるべく立てておいて欲しい。オスの方が冠羽を立てていることが多いようだ。
 色合いは基本的に黄褐色というのだけど、地域によって黒っぽかったり赤っぽかったりもするらしい。環境に合わせているのだろうか。ただ、ヒバリというのは珍しく広い範囲で同一の種類が分布している鳥で、日本のヒバリもイギリスのヒバリも同じなんだそうだ。ピーチクパーチクという鳴き声まで同じというから面白い。意外にもヒバリはワールドワイドな野鳥だったのだ。

 日本では昔から親しまれていたようで、万葉集にも三つヒバリが詠まれているとか。小林一茶にもヒバリの句があったはずだ。
 漢字で書くと雲雀。雲のスズメとなっているけど、本来は晴れた日にさえずることから日晴という字が使われていたらしい。鳴き声がヒバリ、ピバリ、ピパピパと聞こえたからそこから日晴と名づけたという説もある。いつから雲雀になってしまったんだろう。
 英名はSkylark。larkは浮かれ騒ぐというような意味だから、空で浮かれている鳥という意味だ。西洋でもヒバリに対するイメージは東洋と似たようなものらしい。そういえば、すかいらーくは近所にはまったくなくなってしまったけど、全国的にはまだたくさんあるんだろうか。
 普通の鳥は木の上や地面でさえずることがほとんどだけど、ヒバリは空を飛びながらさえずるという特徴がある。これは珍しい。人間にたとえると、全力疾走しながら歌を歌ってる人のようなものだ。そんな人なかなか見たことがない。

 ヒバリが高く飛んでさえずっていると晴れるという天気予想がある。こういう昔からの生活の知恵はなかなかに侮れない。石原ヨシズミの天気予報よりも漁師さんに天気を訊いた方が絶対に正しいように。
 ヒバリの場合は、空気が乾いてると高いところまで飛べて、鳴き声もよく伝わるから次の日晴れるというのは確かにその通りに違いない。だいたい地上100メートルくらいまで舞い上がれるらしいのだけど、天気が悪くて空気が湿っていると高くまで飛べないから明日は天気が悪いということになる。風が強いと飛べないから暴風の前兆なんてことも言われるようだ。
 晴れた日の河原で仰向けに寝ころんで、高く舞うヒバリの鳴き声を聞くなんて素敵だ。相当暇だな、コイツ、と思われようが幸せは幸せだ。いつかやってみたいと思う。
 ひばりくん、このままずっとストップせずにいつまでも空でさえずっていてくださいね。私はたとえ白いワニが見えてもこの断想日記プラスワンを書き続けますから。

いつ台風について訊かれても大丈夫なように

夕焼け(Sunset)
台風前の夕焼け空は不思議な色

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f11, 1/100s(絞り優先)



 夕方の天気予報を見ながら明日は台風かと思ってふと窓を見ると、異様なオレンジ色に染まっている。何事かとベランダに出てみたら、空がこんなことになっていた。こりゃすごい。慌ててデジを持ちに戻り、たくさん写真を撮った。すごく不思議な色、そして、やるなスーパーマルチコート・タクマー55mm f1.8。とても300円で買ったレンズとは思えない発色と描写だ(超琢磨カビありジャンクで300円)。
 135mmタクマーといい、この55mmといい、タクマーってもしかしてすごく実力があるんじゃないだろうか。EOSとの相性がいいというのもあるのか、Canonのレンズとはまったく違う深い色合いになる。影の部分が黒くつぶれずしっかり残るのもいい点だ。EF50mmよりタクマーの方が上かもしれない。

 明日、本当に台風が来るのかどうかは分からないけど、いい機会なので台風について少し勉強してみた。知ってるようで知らなかった台風についてのあれこれ。知ってるつもりだった昨日までの自分にさようなら。
 たとえば、3回目のデートで、ねえ、台風の定義って知ってる? なんて会話が交わされる確率はおそらくかなり低い。ものすごく低いと言ってもいい。でも、可能性はゼロじゃない。そのとき、当たり前のように答えられる男に私はなりたい。台風についてくわしい男がモテるかどうかは別にして。
 答えは、熱帯低気圧で秒速17メートル以上の風が吹いてるものが台風だ。更に正確に言えば、赤道より上の太平洋や南シナ海で発生した熱帯低気圧で、最大風速の10分間平均が34ノット (17.2m/s)以上のもを台風と定義するということになる。しかし、おそらくそこまでの答えを彼女は求めていない。詳しすぎる回答はかえってマイナスポイントとなるので気をつけよう!
 どうして夏にしか発生しないかというと、海面の温度が26度以上じゃないと台風は作られないからだ。発生のメカニズムはよく分かってないらしいのだけど、暖かい空気が水蒸気となるときに生じたエネルギーに対して偏東風とかいうのが波動となって空気が渦を巻き、熱帯低気圧になるとかなんとか。自分で書いていてもよく分からんっ。
 日本の方にやって来るのは、地球の自転の関係で北へ向かうのと、風に乗ってやって来るのとふたつの理由があるのだそうだ。東風が吹いていれば台湾の方へ向かい、西風が吹いていると北東に進んで日本の方にやって来る。ただ、気圧の関係などいろいろな要素があって、完全な進路予測は難しいようだ。天気予報でもよくはずしている。
 年間27個くらいの台風が発生して、接近するのが約10個で、そのうちの3個くらいが日本上陸となるらしい。最大が昭和42年の39個で、最小が平成10年の16個というから、けっこうバラツキがある。
 台風の平均寿命は5日ほど。海面や地面との摩擦などでエネルギーを失いながら進んでいき、やがて勢力を失って温帯低気圧となる。

 古来日本では台風のことを、野分き(のわき)と呼んでいた。『源氏物語』にも出てくるらしい。それが明治の終わりに、颱風(たいふう)と名前が変わり、戦後、漢字が難しすぎるので当用漢字の台を当てることとなり、台風となった。
 一般的な颱風の由来としては、中国で大風(タイフーン)と呼んでいたものがヨーロッパでtyphoonと表記され、それがもう一度中国に戻ったとき颱風という字を当てはめたというのがある。あるいは、台湾あたりで吹く強風ということで颱風と名づけられたという説もある(他にも諸説あり)。
 台風という呼び名は、日本だけで通用するもので、同じものでもコースを外れると別の呼び名になったりする。インド洋南部や太平洋南部ではサイクロン、フィリピンあたりではバギオ、大西洋北部ではハリケーンとかトロピカルストームになる。
 アメリカなんかではよくハリケーンに名前を付けたりしている。日本でも過去にいくつか名前が付けられたものがあった。有名なのは伊勢湾台風だろう。他にも、洞爺丸台風、狩野川台風、宮古島台風、第2室戸台風、第2宮古島台風、第3宮古島台風、沖永良部台風の8つがある。最近は、年数と発生順に付けられているようだ。たとえば今年なら、200610号のように。
 沖縄では、カジフチ(風吹き)とかテーフー(台風)とか呼んでいるそうだ。なんだか迫力に欠ける呼び名だけど大丈夫だろうかとちょっと心配になる。
 これだけ台風について勉強しておけば、いつ台風ネタを振られても大丈夫だろう。こうして私は台風についてはちょっとうるさい男となったのだった。いつでも私をデートに誘ってくださいね。

 台風一過と聞くと、私はいつも台風一家という言葉が頭に浮かぶ。元ヤンキーの若いお父さんとお母さん、ユニークな髪型をさせられている男の子ふたりが焼き肉屋にやって来て、さんざん騒いで店員に文句を言い、子供は傍若無人に暴れ回り、ようやく2時間後帰っていったあとの店内のしらけた感じ。これぞまさに台風一過。
 波浪警報は、ずっとハロー警報だと思っていた。自転車に乗った二人組の外国人に話しかけられるのに気をつけろ、みたいな。
 そういえば最近、台風の現地に行って、カッパを着せられて体を斜めにしながらレポートしてる絵を見なくなったな。あれ、けっこう好きだったんだけど。

立秋の松平郷で秋の四草を見つけてフィルムで撮るの巻

花/植物(Flower/plant)
フィルムでオミナエシ

Canon EOS 10QD+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJIFILM ISO800



 暑さ真っ盛りの中、名古屋よりは多少涼しい奥豊田の松平郷へ行ってきた。お気に入りの場所で、いつ行っても体が馴染んで居心地がいい。しかし、暑いことは暑い。短い距離でも歩くと汗が流れる。自動販売機のような近代兵器は配備されてないので、夏にここを訪れるときは水筒持参で行くことをおすすめする。いや、ペットボトルでもいいんだけど。
 今回は久しぶりにフィルムカメラ(EOS 10QD)を持ち出して使ってみた。無駄打ちが出来ないとなるとどうしても消極的になってしまうのがフィルムの難点ではあるけど(問題は私の貧乏性にあるとも言える)、一枚を大切にする姿勢を思い出すために、たまにはフィルムを使うのもいい。ファインダーが見やすくて楽しいというのもある。
 ところで、スキャナの調子がおかしくなった(D2400UF)。色が変になったり、なんとなくぼんやりした感じになったり、妙に暗くなったりして、まともな写真が出来上がってこない。トロい、暗い、変、とダメダメとなった私のスキャナ。あまりにも使わなすぎたのがいけなかったか!?
 でもまあ、今日のところは仕方がない。調子が戻ったら写真を入れ替えよう。というか、スキャナ、買い換えよっと。Canonはやめて次はEPSONにしよう。

 今回は、秋の七草の中から3枚。まず一枚目はオミナエシ(女郎花)とハギ(萩)。
 秋の七草の大部分は夏に咲く花なので、もうあちこちで咲き始めている。萩はちょっと今年は遅いようだけど、オミナエシはもう今が盛りだ。松平郷でもあちこちに咲いていた。そういえば今日はもう立秋、秋の始まりだ。秋の七草が咲き始めてもおかしいことはない。
 沖縄以外の日本全国と、中国からシベリアあたりに自生している二年草(または多年草)で、日本では万葉の昔から親しまれ、愛されてきた。里や野山の日当たりのいい場所に咲いているけど、最近は純粋な野生は少なくなっているという。
 女郎花というのは『源氏物語』の時代に使われるようになった当て字らしく、女飯(オミナメシ)が転じたものとも、若い女の人を表す「をみな」と圧するという意味の「へし」から女性をも圧倒する美しさという意味で名づけられたなどとも言われている。
 中国では「黄花竜牙」と、えらく強そうな名前が付けられているわりには雑草扱いで関心は低いとか。
 これによく似た白い花でオトコエシ(男郎花)というのもあるらしいのだけど、私は見たことがないので知らない。

 萩もやっぱり8月くらいから咲いてくるから、夏の花というイメージが強い。萩といえばたいてい山萩を指す。他にもマルバハギ、キハギ、シラハギ、ツクシハギなどがある。
 これは日本の各地で普通に自生していて珍しくない。遠目に見ると地味な花だけど、近づいてよく見ると、ピンクのきれいな花をしている。こんな花にも目を付け愛でてきたあたりは、さすが日本人と思わせる。『万葉集』で最もよく詠まれているのがこの萩だ。
 日本以外では朝鮮半島、中国にも自生しているそうだ。山の荒れ地などにもたくましく咲いているから、きっと向こうではこれも雑草ならぬ雑木扱いなのだろう。
 お彼岸にそなえたりするお萩は、この萩から来ている。萩の咲く頃に作って食べることから萩餅と呼ばれるようになり、それが御萩(おはぎ)となった。

フィルムでキキョウ

 ちょっと変な色になってしまったけどキキョウ(桔梗)。
 キキョウはたぶん、秋の七草の中で一番早く咲く花だ。7月くらいにはもうすっかり咲いている。日本、中国、朝鮮半島が自生地で、これはさすがに向こうの人たちも無視できない花だろう。薄紫で上品でありながらしっかり存在感がある。これも野生はかなり減ってきているらしい。
 山上憶良が詠んだ「あさがほ」は、このキキョウのことだとするのが一般的な説となっている。当時はまだ朝顔は入ってきていなかったはずだから。
 名前の由来は、漢名の桔梗(ちきこう)が訛ってキキョウになったと言われている。英名はバルーン・フラワー。ふくらんだつぼみが風船のように見えたのだろう。あれは触ると破裂するらしい。
 韓国ではトラジと呼び、根っこをキムチなどにして食べてるそうだ。

 キキョウといえば、桔梗紋を使っていた明智光秀を思い浮かべる人もいるだろう。元々は土岐氏の紋で、明智光秀は土岐氏一族なのでそのまま使っていたようだ。本能寺の変を描いた映画やドラマでは、必ず桔梗紋の描かれた旗を持った明智軍団が登場する。
 あるいは、安倍晴明の方が馴染みが深いかもしれない。シンボルになっている五芒星のマークは桔梗印と呼ばれている。

フィルムでカワラナデシコ

 最後はカワラナデシコ。これが本家、大和撫子だ。去年初めて松平郷で見て、今年も再会できて嬉しかった。とても好きな花のひとつだから。
 河原に咲く薄ピンクの可憐な風情は、ありがちなようでない。日本の国花にしたいくらいだ。
 ナデシコのことは以前に書いたので、ここでは省略。

 上手いタイミングで行くと、松平郷で秋の七草を一度に全部見られるかもしれない。8月の頭では、確実に4種類は見られる。残りのススキ(芒)、クズ(葛)、フジバカマ(藤袴)はどうだろう。ススキとフジバカマは見られそうな気がするけど、あそこでクズの印象はない。私が知らないだけだろうか。
 なんにしても、このあたりで七草をこれだけ見られる場所というのはそう多くないので、そういう意味でも松平郷は貴重だし、おすすめの場所だ。携帯が通じなくてもそんなことは些細なことだ。

 春の七草は食べられるものに対して、秋の七草は食べられないものが多い。秋は観賞して楽しめということだろう。ただ、山上憶良がどうしてこの7つの花を選んだかという話で、美しさや風情だけでなく実用という観点もあったんじゃないかという説がある。いわゆる薬草的な意味合いとして。当時の人たちは、ただ単にきれいな花だなぁなどとのんきに見とれていたとは考えにくい。食べられるかどうかは大事な要素だっただろうし、薬用として使えるものは積極的に使っていったに違いない。そうやって選んだのがあの七草だったという可能性はある。
 とりあえず、一通り食べたり煎じて飲んだり傷口にすり込んでみたりしてみるといいかもしれない。私はイヤなので、誰かチャレンジャーな人、頼みました。
 秋の七草の覚え方はいろいろある。頭文字を取って、オスキナフクハ? というのもあるらしい。ただ、元々知識があってど忘れしたとき思い出すきっかけが欲しい人ならそれでいいかもしれないけど、そうじゃない人は一文字では思い出しようがない。そこで私が考えたこれはどうだろう。
 ススキノで、袴をはく大和撫子を探すクズの女描き絵師、持ち金ハギ取られて帰郷。
 いや、私のことじゃないです。

次はあなたの家に空き巣料理野郎が現れるかもしれない

料理(Cooking)
凝った平凡サンデー料理

Canon EOS 10D+SMC TAKUMAR 55mm(f1.8), f5.6, 1/100s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、ぎりぎりまでメニューが決まらなくてちょっと焦った。方向性やイメージさえも浮かばず、だんだん時間が迫ってくる。困ったぞ。これが主婦の苦悩というやつかもしれない。ギブ・ミー・メニュー。
 いろいろ考えて最終的に、残り物食材で凝った料理を、ということになった。冷凍庫にあるものや、余った野菜などを使って、なるべく手を加えるつもりで作ったのがこの3品だ。

 まずはトマトの詰め物焼きから。
 トマトの中身をくり抜いて、入れる具材を用意する。小エビ、白身魚、タマネギ、鶏肉があったので今回はそれを使うことにする。これはいろいろ応用が効くと思う。
 塩、コショウを振って、カタクリ粉をまぶし、さっと茹でる。とろみをつけて、焼いたときに型くずれしないように。刻んだタマネギ、エビ、白身などをオリーブオイルで炒め、更に白ワイン、コンソメの素、黒コショウ、塩などで軽く味付けをする。
 次に、トマトの中にそれらを入れ、パン粉を周りに詰めて、オーブントースターで5分くらい焼く。
 ソースは、くり抜いたトマトの中身を使う。種を取り除いて、赤ワイン、トマトジュース、塩、コショウ、バジルなどを混ぜて、ひと煮立たせする。

 左の黄色いのは、豆腐ステーキのタルタル卵チーズがけ。
 ゆで卵、マヨネーズ、タマネギ、白ワイン、パセリ、マスタード、牛乳、ツナ缶、塩、コショウを混ぜてタルタルソースを作る。
 木綿豆腐はクッキングペーパーでくるんでレンジで水分を飛ばし、スライスして小麦粉をまぶす。それを、オリーブオイルとバターで焼いて、とろけるチーズをのせてフタをする。最後に、卵をとじて薄焼きにしたものを上に乗せれば出来上がり。豆腐の代わりに白身魚でもいい。

 奥のは緑のスープ。
 ニンニク、タマネギ、ブロッコリー、枝豆、長ネギ、アスパラを、オリーブオイルとバター、白ワインで炒め、鍋に移して水を加えて煮る。アクを取ったら、チキンブイヨンの素、塩、コショウで味付けして、最後に牛乳を入れて味を調える。野菜スープだから本来は何を入れてもかまわない。今回はちょっとだけグリーンにこだわった。ミキサーがあれば野菜をつぶしてグリーンスープにしてもいいと思う。

 こんな感じで、2時間半もかかった今日の料理。しかし、凝った割に味としてはいたって平凡なものだった。うそーん、と言うほど。いつもの味で不満はないけど驚きもなかった。食材にしても調理の方向性にしても、これまで通りだから当然と言えば当然だけど、味としてもうひとひねり欲しかった。パンチもツイストも足りない。
 とはいえ、気づいたらいつの間にか人に出せる料理を作れるようになっていた。レシピから材料を揃えるのでなく、ある食材から自分で考えて料理できるようになったというのも大きな進歩だ。今なら、人のうちに空き巣に入って冷蔵庫の中身でそれなりの料理を作って食卓に並べて出てくるという芸当もできそうだ。びっくりするだろうな、家に帰ったら誰かが入り込んでいて、何も盗まれてなくて料理だけがテーブルに並んでいたら。一体何事だろうと悩んでしまうに違いない。被害届を出そうにも盗られているものはないから困る。そこで何も考えずに食べてしまう人はそうはいないだろうけど。
 もし、あなたが家に帰ったとき、食卓の上にどこかで見た覚えがあるような料理が3品並んでいたら、それは私の確率が極めて高いです。安心して食べてくださいね。

美しき馬はもう一度アメリカ大陸の荒野を駆ける夢を見るか

動物(Animal)
アイボクのお馬さん

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f7.1, 1/80s(絞り優先)



 すべての馬がそうではないけれど、ときどきハッとするようなきれいな馬がいる。愛知牧場で見たこの馬もそういう馬だった。馬同士の美しさの基準はよく分からないけど、人間から見てきれいな馬とそうじゃない馬というのが確かにある。個人的な感覚による差はあるにしても。

 人と馬との歴史は長い。有史以来、ずっと近くで寄り添って生きてきた。農耕民族は農作業の友として、好戦的な集団は戦いの相棒として。つい最近まで乗り物としても大いに活躍した。ときにはその肉を食べたりもしつつ。
 人の暮らしにこれほど密接に関わってきた生き物は馬を置いて他にはない。犬は相棒でいろんなところで活躍してけど、犬には乗れないし、犬を食べたりはしてこなかった(中国人は別にして)。猫は一緒にいるだけで働かないし、牛や豚などは相棒というのとは違う。
 今でこそ、競馬や乗馬をする人たち以外に馴染みが薄くなった馬だけど、本来もっと近くで常に接していくことで人は今より幸せになれるような気がする。彼らは強くて美しくて賢い。生き物の傑作だと私は思う。猫と馬を作った担当者は掛け値なしに天才だ。

 野生馬の原産地は北アメリカ大陸だと言われている。それが世界各地に広がり、家畜化され、今に至っている。すでに紀元前4,000年頃には人と共に暮らしていたようだ。それ以前には狩猟の対象であったと考えられている。その結果、北米にいた純野生種は数千年前に絶滅してしまった。
 口にくわえさせて人の言うことを聞かせるための銜(はみ)も、この頃に発明されている。有名なラスコー洞窟の壁画(旧石器時代)にも馬の姿が描かれていたのを覚えている人も多いだろう。
 馬の祖先は、200万年ほど前に登場したそうだ。もっとさかのぼれば数千万年前まで一応分かってるらしい。
 馬にとっての転機は、なんといっても車輪の発明だろう。紀元前2,000年頃のメソポタミアで馬車として使われるようになって以来、世界各地で一気に数を増やし、広まっていった。
 ただ、日本では馬車は流行らず、もっぱら人が乗ったり荷物を背中に乗せて移動する手段として使われた。山道が多かったり、道幅が狭かったりして、馬車はかえって不便だったのだろう。
 日本にはもともと馬はおらず、入ってきたのは、大和朝廷が朝鮮半島を攻めたとき(三韓征伐)、向こうから持ち帰ったのが始まりのようだ。
 一番活躍して、最も不幸だった時代は、やはり戦国時代だろう。たくさんの名馬が生まれ、死んでいった。
 現代において、馬といえばやはり競馬場のサラブレッドたちを思い浮かべる。すでに日本では平安時代に競馬が行われていたというが、サラブレッドの歴史となると、始まりは18世紀のイギリスになる。アラブ馬やハンターなどから競走用に品種改良された馬をサラブレッドと呼び、サラブレッドの両親から生まれた馬だけがサラブレッドとなれる。
 馬の種類では、アラブ馬、ポニー、木曽馬、道産子などの有名なものから、セルフランセ、トロッター、ペルシュロン、クライズデールなど、聞いたことがないような種類など、いろいろいるらしい。

 人との関わりが深いだけに、馬という文字が入った言葉も多い。馬の耳に念仏、生き馬の目を抜く、しり馬に乗る、馬子にも衣装、馬が合う。馬には乗ってみよ人には添うてみよ、という言葉はいい教えだと思う。野次馬、下馬評なんて言葉が今でも普通に使われ、絵馬もお馴染みだ。伝統行事としての流鏑馬や、遊びとしての竹馬や馬跳びなんてのもある。あいつは馬並みだとか。
 ……。
 それはともかくとして、ヴァイオリンなどの弓毛は、昔も今も馬のしっぽの毛から作られている。
 このように、馬というのはまだまだ今でも間接的に私たちの生活の多くの部分で関わりを持っているのだ。まったく無縁になったわけではない。お馬さんごっこだってするし、ポニーテールが好きな男子もいる。
 趣味は馬です、という人もけっこういるだろう。ただしその場合、ふたつにくっきり分かれる。競馬の人と乗馬の人と。乗馬というのは縁遠いという人が多いけど、思ってるよりも手軽なスポーツらしい。上流階級の人々のするお金のかかる趣味という思い込みが強いけど、考えてみたらゴルフより安いくらいだ。ゴルフ道具を揃えたり、打ちっ放しへ行ったり、コースに出たりなんてことを思えば、むしろ乗馬の方が安いかもしれない。
 安いところなら、入会費数万円、月の会費が1万前後、一日の乗馬料が数千円くらいらしいから、食べるのが精一杯のビンボー学生は無理にしても庶民でもさほど贅沢とは言えないんじゃないだろうか。
 あるいは思い切って馬を買ってみるという手もある。飼ってみるではなく、買ってみる。そう、乗り物として。最近の馬鹿高いガソリンのことを考えると、同じ金を馬の食事にした方がいいような気さえしてくる。馬は軽車両だから、自転車と同じだ。歩道を疾走したら叱られるだろうけど、車道の端をポッカポッカ歩いてる分には誰にも文句は言われない。コンビニの前につないでおいても、駐車監視員は手も足も出せない。猛烈に目立つのが難点だけど。

 馬には人の心をゆさぶる何かがある。ただ便利だからというだけでこんなに長い歳月を共に生きてきたわけではないだろう。最初に馬を見つけた昔の人は何を思ったのだろう。腹が減っていて食べ物にしか見えなかったのだろうか。けど、あの瞳を見たら、言葉は通じなくても何か感じるものはあったに違いない。
 馬を見ると、あの美しさゆえなのか、何もかもを悟ってあきらめてるような目のせいなのか、愛おしさと切なさがこみ上げる。何かしてあげたくなるけど何もできないのがもどかしい。馬たちは何を望み、何を夢見てるのだろう。またいつか、アメリカ大陸の荒野を仲間たちと駆ける日が来ることを思い描いているんだろうか。

いつか、会いにゆきます、あなたが待つ向日葵畑に

施設/公園(Park)
愛知牧場のヒマワリ畑

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f11, 1/160s(絞り優先)



 目を閉じるとヒマワリ畑がある。青空を背景に、ヒマワリがみんなこちらを向いて、どこまでもどこまでも広がっている。それがどこなのかは分からない。まだ見ぬ光景なのか、いつかどこかで見た風景なのか。あるいは、映画や写真で見たものを拡大しただけなのかもしれない。でも、それは確かにある、心の中に。そして、きっとこの世界のどこかに。

 8月になって、ヒマワリを見たくなった。名古屋市内にヒマワリ畑はないので、隣の日進市の愛知牧場へ行ってきた。
 通称アイボク。1960年代に出来た名古屋近郊では珍しい観光牧場で、このあたりではちょっと知られた存在の場所だ。一般にも開放していて、17ヘクタールの敷地に、乗馬コース、触れ合いミニ動物園、パターゴルフ場、牧草地、季節の花畑などが広がっている。
 動物は、馬、牛、ヤギ、ロバ、羊、ウサギ、孔雀、ミニ豚などがいて、たっぷりと牧場の香りを味わうことが出来る。動物たちに触れたり、エサをあげたりなんてこともできて、子供は大喜び。エサ代がかかって大人はちょっとしょんぼり。基本的に入るのも駐車場も無料なのだけど、エサを買ったり馬に乗ったりするといちいちお金がかかる。私のように入って写真を撮るだけならタダなんだけど。
 ここの名物はなんといってもソフトクリーム。乳製品が苦手な人は、食べたとたんにおなかがゴロゴロいってきそうなほど濃厚なソフトが評判だ。かなり美味しいらしいのだけど、私は食べたことがないので味についてはコメントができない。ソフトクリームと写真撮影は相性が悪いのだ。左手にソフト、右手に一眼というスタイルは無理がある。ソフトクリームを口元に運んでくれる助手が欲しいぞ。

 私の目的はヒマワリ畑なので、動物との交流は後回しにして、まずは一番奥の丘に登る。そして広がるこの光景。ものすごいというほどの本数ではないけど、これくらい咲いてるとおおっ、いいなと思う。時期的にはちょうどよかった。珍しく花とタイミングが合って喜ぶ私であった。
 このヒマワリ畑、実は立体迷路になっている。ただし、有料。なんだか旅館のテレビみたいな牧場だなと思う。妙に100円玉が必要だ。

ヒマワリ畑近景

 次は近づいて撮影。もちろん、迷路の外からだ。夕方はまともに逆光になってしまうので、空が白く飛んでしまうのが残念だ。愛知牧場のヒマワリ畑を青空バックに写したければ午前中に訪れなくてはいけない。
 ところで、ヒマワリはみんな東を向いてるということを知ってるだろうか。太陽の方を向くというのはウソだ。いや、中にはそんなやつもいるだろうけど、基本的に花が咲いているヒマワリはみんな東を向いたまま動かない。花が咲く前の若い時期だけ太陽の方を向いて回る。そして、種がいっぱいになってくると今度はうつむいてしまう。ということは、ヒマワリみたいな人だねといえばそれは、いつも東の方を向いていて賢くなるとうつむいてしまう人のことを指す。そんなはやつおらん。というか、そんな小賢しくて夢のない雑学はいらんっ。
 ヒマワリが北アメリカ原産だということを今日初めて知った。そうだったんだ。今まで考えたこともなかったし、なんとなく日本原産とさえ思っていた。なんでも、紀元前からすでに北アメリカ大陸に咲いていて、インディアンはヒマワリの種を食っていたらしい。メジャーリーガーみたい。
 世界に広まったのはそれからずっと後、コロンブスがアメリカ大陸に到着してから少し後の1510年に、スペイン人がヒマワリの種を本国に持ち帰ったことがきっかけで広く知られるようになった。ただ、スペインに100年ほどとどまり、フランス、ロシアなどを経て日本にやって来たのは1666年になってからだ。
 当初は観賞よりも種から油をとることが主目的だったようだ。あるいは、コーヒーの代用としても使われていたという。
 今でもアルゼンチン、ロシア、ウクライナなどでは、ヒマワリの種から年間300万トン以上の油を抽出してるんだそうだ。ヒマワリの種なんてハムスターにあげるくらいしか役に立たないと思っていたら大間違いだった。

 キク科の一年草というのも知らなかった。だから、毎年ヒマワリ畑が作られる場所が違うのか。一年草ということでなるほど納得した。
 キク科と言われればそうだ。姿は菊っぽい。一個の大きな花ではなく、数十、数百の花が集まってひとつになっているのもキク科の特徴だ。外側の花びらみたいなのは舌状花(ぜつじょうか)で,中心の部分を筒状花(つつじょうか)と呼ぶそうだ。
 高さが2メートルから3メートルになるお馴染みの大きなやつをロシアヒマワリと呼んでいる。といってもロシア産というわけではなく、ロシアでこれから油をとっているからという理由で。
 八重咲きのものや、花が赤いものなど、世界では100種類くらいのヒマワリがあるそうだ。
 漢字で書くと向日葵。別名は、日輪草(ニチリンソウ)や日車(ヒグルマ)。
 学名のHelianthusは、ギリシャ語の太陽(helios)と花(anthos)とを組み合わせた言葉だし、英名のCommon sunflowerも、そのまま太陽の花となっている。やはりこの花を見れば誰でも太陽を思い浮かべるのだろう。

 ヒマワリは、ゲーム「ぼくのなつやすみ」を思い出させる。あれはいいゲームだった。夏になるともう一度やりたくなる。
 映画『いま、会いにゆきます』のヒマワリ畑のシーンも印象的だった。いなくなったはずの竹内結子がいて、そこにほろ酔い気分の中村獅童が助手席に岡本綾を乗せて会いにゆく、ってそうじゃなく、映画のあの場面は感動的だった。ロケ地は、山梨県の明野町という全国的にも有名なヒマワリスポットだそうだ。
 花言葉はいろいろある中で、「私の目はあなただけを見つめる」を選びたい。
 いっぱいのヒマワリに囲まれながらふたりは見つめ合い、あなたがぼくの太陽となってくれるのなら、僕はヒマワリとなっていつもあなたの方を向いていよう、そんな告白をするのだ。心のヒマワリ畑を見つけて、今すぐは会いにゆけないけど、いつか会いにゆきます。有料のヒマワリ迷路でもいいように、ポケットに100円玉を入れていくことを忘れないように。

M42レンズ沼に膝下あたりまで浸かり始めた

カメラ(Camera)
スーパータクマー135mm

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/6s(絞り優先)



 世の中には地図に載っていないレンズ沼という沼がある。その沼には華麗に泳いでいる人から、つま先立ちで口まで浸かってブクブクと言葉にならない言葉を発している人までさまざまな人たちがいる。私はまだ大丈夫だ。浅瀬でヒザあたりまで入って、たわむれてる程度だから。ただし、その先は急激にがくんと深くなっているから気をつけようとは思っている。
 沼にもいろいろな種類がある。無数レンズ沼、高級レンズ沼、Lレンズ沼、マイナーレンズ沼などなど。どの沼に浸かっている人にも共通するのは、苦しいくるしいと言いながらどこか楽しげで、こっちへおいでよと手招きしてるという点だ。もちろん、うっかり近づいたりするのは危険なのでやめておいた方がいい。

 初めてレンズ交換式のデジタル一眼レフEOS D30を買ったのが、去年の10月の終わりだった。その後、FUJIFILM FinePix S1pro、EOS 10Dと買い換え、その間に安いレンズを10数本買った。一番高いものでもTAMRON 90mm SPの1万5,000円(買い値)なので、きわめて健全なレンズ・ライフだと自分では思っている。これがうっかり一番安いLレンズ(Canonの高級レンズシリーズ)でも買おうものなら、たちまち深みにはまることは目に見えている。格安のLレンズがオークションに出品されないことを願いたい(ホントは出て欲しい)。
 そんなぬるいレンズ生活を送っていた私の前に現れたのがM42だった。といっても、宇宙のM42星雲ではない。突然天体野郎になってしまったわけではなく、M42マウントのレンズのことだ。
 簡単に説明すると、ずっと昔(1948年)、東ドイツのプラクチカフレックスが最初に発売したカメラのマウント規格のことで、それ以降、ドイツや日本などもメーカーがそれにならってカメラやレンズを作ったという歴史のあるものだ。かつてのゲーム機MSXみたいなものと言うと分かる人は分かるだろうし、分からない人はよけい混乱するだろうか。現在は各メーカーによって使えるレンズが違っているけど、それを統一しましょうということで作られたのがM42だった。

 今回買ったのは、Asahi PENTAXのsuper takumar 135mm f3.5。値段は2,000円。発売は1970年代だろうか。とにかく古い。骨董品に近い。でも、M42アダプタと組み合わせることで、最新のデジカメでも使えるというのが素敵だ。
 EOS-M42アダプタは2,000円と安く、他にも各メーカーのものが出ているから、今使っているデジにしろ銀塩にしろ、たいていのものはM42マウントのレンズが使える。こっちにおいでよ~と手招きしてみる。
 何故、そんな昔のM42レンズなんか使う必要があるのか? その問いの答えは、そこにM42レンズ沼があるから、と答えておこう。必然性ははっきり言ってない。ただの趣味、というより道楽のようなものだ。「味」なんていうのはただの付け加えの言い訳のようなものでしかない。明るい単焦点が安く買えるというメリットはあるものの、カール・ツァイスなんかだと、最近のデジ用レンズよりも高値で取引されていたりするから、必ずしもビンボー人の道楽というわけではない。

タクマーのルリマツリ

 135mmということでデジタルの1.6倍となると216mm(35mm換算)になる。200mmで撮るものが思いつかなかったので、まずは家にあったルリマツリを撮ってみた。
 135mmではあるけど、望遠レンズとして作られているので、こういうマクロは本来の使い方ではない。最短距離も1.5メートルと、マクロ写真を撮るようにできてない。だから、ボケ味もきれいじゃなく、煩雑な感じだ。ただ、ちょっと驚きの解像感ではある。さすが単焦点。30年前のレンズとは思えない。ピントが合ってる部分はかなりシャープだ。色乗りはややあっさり目ながら悪くない。
 解放でのピントは浅い。この写真は確かF5.6くらいに絞っているけど、背景さえ整理できればマクロ的に使えないこともないか。
 EOSの場合は、絞り優先モードでそのまま撮れる。本体は0.0固定のまま、レンズの絞りダイヤルを回すと、EOS本体のシャッタースピードが連動してくれるので便利だ。
 ピント合わせはもちろんマニュアルになる。けど、このピントリングの出来が素晴らしい。最近のデジタル用レンズなどに比べると、かなり細かくシビアに合わせることが可能となっている。10センチの間で合わせるのにリングをぐりぐり回せて楽しい。10Dのファインダーでそこまで完全に合わせるのは難しいのだけど。

タクマー太陽

 逆光に強いというのもこのレンズの特徴だ。太陽をまともに撮っても影が黒く潰れず、中間の階調もしっかり残っている。これ以外にも厳しい逆光で何枚か撮ってみたけど、コントラストの低下も少なく、フレアなども発生しなかった。フードなしで。

 135mmの単焦点望遠レンズをどんな場面で使えばいいのかまだ見えてこないのだけど、なかなかに実力を秘めた楽しいレンズだということは分かった。せめて最短距離が50センチくらいだったもう少し幅が広がっただろうに。花マクロには使いづらく、猫を撮るには1.5メートル距離を保たなければいけないから室内では苦しい。今日も撮ろうと思ったら、アイが近づいてきてまったく撮れなかった。わっ、あっち行け、とか行ってもアイには通じない。望遠レンズとして使うには200mm程度では物足りない。鳥も撮れないし、動物園でも届かない。車の運転席から撮れるものを探して走ってみたけど、これまた厳しいことこの上ない。自転車の女子高生を盗み撮りするにはいいかもしれないけど(いや、もちろんそんなことはしてないです)。
 スーパー・タクマー、訳すと超琢磨。なんだかスーパーアグリの佐藤琢磨みたいではないか。ってことは、鈴鹿サーキットへ行って、佐藤琢磨を撮れってことなのか? 鈴鹿のヘアピンあたりでスーパーアグリの琢磨をスーパータクマーで激写(もちろん流し撮り)。そのときこそ、この超琢磨の真の実力が発揮されるときかもしれない。
 などとアホなことを書いている間にも、超琢磨の200mmと55mmを買ってしまっている私であった。そろそろM42レンズ沼の膝下あたりまで入ってしまったか!?

夏に咲く花たちが街に戻ってきて秋の気配を遠くに感じた

花/植物(Flower/plant)
住宅前のモミジアオイ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f8, 1/100s(絞り優先)



 道ばたや民家の庭先などでちょくちょく姿を見かけるのに名前を知らない花がたくさんある。野草は勉強して覚えようとしてるけど、庭の花はちょっと分野外という思いがあって、なかなか積極的に調べるまでいかない。そうしてるうちにいつの間にか花が終わって見かけなくなり、忘れてしまう。そしてまた季節が巡ってきて、そういえばあの花去年も見たけど名前知らないよなぁということになる。この赤いのもそういうやつのひとつだった。
 見覚えはある。ネットか図鑑で名前を見かけたような気もする。思い出せそうで思い出せない。で、どうしたかといえば、「7月の花」で検索して探り当てた。時間はかかるけど、まったく手がかりがない花の名前を調べたいときはこの検索方法が使える。
 モミジアオイ、それがこの花の名前だ。
 なんでモミジなんだと思ったら、葉っぱの形がモミジに似てるからだとか。そんなに似てないぞ。
 花はハイビスカスによく似ている。びよーんと突き出した雄しべや雌しべの格好も。どうやらお仲間らしい。モミジアオイの場合は、花びらが深く裂けているのが目印だ。ムクゲ、フヨウも同属になる。そういえば似てる。
 別名は、中国名に由来する紅蜀葵(こうしょっき)。色から来るイメージだろう。これに対し黄色いトロロアオイを黄蜀葵(おうしょっき)と呼ぶらしい。
 英名は、Scarlet rose mallow。深紅のバラ色の葵。いい名前をもらっている。

 とても夏らしい赤色を持つこの花の故郷は、意外にも北アメリカだった。もっと南国かと思った。アメリカ東海岸のフロリダやジョージあたりの沼地に自生してるという。寒さにもそこそこ耐えられる種のようだ。
 日本での開花は7月から9月にかけて。背丈は2メートルくらいになる。花も大きく、20センチくらいあるだろうか。
 明治時代初期に日本に渡ってきたそうだ。今では日本の夏風景にすっかり溶け込んでいる。夏を感じさせるいい赤だ。
 花は一日限りでしぼんでしまうあたりも、日本の情緒とよく合う。アメリカ人はこの花のことをどう感じてるのだろう。

公園のキョウチクトウ

 これは公園なんかでもよく見かけるし、名前を知ってる人も多いかもしれない。キョウチクトウ(夾竹桃)だ。
 花色はピンクの他に白や赤、オレンジなどがあって、けっこうまぎらわしい。これってキョウチクトウっぽいけど違うかも、と自信がなくなりがちだ。園芸品種も多く、八重咲きもある。
 なんで竹に桃なんだろうと思ったら、中国人が付けた名前で、葉が竹に似ていて、花が桃の花っぽいからという理由らしい。原産はインドで、中国を経て江戸時代(1724年)に日本に渡ってきた。そのときの名前が夾竹桃で、この文字をそのまま音読みしてキョウチクトウとなった。なんとなく手抜きのネーミングみたいでちょっと気に入らない。名前の響きと姿も合ってないし。
 この花を紹介するとき、必ずといっていいほど言われることは、毒を持っているということだ。葉っぱや枝に毒があって、間違って食べた牛が死んでしまったというから毒性は弱くない。ただ、コンビニで弁当を買って割り箸をもらうのを忘れたから、公園に植えてあったキョウチクトウの枝を折って箸代わりに使って食べた、なんてことをしない限り大丈夫なので、それほど心配することはない。おなかと背中がくっつきそうになっても、キョウチクトウだけは食べてはいけない。

水仙っぽくはないナツズイセン

 道沿いに突然現れたピンクの花束。なんだありゃ、と驚いた。ユリっぽいけどユリじゃない。これはきっとナツズイセンというやつだ。
 全然水仙に似てないじゃないかと思ったら、葉っぱが水仙のものに似てるかららしい。そっちか。けど、名前を付けるときは、できれば花の特徴から付けて欲しい。特にこいつは、花が咲いてる時期は葉っぱがなくなってるから、余計に分かりづらい。
 もうひとつ、リコリス・スクアミゲラという呼び名もある。リコリスというのはギリシャ神話に出てくる海の女神の名前だから、こっちの方がいい。ただ、スクアミゲラというのがちょっと覚えづらいかも。
 英名は、Resurrection lily。直訳すると、よみがえるユリ。どういう理由でそんな名前を付けたんだろう。
 葉っぱがなく、茎がヒョロっと伸びて、その先端に唐突に花が咲くというスタイルは彼岸花そっくりだ。それもそのはず、これはヒガンバナ科。オレンジ色のキツネノカミソリなども仲間だ。
 大昔に中国から渡ってきて、今では里近くの山野に野生化しているものもある。

 梅雨の前後、寂しくなっていた花たちがここへ来て、だいぶ戻ってきたような印象を受ける。道路脇や民家の庭も少しずつにぎやかさを取り戻してきた。季節はようやくこれから夏本番だけど、花はすでに秋へと移り変わりつつある。秋の七草のオミナエシや萩、キキョウなども咲き出している。
 お盆まであと2週間。それが過ぎれば季節は、はっきりと変わる。しばらく散策を休んでいたから、8月はもう少しペースを上げて季節を追いかけて行こうと思っている。急ぎすぎず、遅れないように。
 季節と足並みを揃えて進んでいけるのも、日本人として生まれた幸せのひとつだ。

夜遊び貴族のゴイサギさんはいざとなったら首が長い

野鳥(Wild bird)
アオサギさんとゴイサギさん

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f8, 1/60s(絞り優先)



 水草がものすごいことになっている雨池で、アオサギさんと一緒にいる見慣れない鳥を見つけた。ファインダー越しでは小さくてよく見えず、体のサイズの割にピンクの足がやけに長い鳥だなと思った。帰ってきてモニタで見てみると、足長鳥ではなく、水面から突き出た棒に乗っているシークレットブーツ鳥だった。本人に自分を大きく見せようという意志はなかっただろうけど。
 こいつは前から一度見てみたいと思っていたゴイサギさんだろうか。姿からしてたぶんそうだろうと思いつつ、私の知ってるゴイサギさんはこんな羽をしていないので、やや自信が持てない。本来のゴイサギは黒と白のツートンのはずだ。
 調べてみたところ、どうも若のゴイサギ、通称ホシゴイのようだ。若いうちは茶褐色の羽に白い星のような模様を散りばめているところからそう呼ばれているんだとか。ただ、こいつにはそれがない。若と成鳥との中間のやつだろうか。生まれてから大人になるまでに3年かかるらしく、その間に何度か羽が生えかわってだんだん親の色になるようだ。写真のこれは、第2回夏羽というやつかもしれない。一番中途半端で美しくない時期だ。
 よく似ているヨシゴイというのがいるけど、あれは目が黄色だから違うと思う。とりあえずこいつはゴイサギさんだということで今日は話を進めたい。もし違っていたら、そのときは書き直そう。
 こうして並んでいると、アオサギってやっぱり大きいんだとあらためて思う。ゴイサギが60センチ弱のカラスくらいだから、至近距離で見ることができたら(それはまず無理なんだけど)かなり巨大な印象を受けることだろう。

 ゴイサギはなんといってもその名前の由来がいい。漢字で書くと五位鷺。五位の位を持ったサギという名前がついたのは、嘘か誠かこんなエピソードからだという。
 時は平安時代、醍醐天皇が平安京の御所の中にある神泉苑という庭園で、池のほとりにこの鳥がいることに気がついた。そこで、お付きの者にあの鳥を捕らえるようにと命じた。お付きの者たちは必死に捕まえようとするが野生の鳥がそう簡単に捕まるはずもない。どうやっても逃げ回って捕まらないので、中のひとりが、「天皇の命なるぞ、そこに畏まれ」と言ったところ、この鳥は天皇の前に飛び来てちょこんと坐ったという。それに感心した醍醐天皇は、「うむ、その所作、見事、従五位をさずける」とかなんとか言ったとか言わないとか。それ以来、この鳥は五位鷺と呼ばれるようになったんじゃ。
「平家物語」に出てくるエピソードだからまんざらデタラメでもないだろうけど、その前はなんと呼ばれていたかが伝わってないあたりに一抹の怪しさはある。
 五位というのは、平安時代の貴族にあたり、宮中にも上がれる身分なので、ゴイサギはかなりお偉いさんということになる。ゴイサギさん的には、位よりもドジョウやカエルをもらった方が喜んだと思うけど。

 日本ではそんな貴族階級のゴイサギも、海外では普通にサギの一種として扱われている。英名は、Black-crowned Night Herom、黒い冠羽を持つ夜行性のサギ、という味も素っ気もないものだ。
 極地や砂漠地帯、オーストラリア以外の全世界に生息しているありふれた鳥でもある。日本にもけっこうたくさんいるのにあまり見かけないのは、夜行性だからだ。ただ、完全な夜行性というわけではないので、夕方や昼間でも見かけることはある。いつも夜遊びばかりしてる大学生がたまに授業に出てくることがあるように。
 日本では、北海道では夏鳥で、それ以外は一年中いる留鳥だ。
 昼間は林などの寝床で寝てるかじっとしていて、夕方になるとエサ場の池や川などに出てくる。そのときの鳴き声がクワァーというカラスに似たものなので、夜ガラスと呼ばれることもある。
 鳥目というくらいだから、多くの鳥は夜目があまり見えないはずだけど、ゴイサギは夜目がきくらしい。ブルーベリーをたくさん食べてアントシアニンを補給してるからに違いない(ニセ情報)。
 写真のように水面近くの棒や岸辺でじっと待ち構えて、下を通りかかった魚やカエルなどをパクリといただく。他のサギたちのように足が長くないので、エサ場は限られる。ただ、ちょっと驚くのは、こう見えても実は首がなが~いのだ。普段はSの字に畳んでいて、いざ獲物を捕らえるときはびよ~んと伸びるので魚もびっくり。まさかー、と思いながら捕まってしまうのかもしれない。本気を出すと胴体と同じくらいの長さに伸びる。姿や姿勢はペンギンに似てるけど、もしペンギンの首がびろ~んと伸びたら私たちでも驚く。
 もし、これを読んでいる人の中に釣り堀の経営者の方がいたら(すごく低い確率だ)、夜のゴイサギには注意が必要です。最近、魚が少なくなったなぁなんて思ったら、犯人はこいつかもしれません。じっちゃんの名にかけて。

 サギ関係もだいぶ出そろってきた。ダイサギ、コサギ、アオサギ、アマサギ、ゴイサギあたりが登場して、残るはちょっと珍しいチュウサギ、かなり珍しいヘラサギあたりだろうか。南の島にはクロサギなんてのもいる。いつになるか分からないけど、できるだけ網羅していきたい。ササゴイ、ヨシゴイあたりも見たいし、大御所としてコウノトリがいる。
 兵庫で育てられているコウノトリは無事野生化して、子供を増やすことが出来るだろうか。将来、コウノトリがどの街の川にも普通にいる日本に戻ったらとても素敵なことだ。そういう自然回帰こそが、これからの日本が向かうべきひとつの方向性のようにも思う。
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