カテゴリ:鎌倉(Kamakura)

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  • 鎌倉番外編 ---記念写真は未来の自分たちに贈るプレゼント

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 鎌倉編は昨日の長谷寺で終わりといっておきながら、今日も鎌倉の写真は続く。閉店セールを延々とやってしまう紳士服店のようだ。でも、今回でホントに鎌倉編は完結となる。撮った写真をもう一度確認したら、お蔵入りにしてしまうのは残念に思えた写真が何枚かあったので、本編とは別に番外編のこぼれ写真として出すことにした。歯磨き粉とかマヨネーズとかも、使い切らずにちょこっと残ってい...

    2007/12/22

    鎌倉(Kamakura)

  • 今年三度目の鎌倉行きは長谷寺のライトアップで幕を閉じる

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 今年3度目の鎌倉行きは、長谷寺のライトアップで締めくくりとなった。 夕方5時前、長谷寺の前にたどり着くと、なにやら人だかりができている。団体さんでも来たのかと思ったら、門の前で大勢が列を作って並んでいる。一体どういうことだといぶかしむ。 その後状況を見て分かったのだけど、長谷寺の通常拝観は夕方の5時までで、いったん参拝客を追い出してから、ライトアップ組を入れるという...

    2007/12/21

    鎌倉(Kamakura)

  • マダム率の高い鎌倉文学館で文学青年だったときの感覚が蘇る

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 金沢街道方面から江ノ電に乗って、鎌倉文学館へとやって来た。エリアとしては長谷になるのだろうか。歩くなら由比ヶ浜の駅の方が近い。10分くらいだ。 アジサイのときに時間があったら行こうと話をしていて結局行けずじまいだったから、今回はちょっと強引にねじ込んでみた。このあと長谷寺のライトアップがあったから方角的に都合がいいというのもあった。 ここは鎌倉観光コースからやや外...

    2007/12/21

    鎌倉(Kamakura)

  • 報国寺は歴史も本堂も素通りしてみな竹林へ向かう

    PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 金沢街道寺社巡りの最後は報国寺(ほうこくじ)だった。まだこの先も明王院、光触寺、十二所神社と続くのだけど、それぞれ距離が離れていて遠いので、今回はここまでとした。そのあと長谷へ行く予定もあって。こちら方面だけを一日コースにすれば光触寺まででちょうどいい感じで回れそうな距離感だ。紅葉の季節でいえば、北側の獅子舞というところもいいらしい。そっちまで足を伸ばせなかった...

    2007/12/18

    鎌倉(Kamakura)

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鎌倉番外編 ---記念写真は未来の自分たちに贈るプレゼント

鎌倉(Kamakura)
鎌倉こぼれ写真-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 鎌倉編は昨日の長谷寺で終わりといっておきながら、今日も鎌倉の写真は続く。閉店セールを延々とやってしまう紳士服店のようだ。でも、今回でホントに鎌倉編は完結となる。撮った写真をもう一度確認したら、お蔵入りにしてしまうのは残念に思えた写真が何枚かあったので、本編とは別に番外編のこぼれ写真として出すことにした。歯磨き粉とかマヨネーズとかも、使い切らずにちょこっと残っているのは気になるもので、あれと同じようなものだ。最後まで出し切ってしまえばすっきりして次へいける。

鎌倉こぼれ写真-2

 鶴岡八幡宮の造りがいかに一直線になっているかは、この写真を見てもよく分かる。鎌倉駅に近いところに一の鳥居があって、段葛の入り口に二の鳥居、上の写真は三の鳥居だ。信号を渡る手前から本宮がはっきり正面に見えている。黄色は階段途中の大銀杏だ。
 今は信号機や交差点なんていう無粋なものが写り込んでしまっているけど、戦前までは鎌倉時代とあまり変わらない風景だったようだ。古い写真を見ると今とはまったく違っている。
 ここを頼朝や北条政子が歩いていたんだと思うと、面白くもあり不思議でもある。鎌倉へ入ることを許されなかった義経はこの風景を見ることができなかった。

鎌倉こぼれ写真-3

 瑞泉寺の総門前。本編では別の写真を使ったけど、こっちの方がよかった。和装の女性と写真を撮る男子一人という取り合わせは鎌倉らしいワンシーンだ。京都のように作り物めいたところがない。

鎌倉こぼれ写真-4

 鎌倉は空襲にやられてないから、戦前からの古い建物も残っている。観光コースから外れた路地は、昭和の香りがする。
 鎌倉も人が歩くところはだいたい決まっているから、あえてそこを外して一本中に入ってみると面白い。観光地とは別の顔を垣間見ることができる。鎌倉に住む人は観光客を受け入れつつ、自分たちの生活エリアとはきっちり線引きしているように見える。京都や奈良と比べると、住人と観光客との関わりが弱いように思う。
 鎌倉、奈良、京都、同じ古都でもずいぶん性格は違っている。

鎌倉こぼれ写真-5

 民家の庭に植えられたモミジの葉が光に照らされて、秋の風情を演出していた。こういうのを見ると、自分の生活の中には風流といった要素が決定的に欠けているなと思う。風流は自分の家の外にあるもので、内にはない。盆栽でも始めてみるか。

鎌倉こぼれ写真-6

 江ノ電にはいくつかの無人駅があるけど、由比ヶ浜の無人ぶりははなはだしいものがある。改札はなく、PASMOなどのタッチパネルの装置が置いてあるだけで、うっかりしてると見落としたまま駅から出てしまいそうになる。出入りはどこからでも自由自在で、ここから乗る人は切符を買わずに江ノ電に乗れてしまう。改札を出ずにまたこの駅に戻ってきたら普通に出られる。こんなので大丈夫なんだろうか。鎌倉と江ノ電は切っても切れない仲だから、お互いに信頼関係で成り立っているということか。
 朝夕の利用客が多いときだけ駅員が立っているのかもしれない。そうしないと本当にフリーパスになりかねない。

鎌倉こぼれ写真-7

 瑞泉寺のサビ猫。本編では後ろ姿しか登場しなかったから、番外編で顔をお披露目しよう。
 サビ猫はなんとなく小汚いようなイメージがあったんだけど、こいつを見て印象が変わった。けっこうかわいいではないか。これからはサビ猫も好きになりそうだ。

鎌倉こぼれ写真-8

 12月ともなると花の姿はほとんどなく、撮りたくなるような野草も咲いていない。だからこんな植物でも撮ってみた。うねうねくねくねしている姿がちょっとキュートだった。何者かは知らない。

鎌倉こぼれ写真-9

 鎌倉名物の一つ、「いも吉館」の紫いもソフトクリームを試してみる。12月にソフトはないだろうと思ったんだけど、この日はけっこう暖かくて、食べるなら今日しかないっということで食べてみた。
 うん、これはなかなか。イモ味というふうではなく、ちょっと変わった味で美味しかった。普通のバニラとは明らかに違う。変わり種としてではなく定番としての美味しさだ。また食べたい。

鎌倉こぼれ写真-10

 これは昨日の長谷寺紅葉ライトアップのこぼれ写真。石段を埋め尽くす群衆ぶりがよく出ている。アジサイのときより人口爆発していたかもしれない。

鎌倉こぼれ写真-11

 急にモノクロになってびっくりしただろうか。なんとなくこの写真は白黒の方が雰囲気が伝わりそうだったので、初の試みとしてやってみた。集合記念写真といえば昭和、昭和の観光地といえば白黒写真という記憶が強い。私の子供の頃の写真も、小学校にあがる前くらいまでは白黒写真だった。
 集合写真ってけっこういいものだと最近思うようになった。昭和っぽくて恥ずかしいけど、そこがいい。記念写真というのは未来へのメッセージだ。今日、明日必要なものではなく、10年後、20年後になって価値を持つようになる。だから、照れずに、面倒がらずに、観光地では観光地らしい記念写真を撮っておくのはいいことだ。将来の自分たちに贈るプレゼントの気持ちで。
 ハイ、チ~ズ! Vサインでにっこり。パシャ!
 昭和だねぇ。
 これにて鎌倉編は完結。

今年三度目の鎌倉行きは長谷寺のライトアップで幕を閉じる

鎌倉(Kamakura)
長谷観音ライトアップ-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 今年3度目の鎌倉行きは、長谷寺のライトアップで締めくくりとなった。
 夕方5時前、長谷寺の前にたどり着くと、なにやら人だかりができている。団体さんでも来たのかと思ったら、門の前で大勢が列を作って並んでいる。一体どういうことだといぶかしむ。
 その後状況を見て分かったのだけど、長谷寺の通常拝観は夕方の5時までで、いったん参拝客を追い出してから、ライトアップ組を入れるという仕組みになっているということが判明した。そこで私たちも長蛇の列の後ろに並ぶことにした。
 しかし結果的にこれは無駄だったということをあとから知ることになる。ライトアップの時間は夕方5時から6時までの1時間で、我々が出てきた30分後にはきれいに行列は消えていた。ということは、5時半前に行けば並ばずに入れるということだ。寒空の中、あえて並んでまで入る必要はどこにもない。先取りしたからといっていい場所が取れるとかそういうことではないのだから。来年行く人は覚えておいてそうした方がいいと思う。今年のライトアップは、11月23日から12月9日までで終わってしまった。このライトアップ時間は拝観料無料で入れるので、オススメ度は高い。

 上の写真は、人波に押されるようにしながら歩き撮りした一枚だ。周囲が流れて臨場感のある面白い写真になった。
 こういうのが撮れるのも手ぶれ補正のおかげだ。感度でシャッター速度を稼げば手ぶれはふせげるけど、被写体ブレを利用できない。手ぶれ補正機能なんていらないという人もいるけど、あって困る機能ではない。手ぶれ補正によって写真の表現が違ってくるし、必要なければ機能をオフにすればいいだけだ。スローシャッターでなければ撮れない写真もある。私はすべてのデジカメにとって重要な機能だと思う。いい加減、意地を張らずにCanonとNikonも採用したらどうだろう。手ぶれ補正付きの高いレンズが売れなくなるなんてケチなことを言わずに。

長谷観音ライトアップ-2

 ぞろぞろと石段を登りながらライトアップされた紅葉を鑑賞する人々の列。ほとんどの人が何らかのカメラを持っていて写真を撮っている。感覚としては正常だと思うけど、光景としてはちょっと異様だ。
 写真を撮ることが趣味の私が言うことではないけど、そんなにみんなして撮らなくてもいいじゃないかと思う。日本人って、潜在的にこんなにも写真を撮るのが好きな人種だったんだとあらためて思い知るのだった。

長谷観音ライトアップ-3

 昔のアメリカ映画なんかでは、メガネをかけて首からカメラぶら下げた日本人がよく出てきてたけど、あれはもはやデフォルメではなくなった。今の日本人を象徴するのは、ひとつの被写体に向かって大勢が取り囲みながら無表情で携帯カメラを向けている姿なのかもしれない。
 ライトアップされた紅葉は、葉っぱが赤いのかライトが赤いのかよく分からないままやたら赤い。きれいなんだけど偽物っぽい感じもする。紅葉の最盛期はどんな感じだったんだろう。私たちが訪れのはもう終盤で、だいぶ葉も落ちていた。

長谷観音ライトアップ-4

 ライトアップされるのは紅葉だけじゃない。お堂も石像もされている。お堂はともかく、石像を下から照らすのはどうなんだろう。キャンプで懐中電灯を顔の下から照らすお調子者みたいだ。別に恐くはないけど、暗闇に浮かんでるとちょっと不気味だ。
 いくら光があっても、一人では夜の寺に訪れたくはない。周りに大勢人がいるから平気なだけで。

長谷観音ライトアップ-5

 観音堂も解放されていて、ライトアップを見に来たついでにお参りしていくことができる。十一面観音像は相変わらず撮影禁止なのが残念なところだ。
 一応、遠くから手を合わせて挨拶だけしておいた。もう三度目だし、観音様からしてもおまえたちまた来たのかってなもんだろう。

長谷観音ライトアップ-6

 展望スペースから見る夜の由比ヶ浜方面は暗い。遠くに見えている街灯りは、大崎あたりか、それとも葉山方面だろうか。それほど明るくはないけれど、暗い海の向こうに見える灯りは暖かく感じられる。都会の光とはぬくもりが違う。

長谷観音ライトアップ-8

 紅葉に光が当たっているものの周囲は暗い。シャッタースピードが上がらず撮るのに苦労する。手ぶれ補正があってもブレるときは盛大にブレる。
 三脚は禁止されてないようだけど、あの人混みの中で三脚を使えるところは限られる。みんな撮ろうと狙うところは同じだし。
 テレビ局のカメラもあったから、ニュースの中継なんかがあったのだろう。
 入り口近くの池に映り込んだ紅葉はきれいだった。柵に囲まれていてもう一歩踏み出せないのが惜しいところなのだけど、ここはベストポジションの一つとみた。狭いところだから、みんな代わるがわるここで撮っていた。
 こういう状況のところでは手を伸ばして液晶を見ながら撮れる手ぶれ補正付きのE-510は活躍しそうだ。

長谷観音ライトアップ-9

 一周回って長谷寺をあとにする。これですべて予定をこなした。あとは江ノ電に乗って鎌倉駅まで行って、帰るだけとなった。最後に江ノ電も撮っておくかと、踏切でスタンバイして撮った。たぶん、電車の人と思われてしまっただろう。
 あとになってそういえばもう一つやり残したと思ったのは、長谷の先の極楽寺駅に行かなかったことだ。ドラマ「俺たちの朝」の舞台となったあの駅を撮るだけでも撮りたかった。前に話をしていたのにすっかり忘れていた。まあ、それはまた次の機会ということにしよう。鎌倉高校駅の夕焼けや稲村ヶ崎、腰越あたりもまだ行っていない。江ノ島もまるまる残っている。

長谷観音ライトアップ-10

 今更ながら気づいたのだけど、単線の江ノ電は、駅で向こうから来る列車を待たないと出発できないんだ。どっちかが慌てて出発してしまったら正面衝突になってしまう。もしくは、どちらかがバックオーライしないといけない。
 路線上に同時に何車両走ってるのか知らないけど、のんびりしてるように見える江ノ電のダイヤはけっこうシビアだ。速すぎてもいけないし、遅すぎてもまずい。スピードがゆっくりだから、いざとなったら急ブレーキで止まれそうではあるけど。

長谷観音ライトアップ-11

 長谷駅もイルミネーションで飾られていて少し華やいでいた。無駄といえば無駄だけど、クリスマスシーズンくらい日本中で浮かれてもいい。江ノ電にあまり派手なのは似合わないから、これくらいがちょうどよさそうだ。江ノ電の花列車みたいなのはないんだろうか。

 こうして長くて短い鎌倉での一日が終わった。お疲れ様、私たち。そしておつき合いいただいたみなさい、ご苦労様でした。
 さらば2007年鎌倉。また来年会いましょう。

マダム率の高い鎌倉文学館で文学青年だったときの感覚が蘇る

鎌倉(Kamakura)
鎌倉文学館-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 金沢街道方面から江ノ電に乗って、鎌倉文学館へとやって来た。エリアとしては長谷になるのだろうか。歩くなら由比ヶ浜の駅の方が近い。10分くらいだ。
 アジサイのときに時間があったら行こうと話をしていて結局行けずじまいだったから、今回はちょっと強引にねじ込んでみた。このあと長谷寺のライトアップがあったから方角的に都合がいいというのもあった。
 ここは鎌倉観光コースからやや外れているようで、訪れる人はさほど多くない。夕方近くという時間帯もあったかもしれないけど、文学館なんてものに好んで行こうという人も少ないのだろう。秋バラの季節は終わったし、紅葉もほとんど終わりかけだ。少し前まで特別展覧をしていた澁澤龍彦のときならもう少し賑わっていたのかもしれない。私もそれはぜひ見たかったけど、訪れたときにやっていた中原中也特集はもっと見たかった。そういう意味でも今回はタイミングがよかった。
 洋館へと続くアプローチはちょとしたモミジのトンネルになっている。もう一週間早ければもっときれいだっただろう。
 私にしては珍しく人が入ってない写真を採用したのは、この場所が光の影の加減が一番よかったからだ。でもやっぱりいるべきところに人がない写真は面白くない。死んだ世界のようで不気味にさえ思えて不安になる。

鎌倉文学館-2

 これは振り返って撮ったところ。帰りのおばさまたちとすれ違ったので、いいタイミングを待って撮った。人が入っている写真は安心する。
 それにしてもマダム率高しだ。古い洋館にバラに文学と来れば、マダムを惹きつける要素は出そろったと言っていい。文学青年が思い詰めたような顔で一人訪れるのは似合わないところだ。そういうための文学館でもあるのだけど。

鎌倉文学館-3

 入り口に向かって上り坂を歩いていたら、いつの間にかマダムの人たちに追いついた。いかにもという客層でちょっと笑ってしまう。洋館にやって来る人種そのものだったから。おばさま方は本当に洋館が好きらしい。
 前方に見えているのは、招鶴洞(しょうかくどう)と名づけられたトンネルだ。屋敷の中にトンネルを持っているところはそうはない。谷戸(やと)と呼ばれる鎌倉らしい地形に建てられているからこんなことになってしまう。谷戸というのは関東特有の言い回しで、まわりを小高い山や丘に囲まれて谷が細長く続くような地形を指す。切り通しと共に鎌倉でよくある地形だ。
 この土地がいかに山に囲まれた場所にあるかは、文学館の中にある鎌倉のジオラマでもよく分かった。敵から身を守るために頼朝はあえてこの地に都を置いたのだろうけど、拡張性があまり期待できない土地だけに、その後の発展をはばむ要因にもなった。

鎌倉文学館-4

 文学館全景。今は冬枯れになってしまった芝だけど、夏は青々としていて建物とのコントラストが美しい。暖かいときはこの芝生に座ってお弁当を食べたり、のんびりしたりするのも気持ちいいだろう。

 加賀藩前田家の子孫である前田利嗣が、この地に鎌倉の別邸として屋敷を建てたのが1890年頃。明治43年(1910年)に火事で焼けてしまったのち、1936年(昭和11年)に現在の館が建てられた。
 戦後は一時デンマーク公使が別荘として借りていたこともあった。昭和39年から死ぬまで、佐藤栄作元首相が借り受けて週末の静養地として使っていたという館でもある。三島由紀夫氏が『春の雪』でこの別荘をモデルとして描いたことでも知られている。
 昭和58年に鎌倉市に寄贈されて、昭和60年に鎌倉文学館として一般公開が始まった。
 建物はちょっと見慣れない不思議な外観をしている。なんとなく落ち着かないような気がするのは、左右非対称で、和洋折衷だからだろう。設計は前田家専属の建築家・渡辺栄治という人物だそうだ。お抱え建築家まで持っていたとは前田家もなかなかのものだ。元をたどれば、名古屋の荒子出身の前田利家が、まつのおかげで立身出世して加賀100万石の大名になったおかげだ。
 二階建てのように見えているけど実際は三階建てで、玄関が二階で一階は地下のような造りになっている。三階は非公開で入れない。
 内装もお金のかかった凝ったもので、大理石の暖炉やステンドグラス、照明器具など見所がいろいろある。ただ、残念ながら撮影禁止で写真はない。文学的に貴重な資料を展示してるということで写真は駄目ということなんだろう。
 入館は300円。このときは特別展示で400円だった。月曜定休なので注意が必要。

鎌倉文学館-5

 鎌倉には大正時代あたりから文学者が住むようになって、昭和初期は文学者のステータスのようになった。鎌倉文士という言葉が生まれたのもその頃のことだった。
 理由の一つに関東大震災があった。壊滅的になってしまった東京から移り住むのに鎌倉がちょうどよかったのだろう。それと、横須賀線の開通というのも大きかった。普段は静かな環境で作品を書き、用事があるときはちょっと東京まで行って帰ってこられる。それに鎌倉は古都としての魅力も備えている。
 夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、小林秀雄、澁澤龍彦、太宰治、与謝野晶子、大佛次郎、里見、高見順、久米正雄など、鎌倉に縁のある文学者は多い。
 そういった鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や愛用品などを展示するための資料館が、鎌倉文学館というわけだ。
 写真付きで紹介できないのがかえすがえすも残念なのだけど、興味のある人なら一見の価値がある。生原稿なども充実していて、直筆の原稿の直しなどを見ると感慨深いものがある。みんなそれぞれ字に個性があって、やっぱり手書き原稿はいいなとあらためて思う。ワープロでは直しが残らないから詰まらない。
 展示内容は常設展と企画展に分かれていて、それぞれ年に何回か入れ替えが行われる。
 今回の中原中也の企画展は、見ておいてよかった。ちょっと思い入れが強いので、ここで簡単には書けない。いずれ何かの機会に中原中也のことはあらためて書きたいと思っている。

鎌倉文学館-6

 春バラと秋バラのシーズンは、ここも大賑わいだそうだ。バラと洋館のコンビは強い。そのときばかりはマダムの独壇場ではなく、カメラのおじさんたちが押し寄せてくる。カップルも入り乱れて大混雑の様相を呈すのだろう。
 種類もだんだん増えて、現在は178品種200株が植えられているそうだ。でもきっと、バラの羊羹は売ってないと思う。あれは古河庭園だけだろう。

鎌倉文学館-7

 背の高い紫ピンクの花が勢いよく咲いていて、なんだろうと近づいてプレートを見たら、「皇帝ダリア」とあった。初めて見た。
 立木ダリア、ツリーダリアとも呼ばれて、高さ4メートルにもなるそうだ。
 原産はメキシコで、晩秋に咲く。そういえばコスモスにも少し似ているところがある。

鎌倉文学館-8

 上空ではトンビが何羽も旋回していた。下で人間が何か美味しいものを食べてないか見ていたのだろう。鎌倉のトンビは賢くて凶暴だから気をつけないといけない。あえて食べ物で誘ってみるも、トンビはついに降りてこなかった。やつらはこっちが油断しているときを狙って素早くかっぱらっていくようだ。
 トンビの好物は何だろう。やっぱり鳶に油揚げなのか? だったらいなり寿司を買っていくのだけど。いなり寿司を捉える決定的瞬間を撮ってみたい。頭に乗せておいたらエサを取られるだけでは済まず頭をかち割られるだろうか。鎌倉帰りに私の頭に包帯がぐるぐる巻きになっていたら、それはトンビにやられたものだと思っていい。

鎌倉文学館-9

 高台に建っているので、由比ヶ浜方面の海を見渡すことができる。天気がいいと遠くの島なども見えるそうだ。
 ここで日没時間切れとなった。文学館も冬場は4時半まで。私たちも追い立てられるようにあとにするのだった。
 次の長谷寺ライトアップで今回の鎌倉編も終わりとなる。

報国寺は歴史も本堂も素通りしてみな竹林へ向かう

鎌倉(Kamakura)
報国寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 金沢街道寺社巡りの最後は報国寺(ほうこくじ)だった。まだこの先も明王院、光触寺、十二所神社と続くのだけど、それぞれ距離が離れていて遠いので、今回はここまでとした。そのあと長谷へ行く予定もあって。こちら方面だけを一日コースにすれば光触寺まででちょうどいい感じで回れそうな距離感だ。紅葉の季節でいえば、北側の獅子舞というところもいいらしい。そっちまで足を伸ばせなかったのが今回少し残念なところだった。
 少し日も傾いてきた。秋の夕暮れは早いからのんびりはできない。ちょっとだけ先を急ぐ。
 報国寺の三門はどうしたことか、妙に真新しい。大変立派な構えをしているけどこの新しさが気になった。これも帰ってきてから知ったのだけど、最近修復をしたらしい。どうりでピカピカなわけだ。
 しかし、極太の柱といい、大きな二枚扉といい、かなりお金をかけたとみえる。儲かってるんだろうか。ここは入るだけなら無料だけど、たいていの人は名物の竹の庭を見に来てるわけでそれが200円だから、実質は拝観料200円だ。ただ、本堂のお参りだけの人もいることを考えるとこれは親切とも言える。庭で抹茶をいただきたければプラス500円になる。

報国寺-2

 傾いた秋の日が長い影を作った。狙ったわけではないけどちょうどいい時間帯に訪れたようだ。最後にここを持ってきたのは正解だった。
 鎌倉もこのあたりまで来ると客層が変わる。騒がしいおばちゃん軍団は少ないし、休みの日は修学旅行生もいない。落ち着いた感じのカップルが増え、外国人もあまり見かけない。北鎌倉あたりの有名寺社や鎌倉駅周辺は人も多くて騒々しい。それはそれで賑やかで楽しいのだけど、古都鎌倉の風情を味わいたければやはり少し足を伸ばす必要がある。

報国寺-3

 本堂へのお参りもそこそこに、みんな一目散に竹林の方に向かう。ここの仏さんはけっこう素通りされることが多そうだ。縁起や由来に興味を持ってこの寺を訪れる人は少ないと思う。私も帰ってきて復習するまではどんなお寺なのかまったく知らなかった。
 創建は1334年、開山は天岸慧広(夢想国師の兄弟子)で、開基は足利家時(足利尊氏の祖父)、または上杉重兼ともいわれている。はっきりしたことは分からないようだ。
 臨済宗建長寺派の禅寺で、正式名は功臣山報国寺。本尊は釈迦如来。
 足利氏と上杉氏の菩提寺として栄え、最盛期は5キロ離れた衣張山まで境内に入っていたという大寺院だったのだとか。
 1439年の永享の乱では、反乱を起こした父・足利持氏が永安寺で自刃したのをうけて長男の義久もこの寺で自ら果てている。
 現在は歴史的な部分は置き去りにされて、もっぱら竹の寺として名を馳せている。いいことなのかどうでないのか分からないけど、鎌倉で竹林といえばここと決まっていて、大勢が訪れる。
 見所といえばそれくらいで、右手にある迦葉堂や茅葺き屋根の鐘楼などは私も見ることさえなく通り過ぎてしまった。

報国寺-4

 かなりの人気スポットで、この中は賑わっていた。閑散とした境内とは雰囲気が一変する。やっぱりみんなここ目的で来てるんだなと分かる。
 竹林は細い板の通路が作られていて、そこを一列か二列になってぞろぞろ歩いていく。ロープも張り巡らされているから、勝手なところへ入っていくことはできない。踏み荒らされるのは竹にとってもよくないし、竹の子を踏を踏まれないようにという配慮もあるのだろう。
 1,000本以上の孟宗竹はなかなか壮観だ。もともとここは自然に竹が生えていたところだったようで、40年ほど前に整備して一般公開するようになったそうだ。

報国寺-5

 斜めから差し込む光の具合がよくて、そりゃあみんな撮るよねと思う。でもコントラストが強いから、デジは苦手な被写体だ。明るくなりすぎるか、暗くなりすぎる。フラッシュを使うと雰囲気が飛んでしまう。難しいところだ。
 レンズは人間の目ほど優秀にできてないから、こういうシーンは見たままを捉えることができない。こういうところではまだフィルムのアドバンテージがある。

報国寺-6

 ここはやはり夕方がベストタイムなんじゃないだろうか。竹林が絵になるのは、この光と影のコントラストだから。
 耳を澄ますと上空を渡る風がサラサラ鳴る音が聞こえる。それもまた、竹林の楽しみの一つだ。ベストシーズンは夏の終わりだろうか。このシチュエーションにヒグラシの鳴き声が加わったら素敵だ。自分たちの貸し切り状態なら尚いい。

報国寺-7

 どこまでも高く伸びた竹は、その先が見えないくらい高い。竹の寿命は何年くらいなんだろう。
 竹のように真っ直ぐな性格という言葉があるけど、あれは上手い表現だ。写真ではゆがんでいるけど、これは広角レンズの特性でこうなってしまただけで、見た目はやっぱり真っ直ぐだ。

報国寺-8

 裏手に行くと、鎌倉時代特有の岩のお墓「やぐら」があった。近づくことはできない。
 ここで自刃した足利義久や、足利家時など足利氏一族のお墓のようだ。

報国寺-9

 蛇足写真。絵になりそうでなりきらなかった一枚。もっと紅葉の葉が一面に浮いていればよかったのだけど。

 このあと私たちは江ノ電に乗って由比ヶ浜まで行き、鎌倉文学館を訪れ、最後を長谷寺のライトアップで締めくくることになる。ここしばらく神社仏閣の歴史ネタが続いたので、そろそろおなかいっぱいになった頃だろう。私だってそうだ。三度の飯より神社仏閣が好きというわけではない。あ、でも、まだ奈良の東大寺編が残ってた。また寺かよ。なんとかワンクッション、ツークッション、何か別のものを挟みたい。鳥になるか、風景になるか。もしかしたら遠出もあるかもしれない。
 クリスマスイブまで一週間を切った。今年の残りもあと2週間だ。でも、まずは鎌倉編を完結させることを考えよう。残りあと2回。
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