月別:2006年06月

記事一覧
  • ノートPCの再セットアップに大苦戦するの巻

    Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/160s(絞り優先) 巨人があまりにも弱いから、今日はふてくされてブログの更新は抜きだ! というわけではまったくなくて、今日はノートPCの再セットアップに散々手こずってしまって、更新の時間が取れなかったというのが本当のところ。いやはや、CDドライブの壊れたノートPCにWindowsXPをクリーンインストールするのは難しい。 いくつかの方法がある中で、今回私が試したのはこ...

    2006/06/30

    風景(Landscape)

  • アジサイとは今年もまた親しくなることができないらしい

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/30s(絞り優先) アジサイも一枚くらい撮っておかなくちゃなと、小雨が降る中近所をうろつく。けど、アジサイだけ撮っても面白くない。何かプラスアルファがないかと探していたら、クモがいた。逆に言えばクモしかいなかった。クモが小さかったので思い切って寄って、アジサイには脇役になってもらった。あ、虫注意報発令です。もう遅い。 PCモニターに向かって、おまえさんは何グ...

    2006/06/29

    花/植物(Flower/plant)

  • 世界にはたくさんのサルたちがサルヂエで暮らしている

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/100s(絞り優先) 拾い食いしてる最中のリスザル。何やら考え中。サルだって日々の暮らしの中でいろいろなことを考えながら生きているに違いない。これは食えるのかなとか、あの子供うるせぇなとか、飼育員め早くメシよこせとか。このときは何か小さな虫でも見つけたんだろうか。指先でつまんで一所懸命見ていた。食うべきか食わざるべきか、それが問題だ。 リスのように小...

    2006/06/28

    動物園(Zoo)

  • ダザイオサム ハ トオク ナリニケリ?

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/13s(絞り優先) 今年も親戚からサクランボが送られてきた。ああ、もうそんな季節なんだと思う。意識しないまま6月19日も過ぎ去った。 サクランボといえば桜桃。桜桃といえば太宰治、太宰治といえば6月19日。太宰治の誕生日でもあり、命日ともなった日だ。 桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさ...

    2006/06/27

    未分類

  • 和食ではない日本料理を作りたいと思った

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/25s(絞り優先) 和食の基本は、素材を最大限活かすことだろう。味だけでなく見た目に関しても。そこから一歩進めて、食材を様々に調理して作り出した料理を、あえて日本料理と呼びたい。たとえば、ハンバーグやカレーライスなどがそうだ。あれは和食とは言い難いけど、他のどこの国の料理でもないから、やっぱり日本料理としか呼べないものだ。フランス料理、イタリア料理、ドイツ料理、み...

    2006/06/26

    料理(Cooking)

  • 瑠璃の名を持つ蝶ルリタテハから始まる瑠璃色の話

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/640s(絞り優先) 海上の森の湿地にいたルリタテハ。接近遭遇はこれが3回目で、そろそろお馴染みになってきた。初めて村積山のふもとで見たときは感動したものだ。 飛んでいるときの姿はただの黒い蝶。地面に降りたって、翅を広げるわずかな時間だけ瑠璃色の帯が見える。そして、すぐにまた翅を閉じてしまう。まるでご開帳みたいだ。瑠璃色の翅を撮りたければチャンスはわずか。じ...

    2006/06/25

    虫/生き物(Insect)

  • 顔中クモの巣だらけにして会いに行ったハッチョウトンボ

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先) 初夏の風物詩のひとつであるハッチョウトンボを、今年も海上の森に見に行ってきた。生い茂る草をかきわけかきわけ、ぬかるんだ道に足を取られ、顔中クモの巣だらけにしながら。ハッチョウトンボを見る前に必要以上に夏を感じつつ。 いつもの湿地は、いつものように静まりかえり、誰ひとりいない。遠くからウグイスのさえずりが聞こえるだけだ。最初、姿が見えず、...

    2006/06/24

    虫/生き物(Insect)

  • 思いがけず勉強することになった壬申の乱について

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/60s(絞り優先) 提供した写真が載った「週刊ビジュアル日本の合戦」という雑誌が送られてきた。壬申の乱(じんしんのらん)関連で、東谷山(とうごくさん)の尾張戸神社(おわりべじんじゃ)の写真が必要だというので撮ってきたやつだ。私の写真が小さく載ってるので、本屋に行ったら立ち読みしてください。 せっかくのいい機会なので、今日は壬申の乱について勉強してみた。日本史の教科...

    2006/06/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • マンネングサの花を見てコンペイトウの遠い記憶が蘇った

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/60s(絞り優先) 夏に入って、花がだいぶ寂しくなった。野草の写真を撮るようになるまでは、暑くなればなるほど咲く花が増えていくものだと思っていた。でも実際はそうじゃなかった。3月に早咲きの野草が姿を現すと、4月から5月にかけて、我もわれも先を行く野草を追いかけるようにたくさんの野草が咲き急ぐ。そして6月、ふと気づくと花がいつの間にか少なくなっている。4月は、上を...

    2006/06/22

    花/植物(Flower/plant)

  • キセキレイを見て思うことあれこれ

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/80s(絞り優先) キセキレイという鳥がいる。この鳥の存在を初めて知ったとき、その姿ではなく名前に魅了された。キセキとキレイがリエゾンしているその響きに。なんて贅沢な名前なんだ。漢字を当てはめるなら、たとえば輝石麗。まるで宝塚星組のトップスターみたいではないか。読み方でキに力を入れずフラットにキセキレイと読ませると、今どきのJ-POPのアーティストにそんなのが...

    2006/06/21

    野鳥(Wild bird)

  • ダ・ヴィンチとミケランジェロはきっとふたりともB型

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/800s(絞り優先) レオナルド・ダ・ヴィンチの名が付けられたピンクのバラ。フランスのメイアン社作出。きれいないいバラだとは思うけど、ダ・ヴィンチにピンクのイメージはない。レオナルドの名前は、不可能と言われる青いバラが完成するときまで付けずに残しておいて欲しかった。フランスにしては無粋なことをしたものだ。発表されたのが1994年だから、もしかすると多くのバラ作出...

    2006/06/20

    人物(Person)

  • ニュージャパニーズ料理で黄金のカルテット完成

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/50s(絞り優先) 先週はドイツ・ワールドカップ記念でドイツ料理だったから、今週はニッポンちゃちゃちゃ記念で和食を作った。試合の方は不完全燃焼ですっきりしなかったけど、料理の方は攻守バランスの取れた好結果となった。今まで作った中で、トータルの美味しさでいえばベスト4には入るだろう。準決勝進出記念和食と名づけよう。 和食といっても普通に作ったんじゃ面白くないということ...

    2006/06/19

    料理(Cooking)

  • 鳥の人かそうじゃないかの判断材料となる鳥

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/60s(絞り優先) 鳥の人とそうじゃない人との差は小さいようで大きい。どちらに属するかを決めるとき、写真のこいつはいい判断材料となるかもしれない。すぐに分かってしまった人は間違いなく鳥の人だし、スズメじゃないの? と思った人は一般人だ。ある意味安心していい。訊かれてもいないのに、オスとメスの見分け方や、オオジュリンやカシラダカとの違いについて熱く語...

    2006/06/18

    野鳥(Wild bird)

  • ペンギンは空を見上げて鳥だった頃を思い出してる?

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/800s(絞り優先) みんなで空を見上げるフンボルトペンギンたち。映画『未知との遭遇』のペンギン版みたい。何かあるのかとつられて空を見たけど何も見えなかった。私には見えない何かがペンギンたちには見えていたのだろうか。右端のキミ、みんな見てるのはそっちじゃないですよ。ペンギンにも、少しピントのずれたのがいる。 ペンギンというと寒いところにいるというイメ...

    2006/06/17

    水族館(Aquarium)

  • スナメリは優美に白い体をくねらせ静かに微笑む

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/80s(絞り優先)  クジラ目歯クジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ。日本近郊に棲む最も小さなイルカだ。あるいは、一番小さなクジラという言い方もできる。 クジラとイルカの境目は、ワシとタカ同様、実は曖昧だったりする。基本的に大きなものがクジラで、小さくてすばしっこいやつがイルカと呼ばれる。はっきりとした特徴の違いや境目はない。 スナメリの姿を見ると、これはやっぱりクジ...

    2006/06/16

    水族館(Aquarium)

  • ひとりで行くところじゃないけど意外とよかったビーチランド

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/160s(絞り優先) 去年から始まった、ひとりで行けるもんシリーズ(いつの間にそんな名前がついていたんだ)。これまでけっこういろんなところへ行った。ひとり動物園デビューも果たしたし、家族をメインターゲットにした行楽施設にもあちこち出向いていって克服してきた。 しかし、今回行った南知多ビーチランドほど厳しいところはなかった。モンキーセンターもたいがいつらいものがあった...

    2006/06/15

    水族館(Aquarium)

  • 近場でラベンダーを済ませようと思ったら

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/80s(絞り優先) 小牧市民四季の森へバラを見に行ったら、ちょっとしたラベンダー畑があった。おっ、こんなところに。こりゃいいやと思い、あちらからこしたから、上から下から横から撮りまくり。でも、ラベンダーってもう咲いてたかなぁ? まあ、いいや。たくさん撮ったし、もうこれで今年は遠いラベンダー畑まで見に行かなくていいな、と喜んで四季の森を後にした。 家に帰って...

    2006/06/14

    花/植物(Flower/plant)

  • 6,000種類の蛾を見分けられる人になりたくはないけれど

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先) 夕方、高い木の上のあたりを白黒の蝶らしきやつがヒラヒラヒラヒラ飛んでいた。撮れるもんなら撮ってみなと私を誘うように。しかしこいつがなかなか捉えられない。そんなに動きは速くないのに、飛び方が不規則でピントを合わせる以前にファインダーの中に入れられない。4、5匹(私は専門家じゃないので頭とは数えるのは照れくさい)もいたのに、あっちを狙えばこ...

    2006/06/13

    虫/生き物(Insect)

  • ゲルマン魂にはドイツ料理もコンビニも必要ない?

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/30s(絞り優先) グーテン・ターク。マイン・ナーメ・イスト・オータ。イッヒ・リーベ・ディッヒ。アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。大学の第二外国語で習ったドイツ語を思い出しながら作ったドイツ料理。しかし、ドイツはやはり遠かった。どこまで行ってもドイッチュランドには辿り着けず、リリー・マルレーンの悲しげな調べが頭の中で流れた。 ドイツ料理とは何か? そんなストレー...

    2006/06/12

    料理(Cooking)

  • 夜鳴きコチドリは21世紀の日本で何を思い鳴く

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f6.3, 1/320s(絞り優先) 夏鳥は冬鳥に比べて撮るのが難しいからまず無理だろうとあきらめていた。確かに野山では新緑以降、茂った葉に視界をさえぎられ、姿を見つけることがぐっと難しくなった。レンズも300mmの暗いものではかなり厳しい。けど、田んぼにも夏鳥はいた。これは気づかなかった。気づいてみれば、田んぼくらい撮りやすいところはない。 アマサギに続いて初対面のコチドリ...

    2006/06/11

    野鳥(Wild bird)

  • 日本にしか咲かない花だからもう一度ササユリの咲く国に

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/30s(絞り優先) 子供の頃はそのへんの野山にいくらでも咲いてたのにそういえば近頃はさっぱり見なくなったなぁ、ササユリ。そんなことをふと感じたことがある方もいるだろう。昭和30年代まではササユリは決して珍しい花ではなかった。……らしい。私の幼少期にはすでにササユリの姿は街中にも郊外にもなかった。たぶん、田舎にも。 日本では古来からユリといえばこのササユ...

    2006/06/10

    花/植物(Flower/plant)

  • 花フェスタ記念公園で今年も一年分のバラを見てきた

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/400s(絞り優先) バラのシーズンも終わりが近づき、梅雨入り宣言がなされたということで、今日行ってきた、花フェスタ記念公園。去年に続いてこれが二度目となる。 平日で小雨がパラつく閉園1時間半前ということで、人は驚くほど少なかった。午前中は駐車場まで1時間待ちなんて話を聞いていたから。ちょっと拍子抜けした。人が少ないと風景に人が入ってこないからいいと言...

    2006/06/09

    植物園(Botanical garden)

  • 亜麻色じゃないけどアマサギはやっぱり亜麻鷺がいい

    Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f6.3, 1/400s(絞り優先) 去年からずっと見たいと思っていたアマサギ。そんなに珍しい鳥じゃないけど、うちの近所の川や池ではまったく見かけない。ネットの写真を見ると、田んぼで写されていることが多いようだ。ということで、田んぼを求めてまずは尾張旭市へ行ってみた。しかし、ここでもアマサギは見つからず。場所を変えて今度は長久手へ。愛・地球博会場の近くに田んぼが広がってい...

    2006/06/08

    野鳥(Wild bird)

  • シーサーはライオンで狛犬と親戚で獅子の沖縄なまり

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/640s(絞り優先) 今日初めて知った、シーサーが獅子をかたどったもので、獅子の沖縄なまりだったということを。そうだったのか……。知らないことはまだまだたくさんあるなと思った。 リトルワールドの石垣島の家にあったシーサー。門のところに置かれた二対と、屋根の上にもチビシーサーが乗っかっていた。言われてみればライオンっぽく見えなくもない。 シーサーについて...

    2006/06/07

    美術館・博物館(Museum)

  • リトルワールドへ行ってニューリトルワールドを考えた

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/500s(絞り優先) 犬山にあるリトルワールドに行ってきた。愛知県民、岐阜県民なら、中学生や高校生のときに社会見学で連れていかれた人も多いだろう。私も中学生のとき行った。でも、当時はそんなものにまるで興味はなく、自由時間には友達と広場で野球をやっていたから、実質今回が初めてだった。 ここは一時閉鎖が噂された。というより決まっていたのだと思う。赤字続き...

    2006/06/06

    美術館・博物館(Museum)

  • 作りたくて食べたいサンデー料理は見えたけど

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/60s(絞り優先) 具体的なイメージがないまま、今日は自分が作りたくて食べたい料理を作って食べるというテーマで出発した。結果的にそれは、日本の食材を使ったフランス料理寄りの料理となった。今そこにあるサンデー料理、これがその答えだった。 頭の中にあるイメージとはまだ遠いけど、少しずつ近づいてきてはいる。日本人好みの家庭料理としてのフレンチ、それがたぶん私が作りたいと...

    2006/06/05

    料理(Cooking)

  • ツバメで修行してカメラ版ツバメ返しを会得すべし

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/250s(絞り優先) ツバメは日本人にとって身近な野鳥ベスト5に入るだろう。ハト、カラス、スズメなどとともに。街にツバメが飛び始め、民家の軒先などに巣作りを始めると、ああ、もう初夏なんだなと感じる人も多いと思う。しかし、このツバメが他の身近な鳥と決定的に違うのは、彼らはれっきとした渡り鳥だということだ。冬の間、暖かい東南アジアの島々やオーストラリアで...

    2006/06/04

    野鳥(Wild bird)

  • モンキーセンターのヤクザルは尾張弁をしゃべっとる? 2006年6月2日(金)

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/125s(絞り優先) モンキーセンターの猿山にたくさんのサルがいた。えーと、1、2、3、4、5、6、って、すんごいいるぞ。数え切れんっ。ざっと見た感じ100頭くらいはいただろうか。こんなにサルは必要ないだろうと思いつつネームプレートを見ると、ヤクニホンザルとある。あ、もしかして、これって例の屋久島のニホンザルか。なるほど、納得した。飼育展示だけでなく、京都大...

    2006/06/03

    動物園(Zoo)

  • 写真で蝶集めをするゆるいコレクター

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/80s(絞り優先) 初夏から夏へと季節が移ろうとしている中、どうにも今年は飛んでる蝶の絶対数が少ないような気がしてならない。街中はもちろん、森や野山でもそう感じる。夏になれば帳尻は合うのか、それとも今年はこのままなんだろうか。 それでもちょくちょく撮れてきたので、このへんで一回まとめて載せてみることにした。とりあえず今日は3種類。 まず1枚目は、おそらくコム...

    2006/06/02

    虫/生き物(Insect)

  • モンキーパークのモンキーセンターのモンキーたち

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/250s(絞り優先) 日本モンキーパークか、日本モンキーセンターか、それが問題だ。出向いていく上で、まずそれをはっきりさせておきたかった。一体どっちが正しいのだ。 正解はどちらも正しい。でも、話は少しややこしい。ここはサルの動物園であるモンキーセンターと、遊園地であるモンキーパークが合体した施設で、あわせてモンキーパークと呼ばれている。モンキーセンタ...

    2006/06/01

    動物園(Zoo)

ノートPCの再セットアップに大苦戦するの巻

風景(Landscape)
夕暮れ野球グラウンド

Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/160s(絞り優先)



 巨人があまりにも弱いから、今日はふてくされてブログの更新は抜きだ!
 というわけではまったくなくて、今日はノートPCの再セットアップに散々手こずってしまって、更新の時間が取れなかったというのが本当のところ。いやはや、CDドライブの壊れたノートPCにWindowsXPをクリーンインストールするのは難しい。

 いくつかの方法がある中で、今回私が試したのはこうだ。
 まずノートPCに新しいHDDをセットして、WindowsMeの起動ディスク(元々WinMeがインストールされていたPCなので)を使って、領域確保とフォーマットをする。
 それをデスクトップPCの外付けHDDケースに、3.5-2.5インチ変換アダプタでつないで、デスクトップに入れたWinXPのCD-ROMの内容を丸ごとHDDにコピーする。
 それをノートPCに戻して、起動ディスクから入って、Cドライブに移って、i386\winnt.exeと打ち込んだら、あとは通常のインストールと同じ手順になる。
 のだけど、ここからエラーが頻発。どうも、本体のメモリも調子も悪いようで、何度か止まったりエラーが出たりして、電源を切って入れ直してどうにかインストールは完了したものの、ものすごく不安定な状態になってしまった。突然エラー表示と共に電源が落ちて再起動してしまう。なんじゃこりゃー。
 今日のところは時間切れで力尽きた。また明日やり直す。
 やっぱりCDドライブを買った方が早いぞ私、と思ったけど、それをいっちゃあおしまいよ。

 それにしても巨人、どんだけ弱いんだ。八百長でもそんなに負けられないぞ。勝つつもりがなくてもうっかり打ってしまったり抑えてしまったりするもんだ。ここ20試合2勝18敗って。ここまでくると、もう見事な負けっぷりと言うしかない。むしろ、プロ野球チームがどこまで負けられるものなのか見てみたくなってきた。

アジサイとは今年もまた親しくなることができないらしい

花/植物(Flower/plant)
アジサイにクモ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/30s(絞り優先)



 アジサイも一枚くらい撮っておかなくちゃなと、小雨が降る中近所をうろつく。けど、アジサイだけ撮っても面白くない。何かプラスアルファがないかと探していたら、クモがいた。逆に言えばクモしかいなかった。クモが小さかったので思い切って寄って、アジサイには脇役になってもらった。あ、虫注意報発令です。もう遅い。

 PCモニターに向かって、おまえさんは何グモだい? と問いかけてみる。見たことあるようなないような。ネットを見て回ったものの、さすがにクモ愛好家は少なく、情報量が絶対的に足りない。アズマキシダグモやシャコグモなどを疑ってみたけど、どうも違う気がする。写真のこいつは2センチにも満たないほどのチビグモだったから。
 世界には3万種類、日本だけでも1,200種類もいるといわれるクモたち。そんなにクモいるか? と天の関係者に問いただしてみたい。新しいノアの箱船に乗せるときは大変だ。3万種類集めてる間に地球は水没してしまう。クモには自力で逃げてもらうしかない。
 ここはひとつ、一通りのクモを勉強するためにクモ図鑑でも買おうかなどと思ったら、『原色日本クモ類図鑑』は6,000円もする。そこまでクモに対して情熱を抱いてない私は、あっさりクモ図鑑を買うのを中止した。クモ博士になっても、あまり人に誉めてもらえそうにないし。

 実は私はクモがけっこう好き方だ。どれくらい好きかといえば、トンボよりは下だけど蛾と同じくらい。意外と好きだったんだ、私。家の中で見つけても絶対いじめたりしないし、同居はむしろ歓迎したいから、見つけてもそっと息を吹きかけて部屋の片隅に吹き飛ばすようにしている。昔からクモは縁起物だって言うし。ただ、森歩きのとき、顔にかかるクモの巣だけはどうにも好きになれない。クモが巣を張らない生き物だったら、今よりもっと好きになっていただろう。
 ハエなどを食べてくれる益虫でもあるし、人間に対して悪さもしない。姿形に少し難があるくらいだ。もっと大事にしてあげたいと思う。

ガクアジサイ

 気がつけばアジサイの季節は終盤。もうあまり状態のいいものは残ってなかった。去年はそれなりにアジサイ巡りをしたのだけど、今年はどうも身が入らなかった。このまま名所には行けずじまいで終わってしまいそうだ。
 私は西洋アジサイよりも、写真のような日本古来のガクアジサイが好きだ。好みで言うと、もう少しガクの部分が濃い青だとよかった。
 アジサイ本来の原産地は日本だというのはちょっと意外な気がする。もともは関東地方の海岸に自生していたという花だったというのを、今日初めて知った。それが西洋に渡って様々に品種改良され、また日本に戻ってきた。今一般的なガクが発達したいわゆるアジサイは逆輸入のものもけっこうある。
 アジサイのオリジナルは青色だ。これは、日本の土壌が基本的に酸性なのでそうなる。一方、西洋では土壌がアルカリ性なので赤色系になる。ただし、土壌の栄養分によって赤くなったり青くなったり、時期によっても色が移っていくので、本当のところはよく分かってないらしい。色の変化を楽しむというのもアジサイの楽しみのひとつだろう。
 アジサイの品種は、日本で約150種類、世界では500種類くらいあるといわれている。バラなどに比べたら少ないけど、実際に見たことがあるのはせいぜい30種類くらいだろうか。具体的な品種名としては、墨田の花火くらいしか知らない。
 アジサイの語源は、藍色が集まった「あづさい(集真藍)」が変化したものだという説が一般的だ。学名のHydrangeaは水の器。

 日本全国にアジサイ寺と呼ばれるところがたくさんある。愛知なら稲沢市の性海寺、岐阜なら山県市の三光寺などがそうだ。でも、アジサイというと私の中では鎌倉というイメージが強い。それがどこから来たイメージなのかよく分からないのだけど、昔からそうだった。鎌倉の地には一歩も足を踏み入れたことがないのに。
 もうひとつ、アジサイで思い出すのは、ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」だ。あの中でアジサイはとても効果的に使われていた。アキが好きだったのがアジサイの花だった。サクはきっとそのことを一生忘れないだろう。若い頃好きだった女の子が、何気なく口にした好きな花や色のことを、男の子は年を取ってもずっと覚えているものなのだ。
 アジサイに関する素敵な思い出がない私は、今年もまた、アジサイとはすれ違ったまま終わりそう。

世界にはたくさんのサルたちがサルヂエで暮らしている

動物園(Zoo)
ボリビアリスザル

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/100s(絞り優先)



 拾い食いしてる最中のリスザル。何やら考え中。サルだって日々の暮らしの中でいろいろなことを考えながら生きているに違いない。これは食えるのかなとか、あの子供うるせぇなとか、飼育員め早くメシよこせとか。このときは何か小さな虫でも見つけたんだろうか。指先でつまんで一所懸命見ていた。食うべきか食わざるべきか、それが問題だ。
 リスのように小さいからリスザル。その中でも写真のこいつは、ボリビアリスザルだ。普通のリスザルはコモンリスザルといって、頭の毛が体と同じ明るい褐色なのに対してボリビアリスザルは黒いので区別がつく。頭だけ黒くてちょっと笑える。口の周りも黒くて泥棒メイクだし。
 その他、セアカリスザルというのもいて、リスザルというのはこの3種の総称だ。

 ボリビアリスザルは名前の通り、南米ボリビアの森林を中心に、コスタリカやパナマなどで暮らしている。かつてはコモンリスザルの亜種とされ、最近は独立種として扱われているようだ。
 胴体は30センチ前後、体重も1キロ程度と、とっても小さい。6畳一間のアパートでも飼えなくはない。
 ジャングルの中では、数十頭の群れで行動し、果物や昆虫をとって食べている。性格は至って穏やかで、他の群れとぶつかってもエサの取り合いをするようなことはないそうだ。コモンリスザルは、エサ取りが得意なオマキザルの群れにくっついていっておこぼれちょうだいしたりするという。賢いんだかやる気がないんだかよく分からない。
 リスザルの一日は、散歩から始まる。しばらく歩いたら朝の食事で、そのあとは夕方までまったりと過ごす。隠居のじいさんのような生活だ。性格的にはイタズラ好きな面もあるそうだ。
 こんなリスザルだけど、あるとき大役を仰せつかった。猿で初めてロケットに乗って宇宙へ行くというのに指名されてしまったのだ。もちろん、リスザルの方からお願いしたわけではない。1958年、アメリカのロケットで宇宙に打ち上げられ、地球に帰ってきたあと、パラシュートが開かず無事帰還ならず。落ちていく途中、だから頼んでないのに~、と思ったんじゃないだろうか。

カニクイザル

 たそがれながら何か食っているのはカニクイザル。小さな子供が、あっ! カニ食ってる! と嬉しそうに叫んでた。それを聞いたお母さんは、あれはカニじゃないだろう、と突っ込んでいた。確かにカニじゃない、イモか何かだ。
 ただ、こいつの好物がカニであることは確かなようで、そこから名前が付けられた。インドネシア、フィリピン、ミャンマーなどの東南アジアの島々に広く生息している。
 すんでいる環境も様々で、海沿いから川や池、ジャングルから大都市まで、適応能力が高い。海ではカニなどを食い、池や森では果物や昆虫、都会では都会の食べ物を食べているそうだ。なので、都会育ちのカニクイザルはカニなんて食ったことも見たこともないのかもしれない。
 体長50センチ前後と、ニホンザルより少し小柄なものの、かなり近い種類と言われている。ニホンザルの尾っぽが短いのに対して、カニクイザルの尾っぽは50センチもあるという違いはあるけど。
 性格的にはニホンザルよりもおっとりしてるそうだ。

ワオキツネザル

 見るのは初めてなのに見慣れてるように思えたワオキツネザル。テレビなんかで見てるのか。縞々模様の長い尾っぽが目印だ。
 ワオキツネザルって、ワオ! という驚きから来てるのかと思っていたら、輪尾、つまり輪っかのような尾っぽから来てるんだそうだ。なーんだとちょっと残念。英名もring-tailとそのままだ。学名のLemur cattaは、日本語にすると化け猫。鳴き声がニャーというかギャーという叫び声みたいで、それが騒いでる猫の鳴き声に似てるところから付けられたのだろう。
 アフリカのマダガスカル島にのみに生息している珍しい猿で、絶滅が心配されている。ただ、そのわりには日本の動物園にたくさんいる。繁殖も難しくないというし、現地では何が起きているのだろう。
 大きさは40センチほどで、体重は3キロ前後。特徴である尾っぽは50センチ以上ある。この尾っぽはそれぞれ個体差があって、仲間同士の視覚的なコミュニケーションにも用いられているらしい。
 食べ物は、主に果物や葉っぱなどで、ときにシロアリやセミなども食べる。

 ワオキツネザルは島国育ちということで、他のサルとはいろいろ違っている点が多い。まず、原猿類と呼ばれる原始的な霊長類で、知能は他のサルのように発達していない。顔がキツネっぽいのもサルらしくない。
 他のサルには見られないメス上位の社会を形成してるという点も珍しい。数頭から数十頭の群れの中で、一番下のメスよりも一番上のオスの地位は低い。まったくもってメスには頭が上がらないワオキツネザルなのだ。エサも一番いいところは食べさせてもらえなかったりする。
 趣味はひなたぼっこ。夜中に冷えた体を温めるために、朝一はみんなで太陽の方に腹を向けて1~2時間ほど日に当たる。ようやく温まったところで遅めの朝飯を食べ、すぐに日陰で昼寝。午後は木の上を走り回ったり、叫んでみたり、地面を歩き回ったりして過ごす。オスはメスの顔色をうかがいながら。
 更にオスにとって厳しいのは、メスが交尾可能なのが一年に一日しかないということだ。その日ばかりはオス同士の争いが激しくなるという。そりゃあもう必死さ。のんきにひなたぼっこなんてしてる場合じゃない。

 ひとくちにサルと言っても世界にはいろんなやつらがいて、それぞれ個性的な性格を持ち、様々な暮らしをしている。ただひとつ共通して言えることは、悪いサルはいないということだ。人間にとって悪いサルはいても、世界にとって悪いサルはいない。それぞれの環境の中でみんな一所懸命生きている。自分の持てる知能の限りを尽くして。
 だからやっぱり、人間はサルから進化したのではないと私は思う。サルはサルだし、人間は人間は。最初から最後まで、良くも悪くも。
 人間よりサルの方が優れているとは言わないけど、人間は今一度サルから学ぶべきだろう。生物としての基本的な部分を。もしかしたら、ワオキツネザルの女性絶対優位の社会を人間界にも適用したら、その方が上手くいくのかもしれない。そしたら戦争もなくなりそうだし。

ダザイオサム ハ トオク ナリニケリ?

未分類
桜桃の季節

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/13s(絞り優先)



 今年も親戚からサクランボが送られてきた。ああ、もうそんな季節なんだと思う。意識しないまま6月19日も過ぎ去った。
 サクランボといえば桜桃。桜桃といえば太宰治、太宰治といえば6月19日。太宰治の誕生日でもあり、命日ともなった日だ。

 桜桃が出た。
 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
  太宰治「桜桃」より


 太宰治が玉川上水に入水心中したのが昭和23年6月13日。友人たちの必死の捜索でようやく見つかったのが6月19日で、その日は太宰治39歳の誕生日だった。
 翌年、友人や家族などが太宰治を偲ぶためにために集まり、桜桃忌と名づけた。当初は関係者などで行われていたものがだんだん一般的になり、その後大勢の人たちが集まるようになっていく。いろいろ問題があったり縮小の動きがあったりもしたようだけど、今年もまた多くの人が三鷹の禅林寺を訪れたことだろう。
 私はその年初めてのサクランボを見ると6月19日のことを思い出す。そして私も、まずそうに桜桃を食べては種を吐き、まずそうに食べては種を吐きしてみるのだ。本当は美味しいのだけど。

 サクランボは「桜の坊」、つまり桜の子供というところから来ている言葉だ。とはいえ、普通の桜の実というわけではない。食用にしてるのは専用の桜桃の木だ。ソメイヨシノは実さえつけないのでソメイヨシノのサクランボというのはない。
 桜桃というのは変わった性質をしていて、同じ種類の木では受粉しないのだそうだ。なのでサクランボ農家では何種類かの桜桃を植えて、異種受粉させてるという。花が咲いたところでミツバチを放したり、手作業で受粉させるというから大変だ。その組み合わせもどれでもいいというわけではなく、相性があるとかで、なかなかに育てるのはやっかいなようだ。
 雨にも弱くて濡れるとすぐに駄目になってしまうらしく、暑さも苦手なのでほとんどは北日本で作られている。一位は山形が二位は北海道というのは、6月に雨が少ないからだ。
 サクランボは古代ギリシャ時代から食べられていたと言われている。当時のものは強烈に酸っぱかっただろう。欧米に広く伝わったのは16世紀頃のことで、日本には江戸時代に中国から伝わった。西洋のものが日本に入ってきたのは明治初期で、北海道での生産が日本における本格的なサクランボ作りの始まりとされる。

マツヨイグサが月見草

 太宰治絡みでもう一枚。「富嶽百景」に出てきた月見草がこのマツヨイグサだとされている。

 老婆は何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、
「おや、月見草。」
 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっとバスは過ぎてゆき、私の目の前には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えずに残った。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合ふ。
  太宰治「富嶽百景」より


 太宰治が見たのは、オオマツヨイグサだったのではないかと言われている。写真のこれは、たぶんコマツヨイグサだろう。いずれにしても、アメリカ大陸原産の帰化植物で、月見草というのは正しい呼び名ではない。本来のメキシコ原産の月見草は白い花だから。
 それでも、この花を道ばたで見かけるとやっぱり太宰治を思い出して、富士には月見草がよく似合う、と心の中でつぶやくのだ。

 待宵草と漢字で書くとこの花の特徴がよく分かる。宵を待って咲く花。夕方になるとゆっくり咲き始め、朝にはしぼんでしまう一日花だ。
 帰化したマツヨイグサの仲間は10種類ほどあり、ツキミソウやユウゲショウなどもそうだ。夜に咲く花なので、夜を舞う蛾が花粉を運ぶ。
 宵待草と間違えて覚えられてしまっているのは竹久夢二のうたのせいだ。

 まてどくらせどこぬひとを 宵待ち草のやるせなさ
 こよひは月もでぬさうな
  竹久夢二


 太宰治が死んだ年齢に自分が近づきつつある中で、今でも太宰治は心の何いますかと問われると、うーん、と少し考えて言葉に詰まる。もちろん、消えてはいないし、終わってもいない。自分の中で消化済みの問題というわけでもない。心の奥の方に深く沈殿していて、今はそれをかき回したくないというところなのだろうと思う。
 私は全作品の中で『津軽』が一番好きだ。あの中にこそ、太宰治の一番いいところが全部出てると思うから。人としても、小説家としても。
 太宰治の小説を読んでいた20歳の頃から月日は流れた。それでもまだ、太宰治の生き様も、あの頃の自分も、笑い飛ばすことはできない。もう少し時間がかかる。今はまだ、泣き笑い。

和食ではない日本料理を作りたいと思った

料理(Cooking)
日本食の延長

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/25s(絞り優先)



 和食の基本は、素材を最大限活かすことだろう。味だけでなく見た目に関しても。そこから一歩進めて、食材を様々に調理して作り出した料理を、あえて日本料理と呼びたい。たとえば、ハンバーグやカレーライスなどがそうだ。あれは和食とは言い難いけど、他のどこの国の料理でもないから、やっぱり日本料理としか呼べないものだ。フランス料理、イタリア料理、ドイツ料理、みんな国の名前が付いている。だから日本料理でもいい。中華料理は違うじゃないかと思いきや、よく考えたらあそこは中華人民共和国だった。
 そんなわけで、今日は日本料理を作った。ブラジル料理なんてまるで作る気になれなかった。そんなに本気にならなくても、って思った人が日本中にいたに違いない。

 右手前は、写真で見るとはんぺんみたいに見えるけど、もちろんそうじゃない。豆腐とマグロの照り焼きステーキだ。
 豆腐はレンジで水分を飛ばして砕き、まぐろは安いくずの部分を細かく切る。ニラと長ネギの刻みを加えて、ボウルに混ぜ、カタクリ粉を加えてある程度固まったらハンバーグのようにして小麦粉をまぶして焼く。のだけど、固まり加減が甘かったので、ボウルに小麦粉を入れて、そのままフライパンで焼いてしまった。それでも問題はない。形が悪くなるけど。
 最初蒸し焼きにして、ある程度焼けてきたら、タレを塗って照り焼きにする。タレは、しょう油2、酒1、みりん1、砂糖1を混ぜて作る。

 右奥は、エビとカブの茶巾蒸し。
 エビの背わたとはらわたを取って、塩、コショウしてしばらく置く。カブはすり下ろししてふきんで水気を絞り、ニンジンは千切りにして下ゆでする。戻したシイタケは千切り、長ネギは粗みじん、これをボウルに入れて、卵とカタクリ粉を加えて混ぜる。
 サランラップで茶巾しばりにして、蒸し器で10分ほど蒸す。または、電子レンジで6分ほどでもいい。
 タレは、だし汁をベースに、しょう油、酒、みりんをあわせて、ひと煮立ちさせる。そこに水溶き片栗粉を入れてとろみをつけ、あとはそれをかけて出来上がり。

 左奥は、鶏肉と鮭のアルミホイル焼き。
 鶏肉、鮭を一口大に切り分け、塩、コショウをして少し置く。フライパンでオリーブオイルとバターを温め、刻んだニンニクとタマネギを炒め、鶏肉、鮭も入れてある程度焼く。それをいったん取り出して、アルミホイルに敷き、すり下ろした長イモと、刻んだ長ネギを上に乗せ、塩、黒コショウを振って、アルミホイルを閉じる。
 あとはアルミホイルごとフライパンで温めれば完成だ。

 今回はどれもけっこう手間がかかっている。2ヶ月前の私ならかなり混乱していたに違いない。今日でもあたふたしたから。けど、この3品を作り終えたところで、料理けっこう上達してるね自分、という手応えを感じたのだった。味の方もすっかり安定してきた。
 普通に作れるようになってしまってなんだか物足りないくらいだけど、まだまだ先は長い。本当に美味しいオリジナル料理を作れるようになるためにはもっと回数を重ねないといけないし、研究も必要だ。
 って、私は一体どこを目指してるんだ!? 小料理屋を開くわけでもあるまいに。サンデー料理の基本姿勢、未知との遭遇というものを今一度思い起こす必要がありそうだ。そもそも美味しいものを作るのが目的じゃないのだから。
 来週の日曜日は、ワールドカップの準決勝が終わって、4チームに絞られているところだ。その中から、私の優勝予想国の料理を作ることにしよう。準々決勝のドイツ対アルゼンチン戦で勝った方が優勝しそうな気がする。アルゼンチン料理ってのに興味があるから、ここはひとつアルゼンチンを応援してみるか。日本入国拒否のマラドーナも思わず来日したくなるような料理を作ってみたい。

瑠璃の名を持つ蝶ルリタテハから始まる瑠璃色の話

虫/生き物(Insect)
ルリタテハの表

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/640s(絞り優先)



 海上の森の湿地にいたルリタテハ。接近遭遇はこれが3回目で、そろそろお馴染みになってきた。初めて村積山のふもとで見たときは感動したものだ。
 飛んでいるときの姿はただの黒い蝶。地面に降りたって、翅を広げるわずかな時間だけ瑠璃色の帯が見える。そして、すぐにまた翅を閉じてしまう。まるでご開帳みたいだ。瑠璃色の翅を撮りたければチャンスはわずか。じっと辛抱強く待つしかない。一歩でも近づくと、警戒心が強いルリタテハはさっと飛び立って、あっという間に視界から消えてしまう。また戻ってくることもあるし、戻ってこないこともある。飛ぶ速度は、蝶の中でも速い方だと思う。飛んでいるルリタテハを撮るのは相当難しい。

 さほど珍しい蝶というわけでなく、日本全国どこででも見ることはできる。ただ、数は少ないので、普通に暮らしていたらあまり見る機会はないかもしれない。世界的には、インドから中国、朝鮮半島、東南アジアと広く分布しているようだ。
 生息場所は、森林の周辺などが多く、たまに緑地や公園などでも見ることがある。自分ちの庭に来るという人もけっこういるらしい。それは食用となるホトトギス(という名前の野草)やサルトリイバラがある場合が多いようだ。木の樹液も吸うので、コガネムシやハチなどに混じって木にとまっていたりもする。花の蜜は吸わないはず。秋は腐った柿なども食べる。
 漢字で書くと瑠璃立羽。瑠璃色の翅を持つタテハチョウと、そのままだ。こいつは英名がいい。Blue Admiral、つまり、青い提督、青の艦隊司令長官という立派な名前をもらっている。そのつもりで見ると、なるほど海軍提督の軍服のように見えなくもない。
 大きさは、翅を広げた状態で6センチくらい。初めて見るたとき、意外に大柄なので驚いた。図鑑などで見てたときはモンシロチョウくらいの大きさをイメージしていたのに、実物はもっと大きく、アゲハとの中間くらいだった。
 オスメスの区別は難しい。

 発生は主に、3月から4月と、6月から11月に分かれる。夏型と秋型があって、春に見かけるのは秋に生まれたものが成虫の姿のまま冬を越したものだ。これは瑠璃色が薄い。今見かけるものは今年生まれのもので、瑠璃も鮮やかな色をしている。
 裏翅は、夏型が茶、黒、白などのまだら模様なのに対して、秋型は黒っぽい色をしている。
 夏型の方が翅の外側のギザギザが浅く、秋型の方が切れ込みが深いといった違いもある。
 発生回数は暖かいところほど多く、沖縄では5、6回、北海道では2回ほど、本州では3、4回と言われている。
 地域による個体差もあるようで、沖縄にいるやつは前翅の白い紋も瑠璃色をしてるそうだ。

ルリタテハの裏

 これが翅を閉じたときの裏側。同じ蝶とは思えないほどの変わりようだ。夜は水商売のバイトをしてる信用金庫のお姉さんみたい(このたとえ、前にもどこかで使ったなぁ)。木の幹に止まっていたりすると気づかない。
 翅を広げるのは占有行動と呼ばれるもので、ここはオイラの陣地だーと主張する行動だそうだ。両手を一杯に広げて地面に伏せてここはオレの陣地だから入るなよなどと言っていたアホだった少年時代を思い出す。
 ルリタテハというのは、臆病さと大胆さを併せ持つ蝶で、人に対して警戒心が強い割に昆虫みんなが恐れるスズメバチがいる樹液に突っ込んでいったりもする。すぐに逃げるかと思えばまた戻ってくるし、性格が掴みにくいところがある。翅の表裏のように二重人格的と言えるかもしれない。犬のフンを食べたりもするし。

 瑠璃色という言葉が持つ響きは一種独特のものがある。もちろん個人差があって、人がどんなふうに感じているのかを知ることはできないのだけど、私の中では美しいというだけでなくどこか懐かしい感じを受ける。そして、強く心惹かれる。
 ただ、瑠璃色というのは、辞書によると「紫色を帯びた深い青色」なんだそうだ。そう説明されると、私のイメージしてる瑠璃色と実際の瑠璃色はどうも違うらしい。コバルトブルーを思い浮かべるとそれは間違ってるようなのだ。ということは、もっと瑠璃色らしいと思っているカワセミも違うということになるのだろう。じゃあ、英語ではどういうかというと、一応ラピスラズリ(lapis lazuli)となるそうだ。むむ? ラピスラズリだと? 中学生の頃、雑誌の裏などに、ラピスラズリのネックレスを買えばキミもたちまち恋人ができて人気者になれる! と載っていて、ついうっかり通販で買ってしまい、さっぱり成果が表れなかったあれのことではないのか!? そうか、それで懐かしい気がしたのか……。
 って、そうじゃないと思うけど。瑠璃色がラピスラズリのことでそれを懐かしく感じられるというのなら、それは古代エジプトとのつながりがあるのかもしれない。クレオパトラも好んで愛用したというし。まさか、私の前世はエジプトの墓荒らしじゃあるまいな。
 私の瑠璃色にまつわるあれこはともかくとして、ルリタテハをよろしくお願いします、と強引にまとめて今日はここまで。

顔中クモの巣だらけにして会いに行ったハッチョウトンボ

虫/生き物(Insect)
今年初めてのハッチョウトンボ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先)



 初夏の風物詩のひとつであるハッチョウトンボを、今年も海上の森に見に行ってきた。生い茂る草をかきわけかきわけ、ぬかるんだ道に足を取られ、顔中クモの巣だらけにしながら。ハッチョウトンボを見る前に必要以上に夏を感じつつ。
 いつもの湿地は、いつものように静まりかえり、誰ひとりいない。遠くからウグイスのさえずりが聞こえるだけだ。最初、姿が見えず、まだ早かったかなと思った。なにしろ小さいのでよくよく目をこらさないと見えない。ずいぶん探してようやく一匹発見。喜びの再会となった。
 その後、あっちにもこっちにもたくさんいることが分かった。基本的にとまってることが多いので、かなり近づくまで分からない。でもいったん見つかれば、あとは次から次へと見えてくる。あ、ここにも、あそこにも、ここには4匹もいる、ってな具合に。ざっと見ただけでも20匹以上はいたから、湿地全体ではその数倍はいただろう。今年もハッチョウトンボが健在だと分かって安心した。

 名前を漢字で書くと八丁蜻蛉で、その由来は、江戸時代の学者、大河内存真が尾張の矢田鉄砲場八丁目で見つけたことから来ている。その場所は、現在の名古屋市千種区の矢田川あたりという説が有力のようだ。他には熱田区ではないかという説もある。
 全国の生息地は、東北から九州にかけてで、生息場所はごく限られる。世界的にみると、中国、朝鮮半島、台湾、東南アジア、オーストラリアにもいるそうだ。
 本来さほど珍しい種ではなかったものが、近年の湿地帯減少に伴い数を減らし、なかなか見られないトンボとなってしまった。生息場所は、背の低い草の生える湿地帯や、休耕田などで、近所の空き地や街中の川などではほとんど目にすることはない。
 日本で一番小さいトンボとして有名で、初めて見るとその小ささに驚く。普通のトンボの半分くらいと言葉で説明してもその小ささは伝わらないと思う。写真でも伝えるのは難しい。こればかりは自分の目で見るしかない。体長は2センチ弱だから、1円玉と同じくらいだ。
 上の写真は成熟したオス。真っ赤な体が特徴だ。下の写真はたぶんメスだと思う。

ハッチョウトンボのメスかな

 成熟したメスは、黒と黄色と茶色のストライプ模様をしている。オスも未成熟のときはこの写真のようにオレンジがかっているので、やや区別が難しい。写真のものは少し黒い色が出始めていてストライプ模様もできかけているのでたぶんメスじゃないかと思う。目の色からしても。
 オスは生まれたときは灰白色で、だんだんオレンジから赤に色が濃くなっていき、約2週間で完成色の鮮やかな赤色になる。翅の付け根や目玉も赤く色づく。

 ハッチョウトンボが他のトンボと違っているのは、その体の小ささだけではない。多くのトンボたちがエサをとるために1キロ以上も移動することがあるのに対して、ハッチョウトンボは生涯に生まれた湿地を離れることがない。行動範囲も半径10メートルほどと極端に狭い。ゆえに生息場所が局地的になり、湿地の環境が変わるとあっけなく絶滅してしまう。
 現在は、その希少性と生息地が限られているということで、指標昆虫10種の中のひとつとなっている。つまり、ハッチョウトンボがたくさんいる地域ほど自然が残されているということになる。地域によっては、市町村指定の天然記念物に指定されている。
 オスは、直径1メートルくらいの縄張りを持っていて、メスが近づくと速攻でくっつき交尾する。その間数秒から十数秒。シオカラトンボのカップルのようにつながったままいつまでもどまでも飛んでいったりしない。
 交尾後、メスは湿地の浅い水面に産卵する。
 ハッチョウトンボの発生は、5月の後半から9月にかけて。中でも6月の中盤から後半くらいにピークを迎える。梅雨が明けて暑くなると、数は少なくなる。見るならこの時期が一番いい。よく晴れた日にたくさん見ることができるはずだ。

 このトンボのもうひとつの特殊性、それは逃げないということだ。飛ぶ力が弱いということもあるのだろうけど、あまり人間を恐れない。かなり近づいても飛ばないし、飛んでもすぐにまた戻ってくる。これほど写真を撮りやすいトンボは他にはない。レンズが当たるほど近づいても逃げないくらいだ。ただし、小ささゆえの難しさはある。
 実物のハッチョウトンボの感動をぜひ多くの人に味わってもらいたい。偶然見かけるという機会はほとんどないから、こればかりは自ら出向いていくしかない。海上の森は確実にいるし数も多いのだけど、あそこは一般の人にはまったくオススメできない。何しろ湿地帯にたどり着くまでの道のりが厳しすぎるから。普段森を歩き慣れてる人ならいいけど、散歩気分でサンダルで行ったりすると痛い目に遭う。
 春日井グリーンピア西の築水池湿地にもけっこういる。ただ、あそこもスポットに行くまでにアップダウンのきつい道を10分以上歩かないといけないので、お手軽ではない。
 東山植物園の湿地コーナーでも見られるけど、あそこは有料だ。
 オススメは、豊田市の松平郷か、もしくはフォレスタヒルズ(トヨタの森)だ。どちらも行けばまずは見られると思う。一番楽して見られるのはフォレスタヒルズで、駐車場から徒歩1分で湿地に着く。ただし、ここは完全な野生とは言えないので、やや不満が残るかもしれない。松平郷も。
 やはりこういうものは苦労して見てこそ喜びも大きい。海上の森をさまよい歩きながらようやく辿り着いた先で見るハッチョウトンボ数十匹というのは、感慨もひとしおに違いない。ただし、何の予備知識もなくひとりで行くのは危険です。あの森は、迷ったら深みにはまって洒落にならないので。

思いがけず勉強することになった壬申の乱について

神社仏閣(Shrines and temples)
思いがけず壬申の乱の勉強

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/60s(絞り優先)



 提供した写真が載った「週刊ビジュアル日本の合戦」という雑誌が送られてきた。壬申の乱(じんしんのらん)関連で、東谷山(とうごくさん)の尾張戸神社(おわりべじんじゃ)の写真が必要だというので撮ってきたやつだ。私の写真が小さく載ってるので、本屋に行ったら立ち読みしてください。
 せっかくのいい機会なので、今日は壬申の乱について勉強してみた。日本史の教科書で習って以来なので、記憶はとてもぼんやりとしていた。大人になってあらためて勉強してみると、なんで学生時代はこんなことがはっきり理解できなかったのだろうと不思議に思う。歴史は暗記科目だと思い込んでいたけど勘違いだった。ちゃんと人物関係や時代の流れを掴んでいれば、日本史はそんなに難しいものじゃない。年号や人の名前なんてのは重要なことじゃない。
 今さらながら、壬申の乱ってそういうことだったのか、とようやく分かった私であった。脳は歳を取れば衰える部分ばかりじゃない。

 壬申の乱というのは、古代日本における最も大きな内乱であり、以後の流れを決定づけた重大な出来事だった。二大勢力による直接対決という意味では、関ヶ原の合戦と同じくらいだと思っても間違いではない。
 時は5世紀、大和朝廷が全国を統一したことで国家としての形が出来上がりつつあった時代。都は奈良県の飛鳥にあり、蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)が勢力を持っていた。中国から仏教が伝わってきたのもその頃だ。しかし、まだまだ国家としては不安定なこの時代に、聖徳太子が生まれる。574年のことだ。国は蘇我氏と物部氏の対立が深まり、結果的には聖徳太子が属する蘇我氏の勝利となる。その後、国は推古天皇と摂政聖徳太子のおかげでかなり形がはっきりし始める。
 622年、聖徳太子死去。それをきっかけに蘇我氏が力を持ちすぎて暴走を始める。これを止めたのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)で、蘇我入鹿(そがのいるか)殺害によってクーデターは成功する。有名な大化の改新だ。中大兄皇子はその後天智天皇(てんじてんのう)になるのだが、その前にひとつ大きな失敗をする。百済からの援軍要請を受けて、朝鮮半島の白村江へ合戦の助太刀に行って大敗するのだ。これがのちに壬申の乱へもつながっていくことになる。
 ほとぼりが冷めた頃、中大兄皇子は天智天皇となり、都を難波から大津に移す。天智天皇は、天皇としてはなかなかに有能で、国造りの基礎となることをあれこれやっている。問題は後継者のことだった。
 当初、それまで片腕として働いていた弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)に皇位を譲るつもりだったのだが、自分の息子の大友皇子(おおとものおうじ)が成長するにつれ、こちらへ譲りたいという気持ちがどんどん強くなってきてしまう。皇子もなかなに出来がよかったようで、器量としてもまずは申し分なかった。
 そのことを知った大海人皇子は、自ら身を引く決心をする。下手にごねたら自分の身が危なくなる。頭を丸めて、出家するといって吉野へ逃げるように去っていった。
 しばらくして天智天皇が病気になり、亡くなってしまう。ここで事態は急展開を見せる。実力、人望とも自分よりずっと上の大海人皇子を恐れた大友皇子は、ひそかに兵を集めて大海人皇子討伐計画を立てた。それを知った大海人皇子も黙ってやられるわけにはいかないと、こちらはこちらで兵を募る。そのとき歴史が動いた。司会の松平です。

 672年、壬申の乱は始まった。まずはお互いの兵集めだ。しかし、このときすでに勝負は決していたと言える。急進的な改革派であった天智天皇の治世を面白く思わなかった地方の有力豪族たちが、続々と大海人皇子側につき始めたのだ。一方の大友皇子は当てにしていた九州の兵が集まらない。白村江の戦いに破れたこともひとつの大きな要因となった。
 大海人皇子軍は、吉野を出て、美濃、尾張と進む内に大きな兵力にふくれあがり、一気に反攻に転じる。勢いづいた大海人皇子軍は、連戦連勝を重ね、やがて大津の都に迫る。最後の戦いとなった瀬田橋の戦いで決着がつき、都は陥落。大友皇子は自害して果てた。
 朝敵となった軍が鮮やかな逆転勝利を収めるという、日本史史上類を見ない合戦となった。
 翌673年、大海人皇子は飛鳥に都を移し、天武天皇(てんむてんのう)として即位した。その政治は、兄のものを引き継いだものとなり、天皇を中心とする中央集権国家の性格を強めていく。割を食ったのは、壬申の乱に協力した地方の豪族たちだ。天智天皇に不満を持っていて天武天皇に付いたのに、気づいてみればますます締め付けが厳しくなっていたというオチとなってしまった。

 天皇という言葉を初めて使ったのが、この天武天皇だと言われている。それまで国の王は大王(おおきみ)と呼ばれていた。天皇というのは、もともと道教の最高神をあわらす称号で、天武天皇は自ら大王を超える存在と知らしめるためにこの言葉を使ったようだ。
 もうひとつ、それまで倭国だったのを日本と呼ぶようになったのも、この天武天皇からだ。だから、壬申の乱以前以降という歴史的な分け方ができる。
 ただし、天皇の系譜としては、天武天皇の奥さんだった持統天皇などを経つつ、もう一度天智天皇に系列に戻り、現在に至っている。これは、持統天皇が天智天皇の娘だったということもあって、そういう流れになった。

 そんなこんなの壬申の乱スタディ。今日勉強するまでこんなにも人間くさくて面白いドラマだったとは思ってなかった。身内の争いを面白いと言ってはいけないんだけど。
 歴史や合戦というと、どうしても戦国時代や幕末を思い描くけど、どの時代にも戦はあって、夢と野望がぶつかってきたのだ。それを肯定したり否定したりすることがどうこうではなく、そういうことがあったんだということに思いを馳せることが大事なんじゃないかと思う。今私たちが生きているのは、それらの長い年月を経た、夢の果てなのだ。彼らの想いを無駄にはできない。私たちが暮らしてる地面の下にはたくさんの歴史が折り重なっている。土には多くの血が染み込んでいる。そのことを忘れないようにしたい。
「週刊ビジュアル日本の合戦」、これからも楽しみだなぁ。と思ったら、今週で最終刊だった。なにっ。バックナンバーを読むしかないか。
 写真提供から思いがけず壬申の乱について知ることができてよかった。それと、一冊の雑誌に載せる一枚の写真のために編集者というのは大変な労力を要するということも初めて知った。いろんな意味でありがとうと言いたい、今回の出来事であった。

マンネングサの花を見てコンペイトウの遠い記憶が蘇った

花/植物(Flower/plant)
マンネングサ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/60s(絞り優先)



 夏に入って、花がだいぶ寂しくなった。野草の写真を撮るようになるまでは、暑くなればなるほど咲く花が増えていくものだと思っていた。でも実際はそうじゃなかった。3月に早咲きの野草が姿を現すと、4月から5月にかけて、我もわれも先を行く野草を追いかけるようにたくさんの野草が咲き急ぐ。そして6月、ふと気づくと花がいつの間にか少なくなっている。4月は、上を見ても下を見ても、山も野も森も、毎週出かけても追いつききれないほど花だらけだったのに。
 そんな中、久々に新顔の野草に出会った。一目見て、あ、美味しそうと思った。特におなかが空いていたわけではないし、食い意地が張ってる方でもないのだけど。もちろん、むしり取って口に放り込んだりはしなかった。なんで美味しそうだなんて思ったんだろうとずっと考えていて、やっと分かった。コンペイトウを連想したからだ。よく見ると特に似てるわけではないのに、どうしてだか、これを見たとき深い記憶の底に沈んでいたコンペイトウの姿が浮かび上がってきたらしい。もう何十年食べてないだろう。とてもなつかしい。

 ということで、今日はコンペイトウの話にしようかと思ったけど、やぱりやめた。考えてみるとコンペイトウに対して強い思い入れがあるわけではないし、コンペイトウの特別な思い出があるわけでもないから。鼻の穴に入れていたら取れなくなって病院に運ばれたなんていう微笑ましいエピソードも持ってはいない。
 素直にこの花について書くことにする。
 帰宅後、図鑑とネットで調べて、マンネングサだということはすぐに分かった。しかし、そこから先が少しややこしい。まず、マンネングサの仲間は世界で300種類もあるというから、いきなり気力が萎える。日本にもたくさん種類があって、これまた見分けたり覚えたりするのが大変らしい。更に、ベンケイソウ科には違いないのだけど、属がマンネングサ属だったり、キリンソウ属だったりして、はっきりしない。本によっても違っていたりする。だから、このへんのやっかいな部分は見て見ぬふりをして飛ばすに限る。何マンネングサかだけを区別できるようになればいい。それも難しいのだけど。
 写真のこれは、丸い葉だから、たぶん日本古来種のマルバマンネングサ(丸葉万年草)でいいと思う。他にもツルマンネングサ、タイトゴメや、外来種のコモチマンネングサ、メキシコマンネングサ、オノマンネングサ、メノマンネングサなどが日本にあるそうだ。
 花だけ見るとキリンソウにも似ているけど、あちらは咲き方や葉っぱが違うので見分けはつく。種としては近い。
 マンネングサは、多肉植物で、葉っぱや茎に水をたくわえることができるので、もともとは乾燥地帯に生えていた野草だった。それが今では世界中に勢力を伸ばしているという。
 繁殖力が強いから、日本でも家の塀やコンクリートなどにも這うようにして生えてることが多い。最近ではその強さを利用して、ビルの屋上などに緑化対策として植えられているそうだ。
 名前は一年中緑色をしてるところから付けられた。

 マルバマンネングサは、本州から九州の山の岩場などに自生しているというから、街中で見かけるものは、人によって運び込まれたものが多いのかもしれない。私が見たのは、牧野ヶ池緑地の車道脇だった。あんなところに元々自生していたとは考えにくいので、誰かが故意か偶然か持ち込んだもののような気がする。
 常緑ということで、半ば観葉植物のようにして売られたり育てられたりもしているようだ。緑の丸い葉っぱと、星形の小さな黄色い花、乾燥に強く手間いらずで丈夫とくれば、部屋に置いておいても邪魔にはならない。私の部屋にあったら、見るたびにコンペイトウを思い出してしまってやっかいだけど。

 6月いったん小休止に入った野草も、7月になるとまた少しずつ増え始める。夏の野草の本番だ。ツユクサ、カワラナデシコ、オニユリ、ヤマユリ、サギソウ、ホトトギス。好きな花もたくさんある。この夏はどんな新しい出会いがあるだろう。青空をバックに揺れるニッコウキスゲを今年こそ見ることができるだろうか。
 野や森を歩けば汗だくになるこれからの季節。脱水症状による気持ち悪さやハブに負けないように頑張って歩きたいと思う。脱水症状で倒れたところをハブに噛まれたら私の負けだ。

キセキレイを見て思うことあれこれ

野鳥(Wild bird)
キセキレイという響き

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/80s(絞り優先)



 キセキレイという鳥がいる。この鳥の存在を初めて知ったとき、その姿ではなく名前に魅了された。キセキとキレイがリエゾンしているその響きに。なんて贅沢な名前なんだ。漢字を当てはめるなら、たとえば輝石麗。まるで宝塚星組のトップスターみたいではないか。読み方でキに力を入れずフラットにキセキレイと読ませると、今どきのJ-POPのアーティストにそんなのがいそうだ。
 しかし実物は奇跡のように綺麗とはいかず、写真のようにまあまあきれいな野鳥だ。名前も、奇跡や綺麗やから来てるわけではなく、単に黄色いセキレイだから黄鶺鴒。分かってしまえば、なぁんだとなる。

 同じセキレイの仲間としては、セグロセキレイやハクセキレイが馴染み深い。見かける回数も圧倒的にあちらの方が多い。キセキレイはそれほど珍しい鳥というわけではないけど、生息数が少ないのでそんなにしょっちゅう見かけるわけではない。だから、見るとそれなりに嬉しい。
 大きさは20センチとセグロセキレイやハクセキレイよりやや小さい。ただ、見た目がスリムなので、印象としてはもう少し小さく感じる。
 特徴はなんといっても黄色い腹だ。写真はメスなので黄色が薄いけど、オスははっきりと黄色いのでよく目立つ。夏場のオスは、のどのところが黒いのですぐに見分けがつく。ただ、冬羽になると全体的に色味が薄くなるので、分かりづらくなる。
 背中はグレー。面白いことに、英名はGrey Wagtailと、腹の黄色ではなく背中の灰色から名前を付けている。どう見ても黄色い腹の方がこの鳥一番のポイントだと思うんだけど。

 生息地は広く、西はイギリスから東はロシアまで、ユーラシア大陸全体とアフリカでも暮らしている。日本では九州より北では留鳥で、北海道は夏鳥、南西諸島では冬鳥となる。暑すぎず寒すぎない土地が好きらしい。
 基本的には水辺にいることが多く、都会よりも郊外や山の方を好む。ハクセキレイやセグロセキレイに比べると高い山や川の上流にもいることもひとつの特徴となっている。
 繁殖期以外は単独行動で、それが広い生息域につながっているのかもしれない。群れで行動してるとどうしても制約が多くなるのは野鳥も人間も同じだ。ひとりだと気ままにあっちへ行きこっちへ行きしていても許される。実際、キセキレイは引っ越し魔とも呼ばれているほど季節によってもいろいろとすみかを変える。
 エサは、主に水辺にいる昆虫などで、飛んでいるところをフライングキャッチしたりもする。カゲロウやハエ、ときにはクモなども食べる。
 子育ての時期になるとつがいになって、オスはなわばり意識が強くなる。他のセキレイにつっかかっていったり、車のバックミラーに映る自分に攻撃したりなんてこともある。カラスにも向かっていくほど気性の荒い面も持っている。
 木の上や民家に近いところでも巣作りをして、オスメス共同で子育てをする。

 キセキレイを見ると、子供の頃飼っていたセキセイインコのことをふと思い出す。最初にバザーで買ってもらったのが黄色いセキセイインコだった。そのつがいから卵が産まれ、ヒナが育ち、やがて私は世話に飽き、父親が木の板で巣箱を作って代わりにかわいがるようになり、ますますインコは増え、時が流れたある日の朝、巣箱を見るとインコが3分の1に減っているという事件が発生した。前の日の晩にエサを交換したとき入り口を閉め忘れたのだった。それでも逃げなかったインコは偉いなぁと私は子供心に思ったけど、父親の嘆きは大きかった。
 逃げ出したインコたちはあれからどれくらい生きられただろう。当時はカゴ抜けインコたちがたくさん野生化していた時代だったから、うまく群れに入って寿命を全うできただろうか。でも、たとえ短い間だったとしても、空を自由自在に飛びまわれたことはインコたちにとって幸せだったかもしれない。少年時代の私は、そんなことも思ったのだった。
 なあ、キミもそう思うだろ? と、特別出演の彼↓に訊いてみた。
どら猫の王道
 オレは知らん! とばかりに、どら猫はあさっての方向を向いたまま。

ダ・ヴィンチとミケランジェロはきっとふたりともB型

人物(Person)
レオナルド・ダ・ヴィンチ・バラ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/800s(絞り優先)



 レオナルド・ダ・ヴィンチの名が付けられたピンクのバラ。フランスのメイアン社作出。きれいないいバラだとは思うけど、ダ・ヴィンチにピンクのイメージはない。レオナルドの名前は、不可能と言われる青いバラが完成するときまで付けずに残しておいて欲しかった。フランスにしては無粋なことをしたものだ。発表されたのが1994年だから、もしかすると多くのバラ作出家が私と同じようなことを考えてそれまで付けずにいたのかもしれない。

 いい機会なので、レオナルド・ダ・ヴィンチについて軽く復習しておこう。
 生まれは1452年。日本でいうと室町時代だ。応仁の乱が1467年で、織田信長が生まれたのは1534年だから、大昔でもないけどつい最近でもない微妙な昔。
 ヴィンチ村で生まれたからレオナルド・ダ・ヴィンチとなったと言われることも多いけど、実際は母親の再婚相手がヴィンチ家の人間ということでそこから来ていると言った方が正しそうだ。
 レオナルドは私生児で、正式な教育を受けてないと言われ、左利きで鏡文字を書く変な少年だった。天才はどこかネジが飛んでいる。
 14、5才の頃、画家の工房に弟子入りして、そこで絵画の才能が開花する。本人が望んで入ったのか、親に放り込まれたのか、そのへんの事情はよく分からない。ただ、天賦の才能があったことは確かで、入門して何年後かには、師匠はレオナルド以上の絵は自分には決して描けないことを思い知って以降絵を描くのをやめてしまった、というエピソードからも明らかだ。

 ダ・ヴィンチの代表作は多くの人が知っている。『モナ・リザ』や『最後の晩餐』を。でも、それ以外の作品を3つ答えてくださいと言われると出てこないんじゃないだろうか。生涯で10数点しか絵を残していないにもかかわらず。有名なところでは、『聖アンナと聖母子』や『洗礼者ヨハネ』がある。あるいは、『白貂を抱く貴婦人』や『岩窟の聖母』などを思い出すかもしれない。ただ、ちょっと不思議なのは、それらの絵にはモナリザや最後の晩餐のような謎めいた感じがあまりしないということだ。力はあるけど特別ではないというか特殊ではない。逆に言えば、圧倒的にモナリザには変な力がある。その落差に戸惑い、なんとなく落ち着かない気分になる。
 ダ・ヴィンチの生涯となると、これも一般にはあまり知られていない。生涯独身だったことや、おすぎとピーコの組合の人だったと噂されていることなどは、一般常識とまでは言えないだろう。
 性格をひとことふたことで説明するのは難しい。才能や興味が多岐にわたりすぎていて、とらえ所がない。ただはっきり言えるのは、ものすごい集中力と人並み外れた飽きっぽさを両方持ち合わせていた人間だったということだ。きっとB型に違いない。
 何をもってダ・ヴィンチを天才とするかといえば、それは絵画だけではなく、彫刻家、建築家、発明家、科学者など、様々な面で天才ぶりを発揮したからに他ならない。ただの絵描きとしてだけなら、これほどまで後世に名は残ってないだろう。
 とにかくあらゆることが知りたくて、あれもこれもやりたくて、のんきにひとつのことに関わってなどいられないのだ。一日が何十時間あっても、一生が何百年あっても、ダ・ヴィンチにとっては短すぎたに違いない。そういう意味では、天才芸術家というよりも狂気の科学者に近いように思える。

ミケランジェロ・バラ

 イタリア・ルネッサンス期におけるもうひとりの天才といえばミケランジェロ。これもフランスのメイアン社のバラだ。レオナルド・ダ・ヴィンチから3年後に発表された。このバラも納得いかない。ミケランジェロのイメージカラーは黄色じゃなく赤系統だろう。バラとしての評価は高いようだけど、名前と合ってない気がする。
 ミケランジェロ・ブオナローティ。英語圏では、マイケルアンジェロと呼ばれるのでずっこける。誰だよそれ、と思う。ヨハネ・パウロのジョン・ポールよりはましだけど。
 ミケランジェロは日本では評価があまり高くないように思う。知名度の点でもレオナルド・ダ・ヴィンチには遠く及ばない。ダビデ像は有名でみんな知ってるにしても、すごいよねぇピエタ、なんてネタを振っても話が盛り上がる気がしない。え? ピエタ? サッカー選手? などという返事が返ってきそう。
 1475年フィレンツェ生まれ。おやじさんは判事で裕福な家庭に生まれるも、幼い頃から絵画に興味を示して13才で自ら芸術家の道へ進む。若い頃から才能を発揮して、ダ・ヴィンチよりも早く名声を獲得した。
 ミケランジェロの人となりについては知らない人も多いと思う。考えてみると、芸術家の生涯について学校ではほとんど教えてくれない。音楽の時間に作曲家の話が出ることはあっても、美術の時間に画家の生涯について勉強した記憶はない。だから、知りたければ大人になって自分で本を読むしかないのだ。天才や変人の生き方から学ぶべきところは多いのに。
 ミケランジェロは複雑というよりも一貫性のないやっかいな性格をしていたようだ。若い頃にケンカして鼻が曲がってしまったことで性格も曲がってしまったのかもしれない。強気と弱気が同居して、尊大な態度を見せたかと思うと妙に涙もろかったり、突然怒りだしたり、残酷になったり。かなりの気難し屋で周りの人たちもさぞや困ったことだろう。まずB型と思って間違いない。

 レオナルド・ダ・ヴィンチと、25才年下のミケランジェロはとにかく仲が悪かった。ライバルと称されることがあるけど、あれは単にお互いが嫌いだっただけだと思う。言い争いの内容も子供のケンカみたいだ。
 ダ・ヴィンチが絵画こそ最高の芸術だと言えば、ミケランジェロは彫刻こそもっとも優れた総合芸術で、ダ・ヴィンチくらいの絵なら自分の下男でも描けると挑発し、負けじとダ・ヴィンチは彫刻なんてものは力仕事で高尚な芸術などではないと言い返す。激情家のミケランジェロは分かるけど、日頃冷静なダ・ヴィンチがムキになるところが面白い。どちらの天才もけっこう人間くさい。
 一度だけ直接対決となった壁画勝負は、ラファエロは途中でトンズラし、ダ・ヴィンチは絵の具が流れ出してきてイヤになって放り出してしまった。結局、どっちもどっちだったのだ。
 ルネサンスの三大天才のひとりラファエロは、若い頃ダ・ヴィンチのもとで修行をしている。そのとき、こんなことを言ったという。「ミケランジェロなんて、あなたの靴の紐をとく値打ちもありません!」と。そんな健気で可愛かった少年ラファエロもやがて天才と呼ばれるようになり、ふたりを超える若き巨匠となった37才で死んでいる。その内に秘めた野心や隠された生涯など、面白い物語もあるのだけど、それはまた別の機会に。

 それはそうと、そろそろ『ダ・ヴィンチ・コード』観に行こうよ、私。うかうかしてると終わってしまうぞ。

ニュージャパニーズ料理で黄金のカルテット完成

料理(Cooking)
ニュージャパニーズ

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/50s(絞り優先)



 先週はドイツ・ワールドカップ記念でドイツ料理だったから、今週はニッポンちゃちゃちゃ記念で和食を作った。試合の方は不完全燃焼ですっきりしなかったけど、料理の方は攻守バランスの取れた好結果となった。今まで作った中で、トータルの美味しさでいえばベスト4には入るだろう。準決勝進出記念和食と名づけよう。
 和食といっても普通に作ったんじゃ面白くないということで、一歩進めてニュージャパニーズを目指した。食材は国産にこだわって、調理方法と調味料に洋風を加えつつ、和食をはみ出さないように心がけてこの4品を作った。

 まず右手前のエビから。とてもシンプルな照り焼きとなっているのだけど、これが意外に初めての味だった。エビを背中から開いて、背わたとはらわたを取り、塩を振りかけてしばらく置いておく。その後、小麦粉をたっぷりまぶして、オリーブオイルで焼きつつ、タレをからめていく。タレは、しょう油、みりん、酒を1:1:1で混ぜた基本の甘辛ダレ。小麦粉をまぶすのがポイントで、旨味を閉じこめつつ、中はプリプリで外は甘辛いタレがたっぷり染みて、いい味になる。ありそうでなかったエビ料理ということでオススメしたい。

 左手前は何かというと、イカのチーズ焼き卵黄ソースがけだ。イカを開いて、塩、コショウして、グリルで焼いたところにとろけるチーズを乗せて、最後に卵黄をかけて出来上がり。これは美味しい。今回は付け合わせとしてちょこっとしか作らなかったけど、メインのおかずにも充分なる。イカとチーズと卵黄の組み合わせがこんなに合うとは思わなかった。見た目のビビッドな黄色も、おっ、なんだこれと思わせるから、おもてなし料理としてもよさそうだ。この料理は食べことも見たこともない人がほとんどだと思うから、見た目も味も驚いてくれるんじゃないだろうか。

 左奥はマグロのサイコロステーキ。あえてマグロをステーキにする必要はないと言えばない。ただ、マグロ料理の可能性として、これもありだし、魚嫌いの子供にもぜひ食べさせてあげたい一品だ。美味しさは肉と変わらないから。
 マグロの切り身をサイコロ状に切って、塩コショウしてしばらく置く。小麦粉を全体にまぶして、オリーブオイルとバター、ニンニクで焼いて、最後にソースをからめて完成。ネギなども乗せつつ。
 ソースは、しょう油ベースに、酒、みりん、オリーブオイル、塩、黒コショウ、バジル、カラシ、マヨネーズを混ぜたものを、焼くときに半分、焼き終わってから半分かける。
 しっかり焼いてもいいし、あぶり程度にするとまた違った食感となるので、好み次第で焼き加減を調節するといい。

 右奥は、大根、里芋、なめこのヌメヌメ煮込み。ヌメヌメ好きにはたまらない食感と味のこの料理、私は好きなので気に入った。ヌメヌメ系が苦手な人にはきつい一品だ。
 里芋のぬめりをよく洗って、下ゆでしてから更にぬめりを取って、大根も下ゆでして、その後だし汁でなめこと共に煮込む。
 味付けは、白みそをメインに、塩コショウ、しょう油、砂糖、酒、みりんを少々。
 あえてみそ汁にしない方がヌメヌメをより楽しめて美味しくなる。

 今回は自分でもかなり出来が良かったと思った。黄金の中盤のようなスキのなさ。往年のジーコ、ファルカン、セレーゾ、ソクラテスとまではいかないけど、中田、中村、小野、稲本には迫ろうかという完成度だった。自己採点で初の90点が出た。このメニューはぜひ人に作って出したいと思った。自分でももう一度食べたい。
 そんなわけで、日本代表の試合には満足できなかったけど、サンデー料理は納得のいくものとなった。日本が今日勝っていればもっとよかったのだけど。
 次はブラジル戦記念のブラジル料理だ、と思ったら、ブラジル戦はもう木曜日にある。万が一にも勝てば、オブリガード・ブラジル料理を作ってもいいけど、負けたらブラジル料理なんて絶対に作りたくない。豪州料理もしばらくはない。できることなら、喜びと共にブラジル料理を作りたい。もし完敗したら、いじけて日本料理しか作らない鎖国政策に入るかもしれない。

鳥の人かそうじゃないかの判断材料となる鳥

野鳥(Wild bird)
ホオジロはこんな感じ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/60s(絞り優先)



 鳥の人とそうじゃない人との差は小さいようで大きい。どちらに属するかを決めるとき、写真のこいつはいい判断材料となるかもしれない。すぐに分かってしまった人は間違いなく鳥の人だし、スズメじゃないの? と思った人は一般人だ。ある意味安心していい。訊かれてもいないのに、オスとメスの見分け方や、オオジュリンやカシラダカとの違いについて熱く語ってしまうと、自分の知らないところで野鳥の会とか言われてしまうことがあるので注意が必要だ。私はつい最近、ようやくスズメとこのホオジロの区別がつくようになったところだ。
 図鑑で見てるときは、スズメにそっくりに見えたけど、実物を見たらかなり違っていた。スズメよりひとまわり大きいし、尾っぽが長い。腹はオレンジ色だし(スズメは白)、眉の白と顔の黒がよく目立つ。ただ、メスは顔の黒い部分が茶色いので、遠くからだとスズメと見分けがつきにくいことがある。
 いずれにしても、スズメとホオジロははっきり違う。それが分かったのは、私にとっては大きな進歩だ。野鳥の会へのカウントダウンはもう始まっている。

 北海道は夏鳥で、本州、四国、九州は留鳥。一年中見ることができるありふれた野鳥のひとつだ。多くの人がホオジロと意識しないままスズメと思って見てる可能性は高い。ただ、沖縄や小笠原諸島などにはいないそうだ。
 世界では、ユーラシア大陸の東、中国や朝鮮半島などに生息している。
 生活環境は、里山や低地の林、低山、農耕地などで、都会のビル群などにはいない。ちょっと郊外へ行くといるのに、街中ではいないというのは、ホオジロの中では何か明確な線引きができているのだろう。広大な草原などにもいないそうだから、人里近くのほどよい賑やかさがあるところが好きなようだ。人間そのものとは一線を画していて、人と馴れ合うことはない。
 春から夏にかけてよく見かけるのは、この季節が繁殖の時期だからだ。メスを呼んだり、縄張りを主張するために、高い木の上や電線などにとまって大きな声でさえずっている。夏から秋にかけては、山の方に行っていて、目にする機会が少なくなる。繁殖期は単独またはペアでの行動が多く、それ以外は小さな群れを作る。

 体長は17センチくらい。印象としてもスズメより大きな感じがする。
 写真はオス。顔の黒い部分がはっきりしてるので見分けがつきやすい。メスは更にスズメに似てるけど、腹のオレンジと尾っぽの長さを見れば区別がつくと思う。
 エサは、植物の種子や昆虫など。地面でよく拾い食いをしている。このときの様子が特にスズメに似ていて、パッと見間違えやすい。
 産卵は春から夏にかけて1回から3回くらい。一夫一婦で、卵は4個前後、メスが卵をあたため、オスは外で見張り番。エサやりはオスメス共同作業。
 高い声でさえずるのはオスだけで、メスはチッチッとくらいしか鳴かない。オスは、チッチョ、チッチョとかチッチョピーとか鳴くのだけど、昔の人はこれが「一筆啓上仕り候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう」と聞こえたんだとか。しかしそれは、「掘ったイモいぢるな」以上に無理があると思う。さえずり声自体はきれいだと思う。

 頬白の名前の由来は、頬が白いから。でも、このネーミングに納得いかないものを感じてる人は多いだろう。確かに頬の部分はちょこっと白いけど、それがこの鳥の一番の特徴だとは言えない。そんなこと言ったらスズメだって頬は白いし、最も特徴的に頬が白いのはシジュウカラだ。よく似た鳥で、頬が赤いホオアカというのがいるのだけど、あれなら納得がいく。けど、ホオジロのこの名前はどうだろう。名前と姿が一致しなさすぎる。だから一般的な知名度が上がらないということもある。目の回りが白いメジロにならって、こいつは眉が白いマユジロにすればよかったのだ。
 名前はともかくとして、このホオジロ、やっぱり存在自体のインパクトが弱いのは否めない。一般受けする要素が少なすぎる。見た目も渋好みだし。もう少し発声練習をしてもらって、はっきりとイッピツケイジョウツカマツリソウロウと言えるようになったら、一気に人気者となるだろう。テレビに出てくるセキセイインコのピーちゃんのように。

 里や山でこいつを見かけたときは、周りに人がいるのを確認して、あ、ホオジロだと聞こえるようにつぶやいてみましょう。その言葉に反応したは、鳥の人の可能性が高いです。あれ? もしかしてカシラダカかな? などと続けて言った日には、鳥の人なら間違いなく激しく見て判別作業に入るはずなので、その目の動きを見逃さないでください。ただし、その鳥がスズメだった場合、このエセ鳥人が、という冷たい視線が飛んでくる恐れがあるので注意が必要です。

ペンギンは空を見上げて鳥だった頃を思い出してる?

水族館(Aquarium)
フンボルトペンギンたち

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f7.1, 1/800s(絞り優先)



 みんなで空を見上げるフンボルトペンギンたち。映画『未知との遭遇』のペンギン版みたい。何かあるのかとつられて空を見たけど何も見えなかった。私には見えない何かがペンギンたちには見えていたのだろうか。右端のキミ、みんな見てるのはそっちじゃないですよ。ペンギンにも、少しピントのずれたのがいる。

 ペンギンというと寒いところにいるというイメージが強いけど、実際はそうでもなく、写真のフンボルトペンギンは南アメリカのチリやペルーの海岸線で暮らしている。フンボルト海流が流れこむところにいるからフンボルトペンギン。分かりやすい。
 彼らは日本の水族館でもっとも多く飼育されているペンギンだ。90ヶ所以上の施設に1,200羽もいる(ペンギンって羽って数えるとは知らなかった)。南知多ビーチランドでは、最初2組の夫婦だったものが、どんどん増えて今では39羽になったそうだ。ということは、写真に写ってるやつのほとんどがビーチランド生まれなんだろう。
 こんなに日本にいるんだから野生にも余るほどいるのかと思うとそうではなく、全部で2万5,000羽ほどしかいないのだという。野生のものは、かなり危うい状況にあるらしい。
 大きさは、体長約70センチ、体重5キロ弱と、ペンギンの中では中型の種類に属す。顔のピンク色が目印だ。
 エサは主にアンチョビやカタクチイワシなどの小魚で、エビやカニなども食べる。
 寿命は25年ほど。
 野生のものがこれ以上減ってきたら、動物園や水族館にいるものを里帰りさせてあげないといけないようになるかもしれない。今は卵を持っていってあちらでふ化させるという試みがなされてるそうだ。

 ペンギンが何種類いるかは意見が分かれているようだ。18種類という人もいれば17種類だという人もいて、いやいや16種類だろうと言い張る学者もいる。でも思ったより少ないんだ。もっとたくさんいるような気がしていた。大昔は他にもいたそうだけど。
 南極にすんでいるのはその中でわずかに2種類。コウテイペンギンとアデリーペンギンだけだ。他の種類は南アメリカ、アフリカ南部、オーストラリア、ニュージーランド、南極周辺の島などで暮らしている。ガラパゴス諸島にもガラパゴスペンギンがいる。
 ペンギンとはそもそも何かといえば、これは鳥だ。空を捨て海を選んだことで鳥としては退化し、体は海に適したつくりに変わっていった。体に付いてる手のようなものは、元々羽だったものが退化というか海用に進化したもので、フリッパーと呼ばれている。
 和名は人鳥(じんちょう)。ペンギンの語源は、肥満を意味するラテン語の「pinguis」から来ている。かつてのスペインの船乗りたちはペンギンを見て、あいつらは太ってるから飛べない「penguigo(太っちょ)」だと言っていたものが、英語のペンギンになったんだとか。

ジェンツーペンギン

 こちらは冷房付きの室内にいたジェンツーペンギン。廊下に立たされた生徒のように壁際でじっとして動かなかった。どうした、ジェンツー。
 ジェンツー(Gentoo)は、異教徒を意味するポルトガル語「Gentio」から来ていて、頭の白い模様をターバンを巻いたインド人に見立てててそう呼ばれるようになったとか。和名はオンジュンペンギン。温順な性格から付いた別名らしい。
 フォークランド諸島や南極の北の島々に分かれてコロニーを作っている。あまり人間が行かないところということもあって、つがいで30万組くらいいるのではないかと予測されている。細かく分けると、北方ジェンツーペンギンと南方ジェンツーペンギンに分かれるらしい。
 体長は80センチ前後、体重は6~8キロほどで、コウテイペンギン、キングペンギンに次いで3番目に大きい。
 見た目これと言った特徴がないのだけど、ペンギンの中でもっとも早く泳ぐチャンピオンだったりする。最高速度時速36キロはべらぼうに速い。一般的なペンギンが時速10キロほどで、イアン・ソープでも時速7キロ出せないことを考えると、水の中での30キロオーバーがいかに速いか分かる。水深もその気になれば100メートルまで潜れるという。水族館などでは泳ぎたくても本気を出せないから残念な思いをしてることだろう。

キングペンギンの円陣

 円陣を組んで何やら相談中のキングペンギンたち。何話してるの? と私がカメラを向けたら、素知らぬ顔で解散してしまった。まるで井戸端会議をしていた奥様たちが噂の的の登場でわざとらしい挨拶をして散らばっていくように。
 コウテイペンギンに次ぐナンバー2の大きさで、別名オウサマペンギンとも呼ばれる。なんでキングなのに2番かというと、19世紀まではこれが一番大きなペンギンだと思われていたからだ。それが南極に行ってみたら、これより大きなペンギンがいて、それでそちらは皇帝の名を付けたて、キングはそのまま残したのだった。
 これも南極近辺の島々に広く分布していて、南大西洋にいるものをヒガシキングペンギンといい、インド洋にいるのをニシキングペンギンと呼ぶ。
 体長は90センチ前後、体重は30キロくらいと、見た感じも大きいなと感じる。
 頭の左右のオレンジと、首の前の黄色が美しい。
 全部で100万頭ほどいると言われている。

 ペンギンは何故空ではなく海を選んだのだろう。その理由は、水泳が苦手な私が水泳部に入部する人の気持ちが分からないのと同じようによく分からない。元々体系的に空を飛ぶのが苦手で、かといって地上で生き残るには不器用すぎて、海しか生きる場所が残ってなかったのか。あるいは、空と同じ自由を彼らは海にも感じたのだろうか。
 でも、海を選んだのは正しかったと言っていいだろう。これだけ長い年月、大勢の仲間と共に生き残ってきたのだから。
 考えてみると、遺伝子の中に陸海空すべての記憶を持った生き物は、このペンギンくらいじゃないだろうか。大昔、どれくらい空を飛べたかは分からないけど、きっと鳥だった頃のかすかな記憶がどこかに残っているだろう。そうか、だから、ペンギンたちはときどき何もない空を見上げているんだね。

スナメリは優美に白い体をくねらせ静かに微笑む

水族館(Aquarium)
白いスナメリ

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/80s(絞り優先)


 
 クジラ目歯クジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ。日本近郊に棲む最も小さなイルカだ。あるいは、一番小さなクジラという言い方もできる。
 クジラとイルカの境目は、ワシとタカ同様、実は曖昧だったりする。基本的に大きなものがクジラで、小さくてすばしっこいやつがイルカと呼ばれる。はっきりとした特徴の違いや境目はない。
 スナメリの姿を見ると、これはやっぱりクジラだろうと思う。背びれのないクジラ体型と顔もイルカとは違う。「少年H」に男姉ちゃんというのが出てきたけど、その方式でいうとイルカ・クジラとでも呼びたくなる。

 かつてスナメリは、日本のあちこちで普通に目にすることができる身近な海の生き物だった。1970年代までは。その後、埋め立てや公害、船舶の急激な増加などによって環境が大きく変わり、近年その数を急激に減らしてきている。
 生息域は、ペルシャ湾から日本にかけてのインド洋、太平洋の沿岸で、日本では九州、瀬戸内海、伊勢湾、仙台湾あたりに集中している。日本海側でもまれに見られる。
 多かったときは瀬戸内海だけでも5,000頭はいそうだ。それも最近は数百頭まで減ってしまったという。中部地方では、三河湾と伊勢湾で3,000頭ほどいるといわれる。2000年から2002年に行われた初の全国調査では、1万8,000頭プラスマイナス5,000頭くらいという予想結果が出た。この数字だけ見るとまだまだ大丈夫と思うけど、減少速度を考えるとあまり楽観はできない。
 昔は漁港でも船に乗っていても当たり前のように見られたらしいけど、最近ではめったに見られなくなったそうだ。

 体長は160~170センチ、体重は50~60キロと、人間の中肉中背の男子と同じくらいだ。
 体色は白っぽい灰色で、子供のときは黒っぽい。
 体が柔らかいのが特徴で、首だけ後ろに回すこともできる。水中ではよく体をひねるようにして泳いでいる。
 頭のてっぺんに鼻の穴がひとつあって、目の後ろに開いている穴が耳だ。歯もちゃんとある。
 体は、ヌメヌメのツルツルという感じではなく、触るとホットケーキみたいな弾力性らしい。
 スナメリの姿を水面から見られるのは、空気呼吸をしてるからだ。15秒から30秒くらいごとに浮上してきて、頭の上の鼻の穴で呼吸をしている。お馴染みのクジラたちのように潮を吹いたりはしない。
 水深50メートル以下の浅いところで暮らしていて、遠洋に出たり、回遊することはない。だから、地域ごとに個体差がけっこうあるという。出産の時期とか。底が砂地のきれいな海を好む彼らだけど、例外的に中国の揚子江にもいるらしい。どうして淡水でも生きていけるかなど、詳しい生態はよく分かっていない。
 寿命は15年から20年くらい。
 エサは、魚や甲殻類、イカ、タコなどで、食べられるものは何でも食べるという雑食性。カニやエビなどもバリバリ食べる。
 スナメリの語源は、砂の上をはい回ってるエビなどを食べている様子が砂をなめてるように見えるところから来てるんだとか。ホントかな。

 通常、1頭から数頭単位で行動しているスナメリたち。日本では、仙台湾から東京湾、伊勢湾から三河湾、瀬戸内海から響灘、有明海から橘湾、大村湾と、大きく分けてこの五つの海域に分かれて暮らしていると言われている。
 人口飼育としては三重県鳥羽水族館が有名だ。その他、宮島水族館、南知多ビーチランド、須磨海浜水族園で見ることができる。
 スナメリを見よう、というちょっとしたツアーのようなものも各地で行われてるようで、フェリーやボートに乗って見に行くんだそうだ。
 愛知県では、鳥羽と知多を結ぶフェリーからや、蒲郡、一色、佐久島あたりでよく見られるらしい。私もいつか、野生のスナメリを見てみたい。
 水槽の中で優雅に泳ぎ回る彼らをしばらく眺めていた。そんな私に彼らは気づいていただろうか。なんだ、こいつ、ひとりで来てるぜ、さかなクンかよ、と思ったかもしれない。その口元は静かな微笑みをたたえていたように見えた。

ひとりで行くところじゃないけど意外とよかったビーチランド

水族館(Aquarium)
南知多ビーチランド行き

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/160s(絞り優先)



 去年から始まった、ひとりで行けるもんシリーズ(いつの間にそんな名前がついていたんだ)。これまでけっこういろんなところへ行った。ひとり動物園デビューも果たしたし、家族をメインターゲットにした行楽施設にもあちこち出向いていって克服してきた。
 しかし、今回行った南知多ビーチランドほど厳しいところはなかった。モンキーセンターもたいがいつらいものがあったけど、ここはその比じゃなかった。当社比200パーセント厳。ひとり客確率1パーセント。その1パーセントは私だ。見渡す限りの親子連れ。カップルさえ稀なこの状況の中に飛び込んでしまった私は、ひたすら写真を撮ることに専念せざるを得なかった。水族館ならひとり客もそれなりにいるだろうけど、このようなふれ合い体験型海洋施設にひとりで訪れる人はそうはいない。いるとしたら、さかなクンと私くらいのものだろう。私の魚の帽子をかぶっていくべきだったか!?
 何故そんなところへひとりでふらふらと迷い込んでしまったかといえば、親会社である名鉄の株主招待券が手に入ったのが一番の理由だった。元々どんなところか一度行ってみたいとも思ってはいたのだけど。あと、水族館での写真撮影をしてみたいというのもあった。

 南知多ビーチランドは、知多半島の南にある、海獣を中心とした水族館と遊園地を合体させたマリンパークだ。春夏シーズンには、隣接した海岸で潮干狩りや海水浴もできるようになっている。これに加えて、今年の3月には「おもちゃ王国」という施設も増設された。
 水族館ゾーンは、日本有数の1,000トン大水槽を中心とした室内部分と、アシカやイルカのショーやペンギンなどがいる屋外部分とで成り立っている。その他、イルカスタジアム、アシカプール、セイウチ館、ペンギンプール、ウミガメ・プール、ペリカン池などがある。
 おみやげ、食事、グッズなどもなかなか充実していて、一日たっぷり遊べる施設だ(何故か石井竜也デザインのイルカ・クジラグッズが充実してるらしい)。

イルカとトレーナーさんの触れ合い

 ここの一番の売りは、海の生きものと日本で一番触れ合える水族館だということだ。本当に一番かどうかは分からないけど、確かに触れたりエサをあげたりできるゾーンが多い。ペンギン、イルカ、ウミガメ、アザラシ、トドなどに触れられたりエサをあげたりすることができる。ただし、トレーナーのお姉さんには触れないでください。
 大水槽の目玉はスナメリ。伊勢湾、三河湾の名物と言っていい小さな白いクジラ・スナメリが2頭飼育されていて、優雅に泳いでる様子を見ることができる。これはけっこう貴重だ。さかなクンじゃない私でも喜んだ。
 ただ、150種類7000尾というわりには、大水槽以外の水槽は本数も魚の種類も少なく、その点はやや残念なところだ。私のように写真メインで行くと物足りなさを感じた。だから、一般的な水族館とは違うと思った方がいい。あくまでもメインテーマは、海獣たちとの触れ合いだ。
 アザラシのショーも少し見たけど、けっこう面白そうだった。アザラシがステージを降りて観客席を回るという趣向もけっこう珍しいんじゃないだろうか。
 イルカのショーも評判がいい。よく訓練されていて、ジャンプの高さがすごいとか。
 全般的に海獣たちは元気な様子だった。施設としても思った以上に活気があって、東山動物園のように眠たい感じはなかった。生き物たちにとってもなかなかいい環境なんだろう。

フンボルトペンギンと一家

 一時はここも閉鎖されるという噂があった。名鉄の施設はたいていそんな話が一度は出る。でも、その後そういう話は聞かない。今年になっておもちゃ王国なんていう施設をあらたに作ったところをみると、だいぶ持ち直してきたのかもしれない。やはり、近くに中部国際空港ができたのが大きかったのだろう。もっと宣伝すれば、県外からもお客を呼べるだろう。
 水族館と思って行くと規模は小さいし魚の数は少ないからなんだと思うかもしれないけど、見るだけでなく触れられて自分も参加できるという他にはないよさがここにはある。カップル向けというよりあくまでもメインターゲットは家族。特にちびっこを連れて行くと子供も喜び、大人も楽しめるだろう。屋外施設が多いので、雨降りは楽しくない。行くなら晴れの日がオススメだ。
 私はひとりで行くのはもう懲りた。家族ができたらまた行きたいと思う。それまでつぶれずに待っていておくれよ、南知多ビーチランド。

近場でラベンダーを済ませようと思ったら

花/植物(Flower/plant)
ラベンダーかと思ったら

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/80s(絞り優先)



 小牧市民四季の森へバラを見に行ったら、ちょっとしたラベンダー畑があった。おっ、こんなところに。こりゃいいやと思い、あちらからこしたから、上から下から横から撮りまくり。でも、ラベンダーってもう咲いてたかなぁ? まあ、いいや。たくさん撮ったし、もうこれで今年は遠いラベンダー畑まで見に行かなくていいな、と喜んで四季の森を後にした。
 家に帰ってきて、ラベンダーの種類を調べようとしたところ、似たものが見つからない。はてな? こんな葉っぱのラベンダーはどこに載ってないぞ。それに、よく見るとなんか姿もラベンダーっぽくない。ラベンダーはこんなに一本が独立して真っ直ぐ立ってないし、もっとかたまって放射状になってるじゃなかったか。それとも、こういう種類のラベンダーなんだろうか。
 そんなことを考えてるとき、一枚の写真が目に止まった。サルビア? ええー! これってサルビアだったの!? 見れば見るほどその写真と似ている。名前はブルーサルビア。こりゃ間違いない、サルビアだ。ラベンダーじゃない。時期的に早すぎると思ったのだ。
 結局、ブルーサルビアと判明。正式名称は、サルビア・ファリナセア。その中のビクトリアブルーまたはビクトリアと呼ばれる品種のようだ。それにしてもなんて紛らわしい。これを見て、すっかりラベンダーと思い込んで最後まで気づかない人もけっこういるんじゃないだろうか。できれば花壇のプレートに書いておいて欲しい。これはラベンダーではありません、と。

 サルビアというと、一般的には街でよく見かける赤い花(スプレンデンス)を思い浮かべる人が多いと思う。でも、サルビアというのはすごく種類が多い。メキシコなどの中南米から地中海沿岸のヨーロッパを中心に、世界で900種類もあるという。日本でいうと、アキノタムラソウなどが仲間だ。
 サルビアはシソ科に属する。ただ、セージのグループに入れられてしまうこともあり、やや混乱しがちだ。ラベンダーやローズマリーなどもシソ科に属している。

 ビクトリアブルーの原産地は、メキシコやアメリカのテキサスで、石灰岩土壌の中低山などに自生している。
 宿根草でありながら日本では越冬できないため、一年草となる。
 アメリカなどでも人気のある花らしく、花壇に植えたり、切り花として売られてたりしてるそうだ。
 草丈は60センチほどで、花穂は20センチくらい。
 これの白花もある。でも、そうなるとブルーサルビアというのはおかしなことになる。またの名を、化粧サルビアともいう。
 ラベンダーとの決定的な違いは、やはり葉っぱの形だ。こんな細長い普通の花のような葉をしてるラベンダーはない。花も近づいてよく見るとけっこう違っている。
 日本には昭和になってからやって来た新顔だ。

 近場でラベンダーを見ることができてよかったと思ったら大間違いだった。こんな落とし穴があるとは。見た目はたとえラベンダーそっくりだったとしても、満足感は大きく違ってくる。ラベンダーには見た目がきれいだという以上の意味や価値がある。それは、「北の国から」があったからだ。ラベンダーといえば富良野、富良野といえば北の国から、さだまさし、純に蛍に五郎父さん。イメージは連鎖して、甘く切なく懐かしい思い出がよみがえる。
 ラベンダー名所ということでは、名古屋なら荒子川公園、愛知県なら新城市のつくで高原、岐阜県なら郡上郡の牧歌の里や高山市の清見、三重県ならメナード青山あたりが有名だ。でもやっぱり、ラベンダーを見るなら富良野、それもファーム富田でないといけないという絶対的な思い込みが私の中にある。いつの日か行けるだろうか。行きたい気持ちが半分、行って観光地だと分かってしまうのを恐れる気持ちが半分で、毎年7月になると気持ちがザワザワする。もしかしたら、私の中では永遠の憧れにとどめておくのがいいのかもしれない。
 そして、ラベンダーの香りは、時をかける少女の香りでもある。

6,000種類の蛾を見分けられる人になりたくはないけれど

虫/生き物(Insect)
ヒロオビトンボエダシャク

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先)



 夕方、高い木の上のあたりを白黒の蝶らしきやつがヒラヒラヒラヒラ飛んでいた。撮れるもんなら撮ってみなと私を誘うように。しかしこいつがなかなか捉えられない。そんなに動きは速くないのに、飛び方が不規則でピントを合わせる以前にファインダーの中に入れられない。4、5匹(私は専門家じゃないので頭とは数えるのは照れくさい)もいたのに、あっちを狙えばこっちが近づき、こちらに切り替えると逃げられ、さんざん翻弄されて、そして誰もいなくなった。近くを通りかかった黒猫がそんな私を見てニャアと鳴いた。ならばと黒猫を撮ろうとしたら、それにも逃げられた。ばぁさん、俺ぁ撮れないよ。
 しょうがない、あきらめるかと思ったとき、そいつらはそこにいた。写真のこいつらだ。ちょっと失礼して連写しまくり、なんとか一枚ぶれずに撮れた。何者かは知らないけど、とりあえず撮れたことでよしとしよう。できることなら飛んでるところを撮りたかったけど、それはまた次回。ばぁさん、あの黒い猫は来てるだろうなぁ。

 帰宅後、早速名前を調べることにした。これだけ特徴がはっきりしたやつだからすぐに調べがつくだろうと思いきや、これが意外と苦戦した。触覚の先がふくらんでないのと、翅を広げてとまっていることから蛾だというのは分かった。けど、蛾の種類というのは気が遠くなるほど多い。所属グループも分からないまま調べようとするとすごく大変なのだ。ネットの写真で最初から見ていって、500枚くらいでようやく見つけた。こいつか、ヒロオビトンボエダシャク。
 よく似たトンボエダシャクは、体の黒と黄色の模様が四角くて規則的なのと、白い斑点が小さいことで区別がつく。

 分布域は、日本の北海道から九州、屋久島あたりまでと、朝鮮半島、中国。
 体長は翅を広げたときで5センチ前後くらい。
 初夏から夏にかけての昼間飛び、夕方特に活発になる。クリの花の蜜を吸うことが多いというかなり変わり者だ。
 幼虫は尺取り虫で(蝶は一般的にイモムシ)、成虫の体の模様とよく似ている。ツルウメモドキなどを食べて育つ。
 名前のトンボは、細長い体と、前翅と後翅の模様が同じところからきているらしい。全体的に見てあまりトンボっぽくはないのだけど。

ヒョウモンエダシャク

 別の場所でよく似た蛾を見つけた。ヒロオビトンボエダシャクという手がかりがあったので、今回はすぐに名前が判明した。ヒョウモンエダシャク。言われてみれば模様はヒョウに似てなくもない。
 しかし、エダシャク亜科というのは、今後見つけたとしても調べるのに苦労しそうだ。300種類以上いるというから、蛾の中のエダシャク亜科だけでポケット図鑑が作れてしまう。蝶やトンボだけでもいっぱいいっぱいなのに、蛾まで学習の範囲を広げると手に負えなくなりそうだ。今回はたまたま分かったけど。

 これはどうやら日本の北海道から九州あたりまでしか分布してない国内蛾のようだ。屋久島に亜種がいるらしい。
 大きさは、ヒロオビトンボエダシャクよりもひとまわり大きいような印象だった。
 こいつについてはあまり情報がなく、何を食べてるかよく分からない。太い木の幹によくとまってるというから、樹液でもなめてるのだろうか。
 ヒョウモンエダシャクの一番の特徴は、なんといっても毒を持っているということだ。毒蛾というのは思ってる以上に少ないものだけど、これは数少ない例外と言える。
 幼虫のときにアセビやレンゲやツツジなどを食べるそうなのだが、この中のアセビの毒を体内に蓄積するという。アセビは漢字で書くと馬酔木、馬でも葉を食べると酔ったようになるというほどの毒性があるので、他の生き物は近づかない。それが何故かヒョウモンエダシャクだけは平気らしいのだ。そのメカニズムはよく分かってない。おかげで、ヒョウモンエダシャクも鳥や他の生き物に食べられることなく安全に暮らすことができる。人間を刺したりするようなことはないだろうけど、あまり触らない方がいいかもしれない。

 蛾の世界というのもなかなかに奥深いものがある。種類も多いし、いろんな模様のものや、特色のあるものがいる。専門家や愛好家も少なそうだから、蛾コレクターはある意味狙い目かもしれない。エダシャク亜科300種類言えるもんねー、なんていう人がいたら私は尊敬したい。世間一般では評価されなくても。
 少し前までは、蝶かと思って撮ったら蛾だったと分かるとがっかりしたものだけど、最近はそんなことはなくなった。蛾は蛾で面白いし興味深い。勉強してみると意外な発見があったりもする。今回の2種類のエダシャクのように。
 ここはひとつ、蛾地位向上委員会を設立して、みんなに蛾を好きになってもらうようひそかに地下活動をしてみようかと思い始めた(なんでアンダーグラウンド?)。ただいま会員募集中です。一番好きな蛾について原稿用紙2枚程度にまとめて持ってきてください。名古屋栄地下クリスタル広場で待ってます。

ゲルマン魂にはドイツ料理もコンビニも必要ない?

料理(Cooking)
ドイツ料理ってなんだろう?

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/30s(絞り優先)



 グーテン・ターク。マイン・ナーメ・イスト・オータ。イッヒ・リーベ・ディッヒ。アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。大学の第二外国語で習ったドイツ語を思い出しながら作ったドイツ料理。しかし、ドイツはやはり遠かった。どこまで行ってもドイッチュランドには辿り着けず、リリー・マルレーンの悲しげな調べが頭の中で流れた。
 ドイツ料理とは何か? そんなストレートな質問を投げかけられると戸惑う。そんなものはない、というのが答えなのかもしれない。少なくとも、フランス料理やイタリア料理、中華料理やトルコ料理と同列上にドイツ料理は存在していない。ゲルマン魂は料理などという軟弱なことにうつつを抜かすのは恥ずかしいことだくらいに思っていたのかもしれない。フランスやイタリアなんかと一緒にしてくれるなと。
 そんなことを言うとドイツ人は反論するだろう。ドイツにも美味しい料理はたくさんあるし、ドイツ人だって食べることに無関心なわけではない、と。しかし、ドイツには食通という概念がないという話を聞いたことがある。本当だろうか。ドイツには、どっちの料理ショーも、愛のエプロンも、金子信雄の楽しい夕食もないのだろうか? 猿でも作れるオリバー・カーンの男の料理、なんて番組なら観たい気もするが。
 ドイツといえばまず思い浮かぶのがビールとソーセージだ。ドイツ人は毎日昼からビールを飲み、毎夕食にソーセージをかじっている。たぶん、そうじゃないかと思う。ドイツへ行ったこともないし、ドイツ人の友人もいないけど、きっとうそうだ。あとはジャガイモでも食べてるんじゃないだろうか。
 ドイツ人は実際、毎日何を食べてるか? 答えは簡単。ドイツ料理を食べている。正確にはドイツの家庭料理を食べている。これといった特徴と確固としたスタイルがないだけだ。各地方でとれる特産物を伝統的な方法で調理しているという噂だ。調味料は少なく、基本的にシンプルな味付けらしい。ドイツの基本的な調味料は、塩とコショウとパセリなんだそうだ。フランス料理のようにソースに凝ったりしないし、イタリア人みたいに無闇やたらにパスタばかり食べているわけでもない。ご飯の代わりにパンを食べ、白ワインをよく飲むという。
 それにしても、ドイツ人がここまで食へのこだわりを見せない理由がよく分からない。地理的にはフランス、イタリアが近くで海にも面しているし、土地が特別やせてるわけでもないだろうに。やはり民族的な気質ということなのだろうか。イギリスに近いようにも思える。

 というわけで、ドイツ料理を作ろうとすると、まずはそのメニュー作りが難しい。代表的な食材もなく、ドイツらしさを前面に出そうにも格となるものがない。いろいろネットでも調べたけど、これでいこうという方向性も見つからないまま、ドイツ料理レシピをアレンジしたオリジナルのレシピとなった。
 左手前は、ソーセージとジャガイモでドイツらしさを少しだけ出してみた。作り方はいたってシンプル。オリーブオイルとバターで、ソーセージ、ジャガイモ、マッシュルーム、タマネギ、トマトを炒めて、白ワインと塩、コショウ、パセリで味付けしただけだ。これはきっと、ドイツの家庭でも同じようなものが作られてると思う。単純な味付けだけどトマトが効いている。
 左奥は、クリームシチューのようなもの。鶏肉、タマネギ、アスパラ、ジャガイモ、ニンジン、ネギをバターで炒めて、白ワインと水で少し煮込んだあと、チキンブイヨンで味付けして、手作りホワイトソースを混ぜて出来上がり。ドイツでもこういうホワイトシチューのようなものが食べられてるそうだ。
 右のは、ドイツでは一応代表的な料理のひとつとなってるマウルタッシェンを自分風に作り替えたものだ。パスタ生地の中に具を入れて煮たり焼いたりする料理で、ドイツのギョウザかワンタンと思えば遠くない。本来はひき肉を使うそうだけど、私はシーフードにした。
 生地は久々に手作りした。小麦粉と卵黄、水を混ぜてこねくって、こねくって、こねくって、伸ばして、伸ばして、伸ばして、包み込む。中身は、白身魚、エビ、ほうれん草、タマネギ、ベーコン。ソースは、お湯に溶かしたコンソメの素にバターを加えたバターソース。パセリもかなり入っている。これは作るのが面倒だけど、あっさり味で美味しいのでオススメしたい。

 ドイツ度は判定不能。基本となるドイツ料理が分からないし、想像もできないので比較のしようがない。味としては、無難な75点といったところ。失敗はなかったけど、大きな成功とも言えない。
 家庭料理としてのレベルでいえば、ここ最近はかなり安定してきている。波も小さくなったし、時間と量のコントロールもうまくできるようになった。次のステップは、アレンジからオリジナルへのジャンプということになるだろう。ただ、まったく何も見ずに食材だけでオリジナルの料理を作るところまではまだまだいっていない。食材的なチャレンジも今後の課題となる。
 こうして第二回ドイツ料理は幕を閉じた。イタリアの優勝で。
 あ、そうそう、何故今回ドイツ料理だっかといえば、言うまでもなくドイツのワールドカップ記念に他ならない。ここでドイツ料理を作らなければいつ作るって話だ。しかし、依然としてドイツ料理の正体はシュヴァルツヴァルトの向こう側にあって見ることができない。私のドイツ料理にシュトルム・ウント・ドランクの波が押し寄せる日は果たして来るのだろうか?

夜鳴きコチドリは21世紀の日本で何を思い鳴く

野鳥(Wild bird)
初めて見たチドリはコチドリ

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f6.3, 1/320s(絞り優先)



 夏鳥は冬鳥に比べて撮るのが難しいからまず無理だろうとあきらめていた。確かに野山では新緑以降、茂った葉に視界をさえぎられ、姿を見つけることがぐっと難しくなった。レンズも300mmの暗いものではかなり厳しい。けど、田んぼにも夏鳥はいた。これは気づかなかった。気づいてみれば、田んぼくらい撮りやすいところはない。
 アマサギに続いて初対面のコチドリと遭遇。千鳥足でお馴染みのチドリの中で一番小さいからコチドリ。もっとありふれたチドリでもある。私は初めてだったので嬉しかったけど。
 夏鳥ということは、こいつも外国から渡ってくる鳥だ。冬場の寒いときはユーラシア大陸の南やインド、アフリカなどで過ごし、春になって暖かくなると北の方へ繁殖のために渡ってくる。日本では北海道から九州までの広い地域で見ることができる。九州ではそのまま冬を越してしまうやつもいるらしい。
 シギやチドリというと、海の浅瀬や河口にしかいないと思い込んでいたら、こんな街の田んぼにいたんだ。知らなかった。この場所は何百回も通っているのに、興味と知識がないと見えないものだ。
 生息域は、水のそばならどこでもいいようで、海や川はもちろん、ダムの近くや荒れ地などでもくらしていけるらしい。なかなかにたくましいやつだ。

 遠くから見るといたって地味な姿をしている。灰色の背と白い腹は、田んぼや河原などでは目立たない。近づいてよく見ると、目の周りが黄色く縁取られていたり、黒いマフラーを巻いていたりして、控え目ながらオシャレさんだったりする。クチバシは黒で、足はオレンジ。冬場は目の黄色も薄くなり、更に地味な装いになる。
 オスメスは同色で、細かく見ればオスの方が首巻きも目のアイシャドーも広めというんだけど、そんなものを見分けられても一般の人に向けての自慢のタネにはならない。ヒヨコ見分け名人はすごいと思うけど。
 ちょっとしたミニ情報としては、コチドリは110円切手のデザインになっているというのがある。ただしこれも、人に話したところで110円切手なんて使ってる人はめったにいないので、何それと言われておしまいとなる可能性が高い。
 日本で見られるチドリは12種類。その中でよく見られるのがコチドリ、シロチドリ、イカルチドリあたりで、コチドリとイカルチドリはよく似ている。黄色いアイリングがはっきり見えたらコチドリでいいと思う。シロチドリは足が黒い。
 大きさは15センチくらい。小さいといえば小さいけど、インコのようなサイズではなく、近くで見るとそれなりの存在感はある。
 エサは、海辺ならカニやゴカイなど、淡水域ではミミズや昆虫などをとって食べる。
 チドリはメスに対するオスの求愛ダンスが有名で、一所懸命踊ってアピールして、メスが受け入れると喜び勇んで背中に飛び乗る。
 卵は4、5個。窪地に灰色の石ころのような卵を産んで、オスメスで温め育てる。
 ヒナは独立心が強く、生まれて半日くらいでもう自力でエサを探そうとし、ひと月もしないうちに巣立ちする。

 千鳥足の由来は、このチドリの歩き方から来ているのだけど、実際のチドリはあんなよろめいたような歩き方はしない。もっと不意打ちのように素早く歩いてエサをとらえる。多少よろめいたようなジグザグ歩きになるのは、普通鳥の足は後ろに一本出ていて支えるようになっているのに、チドリは前に3本しかないためだ。よくそれでバランスが取れるものだ。でも、3本指なので木の枝にとまったりするのは苦手に違いない。というか、できないのかもしれない。
 コチドリでもうひとつ有名なのが、擬傷と呼ばれる行動だ。子育ての最中などに外敵が近づいてくると、わざと傷ついたようなフリをして注意を自分に惹きつけて、巣から引き離そうとするのだ。翼をだらりと下げたりバタつかせたりして。そして自分の方に向かってきたら逃げる。なかなかに賢い戦法と言えるだろうけど、不良にカツアゲされそうになったときにこの手が使えるかといえばそれは難しいだろうから、あまりオススメはできない。

 コチドリは、夕暮れ時になると、ピーヨ、ピーヨ、ピューピューと、どこかもの悲しげな澄んだ鳴き声で鳴き始める。誰かを呼んでいるのか、それともただ歌うようにさえずっているだけなのか。
 その鳴き声は人の心を捉え、万葉集の昔から詠われてきた。柿本人麻呂は、「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と詠い、紀貫之は、「思いかね妹がりゆけば冬の夜の川風寒くちどり鳴くなり」と詠んだ。どちらも悲しげだったり寒々しい感じがするのは、千鳥が何故か冬の季語になっているからだ。
 松尾芭蕉も鳴海宿(現在の名古屋市緑区)を訪れたとき、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」と詠った。
 ありふれた野鳥にも、人との長い歴史や隠れたドラマがある。だんだんすみづらくなっていく日本によく来てくれていると感謝したい。他にもっと静かに子育てができるところもあるだろうに。私に何ができるわけではないけど、せめて無関心でいないようにしたい。まず一歩目として、関心を持つことから大切にしたいという気持ちが生まれると思うから。

日本にしか咲かない花だからもう一度ササユリの咲く国に

花/植物(Flower/plant)
花フェスタのササユリ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/30s(絞り優先)



 子供の頃はそのへんの野山にいくらでも咲いてたのにそういえば近頃はさっぱり見なくなったなぁ、ササユリ。そんなことをふと感じたことがある方もいるだろう。昭和30年代まではササユリは決して珍しい花ではなかった。……らしい。私の幼少期にはすでにササユリの姿は街中にも郊外にもなかった。たぶん、田舎にも。
 日本では古来からユリといえばこのササユリを指した。5月の終わりになると里山や田畑などで咲き始め、気ままに摘んだり、農家の人はひょいと引っこ抜いて捨てたりしていた。まさか数十年後ササユリなんかが貴重な花になるなんて思いもしなかったろう。今や自生をうたっている場所のものも、ほとんどすべて人の管理下に置かれたものだ。土地の人が守り育てているものだから、純粋な意味での野生のササユリは絶滅寸前と言っていいかもしれない。
 ここまで数を減らしたのは、人が抜いていってしまったり、野生動物が根を食べてしまったり、環境が悪化したりしたからなのだけど、人と里山との関わり方が大きく変化したことが一番の理由だと言われている。人が山には入らなくなったことで山や林が荒れて、結果的にササユリの育成条件と合わなくなってしまった。
 この花は気難しいというか、狭い条件下でしか育たない。陽が当たりすぎても駄目、当たらなすぎても駄目、西日も嫌い、適度な風が吹く水はけのいい斜面を好む。土は酸性じゃないといけない。理想が高いわけじゃなくストライクゾーンが狭いのだ(私みたい)。なので、たとえ根っこごと引っこ抜いて持ち帰ったとしても、庭で咲かすことはまず無理だろう。たまたま条件が合って次の年は咲いてもそのまま何年も咲くことはまずない。その育成の難しさから球根は市販されてないほどだ。種から育てると、花を咲かすまでに7年くらいかかる。
 ただし、花自体が弱いわけではないので、合った条件さえ見つければ庭はともかく山に咲かせることはそれほど難しくないという。特にかつて咲いていたようなところなら、草木を整備すればまた復活させられる可能性は高い。

 今となっては珍しいものとなってしまったササユリと意外なところで出会った。花フェスタ会場の山の中で。世界のバラ園を上から見下ろせるように山の中に散策路が作られていて、その脇でポツリ、ポツリと何本も咲いていた。おお、まさかこんなところにと驚いたのだけど、考えてみれば、大規模な自生地となっている「みたけの森」はお隣といってもいいくらいの距離だ。ここに咲いていても不思議ではない。
 みたけの森へは去年行ったけど、山の斜面一面に広がって咲いていて、なかなかの景観だった。
 ササユリなんて見たこともないしその存在自体知らないぞって人もけっこういるかもしれない。自生してる場所が中部より西ということで、北の人たちには馴染みがないと思う。北限は石川県から新潟あたりで、近畿、中国、四国、九州の一部にしか咲いてない。中でも東海地方に多いと言われている。
 今でこそ日本人とササユリのつながりは弱くなってしまったけど、かつては非常に身近で、日本人が昔から愛した花のひとつだった。「古事記」にも登場し、「万葉集」でも大伴家持などがササユリについて詠っている。歌の中で「さ百合」と出てくるのは、「さ」が稲の神様をあらわす接頭語なのだそうだ。
 別名のサユリは皐月百合の略で、古い呼び名「三枝(さきぐさ)」は、よく育ったものは茎先が3本に分かれて三つの花を咲かせるところから来ている。和名のササユリは、葉っぱが笹に似ているからと、笹の中に咲くことが多いから付けられたと言われている。
 花の色は白から桃色まで変化があり、上品で控え目な香りを発する。

 ササユリに対するイメージは人それぞれで、一般的には可憐とか気品のあるとかといったところだろうか。人によっては山の女王に見えるかもしれない。でも私は、すごく普通に思える。いい意味で。色や香りの自己主張はヤマユリのように強いわけではなく、タカサゴユリのようにだらしないわけでもない。テッポウユリのように真っ白で堂々とともしていないし、オニユリのような派手さも持ち合わせていない。言うなれば、きまじめな美しさといったところだろう。それはかつての日本人の姿と重なる。
 昔の日本人は、環境と共に暮らし、自分の分をわきまえ、時代が自分を必要としなくなったときは静かに消えていった。思えば日本人とササユリは似ている。今はササユリのような日本人は少なくなったけれど。
 ササユリは、咲いている場所でしか咲けない。コブクロが歌ったように、ここにしか咲かない花だ。ついては、ササユリ自生地で私と一緒にコブクロの「ここにしか咲かない花」を熱唱してくれる相棒を募集します。でっかい方(193cm)の担当をお願いします。豊田市松嶺町の「ささゆりの里」で待ってます。

花フェスタ記念公園で今年も一年分のバラを見てきた

植物園(Botanical garden)
花フェスタのバラ園見頃過ぎ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.0, 1/400s(絞り優先)



 バラのシーズンも終わりが近づき、梅雨入り宣言がなされたということで、今日行ってきた、花フェスタ記念公園。去年に続いてこれが二度目となる。
 平日で小雨がパラつく閉園1時間半前ということで、人は驚くほど少なかった。午前中は駐車場まで1時間待ちなんて話を聞いていたから。ちょっと拍子抜けした。人が少ないと風景に人が入ってこないからいいと言う人もいるけど、私は人が入ってる写真の方が好きなので、むしろ残念だった。
 去年は10周年記念と愛知万博の共催が重なって一大イベントが行われ、それはもう大変な賑わいだった。私が行ったときも、終了間際でものすごい人に大いにひるんだ。あれを経験してるから、よけいに人の少なさにびっくりしたのだった。一時、周りを見渡したら誰ひとりいなくなっていて、もしかして閉園して閉じこめられたか? と本気で心配になったくらいだ。
 人の数はともかくとして、バラはどうかといえば、これがまたもや遅刻。今年は完全に花の見極めが狂ってしまっている。桜から藤、カキツバタと、すべてベストを外してしまった。涼しい春から初夏で花の開花が例年より遅れていることは確かなのだけど、私自身がそれ以上に出遅れてしまっている。バラまでそうなるとは思ってなかった。だいぶ花も落ちて、最盛期に比べて3割引といった感じだった。見頃は一週間くらい前だったのだろう。
 写真に関しては、もう行く前からあきらめていた。去年、バラを撮り放題でウハウハと思っていったら、あまりの種類と量に打ちのめされて、結局ほとんど満足に撮れなかったのだ。ここは写真向きの場所じゃない。あまりにもとりとめがなさすぎて途方に暮れてしまうのだ。バラを一種類ずつ撮っていたら、何時間ではなく何日かかるか分からない。何しろバラ園だけで7,000品種もあるというのだから。それに、100種類もバラを撮っても、ネットに載せる場所がない。そんなわけで、今日はこんなバラ風景や人ばかり撮っていた。

 この公園は、1995年に岐阜県の可児市で花フェスタというイベントが行われた場所の跡地に作られた。だから花フェスタ記念公園という名前が付いている。当初はバラの数も少なく、かなりしょんぼりした公園で評判はパッとしなかったのだけど、去年大きく生まれ変わった。その前までは日本一のバラ園を自称していたものを、この年、一気に種類を増やして世界一のバラ園を名乗るようになったのだった。世界一素晴らしいバラ園は世界のどこかにあるのだろうけど、種類だけでは確かに世界一なのかもしれない。7,000品種6万株というのは世界広しといえどもそうはないだろう。
 メインはなんといっても世界のバラ園、写真のこの場所だ。日本、英国、フランス、ドイツ、アメリカのバラを集めて、これでもかっていうくらいに咲かせている。見覚えのある有名どころから、他ではなかなか目にすることがないようなものまで。私なんかが知ってるものはほんの一部でしかない。
 ここ以外にもいろいろな見どころがある。アメリカの絵本作家ターシャ・テューダーの庭を再現したターシャの庭、育成家別のバラ園、オールドローズ・ガーデン、白バラ園、青いバラを集めた庭、コンテスト・バラ園などなど。バラ以外にもたくさんの花々が咲き乱れている。

 今年は2度目ということで、新鮮な驚きはなかった。それよりも驚いたことは、慣れの問題だ。最初に入園したときは、バラの濃密な香りを含んだ空気が迫ってくるように感じるのに、1時間も歩いていると慣れてしまってバラの香りさえ忘れてしまいそうになる。圧倒的なバラの数も見てるうちに当たり前となり、感覚が麻痺してくる。人間の慣れってすごいなとも思うし、恐ろしくもあった。ここで働いている人たちは、バラ自体に不感症になってしまうんじゃないだろうか。
 全体の広さは81ヘクタール。バラを見ながらゆっくり歩いて1時間から1時間半くらいだろう。私はノンストップで歩き続けて、写真をそれなりに撮って、1時間半でおなかいっぱいになった。根っからのバラ好きで、詳しい人なら、3泊4日くらいしても飽きないのだろうけど。
 最後に、今回もブルーヘブンを見て、やっぱり青くないよなぁと思いながら花フェスタを後にしたのだった。夢の青への道のりはまだまだ遠い。

 なんにしても、ここはバラ好きなら一生に一度は訪れたいバラのメッカと言っていいと思う(メッカって言葉も古いな)。世界一を自認するだけのことはある。自他共に認めていい。あまりのバラの種類と量に圧倒されて、すごいんだかすごくないんだかしまいには分からなくなるほどだ。
 北海道や九州からでも来る価値はあるかというとちょっとどうかと思うけど、関西から関東圏ならオススメしたい。入場料の800円も高くない(コンビニで前売り券を買えば700円)。私の家からもう少し近ければ2,400円(今なら2,000円)の年間パスポートを買って入り浸りたいくらいだ。バラだけじゃなく年間を通していろんな花が楽しめる。
 来年もまた行こう。花フェスタでバラを見れば、向こう一年はもうバラを見なくていいと思える。

亜麻色じゃないけどアマサギはやっぱり亜麻鷺がいい

野鳥(Wild bird)
やっぱり田んぼにいたアマサギ

Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f6.3, 1/400s(絞り優先)



 去年からずっと見たいと思っていたアマサギ。そんなに珍しい鳥じゃないけど、うちの近所の川や池ではまったく見かけない。ネットの写真を見ると、田んぼで写されていることが多いようだ。ということで、田んぼを求めてまずは尾張旭市へ行ってみた。しかし、ここでもアマサギは見つからず。場所を変えて今度は長久手へ。愛・地球博会場の近くに田んぼが広がっていることを思い出した。
 そして、ついに発見、ご対面。おおー、きみがアマサギさんですか。はじめまして。そうそう、これこれ、これこそアマサギだ。コサギやダイサギ、アオサギは見飽きるほど見てるけど、アマサギは見ることがなかった。やはり夏に渡ってくる夏鳥だということもあるだろう。
 一緒にいたコサギよりも警戒心が強いようで、車から降りたとたんに飛んで逃げて行ってしまった。作戦変更。焦る気持ちを抑えつつ、車をゆっくり走らせて、車内から狙うことにする。なんだか写真週刊誌のカメラマンみたい。とまっている車はあまり怖がらないらしい。今度はちゃんと撮ることができた。亜麻色のアマサギには、緑色の田んぼと夕暮れの柔らかい光がよく似合う。

 亜麻色をしてるからアマサギだろうと単純に考えていたら、どうも違うらしい。飴色をしてるからアマサギになったという説の方が有力のようだ。言われてみれば、昔の日本で亜麻色なんて言葉は使われてなかったはずだ。すでに鎌倉時代からアマサギと呼ばれていたという話もあるし、そもそも亜麻色というのはもっと黄色っぽい色で、アマサギのオレンジがかった色とは似ていない。
 尼鷺や甘鷺なんて字が当てられることもあるようだ。もともとは黄毛鷺とも呼ばれていた。
 原産は意外なことにアフリカだ。コサギに色がついただけのように見えるアマサギだけど、生まれからしてかなり違う。もともとは熱帯にすんでいたものが、だんだん温帯まで広がるようになり、近年では北海道あたりでも見かけるようになったらしい。
 日本には5月くらいにやって来て、子供を産み育てて、秋風が吹き始める9月の半ばくらいになると東南アジアへ帰っていく。沖縄などの暖かい地方では越冬するものもいるようだ。

 大きさは45~55センチくらいと、コサギよりもやや小さめ。足もクチバシもコサギに比べて短い。
 夏羽は写真のようにオレンジがかった色になり、秋になると生えかわって真っ白になってしまう。ただし、頭にだけがわずかに色が残る。
 婚姻色になると羽のオレンジが鮮やかさを増し、足やクチバシはピンクになり、目の周りは赤くなる。一目で色気づいていることが分かってしまう。
 他のサギたちに混ぜてもらって、サギのコロニーで子育てをする。基本的に一夫一婦で、産卵は年に一度、卵は5個前後くらい。
 他のサギとのもうひとつの大きな違いは、水辺だけでなく乾いたところでも生活してるということだ。それは、コサギやダイサギなどが魚中心の食事なのに対して、アマサギはカエルやトカゲ、昆虫などを好んで食べるという食生活に関係がある。魚はあまり食べない。このへんにアフリカ原産というのが表れている。
 アフリカなどでは、ゾウやウシのあとをみんなでつけ回す様子がよく見られるそうだ。大きい動物が歩くと草むらからいろんな虫が驚いて飛び出してくるから、そこをすかさず狙っていただくというわけだ。
 日本ではトラクターがウシやゾウの代わりとなる。田んぼや畑をたがやすトラクターのあとをアマサギが嬉しそうについて歩いている姿がよく見られるという。ここから、アマサギを見たければ動いてるトラクターを探せ、という格言(?)が生まれた。
 英名のCattle Egretはここから来ている。キャトルは畜牛、イグレットはシラサギだ。

 アマサギがどれくらい日本にやって来ているのかは知らない。いるところにはたくさんいるらしいけど、あまり多くないような気もする。少なくとも、街を車で走っていて見かけることはない。日本での分布とか、郊外と街中の割合とか、そのあたりはどうなってるんだろう。
 なにはともあれ、長久手のこの場所にはたくさんいた。私が短時間に見ただけでも7、8羽はいただろうか。もっとかもしれない。今の時期なら、たぶんいつ行っても見られるだろう。愛・地球博会場の北、215号線を東側に入ったあたりだ。
 そのあたりで車を止めて、「亜麻色の乙女」のビレッジシンガーズ版を口ずさみながらアマサギ写真を撮ってる男がいたら、それはきっと私です。声をかけるときは、島谷ひとみバージョンを歌いながら近づいてきてください。

シーサーはライオンで狛犬と親戚で獅子の沖縄なまり

美術館・博物館(Museum)
シーサーが獅子のことだったとは

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/640s(絞り優先)



 今日初めて知った、シーサーが獅子をかたどったもので、獅子の沖縄なまりだったということを。そうだったのか……。知らないことはまだまだたくさんあるなと思った。
 リトルワールドの石垣島の家にあったシーサー。門のところに置かれた二対と、屋根の上にもチビシーサーが乗っかっていた。言われてみればライオンっぽく見えなくもない。
 シーサーについて勉強してみたら、ほとんど何も知らなかったことに気づいた。単に沖縄特有の守り神だろうというゆるい認識しかなかったけど、そうではなかった。知るほどにへぇとうなることばかり。狛犬とシーサーが親類関係にあったなんて考えたこともなかった。

 シーサーも狛犬も、ルーツを辿ると、同じく古代オリエントのライオンに行き着く。日本にも中国にもライオンはいなかったから、もっと西からやって来たことは間違いない。
 古来ライオンは百獣の王として恐れられ、畏敬の対象でもあった。ギリシャ神話に登場するスフィンクスは、体がライオン、顔は人間の女、ワシの翼を持つという、ある意味最強のスタイルをしている。
 それがシルクロードを旅しながら伝わる途中で少しずつ形を変え、中国で守り神として定着する。それが日本に入ってきたのは14~15世紀頃で(奈良・平安時代)、中国大陸から直接入ってきたものが唐獅子になり、朝鮮半島を経由したものが狛犬(高麗犬)、中国から琉球に伝わったものがシーサーとなったのだった。そう、元々この3つは同じものだったのだ。
 狛犬は当時、高麗犬と書かれた。これは、字のまま高麗の犬という意味だ。どうやらこいつ向こうの犬らしいぞということでそう名づけられた。しかし、それは違うということが後に分かり、それからは狛犬と呼ばれるようになった。本来は、左側のが獅子で右側のが狛犬ということで獅子狛犬だった。それがいつの間にか略され狛犬となった。最初は神殿などの守り神として、江戸時代あたりからは神社の参道に置かれるようになった。
 シーサーの場合は、最初、魔除けとしてではなく権威の象徴として首里城周辺に置かれたそうだ。その後、村単位の守り神や神社の魔よけとしての役割を果たすようになるが、一般庶民がシーサーを家に置くようになるのはずっと後、19世紀に入って民家に赤瓦の屋根が許されるようになってからだった。狛犬にしてもシーサーにしても、今のスタイルになったのは意外と最近のことなのだ。

 シーサーも狛犬も、仁王像のように阿吽の呼吸の形になっている。向かって右が阿で口を開けている。これがオスだ。左が吽でメスとされる。狛犬は元から一対だったが、シーサーの場合はもともとは単独で屋根の上に乗っていた。狛犬スタイルになるのは後のことだ。
 風水との関わりも深く、どの方向を向けてどこに置くかでも意味合いが違ってくる。鬼門の北東を向いていたり、火事よけなら南など。もしくは、四面全部に四方向を向けて置く場合もあるそうだ。
 材質は漆喰や陶器、または石など。最近はコンクリート製のものもあるという。沖縄の場合は台風が多いので、しっかり取り付ける必要がある。台風でシーサーが飛んでいってしまったらなんだか悪いことが起きそうだし。
 シーサーは誰が作っているかというと、お土産物なんかは別にして、民家に乗ってるものは屋根左官屋さんが作ってるそうだ。基本的には屋根を手がけた職人さんがサービスで作ってくれるんだとか。瓦屋さんでも左官屋さんでもなく屋根左官屋さんという人がいるというのも沖縄らしい。赤瓦を乗せておくだけだと台風で飛ばれされるから漆喰で固める必要があるから、そういう職種になる。
 最近はシーサーもオシャレさんになって、目にビー玉を入れたり、歯に貝殻を使ったりするものあるらしい。強そうというより金持ってそうなシーサーだ。

 今まで興味の対象ではなかったシーサーも、少し分かったら好きになってきた。シーサー欲しいかもしれない、私。すごく魔よけを必要と感じているわけではないけど。屋根はないから小さいものをひとつ買って部屋に飾っておくか。と思ったら、30センチくらいのものが3万円もするではないか。高ーい。こうなったら、チョコを溶かして作るか。招き猫に続く第二弾として、チョコシーサーの制作に取りかかろうと思う。しかし、招き猫の十倍くらい難しそう。凹凸や顔のパーツも多い。果たしてチョコでシーサーは作れるのか!? チョコはやめて、100円ショップで粘土を買ってきて作ってみるか。100円の手作りシーサーにどの程度の効力があるかは疑問だけど。

リトルワールドへ行ってニューリトルワールドを考えた

美術館・博物館(Museum)
リトルワールドのイタリア家前

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/500s(絞り優先)



 犬山にあるリトルワールドに行ってきた。愛知県民、岐阜県民なら、中学生や高校生のときに社会見学で連れていかれた人も多いだろう。私も中学生のとき行った。でも、当時はそんなものにまるで興味はなく、自由時間には友達と広場で野球をやっていたから、実質今回が初めてだった。
 ここは一時閉鎖が噂された。というより決まっていたのだと思う。赤字続きで親会社の名鉄も投げだし、子会社に無理矢理押しつけ、万博終了をめどに終了という話だった。それが万博のおかげでにわかに人気を盛り返し、入場者が増えてきた。万博が始まったときは、あんなものリトルワールドのちょっと大きいやつだろう、なんて地元民は言っていたくらいコンセプトは相通じるものがあるので、当然の流れと言えばそうだろう。万博が終わったとたん、抜け殻のようになってしまった愛知県民が、あの興奮と感動を忘れられずリトルワールドを訪れたという話も聞く。
 こうなると、名鉄としてもなんとなく続けざるを得ない状況になってきた。一応存続運動みたいなものもあったようだし。今は、愛・地球博回顧展などというものもやっている。
 ただし、名鉄を侮ってはいけない。また入場者が減ったところで今度こそ本当に閉鎖してしまう可能性は大いにある。行くなら早い内に行っておいた方がいいだろう。

 地元では有名なリトルワールドも、全国的な知名度はほとんどないに等しいだろうから、どんなところかイメージするのは難しいかもしれない。簡単に言うと、世界中の特徴的な民家を移築したり復元したりして展示してある野外博物館だ。123万平方メートルという広い場所に、22ヶ国33施設の野外展示物が建っている。昭和58年に作られた。こんな施設は世界広しといえど、ここにしかない。
 その建物はずいぶんマニアックなもので、海外旅行をしてもお目にかかれないようなものばかりだ。アイヌの家、インディアンのテント、バリ島貴族の家、ドイツバイエルン地方の村、ボリネシアの家やらタイのランナータイの家、カッセーナ族の家、ンデベレ族の家などなど、そもそも海外旅行に行かないようなところのものも多い。アジアでは韓国、台湾などの代表的な民家などが、日本からは沖縄石垣島の家や山形県の家などが参加している。珍しいには違いないけど、やや偏りが強すぎる気がしないでもない。
 ここのもうひとつの売りとしては、各国の民族衣装をレンタルできるということがある。これ目当てに訪れるコスプレイヤーもいるようだ。韓国のチマ・チョゴリやタイのサリーなどお馴染みのものから、中世イタリアやアルザス地方、ドイツの民族衣装など、初めて目にするものもある。それぞれ300円から500円くらいなので、そんなに高くはない。けっこう着てる人もいて、みんな写真を撮ったり、なりきったりして楽しんでいたようだ。
 食事に関しても、各国のものを楽しむことができる。中国、台湾、ドイツ、イタリア、アフリカ、インドなどなど、本場のコックさんが作っている(たぶん)。値段設定も低めで、味の評判も上々だ。ワニらーめん、ワニどっく、というのが気になったけど、もちろん食べたりはしなかった。
 おみやげも、外国のいろいろなものを取り揃えている。そういうものが好きな人にとっては魅力的だろう。
 どこの観光地でも言えることだけど、ここもお金を使えば使うほど楽しめる仕組みになっている。逆に言えば、入場料だけで済まそうとする私などは、リトルワールドの本当の楽しさを半分も味わえないと言えるかもしれない。しっかり楽しもうと思ったら、入場料を入れて5,000円くらいは考えておいた方がよさそうだ。

 写真は、イタリアのアルベロベッロの家と、その地方の衣装を身につけたおふたりさんだ。この衣装のまま家からやって来たわけではない。でも、こんな格好で歩いていてもこの中では違和感はない。写真だけ見ると日本じゃないみたいだ。
 このあたりが個人的には一番気に入った。イタリアの民家やドイツの村や教会、花畑などがあって、人も多く、華やいだ雰囲気に包まれていて。
 1周2.5km。建物の外側だけ見て歩いて約1時間。家の中まで見学して2時間コースといったところだろう。けっこう広いけど、明治村に比べたら半分くらいという印象だった。でも、ひとつひとつ丁寧に見ながらおみやげを選び、ご飯を食べてしていたら一日でも回りきれない。
 それにしても、なんだか妙に楽しかったというか面白かったという印象が残ったリトルワールドだった。愛・地球博を経験したあとだったということも影響してるかもしれない。何か特別これといったものがあるわけではないけど、非日常的空間に身を置くことの浮き立つ感じとでも言おうか。まさにそこは、名前通り縮小した世界だった。中学生の自分に、面白いからしっかり見ておけと言ってもたぶん伝わらない。あの頃しっかり見たとしても楽しいとは感じなかったに違いない。ここは大人になってから行ってこそ、じんわりと面白いところだ。

 今後リトルワールドが閉鎖に向かわないためにどうしたらいいのかを私なりに考えてみた。何かが足りないのは確かで、それは何かといえば、やはり刺激だと思う。緊張感と言い換えてもいいかもしれない。だから、こうしよう。まず、それぞれ民家の中にその国や地方の人を住まわせるのだ。できれば一家で生活してもらおう。モデルルームに家族が暮らすみたいに。なんなら、お昼時にはあがらせてもらって昼ご飯をごちそうになるのもいい。 
 更にリアル度を増すために、部族の方々には本国での暮らしを再現していただこう。暗いテントの中から白い目だけがこちらを見ていて、目があったらヤリを持ってときどき飛び出してきてもらうというのはどうだろう。スリリングでエキサイティングではないか。
 そこまでやってこそ真の野外民族博物館と言えよう。見たこともない外国人が聞いたことものない外国語を話してるというのは、とても貴重な体験となる。家の中で暮らしてもらうというのは無理にしても、もう少し外国人スタッフがいたら、もっと雰囲気が出るはずだ。入り口のチケットの人や、乗り物の運転手、案内係などだけでも外国人の方がいいと思う。愛知県あたりではそう日常的に外国人と触れ合う機会がないから、リトルワールドでたくさん異人さんを見たとなれば、中高生にとっても強い印象として残るに違いない。
 いろいろ考えてたら、すごく面白いリトルワールドになりそうな気がしてきたぞ。展示ではなく再現するところがポイントだ。言うなれば、外国版の映画村みたいなものをイメージすればいいと思う。本物のエキストラがそこで農作業をしてるだけで外国気分が味わえること間違いなし。教会には牧師さんがいて、貴族の家のテラスでは優雅にお茶を飲んでいる。アルプスの少女が花畑を駆け回り、沖縄の軒先からは三線の音色が聞こえてくる。そんなニュー・リトルワールドが実現したら、ぜひとも行ってみたいと思う。

作りたくて食べたいサンデー料理は見えたけど

料理(Cooking)
作りたくて食べたいサンデー

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/60s(絞り優先)



 具体的なイメージがないまま、今日は自分が作りたくて食べたい料理を作って食べるというテーマで出発した。結果的にそれは、日本の食材を使ったフランス料理寄りの料理となった。今そこにあるサンデー料理、これがその答えだった。
 頭の中にあるイメージとはまだ遠いけど、少しずつ近づいてきてはいる。日本人好みの家庭料理としてのフレンチ、それがたぶん私が作りたいと思っているものなんだろう。最終的なゴールというのではなく、料理するの? うん、けっこう得意だよ、じゃあ作ってみてよ、いいよ、はい、どうぞ召し上がれ、わー、すごい、美味しいー、と言ってもらえるところまではいきたい。もちろん、基本としての和食ももっと上達しなければならないのだけど。

 今日も3品。だいぶ量と時間をコントロールできるようになった。予定時間通りに完成するようになったし、量も多すぎず少なすぎず食べきれるだけ作れるようになった。
 1品目はマグロのカレーかけ。これは、テレビ「いきなり黄金伝説」でオリエンタルラジオがマグロ一匹丸々食べる伝説を作っているときに出てきたものだ。ふたりも美味しいと言っていたし、見ていても美味しそうだからぜひ作ってみたかった。
 マグロの切り身を短冊切りにして、塩、コショウを振ってしばらく置いたあと、カレー粉をまぶしてサラダ油で焼く。ソースはカレールーを水に溶かしながら温めて、そこに牛乳を加え入れてマイルドな味にして、あとは焼いたマグロにかけるだけだ。
 マグロとカレーというのは意外な取り合わせだけど、普通に美味しかった。相性もいい。魚嫌いの子供なんかにも食べさせてあげたい。シーフードカレーのときこれを入れてもいい。カツカレーのマグロ版ということで。ただ、赤身は焼くと固くなるので、白身の方がいいかもしれない。黄金伝説はマグロしか食べられないからマグロを使っただけで、私までマグロを使う必要はなかったのだ。食べてから気づいた。

 2品目は右の名前のないオリジナル料理。
 まずジャガイモを茹でて輪切りにする。トマトも輪切り。鶏肉は適当な大きさに切り、アスパラガスは外皮をむいてほどよい長さに切る。これをオリーブオイルとバターでじっくり焼く。
 ソースは、オリーブオイルをベースに、酢、塩、コショウ、バジル、黒コショウ、白ワイン、ハチミツを混ぜ合わせたものをひと煮立ちさせる。
 最後にジャガイモから積み重ねて、とろけるチーズを少し温めて上に乗せ、パセリとソースをかけて出来上がり。ちょっと食べづらいのが難点だけど、今日の中では最もフレンチ寄りの料理だった。

 3品目は、シーフードのキャベツ巻き。
 キャベツを電子レンジで2分ほど加熱して、塩、コショウを振る。
 エビ、ホタテ、白身魚はあらかじめ少し焼いて火を通しておく。それをキャベツに包み、湯で溶かしたチキンブイヨンでしばらく煮込む。
 ソースは、卵黄、オリーブオイル、バター、塩、コショウ、酢、マヨネーズを混ぜたものを温めて作る。
 ロールキャベツのシーフード版だけど、和食とは違う鮮やかな色合いにインパクトがある。

 ということで、自己採点は72点。けっこう低くなってしまったのは、調理方法や味付けに少し不満が残ったから。焼いたマグロの食感が思った以上に固かったのと、シーフードキャベツ巻きの味にもうひと工夫欲しかった。そのあたりがマイナス点となった。
 料理回数を数えたら今回で36回目になっていた。回を重ねるごとにだんだん求めるものも高くなっていくし、自分にも厳しくなっていくのは仕方がないことだ。
 ただ、自己採点100点の料理ってどんなだろう、って考えると具体的には思いつかない。元々食べることへのこだわりが人並み外れて低かった私なので、これまで積極的に美味しいものを食べようとしてこなかった。高級レストランの味もほとんど知らないし、最高の食材を使った最高の料理がどれくらい美味しいものなのかも分かってない。今までのベストといったら、高級松阪牛のすき焼きくらいしか思いつかない私なのだ。
 今後の課題としては、自分で料理をしていく一方、プロが作った美味しいものを食べていくというのも大事になっていくだろう。実際の差を知らないと、我流ではいつまで経っても85点以上の料理は作れない気がする。
 そんなわけで、私を高級店に連れてって。セリカGT-Fourで迎えに行きます。車の中のBGMは、もちろんユーミンのヒットメロディー。しかも、カセットテープ。
 ちょっと、B面にひっくり返して! などとお願いするかもしれないけど、そのときはよろしく。

ツバメで修行してカメラ版ツバメ返しを会得すべし

野鳥(Wild bird)
飛ぶツバメ

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/250s(絞り優先)



 ツバメは日本人にとって身近な野鳥ベスト5に入るだろう。ハト、カラス、スズメなどとともに。街にツバメが飛び始め、民家の軒先などに巣作りを始めると、ああ、もう初夏なんだなと感じる人も多いと思う。しかし、このツバメが他の身近な鳥と決定的に違うのは、彼らはれっきとした渡り鳥だということだ。冬の間、暖かい東南アジアの島々やオーストラリアで過ごしていたツバメは、春になると何千キロもの距離を飛んで戻ってくる。あんな小さな体のどこにそんな持久力があるのか不思議だ。
 ツバメの飛行能力はかなり高い。平均時速50キロ、渡りの時は最高速度200キロくらいまで出せるという。そんな高速飛行で一日300キロも移動する。名古屋-東京間を一日で飛んでくるということだ。しかも、単独飛行で。ツバメの渡りがあまり話題にならないのは、群れて飛んでこないからというのもあるだろう。海面すれすれを一羽で低空飛行してくる。
 そんな苦労をして一年に2度も渡るツバメだけど、不思議と悲劇性は弱い。苦労が顔に出ないタイプというのか、ツバメにまつわる悲しい話というのは聞かない。人間にとっての害虫を食べてくれる益鳥で、人間と近いところで生活してることもあって、昔から人はツバメをけっこう大事にしてきた。家に巣を作ると縁起がいいなどと言って。人間の生活圏に近い賑やかな場所に巣作りをするのは、他の鳥に狙われないようにするためのツバメの知恵なのだけど、これほど人間と相性がいい野鳥は他にいないような気がする。姿がさほど美しくなく、鳴き声がきれいじゃないこともツバメにとっては幸いした。おかげでカゴの中で飼われずに済んだ。

 日本には5種類のツバメがいるといったら意外に思う人も多いかもしれない。ツバメって1種類じゃないの? と少し前まで私も思っていた。
 普通に見られるのは、いわゆるツバメだ。私たちが普段目にするものはたいていこれだと思って間違いない。他には、山や海の岩場などにいるイワツバメ、体の赤い部分が目立つコシアカツバメ(これは南に多い)がいて、あと、北海道にはショウドウツバメ、南西諸島にはリュウキュウツバメがいる。
 大きさは約17センチ。背中は黒と思いがちだけど、光が当たると光沢のある青をしていることが分かる。のどと額に少し赤があり、腹は白色。尾羽は二股になっていて、長い。この白黒ツートンの模様と尾の様子から、燕尾服という言葉が生まれた。ツバメは漢字で書くと燕だ。
 エサは飛びながら飛んでいる虫を捕らえる。カ、ハエ、アブなど、人間から見て苦手なものを食べてくれるありがたいやつだ。それ以外にも、蛾や蝶、トンボなども食べる。なんだかんだで、一日に300匹くらいの虫は食べてるんじゃないかということだ。もし、日本からツバメとコウモリが姿を消してしまったら、虫の数がとんでもないことになってしまう。自然というのは、つくづく上手くできていると感心する。

 日本にいる間に、たいてい春先と初夏に2度、子育てをする。卵を産んでから温めて孵して子育てをして巣立ちさせるまで約ひと月半。二度目のヒナが巣立ちを終えると、親鳥も若鳥も、民家の近くを離れ河原などに集まっていく。数十匹が数百匹になり、最後は数千、数万になることもあるという。そして、秋風が吹き始める頃、南に渡っていく。
 何故危険を冒してまで渡るのか? それはツバメに訊かなくては分からないし、ツバメ自身もよく分かってないのかもしれない。エサの問題もあるのだろうけど、それだけではないような気もする。単に損得勘定のようなものだけではなく、もっと本能的、衝動的に突き動かされるものがあるんじゃないだろうか。人間の言葉で言えば、旅とかロマンとか冒険のような想いが。
 ツバメが巣立ったあとの巣を見てふと思う人がいるかもしれない。燕の巣って、中国じゃ高級食材なんだよな、と。しかし、あれはまったく別のアナツバメの巣だ。日本にいるツバメの巣なんてスープに入れても、泥と枯れ草とツバメの巣が溶け出すだけなので、間違ってもスープにしてはいけない。そんなやつおらんやろう~(大木こだま)。

 このツバメの写真を撮りながら思ったのは、ツバメって飛んでる鳥を撮る練習台には最適なやつだな、ということだった。飛ぶスピードは速く、動きも不規則ではあるけど、なんといっても何度も何度も飛んでくれるのがありがたい。飽きるか、力尽きるか、メモリカードが一杯になるか、デジが熱暴走するまで撮ることができる。場所は、街中ではなく、開けた田んぼや河原なんかがいい。上手く流し撮りなんかが決まると、とっても嬉しい。
 飛んでるツバメを相手に剣の修行をして、佐々木小次郎は必殺のツバメ返しを編み出したと言われている。写真もある種の修行とするならば、その精神はカメラでも受け継がれていい。そして、カメラ版ツバメ返しを体得したら、次は宮本武蔵に習って二刀流の修行だ。カメラを2台、両手に持って、左右の目で両方のファインダーを同時にのぞき、そして2羽の飛んでるツバメを撮る。そのときこそ、田んぼの中心でこう叫ぶのだ。小次郎破れたり! と。
 って、そんなことできるのか!?

モンキーセンターのヤクザルは尾張弁をしゃべっとる? 2006年6月2日(金)

動物園(Zoo)
モンキーセンターのヤクニホンザル

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/125s(絞り優先)



 モンキーセンターの猿山にたくさんのサルがいた。えーと、1、2、3、4、5、6、って、すんごいいるぞ。数え切れんっ。ざっと見た感じ100頭くらいはいただろうか。こんなにサルは必要ないだろうと思いつつネームプレートを見ると、ヤクニホンザルとある。あ、もしかして、これって例の屋久島のニホンザルか。なるほど、納得した。飼育展示だけでなく、京都大学霊長類研究所の観察研究も兼ねているのだろう。おそらく、ヤクニホンザルを飼育してる動物園は、ここ以外にほとんどないんじゃないだろうか。
 それにしてもたくさんいる。そして、それぞれ思いおもいに過ごしていた。あるものは数匹で固まり、あるものは追いかけっこやケンカをし、あるものは高いところに座って何やら考え込んでいる。まるで人間社会を見るようだった。

 ヤクニホンザルは略してヤクザルと呼ばれることも多い。または、ヤクシマザルとも言う。
 日本にはニホンザルが昔からすんでいる。北海道と沖縄以外、北は青森県下北半島から南は九州まで。日本において、人間以外の霊長類はニホンザルだけだ。先進国で霊長類が国内にいるのは日本だけという言い方もできる。
 他のサルと比べてニホンザルの特徴となるものは、尾っぽが短いのと、顔と尻が赤いところだ。サルといえば赤ら顔と相場が決まっているように思うけど、世界のサルはそうではない。サルはもともと熱帯にすむもので、寒いところにいるのは日本のサルだけだ。下北半島はサルの北限となっている。
 ヤクザルというのは屋久島にのみいるやつで、普通のニホンザルと比べて体がやや小さく、体毛が少し粗くて長い。見た目もその通りで、小柄で毛並みがゴワゴワしてる印象を受ける。赤ん坊は黒っぽい。ただ、遺伝的にはニホンザルとほとんど変わらないという。島で閉ざされたことで、交配が限られたことで違う特徴を持つようになった。隣の種子島にいたサルは1960年代に絶滅してしまったそうだ。
 現在、屋久島でのヤクザルの生息数は、5,000頭から1万頭ほどではないかといわれている。生息数予測に幅があるのは、地形的に奥まで調査ができないため、実際の生息数は知りようがないからだそうだ。実際のところよく分かってないらしい。日光のサルのように観光客の弁当を盗んだりとか、そういう人との積極的な関わりが少ないせいもあるだろう。屋久島も観光客が増えて、ある程度は人に慣れてるらしいけど。
 屋久島は鹿とサルと人が同じ数、そんなふうな言われ方もしている。

 大きさは、オスが体長50センチで体重12キロくらい、メスがそれより少し小さいくらい。尾っぽは10センチ前後。歯は人間と同じ乳歯20本、永久歯32本というから、やはり遺伝子的に人間に近い。
 寿命は25年から30年くらい。繁殖期は10月から12月で、出産は4月から6月にかけて。たいていひとりっ子で、まれに双子。一年おきに出産する。
 サルというと猿山のボスというイメージが強いけど、野生ではそういうはっきりした存在のオスはいないという説もある。数十から数百の群れを作り、順位ははっきりあるものの、オスは4、5年で群れを出て他の群れに移るので、基本的には母系社会と言った方がいい。
 行動は昼で、夜は寝る。特定の巣は持たないので、食べ物を探しながら群れでゆっくり移動して、日が沈んだら適当な場所で寝る。
 食べ物は現地調達。果物、葉や木の実などの植物の他、昆虫や水辺の生き物なども気が向くと食べる。海の近くで暮らしてる連中は魚介類なども食べるそうだ。

 サルにも方言がある。そんな研究結果が発表された。日本モンキーセンターのヤクニホンザルを調べて分かったことだった。愛知県に最初のヤクザルがやって来たのが1956年。それから世代を重ねた愛知のヤクザルと屋久島のヤクザルの発声を比べたところ、屋久島の方が780ヘルツ、愛知が670ヘルツと、110ヘルツも違うことが分かった。これは、屋久島の方が障害物が多く、遠くまで声を伝えなければいけないから高い音声なのに対して、愛知のものはそんなに大声を張り上げなくても聞こえるのでだんだん低くなっていったのではないかと考えられている。
 面白いのは、愛知のヤクザルも生後6ヶ月までは屋久島と同じ発声なのに、1才になるとはっきり愛知のものになるということだ。これはつまり、母親や他のサルから後天的に教えられたということを意味する。いつかサル翻訳機が発明されたら、愛知のヤクザルは名古屋弁をしゃべっていることが分かるかもしれない。
 日本モンキーセンターのヤクザルといえば、冬のたき火と焼き芋が風物詩となっている。もともと寒さにはあまり強くないサルたちは、冬になると団子のように固まって動かなくなる。温泉に入るサルなども有名だ。そして、ここのサルたちは火をまったく怖がらないので、たき火が始まるとその周りに集まってきて、そこで焼かれる焼き芋をみんなで奪い合う。でも、熱々ですぐには食べられないし持てない。そこで誰かが考えた。まず水に濡らせば冷めてすぐに食べられるぞと。いったん誰かが思いついたものはみんなが真似するようになる。いわゆる猿真似だ。それだけ賢いということでもあり、それが群れの文化となり、次の世代へ伝えられていく。
 愛知にやって来て50年。世代交代して、もう屋久島生まれのサルはおそらくここにはいないのだろう。愛知生まれのヤクザルは屋久島の夢を見たりしないんだろうか。研究も大切だけど、いつかみんな揃って島に帰れるといいねと思ったのだった。

写真で蝶集めをするゆるいコレクター

虫/生き物(Insect)
コムラサキだと思うけど

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/80s(絞り優先)



 初夏から夏へと季節が移ろうとしている中、どうにも今年は飛んでる蝶の絶対数が少ないような気がしてならない。街中はもちろん、森や野山でもそう感じる。夏になれば帳尻は合うのか、それとも今年はこのままなんだろうか。
 それでもちょくちょく撮れてきたので、このへんで一回まとめて載せてみることにした。とりあえず今日は3種類。

 まず1枚目は、おそらくコムラサキでいいと思う。翅を閉じていて裏側しか見えてないので自信はないのだけど、たぶんそうだろう。初めて撮れたので、これは大物か!? と喜んだら、案外身近なやつだった。日本全国、どこにでもいるらしい。なんだ、ちょっと残念。
 名前の由来は、翅の表側が光の当たる角度によって紫色に見えるところからきている。これよりひとまわり大きなオオムラサキに対してコムラサキとなった。ただ、隠し紫とも呼ばれるくらいなので、いつもはっきり色が見えるわけではない。紫に見えるのはオスだけで、メスは紫色を持っていない。
 れっきとした蝶だけど(触覚の先がふくらんでいるので見分けがつく)、花の蜜はほとんど吸わず、腐った果物や樹液、もしくは動物のフンにむらがる。人間から見ると、あまり食べ物の趣味がいいとは思えない。
 このときは強い風が吹いていて、草にしばみついているのが精一杯でまったく逃げようとしなかった。ただ、おかげで翅を開いたところはまだ見ていない。次こそ翅の紫色を撮りたい。

モンシロチョウ春型 2枚目はお馴染みのモンシロチョウ。しかし、白ければ全部モンシロチョウというわけではなく、スジグロシロチョウやエゾスジグロシロチョウだったりすることもあるので、すぐに決めつけない方がいい。
 もともとこの蝶は、モンクロシロチョウと呼ばれていた。紋が黒い白い蝶だから当然そうだ。クロアゲハでも紋が黄色いものはモンキアゲハと名づけられている。それが、名前が長ったらしくてややこしいということで、いつの間にかモンシロチョウになってしまった。
 メスの方が前翅の黒い部分が大きく、つけ根が灰色をしていて、オスの方がやや黄色がかっている。紫外線を当てるとはっきりした色の違いが出ることはよく知られていて、紫外線が見えるモンシロチョウは色でオスとメスを判断してるのではないかと言われている。
 モンシロチョウは大昔から日本にいたわけではなく、有史以前に農耕文化と一緒に大陸から渡ってきた。幼虫のエサであるキャベツなどが作られるようになったことで定着し、数を増やしてきた。なので、人の生活との結びつきが強く、人里離れた場所ではほとんど見かけない。


アカタテハかヒメアカタテハか

 最後は、アカタテハか、ヒメアカタテハだと思うけど、これも確信が持てない。帰ってきてから区別の仕方を知った。後翅の表側が茶色のがアカタテハで、前翅に似た色が付いてるのがヒメアカタテハだそうだ。写真を撮るときに開いてるとことも見たのだけど、どっちだっかは覚えてない。翅の裏側から見分ける方法はあるんだろうか。
 ヒメアカタテハだとすると、これは世界で最も広く分布している蝶だそうだ。個人的にはほとんど馴染みのなかった蝶なので意外に思う。南極大陸以外のすべての大陸にいるというから驚きだ。成虫の状態で冬眠して冬を越せるというのも強みだろうか。
 アカタテハの分布は、インドからオーストラリア、日本あたりとやや狭まる。

 子供の頃から蝶は好きで、よく追いかけた。でも、あまり捕まえたという思い出がない。それは私が鈍かったわけではなく、捕まえるのがあまり好きじゃなかったからだ。ましてや注射を打って標本を作るなんてことは恐ろしくてしようという気にもならなかった。だから、蝶を触った記憶もあまりない。
 今はカメラがタモ代わりになっている。これなら蝶を傷つけず思う存分コレクションすることができる。軽いコレクター体質の私には写真くらいがちょうどいい。この夏も、たくさん蝶が撮れたらいいなと思っている。ある程度種類が増えてきたら、個人的な蝶図鑑を作るのも楽しそうだ。
 もうひとつの目標としては、青空バックに飛んでいる蝶の写真を撮ることだ。去年も狙っていたのに、ついに一枚も撮れなかった。今年こそという思いは強い。
 まずは基本に返るということで、スタイルからビシッとしていきたいと思う。上は白いランニングシャツに、頭は麦わら帽、首にはタオルをまいて、下はもちろん短パンだ。はだしに運動靴を履いて、さあ出かけよう。でも、その格好で家から出て行くところを近所の人に見られたら困るので、森の木陰でこっそり着替えなくてはならない。白いワンピースと白いつば広帽子というスタイルで蝶撮りにつき合ってくれる方を募集します。ふるってご応募ください。

モンキーパークのモンキーセンターのモンキーたち

動物園(Zoo)
ジェフロイクモザルの親子

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/250s(絞り優先)



 日本モンキーパークか、日本モンキーセンターか、それが問題だ。出向いていく上で、まずそれをはっきりさせておきたかった。一体どっちが正しいのだ。
 正解はどちらも正しい。でも、話は少しややこしい。ここはサルの動物園であるモンキーセンターと、遊園地であるモンキーパークが合体した施設で、あわせてモンキーパークと呼ばれている。モンキーセンターは動物園の財団法人名でもある。モンキーパークへ行くといえば、それはモンキーセンターとモンキーパークの両方へ行ってもそうなるし、どちらか片方しか行かなくても間違いではない。そんなことどうでもいいって? いや、ずっと気になってたんで、一応はっきりさせておこうかと。
 今回私が行ったのは、モンキーパークの中にあるモンキーセンターだ。ひとりで子供用の遊園地へ行って乗り物に乗ったりヒーローショーを見てる場合じゃない。
 ここは世にも珍しいサル専門の動物園で、サルに関する研究や野生ニホンザルの保護繁殖を目的に、昭和31年に作られた。その後、動物園としての色合いを濃くする一方、それだけでは人が呼べなくなって遊園地を併設することになる。さらに、昭和44年には京都大学霊長類研究所が設立され、この場所は日本におけるサル研究の最前線となっている。天才チンパンジーのアイ親子もここの研究所で暮らしている(一般公開はしてない)。
 現在、74種650頭のサルがいるそうだ。この種類と数は世界でもトップクラスだという。

 入場料1,500円は微妙な線だ。遊園地とサル園を一日なり半日なりかけてくたくたになるまで回って遊べば安いと言えるかもしれないけど、私のようにサル園を一周見て回るだけだと高い。写真を撮りながらゆっくり回っても1時間半ほどしかかからない。かといってもったいないからと遊園地でメリーゴーランドに乗っても、元は取れた気がしない。あ、乗り物は別料金か。
 あと、駐車場の1,000円はいくらなんでも高すぎるだろう。距離が遠い方から私設駐車場が200円、300円、500円とあるそうなので、多少歩いてもいいならそちらの方がいいかもしれない。もうひとつの手としては、成田山にお参りに行くついでに、成田山の無料駐車場に車を置いて、その駐車場から出ているモノレールで行くという方法もある。これなら片道150円で往復300円。パークの中に直接入れるので歩かなくてもいい。少人数の場合はこれも選択肢のひとつとなる。更に節約したければ、成田山の駐車場から15分くらい歩くというものありだ。

 さて、日本モンキーセンターへ行ってきた感想だけど、結論から言って、一度行けば充分だなというものだった。2時間かけて回り切った。3年くらいしたらまた行ってもいいけど、年に2度行こうとは思えない。近所でもないし。
 サルの数は確かに普通の動物園よりも多い。ただ、大部分がオリの中で、外の広いところ優遇されてるサルたちの種類が思ったよりも少なかった。私の場合は、写真を撮るという点においての判断なので、見るために行く人とはちょっと違うのだけど、写真を撮れるポイントは5、6ヶ所くらいしかなかった(猿山やマントヒヒ、リスザル、ワオキツネザルなど)。細かい網目のオリは写真に撮るのは難しい。室内に入ってしまうと、暗くて完全にお手上げになる。
 ここの施設の主目的がサルの保護研究なので、これはもう仕方がない。最初から動物園として発足してるわけじゃないから。ただ逆に言えば、サルをたくさん見てみたいという人にはこれ以上オススメの場所はない。基本的な顔ぶれはすべて網羅されてるし、日本ではここでしか見られないような珍しいものもいる。広いところで半分放し飼いになってるようなところは、野生の姿に近い素晴らしいものもあった。

 写真のサルはジェフロイクモザルという。彼らは特別待遇で迎えられているやつで、たぶんこいつが一番住み心地がよさそうなところにいた。ジェフといっても、松田聖子の元恋人とは関係ない(そりゃそうだ)。クモザルと呼ばれるグループの一種で、南メキシコから北ブラジル、ボリビアあたりのジャングルに生息している。
 特徴は、なんといってもシッポだ。とても力強く、手足と同じように器用に使うことができる。クモザルというのは、シッポ一本で逆さまにぶら下がったりする姿や、細長い手足とおなかがふくらんでいる様子からそう名づけられた。英語でもスパイダーモンキーと呼ばれている。
 シッポの先の下側は毛がなくて、指紋のような尾紋がある。これはものを掴んだり触ったりするとき敏感に感じられるようにするためにそうなったと言われている。
 シッポを発達させた代わりということもないんだろうけど、親指が退化してしまってない。4本指なので手でものを掴むのは苦手のようだ。確かに親指がなければ箸だって持てない。
 生活の場は主に木の上で、地面では2本足で歩く。オスメス複数混成の20頭前後くらいの群れを作り、気の合った数頭で行動することが多いという。知能はかなり高いらしい。
 妊娠期間は200日~250日ほどで、たいてい子供は一頭。でも、モンキーセンターでは何度か双子が生まれているそうだ。写真のように親子は仲良しで、子供が母親にくっついてる期間も長いという。
 メシは雑食。果物や木の実だけでなく、鳥の卵や昆虫なども食べる。

 いろんな部分で微妙な印象だった日本モンキーセンター。決して嫌いじゃない。施設としても決して眠ってるような感じはなかったし、東山動物園ほど古びてもいない。希望としては、もう少しサルたちをたくさん外に出して直接見たり、写真を撮ったりできればいいのにと思うけど、そういうことがメインじゃないということは理解できる。これはこれでいいのかもしれない。年々、見学者の要望にこたえて改善していってるところもあるのだろうし。
 私としては、3年後とは言わず、半年後とか一年後くらいに、またフラッと行ってみようと思っている。写真が撮れるポイントは今回で掴んだから、次はその場所でじっくり粘って、いい瞬間を撮りたい。
 それにしても、世界はこんなにも多くのサルを必要としたのかと思ったら、なんだかちょっと笑えてきた。地球って、本当に面白いところだ。