カテゴリ:本(Books)

記事一覧
  • 今こそ読みたい東山紀之『カワサキ・キッド』

     たまたま手にする機会があって、ちょっと読んでみたら面白そうで、結局最後まで読んでしまった。 東山紀之『カワサキ・キッド』。 発行は2010年なので、今から13年前、東山紀之が47歳のときに出したものだ(2009年から2010年に『週刊朝日』に連載したものを加筆訂正したもの)。 半生を振り返る内容で、文章はあまり上手くないけど、それゆえにゴーストライターではなく自分で書いたことが伝わってくる。 ここ最近、良くも悪...

    2023/10/09

    本(Books)

  • 感想にならない『ドライブ・マイ・カー』の感想

     映画『ドライブ・マイ・カー』(公式サイト)を観て(WOWOWで)、原作小説の『ドライブ・マイ・カー』(短編集『女のいない男たち』の中の一編)を読んだ(図書館で借りて)。 村上春樹は20代の頃から好きで(文章の影響も強く受けている)、ほとんどの作品は読んでいるつもりだったのに、この短編集は未読だった。 映画も小説もどちらも感想にならない作品だなという感想で、その心情を上手く説明できない。 村上春樹のどこ...

    2022/09/08

    本(Books)

  • 阿久津直記『練習しないで、字がうまくなる! 』を読んで目が覚める

     阿久津直記著『練習しないで、字がうまくなる! 』は面白い。笑える。 ペン字本で笑える本を初めて読んだ。他にはないかもしれない。 たとえば、 お手本のような字を目指して練習することはやめてください。 なぜなら、お手本のような字はいくら練習しても書けるようにならないからです。 残念ですが、それが現実です。 思わず、おおおっとうなってしまう。 これはまだ軽いジャブ程度で、油断して読み進めていると、思いが...

    2020/02/03

    本(Books)

  • 普通の人間

    「おれは自分のことをずっと、かなり普通の人間だと思って生きてきたんだがな」「それはあるいは危険思想かもしれない」「自分は普通の人間だと考えることが?」「私は普通の人間ですと自己申告するような人間を信用してはいけないと、スコット・フィッツジェラルドがどこかの小説に書いていた」 村上春樹『騎士団長殺し』 このやりとりに大笑いした私の感覚は普通なのだろうか。 私は普通の人間であることを目指していないから...

    2019/12/02

    本(Books)

今こそ読みたい東山紀之『カワサキ・キッド』

本(Books)
カワサキ・キッド

 たまたま手にする機会があって、ちょっと読んでみたら面白そうで、結局最後まで読んでしまった。
 東山紀之『カワサキ・キッド』。
 発行は2010年なので、今から13年前、東山紀之が47歳のときに出したものだ(2009年から2010年に『週刊朝日』に連載したものを加筆訂正したもの)。
 半生を振り返る内容で、文章はあまり上手くないけど、それゆえにゴーストライターではなく自分で書いたことが伝わってくる。
 ここ最近、良くも悪くも注目されている東山くんだけど、これを読むと印象が大きく変わる。
 ミスター・パーフェクトともいわれる東山くんの生い立ちがこんなだったとは知らなかったし想像もつかない。
 両親が3歳で離婚して川崎のおんぼろ団地に母親と妹とで三人暮らし。母親は美容室で遅くまで働いて食事や家事、じいさんの面倒まで少年東山くんがこなしていたという。
 再婚した新しい父親からは毎日殴られ、母親はその男とも離婚することになる。
 小学6年生のとき、渋谷のスクランブル交差点で友達と信号待ちをしていたら大きな車から降りてきた中年の男がいきなり名刺を渡して家の電話番号を聞いてきた。不信に思いながらも電話番号を教え、家に帰って母親に話したらそれはおまえ、だまされてるよと心配された。その名刺に書かれていた名前は「ジャニー喜多川」。
 東山紀之が少年隊としてデビューするのはその7年後、19歳のときだ。

 芸能やスポーツの意外な交流関係も興味深かったのだけど、やはり前半生の話が面白かった。苦労が顔に出ないのは人徳というものだ。
 ここ最近の記者会見などではいたって評判が悪いけど、そんなときだからこそこの本を読んでみるといい。
 人に歴史ありで、人生ってそんな簡単なものじゃないということをあらためて思い知ることになるだろう。


感想にならない『ドライブ・マイ・カー』の感想

本(Books)
小説『ドライブ・マイ・カー』

 映画『ドライブ・マイ・カー』(公式サイト)を観て(WOWOWで)、原作小説の『ドライブ・マイ・カー』(短編集『女のいない男たち』の中の一編)を読んだ(図書館で借りて)。
 村上春樹は20代の頃から好きで(文章の影響も強く受けている)、ほとんどの作品は読んでいるつもりだったのに、この短編集は未読だった。
 映画も小説もどちらも感想にならない作品だなという感想で、その心情を上手く説明できない。
 村上春樹のどこが好きかといえばその文体で、内容は二の次だったりする。あの文体を映像に移し替えるのはたぶん無理で、トラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』もなんだこりゃという作品だった。
 ただ、映画『ドライブ・マイ・カー』は小説を移すのではなく、小説を下敷きにというか、設定だけ借りて全然別の方向を向いた作品に仕上げていて、それが功を奏した。
 内容は似て非なるもので、手触りというか肌触りがまるで違う。物語の着地点も。

 映画版は主人公に心情を重ねて観るとひどく痛みを伴う。
 奥さんはなぜあんなことをするのだろうとやりきれない気持ちになったのだけど、ああ、そうか、幼い子供を亡くしたときに、彼女の心も夫婦関係も壊れてしまったんだと気がついて少しだけ腑に落ちた。
 映画の紹介で主人公の再生の物語というようなことをいっているけど、亡くなった奥さんも主人公も再生などしていない。村上春樹の言葉を借りるならば、すでに”永遠に損なわれてしまっている”のだ。二度と元には戻らない。
『ドライブ・マイ・カー』あるいは村上春樹作品を再生の物語などと捉えているとそれは大きな勘違いということになる。損なわれてしまった我々はその後どう生きればいいのかが主題となっている。
 そのためには過去を忘れ、もしくは過去を捨てて前へ進むしかない。時間は常に流れている。
 ただし、過去がなかったことにはならない。痛みは痛みとしてどこまでも抱えていくことになる。

 映画『ドライブ・マイ・カー』の感想で感動したといっている人の言葉にひどく違和感を抱く。あれって感動するような作品だろうか?
 感想は人それぞれでいいのだけど、少なくとも感動を求めて観るような映画ではないと思う。原作小説も同じだ。
 映画版の成功が村上春樹に何かをもたらしただろうかと考えると、それはあまりないような気がする。映画版の成功は(外国で賞を獲ることが成功とするならば)、濱口竜介監督や西島秀俊をはじめとする出演者たちの功績に他ならない。
 映画を観た後に原作小説を読むと、多くの人は拍子抜けすると思う。元ネタってこんな小ネタだったの、と。この短編をよくぞ3時間の長編映画に仕上げたものだと感心するだろう。
 映画版も、小説も、個人的にはおすすめしない。避けて通れるなら避けた方がいいような気もする。特に主人公と同じような立場の中年男性はある種の覚悟をして観た方がいいかもしれない。
 
 

阿久津直記『練習しないで、字がうまくなる! 』を読んで目が覚める

本(Books)
練習しないで、字がうまくなる

 阿久津直記著『練習しないで、字がうまくなる! 』は面白い。笑える。
 ペン字本で笑える本を初めて読んだ。他にはないかもしれない。

 たとえば、

 お手本のような字を目指して練習することはやめてください。
 なぜなら、お手本のような字はいくら練習しても書けるようにならないからです。
 残念ですが、それが現実です。



 思わず、おおおっとうなってしまう。
 これはまだ軽いジャブ程度で、油断して読み進めていると、思いがけないところからフックが飛んできてきれいにノックダウンを取られてしまう。

 字のうまい人ほど丁寧に書きます。
 気持ちを込めて書けばいい、というのはナンセンス。気持ちで字がうまくなれば、本書も先生も要りません。
 うまい人が丁寧に書いているのだから、下手な人はもっと意識して丁寧に書かなければ字がきれいになるはずがないのです。



 確かにその通り。けど、こんなことはペン字を教えている誰も言わない。本当のことすぎて面と向かって言ってはいけないと思っているのかもしれない。

 更にきつめのパンチは続く。

 字がうまい人ほどゆっくり書くということは意外と知られていません。
 うまい人でさえゆっくり書くのに、みなさんが速く書いてきれいに書けるわけがない。



 これは確かに盲点だと思う。上手い人はさらさら書いているように思いがちだけど、そういえば昔の同級生で字がうまかったやつはノートをやけにゆっくり書いていた。遅すぎるだろうと言うと、これ以上速く書けないんだと言っていた。
 阿久津先生は秒速1センチメートルで書けとのたわまっている。
 桜が散るスピードが秒速5センチメートルというから(新海誠)、桜が散る速度よりゆっくり書かなければいけないということだ。

 そもそもペン字練習がどうして役に立たないかといえば、圧倒的に練習量が足りないからだと阿久津氏は言う。
 通信講座で一日20分を一年間続けたとすると、合計時間は120時間。これを日に直すと5日間でしかない。

 丸五日間練習をした程度で達筆になれるのなら、誰も苦労しません。



 手本の字をいくらまねして書けるようになったとしても、縦書きでその大きさの字を書くという状況は日常的にはほとんどなく、応用が利かないというのもその通りだろう。
 まとまった文章を手書きするとしたら、ノートや書類などに横書きすることがほとんどで、縦書きすることなどめったにない。年賀状の宛名を書くときくらいだ。

 阿久津氏はこうも問いかける。

 

 なぜ下敷きを使わないのか?



 これは考えたこともなかった。
 小学校の時は誰もが下敷きを使って字を書いたのに、いつの間にか下敷きを使わなくなっていた。
 下敷きは固いものではなく柔らかいものがいいそうで、下敷きのあるなしでプロでもかなり違う結果になる例が提示されていて説得力がある。
 机で書く場合はデスクマットが最適だそうだ。

 一番笑えたのがここ。

 のし袋などに書くときに、どうしてえんぴつで補助線を引かないのかという疑問を呈す。

 たとえ罫線が引いてあっても曲がってしまうことがあるのに、補助線も引かず真っ直ぐに書こうなんて、無謀だと思いませんか?
 みなさん、自分の力量を見誤っています。



 ここまで読めば、字が下手な人間(こういった本を読んでいるということは当然私もその自覚がある)がどうして字が下手なのかが理解できる。
 では、どうしたら字がうまくなるのか?
 阿久津氏は本書で繰り返し書いているのだけど、要するに毛筆で書いたような字がきれいでうまく見えるということだ。
 ボールペンで普通に書くと字はメリハリのない線で構成されてしまう。そこに筆書きのような味付けを施すことで字が見違えるようにうまく見えるという。ほとんど目の錯覚じゃないかと思うのだけど、実際に例を見るとその通りなのだ。
 同じ人が同じ字体で書いても毛筆風とそうでないのとでは明らかに印象が違っている。
 具体的には、起筆、トメ、ハネ、ハライを施すということだ。
 毛筆では筆の性質上、自然にできることもボールペンではそうはいかないので意識的に加える必要がある。
 まず起筆で穂先を付け、とめるところはしっかりとめ、はらうところははらい、はねるところはきちんとはねる。それだけでも字はかなり変わってくる。
 そのあたりは文章だけは伝えづらいので本を見てもらうしかないのだけど、ひとつ注意として、下手な人間は筆ペンを使うなというのが阿久津氏の主張だ。
 筆ペンを下手な人間が使うと下手さが強調されてしまうのでやめた方がいいと。
 確かに筆ペンは大きめの文字を書くには適していても、小さな文字を書こうとするとかなり難しい。細かい部分は線が潰れてしまいがちだ。

 下手な人間ほどペンにはこだわれとも書いている。
 結論からいうと、水性ゲルインクのボールペンが一番きれいな字が書けるという。
 ゼブラのサラサクリップや三菱鉛筆のユニボールシグマGPなどがそれに当たる。
 このへんは個人の好みもあるので一概には言えないのだけど、個人的にはぺんてるのトラディオ・プラマンをちょっとオススメしたい。
 300円台だから100円程度のボールペンに比べると少し割高なのだけど、交換用のカートリッジが150円ほどなので、気に入れば長く使うことができる。
 プラマンはプラスチック万年筆を略した造語で、プラスチックの軸先で万年筆のような書き味を再現しようという試みの商品だ。書き味は万年筆とはまったく違うのだけど、線の強弱をつけられるのでうまい風の字が書ける。ペン先が滑りすぎるボールペンと比べて適度な引っかかりがあるので、ひらがなの曲線をうまく書けるのも気に入っている理由のひとつだ。

 ちなみに、こういった小物を単品で買う場合は、全品送料無料のヨドバシカメラがオススメだ。
 https://www.yodobashi.com/
 ポイントを割り引きと考えるとAmazonなどよりも安い。


「練習しないで、字がうまくなる!」というタイトルは嘘ではなかった。
 本の内容が薄いという指摘もあるのだけど、どうして字が下手なのかということを説明してくれるペン字本は他にはないことを思うと、一読に値するといっていい。
 お手本をいくらまねてもうまくならないというのは、私も実体験から感じていた。練習している間は多少ましになっても、練習をやめてしばらくするとまた元の自分の字に戻ってしまう。
 きれいな字を書きたいと思っている人も、書家のような達筆になりたいと願っているわけではないだろう。字がキレイだねと言われる程度の字が書けるようになりたいと思っている人がほとんどじゃないだろうか。
 実際のところ、完璧に整った字を書く必要はなくて、きれいに見えさえすればそれでいいのだ。子供っぽい字じゃなければそれで充分とも言える。
 気をつけるべき点さえ意識しすれば、きれいに見える字は書ける。これは断言してもいい。
 この本を読む前と読んだ後とでは字を書くときの意識がまったく違うものとなるから、それだけで字がかなり変わるのは間違いない。
 私たちはもう何十年も生きて、すでにたくさんの字を書いてきた。書家を目指すのでもなければもうこれ以上の練習はいらない。
 あとは、うまく見える字を書くにはどこに注意すればいいのかを知るだけでよかったのだ。それを教えてくれる人がいなかったからうまく書けなかっただけだ。
 この本の発行は2011年だから、私もずいぶん気づくのが遅れてしまったようだ。
 きれいな字を書けるようになれば人前で書くことも恥ずかしくないし、むしろ人前で書きたいとさえ思うかもしれない。
 その上で、もっとうまくなりたいと思って練習するのであれば、その練習は無駄ではない。
 
 






普通の人間

本(Books)
騎士団長殺し


「おれは自分のことをずっと、かなり普通の人間だと思って生きてきたんだがな」
「それはあるいは危険思想かもしれない」
「自分は普通の人間だと考えることが?」
「私は普通の人間ですと自己申告するような人間を信用してはいけないと、スコット・フィッツジェラルドがどこかの小説に書いていた」

 村上春樹『騎士団長殺し』

 このやりとりに大笑いした私の感覚は普通なのだろうか。
 私は普通の人間であることを目指していないから、普通であろうとなかろうとどちらでもかまわないのだが。