月別:2006年07月

記事一覧
  • 野菜づくし料理発、妄想行きサンデー料理

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/30s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマは野菜。メインもサブも野菜づくしの料理となった。 左手前は、白身魚とエビと野菜の白みそソース和え。 白身魚(今回はメカジキ)を一口大に切り、小エビ、鶏肉と共にカタクリ粉でまぶして軽く茹で、取り出したら氷水につけて身をしめる。こうすることによってフライパンで焼いたとき型くずれしにくくなる。 フライパンにオリーブオイルをた...

    2006/07/31

    料理(Cooking)

  • モノレールは21世紀を超えて22世紀に生き残れるか?

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f3.5, 1/50s(絞り優先) モンキーパークへ行くとき、成田山からモノレールに乗った。そのニュー・レトロな感じが、裏の裏の近未来を思わせた。古くて新しくて、新しくて古いような新しさ。こいつに乗ってガタゴト揺られていると、不思議の国に連れて行かれるような気さえしてくる。 けれどもちろん着いたのは犬山モンキーパークで、その間約2分の短いみじかい旅だった。それでも、...

    2006/07/30

    鉄道(Railroad)

  • クジラよありがとう、地球にいてくれて

    Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/30s(絞り優先) 夕暮れの空にクジラが泳いでいた。大きなおおきなクジラが。 人は大きな生き物に対して敬意を抱く。そして、その大きさが自分の想像を超えると、敬意は畏怖心に変わる。どんな人間も、シロナガスクジラの前では自らの小ささを思い知ることだろう。 クジラは世界最大のほ乳類であり、その中で最も大きなシロナガスクジラが世界で最も大きな生き物だ。最大で体長...

    2006/07/29

    空(Sky)

  • 四谷千枚田に今年も会いに行った、次は5月の夕暮れに

    Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/250s(絞り優先) 鳳来寺のヤマユリを見に行くもうひとつの楽しみが、ここ四谷の千枚田だ。日本の棚田百選にも選ばれているこの棚田は今、夏の青い空と白い雲、大きく育った緑の稲とのコントラストが美しい。 よくぞこんな斜面にこれだけの棚田を作ったものだ。この段々は、石をひとつひとつ積み上げて作られている。その苦労を思うと気が遠くなりそうだ。鳳来寺のこのあたりは9...

    2006/07/28

    風景(Landscape)

  • まさかの大遅刻となった鳳来寺のヤマユリ

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.6, 1/25s(絞り優先) 立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな女の人がいたら怖くて逃げ出してしまいそうだ。妖艶でいて凛として、立ち居振る舞いは清楚で優雅。自分の周りにそんな人はいないから心配する必要もないのだけど、もしいたとしてもそこまで揃ってしまうとかえって近づきがたい。声をかけられても、ザリガニのように後ずさってしまうだろう。 もともと牡丹も芍薬...

    2006/07/27

    花/植物(Flower/plant)

  • 地味だけどあちらにもこちらにもいるムクドリさん

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/50s(絞り優先) 私にとってのムクドリは、馴染みのない隣人に近い。たまに見かけるけど、親しくはない。でも会えば挨拶くらいはするといった関係だ。ヒヨドリは森なんかでギャーギャー騒いでるので、親しくはないけど馴染みはある。写真もめったに撮らないのだけど、たまにはと撮ってみた。春には田んぼなどでよく見かけてた。この時期は河原にたくさん訪れていた。 ヒィ...

    2006/07/26

    野鳥(Wild bird)

  • 瀬戸電の101年を振り返るにわか鉄っちゃん

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.0, 1/100s(絞り優先) 踏切待ちで先頭に止まったとき、それはシャッターチャンスを意味する。助手席に置いてあるデジを手に持ち、さりげなくスイッチを入れ、レンズのフタを取る。そして、電車が近づいてくると、窓を降ろし、デジを構え、電車に向けて力の限り連写する。私の力の限りというよりもEOS 10Dの力の限りなんだけど。過ぎゆく電車を見送り、その場限りのにわか鉄っち...

    2006/07/25

    鉄道(Railroad)

  • 鰻の気持ちは知らないけれど鰻の美味しさはよく分かる

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.2, 1/13s(絞り優先) 今日は土用の丑の日だったので、サンデー料理もうなぎにしてみた。うなぎは料理としては単純すぎるからどうしかと迷ったんだけど、こういう日でもないとうなぎを食べることはほとんどないから、やっぱりうなぎにした。手抜きしたかったわけじゃあない。 うな丼ではあまりにも芸がないということで、名古屋名物ひつまぶし風にした。手間は大して変わらないけど、お馴染みじ...

    2006/07/24

    料理(Cooking)

  • カピバラさんは怠けてるんじゃない、まったりしてるだけ

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.0, 1/160s(絞り優先) 東山動物園の一番奥まったところで、何か面白いものはいないかと広場を眺めていると、突然目の前をこいつが軽やかな足取りで横切っていった。 なんだ、なんだ、あのでっかいネズミみたいなのは!? プレートを見ると、カピバラ、と書いてある。はて、カピバラとな。聞き慣れない名前だな。それにしても大きなネズミだ。世界には私たちにとってもお馴染みの生き...

    2006/07/23

    動物園(Zoo)

  • 野草の知略に学ぶことは多く、学習に終わりはない

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f4.5, 1/500s(絞り優先) 梅雨もまだ明けないのに咲き始めたアキノタムラソウ。夏に咲くのにアキノタムラソウ。一本でもニンジン、二足でもサンダル。けど、アキノタムラソウが咲き始めるのは7月なので、アキノタムラソウとしては間違ってない。名前を付けた人間の問題だ。花期が長くて11月まで咲いてるから、秋口に見つけてそう名づけたのだろうか。 この野草、誰がいつどんな理由で命名...

    2006/07/22

    花/植物(Flower/plant)

  • ダイミョウセセリは大名の衣装か大名にひれ伏す側か

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/250s(絞り優先) 最初に見たときは蛾だと思った。前に見たことがあるシロモンノメイガに似ていたから。でも、近づいてよく見てみると、触覚の先が蝶の特徴であるふくらみを持っていた。じゃあ、コミスジとかあっちの仲間なんだろうなと思った。 しかし、調べてみるとダイミョウセセリ蝶と判明。セセリって、あのイチモンジセセリやチャバネセセリと同じ仲間ということか。全然違う...

    2006/07/21

    虫/生き物(Insect)

  • 海上の森は4時間の大作映画をゆったり観賞するように

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.5, 1/13s(絞り優先) 昨夜から降り続いた雨が午後になってやんだので、夕方少し海上の森(かいしょのもり)を歩いてきた。約ひと月ぶりの森は、すっかり夏の装いになっていた。 四つ沢から海上集落に向かう途中で猫がお出迎え。森と猫の取り合わせはあるようでない。不思議と思うか当たり前と思うか人によるだろうけど、森に猫はいない。何故なら、日本には野良猫はいても野生...

    2006/07/20

    森/山(Forest/Mountain)

  • 5年後目にするのは未来への希望か終末的光景か

    Canon EOS D30+EF35-105mm 最近しつこいくらいにやっている地上デジタル放送移行告知CM。なんだよまたかよ分かったよと思いつつ軽く見流しているけど、考えてみると2011年なんてそんな遠い未来の話ではない。次のワールドカップ・南アフリカ大会の次の年だ。 5年後、今のアナログ放送は完全に終わり、否が応でもデジタル機器を買わなければ一切のテレビ番組が見られなくなるという現実。家電の進歩は早いから5年も経てば状況は大...

    2006/07/19

    建物(Architecture)

  • 首をかしげながら空を見上げるエリマキキツネザル

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/100s(絞り優先) 空を見上げながら2頭のエリマキキツネザルは何を話してたんだろう。飛行機でも見てたのか、故郷のマダガスカル島のことを思い浮かべていたのか、天気でも気になっていたのか。 そんなことを想像しながら写真を撮っていた。写真を撮るようになって、自分は人や動物の後ろ姿が好きなんだということが分かった。それは、私のこの世界に対する関わり方とも無...

    2006/07/18

    動物園(Zoo)

  • ホワイトサンデー料理完成、次はブラックサンデーだ

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f4.5, 1/60s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマは「白」。こう暑いと、暑苦しい料理を見ただけで食欲をなくしかねない。そんなときは、見た目が白っぽくて涼しげな料理がいい。そして、作り手の立場としては簡単なのが望ましい。 で、作ったのがこの3品。最近はレシピに頼りっきりというところから一歩進んで、ある程度レシピにヒントをもらいつつ、そこから先は自分で考えて作るようになって...

    2006/07/17

    料理(Cooking)

  • 失いかけたところで気づくことができた蛍の大切さ

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/25s(絞り優先) 今年は蛍とすれ違った。相生山緑地に見に行ったヒメボタルはタイミングが悪くて1匹しか見られず、定光寺や小幡緑地のゲンジボタルはとうとう行けずじまいだった。去年たくさん見たけどまた来年は見に行こう。そんなことを思いながら海上の森を歩いていると、目の前を小さな黒い虫がふ~っと飛んだ。あ、純。じゃなくて、蛍。独特のゆるやかな飛行ですぐに分かった。...

    2006/07/16

    虫/生き物(Insect)

  • 未知の国だった山形県が少しだけ近くなった

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/100s(絞り優先) これは山形県の山月山麓の家。といっても、私はただいま山形県に来ております、というわけではない。リトルワールドの移築された家を見物して写真を撮っただけだ。いかにも観光客風の人たちが写真に写ってるのも不自然だ。それにしても、母と娘ってこんなにも歩き方が似るもんなんだ。足の踏み出し方と振る腕の角度がそっくりで笑えた。 ということで、今...

    2006/07/15

    美術館・博物館(Museum)

  • 遠くて近い野生の鹿に鹿せんべいを持って会いに行こう

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.0, 1/500s(絞り優先) 名古屋市内で暮らしていると、日常生活の中で鹿と出会う確立は当然ながらほとんどない。三重の田舎でも鹿はいなかった。だから私の中で鹿はサル以上に縁遠い生き物に感じている。けど、日本に野生の鹿は数少ないかといえばどうやらそうでもないようだ。特に北海道の人は鹿とは馴染み深いだろう。20万頭からのエゾジカがいるというから、少し街から外れれば普通に...

    2006/07/14

    動物園(Zoo)

  • 夏休みと冬休みを持つテングチョウと天狗の話

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/100s(絞り優先) 顔の先が伸びた鼻みたいなのでテングチョウ。言われてみればそう見えなくはない。でも、伸びているのはもちろん鼻なんかじゃなく、パルピという下唇ひげだ。匂いを感じ取ったり、眼や口を掃除する機能があるらしい。 姿はタテハチョウに似てるけど系統はまるで違うそうだ。化石で見つかっているほど古いスタイルで、氷河時代を生き残った蝶としても知られ...

    2006/07/13

    虫/生き物(Insect)

  • は虫類脳が恐竜時代を懐かしく思い出しているのだろうか

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先) トカゲを見ると恐竜を思い出す。これの100倍も大きな生き物がかつてはこの森にもいたのかもしれないんだよなぁ、と。臆病なトカゲにかつての王としての面影はないけれど。 恐竜を英語でいうとダイナソー(Dinosaur)。ディノサウルス(Dinosaurus)というのもいる。これはギリシャ語で、恐ろしいトカゲを意味する。やはり、現代において、もっとも恐竜を連想させ...

    2006/07/12

    虫/生き物(Insect)

  • 大和撫子は飛鳥の昔から日本人の心の中にあった

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/100s(絞り優先) 私はヤマトナデシコが好きだ。 いきなり何を言い出すんだ、暑さで頭がやられたか、と思われたかもしれない。いやいや、そうじゃなくて、花のナデシコが好きだって話です。もちろん、大和撫子だって嫌いじゃないけれど。 ナデシコ。正式名称、ヤマトナデシコ。いわゆる日本人女性の鏡といった意味での大和撫子は、この花から来ている。野草名としては、カワラナデ...

    2006/07/11

    花/植物(Flower/plant)

  • 見た目定番、中身に一工夫の料理はもどき料理の第一歩

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/100s(絞り優先) 今日のサンデー料理は、定番中の定番、王道中の王道料理となった。ハンバーグにギョウザにクリームコロッケ、子供が好きなおかずベスト5に入ってそうなメニューだ。ただし、中身はちょっと違う。大人向けにアレンジして作ってある。人も料理も、たいていは見た目通りなものだけど、たまには例外もある。 まずハンバーグは、マグロから作った。安いくずマグロを、小さく切...

    2006/07/10

    料理(Cooking)

  • 甘党のメジロさんは目を白黒させて今日も甘いもの探し

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/320s(絞り優先) いいものが目白押しでどれにするか迷ってしまうなぁ、というのはこのメジロから来ている。鳥好きの間では常識だけど、一般常識と言えるかどうか微妙なところだ。メジロは知っていても目白押しの語源を知らない人は案外多いんじゃないだろうか。メジロがみんなで枝の上にとまるとき互いにぴったりくっついて並ぶので、その様子がまるで押し合いでもしてるよ...

    2006/07/09

    野鳥(Wild bird)

  • 七夕だったことを思い出すのが遅れてタツナミソウの話に

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f2.8, 1/50s(絞り優先) 今日は七夕。家に帰ってきてから、あっと思い出した。そういえばそうだった。覚えていれば願い事が書かれた短冊の写真でも撮ってきて、七夕のことを書いたのに。でも、もし思い出して、幼稚園の中をこっそり撮っていたら幼稚園生が先生に告げ口して先生が警察に通報して、おい、そこのキミ、何を撮っているんだと後ろから警官に声をかけられて思わず逃げ出して捕ま...

    2006/07/08

    花/植物(Flower/plant)

  • 落ち込むドグエラヒヒを励ます方法を知りたかった

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/400s(絞り優先) 山を背景に高い場所で何か思い悩んでる様子のドグエラヒヒ。声をかけるのもはばかられるほど落ち込んでいるように見える。一体何があったんですか、ドグエラヒヒさん!? 私でよかったら相談に乗りますよ。仲間はずれにでもなったのだろうか。しばらく見ていたけど、ついに陽気さを取り戻すことはなく、うつむいたまま顔を上げることはなかった。実は、う...

    2006/07/07

    動物園(Zoo)

  • 怪鳥バリケンさんはあなたの街にもいるかもしれない

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/250s(絞り優先) グリーンピア春日井の池に見慣れない奇妙な鳥が泳いでいるのを見つけた。なんだあれ。ニワトリが泳いでる? そんなわけはない。泳ぐニワトリなんて見たことない。近づいてみると、それはアヒルっぽかった。しかし、どこか違う。こんなカラーリングのアヒル見たことないし、アヒルよりもひとまわり大きい。突然変異か何かだろうか。そんな釈然としない思い...

    2006/07/06

    野鳥(Wild bird)

  • あっちでネジネジ、こっちでネジネジ、たまにネジネジしない

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/400s(絞り優先) ネジバナを見ると中尾彬を思い出す。中尾彬はネジバナの存在を知っているだろうか。 どこにでも生えている花も、興味を持たなければ目に入ってこないもの。私がこの花のことを知ったのは去年の今ごろだった。それまで物心ついて30年以上知らずに過ごしてきたのに、知ったとたんあちらでもこちらでもあらゆるところで目にするようになった。自分の目に映る...

    2006/07/05

    花/植物(Flower/plant)

  • 琵琶湖のカイツブリたちによろしく伝えてください

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/100s(絞り優先) 池に浮かんでいる鳥を見たとき、きっとカモか何かなんだろうなと思ったのはおととしまでの私。今はあいつは何者だ、と厳しい目で見つめる人となってしまった。常に首から双眼鏡をぶら下げている人の2歩手前くらいまできている気がする。今はまだ、デジの望遠レンズを目一杯伸ばして確認するにとどまっている。それでも、人がたくさん歩いている公園の池では充分...

    2006/07/04

    野鳥(Wild bird)

  • ベスト4のサンデー料理はベストから遠かった

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/100s(絞り優先) 私の中で今ひとつ盛り上がらないまま、ワールドカップ・ドイツ大会は準々決勝を終えてベスト4が出そろった。ドイツ、イタリア、ポルトガル、フランス。今大会ほど波乱がなく面白みのない大会は他にないんじゃないか。ブラジルがフランスに負けたのも番狂わせじゃない。フランスの守備力がブラジルの攻撃力を上回っただけだ。ヨーロッパで行われる大会は欧州勢が圧倒的に有...

    2006/07/03

    料理(Cooking)

  • 野に咲く花を知らなくも知りすぎていても恥ずかしくはない

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/25s(絞り優先) 気がつけば早7月。6ヶ月間気絶していたわけじゃないけど、もう半年も経ってしまったかと驚く。何かお釣りを誤魔化されたみたいな気分だ。 花の顔ぶれでいうと、もう半分以上は終わったことになる。秋は春ほど多くないし、夏もそれほど種類はないことを考えると、もう3分の2以上過ぎたのかもしれない。今年もたくさん逃してしまった。 ということで、今日...

    2006/07/02

    花/植物(Flower/plant)

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野菜づくし料理発、妄想行きサンデー料理

料理(Cooking)
野菜サンデー料理

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/30s(絞り優先)



 今日のサンデー料理のテーマは野菜。メインもサブも野菜づくしの料理となった。
 左手前は、白身魚とエビと野菜の白みそソース和え。
 白身魚(今回はメカジキ)を一口大に切り、小エビ、鶏肉と共にカタクリ粉でまぶして軽く茹で、取り出したら氷水につけて身をしめる。こうすることによってフライパンで焼いたとき型くずれしにくくなる。
 フライパンにオリーブオイルをたっぷり入れ、タマネギを炒める。更にバターを加え、先ほど茹でた白身、エビ、鶏肉を投入する。遅れてブロッコリーとアスパラガスも入れる。
 ソースは白みそベース。白みそ、しょう油、酒、みりん、カラシ、マヨネーズ、塩、コショウを混ぜ、これだけだと濃いので先ほどの煮汁をくわえて薄める。カタクリ粉が溶け出しているので、ちょうどいい感じにとろみもつく。これをひと煮立たせ、半分を焼くときに絡め、半分はあとからかける。

 右手前は野菜煮込みの上品風。
 里芋は皮を剥いて酢水につけてぬめりを取り、ゴボウはタワシで表面を削る。ニンジン、大根、キャベツ、長ネギの根っこの方を適当に切り、まずは里芋、ゴボウ、ニンジンを下茹でする。ある程度柔らかくなったら、だし汁に変えて、もう一度煮る。そのときに大根を追加する。終盤が近くなってきたらキャベツと長ネギを加え、酒、みりん、塩、コショウを入れる。更にコンソメの素をひとつ入れ、カレー粉を振りかけ、最後にもう少し煮込む。野菜の形が崩れない程度まで。
 スープとして作ってないので汁は入れず、具だけを皿に乗せる。ちょっともったいないけど、汁入りにすると見た目の品が落ちるのでこれはこれでいい。

 奥の黄色いのはナスの卵チーズ乗せ。
 オリーブオイルとバターで刻んだニンニクとタマネギを炒め、スライスしたナスを両面焼く。ある程度色が変わって透き通るまで。
 とじた卵に、たっぷりのパン粉、とろけるチーズの刻み、塩、コショウを混ぜ合わせ、焼けたナスの上にとろりとかけて、フタをする。とろけるチーズが混ざって卵が固まったら完成だ。

 といった感じのサンデー料理となった。今日は味付けもあっさり目で、暑くて食欲がもうひとつというときでも無理なく食べられるメニューとなっていると思う。夏場はあまり脂ぎったものは食べたくないから、これくらいヘルシー寄りの方がいい。子供より大人向けとも言えるだろうか。
 使った野菜は、サンデー料理史上最高の10種類。タマネギ、長ネギ、ナス、ニンジン、ゴボウ、里芋、キャベツ、大根、アスパラガス、ブロッコリー。冷蔵庫に残り物があればもっと入れてもよかった。
 野菜を使った料理というと、つい野菜炒めに流れがちだけど、あれは個人的にあまり美味しくないし嬉しくない。野菜も、少し工夫すると新鮮な美味しさを生み出すことができる。今日のはほんの一例で、レシピは他にもたくさんある。私はフードプロセッサーを持ってないのだけど、あれがあると更に応用が利くようになる。苦手な野菜をすりつぶして好物に混ぜ込んでしまうとか。野菜サラダだけが野菜を摂取する方法ではないのだ。
 なーんて、私もずいぶんエラそうなことを言うようになったものだなぁ。趣味の料理をたった40回やそこら作ったくらいのくせに。ケンタロウに出したら、きっと眉をしかめられてしまうだろう。まだまだ修行は続く。包丁一本さらしに巻いて。

 それにしても今日、自分でも思いがけないことがふと頭に浮かんだ。調理師免許、取ろうかな、と。
 ええー!? 今さら? 自分でも驚く思いつき。一体どうした。
 昔から習い事が嫌いで何でもオレ流だった私。友達に誘われて行ったそろばん塾は1日でやめ、字が上手くなりたいと始めた習字は3日しか持たなかった。以来、人に何かを習うということがないままここまで来てしまった。免許といえば自動車の免許しか持ってない。資格のようなものが欲しいと思ったのは、あるいは昔からの思いが積み重なった結果かもしれない。
 今から調理師免許を取って何をしようってわけでもないけど、持っていたらなんとなく嬉しいような気がする。そんな安易な気持ちで専門学校に行く人がいるのかどうかは謎だけど。ってか、調理師専門学校ってフルタイムなの? 習い事の延長で免許を取るなんてことは無理なんだろうか。そこまで本気じゃないんだけど。
 そこで、ちょっと調べてみた。えーとなになに、飲食店などで2年以上の調理実務を経験した後、都道府県で行う調理師試験に合格する方法と、厚生大臣が指定した調理師養成学校に入学して、1年以上必要な知識と技能を修得し、無試験で取得する方法があります、ですと? うー、きびしー。こりゃいかん。気軽な気持ちでは取得できそうにない。
 ここはひとつ、方向転換をせずばなるまい。お料理教室に通えばいいのだ。それはそれで楽しそうだぞ。花嫁修行中の女の子たちときゃっきゃとにぎやかに戯れながらいろんな料理を習う。きゃっ、指切っちゃった! どれどれ見せてごらん。大丈夫、大丈夫、ボクのばんそうこうを貼ってあげよう。わー、どうもありがとうございます。いえいえ、どういたしまして。気をつけるんだよ。うーん、なんて素敵なんだ。もしかして私の妄想は間違ってるでしょうか? 男は少ないってことで、定年退職後のおじさんクラスに入れられてしまったらどうしよう。何の楽しみもないではないか。やっぱり料理教室もやめようかな。
 そんな空想も織り交ぜつつ、これからもサンデー料理は続くのであった。

モノレールは21世紀を超えて22世紀に生き残れるか?

鉄道(Railroad)
がたごとモノレールに乗って

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f3.5, 1/50s(絞り優先)



 モンキーパークへ行くとき、成田山からモノレールに乗った。そのニュー・レトロな感じが、裏の裏の近未来を思わせた。古くて新しくて、新しくて古いような新しさ。こいつに乗ってガタゴト揺られていると、不思議の国に連れて行かれるような気さえしてくる。
 けれどもちろん着いたのは犬山モンキーパークで、その間約2分の短いみじかい旅だった。それでも、普段めったに電車に乗らず、モノレールに乗ったのも初めてだった私なので、ちょっと嬉しかった。もちろん、シートの上で飛び跳ねたりしてはしゃいだりはしなかったけど(そんな大人のひとり客は嫌だ)。

 正式名称モンキーパークモノレール線。れっきとした名鉄の持ち物で、名鉄の運転士がワンマン運転をしている。犬山駅近くの「犬山遊園駅」から途中「成田山駅」を挟み、モンキーパークの「動物園駅」に向かう1.2キロの路線だ。時間は約3分、料金は一律150円。年中無休で、毎時2本走っている。ゲームの「電車でGO 名古屋鉄道編」にも収録されていた。
 山の奥まったところにあるモンキーパークにどうやってお客を運ぼうか考えた名鉄が思いついたのがモノレールだった。鉄道を敷くには金がかかりすぎるし、バスだけでは運びきれない。そこでモノレールということになった。当時はまだ実用化される前で、のちに開業することが決まっていた東京モノレールの技術実験としての意味合いもあったという。
 こうして昭和37年(1962年)、日本初の跨座式モノレールは、ここ犬山の地で開業したのだった。日立アルウェーグ式で、コンクリート製のレールの上をゴムタイヤで走っている。
 このモノレール、何がすごいって、開業当時の車両が今もまだそのまま使われているというから驚く。途中でバラバラになったりしないだろうかとちょっと心配になる。屋根が飛んだりしたら嫌だな。内装はしばらく前に改装したようできれいだったし、外観もペイントなのかステッカーなのか、派手な模様をしているので、さほど古めかしいという印象は受けなかったのだけど。
 MRM100形を先頭に、MRM200形を挟んでもうひとつMRM100形をくっつけた3両編成で、それが2セットある。通常はワンセットで往復するのだけど、休日などの人が多いときは2セットをつないで6両編成になるらしい。
 列車好きの人は、こんな古い貴重なモノレールなら一度乗りたいと思うかもしれない。ただ、気をつけなくてはいけないのは、終点の動物園駅は、すでにモンキーパークの園内であるということだ。つまり、終点から歩いて駅の外に出ることはできない。ホームで途方に暮れるあなたは、おサルさんなんて見たくなくてもモンキーパークのチケットを買って中に入るしかないのだ! そのまま引き返して帰ろうにも、帰りの切符を売ってるのもまた園内! これはちょっと困ったことになる。モノレールにだけ乗りたい場合は、犬山遊園か成田山で往復の切符を買っておくのを忘れないでくださいね。

モノレール外観

 モノレールとは、ひとつを表すmonoとレールのrailを組み合わせた言葉で、和製英語かと思いきや実際の英語だった。列車に限らず1本のレールの上を走る交通機関のことで、レールをまたぐ跨座式(こざしき)と、車両がぶら下がる懸垂式がある。
 その中でも、アルヴェーグ式、ロッキード式、東芝式、日本跨座式、ランゲン式、上野式、サフェージュ式などがあるのだけど、そこまでは一般人が知っておく必要のない知識だ。湘南モノレールを見て、あれって1957年にルイ・シャーデンソンが開発したサフェージュ式なんだよね、などと説明してみても、あまり人には感心されないだろう。それを言いたければ、そうそう、サフェージュ式モノレールの第1号って、名古屋の東山動物園で使われて1974年に廃止されたんだよね、今でも動物園の隅っこに保存されてるって知ってました、と切り返してくれるような相手に限定した方がいいと思う。
 世界で最初にモノレールというのを作ろうとしたのは、1821年にヘンリー・ロビンソン・パルマーという人らしい。その後1824年に、ロンドンのテムズ川近くで海軍の荷物を運ぶのに作られたのが最初のようだ。
 日本でも第二次大戦前にいくつものモノレール案が浮上しては消えたそうだ。
 結局初めて実用化に成功したのは、戦後1951年の豊島園で、遊戯施設としてだった。続いて1957年に上野動物園で、1961年に奈良ドリームランドでそれぞれ作られた。で、最初の商業用として完成したのが1962年の犬山だったというわけだ。

 モノレールは都市の近未来交通機関として、一時非常に期待されもてはやされた時期があった。1990年代には各地でたくさん作られもした。一番のメリットは、費用の安さだ。線路と違い、買収するのが支柱の部分と駅のところだけでいいというのが大きい。道路や川の上に作ることもできるし、勾配や急カーブも問題ない。地下鉄に比べたら費用だけでなく工事期間もずっと短くて済む。路面電車のように渋滞を引き起こしたりもしないし、バスのように事故の心配もない。
 このようにいいことずくめのモノレールにみんなが飛びついたのも無理はない。デメリットがあるとすれば、他の鉄道や交通機関との連絡が悪いという点が挙げられるだろうか。単独としては便利でも、乗り継がなくてはならない場合、歩く距離が長くなったりするかもしれない。
 しかし、そんなことより何より、モノレールには致命的とも言える欠点がひとつある。それは、高所恐怖症の人が乗れないということだ。いや、笑い事じゃなく、モノレールは実際怖い。細い線にまたがってるだけだから窓の外の景色を見ると不安感一杯になるし、それがぶら下がり式となれば尚更だ。事故がないと分かっていても怖いものは怖い。安全というデータで恐怖感が消えることはないのだ。
 路線によって感じる恐怖の度合いは違うんだろうけど、犬山の場合は、老朽化と相まってドキドキ感を誘うものだった。たとえるなら、古い遊園地のジェットコースターみたいと言おうか。カーブで外に飛び出していきそうなあの感じ。大丈夫と自分に言い聞かせてはいたけど、やっぱりちょっと怖かった私であった。
 今後、モノレールが更なる進化、発展を遂げていくのか、それとも徐々にすたれていくのか、私には分からない。ただ、開発者と鉄道会社は心にとどめておいて欲しい、世の中には高いところが怖い人がいるということを。高所恐怖症の人にも優しいモノレールの開発を望みたい。

クジラよありがとう、地球にいてくれて

空(Sky)
空を泳ぐ鯨

Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/30s(絞り優先)



 夕暮れの空にクジラが泳いでいた。大きなおおきなクジラが。
 人は大きな生き物に対して敬意を抱く。そして、その大きさが自分の想像を超えると、敬意は畏怖心に変わる。どんな人間も、シロナガスクジラの前では自らの小ささを思い知ることだろう。
 クジラは世界最大のほ乳類であり、その中で最も大きなシロナガスクジラが世界で最も大きな生き物だ。最大で体長30メートル、重さは200トン近くになる。それは10階建てのビルに相当し、ティラノサウルスの3倍も大きい。近年は絶滅が危惧されているけど、なんとかこの大きな生き物には生き延びてもらいたいものだ。地球が地球らしくあるためにも。

 クジラとイルカは同じものだと知っているだろうか。その境目は曖昧で、3メートル以上のものをクジラと呼び、それ以下のものをイルカと言っているにすぎない(いくつかの例外はあるけれど)。
 クジラ・イルカ類と呼ばれる生き物は、約80種類くらいいると言われている。分類学上2種類に分けられる。歯を持ったハクジラ亜目と、ヒゲが特徴のヒゲクジラ亜目とに。イルカなどのように小型のものは歯を持っていて魚などを食べ、プランクトンは食べない。大型のクジラはハクジラで、プランクトンなどを主食とする。ヒゲといっても猫のヒゲのようなものではなく、口に歯の代わりに生えていて、それがエサをかき込む役割をする。
 まだ誰も知らないクジラやイルカがいて、今後発見される可能性もあるそうだ。海は広い。
 言うまでもなくクジラはほ乳類なので、人や犬、猫と同じように肺で呼吸し、赤ちゃんで子供を産み、お乳で育てる。頸椎も人と同じ7個だ。当然、水の中で肺呼吸はできないので、水面に上がってきて呼吸している。
 潜水能力は種類によっても違うけど、数十分は潜ったままでも大丈夫らしい。これは血液にたくさん酸素をためこんでおくことができるからだ(ヘモグロビンが多いから)。肺も伸縮自在で水中では潰れてしまうので、水深数千メートルまで潜ることができる。
 クジラといえば潮吹きというイメージが強い。あれは、冬場に吐く息が白くなるのと同じ原理だ。飲み込んだ海水を吹き出してるわけではない。クジラの体温は38度くらいあって、空気は暑くても35度以下なので吐いた息が白く見えるというわけだ。すごく鼻息が荒いとも言える。

 こんな大きな体をしたクジラだけど、大昔は陸で暮らしていた。どういうきっかけで海へ向かったのかは、今となっては分からない。おそらくはエサの問題だったのだろうけど、海に自由とロマンを求めたのかもしれない。
 ムカシクジラは今から6,000万年ほど前にカバと共通の祖先から枝分かれして誕生したと言われている。手足があって、陸で生きていた。四肢に蹄(ひづめ)を持った偶蹄類と呼ばれるもので、草食動物だったようだ。最近の研究で、カバに最も近いことが分かったそうだ。
 飛ぶことをやめて陸で生きるというのは分からないでもないけど、陸を捨てて海で生きることを決めたというのはよほどのことだったのだろう。どうやって海中で順応するように進化できたのか不思議だ。人間も、シンクロナイズドスイミング一家が何代にも渡って水中で過ごしていたら、やがて水の中で生きていけるようになるのだろうか。
 海中は陸に比べたらはるかにエサが豊富だ。クジラは嬉しかったことだろう。こんなに美味しいものが食べ放題だなんてと。そうして、どんどん大きな体になっていった。現代のクジラは、大きなもので一日数トンものエサを食べているという。

 食べるといえば、鯨の肉。私が子供の頃は確か給食でもクジラの肉が出てきたと思う。ちょっとクセがある独特の旨味だったようなかすかな記憶がある。
 現在、クジラの肉はタブーとはいかないまでもそう簡単には食べられないものとなった。1988年に商業捕鯨からほぼ完全に撤退したからだ(今でもわずかに小型捕鯨は行われているけど)。江戸時代(1606年)から始まった日本の捕鯨は、382年目にして終止符を打った。
 これは乱獲によってクジラ全体が絶滅の危機に陥ったというのではなく、動物愛護の観点から政治的に止められたのだった。あんなに雄大で知性を持った生き物を捕って食べるなんてもってのほかというわけだ。そうなったらなったで、今度は他の魚がクジラに食べられすぎるなどの問題もあるようだけど、それにしても人類はクジラを捕りすぎた。鯨油と肉とクジラひげのために。紀元前2,000年くらいにはノルウェイあたりで捕られていたというから、クジラの受難時代は長く続いたことになる。
 クジラの肉なんて食べなくても不幸じゃないし、クジラを捕らなければどうしても困るなんてこともないんだから、個人的には捕鯨禁止はいいと思う。海の生態系のことは海に任せておけばいい。人間がどうこうコントロールすることもでもない。
 死んだクジラは、深海に向かってゆっくり静かに沈んでいく。その肉は、太陽も届かない暗い海の底で暮らす生き物たちにとっての命綱となる。骨までも余すことなく。

 いつかクジラを見に行こう。ホエール・ウォッチングのポイントとしては、国内では高知県、沖縄、北海道、東京小笠原あたり、海外ではハワイ、メキシコ、ニュージーランドあたりが有名だ。いずれも遠いのが難点だけど、いつかきっと、クジラの歌を聴きに行こう。
 月明かりの下の暗い海、舟に揺られて目を閉じると、風に乗ってクジラのノクターンが聞こえてくる。それは、いつか交わした遠い約束。

四谷千枚田に今年も会いに行った、次は5月の夕暮れに

風景(Landscape)
四谷の千枚田

Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f8.0, 1/250s(絞り優先)



 鳳来寺のヤマユリを見に行くもうひとつの楽しみが、ここ四谷の千枚田だ。日本の棚田百選にも選ばれているこの棚田は今、夏の青い空と白い雲、大きく育った緑の稲とのコントラストが美しい。
 よくぞこんな斜面にこれだけの棚田を作ったものだ。この段々は、石をひとつひとつ積み上げて作られている。その苦労を思うと気が遠くなりそうだ。鳳来寺のこのあたりは9割が山林で平地が少ないため、これしかなかったのだろう。起源は古く、江戸時代にはすでに今の姿が出来上がっていたと言われている。明治時代には、山津波に襲われ、一時は壊滅的な姿になってしまったそうだ。
 総面積7ヘクタールに、1970年頃のピーク時には1,300枚近い田んぼがあったという。まさに千枚田。現在はだいぶ減って800枚ほどになり、半分は休耕田になっているとか。
 下と上との標高差は180メートル。斜面なので一見近そうに見えるけど、一番上まで歩いていくと30分もかかるらしい。夏の暑い時期は大変だ。歩きにしても自転車にしても、ここから学校に通っている子供は相当足腰が鍛えられる。お年寄りは大変だろう。

 千枚田の方が一般的な呼び名だと思うけど、千枚もないようなところもあるので棚田と言った方が正しいのかもしれない。田んぼと棚田の違いは何かといえば、簡単に言うと斜面にある階段状の田んぼが棚田で、平面なのが田んぼということになる。農林水産省の定義によると、傾斜の角度が20分の1以上、つまり20メートル進んで段差が1メートル以上なら棚田扱いとなるらしい。そんなものどっちでもいいじゃないかと思うなかれ。いろいろややこしいこともあるのだ。たとえば、棚田に認定されると助成金が出るとか。まあしかし、少々の助成金よりも苦労の大きさを思うと、よほどのことがない限り棚田はきつい。
 何がきついって、大きな機械が使えないのが一番つらい。大きな機械ではUターンもままならない。必然的に手作業が多くなり、移動も大変となる。川の上流から水を引き込まないといけないし、雨が降らないことを想定して他からの水も確保しなければならない。機械に頼れない分、肉体的にきついから、年を取ったらなかなか農作業はできなくなる。自然と休耕田が増えていくという流れとなり、それを止めることは難しい。
 しかし、棚田のメリットもある。狭い土地で米が作れるというだけでなく、美味しい米が作れるのだ。山間部なので昼と夜の温度差が大きく稲がゆっくり育つとか、使っている水が上流のものでいろいろなミネラルを含んでいるとか、米を天日干しにすることでよく乾燥するとかで、結果的に美味しい米ができる。それがあるから、苦労は大きいけど棚田での米作りにこだわっている農家さんもいるだろう。

 日本における棚田作りがいつ頃から始まったのか、正確なところは分かっていないらしい。最も古いもので6世紀の古墳時代あたりではないかと言われている。棚田という言葉が最初に記録に出てきたのは室町時代だそうだ。
 こういうものを考えつくのは世界共通で、中国、ベトナム、タイ、インドネシアなどにも大規模な棚田がある。中でも世界最大といわれるフィリピンのコルディリェーラ山脈にある棚田は有名で、世界遺産にも登録されている。
 英語rice terracesと表される。
 日本では江戸時代に入って盛んに作られるようになったようだ。藩によっては米を作れる平野が少ないところもあるわけで、でも年貢の米は納めなくてはならない。よって、少しでも石高を増やすために作られた。東日本は平野が多かったのであまり作られなかったのに対し、西日本の方が土地の事情で多く作られた。
 現在、農家の高齢化や後継者不足で農業離れが進む中、棚田は一種のブランドとすることで生き残りをはかっている。全国各地で保存会ができ、ボランティアや農業体験、オーナー制度、棚田米のブランド化などという流れが生まれている。都会に住む人間の原点回帰のひとつの象徴として棚田はかっこうの存在だったとも言える。いきなり広い田んぼを任されても困るけど、千枚田の一枚くらいならオーナーになって収穫体験をしてみたいと思う人は少なくないに違いない。一区画(約100平方メートル)5万円前後で年間オーナーになれるならそんなに高いものでもないし、収穫した米ももらえる。
 しかし、米を作るというのはそんなに安易なものではないだろう。荒起こしから始まり、水入れ、田植え、草刈り、畦刈り、虫取り、見回り、肥料やり、稲刈り、天日干し、脱穀、精米、その他諸々の作業を思うと、それなりの覚悟は必要だ。家から近ければいいけど、遠いと通うのも大変になる。一度その体験をすれば、お米に対する認識が決定的に変わるだろうけど。

 1999年には、農林水産省が日本の棚田百選を発表した。ただしこれは、規模の大きさや収穫的に優れた棚田を選んだわけではなく、観光地化を目的としたもので、見栄えのよさで決められたようだ。
 北は岩手県の山吹から、南は鹿児島の佃まで、全国117市町村、134地区の棚田が選ばれている。百選じゃないじゃん。
 地元愛知では、ここ四谷千枚田と設楽町長江の2つ、三重件は紀和町の丸山千枚田など3つ、岐阜は白鳥町の正ヶ洞など5つが入っている。一番多いのは長野県の16だ。これは山の多い土地柄ということでよく分かる。

 四谷の千枚田は、東名高速「豊川IC」を降りて、153号線に入り、東に向かって「長篠」の交差点を左折して。そのまま32号線をキープすればそのうち辿り着く。インターを降りて50分か1時間くらいだろうか。
 ロケーションとしては、写真のこの位置で東向きになるんだろうと思う。だとすれば、正面に見える鞍掛山から昇る朝日のときもいいし、背中から染まってくる夕焼けどきも最高だ。季節としては、なんといっても水が張られて田植えが終わったばかりの5月に限る。空の色を映して、朝焼け夕焼け色に染まる千枚田は、それはもう美しいに違いない。泣くかもしれない。
 私もいつの日か、5月の夕暮れどきにもう一度訪れたいと思う。夕焼け色の空と棚田と農家さんのシルエット、それは初めて見る光景なのにひどく懐かしい気がするんじゃないだろうか。

まさかの大遅刻となった鳳来寺のヤマユリ

花/植物(Flower/plant)
終わっていた鳳来寺のヤマユリ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.6, 1/25s(絞り優先)



 立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな女の人がいたら怖くて逃げ出してしまいそうだ。妖艶でいて凛として、立ち居振る舞いは清楚で優雅。自分の周りにそんな人はいないから心配する必要もないのだけど、もしいたとしてもそこまで揃ってしまうとかえって近づきがたい。声をかけられても、ザリガニのように後ずさってしまうだろう。
 もともと牡丹も芍薬もそれほど思い入れのある花ではない。色が鮮やかすぎるし、ちょっと大きすぎる。私は小顔だし(そんな情報はいらない)。けど、百合だけは好きだ。中でもヤマユリ(山百合)がいい。大きいし派手だけど品がある。飽きがこない美人のようだ。ヤマユリのような人が理想のタイプというわけではないけれど。

 そんなヤマユリの季節がまた巡ってきた。雨続きだった名古屋もようやく青空が戻り、去年より4日遅れで鳳来寺に向かった。去年の暑かった初夏に比べたら今年は涼しいし太陽もあまり出てないから遅れているだろうという予測の元に。
 しかし、現地で私は愕然とすることになる。……ない。終わってる? 嘘? 本当に? なんで……?
 去年道ばたにたくさん咲いていたものも3輪ほどが枯れかけて残っているだけで、奥へ進めど進めどきれいに咲いているものがまったくない。わずかに数輪残ってはいるものの、去年とは明らかに様相が違う。信じられないことだけど、完全に遅かったようだ。認めたくないものだな、遅さゆえの過ちというものを(シャア改)。
 それにしてもおかしい。去年のあの数十輪咲き乱れていた様子から、4日やそこらで花が影も形もなくなるなんてことはちょっと考えられない。それに、ヤマユリは比較的花期が長くて、7月の上旬から8月にかけて順番に咲いていくはずだ。それがつぼみさえ一切残ってないのだ。今年の春先から初夏にかけての天候不順でやられてしまったのだろうか。長雨で根っこから傷んでしまったのかもしれない。ただ単に遅かったというだけではない違和感があった。
 写真の場所は、四谷の千枚田に違いかなり奥まったところだ。日陰の場所でようやく数輪咲き残っているのを見つけることができた。ここも去年は10輪以上咲いていた場所だ。
 今年はとにかく春から花のピークをことごとく逃している。ヤマユリだけは万全を期したはずが、もっとも致命的な遅れとなった。春からもう一度やり直したいくらいだ。今年の天気がうらめしい。

咲き残りヤマユリ

 ヤマユリは北海道、北陸をのぞく近畿以北の山地に咲く日本固有の花だ。咲いているところの名を取ってヨシノユリ(吉野百合)とかエイザンユリ(叡山百合)などともいう。私が見に行ったのは鳳来寺に咲いているからホウライジユリ(鳳来寺百合)と呼ばれている。
 かつては日本の野山に当たり前に咲いていた。それが近年、激減している。根を動物に食べられたり、人が持っていったりというのにくわえて、人が山に入らなくなって山が整備されなくなったからという理由が大きいとも言われている。ヤマユリにとっていい環境とは、ある程度日当たりがあって、周りに雑草があまりなく、風通しがよいこと、などが挙げられる。種ではなく球根で増えるので、一度枯れてしまうと、もうそこからは生えてこない。
 かなり古くから自生していたようで、縄文人は球根を食べていたらしい。と同時に花も愛でられていて、万葉集にも詠われている。上はきれいな花で下は食用という点では蓮とレンコンに似ているところがある。戦国時代なども非常食として育てられていたそうだ。
 昔の人はこんなに普通に咲いているヤマユリが、将来珍しいものになってしまうなんて思いもよらなかったことだろう。その流れを作ってしまったひとつの原因として、1873年のウィーン万博出展がある。これがヨーロッパで大評判になってしまって、以来、ヤマユリの球根は重要な輸出品としてじゃんじゃん海外に送られることとなる。それが向こうで掛け合わされてカサブランカなどが生まれたのだけど、日本の野生ヤマユリは本当に減ってしまった。

 背丈は1.5メートル、花の直径は20センチ以上と、ユリの中でも最も大きい。香りもかなり強い。日本の野草に似つかわしくないようにも思えるけど、実物を見ればこれはやはり間違いなく日本の花だと納得する。海外の大作りな花とは違う繊細さや可憐さも併せ持っている。ユリの王様と呼ばれることも多いけど、私としてはぜひユリの女王と呼びたい。これは男じゃない。
 梅雨が明けた頃、乾いた夏の風にゆっくり揺れる姿は、まさに女王の風格充分だ。
 日本には他に、ササユリ、ヒメサユリ、オニユリ、カノコユリ、海岸のスカシユリ、沖縄のテッポウユリ、台湾から入ってきたタカサゴユリなどの自生種がある。ユリ園などに行けば色とりどりに咲き誇るたくさんのユリを見ることができる。けど、私が見たいのはそういうものじゃないのだ。山の中のちょっと薄暗いような斜面に、ポツリ、ポツリと白く浮かぶように咲いてるヤマユリが見たい。それこそ高嶺の花のように手の届かないところで咲くヤマユリを。
 来年はどうしようか。もう一度しっかり咲いてる鳳来寺のヤマユリを見たい思いもありつつ、別の場所で探し当てたいという気持ちもある。いずれにしても、7月20日よりも前に行く必要がありそうだ。
 私を待っていてくださいね、女王様。そして、私をいい時期に呼び寄せてください。オオタ、早く来るがいいわ。もうよろしくてよ、と。

地味だけどあちらにもこちらにもいるムクドリさん

野鳥(Wild bird)
矢田川のムクドリ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/50s(絞り優先)



 私にとってのムクドリは、馴染みのない隣人に近い。たまに見かけるけど、親しくはない。でも会えば挨拶くらいはするといった関係だ。ヒヨドリは森なんかでギャーギャー騒いでるので、親しくはないけど馴染みはある。写真もめったに撮らないのだけど、たまにはと撮ってみた。春には田んぼなどでよく見かけてた。この時期は河原にたくさん訪れていた。
 ヒィーヨ、ヒィーヨと大きな声で鳴いてる灰色のがヒヨドリで、黒くてキュール、キュール鳴いてるのがムクドリだ。ムクドリの方が耳障りじゃない。ヒヨはかなりうるさい。私はどちらかというとムクドリは嫌いじゃない。特にこんなふうに河原なんかにいるときはおとなしいもので、かわいげもある。しかし、家の近くが集団寝床となってしまった人はたまらない。夕方から大量に集まってきてうるさく騒ぎ、フンもすごい。河原なんかでおとなしく寝てればもっと好かれてただろうに。

 北海道では夏鳥、沖縄では冬鳥、本州では一年中いるありふれた鳥だ。ありふれ度でいえば、ハト、スズメ、カラスに次ぐくらいなんだけど、その割に認知度は低い。存在感が弱いから。
 国外では、中国、朝鮮半島、モンゴル、シベリアあたりに分布してるそうだ。最近ではオーストラリアにもいるとか。
 冬場は山の方に行っていて見かける機会が減り、春になると公園、田んぼ、河原などでよく見るようになる。完全な自然よりも人間に近い場所の方が好みのようだ。
 体長は25センチくらいだから、スズメとハトの間くらいだ。体重は80グラム前後。
 歩きに特徴があって、スズメのようにピョンピョン跳ねず(ホッピング)、両足を交互に出してひょこひょこと歩く。地面で拾い食いをしつつ、ふと顔を上げる様子はツグミに少し似ている。警戒心は強めで、あまり近くまでは寄れない。
 体は基本的に黒っぽい感じで、頬が白く、クチバシと足はだいだい色をしている。オスとメスは似ていて区別は難しい。メスの方がやや褐色で、頬の白い部分が少ないとか。
 春夏の虫が多いときは、地面をほじくってミミズや昆虫などを食べ、虫が少なくなる秋は木の実を食べる雑食性だ。
 子育ては春から初夏にかけて。年に一度か二度で、多くは一婦一夫。木の穴などに鳥の羽やらがらくたやらを集めてきて巣を作る。
 卵を産んでから温めて産まれて巣立ちするまでにひと月ちょっと。ヒナは大きくなるまで家族と行動を共にする。
 巣立った後は、また大きな群れとなり、ときには数百、数千になるという。

 ドラマチックでもなく、地味な椋鳥さんたち。語源は群れて生活するから群来鳥(むれきどり)、それが転じたと言われている。
 江戸時代、信州あたりからやって来る集団出稼ぎの人たちを椋鳥と呼んだそうだ。大飯喰らいの象徴としての陰口だったらしいけど、なんとなく分かる気がする。鵯(ヒヨドリ)という感じではない。
 場所によっては嫌われ者扱いされつつも、ムクドリたちは割と淡々と生きているような印象を受ける。あまり自己主張をしない勤め人を思わせる。ムクドリなりに楽しいこともあるんだろうし、つらい思いもしてるんだろうけど、そのへんのところを見せないのがこの鳥の美徳と言えるかもしれない。
 今後ともムクドリさんたちをさりげなく見守って、何を考えて暮らしているのかを私なりに探っていこうと思う。

瀬戸電の101年を振り返るにわか鉄っちゃん

鉄道(Railroad)
101年目の瀬戸電

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.0, 1/100s(絞り優先)



 踏切待ちで先頭に止まったとき、それはシャッターチャンスを意味する。助手席に置いてあるデジを手に持ち、さりげなくスイッチを入れ、レンズのフタを取る。そして、電車が近づいてくると、窓を降ろし、デジを構え、電車に向けて力の限り連写する。私の力の限りというよりもEOS 10Dの力の限りなんだけど。過ぎゆく電車を見送り、その場限りのにわか鉄っちゃんとなった私は、深い満足感と共にデジを助手席に戻すのだった。踏切を行くとき、すれ違う助手席のドライバーとは目を合わせない。
 瀬戸電に乗っていて、踏切待ちの車の座席から写真を撮っている男を見かけたら、それは私である確率がかなり高いと思う。

 せとでん、その言葉には、どこか照れくさいような懐かしい響きがある。江ノ島の江ノ電ほどカッコよくも洒落てもないし、現在も通勤通学で使っている人にとってはただの足にすぎないのだろうけど。
 瀬戸電が特に好きというわけではない。乗った回数だって10回以下だ。でも、ずっと見てきて、私なりの思い入れはある。田植えが終わって稲が青々としてきた頃、尾張旭あたりで見る瀬戸電は、ああやっぱりいいなと思う。昔から変わらない赤色のボディがいい。
 少し前、初めて銀色の電車を見た。あれは何だったのだろう。瀬戸電の線路に銀色の電車というのはすごく違和感があった。あれ以来見てない。
 瀬戸電の車両は一種類だと思っていたら、何種類もあることを知る。6000系、6600系、6560系、6750系と。素人目には全部同じに見えるんだけど、並んだ写真をよくよく見ると、確かに微妙に違っている。間違い探しクイズ並みに難しいんだけど。写真のこれは6000系だろうか。

 そもそもの始まりは1905年(明治38年)、瀬戸自動鉄道によって矢田-瀬戸間を結ぶ14.6キロの単線だった。このときはまだ電車でさえなく、セルポレー式蒸気原動車なる車両で、こいつがひどいポンコツだったらしい。途中で止まるわ、脱線するわで、今では15分でいく矢田まで絶好調でも1時間半、やや調子が悪いと3時間もかかってしまったという。7時発に乗って会社に着いたら10時なんて、いくらのんびりしていた昔でも相当まいったに違いない。
 翌年、これではいけないと電気化して大曽根まで線路を延長。社名も瀬戸電気鉄道と変更して、これが今の瀬戸電の愛称につながっている。
 5年後までには堀川まで延長。瀬戸ものを堀川から名古屋港に運んで、そこから世界へ向けて輸出するという名目だったのだが、この頃の堀川はどぶ川と化していて、舟はほとんど使われなくなっており、やや腰砕けの瀬戸電であった。
 しかし、このときの路線は非常に画期的なアイディアだった。大曽根から堀川への途中、名古屋城の外堀に線路を作ってしまったのだ。そんなことがよく許されたもんだと今となっては思うけど、堀の底の方を走っていた瀬戸電ってのは見てみたかった。
 時は流れて1939年(昭和14年)、名鉄(名古屋鉄道)に買収され、栄乗り入れもなり、今に至る。
 現在は、せとものの街尾張瀬戸と名古屋の中心栄町の間、20.5kmを結ぶ通勤、通学電車となっている。地域密着型で、駅は20だから平均1キロにひとつの駅があることになる。それでも、瀬戸や尾張旭から30分ほどで栄まで行けるのだから、沿線に住んでいれば通勤には便利だ。愛知万博のときに乗ったという人もいたかもしれない。
 ちょっと面白いのが、途中で追い抜ける駅や線路がないのに、普通列車だけでなく、急行と準急があるということだ。普通との違いは、止まらない駅があるというだけでしかない。だから、急行よりも先に出た普通の方が必ず先に着く。

 去年2005年は、瀬戸電誕生100周年と愛・地球博が重なったということで、終点の尾張瀬戸駅に「瀬戸蔵ミュージアム」というのができた。懐かしの古い駅舎が再現されていたり、かつて走っていた古い車両が展示されたりしている。昔走っていて、引退したあと岐阜の谷汲線を走っていたモ754車両という緑色の電車も里帰りしてるという。私も一度見に行きたいと思っている。
 私は鉄道ファンではないけど、電車を撮りたいという思いはいつも持っている。駅のホームで、入ってくる電車を待ち構えて人目を気にせず撮りまくるなんてのは無理だけど、どこか小高い場所で、遠くには海なんかが見えたりして、そこをゆっくり走ってくる単線の電車を撮るなんてのは想像しただけで楽しそうだ。
 いつか、大井川鐵道のSLも撮ってみたい。メーテルが乗っているなら銀河鉄道999だって乗りたいと思う。

鰻の気持ちは知らないけれど鰻の美味しさはよく分かる

料理(Cooking)
土用の丑サンデー

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.2, 1/13s(絞り優先)



 今日は土用の丑の日だったので、サンデー料理もうなぎにしてみた。うなぎは料理としては単純すぎるからどうしかと迷ったんだけど、こういう日でもないとうなぎを食べることはほとんどないから、やっぱりうなぎにした。手抜きしたかったわけじゃあない。
 うな丼ではあまりにも芸がないということで、名古屋名物ひつまぶし風にした。手間は大して変わらないけど、お馴染みじゃない人にとっては多少新鮮に映るかもしれない。
 うなぎは、出来たやつを買ってきた。さすがに生きているのを買ってきておろしてタレを付けながら焼くというのは厳しいものがある。うなぎをおろすのも一度はやってみたいと思うけど。
 うなぎをトースターで温めつつ、薬味を用意する。長ネギの刻み、大葉の刻み、溶き卵を薄く焼いて細く切った錦糸卵、刻み海苔、炒りゴマ。
 ひつまぶしといえば茶漬けなので、それ用のダシ汁も作る。昆布とかつお節からダシを取り、ダシ(カップ1)、しょう油(小1)、酒(小1)、みりん(小1)、塩少々を混ぜて、煮立たせる。
 うなぎのタレは、全部ご飯にからめてしまう。ご飯を半分盛って、タレを半分まぶし、1センチほどに切ったうなぎの半分を乗せ、その上にご飯、タレ、うなぎと重ねて、最後に薬味とわさびを乗せて出来上がり。食べるときは、半分はそのまま食べて、残り半分は先ほど作っただし汁をかけて茶漬けのようにかき込む。これがまた美味しいのだ。ひつまぶしを初めて作ったわりには美味しくできた。次からもこれにしよう。普通のよりいける。もうこれで熱田さんの蓬莱軒で高いひつまぶしを食べなくてもいいな(って、一回しか食べたことないんだけど)。

 右にあるのはお好み焼きではない。これは、柳川風うなぎ山芋仕立てだ。
 しょう油大1、みりん大1、だし汁カップ1を煮立たせて、そこに小さく切ったうなぎを入れてしばらく温めたら、溶いた卵とすった山芋を混ぜたものを流し込む。固まってきたらフタをして、しばらく蒸らせば完成だ。
 これは簡単にできて美味しいのでオススメしたい。うな丼にうなぎ一匹は多いなと思ったら、これを付け合わせると飽きずに食べることができる。

 ところで土用の丑とはなんぞやと訊かれてはっきり答えることは案外難しいんじゃないだろうか。土曜の牛? なんのこと? 確かに土曜はよく焼き肉に行くけど、なんでとぼけた人もいるかもしれない。私も、平賀源内がうなぎ屋のために宣伝したのが始まりなんだよね、ってことくらいしか分かってなかったりする。土用とは何か、丑とは何かと突っ込まれると口ごもってしまう。丑三つ時とは関係あるんだろうか。そこで、今日はちょっとだけ土用の丑について勉強してみた。
 まずは丑から。これは、暦の子、丑、寅という例のあれを、昔は日にちにも当てはめていたんだそうだ。12日ごとに一周して、それを繰り返す。それで今日は丑の日に当たる。
 土用というのは、古代中国の陰陽五行説というものから来ていて、この世界のすべてを木、火、土、金、水の五つに分類する中で、季節にもそれを当てはめるところから来ている。春は木、夏が火で、秋は金、冬は水となり、それぞれの季節の終わりの18日間を土用とするんだそうだ。で、夏の間の18日間の中の丑に当たるのが今日というわけだ。なので、土用の丑というのは一年の中で本当は4回以上ある。他の日は何のイベントもないからさらっと流されてしまうけど。
 まあ、要するに、暑い夏を乗り切るためにうなぎを食べましょうということだ。平賀源内のコピーなのか、蜀山人の狂歌が始まりなのか、そのあたりのことは今となってははっきりしない。バレンタインデーと同じようなものだ。

 天然うなぎの旬がいつかといえば、それは秋から初冬にかけてということになる。夏は脂が一番落ちて最も美味しくない時期なのだ。うなぎの生態は謎に包まれていて、誰もどこでどんなふうに子供を産んでいるのか知らない。分かっているのは、フィリピン沖の西マリアナ海峡あたりの産卵場で卵を産んでいるらしいということだけだ。
 秋になるとうなぎは産卵のために川を下って海を目指す。そのためにはたっぷり食べて体力を付けておかなければならないから、体にはしっかりと脂がのっているというわけだ。秋にうなぎというイメージはあまりないけど、旬の天然うなぎは夏以上の美味しさに違いない。
 それにしても、いつになったらうなぎの生態は解明されるのだろう。養殖うなぎというのは、自分のところで飼ってる親うなぎの産んだ卵をかえして育てたものと思ってる人がいるかもしれないけど、そうじゃない。あれは、海で産卵したうなぎの稚魚(シラスうなぎ)を捕ってきて、それを育てて大きくしたものだ。天然というのは、自力で日本の川まで泳いできて大人になったやつのことを言う。何故うなぎがそんな長い旅をするのかもよく分かってない。ずっと海にいればよさそうなものなのに。

 うなぎは奈良時代から食べられていたそうだ。昔の日本人は白焼きのようにして食べてたんだろうけど、美味しいと思っていたんだろうか。それとも、栄養があることを知っていて体のために食べていたのか。
 うなぎには多くの要素が含まれていて、カロリーも低い栄養食品だ。特にビタミンAが豊富なのが優れている。他にもビタミンB1、B2、ビタミンD、E、DHA、コラーゲン、鉄、亜鉛など、サプリメントでとろうとしたらえらくお金がかかってしまうものがたっぷり含まれている。ビタミンCだけまったく入ってないものの、これだけの栄養食材を年に一度か二度くらいしか食べないのはもったいない。生態を突き止めて養殖が簡単になれば、もっと安く出回るようになるだろうから、それに期待したい。

 そんなわけで、本格的な夏を前にうなぎを食べてしっかり体力をつけた私だった。元気があればなんでもできると猪木も言っていた。こうなったら、川に潜って素手でうなぎをつかみ捕りすることさえできそうな気がしてきた。もし秋までこの体力が残っていたら、うなぎとともに川を下り、フィリピン沖まで泳いでいってうなぎの生態を掴んできたいと思う。自宅での養殖に成功したら、手作りひつまぶしをイヤってほどごちそうしてあげましょう。楽しみに待っていてください。

カピバラさんは怠けてるんじゃない、まったりしてるだけ

動物園(Zoo)
世界一大きなカピバラさん

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.0, 1/160s(絞り優先)



 東山動物園の一番奥まったところで、何か面白いものはいないかと広場を眺めていると、突然目の前をこいつが軽やかな足取りで横切っていった。
 なんだ、なんだ、あのでっかいネズミみたいなのは!?
 プレートを見ると、カピバラ、と書いてある。はて、カピバラとな。聞き慣れない名前だな。それにしても大きなネズミだ。世界には私たちにとってもお馴染みの生き物が巨大化しているものがけっこういる。大カブトや大トカゲなど、大きくなってありがたさが増すものから、一気に不気味になるもの、意味が違ってくるものまで、いろいろある。巨大なネズミというのはどうなんだろう。
 そんなわけで、今日はカピバラについて。

 パッと見、かなり大きいなと思ったら、世界一大きなネズミだった。猫よりもずっと大きく、どんなドラ猫もこいつをくわえることはできまい。写真ではその大きさが完全には伝わらないだろうけど、体重が50~60キロと聞けば、それはでかいなと思ってもらえるんじゃないだろうか。2歳児くらいまでの子供なら、背中に乗せて走れそうでさえある。
 しかし、これだけ大きいともはやネズミではない。家の天井裏をチョロチョロ走り回ってあちこちかじってしまうやっかいものというイメージとは一線を画す。本気を出すと人が走るのと同じくらいの速さで走れるそうなんだけど、それにしてもチョコマカという感じはしない。そして何より、体から発している空気感がキュートなのだ。家ネズミのような小憎たらしさがまるでない。それまで険悪だったカップルさえ、見たとたん微笑んでしまうような魅力がこいつにある。うーん、かわいいぞ、カピバラ。

 彼らの故郷は南米アマゾン流域。アンデス山脈より東側のパナマやアルゼンチンの草原やジャングルで暮らしている。
 体長は1メートル以上、体重は60キロにもなる。シッポはない。このへんも普通のネズミとは違うところだ。
 非常におっとりした性格で、およそ争いごととは無縁に生きている。ただ、ジャングルにはワニやらコンドルやらの凶暴な敵がいるから、それらから子供を守らなくてはいけない。普段は1頭のオスを中心とした10~20頭くらいの群れで行動し、敵が近づくと川に飛び込んで逃げる。こう見えても指の間に水かきを持っていて泳ぎは得意なのだ。ワニが襲ってきたら、今度は潜って逃げる。最大5分くらい潜っていられるという。いよいよ危なくなったら、大人たちが子供を取り囲んで身を挺して守る。決して強いものに自ら突っかかっていったりはしない。とっても平和主義者なカピバラさんなのであった。
 敵が来なくても水の中で過ごすことが多い。水が大好きなのだ。ネズミのくせに。
 一日の中でエサ取りのために行動するのは、朝夕の涼しいとき。昼間はしゃがみ込んだり、うたた寝したりしてぬーぼーと過ごす。
 食べ物はなんといっても草。体が大きいので、一日に1キロくらい食べる。動物園では、刈ってきた草や、青菜やチンゲンサイをあげるそうだ。しかし、草ばっかり集めるのは大変なので、キャベツやサツマイモ、リンゴなどもあげているとか。
 子供は一度に2~7頭くらい。たいていのげっ歯類(ネズミやリスの仲間)は出産のための巣を作るのだけど、彼らは岸辺の草むらに子供を産み落とす。生まれた子供は、両親だけでなく、他の母親もこだわりなく乳をあげたりする。そのへんの大らかさもカピバラさんの魅力だ。

カピバラさん正面

 カピバラという名前は、南米インディオの言葉で「草原の支配者」という意味を持っている。何故こんなおとなしい性格の大きなネズミが支配者と呼ばれるのかは、彼らをしばらく眺めているとなんとなく分かるような気がする。薄目を開けたような表情でしゃがんで遠くを眺め、日がな一日ぼぉーっとしていて、無駄な争いはせず、水に浸かって幸せそうな顔をしてる様子は、この世界の喧噪から遠く離れ、まるで何もかもを悟りきっているようにさえ見える。きっと、昔のインディオたちもそんなふうに感じたからこそその名を付けたのだろう。こいつはもしかしたらとんでもない大物かもしれないぞ、と。
 実際のところカピバラさんは何も考えてなどいないのかもしれないし、ポーカーフェースの下では深い憂いを抱えているかもしれない。でもやっぱり、彼らを眺めているとなんだかわけもなく幸せそうに見える。毎日が夏休みというか、日日是好日(にちにちこれこうじつ)という言葉が浮かんでくる。どんなに多忙を極め、疲れているサラリーマンも、1時間もカピバラさんを見てれば、きっと体中から力が抜けて癒されるだろう。その浄化作用は、海以上かもしれない。

 カピバラさんを見るなら、長崎バイオパークか、冬の伊豆シャボテン公園が断然オススメだ(って、両方行ったことないんだけど)。長崎はカピバラ飼育数日本一で、好きなだけ触りまくれるという癒し効果抜群だし、伊豆シャボテン公園は冬の風物詩として、露天風呂につかって目を細めるカピバラさんが見られる。1時間でも2時間でも、のぼせるまでつかっているというから相当好きなのだろう。私もぜひ見てみたいし、なでてみたいぞ。
 その2ヶ所が無理でも、きっと街の動物園にもいるはず。機会があったらぜひ見に行ってみてくださいね。
 その体だけでなく器も世界一大きなネズミのカピバラさんの話でした。

野草の知略に学ぶことは多く、学習に終わりはない

花/植物(Flower/plant)
夏だけどアキノタムラソウ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f4.5, 1/500s(絞り優先)



 梅雨もまだ明けないのに咲き始めたアキノタムラソウ。夏に咲くのにアキノタムラソウ。一本でもニンジン、二足でもサンダル。けど、アキノタムラソウが咲き始めるのは7月なので、アキノタムラソウとしては間違ってない。名前を付けた人間の問題だ。花期が長くて11月まで咲いてるから、秋口に見つけてそう名づけたのだろうか。
 この野草、誰がいつどんな理由で命名したのかよく分かってないのだという。何故、田村草なのか。どうして秋のなのか。アザミによく似たタムラソウ(田村草)というのがあって、あちらも同じようによく分かってないらしい。更に、ナツノタムラソウ、ハルノタムラソウというのもあるからややこしい。あまりつつかずにそっとしておいた方がよさそうだ。
 ナツノタムラソウとアキノタムラソウはよく似ている。ナツノの方が色が濃くて、雄しべと雌しべが花からぴよ~んと飛び出していることを知っていれば見分けはつく。ハルノタムラソウは、山地の谷間などに咲く珍しいやつなのであまり気にしなくていいと思う。
 シソ科のサルビア属ということで、花壇で咲くサルビアの仲間だ。ずいぶん印象は違うけど、花の様子は似てる。学名のSalvia japonicaはそのまま、日本のサルビア。ジャポニカ学習帳って、日本の学習帳って意味だったのか。今さらながら知った。

 アキノタムラソウは、本州、四国、九州に咲く普通種だ。北海道に咲いてないということは、寒さには弱いらしい。国外では朝鮮半島から中国あたりに分布しているらしい。
 街中ではあまり見かけないかもしれない。田んぼのあぜ道などでよく見かける。
 花期が4ヶ月というのはかなり長い。野草写真を撮るために追いかけていると、野草の花が咲く時期は本当に短いことを知る。1週間だったり2週間だったりするものがかなり多く、海上の森なども、ひと月ぶりに行くとがらりと顔ぶれが変わっていて驚く。先月まであんなに咲いていたのに影も形もなくなってしまって、次の花に場所を譲り渡している。自然の知恵というのはすごいものだ。

何アザミだろう

 これはタムラソウじゃなくアザミだと思う。アザミかと思って見るとタムラソウということはよくあるのだけど、いざタムラソウを探そうと思うとどこにあるかよく知らないことに気づく。
 タムラソウとアザミの見分け方は、トゲのあるなしだ。葉っぱがトゲトゲで痛そうだったらアザミで、トゲがなくて普通っぽかったらタムラソウ。花だけを見て区別するのは難しいくらいよく似ているので、前はよくだまされた。タムラソウの方が花先がもじゃもじゃしてるっていうんだけど、確かにくせ毛っぽい感じはするかもしれない。
 それはそうと、「アザミ」という花はない。「スミレ」という名前のスミレはあるけど、アザミはない。一般的に私たちがアザミと呼んでいるのはノアザミだ。北海道以外で見かけるやつはこれが多い。それ以外にもたくさんの種類のアザミがある。私は区別を放棄してしまったのでよく分からない。
 ノハラアザミ、タイアザミ、アズマヤマアザミ、ヒメアザミ モリアザミ、キセルアザミなどなど。ただし、アザミのつぼみみたいなキツネアザミだけは分かる。あれはアザミのニセモノだから。というか、別の種類の花だから。それでキツネ呼ばわりされてしまっている。
 アザミは日本に30種類以上自生してるそうだ。いつか全部区別がつくようになる日は来るだろうか。

ハンゲショウはやっぱり半化粧

 これを初めて見たとき、誰かが白いペンキでイタズラしたかと思った。同じようなことを考えた人は多いんじゃないだろうか。しかし、これが不思議な習性を持つハンゲショウ本来の姿だ。誰かがいじめたわけではない。
 それにしてもこいつは面白い植物だ。夏至を過ぎる頃に花を咲かせ始め、そのときになると一部の葉っぱだけをこのように半分白くさせる。葉っぱの全部ではなく、上の方の2、3枚だけ。そして、花が終わるとだんだん元の緑色に戻っていくのだ。花が地味すぎて虫を呼び寄せるために葉っぱを目立つ白色に染めるのだというのが一般的な説だ。
 花は、茎の先にもじゃもじゃっとついてる小さなやつ。確かにこれでは目立たない。飾り花(苞)を目立たせるという戦略は、そういえばミズバショウやドクダミなんかもそうだ。と思ったら、ハンゲショウとドクダミはお仲間だった。花の咲く時期だけ白くなるというのは変わってるにしても、戦略としてはさほど特別なものじゃないのか。
 漢字で書くと半夏生。夏至から11日目をそう呼び、その季節に花を咲かせるからその名が付いたようだ。あるいは、半夏生が先にあって、そこから時節の名になったという話もある。
 しかし、この花を見て、ハンゲショウと聞けば、「半化粧」という文字がパッと思い浮かぶ。まるで白粉を塗っている途中みたいだから。別名としては、カタシログサ(片白草)というのもある。

 野草たちの知恵や戦略というのは面白くもあり、なんてうまくできているんだと感心もする。人はそこから多くのことを学ぶことができる。花たちは、ただきれいな姿を見せているわけではない。生き延びるための非常にしたたかな知略も持ち合わせている。
 すべては興味を持つことから始まる。そして知ることだ。学ぶべきことに終わりはない。私も生涯学習のユーキャンで空手でも学ぼうと思う(ユーキャンに空手ってあったかな?)。

ダイミョウセセリは大名の衣装か大名にひれ伏す側か

虫/生き物(Insect)
ダイミョウセセリは大名っぽい?

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/250s(絞り優先)



 最初に見たときは蛾だと思った。前に見たことがあるシロモンノメイガに似ていたから。でも、近づいてよく見てみると、触覚の先が蝶の特徴であるふくらみを持っていた。じゃあ、コミスジとかあっちの仲間なんだろうなと思った。
 しかし、調べてみるとダイミョウセセリ蝶と判明。セセリって、あのイチモンジセセリやチャバネセセリと同じ仲間ということか。全然違う。姿形も、止まっているときの体勢も。でも、言われてみれば触覚がセセリだ。体つきも似ている。なるほど、ダイミョウセセリか、覚えておこう。
 本来はもっと黒い色をしているようだ。このときは西日が当たって茶色っぽく見えた。隠れ茶髪か。オキシドールで脱色しやがったか!?(世代が古すぎる)
 関西型と関東型があって、後翅に白い紋があって、ふちどっている白い帯がはっきりしているのが関西型で、紋と白帯が不明瞭なのが関東型ということだ。なので写真のものは関東型になる。境目は三重県あたりだそうだけど、分類学上は曖昧なままだそうだ。中間型というのもいるとか。

 日本では北海道から九州まで分布していて、沖縄や南西諸島にはいない。外国では、朝鮮半島、中国、台湾などにもいるそうだ。
 発生は年に2~3回くらい。街中ではめったに見かけることはないものの、ちょっと郊外の野山に行くと、わりと普通に見られる。これは、幼虫の食べ物によるところが大きい。ヤマイモ科の植物を食べて幼虫が育つためだ。山芋はあまり街中では作ってない。 成虫は、アザミやトラノオ、スイカズラなどの蜜を吸う。ときに獣フンも。
 飛び方は直線的で、離着陸はけっこう速い。写真を撮っていると、フッとフレームアウトして、またヒョイっとフレームインしてくる。警戒心が弱いのか、それとも蜜を吸うことに対する執着心が強いのか、こちらが大きな動きをしなければ自由に写真を撮らせてくれる。
 オス、メスはよく似ていて、私には区別がつかない。

「セセリ」という漢字があるというけど、どんな字だろう。見たことない。もちろん、ATOKでは変換しない。
 だから、ダイミョウセセリを漢字で書くと、大名せせりとなる。ダイミョウはあの大名から来ている。翅の白い紋模様が、大名の着ていた紋付き袴みたいだからだとか、翅を広げて止まっている様子が大名行列のときにひれ伏す姿に似ているからだとか、そんなあたりから来ているようだ。どっちのたとえも微妙と言えば微妙だ。
 ついでに大名とは何かというのを書いておくと、元々は「大名主」から来ていて、地方の大地主などのことを指す言葉だった。それが転じて、多くの所領や部下を持つ有力者のことを大名と呼ぶようになり、江戸時代には一万石以上の所領を幕府から与えられた武家のことをそう呼ぶようになった。一万石以下は旗本だ。
 関ヶ原の合戦以前から徳川家の家臣だった家は譜代大名、合戦以降家臣になったものは外様大名と呼んだのは、社会科の勉強で習った通り。外様なんて言葉がこんな時代から今でも使われているあたりに、現代社会は江戸時代からの流れが続いていることを思わせる。

意外に初登場のモンキチョウ

 あまりにもありふれていて、とっくに登場してるかと思いきや、意外にも初登場のモンキチョウ。
 翅に白い紋があるのが特徴で、これがない黄色い蝶はキチョウという別の種類の蝶だ。これはけっこう知らない人がいるんじゃないかと思う。モンキチョウの方がひとまわり大きいので、慣れるとパッと見で分かるようになる。
 日本全国はもちろん、全世界に広がっているモンキチョウ。日本ではモンキチョウと高山にだけいるミヤマモンキチョウの2種類しかいないけど、世界にはたくさんのモンキチョウがいて、外国にはモンキチョウの研究者が大勢いるんだそうだ。モンキチョウに捧げる一生、それもまた素敵な生き方だ。
 オスは黄色で、メスは白型が多く、黄色型もたまにいる。真っ白に近いメスもいるので、モンシロチョウと間違えそうだ。写真のは、上が黄色いオスで、下が白っぽいメスだと分かる。
 いろんな花に集まるけど、シロツメクサやアカツメクサによくいる印象を受けるのは、幼虫がそれらの葉っぱを食べて育つからだろう。
 春先から秋が深まったあたりまで飛び交うモンキチョウ。発生はシーズンに4、5回。ということは、ワンシーズン通して生きられないということだ。もう少し長生きさせてあげたいなと思うのは、意味のない感傷なのだろう。

 今年はどうもチョウやトンボの数が少ないような気がする。去年との比較でそう思うだけなのかもしれないけど、街中ではあまり見かけないし、森などでも少なく感じる。去年の今ごろはどこでも賑やかにたくさん飛び交っていたのに。梅雨が明けて夏になれば遅れを取り戻して一気に増えていくんだろうか。それなら安心なんだけど。
 青空をバックに飛んでる蝶を撮るという目標はいまだ達成できていない。なんとかまぐれでもいいからこの夏中に一枚は撮りたい。そのためには、まず青空が戻ってくれなくては。

海上の森は4時間の大作映画をゆったり観賞するように

森/山(Forest/Mountain)
海上の森の飼い猫

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.5, 1/13s(絞り優先)



 昨夜から降り続いた雨が午後になってやんだので、夕方少し海上の森(かいしょのもり)を歩いてきた。約ひと月ぶりの森は、すっかり夏の装いになっていた。
 四つ沢から海上集落に向かう途中で猫がお出迎え。森と猫の取り合わせはあるようでない。不思議と思うか当たり前と思うか人によるだろうけど、森に猫はいない。何故なら、日本には野良猫はいても野生の猫はいないから。割と盲点のこの事実。森っぽいところに猫がいたとしても、それは公園か緑地だ。しかも、ほとんどの場合、誰かが食べ物をあげている。
 この猫はどうかといえば、ちゃんとした飼い猫だ。首輪もつけている。最初に見かけたときは、おっと驚いたけど、民家の庭に駆け込んでいったのでなるほどと思った。ここは暮らすのには抜群の環境だ。いくらでも駆け回る場所はあるし、その気になれば何日か森で過ごすこともできる。腹が減れば家に帰ればメシが待っている。
 逃げるでもなく、近づくでもなく、微妙な距離を保ちつつ、写真に撮られてくれたこの猫。白いソックスで、左手だけがハイソックスなのがチャームポイントだ。たまに通る車に気をつけて長生きしなよ。

水かさが増す海上の小川

 全国的に雨の被害が広がっている。愛知県はさほど大雨ではないものの、降り続いた雨であちこちの川が水かさを増していた。普段はチョロチョロと静かに流れている海上の森の小川も、音を立てて流れていた。この森は、飲めるほどきれいな水では決してないのだけど、水は豊かだ。小川や湿地も多い。
 とはいえ、名前の通り海の上にあるからではない。ここは名古屋の奥の山に近いところにあって、海からは車で1時間以上離れている。じゃあなんで海上なのかといえば、ずっとさかのぼって縄文時代、ここは海辺だったらしく、そこから来ているとのことだ。ここまで海だったとはちょっと信じられないけど、そうでもなければこんな名前は付いてないだろう。

 ここ海上の森は、名古屋の中心から約20キロ、車で1時間しか離れていないところにある。何故こんな場所にこれほど広大な森が残ったのか不思議なくらいだ。あやうく愛知万博の会場になって取りつぶされそうになったけど、それもなんとか逃れて元の姿のまま残った。
 海上の森だけで530ヘクタール、広久手の森など周辺一帯をあわせると2,000ヘクタールにもなるんだろうだ。名古屋近郊でこれだけの森が手つかずで残っているところは他にはない。ひとつには、交通の便がすごく悪いということが幸いしたのだろう。周辺には民家もたくさんあるものの、自家用車がないとにっちもさっちもいかない。唯一、愛知環状鉄道が走っているけど、一番近い山口駅で降りても、森の入り口まで徒歩30分もかかってしまう。万博危機が去った今、ここが便利になることは当面期待できそうにない。
 森に散策に行く場合は、やはり車ということになる。少し離れた場所に無料の駐車スペースが50台分くらいあるから、週末でもたぶん大丈夫だろう(週末行ったことがないからよく知らないのだけど)。ただ、そこからでさえ森の入り口まで10ほどは歩かなくてはならない。

 とにかく、この森は歩くところだ。街中の緑地のように、30分やそこら歩いたくらいでは何の収穫も得られない。野草や野鳥の宝庫であることは間違いないのだけど、ものすごく広いスペースに散らばっているから、そう簡単に出会えないのだ。私も行く前は、一歩歩くごとに蝶が舞い、鳥がさえずり、野草があっちにもこっちにもあって目移りしてしまう、なんてシーンを想像していたのだけど、それは大きな間違いだった。悪く言えば、とても間延びしている。1時間半にまとめられた娯楽映画のようなものを期待してはいけない。テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』やデヴィド・リーン監督の『アラビアのロレンス』をゆったり楽しむくらいの心の余裕が必要だ。もちろん、体力も。
 覚悟と気力さえあれば、森は大いなる喜びと楽しさをもたらしてくれる。野鳥に昆虫、小動物など、数千種類の生き物たちが森であなたを待っている。オオタカやサンコウチョウ、フクロウ、ムササビ、ギフチョウ、ハッチョウトンボ、オオムラサキ、沢ガニ、ヘビにクモの巣、日没後の真の暗闇も。
 初めて行くときは、ネットで地図を印刷して、長袖、長ズボン、しっかりした靴、コンパス、懐中電灯、飲み物など持参で行くことをおすすめします。特にひとりの場合。携帯は森の中では使えないはず。
 初回としては、四つ沢を海上集落方面に向かって、集落を右に曲がって物見山に登って、もう一度集落に戻って、最後に大正池を見る、というのが基本コースとなる。写真を撮ったり休んだりして3時間といったところだろうか。余裕があれば篠田池に行くのもいい。
 別ルートとして、南側の湿地帯、赤池コースというのもある。私はこっちへよく行く。今の時期は顔面への激しいクモの巣攻撃に晒されるけど、花や昆虫の収穫は多い。ただし、脇道に入っていくと迷子になるので注意が必要だ。

光が戻った海上の森

 久しぶりに青空と太陽の光が戻った森は気持ちがよかった。光のある写真はやっぱりいいなとあらためて思う。
 これからますます暑くなって、歩きは厳しくなるけど、月に一度か二度は行きたい。初めて海上の森に踏み込んだのが2004年の10月だった。あれから15回くらいは歩いているけど、まだまだ森の全容を掴むにはほど遠い。基本ルートをやっと3分の2か半分くらい歩いた程度だ。行くたびにあらたな発見があり、探しても見つからないものも増えていく。
 海上の森を後にするときは、いつも決まってこの挨拶を口の中でつぶやく。ありがとう、また来ます。

5年後目にするのは未来への希望か終末的光景か

建物(Architecture)
瀬戸デジタルタワー夕焼け

Canon EOS D30+EF35-105mm



 最近しつこいくらいにやっている地上デジタル放送移行告知CM。なんだよまたかよ分かったよと思いつつ軽く見流しているけど、考えてみると2011年なんてそんな遠い未来の話ではない。次のワールドカップ・南アフリカ大会の次の年だ。
 5年後、今のアナログ放送は完全に終わり、否が応でもデジタル機器を買わなければ一切のテレビ番組が見られなくなるという現実。家電の進歩は早いから5年も経てば状況は大きく変わってる可能性もある。けど、今から5年前の2001年を思い出しつつ部屋を見渡してみると、あまり大きな変化はないようにも見える。PCの機種が変わって、ビデオデッキが増えたくらいだ。
 部屋におさまっている3台のテレビと10台のアナログビデオデッキを眺めながら、はてさて、どうしたものかなぁ、とぼんやり考え中の私であった。

 写真は瀬戸にあるデジタルタワーだ。正式名称は、瀬戸デジタルテレビ放送所。なんだか堅い。放送所なんて昭和みたいだ。これが名古屋と東尾張のデジタル放送を一手に担う。
 これまでのアナログ放送は、栄にあるテレビ塔と、中京テレビ内にある東山タワーが担当してきた(東山スカイタワーではない)。しかしながら、デジタル放送を送信するには施設が古すぎるのと、敷地内にあらたな塔を建てるにはスペース不足となり、あらたに瀬戸に建てられたのだった。愛・地球博会場の近くなので、愛知万博へ行った人は目にしていたかもしれない。
 工事は大急ぎで行われ、2003年8月に完成した。近くまで行ったことがないのでよく分からないのだけど、周辺はいまだ完成していないと聞く。
 ひとつ残念なのは、ここはテレビ塔のように観光地にならないということだ。展望台もなく、塔の上まで一般人が登ることはできない。形状を見てもそんな感じだ。なんで観光地にしなかったんだろう。もったいない。瀬戸市デジタルリサーチパークセンターという建物が隣接して作られて、そこからは塔に設置したリモコンカメラに映る風景をモニターで見られるというんだけど、そんなものちっとも嬉しくない。名古屋人は高いところに登るのが好きなのだ。
 高さは245メートルとJRセントラルタワーズとほぼ同じ。標高が108メートルなので、足せば東京タワーより高いことになる。こんなに高いのだけど、肝心の送信部分は上の方にある細い部分のみ。3つに分かれているうちの上の細いのがNHK、真ん中がCBC、東海テレビ、メ~テレ、中京テレビ、下がテレビ愛知となってるらしい。ローカル放送局名なので、東海地域以外の人は何のことかさっぱり分からないと思うけど。

 2003年に東京、大阪、名古屋で始まった地上デジタル放送。3年経った今でも、私としてはまったく他人事だ。BSとWOWOWは導入してるけど、まだ当分地デジに移行するつもりはない。
 2006年までに全国の県庁所在地に広がり、2010年までにはほぼ全国に行き渡る予定だという。しかし、実際のところ2011年までに網羅できるのは95パーセントどまりだろうという予測もある。普通に考えても、離島や山間の過疎地は難しいんじゃないだろうかと思う。「一部の地域をのぞいてこのまま放送時間を延長させていただきます」というのがあるけど、あの場合はまだいいとして、一部の地域はテレビが見られなくなりますというのは大問題だ。地デジなんて言われても何のことやらさっぱり分からない田舎のおじいちゃん、おばあちゃんは、2011年の7月25日の朝、いつものようにテレビのスイッチを入れると、どの局も何も映らず途方に暮れる、なんてことが起こり得る。
 そもそも、一体誰が言い出したんだ、地上波デジタル放送完全移行だなんて?
 地上波デジタル放送自体は個人的には大賛成だ。今の時代、もうアナログでもあるまいし、デジタルにするメリットは画質面でも音質面でも大きい。今後はPCとの融合も進んでいくだろう。ただ、完全移行というのは無茶な話だ。選択の余地のない、国からの完全な押しつけだから。
 テレビを高画質で見たいなんて人は必ずしも多数派ではない。テレビなんて映ればいいんだと思ってる人も大勢いる。これからの5年間で地上デジタルチューナー付きのテレビがどこまで値崩れするか分からないけど、イチキュッパなんかになることはまずない。一番安いもので3万9,800円なんてのがあるかどうか。たぶん、ないだろう。それなりのものはやっぱり10万くらいするだろうし、一家で1台なんてところは今の時代そうはない。更に録画するためのDVD-RやHDDをテレビの台数分揃えるとなると大変なことだ。現実問題として洒落にならん。一台のチューナーで複数番組を同時録画する機能とかあるんだろうか。それがないと私もすごく困ったことになってしまう。5年後、突然金持ちになってる予定もないし。
 2011年が近づくにつれてまだまだいろんな問題が出てくるに違いない。UHFのアンテナがないところは自費で取り付けないといけないとか、ケーブルテレビのところはどうなるんだとか、移動体向け(ワンセグ)における車の運転とか、NHKの受信料問題とか、テレビが映らなくなったところへのフォローとか、他にもまだたくさんクリアしなければならないことがある。
 一方で、使わなくなって処分された大量のアナログテレビや録画機器を、国はどうするつもりでいるだろう? レコードプレーヤーやカセットデッキを集めるマニアはいても、アナログテレビを集めるマニアはそうは出てこない。レコードやカセットはその気になれば一生使えるものだけど、何も映らないテレビは場所を取るだけで何の役にも立たないのだから。

 うち捨てられた無数のテレビやビデオデッキがうずたかく積まれている光景を思い浮かべると、なんだかどんよりとした気持ちになる。もしそれを一ヶ所に集めたとしたら、数百万台、数千万台となる。一体、どれくらいの山になるのだろう。それはもしかしたら、私たちが目にする最も終末的な光景かもしれない。
 本のように燃やすわけにもいかず、埋めるにもそんな場所はない。どこかの海岸沿いにテレビの島でも作るというのか? 外国に送っても役に立たないし、本当にどうするつもりなんだろう。解体して役立てる部品がどれくらいあるというのか。
 地上デジタル放送完全移行は、思ってるより大変なことだ。今さらだけど、やめた方がいいんじゃない? と、私は思う。

首をかしげながら空を見上げるエリマキキツネザル

動物園(Zoo)
エリマキキツネザル

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/100s(絞り優先)



 空を見上げながら2頭のエリマキキツネザルは何を話してたんだろう。飛行機でも見てたのか、故郷のマダガスカル島のことを思い浮かべていたのか、天気でも気になっていたのか。
 そんなことを想像しながら写真を撮っていた。写真を撮るようになって、自分は人や動物の後ろ姿が好きなんだということが分かった。それは、私のこの世界に対する関わり方とも無関係ではないだろう。

 襟巻狐猿は、アフリカ大陸の南東にあるマダガスカル島の林で暮らしている。島にいる約30種類のキツネザルの中で一番体が大きく、体長50センチ、体重は4キロくらい、太くてモコモコの尾長は60センチほどある。
 毛並みはパンダを思わせる白黒ツートンカラー。個人的にはAE86レビンを思い出す。しかし、パンダ模様にしては今ひとつ人気がない。というか、それ以前に知名度が低い。それなりにかわいいんだけど。
 キツネザルと名前の付く猿は、原猿と呼ばれる原始的な猿だ。以前登場したワオキツネザルも同じグループで、あれもこれもキツネ顔をしていて、ヒゲまではやしてる。
 名前の由来は、首周りにフサフサした白い毛があって、それを襟巻きに見立てたのだろう。後ろからはちょっと確認しづらいけど、前から見るとなるほどと思わせるものがある。頭の上の方まで巻いていれば真知子巻きみたいだったのに惜しい(あまり惜しくない)。
 原始的な猿ということで、ニホンザルなんかに比べると頭はよくないようだ。写真左側のやつの首にかしげ方なんかは、間抜けな犬が首を傾けてるのに似て、見るからに賢そうじゃない。性格はのんびりしていて、昼間はぼぉーっとしてることが多い。
 たまに大声で鳴き出して何事かとびっくりするけど、自分の縄張りを主張するのを思い出したときに鳴くようだ。壊れた目覚まし時計みたいだ。
 脳で考えるより鼻が頼りで、嗅覚メインで暮らしていると言われている。そのへんも犬っぽい。
 食事のときも、手が上手に使えるのに、直接口で食べることも多いようだ。エサは、果物、種子、葉っぱなどで、動物園では煮たサツマイモ、煮たニンジン、小松菜、果物などをもらってるという。妙に年寄り好みの食事だな。

 マダガスカル島では、北東部の多雨林で、家族単位で生活しているそうだ。ワオキツネザルのように大きな群れは作らず。キツネザルといえども、種類によっては暮らし向きは様々だ。
 昼行性で、涼しい明け方や夕方にエサとりなどをして、昼間は休んだりひなたぼっこしたりして過ごす。
 キツネザルの特徴として、交尾できる期間は年に1回、数日しかない。
 エリマキキツネザル特有のものとしては、木の上の巣穴で子育てをするというのがある。子供の発育がよくないようで、エサをとりにいくときは安全な巣穴に残しておかないと危ないのだ。または口でくわえて子供を運んだりもする。
 生まれる子供は、一度に1頭から3頭くらい。
 このエリマキキツネザル、現地のマダガスカルではかなり数を減らして絶滅の恐れがあると言われている。1,000頭切ってるというデータもあり、今後ますますその数を減らす傾向にあるようだ。今は世界的に熱帯雨林が急激に減少していっている。猿たちにとっても棲みづらい世の中になったものだ。

 動物園の目的は、展示だけでなく、飼育することで研究になり、繁殖させるという重要な役割も担っている。数を減らしている野生動物を動物園で増やすことができれば、そのノウハウを現地にフィードバックさせることができる。いつか、日本の動物園で生まれ育った動物が故郷に帰るなんてこともあるかもしれない。
 この世界があと少しで終わってしまうと分かったときは、動物園にいる動物たちを全員、故郷に帰してやりたい。残り短い期間でも、動物たちは再び輝きを取り戻すだろう。想像しただけで素敵なことだ。野生は厳しいけど、やっぱり野生動物は故郷が一番いいに違いない。

ホワイトサンデー料理完成、次はブラックサンデーだ

料理(Cooking)
ホワイトサンデー料理

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f4.5, 1/60s(絞り優先)



 今日のサンデー料理のテーマは「白」。こう暑いと、暑苦しい料理を見ただけで食欲をなくしかねない。そんなときは、見た目が白っぽくて涼しげな料理がいい。そして、作り手の立場としては簡単なのが望ましい。
 で、作ったのがこの3品。最近はレシピに頼りっきりというところから一歩進んで、ある程度レシピにヒントをもらいつつ、そこから先は自分で考えて作るようになっている。まだ完全オリジナルとまではいかないけれど、基本的なところはだいぶ分かってきた。

 右下は白身のメカジキ。白身は焼いても固くならないのがいい。マグロなんかの赤身は焼くとどうしても固くなってしまうのが難点だ。
 メカジキはオリーブオイルとバターで焼いただけで、ポイントはソースだ。つぶしたゆで卵、マヨネーズ、ツナ缶、タマネギのみじん切り、パセリ、マスタード、しょう油少々、白ワイン、牛乳、ヨーグルト、塩、コショウを混ぜて作った。タルタルソースの応用なんだけど、これはかなり美味しいからオススメしたい。フライにも合うだろうし、ソースでありながら料理としても成立しているから、これだけでも食べられる。

 左は、鶏肉とジャガイモのホワイトソース・チーズ煮込み。
 ジャガイモの皮を剥いてスライスして、ある程度柔らかくなるまで煮る。鶏肉は塩、コショウして少し置く。タマネギをオリーブオイルとバターで炒めて、そこに鶏肉、ジャガイモを入れて少し焼いたら、水と白ワイン、コンソメの素を加えて煮込む。更につくっておいたホワイトクリームと牛乳を混ぜ合わせて、塩、コショウで味を調えたら、最後にとろけるチーズを入れて、チーズが溶けたら完成。
 ホワイトシチューっぽいんだけど、それとはまた違う。大きな具とチーズが決め手だ。これも美味しくできた。

 一番奥は、付け合わせのスティック大根の白みそ和え。
 大根の皮を剥いてスティック状に切り、お湯で下ゆでしたあと、だし汁で柔らかくなるまで煮込む。このとき塩も少々。あまり煮込んで形が崩れないように。
 ソースは白みそベースに、酒、みりん、砂糖、白ごまを混ぜ合わせ、ゆっくり温めながらだし汁を加えて濃さを調整する。あとは大根に味噌ソースを乗せればできあがり。
 今回は白がテーマということで大根しか作らなかったけど、ニンジンや長ネギ、その他の野菜をスティック状にして、グラスなんかに差して、味噌ソースを付けて食べるようにしてもいい。おもてなし料理の洒落た一品としても使えそうだ。

 今回はテーマに沿いつつ、味も申し分なく、なおかつ簡単に作れたということで試みは成功だった。食材に季節感はなかったものの、季節柄こういう料理もいいというひとつの例にはなったと思う。暑いとどうしても食欲が落ちがちだから、見た目もけっこう大事になってくる。そうめんなんかでは栄養的に問題があるから、やはり、暑い夏もバランスよく食べていきたい。
 ホワイトサンデー料理は上手くいった。こうなったら次はブラックサンデー料理だろう。ホワイトサンデーとブラックサンデーがあわさってうつくしき魂が邪悪な心を打ち砕くのだ。そして、私は叫ぶだろう。プリキュア・マーブル・スクリューマックス!! と(意味が分からなくても平気です)。
 いや、本当にブラックサンデーというのは前々から温めているテーマでもある。ただ、ブラックフードは流行っていても、自分の家でブラック料理を作るのはなかなか難しい。黒というと、黒豆とひじきくらいしか思い浮かばないし、それは料理じゃない。食卓に3品、黒い料理を並べるには何を使ってどう料理したらいいんだろう。ひとつはイカスミ・パスタが考えられるけど、イカスミって近所のスーパーに売ってるんだろうか。
 今のところまだ完成図は見えてこないけど、そのうちなんとかブラックサンデー料理を見つけ出したい。完成させなければ、デュアル・オーロラ・ウェイブがうてないから。

失いかけたところで気づくことができた蛍の大切さ

虫/生き物(Insect)
光らないオバボタル

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/25s(絞り優先)



 今年は蛍とすれ違った。相生山緑地に見に行ったヒメボタルはタイミングが悪くて1匹しか見られず、定光寺や小幡緑地のゲンジボタルはとうとう行けずじまいだった。去年たくさん見たけどまた来年は見に行こう。そんなことを思いながら海上の森を歩いていると、目の前を小さな黒い虫がふ~っと飛んだ。あ、純。じゃなくて、蛍。独特のゆるやかな飛行ですぐに分かった。とまったところにそっと近づいて見てみると、やはり蛍に間違いない。でも、ちょっと待て。キミは誰? ゲンジでもなくヘイケでもない。もちろんヒメでもない。蛍には違いないんだけど、何かが違う。雰囲気というか、背中の質感が。なんとなく釈然としないまま家に帰ってきた。
 帰宅後、調べてみると、オバボタルと判明。やっぱり蛍だったんだ。しかし、光らないと分かって評価は激減。光らない蛍はただの虫だ、と森山周一郎の声で言ってやりたくなった私であった。

 オバボタルのオバは、沖縄のおばぁとは関係なく、姥で、老女の顔をかたどった能面から来ているらしい。何故、姥蛍と呼ばれるのかはよく分からない。能面とは似てない。
 体長は1センチ前後で、前胸に2つの赤い斑点があって、尾の部分にもちょんと赤い点がある。一見ヘイケボタルに似ているけど、触角が違う。光る蛍の触角が退化して小さくなっているのに対して、光らない蛍は触角が大きく長く発達している。これは、光の代わりにフェロモンでメス、オスが呼び合うためにそうなった。メスは飛ばずに匂いを発し、オスは発達した触角でそれを探し当てて飛んでいく。だから、メスは飛ばない。羽が退化して飛べなくなっているのだ。私が見たこいつはオスということになる。
 一応発光器を持っているらしいのだけど、光らずに匂いで行動するそうだ。これは退化ではなくむしろ進化だという。確かに光るというのは自分の身を危険にさらすことになるし、確実性も低い。現代社会には即さない生き方と言えるだろう。
 本州から九州、朝鮮半島に生息していて、昼間活動している。街の公園などにはいないけど、森や林ではさほど珍しい蛍ではないようだ。
 幼虫は陸生で、雑木林の朽ち木や石の下で生活し、小さなミミズや虫を食べて育つ。成虫が見られるのは6月の終わりから7月にかけてだ。

 日本の代表的な蛍としては、ゲンジボタルとヘイケボタルがすぐに思い浮かぶ。光る蛍ということでは、ヒメボタルなどがいるけど、光る蛍というのは圧倒的少数で、大部分の蛍は光らない虫なのだ。昼間活動するものは光ってみても仕方がないとも言える。世界にいる蛍は約2,000種類。日本では45種類ほどいて、その中で一応光るのは14種類だそうだ。メスだけ光るやつもいるらしい。
 それから、蛍というと水辺にいるものというイメージが強いけど、世界で水生の蛍は5種類しかない。その中の4種類が日本いるというのもちょっと驚きだ。ゲンジとヘイケの他に、クメジマボタルとイリオモテボタルがいる。
 川沿いや田んぼで、光る蛍の乱舞が見られるのは世界の中で日本だけと言ってもいいかもしれない。
 一般的に見られるのは、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルの3種類くらいだろうと思う。見られるシーズンは、ヒメボタルが5月の中旬から下旬にかけて、ゲンジボタルが6月中旬から7月上旬、ヘイケボタルが7月から8月にかけてとなる。夏休みに田舎で蛍を見たなんていうときは、たいていヘイケボタルだ。見分け方は、背中の黒い部分が十字なのがゲンジで、縦一本ならヘイケだ。

 蛍の名前の由来は、「星垂」と「火垂」のふたつの説があるようだ。光る様子を星に見立てたのか、火に見立てたのか。すでに「日本書紀」に登場してることから、星垂の方が有力だそうだ。
 ゲンジとヘイケを区別するようになったのは江戸時代あたりからではないかと言われている。ゲンジは「源氏物語」の中に出てくる「源氏 蛍の光を借りて玉かずらの容姿を示す」から来ていて、それに対して体の小さい蛍を平家になぞらえたのではないかということだ。

ホタルガ

 これは特別参加のホタルガ。黒い羽と赤い顔のカラーリングからそう名づけられたのだろう。でも一番目立つのは白い線だ。それと、立派な触角。格好いいというか、不気味というか。
 こいつも昼間活動する蛾で、ヒラヒラと頼りなげに林などで飛んでいる。捕まえると死んだフリをするらしい。しかも食べると不味いらしく、鳥も相手にしないんだとか。
 不味くて不気味な格好をしてるということが、自然界では最強かもしれない。食べられることもなく、人間に捕まることもないのが一番だから。

 蛍のシーズンは、まだもう少し続く。これからはヘイケボタルが見られるだろう。ただし、ゲンジボタルは小学生が池に放したり、町ぐるみで蛍の飛ぶ里にしようという試みをしていたりしているのに対して、ヘイケボタルを飼育、放流してるというのはあまり聞かない。見られるところでは普通にいるんだろうけど、それが具体的にどこなのかは現地の住人などの情報を聞かないと分からないところだ。ネットでも確実な情報を得るのは難しい。
 いつまでも蛍が見られる日本であって欲しいと願うのはセンチメンタルというもの。どんな生き物もやがては消える。ただ、ギリギリのところで踏みとどまって、わずかでも蛍が残るといいなと思う。当たり前に見られるようになんて贅沢なことは言わないから。

未知の国だった山形県が少しだけ近くなった

美術館・博物館(Museum)
山形の家

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/100s(絞り優先)



 これは山形県の山月山麓の家。といっても、私はただいま山形県に来ております、というわけではない。リトルワールドの移築された家を見物して写真を撮っただけだ。いかにも観光客風の人たちが写真に写ってるのも不自然だ。それにしても、母と娘ってこんなにも歩き方が似るもんなんだ。足の踏み出し方と振る腕の角度がそっくりで笑えた。
 ということで、今日は山形県について書いてみようと思う。しかし、まったく未知の県、山形。もちろん未踏で、通過したこともなく、山形県民と話をしたことさえない私。ネットの知り合いさえいない気がする。なので、山形について書こうにも、まったくとっかかりがない。まずは山形について基本的な勉強から始めなければならなかった。

 山形県と聞いて何を思い出すか? サクランボ、おしん、米沢牛、サクランボ、おしん……。うっ、いきなり詰まった。思い浮かばんっ。いや、待て、もう少し頑張って思い出してみよう。そういえば「夏子の酒」の舞台となったのが山形だったんじゃなかったか。米沢藩、松前藩、最上氏、最上義光……。将棋の駒で有名な天童市は山形だったはず。
 ここでギブアップ。私の山形に対する知識は、クロアチア人の日本についての知識以下かもしれない。これでは山形県民に申し訳ないし、恥ずかしい。もう少し踏み込んで勉強しなくては。
 サクランボ日本一というのは間違いない。全国収穫量の70パーセント以上が山形で作られているというからすごい。だてにさくらんぼテレビを名乗ってない。
 ラ・フランス、もも、りんごなどの産地としても有名らしい。
 松阪生まれの私としては松阪牛が日本一と思ってるので米沢牛はほとんど食べたことがないのだけど、高級ブランド牛としてはやはり松阪牛と双璧と言うべきだろう。歴史も古い。もちろん、送ってもらえれば喜んでいだきたい。
 天童の将棋の駒は有名で、こけしもなかなか知れ渡っているとか。どちらも、もらってもあまり嬉しくない気がするけど。
 花笠祭りは全国的に知られている。東北四大夏祭りのひとつでもある。
 観光地としては弱いようだ。磐梯朝日国立公園やスキーや温泉の蔵王があるものの、全国から毎年大勢の人が集まってくるような目玉がない。ただ、松尾芭蕉好きの人にとっては山形というのは特別な思い入れがある場所だろう。「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」や「五月雨をあつめて早し最上川」は、いずれも山形で詠まれたものだ。立石寺(山寺)詣では、私もちょっとしてみたいと思う。
 場所の句でも出てきた最上川というのが、山形県民にとっては重要な心の拠り所となっているようだ。周りを山に囲まれているから、多くの人がこの川沿いに住んでいるということもあって。山形県の名前の由来は、山の方という山方が転じたものだそうだ。

 東京からの距離は約300キロ。総面積は93万ヘクタールと全国9位の広さを持つ。ただ、70パーセント以上が山林で、最上川もかなり面積を占めている。街の様子を見たことがないから確かなことは言えないけど、川沿いにみんな固まって住んでいるような感じだ。
 いくつかの日本一の記録を持っている。国内最高気温40.8℃というのはちょっと自慢できるかもしれない。盆地という土地柄だろうけど、40度超えはたいしたもんだ。ブナ天然林の広さ15万haで1位とか、滝の数230ヶ所で1位とか、変わったところではミイラの数8体で日本一というのがある。あと、マクドナルドの進出が全国で一番遅かった(1990年)なんてのもある。ちょっと笑えたのが、お菓子の購入額が一番多いのが山形市なんだそうだ。理由はよく分からないけど、山形県の人は日本一お菓子好きらしい(一番お菓子を買わないのは那覇市)。
 県の花は「べにばな(紅花)」、県の木は「さくらんぼ」、県の鳥は「オシドリ」、県の獣は「カモシカ」、県の魚は「サクラマス」だそうだ。このへんは山形県民でも案外知らないんじゃないだろうか。私も愛知県の鳥や花なんて知らない。

 山形の県民性はどういったものなんだろう。東北に共通する資質として、どちらかというと内向的で辛抱強いという傾向はあるのだろうけど、山形県特有のものはは何だろう。今の時代、みんなが「おしん」の世界ではないにしても、あれは山形の気質を表していたのだろうと思う。山形出身の作家、藤沢周平が描く『蝉しぐれ』や『たそがれ清兵衛』などからも、そのあたりが伝わってくる。
 大宅壮一は山形県民を「野暮で誠実」と評したらしい。一般的には穏やかで人当たりがよく理知的な男性と、働き者で辛抱強い女性、というイメージがあるようだ。ただ、やや閉鎖的な土地ということもあって、権威に弱く、内に向かっては威張ったり、気が小さい反動で派手な振る舞いをしたりという人間も少なくないとか。私ではなく、ある山形県民がそう書いていた。
 山形出身の有名人としては、あき竹城、渡辺えり子、井上ひさし、ウド鈴木、大泉逸郎、ケーシー高峰などがいる。東京に出てしまうと弾けたキャラになるようだ。そして、地元にいたら普通の山形県人として馴染んで暮らしていけそうな人たちだとも思う。

 と、今回は表面的な勉強だけだったけど、これまでほとんど未知の国だった山形県について多少なりとも知ることができて楽しかった。興味もわいてきた。やはりその土地を知るには、自分自身で見て感じるのが一番早い。自分がその地に立ってみないと分からないことも多い。逆に、その土地に生まれ育たなければ住んでも分からないこともある。
 いつか、機会があったら行ってみよう、山形県。山形弁をマスターして行かないと現地で困る恐れがあるので、そのときは充分勉強していかなければなるまい。
 われぇなっす。山寺はどごさあるんだッス? なじょしていげばいいか教えでけろ。んだら、わらわらいがんなね。ありがどさまなっす。
 山形県のみなさん、私を待っていてくださいね。

遠くて近い野生の鹿に鹿せんべいを持って会いに行こう

動物園(Zoo)
アクシスジカ

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.0, 1/500s(絞り優先)



 名古屋市内で暮らしていると、日常生活の中で鹿と出会う確立は当然ながらほとんどない。三重の田舎でも鹿はいなかった。だから私の中で鹿はサル以上に縁遠い生き物に感じている。けど、日本に野生の鹿は数少ないかといえばどうやらそうでもないようだ。特に北海道の人は鹿とは馴染み深いだろう。20万頭からのエゾジカがいるというから、少し街から外れれば普通に見かけるのかもしれない。よく事故になっているという話も聞く。私たちの場合、とりあえず見たければ奈良公園は行けということになる。あそこに行けば確実に会えるから。
 鹿はサルや熊のようにあまりニュースにならないから、実態がよく分からない。たぶん、鹿によって迷惑をこうむっている人も少なからずいるのだろうと思う。東京の奥多摩あたりでも数千頭もいて、それが増えすぎて林を枯らしてしまうと問題になっているらしい。私が思っている以上に野生の鹿はたくさんいるようだ。
 見られるものなら見てみたいし、撮ってみたい。名古屋郊外あたりではちょっといそうもないけど、愛知の奥三河あたりまで入って行けば見られそうな気がする。

 写真のこれは、日本産の鹿ではなく、アクシスジカ(アキシスジカ)という外国の鹿だ。インドやネパール、スリランカなどの草原で暮らしている。
 世界一美しい鹿と言われていて、バンビのモデルになったのがこいつらしい。白い斑点と大きな角が特徴だ。これはまだ若いやつだろうか。角がそれほど立派じゃない。大きくなると1メートルにもなるという。もしくは、毎年角は生え替わるというから、これはその途中なのかもしれない。角を持っているのはオスだけだ(トナカイなどをのぞき、基本的に鹿はどれも同じ)。
 こういう白い斑点模様を鹿の子(かのこ)模様と呼ぶ。鹿の子百合などがある。普通の鹿は、冬毛になると白い斑点が消えてしまうのだけど、アクシスジカは年間を通してこの模様を保つ。
 大きさは、体長1メートル20センチ前後で、体重が90キロ前後。とてもおとなしい性格で、大きな群れで行動している。
 エサは、草、木の葉、木の実などで、ハヌマンラングールというサルの後をついて移動して、落とした果物などを拾って食べたりもするそうだ。
 東山動物園では草を拾い食いして、鹿のフンをたくさん出していた。それを見ていたら、吉永小百合の「奈良の春日野」が頭の中で流れ出した。
 ♪奈良の春日野 青芝に 腰を下ろせば 鹿のフン フンフンフン 黒豆よ フンフンフン 黒豆よ フンフンフンフン 黒豆よ~♪
 歌詞もすごいけど、それを歌っていたのが若き日の吉永小百合というのもすごい。

 何年か前、中学の修学旅行以来久しぶりに奈良公園へ行った。相変わらずたくさんの鹿が放し飼いにされている光景を見て、とても安心した。道路を歩いていたり、民家の庭に座っていたり、鹿せんべいを持った人を襲っているのを見て嬉しかった。ああ、ここは変わってないなと。
 ところであの鹿、一体誰が飼っていて誰のものなんだろうと思ったことはないだろうか。実はあれ、誰のものでもなく扱いとしては野生の鹿ということになっているらしい。ちょっと意外。天然記念物だから国のものといえなくはないだろうし、管理してる団体もあるにはあるのだろうけど、野生には間違いないようだ。だから、誰もエサをあげているわけではなく、公園の芝生や山の草などを食べて生きている。鹿せんべいが命綱というわけでは決してない。あれは単なるおやつだ。手に持っているとすごくたかってくるけど飢えてるわけじゃないので、心配する必要はない。
 何故奈良に鹿なのかというと、奈良時代に藤原不比等が茨城の鹿島神宮から氏神を移して春日大社を建てるとき、神様が白い鹿に乗ってやって来た、という故事に由来するそうだ。戦争などで数を減らしたりしながらも、奈良時代からずっとあそこに鹿がいたというのはちょっといい話だ。
 現在1,200頭ほどいるという。逃げ出していかないというのも考えたら不思議な話だけど、生まれ育ったあの場所がけっこう心地いいのだろう。

 奈良公園の鹿について書いていたらまた会いたくなってきた。鹿の季語は秋だから、紅葉の季節がいいだろう。「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という「古今和歌集」の有名な歌を思い出す。
「シカトする」のシカトは、漢字で書くと鹿十(しかとう)。花札をやったことがある人は、モミジに鹿が描かれた札を覚えているだろう。あれは「十月の鹿」で、横を向いている様子から、そっぽを向く、無視する、鹿十する、となった。
 秋になったら鹿たちに会いに行こう。鹿せんべいの成分は、米ぬかを小麦粉で固めたものだというの知った。玄米をいつも精米してるから米ぬかはたくさん出る。現地で高い鹿せんべいを買うまでもない。大量の鹿せんべいを家で焼いて、それをマジソン・スクエア・ガーデンのボストンバッグ一杯に詰め込んで持っていってやろう。
 もし、今年の秋頃、奈良公園でボストンバッグを持った男が鹿に囲まれて襲われていたら、それは私かもしれません。見かけたら声をかけてください。そしたら、ボストンバッグを託して私は逃げます。

夏休みと冬休みを持つテングチョウと天狗の話

虫/生き物(Insect)
テングチョウ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/100s(絞り優先)



 顔の先が伸びた鼻みたいなのでテングチョウ。言われてみればそう見えなくはない。でも、伸びているのはもちろん鼻なんかじゃなく、パルピという下唇ひげだ。匂いを感じ取ったり、眼や口を掃除する機能があるらしい。
 姿はタテハチョウに似てるけど系統はまるで違うそうだ。化石で見つかっているほど古いスタイルで、氷河時代を生き残った蝶としても知られている。日本にいるのはこの1種類のみで、世界でも10種類ほどしかないというから、かなりのオールドタイプなのだろう。
 ただ、さほど珍しい蝶ではなく、北海道から沖縄まで、低山の雑木林などを中心に生息している。街に近いところにもいるようだけど、写真のように地面に止まることが多く、裏翅がいたって地味なので見逃しやすい。本来は白い斑紋とオレンジ色が少しのぞくことが多い。写真のように全面的に枯れ葉色になるやつもいる。表翅は、褐色の地にオレンジの紋様がある。
 大きさは、翅を開いて5センチほどと、タテハチョウに比べて小さい。
 幼虫はエノキの葉を食べて育つ。

 テングチョウの珍しいところは、成虫のまま冬眠するだけでなく、夏も眠って過ごすという点だ。越冬した去年産のものが春先フラフラっと飛んで卵を産み、それが5月から6月にかけて生まれて、しばらく活動した後、暑くなってくるとどういうわけか眠りについてしまう。寒いから動けないのは分かるけど、暑いから動けないというのは単に怠けてるだけなんじゃないかと思うけど、テングチョウにも都合があるのだろう。夏が過ぎ秋風が吹いてくると、ぼちぼち起きましょうかねと起き出してきて秋の花々の間を飛び回り、また寒くなってくると次の春まで長い眠りにつく。
 無理をしない、これが長い歳月を生き抜くコツなのかもしれない。蝉のように暑い真夏に生まれてきて生き急ぐやつらとは違うのだ。

 ところで、天狗って何? と素朴な疑問をぶつけられると答えに困る。妖怪なのか、伝説上の生き物なのか、神の使いなのか、人間なのか、知っているようでよく知らない。姿としては、赤い顔をして鼻が高く、山伏のような格好で一本歯の下駄を履き、葉の団扇で山を飛び回っているというものをイメージする。でも、どこから出てきた話なのかはよく分かってない。イイモンなのかワルモンなのかもはっきりしない。
 そもそも天狗というのは、流星のことだったという。「日本書紀」に登場したときは天狗と書いて「あまぎつね」と読ませたそうだ。流星を天駆けるキツネに見立てたのだろう。これは凶兆として捉えられていたようだ。
「今昔物語集」になると、鳥の怪物のように描かれ、これがいわゆるカラス天狗の元となった。反仏教の化身として登場して、それをやっつける僧侶という構図をもって、仏教を広めようとした天台宗の僧が作り出したという話もある。
 それが鎌倉時代なると、仏教や僧の敵役としてお馴染みとなり、僧に戦いを挑む悪役となった。そこで描かれる天狗はやたら自慢と説教好きで、未熟な僧を馬鹿にしたりする。そこから鼻高々、天狗になる、という言葉が生まれた。
「太平記」では、保元の乱で敗れて恨みを残したまま亡くなった崇徳上皇が天狗となって世の中を乱したという話が出てくる。
 また、後白河天皇の異名でもあった。
 一方では、鞍馬山で修行をしていた牛若丸が天狗の国に行き教えを請うたというように、修験者のように描かれることもあった。鞍馬天狗のおじちゃんはこのあたりから来ている。
 その他、中国やインドなどの伝説からの影響を受けつつ、しだいに山岳信仰と結びついていき、今のようなイメージが出来上がったようだ。天狗とひとくちに言っても、なかなに奥が深く歴史があり、複雑な要素を併せ持っている存在なのだった。

 自分が天狗と名づけられているとも知らないテングチョウは、そろそろ暑くなってきたから夏眠に気持ちが向かっている頃だろう。暑いときは眠るのが一番だねと思っているのだろうか。本格的な夏になると見られなくなるから、見るなら今の時期がねらい目だ。少し飛んでは地面に止まる、やる気の感じられない茶色い蝶がいたらそれはテングチョウである確率が高い。運がいいと、湿地などで集会を開いているところに遭遇できるかもしれない。

は虫類脳が恐竜時代を懐かしく思い出しているのだろうか

虫/生き物(Insect)
トカゲを見ると恐竜を思い出す

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先)



 トカゲを見ると恐竜を思い出す。これの100倍も大きな生き物がかつてはこの森にもいたのかもしれないんだよなぁ、と。臆病なトカゲにかつての王としての面影はないけれど。
 恐竜を英語でいうとダイナソー(Dinosaur)。ディノサウルス(Dinosaurus)というのもいる。これはギリシャ語で、恐ろしいトカゲを意味する。やはり、現代において、もっとも恐竜を連想させるのはトカゲと思っていいだろう。恐竜好きの私がついつい100円ショップのダイソーに入ってしまうのも恐竜と関係があるかもしれない(それは違うだろう)。
 男の子はみんな恐竜が好きだ。子供の頃、恐竜図鑑を夢中で見ていたという人も多いだろう。でも女の子はそうでもない。恐竜大好き少女は私の周りにはいなかった。これはもしかしたら、女の人よりも男の方がは虫類脳と呼ばれる脳の一番古い部分が発達していて、そこが恐竜と共振するせいかもしれない。そんな学説があるのかどうかは知らないけど、そうでもなければ女性の恐竜に対する無関心さは説明できない気がする。できることなら、女の子と恐竜の絶滅理由について熱く語り合ったり、デートで化石発掘に行ったりしたかった。ものすごく恐竜に詳しい女の人ってのも、それはそれでちょっと驚いてしまうだろうけど。

 地球が誕生して45億年。最初の原始的な生命が誕生するまでに6億年。動植物の祖先誕生が12億年前。6億年前にようやく地球上に生命が繁栄するようになった。そんな中、恐竜は今から2億3,000万年前に誕生し、1億6,500万年間も地球の王者であり続けた。そして、6,500万年前に何らかの原因で絶滅してしまう。
 こういう大きい数字の年数のときは、お金に換算すると多少分かりやすくなる。人類の歴史がやっと100万円なのに対して恐竜は1億6,500万円も貯め込んでいた、というように。中国4,000円の歴史なんて中学生のお小遣いのようなものだ。
 それにしても、恐竜は1億年以上も何をぼんやり過ごしてたんだと思う。これだけの時間があればもう少し何かできそうなものなのに。恐竜としては、わが世の春がいつまでも続くと思っていたんだろうな。
 恐竜は分類上では一応、は虫類の仲間ということになっているけど、今のは虫類と決定的に違うのは、2本足で立ち上がって直立歩行できたということだ。トカゲやワニなどが4本足で這うようにしか歩けないのとはまったく違っていた。エリマキトカゲは逃げるとき2本足で走るけど、あれは例外だ。
 恐竜の定義としては、「トリケラトプスと現生鳥類の最も新しい共通の祖先から派生する全ての子孫」となっていて、竜盤類と鳥盤類とに分かれている。なので、翼竜、魚竜、首長竜などは分類上は恐竜ではないということになる。

 恐竜は鳥の仲間で体には羽毛が生えていた、とは近年よく言われるようになってきたことだ。現在の鳥は恐竜から進化したものだから、恐竜は絶滅していないという人もいる。化石しか見つかってないから、恐竜がどんな肌をしていて何色だったかというのはほとんど分かってない。図鑑の絵は、全部想像図だ。ジャングルの生き物みたいにカラフルだったという可能性は大いにある。何しろ恐竜の時代の地球はジャングル並みの気候だったのだから、地味な方が不自然だ。タイムマシンで見に行ったら、みんな色とりどりのインコみたいだったら笑うだろうな。
 大きさは、体長50メートル、体重100トンなんていう巨大なものから、ニワトリくらいのものまでたくさんの種類がいた。全部が全部大きかったというわけではない。ただ、50メートル、100トンというのは想像を絶する大きさだ。キリンでさえ10メートルで、アフリカ象でも6トンくらいしかないのだから。
 かつて恐竜は、冷血動物(変温動物)で、巨体を持て余すようにものすごくゆっくりしか動けない生き物だと思われていた時代があった。でも、ちょっと考えたらそんなわけはない。まず朝起きたら体を温めるためにひなたぼっこして、あったまったところでじゃあエサでもとるとするか、ドシン、ドシン、ドシンなんてのんびり歩いていたらメシにありつけるはずがない。草食恐竜ならともかく、肉食でそんなに鈍かったら動く獲物を捕まえることはできない。死肉を食べるにしても、あんな大きな体を養っていけるほど新鮮な動物の死骸がゴロゴロ転がっているとも考えられない。やはり恐竜は、温血動物(恒温動物)で、私たちが考える以上に素早い動きをしてたんじゃないだろうか。

 6,500万年前の地球に何が起こったのか? それはいまだ解かれることのない謎として私たちの前に横たわっている。恐竜絶滅の原因については、多くの人たちが様々な説をとなえてきた。もっとも一般的な隕石落下説から、食べるものがなくなって最後はみんなが恐竜の卵を食べてしまって誰もいなくなったという珍説まで。
 私もずっと長い間モヤモヤした気持ちでいた。隕石が落下して地球の周りがチリに包まれて、太陽の光が届かなくなり、地球は長い冬になって食べるものが少なくなって大きな恐竜から絶滅していった、というのではどうにも納得できないものが残る。まず、何故恐竜だけが絶滅して、他の鳥やほ乳類、別のは虫類は生き延びることができたのかという点。もうひとつは、たとえば冬の時代が1年続いたとしても、それくらいの期間ですべてが消えていなくなるわけはなく、その後地球環境は復活したはずなのに、そこから何故恐竜だけが回復できなかったのかということ。確かに、巨大隕石(彗星という説もある)が落ちたのは落ちたのだろう。メキシコ、ユカタン半島近くの海底には、この隕石の跡と思われる直径180km、深さ30kmのおわん型の巨大な穴が空いてるというから。ただ、それだけを恐竜が絶滅した原因とするにはいろいろと無理がある。
 ここでひとつ、面白い説がある。6,500万年前、故意か偶然か、月が地球の引力圏に捕まったというものだ。「月刊ムー」によると、月は宇宙人が乗った宇宙船だというのだけど、それはちょっと置いておいて、月が地球の衛星になるとどうなるかというと、地球の自転が遅くなるという。逆に言うと、月がなければ地球はもっと速く回転して、その結果遠心力で重力が弱くなる。巨体で体重が重かった恐竜が私たちの想像以上に軽々と動けたのは、重力が弱かったからだと考えれば納得がいく。むしろ、そうじゃなければあれだけの巨体を支えることはできないんじゃないかとも思う。
 要するに、月が地球に捕まったことで自転が遅くなり、重力が増えたことによって恐竜は自分の体を支えられなくなって滅んでいったのだ、というのがこの説だ。空を飛んでいた巨大な翼竜にとっても重力が強くなったことの影響は大きい。
 これはあり得る話だと思った。隕石落下と重力増大説をあわせれば、体が大きかった恐竜だけが絶滅したことの説明がつきそうだ。もちろん、その他いろんな要因が重なったに違いのだけど。
 恐竜がいなくなったところで、月宇宙船から異星人が地球に降りたって、そこから人類の歴史が始まった、なんてことを言い出すと、それこそムー的になってしまうので今回はやめておこう。

 なんにしても、タイムマシンで恐竜時代へ行くときは、恐竜ってのは思っている以上に動きが速いはずなので、くれぐれも気をつけてください。ただ、重力が本当に弱ければ自分自身もびっくりするくらい速く走れるだろうから、それはそれで楽しみではある。そのときは、ドクター中松が発明したジャンピング・シューズをぜひ持参したい。

大和撫子は飛鳥の昔から日本人の心の中にあった

花/植物(Flower/plant)
大和撫子好き

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/100s(絞り優先)



 私はヤマトナデシコが好きだ。
 いきなり何を言い出すんだ、暑さで頭がやられたか、と思われたかもしれない。いやいや、そうじゃなくて、花のナデシコが好きだって話です。もちろん、大和撫子だって嫌いじゃないけれど。
 ナデシコ。正式名称、ヤマトナデシコ。いわゆる日本人女性の鏡といった意味での大和撫子は、この花から来ている。野草名としては、カワラナデシコ(河原撫子)の方が通りがいい。
 ナデシコは、いろんな花色や形があって、野草と園芸品種との差も大きくないので、見分けるのが難しい。写真のこれは、カワラナデシコに似てるけど、たぶん違うと思う。グリーンピア春日井の花壇に植えられてたやつだから。
 ナデシコの仲間は、アジア、欧米、アフリカと広く分布していて、100種類以上あると言われている。日本には、一般的なカワラナデシコの他、エゾカワラナデシコ、ハマナデシコ、シナノナデシコ、ヒメハマナデシコなどが自生している。園芸品種も多い。
 ナデシコ科となると、カーネーションやカスミソウ、ハコベ類やツメクサ類などのお馴染みさんもここに含まれる。

 ずっとカワラナデシコを見たいと思っていて、去年初めて松平郷で見つけたときは嬉しかった。天下茶屋のほとりの小川沿いに、ひっそりと咲いていた。あれは8月のはじめだった。
 カワラナデシコは秋の七草のひとつでもあり、昔から日本人に愛されてきた。「万葉集」の中では26首も詠われていることからもそのことが分かる。11首は大伴家持だから、家持にとっては特別に思い入れのあった花だったのだろう。他には山上憶良なども詠んでいる。庶民よりも貴族に愛される花だったようだ。
 撫子というのは、我が子を撫でたくなるくらいかわいらしいという意味で付けられた名前だ。繊細な色合いと花びらの風情が日本人の心に触れるものがあるに違いない。
 花期は7月から10月くらい。野山や草地の日当たりのいい所に咲いて、甘い香りを放ちながら風に揺れている。

 ナデシコの花は昔から親しまれ愛されてきた花だけど、理想の日本人女性像といった意味で大和撫子が使われるようになったのはそんなに遠い昔じゃない。どうやら第二次大戦中にさかんに使われるようになった言葉のようだ。男は大和魂、女は大和撫子のように。国粋主義の宣伝文句と言っても言い過ぎではないかもしれない。
 ヤマトナデシコの花のイメージと掛け合わせて、清楚で可憐で控え目で美しくて賢い日本人女性という意味での大和撫子という言葉が生まれたのだろう。そんな女性は現代社会には存在しないと思ってる人がほとんどだろうけど、私は精神としては受け継がれて残っていると信じたい。今ここになくても、日本人として共通認識はあると思う。外国人にはなかなかイメージするのが難しいだろうけど。
 有名人でいうと、ドラマ「やまとなでしこ」をやった松嶋菜々子あたりが近いということになるだろうか。矢田亜希子は、押尾学とつき合った時点で失格!
 それにしても、なでしこジャパンはどの角度から見ても撫子っぽくなかったなぁ。

見た目定番、中身に一工夫の料理はもどき料理の第一歩

料理(Cooking)
見た目は定番サンデー料理

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/100s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、定番中の定番、王道中の王道料理となった。ハンバーグにギョウザにクリームコロッケ、子供が好きなおかずベスト5に入ってそうなメニューだ。ただし、中身はちょっと違う。大人向けにアレンジして作ってある。人も料理も、たいていは見た目通りなものだけど、たまには例外もある。

 まずハンバーグは、マグロから作った。安いくずマグロを、小さく切って叩いて砕く(最初からネギトロ用を買うという手もある)。それに、みじん切りしたタマネギ、長ネギ、パン粉、塩、コショウを混ぜて、よく練る。この辺の手順は普通のハンバーグと同じだ。種を作ったら、あとはじっくり焼くだけ。タレは、めんつゆを水で割ったのを煮立たせて、水溶き片栗粉を入れてとろみをつけたものをかける。好みで大根おろしを添えてもいい。
 しかしこれ、固いな。箸で切れない。安いマグロを使ってるということもあるけど、赤身は焼くとどうしても固くなってしまう。卵でもつなぎに使えばもっと柔らかくなったのだろうか。
 何故あえてマグロを使うかといえば、理由はふたつ。貧乏だからか、もしくは魚嫌いの人にハンバーグだとだまして食べさせるためだ。そうでなければ、あえてマグロを使う必然性は弱い。マグロ一匹食べる伝説を作っているというのなら別だけど。
 ということで、この試みは軽い失敗感を伴うものとなった。味付けも、めんつゆは悪くないけど、しょう油ベースの和風にすればよかったとあとから思った。

 ギョウザは、エビと鶏肉で作ったヘルシー・ギョウザとなっている。エビと鶏肉を小さく切って叩いて、キャベツは湯通ししてみじん切りにしたあと、塩もみして水気を切って、エビと鶏肉に混ぜる。ニラ、塩とコショウ、しょう油少々も。
 皮は今回も手作りした。そして、ついに皮作りのコツを掴んだ。まず小麦粉をこねるとき、水ではなく熱湯を使う。どういう理屈かは分からないのだけど、どうもその方が上手くいくようだ。塩も少し加えて、ひたすらこねる。耳たぶくらいの硬さになったら寝かせるのだけど、このときのポイントとしては、丸めて棒状にしておくのだ。前までは球にしてたので、あとからどう切り分けても丸い皮が作れなかった。棒状にしたものをぶつ切りにすれば、そこから小さく丸めて伸ばせば丸い皮になる。気づいてみれば当たり前の話だけど、なんだか遠回りしたものだ。作った皮はプリプリで市販のものよりずっと美味しい。
 今回は、半焼き、半水ギョウザにして、コンソメで味付けした。エビと鶏肉のギョウザはあっさりしてるし、ヘルシーなので、オススメしたい。

 最後に豆腐コロッケ。これが今回一番の収穫で、人に作ってあげたいメニューのひとつに加わった。
 まずはホワイトソース作りから。小麦粉をタッパーに薄く敷いて、切り分けたバターを等間隔に並べる。そのままレンジでまず5分。取り出して牛乳をひたひたになるまで加えてよく混ぜて、1分加熱。もう一度取り出して牛乳を多めに入れて、混ぜて、1分加熱して、取り出して混ぜれば出来上がり。フライパンで作るのは面倒でダマダマになりがちだけど、レンジなら簡単だ。
 木綿豆腐は、砕いて軽くお湯でゆがいたら、ザルに取り出してペーパーかタオルで水気を切る。
 フライパンにバターを敷いて、みじん切りにしたタマネギを炒めて、そこにツナ缶を投入、続いて砕いた豆腐も入れて、よく混ぜる。火を止めて少しさましたら、溶いた卵とピザ用チーズを混ぜ入れて、しばらく置いておく。あとは、パン粉、溶き卵、パン粉の順番でころもを付けて、170度くらいで揚げれば完成。
 タルタルソースは、ゆで卵を砕いて、マヨネーズ、カラシ、刻んだタマネギ、パセリ、牛乳、白ワイン、塩、コショウを混ぜて作った。
 こうやって書いてみると、このコロッケ、すごく手間がかかっていることに気づいた。これで普通のコロッケより美味しくなかったら意味がない。美味しかったからいいけど。

 というわけで、今日のサンデー料理、トータルの味としては、まずまず悪くなかった。豆腐コロッケのプラス分をマグロハンバーグのマイナス分で帳消しにしてしまった感はあるものの、まずは申し分なかった。定番メニューを違う食材で作ってみるという試みは成功だったと言えるだろう。お馴染みのおかずも、材料が変われば食感も変わるし、味付けも違ってくる。そこに食べる側としても作り手としても、広がりや可能性を感じたのだった。また機会があれば、このシリーズ第二弾もやってみたい。世界三大珍味のキャビア、フォアグラ、トリュフを別の何かで作ってみるとか。
 って、貧乏くさいな、それ。というより、そもそもその3つを食べたことがない私としては、再現のしようがないのではないだろうか。食べたことのない料理を想像で作るのはとても難しいし、たとえ作ったとしても似てるのかどうかさえ分からないようでは虚しいだけだ。
 とはいえ、もどき料理というのはちょっと面白そうな気がしてきた。精進料理はもともとそういうものだし。よし、次は精進料理に挑戦だ。特にダイエットの必要があるわけでもなく、成人病でもなく、菜食主義でもない私としては、美味しい精進料理を目指そう。生臭坊主もびっくりの。

甘党のメジロさんは目を白黒させて今日も甘いもの探し

野鳥(Wild bird)
メジロさん

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/320s(絞り優先)



 いいものが目白押しでどれにするか迷ってしまうなぁ、というのはこのメジロから来ている。鳥好きの間では常識だけど、一般常識と言えるかどうか微妙なところだ。メジロは知っていても目白押しの語源を知らない人は案外多いんじゃないだろうか。メジロがみんなで枝の上にとまるとき互いにぴったりくっついて並ぶので、その様子がまるで押し合いでもしてるようだということから来ている。
 メジロとウグイスで混乱している非鳥人もけっこういそうだ。鶯色(うぐいすいろ)という言葉がその原因となっている。実際のウグイスはやや緑がかった灰色をしていて、いわゆる鶯色はこのメジロの色を指すことが多い。だから、うぐいすパンは、本当はメジロパンと名前を変えないといけないのだ。みんなでヤマザキに投書しよう。
 春先、梅が咲くとすぐにやって来るのがこのメジロで、梅に鶯という言葉からメジロのことをウグイスと思い込んでいる人もけっこういるようだ。ウグイスはとても用心深い鳥なので、人前に姿を見せることはめったにない。いつも木々が生い茂っている中の方でさえずっている。私もまだしっかり見たことがない。いつか写真を撮りたいと思いつつ、すぐ近くでホーホケキョ、ホーホケキョという声を聞くばかりだ。
 目白といえば、東京には目白がある。昔はメジロがたくさんいるところだったから目白となったという話だけど、実際のところはよく知らない。目黒というのもあるけど、あっちはどうなんだろう。実はメグロという鳥もいる。小笠原にしかいない珍しい天然記念物の鳥なので見たことがある人は少ないと思う。でも考えたらあれも東京だ。
 メジロといえば、メジロマックィーンやメジロライアンなどを思い出す競馬ファンも多いかもしれない。オグリキャップが勝った有馬記念、ゴール手前で横から思わず口をついて出た大川慶次郎の「ライアン! ライアン!」は忘れがたい。

 メジロは特別珍しい鳥ではなく、留鳥として一年中その姿を見ることができる。公園から山まで、生息域も広い。ただ、葉が生い茂る内側にいることが多いので、はっきりと姿を見る機会はあまり多くない。体も小さく、ちょこまかと落ち着きがないせいもあって、写真には撮りづらい鳥だ。今回、初めて全身を撮ることができて嬉しかった。
 日本以外にも中国、朝鮮半島、ベトナム、フィリピン、オーストラリアなどにもいるそうだ。地域による亜種も多い(日本だけでもシマメジロ、リュウキュウメジロ、ダイトウメジロ、シチトウメジロ、イオウジマメジなどがいる)。
 体長は12センチほどとスズメよりも小さく、体重は1円玉10枚分の10グラムしかない。日本ではかなり小さい部類に入る。
 オスメス同色で、特徴は黄緑色の体と、名前の由来となった目の周りの白いふちどりだ(アイリング)。でも、目玉は普通に黒いのだから、考えたら目白というのはおかしい。英名も、Japanese White eyeとなっている。
 繁殖期は5月から7月。一夫一婦で卵を産む回数は1回から3回くらい。林の中の木の上なので、子供の姿を見ることはあまりないんじゃないかと思う。
 子育ての時期以外は、シジュウカラやエナガなんかと混成チームで行動してることが多い。群れで移動しながらエサを探している。
 メジロは甘党としても知られている。桜や梅、椿などでよく蜜を吸う。なので、庭に半分に切ったミカンなどを置いておくと、やって来ることがある。砂糖水にもつられるというから、相当な甘いもの好きだ。特に冬場などは花が少なくなるので、メジロを呼び寄せるチャンスだ。その前にヒヨドリがやって来るだろうけど。

 メジロはなかなかにかわいいやつなのでオススメしたい野鳥だ。見るのも撮るのも嬉しい。撮るのはちょっと難しいけど見るのはそれほど難しくはない。
 メジロくらいは知っていても一般人から逸脱しないので安心だ。さりげなくメジロとウグイスの違いなども語ってみるといいだろう。そういえば50円切手のデザインってメジロだったよね、というところまでは大丈夫だ。ただし、へぇー、よく知ってるね、なんて誉められて調子に乗ってしまい、70円はシジュウカラで、80円はヤマセミ、90円がカルガモで、100円が銀鶴、110円がコチドリ、120円がモズ、130円がウソ、140円がイカル、160円はカケスなんだよね、知ってた? なんてつい口走ってしまうと、鳥の人ということがバレてしまうので気をつけたい。同時に、切手収集が趣味と思われてしまう可能性さえある。シャラポワだって切手集めが趣味なんだよと言い訳してももう手遅れだ。
 メジロは意外な危険をはらんだ鳥だった。

七夕だったことを思い出すのが遅れてタツナミソウの話に

花/植物(Flower/plant)
タツナミソウ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f2.8, 1/50s(絞り優先)



 今日は七夕。家に帰ってきてから、あっと思い出した。そういえばそうだった。覚えていれば願い事が書かれた短冊の写真でも撮ってきて、七夕のことを書いたのに。でも、もし思い出して、幼稚園の中をこっそり撮っていたら幼稚園生が先生に告げ口して先生が警察に通報して、おい、そこのキミ、何を撮っているんだと後ろから警官に声をかけられて思わず逃げ出して捕まって、今ごろは留置所の中だったかもしれないので、今日が七夕だということを忘れていて幸いだったかもしれない。
 ときどき自分が、すごく楽観的なのか、ひどく悲観的なのか分からなくなるときがある。それは、こんな想像をするときだ。
 夕食後、あきらめきれない気持ちが残っていて夜空を見上げた。やはり駄目だ。今日の名古屋地方は全面的に曇り空。星も月も見えない。でも、雲ってのは地球の周りにあるだけで、べガとアルタイルには何の関係もないじゃん、再会は宇宙での出来事なんだからさ、と子供の頃から思っていた。年に一回しか会えないから悲しいことなのか、年に一回会えるから嬉しいことなのか、どっちって言いたいんだろう、とも。
 そんなわけで、今日は七夕の話ができず。もし、来年までこのブログが続いていたら、来年こそ7月7日は七夕にまつわる写真を撮って、織り姫と彦星の話を書こうと思う。なんとしても通報されるまでに逃げなくては。というか、もっと違うところで撮ろうぜ、私。しかし、世知辛い世の中になったもんだ。

 ってことで、今日はタツナミソウにした。深い意味は全然なく、たまたま。
 タツナミソウを見るといつも中日の立浪のことを思い出し、梅宮アンナとはホントにつき合ってるのかなと思い、梅宮辰夫の顔が思い浮かぶと同時に誠意大将軍は今日もマダムに宝石を売りつけてるんだろうかと、あらぬ方向に空想が流れる私であった。漢字でも立浪草で、あの立浪と同じというのもその理由だ。
 名前の由来は、花の形がザバーンと波立ったように見えるところが来ている。葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の神奈川沖浪裏を思い出す人も多いだろう。私は永谷園のお茶漬け海苔に入っていたカードを思い出した(あれ、どこにしまったかな)。ただ、名前が付けられたのは江戸時代よりずっと前のことなので、北斎の浮世絵から来ているわけではない。
 中国では、耳掘草や煙管草と呼ばれているそうだ。なるほど、そういう見方もできる。でも、ネーミングとしてはタツナミソウの方がいい。群生してるところはまだ見たことがないけど、集まって咲いていればそれこそ海が荒れて波が立っているように見えることだろう。けど、こんなに波が立っていたら、立浪というより津波草だ。見ようによっては口を開いたコブラっぽくもある。

 自生地は、日本の福島から九州あたりまでと、朝鮮半島、中国、インドシナあたりまで広がっている。寒いところは苦手なようだ。丘陵の草地や土手などに生えていることが多いというけど、私はもう少し湿ったところというイメージが強い。日陰に咲いてるので撮りづらいという印象がある。
 ひとくちにタツナミソウといっても、いろんな種類があって見分けが難しい。日本だけで15種類くらいあると言われている。シソバタツナミ、ツクシタツナミソウ、ビロードタツナミソウ、コバノタツナミ、イガタツナミソウ、ヤマジノタツナミソウなど。
 写真のものは、ヤマジノかなと思うけど自信はない。見分けるポイントは、葉っぱの色や茎の毛深さ、花の色と模様などなので、次からはそのあたりまでしっかり写真に撮っておこう。
 白や黄色のタツナミソウもあるらしいけど、私は見たことがない。

 七夕の伝説は、決してロマンチックなものじゃない。元々働き者だった牽牛と織姫は夫婦となったとたんに天の川のほとりで日がな一日ふたりで怠けるようになり、ついには天帝の怒りの買ってしまい、七夕の日以外は引き離されて強制労働の身となっているのだから。そんなもの誰もうらやましくないぞ。夫婦共働きで年に一日しか会えないなんて。私としては、せめてふたりに週1日は休みをあげてくださいとお願いしたい。年間364日労働というのは、ちょっとつらすぎる。吉本じゃないんだから。
 私自身の願い事というと、今年もまたない。願い事ってのは、返せる当てのない借金みたいな気がして、ちょっと怖いのだ。天に恩返しできるくらいの人間になれるといいけど、そうじゃないから。
 だから、何か書くとしたら、いつもありがとうございますとお礼の言葉を書こう。天と地の関係者のみなさんにはいつもお世話になっていて、充分この世界を楽しませてもらっているから。楽しむことが最大の恩返しなんだとも思う。

落ち込むドグエラヒヒを励ます方法を知りたかった

動物園(Zoo)
ドグエラヒヒは何を思う

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/400s(絞り優先)



 山を背景に高い場所で何か思い悩んでる様子のドグエラヒヒ。声をかけるのもはばかられるほど落ち込んでいるように見える。一体何があったんですか、ドグエラヒヒさん!? 私でよかったら相談に乗りますよ。仲間はずれにでもなったのだろうか。しばらく見ていたけど、ついに陽気さを取り戻すことはなく、うつむいたまま顔を上げることはなかった。実は、うたた寝してただけかもしれないけど。

 ドグエラヒヒ、またの名をアヌビスヒヒ。ドラクエヒヒ、ではない。ドグエラとは、ドッグェラ、つまり犬に似たという意味だ。鼻筋の部分(吻)が長くて先が尖ったところは確かに犬っぽい。コリーとかあっち系だ。更に鳴き声がワンワン、バウバウ、キャンキャンと、これまた犬みたいなのだ。
 アヌビスヒヒというのは、エジプト神話に出てくる冥界の神アヌビスに顔が似てるところから付けられた。そのアヌビスも犬やジャッカルの頭を持つ神ということで、やっぱり犬からは逃れられない。犬ヒヒと呼ばれたりもする。あるいは、毛並みの色からオリーブヒヒという呼ばれ方もするようだ。
 アフリカの赤道より北、ウガンダ、ケニア、エチオピアあたりのサバンナで暮らしている。
 身長は約1メートル、体重は30キロくらいと、サルの仲間の中では比較的大きめだ。メスはオスの3分の2くらい。見分け方としては、尻のタコが左右にふたつあればメスで、ひとつだとオスだ。
 オスだけが鋭い犬歯を持っていて、いざとなるとけっこう強いらしい。ヒョウを倒すことさえあるんだとか。
 サバンナ暮らしということで、ほとんどを地上で過ごす。他のサルのように木の上に登ることはあまりないようだけど、写真のやつはかなり高いところまで登っているので、能力的には登っていけるのだろう。考え事をしたいときはみんながいない上の方がいいのだろうか。

 群れはオスメス混成で、メスの方が多く、100頭を超えるようなことはないようだ。オスには順位があるものの、ボスザルといったようなのはいないといわれる。
 昼間はエサを探しながら移動して、日が暮れると岩山などに登って、みんなかたまって休む。食事は、果物、キノコ、植物がメインで、昆虫や小動物をとって食べることもあるそうだ。
 性格はおとなしく、平和な暮らしを送っている。人に対しても穏やかだそうだ。モンキーセンターでは45頭のドグエラヒヒがいて、みんな陽気に騒いだりはしゃいだりしていた。写真のこいつは例外的な存在だった。こいつがドグエラヒヒの特徴を表してるわけではない。失恋でもしたか?
 赤ん坊も群れの中に混じっていた。チビの頃は毛並みが黒なのでよく目立つ。大人になるとだんだんオリーブ色になっていく。
 寿命は30年から40年とけっこう長いので、子供の親離れは遅め。小さい頃は母親にいつもくっついている。

 サルの群れを見ていると、人間そっくりだなと思うことが多い。しぐさとか、親子の関係性とか、それぞれの個性の対比とかが。でも考えたらそれは逆で、人間がサルに似ているのだ。サルから抜けきってないとも言える。人とサルの違いは、私たちが思っているよりずっと小さいのだろう。いつかサルは賢く進化して、より平和な世界のために地球は猿の惑星になってしまうかもしれない。凶暴な人間に任せておいたら地球は駄目になってしまうということで。もしそうなっても、オリバー・カーンはあっち側にいけそうだ。
 それはともかく、犬顔をしたサルというのはなかなかに面白い。ドグエラヒヒなら、犬猿の仲という言葉を超えて犬と仲良くできそうな気がする。自然界では出会わない両者だけど、初対面では互いにどんな反応を示すんだろう。似てるから親近感を抱くのか、もしくは似てるゆえに憎たらしく思うのか。
 いずれにしても、写真のドグエラヒヒには早く立ち直って、本来の陽気さを取り戻して欲しいと思う。元気出していこう。

怪鳥バリケンさんはあなたの街にもいるかもしれない

野鳥(Wild bird)
バリケンさん

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/250s(絞り優先)



 グリーンピア春日井の池に見慣れない奇妙な鳥が泳いでいるのを見つけた。なんだあれ。ニワトリが泳いでる? そんなわけはない。泳ぐニワトリなんて見たことない。近づいてみると、それはアヒルっぽかった。しかし、どこか違う。こんなカラーリングのアヒル見たことないし、アヒルよりもひとまわり大きい。突然変異か何かだろうか。そんな釈然としない思いを抱えたまま池を後にした。
 帰ってきて調べてみたところ、バリケンと判明。ビリケン? いや、バリケンだ。ビリケンさんは知ってるけどバリケンさんというのは初耳だ。そんな鳥がいたなんてまったく知らなかった。
 なんでも、南米や中米にいるノバリケン---つまり野生のバリケンを家禽にしたもので、主に台湾あたりで飼育されているんだそうだ。それが放されたり逃げ出したりして、いまや日本全国で野生化してるらしい。なるほど、そういう出所の野鳥だったのか。
 別名は台湾アヒル。またはフランスガモなどとも呼ばれることがある。日本の公園などで見られるようになったのはここ数年のことということで、やはり初めて見た人はみんなびっくりして、こいつ何者だってことになるようだ。
 グリーンピアにいたやつは近所の人が飼っていたものをここに放したそうだ。もう何年も前からここにすみついているようだけど、私は今回初めて見た。一羽しかいなかったけど、前はもっといたんだろうか。場所によってはかなり繁殖してるところもあるというから、見慣れてる人もけっこういるのかもしれない。写真で見たチビは大きなヒヨコみたいでかわいかった。

 カラーリングにはかなり個体差があって、同じ種類とは思えないものも多い。全身が白いのから深緑色、灰色のまで様々で、この3色がいろんな混ざり方をする。唯一の共通点は目の周りが赤いことだ。これは毛が赤いのではなく、皮膚がこの部分だけむき出しになっていて赤く見える。
 クチバシは太くて短い。足も短く、黄色っぽい。
 オスメス同色だけど、オスのクチバシの根元には、赤色のコブというかデコボコがある。写真のこいつはそのへんがすっきりしてるからたぶんメスだろう。
 エサは植物性を中心に、昆虫や小魚なども食べるようだ。このときは岩場をクチバシで一所懸命探っていたから、水草かコケでも食べていたのだろう。近寄ってもあまり逃げなかったところをみると、人にも何かもらってるのかもしれない。
 野良生活が長いので、けっこう飛べるらしい。飛ぶことをだんだん思い出すのだろう。ただ、オスは飛べないという話もある。
 アヒルとのカップルは成立可能なものの、生まれる雑種の子供は繁殖力がないというから、今後もそういう定着の仕方はないということになる。

3匹が来る

 バリケンさんの写真を撮ってなごんでいたら、向こうからアオクビアヒルが3羽近づいてきた。その姿がなんだか妙に格好良かった。テーマ音楽に乗ってやって来る3人組の正義の味方みたいだ。三匹が斬るじゃなく、三匹が来るといった風情に喜ぶ私。どうやらバリケンが私にエサをもらっているように見えたらしい。ぐんぐん至近距離まで近づいてきた。

去る4羽

 でも、私が何も持ってないことを知ると、すぐにUターンして去っていった。その後をあわてて追いかけるバリケンさん。普通に受け入れられていたから、きっとお仲間に入れてもらっているのだろう。1羽で寂しいだろうと心配したけど、ちょっと安心した。
 こうしてアオクビアヒルと一緒にいるところを見ると、その大きさが分かる。マガモよりひとまわり、ふたまわり大きいアヒルよりも更にひとまわり大きい。この大きさも、なんだこの鳥はと思わせる要因のひとつとなっているに違いない。一部では怪鳥とさえ呼ばれている。それはちょっと気の毒だと思うけど、珍鳥であることは間違いないだろう。
 あなたの街にもバリケンさんがいるかもしれない。公園の池やお堀などを通りかかったときは、ぜひ探してみてください。もしいたら、きっとすぐにそれと分かるでしょう。アヒルとは放っているオーラが違うから。

あっちでネジネジ、こっちでネジネジ、たまにネジネジしない

花/植物(Flower/plant)
ネジネジネジバナ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/400s(絞り優先)



 ネジバナを見ると中尾彬を思い出す。中尾彬はネジバナの存在を知っているだろうか。
 どこにでも生えている花も、興味を持たなければ目に入ってこないもの。私がこの花のことを知ったのは去年の今ごろだった。それまで物心ついて30年以上知らずに過ごしてきたのに、知ったとたんあちらでもこちらでもあらゆるところで目にするようになった。自分の目に映る真実なんてそんなものかもしれない。
 ネジバナは野生のランだと言ったら意外に思うだろうか。ランといえば、大御所芸能人の楽屋にあるものと相場が決まっているという思い込みは間違いだ。元々地球上のあらゆるところで咲いていた。ただ、近年野生のランが減少または絶滅傾向にある中、たくましく生きているネジバナは例外的なランに違いない。完全に雑草扱いで、芝刈りと共にちゅうちょなく刈られてしまう。それでも減らないんだからよほど生命力が強い。
 初夏になって初めて目にするとちょっと嬉しいけど、すぐに飽きて、見つけても、ああ、ネジバナかと相手にしなくなる。人の心ってそんなもの。

 日本では北海道から九州まで広く分布してしているネジバナは、北方領土から中国、ヒマラヤ、インド、マレーシア、オーストラリアまで勢力を伸ばしている。
 沖縄にはないらしいのだけど、その代わりナンゴクネジバナがある。伊豆諸島や奄美大島にあるのもそれで、写真で見ると太めの茎がネジネジしていてその周辺に小さな花がくっついてるような感じだ。通常のネジバナには花序に毛があるのに対して、ナンゴクは毛がないという違いもある。
 生息域は、芝生などの明るい草地から湿地帯までと幅広い。普通、好みの水分量くらいは決まってるものだけど、ネジバナの場合、乾いていてもかなり湿っていても平気らしい。ただ、芝生などでは背丈が5センチから10センチくらいなのに湿地では20センチくらいになるところを見ると、どちらかというと湿ったところの方が好きなようだ。
 花の時期は5月から8月までと長く、秋になって咲いてくるのもいて、そいつは30センチにもなることがある。この一貫性のなさというのもネジバナの特徴で、ネジネジが左巻きのもいれば右巻きのもいて、真っ直ぐのやつさえいる。花色も、薄いピンクから濃いピンクまで多様で、白花もさほど珍しくない。一体ネジバナの設計図はどうなってるんだと思う。巻く方向くらい統一したらどうなんだ。

 名前の由来は文字通りネジネジ咲くからだと想像がつく。漢字では捩花。またの名をモジズリ(捩摺)。これも同じような意味だ。
 百人一首にも採用されている河原左大臣の歌、「みちのくの しのぶもじずりたれ故に 乱れそめにし われならなくに」がよく引用される。ただ、これで歌われているもじずりが花のモジズリかといえばそうでもなさそうだ(一般的にはこの花のことだと言われてるようだけど)。
 ネジリバナとも呼ばれる。

 ネジバナがたくましく生き延びている理由は、花の小ささから虫に受粉してもらうことを半ばあきらめて、自花受粉するようになっているというのがある。そして、種はとても小さくて軽いので、そよ風にさえ乗って遠くに飛ばされる。落ちたところが乾いていようと湿っていようと、自分を環境に合わせて根を張り、茎を伸ばし、花をネジネジ咲かせる。温室で手をかけないと育たないランが多い中、見上げた根性と言えるだ。鈴木啓示の草魂みたい。
 花は下から上に登るように咲いていく。写真でも下の方の花が終わって、上の方にまだ色づいてないつぼみが残っているのが分かる。花が一番上まで咲ききってアガリになると梅雨が明ける、なんてことが言われたりもする。実際にそんな上手いタイミングで咲くわけはないけど、この咲き方は面白い。花が下から上に咲いていく様子をビデオに録画して早回しにしたら、導火線を伝う花火みたいに見えるんじゃないだろうか。最後はポンッと弾けて消えたら面白いんだけど、そんなことはない。
 そうして、ネジバナは今日もあちこちで思うがままにネジネジしている。

琵琶湖のカイツブリたちによろしく伝えてください

野鳥(Wild bird)
カイツブリはいつも目が点

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/100s(絞り優先)



 池に浮かんでいる鳥を見たとき、きっとカモか何かなんだろうなと思ったのはおととしまでの私。今はあいつは何者だ、と厳しい目で見つめる人となってしまった。常に首から双眼鏡をぶら下げている人の2歩手前くらいまできている気がする。今はまだ、デジの望遠レンズを目一杯伸ばして確認するにとどまっている。それでも、人がたくさん歩いている公園の池では充分怪しいのだが。
 写真のこいつはカイツブリ。いつも目がテンになって驚いているような顔をしてるけど、たぶんそうじゃない。目が小さい割に人はよく見えるらしく警戒心が強い。ある一定の距離より近づくと、潜水しながら遠ざかっていく。私は怪しい者じゃないから逃げないでくれーという心の声は届かない。公園の池でそんな筒みたいなものをこっちに向けてるやつは充分怪しいぜ、とカイツブリは思っているだろうか。

 東北から北海道では夏鳥、関東以南では留鳥なので一年中見ることができる。平野の池や堀、流れの緩い河川で暮らしている。都会の公園でもいるところには普通にいる。冬はまれに海にいることもあるそうだ。
 世界的にも珍しい鳥ではなく、砂漠や寒冷地以外はたいていのところにいるという。一般的な知名度は低いと思うけど、水鳥の定番のひとつだ。
 カイツブリは鳥としての歴史も深く、カイツブリの仲間はすでに7千万年前から地球にいたといわれている。中国4千年の歴史の1万7千500倍の歴史があるということだ。
 カイツブリ科の鳥は北極と南極以外の全大陸にいて、その中で、日本には5種類のカイツブリがいる。カイツブリ、アカエリカイツブリ、ハジロカイツブリ、カンムリカイツブリ、ミミカイツブリ。亜種は2種類。カイツブリの亜種とリュウキュウカイツブリ。

 大きさは25センチくらいと、ハトより少し小さいくらい。遠くからしか見えないのでもっと小さい印象を受ける。
 歩きは大の苦手なので、一生のほとんどを水の中で過ごす。泳ぎと潜りは大の得意だ。翼をピチッとたたみ込み、幅広のヒレがついた足でぐいぐい泳いで潜る。足はぐにゃぐにゃで方向転換も自由自在。更に、尾のところから脂肪を分泌して全身の羽毛に塗りたくって防水加工もする。陸はもう捨てた、おいらは水の中で生きるんだという意気込みが感じられる体となっている。
 水からあがったときの足を見ると、太くて短くて、大きな足ヒレを付けていてなんとも不格好で笑える。人が地上で足ヒレをつけて歩くようなものだ。想像しただけで歩きづらいことが分かる。
 多少飛べるようだけど、飛ぶのも苦手だ。
 エサは水中の魚や甲殻類などを潜ってとる。水面に落ちている虫や木の実を拾い食いすることもある。

 繁殖期は長く、春先から秋にかけて年に2、3度行う。一夫一妻で、オスメスで協力し合って子育てをする。
 陸では動きがままらないから、巣も水上に作る。水草の上にたくさんの葉っぱなどを敷き詰めてそこに卵を産んで、オスメス両方が温める。エサを取るために巣を離れるときは、巣に葉っぱをかぶせて隠す習性があるそうだ。なかなかに賢い。
 ヒナが親の背中に乗ったり隠れたりするというのもカイツブリの特徴のひとつで、これはなかなかにかわいい。羽毛の間から顔をのぞかせている様子は、鳥というより動物みたいだ。その状態で敵が来たら、ヒナを背に乗せたまま潜水して逃げる。

 カイツブリという名前は、水を掻くのカイと潜るという意味のツブリでカイツブリとなったんだとか。ツブリは潜るときの擬音ともいう。
 日本でも昔から親しまれていて、古くはニオ(鳰)と呼ばれ、歌にもたくさん詠まれている。
 琵琶湖には昔からこいつがたくさんいたようで、「鳰のうみ」といえば琵琶湖のことだったとか。松尾芭蕉は琵琶湖とカイツブリが好きだったようで、こんな句を残している。

 さみだれに
 鳰のうき巣を
 見にゆかむ


 江戸で梅雨の雨音を聞きながら、琵琶湖のカイツブリの浮き巣はどうなっただろうなぁ、見に行きたいものだなぁ、と思っていたのだろう。
 私は何年か前、琵琶湖を車で一周したことがある。半分過ぎた頃から泣きそうだった。あまりの広さに絶望的な気持ちになって。私は琵琶湖の広さを侮っていた。戻るに戻れないし、行ったら行ったでまだ倍あるし、一周したあと名古屋までまた国道で帰られなくて行けないしで、後半は意識がもうろうとしていた。大津、京都、草津あたりまではぼんやり記憶があるけど、それからあとはよく覚えてない。よく無事に帰ってきたものだと思う。
 琵琶湖の東岸から見た夕焼け空は最高に素敵だった。でも、わざわざカイツブリを見に琵琶湖まで行きたいとは思わない。もちろん、もう一回一周しろと言われても断然ことわる。もし、琵琶湖へ行ってカイツブリに出会ったら、私は会いに行けないと伝えておいてください。

ベスト4のサンデー料理はベストから遠かった

料理(Cooking)
ベスト4サンデー料理

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/100s(絞り優先)



 私の中で今ひとつ盛り上がらないまま、ワールドカップ・ドイツ大会は準々決勝を終えてベスト4が出そろった。ドイツ、イタリア、ポルトガル、フランス。今大会ほど波乱がなく面白みのない大会は他にないんじゃないか。ブラジルがフランスに負けたのも番狂わせじゃない。フランスの守備力がブラジルの攻撃力を上回っただけだ。ヨーロッパで行われる大会は欧州勢が圧倒的に有利という法則が今回もまた当てはまってしまった。それもまた面白くなくなってしまった点のひとつだ。
 今日のサンデー料理は、優勝国を予想してその国の料理を作ろうと思っていたけど、顔ぶれが面白くない。フランスやイタリアはもう何度も作ってるし、ドイツも前にやった。ポルトガルは優勝しそうにないし、ポルトガル料理だけで成立させるのも難しいものがある。ということで、4ヶ国の料理を一品ずつ作ることにしたのだった。

 まずはお馴染みのイタリアから。どこかでご飯に類するものが欲しいとなったとき、イタリアでパスタにしておかないと他で作れないから、消去法でパスタとなった。前に買って余っていたカラー・マカロニを使ってカルボナーラに仕立てた。
 オリーブオイルでタマネギとベーコンを炒めて、マカロニのゆで汁と白ワインで少し煮込んで、ゆであがったマカロニを加えて、最後に卵と粉チーズ、黒コショウをまぜたソースを絡めて出来上がり。特にどうということもなく、普通に美味しかった。

 フランスは左奥で、これもいつもと変わらない。白身魚とエビを塩コショウして、いったん軽くゆでて、オリーブオイルとバターで焼く。トマトも輪切りにして焼いて、刻んだパセリを乗せる。ソースは、卵黄ベースにオリーブオイル、白ワイン、カラシ、マヨネーズ、しょう油、塩、コショウを混ぜたものを使った。これもお馴染み。

 ポルトガルはなかなか難しかった。一応調べたけど、ポルトガル料理というのが上手くイメージできなかった。スペインの先で海沿いだから魚介類をよく食べるんだろうけど、具体的にはよく分からない。スペインにどれだけ近いのか、どれくらい違ってどんな特色があるんだろう。今日のところは調べが浅くて掴めなかったので、また機会を見つけてポルトガル料理も研究したい。
 今回はポルトガル人もよく食べるらしいリゾットにした。タコのリゾットが定番らしい。でもタコは使わず鶏肉にした。味付けはトマトとブイヤベースの素。これも何度か食べた味だ。

 ドイツ料理も2度作ったけど、これまたつかみ所がない。ソーセージとジャガイモしか浮かんでこないのだ。前回はクリームシチューとドイツ風ギョウザを作ったけど、ドイツに近づけた気はしなかった。
 今回は付け合わせとしてジャガイモ料理に逃げた。とにかくジャガイモさえ使っておけばなんとかドイツ料理になる。レンジで6分ほど温めて、皮をむく。それに塩、コショウ、小麦粉を混ぜながらすりつぶして、最後は団子状に丸める。表には小麦粉をまぶしておく。それを湯でゆがくのだけど、型くずれしやすいのであまりゆがきすぎるとよくない。ソースはトマトとコンソメで作るのが一般的らしいけど、それはリゾットで使ったから、ほうれん草のペーストにしてみた。これはポルトガル料理にあるらしいので合体だ。ほうれん草をゆがいてすりつぶして、刻んだニンニクと一緒に温める。
 ジャガイモの上に乗せたら、期せずしてヒトラーの髪型みたいになっていた。こんなことならちょび髭まで作ればよかった。

 以上4品、結果的に今回のサンデー料理は失敗だった。味がではなく、面白みを欠いたという点で。それもまた今回のワールドカップと同じになってしまった。そもそもコンセプトを間違えた。それに加えて、新鮮さがなかったのが一番いけなかった。微妙に変えてるとはいえ、これでは今までのアレンジでしかない。4つの国の4品の料理というものにこだわりすぎて、チャレンジを旨とするサンデー料理の本質を外してしまった。味はよくてもこれでは失敗だ。
 ただ、反省は反省として、一方で4品作るペースが掴めてきたという収穫はあった。これまで3品が能力の限界で4品になるとかなりあたふたしてしまっていたところが、だいぶ落ち着いて作れるようになった。料理脳が発達してきたのだろう。今まで使ったことのなかった部分の脳が活性化して、脳年齢も3歳くらいは若返ったかもしれない。
 ではここで問題。おとといの晩ごはんは何?
 えーと、えーと……。うっ、思い出せんっ。ドコサヘキサエン酸を摂取するために誰かトロを私にお与えください。DHAが一番多いというトロの野郎を。中トロ5貫くらいでいいです。

野に咲く花を知らなくも知りすぎていても恥ずかしくはない

花/植物(Flower/plant)
スイカズラ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/25s(絞り優先)



 気がつけば早7月。6ヶ月間気絶していたわけじゃないけど、もう半年も経ってしまったかと驚く。何かお釣りを誤魔化されたみたいな気分だ。
 花の顔ぶれでいうと、もう半分以上は終わったことになる。秋は春ほど多くないし、夏もそれほど種類はないことを考えると、もう3分の2以上過ぎたのかもしれない。今年もたくさん逃してしまった。
 ということで、今日は6月に出会って使うことがなかった木に咲く花を、3枚まとめて載せることにした。少しでも取りこぼしを少なくして、補完に近づけるように。

 まず最初はスイカズラから。
 漢字は吸葛。花の蜜を吸うと甘いことからその名が付いたといわれている。または、薬草としておできを吸い出すのに使われたからとも。
 忍冬という漢字が使われることもある。これは、冬でも葉が茂っている様子が冬に耐えているように見えるからとか。
 別名で金銀花(キンギンカ)というのもある。最初白色だった花が成長と共に黄色くなって、白と黄色が入り交じって咲く様子をそうたとえたのだろう。金銀花なんていうと、金銀パール・プレゼントを思い出す。あの洗剤、今でも金銀パールが当たるんだろうか。銀のエンゼル、金のエンゼルは何が当たったんだろう。
 北海道南部から本州、沖縄までの広い範囲に自生していて、特に珍しい木ではない。朝鮮半島や中国などにも普通にあるそうだ。それが、ヨーロッパやアメリカにも広がり、あちらでは森林で野生化して厄介者扱いされてるらしい。帰化植物に関しては日本もかなり被害を受けているからお互い様だろう。
 5月から6月にかけて筒状の花を咲かせる。花弁は上下2枚の唇状に分かれて、上唇はさらに4つに割れる。
 匂いはきつめで、ジャスミンに似ている。夜になると匂いだけで分かるくらい強くなる。なので、蝶やハチよりも蛾によって花粉が運ばれるそうだ。
 イチモンジチョウの食草でもある。

ネジキの花

 2枚目は、ネジキの花。
 スズランとかアセビとかに似てるけど、あれらよりも細長い。木の幹を見れば見分けがつく。名前の通り木がねじれてるから。
 こいつは実に使えない木だ。幹がねじれてるから木材としても使い道がなく、葉に毒があるから虫も寄りつかない。そのへんの野山で勝手気ままに生えて、ねじれている。花はきれいなので惜しい気もするけど、ネジキにしてみれば好きにさせてくれといったところだろう。好きでねじれてるんだからと。
 日本の特産で、岩手県の南から本州、四国、九州の日当たりのいい山地などで自生している。
 使えない木だけど、虫除けとして庭などで栽培しても面白い存在だ。

ガマズミ

 3枚目はガマズミ。
 なんとなく響きが気の毒な感じ。もっといい名前付けてもらえなかったのかと。漢字は莢迷。これだけではよく分からない。名前の由来としては、鎌などの柄をこの木で作って、赤い実を染料として使ったことから、「鎌染めの木」と呼ばれ、それが転じてガマズミになったというのがある。ただ、本当のところははっきりしてないようだ。地方によって呼ばれ方が様々で、なんでも200以上の別名を持っているんだとか。別名チャンピオンの木と言ってもいいかもしれない。
 写真のものはまだ若い木のようだけど、最大4~5メートルくらいになる低木で、北海道南部から九州にかけて自生している。よく似たものに、ミヤマガマズミやコバノガマズミなどがある。
 花に装飾花はなく、小さな5裂の花をたくさんつける。その様子はコアジサイなどにも似ている。
 秋には赤い実をつけて、これが甘酸っぱくて美味しいらしい。野鳥もこの実が好きでよく食べるという。庭に野鳥を呼ぶためにこの木を植えてる人もいるとか。人も食べられるなら尚更いい。私も植えてみようかなと思ったら、しまった! 庭がなかった! 7階のベランダでは育たないだろう。

 花についての勉強は、2周目の季節に入ってまずまずそれなりには進んでると言っていいと思う。もちろん、まだまだ知らないものだらけだけど、少しずつ知識は増えてきた。去年の今の時期に比べたら、それはもうまるで別人のようだと自分でも思う。3周目、4周目と、興味が続く限り続けていきたい。一度に無理して詰め込もうとすると嫌になってしまうから、楽しみながらちょっとずつくわしくなっていければいい。テストがあるわけではないし、知らなければ恥ずかしいものでもないから。逆に知りすぎていて恥ずかしいものでもないというのは、野鳥と違う点だ。野鳥の場合詳しすぎると人の見る目が変わるような気がする。それは被害妄想というものだろうか。
 花の勉強に終わりはない。ネバー・エンディング・ワイルド・フラワー・ストーリーは、地球消滅のその瞬間まで続く。
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