カテゴリ:横浜(Yokohama)

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  • 超高層ビルマニアじゃないけど、気づけばベストテンを制覇しつつある

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    2008/02/29

    横浜(Yokohama)

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    2007/06/07

    横浜(Yokohama)

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    2007/06/02

    横浜(Yokohama)

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    2007/06/01

    横浜(Yokohama)

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超高層ビルマニアじゃないけど、気づけばベストテンを制覇しつつある

横浜(Yokohama)
ランドマークタワー1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 馬鹿と煙は高いところへ登るというのと、馬鹿は風邪引かないというのが本当だとしたら、高いところへ登れば風邪を引かないことになる。かなり強引な論理だけど、風邪を引いてる人間が高層ビルの展望台から景色を眺めようなんて思わないから、その理屈はまんざらデタラメでもないかもしれない。
 どうして馬鹿は高いところへ登るというのか、あなたは知ってるだろうか。私はさっき知った。高いと他界を掛けて、馬鹿なやつはわざわざ自分の身を危険にさらすようなことをするものだという意味なんだそうだ。へー、なるほど、そういうことか。煙が馬鹿だといってるわけではない。
 これまであちこちの展望台に登ってきて、肝心の日本一にまだ登っていなかった。横浜ランドマークタワーは、1993年(平成5年)の開業以来、15年間日本で一番高いビルであり続けている。これだけ超高層ビルが乱立する中、15年間というのは大したものだ。設計が優れていたというのもあるだろう(設計はアメリカの建築家ヒュー・スタビンスで実質的には三菱地所が担当)。地震列島の日本は、外国とは事情が違う。世界でいえば、ランドマークタワーは44番目でしかない。
 今後の予定を見ると、2014年予定の近鉄阿部野橋ターミナルビルがランドマークを抜いて日本一になるようだ。三重県出身の私としては近鉄というのは地元の電車という感覚が強いのでちょっと嬉しい。
 ちなみに国内高層ビルベストテンは、2位3位が大阪のワールドトレードセンタービル、 りんくうゲートタワービルで、5位6位に名古屋のミッドランドスクエア、JRセントラルタワーズとなっていて、4位のミッドタウンができるまでベスト5に東京のビルが入ってなかったのだ。7位は東京都庁、8位はサンシャイン60、9位が六本木ヒルズで、10位が新宿パークタワーと、このあたりは納得の顔ぶれだ。
 これで私はベストテンの中では大阪の2つと新宿パークタワーを残すだけとなった。ただし、りんくうゲートタワービルの展望台は低いところにあるようだし、新宿パークタワーは一般の展望台はないので、実質的には大阪ワールドトレードセンタービルだけとなった。もしくは、新宿パークタワーのパークハイアット東京に泊まるという手もあるにはある。そこまでするか。
 ビルの高さベストテンではなく、展望台の高さベストテンということで調べ直した方がいいかもしれない。

ランドマークタワー2

 ビルは70階建てで高さは295.8メートル。展望フロアがある69階は、地上273メートルで、これも日本一だ。東京タワーは高さ333メートルでも、特別展望台は250メートルだから、それよりも更に高い。
 スカイガーデンには日本一の速さを誇るエレベーターで一気に登る。その間、わずかに40秒。最大で分速750メートルに達し、2004年に台北101のエレベーターに記録を破られるまでは世界一だった(今でも下りの速さは世界一)。確かに速いには早いけど、耳がすごいことになる。名古屋テレビ塔の情緒溢れるのんびりエレベーターの方が私は好きだ。テレビ塔のエレベーターをランドマークタワーに導入したら、ものすごく時間がかかってしまうけど。
 名目上は360度の展望となっているものの、一部はショップや壁になっていて完全な全方向ではない。ただし、こういうところにありがちな一番いい一角をレストランなどが占めてしまうというのがないのは良心的だ。何しろ1,000円取るくらいだから、それくらいは当然か。JAF割引で900円でも高い。
 雨の日や視界が悪い日は割引があるというのはちょっと面白い。遠くから行く人は日にちを選べないことも多いから、そういうサービスがあってもいい。
 夜は9時までと、案外早い。土曜と夏休み期間は10時まで延長になる。
 行った日は祝日の夜ということで、まずまずの混み具合だった。フロアは広いから混雑ということにはならないものの、窓際は大部分が占領されているから多少の待ちは発生する。座るところは少ない。

ランドマークタワー2

 大きな観覧車でお馴染みのコスモワールドや、コンチネンタルホテルなど、みなとみらい21を代表する風景の一角だ。こちらが東北ということになるだろうか。
 あの観覧車は去年乗った。桜木町駅から歩くとけっこう遠い。直接遊園地方面に行くなら、横浜高速鉄道みなとみらい線のみなとみらい駅からの方が近い。ランドマークタワーもそっちからの方が近いだろう。
 コスモワールドの向こうには赤レンガ倉庫があって、その更に奥が横浜大さん橋ふ頭だ。山下公園は写真では切れてしまっているけど右手にある。写真右下に写っているのが、汽車道だ。
 晴れた昼間は、東京都庁やサンシャイン60、南西には富士山も見えるという。
 一番いい時間帯は、夕暮れから夜景にかけてだろう。長居できるならもう少し早めに行くと3種類の景色を楽しむことができる。

ランドマークタワー3

 南側は桜木町駅方面。右下に見えているのが動く歩道だ。
 駅前はあまり発展していないことが分かる。超高層ビルが林立するような風景ではない。ただ、駅から出てすぐ左手で大がかりな工事をしていたから、ここに何か建つようだ。大きなビルや新名所などができれば、また桜木町の風景も変わっていくだろう。
 みなとみらい21は、まだできて新しい発展途上の街だ。1980年代までは、三菱重工横浜造船所や国鉄の操車場や貨物駅などがある工業地帯だった。80年代に入って、この好立地の土地を再開発して人を呼ぼうということになり、1983年にみなとみらい21事業は始まった。この名前は公募で決まったそうだ。ランドマークタワーの住所の横浜市西区みなとみらい2-2-1というのは偶然ではないのだろう。
 1989年には横浜市制100周年を記念して横浜博覧会が開催され、そのとき動く歩道も造られた。
 ランドマークタワーが完成した1993年がひとつの大きな節目になり、その後発展が続き、現在に至っている。

ランドマークタワー4

 スカイカフェと、そこから見える夜景。
 椅子があるから座ってしまえと思うと、ここは店のものだったりする。休憩所ではない。座りたければ何か飲み物を注文しろということだ。人が多いときは、窓際はなかなか空きそうにない。

ランドマークタワー7

 一角にタワーショップがあって、記念品やおみやげなどを売っている。金色に塗られたランドマークタワーのミニチュアやペナントは売ってない。おみやげ物にあまり興味のない我々は軽くスルーした。そういうのが好きな人にとっては楽しいところだろう。ここでしか買えないものもいろいろあるようだ。
 そういえば、外国人が少なかった。たまたまだったのか、そういう傾向があるのか、どちらだろう。東京の高いところへ行くと中国語やハングル語やいろんな言語が飛び交っているけど、横浜は外国人観光客が少ないのだろうか。同じ神奈川県でも鎌倉はやたら異人さんが多い。

ランドマークタワー8

 観光客からするとランドマークタワーというと展望台というイメージしか持ってないのだけど、もちろん中には様々な施設や店舗が入っている。
 49階から70階までは横浜ロイヤルパークホテルが占め、1階から49階まではオフィスフロアになっている。意外と商業施設は少なくて、飲食店もあまり多くない。やはり横浜というとみんな中華街の方に流れていってしまうのだろう。
 飲食店や店舗は、タワー本体にコブのようにくっついているランドマークプラザという建物の中に集中している。上の写真がそれだ。
 構造的に少し分かりづらいところがあって、帰りに動く歩道が見つからず迷ってしまった。

ランドマークタワー9

 外は寒いし、ノアで歩き回ったし、中華街まで移動するのは大変ということで、ランドマークの中で食べていくことにした。
 横浜名物って何だろうと考えると、思いつかない。中華街以外というと何になるんだろう。鎌倉名物というのもあまり思いつかなくて、こっち方面に来ると夕飯に何を食べるか迷う。
 ちょっと面白そうで無難そうな「味散歩 横濱文明開館」というところにした。和洋中が揃っていて、古き良き昔ながらの食堂を再現したというのに惹かれた。
 しかし結果的にこれははずした感があった。本気で古いものを再現しようという気概はなく、それなりに体裁を整えてほどほどの料理を手頃な価格で提供するという店だった。

ランドマークタワー10

 私はカツ丼を、ツレは味噌ラーメンにした。
 味はまずまず以上ではない代わりに量は多い。ご飯を食べきれなかった。写真を見るとけっこう美味しそうなんだけど、味にパンチがなかった。
 ちょっと不思議だったのは、喫煙席が景色のいい窓際で、禁煙席が見晴らしの一切ない内側というシステムだ。普通逆じゃないのかなと思うけど、この店では喫煙者が優遇される。オーナーが大の愛煙家とかなんだろうか。

ランドマークタワー11

 タワーを出たところで見上げて一枚。さすがに高い。至近距離からでは上の方が見えない。雲が低くたれ込めると、タワーの頭が雲から出るという。
 外からランドマークタワーの写真を撮るときは、週末よりも平日の方がいい。休みの日はオフィスの明かりが消えているところが多いから暗くて面白くない。これはどの高層ビルにも言えることだ。

ランドマークタワー12

 動く歩道横の通路からも最後に撮っておいた。
 右手前にあるのが日本丸だ。これもみなとみらい21のシンボルの一つになっている。
 この辺り一帯は、日本丸メモリアルパークとして整備されていて、日本丸にも有料で乗り込むことができる。横浜マリタイムミュージアムも隣接する。

 今回はノア行きが最大の目的で、横浜観光はランドマークタワーだけとなった。まだ山手の洋館巡りが半分残っているし、現在閉鎖中のマリンタワーにも登りたい。中華街でもまた美味しいものを食べたい。前回は5月の終わりだというのにやたら寒かった。大さん橋ふ頭では凍え死ぬかと思ったほどだ。次はもう少しいい季節に行こう。
 横浜の街とも少しずつ馴染みになってきた。今後とももっと親交を深めたい街だ。

初めての中華街で夕飯を食べて横浜観光は心残りなく完結

横浜(Yokohama)
横浜中華街-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/12s(絞り優先)



 横浜観光最後の締めくくりはやっぱり中華街で決まり。山手巡りから戻ってきたあと、大さん橋で夕焼けと夜景を見て、満を持して中華街へと乗り込んだ。8時を過ぎて、あたりはすっかり真っ暗になっていた。
 初めての中華街、どこで何を食べるかを決めるのは非常に難しい。なにしろ約500メートル四方の敷地内に250もの中華料理店がひしめいている。ガイドを見ても紹介されている店舗数が多すぎて実際どこがいいのか判断がつかないし、かといって飛び込みで入るのは危険だ。本場横浜中華街といっても値段に見合うだけの味の店はさほど多くないという話もある。下手するとチャイニーズファミレスの「バーミヤン」の方がずっと美味しかったりするらしい。一番確かなのは、雑誌やテレビでよく紹介されている有名店にしておくことだ。そういうところなら大きな失敗はない。「萬珍樓」、「大珍樓」、「珠江飯店」、「均昌閣」、「景徳鎮」、「聘珍樓」、「北京飯店」、「重慶飯店別館」あたりならまず間違いはないところだろう。金額的には多少高くつくかもしれないけど。
 あとは、どこの地方の料理を食べたいかで決めるという手もある。お馴染みの中華が多い広東料理でいくか、あっさり系の北京料理にするか、辛さを求めて四川料理か、魚介類の上海料理で攻めるか。自分の好みをはっきり自覚できてる人なら、迷いは少なくて済むかもしれない。点心や飲茶が食べたければそれに特化して評判がいい店もあるし、今まで食べたことがない変わった料理を求めるのもいい。たくさん食べたければ食べ放題の店もある。
 問題は私たちのような漠然と中華街を訪れた人間たちだ。たくさん量も食べられないし、高級中華を食べたいわけでもないとなると、行ける店は限定されてくる。コース料理はきついから単品で安くて美味しいところという注文にこたえてくれる店は少ない。で、最終的に選んだのは、「東林(トウリン)」となった。中華街にくわしい人なら、それはいい選択だねと思ってくれるんじゃないだろうか。いきなり渋いところを突いたねと。店の紹介は後にして、まずはせっかくなので中華街について少し勉強しておこう。

横浜中華街-2

 日曜の夜ともなると中華街は大勢の人混みで溢れかえる。特に中華街大通りはすごい人波だ。年間の来訪者は東京ディズニーランドをも上回る1,800万人というから驚く。日本人は中国人よりも中華料理が好きなのかと思うほどの人数だ。中華街には中国人も6,000人以上いるというから、中国人に会いたければ中華街へ行くのが確実と言える。もしかしたら、ゼンジー北京もそのへんをうろついているかもしれない(あの人は中国人じゃない)。
 中華街の歴史は、1859年の横浜開港に始まる。欧米人とともに来日した多数の中国人たちがこの地に住み始め、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると中国人貿易商も多数やって来るようになった。関帝廟や中華会館、中華学校などを建てて生活の基盤ができて、それが今の中華街の基礎となった。
 関東大震災と第二次大戦で中華街も大きなダメージを受けて、中国人たちも帰国していった。いったんはさびれたものの、戦後少しずつ回復して、1972年に日中国交回復をきっかけに大勢の日本人が訪れるようになる。飲食店だけでなく観光地として発展していくこととなり、現在に至っている。中華街の正式な始まりは、1955年に中華街大通りの入り口に善隣門が建てられて牌楼の上に「中華街」と入れられたときからだという言われ方もするようだ。
 2004年にみなとみらい21線の終着駅として元町・中華街駅ができたことで、交通の便もよくなった。入口としては、山下公園方面からと、石川町駅方面からの2つある。
 日本においては、神戸南京町と長崎新地中華街とともに三大中華街と呼ばれているけど、規模としては横浜のものが最大で、アジアでもっとも大きく発展したチャイナタウンだ。

 メイン通りにはそれぞれ中華街大通り、関帝廟通り、広東通りなどの名前が冠されていて、脇道の上海路、中山路、福建路、香港路などの地名がついた路地と交差している。初めてだと分からないけど、何度か通っているうちに通りの名と店の位置が感覚的に分かってくるのだろう。私たちは「山猫堂」という猫グッズ専門店を探し回って歩き回ったおかげでけっこう土地勘ができた。期せずして。ほとんどの通りや脇道を歩くことになったから。結局「山猫堂」は、中華街大通りから少し入ったチャイナスクエアビルというビルの中にあった。よしもとおもしろ水族館などが入っているところの2階に。
 路地名のところに必ずしもその地方の店が並んでいるというわけではない。ただ、傾向としてはあって、店員や料理人もそこの出身者が多いそうだ。中国も広いから、同じ地方出身の人同士の方が気心が知れるというのもあるのだろう。北京と上海と香港では言葉も違う。
 中華街といえば門(牌楼)も象徴的なもののひとつとなっている。善隣門をはじめ全部で10の牌楼があって、その中でも東南西北に建つ4つの牌楼には、それぞれの色と意味がある。東の朝陽門は青、南の朱雀門は赤、北の玄武門は黒、西の延平門は白で、それぞれ青龍神、朱雀神、玄武神、白虎神という守護神をもっている。風水というのは迷信とかではなく、古代中国では科学だった。自然と人間が調和していくための方法論とも言える。日本でもいまだに超高層ビルを建てる前に神主さんを呼んで上棟式の儀式をするように、中国では風水思想に基づいてビルを建てたり街作りをしたりしている。日本も江戸時代まではしっかり風水思想を受け継いでいたのに、明治以降はそれがおろそかになってしまった。

横浜中華街-3

 長い前置きの末にようやく辿り着いた「東林」。このブログを読みながら中華街の勉強してたらおなかが空いて我慢できずにカップラーメンを食べてしまったという人もいたかもしれない。お待たせしましたアルね。
 東林にした理由は、ネットのクチコミ情報で評判がよかったからだ。雑誌やガイドよりもネットの個人情報の方が当てになる。日曜日でも並ばなくていいというのに惹かれたというのもある。
 店は大通りを抜けて石川町駅に近い福建路にある。ここまではずれに来るとびっくりするくらい人通りが少なくなって、ちょっと大丈夫かなと思うのだけど、大丈夫マイフレンド、ここは心配ないアルよ。中華街の常連さんが太鼓判を押す店でもあるし、私たちも一回行ってすぐにここはいい店だと分かった。まずは中に入ってみよう。

横浜中華街-4

 山猫堂探しに手間取って、店に入ったのがラストオーダー30分前の9時ということで、お客はだいぶ少なくなっていた。でも、店の雰囲気はいい。清潔だし、そこそこ広いし、静かだし。中華街でゴタゴタしてなくて騒々しくない店というのは意外と少ないらしい。
 注文してからの待ち時間も少なく、店員さんの接客もいい。欠点をあげるとすれば、中華街らしくないということだろうか。ここの店内に入ると、自分が観光地にいる観光客だということを忘れそうになる。だから、華やいだ中華街の雰囲気と気分を味わいたい人には向かない店かもしれない。

横浜中華街-5

 少食の私たちが注文したのは、天津ラーメンとチャーハンという質素とも言えるメニューだった。歩き疲れて空腹も忘れるほど胸一杯になっていたというのもある。食べ終わって余裕があればゴマ団子も頼もうと思っていたけど、思ったよりもボリュームが多くてラーメンだけで精一杯だった。
 味は申し分なし。町の中華屋さんとは格の違いをみせる。この2品に関しては味付けがやや濃いめで、一口目から美味しいなと思って、食べ終わってから時間が経っても印象に残る。今でもまだ味を覚えているくらいだ。薄味好みの人にはやや濃いと感じるかもしれないけど、くどいとかではなくて万人向けの味付けだとは思う。
 値段は800円か900円かそれくらいだった。中華街の単品としてはこれくらいか、少し安めだろうか。ここはランチも安くて美味しいそうだ。700円というから近場ならもう一度といわず二度でも三度でも行って食べてみたい。
 単品でももっと高いものは高いし、点心などのコースもある。とにかくどれを食べてもはずれがないのがいいところというのがここの評価のようだ。ものすごく感動的に美味しいとまではいかなくても、どれも80点以上で安心して食べられる店というのはそう簡単に見つかるものではない。観光客として最初に行く店としてはどうかとも思うけど、有名店をいくつか食べ歩いて新規開拓したいという人におすすめしたい。

 念願の初中華街も無事に終えて、私たちの横浜観光は完結となった。横浜総鎮守の伊勢山皇大神宮から始まって、みなとみらい21、よこはまコスモワールド、日本丸、汽車道、赤レンガ、山下公園、大さん橋、キング&クイーン&ジャック、山下公園、港の見える丘公園、山手洋館巡り、大さん橋からの夜景、中華街と、ほぼフルメニューをこなしたと言ってもいい。まあよく歩いたものだ。
 次はいつになるか分からないけど、まだマリンタワーや氷川丸もあるし、少し離れたところにある山渓園も行ってみたい。足を伸ばせば金沢の古道や八景島もある。野毛山動物園も入ってみたいし、ランドマークタワーにものぼって、シーバスも乗りたい。まだ見どころは残っている。また行けるといいな、横浜。

山手洋館をめぐる現在と過去と光と影と ---プレイバックpart2

横浜(Yokohama)
山手洋館-10

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/25s(絞り優先)



 洋館巡り終盤は時間との戦いとなった。こうなるとノスタルジーに浸るも何もなくなってしまうけど、旅は一期一会。もう一度来られる保障はどこにもないから、貧乏性と言われてもできるだけ欲張って見ておこうと先を急いだ。そしてその判断は結果的に間違っていなかった。
 写真はエリスマン邸。山手のこのあたりは木々が多くて、夕方の木漏れ日が洋館をまだらに染めていい感じだった。
 エリスマン邸は山手で一番最初に公開された洋館だ。もともとは山手の127番に建てられた家で、第二次大戦でも被害に遭わず、所有者が転々としながらもかつての姿をとどめていた。1982年に集合住宅建設で解体されることになり、歴史的に貴重な建物ということで横浜市が譲り受けて、今の場所に移築して保存されることになった。ただし、解体前は和洋折衷の家屋だったものが移築の際に洋館部分のみとなっているので完全な復元ではない。

 エリスマン邸は1926年(大正15年)に、スイス人貿易商フリッツ・エリスマンの私邸として建てられた。1888年(明治21年)に来日したエリスマンは、1940年(昭和15年)まで日本で暮らし、墓は外国人墓地にある。
 設計は、日本現代建築の父の父と呼ばれるアントニン・レーモンド。帝国ホテルなどの設計で知られるフランク・ロイド・ライトの助手として来日したチェコ人だ。このときは師匠であるライトから独立して間もない頃で、まだ完全には自分のスタイルを確立していなかったときだ。ライトの影響もあちこちに残っていると言われている。のちに、東京女子大学本館やイタリア大使館山荘、札幌聖ミカエル教会など、日本各地に多くの作品を残すことになった。
 ペパーミントグリーンとエメラルドグリーンの色調は当時のままなのか、移築後の塗り直しなのか分からないけど、周囲の木々と溶け合って爽やかなイメージに仕上がっている。都会的に洗練されているというよも、いい意味でカントリー調だ。アメリカンな感じに近い。

山手洋館-11

 中に入ると、とても洋館らしい洋館となっている。家具などは当時のものが残っておらず、過去にレーモンドが設計した調度品を復刻してものを展示する形になっている。ライトの弟子らしくレーモンドも内装まで自分で設計していたそうだ。確かに家というものは本来、外観と内装とあわせて一つのものだ。自分の設計した家というからには内部まで自分の思想を行き渡らせてこそだろう。
 洋館お約束のシャンデリアとサンルームもしっかり完備されている。洋間は今でこそ見慣れた部屋に近いから驚かないけど、明治や大正にこの部屋を見た日本人はけっこうびっくりしたことだろう。ふすまと畳の日本家屋とは何もかもが違っている。
 一階奥の厨房にあたる部分がエリスマン邸喫茶室となっている。ここから先の石川町方面は、洋館が点在していて歩く距離が長いから、ここで一休みするのもいい。私たちは時間に追われて、洋館の中を駆けるように巡り歩く。洋館の中では走らない!

山手洋館-12

 二階に上がる木の階段に光が差し込んで、なんだか妙に懐かしい感じがした。
 二階では山手の歴史や洋館の紹介などが写真や図で紹介されていた。テラスもある。

山手洋館-14

 エリスマン邸の前のベンチではノラが昼寝中だった。近づいても逃げない。なんだこいつら昼寝の邪魔をしやがってと迷惑そうに薄目を開けると、その瞳はブルーだった。ノラ猫の目まで洋風とは念が入っている。
 横浜の観光スポットは人が多すぎて猫の姿がまったくなかったけど、山手まで来るとノラの姿が増えてくる。このあたりは自然も多いし、公園もあるし、お世話してくれる人たちもいるのだろう。人間にも慣れていて、のんびりしていた。観光客の遊び相手にもなってくれる。

山手洋館-13

 最後にやって来たのがベーリックホールで、ここが今回の山手巡りで最も印象的な洋館となった。
 門をくぐって敷地に入ると、突然ガラリと雰囲気が変わって少したじろぐ。前触れなしのスパニッシュ空間。広い芝生の前庭と横長箱形の館。ニョキッと出ている蘇鉄がちょっと南欧のリゾート地を思わせる。しかも大きい。これまで見てきた中で一番規模の大きな洋館だった。
 設計は山手111番館も手がけたJ.H.モーガン。どうやらモーガンという人は個人宅を作るときはスペイン風が好みだったようだ。アーチ状の玄関ポーチや外壁の感じなど山手111番館と共通するところが多い。

 この館の主は、イギリス生まれの貿易商バートラム・ロバート・ベリック。親族が横浜で経営していた貿易会社を手伝うために20歳のときに来日して、のちに会社を引き継いで大成功を収める。この邸宅の立派さからも裕福さがうかがえる。
 もともとこの場所にあった屋敷は関東大震災で倒壊してしまって、その後J.H.モーガンに依頼して現在の家を建てた。しかし、ベリック一家がこの家で暮らしたのは10年ほどのことで、第二次大戦が始まると日本を去ってカナダに移住していった。
 戦後はアメリカ軍に取り上げられて、中将の宿舎として利用されていたという。親族に返されたのち、カトリック・マリア会に寄贈されて、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われることとなる。そのときべーリック・ホールと呼ばれるようになって、それが現在の名称として残った。1階は勉強や礼拝のために使われ、2階は寝室となっていたようだ。多いときで30人ほどの子供たちがここで暮らしていたという。
 2000年(平成12年)にスクールが廃校になり、横浜市が敷地を買い取って建物を譲り受けたあと、2002年から一般公開されるようになった。

山手洋館-15

 広々としたホールは個人宅とは思えないほど贅沢な空間だ。片隅に置かれたピアノが小さく見えるなんて、現代日本の住宅事情からは考えられないくらいだ。私の部屋にピアノを置いたら、ピアノの上で食事をして、ピアノの足の下に布団を敷いて寝ないといけなくなる。
 高い天井と暖炉と大きな窓。ベリック一家はここで何をしてたんだろう。私なら上手い利用方法が思いつかない。せいぜい友達を呼んでピンポン球とプラスチックのバットで野球をするくらいだ。立食パーティーとかを開いてたんだろうか。

山手洋館-16

 家具や調度類は当然当時のものではなくて、想像による復元だ。いったんはスクールの寄宿舎となっていたこともあって、資料なども残ってないようだ。それゆえに、家の中は作りものめいていて、家族のぬくもりのようなものは感じられない。このダイニングルームなども、ドラマのセットみたいだ。無言で進む上流階級の静かすぎる食事風景しか思い描けない。実際はどうだったんだろう。

山手洋館-17

 グリーンの壁のかわいい子供部屋。ぬいぐるみなども置かれていて、いかにも裕福な家の坊っちゃんの部屋という感じになっている。しかし、このときベリック家の息子はすでに成人していたというから、ちょっとやりすぎの演出だ。部屋自体はとても素敵なんだけど。
 隣にはピンクを基調にした夫人の寝室もある。それも過剰な演出のような気がする。飾り窓はとてもいい感じ。
 この家はとにかく採光のセンスが素晴らしい。立地条件にも恵まれたのだろうけど、光の計算が行き届いていて、窓から差し込む光が作り出すコントラストが部屋をドラマチックに演出している。主な部屋を全部南向きに設計してあるということだから偶然ではない。たまたま行った夕方時間というのも幸運だった。真昼ならこの光と影のドラマを目にすることはできなかっただろう。欲張っていいこともある。

 今回の山手洋館巡りはここで時間切れとなった。残った主な建物は、石川町駅に近いイタリア山庭園、外交官の家、ブラフ18番館あたりになる。機会があればもう一度出向いていって、全部制覇したい。
 それにしてもやはりべーリック・ホールだ。ここを見るだけでも山手洋館巡りをする価値がある。特に夕方の日が傾いた時間帯をおすすめしたい。洋館の光と影は、歴史と外国人の陰と陽を見るようでもあった。外国人居留地というけど、言い方を換えればここ以外に住んではならないという場所に閉じ込められたのだから、裕福だからといって必ずしも幸せに暮らしていたとは言えなかっただろう。日本人とのトラブルを防ぐためにも、互いの交流はかなり制限されていた。遠い異国の地で孤独も感じたに違いない。そういうある種の暗さのようなものも、山手の洋館地区には見え隠れしている。光に満ちていたわけではない。
 ここで何を感じるかは人それぞれだけど、実際に自分で行ってみると、ガイドブックには書かれていないたくさんのことを感じられることだけは間違いない。ぜひ機会があれば出向いて行ってみて欲しい。通しで歩いて2時間くらいだろうか。家の中も見て回るとなると、3時間コースとなる。
 今回の横浜観光編も次回の中華街が最終回となる。歩き疲れた我々は猫を求めて中華街の中をこれでもかと歩き回ることになるのだけど、それはまた次回。食べたものはラーメンとチャーハンという、貧乏くさいオチがつく。

横浜山手洋館ノスタルジックツアー ---プレイバックPart1

横浜(Yokohama)
山手洋館-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/50s(絞り優先)



 初めての横浜観光で山手地区の洋館巡りをするかどうかは迷うところだ。ここまでコースに組み込んでしまうと、一日で回るにはスケジュールがかなりタイトになる。でも省略するとどこか物足りなさが残る。入れるべきか外すべきか迷った末、私たちは半分だけ回ることにした。最後は時間がなくなって駆け足になってしまったけど、やっぱり行っておいてよかった。もしここを抜いていたら横浜巡りの印象は少し弱いものになっていただろう。
 出発点は二つある。港の見える丘公園から行くコースと、石川町方面からと。電車で直接行くなら石川町駅からの方が近い。一般的な横浜観光コースとしては、やはり元町から行くことになるだろう。山下公園の前から100円の「あかいくつ」バスが港の見える丘公園まで行っているから、これに乗るのが便利だ。距離は大したことなくても丘の上の坂道なので歩くのはけっこうしんどい。その前にさんざん歩き回ったあとだったし、山手の歩きを考えてもここは体力を温存したいところだ。

 山手地区は幕末の頃から外国人居留地だった場所で、異国情緒溢れる横浜の中でもひときわ外国色の濃い地区といえる。明治になると更にたくさんの外国人が移り住んできて、多くの洋館が建てられた。しかし、第二次大戦と関東大震災でそれらの大部分は倒壊してしまった。明治時代の建物はほとんど残っていない。現在残っている洋館もほぼすべてが昭和初期に建て直されたものだ。よそにあったものを移築したものもある。
 山手地区には約50の洋館が建っていて、その中の7軒を横浜市が保存、公開している。イギリス館、山手111番館、山手234番館、エリスマン邸、ベイリック・ホール、ブラフ18番館、外交官の家。これ以外にも魅力的な建物があるので見どころは多い。基本的にどこも無料で内部も見せてくれるのが嬉しい。維持費も大変だろうに。

 今回巡ってきた洋館をなるべく見た順番に紹介していこう。
 まずは港の見える丘公園の隣というか公園の中にあるイギリス館から。上の写真は裏手のローズガーデンの方で、表に回ると玄関から中に入ることができる(平成14年より)。
 英国総領事公邸として昭和12年に建てられた家で、当時の英国を代表するコロニアルスタイルとなっている。質実さと優美さが同居した、イギリスらしい洋館だ。アメリカ的でもないし、フランス的でもない。イギリス庭園にはバラがよく似合う。
 設計は当時の英国総領事館(現・横浜開港資料館旧館)と同じく英国工務省が担当した。だからあまり遊び心のようなものはない。
 内部は当時の調度品などを再現しているというけど、生活感はまったくないから、どうしても作りものめいている。サンルームはポカポカして気持ちよかった。

山手洋館-3

 ほぼ横並びのように位置している111番館。111番というのはかつての番地代わりの番号で、そのまま洋館名として残っているところもある。ただし、整然と番号通りに家が並んでいるわけではないので、洋館の場所を示す位置としては当てにはならない。
 こちらはイギリス館とはガラリと趣の違うスパニッシュスタイルとなっている。ちょっと南国風だ。でも、かつてのこの家の持ち主は、両替商をしていたラフィンという名のイギリス人だった。
 設計は、このあと登場する横浜山手聖公会やベーリックホールの設計者でもあるアメリカ人建築家J.H.モ-ガン。1920年(大正9年)に来日して、横浜を始め、東京、仙台、神戸などにも作品を残している。
 111番館は1926年(大正15年)に建てられ、1999年(平成11年)に「ローズガーデン」が開園した際に一般公開が始まった。
 門からアプローチを進むと、三つのアーチの先に玄関ポーチがある。白い壁と赤い屋根とバックの青空。ここだけ切り取るとリゾート地の別荘みたいだ。

山手洋館-2

 お金持ちの家にあって自分の家には決してないシャンデリア。私の子供時代のお金持ちのイメージは家にシャンデリアがあることだった。別にサラリーマン家庭でもシャンデリアくらい買えなくもないのだけど、そういうことではない。
 洋館の中というのは、見学する分にはほぉーとか、おおーとか、へぇーとかいろいろ驚きや感動があるのだけど、自分が住みたいとは思わない。天井が高すぎたり、家具が少なすぎたり、床が木だったり、どう考えても落ち着かない。私はもっと低くて物がたくさんあふれた狭い部屋で暮らしたい。屋根裏部屋なら落ち着くかもしれないけど。

山手洋館-5

 2階は生活スペースということで、暖かみのある感じだった。家具類もレトロモダンな感じで嫌味がない。こんな家にお呼ばれしたら、いい家ですねとお世辞じゃなく素直に誉め言葉が口をついて出る。
 裏手はテラスとガーデンになっていて、窓から見下ろす景色は、昔の歪んだガラスを通しているせいもあるのか、現実であって現実の光景じゃないような不思議な感じがした。自分がラフィンの亡霊になって現代の光景を目にしてるような気持ちになってくる。

山手洋館-4

 111番館の裏手一階は、ローズガーデン「えの木てい」というカフェになっている。もうひとつある本家 「えの木てい」の姉妹店らしい。私たちはここで名物バラソフトクリームを買って食べた。予想外に売れたようで、コーン売り切れという事態に陥り、代わりに紙コップ入りのソフトとなった。バラのエッセンスが濃厚な不思議な美味しさで気に入った。ストロベリーに近いようで遠い。なんとなくバラっぽい。

山手洋館-6

 明治に建てられた木造の洋館としては横浜で唯一残っているのがこの山手資料館(旧園田邸)だ。明治42年、本牧に日本人大工によって建てられたものを、この地に移築して保存している。
 現在は資料館として浮世絵やポンチ絵、古地図など、明治の頃の貴重なものが展示されている。ここは有料で200円。私たちが行ったときはすでに閉まっていた。開いていても入らなかったと思うけど。
 この隣には、人気のカフェ&レストラン「山手十番館」がある。明治100年祭を記念して作られた山手で最初の西洋レストランだそうだ。呼び物は「開化ステーキ」。当時はびっくりしたことだろう。なんて野蛮なと思ったかもしれない。
 ここの道を挟んだ向かい側に外国人墓地がある。入れるのは12時から16時まで。私たちは隣の資料館で座って一休みした。

山手洋館-7

 横浜山手聖公会。開国後、日本で3番目に建てられたという古い教会だ。横浜に駐屯していたイギリス軍人関係者が礼拝をするために建てられた。
 前身となったのは、山下町に1863年に建てられた日本初のプロテスタント教会「クライスト・チャーチ」だった。それはJ.コンドル設計による赤レンガの教会だったそうだ。しかし、関東大震災で壊れてしまった。今のものは、上にも出てきたJ.H.モーガンの設計で、1931年に再建されたものだ。それも第二次大戦の空襲でやられて、1947年に修復されて現在に至っている。
 戦後になって、外国人のためのクライスト・チャーチと日本人の横浜山手聖公会が合体する形で横浜山手聖公会になった。

山手洋館-8

 光と影と洋館と。ふと、かつて一世を風靡した、わたせせいぞうのイラストを思い出した。あの中に出てくるさわやかカップルがこの光景にはよく似合う。
 山手234番館は、昭和2年に外国人向けのアパートとして建てられたものだ。一軒家に見えて実は4つの世帯が住めるアパートとなっていた。今は改造されて普通っぽい洋館になっている。
 中にはいると少しだけ共同住宅だった面影が残っていた。今は資料の展示やギャラリーなどに使われている。
 これも平成11年から一般公開が始まったということで、横浜の山手地区もここ7、8年でけっこう様変わりしているようだ。10年ぶりくらいに訪れる人はその変貌ぶりに驚くのかもしれない。

山手洋館-9

 234番館の隣が、えの木ていの本館だ。1927年(昭和2年)に建てられた木造洋館の一階リビングルームがカフェになっている。家具類はイギリスのアンティークでまとめられているそうだ。時間があればここで紅茶を飲みながら優雅なひとときを過ごしたかった。けど、私たちに残された時間はあと15分。ほとんどの洋館は夕方の5時に閉まってしまうのだ。残りふたつ、大慌てで回らなければ。
 ということで、山手洋館巡りはプレイバックパート2に続くのであった。
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