月別:2005年12月

記事一覧
  • さよなら2005年、はじめまして2006年

    Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800 バンザイしながら眠りこけるアイの恥ずかしい寝顔。人様にお見せできるものじゃないけど、見せてしまおう。自分のこんな顔を公開されていることを知ったらアイも怒って飛びかかってくるかもしれない。 正月はひとりで留守番のアイ。もう何度か経験してるので大丈夫。窓から勝手に出入りして、メシを食べて、寝てるだろう。ただ、やっぱり不安なようで、帰ってくると大騒ぎす...

    2005/12/31

    猫(Cat)

  • 12月に咲く桜さん、お寒いのがお好き?

    Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800 今ごろ4月の写真を持ってきてどうしたんだ? と思うかもしれない。この寒いのに桜もないだろう、と。けど、これは12月の写真で、決して私の季節感が狂ったわけではないのです。桜の狂い咲きでもない。この季節に咲く桜だ。尾張旭の池のほとりで今でもまだ咲いてると思う。 単純にフユザクラ(冬桜)なのかと思って調べてみると、そう簡単でもなかった。フユザクラかもしれ...

    2005/12/30

    桜(Cherry Blossoms)

  • 2,200円でトイレが満天の星空を映す宇宙になった

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 30s(絞り優先/三脚) 年末だというのにのんきにこんなもの作っていていいのか、私? そんな自問自答も吹き飛ぶ星空発生装置。おお、すごいぞ。満天の星空だ。我が家のトイレが宇宙になった。ララァ、私を導いてくれ、と思わずつぶやいた。 しかし、どの角度がきれいに映るんだろうと、くるくる回していたらなんだかめまいがしてきた。これが宇宙酔いというやつだろうか?(たぶん違...

    2005/12/30

    室内(Room)

  • ホームイルミネーショナーへの妄想と挫折

    Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800 名古屋でイルミネーションといえば、真っ先にセントラルタワーズを思い出す。栄近辺やテレビ塔周辺のセントラルパークを思い浮かべる人もいるだろう。今年は私もいっちょ三脚をかついで撮りに行ってみようかなと思っていたら、雪が降ったり、寒かったり、雪が降ったり、寒かったりしてるうちにクリスマスが終わってしまった。ああ、なんてことでしょう。 でも雪や寒さなんて...

    2005/12/29

    イルミネーション(Illumination)

  • 振り返れば愛・地球博-2005冬

    Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800 愛・地球博会場の冬。会場内外の解体工事も進み、今は大観覧車だけがその姿をとどめるばかりとなった。周囲は寒々しいくらいにがらんとしてしまい、むき出しになった地面の周りを工事中の看板やフェンスが取り囲んでいる。つい3か月前まで大勢の人の熱気と興奮でごった返していた光景が嘘みたいだ。工事も一段落ついたのか、重機の活気もなかった。 それに加えてこの写真。...

    2005/12/28

    愛・地球博(Aichi Expo)

  • 2005年の映画とドラマ勝手にマイベストテン

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 2.0s(絞り優先) 年末は録画したテープがたまりがちだ。特番攻撃にさらされて、観ても観ても追いつかない。床に並ぶテープの本数は更に増えていくことになる。 今年も私はテレビ野郎だった。映画、ドラマ、バラエティー、ニュース、スポーツ、クイズ番組。テレビなしには一日たりとも過ごせないというほどだ。天国にテレビがなかったら、テレビを持ってあっちへ行かなくてはと思う。...

    2005/12/27

    室内(Room)

  • 和食料理で今年のサンデー料理は作り納めの食べ納め

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/10s(絞り優先) 今年最後のサンデー料理は折しも12月25日のクリスマス。ここは当然クリスマスらしい料理で一年を締めくくるべきだろう、とは思わなかった。そんなに素直な性格なら苦労はない。チキンもターキーもケンタッキーもなし。もちろんケーキなどという軟弱なものはお呼びじゃないぜ。呼んでないけど持ってきてくれる分にはいっこうにかまいませんです。 じゃあ、クリスマ...

    2005/12/26

    料理(Cooking)

  • クリスマスイブらしい写真で連続更新を継続

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/90s(絞り優先) 見方によってはクリスマスを象徴するような写真と言えるかもしれない。ペアで行くコガモと、取り残されてひとりぼっちのコガモ。 一人法師と書いてひとりぼっち。 それぞれのカモたちが見つめる先には何が見えただろう。 クリスマスイブは完全休養のはずが、のこのこ出てきてしまった。9月に始めてからせっかくここまで一日も休まずにきてたから、途切れさせず続け...

    2005/12/25

    野鳥(Wild bird)

  • クリスマスは八墓村スタイルでアイとお祈りか

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/8s(絞り優先) 起きているときじっとしていることがほとんどないアイ。猫にしては珍しいほど落ち着きがない。寝るか、食べるか、何かを訴えて鳴くか、飛びかかってくるか、外に出かけていくか、この5つの行動パターンを繰り返していて、常に動いている。普通の猫は、ちょこんと座ってたたずんでいる時間があるものだけど、アイにはそれがない。店の看板猫には絶対になれない。...

    2005/12/24

    猫(Cat)

  • タワーを見れば登らずにはいられない名古屋人気質

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/500s(絞り優先) 夕焼け空に東山スカイタワー。ベランダから西南の位置にあって、よく見える。名古屋郊外も高いマンションが増えてずいぶん視界が悪くなったけど、こちらの方角はけっこうよく見える。昔は右にテレビ塔も見えていた。 馬鹿と煙は高いところに登りたがるだとか高いところが好きだとか昔の人は言った。あれはどんな根拠があったんだろう。それはよく分からないけど、名...

    2005/12/23

    名古屋(Nagoya)

  • 紙のカレンダーの寿命はあと50年あるのかな?

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f3.5, 1/15s(絞り優先) 2005年のカレンダーも最後の一枚になって、今年も残りが薄っぺらになってしまったことを教える。11枚分も月日が流れてしまったか。そしてまた来年のカレンダーのことがそろそろ気になり始めた。古いカレンダーが終わるのは寂しいけど、また新しいカレンダーに出会える楽しみがある。 カレンダーをめくるというのは、気分をあらたにしてくれるという効果がある...

    2005/12/22

    室内(Room)

  • 来年の戌年に向けて犬の勉強を

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先) しばらく前から通路にこの犬の置物が放置されている。誰が何の目的で置いたかは分からない。ときどき位置が変わってることがある。近所の人のものなのかどうなのか。この日は夕陽を浴びながら外を向いていた。写真を撮るために私がここに置いたわけじゃない。明日は別の場所に転がっているかもしれない。 これまで犬には縁のない人生を送ってきた。飼える環境になか...

    2005/12/21

    物(Objet)

  • 左曲がりのダンディー三上博史はスキーゲッツとなるか

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先) 深夜に何度も窓を開けて外を見た。雪はいっこうに降り止む気配を見せず、果てることなく空からゆっくりと音もなく落ち続ける。そして朝、ドアを開けるとそこは雪国だった。 なんだこの景色、こんなの見たことないぞ。川端康成もびっくりして更に目をむいてしまいそうな光景がそこには広がっていた。こんなに降っちゃありがたくない。おなかが空いていて大盛り...

    2005/12/20

    雨/雪/天候(Weather)

  • 観光気分で訪ねたのに気づけばドイツ路地裏料理

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/8s(絞り優先) はじめてのドイツ料理はプリマでズーパー! となる予定だったのに、出来上がって食べてみたらなんとなく冴えない今年のシューマッハ兄、のようになってしまった。頑張ったんだけど6位入賞、みたいな。ホッケンハイムリンクは私に微笑まなかった。 ドイツ料理の王道をいくはずが、気づいたら脇道に入り込んでしまって、たいした出会いも発見もなくさまよい出て...

    2005/12/19

    料理(Cooking)

  • ういろは買って食べるだけでなく作って食べてもいい

     名古屋人、愛知県民で、ういろ(ういろう)を食べたことがないという人は少ないかもしれない。でも、ういろを作ったことがあるかと訊ねられたら、ええ? ういろって家で作れるの? と逆に訊ね返してしまう人がほとんどではないだろうか。それが実は案外簡単に作れるのだ。赤ん坊のミルクを作るよりたやすく。 私も一週間くらい前まで知らなかったんだけど、さる筋からの入れ知恵によって知ることとなった。 そうと分かれば作...

    2005/12/18

    食べ物(Food)

  • 2005年的日常風景のひとコマ---3005年の誰かに向けて

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先) 夕暮れの帰り道、橋を渡ろうとした彼女は、夕焼け空がきれいなことに気づき自転車を止め、鞄からデジカメを取り出して写真を撮った。その姿をたまたま通りかかった私にデジカメで撮られた。その女子高生を撮っている私を撮っている人間がいないかとあたりを見回したけど、残念ながらいなかった。もしいたら、ロシアのみやげ物マトリョーシカみたいで面白かったのに(...

    2005/12/17

    風景(Landscape)

  • はぐれるカモたち、口を閉ざして多くを語らず

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/45s(絞り優先) 素知らぬ顔ですれ違う2羽のカモ。中学の廊下で目を合わせず交換日記を手渡す私とユミちゃんみたいだ。ユミちゃん元気にしてるかな。 っと、そんなことはいいとして、むむ? キミは誰ですか? グェ? グェ? そうそう、奥のキミ。 なんか微妙な違和感があるぞ、キミ。一見カルガモのメスのようだけど、頭の色合いが明らかに違う。赤茶色すぎる。でも目の上の筋と...

    2005/12/16

    野鳥(Wild bird)

  • 第一回月地対抗歌合戦に勝利するのはどちらだ

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 0.3s(絞り優先) 夜空に浮かぶ十三夜の月の前を、ちぎれ雲が次々と横切っていく。そのとき雲にも色があることを知った。雲自身の色なのか、月の光の色なのか、何かの反射光なのかは分からないけど。 満月が近づいてくると心が少し波立つような浮き立つような感じがする。満月を見てそうなることもあれば、そういう感覚に気づいて空を見上げると満月だったということもある。月が...

    2005/12/15

    星(Star)

  • 名古屋にミドスク族が誕生する日は来るのか!?

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先) 名古屋駅前3本目の超高層ビルとなる豊田毎日ビル、通称ミッドランドスクエアが出来上がってきた。写真の一番左のがそれだ。3本目というのはあまり正確ではないかもしれない。最初の2本はJRセントラルタワーズのツインタワーだから、実質名古屋で2番目の超高層ビルということになる。「ミッドランド」が中部地方、「スクエア」が広場を意味する。そのままのような分か...

    2005/12/14

    名古屋(Nagoya)

  • 日本のコリドラスはアマゾン川の夢を見てるのだろうか

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/4s(絞り優先) 今日も仲良しコリのパンダ&ジュリー。といっても私が付けた名前じゃない。コリドラスという魚の種類の名前だ。熱帯魚や自分の持ち物に名前を付ける習慣はない。 いつも寄り添うように水槽の底でエサを探してうろつく2匹組のコリたち。やあ、今日も元気かい? 向かって左側がコリドラス・パンダ。目の周りが黒いからという安易なネーミング。でも白黒じゃない...

    2005/12/13

    虫/生き物(Insect)

  • ハライタでサンデー料理はハラショーとはいかず

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/30s(絞り優先) ロシア料理でハラショー! と元気よく始めるはずだったサンデー料理。いかんですよ。拙者ハライタでござるよ。ひゃー、トイレー、トイレー、と部屋と台所とトイレを5周ほどして、作る前からすでにぐったりの私。悪いものでも食ったかのぉ。ばあさん、朝飯はまだかいな? 言葉づかいや記憶も乱れる日曜の夕方。 しかし、走り出したらとまらないぜ、土曜の夜の...

    2005/12/12

    料理(Cooking)

  • うらやましいようなうらやましくないようなカルガモのオス

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先) なんでもない街中の川にもカモはやってくる。決してきれいな水とは言えないところだけど、カモにとってはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。山奥のきれいな川ではカモを見かけないから。 この香流川にも、北から渡ってきたコガモやマガモやオナガガモなどがそれぞれ小さな群れを作って過ごしている。池では違う種類同士が一緒にかたまってるシーンをよく見か...

    2005/12/11

    野鳥(Wild bird)

  • 駄菓子屋のオバチャンとお菓子と少年の私

    Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先) マシュマロをもらった。そして今それを見て、多くの人が口にするであろう感想を私も何の工夫もなく言った。「あ、なつかしいね」。私がもう少し気の利いた人間だったら、「なっつかしいですねっ!」と、とんねるずの往年のギャグで喜びを表現したのだろうけど、しまったと思ったのは家に帰ってきた後だった。もう遅いのや(明石家さんま)。 マシュマロを最後に...

    2005/12/10

    食べ物(Food)

  • 光と影を追い求めた彼らの想いは私たちにも受け継がれてる

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/180s(絞り優先) 今日の夕焼け描き担当者はレンブラントかドラクロワか、それともルーベンスだろうか。とてもドラマチックな夕焼け空だった。 刻々と移り変わっていく空の表情の、ある一部分の一瞬にドラマがある。真実が現実の中の瞬間的な一点にだけ存在するように。 そのシーンに居合わせることができて今日の私は幸運だった。ほら、いいの描いてやったから写真でも撮りな、とい...

    2005/12/09

    夕焼け(Sunset)

  • 100匹の黒猫の中から自分の黒猫を見つけられるだろうか?

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先) 最近家の中でも寒さが身に染みるのか、アイは少しでも暖かい場所を探してあちこちをうろついている。ストーブをつければストーブの前に、消えると押し入れの中へ、テレビがついたりして騒がしくなると起き出してきてテレビの上に、PCが暖まってくるとPCの上に、といった感じで。 しかし、テレビの上はやめて欲しいぞ。テレビを見てるこちらをじっと見つめられるとテ...

    2005/12/08

    猫(Cat)

  • 世界地理博士太郎への遠い道のり 2005年12月6日(月)

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先) 世界地図の中心に自国を置くというのはどうなんだろう。なんだか自己中心的で恥ずかしいな、と昔からずっと思っていた。 しかし最近になって知ったのだった、それは世界中どこでもやってる世界の常識だということを。そうだったのか。だから戦争が起こるのね。悲しいけどこれ、戦争なのよね、とスレッガー・ロウ中尉のセリフをつぶやいてしまったよ。 こんなことし...

    2005/12/07

    室内(Room)

  • もしカラスが青色だったら人気者になれたのかな

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先) 曇天の冬空にはカラスがよく似合う。 カラスといえば近年不吉なイメージがすっかり定着してしまっているけど、古来日本では吉兆を示す鳥だった。神武天皇が戦に出たとき、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明をくわえて導いたという伝説があって、それ以来カラスは神聖な鳥として親しまれてきた。日本サッカー協会JFAのシンボルマークが三本足のカラ...

    2005/12/06

    野鳥(Wild bird)

  • アドゴニーとケンタロウに感謝、感謝、感謝((c)黒板五郎)

    Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/30s(絞り優先) 今日のサンデー料理のテーマは「アドゴニー」。 といっても分からない人には何のことかさっぱりだろう。簡単に説明すると、そういう名前の外国人タレントがいて、「いきなり黄金伝説」の中でカツオの仲間を釣り上げてその場で料理してたのが美味しそうだったので、ぜひそれを作ってみようということだったのだ。「いきなり黄金伝説」ってのはココリコが司会を...

    2005/12/05

    料理(Cooking)

  • 沖縄ちんすこうから始まる全国銘菓の旅---序章

    Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/15s(絞り優先) 沖縄銘菓ちんすこう。いきなり下ネタかよ! いやいや、誰もそんなこと言ってないですって。え? ホント? そりゃ失敬、失敬。 初めて食べた「沖縄ちんすこう」はクッキーの味がした。クッキーだよな、これ。森永とかのパッケージに入っていても、そのまま普通に見過ごしてしまうというか食べ過ごしてしまうだろう。くれた人に美味しかったかと訊かれると返答...

    2005/12/04

    食べ物(Food)

  • カモがいない池なんてクリープを入れないコーヒーみたいさ

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先) 紅葉が逃げていくのを追いかけることができない。あきらめきれないけど、今年はもう半分あきらめた。桜の場合なら出遅れても寒い地方へ行くという手があるけど、紅葉の場合はそうもいかない。今日も近所の猪高緑地を30分ほどうろついたところで時間切れになってしまった。 紅葉よ、もうしばらく私を待っておくれでないかい。 写真は猪高緑地の中では一番大きな塚ノ...

    2005/12/03

    施設/公園(Park)

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さよなら2005年、はじめまして2006年

猫(Cat)
アイの寝顔

Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800


 バンザイしながら眠りこけるアイの恥ずかしい寝顔。人様にお見せできるものじゃないけど、見せてしまおう。自分のこんな顔を公開されていることを知ったらアイも怒って飛びかかってくるかもしれない。
 正月はひとりで留守番のアイ。もう何度か経験してるので大丈夫。窓から勝手に出入りして、メシを食べて、寝てるだろう。ただ、やっぱり不安なようで、帰ってくると大騒ぎする。

 さて、そろそろ出かけよう。猫缶とカリカリをたくさん持って。田舎でも野良たちが腹を空かせて待っている。

12月に咲く桜さん、お寒いのがお好き?

桜(Cherry Blossoms)
冬に咲く桜

Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800


 今ごろ4月の写真を持ってきてどうしたんだ? と思うかもしれない。この寒いのに桜もないだろう、と。けど、これは12月の写真で、決して私の季節感が狂ったわけではないのです。桜の狂い咲きでもない。この季節に咲く桜だ。尾張旭の池のほとりで今でもまだ咲いてると思う。
 単純にフユザクラ(冬桜)なのかと思って調べてみると、そう簡単でもなかった。フユザクラかもしれないないし、シキザクラ(四季桜)かもしれない。見た感じヒマラヤザクラ(ヒマラヤ桜)とかではなさそうだ。その他この時期に咲く桜としては、コブクザクラ(子福桜)、ジュウガツザクラ(十月桜)、コブクザクラ(子福桜)などがあるようだ。
 秋、冬の桜は春ほどたくさんの花を咲かせないので見た目地味だ。だからその存在を見逃しがちだけど、探してみると案外近所にあるものだ。緑地とか公園などに。ここらでは小原村(現豊田市小原町)の四季桜が有名で、あそこはとても見応えがある。村ぐるみで育てていて、秋の四季桜まつりは大勢の人が見物に訪れる。紅葉の中の満開の桜というのは不思議な光景で、一度見ると忘れられない。今年は行けなかったけど、来年はまた行きたいと思っている。

 ところで桜の語源を知っているだろうか。こんなに日本人に馴染みのあるものなのに語源を答えられる日本人は少ないと思う。でも知らなくても大丈夫。全然常識じゃないから。私もまったく知らない。で、調べてみたところ、いくつかの説があるようだ。
「古事記」の木花開耶姫(このはなさくやひめ)が蒔いた種から咲いたからとか、麗らかに咲くという意味の「咲麗(さきうら)」がなまったとか、咲くらむ(咲くだろう)の変形とか、動詞の「咲く」に接尾語の「ら」が付いて名詞になったとか、「さ」は耕作を意味する古語「さ」、または「神霊」を意味する「さ」で、「くら」は「座」を表すなどという説もある。
 どれが本当なのか、全部間違っているのか、それは分からない。私としては、誰かが最初に勝手にさくらと呼んで、なんでそんなふうに呼ぶんだと訊ねたらオラが名付けただと答えた、みたいなやりとりがあってそれ以来なんとなくそう呼ぶようになったんだと思う(ホントかよ)。でも花の名前なんてどれも、誰かが最初に勝手に付けたわけで、そこにすべてもっともらしい根拠があるわけじゃない。けっこういい加減なものもある。漢字はたいてい当て字だし。だからきっと桜もそんなところだろう。

 桜の種類をいくつ言えるだろうと考えてみると、せいぜい10くらいしか思い浮かばない。ソメイヨシノ、シダレザクラ、エドヒガン、カンヒザクラ、オオシマザクラ。って、5個しか答えられてないじゃん。えーと、ウスズミザクラ、ヤマザクラ? サトザクラ? ダメだ、8個が限界だ。しかも、サトザクラって園芸種の総称らしいし。
 なんでも野生種で30種類、園芸種をあわせると300種類以上あるんだとか。桜の種類がそんなにあるとは知らなかった。しかも、品種改良で更に新しいものが生み出されているという。個人レベルで桜の新種作りを趣味にしてます、って人はあまりいないだろうけど、桜作りの専門家もたくさんいるのだろう。私の知らないところで。でもバラみたいに自分ちの庭に植えて育ててる人はたぶんそういないはずだから、私などが知る機会はほとんどなさそうだ。あそこのおたくのご主人は何十類も桜を育ててるんですって、なんてうわさ話は耳にしたことがない。
 もし新しいものを生み出すことに成功したら、自分で名前を付けられるんだろうか? 遠山桜に対抗してオオタ桜とか(遠山桜は品種の名前じゃない)。それにしても花じゃなく木だから、ずいぶん気の長い話だ。交配させて花が咲くまで数年から10年くらいかかるはず。かなりのんきじゃないとやってられない。

 もうぼちぼち今年も終わりかと思っていたら、すぐに1月が始まるというところまで来てしまった。明日は大晦日で、元日はもうあさってだ。落ち着かない1月を過ごしていると2月がやってきて、2月になったらもう桜咲く春はすぐそこだ。
 けど、あまりにも季節の移り変わりが早いと気が焦ってしょうがない。もう少し冬をゆっくりと過ごしたいという思いも一方にある。だからしばらく桜のことは忘れることにしよう。春になれば好きなだけ見ることができる。
 冬に咲く桜を見て、春をもう少し向こうに押しやりたくなった。それもまた人情というものだろう。

2,200円でトイレが満天の星空を映す宇宙になった

室内(Room)
大人の科学マガジン・プラネタリウム

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 30s(絞り優先/三脚)


 年末だというのにのんきにこんなもの作っていていいのか、私? そんな自問自答も吹き飛ぶ星空発生装置。おお、すごいぞ。満天の星空だ。我が家のトイレが宇宙になった。ララァ、私を導いてくれ、と思わずつぶやいた。
 しかし、どの角度がきれいに映るんだろうと、くるくる回していたらなんだかめまいがしてきた。これが宇宙酔いというやつだろうか?(たぶん違う)
 うーん、くらくらする。

 これは9月に発売された「大人の科学マガジン」の付録で、その存在を知った10月には売り切れていてなかなか手に入らなかった。オークションではプレミアがついて定価を超えてるし、再販されるのを待っていたらこんな年末になってしまったのだった(11月の終わりに再販されたはずだけどしばらく存在を忘れてた)。
 定価2,200円を安いとみるかどうかは人それぞれだろうけど、付録のプラネタリウムの出来のよさはそれ以上の価値があると思う。口コミで広がってかなり売れたようだ。
 話題としてはかなり乗り遅れた感があるけど、せっかく年内に届いたので他の用事を後回しにして早速作ってみた。そう、これは作るものなのだ。最初から出てきてるわけではない。なんせ「大人の科学マガジン」だから。昔あった(今もある)「科学」とか「学習」の大人版だ。
 完成までには意外と手間も時間もかかる。こういう工作ものは嫌いじゃないし苦手でもないけど、説明書を見ながら1時間くらいかかった。でもプラモデルよりは簡単だし、お母さんと子供でも充分作れる。ちょっと面倒なだけだ。特に貼り付けが。

 完成したら、部屋を真っ暗にしてスイッチオン。ん? 点かない? いきなりトラブル発生。おかしい、図画工作はいつも5だったのだが。あちこちいじっていたら、点いたり消えたりする。うーむ、どうやら電池周りの接触が悪いようだ。
 気を取り直してもう一度スイッチオン。よし、大丈夫、今度は点いた。むむ? 思ったより暗いかも。部屋中に満天の星を映し出すはずが、壁に近い部分は微細に映るものの、少し離れると星がぼや~んと滲んで細長くなる。電球が暗いのと、システムがピンホール式の単純なものということでこれくらいが限界か。6畳一間全体を星空にすることは無理だ。けど、トイレなら酔うほど満天の星に囲まれることになる。こりゃ、いいね。いーね、いーね、とクレイジーケンバンドの横山剣状態。
 一番いいのは押し入れだそうだ。私のところは物が一杯で試せなかったけど、ふとんを全部出して押し入れに入ってこれを使うとそれはもう宇宙にいる気分が味わえるはずだ。土井隆雄さんはこんな気持ちだったんだろうか(たとえとして挙げる名前としてはマイナーすぎないか?)
 その他、ヤスリで削って天の川を作るとか傘ドームに映すなど、本にいろいろ改造方法が載っていたから、そのうち実験してみたい。もっと明るい電球を使うことができたら、更に感動的な星空があらわれるだろう。

 これからしばらく、私のトイレは宇宙になる。壮大な気分で用が足せるに違いない。嬉しいようなそうでもないような……。やっぱり部屋に持ち帰ってきて、夜寝る前に天井に映して宇宙を感じた方がいいだろうか。その日の日付に合わせて星空を見れば星座の勉強にもなる。
 あ、そうそう、このプラネタリウムが優れているのは、ちゃんと星空が本物と同じように映し出されるところにある。適当に光を散りばめているだけではない。日付と時間を当日に合わせると、実際に見られる夜空と同じ星空を映し出してくれるのだ。さすがメガスターを開発したプラネタリウム界の第一人者大平貴之監修だけのことはある(ネスカフェのCMで唐沢寿明と一緒に出てるあの人だ)。
 だから、星座に詳しい人にとっては感動も人一倍なのだろうと思う。私はまったく知識がないから充分感動できなくて残念だけど、ちゃんと星座図も本に載ってるから心配はいらない。これを機に少し勉強してみようと思う。そして充分詳しくなったところで女の子を天体観測デートに誘うのだ。
 ほら、あそこに見えるのがカシオペア座だよ。こっちにはオリオン座だ。ロッテオリオンズの落合の三冠王はどうなんだ、あれ。川崎球場が狭すぎたよね。あそにはこいぬ座とおおいぬ座があるね。あれが有名な冬の大三角だよ。えーと、北斗七星はどこだ。ああ、あったあった。アタタタタタタタ。おまえはもう死んでいる。
 などと調子に乗ってしゃべっていると、アタシ寒くて死にそうだからもう帰っていいかな? ということになりかねないから星座トークはほどほどにしておこうと思う。星座に異常に詳しい男というのも女の人から見てあまり高いポイントにならないような気がするし。

 そんなわけで、「大人の科学マガジン09号」、オススメします。今は手に入りやすくなってるから書店で注文してもそんなに待たされないはず。アマゾンなら送料無料で買えるし(代引き手数料は260円)、オークションでも定価割れてしてるので、自分用だけじゃなくプレゼントにもいいですよ。
 買って作るのが面倒な人は、私の家のトイレを借りにきてくださいね。一回100円で使わせてあげましょう! 大は2倍!

ホームイルミネーショナーへの妄想と挫折

イルミネーション(Illumination)
ホームイルミネーション

Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800


 名古屋でイルミネーションといえば、真っ先にセントラルタワーズを思い出す。栄近辺やテレビ塔周辺のセントラルパークを思い浮かべる人もいるだろう。今年は私もいっちょ三脚をかついで撮りに行ってみようかなと思っていたら、雪が降ったり、寒かったり、雪が降ったり、寒かったりしてるうちにクリスマスが終わってしまった。ああ、なんてことでしょう。
 でも雪や寒さなんて言い訳でしかない。寒さには強いはずではないのか、私。イルミネーションは来年になってもまだやってるから行く気になれば行けるはずだ。だけどどうも気持ちが向かわない。今年も結局行けずじまいで終わってしまうのだろうか。行けない方に1万円! 自分でそっちに賭けてどうする。
 その代わりとして民家のイルミネーションを撮ってみた。たまたま車で通りかかった家だったけど、なかなか力が入っていて、写真以上に見た目はきれいだった。ありがとう、見知らぬ民家の人。おかげで名駅まで行かずに済みました(それとこれとは話が別だろう)。

 最近こういうふうに家の庭やベランダでイルミネーションをしてるところが増えた。ホームイルミネーションというんだそうだ。隣り合った民家同士が競うように飾っているところなどもあって、なかなか楽しませてくれる。話題の家はちょっとした観光スポットのように人が集まっていたりもする。
 イルミネーションを外に向けてするというのは、自分の家族のためというより前を通る人たちのためのサービスという意味合いが強いのだろう。金と心に余裕のある家にしかなかなかできないことだ。立派な心がけと言えるだろう。やりたい気持ちはあっても、お父さんのひと月のおこづかいが3万円なのに家をイルミネーションぎらぎらにしてる場合じゃないという家庭もあるかもしれない。
 豪華であればあるほど、他人事ながら心配になるのは電気代だ。ものすごくかかってるんじゃないかと考えたことがある人は多いと思う。実は思ったほどではない。余計なお世話だけど計算してみた。それって、宝くじも当たってないのに何を買うかあれこれ予定を立ててる人みたいで虚しい気がしないでもないけど、私と同じ貧乏性の人に送る計算式(なんか大げさだな)。

 電球100個で約50ワットというから、たとえば3,000個とすると、1500ワット使ってることになる。1,000ワットを1時間使うと(1kwh)約20円(地域によって15円~23円くらい)、1,500ワットで30円だ。ということはだ、5時から11時までの6時間つけていても一日180円しかかからない計算になる。12月いっぱいつけていても5,400円だ。そんなもんなら高くはない。庶民でも払える金額だ。実際、月々の電気代はもっと高い。もちろん6,000個になれば金額も倍になるわけだけど、数十万かかるらしいよというのは間違ったウワサに過ぎないようだ。
 それくらいならうちも来年やってみようか、と思う人も出てくるかもしれない。ドラマ「ドラゴン桜」を観てホントに東大受験することにした学生みたいに。ただ、そもそも電球自体や飾りがけっこうな値段になることを忘れてはいけない。豆球だってたくさんとなれば安くない。普通の電球では電気代がかかりすぎるし暗いから、最近は明るくて電気代節約のLED電球が主流になっている。点滅するタイプだと100個10メートルで1万円くらいする。これを30本も買ったらそれだけですでに30万円。トナカイの小さな飾りでも1万円、大きなものやツリーなんかだと2万から数万。スイッチやら取り付け道具やらタイマーやらなんだかんだで50万円いただきます、となってしまう。
 やはりホームイルミネーションは庶民のものじゃなかったか!
 いやいや、いきなりそんなに張り切ってすべてを揃えようとすればかかってしまうけど、毎年少しずつ買い足して増やしていくのがコツらしい。だいたい、いきなり電球5,000個とか買ってきても取り付けがものすごく大変だ。それに電力のキャパシティというものもある。必死の思いですべて取り付けて、さあ、みんな、見てみろよ、きれいなイルミネーションだぞ、それっ、と点灯させたとたんにブレーカーが飛んで家中真っ暗になってしまった日には、お父さん、家族から非難ゴウゴウで一気に家族内での地位が転落してしまう可能性がある。くれぐれも気をつけたいところだ。いきなりツリーから発火したりなんかしたらシャレにならん。

 クリスマスイルミネーションは16世紀のドイツから始まったと言われている。ロウソクの代わりに電球を使うスタイルを作ったのはアメリカだ。日本にも明治の頃にはもう入ってきていたらしい。今では全国どこの街や商店街で行われていて、この時期の風物詩としてすっかり定着した。宗教的な意味が抜け落ちてるとか、電気の無駄遣いだとか言わず、きれいだなぁと素直に楽しめる人でありたいと私は思う。そしていつか、私も豪邸を建てて、2万個くらいのホームイルミネーションで夜の住宅地を明るく照らしたい。
 って、そんなことしたら町内会で問題になるだろうな。オオタさんのうちははっきり言って迷惑ですっ、とか言うおばさまがいて、もしかしたら私は立ち退きを迫られてしまうかもしれない。うーん、それはまずいな。やっぱりホームイルミネーションはやめておこうか。ついでに豪邸を建てるのもやめにしよう。更についでに電気代を払うのもやめてしまいたいところだけど、この寒い中、電気を止められてしまうと非常に困ることになるからそれだけは払わねばなるまいな。いろんな意味で残念だ。
 ホームイルミネーショナーへの道のりは長く険しい。

振り返れば愛・地球博-2005冬

愛・地球博(Aichi Expo)
愛・地球博の冬

Canon EOS kiss3+EF28-105mm(f3.5-4.5)+FUJI Venus800


 愛・地球博会場の冬。会場内外の解体工事も進み、今は大観覧車だけがその姿をとどめるばかりとなった。周囲は寒々しいくらいにがらんとしてしまい、むき出しになった地面の周りを工事中の看板やフェンスが取り囲んでいる。つい3か月前まで大勢の人の熱気と興奮でごった返していた光景が嘘みたいだ。工事も一段落ついたのか、重機の活気もなかった。
 それに加えてこの写真。銀塩のEOS kiss3で撮ったら、渋枯れていて、こちらは昭和55年の万国博覧会跡地でございます、というNHKのアナウンサーの声が聞こえてくるような風情に写っている。とても平成17年の21世紀最初の万博会場には見えない。
 銀塩とデジタルは画質のよしあしよりも質の違いがはっきりあるから、被写体に合わせて使い分けていった方がよさそうだ。この写真も同じ場所からデジタルで撮っていたら、もっと違う印象になっただろう。フィルムの味も捨てがたいけど、このシーンではちょっと合わなかったような気がする。ここにモリゾーとキッコロが写ってたとしても、初代ガチャピンに見えそうだ。

 今年も残り一週間を切って、そろそろ2005年を振り返ってもいい時期だ。振り返れば奴がいる。そう、世界陸上の織田裕二が。って、そうじゃなくて、振り返れば愛・地球博がある。2005年は愛知万博を抜きには語れない。
 行っておいてホントによかった、愛知万博。もし行ってなかったら一生の不覚、末代までの恥だったろう(そんなに?)。もしこれがなかったら、今年はひどくぼんやりした印象の一年になっていたに違いない。ありがとう、愛・地球博。始まる前にいろいろ悪口を言ってごめんね、マーちゃん、ポンコツ旦那だった。また謝る方向を間違えている。けど、万博があんなにも大きな規模の素敵なものだとは思ってもみなかった。
 何がそんなによかったのかを行かなかった人に説明するのは難しい。端的に言ってしまえば、地元で開催された万博に自分も確かに行ったという事実が嬉しかったということになるのだろうと思う。どんなパビリオンがよかったとか、マンモスがどうだとかそういうことじゃない。記憶を大勢と共有する喜びという言い方もできるだろう。たとえば10年後、20年後、あるいは50年後、万博の話題が出たとき、暑かったよねぇ、人多かったよねぇ、並んだよねぇ、ははは、そうそう、そうだったね、そんな会話が交わせるであろうことが嬉しいのだ。行かなければゼロだったものが、一回行っただけで100になった。私にとっての愛・地球博はそういうものだった。

 その他記憶に残ったものとしては、大きな事故や事件などの暗いものが多い。ハッピーなニュースで心に残っているものはほとんどない。振り返ってみても、ネットで調べてみても、驚くほどにない。個人的に大きな災いが降りかからなかったことは喜びたいけど、同じ国や地球に生きてる人が苦しんだことを考えると、そう喜んでばかりもいられない。
 とはいうものの、やっぱり今年は個人的にいい年だった。日々平和で、気持ちの部分でも一年を通して安定飛行だったし、大きな病気もしなかった。天と地の関係者各位に感謝したい。
 個人的なトピックスとしては、写真始めの年だったというのが挙げられる。去年の秋からちゃんとした写真を撮りたいと思うようになって、今年は春夏秋冬と一年を通していろんなところへ出かけて、多くの写真を撮った。おかげで散策で足腰も鍛えられたし、名古屋周辺のスポットにも詳しくなれた。名古屋や愛知の魅力を再確認することによって地元を好きになれたことは思いがけない副産物だった。
 野草や昆虫や野鳥などに関しても少しずつ知識が増えていき、写真を撮ることでものをきちんと見るという意識が生まれた。
 カメラは、1月のC-2100UZから始まって、DiMAGE7 UG、E-10、D30と変遷していった。最近になって銀塩の一眼レフも始めたことであらたに写真の難しさと面白さを知った。来年も引き続きカメラと写真には日常的に触れていきたい。

 このブログを始めたのは今年の9月半だった。これもひとつ個人的に重要なことだったと言える。HPとはまた違った何かがブログにはある。あまり毎日更新にとらわれず、気持ちが続く限り続けていければいい。ただし、続ける以上その日その日で、手を抜かずに全力を出したいとは思っている。たのきん全力投球のマッチやトシちゃんくらい頑張りたい。などという、若い世代には意味不明の古いネタをあちこちに散りばめながら私は書き続けるだろう。元ネタが古すぎたりマイナーすぎたりして全部は気づいてもらえなくても、そんなことは気にせず突っ走りたい。

2005年の映画とドラマ勝手にマイベストテン

室内(Room)
床のビデオテープ

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 2.0s(絞り優先)


 年末は録画したテープがたまりがちだ。特番攻撃にさらされて、観ても観ても追いつかない。床に並ぶテープの本数は更に増えていくことになる。
 今年も私はテレビ野郎だった。映画、ドラマ、バラエティー、ニュース、スポーツ、クイズ番組。テレビなしには一日たりとも過ごせないというほどだ。天国にテレビがなかったら、テレビを持ってあっちへ行かなくてはと思う。電源あるのかな? 行ったらまずコンセントの差し込み口を探さないとな。
 今年もそろそろ終わりが近いということで、頼まれてもいないのに映画とドラマのマイベストテンを発表しようと思う。忘れっぽい自分のための覚え書きを兼ねて。まずは映画から(今年公開ではなく今年自分が観たもの)。

1.「半落ち」 佐々部清監督/寺尾聰/柴田恭兵
2.「ウォルター少年と、夏の休日」 ティム・マッキャンリーズ監督/H・J・オスメント
3.「WATARIDORI」 ジャック・ペラン総監督
4.「いま、会いにゆきます」 土井裕泰監督/竹内結子/中村獅童
5.「下妻物語」 中島哲也監督/深田恭子/土屋アンナ
6.「誰にでも秘密がある」 チャン・ヒョンス監督/イ・ビョンホン/チェ・ジウ
7.「スクールウォーズ HERO」 関本郁夫監督/照英/和久井映見
8.「69 sixty nine」 李相日監督/妻夫木聡/安藤政信
9.「チルソクの夏」 佐々部清監督/水谷妃里/上野樹里
10.「ふくろう」 新藤兼人監督/大竹しのぶ/伊藤歩

 その他面白かったのは、「シモーヌ」、「花嫁はギャングスター」、「華氏911」、「コールドマウンテン」。「ゴシカ」、「リクルート」、「ブラザーフッド」、「ビッグフィッシュ」、「スウィングガール」など。

 今年のベストは「半落ち」で決まり。日本映画の伝統を守りつつ、素晴らしく力強い作品だった。こういう作品が年に一本でもあれば日本映画はまだまだ終わらない。
「ウォルター少年と、夏の休日」はハリウッドの底力を見た。とても素敵な作品だった。オスメント君もよかった。
「WATARIDORI」は渡り鳥たちを追いかけたドキュメンタリーの傑作。これを観て、渡り鳥に対する愛情と尊敬が増した。
「いま、会いにゆきます」はいい意味でやられたと思った作品。苦手な二人が主演してるのに感動してしまって悔しいくらい。高校生役のふたりがまたいい感じだった。
「下妻物語」はとにかく笑える作品で、シベ超Tシャツを着た水野晴郎が最高だった。
「誰にでも秘密がある」はイ・ビョンホンの魅力に尽きる。あんなにも嫌味な役をあんなにも爽やかに演じて憎めない役者というのは、日本はもちろん世界を見渡してもちょっといない。
「スクールウォーズ HERO」は80年代の青春ドラマのリメイクなんだけど、スポ根ものとしての出来が素晴らしく、キワモノではない普通の面白さがあった。
「69 sixty nine」は、不思議な爽快感と疾走感がある日本映画で、妻夫木くんと安藤くんのコンビが魅力的だった。
「チルソクの夏」は、「半落ち」と同じ佐々部清監督作品。今日本でマジメな映画を作らせたら一番上手いんじゃないか。
「ふくろう」は、女優大竹しのぶここにありというのを見せつけられた。新藤兼人監督の脚本も抜群に面白かった。

 ドラマのベストはこうなった。

1.「H2 君といた日々」 山田孝之/市川由衣
2.「世界の中心で、愛をさけぶ」 山田孝之/綾瀬はるか
3.「ドラゴン桜」 阿部寛/長谷川京子
4.「1リットルの涙」 沢尻エリカ/薬師丸ひろ子
5.「不機嫌なジーン」 竹内結子/内野聖陽
6.「優しい時間」 寺尾聰/二宮和也
7.「刑事部屋」 柴田恭兵/寺尾聰
8.「女王の教室」 天海祐希/羽田美智子
9.「電車男」 伊藤淳史/伊東美咲
10.「熟年離婚」 渡哲也/松坂慶子 

 ベストは「H2」と「世界の中心で、愛をさけぶ」の2本。この2作品はオールタイムマイベストテンに入るくらい、感じるものの多いドラマだった。どちらも忘れがたい。
「ドラゴン桜」や「女王の教室」は期待してなかっただけに面白かったという印象が強い。教師もののバリエーションもまだまだあると思わせた。

 こうして並べて見てみると、映画は日本映画好きというのがはっきり出ていて、ドラマは感動ものが好きというのが分かる。少しずつ好みも変わっていっているのだろうけど、基本は昔から変わらない。
 映画やドラマを観るのは、もちろん面白いからというのもあるけど、もうひとつ自分の中での確認作業というのもある。面白くて楽しくて笑って泣くことができたら、自分はまだ大丈夫だと安心できる。心はまだ枯れてないと思えるから。今年はそういう意味で収穫の多い一年だった。いい作品に出会えて、たくさん心が動いた。
 来年もまた、私はテレビ野郎でいることだろう。どんな作品に巡り会えるのか、今から楽しみだ。それだけのためでも長生きする価値はある。
 もし天国はテレビ持ち込み禁止だと言われたら、私は幽霊となって地上に舞い戻ってくるだろう。リモコンも触ってないのに突然テレビのチャンネルが変わったら、それは私がリモコンを操作したからかもしれない。

和食料理で今年のサンデー料理は作り納めの食べ納め

料理(Cooking)
今年最後は和のサンデー料理

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.0, 1/10s(絞り優先)


 今年最後のサンデー料理は折しも12月25日のクリスマス。ここは当然クリスマスらしい料理で一年を締めくくるべきだろう、とは思わなかった。そんなに素直な性格なら苦労はない。チキンもターキーもケンタッキーもなし。もちろんケーキなどという軟弱なものはお呼びじゃないぜ。呼んでないけど持ってきてくれる分にはいっこうにかまいませんです。
 じゃあ、クリスマスは抜きにして、何が一番食べたい? と自分に訊いてみたら、美味しい和食という答えが返ってきた。それでいきましょう。一年の最後としても、これまでのサンデー料理の集大成としても、考えてみると和食以上のものはない。もちろん、最高級北京ダックがあればそれに越したことはないのだが。

 これまでに作ったものの中で美味しかったものの応用で、キノコの混ぜご飯、タラの揚げカレー煮、桜エビと納豆のかき揚げという3品を作ってみた。キノコ混ぜご飯はケンタロウレシピ、カレー煮はテレビで濱口マサルさんが作っていた料理、かき揚げはネットで見つけたレシピ集より。
 キノコ混ぜご飯はキノコが好きかどうかで評価が分かれる。味付けはしょう油とニンニクで、炊きあがったご飯に炒めて味付けしたキノコを混ぜる。これはご飯とおかずをいっぺんに食べられるし、作る手間もかからないので、作るのが面倒なときにおすすめだ。夜食にもいいかもしれない。
 タラのカレー煮はかなり美味しかった。これは人に作ってあげてもよさそうだ。最初に小麦粉をまぶして素揚げしてからカレー・ルーで煮込む。これで旨味が逃げず、なおかつカレーにコクが生まれて魚とカレーと両方美味しくなるのだ。魚嫌いな子供にも作ってあげるといい。魚は何を使ってもいけそうだ。小さめのものなら丸ごと揚げて煮ると更に美味しくなる予感(マサルさんは釣り上げた大きな魚をまるまる揚げて煮てた)。タラの切り身なら骨が少ないから子供でも食べやすい。
 かき揚げはハズレのない安定感のある料理だ。タネに何を入れるかいろいろ工夫の余地があって、何を入れても大きな失敗はない。味付けはシンプルに塩がいい。今回は桜エビ、ネギ、長ネギ、大葉、ニンジンなどで作ったのと、もうひとつ新しい試みとして、納豆かき揚げというのをやってみた。納豆にタレをかけて、ニンジン、ネギなど一緒によく混ぜて、小麦粉と水でタネを作って揚げる。低めの温度でじっくりカリッと揚げるのがコツだ。これがすごく面白い食感で不思議な美味しさになる。ぐにゅっというか、くちゃっというか、ぬめっというか。という説明を聞くと納豆嫌いの人は逃げ出したくなるかもしれないけど。

 これでサンデー料理も10回は超えただろう。数えてみたら14回だった。まだそれだけか。一週間に一度だから、もっと作ったような気がしてたけどそうでもなかった。毎日作ったとしたら2週間分でしかない。でもそのわりにはけっこう成長した。最初はドンブリものでさえドタバタの大騒ぎだったけど、ここ最近はあまりジタバタしなくなったし、味も安定してきた。私が新婚の奥さんだったら、2週間でここまで作れるようになったとなればダンナさんも誉めてくれるだろう。誰か私を奥さんとしてもらってくれないだろうか。男だけど。いや、私そっち方面の人ではないです(どっち方面?)。

 来週は1月1日で、さすがにサンデー料理も休みになる。田舎のおせち料理があるし。
 どこまで続くか分からないけど、今のところ楽しく作れてるからできるだけ続けていこうと思っている。これが毎日となったら早々に力尽きてしまうだろうけ。
 来年は引き続き料理世界の旅シリーズをやっていきたい。トルコ、ロシア、ドイツと回って、次はメキシコかインドかアルメニアか。アルメニア? 中国、韓国、アメリカといった馴染みのあるところの家庭料理というのにも興味がある。和食ももちろん、もっといろいろ作っていきたい。来年は人に食べてもらえるものを作るというのもひとつのテーマだ。
 夕飯どき、ピンポーンとチャイムが鳴ったから出てみると、そこには大きなしゃもじを持った私が立っていて、突然ずかずかと家に入ってくるかもしれない。ただし、ヨネスケと私の違いは、私の場合夕飯を作って持ってきているという点だ。突撃!隣の晩ごはんならぬ、突撃!私の晩ごはん。アポなしだけど有無を言わせず食べていただきます。

クリスマスイブらしい写真で連続更新を継続

野鳥(Wild bird)
行くカモ、とどまるカモ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/90s(絞り優先)


 見方によってはクリスマスを象徴するような写真と言えるかもしれない。ペアで行くコガモと、取り残されてひとりぼっちのコガモ。
 一人法師と書いてひとりぼっち。
 それぞれのカモたちが見つめる先には何が見えただろう。

 クリスマスイブは完全休養のはずが、のこのこ出てきてしまった。9月に始めてからせっかくここまで一日も休まずにきてたから、途切れさせず続けたかった。これで年末までいけそうだ。
 今年も残り一週間。31日までしっかり更新を続けて、すっきりした気持ちで今年を終えたい。
 目指せ鉄人衣笠祥雄の連続記録。

クリスマスは八墓村スタイルでアイとお祈りか

猫(Cat)
ストーブの前のアイ

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/8s(絞り優先)


 起きているときじっとしていることがほとんどないアイ。猫にしては珍しいほど落ち着きがない。寝るか、食べるか、何かを訴えて鳴くか、飛びかかってくるか、外に出かけていくか、この5つの行動パターンを繰り返していて、常に動いている。普通の猫は、ちょこんと座ってたたずんでいる時間があるものだけど、アイにはそれがない。店の看板猫には絶対になれない。ドアの入り口に立っている警備員も無理だ。
 そんなアイが唯一短時間ながらじっとしてるのがストーブの前。何を考えてるのか、ストーブの火をしばらく見つめていることがある。何も考えてないかもしれない。火が好きなのか、興味があるのか、何か深遠なことに思いを巡らせているのか。
 彼女が火の危険をどの程度認識してるのか、ちょっと判断がつかないところがある。ガスコンロの火がついていても平気ですぐ横を通って台所の窓から出かけていくから、さほど恐れてはいないらしい。かといって火がついてるストーブの上に乗るなんて無謀なことはもちろんしない。危険を頭で判断してるのか、本能が知らせているのか、どっちなんだろう。
 それにしてもストーブから至近距離すぎやしないか。頭や体を触ってみると異常に熱くてなってるじゃないか。熱いと感じないのか? そのへんの皮膚感覚も不思議に思う。毛皮一枚で年がら年中過ごしていて、耐えきれないくらい熱すぎたり寒すぎたりしないんだろうか。雪から名古屋の真夏まで一張羅で過ごすのはかなりすごいことだ。人が考えてるよりそのあたりは鈍感にできてるのかもしれない。

 野良生活をしてる猫たちにとって、今年の冬は非常に厳しいものとなっている。名古屋は記録的な雪続きで、猫たちも面食らっていることだろう。昨日から今日にかけてもかなり降った。どこかねぐらに入ってしまえばある程度は暖かいのかもしれないけど、それにしても今年はつらそうだ。体力がないと冬を乗り切れないんじゃないか。
 火を見る機会がほとんどない野良猫にとって火はどんな存在なんだろう。最近はたき火をすることがまったくなくなったから、火の存在を知らないまま一生を終える野良もいるのかもしれない。火事もそうあるもんじゃないし、ここらは本格的な焼き畑をするような畑もない。そんな猫にたき火を見せてやったらどんな反応をするのか興味がある。初めて見ても、本能で暖かさと危険さを正しく判断できるんだろうか。
 この前ニュースで、日本モンキーセンターのサルにたき火をプレゼントしている映像を見た。毎年恒例のことで、学習して火の暖かさを知ってるからみんな近くに寄ってきて当たっていた。でもさすがに近づきすぎるやつはいなくて、みんな一定の距離を保っていたから、暖かいけど危険だということは分かっているのだろう。
 野生動物は火を恐れるというけど、実際どうなんだろうか。火さえ絶やさなければ本当にジャングルで野営しても大丈夫と言い切れるのか。野生動物といえども学習さえすれば危険がないということが分かって人を襲うようになるんじゃないのか。それとも本能が絶対的に近づかせないのだろうか。そのへんのところを非常に知りたいと思う。自ら実験して確かめてみるしかないのか。しかし、松島トモ子の二の舞はゴメンだ。ライオンやヒョウに噛まれてまで知りたくはない。

 アイが火を見て心を落ち着けているのだとしたら、人と同じだ。人間も火を見ると心が静まる。部屋を暗くしてロウソクの火を見つめていると厳粛さに似た心の安らぎを感じる。
 宗教的な儀式にも火はよく使われる。灯籠流し、京都の大文字焼き、大晦日の神社でのどんど焼きなど、いろんなところで登場する。拝火教のゾロアスター教なんてのもあるから世界的に見ても火というのは神聖さの象徴なのだろう。キリスト教ではクリスマスのキャンドルサービスがある。ただし、結婚式の披露宴で行われる恥ずかしいキャンドルサービスは日本独自のもので、三重県のカメヤマローソクが発案したんだとか。

 明日は全国的にクリスマス・イブ。日本中のあちこちで様々な火の演出がなされることだろう。恋人同士や家族、友人たちの間で。それは暖かさと幸せを象徴するものだ。日本のクリスマスは、世界に誇っていい素敵なイベントだと私は思っている。全然悪いことなんてない。
 だから私も、明日はロウソクをハチマキで頭に巻いて、一晩中お祈りしようと思っている。白装束で。
 ん? なんかスタイルに間違いがあるような?
 何はともあれ、明日はこのブログもネットも完全休養日となり、私は姿を現さないでしょう。私の分までよいクリスマスをお過ごしください。
 ロウソクがたれてきて、耳熱くないのかな、あのスタイル。まずはアイを使って実験してみよう。

タワーを見れば登らずにはいられない名古屋人気質

名古屋(Nagoya)
東山スカイタワー

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/500s(絞り優先)


 夕焼け空に東山スカイタワー。ベランダから西南の位置にあって、よく見える。名古屋郊外も高いマンションが増えてずいぶん視界が悪くなったけど、こちらの方角はけっこうよく見える。昔は右にテレビ塔も見えていた。

 馬鹿と煙は高いところに登りたがるだとか高いところが好きだとか昔の人は言った。あれはどんな根拠があったんだろう。それはよく分からないけど、名古屋人は総体的に高いところが好きな人種かもしれない。高い建物ができると、とりあえず一度は登っておくという習性がある。体質的に田舎者で高い建物が少ないせいだろう。もちろん私も例外ではない。
 東山スカイタワーは何年か前に一度登った。非名古屋人を名古屋に迎えたとき、東山動物園へ行ったついでに(東山動植物園の敷地内にある)。眺めはまずまずだったけどそれよりもエレベーターがガラス張りで恐ろしかったという印象が強い。下半身がぞっとした。必要以上に高いところに登ると怖いと感じる方が人としては正常だと私は思っているから、弱高所恐怖症を恥じてはいない。ただ、人には言わないだけだ(ここで書いてるけど)。あのときも、いい眺めだねとかなんとか言いながら、軽いめまいを覚えていた。
 高いところが嫌いなわけでは決してない。住んでるのも7階だし。どちらかというとよく登っている方だと思う。タワーにしても山にしても。怖いもの見たさだろうか。

 東山スカイタワーができてもう15年以上になる。平成元年に市制施行100周年を記念して建てられた。平成15年には600万人を超えたというから、名古屋のタワーとして市民に定着してるんじゃないだろうか。去年は、愛・地球博関連のイベントでモリゾーとキッコロも来ていた。
 地上134メートルだけど、建っているのが海抜80mの山の上なので、標高でいうと214mになる。テレビ塔より高い。100mのところに展望室があるけど、油断してはいけない。その上の110mの階にスカイレストランがあるから、そっちも行っておきたい。
 実際の眺めはこれといった見どころはなかった気がする。名古屋市内は見渡せるものの、何があるというわけでもない。意外と緑が多いなと思うくらいで。ただ、ここは夜景の方が評判がいい。夜の9時半まで営業しているので、そっちの方が楽しそうだ。「日本夜景遺産」や「夜景100選」にも選ばれている。しかし、当然夜はカップルたちの世界になるので、ひとりで訪れるのは勇気とは別の思い切りが必要となる。
 来年の4月から500円が300円に値下がりするので(65歳以上は無料から100円に値上げ)、また人気が少し盛り返すかもしれない。駐車場は昼間は一日800円だけど、夕方5時以降は無料になる。カップルで割り勘すればひとり150円だ。って、そんなケチなカップルいるか?

 東山スカイタワー、実は単なる展望台ではない。パラボラアンテナがたくさん取り付けられていて、防災無線の中継基地としての役割も担っている。更にカメラが取り付けられていて、市内を24時間体制で監視しているのだ。そう聞くとなんだか恐ろしい。あんまりスカイタワーの写真ばかり撮っていると向こうのカメラに撮られていて不審人物としてマークされてしまうかもしれない。気をつけて隠し撮りしよう(もっと不審だ)。実際の役割は、市内で何か大きな事故や災害が起こったとき、すぐに状況を把握するためのものらしい。衛星ともつながるというからかなり本格的なシステムだ。
 耐震構造もしっかりしていて、震度7でも平気だという。やればできる。震度4が限界なんて建物はやっぱり怖い。

 これまであちこちのタワーを巡ってきた。まだ見たことがないのは、すいとぴあ江南展望タワー、海津市の水と緑の館展望タワー、四日市港ポートビル「うみてらす14」の3つだと思うけど、他にもあるかもしれない。平和公園のアクアタワー、名古屋港ポートビル、ツインアーチ138もまだ登ったことはないので、いずれ機会があれば行ってみたい。
 そういえば東京タワーもまだ登ったことがない。これはぜひ登ってみなければ。そのときはせっかくだから階段で登ってみよう。と思ったら、それは正月とかゴールデンウィークとか特別なときだけらしい。がびーん(驚き方が古典的)。こうなったら、外の鉄筋から直接登ってしまえ。レスキュー隊出動となってしまうのか? 石原慎太郎都知事もまばたきの回数を倍にして怒るかもしれない。もし、ニュース映像で、カメラを首からぶらさげて東京タワーにへばりついてる男の姿を見たら、テレビに向かって応援してくださいね。なんとか頑張って一番上の棒の先にしがみつきたいと思う。

紙のカレンダーの寿命はあと50年あるのかな?

室内(Room)
カレンダー最後の一枚

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f3.5, 1/15s(絞り優先)


 2005年のカレンダーも最後の一枚になって、今年も残りが薄っぺらになってしまったことを教える。11枚分も月日が流れてしまったか。そしてまた来年のカレンダーのことがそろそろ気になり始めた。古いカレンダーが終わるのは寂しいけど、また新しいカレンダーに出会える楽しみがある。

 カレンダーをめくるというのは、気分をあらたにしてくれるという効果がある。また新しい月は気持ちを入れ直して頑張っていこうと思える。特に日本人はそういうケジメが好きだ。ケジメなさい、あなた、とマッチも歌っていた。とはいえ、破り捨ててしまうのはちょっともったいないなと思うこともある。お気に入りの写真が載ったカレンダーだと特に。だから取っておいたりもするんだけど、結局使い道がなくて捨ててしまうことになる。破らずにめくるバインダー式だとどうもしっくりこない。プラスチックの輪っかの部分がギギギっときしんだ音を立てて嫌な気持ちになったり。やはりカレンダーは破くという行為が必要らしい。
 12ヶ月分が載ってる大きなカレンダーは好きじゃない。破れないから面白くない。そんなにめくるのが好きなら日めくりはどうなんだと、おととし猫めくりを買ってみた。しかし、あれは楽しいのは最初だけでだんだん邪魔くさくなる。5日くらい忘れてしまうことがたびたびあって、なんだか怠けたような気持ちに追い込まれたりもする。破いたページも捨てがたくて残しておくとますます邪魔だ。結局、いつものひと月ごとのカレンダーに戻るのだった。

 カレンダーのもととなる暦が生まれたのは、古代バビロニアあたりではないかと言われている。毎日月の満ち欠けを観察していて、それが一定周期であることに気づいて作られたのが太陰暦だ。暦という概念が生まれる以前は、一年365日という発想そのものがなかったということになる。季節の移り変わりは分かっただろうけど、ひと月という感覚もなかったはずだ。今の私たちでもカレンダーがまったくなかったら、今日が何月何日というのは分からないし、一年の感じ方も今より曖昧なものになるだろう。
 今世界の主流は太陽暦(グレゴリオ暦)だ。私たちはこれを当たり前のものと思って暮らしているけど、日本でこれを採用したのは、明治6年(1873年)だから、けっこう最近のことだ。何かの行事で旧暦などと言われると何をそんなもの今更持ち出してどうすると思うけど、そんなに昔のことではない。暦そのものが日本に伝わったのは、553年というのが日本書紀に出てくることからそのあたりだろうということだ。
 明治の頃、カレンダーは伊勢の神宮司庁というところしか発行できなかったんだとか。自由に発行できるようになったのは昭和に入ってからで、最初は一枚カレンダーが作られ、1903年(明治36年)に日めくりカレンダーが大阪で製造たのをきっかけに、会社や銀行などが配るようになったらしい。月めくりカレンダーが主流になったのは戦後のことで、これも新しい。カレンダーが出版物として売り出されるようになったのもその頃のことで、こうしてみてみると私たちが今当たり前に買っているカレンダーの歴史は意外と浅いものだったことを知る。

 今年買ったカレンダーは、野草のカレンダーだった。季節に沿った野草を写真で知らせてくれるというもので、これは野草を覚えるのにいいぞと喜んで買ったのだけど、それはぬか喜びに終わった。まず根本的に写真が少なすぎる。ひと月に5、6種類しか載ってない。こんなに季節の野草は少なくないだろう。しかも名前が書いてない。これじゃあ役に立たない。少なくとももっと写真を載せてくれないと。
 いいカレンダーに巡り会うのは意外と難しい。これだってのに今まで出会ったことがない。シンプルすぎても見る楽しみがないし、あれこれ書かれていてもそんなお知らせいらないぞと思う。欲しい情報としては、満潮、干潮の時間と、日没、日の出時間だ。去年どこかの企業でもらったものにそれが載っていた。あれと野草歳時記が合体してるのはないだろうか。上半分はきれいな風景写真だと更にいい。でもそんなイメージ通りのものはないだろうから、来年はエビちゃんカレンダーを買おうかと思っている。いや、熱帯魚のヤマトヌマエビとかビーシュリンプの写真とかのじゃなくて、蛯原友里のカレンダー。
 ……。
 表紙がとってもキュート。

 紙のカレンダーがいつまで続くのか考えてみると、思っているより寿命は短いかもしれない。PCがこれだけ生活の一部になった今、PCの中に入れておけば事足りる。未来では映像カレンダーになるかもしれない。ホログラムもあり得る。データを引き出すという点においては、ネットとの連動にまさるものはない。
 今のうちに未使用のカレンダーを保存しておくと、50年後くらいに思わぬプレミアがついて金持ちになれるかもしれない。おお、紙のカレンダーかぁ、なつかしいなぁ。じいちゃんの若い頃はみんなこれだったんじゃよ、などという会話が交わされても不思議じゃない。私のエビちゃんカレンダーも使わずに保存版にしておくか。エビちゃん、かわいかったのぉ。
 最後にひとつ、中日ドラゴンズファンだけにお送りするお得な情報を(私は江川以来のゆるい巨人ファン)。9月以降12月まで、SEPTEMBERだったか、NOBEMBERだったか、なんだかったか思い出せないときがあると思う(あると言ってください)。そのときは、昔中日にいたソンドンヨルのアンパンマン顔を思い出して欲しい。この前アジアチャンピオンシップで韓国の監督でもやって来ていた。そのソンドンヨルをローマ字で書くとSONDONYORU、後半は無視して頭からSのSEPTEMBER、OのOCTOBER、NのNOBEMBER、DのDECEMBERとなる。ありがとう、ソンドンヨル! あなたもソンドンヨルに感謝することだろう。ただし、ソンドンヨルそのものを思い出せないと何の効果もないので注意が必要だ。

来年の戌年に向けて犬の勉強を

物(Objet)
誰かの犬の置物

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先)


 しばらく前から通路にこの犬の置物が放置されている。誰が何の目的で置いたかは分からない。ときどき位置が変わってることがある。近所の人のものなのかどうなのか。この日は夕陽を浴びながら外を向いていた。写真を撮るために私がここに置いたわけじゃない。明日は別の場所に転がっているかもしれない。

 これまで犬には縁のない人生を送ってきた。飼える環境になかったのが一番大きな理由だけど、それだけじゃないような縁のなさを感じる。捨て犬を見つけたこともないし、犬に噛まれた思い出もない。薄い縁としては、子供の頃じいちゃんの家にカンクロウという大きな雑種犬がいて、小柄だったじいちゃんが引きずられながら散歩してた姿を覚えているくらいだ。親戚の家にいたポメラニアンの名前はチコとプチだったか。
 別に犬に嫌われてるわけではないし、私自身犬嫌いというわけではまったくない。猫ほどの思い入れはないにしても、飼える状況にあって縁があれば飼ってもいいと思っている。猫派だ犬派だと派閥争いする必要はない。ずっとさかのぼっていけば、犬も猫も同じミアキスに辿り着く。それが草原に出て犬になったか、森の中で猫になったかの違いだけだ。今でも犬は、ネコ目イヌ科イヌ属に分類されている。

 縁がないとあまり興味が持てないのは仕方がないところで、犬については猫ほど知らない。世界でどれくらいの種類の犬がいるのかも見当がつかないくらいだ。せっかくいい機会だから、犬についてちょっと調べて勉強してみた。まずは犬夜叉からいってみようか。って、それは後回しにしようよ、私。
 なんでも世界には非公認を含めると700~800くらいの犬がいるんだそうだ。猫とは比べものにならないくらい多い。ただし、その中でスタンダードとしてるのは180種類程度らしい。それでも充分多い。私なんか頑張っても20種類くらいしか言えそうにない。野望としては180種類全部を覚えて、犬を連れたきれいなお姉さんとお近づきになりたい。おっ、きれいなウェルシュ・コーギーですね。これはペンブロークの方ですね。などとさりげなく言ってみたい。でも犬も連れてないのに犬に妙に詳しい大きなカメラを持った男って怪しくないのか、私?

 犬の歴史をみてみると、1万5,000年くらい前の旧石器時代にはすでに人間と共に暮らしていたようだ。元々は野生で凶暴だっただろうけど、性格的に飼い慣らすことはそんなに難しくなかったんじゃないだろうか。群れを作ってリーダーに従うという基本的な性格は昔から変わってないだろうから、いったん人間がリーダーになってしまえば従ったことだろう。犬は猫のように気まぐれじゃないし。それに、犬はいろんなシーンで役に立つ。猟犬にしろ、番犬にしろ。少しくらい噛まれたりしても手なずける価値があるというものだ。鼻がきくとか、敵に向かって吠えるとかも人にとっては便利だったはずだ。
 犬の祖先は狼と言われている。DNAは99パーセント一致するらしい。でも、狼とはちょっと性格的に違うような気がする。狼が現代にいても飼い慣らせそうな感じがしない。最近はジャッカルの方が近いんじゃないかとも言われてるそうだ。でも個人的には犬は犬でオリジナルだろうと思う。

 時代は流れて、犬と人間は関係を深めていった。世代を重ねるごとに犬は人間に慣れていったことだろう。つき合い方も少しずつ変わっていった。古代エジプトやローマでは戦争にかり出されたりもした。イガイガ・ギザギザの首輪や鎧を付けて、敵の中に突っ込ませて大暴れさせたんだとか。マンガみたい。でもそんなのが群れで来られたら相当怖いことは確かだ。
 牧畜犬などとしても当然活躍したことだろう。それと同時にだんだん愛玩動物としての色合いも濃くなっていたことは想像がつく。その頃には純血だけじゃない多くの雑種も生まれていたはずだし、突然変わったのが生まれてきたら、それをもっと増やしたいと思ったのも必然だろう。そうして犬の種類は自然にも、人為的にも増えていった。
 やがて大航海時代が訪れる。15世紀のことだ。そこでまた犬の流れがひとつ大きく変わった。海によって隔てられていた大陸同士の犬が出会い、あらたな種類が生まれることになる。

 最初のドッグ・ショーが開催されたのは、1859年、イギリスでのことだ。その流れが今へと続いている。
 犬の用途も広がった。盲導犬、介護犬、警察犬、競争犬、ソリ犬、救助犬など。最近はセラピー犬というものも注目されている。あと、タレント犬なんてのもいて、私よりいいものを食べていい生活をしてるから侮れない。ちょっとうらやましいなと思わないでもないけど、川島なお美の犬にはなりたくない。
 時代の中でいくつかの人気犬も生まれた。シベリアン・ハスキー、ゴールデン・レトリバー、ブルテリア、ダルメシアン、チワワなどなど。今はあまり見かけなくなったものもいる。
 歴史上で有名になった犬としては、西郷どんの愛犬ツン(薩摩犬)、よだれで有名なパブロフの犬、忠犬ハチ公(秋田犬)、南極越冬隊のタロとジロ(樺太犬)、スプートニク2号に乗せられて初めて宇宙に行ったライカ(雑種の迷子)。
 なんとなく私が犬に対して悲劇的なイメージを持ってしまいがちなのは、こういう悲しいエピソードが多いせいかもしれない。

 誰かが捨て置いた犬の置物から思いがけず勉強ができてよかった。今後は更に犬に対して興味を持って理解を深めていきたいと思う。
 AIBOを小脇に抱えてビクターのalneoでハウンドドックを聴きながら道ばたでオオイヌフグリの写真を撮っているとき、人面犬に襲われそうになったら、神社方面に走って狛犬の頭をなでつつ、途中で盲導犬の募金をして、余裕があれば白い犬とワルツを踊り、最後は海に飛び込んで犬かきで泳いで、マリリンに逢いにいこう。

左曲がりのダンディー三上博史はスキーゲッツとなるか

雨/雪/天候(Weather)
雪の公園

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先)


 深夜に何度も窓を開けて外を見た。雪はいっこうに降り止む気配を見せず、果てることなく空からゆっくりと音もなく落ち続ける。そして朝、ドアを開けるとそこは雪国だった。
 なんだこの景色、こんなの見たことないぞ。川端康成もびっくりして更に目をむいてしまいそうな光景がそこには広がっていた。こんなに降っちゃありがたくない。おなかが空いていて大盛りを注文したら予想以上の山盛りで丁重にお返ししたくなったような気分だ。天の雪降らせ担当者、居眠りでもして止め忘れたか? 名古屋でこんなに降らせちゃいけないよ。23センチはちょっと多すぎ。
 でも58年ぶりってことは、こんなに名古屋で雪が見られるのは最初で最後かもしれない。そう思えば、いいもん見せてもらったと有り難くちょうだいしておくべきか。これで冥土のみやげもできたってもんだ。まだその予定はないけど。

 大雪の記憶は、高校1年のときと、大学3年のときが記憶に残っている。大喜びで雪合戦をした高校の思い出と、大学のときはテストの帰り道、本山交差点でシビックが坂道を滑りまくって死ぬかと思った。わー、止まらなーい。これがハイドロプレーン現象なのか!? と思いながら滑りにすべってギリギリ助かった。
 それ以外にも覚えてる雪の日はいくつかあるけど、いい思い出というのは特にない。道で滑って転んだ女の子を助けてそれがきっかけでつき合うことになった、なんて都合のいいことが起こるはずもなく、せいぜい自分で勝手に転んで女子高生に笑われたくらいだ。雪の日に革底の靴を履いちゃいけないよ。

 もうひとつ雪で印象深いのは、高校の修学旅行だ。私が行っていた貧乏学校は、こともあろうに修学旅行は岐阜県の高山でスキーだったのだ。隣の県なんて近すぎるだろう。しかもスキーって! 雪を見たこともない沖縄の高校生なら喜ぶかもしれないけど、何が悲しくて修学旅行でスキーなんかしなくちゃいけないんだ。断固反対を訴えた私だったが(心の中で)、周りのみんなは楽しみだみたいなことを言ってるではないか。ウソ~ん。イヤ~ん。反対してるの私だけ? そんなはずはぁ。
 私がスキー好きだったら問題はなかった。一度でも経験していればなんてこともなかっただろう。しかし、スキーなどやったことも、やろうと思ったこともなかった私にとって、はじめてのスキーが修学旅行というシチュエーションに大いなる不安を覚えたのだった。当時の私はカッコ悪いところを人に見せたくない年頃で、人前で転ぶ自分なんて許せなかった。
 しかし、不安を覚える一方、私はスキーというものを軽く考えていた。侮っていたとさえ言える。2、3時間も練習すれば私のことだ、それはもうすいすいに滑ってるに違いない、ハハハ、キミ、楽勝だよ、楽勝、ってな感じだった。気分はもう雪上のアメンボ野郎。アメンボ赤いなあいうえお、発声練習もぬかりない。
 スケートは大須スケートリンクに小学校のときから通っていて自信があった。バックでも滑れるようになっていたし、転ぶことなんてめったになかった。チビの伊藤みどりがリンクの中央でくるくる回ってるのを見たことがあったし、そのとき外で「伊藤みどり」と名前の書かれた自転車を見つけてサドルにまたがったこともある。だから、スケートが得意の私がスキーが滑れないなんてことはあり得ないと思っていた。
 しかし、3日間の最終日に私は思った。スキーは好きーじゃない、と。
 ……。
 私にとってスキーはものすごく腕の疲れるスポーツだった。なぜって? 足で曲がれないもんだから、ストックで強引に方向転換しようとして腕への負担がとても大きいからですよ。両腕超筋肉痛。友達に言ったら、おまえ、それは根本的に間違ってるぞと言われた。私もそう思う。
 スケートで鍛えていたからとりあえず左には曲がれるようになった。スケートリンクでは常に左回りだから。でもどうやっても右へ曲がれないのだ。その感覚が分からない。行く前は、板をそろえてピョンピョン跳びはねるように滑ってる自分の姿が確かに想像できていたのだが。おかしい。こんなはずでは。
 自爆で転ぶだけならともかく、見ず知らずの他人に突っ込んで巻き沿いを食わして叱られ、後ろから滑ってきた人に気づかず急に方向を変えたら、私の板に乗って3メートルほどジャンプして向こうで誰かが頭から雪に突っ込んでもがいている。え? 私のせい? 助け出すほど器用に滑れないので離れたところで笑ってたら、友達が怒って雪から出てきた。
 あれ以来、一度もスキーはやっていない。でもあれを生涯最後のスキー体験にしてしまうのはちょっと悔しい。いつかまた行きたいという思いもある。誰か私をスキーに連れてって。左曲がりの三上博史と呼んでもらってもいいと思う。

 この冬はまだ雪が降りそうだ。そのときこそ、今までの雪の思い出を全部吹っ飛ばすくらい素敵な思い出を作りたいと思う。雪の降る日、首にマフラーを巻いて斜め上を見上げながら微笑むメガネの男が名古屋市内を練り歩いていたそれは私の可能性があります。見かけたら、チュンサン? と優しく声をかけてください。

観光気分で訪ねたのに気づけばドイツ路地裏料理

料理(Cooking)
ドイツ料理の脇道

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/8s(絞り優先)


 はじめてのドイツ料理はプリマでズーパー! となる予定だったのに、出来上がって食べてみたらなんとなく冴えない今年のシューマッハ兄、のようになってしまった。頑張ったんだけど6位入賞、みたいな。ホッケンハイムリンクは私に微笑まなかった。
 ドイツ料理の王道をいくはずが、気づいたら脇道に入り込んでしまって、たいした出会いも発見もなくさまよい出てきた感じ。ん? ドイツってこんなとこだっけ? シュバルツシルト、黒い森はどこへ行った? メルヘン街道へ行く道を教えてください。
 今日の料理にはゲーテもベートーベンもニーチェも出てこなかった。ヘルマン・ヘッセくらいはちょっと顔を出したかもしれないけど、ドイツの壮大さはここにはなかった。
 ドイッチュランドは思ってる以上に遠いところだった。

 外国料理を作るときに一番困るのがご飯の問題だ。基本的に米を使う外国料理のレシピはほとんどない。でも私は夕飯は米を食べないと食べた気がしないんで、どうにかして外国料理のときもご飯を入れたい。なければパスタで我慢するんだけど、それさえないと本当に弱ってしまう。パンはイヤだし。
 ドイツ人はおかず以外に何を食べてるんだ? パンを毎日夕飯に食べてるんだろうか? それともジャガイモなのか? 今回はシュペッツレというパスタもどき料理を見つけ出して、なんとかそれを持ってきた。本来は肉の付け合わせなどにするらしいんだけど、パスタに見立ててホワイトソースをかけてみた。早くもドイツ料理の本筋から逸脱。ドイツにこんな料理はない。
 しかもこれ、なんか食べにくい。ポテトサラダみたいな食感で、ちょっと食べただけでおなか一杯になってしまうのだ。失敗だ。アメリカ人の家庭にお呼ばれして、お母さんが持ってきた山盛りのマッシュポテトを前に途方に暮れてしまうみたいな。うーん、困ったぞ。
 作り方は小麦粉に卵と水を混ぜて生地を作って、それをお湯の中に流し込んでさっと茹でたものをバターで炒めるのだけど、混ぜただけで練ってないんで腰砕けもいいとこ。くちゃっとした食感がいけない。これなら素直に手打ちパスタにしておけばよかった。けど、ドイツ料理はパスタ料理もあるんだかないんだか、見つけられなかった。ホントに何食べてるんだ、ドイツ人? 毎日ソーセージとジャガイモでもないだろうに。ビールでおなか一杯なんじゃ? とあらぬ疑いをかけてしまいがちな私であった。

 メインのおかずは魚にした。ドイツ料理で魚はマイナーかもしれないけど北の地方ではけっこう食べられてるらしい。今回は白身の鱈(たら)を使った(鮭でもいい)。バター焼きして、ジャガイモを茹でて、ベーコンとタマネギを炒めたところに鱈とジャガイモを入れて、生クリームで軽く煮付けて出来上がり。正統なドイツ料理かどうかはともかく、これは普通に美味しかった。料理名は一応パンフィッシュになると思う。
 付け合わせはキャベツとソーセージ。ドイツらしさの片鱗ということでつじつま合わせのためにソーセージを添えてみた。キャベツ炒めに見えるけど、実際はワインとコンソメの素で味付けしたキャベツ煮になっている。これも普通に美味しかった。

 というのが今日のサンデー・ドイツ料理だった。食べ終えてなんとなく釈然としないものが残ったのは、やはりパスタもどきに原因があるのだろう。これさえもう少し美味しくできていれば普通に満足したのだろうに。ホワイトソースにするならマッシュルームなんかの具が必要だったかもしれない。もしくはもっと味の濃いトマトケチャップ味にすべきだったか。
 そんなわけで、今日のところは自信を持ってドイツ料理はこういうものだと言う自信がない。三国同盟締結に失敗。ライン川のほとりで乾布摩擦して出直したいような気分だ(しないけど)。
 けど考えてみると、ドイツのことを知ってるようで意外と知らない。何を食べてるのかとかもこれまで考えたこともなかった。来年はサッカー・ワールドカップがドイツで開催される。これを機にもっとぐぐぐっとドイツに接近遭遇したいと思った。ゲルマン魂を呼び起こせ、私。
 次はボリス・ベッカーの顔面にスマッシュを叩き込むくらい勢いのあるドイツ料理を作りたい。その前にあのサーブ、取れるかなぁ。

ういろは買って食べるだけでなく作って食べてもいい

食べ物(Food)
手製ういろは爆発だ


 名古屋人、愛知県民で、ういろ(ういろう)を食べたことがないという人は少ないかもしれない。でも、ういろを作ったことがあるかと訊ねられたら、ええ? ういろって家で作れるの? と逆に訊ね返してしまう人がほとんどではないだろうか。それが実は案外簡単に作れるのだ。赤ん坊のミルクを作るよりたやすく。
 私も一週間くらい前まで知らなかったんだけど、さる筋からの入れ知恵によって知ることとなった。
 そうと分かれば作らねばなるまい。ういろを食べたりおみやげに持って行ったりするだけでなく、自ら作ってこそ名古屋人と言えなくもない。

 材料はズバリ、水と砂糖と上新粉(じょうしんこ)、この3点のみ。他に何か……という横やりが入りそうになっても、これでいーの! と無理矢理黙らせ、早速制作に入る。
 小麦粉で代用するという作り方もあるけど、それだとモチモチを通り越してネチネチになってしまうので、ここはやはり米を細かく砕いた上新粉を選びたい。一袋170円くらいと安いものだし、普通のスーパーで売っている。
 問題はそれぞれの分量だ。なにぶんはじめてのことなのでさっぱり分からない。あれこれレシピを調べるとそれぞれかなり違いがある。3人分とか4人分とか言われても、どれだけの量が1人分なんだか分からないから困る。まさか売ってる1本が1人分でもあるまいけど。
 とりあえず一回作ってみた感じとしては、水200ccに対して砂糖60g、上新粉60gといったところだろうか。甘さは好みがあるから甘いのが好きならもう少し多めに、でもこれ以上少ないと味気ないものになると思う。上新粉はレシピではもっと多めだったけど、これくらいで私としてはちょうどだった。

 作り方はとにかく簡単。
 まず鍋に水と砂糖を入れて、とろ火で温めながら混ぜる。このときあまり温度を上げすぎないように(温度計があれば70度くらいを保つようにすると均一になっていいらしい)。
 混ざったらそこに上新粉を加えて、かき混ぜながらとろみが出るまで加熱する。目安としてはポタージュスープより少し固いくらい。このとき固めにするか柔らかめにするかでできたときの食感が違ってくる。ダマができやすいのでよくかき混ぜるのがコツだ。
 気持ちに余裕があれば茶こしとかでこした方がなめらかになる。本格的に作るなら蒸すのだけど1時間半もかかるので、電子レンジでいい。
 タッパなどの耐熱容器に移して(薄く油を塗っておくと取り出しやすい)、サランラップをかけて何ヶ所か穴を開けたらレンジで加熱する。レンジによって加熱時間は違ってくるのだけど、最初は5分くらいにセットして、足りないようだったら更に加熱するのがいいだろう。そうしないと私のように爆発することになる。
 ん? 爆発?
 白いういろの向こう側にある怪しげな茶色い物体がさっきから気になっていたと人もいるかもしれない。実はこれ、黒豆ココアバージョンだったんだけど、何も考えずレシピ通りに8分加熱したらレンジの中で爆発したものだ。その残骸がこれというわけだ。異常に固いういろとは似ても似つかない物体となっていた。飛び散ったういろの前段階の液体はレンジの中で大変なことになっていた。

 作るときの容器もけっこう大事なポイントのひとつかもしれない。今回は牛乳パックを半分に切って作ったのを使ってみた。これなら後かたづけが楽だ。ただ、こわだわりのういろとしては表面のツルツル感が出ずに物足りない。市販のものに近づけたければ、ステンレスの型に濡れ布巾を敷いてやるのがいいようだ。
 レンジから取り出したら、新しくラップをして冷蔵庫でしばらく冷やせば出来上がり。
 切り分けるときは、糸か、濡らしたナイフで。

 肝心の味と食感はどうなのかといえば、これがもう笑ってしまうほどういろなのだ。なんだこりゃ、ういろだがや! とういろを作っておいて尚かつ感心してしまう再現度の高さ。特殊な製法で作られていると思い込んでいたういろが、あっけなく作れてしまってちょっと拍子抜けしたくらいだ。もちろん、店で買うういろそのままというわけではない。材料にしても作り方にしても秘伝があるに違いない。ただ、これはまぎれもなくういろだ。売り物にはならなくても、自分で食べる分にはこれで充分と思わせる。
 抹茶やココアやコーヒーなどいろんなものを混ぜるバージョンもできるし、砂糖を黒砂糖にすれば黒いういろになる。中にあんこを入れてもいい。
 2回目からは作るのに15分、冷やす時間を入れても最短30分で食べられる。ここまで簡単に作れるとなるともはや買う必要なしとさえ言えるだろう。ぜひ一度、家庭でお試しください。
 

2005年的日常風景のひとコマ---3005年の誰かに向けて

風景(Landscape)
橋の上の彼女

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/500s(絞り優先)


 夕暮れの帰り道、橋を渡ろうとした彼女は、夕焼け空がきれいなことに気づき自転車を止め、鞄からデジカメを取り出して写真を撮った。その姿をたまたま通りかかった私にデジカメで撮られた。その女子高生を撮っている私を撮っている人間がいないかとあたりを見回したけど、残念ながらいなかった。もしいたら、ロシアのみやげ物マトリョーシカみたいで面白かったのに(ちょっと違う)。または映画『カイロの紫のバラ』みたい(それも違う)。

 最近ふと気づくとデジカメ所有率が異常に高い。3年前は周りでもこんなにデジカメを持ってなかったし、5年前と比べたらその増加率の速さにびっくりしてしまう。あっという間にみんな持ってしまったという感じだ。
 携帯のデジカメを入れたら、20代、30代の所有率はどれくらいなんだろう。80パーセントはいかないにしても70パーセントくらいはいってるんじゃないだろうか。ネットをやっている人間に限定すれば90パーセントとかかもしれない。それは本当にここ数年のことだと思う。ここまでくるというのはちょっと想像してなかった。
 20年くらい前だったか、使い捨てカメラが一世を風靡したことがあった。でも、あのときと今とでは意味がまるで違う。あのときも確かにカメラというものが誰にとってもすごく身近なものになったけど、あれは手軽になっただけでまだ日常生活の中にまではそれほど入り込んでいなかった。写真を撮るという行為は相変わらず特別なことで、観光地へ行ったり、イベントのときに使うもので、日常の中で使うにしてもせいぜい友達同士、恋人同士で撮り合うくらいのものだった。
 それに対してデジカメは完全に日常の中で生活の一部となっている。夕焼けがきれいだから撮り、お店の料理が美味しそうだから撮り、飼い猫の寝姿を撮り、部屋にあるお気に入りのものを撮る。手軽さと経済性とリアルタイム性、それがカメラのあらたな魅力や使い道を私たちに教えてくれた。
 ネットや携帯の普及によって不特定多数に向かって発信できるようになったのも大きい。そのことで私たちは写真を撮る理由や動機を持つことができるようになった。
 デジカメとネットは、写真の意味や在り方を大きく変えた。ここ1年ということでいえば、ブログの普及も流れを加速させたと言えるだろう。
 今後更にデジカメの普及率は上がり、100パーセントに近づいていくだろうし、もっと多くの人が自分のHPやブログを持つようになるはずだ。そこではもはや写真というものは欠かすことができないものとなる。

 私たちはデジカメで写真を撮る。それはフィルムで写真を撮るのとはひとつ決定的な違いがある。デジカメの写真はデジタルのデータだということだ。それは、インターネットの世界が存続する限り、半永久的に色あせることなく存在し続けるということを意味する。撮った人間の手を離れ、撮影者の名前も付かないまま、もしかしたら作者の死後もネットの海を漂い続ける。
 現実的にはサーバの問題や契約してるプロバイダの問題などで発信者が消えれば表からは見えなくなってしまうこともあるだろうけど、データとして残ってさえいればいつでも再現できる可能性がある。たとえば100年後でも1,000年後でも、もしかしたら1万年後でも。
 時代は加速しているから今から100年後は100年前と今よりももっと大きな隔たりが生まれるはずだ。どういう世界になっているか想像もつかない。
 3005年の地球に生きる人たちに、私はどんな写真を見せたいだろうかと考えてみる。美しい風景なのか、幸せそうな人たちの笑顔なのか、街や文明の姿なのか。そうでもあり、そうでもない。見せたいのは、今の時代の今の人間がいる風景の写真だ。特別なものじゃなく、移り変わっていく街や人の今を写し取れたらせたらいいなと思う。21世紀はじめの日本に生きる私たちの当たり前の姿を、風景の中で捉えたい。多くのものを失っているであろう22世紀や31世紀の人たちが、なつかしいと感じるようなものを。

 この写真を撮ったあと、私は振り返って、彼女が撮っている空を見てみた。なるほど、きれいな夕焼け空だった。でも、その空は彼女のもののような気がして、私は写真を撮らなかった。このとき彼女が撮った写真が、今ごろネットのどこかに存在してるかもしれない。それに偶然出会うことができたら素敵なことだ。だから、あのとき見た空を覚えておこう。脳に書き込まれるアナログのデータとして。

はぐれるカモたち、口を閉ざして多くを語らず

野鳥(Wild bird)
オナガガモとキミはダレ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/45s(絞り優先)


 素知らぬ顔ですれ違う2羽のカモ。中学の廊下で目を合わせず交換日記を手渡す私とユミちゃんみたいだ。ユミちゃん元気にしてるかな。
 っと、そんなことはいいとして、むむ? キミは誰ですか? グェ? グェ? そうそう、奥のキミ。
 なんか微妙な違和感があるぞ、キミ。一見カルガモのメスのようだけど、頭の色合いが明らかに違う。赤茶色すぎる。でも目の上の筋とかはカルガモっぽい。のだけど、カルガモならくちばしは黒だ。オレンジってことはマガモのメスかとも思うんだけど、ここまでオレンジ一色じゃないし、赤ら顔すぎる。酒でも飲んだか?(あらぬ疑い)
 雑種なんだろうとは思うけど、アヒルの血は入ってないんじゃないか。体のサイズは普通のカモと同じくらいだから。
 カモは変わった色や模様をしてる雑種がけっこういるから、これもその中の一羽なんだろう。出生の秘密をカモに訊ねてみたけど、固く口を閉ざして答えてくれなかった。黙秘権の行使は人だけでなくすべての生き物にも与えられた権利。

 手前のはオナガガモのオスだ。この時期はカルガモ以上にありふれたカモだから、池や川に行くとたいていどこでもいる。とはいえ、一般的な認知度はさほど高くないんじゃないだろうか。カルガモは知られているし、マガモくらいなら普通でも知ってるかもしれないけど、オナガガモまで知ってるのは多少なりとも野鳥に関心のある人だと思う。
 目印は、胸から腹にかけての白と、名前の由来にもなっている長い尾っぽだ。漢字で書くと尾長鴨。そのまま。英名はpintailで、これも訳すと針の尾のこと。16枚ある尾羽のうち、中央2枚が針のようになっているところからきている。中国語名も針尾鴨。どこまで行っても見たままの名前で呼ばれるやつ。

 写真のオナガガモは集団からはぐれたのか、4羽のカルガモ軍団の中に混ぜてもらっていた。普段は群れてるかペアになってることが多くて、この日の香流川では他でも見かけなかったから、本格的に迷子になってしまっていたのかもしれない。一本北にある矢田川にはたくさんお仲間がいるよ、と教えてあげたかったけど地図に書いて説明するわけにもいかず、そのままになってしまった。上手く合流できるといいけど。
 こいつらは野生のカモのくせに妙に人なつっこくて、近寄ってもあまり逃げないし、都会などではあっけなく餌付けされてしまっている。手なずけるのは赤ん坊の手からおしゃぶりを取り上げるより簡単かもしれない。一回食パンでもやればもうかなり慣れてしまう。モテない男にモテる女の子がバレンタインのチョコをやるようなものだ。
 普段は雑食性で、水草とか水生昆虫などを食べている。夜は田んぼなんかにも食料調達に出かけたり、他のカモより少し首が長いので水底の土を掘り返したりなんかもするようだ。逆立ちしたような格好で尻と長い尾っぽだけ水面から出している姿をよく見かける。

 生息地はカモの中では広い。ユーラシア大陸から北アメリカ大陸まで広がっているというから、地球の北半分にはたいていのところにいることになる。冬になるとみんなでずずずっと南に移動していく。ユーラシアのは日本やアフリカなどへ、アメリカのは中央アメリカへ。
 ひとつ面白いのは、渡りがかなりいい加減らしいということだ。たいていの渡り鳥は繁殖地と越冬地がだいたい決まっているのに、こいつらは気まぐれにあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。去年日本に来ていたやつが今年はアメリカにいたりするらしい。いろんな国を旅してみたい世界の車窓からカモと呼べるかもしれない。

 色気づく恋の季節は冬。越冬地でペアを決めて、子育ては北へ渡ってから。戻ってすぐに卵を産んで、メスは温めに入り、オスは用なしとなる。子供の養育もメスの仕事だ。北へ戻ったはいいけどやることなしのオスたち。あの恋の季節はなんだったんだ。それはWhite Illuminationさ。Diamond Dustが遠くに見える(このへんは軽く読み飛ばしてください)。

 秋の入り口の9月終わりにいち早く日本にやって来るオナガガモたち。のんびりしたやつは5月まで居残っていたりするから、一年の半分以上も日本で過ごすのもいるのだろう。これからしばらく全国の川や池や内湾で見ることができる。
 池のある公園にデートで行って見かけたら、さりげなく「オナナガモ、かわいいね」と言ってみるといいかもしれない。相手の反応は、「すごい! よく知ってるね」となるか、「え? 野鳥の会の人?」とひかれるか、どちらになるかは賭けだけど。いずれにしても、あまり深追いして多くを説明しない方が身のためだとは思う。

第一回月地対抗歌合戦に勝利するのはどちらだ

星(Star)
雲と月

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 0.3s(絞り優先)


 夜空に浮かぶ十三夜の月の前を、ちぎれ雲が次々と横切っていく。そのとき雲にも色があることを知った。雲自身の色なのか、月の光の色なのか、何かの反射光なのかは分からないけど。

 満月が近づいてくると心が少し波立つような浮き立つような感じがする。満月を見てそうなることもあれば、そういう感覚に気づいて空を見上げると満月だったということもある。月が人体に与える影響は決して小さくないと私は信じている。あんな大きな海でさえ月(と太陽)の力で潮ちたり干いたりするのだから、人の中でも同じような影響があるに違いない。満月のときは出血すると止まりにくくなるともいう。
 出産が増えるのも満月のときだし、事故や事件、自殺が起きやすいという統計もある。切り裂きジャックやボストンの絞殺魔なども満月や新月の夜に多くの事件を起こしてるし、阪神淡路大震災も満月だった。人間の血も引力に引っ張られて頭に血が上り、海だけじゃなく地面も持ち上げられて地震や思いがけない事故が起こったりする。
 だから私は、満月のときはなるべく慎重に行動するようにしている。車の運転は飛ばさず割り込まれても怒らず、人の多いところは寄りつかず、海へも行かない。海へ行くとウミガメと一緒に産卵してしまう恐れがあるから。
 ……。
 どこまで本気なんだか。なんにしても、狼男にも月光仮面のおじさんにもなれそうにないことは確かだ。

 満月はかなり明るいように感じる。都会ではそれほどでもないけど、田舎の暗いところへ行くと煌々とした月明かりという言葉がなるほどと思うほど明るく感じるものだ。しかし、実際の明るさは0.2ルクスくらいしかなく、とても本を読めるような明るさではない。消えかけた小さなろうそくの灯りくらいだから。頑張れば写真集くらいは見えるかもしれないけど、月明かりの下で写真集を見てニヤついてるところを人に見られると、それがたとえヨン様の写真集であったとしても社会的地位を大きく落とすことになりかねないので気をつけたい。インリン・オブ・ジョイトイだとしたら致命傷だ。
 星の明るさを表す等級でいうと、満月はマイナス13等級となる。等級は数字が小さいほど明るいので、一等星のの約40万倍の明るさに相当する。太陽はマイナス27等級で、金星がマイナス4.6等級になる。

 日本には月の呼び方がたくさんある。昔から日本人は月に対する思い入れが強かったのだろう。
 新月(1日目)、繊月(2日目)、三日月(3日目)、上弦の月(7日目)、十三夜月(13日目)、小望月(14日目)、満月(15日目)、十六夜(16日目)、立待月(17日目)、居待月(18日目)、寝待月(19日目)、更待月(20日目)、下弦の月(23日目)、有明月(26日目)、三十日月(30日目)。
 この他にもいろんな別名がある。満月の十五夜もそうだ。これ以上は長くなるので以下省略。ただ書くのが面倒になっただけなんじゃないのか、などと疑ってはいけない。

 外国で月はどう呼ばれているかというと、ラテン語の「luna」が元になっているところが多い。フランス語の「lune」、イタリア語の「luna」、スペイン語の「luna」、ポルトガル語の「lua」と、ヨーロッパ圏はどこもよく似ている。ドイツだけが英語の「moon」からきた「mond」で、ロシア語も「ルゥナー」だ(表記できず)。中国語は「月球」または「月亮」で、単に月だけだと通じないらしい。
 他の国もいろいろ調べたかったんだけど面倒だったので(ついに認めてしまった面倒だと)、続きは各自でお願いします。調べがついたら私にも教えてください。

 きれいな月が出てる夜は、月光浴をしながら少しゆっくり歩いてうちに帰ろう。中原中也にならって湖に舟でこぎ出すのもいいだろう。満月の夜にサーフィンするのも楽しそうだ(サーフィンなんてやったこともないけど)。イルカに乗った少年になるというのもありだ。
 夜空を見上げて月を見ている私たち。同じように向こうでもこちらを見上げていたりするんだろうか。太陽に照らされて輝いてる地球を見て、彼らは何を思い、何を話してるのか。向こうでは地球がどんなふうに詠われているんだろう?
 いつか遠い未来で、月地対抗歌合戦が開催されたら素敵だ。お互いを詠った歌で勝負するのだ。地球が負けることはないと思うけど、向こうもけっこうやるんだろうか。なかなかに興味深い対決になりそうだ。
 ただし、司会をみのもんたにするのだけはやめておこう。

名古屋にミドスク族が誕生する日は来るのか!?

名古屋(Nagoya)
セントラルタワーズとミッドランドスクエア

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先)


 名古屋駅前3本目の超高層ビルとなる豊田毎日ビル、通称ミッドランドスクエアが出来上がってきた。写真の一番左のがそれだ。3本目というのはあまり正確ではないかもしれない。最初の2本はJRセントラルタワーズのツインタワーだから、実質名古屋で2番目の超高層ビルということになる。
「ミッドランド」が中部地方、「スクエア」が広場を意味する。そのままのような分かりにくいような名前だ。なぜ広場? ヒルズの丘がいいなら広場もいいだろういう発想か? 何事においてもあか抜けない名古屋としては精一杯のネーミングなので、責めないでやって欲しい。元の豊田毎日ビルの名も残すらしいけど、中途半端に頑張らずトヨタランドタワーとでもしておけばよかったんじゃないか。ミッドランドスクエアなんて略したら「ミドスク」になってしまう。なんか格好悪くないか?

 完成は段階的になるようで、来年2006年9月にまず高層のオフィス棟ができて、2007年3月に地下の商業棟が全面オープンする予定になっている。
 オフィス棟は主にトヨタ関連の会社と毎日新聞などが入るようで、商業塔のテナントもほぼ決まっているという。家賃は相当高そうだから、入るのはそれなりのところなのだろう。ファッション、飲食店だけでなく映画館なども入るらしい。
 地上47階、地下6階で、高さは247メートル。横にあるJRセントラルタワーズより2メートル高くしたところにトヨタの意地を見た。ちょっと子供のケンカみたいだけど、こういうのは嫌いじゃない。抜かれたセントラルタワーズは屋上に3メートルの何かを後付けして抜き返して欲しいところだ。背が高くなる木を植えるとか。

 最上階近くにスカイレストランと展望台のスカイプロムナードができるようで、完成してしばらくは名古屋近隣の人間がどっと押し寄せることは間違いない。とりあえず新しいものは見とこまいという精神のもとに、連日大勢の人でにぎわうことだろう。JRセントラルタワーズも最初そうだったし、中部国際空港もそうだ。その後一気に熱が冷めてまったく興味を失うというのもお決まりのパターンで、今回も例外ではないはずだ。
 私? もちろん行くに決まっとる。
 しかし、ちょっと心配なのは、「全面ガラス張りのエレベーター」だ。大丈夫なんだろうか、私。軽い高所恐怖症なんだけど。本物の高所恐怖症の人にしてみたら罰ゲームではないか。動かずに見る地上200メートルの景色と、動きながら見る200メートルの光景は違うんじゃないのか? 同じ? エレベーターの中でちびってしまったら、やっぱりエレベーターガールの人に申告すべきなんだろうか? いやが上にも不安が募る。ちびり第一号として後世に名を残すことだけはなんとか避けたい。
 ちょっと残念なのが、セントラルタワーズからは今まで360度ぐるりと展望が楽しめたのに、これからはどちらから見ても互いのビルが邪魔になってしまうことだ。どこか一部分は見えないことになる。うちのベランダからの位置関係も重なってしまってよくない。もう少し左にずれてくれるとよかったのに。

 外観デザインはなんとなく薄っぺらい感じがする。完成したらまた違った印象になるんだろうか。まさか姉歯は絡んでないと思うけど、もし関わってたら笑うな。って、笑い事じゃない。鉄筋は多めでお願いします、と私からもお願いしたい。今更遅いけど。
 こういう超高層ビルは大きな地震に対してはどうなんだろう。うちの7階でさえ地上より大きく揺れるのに、47階だとどんな揺れになるのか想像がつかない。思ってるより揺れるのか、案外そうでもないのか。おそらく最新式の地震対策がなされてるに違いないから、揺れはともかく安全性という点では一軒家よりもむしろ安全なのかな。

 名古屋や愛知は最近妙に元気だ。トヨタが好調なのも無関係ではないのだろう。中部新国際空港から、愛知万博、そしてこのミッドランドスクエアと勢いを感じる。もう一本の高層ビル、ルーセントタワーも少し遅れて完成予定となっている。
 この流れがいつまで続くかは分からないけど、まあいいことだとは思う。個人的に恩恵は何もなくても。
 名古屋も今後超高層ビルが増えていくのだろう。個人的にはどんどんポコポコ建って、ニョキニョキ伸びていって欲しいと願う。横浜ランドマークタワーの296メートルも東京タワーの333メートルも超えて、400メートル、500メートルと伸びていってしまうがいいさ。台北国際金融センターは101階建で508メートルだし、まだまだ超高層ビルの限界は来ていないはずだ。
 私もいつかそんな超高層ビルの住人になることがあるのだろうか? 世の中何が起こるか分からないから絶対にないとは言い切れない。ミドスク族と呼ばれる日は近い!?
 でも私は、どちらかというとミッドランドスクエアよりも六本木ヒルズよりも、バビルの塔に住みたいと思う。コンピューターに守られていて、三つのしもべに命令する方が楽しそうだから。
 ロデム変身~血をかけろ~♪ 血をかけろ? どんな攻撃だろう? 嫌がらせか?(ホントは地を駆けろ)
 そんなことを思っていた少年時代から今に至るまで、私の頭の中はかなり幸せにできているようだ。

日本のコリドラスはアマゾン川の夢を見てるのだろうか

虫/生き物(Insect)
コリたち

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/4s(絞り優先)


 今日も仲良しコリのパンダ&ジュリー。といっても私が付けた名前じゃない。コリドラスという魚の種類の名前だ。熱帯魚や自分の持ち物に名前を付ける習慣はない。
 いつも寄り添うように水槽の底でエサを探してうろつく2匹組のコリたち。やあ、今日も元気かい?

 向かって左側がコリドラス・パンダ。目の周りが黒いからという安易なネーミング。でも白黒じゃないからどうなんだろう。全体的に見てもパンダらしくはない。
 生息地はペルーのウカヤリ川水系。熱帯魚屋で安く売られてるのは東南アジアとかで繁殖させたものだ。1匹300円とか400円くらいで売られている。
 右側がコリドラス・ジュリー。沢田研二とは関係ない。
 ……。
 最近の若者はジュリーどころか沢田研二さえ知らないらしいので気をつけたい。
 ジュリーとして売られているものの多くはトリリネアトゥスなんだそうだけど、ジュリーというのはいい名前だし、私はこのコリがとても好きだ。模様がいい。アマゾン川の下流あたりに生息してる。

 コリドラスというと熱帯魚屋ではそうじ屋として売られていることが多いけど、実際は掃除なんて全然しない。底の方に落ちてるエサがないか探し回ってる姿が掃除をしてるように見えなくはないけど、汚す方が主な役目と言ってもいい。水槽の汚れを掃除してるわけでもないし、他の熱帯魚のフンを食べるわけでもない。なので掃除屋として期待しちゃいけない。
 しかしこいつらがなかなかに憎めないかわいいやつなのだ。底の方で身をくねらせながら泳ぐ姿や、石の間をつついてる様はなんだか微笑ましい。熱帯魚としてはネオンテトラやエンゼルなどの主役とは違い脇役だけど、飼ってみるとその魅力を知ることになる。コリドラスが大好きでそればかり飼ってる人もいるくらいだ。
 人気があるもうひとつの理由は、種類が多くてコレクション的な面白さがあるからだろう。発見されたものだけで200種類以上で、まだまだ発見されてないやつもいるんだとか。日本新入荷となるとびっくりするくらい高値で取引されることもある。いわゆるレアものというやつで、このあたりはトレーディングカード的な面白さに通じるものがあるのだろう。
 そこまでいかなくても繁殖させたものが安く出回ってるので、そのあたりだけでも集めるとけっこう楽しい。私はコレクターでもなんでもないので、1,000円以下のものを10種類くらい飼っただけだけど、コレクション的な魅力も理解できる。

 自宅で繁殖は、難しいという人もいるし簡単だという人もいる。運の要素が大きいのかもしれない。いいペアをたまたま入手できれば繁殖自体はそれほど難しいものではないようだけど、普通に他の熱帯魚と一緒に飼っていたら難しい。チビコリドラスはチョコマカしてかわいいので一度くらいは産まれたところを見てみたいものだ。
 飼うこと自体は熱帯魚の中でも簡単な方なので、初めての人にもおすすめできる。いろんな悪条件にも強く、私のところのこいつたちも、一度水槽全体に病気が蔓延して他の魚が絶滅に近い状態だったところを生き延びた。うちに来てからかれこれ4、5年になる。上手くすれば10年くらい生きるらしい。
 メシは夕方に冷凍赤虫を溶かしたものをやっている。

 コリドラスという名前の由来は、ギリシャ語で「ヘルメットのような皮膚」という意味の言葉からきているんだとか。確かに他の熱帯魚と比べたら固そうではある。
 現在輸入されているワイルド種は、南米のブラジル、ベネズエラ、コロンビア、ペル-、パラグアイ、アルゼンチン、エクアドルあたりで獲られたものらしい。繁殖されているのはシンガポールなどの東南アジアだ。このあたりは気候的に向いてるのと、人件費が安いからだろう。

 たくさん買ったり、いろんな種類を集めていたら、コリドラスだけでもお金がいくらあっても足りない。でも、アマゾン川へ行って、タモをひとすくいしただけで何千円分もの熱帯魚が獲れるだろうな。投網なんかした日にはひと投げ数万円とかになったりしそうで、考えただけでウハウハだ。大魔神佐々木の一球に対抗するにはこれしかない。けど現地の人たちはものすごく安い金額で買いたたかれているに違いない。気の毒に。獲っても獲っても数百円とかなんだろうか。そんな人たちを一度日本の熱帯魚屋に招待したい。きっと大暴れするだろうな。
 こうなったら自ら密輸しかないか!?
 かつて「スーパージョッキー」で金魚を飲み込んで生きたままはき出すという人間ポンプのおじさんがいた。あのワザを体得するのだ。現地で飲んで飛行機の中で出して、また日本の手前で飲んで空港を出たところで出す。これで白いギターは私のものさ!
 ん? 欲しかったのはワイルドのコリドラスじゃなく白いギターだったのか、私?

ハライタでサンデー料理はハラショーとはいかず

料理(Cooking)
ロシア料理が悪いわけじゃないのよ

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/30s(絞り優先)


 ロシア料理でハラショー!
 と元気よく始めるはずだったサンデー料理。いかんですよ。拙者ハライタでござるよ。ひゃー、トイレー、トイレー、と部屋と台所とトイレを5周ほどして、作る前からすでにぐったりの私。悪いものでも食ったかのぉ。ばあさん、朝飯はまだかいな? 言葉づかいや記憶も乱れる日曜の夕方。
 しかし、走り出したらとまらないぜ、土曜の夜の天使さ。いや、日曜の夕方だけど、すっかり食材も買いそろえてしまったし、野菜とか来週まで持たないし、突然メニューを変更するような臨機応変さを発揮できるほどの料理人でもないので、とにもかくにも予定通り作り始めてみた。初めてのロシア料理。
 オーチン・プリヤートナ! ロシアのみなさん、はじめまして。うっ、おなかの調子がぁっ。ちょっと失礼してトイレに行ってきます。

 腹痛なのに料理を作るこの矛盾。着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます状態に近い。実は風邪からきてるような気もする。料理なんかしてる場合なのか私?
 でも、やるなら今しかねぇ~。やるなら今しかねぇ~(長渕&黒板五郎)。幸いだったのが、メキシコ料理などの刺激の強いものじゃなかったことだ。狙ったわけではなくたまたま胃腸に優しい料理になってよかった。

 メインはカレー、ではない。ハヤシライスでもない。ビーフストロガノフだ。でも、ビーフストロガノフではなくベーフストロガノフというのが正しいらしい。牛肉のビーフじゃなく、何々風を意味するベーフなんだとか。だから、豚肉でも鶏肉でもビーフストロガノフと呼んでかまわない。
 バターでニンニク、タマネギ、マッシュルームを炒めて、塩コショウをもみ込んで小麦粉をまぶした牛肉を最後に投入。色が付いたところで、本来ならここでトマトピューレやらコンソメの素やらで味付けするところなんだけど、今回は手抜きでデミグラスソースを使った。これなら大きな失敗はない。最後にロシア料理では欠かせないサワークリーム(なければ生クリームとレモンを混ぜればできる)を入れて混ぜ合わせれば完成。
 ご飯はバターで炒める。パセリのみじん切りが香りづけと彩りになる。作っているうちにおなかの調子が戻ってきた。これはいけるかも。

 付け合わせとして2品。どちらもジャガイモだ。ロシアといえばジャガイモだろう。米やパスタを食べる習慣があまりないようだから、炭水化物はジャガイモで摂っているとみた。パンも常食してるんだろうか。
 イモサラダの方はシンプルなものだ。ジャガイモ、ニンジン、グリーンピースを柔らかく煮て、コンビーフとサワークリーム、マヨネーズを混ぜて出来上がり。
 もうひとつは、黄色いマントで全身を覆った怪しい集団をイメージしたものでは決してない。「グリボーグ」という名前のついたジャガイモ料理で、本来はキノコをかたどっている。プチトマトにサワークリームで白いつぶつぶをつけるという演出があるのだけど、腹痛でそんな細かい作業をする気になれず、ちょっと怪しげな料理になってしまった。
 ジャガイモを柔らかく煮るか電子レンジにかけるかして、それをすりつぶして卵黄とサワークリーム、塩コショウなどを混ぜて作る。味はあまりないのでドレッシングで食べるようだ。このドレッシングを上手く工夫して作れば美味しい料理になるだろう。

 なんとか完成までこぎつけて、あとは食べるのみ。食べてみたら案外食べられたのでよかった。イモは作りすぎて、余ってしまったけど、ビーフストロガノフは美味しくて完食した。フクースナ(美味しい)。スパスィーバ(ありがとう)、ロシア料理。
 でもロシア料理の定番って、ボルシチとピロシキなんじゃ? と思った、あなた、それは正解です。本来そっちからいくべきなんだろうけど、夕飯にパン食ってのがどうも馴染めなくて、今回はこちらから攻めてみた。ボルシチはいつか作ってみたい。これを抜きにロシア料理は語れない。はじめの一歩は踏み出したから、二歩目、三歩目と続いていくことだろう。幕之内一歩のように。
 ロシアらしさはやはりサワークリームにポイントがあるのだろう。とりあえず入れられるものはなんでも入れておけっていう基本姿勢を感じる。それによってどれくらい味が違ってくるのかは分からないけれど。
 はじめてのロシア料理は、派手さとは無縁の北国の料理という印象だった。陽気なイタリアンとは対極にあると言えるかもしれない。

 次にロシア料理を作るときは、普段ジャンクフードばかり食べているという噂のロシアの大女、いや、ロシアの妖精マリア・シャラポアも美味しくてびっくりのハラショー料理を作ってみたい。
 その前にまず腹の調子を整えるところから始めよう。体調が悪いときに料理を作ることのつらさというものを今回初めて知った。お母さんや主婦の人は大変なんだ。料理学校の先生も。
 元気があればなんでもできる。ホントにそうだね、アントニオ。

うらやましいようなうらやましくないようなカルガモのオス

野鳥(Wild bird)
香流川のカルガモ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先)


 なんでもない街中の川にもカモはやってくる。決してきれいな水とは言えないところだけど、カモにとってはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。山奥のきれいな川ではカモを見かけないから。
 この香流川にも、北から渡ってきたコガモやマガモやオナガガモなどがそれぞれ小さな群れを作って過ごしている。池では違う種類同士が一緒にかたまってるシーンをよく見かけるけど、川はグループごとに分かれてることが多いように思う。高校1年の1学期の教室で、同じ中学出身者が固まるみたいに。まだ冬の始まりでみんな顔見知りじゃないから警戒してるけど、もう少し冬が進むと混成チームになるのかもしれない。

 今年の香流川は去年と比べてカモの数が少ないような印象がある。気のせいだろうか。ちょうどこの川の上流に愛・地球博の会場があって、川のあたりもずいぶん工事があったようだから、その影響も考えられる。実際、数年前、会場の工事が始まって、香流川上流にわずかに残っていた貴重なヒメボタルが絶滅したという話もある。
 愛知万博は多くのものを与えてくれたし得るものもあったけど、目に見えないところで失ったものも少なくなかったに違いない。自然との共生といっても、あくまでも人間にとって都合がいい範囲内でということでしかない。海上の森をつぶさなかったのがせめてもの救いだ。

 写真に写ってるのは一年中日本にいるカルガモだ。他のカモは全部渡り鳥なのに、こいつらだけは渡りをせずにずっと日本に居座っている。春にみんなが飛び立っていったあとは夏から秋にかけて川を独占してのんびりしてたのに、冬になってまたたくさんのカモがやって来て、ちょっと脇に追いやられたような格好だ。にぎやかになって喜んでるのか、またしばらく騒々しい季節になったなと思ってるのか、どっちなんだろう。
 なんで渡らないのかといえば、やっぱり暑さ寒さに強いってことがある。真夏のうだるような暑さも真冬の凍てつく寒さにも耐えられるってのはたいしたものだ。ただ、あまりにも寒いところはやっぱりイヤなようで、北海道は夏だけ渡っていくそうだ。私も暑さ寒さにはかなり強い方だけど、北海道へ行くなら夏にしたいと思うものな。
 エサと子育ての問題は、雑食ということで解決している。水草やコケを主食としながらも、水中の虫や木の実や草も食べるし、人がくれたパンやポップコーンなんかも食べる。エサをとるのも、水中だけでなく田んぼなんかにも出張していくから、食べるものに困ることはないのだろう。
 エサさえあれば子育てにもいい。あえて危険を冒してまで渡りをする必要はない。チビたちを引き連れてテクテク歩いてる姿は初夏の風物詩となっていて、ニュースなどでもよく見かけるだろう。皇居の堀に移動していく姿で有名なのがこのカルガモだ。

 一年限りの一夫一妻で、4月から7月くらいにかけてカップルになって、卵を産むとすぐにカップルは解消となる。卵を温めることからヒナの世話まで全部メスがやる。カルガモのオスっていいかも。それとも、卵さえ産んでしまえばあんたなんか用なしよと追い払われてしまうのだろうか。だとしたらちょっと悲しいかも。
 卵の数は10~12個と多め。ヒナは約25日でふ化して、子育ても全面的にメスがする。天敵と呼べるほどはっきりした敵はいないけど、カラスや猫あたりがちょっと危ない。ヒナの数が多い割にはカルガモの大群って見かけないから、思ってるより生き残るのは大変なんだろう。
 その間、オスはどこで何をしてるんだ。子育てもないし、渡りで命を落とすこともない。けっこう気楽な稼業と言える。いやいやオレだってこうみえて実は苦労してるんだよガァガァ、とカルガモのオスは言うかもしれない。

 生息地は、ユーラシア大陸東部から中国、インドあたりまで。冬は東南アジアに渡る。
 日本では全国の川や池に普通にいるし、海にもいる。それがけっこう不思議なところだ。淡水と海水は違うだろうと思うんだけど、いい加減というかどんな環境にも馴染むというか、たぶんO型だな。
 野生化したアヒルとの雑種や、マガモとの雑種もけっこういるところをみると、今年はちょっと気分を変えてマガモの奥さんにしてみるか、なんてことを考えてるカモなのだろう、やつらは。
 カルガモは漢字で書くと「軽鴨」。万葉集に出ている「軽の池」にいたカモというところから名前が付いているんだとか。

 寒くなってこれから鍋を食べる機会が増えてくる。鴨が葱を背負ってやって来る季節だ(ちょっと使い方を間違えている)。でも、カモに興味を持つようになって以来、もう鴨鍋は食べられない。カモは食べるより写真に撮りたい。じゃあ牛や豚の立場どうなんだといえば、豚や牛は写真に撮りたくないから食べるのだ、という無茶な理屈をつける私。ニワトリも撮りたくない。馬とか鹿とか羊とかクジラとかは撮りたい。熊もぜひ激写したいから食べない。うん、この区別けっこう使える。
 目の前に何かの肉が出されたとする。その生き物の生きてる姿を頭に浮かべてみて写真を撮りたいと思ったら食べない、撮りたくないと思ったら食べる、それでいこう。
 じゃあ、イノシシはどうしよう? それは微妙なところだな。
 そういえば、愛・地球博のオーストラリア館ではワニやカンガルーのハンバーガーが売ってたな。あれも人と自然との共生なのか!?

駄菓子屋のオバチャンとお菓子と少年の私

食べ物(Food)
なつかしのマシュマロ

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先)


 マシュマロをもらった。そして今それを見て、多くの人が口にするであろう感想を私も何の工夫もなく言った。「あ、なつかしいね」。私がもう少し気の利いた人間だったら、「なっつかしいですねっ!」と、とんねるずの往年のギャグで喜びを表現したのだろうけど、しまったと思ったのは家に帰ってきた後だった。もう遅いのや(明石家さんま)。
 マシュマロを最後に食べたのはいつだったろう。かれこれ50年くらい前かもしれない。そんなに私、生きてたかな? とにかく思い出せないくらい前であることは間違いない。

 マシュマロの原型は古代エジプトで生まれている。当時は薬用としての意味合いが強く、王家の人々のための高級なものだったそうだ。クレオパトラも食べていたとか。
 当時のエジプトでは、「ウスベニタチアオイ」という植物から作れていて、これにあたる英語が「marsh mallow(マーシュマロウ)=沼地の葵という意味」で、ここから今のマシュマロにつながっている。しかし、得意ぶって、「ほう、これがマーシュマロウか」などと言ってもたぶん誰も感心してくれないので気をつけたい。ケビン・コスナーをケビン・コストナーと正式に呼んでも誰も相手にしてくれないように。
 近代スタイルのマシュマロになったのは19世紀前半のドイツとフランスでだった。古代エジプトから19世紀のヨーロッパまではずいぶん長い年月があるけど、その間はどうだったのかはよく知らない。今はヨーロッパよりもアメリカでよく食べられているそうだ。串に刺して焼いて食べることが多いんだとか。アメリカ人、なんでも焼けばいいってもんじゃないぞ。バーベキューじゃないんだから。焼いたものは焼きはんぺんみたいで私は苦手だった(日本人でもこれが好きって人もけっこういるらしい)。
 そういえば昔、ホワイトデーのお返しとして一時もてはやされたことがあったっけ。あれはなんだったんだろう。何かの気の迷いか、ガセネタだったのか!? 一度くらい本当にあげたような気もするけど、お菓子屋の陰謀にまんまと一杯食わされたな。

 マシュマロはけっこう簡単に作れるらしいから、いつか作ってみたい。卵白からメレンゲを作ったら、溶かしたゼラチンや砂糖と混ぜて電子レンジで温めれば出来上がり。あとはバニラエッセンスを加えて、コーンスターチをまぶせば完成。ちょっと手間はかかるけど難しくはなさそうだ。
 最近はダイソーや無印良品でも100円で売ってるらしいから、見かけたら買ってみてもいいかもしれない。

 マシュマロに限らず、子供の頃はメーカーのお菓子よりも手作りのものや普遍的なおやつのようなものをよく食べていて、そちらの方が思い出に残っている。
 水あめ、綿菓子、米おこし、ぽん菓子、かりんとう、ハチミツ玉アメ、コンペイトウ、ふがし、黒棒。そんな昔ながらの素朴なおやつたち。今食べたらきっとそんなに美味しくはないんだろうけど、子供の頃はお菓子は喜びそのものだった。
 なつかしいついでに思い出せるだけお菓子を思い出してみよう。
 動物ビスケット、ミルクボーロ、麦チョコ、チュッパチャプス、森永ラムネ、森永チョコボール、ボンタンアメ、グリコキャラメル、マーブルチョコ、ビックリマンチョコ、クッピーラムネ、ゼリービンズ、ドンパッチ。
 あー、子供時代がよみがえる。小学生のとき、駄菓子屋もよく行ったな。
 カレーせんべい、お好み焼きせんべい、甘イカ太郎、ホームランバー、チロルチョコ、うまい棒、糸引き飴。衛生面という言葉とは無縁のプラスチックの容器に入っていた体に悪そうでとっても美味しかった駄菓子の数々。条件反射でよだれが出そう。
 あの頃は毎日100円くらいしかおこずかいがなかったけど、それでもけっこうあれこれ買えて満足したものだった。今なら店の中にある全種類だって買えるかもしれない。なんなら駄菓子屋自体買い取ってしまえ、なんてことを思わないでもない。
 などと考えてたら、駄菓子屋を開業させてくれる専用の業者があるという。いや、そういうことじゃないんだけど。でも一応話だけ聞いてみると、5坪の店で、商品代金や容器、消耗品、レジその他で合計180万円くらいで始められるそうだ。うーん、高いんだか安いんだか。新車一台と同じくらいってのが微妙といえば微妙だな。でも待て、私が思っていたのは店のお菓子全種類を食べるということであって、駄菓子屋を始めるということではなかったはずだ。そうだ、そうだ、なんで店始めようかどうかで悩んでるんだ、私。あやうく駄菓子屋のオヤジになりかけてたぞ。
 だいたい、子供相手の10円20円の商売で、180万円を取り戻すのに一体何年かかるというのか? 道楽でやるならいいけど、まだ隠居するには早すぎる。
 しかし、昔かよっていた駄菓子屋の「オバチャン」は、きっと今の私より年下だったんだろうなと思うと、なんだかちょっと複雑な気持ちになる私であった。思い出してみると、けっこう若かったな、あの人。

 マシュマロ自体は久しぶりに食べてもそれほど感動的に美味しいというわけではなかったけど、なつかしい子供時代の思い出をよみがえらせてくれたという意味ではありがたかった。なっつかしいですね! もう遅いのや。まだ言うか。
 次になつかしいものをもらうときまでに、石橋貴明がやっていた星一徹の眉毛のモノマネができるように練習しておこうと思う。

光と影を追い求めた彼らの想いは私たちにも受け継がれてる

夕焼け(Sunset)
ドラマチックな夕焼け空

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/180s(絞り優先)


 今日の夕焼け描き担当者はレンブラントかドラクロワか、それともルーベンスだろうか。とてもドラマチックな夕焼け空だった。
 刻々と移り変わっていく空の表情の、ある一部分の一瞬にドラマがある。真実が現実の中の瞬間的な一点にだけ存在するように。
 そのシーンに居合わせることができて今日の私は幸運だった。ほら、いいの描いてやったから写真でも撮りな、という天からの声が聞こえたような気がした。いいの頂きました。

 ルーベンスといえば、アニメ「パトラッシュの犬」を思い出す人も多いだろう。ネロがずっと見たいと憧れ続けて、死ぬ間際ようやく見ることができたのが、アントワープの聖母大聖堂に今も飾られているルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」だった。
「パトラッシュ、疲れたろう? ぼくも疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ」
 忘れがたいあのシーンでのこのセリフは、今でもいろんな場面で使える名ゼリフとして人々の記憶に残っている。私もよく受験勉強のときなどに使ったものだ。パトラッシュ、もう疲れたよ、なんだか眠いんだ、と1時間も勉強しないうちにあっけなく眠ってしまったものだった。
 ただ、ルーベンスの絵はそんなにも素晴らしく価値があるものなのかといえば、そうでもないって人が多いんじゃないか。何しろ描いた点数が多すぎてありがたみがない。弟子に描かせたり工房単位で描いたりしたものをあわせると、現存するだけで1,000枚とも2,000枚とも言われている。ネロは遠くまで旅できる身分ではなかったから簡単には見られなかったけど、今の私たちならちょっと有名な美術館へ行けば簡単に見ることができる。
 画家としてもほとんど苦労知らずで、14才から絵の勉強を始めて22才のときには宮廷画家として採用されていたし、その後62才で死ぬまで人気画家であり続ける一方、外交官として裕福で華やかな生活も送った人だった。
 でもだからこそ、小さい頃から苦労ばかりのネロは、心に陰りのないレンブラントの絵にどうしようもなく惹かれたのかもしれないなと思ったりもする。

 フランダースの犬のことを思い出すと泣きそうになるので別のことを書こう(書きながらすでに半泣きだということは内緒だ)。
 名前を挙げたついでにレンブラントのことも少し。
 光と影の魔術師と呼ばれたレンブラント・ファン・ハルメンスゾーン・レイン。一部略してレンブラント・ファン・レインとすると、妙にドラマチックな名前になる。口に出していって見ると耳障りもいい。詩人のライナー・マリア・リルケみたいに。
 写真の光線は少し違うけど、斜め上から下に向かって差す光をレンブラント光線という。今でも絵画や写真の世界ではよく使われる言葉だ。
 レンブラントも画家としては非常に成功した人のひとりで、残っている作品数も多い。ただ、私生活では不運や不幸が続き、必ずしも幸せな人生だったとは言えないかもしれない。
 生まれた子供が3人も次々に死に、4人目を生んで奥さんまで死んでしまったり、美術品コレクションに入れ込みすぎて破産したり、内縁の妻から若い女に走ったら婚約不履行で訴えられて敗訴したり、大人になった4人目の子供まで死んでしまうといった人生だった。
 画家の力は生へと向かうエネルギーだと思うのだけど、これだけ周りに死がつきまとうというのも珍しい。それでもレンブラントの絵は暗いながらも常に光が当たっている。光が当たっている部分は少ないけれど、だからこそとても印象的だ。あの光は近しい人の死が見つけさせてくれたものかもしれない。

 そのルーベンスとレンブラントを尊敬していたのがドラクロワだ(ゴッホもレンブラントを崇拝していたという)。
 ドラクロワは言う。「世界に影はないのだ」と。「あるのは反射光だけなんだ」。彼もまた光と影を追い求めた画家だった。
 自分の外観に強いコンプレックスを持っていたらしく、生涯独身だった。確かに写真を見ると、西部劇に出てくる悪者みたいに見えなくもない。
 生涯を絵だけに捧げ、65才で死ぬまでに9,000点も描いた。デッサンは毎日描いていたという。最後は家政婦に看取られ、「100年後みんなは私のことをどう思っているか知りたいな」と言い残して静かにこの世を去った。家政婦は見た。
 くちぐせは、「まだ私には400年先までの仕事が残っている」だったそうだ。あの世で空を描くことが今の彼の仕事の一部になってるのだとしたら、ちょっと安心するのだけど。
 今日の空も、もしかしたらドラクロワの描いたものだったかもしれない。そう思って、ファインダー越しにのぞいた夕焼け空に向かって、小さく左手を挙げて挨拶してみた。
 でも、あのー、ダンナ、これ描いたの、あっしなんでげすよ、とペンキ屋のオヤジが申し訳なさそうに出てきたら、ずっこけてしまうな。まさかあなた、北野菊次郎さんでは!? そうでないことを願おう。

100匹の黒猫の中から自分の黒猫を見つけられるだろうか?

猫(Cat)
テレビの上のアイ

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先)


 最近家の中でも寒さが身に染みるのか、アイは少しでも暖かい場所を探してあちこちをうろついている。ストーブをつければストーブの前に、消えると押し入れの中へ、テレビがついたりして騒がしくなると起き出してきてテレビの上に、PCが暖まってくるとPCの上に、といった感じで。
 しかし、テレビの上はやめて欲しいぞ。テレビを見てるこちらをじっと見つめられるとテレビに集中できないではないか。しっぽが邪魔ですよ。というか、きみまろのヘルメットの上って、キミ、嫌がらせかっ!

 全身真っ黒のアイは鼻も手足の肉球までが黒色をしている。目だけが黄色い。
 黒猫はみんな一緒と思うかもしれないけど、よく見ると微妙に違うところがあるもんだ。マナカナの区別はつかなくても、アイの区別は他のクロといてもつくはずだ。黒猫を飼ってる人100人を集めて、100匹の黒猫の中から自分の猫を見つけられるかという実験をしたら、たぶん80人くらいは分かると思う。100人じゃないのかよっ! うーん、どうでしょう(←懐かしい長島監督のモノマネ)。残りの20人くらいは、これはうちの子だ、いやそうじゃない私のだ、などと果てのない言い合いになってしまうような気もする。両方で手足を引っ張り合うまでに至ったら、それはもう大岡越前の登場を待つしかあるまい。解決できるのは大岡裁きのみ。
 でも、しぐさや鳴き声や身体的特徴からたいてい分かるものだと思う。こちらが分からなくても、向こうが分かってくれるだろう、と信じたい。アイ、私を見捨てないでおくれ。

 黒猫といえば何を思い出すだろう。ヤマトはこの際置いておいて、映画『魔女の宅急便』あたりが一般的だろうか。あの中の黒猫ジジのおかげでずいぶん黒猫のイメージもよくなった。それまではエドガー・アラン・ポーの短編小説『黒猫』に代表されるように、不吉なイメージだけが強かった。
 人によっては黒猫といえばすぐに沖田総司を思い出すかもしれない。死ぬ間際、近所の黒猫を何度も斬ろうとして結局斬れず、「ばぁさん、あの黒い猫は来てるだろうなぁ」というのが最期の言葉になったと言われているあれを(後世の作り話という説もある)。
 けど、沖田総司は黒猫を斬らなくてよかった。あれで斬ってたら後のイメージが微妙に(もしくは決定的に)違ったものになっていただろうから。私も沖田総司を嫌いにならずに済んだ。
 夏目漱石の『吾輩は猫である』のモデルになった猫を黒猫と思っている人が多いようだけど、どうもあれは黒ではなく濃い灰色の縞猫だったらしい。奥さんがそんなことを語ったという話だし、明治村(愛知県にある明治の建物を集めた野外博物館)の漱石宅の縁側に置かれていた猫の置物も、明らかに黒猫ではなかった(モノクロだったけど、黒ではない)。

 何事においてもそれを好きな人と嫌いな人がいるのは世の常で、黒猫も例外ではない。外国でも不吉と思われてる国もあるし、幸運をもたらすと言われているところもある。黒猫ばかりを好んで飼ってる人もいるし、「黒猫亭」などという店もけっこうある。
 英語でいえば「ブラックキャット」、そんなアニメや小説もあった。フランス語でいうと「シャノワール」。これは店の名前にけっこうありがちなんじゃないだろうか。フランス語で猫は「シャ」(犬は「シャン」)、黒が「ノワール」でシャノワール。ゲーム「サクラ大戦」にも出てきたっけ。
 私はどうかといえば、特別黒猫に強い思い入れがあるというわけではない。むしろ茶トラ猫が大好きだったりする。なのに、どうしてだか黒猫には縁があるようで、以前家に出入りしていた「おクロちゃん」(そのままのネーミング)もオスの黒猫だった。魔よけにはなってるのかもしれない。アイが来てから特に悪いこともないし、目に見えないところで役に立ってくれているのだろう。タダめし食いの穀潰しとは呼べないか!?

 今ちょっと気になっている黒猫の作品がある。エルケ・ハイデンライヒ『黒猫ネロの帰郷』という絵本で、ドイツで30万部を超すベストセラーとなっているんだそうだ。右の前足だけ真っ白で生意気な黒猫ネロの愉快な活躍と晩年を描いている、という紹介文で読みたくなった。
 そういえばアイも、腹の一部だけ白い毛が混じってるのだ。白髪かとも思ったけど、そうじゃなさそうだ。親の毛並みの名残だろうか。今度腹を見せて寝てるときに写真を撮って紹介したいと思う。

 アイ、そろそろテレビから降りてくれるかな。気が散るから。あー、それと、キーボードの上を歩くのもやめて欲しいです。

世界地理博士太郎への遠い道のり 2005年12月6日(月)

室内(Room)
100円ショップの世界地図

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先)


 世界地図の中心に自国を置くというのはどうなんだろう。なんだか自己中心的で恥ずかしいな、と昔からずっと思っていた。
 しかし最近になって知ったのだった、それは世界中どこでもやってる世界の常識だということを。そうだったのか。だから戦争が起こるのね。悲しいけどこれ、戦争なのよね、とスレッガー・ロウ中尉のセリフをつぶやいてしまったよ。
 こんなことしてるのは日本や北朝鮮や中東なんかだけだと思ってた。そしたらアメリカもヨーロッパもインドも、みーんな同じことしてたんだ。おたくもそうだったんですか、おたくもですか。ええ、恥ずかしながら、てへへ、って感じだな。

 一番面白いのはオーストラリアだ。オーストラリアの場合、自国を世界地図の中心に持ってくるにはどうしても逆さにしないと中心にならないもんだから、上と下がひっくり返った奇妙な地図にしてしまってるのだ。オレがアイツでアイツがオレで、みたいな(ちょっと違う)。
 大陸ががみんな下側にあってひっくり返ってる図は私たちにしてみるとものすごく違和感がある。見るときは顔を斜めに傾けてしまいそう。けど逆に、豪州の地図しか見たことがなかった人が初めて北半球の地図を見たら、それこそ天地がひっくり返るほどびっくりするのかもしれない。テレビの世界の天気予報なんかのときはどうなってるんだろう(こういうことは現地の特派員に訊いてみよう)。

 ヨーロッパはイギリスのグリニッジ天文台を経度0としてるから、そこを地図の中央にしていて、アメリカ大陸では大西洋を中心とする地図が多いそうだ。
 このへんはまだかわいい方で、国によってはもめてる相手の国が世界地図になかったりもする。レバノンの世界地図にはイスラエルがなかったり、アルゼンチンの地図にフォークランド島がなかったりするらしい。大人げないなぁ。
 東アジアでは台湾や朝鮮半島の扱いも微妙だったりする。モンゴルが存在しなかったり。
 個人的にはやっぱり日本の世界地図は正しく日本を一番東側(右端)に置くべきだと思う。東端に置くことで世界における極東日本の位置や立場が日本人にも分かりやすくなると思うから。

 世界の地理に関する知識レベルにはかなりの個人差があるようだ。クイズ番組とか見てると、知らない人ってとことん知らないんだなと驚くことがある。これは日本人特有の傾向なのか、それとも世界共通のものなのか、どちらなんだろう。
 世界の地理に詳しい詳しくないは知能レベルとはあまり関係ないように思う。興味があるかないかだけで。世界史の一般常識というのはある程度はっきりしてるけど、世界地理の場合それはけっこう曖昧だ。世界の地理に詳しいのは、受験で地理を選択した人か、よほど海外旅行してる人くらいなんじゃないだろうか。
 たとえばインドはどこですかと訊かれて即答できる日本人は8割はいないだろう。インドでさえそうなんだから、ポーランドはどこにあってどれくらいの大きさかと問われると、多くの人がうっと詰まるんじゃないか。ノルウェイ、タイ、モロッコ、コロンビア、お馴染みの国だけど白地図でその国の場所を言い当てるのは難しい。
 私も地理に関してはまったく自信がない。ハワイの位置はかろうじて分かっても、グアムがどこにあるか知らなかったりする。大きな大陸くらいは知っていても、バルカン半島とか、マダガスカル島とか、ベーリング海の場所なんて訊かれても困ってしまう。イースター島やガラパゴス諸島だって正確な位置まで知らないし、アフリカの国を20国挙げてみろなんて言われてもお手上げだ(53ヶ国もある)。世界は広いなぁ、ははは、と笑って誤魔化したくなる。

 これではいけないとあるとき思い立ち、100円ショップで世界地図を買ってきた(このあたりにも志の低さが表れている)。こいつを部屋の壁に貼って、毎日眺めて世界の地理に詳しくなろう! と思ったのだけど、その思いが続いたのは2日だった。たった2日かい。その後遠巻きに眺めてみたりはしたものの、近視の私に細かいところまで見えるはずもなく、世界って山だらけなんだね、と思うくらいがせいぜいだった。
 これじゃあメルカトルの苦労も報われない。マーちゃん、ごめんね。ポンコツ旦那だった、と土下座でもしたいような気持ちで一杯だ(それは謝る方向を間違えてる)。
 しかし、今日からまた心を入れ替えて世界地図と向き合いたいと思う。最終的には目をつぶっていても、白紙の紙に世界地図を描けるところまでいきたい。
 ……それは無理なんじゃ?
 ここはひとつ、トイレに座ったとき目の前に来る位置に世界地図を貼る作戦でいこう。受験生みたいで格好いいかも、私。黙って座ればピタリと当たる。ノヴォシビルスク諸島だってクールに指差してみたい。

もしカラスが青色だったら人気者になれたのかな

野鳥(Wild bird)
曇天カラス

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先)


 曇天の冬空にはカラスがよく似合う。
 カラスといえば近年不吉なイメージがすっかり定着してしまっているけど、古来日本では吉兆を示す鳥だった。神武天皇が戦に出たとき、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明をくわえて導いたという伝説があって、それ以来カラスは神聖な鳥として親しまれてきた。日本サッカー協会JFAのシンボルマークが三本足のカラスだというのを知っている人も多いだろう。
 清少納言も「枕草子」の中で、「烏の寝どころへ行くとて 三つ四つ 二つ三つなど 飛び急ぐさへ あはれなり」と書いているし、昔から嫌われ者だったわけではなかったはずなのだ。
 カラスが悪者になってしまったのは石原慎太郎東京都知事のせいに違いない(もっと前からだろう)。

 人は賢い生き物に対して、好感と反感の入り交じった複雑な思いを抱くようにできてるらしい。イルカなんかに対してはおおむね好意を持っていると思うけど、猫に対しては好き嫌いが分かれがちだし、サルについてもなんとなく素直に敬意を表せないところがある。オウムに口癖をマネされたりするといい気がしなかったり。
 カラスに関しては一部擁護派がいるものの、どうにも嫌われてしまっているのが現状だ。都会で直接的な被害を受けている人だけでなく一般的に。
 ではおまえはどうなんだ、カラスのどこが好きなんだ、と問われると、いや、別に、と明石家サンタのお決まりのやりとりのようになってしまうけど、決して嫌いというわけではない。ただ、野鳥を撮りにいってカラスしか撮れないとすごく残念な気持ちになるのは間違いない。黒というのは写真映えがしないから。黒い人気者といえば、サンコンさん、みのもんた、松崎しげる、東幹久、日本ではこの4人くらいだ(もう少しいるだろう)。

 私たちが普段目にしているカラスには2種類いることを知っているだろうか。都会派のハシブトガラスと、カントリー派のハシボソガラスと。都会のカラスはカァーカァーと澄んだ声で鳴き、田んぼなんかにいるやつはガァーガァーとがなってるから区別がつく。見た目も、ハシブトはその名の通りくちばしが太くて頭もずんぐりしているのに対して、ハシボソはくちばしが細くて頭もすっきりしている。歩き方も違うし、全然別の種類だ。
 クルミを車にひかせて割ったり、貝を上空から落としたり、水道の蛇口をひねって水を飲んだりしてるのはたいていハシボソの方だ。こちらの方がかなり知性が高いらしく、飼えば九官鳥と同じくらい人の言葉を覚えてマネできるんだとか。
 ただし、カラスを飼育するのは法律で禁止されている。知ってました? あれも野鳥だから、無許可で獲ったり飼ったりしてはいけないんだそうだ。ヒナを拾っても持ち帰ったらいけないんだとか。確かに、カラスを肩に乗せて電車に乗ってる人は見かけないものな。
 って、そんなやつ、イヤだ! でも想像すると笑える。その人の半径2メートルくらいには異空間が現出するに違いない。

 日本には12種類くらいのカラス科の鳥がいて、お馴染みのカケスやオナガなんかもカラス科だ。世界には120種類ものカラス科の鳥がいる。
 ただ、日本で見かけるハシボソ、ハシブトは世界中にいるかといえばそうではなく、都会派のハシブトは東アジアから東南アジアにかけての狭い範囲にしかおらず、カントリー派のハシボソもアジア全域、中東、ヨーロッパまでで、アメリカ大陸やアフリカ大陸、インドにはいない(基本的に)。
 ヒッチコックの『鳥』でアメリカにもいるような気がしてるけど、ヒッチコックも原作者のダフネ・デュ=モーリアもイギリスの人間だ。それにあれはワタリガラス、いわゆるオオガラスというやつらしい(日本では北海道にだけ渡ってくる)。

 都会のカラスも郊外のカラスも、知ってみれば意外と悪いやつらじゃない。人の暮らしの変化に合わせて彼らも生活様式を変えてきたわけで、いうなれば人とともにある鳥だ。仲良くしないまでも、あんまり目の敵にせず温かい目で見守って欲しいと思う。
 ゴミを漁られたり、襲われそうになったりしても、カラスなぜ鳴くの、カラスは山に、七つのかわいい子があるからよ、という子供の頃よく聴いた童謡を思い出して優しい気持ちになってください。七つっていうと、人間いうと小2だな、と思ったのは私だけではないはず(それは間違いです)。

 もしあなたが明日からカラス好きになろうと思い立ったなら、公園などをマヨネーズを吸いながら歩くとよいでしょう。カラスはマヨネーズが大好物らしいから、鹿せんべいを抱えて奈良公園を歩くときと同じような楽しさのカラス版が味わえるでしょう!
 手なずけたら、肩に乗せたところを写真に撮らせてくださいね。

アドゴニーとケンタロウに感謝、感謝、感謝((c)黒板五郎)

料理(Cooking)
期せずしてヘルシー料理

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/30s(絞り優先)


 今日のサンデー料理のテーマは「アドゴニー」。
 といっても分からない人には何のことかさっぱりだろう。簡単に説明すると、そういう名前の外国人タレントがいて、「いきなり黄金伝説」の中でカツオの仲間を釣り上げてその場で料理してたのが美味しそうだったので、ぜひそれを作ってみようということだったのだ。「いきなり黄金伝説」ってのはココリコが司会をしてる番組で、ココリコってのは吉本の漫才コンビで、ええーい、説明が面倒だっ。というか、説明に説明を加えていたらいつまで経っても終わりゃしない。
 ということでテーマの説明はそれくらいにして料理の説明に入ろう。また説明かよっ!

 釣っていた魚がカツオの仲間だったとぼんやり記憶してるんだけど、カツオは今シーズンじゃないのでマグロで代用してみた。マグロとカツオの味の違いなんてさっぱり分かってない私。
 まずベースとなるソース作りから。しょう油、酒、刻んだニンニク、コショウを混ぜる。それにマグロの切り身をしばらく漬けて(3分とかそれくらい)、出したところで水分を拭いて小麦粉をまぶす。
 それを揚げるわけだけど、どれくらい揚げるんだったか忘れてしまったので、なんとなくじっくり揚げてみた。が、これは失敗だったような。わりと高温で一気に揚げて、中は半生くらいでいいのかもしれない。あまり火が通りすぎると固くなるから。
 さきほどのソースはいったん煮立たせて、半分は取り出したマグロ揚げの上にかけ、半分にマヨネーズとカレー粉を混ぜて、それを更に上にかけて完成。
 これが作りたかったのだ。思った通り美味しくて満足。ありがとう、アドゴニー、もうヘタレとは呼ばないよ。

 メインのことばかり考えていて他の料理のことを考えるのを忘れてしまっていた。それはいかんざき(もう古い)。とりあえず野菜とスープだろうということで、ブロッコリーの炒め物と野菜スープを添えてみた。ブロッコリーはニンニクとトウガラシをあわせてオリーブオイルで炒めたシンプルなもの。スープも簡単に、コンソメの素で作ってカレー粉を入れてカレー風味に。この2品はケンタロウのレシピから。
 これだけだとちょっと寂しいかなということで豆腐のツナマヨ焼きを特別参加させてみた。ツナとマヨネーズにシソの葉を刻んだものを一緒に混ぜて、塩コショウで味を調えてそれを上に乗っけてオーブントースターで5分焼いて出来上がり。
 ご飯は白炒りゴマとごま油を少し混ぜた白ごまご飯になってます。さあ、召し上がれ、ありがとう、いただきます、どういたしまして、美味しいですか、うん美味しいです、ごちそうさまでした、お粗末様でした。そんなひとり芝居の私。ひとり上手と呼ばないで。ひとりが好きなわけじゃないのよ。もしくは、桑原和男のひとり芝居の変形という見方も出来る。

 こうして写真を見てみると、期せずしてヘルシーな料理になっていることに気づく。そんなつもりはなかったんだけど、最近は不健康なものより健康的なものを美味しく感じられるようになってきた。老化だな。
 今回はちょっと面白みに欠ける料理になってしまって残念と言えないことはないんだけど、まっとうに美味しかったのでよしとしよう。点数的にはまとまりすぎていたことをマイナスとして75点というところか。でもこれならたいていの一般家庭の夕食に出しても文句は出ないと思う。一家12人の大家族とかだと量が少なすぎるぞ父ちゃん! とかいう思いがけないクレームがつきそうではあるけれど。

 来週は見知らぬ外国シリーズでいきたいと思っている。先週のトルコに続いて次はどこへ旅立とう。一週間、壁に貼った世界地図を見ながら探すことになるだろう。所さんにならってダーツで決めるって手もありか!?
 

沖縄ちんすこうから始まる全国銘菓の旅---序章

食べ物(Food)
沖縄ちんすこう

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/15s(絞り優先)


 沖縄銘菓ちんすこう。いきなり下ネタかよ! いやいや、誰もそんなこと言ってないですって。え? ホント? そりゃ失敬、失敬。
 初めて食べた「沖縄ちんすこう」はクッキーの味がした。クッキーだよな、これ。森永とかのパッケージに入っていても、そのまま普通に見過ごしてしまうというか食べ過ごしてしまうだろう。くれた人に美味しかったかと訊かれると返答に困る。うん、普通だった、とは答えにくい。サクッとしてて美味しいし、きめ細やかで口の中で溶ける食感の楽しさはあるけど、ひとくち食べたとたんに心が沖縄本島に飛んでいくような、これは美味しいさぁ~と思わず沖縄なまりになってしまうような歓喜はこの中には封じ込められていなかった。原材料を見ると、色とりどりなのも着色料だし。
 なんだよ、具志堅用高、と変なところにクレームをつけてしまいそうだ。いや、普通に美味しいから素直に喜んでおこうよ、私。

 日本全国には数限りない銘菓が存在する。これまでにけっこう食べたような気もするけど、実際はほんの一部しか食べてないのだろう。残念だ。もっともっと食べたいぞ、全国の銘菓。
 私は基本的に甘いものが日本人の一般的な基準から大きく逸脱して好きな人間である。高校時代、チューブのコンデンスミルクを毎日のようにダイレクトにチューチュー吸っていて、友達に真顔で注意されたことがある。それ、絶対体に悪いって、と。確かにそうかもしれないと、その後それはやめたものの、今でも甘いものは好きでよく食べている(その反動で辛いものが苦手だ)。
 そんな私なので、お菓子系のおみやげはたいてい喜んでもらうようにしている。でもハワイのマカデミアナッツはもういらないぞ。せんべい、あられ系もご遠慮願おう。同情するならまんじゅうくれ、と言いたい。

 というわけで、今回全国の銘菓についてちょっと調べてみた。
 まず地元愛知は、やはり「ういろ」ということになるのだろう(個人的には「大須ういろ」が本物で、「青柳ういろう」はニセモノだという位置づけなのだけど、これはたぶん間違った偏見だ)。もっと他にも美味しいお菓子がたくさんあるから紹介したいところなんだけど、それはまた別の機会に。
 生まれ故郷の三重だと「赤福」は全国的に有名だと思う。これは三重県に行かないと買えないもので、全国どこでも売ってる類似品の「御福(おふく)」というものがあるので注意しよう!
 有名どころでは、京都の「生八つ橋」、これは大好きだ。北海道の銘菓を「白い恋人」というのは抵抗があるという人もいるようだけど、やはりこれははずせない。北海道はお菓子関係でも美味しいものが多い。
 静岡の「ウナギパイ」、広島の「モミジまんじゅう」、東京の「人形焼」、「雷おこし」、長崎「カステラ」、埼玉の「草加煎餅」あたりは定番中の定番と言えるだろう。

 東北ブロックでは、岩手「南部煎餅」、秋田「秋田諸越」、青森「朝紫大福」、宮城「萩の月」、山形「からからせんべい」といったところの名前が挙がってくる。
 北関東・関東は、福島「薄皮饅頭」、「ままどおる」、栃木「葵饅頭」、茨城「水戸の梅」、群馬「鉢の木七冨久」、神奈川「鳩サブレ」あたりか。
 北陸・中部は、新潟「笹だんご」、富山「いかすみ煎餅」、石川「長生殿」、福井「羽二重餅」、山梨「信玄餅」、「月の雫」、長野「栗かのこ」、岐阜「柿羊羹」、「栗きんとん」というんだけど、どれも馴染みがない。
 関西方面では、滋賀「標野」、大阪「特上福おこし」、「栗おこし」、兵庫「塩味饅頭」、「神戸ゴーフル」、奈良「吉野本葛」、「御神鹿のふん」、和歌山「本練羊羹」、「那智黒アメ」などで、食べたことがあるものと聞いたことがないものが混在している。
 中国地方だと、鳥取「因幡の白うさぎ」、島根「若草」、「山川」、岡山「吉備団子」、山口「ういろう」。この地方はまったく行ったことがないので食べたことがないものばかりだ。
 四国は、徳島「阿波和三盆糖」、香川「灸まん」、愛媛「一六タルト」、高知「土佐日記」、「龍馬がゆく」あたりだそうだ。
 九州は、大分「雪月花」、福岡「梅ヶ枝餅」、宮崎「チーズまんじゅう」、「ボンタンアメ」、佐賀「丸旁露(まるぼーろ)」、鹿児島「かるかん」など。
 いろいろ異論はあるだろうけど、今日のところはこのへんで勘弁してもらおう。

 これで全国銘菓行脚の旅は終わった。ごちそうさまでした。という感じで、食べてもいないのにおなか一杯になってしまった。回転寿司を見てるだけで食べられなくなってしまったときみたいだ。
 いつか全国の銘菓を制覇してやるぞ、なんていう野望はまったくないけど、まだ見ぬ銘菓を求めて人のおみやげを待つことだけは続けたい。完全なる他力本願。自ら出向こうとはしないし、たとえ訪れても自分で土地のお菓子なんて買ったためしがない。ひたすら待つのみ。欲しがりません勝つまでは、の精神で頑張ります。
 全国津々浦々の皆さん、俺は待ってるぜ(石原裕次郎)。

カモがいない池なんてクリープを入れないコーヒーみたいさ

施設/公園(Park)
猪高緑地の静まりかえった池

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/90s(絞り優先)


 紅葉が逃げていくのを追いかけることができない。あきらめきれないけど、今年はもう半分あきらめた。桜の場合なら出遅れても寒い地方へ行くという手があるけど、紅葉の場合はそうもいかない。今日も近所の猪高緑地を30分ほどうろついたところで時間切れになってしまった。
 紅葉よ、もうしばらく私を待っておくれでないかい。

 写真は猪高緑地の中では一番大きな塚ノ杁池。どうしたことか、不気味に静まりかえっている。生き物の気配がまるでない。カモがいたらぜひ撮ろうと思っていたのに、影も形もなく、コサギや他の鳥もいない。遠くの林の中から鳴き声が聞こえるだけで。
 池の表面は水草がびっちりと覆っていて、魚もいるのかどうか疑わしい。かつてはブラックバスが釣れたというけど、最近はもういなくなったのか、釣り人の姿もない。夏に訪れたときはこんな雰囲気じゃなかったと思うけど、冬はこれがここの普通の姿なんだろうか。
 この池で泳いだら無事では済まないだろう。誰が泳ぐか! 丸山弁護士でもここでは泳げまい。

 カモたちはどういう基準で池や川を選んでいるんだろう?
 それ考えてると夜も寝られなくなっちゃう、という人も多いことだろう。私は夜はぐっすり眠れるけど、そのことについてはたまに考える。
 単純にエサ問題だけなのか、水質の好みがあるのか、広さは関係あるのか、他のカモたちとの関係性もあったりするのか。
 郊外のきれいな水の川や池がいいんじゃないかと思うと必ずしもそうではなく、都会で人が多くて水もきれいとはいえないようなところに意外とたくさんいたりする。やっぱりカモもあんまり寂しいところよりも多少にぎやかなところの方が落ち着いたりするんだろうか。
 同じ種類のカモでも、池にいるやつもいれば川にいるやつもいる、河口付近や海にもいたりする。一体どういう考えでそこでいるんだ、カモたちよ、と問いただしてみたい私なのであった。

 カモ的にいえば、名古屋市内の池だと、牧野ヶ池緑地はけっこういた。この猪高緑地はまったくいなくて、明徳池はそこそこ。平和公園の南、星ヶ丘近くにある新池は去年たくさんいるのを見かけた。天白公園もかなりたくさんいた。天白の荒池も。
 川なら街中でもたいていのところにいる。写真を撮るにも池よりも川の方が近くていい。
 いるところにはいるし、いないところにはいないカモ軍団。どんな野鳥でもそうだけど、カモの場合それが極端でもあり、不思議でもある。いつか、日本の野鳥の会の人に出会ったら、そのあたりのことを訊ねてみたいと思う。あまり話が長くなさそうな人を選んでお話を聞いてみよう。

 紅葉が終わって、木々の葉っぱが落ちてきたら、いよいよ鳥撮りのシーズンだ。春から秋にかけては、ベテランさんの重装備でなければなかなか鳥は撮れない。葉が生い茂る高い木の上で鳴いていても300mmの望遠レンズ程度では役に立たない。冬は駆け出しの鳥好きでもけっこう姿を見つけることができて写真も撮ることができる。鳥自体の数が増えるということもあって。
 実は私、こう見えても(どうも見えてないと思うけど)、高校一年のとき、友達にだまされて野鳥クラブに入部させられて、一日だけ活動したことがあるという根っからの鳥好き野郎なのだ(一日だけなのに?)。
 入部の理由を問われて、「田舎育ちなので」というわけの分からないことを口走って部長を黙らせたという実績もある。
 しかし、鳥を見るにはほふく前進しなければいけないという厳しい現実を聞かされ、あっけなく幽霊部員と成り下がったのだった。ほふく前進って……。陸軍の歩兵部隊じゃないんだから。
 あれから時は流れ、今では私も立派な(?)鳥好き人間となった。これもすべて私を野鳥クラブに誘ってくれた野村君のおかげ……なのかな?

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