月別:2006年05月

記事一覧
  • 身近にいて手が届きそうで触れられない水辺のアイドル

    Canon EOS 10D+SIGMA 70-300mm APO(f4-5.6), f5.6, 1/50s(絞り優先) カワセミはクラスのアイドルのようにみんなを夢中にさせ、素知らぬふりをして美しくたたずんでいる。すぐ近くにいるのに容易には触れられない。近づこうとすると逃げ、あきらめるとまた戻ってきていつもの場所にいる。近くて遠く、遠くて近い、それがカワセミだ。 このコバルトブルーに魅入られて鳥好きになった人間は多い。私もそのひとりだ。初めて春日井...

    2006/05/31

    野鳥(Wild bird)

  • 貧乏性が招いた小堤西池カキツバタ遅刻

    Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/200s(絞り優先) 天然記念物と言われると無条件にありがたがってしまう典型的日本人の私としては、今年もまた小堤西池の天然記念物カキツバタを見に行かずにはいられなかった。だって、天然記念物ですぜ、旦那。オカミが言うんだから間違いねえ。と、このときばかりは何故か長屋の小市民のようになってしまう私。天然の女の子だって嫌いじゃない。 去年初めてその存在を知...

    2006/05/30

    花/植物(Flower/plant)

  • バスク精神のカケラは宿っていたか?

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/80s(絞り優先) バスク料理、それはスペインでもありフランスでもあり、スペインでもなくフランスでもない、バスク地方特有の料理だ。今回のサンデー料理は、そのバスク料理に挑戦してみた。バスク精神のカケラでも宿りますようにと、西の方角を向いて祈りながら。 フランスとスペインにまたがる約1万平方キロメートルの土地をバスク地方と呼ぶ。バスク人たちがどこからやって来たのか、誰...

    2006/05/29

    料理(Cooking)

  • アルパカは大昔から毛を伸ばすために生きてきた

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先) わっ、なんだこいつ、何か変。異常にモコモコの体つきと、白粉を塗ったような顔のバランスが悪っ。足もとを見ると、妙に頼りなくて、大きなぬいぐるみの中に小さな子供が二人、獅子舞状態で入ってるような感じだ。なんか、笑える~。何者だろうと思ってプレートを見ると、アルパカとある。アルパカ? どっかで聞いたことあるような。ああ、そうか、あのセーターと...

    2006/05/28

    動物園(Zoo)

  • カメラ機能のためだけにカメラ付きケータイを買う男

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/80s(絞り優先) ふと思い立ってケータイを買った。正確に言うと、カメラが付いたケータイを買った。カメラ機能を使うだけのために。 通話用のケータイは、大昔のtu-kaを持っていて、ほとんど使ってないから機種変更の必要はまるでない。基本料金が980円とかの超低額コースのサービス分500円無料通話さえ使いきれない私だから。でも、ケータイのカメラは欲しいと前々から思っていた。そして...

    2006/05/27

    カメラ(Camera)

  • 森という名を持つ森じゃない小牧ふれあいの森

    Canon EOS 10D+TAMRON28-300mm XR(f3.5-6.3)+C-PL, f5.6, 1/100s(絞り優先) 小牧市のはずれに「ふれあいの森」という名の場所がある。私はこれまで3回行ったことがあるが、どんなところなのと問われると、うーんとうなってしばらく考え込んでしまう。なんか、変な場所なんだよねぇ、と言ってあとが続かない。地図で見つけて、森というから森なんだろうと思っていくと、なんか違うぞここ、と感じるだろう。ペットボトルの水と思...

    2006/05/26

    施設/公園(Park)

  • 出遅れヒトツバタゴは、すでに雪解け寸前だった

    Canon EOS 10D+TAMRON28-300mm XR(f3.5-6.3)+C-PL, f4.0, 1/60s(絞り優先) 少し前からヒトツバタゴのことが気になっていた。今年こそ犬山の自生地で天然ものを見てみたいと思いつつ、なかなかその気にならなかった。それが今日になって突然見たくなった。もう満開は過ぎていると分かってはいたけど、せっかくの気持ちを無駄にしてはいけないと行くことにした。風が強い日だったので、もしかしたら白い花吹雪が見られるかもしれ...

    2006/05/25

    花/植物(Flower/plant)

  • 家から2時間向こうにいる幸せの青い鳥

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.6, 1/250s(絞り優先) 山道をヒーヒーフー、ヒーヒーフー、と言いながら登っていると、頭の上の方から澄んだ鳴き声が聞こえてきた。聞き慣れないさえずりに大物の予感。足をとめて、木々の間を注意深く見渡すと、枯れ木のてっぺんで鳴いている鳥を発見した。おおー、もしや、キミは! もしかして、ひょっとして、あなたはオオルリさんですか? ずっと憧れていた、あの? 目を五木ひろ...

    2006/05/24

    野鳥(Wild bird)

  • コアラが動き回る動物だったら人気者になっていたかな?

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/8s(絞り優先) 東山動物園一番の名物は、やはりなんといってもコアラだろう。なのに、どうしてここまで登場が遅れたかというと、コアラの写真ってオーケイなの? という問題が解決しないままだったからだ。昔は確かコアラ舎の中では全面的に写真撮影は禁止だったはずだ。でも、この前行ったら、「フラッシュ禁止」とプレートがかかっていた。フラッシュ禁止ということは、普通の撮...

    2006/05/23

    動物園(Zoo)

  • 趣味で作る料理はフレンチが一番楽しい

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/30s(絞り優先) 先週のサンデー料理は母の日崩れ和風だったから、今週はフレンチにしてみた。食材はフランス産じゃないし、白い米のご飯だからフレンチとは言えないけど、どこかに所属させるとしたらフレンチに入れてもらうしかない。ボンジュー、ちょっとお邪魔します。サ・ヴァ? 何料理が一番好きかと問われれば、迷うことなく和食と答える。じゃあ作るのも和食が一番楽しいか...

    2006/05/22

    料理(Cooking)

  • 昔も今もトンボを好きな気持ちは変わらない

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/125s(絞り優先) 見慣れないトンボが私を誘うようにヒラヒラふわふわと飛びながら遠ざかり、止まったところに近づくと、またフッと飛び立ってハラハラと舞って距離をとる。なおも追いかけ、フラフラと迷い込んだ藪の中。そぉっと近づき、やっと撮らせてくれたのがこの一枚。期せずして珍しい角度のトンボ写真となった。 さて、これは何トンボだろうと家に帰ってきてから調べてみた...

    2006/05/21

    虫/生き物(Insect)

  • ゴマちゃんやタマちゃん、オカちゃんやナカちゃんの話

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/800s(絞り優先) 地上ではもそもそと腹ばいでしか動けないアザラシも、水の中ではカメラも追いつけないほどの速さで泳ぐ。プールの中をぐるぐるぐる泳いで泳いで回って回って回る~。30周ほど見守っていたら、いい位置で浮かび上がってこっちを向いてくれた。ありがとう、ゴマちゃん。しかしその目は、こいついつまで粘ってるんだという不信感のようなものが宿っていたように見えた...

    2006/05/20

    動物園(Zoo)

  • 黒いアゲハチョウのことは見切ったり

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/640s(絞り優先) 黒色のアゲハチョウを見ると、あ、クロアゲハだ、と簡単に決めつけていた私。しかし、それでいいのか私、という疑問がわき起こったのが去年の夏、初めてジャコウアゲハを見たときだった。それ以来クロアゲハ断定は揺らぎ始めた。そういえばカラスアゲハってのもいたっけ。 これじゃあいけないと、今日黒いアゲハについて基礎から勉強してみた。雨続きで散策にも行...

    2006/05/19

    虫/生き物(Insect)

  • アヒルとマガモとアイガモとガチョウの関係

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm(f4-5.6D), f6.7, 1/350s(絞り優先) あれ? いつまでマガモいるんだ? などととぼけたことを言っていたのは、去年までの私だ。今の私はもう、これがアオクビアヒルだということを知っている。 アヒルといえば白いと決まっているわけではなく、実はたくさんの種類がいる。代表的なのが白いペキンアヒルと、写真のようなアオクビアヒルだ。ペキンアヒルは中国が原産で、アオクビアヒル...

    2006/05/18

    野鳥(Wild bird)

  • 名古屋で一番高い山は198mの東谷山

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/200s(絞り優先) 名古屋市内にも山はある。意外と感じるかもしれないし、そりゃ山くらいあるだろうと思うかもしれない。その中で最高峰の山といえばここ、守山区の北の外れにある東谷山だ。ひがしたにさん、ではなく、とうごくさんと読む。でも、ATOKではとうごくさんでは変換してくれないので、ひがしたにやまと打って変換している。マイナーな地名だから仕方がない。 地元の人間...

    2006/05/17

    森/山(Forest/Mountain)

  • ふたりの時間と距離とアフリカゾウ

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/160s(絞り優先) ゾウを撮ろうと一歩下がったら、そこには小さなドラマがあった。ふたりの時間と距離感といったようなものが、私に、ああ、という言葉にならない感情を呼び起こし、映像だけが残った。 そんな人間模様を何年にもわたって見続けたゾウたち。彼らは狭い世界から人間たちの姿を通して、人生というものがどういうものなのかを学んでいるのかもしれない。とても賢い生き...

    2006/05/16

    動物園(Zoo)

  • 自分の料理に初めて値段が付いたサンデー料理

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/40s(絞り優先) 今日は母の日。だからサンデー料理はお袋の味にしようと思った。けど、カレーにしようか和食にしようか家庭料理にしようかとあれこれ考えてるうちにメニューは横すべりして、気づけばノーマル料理になっていた。こんな料理、母親作ったことないぞ。裏の裏をかいたつもりが表に。 お袋の味というよりも自分の味になった今日のサンデー料理。ちゃんとお袋の味に仕上がったら...

    2006/05/15

    料理(Cooking)

  • 森と親しくなるほど花が呼び寄せてくれる気がする

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先) タニウツギなんて聞くと、女子ソフトボール日本代表の宇津木監督とヤワラちゃんのダンナ谷選手の顔が同時に浮かんで困る。いや、すごく困るわけではないのだけど、ふたりのイメージとこの花の可憐さとのギャップが大きくて、脳の中での処理が追いつかなくて少し困る。宇津木監督のチームにもし私がいたら、確実に泣かされてしまうであろうことを想像してつらい気持...

    2006/05/14

    花/植物(Flower/plant)

  • 魅惑のバラ世界が大きな口を開けて待っている

    Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.2, 1/400s(絞り優先) 5月も半ばが近づき、そろそろバラのことが気になってきた。中部地方最大のバラ名所といえば、岐阜県可児市の花フェスタ記念公園。でも、そこはまだ早い。家から遠いし、入園料もいるから、行くなら最盛期にしたい。まずはその前に近場で無料の王子バラ園へ様子見に行くことにした。 春日井の王子製紙が作っているバラ園で、約200種2,000本のバラを取り揃えているから、個...

    2006/05/13

    花/植物(Flower/plant)

  • 密林の貴公子ボンゴの幻を確かに見たような気がした

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/250s(絞り優先) ボンゴっていいよね! 何の前触れもなく、突然そんな問いかけを投げられて、とっさに答えられる人は多くないと思う。100人のうち3人くらいは、ああ、あの茶色の鹿みたいなやつ? と答えるかもしれない。5人くらいは、マツダの? と問い返し、4、5人はラテンの太鼓みたいなやつだっけ? などと言うだろうか。大部分の日本人は、ボンゴを100字程度で説明するなん...

    2006/05/12

    動物園(Zoo)

  • 蝶と蛾の小さな差と大きな違い

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先) 初めて出会った蝶に小さく感激。家に帰ってきて調べたら、キンモンガ(金紋蛾)と判明。TAKEO KIKUCHIと思って買ってきた服が、よく見たらTAKAO KIKUCHIだったみたいな悲しさ。なんて紛らわしいんだ。 蝶と蛾の差は意外と小さい。でもそこには言葉には尽くせない大きな隔たりがある。本物の大塚愛と自称大塚愛似の女の子のように。 蛾を差別するのはよくない。私...

    2006/05/11

    虫/生き物(Insect)

  • 藤の風情はどこをとっても日本人好み

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5)+C-PL, f4.5, 1/30s(絞り優先) つどいの丘のキリシマツツジを見たあとは、御作町のふじの回廊を見に行くというのが定番メニューと言えるだろう。キリシマツツジは単発、ふじの回廊は散策や山歩きと組み合わせることができるから、セットメニューとしてもちょうどいい。 419号線を北上して、「役場東」交差点を右折、そのまま33号線をキープして10分ほど走ると、ふじの回廊に到着する。橋を...

    2006/05/10

    花/植物(Flower/plant)

  • 5月のノーマル・ウィークは花名所から花名所へ

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5)+C-PL, f4.5, 1/400s(絞り優先) あなたが欲しいのはゴールデンなウィークですか、シルバーなウィークですか、それともノーマルなウィークですかと訊かれ、正直者の私はノーマルなウィークですと答え、見事金と銀の斧を手にはしてないけど、花スポット巡りを再開した。平日の夕方は、名所でも人が少なくていい。 ここは、つどいの丘。といっても、マイナーなスポットなので知ってる人は多く...

    2006/05/09

    花/植物(Flower/plant)

  • 蒸し料理に初挑戦で蒸しキングへの遠い道のりを知る

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/13s(絞り優先) 今日のサンデー料理の第一印象は、見た目悪いなこれ、というものだった。まったく食欲をそそらないこの色合い。どうした、私!? と自らに問いかけてみたものの、もはや修復不可能。このまま黙って受け入れるしかなかった。食堂でこの料理が出てきたら、食べることをちゅうちょしたかもしれない。 今回は、先週の予告通り、蒸し料理に初挑戦というのテーマだった...

    2006/05/08

    料理(Cooking)

  • この季節のケリは目を血走らせて警戒警備中

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f6.3, 1/320s(絞り優先) 田んぼの真ん中あたりからケケケケケッと声がして鳥が飛び立った。あわてて望遠レンズに交換して、連写しまくって、偶然撮れたのがこの一枚。完全なまぐれ当たり。振ってけ、振ってけ! 振らないと当たらないぞ! という少年野球のヤジがこんなところで役に立つとは。確かにそうだ、バットを振らないとボールには当たらないし、シャッターを切らないと写真は撮れ...

    2006/05/07

    野鳥(Wild bird)

  • 屋根より高い鯉のぼりは絶滅危惧種に指定間近

    Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/400s(絞り優先) 5月5日、鯉のぼりを探して車でうろつくこと30分、ようやくいいポジションの鯉のぼりを発見して、ありがたく写させていただいた。いい具合に風も吹いていた。 しかし、30分も探さないと鯉のぼりを見つけられないとは、時代も変わったものだ。屋根より高い鯉のぼりなんてのもめったに見られなくなった。 私たちの世代は、昔から伝わる伝統的な行事をギリギリ見るこ...

    2006/05/06

    風物詩/行事(Event)

  • スーパーな水陸両用カバさんはお金のかかる動物だった

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/250s(絞り優先) 動物園の隠れた人気者カバさん。ライオンやゾウ、キリンなどのメジャーな動物に比べて陰に隠れがちだけど、これが意外と人気があるらしい。動物園にいる好きな動物のアンケートをとってみたら、SMAPのクサナギくんと同じくらいファンが多いことを知るだろう(たとえが微妙で伝わりづらい)。 野生のカバはものすごく凶暴だという。動物園のものはそれほどでもない...

    2006/05/05

    動物園(Zoo)

  • 赤と白ふたつの顔を持つドウダンツツジの今は白

    Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先) まるでツツジっぽくないけど、これもツツジの仲間、ドウダンツツジ。花の格好はスズランやスノーフレークに似ている。 真っ赤に紅葉することでも知られるドウダンツツジは、他のツツジ同様、今がちょうど花盛り。清潔感のある白い花をたくさんつけている。耳をすますとかすかに鈴の音が聞こえてきそうだ。 漢字は、満天星躑躅と灯台躑躅の二種類の書き方がある。...

    2006/05/04

    花/植物(Flower/plant)

  • チンパンジーは遠い将来、人間になるのだろうか

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/200s(絞り優先) 私にとっては珍しいチンパンジーも、チンパンジーからしたらもう人間なんてほとほと見飽きてるのだろう。そんな気持ちがカメラ目線に表れているように思えたのは、私の思い込みだろうか。 人間に最も近いと言われるチンパンジー。賢さゆえに動物園暮らしは厳しいものがあると想像される。大人になった私たちが小学校や中学校に通うみたいに。 それでもチンパンジ...

    2006/05/03

    動物園(Zoo)

  • 森の考える人オランウータンは何を思う?

    Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先) 何やら考えながらたそがれ中のオランウータン。どこか人間っぽくて、愛らしくもあり、悲しげでもある。それは、彼らが孤独を好むという性質とも無関係ではないのかもしれない。 チンパンジーのように木から地へと飛び移ったりせず、ゴリラのように雄叫びを上げて威嚇したりせず、サルのようにギャーギャー騒いだりしない。ゆるやかな共同体の中で、それぞれが単独...

    2006/05/02

    動物園(Zoo)

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身近にいて手が届きそうで触れられない水辺のアイドル

野鳥(Wild bird)
岩屋堂のカワセミ

Canon EOS 10D+SIGMA 70-300mm APO(f4-5.6), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 カワセミはクラスのアイドルのようにみんなを夢中にさせ、素知らぬふりをして美しくたたずんでいる。すぐ近くにいるのに容易には触れられない。近づこうとすると逃げ、あきらめるとまた戻ってきていつもの場所にいる。近くて遠く、遠くて近い、それがカワセミだ。
 このコバルトブルーに魅入られて鳥好きになった人間は多い。私もそのひとりだ。初めて春日井の川でこのカワセミを撮ったときの感動は忘れられない。興奮しながら夢中で連写したのだった。それまでまったく野鳥に興味がなかった私が、曲がりなりにも鳥好きになったのは、あのときのカワセミのおかげに他ならない。
 きれいな渓流にしかいなというイメージを持っている人もいるかもしれないけど、実は街の池や川にもけっこういる。テレビの向こう側のアイドルほど遠い存在などではないのだ。
 かつて、日本中が高度経済成長で汚れていたとき、カワセミはその数をかなり減らした。しかし、意外にも彼らは強い野鳥だった。このままでは絶滅してしまうと感じたのか、生活の場を田舎ではなく都会へと移すようになった。環境の変化に立ち向かうという気持ちがあったのかどうかは分からないけど、結果的に逃げなかったことが正解だった。今では、こんな汚い川にというようなところでさえ生きていけるようになった。地方の女の子が上京して都会の水に馴染むみたいに。

 生息域は、日本とユーラシア大陸。北海道は夏鳥で、他は一年中日本で暮らしている。あまり標高の高いところは好きじゃないらしく、山で見かけることは少ない。
 世界中でカワセミの仲間は多く約900種類ほどいる。日本には、カワセミ、ヤマセミ、アカショウビンの3種類がいる。いずれも大きなクチバシが特徴だ。
 体長は約17センチくらいと、意外と小さい。スズメよりも少し大きいくらいだ。
 体色はいちど見たら忘れがたい。背中のコバルトブルーと、腹のオレンジのコントラスが鮮やかだ。足は赤色をしている。
 オスとメスの見分け方は簡単。オスはクチバシが黒色なのに対して、メスは下のクチバシが赤色をしている。
 美しい姿は、飛ぶ宝石と呼ばれているほどだ。
 エサは主に魚や水生昆虫など。非常にすぐれたハンターで、石の上や木の上からじっと水面を見つめていて、魚を見つけると一気にダイビングして魚を捕まえる。捕まえる確率は80パーセントくらいだというから大したものだ。
 ときどき空中でホバリングしてからタイミング見計らって魚を捕まえたりするというテクニックも持っている。大きい魚はクチバシにくわえたまま石などにたたきつけて、暴れないようにしてから飲み込む。カラス並みに賢いかもしれない。

 繁殖は春から夏にかけて、年に1回か2回。一夫一妻で、卵は一度に5個前後。
 巣作りが独特で、垂直になってる柔らかい土のところにクチバシで奥行き50センチから1メートルくらいの横穴を掘って、そこに卵を産んで育てる。これは敵から卵を守るにはとてもいい場所だ。入り口さえ守っておけば卵をとられる心配はない。大きな鳥は入ってこられないし。こんなところに巣が作れるのは、ヘリコプターのようにホバリングができるからだ。
 子育てはオスメス両方でする。

 カワセミの名前の由来は、川に棲む鳥が転じて、かわすみ、カワセミになったと言われている。室町時代にはすでにそう呼ばれていたそうだ。それ以前は、青を意味するソニからソニドリという名だったとか。
 漢字で書くとカワセミは翡翠になる。これは、宝石のヒスイから来たものではなく、逆にカワセミのことを翡翠と書き、色が似てるから宝石をヒスイと呼ぶようになったんだそうだ。
 英名はkingfisher。釣り人の王様だ。英名は分かりやすいけど、見たまま特徴そのままで味も素っ気もないものが多い。

 公園の池近くや川べりを歩いていると、チーッ! というするどい声を発して、水面近くを速いスピードで飛んでいく鳥を見たことがないだろうか。それがカワセミだ。
 カワセミは縄張りをはっきり持っている鳥で、その範囲は約2キロくらいだそうだから、一度見つけて逃げられたとしても、その場所でじっと待っていたら戻ってくることが多い。特に今の時期は、子育ての最中である確率が高く、ひんぱんにエサをとって帰ってくるので最も見つけやすいときと言えるかもしれない。
 写真を撮ることが好きな人がカワセミを目にしたら、それはもう撮らずにはいられなくなるだろう。たとえ野鳥に興味はなくても。望遠レンズを持ってなければどうしても欲しくなってしまうのが人情というものだ。最初は安いやつを買い、でもだんだんもっときれいに撮りたいという欲が出てきて、奥さんやダンナにナイショでLレンズなんて買ってしまった日にはもう引き返せない。しまいにはデジスコ道を突き進んで、立派な鳥屋さんとなってしまう人もいるだろう。
 私の場合は、まだまだ全然手前なので大丈夫だ。野鳥の会の人でもないし。ただ、手ぶれ補正の300mmだけは欲しいなとずっと思っている。中古相場が3万から4万。微妙な金額。デジタル一眼本体と変わらない金額のレンズ、それが本当に必要なのかどうなのか、一度カワセミさんに問いただしたい。
 ねえ、どう思いますか? などと本当に訊ねたら、カワセミさんはチッチキチーと言いながら飛び去ってしまうことだろう。チッチキチーってどんな意味なんだー、大木こだま師匠ー!?

貧乏性が招いた小堤西池カキツバタ遅刻

花/植物(Flower/plant)
天然に弱い

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/200s(絞り優先)



 天然記念物と言われると無条件にありがたがってしまう典型的日本人の私としては、今年もまた小堤西池の天然記念物カキツバタを見に行かずにはいられなかった。だって、天然記念物ですぜ、旦那。オカミが言うんだから間違いねえ。と、このときばかりは何故か長屋の小市民のようになってしまう私。天然の女の子だって嫌いじゃない。
 去年初めてその存在を知って、喜び勇んで駆けつけたのが5月10日。しかしそれは、焦りすぎで早すぎの勇み足だった。今年は開花が遅れているということで、機が熟すのを待ち、満を持して今日行ってみると、出迎えたのは、写真の光景だった。
 ウソーん、遅すぎたー!? わー、しもたー! やってもうたー! と言ってあたりを駆け回りたくなるほどの手遅れ状態。もらいもののメロンを最高に熟すまで取っておいて腐らせてしまったときのような悲しさ。ああ、哀しき貧乏性。
 完全に失敗した。遅れていたとはいえ、25日くらいがピークだったのだろう。カキツバタは一日で花が終わってしまうから、盛りを過ぎたら一気に終わってしまう。それだけに、ピンポイントで最高のときに行くのは難しい。ネットで動向を掴んでるつもりだったけど、4日の遅れは致命的だった。
 訪れている人もポツリポツリと少なく、なんとなく小堤西池一帯はけだるい空気に包まれていた。かつて賑わっていた遊園地がさびれてしまったみたいに。あきらめきれず池の周りをぐるりと一周してみた。ひとりメリー・ゴー・アラウンド状態。しかし、群生してる場所は残っておらず、散漫な紫がどこまでも広がっているばかりだった。

 小堤西池は、刈谷市の北にある灌漑用の溜池で、昔からカキツバタの群生地として有名だった。京都市の大田の沢、鳥取県岩美町の唐川と並んで日本三大カキツバタ自生地と呼ばれている。昭和13年に国の天然記念物に指定された。
 しかし、昭和の終わり頃、ここは一時危機的な状況に陥る。周囲の宅地化などで環境が変わり、ヨシやアンペライが繁殖してカキツバタはかなり数を減らしてしまったという。それ以前は、それはもう見事なまでに紫で一面覆われていたそうだ。そこで、保存会が作られ、地域の人や学生などボランティアで群生地復活の活動が始まった。その成果が表れ、近年またカキツバタは数を増やしてきていた。
 ところがここ数年、またその数が減り始めた。今年は確かに見に行くのは遅れたけど、去年以上に寂しい感じがあった。原因はよく分かってないものの、このままではいけないと、今年から官民連帯で保全に力を入れていくことになったと新聞に出ていた。周囲の山が竹に覆われて養分を吸っているのではないかということで、竹の根を除去するのだという。
 ただ、今年に関しては気候も影響してるんじゃないだろうか。春から初夏にかけて気温が上がらず、日照時間も少なかったから。
 いずにしても、夢のような紫絨毯をぜひもう一度取り戻して欲しい。わー、と言ったきり言葉を失うような光景を見てみたい。今年は違う意味で言葉を失った。

 いずれアヤメかカキツバタ。昔から言われる言葉だ。カキツバタは花の中央にスッと通っている筋が白で、アヤメは網目模様をしている。ノハナショウブは、水辺ではなく陸に生えていて、真ん中の部分が黄色い。フフフっ、これで見切ったぜ、と安心してたら、ジャーマンアイリスとか、オランダアヤメ、ドイツ菖蒲、イチハツなどなど、似たものがたくさんあることを知ってまた深い迷宮に放り込まれた私であった。黄色いのはキショウブだとすぐに分かるんだけど。
 カキツバタは、昔から日本中どこでも咲いている当たり前の花だった。朝鮮半島や中国、シベリアあたりにも自生してるという。万葉集や伊勢物語の中でも歌われている。在原業平がカキツバタのそれぞれの文字をとって詠った、から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ、はとても有名だ。これは小堤西池から少し離れた知立で詠われたもので、その無量寿寺もカキツバタの名所となっている。あちらは天然ものじゃないけど、去年見に行った。
 名前の由来は、昔この花の汁を布などにこすりつけて染めたことから、「書き付け花」と呼ばれ、それが転じたといわれている。
 通常は杜若という字を使い、燕子花が当てられることもある。尾形光琳の代表作「燕子花図(かきつばたず)」は、こちらが使われている。

 来年こそ、満開の見頃のとき来ます、そう約束をして小堤西池をあとにした。去年は早すぎて今年は遅すぎた。三年目はタイミングを間違えずに行きたい。なんなら一週間前からテントを張って張り込んでみるのもいいかもしれない。ご近所の方は、差し入れをお願いします。
 来年はきっと、見頃になったら私を呼んでおくれよ、小堤西池のカキツバタたち。たとえマムシに噛まれた足を引きずってでも駆けつけるから。もし、マムシに噛まれた感じで右手にカメラを持って前のめりに倒れてる人を見たら、急いで救急車を呼んでください。

バスク精神のカケラは宿っていたか?

料理(Cooking)
バスク風料理のつもり

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/80s(絞り優先)



 バスク料理、それはスペインでもありフランスでもあり、スペインでもなくフランスでもない、バスク地方特有の料理だ。今回のサンデー料理は、そのバスク料理に挑戦してみた。バスク精神のカケラでも宿りますようにと、西の方角を向いて祈りながら。
 フランスとスペインにまたがる約1万平方キロメートルの土地をバスク地方と呼ぶ。バスク人たちがどこからやって来たのか、誰も知らない。ヨーロッパが出来上がるずっと前から彼らはそこで暮らしていた。独自の言葉と文化を持ち、自らの民族に強い誇りを持っているという。それは料理にも独自性となって表れている。スペイン料理とは趣の異なった、でもフランス料理ともまた違った料理を作る。しかし、伝統に縛られることはなく、常に新しい料理に挑戦し続けるのもまたバスク精神だと言われている。
 さて、そんなバスク料理だけど、何を作ればいいかというとよく分からない。食べたことも見たことさえなく、その存在自体知ったのが先週のことなのだ。ネットでレシピを調べたところ、あまり変わった食材は使ってないようだから、その点では問題はなかった。でも、せっかく作るのだし、もしかしたら最初で最後になるかもしれないから、代表的なものを作りたかった。
 そこで見えてきたのが、食材というよりもソースと調味料だった。ソースには赤、緑、黒、白の4色があって、それぞれ赤ピーマン、パセリ、イカスミ、油とダシを乳化させたもので作るらしい。それがひとつ。もうひとつの調味料は、すべてにおいてたっぷりのオリーブオイル、ニンニク、トウガラシを使っている。これをピルピルソースという。ピルピルって! というツッコミは後回しにして、とりあえずソース方面から迫ってみることにした。

 まずは左手前から。これはたぶん、バスク風のオムレツということになるんだと思う。オリーブオイルで、ニンニク、タマネギを炒め、鶏肉、湯むきして粗みじんにしたトマト、赤ピーマンを加え、赤ワインで炒める。最後に、溶き卵に牛乳を混ぜたものを入れて、半熟状態まで焼く。
 ソースは、トマト、ケチャップ、赤ワインで作った赤ソース、バジル、パセリ、白ワイン、オリーブオイルで作った緑ソース、マヨネーズとカラシしょう油で作った白ソースの3種類を作ってかけた。残念ながらイカスミの黒ソースは今回入手できなかった。
 ところで、皿にソースで絵を描くにはどうしたらいいんだろう? スプーンなんかではきれいな細い線は作れない。何か特別な道具がいるんだろうか。それともシェフたちはスプーンできれいに描けるんだろうか。そのあたりも今後の課題のひとつとなった。

 右のものは、真アジとジャガイモの名前はよく分からない料理だ。一応バスク風のつもりなんだけど、どの程度バスク寄りになってるのかは見当がつかない。真アジなんてものが向こうにもあるのかどうか。
 まずはジャガイモを皮ごと茹でる。魚の開きは塩、コショウを振ってしばらく置いて、出てきた水分を拭き取ったあと、小麦粉をまぶす。それをたっぷりのオリーブオイルで揚げるように焼いて、表面をカリカリにする。いったん取り出して、そこにジャガイモをスライスしたものを入れて焼く。
 ソースは、オリーブオイルにトウガラシの刻み、みじん切りにしたニンニクを入れて、ぐつぐつなるまで熱して、そこに酢を投入して作る(本来はシェリー酢)。
 最後にジャガイモと魚を器にのせて、刻んだパセリ、ソースをかけて完成。

 奥のものは、なんとなくしょぼくれて見えてるけど、一応一品として独立して作ったものだ。これはちょっとバスクから離れてしまってるかもしれない。
 まずはイカを短冊切りにする。バスク地方は海に面した土地なので、イカもけっこう食べるそうだ。なので食材的には間違ってないと思う。
 フライパンにオリーブオイルとバターを温めて、そこにニンニク、タマネギを入れて炒める。その後、塩コショウしておいたイカを加え、白ワインを投入。トウガラシも加え、コンソメの素で少し味付けをして、最後にとろけるチーズを刻み入れて、イカに絡めれば出来上がり。たくさん食べられる人なら、イカ丸ごとでもいいかもしれない。

 バスク地方の人たちはみんな食通で味にうるさいという。果たして私の作ったバスク風料理を認めてくれるかどうか。こんなもんバスクじゃねぇ、とバスク語で言われたとしても、私としては言葉がさっぱり分からないので愛想笑いで誤魔化すしかない。オラ! アミーゴ! とかじゃ許してもらえないだろう。
 日本人の舌でいえば、これは日本人にもとても好まれる味付けの方向性だと思う。特別変わったものを使ってないということもあるけど、オリーブオイル、ニンニク、トウガラシの組み合わせは、ありそうでなかった美味しさだ。フランス料理でピリ辛というイメージはまったくないので、けっこう新鮮でもある。辛いものが得意な人は、トウガラシを多めにするといいだろう。赤ピーマンは苦くなくて、いい風味付けになることも分かった。
 総合自己評価としては、バスク度70点、美味しさ80点といったところだろうか。いや、85点でもいいかもしれない。美味しかった。
 バスク料理はなんだかとても気に入った。美味しいし作るのも面白い。またぜひ作ってみよう。今度こそ、皿にソースでバスク精神がほとばしるような絵を描きたい、ピカソのゲルニカみたいに。

アルパカは大昔から毛を伸ばすために生きてきた

動物園(Zoo)
アルパカってこんな動物

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先)



 わっ、なんだこいつ、何か変。異常にモコモコの体つきと、白粉を塗ったような顔のバランスが悪っ。足もとを見ると、妙に頼りなくて、大きなぬいぐるみの中に小さな子供が二人、獅子舞状態で入ってるような感じだ。なんか、笑える~。何者だろうと思ってプレートを見ると、アルパカとある。アルパカ? どっかで聞いたことあるような。ああ、そうか、あのセーターとかのアルパカだ。なるほど、このモジャモジャの毛が刈られて編まれてセーターになるのか。じゃあ、向こうにいる黒いのは刈られたあとの状態なんだな。ビフォー・アフターでまったく別の生き物みたいじゃないか。
 アルパカのセーターを持っていても生きてるアルパカを見た人は少ないんじゃないだろうか。日本の動物園でも数ヶ所でしか飼われてないそうだ。私も東山動物園で初めて見た。というか、そもそもアルパカという生き物が存在してることすら意識したことがなかった。アルパカもカシミヤも持ってないし。
 ということで、今日はアルパカについて勉強してみた。そして、とても興味深い生き物だということが分かった。

 アルパカは南米ペルーのアンデス地方とその周辺の海抜3,500~5,000メートルの高地で暮らすラクダの仲間だ。ヤギっぽい気がしたけど違った。
 リャマと非常に近い生き物で、荷物運び専門のリャマと、毛をとるためのアルパカと、はっきり分かれている。どちらもグアナコから分かれたもので、アルパカはビクーニャを改良したものらしい。起源は北アメリカで、1,500万年ほど前からいたといわれている。1,500万年前なんて言われるとピンと来ないけど、世紀に直すと、15万世紀前ということになるから、とにかくずっと昔だ。1年を1円とすると、100円貯めて一世紀。アルパカは、1年で1円貯金して、すでに1,500万円溜めたということだ。気の遠くなるほど長い年月を生き延びて、今21世紀の日本の動物園で過ごしてるというのも考えてみると不思議な話だ。
 すでに紀元前4世紀くらいには家畜化されていたようだ。野生のものは絶滅してもういない。アンデスの高地で放牧されていて、生息数はよく分かってないようだ。現在は、アメリカ、ヨーロッパ、ニュージーランドなどでも飼われている。
 毛並みは主に茶、黒、白、灰色で、細かく分けるともっと変化に富んでいるという。種類としては、毛並みでファカヤ(ワカヤ)とスーリー(スリ)の2種類に分けられている。
 体長は高さ1メートルほど、長さ1.5メートル前後で、体重は60~100キロくらいと幅がある。毛のあるときとないときでずいぶん変わってくるだろう。
 見た目通りにおとなしい草食。でも、たまに気に入らないとツバを吐きかけてくるらしい。
 寿命は10年から12年くらい。

 アルパカの毛が優れているのは、その生息環境によるところも大きい。アンデスの高地は、昼間は強い直射日光が降りそそぎ、強い風が吹き抜け、夜は凍えるような寒さになる。その過酷な条件で生き延びるために暖かくて丈夫な毛を身にまとうのだ。だから、動物園で飼われてるアルパカからは高級な毛は取れないんじゃないだろうか。
 毛の性質としては、絹のような光沢と肌触りで、重さは羊毛の半分、暖かさは2倍、更に吸湿速度も2倍と、非常に優れている。毛玉もできにくく、丈夫で長持ちというのもアルパカの特徴だ。
 特に生まれてから2度目に刈る毛が最高とされ、この毛で編んだセーターはベビー・アルパカ・セーターと呼ばれている。大事に着れば、孫の代まで着られるだろう。
 高級セーターというとカシミアと思うけど、アルパカだってなかなか負けていない。実用性ではアルパカの方が上と言える(カシミアというのはもともと、インドのカシミール地方のカシミア山羊の毛から織られたものを言った)。
 生産量は年間約5万トンほどで、90ぺーセントはペルー産だ。かつてアルパカは、第二次大戦までイギリスが独占輸入国だった。それでアルパカセーターというとイギリスというイメージが強いのだ。現在は世界に向けて輸出されている。ペルーは、マチュピチュとナスカの地上絵とアルパカで食ってると言っても言い過ぎではないかもしれない。

 古代インカ帝国の王室では、アルパカをペットとして飼っていたそうだ。特にこれといった仕事もせず、芸もない彼らを見て、王様たちはどう思っていたんだろう。こいつめ、今日も白くて可愛い顔しておるのぉ、とか思っていたんだろうか。手元に置いて、手触りいい毛並みを日がな一日撫でて、この感触がたまらんのぉ、とか思いつつ。
 あるいは、見てるとなんとなく脱力感を誘われる風情に心を和ませていたのかもしれない。
 ひょっとしてインカ帝国の王様もアルパカセーターを着てたんだろうか。もし着てたとしたら、王冠にセーター姿というギャップもなかなか愉快だ。

カメラ機能のためだけにカメラ付きケータイを買う男

カメラ(Camera)
初ケータイカメラ

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/80s(絞り優先)



 ふと思い立ってケータイを買った。正確に言うと、カメラが付いたケータイを買った。カメラ機能を使うだけのために。
 通話用のケータイは、大昔のtu-kaを持っていて、ほとんど使ってないから機種変更の必要はまるでない。基本料金が980円とかの超低額コースのサービス分500円無料通話さえ使いきれない私だから。でも、ケータイのカメラは欲しいと前々から思っていた。そして、気づいたのだった。契約しなくてもカメラ機能だけ使えばいいじゃん? と。
 ざっと調べたところ、200万画素クラスでオートフォーカス機能が付いたケータイが手頃に買えそうだった。デジカメ以上にどんどん新しい機種が出る携帯の世界は、2年も経った機種はオークションで値崩れし放題なのだ。
 最終的な候補となったのが、NTTドコモのSH505iSと、ボーダフォンのV601SHで(どちらもシャープ製)、SH505iSを選んだ。画質はややV601SHの方がいいような気がしたけど、SH505iSはケータイを閉じたままカメラが横向きで使えるというのが気に入った。
 オークションで付属品揃いで1,400円。200万画素クラスのコンパクトデジを買うよりずっと安い。

ケータイで撮ったモモイロヒルザキツキミソウ


 ということで、早速撮ってみたのが上の写真だ。細かいことを言えば、コントラストがきつすぎて作り物っぽいとか、ホワイトバランスが微妙におかしいとか、等倍で見るとノイズが多いとか、そういったもろもろの欠点はあるけど、これだけ写れば必要充分だ。200万画素クラスのコンパクトデジと比べても、その差は思ったよりも小さい。
 これは使えそうだ。今後はいつも持ち歩くことになるだろう。一眼との併用ということを考えても、コンパクトデジよりもケータイとのコンビの方が相性はいいだろう。

 せっかくモモイロヒルザキツキミソウを撮ったので、そのことについて少し。
 桃色昼咲月見草。初めてこの名前を知って以来、その語感が気に入って、姿を見かけるたびに、口の中で転がすようにつぶやくのが習いとなっている。モモイロヒルザキツキミソウ。響きが耳に心地いいという言葉ではなく、発音の口触りがとてもいい。
 やわらかい5月の風に吹かれて可憐に揺れている姿は、日本の風景によく合い、情緒的だ。でもこれ、北アメリカからの帰化植物で、その姿に似合わずとってもたくましい。元は大正時代に園芸用として入ってきたものが、最近では野生化して街のあちこちで咲いている。戦後、中部より西に広がったものが、最近では関東でも野生化してるという。今後北の方にその勢力を拡大していくことになるだろう。いい姿をしてるから、増えていくことに不満はない。
 最初から桃色に咲くものをモモイロヒルザキツキミソウと呼び、始めは白色をしていてしぼむと桃色になるものをヒルザキツキミソウと呼んで区別することもある。
 名前の通り、昼に咲く。本来月見草というくらいだから、この仲間のオオマツヨイグサなどは夕方から夜にかけて咲くものが多い。
 日本では結実しないのは、北アメリカとの気候の違いなんだろうか。

 一眼レフにできなくてコンパクトデジにできることは何かといえば、人目のあるところでも比較的写真が撮りやすいということだろう。大きな一眼では目立ちすぎて撮れないことがよくある。では、コンパクトデジにはできなくてカメラ付きケータイにできることは何か? それもまた同じ答えになるかもしれない。コンパクトデジでさえ取り出して撮影することをはばかられるところでもケータイなら撮れるということは大いにあり得る。特に人の多い街中や、店の中ではケータイの威力が発揮される。何故かケータイのカメラは、撮ってる本人も周囲も、写真を撮ってるということの意識が薄い。そこにケータイ写真の可能性がある。単に手軽に撮れるとかそういうことだけではなく。
 ケータイに200万画素も300万画素も必要ないという声はよく聞かれることだ。そんな大きなサイズの写真はメールでは送れないのだからと。でも、ケータイで撮って、PCに取り込んで、画像を加工して、ブログやHPで使えることを考えれば、高画質であることは当然の需要だろう。画質はよければよいに越したことはないし、光学ズームだってないよりあった方が便利に違いない。
 今度もケータイカメラの高画素化、高画質化は更に進んでいくだろう。画質自体はどこかで頭打ちになるにしても、まだそれが来ているとは思わない。高画素が高画質とイコールではないことは知っていても、新しい機種が出れば欲しいと思う人間は大勢いる。
 私としては、当面、今回買ったSH505iSを使って、どこまで使えるのか、どれくらいのことを必要とするのかを探っていくことになる。更なる高画質はどの程度必要なのか。
 もし道ばたで、私が嬉しそうに携帯で写真を撮っているところを見つけて、自分のケータイの電池が切れていたからといって、私に携帯を借りようとしてはいけません。ドコモと契約してないから、私の携帯は通話不可です!

森という名を持つ森じゃない小牧ふれあいの森

施設/公園(Park)
ふれあいの森展望所より

Canon EOS 10D+TAMRON28-300mm XR(f3.5-6.3)+C-PL, f5.6, 1/100s(絞り優先)



 小牧市のはずれに「ふれあいの森」という名の場所がある。私はこれまで3回行ったことがあるが、どんなところなのと問われると、うーんとうなってしばらく考え込んでしまう。なんか、変な場所なんだよねぇ、と言ってあとが続かない。地図で見つけて、森というから森なんだろうと思っていくと、なんか違うぞここ、と感じるだろう。ペットボトルの水と思って飲んだらスポーツドリンクだったときのような違和感とでも言おうか。森というよりも、遊歩道のある低い山と言った方が近い。少なくとも、整備したての頃はそうであっただろう。
 私がそこを初めて訪れたのは、2005年の2月終わりのことだった。入り口付近からしてすでに閑散としており、人が訪れている様子がないのでいきなり少し不安になる。砂利道もかなり荒れている。奥に進んでいくと、展望スペースとして木のイスとテーブルが置かれているところに出た。そこは草ボーボーですごいことになっている。イスも3年は誰も座ってないであろうという風情を醸しだしていた。もしこの場所で弁当を食べている親子がいたら、それはキツネが化けているに違いないと思った。ここは森じゃない。違和感から不信へと変わりつつあった。
 散策路はだんだん曖昧になり、やがて道は消えた。道なき道を進み、上を目指して斜面を登っていく。その途中、これは森なんかじゃない。不信が確信へと変わった。
 ぜえぜえ言いながら登っていくと、ふいに整備された遊歩道とぶつかった。一体どうしたことか。私が歩いた道って? どうやら私が勝手に道を外れていただけだったらしい。遊歩道の分岐点には案内表示も立っていた。
 気を取り直して山頂にあるはずの白山神社を目指す。デコボコの山道を歩いていくと、いきなり断崖のそばに鳥居が立っているのが見えた。あれがそうか。確かに白山神社はあった。思いがけずきれいに手入れされていて少し驚く。管理してる人がいるのだろう。
 表側からは小牧、春日井、名古屋市が見渡せ、裏からは入鹿池や明治村が見える、なかなかのロケーションだ。印象は一気に上がった。見てくれはともかく、つき合ってみればいいやつではないかと思った。
 しかし、その好印象を一気に崩れさせたのは、休憩所にあるトイレだった。休憩所自体も荒れ放題な上に、トイレの便器には枯れ葉やらゴミやらが山のように詰まっており、とんでもないことになっていたのだった。これほどまでに使用不能なトイレを見たのは初めてだった。
 帰りはコースを変えて下っていったら、途中で道がなくなった。なくなっただけならまだしも、いきなり断崖になっていたのは驚いた。迂回して、少し緩やかな断崖を見つけて滑り降りた。勢いよく駆け下りすぎて下の地面で転げそうになった私を見ていた人はいない。
 その先では、大型のブルドーザーやらトラックが何台も入り、ガーガーと大きな音を立てて大がかりな作業をしているところを目撃した。
 なんだかいろんな意味ですごいことになってるなという強烈な印象を残し、この場をあとにした私であった。

 それから半年後、もう一度行ってみた私は、いきなり入り口で立ち尽くすことになる。立ち入り禁止になっていて中に入れなくなっている。森が封鎖? 何があったのだろう。あまりの荒れっぷりに小牧市も危険を感じて閉鎖したのか、それとも全面的な整備をするための一時的な措置なのか。説明もなく、知る術はなかった。封鎖されていては入ることもできず、あえなく引き返すことになった。
 そもそもあんなに荒れてしまったのは、小牧市の公式ページによると2000年の東海豪雨が原因だったらしい。しかし、それにしては時間も経っているし、2005年の2月には入れたのだ。もしかしたら、もう森と言い張るのはあきらめてしまったのだろうか。

 それから一年近く経った2006年5月。犬山へ行った帰りにふとここのことを思い出して寄ってみることにした。おそるおそる駐車場から歩いていくと、とりあえず入り口は開いている。おっ、改心して整備したんだなと喜んだのもつかの間、全体の4分の3は立ち入り禁止となっていて、市民四季の道という遊歩道と展望所だけが通行可能になったに過ぎなかった。なんて中途半端な。どうやら、少し離れた場所に、あらたに兒(ちご)の森というのを作って、ここはそこへ至るための道として使うことにしたようだ。でも、そんな森をあらたに作るよりも、ふれあいの森をなんとかした方がよかったんじゃないだろうか。小牧市、金があるのかないのか。
 兒の森は遠いので、今回は展望所まで行ってみることにした。距離にして1キロくらいだろうか。登りはかなりきついので、20分や25分はかかる。道は整備されていて、なかなか歩きやすかった。
 写真はその展望所からの眺めだ。田園が広がる小牧市、その向こうのやや都会めいた春日井市、更に向こうには名古屋市と、段階的な街の様子が見えて面白い。写真を撮るには電線がすごく邪魔だけど、眺めはいい。

 どんなところかと訊かれると困るふれあいの森だけど、好きか嫌いかと訊かれたら、なんだかすごく好きと即答できる。かなり無茶な荒れ方をしてるここだけど、妙に相性がいい。最初に訪れたときは、初めてオオイヌノフグリとヒメオドリコソウを見つけ、ジョウビタキのオスに出会い、コモウセンゴケの存在を知った。二度目の入り口閉鎖だったときでさえここで初めてアカゲラを見ることができた。そして今回もまた、展望所で初めてホオジロを近くから撮ることができたのだった。よい偶然がこうして重なると、当然その場所に対する印象はよくなる。だから、私はこのふれあいの森が好きなのだ。人にオススメできるかどうかは別にして。
 今後、小牧市がこの場所をどうするつもりでいるのかは知らない。できることなら、もう少しだけ整備して欲しいとは思う。今のままでは通行止めが多すぎて自由にコースを選べない。トイレはどうなったのかも気になるところだ。ただ、私などは年に一度か二度訪れるだけなので、今のままでもいいと言えばいい。入り口さえふさがっていなければ。
 ぜひまた、今度は夏くらいに行ってみようと思っている。次こそ、歩いてる途中で誰かと出会いたい。でも、会ったらお互いにきっとびっくりするだろうな。まさか、ここで人と出会うとは! と。

出遅れヒトツバタゴは、すでに雪解け寸前だった

花/植物(Flower/plant)
出遅れヒトツバタゴ

Canon EOS 10D+TAMRON28-300mm XR(f3.5-6.3)+C-PL, f4.0, 1/60s(絞り優先)



 少し前からヒトツバタゴのことが気になっていた。今年こそ犬山の自生地で天然ものを見てみたいと思いつつ、なかなかその気にならなかった。それが今日になって突然見たくなった。もう満開は過ぎていると分かってはいたけど、せっかくの気持ちを無駄にしてはいけないと行くことにした。風が強い日だったので、もしかしたら白い花吹雪が見られるかもしれないという期待を抱きつつ。
 そして、そこにそれはあった。ヒトツバタゴ、通称ナンジャモンジャ。初夏に雪が降り積もったように白く咲く古代からの生き残り。20万年前の地層から見つかっているというから、それよりも以前から日本にこの木はあったことになる。
 しかし、さすがに出遅れた。例年ゴールデンウィーク後半に見頃を迎えるこの花も、今年は遅れているという話は聞いていた。それにしても24日では遅すぎる。ピークは一週間ほど前だったようだ。写真の木は、7本ある自生の中で最後まで花を付けていたもので、残りはほとんど散ってしまっていた。最盛期は、それはもう見事に真っ白に染まるのだ。真っ白な灰になって燃え尽きた矢吹丈のように。

 現在では日本全国に植樹されて目にすることが多くなったヒトツバタゴだけど、自生地となるとごく限られている。国の天然記念物に指定されているこの犬山の他、岐阜県蛭川村、瑞浪市釜戸町、恵那市笠置町、恵那市大井町、恵那市中野方町、岐阜県中津川市苗木、中津川市落合新茶屋、岐阜県瑞浪市稲津町萩原、と何故か中部地方に不連続分布している。木曾川流域ということで、木曽川が何かの鍵を握っているようだ。
 それから、自生地ということで最も有名なのは、長崎県対馬市だ。ここにはもともと自生したものに加え、地元の人たちが増やして大事に育てている木が3,000本以上あるという。満開の頃は、港町が真っ白に染まって、独特の風景となるそうだ。一度は見てみたい。
 東海地方と対馬のものは、どうも別物と考えた方がいいようだ。そうでないとこれだけ離れた位置での分離自生は説明がつかない。日本以外では、中国、台湾、朝鮮半島などでも自生しているそうで、対馬はそちらと同じものらしい。もしくは、数種類あるヒトツバタゴの中で、東海地方にあるものはそのひとつの種類と言った方が正しいのかもしれない。
 そもそもどこからヒトツバタゴが日本にやってきたかというと、渡り鳥が種子を運んできたという説と、かつて大陸と日本列島が地続きだった頃、人類が持ち込んだという説があるようだ。いずれにしても、20万年前のものは大阪で発見されたところをみると、かつては今よりも広い範囲でこの花は見られたんじゃないだろうか。
 犬山のものは、樹齢200年以上の高さ15メートルのものをはじめ、全部で7本が自生していて、大正12年に国指定の天然記念物となった。

 ヒトツバタゴは、ヒトツバ・タゴと区切る。ヒトツ・バタゴと思っていたらそうじゃなかった。よく似たトネリコが複葉なのに対してこれは単葉(一葉)だからヒトツバ。タゴは田子と書き、トネリコの方言で、ヒトツバ・タゴとなる。江戸時代の尾張の植物学者水谷豊文が名づけたと言われている。
 ナンジャモンジャの由来は、かつて見慣れない木で誰もその名前を知らなかったため、何じょう物じゃ、何ものじゃ、ナンジャモンジャというように転化していったのだとか。やや作り話めいているけど、柳田国男に言わせると、神社なんかにある御神木で名前が分からないようなものはみんなナンジャモンジャと呼ばれていたんだとか。
 花は近くで見ると、4枚に深く切れ込んだ独特の形をしている。黒い実もなる。

 ところで、風に舞う白い花吹雪は見られたかというと、それがさっぱりだった。山のふもとにあって、ここは風があまり吹かない場所だったのだ。残念ながら。時期的にも出遅れた。
 見頃は満開を少し過ぎたあたりだ。5月の15日前後だろうか。そのときなら真っ白に染まった木と、舞い落ちる花吹雪を両方見ることができるだろう。ぜひ見たくなったという人も、来年のお楽しみということにしておいた方がいいかもしれない。岐阜県の蛭川村のものならぎりぎり間に合うかどうか。
 犬山のここは、明治村の南、本宮山のふもとに位置していて、453号線を北へ向かって走っていると、左側に「ヒトツバタゴ自生地」という手書きの小さな立て札があるので、そこから細い道を入っていった先にある。駐車場はたぶんなくて、路肩に数台とめるスペースがあるので、そこにとめる。
 ナンジャモンジャよ、私の写真熱が燃え尽きてなければ、また来年会いに行きます。

家から2時間向こうにいる幸せの青い鳥

野鳥(Wild bird)
初オオルリ?

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.6, 1/250s(絞り優先)




 山道をヒーヒーフー、ヒーヒーフー、と言いながら登っていると、頭の上の方から澄んだ鳴き声が聞こえてきた。聞き慣れないさえずりに大物の予感。足をとめて、木々の間を注意深く見渡すと、枯れ木のてっぺんで鳴いている鳥を発見した。おおー、もしや、キミは! もしかして、ひょっとして、あなたはオオルリさんですか? ずっと憧れていた、あの?
 目を五木ひろしのように細めて見るけど、よく見えない。距離が遠すぎるのと、太陽の光が弱くて。ここで欲が出て、もう一歩近づいたとたん、推定オオルリは山の彼方へと飛んでいってしまったのだった。あーあ、こんなことになるから告白せず友達のままでいたらよかったみたいな後悔先に立たず。
 家に帰ってきて、写真で確認してみると、うーん、どうでしょう。長嶋監督のモノマネをする関根勤のモノマネで迫ってみたけど、よく分からない。顔の下から胸にかけての黒い部分と腹の白とのコントラストがオオルリっぽい。せめて頭の青い部分が見えていれば判断もついただろうけど、確信は持てない。
 せっかくオオルリについて書くなら、きれいな写真を載せたかったけど、今度会えるのを待っていたらいつになってしまうか知れない。だから、この写真に写っているのはオオルリのオスだということで話を進めたいと思う。

 オオルリは、その瑠璃色の美しい姿と、きれいな鳴き声で人気が高い野鳥だ。青い鳥の代表と言ってもいいだろう。まったく野鳥に興味のなかった人をも野鳥の世界に引き込む力を持つ鳥として、水辺ではカワセミ、山ではこのオオルリという言い方もできるかもしれない。まさに夏山のスターだ。
 冬の寒い時期は、南のインドシナ半島やフィリピンなどで過ごし、初夏に日本に渡ってきて、秋になるとまた南へ渡っていく。北海道から九州にかけているとはいえ、普通の生活をしていたらめったに見る機会はない。山の渓流沿いの林の中にいるから。それに夏場は木々が生い茂るので、普通に山歩きをしているくらいでは見つけるのは難しいということもある。春の秋の渡りの季節には人家の近くの公園などにもやって来るというけど、私はそんなところで見たことはない。
 青いのはオスだけで、メスは地味なうぐいす色をしている。オスは、頭から背中にかけてコバルトブルーをしていて、森林の中にいるその姿はとても魅力的だ。たぶん、一度見たら忘れがたいものとなるだろう。
 そして、声の美しさも際立っていて、ウグイス、コマドリと共に日本三鳴鳥と呼ばれている。もしかしたら、ウグイス嬢ではなく、オオルリ嬢となっていても不思議ではなかった。オオルリ姉妹だっていてもおかしくはないのだ。
 鳴き声はやや複雑で、なんと表現したらいいか難しい。ピーリーとか、ピールリとかそんな感じで、最後にジィジィと付けば、姿は見えなくてもそれはきっとオオルリだ。森や山を歩く人に、鳴き声のテープを聴いてもらえば、あー、この声聞いたことあるなと思うんじゃないだろうか。

 大きさは約16センチと、小鳥というにはやや大きい感じがする。重さは20~25グラムくらいだそうだ。
 基本的に木の上にいることがほとんどで、エサは蛾や蝶やアブなんかを飛んでいるときに口でくわえて捕まえるフライングキャッチャーだ。鳥って意外と飛ぶスピードが速い。
 英語名は、Blue and white Flycatcher。まるでそのままだ。
 繁殖は日本にいる間に行う。一夫一妻で、卵は3~6個くらい、メスが温め、エサやりはオスメス共同でする。そのときのエサは、フライングキャッチしたものではなく、昆虫の幼虫とかアオムシとからしい。ということは地面にも降りてるんだろうけど、そういう姿は写真でもあまり見かけない。
 繁殖期のオスは自分の縄張りをしっかり持っていて、高い声でさえずっているのは、周りに誇示しているのだろう。それは決まった場所であることが多く、その場所をソングポストというそうだ。写真のこの場所も、それだったのかもしれない。

 瑠璃と名の付く青い鳥は、他にコルリやルリビタキがいる。どちらも青を持つきれいな鳥だ。ずっと見たいと思って、まだその願いは叶っていない。写真に撮るのはどちらもかなり難しい。
 青い鳥というのは幸福の象徴として使われることが多い。これはやはり、メーテルリンクの戯曲から来ている部分も大きいのだろう。外国でも同じように使われる言葉のようだ。もう一歩進めて、身近にあるのに気がつかない幸せを意味する言葉と言い換えてもいい。しかし、チルチルミチルが見つけたのは家で飼っていたキジバトだったというのに納得できない野鳥ファンは多いに違いない。鳩を青い鳥というのは無理があるし、伝書鳩愛好家でもなければ鳩に幸せを感じるのは難しい。
 もちろん鳩にもいいところはある。青と言えばそう見えないこともない。いつも身近にいてくれることの幸せと言うこともできるだろう。ただ、その身近な幸せに気づけたのは、ふたりが青い鳥を探す冒険の旅に出たからだ(夢だったのだけど)。私たちもまた、幸せの青い鳥を探しに山や森へ行こう。自分の目で見て、写真に撮れたときの感激は、紛れもなく幸福に属する感情だ。
 日本全国どこに住んでいても、車で1時間、歩きで1時間もかければ、青い鳥がいるところに行くことができる。幸せは、2時間向こうにあるのだ。
 私も、もう一度オオルリに会いたい。今度こそ背中の瑠璃が見えるように撮りたい。こっち向いてっ、とお願いすることは多いけど、あっち向いてっ、と頼みたくなるのは、このオオルリくらいかもしれない。

コアラが動き回る動物だったら人気者になっていたかな?

動物園(Zoo)
コアラは撮影オーケイ?

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/8s(絞り優先)




 東山動物園一番の名物は、やはりなんといってもコアラだろう。なのに、どうしてここまで登場が遅れたかというと、コアラの写真ってオーケイなの? という問題が解決しないままだったからだ。昔は確かコアラ舎の中では全面的に写真撮影は禁止だったはずだ。でも、この前行ったら、「フラッシュ禁止」とプレートがかかっていた。フラッシュ禁止ということは、普通の撮影はいいってことなのか? 周りを見渡してみると、ややや! みんな普通に撮ってるではないかっ! なんだ、いいのか、と私も撮ってみた。しかし、暗いコアラ舎の中で、望遠200mmあたり、シャッタースピード1/8では、完全にピタリと止めるのは難しかった。焦る気持ちが手ぶれとなって表れたとも言える。
 それにしても、写真を撮ってよかったのかどうか、いまだに半信半疑ではある。東山動物園の公式サイトには書いてないし、問い合わせようにもメールを受け付けてない。ネットで検索すると、ダメ派と大丈夫派に意見が分かれていて、写真は少し出ている。たぶん、私の予想では、フラッシュを使ったり、三脚立てたりしなければ撮影は許可してるのだと思う。もしくは黙認というやつかもしれない。かつて禁止だったのは、コアラにストレスを与えるからという理由だったはずだけど、最近はコアラも環境に慣れて落ち着いてるということがあるのかもしれない。
 というわけで、今日はコアラについて勉強してみた。

 コアラといえばオーストラリア、そしてユーカリを食べるというのは多くの人が知っていることだ。でも、コアラには3種類いて、600種類以上あるユーカリの中で数種類しか食べない、というところまで知っている人は少ないんじゃないだろうか。3亜種いるというのは、私も今日初めて知ったことだった。驚き。
 一番寒い南にすんでいるビクトリア・コアラは、厚い茶色の毛並みをしていて、北の暖かいところにいるクィーンズランド・コアラは薄い灰色の毛並み、南東にいるニューサウスウェールズ・コアラはその中間の厚さの濃い灰色の毛をしている。写真のコアラは、クィーンズランド・コアラだ。
 コアラというと、非常に貴重な動物で数も少ないと思われているけど、それは現在の話で、かつてはオーストラリアにうじゃうじゃいた生き物だった。それで豪州人は調子に乗って毛皮のために年間数百万頭もとっていた。しかしそれはさすがにとりすぎで、1930年代には絶滅の危機に瀕してしまい、ようやく保護の方向に向かったのだった。
 ただ現在、乱獲はなくなったものの、ユーカリ林の減少で危機に陥りかけているという問題も起こっている。何しろコアラはユーカリの好みには非常にうるさい。どういう基準で選んでいるのか知らないけど、気に入った種類のユーカリしか食べない。東山動物園でも、たくさんの種類のユーカリ林を育てている。コアラによって食べるユーカリの木も決まっていたりするというから、何かコアラの中に確固たる基準があるのだろう。動物園での飼育が難しいのは、このユーカリ問題に他ならない。

 コアラは英語だ。それはそうだ、オーストラリアの生き物だから。つづりは、Koala。由来は、原住民アボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味だそうだ。実際、コアラはほとんど水を飲まない。つねに木の上で生活していて水を飲みに地面に降りているのが面倒だから飲まないことに決めたのだろう。まったく飲めないというわけではないらしい。
 オーストラリアではコアラの天敵はいないという。それなのに何故木の上に生活の場を求めたのかはよく分からない。かつては敵がいたのだろうか。
 一日20時間睡眠。それ以外は、ユーカリを食べているか、オスがメスを追いかけているかのどちらかだ。ものすごくシンプルな暮らし。あんまりやることがないから長生きしても退屈なのか、寿命は10年から12年と、このサイズの動物にしては短い。ユーカリでは栄養が少なすぎるということもあるのだろう。
 コアラはカンガルーと同じ有袋類なので、子供はお母さんの袋の中で育つ。赤ん坊はものすごく小さく、生まれてきたときは人間の親指くらいしかない。妊娠期間が約35日と短いためだ。袋の中で7か月くらいを過ごしたあと、もそもそと出てきて、しばらくはお母さんの背中におんぶされて育つ。東山動物園では、今ちょうど袋から出てきた子供が見られるそうだ。

 コアラが初めて日本にやって来たのは、1984年のことだった。東山動物園もそのひとつで、当初は連日の大賑わいで大変な騒ぎだった。コアラ舎は押すな押すなの大盛況で、係員が立ち止まらないでください! と大声を張り上げ、見物客は長い時間並んでやっと見られたのに立ち止まるなとはどういうことだと言い返し、殺気だってさえいた。今はもう、そんな熱気はない。コアラも静かな暮らしを喜んでいることだろう。
 現在は、多摩動物公園、横浜市立金沢動物園、神戸市立王子動物園、大阪市天王寺動物公園、鹿児島平川動物園、沖縄こどもの国などで見ることができるようだ。だいぶ日本の動物園もコアラのことが分かってきたのだろう、数も増えてきた。
 動物園の動物は動かないからつまらないとはよく言われることだ。コアラは動かなくてもかわいいけど、やっぱり動いた方がよりかわいいことは間違いない。動いてるコアラを見たければエサやりの時間がチャンスだ。コアラは動かないものという先入観があるから、動くコアラを見ると、ハナ肇の銅像が動いたときのような驚きと喜びが得られるだろう。

趣味で作る料理はフレンチが一番楽しい

料理(Cooking)
フレンチ風は楽しい

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/30s(絞り優先)



 先週のサンデー料理は母の日崩れ和風だったから、今週はフレンチにしてみた。食材はフランス産じゃないし、白い米のご飯だからフレンチとは言えないけど、どこかに所属させるとしたらフレンチに入れてもらうしかない。ボンジュー、ちょっとお邪魔します。サ・ヴァ?
 何料理が一番好きかと問われれば、迷うことなく和食と答える。じゃあ作るのも和食が一番楽しいかといえばそうではない。一番楽しいのはなんといってもフレンチだ。セコセコ、チマチマした手作り感覚が、私の性に合っているらしい。
 どこの国の料理も、食べる人のために作るという大前提がある中で、フレンチだけが作ることそのものが目的となり得るという性質を持っている。フランス料理は、世界のどの国の料理とも似ていない。皿にソースで絵を描いて喜んでるのはフランス人だけだ。そういう自己満足的というか、自己完結的なところが、美味しく食べるためではなく趣味として作っているサンデー料理にはよく合う。

 というわけで、今日のフレンチ風料理は3点。
 まずはキス。いや、フレンチキスとかそういう話ではない。魚のキスだ。
 たまには変わった魚を使ってみようとということでキスを選んだ。料理は至って単純。オリーブオイルとバターでキスを焼いて、付け合わせのアスパラとネギの上にソースをかけただけだ。
 ソースは、オリーブオイルをベースに、白ワイン、カラシ、酢、ハチミツ、刻みパセリ、バジルを混ぜて作った。
 味は問題なし。冒険してないから安定感のある美味しさだった。言葉を変えれば、面白みがないという言い方もできるかもしれない。
 左上は何と言ったらいいのか、甘エビのサラダとでもいうんだろうか。甘エビを軽くあぶって、少し茹でたトマト、大葉を並べ、ソースをかけた料理だ。ソースは、オリーブオイル、白ワイン、レモン、カラシ、しょう油、パセリを混ぜたものとなっている。しょう油とカラシとオリーブオイルは相性がいい。フランス人もしょう油を使えばいいのにと思う。日本のフレンチレストランでは使っているだろう。
 最後は野菜スープ。今日の中ではこれが一番美味しかった。ニンニクの刻み、鶏肉、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツを、オリーブオイルとバターで炒める。その後白ワインで少し煮込んで、水を加えて弱火で30分ほど煮込みながらアクを取り、コンソメの素と塩、コショウで味付けして、更に少し煮込んで出来上がり。これはバターが味の決め手となる。

 今日もまた、面白くないほど波乱もなく美味しく仕上がってしまった。こんなつもりじゃなかったのに。値段は前回の500円から値上がりして550円になってしまった。一週間で50円も上がってしまうなんて、ガソリンみたいだ。ただ、いつ暴落するかもしれない危険をはらんでいるのが私の料理なわけで、来週は200円くらいになっている可能性も大いにある。その日の出来不出来を自己採点して値段が決まる店、そんな不安定な店には通いたくない。出来がよくても悪くてもお客にとっては微妙。
 フレンチに関しては、食材を全部揃えるのは大変だから本格的なものはできないけど、家庭料理の範囲内で今後も作っていきたいと思っている。やっぱりフレンチは楽しい。そのうち私も皿にソースで絵を描き出すに違いない。メイドカフェのメイドさんがオムライスにケチャップで描く絵には負けないぞ(誰と対抗してるんだ)。
 まずは1,000円の値段が付けられるくらいまで上達したい。550円程度では、材料費と光熱費を考えると一日100食作っても5,000円くらいの儲けにしかならない。なので、550円を持って日曜の夕方私の家に来るのはやめてください。

昔も今もトンボを好きな気持ちは変わらない

虫/生き物(Insect)
カワトンボかな

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/125s(絞り優先)



 見慣れないトンボが私を誘うようにヒラヒラふわふわと飛びながら遠ざかり、止まったところに近づくと、またフッと飛び立ってハラハラと舞って距離をとる。なおも追いかけ、フラフラと迷い込んだ藪の中。そぉっと近づき、やっと撮らせてくれたのがこの一枚。期せずして珍しい角度のトンボ写真となった。
 さて、これは何トンボだろうと家に帰ってきてから調べてみたところ、どうやらカワトンボのようだ。これとよく似た羽が黒いハグロトンボは昔からお馴染みだけど、カワトンボはこれまでほとんど見たことがなかったような気がする。見ていても意識的に見てはいなかった。

 しかし、カワトンボだと分かったからといって安心するのはまだ早い。ここから更にもう一歩踏み込んで特定しようとすると、話はややこしくなる。まず、カワトンボという名前のトンボはいない。カワトンボは、ニシカワトンボ、ヒガシカワトンボ、オオカワトンボの3つの亜種に分かれている。静岡より東にいるのがヒガシカワトンボで、中部から西はニシカワトンボとなる。だから、写真のこれはたぶんニシカワトンボなのだと思う。オオカワトンボはニシとヒガシよりやや大きく、富山、長野、静岡から鹿児島県にかけて(高知、長崎にはいない)と分布に偏りがあるのが特徴だ。私はニシとオオカワトンボの区別はつかない。
 それからカワトンボの大きな特徴として、個体差の大きさというのも挙げられる。まず、翅が透明なものと、オレンジ色のものがいて、その中間的なやつもいるということを知っていないと、別のトンボと思ってしまう可能性が高い。更に、体色変化も激しく、写真のように緑色に光っているのは未成熟なやつで、成長するに従って白い粉をふいたような灰色の体色になっていく。見比べると、とても同じ種類のトンボとは思えない。
 メスは銅色の体をしていて、前翅に白いワンポイントを付けている。
 他にも、ミヤマカワトンボ、アオハダトンボなど、見た目が似てて紛らわしいやつがいる。トンボ博士への道のりは果てしなく遠い。

 カワトンボたちは、北海道から九州まで、日本のだいたいの場所に生息している。さほど珍しいトンボではない。ただ、基本的に生息域が渓流の近辺なので、都会で暮らしていたら見かける機会はめったにないと思う。街中の公園にはあまりいないはずだ。
 大きさは5センチ前後で、イトトンボほど頼りない感じではなく、ヤンマたちのように力強くもない。飛び方は直線的ではなく、ちょっと蝶みたいにヒラヒラした感じに飛ぶ。
 4月の終わりから8月くらいにかけて見ることができる。
 エサは他のトンボ同様、小さな虫などだ。飛びながら6本の手足で獲物を鷲づかみにして、するどい歯と丈夫なアゴでいただく。アップで見るとけっこうえげつない。
 幼虫は、きれいな渓流や小川にしかおらず、ヤゴとして水の中で2年近くを過ごす。トンボになってから冬を越すことはできない。

 トンボの区別というのも、花や鳥や他の虫たちと同じように、とても難しい。去年は途中であきらめてしまったところがある。アキアカネやらナツアカネやら、赤いやつだけでもたくさんいたりして。今年はもう少し勉強して分かるようになりたい。赤トンボ、オニヤンマ、シオカラ、イトトンボで済んでいた頃が懐かしいけど、もうあの頃のようには戻れない。名前が分からないとどうも落ち着かない。
 まず、トンボには大きく分けて3つのグループがある。
 不均翅亜目(トンボ亜目)は、お馴染みのヤンマ系や赤トンボのグループで、後翅が前翅よりも広くて、とまるときは翅を広げている。両目の位置はほとんどくっついている。
 均翅不均翅亜目(ムカシトンボ亜目)は、胴体は不均翅亜目に似て、翅を閉じてとまるタイプだ。これはムカシトンボとヒマラヤムカシトンボの2種類しかいない。
 均翅亜目(イトトンボ亜目)は、カワトンボやイトトンボたちのグループで、前翅と後翅がほぼ同じ形で、胴体が細長く、翅を閉じてとまる。両目の位置は離れている。
 世界には約5,000種類のトンボがいると言われている。日本には200種類ほどが見られるんだそうだ。そんなにいるとは知らなかった。どうりで区別がつかないはずだ。子供の頃から見たものをざっと数えてみると、せいぜい20種類くらいだろうか。10分の1でしかない。でもそれだけまだまだ楽しみがあるということでもある。
 去年は日本最小のハッチョウトンボやムカシトンボを初めて見た。今年はどんなはじめましてがあるだろう。
 そういえば、トンボの目の前で人差し指をぐるぐる回すと目を回すというあれは本当なんだろうか。子供心にそれはないだろうと思ってやったことはないのだけど、人に言わせると本当だと言い張る。もし、その作戦が実際役に立つのだとしたら、写真を撮るときにも有効な手段となるだろう。今度一度試してみよう。
 ただ問題は、左の指で回したとして、重い一眼デジを右手だけで持ってシャッターを押せるかということだ。ブルブル震えてしまっては、いくらトンボが止まっていても意味がない。とりあえず夏までに純金製の鉄アレーを買って右手を鍛えるか。いや、純金だから鉄アレーじゃなく、金アレーだ。2キロのやつで600万円らしいけど。

ゴマちゃんやタマちゃん、オカちゃんやナカちゃんの話

動物園(Zoo)
ゴマちゃん

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/800s(絞り優先)




 地上ではもそもそと腹ばいでしか動けないアザラシも、水の中ではカメラも追いつけないほどの速さで泳ぐ。プールの中をぐるぐるぐる泳いで泳いで回って回って回る~。30周ほど見守っていたら、いい位置で浮かび上がってこっちを向いてくれた。ありがとう、ゴマちゃん。しかしその目は、こいついつまで粘ってるんだという不信感のようなものが宿っていたように見えた。鼻をふくらませてたのがその表れだったかもしれない。

 アザラシの種類を全部言える人間は、たぶん少ないだろう。世界に何種類いるか知っている人もそう多くないんじゃないだろうか。多摩川にいたタマちゃんのおかげで日本でも一般に広く知られるようにはなったものの、依然としてアザラシはさほど身近な生き物ではない。北海道に住んでる人をのぞいて。
 ゴマちゃんがあれからどうなったかは知らないけど、あれがアゴヒゲアザラシだったことは覚えている。あれから無事に海に帰り着いて今でも元気にしてるんだろうか。横浜市では西玉夫として住民登録されている。
 その後、ブームに乗ったわけではないだろうけど鴨川に現れたのが、この写真と同じゴマフアザラシのカモちゃんだ。それ以外にもナカちゃんやらウタちゃんやらいろんなのが出てきた。そしてキング・カズは調子に乗って岡田監督のことをオカちゃんと呼んで日本代表をクビになってしまった(それとこれは別だろう)。
 で、結局アザラシは何種類なんだというと、19種類もいるんだそうだ。私も今日勉強するまで知らなかった。せいぜい5、6種類だろうと思っていた。
 ハワイモンクアザラシ、チチュウカイモンクアザラシ、カリブモンクアザラシ、キタゾウアザラシ、ミナミゾウアザラシ、カニクイアザラシ、ウェッデルアザラシ、ヒョウアザラシ、ロスアザラシ、アゴヒゲアザラシ、ゼニガタアザラシ、ゴマフアザラシ、ワモンアザラシ、バイカルアザラシ、カスピカイアザラシ、タテゴトアザラシ、クラカケアザラシ、ハイイロアザラシ、ズキンアザラシ。
 北海道の海岸などでは、アゴヒゲアザラシ、ゼニガタアザラシ、ゴマフアザラシ、ワモンアザラシ、クラカケアザラシの5種が見られるらしい。それも知らなかったことだ。とはいえ、札幌育ちの人間とかまでが普通にアザラシと共に暮らしているわけでは決してないと思う。北海道人がみんな「北の国から」のような生活をしてるわけではないのと同じように。そういえば、地井武男はナカちゃんだった。

 アザラシは主に南極や北極などの寒いところで暮らしていると思われがちだけど、熱帯の海などにもいたりして、意外と広く世界の海に分布している。
 北海道では、一年中いるものと流氷に乗ってくるやつがいる。冬の到来とともにやって来て、氷の上で子供を産んで、また春になると北へ帰っていく。写真のゴマフアザラシは流氷タイプだ。普段は、ベーリング海やオホーツク海にいる。
 肉食のほ乳類で、魚やイカ、タコなどをとって食べる。かなりの大食いで、動物園ではたとえばホッケ6kgで600円ほどになるという。サラリーマンのお父さんのランチ並み。1日2食として、お父さんのおこづかいが月に3万円ではアザラシにメシを食わせていくこともできない。
 ほ乳類なので、赤ちゃんはお乳で育てる。チビの頃は真っ白のふわふわの毛並みをしている。これは流氷で姿が見つかりにくいからだろうと言われている。
 大きさは、体長1.5メートル、体重100キロくらいで、アザラシの中では小さい方だ。
 名前の由来は、見た目のごま斑から来ている。
 生息数は33万頭ほどで、寿命は30年くらい。一時はかなり乱獲されていたけど、最近は保護の方向に向かっているので、一応安定してると言っていいだろう。
 多摩川あたりに流れてきたり、動物園でも生きていけるところをみると、環境変化に対する対応力は高いのだろう。動物園では寝てばかりいるアシカと比べて、元気に泳ぎ回っていることが多い。アシカのようにやたら鳴いたりせず、おとなしい印象を受ける。

 アザラシは、アシカに負けないくらい賢いのに、動物園や水族館などで芸をしている姿はあまり見かけない。これは、手足が短く、アシカのように上手く歩いたり立ち上がったりできないからだ。前に進むときも腹ばいじゃないと進めないので、見ててなんか気の毒な感じがしてしまう。おかげで芸をやらされずにすんでいる。何が幸いするか分からない。アザラシは、芸のためなら女房も泣かす浪花節ではないのだ。
 そして今日も、黙ってプールをぐるぐるぐる泳いで泳いで回って回っているのであった。

黒いアゲハチョウのことは見切ったり

虫/生き物(Insect)
クロアゲハ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/640s(絞り優先)



 黒色のアゲハチョウを見ると、あ、クロアゲハだ、と簡単に決めつけていた私。しかし、それでいいのか私、という疑問がわき起こったのが去年の夏、初めてジャコウアゲハを見たときだった。それ以来クロアゲハ断定は揺らぎ始めた。そういえばカラスアゲハってのもいたっけ。
 これじゃあいけないと、今日黒いアゲハについて基礎から勉強してみた。雨続きで散策にも行けないし。そして、黒色アゲハに関しては掴んだ。見切ったと言ってもいい。彼は昔の彼ならず。もう昨日までの私とは違うのだよ、明智君。黒いアゲハで迷ったときは私に相談して欲しい。黙って座ればピタリと当たる。100回に85回は当ててみせる。ヨシズミの天気予報より当たる自信を獲得したのだった。

 まず最初に見るのが後翅の尾っぽの部分の長さだ。写真のように突き出てる部分が短ければクロアゲハの確率が高い。ただし、短くても翅の表側にクリーム色の目立つ紋があるとモンキアゲハになるので注意が必要だ。
 後翅に突起がまったくなくてつるんとしてたらそれはナガサキアゲハ。ナガサキと名が付いてはいるものの北海道を除く全国にいるから他人事じゃない。
 次に尾っぽのところが長い場合。まずはオナガアゲハが考えられる。全体的に黒いつや消しっぽかったらたぶんオナガだ。
 同じように突起が長くても、翅が緑や青の光沢を放っていたらそれはカラスアゲハだ。ただ、これによく似たミヤマカラスアゲハというのがいるから少しややこしい。ミヤマの方がより派手でテカテカしてるのと、前翅の白い帯の部分が先へ行くほど広がってないといった違いがある。北日本はミヤマの方が多いそうだ。
 ジャコウアゲハは、突起が長くて、翅が褐色っぽいのと(特にメス)、体に赤い模様があることで区別がつく。普通のクロアゲハなどのようにせわしなく翅をばたつかせず、ゆっくりヒラヒラ舞うように飛ぶので、飛んでる姿からしてもこれは違うなと思わせるものがある。名前の由来は、オスが鹿の麝香(ジャコウ)に似た匂いを発するからだそうだ。
 とまあ、こういった感じで見分けるのだけど、文章だけではなかなか難しいと思う。写真を並べて見比べると分かりやすいので、またクロアゲハ以外の蝶を撮れたら紹介しようと思う。

 クロアゲハには春型と夏型があって、夏型の方が春型に比べてサイズが大きいという特徴がある。春型は7センチから9センチくらいなのに対して夏型は10センチを超える。場所によっては年に3度発生するらしい。
 本州から沖縄にかけて生息していて、北海道にはいない。名古屋あたりではもっとよく見かける黒いアゲハだ。街の公園などでも見かけることがある。本来的にはやや薄暗いくらいの場所が好きなようだ。黒いボディーは夏の強い日差しがきついのかもしれない。
 日本以外では、中国、韓国、台湾、インドシナ半島などにもいるそうだ。沖縄のものは後翅の赤い班がよく目立つ。
 オスメスの区別は、赤い斑紋が多いのがメスで、オスには前翅と後翅の境目あたりに白い筋が入るので分かる。写真のものはメスだろう。
 夏の暑い日などに、地面で水を吸っているのは、体温調節やミネラル補給のためだ。
 ツツジやオニユリなどで蜜を吸ってることが多く、どうやら赤い花が好きらしい。色は見えてるんだろうか。

 今年は5月になっても気温が上がらず、見かける蝶も去年の今ごろと比べてかなり少ない印象がある。蝶たちも今や遅しと出番を待ちかねてるんじゃないだろうか。
 そろそろ雨も飽きたから五月晴れの空が戻って欲しい。花も虫も撮りたいものがたくさんあるこの時期だから。
 今シーズンはどれくらい蝶が撮れるだろう。去年は出会っても撮れたのは10回に1回でしかなく、翻弄され続けた。蝶の飛翔は思いのほか速くて、なかなか捉えることができない。やっと花にとまっても近づくとすぐに逃げられてしまう。蝶に好かれるにはどうしたらいいんだろう? とりあえず口に赤いバラでもくわえてみようか。頭にはハチマキを巻いて、そこにぐるりと一周ツツジでも差そう。もし、そんな格好でカメラを持って、中腰で抜き足差し足で歩いてる男を見たとしたら、それは120パーセント私です。頭の花にとまってる蝶を写せたら、その写真を見せてください。

アヒルとマガモとアイガモとガチョウの関係

野鳥(Wild bird)
アオクビアヒル

FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm(f4-5.6D), f6.7, 1/350s(絞り優先)



 あれ? いつまでマガモいるんだ? などととぼけたことを言っていたのは、去年までの私だ。今の私はもう、これがアオクビアヒルだということを知っている。
 アヒルといえば白いと決まっているわけではなく、実はたくさんの種類がいる。代表的なのが白いペキンアヒルと、写真のようなアオクビアヒルだ。ペキンアヒルは中国が原産で、アオクビアヒルは日本原産だと言われている。関東はアオクビが一般的らしいけど、名古屋は公園などでは白が多く、池などではアオクビが多い印象を受ける。
 首が緑色でカラーリングもマガモに似てるので間違われやすいけど、大きさがアオクビアヒルの方が一回り大きいので慣れれば間違えることはない。去年まで見分けがつかなかったくせに偉そうなことを言う私。
 その他のアヒルとしては、アオクビとペキンを掛け合わせて作られた大阪アヒル、ナキアヒル、オランダうあイギリスで多く飼われているカーキ色のカーキーキャンベル、南米の野生のものを飼い慣らしたバリケン、マレーシアやインドネシアのインデアン・ランナー、ジャワのテイゲール、フランスのルーアン、イギリスのエイルスベノーなどがいる。世界中にこんなにもたくさんの種類のアヒルがいるとは知らなかった。

 もともとアヒルというのは、3,000年ほど前に中国でマガモを飼い慣らしたのが始まりとされている。それが日本やヨーロッパに伝わり、さまざまに品種改良されて今に至っている。目的は卵もあるけど、主に肉だ。
 日本では平安時代あたりによく飼育されていた形跡が残っているそうだ。豊臣秀吉が水田にアヒルを放し飼いさせていたというエピソードは有名だ。徳川吉宗の頃の記録にも残っていて、本格的に導入されたのは明治になってからだという。
 少し前に流行ったアイガモ農法のアイガモは、マガモとアオクビアヒルを交配して作られたものだ。雑草や虫を食べてもらって無農薬で米作りをしようというのだけど、アイガモは飛べるから人の思惑通りに働いてくれるのかどうか不安が残る。
 アヒルに似ているガチョウは、ガン(雁)を家畜化したもので別の種類になる。見分け方は、クチバシのふくらみと首の長さ。ガチョウは動物園くらいにしかいないから、見分けるも何もないのだけど。
 ガーガー鳴くからガチョウ。アヒルは、足が広いところから足ヒロ、アヒロ、アヒルになったとか。
 北京ダックはアヒルで、フォアグラはガチョウの肝臓。ドナルドダックもアフラックも白いアヒルだ。みにくいアヒルの子はハクチョウ。
 けっこうややこしいといえばややこしい。お風呂に浮かべるアヒルのおもちゃにはラバーダッキーという名前がある。

 アヒルの体重は3キロから4キロ。体長は60センチから70センチくらいだろうか。
 水上生活に適した体になっていて、尾っぽから脂を出して羽にこすりつけたりして沈みにくい工夫をしたり、足に水かきがついていてうまく泳げるようになっている。その分陸上生活はやや苦手で、長い時間陸にいると足に負担がかかって痛めてしまうらしい。
 飛べないイメージがあるけど、その気になれば高さ2メートル、距離10メートルくらいは飛べるそうだ。よほど差し迫った状況じゃなければ飛ぶことはないと思うけど。
 食べ物は草や虫などの雑食で、飼うときはニワトリのエサなどでいいらしい。
 夜も目が見えて、卵は夜産む。アヒルはかなりの多産で、飼育下では年間150から200個も卵を産むという。野生のものがそんなに生んだら大変なことになってしまうけど。
 寿命は最高20年くらいで、平均すると10年くらいだそうだ。
 オスとメスの区別は、鳴き声でつく。ガァガァ鳴くのがメスで、クェクェっと鳴くのがオスだ。だから、ドナルドダックはメスということになる。

 アオクビアヒルを見て、なんだマガモのニセモノかよ、なんて思っていたら、意外とアヒルの世界も奥が深いものだった。これからは見方を改めなくてはと思った。
 マガモたちはもう子育てをするために北へ帰っていった。長い渡りの旅は危険がいっぱいで、無事帰りつける保証はない。前シーズン日本に渡ってきたマガモたちの全員がまた秋に渡ってくることはない。残されたアヒルたちは、そんなことに思いを馳せたりすることはがあるのだろうか。やっぱり空を飛んで渡りたいという願望がどこかにあるんじゃないか。遠い遺伝子の記憶として。
 遠くまで飛べないアヒルとは違い、飛べるのに渡らないことを選択したのがカルガモだ。アヒルとカルガモ、この時期居残り組の彼らはどんな会話を交わしてるのだろう。
 6月になれば、またカルガモがたくさんのチビたちを引き連れて歩く光景を見ることができるだろう。アヒルは一般的に卵を温めないと言われている。だから野生で増えることはないのだろう。
 せめて、池や川のアイドルとして、みんなにかわいがられる一生をアヒルには送って欲しいと思う。

名古屋で一番高い山は198mの東谷山

森/山(Forest/Mountain)
東谷山からの眺め

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/200s(絞り優先)



 名古屋市内にも山はある。意外と感じるかもしれないし、そりゃ山くらいあるだろうと思うかもしれない。その中で最高峰の山といえばここ、守山区の北の外れにある東谷山だ。ひがしたにさん、ではなく、とうごくさんと読む。でも、ATOKではとうごくさんでは変換してくれないので、ひがしたにやまと打って変換している。マイナーな地名だから仕方がない。
 地元の人間にとっては、ふもとにある東谷山フルーツパークでおなじみだろう。
 標高は198.3メートル。まさに小山。テレビ塔の180メートルはかろうじて超えてるものの、セントラルタワーズの245メートルにも負けている。ただし、濃尾平野にあるので、山としての姿はけっこうしっかりしている。

 写真は山頂の展望台から西側を眺めた風景だ。庄内川を挟んで左が名古屋市郊外、右が春日井市の市内になる。こうやって眺めてみると、このあたりは本当に平野だということがよく分かる。遠くあるはずの美濃や鈴鹿の山脈は、かすんで見えなかった。
 東側からは瀬戸市の街並みと猿投山が見える。
 一部では夜景スポットとして有名らしい。けど、夜中に登山口から歩いて登るのは厳しいものがあるし、西北から車で細い山道を登るのもけっこう怖い。もっと怖いのが車上荒らし。なかなかにスリリングな夜景見物となる。
 登山道はいくつかあって、私はいつも南の東谷奇玉稜がある方から登る。愛知用水手前に駐車スペースがあるので、そこから登って山頂まで約15分。枯れ葉で滑る山道と連続階段攻撃を食らい、山歩きに慣れてなかったときは大変な思いをして登った。今はゼィゼィのハァハァになるくらいで、どうにか気力、体力を保ったまま山頂にたどり着けるようになった。たかが15分の歩きと侮ってはいけない。たとえばビルの階段を15分間登り続けることを想像してみて欲しい。まあ、そういうことだ。
 西の東谷山フルーツパーク駐車場近くの登山口から登る人も多い。こちらは階段のみとなるのでけっこうきついかもしれない。東にも登山口があるらしいけど、そちらは行ったことがないので分からない。

 山頂には尾張戸(おわりべ)神社がある。このあたりでもかなり古い神社で、一番古い記録では923年に登場しているから、それよりも前にはもうあったということになる。
 かつてこのあたりは尾張氏という有力な豪族が支配する土地で、古墳もたくさん見つかっている。神社の社も古墳の上に建てられているようだ。40ほど発見されている古墳は、だいたい6世紀から7世紀くらいに作られたものだと言われている。山のあちこちに不自然な巨石が置かれていたり、テーブルストーンと呼ばれる平らな石があったり、サークル状に石が並べられていたり、古代ロマンの香りが漂う場所でもある。
 徳川家もここの場所は神聖視していたようで、尾張藩初代藩主の徳川義直なども、名古屋城の鬼門に当たるということで守護神として祀り、大切にしたそうだ。当時は熱田神宮に次ぐ大社と言われていたんだとか。
 御祭神は、尾張氏の祖神である天火明命(あめのほあかりのみこ)他、天香語山命(あものかぐやまのみこと)、建稲種命(たけいなだのみこと)で、ここに初日の出を見に来て初詣をしていく人もけっこういるそうだ。私もなんとなく100円入れて、拝んでおいた。具体的なお願いごとは特になかったんだけど。

 往復30分の名古屋最高峰制覇。しかし、その短時間と山の低さ以上の満足は得られる。登りは急勾配で息も切れるし、下りはおっかなびっくり滑らないように歩くと思ってる以上に足にくる。展望台からの眺めはなかなかのものだし、古い神社と古墳群は神妙な気持ちにさせてくれる。高い木々の上からは鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてきて素敵だ。耳元には蚊のブーンという音まで聞こえる。って、それはイヤだな。そうそう、夏場はここ、ものすごく蚊が多いので気をつけた方がいい。山頂にはジュースの自販などという気の利いたものもないので飲み物も持参したい。靴もそれなりのものを履いていった方がいいと思う。
 東谷山フルーツパークとセットで散策すると、ちょうどいい感じかもしれない。
 そんなわけで、名古屋で一番高い山、東谷山をよろしくお願いします。と、誰にともなくお願いしてみる。ちなみに、名古屋で二番目に高い山は111メートルの親鸞山で、猪高緑地の中にあったりします。そちらもよろしくです。三番目? はて。そのうち調べておきます。

ふたりの時間と距離とアフリカゾウ

動物園(Zoo)
アフリカゾウの前で

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/160s(絞り優先)



 ゾウを撮ろうと一歩下がったら、そこには小さなドラマがあった。ふたりの時間と距離感といったようなものが、私に、ああ、という言葉にならない感情を呼び起こし、映像だけが残った。
 そんな人間模様を何年にもわたって見続けたゾウたち。彼らは狭い世界から人間たちの姿を通して、人生というものがどういうものなのかを学んでいるのかもしれない。とても賢い生き物だから。
 共に生きるということは、見つめ合うことではなく横に並んで同じ方向を向くことだ。時間が作り出した小さな距離感は、むしろ確かな絆に思えた。人は不安なときほど身を寄せ合おうとするものだから。

 陸にすむ哺乳類で最大の生き物が、このアフリカゾウだ。21世紀まで生き残った最後の巨大生物、もっとも恐竜の面影を残す生き物と言ってもいいかもしれない。しかし、ゾウにとって今の地球は決して暮らしやすい場所ではなく、他の多くの動物たちと同様、絶滅へと向かっている。環境破壊と乱獲によって。
 ゾウは大きく分けてふたつのグループがある。アフリカで暮らすアフリカゾウと、アジアにいるアジアゾウと。かつてはオーストラリアと南極をのぞくすべての大陸にゾウの仲間はいたと言われている。遠くはマンモスだったり、日本にはナウマンゾウがいた。
 アフリカゾウは、写真のサバンナゾウと、マルミミゾウがいる。マルミミゾウは珍しくて、日本では旭山動物園と徳山市立動物園でしか見ることができない。
 アジアゾウは、インドゾウ、セイロンゾウ、スマトラゾウ、マレーゾウの4亜種に分けられるのが一般的だ。
 現在の生息数は、アフリカゾウが約76万頭、アジアゾウが約5万頭くらいと言われている。
 アジアゾウの方がやや小さく、背中が丸まっているのに対して、アフリカゾウは大きく、背中もまっすぐに近い。耳の大きさで区別するのが一番分かりやすいだろうか。アジアは小さく、アフリカは大きい。

 ゾウはとぼけた顔をして動作ものんびりしてるので、鈍いやつだと思いがちだけど、それはジャイアント馬場を弱いやつと思うのと同じくらい間違った思い込みだ。実際は、強くて、速くて、器用で、賢い生き物なのだ。
 鼻は一度に10リットルの水を汲み上げたり、自由自在に動かしてピーナツのような小さなものまで掴むことができる。歯も丈夫で、腕くらい太いカシの木も大きな四つの歯でバリバリにかみ砕いて食べてしまう。
 足も見た目からは想像できないほど速く、スピードに乗れば時速40キロまで出せる。遠くのものまで匂いをかぎ分け、目と耳と記憶力もいいから言葉も理解して、自分に危害を加えたことがある人間を覚えていて襲ってきたり逃げたりもするという。足の裏で低周波まで読み取るというからすごい。
 この巨体ゆえに他の生き物から襲われることもなく、メスを中心とした小さな群れで平和に過ごしている。リーダーは最年長のメスで、それが分かるということからしても知能はかなり高いと言えるだろう。オスは繁殖期以外は単独で行動してることが多い。
 巨体ゆえに安全なゾウではあるけど、その巨体がもたらす困ったこともある。それは食事の量の問題だ。とにかく大食いで、一日に100~150キロのメシを食べるというから動物園ではダントツにお金がかかる動物となっている。牧草、にんじん、りんご、乾燥エサなどで一日1万円もエサ代がかかってしまうのだ。
 それから水。飲んだり水浴びしたりするために一日100リットルの水を必要とする。
 動物園ではエサ代のことを言われることが多いけど、実は大変なのは水道代で、東山動物園の場合、エサ代は年間1億1千万円なのに対して、水道代は3億3千万円かかっている。
 ゾウが生きていくには、野生でも動物園でも、たくさんのエサと水が必要ということだ。

 ゾウは豊かな環境の中でしか生きていけない動物だ。動物園においても同じことが言える。そして、ゾウは平和の象徴でもある。第二次大戦前、日本には20頭のゾウがいた。戦後まで生き残ったのは、東山動物園のエルドとマカニーの2頭だけだった。今では日本中どこの動物園でも見ることができるゾウだけど、それを支えているのは人間たちの大きな力だということを忘れないようにしたい。
 愛・地球博で見たマンモスは、とても悲しいものだった。その大きさと、もう決して見ることができないのだという事実が胸にこたえた。未来の子供たちがゾウのはく製を見て同じような気持ちにならずにすむように願うばかりだ。
 ゾウのことをこれからも忘れないように、象印の魔法瓶とゾウが踏んでも壊れないアーム筆入れを骨董屋に買いに行こうと思う。

自分の料理に初めて値段が付いたサンデー料理

料理(Cooking)
母の日サンデー料理

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/40s(絞り優先)



 今日は母の日。だからサンデー料理はお袋の味にしようと思った。けど、カレーにしようか和食にしようか家庭料理にしようかとあれこれ考えてるうちにメニューは横すべりして、気づけばノーマル料理になっていた。こんな料理、母親作ったことないぞ。裏の裏をかいたつもりが表に。
 お袋の味というよりも自分の味になった今日のサンデー料理。ちゃんとお袋の味に仕上がったら、寂しくひとりでご飯を食べているであろう森進一に届けたかったのに。「おふくろさん」のモノマネをしながら。

 お袋の味料理から出発したなごりは、肉じゃがに残っている。ただし、これはもはや通常の肉じゃがではなくカレーに近い料理になっているので、母親の味からは遠いものとなっている。
 牛肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギを炒めて、だし汁で煮込んだあと、しょう油、酒、みりん、砂糖で味付けし、更にカレー粉でカレー風味に仕上げてある。でもこれは美味しいと思う。普通の肉じゃがよりもこちらの方が好きだ。ややスープを多めにして、甘辛くしてあるので子供でも喜ぶと思う。
 でも、なんで女の人に肉じゃがを作ってもらいたがる男は多いんだろう? こんなもの誰でも簡単に作れるのに。料理の中ではかなり難易度は低い方だ。美味しいチャーハンを作る方がよほど難しい。だから、つきあい始めた彼女が肉じゃがを作ってくれたからといって、料理が得意と決まったわけじゃないので油断は禁物だ。

 右奥は、蒸し料理の延長戦。蒸しキングになるために、今後もちょくちょく蒸しものは作っていこうと思っている。今回は、豆腐を崩したものに、とじた卵、カニ缶、白身魚、カタクリ粉を混ぜ込んで蒸してみた。味付けは、しょう油と酢とごま油を煮立てたもの。中華と和風のミックスで、さっぱり味で美味しかった。他にもエビやらキノコ類を加えたりするなど応用もきくし、これはちょっとおすすめしたい一品だ。ごま油の風味が効いている。

 最後はタケノコ料理。いつまで竹の子族やってるんだと80年代に青春を過ごした人からのツッコミが入るかもしれない。いやいや、原宿の歩行者天国なんて行ったことないです、とかわしつつ、この春最後のタケノコ料理となった。もらいものを食べきるのにだいぶ時間がかかってしまって、もはや新タケノコとは呼べなくなっていた。
 今回もこれまで食べたことのないタケノコ料理に挑戦ということで、シーチキン焼きでいってみた。ニンニクを刻んで炒め、輪切りにしたタケノコを白ワインで炒めて、シーチキンを投入したあと、マヨネーズ、カラシ、しょう油で味付けした。これはいい。今まで食べた中で一番のタケノコ料理だ。タケノコは煮るだけじゃなく焼いてもいいのだということが今回でよく分かった。

 母の日料理から脱線してオレ流料理になってしまったけど、味の方は文句なしの出来上がりだった。自分が作ったものにケチをつけずに食べることができたのは、今回が初めてかもしれない。同じ料理は二度作らないというのが基本姿勢のサンデー料理だけど、この3品に関してはもう一度作って食べたいと思った。これなら500円は出してもいい。
 ということで、この料理が食べたい人は、500円を持ってうちに遊びに来てください。ただし、毎日は来ないでください。

森と親しくなるほど花が呼び寄せてくれる気がする

花/植物(Flower/plant)
タニウツギ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先)



 タニウツギなんて聞くと、女子ソフトボール日本代表の宇津木監督とヤワラちゃんのダンナ谷選手の顔が同時に浮かんで困る。いや、すごく困るわけではないのだけど、ふたりのイメージとこの花の可憐さとのギャップが大きくて、脳の中での処理が追いつかなくて少し困る。宇津木監督のチームにもし私がいたら、確実に泣かされてしまうであろうことを想像してつらい気持ちになったり、谷選手ってなんて偉いんだろうと思ったり。
 それはともかくとしてタニウツギ。残念ながら漢字では谷宇津木ではなく谷空木と書く。枝の内側が空洞で、谷によく生えることからその名がついた。田植えの時期に花を咲かせることから、タウエバナと呼ぶ地方もあるそうだ。更に、早乙女花(サオトメバナ)という別名もある。言われてみると早乙女愛っぽい気もする。もちろんそこから付けられた名前ではないけれど。

 分布は日本、朝鮮半島、中国で、日本では日本海側に多いという。確かに名古屋近郊ではあまり見かけない。ただ、まったく自生してないというわけでもなく、海上の森にあったところをみると、気をつけていれば意外と身近なところにもあるのかもしれない。公園や民家にあるものは人の手で植えられたものだ。
 木の高さは、30センチから2メートルくらい。このあたりでは5月頃に咲く。花色はつぼみのときが濃いピンクで、花が開くと淡いピンクになり、そのグラデーションがいい。遠目で見るとそれほどでもないけど、近づいてみるととても魅力的な花だということに気づく。花の大きさは3センチくらい。
 花が一斉に咲き乱れる5月に咲くので、あまりもてはやされることはないけど、これがもっと早い春先に咲く花だったらありがたがられていたんじゃないだろうか。たとえば3月の中頃だったら、春の訪れを華やかに知らせる花として人気者になっていた気がする。この色合いは、人の心を浮き立たせるものがある。
 白い花を咲させるシロバナタニウツギもあるそうだ。

ツクバネウツギ

 こちはらツクバネウツギ(衝羽根空木)。花の形が似ているし、どちらもウツギと名前が付いてるから仲間だろうと安易に考えると痛い目に遭う。このふたつのウツギを並べると、がぜん話はややこしいことになるのだ。
 まず、普通のウツギ(空木)という花があって、これは上の2つとは種類が別のユキノシタ科ウツギ属に属している。それに対して、タニウツギはスイカズラ科タニウツギ属で、ツクバネウツギはスイカズラ科ツクバネウツギ属になる。
 すでに話がややこしいけど続けると、タニウツギ属には、ウコンウツギ、ニシキウツギ、ヤブウツギなどがあり、ツクバネウツギ属にはオオツクバネウツギ、コツバネウツギがある。なんだか、とても脱力感を覚えるのは私だけではないだろう。どこの属でも族でも自分には関係ないもんね、と知らんぷりをしたくなる。しかし、おまえ何中だ、と訊かれたら出身中学を答えるのが人の道というものだろう。
 話がそれた。とにかく、ウツギにもいろいろあるということだ。それだけは心にとめておきたい。
 ツクバネウツギは、プロペラのようなガク片の形が、羽根突きの衝羽根(ツクバネ)に似てるところから名づけられた。これが5枚ならツクバネウツギで、1枚小さかったり4枚だったらオオツクバネウツギと分かる。
 よく似た白い花で、道ばたなんかに植えられているアベリア(ハナツクバネウツギ)は、中国産のシナツクバネウツギとユニフローラとを掛け合わせて作られた園芸種だそうだ。
 本州から四国、九州の丘陵帯の日当たりに良いところに分布している。北海道はピンクのタニウツギがお馴染みで、本州から九州に住んでいる人はこちらの方をよく見かけると思う。
 ピンクで華やかなタニウツギと白くて清楚な花がふたつ並んで咲くツクバネウツギ、どちらもそれぞれによさがある。

 野山の花との出会いは、偶然の要素が大きい。今日はあれとあれを見つけようと思って行っても、それと出会えるとは限らないし、まったく狙ってなかった花が見つかることもある。同じ季節、同じ場所に行っても、出会う花は人によって違ってくる。特に海上の森のように広い森となると尚更だ。歩く場所によって咲いている花も違う。下ばかり見て歩いていて上に咲いているものに気づかなかったりもするし、知識によって見えたり見えなかったりということもある。
 あるいはそこには何らかの必然はあるのだろうか? 花が人を呼ぶというようなこともあるのか。
 おーい、どこにいるんだー、私を呼び寄せてくれー、と心の中で森に向かって呼びかけてみることがある。たいていはそんなことで見つかるわけもなく、ついには見つからずがっかりして帰ってくる。まだまだ勉強不足ということを痛感して。でも、ほんのたまに、あきらめかけた最後の最後で出会えることがある。そんなときは、花が自分を呼び寄せてくれたような気がする。
 花も森も生きている。人と花の間にも共鳴や共振というのはあるのかもしれない。

魅惑のバラ世界が大きな口を開けて待っている

花/植物(Flower/plant)
マダム・ヴィオレ

Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.2, 1/400s(絞り優先)


 5月も半ばが近づき、そろそろバラのことが気になってきた。中部地方最大のバラ名所といえば、岐阜県可児市の花フェスタ記念公園。でも、そこはまだ早い。家から遠いし、入園料もいるから、行くなら最盛期にしたい。まずはその前に近場で無料の王子バラ園へ様子見に行くことにした。
 春日井の王子製紙が作っているバラ園で、約200種2,000本のバラを取り揃えているから、個人の趣味の域を大きく超えている。咲き誇っている時期はとても見応えがあって、無料で見せてもらうのは申し訳ないくらいだ。
 今年は春から初夏にかけてなかなか気温も上がらず、快晴の日が少ない。バラの開花も遅れていることが予想された。しかし、行ってみると思ったよりも咲いている。つぼみもまだまだ多くて、全体としては半分も咲いてないとはいえ、ポツリポツリという感じ以上にたくさん咲き始めていた。バラは季節を間違えて遅刻したりはしない。

 まず最初に向かったのは、去年見たバラの中で一番気に入ったマダム・ヴィオレのところ。おお、これこれ。去年の秋以来、半年ぶりの再会となった。今シーズンもこんにちは。でも、どうも形がよくない。多くの花が開きすぎていて、私のイメージの中にあったマダムとはどこか違う。なんでそんなことになってしまったんだ松坂慶子、といった風情だった。マダム・ヴィオレって早咲きだったかな? タイミングの問題ではあるんだろうけど、バラも出会った時期によってずいぶん違った印象となる。いい時期に巡り会えば好きになるし、悪い時期に会うと記憶に残らなかったりする。
 マダム・ヴィオレは1981年、寺西菊雄が作ったバラで、日本のラベンダー系では代表的な品種だ。その上品な色と姿からファンも多い。青バラの元祖とも言われている。
 ハイブリッド・ティーの四季咲きで、八重の剣弁高芯咲き。このバラを紹介するとき必ず言われるのが、香りがないということだ。青に近づくことで香りをどこかに置き忘れてきてしまったらしい。でも、香りを失ったということが逆にドラマチックでもある。

荒城の月

 次に見に行ったのが、マダム・ヴィオレと同じ寺西菊雄作の荒城の月。これも好きなバラで、去年と同じ場所に咲いていた。なんだか見たこともないくらいたくさん。ただ、こちらも花の形はもうひとつで、去年見たときの方がいい姿をしていた。
 名前は瀧廉太郎作曲の曲からとったものだと思うけど、ネットでも情報が少なく、詳しくは分からなかった。今年はバラの入門書を買おう。

ピエール・ド・ロンサール

 今回見た中で一番気に入ったのがこれ、ピエール・ド・ロンサール。パッと見たときまずその大きさにハッとして、近づいてよく見てみると淡いクリームイエローとピンクのグラデーションがなんとも情緒的で心惹かれた。この姿は必ずしもピエール・ド・ロンサール本来の姿ではないのだけど、こんなふうに開ききった様子もまたいい。
 つるバラ系のクライミンローズで、ロゼッタ咲き。花経は13センチ前後と、普通にイメージするバラに比べてかなり大きめ。175センチの女の子を見たときのような軽い驚きがある。
 1987年、フランスのメイヤン社作出で、バラの詩をたくさん書いた同名のフランス人詩人にちなんで名づけられた。
 四季咲きと言われているけど、日本の暖かいところでは返り咲きもなく一季咲きになるとか。
 このバラとの出会いがきっかけでバラ好きになったという人も多いという。こんなのが自分ちの庭に咲いていたらいいだろうなぁと思う気持ちはよく分かる。丈夫で育てやすい品種らしいし、私もちょっとその気になってきた。

 バラには無数の種類があって、マニアのものという印象を持っている人も多いかもしれない。私も去年までそうだった。でも、たくさん見て回って、ちょっとだけ分かるようになったら、決してそんな一般人お断りというようなマニアックな世界ではないことが分かってきた。
 バラ園で自分の好きなものを見つけて名前を覚えたり、写真に撮ったり、気に入ったバラの作者を調べてその人が作った他のバラも見てみたり、面白い名前のものを見つけて喜んだり、知識がなくてもいろんな楽しみ方ができる。それが昂じて自分で苗を買ってきて育てたものが咲いたときはさぞや嬉しいことだろう。
 私は今年もまだまだ勉強だ。たくさん見て、写真を撮って、ネットで調べて、少しずつ名前を覚えていこう。お気に入りももっと増やしていきたい。
 花フェスタへもまた行こう。5月の終わりくらいに。あの広い会場で偶然私を見つける確率はかなり低いと思うけど、もし「荒城の月」を口ずさみながら写真を撮りまくっている男がいたら、さりげなく瀧廉太郎作曲の「花」を歌いながら近づいてみてください。それに反応して振り返ったら、それはたぶん私です。

密林の貴公子ボンゴの幻を確かに見たような気がした

動物園(Zoo)
ボンゴと目が合うの巻き

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/250s(絞り優先)


 ボンゴっていいよね!
 何の前触れもなく、突然そんな問いかけを投げられて、とっさに答えられる人は多くないと思う。100人のうち3人くらいは、ああ、あの茶色の鹿みたいなやつ? と答えるかもしれない。5人くらいは、マツダの? と問い返し、4、5人はラテンの太鼓みたいなやつだっけ? などと言うだろうか。大部分の日本人は、ボンゴを100字程度で説明するなんてことはたぶんできないだろう。
 ボンゴ、それは中央アフリカの森林に点在するウシ科の動物で、ケニアボンゴとも呼ばれる。
 ジャイアントパンダ、コビトカバ、オカピと並んで世界4大珍獣とされているのを、知ってる人は知ってるし、知らない人は知らない。私は写真を撮って、こいつについて調べてるとき初めて知った。動物園で見たときは知らなかった。金網越しの瞳が印象的だったので、軽い気持ちで撮っただけだ。珍獣だと知っていれば、もっとちゃんとした気持ちで撮ったのにと悔やまれる。ただ、珍獣かどうかは別にしても、とても雰囲気のある美しい生き物であることは感じたのだった。
 現地ではこのボンゴのことを、密林の貴公子とか魔女の生まれ変りだなどと呼んでいるらしい。森の奥深くで出会って、対峙したときのことを思い浮かべたら、その呼び名は大いに共感できる。
 美しい栗色の毛並みに白い縞模様、堂々と伸びた角と静かな瞳、その姿は薄暗い森林の中でこそ神々しい。動物園の中では残念ながら、その魅力は輝きを失っていた。静けさをたたえた瞳以外は。

 ボンゴはアフリカ山地の森林で暮らしている。通常オスは単独で、メスは少数の群れを作って行動している。
 体長は頭から尻まで2メートルちょっと、高さが1.5メール弱、体重は200キロから300キロ、シッポの長さは25センチくらい。ウシの仲間というより、鹿をひとまわり大きくしてがっちりさせたような感じだ。
 オスもメスも角があり、オスの方が長くて立派で、80センチにもなる。写真のボンゴは半分折れてしまったのかなくなっていたけど、もう一本は存在感があった。
 白い縞模様もよく目立ち、12~15本くらいある。人から見たら縦縞だけど、ボンゴから見ると横縞。これは森林でのカモフラージュではないかと考えられている。
 ちょっと変わっているのは、茶色の毛並みは元々がこの色ではなく、分泌された色素で染まっているだけだとういうことだ。だから雨に濡れると色が落ちてしまうんだとか。雨の日に動物園へ行って一度見てみたい。
 もうひとつの特徴として、高いジャンプ能力があげられる。助走なしで2メートル以上の柵も軽く越えるという。スポーツテストの垂直跳びでは向かうところ敵なし。バレーボールのネットさえ飛び越えることができる。川合俊一など子供扱いだ。
 食べ物は見た目通り植物性。木の葉や草、花、果実、樹皮など、アフリカの森の中では食べるものに困ることはない。

 ボンゴが何故珍獣と呼ばれるかは、発見されたのが19世紀末で、野生の生息数が100頭以下と、絶対的に数が少ないからに他ならない。暮らしている場所が高地の密林の中ということもあり、くわしい生態もよく分かってないという。
 日本に最初にやってきたのは1972年、上野動物園だった。しかし、この年はタイミングが悪かった。なにしろ、世界のアイドル、パンダのカンカンとランランがやって来た年だったからだ。あまり話題になることなく、ひっそりと忘れられた。
 現在は、東山動物園、横浜の金沢動物園、富士サファリパークの3園でしか見ることができない。そういう意味でも貴重な動物だから、もっと一般的に有名になってもよさそうだけど、ボンゴの性格からしてあまりメジャーになるのは望んでないだろう。

 密林の奥深く、木々の間から光がシャワーのように降りそそぐ中、こちらを向いてじっとたたずむボンゴ。赤茶色の毛並みが太陽光線に照らされて、美しく輝いている。こちらがもう一歩近づこうとしたとき、ザザっという音を残して走り去り、あっという間に姿は森の木々の中にかき消される。もはや木々のこすれる音さえしない。今見た一瞬の光景を現実のものとして信じることができるだろうか。幻か、森の魔法にかかったと思っても不思議ではない。
 ボンゴは確かにアフリカの森にいる。今この瞬間も森を駆け回り、木々の間を飛び跳ねている。一生出会うことはないけど、動物園にいたボンゴと目があったことで、私はその幻を確かに見た気がした。

蝶と蛾の小さな差と大きな違い

虫/生き物(Insect)
蝶と蛾の小さくて大きな差

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先)


 初めて出会った蝶に小さく感激。家に帰ってきて調べたら、キンモンガ(金紋蛾)と判明。TAKEO KIKUCHIと思って買ってきた服が、よく見たらTAKAO KIKUCHIだったみたいな悲しさ。なんて紛らわしいんだ。
 蝶と蛾の差は意外と小さい。でもそこには言葉には尽くせない大きな隔たりがある。本物の大塚愛と自称大塚愛似の女の子のように。

 蛾を差別するのはよくない。私も思う。蛾と蝶は、分類上同じ鱗翅目に属する仲間なのだし、見た目が美しい蛾もたくさんいる。でも、そうは思いつつ、人は蛾にはあっちいけと言い、蝶にはこっちこいと言う。見た目がいくらきれいでも、蛾と聞けば多くの人は私同様がっかりする気持ちを隠しきれないだろう。なんだ蛾かよ、と思ってしまう。
 蛾と蝶の主な違いとして、昼間活動するものが蝶で、夜飛んでいるのが蛾という分け方をされることがある。でもこれには多くの例外があり、必ずしもそうとは言い切れない。写真のキンモンガのように昼間飛んで花の蜜を吸う蛾もけっこういる。
 羽を閉じて止まると蝶で、羽を開いて止まると蛾というのもよく聞くけど、これも絶対ではない。
 一番分かりやすいのは、触角の違いだ。蛾の触角は先端にふくらみがなくシュッとしているか、または櫛のような形状をしてるのに対して、蝶の触角は先っぽにふくらみがある。マラカスみたいな格好をしてるから、近づいてよく見ると分かる。陽気なマラカス触角は蝶の証、そう覚えておけば間違いなし。

 キンモンガを初めて見つけて喜んでいたけど、山の方にいくとけっこう普通にいるらしい。珍しいやつじゃなかったんだ。
 名前の由来は、羽の紋が金色をしてるからだろう。九州方面では白っぽいものが多いとか。この紋の形自体、かなり個体差がある。大きさや形もそれぞれ違っていて面白い。羽の端っこに4ヶ所白いふちどりがあるのも特徴のひとつだろう。
 大きさは4センチくらいで、本州、四国、九州に分布している。北海道にはいないようだ。
 春と夏の2回発生するタイプだそうだ。

 とまって蜜を吸っているのはハナミズキの花。まわりの白い部分は苞(ほう)という葉っぱで、花は真ん中の小さくて黄色いやつというのは、ミズバショウなんかと同じパターンだ。
 原産地は北アメリカで、日本が贈った桜のお礼としてアメリカから贈られてきたというエピソードは有名だろう。ただ、それ以前の明治の中頃に入ってきていたという話もある。
 大正4年(1915年)に植えられた原木が今でも何本か残ってるんだそうだ。最初に植えられた日比谷公園にはすでになく、都立園芸高校、農水省果樹試験場、小石川植物園などにあるらしい。だからといって、わざわざそれを見に行こうと思うほどハナミズキに対して思い入れはない。ハナミズキ自体、そのへんの街路樹でたくさん見ることができるし。

 日本には、定住してる蝶と迷い込んでくる蝶をあわせると300種類くらいの蝶がいると言われている。去年意識的に見たのが30種類くらいだろうか。まだまだ見たことがない蝶がたくさんいるというのは嬉しいことだ。初めての出会いには喜びがある。たとえそれが蛾だったとしても。
 この春は残念ながらまたもやギフチョウを見ることができなかった。次の大きな目標は、旅する蝶アサギマダラだ。何百キロ、何千キロと旅をしている彼らと今年こそ出会うことができるだろうか。
 今年の夏もまた、名古屋近辺の森林では、蝶を追いかけて翻弄されているカメラを持った男の姿が目撃されるでしょう。中腰でそぉっと蝶に近づいてる私の背後に忍び寄って膝カックンをするのはやめてください。

藤の風情はどこをとっても日本人好み

花/植物(Flower/plant)
御作ふじの回廊

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5)+C-PL, f4.5, 1/30s(絞り優先)


 つどいの丘のキリシマツツジを見たあとは、御作町のふじの回廊を見に行くというのが定番メニューと言えるだろう。キリシマツツジは単発、ふじの回廊は散策や山歩きと組み合わせることができるから、セットメニューとしてもちょうどいい。
 419号線を北上して、「役場東」交差点を右折、そのまま33号線をキープして10分ほど走ると、ふじの回廊に到着する。橋を渡ったあたりに看板も出ていて、次の信号を越えた右側に無料駐車場となる広場があるので見落とすことはないと思う。
 今年はやや遅れ気味だった藤も、5月7日ではさすがにちょっと遅すぎた。だいぶ花も散って寂しい感じになっていた。見頃としては、毎年4月と5月の境目あたりになるのだろう。
 しかし、ゴールデンウィーク明けということもあって、訪れる人も少なく、のんびり歩きながら藤を楽しむことが出来たのはよかった。甘い香りをかぎながら、回廊をゆっくり歩いて回る。
 ここの藤は、御作小学校の生徒や関係者の人たちが世話や管理をしてるようで、なかなか手入れが行き届いていている。マイナーな場所だけに観光地化もされてないから、近所の人にはおすすめしたい。ただ、木自体はまだ若いのか、やや小ぶりで、藤のボリューム感も有名どころのようにはいかない。
 370メートルほどの回廊に、紫三尺、八重黒竜、シロバナ藤の4種類が植えられている。写真のこれは紫三尺だろうか。最盛期は過ぎていたとはいえ、なかなかいい感じだった。藤はあんまりモコモコになっているものよりも、少しはかないくらいの感じで垂れ下がっているものの方が私は好きだ。

 日本にはフジ(ノダフジ)とヤマフジの2種類があり、中国にはシナフジ、欧米ではアメリカフジなどがある。
 花を近くから見ると、マメ科特有の口唇状の形をしていることが分かる。その小花が房にたくさんついていて、根本の方から順番に咲いていく。
 藤ととえば藤棚を思い浮かべるのが一般的ではあるけど、野生にも案外たくさん咲いている。山の方を走っていると、とりとめもなくあちこちにちらばって紫色の花が咲いているのを見かける。
 あれはたいていノダフジ(野田藤)の方だ。本州、四国、九州と広い範囲に自生していて、つるが右巻きという特徴がある。野田というのは大阪の地名で、昔から藤で有名なところで、そこから名前が付けられたそうだ。
 もうひとつのヤマフジの方は、本州の西部から四国、九州にかけて分布している。人の手で植えられたものはあるのだろうけど、野生のものを見たければ西日本に行くしかない。これはつるが左巻きなので区別がつく。
 どうして藤棚にするかというと、藤はつる性で他のものに巻き付いて伸びる性質があって、横向きに伸ばすことできれいに花を垂らさせるためだ。勝手に伸びるままにさせておくと、野生の藤のように雑然として感じになってしまって美しくない。

 藤の名所としては、世界遺産になっている春日大社の砂ずりの藤や、天然記念物に指定されている藤島の藤(岩手県仁昌寺)、熊野の長藤(静岡県行興寺)、牛島の藤(埼玉県藤花園)、黒木の大藤(福岡県素盞鳴神社)、宮崎神宮のオオシラフジ(宮崎県宮崎神宮)、曼陀羅寺の藤(愛知県曼陀羅寺)など、全国にたくさんある。
 愛知県では、曼陀羅寺と津島の天王川公園が二大有名スポットで、ゴールデンウィークは毎年大勢の人が押し寄せる。名城公園の藤回廊もそこそこ有名だろう。
 樹齢1,000年を越える古木の藤もあるそうで、いつかそんな藤も見に行きたいと思う。今年に関しては、とりあえず御作のふじの回廊でたっぷり見ることができたからもう満足した。曼陀羅寺にも行きたいような気はするけれど。

 古くから日本人は藤を大切に思い、愛してきた。その色合い、姿、風情、香り、どこをとっても日本人好みの、日本を代表する花のひとつであることに間違いない。古典文学にもよく出てきているし、和歌にもたくさん詠まれている。『源氏物語』に登場する藤壺もその象徴と言っていいだろう。
 藤は平安時代がよく似合う。鎌倉や室町に藤は似合わない。江戸時代は桜がいい。平安時代に心惹かれる人は、藤も好きなんじゃないだろうか。
 私も来年のゴールデンウィークには、平安貴族の衣装に身を包んで、曼荼羅寺の藤棚の下で蹴鞠に興じたいと思う。一緒に蹴鞠をしてくれる人を若干名募集します。十二単でそれを見守ってくれる方も歓迎です。ただし、衣装は自前でお願いします。曼荼羅寺で待っているでおじゃるよ。

5月のノーマル・ウィークは花名所から花名所へ

花/植物(Flower/plant)
キリシマツツジの壁

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5)+C-PL, f4.5, 1/400s(絞り優先)


 あなたが欲しいのはゴールデンなウィークですか、シルバーなウィークですか、それともノーマルなウィークですかと訊かれ、正直者の私はノーマルなウィークですと答え、見事金と銀の斧を手にはしてないけど、花スポット巡りを再開した。平日の夕方は、名所でも人が少なくていい。
 ここは、つどいの丘。といっても、マイナーなスポットなので知ってる人は多くないと思う。豊田市の北、藤岡町にある全トヨタ労働組合連合会の施設だ。なんだそりゃ? 私も行くまではどんなところか、まったく想像がつかなかった。そんな組合連合の建物の中に勝手に入っていっていいのか、という不安に押しつぶされて、前日は7時間半しか眠れなかったくらいだ(ちょっと寝過ごし気味)。
 トヨタの関係者でもなく、乗ってる車はホンダということで、おっかなびっくり門をくぐっていくと、そこは拍子抜けするほどオープンな施設で、ちょっとしたレジャー施設のような雰囲気さえただよわせていたのだった。
 入ってすぐ右側に駐車場があり、そこには高さ4~5メートルはあろうかというキリシマツツジの壁がそり立っていた。おおー、これがそうか。私の場合、ネットで写真をたくさん見ていたので、新鮮な驚きはなかったけど、予備知識なしにいきなりこれを見たら、けっこう衝撃的な光景だろう。ツツジの壁というのは、全国的にみてもそうはないんじゃないか。ここまでの規模となればなおさらだ。
 今年は開花が遅れ気味ということで、ゴールデンウィーク明けでちょうどいいくらいだった。例年はゴールデンウィーク前半あたりが見頃のようだ。いいもの見せてもらった。ありがとう、トヨタの人たち。次もホンダ車を買うと思うけど、来年も見事なツツジを咲かせてください。また来ます、と心の中でお礼を言って、つどいの丘をあとにしたのだった。

 キリシマツツジ(霧島躑躅)は、鹿児島の霧島山中に自生していたツツジを、江戸時代に品種改良して作り出されたことでそう呼ばれるようになった。
 似たものに久留米躑躅(クルメツツジ)があり、これは久留米でキリシマツツジとサタツツジを掛け合わせて作られたものだ。
 キリシマというのはもともとひとつの品種名だったもので、のちにキリシマと名の付くものをまとめてキリシマツツジと呼ぶようになったのだという。ツツジの世界もなかなかにややこしい。品種改良もさかんで、日本だけでなく世界でもいろいろな種類のものが作られているそうだ。
 花の時期は4月から5月で、高さは50センチから2メートルくらい(時には4メートルも)、花はやや小さめで、私たちが普通ツツジといっているオオムラサキと比べると小ぶりな印象を受ける。
 赤色だけでなく、ピンクや白もあり、それぞれきっと何々キリシマと名が付いているのだろう。もちろん、細かいことまでは分からない。全部知ってて、来る人来る人に、これはこれが本来のキリシマで、こっちがクルメ、これは日の出霧島ですよ、などと頼まれてもいないのに勝手に解説して回っていたら、その方が変だ。

 全国区で有名なキリシマツツジの名所としては、京都の長岡天満宮がある。あそこは真っ赤なキリシマツツジが回廊を作っていて、それ目当てに訪れる人も多いという。
 福岡の広川町というところには樹齢350年という、キリシマの巨木があるそうだ。写真で見たらすごく立派だった。
 三重県伊勢市にある松尾観音寺の竜神庭園も地元では有名らしい。
 つどいの丘は、グリーンロード中山インターを降りて、417号線を北上してちょっと行った右側(東側)にある。中山小学校を越えて、右前にサークルKがある「西中山辻貝戸」交差点を過ぎて、次に右に入っていくところが入り口だ。「キリシマ ライトアップ」などと書かれた看板があるから、ゆっくり走っていれば見逃さないと思う。

 ツツジの季節がやって来て終わると、次はサツキの季節となる。またやっかいなやつの登場だ。今年もきっと区別がつかないのだろうな。5月に入ってから咲き始めるのがサツキで、新芽が伸びてから花が咲き、枝や葉に毛があり、同じ枝から違う色の花が咲くのがサツキだと、知識として知っていてもいざとなると迷う。サツキの方が光沢があるといっても決定打ではない。
 やはり最終的には、サツキの正式名称はサツキツツジで、ツツジの一種なのだ、と自分に言い聞かせるしかないのだろう。サツキとメイだって、それって皐月とMayで、両方5月のことじゃん、なんてことを言い出して煙に巻くという手もある。
 ツツジの古木には1,000年にもなるものがあるそうだ。ツツジだサツキだなどと小さなことにこだわらず、のんびり行こうぜと思う。


蒸し料理に初挑戦で蒸しキングへの遠い道のりを知る

料理(Cooking)
蒸しキングへの遠い道のり

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/13s(絞り優先)


 今日のサンデー料理の第一印象は、見た目悪いなこれ、というものだった。まったく食欲をそそらないこの色合い。どうした、私!? と自らに問いかけてみたものの、もはや修復不可能。このまま黙って受け入れるしかなかった。食堂でこの料理が出てきたら、食べることをちゅうちょしたかもしれない。
 今回は、先週の予告通り、蒸し料理に初挑戦というのテーマだった。そして、一発で蒸し料理をマスターして、蒸しキングを名乗るはずだった。しかし、蒸しは甘くなった。今までの料理の中で一番難しかったかもしれない。加減がよく分からないという点で。蒸しキングどころか、蒸し二等兵として一から出直すことになった私であった。

 蒸し料理といえば、定番は茶碗蒸し。これははずせないところだろう。溶き卵にだし汁を混ぜて、塩、みりん、酒、しょう油で味付けしたものを蒸すだけの単純なこの料理。簡単だろうと侮っていたら大きな間違いだった。成功のコツは火加減にあるのだけど、初めてということでよく分からない。何度も箸で突いて確かめていたら、しまいには穴ぼこだらけの茶碗蒸しになってしまった。カニが巣を作ってるんじゃないかって思うほど。
 結局最後まで上手く固まりきらず、汁だけがあふれてきてしまったのだった。卵の分量がどうだったのか、漉しはやっぱり必要だったのか、鍋に入れる水の分量はどうだったのか、時間は長かったのか短かったのか、いくつもの疑問が残る。ツルツル、ふわふわ感を出すには、更なる熟練が必要だ。面倒だから、もうやらないと思うけど。

 白身魚の蒸しは、この中では一番ましだった。ちょっと塩辛すぎたけど、蒸し加減はよかった。蒸しの利点は、焼いたり煮たりするのに比べて旨味が逃げず、柔らかく仕上がることだ。肉でも野菜でも、上手に蒸し料理をすれば、煮たり焼いたりするより美味しい料理ができると思う。
 ちょっと時間はかかるけど、やることは簡単。白身魚に酒と塩を振っておいて、卵、塩、しょう油、酒、みりん、マヨネーズを混ぜ、皿の上に魚、しめじ、シイタケ、すった山芋、卵とじのつゆをかけ、あとは水を入れた鍋に皿ごと入れて蒸すだけ。蒸し上がったら、だし汁、しょう油、みりん、塩、水溶き片栗粉で作ってひと煮立たせしたつゆをかければ出来上がり。
 これはけっこう自信作と言っていい。人にも出せる料理だ。

 今回の料理の印象を決定的に悪くしてしまったのが、左奥に見えている不気味な灰色の物体だ。こんなに見た目が悪い料理も珍しい。
 レンコンと山芋をすり下ろしたものを混ぜて、そこにシイタケ、エビを加え、本来ならこの時点で蒸して、味付けは別に作った汁をかけて付けるはずが、ぼぉ~っとして、うっかりだし汁を混ぜ込んでしまったのが失敗の元だった。わー、と声をあげたときにはもう手遅れだった。今さら分離もできないし、そのまま一気に味付けまでもっていくことにする。みりん、しょう油、酒、塩、カタクリ粉を入れて味を調える。このときすでにグロテスクになりかけていた。とりあえずそのままラップにくるんでレンジで5分ほど加熱して出てきたのがこれだった。なんじゃこれー。コンニャクが溶けたみたいじゃないかー。おっかなびっくり味見をしてみると、むむ? 普通に美味しいぞ。考えてみたら、特別変なものは入れてない。山芋とレンコンを混ぜて、和風の味付けをしただけだ。見てくれさえ気にしなければ問題はない。
 でもなんでこんな灰色になってしまったんだろう? 本当はもっと白くて上品で、見た目も美味しそうな料理のはずなんだけど。

 というわけで、初の蒸し料理は失敗とは言い切れないけど成功とは言い難い微妙な感じで幕を閉じた。味としては大きな問題もなく、75点くらいはつけてもいい。家庭料理としては文句ないところだろう。でも、やっぱり蒸しは思った以上に難しかった。特に茶碗蒸しでそれを感じた。
 まだ他にも定番としてシュウマイやご飯系のものもある。次回があればそのあたりのものに挑戦しよう。焼く、煮る、揚げるに蒸すが加われば、料理のレパートリーも広がっていくだろう。
 蒸しキングへの道のりは遠い。でも、第一歩を踏み出したことは意義がある。今はまだ蒸しポーンだけど、いつの日か蒸しビショップ、蒸しナイトと出世し、やがては蒸しキング&クイーンとなって、ヒラヒラのセンスを持ってお立ち台の上で朝まで踊り明かしたいと思う。


この季節のケリは目を血走らせて警戒警備中

野鳥(Wild bird)
飛ぶ姿はきれいなケリ

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f6.3, 1/320s(絞り優先)


 田んぼの真ん中あたりからケケケケケッと声がして鳥が飛び立った。あわてて望遠レンズに交換して、連写しまくって、偶然撮れたのがこの一枚。完全なまぐれ当たり。振ってけ、振ってけ! 振らないと当たらないぞ! という少年野球のヤジがこんなところで役に立つとは。確かにそうだ、バットを振らないとボールには当たらないし、シャッターを切らないと写真は撮れない。誰だって一眼レフを使えばそれなりの写真は撮れるものだ。逆に言えば、プロ野球選手も少年野球のバットでホームランは打てない。
 鳥が降り立ったあたりをファインダー越しに見てみると、えーと、ハトしかないような? ええー!? もしかして、キミがさっきの白黒ツートンの鳥さんですか? そこにはドバトとキジバトの中間のような地味な灰色をした鳥がたたずんでいたのだった。初めてお目にかかります。キミのことは図鑑を見て知ってましたよ、ケリさん。
 それにしても、地上にいるときと飛んでいるときと、こんなにもギャップがある鳥も珍しい。飛んでる姿はこんなにもきれいなのに、地面にいるときは、足の長いハトくらいにしか見えない。

 日本最大のチドリであるケリは、一応留鳥という扱いになってはいるけど、分布にはけっこう偏りがあるようだ。中部地方に多く生息し、その他は少なく、四国、九州ではあまり見かけないらしい。中国の東北部にも多少いるようだ。北の方のものは冬になると南に下っていく。
 繁殖地も限られていて、中部地方を中心とした太平洋側に多いようだ。基準は暖かさでも寒さでもなく、地域も飛びとびなので、ケリの基準はよく分からない。
 大きさは35センチくらいで、ハトを細くしたようなサイズ。翼を広げると70センチ以上になるから、飛んでる姿はけっこう大きく見える。
 頭から上半身は灰色で、胸が黒、腹が白、背中は茶色、クチバシと足は黄色。長い足と赤い目も特徴だ。オスメス同色。
 水田や河原なんかにいて、昆虫や草の種なんかを食べている。ときにはカエルも。

 留鳥なのに夏、冬は目立たなくてこの時期よく目にするのは、春が彼らの子育ての季節だからだ。3月から6月にかけて、子供を産み、育てる。そのときすごくケンカ腰になるから目立つ。写真を撮ってるときも、ムクドリやツバメを追い払い、犬にケンカを売り、私を威嚇し、通りかかる人々にも食ってかかっていた。マドンナに群がってくる男どもを蹴散らしまくっていた若き日のショーン・ペンみたいだった。
 一夫一妻で地面のくぼみに巣を作り、3~4個の卵を産む。オス、メス交替で卵を温め、体が空いてる方は巣周辺の警戒警備に当たる。少しでも近づくものがあると、けたたましく鳴きながら威嚇し、追いかけまわす。カラスにだって負けはしない。自分より強い犬とかの場合は、わざとケガをしてるような演技をして(擬傷)、自分に注意を向けさせて巣から引き離すなんて高度な行動もする。なかなか賢いやつだ。
 ケリのもうひとつの、というか最大の特徴は、ヒナにエサを与えないことだ。といっても意地悪をしてるわけではない。生まれてすぐに自立させて、自力でエサを捕らせるのだ。その間、親たちはヒナを守るために更に警備を強化して、警戒を怠らない。ときには仲間のケリまで警戒態勢に加わったりもする。
 そういうわけで、この時期にケリは非常に目立つ。気が立っているから、目も赤く血走っている(一年中赤いけど)。田んぼのあぜ道を通るときなどは、なるべく刺激を与えないようにしようと思う。

 名前の由来は、鳴き声がケリッケリッというところから来ていると言われている。私にはケケケケケっと鳴いているように聞こえた。その場合、名前はケケケになる。ケケケのケ太郎と個人的には呼ぶことにしよう。メスの場合はケリー・チャンだ。
 今日こそあいつとけりをつけるといった使い方をするけりは、このケリとは関係ない。和歌や俳句の末尾は「けり」で結んでいるものが多いところから、結末をつけるとか、片づくとかの意味でけりをつけるという言葉ができたそうだ。今は昔、竹取の翁といふものありけり、のように。

 森にいる夏鳥を撮るのは難しいけど、気をつけて探していれば撮れるやつもいる。ツバメもちゃんと撮りたい。
 最大の目標としては、今年もまたオオルリというのは変わってない。まだ見たことさえない憧れの青い鳥だ。本気で撮るつもりなら、朝一で出かけていくくらいの意気込みが必要なのかもしれない。
 婚姻色の亜麻色になったアマサギも撮りたい。田植えが終わった頃の田んぼにいるんだろうけど、名古屋あたりではなかなか見かけない。
 ケリのヒナも撮れるものなら撮りたい。撮りたいものがたくさんあるっていいことだ。たとえ、そのほとんどを撮れないとしても。

屋根より高い鯉のぼりは絶滅危惧種に指定間近

風物詩/行事(Event)
5月5日は鯉のぼり

Canon EOS 10D+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/400s(絞り優先)


 5月5日、鯉のぼりを探して車でうろつくこと30分、ようやくいいポジションの鯉のぼりを発見して、ありがたく写させていただいた。いい具合に風も吹いていた。
 しかし、30分も探さないと鯉のぼりを見つけられないとは、時代も変わったものだ。屋根より高い鯉のぼりなんてのもめったに見られなくなった。
 私たちの世代は、昔から伝わる伝統的な行事をギリギリ見ることができた最後の世代となるかもしれない。50年後、果たして街中で鯉のぼりは見られるのだろうか?

 黄河上流に龍門と呼ばれる急流があり、それを登ることができた鯉だけが龍になったという伝説から生まれたのが登龍門という言葉、その流れをくんで鯉のぼりが生まれた。
 端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事で、端午というのは5月の初めの午(うま)の日という意味で、必ずしも5月5日と決まっているわけではない。
 当時の端午の節句に鯉のぼりはまだなく、宮廷行事として軒に菖蒲(しょうぶ)やよもぎを飾ったりして厄よけを願うものだった。それが鎌倉時代になると武家が菖蒲と尚武をかけて、この日を祝う風習が生まれ、江戸初期には幕府の行事として定着し、中期以降はだんだん町人の風物詩の色合いを濃くしていき、現在へとつながっている。
 江戸時代から戦前までの鯉のぼりは和紙に絵を描いたものだったので、雨の日はしまわないといけなかった。現在のようなナイロンやポリエステル製のものが作られるようになったのは戦後の昭和30年代だそうだ。
 5月5日が祝日になったのも戦後というから、鯉のぼりの習慣というのは意外と古くて新しいものなのだった。

 鯉のぼりのそれぞれの意味は、歌にもあるように大きな真鯉はお父さんで、小さな緋鯉は子供たちだ。ん? お母さんはどこへ行った? 家出したか? いや、やっぱり赤いのはお母さんで、小さいのが子供たちだろう。じゃあなんで歌詞に登場しないのかという疑問が残るけど、それはこの際置いておこう。子供が3匹なのは、3という数字が縁起がいいと言われてるからのようだ。
 吹き流しにもちゃんと意味はあって、あれは魔よけなんだそうだ。吹き流しには五色のものと、写真のようなものと2種類ある。五色のものは、古代中国の五行説(ごぎょうせつ)に由来していて、それぞれの色は万物の基本要素である、木・火・土・金・水の五つを表している。一方写真のようなのは雲竜吹流しといって、鯉が竜門の滝を登り終えて竜になった姿を表してる。家紋を入れる場合はこちらにするそうだ。
 それから、一番上で回ってる矢車も魔よけの意味を持っているらしい。
 意味が分かったところでいっちょ試しに買ってみようかなと軽い気持ちで考えていると痛い目に遭う。一番高い7点セットなんか50万円以上するのだ。しかも、ナイロンで2~3年、高価なポリエステルでも5~6年すると色あせてしまうというではないか。なにー! 鯉のぼりって一度買ったら一生ものじゃなかったのかー!? 五月人形に鎧兜まで、フルセットで揃えた日には大変なことになってしまう。うちではこんなもの買ってもらったことはなかった。せいぜいちまきを食べたくらいだった。

 鯉のぼりの歌というと、屋根より高いというやつより、いらかの波と雲の波ってやつの方が印象に残っている。あれはメロディーがよかった
 ♪甍の波と雲の波 重なる波のなかぞらを
 橘薫る 朝風に 高く泳ぐや こいのぼり♪
 一体どういうこと? 子供の頃もさっぱり分からなかったけど、大人になってもよく分からない。まず甍って何ってところでつまずいてしまう。
 調べてみると、こんな意味だった。甍というのは屋根瓦のことで、民家が並んでいる様を波にたとえて、雲の波模様を背景に、屋根の間からのぞく鯉のぼりが波の間を泳いでいるように見える。
 うーむ、なんて文学的な表現なんだ。って、こんなもの小学生に理解できるわけないぞ。
 その次の橘というのは、ミカン科の木で、5月に香りのいい白い花を咲かせるってことで、ここに登場している。古くは古事記にも登場する尊い木なんだとか。松尾芭蕉も「橘や いつの野中の 郭公(ほととぎす)」とうたっている。私は実物を見たことはない。
 5月5日というと、ちまき食べ食べの歌も思い出す。あれも歌詞の意味は分かりづらい。
 ♪柱のきずは おととしの 5月5日の 背くらべ
 粽(ちまき)食べたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ
 きのうくらべりゃ 何のこと やっと羽織の 紐のたけ♪
 昨日と比べれば何のこと? って私に訊かれても困る。昨日から今日にかけてそんなに急激に伸びたのか!? やっと羽織の紐の丈、やっとってどういうことだろう?
 これも分からず調べたら、要するにおととしつけた印は羽織の紐のあたりだった、わー、こんなに伸びていたんだ、驚いた、という意味だった。昨日比べりゃってのは、昨日計ったということだった。なんだそれ、今日計れよ、今日。5月4日に計ったことを事後報告した歌だったなんて思いもよらないぞ。分かりづらすぎ。

 そんなこんなで5月5日も平穏無事に過ぎた。端午の節句の意味もだいたい分かったし、当分鯉のぼり7点セットを買う予定もないし、まずはめでたい。鯉のぼりの歌詞も理解できてすっきりもした。もし、今日鯉のぼりの写真を撮ることが出来なかったら、こうして5月5日を深く知ることもなかっただろう。写真の家の人には感謝したい。鯉のぼりが少なくなったこの時代だから特にありがたかった。
 私も世のため人のためになるように、来年は鎧兜を身にまとって、近所を走り回りたいと思う。ガシャンガシャン音を立てて、ゼェゼェ言いながら走ってる落武者のような私を見かけたら、写メールでも撮ってブログで紹介してください。

スーパーな水陸両用カバさんはお金のかかる動物だった

動物園(Zoo)
水面からカバ

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/250s(絞り優先)


 動物園の隠れた人気者カバさん。ライオンやゾウ、キリンなどのメジャーな動物に比べて陰に隠れがちだけど、これが意外と人気があるらしい。動物園にいる好きな動物のアンケートをとってみたら、SMAPのクサナギくんと同じくらいファンが多いことを知るだろう(たとえが微妙で伝わりづらい)。
 野生のカバはものすごく凶暴だという。動物園のものはそれほどでもない。たまにシッポを振り回してフンを飛ばしたりするくらいだ。水の中で半分顔を出しながら歩いたり、水辺で昼寝したり、いたってのんきに暮らしている。表情を見ても、あまり悩みはなさそうだ。

 カバには2種類しかいない。この普通のカバと、ちょっと珍しいコビトカバだけだ。地域による亜種もない。アフリカの赤道付近の川や湖沼で、数十から100頭くらいの群れで行動している。
 昼間は水中や水辺で過ごし、夜になると食べ物の草を求めて草原へ出て行く。これといった天敵がいるわけではないのだけど、子供を守るため用心に越したことはない。
 こんな水陸両用のカバだけど、さて、何の仲間かというと、はっきりした答えが見つからない。ウシ目カバ科に属してはいるけど、牛っぽくはない。サイとも近いようで遠い。漢字では河馬と書くから馬の仲間かといえばそうじゃない。最近の研究では、遺伝子レベルではクジラに最も近いのではないかと言われてるそうだ。それはまた意外なつながり。姿形からは想像できない。
 大きさは、全長約4メートル、体重は2~3トンと、陸上ではゾウに次いで2番目に大きい。なので大食らいだ。主に食べるのは草だけど、その量がすごい。動物園でも毎日40キロくらいの草やイモを食べて、食費は3,000円にもなる。これは東山動物園ではゾウ、コアラに続いて高額ナンバー3にあたる。食費に月9万円もかかるような動物だとは思わなかった。

 カバは水陸両用なので、どちらにも適した体となっている。ズゴックみたいに。
 胃や肺に空気を入れることで浮き、出すことで沈むことができるというのがまずすごく便利だ。潜水も得意で、5分以上も潜っていられる。そのときは鼻と耳を閉じて、水が入らないようになる。
 更に泳ぎのために指には水かきもついている。これで水中なら自由自在に動くことが出来る。
 陸上に上がってもなかなかの性能を見せるのがカバのすごいところだ。見た目から想像できないくらい足が速い。本気を出すと50キロくらい出せるというから、ママさん自転車で全力で逃げても尻に食いつかれてしまう。丈夫な歯が40本も生えてるので、食いつかれたらただではすまない。逃げるときはスクーターにしたい。
 しかし、こんなカバにも弱点がある。それは極度の乾燥肌だということだ。驚くことにカバの皮膚は1.5センチから4センチもある。ゾウやサイでも1センチくらいというから、その厚さは並みじゃない。汗腺がないので、皮膚はすぐに乾燥してしまい、あまり長く陸上にいるとカラカラに干からびてしまう。それを防ぐために、ピンク色の粘液を出して保護している。昔はこれを血の汗をかいてると言ってたそうだけど、血ではないので大丈夫。
 皮膚を触った感じは思ったよりも柔らかくてゴムみたいだそうだ。ちょっと触ってみたい気もする。

 カバがこんなにもスーパーな動物だとはまったく知らなかった。ちょっとカバを甘く見ていたことを反省したい。これからは見る目が変わるだろう。きみ、一日3,000円も食べてるのか、と(そこかよ)。親子3頭で9,000円。月に27万円かぁ。生活も楽じゃないなぁ(私は関係ないだろう)。
 東山動物園とカバとの縁は深い。今年の春、能美市のいしかわ動物園にいるデカが54歳になる前までは、東山動物園にいた重吉が53歳で最長寿だった。1954年にドイツからやって来た福子との間に19頭の子供が生まれ(日本記録)、今日本の動物園にいる53頭のうち約30頭は重吉と福子の子孫だそうだ。
 カバの寿命は30年から40年くらいの中、重吉、福子は長生きしてたくさんの子孫を残した。日本のカバを語るとき、重吉と福子夫妻のことを抜きには語れない。
 写真のカバは、もちろん重吉でも福子でもない。ただ、この名前は引き継がれ、2代目、3代目と名づけられてるからそのうちのどちらかか、もしくはメキシコの動物園から来たメイだろうか。

 カバの飼育員さんによると、カバというのはとても臆病な生き物なんだそうだ。ちょっとした物音にも驚いたり、知らない人を恐れたりするんだとか。野生のカバが持つ凶暴さも、きっと臆病の裏返しなのだろう。彼らは私たちが思う以上に繊細な動物なのかもしれない。
 悩みがなさそうな顔だなんて言って申し訳なかったです、カバさん。重吉と福子みたいに長生きしてくださいね。また会いに行きますから。

赤と白ふたつの顔を持つドウダンツツジの今は白

花/植物(Flower/plant)
ドウダンツツジの花

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.2, 1/200s(絞り優先)


 まるでツツジっぽくないけど、これもツツジの仲間、ドウダンツツジ。花の格好はスズランやスノーフレークに似ている。
 真っ赤に紅葉することでも知られるドウダンツツジは、他のツツジ同様、今がちょうど花盛り。清潔感のある白い花をたくさんつけている。耳をすますとかすかに鈴の音が聞こえてきそうだ。
 漢字は、満天星躑躅と灯台躑躅の二種類の書き方がある。どちらも知らないとちょっと読めない。満天星の方はたくさんの花の姿を満天の星に見立てたものだろう。灯台躑躅は、昔宮中での夜間行事のとき使われた結び灯台というものに姿が似てるからだそうだ。ただ、トウダイがドウダンに訛って転じるだろうかという疑問は残る。
 原産は、日本、台湾、ヒマラヤで、日本では静岡から和歌山にかけての太平洋岸と四国、九州に野生のものが分布している。私たちが普段目にしてるのは、たいてい人の手で植えられたものだろう。春の花と秋の紅葉と二度楽しめるということで、生け垣や公園などでもよく植えられている。
 よく手入れされているものは、背が低く刈り込まれているものが多いけど、野生のものは高さ3メートルにもなるという。寿命も数百年というから、私たちが抱いてるイメージとドウダンツツジ本来の姿はかなり違っているのかもしれない。野生のものも見てみたい。
 ドウダンツツジの仲間は、世界で10種類、日本には4種類あるという。サラサドウダン、ベニドウダン、カイナンサラサドウダンなどが有名で、それらは赤色や赤い筋の入った花を咲かせる。そっちの方が観賞用には向いてるように思うのにあまり見かけないのは、育てるのが難しいからだそうだ。

 このあと、花はぽとりと落ちて、地面にはちょっとした白い花絨毯を作る。
 夏は美しい新緑を見せ、実がなり、秋には真っ赤に紅葉してみせる。
 秋の前半はクロロフィルが多くてやや褐色がかってきれいじゃないけど、寒くなってくるとクロロフィルはアミノ酸に分解されて、アントシアニンで澄んだ赤色になる。上空の赤をモミジやカエデが担当し、地面はこのドウダンツツジが紅葉の主役を担う。両方が一緒に染まっているところはまだ見たことがないから、今年の秋は探してみようと思っている。
 ドウダンツツジの紅葉で有名な安国寺というお寺さんが兵庫県豊岡市にある。ここの裏庭の山の斜面には、樹齢100年を超える立派なドウダンツツジが群生していて、本堂の座敷から見ると、まるで額縁の中すべてが真っ赤に染まったように見えるという。一度は見たいし、撮ってみたい光景だ。
 そこには腰を下ろしたふたりの老夫婦の背中がよく似合う。ドウダンツツジの赤に頬を染めて、言葉は必要ない。

チンパンジーは遠い将来、人間になるのだろうか

動物園(Zoo)
チンパンジー親子

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.0, 1/200s(絞り優先)


 私にとっては珍しいチンパンジーも、チンパンジーからしたらもう人間なんてほとほと見飽きてるのだろう。そんな気持ちがカメラ目線に表れているように思えたのは、私の思い込みだろうか。
 人間に最も近いと言われるチンパンジー。賢さゆえに動物園暮らしは厳しいものがあると想像される。大人になった私たちが小学校や中学校に通うみたいに。
 それでもチンパンジーに救いがあるのは、彼らは群れで生活し、家族の絆がとても強いということだ。そのへんがオランウータンとの大きな違いだろう。動物園では家族でいるところが多いだろうし、東山動物園でも写真のように親子が仲良く寄り添っていた。他にもあと5頭いるはずだし、家もオリじゃなく運動場だ。

 チンパンジーは、アフリカの赤道付近、タンザニア、コンゴ、中央アフリカ、カメルーンなどの暑い熱帯雨林に生息している。適応力は高く、密林から木の少ない林まで、いろいろな場所で暮らしている。
 そこでは、十数頭から百頭くらいの群れを作っていて、少ないグループで行動しているようだ。オスも一頭だけでなく複数いる。リーダー(アルファメイル)を頂点としたピラミッドではなく、もう少し緩やかな上下関係で成り立っているらしい。
 4つの亜種に分けられ、現在は数万~15万頭ほどいるのではないかと言われている。あまりはっきりした数は分からないそうだけど、数が激減してることだけは確かで、100年前は100万頭いたというから、今後は絶滅が危惧されている。多くの生き物にとって、20世紀というのは大変な時代だった。
 かつてチンパンジーは人間の遺伝子と98パーセントから99パーセント同じだと言われていた。そんな雑学を披露されたという経験を持つ人も多いんじゃないだろうか。ただ、最近のDNA研究でかなりの違いが見つかって、95パーセントくらいではないかということなっている。それでもこれだけ近ければ、行動パターンやしぐさなんかが似てくるのは当然だ。道具なんかもとても上手に使いこなす。知能レベルは人間の4~5歳くらいというけど、実際はもっと上のような気もする。賢いことで有名なアイなんかを見てると、とても幼稚園児くらいとは思えない。

 体長は60~90センチくらい、体重は30~60キロくらいで、メスはオスより少し小さい。
 顔や手のひらに毛がないのは、やはり暑いところで暮らしているからだろう。赤道直下で毛むくじゃらはつらい。
 見た目以上に力持ちで、リンゴくらいは軽く握りつぶすことができる。電話帳を渡したらたぶん楽々破いてみせるだろう。TVジョッキーで白いギターがもらえる。
 けっこう凶暴だったりもするので、赤道直下のジャングルに入った際はうかつに近づかない方がいいだろう(誰がそんなところに入るんだよ)。動物園でも、何か投げてきたりすることがあるので油断してはいけない。
 食事は雑食性。基本的には果物や植物だけど、ときには虫や鳥、小動物を食べたりすることもある。動物園でもいろいろなものをあげてるようで、好みもチンパンジーによってずいぶん違うらしい。あげてみれば意外なものも食べるんじゃないだろうか。名古屋のチンパンジーなら、味噌カツくらいは食べて欲しいところだ(それは無理だ)。
 寿命は40~50年くらい。親離れするまで3年から5年くらい、出産間隔も4年から6年と、このあたりはオランウータンに近い。

 チンパンジーと人間が進化の過程で枝分かれしたのは、約500万年前あたりだろうと推測されている。猿はいつになったら人間になるんだろうと子供心に思ったものだけど、チンパンジーはあと数百万年したら人間になるんだろうかなどと今でも考えたりする。ホモ・サピエンスは次にどんな方向に進化するのだろう。
 天才チンパンジーのアイにはアユムという息子がいる。現在子育て中で、この4月で6歳になった。この春から独り立ちを始めることになったそうだ。まだまだ母親に甘えてはいるものの、天才ぶりは早くも親のアイを超えるという。アイが人間に教えてもらったことをアユムはアイから教わったのだろう。かなりの言葉も理解して、数字も認識するし、パソコンだって使えるそうだ。このまま進歩していったらどこまで賢くなるのだろう。
 ただそれは、なんとなく悲劇の予感もはらんでいるようにも思える。『アルジャーノンに花束を』のチャーリーのように。そんなことにならないことを願いたい。
 アイとアユムは、犬山のモンキーパークにある京都大学霊長類研究所で暮らしている。もしかして見られるのかと思ったら、やっぱり無理だった。一般公開はしていない。どうしても見たければ、とりあえず京大に入ることから始めなくてはならない。
 そういえば、うちの猫はアイで同じ名前ではないか。天才とは言えないけど。
 ところで、チンパンジーのアイの名前の由来は、コミック「愛と誠」の早乙女愛から付けられたということを今回初めて知ったのだった。


森の考える人オランウータンは何を思う?

動物園(Zoo)
考える森の人

Canon EOS 10D+EF75-300mm(f4.0-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先)


 何やら考えながらたそがれ中のオランウータン。どこか人間っぽくて、愛らしくもあり、悲しげでもある。それは、彼らが孤独を好むという性質とも無関係ではないのかもしれない。
 チンパンジーのように木から地へと飛び移ったりせず、ゴリラのように雄叫びを上げて威嚇したりせず、サルのようにギャーギャー騒いだりしない。ゆるやかな共同体の中で、それぞれが単独で行動し、あまり仲間同士で鳴き交わしたりせず、森の中で静かに暮らしているオランウータン。
 かつては広くアジアの森にいた彼らも、今では東南アジアのスマトラ島と、ボルネオ島の熱帯雨林に生息するのみとなった。近年森林伐採により急激に数を減らし、絶滅危惧種に指定されている。もしかしたら、私たちが生きている間に絶滅してしまうかもしれないほど危機的な状況にある。

 オランウータンは住んでいる地域によってスマトラ・オランウータンとボルネオ・オランウータンの2亜種に分けられている。ボルネオの方は足の親指に爪がなく、顔の両脇のたるみみたいなやつ(フランジ)が大きてよく目立つのに対し、スマトラの方は親指に爪があって、すっきりした顔立ちをしている。ボルネオが約18,000頭ほど、スマトラが約6,000頭ほどと言われている。
 日本の動物園には60頭ほどいて、ボルネオの方が多いそうだ。東山動物園にいたのはスマトラのメスじゃないかと思う。たぶん。だいぶ前に子供が生まれたというニュースを聞いたような気がするけど、これはそのお母さんなのか、それとも子供が大きくなったものなのか、他にオランウータンはいるのか、そのへんのくわしいところはまったく把握してない。今度行ったときは家族構成などを調べてきたいと思う。名前を知ってるのと知ってないのとでは、親しみもずいぶん違ってくる。

 オランウータンはマレー語で森の人を意味する名前だというのはよく知られた話だ。Orangが人で、Utanが森。ただ、これは外国人がそう呼んだだけで、現地では違う呼び名をしてるという。マワスとかマイアスとか。日本では江戸時代にオランウータンという言葉が入ってきたそうだ。
 オラウータンと表記されることも多いけど、オランウータンが一応正しいことになっている。とはいえ、あまり強いこだわりをみせるのはどうかと思う。ケビン・コスナーじゃない、ケビン・コストナーが正しいんだ、と言い張る人みたいに浮いてしまう可能性もあるから。
 体長はゴリラよりは小さいけど、近くで見るとけっこう大きい。オスで身長1メートル、体重50~80キロくらい、メスで身長80センチ、体重30~50キロくらいになる。六畳一間に同居したとしたら、存在を無視できない大きさだ。気分は同棲時代。
 うかつに握手をするのは危険だ。握力は300キロもあるというから、握力計なんていっぺんに壊れてしまう。怪力と言われる魁皇でさえ100キロなのにその3倍はただ者じゃない。

 動物園では地面に座ってぼんやりしてることが多い彼らも、野生ではほぼ一生を木の上で暮らす。オスはまたに地面に降りることはあっても、メスや子供はめったに降りることはない。木の上で1頭ずつ巣を作り、果物や若葉、虫などを食べ、夜になると毎日新しい巣を枝で作り、寝て、朝になると起きて、今日もまた木の上で過ごす。
 身軽ではないので木から木に華麗に飛び移るなんてこともしない。ゆっくり確かめるように枝や幹をしならせてから移動する。決して移動が苦手なわけではない、性格的なものだろう。賢さでもある。チンパンジーのようにお調子者じゃない。
 寿命は40~50年くらい、動物園では60歳まで生きることもあるという。メスは10歳くらいで大人になり、一生の間に3~4頭の子供を産む。これは、子育ての期間が長いのと、発情間隔が6~7年と霊長類の中ではもっとも長いからだ。
 子供は3歳くらいまでお母さんのお乳を飲み、7歳くらいまでは母親と行動を共にする。寿命といい、親離れの時期といい、こういう部分でも人間にけっこう近いものを感じる。
 賢さもチンパンジーに劣らないという。チンパンジーの賢さを利発と呼ぶとすれば、オランウータンの賢さは賢明という言葉当てはまるだろう。じっくり考えて答えを導き出すタイプだ。

 森の考える人、オランウータン。彼らは何を思って動物園での日々を過ごしてるのだろう。故郷の森が壊されていくのをどこかで感じて憂いているのだろうか。あるいは賢い彼らだから、自分の運命を受け入れて、人間のためになってやるかと悟っているのかもしれない。
 故郷のスマトラ島の雨期はもう終わったのかな? そういえば、スマトラ島の地震ではお仲間たちは大丈夫だったんだろうか。
 オランウータンは雨が嫌いなのか、雨が降ってくると葉っぱのついた枝を頭の上に乗せるという行動をすることがあるらしい。自慢の赤毛を雨に濡らしたくないからかな。今度、雨降りの日に会いに行ってみよう。雨の動物園が好きだと言っていた人もいたっけな。

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