カテゴリ:フィルム写真(Film photography)

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  • 日常の風景を切り取って未来の自分に贈る <フィルム9回・最終回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / 50mm 他+FUJI 400 / Kodak 100 フィルム写真もたくさん撮ったと思っていたけど、気づけば今日が9回目で、最終回となった。最後はこれまで使えなかった写真を集めて並べて終わりとする。 去年まとめ買いしたフィルムも残り5本となって、夏の間に撮りきってしまおうと撮り始めたのが8月のはじめ頃だった。なかなか撮りきれないまま時が流れて、最終的に5本を撮り終わったの...

    2008/10/26

    フィルム写真(Film photography)

  • 駅周辺を歩いて、藤が丘の今を少し知る【後】 <フィルム8回>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400 藤が丘後編は、駅周辺と少し離れたところをぶらり歩いたところを紹介していこう。思い出話は昨日だいたいしてしまったから、今日は現在の藤が丘という視点で書いていくことにする。 上の写真は、今回とめた駐車場横から撮った写真だ。駐車場は右前の建物で、右後ろがマツザカヤストアになる。この建物の地下にリニモの駅があって、ちょうど立っている下あたりを線路が通ってい...

    2008/10/24

    フィルム写真(Film photography)

  • 中学生の私がいた街、藤が丘の今を写真に収める【前】 <フィルム7回>

    Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400 名古屋の東のはずれに藤が丘という街がある。地下鉄東山線の終点であり、愛・地球博のとき敷かれたリニモの始発駅でもある。 藤が丘と私との距離感は微妙なものがある。家の近くでは最も賑わっている駅で、車で10分ほどしかかからないにもかかわらず、藤か丘へ行くことは少ない。とにかくこの街は車で行くには不便すぎるというのがその理由だ。名古屋の郊外といえば、どこの店...

    2008/10/23

    フィルム写真(Film photography)

  • 17mmで撮る見慣れた尾張旭風景は広くて遠くて小さい <フィルム7回>

    PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100 尾張旭の城山公園周辺は私のお気に入りの場所で、これまで何度も行って、何度となく写真も撮ってきた。このブログでもたびたび登場している。空が広くて、車をとめてのんびりできる場所というのは、名古屋の郊外でも案外少ない。空の広さでいえば矢田川の河原などもあるけど、あちらは車の中で落ち着ける場所がない。家から15分というのも、ちょっとド...

    2008/10/19

    フィルム写真(Film photography)

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日常の風景を切り取って未来の自分に贈る <フィルム9回・最終回>

フィルム写真(Film photography)
フィルム最終回-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / 50mm 他+FUJI 400 / Kodak 100



 フィルム写真もたくさん撮ったと思っていたけど、気づけば今日が9回目で、最終回となった。最後はこれまで使えなかった写真を集めて並べて終わりとする。
 去年まとめ買いしたフィルムも残り5本となって、夏の間に撮りきってしまおうと撮り始めたのが8月のはじめ頃だった。なかなか撮りきれないまま時が流れて、最終的に5本を撮り終わったのは10月になってからだった。貧乏性というだけでなく、フィルムは無駄打ちしたくないから、撮ろうとカメラを構えてファインダーをのぞくところまでいっても、これはつまらないからやめておこうとなることが多い。写真を撮りに出かけて2枚しか撮れなかったなんてこともあった。そんなにたいそうな写真を撮ってるわけではないのに、デジとフィルムでは撮る姿勢がまるで違ってくる。
 並べた写真をあらためて見てみると、フィルムの中にはしっかり夏が定着している。夏の光や夏の空気が閉じこめられていて、すでに懐かしささえ感じる。空の青や雲の様子も、10月に入ってからのものとはやっぱり別物だ。暑かった夏の感覚が蘇る。
 何年か後になって、この写真を見たとき、この夏の記憶がどれくらいよみがえるだろうか。

フィルム最終回-2

 17mm超広角レンズの広さを知ったのも今回が初めてで、やはり一番の収穫だっただろう。写真の面白さは、肉眼では見られない光景を見られるというところにもある。上手な嘘なら騙されたい。
 いつも行っている矢田川も、17mmで切り取ると、また違った風景に見える。

フィルム最終回-3

 同じく矢田川の夕方。順光で撮ると、青い空と白い雲が写る。
 以前、この場所に大きな虹がかかったことがあった。そのときは28mmでは収まりきらずにもどかしい思いをしたけど、17mmで撮っていたら全部入ったんじゃないだろうか。

フィルム最終回-4

 これは135mmのソフトフォーカスレンズで撮った一枚だ。暗かったので少しブレているというのもある。
 この場所はコサギのエサ場になっているところで、よく被写体になってくれる。
 そろそろコガモやマガモたちも戻ってきた頃だろう。コサギもそれで季節を感じているというのもあるかもしれない。エサが違うから、縄張り争いになることはない。

フィルム最終回-5

 大雨が降った翌日の香流川。思ったほど水は増えていなかったものの、濁って流れは早かった。東海豪雨のときは、この川も氾濫した。
 堤防沿いの桜並木も、この頃はまだ葉が青々と茂っている。今は桜の木も紅葉が始まって、落葉しつつ赤茶色に染まっている。高いところから見る桜並木は紅葉並木になるから、毎年楽しみにしている。

フィルム最終回-6

 香流川と矢田川の合流地点の手前。ここもよく夕焼けを撮りに来る場所だ。このときも空は焼けていたはずなのに、フィルムには色が写っていない。現像の問題というのも今回一つ出てきたものだった。店によってか、機械によってか、こちらのイメージ通りにならないことがある。撮るときはいつも-2/3に露出補正をかけているのだけど、これくらいだと現像の段階で自動的に明るくされてしまう。リバーサルフィルムを使えばいいのだろうけど、そうなると5本の現像と書き込みで6,000円を超えるから、お気軽には撮れなくなってしまう。
 17mmの特徴として、ものが小さく写るというのも今回初めて知ったことだった。写真左下に小さく白い物体が写ってるけど、これは釣りのおじさんだ。すごく遠くにいるように見えていて、実際は橋のすぐ下にいる。17mmでは、人入り写真は人入り写真にならない。手前の被写体をかなり近くから撮らなければ、人の存在感が弱くなりすぎる。遠くのものは当然、ものすごく小さくなる。

フィルム最終回-7

 二つの川の合流地点の夕焼け。
 空と川と両方色が残っているものの、色味が薄い。実際はもっと劇的な色だった。RAW現像の場合は色データが残っているからレタッチソフトでコントロールできるけど、jpegだとあまり修正がきかない。デジでもjpegで撮った方が露出などの点では上達するのかもしれないと思いつつ、一度RAWに慣れてしまうともう戻れない。撮ったままの画像にこだわるほどストイックではない。

フィルム最終回-8

 9月に田舎に帰ったときに撮ったホテイアオイ。9月とはいえ、写真からも日差しの眩しさが伝わってくる。実際、このときは暑くて大汗をかいた。
 ホテイアオイの花はもう終わりかけで、あまりきれいではなかった。ピークはお盆過ぎから8月終わりにかけてくらいだろう。

フィルム最終回-9

 平和公園で撮った一枚。翼を広げて空を飛ぶ白鯨に見えた。
 海から生まれた生命体は、陸へと進出する一方、海へ戻っていったものたちもいた。それが現在の海の生き物たちだ。ペンギンも空を飛ぶことをあきらめて、海を選んだ。彼らも空を飛ぶ夢を見るのだろうか。

フィルム最終回-10

 地平線も水平線も見えない街で暮らしていると、夕陽は建物の向こうに沈んでいく。
 水平線に沈む太陽は海へ行けば見られるけど、地平線に沈む太陽はどこへ行けば見られるのだろう。山に囲まれた日本では、見渡す限りの地平線の向こうに沈む夕陽を見られる場所は限られている。行くところへ行けば見られるのだろうけど、私はまだ見たことがない。

フィルム最終回-11

 雨の日のドライブ。見慣れたメーターパネル。左右対称のこのパネルが気に入っている。レッドゾーンが8千からというVTECも、最近そんなところまで回すことはない。
 長いつき合いのわりにはまだ5万キロちょっとしか乗ってない。地球1周と4分の1だ。まだもうしばらく頑張ってもらわないといけない。
 運転席に座ってメーターがすべて収まりきるというのも17mm超広角ならではだ。

フィルム最終回-12

 雨に濡れたアスファルトを車のヘッドライトが照らす。これを撮るときは、すごくドラマチックな写真になったんじゃないかと期待したのに、出来上がりを見たらそうでもなかった。
 でも、雨と水と光の組み合わせに大きな可能性があることを最近遅ればせながら気づいたから、今後は雨でも積極的に撮りに行こうと思う。

フィルム最終回-13

 少しは花でも撮っておくかと、タムロン90mmマクロで撮った一枚。何の花だったか、名前は忘れてしまった。
 フィルムのブツ撮りは風景以上に難しい。ブツ撮りはいろんな角度から何枚も撮ってベストの一枚を決めるのが常套だけど、フィルムだとそんなことはしてられない。室内ではシャッタースピードも上がらず、手ぶれは即アウトとなる。フィルムの花撮影もあまりしたくない。動き回る虫などは、もっとやっかいだ。

フィルム最終回-15

 ソフトフォーカスレンズで撮った花写真。デジと同じ感覚で撮ると、35mmフルサイズはボケ味が大きくて失敗する。これは一段絞りのソフト効果1で撮ったのだけど、あまりにもボケすぎだ。ソフトフォーカスなのか、手ぶれなのか、ピンぼけなのか、よく分からない。たぶん全部だ。

フィルム最終回-14

 アイもフィルムで一枚。ソフトフォーカスレンズの効果があまり出ず、手ぶれも起こしている。写真としては失敗だけど、記念写真として残しておこう。

 フィルムシリーズはこれにて終了。デジ散策写真の隙間を埋める格好で長く続くと思っていたのに、案外あっけなく終わってしまった。ここしばらくヒザの故障で出歩けなかったというのもある。逆に言えば、フィルムの在庫があって助かった。
 これですっかりネタ切れだから、来週は遠出をして、ネタ集めに出ないといけなくなった。
 今回のフィルムシリーズではいろいろな発見があった。ここから街撮りシリーズが生まれたのも大きな収穫だ。2008年はフィルムの晩夏として記憶に残ることだろう。
 次はいつになるか、今のところまったく未定ではあるけど、またフィルムシリーズをやりたいと思っている。取り残したものもまだまだあるし、今撮っておくべき景色もある。
 今日撮る写真は、未来の自分に向けての贈りものだ。

駅周辺を歩いて、藤が丘の今を少し知る【後】 <フィルム8回>

フィルム写真(Film photography)
藤が丘2-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400



 藤が丘後編は、駅周辺と少し離れたところをぶらり歩いたところを紹介していこう。思い出話は昨日だいたいしてしまったから、今日は現在の藤が丘という視点で書いていくことにする。
 上の写真は、今回とめた駐車場横から撮った写真だ。駐車場は右前の建物で、右後ろがマツザカヤストアになる。この建物の地下にリニモの駅があって、ちょうど立っている下あたりを線路が通っている。
 地下鉄東山線は、一社を出て上社の手前から地上に出てきて、藤が丘の駅も高架駅になっている。開業当時、このあたりは民家も少ない郊外の田舎だったから地下を掘るよりも地上の土地を買収した方が安上がりだったのだ。
 今では民家や店が建ち並んぶ街になったので、本来高架線であるはずのリニモは藤が丘周辺では地上に出ることができず、地下に潜った。リニモが地上に出てくるのは、次のはなみずき駅の手前からだ。その間はグリーンロード沿いの地下を走っている。
 藤が丘周辺の勾配がきつくて地上に作るのが困難だという理由もあったようだ。
 マツザカヤストアでは、「リニもなか」を売っている。藤が丘名物にしようとリニモ開業にあわせて開発されたもので、万博のときなどはけっこう売れたようだ。
 最近第2弾が新発売になった。思い切ったテコ入れが必要と感じたのか、味噌入りタイプが加わった。名古屋といえば味噌というのは分かるけど、ちょっと方向性を間違えているような気もする。
 10個入り1,300円というのはそんなに高くはないにしても、自分で食べるために買うにはもったいない。都電もなかの真似をして、小さなもなかをばら売りにしたらいいのに。1個ずつリニモの格好をしたパッケージに入れて売れば、おみやげだけでなく日常的にも売れるはずだ。リニモの車両が1種類しかないからコレクション的な面白さがないのが残念なところか。10個入りのものはパッケージがリニモのペーパークラフトになっている。

藤が丘2-2

 藤が丘東交差点の東から西を見たところ。この後ろには地下鉄の車庫や引き込み線がある。かなり広くて、一部は長久手町にかかっている。この土地を提供する条件で東山線が藤が丘へ来たのだった。
 その線路の様子なども写真に撮ろうと思いつつ、後回しにしたら結局行けずじまいになってしまった。歩いて行くには遠いから車で行ったら途中でとめておくところがなくて断念するしかなかった。夜に地下鉄が戻ってきて線路に並んで休んでいる様子など撮れたらいいのだけど、暗がりの中でそんなことをしていたら電車好きの不審者に間違われそうで危険だ。夏の早朝とかの方がいいかもしれない。
 実際、フェンスによじ登って写真を撮ってる電車の人とかいそうだ。

藤が丘2-3

 いったん、駅前ロータリーのところに戻る。このあたりもなんだか洒落た感じになったものだ。
 クリスマスシーズンになると、アーチのあたりを中心にイルミネーションで飾られる。いつも車の中から見てるだけだから、今年は一度歩いて撮りにいこうか。ちょっと恥ずかしいけど、クリスマスなら私の他にも写真を撮っているお仲間がいるだろう。
 そういえば、藤が丘も路上禁煙になって、煙草の吸い殻は落ちてなかった。煙草を吸う人にとってはますます生息域を狭められるようで気に入らないだろうけど、街がきれいになるのはいいことだ。駅もダメ、公共の場もダメ、路上もダメとなって、店内も全面禁煙のところが増えてきそうだ。

藤が丘2-4

 右端に止まっている名鉄バスは、中部国際空港セントレア行きのバスだ。1時間10分で片道1,400円はやや高い。うちから藤が丘までバスで15分、200円。合計1時間半くらいで1,600円。
 名古屋駅まで行って、そこから電車で行くパターンもある。この場合はバスで1時間弱200円。乗り換え移動に15分。そこから電車で30分弱、850円。合計1,050円。
 藤が丘からの方が時間はかからないけど、500円以上差が出るとメリットは感じない。藤が丘起点にしても、地下鉄で名駅まで行って、そこから電車に乗り換えた方が安くて早い。このバスを利用するのは、途中の日進や三好の人たちだろう。

藤が丘2-5

 リニモの2番出入り口。こちらはサブゲートなので、こぢんまりしている。これがメインゲートだったら、万博のときは乗客をさばききれない。もしかすると、万博のあとに作られたところかもしれない。
 それにしても、リニモはどう考えても無理があった。地下鉄の車両が6両編成で藤が丘まで満員の乗客を乗せてやってきて、藤が丘からは3両編成のリニモになってしまっては半分も乗せられない。当然開幕前からこの点は問題視されていたのだけど、まあなんとかなるだろう的な安易な考えによって愛・地球博は開幕し、一部なんとかならなかったりもしつつ、どうにかこうにか無事に終わった。
 名古屋人や愛知県民の多くは、一生万博のことを忘れないと思う。本音を言えば、名古屋オリンピックだっていまだにあきらめきれていない。密かにソウルを憎んでいたりもする。

藤が丘2-6

 正面に見えているのが、高架駅の地下鉄藤が丘駅だ。外観がだいぶ変わったような気がするけどどうなんだろう。万博にあわせてお色直しをしたのだろうか。
 藤が丘駅はほとんど利用したことがないから、どうなっているのかよく知らない。どうしても地下鉄に乗らなければいけないときは、バスで本郷まで行く方が近い。
 そういえば、中学のテニス大会が瑞穂競技場であったときは、自転車で藤が丘まで行って、そこから地下鉄に乗っていったような気もする。

藤が丘2-7

 今回藤が丘を歩くとなったとき、高架下を南へ行くと何があるんだろうというのがあって、信号のあるところまで200メートルくらい歩いてみた。このあたりは車でも通ったことがない未知の場所だった。
 飲食店などがずらりと並んでて、ちょっと驚いた。何かの店がありそうだなとは思っていたけど、こんなにもたくさん並んでいるとは想像してなかった。古くなって閉鎖されたような店は少なく、新しい感じの店がしっかり営業しているようだ。客層は駅の利用者が多いのか、周辺住人が多いのか、昼間だっただけにそのあたりの状況はよく分からない。

藤が丘2-8

 特に意味もなく、このあたりでパチパチ何枚も写真を撮った。そんなに撮る必要はなかったけど、せっかく撮って使わないのももったいないから、撮った分は全部出してしまう。
 この写真などは何が撮りたかったのか、自分でも判然としない。

藤が丘2-9

 古そうなペット屋さんもあった。店先にインコなどがいる古典的なペット屋さんだ。こんな場所で生き残っているのも意外に思えた。
 私が知っている藤が丘は、駅西エリアだけだったということをあらためて知る。南エリアは、グリーンロードに出る道沿いしか知らない。そこには昔、T&Eという老舗パソコンゲームソフト会社があって、一時は大きなビルに引っ越したりして成長したなと思わせたのだけど、そのうち会社の名前も見聞きしなくなり、どこかへ移ってしまってその後の消息はよく分からない。
「ハイドライド」や「遙かなるオーガスタ」などはいいゲームだった。

藤が丘2-10

 シャッターが降りている店舗跡もある。
 このあたりは学生の下宿もけっこうあるのか、大学生風の姿をよく見かけた。学生向けらしい店もあるし、雰囲気が大学周辺という空気を感じた。藤が丘から大学行きのバスが何本か出ているようだし、ここから行く大学は郊外の山の中といったところがほとんどだから、大学の近くに下宿するよりも藤が丘に住んだ方が便利で楽しいに違いない。
 地上を走る地下鉄が写っているのに気づいただろうか。こんなふうにして地下鉄だけど地上高くを走っている。

藤が丘2-11

 駅を通り越した北側にいつも地下鉄車両がとまっている。この先は線路がぷっつり途切れていて、ブレーキを踏み忘れると、地上に転落する。
 車庫に入らずここで休んでいるのは、時間調整か何かだろうか。
 東山線のイメージカラーは黄色で、シルバー車両になってからも黄色のラインが入っている。昔は一面黄色の電車だった。あれは野暮ったかった。地下鉄東山線というと、今でも黄色でクーラーの入っていない夏の暑い電車を思い出す。黄色いやつはいつまで走っていたんだろう。
 日進のグリーンロード沿いにある「レトロでんしゃ館」には黄色い車両が保存展示してあるそうだから、今度一度見に行こう。

藤が丘2-12

 ぐるりと一周歩いて駐車場に戻ってきたところ。
 これは駅前広場というのだろうか。地下鉄駅の東で、リニモの入り口でもある。
 せっかく広いスペースを確保してあるのに、ベンチも少なく、これといった展示物もない。有効利用されているようには見えない。待ち合わせに使うには目印となるものが見あたらない。何かのイベントとかに使うためにスペースを確保しているとかだろうか。ラッシュ時には、ここが全部埋まるほど駅へ向かう人の群れが押し寄せるのだろうか。

藤が丘2-13

 立体駐車場の階段から駅前広場を見下ろしたところ。
 左がリニモの出入り口で、正面には駅にとまっている電車の車内が見えている。
 地下鉄とリニモの連絡の悪さも不評となっている。ダイヤはまったく連動しておらず、地下鉄が高架でリニモが地下なので、移動に時間がかかる。地下鉄駅から直接つなぐエスカレーターは作れなかったようだ。

藤が丘2-14

 立体駐車場からの眺めが面白かったので撮ってみた。
 遠くに見えている本屋は、さくら書店とかいう名前だったか。10年くらい前に開店して、一度行ってみないとなと思っていたら、いつの間にか閉店していた。
 うちの近所の本屋もどんどん減っていって、不便になった。四軒家の三洋堂がつぶれたのは痛かった。

藤が丘2-15

 車での帰り道。藤が丘駅南交差点。右斜め前に笑笑がある。これも昔はなかったから、入ったことはない。
 ここを真っ直ぐ行った左側に、昔ながらの古本屋があって、何度か入ったことがある。その店も、もうずいぶん前になくなってしまった。

 今回、フィルムで自分のうちの近所や馴染みのある街をあちこち撮って一つ気づいたのは、自分のための写真がどこかで誰かの役にも立っているということだ。自分にとって思い出のある街は、ここで暮らす多くの人にとっても思い入れのある街で、そういう人の目に触れることがあったとするなら、私が撮った写真も無駄じゃない。昔このあたりに住んでいて、今は引っ越してしまったという人にとっては懐かしさもあるだろうし、今住んでいる人にしても見慣れすぎている風景を写真に撮ろうとは思わないから、写真で見ることで発見した魅力というのもあるんじゃないだろうか。
 私自身にとってもそうだった。特に藤が丘は、長い間眠っていた中学時代の記憶を呼び覚ましてくれた。
 近所の街撮りシリーズは面白い。これはやっぱりフィルムで撮るべき被写体だ。デジで撮ると写真も違ってきてしまう。
 候補地はたくさんある。近場でいえば、大森、天子田、四軒家あたり。地下鉄沿線は全部で、中でも星ヶ丘と本山は街撮りに向いている場所だ。名城あたりもどう変わったのか見てみたい。
 今回は17mmに慣れるということであえて自分に縛りをかけていたけど、次回はもっといろいろなレンズを使って街の様々な表情を切り取りたいと思っている。

中学生の私がいた街、藤が丘の今を写真に収める【前】 <フィルム7回>

フィルム写真(Film photography)
藤が丘1-1

Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 +FUJI 400



 名古屋の東のはずれに藤が丘という街がある。地下鉄東山線の終点であり、愛・地球博のとき敷かれたリニモの始発駅でもある。
 藤が丘と私との距離感は微妙なものがある。家の近くでは最も賑わっている駅で、車で10分ほどしかかからないにもかかわらず、藤か丘へ行くことは少ない。とにかくこの街は車で行くには不便すぎるというのがその理由だ。名古屋の郊外といえば、どこの店でもたいていは自分のところの無料駐車場を持っているのが当たり前なのに、藤か丘にはそれがない。街としての規模が小さく、道も狭いから路上駐車しておく場所もない。なので、藤が丘へ行かなくも済むのなら他のところで用事を済ます。いい本屋や喫茶店があるから、無料駐車場さえあれば昔からもっと頻繁に行っていた。
 私にとっての藤が丘は、中学の友達との思い出が一番残っている街だ。テニス部のペアを組んでいるやつと何かというとつるんで藤が丘へ行っていた。服屋のバーゲンで同じ服を買って、次に藤が丘で待ち合わせしたら二人ともその服を着ていて、ペアルックの男子中学生になってしまったなんてこともあった。いや、そういう仲ではなかったのだけど。
 あれからずいぶん時は流れ、寄りつかなくなっている間に藤が丘も少しずつ変わっていった。そして2005年、万博開催とリニモ開通によって更に大きな変化があった。
 上の写真のあたりが一番大きく変わったところで、大きな白い建物は万博が終わってから建ったビルだ。万博開催中は、リニモの駅に入るのを待つための広場になっていたところだ。リニモ待ちで何十分、下手をしたら何時間と待たされたなんて人もいただろう。リニモに客を詰め込みすぎて、浮くはずのリニモが沈んで動かなくなったなんてニュースもあった。もっと台数を増やしたらどうだという意見を聞き入れなかったのは正解だった。たった半年のことだし、リニモの車両は特殊だから、他の路線に譲るなんてことができない。それに、万博が終わったらリニモの利用客がほとんどいなくなることは目に見えていた。実際、試算の半分も利用客がいないということで問題になっている。もっとみんなリニモに乗ってあげないと、そのうち廃線なんてことにもなりかねない。すでに赤字のお荷物路線となってしまっている。
 この白い建物の前は、赤茶色タイルの建物だった。名前はeffe(エフ)で昔と変わっていないかもしれない。
 中学の頃は、ここのロッテリアに入って、ハンバーガーとポテトとシェイクを食べるというのが定番コースだった。ロッテリアのシェイクの味は中学生の思い出と直結している。
 そんな藤が丘の今をフィルムで残そうと思ったのは、ある意味では必然だった。フィルムで撮るなら藤が丘と思ったし、デジでは撮る気がしないのが私にとっての藤が丘という街だ。こんなところで写真を撮っている人間など皆無で、道行く人にけっこう見られてしまったのだけど、二度とこんなふうにここで写真を撮ることはないだろうということで、人目を気にせず馴染みのある藤が丘の風景をフィルムに収めてきた。今日と明日の前後編でそのときの写真を紹介しようと思う。
 とてもローカルなネタなので、大部分の人にとっては何の思い入れもなく、魅力も感じないだろうとは思うけど、一部思い出のある人と一緒にちょっとおつき合いください。

藤が丘1-2

 少し場所が前後するので、知っている人も戸惑うかもしれないけどご勘弁を。
 私は北西方面から藤が丘駅前交差点にぶつかる道でやって来るのが常なので、そこを左折して少し行った右側がこの風景になる。左手に商店街が並び、右手はバスのロータリー、正面にはマツザカヤストアがある。この道を入っていくと、藤が丘に来たなと思う。
 ここ数年、藤が丘の路上駐車は劇的に減った。民間取り締まりが始まって、ここは重点取り締まり区域とされたので、みんなとめられなくなってしまったのだ。昔はすべての路上に駐車車両があるというくらいで、それが当たり前と思っていたから、路駐がなくなったときは逆に驚いたものだ。おかげで車は走りやすくなった。有料駐車場はたくさんあるから、お金さえ出せばとめる場所に困ることはない。

藤が丘1-3

 角の宝くじ屋はずいぶん昔からある。大昔に一度くらい買ったことがあるような気もする。私は大学に入るまで本を読むという習慣がまったくなかったので、高校の夏休みの感想文は2年連続で宝くじ必勝法という本で書いた。もちろん、シャレでだ。本気で宝くじを買っていたとかではない。ただ、一番よく買っていたのが高校生くらいだった。その後、自ら宝くじを買うことを禁じて買わなくなった。
 隣のたこ焼き屋は知らない。昔はなかった。
 この通りも新旧半々くらいになったのだろうか。変わってないところは変わってない。藤が丘で大きく変わったのは中心のロータリーあたりで、駅裏や周辺は昔の姿をとどめているところが意外と多い。

藤が丘1-4

 こんな白洋舎のクリーニング屋はなかった。道路の上に屋根なんてついていただろうか。意識したことはなかった。普段意識的に見ている光景と写真に写った景色は違うから、見慣れた街も写真に撮ると思いがけない発見がある。
 この並びでよく覚えているのが、マニアックな品揃えの白樺書店だ。この本屋だけは大学の頃もよく訪れていた。マニアックな本が欲しいときは、藤が丘のここか、それでもなければ千種の正文館へ行くのが常だった。
 中学の頃はどんな本を買っていたんだろう。あまり覚えていない。当時は週刊少年コミックは買っていなかったし、マンガも本当に読みたいものを買うだけで、しょっちゅう買うということはなかった。
 考えてみると、中学のときの自分が何に興味を持っていて、毎日家で何をしていたのか、思い出そうと思っても思い出せない。部活は夕方までやっていたけど、夜は何をしていただろう。他愛もなくテレビを観たりして一日が終わっていっていたのだろうか。
 最初にパソコンというか当時はマイコンと言っていたのだけど、それを買ったのは確か中3のときだ。それからはマイコンゲームやプログラムの打ち込みとかだったか。受験勉強なんて洒落たものはしなかったから、時間はあったはずなのだけど。
 一日中、好きな女の子のことを考えて過ごしていたとかではあるまい。ラジオのオールナイトニッポンを聴いていたのは、中学だったか高校だったか。睡眠学習枕で寝ていたのが中学だったのは覚えている。あれは役に立ったんだかどうだか。

藤が丘1-5

 駅入り口のミスタードーナツ。
 ここから右側に歩いて10秒くらいいったところにもう1軒スタードーナツがある。意味がよく分からないけど、昔から2軒あった。駅前店と駅東店となっているけど、距離は20メートルくらいしか離れていない。
 店内のスペースが狭いからという理由だったのだろうか。同時にできたんだったか、東店はあとからできたのだったか、よく覚えていない。
 あまりドーナツを食べる習慣はなかった。ドーナツは女子の食べるものという思い込みがあって、男子二人で入るのが照れくさかったというのがある。たまに入ることがあったのは、ドーナツの割引券が郵便受けに入っていたときなどに限られた。
 今ふと記憶が蘇ってきた。中学の頃、藤が丘以上によく行ったのが四軒家の清水屋だった。あそこのスガキヤでラーメンを食べて、同じフロアのゲームコーナーでゲームをやるというパターンが一番多かった。そうだ、埋もれていた記憶が表に出てきた。

藤が丘1-6

 ミスタードーナツの横と、マツザカヤストアの横の2ヶ所に休憩スペースがあるというこの配置も昔と変わっていない。
 あの頃は時間があって暇だったから、こういうところで座って長い時間くだらないおしゃべりをしたりもしていた。当時と今と、同じスピードで時間が流れているとは思えないくらい時間の感覚が違う。

藤が丘1-7

 駅前交差点にいったん戻る。背後がバスターミナルで、駅前交差点を北西の方を向いている位置だ。左後ろにはパチンコ屋がある。
 藤が丘には昔、3軒の本屋があって、向かって左手角にもそのうちの1軒があった。今ミニミニになっているところだ。古田書店とか吉田書店とかなんとかいう名前だったんじゃなかったか。この本屋をよく待ち合わせの場所に使っていた。
 右手の愛知銀行はどうだったろう。昔は銀行なんかに興味はなかったから、どこに何銀行があるかなんて別にどうでもよかった。
 右に少し行ったところの二階に喫茶べらというのがあったはずだけど、今はもうないか。ロッテリアばかりではつまらないから、ちょっと背伸びしてコーヒーを飲もうなんてときに何度か入った。

藤が丘1-8

 駅前から少し北西に離れてみる。左手にあるのがマックスバリューだ。昔はナフコだったと思う。違ったかな。
 更に進んで右側にジャズ喫茶青猫がある。地下一階になっているから少し見つけづらい。青猫のことは以前このブログで紹介した。ジャズ好きじゃなくてもなかなかいい店なのでオススメしておく。もちろん、昔はそんな店はなかった。

藤が丘1-10

 この通りは桜並木がきれいで有名なところだ。道路沿いだから座り込んで花見酒というところではなく、歩いたり車で通ったりして楽しむところになっている。特に桜吹雪の時期に車で走るのが気持ちいい。毎年楽しみにしている。
 ただ、藤が丘のソメイヨシノも老木となって、去年ずいぶんたくさん若木と植え替えられてしまった。ここ数年は見事だっただけに残念だ。来年の桜並木はちょっと寂しいことになるだろう。もう一度育つまでには20年や30年はかかる。
 日本のソメイヨシノというのは戦後しばらく経ってから植えられたものが多くて、そろそろ日本全国一斉に植え替えの時期に来ている。寿命が50年くらいで、元気がなくなると切ってしまうことが多い。ちょっと残酷なような気がするけど、もともとソメイヨシノというのはクローンで増えてきた桜だ。切り倒した老木の枝を接ぎ木して、新しい木として育っていくから、悲しむことはない。

藤が丘1-11

 駅前を右折したところにはビルが並んでいて、中でもGAZAはこの場所のシンボル的な存在だ。ほとんど入ったことがないから中の様子はよく知らない。ファッションビルといえばそうなのだろう。一度、買い物のお供で入ったくらいだ。確か、一階がファッション関係で、二階から上はクリニックとか美容院とかだったんじゃないか。
 隣にはレイ・エ・ルイがある。そちらも似たような性格のビルだと思う。

藤が丘1-13

 こちらがレイ・エ・ルイ。その裏手から見たところだ。
 エステとかフィットネスが入っているようだ。昔はどうだったのかは、まったく覚えていない。ビル自体はかなり以前からあったのは間違いない。
 このあたりは中坊男子が近づくようなところではないから、思い出がないのは当然だ。中学生のデートコースといえば、東山動物園とか、大須スケートリンクとか、映画館とか、そんなところだった。買い物といっても、ファッション関連ではなくファンシーショップとかだった。
 今どきの中学生とは時代の違いを感じる。

藤が丘1-12

 そうそう、レンタルショップのZIG-ZAGもなくなってしまったのだった。あの店は20代の頃よく利用した店で思い入れのあるところだったから、閉店してしまったのはとても寂しかった。20代の私はとにかく映画を片っ端から観まくっていて、ZIG-ZAGも通い詰めていた。ここは駅前から少し離れたところにあるせいで無料駐車場があって、行きやすかったというのがある。ビデオやCDの品揃えも申し分なかった。
 最近はレンタルビデオやDVDもまったく借りなくなったから、実質的に困ることはないのだけど、それでもよく行った店がなくなってしまうことは悲しいことに違いない。
 ここから右に少し行くと、おもちゃのブレーメンがある。半分雑貨屋のようでもあり、プラモ関係もいろいろあって、ちょっと変わった面白い店だ。

藤が丘1-14

 また場所は飛んで、今度は商店街の裏側へとやって来た。
 ここは車で横を通るだけで、歩いて近くまで来たのは今回が初めてだった。団地の下に昔ながらの古い商店が並んでいる。こんなところがあるとは知らなかった。これは紛れもなく昭和のテイストだ。
 団地の名前が藤が丘ではなく藤ヶ丘団地になっているのには理由がある。
 東山線藤ヶ丘駅が開業したのは1969年(昭和44年)のことだった。それまでこのあたりは未開拓の里山のような場所だった。
 当初地下鉄は猪子石や高針に延びる計画が立てられていた。にもかかわらず藤ヶ丘になったのは、地元の熱心な誘致運動と、車庫を造るための用地を無料で提供するという申し出があったからだった。
 駅が開業したとき、ここはまだ千種区猪高町大字藤森という地名だった。名東区ではなかったのだ。明治までは藤森村と呼ばれる痩せた土地だったという。
 藤が丘と藤ヶ丘という二つの表記が混在するのは、地名と駅名とがそれぞれ別だったからだ。区画整理のとき町名が藤が丘となったのに、駅は駅で藤ヶ丘と名づけてしまった。それで混乱が生まれることとなった。
 この表記が藤が丘に統一されたのは実はごく最近のことで、愛地球博もあるし、リニモもできるし、ここは一つ統一した方がいいだろうということで、2004年に町名に合わせて駅も藤が丘駅となったのだった。電車や駅の表記をいちいち変えなくてはいけなかったから、かなり大変だったようだ。それでも、いまだにあちこちに藤ヶ丘の痕跡はたくさん残っている。

藤が丘1-15

 喫茶店に中華屋に塾など、おそらく上の団地の人目当てに作られたと思われる店が並ぶ。けど、こういうところは顔見知りが多いだろうということで住民は避けることが多い。店を開店させた当時の思惑ほど流行らなかったはずだ。こういう団地の下の店というのは独特の難しさがあるから、入れ替わりが激しい。ここに並んでいる店も、長く続いているとこは少ないんじゃないだろうか。

 藤が丘が賑わっているといっても、まあこんなところだ。本当の繁華街とは違うから、夜の店があるとかそういう場所ではない。ここを起点として高校、大学へ行く学生が多いから、学生街的な性格も持ち合わせている。居酒屋なども多い。学校のちょっとした同窓会みたいなものがあると、たいてい藤が丘に集合ということになる。
 私にとっては近いようで遠く、遠いようで近いのが藤が丘という街だ。これからも微妙な距離感を保ってつき合いは続いていくことになると思う。
 ここも瀬戸と同じで、万博の前に一度ちゃんと写真を撮っておくべきだった。2004年にその発想がなかったことが悔やまれる。万博開催中は混雑してると思って寄りつかないようにしていたのも、今となっては失敗だった。藤が丘に群衆が集まっている光景など、後にも先にもあのときだけだっただろう。リニモ待ちの長蛇の列というのも見てみたかった。
 万博後の工事もすっかり終わり、街は落ち着きを取り戻したようだ。変わったところは変わり、変わらなかったところは変わってない。期待したほどの変化がなくてがっかりしてしまった住人もけっこういたかもしれない。リニモにしても、長久手方面なんかへ行く用事はほとんどないから大して嬉しくない。物珍しさも2、3回までで、利用するにしても跡地のモリコロパークへ行くときくらいだ。リニモの線がこれ以上延びるとは考えられないし、藤が丘の発展というのもここまでだろうか。東山線が名駅まで行ってるし、名城線も環状線になったから、地下鉄はずいぶん便利になった。
 思い出の藤が丘編前編はこれくらいにしておこう。明日はこの続きの後編ということになる。

17mmで撮る見慣れた尾張旭風景は広くて遠くて小さい <フィルム7回>

フィルム写真(Film photography)
17mmの尾張旭-1

PENTAX Z20 / Canon EOS 620+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4+FUJI 400 / Kodak 100



 尾張旭の城山公園周辺は私のお気に入りの場所で、これまで何度も行って、何度となく写真も撮ってきた。このブログでもたびたび登場している。空が広くて、車をとめてのんびりできる場所というのは、名古屋の郊外でも案外少ない。空の広さでいえば矢田川の河原などもあるけど、あちらは車の中で落ち着ける場所がない。家から15分というのも、ちょっとドライブするのにいい距離というのもある。
 今回のフィルムシリーズ一番のテーマが17mmの超広角で撮る風景ということで、当然その中に尾張旭も入っていた。見慣れた光景も、17mmで切り取ってみるとまた違ったものに見えるはずだ。
 そんなわけで、フィルムシリーズ第7回は、尾張旭編をお届けします。

17mmの尾張旭-2

 17mmというのは、広いというだけでなく、対象がとにかく遠くなる。肉眼ではそれなりの大きさで見えているものも、写真の中ではレンズについたゴミのようになってしまう。上の写真でいうと、道の遠くに人が写っているのが見えるだろうか。言われなければ人とは見えないくらい小さい。空に黒い粒が2つあるのも、たぶんカラスだ。ゴミではない。
 これは今回現像してみて初めて分かったことで、次回から17mmを使うときの注意点となる。ファインダーをのぞいているときよりも小さく写るということを頭に入れておく必要がある。被写体を大きく写そうと思えば、思い切って近づかないといけない。手前に大きく写して、背景が広いというのも超広角ならではの写真だ。
 盛大に発生しているフレアやゴーストは、個人的には逆光の効果として嫌っていない。面白いから好きと言ってもいいくらいだ。CGっぽくもある。

17mmの尾張旭-3

 とっさのことで構図もシャッタースピードも何もなく反射的に撮った瀬戸電の新型車両。これだな、この前ニュースで言っていたやつは。
 瀬戸電といえばかつては緑色で、近年は赤色がシンボルカラーとして完全に定着していた。尾張旭の田んぼ風景には赤い電車がよく似合っていた。それなのに、名鉄はシルバーにするという。なんて無粋な。ステンレスの無塗装で、その理由が尾張旭に作った検車区は住宅街だったために塗装施設を置けず、色塗りができないという事情だというからずっこける。色が塗れるところに検車区を作ろうよと言いたい。
 新型の4000系は現在のところ4両の1編成のみが10月1日から走り始めている。今後車両を増やしていって、将来的にはすべてシルバーの車両に入れ替える計画だそうだ。今まで当たり前と思っていた赤い瀬戸電がここ数年のうちに見られなくなるというのは、まだ信じられない。今の内にいろんなところで赤電車を撮っておいた方がよさそうだ。

17mmの尾張旭-4

 見慣れた光景、いつもの構図。城山レストランも、スカイワードあさひも、ずいぶん遠くに見える。35mmだと両方入れて撮るのに苦心するほどなのに、17mmになるとここまで遠い。

17mmの尾張旭-5

 空をメインに撮ってみるとこんな感じ。レンズを上に向けたり下に向けたりすると、周辺部の歪みが激しくなって、ちょっとフィッシュアイのようになる。こうやって撮るのも一つの方法だ。
 いくら空を広く撮れるといっても、空だけを撮ってしまうととりとめのない写真になるから、やはり何か下の方に入れるものが欲しい。
 海はどうなんだろうとふと思った。そういえば17mmで撮っているときには一度も海を思い浮かべなかった。今となっては不思議な話だ。広い風景といって思い浮かべるのは、普通空と海なのに。また17mmで撮る機会があれば、次こそ海を撮りに行こう。海と空と波と砂浜と、どう撮ったらいいのか、イメージが湧かない。

17mmの尾張旭-6

 このときはまだコスモスが咲き始めの時期だった。そろそろ満開が近づいた頃かもしれない。
 真正面に太陽がある状況で、あえて逆光で撮ってみてどんな写りになるか確かめてみたかった。現像はコスモスの方に露出を合わせてるから、空はほとんど白飛びしてしまっている。現像の段階で空の方に合わせたらコスモスは黒つぶれしてしまっただろうけど、そこからレタッチソフトでコスモスの色を出すことができるのだろうか。色が飛んでしまったら救いようがない。

17mmの尾張旭-7

 これもなんだか変な色になってしまった。この世の風景ではないような色だ。実際はもう少しオレンジ系の夕焼けで、空も水たまりもきれいな色をしていたのだけど。

17mmの尾張旭-8

 昔よくテニスをしたコート。尾張旭はテニスコートをあちこちに持っていて、市民向けに安く使わせてくれていた。今はいくらになったか知らないけど、当時は1面1時間で300円くらいだった。
 写真のこの場所はクレーコートだから、あまり使ったことがなかった。尾張旭市民テニス大会に出たときは、ここだった。写っている一番手前のコートだったのを覚えている。あのときは2回戦で老獪なオヤジテニスにしてやられてミスから自滅して負けた。
 よくやっていたのは、旭ヶ丘あたりのハードコートや、体育館のようなところにあったコートだ。その場所も忘れてしまうくらい、もう長くテニスをしていない。

17mmの尾張旭-9

 せっかくだから、スカイワードあさひの展望台にも登っておいた。
 これは南側の景色だ。田んぼがあって、瀬戸電がいて、やや遠目の左手には地デジの瀬戸デジタルタワーが見える。これも小さくてよく見えない。
 南は尾張旭の東印場や守山区の本地あたり、藤が丘までは見えないか。このあたりはまだ高い建物がほとんどない。

17mmの尾張旭-10

 これは新鮮な絵になった。手前の長池から遠くの名駅ビル群まで同時に入ってしまうのも17mmならではだ。
 夕陽や夕焼け空は、例によって白飛びしてしまって色を失った。この写真も機会があれば現像し直したい。
 しかし、名駅の高層ビル群もちっちゃくなってしまったもんだ。正面やや左寄りにかろうじて写っているのが見えるかどうか。遠いながらも肉眼ではもっとはっきり確認できる。
 17mmの使い道として、高いところから下を俯瞰する構図というのも有効のようだ。名駅のミッドランドスクエアや、東山のスカイタワーから地上の夜景を撮ってみるのもいい。

17mmの尾張旭-11

 こちは東側の瀬戸方面風景。これといっためぼしいものは写っていない。デジタルタワーくらいだ。モリコロパークの大観覧車は見えるのだったか、見えないんだったか。この写真よりもう少し右側になるかもしれない。向こうに見えている山並みは猿投山方面だろうか。手前の森は、森林公園の一部か。
 北側は特に面白いものも見えない。

17mmの尾張旭-12

 最後に長池の風景を一枚。ここは悪い池ではないのだけど、これといったものが何もない。魚もいないのか釣り人もおらず、カモのエサがないのか渡りのカモにも不人気だ。楽しみといえば藤棚と冬に咲く冬桜くらいのものだ。被写体として絵になるのも、写真のこの場所くらいしかない。
 尾張旭も、もう少しこの池を市民が憩う魅力的な場所にできないものだろうか。可能性はありそうなのに上手く活用できていないのはもったいない。

 私の馴染みがある尾張旭風景はざっとこんなところだ。そういえば夕暮れ時の野球グラウンドも好きな風景の一つだったのに、写真を撮れなかったのはちょっと残念だった。あそこもいつも入り切らなくてもどかしい思いをしているところだったから、この機会に撮っておけばよかった。
 尾張旭自体は、これからも何度となく行って写真を撮ることになる。
 フィルムシリーズは明日のサンデー料理を挟んで来週も続く。来週遠出をしたら、いったん中断することはあるにしても、全10回以上のシリーズになることは確定した。36枚フィルム5本で合計180枚。1回の更新に13枚から15枚くらいの写真を使っているから、いかに無駄なく撮っているかが分かる。1枚を無駄にしないという姿勢は、写真を撮る上でもう一度背筋を伸ばさせてくれる。
 またフィルム写真を撮りたい気持ちが高まってきた。近所の街撮りシリーズはフィルムとの相性がいいことに気づいたから、今後ともシリーズ化していこう。次はリバーサルフィルム初挑戦ということになりそうだ。
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