月別:2006年02月

記事一覧
  • トラフズクくん、キミがトトロのモデルってホントですか?

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/45s(絞り優先) トラフズクに会いに庄内緑地に行ってきた。ポイントを探してうろつくこと約20分。あー、いました、いました。トラフズクさん、お休み中です。寝起きドッキリの桑マンのように忍び足で静かに近づくと、気配を感じたのか、薄目を開けたトラフズクさん。ん? 気づかれたか? いや、大丈夫。またすぐに目を閉じて寝てしまいました。 夕方とはいえ、太...

    2006/02/28

    野鳥(Wild bird)

  • トリノオリンピック閉幕記念でイタリアン・サンデー料理

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先) トリノオリンピックも今日で終わりということで、閉幕を記念して今回のサンデー料理はイタリアンにしてみた。もし荒川静香が記念メダルをとってなければ、今日はイタリアンではなかっただろう。荒川シーちゃんにはいろんな意味で感謝したい。ブラビッシマ。 今回こそ簡単なはずだった。3品だし、パスタは手打ちじゃないし。でも、やっぱり時間はかかってしまった。またも2...

    2006/02/27

    料理(Cooking)

  • 猫と一緒にひなたぼっこしてビタミンDを作ろう

    Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF なまぬるい空気の曇り空の下、ベンチに座ってひなたぼっこをするノラ2匹。明らかな血縁関係が見て取れる。このそっくり度は親子ではなく兄弟だろう。キミたち、兄弟かい? と訊かれて、いえ、違います、友達ですよ、と答えても信じてもらえまい。模様の位置がそっくりで笑えた。奥の方のやつが首のところに模様があるから区別はつくけど。 ここ落合公園にはたく...

    2006/02/26

    猫(Cat)

  • 野に咲く花が見つからないから温室の花を撮ってきた

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6)+MCON-35, f5.0, 1/19s(絞り優先) ハート型をしたこのピンクの花の名前はケマンソウ。知ってる人は知ってるし、知らない人は知らない。私は今日から知ってる人になった。ケマンソウ。なんとなく覚えにくい気がするのは、私の脳の記憶部分に問題があるからだろうか。 漢字で書くと、華鬘草。これも覚えづらい。というよりも書けない。仏殿の梁にかかってる装飾の華鬘に見...

    2006/02/25

    花/植物(Flower/plant)

  • コゲラのことを書きながらコデラさんを思い出した春のはじめ

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/320s(絞り優先) ギィー、ギィーという鳴き声に続いて、木を叩くコツコツコツコツコツという音が聞こえてきたら、すぐ近くにコゲラさんがいます。コデラさんではないです。私の小学校の時のクラスメイトで学級委員長だったコデラさんが歯ぎしりをして木に何かを打ち付けてる音ではありません。 飛雄馬のお姉ちゃん星明子のように木に半分身を隠しながら見上げてみ...

    2006/02/24

    野鳥(Wild bird)

  • フランスパンを食べてアゴ勇のようになろう

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先) 食パンを買おうとパン屋さんに入ったら、そこはフランスパン屋さんだった。ん? そうだったかな? そんな話聞いてないぞ。見渡してみたところ食パンの影も形もない。あるのは見慣れない手作りパンばかりだ。その中で唯一知っているフランスパンが目に止まった。むむっとうなって、フランスパンを手にとった私は、さも最初からこれを買うつもりで入った人を演じつつニコや...

    2006/02/23

    食べ物(Food)

  • サヨウナラ、20世紀の家電たち

    Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF 使命を終えて電気屋の裏で捨てられるのを待つ電化製品たち。テレビ、洗濯機、ガス湯沸かし器、冷蔵庫、ガスコンロ。20世紀の夢の残骸を見ながら、頭の中で下川みくにの「サヨウナラ! 20世紀の僕たち」が流れる。 ♪サヨウナラ 20世紀の僕たちはいつも 後悔ばかりで  サヨウナラ ため息ついていた毎日 夢と現実離れすぎていて 悔しい思い続いてた  サヨウ...

    2006/02/22

    物(Objet)

  • 雨の日は小林さんの解説を聞きながらカーリングを観よう

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+SIGMA 18-50mm (f3.5-5.6 DC), f3.5, 1/25s(絞り優先) 今日も天気雨。明るい空から絶え間なく雨が落ちてくる。そろそろ晴れてこないかと空を仰いでみたけれど、雨がやむ気配はなかった。人生の中で数えるほどしか見たことがなかった天気雨をふた月続けて見たことになる。珍しいものを見られたと喜んだ反面、晴れてるんだからやんでおくれよとも思う。雨そのものは嫌いじゃないけど、行動範囲が狭くなっ...

    2006/02/21

    街(Cityscape)

  • 77点の料理を作ってあらためて思う、料理は冒険だと

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先) 普段はレシピ本やネットを見て料理を決めてから材料を揃えるというやり方で作っているのだけど、今日は材料から先に考えてから作るという逆のアプローチを試みてみた。そろそろ一人歩きをしてもいい頃だ。自転車の補助輪を外したときのことを思い出す。そして、次の瞬間コケたことも。イテテテ。 料理ではコケまいと誓って始めた午後3時30分。転びはしなかったけど、慎重に...

    2006/02/20

    料理(Cooking)

  • ヒドリガモの壁を越えるとそこはカモ中級者だった

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+Nikon 70-300mm (f4-5.6D), f5.6, 1/220s(絞り優先) 遠くから肉眼で見るとオナガガモに見えて、望遠レンズでのぞくとホシハジロかと思い、家に帰ってPCで見てみるとヒドリガモだった。そんなことがけっこうある。このときもそうだった。念のために撮っておくもんだ。一応撮っておいた一枚があとになって役に立つことがある。それももデジのいいところだ。フィルムでは無駄打ちできないから、意外性の面...

    2006/02/19

    野鳥(Wild bird)

  • 堀川はいろんな意味で名古屋らしい川だった

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f6.7, 1/250s(絞り優先) 日本中どこの都市も中心には川が流れていて、昔から人々の生活に深く関わってきた。古代文明発祥の地もすべて川沿いで生まれている。世界の都市を見ても、フランスにはセーヌ川、ロンドンにはテムズ川、ニューヨークにはハドソン川、ホテルはリバーサイド、川沿いリバーサイド、オ・オ・オ・リバーサイドと井上陽水も歌っている。 東京なら隅田...

    2006/02/18

    名古屋(Nagoya)

  • 貧乏性仲間に捧ぐ、ケチケチッチキチーなカメラ保管法

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/20s(絞り優先) 節約とケチは違う。無駄遣いしないことが必ずしも貧乏を意味するわけではないように。じゃあおまえは金持ちなのかと問われたら、自信を持って答えよう。否! と(自信を持つなよ)。 しかし、金がないならないなりに楽しむことはできる。私は、あるときはあるだけパッと使い、ないときはないときでチマチマ使って、どちらも楽しむことができるというおめでたい人間だ。も...

    2006/02/17

    カメラ(Camera)

  • シジュウカラみたいなやつっているよねと思う

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/850s(絞り優先) スズメはチュンチュン、カラスはカァカァ、ヒヨドリはヒーヨヒーヨ、カモはガァガァ、と思って振り返るとアヒルだったりするけど、私に聞き分けられる野鳥の声は少ない。ピ・ピ・ピ~よこちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァと鳴くのは獅子てんや瀬戸わんやか鶴太郎だと分かるけど、若い人には何のことやら。 それらに加えて最近もうひとつ分かる鳴き...

    2006/02/16

    野鳥(Wild bird)

  • 義理チョコを 溶かして固めて 招き猫

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/10s(絞り優先) ありがたくいただいた義理チョコを普通に食べるだけでは脳がない。いや、能がない。気が利いた男である私は(自称)、それで招き猫を作ることを思いついた。何故招き猫かと問うなかれ。思いついたのが、招き猫とモリゾーしかなくて、その中で招き猫を選んだに過ぎない。 何しろチョコの彫刻は生まれて初めてなので勝手が分からない。まずはチョコを溶かすところで立ち止ま...

    2006/02/15

    風物詩/行事(Event)

  • ツバキとサザンカとの間で揺れる想いに負けないで

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f5.3, 1/140s(絞り優先) 春の野草を探して日暮れ前に小幡緑地をうろついてみたものの、ついに花は見当たらなかった。オオイヌフグリは今いずこ? ヒメオドリコソウも踊ってない。仕方がないからツバキでも撮って帰るか、と帰ってきた。でも考えてみると冬に咲く花をほとんど撮ってなかったから、これはこれでよかったかもしれない。 いや、ちょっと待て。これは本当にツ...

    2006/02/14

    花/植物(Flower/plant)

  • 料理回数20回記念で初のフレンチ・スタイルに挑戦

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/15s(絞り優先) 前から一度作ってみたいと思っていたフレンチに今回初めて挑戦してみた。といってもフランス人が作ってレストランで出すようなのは難しすぎるので、日本人が作ったフレンチもどきにしておいた。フレンチのバッタもんと言った方がいいかもしれない。あるいは粉飾フレンチ決算とでも。 苦戦するであろうことは作る前から想像できた。原田のジャンプが成功するか、私...

    2006/02/13

    料理(Cooking)

  • トリノオリンピックの予習と復習は抜かりない

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f6.7, 1/40s(絞り優先) オリンピックの開会式を見ると、オリンピックは平和の祭典なんだとあらためて思う。始まる前はただ競技が楽しみで、彼や彼女はメダルを獲れるだろうかとか、そんなことばかりを思いがちだけど、開会式はそういうことじゃないと思い出させてくれる。平和じゃなければ決してできない、それがオリンピックだ。かつての冷静時代のボイコット合戦を思...

    2006/02/12

    建物(Architecture)

  • 東築地橋から見える夕陽は個人的夕陽百選

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f8, 1/90s(絞り優先) うちから一番近い海は名古屋港の海だ。それでも車で1時間以上かかる。一番近い砂浜がある海は内海(うつみ)海岸で、そちらは高速を使って2時間くらい。どちらにしても海は遠い、物理的にも精神的にも。だから、ときどき海が見たくなる。海は私にとって、とても非日常的な場所だ。 熱田神宮の横を通って、堀川沿いに南下して辿り着いたのが写真の...

    2006/02/11

    名古屋(Nagoya)

  • 魅惑の「パルティせと」があなたを呼んでいる

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f3.8, 1/30s(絞り優先) 瀬戸電の始発駅、尾張瀬戸駅の隣にでんと大きく構える駅ビル「パルティせと」。昼間も目立つけど、夕暮れどきになるとその目立ち度は更に増す。キャンパスのアイドルが夜の街へ繰り出す前みたいに(そのたとえはどうなんだろう)。 それにしてもS1proのこの画質、すごいことになってるな。実物はこれほどまで派手じゃない。狙ってこんなふうに撮...

    2006/02/10

    建物(Architecture)

  • トキのようにはならなかったカワウのゆくえ

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f5.6, 1/350s(絞り優先) 最近川や池でカラスじゃない黒くて大きな鳥を見るけどあれはなんだろう、と思っている人がいるかもしれない。鳥に少しでも興味ある人にとっては知ってて当たり前だけどそうじゃない人は案外知らない鳥がいる。カワウ(川鵜)はその代表なんじゃないだろうか。そして鵜だと知ると、ああ、あれがそうなんだと納得するというのがありがちなパターンだ...

    2006/02/09

    野鳥(Wild bird)

  • すべての人が大空への憧れを抱いているわけでもない

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f6.7, 1/160s(絞り優先) 飛行機の音がして空を仰ぐと、水色の空に水色の飛行機が飛んでいた。飛行機野郎じゃないけど、飛んでいるものを見ると反射的に撮ってしまいがちな私。水色とは珍しい。何かのイベントで使われるやつだろうか。なんだか平和な光景だなぁ、とそのときはのんきに思っていた。 帰ってきて調べてみると、あれはイラクのサマワに飛んでいる自衛隊の輸送...

    2006/02/08

    飛行機(Airplane)

  • 一時間漬けで獲得したツグミに関する知識のすべて

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f6.7, 1/470s(絞り優先) 最近つぐみを見かけないけどどうしてるんだろう? 痛々しいけど切なくて愛おしい映画、『月光の囁き』では素晴らしい存在感を放っていたのに。と思ったら、2005年公開の塩田明彦監督作品『カナリア』の脇役で出ていた? 知らなかった。近いうちに観てみよう。 今日は女優のつぐみの話でも、カナリアの話でもなく、野鳥のツグミの話をしようと思...

    2006/02/07

    野鳥(Wild bird)

  • 突撃私の晩ご飯が夏頃前倒しで始まるって本当ですか?

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.9, 1/17s(絞り優先) 先週のサンデー料理は手間暇かかってるのに手抜きに見えてしまって悔しかったので、今週は手が込んでいるように見えて実は簡単な料理というテーマで作ってみた。写真を見比べると、どう見ても先週の方が簡単そうだけど、実際は今回の方が3分の1くらいしか手間暇がかかってない。人も料理も見た目だけでは分からないということだ。 作るのが楽だ...

    2006/02/06

    料理(Cooking)

  • 白菜は何にも言わないけれど白菜の気持ちはよく分かる

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f10, 1/110s(絞り優先) 見渡す限りの白菜畑と大きな白い雲を浮かべた水色の空。夏みたいな、冬らしいような、そのどちらでもないような光景が突然目の前に表れて、思わず車をとめて写真を撮った。自分が今どこを走っているか分からず迷子になっているという現実をしばし忘れて。 えーと、ここはどこですか? 無数の白菜たちに向かって訊ねてみた。しかし、白菜は寒風...

    2006/02/05

    風景(Landscape)

  • コハコベで幕を開けた2006年春の野草シーズン

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6)+MCON35, f5.6, 1/6s(絞り優先) 春を探して海上の森2005番地。 1時間ほどさまよい歩いて、ようやく日没後に見つけたのがこのコハコベだった。やっと春の野草があった。なんだよ、こんなところにいたのかい。探し回っちゃったよ。灯台もと暗し。遠くの親戚よりも近くの他人。家の中の盗人は捕まらぬ。森の入り口近くに春はいた。 あまりにもありふれた野草で、あとひと月...

    2006/02/04

    花/植物(Flower/plant)

  • 雨の中で夕焼け空を見ながら頭の中でKの歌声が流れた

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.8, 1/70s(絞り優先) 雨が降る中、車を走らせていてふとバックミラーを見ると、西の空がいつの間にか明るくなってきていた。見るみるいい色に焼けてきたので、用事を後回しにして河原に向かった。 傘を差して川岸に降りてみると、沈む前の夕陽が少しだけ顔を見せて、空と地表をピンクと紫に染め始めた。天気は西から変わるということをあらためて実感する。このとき...

    2006/02/03

    夕焼け(Sunset)

  • 深い夜霧に包まれて迷子になった文章

    FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mmXR(f3.8-5.6), f3.8, 1/10s(絞り優先) 昨日の深夜、ふと窓の外を見ると、見慣れた街並みは白の中に沈み込んでいた。デジのレンズが曇っていたわけでも、私のメガネ曇って食うもんなし! だったわけでもない。ものすごい霧だ。一体どうした? こんな光景初めて見たぞ。名古屋の郊外で、盆地でもなく川べりでもないこの街がこれほど深い霧に包まれてしまうなんてとても珍しいことだ。ど...

    2006/02/02

    雨/雪/天候(Weather)

  • 小倉トーストは喫茶店でもコンビニでも家でも食べられる

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/125s(絞り優先) 私は30歳を過ぎるまで、小倉トーストが名古屋特有の食べ物だということを知らないまま、名古屋でぬくぬくと育っていた。喫茶店へ行けばモーニングサービスで出てきたし、高校では購買で普通に小倉&ネオマーガリンのロールパンを買って食べていた。だから、小倉&マーガリンは当然全国共通の食べ物で、ジャムパンとかメロンパンと同列のパンだと信じて疑わなかった。思えば...

    2006/02/01

    食べ物(Food)

トラフズクくん、キミがトトロのモデルってホントですか?

野鳥(Wild bird)
トラフズクさん、はじめまして

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/45s(絞り優先)


 トラフズクに会いに庄内緑地に行ってきた。ポイントを探してうろつくこと約20分。あー、いました、いました。トラフズクさん、お休み中です。寝起きドッキリの桑マンのように忍び足で静かに近づくと、気配を感じたのか、薄目を開けたトラフズクさん。ん? 気づかれたか? いや、大丈夫。またすぐに目を閉じて寝てしまいました。
 夕方とはいえ、太陽が出てるうちはまだ睡眠の時間だ。夜行性の彼らにしてみたら人間でいう早朝にあたる時間帯だったのだろう。もうちょっと寝かせてっ! と思っていたのかもしれない。
 しかし、ホントにいるんだ、トラフズク。静かに感動した。フクロウを見たのは生まれて初めてだったから。しかも、こんな名古屋市内の公園にいるなんて。今年は4羽来てるらしい。木の茂みに隠れるようにすっこんでいるから、私には3羽しか見えなかった。今日ほど目が悪いことを残念に思ったことはなかった。双眼鏡を買おうかと初めて本気で思ったのだった。ますます野鳥の会の人に近づいていく私。
 木の枝が邪魔して全身を撮ることができなかったけど、そんなことよりも実際に見られただけで充分満足だった。東山動物園で初めてコアラを見たときよりも20倍くらい嬉しかった。

 トラフズクというのはあまり聞き慣れない鳥の名前かもしれない。フクロウの仲間で、大きさは40cmくらいだから、わりと大きめ。実物はとても存在感があってそれ以上に大きく感じる。
 特徴はなんといっても目立つ耳だ。頭の上に猫のようなウサギのような耳がぴょ~んと立っている。ただし、これは耳ではなく飾りの羽だ。どんな役に立っているのかは分からないけど、これがチャームポイントになっている。バニーガールになった女の子の魅力がアップするように(アップするのか?)
 目がまたいい。昼間は寝てるから閉じてることが多いのだけど、目を開けると赤っぽいオレンジ色の光彩で、猫が暗いところにいるときのような瞳をしている。この目だけ見ると鳥のようには見えない。動物の目を思わせる。
 なかなか見かける機会はないけど、すごく珍しい鳥というわけではなく、北米からヨーロッパ、アジアの広い範囲で普通に生息している。日本にいるやつは、中部から北の地方で繁殖して、寒い冬になると南の方に下がって越冬する。そのときが観察のチャンスとなる。雪の少ない地方なら実は意外と身近にいるフクロウなのだ。
 昼間は寝床の木でじっとして動かない。人が近づいたり話しをしていてもわりと平気らしい。日が沈んで夜になると活動を開始する。ネズミが好物で捕って食べる。ネズ公にとってはやっかいな鳥だ。小鳥も食べる。昼間はのんきそうに見える彼らも、夜はハンターになる。特命係長・只野仁みたいだ。
 繁殖は初夏。一夫一婦でカラスやタカたちの中古の巣を借りて行う。昼間は寝ないといけないし、夜はエサを捕らなきゃいけないから、巣なんて作ってるヒマはないのさ、ウーウー(勝手な想像と鳴き声の代弁)。
 卵は5個前後、あるいはときにもっとで、わりと子だくさん。橋下弁護士並み。メスが卵をあたためて、オスがエサを捕ってくる。子育ては両方でする。この巣を見つけたらラッキー。子供のトラフズクもまたかわいいので、いつか見てみたい。

 この耳にこの姿、どこかで見たことあると思ったら、「となりのトトロ」だった。トトロはこのトラフズクがモデルになったのではないかという話がある。あれはお化けという設定だったけど、耳といいスタイルといい、似てるところはある。宮崎駿監督が実際どれくらい参考にしたかは分からないけど、ヨーロッパなどでもポピュラーなフクロウでイラストや切手にもなっているので、そちらからのイメージだったのかもしれない。
 トトロの由来は、「所沢のお化け」というのを監督の知り合いの女の子がうまく言えず、「ととろざわ」と言ったことがきっかけになったんだそうだ。由来的には所ジョージに近いものがある。
 トラフズクは漢字で書くと、虎斑木菟。虎斑(とらふ)というのはトラの模様の意味で、ズクは、角(つく)から来ているとか、兎の脚に似てるから名づけられたなどと言われている。少し釈然としないところもある。
 英名Long-eared Owlは、そのものずばり、長い耳のフクロウという意味だ。こっちの方が分かりやすい。

 どんな鳥も初めて見たときは感動するものだけど、こいつは格別だった。今なら庄内緑地公園へ行けばまず間違いなくいるので、近くの人はぜひ。この場所は渡りの途中の短期滞在なので、そろそろいなくなるだろうから、少し早めに。
 場所は、第一、第二駐車場から噴水を越えて、バラ園を過ぎて、池の更に向こうの一番奥、庄内川に近いあたりだ(直接ポイントに行くなら奥の第四駐車場が近いかも)。木の周囲に黄色いロープが張ってあるし、たいてい誰かが入れ替わり立ち替わり見に来ていて、木の上を見上げてるのでそれと分かるはず。一度中日新聞に載ってしまったことで週末はすごい賑わいになってしまうそうだ。夕方は逆光になるので、時間に余裕があれば午前の方がいいかもしれない。
 昔から毎年ここには彼らがやって来るんだと地元のおじさまは言っていた。前は10羽くらい来たこともあったとか。これだけ毎年人が集まってきてもここに来るということはよほどお気に入りなのだろう。来年は子供も連れてきてくれると嬉しい。
 花や野草や鳥や虫に興味を持つようになってから、再会を待つ喜びが増えた。今年出会ったものとはまた次の年も会いたいと思う。トラフズクたちにもまた来年、きっと会いに行こう。それまでお互い元気で暮らそう。

トリノオリンピック閉幕記念でイタリアン・サンデー料理

料理(Cooking)
トリノオリンピック記念サンデー料理

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先)


 トリノオリンピックも今日で終わりということで、閉幕を記念して今回のサンデー料理はイタリアンにしてみた。もし荒川静香が記念メダルをとってなければ、今日はイタリアンではなかっただろう。荒川シーちゃんにはいろんな意味で感謝したい。ブラビッシマ。
 今回こそ簡単なはずだった。3品だし、パスタは手打ちじゃないし。でも、やっぱり時間はかかってしまった。またも2時間45分コース。どこで時間を食ってしまってるんだろう。怠けずに作ってるつもりなんだけど。サンデー料理専属コーチが必要かもしれない。

 パスタは久々にマカロニにしてみた。何年ぶりだろう。ふと思い出したら食べたくなった。
 ソースはバジリコを買うと高く付くのでほうれん草とブロッコリーとパセリで代用した。ホワイトソースは例によって手作り。レンジで作るコツを覚えたので、もう失敗しない。味付けとしてはコンソメの素を使った。これでしっかり味もついて、緑の野菜の風味とともに美味しく出来上がった。マカロニもたまにはいいもんだ。
 ご飯はトマト雑炊。タマネギ、ニンニク、エビ、ベーコンをオリーブオイルで炒めて、ざっくり切ったトマトとご飯を混ぜて、更にトマトジュースを入れて少し煮込む。塩コショウで味が足りなければコンソメの素を足すとしっかりした味付けになる。チャーハンやピラフとは違った食感と味が楽しめるので、これもオススメしたい。
 付け合わせのおかずは、白身魚のソテーというんだろうか。切り身をスライスして塩コショウしたあと、弱火で少し焼いて、あとはソースをかけるだけの簡単メニューだ。ソースは白ワイン、お酢、レモンの絞り汁、オリーブオイル、塩コショウ、砂糖を煮立たせたもので、あっさり風味で夏場なんかもよさそうだ。

 今回は全体的に破綻もなく、バランスよくできた。ボリューム的にも珍しくちょうどよくて完成度は高かったと思う。これなら友達を家に招いたときに出しても文句は言われないだろう。ズバリ85点。自分自身、満足のいく仕上がりとなった。荒川静香のショートプログラムくらいの完成度と言えよう。私のパーソナルベストを更新した。
 ところでこの料理がイタリア国旗にちなんだ緑、白、赤になっていることに気づいた人はいただろうか? え? いない? オー、マンマミーア! 皿を横並びにしたらもう少し分かりやすかったかもしれない。というよりも、長方形の皿を縦にして横に並べればよかったのだ。そうだ、失敗した。3回転-3回転の予定が3回転-2回転になってしまった感じ。惜しい。あー、今からもう一回作って並べ直したい。
 次にイタリアンを作るときは、三色パスタに挑戦しよう。手打ちの段階で各色を練り込むことでより完成度が上がるだろう。

 こうして今日のサンデー料理は満足感を持って終えることができた。トリノオリンピックも嬉しい気分で閉会式を迎えられたことを喜びたい。
 原田のやせすぎ失格から始まり、成田・今井兄妹の寸劇、スケート陣の不調と続いたときはかなり気分的に淀んだ感じになったけど、後半に入ってカーリング女子とフィギュアでそんな空気を一気に吹き飛ばしてくれた。これだからオリンピックを観るのはやめられない。何か感じさせてくれるものが必ず毎回ある。それはいつだってこちらの思惑を超えた感動とドラマだ。
 特に今回は荒川静香にありがとうと言いたい。グラッツィエ・ミッレ!
 しかし、私が選ぶトリノオリンピックのMVPは、カマーランドでおなじみの解説の小林さんだ! 4年後のバンクーバーも、また小林さんの解説が聞けるように、しっかり生き延びたいと思う。早くも4年後が待ち遠しいぞ。

猫と一緒にひなたぼっこしてビタミンDを作ろう

猫(Cat)
落合公園のノラ

Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF


 なまぬるい空気の曇り空の下、ベンチに座ってひなたぼっこをするノラ2匹。明らかな血縁関係が見て取れる。このそっくり度は親子ではなく兄弟だろう。キミたち、兄弟かい? と訊かれて、いえ、違います、友達ですよ、と答えても信じてもらえまい。模様の位置がそっくりで笑えた。奥の方のやつが首のところに模様があるから区別はつくけど。
 ここ落合公園にはたくさんのノラがいる。去年も7,8匹見かけたけど、今回はそれ以上いた。カリカリを投入しようと近づいたら、あっちにもこっちにもいた。相変わらずの盛況で安心した。茂みをのぞいたらカリカリを入れたケースが置かれている。なるほど、お世話をしてる人がいるんだ。私がカリカリをあげるまでもなかった。
 ようやく暖かくなってきて、ノラたちものんびり過ごしているように見えた。無事冬を乗り越えられてよかった。栄養さえあればちょっとした病気くらいなら自力で治せるものだ。
 ノラが多い公園が私は好きだ。地域の人たちの優しさが感じられるから。そういう点でもここは気持ちのいい場所だ。

 誰がどんな基準で決めたのかは知らないけど、春日井市にあるこの落合公園は「日本の都市公園100選」というものに選ばれている。有名だったり、広かったり、歴史があったりするだけでは選ばれないようだ。名古屋では東山公園、大高緑地、名城公園が選ばれているけど、鶴舞公園や庄内緑地などは選ばれていない。愛知県では、岡崎公園、三重県では松阪市の中部台運動公園のみ。このへんの基準も分からない。なんでうちの公園は選ばれないんだー、という抗議が殺到したんじゃないかと予想するけど、実際のところは知らない。選ばれたからといって何かいいことがあるわけでもないだろうけど。
 面積24haの広い公園で、落合池を中心に、大芝生広場、釣り池、噴水、日本式庭園、バーベキュー場、ここのシンボルである水の塔「フォリー」などがあって、家族連れでのんびるするのはとてもいいところだ。
 春には桜まつり、わいわいカーニバル、夏には納涼まつりなどのイベントも用意されている。桜の名所でもあり、1,000本のソメイヨシノが咲いた光景はなかなか見応えがある。夏の花火も有名で、夏場には市民プールが開いてちびっこでにぎわう。
 無料駐車場は400台分あって、夜の10時半まで開いてるのも嬉しい。夜は水の塔がライトアップれて夜景も楽しめる。
 犬の散歩の人も多い。鳥もたくさんいるから鳥見、鳥撮りもできる。家族連れにも、カップルにも、ひとりでも、いろんな人におすすめしたい。
 と、落合公園宣伝マンのようになってしまった私だけど、落合記念館の宣伝をするつもりはまったくない。福嗣くんは大きくなってますますあの調子なんだろうか。

 猫は暖かいところが大好きだ。だから日光も好きなんだろうと思うとそれだけではない。猫は日光に当たることで皮膚でビタミンDが作られて、毛づくろいでなめることでそれを体内に取り込んでいる。たぶん猫はそんなことはちっとも知らないだろうけど。ビタミンDだニャンなどと思って体をなめてるやつはきっといない。
 これは人間にも同じことが言えて、人も日の光の紫外線を浴びることで皮膚のコレステロールをビタミンDに変化させている。食事で半分、皮膚から半分摂取してると言われている。ただし、日焼けしてしまうとその変化は止まって逆に紫外線が有害になるので、ほどほどに太陽に当たるのがいい。
 ビタミンDはカルシウムの働きを助けて骨を作るときに役立つビタミンで、これが不足すると骨や歯が弱くなったりする。イライラしてる人を見るとすぐに牛乳を飲めという人がいるけど、あれはあながち間違いではなくて、カルシウムが不足すると精神のバランスが不安定になるということが実際にあるそうだ。そしてカルシウムを作るときにビタミンDも必要になってくる。イライラしたら日光浴しながら牛乳を一気飲みするといいでしょう。いや、一気飲みじゃなくてもいいけど。家猫もたまには陽の当たる場所に出してあげるといいだろう。

 ひなたぼっこの「ぼっこ」って何だろう、と思った人は多いんじゃないだろうか。調べてみたけど、いくつか説があるようで、はっきりしたことは分からなかった。「ひなたぼこり」が「ひなたぼこ」になって、それが「ひなたぼっこ」に変化した、というのが一般的な説のようだ。ほこりは、埃だったり、誇りだったり。他には「惚け在り」の変形だという説もあるとか。個人的には遊びを意味する「ごっこ」の変化なんじゃないかと思ったりもする。「ひなたごっこ」が「ひなたぼっこ」に、あり得ない話じゃない。
 冬の季語だということは今日初めて知った。確かに夏場はひなたぼっこというより日光浴だ。
 ひなたを英語でsunny place。ひなたぼっこをするというのは、bask in the sunという言葉がちゃんとあるそうだ。この感覚は世界共通のものなんだろうか。日本では縁側で猫とおばあちゃんがひなたぼっこというイメージがあるけど、そういう光景もだんだん失われつつある。公園でひとりベンチに座ってひなたぼっこというのは、人と時間帯とシチュエーションによっては、あの人大丈夫かなと不安感を抱かせる場合がある。本人の意志とは裏腹に。
 もし私がこの公園のベンチでひとりひなたぼっこをしてるところを見かけたとしても、それは好きでやってることで、決して人生に疲れたとか絶望したとかではないので心配しないでください。生きてりゃいいことあるよ、などと声をかけてもらわなくても大丈夫ですから。ああ、今ビタミンDを生成してる最中なんだなと優しく見守ってください。

野に咲く花が見つからないから温室の花を撮ってきた

花/植物(Flower/plant)
ケマンソウ

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6)+MCON-35, f5.0, 1/19s(絞り優先)


 ハート型をしたこのピンクの花の名前はケマンソウ。知ってる人は知ってるし、知らない人は知らない。私は今日から知ってる人になった。ケマンソウ。なんとなく覚えにくい気がするのは、私の脳の記憶部分に問題があるからだろうか。
 漢字で書くと、華鬘草。これも覚えづらい。というよりも書けない。仏殿の梁にかかってる装飾の華鬘に見立てて付けられた名前で、仏教用語では「華」は花を意味し、「鬘」は首飾りを意味するそうだ。中尊寺金色堂の華鬘が有名だそうだから、仏教マニア(?)の人にはお馴染みなのかもしれない。私とはまったく顔なじみではない。一面識もないとさえ言える。
 別名をタイツリソウという。漢字で書くと鯛釣り草。形が釣り上げられた鯛に似てるからというんだけど、そうかな。そんなふうには見えないけど。昔からロールシャッハテストは苦手だった。何に見えますかと言われても何にも見えないぞ、と子供心に思ったものだ。パッとひらめいて答えられるやつがスゲェと思ったあの頃。
 それはともかくとして、これは何に見えるかと問われたら、何にも見えないけど壁に掛かってるハート型のキーを連想する。

 姿を見ると洋物っぽいけど、原産は中国と朝鮮半島だ。日本には室町時代にやって来た。戦国武将やその妻たちもこの花を見ていたんだろうか。現在は園芸品種としてもポピュラーなもので、園芸好きの人なら知ってるだろうし、実際に育ててる人も多いかもしれない。
 現在は世界的にも一般に知られていて、アメリカではイースターの飾りに使われたりもするそうだ。
 コマクサ科で、高山植物の女王と呼ばれるコマクサの仲間にあたる。言われてみると少し似てる。園芸種で白い花もある。
 学名はDicentra spectabilis。美しいコマクサ属というような意味だ。
 英名はBleeding Heart。出血した心臓とはまたすごい想像力だ。そう見えなくはないけど、そんなおどろおどろしい名前が似合う花ではないと思う。英語圏での花言葉は「失恋」。これも破れたハートから来てるのだろう。日本での花言葉は「あなたに従います」。花ひとつ取っても、日本と欧米ではずいぶん感覚が違うものだ。

 なんとなく繊細そうに見えるこのケマンソウだけど、見た目とは裏腹に丈夫で育てやすいそうだ。夏から冬にかけては地上の部分が全部枯れてしまってもうダメなんだと思うと、春になるとひょっこり芽を出してぐんぐん伸びてあっという間に花を付けるらしい。形だけでなく性質も変わってる。半日陰のところに植えておけば、あとは放っておいても花を咲かせるそうだから、ものぐさな人にもいい。
 ひとつ問題があるのは、どこに植えたか分からなくなってしまうことだ。うっかり土を掘り返したり、他の種を植えたりしないように気をつけなければいけない。死んでしまった金魚をそこに埋めてしまっていいのかどうかはよく分からないけど。
 ホームセンターでも普通に売ってるそうだから、私も挑戦してみようか。株分けするなら冬、種をまくなら秋がいいようだから、今シーズンはもう遅いかもしれない。まずは花から買って育ててみるのもいい。

 2月に入って野草を探してあちこち歩いてるのにまったく見つけることができない。とうとう我慢できなくなって、今日はグリーンピア春日井(春日井市都市緑化植物園)に行ってきた。ここは入場も駐車場も無料なので、花のなくなる冬場はありがたい。ミニ植物園で花の種類も多くないけど、人が少ないのと、たまに写真を撮りに来てるお仲間もいたりして、あまり人目を気にせず写真を撮れるのがいい。外にも花が植えられてるし、ミニ動物園もある。池ではボートも漕ぐことができるし、野鳥も多い。気軽にフラッと寄るのにいいところなので、オススメします。
 道路の反対側にある築水池周辺は湿地になっていて、珍しい野草が咲く。そちらとセットで回るのもいいだろうし、裏手には軽く登れる道樹山などもあるので、一日コースも選べる。
 築水池湿地も寄ってみたけど、まだ花の姿はなかった。ハルリンドウはもう少しになりそうだ。
 今年の春はのんびりやって来るつもりらしい。そして駆け足で去っていくのだろう。いつ来てもいいように気持ちの準備だけは整えておきたい。

コゲラのことを書きながらコデラさんを思い出した春のはじめ

野鳥(Wild bird)
コゲラさん

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/320s(絞り優先)


 ギィー、ギィーという鳴き声に続いて、木を叩くコツコツコツコツコツという音が聞こえてきたら、すぐ近くにコゲラさんがいます。コデラさんではないです。私の小学校の時のクラスメイトで学級委員長だったコデラさんが歯ぎしりをして木に何かを打ち付けてる音ではありません。
 飛雄馬のお姉ちゃん星明子のように木に半分身を隠しながら見上げてみると、そこにはやはりコゲラがいた。半年ぶりの再会。あちこちにせわしなく飛び移っては木をコツコツつついていた。その動きに翻弄されながら写真を撮りまくった私だったけど、今ひとつ手応えはなかった。ちゃんと撮れてるのだろうか。もっと近寄りたいけど近づくと逃げていってしまう。ちょうどコデラさんのように。

 木をつつくことからも分かるように、コゲラはキツツキだ。キツツキなんて人が住んでるところの近くにいるの? と思う人も多いかもしれないけど、これが意外と身近にいるのだ。街中の公園や緑地に一年中いる。特にこのコゲラはポピュラーな種で、その気になって探せば見つけるのはそれほど難しくない。とはいえ、おととしの秋、最初に見たときは感動したものだった。わっ、コゲラだ、キツツキだ、と。
 昔のアニメのキャラクターでウッドペッカーというのがいたけど、キツツキのことを英語でウッドペッカーというから、そのままだ。あのキャラはウッディとかいう名前があったと思う。コゲラの英名は、Japanese Pygmy Woodpeckerで、名前の通り、日本とユーラシア東部の日本海側にしか生息していていない。
 体長は15センチくらいで、スズメと同じくらいだ。背中の茶色と白のボーダーラインが特徴的。地味というよりシックな感じで、agnis b.のボーダーTシャツを思わせる。
 オスは目の後ろの頭の部分に赤い斑があることで見分けられるのだけど、普段はあまり見えないので区別は難しい。メスはクチバシ基部が褐色というんだけど、それも近くで見ないとよく分からない。

 写真のようにかなり無理な体勢でも落っこちないのは、尾っぽを使って三点で体を支えているのと、足の構造が垂直でもがっちり木を掴めるようにできているからだ。コゲラにしてみたら当然のことで驚くには当たらないのだろう。一生を木の上で過ごして、地面に降りることはほとんどない。
 エサは木の皮の内側にいる虫を食べている。木をつついてる理由のひとつがそれだ。ただし、つつくのは虫にやられてしまってる木の皮だけで、健康な木を傷めたりはしない。木にとって悪い虫を食べてくれるありがたい鳥なのだ。林業の人の心強い味方とも言える。固いクチバシでつついて、長い舌を使って上手に虫を捕まえる。虫があまりいなくなる冬場は木の実なども食べるようだ。
 木をつつく理由はエサをとるためだけじゃなく、縄張りの主張や求愛のためでもある。そして、つついて穴を開けて巣穴まで作ってしまう。固い木をくりぬくんだから、相当力があるということだ。私の頭くらい簡単に風穴を開けられてしまうだろう。それは困るけど。
 繁殖期は5~7月で、一夫一妻。卵は5個くらいで、オスメス仲良く交代で温めて、子育てもする。2週間もすれば卵はかえり、ひと月足らずで巣立ちとなる。ただ、子供は半年以上も親と一緒に過ごすんだとか。野鳥の中では珍しく仲良し家族と言えるだろう。
 冬場の今の時期は、メジロとかシジュウカラとかエナガなんかと一緒に混成チームを作って過ごしてることが多い。エサがかぶらないからいいのかもしれないけど、会話が通じるのかどうかは気になるところだ。冬場は木々の葉っぱが落ちて一番姿を見やすいときなので、コゲラがいたら近くの木を探してみると他の鳥も見られてお得だ。

 キツツキは漢字で書くと啄木鳥。これで同時に「ゲラ」とも読ませる。日本のキツツキはたいてい何々ゲラと呼ばれている。アカゲラとかアオゲラとか。だからコゲラは小啄木鳥と書く。
 世界にはキツツキが200種類もいるそうだ。ウッドペッカーのように赤い顔と黄色いクチバシをしたやつもいるのかもしれない。
 私はアカゲラは見たことがあるけど、アオゲラはない。北海道には特別天然記念物に指定されているクマゲラが、沖縄には同じく天然記念物のノグチゲラというのがいるらしい。しかし、天然記念物だけに、これらを見たことがある人はそう多くはないだろう。

 啄木鳥という字を見て、石川啄木を思い出した人もいるだろう。啄木の本名は石川一(いしかわはじめ)で、啄木はペンネームのひとつだ。故郷の渋民村で見た啄木鳥に親しみを感じて名前をもらったと言われている。コツコツと一所懸命な姿が気に入ったのだろう。本人はそんな人間じゃなかったから余計そんなことを思ったのだろうか。もしかしたら、啄木が見たのはこのコゲラだったのかもしれない。

 やや長きキスを交わして別れ来し
 深夜の街の
 遠き火事かな


 こんな歌の方が啄木らしさをよく表していて私は好きだ。

 コゲラさんの奏でるドラミングの音が聞こえたら、しばし立ち止まって木を見上げてみてください。都会に住むキツツキの姿を見ることができるでしょう。
 コデラさんは幸せに暮らしているだろうか。

フランスパンを食べてアゴ勇のようになろう

食べ物(Food)
久々にフランスパン

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先)


 食パンを買おうとパン屋さんに入ったら、そこはフランスパン屋さんだった。ん? そうだったかな? そんな話聞いてないぞ。見渡してみたところ食パンの影も形もない。あるのは見慣れない手作りパンばかりだ。その中で唯一知っているフランスパンが目に止まった。むむっとうなって、フランスパンを手にとった私は、さも最初からこれを買うつもりで入った人を演じつつニコやかに代金を払って店をあとにした。フランスパンなんて金輪際食べる予定はなかったのに。
 フランスパンに対して抱いている私のイメージはただひとつ、固い。それしかない。お洒落だとかどうだとかフランス人がどうだとか、そんなものは二の次三の次だ。もし私が総入れ歯なら歯全部持っていかれるに違いないという思い込みはフランス人に対して失礼に当たるだろうか。しかし、思い出の中のフランスパンは異常に固かった。もう二度とこんなもの食うかと思った少年時代。それが何の因果か数十年ぶりの再会となった。あ、お久しぶりです、フランスパンさん。元気でしたか? トントンと軽くノックしてみると、記憶の中にあるのと同じ固さで答えてくれた。やっぱりか!

 買ったからには食べるしかない。肩たたきにさえ使えそうだけど、そんなことをしている場合ではない。思い切ってひとくち。む! 固い!? いや、でもない? 思っていたより柔らかい。確かに表面は固いものの、中は意外としっとりしている。これならいけるかも。少年時代の私はまだアゴが発達してなかったから固すぎると感じたのか。大人になった今ならフランスパンに太刀打ちできる。いざ尋常に勝負、勝負。そんな大げさなものか?
 最初味気ないと感じるけど、噛んでいるうちにほのかな塩味が口の中で広がって美味しく感じられるようになってくる。うん、これはいい。ただ、何も付けずに生で食べるのは限界がある。途中からトーストに切り替えた。ますますカサカサになるけど、バターやピーナツバターを付けたらとても美味しくなった。フランスパン、いいじゃないか。後を引くというかクセになる味だ。食べ終わってまた食べたくなった。
 とはいえ、アゴ疲れるな、これ。このまま毎日フランスパンを食べ続ければ私も、綾瀬はるかのアゴを手に入れらるだろうか? それとも、荒川静香のようなエラが手に入ってしまうのか!?
 フランス人はフランス料理で柔らかいものばかり食べてるくせに、よくこんな固いものが食べられるなと感心する。食事で噛まない分、フランスパンでアゴを鍛えてるのかもしれない。

 ところで、当たり前のことだけど、フランスではフランスパンをフランスパンとは呼ばない。私たちが米を日本米と呼ばないように。向こうでは、ペン・トラディシオネル(pain traditionelle)とか、ペン(pain)と言ってるそうだ。そして形によっていろいろな呼び名がある。ドゥ・リーブル、バタール、バゲット、パリジャン、フィセル、エピ、フォンデュ、クペなど。フランスへ行って、フランスパン・スィル・ヴー・プレ、などと言っても出てこないので気をつけたい。
 フランスパンというのは、小麦粉と塩と水とイーストだけで作られたシンプルなパンのことを言う。フランスで収穫される小麦にタンパク質が少なくて、これでどうにか美味しいパンを作ろうとしたことで生まれたんだそうだ。材料がシンプルだから、私たちでもフランスパンは簡単に作れる。ただし、美味しく作るのは他のパンよりもずっと難しい。卵や乳製品などを一切使わないから均一に発酵させることが困難になる。そこが職人さんの腕の見せ所というわけだ。
 本場フランスで食べるフランスパンは日本のものほど固くないというけど本当だろうか。フランス人が日本で食べるとこれは固すぎるぜ、メルド! となるらしい。実際のところは知らない。セーヌ川のほとりでフランスパンを食べたこともないし、フランス人とは話したことはもちろん見たことさえないから。話によると、フランス人は日本人が米好きなのと同じくらいフランスパンが好きで、毎日買って食べてるらしい。朝はカフェオレ、昼はサンドイッチ、夜はディナーで。もしかしたら、柔らかいイギリスパンなんかは軟弱者の食べ物と思ってるのかもしれない。

 フランスパンの食べ方に関しては、今後研究していく余地がたくさんある。普通にバターやジャムで食べるだけでなく、おかず方面でも美味しい食べ方がたくさんありそうだ。ハム、マヨネーズ、コーン、ツナ、そんなあたりがパッと思い浮かぶ。ピザ風にしてもいいだろうし、夕飯のおかずをそのまま乗せてもいけそうだ。食パンと違って固いから、何でも上に乗せられる。
 一日経って固くなったときは、スライスして霧吹きをかけてからトートとで焼くといいらしい。
 フランス人にならってカフェオレにつけて食べる日曜の午前なんてのもいい。どこに出かけるときは、カバンからさりげなくビヨ~んと出しておきたい。そして、おもむろに電車の中とかでちぎって食べたりして。うーん、トレヴィア~ン。

 このフランスパンを買った尾張旭市の「ポルカ」というパン屋さんは、なかなかに評判がいい。単に美味しいとかそういうことではない。まず休みが月曜と火曜というのが素敵。そこで週休二日を持ってくるか。営業時間もお昼頃からという大らかさ。そしてよく休んでいる。もちろん突然だ。店の前を通ると、3回に1回くらいしか開いてないような印象がある。
 常連さんによると、いつ行っても違うパンがあって楽しいそうだ。その反面、お気に入りのパンを見つけても、次にいつそのパンと出会えるかはまったく分からないのだという。時間帯によって並ぶパンの顔ぶれががらりと変わってしまうとか。ちょうど私が行ったときはフランスパンの時間だったようだ。だから、いいタイミング行けば食パンも買える。ただ、そのいいタイミングがいつかというのは予測がつかないのがちょっとだけ困るといえば困る。
 なんて素敵なパン屋さん。それでも11年目というから大したものだ。生地からフィリングまですべて手づくりで、天然酵母、イースト、菓子パン、惣菜パン、食パンまで、これでもかってほどの種類を朝の5時から作ってるという。それなのに店が開くのはお昼から。きっと、パン作りが楽しくて、朝から晩までいろんなものを作ってるのだろう。同じパンを2回買えないことくらいで文句を言ってはいけない。
 次に行ったときは食パンが買えるだろうか。フランスパンも美味しかったけど、また2、3年、アゴを休めたい。

サヨウナラ、20世紀の家電たち

物(Objet)
20世紀の残骸

Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF


 使命を終えて電気屋の裏で捨てられるのを待つ電化製品たち。テレビ、洗濯機、ガス湯沸かし器、冷蔵庫、ガスコンロ。20世紀の夢の残骸を見ながら、頭の中で下川みくにの「サヨウナラ! 20世紀の僕たち」が流れる。

 ♪サヨウナラ 20世紀の僕たちはいつも 後悔ばかりで
  サヨウナラ ため息ついていた毎日 夢と現実離れすぎていて 悔しい思い続いてた
  サヨウナラ 足りないものを欲しがって みんな同じ人を追いかけ 寂しさ紛らわしていた♪


 下川みくにって誰だ? と思ったあなた、心配しなくても大丈夫。知ってなければ人に笑われるとかそういう人じゃないですから(それとも意外と有名?)。
 これは「山部山麓デパート」だろう! と思った人は、今度「北の国から」の話をゆっくりしましょう。その代わり、話し始めると長くなりますので要注意。
 山部山麓デパートってどこにあるんだ、場所を教えて欲しい、と私にメールで問い合わせても答えられません。シークレットとかそういうことじゃなくて、実際にはないものなので(いや、あるのかな?)。

 20世紀は戦争の世紀だったとか、飽食の時代だったとか、激動の100年だったとか、いろいろな言い方をされる。20世紀は家電の時代だったという言い方もできるだろう。特に高度経済成長期に生きた人間にとって、家電にはいろいろ思い出あるんじゃないだろうか。家電大好きの私としては生まれるのが遅かったなと残念ではあるけど、20世紀の最後30年間を思い返してみると、ずいぶん変わったものだなと感じている。
 最初の家電らしい家電は意外にも電気アイロンだった。国産初のアイロンが発売されたのが1915年だから、ラジオの1924年よりも10年近く前ということになる。それまで寝押し(ふとんの下に敷いて寝る)くらいしかなかったわけだから、当時の人にとってアイロンというのは画期的なものだったろう。
 電気洗濯機は1930年、続いて電気掃除機が1931年、以後続々と電化製品は発売されることになる。面白いのはすべて頭に電気が付く点だ。そう、電気というのは魔法のような響きを持っていた言葉だったのだ。しかし、値段の高さから一般庶民が買えるようになるのは戦後ずっとあとになってからのことだ。
 戦後一発目のヒットは1947年のトースター。それまでパンなどほとんど食べなかったであろう日本人なのに、戦争に負けてすぐ相手国のパンが美味しいからみんなで食べようと思ってしまうあたりに日本人のお人好しさがよく表れている。
 1953年にテレビ放送開始。そしてもうひとつこの年大物が登場した。噴流式洗濯機だ。今でこそ洗濯機など安いもので当たり前に持っているけど、これがなかった頃は、たらいで手荒いしていたわけで、冬場はもう大変だった。洗濯機ほど主婦の人たちにとってありがたかったものはなかっただろう。
 2年後には電気釜が登場して、これで家事は一気に楽になった。次の年の目玉は電気冷蔵庫。この頃になると庶民でも少しずつ電化製品を買えるようになる。白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機は三種の神器と呼ばれ、庶民の憧れだった。その後「3C」と呼ばれるカラーテレビ、クーラー、カーに変わったのは覚えてる人もいるかもしれない。

 個人的に思い出深い家電というと、やはり高校生の時のビデオだろう。テレビを録画できるってことはそれまでにないことで、あれでずいぶん生活が変わったような気がする。レンタルビデオ屋が初めてできたのもその頃だ。
 レコードがCDになったり、ビデオがDVDになったなんてことは大したことじゃなかった。ゼロから100になったわけではなく、それまであったものがグレードアップしただけだから。
 パソコンを初めて買ったのは中学生のときで、これは友達の中では一番早かった。当時はマイコンと呼ばれていて、それはくら~いやつしかやらないものという偏見が充ち満ちていたのだった。いや、私は暗くなかったんだけど。
 ファミコンの登場が大学生のとき。PSは大学を卒業してから。ゲーム機とのつき合いも長いけど、子供の頃ファミコンがなくてよかったなと思う。あんな楽しいものがあったら外で遊ばなかっただろうし、そうだったら外で遊ぶ楽しさを知らずに大きくなってしまったから。
 最近でいえばインターネットに携帯電話、デジタルカメラあたりだろう。それらなしに生活は成り立たなくなっているけど、ワクワク、ドキドキするようなトキメキを感じてはいない。親の世代が感じたであろうテレビの登場したときの驚きと熱狂みたいなものを体験してないといのは寂しい。私たちは物心ついた頃から電化製品に囲まれて育ってきたから、そういう部分では感覚が鈍くなっているのだろう。自分では今さらどうすることもできないけど、少し残念に思う。

 これからはオール電化の時代だ。だって、そういう時代でしょ、とCMで酒井法子も言っていた(中部電力のCMだから、こっちの人しか見たことない?)。のりぴーでさえそんなことを言う時代になったのか、とあれを見ると感慨深いものがある。のりぴー語はどうした? あと10年もしたら、これからは太陽電気の時代ですよね、などとゆうこりんがクールに言い放つCMを私たちは見ることになるのだろうか? コリン星には安全なエネルギーはないのか。
 新三種の神器は、液晶(プラズマ)テレビ、DVDレコーダー、デジカメなんだそうだ。わっ、3つのうち2つも持ってない! ダメじゃん、私。21世紀に乗り遅れてるー。
 ようやくリサイクルということが言われ始めてはいるけど、今後も大量生産、大量消費の流れは続いていくのだろう。そして家電は目には触れない場所で捨てられていく。20世紀の家電には夢があったけど、21世紀の家電にはそれさえもなく。
 たとえば50年後、捨てられて積み重ねられた家電はどんな姿をしてるんだろう? 私たちがこれから初めて触れる最新の電化製品たちなのだろうか。その光景を今はまだ想像することができない。
 もし20年後の未来にタイムマシンで行くことができたなら、私は家電捨て場に行こう。そして見たこともないような最新型の壊れた家電をいっぱい持って帰るのだ。そんなものを持って帰れませんと止められても強引に持って帰ってくる。もしかしたら「ザ・フライ」でハエと合体してしまったあの男のようになってしまうのだろうか。家電と合体した私。口からDVDを出したり入れたり、目にはデジタル放送のテレビが映ってしまったり。脳がPentium10くらいになってたら嬉しいかもしれない。全身ユビキタス状態。
 しかし、壊れて捨てられた家電との合体だから誤作動だらけ。口からDVDのトレイが出たり引っ込んだりを繰り返し、目はちかちかとまばたきし続け、そして、突然のフリーズ。そんな私を見かけたら、とりあえずカラオケマシンとしてでも使ってやってください。懐メロの「リンゴの唄」とか歌い出すでしょう。

雨の日は小林さんの解説を聞きながらカーリングを観よう

街(Cityscape)
今日も天気雨

FUJIFILM FinePix S1 Pro+SIGMA 18-50mm (f3.5-5.6 DC), f3.5, 1/25s(絞り優先)


 今日も天気雨。明るい空から絶え間なく雨が落ちてくる。そろそろ晴れてこないかと空を仰いでみたけれど、雨がやむ気配はなかった。人生の中で数えるほどしか見たことがなかった天気雨をふた月続けて見たことになる。珍しいものを見られたと喜んだ反面、晴れてるんだからやんでおくれよとも思う。雨そのものは嫌いじゃないけど、行動範囲が狭くなってしまうのが残念だ。
 長い信号待ちでワイパーを止めた。車内は静けさを取り戻し、レミオロメンの「3月9日」が流れている。フロントウィンドウに雨が流れ落ち、街が滲んで歪んだ。あふれそうになる涙越しに見る光景みたいに。

 ♪新たな世界の入口に立ち 気づいたことはひとりじゃないってこと
  瞳を閉じればあなたが まぶたの裏にいることで
  どれほど強くなれたでしょう
  あなたにとって私もそうでありたい♪


 感傷に捕まりそうになっても今の私はそれからするりと逃れる術を獲得している。昔みたいに逃げ足は遅くないのだ。センチメンタルに身をゆだねたりもしない。

 中古で買ったSIGMA 18-50mm DCを今日は試してみるつもりだった。でも、この雨ではどうすることもできない。広角開放でもf3.5という暗さでは雨の夕暮れで手持ちは苦しい。
 でも、この見た目も作りも安いレンズ、実力はある。定価2万で中古相場5,000円そこそことは思えない写りのよさだ。デジタル専用設計というのが効いているんだろうか。CanonのEF50mm f1.8にも負けてないくらいのシャープさと解像感だと思う。なるほど、評判がいいわけだ。
 S1proとの相性がこれまた不思議で、らしからぬ優等生画質になる。D70なんかで使ってる人は色が地味って言うけど、レンズの地味さとS1proのむやみな派手さが融合してちょうどいい加減になるから面白い。私の部屋のラベンダー色の壁が、そのまま再現されたのは驚いた。めったにないことだから。
 第一印象はとてもよい。広角18mmだから、S1proでは27mm相当になる。最近デジでは28mmの42mmとか45mm換算ばかり使っていたから、久々にファインダーの向こうに広い空間を見た気がした。面白そうだからしばらく使ってみよう。

 天気雨はやがて当たり前の雨降りに変わった。空は暗くなり、雨は激しさを増した。晴れたら雨上がりの夕焼け空でも撮りに行こうと思ったのに。しょうがない、家に帰ってカーリングでも観るか。
 今日も小野寺ちゃんはやってくれました(前半戦は観ながらあんなにも文句言ってたのに)。イタリア戦は少し苦しんでいたけど、最後のショットは見事だったし、最後は任せておけば大丈夫と思える安定感が出てきた。これが本来の彼女の実力だったのだろう。そうでなければ日本での予選も勝ち抜けないし、スキップ(主将)にはなれなかったに違いない。
 観てたらますます自分もやりたくなってきた。カーリング映画『シムソンズ』もぜひ観よう。
 それにしても、解説の小林さんがいつも言ってる「カマーランド」という言葉を聞くと、KABAちゃんやおすぎとピーコたちが楽しそうに弾ける笑顔で暮らしてる国のことが頭に浮かんで仕方がない。と思ったら、重大な聞き間違いをしていることに気づいた。カマーランドじゃなく、「カム・アラウンド」だった! なんと! すでに置かれているストーンを回り込むようにしてハウスの中に入れる投法をそう呼ぶそうだ。私の耳が悪いのか、解説の小林さんの発音に問題があるのか!?
 それでもやっぱり、小林さんがカム・アラウンドと言うたびにカマーランドの映像が頭に浮かぶんだろうな。

77点の料理を作ってあらためて思う、料理は冒険だと

料理(Cooking)
逆から作ったサンデー料理

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/30s(絞り優先)


 普段はレシピ本やネットを見て料理を決めてから材料を揃えるというやり方で作っているのだけど、今日は材料から先に考えてから作るという逆のアプローチを試みてみた。そろそろ一人歩きをしてもいい頃だ。自転車の補助輪を外したときのことを思い出す。そして、次の瞬間コケたことも。イテテテ。
 料理ではコケまいと誓って始めた午後3時30分。転びはしなかったけど、慎重になりすぎてちっとも前へ進まない。ヘイヘイ、ボーイ、もうちょっとスピード出していこうぜ、と自らに声をかけてみるものの、分かってるけどちょっと待ってよ、わー、危ないー。ハンドルが左右にヨロヨロよろめきまくるように私の料理は進む。
 食事予定の6時半になってもまだゴールできず。オー・ノー、アポロン・オーノー、などと言ってる場合じゃない。今回もまた3時間オーバーとなってしまった。今日こそは余裕を持って始めて、余力を残して調理し終える予定だったのに。またもや、体力の限界っ、気力もなくなり……という千代の富士が頭の中に登場した日曜日の夕暮れどき。
 レシピに頼らず料理をするのは思った以上に難しかった。まだ脳が料理脳になっていなくて、手順を上手くシミュレートすることができない。私の料理IQは90くらいだろう。

 ご飯は今日も混ぜご飯系で、サトイモとニンジンの炊き込みご飯にした。ダシ、よく洗ったサトイモ、ニンジンを入れて、これだけだと足りないと思って、酒、しょう油、塩、コショウ、味噌少々を加えてみた。でもやっぱり味は足りなかった。何かが足りない。コクのようなものが。サトイモのぬめりとご飯の相性はよかった。
 メインは魚で、安売りのタイの切り身を採用した。まずは薄く切ってタレに浸す。タレはこれまでの応用で、ダシ、しょう油、酒、みりん、塩、コショウ、マヨネーズ、カラシを混ぜたものにした。お湯でさっとゆでて、あとはソースをかければ出来上がり。パッケージに入っていたシソの葉も刻んで振った。これは簡単で、食べやすくて、見た目もしゃれてるから、大人にも子供にもオススメできる。魚嫌いの子供でも食べるんじゃないかと思う。
 右上は豆腐のサイコロステーキしょう油味。豆腐の水気をよく取って(レンジで温めたり、キッチンペーパーでくるんだり)、ひとくちサイズに切って小麦粉をまぶす。それを油で炒めて、そこにダシ汁を加えて少し煮詰めて、あとはしょう油などで味付けて、かつお節と青のりをまぶせば完成。これはありそうでなかった豆腐の食べ方かもしれない。お好み焼きをヒントに作ってみた。味は申し分ない。
 左上のダイコンは、「一球入魂ダイコン」と名づけて作ったのだけど、煮込む内に形がひしゃげて、空気の抜けた軟式テニスボールのようになってしまったのだった。な~ぜ~(謎を解け! まさかのミステリー風)。白くて丸いボールのように煮えたら、赤い縫い目をつけて野球ボールのようにしようと思っていた目論見は外れた。やっぱりな、とは思ったけど。ダイコンを丸いまま煮るには無理があった。しかも、大きすぎるし。こぶしよりも大きなこんなダイコン、食べられないぞ。わっ、中はまだ固いじゃないか。
 最後にとき卵を流し入れたお吸い物をつけて、ようやく7時に完成を見たのだった。お疲れ様でした、私。
 もし私が専業主婦で、夕飯にこれだけ作ってダンナの帰りを待っていたら、ダンナは連絡もよこさずに外で食べてきたなんて言った日には温厚な私も実家へ帰ってしまうかもしれない。婚姻を継続しがたい重大な事由にあたいするとして訴えてやる、となりそうだ。趣味で作って自分で食べてる分には腹も立たないけど、少し無理をしてるという自覚はある。

 今日の総合点は微妙なところ。見た目は悪くないのに全体的な味付けにややインパクトを欠いて、印象に残らなかった。テストでいうと77点くらいな感じ。喜んでいいのか嘆くべきなのか迷うところ。もう少しはっきりと美味しいと思える料理を作りたい。まだまだ道は遠いね、太宰さん。
 ただ、ようやく料理の基本は分かってきて、味付けに関しても何と何を混ぜればどういう味になるかとか、その素材には何を使えばいいのかといったあたりは掴めてきた。曲がりなりにもオリジナル料理もできてきたし、毎回作るごとに進歩してるのは感じる。
 とはいえ、勘違いしてはいけないのは、美味しい料理を作ることが目的ではないということだ。え? 違ったの? と思ったあなた、そう違うんですよ。まだ食べたことのないものを作って食べる、というのがサンデー料理の出発点だった。そのスタンスは今でも変わってない。使ったことがない素材に、見たことがない外国の料理、食べたことのない調理方法。そんな未知のものへの思いや憧れをなくしてはないけないと、今日あらためて思った。
 料理は冒険だ。調理はチャレンジだ。でもゲテモノ系は大の苦手なんで、くれぐれもお中元に蜂の子とかイナゴの煮付けとかを送ってこないでください。マムシの入った酒なんて絶対ダメです。
 チャレンジ精神は大切だけど、チャレンジの方向性だけは間違えないようにしたい。

ヒドリガモの壁を越えるとそこはカモ中級者だった

野鳥(Wild bird)
牧野ヶ池のヒドリガモ

FUJIFILM FinePix S1 Pro+Nikon 70-300mm (f4-5.6D), f5.6, 1/220s(絞り優先)


 遠くから肉眼で見るとオナガガモに見えて、望遠レンズでのぞくとホシハジロかと思い、家に帰ってPCで見てみるとヒドリガモだった。そんなことがけっこうある。このときもそうだった。念のために撮っておくもんだ。一応撮っておいた一枚があとになって役に立つことがある。それももデジのいいところだ。フィルムでは無駄打ちできないから、意外性の面白さというのがあまりない。
 それはともかく、オナガガモとホシハジロとヒドリガモを見分けられるようになれば、カモ初心者卒業と言えるだろう。そんなの卒業したくないって? せっかく耳元で、♪卒業式で泣かないと~冷たい人と言われそう~♪ と、斉藤由貴の歌を歌ってあげようと思ったのに。え? それはもっといらないって? でももっと~哀しい瞬間に~涙はとっておきたいの~♪
 ……なつかしすぎて違う意味で泣けてきた。

 今日はヒドリガモについて勉強してみた。
 漢字で書くと緋鳥鴨。これは写真のようにオスの頭が赤栗色してるところからきているという説が一般的だ。赤頭(あかがしら)と呼ばれることもある。それ以外に、ヒドリは「日取り」で、お日様の明るさを取ったみたいな額の色をしてるからという説もあるらしい。写真には写ってないけど、額はクリーム色をしている。モヒカンスタイルで、日焼けした女の子の水着あとみたいに。いずれにしても、目印は赤茶色の頭と白いラインだ。同じ頭が赤いホシハジロは目も赤いのでそこを見ると区別がつく。
 クチバシは鉛色で短い。これは好物の水草をちぎって食べるのに適している。首も他のカモに比べると短くて、首をすっこめたように見える。
 体は全体的に灰色で、腹は白い。足は灰黒色。
 メスは他のカモ同様、いたって地味だ。全体に褐色で、やや赤っぽいのが特徴といえば特徴だ。いろんなカモのメスだけが集まっている集団がいたとして、どれくらい見分けられるかはまったく自信がない。カモ脱初心者への道のりは遠くて険しい。

 大きさは45~50センチくらいで、コガモとマガモの中間くらい。遠目にはよく似てるオナガガモはもっと大きいので一緒にいれば分かる。
 鳴き声は、ピュー、ピューというホイッスルのような音で、仲間に警戒するときにそういう声を出すという。しかし、メスは何故かガーガーとしか鳴けない。姿は違っても鳴き声くらい同じでもよさそうなのに。
 繁殖地はユーラシア大陸北部で、寒くなるとユーラシア大陸の南やアフリカ大陸などに渡って越冬する。どちらかというと寒いより暖かい方が好きなようで、秋口の9月中頃には日本にやってきて、5月くらいまでぐずぐずしてることが多い。12ヶ月のうち9ヶ月くらいいるから、年中いるような印象を持ってる人もいるかもしれない。たまにめんどくさくなってそのまま日本に残ってしまうやつもいるとか。
 個人的な印象としては、名古屋市内にはそれほど多くないような気がする。オナガガモと同じくらいポピュラーだというんだけど、近所でヒドリガモはそんなに見かけない。ただし、牧野ヶ池にはたくさんいた。
 エサは主に水草で、潜ることができないので、浅瀬に逆立ちで顔を突っ込んで底に生えてるやつをちぎったりこすったりして食べている。あまりエサ取りは得意じゃないようで、よく他のカモや鳥が取ったエサを横取りしたりする。ハクチョウが残したアマモのおこぼれをちょうだいしたり、水面に浮いてるものを拾い食いしたり。あと、海苔が好きらしく、しばしば海まで出張していって、海外の岩場についた青海苔なんかも食べる。更にそれで足りないときは養殖の海苔も食べてしまうので、養殖をしてる人に叱られて追い払われる。
 じゃあずる賢いカモなのかというとそうでもなく、むしろ鈍くさいところがあって、飛ぶときもコガモのように水面から直接飛び立つことはできず、かなり助走をつけないと飛べなかったりする。不器用ですから……高倉健、みたいな。
 不器用と関係あるのかないのか、アメリカヒドリという他のカモとよく交雑してしまうというのも特徴のひとつだ。目の後ろあたりが緑色をしてるやつがそれだ。いろんな意味で大らかな性格をしてると言っていいのかもしれない。人に対する警戒心は場所によるようで、よく慣れるという人もいるし、野生を保ってるという人もいる。オナガガモほどなれなれしくないとは思うけど。

 今さら人に聞けないカモ・シリーズ(そんな名前が付いていたのか)も回を重ねて、ある程度基本的な種類を網羅できてきた。コガモ、カルガモ、マガモ、オナガガモ。近いところではミコアイサ、バン、カワウなど。でもまだまだ他にもカモはたくさんいる。あ、オレ、オレ、オレだけど。それは古いタイプのサギだ。そうじゃなくて、ハシビロガモ、ヨシガモ、キンクロハジロ、スズガモなど、書きたいカモがいる。でも写真を撮らないことには書けないので、なんとかこの冬一枚でも多く撮りたいと思っている。海にも行かないといけないだろう。私にはこれを読んでくれている人をひとりでも多く日本野鳥の会へ送り込むという崇高な使命があるのだ。私? 私は入ってないけど。
 もし入会したら、どんな様子なのか教えてくださいね。

堀川はいろんな意味で名古屋らしい川だった

名古屋(Nagoya)
堀川の貯木場

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f6.7, 1/250s(絞り優先)


 日本中どこの都市も中心には川が流れていて、昔から人々の生活に深く関わってきた。古代文明発祥の地もすべて川沿いで生まれている。世界の都市を見ても、フランスにはセーヌ川、ロンドンにはテムズ川、ニューヨークにはハドソン川、ホテルはリバーサイド、川沿いリバーサイド、オ・オ・オ・リバーサイドと井上陽水も歌っている。
 東京なら隅田川、大阪なら淀川、料理は神田川。
 ……。
 では、名古屋はどうだろう。名古屋人以外の人に名古屋といえば何川を思い浮かべますかと訊ねてパッと答えが返ってくるだろうか? たぶん、ほとんど返ってこないと思う。名古屋人に同じ質問をしても、即答できる人は少ないんじゃないだろうか。アンケートをとってみると、庄内川や堀川という名前が上位に来るそうだ。まあそうだよなと思うけどはっきり納得できるわけではない。それくらい、名古屋に代表的な川はない。川そのものの本数が少ないわけではないのだけど。

 写真は堀川の貯木場(ちょぼくじょう)だ。貯木場と聞いても耳慣れない人もいるかもしれない。読んで字のごとく、木を貯めておくところで、場所は熱田神宮近く、対岸には白鳥庭園があるところだ。なんでこんなところに木を浮かべいるかといえば、それは堀川の歴史に関係がある。
 1610年、那古野台地に名古屋城築城を築城するとき、徳川家康が福島正則に命じて作らせたのが堀川で、物資を運搬するために使われていた。堀川周辺は海産物や米、木材などを扱う商人で賑わいをみせ、その名残が今に残っているというわけだ。名古屋城に近いあたりでは武家屋敷や古い商家跡なども面影を残している。
 名古屋城北の庄内川、矢田川から水を引き入れて、名古屋城西、納屋橋を通り、熱田に沿って、最後は名古屋港へ注いでいる。長さ16.2km。人工的な川ではあるけど、地理的にも名古屋を代表する川と言えるだろう。

 しかし、堀川に対する名古屋人の印象は悪い。かなり悪いと言った方がいいかもしれない。大阪の道頓堀川といい勝負だろう。特に10年くらい前までは濁りだけじゃなく匂いもキツかった。これじゃあいけないなと名古屋人も気づいたのは平成10年頃だったろうか。気づくのがかなり遅かったけど気づかないよりはましだ。平成11年からはかなり大々的に浄化運動が始まった。その効果が少しずつ出てきたようで、最近は昔に比べたらかなりきれいになった印象がある。匂いも感じないほどになった。
 それで気をよくしたか、去年堀川を下る屋形船が登場した。しかもただの登場じゃない。ものすごく名古屋らしい登場の仕方だった。その名も「サムライクルーズ」。和船三隻はそれぞれ「信長号」、「秀吉号」、「家康号」とネーミングされ、船体には大きく家紋が入れられ、船首には金のシャチホコまで乗っている。書いてるだけでなんだかめまいがしてきた。なんで名古屋ってこうなんだと、成田童夢のように地面を叩いて悔しがりたい気持ちになる。しかも、全然シャレとかじゃなく本気なのは間違いない。
 名古屋城から東海道五十三次のひとつ熱田の宮の渡しなどを通って名古屋港までの約18.8kmを1時間かけて下っていく。定期船ではなく、定員45名のところ、20人くらい集まったら運行してくれるシステムらしい。弁当付きでひとり2,100円~3,150円で応談だそうだ。なんとなくアバウトだなと思ったら、弁当の種類によって値段が違うという。やる気があるのかないのか分かりにくいけど、たぶん交渉次第では少人数での貸し切りにも応じてくれそうな気がする。20人2,100円でいいのなら、単純計算で42,000円でいいということかも? って、高っ! デートにしてもそれはちょっと高すぎるだろう。
 でも乗ってみたかったな、信長号。

 春になったら堀川沿いを名古屋城から出発して名古屋港まで自転車で行ってみるのも楽しそうだ。納屋橋や松重閘門なんかのちょっとした名所もあるし、それぞれの場所でいろいろな表情を見せてくれるだろう。ただし、私の折りたたみ自転車は全然前へ進まないのでゴールまでたどり着けない恐れがある。子供の自転車にも追い抜かれるし、わずかな坂道も登れない。それ以前にサドルが固すぎて30分も乗ってると、尻がもうやめてくれと猛抗議を始めるのでそれを黙らせるのが大変だ。あの自転車は運動になるとかならないとかいうレベルを超えた人に厳しいやつなのだ。折りたたみ自転車を買おうという人には、ギア付きでサドルにバネのクッションが付いてるやつをオススメしたい。お尻が人並み外れて固い人は別だけど。
 もし、信長号に乗りたいと思ったなら、19人集めて私に連絡してください。みんなで一緒に堀川でサムライクルーズを堪能しましょう。それにしてもサムライクルーズって、もうちょっとなんとかならなかったんだろうか。もしかしたら、外国人旅行者をターゲットにするつもりなんだろうか? スシを食って、ゲイシャが歌い踊り、サムライとニンジャが船の中を所狭しと格闘実演して、やいのやいのの喝采を浴びせる外国人観光客の様子が鮮やかに目に浮かんだ。

貧乏性仲間に捧ぐ、ケチケチッチキチーなカメラ保管法

カメラ(Camera)
ケチケチデジカメ保管法

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/20s(絞り優先)


 節約とケチは違う。無駄遣いしないことが必ずしも貧乏を意味するわけではないように。じゃあおまえは金持ちなのかと問われたら、自信を持って答えよう。否! と(自信を持つなよ)。
 しかし、金がないならないなりに楽しむことはできる。私は、あるときはあるだけパッと使い、ないときはないときでチマチマ使って、どちらも楽しむことができるというおめでたい人間だ。もすごく貧乏な経験をしたことがないからというのもあるのだろうけど、性格的な部分も大きいと思う。貧乏は恥じゃない、不便なだけだ。誰かが言ったそんな名言もあったっけ。
 くれぐれも、1円玉や5円玉がいっぱい入った海苔のビンとかを私に送ってくるのはやめてください。そんなに困ってませんので。

 お金に余裕のある人はカメラやレンズの保管に防湿庫なるものを買う。数万円から数十万円する。それほどまで神経質になりたくないって人はドライボックスを買う。湿度計が付いたカメラ用のものでも1,500円か2,000円だからそんなに高いものじゃない。それさえも買いたくないという人は私にお任せを。ケチケチ・カメラ保管法を紹介しましょう。
 ポイントはただひとつ、新聞紙にくるむこと、それのみ! それのみかよ!
 いやいや、新聞紙を侮っちゃいけませんよ。小学校のとき、雨降りの水たまりの靴でバシャバシャ入って遊んで、家に帰ってからお母さんが丸めた新聞紙を靴に入れておいてくれたら次の日はすっかり乾いていた、なんて経験をした人も多いはず。え? 時代が古いって? でも、それくらい新聞紙は湿気を吸い取るのだ。これをカメラに使わない手はない。
 新聞でくるんで、100円ショップで売ってるプラケースに入れて、お菓子の袋に入っていた乾燥剤を入れておけば、湿気なんて関係ないぜ、目じゃないぜ、お呼びじゃないぜ、となる。これでイヤなカビからも守られて万々歳、のはず。たぶん。きっと……。少なくとも、何もせずに部屋の中に置いておくよりは5割くらい安心感が増すというものだ。
 これなら100円で事足りる。うーん、なんて貧乏なんだ。いや、なんて節約上手なんだ、私。自画自賛。
 けど、古新聞ではさすがに貧乏くさいと思ったあなた。私もそう思って、ちょっと見栄を張って英字新聞にしてみた。決して毎日英字新聞を読んでいるというわけではないので、私を過大評価してはいけません。悲しい日本人の習性として、英字新聞だとなんとなくカッチョよく見えてしまうという典型的日本人の私。インテリアにさえなったような錯覚。G.I.のおじちゃん、ギブ・ミー・チョコレート、みたいだなと思わないでもないけど深く考えるのはよそう。英字新聞は今回オークションで安く買ったけど(2部で送料合わせて200円ちょっと)、街中の駅ならキヨスクにも120円かそれくらいで売ってるはず。使わない食器をくるんでおいたり、ちょっとした贈りもののラッピングに使ったりと、何かと利用できるので英字新聞はオススメしたい。

 オススメといえば、100円ショップにはカメラ用に流用できるものがいろいろある。特にこりゃいいやと思ったのが、写真にもある500ml用のペットボトル袋だ。これがレンズを入れるのにおあつらえ向きのサイズで、とても気に入って使っている。ショルダータイプにすれば、肩にかけて持ち運べるし、適度なクッション材が入ってるので鞄の中に入れて運ぶときも安心だ。家の中では保管用にもなるし、100円だからレンズの本数分買ってもたかが知れている。
 ただし、デザインや色は嫌がらせかってくらいイケてないものが多いので気をつけたい。なんでピンクとか水色とかなんだろう。素直に白や黒にしておいた方が一般受けするはずなのに。写真に写ってる持ち手が木のグレーのバッグは珍しくセンスがよかった。

 ついでに新聞紙の再利用法についても少し。「しんぶんし」は、読み終えたところで「しんぶんがみ」になる。これをまず自覚したい。読み終わったら捨てるだけのものじゃない。今は昔のように廃品回収もなくなったし、ただ捨てるのはもったいない。
 靴箱や押し入れに入れて湿気を吸わせる、タンスの引き出しに入れて防虫効果、野菜をくるんで長持ちさせる、料理の油を吸わせてゴミとして捨てる、ホームレスになったときに体に巻いて寝る、など利用方法は多岐にわたる。濡らしてガラスを拭くときれいになるというけど、その前に手袋をしないと手が真っ黒になってしまうので注意が必要だ。あとはやはり、定番として弁当箱を包む、だろう。昭和初期かよ! でも、あなたがもし高校生や中学生なら、明日の弁当箱は新聞紙にくるんで学校に持っていってみてください。きっとクラスの人気者になれるでしょう(なれるかなぁ)。

 カメラやレンズの保管湿度は30~50%じゃなきゃダメだぜ、なんていうシビアな人は認めてくれないだろうけど、思い切り安く済ますカメラとレンズの保管法として新聞紙と100円ショップのコラボレーション保管はオススメしたい。新聞はちょくちょく替えた方がいいです。新聞がなければコミック系の週刊誌なんかでも同じだと思う。
 あなたも明日から始めてみませんか、ケチケチ・ワンダフル・ライフ。
 念のため言っておくと、古新聞も送ってこないでください。

シジュウカラみたいなやつっているよねと思う

野鳥(Wild bird)
青空の中のジョウビタキ

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f6.3, 1/850s(絞り優先)


 スズメはチュンチュン、カラスはカァカァ、ヒヨドリはヒーヨヒーヨ、カモはガァガァ、と思って振り返るとアヒルだったりするけど、私に聞き分けられる野鳥の声は少ない。ピ・ピ・ピ~よこちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァと鳴くのは獅子てんや瀬戸わんやか鶴太郎だと分かるけど、若い人には何のことやら。
 それらに加えて最近もうひとつ分かる鳴き声が増えた。ツツピー、ツツピーという声がしたら、あ、シジュウカラだと思う。特に2月から春にかけて、人里近くにやってくるので聞く機会が増える。そろそろ彼らの求愛と子育ての季節が近づいてきた。

 目印はなんといっても喉から腹にかけての黒い帯模様だ。人はよく黒いネクタイにたとえる。私はラミレスのヒゲを思い浮かべる。きっとそれはごく少数派だと思うけど。
 頭も黒くて頬は白い。クチバシと足も黒色。こう見ると白黒ツートンに見えるけど、羽はうぐいす色をしていてきれいだ。特に光が当たると色がよく出て印象が変わる。
 ありふれた野鳥だけど私はけっこう好きだ。ヤマガラさんと共に見かけると嬉しくなる。
 腹の黒い線が太いとオスで、細いとメスだというんだけど、はっきりは区別がつかない。ペアでいるところを見れば分かると思う。写真のこれはたぶんオスだろう。

 人に対する警戒心も弱めだけど、他の野鳥に対してもフレンドリーというか妙になれなれしいところがある。子育ての時期はペアか単独行動だけど、それ以外は他の鳥たちとグループを作って過ごすことが多い。冬場は特にそうで、この日もメジロやジョウビタキたちと一緒にいた。他のカラ類やコゲラなんかともつるむ。といっても大きなグループではなく、5、6羽とかそれくらいの小グループだ。グループ行動のときは縄張りを守るというのではなく、一日エサを探してあちこち移動してるらしい。
 コガラやヒガラなんかのカラ類は木の実や種なんかを貯蔵しておくのだけど、こいつらは一切しない。宵越しの銭は持たないぜという江戸っ子みたいだ。じゃあ毎日せっせと勤勉にエサをとるかというとそうではなく、コガラなんかが貯めたエサを失敬してしまう。なんてずる賢いんだ。よく言えば要領がいい。
 一事が万事その調子で、巣箱も自分で作ったりはせず、あるものを使う。樹に開いてる穴とか、キツツキなんかが使った中古の巣とか、他の鳥の巣箱とかをリサイクルするエコライフ(?)。そこに動物の毛なんかを持ち込んで簡易巣箱の完成だ。産卵から巣立ちまでひと月ちょっとということを思えば、マンスリーマンションみたいなもので理にかなっていると言えるかもしれない。
 自分でとるエサでは昆虫とかクモとかが好物だ。種子や果実も食べるので、人間が餌付けすることもできる。ヒマワリの種や殻付きピーナツを庭に置いておくとやって来るんじゃないかと思う。何しろ人のエサをもらうのが好きなやつらだから。

 日本では留鳥で北海道から沖縄、南西諸島までほぼ全土に一年中いる。ただし、小笠原諸島や大東諸島にはいないらしい。一部の地域を除いてこのままテレビ中継を延長します、の一部の地域となってしまう悲しみみたいなものがここにもある。あの一部の地域ってどれくらいあるんだろう?
 世界で見ると、あまり寒いところと暑いところは好きじゃないようで、ユーラシア大陸の真ん中近辺に広く分布している。ヨーロッパからトルコ、インド、中国、マレー半島、ジャワ島あたりまで。
 基本的に低い山の森林なんかにいることが多い。冬場は人家や公園あたりにもよくやって来るようになる。
 亜種としては、オキナワシジュウカラ、アマミシジュウカラ、イシガキシジュウカラがいるそうだ。ヨーロッパにいるやつは腹が黄色いらしい。
 漢字で書くと四十雀。たくさん群れるからそう呼ばれるようになったとか、スズメ四十羽の価値があるところから名づけられたなどという説がある。はっきりしたところは分からない。
 言葉の響きだけだと、四十からに聞こえるかもしれない。シジュウカラ、シジュウカラ、と二回続けて言うと、人間は不惑の40歳からじゃないかと励まされるような気がしないでもない。誰が四十肩やねん! と思ったあなたは耳の老化が始まってるかも。
 ほとんどの人が知らないだろうけど、シジュウカラは70円切手のデザインになっている。いつ70円切手なんて使うんだ? 調べてみたら、「植物種子等郵便物」の50gまでが70円だった。って、そんなもの送らねえ。

 これから春にかけて、公園や住宅地でも見かけることが多くなるシジュウカラなので、ツイーツイーと声がしたら見てみてください。ラミレスのヒゲみたいな模様をしたシジュウカラがきっとそこにいます。ラミレスってのはですね、ええい、説明するのが面倒だから黒ネクタイにしておこう。プロ野球のヤクルト戦を観ると出てきます。ラミレスを見たらシジュウカラのことを思い出してくださいね。

義理チョコを 溶かして固めて 招き猫

風物詩/行事(Event)
チョコで招き猫

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/10s(絞り優先)


 ありがたくいただいた義理チョコを普通に食べるだけでは脳がない。いや、能がない。気が利いた男である私は(自称)、それで招き猫を作ることを思いついた。何故招き猫かと問うなかれ。思いついたのが、招き猫とモリゾーしかなくて、その中で招き猫を選んだに過ぎない。
 何しろチョコの彫刻は生まれて初めてなので勝手が分からない。まずはチョコを溶かすところで立ち止まってしまった。どうやって溶かすんだろう? ネットで調べてみたところ、湯せんすると書いてあった。なるほど、湯せんってことは湯飲みをお湯に浸けるんだな、と勝手に解釈して(たぶんそういうことじゃないと思う)、やってみたら上手くいった。えーと、固める場合、常温でゆっくり冷やすのですか? それとも冷蔵庫で一気に急速冷蔵? よく分からないけど、最初は常温、次に冷蔵庫にしてみた。

 待つこと30分。そろそろ固まったかなと取り出してみたところ、それなりに固まっている。これならいけるかもと、さっそく招き猫制作に入る。
 言い忘れていたけど、湯飲みでそのまま固めてみた(のちのちこれは大失敗へとつながる)。
 えーと、取り出せませんよ。まあ普通に考えたらそうだわな。湯飲みの中で固まったチョコが逆さに振ったくらいで都合良くポトリと落ちようはずもない。こりゃ弱ったぞ。早くも泣きが入る。こうなったらナイフで周りを切って中心部分だけでも取り出すしかない。で、やってみたところ、こりゃいけませんよ。周りはボロボロになるし、底がくっついて全然取れないし、第一まだ固まり方が弱くて途中でびろ~んと伸びて切れてしまった! わっ! しまった!
 焦った私は電気ストーブにチョコが残った湯飲みを近づけ、チョコをかき出した。そして先ほど取り出したチョコの固まりに無理矢理くっつけこねるべし! こうなったらやけっぱちだ。手打ちうどんのときのように手で丸めてしまえ。えいや! とぉ! よし、なんとか形になったぞ。
 その勢いで招き猫制作へとなだれ込む。まずは耳の部分から伸ばして、ううっ、伸びんっ。うわ! 取れた! と、早くも悪戦苦闘。チョコがこんなにもタチが悪いものだったとは。粘土のように伸びず、木のようにしっかりしていない。まったく言うことを聞かないやつだ。でもなんとかコブを作って、体の形を整える行程に入る。んがっ、手に持ってる背中の部分は温まって溶けてくるのに対して正面の顔の部分はどんどん冷えて固まってきて、もはや指でどうこうできる状態ではないのであります。招くはずの右手もこれ以上どうにもなりません。伸ばすのも削るのもままならないまま、いったん床に置く。手がチョコまるけでねちょねちょじゃん。もはやこれまでか!?
 こうなったらもう仕上げに入ってしまおう。もう? ナイフを取り出してきて、削ったり、線を付けたり、表面をなめらかにしていたら、なんとなく招き猫っぽくなってきた。はは。いいぞ、いいぞ。これはこれで素朴な味があるではないかと妙に納得してしまった。
 完成したのを見て、ひゃひゃひゃと、ひとりで受けて笑う私。バレンタインデーの夜、義理チョコで招き猫を作って大喜びの男、そんなやつは世界広しといえどもそうはいないだろう。今宵、私の部屋は平和に満ちていた。愛よりも、平和が大事と思いたい。

 こうしてここに2006年2月14日版チョコ招き猫は完成したのだった。全長8cm。重さ150g。世界でただひとつのチョコ招き猫、誰かいりますか?
 しかし、いろんな種類のチョコを混ぜてしまったんで、本来のチョコの色から遠ざかってしまったのが気になるところ。どんな味がするんだろう。クリーム入りとかジャム入りチョコとかも混ざってるし。食べようと思ったけど、冷蔵庫に入れておいたらガチガチになっていて食べられなかった。前歯を持っていかれそうな固さ。それはそうだ、なんといっても中身が詰まったチョコの固まりなんだから。折れた前歯で歯医者に行って、どうしたんですか、ケンカでもしたんですか、と訊かれて、いや、チョコ招き猫を作って食べたら歯が折れちゃいまして、なんて説明するのはイヤだ。
 でもこれ、自分で作る分には楽しかったけど、女の子にもらったらどうだろうと考えてしまった。きれいなラッピングをした箱を持った女性が、これ手作りしたんですけどよかったらどうぞと渡してくれて、わー、手作りですか、ありがとう、嬉しいな、と箱を開けてこれが出てきたらびっくり。ええぇぇ? ま、招き猫??? 意図が読めない。喜んでいいものやら誉めていいものやらリアクションに困ってしまう。笑顔も引きつるチョコ招き猫。将来のある女の子に手作りチョコ招き猫はオススメできません。上手い下手の問題ではなく。
 私個人の問題としては、ぜひまた来年も挑戦したいと思っている。今回は初めてということで完成度が低かったのが悔しい。二度目となればもっと上手く作れるはずだ。終わってから気づいたけど、温めたナイフなんかを使って形を整えていくとよさそうな気がする。もしくは、最初から型どりの段階である程度基本的な部分を作っておくという手もある。柔らかいアルミの板か何かで。
 早くも来年のバレンタインの義理チョコが楽しみになってきましたよ。ところで、本命チョコはどうしたんだ、私? あ、もらうの忘れてた。

ツバキとサザンカとの間で揺れる想いに負けないで

花/植物(Flower/plant)
ツバキかサザンカか

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-300mm(f3.8-6.3), f5.3, 1/140s(絞り優先)


 春の野草を探して日暮れ前に小幡緑地をうろついてみたものの、ついに花は見当たらなかった。オオイヌフグリは今いずこ? ヒメオドリコソウも踊ってない。仕方がないからツバキでも撮って帰るか、と帰ってきた。でも考えてみると冬に咲く花をほとんど撮ってなかったから、これはこれでよかったかもしれない。
 いや、ちょっと待て。これは本当にツバキなのか? サザンカではなく? この問題は去年も持ち上がって、結局分からないまま放置してしまったのだった。今回もいろいろ調べてみたけど、やっぱり確信は持てない。ツバキ確率は80パーセント。
 見分けるポイントは主に5つ。
 花ごとボトッと落ちるのがツバキで、花びらが一枚ずつ散るのがサザンカ。これが一番分かりやすい。のだけど、その情報はさっき知ったばかりなので今日は未確認。地面に花びらのじゅうたんができていればサザンカと思ってほぼ間違いない。
 秋から冬にかけて咲くのがサザンカで、早春に咲くのがツバキ。だったら写真のはツバキで決まりかと思うとそうもいかない。春に咲くハルサザンカがある。冬に咲くカンツバキもある。
 ツバキの葉にはギザギザがなくて、サザンカの葉は光沢があってギザギザが目立つ。となると、これってサザンカなの? とまた振り出しに戻る。
 太陽に透かすと、葉脈が白く見えるとツバキで、黒いとサザンカらしい。写真のこれは白?
 サザンカは香りが有り、ツバキは香りがない。これも未確認。
 で、どっちなんだよというと、やっぱり分からない。いまだ謎のままだ。謎はすべて解けない! ひいじいちゃんの名にかけて。

 これはオリジナルのヤブツバキではなく八重の園芸種に違いなくて、そうなると区別は難しいと思う。ツバキとサザンカの交配もあるらしいし、国産だけでもツバキが約2,200品種、サザンカでも約200品種あって、更に外国産もあるわけというから、私の手に負えるはずもない。ただ、公園に普通に植えられてるものだから、ポピュラーなものではあるはずだ。見る人が見たら一発で品種名も言い当てられるのだろう。
 ツバキのオリジナルであるヤブツバキは、本州の太平洋岸や東アジアで自生してるらしい。私は見たことがない(と思う)。花は一重で、赤色をしている。サザンカの自生地は沖縄、九州、四国、山口あたりと限られていて、花は白色をしている。
 ツバキは日本では古くから親しまれている花で、日本書記や万葉集にも出てくる。ツバキの木で木刀を作ったり、ツバキ油を整髪に使ったりしていた。灯火用の油にも使われて、その炎はとても美しいんだそうだ。ツバキで作った炭は高級品でお殿様への献上用だったとか。最近でも少し前まで木のハンコはツバキの木だったそうだ。
 鎌倉時代には園芸用にいろいろ品種改良され始めて、江戸時代に入ると一大ブームを巻き起こしたという。あの時代の人たちは急にヒマになってしまったもんだから、いろんな遊びや趣味、道楽を生み出した。
 ツバキは花がボトリと落ちることから武士には嫌われたという話もあるけど、ブームを戒めるために流された風説の流布だったという説もある。ただ、ツバキはほとんど家紋になってないそうだから、気分的にそういう部分ではちょっと避けようという風潮はあったのかもしれない。
 ヨーロッパに伝わったのは18世紀。イエズス会修道士ゲオルグ・ジョセフ・カメルによって持ち込まれて、19世紀には向こうでも大流行したという。アレクサンドル・デュマの『椿姫』やヴェルディのオペラでも有名だ。現在は、アメリカ、ニュージーランドなんかでも盛んに品種改良が行われているらしい。そしてますます見分けるのが難しくなっていくのであった。
 ヤブツバキの学名は「カメリア・ジャポニカ」。中国では「山茶」と表記する。日本の漢字「椿」は日本の文字で、サザンカの「山茶花」は、中国ではツバキのことを指すんだそうだ。名前までややこしいのかよ!

 そんなわけで、やっぱり今回もツバキとサザンカの見分けができないまま終わった。やっとマナカナを見分けられるようになったのに。この課題は今年の秋まで持ち越しだ。秋になってサザンカが咲いてきた頃、再び勉強しようと思う。サザンカをしっかり見ておけば、ツバキとの区別ももう少しできるようになる気がする。それと、見分けるポイントは地面にあるということもきっと忘れないようにしたい。
 春の野草は近いようで案外遠い。あとひと月もすればオオイヌフグリくらいどこの道ばたでも見られるようになるけど、2月の始めに見つけるのは思ったより難しいものだった。私の春はまだやって来ない。いろんな意味で。

料理回数20回記念で初のフレンチ・スタイルに挑戦

料理(Cooking)
初のフレンチサンデー料理

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/15s(絞り優先)


 前から一度作ってみたいと思っていたフレンチに今回初めて挑戦してみた。といってもフランス人が作ってレストランで出すようなのは難しすぎるので、日本人が作ったフレンチもどきにしておいた。フレンチのバッタもんと言った方がいいかもしれない。あるいは粉飾フレンチ決算とでも。
 苦戦するであろうことは作る前から想像できた。原田のジャンプが成功するか、私のフレンチが完成するかの勝負だ。って、原田~。やってくれたぜ、やせすぎで失格なんて聞いたことないぞ。私のサンデー料理をトリノまで届けて体重を0.2kg増やしてあげたかった。まったく毎回何をしでかすか読めない男だ。

 時間もかかるだろうということで4時に料理開始。食事予定は6時半。ひとつずつ確実に作っていけば大丈夫、そんなふうに楽観的に思えたのは開始から1時間半までだった。まだ何もできてませんが? はてな? 私は何をしてたんでしょう? 船木~と震える声で呼びかけてみたけど声は届かず。
 まさかフレンチがこんなに時間のかかるものだったとは。想像を超えていた。値段も高くなるはずだと妙に納得した。が、そんなことを納得してる場合じゃない。先を急がなくては。
 だんだん手順を考える頭が混乱してきて軽いパニック状態に陥る私。オロオロオロ。やや挙動不審。台所を行ったり来たり、冷蔵を開けては何も持たずに閉めてみたり、オーブンとレンジを同時に使ってブレーカーが飛んだりで、だんだんメロメロになってきた。そのとき私を救ってくれたのが今井メロのアニキである成田童夢だった。ものすごい張り切ってあの低い点数。奇声まで発していたのに。快い脱力感に襲われ、一気に緊張感が取れた。ありがとう、童夢。2回目での寸劇(?)もよかったです。劇団ひとりみたいだった。いっぺんにファンになった。お調子者もあそこまで突き抜けるとすがすがしいな。
 そんなこんなでドタバタしつつやっとの思い出完成させたのが写真の5品。料理開始から3時間が経過して、時刻は7時を回っていた。

 正直、作ることで精根尽き果てて、料理をしっかり味わう余力が残ってなかった。体力の限界……。気力もなくなり、ここにフランス料理を引退する決意に至りました。と、千代の富士の引退宣言のようにフレンチを引退したくなった。
 総合的に味は悪くなかったと思う。こりゃ美味しいとびっくりするほどでもなかったけど、味にまとまりはあった。家庭的フレンチとしてはまずまず合格だろう。ただ、苦労に見合う味かと自問自答してみると、ううむとうなってしまう。
 今回は味よりも初のフレンチ挑戦ということで完成にこぎ着けたことで納得したい。オリンピックにたとえるなら、初出場で6位入賞は上出来といったところだろうか。

 簡単にメニューの紹介をしておこう。今回はTBS「黄金のレシピ」の中からメニューを選んだ。
 ご飯はシーフードとキノコのピラフをノリと卵で巻いたものだ。バターで具を炒めたところにご飯を混ぜ合わせて、中華スープの素で炊いたあと、卵で巻いた。形を変えたオムライスとも言えるんだけど、いろいろ応用が利くし、弁当にもよさそうだ。
 その右は鮭のグラタン風。塩コショウした鮭に白ワインを浴びせかけてレンジで1分半。煮汁にマヨネーズと白みそを混ぜてソースを作る。耐熱皿に、軽く炒めたタマネギのスライス、輪切りのトマト、鮭、ソースを重ね、粉チーズとパン粉をまぶして、オーブンで焼いて完成。これは美味しいけど手間がかかる。
 右上は白身魚のテリーヌ。魚が2品といのは邪道だけど4品では少ないと思って追加した。白身魚とホタテをぶつ切りにして、通常だとフードプロセッサーでつぶす。のだけど、そんな気の利いたものは持てないのですり鉢でつぶす。ひたすらつぶす。って、つぶれんっ! 途中でイヤになって投げ出した。本来これはすごく凝った料理なんだけど、面倒になって途中から方向転換。ラップで茶巾しばりにしてレンジで3分温めて、卵黄とホワイトソースを混ぜたソースをかけてお茶を濁す。でも案外いけた。結果オーライ。
 真ん中上がこれまた難しくて失敗した。お湯に白ワインを入れて沸騰したら卵を割り入れてポーチ・ド・エッグなるものを作るんだけど、卵黄と卵白と分離してはぐれてしまった。わー。こんなことなら半熟のゆで卵を作った方がよかった。そこにジャガイモの千切りを周りにあわせてボール状にするというんだけど、まったく固まりませんです。てんでバラバラの状態で揚げなくてはならず、ひどくまとまりを欠いた料理になってしまった。ソースはトマトやワインを煮詰めたものを使っている。
 スープはサツマイモの牛乳スープ。見た目フレンチっぽい。サツマイモの甘みが他の料理とはあまり合わなかった。コースとして最初に飲んだら美味しかっただろう。

 フルコースでおなかいっぱい。今回もまた作りすぎた。量の加減が上手くできない。
 フランス料理と言うにはやや無理があるものの、フレンチ風ということで新しい一歩は踏み出せたかなと思う。料理回数20回ともなると私もそろそろ中堅と言ってもいいだろう(気が早すぎる)。最初に比べたらだいぶいろいろなことが分かるようになってきた。相変わらず野菜の皮むきが下手すぎるけど。
 30回、50回と経験を積んでいって、やがては本格的なフランス料理も作れるようになりたい。フレンチって楽しいかも。普通の料理は家庭科という感じで、フレンチは図画工作に近いものがある。工作は昔から好きだった。ソースで皿に模様を描いたりもしてみたい。フレンチ引退宣言撤回でここに現役復帰を果たした。私も挫けずに続けるから、原田よ、次のオリンピックも頼むぞ。

トリノオリンピックの予習と復習は抜かりない

建物(Architecture)
夕暮れ時の平和堂

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f6.7, 1/40s(絞り優先)


 オリンピックの開会式を見ると、オリンピックは平和の祭典なんだとあらためて思う。始まる前はただ競技が楽しみで、彼や彼女はメダルを獲れるだろうかとか、そんなことばかりを思いがちだけど、開会式はそういうことじゃないと思い出させてくれる。平和じゃなければ決してできない、それがオリンピックだ。かつての冷静時代のボイコット合戦を思い出してみればよく分かる。古代のギリシャでも、オリンピックの前になると戦争はいったん休憩に入ったという。

 写真は平和つながりということで、平和公園の平和堂にしてみた。見えてる像はオリンポスの神々、ではない。見た目中国っぽいな思ったら、やはり中国に関係があった。戦後復興事業のひとつとして1964年に立てられたこの堂の中には中国から送られた千手観音が安置されている。1941年に名古屋市と南京市は友好関係を結んで、十一面観世音立像を寄贈した見返りとして送られてきたものだ。しかし、そこには歴史的に微妙な影がある。
 というのも、その像の交換があったのは日中戦争のさなかで、当時の日本の傀儡政権とのやりとりであるから、中国からすると正式なものじゃないという思いがあるらしい。日本から送ったものは文化大革命のときにぶっ壊されてしまった。
 そんなわけで、ややいわくありげの観音像だけど、年に一度中を見せてくれるようだ(それがいつなのかはよく知らない)。高さ3.5メートルというから大きなものだ。この平和堂自体も写真ではちょっとした祠くらいに見えるかもしれないけど、実物はかなり大きい。見上げると首が痛くなるくらいだ(それは大げさ)。正確には知らないけど、ビルの3階か4階くらいはあると思う。

 さて、いよいよ今日からトリノオリンピックが始まるわけだけど、その前にオリンピックに関して少し復習しておこうと思う。
 古代オリンピックが始まったのは、紀元前776年(原型は数千年前からあったとされる)。オリンポス山にいる神ゼウスへの信仰や平和共存を願って行われるようになったという。日本でいうと縄文時代だ。オリンピアという土地で開催されていたことからオリンピックと呼ばれるようになったのは知っている人も多いだろう。この前のアテネオリンピックでも一部競技場として使われていた。
 最初の頃は男子のみで、不正を防ぐために全員全裸で競技が行われていたらしい。何故かコーチまで全裸だったというのはちょっと笑える。女子の参加が認められるようになったのはずいぶん後になってからのことだ。
 その後紆余曲折があり、ローマの皇帝テオドシオス一世統治下の393年、第293回オリンピックを最後に古代オリンピックは1,000年の歴史に幕を閉じることになる。ギリシャがローマに支配されてしまって、キリスト教の世界になってしまったから。
 近代オリンピックが始まったのは、1896年のアテネからだ。その間、1,500年間もオリンピックはお休みだった。フランスのクーベルタン男爵が始めようと言い出して、みんながそうだそうだと言って再開されることになった。近代オリンピックの歴史は意外と浅い。

 冬季オリンピックが始まったのは1924年、フランスのシャモニー・モンブランからだ。このとき日本は不参加。初参加は第二回大会からで、そのときはスキー競技に6人が出たもののまったく世界には遠かった。トリノオリンピックは第二十回にあたる。
 冬のメダルは思っているより少ない。夏の大会のようなメダルラッシュは期待できない。これまで獲得したのは、金8個、銀10個、銅13個しかなく、特別だった長野をのぞけば大会でせいぜい3個獲れれば上出来といったところだろう。
 今回もかなり厳しいと思う。日本のマスコミは持ち上げすぎだ。日本人選手の世界の評価はあまり高くない。フィギュアで村主か荒川がうまくいけばどちらかひとつ、スピードスケートの加藤条治が最も期待できて、アルペンスキーの佐々木明の評判がいい。あとはスノーボード・ハーフパイプの今井メロあたりがどうか。モーグルの里谷多英には一発大逆転をと願っていたのだけど、残念だった。上村愛も届かなかった。全部で4つと予想する。でも良い意味で裏切って欲しい。

 オリンピックは出場選手にとってはもちろん、観る側にとっても特別なものがある。オリンピックを観た後は必ず元気になるし、自分もやらなくてはと思わせてくれる。あそこには人間が描き出すドラマがあるから、私はそれを見たい。勝ち負けやメダルの数よりも。今回もきっとまだ私が知らないニューヒーローやニューヒロインが誕生してくることだろう。それを楽しみにしている。4年後まで覚えていられるようなシーンや選手が出てきてくれるだろうか。
 これからしばらく、深夜時間はオリンピックを観なければいけないので、更新はおそろかになると思う。といっても、文章が短くなるだけだけど(休まないのかよ)。
 なんにしても、これから2週間ちょっと、毎日楽しい日々が続くのが嬉しい私なのだ。

東築地橋から見える夕陽は個人的夕陽百選

名古屋(Nagoya)
ガーデンふ頭の夕陽

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f8, 1/90s(絞り優先)


 うちから一番近い海は名古屋港の海だ。それでも車で1時間以上かかる。一番近い砂浜がある海は内海(うつみ)海岸で、そちらは高速を使って2時間くらい。どちらにしても海は遠い、物理的にも精神的にも。だから、ときどき海が見たくなる。海は私にとって、とても非日常的な場所だ。
 熱田神宮の横を通って、堀川沿いに南下して辿り着いたのが写真の東築地橋。見えているのは名古屋港ガーデンふ頭で、ここからの夕陽は素晴らしかった。初めて訪れたけど、いい場所を見つけたと喜んだ。しかし、ここにはひとつ大きな問題がある。駐車スペースがまったくないのだ。皆無。有料駐車場はおろか、ちょっととめておけるような路上スペースもない。片道一車線の細い道で、脇道さえほとんどない。結局少し離れた路上にとめて橋まで走った。この日、この付近でカメラを持って走っている男を見かけた人がいたら、それは間違いなく私です。
 それにしても惜しい。公園とまではいかなくても、駐車スペースが少しでもあれば、ここは間違いなく素敵な夕陽スポットとなり得る場所だ。ほぼ真西を向いていて、正面にイタリア村やポートビルが見えるという最高のロケーションなのだから。周辺は工場や企業のビルが密集してるけど、なんとかここに公園を作れないものだろうか。でも、すぐ横にある東築地小学校の生徒や先生たちは毎日この光景を見られるのだ。恵まれていると思う。見慣れたら別に普通の景色と変わらなくなってしまうかもしれないけれど、それでも時が経ったとき、教室の窓から見えるこの夕陽は記憶に残っているんじゃないだろうか。

 名古屋港というと貿易の拠点というイメージだけで、昔から観光スポットではなかった。横浜や神戸のような港に比べて、レジャー施設の開発が大きく遅れた。この地方の人は名港(めいこう)と呼ぶのだけど、おしゃれなイメージを持っている人は少ないだろう。洗練されたウォーターフロントとは似ても似つかない悲しき名古屋港。せいぜい、輸出入総額国内第1位だということを自慢するくらいしかなかった。
 それが近年少しずつ変わりつつあるようだ。名古屋市もこのままじゃいけないと気づいたのか、やっとあれこれ作って観光地にしようとやる気を出し始めた。1984年にまず港のシンボルタワーであるポートビルを建て、でもいまひとつパッとしないので1992年に名古屋港水族館を作ったものの評判がもうひとつ。そこで、遊園地のシートレインランド、ショッピングモールのJETTYなどあれこれ継ぎ足していった。そして去年突然の思いつき(?)で作ったイタリア村が大成功をおさめることになる。最初は笑い話のネタになるかと思われたが、行ってみると意外にも良くて、評判が評判を呼び連日の大賑わいとなっている。これは今後の名古屋港のイメージを一新させてくれるきっかけとなるかもしれない。

 イタリア村なんていうと、テーマパークっぽいけど、実際は全然違う。港の一角に1950年代のイタリアの街並みを再現したショッピングモールだ。目玉はベネチアの運河もどきをゴンドラに乗って写真を撮られまくりながら遊覧するというものだ。いや、別に写真に撮られたくて乗るわけじゃなくてゴンドラに乗ることが目的なんだけど、どう考えても観光客の格好の被写体になってしまうことは免れないわけで、プライバシーの侵害だとか肖像権などを主張できそうにないから、乗るときは覚悟して乗らなければならない。イタリア人(と思われる)メンズが漕いでくれてベネチア気分に浸れる(はず)。
 あとはイタリアブランドのショッピングをしたり、イタリアンレストランで本場の食事ができたりで、行ってきた人の話を聞くとこれがけっこう楽しいらしいのだ。夜までやってるし、写真を撮るにもいい。ただし、カップル率が高いのでひとりで行くと寂しいから注意が必要だ。私はまだ行ったことがない(早く行けよ)。
 どうして唐突にイタリアかというと、名古屋はイタリアのトリノ市と姉妹都市だからだそうだ。もし姉妹都市がセルビアモンテネグロだったりしたら、ここはセルビアモンテネグロ村となっていたということになる。上手くイメージが掴めないけど、もしそうなっていたらきっと流行らなかっただろう。セルビアモンテネグロの人たちには申し訳ないと思うけど。

 名古屋港というと名古屋人はこのガーデンふ頭を思い浮かべる人が多いと思う。でも実際名古屋港は広い。ポートメッセなごや(名古屋市国際展示場)がある金城ふ頭や、ブルーボネットがある潮見ふ頭などを総称して名古屋港だ。個人的には、ガーデンふ頭から水上バスで行くワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」をオススメしたい。
 遊覧船もいいらしい。1,000円で名古屋港をぐるりと一周してくれて、名古屋港のあらたな面が見られるとか。昔この船は「金鯱号」という名の金色の鯱の格好をした船で一部マニア絶賛だったんだけど、何年か前に廃止になってしまった。とても惜しいことをした。名古屋人としては一生に一度は乗っておくべきだったのに。不覚。なんとか復刻してくれないだろうか。そのときこそ、恥ずかしさを蹴散らして乗船したい。

 1601年に熱田港として始まり、1907年名古屋港になってから来年で100年を迎える。何かイベントもあるだろうし、名古屋港というものを見直していきたいと思う。去年、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線も開通して、金城ふ頭へのアクセスも便利になった。南極観測船ふじや名古屋港水族館など見どころも多い。あまり知られてないけど中部圏最大85mの大観覧車もある(あれは妙に怖かった)。海の日の大イベントみなと祭り花火大会も見てみたい。名古屋中のヤンキーカップルが集まると言われている(ホントか?)。イタリア村もあわせて全部回ろうと思ったら一日では足りないくらいだ。知らない間に名古屋港は立派な観光スポットに生まれ変わっていた。おしゃれなウォーターフロントになる日は近い!?
 いや、やっぱり遠いだろうな。でもそれでこそ名古屋っぽいと言えるから、あれはあれでいいのだ、きっと。ただ、東築地橋周辺の整備だけは考えてもらえないかなぁ、名古屋市長の松原さん。
 この日ここで見た夕陽を私はきっと忘れない。個人的夕陽百選に入った。

魅惑の「パルティせと」があなたを呼んでいる

建物(Architecture)
S1pro的パルティせと

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f3.8, 1/30s(絞り優先)


 瀬戸電の始発駅、尾張瀬戸駅の隣にでんと大きく構える駅ビル「パルティせと」。昼間も目立つけど、夕暮れどきになるとその目立ち度は更に増す。キャンパスのアイドルが夜の街へ繰り出す前みたいに(そのたとえはどうなんだろう)。
 それにしてもS1proのこの画質、すごいことになってるな。実物はこれほどまで派手じゃない。狙ってこんなふうに撮ったわけでも、レタッチソフトで大きく加工したわけでもないんだけど、S1proで撮るとこんなことになってしまう。面白いからこのままにしておこう。
 不夜城、そんな言葉が頭に浮かぶけど、瀬戸はそんな街では全然ないので、間違えないでくださいね。歴史のある瀬戸物の静かな街なんです。

 なんでこんなところにこんなものが建ってしまったかといえば、それはもう愛・地球博のせいに他ならない。瀬戸会場の玄関口として尾張瀬戸駅周辺は大きく様変わりした。道路が整備され、街は小綺麗になり、いくつかの新しい建物が建った。その中でも象徴的な存在が、この「パルティせと」と「瀬戸蔵」だ(瀬戸蔵の方はまた別の機会に紹介したい)。
 完成が2005年2月19日だから、できてからそろそろ一年になる。私はまだ入ったことがない(ないのかよ)。地上6階、地下2階のこのビルは当初、13階建ての高層ビルステーションになる予定だった。ホテルも誘致すると張り切っていたが、それを幻とさせたのはオオタカだった。
 という説明では地元民以外には分かりにくいから簡単に説明すると、愛知万博は最初、瀬戸市の海上の森(かいしょのもり)を会場に開催される予定だったのが、森には絶滅のおそれがあるオオタカが棲んでいるのが見つかって、会場は長久手町の青少年公園へと移ってしまったのだ。あーれー、と瀬戸の人々は思ったに違いない。名古屋オリンピックが直前でソウルオリンピックになってしまったみたいに。もし、愛・地球博が瀬戸で行われていたら、このビルは13階になっていた、というわけだ。

 ここに至るまでにはそんな事情もあって、あちこちに中途半端な感じが見え隠れする。万博は確かに必要だった。ここから瀬戸会場へのシャトルバスなども出ていたし、訪れた県外の人や外国人に対しても見栄えはよかっただろう。ただ、万博が終わってしまった今となっては、これはむしろ贅沢すぎる建物となってしまっているんじゃないだろうか。市民交流の場としての位置づけであるけど、今後それほど活用されるのかは怪しいし、入ってるテナントが何かを物語る。
 3階から上は市民プラザ、会議室、アリーナ、フィットネスなどで、それはいい。今後も市民の交流や活動の拠点となるだろう。問題は店だ。カフェ、コンビニ、旅行代理店までは納得のラインナップとしても、フルーツジュース専門店にパソコンスクール、花屋、美容院あたりでアレレ? と感じ始め、それに続くのが、うどん屋、たこ焼き専門店、台湾ラーメンとくると、おいおい、それでよかったのか、と他人事なら心配になる。
 2階には、居酒屋、英会話、学習塾、歯医者、和風レストラン、カフェ&レストランという顔ぶれ。何かが足りないような、どこかが違うような、私を不思議な感覚へと導く魅惑のラインナップ。そして、この外観とのギャップ。ファッションビルではないことだけは確かなようだ。
 どうやらこの原因のひとつに、テナント料が高すぎるというのがあるようだ。周辺に比べて倍くらいするという話で、当初なかなか借り手が見つからなかったらしい。それで、第3セクターに買い取らせたりなんかしたもんだから、ややこしいことになってしまった。なのに、なんでたこ焼き屋さんや台湾ラーメンが入ってるのかが不思議ではある。

 パルティせとのパルティとは、「出発する」という意味のフランス語パルティール(Partir)やイタリア語のパルティーレ(partire)から来ている言葉で、全国公募で選ばれたそうだ。せと、いきまーす! と勢いよく空に飛び出していく仕掛けになっていたらもっと楽しかったのに(それは無理)。
 最上階に登って、レストランで食事でもしながら瀬戸の街並みを見下ろしてみれば、そこには1万ドルくらいの夜景が広がって……。
 って、6階はカイロプラクティックかよ! 骨をバキバキやられてアー! ウー! ヒー! などと叫びながら瀬戸の街並みを眺めるのもこれまた一興。
 いろんな意味で魅力満載のパルティせと、ぜひ私も一度は訪れたいものだ。地下駐車場が1時間無料で、その後も1時間100円というのが素敵だ。中で軽くうどんで腹ごしらえをして、そのまま周辺の瀬戸を散策するのがオススメのコースだ。瀬戸焼の店を見て回ったり、散策コースもある。ビルの中ではフィットネスも一回200円と、市民プールのような値段で楽しめるし、それでまたおなかが減ったら台湾ラーメンを食べるとよいでしょう。半日たっぷり遊んでも1,500円くらいで済みそうだ。
 あなたもだんだん行きたくなーる、行きたくなーる、パルティせと。ただし、この写真のイメージを持っていくと、実物との差がありすぎて見つからない可能性があるので注意が必要です。

トキのようにはならなかったカワウのゆくえ

野鳥(Wild bird)
白と黒のニアミス

FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f5.6, 1/350s(絞り優先)


 最近川や池でカラスじゃない黒くて大きな鳥を見るけどあれはなんだろう、と思っている人がいるかもしれない。鳥に少しでも興味ある人にとっては知ってて当たり前だけどそうじゃない人は案外知らない鳥がいる。カワウ(川鵜)はその代表なんじゃないだろうか。そして鵜だと知ると、ああ、あれがそうなんだと納得するというのがありがちなパターンだと思う。ただ、鵜飼いで使ってるのはウミウ(海鵜)を飼い慣らしたもので、このカワウとは別の種類なのだけど。
 冬の牧野ヶ池は水鳥のタコ部屋のようにいろんな種類のやつらが集まっていて、寄り合い所帯のようににぎやかだ。マガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、コガモ、コサギ、アオサギ、アヒル、アイガモ、などなど。ミコアイサのオスもいた。写真のように別の種類の鳥がニアミスなんてこともしょっちゅう起こっている。コサギの思いがけない急接近に驚くカワウたち。ケンカしたらカワウの方が強そうだけど、ケンカはしない。他のカモたちともけっこう仲良くやっているようだ。

 ウミウは実物を見たことがないからよく分からない。カワウととてもよく似ているらしい。ウミウは光に当たると体が緑色っぽくて、カワウは茶色っぽいとか、目の下の黄色い部分が三角形に尖っていたらウミウだというんだけど、並べてみないとよく分からない(私には)。海にいるからウミウというわけでもなく、カワウも海にいるからややこしい。長良川の鵜飼いを見れば分かるようになるかもしれないけど、あれは夜だからどうなんだろう。どうして鵜飼いはウミウを使うかというと、あちらの方が体が大きくて潜水能力が高いからだそうだ。
 オスとメスの見分けも難しくて、基本的には同色で、オスの方が少し大きいというのだけど、区別はつかない。
 体はカラスのように真っ黒のようでいて、よくよく見るとウロコっぽい模様がある。クチバシは白っぽいグレーで、根元はオレンジ、目は光が当たると緑色だと気づく。明るいときに顔をアップで撮ると意外ときれいな鳥だと見直す。婚姻色になると頭が白髪みたいに白っぽくなって、その姿もなかなかお洒落さんだ。

 ウミウは水陸両用に体が作られている。足は木の上にもとまれるように四本の足指を持ちつつ水もよくかけるように水かきが付いていて、羽や体は潜水しやすいように脂肪を余り付けないようにしている。だから、洗車を怠けがちな私のインテグラのように水弾きがとても悪く、飛ぶときはまず羽を乾かしてからじゃないと飛べない。よく羽を広げたポーズを見かけるけど、あれは羽を広げて乾燥させているのだ。威嚇してるわけじゃない。
 素早く飛ぶことを諦めた代わりに潜水は得意だ。水深1メーターくらいのところから深いところでは9メートルも潜るそうだ。1分以上も潜っていられるというから、鈴木大地のバサロ泳法にも対抗できるかもしれない。とりあえず飲める魚は全部飲むというスタンスで好き嫌いは言わない。鵜呑みというくらいだから丸飲みしてしまう。ただし、水中で飲み込むことはなく、必ず水面に顔を出してから飲むという習性があるため、鵜飼いに採用されてしまった。水中で飲んでおけばいいのに、と今更アドバイスしても遅い。
 水に浮いてる姿はカモの仲間っぽいけど、実はペリカンの仲間だ。だから図体も大きい。大きいやつは全長1メートル、羽を広げると1メートル60センチくらいになる。ナイナイの岡村より大きい。

 世界の分布は広く、ユーラシア大陸、オーストラリア、アフリカ大陸、北アメリカ大陸北東部あたりまでいるそうだ。日本では沖縄と北海道をのぞく全域にいる言われていたけど、近年は気候の変化もあってか、北海道や沖縄でも見られるようになったらしい。
 今ではこんなにありふれた鳥になったカワウも、かつて日本が高度経済成長期だった1970年代に激減して、全国で3,000羽程度まで減ってしまったことがあった。そのままいけばトキのような運命を辿ると思われたカワウだったが、何を思ったかそこから急激に巻き返して激増した。今では5万から6万羽くらいになってしまった。すごいリバウンドだ。でも、数が増えたことで今度はいろいろ問題が出てきた。フンで貴重な木々を枯らしてしまったり、食用旺盛すぎて魚を食べ過ぎたりで、困っているところもたくさんある。琵琶湖なんかでは漁師さんより漁獲量が多いらしい。食いしん坊は一日400g以上も魚を食ってしまうとか。どんだけ食うねん、ってツッコミが入っている(実際はけっこう深刻)。
 数が激減して大事にされていた方がよかったのか、増えすぎてやっかいもの扱いされてもたくさんいる方がいいのかは難しいところだ。でも絶滅しなかったことだけは喜びたい。

 そんな一般人には見向きもされず、鳥好きの間でもファンが少なく、漁師さんには好かれていないカワウだけど、今後ともたくましく生きていって欲しいと思う。たくさんのカワウが生きていけるということは、それだけ日本の水場が豊かだという証でもある。そのことを喜びたい。
 これを読んだあなたは、カワウに関する知識を鵜呑みにして、川沿いを散歩している途中で見知らぬおばさまが指差してあれはなんて鳥ですかと訊いてきたら、飲み込んだ知識を丸ごとはき出してあげてくださいね。

すべての人が大空への憧れを抱いているわけでもない

飛行機(Airplane)
水色の空に水色の飛行機

FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f6.7, 1/160s(絞り優先)


 飛行機の音がして空を仰ぐと、水色の空に水色の飛行機が飛んでいた。飛行機野郎じゃないけど、飛んでいるものを見ると反射的に撮ってしまいがちな私。水色とは珍しい。何かのイベントで使われるやつだろうか。なんだか平和な光景だなぁ、とそのときはのんきに思っていた。
 帰ってきて調べてみると、あれはイラクのサマワに飛んでいる自衛隊の輸送機だと分かった。平和な光景なんかじゃなかった。いや、逆の意味で平和を象徴する飛行機だとも言えるかもしれないけど。
 北へ向かっていったから、イラク帰りで小牧空港に向かっている途中だったのだろうか。そういえば、イラク派遣は小牧空港からも飛び立っているんだった。水色というのは、サマワへ行く隊員が水色の帽子を被っていたような気がする。いや、あれはPKOのときだったか。興味が薄いものに関しては見てるようで意外と見てないものだ。でも悪い色じゃない。意外性があっていい。迷彩では物々しいし、ミッキー・マウスのカラーリングでは問題がある。

 今日は自衛隊のイラク派遣について書こうと思ったんだけど、調べているうちに気が滅入ってきたのでやめにした。基本的にモメごとは嫌いだし、言い争いにも参加したくない。もっと仲良くやろうよと思ってしまう。正しい正しくないはともかくとして、自衛隊には無事帰ってきて欲しいと思う。
 とうことで、写真の輸送機C-130について少し調べたので書いてみる。
 田中角栄への賄賂で一躍有名になったあのロッキード社のベストセラー輸送機であるC-130。最初に作られたのは1954年で、その後改良を重ねて、50年以上経った今なお作られているという。輸送機のカップヌードル的存在と言ってもいい。今でも60ヶ国以上で使用されていて、日本は1984年にC-130H型を16機買ったというから、これもたぶんハーキュリーズ(ヘラクレスの英語読み)なんじゃないかと思う。だとしたら22年落ちだ。飛行機ってかなり長持ちするんだ。知らなかった。車は10年過ぎるとけっこうガタがくるし、20年以上はよほど大事に乗らないと走らない。ただ、飛行機は高いから3年ごとに新車に買い換えるというわけにもいかないだろう。
 全長は約30メートル。翼を入れた幅は40メートル。輸送機ということで図体は大きめ。そのわりには定員は6人と少なめ。ただし、貨物のところに乗っていけばたくさん乗れる。離着陸のときはコントみたいに転がりそうではあるけど(内PのB級芸人ワゴンを思い出す)。
 エンジンは4つで、全部合わせると2,000馬力。これは馬2,000頭が引っ張ってるのと同じ力ということだ。飛行機を飛ばすのにそんなに馬がいるのかと思うと、なんだかすごいなと感心してしまう。最高速度は600キロ。馬はそんなに飛ばせないから、馬力というのはどうなんだろうと思う。それに21世紀になっても馬換算というのは笑える。

 とまあ、こんな感じのC-130輸送機なんだけど、そんな解説聞いてもちっとも気分が盛り上がってこないぞと思ったあなた、私も同じです。なにー、自分で書いてるくせにー。
 空への憧れが人並み外れて弱い私。この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ~♪と「翼をください」を歌われて、キミもそう思うだろ? と同意を求められても、そうでもないです、と答えてしまいがち。前世で鳥をやったことがないからか、それとも鳥ばっかりやってきたもう飛ぶのに飽きたのか? 夢の中では空を飛んでるけど、そのときは好きで飛んでるわけではなくて、たいていもう帰らなくちゃいけない時間なのに遠いところにいて間に合いそうもないから飛んでいくというパターンがほとんどだ。
 ゲームのフライトシミュレーターも苦手で、すぐに墜落してしまうし、下手すると離陸さえできなくてずっと地面を走り続けて管制官に叱られたりしてしまう。早く着陸しろと言われてもちょっと待てと空港の上空を無意味に旋回して決心がつかず、思い切って着陸すると急角度で地面に突き刺さったりする。地面がぐんぐん迫ってくるあの感じは、ゲームながらとっても嫌だ。車の事故を連想させるから。ずっと昔、FM-7でやった着陸するだけの飛行機ゲームでさえ楽しめなかったから、よほど相性が悪いのだろう。ゲーム自体は苦手じゃないんだけど。
 こんな私だから、パイロットに憧れたりしなくてよかった。まかり間違って合格してしまったら、優柔不断さと必要以上の思い切りのよさが同居するとても危険なパイロットになってしまっただろう。フライトアテンダントのお姉さんとお知り合いになるよりも、地べたで安全に生きる方を選びたい。客としても飛行機には乗りたくないものだ。きっと一生、「航空ファン」を買うこともなく、ブルーインパルスのショーを見に行くこともなく、フライトシミュレーターも苦手なままだろう。ただ、飛行機の写真だけは今後も撮っていきたいと思う。飛んでる鳥よりは簡単だから。新しくできた、中部国際空港にも早く行きたい。もちろん、乗るためじゃなく写真を撮りに(まだそんな人いるのかなぁ?)。
 もしかしたら、そこで突然航空機ファンになってしまったりするのだろうか、私!? そのうちC-130の機体の種類を全部言えてしまったりして? 万が一、小牧基地航空祭で嬉しそうに飛行機を撮ってる私を見かけたりしても、遠くから暖かく見守ってください。そうなったらそうなったで、たぶん、見ていて痛々しいくらい必死に撮ってると思いますから。マイ脚立も買わないといけないか? いや、脚立は評判悪いから、ここはオリジナリティを出して竹馬にしよう。でも、竹馬に乗ったまま小牧空港入れてくれるのかなぁ? それより、竹馬に乗ったまま写真が撮れるかどうかを考える方が先だぞ、私。

一時間漬けで獲得したツグミに関する知識のすべて

野鳥(Wild bird)
今シーズン初ツグミ

FUJIFILM FinePix S1 Pro+NIKKOR 70-300mm (f4-5.6D), f6.7, 1/470s(絞り優先)


 最近つぐみを見かけないけどどうしてるんだろう? 痛々しいけど切なくて愛おしい映画、『月光の囁き』では素晴らしい存在感を放っていたのに。と思ったら、2005年公開の塩田明彦監督作品『カナリア』の脇役で出ていた? 知らなかった。近いうちに観てみよう。

 今日は女優のつぐみの話でも、カナリアの話でもなく、野鳥のツグミの話をしようと思う。例によって一夜漬けよりもずっと浅い一時間漬けで獲得した知識を余すことなく開陳して見せます。
 ツグミの人気度は、鳥見、鳥撮りの人たちの間ではさほど高くないように思う。少なくとも、出会ってわぁ嬉しい、ってほどではない。冬鳥としてはありふれていて、あまりありがたみを感じないからだろう。でも、ヒヨドリよりは人気がある。ムクドリよりも上だろう。芸能人でいうと、ふかわりょうくらいの人気度かもしれない。おいおい、それは失礼だぞ、ふかわりょうじゃなくツグミに、という声が飛んできそうだ。ヒヨドリを磯野貴理子とすると、ツグミはえなりくんくらいかもしれない。ある意味人気者?
 そんな人気があるんだかないんだかよく分からないツグミだけど、今シーズンは妙に少ない気がする。去年から探すともなく探していてなかなか姿を見つけられなくて、今日やっと撮ることができた。まだ木の上で警戒心が強い。昨シーズンなら、もうある程度人に慣れて地面でチョコマカしてたのに、どうしたんだろう。渡り鳥はその年によって飛来する数がかなり違うことがあるから、こういう年もあるといえばそうなんだけど、今年は特別少ないんじゃないだろうか。渡ってくる数はエサになる木の実の量が関係してるようで、渡りの途中でたくさん食べ物があるとそこで冬を過ごしてしまうんだそうだ。今年の日本の寒さも影響してるのかもしれない。

 日本にやって来るツグミのコースは主に2つあると言われている。ひとつは、シベリアからサハリン、北海道を経由して本州にやってくるコースで、もうひとつは日本海を直接越えて能登半島などから入ってくるコースだ。陸路と海路とどちらを選ぶのか、彼らがどういう基準で決めてるのかは知らない。飛行機が苦手な人間が新幹線で移動するのと同じようなものかもしれない(それは違うだろう)。体力に自信のあるやつは海の上を渡ってくるんだろうか。
 渡りは集団登校のように固まってやってくる。季節は秋のはじめ10月頃だ。最初は様子見で、山の林などでみんな集まって過ごす。そして冬になると解散となって、あとは春まで各自自由行動となる。年を越して暖かくなる頃にはだいぶこちらでも生活にも慣れてきて、民家の近くや公園まで降りてくるようになる。単独で行動してる姿をよく見かける。その後桜が咲く頃になると少しずつ繁殖地であるシベリアやカムチャツカ半島へと帰っていく。のんびり屋さんはゴールデンウィークあたりまでいることもある。

 写真のこれはたぶんオスだと思う。基本的に雌雄同色で、メスの方がやや色が浅いと言われる。ただ、個体差が大きくて、けっこう柄が違ったりする。斑点の感じとか、翼の茶色味の濃淡とか、眉の濃いのや薄いのや、いろいろいる。遠目だとヒヨドリに見えたりするけど、目印は羽の茶色と、黒いアイラインに村山富市元首相のような白い眉だ。
 写真ではスズメくらいの大きさに見えるかもしれないけど、実物はけっこう大きい。小鳥の域ではない。スズメが約14センチくらいで、このツグミは24センチだから、大きな足をしてる女の人は自分の足を見てみてください。それくらいです。尾っぽまで入れてだから、見た感じはそんなに大きくないけど。大丈夫、足の大きな女の人は私嫌いじゃないですから(どんな慰め方だ)。
 エサは木の実と昆虫の二本立て(名古屋では昔すべての映画が二本立てだった)。秋口は木の実をよく食べ、冬から春になると地面に降りてきて昆虫やミミズなんかを食べる。熟した甘いカキも好きだ。郊外の庭のある家に住んでる人は、テーブルを用意してカキをさりげなく置いておくと、ツグミとカキ泥棒の姿を見られるかもしれない。

 ツグミという名前の由来は、口をつぐむ(噤む)から来ていると言われている。ただ、渡ってきたすぐはおとなしいからそう呼ばれるのか、渡っていくと静かになるからそう言われるのかはよく分からないらしい。ツグミってそんなにうるさい鳥ではないんだけど、どうなんだろう。
 漢字で書くと、「鶫」。和製漢字で中国漢字ではない。中国名は知らない。英名はDusky Thrush。
 亜種ツグミと、稀に赤色っぽい亜種ハチジョウツグミも日本にやって来るそうだ。

 ツグミがキュートなのは、その地面を歩く姿だ。チョン、チョン、チョン、と跳ねるように3歩ほど進んでは止まり、背筋を伸ばしてあたりを見渡す。ペンギンのように。そしてまたピョン、ピョン、ピョンと跳ねながら進み、止まって遠くを見ている。警戒心は強い方だ。
 これはツグミの不幸な過去と無縁ではないかもしれない。かつてツグミは大柄な体と肉の美味しさから食用とされた悲しい時代があった。かすみ網でたくさん捕まえられて焼き鳥にされていたのだ。なんてことをしてたんだ昔の人は、と怒りながら「世界の山ちゃん」の手羽先を食べる私たちは、やっぱり懲りてない。でも、ここ最近になって野生動植物や自然環境の保護と言うことが盛んに言われるようになったのは、そんな不幸な過去があったからこそだとも言えるわけで、そういう部分でも人は進歩、成長してることを喜びたいと私は思う。ツグミにも絶滅危惧種なんかにならずたくましく生き延びてくれてありがとうと言いたい。
 向こうに帰る春はまだ少し先だから、もうしばらく日本でのんびりしていってくださいね、ツグミくん。

突撃私の晩ご飯が夏頃前倒しで始まるって本当ですか?

料理(Cooking)
手抜きに見えないサンデー料理

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.9, 1/17s(絞り優先)


 先週のサンデー料理は手間暇かかってるのに手抜きに見えてしまって悔しかったので、今週は手が込んでいるように見えて実は簡単な料理というテーマで作ってみた。写真を見比べると、どう見ても先週の方が簡単そうだけど、実際は今回の方が3分の1くらいしか手間暇がかかってない。人も料理も見た目だけでは分からないということだ。
 作るのが楽だと気持ちにも余裕が生まれる。6時を回ってもまったく穏やかな精神状態で、たとえこんな時間帯に外国人が聖書を売りに来てもニコやかに対応できたと思う。わて、浄土真宗でんねん、とか適当なことを言って優しく追い返しただろう。

 今回のメインはボルシチ。前にロシア料理を作ったときにこれは作らなかったのでずっと気になっていた。寒さがやわらぐ前に作っておかないと、来年までサンデー料理が持つという保証はない。
 時間はかかるけどボルシチは簡単だ。ビーフシチューより手間がかからない。ボルシチのはっきりした定義は分からないのだけど、たぶん肉煮込みでいいんだと思う。牛のバラ肉やすじ肉と野菜を煮込んだものの総称をロシアではそう読んでいるんじゃないかと想像する。作り方や使う食材にもきっちりした決まりはない。
 安い牛肉を2cmくらいに切り分けて、まずはお湯で煮込む。アクを取りながら30分か1時間くらい。ジャガイモ、ニンジン、キャベツなどを基本とした好きな野菜を、バターで炒めて、トマトかトマトペーストを加えて軽く炒めた後、煮込んだ肉の中に投入する。味付けはコンソメの素などで。お好みに合わせて塩、コショウ、白ワイン、ケチャップ、酢などを適当にドボドボ入れる。ボルシチにルールはない。仁義なきボルシチ煮込み。本来はここにビーツなるものを入れてこそのボルシチらしいんだけど、そんなものは見たことも聞いたこともないので却下。サワークリームも省略。ただ、サワークリームだけは入れてまろやかさを出した方がいいかもしれない。トマト味なのでけっこう酸味がきつくなるから。
 味の方はどうかというと、ボルシチなんて食べたことがないのでよく分からない。基本からどれくらい逸脱してるのかも比較のしようがない。肉煮込みスープとしては美味しかった。でもちょっと変わった味ではあった。これがボルシチってものなんだろうか?

 ご飯はカニチャーハンにした。ボルシチの味が強いから、白いご飯だと負けてしまう。チャーハンやピラフくらいにした方がボルシチに負けなくていいと思う。
 ところでチャーハンとピラフの違いを知ってるだろうか? 常識? 私はつい最近知ったのだけど、炊いたご飯を炒めて作るのがチャーハンで、生米を炒めてスープを加えて炊くのがピラフなんだそうだ。そんなにはっきりした違いがあるとは知らなかった。単に中華はチャーハンで、洋食がピラフと呼ぶのだと思っていた。
 ということでこれはチャーハンだ。ただし、米を炊く段階でチキン味の粉末スープを入れてるので、普通のチャーハンとは少し違う。卵も使ってないし、しょう油も入れてない。ご飯はバターで炒めて、味はカニの缶詰とチキンの素で付けている。こういうチャーハンもなかなか美味しいのでオススメしたい。

 最後にオムレツみたいに見えてるのはアジの卵包み蒸しだ。これも簡単で美味しくて応用も利くので覚えておいて損はない。おろしたアジの骨と皮を取って、塩コショウを振って10分寝かす。その間に卵をとじて、粉チーズと刻んだパセリをたっぷり入れてかき混ぜておく。その後、卵とじの中にアジを入れて混ぜまぜして、フライパンで焼く。卵が固まったところでひっくり返して、上から残りの卵とじをかけて、ナベのふたをして5分くらい蒸し焼きにしたら完成だ。
 ソースはケチャップ、ウスターソース、マスタードを混ぜたものにしたけど、もっと簡単にデミグラスソースでもいい。今回はボルシチに合わせるということで、これも強めのソースにしてみた。しょう油系のタレにすれば和風になって白いご飯にも合うはずだ。

 今日のサンデー料理は危なげがなかった。作る行程においても、味も、精神状態も。逆に波乱がなさすぎて物足りないくらいだった。冒険心が足りなかったか!?
 親しい友人、知人を晩ご飯に招待するくらいなら問題のないレベルだ。それなりに納得してくれるだろう。まだまだ家庭料理レベルではあるけど、総料理回数約20回の中ではベスト3に入るのは間違いない。
 この調子でいけば、突撃私の晩ご飯企画は、年末ではなく前倒しで夏の終わりくらいには始められそうな気がしてきた。でも、まったく見ず知らずの人の家に行って、突然両手に抱えた料理を差し出して、これ私が作ったんですよ、よかったら食べてもらえませんか、と言って果たして人は食べてくれるものなのだろうか? カメラマンもなく、有名人でも、かわいい女の子でもない一般男性の私だけど。想像してみて欲しい。夕飯どき、家のチャイムが鳴って出てみると見たことがない男が料理を持ってにっこり微笑んでいるシーンを。あなたはその男を家に招き入れて、そいつが持ってきた料理を口にするだろうか? 訪問した先がたまたま若い女の子の部屋だったりしたら、通報されて逮捕されてしまうんだろうか? どんな罪で?
 もし、夏頃、テレビからそんなニュースが流れてきたら、ああ、とうとう捕まったかと思ってください。そして、何か差し入れをお願いします。

白菜は何にも言わないけれど白菜の気持ちはよく分かる

風景(Landscape)
白菜畑と水色の空

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f10, 1/110s(絞り優先)


 見渡す限りの白菜畑と大きな白い雲を浮かべた水色の空。夏みたいな、冬らしいような、そのどちらでもないような光景が突然目の前に表れて、思わず車をとめて写真を撮った。自分が今どこを走っているか分からず迷子になっているという現実をしばし忘れて。
 えーと、ここはどこですか? 無数の白菜たちに向かって訊ねてみた。しかし、白菜は寒風に吹かれたまま黙して語らず。ひと言お願いします、何かコメントを! 粘ってみたけどノーコメント。半落ち以前の完黙。
 しょうがない、窓を閉めて、もう一度地図をよく見てみる。上下逆さまにしたり、目を閉じてどこで曲がったかを思い出したりしながら。太陽はあっちだから、今は北へ向かってる? いや、東か? 地図には白菜畑なんて載ってないなぁ。
 あ、車が追い越していった。よし、あれの後を追おう。じゃ、白菜くんたち、そういうことで。わー、待ってくれー。車は細く曲がりくねった道をすっ飛ばしていき、みるみる小さくなっていく。

 今日は白菜について学習してみた。迷子になってこの光景に出会えたのも何かの縁だ。もしかしたら、私も前世では白菜畑の白菜だったかもしれない。故郷に錦を飾ったか!?
 原産地は中国の青島(チンタオ)で、11世紀頃カブとツケナが交雑して生まれたと言われている。日本に入ってきたのは明治時代の始めで、当時の清政府から種子が送られてきたものを名古屋で栽培したのが最初だそうだ。日本での白菜栽培が地元で始まったとは知らなかった。
 その後、日清日露戦争のときに、日本人兵士が中国で食べた白菜の美味しさに感動して、帰ってきてから作り始めたことがきっかけで全国に広がったらしい。白菜の歴史は意外にも浅かった。
 現在の白菜日本一の県は茨城県だ。全国生産の半分が作られている。そういえば映画『下妻物語』でも、土屋アンナがスクーターでぶっ飛ばしていたのは白菜畑の中だったかもしれない(実は全然出てきてないかもしれない。水野晴郎は確実に出てきていたけど)。
 季節によって収穫される主な産地が違うという。11月から1月茨城で、7月から10月は長野産になり、2月から3月は兵庫産が出回る。白菜がよく育つ気温に関係してるようだ。
 一般的に白菜は冬野菜というイメージが強いと思う。これは鍋の欠かせない脇役を担っているからという感覚的な部分だけではなく、ちゃんとした理由がある。白菜に限らず冬野菜は、霜が降りるほどの低温になると、野菜自身がこりゃ寒くていけねえと自分の中に糖分を増やして凍りつくのをふせぐんだそうだ。普通の水より砂糖水の方が凍りにくいのと同じ原理だろう。だから、冬野菜はこの時期が甘くて美味しいというわけだ。

 欧米では白菜はほとんど食べられていない。あちらはキャベツばかりだ。欧米人は何が気に入らないのか白菜を食べない。キャベツのシャキッとしたのが好きで、白菜のくたっとしたのが嫌いなんだろうか。こんなに美味しいのに。白菜を食べるのは、主に東アジアだけらしい。日本、中国、韓国あたりは特に消費量が多い。
 成分的にはキャベツとよく似ている。キャベツと比べると糖質が少なくてカロリーが低いから、ダイエット向きと言える。栄養素はいろんなものがまんべんなく含まれていて、文句なしに体にいい。ビタミンCも多く、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどのミネラルもたっぷり含まれている。漬け物のように大量の塩を使っても体に悪くないのは、カリウムがナトリウムを排泄して塩分を軽減させてくれるからだ。動脈硬化を予防するイソチオシアネートや、便秘解消のための食物繊維もある。鍋に入れた白菜は味がよく染み込んで美味しいけど、美味しいだけじゃないのだ。

 写真の白菜を見ると、かなり茶色くなっていて傷んでるんじゃないかと思うかもしれない。これは外側を霜にやられたからだ。頭の部分を縛っているビニールのヒモが見えるだろうか。実はこれだけの数の白菜すべてに頭しばりがなされている。こうやって外側の葉っぱを頭で縛ることによって内側が霜から守られるというわけだ。考えるだけで気が遠くなりそう。もちろん、ひとつずつ手作業だ。収穫は、このヒモを取って、畑から抜いて、根を落として、外葉をむいて、ダンボール箱に詰める、という行程になる。想像しただけでめまいがしそう。
 白菜は偉いだけじゃなく、こんなにも手間がかかっているものだということも今回初めて知った。これからは鍋のときに残ったからといって、ポイポイ捨てたりできない。満腹で食べられなくなったときは、白菜畑まで10往復走って腹を空かしてから食べることにしよう(本気か?)。

 白菜と一口に言ってもこんな背景があったのか。何事もこちらから近づいてみないと分からないものだ。主な品種だけでも150種以上あるというから、白菜の世界は思いのほか奥が深い。最近、中国ではカラーひよこならぬカラー白菜が開発されたという。黄色やオレンジ色の白菜って、上手く想像できないけど、黄色いスイカがあるくらいだから、色に対する固定観念は捨てるべきかもしれない。七色の白菜が並ぶ白菜畑なんていい。目指せ富良野のファーム富田の白菜版。色とりどりの白菜畑を見に観光客がどっと押し寄せる……なんてことはきっとないだろうけど。

 ところで、迷子の件はどうなったんだとお思いの方もいるかもしれない。でも、今これを書いてるということは、見事迷子から抜け出して家に帰ってきたということを意味している。迷子くらいはよくあることなので大丈夫、マイフレンド。日本の道は、日本以外につながってないのだと思えば恐れることはない。
 ただ、この白菜畑を見たいから連れて行って欲しいと私にリクエストするのは勘弁して欲しい。行きたくても二度と辿り着けないから。

コハコベで幕を開けた2006年春の野草シーズン

花/植物(Flower/plant)
コハコベが知らせる春

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6)+MCON35, f5.6, 1/6s(絞り優先)


 春を探して海上の森2005番地。
 1時間ほどさまよい歩いて、ようやく日没後に見つけたのがこのコハコベだった。やっと春の野草があった。なんだよ、こんなところにいたのかい。探し回っちゃったよ。灯台もと暗し。遠くの親戚よりも近くの他人。家の中の盗人は捕まらぬ。森の入り口近くに春はいた。
 あまりにもありふれた野草で、あとひと月もすればまったくありがたくもなんともないコハコベも、2月に咲いているとなると話は違ってくる。3歳でしゃべる子供は当たり前だけど、1歳から流ちょうな日本語を話す赤ん坊はすごいのと同じだ(同じか?)。

 写真で見ると大きく見えるけど、実はこれ、かなり小さい。5mmくらいしかない。クローズアップレンズで撮ってるからこんなふうに写ってるだけで。この時期、こいつを見つけようと思うと、かなり地面に注意しながら歩く必要がある。このときの私を後ろから見ている人がいたら、かなり怪しい人と見えたかもしれない。異常にキョロキョロ地面を探しながら歩いてる人となっていたから、気の毒にあの人何落とさはったんやろかぁ、と思っただろう。何か食いもんが落ちてないか探し回る腹を空かした野良犬みたい、と自分でも思った。
 それにしても、海上の森にまだ春は訪れてなかった。目当てだったオオイヌフグリも見つからず、ホトケノザも咲いてなかった。他のところでは咲いてるという便りもあったから期待してたんだけど、ちょっと気が早かったようだ。2週間くらいしたら出直そう。

 これをコハコベだと確信できたのは、この前買った「野に咲く花」のおかげだ。去年までコハコベとミドリハコベの区別がはっきりつかなかったけど、今年は心強い味方を得て分かるようになった。よく似たウシハコベやノミノフスマとの識別だってできてしまう。コハコベは茎が紫で、ミドリハコベは茎が緑色、ウシハコベだけは花柱(真ん中の小さな白いベンツのマークみたいなやつ)が5個、ノミノフスマは花弁がガク片よりも長くて毛がない。うーん、マンダム(アゴをさすりながらつぶやいてみる)。もし、このあたりで区別がつかないときは私に訊いてください。でも、じゃあ、ミヤマハコベやオランダミミナグサの区別はどうなんだよ、ついてないっていうならその場で飛んでみろよ、などと責めないでください。泣いてしまうので。紅はこべはどうなんだ?

 コハコベとミドリハコベは春の七草のひとつだ。あとの6つは覚えるたびに忘れてしまう。セリ(芹)、ナズナ(薺)……、えーと、それから、ごにょごにょごにょ。あらためて調べてみたら、ゴギョウ(御形)、ハコベラ(繁縷)、ホトケノザ(仏の座-正しくはコオニタビラコ)、スズナ(菘)、スズシロ(蘿蔔)だった。またすぐに忘れそう。
 ミドリハコベは在来種で、コハコベは明治時代(大正時代という説もある)にムギ類にくっついてやって来た帰化植物らしい。日本製と外国製がこんなにも似てるとは不思議なこともあるもんだ。なんでもハコベは世界中いたるところにいて、仲間が100種類以上もいるんだそうだ。そこまでありふれた野草だったのか、ハコベめ。そこまでいくとむしろ偉いぞ。世界には変わった人間もいるから、このハコベを求めて世界中を回ってる人もいるかもしれない(たぶん、いないな)。
 昔は食べるものがなかったときに食用とされていたらしい。柔らかい葉っぱの部分などを、ゆでたり、炒めたり、刻んだり、揚げたりして。体にもけっこういいというから、今度機会があったらやってみてください。塩を加えて歯磨き粉にもなるという話だ。歯磨き粉も買えないくらい貧乏になったらやってみよう。
 小鳥の好物みたいで、これを餌に混ぜてやってもいいんだそうだ。ヒヨコグサやスズメグサと呼ばれることもあったり、正岡子規も、「カナリヤの 餌に束ねたる はこべかな」と詠んだりしている。

 ハコベはハコベラの省略した呼び名で、語源ははっきりしないらしい。「波久倍良」という表記が変化したものではないかという説や、葉の配列がいい感じで、葉配りが利いている、葉配り、ハクベラ、ハコベラ、ハコベとなっていったという説もある。
 中国名は「繁縷」で、茎が縷(糸)のように繁る様子から付けられたのではないかと言われている。英名のchickweedはニワトリの雑草の意味で、学名のStellariaはギリシャ語の星形を意味するStellarisからきているという。
 こんな小さな雑草だけど、ググッと至近距離まで迫ってみれば、なかなか面白い背景や歴史があるもんだ。そうやってお馴染みになると、もう安易に踏みつけたりはできなくなる。しかし、農家さんにとってはけっこうやっかいもののようで、畑に生えると引っこ抜かなくてはならないらしい。その引っこ抜いたやつは、食用として一ヶ月一万円生活でいつも負けている濱口マサルさんにあげて欲しいと思う。それでも彼はまた負けるんだろうな。

 いよいよ春が間近に迫り、私の下を向いてのキョロキョロ歩きはますますエスカレートしていくことになる。前を向いてなくて木にぶつかったりする回数も増えていくだろう。そして何かを見つけたら、落とし物をやっと見つけ出した人のように嬉しそうに駆け寄ってしゃがみ込み、何やらゴソゴソしてる人となる。そんな私の後ろ姿を見た人は、落としたコンタクトレンズを探しているのかしら、と思うかもしれない。そのときは脅かさないように優しく声をかけてください。コンタクトですか? と。すると私は、あ、いや、使い捨てなんで、大丈夫です、はは、と愛想笑いを浮かべてザリガニのように後ずさっていくでしょう。顔の前で手を左右に振りながら。決して深追いしないでください。

雨の中で夕焼け空を見ながら頭の中でKの歌声が流れた

夕焼け(Sunset)
傘を差して見る夕焼け

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.8, 1/70s(絞り優先)


 雨が降る中、車を走らせていてふとバックミラーを見ると、西の空がいつの間にか明るくなってきていた。見るみるいい色に焼けてきたので、用事を後回しにして河原に向かった。
 傘を差して川岸に降りてみると、沈む前の夕陽が少しだけ顔を見せて、空と地表をピンクと紫に染め始めた。天気は西から変わるということをあらためて実感する。このとき私が立っていた場所では、まだ雨がかなり降っていた。
 それにしても、傘越しにこんな色の夕焼け空を見たのは初めてだ。雨にもいいところがある。雨よ、ありがとう。雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ、わたしのいい人連れてこい♪(八代)

 天気雨というと、韓国ドラマ「夏の香り」を思い出す(あれは前半だけとても素敵なドラマだった)。あの中で、ソン・スンホンとソン・イェジンが、天気雨はキツネの嫁入りだ、いやトラの婿入りだと言い合うシーンが出てきた。キツネの嫁入りは日本でもお馴染みだけど、韓国ではトラの婿入りとも言うんだろうか、と長い間疑問に思っていた。そしたら、向こうではキツネとトラが結婚するという話があるそうだ。なるほど、だからキツネの嫁入りで、トラの婿入りなのか。
 日本でいうキツネの嫁入りは、結婚式を見られたくないキツネが雨を降らせて人間を森に入らせないようにするためなんだとか。結婚式は見なくてもいいけど、キタキツネはいつか見たい。ルールルル、ルールルル。

 韓国といえば、この景色を見ながらちょうどKの「Only Human」を思い出していた。ドラマ「1リットルの涙」の主題歌になったあれだ。
 ♪雨雲が切れたなら 濡れた道 かがやく
  闇だけが教えてくれる 強い 強い 光 強く 前へ 進め♪
 あの曲が頭の中で流れる中、太陽が沈むまでここでこの風景を眺めていた。

 Kのファーストアルバム「Beyond the Sea」はなかなかいいアルバムだと思う。ドラマ「H2」の主題歌だった「Over...」と「Only Human」の2曲が完成度の高さで抜けているけど、その他の曲も多彩な表情を見せてくれる。バラードだけじゃない。声もいいし、歌唱力にごまかしがない。そして何より日本語が上手くて驚く。韓国生まれの日本人か、親が日本人なんじゃないかと思ったらそうではなかった。ソウル生まれの22歳で、まぎれもない韓国人だ。歌詞の内容まできちんと理解して歌ってないとあそこまでちゃんとした日本語には聞こえないだろうから、相当耳がいいのだろう。韓国なまりもほとんど感じられない。
 これだけ歌えるなら日本語は完璧なんだろうと思うとそうじゃないから不思議だ。しゃべりになるとまだまだ日本語を勉強中の外国人というレベルで、ちょっとたどたどしい。アグネス・チャンほどじゃないけど、デーブ・スペクターには遠く及ばない。昔のユンソナの少し下ってところか。でも、日本語の勉強を始めてまだ1年半とかであそこまで話せるようになるというのもすごいことだ。歌が上手いか下手かは耳がいいかどうかで決まるという話を聞いたことがあるけど、歌唱力と語学力は相通じるものがあるのだろう。

 太陽が沈み、頭の中でKの歌声が鳴りやんだところで車に戻った。そしてそこで頭のスイッチが切り替わる。わっ! しまった! 買ったばっかりのS1proが濡れちまったぜ、しまったぜ! ティッシュ、ティッシュ。拭け、拭け。おー、レンズ、大丈夫かぁ? いや~ん、靴も靴下もベチャベチャじゃーん。なんてこった! すでにロマンチックな気分もセンチメンタルもどこかへ吹き飛んで、現実の中で身もだえする私であった。最近の私はセンチメンタル持続時間が、使い古しのニッケル水素充電池のように持ちがすごく悪くなっているのだ。愚かなセンチメンタリストでありたいと願った20代の私はもういない。若くして死んだ詩人や作家の年齢を追い越してしまったから、それは仕方のないことかもしれない。
 いやいや、まだまだあきらめるのは早いぞ。若いエネルギーを注入すればいいんだ。私にセンチメンタル・エネルギーを充電してくれる人募集。経験者優遇。時給500円より。明るくて元気でセンチメンタルな人、お待ちしてます。

深い夜霧に包まれて迷子になった文章

雨/雪/天候(Weather)
霧の中

FUJIFILM FinePix S1 Pro+TAMRON 28-200mmXR(f3.8-5.6), f3.8, 1/10s(絞り優先)


 昨日の深夜、ふと窓の外を見ると、見慣れた街並みは白の中に沈み込んでいた。デジのレンズが曇っていたわけでも、私のメガネ曇って食うもんなし! だったわけでもない。ものすごい霧だ。一体どうした? こんな光景初めて見たぞ。名古屋の郊外で、盆地でもなく川べりでもないこの街がこれほど深い霧に包まれてしまうなんてとても珍しいことだ。どういう理由だったんだろう。
 疑問に思ったことはその場で調べるに限る。そうしないと記憶力に難のある私の脳は、疑問そのものをすぐに忘れてしまうから。えーと、昨日の晩ご飯のおかずは何だったかな。ばあさん、朝飯はまだかい?

 まず驚いたのは、霧は雲だということだ。めったくの別人だと思ったら同一人物だった。状態の違いではなく、いる場所によって違う名前で呼ばれているだけで、同じものだというのだ。銀行の窓口にいる木下香織さん(仮名)は、夜のお店にいるときはレイナちゃんと呼ばれている、みたいな。だから、高い山に登ってる人が霧の中にいると思っていても、それを地上から見てる人は雲に見えるということになる。まさか、あの木下さんが……。いや、実際そんな人は知らないんだけど。
 霧にもいろいろ種類があるようだ。
 冬の晴れた日に地表から熱が放射されて発生する「放射霧」、暖かい湿った空気が低い温度の水や地面の上を流れることで生まれる「移流霧」、暖かくて湿った空気が冷たい空気とぶつかってできる「蒸気霧」、温暖前線の近くで雨が降って飽和状態になったところで発生する「前線霧」、山の谷を湿った空気が上昇して凍ることで生まれる「上昇霧」、内田裕也の奥さんでモッくんの義理の母親でもある樹木希林など(最後のは違う)。
 霧と靄(もや)の違いというのも今回初めて知った。1km先のものが見えたら靄で、1km先が見えなければ霧となるんだそうだ。

 ついでに霧と霞(かすみ)の違いも勉強しておくことにしよう。
 霧というのは水蒸気の固まりを意味するのに対して、霞は水滴やチリやホコリなどが原因で遠くがぼんやりしている様子を指すので、根本的に意味が違う。霧は自然現象で、霞は状態を表す言葉だ。
「遠くがかすんで見える」などというけど、霞というのは元々動詞の霞むから来ている。そして、もうひとつ知らなかったこととしては、霧も「霧る(きる)」という動詞が変化した名詞だということだ。霧が出てる状態を「霧っている」というように昔は使っていたらしい。
 季語としては、霧は秋の季語で、春の霧を霞と呼んで春の季語とし、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ぶ。
 うっ、なんか受験勉強を思い出してきた。眠くなりそう。こんなときは仲根かすみの写真集でも見て気分転換だ。しかし何故か、もやいまさこの笑顔が頭に浮かぶ。おいおい、それを言うなら、もたいまさこだろう。ついに集中力は雲散霧消となり、思考は五里霧中。霧隠才蔵やゲームICO、霧の街ロンドンに霧の摩周湖などのイメージが浮かんでは消え、消えては浮かび、夜霧よ今夜も有難う。

 こんなふうに頭が混乱したときは海へ行こう。夜の港がいい。そして、埠頭の先で船をつなぐアレ(なんて名前なんだろう)に片足を乗せて肘をついたポーズで海を眺めよう。もしあなたが浅丘ルリ子に似ていたなら、そんな私に会いに来てください。目印はトレンチコートにソフト帽です。なるべく早くお願いします。やってもらうと分かると思うんだけど、あの姿勢、かなり疲れるんで長くは持ちませんので。オレは待ってるぜ。
 ♪そっと云うのさ~ 夜霧よ~ 今夜も~ 有難~う~♪
 霧笛が俺を呼んでいる。

小倉トーストは喫茶店でもコンビニでも家でも食べられる

食べ物(Food)
手製小倉トーストサンド

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/125s(絞り優先)


 私は30歳を過ぎるまで、小倉トーストが名古屋特有の食べ物だということを知らないまま、名古屋でぬくぬくと育っていた。喫茶店へ行けばモーニングサービスで出てきたし、高校では購買で普通に小倉&ネオマーガリンのロールパンを買って食べていた。だから、小倉&マーガリンは当然全国共通の食べ物で、ジャムパンとかメロンパンと同列のパンだと信じて疑わなかった。思えば幸福な時代だった。
 小倉とパンの組み合わせが特殊な食べ物だと知ったとき、驚きを通り越して多少うろたえた。ホントに? 冗談でしょ? と。実際、本当らしいと納得するまでに少し時間がかかった。いやいや、日本のどこかによく似たパンがきっとあるはずだと、今でも半分は思っている。

 小倉トーストを最初に発明したのが誰なのかはよく分かっていないらしい。気がつけば浸透していたのだとか。どこかの喫茶店の店主が思いついて作ったのが始まりだとか、学生が発明したんだとか言われてるようだけど、定説と呼べるようなものはないようだ。しかし、小倉トーストを知らない名古屋人はたぶん少ない。この地方では完全に一般的なパンとして認知されている。そして、多くの名古屋人が私同様これが特殊な食べ物だとは知らないまま平和に暮らしている。よその県ではどうなんだろう。もしかして、その存在自体未知のものだったりするんだろうか?
「サンドロール小倉&ネオマーガリン」を販売しているPasco(敷島パン)によると、中部での大成功に気をよくして関西に出荷してみたところ、さっぱり売れずに撤退したものの、こんな美味しいものが売れないはずがないと、今度は東京に進出して順調に売上げを伸ばしているという。それで気を取り直して再び関西でも売るようになったというんだけど、やっぱり西日本では不評のままなのか。九州や北海道なんかではどうなんだろう。
 名古屋、中部地方ではこれに類する菓子パンは何種類も出ていて、全部を食べた人はあまりいないだろうというほど活況を呈している。もちろんコンビニに行けばいつでも買うことができるし、小倉&マーガリン初心者ならどれを買ったらいいのか迷ってしまうかもしれない。とりあえずはじめの一歩としては、基本のPasco「サンドロール小倉&ネオマーガリン」をいっておくのがいいだろう。更にもう一歩踏み込みたいときは、ヤマザキの「デニッシュサンド 小倉&マーガリン」をおすすめしたい。パンがデニッシュになっていてこちらの方が私は好きだ。
 本場の小倉トーストを食べたければ名古屋の喫茶店に来ればいい。たいていどこにでも普通にメニューに載っている。最近のモーニング事情には疎いのだけど、小倉トーストをモーニングとして出してくれる喫茶店もあるはずだ。コーヒー代350円で食べきれないほどの小倉トーストやヨーグルトやサラダや卵なんかが付いてくる(ときにはみそ汁まで)。

 わざわざ名古屋まで行けないよって人は自分で作ってしまえばいい。写真がそれだ。焼いたトーストにマーガリンを塗って、その上に粒餡を乗せれば小倉トーストのできあがりだ。写真のようにトーストではさむと小倉トーストサンドになる。個人的にはこちらを推したい。なんだ、これ、まずそうだな、などと最初から決めつけてはいけない。まずいか美味しいからは食べてからということで。思うほどキワモノではない、はずだ。味噌カツと同じように。
 自分で作る小倉トーストに満足できなくなったときは、ぜひ名古屋まで食べに来てください。やっぱりお店のはひと味もふた味も違った美味しさがあるから。