月別:2006年01月

記事一覧
  • 少し汚れた空の下で僕たちはきれいな夕焼け空を見る

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f9, 1/150s(絞り優先) 今日は曇りのち小雨の一日だった。こんな日の夕方はなんとなくつまらない。いつも行くドラッグストアのレジ担当が男だったときみたいに。 だから、少し前に撮った夕陽の写真でも眺めて楽しむことにしよう。最近すっかり夕陽の逃げ足が遅くなったおかげで、簡単に捕まえられるようになった。喜ばしい。逆に初夏のようにあまりにも長く居座られると、そろそろ帰った方が...

    2006/01/31

    夕焼け(Sunset)

  • 手抜きに見えて手間がかかっているサンデー料理

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/45s(絞り優先) 料理をするようになって、見た目で手間のかかり具合を判断してはいけないということを知った。手間がかかってるように見えてそうじゃないこともあるし、その逆もある。食べる専門だったときは、手間がどうだとかあまり考えたことがなかった。料理を見る目もまるでなかった。今まで食べたすべての料理にあやまりたいくらいだ。ごめんよ、メンフラハップ(それは料理じゃない...

    2006/01/30

    料理(Cooking)

  • カゴの中の鳥にはなれないハクセキレイ

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/180s(絞り優先) 河原のコンクリート土手を散歩中のハクセキレイ。よろめくように早足で駆けていく。じっとしてるのが苦手で、いつもチョコマカ動いている。通知票に必ず「落ち着きがありません」などと書かれてしまうタイプだ。休むことなくエサを探して歩き回り、ピョンピョン跳ね、飛び、鳴いている。これじゃあ50分授業は受けられまい。カゴの中で飼われたらストレスで生きていけ...

    2006/01/29

    野鳥(Wild bird)

  • 野に咲く花を抱えた裸の大将がこの春あなたの街に

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/60s(絞り優先) 野草咲く春が待ち遠しい気持ちが昂じて、うっかり高い野草図鑑を買ってしまった。古本なのに1,200円とは生意気な。定価は3,000円。最近「Book off」の100円コーナーくらいでしか本を買ってないから、やけに高く感じられた。でもきっと気のせいだ。高くない、高くない、高くない。呪文のように自分に言い聞かせる。「この本で名前が分からなかったらあきらめることにしている...

    2006/01/28

    花/植物(Flower/plant)

  • 私をコンビニに呼び入れるたったひとつの冴えたやりかた

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/350s(絞り優先) 名古屋の中心、丸の内桜通で、おしゃれローソン発見。名古屋らしくないハイセンスは名古屋人に受け入れられているんだろうか。「名古屋の皆様が“こんなローソン見たことない”と思うこと間違いなしのお店です。」というコンセプトで作られたらしいけど、名古屋人ならこう言って驚く。こんなローソン見たことないがや、と。 外装だけじゃなく内装や棚も、普通のローソンとは...

    2006/01/27

    店(Shop)

  • フィルムスキャニングは名駅を超えて伊勢神宮へ

    Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800/ D2400UF 私が借りている月極駐車場の溝にヘクソカズラが間借りしている。区切られた駐車スペースが私のものだとしたら、このヘクソカズラも私のものということになるのだろうか。夏には白い可憐な花を咲かせ、秋は黄金色の実をつけていたこいつは、真冬の今も葉と実はしぶとく残り、凍える空気の中でもしっかり生きている。遠い夏を待ちながら。 この実はツグミやヒヨドリ...

    2006/01/26

    フィルム写真(Film photography)

  • 健康優良児アイ、予防注射でお疲れのご様子

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/4s(絞り優先) 1月はアイの予防注射の月だ。そのことを察したわけでもないだろうけど、キャリー・ゲージを見せたとたんに逃げ腰になるアイ。追う私。逃げるアイ。追いつめる私。捕まり暴れるアイ。そんなひと悶着がありつつも、なんとかゲージに押し込んで病院まで連れて行った。途中鳴き通し。頭では分かってなくても、本能で何か不穏な気配を感じるのだろう。さすがにケモノだ。しかし、...

    2006/01/25

    猫(Cat)

  • ステンドグラスが作り出す光の中で ~平和公園虹の塔

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/4s(絞り優先) 千種区にある平和公園の中に「虹の塔」というものがある。何度か離れたところから見たことはあったけど入ったことはなかった。今回初めて近づいて中に入ってみた。そして見上げてみると、そこには七色の光があった。 まさに虹の塔。不思議な光沢のある光だ。人工的なライトにも見えるけど、実際は色付きのガラスを通した太陽光だそうだ。どういう仕掛けになっていう...

    2006/01/24

    施設/公園(Park)

  • 上の空で作ったサンデー料理は学食以上ファミレス未満

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/20s(絞り優先) 今日はデジを落としてレンズがバラバラになるという失神寸前の出来事が起こり、半分上の空で作ったサンデー料理だった。涙で滲んで前が見えなかったのは、タマネギを切っていたせいだと思いたい。 人の暮らしの中ではときに思いがけないことが起こるわけで、その中で毎日安定した料理を作るのはとても難しいことだと知った。お母さんがその日どんな気持ちで料理を作ったか...

    2006/01/23

    料理(Cooking)

  • マーシュマロウとの再会からコラーゲン大作戦が始まった

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚) 少し前にマシュマロのことを書いたとき、マシュマロの語源が沼地の葵を意味するマーシュマロウ(marsh mallow)であることを知った。それ以来、私の中でマシュマロはマーシュマロウとなった。なんだか耳に心地良い素敵な響きだ。マーシュ・マロウ、アメリカ探偵小説の主人公みたい。 そしてまた今回、思いがけない角度からマーシュマロウと再会することになっ...

    2006/01/22

    食べ物(Food)

  • 近所の雨池に白い奴が現れた

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先) 思いがけないところで思いがけない鳥と出会った。金城学院大学近くにある雨池にミコアイサがいるのを発見。おお、どうしてキミがそんなところに!? 驚いた。でも偉いぞ、こんな住宅地のローカルな池にやってくるなんて。お仲間はどうした? ひとりかい? 見渡したけど、他のオスもメスもいない。ひとりぼっちで不安なのか、カルガモ軍団に混ぜてもらっていた。し...

    2006/01/21

    野鳥(Wild bird)

  • 太宰府へいつかきっと私も飛梅のように

    Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/4s(絞り優先) 今年はたまたま巡り合わせで、何人かの知り合いが受験生を抱える受験ラッシュとなった。しかも、何の因果か敗者復活戦が多い。私自身は高校も大学も入れるところにありがたく入れていただくというスタンスで神頼みも勉強もまったくといっていいほどしなかったのだけど、一年間勉強してまで入りたい大学があるという受験生のためには少しでもお役に立ちたいと思った。ここはひ...

    2006/01/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 大晦日は久国寺に10億円の岡本太郎鐘をつきにいこう

     この前いつものように「そこが知りたい特捜! 坂東リサーチ」を観ていたら、名古屋に岡本太郎が作った奇妙な鐘があるという紹介があって驚いた。初耳だ。そんなことまったく知らなかった。寺の名前を久国寺(きゅうこくじ)という。住所としては北区になる。 今日そっち方面に出かけたので、これはいい機会だと寄ってみた。 白壁交差点を北に進み、名鉄瀬戸線のトンネルをくぐって次の大杉3交差点で左折して、大杉小学校を過ぎ...

    2006/01/19

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 私と食パンとの長く続いた冬の時代が今日終わった

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/10s(絞り優先/三脚) 食パンが好きですか? そう問われたら、ノーと言える日本人になりたい。目をしばつかせながら。 実際、日常的にほとんど食パンは食べない。せいぜい年間5枚くらいだと思う。パンが嫌いなわけではない。菓子パンはほとんど毎日食べているからむしろ好きな方だ。何故食パンを食べないかといえば、単純に美味しいという印象がないからというのが第一の理由にな...

    2006/01/18

    食べ物(Food)

  • 飛行機雲はみのもんたと同い年

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先) 小幡緑地の雑木林の中で鳥を探しながら歩いていたとき、ふと空を見上げると飛行機がオレンジの雲を吐きながら飛んでいた。面白い。こんなこともあるんだ。でも少し遠ざかったところを撮った写真はこんなにも鮮やかなオレンジ色をしてなかったから、ちょっと珍しいことなのかもしれない。夕陽の角度と雲の場所と私が立っていた位置がたまたまこの色をもたらしてくれた...

    2006/01/17

    空(Sky)

  • サンデー料理お届けXデーが近づく!?

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/10s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマは、「レシピからの半歩前進」だった。しかし、その半歩が思った以上に大きかったぜしまったぜと気づいたのは、料理開始から2時間経過してまだ一品も完成していなかったときだった。気づくの遅すぎ! 楽しい時間早く過ぎると言うけど、必死になっていても時が過ぎるのは早いものだ。などと感慨に浸っている場合じゃない。 今回のメイン...

    2006/01/16

    料理(Cooking)

  • 猫は人のために、人は猫のために

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先) いい猫に出会った。天白公園の池のほとりでひなたぼっこをしていたこいつは、私の好みにぴったりだった。明るい茶色の毛並みにむくむくの体、そしてあくまでもどこまでも丸い顔。加えて口のまわりの泥棒メイクが最高のチャームポイントとなっている。思わず笑ってしまった。写真を何度見ても笑える。表情がまたいい。 この野良との出会いは、私をとても幸せな気分に...

    2006/01/15

    猫(Cat)

  • バンを好きになってもバンのように生きるのは難しい

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先) 天白区の天白公園で初めて撮ったバン。そんなに珍しい鳥じゃないし、この地方には一年中いるらしいけど、やっと撮ることができて喜んだ。でもかなり警戒心が強いのですぐに泳ぎ去ってしまったのは残念だった。万事休す(言わなきゃいいと分かっていても止まらない)。 こうして泳いでる姿を見るとカモっぽいけどカモじゃない。クイナ科だ。ヤンバルクイナでお馴染み...

    2006/01/14

    野鳥(Wild bird)

  • 木に引っかかった凧はなつかしい光景だった

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先) 木の上に引っかかった凧を久しぶりに見た。かつてはよく見かけた光景だけど、ここ最近はまったくといっていいほど見なかったから、なんだかとてもなつかしく感じた。私自身、もう20年くらい凧揚げはしてないだろう。 私たちが子供の頃は、誰もがお正月には凧揚げをしたものだ。もやしっ子も、女の子も、老いも若きも。ちょうど小学生のとき、ゲイラカイトが大ブーム...

    2006/01/13

    風物詩/行事(Event)

  • 鏡開いて 餅に勝つ 今なお遠し 夫婦善哉

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 0.3s(絞り優先/三脚) 今日1月11日は、みなさんもご存じのようにマッチャの誕生日だ。え? マッチャくん知らない? 私の高校時代からの友達なんだけど。 ……。 それとは別に鏡開きの日でもある。みなさんのところでも開いただろうか、鏡。私は開きましたよ、鏡。そして、こうして書いてるということは、今回もまた見事モチとの死闘に勝利したということを意味している。また飲んで...

    2006/01/12

    風物詩/行事(Event)

  • ユリカモメに学ぶ見た目清楚な女の子の傾向と対策

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f6.7, 1/125s(絞り優先) 氷の張った名古屋城の堀には、今たくさんのユリカモメたちが訪れている。今年は特別に寒い名古屋の冬も、シベリアあたりからやって来ているユリカモメたちにとっては、冷凍庫から冷蔵庫に移動したくらい暖かく感じていることだろう。 彼らは名古屋城が築城された頃からこの場所にやって来ているかもしれない。『伊勢物語』の中に出てくる在原業平の「名にしおはば ...

    2006/01/11

    野鳥(Wild bird)

  • 成人式の思い出と妄想で熱くなる冬の夜

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/30s(絞り優先) 今日は元服式だっけ? 違った? 元服式っていつから廃止になってしまったんだろうという素朴な疑念を抱きつつ、夕方成人式に参加した人の写真を撮りに街に向かった。しかし、日暮れ間近に街をうろついてる新成人なんてそういるもんじゃない。なんにもすることがなければとっくに家に帰ってるし、友達がいればどこかに遊びに行っている時間帯だ。新成人はいねぇか...

    2006/01/10

    風物詩/行事(Event)

  • 新年のサンデー料理はカレー爆発で幕を開けた

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/30s(絞り優先) おせちもいいけどカレーもねっ! 昔そんなCMがあったっけ。温故知新。故きを温ねて新しきを知る。そうだ、カレーを作ろう。 実際のところ、正月が明けて一週間が過ぎ、毎日おせちの残りをちまちま食べることにいい加減飽きてきたところだった。食べてもたべても意外と減らないおせち料理の残り。そして私はカレーうどんを作り、食べることにした。そう、今日は日...

    2006/01/09

    料理(Cooking)

  • 家庭用精米器の普及率10パーセントを目指して

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚) 今日は精米機を紹介しようと思う。と思ったら、第一歩目でつまずいた。精米機? 精米器? どっちが正しいんだろう、というところで。どっち? どちらも漢字変換するし、どちらで検索してもたくさんヒットするから、両方間違いではないのだろう。ひとつヒントとしては、コイン精米機は精米機であって精米器ではないということだ。やはり業務用は大きくていか...

    2006/01/08

    物(Objet)

  • アオサギの翼の長さは袖丈にちょうどいい

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/90s(絞り優先) アオサギと聞いて、あー鳥のことねと思う人と、なに青詐欺だとそれは許せんという人と、何のことだそれという人と、世の中には3種類の人がいると思う。アオサギを巡るそれぞれの人間模様。そんなことはおかまいなしに、アオサギは今日も生きている。たたずみ、エサを捉え、羽ばたき、眠る。彼らの目に今の日本はどう映っているのだろう。 そんなに珍しい鳥ではないア...

    2006/01/07

    野鳥(Wild bird)

  • 自衛隊に第一種接近遭遇(第二種、第三種と続くのか?)

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/100s(絞り優先) 鳥を撮っていたら上空を自衛隊の飛行機が通過したのでついでに撮った。自衛隊に対して特に熱い思いを抱いているわけではない。むしろ、自衛隊は見て見ぬふりをしようとする心の動きがあることを自覚している。タブーとまではいかないけど、触らぬ神に祟りなしといった気分がどこかにある。写真を撮るときも、断りを入れずに勝手に撮っていいのかなと考えたりもする。...

    2006/01/06

    飛行機(Airplane)

  • マガモくんに新年の挨拶をしに行ったら手ぶらで叱れた

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/45s(絞り優先) あけましておめでとう、マガモくん。夕暮れ時の池に立ち寄ったら、マガモが出迎えてくれた。ガァガァ、お年玉よこせ、と言わんばかりに。しかし、私が手ぶらだということを知ると、なんだよ新年ってのに手みやげもなしかよガァガァ、と遠ざかっていってしまった。食パンの耳くらい持っていけばよかった。ごめんよ、マガモくん、次はちゃんと持って行くから。 カモの...

    2006/01/05

    野鳥(Wild bird)

  • ライフワークとしての雑煮ごちになります全国行脚の旅計画

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f5.6, 0.5s(絞り優先/三脚) 今年も雑煮を食べた。こうしてプログに雑煮のことを書いてるということは、モチをのどに詰まらせずに無事生き延びたという証だ。まずはめでたい。常に前向きな解釈、それは平凡なフライもファインプレーに見せるテクニックに似ている。 しかし、全国的にめでたくない人もいわけで、私ひとり雑煮を食べ終えたくらいで浮かれてばかりもいられない。あれだけおじ...

    2006/01/04

    風物詩/行事(Event)

  • いつか飛行機野郎になるための同乗者募集

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f5.6, 1/100s(絞り優先) 正月の田舎の上空高くを横切っていったジェット機。冬の柔らかな水色の空に白い機体が美しく映えていた。 愛知県の飛行場が小牧にあった去年まで飛行機なんて珍しくもなんともないものだった。住んでいる街の上空を日に10本以上も通過していたから、毎日のように見かけていた。風景の一部として当たり前のものだった。それが常滑に中部国際空港ができて、そっちに...

    2006/01/03

    飛行機(Airplane)

  • 30年以上の時を超えた「にう」ショック

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/10s(絞り優先) 2006年元日早々、個人的に大変ショックなことがあった。タ~イムショック! などとふざけてる場合じゃない。物心ついてから今にいたるまでの30年以上もの長きにわたり、私はこともあろうに自分の故郷の村(正確には祖父母と父親の生家)の読み方を間違えていたのだ。んなアホな! この写真を撮って、田舎にあるほとんど唯一自慢できる丹生大師のことを紹介しよう...

    2006/01/02

    丹生(Nyu)

少し汚れた空の下で僕たちはきれいな夕焼け空を見る

夕焼け(Sunset)
木の中に沈む夕陽

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f9, 1/150s(絞り優先)


 今日は曇りのち小雨の一日だった。こんな日の夕方はなんとなくつまらない。いつも行くドラッグストアのレジ担当が男だったときみたいに。
 だから、少し前に撮った夕陽の写真でも眺めて楽しむことにしよう。最近すっかり夕陽の逃げ足が遅くなったおかげで、簡単に捕まえられるようになった。喜ばしい。逆に初夏のようにあまりにも長く居座られると、そろそろ帰った方がいいぞ、と声をかけたくなったりするのだけど。
 夕陽、夕焼け、夕景。いろんな色があり、様々な表情を見せてくれるけど、どれもいい。物心ついてから30年以上見てもちっとも飽きない。毎回、ああ、いい色だなと思う。天にそのつもりがなくても、これは天の贈りものだと思う。晴れ渡った青空もいいけど、やっぱり夕焼け色には特別な何かがある。人の心の深い部分に届く。それは懐かしさからくるものなのか、人間の遺伝子の記憶なのか、動物の本能なのか。これは人間だけが感じてる感情なのだろうか?
 世界の人々は夕焼けに対してどんな気持ちを抱いているんだろう。日本人と同じなのか違うのか。確かなことは言えないけど、日本人は世界の中でももっとも夕焼けが好きな国民なんじゃないかと私は思っている。それは日本における夕焼けの多彩な表情と無関係ではないだろう。日本には四季があり、海があり、山がある。島があり、港があり、街がある。人々の暮らしがあり、歌がある。おそらくこれだけの要素を兼ね備えた国は他にないだろう。だから日本人が夕焼け好きなのは当然といえば当然なのかもしれない。

 ねえ、お母さん、どうして夕方になるとお空が赤くなるの?
 そんなことを訊かれて困ったことがあるお母さんもいるだろう。そんなお母さんの代わりに私が答えましょう。
 大人になったら勉強しなさい、と。
 それでも納得しない場合は、ちゃんと答えてあげるといい。子供の頭では理解できないことも、正しく教えてあげることは大切なことだ。一部でも分かるかもしれないし、分からないところは自分で調べて分かるようになりたいと思うかもしれないから。
 ややこしいところは飛ばして簡単に言うと、夕方になって太陽が地表近くの位置に来たとき、光がチリのたくさんある空気の層を通過して私たちの目に届く。そのとき、七色の中で波長の短い紫や青の光はバラバラに散乱して人の目からは見えなくなって、波長の長い赤色だけが目に届くから赤く見えるということになる。よい子のみんなは分かるかな? 分かんねえだろうなぁ(ネタが古い)。
 こんな実験をしてみるといい。透明なコップに水を入れて、そこにほんのちょっと牛乳をたらして濁らせる。そのコップで白い蛍光灯を透かしてみると、蛍光灯は黄色に見える。それとよく似た現象だと子供に説明してあげると少しは納得するかもしれない。
 夕焼けが赤いときとオレンジのときがあるけど、あれにも理由がある。大気中のチリや水蒸気が多いと赤くなり、少ないとオレンジになる。冬の乾いた空気のときはオレンジになり、夏の高気圧で湿ったときは赤くなる。
 空気中のチリや汚れが増えすぎると、今度は赤色さえ届かなくなって、夕陽もぼや~んとしてしまうのだという。だとするなら、遠い将来地球の人々は濁った夕焼け空にかすんだ夕陽を見ることになるのだろうか。今の私たちは少し汚れた空の下で、歴史上もっとも美しい夕焼けを見ているということになるのかもしれない。

 夕陽を見ていると夕焼け小焼けの歌を思い出す。今の子供が大人になったときはどうなんだろうか。学校ではまだ童謡なんかを教えているんだろうか。
 ふたつあるうちのどちらを思い出すかは人それぞれだろう。私は、夕焼け小焼けで日が暮れての方を思い出す。人によっては、夕焼け小焼けの赤とんぼの方なんだろう。
 日が暮れての方の2番の歌詞を知ってるだろうか。
 ♪子供が帰った後からは まるい大きなお月さま 小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星♪
 こんなふうに続いてるとは知らなかった。
 ところで、夕焼け小焼けの「小焼け」ってなんだろうと思った人も多いんじゃないだろうか。「夕陽が沈んで15分くらいすると空が少しだけ明るくなるのが小焼けだ」というもっともらしい説があるようだけど、それはちょっと出来すぎのような気もする。本当のところは、言葉の調子を整えるためのもので意味はないそうだ。そんな日本語もないという。なんだ、そうなんだ。それはそれで面白くないな。やっぱり夕陽が沈んだあとの残照を小焼けと呼ぶ方が気が利いている。
 歌詞の続きといえば、夕焼け小焼けの赤とんぼの方の3番がすごいことになっている。
 ♪十五でねえやは 嫁に行き お里の便りも 絶え果てた♪
 なんて恐ろしい歌詞なんだ。続きが気になるぞ。しかし、話をはぐらかされて、
 ♪夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先♪
 ここで終わってしまい、ねえやのその後はようとして知れない。「TVのチカラ」の超能力捜査にお願いしようか。

 季節は冬から春へ。夕焼けは秋が一番だけど、春には春のよさもある。今後も夕陽を追いかけていこう。次にいい夕陽が撮れたときは、「ゆうひが丘の総理大臣」の思い出話を書きたいと思う。
 ♪恋人よ~ 愛なん~て~ 言葉は捨てろよ~ 
 流行の服も~ 生き方も~ 疲れるだけさ~♪
 夕陽を見つめながらこの曲を口ずさんでいる男を見かけたら、ソーリ、ソーリ、ソーリと呼びかけてください。辻本清美のモノマネで。
(今日も全編ネタは古かった)

手抜きに見えて手間がかかっているサンデー料理

料理(Cooking)
手間がかかってるようには見えないサンデー料理

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/45s(絞り優先)


 料理をするようになって、見た目で手間のかかり具合を判断してはいけないということを知った。手間がかかってるように見えてそうじゃないこともあるし、その逆もある。食べる専門だったときは、手間がどうだとかあまり考えたことがなかった。料理を見る目もまるでなかった。今まで食べたすべての料理にあやまりたいくらいだ。ごめんよ、メンフラハップ(それは料理じゃない)。
 今回のこのサンデー料理も、少し前までの私だったら簡単に作れそうに思えただろうし、手抜きにさえ見えたかもしれない。しかし、料理が佳境を迎えた本日午後6時10分頃、うちの台所周りは大変な混乱状態に陥っていた。流しには炒めかけのマッシュルームやタマネギの入ったフライパンが置かれ、二つのコンロの片方にはパスタをゆでるための湯がぐつぐつ沸き、もう一方にはコロッケ用の油がスタンバイしていて、カルボナーラ用のソース、タルタルソース、コロッケの中身などが入ったボウルがあちこちに散乱していた。更にパスタを伸ばして切るスペースがなくなり、床にサランラップを敷いて伸ばしている途中の状態で、足の踏み場もないくらい。進退窮まる私。四面楚歌。ルビコン川を渡れ。ブルータス、おまえもか。思考もちりぢりに乱れるみだれ髪。もしもこんなときにセールスなんて来た日には殺意さえ覚えただろう。日曜の6時台の私は殺気立っているので、この時間帯は遊びに来ないでください。
 とりあえず心を静めて、ひとつずつやっていくことにする。まずはコロッケを揚げて、その後パスタをゆで、カルボナーラにして、最後にスープを温めご飯を入れて、なんとか完成にこぎ着けた。料理ってこんな疲れるものなのか? 食べる前に激しい運動しすぎて食欲なくしそう。

 今回初めてパスタを手打ちしてみたけど、うどんに続いて完成度は低かった。どうなんだろう。なにか上手くいかない。今回は前の日に打って一晩寝かせてみたけど駄目だった。どうも粉っぽくて固い。こねが根本的に足りないのか、伸ばしが不足なのか、厚く切りすぎてるのか。味自体は初めてのカルボナーラにしてはまずまずだったんだけど、肝心のパスタが駄目では失敗だ。これは人に出せない。飢えた貧乏学生でも怒ってくるかもしれない。
 コロッケがこんなに手間がかかるものとは知らなかった。クリームコロッケにしようと、まずはジャガイモをレンジとお湯で温めてからつぶして、小麦粉、バター、牛乳でホワイトソースを作って、白ワイン、塩コショウに今回はカニ缶を入れて混ぜたあと、冷蔵庫で30分くらい冷やす。取り出したら小分けにして形を整えて、小麦粉、とじた卵、パン粉の順で衣をつけて、180度くらいで揚げる。
 タルタルソースは、固めにゆでたゆで卵をみじん切りにして、マヨネーズ、マスタード、塩コショウ、白ワイン、牛乳、タマネギとパセリのみじん切りを混ぜ合わせた。
 しかし失敗。なんでー。ホワイトソースが固くなりすぎて、普通のジャガイモコロッケへと格下げになってしまったのだった。そんなぁ。あのトロットした食感はどこへいった? タルタルソースは、景気よくマスタードを入れすぎて妙に辛かった。これも人に出すには抵抗がある。深夜まで残業して限界までおなかが空いたサラリーマンなら大丈夫かもしれないけど、そのあたりがギリギリだ。

 最後のご飯入りスープが実は今回の目玉だった。少し前に「トリビアの泉」で、カップラーメンの残り汁にご飯を入れて食べたらどれが一番美味しいかってやっていて、あれで選ばれたのが「日清麺職人」だった。いつか食べてみたいと思っていて、今回やっとその機会が訪れた。今日のサンデー料理は、ここをスタートにして決まったメニューだったのだ。
 で、味はどうだったかというと、とても微妙。所詮ラーメンの汁だから、そんな驚きはない。ラーメンの汁を飲んでいるのと同じだから。もちろん、まずくはないけど、これなら普通にラーメンで食べた方が美味しいんじゃないのかな、という身も蓋もない結論だった。夜食なんかにはいいだろうけど、夕飯に食べるもんじゃない気がする。

 そんなわけで、食べ終えた7時にはややぐったりしていた私であった。頑張ったのに報われない。そういうこともある。
 ふと台所を見ると、そこには激しい傷跡が今も生々しく残っている。ひどい混乱状態だ。日曜日に私のところへ遊びに来るなら、7時くらいにしてください。後かたづけをよろしく頼みました。私は「からくりTV」の将棋少年を見なくちゃいけないから。
 前回でそろそろ人にも出せるんじゃないかと自信を持ち始めたのに、今回でそれは儚くも崩れ去った。また皿洗いと出前持ちから出直したい。料理に使う部分の脳をもっと鍛えなくてはいけないだろう。ここが上手く使えてないから、必要以上にあたふたしてしまうのだ。今のままではファミレスの厨房でも役に立たない。
 来週のサンデー料理はもう2月だ。またぼちぼち外国シリーズを再開したい。次はどこへ旅立とうか。おなじみの国のなじみのない料理もいいし、見知らぬ国の意外に身近な料理もいい。もしくは、新大陸発見を目指して頭の中を旅して作るのも楽しそうだ。ムー大陸料理とか。
 雑誌「ムー」に料理コーナーってあったかな?

カゴの中の鳥にはなれないハクセキレイ

野鳥(Wild bird)
散歩中のハクセキレイ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/180s(絞り優先)


 河原のコンクリート土手を散歩中のハクセキレイ。よろめくように早足で駆けていく。じっとしてるのが苦手で、いつもチョコマカ動いている。通知票に必ず「落ち着きがありません」などと書かれてしまうタイプだ。休むことなくエサを探して歩き回り、ピョンピョン跳ね、飛び、鳴いている。これじゃあ50分授業は受けられまい。カゴの中で飼われたらストレスで生きていけないだろう。オレって、ホントにインコに生まれなくてよかったな、と思ってるかもしれない。

 ごくありふれた野鳥で、街中のいろんなところにいる。河原を歩けばたぶんどこででも見られるだろう。特にこの時期は多い。
 よく見かけるといえば、これによく似たセグロセキレイがいる。これよりもっと黒いから区別はつきやすい。と思っていたら、私、どうも見分け方を間違っていたようだ。セグロは名前の通り背中が黒くて、ハクセキレイは灰色だと単純に思っていたら違った。ハクセキレイも夏場は黒くなるから、見分けるには顔を見ないといけないのだった。白い顔に黒いアイラインが入っていたらハクセキレイで、黒い顔に白いまゆげがあったらセグロセキレイだ。慣れれば、オセロの中島と松嶋を見分けるくらい簡単に見分けられるようになる。最近の私と言えば、鳥やら野草やらを見分けることに慣れてきたせいか、マナカナの区別さえつくようになった。すごいぞ、私。この調子でいくと、ヒヨコのメスとオスを見分ける達人にさえなれそうな気がする。
 もうひとつの区別の仕方としては、セグロは水辺にしかいなくて、ハクセキレイは水のない街でも公園でも田んぼでもいるという点だ。鳴き声も、ハクセキレイがチュンチュンとかチチッという澄んだ声に対し、セグロはジジジッとやや濁る。歌い声は鳥羽一郎と山川豊の兄弟くらい違う(この区別は私もよく分かってない)。
 名古屋では冬場になるとよく見かけるから冬鳥かと思ったら、むしろ夏鳥だという。1950年代は青森県や岩手県あたりでしか繁殖していなかったのが、だんだん南下してきて1960年代には山形県あたり、1970年代には神奈川県などの関東、1980年代には兵庫、広島あたりまで広がって繁殖するようになったんだそうだ。ただ、依然として西日本では冬鳥のイメージが強そうな気はする。名古屋あたりは微妙なところだ。ある程度はここらでも繁殖してるんだろうけど、一年中いつでも見られるという感じはしない。
 世界的にみると、ユーラシア大陸の広い地域に分布している。一方セグロセキレイは日本の固有種だ。この2種類はテリトリーが少し重なるから、そこでは小競り合いが起こっているらしいけど、ハクセキレイはどちらかというと都会派なので、それほど大きな問題ではなさそうだ。おすぎとピーコのように年中いがみ合ってるわけではない。
 日が暮れるとみんなねぐらに集まってきて、集団で夜を過ごす。門限には厳しい鳥たちだ。最近では街の街路樹だけでなく、繁華街の建物を寝床にしてる連中もいるという。なかなかたくましい。

 野鳥に興味を持ち始めてしょっちゅう見るようになると写真を撮ることさえしなくなるけど、たまに、ホオジロハクセキレイやタイワンハクセキレイなどの亜種もいるそうだから、気をつけておくといいかもしれない。他にも、シベリアハクセキレイ、ネパールハクセキレイなどがいるらしい。
 オス、メスの区別は難しい。オスに比べると背中の色が薄くて灰色っぽいらしいんだけど、冬場はどちらも灰色になるので、ますます分かりにくい。分かる人には分かるんだろうけど、そこまで分かってしまったら自分は野鳥の会の人ではないと言い張るのは難しくなる。それくらい常識だって、ははは、と笑って誤魔化そうとしてもダメだ。
 若いときは体全体が灰色っぽくて、顔が黄色かったりする。初デートのときなどは、あれは第1回冬羽だな、などというつぶやきを相手に聞かれないように注意する必要があるだろう。
 飛び方に特徴があって、パタパタっとはばたいて少し休み、またパタパタっとはばたいて休むという飛び方をする。波状飛行というそうだ。川の上なんかをそんな飛び方をしながら器用に飛んでいる虫を捕まえたりする。
 エサは基本的に昆虫などの生き物だ。歩いたり地面をつついたりしてメシを探し回っていることが多い。雑食性じゃないから、人間が餌付けするのはたぶん無理だろう。小さい虫をいっぱい飼ってる人ならできるかもしれないが(それってどんな人だろう?)。

 春から初夏にかけてが繁殖の時期だ。一夫一婦で4、5個の卵を産んで、オスメスで温めてヒナを育てる。都会では建物の中や軒下の狭い場所なんかでも巣を作ることがあるらしい。子育てのシーンも見てみたいところだけど、あまりそんな話は聞かない。関東から北の人たちにとってはけっこう見かけるものだったりするんだろうか。
 北海道や沖縄と本州とでは生態系に違いがあるのは分かるけど、本州でも東日本と西日本と中部とでは微妙に違ったりすることを最近になって初めて知った。電気のヘルツが違うだけじゃない。日本列島が細長いことを知るのは桜前線だけじゃないのだった。

 今年はどうも冬鳥にあまり会わない気がする。散策を怠けてるせいかもしれないけど、去年は普通に出会ったジョウビタキやツグミでさえ見かけない。今年の寒さが影響してるんだろうか。
 ♪私の心が水ならば~ 必ず北から鳥が来る~
 鳥よ 鳥よ 鳥たちよ~ 鳥よ 鳥よ~ 鳥の~詩~♪
 きっと今年冬鳥が少ないのは、杉田かおるが離婚したからだ。そういうことにしておこう。
 寒い中、鳥を撮るためにじっと待っていると、「鳥の詩」と「池中玄太80キロ」を思い出す。私にもあの肉があれば、もっと暖かいんだろうか、と。でもあれは北海道の丹頂鶴仕様のボディーだとすると、内地ではこれくらいの肉でも我慢しなければいけないのだろう。そもそも、Tシャツ、セーター、ジャケットという格好が薄着過ぎるんじゃないのか? と、今一度自分に問いかけてみるところから始めたい。
 鳥はあんなに薄着なのになんで平気なんだろう? 鳥肌が立っているところをみると、やっぱり寒いのかな?

野に咲く花を抱えた裸の大将がこの春あなたの街に

花/植物(Flower/plant)
山渓の野に咲く花

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/60s(絞り優先)


 野草咲く春が待ち遠しい気持ちが昂じて、うっかり高い野草図鑑を買ってしまった。古本なのに1,200円とは生意気な。定価は3,000円。最近「Book off」の100円コーナーくらいでしか本を買ってないから、やけに高く感じられた。でもきっと気のせいだ。高くない、高くない、高くない。呪文のように自分に言い聞かせる。
「この本で名前が分からなかったらあきらめることにしている」、誰かが言ったそんなセリフが私の背中を押した。おいおい、押すなよ、危ないじゃないか。ん? 幻聴、幻覚か?
 今持ってるポケット図鑑は野草の種類が400なのに対してこれは1,000種類。倍以上の収録数だ。まさにポケット野草図鑑の決定版と言えよう。

 これでもう野草は私のものさ、分からない花などなくなるだろうよ明智くん、フフフ、と不敵な笑みを浮かべてページをめくって読み始めた私であったが、その5分後にはそっと本を閉じて見えないところに置いた。えーと、ちょっとあっちいっててくれるかな。いや、おなかの調子がね。うっ、なんか、大学の講義の教科書を初めて見たときの気持ちがよみがえってきた。来週は休講にならないかな。
 野草に関する知識や情報は全部詰め込んでみましたとでも言わんばかりの圧倒的なボリューム感にめまいがしそう。写真と文章で600ページにわたって余白というものがほとんどない。メモするスペースさえも与えませんよ、と高らかに言い放っているような気迫さえ感じる。こんな厳しい図鑑だったとは。手強すぎる。
 せめて季節ごととか、花の色ごととかに分けられていたら、初めて見た野草の名前を調べるときに絞り込みやすいのだけど、これはそんな甘えを許してはくれない。属や科ごとに分類されているから、まったく初めての野草の場合、最初のページからめくっていかなければならない。こいつは厳しいぜ。スパルタ教育だぜ。ゆとり教育はどこへ行った?
 これは上級者か、少なくとも中級者向けの図鑑とみた。初心者が野草の名前を覚えようとして初めてこれを買ってしまったら、あまりにも覚えなくてはいけないことが多すぎて野草離れを起こしてしまうんじゃないかと心配になる。私はどうかといえば、去年ドラフト4位で入団して今年もキャンプは2軍スタートなのに、いきなり4月から藤川、ウイリアムス、久保田の球を打てってのは無理です、ってな感じだ。3打席立って1回前へ飛ばせるかどうか、4打席目が回ってきたら自分から代打を送ってもらうようお願いしてしまいそう。どうやらこの図鑑、私にはまだ1年早かったようだ。
 とはいえ、ある程度知識がある人にとって花を見分けるのに非常に役に立つと思う。写真は花のアップだけじゃなく、引いたところや、葉っぱの形、その他特徴的な部分をくわしく解説してくれているのが嬉しいところ。フィールドに持っていって、その場で使うと野草の知識が一気に増えることだろう。

 図鑑はともかくとして、春の野草が楽しみなのは間違いない。そろそろオオイヌフグリが咲き始めたという便りも届いた。ヒメが踊り始めればもう春だ。去年見られなかったアズマイチゲを今年は見られるだろうか。2度目の野草の春は、できるだけたくさん見て回って、写真もいっぱい撮りたい。
 もう少し暖かくなったら私は旅に出よう。ランニングシャツを着て、短パンを履いて、小脇にスケッチブックの代わりにこの図鑑を抱えて、「野に咲く花のように」を歌いながら。
 そんな格好の頭を丸めた男が道ばたにしゃがんで写真を撮っているのを見かけときは、おむすびを与えてやってください。きっと私はこう言うでしょう。
「ぼぼぼくは、おおおむすびが大好きなんだな」
 そして、歌を口ずさみながら線路沿いに歩いて去っていくでしょう。
♪時にはつら~い人生も 雨のち~曇りで また晴れる~
 そんな~時こそ 野の花の~ けなげな心を知るのです~♪
 この春、あなたの街にも、カメラを首からぶらげた裸の大将がやって来るかもしれません。おむすびを握って待っていてください。

私をコンビニに呼び入れるたったひとつの冴えたやりかた

店(Shop)
おしゃれローソン

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/350s(絞り優先)


 名古屋の中心、丸の内桜通で、おしゃれローソン発見。名古屋らしくないハイセンスは名古屋人に受け入れられているんだろうか。
「名古屋の皆様が“こんなローソン見たことない”と思うこと間違いなしのお店です。」というコンセプトで作られたらしいけど、名古屋人ならこう言って驚く。こんなローソン見たことないがや、と。
 外装だけじゃなく内装や棚も、普通のローソンとはかなり違った様相を呈している。バイトの女の子だけは名古屋っぽかったが。
 面白い、こんなローソンもあるんだ。知らなかった。オープンは2003年6月だから、単に私が知らなかったけで、ここらによく来る人にとっては見慣れた光景なんだろう。私のように嬉しそうに写真を撮ってる人間など当然いなかった。これを撮った後、逃げるように走り去った私の姿を見た人々は何を思っただろう。まさか、私の知らないどこかでブログのネタになったりしてないだろうな。自分の行動には責任を持たなくてはなるまいな。

 調べてみると、全国には変わったローソンがいくつかあるようだ。
 北海道の札幌大通西九丁目店は大通公園にあわせた配色の外観になってるそうだし、宮城県の仙台一番町三丁目店は名古屋のこの店に近い雰囲気のようだ。新潟県のNSGスクエア店はアルビレックス新潟のチームカラーのオレンジ色、京都の八坂神社前店は歴史的な景観をそこなわないように配慮され、鹿児島の桜島店は桜島にちなんで茶色とのことだ。東京の元麻布ヒルズ店は高級マンションの中ということで落ち着いた黄色の配色で、内部も高級感が漂っているらしい。もちろん、私はどこも入ったことはない。変わったローソン巡りの旅に出る予定も今のところ全然ない。そもそもローソンに入る気さえない私なのだ。
 病院や大学、空港にもローソンは進出している。でも、愛・地球博には来てなかった。サツキとメイの家の予約のドタバタであれほど迷惑をかけておきながら。あのときはあやまるのが得意なローソン・イメージキャラクター高嶋政伸を呼んできてあやまらせるべきだったと思うぞ(もう古い?)。

 東京にはナチュラルローソンというものがあるらしい。名古屋にはないからどんな店なのかさっぱり分からない。関西にも数店舗あるようだ。名古屋というのは都会のわりにコンビニ不毛地帯のようなところがあって、セブンイレブンでさえ何年か前にやっとやって来たのだった。名古屋人気質とコンビニは相容れないものがあるのだろうか? それとも、サークルKが強すぎるからだろうか。
 現在全国でローソンは約8,000店舗ほどあって、セブンイレブンに次いで2位だそうだ。愛知県でコンビニといえば、まずはサークルKが思い浮かぶ。セブンイレブンがやって来たことでかなり食われているとはいえ、依然トップは変わりない。ローソンは昔からあったけど、あまり強い印象はない。ファミマと同じくらいだろうか。大雑把にいうと、関東はセブンイレブンで、関西はローソン、中部はサークルKという図式といえるだろう。
 ローソンは100円ショップにも進出して、「STORE100」というのを作ったそうだ。東京の人にはもうおなじみなんだろうか。これが名古屋にやって来る日もまだ遠そうだ。なんでもいいけど、名古屋でもペヤングを置かないと、セブンイレブンには勝てないぞと言いたい。

 1975年、大阪豊中市に日本のコンビニ第1号店「ローソン 桜塚店」がオープンしてから30年。まだたった30年だ。そういえば私が子供の頃はまだコンビニなんてなかった。初めてうちの近所にできたのは中学くらいだったろうか。どこの店だったかあまり覚えがない。生活に密着するようになったのは大学生の頃だろう。そう考えるとコンビニの歴史は意外と浅い。にも関わらず、これだけ人々の生活に浸透したのはすごいことだ。24時間営業というのも、昔は考えられないことだった。コンビニ、あっぱれと言いたい。
 でも、誰かが私に向かって、もうコンビニなしには生活は成り立ちませんね! と確信を持って言ってきたとしたら、そうでもない、と私は冷たくあしらってしまうだろう。だって私、生まれてこのかた、コンビニなんて50回くらいしか入ったことないんだもん。えー、そうなのー? と、自分でも驚く。どうもコンビニの雰囲気って苦手なのだ。その反面、ドラッグストアは大好きでよく行く。そこで買えないものはホームセンターへ行く。食品はスーパーの方が安いし、本や雑誌は本屋がある。夜中街をうろついたりしない。というわけで、私は明日日本中からコンビニが全部消え去ったとしても、まったく平気なのであった。まさにコンビニ業界の敵と言えよう。
 今後も、ごくまれにしかコンビニは利用しないと思うけど、もし、本格的メイド・コンビニができたときには、きっと必ず行くでしょう。秋葉原では遠すぎるので、大須あたりでお願いします。お弁当は、秀吉が信長の草履を懐で温めたみたいにしてくれるだろうか。想像してたらだんだんコンビニが好きになってきたような気がする(気が早い)。

フィルムスキャニングは名駅を超えて伊勢神宮へ

フィルム写真(Film photography)
真冬のヘクソカズラ

Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800/ D2400UF


 私が借りている月極駐車場の溝にヘクソカズラが間借りしている。区切られた駐車スペースが私のものだとしたら、このヘクソカズラも私のものということになるのだろうか。夏には白い可憐な花を咲かせ、秋は黄金色の実をつけていたこいつは、真冬の今も葉と実はしぶとく残り、凍える空気の中でもしっかり生きている。遠い夏を待ちながら。
 この実はツグミやヒヨドリが好きらしいけど、こんなところまでは食べに来ない。どこにでもヘクソカズラはあるから。この後、葉はだんだん枯れ落ち、最後はツルと実だけが残る。
 昔は実をつぶして汁をしもやけやあかぎれに塗っていたそうだ。夏場はその名の通りつぶすと強烈な匂いがするけど、冬の実はそれほどでもないはずだ。だからといって、自らつぶして手にすり込んでみようとは思わない。私はニベアを塗っている。冬場の私はニベア臭いので注意が必要だ。
 これから春になってヘクソカズラはどうなるんだろう。注意して観察し始めたのは去年の夏からだから、春の様子は知らない。このまま自分のものとして温かく見守っていこうと思う。

 今日はヘクソカズラの話じゃなくて、フィルムカメラとスキャナの話を少ししたい。
 これまでフィルムはローソンで現像とプリントをして(500円)、「カメラのキタムラ」でCD-Rにしていた(530円)。でも、毎回1,000円以上かかるのは気に入らなかったので、スキャナを買って自分でCD-R化することにした。画質を求めるなら専用のフィルムスキャナなんだけど、昔のはSCSI接続だし、最近のは高い。1万円以上もしていたら、いつになったら元が取れるか分からない。なのでなるべく安いものとして選んだのが、フラットヘッドのスキャナのCanon CanoScan d2400UFだった。送料をあわせて2,500円。これならフィルム5本で元が取れる。
 光学解像度2400dpi、階調表現力48bit入出力と、スペック的には必要充分だ。デジカメの画素数に換算すると770万画素相当ということになる。

 使ってみた第一印象としては、とにかくやたら時間がかかるというものだった。スイッチオンから写真一枚取り込むのに10分くらいかかる。フィルムをセットして、ホコリが付いてないか確認して、プレビューして、小さい画像を見ながら補正して、ようやく取り込み開始。そしてあとは待つ。更に待つ。ひたすら待つ。待ちくたびれてよそ事を始めて、そろそろ終わったかなと見てみると、まだ80パーセントかよ! ってな具合だ。
 デジカメの画像取り込みの面倒さをコンビニにおにぎりを買いに行く程度だとすると、フィルムのスキャナ取り込みは名鉄バスに乗って名古屋駅まで行ってJR高島屋の「蓬莱軒」でお持ち帰り専用のひつまぶしを買って帰ってくるくらいの面倒さに相当する。こりゃたまらん。トイレでも行ってくるか。
 画質に関しては、解像感が足りないというよりも輪郭のシャープさが足りない。これは多くの人が指摘してるように、フォーカスが甘くてピンぼけのような感じになってしまう。取り込んだままの写真は、寝起きの見栄晴みたいにぼや~んとしてる。もっとシャキッとしようぜ、とひと声かけたくなる。レタッチソフトでシャープを強めにかければ結果的には見られるようになるのだけど、もう少しシャープ感が欲しいところだ。
 このD2400UFにもエラいところはある。それが自動ゴミ&キズ補正機能だ。これはフィルム面のキズやフィルムについたホコリを自動的に取り除いてくれる優れた機能で、とっても効果的なのだ。フィルムはどうしてもホコリを吸い取りやすくてそれが写り込んでしまいがちだけど、これを使えばきれいに取り払ってくれる。こりゃいいや、と思いきや、この機能をONにしたとたん、読み込み時間は更に倍! となり、面倒さの度合いは名古屋駅を超えてお伊勢さんまで赤福を買いに行くくらいに跳ね上がってしまうのだった。なんじゃそりゃー。風呂にも入れそう。

 キタムラなんかのCD-Rとの比較でいえば、同等くらいかなという印象だ。あちらは200万画素でしかないけど、専用のフィルムスキャナを使っているアドバンテージがある。ただ、自分でやれば好みに仕上げられることを考えると、買って損はなかったと思えた。私の場合は、フィルム一本分丸ごとスキャンするわけじゃなく、断想日記プラスワンで使う写真を数枚スキャンするだけだから、多少時間がかかるのはそれほど問題じゃない。逆に言うと、たくさんのフィルムを全部スキャンするならこれは駄目だ。時間と手間がかかりすぎるからオススメできない。素直に店に出すか、専用のフィルムスキャナを買った方がいいと思う。
 ライバル機としては、エプソンのGT-9700FやGT-9300UFがある。こちらの方が画質に関しては評判がいい。読み込み速度も速いらしい。ただし、ゴミ取り機能がないのが残念なところだ。オークション相場もD2400UFと比べると高い(5,000円くらい)。

 ここまで書いてきてふと浮かんだ疑問を自らにぶつけてみる。あえてフィルムで撮る理由って何? と。
 今更それを言うかって感じだけど、確かにその問題は常につきまとう。デジはランニングコストがかからないし、すぐに写真を使えて、画質も同じか上だ。デジのデメリットはほとんどない。フィルムのよさといえば写真の味くらいのものだろう。
 フィルムは趣味だ、という弱い声がする。趣味か。なるほど、そう思えばいいのか。「時効警察」の中でも又来さんが、「趣味がないと結婚も出来なければ、ケツの穴も小さい」と言っていた。私もあえて時効になった事件の捜査を趣味とした霧山を見習ってフィルムで撮ることを趣味としよう。
「上手くいかなくったっていいんじゃない? 趣味なんだからさ。」
 私もこのスタンスでいこうと思う。

健康優良児アイ、予防注射でお疲れのご様子

猫(Cat)
PCの上のアイ

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/4s(絞り優先)


 1月はアイの予防注射の月だ。そのことを察したわけでもないだろうけど、キャリー・ゲージを見せたとたんに逃げ腰になるアイ。追う私。逃げるアイ。追いつめる私。捕まり暴れるアイ。そんなひと悶着がありつつも、なんとかゲージに押し込んで病院まで連れて行った。途中鳴き通し。頭では分かってなくても、本能で何か不穏な気配を感じるのだろう。さすがにケモノだ。しかし、地震予知はまったくできないようで、この前震度4の地震の時は、揺れてからムクッと半身だけ起こして、ん? なんか揺れてる? ってな感じでちっとも危機感がなかった。地震感知レーダーは人間以下のようだ。私の方が早く気づいたくらいだから。あれじゃあ地震予知には役立ちそうもないし、そもそも自分の身さえ守れないんじゃないかと心配になる。

 病院に入ると観念したのか、急におとなしくなった。まさに借りてきた猫状態。病院の先生にとってはおとなしい猫ということになっている。家でのワガママぶりとヒステリーを見せてあげたい。
 予防注射というのは、半分は気休めのようなものかもしれないけど、アイの場合外へ出かけていくから、一応しておいた方がいいだろうと毎年している。病気になってから悔やむよりも少しでもできることはしておいた方が気が休まる。だから、アイのためというより私のためと言った方がよさそうだ。彼女にしては迷惑な話かもしれない。首をもたれて、チューとやられている間、何やら神妙な顔をしていた。
 注射は三種混合ワクチンというやつで4,000円。特に高くもなく安くもない標準的な値段だと思う。内容は、ウィルス性鼻気管支炎、カリシウィルス感染症、汎白血球減少症の予防というものらしい。これに白血病ウイルス感染症を加えた四種混合ワクチンというのもあるようだ。人間でいうところのインフルエンザの予防接種と同じようなものだから、絶対ではないにしても、それなりの効果はありそうだ。家猫なら必要ないかといえばそうとも言い切れない。人間が他の猫と触れて持ち込むこともあるし、脱走したりしたときに感染してしまうこともある。感染はやはり人と同じように他の猫からになる。外に出かけていくということは、交通事故に加えてそういう部分での危険もあるわけだ。

 アイは猫の中では健康優良児と言っていいくらい飛び抜けて丈夫なやつだ。人間の児童なら健康メダルがもらえるに違いない。うちに来てから3年になるけど、風邪ひとつひかない。調子悪そうな日さえなく、メシを食べない日は一日たりともない。栄養をしっかりとって、7階と1階を毎日2、3往復して、外で暴れまくって体を鍛えてるせいだろう。
 メシはよく食べるのに、体重は3.5キロしかない。やせていてではなく筋肉質でこの体重なので非常にしまっている。腹にも無駄な肉はない。触るとムキムキしている。もう少しポチャッとしてた方がかわいげがあるんだけど、筋肉モリモリ女猫というのもそうはいないから、これはこれでいい。

 病院から帰ってきたらさすがに疲れたのか、少しぐったりしていた。注射の影響もあったのかもしれない。そのまま長い時間眠り続けてちょっと心配したけど、起きたらメシをたらふく食っていたので大丈夫だ。病院へ行くまでに気疲れしただけだったのかもしれない。
 メシといえば最近、ますます好みがうるさくなってきて困る。基本食はカリカリなんだけど、そのカリカリも特定のものしか食べないし、それだけでは決して満足しない。猫缶も決まった銘柄のものしか食べない。イヤなものをやると、顔を歪めて後ずさって逃げていく。わー、せっかく開けたのに、どうするんだよー、と私は泣きそうになる。食べかけの猫缶も、残したものは時間が経つと絶対に食べようとしない。食べる銘柄が何故かマイナーなのもやっかいだ。はごろもフーズのグルメクイーンとか、まぐの殿堂とかいう、普通の店で売ってないようなやつしか食べないから、わざわざ遠くのペットショップまで買いに行かないといけない。なんで、キミはどこにでも売ってるカルカンとかモンプチとかを食べないだ? 私への嫌がらせか!? 値段が高ければいいわけでもなく、安いものでも好きなものは食べる。そのへんの基準がよく分からない。
 それからおやつというか、猫の食べ物以外の何かを一日一回食べないと納得しないので、これも頭を悩ませる。欲しがっても放っておくと、いつまでの大声で鳴き続けて、無視すると本気で飛びかかってくる。なんてやつだ。
 少し前まではホタテが好きでやってたけど飽きて食べなくなった。次にエビをやるようになったけどこれもそろそろ飽きてきたようだ。また別の何かを見つけなくてはいけない。イカ、タコは好きだけど体に悪いからやれないし、肉やハムも気まぐれに食べたりするけど常食にするほど好きでもなさそうだ。刺身は人間用は高すぎて毎日やれないし、安いやつは食べようとしない。どんだけ贅沢なんだ、と思う。実際、そう言って叱ることもある。でもますます反抗的な態度で鳴き続けるアイなのであった。育て方を間違えたの、私? 積木くずしの穂積隆信の気分だ。

 冬の間家で過ごす時間が長かったアイも、春になればまたハンターとしての血が目覚めて外で過ごすことが多くなるだろう。いちいちくわえてきたものを1階まで逃がしてやりにいかないといけないのが面倒だけど、外で遊んでくれていた方が楽ではある。
 ところでこんなにお世話係として尽くしてる私なのに、アイは外で私を見ると逃げていく。なんでぇ~? まるで見知らぬ人から逃げるように走り去っていく。名前を呼んでも戻ってこない。もう3年も同居してるのに、外では私の見分けがつかないんだろうか。ときどき、アイが賢いのかアホなのか分からなくなることがある。それとも、私がおちょくられてるだけなんだろうか?

ステンドグラスが作り出す光の中で ~平和公園虹の塔

施設/公園(Park)
虹の塔の光

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/4s(絞り優先)


 千種区にある平和公園の中に「虹の塔」というものがある。何度か離れたところから見たことはあったけど入ったことはなかった。今回初めて近づいて中に入ってみた。そして見上げてみると、そこには七色の光があった。
 まさに虹の塔。不思議な光沢のある光だ。人工的なライトにも見えるけど、実際は色付きのガラスを通した太陽光だそうだ。どういう仕掛けになっていうのかはよく分からない。プリズムがどうとかこうとかで光を反射させているらしい。
 虹の塔、英語でいえばレインボウタワー。しかし、そんな大げさなものではなく、高さ21メートルほどの細長い塔状の建物でしかない。内部もこの光の空間がしかなくて、せいぜい2畳くらいだろう。四方吹き抜けだし、こっそりここで暮らすのは無理がある。一応寝ころべるから夏場はいいかもしれないけど、冬場は厳しい。
 なんでも春分と秋分の正午には太陽が塔の真上に来て、虹の光が足下まで降りてくるように設計されているという。それは面白そうだからぜひ見てみたいところだけど、こんな狭い中に何人入れるというんだろうか。100人入ってもダイジョーブ、とイナバ物置のような感じでみんな和気あいあいとなるのかどうか。実際は20人も入れば満員電車のようになってしまうような気がする。そのときは両手は見える位置に挙げてあらぬ疑いをかけられないように気をつけねばと思う。そういう目的で秋分の日の正午にあわせてここを訪れる人はいないだろうけど(だいいち、若い女子がいるとも思えない)。

 虹は七色だと私たちは教えられた。でも、欧米では6色と教えてるそうだ。コケコッコーがクックドゥードゥルドゥと聞こえるだけじゃなく、虹の色までそんなことを言ってるのか。耳と目の作りが日本人と欧米人とでは違うんだろうか? 確かに赤、橙、黄、緑までははっきりしてるけど、ここから青、藍、紫と区分するのは多少無理があるかもしれないとは思う。ただ、やっぱり虹は7色にしようよと言いたい。6色ではなんとなく収まりが悪いではないか。7の方が数字的にもバランスがいいし。欧米でも7は好きなはずだ。虹が6色なんて言われると、七並べが六並べに変わってしまったような居心地の悪さを感じる。
 虹の7色の覚え方はいろんなところでいろんな人が考えている。「青木見合いする」とか、「あたいキミを愛してる」とか面白い。ちょっと紫の扱いに無理があるけど。
 赤橙黄緑青藍紫、私は逆から、試合見終わり三木谷赤面と覚えよう。

 若い頃はステンドグラスなんかにはちっとも興味がなかった。ただの色付きガラスを見て何が面白いんだと思っていた。歳を取ることのよさのひとつに、昔は分からなかったもののよさが分かるようになるということがある。私にとってはステンドグラスもそのひとつだ。少しずついいもんだなと思うようになったきたところに、千種区にある布池教会で見たステンドグラスが決定的だった。外からの光がステンドグラスを通して床にさまざまな色を描く様がなんとも美しかったのだ。なるほどこれが神の光と言われるゆえんなのかと、そのとき初めて理解した。
 多治見修道院のステンドグラスもよかったし、明治村でもいくつか見た。個人宅に使われてるものとしては川上貞奴邸で見たのも印象に残っている。
 いつか、パリとアントワープのノートルダム大聖堂のステンドグラスも見てみたい。自分が死にそうな気がしたら行ってみることにしよう。ネロとパトラッシュと同じように。ステンドグラスが作る日だまりの中で倒れて息を引き取ることができたら、それはとても素敵なことだ。でも、今は完全に観光地になってるから、そう簡単にはいかせてもらえなくて、異国のおっさんに人工呼吸されてしまったり、救急車を呼ばれて蘇生措置をとられてしまいそうだ。そんなときは持参したモチをポケットから取り出し飲み込んでみるか。
 ノートルダム大聖堂で日本人、モチをのどに詰まらせ死亡。
 なんだかロマンチックからはほど遠くなってしまったけど、いい死に方ではあると思う。テレビからそんな微笑ましいニュースが流れたら、笑ってやってください。
 まずその前に春分の日はこれで回らなければならないところがひとつ増えた。東山給水塔は後回しにして、正午にこっちで、午後からあっちにするか。3月21日、私はそのあたりをうろついてるはずです。目印は、藤木直人に似ても似つかない男が「天使ノ虹」を口ずさんでます。

上の空で作ったサンデー料理は学食以上ファミレス未満

料理(Cooking)
上の空のサンデー料理

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/20s(絞り優先)


 今日はデジを落としてレンズがバラバラになるという失神寸前の出来事が起こり、半分上の空で作ったサンデー料理だった。涙で滲んで前が見えなかったのは、タマネギを切っていたせいだと思いたい。
 人の暮らしの中ではときに思いがけないことが起こるわけで、その中で毎日安定した料理を作るのはとても難しいことだと知った。お母さんがその日どんな気持ちで料理を作ったかまで子供や旦那さんは考えないだろうけど、お母さんはけっこう大変なのです。料理なんて作ってる場合じゃないときもあるのです。私はお母さんじゃないけど、その気持ちが今日ほんのちょっぴり分かった気がした。そんなことより、私のレンズがぁぁぁ。

 しかし、上の空で作ったわりにはまずまず出来は良かった。少し失敗した部分もあったけど、自己採点で75点は付けられる。人にはギリギリ出せるかどうか微妙なところだけど、肉親なら大丈夫だろう。おなかを減らして楽しみに帰ってきたお父さんだと少し文句が出るかもしれない。つきあい始めて1年も経った彼女なら、あーだこーだと言われそう。でも学食よりは美味しいはず。
 メインは魚料理で、白身魚のトマト煮込み。今回はメカジキを使ってみたけど、白身ならなんでもいい。個人的にはカレイの方が美味しそうだと思った。
 ニンニク、タマネギのみじん切り、マッシュルームをバターで炒めて、そこに切ったトマトとトマトジュース、白ワイン、砂糖を入れて煮込む。魚は塩コショウしたあと小麦粉をまぶして焼いて、トマトソースに入れてしばらく煮込めば完成。お好みで粉チーズなどを振ってもいい。これはけっこう美味しかったのでおすすめしたい。
 ご飯はトマトジュース・ピラフ。水の代わりにトマトジュースで炊いている。野菜ジュースでもいいらしい。分量は米1に対して1.2くらいのトマトジュースと、チキンブイヨンかコンソメの素1個、酒少々、塩コショウ、炒めたタマネギを入れて、あとは普通に炊くだけ。これも簡単なわりに意外といける。
 もうひとつのメイン、クリームシチューは今回初の試みで、一から作ってみた。野菜類とベーコンをバターで炒めたあと、水をくわえてコンソメの素と塩コショウで味付けてしばらく煮込む。ここにホワイトソースを入れるわけだけど、これが難しい。今回ネットに載ってた電子レンジで作るホワイトソースというのに挑戦してみたけど、完全に成功したとは言えなかった(小麦粉を敷いた容器にバターを載せて溶かして、牛乳を2回に分けて温めるという方法)。小麦粉とバターと塩コショウだけでは味のインパクトが弱い。コンソメで下味を付けたとはいえ、もう少しホワイトソースにも何らかの味付けが必要だと思う。それが何なのかは分からないけど。
 左奥のはふわふわ豆腐。絹ごしをすりつぶして、しょう油、ダシ、酒、みりん、塩コショウを煮立たせて、そこにつぶした豆腐を入れて更に煮立てる。ぐつぐつに沸騰させるのがコツだ。最後に溶き卵を入れ回したら完成。普通に豆腐を食べるのに飽きたときなどにいい。

 今回もまた作りすぎた。おなかいっぱい状態から1割くらいオーバーした。自分が作ったものは捨てるのに忍びない気がして、つい無理して食べてしまいがちだ。世の奥さんたちの体型はこんなところからも来ていたりするのかもしれない。今後は腹九分目の量を狙って作れるようになりたい。
 満腹になったところで、再び壊れたレンズを手にした。そしたら、食後で糖分が脳に行き渡ったのか、そうか! ここをこうはめて、こうして、ここで合わせてはめ込めばいけるかも! とひらめいた。やった! 見事レンズは元の姿を取り戻したのだった。おー、偉いぞ、レンズ。よくぞ戻った。おかえりなさい。うん、大丈夫、ちゃんと動くし、写りもおかしくなってない。いやはや、よかった、よかった、嬉しいな。プラスマイナスゼロなのに、すごく得した気分だ。
 人間、行き詰まったときはめしを食えってことだ。やったね、父ちゃん、明日もホームランだ!
 しかし、手元に残った黒い小さなプラスチックの部品が気になるぞ。指にはさんで、迷子の部品に語りかけてみる。キミはどこの子だい?
 再びレンズがバラバラに分解する日は近い!?

マーシュマロウとの再会からコラーゲン大作戦が始まった

食べ物(Food)
マーシュマロウ・サプリ

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚)


 少し前にマシュマロのことを書いたとき、マシュマロの語源が沼地の葵を意味するマーシュマロウ(marsh mallow)であることを知った。それ以来、私の中でマシュマロはマーシュマロウとなった。なんだか耳に心地良い素敵な響きだ。マーシュ・マロウ、アメリカ探偵小説の主人公みたい。
 そしてまた今回、思いがけない角度からマーシュマロウと再会することになった。
 ドラッグストアで私が探していたのはマーシュマロウではなく、ブルーベリーだった。鳥目疑惑のある私の救世主となるべきブルーベリーを探してサプリメント・コーナーをうろついているとき、こいつと目があった。あ、久しぶりです、マーシュ・マロウさん。こんなところにいましたか。それじゃあ、また、と別れようとしたとき、値札を見ると105円とある。行きかけて戻り、今後ともよろしくお願いしますと心の中で挨拶しつつ、買い物カゴに入れた。
 その隣にはコラーゲン・マシュマロ。これまた105円。キミもいっておこう。コラーゲンは肌だけじゃなく体全体にいいらしいから、105円なら安いもんだ。って、逆に安すぎないか? いまひとつふたつ、説得力を欠く値段設定ではあったが、まあいい、マシュマロを買うと思えばいいのだ。ブルーベリーやコラーゲンはオマケみたいなものだろう。

 家に帰ってきて、早速食べてみたところ、普通に美味しかった。サプライズ人事はなし。マシュマロ本体もノーマルだし、特に変わったところはなかった。ブルーベリーも少し入っているようで味はそれっぽかった。これで体によければ言うことない。美味しいから常食したっていい。コラーゲンだって3,000mgも入っている。
 と喜んだ私であったが、このミリグラムにはだまされてはいけないというのを思い出した。昔リポビタンDのCMで、タウリン1,000mg! と大きな声で叫んでいたけど、よく考えたらそれって1gじゃないかと気づいた日のことを。3,000mgもグラムにしたら3グラムでしかない。1円玉3枚分だ。しかも、ひと袋でだ。数字のマジックに踊らされてはいけないぞ、私。
 裏の説明を読んでみると、人が一日に必要とするコラーゲンの量は5gです、と書いてある。なにー!? ということは、必要量を摂取するためには、毎日来る日も来る日もこのマーシュマロウを2袋も食べなくてはいけないってことか!? それは厳しい。厳しすぎるぞ。お金だって、毎日2袋となると、一日210円もかかってしまう。月にしたら6,000円以上だ。これはむしろ高いぞ。素直にサプリメントを買っておいた方が安いんじゃ?
 というわけで、早くもブルーベリー&コラーゲン・マーシュマロウで奪取計画は暗礁に乗り上げたのだった。

 このままでは終われないと、コラーゲンについて少し勉強してみた。何を食べれば摂取できて、どう体によくて、何から摂れば一番安いのかを知るために。
 コラーゲンというと、化粧品のイメージが強くて、男には関係ないんじゃないかと思っていたけど、まったくそうではなかった。人間の体を形づくるタンパク質で、全タンパク質の3分の1がコラーゲンなんだそうだ。皮膚だけじゃなく、骨や内臓や血管もコラーゲンでできているという。体重の6%がコラーゲンというから、いかに大事なものか分かる。
 日本人の平均的な食事では約3g~4g程度しか摂取できていなくて、慢性的なコラーゲン不足となっている人が多いらしい。やはり一日ひと袋のコラーゲン・マシュマロが必要なのか!?
 食事で摂るには、アナゴ、うなぎ、鯖、サンマ、どじょう、フカヒレ、フグ、ブリ、あわび、魚のアラ、なまこ、すっぽんなどがいいらしい。って、すごく難易度高くないか、これ? 日常的にはほとんど食べることのない珍味ばっかりではないか。恐るべし、コラーゲン。
 肉類で摂るなら、鶏手羽先、豚足、軟骨、マトンなどが多く含まれているというんだけど、これまた厳しい顔ぶれだ。そんなところに潜んでやがったか。どうやら間違いなく私も慢性的なコラーゲン不足に陥っているようだ。

 コラーゲンの体内含有量は20歳代でピークを迎え、あとは減っていく一方だ。40歳代になると半分以下になってしまう。なんて悲しい減少。いや、しかし逆に言えば、コラーゲンさえピーク時と同じくらい体内にあれば若いときと同じ状態を保てるということになる。ここはやはり、コラーゲン復活大作戦を再開しなければなるまい。荒技だけど毎日ゼラチンなめてみようかな。
 肌荒れだけじゃなく、目の疲れによく、動脈硬化や骨粗鬆症の予防にもなるという。ビタミンCと鉄と一緒に摂ると更に効果が上がるらしい。
 コラーゲン! カンバ~ック! とシェーンのラスト・シーンのように私は叫ぶだろう。でもシェーンは結局戻ってこなかったんだよな。ということはコラーゲンも戻ってこないんだろうか。アイ・シャル・リターンと言っておくれ、コラーゲン。

 ビタミンB、Cから始まって、鉄分、亜鉛、うこん、コエンザイムQ10、大豆イソフラボンなどなど。思えば「発掘!あるある大事典」に踊らされていろんなサプリメントを買って飲んできた。全部マチャアキのカミさんのせいだ(それは違うだろう)。実際どれほどの効果があるのかは深い霧に包まれていて見えないサプリだけど、一度飲み始めてしまうと、やめたら悪くなるんじゃないかという不安感から惰性で飲み続けてしまうのが特徴だ。薬ではないという安心感も手伝って。私も例外ではなく、見事にサプリ業界の術中にはまってしまっている。病は気からというから、これが気休めになって健康につながっているならそれでいいのだけど、本来なら血液検査でもして実際に何がどれくらい不足してるかを自覚してから摂った方がいいのだとは思う。
 若い頃の私は、健康に気を遣う大人を見て、そんなに長生きしてどうするんだよ、なんて思っていたけど、今の私は若かった頃の自分に言いたい。長生きしたいんじゃない、目先の健康が欲しいんだ、と。かつて、「健康のためなら死んでもいい」という名言を残したおやじさんがいたけど、私もだんだんその境地に近づいているかもしれない。
「発掘! あるある大事典」を毎週観ながら、早くこの番組終わってくれねえかな、と思う。これさえなければサプリの呪縛から解き放たれそうな気がして。
 よし、次はαリポ酸マシュマロを探そう(全然懲りてない)。

近所の雨池に白い奴が現れた

野鳥(Wild bird)
はじめてのミコアイサ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先)


 思いがけないところで思いがけない鳥と出会った。金城学院大学近くにある雨池にミコアイサがいるのを発見。おお、どうしてキミがそんなところに!? 驚いた。でも偉いぞ、こんな住宅地のローカルな池にやってくるなんて。お仲間はどうした? ひとりかい? 見渡したけど、他のオスもメスもいない。ひとりぼっちで不安なのか、カルガモ軍団に混ぜてもらっていた。しかしその白装束、よく目立ちますね。パナウェーブはどうなった?
 冬の白いアイドル、ミコアイサ。別名パンダガモと呼ばれ、鳥好きの間で人気が高い。パンダというよりも、月光仮面に近いと思うのは私だけだろうか。全身白ずくめに黒いサングラスが凛々しいぞ。
 例によって喜んで連写する私。しかし、池の周りを歩くおばさま、おじさま、ちびっこたちが白いアイドルに興味を示すことはなかった。むしろ、興味の対象は私だったかもしれない。何撮ってるんだこの人、みたいな視線を感じたのは被害妄想だっただろうか。

 ミコアイサは漢字で書くと神子秋沙。ミコは白い巫女さん姿を連想させるところから来ている。アイサは歯のあいさに物がはさがったのあいさではなく、秋の早い時期を表す古語「秋早(あきさ)」に由来しているそうだ。ミコアイサ~と伸ばすと沖縄弁っぽい。
 名前の通り秋になるとやって来るのだけど、他のカモと違うのは、まずメスが早くにやって来て、その後遅れてオスが飛んでくるという点だ。帰っていくときもまずオスが去った後メスが行く。一夫多妻で、1羽のオスが数羽のメスを引き連れてることがけっこうある。けどだからといってオスの権限が強いわけではないようで、人間界でいうところの女系家族に近いかもしれない。メスはオスからは想像できないような非常に地味な茶色をしていて、人間から見るとオスにだけ人気が集中するけど、ミコアイサ界ではオスよりメスの方が力を持っていそうな感じがする。

 他のカモに比べると飛来数はかなり少ない。年間2,500とか3,000羽くらいだそうだ。単純に3,000羽を47都道府県で割ると、一県あたり約63羽だから、見られる確率は高くないことが分かる。全部が単独で行動してるわけではなく、ある程度群れていて、オスの数も少ないとなると、運が良くないと見られないのだろう。私も初めて見た。
 夏場はユーラシア大陸の北の方で過ごして子供を産む。北海道でわずかに繁殖した例があるらしいけど、日本でヒナを見たという人はほとんどいないんじゃないか。
 子育ては春から初夏にかけてで、メスが担当する。オスはほとんど役に立たないけど、さすがに子育ての大事な時期に白スーツでめかし込んでる場合じゃないので、メスとそっくりな地味な衣装に衣替えする。自然界において白というのは目立ちすぎるのだ。戦場のガンダムのように。強ければいいけど、ミコアイサは決して強くない。むしろ弱気な方で、日本でもいつも岸から遠い安全なところにいる。警戒心が強く、仲間も少ないので、他のカモに守ってもらおうとさりげなく別のカモ軍団の近くにいたりする。
 などと書いていたら、だんだんミコアイサのオスが二枚目のヒモみたいに思えてきた。これを読んで初めてミコアイサのことを知った人に歪んだイメージを植え付けてしまわなければいいのだが。いや、ミコアイサのオスに悪気はないんです。根はいいヤツなんですよ。信じてやってください。かばおうとすればするほど深みにはまる。
 メシに関しては決して弱気ではない。ベジタリアンのカモが多い中、こいつらは肉食だ。魚も食べるけど、それより貝とかエビちゃんとか水中の昆虫とかの歯ごたえのあるものを好んで食べる。そのために、クチバシには歯のようなギザギザが付いていて(懐かしいギザジュウを思い出す)、先端がカギ型に曲がっている。潜水も得意で、けっこう長い間潜って獲物を捕まえる。自分の食い扶持くらいは自分で手に入れるぜ、オレはヒモじゃねえんだ、とミコアイサのオスは訴える。

 説明すればするほど、格好いいんだか悪いんだか、強気なのか弱気なのか私にも分からなくなるミコアイサだけど、あまり見られないやつなんで、池なんかで見かけたら喜んでくださいね。
 そして、その白いスーツとサングラスが似合うのは、往年の石原裕次郎と小林旭とキミしかない、と私が誉めていたと伝えてください。

太宰府へいつかきっと私も飛梅のように

神社仏閣(Shrines and temples)
名古屋三大天神

Canon EOS D30+EF50mm(f1.8), f1.8, 1/4s(絞り優先)


 今年はたまたま巡り合わせで、何人かの知り合いが受験生を抱える受験ラッシュとなった。しかも、何の因果か敗者復活戦が多い。私自身は高校も大学も入れるところにありがたく入れていただくというスタンスで神頼みも勉強もまったくといっていいほどしなかったのだけど、一年間勉強してまで入りたい大学があるという受験生のためには少しでもお役に立ちたいと思った。ここはひとつ、私も天神さんに出向いて神頼みといこうではないか。

 やって来たのは名古屋の中心、桜通りにある桜天神社。うわっ、すごいロケーションにあるな、と驚く。大通りに面したオフィス街の並びに、周りを高いビルに囲まれて縮こまるようにしてそれはあった。地上げ屋にも屈せず、最後まで立ち退かずに頑張る老舗の小売店のようだ。カメラを持ってうろついてる私は完全な場違いで、周囲に溶け込めない。いや、怪しい者じゃないです、えへへ、と愛想笑いを浮かべながら、逃げるように鳥居をくぐった。しかし、一歩中に入ってしまえばやはりそこは日常ではない異空間。支配してる空気感が違う。他に人影もなく、ひっそりと静まりかえっていた。
「防犯カメラ作動中」というプレートにややひるみながら、写真を撮りまくる私。これでもかってほど。まいったか、と誰にともなく言ってしまうほどの勢いをみせる。大部分が手ぶれ写真となっていることは、まだこの時点では気づいてない。そんなぁ。
 防犯カメラに向かって微笑みながら100円玉を投げ入れ、思いつく限りのお願い事をした。あの子もあの子もあの子もよろしくお願いします。良きに計らってください。受からないものも受からせてください。ついでに私のこともよろしくメカドック。
 ……菅原道真さんに私のナイスなジョークは通用しただろうか。
 写真も撮りまくったし、お願い事も済んだし、すっかり満足した私は桜天神社を後にすることにした。そういえば路上駐車した車が気になるぞ。いかん、もう一度振り返って追加のお願い事をしなくては。道真さん、どうか私の車がレッカー移動されてませんように。

 名古屋には三大天神と言われるものがあって、この桜天神社はそのひとつだ。上野天満宮と山田天満宮は去年行ったから、これで全部制覇したことになる。その点でも気分がスッキリした。道真さんともすっかり友達気分。
 他にも天神さんは全国にたくさんある。1万4,000くらいあるそうだ。こりゃあ、菅原道真もこのシーズンは大忙しだ。絵馬を読むだけでも大変そう。私の願い事をしたときは徹夜続きでうとうとしてる時間帯だったかもしれない。それはまずいぞ。あの子たちが受からなかったら私のせいになってしまうんじゃないのか? そうならないことを願いたい。

 そもそも何故菅原道真が天満宮に祀られるようになったかというのを知っているだろうか。私は太宰府に左遷されたことと、頭の出来が良くて、字が上手だったことを知ってる程度で、詳しいいきさつは知らなかった。調べてみると、そこには意外な経緯があった。
 子供時代から飛び抜けて賢く、大人になっても大秀才だった道真はとんとん拍子で出世したのだけど、それが逆に災いした。宇多天皇に重用され右大臣にまで上り詰めたまではよかったが、醍醐天皇のときに力をつけすぎた藤原氏を抑えるために登用されたことで藤原氏の反発を買って、九州に左遷されてしまうことになる。そこで道真は嘆きの日々を送り、病気になって2年後58歳で死んでしまったのだった。
 しかし、話はここで終わらない。それからほどなくして、道真左遷に関わった人が次々を謎の死を遂げることになる。関係者やその子供たちがホラー映画のようにバタバタとやられていって、しまいには醍醐天皇までおかしくなって死んでしまう。都はもうパニックだ。道真の書いたものは燃やしてしまえと書籍を燃やしてると、その燃やしてる人に火がうつって焼け死ぬわ、関係者の家族が集まってるところに雷が落ちて燃え死ぬわで、収まりがつかなくなってきた(天神さんというのはこの雷から来ている)。なんとか怒りを静めるためにと建てられたのが京都の北野天満宮というわけだ。太宰府にも太宰府天満宮が建てられた。それでどうにか騒ぎは静まったんだけど、菅原道真は怨霊デビューだったのだ。
 そこからどういう流れで学問の神様として尊敬されるようになったかといえば、道真の仕事が後世、特に江戸時代に入ってから評価されるようになったからだ。道真を尊敬する人も多かった。この桜天神も、信長のお父さん織田信秀が道真好きで、北野から道真の木造をもらったことが始まりだし、上野天満宮は阿倍晴明がこの地に住んでいたときに道真を祀って建てられたと言われている。
 菅原道真というと、学問の神様ということでお堅い立派な人物のイメージがあるけど、実際はとても人間的な人だったのだと思う。悲しいときは嘆き、天皇を疑いなく敬愛し、ときには激しく怒り、梅をこよなく愛するセンチメンタリストでもあった。
 左遷されていくときに詠んだ有名な「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という歌も道真の情緒的な面をよく表している。飼い犬をかわいがって話しかける人のいいおじさんみたいだ。

 天神さんは受験のお願いに行くだけのところじゃない。普段でもふらっと立ち寄って、道真さんに挨拶しつつ、いくつになっても勉強しなくちゃなという思いを新たにさせてくれる場所だ。冬場は忙しいだろうけど、それ以外なら、やあ、道真さん、元気ですか? と気軽に行けばいい。

♪東風吹けば 東風吹かば君は
何処かで想いおこしてくれるだろうか
大宰府は春 いずれにしても春♪

 まっさんこと、さだまさしの「飛梅」の歌詞を思い出す。この歌の意味もよく分からず感動しながら聴いていた私は変な小学生だった。いつか太宰府天満宮へ行こうと決めてまだそれは果たされてない。いつかきっと、梅が咲く季節に行きましょう。道真さん、待っていてくださいね。かつては地の果てのように感じられたであろう太宰府も、今ではあのときの梅と同じように一夜で飛んでいける近い場所になった。
 もうすぐ梅が咲く季節だ。そのころまでには道真さんも忙しい仕事から解放されて、ゆっくり梅を眺めることができるだろう。その前に、お願い事の件、よろしく頼みました。

大晦日は久国寺に10億円の岡本太郎鐘をつきにいこう

神社仏閣(Shrines and temples)
岡本太郎の鐘


 この前いつものように「そこが知りたい特捜! 坂東リサーチ」を観ていたら、名古屋に岡本太郎が作った奇妙な鐘があるという紹介があって驚いた。初耳だ。そんなことまったく知らなかった。寺の名前を久国寺(きゅうこくじ)という。住所としては北区になる。
 今日そっち方面に出かけたので、これはいい機会だと寄ってみた。
 白壁交差点を北に進み、名鉄瀬戸線のトンネルをくぐって次の大杉3交差点で左折して、大杉小学校を過ぎた少し先の左手にそのお寺はある。もしくは、国道41号線の清水3交差点を東へ進んで右手、といった方が分かりやすいかもしれない。
 久国寺は観光地ではないので、平日はとても静かだ。もちろん、拝観料なんてケチなことは言わない。無料駐車場もちゃんと用意されている。
 問題の鐘は門を入ってすぐ右にある。おおー、あった、あった、あれがそうか! と、あわてて鐘の方に走っていったりしてはいけない。田舎もんと思われる恐れがある。嬉しそうにぺたぺた触りまくるのもあまり誉められた行いとは言えない。ちゅうちょなく鐘を連打するなどもってのほかだ。まずは鐘を横目でちらりと見つつ、本堂に賽銭を投げ入れ、挨拶をするのがいいだろう。そしてそれが終わったら、あくまでもさりげなく鐘に近づき、あとはもう写真を連写するのみ。撮るべし、撮るべし。何枚撮ってんねん! と自分自身にツッコミが入るほどの連写を見せた私はすっかり満足して久国寺を後にしたのだった。田舎もん丸出し。

 しかしこの鐘、かなり変わってる。ユニークという言葉を超えて、鐘としての伝統的なスタイルも軽々と逸脱してしまっている。さすが、太郎。
 トゲトゲの部分は通常、丸いイボイボになっていて、この部分を「乳」と書いて「ち」または「にゅう」と呼ぶ。すごい尖った乳だ。これには「トゥームレイダー」のララ・クロフトも負ける。岡本太郎の趣味か?
 などと勝手なことを考えていたら、全然違った。これは人間の腕を表してるんだそうだ。そういえば鐘の表面には踊ってる人とか座禅を組んでる人とか逃げてる人とか、そんなような人々の絵が描かれていた。そして「TARO」の文字もしっかり刻まれていたのだった。
 腕だったのか……。そう考えると心霊写真みたいでちょっぴりちびりそうになるけど、この鐘のタイトルは「歓喜」となっているから、あの腕は喜びを表現してるのだろう。それなら安心だ。握手してもいいと思ったけど、コントみたいにポキッと折れてしまったら困るので触るのはやめておいた。
 どういう経緯で岡本太郎がこのお寺の鐘を作ることになったのかは、住職もよく知らないらしい。岡本太郎の母親が知り合いに頼まれてどうしたこうしたという話もあるけど、実際のところはよく分からないようだ。
 この鐘を作るとき、試作品として小型のものを5つ作ったようで、その中のひとつが石原慎太郎の家にあるという。慎太郎と太郎が友達でもらったんだそうだ。それを息子のヨシズミが「なんでも鑑定団」に持ち込んだところ、8,000万円の値段が付いたらしい。で、この本家の鐘は10億円なんだとか。マジか。家に帰ってきてから知った。行く前に知っていればせめて抱きついたりしたのだが。でも、うっかりつまづいてトゲが顔に刺さったりしたらシャレにならん。ララの胸なら喜んでも、このトゲでは歓喜とはいかない。
 制作されたのは1965(昭和40)年というから、大阪万博の太陽の塔を作る5年前だ。岡本太郎作のものは高値が付くことが多いけど、10億円ということは代表作のひとつと言ってもいいのだろう。家の近所にこんな価値のあるものがあることを今まで知らなかったなんて不思議だ。名古屋人でも知ってる人は少ないんじゃないだろうか。

 こういうお寺にある鐘のことを梵鐘(ぼんしょう)という(それに対して小型のものは喚鐘(かんしょう)などと呼ばれることが多い)。
「梵」はサンスクリット語の「神聖・清浄」を意味するBrahman(ブラフマン)の音訳だそうだ。伝わったのはインドからではなく中国からで、青銅製の楽器が原形と言われている。日本に来たのは、『日本書紀』に登場するのが562年ということで、そのあたりらしい。現存する最古のものは、698年製の妙心寺(京都)のものとされている。
 鐘は第二次大戦のとき、武器弾薬の素が足りなくなって、日本全国のお寺から持っていかれてしまった。貴重なものはなんとか許してもらえたものの、4万以上が持っていかれて、そのほとんどが帰ってこなかったという。久国寺の鐘も第二次大戦で壊れてしまったのだけど、その鐘も非常にいい音を出すという評判の鐘だったようだ。
 鐘を作っている知り合いがいる人はほとんどいないと思うけど、伝統を受け継ぐ鐘師という人たちがまだわずかに残っている。今でも年間100以上作られていて、需要に供給が間に合わないんだとか。鋳型を造って、そこに銅とすずの合金を溶かしたものを注ぎ込んで作るのだけど、数人の職人さんがかかりっきりでひと月はかかるというから大変だ。今ある型に流し込んで出来上がりというわけにはいかない。だから、すべての鐘はオリジナルで世界にひとつだけといえる。そうして鐘マニアが生まれるというわけだ。

 愛知県の人も、岡本太郎ファンの人も、ぜひ一度見に行ってみてくださいね。耳寄りな情報としては、一年一度、大晦日の日にこの鐘をつけるビッグチャンスがやって来る。当日の23時から整理券を配るらしいけど、先着108人とかなんだろうか?
 人は~み~な~~ 孤独の~な~か~ あのか~ね~を~ 鳴らすのは~ あな~た~~♪
 私もいつかチャンスがあれば叩いてみたい。いや、ついてみたい。
 

私と食パンとの長く続いた冬の時代が今日終わった

食べ物(Food)
小麦館の食パン

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/10s(絞り優先/三脚)


 食パンが好きですか?
 そう問われたら、ノーと言える日本人になりたい。目をしばつかせながら。
 実際、日常的にほとんど食パンは食べない。せいぜい年間5枚くらいだと思う。パンが嫌いなわけではない。菓子パンはほとんど毎日食べているからむしろ好きな方だ。何故食パンを食べないかといえば、単純に美味しいという印象がないからというのが第一の理由になる。美味しく仕上げるには手間暇がかかるからと言い換えてもいい。バターを塗って、トースターで焼いて、食べれば粉がぼそぼそ落ちて邪魔くさいことこの上ない。ジャムは垂れるし、ピザトーストは具が落っこちてきて手が汚れる。ええーい、トーストめ、こうしてくれる! と、かんしゃくを起こしてブーメランのように7階のベランダから放り投げたくなる。
 というのはウソだけど、手間を考えるとどうしても敬遠しがちになるのは確かだ。それより手っ取り早い菓子パンを買って食べてしまう。
 それからもうひとつ、食パンに対して好意を寄せていない理由として、給食でさんざん食べたからというのもあるのかもしれない。よく覚えてないのだけど、私が小学校の時はほぼ毎日食パンだったような記憶がある。しかも、袋入りのマーガリンをつけて生のまま食べさせられるもんだから、あれはとてもじゃないけど美味しい食べ物とは言えなかった。それなら家からジャムでも持っていけばよさそうなものだけど、幼い頭ではそこまで気が回らなかった。あれで食パンへの印象は早い段階で決定的に悪くなったんじゃないかと思う。食パンと私との不幸な出会い。

 あれから多くの時が流れ、私も食パンの味が分かる年頃になった(食パン適齢期はもうとっくに過ぎていやしないか?)。GHQが押しつけた小麦粉の野郎め、といういきどおりの気持ちも和らぎ、そろそろ食パンとの和解交渉のテーブルについてもいい時期だろう。ここらで私食平和条約を締結して、末永い友好関係を築きたい。
 これまでの悪いイメージを一気に吹き飛ばすには特別に美味しい食パンでなければならない。そして今回選んだのが、天白区の原にある「パン工房 小麦館」の食パンだ。どうしてここにしたかというと、特に深い理由はない(なんだ、それ)。ネットで近所のパン屋を検索したらここが出てきたからに過ぎない。でもなかなか評判はよさそうだ。さっそく出向いて買ってきた。
 買ったのはいいけど、これ、大きすぎないか、私? 何も考えずに置いてあったものを手にとって買ったんだけど、660円です、と言われて高いもんだなと思ったが後には引けず、小脇に抱えて家に持ち帰り、あらためて部屋で見てみたら、やはりでかい。これまで年間5枚しか食べてなかった私がいきなりこの量は食べきれるのだろうか? これまでの消費量からして3年分くらいありそうではないか!?
 でも買ってしまったからには食べるしかない。で、食べてみた。まずは基本として、トーストにしてバターのみで。ひとくち、ふたくち目は、ん? 薄い? というものだった。かなりあっさり味だ。でも、更に食べ進めてみると、これは非常に上品な味だということが分かってきた。スーパーなんかで売ってるのとは方向性がまるで違う。食べるほどにほのかな甘みが口の中に広がり、これは旨いなとなってくる。変にクセがなくて、自己主張がきつくないところがいい。適度なふわふわ感とサックリ感がほどよく調和していて、全体として破綻したところがない。仕事もできて、上司や同僚、後輩からの受けもよく、誰にでも好かれる爽やかヤングリーダーみたいな食パンだ。若大将食パンと名づけよう。
 最初高いと思った660円も、3斤でこの値段ということは1斤220円だから、むしろ他より安いくらいだ。
 用意したジャムも必要ないまま一気に完食してしまった。食パンがこんな美味しいものだったとは知らなかった。何故、給食のとき、これを出してくれなかったんだ、名古屋市のばかー、と思った。これなら毎日でも食べて3斤なんてすぐになくなってしまうだろう。カモにあげる耳さえ残らない。もちろん、和平条約にも判を押した。
 ここに私と食パンとの長く冷え切った関係は終わりを告げ、あらたなる友好関係の第一歩を踏み出したのだった。

 ところでこの山型をしたパンをイギリス食パンと呼ぶことを今回初めて知った。産業革命の頃、イギリスで作られたからそう呼ばれるようになったんだとか。焼くときにフタをしないで焼くとこんなふうに上がふくらんだ形になって、トーストにしたとき、カリカリ、サクッとした食感が楽しめる。
 真四角をしたものは、サイコロ食パンとかプルマンブレッドとか呼ばれ、アメリカで生み出された。フタをして焼くと四角になって、キメが細かくなり、しっとりした食感になる。
 それぞれ好みの問題だけど、私は山型の方が好きだ。関西人は一般的に四角を好むらしい。もちっとした食感のものが好きだからだそうだ。たこ焼きとかうどんとかと同じように。
 関西といえば面白いのが、関西の食パンは厚切りだということだ。1斤5枚切りや4枚切りというのがよく売れるんだとか。それに対して関東は8枚切りの薄いものが好まれるようだ。中間の名古屋はどうかというと、6枚が多いらしい。ホントかどうか詳しくは知らないけど、確かにモーニングとかで出てくる名古屋の食パンはそれくらいの厚さのものが多い気がする。
 もうひとつミニ情報として、食パンの斤という単位は、長さではなく重さの単位だ。350~400グラムくらいが一般的に1斤とされ、公正競争規約で340グラム以上と定められている。

 そんなわけで、ぜひ近所の人は「パン工房 小麦館」の食パンを買って食べてみてください。そして次の日の朝、食パンをくわえたまま遅刻気味に家を飛び出して駅やバス停まで走ってみてくださいね。わー、遅刻、遅刻ー、と声に出しながら。素敵な女子または男子とぶつかって、そこから恋が生まれる……かもしれませんよ。もし、どうしても誰にもぶつかれない場合は私に言ってください。あなたの街の曲がり角に隠れてスタンバイしておきますので(男子は不可)。

飛行機雲はみのもんたと同い年

空(Sky)
オレンジの飛行機雲

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先)


 小幡緑地の雑木林の中で鳥を探しながら歩いていたとき、ふと空を見上げると飛行機がオレンジの雲を吐きながら飛んでいた。面白い。こんなこともあるんだ。でも少し遠ざかったところを撮った写真はこんなにも鮮やかなオレンジ色をしてなかったから、ちょっと珍しいことなのかもしれない。夕陽の角度と雲の場所と私が立っていた位置がたまたまこの色をもたらしてくれたのだろう。
 この光景を見て、ああ、今年の年賀状もみかんの汁であぶり出しができなかったなぁと思った私の頭の中は、消しゴムを使って少し落書きを消した方がいいかもしれない。でも小さな大発見として、インクジェット用の年賀状では上手くあぶり出しが書けないということを知ったのだった。実は今年試してみた。けど、みかんの汁は跡が残って乾いても見えてしまうし、あぶっても文字が出てこないのだ。使えねえな、インクジェット用年賀状。来年は普通の年賀状を買おう。

 なんで飛行機雲はできるの? と、どちて坊やに訊かれたとき、あなたは上手く答えることができるだろうか? ねぇ、どちて、どちて? ああ、もう、うるさい! と頭をはたいてしまっては立派な大人になる芽を摘みかねないし、自分自身がどうして自分は子供の頃そのことをどちてと訊ねなかったのかと後悔しそうなので、その日のために今から勉強して知っておく必要があるだろう。今日のテーマは、どちて坊やを黙らせろ、だ。
 まず最も重要なことは、どちて坊やは好奇心が旺盛な割に理解しようという意志が今ひとつ希薄なので、できるだけ簡潔に教えなければならないということだ。いきなり、それは翼を持った物体が高速移動すると翼端渦ってのが発生して、それが翼のまわりの圧力を急激に下げるから断熱膨張によって過飽和状態になって、気温と気圧が下がって雲ができるんだよ、分かったかな? などと説明しても言ってる自分でさえよく分からないので、どちて坊やは決して納得してはくれない。
 または、排気ガスに含まれる煤塵とか窒素酸化物とか硫黄酸化物なんかの微粒子を含んだ空気ってのは水蒸気になりやすくて、だから雲ができるんだ、などとかっこよくキメてもダメだ。ちっそさんかぶつって何? とか聞き返されて深みにはまるだけだろう。
 だから、簡単にこう答えるのがいいと思う。寒い日にはぁ~って息を吐くと白くなるだろ? あれと同じさ、と。空の上は寒くて、バナナでクギも打てるマイナス50度なんだ。だからあれは飛行機さんが吐いた息が白くなったものなんだよ、分かりましたか? すると、どちて坊やは、はーい、と元気よく駆け出して行くに違いない。そうであって欲しい。それでもしつこく、どうしてあんなにも長い間飛行機さんが吐く息は白く残るの? ボクのはすぐに消えてしまうのに。ねえ、どちて、どちて? と続けられてしまったときは、それはヨシズミのおじちゃんがくわしいから、あっちに行って訊いておいでと石原ヨシズミに任せてしまおう。それがいい。

 飛行機雲が長く伸びてずっと消えずに残っているときは、雨が近いと昔から言われている。あれは飛行機が飛んでいる高度1万メートルあたりの空が湿っていると飛行機雲が残りやすくて、その空気は1日か2日あとくらいに地上近くに降りてくるから天気が崩れやすくなる。理屈は合っている。逆に、飛行機雲がすぐに消えたら次の日は晴れるということになる。満更適当な天気予想というわけではない。もしかしたらヨシズミ天気予報より当たるかもしれない。
 飛行機雲の歴史は浅い。飛行機雲が見られるようになったのは、今から60年くらい前からだ。飛行機が6,000メートル以上の高さを速いスピードで飛ばないと飛行機雲はできないから。それは時期的に第二次大戦と重なる。日本人の多くはアメリカの爆撃機によって初めて飛行機雲を目にしたのではないかと思う。日本には当時、そんなに高度を飛ぶ飛行機がなかった。あの時代の人たちには飛行機雲はとても不吉なものとして映ったに違いない。それに、70歳、80歳以上の人にとっては、子供の頃は飛行機雲は空になかったということになる。飛行機雲はみのもんたと同い年という言い方もできるだろう。
 どちて坊やも、みのもんたを出せばなんとなく納得してくれるんじゃないかと思う。ちびっこからお年寄りまで、困ったときはみのもんたに任せよう。

サンデー料理お届けXデーが近づく!?

料理(Cooking)
料理能力を超えるサンデー料理

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/10s(絞り優先)


 今日のサンデー料理のテーマは、「レシピからの半歩前進」だった。しかし、その半歩が思った以上に大きかったぜしまったぜと気づいたのは、料理開始から2時間経過してまだ一品も完成していなかったときだった。気づくの遅すぎ!
 楽しい時間早く過ぎると言うけど、必死になっていても時が過ぎるのは早いものだ。などと感慨に浸っている場合じゃない。

 今回のメインは水餃子だった。先週手打ちうどんをしたときに残った中力粉を使って何か作ろうと思って、思いついたのが餃子だった。2週続けて麺類は嫌だったし、餃子の皮を作るくらい楽勝だと思ったからだ。でもよくよく考えてみると、皮作りも量が少ないだけで麺を打つのと手間暇はまったく変わらない。そりゃそうだ。手順は同じなんだから。そもそもこれがひとつめの大きな計算ミスだった。昔から算数は苦手だったからな。
 塩水を混ぜて、こねて、寝かせて、踏んで、また寝かせてまたこねる。しかも今回は餃子だから切り分けて皮を作らないといけない。その分、麺より手間がかかるではないか。なんてこった。それに丸く伸ばすことの難しいこと。どうやりゃ丸くなるんだこれ、と思いながら麺棒をころころしても細長く伸びるのみ。途方に暮れる私。切り分けるときデコレーションケーキをみんなで分けるみたいな切り方をしてしまったのが最大の間違いだった。三角形から丸は作れません。
 悪戦苦闘の末、折り曲げたり折りたたんだりして、なんとか長方形に近いところまで持っていった。これでなんとか包めることは包めるだろう。1月だというのに汗だくの人がここにいます。
 タネは何でもいけますと料理人が書いてたので思いつくまま適当に作ってみた。今回はひき肉を使わないあっさり系にしようということで、小エビを刻んで、ニラとネギとキャベツと卵黄を混ぜたタネにした。これは失敗ではなかった。
 ゆがいてしょう油と酢で食べるのも芸がないと、ゆがいた後ダシとコンソメで煮込んでみた。なんかオリジナルっぽいと喜んでいたら、なんだこれ、ワンタンじゃねぇか。うそーん。水餃子を作ったつもりが無意識のうちにワンタンを作ってたの、私? よく分からないけど、美味しかったからいいや。
 苦労して皮から作ったかいがあって、これは成功だった。コシのあるプリプリでツルツルの皮の食感が素敵。タネも味付けもいい感じ。これなら人にも出せるぞ。不格好だから店では出せないけど、近しくて味付けにうるさくないおとなしめの人になら大丈夫だ(条件が厳しい)。

 ご飯はサバのみそ漬け混ぜご飯。味噌にみりんを混ぜてサバの両面にたっぷり塗って、ラップにくるんで一晩冷蔵庫で寝かせておく。次の日に取り出して、両面こんがり焼いたら皮と骨を外して身をほぐして、刻んだネギと一緒にご飯に混ぜる。のだけど、味噌が塗ってある分、なっかなか焼けやしない。おーい、いつになったら焼けるんですかー? と何度もコンロをのぞくけど焼ける気配がない。結局30分もかかってしまって、最後はこいつの焼き上がり待ちになってしまった。これがふたつめの計算ミスだった。
 みそ汁は、サトイモの豆乳煮込みだ。かつおと昆布でとったダシにサトイモを入れて(サトイモは塩でもんで水でよく洗ってぬめりを取る)、サトイモが柔らかくなるまで煮込む。最後に豆乳をダシの半分くらいの量入れて、少し煮たら完成。味が足りないようだったら、塩か味噌かしょう油を足す。私は黒ごまを振ってみた。これもかなり気に入った。まろやかな甘みとサトイモのぬめりが汁に回っていい感じ。
 もう一品は豆腐のエビ入り茶巾絞り。木綿豆腐を電子レンジで加熱してふきんで巻いて水気を飛ばした後つぶして、エビの刻み、三つ葉、塩、かたくり粉を入れて混ぜる。それをラップでくるんで絞って、レンジで5分くらい加熱する。タレはだし汁、みりん、しょう油で、レンジで30秒温めるか、もしくはひと煮立ちさせる。豆腐もちょっと工夫するとぐっと美味しくなる見本のようなレシピだ。

 そんなこんなで3時間。新大阪から新幹線に乗って東京に向かったら駅を過ぎて10分乗り過ごしてしまう時間かかったこの料理。完成した写真を見ると1時間くらいで楽にできそうに見えるけど、今回はまたもや私の料理能力を超えていた。身の程をわきまえない、愚かなにわか料理人。
 でも味に関しては、今回初めて手応えを感じた。自己採点でトータル85点はつけられる。この少し先に人に出せる料理が見えた気がした。3時間文句も言わず辛抱強く待ってくれる人限定で。
 レシピからの半歩前進は良い意味でも悪い意味でも大きいものだった。考えながら作るというのは思った以上に大変で時間がかかるものだったのだ。でも同時に可能性の広がりを感じさせてくれた。
 今後の課題としては、料理に合わせて材料を買うのではなく今ある食材で料理を作る、というものだ。オダギリジョーも言っていたではないか、ナス料理を作ろうとしてナスを買ったんじゃなくてナスがあったからナス料理を作ったんだ、と(「時効警察」面白かった、個人的にあのテイストは大好きだ)。
 全国の推定12人の私のサンデー料理ファンの皆さん、お宅に突然料理を持って私が訪れる日は近いです。待てば海路の日和あり。冬来たりなば春遠からじ。果報は寝て待て。欲しがりません勝つまでは。この精神で来たるXデーを待っていてくださいね。

猫は人のために、人は猫のために

猫(Cat)
こりゃいい野良だ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先)


 いい猫に出会った。天白公園の池のほとりでひなたぼっこをしていたこいつは、私の好みにぴったりだった。明るい茶色の毛並みにむくむくの体、そしてあくまでもどこまでも丸い顔。加えて口のまわりの泥棒メイクが最高のチャームポイントとなっている。思わず笑ってしまった。写真を何度見ても笑える。表情がまたいい。
 この野良との出会いは、私をとても幸せな気分にさせてくれた。ありがとう。お礼にカリカリを投入だ、と思ったら人が歩いてきて逃げてしまった。また会いに行かなくては。

 天白公園はとても猫の多いところだ。市内の公園でも猫の多いところと少ないところというのが確かにある。すべての公園にもれなく猫がいるというわけではない。主な原因は、近所に猫好きで世話好きの人がいるかいないかだろう。もしくは、反対派の力が強くないところと言い換えてもいい。大都会の路地裏で生活してる猫なら残飯で生きていけても、郊外の街中ではそうはいかない。今どき小動物なんてそんなにいないから、人からメシをもらうしかない。もらえないところには居つかないし、もらえるところは増えていく。
 野良についての意見は人それぞれあるだろうけど、個人的には野良くらいいてもいいじゃないかと思うのだ。今の平和な世の中で、それくらいの気持ちの余裕があっていい。野良猫を外で飼っておく余裕もないようなぎりぎりの社会では寂しい。迷惑をかけるということにおいては、猫も犬も人間も他の動物も同じだ。社会生活の中で許し合っていくしかない。

 野良猫について書かれた内田百けん(けんは門の中に月)の『ノラや』という本がある。とても悲しくて、笑えて、愛おしい作品なので、猫を大切に思うすべての人におすすめしたい。猫嫌いの人は受け付けないだろうけど、猫好きの人がこれを読めば、野良に対する思いはずっと深くなるんじゃないかと思う。
 作家内田百けんが70歳近いとき、親子猫がふらりと家に迷い込んできて、子猫を託して母猫は去ってしまう。偏屈じじいの百けん先生ではあるけど、これはそのままにしておけないと、ノラと名づけて仕方なく世話をすることにした。そのノラが晴れた春の日、いつもとは違う方に走っていったかと思うとついに帰ってこなくなってしまった。それ以来、百けん先生は来る日も来る日もノラを探し回り、泣き暮れる日々を送ることになる。風呂にも入らず顔も洗わず、「迷猫」の新聞広告を打ち、折込チラシを配り、連絡があれば夜でも駆けつけてはがっかりして帰っていく。そんなめそめそした毎日を書いているだけの日記が何故これほどまで胸に迫り、悲しくも愛おしい気持ちになるかといえば、それはやはり内田百けんという人の魅力に違いない。
 この本でしか百けんのことを知らない人は、70の憐れな泣き虫じいさんにしか映らないかもしれないけど、作家百けんを知る人にとってこの『ノラや』は非常に感慨深いものがある。夏目漱石晩年の弟子で、芥川龍之介とは兄弟弟子で友達だった。非常に偏屈で頑固なじいさんで、家に訪ねていくと玄関にこんな貼り紙が貼ってあったという。
「世の中に 人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし」
 家の中に入ると、戦後何年も経っているのに電灯に灯火管制の黒いカバーがかかっていたらしい。でも、その中で文鳥なんかをたくさん飼っていたというから、やはり生き物に対する細やかな愛情はあったのだろう。
 黒澤明監督の遺作となった『まあだだよ』はこの内田百けんとその仲間たちを描いた作品なので、本と一緒に観てみるのもいい。私は大好きな映画なのであわせておすすめしたい。

『ノラや』を読むと、猫というのは人間のために作られたものかもしれないなと思う。もちろん、猫は人間がいなくても地球に誕生して生きていただろうけど、人が生まれたことで猫は人のためのものになった。幸か不幸か、好むと好まざるとに関わらず。猫がいなければ生きていけないような人も世の中にはいるし、もし猫がいなくなったらこの世界はずいぶん味気ないものになってしまうだろうと私なんかは思う。
 この作品を読んだのはもうずいぶん前のことになる。10年以上は経ってるだろう。それでもいまだに私の心の中にはノラがいて、百けん先生と一緒になって、ノラや、ノラ、と探している。そして、ノラの好物だった出前の寿司の卵焼きを見ると、ちょっとだけ泣きそうになるのだ。

ノラや改版 [ 内田百間 ]
価格:781円(税込、送料無料)





バンを好きになってもバンのように生きるのは難しい

野鳥(Wild bird)
泳ぎ去るバン

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先)


 天白区の天白公園で初めて撮ったバン。そんなに珍しい鳥じゃないし、この地方には一年中いるらしいけど、やっと撮ることができて喜んだ。でもかなり警戒心が強いのですぐに泳ぎ去ってしまったのは残念だった。万事休す(言わなきゃいいと分かっていても止まらない)。
 こうして泳いでる姿を見るとカモっぽいけどカモじゃない。クイナ科だ。ヤンバルクイナでお馴染みの。これよりひとまわり大きいやつがいて、そいつはオオバンという名前で、それに対してコバンと呼ばれていたこともあったそうだ。お仲間がたくさん集まっているところを見たら、オオバン、コバンがざっくざく、ババンババンバンバン、はぁ~ビバノンノ、ババンババンバンバン、いい湯だな~ハハハン、と荒井注も歌い出してしまうに違いない。

 どうしてバンという名前が付けられたかというと、それは番長の番でも、野蛮の蛮でもなく、伴忠太も馬場蛮も関係ない。ライトバンのバンでもない。水田に巣を作ることから田んぼの番をする鳥というところから名付けられた。漢字で書くと鷭。分かってしまえばなーんだとなる。坂東英二も関係なかったか。野球盤でもない(もういい)。
 英名はMoorhen。Moorが湿原でHenは雌鳥(めんどり)、湿原にいるニワトリっぽい鳥という意味であちらでは付けられたようだ。

 見た目は黒くてクチバシが赤いので分かりやすい(クチバシの先は黄色い)。ただ、必ずしも赤いクチバシをしてるわけではないのでたまに分かりにくい。黄色いやつもいるし、黒っぽいのもいる。たぶん黄色いのは若者で、黒くなるのは冬場だからなんじゃないかと思う。
 背中は少し茶色がかっている。オスとメスは同色。大きさは35cmくらいだからハトと同じ程度だ。
 面白いのは足で、これは特徴がある。体のサイズに似合わない大足をしていて、なんだかバランスが悪い。黄色いカラスのような足をしていて水かきはない。これは陸で歩くのには適しているけど、その分泳ぎは苦手になる。自分でももどかしく感じているのか、逃げるときなどは前のめりの姿勢で首を前後にゆすって少しでも早く漕ごうとする。泳げない人間が浮き輪につかまって足を漕いでいる姿に似ている。
 しかし、その大きくて細い足の指のおかげで、蓮の上を歩いて渡るという特技を持っている。それが生きていく上で絶対的に必要な能力とは思えないけど、誰にでもできるわけではないのでエライ。それができるのはたぶん、バンと熟練の忍者くらいだろう。忍者ハットリくんをやった香取慎吾には決してできない。

 エサはかなり幅広い。水中でも獲るし、地表でも何かをつついてる様子をよく見かける。水草の葉、種子、水生昆虫、貝、エビ、オタマジャクシ、ミミズなどなど。近年はこういうエサが少なくなってきたことで生息数も減少傾向にあるようだ。名古屋市内の他ではあまり見かけないのに、この天白公園にはたくさんいたところをみると、ここはアシなどがたくさん生えていて、バンにとっては棲みやすい池なのだろう。
 世界的にも珍しい鳥ではなくて、オーストラリアを除く熱帯から温帯にかけての地域に広く生息してる。地域ごとの亜種も多い。比較的暖かいところが好きなようで、気温の低いところにいるやつは冬になると南に下がってくる。日本では関東より西には一年中いて、東は夏にだけ飛んでくる夏鳥だという。近年は日本も暖かくなったから北関東あたりにいるやつも留鳥となっているのかもしれない。
 バンは夫婦制度と子育てが独特で面白い。一夫一婦を基本としながら、しばしば一夫多妻となり、巣を共有して一年に2回卵を産むことがある(沖縄では4回も産むこともあるらしい)。たとえばひとつの巣でオスが1羽、メスが3羽で、1羽あたり7個の卵を産んだとしたら21個の卵となり、それをみんなが交代で温めることになる。そして産まれたヒナはみんなして育てる。もう誰が誰の子だか分かりゃしない。
 そして一年で2度目に産んだときは、巣立った子供まで巣に戻ってきて子育てのお手伝いをするという。巣にはたくさんのヒナたちが騒ぎ、親や兄弟が入れ替わり立ち替わりやって来てはヒナの世話をすることになる。その様子を想像するとなんだかすごいことになってそうだけど、楽しそうでもある。巣の中は押すな押すなの大盛況。しかし、そのへんは上手くできているもので、他の鳥に比べてヒナの巣立ちがとっても早い。産まれてから3日もすると巣から離れていく。実質そうせざるを得ないのだろう。テレビの特番でときどきやってる大家族スペシャルみたいだ。
 バンは今の日本では失われつつある古き良き時代の家族制度を体現する鳥たちと言えるだろう。でも、巣立った子供がお母さんバンとくっついてしまうこともあるらしいから、古き良き伝統と言ってしまうのは問題があるかもしれない。私自身は、バンの家族制度にはあまり馴染めそうにない。

 池でバンを見かけたら、こんな夫婦関係や親子関係に思いを巡らせながら眺めてみてくださいね。ただ、いくらバンのことが好きになったとしても、バンのように生きるのはやめておいた方がいいかもしれない。あれを人間世界に適用させようとすると、あまりにもモメごとが多くなりそうだから。

木に引っかかった凧はなつかしい光景だった

風物詩/行事(Event)
木に引っかかった凧

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先)


 木の上に引っかかった凧を久しぶりに見た。かつてはよく見かけた光景だけど、ここ最近はまったくといっていいほど見なかったから、なんだかとてもなつかしく感じた。私自身、もう20年くらい凧揚げはしてないだろう。
 私たちが子供の頃は、誰もがお正月には凧揚げをしたものだ。もやしっ子も、女の子も、老いも若きも。ちょうど小学生のとき、ゲイラカイトが大ブームになった。ゲリラカイト? なんだそれ? 過激派か!? などととぼけたお年寄りを驚かせた例のあれだ。正式名は、セミフレクシブル・ソアリング・デルタということをさっき知った。なんですか? お年寄りというほどではない私でもそれは覚えられないぞ。そんな名前だったのか。
 冬休みに入る前、凧揚げは広いところでやりましょうとか、電線に引っかかったら感電するので電柱に登って取らないように、などという注意事項があったことを覚えている。実際、鉄塔に登って感電して死んだ人なんかもいたりして、大げさな話でもなかったのだ。テレビでも電力会社からそういうメッセージが流れていたと思う。正月明けはそれで電線マンは何度も出動させられていた。
 ここ10年くらい、凧を揚げてる人の姿を見てないような気がする。田舎でも見ないし、名古屋の公園でも見かけない。まったくやってないことはないんだろうけど、とにかく流行らなくなったことは確かだ。何年生まれくらいのところで凧を揚げられる人間と揚げられない人間の境があるんだろう?

 凧の発祥は中国だとする説が有力だ。春秋時代とも紀元前300年頃とも言われ、記録に出てくるものとしては、紀元前200年くらいの韓信というおっさんのエピソードが初登場とされている。敵の城を攻めるときに凧を作って揚げて、その糸の長さで距離を測ってトンネルを掘って、攻め落としたんだそうだ。それがはじまりのはじまりでもないだろうけど、最初は軍事目的だったというのは想像がつく。遊びとして揚げられるようになったのはずっと後のことだろう。
 紀元前100年頃には紙の凧が作られるようになり娯楽の要素も加わって、朝鮮から日本、東南アジア、南太平洋諸島、アジア大陸からヨーロッパ、アメリカ方面に伝わったようだ。
 ただ、ポリネシアやソロモン諸島などにはヤシやバナナなんかの葉を使った原始的な凧が今でもあるそうだから、必ずしも中国で発明されたものではなくて、同時発生的に世界のあちこちで生み出されたものなのかもしれない。
 日本に凧が伝わったのは、平安時代かその前くらいだったようだ。日本でも当初は武士や公家の武具として使われたらしい。庶民が揚げるようになったのは鎌倉時代からで、端午の節句に祝凧として揚げられるようになったことで一般に定着するようになった。庶民の遊びとなったのは江戸時代になってからだ。何しろ平和でやることがないから、江戸時代の人たちはいろんな遊びを考えた。江戸には多くの凧職人が生まれ、参勤交代で地方からやってきた武士が地元に持ち帰ったことで日本中に凧ブームが巻き起こることになる。ケンカ凧でホントのケンカになったり、火がついた凧が江戸城に落ちて大問題になったりで、凧揚げ禁止令もたびたび出されるほどブームは加熱したようだ。
 その後時代は明治、大正、昭和と新しいものが喜ばれる時代になり、凧は少しずつ衰退していった。平成の今は見る影もない。このまますたれてなくなってしまうには惜しい。

 ところでタコは元々イカだった。しっぽのヒラヒラがイカっぽかったのでそう呼ばれていたのを、意地っ張りの江戸っ子が、関西でイカならおいらたちはタコと呼ぶぜこんちくしょうとか言い出して、そこからだんだんタコになっていったようだ。タコアゲってのも考えてみると語感としてはちょっとヘンだけど、イカノボリってのもなんか気が抜けている。ずっとイカのままだったら違和感はなかったのかもしれないけど。
 タコは漢字で書くと凧。これは中国から来た漢字ではなく日本で生まれた文字だ。風がまえの中に布を意味する巾が入ってるというのは言われてみると当て字っぽい。中国では風箏と表記するそうだ。
 英語のkiteはとんびが語源で、ドイツ語は龍、フランス語はクワガタムシ、スペイン語は彗星、ポルトガル語はオウム、ロシア語はヘビを語源とする言葉が凧となっているんだとか。ここまでそれぞれの国でイメージがバラバラな言葉も珍しいんじゃないだろうか。

 日本ではすっかり流行らなくなった凧だけど、伝統を守るという意味での凧揚げは今でも冬の風物詩として各地で行われている。新年のニュースでもよく見かける。百畳の大凧だとか、連凧だとか、ケンカ凧だとか。
 形もいろいろあって、四角だけでなく、菱形、六角形、セミ、イカなどがあって、種類としては300種類もあるんだとか。各地の代表的な伝統凧として、江戸凧、津軽凧、六角凧、ケロリ凧、浜松凧、わんわん凧、土佐凧、八角凧などがある。
 凧揚げ大会は日本各地だけでなく、世界各国で行われていて、それぞれ活況を呈しているそうだ。世界中を回れば、一年中休むことなく凧揚げ大会に出ることができる。もしかしたら、凧揚げだけで食っているプロという人もいるのかもしれない。
 私とは関係ないところでみんなこっそり凧揚げしてたのね。私も誘って欲しかったよ。でも、おい、新人、思いっきり走れ! とか言われて、ハイっ! と勢いよく走り出したはいいけど、50メートルもいかないうちに足がもつれて顔面から地面に落ちそうな悲しい予感。なにやってんだ、おめぇ、使えねえな! とか言われて即クビ。正月早々、ひとりぼっちの私。そんな未来予想図が見えるから、やっぱり凧揚げに誘われても理由を付けてお断りしよう。すみません、ボク、四十肩で腕が上がらないんですよ、とかなんとか言って。それでも許してもらえなければ、ヒザに爆弾を抱えてることにしよう。
 でももし、河原でひとり、左手でゲイラカイトを揚げながら右手に持ったカメラで嬉しそうに写真を撮っている男がいたら、それはきっと私です。だからといって、凧揚げ大会に誘うのはやめてくださいね。

鏡開いて 餅に勝つ 今なお遠し 夫婦善哉

風物詩/行事(Event)
鏡開きはぜんざいで

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 0.3s(絞り優先/三脚)


 今日1月11日は、みなさんもご存じのようにマッチャの誕生日だ。え? マッチャくん知らない? 私の高校時代からの友達なんだけど。
 ……。
 それとは別に鏡開きの日でもある。みなさんのところでも開いただろうか、鏡。私は開きましたよ、鏡。そして、こうして書いてるということは、今回もまた見事モチとの死闘に勝利したということを意味している。また飲んでやりました、モチの野郎を。いくつになってもモチにだけは負けたくないものだ(そんなこと言ってる人間が最後はモチに負けるのかもしれない)。

 そもそも鏡開きというのはどういうものか、ちゃんと説明できる人はどれくらいいるんだろう。私はこれを書く前に調べてみて、自分が由来や意味の2割も分かってなかったことを知ったのだった。
 まず鏡餅だけど、何故鏡というかといえば、古来神前に鏡を祀る礼法があって、それを奈良時代あたりから餅でするようになって、鏡餅と呼ばれるようになった。鏡は本来丸いものだから。四角じゃ駄目で、丸い形にも意味がある。丸は家庭円満の象徴でもある。
 鏡開きは、旧年を神様に感謝して、供えた餅をいただくことで無病息災を祈る行為になるのだそうだ。と同時に餅との闘いでもある。固くなった鏡餅を飲み込めるくらい健康なら神様の助けを借りずとも生きていけるに違いない。ある意味運試し、力試しとも言えるだろう(後半は私の持論なので鵜呑みにしてはいけない)。
 元々は武家で行われていた習慣が、縁起を担ぐのが好きな商人の間で流行って、そこから一般家庭にも広まっていったようだ。
 鏡割りではなく鏡開きなのは、切ったり割ったりするのは不吉なので開きと呼び習わすようになった。刃物も使ってはいけない。切腹だとか、神様との縁切りにつながるから。トンカチでたたき割るか、手で砕かなければならない。っていうんだけど、あんなカチカチの餅、どうやって割ったり砕いたりできるんだ? 包丁でさえ歯が立たないというのに。一家にひとり魁皇が必要だ。たぶん電子レンジとかで温めるといいんだと思うけど、あれが神様の分身なら、レンジで攻め立てられ、カナヅチでぶん殴られ、包丁で刻まれて、最後は煮られてしまうんだから大変だ。人の口に入ることには精根尽き果てていることだろう。

 たいていの地方では1月11日の鏡開きだけど、京都などでは4日に行われるとか。最初は1月20日にされてたものが、その日に徳川家光が死んだから11日にずらしたんだそうだ。今でも20日にしてるところもあるらしい。
 いずれにしても、そろそろこのへんで正月の餅も全部食べてしまって、ぼちぼち仕事始めにしようかね、という気分に持っていくための生活の知恵のようなものだったんじゃないだろうか。本来の意味はともかく、こういう行事には乗っかっておいた方が生きていく上で便利だから、私はいいと思う。

 ところで、ぜんざいとお汁粉の境界線がどのあたりにあるか知っているだろうか? 昔からどうなんだろうと私はぼんやり疑問に思っていて、調べてみたところ、その境は思いの外曖昧なものだった。
 一説には、つぶあんを使ったものがぜんざいで、こしあんを使うとお汁粉になるというんだけど、同じものでも関東ではお汁粉と呼び、関西ではぜんざいと言ったりするからややこしくなる。更に大阪では汁のないつぶあんのお菓子をぜんざいと呼んだりもするらしいし、関東では白玉にこしあんがかかるとぜんざいになったりするとか、それを関西では汁粉というとか、なんだかわけが分からない。
 私は、子供心にツブツブの入ったものがぜんざいで、ツブの入ってない汁だけのものがお汁粉だと勝手に思い込んでいた。だから、貧乏人はお汁粉を飲んで、お金持ちはぜんざいを食べるものだと信じていた。しかし、それはさすがに珍説だったようだ。
 とりあえず写真のこれは、ぜんざいのつもりで作って、ぜんざいのつもりで食べた。じゃあ、お汁粉作ってみろよと言われると、私にはお汁粉は作れないということに気づく。作り方が分からない。なので、人が遊びに来てそのリクエストが来たら、ローカル・ルールでぜんざいを作ってツブツブを入れない汁を出すことになる。貧乏人は麦を食え。

 世の中には私の知らない場所で、無数のお汁粉やぜんざいが存在している。栗ぜんざい、クリームぜんざい、沖縄の氷ぜんざい、コーヒーぜんざい、苺ぜんざい、ワインぜんざい、蕎麦ぜんざい、かぼちゃぜんざい、ミルクぜんざい、味噌ぜんざい、きび餅ぜんざい、フルーツぜんざいなどなど。地方には土地の名産ぜんざいもたくさんある。
 世界では、汁粉に似たものが中国やベトナムなんかにあるそうだ。
 歴史的には、あんこは紀元607年推古天皇の時代に中国から伝わったんじゃないかと言われている。ただ、現在のようなお汁粉やぜんざいのような形になったのは江戸時代あたりだそうで、当時は今のように甘くなくて、塩味で酒の肴として食べられてたとか。
 そうえいば、最近自動販売機で「おしるこジュース」を見かけない。今でも売ってるんだろうか。寒い冬の夜、コンビニなんかなかったから、おしるこ缶ジュースをよく買って飲んだものだった。半分はシャレで、でも飲んでみると意外と美味しくて体が温まった。
 家庭用では粉末でお湯を注げばできる即席汁粉が売られていた。そうそう、家にあって何度か飲んだことがある。遠い記憶がよみがってきた。もしかして、私自身がそういうものから離れてしまっただけで、世間的には今でも一般的に認知されてるものなのかもしれない。子供たちに人気のアイテムだったりするんだろうか? ママー、粉末のお汁粉買ってくれなきゃヤだ! と床に転がってダダをこねてる子供の姿は見たことがないけど、仮面ライダーお汁粉とか、ポケモンぜんざいなんて商品があったとしても不思議ではない。世の中に不思議なことなどないのだよ、関口君。

 鏡開きの話から最後は妙なところに話が展開していってしまったけど、なにはともあれ今年も無事鏡開きを済ますことができたことを喜びたい。ぜんざいも美味しくいただいた。しかし、いつになったら夫婦善哉が食べられるんだ、私? 教えて、オダサク。


ユリカモメに学ぶ見た目清楚な女の子の傾向と対策

野鳥(Wild bird)
氷上のユリカモメ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f6.7, 1/125s(絞り優先)


 氷の張った名古屋城の堀には、今たくさんのユリカモメたちが訪れている。今年は特別に寒い名古屋の冬も、シベリアあたりからやって来ているユリカモメたちにとっては、冷凍庫から冷蔵庫に移動したくらい暖かく感じていることだろう。
 彼らは名古屋城が築城された頃からこの場所にやって来ているかもしれない。『伊勢物語』の中に出てくる在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」の「都鳥」はこのユリカモメのことを指しているというから、平安時代にはもうなじみの渡り鳥だったということになる。だとしたら当然江戸時代にはもう訪れていただろう。ただ、在原業平はこの歌を隅田川で歌い、京にはいなかったというから、元々は西には渡っていかなかったのかもしれない。となると名古屋は微妙なところだ。いたかもしれないし、いなかったかもしれない(日本を訪れるユリカモメの地域が拡大したのは1970年以降らしい)。徳川家康はこの光景を目にしたんだろうか。
 今では日本全国どこにでもいる。京都も鴨川にたくさんいるそうだ。東京都の都鳥ともなっている。

 ユリカモメは入り江のカモメが転じてユリカモメとなったと言われている。本当だろうか。少し怪しい。漢字で書くと百合鴎。白いから百合カモメの方がしっくりくる。
 英名はBlack-headed Gull。どうして黒い頭という名前がついてるかというと、春になって旅立つ頃になると羽が生えかわって黒頭巾を被ったような顔になるからだ。白い姿しか知らない人が見ると、その姿はけっこう衝撃的で笑えると思う。夏休み明けの2学期に突然ガングロになってしまった女子高生みたい。おいおい、どうしたんだよ、と声をかけたくなる。5月頃その姿が見られるから、写真を撮れたら撮りたい。
 冬場は白い頭と白い胸、灰色の羽という姿でけっこう清楚な感じだ。最初クチバシや足は鈍いオレンジ色で、そこからもう一度変身して、真冬には鮮やかな赤いクチバシと足になる。オスとメスは同色なので、私には区別がつかない。
 カップルの期間は向こうに渡った4から7月で、一夫一妻、メスもオスも卵を抱く。一回の卵数は2、3個というから貴重だ。繁殖は主にユーラシア大陸で、向こうではものすごい数が大集団を形成してるらしい。日本にいるときも数十から数百の群れを作って行動してることが多いから、よほど集団生活が好きなのだろう。私は生まれ変わってもなるべくユリカモメにはなりたくないと思う。孤独を好むサギの方がいい。
 食べ物の好みは雑食性で、ほとんどカラスに近い。昆虫や魚、小動物、死肉、果実など、かなり幅広い。言い方を変えれば好き嫌いはありません、という健康優良児みたいなやつだ。人の手からパンをもらってる食べてる姿などもよく見かける。そのあたりがカラスとは違うところで、人にこびず自分の知恵で生き抜く黒いカラスと、白い姿で人に好かれて上手く利用するユリカモメと、好対照と言えるだろう。
 白くてかわいい顔をした女の子が上品で清楚だと決めつけてはいけないということをユリカモメは私に教えてくれる。

 ひとつ面白い性質として、ユリカモメは通勤してくる鳥というのが挙げられる。昼間過ごすエサ場と夜の寝床が離れた別の場所で、毎日ねぐらとエサ場を往復する郊外に住むサラリーマンのような生活を送っている。京都の鴨川にいるやつは、夜になると琵琶湖まで帰っていくというから、かなりの長距離通勤だ。それ以外のところでは海の上で仲間と固まって寝てることが多いらしい。名古屋城のやつらは名古屋港あたりで寝てるんだろうか。そういえば、日暮れ前になったら、こんなにもたくさんいたやつが人っ子一人いなくなってしまった。
 海の上の方が眠るときは安全なのだろう。じゃあそのままカモメらしく海にいればいいじゃないかと思うけど、エサをとるには川や池の方が都合がいいらしい。パンをくれる人間も海まではあまり来てくれないだろうし。
 それに海には別のカモメもたくさんいて邪魔くさいというのがあるのかもしれない。カモメじゃないけどウミネコとかコアジサシとか、その他セグロカモメ、ズグロカモメ、ミツユビカモメ、シロカモメなど、直接のライバルが多い。その点、内陸は直接の競合相手が少ない。どんくさいカモを出し抜くくらい楽勝だ。

 カモメを目にすると反射的に、ハ~バ~ライトが~ 朝日に~変わ~る~♪ と歌い出してしまうあなたはきっと30代以上に違いない。その時~ 一羽の~ かもめ~が~ 翔~ん~だ~♪
 これを読んで、もしカモメ好きになったとしたら、今度私と一緒にカモメを見に海へ行きませんか? そして、海を見ながら「かもめが翔んだ日」を熱唱しましょう。
 イヤ? しょうがない、ひとりで行くか。季節外れ~の~ 港町~ ああ~ 私の~影だけ~ かもめ~が翔んだ~ かもめ~が翔んだ~ あなたは 一人で~ 生きら~れ~るの~ね~~♪
 この歌はひとりで歌う方が合ってるな。名古屋港でカモメを見ながらこの歌を歌ってる私を見つけても、声はかけないでください。

成人式の思い出と妄想で熱くなる冬の夜

風物詩/行事(Event)
遠くに成人式

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/30s(絞り優先)


 今日は元服式だっけ? 違った? 元服式っていつから廃止になってしまったんだろうという素朴な疑念を抱きつつ、夕方成人式に参加した人の写真を撮りに街に向かった。しかし、日暮れ間近に街をうろついてる新成人なんてそういるもんじゃない。なんにもすることがなければとっくに家に帰ってるし、友達がいればどこかに遊びに行っている時間帯だ。新成人はいねぇか~。悪い子はいねぇか~。と秋田のなまはげのようにあちこち探し歩いてようやく名古屋城近辺で第一新成人を発見! しかし、遠~い。こんなところで名古屋の広い道路が邪魔をするとは。もっと近くで撮りろうと、望遠レンズに交換してたら信号が変わってしまい発進せざるを得なくなった。そしてその後、ついに第二新成人に出会うことなく日没となってしまったのだった。
 とはいえ、どうにか新成人の姿を捉えることができてよかった。今日は成人式のことを書こうと思っていたから、もしこれを撮れなかったら自分の成人式の写真を出してきて使わなければいけないところだった。危ないところだった。夕方までうろいてくれていた新成人の女の子に感謝しよう。

 成人式に対して特別な思い入れがあるわけではないし、物申すような意見もない。ただ、いろんな問題はあっても、そんなに悪いもんじゃないと私は思うのだ。ニュースになるような表面的なことだけじゃなく、見えないところでいくつもの小さなドラマが起こっている。そこに価値を見いだしたい。クリスマスイブとかバレンタインとかと同じように。
 私のときは、何故かいくつかの学区が集められた合同成人式だった。曲がりなりにも名古屋市内なのに、なんであんなふうに合同にしたのか謎だった。その後どうなったかも知らないけど、近所の金城学院でたくさんの学校が集まって行われた。
 赤いワンダーシビックで乗り付けてみると、やたら人が多い。数千人はいただろうか。全然見知らぬ顔ばかりで、友達を探しても探してもなかなか見つからない。おいおい、みんなどこだよぅ、と20歳なのに迷子の気分。それはみんなも同じだったようで、やっと巡り会えた同級生と手と手を取り合わんばかりに喜んだものだった。大して親しくもなかったのに。
 その間も密かに私は、中学のとき好きだった子を必死に探していた。友達との会話も上の空で、さりげなく。しかし、いくら探しても見つからない。そうこうしてるうちに式は始まる。こ、こんなはずでは! 私はあんたの話を聞きに来たんじゃない、彼女に会いに来たんだー、と弾正のおっさんに言いたかった。
 会が終わって、どうにか出会って小さなグループになっていた同級生同士が集まることができた。そこにも彼女の姿はなかった。そして、そのまま遊ぶ相談がまとまり、私も一緒に行くことになった。彼女のことは気になっていたけど、当時の私は今以上の照れ屋さんで、そんなことは言い出せなかった。
 夜になって家に帰ってみると、その彼女から電話があったという。ふーん、と言いながら私は泣いた、心の中で。もしあのとき会場で出会っていれば、ああなってこうなって今ごろは……とあれこれ想像して身もだえたけど、結局縁がなかったということだろう。物事にはタイミングというものがある。今の成人にはそんなことはないかもしれないけど、あの時代は成人式で再会するということには特別な意味があったのだ。
 それから数年に渡って私は心の中で叫び続けることになる。合同成人式のバカ! と。

 思い出話を書いていたら長くなってしまった。本当は成人式の歴史とか、20年前の1985年から1986年にかけての出来事とかを書くつもりだったのに、これ以上だと長くなりすぎる。成人式の甘酸っぱくてほろ苦い記憶に熱くなりすぎたようだ。成人式と私は微妙に相性が悪いのかもしれない。
 よし、こうなった成人式のやり直しだ。あらたな思い出を作るために、来年は私も成人式に参加してやる! もちろん新成人としてだ。そうだ成人式、行こう。JR東海に乗って(あえて電車)。
 問題は20歳に見えるかどうかだ。正直、かなり無理がある。しかし、入り口でとがめられて、父兄の方はこちらです、と父兄席に案内されたら格好悪すぎる。そっちの席ではロマンスは生まれないぞ(年齢的にはそっちの方が明らかに近いんだけど)。いくら苦労が顔に出ないタイプの私をもってしても新成人と言い張るのは無謀か!?
 でも、よく老けてるって言われるんスよ~とか言いながらなんとかもぐり込みたいと思う。さりげなく数人のグループに紛れ込むという手もある。免許証は家に置いていこう。
 もし、今年も荒れる成人式、というニュースで会場の入り口で入れてもらえずに暴れているちょっと20歳に見えない男を見たらそれは私かもしれません。ビデオに録画して永久保存版にしてくださいね。

新年のサンデー料理はカレー爆発で幕を開けた

料理(Cooking)
懐かしくて新しいカレーうどん

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f3.5, 1/30s(絞り優先)


 おせちもいいけどカレーもねっ! 昔そんなCMがあったっけ。温故知新。故きを温ねて新しきを知る。そうだ、カレーを作ろう。
 実際のところ、正月が明けて一週間が過ぎ、毎日おせちの残りをちまちま食べることにいい加減飽きてきたところだった。食べてもたべても意外と減らないおせち料理の残り。そして私はカレーうどんを作り、食べることにした。そう、今日は日曜日、今年最初のサンデー料理の日だった。
 しかしながら今回の場合、まずカレーありきではなかった。作りたかったのは手打ちうどんだった。正確に言うとカレーきしめんが食べたくて結果的にこうなったのだった。その思いつきは大いなる問題と失敗を生むことになる。

 結論から言って、手打ちうどんは簡単に作れるけど失敗する確率が高い。一回手打ちったくらいでうどん道を極められると思った私が浅はかだった。讃岐方面に向かって頭を下げたい。うどん手打っちーへの道のりは遠く険しい。
 材料はいたってシンプルというか工夫の余地がない。小麦粉の中力粉(または薄力粉1に対して強力粉1を合わせたもの)と、水と塩、それだけだ。道具をちょこっとだけ揃えなければならない。踏み踏みするときのための厚いビニール袋と、麺をのばすときの麺棒を。
 手打ちうどんの作り方に関しては、下の方の「READ MORE」で手順を説明するので、よかったらそちらを読んでみてください。

 うどんはある程度の時間寝かさないといけないので、その間に汁のカレーを作ることにした。これは単純にカレーのルーで作ればいいと思う。具はうどんなのであまり入れると邪魔くさい。今回はタマネギ、長ネギ、安い牛肉をバターで炒めて、水とコンソメの素、そしてルーだけにしておいた。
 カレーうどん作りでどこに問題が発生するか疑問に思った人もいただろうけど、トラブルは思いがけないところで起きるのが世の常だ。事件はレシピ集の中で起こってるんじゃない、事件は現場で起こってるんだ。ユージ織田もそう叫んでいた。
 短時間で具が溶けるくらいカレーを煮込んでやろうと思って圧力鍋を使ったのが間違いだった。察しのいい人はもう気づいたかもしれない。圧力鍋でかなりぐつぐつ煮込んで、ちょっと様子を見ようかなと思ってふたを開けて……。あれ? 開かない? うううっっっ……固っ! なんだなんだ? おかしいな。こうなったら力ずくだ。ええい、回れ~こんにゃろう~。ぐっぐっぐっ……。おっ、回った、もう一息だ。おりゃっ!
 やっとふたが開いたっ! と思った次の瞬間、パァァァーンと音がして、カレー大爆発!
 ……。
 一体何が!?
 あたりを見渡すと、あたり一面カレーだらけ。うわーーー、なんじゃこれーーー! 台所がすごいことになってる。鍋のカレーは? わー、すごい減ってるー。半分しかないー。半分かよっ! とミムラマサカズ風にツッコミを入れてみたけど、どうなるものでもない。
 あまりにも意外な展開にしばし呆然とする私。でも生きてる。大丈夫、死んでない。本日の夕方、カレーを調理中に爆発して男性が亡くなりました、なんてニュースで読まれてる場合じゃない。気を取り直してカレーを拭きまくり、水とルーを足して調理を再開した私であった。命あっての物ダネ! と誰にともなくつぶやいてみる(正しくは、命あっての物種)。
 しかし、恐るべき、圧力鍋。蒸気は機関車さえ走らせるのだから威力はダテじゃない。

 ところで、肝心の手打ちうどんだけど、これは中失敗に終わった。やけに粉っぽくて美味しくなかった。何がいけなかったんだろう。粉が多すぎたのか、踏みが足りなかったのか、粉自体に問題があったのか。
 それと、ゆでると膨張するということを知らなくて、太く切りすぎたのもいけなかった。伸ばしも足りなかったかもしれない。
 ただ、カレーうどんとしては久しぶりということもあってけっこう美味しく食べることができたので満足度は70点。小学校の給食で食べたカレーうどんを思い出した。うどんをもっと上手く作れば更に美味しくなることは間違いない。ぜひ再挑戦したい。
 手間暇かかる手打ちうどんだけど、手作りは楽しい作業なので、ぜひオススメしたい。そして上手にできたら私にコツを教えてください。

 おにぎりは、天かすおにぎりと、焼き味噌おにぎりを作った。めんつゆにみりんと酒を少し混ぜたものを煮立たせて、そこに刻みねぎとご飯を混ぜて握ぎる。汁っぽいのでサランラップで握ると上手く握れる。焼き味噌は焼いたご飯に、ゴマとみりんと砂糖を混ぜた味噌を塗る。その後少し焼いてもいい。
 天かすおにぎりは普通のときに食べればかなり美味しいそうだけど、カレーうどんのときではカレー味に負けてしまって味が消えてしまった。味噌の方はカレーの強さにも負けてなくて美味しかった。

 2006年のサンデー料理はカレー爆発という思いがけない形で幕を開けた。でもこれで目が覚めた。ここ最近、少し料理を侮り始めていた私に対する警告だろう。料理は危険なものなのだということを再認識した。
 今年もサンデー料理は続けていくつもりでいる。一期一会の料理ということで、なるべく食べたことも見たこともないような料理を作っていきたい。外国シリーズもあるし、少しずつオリジナル料理も考えていこう。今年の後半あたりでは人に食べてもらえるものも作っていきたい。
 クリスマスあたり、爆発の料理人オオタが、みなさんの家庭に圧力鍋を持ってお邪魔します。私に代わって圧力鍋の使い方を勉強しておいてくださいね。

家庭用精米器の普及率10パーセントを目指して

物(Objet)
家庭用精米器

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚)


 今日は精米機を紹介しようと思う。と思ったら、第一歩目でつまずいた。精米機? 精米器? どっちが正しいんだろう、というところで。どっち?
 どちらも漢字変換するし、どちらで検索してもたくさんヒットするから、両方間違いではないのだろう。ひとつヒントとしては、コイン精米機は精米機であって精米器ではないということだ。やはり業務用は大きくていかにも機械という気がするから納得できる。それに対して家庭用のものはコンパクトで炊飯器のお仲間だと思えば精米器とした方がしっくりくるかもしれない。でも料理機器とすると機も器も入ってるから、ますます話がややこしくなる。
 どっちでもいいから話を先に進めろよ。誰かのそんな声が聞こえた気がしたのは空耳だろうか? この疑問は今度生協の白石さんにぶつけることにして、とりあえず精米器ということで見切り発車しよう。だろう運転はいけません、と言っていた教習所教官の顔が思い浮かんだけど。

 家庭用精米器の一般家庭の普及率がどれくらいなのか、まるで見当がつかない。10パーセントということはないだろう。5パーセントくらいあるのか、そんなにもないのか。そもそも存在自体を知らないという人も多いんじゃないか。認知度自体が30パーセント以下かもしれない。
 用途はもちろん玄米を精米するためだ。玄米は基本的にスーパーなどでは売ってないから、農家さんから買うか、親戚や知り合いから送ってもらうとかになると思う。もちろん、自分のところの田んぼで米を作ってる人もそうだ。その中でも多くの人は農協の敷地や道ばたにあるコイン精米機を使ってると予想される。コイン精米機というのも知らない人はまったく知らないか。いや、そういうものがあるんですよ、あなたの街にも村にもきっと。興味がないと見ていても目に入らないだけで。ということは、私が思っている以上に玄米を買っている人が多いということだろうか。
 ただコイン精米は言うまでもなく面倒だ。そして米は重い。更に、せっかくの玄米なのにまとめて白米にしてしまったらあまり意味がない。だからこまめに行かないといけない。5キロや10キロ100円だけど、それも回数が増えればだんだん気に入らなくなるのが人情というものだ。そこで家庭用精米器を買ってしまえということになる。なる?

 何故玄米なのか? その答えは単純で、精米したての米を炊いた方が断然美味しいからに他ならない。慣れると分からなくなるけど、最初は白米で買ったのとこんなにも違うものかと驚くはずだ。
 白米は精米してから2週間もすると風味が逃げ始める。原因は酸化が始まるだらだ。酸化すると味も落ちるし、体にもよくない。農家さんのところで精米したものが米屋やスーパーに並ぶまでには少なくとも数日はかかるわけで、まとめ買いすると途中からは美味しさが逃げた米を食べることになる。
 玄米なら大丈夫。玄米は生きて呼吸してるから。それは米屋でもそうだし、家庭でも同じだ。ためしに玄米を土に蒔くと芽が出てくる。生きている証拠だ。

 ここまで読んで、だんだん家庭用精米器が欲しくなってきたことでしょう(もう一押しだな)。
 新品でも2万円から3万円くらい、オークションなら5千円から1万円くらいから買える(私は定価3万くらいのを1万くらいで買った)。ちょっとご飯が美味しくなるくらいで1万も2万も出せないと思うかもしれない。でも、高い米を買ったり、美味しく炊けると宣伝されてる高級炊飯器を買うくらいなら玄米を買って自分で精米した方がずっと美味しく食べられますよ、奥さん。それを考えれば安いものです。半年で元が取れますって(なんか、インチキ・セールスマンみたいになってきたな)。
 そもそも玄米には体にいい栄養素がたくさん入っている。昔から日本人は玄米を食べてきて丈夫だった。白米を食べ始めたのは江戸時代からで、そこから軟弱になった。脚気が出るようになったのも白米を食べるようになってからだ。
 米糠(こめぬか)が体にいいというのを聞いたことがあるだろうか。ビタミンB群、E、ミネラル、繊維質など40種類の成分が豊富に含まれている。血行をよくして、血液をアルカリ性に保ってくれるから、老廃物を体の外に出してくれる。便秘、高血圧、糖尿、心臓病の改善にも効果があり、肌荒れ、アトピーなどのアレルギー体質にも効くと言われている。
 精米器なら白米だけでなく8分づきとか5分づきとかで精米できるので体にもいいことこの上ない。白米に比べると少し美味しさが落ちるけど、9分づきくらいならほとんど変わらないから、最初はそれくらいからいくといいだろう。
 美味しいご飯が食べられるだけでなく、糠まで手にいる精米器。まるで夢のようですね。これも大いに活用したいところ。フライパンで炒めたものを食事に振りかけてもいいし、ぬか漬けはもちろん、石鹸代わりにもなる。野菜や花を育ててる人なら肥料としても使える。
 この魅力的な家庭用精米器。お宅にもおひとついかがですか? 今なら名前入り包丁セットと高枝切りバサミもセットでお付けします。わー、すごい(効果音)。

 美味しいご飯を食べるまでにはいくつかの行程を経なくてはならない。まずは質のいい玄米を信頼できる農家さんか米屋から買うこと。ここが始まりだ。そして、玄米を食べる日に精米して、炊飯土鍋でいい水を使って炊く。これで完璧。
 たかがご飯だけど、毎日食べるものだから美味しいに越したことはない。一度美味しいご飯を知ってしまったら、もう後戻りはできない。それが幸せなことかどうかは分からないけれど。何故ならよその家や店で食べるご飯が美味しくなくなってしまうから。
 でも、ホントの話、精米器と前に紹介した炊飯器土鍋はオススメなので、よかったら買ってみてくださいね。買うお金がないひとはうちにマイ茶碗とマイ箸と200円を持って食べにきてください。お一人様1合までとなっております。

アオサギの翼の長さは袖丈にちょうどいい

野鳥(Wild bird)
アオサギさんに接近

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/90s(絞り優先)


 アオサギと聞いて、あー鳥のことねと思う人と、なに青詐欺だとそれは許せんという人と、何のことだそれという人と、世の中には3種類の人がいると思う。アオサギを巡るそれぞれの人間模様。そんなことはおかまいなしに、アオサギは今日も生きている。たたずみ、エサを捉え、羽ばたき、眠る。彼らの目に今の日本はどう映っているのだろう。

 そんなに珍しい鳥ではないアオサギだけど、さあアオサギを撮りにいくぞと狙っていっていつも出会えるものではない。コサギほどいつもと同じ場所にはいない。だからといって出会えたら嬉しいかといえばそうでもない。あ、いたんだ、というくらいで。
 他のサギ同様わりと警戒心が強い方だ。人を見るとすぐに逃げ出すほとではないけど、ある程度距離が詰まると飛んでいってしまうことが多い。見てないふりをして意外とこっちを見ている。
 今日はサービスがよくて、10メートルくらいまで近づいても飛び立たなかった。首をすくめて遠くを眺めていたけど、何か考え事でもしてたのだろうか。それとも寒さで身が縮こまっていたのか。たたずむときはよくこんなふうに首をすくめている。この姿勢が落ち着くのか。
 写真ではあまり大きさが伝わらないだろうけど、実物はかなり大きい。ダイサギよりも大きい日本最大のサギだ。体長が約90cm、翼を広げると約160cmになる。160cmというのがどれくらい大きいかというと、手長猿蔵(てながざるぞう)と呼ばれた私が両手を一杯に広げた長さが約170cmだから、私がアオサギを着ると袖丈としてはちょうどいい。そのまま飛べそうな気さえするけどそれは間違いなく気のせいだ。頭のすぐ上を飛ぶと、太陽を覆い隠し、まるで怪鳥が空を飛んでいるようにさえ見える。自称バビル2世の私としてはロプロスのことを思い出して命令したくなる。しかし、ロプロスは命令されるまでもなく空を飛ぶと思う。

 アオサギと言っても全然青くないじゃないかと思った人も多いだろう。実はアオは古語では灰色をさすんだそうだ。だから名称詐欺というわけではない。
 漢字で書くと蒼鷺。英名はGray Heronで、これはそのまま灰色のサギを意味する。マガモもそうだけど、英語の方が見た目に忠実だ。
 ときどき白いサギの薄汚れたやつと間違ってる人がいるが(ホントにいるのか?)、サギが何日も風呂に入らず汚れた姿というわけではないので注意が必要だろう。
 夏羽と冬羽ではけっこう色合いが違う。夏の方がもっと頭から首にかけての白と羽の灰青とのコントラストがはっきりしてると思う。冬は全体的にくすんだ感じになる。
 婚姻期に入って色気づいてくると、クチバシがピンク色になるので分かりやすい。頭の後ろの黒い冠羽もびろ~んと伸びてきて、お洒落さんになる。
 オスとメスが同じ体色で、私には区別がつかない。

 オホーツク圏では最もポピュラーなサギで、ユーラシア大陸からアフリカ大陸の温帯・熱帯地方に広く生息している。日本には一年中いて、繁殖もする。ただ、寒い北海道では夏だけ、暑い南西諸島では冬だけしか見かけないそうだ。
 一夫一妻で、4から9月に繁殖する。たいてい同種だけでコロニーを作るけど、たまに他のサギ類とも混合するようだ。木の高いところに巣を作って、卵は一回に2~5個、オスメスともに卵を抱く。このへんがカモとは違うところだ。
 エサは思い切り肉食性。メインが魚で、その他カエルとか昆虫とか他の鳥のヒナまで狙う。くわえきれないくらい大きな魚はクチバシで突き刺して捕る。しかもかなりの大食い。多いときは一日で3kgも食べるとか。
 狩りの方法は基本的に待ち。じっと待って、通りかかったやつを素早く捕る。コサギみたいにあちこちウロチョロしない。たまにゆっくり歩く。足が長いので水深の深いところまで入って行って待てるという強みもある。
 あんまり捕れないと、民家の庭に飛んできて金魚を全部食べてしまったりもする。なかなかにどう猛なやつらなのだ。こいつがいるところにはカラスも近づかないらしい。

 アオサギはかつてかなり数が減ったことがあった。高度経済成長で川や池が汚れた時代に。それが最近の水質改善でかなり増えたという。ここ10年くらい環境のことが言われるようになって、いろんな取り組みもあって街の川もずいぶんきれいになった。カワウがすごく増えたのもそのせいだろう。環境破壊が叫ばれている中、アオサギたちにとっては日本もずいぶん棲みやすくなったもんだと感じてるのかもしれない。
 アオサギ? ああ、あの灰色のサギのことね。これを読んだあなたは明日からさりげなくそんなふうに答えられるようになったはず。サギに詳しい人の仲間入りです。いらっしゃいませ。まだ他にゴイサギやアマサギなんてのもいますぜ。

自衛隊に第一種接近遭遇(第二種、第三種と続くのか?)

飛行機(Airplane)
自衛隊の飛行機

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/100s(絞り優先)


 鳥を撮っていたら上空を自衛隊の飛行機が通過したのでついでに撮った。自衛隊に対して特に熱い思いを抱いているわけではない。むしろ、自衛隊は見て見ぬふりをしようとする心の動きがあることを自覚している。タブーとまではいかないけど、触らぬ神に祟りなしといった気分がどこかにある。写真を撮るときも、断りを入れずに勝手に撮っていいのかなと考えたりもする。いいの? ひょっとしてダメとか? いつも、他のものを撮ってるふりをして何気なく撮るようにしている。ちょっとした二重スパイ気分(なぜ二重?)。
 自衛隊関連のものをどこまで撮っていいのかは微妙だ。うちの近所に守山陸上自衛隊の駐屯地があるけど、演習中をフェンスに隠れて撮っているところを見つかったらなんだか捕まってしまいそうな気がするのは気のせいだろうか? 入り口近くでカメラをもってウロウロしてたらとがめられそうではある。実際のところどうなんだろう? 実は完全フリーだったりするんだろうか? それともやはりどこかに線引きはあるのだろうか。
 自衛隊に電話して訊いてみるか、それとも自衛隊マニアの人にメールで問い合わせてみるか。いやいや、そういう怪しいことはやめておいた方がいいぞ私、と内なる声がする。そうだ、やっぱりやめておこう、うんうん。
 しかし、私がこうも自衛隊に対して警戒心を持ってしまうのは、自衛隊に対する知識があまりにもなさすぎるせいだ。知識を持てばそんなに恐れるものではないに違いない。不良と呼ばれてるやつだってつき合ってみればいいやつが多かった(それとこれを一緒に?)。
 ここはひとつ、自衛隊に関する基礎勉強をしてみることにしよう。目指せ江畑さん、追いつけ追い越せ軍事オタクの石破茂前防衛庁長官。

 まず自衛隊員は25万人いる。フルキャストスタジアム宮城約11個が満員になる人数だ(たとえが分かりづらい)。25万人といえば、愛・地球博の最高入場数ではないか。って、それも比較としては分かりづらいぞ。でもとにかくたくさんいることは間違いない。
 基地は全国に249ヶ所あって、国防費は5兆円。5兆円といってもピンと来ないけど、1億円入りのトランクが5,000個だ。私の家に入りきらないことだけは確かだろう。金額はアメリカに次いで世界第2位となっている。戦争しないと言いながら、こんなに武器弾薬を持っているのはどうなんだ。これぞまさに大量破壊兵器。アメリカとケンカ別れしたら真っ先に攻撃対象になりかねない。強さは世界第2位というわけではないだろうけど(ミサイルとか武器関連で制約があるから)、それにしても世界トップクラスの軍隊には違いない。
 なんでこんなことになってしまったかといえば、それはもうアメリカのせいに他ならない。戦後いったんは解体した軍隊を再び作るように命じたのはアメリカで、こんなにどんどんふくれあがってしまったのは、アメリカのやらかした朝鮮戦争と米ソ冷戦があったからだ。そのあたりの背景があるから自衛隊問題というのはなかなかにややこしい。
 自衛隊の所属は防衛庁で、自衛隊というのは陸海空の隊の総称だ。昔からこの三隊は仲が悪い。というと言い過ぎかもしれないけど、明らかな気質の違いがあって互いにライバル視している。最近ではHPのアクセス数で争って一喜一憂してるとか。元々人気だった空自が2005年に海自に負けて大変悔しがっているという。「海猿」を見て海自にアクセスしてしてしまった人が少なからずいたからではないだろうか。でもあれは海上保安庁なので残念な間違いだったりする。
 気質の違いをたとえてこんな言葉があるという。「陸自はおにぎりを食べ、海自はカレーを食べ、空自はハンバーガーを食べる」と。陸自は地元出身者が多くて、伝統を重んじる海自に対して、エリート意識が高くてアメリカとの関わりも深い空自。なかなか面白い。

 自衛隊に関して少し分かってきた。こうなったら、この勢いのまま自衛隊に入隊してしまうか、と思ったあなた。いやいや、私ではないです。昔よく見かけた「自衛隊に入ろう」というポスターを最近あまり見かけなくなったけど今でもあるんだろうか。しかし、いざ自衛隊に入ろうと思い立ってもどうしていいか分からないというのが一般人の悲しさだ(悲しみなのか?)。いきなり自衛隊の基地にふらっと入っていって、窓口のお姉さんに「あのー、衛隊になりたいんスけど?」とアルバイト気分で申し込んでなれるものではない。「明日からでもいいっスよ」などと食い下がってもダメだ。まずは試験を受けないと。
 防衛大学に入るのが一番手っ取り早いんだけど、言うまでもなく一番難しい。それ以外にいろいろコースが分かれていて、テスト日もそれぞれなので、本気の人は、「萌えわかり!自衛隊ビジュアルガイド」を買って調べてください(そういう本が売ってるらしい)。
 2等・陸海空士部候補生の隊員だけでなく、航空学生、一般曹候学生、予備自衛官補、看護学生、技能公募などのコースもある。
 初任給は、幹部候補生の大卒が約21万、大学院卒が23万、一般が16万、大卒が17万となっております。賞与も年に2回で4.4ヶ月分、勤務時間は8時半から5時半まで、週休2日制、年末年始・夏季休暇、有給は24日あります(なんか自衛隊の窓口係みたいになってきたな)。

 こうしてちゃんと情報を集めてみると、自衛隊といってもそんなおどろおどろしい秘密組織のようなところではないことが分かってくる。職業のひとつとして選択肢になり得るし、隊や所属によっては資格を取って人生経験を積む場所という考え方もできるかもしれない。パートタイマーや腰掛けのように何年間かだけ自衛隊に入隊する人間もきっといるだろう。ただ、実際に入ってみればそんなに甘い世界ではないであろうことは容易に想像がつく。入るには大いなる覚悟が必要だろう。たとえば高校、大学の部活よりももっと厳しくて不条理なめくるめく世界があたなたを待っているでしょう。私を待たないでっ!
 自衛隊は必要だと個人的には思う。災害救助ひとつとっても取って代わる組織が他にはないし、丸腰でのんきにしていられるような世界情勢じゃない。
 どんな人間が自衛隊に入ればいいのか? それはもう、自衛隊そのものが好きな人が入るべきだと私は思う。邪念のない人がいい。
 私? もし入ることができても、自衛隊グッズをくすねてオークションで売りさばいて捕まってしまいそうだから、自衛隊のためにも私のためにも、自衛隊には入らない方がいいと思う。徴兵制になっても、年齢制限で大丈夫だろう。お料理担当くらいならお役に立てるかもしれないので、有事のためにサンデー料理で腕を鍛えることにしよう。でもそこでもつい調子に乗って敵国の料理を作ってしまったりしそうな予感。そしてご飯炊き係に降格。任せてください、ご飯炊きは得意です。あー、でも自分、おにぎり握れないであります! どこまでいってもお役に立てそうにない私であった。

マガモくんに新年の挨拶をしに行ったら手ぶらで叱れた

野鳥(Wild bird)
夕暮れマガモ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/45s(絞り優先)


 あけましておめでとう、マガモくん。夕暮れ時の池に立ち寄ったら、マガモが出迎えてくれた。ガァガァ、お年玉よこせ、と言わんばかりに。しかし、私が手ぶらだということを知ると、なんだよ新年ってのに手みやげもなしかよガァガァ、と遠ざかっていってしまった。食パンの耳くらい持っていけばよかった。ごめんよ、マガモくん、次はちゃんと持って行くから。

 カモの中でおそらくもっとも数が多く、どこにでもいるのがこのマガモなんじゃないかと思う。日本でもそうだし、北半球でもそうで、世界で1千万羽以上いるらしい。カモのグローバルスタンダードと言ってもいいかもしれない。
 頭は光沢のある緑色でクチバシは黄色、足はオレンジ、首に白い輪がある。ボディーも冬用に羽が生えかわると灰白色できれいになる。見慣れているから特に感じないけど、写真を撮ってあらためてしげしげ見てみると、けっこうキレイな体してるじゃねぇかと思う。ん? 言葉づかいが乱れた?
 しかしメスは他のカモと同じように至って地味な姿をしている。アピールするのはオスの方で、メスはその中から選ぶだけでいいので、わざわざ着飾る必要はないということか。それは生物界全体に当てはまることで、その点でも人間は特殊な生き物だということができる。
 オスの別名は「アオクビ」。緑色を青と言ってしまうのは年配の人に多い。だからそう呼び始めたのもきっと中年以上の人に違いない。私もいつか年を取って、緑を青と言ってしまう日が来るのだろうか?
 英名はMallard。それともうひとつ、日本同様greenheadとも呼ばれる。あちらではちゃんとgreenと言っている。

 アヒルはこのマガモを元に改良して作られたものだ。でもどうやればあんな真っ白になるのか謎だ。しかも、体のサイズもアヒルの方が二回りくらい大きい。
 マガモは性格的に温厚で人になつきやすくて、昔から人の近くに暮らしていたようだ。紀元前2千年頃の古代エジプトですでに飼われていたという記録もあるらしい。最近、無農薬米というのが流行っているけど、あれに使われているのはアイガモで、これはアオクビアヒルとマガモを掛け合わせたものだ。田んぼに放って害虫や雑草を食べさせつつ、フンも肥料になっている。

 マガモに話を戻そう。食べ物は主に水草や種子で、繁殖地では昆虫を好んで食べる。田んぼなんかにも出張していくことがあるけど、主に夜間らしいからそちらでは見かけたことがない。昼間は水面で逆さになって尻だけ出した格好で水底をさぐったりしている。
 基本的に淡水にいることが多い。でも海でもけっこう見かける。どっちが快適なのかはマガモに訊いてみなければ分からない。海の方が食べ物が多そうな気がするけど、街中の池なら人にエサをもらえる可能性があってそれも捨てがたい。
 人に対する警戒心は弱い方だ。ただ、オナガガモのように人に積極的に馴染もうとまではしない。
 繁殖地は北半球の北の方で、4~8月は一夫一妻になる。つがいになるのは越冬地で、向こうに帰って卵を産む。温めてヒナを育てるのはメスの役割だ。オスは用なしになってオス同士みんなで集まってぼーっとしてる。ひと月くらい羽が生えかわるのを待つ間は飛べなくなってしまうから、ホントやることないんスよ、ということになる。
 日本にやってくるのは10月の終わりくらい。北は寒すぎてやってられないから南へと移動する。でも暑すぎるのは苦手なので南半球のあんまり暑いところまでは行かない。オーストラリアやニュージーランドにいるやつは人が持ち込んだもので、そのまま留鳥となってるようだ。
 春になると北へ帰っていくんだけど、そのまま日本に居ついてしまうしまうやつもいる。北海道なんかでは一年中見られるそうだ。ただ、夏場に居残ってるマガモを見つけても、実際そいつはアヒルの奥さんをもらった雑種のカモだったりするから驚くのは早い。カモは雑種が多くて、マガモそっくりの野生化したアイガモもいる。

 マガモを知ってるくらいでは野鳥マニアではないので、覚えておいて損はないだろう。マガモとコガモくらいは常識として知ってる人も多いと思う。ただ、そこから一歩、二歩と踏み込んで野鳥の知識を披露してしまうと、え? あなた、そういう人だったの? ということになることがあるので注意したい。キンクロハジロとホシハジロを言い当ててしまったり、カワウとウミウの違いを熱く語ったりしてしまうと、もう引き返せない。
 私はまだ隠れ野鳥ファンなので大丈夫だ。そんな私を探鳥会に誘ったりしないでください。でも野鳥を撮るのは本当に楽しいので、ぜひオススメしたい。男子だけじゃなく、ぜひ女子にも。私と一緒にほふく前進しませんか?

ライフワークとしての雑煮ごちになります全国行脚の旅計画

風物詩/行事(Event)
雑煮の写真

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f5.6, 0.5s(絞り優先/三脚)


 今年も雑煮を食べた。こうしてプログに雑煮のことを書いてるということは、モチをのどに詰まらせずに無事生き延びたという証だ。まずはめでたい。常に前向きな解釈、それは平凡なフライもファインプレーに見せるテクニックに似ている。
 しかし、全国的にめでたくない人もいわけで、私ひとり雑煮を食べ終えたくらいで浮かれてばかりもいられない。あれだけおじいちゃん気をつけてよと言ったり言われたりしてにもかからず、今年も多くの人がモチで亡くなった。モチとの命がけの勝負に負けた人々。
 もしみんなで集まってモチを食べているとき、のどにつまらせたお年寄りがいたらどうすればいいか? 答えは掃除機を使う、だ。そう、口に掃除機を突っ込んで吸い取る、これしかない。いや、冗談じゃなく、ホントに。足を持って逆さまに振るという荒技もあるけど、よほど軽いおじいちゃん、おばあちゃんじゃないと難しいだろうから、やはりここは掃除機を使いたい。
 お年寄りとモチを食べるときは、横に掃除機を置いて食べましょう!

 私は名古屋と三重県の松阪でしか雑煮を食べたことがないので、他の地方の雑煮のことは知識としてしか知らない。変わったものがあるらしいということを知っていても、食べたことがなければ実感として違いを感じるのは難しい。だから、自分が食べている雑煮が他と比べてどうなのかもよく分かってない。ありきたりなものなのか、どこか変わったところがあるのか。
 ダシはかつお節と煮干しでとる。それにしょう油と塩で味付けするだけで、みそなどは入れない。モチは焼いた四角いものを入れる(昔の松阪では煮てた気もする)。具はいたってシンプルで、もち菜とかまぼこくらいしか入れない。名古屋はこれにかつお節を削ったものを振りかけるらしいのだけどうちではしたことがない。
 もち菜というのが唯一他と違う特徴だろうか。最近は小松菜をもち菜としてスーパーなどで売ってるようだけど、正確には違うものだ。東海地方の農家さんなどで作られてるだけであまり一般には出回らないんだそうだ。写真のこれは農家直売の市場で買ったからたぶん本物だと思う。
 味付けはこの地方らしく濃い。三重県は言葉は関西風だけど、文化や料理に関しては東海、中部地方に属している。雑煮も例外ではない。これを関西の人が食べたら、なんじゃこりゃ、しょっぱ! と言うだろう。濃さは家庭にもよるだろうけど、基本的にここらの料理の味付けは濃い。名古屋人は特に、薄味のものは料理にしても服にしても何にしても貧乏くさいといって嫌う。京風料理なんて、こんなもん味せんがや、ということになりがちだ。

 雑煮を大きく分けると、みそを使う西日本とすまし汁の東日本とに分かれるようだ。モチの形は西では丸く、東では四角いのが基本とされる。焼くか煮るかという違いもある。
 個人的にはみそというのはすごく違和感がある。京都の白みそで丸いモチなんて、なんだか悪ふざけにさえ思えるくらいだ。
 元々雑煮は武家社会の料理だったと言われている。戦場で簡単に作って食べられる煮込み料理だったのではないという説もあるようだ。やがてそれが儀式化して、庶民にも広まったのだそうだ。そのへんの成り立ちを考えると、関東風または江戸風が先で、それを受けて工夫したのが関西風または京風なんじゃないだろうか。いや、まったく間違ってるかもしれないけど。

 地方によって様々な変わりお雑煮があって面白い。島根や鳥取ではお汁粉が雑煮なんだとか。正月の朝っぱらからぜんざいはきついな。寝起きすぐは特に厳しい。モチの中に餡を入れるところもあるようだ。それもどうなんだ。美味しいのか。
 みそも関西の白みそだけでなく、赤みそを使う地方もある。愛知も東の三河ではそういうところがあるようだ。八丁味噌の本場だからそれはそうだろう。
 具に関しては、特産物があるところは積極的に入れることが多い。北海道などは新鮮な魚介類が満載だ。あれは一度食べてみたいと思う。長崎なんかも海鮮類どっさり山盛りだそうだ。
 サトイモ、豆腐、ダイコン、ニンジン、シイタケなどは定番と言ってもいいだろう。鶏肉、ブリ、ハマグリ、塩鮭などを入れるところもある。考えたら雑煮に入れておかしいものというのは少ない。全部放り込んだら複雑な味になりすぎるだろうけど、たいていのものは合う。みそ汁や鍋と同じようなものだから。本当はもっと自由でいいのだろう。

 いつか全国雑煮行脚の旅に出たいという思いをずっと胸に秘めてきた。旅立ちは今か!? ただ、そこには大きな壁というか障害がある。それは、基本的に正月三が日限定だということだ。3日で全国を回るのもきついけど、3日間雑煮だけでもそうそう食べられるものではない。石ちゃんじゃないんだから。やはり一年や二年で回りきろうという考えが間違いだろう。何十年かかけてライフワークのように雑煮の旅を続けるしかなさそうだ。しかし、正月の渋滞に巻き込まれて移動もままならないかもしれない。更にお店ではなく家庭で食べさせてもらわなければ本当のところは分からないから、飛び込みでお願いすることになる。人類史上もっとも困難な旅のひとつと言えるだろう。
 もし、正月に一家団欒でくつろいでいるときにチャイムが鳴って紋付き袴の男が箸を持って立っていたら、ああ、雑煮ねと察してご家庭の雑煮をふるまって欲しい。そして、私が食べている間に掃除機を用意することを忘れないでくださいね。

いつか飛行機野郎になるための同乗者募集

飛行機(Airplane)
上空の飛行機

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f5.6, 1/100s(絞り優先)


 正月の田舎の上空高くを横切っていったジェット機。冬の柔らかな水色の空に白い機体が美しく映えていた。
 愛知県の飛行場が小牧にあった去年まで飛行機なんて珍しくもなんともないものだった。住んでいる街の上空を日に10本以上も通過していたから、毎日のように見かけていた。風景の一部として当たり前のものだった。それが常滑に中部国際空港ができて、そっちに移っていってしまって以来、ぱたりと飛行機を見かけなくなった。空が静かになったのはいいことだけど、思っていた以上に寂しく感じている。だからたまに飛行機を見るとちょっと嬉しくなって、意味もなく写真を撮りがちな最近の私であった。

 そんなに飛行機好きなんだ。もしかして隠れ飛行機マニアなの? と訊かれるかもしれない。ううん、全然。飛行機に関してはまったく思い入れがない。鉄道に対してそうであるように。飛行機の運転手に憧れたこともないし、ついでに言えばスッチーと合コンしたこともない。更に付け加えるなら、鳥人間コンテストに出場した経験もない。UFOに乗ったこともないと思う。覚えてないだけかもしれないけど。
 飛行機の機種に関してもさっぱり分からない。ジャンボジェットも、プロペラ機も、第二次大戦に活躍した飛行機も、ほとんど何も知らない。それこそゼロ戦くらいしか。マニアな人はこの写真くらい小さくても機体を言い当てることができるんだろうか。
 飛行機の種類はともかく、歴史の上っ面だけでも知っておいた方がいいに違いない。今日も少し勉強しよう。

 アメリカのライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年12月17日。イメージはなかったけど寒い季節だったのだ。写真でいうとヒゲを生やした方が弟なので、クイズ番組に出場するときのために覚えておくといいだろう。
 動力はガソリンエンジンで、機体は木製の骨組に羽布を張ったもので、人は腹這いになって伸ばした左右の手のところに操縦桿があるというスタイルだった。落っこちるときは顔面からなので、とてもデンジャーだ。
 最初に飛行に成功したのは弟のオービルだった。どっちが操縦するかでモメたりはしなかったんだろうか。インタビューのとき、兄のウィルバー・ライト氏がですね、自分にやらせて欲しいと言ったんですが親方の遺言で私がやらせていただきましたと答えた、という歴史的事実はない。
 初飛行は12秒、36.6メートルだった。これも飛行機野郎検定なんていうものがあったら出題されそうなので押さえておきたい。「いーにいさん、むむっとうなったウィルバー」とでも覚えておけばいいと思う。

 20世紀は戦争の世紀だった。その中で飛行機が果たした役割は大きい。逆の言い方をすれば、戦争が飛行機を加速度的に進歩させたとも言えるだろう。もし2つの大きな戦争がなければ、21世紀の今でもまだジャンボジェットは空を飛んでなかったかもしれないし、人類はまだ宇宙に飛び出すことができずにいたかもしれない。飛行機は夢を実現させるものでありながら、戦争の道具でもあった。それこそが飛行機の役割であって、平和的に利用されたのは一部に過ぎない。
 第一次大戦で戦闘機同士が機関銃を撃ち合うようになり、爆撃機が誕生した。機体に金属が使われるようになったのもこの頃からだ。
 1927年、チャールズ・リンドバーグが操縦するスピリット・オブ・セントルイスが、大西洋無着陸横断飛行に初めて達成した。時速も180kmと、200kmに迫るようになった。
 1930年代に入ると、アメリカでは近代的な旅客機が作られるようになる。ボーイング247やダグラスDC-3で、速度も一気に300kmを超えた。
 そして第二次大戦。飛行機は必要に迫られ飛躍的に進歩し、戦争の主役となった。そのきっかけを作ったのは、真珠湾攻撃だったかもしれない。それが結果的にB-29による原爆投下につながったと言うと言い過ぎだろうか。ただ、戦闘機だけでなく輸送機も同時に発達して、それが現代へとつながっているわけで、飛行機は必ずしも暗い面ばかりではない。
 現代、戦闘機の時速はマッハ2(約2,400km)を超え、旅客機は上空10,000kmを飛ぶようになった。ただ、いろいろな要素で速さ、高さともに現在頭打ちになりつつあるという。次の飛行機は重力コントロールか、いつか光の速度を超えることができるのかどうか。

 個人的な思いとしては、だんだん飛行機がロマンチックなものでなくなってしまったのが少し寂しい気がする。やっぱり自ら鳥人間コンテストに出るべきか?
 それよりも思い切って飛行機免許を取ってみようか。そして華麗なるヒコーキ野郎への第一歩を踏み出すのだ。それなら夢がある。
 ライセンスを取れたあかつきには、中古のプロペラ機を買ってみなさんを招待しましょう! 乗りたい人、手を挙げて!
 ……。
 あれ? ひとりも手が挙がらない? じゃあ、しょうがない、ジャンケンで勝った人を乗せてあげることにしましょうか。その日を楽しみにして、ジャンケン・テクニックに磨きをかけておいてくださいね。
 買って嬉しいプロペラ中古 負けて悲しいレシプロ機
 あの子が乗りたい あの子じゃ分からん
 この子が乗りたい この子じゃ分からん
 相談しましょう そうしましょ
 花いちもんめのプロペラ機バージョンで決めてもいいですね!

30年以上の時を超えた「にう」ショック

丹生(Nyu)
丹生大師前

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/10s(絞り優先)


 2006年元日早々、個人的に大変ショックなことがあった。タ~イムショック! などとふざけてる場合じゃない。物心ついてから今にいたるまでの30年以上もの長きにわたり、私はこともあろうに自分の故郷の村(正確には祖父母と父親の生家)の読み方を間違えていたのだ。んなアホな!
 この写真を撮って、田舎にあるほとんど唯一自慢できる丹生大師のことを紹介しようとネットでいろいろ調べていたら、「にうたいし」と書いてある。ええ? 「にう」? 「にゅう」じゃなく? コイツ、間違えてるな、はは、と笑ってたら、笑われるのは私の方だった。どうやらホントに「にう」らしい。ガビーン。顔にモザイクをかけて、音声を変えてもらいたいくらい恥ずかしい気持ちで一杯だ。しかし、まだ半信半疑だったりする。
 丹生というのは全国にある地名で珍しいものではない。丹(に)、つまり赤土を生み出す所という意味だ。そして読み方は「にう」と「にゅう」がある。どちらで変換しても「丹生」になる。「しょうぶ」も「あやめ」も「菖蒲」になるように。でも、しょうぶとあやめは別のものだ。にうとにゅうはどうなんだろう? 意外とどっちでも正解なんだろうか? だとしたら気が楽になるのだけど。もしかして、丹生大師だけが「にうだいし」で、地名としては「にゅう」なのかとも思う。なんか混乱してきた。
 思い起こしてみれば確かにばあちゃんは昔から「にう」と言っていた。年寄りのことだし、三重弁でなまってはるんだなと、私の頭の中で勝手に「にゅう」と変換して聞いていた。ばあちゃん、疑ってごめんよ。でも今まであらたまって確認したことはなかったし、口で言うぶんにはどちらもほとんど同じように聞こえるから間違いを指摘されることもなかった。
 それにしても2006年の1月1日から何もないところでつまづいて顔面から地面に落ちたような気分だ。2、3日寝込むかもしれない。
 にうなんて、ピッチャー新浦以外に聞いたことないぞ。他には田舎の食堂で「めにう」と書かかれてる品書きが存在する可能性くらいがあるくらいのものだろう。

 気を取り直して丹生大師の紹介をしよう。
 元からこのあたりは霊験あらたかな土地だったようで、継体天皇の774年(奈良時代)に、弘法大師の師匠さんである謹操大徳が開いたとされている。水銀の産地として全国でも有名で、奈良の大仏などこの時代日本で作られた仏像などはほとんどがここで出た水銀を使ったらしい。空海がこの地を訪れたのが813年。伊勢神宮にお参りしたときたまたま(?)立ち寄り、おお、これがお師匠さんの開いた寺なのか、それでは自分も何かしなくてはと七堂伽藍なんかを建立したり、42歳のときの自画像を残したりしている。
 弘法大師の像は大師堂に安置され本尊となっている。本堂などは三瀬左京の乱(1584年)など数回の争乱などで消失したものの、大師の像は不思議と戦火を逃れたという。現在残っている観音堂などは江戸時代に再建されたもので、写真の仁王門は1716年に建立されたものだ。それでも古くて風格がある。
 丹生大師の正式名称は、女人高野山丹生山神宮寺成就院という。長くて覚えられない。近所の人はたいてい「お大師さん」と呼んでいる。一応の正式名称は「神宮寺」で、丹生大師と呼ばれるようになったのは江戸時代以降らしい。
 丹生神社が隣接しているのだけど、このあたりの歴史はあまり知らない。明治の神仏分離令で今のような形になったのだろう。

 丹生のこのあたりは水銀が採れた当時は大変な賑わいをみせ、「丹生千軒」と呼ばれたそうだ。うちの田舎のうちがある通りは和歌山別街道で、宿場町だった。父親が子供の頃はまだその面影がかなり残っていたらしい。今は少し古い家があるだけで、宿場町の雰囲気はない。伊勢商人発祥の地としても一部では有名だ。
 こうして見てくると、なかなかに古い伝統と歴史のある村だと言えるだろう。侮り難し、丹生。にう……。
 今からでも遅くないからにゅうに変えてもらえないかな。私の30数年の悔恨を取り戻すためだけに。無理か。にゅうでも合ってる気がするんだけどな。やっぱり間違いなのかな。
 西郷どんの友達が西郷の名前を役所に登録するとき本名が思い出せなくて、確か隆盛だったはずと思って登録したら実はそれは西郷どんのお父さんの名前だったのに、「そいでよか」と言ってそのまま西郷隆盛を名乗ることにした西郷隆永を見習って、私も少々の読み間違いや言い間違いを気にしない心の大らかな人になりたいと思う。それが2006年最初の誓いとなった。