カテゴリ:丹生(Nyu)

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  • 変わりゆく故郷の風景と変わらない故郷の思い出

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 この停留所から乗り降りしたことはほとんどない。大昔に何度かあったのだろうか。よく覚えていない。いつも大師前で降りていた。 かつては村にも三重交通の路線バスが走っていた。赤字続きで廃線になったのはいつだったか。もうずいぶんになる。10年か、もっとか。今は村営のバスが走っている。いや、丹生も村ではなく町に組み込まれたから町営か。 前に時刻表を見たときよりも本数が増えているよう...

    2009/01/15

    丹生(Nyu)

  • 完璧には記憶を再現できないから見慣れた光景を撮っておく

    PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 記憶というのは不確かなもので、頭の中にある思い出を取りだして見てみようとしても上手く再現できない。だから写真を撮るのかもしれない。写真に撮らなかった失われた風景は、もう二度と完璧には再構築できない。 写真は未来の自分に対する贈りものだと気づいたとき、私は見慣れた風景をもっと撮ろうと決めた。ずっと未来で懐かしい光景というのは、旅先で見た感動的な場面ではなく、普段無感動に幾...

    2009/01/14

    丹生(Nyu)

  • 見たこともないほど大盛況の丹生アジサイ祭り前日の様子に驚く

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 今日は7日の土曜日に帰郷したときの続きで、アジサイ編をお届けします。 丹生大師前の「ふれあいの館」の駐車場が満車になっていてまず驚く。未だかつてこんなに混んでいるのは見たことがない。何事かと思った。 ちょっと信じられないのだけど、主にアジサイを見に来た人たちの車らしい。勢和村のアジサイってそんなに有名だったのか。普段は駐車場になっているところが、「彦左衛門のあ...

    2008/06/10

    丹生(Nyu)

  • 用事があって帰郷したついでにちょっとだけ6月の田舎風景を撮ってきた

    PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 ちょっと用事があって、祖母のいる田舎に帰郷してきた。遊びではなかったのだけど、せっかく行ったのだから、少しでも写真を撮ろうと、短い時間の中でちょっとだけ撮ってきた。くたびれたのと寝不足なので、今日は写真を並べるだけにしておく。ここのところ長くなっていたから、ちょうどいい。 三重県のこのあたりは田植えが遅い地区とはいえ、6月の7日ともなればさすがに田植えは終わっ...

    2008/06/08

    丹生(Nyu)

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変わりゆく故郷の風景と変わらない故郷の思い出

丹生(Nyu)
田舎風景2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 この停留所から乗り降りしたことはほとんどない。大昔に何度かあったのだろうか。よく覚えていない。いつも大師前で降りていた。
 かつては村にも三重交通の路線バスが走っていた。赤字続きで廃線になったのはいつだったか。もうずいぶんになる。10年か、もっとか。今は村営のバスが走っている。いや、丹生も村ではなく町に組み込まれたから町営か。
 前に時刻表を見たときよりも本数が増えているような気がしたのは気のせいだろうか。しかし、一本逃すと致命的なのは変わりない。
 子供の頃はこのあたりまで来れば水路の近くを蛍が飛んでいた。溝には魚だけでなく、ドジョウも泳いでいた。今はもうそんな時代ではない。夏休みには家の明かりに向かってカブトムシやクワガタが飛んできたものだけど、それももう大昔の思い出話だ。変わらないのは、蝉の鳴き声くらいのものだろう。

田舎風景2-2

 通い慣れた細い道も、気がつかないうちに左右の風景は移り変わっていった。昔の家並みがどうだったか、今となっては思い出すことができない。昔のアルバムを見ても、このあたりは写真を撮ってないはずだ。
 なんでもない風景の写真を残しておくことの大切さを知るのが遅かった。

田舎風景2-3

 途中、左に折れて登っていく坂道がある。この道はほとんど歩いた記憶がない。もしかしたら一度も歩いていないかもしれない。
 狭い村の中でも行ったことがないところはたくさんある。昔は詳しい地図を持って隅から隅まで歩いてみようなどという発想はなかった。風景をきちんと観察するようになったのも、写真を撮り始めたここ数年のことだ。
 この村で暮らしていたわけではないから知らないところがたくさんあるのも当然なのだけど、今思えば好奇心が足りなかった。どこからどこまでが村の中なのかもよく分かっていない。

田舎風景2-4

 そろそろ遠くにうちが見えてくる。この直線の感じは昔から変わっていない。右手に田んぼが広がり、左には家屋が並ぶ。
 ただし、これらの家の人たちとはまったく交流がなかった。田舎というと世間が狭くて村人全員が知り合いのようなイメージを持っている人が多いと思うけど、実際はそうとも言えない。狭いから動向はすべて筒抜けになるものの、直接的なつき合いは案外限定的なものだ。街中とそんなに違わない。
 子供の頃から毎年、夏休みと冬休みに長期滞在していた私だけど、村の子供と遊んだのは1、2回しかない。大人同士のつき合いも、ごく限られているように見えた。

田舎風景2-5

 家の前の通りまでやって来た。うちの様子はほとんど変わっていない。左の蔵は、外装が変わった。昔は白壁の土蔵だった記憶がある。そこにボール当てをしてよく遊んでいて、たまに叱られた。歴史的建造物に軟式ボールをぶつけてはいけないと、今なら分かる。
 前の家とは交流があって、よく行き来もした。その人たちも亡くなった。

田舎風景2-6

 斜め前の家の人については、何も知らない。子供の頃でさえ住んでいるのかどうか分からないような感じだった。
 家自体は昔の姿そのままに残っている。これだけきれいに保っているということは、今でも誰か住んでいるのだろうか。家は人が住まなくなると、すぐに荒れていくものだ。
 この右手の道は、よく歩いた道だ。上っていくと水路があって、田んぼがあって、雑木林となり、その向こうに池がある。そこは釣り場で、よく連れていってもらった。大人になってから一人で池を見に行こうとしたら、歩けるような道がなくなっていて、途中で断念することとなった。誰も好きこのんであんなところの池まで行こうとしないのかもしれない。

田舎風景2-7

 ここは父の生家で、長らく祖父母が住んでいた。物心ついてから何度となく来た家で、心の故郷でもある。
 祖父が亡くなり、祖母も亡くなって、とうとう住む人がいなくなった。残ったのは思い出だけとなった。
 もうここで年を越すこともなく、お盆を過ごすこともない。今はまだその実感が湧かない。寂しく感じるのは、もっと何年も経ったあとかもしれない。

田舎風景2-8

 主のいなくなった家は、魂が抜けたようなしらけた空気に満たされている。温もりが消えてしまった。
 この家そのものも、いつかなくなってしまう日が来る。
 人が死ぬことで失われるのは命だけじゃないことを、あらためて思い知る。

田舎風景2-9

 そこにあるのが当たり前だったものが消え、記憶にはないものが増えていく。そうやって風景も変わっていく。その場所に関わった私たちもまた。
 悲しいといえばとても悲しく、一方であきらめて受け入れるしかないことも分かっている。

 季節(とき)が流れる 城塞(おしろ)が見える
 無疵(むきず)な魂(もの)なぞ何處(どこ)にあらう?


 中原中也が翻訳したアルチュール・ランボーの詩を久しぶりに思い出した。
 この先も風景は移り変わり、私たちもまた変わり続けていく。前に進むということはそういうことだ。
 ただ、これからも私の心は、幾度となくこの場所に舞い戻ることになるのは間違いない。故郷を完全に失ったわけじゃない。記憶の中には、いつまでも残っていく。そのことの幸福を今こそ思う。

完璧には記憶を再現できないから見慣れた光景を撮っておく

丹生(Nyu)
田舎風景1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 記憶というのは不確かなもので、頭の中にある思い出を取りだして見てみようとしても上手く再現できない。だから写真を撮るのかもしれない。写真に撮らなかった失われた風景は、もう二度と完璧には再構築できない。
 写真は未来の自分に対する贈りものだと気づいたとき、私は見慣れた風景をもっと撮ろうと決めた。ずっと未来で懐かしい光景というのは、旅先で見た感動的な場面ではなく、普段無感動に幾度となく目にしている光景に違いない。
 松阪に行った日に、田舎の丹生にも寄ってきた。あまり時間はなかったのだけど、ざっと一巡りして、写真を撮った。次はいつ行けるか分からないという思いで見る風景は、懐かしくて切ないものだった。

田舎風景1-2

 丹生大師についてはこれまで何度も紹介してきたから、今日は付け足すことはない。
 右手にある丹生神社についても、ある程度書いた。
 普段ならここで初詣をすることが多いけど、今年は地元の八剱神社でしてきてしまったから、大師さんには入らなかった。

田舎風景1-3

 昔はよくこの池に氷が張った。最近はどうなんだろう。
 池には鯉やら亀やらがたくさんいる。子供の頃は、そいつらにかっぱえびせんをあげるのが定番だった。

田舎風景1-4

 大師の門前には駄菓子屋風のお店があった。私がまだ子供の頃だ。
 あまり寄りつかなくなって以来、お店の状況がよく分からない。気づいたらもう店をたたんでいた。
 一番思い出深いのは、店先にあったガチャガチャだ。ミニカーのガチャガチャをさんざんやった。

田舎風景1-5

 子供の頃にはなかった、ふれあいの館。地元の野菜やおみやげ物などを売っている店だ。安いものは安い。高いものは高い。
 今回も弘喜堂のうづらの郷は売ってなかった。もう一般販売は終わってしまったようだ。
 お店の人も歳を取って、後継者がいなければ続いていかない。
 いつ行っても当たり前に買えたうづらの郷がやがて買いたくても買えなくなってしまうなんて、あの頃は想像すらしてなかった。

田舎風景1-6

 実質的な田舎の入り口。ここからの風景を見ると、ああ、田舎に帰ってきたと実感する。
 思い出の原風景の一つだ。ここは昔とほとんど変わってないように思うけどどうだろう。

 この続きは、また明日か、あさってに。
 つづく。

見たこともないほど大盛況の丹生アジサイ祭り前日の様子に驚く

丹生(Nyu)
丹生アジサイ小径-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 今日は7日の土曜日に帰郷したときの続きで、アジサイ編をお届けします。
 丹生大師前の「ふれあいの館」の駐車場が満車になっていてまず驚く。未だかつてこんなに混んでいるのは見たことがない。何事かと思った。
 ちょっと信じられないのだけど、主にアジサイを見に来た人たちの車らしい。勢和村のアジサイってそんなに有名だったのか。普段は駐車場になっているところが、「彦左衛門のあじさいまつり」の準備で関係者以外立ち入り禁止になっていたというのもあったのだろうけど、それにしてもこんな状況は思いもよらなかった。これはどのあたりから来た人たちだったんだろう。まさか県外ということはないだろうけど。
 なんとか一台スペースが空いていたので、そこにとめて、アジサイの小径まで歩いていくことにした。

丹生アジサイ小径-2

 普段は静かな丹生大師前も、なんだか騒々しいことになっている。工事でもしてるのかと思ったら、これも祭りの準備のようだ。ここに食べ物の出店が並ぶのだろう。
 たぶん、「彦左衛門のあじさいまつり」というのは6月8日の日曜日に行われて、その一日だけだったんじゃないかと思う。一日ずれていたらその様子も見ることができたのに、残念だった。あらかじめ知ってたら、行くのを土曜ではなく日曜にしていた。
 バンド演奏やウナギつかみ、もち投げ、アジサイコンテスト、用水路の浮き舟流し、お茶会、マス釣り、どろんこ綱引きなど、イベントが盛りだくさんだったようだ。綱引きで優勝すると、西村彦左衛門のお米が賞品でもらえたとか。
 雨天決行という意気込みもすごい。昨日はあのあたりも晴れていたと思うから、無事にできただろう。
 一般から選ばれたあじさい姫はどんな子たちだったんだろう。丹生っ子だったのか。

丹生アジサイ小径-3

 大師さんから向かって右方向に進むと、ぼちぼちアジサイが見えてくる。村一帯がアジサイを増やそう運動をしていて、あちこちでアジサイを見ることができる。
 平成6年に村おこしの一環として(今は多気町になったから町おこしか)、アジサイを1万本植えようという運動が始まり、年々本数が増えて、今では3万本を超えるまでになったそうだ。
 しかし、アジサイ祭りをするにはまだ時期が早い。ようやく色づき始めたところで、見頃までにはあと10日か2週間はかかるんじゃないか。6月の第二日曜というのは、やや焦りすぎだろう。せめてもう一週先でもいい。もしかすると、実行委員の人たちの多くが農家さんで、農作業とかの都合などもあるのかもしれない。
 ところで、このあたりはいつから麦畑になったんだろう。これは麦だと思うんだけど、違うのか。昔はここも普通に稲を植えていたはずだ。米の減反とか、価格の問題とか、いろいろ都合もあって麦栽培に切り替えたんだろうか。二毛作をするにしては、今頃まで収穫してないようでは田植えには間に合わない気がする。
 時間があれば、昔の写真を引っ張り出してきて、このあたりが写っていないか探してみよう。風景を見比べてみて、どんなふうに変わったのか、確認しておきたい。

丹生アジサイ小径-4

 アジサイは主に、立梅用水(たちばいようすい)脇の散策路沿いに植えられている。花はまだまだこれからだったけど、ボリュームもかなりあって、見頃になればなかなかのものだろうと思わせた。花の状態もよさそうだ。
 江戸時代(1808年)、貧窮する農民を救おうと、丹生村の地士・西村彦左衛門がのべ24万7,000人の人力を使って全長30キロの農業用水を完成させた。それによって新田開発は成功し、村人は大いに救われたことから、西村彦左衛門さんは村の大恩人として今でも大変慕われている。住んでいた家には銅像まで建っている。
 まつりでは立梅用水のボート下りというのもけっこう人気なんだとか。流れは速いから、けっこうスリルがありそうだ。まつりのとき以外に、勝手に自前の舟を浮かべて用水路下りをしていいのかどうかは分からない。たぶん、駄目だと思う。もちろん、泳いでもいけない。

丹生アジサイ小径-5

 村ではササユリも大事にされていて、保護しながら少しずつ増やしているような話を聞いた。だから、このあたりにたくさん咲いているのだろうと探してみたのだけど、ポツリ、ポツリと咲いているだけだ。ササユリの里みたいなものもあるようなことがネットの情報には出ていたのだけど。
 地元の人に訊ねてみるも、誰も知りやしない。みんなササユリなんかに興味はないのか、それとも本当にこのあたりにはないのか。
 帰ってきてからもう一度よく調べてみると、どうやらアジサイの小径周辺ではなく、勢和村役場のあたりのようだ。そういえばそんなようなことを言っていた人もいた。勢和中学や小学校がある方の役場近くの山にたくさん咲いているらしい。あっちはほとんど行ったことがないから土地勘もない。こんな時期に行くことはめったにないから、見られるものなら見ておきたかった。
 大石の不動院にはムカデランという国の天然記念物に指定されている絶滅危惧種の花が群生しているようだ。3ミリくらいのごく小さなピンクの花で8月に咲く。私もまだ見たことがないから、お盆のとき見に行けたら行きたい。
 アジサイの小径の先へ行ったところにはメダカ池があって、夏にはそこにホテイアオイがたくさん咲く。その様子は去年のブログで紹介した。

丹生アジサイ小径-6

 ササユリはピンク色の濃淡に個体差がある。ここのは薄めで、白に近い。もっと濃いピンクをしているものもある。土壌の関係なのか、その他の理由なのか、よく分からない。近くに咲いているやつでも色の違いがあるから、単純に土がどうこうということもでもなさそうだ。
 今年もなんとかササユリを見られてよかった。これでまた季節の花を一つクリアだ。アジサイが終われば一段落で、少し寂しくなる。花に関してだけ言えば、5月でピークを迎え、あとは冬に向かって少なくなる一方だ。

丹生アジサイ小径-7

 ガクアジサイは少し早めに咲いていた。アジサイは去年たくさん見て、いろんな種類があることを知った。面白い形や変わった色をしたものもある。品種についても追求していけば奥が深い世界だろう。
 もともとはガクアジサイが本来のアジサイの形で、今では一般的になったセイヨウアジサイは品種改良であの形に変化させたものだ。だから、昔の人にとってのアジサイは、ガクアジサイだった。
 アジサイは日本が原産ということも、案外意識されてないことなんじゃないだろうか。

丹生アジサイ小径-8

 土壌のpHが酸性なら青、アルカリ性なら赤系になるというのは有名だけど、それほど単純でもないようだ。アルミニウムイオンの量などによっても花色は変化するという。そうじゃなければ、日本の土壌は基本的に酸性だから、青色のアジサイばかりということになってしまう。そんなことはない。
 丹生のアジサイは青系が多いようだ。赤系やその他の色も少しある。
 アジサイは終わりに近づくにつれて成熟して色が濃くなっていく。名所に単発で見に行くよりも、家で育てて毎日変化を楽しむ方がアジサイ本来の楽しみ方なのかもしれない。

 わずか15分ほどの滞在だったので、ささっと撮っただけで終わってしまったのはもったいなかったけど、それでも一通り見ることができてよかった。ササユリも見られたし、収穫はあった。
 アジサイまつりは終わっても、花の見頃はまだこれからなので、近くの人は一度行ってみてください。丹生の近くの人がこれを読んでいる確率はものすごく小さいと思うのだけど。
 私はお盆に訪れたい。そのときはまた、遠くからカナカナの声が聞こえることだろう。

用事があって帰郷したついでにちょっとだけ6月の田舎風景を撮ってきた

丹生(Nyu)
6月の田舎風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 ちょっと用事があって、祖母のいる田舎に帰郷してきた。遊びではなかったのだけど、せっかく行ったのだから、少しでも写真を撮ろうと、短い時間の中でちょっとだけ撮ってきた。くたびれたのと寝不足なので、今日は写真を並べるだけにしておく。ここのところ長くなっていたから、ちょうどいい。

 三重県のこのあたりは田植えが遅い地区とはいえ、6月の7日ともなればさすがに田植えは終わっていた。苗の伸び具合からして、ここ数日という感じではない。5月の終わりくらいだったんだろうか。
 いつもは盆暮れしか帰ってないから、この時期の田んぼ風景はけっこう新鮮に映った。もう少し時間があれば、あぜ道をのんびり歩いて野草や生き物を探したかった。カエルやザリガニくらいはまだいるだろうし、もしかしたらドジョウもいるかもしれない。
 今年はホタルが多い年だったようで、このあたりの田んぼや川にたくさん舞っていたそうだ。昭和の後半は田んぼや川も農薬や下水で汚染されていろんな生き物が少なくなったけど、最近はまたきれいになってきて、生物が戻りつつある。嬉しいことだ。

6月の田舎風景-2

 田んぼを見守る一輪のバラ。こんなところに野生のバラが咲くはずもないから、ここの農家さんが植えたのだろう。農作業の行き帰りに眺めて和むためだろうか。
 田舎にバラというのはあまり似合わないけど、もし私が上下白のスーツで胸ポケットにバラを差して帰ったら、たちまち村で話題にのぼってしまう。田舎のネットワークはインターネットより早いと言われる。

6月の田舎風景-3

 こういうのも路地というのだろうか。田舎には細い道が多い。こんな狭いところでも軽トラなどはアグレッシブに突っ込んでいく。しかも、地元民の田舎道の飛ばし方は尋常じゃない。私は恐ろしくてノロノロ運転をするのに。横から子供が飛び出してくるかもしれないという前提がまったくないのが怖い。それでも案外事故はないらしい。

6月の田舎風景-4

 沢ガニのいる水路。今日もこの場所で見つけたのだけど、写真を撮ろうとしたら巣穴の中に入っていってしまって撮れなかった。残念。
 子供の頃はよく、煮干しとかスルメとかでカニ釣りをした。糸の先にイカなんかをくくって穴に垂らすと、沢ガニがハサミで掴んでくるからたくさん釣れるのだ。飼うわけではなく釣るのが楽しいだけだから、すぐに逃がした。
 沢ガニが今でも普通にいるというのも、なかなか貴重なことだ。もう少し深い流れのところには、イモリもよくいた。あれは腹が赤色をしていてグロテスクだった。

6月の田舎風景-5

 このあたりに咲いているユキノシタは、自生なのか民家の種が飛んだり流されたりして咲いたのか、どちらともはっきりしない。野生としても特に珍しいものではないから、もともと自生していたのかもしれない。
 ユキノシタも見るとちょっと嬉しいけど、私が見たいのはなんといってもダイモンジソウだ。山の渓流に咲くダイモンジソウを撮るというのも毎年秋の目標の一つとなっていて、いまだ果たせないでいる。かなり身の危険があるようなところに咲いているという。今年は頑張って、面ノ木あたりに撮りに行ってみようか。

6月の田舎風景-6

 かつて水銀の町、丹生大師の門前町として栄えた宿場町の名残が少し残っている。うちを含めたこの並びが一番残っている方だろうか。
 このあたりもだんだん住む人が少なくなってきた。あと何年、この風景が残るだろう。

6月の田舎風景-7

 まだ現役として使っている井戸。もう100年近くになるんじゃないだろうか。最近少し水に汚れが混じるようになってきたらしい。
 井戸水は夏冷たくて、冬暖かいから重宝する。スイカを冷やしたり、冬に顔を洗うときも冷たくない。今はもう、ちょっと飲む気はしないけど。

6月の田舎風景-8

 こんなところに花菖蒲が咲くなんて知らなかった。6月というのはほとんど訪れた記憶がない。
 これは昨日勉強した、伊勢系だろうか。
 いつも来ていた猫は見かけなかった。

6月の田舎風景-9

 うちはもう使ってないけど、今でも薪を使っている家もある。これは風呂用だろうか。さすがに暖房用ではないと思うけど。
 田舎はなんでも庭で燃やしてしまう習慣が昔からあった。今はダイオキシンがどうだこうだとうるさくなったけど、子供の頃はゴミを燃やすのが好きだった。なんだか知らないけど、あれはけっこう楽しいものなのだ。
 薪で風呂を沸かす作業も楽しくて、自分から率先して手伝った。

 この後、丹生大師近くにあるアジサイの里へ行った。まだアジサイには早かったのだけど、明日からアジサイ祭りが始まるとかで、テントを建てたりいろいろ準備が行われていた。
 そのあたりのことは、近いうちに紹介できると思う。とりあえず今日はここまで。また明日。
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