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祇園から平安神宮までまだまだ歩く <京都歩き第6回>
PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 祇園へ行って、祇園を見たい、と思っていた。けど、具体的にどこへ行けば祇園らしい光景が見られるのかは、よく分からなかった。八坂神社の西前に、祇園交差点があって、西の鴨川沿いに祇園四条駅がある。そのあたりだろうということだけは見当をつけて、あとは現地に行って歩いて探すしかないと考えていた。 実際に歩いてみて、四条通を挟んで南側は花見小路沿い、北側は白川沿いが祇園らしさ...
2010/02/04
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京都の観光地は期待を裏切らない <京都歩き 第5回>
PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 今日は昨日の続きで、清水寺をあとにしてからの話だ。 昨日も書いたように、しばらく自分の位置を見失ってさまようことになる。清水寺周辺は、碁盤の目状になっていないから、少し道が分かりづらい。ここまで来たからには産寧坂と二寧坂も見ておきたくて、少し探すことになった。 ウロウロしている間に、八坂まで出てしまった。上の写真は法観寺の五重塔で、もっぱら八坂の塔と呼ばれている。...
2010/02/02
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清水寺あたりを歩き回っていたとき <京都歩き 第4回>
PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 いきなり雪の写真だけど、これも京都行きのときに撮ったものだ。ご存じの方も多いと思うけど、とにかく関ヶ原というのはやたら雪が降るところなのだ。名古屋も京都もよく晴れていたのに、関ヶ原が近づくとにわかに雪国になっていき、米原を過ぎるとまた雪など影も形もなくなってしまった。地形の関係なのだろうけど、冬場にあのあたりを通ると不思議な感覚になる。 高山で雪を見てなければ感動...
2010/02/02
記事一覧

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8
祇園へ行って、祇園を見たい、と思っていた。けど、具体的にどこへ行けば祇園らしい光景が見られるのかは、よく分からなかった。八坂神社の西前に、祇園交差点があって、西の鴨川沿いに祇園四条駅がある。そのあたりだろうということだけは見当をつけて、あとは現地に行って歩いて探すしかないと考えていた。
実際に歩いてみて、四条通を挟んで南側は花見小路沿い、北側は白川沿いが祇園らしさが感じられる場所だということを知った。他にもあるのかもしれないけど、たぶんこのあたりが祇園を代表する光景なのだと思う。上の写真は白川沿いの風景だ。テレビなどで見覚えがあるという人も多いんじゃないだろうか。
おあつらえ向きに登場すべき人物が登場している。映画かドラマの撮影でもしてるのかと思ったほど出来すぎの光景だ。
帰ってきて調べたところ、祇園は八坂神社の門前町として発展した街なんだそうだ。西の四条通沿いに飲食店などが集まったのが始まりで、そこからだんだん花街と呼ばれるような歓楽街へと変貌していったという流れのようだ。
舞妓さんと芸子さんの違いなどもよく分からなかったので少し勉強してみた。
簡単に言うと、若い見習が舞妓で、一人前になると芸子になる。ただ、ちょっとややこしいのは、舞妓、芸子というのは関西風の呼び名で、関東では芸者になるということだ。関東での見習いは半玉と呼ぶそうだ。芸子も、関西では芸妓(げいこ)という字が使われることが多いらしい。
一般的にそれらの人々の総称として、芸妓(げいぎ)という呼び名が使われている。
地方によってもいろいろ違いがあって、京都では中学を卒業するくらいから踊りや楽器の稽古を初めて、20歳くらいになるとお披露目をして芸子になるとのことだ。たまたまこの前テレビでやっていたのだけど、名古屋にも舞妓、芸子はいて、名古屋の場合は18歳から始めても舞妓になれるんだとか。
舞妓と芸子の見た目の違いとしては、単純に派手な衣装を着ていたら舞妓さんで、おとなしい着物なら芸子さんと思っておけば大きく間違わないと思う。舞妓は自前の髪の毛で、芸子はカツラという違いもあるらしい。
ということで、上の写真は芸子さんだと思う。

白川の流れとお茶屋さんが並ぶ風景。
ここはなんといっても桜の季節だ。特に夜桜がいい。シーズンになるとテレビで紹介されることも多い。
すごい人混みだとは思うけど、一度見てみたい。

別の芸妓さん登場。
舞妓さんか、芸子さんか、どちらだろう。派手か地味かといえば、どちらとも言えるけど、たぶん芸子さんだ。
この左手に有名な辰巳神社がある。

白川南通から一本北に入った新橋通。
ここもなかなか雰囲気があっていい通りだ。白川通とともに町並景観保存地区に指定されている。
お宅の方が雑巾で拭き掃除をしていた。ご苦労様ですと声をかけたくなる光景だった。

和を感じさせる屏と影の風景。最近、よくこういうのを撮っている。

お寺のような民家なのか、やっぱりお寺なのか。
20年くらい前なら、こういう家屋ももっとたくさん残っていただろうに。

間口が狭く、奥行きがあるところから、うなぎの寝床と呼ばれる京都の町屋。
間口の広さで税金が決められたから、わざと間口を狭くした造りにした、とよく言われる。けど、これは俗説で、本当はそんなことはないらしい。密集地にたくさん家を建てるために必然的にこうなっただけのようだ。
京都の町屋も、年に1,000軒くらいずつ減っていっているそうだ。京都もだんだん京都らしさを失いつつある。

祇園から北東に向かって歩き、京都市動物園の前を通りつつ、平安神宮の大鳥居の前へとやって来た。南禅寺も見たかったのだけど、今回はパスした。

100年やそこらでは神社仏閣としてはまだまだ若い。塗り直しもしているのだろうけど、まだ新しささえ感じさせる。
応天門を模した神門は、かなり立派なものだ。あと200年もしたら、もっと風格が出ていい感じになるだろう。

敷地はかなり広い。門をくぐって遠くに拝殿が見える。
この拝殿は平安京大極殿を8分の5の大きさで再現したものだ。原寸大の本家は大迫力だっただろう。
「雲太、和二、京三」という言葉がある。当時日本でベストスリーの建物のことで、雲太は出雲大社、和二は東大寺大仏殿、京三が京都平安京の大極殿だった。
大極殿は何度も焼けたり再建したりを繰り返して、最後は1177年の火事で焼けてそのままになった。

平安神宮は、平安遷都1100年記念として、明治28年(1895年)に創建された。京都の中でも新参の神社だ。
祭神は、平安京に遷都した桓武天皇。
昭和15年に、孝明天皇も合祀された。なんで孝明天皇なんだろうと思ったら、幕末の天皇で、明治からは皇居が東京に移ったから、京都最後の天皇ということで平安神宮に祀られることになったのだった。

山肌がはげていて、大の字が見える。大文字焼きの大だ。

鴟尾といってすぐに思い浮かぶのは、東大寺大仏殿だ。
平安神宮にもいた。他にはどこで見ただろうか。
中国から渡ってきたものが変化したもので、飛鳥時代にはすでに造られていたという。ここから更に変化して鯱になっていった。
私の京都歩きは、ここらで半分を過ぎたあたりになる。あとは哲学の道から下鴨神社へ行って、御所から二条城というコースだった。
まだもう少し京都シリーズは続く。

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8
今日は昨日の続きで、清水寺をあとにしてからの話だ。
昨日も書いたように、しばらく自分の位置を見失ってさまようことになる。清水寺周辺は、碁盤の目状になっていないから、少し道が分かりづらい。ここまで来たからには産寧坂と二寧坂も見ておきたくて、少し探すことになった。
ウロウロしている間に、八坂まで出てしまった。上の写真は法観寺の五重塔で、もっぱら八坂の塔と呼ばれている。有名な場所だから、写真や映像で見たことがあるという人も多いと思う。私もこの場に立ってみて、なるほどここかと納得した。路地の雰囲気や家々の間から寺社の建物が見えている感じが、とても京都らしい風景だと思う。
八坂の塔は聖徳太子が建立したという話もあるけど、実際はそうじゃなく、でも平安遷都以前に建てられた古いお寺といわれている。渡来系の八坂氏の氏寺だったという説が一般的だ。
五重塔は何度か焼けて、そのたびに再建されてきた。鎌倉時代に頼朝も再建している。
現在のものは、室町時代に足利義教が再建したものだ。義教といえば、くじで将軍になったことから、くじ引き将軍と呼ばれた将軍だけど、こんなところでも足跡を残している。

私と同じように道に迷っていた彼女。看板を見たり、ガイドブックを見たり、進んだり戻ったりしていた。
どうやら同じく二寧坂が見つからなかったようだ。その後、別の場所で4回くらい見かけることになる。見つけては、あ、またいた、とか思って笑えそうだった。向こうも同じだったかもしれない。

これが産寧坂だと思うのだけど、あまり自信がない。北側にあるのが二寧坂で、その南の産寧坂を進むといつの間にか八坂になる。そのつながりがはっきり掴めずじまいだった。

これも産寧坂の続きか。
看板の前にいた彼女が前を歩いているのが写っている。

すだれも京都らしさを演出する小道具の一つだ。
粋な感じというか、無粋じゃない。町並保存地区でなくても、何が日本の美かということを京都の人たちはよく知っている。時代が移り変わっても、変わらないものもある。

二寧坂を抜けた先。右手は桜並木か。
清水寺への北入口のような場所だろうか。人力車も控えていて、観光地っぽい雰囲気だった。
左手に見えている塔のようなものは何か知らない。

人力車と外国人カップル。
思い描いていた京都らしさは、ここにあっただろうか。

舞妓さんとすれ違う外国人カップルは、舞妓さんを見て大喜びしていた。オー、ワンダフル、とか言ってた。こういうのを見たかったんだと思っていただろうか。

八坂神社の入口に突き当たった。南側のこちら側が正面の鳥居ということになるのだろうけど、西の四条通りに面した楼門の方が有名かもしれない。楼門は重文でもあり、あちらかの方が絵になる。
八坂神社も古い神社で、もともとは神仏混合の寺院色が強いところだった。明治の神仏分離令で八坂神社と改称される前は、祇園社や祇園感神院などと称していた。
祭神はスサノオだけど、それはあとからで、本来は牛頭天王を祀ったのが始まりだろう。
創建も古く、先ほど出てきた法観寺とも関係がありそうだ。

西楼門から四条通を見る。帰りはこちらから出た。

次に祇園へとやって来た。祇園は行ったことがなかったから、今回楽しみにしていた。
花見小路の入口だ。さすがに祇園は華やいだ雰囲気がある。観光客もそこそこ歩いていた。

花見小路の様子。
少し観光地化されすぎているようにも感じたけど、こういう場所も必要だ。観光地はあくまでも観光地らしくあるべしというのを体現している。

花見小路の突き当たりに建仁寺があった。せっかくなので、少しだけ寄っていくことにする。

本堂らしき伽藍を見て、境内の雰囲気を味わって、早々に後にする。
まだ先は長い。今日はここまでとしたい。

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8
いきなり雪の写真だけど、これも京都行きのときに撮ったものだ。ご存じの方も多いと思うけど、とにかく関ヶ原というのはやたら雪が降るところなのだ。名古屋も京都もよく晴れていたのに、関ヶ原が近づくとにわかに雪国になっていき、米原を過ぎるとまた雪など影も形もなくなってしまった。地形の関係なのだろうけど、冬場にあのあたりを通ると不思議な感覚になる。
高山で雪を見てなければ感動的な車窓風景だっただろう。それにしてもよく積もっていて驚いた。

雪景色をもう一枚。
地理的にはそれほど山奥でもないのに、冬は雪国めいてしまう関ヶ原。関ヶ原の合戦が雪の中で行われていたら、勝敗の行方は違ったものになっただろうか。
雪が降ると新幹線は関ヶ原あたりで止まったり遅れたりする。本当は関ヶ原は避けたかったようだけど、地図を見てもこのルート以外には考えられない。南には養老山脈、北には伊吹山がある。三重県ルートを取ると、岐阜が全部飛んでしまうし、北陸との連絡も悪くなる。
リニアは、今のところ三重県北部を横断して真っ直ぐ大阪へ向かうルートが計画されている。東京、大阪が1時間ちょっとの時代がもうすぐ本当に来るんだろうか。

京都駅ビルの中は初めて入った。
完成したのは1997年というから、もう13年になるのか。1994年の平安遷都1200年記念事業の一環だったというのは知らなかった。
外観も洒落てるけど、内部のデザインも斬新だ。贅沢な空間がデザインされている。

京都シリーズも今回が4回目となる。
ここからは歩いた順番に振り返りながら写真を並べていくことにしたい。もう使った写真もだいぶあるから、少し飛び飛びな感じになる。
橋は五条大橋だ。鴨川はもっと狭い川のように思っていたけど、実際川幅は広い。水量はあまり多くない。
見えている山はどこの山か分からない。方角的には大文字焼きの大文字山のような気もするけど、違うだろうか。
天智天皇陵はもう少し右手か。

鴨川は、特にこれといった特徴のない川に見えた。街中を流れる川の典型的な姿だ。
鴨川名物等間隔のカップルというのはどのあたりにいるのだろう。冬場はあまり出没しないのだろうか。

五条大橋を渡って、清水寺へ向かう道。少しずつ観光客の姿を見えてきて、ようやく観光気分になってくる。

こんなところに若宮八幡宮があった。時間がなくて中に入らなかったのだけど、あとから思うと入って挨拶くらいはしてくるべきだった。
1053年に後冷泉天皇勅願で、源頼義が創建している。源頼義は、鎌倉の鶴岡八幡宮を創建した、河内源氏初代の武将だ。
名古屋にも若宮八幡社があるけど、あれはこことは直接関係ない。名古屋城内に創建されたのが700年頃というから、もっと古い。

駐輪中の人力車。この日は観光客も少なく、客を乗せて走っているのを見ることはできなかった。乗っていたら恰好の被写体になってしまう。
向こうに見えている家の二階のオブジェもちょっと気になった。バンザイをしているマネキンや、大きなお面のようなものが飾られている。

清水寺さえ拝観するつもりはなかった。とりあえず仁王門をくぐって、西門、三重塔あたりまでは無料エリアなので、そのあたりまでは進入してみる。

清水寺は坂を登り詰めた先にあるから、高台から振り返ってみると京都の街並みを見下ろすことになる。
こうしてみると京都タワーも存在感がある。地上レベルにいるとあまり姿を見ない。
京都が山に囲まれた盆地だということがよく分かる。

清水寺の建物はほとんどが江戸時代に再建されたものだ。仁王門は、室町時代後期再建なので、主要な建物の中ではこれが一番古いということになるだろうか。有名な清水の舞台がある本堂も、国宝ではあるけど江戸時代再建のものだ。
三重塔も江戸時代初期で、高さは30メートルちょっと。もともとは847年に建てられているから、それが残っていればと思わずにはいられない。

茶碗坂だか、五条坂だか、そのあたり。ここは人気スポットで、大勢歩いていた。急にどこから湧いてきたんだろうというくらい、清水寺周辺は人が多かった。京都を代表する観光スポットだから当然か。オンシーズンは大渋滞になるのだろう。

最初、産寧坂と二寧坂の場所が分からなくて、少しさまよった。気づいたら八坂のあたりをウロウロしていた。
写真を見ても、これが産寧坂だったのか二寧坂だったのか、よく分からない。
このあともしばらく迷いながら歩き回ることになるのだけど、それはまた次回ということにする。
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