
Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6
市電を見たあとは、豊橋ハリストス正教会へとやって来た。
豊橋というところは見所がはっきりしていて分かりやすい。市電の次はハリストス教会と公会堂を見て、余裕があれば吉田城や二川宿まで回って、一日たっぷり過ごすなら動植物園の「のんほいパーク」や貴重な湿地植物が咲く葦毛湿原がある。そこまでフルメニューでこなせば、豊橋を見知ったと言っていいだろう。
というわけで、ハリストス教会だ。ここは前々からずっと見てみたいと思っていて、ようやく念願が叶った。なるほどこれがそうか。ゆっくり近づきながらしげしげと眺めてみる。
国道一号線から少し入ったところにさりげなく建っていて周りとの違和感がない。荘厳な雰囲気というのとは違って、洒落た洋館のようなたたずまいだ。去年(2006年)外観補修で塗り直しているから余計にそう見えたのだろう。歴史のある趣というには外見が真新しすぎた。良くも悪くも威圧感のようなものがなく、厳粛という感じでもない。思い描いていたのとは少し違った。

門や塀があるわけではなく、周りは普通の民家が建ち並んでいて、どこからどこまでが教会の敷地なのかよく分からない。裏にある駐車場は教会のものかと思ったら、どうやら月極駐車場のようだった。どこまで踏み込んでいいものか、やや戸惑う。
日曜日の午後だけはミサのあとに内部見学ができるそうなのだけど、この日は祝日の月曜日ということで扉は閉ざされていた。残念。正教会はカトリックの教会と比べるとやや閉ざされ
れ感がある。
とりあえず教会の周りをぐるぐる周りながら写真を撮る我々。あたりにひとけはない。不審者に思われないかちょっと心配だったけど、たまにこういう観光客も訪れるだろうから、私たちが特別怪しげに見えたということはなかっただろうと思う。

建物は大きいは大きいけど、大聖堂というほどの規模ではない。見慣れないビザンチン様式の割には違和感がないのがちょっと不思議だ。それが個人的な印象なのか誰もがそうなのかはよく分からない。
屋根の鐘塔やドームがなければ、個人宅の洋館か学校かそんなふうに見える。複雑な構造にわりにバランスが取れている。
設計したのは建築家ではなく、半田市出身で東京の副輔祭をしていた河村伊蔵という人物だった。どういう経緯でそういうことになったのかはよく知らない。東京神田のニコライ堂完成に立ち会い、1915年(大正4年)に豊橋のハリストス教会の設計を担当することになった(その前に松山のロシア人捕虜収容所の聖堂や大阪修善寺の聖堂も設計している)。その頃までは日本におけるロシア正教会の聖堂建築は完成の域にあって、河村伊蔵も京都と大阪の聖堂を参考にしたと言われている。
その後続けざまに福島の白川聖堂と函館の聖堂を完成させている。函館は正教会発祥の地ということで力が入ったのだろう。立派なレンガ造りの聖堂で、あちらは国の重要文化財にも指定されている。豊橋は木製で、県の文化財指定にとどまる。この違いは何なんだとちょっと思う。古い木造だし、これはこれで価値が高そうなのに。
聖堂は、八角形の鐘塔を持つ木造3階建てで、屋根はパステルグリーンの銅板葺きになっている。ドーム状の塔も正教会のシンボルだ。
白ペンキ塗りは日本特有のものだそうだ。京都の聖堂はグリーンに塗られているし、ニコライ堂の屋根も緑だったから、イメージカラーはグリーンなのだろう。本場ロシアの聖堂はもっときらびやかな感じのものが多い。
ロシア正教会については、以前ニコライ堂を紹介したときに書いたから、繰り返すのはやめておく。
日本における正教会の歴史は、江戸の末期1861年にニコライが函館に降り立ったときから始まった。やがて布教活動は全国に広がり、豊橋へは明治8年(1875年)にやって来た。それから信者は少しずつ増え、苦労の末に聖堂を完成させたのは38年後の大正2年(1913年)のことだった。
本国ロシアでは、日露戦争、第一次世界大戦、ロシア革命と混乱が続き、その影響は日本の正教会にも及んだ。それでこちらまで資金が回ってこなくて教会も苦労したようだ。1922年にはロシアは社会主義国のソビエト連邦となり、宗教は否定されてしまう。日本のロシア正教の人たちはさぞや困ったことだろう。
豊橋のハリストス教会は、幸いにも第二次大戦では焼けずに残り、昭和20年(1945年)の三河地震でも倒れなかった。戦時中、鐘は軍に持っていかれたものの、昭和31年(1956年)には新しいものをつけることができ、屋根もブリキ板から銅板になり、昭和35年(1960年)に現在の姿となった。
教会には古い文献や美術品なども残っていて、山下りんの「主の昇天」や「ハリストスの降誕」などもあるという。

十字架の上にカラスがとまっていた。それを喜んで撮る私たち。教会の十字架にカラスって、シュールな絵で少し笑えた。
正教会の十字架はカトリックなどでお馴染みのものとは違う形をしている。ロシア正教会特有のもので、八端の十字架と呼ばれている。上の短い横棒はキリストがはりつけにされたとき頭に打ち付けられた罪状の板を表していて、右下がりになった下の横棒は足台を意味しているらしい。
ロシア正教では十字の切り方もカトリックとは違っている。カトリックの場合は上下左右という順番なのに対して、ロシア正教は左右が逆になり、上下右左となる。指も三本指で切る。三本というのは父と子と聖霊の三位一体と表しているという。右から始めるのは右を神聖視しているからで、信者は結婚指輪も右手の薬指にはめるそうだ。

道を隔てた向かい側にある豊橋公園をうろついて戻ってきたら、空が急に晴れて青空が戻った。やっぱり教会は青空がよく似合う。白い色もよく映える。今にも鐘の音が響いてきそうだった。
内部は見られなかったけど、この姿を見られたから満足した。

光があふれる教会の様子をもう一枚。灰色の曇り空を背景にしたときとはずいぶん感じが違う。教会というとなんとなく薄暗いようなイメージがあるかもしれないけど、本来は光を求めるものだから明るい日差しが当たっている方が似合うのだ。必ずしも重々しく荘厳である必要はない。
正教会は全国に有名、無名なものがたくさんある。機会があれば他のところも行ってみよう。特に京都と函館のものは一度見てみたい。
名古屋ハリストス教会というのもあるらしいけど、ここはかなり身内な感じが強そうで観光気分で行くところではないのかもしれない。
教会自体も、神社仏閣同様、折に触れて巡っていきたい。名古屋最古の教会堂、主税町カトリック教会も行こうと思ってまだ行けずにいる。