
OLYMPUS E-10+C-PL+マクロレンズ, f2.8, 1/13s(絞り優先/三脚)
夜の11時になると、今でもときどき、あ、テレホーダイの時間、と思う。常時接続のADSLにしてからもう5年も経つのに。
テレホーダイと聞いても、最近になってPCやネットを始めた人は何のことか分からないだろうか。照れ放題? 夜の11時に何をそんなに照れることがあるんだ? 11PM(イレブンピーエム)と関係あるのか? などと思ったりする可能性もないとは言えない(若者はその方をむしろ知らない)。
簡単に言うと、NTTが電話回線でネットをしてる人のために提供していた(今でもしている?)定額サービスの名前で、夜の11時から朝の8時までは電話回線が定額料金で使い放題になるというものだ。
なんだそんなこと当たり前じゃないかと思うかもしれないけど、これが5年くらい前の私たちには天の助けとも言えるほど画期的なサービスだったのだ。当時はまだADSLもなく、電話回線でネットにつないでいたから、普通に電話をかけているのと同じことで、長時間の接続は高額な電話代金の請求を意味した。
だからそのときの私たちはテレホーダイというサービスに頼らざるを得なかった。早く11時が来ないか、毎日が待ち遠しかったものだ。その記憶が残っていて、今でも11時になると、あ、11時だ、と思ってしまう私なのだ。
5年くらい前のネットのことを思い出すと、ずいぶん牧歌的で平和な世界だったと思う。テレホーダイの11時になると、ML(メーリングリスト)の仲間がいっせいに顔を出すようになり、メールが行き来し、サーバはとたんに重くなり、なかなかページを表示しなくなる。ただでさえ遅い電話回線だから、それはもう気が遠くなるほどだった。
まだ当時はネットも今ほど一般的なものではなく、オンラインの住人もややマニア寄りの人たちが多かった。圧倒的に男子が多くて、女を装うネカマなる言葉が生まれるほど女子の絶対数が少なく、当時ネットをしてる女の子はたいそうモテたものだった。高校の工業科の女子みたいに。
PCを使えるというだけでやるなと思われ、デジカメを持っている人もまだまだ少なく、自分のHPを持っているだけで上級者のように思われていた。
Windowsはまだ大多数が98で、WindowsMeの発売に戸惑い、2,000年問題などというものをみんな本気で心配していた時代だ。
オークションも参加費などすべてが無料で、yahoo!も今のようにエラそうじゃなく、売ります買いますの場を提供してる黒子に徹していて好感が持てた。
出品は質量とも充実してるとは言えなかったけど、面白い出品物やおかしな人がいろいろいて笑えることが多かった。
「拾ってきた大きな松ぼっくり」が売られてたり、「夜のおかずに買ったけど余ってしまった豆腐」が一週間売れずに回転してたり、あやしげなものなども数多くあった。
「オークションはナンパの場所ではありません!」と、評価の欄で女の人に説教されてる男とかもいたりして。
オークションも今ではずいぶん安全で便利になったけど、あの頃のような魅力がなくなってしまったのはちょっと残念なところだ。
今ネットにいる人たちと、5年前のネットの住人とでは、明らかに人種が違っているように感じる。そういう私自身も、ネットに対する思い入れみたいなものがけっこう変わってしまった。
成熟したと言えばそうなのかもしれないけど、あの頃はもっと狭い世界で身内意識のような暖かいつながりがあった気がする。その分衝突することも多くて、よくモメてたりもしたのだけど、あれはあれでいい思い出になっている。
メールにしても、書くのももらうのも、もっとドキドキしたものだった。一通いっつうがとても重要で、重みがあった。幻想があり、未知のものに対するある種の恐れとか憧れがあった。
大げさに言うと、ラブレターに近かったと言ってもいい。メール交換は文通のようなものだった。もしくは交換日記に近い性質もあった。
今はもう、そういう意味での重さはなくなってしまった。
この先ネットはどういうふうに変化して、自分はどう変わっていくんだろう。不便さゆえの工夫や、そこから生まれるドラマなどは更に希薄になっていくんだろうか。もっと回線が高速になったとしても、そこにあらたなドラマや感激はイメージできない。
テレホーダイだと思って油断して、休みの日の朝8時を過ぎたことに気づかず、9時くらいになって、うわぁーーー! と驚き叫ぶようなことももうないのだろう。
不便さがよかったとかそういうことはもちろんない。便利で快適なのに越したことはないし、かつてのようにメールや書き込みでケンカなんてのはまっぴらごめんだ。ただ、5年前のことを思い出すと、少しだけ感傷的な気持ちになる。それはきっと、あの頃私はネットに恋をしていたから。
時計の針が夜の11時を回る頃、私はまた、あっと思うことだろう。
そして、なんとなくソワソワと落ち着かない気分になるのだ。かつてのネットの仲間が一斉に集まってきたような気がして。