
愛知県西尾市の鳥羽神明社で行われた火祭りに行ってきたのは前回書いた通りで、今回はその続きで火祭り本番の様子を紹介します。
火祭りというと名古屋では八事山興正寺(公式サイト)の千燈供養会ががわりと知られていて、私も2010年以来、何度も足を運んでいる。
祈るということ
今年も千燈供養会へ
しかし、火祭りといっても鳥羽神明社のものはまったく様相が違っていて驚いたというかちょっと腰が引けた。
荒々しいというか乱暴な祭りだ。
それと何より驚いたのが見物人の多さだった。地方ローカルの祭りと侮っていた。

海岸での禊ぎが終わったのが16時頃で、火祭りが始まるのが19時半からなので、その間は周辺の神社や古墳などを巡って過ごし、神社に戻ったのが19時くらいだった(歩きすぎてその頃にはすでに体力が限界だった)。
見物人はせいぜい数百人規模だろうと想像していたら、さほど広くない境内を埋め尽くすほどの人が集まっていた。数千人はいただろうか。そりゃあ、場所取りが必要なわけだ。
私はといえば、人垣の一番後ろでなんとか隙間を見つけて開始時間まで待っているしかなかった。
小さな脚立を持っていこうかどうしようか迷って持っていなかったことを悔やんだ。散策のとき邪魔になるのは分かっていたので、まあいいかと。

火祭りの開始は19時半なのだけど、祓いなどがあって、実際に火が付くのは20時からだった。
火祭りの次第については公式サイトのページが詳しいのでそちらを読んでいただくのが早いのだけど簡単に説明すると、祭りの主役として二人の神男がいる。
神社の西を流れる宮西川を境に地区を東西に分け、西を福地(ふくじ)、東を乾地(かんじ)とし、25歳の厄男の神男(しんおとこ)をそれぞれの地区から選ぶ。
もうひとつの主役ともいうべき”すずみ”は、神木を茅(かや)で包んだものを中心に青竹60本で周りを囲んで藤で巻き、根元に十二縄を蒔いた高さ5メートル(16尺)の大松明だ。
そのすずみに火を付け、燃え方や神男の勝ち負けによって豊作や凶作を占うというもので、1200年の歴史があるというから、平安時代前期から行われてきたということだ。
福地が勝てば豊作で、乾地が勝つと凶作や悪いことが起きると言い伝えられているという。

火は瞬く間に燃え上がる。
大きな火を見ていると、火は自らの意思を持って生きているように思える。

神男と奉仕者たちは立てかけられたはしごに登り、盛んにすずみを揺らして火を燃え上がらせる。
その迫力に圧倒されるのだけど、荒ぶってむやみに火を勢いづかせているわけではなくて、中の神木を先に取ることが目的で、それが勝ち負けとなっている。
入れ替わり立ち替わりはしごに登って火が付いた茅をもぎり取っていく。

参加者たちはネコと呼ばれている。
頭巾をかぶって目だけ出していて耳がついているので猫のシルエットのように見えるところから来ている。

火祭りはだいたい30分くらいなのだけど、その間は短くもあり長くも感じる。
帰りの列車の時間が気になるところだ。

原始的な聖火みたいだなと思いながら火を見ていた。

火事現場の火消したちみたいにも見える。

結局、今年はどちらが勝ったのだろう。
21時35分の列車を逃すと帰宅が深夜を回るので(30分に1本)、少し名残惜しいながらも神社を後にした。
もう少し近所なら場所取りもしてじっくり撮ってみたい祭りだけど、これが一期一会になりそうだ。
この祭りの本質を撮るなら自分も火をかぶるくらいの至近距離で広角レンズで撮らないと駄目だと思う。
<追記>2023年2月21日
先ほどメーテレのニュース「アップ」で放送された特集を見て、西の福地が勝ったことを知った。
福地が勝つと豊作になるというのが決まり事(誓約)なので、まずはよかった。